P政策ポータルPOLICY PORTALウォッチ
39回国会参議院1961/12/08

文教委員会 閉会後第1号

発言数
14
登壇者
3
会派数
1
開催日
1961/12/08

会議録

平林剛日本社会党

○委員長(平林剛君) ただいまより文教委員会を開会いたします。  まず、委員の異動について御報告いたします。  去る十一月一日、小柳牧衞君、鈴木恭一君、苫米地英俊君及び谷村貞治君が、それぞれ委員を辞任され、その補欠として安井謙君、加藤武徳君、宮澤喜一君及び青柳秀夫君が委員に選任されました。  また、十一月二十二日に野上進君が委員を辞任され、その補欠として堀本宜実君が委員に選任されました。     —————————————

平林剛日本社会党

○委員長(平林剛君) 次に、委員長及び理事打合会の経過につき御報告いたします。  開会前、理事会を開き協議いたしました結果、本日は、まず、過日、当委員会が行ないました委員派遣につきまして派遣委員より報告を聴取いたし、次いで、当面の文教政策に関する調査を進めて参ることに決定をいたしました。以上、理事会決定の順序によりまして、委員会の運営をいたして参りたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

平林剛日本社会党

○委員長(平林剛君) 御異議ないと認め、さよう運営いたして参ります。  まず、派遣委員より御報告をお願いいたします。矢嶋三義君。

矢嶋三義日本社会党

○矢嶋三義君 調査の報告を申し上げます。  去る十一月十日から七日間、野本委員と私の外、吉田調査員が同行いたしまして、京都、大阪、兵庫の三府県を調査いたしました。私どもの調査は、さきの第三十八回並びに第三十九回の国会において成立を見ました法律に関係を持ちますところの工業教員養成所、工業高等学校及び企業内訓練施設等についての視察をおもなる内容とするものでありましたが、なお、文化財保護の状況などについてもあわせて視察をいたして参りました。  まず最初に、工業教員養成所について申し上げます。御承知のとおり、この全国九つの国立大学に臨時に付置されたのでありますが、いずれも開設後日なお浅く、大部分が本年九月ごろから発足いたしております。したがってようやく店開きを済ませたばかりであって、いまだ本格的運営の軌道に乗っていないということが偽らざる現在の姿でございます。私どもが見聞いたしましたのは、京都と大阪の三校にすぎませんが、おそらくその他の養成所におきましても、それぞれみな創立の悩みを味わっていると思います。京都大学付置の養成所は、京大から電車で二時間を要する宇治市の元陸軍火薬庫の跡で、新制大学発足の際に同大学の教養部が使用していたところにあり、大学本部及び工学部から遠隔の地にあることは、運営上の不便を伴いますけれども、樹木の多い広大閑静な環境の特異性を生かして、十分にその教育目的を果たしたいとの熱意が工業部長兼務の藤野所長から披瀝されました。そして大要次のような説明と希望が述べられました。  学生の質については決して劣っているとは思われない。入学試験は工学部に準じた問題を課したが、最高八十五点から最低五十点ぐらいの成績であった。学生は、最初は自分たちの将来についての疑問や悩みを持っていたようであったが、最近は非常に落ちついて勉学するようになった。彼らは学士号を持たないで民間企業体の技術者となることの不利を招くよりも、やはり工業教員となって、その後に何らかの方法により大学卒業の資格を獲得できるような積極的打開の向上策を打ち立てることを検討しようというふうに変わってきている。養成所の教科内容は、専門教科については四年制の大学と全く変わりなく、ただ、教養教科についてやや不足するのであるから、将来、教員として就職した者に限って補習その他の方法により大学卒業の資格を与えるような道を開いてやりたい。また、工業専門学校の助手になり、やがては教授にも進み得るような道も開いてやり、彼らの将来に希望を持たせたいものである。教官の養成所に対する協力態度は十分であると思う。大学において停年となった優秀な教授を受け入れるとともに、有能な若手の教授は将来大学へ戻ってもらうように配慮している。