文教委員会 第14号
- 発言数
- 102 件
- 登壇者
- 7 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1962/03/16
会議録
○櫻内委員長 これより会議を開きます。 義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律案、義務教育諸学校の児童及び生徒に対する教科書の給与に関する法律案及び教科書法案の各案を一括議題といたします。 質疑の通告がありますので、順次これを許します。小林信一君。
○小林(信)委員 前回の委員会のときに大事なところで休憩になりましたのでまことに残念でございましたが、そのところが引き続いてお尋ねして参ります。 発行会社のあり方について調査会に文部省としては諮問をするというようなお話から、どういうような御意向でなされるか、こういうふうにお聞きしたところ、新しく発行会社として出発するものには認可制を、許可制をとっていきたい、こういうふうなお話でしたが、非常にこれは問題のある点だと考えますので、これについて事前に文部省に十分御考慮を願いたい、とこう私は思うわけです。その中でも新しく発行会社を作る場合には許可制をとって既得権は認めるという形のようでございますが、しかし一ぺんこれが法律化されれば、既得権を持っておるものであっても同じように取り扱われまして、認可制、許可制がとられる以上はその許可を取り消すという問題も出てくるではないか、こういうふうにお尋ねしましたら、その通りだ。その場合にどういうわけで取り消されることがあるかと尋ねましたら、局長の方から教科書を作るにふさわしくないものは、これは認可取り消しの形をとらなきゃいけない、それからもう一つ過当競争を避けることが教科書を安くすることである、従って過当競争の行なわれないようにするためにもこの制度を作った方がいい、こういうふうなお話でございまして、ここをさらに承りたく思ったのですが、残念ながら中途で休憩になりまして終わっておりますから、この点からお聞きして参りたいと思うのですが、局長の言葉をそのまま取り上げて申し上げたいのですが、教科書を作るにふさわしい発行会社、こう言われると、どういう条件が考えられておるか、これをお伺いして参りたいと思います。
○福田(繁)政府委員 前の委員会におきまして臥そういう言葉を使ったかもしれませんが、要するに私の申し上げましたのは、一般的な問題として、この前のお尋ねの際には、もし認可制度をとった場合に、認可の取り消しというような行為があるかどうかということをお尋ねになったように記憶いたしております。従ってこの行政上の認可あるいは許可というような処分につきましては、一般的に当然に条件にたがった場合には認可あるいは許可の取り消しということはあり得るものであるということを申し上げたわけでございます。それに関連いたしましてそのふさわしいというような言葉を使ったと存じますが、それはやはり非常に重要な問題でありますので、慎重に扱う必要があると思っておりますが、教科書会社の基礎が十分かたいかどうかというような点、あるいはまた出版業者として信用が十分であるかどうかというような、そういったいろいろな要素があると存じます。そういった点で教科書出版業者として十分な信用あるいは資産その他の点から申しまして信頼できるような会社であるかどうかということが、一口に申しますとふさわしいということになると思いますが、そういう基礎のかたいりっぱな会社によって出版が行なわれることが、やはり過当競争をある程度防止することにも役立つと考えますので、そういった点を私は抽象的に申し上げたと思いますが、それは今後のいかなる条件によってどう措置するかということは、これはやはり重要な問題でございますので、調査会の審議の結論に待ちまして処置いたしたいと思います。
○小林(信)委員 その最後の調査会の検討に待つということでこの際の問答は結局は終わらなければならぬような形なんですが、ここで私たちの希望するものは、それが将来よい教科書を作るためによいものであればいいけれども、かえってそれが災いをなすようなものであれば、できるだけ文部省の反省を求めて、この法律がもし施行されるとするならば十分検討していただかなければならないという点で申し上げるわけですが、この前もよい教科書を作るにふさわしい会社、こういう抽象的な言葉で申されましたが、なるほどその言葉からは何ら疑問は生まれてこないようでありますが、今のお話にもありましたように、信頼できる会社、こういう言葉は非常に問題が出てくると思うのです。というのは、だれによって信頼されるか、時の文部省の信頼を得るだけであって、国民全般から信頼を受けない会社もあることがあると思うのです。そういうふうな場合に、文部省の好みに応じた会社だけが認可されて、思わしくないような会社は何らかの形によって認可取り消しを受けるようなことがあれば、ほんとうのよい教科書が生まれるということにはならないわけなんです。私たちがなぜこの問題を取り上げるかと申しますと、前回大臣がおいでにならなくて、私次官にお伺いしたのですが、大臣の口からもどうも心配の言葉を承ったことがあり、この教科書無償問題をめぐって国定のような方向をたどるのではないかという意向も多分にあるときでございますので、念を押してお尋ねするわけです。せっかく大臣がおいでになりましたから、あらためてお伺いいたしますが、大臣はこの前こういうことをおっしゃっておるのです。指導要領というものを大臣は出すことができる。さらに岩手県の学力テストの問題についても大臣はそういう発言をなされました。学校教育法第二十条によって私は教育にできるだけ介入する、それが私の責任であるというふうなことをおっしゃっておるわけなんです。大臣は学校教育法二十条に非常に強く関心を持っておいでになるために、この教科書の問題につきましても、現在指導要領を作ることが私の責任である以上は、自分の考えに基づいて、教科書が発行されておる、その発行された教科書というものも私の権限の中で検定を受けておる。してみれば、すでにこれは国定教科書とも言える。国定教科書にするかしないかというような点で質問をしておったのに対する答弁ですが、そのときに、国定教科書にする必要はない、こういうふうな意図であったのか、あるいは指導要領を作ることが大臣の権限である、検定をその点で大臣がするのだから国定教科書も同じだ、だから国定教科書にしてもいいのだ、そのいずれか私は明白にすることができなかったわけですが、あの点等から考えれば、認可制をとるというふうなことから、教科書に国定というはっきりしたものを持ち出さなくてもなお一そうそういう傾向をたどるおそれが私はあるのじゃないか、こういうふうに思うわけです。この認可制はまだ出されておらない、文部省の腹だけの問題ですが、認可制をとることによってそういう形にいくおそれがある。大臣も国定に対してはきわめて簡単な考えを持っておいでになる。簡単というのか慎重というのか、そこらはわかりませんが、持っておいでになる。この際、大臣としては教科書に対してどういう考えを持っておるか、お伺いしておきたいと思います。
○荒木国務大臣 国定になるおそれがあるということを、特に日教組あたりが盛んに言っておるようですけれども、私はそんなことを考えたことはございません。きわめて簡単に考えております。簡単だと申し上げることは、毎度申し上げることですけれども、文部大臣という立場、文部省という立場は、すべて憲法以下の法令に基づいて、教科書であれ何であれ忠実に実行する、こういう立場が最も民主的な立場であろうと思います。その意味で、今小林さん御指摘の学校教育法二十条、すなわち、文部大臣が小中学校、高学学校等における教科に関することをつかさどる、教科に関することを文部大臣が定めるという権限と責任を負わされている。そのことがもっと具体性を持って現われれば、これまた御指摘のように学習指導要領というものを定めるということになっておる。学習指導要領が小中学校の教科計について、各教科書ごとに、各学年ごとに何を教えねばならないかということを相当詳しく定めております。この定めるにつきましては、文部大臣という立場の者の個人的好みを入れる余地はむろんない、もう客観的にあらゆる専門の方々の衆知を集めたものが学習指導要領となって現われて、それに基づいて学校教育法の二十一条に規定します教科書の検定ということをやらねばならぬし、また、権限を与えられておる。その検定をしますときでも検定委員がおりまして、何も文部省の役人がみずからやるのではない。文部大臣がみずからやるのではない。専門家がはたして学習指導要領に合致しておるかどうかということを基準として検定すべきかいなかを実質的に定める、こういう制度でございますから、その通りに忠実にやっていくという意味においてきわめて簡単なものだと私は思っております。それは全国民的立場において客観性のある教科に関することを定め、学習指導要領に基づいてそれが定まり、それにまた根拠を置いて検定が行なわれるという一連の法律上の制度に基づいて忠実に実行されるという意味で、簡単であり、また、国民的立場の気持ちがそれに現われているという意味合いのことをこの前から申し上げたつもりでありますが、今もむろんそう思っております。これは私がそう思うのではない。学校教育法等の法律制度がそう命じておるのであります。法令上の命令ないしは権限に基づいてその通りにやる、それ以外のことをやろうとは何人も思っていない、こう御理解をいただいて万間違いないと私は信じております。
○小林(信)委員 大臣のこれをおっしゃる場合の気持というものは、私も十分わかるわけなんです。従って、法律を忠実に検討していく場合、もう一つは、良識をもって進む場合には問題ないわけなんです。しかし、そこに必ずしも完全な人間ばかしが存在するとは限らぬというわけで、そうした大臣の権限を一方に認めると同時に、大臣に偏した考えがあるような場合をおもんぱかって、やはり法律にはこれに対するものが備わっておると私は思うわけなんです。というのは、教科書を発行する場合に、検定は受けるけれども、自由な立場で発行させるところに大臣のそうした権限を認める意味があると思うのです。さらに、その教科書を、検定は受けておるけれども、また、たくさんなものの中からその地域あるいは教師の指導計画というものにのっとって採択するという一つの権限と申しますか、そういうふうなものを与えることによって私はほんとうに完全な教育行政が行なわれると思うわけなんです。完全に大臣の思考するものには間違いないということもうなずけます。しかし、そこに政治的な介入があってはならない、これは基本法にも明示してあるところでございます。それにのっとって教科書の発行も検定は受けるけれども、そういう政治的な圧力を受けないような形にしておくことが最もよい教育行政をなされるところだと思うのであります。従って、発行会社に対して認可制をとるというようなことは、大臣のその権限を忠実に施行させる意味からしても絶対にしてはならない。自由に発行さして、検定というものが受けられるようにしなければいけない。検定もし、さらに発行会社に対して認可制をとるというようなことになると、その場合には非常に片滞った教育行政、政治的な介入のなされる教育行政が行なわれないとも限らない。こういう立場から、私は文部省が今検討しております発行会社に対して認可制をとるという問題で非常な憂慮を感じておるものでございます。従って、何ゆえ認可制をとるかということについて実は伺っておるわけです。検定と認可制の強化というようなことになりますと、今世間が言っておりますように、今度の教科書無償の法律の中で教科書を国定化する傾向を持つのじゃないかということとこれが偶然一致するわけでございますので、私は何ゆえ認可制をとるかということについて、実はお伺いしておるわけなんです。
○荒木国務大臣 けさ新聞を見ておりましたら、上原専禄氏が参議院の予算委員会で公述人として、何かしら国定化せられるおそれがある、無償そのものは非常にけっこうだけれども、国定化のおそれがあるという意見を述べたということが出ておりますが、これは何といいますか、被害妄想をたくましくする発言であって、責任ある、良識ある人の発言ではないと思って私は新聞を見ました。国定にするなんということは、与党内でもそんな話を聞いたことがありませんし、いやしくも文部省が国定化するなどということを考える余地はないと思います。 ところで、教科書会社の認可を受けたものでなければ教科書発行ができないとすれば大へんだという御心配のようでありますが、むろんそうきめておるわけじゃございません。この間も申し上げましたように、おそらく調査会の審議をお願いする課題の中には、教科書会社が現在通り、教科書発行に関する臨時措置法通りでいいかどうかにつきましても御審議を願うことになるであろう。そのときにあるいは認可にした方がよくないかという御意見もあり得るだろう、こういうことでございます。そこでかりに認可制度になるといたしましても、そのことは現行教科書発行に関する臨時措置法の改正案としてあらためて国会で御審議を願わないことには、そういう制度はとれないわけでございますから、政令や何かで勝手気ままに認可にするなどという性質のものではございません。 文部省内にかつて認可にしたならばという意見はございました。私もそうしたらどうかなという意見を持たないわけではございません。それとても、くどいようですけれども、あらためて教科書発行に関する臨時措置法の改正案ということで御審議を願わないことにはできないことだということを前提に、せっかくの御質問ですから、きわめて思いつき的なことでしかありませんけれども、申し上げますならば、認可にするという考え方があるとして、その認可にせねばならない理由の最大の理由というのは、今までいろいろな不祥事件が起きたりして、過当競争の結果が憂えられておる。過当競争の一つの原因は、現行制度によりますとだれでもよろしい、とにかく指導要領に基づいて検定されるのだということを念頭に置きながら、検定さえ受ければだれでも教科書発行ができる。そして市町村の教育委員会に展示会を通じまして展示して採択されるということになれば、それぞれの手続はございましても、何人といえども教科書発行ができる。だからその意味においては、完全な自由企業として認められておるのが今の制度だと思います。そのことは、資力その他につきましてもむろん文部省が審査することにはなっておりますが、何人もやれるということは、言いかえれば資力もほんとうは十分でない、あるいは会社経営上も信頼度がないというものすらも、やろうと思うならばできるような建前でございます。そのために、教科書関係の会社というのはかつては百数十もあった。今日ようやく九十そこらになっておると思いますが、専業社が十二社と聞き及んでおりますけれども、そういうふうで、たくさんの会社が自由意思でもって教科書が扱える。そこに過当競争、不当競争が起こる根源があるだろうと思いますから、そうだとするならば、もっと教科書を扱うにふさわしい信用度と資力と誠実さ、事業遂行の責任感があるかどうかということ等を考えあわせて、それにふさわしいものとして認可されたものに限って教科書を扱うようにしたら、過当競争も防ぎ得るであろうし、最も安く本が児童生徒の手に渡るようになるであろうというふうなことと考えあわせて、初めて認可ということの構想が意味があろうと思います。あくまでもそれは、認可して極力しぼって少なくして、そして勝手なことを注文つけて何かやりやすいようにするという考え方ではあり得ない。そういう考え方で認可をするということは許されないことだと思います。これとても、かりにそうなったとしても、法律御審議のときに十分に国民の側から御審議の期間をいただかねばならない課題ではございますが、少なくともそういう点に重点を思考しますと、認可の方がよくなかろうか。しかも現在あります教科書会社はいわば一極の既得権を持っているはずだから、現在の教科書会社には手を触れないで、新規にわれもわれもと教科書を発行しようとする会社があるならば、それは認可にした方が今申し上げた理由で妥当ではなかろうか、そんな議論をしたことはございます。 しかし、繰り返し申し上げますけれども、かりに認可にしようとしましても、現行法の改正案として国会の御審議を経て決定していただかぬことには、そういうことはできない筋合いのものでございますから、要すれば調査会でそういう点も含めて御審議願うのが妥当であろう、こういう意味のこともこの前申し上げ、ただいまもそういうことを申し上げてお答えにしたいと思います。
○小林(信)委員 丁寧な御説明でございますが、その中でいろいろと私の方から反問申し上げなければならぬ点がたくさんありますので、その点を申し上げて参りますが、まず第一番に、調査会に今からかけることであって、するかしないかもわからぬ、いずれ調査会の結果政府は法律を作って出すからというふうな御意思もありますが、まずこれから私は申し上げたいのです。 それは、法律案になってきてから審議すればいいとおっしゃるかもしれませんが、ああした形のものである以上、法律の形ばきわめて単純な形でありますが、内容は非常に重大なものであるだけに、先日大臣はお留守でしたが、文部省の方からどういうふうな諮問をなされる計画であるかということをお聞きしまして、私は実は論議したわけですが、やはり事前に私たちが質問をするということは、未定の問題であっても、性質からすれば、調査会の組織は他の行政機関の職員も入れるとはいいますが、おそらく無償という問題では他官庁の職員の意見も聞き、あるいは学者の意見も聞くことが多いと思いますが、この調査会の中で発行会社に対してどうしたらいいかというような場合には、おそらく文部省が諮問をしても、文部省の職員が大かたその意見の中心を作ると思うのです。そういう意味から、私はやはりこの際こういう問題は論議しても差しつかえないし、できるならば、この際われわれの意向というものを十分聞き入れていただきたい、こう思うわけで、この問題を私は重視したわけなんです。 それから次の問題としては、大臣の今の一番最後のお話ですが、新規に発行会社になろうとするものに対して認可制をとるのだ、こう言いますが、一応こういう形をとった以上は、既得権を持っておるものには適用されないかもしらぬけれども、一応認可制をとった以上は、その後において妥当でない会社があるとすれば、これには認可取り消しの措置が行なわれるかということを、実は前の委員会で局長にお伺いしたわけなんですが、そうしたら、そういうことがあり得るという御答弁でありましたので、そうすると既得権を持っておるものにも、やがては適用されるということになるわけです。そうしてみると、従来よりも発行会社に対して非常に制約を加えるという形になりますので、実はこの問題をさらに深めて御質問を申し上げておるわけです。そこで先ほど私は大臣にお話ししてあるわけなんですが、大臣に権限が持たされておる。その権限が、政治的に中立な教育行政が行なわれるためには、発行会社というふうなものが制約を受けない形でもって、検定という制約は受けても、その他には制肘を受けない形でもってあることが、私は大臣の権限を十分に発揮できるものだという考えで申し上げておるわけなんです。その場合、過当競争が行なわれて云々ということを言われますが、一面にはそういうことがあるかもしれません。しかし、今までもそういう点についてはこの委員会でも問題になったわけですが、たとえば音楽のような特殊な教科書を出すような会社というものは、あらゆる教科書を専業にする会社などよりもかえって優秀な教科書を作る場合が私はあり得ると思うのです。そういう特別な技能的な問題とか特殊な教科に対しては、あり得ると思うのです。こういう会社は資本力は小さいかもしれぬ。しかし、そういう特殊な技能の問題については、優秀な教科書を作ることがあると思うのです。だから、資本力が大きいから優秀な教科書会社だとは私は言えないと思う。そういう例外もあるわけです。そういう例外を認めるためには、こまかい会社がたくさんあるということは、過当競争を招いて、あるいは混乱を来たして、不正な採択等が行なわれる原因をなすものだというふうにお考えになるかもしれませんが、これは非常に重大な問題だと思うのです。かえってあらゆる教科書を出していくというふうなほんとうに商売にやっておるところと、じみに研究をしておるというようなものと、どっちの方がよい教科書を作るかといえば、私は今のような教科書がいい場合も多いと思うのです。こんな一つの例を考えても、教科書会社は、検定を受けるという制約のある以上、認可制等はとらずに、自由な発行を許すことの方が私はいいと思うのです。そういう点から、認可制はこの際とらない方がいい。それから先ほど大臣がおっしゃったように、従来百何社かあったものが今八十六社に縮小されたということは、これは採択をする場合どんな過当競争あるいは不正行為が行なわれるきょうの段階でありましても、やはり教師にもあるいは教育委員会にも良識があって、そして父兄もこれを常に見ておるというふうな大ぜいの検討というものが加えられるために、だんだん思わしくない会社は自然に淘汰されていく。その自然に淘汰されてよい会社が残るという方向をわれわれは期待して、認可制というふうな、制度の上で縮小するとか、あるいはよいものを残すようにというようなそういう方法をとらない方がいい、こういう考えで、この認可制の問題については諮問をするようなことは避けてほしい、こういう点から、私は前の委員会、さらにきょうの委員会にもこの問題について質問を続けてきたようなわけですが、このことについてなお大臣から納得できる御説明がいただければ幸いと思います。 そこで次にお伺いしたいのは、この問題とも関連しますし、次に御質問申し上げようと思う採択という問題にも関連をするのですが、教科書採択について非常に不正が行なわれておる。いかがわしい問題がたくさん出て、公取の方からも文部省に対していろいろな意見が出されておるように聞いておるわけなんです。この不正の問題、これを取り除くことが教科書問題については重要な問題だと思うのですが、どうしてそれが起きるのか、それは一番どこに起因するのか、それを除去するにはどういう方法を講ずることが最も適当であるかという点について、お伺いして参りたいと思います。
