外務委員会 第4号
- 発言数
- 144 件
- 登壇者
- 10 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1961/10/17
会議録
○委員長(近藤鶴代君) ただいまから外務委員会を開会いたします。 まず、委員の異動について御報告いたします。 去る十月十一日、小沢久太郎委員が辞任され、その補欠として永野護委員が選任されました。 ——————————
○委員長(近藤鶴代君) 次に、通商に関する日本国とペルー共和国との間の協定の締結について承認を求めるの件、日本国とインドネシア共和国との間の友好通商条約の締結について承認を求めるの件、以上、本院先議の両件を便宜一括議題として、前回に引き続き質疑を続行いたしたいと存じます。御質疑のおありの方は、順次御発言をお願いいたします。
○加藤シヅエ君 私、前回の委員会に、よんどころなく出席できませんでしたので、前回の委員会の会議録を通じまして、質疑応答の模様を拝見して参ったのでございますが、この二件につきまして、少しばかり伺いたいと思います。 最初に、説明員の方がペルーとの通商協定の御説明の中に、「関税、貿易、為替、事業活動、職業活動、そういう問題につきまして、最恵国待遇を主としているということになっておりまして」、そういう御説明があったのでございますが、この中の事業活動というのと、それから特に職業活動というのは、どういうことでございますか。御説明していただきたいと思います。
○説明員(佐藤日史君) 事業活動と申しますのは、商工業その他通常にいう事業活動一切でございまして、職業活動というのは、この場合、自由職業のことでございます。
○加藤シヅエ君 自由職業の内容をもう少し具体的に……。
○説明員(佐藤日史君) 自由職業と申しますのは、わが国で申します自由職業と申すようなものでございまして、よく、最も通常すぐ考えられるのが、弁護士とか、その他著述業とか、そういったものでございます。
○加藤シヅエ君 弁護士は入っておりますね。
○説明員(佐藤日史君) 職業活動と申します際には、弁護士は当然入ります。ただ、それについて制限がある場合には、また別の規定があるわけでございます。
○加藤シヅエ君 医者はどうでございますか。
○説明員(佐藤日史君) 医者も入っております。
○加藤シヅエ君 学校教師は。
○説明員(佐藤日史君) 学校教師も入ります。
○加藤シヅエ君 それは、この中のどこに書いてあるのか、ちょっと示していただきたいのですが。
○説明員(佐藤日史君) 職業活動でございましょうか。職業活動は、本文の中には入っておりませんので、これは、ペルー側の希望によりまして、別に交換書簡がございまして、その中に入っております。それは、自由職業に関する交換公文というのがございますが、それをもちまして、通常の通商航海条約の場合には、事業活動及び職業活動についての最恵国待遇の措置でいいのでございますが、この場合、特にペルー側が、前回私から説明申し上げました通り、かつて——戦前でございますけれども、日本人移民諸君の活動が非常に盛んでございまして、そのために、ペルー人の間に、日本人の活動のために、ペルー人の職業活動がそこなわれるおそれがあるというような危惧の念が生じました。そのためにいろいろ事件もございました次第でございまして、そのために、今回の交渉の際にも、本文の中に特に自由職業活動というものを掲げまして、それについて最恵国待遇を規定するということは、やはり非常に目立つことであるので、これは別に——もちろん拘束力においては変わりはないわけでございますけれども、交換公文をもって規定していただきたいという先方の強い希望がございましたので、わがほうも、しからば、日本に対して職業活動について最恵国待遇を供与しないのかということを問いただした次第でございますが、いや、その点はそういうことはない、日本人の職業活動に対して、現在も、かつてあったような差別的な待遇を撤廃されたとして、条約ができれば、なおさらのこと最恵国待遇を供与することは間違いないのだ、ただ、条約の本文の中に事業活動と並べて、通常の通商協定あるいは通商航海条約におけるような規定をとることはかんべんしてもらいたいという強い希望がございましたので、特に自由職業だけを事業活動と離しまして、交換公文に規定したわけでございます。しかしながら、内容的には全く同じです。日本人は、ペルー国におきまして、自由職業について最恵国待遇を供与されるわけでございます。
○加藤シヅエ君 そういたしますと、この自由職業に関する交換公文というものは、ここに一応ちゃんと書面に書いてあって、職業活動のほうは何にも書いてないと、そういうことでございますか。
○説明員(佐藤日史君) 職業活動につきましては、本文の中には触れてございません。本文の第三条第二項でございますが、「一般にあらゆる種類の事業並びに商業的及び経済的活動」と書いてございます。ほかの国との条約の場合を申し上げますと、ここに、一般にあらゆる種類の事業活動及び職業活動と書くわけでございます。特にペルーとの場合には、職業活動だけを切り離して交換公文に持っていったという違いはございます。ただし、今申し上げましたとおり、内容たるや、全くほかの国の場合と同様になっておる次第でございます。
○加藤シヅエ君 そういたしますと、この自由職業というものの中に、さっき申されました各種のそういうような、たとえば資格を必要とする弁護士であるとか、教師とか医者とか、そういうものも、自由職業に関する交換公文という、この中にみんなそれは当然許されるというふうに含まれていると、こういうことになりますか。
○説明員(佐藤日史君) その通りでございます。
○加藤シヅエ君 米国との場合なんかも、そういうような職業活動の問題は、最初それが含まれておるというように理解しておりましたが、途中から何か考えが変わって、日本人のそうした意味の職業活動は除外されるというような、そういうような職業活動は、特にこういうような協定を結ぶ場合には、非常に問題を残すことがあるのではないかと思いますけれども、今の御説明によりますると、この交換公文によってそれはもう決定的に、あとから問題を起こすことなく、確実にそういう活動は日本人に対して許されると理解してよろしゅうございますか。
○説明員(佐藤日史君) ただいま申し上げました通り、現在において、条約締結発効前の現在におきましても、すでに無差別待遇を、事実上国内法によって、日本人はペルーにおいて受けておりますが、ただいま御発言ございました通り、この交換書簡によりまして、その点は問題なく確実に、日本人は無差別待遇、最恵国待遇を供与せられるわけでございます。
○加藤シヅエ君 そういたしますと、弁護士、医者、教師というような資格を有する者でも、日本における資格を獲得した者は、そのままの資格で、ペルーに行って、その職業に従事することができる、ペルーの政府も、それをそのまま認めるということでございますか。
○説明員(佐藤日史君) 通商航海条約で規定いたします場合には、そういう国内法の取り扱いの問題まで入りませんので、要するに、第三国と比べまして差別をしないということでございまして、この場合もその通りになっておりますが、この交換書簡をごらんになりますと、今おっしゃいました点は、必ずしもそのとおり、日本の資格が直ちに向こうに通用するというわけではございませんので、自由職業に関する資格が、ペルーの当局によって同等の価値を認められる場合にはという条件がついております。これは、ペルーの国内法の建前がそうなっております。だから、日本で医者の資格を持って、直ちにペルー国内法による資格を取得しないでできるかというと、問題は全くペルーの国内法によって規定されるわけでございます。ただその場合に、日本人だけが差別されるということは絶対にないということになっております。
○加藤シヅエ君 その次に伺いたいことは、この御説明の中にも、最初移民としては一番古い歴史を持っていたペルーとの関係であったが、日本人の非常なる勤勉、業務に精励したというような結果が、かえって疑心暗鬼を生んだかどうか、そういうようなわけで、ペルー側では、昭和十年にその通商航海条約を破棄したという御説明でございましたが、その後世界戦争に突入いたしましてから、すでに向こうに移民として行っていた日本の人たちの待遇や状況はどんなふうでございましたか。
