P政策ポータルPOLICY PORTALウォッチ
38回国会衆議院1961/02/16

予算委員会公聴会 第1号

発言数
64
登壇者
12
会派数
2
開催日
1961/02/16

会議録

船田中自由民主党

○船田委員長 これより会議を開きます。  昭和三十六年度一般会計予算、同じく特別会計予算、同じく政府関係機関予算につきまして公聴会に入ります。  開会にあたりまして、御出席の公述人各位にごあいさつ申し上げます。本日は、御多忙中のところ、貴重なるお時間をさいて御出席いただきまして、まことにありがとうございました。委員長といたしまして、厚く御礼申し上げます。  申すまでもなく、本公聴会を開きますのは、目下本委員会において審査中の昭和三十六年度総予算につきまして、広く各界の学識経験者たる各位の御意見をお聞きいたしまして、本予算の審査を一そう権威あらしめようとするものであります。各位の忌憚のない御意見を承ることができますれば、本委員会の今後の審査に多大の参考になるものと存ずる次第であります。  議事は遠藤さん、林さんの順序で、御一名ずつ順次御意見の御開陳及びその質疑を済ませていただくことといたしまして、公述人各位の御意見を述べられる時間は、約三十分程度にお願いいたしたいと存じます。  なお念のため申し上げておきますと、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また発言の内容は、意見を聞こうとする案件の範囲を越えてはならないことになっております。なお委員は公述人に質疑をすることができますが、公述人は委員に対して質疑することができませんから、さよう御了承いただきたいと存じます。  それではまず遠藤湘吉君より御意見の御開陳をお願いいたしたいと存じます。

遠藤湘吉東京大学教授

○遠藤公述人 私に示されました課題は、三十六年度の予算について、財政一般の立場から意見を述べよということであります。そこで非常にこまかい具体的な内容についての意見はほかの方々にお譲りいたしまして、財政一般ということで、ごく概括的なことを、許された時間の中で申し上げてみたいと思います。  まず第一に予算の規模についてでありますが、予算の規模は、一般会計が一兆九千五百二十七億であって、実質的にこれに加わると考えてよろしいところの三十五年度第二次補正予算の四百四十億を加えますと、約二兆円というわけであります。この予算規模は、今までの一般会計の規模の足取りの中で、非常に大きいものであるということは否定できないところでありますけれども、これが直ちに景気に対してはなはだしく刺激的であるとか、あるいはインフレ的であるとかいう点になりますと、私は、内容については問題がもちろんあるわけでありますけれども、単純にこの規模だけでインフレ的である、あるいは刺激的であるというふうには必ずしも言えないであろうというふうに考えております。と申しますのは、いろいろの理由があるのでありますけれども、一般にこの当初予算一兆九千五百二十七億というものと三十五年度の当初予算というものと比べまして、何%増であるというふうな比較の仕方は、必ずしも当を得ていないのではないか、むしろこれは少なくとも三十五年度の第一次補正予算と比べて考えてしかるべきものではないか、そういたしますと、その増加は約一二%程度でありますから、予想される経済成長と見合わせまして、必ずしも刺激的であるというふうには考えられない、こういうふうに思うわけであります。  それから、もう一つは、この予算を実施いたしました結果、国民経済に対する財政資金の散布状況というものを考えましても、必ずしもそれが刺激的であるというふうには考えない。ただしかし、それで景気に対する影響という点では、概括してそういうふうに考えられるのでありますけれども、その内容に立ち入って見る場合には、おのずからまた別の問題が出てくるわけであります。  その内容ということでありますが、その一つとして、予算規模にかかわりますところの減税の問題があります。これはすでにたびたび各方面で言われていることでありますけれども、政府が昨年秋お示しになったいわゆる新政策においては、一千億以上の減税ということが言われておったのであります。確かに所得税と法人税というもののみをとります場合には、平年度において相当の、ほぼ公約通りの減税が行なわれるというふうに考えられるのでありますけれども、しかしながらいわゆる揮発油税の増徴等によりまして、結局のところ初年度の減税額は六百二十一億ということになったわけでございます。これもしばしば指摘されたところでありますが、昨年秋に少なくとも一千億という公約があった場合の予想された自然増収額は、今回あらためてはじき出された自然増収額と比べますと、はるかに少ない、その約六割強程度にしか見積もられていなかったわけであります。従って、ごく簡単な算術的な計算から申しまして、その一千億以上というものはさらにふくらませられてもいいのではないかという気がいたします。この場合、私は、もちろん税負担というものは何が何でも低ければ低いほど望ましいことであるというふうな十九世紀的な単純な理想、租税の理念というものを主張するものではありません。現代のように、非常に複雑な問題が社会面、経済面、政治面に出て参ってきておりますときには、個人の手元に残るところの所得によって、そしてその所得を増大させることによって満足せしめ得る要求と、それから政府の資金の集中的な使用というものによって満足せしめ得る要求とは、おのずから区別して考えなければならない。そうして、ことにこの後者の、政府の手によって満足せしむべき社会的要求というものは、非常に広がりつつあるという事実は認めないわけには参りません。従って、そういう意味で、租税負担が軽ければ軽いほどいいと申しましても、そこにはおのずから限界があるというわけであります。けれども、それは、そういう考え方が成り立つためには、租税の徴収によって確保された財政資金というものが支出される場合に、もっとも合理的にかつ効率的に行なわれるという前提を必要とするわけであります。その点がはたしてどうであるかということになりますと、これは後に申し上げたいと思うのですが、必ずしも問題がないとは言えないと思われます。  それと関連いたしまして、もう一つ特に減税ということを主張いたす場合に考えなければならないことは、現在の日本におきまして、ことに予算編成の過程におきまして、いわゆる納税者——納税者といっても、結局は国民でありますけれども、その国民として、つまり税を負担するという面をとらえました場合に、税を負担する立場にある国民という意味でこれを納税者というふうに呼ぶといたしますと、納税者の利益を代弁する力あるいは機会というものはあまりないのではないかというふうに私は常々感じておるわけであります。これはこういう席であらためてそういうことを申し上げるのはどうかと思うのでありますが、御承知のように、ヨーロッパあるいはアメリカ等の議会におきましては、むしろ経費の膨張、租税負担の増加ということを要求するところの行政府に対して、これをいわば納税者の側に立ってチェックして、できるだけ租税負担を少なくしようという考慮をするのが立法府であるというふうに私は理解しておりますが、わが国の予算編成の過程あるいは予算審議の過程において、そういうことが行なわれていないというふうには申しませんけれども、はたしてどの程度行なわれておるか、現在の予算編成ないし予算審議の過程を見ますと、租税負担の膨張を来たすような力は各方面から非常に強く働くけれども、これをチェックする力というものは、率直に申しまして、皮肉なことに大蔵省の主計局にあるけれども、それ以外のところにはないという感じを抱かざるを得ません。私は、その点におきまして、そういう納税者の利益を代弁するような力というものが、予算の編成過程ないしは審議の過程においてもっと強く出てきてもいいのではないか、そういう見地に立ちまして、減税のための努力というものが、もちろん先ほど言いましたように、何でも安ければいいと言うわけではありませんけれども、もう少しその考慮が強く払われてしかるべきではないか、こういうふうな立場で減税する余地があるだろうということを申し上げたいのであります。そういうふうにいたしますと、予算規模もあるいは必ずしも一兆九千五百二十七億でなくても、たとえば揮発油税なら揮発油税の増税分というものを何らかの方法で他の財源に振りかえていくというようなことで、かりにこれは五十億の増税ということでまとまるとするならば、一兆九千五百二十七億は一兆九千四百億くらいで間に合うというようなことにもなり得るわけであります。そういう点で、先ほど予算規模それ自体としては必ずしも問題があるとは言えないと申しましたが、その大きさがはたしてこれでいいのかどうかという点について、今申しましたような意味では私は疑問を持つものであります。  これは予算規模と減税ということを、いわばひっくるめて申し上げたわけであります。  その次に、これも概括的で、個々の経費について申し上げる余裕はないのでありますけれども、歳出について若干意見を述べてみたいと思います。  本年度の予算編成にあたりましては、予算の編成方針にもありましたし、また国会開会当初の各大臣の御説明にもありましたけれども、減税と社会保障とそれから公共投資を重点とするというふうに言われております。確かに、減税についても、先ほど申しましたような私の異論はありますけれども、ある程度の努力は払われておる。この点についてはまたあとで私の感じておる疑問を申し上げますが、とにかく行なわれておる。社会保障という点につきましても、たとえば生活保護費の一八%引き上げということは、もちろん理想からいうならば必ずしも十分とは言えないけれども、しかし、少なくとも過去の生活保護費の基準の足取りというものを見ますと、これはやはり相当の引き上げであろうというふうに考えられます。その意味で、社会保障についてはかなりの力を入れられたということは、私は率直に認めることができると思うのであります。それからまた公共投資でありますけれども、たとえば道路予算が非常に大幅な引き上げを見た。こういうことはこの席であえて申し上げるまでもないことでありますけれども、一般に、事務当局などでは、予算に飛躍なしなどということを申しますけれども、そういう今までの何といいますか、言い伝えといいますか、そういうものから見ると、これだけ大幅な引き上げ、飛躍的な増加があったということは、やはり相当重点が置かれておるのだというふうに考えられるわけであります。しかしながら、確かに個々の経費について見るならば、そういうことは言えますけれども、予算全体として、いわゆる重要経費の全体のバランスというものを考えてみますと、個々の経費についてはそういう事実が見られるにかかわらず、全体としてはその重点がぼけてしまうということは否定できないのではないか。それは、たとえばこの経費の一般会計歳出予算の中で占める比重というものを比べてみますと、社会保障費は全体で約一三%である。しかし、これは昭和三十五年度においてやはり一二%少しであったということと比べますと、それほどの大きな増加に結果としてはなってこない。それから公共事業費は、三十六年度におきまして全体の一八%余りでありますが、これも三十五年度において、ほぼ同じ程度の比率であります。そういう点を考えますと、個々の経費についてはともかく、全体としていわゆる重要経費という形でくくってみました場合には、必ずしもその重点がはっきり打ち出されているとは言えないという気がいたすわけであります。これはどうしてこういうことになるのかと申しますと、こういう結果になります事情というのはなかなか複雑であろうと思います。率直に申しまして、直接予算の編成過程というものに深く関係した当事者でなければ、この間の事情はなかなか説明がつかない。私のように学校の研究室からこれをながめておる者には、あるいは想像もつかない面があるかもしれませんが、しかし、私は私なりにこういうふうに考えるわけであります。つまり、予算の編成過程におきまして、そういう重点を明確にさせないような、——させないということは語弊があるかもしれませんが、明確な重点をぼやかすようなさまざまな要求というものが入り込んできて、そういう要求にある程度はそれぞれ一応応じていかなければならないという結果が、こういう必ずしもはっきり重点が打ち出されない予算になって出てくるのではないか。と申しますことは、さらにもう少し突き詰めて申しますと、予算編成過程の問題になるわけであります。予算編成の過程につきましては、これは三十五年度予算のとき、あるいは今年度の予算編成のときにもいろいろ各方面から意見が出ておるのでありますけれども、私は政党内閣、議院内閣である関係上、与党の意思が予算編成過程に反映するということは当然であるし、またそれがなければならないという意見については、原則として賛成であります。しかしながら、これもよく言われることでありますけれども、それがあまりにも具体的な細部にまで反映せしめられなければならないということになって参りますと、その結果として、予算の編成において政府当局が考えておりますところの重点というものは、おのずからぼけてくるという結果にならざるを得ないのではないか、従ってそういう与党の意思を予算に反映せしめるという反映のせしめ方において、なお相当の考慮の余地があるのではないだろうかというふうに考えられるわけであります。この点については、なおいろいろこまかい問題がありまして、私なりに考えておる点もありますが、いずれにいたしましても、行政府と立法府との予算についての責任の分担の境界線というものは、今のままで進んでいくと、次第にはっきりしなくなるというような危険性をはらんでおるのではないだろうか、そういう編成の仕方というものが、繰り返して申しますようですが、この予算における重点というものをあいまいならしめることになってきやしないか、こういうふうに考えるわけであります。  この予算における重点というのは、当然各年度の予算についてもちろん考えられなければならない点でありますけれども、特に政府が所得倍増計画というものをあくまでも実現させるということであるならば、そうして一応この倍増計画というものがすでにでき上がっておりまして、これを十年間に実施していくということでありますならば、おのずからその倍増計画の実施にあたりましては、優先順序、緩急順序、重点というものが明瞭に出てこなければならない。ただ規模の大きな予算を作って消費需要をささえる、あるいは投資意欲を刺激するというだけで、それで漫然と——漫然という言葉はあるいは言い過ぎかもしれませんが、おのずから経済成長が成功するという性質のものではなかろうというふうに私は思います。そういう意味で、とりわけこういう計画のもとでは、予算の編成の仕方、経費支出の方法という点については、重点的でなければならない。そういう点から考えまして、あらためてその予算編成の方式というものについて考えて、最も賢明な方法を考えてみる必要が強まりつつあるのではないかというふうに感ずる次第であります。  それから、その次は歳入の点でありますが、歳入と申しましても、税制の問題であります。これは先ほどちょっと申しましたように、私は、税制改正におきまして、特に所得税の税率等の改正におきまして、もう少し考慮の余地があった、そしてその面で所得税の一般的減税というものはもう少し広がる余地があったのではなかろうかというふうに考えまして、実は先ほどもこの減税の問題を出したわけでありますが、さらにそれと関連いたしまして、特別措置等の整理、合理化の問題があります。もちろん特別措置等の整理、合理化は、一見、減税ということとは矛盾する現象のように見えるわけであります。つまり、特別措置の合理化によりまして、それだけ税収がふえるわけでありますから、一般的な減税とは必ずしも一致するものではありません。しかしながら、同時にこれは租税の問題で、もう一つその負担の軽減という点と並びまして重要でありますところの負担の公平という面にからむ問題であります。租税において負担の公平というものが重要であることは、これはもう申すまでもない事実であります。そこで、税制調査会におきましては、この点において、特に米穀所得に対する特別措置と、それから社会保険の診療報酬に関する特別措置の整備を答申したわけでありますが、これについては、結果としてはたして改正が行なわれるのか行なわれないのか、わからない状態に置かれておるわけでございます。たとえば、保険診療報酬の特別措置でありますけれども、本来ならば、かりに診療報酬というものが非常に低い報酬であるということであるならば、それは一応はあくまでもその経費との見合いにおいてそれが低ければ課税されないし、さらに経費との見合いにおきまして相当の所得になっておれば課税されるという、つまり所得税の一般的な課税方式でやって差しつかえない性質のものであろうと私は考えます。もしそれができない、そういうことをするのは工合が悪いということであるならば、それは税制の問題ではなしに、医療制度の問題、つまり保険の単価あるいは点数の問題であって、本来税制の問題ではない。本来税制の問題ではないものに対して、そういう医療行政の面からのしわ寄せがきているということは、やはり租税体系としては非常に無理がいく結果を来たすことになる。もちろん税制というものは、他のさまざまな問題と孤立してあるわけではありませんから、税制におきまして、あるいは課税の上での運営面におきまして、いろいろなそういう考慮を払うということは必要でありますけれども、現在のような特別措置というものは、これはそういう点を考慮いたしましても、なお税制の斉一性というものを著しく乱すというふうに考えられるわけであります。その点は米穀所得に対する特別措置についても同様でありまして、そういうものが今回の一般的減税によりましてかりに合理化されても、これらの当事者にとっては決して増税にはならないという形になっておりますにもかかわらず、それがはっきりきまっておらないという点で、私は減税の問題と並んで負担の公平という点から、今回の税制改正にはかなりの疑問を感じております。  それから、もう時間がございませんから、最後に公共料金の問題でありますけれども、公共料金の問題は、私はもう少し突っ込んだ検討がなされてしかるべきでなかったかという感じを持つわけであります。もちろん経済成長の過程におきまして、サービス料金というようなものを中心といたしまして、特に最終価格、消費者価格というものがある程度値上がりしていくということは、避けられない現象であります。そういう限りにおきまして、私は料金等の値上がりをすべて何もかも否定するということは妥当ではないというふうに考えますが、たとえば国鉄の料金におきまして、はたして国鉄の性格というものがどの程度十分に検討されておるのか、国鉄は公共企業体である、あるいは独立採算制を持たなければならぬということがいろいろ言われておりますけれども、かりに独立採算制ということを非常にきびしく言うとするならば、たとえば赤字路線の建設というふうなことは極力避けなければならない。これに対して、国鉄の公共性というものを非常に強調するということにいたしますと、あるいは赤字路線もやむを得ないし、従ってまた同時に、一般会計からの出資または一般会計からの繰り入れということも、場合によってはやむを得ないということにもなるわけであります。そういう二つのいわば相対立する見地というものが、どの程度現在の国鉄の営業状態に照らして検討されて、その結果、あの運賃値上げという案がきまってきたのかということについて、これはあるいはその内部においてはしかるべく考慮された点があったのかもしれませんけれども、少なくとも現在国民に知らされた限りにおいては、そういう突っ込んだ検討というものはわからないわけであります。そういうものがわからないというところにいわゆる値上がりムードというようなものを醸成し、あるいは便乗値上がりの機運を刺激するということになるのではないか。そういう点では、私は、この公共料金等の値上げにおきましては、さらにそういう面にまで深く立脚したところの物価対策が示されることが望ましい、かように考えておるものであります。  非常に大ざっぱな話でありましたけれども、ちょうど御指定の時間が参りましたので、ここで一応終わりたいと思います。(拍手)