○荒木国務大臣 初めの御意見なり御質問を兼ねての御発言でございますが、発行会社のあり方あるいは認可の是非等につきまして小林さんのような議論があり得る、そういうことも予想しまして、調査会でもって客観的な立場から十分御論議を願って結論を出したい、そういう気持を先刻申し上げたわけであります。現在の教科書の発行に関する臨時措置法の建前は、今どうしようという考えはございません。すなわち展示会をやり、そしてどういう教科書ができておるか、たくさんのものがあるがどれがよかろうという、教育委員会における任意選択の選択権というものをどうしようと思っておりません。従って今御指摘のような、認可することによって展示会もできなければ、選択の余地もなくなるなどということはあり得ないことだと存じております。さらにまた、もし教科書無償をやらないとならば、教科書に関する法律、制度は現行のままでよろしいと思いますが、先刻も申し上げたように、過当競争の原因の一つでもあろうから認可にしたらどうだろうかという事柄と、いやしくも、今すぐ全部やるとすれば百五十億ぐらいかかると推定されるわけですが、平年度になりましても百億をちょっと上回ると推定される、それだけの国民の血税をつぎ込んで児童生徒に教科書を無償で与えるということそのことは、別の面から申し上げますと、貴重な国民の血税を有効に適切に使わねばならない要請が当然あるわけでございまして、そういう見地から見た場合、完全に自由企業だというふうな今のままの姿で、それだけの血税をつぎ込むということまで持っていってよろしいだろうか、他の類似の例を考えましても、そういう場合は必ずその企業体それ自体について、たとえば会計検査院が国民にかわって監査の目を向けるとか、大蔵省も関心を持って目を向けるとかいうふうなことも通常なされておることだと思いますが、それが完全な自由企業では、おのずからそういう国民にかわっての監査の方法ができる限度がある。そこでその認可にかからせることによって、そこに合理性を発見するという、純事務的と申しますか、そういう必要性からも認可などということが一応考えられる課題だと思います。しかしそれらも含めまして調査会で十分御検討いただきたい、こういう建前でありますことを申し上げさせていただきます。 それからなお御発言の中に、音楽の教科書等については、規模は小さいけれども、非常に専門的な図書出版技術が身についていて、規模だけ大きくて内容の悪いものよりもかえっていいじゃないかというような意味のお話がありましたが、私もそう思います。聞きますると、音楽の教科書については全音譜とか略称されておりますが、比較的小さい会社がほとんど大部分のものを引き受けて今発行しておるようであります。そういうものをどうしようというのが具体的目標でも何でもない、値段の割にいいものが採択されることこそ望む焦点でございますので、そういうものを目ざして、小さいがゆえにどうしようというような意図は全然考えていない。認可ということをかりにやりましても、そのことからそういう実力のある、実質的に力のある会社がオミットされるというようなことはあるべからざること、そういう常識をもって臨んでおるのであります。 それからなお過当競争の原因、いまわしい事件とかが起こる原因は何だということは、逐一具体的にも申し上げかねますけれども、必要ならば政府委員から補足して説明してもらいますが、あまりに雨後のタケノコのごとく、健全ならざるものが教科書を発行して、行く行くは採択されたらもうけてやりましょうなどというものがおって、そのために採択されるまでは手段も選ばないというような気持にかり立てられたとかいうことも相当の原因の一つになっておろうかと思うのでありますが、いずれにしましても教科書会社それ自体の実力と信用度がまず確立することが必要であり、採択する側が何かしらんつけ届け等で自分の公正な判断を誤らないような心がまえが第二でございましょうし、その他連想すればいろいろございましょうが、補足的には政府委員から申し添えさしてもらいます。
○福田(繁)政府委員 大臣からただいま申し上げた通りでございまして、特に補足することもございませんが、過当競争のいろいろ行なわれます実態を調べてみますと、会社のいろいろ新しく検定を受けた教科書の売り込みと申しますか、そういうことが原因になっておるようでございまして、従って会社が教科書を発行した場合に、やはり実績をある程度確保するという考え方からいろいろ宣伝をいたします。その間に場合によりましては不当な問題を起こすということが往々ありがちでございます。それからまた現在教科書の種類は非常に多種類に上っております。そういう点から申しまして、今のような検定は一定の基準に達しておればこれは文部大臣としては検定をいたしますので、その検定をされた教科書の種類につきましても相当たくさんあるわけでございます。従ってこれは使用者側から考えますと、やたり新しくいい教科書も出て参りますけれども、大体同じような教科書というものが何種類も出まして、それによって非常に会社間に競争が行なわれるということは、使用者側から考えますとあるいは迷惑な場合もございます。そういう点、いろいろ実際の問題としてはあるわけでございます。そういった点がやはり今後の過当競争を防止する上について研究しなければならない点ではないかと考えておるわけでございます。
○小林(信)委員 認可制の問題でまた元へ帰るようなことになりますが、大臣のおっしゃっておる国民の血税を、百億以上になるような金を使って教科書無償をやるのだ。その場合に今のような問題が起きることはまことに好ましくないことであって、そのためには認可制というふうなものをとって、もっと合理的な措置をして血税を有効に使いたいのだ、こういうふうなお話がありますが、それも一つの考えかもしれませんが、そのためにかえって、ある場合には今の荒木文部大臣の時代だとは私申しませんが、政治的な介入が教育の中に入る機会を作るようなことをして、そして国民の血税を合理的に使ったというようなことになっては大へんだ。できるだけ何らかのほかの方法で国民の血税が有効に使われるようにするという考慮はすべきであるけれども、発行会社を国家権力である程度制約できるというふうな措置をとっておくということは、かえって国民の血税を使いながら教育の中に政治権力の干渉を行なうというふうな、そういう素因を作ったらこれは大へんだ。かえって私は大臣と逆の考えを持っておるわけで、認可制の問題は慎重に考えなければならぬ、こう思うわけでございます。 それから教科書問題で不正が行なわれることについて、あくまでもたくさんな会社があるために過当競争が行なわれる、そのためにこういう問題が出てくるのだというふうに一がいにお考えになっておるようでございますが、もっと教科書の採択の問題とか、あるいは先ほども展示会あるいは教科書研究というふうなことについてもお触れになりましたが、そういう問題が健全に行なわれておらないところにも私は教科書の不正事件というものが起きてくるようにも考えられるわけであります。認可制の方へ持っていきたいがために、むやみに会社がたくさんあるから不当な競争が行なわれて、いかがわしい事件が多くなるのだというふうにいちずに考えておられることは、行政上どうかと私は思うわけでございます。 そこでこの際局長にお願いしたいのですが、八十六社のあり方というものをこの際私たちも知っておきたいと思うのですが、八十六社は、商売上そういうことが一般に公示されることは問題になる点もあるかもしれませんが、できるだけ八十六社の名前とこれの発行部数とか一できるならばですよ、それから発行しておる教科書の種類、そういうふうなものを一覧表にして見せてもらいたいと思うのですが、それができるかどうか。 そこで私は、私の考えとして申し上げたいのは、たくさんな会社という問題は、これは今までの経緯からしても順次縮小されてきておる、整理されてきておるというような点から見ても、今後教科書行政というものが妥当に行なわれるならば、ただもうけようというふうな会社というものはだんだん整理されて、よい教科書を良心的に発行する会社というものが残っていくというように考えられるわけで、その一つとして今の採択の方法ですが、これは教育委員会に権限というものは与えられておりますが、教育委員会にまかしておるために、そして自由採択よりも統一採択を希望するというような形から私は不正事件が多くなっていくのじゃないか。また逆に教科書というものは教師に選ばせることが最も妥当だ、こういう考えがありますが、その教師にまかせるというと、個々の教師を買収するとか饗応するとかいう形で一そう混乱が起こるというような、そういう見解を持ちますが、やはり終局は、教師が子供を教育するわけでございまして、その子供と子供の環境というものを十分検討し、その上で教育計画をしていくのが教師でございますので、それに沿った適当な教科書を選ぶという良識を養い、そういうふうな点にいろいろな研究機関も設けたり、展示会を有効にするとかいう措置をしていけば、私はかえって教科書の不正という問題はなくなってくるのじゃないか、こう思うわけですが、教育委員会に採択権をまかせる問題、教師に採択権をまかせる問題、これについて、今の教科書不正問題とからんで御見解を承りたいと思います。
○福田(繁)政府委員 ただいまの、前段の問題についてお答え申し上げます。発行会社のリストその他につきましては、御要求に従いたいと存じますが、やはり会社の営業上の秘密と申しますか、そういうものとも関連いたします事項は、私の方としては差し上げにくいと思いますが、その点はお許しを願いたいと思います。 それから、今の統一採択の問題に関連いたす事柄でございますが、現在は、大体全国の町村を見ましても、約八〇%程度の市町村が統一採択を行なっておる。それからまた学校数にいたしましても、やはり七〇%以上、七五%くらいになりますか、それくらいの学校が統一採択を行なっておるようでございます。その統一採択を行なうにつきまして、いろいろやはり必要性があるわけでございます。現在、御指摘のように採択権は教育委員会にあるわけでございますが、実際の教科書の研究なり、あるいは教科書の事実上の選定について、いろいろ学校側として意見を申し出たり、あるいはそういう選定行為を行なうというようなことは、これは実際に委員会を設けたり、あるいは学校側の希望として出てくるような仕組みになっているわけでございます。従って、はたしてどういう教科書がいいかということにつきましては、これは絶えず十分研究いたしまして、いい教科書を選定するということが肝要でございます。それからまた今まで文部省として、教科書センターあるいは教科書研究事業に対しまして相当力を入れて参りましたのは、そういう趣旨でございます。だからこの教科書の選定が十分に行なわれれば、各教師あるいは学校に採択権を持たせてもいいのではなかろうかというような御意見のように伺ったのでございますが、これはやはり先ほど申しましたように、現在相当の市町村が統一採択を行なっております理由は、これは使用者側からくるわけでございまして、私どもの現在の考えといたしましては、たくさんの種類のございます教科書を、個々の学校があれこれ違った教科書を選定し採択するということになりますと、これは義務教育でございますから、他の学校に転校するというようなときには、直ちにその子供に非常な不便をかけるわけでございます。またいろいろな点から申しましても、非常に違ったものをたくさん使うということは、その管内の教育の、いろいろな場合におきましても困るわけでございます。従って、ある程度まとまった統一的な採択をするということの方が、より実情に即するというところから出て参っておるのであります。従って私は、先ほど小林委員の御指摘になりました、いろいろな不正問題との関連でございますが、それは無関係だとは思いませんけれども、ただ選択権がどこにあるかということによって、それが非常に変わってくるというようには考えていないのでございます。無関係ではございませんが、やはりその問題は、別に根本的な問題として防止の方法を講じなければならぬのじゃないか、こういうように考えるわけでございます。
○小林(信)委員 この教科書の選択をめぐっての不正問題は跡を断たない。ますます激しくなってくる。しかし、会社がたくさんあるものを整理して、数を少なくしていくことによって、政府は不正をなくすというような方向をたどっているようでございますが、これは、ひいては教科書不正の問題が、会社と文部省との間に行なわれるようなおそれがあると私は思うのです。今のところは、ほんとうにその末端において、小さい供応、買収というようなことが行なわれるような状態ですが、今のような考えで、しかもその認可制というふうなものを強化して参りますと、今の文部省のお役人さんや、今の大臣がおいでになるときはいいかもしれませんが、いつかの時代、今度はそういう大企業家とそして政治家との間にいろいろな不正問題が起きてきて、教科書問題はこれを根本的に検討し直さなければならぬというような時代が、私はくるような気がいたします。そういう心配があれば、小さい芽の出ているときからこれを取り除いていかなければいけないわけで、そういう意味で私は申し上げているわけですが、今のようなお考えでおりますと、そういう方向にならざるを得ないと思うのです。 まず第一番に申し上げたいのは、教育委員会に教科書の採択権があるという問題。文部省はそういうふうにかたくお考えになるし、またそれを強行しておるようでございますが、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の二十三条六項の規定では、「教科書その他の教材の取扱いに関すること。」だけであって、必ずしも採択権がそこにあるというふうには明確にされておらないけれども、そういうふうにしいて解釈して教育委員会にまかせておるのですが、教育委員会というものの性格を検討してみれば、どうしてもこういう不正事件というものが行なわれる方向をたどる以外にないわけですよ。それに加えて統一採択をさせる、こういう方向をとっているわけです。その統一採択の問題が、今の局長の御答弁からすれば、子供が転校したような場合に、地域内で転校するならばいいけれども、他所へ出るような場合にはどうのこうのというようなお話があったのですが、転校した場合に、教科書が実際支給されておるかどうかというと、転校したような場合に、なかなか教科書が手に入らない今の状況です。そういうふうなこまかいことを取り上げて統一採択をさせ、そして教育委員会に権限を持たせることを強制している。これは、教科書の不正問題を助長させる以外にないと思うのですよ。私は、教科書に対してきわめて見解のない教育委員会にまかせるというようなことのないのが、教育上からも、こういう不正の問題をなくす上からも非常に大切であって、この際やはり教師に採択権というものを持たせるようにしなければいけない。教師にもっと教科書選択の責任を考えさせるということが、教育の効果を上げることであり、不正の問題をなくすもとだと私は思うのです。 そこで、大臣にお伺いしたいのですが、大臣が先ほどもおっしゃるように、学校教育法二十条に従って、教育に積極的に介入するのだという御意見は、私はまことに敬意を表するものですが、それだけに、おれに間違いがあった場合には、どこで教育の中立性を保持するかという問題は、私は当然考えなければいけないと思う。そういう強硬な態度というか、強い信念に立てば立つほど、もしおれに間違いがあった場合には、どこで食いとめるか。それは、やはり先ほどの教科書発行会社に対するところの問題であり、もう一つは、その教科書を採択するときの問題になってくると思うのです。それについて教師の自由な立場で教科書を採択するということが、私は最も問題を残さない、教育を最も妥当なものにする大事な点だと思うのですが、この点について大臣にもう一ぺん教師の採択権という問題についてお伺いしたいと思います。
○荒木国務大臣 私は教科書の採択の関係は現行法通りがいいと思います。と申しますのは、私の理解によれば、繰り返し申し上げますが、教科書はすでにして、今も御指摘になったように、学校教育法二十条、二十一条等に根拠を置いて、その内容を文部大臣という立場で国民に責任を負い、また検定そのものの当否につきましても、文部大臣という立場で国民に責任を負う、そういう建前でできておるわけでございまして、その末端——教育行政的には市町村の教育委員会が採択権限を持ち、統一採択をするというふうなやり方で今日きております。これはあくまでも国民ないしはその住民に対して、採択の結果について責任を負う。教育行政の体系上からいっても、また仕事そのものが教育活動それ自体でない。検定を受けたものを使わねばならない、それであればどれでも使える、その中から選定するというだけのことですから、純粋の教育活動それ自体にあらずして、教育行政の一部だと思います。そういうことからいって、先生方の教える側に立っての意見を聞くことは当然あり得ることと思いますが、その結果の採択の当否については、教育委員会という教育行政機関が住民に責任を負うという責任態勢をきちんとするということが私は重大であろうと思います。そういう趣旨からいきまして、現行法の建前の方が妥当である、かように考えるわけであります。私の信念だけで主観的な考えだけを申し上げることじゃなしに、繰り返し申し上げますように、今の教育行政の立て方がそうなっておるから、またそれが適法だと思われるから、それに従って従順に、忠実にその職務権限を行なう、こういうことにとどまるわけでございますから、単に私に専属した信念的なものではない、だれが文部大臣になろうとも、法治国においては当然私の申し上げるようなことをなすべきだ、こういう考え方でおるということを申し添えさせていただきます。
○小林(信)委員 それは大臣の責任態勢という問題からだけですか、教育というものは常に発展をさせなければいけない問題だと思うのですよ。そうして、その教育というものは、形が無難に作られればいいということでなくて、常に内容を充実させなければならない問題だと思うのです。そういう点から考えれば、どうしても私は教育委員会にまかしておったのではよい教科書が生まれてこない、こう思うのです。大胆のお考えになっておる常によい教科書を作るようにするという問題についてのお考えもお伺いしたいのですが、それにはやはり扱う教師というものが希望し、期待する、これが最もよい教科書を作るもとである。そこに教育の発展というものがあると思うのです。ただ、教育行政の機構というものが無難に、責任態勢というものが確立されておればいいというだけでもって済まされないのが教育行政だと思うのです。そこで私の申し上げたいところを言うわけですが、たとえば岩手県のあの学力テストの問題につきましても、私は現地を調査して、地方行政と一緒にそのことについての委員会が持たれているときに、実は大臣にその点をお聞きしたかったのですが、必ずしもあそこの教師が日教組の指令に従って拒否闘争をやったのだということで済まされないものがあると思う。やはり大臣は大臣としての考えでもって教育行政を行なうけれども、それに対して末端の教師が忠実に教育を行なっていこうというときには、あるいは大臣に対して見解の異なったものが生まれてくるかもしらぬ、その場合に、自分たちの考えに対して正しい指導があり、あるいはその意見に対して聞き入れる、あるいは是正するというふうなものがとられるところに、教育問題というものは混乱が起きずに、逆に教育が発展をされていく形があると思うのです。またその教師が上の方から出てくるものを、ただすなおに受け取っておるだけでは、ほんとうの教育というものは私は成り立たないと思うのです。そこに自分の考えと異なったものがあり、あるいは批判があるような場合には、それを出していくところに教師の忠実な教育に対する責任というものが果たされていくと思うのです。たまたま岩手県の問題は、私が現地を視察した中では、ただ大臣が言うように、日教組の指令に従って動いたんだから、すべてこれは取り締まりの対象になるべきものであって、何らこれらに対して意見を聞くとか、あるいはこれに対して考えを述べるとかいうことは、必要ないというふうに取り扱われてしまったのですが、私たちの接した中には、教師としてのほんとうの良識の中から、これに対して理解のいかない点を持っておるという人たちがあったと思うのです。そういう人たちの意見というものが、どこかでもって取り入れられる、あるいはこれに対して大臣が答えなければならぬというような、そういう形というものは私はいつでも保持することが教育行政上の発展になると思う。従って教科書の問題も、もし検定とかあるいは今の認可制という問題が実施されてきて、教科書発行会社も文部大臣に迎合せんがために、教師の好まない、教師の理解のいかない教科書が出たような場合は、これに満足してその教科書を採択していくのでなく、自分たちの意向というものを十分にそこに述べることができる、何らかの急患表示ができるような形をとっていくところに、最も正しい教育が行なわれていく、こういうふうに考えるわけです。その教師を無視して、ただ教育委員会にまかしておくというだけでは、確かに機構の上では無難なものが行なわれるかもしれませんが、いささかも教育というものは発展していかない、こう思うのです。 そこで今の展示会とかあるいは教科書研究、こういうふうなものが形の上では行なわれておりますが、文部省というものはこれにほんとうに満足しておられるかどうかお伺いしたいと思うのです。