○説明員(佐藤日史君) 第二次大戦が勃発いたしまして、ペルーは、昭和十七年一月二十四日対日断交をいたしました。続いて二月十三日対日宣戦布告を行ないました。それに伴いまして、枢軸国陣の事業収容令というものができまして、ペルー国内の一切の邦人事業をペルー人に移譲されまして、在留邦人の多数有力者が逮捕されました。そのうち約千六百名が米国へ送られまして追放されました。戦後、米国に追放されました邦人及び二世の大部分は、幸いにして本国の日本国に送還されたのでございますが、残余の者がペルーに帰国を当然希望したわけでございます。その入国方式に対しまして、ペルー側がなかなか許可しない、あるいは非常にめんどうな手続を課するということで、問題が幾多生じました。その間に一部の者が密入国を行なったという事実がございまして、業者が介入いたしましたりなんかいたしまして、非常に複雑な問題が生じた次第でございます。政治問題でありますが、ただし、平和条約発効とともに、今申しましたような、在留日系人に対するいろいろな制限措置というものは漸次撤廃されまして、また、帰国制限を受けておりました者に対する入国も次第に緩和され、ペルー永住在留邦人で、別居している家族は、現在のところ、毎年百五十名を限り、入国が許可されている状態でございます。
○加藤シヅエ君 その後、米国のような場合には、在留邦人に対して、一時戦争中に接収された財産、不動産のようなもの、その他財産を、戦後いろいろの取りきめによりまして、在留邦人に非常に有利に接収されたものを返されるとか、地位が再び与えられるとか、今日在留邦人は、加州その他において、比較的満足した状態に返った、あるいは戦前よりもいい状態になったというようなことを伺っておりますけれども、ペルーの場合には、接収された財産その他、どういうふうになったのでございましょうか。
○政府委員(中川融君) 御質問の点でございますが、ペルーに在住しております日本人の財産は、開戦と同時に先方に接収されたわけでございますが、戦後ペルーは、非常に日本人の財産につきまして寛大な措置をとりまして、これを一括返還の措置をとっております。しかしながら、ただいま佐藤参事官から御説明いたしましたように、相当数の在留邦人がアメリカとか日本とかに引き揚げたり移住したりしておりますので、消息がわからなくなった者もあるのでございます。したがって、せっかく返還を受けましても、どこに返還していいか、返還先のわからない不明なものがございまして、これはペルー政府がまだ保管しておりますが、これにつきましても、最近ペルーの大統領が日本を訪問いたしました際に、これを一括日本側に渡したい、日本側で適当にこれを分配してもらいたい、その引揚者のどこにいるかを突きとめて返してもらいたい、こういう申し出がございまして、それをこちらも喜んで受けまして、今、その実際の扱いを双方で研究しておる段階でございます。したがいまして、在ペルー日本財産というものは全部返ってくると、こういうことになっております。
○加藤シヅエ君 次に伺いたいのは、ペルーの政治情勢でございますけれども、この前の御説明では、政治、経済の状態は、一般にたいへんによく行っているというような御説明のように伺いましたのでございますが、相当共産主義者の活動が活発であるというようなことも聞いておりますけれども、そういうような状態、及び他の南米諸国にも波及しておるそういうような問題につきまして、特にペルーの場合は、政治情勢がその点ではどういうふうになっているか、伺いたいと思います。
○政府委員(中川融君) ペルーの政治情勢でございますが、これは、南米諸国の中でも、非常に安定したほうの国に属しているのでございまして、今のプラド大統領の施政のもとに、ほかの隣国から比べますと非常に安定いたしております。経済的にも、インフレ等もございませんで、安定いたしております。なお、共産主義者の勢力でございますが、これは、お隣のチリあたりは、非常に共産政党の進出が激しいのでございますが、ペルーには、そう共産主義者の進出はないと、かように考えております。概言すれば、きわめて安定しているということが言えると思います。なお、それ以外の南米諸国におきまして、共産主義の勢いの強い所は、ただいま申しましたチリ、それからあとは、中米のキューバ等でございまして、私、最近南米を見て参りましたが、大まかに言えば、共産主義の脅威というものは、まずそれらの、たとえばキューバ等以外にはほとんどない。ただいま申しましたように、チリあたりでも、たとえば国会議員に共産主義者が十何名出ておるということではございますけれども、しかし、やはり勢力としてはそう大きな勢力ではない。かように見てきたのでございます。むしろ民族主義的ないわば新しい考え方というものが出てきておる。これは各国に見られる状況でございますが、共産主義の脅威というものはあまりないと思います。
○佐多忠隆君 インドネシアとの友好通商条約についてちょっとお尋ねしたいのでありますが、これは、御説明によると、東南アジア諸国と締結した第五番目というふうに御説明があったと思いますが、これらの、たとえばインドだとか、 マラヤ、フィリピン、パキスタン等の同じ種類の条約あるいは協定と比較して、特にインドネシアの場合の特徴的な点はどういうふうに考えればいいですか。
○説明員(佐藤日史君) インドネシアとの友好通商条約の特徴でございますが、通商航海条約は、今東南アジアと五番目であるということをおっしゃいましたが、大体においてみな同じような内容で、大同小異というわけでございまして、特にインドネシアの場合に特徴が何であるかということを言われますと、困るのでありますが、またフィリピンと結びましたもの、これが非常に簡単で、わずか十条でございますが、インドネシアの場合には、それが十二条になっておるというような、条文の数が違うわけでございます。それから、内容的に申しますと、航海条項が落ちておるという点は、これは、フィリピンの場合には、航海条約は入っておりますが、そのほかにも、パキスタンとか、あるいは今御審議願ったペルーの場合もそうですが、これもやはり航海条項が落ちております。ですから、インドネシアだけというわけではございませんけれども、、フィリピンなんかと比較いたしますと違っておる点でございます。そんなふうで、あまり違いはない次第でございます。
○佐多忠隆君 今の航海条約ですが、航海条約は、フィリピンにはついているわけですね。それから、あとのインドとか、マラヤ、パキスタンにはついていないのですか。それから、なぜ航海条約がインドネシアとの場合には問題にならなかったのか。そこらの事情はどうですか。
○説明員(佐藤日史君) インドネシアに提案いたしましたわがほうの提案の中には、もちろん航海条項は入っておったのでございますが、日本政府の建前といたしまして、通商航海条約を締結いたします場合には、その名のとおり、航海条項は、貿易促進のために最も有効適切な関係のある問題といたしまして、もちろん提案の中に含める次第でございますが、相手国によりまして、自国海運保護政策をとっている、自国海運の建設段階にあるということで、わがほうが主義上いつも要求いたします船舶に関する内国民待遇、つまり相手国民の船舶に対して自国船と全く同じ待遇を与える。それは、港に入る場合、港に入ってからの取り扱いの場合、荷物の積みおろしの場合、自国船と全く同じ待遇を要求いたします。これを、海運条項によりますと、内国民待遇と申します。その点が、相手国によりましては、今申し上げましたとおり、自国海運の育成段階にあって、どうしても自国海運に優先権を与える必要があるのだ、そのために優先法ができておるのだということで、強く反対をする場合がありまして、インドネシアの場合はその一例でございまして、パキスタンしかり、インドしかり、幸いにしてマラヤの場合には、非常に典型的な、模範となるような海運条項が入っておりまして、内国民待遇を規定しておる。そういうふうにわれわれは期待しておりますのですが、インドネシアの場合、非常な努力をいたしたのでありますが、先方の事情がありまして、その点について、わがほうの意図を達成することができなかったのは、まことに残念であったと思う次第でございます。しかし、そのほかにも、先ほどから問題になっております事業活動、職業活動、あるいは貿易、為替とかいうようなものにつきまして、条約上最恵国待遇の保障が与えられるということで、利益もあるわけでございますので、結局、海運条項は希望いたしましたけれども、それがまとまらずに、切り捨てまして、海運条項なしの条約を締結いたしました次第でございます。