専門課程の担当教官は、教授、助教授、助手ともに現在の一名からおのおの三名ずつに増員し、共通科目担当教官もおのおの二名ないし三名に増員してもらいたいことなどのほか、事務職員の増員、教官研究費の大幅増額及び施設設備の早急な充実整備を要望しておりました。  〔委員長退席、理事豊瀬禎一君着席〕  大阪大学付置の養成所は、大阪市東区杉山町の元陸軍の施設の一部を仮校舎として使用しておりますが、今年度内に着工の予定をもって阪大工学部の敷地内に鉄筋五階建の校舎を新築する計画であるということであります。赤堀阪大総長及び工学部長兼務の岡田所長からの説明によりますと、学生の質は優秀であって、工学部に入学できる成績の者も十名ぐらいあった。現在休学中の者数名は明春の受験準備のためかとも思われる。最後まで居残る者は明春の受験期になってみなければわからない。学生は近畿から中国、四国、九州及び中部の各地方から集まっており、将来、当該府県の工業教員としての就職を条件としての奨学生が、三重県の一名が決定しているほか、大阪、熊本、岐阜、和歌山、宮崎の数府県からも奨学制度について照会や希望がきているということでありました。  なお、ここでは大阪大学工業教員養成所改善方策委員会の名において、次のような改善案が示されました。  一、一カ年の補習教育課程または研究科課程(仮称)の制度を設け学生が卒業後六カ月以内に教員となり、引き続き三カ年勤務した場合は、その希望によりこの課程に入学を許可すること。一カ年間この課程において所定の単位を取得した者には一般大学卒業と同様学士の称号を授け、一級教員免許状の取得資格を与えること。さらに大学院工学研究科の受験資格をも与えること。  二、給費制度として防衛大学のように学生手当を支給し義務制とするか、それが不可能ならば全員に日本育英会奨学金を支給すること。  三、教職員の増員をはかり、専門課程担当教官数は、教授、助教授、助手おのおの三名、共通科目担当教官数もおのおの二名に増員すること。事務職員は二学科編成の場合にも庶務、会計、教務の三つの機構に改めて、それぞれ増員すること。  四、設備費及び教官研究費を増額して養成所独自の実験研究設備を充実し、教官は学生の教育とともに研究を行なえるように措置すること。  五、非常勤講師に対する手当を増額し、十分な出講旅費を与えて優遇すること。  六、学生のため養成所独自の学生寮を設ける等、厚生施設の整備をはかることなどがその内容であります。  思うに、これら二つの養成所において述べられました事柄については、おそらく他の七つの養成所においても大同小異の事情にあることと察せられます。工業教員養成所の学生諸君が将来に明るい希望を抱きつつ日々の勉学にいそしみ、卒業後は全員がきん然として工業教育の道に携わってこそ、初めて養成所設置の目的が達成されるのであります。そのためには施設設備を遺憾なく整備するとともに、教職員の十分な配置を行ない、その熱意ある教育に期待しなければならないことは申すまでもないことでありますが、一面また教育制度の問題についても、なお検討の余地が残されているやに考えられるのであります。文部当局は常に各養成所と緊密な連絡を保ち、よく現場の意見を参酌して万全の措置を講じ、所期の効果を上げるように強く要望する次第であります。一次に、工業高等学校について申し上げます。  私どもは京都市立洛陽高等学校、兵庫県立兵庫工業高等学校及び大阪府立成城工業高等学校の三校を視察いたしました。  洛陽高等学校は、普通課程と工業課程との併設校でありますが、そもそもは遠く明治十九年に京都染工講習所として濫膓し、色染と紡織の二科をその大宗とするものでありまして、本年創立七十五周年を迎えております。したがって、その工業課程には工業化学、電気、機械、建築の諸学科がつとに整備されており、久しきにわたって幾多の有能な人材を輩出しておりますが、それにもかかわらず、その施設や設備はいまだ更新充実の途上にありまして、一部には真新しい鉄筋の校舎に近代科学の粋を誇る最新の機械が据え付けられているかと思えば、一部には、すでに耐久年限をはるかに越えた古色蒼然たる木造校舎に時代おくれの老朽設備がむなしく遊んでいるというありさまでありまして、施設設備の充実はさらにさらに促進を要することが痛感されたのであります。