船田中自由民主党

○船田委員長 ただいまの遠藤公述人の御発言に対しまして御質疑がありましたら、この際これを許します。

愛知揆一自由民主党

○愛知委員 ちょっと一、二点お伺いしたいのですが、これは私の立場においての質問でございますから、そういう前提でお伺いいたします。  まず最初に、きょうの先生のお話で、第一点として納税者の立場を代弁する議論というものが予算の編成や論議について現われていないという点は私も非常に御同感なんですけれども、これに関連して、必ずしも三十六年度の予算という問題ではないかと思いますが、たとえば、新しい憲法以降において、財政法その他の建前では、いわゆる予算の増額修正というようなことが国会には認められておるというのが定説になっておりますが、そういう制度の問題として今後われわれとして考うべきような点については、どういうふうにお考えになっておりましょうか、何か御意見がありましたら伺いたいというのがまず第一の伺いたい点であります。

遠藤湘吉東京大学教授

○遠藤公述人 ちょっとお伺いしたいのですが、増額修正権についてでありますか、もっと一般的な……。

愛知揆一自由民主党

○愛知委員 一般的な点と、それから将来憲法の改正とかなんとかいうようなことに関連して、現在のような制度で学者の立場としていいと思われるか、これを修正した方がいいと思われるか、そういう点についての御意見もあわせてお伺いできればしあわせだと思います。

遠藤湘吉東京大学教授

○遠藤公述人 大へん大きな問題で、とても私の力では簡単にお答えしにくいのですが、非常に抽象的なお答えになるかと思いますけれども、私は今の議会制度というのは、ことに予算の問題に関しまして、アメリカ風の委員会制度とイギリス風の議院内閣制度というものが、いわばごっちゃになっているというところが、予算の編成あるいは審議という問題を混乱させる一つの原因になっておるのではないかというふうな気がいたします。この委員会制一度も、たとえばアメリカのようにかなり徹底して、建前として議会自体が予算を作るような形になりますと、それはそれで一応の落ちつきは示すと思いますが、日本の場合にはそういうふうにはなっておらない。そこで結局ある程度予算の編成に参画し得る力を持つ委員会というものと、他面では、この憲法あるいは財政法において編成権の明示されておる内閣あるいは事務当局との関係というものが、とかく円滑を欠くことになりはしないか、そういう点で、その点をさらに検討する必要があるのではないか。その検討する一つの方法として、私は、どちらかというと、予算の編成とその施行というものについての責任を、今よりもさらに明らかにするという意味で、大蔵大臣あるいは内閣の予算編成権というものを強化することの方が望ましいし、また将来の問題として、編成権についてはそういう必要が、特に経済の非常な変化に応じていくための弾力的な財政の運営という面からいいまして、今言った内閣における予算の編成権というものを強化していくということが望ましいのではないか、そしてそれと同時に、また一方立法府はそれに対して予算の根本という点については、もちろん問題があるわけでありますけれども、予算の細部につきましては、野党のみならず与党すらも、議院の立法的な手段を通じてこれを修正することがある程度自由にでざるようにするという慣行を開いていくことが望ましいのではないだろうか、こういうふうに考えております。お答えになりますかどうかわかりませんが……。

愛知揆一自由民主党

○愛知委員 大体それで御意見のほどはわかったのですが、第二点にお伺いしたいと思っていたことと関連するのですが、立法府と行政府との間で予算編成について限界が不明確になっておるというお話が先ほどありました。それから予算編成についてはもっと賢明なやり方があるはずだという御意見もありましたが、その点について今ちょっとお触れになりましたが、その賢明なやり方というものは、一体どういうふうな具体的な方法をお考えになっておりますか、もう少し具体的に伺えれば非常にしあわせだと思います。

遠藤湘吉東京大学教授

○遠藤公述人 どうも賢明ということは、あるいは私の勇み足であるかもしれません。賢明ということを申しましたのは、格別それほど具体的に案があったわけではありませんけれども、ただ国会議員の皆さんも、それから事務当局の諸君も、相当エネルギーをむだ使いし、時間をむだに使って疲労こんぱいしておられるという姿を見まして、そういうことは賢明ではないだろう、もう少しそれだけの力を、あるいは健康を害するような苦労をなさらなくても、もう少しスムーズにいく方法があるのではないかというつもりで申しましたので、これが賢明であるという具体的な方法は実は準備しておりません。

愛知揆一自由民主党

○愛知委員 ありがとうございます。

川俣清音日本社会党

○川俣委員 公述人の説明の範囲内においてお尋ねいたしたいと思います。国民年金の掛金は、税に類似するような負担だと思うわけでございますが、これが三十六年度から掛金になるわけですけれども、これを減税の分に見合いいたしますると、減税額が減ってくるようにも思うわけですが、この点についての所見をお伺いいたしたいと思います。

遠藤湘吉東京大学教授

○遠藤公述人 私は、個人の家計の面では、一方で今まで政府に徴収されていた購買力が減って、他方でその分がまたふえるということは、家計の計算の面では確かにおっしゃるようなことになると思いますが、これは、しかし言うまでもないことでありますけれども、国民年金とそれから租税の場合は、対価つまり反対給付がどういう形で行なわれるかということによって性質が違っておる。そこである特定の年度、一定の短期間を見ての限りにおきましては、おっしゃるようなことになるかと思いますが、その国民年金の拠出が相当行なわれて給付される時期になりますと、そこで初めて税と年金との性質の違いというものが出てくるということになりますので、長期的に見る場合には、これを両方一緒に考えて、一方が減って、一方がふえたから差引ゼロになるというふうには言えないのではないかと思います。ただしかし、そこで問題は、やはりその給付の内容がどの程度のものであるか、そしてその給付について、たとえばいろいろ修正もあったわけでありますが、掛け捨てがあるとかないとか、そういうことが関係してくるのでありまして、その点が改良されるならば、税と国民年金の掛金との違いというようなものは明瞭になってくるというふうに考えております。

川俣清音日本社会党

○川俣委員 続いてお尋ねしますが、給付の年月が来まして、初めてそこでバランスを考えるということは、お説の通りだと思います。ここしばらくは、国民全体にわたっての掛金が税と同じような、広範囲に負担がかかるわけであります。従って個々の家庭からばかりでなく、国全体から見ても、やはり税に類するものである。そうすると、これは国全体から見ればやはり増税のような形になるのではないか、こう思うのですが、この見解は誤りでありますか。

遠藤湘吉東京大学教授

○遠藤公述人 繰り返すようでありますけれども、そういう感触を与えるというのは、やはり給付の内容が強制拠出をさせられる国民をして納得せしめないような面があるからだろうと思います。

井手以誠日本社会党

○井手委員 一点お伺いをいたしたいと思います。  お述べになった最後に、公共料金についてもっと審議されてよかったのではないかということ、ごもっともでございます。なお一般質問も残っておりますので、さらに審議を続けたいと考えておりますが、たとえば国鉄の場合、公共料金はいかにあるべきか、先刻若干御意見もございましたが、公共事業であるならば今度の場合はいかにあるべきか、こういう場合はこの分は一般会計から持ってくる、この場合は借入金から出すべきである、施設拡充の場合には借入金でやってその施設が稼働する、利用できるときになって、その分はそのときの利用者に負担させる、いろいろな方法があると思うのです。一面また独立採算ということもいわれておるのでありますが、その分も含めて今度の国鉄料金の引き上げに関しての御意見、それをできますならば具体的に、率直に、大胆に、遠慮は要りませんからお述べいただきたいと思います。

遠藤湘吉東京大学教授

○遠藤公述人 国鉄の料金というのは御承のように非常に複雑でありまして、運賃というものに対してのいろいろな考え方が入りまじっておりますので、国鉄運賃体系の全体にわたって検討して、これに対して意見を言うということは、現在の私としてちょっとにわかにできませんけれども、原則的に申しますと、私は建設的なものについてはなるべく一般会計からの繰り入れとかあるいは借入金等でやっていく、そして経常的な面に限って運賃の引き上げという形で経常収入を満たしていくというのが原則ではないだろうかというふうに思うのです。ただしかしその場合に、初め申しましたように国鉄の運賃というのは御承知のように旅客とそれから貨物によってさまざまな等級がつけられております。ですから、運賃を引き上げると申しましても、経常的な収入を維持していくために運賃を引き上げる、経常的収入という場合にはもちろんその中にある程度減価償却費を含めたものでなければならない。そういうものを維持していくために運賃を引き上げていくという場合には、現行の運賃体系というものは非常に複雑であり、さまざまな差別的な料金制度を含んでいるということからいたしまして、そういう差別性というものをやはり全面的に洗ってみる必要があるのじゃないだろうか。もちろんその場合割り切ることはできませんけれども、運賃の上昇は、たとえば企業の努力によりましてある程度価格の中に償却していけるような、そういう成長産業に関係のある運賃、それからそういうことができないような産業に対して負担のかかるような運賃、それから旅客の場合にも負担能力のある、たとえば一等料金あるいは一等寝台の料金というようなものと、それから比較的負担能力の乏しいたとえば学生定期というふうな、一面ではそういう負担能力、消化能力というものを見合わせながらこの運賃体系というものを全部洗い直して、そしてそれぞれについての上昇率というものを考えてみる必要があるのではないか、そういうふうに考えております。

井手以誠日本社会党

○井手委員 重ねてお伺いをいたしますが、国鉄は本年度百五十億に上る黒字が減価償却を含めてある予定になっておるわけであります。今度の運賃値上げは施設の拡充に充てられるものであります。そういった場合にそれは運賃値上げが妥当なのか、あるいはそれは借入金で行なうべきか。割に簡単になって参ると思いますが、その点についての御意見を承りたいと思います。

遠藤湘吉東京大学教授

○遠藤公述人 ちょっとお伺いしますが、百五十億の黒字とおっしゃったんですね。——どうも具体的な問題になりますと、はなはだお答えしにくいのですが、ただ建設と申しましても改良的なものは経常的なものからまかなっていっても差しつかえない場合があると思います。そういう意味で純然たる新規の建設、新規の投資というものについては先ほど申した通りでありますけれども、改良にわたる部分はこれは実態に即していずれであるかということをきめなければきまらないわけでありますが、それぞれの営業の実態、路線の実態に即して言わなければ言えないわけでありますけれども、その面においては経常的な経費でカバーしていくこともある程度やむを得ないのではないかというふうに思います。

永井勝次郎日本社会党

○永井委員 一、二点お尋ねをいたしたいと思うのであります。  第一点は、財政規模が経済規模に比例して過大ではないかという点であります。これは予算面だけでなくて財政投融資を含め、さらに金利の引き下げが行なわれたわけでありますが、これは経済的な諸条件が成熟して下がるべくして下がったのではなくして、政策的な引き下げを行なう、そこに無理がある。従って、こういう状況では預金が集まらないのではないか、あるいは預金を引き出して株の方にいくとか物にかわるとか、こういう方向に流れるのではないか。そういたしますと原資が減りますから、金融機関の貸し出しは引き下げたことによってかえって貸付の安全性を確保するためにシビアになってくるのではないか、有力なところに集中してくるのではないか、こういうことが考えられる。そうすると財政投融資と一般の金融と通貨の量がかえってふくれてくるのではないか。そういうものを含めて考えますといろいろな現在の財政規模に比例して金融の量がふくれて、それが物価値上がり等の刺激になってくるのではないか、こう考えるのでありますが、その点はどういうふうにお考えになりますか。さらに財政の有効需要というものが公共投資に集中して参りますと、いろいろな有効需要の対象となるものがそれに比例してそう伸びないわけですから、タイム・ラグの問題もありましょうし、あるいは土地であるとか木材であるとか鉱産であるとか、こういった関係のものの部分的な値上がりが起こってくるのではないか、こういうふうに考えるわけでありますが、そうした相互関係についてお話をいただきたいと思います。

遠藤湘吉東京大学教授

○遠藤公述人 財政投融資は別といたしまして、今の民間金融の問題を含めて考えますと実は話が非常に複雑になりまして、私自身もはっきりしたお答えをするだけの力を持っておりません。ただ将来のことはわかりませんが、現在のところは預金金利の引き下げによりまして直ちに御心配のような預金が集まらないというような状態が表面に出てくるというふうには考えておりません。現在のところ投資意欲というのは相当活発でありまして、その相当部分が証券等に移る傾向というものがきざしておりますけれども、なおそういう大衆の預金が相当大幅に、巨額にそちらに移るという情勢にはなかなか急には参らない、長期的な傾向としてはそういうものは出て参りましょうけれども、ここすぐに預金金利の引き下げがそういうものを急激に促進するというふうには予想できないので、そういうことはないのではないかというふうに考えます。そういう点から、もちろんその場合金利の引き下げというのがはたして妥当であるかどうかということになりますと、これはやはり若干の疑問を持っております。というのは金利は一番自由経済的な性格の強い現象でありまして、今まで金利が高かったということも、一方ではあれだけの高い金利に対して相当の資金需要があり、そしてそれだけの高い金利で相当の利潤と相当の配当を上げている企業があった。そういうものがあるから自然の結果として高い金利が出てきておるというふうに考えられますので、それを特に引き下げる必要、それはもちろん自由化の進行に伴って競争力を強化するというふうな必要が言われますけれども、それはそういう政策的な手段によってはたして成功するかどうかという点については、必ずしも私はそうなるというふうに考えません。つまり将来もう少し様子を見てみないとわからないというふうな感じを持っております。しかしそれはともかくといたしまして、今おっしゃるようなそういう金融機関における資金の欠乏するということは、早急には出てこないのではないか。またかりに金融機関における資金が多少減少いたしましても、その分は株式あるいは社債等でいくならば、つまり資金の調達の形態というものが変わっただけであって、資金の総供給量というものには必ずしも変化はない、どころかやはり今の高度の貯蓄率からいいますと、経済成長の続く限りは、総額としてもふえてくるというように感じるわけであります。そういう点でも、やはり資金の逼迫するということは現在すぐには考えられないというふうに思われるのです。ただしかしもっと先の見通しといたしまして、たとえばある程度設備が過剰になってくる、三十四年、三十五年ころの投資が次第に稼働して参りまして、設備が過剰になってくる。それからたとえば国際貿易が昨年度に比べて次第に活発の度を減じてくるということになりますと、その場合には、そういうつまり設備過剰あるいは生産の過剰ということとからみ合って、資金の不足あるいは資金が窮屈になるというような現象が出てこないとは限らない、そういうふうな感じを持っておりますが、それ以上に自信のある意見を申し上げることはできません。

永井勝次郎日本社会党

○永井委員 ありがとうございました。  その次にお尋ねいたしたいのは、三十六年度において需要をささえるものは、政府の計画では個人消費を全需要の五〇%と押えているわけでありますが、その個人消費、五〇%をささえるような消費というものが、現在の財政なり経済の政府のやり方の中から出てくるかどうか。少し個人消費に過大評価をしているのではないか、こういうふうに考えられるのでありますが、その点についてはいかがでありますか。

遠藤湘吉東京大学教授

○遠藤公述人 それはちょっと私にはよくわかりませんが、この財政によってそういう数字が出てくるというふうには、私は直ちに考えられないように思います。むしろそういういわば極端に申しますと、財政のいかんにかかわらず国民経済それ自体の動きからいって、相当活発な個人消費が継続する、財政によってそれが出てくるのではなしに、現在の民間の経済活動の中で相当の個人消費が出てくるというふうに考えて差しつかえないのではないか、そういう感じがいたします。

永井勝次郎日本社会党

○永井委員 どうもありがとうございました。

船田中自由民主党

○船田委員長 他に御質疑がなければ、遠藤公述人に対する質疑は終了することといたします。  遠藤公述人には御多用中のところ御出席をわずらわしまして、貴重なる御意見の御開陳をいただきまして、まことにありがとうございます。委員長より厚く御礼申し上げます。(拍手)  次に林容吉君に御意見の開陳をお願いいたします。