○佐多忠隆君 インドの場合には、航海条約はどうなっておりますか。
○説明員(佐藤日史君) インドの場合には、航海条約がございます。ただ、マラヤほどわがほうの希望する形になっておらないのは、まことに残念でございまして、その点は、われわれ今なお残念に思っておる次第でございますが、今申し上げましたとおり、国々によってそれぞれの問題がございますので、なかなか希望どおりにはいかない次第でございます。
○佐多忠隆君 それから、これは、インドネシアにおいては、友好通商条約の最初だというふうに御説明があったんですが、その後インドネシアは、その他の国とのそういう条約協定の締結の事情はどういうふうになっていますか。
○説明員(佐藤日史君) その後、どの国とも通商航海条約交渉を開始したということを聞いておりません。ただし、私が向こうに交渉中に参りましたときに耳にはさんだところでは、米国が結ぶ意向を示しておるということを聞いておりますけれども、これはまあ公式の情報ではございません。参考までに申し上げます。
○佐多忠隆君 それから、この条約を結ばれるときに、貿易に関する交換公文だとか、それから海運協力に関する交換公文等、これをお結びになりましたね。それに関連して、一般的にお聞きしておるんですが、インドネシアとの貿易の趨勢、特に三十五年度の実績、それから三十六年度の今までの実績、今後の見通し、計画と実績との照合関係、それらのものをひとつ御説明願いたい。
○説明員(佐藤日史君) わが国とインドネシアとの貿易の現状及び見通しの問題をお答えいたしますと、御承知のとおり、当初は日本とインドネシア間の貿易というのは、一九五〇年六月に、まだ占領時代の連合国最高司令部とインドネシア政府との間の貿易取りきめによって貿易が規制されておりました。一九五二年八月以降は、日本政府とインドネシア政府との間の貿易支払い取りきめに基づきまして、清算勘定方式、いわゆるオープン・アカウント方式によって行なわれております。しかし、一九五七年六月末に同方式が廃止されまして、同年七月一日から現金決済方式に移行いたしました。自来両国間の貿易規模は、主としてインドネシア側の外資事情に影響されまして、年々縮小傾向を示しております。一九六〇年には、国際市況、主として第一次産品の国際市況——インドネシアは、御承知のとおり、第一次産品にたよっている次第でございますが、第一次産品の市況が好転いたしまして、輸出が増加するとともに、輸入もまた急激に増大をいたしました。わが国の対輸出品構成を見ますと、繊維製品がなお四、五〇%を占めている。一九六〇年は七〇%に戻りました。次に、金属及び銅製品、これが一〇%ないし二〇%、機械、これが一〇%前後、こういう構成になっております。 インドネシアの国内開発計画、これが進展いたしますにつれまして、重化学工業製品に重点が漸次移行していくのは、当然のことと存じておるのでございますが、現状から見ますと、工業の発展もさることでございますが、衣食の充足関係——国内における衣食の充足計画というものが、なお国内問題として重要な地位を占めている。インドネシア政府の施策の重点もそれにまだ置かれておりますので、繊維製品、今申しました繊維製品の比重というものは、なおかつ当分動かないと見られておる次第でございます。わが方のインドネシアとの輸入製品の構成を見ますると、石油、これはもちろん第一位、油脂、ろう、これが七〇%前後を占めております。金属及び金属鉱物——ボーキサイト、これが一〇%前後、動植物製品、主としてゴムでございますが、これが食糧及び類似原料、おもに砂糖、これがございますが、これは清算勘定廃止後は急激に減少いたしております。わが国のインドネシアに対しての輸出額は、年々インドネシアの総輸入額の約一五%を占めております。インドネシアの第一次産品は、国際価格に比して割高であるという問題がございます。しかも、国内情勢その他に影響されまして、デリバリーが非常におそいということで、隣接国の産品に対して非常に不利な点が多いわけでございます。そのために、対日輸出の増加が伸び悩みの現状になっておる次第でございます。最近の五七年以来の輸出入額を御参考までに申し上げますと、一九五七年、これは六千九百万ドルのインドネシアに対するわが輸出額。そのときの日本の輸入額が五千四百万ドルとなっております。これは、わがほうの千五百万ドルの出超でございます。翌五八年に至りますと、わが輸出額が四千九百万ドル、わが輸入額が二千四百万ドルということで、二千五百万ドルの出超になっております。次いで五九年を見ますと、わが輸出額が五千五百万ドル、わが輸入額が三千二百万ドル、差し引き二千三百万ドルの出超ということであります。昨年は、わが輸出額が一億ドル、わが輸入額が四千五百万ドル、差し引き五千五百万ドルの出超ということになっております。 以上でございます。
○佐多忠隆君 六一年の最近までの実績は。
○説明員(佐藤日史君) 後刻調べまして、資料を提出いたします。
○佐多忠隆君 大体の見当はわからぬですか。一番新しいデータだから持っているだろう。古いものまで持っているのだから、新しいものを持っていないはずはない。——じゃ、あとで。 それから、賠償協定がインドネシアとの間でできたのはいつでしたっけ。
○説明員(高杉幹二君) 昭和三十三年四月十五日であります。
○佐多忠隆君 三十三年というと、五八年ですね。賠償協定ができてから、インドネシアとの間に賠償の実施の状況、ごく最近までの。それから経済協力の実施の状況、それらを御説明願いたい。
○説明員(高杉幹二君) インドネシアとの賠償協定は、昭和三十三年から始まりまして、現在第四年目にあるわけです。これは、毎年二千万ドル、すなわち七十二億円ずつの日本人の役務と日本の資本財を出すということを趣旨とする。三十六年十月十二日現在で支払い済み額は、二百二十二億円程度であります。
○佐多忠隆君 始まってから、毎年どういうふうに変化してきたか、五八年度は。
○説明員(高杉幹二君) 第一年度は四十六億四千六百万円、それから第二年度は五十七億一千五百万円、第三年度が五十四億一千一百万円、それから本年度に入りまして六十四億四千五百万円、こういうような格好になります。
○佐多忠隆君 そうすると、今、全体の幾ら遂行しているわけですか。パーセントで言えば、幾つくらいの……、今の見通しで。
○説明員(高杉幹二君) 約四分の一になります。
○佐多忠隆君 今後それはやっぱり同じペースくらいでずっと順次行くんですか。しり上がりになるのですか。
○説明員(高杉幹二君) 十一年目までは同じペースでありまして、残りわずかが十二年目に入るわけです。
○佐多忠隆君 そうすると、年間五、六十億ずつ行く、こういうことですか。
○説明員(高杉幹二君) 七十二億円でございます。年間七十二億で十一年目まで参りまして……。
○佐多忠隆君 そうすると、今までの実績がそれに満たなかったというわけですね、各年。
○説明員(高杉幹二君) さようでございます。
○佐多忠隆君 それも、資本財を主としてやるということになっておるのですが、おもな内容はどういうものですか。
○説明員(高杉幹二君) 最も大きい位置を占めておるのは船でありまして、船舶が六十一億円、二十四隻であります。そのほかは、土木、農耕、繊維その他の機械類でありまして、この中にはプラント類——製紙・合板製造プラント、綿紡練プラント、こういうものです。そのほか化学薬品、鉄道、車両、雑製品、そういったものでございます。
○佐多忠隆君 それらの実施された賠償の中に、原料として、あるいは部分品として、外貨がどれくらいの部分入っているというふうな算定をされておりますか。
○説明員(高杉幹二君) 大体一〇%か一五%ぐらいだろうと想像しております。
○加藤シヅエ君 関連して。今、インドネシアに賠償として引き渡された各種船舶二十四隻くらいというふうなお話でございましたけれども、その船舶について、とかくのうわさを聞いているのでございますけれども、その船舶というのは、どういうふうな種類の船舶で、どういうような経路で作られて、どんなふうに渡されているかどうかというようなことをもう少し詳しく聞かしていただきたいと思います。