○荒木国務大臣 展示会は満足に行なわれておるかどうか、一々の具体的事象をとらえて申し上げるものを今持ち合せませんけれども、おおむね展示会のやり方によって、いかなる教科書が検定されたかを知り、その内容も見て選択するチャンスには活用されておると存じております。 それからなお教師の意見が反映されなければならぬという御趣旨のお話がありましたが、もちろん私はそうあらねばならぬと思います。私が日教組をかれこれ申し上げるのは、毎度申し上げておりますように、本来自分たちの経済条件の改善のための制度として労働三法の趣旨、憲法にさかのぼっていけば憲法の趣旨に基づいて認められておる集団の行動権を乱用しておるからおかしいじゃないかといっておるのであります。あくまでも自分の月給のことや勤務時間のことについて、それぞれの教育委員会と交渉することができる、その限度内で堂々とやればいいのですけれども、一種の政治団体化して、政治課題をとらえて政党そこのけの行動をし、しかも鉄の団結の威力のもとに、不本意にも大多数の教職員を不当な行為、あるいは違法な行為にかり立てておる。その根本の誤りを反省してもらいたいと私は言っておるのであります。従って、本来の法律に定められた職員団体としての行動範囲を厳に守ってもらいたいということにすぎないのであります。それと同時に、教師一人々々は、学習指導そのもの、教壇に立って生徒に教えるそのことを通じて、あるいは教科書はもっとこんなふうなものであってほしい、あるいは教育施設、設備もこんなふうであってほしいなどという、教育条件の改善なり、教育活動それ自体につきまして意見があろうと思います。都道府県、市町村内における条例等によって改善されるところは、直接話す機会もございましょう。しかし、それとても教育委員会がその話を受けて、そして各自治体の執行部と話をして予算措置を講じ、条例の改正をする等の努力をして改善していく。それでできないで、法律の改正あるいは政令、省令の改正、あるいは国の予算の増額、改善等に待たなければならないことは、それぞれの教育委員会を通じて文部省に申達されて、文部省は謙虚にその建設的な意見を聞きながら改善の努力をする。そういうところから教科書もよくなっていくであろうし、教育内容も、教育条件も改善されていくであろうということを文部省としては期待しておるわけであります。それは、あくまでも日教組という、本来みずから生ずるところの労働組合運動の現われとして出てくるものにあらずして、本来の教師たる立場に立った教育行政、制度を通じて合理的に、そしてたくましく意思が表明されるところに改善の機縁が生まれるものでありまして、ただ赤旗を打ち振ってわいわい騒いで、そうしていい気になっておる政治団体みたようなふりをするということによっては、断じて改善のチャンスは生まれない。できることならば、教師の一人一人が手紙を出してでも私を啓蒙していただきたいと思いますが、事実上それは不可能でありますから、そのことは教育行政の組織を通じてちゃんとそれができるようにできておるのだから、まともなルートを通じて堂々と白昼公然と意思を発表していただき、改善に資していただきたい、かように思っておることを申し添えます。
○小林(信)委員 大臣と日教組についての談義を始めますと、大臣も非常に得意になって、そのためにかえって教育の実際問題を忘れるし、あるいはそのために実際のこの国会で幾多問題になっておることが忘れられてきたような感が私はするのです。今またこの日教組の問題を論議していけば、お互いに主張する立場がありますので、私は努めて避けているわけなんです。だから、今の問題も、私は日教組に触れているわけじゃない。ただ大臣が、岩手県なんかの問題も、ただ日教組という問題だけで終始するから、ほんとうの下の方に起きた問題がおわかりにならない。従って、岩手県の問題は、大臣としては満足な処理がされておるように考えるかもしらぬけれども、教師の一人々々の中には非常に疑問が残っておると思うのです。そういう点を、私は今後なるべく実際問題から考えて、はたして大臣の考えが妥当であるかというところへ進みたくて、実は大臣今得々とおっしゃったのですが、そういう問題はまたいずれかの機会にしたいと思うのです。たとえば岩手県の問題にしましても、実際あそこの教師たちの率直な声を聞きますと、非常に僻地が多い、学科担任も、中学校において満足な学科担任がとられておらない。しかも英語は任意の科目であるがために、十分な教師の配置がない。しかし、英語が学力テストの中に出てくるということは、岩手県としては、そのために必ず教師の批判というものが行なわれる、あるいは世間から岩手県そのものの学力の批判が行なわれるというような点から考えれば、英語の学力テストは避けたらどうかというような意見が出ておるのは、必ずしも日教組の指令に従った岩手県の先生方の行動とは思えないものがあるのですよ。ほんとうにその地域の実情から考え、そうして学力テストに対するところの真剣な考えから出てきておると思うのです。私は一言大臣に言いたかったのですが、岩手県の先生たちを通じての一貫した言葉は、学力テストはやらなければならぬだろう。とにかくこれはやることがいいのだ——ああいうふうに問題がこじれてきてからですよ。とにかくお互いが、県教委も先生方も何とかやるように努力しようじゃないか。それにはお互いが譲歩し合って、そうして一応岩手県でも学力テストをやったということにはしようじゃないかというように、最後の両者の切実な声が出てきたということを私は聞いたわけですが、文部省においてもそういうことはつかんでおられるはずなんですよ。そういう中には、ほんとうに大臣として、ただ日教組の問題だということでもって葬り去ることのできない行政者としての大事な責任問題があると思うのです。私はそういう点がなるべくこれから大臣の耳に入るようにお願いをしていきたいと思っているわけなんです。 そこで教育委員会の問題ですが、大臣のおっしゃるところでは、教育委員会というものがすでに完全なものというふうにお考えになっておりますが、私は教育委員会は必ずしも完全な状態にはないと思うのです。岩手県の例をとってみても、教育委員会に先生たちが学力テストの問題で意見を持って参りまして返答を求めても、返答できないような教育委員会がたくさんあるわけなんです。やはり教師の方が実際の責任を負っておる立場から、深刻に問題を考えるけれども、教育委員会の行政者としての立場では、検討ができておらなければ答えることができない。それを今度は文部省あるいは県というような立場からやれやれというふうに強圧的に出てくれば、教師の質問することも理解のいかないところもそのまま葬り去られて実施されるというような場合には、教師としてはただそのままに従っていいか、教師はこの際どういう態度をとらなければいかぬかというような深刻な悩みを持ってきたということを私は聞きましたし、実際他府県の教育委員会におきましても、学力テストの問題でなくて、その他の一般教育行政の中で、ほんとうに納得させ、理解させ、そうして教育行政を行なう力が今のところあるかということを大臣にも考えていただかなければならぬと思うのです。教育委員会は必ず政党意識を持ってはいけないというようなことがあの法案を審議するときには十分検討されたはずなんですが、今堂々と政党に属しておる人たちが、二人以上どころじゃない、三人も四人も入っておる。そして任命制になりましたために、市長なり町長なり、そういう者の意図に従って教育行政が行なわれておって、ほんとうに自主的なものを持っておらない教育委員会がたくさんに出ておると思うんです。それから教育長におきましては、これはおそらく文部大臣にもそういう声は聞こえてきておると思いますが、待遇がきわめて悪いわけなんです。そういう中で教育長が、先生をやったその余生で教育長をやりましょう、あるいは市長なり町長なりの権力を保持するというふうな立場でやっておるような教育長さんもある。そういう人たちが、全体がそうだとは私申しませんが、多分にある中に、こういう大事な問題が扱われておるときには、教師との間に相当相剋摩擦があるか、そうでなければ教師の方が言おうとすることも言わずに黙ってそれに従っておるというふうな形がとられておる状態だと思うんですよ。そういう中で、今大臣のおっしゃるようなことを検討して参りますと、それは言うだけのことであって、実際においてはそうでない。教育がほんとうに後退するか、あるいはそこには摩擦が起きるかということになると思うのです。だから教育委員会についても大臣として十分な検討をされて、そういう行政機構を検討していただかなければならぬと思うし、そこから生まれてくるいろいろな教科書の問題にしましても、必ずしも機構通りにいかないという点を考えていただかなければならぬと思うのです。 教科書不正の問題に返りますが、この問題につきましても、実際自分が子供を教えるわけじゃない。そして市長の任命によって出てきている。ほんとうに教育に熱意を持ち、情熱を持っている人たちがそろっているわけでない。そういう人たちが、教科書会社なんかの供応とか買収とかいうものに簡単に応じていって、そのために不正が起きる。もちろんその教育委員会も校長を通して教師の意見は聞くかもしれませんが、どういう教師の意見が入れられるかというと、そういう会社なんかの買収に応ずるような教育委員に迎合する教師が大体それに従うわけなんです。だから不正が起きた場合に教師も入りますが、そういうものから教師も巻き込まれていっておると思う。しかし大多数の教師というものは、教材の中心をなすところの教科書というものに対しては、もっと真剣な、まじめな考えを持っておると思うのです。だから教師にもっと責任を負わせるような形をとらなければいけないし、教師に、教科書を常に研究するという、そういう組織を作り、展示会等ももっと有効に扱われるようにしなければいけないと思うのですが、私の知るところでは、展示会なんかに教育委員が行くなんということはおそらくないと思うのです。そうして今権限がそちらの方にゆだねられておるとすれば、自分の意向を反映してくれるというふうなことが薄い現状からすれば、教師もこの展示会にはめったに行かない。展示会の設備等も狭いところにたくさんな教科書を並べておる状態であって、行って十分に教科書を検討するなんという形はとれないのです。それからこの展示会に行くための旅費なんかも支給されない。展示会あるいは教師の教科書研究というふうなことについても、形だけであって、ほんとうにその使命というものが果たされておらぬと私は思うわけなんです。従ってこの採択権という問題をもう少し、責任は教育委員会にあるかもしれぬけれども、ほんとうに熱意を持って、一冊の本であるけれどもその中に命を通わせることのできるものは一体だれなんだということを十分にお考えになって、今後の採択問題というものは検討されていかなければならぬと私は思うのです。なおこれについて御意見があれば承りたい。 その次に、教科書を子供たちに届ける配給機構の問題、これは大臣も、諮問する場合にどんなことを諮問されるかと申しましたら、発行会社の問題とか配給機構の問題を考えておるとおっしゃったのですが、これについて御見解を承りたいと思います。
○荒木国務大臣 最初述べられました御意見なり御質問等につきまして簡単に申し上げてみたいと思いますが、なるほどお説の通り展示会も有効に活用されていない面があろうかと思います。これは、それ自身展示会をやめろというようなことに結論づけるべきものでなしに、展示会の制度を最も効果的にやるように、どうすればいいかという改善策を見出す角度から検討されねばならぬと思います。また教育委員会が責任を持って採択する立場に置かれておりまして、三人なり五人なりの教育委員が、あるいは教育長が一人で採択ということをきめ得ない。これも物理的な必然だろうと思います。ですけれども、あくまでも責任者はいなければならぬ。妙な例をとっておそれ入りますが、文部大臣という立場に立ちましても、文教行政全般について知っているわけではございません。しかし責任がある。責任がある以上は、努めて過誤なからんことを意図しつつ、識者の意見を聞かしてもらいながら判断をして責任を持っていくというところに前進があろうと思うわけです。教育委員会にしましても、私は同じ立場において考えなければならぬと思います。御指摘の通り必ずしも教科書の採択を初め、教育プロパーの問題の権威者が教育委員になっているとも断定できないわけであります。しかしながら責任がある。責任の立場に立った以上は昼夜兼行熱心に勉強努力するのはもちろんのこと、校長先生や先生たちに十分話を聞いてもらい、意見も出してもらって、総合判断して全責任を住民に対して負う立場で採択をする、その努力が積み重ねられるところに前進があろうと思うのであります。あくまでも教師は教育活動それ自体で責任を持ってもらう。教育行政の一部であるべき教科書の採択の適否そのものの責任を負うといういとまはないと思います。その適否についての住民に対する、国民に対する責任は教育委員会が持つ、それにもし非違があるならば厳格にその非違が摘発され、さばかれなければならぬという立場にあるのが教育委員会だが、その制度そのものを私はくずさねばならない理由にはならないと思います。もし採択の権限を行なうに不十分であると考えるならば、みずからの発議で今申し上げました通り識者の意見を聞きながら誤りなきを期する、そういう努力を年々歳々続けていくところに、その市町村における教科書採択行政に適正を期する道が開けていくものと思うわけでございます。 配給機構につきましては私自身結論を持っているわけではございません。しかしながら教科書無償ということを前提としない現在の教科書発行に関する臨時措置法というものは、教科書無償を実施する場合に、それを契機として再検討すべきではなかろうか、再検討する課題として配給機構もあるのではないかということを論争しますから申し上げたのであります。現在の配給機構の問題が、これでよろしいという結論が出ればそれもよろしい、こういうところをこういうふうに改善し、簡略化するということが妥当だという結論であるならば、その結論をもとといたしまして検討を加えて、あらためて現行法規改正案として、御審議を願う、こういう段取りになろうかと思います。
○小林(信)委員 配給機構の問題で大臣がきわめてばく然とお答えなすったのですが、まさかそんな態度ではないと思うのです。現状に対してどういうふうなものを把握しておられるかどうか、おそらくずいぶん昔からの姿を踏襲しているために、現状に適しない状態というものは多分にあると思うのですよ。それをどういうふうに文部省としてはつかんでいられるかどうかを私はお聞きしたいわけです。大臣でなくても、局長でもけっこうですからお答え願いたいと思います。 先に大臣が申されました問題も、なお私としては非常に意見があるわけなんです。というのは責任を明確にすることが大事だ、だれが責任者であるかということぐらいははっきりしておかなければいけないというふうなことですが、この教育委員会は私が言うまでもなく人事権も持っている。そしてこういう採択権の問題からだんだんその権限というものは強化されていくわけなんですよ。それも実質的に責任のとれるような、内容をしっかり持っておる教育委員がそろっておるならとにかくですが、だんだん教育委員のあり方というのは政治的になってきておる、あるいは首長のいろいろな便宜的なものから構成を受けておるような状態、それへもってきて人事権というふうなものが与えられて、さらにいろいろな権限が責任者だという建前から強化されていくというような場合には、たとい教師が内容において責任を持つということを自覚しても、どうしても無責任な形になりやすいわけなので、せめて教科書の採択ぐらいは教師に責任を持たせるような指導というものが必要だ、こう私は思うわけで、大臣のおっしゃることをそのまま受け取るわけにはどうもいかないわけなんです。今のところ実際教育委員会のあり方なんか考えると、県教委というものがついているとか、あるいは文部省があるとか、そういうふうな御意向に意のままに従うことが教育委員会の責任だ、あり方だというふうな考えで、ほんとうに主体性のない運営が今されておるわけなんで、それが形式的に責任を負ったからといって、よい教育は生まれないと私は思う。やはり学校の方針なりあるいは教育の計画なりする者がそれに適した教科書を選ぶ、それをどこまでも、たとい法律の解釈はどういうふうに立てられようとも、教師に意識させるという方向を私はとらなければいけないと思うのです。ただ責任のあり方だけを明白にすればいいというようなことで終わったら、教育は私は退化する以外にないと思う。そして、先ほど申しましたように、大臣にそれだけの権限が与えられておる。その権限が間違って行使されるような場合には、最後のここで、教師の教科書選定というようなことで、食いとめることができる。これはやはりいかに権限の与えられておる大臣であっても用心することが、教育の中立性を全うすることだ。日教組が今存在するからもう日教組の言うことなんかを聞かないように、おれの権限だけを強化していけばいいのだというような考えではまさかないと思いますが、実際においてはそういうふうな方向がとられているように私は心配するわけです。それはまたいずれかの機会におきまして、今の点について文部省の把握されておるものをお伺いしたいと思います。
○福田(繁)政府委員 御質問にございましたような現在の教科書の供給機構は、これは古くからやっております事柄を大体そのまま踏襲しているような実情でございまして、御承知のように発行会社から特約店を通じ、あるいはその下に取次店を置きまして学校に教科書を与えるというような仕組みになっておりますが、そのほかに大取次というようなものもございます。要するにいろいろな機関を経ておりますけれども、目的とするところは、発行会社から発行されました教科書ができる限り迅速に、間違いなく学校に渡るというその供給機能を果たすということが趣旨でございますので、従って従来から、いろいろと教育についても、時によって遅配とかいうようないろいろな問題も起きたようでございますが、そういうことのないようにしてもらうことが主眼でございます。たとえば今の特約店の業務の内容を見ますと、大体発行会社からの教科書を過不足なく取次店の方におろしていく、それに対して今度は代金の回収をするとか、あるいはまた発行者への融資を時によっては行なう、こういうような関係で、会社とそういう配給機構とが協力しながら、いわば持ちつ持たれつというような関係におきまして円滑な供給をやっていく、こういうような建前になっております。今の法令の建前から申しましても、学校に供給することは発行会社の責任でございますので、学校に迅速に適確にこれが渡るということが責任とされております。従ってそういう機構を通じましてやっておりますが、今申しましたようないろいろな仕事をやっております関係上、もし今後無償措置によりまして国が直接発行会社に代金を支払うというようなこと、いわば買い上げのような形になりますと、今の業務の中で代金の回収とかいうようなことも必要でなくなり、あるいはまた発行会社に対する融資という問題が今まで再々起こっておりますが、そういう問題につきましても今後そういうことが少なくなるというように感じられるのでございます。従って特約店等の業務内容に一部の変更がありはしないかというように、私どもは事務的に見るわけでございます。従ってそういう点について関連しまして、現在の手数料の問題等もあるわけでございますが、そういう問題を、これは現行制度をなくすという趣旨ではございませんが、現行制度でいけるならば、それを尊重しながら十分改善すべき点は改善していくというような建前をとりまして、今申しましたように事務的に幾つかの問題があると考えておりますが、そういう点を十分調査会で御審議を願いたい、こういう考え方でおるわけであります。