林容吉早稲田大学教授

○林公述人 私が林容吉でございます。本日この席におきまして昭和三十六年度の総予算につきまして私の考えましたところを申し上げさせていただきます機会を得ましたことを大へん光栄と存じます。予算につきましてはむろん数多くの問題が関連しておるのでございますし、またいろいろな角度からこれを問題にし、取り上げることができると思うのでございますが、私といたしましては、できるだけ財政全般という問題を考えてみたいと思いますし、また特に国民経済との関連というような点を重要視してみたいと思うわけでございます。  ところで、これは必ずしも直接予算内容の問題ではないかもしれないのでありますが、最初に申し上げてみたいことは、予算編成の過程に関する問題でございます。大蔵省におきまして予算の原案を作成いたします前後というものにおきまして、いろいろな団体の要求とかあるいは圧力といったものが伝えられているわけでありまして、そのことが何か特定の団体とか特定の地方の利害関係といったものが特に予算に反映する、あるいはそのことが選挙対策にでもなるのじゃないかといったような印象を与えている点があるわけでございます。そういった印象は、かりに誤解であるといたしましても、誤解であることを願うわけでございますが、そういったことでありましても、何かすっきりしないといったようなもの、しかるべき機関がしかるべき手順を踏んですっきりした予算を作るということから遠いのではないかといった印象を国民に与えるおそれがあると思うのであります。この問題は昨年度も問題になりましたし、それ以前にも時折問題になってきているわけでございますが、あるいは政党内閣だから当然のことである、あるいはまた予算編成権が侵害されるとかされないとかいったような、そういう議論という問題よりも、むしろ国民感情としての受け取られ方ということも大切なものではないか、何かこういうことによって予算編成の根本が影響を受けるのではないか、あるいはいわゆる三本の柱といったような問題がどこか細くなったり、あるいはそのあるべき姿がゆがむのではないかといったような懸念を何となく国民に与えるというようなおそれがある。そういう意味で、もう少しすっきりした形で予算を作っているという印象を国民に与えるような行き方を私どもとして希望したいわけでございます。  ところで昭和三十六年度の予算でございますが、一般会計予算が一兆九千五百二十五億、これは昨年の初めの予算に比べると三千八百三十億、二四%余の増加だというふうに言われております。そうしてその規模が画期的に大きいということも言われているわけであります。これが大き過ぎるのではないかといった批評もむろん行なわれているわけでございますが、一応この数字で当たってみる限りにおいては、必ずしも特に大き過ぎるともいえないかと思うのであります。それは三十五年度の当初予算に比べますと、二四%余でございますかの増加というわけでありますが、補正予算の第2号まで入れて考えれば、その増加率は二%ぐらいである。この補正のうち三十五年度分といえない部分を差し繰りして考えてみますと、大体三十六年度は三十五年度に対しまして約一五%くらいの増加ということになるかと思うのであります。そういたしますと、三十五年度予算は三十四年度に比べましてほぼその程度の増加を示しておりますし、ここ数年、毎年の一般会計予算の増加率が大体同じくらいになっておると理解しております。また一般会計の予算の数字を国民経済の規模といった点から見ましても、かりに一般会計と国民所得との割合をとってみますと、これはやはり三十六年度におきましても一五%強ぐらいの数字が出て参ります。このことは過去数年間ほとんど同じ率を示しております。あるいはまた、もう少し適切な比較ではないかと思うのでありますが、政府の財貨サービス購入という数字がございます。これは御案内のように政府支出というものから恩給、利子、補助金、損失補償、出資あるいは貸出金といったものを引いたものでありまして、国民経済のうちに財政がどのくらい比重を持っておるかというような点におきましては、その規模を表わすものとしてしばしば用いられております数字でありますが、そういった政府の財貨用役購入というものと国民総支出——総生産といってもいいわけでございますが、その割合を見ますと、三十六年度において推定されますところは一九%幾らということになっております。これは三十年度から三十五年度あたりまでの平均とほぼ近い数字でありまして、むしろ三十四年度よりは低い、そしてまたこの一九%何がしという数字は、昭和八年、九年あたりの数字とほぼ近いものなのであります。  こういった点から申しまして、昭和三十六年度の予算は日本経済の発展にいわば即応した一応妥当な現模のものではないかというふうに私は考えるわけであります。ややともすると、近年経済成長というものを過小評価いたしまして、年度途中で相当の額に上るいわゆる補正をするということがあるわけでございますが、そういった点に比べますと、年度の最初からいわば適正な見通しのもとに適切な予算を組むということは、むしろ望ましいことのように私は理解するわけでございます。  むしろ問題は、大きい大きいと言われる心理的な要因ということが必ずしも見のがし得ない問題でありますし、またいずれにしても金額としては大きいわけでございますから、この運用の当否といったようなことはいろいろ問題があり得るかと思われます。そうして、また特に明三十六年度の予算がいわゆる所得倍増十カ年計画の第一年度に当たる予算であるという意味における性格、従ってその構成であるとかバランスであるとかいったことがどうなっているか、倍増計画の初年度としての性格がこの予算の中にどういうふうに盛られているか、その効果はどうであろうかといったようなことが、明年度の予算について重要な問題ではないかと考えるわけでございます。  あるいはこの辺で所得倍増計画そのものを論ずべき時期であるかもしれませんが、しかしこれは直接明年度予算の問題ではありませんし、また必ずしも時間の余裕があるわけではございませんので、ここでは申し上げません。ただ一言いわゆる所得倍増という意味について考えておきたいと思うのでありますが、私は、倍増ということは必ずしも単にいわゆる総所得の倍増ということでもなし、同じことでございますが、単に平均所得の倍増ということでもない、むしろ低い層が上がる、その上がり方はおそらく倍よりも多いであろうというふうに理解すべきものと考えております。いろいろの言葉が可能でございますが、格差の縮小というような言葉も使われているようでございますが、その言葉は何か上からも縮めるという印象を与えるような感じがいたしますので、必ずしも適当とは思わないのでありますが、下が上って、あいまいな言葉かも存じませんが、安定した中産階級の層を厚くするというようなことが、いわゆる倍増というものの目標ではないかと考えるわけであります。そういう意味では、この所得階層別の人口分布がどんな形になるのか、それが経過的にどういう姿をとるかといったような材料をお示しいただくことがありますと、大へんわれわれとして参考になると思うわけでございますが、それは別といたしましても、このいわゆる倍増計画の初年度に当たる予算にそういう点がどういうふうに考えられているか、どういうふうにいわゆる所得格差の是正というようなことが盛られているかということは興味ある問題だと思うわけでございます。さらにまた倍増計画と申しましても、倍増計画の中でも現われておりますが、いわゆる計画経済、プランド・エコノミーにおける計画ではないのだ、むしろ構想といいますか指針といいますか、そういった政府の施策によって国民経済を誘導する目標というようなものとして計画ということが理解されるべきものと思いますので、そうした政策が三十六年度の財政計画のうちにどういうふうに盛られているか、どう現われているかという点もまた私たちの関心を持つところでございます。  そこで、予算の内容に順次立ち入っていきたいと思うのでありますが、所得の格差を是正する、あるいは消費需要の喚起を促すといったような方策の歳入面における現われは、いわゆる減税ということであろうかと思います。所得税における配偶者控除であるとか、専従者控除であるとか、税率の低下、あるいは法人税における各種の改正といったことは、むろん家計にとりましても、企業にとりましても、喜ぶべきことであると考えるわけでございます。しかしながら、いわゆる減税額六百二十八億といわれておりますが、千億減税ということが大きな看板のように伝えられていたわけであります。それを考えますと、ちょっと心細いような感じがするわけでございます。なるほどガソリン税の方の問題を別にすれば、平年度千百億になるのだ、あるいは地方税の減免もあるということで、まあ千億と言えば言えるというような見方もまた可能でありましょうが、一方、予想される自然増収というものの見積もりが三千九百三十億というふうに伝えられているわけでございまして、その数字を聞きますと、つまり四千億近い自然増収というものがあると聞かされますと、もう少し減税の方が何とかなったのではないかというふうな気持を持ちたくなるわけであります。  この自然増収との関係では、減税額というものが一六%程度であると計算されておりまして、三十五年度の減税はなかったようでございますが、三十四年度以前の数カ年をとりましても、減税というものが平均自然増収の三〇%以上ぐらい行なわれてきているわけであります。そしてしかも三十五年度に減税がなかったという点を考えます為、三十六年度におきましてもっと減税の可能性があったのではないかと思うわけでございます。あるいはまたこの予算が大蔵省原案から政府案になる経過において、いろいろな費目から行ったり来たりしたような金額が四百億くらいの出入りがあったように私理解しておりますし、またこの三十五年度の補正予算2号で、やはり四百億近い財源が計上されているといったようなことを考えると、何かまだその間に減税ということに考慮を払うべき余地があったのではなかったか、そう思うわけでございます。税制調査会が、国税、地方税を合計したいわゆる国民の租税負担額というものが、国民所得の二〇%程度が適当であるというような見方をとっておられるようでありますし、またこれを政府としても採用しておられるように思われるわけでございますが、この二〇用といいますことにどれくらいの根拠があるかということは一つの問題だろうと思うのであります。三十六年度予算における租税負担の予想は地方税がまだ明確ではございませんが、ほぼ二〇・七%というふうにいわれております。これは三十五年度の当初予算における二〇・五%というような数字よりもわずかながらもこえているわけでありまして、その辺にもなお減税の余地があったのではないかということを感ずるわけでございます。  一方また、いわゆる所得倍増計画が進展して参りますと、私の見るところでは、大所得者の所得の伸びというものは、小所得者の所得の伸びよりも早いというふうになるのではないか、そういう点から考えましても、その進行そのものは、是正しようとする所得格差というものを少なくとも経過的には拡大するような要因を含んでいる。そしてまたそういった格差の拡大を防ぎながら消費需要の喚起をする、総体的に消費需要を増大させるということのためにも、計画の初年度における予算において、もう少し大きな減税が行なわれるべきではなかったかと思うわけであります。  問題を歳出の面に移したいと思うのでありますが、三十五年度当初予算と比較しますと、これも三千八百二十億の増加である。これが一体どんなふうなところにふえていくかということを見たいと思うのでありますが、もちろんこの三千八百二十億という中には、いわゆる政策によって増加するというようなものでない、いわば当然の増加といったものが相当額を占めておりますから、そういった分を除いて考えますと、増加しました経費を拾ってみますと、社会保障関係、公共事業関係、文教関係、そして海外経済協力基金への出資の五十億といったもので、ほぼ千八百五十億くらいが、いわゆる政策による増加といったふうに理解できるかと思うのであります。こうしてみますと、なるほど歳入における減税とあわせまして、財政政策におけるいわゆる三本の柱、減税、社会保障、公共投資といったもの、ないしはそれに関連するものに重点が置かれているということは見てとることができるわけでありまして、その点においてはやはり公約の実現ということも、予算面の上に現われているかと思うわけでございます。  一々経費について申し上げる余裕はないかと思いますが増加率で一番高かったのは社会保障関係でございましょう。三十五年度に比べまして三五%ほどの増加といわれております。社会保障の直接の対象になる階層が決して満足すべき状態ではないと思いますし、また生活保護費が一八%であって、厚生省が主張しておりました二六%には達しなかったというようなことはございましても、この一八%の基準の引き上げということ自体が、近年においては画期的な改善であるといわれております。このことがむろん低所得者の生活を潤す、そうしてまた消費購買力を刺激する要因になるということは明らかなことだと思うわけでございます。  金額で申しまして、最も多く増加したのは公共投資でありましょう。総額三千四百五十四億、これに類似した経費を加えて考えますと、一般会計予算の二〇%にも近い金額になるかと思うわけでございます。そうしてこの経費はまた、やはり所得倍増計画における政府担当部門の仕事と申しますか、政策を現わすものと思うわけでありまして、そういった部門にこれだけの大きな予算が充てられているということ、そうしてまた各種の長期計画、治水、治山事業であるとかあるいは道路であるとか港湾であるとかいったようなものの計画が推進されてくるということは、長期にわたって経済成長の基盤をしっかり築くということにもなると思いますし、そうしてまたこのことがいわゆる国民資本といったものの増加になるという意味におきまして、政府の経済発展に対する意欲というものをここにくみとることができるかと思うのでございます。しかしながら一方におきまして、この実施、運用ということが最も問題になるかと思われますのは、この種の、つまり公共投資といった経費であろうかと思うのであります。計画そのものを合理的に立てる必要もありましょうし、また緊急度といったものの判断、重点的な実施、あるいはこの資金の効率的な利用といったようなことは、非常に重要な問題になってくると思うのでありまして、いたずらに予算が多いからというだけで実効が上がらないというようなことであってはならないと思うわけでございます。それにしましても公共投資が非常な額に達したということから、あるいはこの中から百億単位ぐらいで直接税なり間接税なりの減免にさき得なかっただろうかということも、また一部では感ぜられるわけでございます。  公共投資に関連しまして財政投融資をちょっと見たいと思うのでありますが、これも七千二百九十二億という規模は、昨年に比しても二三%近い増加であるというわけでありまして、またこれが国民生活の安定、整備あるいは産業基盤の強化、基幹産業の充実といった点に貢献するところが多いわけでございまして、経済の伸展に寄与することは疑いないと思うのでありますが、また同時に、公共投資における問題と同じような問題を持っているということもここで指摘して声きたいと思うわけでございます。  次いで、文教費の増加というのも目立っております。これは主として理工系の教育あるいは技術家の養成といった面の振興といいますか、これが目立っているわけでございまして、このことは、経済発展の一つの人的な要素の充実という面におきましては、むろんよく理解されるところであります。ただここで、どちらかと申しますと、教育者としての感想と申しますか、一言つけ加えておきますと、理工系の教育の充実ということの必要であることは申すまでもないと思うのでありますが、それのみにとらわれて、全人格的な教育ということをそこなうことがあってはならないという点に重大な考慮を払う必要があるかと思うのであります。ここでこの問題は詳しく申し上げる機会ではございませんが、技術家養成と申しましても、高度の技術家といったことを目標とすべきでありまして、そのことは速成的に技術家を作ればいいということではなく、むしろ教育段階などでも大学院という段階、大学ではなくて大学院の段階というものをもっと充実させるということを考えるべきではないか。アメリカあたりで、先年、ソ連と比較して技術家が非常に不足するという問題が起こったことがございますが、その場合も、論議の焦点は、工科系の大学院学生数といったことの比較が非常に問題になっていたわけでございます。なおまた教育振興ということの一方途としましては、単に支出面での補助ということばかりでなく、学校法人に対する寄付の免税措置といったことも、この際ぜひ考慮をわずらわしたいものと思うわけでございます。  以上、ほぼ昭和三十六年度予算を検討したわけでございますが、この予算を、いわゆる所得倍増計画の第一年度としての三十六年度における経済計画並びに物価の動向といった問題の関連において少し見てみたいと思うわけでございます。  もちろん予算の数字から直ちに国民経済における主要な指標を導くといったことはできるわけでもございませんが、現在の経済全般の、特に民間部門における安定した発展と私どもは見ておりますが、これを基礎といたしまして、減税とか、社会保障の充実とかいった財政措置というものが、消費需要の伸びというものに寄与するところはもちろんございましょうし、また公共事業の発展、投融資の拡大といったことが、その実施、運用が適切でなければならないわけでございますが、適切に行なわれる限りにおきましては、資本形成に貢献するところが大きい。そして特に国民生活の実質的な向上、生産基盤の強化に資するということは疑いをいれないところと考えるものであります。  あるいは貿易という点につきまして、世界貿易の伸びの鈍化ということが考えられておりますし、その点でこの輸出額の予想というものが経済計画において甘いのではないかという見方もあるいは出てくるかもしれません。その点で、予算の上で貿易対策の経費が少ないではないかという議論も一部にあるようであります。しかし消費支出の伸びが三十六年度に相当大きいというふうな予想ができると思うのでありますが、消費支出の伸びということは、輸入を特に刺激するということのない要素のように思われます。またドル資金が豊富であるということは、輸入を買い急ぐということを心理的に誘わないというような点もございますから、貿易の悪化ということは、相当ドル資金の危機を招くというような事態になるということには考えられないわけでございます。  こういった点から見ますと、昭和三十六年度予算というものが、長期における経済拡大の基礎を強める、同時にまた予想される経済成長、すなわち年間国民総生産におきまして、名目九・八%、実質九・二%増という目標を達成する、その目標に対しまして、この予算がおおむね適切なものであるという判断を私は持っているわけでございます。  一方、明年度予算が物価を刺激するのではないか、インフレーションを起こす要因になりはしないかという議論もあるようでございます。結論から申しますと、私はそういうことはないと思います。過去の投資で供給面が非常に充実してきております。そこで供給が需要に追いつけないというようなことは起こらないと思いますし、かりにあったといたしましても、輸入というものによってこれを調整できるだけの対外購買力というものが現に存在しているわけでございます。  しかし消費者物価におけるある程度の上昇ということは、私は起こるのではないかと思います。国鉄運賃にしろ郵便料金にしろ、あるいは医療費といったものの値上がりということはすでにきまってきておりますし、これに次いで、電力や私鉄料金の値上げが起こるのではないかということも予想が行なわれております。もっともこういったいわゆる料金といわれる種類のものは、ここ数年ほとんど動いておりません。しかもまた戦前との比較においても非常に上昇率の低いものが多いわけでございますから、そこである程度の値上げということは特に驚くことはない、あるいは当然であるといったものもあるわけでございます。  そういったもの以外の、消費者物価の値上がりの要素となっておりますものは、主としてサービスを多く包含するものといったようなものが多いように見られるのでありますが、このことは、そういう点の値上がりというものがなければ、そういう部門に従事する勤労者の所得がふえないという要素を持っているわけでございます。いずれにしましても、こうした物価上昇がそれほど他に波及して連鎖的にインフレーショソの要因になるというほどのものとは考えておりませんし、いわんや所得倍増に先だって物価倍増がくるというようなことは論外と思うのでありますが、しかし消費者物価の上昇ということは、あるいは政府の考えておられる年間一・一%よりも高くなるのではないかと私は考えております。  そういった点で、減税の恩恵も受けないし、といって社会保障の対象にもならないという階層の人々が、この物価騰貴の影響だけを受けるというようなこともあるいは起こり得るのではないか。しかもこういった階層は、所得税の減免が進むに従って非常にふえていく階層でありますし、また見ようによっては、国民の中堅層的な部分でもあります。そういう人たちのために、将来間接税の減免ということを考慮すべきではないかと思うわけでございます。  私時に感ずるのでありますが、物価の問題にいたしましても、どうも家庭の主婦の感覚などで申しますと、所得倍増と言ったとたんに野菜が上がったり、魚が上がったり、クリーニング代が高くなったりする、所得倍増などと言うから上がるのだ、所得倍増どころか物価倍増ではないかというようなことを聞かされますと、なるほどと思うようなことも多いわけでございます。そういったことは、いわば国民感情と申しますか、自然だとも思えるのであります。これに対しまして、上がらない、上がらないと言っている必要はないので、上がるべきものは上がる。手間賃なりサービスなどといった面では、上がらなければならない。そういうものが上がらなければ、所得が上がらない部門の人たちもあるわけであります。そこで、上がるものは上がる、消費者物価もおそらくある程度上がるだろう、しかしこれを上回る所得増によって実質所得を上げるのだというふうな積極的な議論をしてもいいのではないかと思うのであります。どんな政策にいたしましても、これを発表しあるいは実施する場合には、政府といたしましては、前もって根気よく国民の理解をつちかうべきだと私はかねがね思っております。そして、そうした理解のある支持のもとに政治が行なわるべきではないかと思うのであります。民主主義はひまがかかるというのも、そういったことをいうのであろうと思うのであります。所得倍増計画につきましても、計画とは申しましても、いわゆるプランド・エコノミーではないので、あくまでもプライス・エコノミーの体制において行なわれるものと考えております。従って、成否といいますか、そういった目標が順調に達成せられるかどうかということについては、国民の理解と支持とかいうことはきわめて大きな要因となるべきものと思うのであります。たとえば、農業人口六割減というようなことをいきなり言われましても、だんだん聞いてみますと、第二種兼業農家というものは農業人口に数えないでもいいのではないか、そうすれば、六割でないまでも、五割なり何なりになるのではないかというふうにいわれますが、こういったことが、ああそうなのかと理解されるまでにはずいぶんひまがかかるだろうと思うのであります。そういった時間の要素ということが、政策を円滑に遂行するには非常に重要な問題であるのではないか。そのことはほんの一例ではありますが、むろん政府は多数というものを基礎にして成立しております。しかし、その政府が多数の上に眠ることなく、国民の理解をつちかう積極的な努力を尽くすべきものと思うのであります。広い意味におきます所得といえると思うのでありますが、レジャーというものもまたこれ将来ふえていくと思います。こうしたレジャーというものが広く政治なり社会なり経済なりといったものの理解に向けられるように積極的な努力を尽くすことも、また政治の一つの任務ではないかと思います。またこのことが民主政治を育てるゆえんではないかと思うわけであります。  最後は予算そのものの問題ではございませんでしたが、以上で私の公述を終わらせていただきたいと思います。(拍手)