○説明員(高杉幹二君) この船舶は、大体二つに分けまして、一つは賠償そのもので出している舶舶、それからもう一つは、賠償を引き当てとして輸銀等の借款延べ払いでやっているもの、この二つでございます。それから、賠償の方で出しているものは、主として内航船を主といたします。それから、賠償引き当てとする借款で出しておるものには、貨物船、巡礼船、そういったものがございます。それから、これらは賠償引き当ての借款でも、これは賠償の一部になりますので、東京において入札、ここにおりまするインドネシアの賠償使節団が入札を行なって、東京で賠償契約を作ってやっております。
○加藤シヅエ君 その入札の結果、どんな会社が実際に落札して作りましたのですか。
○説明員(高杉幹二君) いかなる会社がどの船を供与したかということは、インドネシアとこれらサプライアとの商業契約ということでやっておりますので、一般に全体として公表するというようなことにしておりません。
○加藤シヅエ君 それは、発表していけないのでございますか。
○説明員(高杉幹二君) 後刻、資料で申し上げられる限りのことをお知らせいたしたいと思います。
○加藤シヅエ君 中川局長に伺いたいのでありますけれども、その会社の、特に船舶の問題の中で、思わしくないような風評が伝わっておりますが、局長は、そういうことをお聞きになったことがございますか。
○政府委員(中川融君) 賠償問題は、私も非常に関心を持っておるのでございますが、実は、三年ほど外国におりまして、最近といいますか、一年ほどばかり前に帰ったばかりでありまして、インドネシア船舶についてどのようなうわさがあるか、実は私、承知していないのでございます。
○加藤シヅエ君 それは、別に政府の責任ということにはならないのだろうと思いますけれども、やはり全体から見ますと、賠償の結果思わしくないような風評が流れているというようなことは、もしそういうような根拠があるとすれば、やはり賠償問題全体及び日本とインドネシアとの関係全体にも響いてくることだと思いますので、一応そういうようなことは、局長としても、日本にお帰りになりましたら、御関心を持っておるということでございますから、お調べになって、資料として御提出いただきたい。
○政府委員(中川融君) 御承知のように、根本的には、賠償契約の方式は、日本政府が中に入らない、インドネシアの賠償使節団と日本の業者とが、直接契約を結ぶ。その契約の内容のことにつきまして、日本政府はいわば認証を与える、こういうやり方になっておりまして、その契約自体が適切であれば認証するわけでありまして、その間、どのような契約を結ぶ前にどのようなことが行なわれたかということまではあまりタッチしない建前になっております。ただいまお説のように、もしも何か賠償の商談をやってはいけないというようなことがその中にからまっておるとすれば、大きな意味で日イ国交に悪影響が出てくるわけでございますので、そういう見地からは、やはり外務省としても注意しなければならぬことだと思っております。なお、どのような会社と船舶の賠償を供与する契約ができたかということは、手元に資料がないようでございますが、調べまして、できる限りの材料を提出したいと思っております。
○佐多忠隆君 経済協力の方の実施状況はどういうふうになっておりますか。
○説明員(佐藤日史君) 先ほど申し上げました賠償協定と同時に、昭和三十三年四月に発効いたしました経済開発借款に関する交換公文というのがございます。これは、発効後二十年間存続いたしまして、その間に、日本は、インドネシアの政府または国民に対し、四億ドル相当の借款を主として機械及び設備並びにこれらの附帯役務の延べ払い輸出ということで行なうことになっております。この借款の取りきめが発効いたしまして、今日まで行なわれましたインドネシアに対する借款供与といたしましては、第一に、各種船舶十六隻、このうち六隻をすでに引き渡しを了しております。及びホテル・インドネシアの建設資材、合計二千八百万。これがいわゆる賠償引き当て借款と称するものでございます。第二番目に、インドネシアの国営石油会社——プルミナと略称いたしますが、このプルミナに対する北スマトラ油田復旧並びに開発のための資材及び技術援助供与、これが第二でございます。これは、昨年取りきめが成立いたしまして、十年間に約百八十億円の借款を与えるという長期契約でございます。これに基づきまして、本年七月末までに約十億円、すなわち二百七十八万ドル、これが実施されております。これは、石油生産が所定の量に達しましたときには、その増産分の一部で返済を行なうという、いわゆるプロダクション・シアリングと申しておりますが、生産物で借款の返済を行なうという方式でございます。第三番目には、通常の延べ払い輸出といたしまして、本年五月、ジャワ島西部のチラチャップの国営紡績工場、これは、賠償協定以前に、やはり日本からの借款により建設されたものでございます。このチラチャップ紡績工場の設備能力を現在の三万錘から六万錘に拡張するための資材及び技術といたしまして、約二百八十万ドルの借款供与が成立いたしました。したがいまして、総額は、ドルにいたしまして三千三百六十万ドルという合計額になっております。以上のほかに、現在両国の当事者間でかなり具体的に話が進められておるものといたしまして、御承知のとおり、南ボルネオのカリマンタンの森林開発。スラベシ、いわゆるセレベスのニッケル鉱山の開発、及びインドネシア復員省と和歌山県の漁業公社との間の漁船冷凍設備等に関する借換供与計画等がございます。政府といたしましては、最近インドネシアの外貨事情もやや安定の傾向に来ておりますので、さらに、インドネシアに対する各国の経済協力、これも逐次進められておる状況でございますので、先方の計画を十分研究いたしまして、十分これが妥当性を持っているものであるという場合には、日本の資金需要が許す限り、これに対して弾力的な態度で臨みたいと考えておる次第でございます。
○佐多忠隆君 その三千三百万ドルの借款ですが、それは、政府が直接にやったものと民間の業者がやったものとに分かれるのですか。政府と民間との関係、全部政府ですか。あるいは全部民間ですか。その辺はどうですか。
○説明員(高杉幹二君) これは、すべて日本の民間業者が行なったものです。
○佐多忠隆君 全部業者、三千三百万ドル全部ですね。それから、今後のやつも全部民間でやることになりますか。
○説明員(高杉幹二君) そういうことになろうかと思います。
○佐多忠隆君 それらの借款あるいは経済協力をやる場合に、輸出入銀行はどういうふうに介在していますか。
○説明員(高杉幹二君) 日本の業者と先方の政府または民間というものが、これは主として延べ払いの輸出契約というものを作るであろうと思いますが、そういうものを作る。それで、輸出入銀行に、その延べ払いに対して円の借款、貸付を日本の業者は申請する。そうしますと、輸出入銀行は、方法書その他によりまして、大体輸出値段の八割、残りの二割を市中銀行からの協調融資というような格好で、日本の業者に円のクレジットがなされる。そういうようなふうにして、輸出入銀行が中に介在するわけであります。
○佐多忠隆君 そうするとあれですか。三千三百万ドルのうち、輸出入銀行がその八割で、市中銀行が二割というのですか。その業者自体が銀行に依存しないで、若干のものは自己調達で、銀行から借り入れる分だけは、市中と輸出入銀行との八、二の協調融資の分という実情になっておりますか。
○説明員(高杉幹二君) それをこまかく申し上げますと、ただいま八割と申し上げましたが、これは、利益分と申しますか、そういう輸出契約値段の中からまず一割を引きまして、それに八割をかける、すなわち七二%が輸銀の融資部分、残りが市中銀行ないしは自己の負担、そのケース・バイ・ケースで、その業者の実力、それから市中銀行との関係、そういうようなものできまってくる。すなわち七二%だけが輸出入銀行が関係する分、こういうふうになります。
○佐多忠隆君 その三千三百万ドルの借款ないし供与のうちに、そのおのおのの分担といいますか、あれは、正確に数字的にはどうなっておりますか。
○説明員(高杉幹二君) たとえば、例をチラチャップの紡績工場にとってみますと、この紡績工場に対する日本の業者の輸出契約の総額は、二百八十二万ドルというものであります。この業者は、これの七二%部分を輸銀の融資に仰ぎ、残りを関係取引銀行でおそらく調達して延べ払いを実施していく、こういうことになります。
○佐多忠隆君 おそらくじゃなくて、正確な自己調達とか何とかはないのですね。全部輸銀と市中銀行だけ……。