○小林(信)委員 こんな問題は、今さら審議を受けたいなんということを文部省が言うことが非常におかしいと思うのですよ。教科書問題をめぐって国会でもって問題になったことが、もう十年くらい前にあったと思うのです。そのときにもやはりこの問題は相当論議をされたわけですが、以来依然としてその機構というものは検討されておらないわけなんです。文部省は実際機構のあり方が不自然であるということは十分わかっておりながら、どうしてこれを改善し合理化しないかとわれわれは常に思っておったわけなんです。妙なところに力は入れるけれども、こういう教育の末端の問題というようなことにまことに無関心だということを、今さら言わざるを得ないわけなんです。それを今度は諮問機関に諮問して、その答申によって何とかするというようなことは、何か責任のがれをしたいというふうにも受け取れるわけです。というのは、やはり配給機構にあるものは長い間既得権を持っているわけです。その既得権を向こうは固持してなかなか譲らない。しかし実際においてはいろいろその地方の発展というふうなことが出て参りまして、そしてもっと簡単に、自分たちの近くにりっぱな本屋さんも出ておるわけなんです。その本屋さんが教科書を取り扱ってくれればいいけれども、前から権利を持っておる人たちがなかなかこれを譲らないために、教科書を売ることができない。また近くに本屋があってもそれを買うことができない。とんでもないところから教科書を買ってくる。それも現在は買いに行くわけではない。商店の方から持ってきてはくれるけれども、途中の学校に持ってきて、そしてその学校に届けてありますから取りに来て下さい。その教科書を今度は子供がリヤカーを持って取りに行く。教科書の不足やいろいろな問題が出ても、これは学校内でもって先生と生徒の間でもって処理しなければならぬ。あるいは金銭的な面でもいろいろな問題が起きてくる。先生が教科書代を使い込むというようなことも往々あるわけなんですが、これなんかもそういう合理化されないところから出てきているわけなんです。だから、その後の何十年という間にいろいろその土地の事情は変遷している。その変遷に応じて教科書を売りさばくというようなところは、適宜改善されなければならないわけなんですが、そういう点について今まで何ら手をつけておらなかった。これはただ文部省の怠慢ということだけでなくて、何かそういうものに障害があったと思うのですが、文部省のつかんでおられるところは、どういうようにつかんでおられるか。地方のそういう古くから権利を持っておる人たちが強いというのか、これを改善するのに、文部省ではどうすることもできないというのか、ここら辺はどうですか。
○福田(繁)政府委員 私は、そういう特別な障害があったか、事情をつまびらかにいたしておりませんが、しかしこれは御承知のように、従来から発行会社等の関係でございまして、発行会社とそういう供給機構との関係において考えられるべき問題であろうと考えております。従って、先ほど大臣からお話がございましたように、発行会社のあり方についても検討をする必要があると思います。それに関連して、やはり発行会社と供給機構という問題は、発行、供給の一貫性、連携性を考えて、十分迅速に的確に教科書が渡っていくということが主眼でございますので、そういう趣旨から、やはり問題があれば検討する必要がある、こういうふうに考えるわけです。
○小林(信)委員 そうすると、発行会社と配給機構との間でもって話し合うべきものであって、文部省がこれに対しては何ら介在することができない、こういう御見解ですか。
○福田(繁)政府委員 必ずしもそうは考えておりませんけれども、特別に文部省が何か行ないまして支障があったかというようなお尋ねのようでございましたので、そういう支障は私はつまびらかにいたしておりませんということを申し上げたわけでございます。
○小林(信)委員 別に文部省が悪いことをするとか、文部省が何かそれに介在して不正をするとか、そういうことは、私、ないと思いますよ。しかし売りさばき所というようなものを許可するとか、あるいはこういうところにほしいという申請が出てくると思うのですが、そういう申請に対して許可を与えるとか、文部省に許可を与える権利がなくても、そういうことについて指導するということは、私、文部省にあると思うのです。今まで申請があった、その申請に対して許可なり、あるいは許可するように指導するという責任が文部省にあっても、そういう障害、壁があって、文部省としてはそこへ許可さしてやりたいという気持があっても、できなかったのじゃないかということを尋ねたわけです。
○荒木国務大臣 壁があるというお話ですけれども、その以前に、現行教科書発行に関する臨時措置法の建前からいきますと、今政府委員もお答え申し上げた通り、文部省と教科書会社の間に一種の請負契約みたいなものが結ばれる形になっておるわけであります。すなわち展示会、利用先の種類別の需要数、それがまとまりまして、発行会社からそのことが報告せられて、そうしてその会社の能力等を審査して、よろしいと見れば指定する。指定することを契機といたしまして、教科書会社はこの教科書を作る立場を獲得し、作りまして、先刻もお答えしておったように山間避地に至るまで、教科書を使う場所に届ける責任を負うという形で、文部省との間に一種の契約関係が成立して実行されてきておった、そういうことでございますから、形式論だけを申し上げれば、教科書会社が、検定を受けた内容の教科書を仕様書通りに作り上げて末端に届けてしまえば、それで義務は履行されたこととなる。そういうことでございますから、教科書を作りましてから、途中、どういう配給機構を通じて末端に到達したかというその過程は、当然に知る必要がないという形で今日まで来ていると私は思うのでありますが、しかしながらその内容をずっと調査し、ほじくり回してみれば、小林さんのおっしゃるような、いろいろな昔からのしきたりによっての配給機構を通じてこのことが行なわれておったということが発見されると思うわけですが、かりに発見し得ましても、そのこと自体を取り上げて、ああだ、こうだという立場にはなかった。その点が壁といえば壁であったろうと思うわけであります。そういう今の制度に御指摘のような不合理性があり、もしくは不合理な結果を生ずる原因が伏在しでおるとするならば、この教科書の無償措置を機会に、配給機構にまで、立法措置を講じても何らかの措置をするかいなか。立法措置はしないまでも、行政指導によってそのことがなされねばならない、もしくはなし得るような立場に新しい制度を作ってやるかどうかということに、検討すべき問題もあろうと推察されますから、調査会でもって審議してもらおう、こういう考え方に立っておるのであります。
○小林(信)委員 これは無償になるならぬの問題でなくて、もう十分検討をして的確な措置をしなければならぬ段階だと思う。段階じゃない。もうそんなものはとっくに来ておるわけですが、しなければならない責任が私は文部省にあると思うのですよ。それは商売をやっておるものの既得権というようなことで、もちろんなかなかぶち破ることはできないにしても、指導というものをやれば私はできないことはないと思うのです。何と言ったって、教科書というものはそういう人たちのものじゃない。買う人たち、使う人たちの利害関係というものが一番基礎になるわけなんですから、そういう人たちの立場を考え、そういう人たちの要望というものを満足させるような体制さえ持っておれば、もっと簡便な、合理的な配給機構というものが今まででもできておったと思うのです。ことに今度は国が、国民の税金で教科書を渡そうという段階でございますので、私はもっと簡便なものができる、こういうふうに考えておりますが、とにかく今まで何十年という長い間続いてきたものを——独占的な形でもって確保しておって、そうして地域の実際に適合しないような形をとられておったために、これは山間僻地の子供たちに多いわけですが、教科書の問題では非常に不便をしてきたと思うのです。前の配給の時代なんかは、業者が実に横暴をきわめたものであって、ときにはわざわざ山の中から峠を越えたり、あるいは坂を上りおりして、子供たちがそういう商店から運んできたわけです。しかも、そういう場合に最も私たちが残念に思ったのは、教科書を渡されない前に一応予約をする。その予約をするときに金を取られるわけです。そうするとそういう商店なりあるいは製本会社なりというものは、私は金利をかせいだと思うのです。教科書を半年も一年も前に予約をするような形がとられて、もしその後の人員の中に過不足が出てきたような場合にも、予約通りの本を受け取らなければ承知しない、そういう悪い商人が出てきたわけなんですが、現在は想当もうかりますし、交通機関も発達しておりますから、私はかなり児童生徒の便宜をはかっておるとは思いますが、ときによればそういうような悪徳行為が出るような機構だった。そういう機構はここでもって改善されなければならない。だから、私は徹底的な機構改革という問題はやってもらいたい、こう思うわけです。 大体これで、大臣がおっしゃった点、それから局長がおっしゃった、諮問をする場合にはこういうふうな考えだという点についてお聞きして参ったわけですが、これから私たちが予想される問題についてなおお尋ねをして参りたいと思いますが、それはまたいずれかの機会にいたしまして、せっかく大臣がおいでになりますので、ここで特にこの法案の中点としてお聞きしたい点を二、三お尋ねして参りたいと思います。 これは先日大臣がおいでにならなかったために、次官にはお尋ねしたのですが、次官もほんとうに誠意を持ってこの問題にあたっておられるような様子でしたが、大臣でない立場から、はっきりしたことが言えないというようなところで終わっておりますので、大臣にお聞きしたいのです。私も本会議でもって大臣に質問申し上げたときに、知っていただいておると思いますが、この教科書無償ということは国民全体があげて期待しておるところであって、この法案が出たということについては、非常にうれしく思っておるのでございます。国の政治全体がそうでございますが、特に教科書というものはただものを児童生徒に与えるのでなくて、ほんとうに子供たちが将来りっぱな人間になるそのかてを与えるものであって、非常に重大なものでありますので、ほんとうにこの国会があげてこの問題に賛意を表して、ただ法案を通したということでなく、ああいう人たちの将来に大きな希望と願いを込めてこの法案の通過をはかったというような形にぜひともしたい、私は今もそういう念願を持っておるわけなんです。それだけにこの法案の中にいろいろな不可解な点、不明朗な点がありますが、そういうものを一つ率直に当局から述べていただいて、これがほんとうにすみやかに実現できるように努力していただきたい。こういうことを願うものですが、多少の疑問点がありましても、また当局の誠意というものはこの法案の中からも実はうかがえるわけなんです。というのは、調査会というものは私どもは絶対不必要だ、今まで当局にお伺いしてきた点でも、みんな他官庁の職員に聞く必要はない、これは文部省自体で解決できる問題ばかりなんです。ただ一つ問題になるのは、無償の限界とか方法とかいうものは、大蔵省あたりの意見が必ずしも文部省の意向に賛成でないというようなことを聞いております。こういう点では今後調査会の問題として検討されなければならぬのかもしれません。しかしそれとても教育に熱意を持っておられる荒木文部大臣が大蔵大臣と折衝すれば、必ずすぐ解決する問題でもあると思う。総理大臣も本会議であれほどに熱意を込めてこの問題には真剣な態度で臨んでおりますと言っておりますので、文部大臣が折衝さえすれば、教科誰無償の問題は、ほんとうに理想的な形でもってしかも早く実現するということが考えられるわけなんです。そこで調査会そのものに、私は無意味だという意味で賛成し切れないものですが、しかしその中に昭和三十七年の十一月三十日までに答申を終わらなければならないという表現があるところを見れば、調査会というものはいたずらに教科書無償を遷延させるものではない、早急にその意向をまとめて実施に邁進をするのだという意思表示がなされているものと考えるわけです。そこで十一月三十日までに答申しなければならないというその意図は、われわれに公約するという意味でなくて、大臣の気持としてはこの実施を大体いつごろを目安にしておるか。財政上困難であっても少なくともこんな程度には実施したいのだというものをこの際話していただけるならば話していただきたい。そうすればこの法案の審議というものも非常に問題があっても、非常に進捗するのではないかと私は思うのですが、いかがですか。
○荒木国務大臣 この法案の真意を御理解いただいた御発言をちょうだいして、大いに勇気百倍するわけでございますが、この場限りの言葉でなしに、ほんとうに誠実になるべくすみやかに、義務教育無償の建前からも小中学校の教科書の無償措置を完了することを念願しておるわけでございます。予算が七億円ちょっとしかついておりません。すなわち申すまでもなく御理解のように、三十八年の四月から入学する小学校一年生から手をつけようというにとどまっております。できることならば一挙に小中学校全部をというように考えないわけではございませんが、事柄がいわば有史以来の基本的な問題でもございまするし、前にも二回類例はございましたが、すでに御審議願いました通り、建前それ自体が試みであり、もしくは一年生だけの限られた教科書だけということになっておったことが、一般的にたれ言うとなく、不満であったから解消したものと思うわけですが、今度はくどいようですけれども、すでに御理解いただきましたように、着手は一年生だけからではございますが、当然に小中学校全部に及ぶ、このことはもう一点の疑いもなく国会でおきめを願って、そうして具体的措置だけを調査会を通じて検討の上に万全を期したいという建前でもあるわけでございます。従って十一月末日までに答申を要請しておることも、見方によれば調査会そのものに対してはいささか言い過ぎのきらいがないではありませんけれども、しかし一年生を実施するにいたしましても、すでに先ほど来発行会社、教科書供給機構等につきましても御意見がございましたように、立場によって異論はあり得るけれども、客観的な立場で衆知を集めて万遺漏なき結論を得て、その制度のもとにあと返りしないようなきっちりした実施上の措置を立法化して、実施すべきものは実施いたしたい、こういうことでございますので、調査会の答申もその最終時期を法定していただくという内容になっておるわけでございます。十一月三十日としました意味は、十二月になれば憲法上の定めによって通常国会が召集される。それ以前に法案の準備ないしは予算措置等が必要とあれば講ぜられなければ間に合わない道理でございますから、そのための具体的な措置に対する答申を期待する意味合いにおいて、十一月三十日と相なっております。それも本来の慣例からいいますれば、予算の概算要求は八月三十一日までに大蔵省に提出するというのが従来行なわれておることは御案内のごとくである。従って八月三十一日に間に合うことを第一の考えとしてこの法律を決定していただいたならば、私どもは極力準備を進め、調査会にも十分にお願いをして、その趣旨を御理解いただいて、御協力願って、その努力をすべきだと思っております。最悪の場合でも十一月末日までには御答申をいただける。だからさっき申し上げたような手はずもできる。もしまた超最悪の場合がないとは言えない。その場合は現行制度のもとにおいて、ともかく実行できるということも考え合わせて、政令での実施も国会を通じてお認めをいただくという備えもいたしておるような次第でございます。三十八年度の予算そのものが、小学校一年きりを実施するということでなしに、追加さるべきかいなか、あるいは昭和三十八年度以後の年次計画がどうだということまで含めて調査会で具体的に結論を出していただく予定でおります。その答申の線そのものがこの問題の推進上一つの客観性を与えてくれるであろう、責任のがれということでなしに、前向きに積極的な実質上の協力を調査会にも期待しておるような次第であります。
○小林(信)委員 大へんに積極的に熱意を持ってやっておられることがお伺いできたわけですが、一つ疑問に思う点は、これはわれわれのこいねがう最善な道が開かれる場合を予想するわけなんですが、昭和三十八年度の一年生に与える教科書の予算を計上するにあたって、三十七年度の予算の中でこれを獲得しておるという点を考えますと、もし政府の方の態勢も十分整い、答申の方もそれに適応するような答申がなされた場合としても、きょうの状態から考えれば、昭和三十八年度から一年生は当然実施されると思いますが、それ以外のものは昭和三十九年以降でなければ実施されないというふうに最善の場合でも考えられるのだけれども、そうとは限らない、ある場合には今のように政令でとか、あるいは早急な予算措置によって昭和三十八年度からも小学一年生だけに限らず、そのほかのものが実施される可能性もあると、こういうふうに承っていいわけですか。
○荒木国務大臣 単に概念だけから申し上げれば、おっしゃる通りに、最善と申しますか、分量的に最高限度までいけないとはいえないと思います。ただ現実の政治的な節度と申しますか、政治的な現実に立って事実上どうであろうということになりますと、ちょっとむずかしいことだと思います。すでにして政府は三十八年の四月から入学する小学校第一学年の生徒に対する教科書をスタート・ラインとしてはっきり御審議願いつつあります。それにもかかわらず実は二年、三年、四年、五年までもいくんだというふうなことは、政治的な良識からいっては申し上げられないことだと思います。現実にも実現は困難だと私は思います。良心的に申し上げ得る限度というならば、三十八年の四月の分からこれはもう絶対実行できるわけですが、三十九年度以降の教科書について申し上げますと、三十九年度に使います教科書についてはできたならば残りを全部やりたいものだ。しかしこれとてもおのずから予算規模に限度がありますから、希望は希望でも希望通りにいかないことは当然あり得ると思いますけれども、いずれにしても年々歳々積み重ねていって最小限度の年限で完了するという道だけは開かしていただく案でございますから、まあそれを楽しみに全努力を傾けたいと思っておるところであります。
○小林(信)委員 もっと率直な御意向を承りたいわけですが、しかしある程度まで大臣の誠意ある御答弁を承って非常に満足でございます。この質問をしたことだけが私のこの法案に対する誠意でなくて、当初から誠意を持って当たっておったことを御理解願いたいと思います。 そこで最後にお伺いしたいのは、他の行政機関というのは私は実に情けない言葉なんですが、何も文部省が今まで全然やったことがないことでもないし、常にこのことについては十分心備えをしておるべき問題であるのに、他官庁の職員を入れてそして調査会を作るなんという、調査会そのものに私はあまり賛成しないのですが、その構成の仕方はなおさらどうも満足しないわけなんです。しかし金というふうな問題が関係することだから、そういうところから職員を呼んできて調査会を組織する、これもまあやむを得ないことだと思うのですが、一体関係する行政機関というのは大体どこを予想されておるのですか。
○福田(繁)政府委員 たとえば大蔵省、また必要があれば自治省というようなところでございます。
○小林(信)委員 大蔵省はこれはやむを得ぬ、自治省、それ以外にはないわけですか。
○福田(繁)政府委員 文部省も入ると考えております。
○小林(信)委員 それは当然のことであって、文部省が大体先日からずっとお聞きした問題については専門であって、おそらくほかの行政官庁の職員の意向等は聞く必要は私はないと思うのです。そういう意味からも、何も調査会は作る必要はないというわけで、しかもその大蔵省の職員を呼んで云々という問題は、その職員などに意見を聞くよりも、直接大臣同士でもって話し合って解決できる問題なんです。そしてしかも総理大臣も相当な真剣な態度を持っておられるので、私はこんな調査会なんか作らずにいけると思うのですが、とにかく文部省としても慎重にこの問題を扱うという点では、あるいは調査会も必要かもしれぬけれども、しかし本来文部省の使命というものを考えるならば、何も調査会を設ける必要はない。そしてすぐここで教科書無償の宣言をすると同時に、それを実施するところの法律というものが出てくるのが当然だと思うのですが、諮問機関、調査会の意見を待って、またこれを法律化してここへ再度上程されて実施の運びに移るわけですが、そんな、それほどまでに慎重にしなくも私はいいと思うという点をずっと今まで申し上げてきたわけですが、大体質疑応答の中で私は私の考えというものが正しい、文部省がそこまで考えなくてもよいというふうに申したわけですが、先ほど最後の大臣の目安というふうなものを一応承りまして、なおこの問題について同僚の方から御質問申し上げて、ほんとうにこの法案の与野党一致した意見の中で実現できるように希望するものでございます。
○櫻内委員長 村山君。