船田中自由民主党

○船田委員長 ただいまの林公述人の御発言に対して御質疑があれば、この際これを許します。

野田卯一自由民主党

○野田(卯)委員 今の林さんのお話の中に減税の問題がございましたものですから、それについて御意見を承ってみたい。  減税がもう少しなされるべきではなかったであろうか、こういう御意見でございました。こういう意見は、よくこの委員会においても言われ、本会議でも言われておる。そこでその一つの根拠として税制調査会で、中央、地方を通ずる税負担は国民所得に対して二〇%くらいがいい、昨年というか、昭和三十五年度が二〇・五%、今度は二〇・七%になった、少しふえているではないか、こういうような点がよく引証されるわけであります。そこで私お尋ねしたいのですが、税制調査会のいっている二〇%というのは、これを所得倍増計画と結びつけまして、これからずっと毎年々々国民所得の二〇%くらいがいい、こういう前提に立っての二〇%であるかどうかという点であります。なぜかと申しますと、もしこれからずっと日本の経済が発展していく過程において、絶えず国民所得の二〇%くらいが税金に取られていいのだ、それ以上取られると取られ過ぎだ、もしこういう考え方があるといたしますと、今度国際比較の問題になってくる。外国との比較になる。これは林さん、もうよく御存じの通りに、アメリカの税負担はたしか二八%くらいで、イギリスが三二%、西ドイツが三三用になっている。フランス、イタリアは、私、今数字を持っておりませんが、そういうふうに高いのです。そうして所得倍増計画で総理大臣も言っていますが、所得倍増計画が十年先に達成されたときには、日本の生活水準、国民の所得水準がおおむね西欧水準に達するときだ、こういうことも言われている。そうすると今日の西欧の生活水準、それが十年先の日本の生活水準と大体照応するということだと思うのです。そういたしますと、そのときに外国では税金負担が三二%から三三%になっている。そして日本はそのときに二〇%を主張するのかどうか、この辺のことをまずお聞きしたい。

林容吉早稲田大学教授

○林公述人 ただいまの租税負担の国民所得との数量的な割合という問題の点でございますが、私、先ほどこの税制調査会の二〇%を適当とするということがどういう根拠があるか、必ずしも断定できないというふうな表現で申し上げたと思うのであります。そしてまた二〇%ということが、ただいまのお話のようなイギリス、アメリカ等との水準に比べて低いということもあるわけでございます。租税負担の国民所得に対する割合といったものは何%くらいが適当であるかという問題は、他の問題を無視して、数字だけで何%がいいというようなことは言えない問題ではないかと、私はかねがね思っております。それはいろいろな他の要素があって、どのくらいが適当だということが、その国々あるいはその時代時代によって出てくるのではないか。たとえばこの支出面における支出の性格がどうなっているかということが、この租税負担の大小を判断するのに非常に大きな要素になると思う。つまり国民還元的な支出が相当多いか少ないかということによって、租税をよけい取ってよかったか悪かったかということは非常に違ってくると思う。ですから、その意味で何%がいいとか悪いとか、そうしてまた国によって租税負担率が違うということが、ただ一方が高いから、こっちが高くてこっちが低いのだということも簡単に言えない。その支出構造といったものの性格を見ないと、どっちが高いか低いか、簡単に言えないというような問題がございますので、ただいまの問題の中心かと思いますが、倍増計画十カ年なら十カ年というものを通じて終始二〇%が適当かどうかということは、やはり倍増計画の進展につれて支出内容等がどうなっていくか、たとえば社会保障が倍になるかならないかということだけでも、租税はどの程度が高いか、多いか少ないかという問題に影響があると思いますので、一がいに数字だけで言うことはできないように私は理解しております。お答えになりましたでしょうか。

野田卯一自由民主党

○野田(卯)委員 そこで、もう一つ聞きたいのですが、二〇%云々について、将来普通のノルマルな形でいったときには、所得の倍増計画の進展に伴って、たとえば現在欧米が持っているような租税負担の率に近づくことがいいか悪いか、それはおかしいと思われるか、おかしくないと思われるか、その辺のところをお聞きしたい。

林容吉早稲田大学教授

○林公述人 この租税負担の率というのは、むろん税率とは全然違うものでございまして、徴収しました租税額の国民所得における比重ということでございましょう。そのことは、所得の分布が非常に上に寄っておりますと、たとえば累進税率の制度が同じようでも、税額がふえる。従って、国民所得における比重が大きくなるというような性格を持っていると思うのであります。欧米諸国の租税負担率が高いというのは、所得の分布が、日本に比べまして、上に寄っているという相対的な問題であります。そういう意味で税額がふえる。従って、国民所得に対する比率が大きくなるというふうに理解しているのであります。  そこで、日本の倍増計画が進んで、所得が全面的に上に移行していくということになりますと、同じ税制で負担率が高くなっていくわけでございます。そういう意味では、租税負担率というものは、所得倍増計画が進展していくに従って、むしろ高くなっていくべき性質のものではないか、それを、総額において常に二〇%以内でなければならないということは、必ずしも言えないと私は思っております。むしろその負担率というものが上昇していくのが自然だろうと思っております。

野田卯一自由民主党

○野田(卯)委員 そういたしますと、昭和三十六年をとりまして、昭和三十五年の二〇・五%に比べて二〇・七%になるのは自然の趨勢である、経済的に見て、財政的に見て、妥当視さるべきだというふうなことになっていくのですが、その辺はどうですか。

林容吉早稲田大学教授

○林公述人 二〇・五と二〇・七というのはほとんど同じで、別にそれが特に上がったというほどのことではないと思いますが、そこで、経済の発展に従って負担率がある程度上昇するということが私は先ほど自然だと申しましたが、この場合、三十五年度と三十六年度だけの比較で〇・二%上がって、それくらいが自然じゃないか、上がってもいいじゃないかということよりも、この場合の問題としましては、やはり先ほど申しました幾つかの角度からいたしまして、少なくとも、国民感情的にも減税というものの措置がもう少しとられる余地があったといういろいろな要素が、今度の予算の中にあるように思います。私は三十六年度予算についてそのことを申し上げたわけであります。二〇・五が二〇・七になったから多くなったんだ、税制調査会の言っているのよりまだちょっと多いじゃないか、だから下げてもいいじゃないかということを、そこだけで私は申し上げたのではないと思っております。

野田卯一自由民主党

○野田(卯)委員 そこで、私はこれは非常に大きな問題を含んでいると思うのです。ですから、先ほど申されたように、今の政治は民主政治ですから、国民によく税金というものを納得させていかなければならない。ところが、二〇%がいいのだ、二〇%がいいのだ、それをこえるのはいけないのだというようなきわめて単純な考え方で国民を教育されていきますと、何だかおかしなことになりはしないか。あなたのおっしゃるように、所得倍増計画が進んで、経済が進展して、国民所得がふえてくれば、少なくとも近代国家としての、近代国家にふさわしい国民生活をするためには、税金の負担はふえるべきだ、こういう意見が打ち出されて、それを国民が承服すれば、また別な批判が出てくると思う。そこで、私は外国の例などをよく研究して、お話しの国家支出がどういうふうに配分されるかということももちろん必要なんで、そういうことも十分検討する必要がありますが、ここらあたりは、私掘り下げ方が非常に鈍いんじゃないかという感じがするものですからお聞きしているのです。  それからこういう例があるのです。この間ガソリン税を一五%上げた。普通のときですと、一五%上げますと、まずねじりはち巻、たすきがけで大勢の人が国会に殺到したり党の本部に殺到したりするものなんです。ところが、ことしはそれが起こっていない。なぜかと私は運転手に聞いたのです。運転手が言うには、皆さんがタクシーに乗って、議員会館から丸ノ内にいらっしゃいますと、昔は三分か五分で行った。それが今は十五分も二十分もかかる。そこで運転手にしてみれば、運賃は同じ距離だからちっともふえない。七十円ですが、時間は三倍も四倍もかかる。これではタクシーは泣いてしまう。道路が悪いために非常な損をするんですよ。これはトラック業者だって同じことです。この間からダンプカーがしょっちゅうぶつかるでしょう。あれは普通の道を通っていたら通れないから、しようがないから危険な道を通っていく、それがために衝突して大事故を起こす。要するに、道路が不足しているからだ。こういうわけで、同じ距離を運ぶのにだんだん輸送の時間がかかってしまうとか事故が頻発してくるのです。これは要するに公共投資の不足ですね。これでは業者はたまらない。だから、こんなに時間がかかっていては自分にかえってマイナスになってきますし、そして事故を起こす、こういう点から、やむにやまれず、もう一五%けっこうだ、それよりも道路を早くよくしてくれと言うのです。こういうことが現実にぶつかって出てきているわけです。私、このことなんか、税金と公共投資の関係なんかを考えるときに、非常な研究テーマだと思うんです。ですから、ただ税金のパーセントがどれだけがいいとかなんとかいうことたけでなしに、一体、日本の国家の行なうべき機能は、近代生活にふさわしいだけの機能を果たしているかどうか、私は欧米に比べて果たしていないと思うのです。そういう点から税金を批判せぬと、ただ二〇%がいいとか、戦前は一三%であったとか、昭和二十四年度は二八%だったとかいうような議論は、非常に幼稚だと思うのです。外国の実情というものは、向こうの国は相当公共投資が御承知のように進んでいるのです。公共投資は日本より進んでいる。イギリスへ行けば、道路の舗装率は一〇〇%、日本は二・五%でしょう。日本は、たとえば、道路計画は今度五年間で二兆一千億、これが十年になるとどのくらいになりますか、倍かあるいは二倍半くらいになるでしょう。まず五兆ですね。五兆やってどれだけの道がよくなるか御想像がつくでしょう。今日まだ、まことにヨーロッパに見られぬような道の状態だと思う。そうなりますと、それで一体国家経営が成り立つかどうか。  それからもう一つ、この間もおもしろい議論があったのですが、石田労働大臣が日本の物価のことを言っておりました。日本の国民の所得と税金の負担のことを言って、よく先生も御承知だと思いますが、日本の標準家庭では三十三万円、今度上がりまして三十九万円なら三十九万円まで税金がかからない。イギリスでは七十五万円といいますね。そのときに、すぐそれをとってくる。これはおそらく為替相場で換算した数字だと思うが、為替相場で換算するということだけでいいのかどうかという問題がある。これはこの間も石田さんが、日本とアメリカは為替相場でいえば一ドル三百六十円、しかしこれは生活の実態、要するに生活してみての貨幣価値の比較は二百円だとおっしゃった。これは消費者物価に近いものなんです。だから、生計費とか消費者物価的に見て日本の貨幣価値がどうだというふうに考えないと、七十五万円と三十何万円の比較はできないだろうと思うのです。そういうふうにいろいろ考えてくると、日本の租税負担というものを考えるときに、これからの公共投資、国家の施設というものに要る金をどうまかなうかというその関連をもう少しブロードに、幅広く、そしていろいろな観点から批判しないといけないと思う。税制調査会のやり方は、全体から批判するわけじゃないのですけれども、私の知っている範囲では、どうも少しナローだ。もっと見方を広くしなければならないのじゃないかという感じがするものですから、この点に関する先生の御意見を伺います。

林容吉早稲田大学教授

○林公述人 租税の問題について、全くお説の通りだと私も考えます。先ほど申しましたように、支出内容ということを考えないで、租税負担率というようなことだけを論ずるということは、全く一方的な議論に終わるわけであります。所得水準というものが上がるに従ってその金額が上がるのも自然だと思います。今度でも、減税をしていながら、やはり二〇%にはなっているということは、ある意味ではそれを表わしているわけであります。と同時に、いわゆる社会資本と申しますか、そういう国民生活に無形の実質的な向上を与えるような支出というものが各国でもとられておりますし、日本はその面で低いということも申せましょうし、そういう社会資本の形成あるいは国民財産といっても何といってもいいのですが、そういったものを充実させていくということに、今日の個人でできないそういう仕事がいろいろあるわけであります。そういう面が税金でまかなわれるという意味におきましては、むしろ税金がある程度徴収されて、それがそういう形で国民に還元してくるということはむろん望ましいことだと私は理解しております。お説のような通りであると思います。

淡谷悠藏日本社会党

○淡谷委員 さっき冒頭に林さんのお話がございました予算編成のあり方、それから修正のあり方についてちょっとお伺いしたいのですが、政府が原案の作成にあたりましてまず与党と打ち合わせをして原案を固めるというところまではまずいいと思うのです。けれども、そのあとで、さっきおっしゃったように各地のプレッシャー・グループと申しますか、圧力団体が押しかけてきまして、あるいはまたいろいろなその手この手が使われまして、そこで平たく申しますと、予算のぶんどり合戦が行なわれます。そのうちにいつの間にか政府の原案が変わってくる。変わってきましても、一たん閣議で決定しましたものは、国会の論議を通じてもなかなか直さぬというのが方針らしいのです。この予算のぶんどりが——ぶんどりと言ってはちょっと語弊がありましょうけれども、手直しが国民の前ではっきりわかったような形で論議されて行なうならば、これは大したことはないと思いますけれども、どのような手はずで、どのような手段でやられているかわからないままに、全く原案とは違ったものが出てくる。こうなりますと、やはりおっしゃる通り、予算面が非常に暗くなります。これを直すのは、やはり何といっても国会の論議を通じて、国民の前にあからさまにその実態を了解さして、直すべきは直すというくせをつけた方がいいと思うのです。公聴会なども実はいろいろ御非難がある。幾らあそこへ行ってものを言っても、さっぱり反映してこないからつまらぬという公聴会御出席の方の御意見もございますが、この際やはり原案は原案としてお出しになって、国会の論議を通じ、あるいは公聴会の意見を聞いた場合は、これを率直に認めて修正に応ずるという与党の態度がほしいと私は思うのです。これは、予算の編成のあり方並びに修正のあり方として、どうお考えでございますか、お伺いしたいと思います。