ここでは実習助手の不足による教育効果の低落、ことに特殊技能の練摩習熟がはばまれていること、卒業生の実業界に就職の際の初任給と彼らの教師たる教員の給与とのはなはだしいアンバランスの問題、優秀な教師確保の困難性等が特に強調されました。  兵庫工業高等学校は、明治三十四年の創立にかかり、すでに六十年の歴史に輝き、県下最大の規模を持つ工業高校でありまして、建築、機械、電気、工業化学、土木、図案、電子の七科が整備されております。不幸、戦災により校舎の全部を焼失しましたが、その後、歴代校長並びに教職員一同の熱意と県当局及び地元各界の援助により、鋭意急速にその復興が進められ、新校舎の建設はもとより、本年五月には工業会館の完成をさえ見るに及んでおります。ここでも優秀な教師の確保が困難であることが述べられましたが、特に、さきに成立した高校定数法に関連した意見といたしまして、生徒数を基準とした教員数の定める方は不合理であるから、学級数を基準として算定するように改めるべきこと。工業学校の教育においては、実習の際、班ごとに分けて班別教育をすることは不可欠の要件であり、危険を防止して安全教育を行なうためには、法に定められた実習助手の数は著しく不足であること。工業教育に関する限り、定数法に定められた基準は従前の設置基準よりもむしろ後退していると評すべきであること等の意見が熱心に主張されました。  大阪府立の成城工業高等学校は、昭和三十四年に創設開校を見た新しい学校でありまして、本年度中に校舎が完成し、明春第一回の卒業生を送り出す予定であるということでありました。この学校は、さすが新設校だけに、その施設設備はあらゆる面に最新の技術が取り入れられてあり、大阪府がモデル校として誇るに足るりっぱな学校でありました。学科は機械工学と電子工学の二課程でありますが、機械工学も精密機械を主とするものであり、時代の要請に適応した技術者の養成に力を注いでいることがよくうかがわれました。明春の第一回卒業生は、もちろん全員が就職できるのでありますが、ただ、一流の企業体からはいまだ必ずしも求人の申し込みがない現状であり、今後、就職戦線の開拓には相当の工夫と努力を必要とすることが校長から述べられたのであります。  次に、企業内訓練施設について申し上げます。  私どもが視察いたしましたのは、京都市の島津製作所の島津工科学校、神戸市の神戸製鋼所における養成工教育及び大阪府箕面市にある丸善石油学院の三カ所であります。  島津工科学校は、同製作所に勤務している義務教育を修了した男子の青年従業員に対し、その人格の陶冶と知識の向上と技術の練摩とをはかり、同社の基幹となる優秀な技術従業員を養成する目的をもって設けられている修業年限三カ年の各種学校であります。この学校は、大正六年から設置されており、その学科内容は、同社の製作品目の多様性と精度の高水準に適応させるために、電気及び機械に関する専門学科と基礎的共通科目を課し、工業高等学校を上回るように努力しているということでありました。現在、この学校の養成工の一、二学年生六十名のうち、定時制高等学校に通学しているものは十七名であり、また、昭和二十五年度、二十六年度採用の養成工中、定時制高校を卒業後大学へ進学している者はその三〇%に及び、その半数が理工科を志望しているということでありました。  神戸製鋼所の養成工教育は、大正三年に見習工養成から始まり、現在は職業訓練法に基づいて義務教育を修了した者から採用した養成工に対し、三年間同社が必要とする職種に関する知識技能を修得させ、将来の中堅作業員を養成することを目的としております。学科内容は機械と金属を主としておりり、専門学科については、工業高校と同程度の力に達しているが。基礎学科についてはやや弱いということでありました。