○説明員(高杉幹二君) それは、外務省当局では、正確な詳しいことはわからないわけであります。
○佐多忠隆君 それをお調べになったらわかるはずだと思いますから、それをひとつ調べて、正確に、個々のやつでなくていいですから、トータルで、大体どういう分担比率になっておりますか。そこいらをお調べ願って、報告していただきたいと思います。
○説明員(高杉幹二君) これは、むしろ個々の取引の集計というものが、輸銀が幾ら出して、市中銀行が幾ら出しているという結果になるであろうと思うのでありまして、個々のものを調べられるかどうかということになると……。
○佐多忠隆君 個々のものを全部お出しになれるのなら、それでもいいのですよ。しかし、それではあまり手がかかるから、それを集計して……、個々の会社がどうとかこうとかということはあまり必要じゃないのですが、出せるとおっしゃるのなら、もらってもいいのですよ。もっと概括して、大体どういう比率になっているか、どういう分担比率になっているか、そういう点が知りたいのです。ひとつ調べてお出し願いたいと思います。
○政府委員(中川融君) できるだけ調べまして、御満足のいくような資料を出したいと思いますが、あるいは、プライベートの銀行でありますと、どんなふうにお金を貸したかということは言えない場合もあるかと思いますので、そういうところはひとつ御容赦願いたいと思いますが、調べまして、できるだけの資料を取りそろえたいと思います。
○佐多忠隆君 六十一年度の、最近までの実績はわかりましたか。
○説明員(佐藤日史君) 六十一年上半期輸出入額について申し上げます。わが方の輸出が五千七百万ドル、輸入が二千六百万ドル、差し引き三千百万ドル出超ということになります。
○佐多忠隆君 そうすると、年間にしてどのくらいと見込まれておるか。それから、計画はどのくらいと考えておられるか、六十一年度は。
○説明員(佐藤日史君) 数字で申しますと、大体去年並みの線に行くのじゃないかと、われわれは考えております。
○佐多忠隆君 一億程度ですね。
○説明員(佐藤日史君) さようでございます。
○加藤シヅエ君 関連して。そうすると、インドネシアと日本との貿易の関係は、大体日本からの出超という状態が今後とも続くようなお見通しでございますか。
○説明員(佐藤日史君) 大体そのように考えております。
○加藤シヅエ君 賠償協定が結ばれました当時、たしか焦げつきの金額が相当多額のものがあったように聞いておりますけれども、それは、今どういうふうになっておりますか。
○説明員(高杉幹二君) 賠償協定締結の当時に累積した債権は、一億七千六百九十一万ドル余りということになっておりましたが、これは、賠償協定解決と同時に、これを放棄したわけであります。請求権をわがほうは放棄したわけであります。
○佐多忠隆君 今聞きますと、例年出超になっているわけですね。これは、決済その他は、両国の間ではどういうふうな始末になっているのですか。
○説明員(佐藤日史君) 現金決済になっております。
○佐多忠隆君 そうすると、それに対して、その貿易に関する交換公文のときに、そういう状態は論議されたのでしょうが、どういうことがそれに関連して問題になっておりましたか。
○説明員(佐藤日史君) 先方の最も要求いたしましたのは、わが方が年々非常な出超になっておる。ことに、オープン・アカウントで申し上げますと、これが開始されて以来、インドネシアの第一次産品の日本に対する輸出が向こうの期待するほど伸びない。最近は、昨年あるいは一昨年あたり伸びている品目もあるわけでありますが、その他についてもぜひ日本側の協力を得たいということで、それでは、お互いによく相談してやったらいいのじゃないかというので、ここにございますが、合同協議会というようなものを設置いたしまして、なぜインドネシア産品の日本への輸入がふるわないのか、どういうところに原因があるかということをお互いに協力して探し出そうじゃないか、それが友好通商条約の精神に最も合致するというので、それを向こうも強く希望し、こちらもそれに同意いたしまして、合同協議会を設置したい、そういうような問題が主として論議されたわけであります。
○佐多忠隆君 その交換公文によって、経済使節団を交換するとありますが、これはどうなっておりますか。それから、これは今おっしゃったような問題を調査するわけですか。
○説明員(佐藤日史君) 合同協議会というのは、いわば常設あるいは随時開催するわけでございますが、年に一回必ずやるというふうになっております。経済使節団もまた、お互いにそういうような問題、今申し上げましたような問題を取り上げて研究、調査するということでございます。
○佐多忠隆君 これは、いつ出されるのですか。
○説明員(佐藤日史君) まだ条約をこちらの国会で御審議中でございますし、具体的に、いつどういう構成でやるということは、使節団についてまだきまっておりません。今後両国の間で協議して決定するわけでございます。
○佐多忠隆君 この賠償だとか経済協力の協定を作られるときに、これを作ると、両国の間の貿易の規模は非常に飛躍的に発展するのだということがしきりと強調されたのですが、あまりそういうような実績は現われていないように思うのですが、その辺をどういうふうにごらんになっておりますか。 それから、さらに今後一般的に拡大するために、一そう緊密な協力が必要であるということが交換公文ではうたわれておりますが、それらに基づいて、さらに来年度なりあるいは今後の貿易計画を数量的にどういうふうなお見通しをもって計画をされようとしているのか、その辺を御説明願いたい。
○政府委員(関守三郎君) 先ほど申し上げましたように、かなりやはり輸出はふえているわけなんですね。五十九年までは六千万、四千万、五千万といったのが、六十年は一億になっておりますし、ことしも、先ほど申し上げましたように、一億ということになるわけでございます。これはほとんど倍増近くになっておりますということは、私は効果があったというふうに考えてよろしいのではないかというふうに考えております。
○佐多忠隆君 その倍増というのが、東南アジアの経済状態の変化に直接むしろ依存しているので、賠償そのものに直接関連してふえたというふうには、どうも今の御説明その他の内容を検討すると、そういうふうには受け取れないように思うのですが、直接それに関連してふえたというお考えですか。
○政府委員(関守三郎君) そのパーセンテージといたしまして、どれだけということは言えませんけれども、やはり経済協力をやりまして、借款を与えてやるというようなことで、やはりかなりふえておる。借款を出さなければ、船舶の輸出というようなことはできないわけでございますから、そういう意味において、相当に経済協力というようなもので輸出がふえていく。また他面におきまして、たとえば石油でございますが、北スマトラの石油の油田が荒廃しているのを直しまして、石油を掘って輸出がふえるようにしてやる。そこから向こうの輸入力がふえてくるというようなことでございまして、パーセンテージにして幾らというような算出はできませんけれども、実際にはやはり経済協力というようなものが輸出輸入の双方に関しまして効力を発生しているというふうに考えていけるのではなかろうかと思います。 それから、来年度以降の計画というお話でございますが、これは別に計画というようなものは、向こうの商品のたとえばゴムやすずの値段が下がったりしますと、外貨収入が減りますので、したがって買えなくなるということがございますので、はっきり計画というものは立ちませんけれども、大体の見通しといたしましては、現状を続けていくことはできるであろう、あるいはもう少しふえるということになっていくであろうと思います。それ以上のはっきりしたことは、なかなかこれは、われわれだけで何するというわけにはいかないと思います。
○加藤シヅエ君 関連して。日本とインドネシアとの経済協力の点でございますけれども、土木、農耕繊維その他の関係機械で、総額四十六億というようなこの間御説明があったのでございますが、そのインドネシアと中共との貿易がどういうふうな状態になっているか。数年前に、中共が政治的に、今の繊維製品の輸出、出血輸出と申しますか、非常な乱売のようなものがあって、日本の繊維製品が困ったというようなことを伺っておりますけれども、そのときの状況がどんなであったかということ、今後そういうようなことが起こった場合には、この新しい通商条約によって、インドネシアでは、そういうような政治的な輸出に対しては防衛してくれて、日本の正当な価格の輸出というようなものをちゃんと認めるというようなことになるのかどうか。その辺を伺いたいと思います。