林容吉早稲田大学教授

○林公述人 お説に大体賛成でございます。それは国会の論議を通じて予算を批判し、あるいは公聴会の意見を反映して予算というものを十分検討すべきだということは、編成の手続がどうあろうとなかろうと、当然なことだと思います。  本来、予算の内容ということについては、各種のいわば利害関係が錯綜することは、これもまた当然のことであります。歳入の面におきましては、負担の軽重と申しますか、租税制度その他が各国民にそれぞれ違う影響を与えます。また支出というもののあり方が、いろいろな関係分野の利害と直結している面はむろんあるわけであります。利害というのは、それで金がもうかるとか、もうからぬとかいうことでなく、その施策によって国民の受ける影響ということがいろいろに変わって参るわけであります。その配分がどうなるかということ、そもそも総額が一体どれだけであるべきかということ、あるいはその総額を収入として分布させる場合にどういう分布が適当であるか、あるいはそれを支出として各人に割り当てる場合に、どの人にどれだけいくことが適当であるかということは、理論的にはたとえば限界原理といったもの、それぞれの限界単位の犠牲なり価値なりがひとしくなるようにという考え方が根本的にはあると思います。しかし、これは簡単に、こうなっているから限界価値が幾らになるというような計算ができるわけではないのであります。ただそれがほぼそうなるような、それを中心として、それを近似値として動くと想定されますのは、財政の公開の原則というものがその基礎になっていると思うのでありまして、いろいろな利害関係は錯綜していながらも、それぞれの利害関係者が公正に意見を述べて、そしてディスカッスする。そのプロセスはいろいろな点にあると思いますが、たとえば予算編成の過程でも、各省なり大蔵省なりの折衝ということを通じても、あるバランスに近い動きをする一つの要因になっていると思います。またそれが発表されると、国民なりあるいは新聞なりの批判もある。いろいろな意見もありましょうし、等々——そしてまたそれを実施してみると、あるいは俸給所得者の租税負担はどうも自家営業よりも重いようだということが生活経験から出てくる。それがまた何かの声になって出てくるというようなことで、絶えずいわば適切ならざる分布というものを修正しながら経過していくように私は理解しております。おそらくその最も大きな場は、正式に予算を論ずべき国会という場だと私は思います。  そこで、復活要求でごたごたしたとかしないとか、圧力団体がどうした、こうしたということは、新聞などでは目に余ると言われております。私見ておりませんから目に余ったかどうか、私自身は存じませんが、そういうことが目に余ると新聞が書くと、われわれも目に余るのかなと思いますが、そうしたことが何かすっきりした姿でないといいますか、正しく整備された国家機構の中で正しく作られていく。そこで一応正しいと思われる一種の分布ができるというふうにわれわれは理解したいのであります。それが何かゆがめられるんじゃないかということを確かに印象づけている面がある。しかし、そのことがあろうとなかろうと、やはり国会で論議してきめる以上は、もし不適当だという面があるならば、むろん政府側としても虚心に修正——修正をした方がいいとか悪いとかは別でございますが、絶対に修正しないという慣習は、私は少しおかしいのではないかと思います。

淡谷悠藏日本社会党

○淡谷委員 よろしいです。

上林山榮吉自由民主党

○上林山委員 先ほどの遠藤公述人にも伺いたいと思っておったのですけれども、時間の関係で御遠慮したのですが、適当な機会だと思いますのでお尋ねいたしたいのは、先ほどの質問と大体方向を一緒にしておるのでございますが、まず予算の編成過程ないしは技術がまずいじゃないかという議論がごらんの通り行なわれているわけです。そこで政府の原案というのは大蔵省の原案をすなおに原案と見るのか、それとも、総理が内閣を統率しておるわけでありますから、総理が主宰する閣議決定が政府原案であるのか、まだこの見解をつまびらかにしていないようでございますが、これをどういうふうにごらんになるのかというのが第一点。  第二は、言うまでもなくこれは政党内閣制ですね。そういうような建前から、圧力団体は別として、国民の世論を組織ある形式を通じて——大蔵原案はわれわれは見ようによっては大体骨組みだけを作ったものだ、こう理解する段階もあると思うのですが、そういうようなときにそういうまじめな世論を反映して政府原案を、あるいは原案に類したものをある程度是正するということこそ、見ようによっては民主的であるのではないかというのが第二点。  第三点は、そういうふうにしてできた予算であっても、ただいま公述人も言われた通り、国会の論議を通じて、国会は自主的に不適当と認める点はこれを是正してもよろしい、私もそれは賛成であります。それならばこれは俗に言う政治道徳論にもなってくるわけでありますが、修正の限界はどの辺まで認めていいか。これが根本的な予算の修正になると、言うまでもなく内閣の不信任、こういうことになってくるわけです。修正の限界点、これはなかなか微妙でお答えしにくいと私も思うのですが、ここに政党政治家としてのわれわれの悩みもあるのでありまして、われわれが支持し、国民の大多数が支持しておる政党内閣、これに対して、その過程においてわれわれが一応の進言もしてでき上がった予算案、だがそれを、各方面の意見を聞いてある程度の修正をするということも、国会と政府は表裏一体とはいいながら、与党としては表裏一体とはいいながら、ここにやはり区別があるわけで、それとその修正の限度、この辺が一つ参考に承ってみたい点であります。

林容吉早稲田大学教授

○林公述人 三点について御質疑をいただいたわけであります。  第一点は制度上論議の余地がないことでございます。財政法にも、概算決定なり予算決定なり、閣議の決定事項として出ております。大蔵省が作った原案がそのままと申しますか、閣議決定以前に政府案だということは必ずしも制度上言えないことは明瞭だと思います。それでよろしゅうございますか。  それから第二点でございますが、大蔵省案が正式な政府案でないとするならば、大蔵省が一つの案を作ったものを正式な閣議決定として政府案にするまでの間に、正しい意味の世論の批判を聞いて修正するのは差しつかえないではないかというような御趣旨だったと思うのでございますが、むろん私はそう思います。が、結局問題は現実のあり方だと思うのです。ただいま、圧力団体は別として正しく組織された形式における世論を反映すべきだと、たしかおっしゃったと思いますが、そうすると今のお話では圧力団体はその中に入らないかのごとき印象を受けるわけですが、私は圧力団体も世論の一部だと思います。従って利害関係者がことごとく予算についてオープンにものを言うべきだと私は思います。ただこれは、先ほどと同じようなことになるかもしれませんが、やはりそこに何か秩序というものが当然あるべきだと思うのでありまして、少し前からでもありますが、去年なりことしなりのことが何か秩序的でないような印象、つまり正しく組織された形式とおっしゃいましたが、必ずしもそうではないのではないかというような印象をややもすれば国民に与えることは適当でないというふうに私は思うわけであります。むろん結果においてできた予算がいいか悪いかということがおそらく最も重大なポイントだと思いますし、その過程がどうであったかというようなことは必ずしも本質的なものではないかもしれませんが、しかし予算編成の手続におけるそういった問題が、ここ数年絶えず問題になるということは問題点だろうと私は思います。  第三の、国会における予算修正の限度、これは今の御質問の中でもむずかしい問題だとおっしゃった通り、むろん抽象的にはおそらく言えましょうが、抽象的にどうだと言っても、予算の編成権を持ち提出権を持つ内閣の根本的な政治の信条なり、政策の基本であるとかいうものが予算に盛られているわけでございますから、それを本質的に変貌するような修正ということになれば、これはもう内閣としての生死の問題ということになりましょうから、おそらく内閣が応ずるはずはないと思います。また応ずべきではない。その政治信条が盛られている予算であるとするならば、これを曲げるほどの修正に応ずるようなら、初めから政治信条がなかったことになりますから、そういう修正には応ずべきでないと思います。しかし、それでは特定の予算について、特定の項目の特定の金額をどうしろこうしろということがはたして政策、政治の基本的な考えを曲げるか曲げないかといった判断は、これはその場合の判断の問題であろうかと思うのであります。前もってこういうことまでするのが限度で、これから先は限度をこえるというのはちょっと言いにくい問題だろうと思います。

上林山榮吉自由民主党

○上林山委員 この問題は公述人も言われる通りきわめてむずかしい問題であるだけに、一般国民なりその他の方面の批判も正鵠を得たものが相当あるわけです。たとえば、圧力団体にもお触れになったようですが、私も圧力団体というほどのものは、そうたくさんはないと考えております。しかしながら、そういうようなPRが広く行なわれがちであるために、正確なる批判が生まれてこない場合が相当あるのだ。そこであなたも言われた通り、大蔵原案と総理の主宰する閣議の決定、いずれが政府原案であるかといえば、後段が政府原案であろう、こういうふうに言われるのでありますけれども、今世間で批判されておるのは、大蔵原案をある程度閣議で修正をしたために、これは予算編成の過程において不明朗なものがあるじゃないか、こういうような批判があるわけなのです。そこで私が先ほど申し上げた通り、国会は制度上は独立して予算の修正をやってよろしい、ただ実際の政党人として、自分が支持しておる内閣の出した、しかもそれには党の政調会等を通じて、われわれの意見も相当に盛られておる。この案を修正するということは、実際問題としては自己撞着になるのだけれども、しかしもっと高い視野に立って、国会の論議を通じ、公述人その他の広く国民各階層の良識、いわゆるかけ引きのない良識、そうしたような良識を取り入れて、これをある程度は修正していいと抽象的には私も認めておるのだけれども、どの辺ぐらいまでが限界かということになると、なかなかむずかしい。そこで公述人のお話を聞くと、内閣が信念をもって作った予算であるから、その修正に応じなくてもよろしい。またこれが応じていいという程度のものなら応じてもいいというふうに受け取れたわけですが、ことほどさように非常にむずかしい。そこで私が先ほど結論的にお伺いしたのは、内閣の不信任になると思うかどうかという点です。抽象的にいえば、基本的な大きな問題を修正すれば、これは私は内閣の不信任と認むべきだという政治見解です。ただし、部分的な内閣の政策、たとえば減税という問題が取り上げられておりますが、減税は与野党を通じて、あるいは政府も減税するという方向はもう一致しているのです。しかしながら、減税をどの程度にするか、ここが問題になってくるわけだから、それなら、もう少しぐらい減税したらいいじゃないか、こういう修正が出た場合は、これは内閣の不信任ではない、そう認むべきではない。しかしながら、所得倍増計画というものを、経済の成長その他から考えてみて不適当である、こういうふうにきめた場合、これは内閣の不信任になる。こういうような見解を持っておるのでありますけれども、どうもこれに対する正確な批評というものが私の見たり聞いたりするところでは少ないようでありますので、この辺の見解は、政党政治家として、あるいは一国会議員として、きわめて簡単なようであるが大事な問題でありますので、この見解を一つ伺っておきたいと思います。

林容吉早稲田大学教授

○林公述人 最後の問題が重要かと思いますが、また編成の手続の問題に最初に触れられましたので、ちょっと一言したいと思います。昔から予算編成の手続は根本的にはそう変わっていないわけであります。各省からの予定経費要求が出ます。大蔵省がいわゆる査定というような形で全体のワクを作るということは、昔も今も同じだと思います。ただその間各省と大蔵省の折衝でいわゆる復活要求といったことが相当行なわれる。夜を徹して折衝したといったようなことは昔からあったわけでありまして、それが今の現状と同じか違うかということは、制度上もあるいは本質的には同じかもしれませんが、しかし昔は少なくとも今日起こっているような問題がさほどなかった。昨今そういう問題が相当激しく問題になるというところに、先ほども申しましたが、やはり問題点があるのじゃないかと思います。何かもっとすっきりした印象を国民に与えてもらいたいということが、やはり国民感情としてあるのではないかと私は思います。  しかし、そのことは同じことになりますから、繰り返しませんが、最後の問題、予算修正の要求が、その予算を編成した内閣の政治信念を曲げるようなものであれば、不信任にひとしいのではないかという点でございますが、それは私そうだろうと思います。政治信念、基本的な政策を変質させるような修正、政策というものは、いくら演説や何かをしたところで、それは一つのそれなりの意味を持っておりますが、予算というものに計数的に盛られて初めて数量的な規模において表現されるということがよくいわれておることでありますが、そういったものが出てきたときに、その修正ということが基本的な政治の政策、行き方というものを変質させる、曲げるということになれば、それは政治の基本そのものの否認になると思うわけでありますから、これは政党内閣として信任がある以上、その修正に応ずるということは、政党としての政治信念を曲げることでありますから、応ずべきでないと私申しましたが、その内閣として応ずべきでないと私は考えます。ただ、そのどれをどうした場合に、政治信念の変質になるかならないかということは、その予算における、あるいはその修正の具体的な内容を判断してきまる問題であって、前もってこういうことであるから、今例をおっしゃいまして、たとえば減税をもう少し進めるという程度なら、政治信念を曲げるということにはならないだろうが、倍増計画そのものを否定するなり、あるいはそれを基本的にゆがめるような修正であれば、現在の内閣としては政治信念に反するというふうなことになりはしないかということについては、私も同感でございます。

上林山榮吉自由民主党

○上林山委員 この論議はきわめて大事でありますけれども、正確な結論を得ることは、短時日の間にはなかなかむずかしいと思いますのでこの辺で打ち切りたいと思います  その次にお伺いいたしておきたいことは、国際的に見て、日本の直接税と間接税の比率といいましょうか、バランスといいましょうか、現段階から、大体傾向として——これもなかなかむずかしいのですが、傾向としてはその比率を大体どういう方向に持っていったらいいと考えておられるかというのが一点。  便宜申し上げますが、第二点は、先ほどもちょっとお触れになったようでありますが、間接税は、現段階においては、どういうものを減免したらいいとごらんになっておるか、あるいは新設するとすれば、どういうものをただいま研究しておられるのか。これも私どもいろいろな方面から聞いておるのでありますけれども、せっかくのチャンスでございますので、学者としてどういうことを考えておられるか、この二点について、まず伺っておきたいと思います。

林容吉早稲田大学教授

○林公述人 直接税と間接税の比重がどうあるべきかということは、学者の間にもいろいろ意見があります。また財政当局といったところにもいろいろな見解があります。また一般的にも問題になるところでございますが、簡単に、比率がたとえば半々ならいいとか、四分六がいいとかいうようなふうに割り切れる問題ではないだろうと私理解いたしております。日本の場合でも、経過的に見ますと、今日は直接税の方が比重が大きくなっておるのであります。前はむしろその比重が逆であります。それだけで前がよかったとかあとがよいとか簡単に言えないと思いますので、この問題はそういう問題だということで、比率がどのくらいがいいということを数字的には、ちょっと現在の段階では私としては、申し上げかねるわけです。  第二点の間接税の問題として、現行税制でかりに減免するならどういうもの、創設するならどういうものがあるだろうかというお話でありますが、これも私今こまかくこの問題に取り組んでおりませんので、各種の租税負担の額がどうなるとか、あるいはこの問題は、間接税の場合特に転稼の問題がございます。そして転稼の問題というのは、おそらく租税論の中でも最もやっかいな問題だと思うのでありまして、どの税が転稼するとかしないとか、税の名称や性質だけで簡単にきまらない。国民経済における価格全般の動きなり、経済過程における転稼の前転とか後転とかいうことがございますが、その負担のみぞがどっちへ行くとかいうことは、同じ税でもときによって違うというようなこともあるわけでございますから、どの租税がどうなっているから、これはこの程度に減らしていいというようなことは、よほどこまかい研究をした上でないと、ちょっと簡単に申し上げられないと思うのですが、ただごくばく然と申しますと、先ほど申しました直接税の減税で、所得税を払わない階層というのが今度もまた年収三十三万から三十九万円という範囲に上がりますと、それだけ租税を払わないでいい階層がふえます。従ってそういう階層は初めから払っていないわけですから、それ以上に減税の恩恵は受けないわけです。あるいはまた、同じように減税の恩恵をこうむらない、たとえば生活保護法等の対象になっておるような階層もあるわけです。そこらの点が今日の状態におきましては一むろんそういう階層などでは、所得全体が上がっていくとか生活が充実するとか等々の経済の伸展から来る恩恵というものはあるわけでございますが、直接予算措置などによる恩恵がない。そういう点で、そうした階層の生活の向上という点では、租税措置の上では間接税の減税ということが影響がある。従ってそういう面を考えますと、いわば生活に直結するような租税の減免、今度の場合ガソリン税が上がって、これがどういうふうに自動車運賃、バス等々に響くかどうかということはまだわかって、おりませんけれども、しかしこれはある程度の影響がある可能性があります。このことは、いわば目的税ではでありますが、減税の恩恵は受けないでいて間接税の増加分だけの影響を受けるというようなことになりますから、いわゆる間接税と申しますか、間接消費税という面で減免する措置があるのではないかというふうにばく然と申し上げておきたいと思います。

上林山榮吉自由民主党

○上林山委員 ただいまお伺いしたのですが、そうすると結論においては、今の段階では直接税が中心であった方がいい、部分的には間接税その他を修正するなり新設もしくは減免するなりしていくが、これは国民の消費生活に影響のあるものだけを是正すればそれでいいのだ、こういうように承っていいのでありますか。私のこれも時間の関係でなかなか正確には質疑応答ができませんが、今の直接税を中心にしていくことは、この段階で国民生活に非常なる影響のあることは別にしても、ある程度比率を変えていく段階にもう来ているのじゃないか、あまりに日本は直接税中心主義で、その方面の負担が重いのじゃないか。また国際的な傾向からいっても、間接税率はもう少しくらいはふやしていってもいいのじゃないかという気持があるものだからお伺いしたわけですが、簡単でけっこうでございますから結論だけをお願いしておきたいのであります。