現在、養成工百四十七名中、定時制高校に就学している者は五十五名であって、三八・七%に及んでいるが、その就学状況は養成工となった第二年目からの者が多く、これは一応養成工としての生活に順応した後に進学する傾向があるためであろうと思われますし、また、定時制高校進学者の内訳を見ますると、五十五名中、普通科課程に入っている者が四十四名にも上っており、これは専門学科や実習の重複学習をきらい、一般教養的学科をおさめたいという気持の現われであろうということでありました。  以上、二つの訓練施設は、いずれも長い歴史の上に立って充実完備した施設設備と教員構成とによる組織的教育を行ない、大きな成果をおさめているのでありまして、さきの国会において成立を見ましたところの学校教育法の一部改正に盛られた学校と産業界との相互連携の趣旨によく合致して、その実績を高めていくものと考えられるのであります。  丸善石油学院は、高等部とその上に連なる専門部とを設置しておりますが、ここでは主として高等部について申し上げます。この学院は、人物学業が優秀であるにもかかわらず、経済的理由その他で進学困難な青少年に勉学の機会を与えるとともに、就職の道を開くという趣旨により、全国の中学校卒業の男子から選抜していることがその特色でありまして、生徒は就学中全員給費生として完備した寮に収容され、衣食住はもとより、教科書から学用品の一切及び月額二千円の教育手当が支給されることになっています。卒業後は、受験の上、専門部に進学することもでき、また、本人の志望により同社に優先的に採用されて、高等学校卒業者との同様の待遇を受けることになっていますが、一面、他の企業体等に就職することも本人の自由であって、有為な人材が広く産業界に活躍することが国全体としてのプラスになるならば、それでけっこうであるという、まことにおおらかな気持をもって教育されているのであります。学院は修業年限二カ年の各種学校でありますが、その内容は、一般工業高校コースと同様の教育を行なうとともに、石油に関する基礎的技術を与え、また、情操陶冶のため音楽、美術をも正科とし、特別教養講座にも力を注いでおります。したがいまして、その教科課程は、一年次は四十六週、二年次は実習期間を除いて四十二週とし、これらの全期間を通じて連日七時間の授業を実施して、二ヵ年に高校三カ年分を凌駕するだけの実力を養成することを目的としており、高校の学カテストにおいても常に優秀な成績をおさめているということでありました。また、生徒の体位の向上、健康管理についても、その起居から栄養に至るまで細心の注意が払われ、運動競技やレクリエーションに関しても不断のあたたかい心づかいにより、生徒の明朗性をつちかうことに努力しておりました。静かな恵まれた環境に明るく清潔な近代的建築の校舎と寮が建ち並び、完璧な設備と優秀な教師によって行なわれているこの学院の教育はまことに至れり尽くせりの理想的と評すべく、むしろ羨望に値するものと申さねばなりません。  しかしながら、このような組織と内容を持つ企業内訓練そのものはさきに述べました二つの場合とは異なり、今回の学校教育法の改正内容とは直接には何らの関係をも見出し得ないものでありますことをはっきりと認識いたした次第であります。  なお、ここでは修業年限二カ年の現在のままでこの学院を高等学校として認められないものであろうかという要望意見が学院当局者から述べられましことを付言いたします。  さて、このように企業体がそれぞれ独自の訓練施設を設けて養成工教育を行なっております事実は、明らかにそのおのおの企業体の特殊性に最も適合した専門的技術者の必要性に基づくためではありませんけれども、他面また、国内的にも国際的にも日進月歩の科学技術の波にさおさして互いにしのぎを削る大企業にとっては、一般の学校教育によって養成された技術者の技能に対して、多かれ少なかれ何らかのあきたらないものを感じていることに基因するのではなかろうかという観測もあながち見当違いであるとは言い切れないと思われるのであります。しかも、これらの企業体における教育は、物的にも人的にもあらゆる機能をフルに動員し、特に実習等においては十名内外の少人数の班に分けて徹底的な訓練を行なうことにより、きわめて高い効果を上げているのであります。