○説明員(越智度男君) ただいま御質問のございましたインドネシアと中共との間の貿易関係でございますが、中共は、インドネシアを含めまして、東南アジアの近隣諸国とも貿易量の大小の推移をたどっておりますが、必ずしも規則的な貿易量の推移をたどっておるようには実績統計的には見れない実情でございます。しかし、たとえば、一九五九年でございますから、おととしの例をとりますと、中共はインドネシアに対しまして約六千万ドル以上の輸出をいたしております。それからまた、インドネシアも中共に対しまして五千三百万ドルぐらいの輸出をしておりまして、おととしは、相当両国間の貿易量は大きかったという実績を示しております。ちょうどその年が、わが国のインドネシアに対する輸出が六千万ドル台ではありましたが、七千万ドルに近かったと思いますので、ほぼそれに匹敵するくらいの規模でございました。しかしながら、昨年からことしにかけましては、中共のインドネシアに対する繊維製品その他の輸出が相当に後退をいたしておりまして、最近の実績をちょっと手元に持っておりませんが、このおととしの数字に比べますと、相当顕著に貿易量は減ってきておる実績を示しておるものと推定いたしております。
○加藤シヅエ君 今後そういうような乱売というようなことを、中共あるいはほかの国がそういうようなことをした場合には、これを日本は、今度の友好条約の保護のもとに、そういうようなものに対して防戦するというようなことがあるのでございましょうか。
○政府委員(関守三郎君) 御承知のとおり、この条約で規定されておるわが国の享受し得るものは、これは最恵国待遇でございまして、他面におきまして、中共は、これは通商航海条約ができておりません。その点におきまして、日本としては最恵国待遇の線までは要求できるわけでございますが、中共が乱売をいたす、ダンピングをいたすという場合におきましては、これは最恵国待遇という点からはずれた、逸脱してくるものでございまして、値段のことになりまするというと、これはいかんともいたしがたいということでございます。これはもう商業取引の内容になりますので、そういうものを日本としては、この条約そのものを根拠として中共の乱売をとめるということは、これは主張できないわけであります。
○佐多忠隆君 先ほどのお話で、この条約の中には航海条約がないのですが、そのかわりに海運協力に関する交換公文というのが出ておりますが、一応この文句は、これで読んだのですが、実際上のこれまでの海運に関する協力はどういうふうになされておるのか。それから、今後この交換公文に従って、実体的にはどういうふうな協力の仕方をやろうとしておられるのか。それらの点を御説明願いたいと思います。
○説明員(佐藤日史君) 現在、日本船に対してインドネシア側が差別待遇をしておるという事実は全然ないのでございます。これは、向こうに行きまして交渉中も、直接確かめた次第であります。むしろ日本船にたよっておる、日本船をチャーターしたりする場合がたいへん多いわけでございます。そういうところから、向こうが日本船に非常にたよっておる。もちろん、自国の商船隊の建設も計画しておるわけでございますけれども、現在の段階では、なおかつ日本船に協力を依頼しなければならないというところから、 この海運協力に関する交換公文というものが出てきたわけでございます。条約上その規定がないということは、先ほど来申し上げましたとおり、まことに遺憾でございますけれども、インドネシアとの平和条約の中には、海運に対して無差別待遇を供与するという文句がございますし、今申し上げましたとおり、現実において、実際において何ら日本船を差別待遇していない。むしろそれにたよっておるというような状態でございましたので、海運条項は結局落とす、落とさざるを得ないことになった次第でございます。今後とも向こう側の意向は、日本船の協力を大いに依頼して、あるいは船員の訓練ということにも、非常に日本に力を貸してもらいたいということで、この海運協力の交換公文の案は先方の提案したものでございまして、これは、本文に航海条項が落ちたにかかわらず、この海運協力に関する条項だけは、先方の強い希望で入れた次第でございます。わが国といたしましては、海運条項はなくても、両国の友好関係にかんがみまして、海運協力、お互いに協力し合ってやるということは非常にけっこうなことであるということで、この交換公文を置くことに同意した次第でございます。
○佐多忠隆君 この海運協力に関する要請が向こうから出て、それを受けて取り上げられたのがこれだというお話ですが、さっきお尋ねしているのは、こういう文句に従って海運協力、海運増大のために協力する、そういうものを具体的にどういうふうな計画でどういうふうに実施しようと考えておられるのか。その内容的な問題をもう少し御説明いただきたいと思います。
○政府委員(関守三郎君) これは、この条約が発効いたしまして、双方の間で話をして具体的にはきまってくることではございますが、現在におきましても、あれは日東商船でございましたか、東京船舶でございましたか、そういうところに、船の乗組員の航海その他の技術を教えてくれと、日本の会社は忘れましたが、どこかにやはりそういうことを具体的に頼んで参りまして、それをやっておるというところはございますし、それから、これは船を作るほうになりますけれども、石川島造船に、向こうから三年ごしで技術、訓練を教わりに来ておるということでございます。しかし、具体的には、今後協定ができましたあとに、向こう側との間に話をしましてきめていくということになるだろうと思います。
○佐多忠隆君 航空協定に関しては話は出たんですか。航空上の関係はどういうふうになっておりますか。
○説明員(佐藤日史君) 航空協定につきましては、別途交渉が行なわれておりまして、すでにわがほうの案を先方に渡しております。先日来も、先方から日本側の都合つき次第交渉を開始して——一時中断しておる段階、向こうが研究中の段階でございますが、またそれを再開したいということを言って参りまして、こちら側も、各国といろいろ航空協定の交渉をやっておるものでございますから、まあ俗に申せば、手があき次第これに応じて交渉開始、再開するという運びになっております。
○永野護君 ちょっと簡単に。インドネシアの問題が出ましたから、ついでですから、西イリアンの現在の政治と経済の現状はどうなっておるのですか。あまり詳しくは要りませんが、概略でよろしゅうございますから。
○政府委員(中川融君) 御承知のように、あそこは、インドネシアが領土権を主張いたしておりますが、現実には、まだオランダの施政が続いておるわけでございます。オランダとしては、インドネシア側の非常に強い要望が終始あるものでございますから、できるだけあそこの民主向上をはかるということで、相当な予算をつぎ込んで、民生向上をはかっておるようでございます。しかしながら、それだけではなかなかインドネシア側の攻勢に対抗し得ないものですから、やはり最近は、これを国際連合のいわば管理化に置いて、そうして将来これを完全な独立に持っていくという、そういう方式を考え出しまして、それを国際連合に提案しておる状況でございます。これは、まだ正式に提案にはなりませんが、関係各国にそういう案を見せまして、これでひとつ国際連合に提案したいから同調してくれということを言っておる段階であります。この国際連合の保護下に西イリアンを置くということにつきましては、ヨーロッパの諸国は、これに同調するものが相当あるようでございますが、まだアメリカ等は、これに対して不即不離の態度をとっております。日本としては、もとよりこれに対しては深入りしない態度でありまして、いわば情勢を見ているという段階でございます。
○永野護君 現在西イリアンのほうから、いろいろな経済提携の問題が具体的に申し込みがあるのですけれども、あの国がどうなるかわからぬから、どう扱っていいかわからぬということが日本の財界人の常識になっておるのでありますけれども、現在のオランダ政権ですか、それの言うことを、言葉が悪いのですけれども、まじめに取り上げて研究していいとお考えですか。あるいは、どうなるかわからぬから、いましばらくは触れないほうがいいだろうというお考えですか。