林容吉早稲田大学教授

○林公述人 私の方も同じように理解いたします。先ほど申し上げましたように、戦前、戦後の比重の変化ということは、簡単にどちらがいいとは言えないと申しましたけれども、やはり直接税の方が租税の性格として直接に負担力といったものを考慮し得る性質のものであります。間接税はいわゆる逆進的効果というものを実質的に持つものが多いわけでありますから、その意味では、直接税というものが整備される限りにおいては直接税が中心であるべきだということを私も考えております。

船田中自由民主党

○船田委員長 他に御質疑がなければ、林公述人に対する質疑は終了することといたします。林公述人には、御多用中のところ長時間にわたり御出席をわずらわし、貴重なる御意見の御開陳をいただきまして、まことにありがとうございました。委員長より厚くお礼を申し上げます。(拍手)  この際午後二時まで休憩いたします。    午後一時八分休憩      ————◇—————    午後二時十八分開議

船田中自由民主党

○船田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  公聴会を続行いたします。  御出席の公述人各位にごあいさつ申し上げます。本日は御多忙中のところ、貴重なるお時間をさいて御出席いただきまして、まことにありがとうございました。委員長といたしまして、厚く御礼申し上げます。  申すまでもなく、本公聴会を開きますのは、現在本委員会において審議中の昭和三十六年度総予算につきまして、広く各界の学識経験者たる各位の御意見をお聞きいたしまして、本予算の審査を一そう権威あらしめようとするものであります。各位の忌憚のない御意見を承ることができますれば、本委員会の今後の審査に多大の参考になるものと存ずる次第であります。  議事は橘さん、大内さんの順序で、御一名ずつ順次御意見の御開陳及びその質疑を済ませていくことといたします。公述人各位の御意見を述べられる時間は、約三十分程度にお願いいたしたいと存じます。  なお念のため申し上げておきますと、衆議院規則の定めるところによりまして、発言の際は委員長の許可を得ることになっております。また発言の内容は意見を聞こうとする案件の範囲を越えてはならないことになっております。なお委員は公述人に質疑をすることができますが、公述人は委員に対して質疑することができませんから、さよう御了承いただきたいと存じます。  それではまず橘弘作君より御意見の開陳をお願いいたします。

橘弘作日本機械工業連合会専務理事

○橘公述人 初めに三十六年度予算に対する総括見解でございますが、一般会計の予算規模は前年度に対し約四千億円程度拡大されておりますが、わが国経済の高度成長を達成し、さらに為替・貿易の自由化及びアメリカ・ドル防衛の強化と、これに端を発しまして連鎖的に起こる国際競争の激化に備えるための産業基盤の強化、輸出振興及び海外経済協力の推進等に関する産業政策上の措置が不十分と思うのでございます。  次に通産省関係予算でありますが、一般会計予算は二百三十四億円が計上されております。前年度は百七十九億円でありますので、前年度に比較いたしまして五十億円の増加となっておりますが、その規模は小さく、農林省関係予算の約一四%にすぎないのでございます。  さてここで私は、所得倍増計画のにない手でありますわが国機械工業の現状と、これに課せられました役割について一言触れておきたいと思うのでございます。  最近数年間におけるわが国機械工業の発展は、御熟知の通りまことに目ざましいものでありまして、昭和三十年に比べまして三十五年の生産額は四倍半に達しております。他方、この間の機械輸出は、三十年の二億五千万ドルに対しまして、三十四年度には九億ドルに達しておるのでございます。特にここ一両年の機械工業の伸びは著しいものでございまして、三十五年は三十四年に対しまして、その総生産額の伸びは四〇尾と推定され、その生産額は実に三兆五千億を上回りました。これを世界の工業国の総生産額と比較してみますと、わが国は世界第五位か、あるいはフランスを越しまして現状においては第四位のランクにおるものと考えられるのでございます。このためわが国鉱工業部門に占める機械工業の割合は急激に増大いたしまして、三十年の一八・四%から、三十四年度には三二・三%に拡大いたしておるのでございます。所得倍増計画におきまして、機械の生産並びに輸出は、全産業中最高の成長率を期待されております。すなわち生産においては、十年間に現時点からさらに四倍半の伸びが期待されておりまして、目標年度の四十五年には、産業構造では全製造工業中実に四七%のウエートを占めることとなるのでございます。  次に機械の輸出についてでありますが、三十四年の九億ドルが、目標年度の四十五年にはわが国総輸出額九十三億ドルの四割強の四十億ドル程度への拡大が期待されておるのでございます。まさに機械輸出こそ今後のわが国輸出のチャンピオンであることが明白でございます。また雇用の面におきましても、機械工業は今後十年間に現在の百八十五万人から四百八十万人に増加することを期待されておるのでございます。産業の高度化をはかるためには、関係企業者はもとよりでございますが、政府といたしましても長期的な均衡のとれた根本国策の樹立が必要であります。  次に、知っておかねばならぬ今日現在の日本機械工業の問題点に触れたいと思います。冒頭に申し上げました通り、まことにきびしい世界経済の情勢下に立ちまして、今後のわが国機械工業を量的または質的に強力な基盤に置くためには、ここでわが国機械工業の弱点を究明しておかねばなりません。  弱点の第一は、設備の老朽化しておることでございます。通産省の調べによりますれば、昭和三十三年九月末におきまして機械工業が保有しております工作機械類は六十二万台でありますけれども、そのうち経過年数が十年以上のものが実に四十四万台、全体の七〇%に達しておるような状態でございます。これを欧米諸国の機械設備に比べますと、欧米諸国では十年程度の耐用年数が一般でありますので、わが国機械の老朽化の著しさがおわかりと思います。このために生産性並びに精度の低下を招きまして、その結果コスト高、品質の低下を来たしているのでございます。  第二の欠陥は、多品種少量生産に陥っておることでございます。一例をあげますと、工作機械では、通産省の調べによりますと、欧米諸国で一メーカー一機種月産量は百台から二百台が普通であります。ソ連に至りましては実に一千台の一機種月産をいたしておるのでございます。これに対しわが国工作機械メーカーでは、最高の例をあげましても一機種月産量が五十台にすぎないという状況でございます。この結果は当然コスト高となり、また技術の蓄積もおのずと乏しくしているのでございます。  第三の欠陥は、わが国機械工業は国際的に見まして、いかにもその企業規模が著しく小さいのでございます。従って量産体制が確立していない点であります。例を自動車工業にとりますと、欧米一流メーカーの一九五八年の数字で申し上げますと、ゼネラル・モーターが年産二百二十万台、フォルクスワーゲンが五十万台、ルノーが三十八万台となっておりますが、わが国では最近ようやく乗用車で一流のメーカーで五、六万台に達しつつある現状でございます。このためやはりコストの引き下げも困難であります。また技術開発体制が確立されにくいこととなっておるのでございます。  これから前述の前提に立ちまして、三十六年度予算に現われました機械工業に対する基盤の強化、輸出の振興及び海外経済協力等の重点的政策を数例取り上げまして、順を追うてそれぞれ簡単に所見を述べてみたいと思うのでございます。  その一は、機械工業振興法についてであります。機械業界では昨年来、現行の機械工業振興臨時措置法にかわるべき強力な振興政策といたしまして、機械工業振興公団の構想を打ち出していたのでありますが、政府側の諸般の情勢からこの構想は見送られたのでありまして、現在は今国会に提出準備中と聞きまする機械工業振興法案に期待をかけることになったのでございます。本法によって指定される特定機械工業向けの設備合理化資金としては、開発銀行に対し七十億円が計上され、また新たに中小企業金融公庫に対し三十億円が予定されていると聞きますが、この金額では不十分である点を指摘いたしたいのでございます。また融資条件も、現行臨時措置法における金利六分五厘、三年据置、七カ年償還等に変更を加えるべきでないことを主張いたしたいのでございます。しかし坊間聞くところによりますと、金利等においていまだに決定を見ませんで、担当省と財政当局が対立状態を続けている模様でありますが、まことに遺憾にたえません。  その二は、機械類賦払い信用保険制度であります。中小機械企業の設備の合理化を急速かつ容易にすることと、他面景気変動による工作機械等の設備機械メーカーの需要の大きな変動を防止いたしまして、国内需要を安定的に拡大することを主目的といたしました本信用保険制度の創設に対し、これの特別会計に対して一般会計から二億円の繰り入れが計上されておりますが、この額は本制度の積極運用面から見れば少額に過ぎますので、実施後の状況を見まして、将来運用基金の増額と制度の内容の改善を、タイミングを誤らず改めることを望みたいのでございます。  その三は、輸銀の輸出金融であります。われわれの見通しといたしまして、これからの輸出の国際競争はいよいよ激甚をきわめるものと予想して間違いがないでございましょう。この環境下にありまして、わが国輸出入銀行の輸出金融は一段と重要な役割をになうこととなります。輸銀の必要資金の充足と金利及び融資条件等は機械輸出振興のかぎでございます。三十六年度の輸銀の運用資金総額は最低一千百億と見積もられておりましたが、これに対し財政投融資計画案では九百七十億となっておりますので、年度の途中の資金不足が予想されるのでございます。このような事態が生じた場合は、すみやかに所要財源を投入すべきであろうと思います。また輸出金融に対する現行金利は四分でありますが、昨年来財政当局の見解といたしまして、これを引き上げるがごとき言動をしばしば耳にいたしますが、そのようなことがあっては輸出振興措置の逆行となるものであります。  第四は、海外経済協力であります。世界情勢といたしまして、近来ますます海外に対する投資、特に開発を要する国々に対する援助が積極的に行なわれております。今後投資と援助なしでは、世界の先進工業国に伍しての輸出競争は不可能となります。幸いにして今回これに対処するために海外経済協力基金の設立を見ましたことは、むしろおそきに失する感はありますが、適切な措置と考えます。しかしながら発足当初、基金が百億円程度にすぎないことは、世界の情勢から見て、いかにも小規模に過ぎるの感を免れません。一例をあげますと、現にわが国に対するプラント輸出の引き合いの大部分は一部投資を伴うものでありまして、現在社団法人日本プラント協会が持っております有望な引き合いで、投資要求を伴うものが十七件ございます。その総額が約二億三千六百万ドル、邦価で八百五十億に当たるのでありますが、このうち投資期待額は約五千四百万ドル、二百億円程度に達しております。この一例にかんがみましても、今後本基金の急速な増額を望むものでございます。なお大切なことは、本基金の運用につきましてでありますが、従来の政府金融機関が損失を生ぜしめないことをモットーといたしまして、もっぱら商業ベースに専念し過ぎるがごとき運営に陥らぬよう希望いたします。  次に、開発を必要とする国々に対し、各国政府の借款供与はこれまた世界の趨勢でありまして、この点に関しては、わが国におきましてもインドに対する円借款の供与等二、三の実施例はありますが、諸外国のそれに比べてきわめて微々たるものであります。近く開始されますインドの第三次五カ年計画、パキスタンの第二次五カ年計画に対応する援助を初めといたしまして、世界工業先進国の借款供与はすこぶる旺盛をきわめておる現状でございます。今後重機械類の輸出を画期的に伸張いたしまして、わが国の必要な原料資源を入手するためには、経済援助政策に対して積極的な予算の計上が用意されねばなりません。  第五は、技術者並びに技能者の大量養成でありまして、産業高度化、特に機械工業の画期的成長を完遂いたしますためには、今後理工科系技術者と技能者の産業界への大量投入が絶対の要件となるのでございます。従って今後は大学における理工科系学生の著しい増加と同時に、工業高校の増設並びに職業訓練所の拡充について、急速、格段の予算の配慮をなすべきであろうと思います。  最後に、今後の機械工業は技術革新の基礎に立って進められねばならないことでございます。これがまた宿命でございますので、科学技術の研究資金の援助政策に対しても積極的配慮を促したいのでございます。  以上、政策問題に関して一応私の公述といたします。また御質問等によりまして具体的の点はでき得る限りお答え申したいと思っております。(拍手)

船田中自由民主党

○船田委員長 ただいまの橘公述人の御発言に対しまして、御質問があればこの際これを許します。

永井勝次郎日本社会党

○永井委員 第一にお伺いいたしたいことは、機械工業関係の輸出を非常に期待しているわけですが、その輸出の大部分は、現在のところは船舶であるとか、あるいは軽機械類というものが大部分を占めているようであります。今後これが生産性の増強によって、あるいは所得倍増によって、機械の輸出を多く期待しているのですが、船舶、軽機械は、今後はそう期待ができない。そうするとどういう部門、機種にそれが期待できるのか、これを第一にお伺いいたしたい。  第二点は設備の更新でありますが、これはお話のように老朽化しているのでありますから、近代化しなければいけないのでありますが、これの更新の五〇尾は輸入に期待している。従って機械の輸入と輸出のものとを差し引きますと、現実の輸出額というものが非常に少量になってきておるのではないか。こういう関係は業界ではどういうふうにお考えになり、今後この点はどのように克服していこうとしておられるのか、これが第二点。もう一、二点ありますが、お答えをいただいた上でさらにお伺いいたしたいと思います。

橘弘作日本機械工業連合会専務理事

○橘公述人 ただいま輸出の機械構造につきまして御質問がございました。それに対して第一にお答え申し上げます。御指摘の通り日本の機械輸出は非常に伸びてきてはおりますが、まだまだ世界の機械輸出国の機械構造と比べまして、特定のものは別といたしまして劣っておる点がございます。所得倍増計画においてもそうでございますが、御参考までに世界の機械輸出の日本の現状のポジションを申し上げます。日本は一九五九年におきまして、世界の総機械輸出を私どもは二百億ドルと見ておりますが、これの四・一%を占めておるのでございまして、これが今日では世界第五位のポジションでございます。もっともアメリカとドイツとイギリスで七〇%以上占めておりまして、その次に位するものは現状ではフランスでございまして、それから日本というな位置にまで上がって参りました。  それで各国の機械輸出の、機械の品種構造はどうなっておりますかを御参考までに申し上げますが、国連統計では第五位まで常にとっておりますが、総じて日本を除きましては第一位に当たるものが一般産業機械と自動車でございます。それから第二位を占めておるのが、国によって違いますがやはり産業機械、それから第三位以下は電気機械関係でございます。これは重電機並びに通信、軽電機を入れましてのものでございます。第四位は、日本とはちょっと縁遠い問題でございますが、航空機類あるいは工作機械、原動力機械、第五位が世界では、その他船舶、トラクター、こうなっておりますが、日本では今まであるいは今日の現状では第一位が船舶でございます。第二位に位しておりますのは電気通信機械、第三位が一般産業機械、第四位が光学精密機械、第五位が自動車でございます。今後所得倍増計画におきましても、船舶はなかなか従来のようには伸びません。所得倍増の目標年度におきましても、四億五千万ドルくらいの見積もりしか出て参りません。それでは何を一番伸ばすかと申しますと、やはり重電機を含めたプラント、通信機械等のものが第一位のランクになっております。第二位は一般産業機械、これは先ほど申しましたプラント類、化学装置あるいは鉄道、そういうような一般の産業機械、それから日本といたしましてはその次は精密機械でありまして、カメラとか光学機械というものが順序でありますが、最終年度の目標においては、大まかに見まして一般産業機械が十一億ドル、それから重電機を含めましてすべての電機が十三億ドルくらい、それから一般産業機械が、船舶その他のものを除いたものにおきまして、その残余を見ております。輸出の機械構造は、御指摘の通り変えなければしょせん今後の日本の機械の輸出はそう伸びない形になりますので、最初御質問の中にありました工作機械等は、現状においては日本の生産の約三%くらいしか輸出しておりません。その反面非常に多くの、五〇%近いものの輸入をやっております。これを私ども機械関係から見ますと、やはり日本の輸入する工作機械等は特別のものが多いのでありますが、それによりまして日本の製造工業というものがさらに拡張されていき、かたがた日本の工作機もでき得る限り今後は輸出の面において大いに伸ばしていくように、業界では意を尽くしておる次第でございます。以上が第一の御質問に対するお答えでございます。  第二の設備更新の機械ですが、ただいまちょっと輸出の問題で触れましたが、日本でもただいまでは、工作機械がようやく六百億円くらいまでの年産になりましたけれども、外国から入りますのがちょうど四〇%か五〇%、これではどうしても、日本の国内で製造の段階にはまだ移っていない海外の進んだ機械が、日本で必要なために、その方面の機械が輸入されておることはやむを得ないと存じます。今後工作機械が国内生産も上がり、あるいは品種がふえましても、やはりある程度の工作機械は外国から入りましても、それが続いて入っても、その入れたものによってまた日本でそれを国産化していくというような計画をもちますれば、この点についてはそう大した心配は要らない、かように考えております。