このような視野に立ってながめますとき、現在の公の教育機関における技術者の養育にあたっては、学校の増設、収容人員の増加による量的飛躍ももちろん大切ではありますが、それにもまして、そこに学ぶ者の質の向上充実がさらに重要であることを特に痛切に感じさせられたのであります。  次に、文化財の保存保護に関しましては、京都西本願寺の飛雲閣、大阪府豊中市にあります日本民家集落博物館なども視察いたしましたが、特に京都国立博物館について御報告いたしたいと思います。  この博物館は、遠く明治二十八年に現在の陳列館が竣工し、同三十年に開館しておりますから、すでに六十五年の歳月を経ております。その間、明治三十三年に帝室博物館と改称、また、大正十三年には京都市に下賜されて恩賜京都博物館となっておりましたが、去る昭和二十七年から文化財保護委員会の所管となり、自来京都国立博物館として今日に及んでおります。ここには、博物館自体の所有にかかる国宝八点、重要文化財四十九点を含めての二千余点と、神社や寺院等からの寄託品約三千点のほか、和漢洋の書籍一万六千余冊を蔵しており、日本文化発展の跡をたどる尺度としてのきわめて重要な役割を果たしつつありますが、特に近年外国人の参観者がとみにその数を増してきたということであります。ところが、さきにも申しましたとおり、六十五年の風雪に耐えてきたこの陳列館は、すでに老朽の一語に尽き、建物全体を博物館と呼ぶにふさわしい状態に陥っていると申しましても決して過言ではありません。特にその屋根の部分は木造の脆弱さを露呈し、台風に見舞われるごとに雨漏りがはなはだしく、火災の危険もあり、また、館内の陳列戸棚のひずみも目立って、塵埃の堆積を防ぎ得ず、これらによる陳列品の汚染損壊の不安が常に館員一同の念頭から離れがたいという現状であります。さらに館内の採光は自然採光でありますために、冬季は観覧時間の短縮を免れず、冷暖房設備を欠くため、夏季冬季にはほとんど観覧者の姿を見ないということでありますし、休憩室の施設もありません。  一方、事務室についても、全体として狭隘であるばかりでなく、応接室、会議室、講義室等をも備えていない状況であります。  このような現状でありますから、陳列館及び事務室を含めての全面的新築の必要なことは言を待たないところでありまして、すでに昭和二十九年以来年々その予算要求が繰り返されているのでありますが、本年度初めて調査費として二百万円が計上されており、目下明年度以降において新築に要する総経費として八億七千万円を要求しているということでありました。  思うに、京都博物館の新築は緊要不可欠の問題でありますし、その経費も決して多きに過ぎるものとは考えられません。明年度以降においては、これらの要求額が滞りなく予算に計上され、すみやかに京都博物館の面目が一新されますことを期待し、かつ、強く要望いたします。同時にまた、一万五千坪の敷地を持ちながら、職員の手不足のために荒廃しつつあるこの博物館の庭園をながめまして、建物の新築と同時に庭園の整備をはかり、人事機構をも大幅に増強する必要があることを痛感いたしました。国際オリンピックを目前に控え、文化日本の顔としての京都博物館の整備促進は急務中の急務であると信ずる次第であります。  私どもは、かねてから文化財保護行政のあり方について再検討を加える必要があるのではないかと考えているのでありますが、この機会にその一端を申し述べてみたいと存じます。すなわち、東京、京都及び奈良の国立博物館が、現在のように文化財保護委員会の所管下にあることが、はたして博物舘の使命を遺憾なく達成することに妥当であるかどうか。国立の三つの博物館は、それぞれの特色、たとえば奈良は奈良時代を、京都は平安時代を代表しし、東京は一般的、かつ総合的な特色を発揮しているであろうか。文化財保護委員会が行なう文化財行政と社会教育局所管の博物館行政との間に不統一はないか。国宝、重要文化財等の修理に携わる宮大工、仏師等の技術者の養成を国の行政として考慮する必要があるのではないか等、これらは二、三の例示にすぎませんが、今後さらに根本的に掘り下げて、文化財保護行政全般について、深く研究し、検討する機会を持つ必要がありますことを提案いたしたいのであります。  以上をもちまして、調査の報告を終わります。