○政府委員(中川融君) 西イリアンの地位というものが非常にいわば不安定な状況にあるわけでございます。将来これがどうなるかということが予測つかない状況でございますので、ここにさしあたって西イリアンと経済協力をするということは、そういう意味で、非常に危険性がやっぱりあると言わざるを得ない。また今の段階では、これに経済協力をしますことは、政治問題として、インドネシア側が好まないということは当然あるわけでございます。そこらの事情をやはり考えながら、この問題に対処しなければいかぬのじゃないかと思っております。
○永野護君 そうしますと、先ほどいろいろインドネシアの数字の発表がありましたけれども、あれは、西イリアンの数字は一つも入っておらない数字なんですか。
○政府委員(中川融君) これは、あまり大きな声では言えないのでございますけれども、実際の施政はインドネシアもしておりませんので、したがって、そういう経済統計等には西イリアンは含まれていないわけであります。
○永野護君 そうすると、結論的に、詳しい説明は要りませんが、当分西イリアンからいろいろなオファーが来るのですけれども、言葉が悪いかもしれませんけれども、それはまじめに取り上げられない性質のものだというふうにお考えですか。これはもっとも、役所の資格を持っておって、そういうことをこういう席でお答えになるのは無理かもしれませんが、しかし、現実にそういう商談取引が日々来ておるのですから、だから、その扱いに弱っているわけです。そういう状態ですから、したがって、その条件その他の内容は非常にうまい話がくるわけです。うまいけれどもあぶないというような実情がありますものですから……。オフィシャルな態度ではむずかしいかもしれませんが……。
○委員長(近藤鶴代君) 速記をとめて。 〔速記中止〕
○委員長(近藤鶴代君) 速記をつけて。
○永野護君 あそこは、日本のほしい品物がだいぶあるのです。こちらがほしくてたまらぬものが、条件が非常にいいものですから、だからそれに乗りたいのですけれども、どうもあぶないというのです。しかしこれは、オフィシャルな何も、これ以上は無理だろうと思います。
○佐多忠隆君 やっぱり同じ地域ですから。今、製鉄原料炭が非常に問題になっておると思うのですが、あれはどういうことになっておりますか。経済協力の問題として、もう具体的に着手して調査して、あれに行っているのじゃないですか。すでにやっていることだから、御説明願っておきたい。
○政府委員(関守三郎君) あそこの原料炭ではなくて、おそらくこれは、失礼な話でございますけれども、サラワクでございますね。あそこには、この前に調べたのですが、そういう点、石油はございますけれども、原料炭は、私が調べたところではございませんが、多分サラワクの話ではなかろうかと思います。原料炭は非常にほしいのでございますが、あそこで、西イリアンで出るというようなことになりました場合にどうするかというようなことは、もしそれが非常に有望な炭鉱であるとしますと、なかなかこれは非常にほしいし、手を出すとあとがうるさいしということもあるので、慎重な考慮をせぜるを得ないというふうに考えておりますが、現在のところは、私どもは、西イリアンからそういうものが出るということは聞いておりません。
○永野護君 今の問題ですが、あれは何カ所もあるのです。何カ所もありまして、一番あれは国境にありまして、サラワクの方から入って、西イリアンからも入って、非常に長い鉱脈があるんです。これは相当調査もできておりましてね、日本炭礦は相当に金もかけ、人もやって調査しているんです。これは日本で一番近い原料炭です、これがうまく行けば。ただ、今言ったように、西イリアンという所はまるでわからぬものですから、はたしてどうしていいか。非常にほしいんですけれども、それから非常にいいのですが、よう踏み切れないのが実情です。そこでまあ今伺ったわけです。
○佐藤尚武君 各委員から詳細な御質問がありまして、それに対して一々政府側で答弁されたので、日イ間の関係がだいぶ私どもにもわかってきたのですが、戦後十五年を経て、今回の友好通商条約が締結されたということですが、これは、日本としても非常に歓迎されるべきことだと思うのです。ただ、私少し懸念を持っていることは、この友好通商条約というものが締結されたということ自身、インドネシア側において日本に対しての友好的な感情が盛り上がってきたためにこういう条約が締結されたとは思いますけれども、しかし、こういう空気が今後も続いていくものであるかどうかということについて、多少の懸念を持たざるを得ない気がします。ということは、インドネシアとの関係は、今までそうよくはなかったと思うのです。一時は、今から四、五年前の話であったと思いますが、日本人の入国を極端に制限してみたり、滞在をやはり同じように制限をしてみたりなどして、日本人を入れないことに努めておったというような時代があったように思うのです。それが一転して、今度のような条約が両国間に結ばれるというところまで両国間の関係が発展してきたということ、これはたいへんいいことに違いないですけれども、はたしてそういう空気が今後も持続されるというような見込みを当局としてお持ちになっているのかどうか。これはむずかしい問題だと思います。友好的な雰囲気を持続せしめるためには、あらゆる機会で両国が努めなければならぬこととは思いますけれども、大体の傾向としては、インドネシア側の政府部内はもちろんのこと、民間においての日本に対する感情というものはどういうふうであるのか。はたしてずっと好転してきたような傾向がこのまま続いていけるような雰囲気になっているのかどうか。そこいらについてのお見込みをひとつ説明していただきたいと思います。
○政府委員(中川融君) 佐藤先生は、インドネシアのことについて非常にお詳しいので、われわれから申し上げるのもかえってどうかとも思いますけれども、なるほどインドネシアに入ります日本のたとえば商売する方々等が、たとえばインドネシアに滞在する期間が非常に短い、更新も非常にむずかしいと、いろいろそういう問題があったことは、われわれ承知しておるわけでございますが、これは、必ずしも日本だからといって差別待遇の意味でやったのではなくて、要するに、新興独立国として、外国からのいろいろ勢力が自分の国の中へ入ってくることをいわば警戒するということから起きた現象であるのではないかと思うのでございます。戦争中のいろいろな悪感情等の問題は、インドネシアは、フィリピンあたりと違いまして、もともとそう強くはなかったわけでございますし、むしろ新興独立国としてのいわば心配、懸念ということが先に立ったのじゃないかと思うのでございます。幸いに賠償協定もできましたし、平和条約もできまして、だんだんこれがよくなって参りまして、お説のとおり、通商条約もことしはできるわけでございます。それでは、この通商条約で非常に日本人がたくさん入って行き、あそこで商売をたくさんやるかというと、これはそうも必ずしもならないわけでございまして、これはやはり最恵国待遇ということが基礎になっているわけでございますから、ほかの国と比べて差別待遇をしないということだけは、日本は今後間違いなく確保するわけでございますが、やはりインドネシアの国内法令に従って日本人が入って行き、事業をするということになるわけでございます。その際にやはり心がけなければならないことは、急激にインドネシアに進出するというような態勢を作りますことは、向こうに警戒心を起こさせることになりますので、これはやはり、長い目でだんだんに関係をよくしていく、経済的にも文化的にも親善関係を樹立していくということに心がけなければならぬ。これはまた、そういう方針で政府としてはインドネシアとの国交親善に努めておるわけでございます。従って、今後のやり方にかかるわけでございますが、そういういわば慎重な長い目で見たやり方でやっていく限り、日イ関係というものはやはり今後だんだんとよくなる方向にあると思います。もちろんその場合、たとえばこの前のカレル・ドールマン号事件というような、ああいう突発事件が起こることもありますので、そういう問題については、いつも警戒しなければいけないのでございますが、独立国としてのインドネシアの考え方というものを常に日本側でも理解しながら進んでいけば、日イ関係というものは今後非常に明るく開けていく方向にある、かように考えております。