永井勝次郎日本社会党

○永井委員 機械工業のわが国における実情として中小企業が非常に多いわけですが、中小企業関係の、従って技術とか設備とか、そういうものがおくれている実情でありますが、やはりこれは部品メーカー、それから下請メーカーというものの充実と近代化が、今後におけるわが国機械工業の大きな課題になっていくと思うのでありますが、この点の充実の方向をどういうふうにおとりになっていかれるか、これを伺いたいと思います。ことに下請関係については、まだ手形済度が二百日とか二百日以上というようなひどい済度のものがある。またその関係がだんだん系列化してくるというような方向もとっているようでありますが、これでよいのかどうか。この点が一点。もう一つはプラント輸出について、日本の場合はプラントの設計及びそういう総合的な関係の技術というか、あるいはその設計をする、そういう機関がない。外国から見て非常におくれているという点があると思うのでありますが、それはどうであるか。それからプラント輸出した場合における日本のアフター・サービスが非常に悪い。そういう点で、私も海外で一、二見て参ったのでありますけれども、非常に不評を買っておるわけでありますが、そういう点について、今後輸出に大きく期待しなければならぬという場合は、そういう面が相当考慮されなければならぬ。売りっぱなしというわけにはいかぬと思うのでありますが、そういう点について。それからもう一つは、輸入についてのロイアリティを年間どのくらい払っておられるか、機械関係について、これだけ伺います。

橘弘作日本機械工業連合会専務理事

○橘公述人 御質問に対してお答え申し上げます。中小企業の技術の向上並びに設備の更新の問題でございます。御指摘通りこれは非常に大事な国策的の問題でございます。申すまでもございませんが、機械企業について大企業と中小企業を分類いたしまして、三百名以上を大企業といたしますと、ちょうどその割合は五〇%、五〇%ぐらいのものになっておるのでございまして、機械工業の製造構造は、これはもう中小企業の協力、系列というものの存在なくして決して成長するものでないのであります。従って、最近のように技術が革新され、大きな企業の方ではどんどんりっぱな性能のものを、海外の競争を目途とし、あるいは輸入防止の面から進めておるのでありますけれども、この系列あるいは協力関係にあります中小企業の設備が更新され、技術が上がらなければ、非常な大きな問題が生ずるのでございまして、このために先ほど申し上げました今度の機械工業振興法におきまして、あるいは機械類賦払信用保険制度におきましても、この面を相当運用がよく、それにさらに将来続いて予算措置、政策措置がつけば、改善は見るべきものがあると思っております。この点はもちろん、親企業に当たるところからの援助もむろんのことであります。全体として見ましては、中小企業者の体質改善が非常に大きな問題でございます。でき得る限り、業者は業者の範囲において、政府は政府の許す範囲において、この点を改善をすべきものだろうと思っております。  それから下請代金、これは私どもも下請代金は、たびたび国会の支払いに対する決議あるいは多少行政指導等によりまして、問題になっておるのでございますが、もちろん大企業の中でも企業は大きくとも支払いが常におくれているところがございます。また中小企業者の中においても、まあそれでしようがないのだということであきらめを非常に早く行なう方もございます。概して私どもは支払い手形を発行して、大企業がそれに非常な長期の日限をつけてやるというようなことは、努めてあらゆる方法をとって改善しなければ、機械の生産量が今後非常に著しく膨張いたしますから、その点は行政面においてもそれから民間においてももっと十分な考慮を払うべきものと思っております。  それからプラント・コンサルタントの問題でございますが、これは御指摘通り日本は非常におくれております。どうして日本ではこのコンサルタントの仕事が確立して、拡大されないかということは常に私どもの話題になっておるのでございますけれども、この点は外国と比べて非常な劣勢でございますので、何とか一つ部門別にあるいは化学なら化学プラント、あるいはその他のプラントに対してのコンサルタントの業務が確立できるような方途に進めなければならないのだという考えは持っております。幸い鉄道関係あるいは電力関係におきましては、まあ電力事業の方の力を借りたり、あるいは鉄道関係の力を借りたりしてやっておるのでございますけれども、主として、やはり一番問題になるのは化学プラントのコンサルテーションが非常におくれております。通信はまだ日本は非常によろしゅうございます。将来、化学プラントに対してはもっと強力なコンサルタント企業が育ちますように持っていきたい。これがなければ、御指摘通り外国に対し非常に劣勢になることはわかります。すべての国際入札においても同様なことが言えるわけであると思うのでございます。  それからアフター・サービスの点、これも御指摘通りでありまして、日本ほどアフター・サービスに非常に無関心なのはございません。そこでわれわれはこの面を四、五年前から是正しようと思っておりまして、日本機械工業連合会でもこれを検討しまして、今後日本の機械の輸出対象国になるところには必ずサービス機関を設置したいということを政府に建言いたしまして、小さいながらそのものの第一号工場がブラジルのサンパウロにオーマス工場となってできたのでありますが、その後、これに対して——私どもその当時十五カ所に同じようなものを設置する計画をいたしました。なかなか民間のだけではできませんので、政府にもずいぶんお願いしました。どうもアフター・サービスということになると、売ったものがあとでやればいいんじゃないかというような観念が行政面に強うございまして、今日まで計画通りに確立できておりませんことを残念に思っております。これは将来私は考えますのに、売ることとアフター・サービスというものは並列して、国においても一つのこのような共同機関を大いに慫慂すべきものであるということを現在でも強く思っておる次第でございます。今のところ非常に悲しいかな、特別な農機具のサービスあるいは光学機械のサービスということ以外に、一般機械のアフター・サービスの見るべきものはほとんどございません現状でございます。今後、大事な問題でございますから、検討いたしたいと思っております。  それから機械類のロイアルティの問題ですが、それは日本では相当に年間外国にロイアルティを支払っております。機械だけを申し上げますと、電気機械とそれから輸送機械と他の機械類で四百九十件の技術導入をやっております。日本の製造工業全体といたしまして千七十件の技術導入をやっておりますから、約それの半分が機械の技術導入でございます。そして、機械だけに対しての計算は出ませんが、この千七十件に対して日本はどのくらいのロイアルティを年々払っておるかということをちょっと申し上げたいと思います。それはだんだんふえまして、二十八年には千百万ドル、それから三十年には千八百万ドル、三十三年には四千四百万ドル、三十四年では五千四百万ドルという勘定になって、二十八年から三十四年の七年間で二億七百万ドルのロイアルティを外国に払っておるわけでございます。これを日本の製造工業の全生産で割ってみますと、この金額は約千小一ぐらいになる。機械の方においてはテレビその他の関係をこまかにやりますと、それより生産に対しての支払いは多い、だろうと思いますが、大体の状況はそのようなものであります。

船田中自由民主党

○船田委員長 他に御質疑がなければ、橘公述人に対する質疑は終了することといたします。  橘公述人には御多用中のところ御出席をわずらわしまして、貴重な御意見の御開陳をいただきまして、まことにありがとうございました。委員長より厚く御礼申し上げます。(拍手)  次に、大内力君に御意見の御開陳をお願いいたします。