○村山委員 まず私は今回の政府の予算案との関係からこの問題について質問をいたしてみたいと思います。 予算の中に義務教育教科書費が計上をせられましたが、これについては明許繰り越しの手続をいたしているわけであります。その理由を見てみますと、義務教育教科書の経費は「昭和三十八年度に小学校第一学年に入学する児童が使用する第一学年用の教科書を無償とするよう措置するため必要な経費であって、その性質上支出の完了までに相当の期間を要し、かつ、その措置が本年度内に完了しない場合にも引き続いて行なう必要があるものであるが、事務処理にあたっての調査確認の困難その他のやむを得ない事由により、年度内に支出を完了することが期し難い場合もあるので、本年度の支出残額を翌年度に繰り越し使用できることとする必要がある。」こういうように書いてあるわけです。そこで財政法上明許繰り越しの手続についての疑義はないわけであります。ただここで考えなければならないのは、教科書の無償の提供を受ける者は、昭和三十八年の四月の一日にその資格が発生をするといいますか、権利が発生をするのは当然でございます。そこで、三十七年度の一年生は対象に考えられていないわけでありますから、これは、そういうような意味から、一体債権者はだれになるのかということについて考えてみますと、昭和三十八年の四月の一日に入る児童が債権者になる。それに対して今年度の中において予算を計上しているということは、いろいろ問題が考えられるわけでありますが、こういうような場合において、あらかじめあなた方が予算に計上しておいて、明許繰り返しの手続をとらなければならない。そこで、まず第一に、事務的にどういうような目鼻をつけておられるのか、そしてこういう明許繰り越しの必要性はどの程度あるのか、どの程度までは明許繰り越しの繰り越し残高によって処理をしていかざるを得ないというふうにお考えになっておるのか、そういう点を承ってみたいと思う。
○福田(繁)政府委員 御指摘のように、昭和三十八年の四月に入学します小学校の第一学年の児童に対する教科書の経費でございます。ところで、御承知のように、教科書の供給の場合を考えますと、発行会社から供給機構を通じまして学校に送り出しますのは大体一月ないし二月ごろでございます。従って、三十八年に一年に入学する子供の教科書に対して、無償でこれを給与なり貸与なりするということになりますと、その供給以前におきまして会社と契約をいたさなければならぬと考えるのでございます。それは、三十八年の四月に入る子供でございましても、受けるのは三十八年四月でございますけれども、契約としてはそれ以前に行ないまして概算払いをしなければならぬと考えておるわけでございます。従って、三十七年度の予算にその経費として約七億を計上いたしております。御承知のように、子供の実際の入学の場合におきまして、最近特に社会増等のございます学校においては、入学児童を確定することがなかなか困難な場合が相当ございます。かりにある学校において百人の児童が入学するであろうということを予想いたしておりましても、移動等によりましてそれが狂ってくることがございますので、そういう学校におきまする入学児童の確定ということを見きわめて支払いを完了することになりますと、どうしても三十八年にかかるということも従来の慣例からいたしまして考えられます。従って、そういう場合を予想しまして、繰り越し明許の要求をいたしたわけでございます。
○村山委員 昭和二十六年、二十七年の過去の経緯にかんがみまして、まず、昭和二十七年度については、供給業者に対して一括概算払いをやって、そのあとで精算払いをやっておられるようでありますが、昭和二十六年度においては、市町村に補助金を交付して、そして市町村から、いろいろな金融的な措置を特別にとりながら支払いをしておられるようでありますが、今のお話を承りますと、その発行会社との間における契約方式ということでありますので、やはり国の方が全額支給をするという立場のもとに、教科書会社に対して概算支払いをしていく、こういう形が、文部省として今考えられておられる筋合いのものだ、こういうように受け取っていいわけですか。——そういたしますと、この供給については、調査会の議を経てやるとか、いわゆる供給のあり方等についても十分検討を加える必要があるということが書いてあるわけでありますが、その文部省の考えておるものを調査会に出して、今、初中局長の話をされましたようなことで進めていくんだというお考えなのでありますか、その点を明らかにしていただきたいと思います。
○福田(繁)政府委員 この点は、この前の小林委員のお尋ねの中にもございました。国が全額負担する方がいいか、あるいは地方公共団体に半分持たせるのがいいかというようなことまで過去の事例をお引きになっての御質問でございましたが、その際、私が申しましたのは、これは調査会の決定することでございますけれども、文部省としては、望ましい姿としては、全額国が持つ方が望ましいということを申し上げたのでございます。そういった趣旨から、まだ内容はきまっておりませんけれども、従来のやり方から考えますと、市町村に補助金を出してやっていくということは事務的に非常に煩瑣でございます。そういう点から申しますと、会社と直接契約をいたしまして、それに基づいて代金を支払っていくという方が非常に簡明でございます。できればそういう方法をとりたいという希望は持っておるわけであります。そういうことに基づいて、ただいまの御質問に対してお答えを申し上げた次第でございます。
○村山委員 そういうようになっていった場合においては、全額国庫負担の考え方でやっていく場合と、義務教育は設置者の責任だというようなことで、国が、憲法上、義務教育無償の原則のもとにおいて、全責任を有するべきものであるか、それとも地方公共団体と同じような立場において考えて、均等な立場で、義務教育無償の原則を実現すべきものであるか、それともその設置者が義務教育無償の立場に立って財政的に支出をしなければならないが、市町村の段階における財政力の上から見て、国がその全額を補助するという思想に立つべきなのが、憲法上の義務教育無償の立場であるのか、その三通りが考えられると思うのでございますが、文部省の考え方というのは、義務教育無償というのは、国が直接全児童に対して、そういうような無償の制度を実施していくんだという思想的な統一がなされた上で、今回の法律案が出されているのかどうか、それらの点について、どういうふうに御検討に相なっておるかをお知らせ願いたい。
○荒木国務大臣 国が責任を持って、憲法二十六条の趣旨に基づいて教科書を無償にするという建前でございます。その点は、政府部内に不一致はございません。ただ、その実行方法でございますが、政府部内取りまとまっていない点は、国が責任を持つといたしましても、今、村山さんも御指摘の通り、義務教育の教職員の給与関係について、国が責任は持つけれども、国が半分、地方が半分でいくのだというやり方も考えられる、国が国費で全部まかなうということもむろん考えられる、そのいずれかということについてまた政府部内で帰一したところまで参っておりません。本来ならばこれを一本にきちんとして腹を固めて法案を提案すべきものであったとむろん思いますけれども、根本趣旨ははっきりしておるならば、その方法は調査会待ちであっても支障なし、ともかくその基本線をひっ下げてスタートすることが先決であるという考え方から御提案を申しておるわけでございます。文部省としましては全部国費で持つということが望ましいと考えております。
○村山委員 全部国費で持つというその考え方の中に、直接国が責任を持って国費で持つという考え方と、それから市町村立の学校であるから、大体学校制度の上から考えて、親が教育権を持っているものを公教育に委託をしてそこに学校制度というものができ上がっている、それに対しましてその学校に通わせる義務というものを親に義務づけた、これが義務教育の思想であるわけですが、そういうような考え方から出て参りますと、いわゆる教育というものは、これは国のものであるか地方自治体のものであるかという考え方が出てくるかと思うのであります。もちろん国民教育でございますから、文部省が全国的な一つの標準を示してそれに準拠していく思想というものはあながち否定はできないと思いますが、そういうふうになって参りますと、地方自治体という立場に立って物事を考えて参り、しかも日本の憲法というものが民主主義を基調にいたしております関係からいった場合においては地方公共団体が全額を支出をする、しかしながらそれに対して国がその支出した分の全額を補助する、こういうような一つの思想というものが、これが今日のこの日本国の憲法を流れる考え方ではなかろうか、こういうふうに思う点もあるわけであります。それともう一つは、義務教育無償ということを端的にとらえまして、国が全部について国費をもって全責任を持って支払いをしていく、直接支払いをしていく、こういうような形のものが二つ、国が責任を持ってそして全部を国費で払うという中にありましても、それは方法論ではなくて、一つの思想的なものの憲法に対するところの解釈上の問題がその中にはっきりと出てくると思うのでありますが、大臣の御答弁を承っておりますとどちらかはっきりいたしません。その点はどういうふうにお考えになっているのか承りたいわけです。というのは、社会党が提案をいたしましたこの義務教育無償に関する法律案の内容は、私が申すまでもなく地方公共団体が全額支出をする、それに対して全額を国の方が補助するという思想の建前になっているからであります。その点について大臣の御見解をお伺いしたいと思います。
○荒木国務大臣 私は憲法学者でございませんので、法律的に全責任を持ったお答えもできかねますけれども、私の理解するところによれば、憲法第二十六条に基本を置いて国が実施せんとならば、方法はさっき申し上げた通り国が全額出すことが望ましい方法ではございますが、国が半分、地方が半分という仕分けをして、国民の側から見れば無償というやり方も憲法の趣旨に反するとは思いません。しかしながら少なくとも憲法の趣旨に直結して無償を実現しようとなれば選択の余地がある、あるいは地方公共団体の意思によって無償にするところもあれば、しないところもあるという余地のあるものは、憲法の趣旨を直輸入した考え方ではなくて、憲法二十六条の趣旨には反しないという消極的なものでしかあり得ないと私は思います。今憲法二十六条に基づく無償の趣旨は、教育基本法と義務教育諸学校の教職員の給与負担に現われておると思うのでありますが、いずれも例外を原則として許さない、あり得ない、しかも普遍的に公平に行なわれる本質を持ったものについて実例があると思います。教科書の場合も、教科書そのものが重々雑多に無軌道に自由意思で教科書会社からできたものにあらずして、きちっと学校教育法二十条なり二十一条に基づいて文部省が責任を持って内容を国民に約束をし、またそれに基づいて検定をされた、いわば特定した内容と特定したものについて行なわれるわけでございますから、普遍的であり差別がない。ただ種類がたくさんあるから種類的には別個のものが選定されるにいたしましても、本質的には普遍的な共通性を持っておる。それを国の立場において憲法に直結した趣旨に基づいて無償にするとならば、公共団体に補助するというやり方は直結した姿じゃないと私は理解いたします。言いかえれば、先刻申し上げました通り、地方公共団体という別個の、国以外の人格を持ったものの自由意思にまかせて、実施してもよし実施しなくてもよろしいという余地を残すような立て方は、基本的な考え方からすれば私は憲法に直結した姿じゃないであろう、かように考えておるのでありまして、その意味で、かつてやりましたように公共団体が教科書を無償にした場合には国が補助するというやり方でなしに、あくまでも国が共通普遍的に責任を持ってめんどうを見る。めんどうを見る方法は二種類あるけれども、その二種類のいずれであろうとも根本論としての相違はない。ただいずれが望ましいかというならば、国費で全部まかなうという方が望ましい姿であろう、かように考えております。
○村山委員 この問題が、私は非常に大きな問題として今後論議されていくことになると思います。といいますのは、今までの教科書の無償供与に関する歴史を振り返ってみますと、昭和二十六年の場合には御承知のように公立の学校の一年生に対してその教科書を支給をする、こういうような形、国立と私立は除かれておりました。ところが昭和二十七年においては、国立も私立も入ったわけです。それは昭和二十六年においては、半額補助という建前で実施されてきた。今日の国が責任を持って直接支払いをするという思想でいくならば、当然そこには行政の均一化というものが行政作用として生まれてくると思う。私がこの教科書の今日の給与の現況をずっと調べてみますと、そこにはそれぞれの府県によりまして採択の金額の差が相当あるわけです。具体的な数字は後ほど示して参りますが、府県によりまして、あるいは統一的な広域の採択を現にやっておるところが多いわけですが、学校によって、たとえば東京都の二十三区それに秋田でありますか、これは統一的な広域の教科書の採択をやっていない。各学校にそれぞれの採択権があるということで、今日教科書が採択されている。そうなって参りますと、そこには違う教科書を府県の教育委員会が標準的な教科書として五種類あるいは三種類というようなものを出しまして、それによってその中から採択をしているところが全国的には多いわけでありますが、その採択をされたところの一人当たりの金額を調べてみますと、小学校の一年生の一人当たりの購入額を調べたのでは、秋田が最高で五百六十円、最低は大分の三百五十五円、全国の平均は三百八十八円、こういうことになっております。これは昭和三十五年度の教科書の代金であります。そうなって参りますと、私が今申し上げましたように国の一つの行政的な均一化の方向というものが行政作用として働く以上は、そこに平均単価というものを出しまして、それによって国の教科書を支給をしていく、形になって参ります。各府県において、あるいは各地域によって、学校において採択をする教科書の値段が違う、この地域においてはこれが一番望ましい教科書であるということで採択をした、それが秋田の場合のように五百六十円というような金額に上った。ところが一番低いところは大分の三百五十五円ということになって参りますと、勢い平均になるところの三百八十八円、こういうような価格というものによって統一されていく。こういうようなことで勢いそこに値段の高いものを採用しないように、そしてできるだけ標準化されたものを採用するように、——文部省はそういうようなことで推し進める意図はないかもしれませんが、予算の査定をする大蔵省あるいは今度それを審議する国会、こういうようなところで国が統一的に支給をしていくんだということになるならば、一つの標準化されたものに傾向が集中をしていって、国定化は考えていないということを大臣はおっしゃるけれども、国定化の方向にこれらのものが強まっていくのではないか、こういうような考え方というものが出て参ろうかと思うのであります。そうなって参りますと、これは大臣の考えとは食い違う方向に発展をして参ろうかと思うのでありますが、そういうような考え方で律せられて参るとするならば、これは大変なことになって参るわけであります。私たちが、地方公共団体が採択したものに対してその全額を国が補助をするのだという形をとるゆえんのものは、いわゆる教科書の現在採択されているところの一人当たりの経費の上におけるその状況を見た場合において、そういうような傾向というものが危惧されないでもない。そういうような点からそのような憲法の解釈というものを打ち出しているわけでありますが、それに対して大臣がお答えになったことは、その危険性というものは防げないのではないか、こう考えるわけですが、それは大丈夫防いでいく、その質問は杞憂にすぎないということが言い切れますかどうか、その点についてお尋ねをいたします。
○荒木国務大臣 結論的に申し上げて御心配御無用だと思います。先刻も申し上げました通り憲法の趣旨に基づいて立法措置を講じてやろうというわけですが、補助をするという建前は、私は第一義的な憲法の趣旨に基づく措置ではないと理解することはさっき申し上げたわけですが、そのことを一応離れて考えましても、問題は、御懸念の点は、現行教科書発行に関する臨時措置法の建前が、教科書会社というものは現実問題としてたくさんあり、教科書も種類はたくさんあり、展示会を通じて選択する、しかもその教科書の価格は文部大臣の認可にかけてありますが、その認可は最高価格の認可ということになっておるようですが、この現行制度が是か否かという問題であって、教科書無償の建前で国が責任を持ってやることから必然的に生まれてくる御懸念ではないかと私は思います。結論を先に申し上げて大丈夫と申し上げたゆえんは、本来教科書無償の趣旨からいって、お話のようなことが必然的に起こるはずがない、いわんや現行教科書法の趣旨を是なりとする限りにおいて画一的なものに財政上の要請がかりにありとしましても、それに基づいて左右されるという筋合いの問題ではない、従って大丈夫である、本来の教育目的あるいは憲法の趣旨を体していきまする限り、そして現行の教科書発行制度の基本趣旨を是認する限りにおいて、懸念なし、かように思っております。
○櫻内委員長 本会議散会後再開することとし、暫時休憩いたします。 午後一時八分休憩 ————◇————— 午後二時五十二分開議
○櫻内委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 午前に引き続き質疑を続行いたします。村山喜一君。
○村山委員 内閣提出の「義務教育諸学校の教科用図書は、無償とする。」という第一条の法律の内容から憲法の第二十六条に関連をいたします義務教育無償の考え方というものは、先ほど質問をいたしたわけでありますが、政府の考え方によりますと、大臣の答弁は、国が直接責任を持って供給、業者であるところの教科書会社に概算払いをし、そして支払いをしていくという形において国の直接の責任を義務教育において無償だという、そういう考え方に立っておるわけであります。ところが社会党の提案は地方公共団体なり、あるいは私立の学校の設置者である学校法人が教科書を支給した場合において、国がそれに対して全額国庫補助を行なうのだ、こういうような考え方に立っておるわけでありますが、それらの点から社会党の考えは、これは設置者であるところの市町村という地方公共団体が、そこの住民というものが自分たちの学校に対して、父兄が子供を学校教育を受けさせるところの権利というものは父兄にあるのだけれども、その父兄の考え方によって、公立の学校なり私立の学校にいずれも就学させることができる。そうした場合において主として市町村立の学校の児童、生徒であるわけでありますので、当然地方公共団体が教育というものは地方住民のものである。地方分権の建前に教育というものは立たなければならない。そういうような意味から当然地方公共団体が教科書を無償で提供するという思想に立って、それを義務教育は無償だという憲法の定める点から推していった場合に、補助という一つの概念が浮かび上がってくるものではないか、こういうような質問をいたしたわけでありますが、憲法二十六条の義務教育は無償である、この思想と、第一条に掲げられておりますその条文との関連性というものはどういうふうになっているかを提案者の方にお尋ねいたしたいわけであります。
○山中(吾)議員 お答えをいたします。憲法の無償の原則というのは、国民の側から国がまたは地方公共団体がおのおの事務の配分に従って負担をかけないという意味であります。従ってたとえば義務教育に関する教職員の給与の負担法というあの負担の思想と同じであって、現在市町村立についての教員、それが財政的には府県が半分負担し、半分国が負担をするというふうな行き方もとっておりますし、従って国が全額持つという思想ではない。財政的に負担をするという立場に立って、理想的に言えば国が全額を負担するということが理想であるけれども、あくまでも負担の思想であって、その事務の点から言いますと、市町村立小中学校は市町村の固有の事務であり、府県立については府県の行政事務である。官立については、国立については国の事務として現在の行政事務分担の中にそういう原則があるわけでありますから、従って市町村の責任において行なわれる小中学校の教育については、あくまでもそれは市町村がその責任であるから、市町村が教科書を給与する立場に立っておるので、財政的に国が負担をする、こういうのが私たちの考えであり、憲法の精神に最も忠実な考えであると考えておる。そういう意味において小中学校の教育の責任者であるところの市町村が教科書を支給する主体であり、その教科書の価格については国が負担をする。こういう建前が最も正しい。そういう意味においてわれわれの法案の建前をとっておるわけであります。
○村山委員 大臣にお尋ねいたしますが、この提案理由の中で明らかにされておりますように、「義務教育諸学校の教科用図書は、無償とする。」方針を確立して、これを宣言することによって日本国憲法第二十六条に掲げる義務教育無償の理想に向かって具体的に一歩を進めようとするものであります。こういう提案理由を明記してあるわけでありますが、憲法二十六条にいうところの義務教育無償という無償の限界というものは、大臣はどこまでお考えになっておるのか、教科書あるいはそのほかの教材用の図書、さらに学校給食なりあるいはその他の学用品、そういうようなものが当然出てくるわけでありますが、この憲法にいうところの義務教育無償というものはそれが教科書で終わるものであるか、それともそのほかに相当広い範囲の内容を含めたものであるか、これは教育基本法の中には授業料は要らないということは書いてございます。 〔委員長退席、上村委員長代理着席〕 しかしながら憲法の義務教育は無償であるというその宣言は、これは具体的にはどの程度まで無償でなければならないということは明らかにされていないわけでありますが、政府提出の法案の第一条から推していった場合に、教科用図書は無償とする、こういうことになって参りますと、教科用図書というものは、憲法第二十六条の規定によって生まれてきたというその根源はわかりますが、その教科用図書は無償とするということを法律で打ち出した場合において、教科用図書のほかに無償とすべきものがなお残っているのかどうか、残っているとするならば、そういうようなものを今後どういうふうにしていこうとお考えになっているのか、その点について承っておきたいと思うのです。