○佐藤尚武君 実は、インドネシア方面から来る情報というものが、私から言わせれば、はなはだ貧弱なんで、民間に流れる情報が。でありますからして、インドネシアの現在の傾向に対して的確な観察を下すということが困難でありますがゆえに、今のような質問を申し上げたようなわけでありまして、先ほどの御説明の中に、昭和三十三年とかに借款契約ができたという、その借款が手伝って、インドネシアの国営製油業に資本が投下されたということ、ないしはボルネオの森林とか、スマトラのニッケル工業、それらが着手されたというような説明をお聞きしたんですけれども、それらはみな、このインドネシアの国営事業に対しても借款の投入ということであるのですが、今後はどうなんですか。インドネシアは、やっぱり国営を主にしてやっていくというのであるか、あるいは外国の個人の企業に対してもこれを許可する、ないしはインドネシア側との合弁というような形で企業を興すというようなことも可能であるかどうか。そういうような点で、何か御説明いただけますか。
○政府委員(関守三郎君) 今申し上げました石油ですとか、それからニッケルですとか、そういうエクストラクティング・インダストリー、そういうものはだんだん——インドネシアは、御承知の通り、社会主義の傾向が非常に強いのでございますから、どんどん今まで民営であったものも国営に直しておるというわけでございます。したがいまして、そういう分野における経済協力と申しますか、それは、大体においてやはり国営との協力ということになっていかざるを得ないというふうに考えます。それからして、ただ合弁というものは、ごく最近までは、たとえば、まあこれは仮定の問題でございますけれども、製鉄をやりますとか、大きな化学工場を興すというような場合におきまして、今日までは合弁を断わる、つまり資本参加、経営参加を断わるということを申してきたわけでございます。しかしながら、ごく最近は、どうもやはりそういうことを言っておっても無理だということを考えておるようでございまして、場合によりましては、資本参加は認めてもよろしいじゃないか、ただ経営参加の方に口を出すのは困るというようなことを言ってきております。この点は、今後インドネシア側と話をいたしまして、どういうふうに動くかということは、今後の推移に待つほかはないというふうに考えております。大体におきまして、やはり国営的な思想の非常に強い——もっともああいう国としましては当然と思いますけれども、大体におきまして、企業の国営化というものが非常に力強く行なわれておる。したがいまして、民営のベースにおける資本参加というようなことはほとんど考えられないというのが実情でございます。
○佐藤尚武君 もう一つ伺いたいのは、現在まで、インドネシアの対外貿易の中で、イギリス、アメリカないしは西ドイツ等の国々がインドネシアに入ってきておると承知しておるのですが、それらと比べて、日本の先ほど説明された輸出入の状態はどういうことになっておるのですか。非常に日本が低いのか、あるいは日本はかなり高いところまで行っておるのかどうか。比較したところを、ざっとでけっこうですが、概念を与えていただきたい。
○政府委員(関守三郎君) 大体日本は、アメリカに次ぎまして二位というような格好になっておるわけでございます。輸出入とも非常に優位を占めておるというのが実情でございます。具体的に申し上げますと、五十九年の比率で申し上げますると、インドネシアの総輸出を一〇〇といたしまするというと、日本向けの輸出は三・八%ということになっておりまして、輸出の方では、ビルマが六・五%、それからして中共が六・一%、アメリカが一六・四%、英国が二一・九%、西独が六%、大きいところを言いますと、まあ大体そういったことになっております。輸出、つまりインドネシアから買うという方面におきましては、日本は必ずしも大きな比重を持っておりませんけれども、インドネシアに売るほう、インドネシアから見まして輸入のほうを見ますると、日本が一五%を占めております。あと大きいのを拾ってみまするというと、中共が一三・三%でございます。それからアメリカが一六%、それからして西独が一一%。そういうわけで、つまり向こうへ売り込む点においては、日本が非常に優位を占めておる。しかしながら、向こうから買うということにつきましては、先ほど私ちょっと、日本のほうも非常に買っているように申しましたけれども、買うほうでは、日本は五、六番目ということになっております。しかし、買うほうも売るほうも、先ほど申しましたように、石油なんぞというものをずっと買い増しできるようになりますると、遠からず日本がずっとのしていくということになって、経済関係というものは緊密になっていくというふうに大体考えておるわけでございます。
○佐藤尚武君 新興国に対しては、売ることも大切ですけれども、買うことを第一考えてやらなければならないと思うのです。インドネシア側のほうで、第一次生産品に対しての輸入をふやすことを日本に考えてくれろということもこの条約にあるようですが、それは、政府のほうでもぜひそういう点をよく考慮されることが必要だと思うのです。 最恵国待遇ということは、どういうことになるのでございますか。今までの御説明によれば、今度の日本との条約がインドネシアにとっては最初の通商条約だという、こういう話でありまして、その通商条約によって日本人に最恵国待遇を与えるということになっていますが、その最恵国というのは、どういうことになるのですか。ほかの国国は、まだ通商条約も航海条約も持たないでいるわけなんで、そうすると、どこを標準としての最恵国になるのか。ちょっと私、はっきりわかりかねておりますが……。
○政府委員(中川融君) 今御指摘のありましたとおり、普通最恵国待遇と申しますれば、ほかの国に条約上いろいろ与えている待遇に均霑するということになるわけでございますが、インドネシアの場合は、御指摘のとおり、日本が最初のいわば条約を締結する国であります。したがって、この場合、最恵国と申しますと、実際問題として、第三国に与える待遇、条約ではございませんけれども、事実問題として、たとえば中共に制度上日本よりいい待遇を与えたということがありますとすれば、これは当然日本は最恵国を要求し得る、こういう格好になります。
○佐多忠隆君 将来の日本とインドネシアとの友好関係についての若干の危惧を佐藤委員がお述べになったのですが、それの関連ですが、今のインドネシアにおける共産党の実際の数というものをどういうふうに評価されるか。これの将来の見通しをあなた方はどういうふうにお考えになっているか、それをひとつ御説明いただきたい。
○政府委員(中川融君) 今から三、四年ほど前、インドネシアで反乱が起きまして、非常にスカルノ大統領の地位もあぶないというような時期もあったわけでありますが、そのときに、スカルノ大統領は、いわば共産党とも手を握って、この難局を乗り切ろうというようなことをしたことは、御承知のとおりでございますが、その後共産党の勢力というものはむしろ後退しつつある。と申しますのは、要するに、反乱軍というものが非常に弱くなってしまいまして、ほとんど今では、スカルノ大統領の政府に対する脅威になっておりません。最近は、もう完全な屈服をするという情報もあるのでございまして、したがって今、むしろスカルノ大統領の現政府というものは軍とタイアップいたしまして、完全に治安その他の把握をしておるという状況でございます。一方共産党の方は、これはあまり表立った活動はしていないという状況でございますので、むしろ、先ほど申しましたように、後退の状況にあるということが言えると思います。
○佐多忠隆君 そうすると、軍と、それから政党的な基礎は、どういうふうに見ておられるわけですか。
○政府委員(中川融君) 御承知のように、スカルノ大統領は、ガイデッド・デモクラシーというプリンシプルに立ちまして、したがって、そのときにありました憲法も改めまして、一番もとの憲法に変えるというようなことにいたしまして、国会はございますけれども、政党の基礎というものはなく、いわばあらゆる政党が合体して一つの大政翼賛会式な機構にいたしまして、これで議会政治をやっているという格好でございます。したがって、われわれの考えるような意味での政党というものは存在していないという状況でございます。
○委員長(近藤鶴代君) 他に御発言もないようでございますから、本日の質疑は終了したものと認めます。 本日はこれにて散会いたします。 午前十一時五十八分散会