豊瀬禎一日本社会党

○理事(豊瀬禎一君) ただいまの報告に関連して、質疑のおありの方は、この際、御発言願います。

矢嶋三義日本社会党

○矢嶋三義君 速記をとめて下さい。

豊瀬禎一日本社会党

○理事(豊瀬禎一君) 速記をとめて。   〔速記中止〕

豊瀬禎一日本社会党

○理事(豊瀬禎一君) 速記をつけて。

矢嶋三義日本社会党

○矢嶋三義君 官房長に伺います。本日、参議院の文教委員会があるということは、文部省としてはつとに予見されていたはずです。われわれは国政調査権のもとに視察をしたわけですが、この調査、視察をしっぱなしでは意味をなさない。特に来年の予算編成期でありますから、その調査の使命を幾分でも果たすために、二、三十分でよろしいから、この調査結果について行政府に若干ただしたい点をお許し願いたい、かように委員長に御要望申し上げたわけです。で、委員長・理事打合会でそれをお許しいただいたわけですが、本日、委員会が開かれるということが予見されているのに、しかも、参議院事務当局から通告があったにもかかわらず、大臣、政務次官、いずれもお見えになっていないということは、どういうことでありますか、お答えいただきたいと思います。

豊瀬禎一日本社会党

○理事(豊瀬禎一君) 速記をとめて。   〔速記中止〕

豊瀬禎一日本社会党

○理事(豊瀬禎一君) 速記をつけて。

矢嶋三義日本社会党

○矢嶋三義君 ただいま速記をとめている間に官房長から御説明のあった点ですね、ある程度了解します。しかし、ただ出席しておった局長が、いざ質問を始める段階になって退席していることを委員長が気づくようなことは、政府委員としておだやかでない。退席されるならば必ず委員長のお許しを得て退席しなければ委員会の運営上支障を来たすので、こういう点についても今後官房長は文部省の政府委員に十分あやまちなきように徹底方を要望いたしておきます。  それで、私はこの点に対する質疑を本日保留いたしますが、先ほど報告いたしましたから、この中には要望も含んだ報告書になっておりますから、文部省でこれを検討されて、それに対する所見を次の委員会でお述べいただくことを要望いたします。たとえば、具体的に言うならば、京都博物館の問題とか、あるいは工業教員養成所の問題とか、高等学校の問題とか、文化財行政のあり方とか、こういう点についての意見も述べて、また、要望も含めて報告書を作成してありますので、これを御検討いただき、行政府としてはどういう見解を持っているかということを次期の委員会においてお答えいただきたい。  それから、特に私ここで一点だけさらに付加して御要望申し上げておきたい点は、工業教員養成所において来年試験をしてみなければ、今の一年生がどの程度歩どまりになるかわからないということを聞かされたわけですがね。そのときに昭和三十七年度の養成所の入学試験期日をいかように設定するかということが一つのポイントだと、こういうことを聞かされて参った。で、その後この新聞を見ますと、各工業教員養成所の入学試験期日が、大学の前期後期とも関連のあるものもあれば、無関係に、ばらばらに試験期日を設定していますね。これは文部省と協議の上で何らかの考え方があってああいう試験期日を設定されたのか、実情調査するとともに、その所見も伺いたいことをさっきの報告に付加いたします。

豊瀬禎一日本社会党

○理事(豊瀬禎一君) ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕

豊瀬禎一日本社会党

○理事(豊瀬禎一君) 速記をつけて。  それでは、本日の委員会はこれで散会いたします。    午前十一時二十三分散会

国会会議録検索システムで原文を見る ↗