○荒木国務大臣 結論から先に申し上げますと、義務教育は無償という憲法二十六条の端的な実現の具体的対象は、代償をとらない、授業料は要らないんだということ、第一義的にはそれに尽きると思います。ただそれに最も近い意味において私は次に位するものが教科書だと理解いたします。教科書以外に何かあるかということは、ちょっと私今具体的には申し上げる資料を持ちません、構想を持ちませんが、ただ抽象的に思いますことは、午前中のお尋ねに対しましてもお答えしたと思いますが、憲法の趣旨にのっとって無償にするとならば、それはあくまでも義務教育の場においてなくてはならないものであって、普遍的であり均等なものでなきゃなるまいということを思うのでございます。しかも普遍的であり均等なものが何だということは、国が責任をもって普遍的になし得る、また均等に取り扱い得る本質を持ったものということでなければなるまいと私は理解いたしております。そういう考え方に立ってこのことを考えます場合に、教科書の無償で一段落ついておるんじゃなかろうかというふうに私は理解いたします。今後の検討の結果、またプラス・アルファが出てくるかどうかということすらもが明確に申し上げかねるわけですけれども、一応私は以上の見解でございます。
○村山委員 憲法論議の問題は、社会保障制度の政策との関連性から、先般山中委員の方でも質問を保留されておりますので、私はあえてここでこの問題を深めていこうとは考えないわけであります。 先ほど大臣の説明によりまして、国が直接責任をもって支給する建前をとるべきである、こういうような御説明がございましたので、今までの昭和二十六年、二十七年になされました教科書の無償の過去の経験から、私はいろいろな問題を財政的な面からさらに質問を申し上げてみたいと思うわけであります。 現在教科書に関係のあります法律といたしましては臨時措置法があるわけでございますが、教科書の発行に関する臨時措置法の施行規則によりますと、教科書の展示会は七月中に行なう、そして市町村の教育委員会あるいは国立私立の学校長は教科書の需要票を都道府県の教育委員会に提出をして、都道府県の教育委員会はその集計票を八月の末までに文部大臣に提出をする、こういうことになっているようであります。そして発行者は教科書をその供給計画書に記載した期日までに供給をする。学校に供給するまでの責任は発行者にある、こういうことが施行規則に定めてあるわけであります。そうしてまた、片一方学校教育法の施行令の第二条、規則の三十一条を見てみますと、十二月一日現在において、十二月中に新入学齢児の学齢簿を市町村の教育委員会は作ることになっているようであります。そこで私はこの明許繰り越しの手続をされました理由は、先ほど初中局長からお伺いをいたしましたが、まだはっきりと納得がいかないわけでありまして、一月ないし二月に概算払いをして、そうして異同その他もあるので精算払いが出納期を過ぎたあとにおいて——本年度の支出残高を翌年度で繰り越して使用するようにするんだ、こういうような答弁でございましたが、もし三十七年度からこの法律を施行するとした場合には、これはことしからやろうとして予算は三十七年度予算に計上されているわけですが、それを一年間準備をし、調査会を作ってやらなければならないように、実際の手続上どうしてもその一年くらいの期間が必要になるのが、現実の処理の方法からいった場合にはやむを得ない措置としてとられなければならないか。これは予算上あるいは法律の上からもいろいろ問題はありますけれども、今後において義務教育無償の原則のもとに予算を編成をしていく場合においては、その当該年度において予算を組んだ場合には、翌年度からしか実際の法律上の効果が出て来ない、こういうようなことになりますと、これは予算の総計主義の考え方からいいましてもちょっとおかしなことになって、毎年々々繰り越し施行、繰り越し施行というような形で処理していかなければならないものになるかどうか。これはやはり予算の編成の上において、非常に技術的にもまた予算編成の本質的な運営においても問題になるかと思うのでありますが、それらのいわゆる繰り越し明許の措置をとらなくても、まあ来年は新しく発足をいたしますのでいたし方ないといたしましても、その次の年もやはりそういうような措置をとるお考えがあるのか。それとも、この学校教育法施行令の第二条あるいは規則の三十一条等を改正をされて、十二月一日現在におけるところの学齢児の数を押えるのでなくして、もっと早く、たとえば統計の調査指定日であります五月一日現在の学齢児を押えてやっていくとするならば、そういうような繰り越し施行を必要としないで当該年度において予算の執行ができるのではないか、こういうようなことを考えますので、それらの問題をどういうふうに今後処理をしていこうとお考えになっているのかお尋ねをいたしておきたいと思うわけです。
○荒木国務大臣 教科書無償のやり方はいろいろと考えられることと思います。現行法にのっとってかりに考えるとしますれば、教科書を物と見て、教科書というものを国が買い上げて、それを末端に供給するという考え方もございましょう。現行法ではむろん無償じゃございませんから、現行法に基づくとは言いかねますけれども、そういう考え方が一つあると思います。同時に教科書会社のあり方と供給機構等も考え合わせて検討しました上で考えられますことは、教科書会社が一番悩みといたしますのは、相当膨大な資金が要るのにもかかわらず、代金の回収は現品が到着してからだということにならざるを得ない。物品購入の立場では非常に不便を感ずる。そのことがまたコスト高にもなるという悩みもあるようであります。従っていつ現在の生徒児童数をとるかは一応別としまして、考えますことは、現行法は請負契約的にやっておるように理解されますが、指定をしましたことによって一種の契約がスタートを切る、そうしますと、四月に入りまして現物がそれぞれ満足に到着したときにその契約が完了する、相当長い期間にわたって継続する契約の履行の内容を持っておると思いますが、そういう場合に、もし概算の払いができますならば、教科書発行会社としては資金面の悩みが相当解消する便利があろうかと思われます。従って、そういうこともいずれがよろしいか、もっとほかの考え方もあろうかと思いますけれども、いろいろなやり方を調査会でもって検討してもらって、これが一番いいんだという結論に基づいて、立法措置をすべきものはするという順序を経て実施したいというので、調査会の存在理由もその意味においてあるわけです。従いまして、物として買って与えられれば、繰り越し明許なしにその年度内にやれないこともなかろうと考えられますけれども、いずれかといえば、やはり一種の請負契約か混合契約的な考え方で教科書会社に責任を持ってもらう、そうしてスムーズに製造供給ができることにすることが望ましいとするならば、何としても前年度に予算が成立しておりませんことには、概算払いの根拠がない、そうして清算しますのが翌年度にわたらざるを得ない本質を持っておろうと思います。さようなことを考え合わせまして、三十七年度の予算に計上し、そうして繰り越し明許を与えてもらって万全の措置を講じたい、かような考え方であります。
○村山委員 そうしますと、先ほど小林委員の質問に対する答弁でも、大臣がはっきりとおっしゃったのですが、とにかく三十七年度においては予算に計上されたのは七億二百万円、これは三十八年の四月一日に入学する一年生の分だけしか予算に計上されていない。こういうことになって参りますと、予算の上においては、三十八年四月一日において入学する一年生の分だけが見られているのであって、二年あるいは三年生、四年生というようなものや、あるいは中学校の生徒についての分は三十七年度の予算要求の中でいたしましても、三十九年度以降においてしか実現をする可能性というものがない、こういうようなふうにおっしゃったかと思うのです。そうなりますと、三十七年度の予算には計上されたが、実際支給されるのは、三十八年度においては小学校の一年生、三十九年度以降においてはどういうふうになるかわからない、義務教育無償という原則から、当然法律の中に打ち出されたので、全児童生徒に及ぶようにしたいということになって参りますと、おそらく三十九年度以降においてそういうようなことの可能性が出て参る、こういうようなことになるかと思うのであります。 私はこの調査会がどういうふうな方法をとっておやりになるかはわかりませんが、現在の教科書の供給業者のその会社の状況を見ますと、一番大きな三つの会社が、日本の教科書の五十数%を独占しておる状態にあると思います。そこで、こういうような教科書の供給業者の状態から、もし概算払いという形で三十七年度中に一月、二月に教科書の代金が支払われていくとするならば、業者の資金繰りというものは当然非常によくなってくることも事実であります。従いまして、その問題が教科書の代金の上に響かないはずはないはずであります。それを今回は教科書の値上げ分を見込んでいろいろと許可をされようとしておいでになるわけでありますが、一四%値上げの計算の基礎、そういうような予算の上において概算払いの制度をとっていくんだという考え方があるとするならば、当然教科書会社の運転資金というものが、国によってある程度保障をされるわけであります。その面からいわゆる支払わなくてもよろしい利子相当分というものは、当然純益として教科書会社に残ってくる。こういうようなことからいいまして、コストが下がっていかなければならないと思うのであります。この分をこの値上げ一四%の分にどういうふうに織り込んでおられるのか、この点具体的な問題になって参りますので、初中局長からお伺いをいたしたいのでございます。
○荒木国務大臣 政府委員からお答え申し上げますが、その前にさっき私がお答えしたことについてのお話があったようでございます。三十七年度に組んでおります予算は、もう現に小学校に入らんとしておる、ことしの者にはむろん間に合わない。来年の四月一日に入るであろう小学校一年生に対して、無償で措置されるであろうものを対象としたものでございます。ですから三十八年四月に入学する者の教科書に対しては、三十七年度予算で措置し、三十九年度に入学しもしくは進学する者に対する予算措置は、三十八年度予算で措置するというふうになるわけでございまして、三十八年度が抜けるわけではないわけであります。三十八年四月をスタート・ラインとして年々歳々、できることならば一挙に、できませんでも二挙動、三挙動くらいでどうかしたいという希望のもとにスタートをしようとしておることは、午前中も申し上げた通りでございます。なお一割四分の値上げにつきましては、今申し上げたようなことが制度化されて、現実に資金繰りが豊かになった後に、その恩恵を受けて製造されるであろうところの教科書については、まさしくコスト・ダウンの要素になると思います。しかし一割四分の値上げに関しましては、そういう意味では考慮されておらないわけでありまして、審議会の答申するものが二割値上げ見当ということでございましたのを、一割四分にいたしましたのは、企業努力によってそのくらいは何とかなりはしないかという要素が見込まれておる。その他具体的な要素もあろうかとは思いますが、そういうふうな考え方、構想のもとに一割四分と査定をつけたような次第でございます。 なお具体的なところは政府委員から補足して申し上げます。
○福田(繁)政府委員 ただいま金利の問題に関連してでございますが、一四%の値上げの要素の中には、三十六年度に比較しまして、三十七年度の場合におきましては、金利を売り上げの増加約一四・七%に見合うものとして、一五%のアップを見込んでおります。これはお手元に差し上げた資料で明瞭でございますが、しかし今大臣が申されましたように、これはこの値上げの問題でございまして、三十八年度の第一学年に配付すべき教科書の予算としましては、一四%値上げした価格で計算をしてございます。従って、お説のように将来この会社の方の金利負担等がいろいろ軽減されるという要素も見込まれますので、そういう場合におきましては、当然にコスト・ダウンの問題が起こってくると思います。従って、その際には教科書の定価というものも変わり得るはずでございます。従って、私ども調査会でいろいろ審議していただく要素の中に、教科書の定価の問題も、そういう要素を織り込んだ定価でいかにあるべきかということも十分検討した上で今後処していきたい、こういうように考えております。
○村山委員 教科書の発行は、これはその年度になってから準備するというのでなくて、その前に準備をしなければならないわけです。そうなって参りますと、現在の教科書の発行に関する臨時措置法の施行規則によりましても出て参っておりますように、七月中に展示会をやって、そうして八月に文部大臣に集計票を出すわけです。それに基づいて発行者に供給の責任が出てくるわけですが、大体今教科書は来年度のものがもうすでに印刷ができ上がって、現に各学校あたりに書店が出向きまして教科書を販売いたしておる、あるいは書店に子供が買いに行っている、こういうような格好の中で処理されておりまするし、あるいはいなかの方でありますと、前もって教科書の供給店の方に対しまして取り次ぎ販売所ですか、そこに買いにいくというような形において、その年度以前の中でこの教科書の取り扱いがなされておるわけです。これを見ました場合においては、当然その教科書が作られる年度というものは、前の年度になるわけでありますから、三十七年度の教科書の代金を一四%値上げするということは、三十八年度に使う教科書も、その計算基礎の中には値上げの中に入らなければならないはずである。そういたしますと、一四%値上げをしたのは、三十六年度中に作られたものであって、三十七年度に使われる教科書が一四%の値上げになるわけでありますが、この法律案で参りますと、三十八年の四月から使うわけでありますから、その分は調査会でいろいろと検討はされるとは思うのでありますが、当然その分だけ値引きといいますか、コストが下がるわけでありますので、教科書会社の定価については文部大臣が許可するようになっております関係から、値下がりという傾向が出てくることはもうはっきりしているのではないかと思うのであります。その分がどれくらいになるという一応の見込みは立てられておられないかどうか、現在の教科書会社の業績は必ずしもいいとはいえないと思うのでありますが、十万冊以上印刷をしているのは、承りますと大体八六%以上といいますか、九〇%以上はもう十万冊以上の単位で現に印刷をしている、そういうような状態からいいまして、一三・七%という値上率になっておるようでありますが、もっと値上率を低目に押えることができるのではないかと思うのですが、その十万冊以上に第二段階として押えておいでになりますけれども、それを二十万冊以上というた場合には、一体どういうようなところに値上率がなってくるのか、そういうようなところまで検討をされなかったかどうかについて一応承っておきたいと思います。
○荒木国務大臣 御指摘の通り、三十七年度に使います教科書は、三十六年度から手当をしたのができ上がっているわけであります。また三十八年度の第一学年に入学する者を対象にして無償にしようというわけですが、その教科書は同様に三十七年度中に手当をされて、三十八年度の新学期を待つ、こういうことになることも当然のことでございますが、調査会を設けて審議いたします対象としては、先ほど来の御質疑にお答えしました通り、教科書会社のあり方そのもの、あるいは供給、配給の機構そのものにつきましても調査審議してもらう予定でいるわけであります。調査審議の結果を待って立法措置をすべきものはする、もし臨時国会でも開かれれば、可能な限りは臨時国会に付議いたしまして御審議願って新しい改正制度を決定していただいて、その後に初めて御質問のような要素が正式に現われてくる道理でございますので、三十七年度の予算案に一応掲げております。億あまりの金額は、一割四分の値上げそのままでいくものとして計算することもやむを得なかった次第でございます。盛り込もうにも調査会待ちの前提に立つ限りは盛り込むことができない、もし実現したらこうもあろうかということはいえるにいたしましても、それは正しい態度ではない、こういう考え方で七億円あまりの予算の中には一割四分値上げそのままが積算されている次第であります。なお足りないことがありとすれば、政府委員からお答え申し上げます。
○福田(繁)政府委員 ただいま御質問のありました点は、今計算をしておりませんが、もちろん今のやり方によりまして、これは教科書の発行に関する臨時措置法の施行規則の十八条にも明記してございますように、発行の指示をいたしました際には、教科書会社は製造工程に関する予定計画書とか、あるいは定価の算出書を提出しなければならぬということになっておりますので、あらかじめそういう見積もりを文部大臣に提出いたしまして承認を求める建前になっているわけでございます。従って金利の負担が軽くなりまして、それが定価に響いて安くなるということでありますれば、当然にこの算出書の中にそれが現われてくるわけでございます。これは毎年やり方として、この発行の指示をしたときに、そういうものを出すようになっております。毎年度の定価をそれによってきめていく、こういう建前になっているわけでございますので、三十八年度の実際の定価は、今後の問題として十分検討して参りたいと考えております。
○村山委員 私がお尋ねをしたのは、教科書の値上がりの分について、第二段階の中で十万冊以上の発行が可能で、それがもう九〇%程度占めているのだから、もっと値下げができるということで、これも算定をしているわけでしょう。そこでそれを二十万冊以上ということで押えた場合には大体何%になるかということを聞いたわけです。それは計算もされなかったかどうか、教科書課長もお見えになっているようでありますので、お答え願ったらと考えるわけであります。
○福田(繁)政府委員 今計算したものは持っておりません。
○村山委員 これはこまかになっておそれ入りますが、現在営業費が、計算基礎のこれを見ればわかるわけですが、三十七年度用は三〇・三%、それから荷作り運送費、これは何%かはっきりわかっていないわけですが、製造原価の中に入れてあるのでしょうか。特約店の供給所の手数料、これは取次供給手数料と一緒になって、販売手数料の一六%の中に入れてあるわけですか。
○福田(繁)政府委員 荷作り発送費に関しましては営業販売費の中の管理費の中に、約三〇%でございますが、そういう値上がりを見込んでございます。それから特約の手数料でございますが、これは従来通り四%、小売が一二%、こういうようにしております。
○村山委員 そういたしますと、特約供給所の四%と、販売取次供給所の手数料一二%、これは政府の直接払い、概算払いの制度で教科書会社に金が支払われていくとするならば、ただ金利め面だけでなくて、その面からも当然手数料は少なくて済む、こういうことになってくるかと思うのですが、それが、政府が一年生の分だけを今後において処理していった場合にどういうふうな計数になっていくと算定をされておりますか。
○荒木国務大臣 一年生だけについての計数は後ほど政府委員等からお答え申し上げることと思いますが、無償制度に移り変わるとしましても、当然に売りさばき供給機構がなくなる、あるいは小売の手数が要らなくなって、あわせて一割六分の手数料が要らなくなるという関係には当然には立たないと存じております。一年生だけについて、もし中間機構ないしは小売機構等をなくするということにしまするならば、その部分でのあるパーセンテージが出てくる勘定である、御質問の趣旨はそういうことかと思いますが、その配給機構がそれ自体も、調査会で検討してもらった上でなければ結論が出ないと申し上げねばならない段階であるわけでございますが、教科書会社が末端までの供給を責任を持って受け持つという現在のやり方が続けられます場合に、中間的な配給機構のごやっかいにならないということになった後は、そういう結論が出ましてそういう制度が立てられました後はこれは別ですが、ただいまのところは当然のこととしては、一六%の手数料がなくなるというふうには申し上げる段階ではなさそうに思います。
○村山委員 現在の時点においてはそういうようなことはないわけで、もちろん三十七年度中に取り扱う分が概算払いとして、三十八年一月ないし三月の間に概算払いがなされる。それに基づいて教科書会社が金を受け取りまして、どういうような供給方式になるかわかりませんが、教科書会社から直接学校に教科書の配給をするのか、それとも今までのような小売店を通じて、現在のような機構のもとに販売機構をそのまま残してやるのかわかりませんが、それらは審議会で検討されるだろうとは思いますけれども、とにかく現在はその販売店が一人々々の児童生徒の両親から金を受け取って手渡しをするという形において、この小売店の手数料というものの利潤一二%というものがきめられている。それが教科書会社に概算払いをしていくということになれば、当然各学校に直接教科書会社から供給をしていくという形が考えられていく可能性もあるわけですが、その場合には販売の機構というものについて非常に大きな変化が出てくるわけであります。その方が経費も安上がりになるということになれば、教科書の定価がそれだけ下がるということになると、国の財政的な負担というものは少なくて済む。そのかわり小売業者あるいは特約店というようなところの販売利潤というものが低下をし、あるいはゼロになるという状態が将来においては予想されるのではないか、こういうふうになった場合においては、今までのそれらの供給のあり方というものは、これから論議をするのだということはもちろん必要でありますが、この法律を提案する前にそれらの関係者の意見はどういうふうにお聞きになったものか、それらの点について関係者の意見等も十分に聞いた上で今度の法律案を提案されたのであれば、そのいきさつを御説明願いたい。
○福田(繁)政府委員 配給機構につきましては、これは先ほど申し上げましたように、今後調査会において検討すべき問題でございますが、先ほどの教科書の定価に関連をいたしましても、これは検討すべき問題があるのでございます。現在の配給機構でございますところの特約あるいは取次の業務の中で代金の回収等も相当な仕事になっているようでございますから、従ってもし代金の回収というようなことが全くなくなりました暁におきましては、そういった関係の経費をどれだけ見込むかということは慎重にやる必要がございますが、その分だけは下がるということは当然考えられるわけでございます。従ってそういう面について今後なお教科書の定価自体についても私どもは研究をいたしたいと思っておりますが、調査会で結論を出していただいて、これによって処理をして参りたいと考えております。 ただ、その際にいろいろ供給機構の問題について関係者の意見を聞くかどうかということでございますが、これはできるだけ関係者の意見も聞いて参りたいと考えているわけでございまして、従来もそういう関係におきましては、調査会としては供給関係あるいは発行関係の方々の意見も徴してきていると思います。
○村山委員 今伺ったところでは、これからそういうような関係者の意見を聞くのだということでございますね。それはそれとして、この制度が実施されることになりますると、供給面を一つとってみても、非常に大きな変革が生まれるであろうということは予想できるわけでございます。そういうような点からやはり小売業者なり、あるいはそういうような特約店というようなものが今日まで果たして参ったいろいろな役割というものも考えていかなければならないと同時に、当然国が教科書代を負担し、それを直接教科書会社に支払うという形をとりますと、今のところでは予想されておりますのは、昭和三十八年の入学者である一年生だけが対象でありますけれども、その次から、大臣の理想であるところの全部の児童生徒にということになりますと、教科書会社は非常に安定をした生産ができるだろうと思う。そのかわり、その教科書会社の発言力が強くなると同時に、供給機構の中で特約店なり小売店というものは、今後その取り扱いのいかんによっては、自分たちの生活権に影響が出てくる、こういうようなことが予想をされますので、そこらあたりは、やはりこういうような大きな構想を立てて出発をされる前に、こういうような考え方を持っているが、業界の方の意見はどうかというようなことも一応調査をされておくのが、文部省としては親切なやり方ではなかろうかと思うのですが、それらの点については、今後手落ちにないようにされるだろうということは、御期待を申し上げておきたい。 そこで、初中局長の話をきのうの質問の中から聞いておりますと、いわゆる無償とする措置を行なうためには、実施の方法、いわゆる段取り、それから手続、学校、供給のあり方、こういうようなものについて、十分検討を加える必要があるというようなことで、今問題になっております検定、採択、それから学校、供給、この中で学校と供給は一応取り上げられておりますが、検定なりあるいは採択の問題については、はっきりとした意思表示が今までなされていないわけです。それで、採択の機構というものについてはどういうような形になるのか。現状の通りのものでいこうと考えておいでになるか、それとも何か別な考え方を文部省としては考えているのか、この点についての御説明を願いたい。
○福田(繁)政府委員 採択の問題についても、無償措置を実施いたします関連におきまして、いかにあるべきかということは、当然に問題になると考えております。従って現在の採択のままでいいのだという結論が出れば、これは別でございますけれども、無償措置を実施します建前から申しますと、統一採択等についてある程度やはり改善をする必要があるのではないかというような考え方もございますので、それらについて十分検討してもらいたいと考えております。ただ、検定の問題については、これは別にこの無償措置とは関係はないと考えております。調査会で審議をしてもらう事項には考えてございません。
○村山委員 教科書の汚職の問題が出ているのは、広域に統一的な採択をやと、たとえば市、郡、こういうような地区ごとにあるいは府県ごとにやる。今までの教科書の歴史をずっと調べてみますと、教科書が国定化に移ったのは、府県の段階における大きな疑獄事件があった、こういうようなのが契機になって、教科書が国定化に移って、日本が敗戦という状態まで持っていかれた一つの歴史がある。この歴史の上から、学校の自主的な採択というものが戦後において生まれましたが、それがだんだんにまた父兄の声というようなものが背景になって、学校をかわったときに不便だ、こういうようなことや、あるいは同じ地域社会の中において違った教科書を使うというのは、いろいろ教育上も教育の効果上も問題がある、こういうようなことで、ブロックごとの比較的に広い地域におけるところの採択が行なわれて、そういうような採択の傾向の中から最近におけるところの汚職、いろいろな収賄事件というようなものが生まれてきているのではないか、こういうふうに私は考えるわけです。東京のように二十三区の場合は、各学校ごとに採択が行なわれておる、そういうようなところにおいては、大きな資本をもっていたしましても、幾ら宣伝をいたすにしても、非常に数多くの学校に対して、学校長なりあるいはその採択に携わる教諭に対しまして金品をばらまくわけにはいかない、こういうような形で、東京のような場合には教科書の汚職というものがなくて、広域採択をやっているところに今日の汚職が発生をしているやに私は聞くのでありますが、この採択にあたって、そういう採択の機構というようなものを今まで文部省はいろいろと助言をし、指導をしておいでになったと思います。そういうようないろいろな事件の発生から見て、どういうようなものが望ましいと考え、今後において指導をしていかれようとするか、その採択の問題についても審議会にはかるというようなことをおっしゃっておりますので、それらの問題についての対策をお尋ねいたしておきます。
○福田(繁)政府委員 採択の問題に関しましては、これは村山委員も御承知の通りに、大体におきまして統一採択という方向で処理されておりまして、市町村の数にいたしますと大体八〇%以上が統一採択ということになっております。その実情はいろいろ県の実情によりまして違うわけでございます。大体郡、市単位が多いようでございますが、いろいろ実情において違っているようでございます。従って今後教科書を無償にいたしました際にはいろいろのことが考えられるわけでございますが、ただいま御指摘になりましたように、同一地域社会におきまして同じ教科書を使うということは非常に望ましいことでございますし、また使用する側の児童生徒から申しますと、同じ教科書で教わっておいた方が、移動した場合に工合がいいということは申すまでもないわけです。これは余談になりますれども、アメリカのオハイオ大学の教育学部の教授でリーダーという人がおりますが、この人の所説によりますと、統一採択ということは、そういう生徒の移動やあるいは同一地域社会における利便ということを考える場合のみならず、定価の低廉化を来たすということが一つの重要な要素になって参る、従って低廉な価格でいい教科書を作るということが一つの目的でございますので、アメリカあたりでも州単位にしたらどうかというような意見もこの教授は発表しております。そういう工合になりますと、直ちにそれを受け売りするわけではございませんが、やはりいい教科書を低廉な価格で作るということが目的でございますので、ある程度そういった統一採択についての問題も、実情をにらみながらこれをきめていくという方が、よりいいものができるのじゃないか、私はこういうふうに考えるわけでございますので、そういった点は、今ここでどの辺が最も適当かということは申し上げられませんけれども、これは十分検討して参りたいと考えております。ただ汚職の問題は、この採択ということのみによって起こるというようには私どもは考えないわけでございます。
○村山委員 最近出て参りました教科書にからむいろいろな事件を見てみますと、やはりそういうような統一採択の拡大をやっているようなところにそういうような問題が発生をしているやに私は受け取るわけです。というのは、やはり教科書の質によるよりも、何か話を聞きますと、三十億余りの宣伝費をかけたその宣伝をやることによって、いろいろなつけ届けがその採択委員といいますか、教科書の選考委員といいますか、そういうような人たちに渡った、こういうようなことによって、宣伝によるところの競争が激化をして、採択ボスというものが発生をしている。その採択ボスの手によって、だんだんに自主採択というものがなくなっていく、こういう傾向というものが出てくるところに、しかもそれが、現場の教師から学校長、今度は学校長からさらに都道府県の教育主事、指導主事、こういうようなところまで今現に発展しつつある段階ではなかろうか、こういうふうに考えるわけですが、そういうようないわゆる統一採択という方向というものと、教科書の質の問題というものと考え合わせてみた場合には、非常に問題があるのではないかと私は思うのです。そういうような関係は、大阪や兵庫のあたりにおいて教科書問題が相当出ましたが、こういうようなものはそういうふうな関係に基づいて生まれたものではないかということを私は聞いている。その点はそういうようなものとは関係ないと言い切れますか、どうですか。
○荒木国務大臣 教科書に限らず、一般的な問題でもありましょうが、教科書汚職などというものの発生原因の九〇%は、私は教科書会社側及びスポイルされた相手方、汚職を起こした側の心がまえにあると思います。どういう採択方法をしましても、その心がまえが直らないならば同じように起こり得るであろうという性質のものかと思うわけですが、さりとて全然ほかの要素が関係なしとはむろん言い切れません。学校ごとに採択すれば起こらない、今の教育委員会が採択する責任者であれば起こるというものじゃないということは、今申し上げたことで御理解をいただきたいと思うわけであります。小なりといえども、学校ごとにも汚職なしとは言い切れない問題ですから、少なくとも教科書を採択する側に立つ者の綱紀の粛正を強く叫ぶことによって大半は防ぎ得る。また教科書会社それ自体のあり方をもうちょっと公的性格を持たすようなことにすることによっても防ぎ得る。そういう性質の課題ではなかろうかと思います。同時にまたいわば無条件的な自由競争、自由企業に放任されておることもいかがあろうか。認可に絶対にかからせなければならないと結論づけているわけじゃございませんが、そういう意味合いから、認可制度にすることも一つの対策ではなかろうか。いずれにせよ、さようなことも、お説のようなことも考え合わせつつ、調査会で慎重に審議してもらって、結論を出してもらいたいと思っております。 〔上村委員長代理退席、委員長着席〕
○村山委員 三十六年度の教科書採択に現われた現象というものは、これは東京の場合と秋田県の場合は統一採択じゃないわけですが、統一採択の行なわれている地域において、町村単位からだんだん大きなブロック、市郡単位という方向に統一採択が移っておるわけです。その移り方は、非常に急激に最近移って参りました。そういうような形で完全なる統一採択の傾向というものが郡あるいは市を中心にして行なわれ始めてきているというこの事実、それから都道府県のたとえば県の方で採択の種類を推薦といいますか、七種類以上推薦をしておるのは八府県で、それから五種類以上を県の方で推薦をしておるのは十二府県である。一種類のところが一つある。こういうような内容的な分類がなされておる資料があると思うのでありますが、極端な例の場合には、たとえば県の方で採択の本数といたしましては三本なら三本——これは宮崎県の小学校の国語の例でありますけれども、三本の本を推薦をする。しかしながらその中で第一位を占めている割合というものは八五%、それから鹿児島の場合は五本、県としては採択本数が出されておるわけですが、その第一位を占めるものが七五%、こういうような数字になって参っておるのが最近の特徴であります。ここに昭和三十六年度の教科書の採択に現われたところの特徴というものがあるのではないか。そういうような資料というものをあなた方の方で用意されていらっしゃるだろうと思うのですが、その採択の状態から考えていった場合に、非常に問題が出てくる可能性というものか——私はこの前の新聞に出ました関西方面のあの事件は氷山の一角ではなかろうか、こういうふうに考えざるを得ないのがあるわけですが、そういうような広域の地域にわたるところの統一採択をめぐって今後において好ましくない、教育上まことに憂慮すべき問題が発生をするということが予想されるのではないか。そうなって参りました場合においては、これはやはり一体採択権というものはどこにあるのかということが根本的にもう一回論議されてこなければならないと思うのです。その問題について、いわゆる市町村の教育委員会に採択権がある、こういう解釈は、どういうようなところから法律に明記してあるのか。またこの広域採択について統一的な採択を今後においてもあなた方は進めていかれるのか。そういうような場合において汚職の問題が発生したら、それが原因であるということが明らかにわかったとしましても、なおそれでも統一的な採択というものを支持し、そういうようなものは心がけの問題であらたまる問題だということで指導をしていかれるおつもりであるのか、その点を明白にしていただきたいと思います。
○福田(繁)政府委員 もちろんいろいろ不正な行為が行なわれることを防止しなければならないと思います。それから特にそういう問題におきまして、教育委員会の職員とかあるいはまたそれに関係した教職員の、いろいろ誘惑に負けないような、保護するような措置を考えなければならぬと私も考えておりますが、根本はやはり何と申しましても会社がそういう過当競争をしなくてもいいような状態を作り出すということが私は根本ではないかというように考えるわけでございます。従って新しい教科書が出るような時期、あるいはいろいろ会社の中には、新しい教科書を検定を受けて出版する場合に、どうしてもある程度の部数を確保しなければならぬというような、そういう会社の営業上の必要からいろいろ宣伝等に行き過ぎのあるような事態が従来も見られたわけでございます。従って、やはりそこにいろいろ過当競争が行なわれない状態を今後作り出すということが一番先決問題であり、またそれによって教育の関係者がそういう事件に巻き込まれないというような要素になろうかと思っております。そういうことにつきましては、今後私どももできる限り努力しなければならぬと考えております。 それから採択権の問題でございますが、これはこの前の当委員会におきましても御説明申し上げましたように、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の第二十三条の第六号によって教育委員会の職務権限として掲げられております事項に、「教科書その他の教材の取扱に関すること。」という規定がございますので、それによって私どもは採択権が教育委員会にあるというように考えておるわけでございます。
○村山委員 この採択権の根拠は、これは取り扱いについての事務なんですね。これは地方教育行政の組織及び運営に関する法律だけでなくて、教科書の発行に関する臨時措置法の中からいいましても、その市町村の教育委員会が需要数を都道府県の教育委員会に報告しなければならぬ、こういうようなことが書いてあるだけであって、教科書の発行に関する臨時措置法の中では、その採択権はどこにあるのかということも明記してないわけです。大体、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の中で取り扱いに関するところの事務は、なるほどこの教科書の発行に関する臨時措置法の内容と符合いたしておると思う。そういうような点から、現に行なわれている、たとえば東京の場合のように学校に採択権がある。これはイギリスの場合でも学校長に採択権があるわけでありますが、そういうような、学校の教育というものをやっていくのに最もふさわしいというのはどういうような教科書であるかということは、その教育を担当する教員並びにそれを指導し統一していくところの学校、その責任者である学校長、これがその責任を負っているわけです。さればこそ、現在どういうような教科書を選択するかということについては、展示会というものが開かれる。これが市町村の教育委員会に採択権があるとするならば、何も展示会をする必要はない。それは市町村の教育委員会の人、教育長が見に行けばよろしいのであって、教科書展示会というものが行なわれているのは、その教科書について研究をし、すべての先生が教科書の採択に対して参加をしていくんだ、その中からよい教科書を生み出していくんだということで、教科書展示会というものもあろうかと思う。そうなりますと、現在あなた方が指導しておられる取り扱いの事務というものは、これはこの教科書の発行に関する臨時措置法の中と符合していると思うのですが、その採択権の問題ですね、これはもっと文部省の方としては行政指導の中で考え直しをされるつもりはないかということを再度お尋ねをいたします。
○荒木国務大臣 採択権がだれにあるかという具体的な表現はないようであります。直接的には地方教育行政法の二十三条に、教育委員会の権限として教育に関する事務を列記した中に教科書に関することがございますから、それが直接的なよりどころであることは先ほど教育委員から申し上げました。さらに教科書の発行に関する臨時措置法におきましても、教育委員会を対象としてすべての規定が整備されておると理解されます。同時に、教育委員会は地方分権の立場から、その行政区域内における教育に関して、教育内容それ自体についても責任の立場にあることは、申し上げるまでもなく御理解いただいておることと思うのであります。ことに教科書をどれを選定するか、その区域内において何を選定するかということは、これは教育活動それ自体じゃなしに、教育行政の末端における一つの具体的事項だと思うのであります。従って国民に対し住民に対して、どの教科書を選定したかという責任を負う立場は教育委員会にある。もとより、どれを選ぶかについて、学校長等の現場の教師の意向をくんだ意見が尊重されるであろうことは、これは当然のことといたしまして、採択をする権限、責任というものは教育委員会にありと理解すべきものと私は思うのであります。そうでないならば、一人一人の先生があるいは学校長さんが、そういう行政事務についての適否について責任を負うということは妥当ではない。純粋の意味の教育プロパーの課題ではございませんから。その前提としてもう少し申し上げたいと思いますことは、毎度申し上げるように、教科書の内容そのものの基準が文部大臣の国民に対する責任において定まる。それに基づいて検定ということが行なわれ、その検定の責任も文部大臣の責任においてやる。そうして小中学校における教科書は、検定を受けた教科言で文部省が著作権を持っておるものでなければ使っちゃならないという制約も厳然としてある。その一定の、内容的には疑義がないはずだとする建前に立ってできました教科書の中でどれを選ぶかということは、教壇に立つ先生でなければ選定できないというほどの、教育そのものの内容をなすことではなかろうとも理解されるわけでありまして、住民に責任を負います包括的な立場にある教育委員会が採択権を持つということは、関係の法令等を通覧いたしまして当然の結論ではなかろうか。そういう見解に立って今日まで行なわれ、かつ指導されてきたことは、私は正しいと思っております。
○村山委員 そういたしますと、大方の府県がそういうようなことでやっているから正しいという解釈であると、東京都のように二十三区は各学校ごとに教科書が違います、秋田県の場合もそうである。そういうようないわゆる教科書の採択権というものは、これは一人々々の教師にあるんじゃなくて学校にある、学校長にある、こういうような見解のもとに進められておる行為というものは違法ということになって参りますか。私は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の工十三条の中からは、これはなるほどそういうようなものを取り扱いをするのは教育委員会であろうとも、その教科書の内容についていろいろと研究をし、そうしてそれを選定をして採択をしていく、こういうような業務というものは、この行政機関であるところの教育委員会が行なうべきものではなくて、その学校教育の主たる教材として教科書が使われているわけでありますから、その教材に対するところの選択権というものは、これは文部省の検定なりあるいは国定の文部省が著作権を持っている教科書以外を採択する場合等においては規制をする必要があろうかとは思うのでありますが、そういうような大臣も言われるように客観性があり、そして指導要領に基づいて検定をパスしたものが使われて参る。その範囲の中において研究をし、最もその地域の実情に合うた、しかも子供の能力に応じたものを選択をし、採択をしていくという業務は、これは教育的な業務だと私は解釈するのですが、教育プロパーの問題ではないという大臣の解釈はどこから生まれてくるのですか。
○荒木国務大臣 住民に対して、教育行政について包括的な一般的な立場で責任を持つのは教育委員会だと理解します。その教育行政の一部を委員会規則等によって学校長に委任することはございましょう。だから、委任して学校長に選択をさせるということが、それ自体違法だとも言い切れないとはむろん思いますけれども、何らの規定を待たずして、学校長に選択の責任と権限ありという考え方は、地方教育行政の立て方からいきまして、第二義的なものがいきなり出てくるきらいは免かれない。そういうものでございますから、その意味において、採択することに関連してその当否について住民に責任を負います立場は、第一主義的には教育委員会であり、従って教育委員会が採択する権限を持っておる、その権限に基づいて学校長に委任したということを違法呼ばわりはしにくいであろう、こういう解釈であります。
○村山委員 なるほど、教育委員会が第一義的に地方住民に対して直接の責任を負うていることは事実であります。しかしながら、教科書というものは教育活動の中におけるところの一要素である。その材料、教材というものを教科書という形の主に求めていくのであります。しかもそれは、大臣が客観性ありとして認めたところの検定の教科書であります。あるいは文部省が著作権を有するところの国定の教科書であります。そういうようなものが現に使われているわけです。それを採択をしていくのは、明らかに教育技術上の問題として、当然学校がこの教科書でよろしい、それに従って教育委員会がそれをまとめていくという事務をやる。私は法律というものはこういう形においてでき上がっていると思う。もちろん、どの学校がどの教科書を使ったということは、市町村の教育委員会が県の教育委員会に報告をしなければならないので、それに対する包括的な責任というものは地方住民に対して負わなければならないけれども、その許された範囲内におけるところの行動の自由権というものは、当然教育委員会が学校に許容すべき内容のものではないか。今日において教育委員会に教科書の採択権があるとするならば、教育委員会の権限として業務命令が出ない以上は、教師が教科書の展示会に参加をし、その中で教師が選定をし採択をしていくという業務に参加をするということにはならないと思う。教師自身がよりよい教科書を育てていくために、教科書展示会に行って教科書を研究し、あるいは教科書のセンターに行って絶えず教科書はどういうふうになっているかということを継続的に研究をするのは、自分たちにそういうような採択権についての自主的な参加権があり、そして学校がそれを採択していくのだということで、教育活動の一環としてなされている行為である。私はそこに教育効果が上がっていくのだと思う。それを教育委員会に採択権があるということにしていけば、教育委員会の委員長なり、あるいはその特定の関係のある学校長なり、あるいは特定の教科に対して市町村の教育委員会から任命された、あるいは委嘱された者が教科書の研究をやって、ほかの者は教科書については与えられたものを技術的にやっていきさえすればよろしい、こういう消極的な気持になって、学校の教育効果というものが上がってこない。そういうところに、いわゆる教科書ボスというものが生まれてくる、そのボスが教科書の汚職問題、疑獄問題を引き起こしていく、こういうような系列というものが考えられて参ると思うのであります。そういうものはやはり根本的に自分たちのものとして——しかもその選考をする範囲というものは無限大に拡大しているわけではないのだ、文部大臣が検定をし、客観性のあるものとして認めた中から選んでいくのですから、そういうゆとりというものは、第一義的には住民に責任を負わなければならないとしても、その範囲内において当然教育の自主的な向上をめざす意味において、学校に与えらるべき責任であり、権限ではないか。その点は、大臣は、教育活動を伸張させていく上から、そういうような現にとられつつあるところの、教科書の発行に関する臨時措置法で規定をいたしております展示施設なり、センターなり、そういうのは、教科書の現在の運用の面から考えてどういうものが望ましいかということについては、もう一回考え直してもらわなければならないのではないかと思うのですが、大臣のお気持はどうでしょうか。
○荒木国務大臣 先ほど来申し上げておることに尽きるわけでございますが、先刻も申し上げた通り、今の村山さんのお説等も調査会ではあるいは出ることだと思いますが、それらのもろもろの議論もして、現行法通りでなければならぬとなったらそれでよし、改善した方がよしということになったら、その線に沿って、それを基礎にして私ら研究をいたしたいと申し上げておるゆえんであります。ただ、学校長も教育行政の末端機構の一部として行動する場合があり得ると思いますが、そういう場合に、法律が第一義的に期待します場合のものは、特に具体的に学校長の権限なり責任を規定するのが一般の教育関係法規の通例であろうかと私は思うのでありますが、かりにそうでないといたしましても、先刻来申し上げますように、文部大臣が客観性ありとして検定した教科書であるがゆえに、教育プロパーの立場に立って、いわば教壇に立っている先生がその立場において選定しなければならないほどの教育活動それ自体ではない。教育委員会が教育長の補佐を受け、ないしは学校長等の意見を聞きながら選定する性質のものかと思います。従って、教育委員会を対象に教科書臨時措置法等を規定しておる趣旨はそこにあろうかと私は思うのであります。ことに、また先刻政府委員が指摘いたしました地方教育行政の組織及び運営に関する法律の二十三条の列記事項の中に、教科書のことを書いておりますのも、教科書の採択等も含めた教科書に関する事務をつかさどる立場を明確にしておる、かように理解いたします。ですから、もし教科書に関することが学校長の職務権限の中に明記されていないならば第一義的にはなるまい、そう解釈するのが一般的な、妥当な解釈ではなかろうかと思っております。
○村山委員 採択の問題も当然審議会の中で論議するということがいわれておりますので、その中でどういうような意見が出るかわかりませんが、その問題は、そういうようなことで論議に待ちたいと思っております。 私は、先ほど三十六年度の教科書の採択の状況について御質問を申し上げましたが、その採択の状況が非常に統一的な採択の方法から生まれてきたものとしては、教科書会社が三十五年度においては九十五社、現在においては八十六社というふうに聞いておるわけでありますが、その中で、大手四社といいますか、もう今日においては双葉が教育図書に合併になりましたので、大手三社といいますか、東京書籍、学校図書、教育出版、これが日本の教科書の半数以上、大体一億五百七十万を示めている、こういうようなことを聞くのでありますが、現在におけるところの企業の独占の集中化といいますか、こういうようなものが将来においてどういうように発展をしていくかということは、これは教科書の価格の問題と同時に、実質的にその販売政策というようなものをめぐって非常に大きな問題があると私は思うわけです。実はこの問題も私の郷里の方から教科書会社を見せてもらいたいということで、教科書会社の案内に私も一緒に行ってきたんですが、行ってみますと——そこは全然私のところには一冊も採択されていない教科書会社を見にいったわけです。そこに行っていろいろと教科書会社の事情等も聞きました。その会社の名前は申し上げるのをはばかりますが、教科書についてもいろいろな特徴のあるところの教科書が出されておるようであります。ところが私たちのところにおいては、その大手三社の中に入るところが各地に駐在員等を置きまして、元学校長であるとか元視学であるとかそういうような教育界の旗頭であった人たちが、今日教科計会社の販売拡張員というような名前で活動をしている、こういうような形の中において、過去において一回は教科書疑獄問題が、私の県においてもありました。そういうような状態というものから見た場合に、いわゆる独占の集中化というものが、はたして教科書の場合においては望ましいかどうか、こういうようなことを考えて参りますと、私は清い教科書というものが生まれていくためには、なるほど企業が集中化して参りますと、それだけ値段が安くなるでありましょう。しかしながら三十億と言われるような宣伝費が使われるようになれば、そのために過当競争に陥って、値下がりはしないで、そういうようなものによけいに金が食われるということで、教科書の値段が、コストが落ちないというようなことも予想されると思います。そういうような点から考えていった場合に、一体日本の今日の採択の状態というものはどういうような現状になっているのか、これを資料としてわれわれにも御提示願いまして、そしてその上に立って文部省が今いろいろと指導をしている統一採択の方向というものが正しいかどうかということを、正しいとするならばその正しい理由というものを、その客観点な資料に基づいて、傾向の上から御説明を願いたいと思います。そういうような資料を御提供いただけるかどうか、委員長にお諮りをいたします。資料提供のお願いであります。
○櫻内委員長 資料につきましては私からも要請をしておきます。
○福田(繁)政府委員 けさほども小林委員でございましたかの御質問のときに申し上げたのでございますが、私どもとしては個々の会社の営業の秘密に属するような資料でない限りはできる限り御要望の趣旨に沿って調製したいと思います。
○村山委員 この教科書会社は、ただ教科書会社だけで過当競争をしているのじゃない、それにつながるところの印刷資本というかこれの隷続関係というものが非常に強まってきているのじゃないか。というのは教科書だけではどうもうまくいかぬ、利潤も少ないし、まあ間違いはないけれども、商品にならなければ値打ちがない、売れ残りが出たらもう何にもならないというのが教科書ですから、教科書だけで独立していく会社というものはなかなかやっていきにくい。そこでそれぞれの親元の出版会社というものにたよっていかなければならぬ、こういうようなことで、たとえば教育出版の場合には大日本印刷と関係がある、東京書籍の場合には凸版印刷と関係がある、図書印刷の場合には学校図書と関係がある、あるいは共同印刷の場合には日本書籍と関係がある、こういうような形において現に教科書会社というものが出版資本に隷属をし始めているのじゃないか、また隷属下にあるのではないか、そういうようなことからいわゆる出版会社がその背景になって過当競争というものが行なわれているという状態にあるとするならば、これは大きな問題が今後においても起こり、さらにまたこれが独占化し資本の集中が行なわれていくとするならば、毎年毎年教科書会社は減っているわけです。これは八十六社あることが私は望ましいとは考えません、もっと数が少なくてもいい会社が残るならばいいとは思いますけれども、それがだんだんに二、三の大きな会社だけがその集中度を強めまして、ほかの会社がにっちもさっちもいかないような状態まで追い詰められて参りましたら、それこそ大きな問題が出てくるのではないかということを危惧するわけです。そういうような点から小林委員が質問をいたしておりましたいわゆる許認可制という問題は、新しくこれから教科書を作る場合においては云々ということでありましたけれども、そういう面についての問題としては重要な問題があるのではないか、こういうことから私は今話が出ましたように印刷会社と教科書会社の関係の資料がありましたら、それもお出し願いたいと思います。 次に検定の問題についてでございます。今審議会にかける内容としては採択の問題、発行の問題、供給の問題をいろいろ検討をするということになっております。ところが検定の問題についてはこれはどういうふうにするのかということは、まだ説明がなされていないわけです。私たちは教科書法案を作りまして、山中委員が提案をしておられるわけでありまするが、それについてはまた後ほど質問をされる方もあるだろうと思いますけれども、教科書法案の中に打ち出してありますいわゆる検定制度というものは、これは教科書委員会というものが検定をしていくのだという仕組みを考えておるわけであります。現在は学校教育法の二十一条、四十条、五十一条によっていわゆる大臣が検定をする、こういうことになっているようであります。なお教科書の発行に関する臨時措置法の第二条におきましても、教科書は検定を経たものと、あるいは文部大臣が著作権を有するものいわゆる国定、検定と国定との二本建になっております。先ほどから小林委員の質問に対しまして大臣は国定化はやらないのだ、こういうこともおっしゃっているわけですが、現在の教科書の供給、検定の制度というものは、いわゆる文部大臣の検定を経たもの、それから文部省において著作権を持ついわゆる国定の二本建ということが、私は現在の教科書の建前ではなかろうかと思います。それで国定にしないのだということは、これは現在の検定教科書というものをやめて、国定教科書という昔の形にしないのだというふうに言われているのだろうと思うのでありますが、この国定というものは昭和二十五年度以降においては発行部数が非常に少なくて、民間企業の採算に合わない特定の教科書について文部省が発行するんだ、こういうような意味で文部大臣の著作権を有するものが教科書の中に残っていると思うのです。そういうような意味から今日の段階において、いわゆる企業の採算に合わない教科書というものが現にあるかどうか、この点をまずお尋ねをいたしたいと思います。
○福田(繁)政府委員 高等学校の教科書におきまして、特殊なものについては国定の教科書が現在発行されております。
○村山委員 どういうものが扱われておりますか。
○荒木国務大臣 説明員からお答えさしていただきます。
○諸沢説明員 高等学校の職業科の教科書につきましては、使う対象学校及び生徒が少のうございますので、またその教科書自体の発行部数が非常に少ないわけでございまして、今手元に発行部数の正確な数字は持ってきておりませんが、教科の科目としては、たとえば水産の課程における海事法規とか、あるいは水産法規とか、あるいは水産製造法規とか、こういったようなごく特殊なものでありまして、これらは発行部数にいたしますると五百冊に満たないというものもあるような次第でございます。
○村山委員 そういたしますと文部大臣が著作権を持っている、そういうような意味におけるいわゆる国定の教科書という意味でありますが、現在は採算が合わない、そういうような水産学科の教科書五百冊くらいのもの、文部省が著作権を持っている教科書としてそれを発行し学校の教育の用に供している、こういうようなことであるとするならば、小学校、中学校についてもそういう文部大臣が著作権を有するものを使っている例がありますか。
○福田(繁)政府委員 私の記憶では特殊教育の学校の小中学部については若干あったように記憶いたしております。これはやはり特殊な教科書でございますので、そういうものは、やはり発行部数の関係上文部省でこれを作らざるを得ないということであります。
○村山委員 教科書の検定の仕組みというものは現在のような仕組みで今後もいかれるつもりでありますか、といいますのは、最近の事情はどういうようになっているかわかりませんが、文部省の初中局の教科書課に約四十名の教科書調査官がおって、その下に全国各地に教師あるいは専門学者約六百名、それが教科書の調査員としていろいろ教科書について研究をし、調査の意見書あるいは評定書を提出をし、それを四十名の教科書の調査官がチェックして、そうして調査意見書、評定書を調査官がまとめて教科用図書検定調査、審議会、これは約八十名だと聞いておりますが、それにかけて検定合否の答申をして文部大臣が決裁をする、こういうような仕組みになっていると思うのでありますが、この現在の機構といいますか、あるいは人員というものはどういうようなふうに変わっているのですか、この通りのものが現在やられているわけですか。
○福田(繁)政府委員 ただいま御指摘になりました通りに、文部省に約四十人の教科書調査官がおりまして、そのほかに非常勤の調査委員を約六百名委嘱をいたしております。そういう人たちの調査に基づきまして文部大臣のもとにあります教科用図書検定調査審議会に諮問をいたしまして、それで決定するというような仕組みになっております。
○村山委員 そういたしますと、今教科書会社の方から一つの原稿を持って文部省の教科書課に参りまして、教科書調査官の検閲といいますか、検査を受けるわけですが、その前にはA条件B条件というものは今日においても変わりはありませんか。いわゆる理由のいかんを問わず修正をしなければならないのがA条件。B条件というのは正当な理由があるときは修正の必要がないもの、こういうようなものを口頭で指示をされていますか、それとも文書でその教科書会社に指示をされておるのですか。前A、B、C、Dという条項があって、F項によって、F項パージとかなんとかいうことで、口頭で指示して証拠が残らない形の中で好ましくない著作者が排除されていく、そういうような過去におけるところの教科書の内容の問題についての論議がなされておりましたが、今日においては、そういうようなものがどういうふうな改正をなされているかということについて、今日そのような仕組みが変わってきているか、それを御説明願いたい。
○福田(繁)政府委員 御指摘の点は、教科書の検定基準のことに関係しての問題だと思いますが、御承知と思いますが、現行の教科書検定基準は、三十三年に文部省告示八十六号をもって告示いたしております。それによりますと、絶対条件と必要条件というように分かれておりまして、絶対条件としましては、教育の目的と一致しているかどうか、あるいは教科の目標との一致がどうであるか、あるいはまた立場が公正であるかどうかというような、その三点について、これは絶対的な条件として掲げておるわけであります。必要条件としては、それぞれの取り扱い内容、あるいは正確性、あるいはまた内容の選択がどうか、それから内容の程度が児童生徒の発達段階に適応しておるかどうかというような点、あるいはまた教科書あるいは教材の組織、配列等が適当であるかどうか、あるいはまた使用上の便宜、それから造本とか創意工夫というふうなことも含めまして必要条件として掲げておるわけでございます。それらのそれぞれの基準によりまして教科書の検定を調査員なり調査官が行なう、こういうことでございます。
○村山委員 調査官はみずからの調査意見と調査員の調査意見とを整理調整をして審議会の資料を作成するのが任務であって、検定審査の決定には関与していないというふうに承っておるのですが、今の局長の答弁を聞いておりますと、その検定に直接参与しているような、そういう印象を受けたのですが、その点はどういうようになっていますか。変わっていますか。
○福田(繁)政府委員 調査官は調査するのが任務でございますので、従って、審議会に提出する資料を提供するという立場でございます。
○村山委員 そういたしますと、この検定基準というものは最近に改訂をされましたか。改訂をされないままで、前の通りでやっておいでになるのか。もしそれであるならば、どういうような検定基準の内容になっているかということを資料としてお出しを願いたいと思いますが、差しつかえないですか。
○福田(繁)政府委員 これは、ただいま申し上げました昭和三十三年の告示第八十六号によるものでございますので、これは後ほど差し上げたいと思います。
○村山委員 この検定についても、最近はあまり問題は大きく出ていないようでありますが、教科書のあり方という点から見ましても、また憲法上の規定の上から見ても、私は若干疑義を感じている点がありますので、いわゆる検定制度についても、審議会の中でいろいろと検討を願うのが——せっかく作られる審議会であるとするならば、そういうような問題もありますので御検討願いたいという希望を持っているわけですが、それらをさらに深めて参るために今資料の要求をいたしましたので、その資料が後日出されるだろうと思いますから、それに基づいて質問をいたすことにいたしまして、きょうはこれで保留さしていただきます。
○櫻内委員長 次会は来たる十九日月曜日開会することとし、本日はこれにて散会いたします。 午後四時四十四分散会