大内力東京大学教授

○大内公述人 私は大内でございます。  きょうのお求めは農業問題関係について意見を述べろということでございますので、その点を中心に二、三の感じておりますことを申し上げさぜていただきたいと思います。  ことしのまず農林関係の予算ということでございますが、これは二つの点で注目しておくべき特徴があるかと思います。一つの点は総額がかなりふえたという、いわば量的な増大ということでございます。これも農林関係の経費というのをどういうふうに計算するかということはいろいろむずかしゅうございますが、簡単なために、農林省所管というふうに限りますならば、御承知の通り千六百八十二億ということになりますが、昨年に比べますと百六十八億円ほどの増大になっております。従来この農林経費というものは、御承知の通り戦争直後、特に昭和二十五年ごろから例の食糧増産ということが非常に問題になっておりました際には、一般会計の歳出の中で非常に高い比率を占めていたわけであります。たとえば昭和二十八年でとりますと、一六・六%ということになっております。ところが、いわばそのころを頂点といたしまして、農林経費が少しずつ削られまして、絶対額として減った場合もございますし、それから絶対額としてはふえましても、予算全体の中における比重から申しますと、少しずつ低下をしてくる、こういう傾向を示しておりまして、昭和三十四年には、遂に七・五%というところまで下がってきたわけでございます。その当時世間一般では、御承知の通り、安上がり農政ということがしばしば言われていたわけです。ところが、それからまた少しずつ農林経費の比重が高まって参りまして、今度の予算では、一応農林省所管だけで計算いたしますと、大体八・六%ということになるかと思いますが、比率では昨年とほとんど同じでございまして、三十五年度が八・八%でございますから、まず同じと見ていいわけでございますが、ともかく全体の予算規模が膨張いたしましたのに大体対応して、農林関係の経費がふえている。こういうことは、一応農業問題が非常にむずかしくなっておりますし、それから、この点あとでまた申し上げますけれども、特に所得倍増計画との関連におきまして、農業の持つ意味というものが非常に大きくなっている際から考えますと、ある意味でけっこうなことだと申し上げていいかと思うのであります。ただその総額という点で、一応そういうわけで大体予算の膨張にテンポを合わせているということはできますが、これを絶対額として考えてみますならば、やはりかなり乏しいと申しますか、貧弱であるという感じがしないでもないのであります。  特にその中で一つだけぜひ申し上げておきたいと思いますことは、例の農業基盤整備費と呼ばれる、つまり公共事業関係の経費でございます。これは御承知の通り、以前には食糧増産対策費、こういう名前で呼ばれて参りまして、土地改良事業を中心といたしまして、干拓、開拓というようなものがそれに含まれていたわけでございますけれども、それが昨年度からだったと思いますが、農業基盤整備費という名前に変えられたわけであります。この経費は、今度の予算で拝見いたしましても、確かに一応ふえていることはふえておりまして、たとえば土地改良事業だけで申し上げましても、約五十億ほどの増加を見ているわけであります。ただこの土地改良事業につきましてのいろいろな考え方といたしましては、世間一般にはこういう考え方が往々に行われているわけでございます。それはすでに今日日本におきましては、米が十分に生産できるようになっている。むしろ米は現在でも大体需給均衡の状態にあって、いわんや二、三年先になれば多少とも余ってくるだろう。こういう考え方が一方にありまして、そこで米の増産ということには、もうそれほど力を注がないでいいのではないか、こういう考え方がかなり広く見られるのではないか。そういうことから、また従来水田の改良というものが中心になって参りまして、米の増産ということと結びつけられて参りましたこの土地の改良関係の費用というものが、ともすれば軽視されるという傾向が出てきているのではないかと私は感ずるのであります。ところが、この土地改良事業というものは、実は将来の日本の農業の発展ということから考えまして非常に重要な意味を持っているというふうに考えます。特にこれからの日本の農業の進み方ということになりますならば、それはいろいろありますけれども、何と申しましても、かなり大型の機械を農業に導入する、特に米を中心といたします主穀の生産におきましては相当大型の、たとえば三、四十馬力の中型トラクターというものまで導入する、こういう技術体系を考えませんと、これからの農業の近代化ということを考えることはできない状態になりつつございます。またあとで申し上げますように、所得倍増計画との関係におきましても、その目的を達することはできないだろうというふうに思われます。その場合に、この土地改良事業というものをそういう条件の中において考えてみますと、おそらく土地改良事業というものの考え方を従来とは根本的に変えなければならないということになってくるのではないかと思われます。  それはより具体的に申し上げますと、たとえば従来の土地改良事業のやり方と申しますものは、大体一枚の水田を一反歩程度に整理をしていくということを中心としておりました。しかも水田の形といたしましては、なるべく四角い形もしくは四角に近い矩形というような形を考えて土地改良事業が進んできた。これはなるほど牛馬耕ないし小型の自動耕耘機程度の技術でございますと、こういう水田の形というものは最も適している形だったわけでございますが、もし中型のトラクターを入れるということになりますと、そういう水田の形ではとうてい能率的にこれを使用することはできないと考えます。むしろ一枚の面積をはるかに大きくいたしまして、同時に水田の形をずっと細長くするということを考えませんと、機械を能率的に使うことができない。従って、当然これはアメリカあたりでやっておりますように、等高線に沿ってうねを作りまして、それによって長い水田を作る、こういう形を考えていか、ざるを得ないわけです。そのことを一つ考えましても、土地改良事業は、まだ土地改良が済んでいない土地、それも相当残っておりますけれども、その部分に土地改良事業を広めていくということだけではございませんで、戦後一度土地改良事業をやりました部分につきましても、もう一度やり直さなければならない、こういう問題がおそらくあるだろうと思うのであります。そういうことを考えてみますと、土地改良事業は、もう米の増産はあまり必要ないのだからそろそろ手を抜いてもいいんじゃないかというような考え方はどうしても成り立たないと思うのでございます。そういう意味で、たとえば土地改良事業を中心とした経費というようなものがもっと優遇されていいのじゃないかというふうに私は感ずるのであります。そこで、全体の農林予算の規模が、そういう意味から申しますと、もっと伸びた方が望ましいのではないか、また、その全体が伸びる中で特に土地改良事業のようなものにもつと重点を置く、こういう考え方をすることはできはしないか、こういう感じをまず持つわけでございます。  それから第二番目に、今度の新しい予算の中で特徴的な点は、いわば新農政のためのいろいろな経費がかなり大幅に顔を出してきた、こういう点かと思います。そういう意味で、いわば質的な転換ということになるかと思いますけれども、この農林予算の質的な転換と申しますのは、厳密に申しますならば、実は昨年度と申しますか、昭和三十五年度からすでに始まっていたわけでございますが、ただ昭和三十五年度におきましては、多くの新しい構想を盛った経費というものはせいぜいごく少額のものが顔を出したという程度にとどまっておりまして、いわばそういう意味で試験的なものにとどまっていたわけです。それが今度の予算におきましては、それぞれかなり金額も多くなりまして、ようやく新農政が本格的な軌道に乗ってきた。こういう感じを受けるわけでございまして、その限りにおきまして、これは一応賛意を表することのできる予算の組み方ではないか、こういうふうに思うのであります。なぜそれが賛意を表することができるかと申しますと、申すまでもなく、日本の農業は今大きな転換期に立っているわけでございます。その転換の基本的な方向がどういうものでなければならないかということにつきましては、これもいろいろの意見はございますけれども、大体の方向づけというものは、御承知の農林漁業基本問題調査会の答申に示されているわけでございまして、およその方向づけというものはもはやできているかと思います。従って、今日どうしても政府としてやらなければならないことは、そういう新しい方向に大胆に踏み出すということであろうと思われるわけであります。そういう意味で、いろいろなこの線に沿いました新しい構想が盛られた、そういう予算が組まれたということは、十分評価することができるものだろうと思われるのであります。  ただ、もちろんその点につきまして、一応それを評価いたしましても、われわれといたしましては、いろいろ不満な点があるわけでございまして、まず総額という点から申し上げましても、それは三十五年度に比べればかなり金額はふえたと申しましても、絶対額として見ますと、相当少ないといった方がいい感じでございます。しかも農業の変化というものは非常に激しく進んでいるということがございますし、それからまた、おそらく国際情勢の動き、特に貿易自由化との関連におきまして、外国農業の影響が日本に及んでくるという時期も、私はかなり早いのではないかというような感じを持っております。それから他方では、後ほどもう一度申し上げるつもりでございますが、所得倍増計画というものを一方において考えますと、これを達成することは、農業関係におきましては最も困難ではないか、こういう感じを私は持つのであります。かれこれあわせて考えますと、農業政策なるものはもっと積極化されていいのではないか、また農業のいわば近代化のテンポをもっと早めなければならないのではないか、こういう感じを持つのでございますが、そういう点から申しますと、絶対額として考えまして、どうも貧弱であるというような印象を持つことを禁じ得ないわけなのであります。  しかし、ここで絶対額が多いとか少ないとかいうことになりますと、これはまたほかのいろいろな予算との振り合いの関係もございますから、一がいにここだけをふやせというふうに申し上げるわけにいかないかと思いますが、さらに新しい予算に顔を出しております農業近代化のためのいろいろな経費の内容的な点にもう少し立ち入ってみましても、いろいろな疑問が出てくるわけでございます。基本的な方向づけは間違っていないといたしまして、その方向に持っていくためのいわば具体的な手段として今度の予算に盛り込まれている諸対策というものが、はたしてこれでいいのかどうか、こういう疑問はわれわれとしては非常に強く持たざるを得ないわけなのであります。その点につきまして、実は申し上げたいことは非常にたくさんございますけれども、時間の関係もございますので、ここでは特に二つの問題だけか取り上げまして、多少立ち入った私の考えを申し述べさせていただきたいと思うのであります。  その一つは、ことしから大幅にふえました麦対策費なる経費でございます。これは今度の予算におきましては四十億円というものが計上されていることは御承知の通りであります。この麦対策費の基本的な考え方は御承知かと思いますが、すでに日本の麦作というものが、現在におきましては行き詰まりの状態にあるわけであります。それはまず第一に、麦そのものが非常に過剰生産の状態に陥っておりまして、食管の手持ちが非常にふえております。それからまた輸入との関係におきましても、日本の麦は最も国際的競争力の弱い作物の一つでございます。従って、とうていこのままでは自由化の方向に耐え得ない、こういう性格を持っております。しかも、それを従来は食管の運営を通じまして価格支持をやって参りましたために、食管にはまた非常に大幅な赤字を生ずる、こういう問題も起こる。そういう意味で、麦そのものについて何らかこの辺で基本的な対策を立てなければならない。こういうことは自明のことでございまして、そういう意味で今度この麦対策費なるものが大幅に計上されまして、麦の対策に本格的に手をつけられるようになったということは、その限りにおきましては時宜を得たことであると申し上げることができるかと思います。ただ、その内容になって参りますと、いろいろ疑問が出てくるわけでございまして、この麦対策の内容をなしておりますのは、ごく荒っぽい筋を申し上げますならば、御承知かと思いますが、一方では大・裸麦をできるだけ整理をする。その大・裸麦の整理の方法は、一つは飼料化、家畜のえさにするということを考えるけれども、その多くの部分は作付転換を考えるということであります。その作付転換の方向といたしましては、小麦とてん菜、それから菜種というものが主としてあげられているようでございまして、そのほかその他の飼料作物への転換ということも一応うたわれています。さて、そういう作付転換をさせるために、反当にいたしまして二千五百円程度の作付転換費、補助金を交付しようということがこの主たるねらいではないかと思われます。そのほか麦作の技術改良とか、いろいろの内容がございますが、主としてここにねらいがあるといっていいと思います。  ところで、この対策にはいろいろな疑問があるのでございますが、それはまず第一に、大・裸麦を整理して、その作付転換の方向の一つとして小麦を考えている、こういう点に私はかなり危険なものを感じるのであります。それは、なるほど短期的に見ますと、つまり現状だけで見ますと、非常に過剰の状態が著しくなっておりますのは大・裸麦でございまして、小麦は全体として見ますと必ずしも過剰だともいえないような状態にある、こういうことは事実でございます。しかし、これをやや長期的な立場から見ますと、むしろ大・裸麦は飼料として将来性を持っていると考えられるのでございますが、小麦の方は、はたしてそういう将来性を日本の小麦が持っているかどうかということについては、確定的なことはむしろ言えないといった方がいいのではないかというふうに私は考えます。と申しますのは、少なくともパン用小麦というふうに考えますならば、このパン用小麦は、御承知の通り強力粉がとれます硬質小麦というものが一般に使われるわけでございます。特に日本人の食慣習といたしましては、アメリカ式のパンを大体消費しておりますから、従って当然硬質小麦が必要になって参ります。ところが、従来の試験結果その他の実験の結果によりますと、大体日本で硬質小麦を生産するということに成功したということは、ごく限られた地方にしか見られないのであります。一般的にはそういうことが不可能であるというふうに大体言われているといっていいと思います。もちろん麦に対する試験研究というものは非常におくれておりますので、これからいろいろ品種改良をしたりなんかいたしますならば、あるいは硬質小麦が日本の国内でできるようになるかもしれませんけれども、少なくとも現状におきましては、そういうことが可能であるという見通しをわれわれは持っていないわけであります。そういう意味で輸入小麦と比べますと、日本の小麦というのはまず品質的に非常に劣っております。それから御承知の通り、価格の上におきましてもとうてい競争できないという状態、そういうことを考えてみますと、全体としてのやや長期的な方向は、小麦をむしろ整理いたしまして、そして大・裸麦その他の飼料作物というものを拡大いたしまして、それと畜産とを結びつけていく。こういう形で考える方が、私はより正しい考え方ではないかというふうに考えておりますが、そうなりますと、政府の考えております麦対策というものは、どうも逆行をしておると申しますか、少し方向を誤っておるのではないか、こういう疑問が持たれるということが一つ。  それからもう一つは、大・裸麦の転換の先といたしまして、先ほど申しましたように、てん菜及び菜種というものを考える。ところが、このてん菜及び菜種という作物がまたはなはだ厄介な、ことに将来性という点から考えますと、私はかなり厄介な問題を持っておる作物であるというふうに思うのであります。特にてん菜糖につきましては、御承知の通り、輸入糖との関係というものがございます。これは砂糖の輸入対策の問題になりますので、将来どういう政策がとられるかということによりまして条件はいろいろ変わってくるということになるかと思いますけれども、御承知の通り、現在の日本の砂糖価格というものはべらぼうに高いわけでありまして、ほとんど世界一高いと言ってもいいような砂糖を日本人はなめさせられておるわけであります。将来貿易の自由化ということが進みますならば、当然この砂糖価格というものはある程度下がってくる——国際価格にまで下がるかどうか、それは関税政策とか砂糖消費税その他の関係がございますので一がいには申されませんが、少なくとも下がっていく傾向があるということは疑い得ないのであります。他方におきましては、てん菜糖というものは、世界的に見ましても、サトウキビの砂糖というものにはたして競争できるものかどうかということはかなり疑わしいわけでありますし、特に日本で、北海道は別といたしまして、いわゆる暖地ビートといわれておりますてん菜糖が、そういう条件の中でどれだけ将来性を持っておるかということはかなり疑問ではないかというふうに私は思うのであります。そこに一つの問題がやはりあるかと思います。  それからもう一つは菜種でございますが、これも御承知の通り、大部分は油脂作物、つまり油をとる作物として作られておるわけであります。一部は家畜の飼料なり、青刈りがございますが、大部分は油のためのものでございます。その油脂作物としての菜種というものは、大豆との競合関係というものが非常に強いものであります。大体戦前におきましても、日本の菜種というものは衰退作物であったわけでありまして、年々衰えていったわけでございます。その衰えた主たる原因は満州大豆との競争に勝てなかったということだろうと思います。従って、今後これも大豆の自由化という問題と関連いたしておりますけれども、もし大豆の自由化が相当大幅に進みまして、今よりもはるかに大量に、かつ安く大豆油が供給されるという条件が出て参りますと、おそらく菜種の将来性というものも、飼料として使うことを除きますならば、そう大きいものでないのではないかというふうに考えます。  こういう意味で、この転換の方向という点になりますと、私はいろいろ疑問を持つわけでございまして、むしろ、もっと飼料化という方向へはっきりと踏み切るべきではないか、その飼料化を通じて畜産の増大という方向への結びつき方をもっと強めて考えるべきではないかというふうに思うのであります。その点が麦対策関係の一つの大きな問題点ではないかというふうに思うのであります。  それからもう一つ第二番目に申し上げたいことは、その次の農業近代化資金融通促進費というふうに呼ばれておる資金であります。これは金額といたしましては三十五億という予算が計上されておりますが、この内容は、御承知の通り、農業近代化助成資金というものを作りまして、そうして農業の近代化のための、ことに新しい技術ないしそれに伴う施設の導入のために使おうということでございますが、その具体的方向といたしましては、原資は系統の、つまり農業協同組合系統の資金を利用するということでございまして、その総ワクは三百億円というふうに予定されております。それに対しまして、政府はおそらく二分くらいをお考えになっているようでございますが、大体二分くらいの利子補給をする、そのほか債務保証もいたしますが、その結果として農協の資金を大体七分から七分五厘くらいになるかと思いますが、ともかくその程度の利子に下げさして、そうしてこれを技術改良のための、いわば制度金融として利用しよう、こういう考え方かと思います。この近代化資金なるものはことし初めて顔を出したわけでございますが、こういう制度金融、特に系統の資金を利用いたしまして、系統の資金に利子補給ないし債務保証をする、こういうことで系統の資金を利用しようという考え方は、これは新しいものではございませんで、すでに昭和三十年ころから、農業改良資金、その他いろいろな名目をもって行なわれてきたものなのであります。そういう意味では、今度の構想は、いわば従来行なわれておりましたそれを大規模にしよう、こういう考え方に立っているといっていいかと思います。ところが従来からやって参りました制度金融なるものも、この内容ないしその運営状況を見て参りますと、そこにきわめて重大な考えなければならない問題が出てきているというふうに私は思うのであります。そういういろいろの問題点を十分に検討することなしに、それをさらに大規模にしたような近代化資金というものを考えるということはいかがなものであろうか、こういう疑問を持つわけなのであります。  それでは従来の実績から考えまして、こういう制度金融なるものが、いかなる問題点を持っておるかということでございますが、これも数えあげれば非常にたくさんの問題点を持っているというふうに思われますが、特にここでは非常に重要だと考えられます三つの点だけをごく簡単に申し上げておきたいと思うのであります。  その一つの問題は、こういうことでございまして、この制度金融というやり方でやります場合には、その利益を実際に受ける農家というものを考えてみますと、これは非常に少数の比較的上層の農家に限定されるという傾向が強いということでございます。この点は、いろいろな資料からもわれわれは推察することができますが、大体農家がどういうところから金を借りて資金の運用をはかっているか、こういうことを統計的に押えてみますと、大体において非常に上層の農家、かりに内地の耕作反別で申し上げますと、一町五反くらいから上というところに、この制度金融の資金は非常に集中をするという傾向を持っており、それから下、一町五反くらいから下、五反歩以上くらいのところは、大体農業手形を主として利用する、こういう資金の利用の仕方をしております。五反未満になりますと、これはほとんど完全に、そういういわば近代的な金融というものから見放されておりまして、大部分は個人から借りるとか、あるいは商人から前貸しを受ける、そういうような形のものになっているようでございます。そこで、そういう意味で、この近代化資金の場合でも、おそらくこれは非常に上層の農家に片寄って流れる、こういう性質を持っておるのではないかというふうに思います。  もちろんこれはある意味で理屈があることでありまして、近代化のために新しい技術を導入するというようなことは、実際問題として、上層の農家しかできないのだから、従って上層に流れるのはあたりまえだといえばあたりまえでございますけれども、しかし日本の農家というものを考えてみますと、必ずしも将来成長力を持っておる農家、つまり経営的な意欲を持ち、成長力を持っておる農家というのは、必ずしも上層の農家とは限らないわけでありまして、実は中規模のところの農家、特に一町前後のところの農家というものに、私は非常に成長しようという意欲の強い階層が、そこに含まれているのではないかというふうに考えておりますが、そういう点から申しますと、そういうところに十分な資金的な手当がつかないのではないか、こういう問題が一つの疑問点であります。  それから第二番目の疑問点といたしましては、これはおそらく農協の採算という点から申しまして、二分程度の補償をして、七分ないし七分五厘という利子で貸し出す、こういうやり方は非常に農協としては苦しいだろうという感じを持つのでございます。この点は明日一楽さんの公述が予定されておるようでございますから、むしろ一楽さんの専門の領域でございますので、そちらにおまかせしたいと思いますが、少なくとも私が知っております限りでは、従来の制度金融の場合でも、農協は二分程度の補償をもらって、利子補給をもらって、七分程度で貸し出すということではとうてい採算がとれないという声を非常に聞いておるのでございます。そのために農協はあまり喜んでこの資金を貸し出そうとしない、こういう傾向が出て参るので、せっかくこの三百億というワクを作ってみましても、はたしてそれが消化できるものかどうか、こういう疑問を持つわけでございます。そのことにも一つの問題があるように思うわけでございます。  それから第三の問題は、もう少し根本的な問題になりますけれども、私はこういう制度金融というやり方で、系統の資金に政府がいわばひもをつけまして、それを農業政策に利用する、こういうやり方がはたして日本の農業協同組合の健全な発達、特にその自主的な発達というものを考えた場合に、いいことであるかどうかということに非常に大きな疑問を持っております。こういうふうに政策的に政府が使う、そういう意味で、これはある意味で財政資金たる性格を持ったものでございまして、そういう財政資金たる性格を持ったものの資金源といたしまして農協の金を使って、しかもそれに政府が非常にこまかい規制を設けまして、その方向に従って貸さなければ利子補給をしてやらない、こういう形で規制をいたしますことは、結局農協の自主的な活動を完全に封じ去ってしまうことになるおそれがあるわけでございます。それが比較的小規模な場合には、農協が片手間にそれをやっておりまして、自主的に動ける分野というものがかなり残っておることになりましょうが、三百億というような非常に大きな金がその中に入って参りますと、おそらく農協の一般的な貸し出し、農協自体の貸し出しというものはできなくなるだろうというふうに私は思うのであります。  というのは、農協の資金はもともと利子が高いわけで、一割か場合によっては一割をこえるわけでありますから、そういう金は農家としては借りなくなりますから、従って当然農協の自分自身の金は余裕金という形で余ってしまう。この制度金融の部分だけがむしろ貸し出されるとすれば貸し出される、こういう形になって参りますと、農協はますますいわば政府の下請機関だという形になってしまいまして、農協の本来の意味を失ってしまうのではないか、こういうことを感ずるのであります。そういう意味で、こういう制度金融のやり方を際限もなく拡張していくというような政策は、私には非常に疑問に思われるのであります。  もちろん今日の農協というものは、政府の何らかの支持がなければ、自分だけで成り立つということはなかなか困難だということはよくわかるのでございますが、その場合にはおそらく政策の考え方としては、農協の自主性をなるべく強めてやる、こういう形で援助をすべきであって、農協を政府の政策のために利用する、こういう形で農協を助けてやろうという考え方は、私はどうも賛成をいたしかねるということでございます。従ってこれを信用事業について申し上げますならば、同じく政府が資金を補給してやって、そして農協の金利を下げてやろう、こういうことをお考えになりますならば、むしろ農協が自主的に使えるようなファンドを農協に持たすべきであって、一々それにひもをつけた形で農協の資金を流そうとするこういうやり方は、どうもよくないのではないかと思います。  この点で御参考までに申し上げておきますと、たとえば戦争前の状態で考えますと、御承知の通り、政府は農林中金、当時の産業組合中央金庫でございますが、産業組合中央金庫に対しましては、半額の出資をしていたわけでございます。三千万円のうちの千五百万円を政府が出資していたわけでございます。しかもこの千五百万円につきましては、十五年間配当を免除するという形で、いわばただの金を中金に持たせていたわけでございます。当時の系統金融というものは、このただの金千五百万円というものを一つのプールにいたしまして、そこで金利を調節するという形である程度運営される、こういうやり方ができていたわけでございます。いわばそういうやり方ならば、系統の金融事業というものを健全に伸ばすことが可能だろうと思いますけれども、これをこの利子補給という形で一々ひもをつけてしまったのでは、私は系統の系統たる意味がなくなってしまうというふうに感じるので、その点が一つの問題点ではないかというふうに思うのであります。  それから最後に、これはことしの予算と直接関係がない、むしろことしの予算に十分顔を出していないという意味で、私は大へん残念だというふうに感じておりますことを、一つだけ申し上げて終わりにしたいと思いますけれでも、それはこういうことでございます。  この政府のお作りになりました所得倍増計画というものを拝見いたしますと、御承知の通り、十年間に所得を倍増させるということでございますが、その場合に農業生産の伸びというものは、年率二・九%というふうに見込まれております。これは大体従来の実績に合わせたものだと思います。従来も大体日本の農業の成長率は、ほぼ三%程度といわれておりますので、それに大体合わせたものかと思います。ところでその年率二・九%で農業生産が成長していく、こういうことを考えました場合に、その中で所得率がどういうふうに変化するかということは、むろん問題でございまして、普通学者が考えておるところによりますと、所得率がある程度下がるだろうというふうに予想を立てておりますが、かりに所得率が下がらないと仮定をいたしましても、総生産が二・九%伸びるとすれば、所得も二・九%ずつしか伸びないということになりますから、そのままで計算いたしますと、十年たちましても約三〇%余りしか伸びないということになるわけで、とうてい倍増はいたしません。  そこでこの農業所得を、それにもかかわらず倍増するということを考えますと、それは兼業所得であとはめんどうを見るのだということも一つの考え方かと思いますが、もしこの専業農家を健全なる自立的な専業農家に育成していくという考え方が他方にあるといたしますと、どうしても農家戸数及び農業人口というものが相当大幅に減らない限りは、所得が倍増するということは考えられないということになるかと思います。単純な算術計算をすれば、所得は三〇%しか伸びないわけですから、農家戸数及び農業人口が三分の一に減らなければ倍増はしない、こういうことになりますが、もう少しほんとうはいろいろな条件を入れなければなりません。そういうわけで、ともかく農家戸数を減らす、あるいは農業人口を減らすということが、この倍増計画をささえる非常に大きな柱になるのではないかというふうに思います。  ところでその農業人口を減らすとか、農家戸数を減らすということは、ある意味では非常に望ましいことでございまして、従来から日本の農業は、非常に過剰人口をかかえ込んでおりまして、しかも非常に零細な経営になっておるわけでございますから、できればこれを減らすという方向を打ち出すということは、もちろん当然考えなければならないことだと言っていいと思います。ただ、その場合に、減らすと申しましても、なかなか簡単にはいかないことであることは御承知の通りでございます。それに対して万全の対策というものを講じておきませんならば、しばしば非難されておりますように、いわゆる貧農の首切りになるおそれがあるわけであります。首切りにならないように、農業人口及び農家戸数を整理するための十分納得的な対策というものが、そこに盛り込まれていなければならないのではないかというふうに思うわけであります。  その場合に、もちろんそれはどういうことが必要かということになりますならば、いろいろな問題が考えられるわけでございまして、いろいろな対策をやらなければならないということになると思いますけれども、今まで少なくとも今度の予算の中で、ほとんど考えられていないのではないかという問題といたしまして、私は、一方におきましては転業したいというふうに考えている農家、これは兼業農家が多いと思いますが、特に老人その他だけが残っているというような農家で、できれば転業したいと思っているような農家が、円滑に転業ができると同時に、その農家が従来持っておりました土地が、将来専業農家として伸びていくような農家の手に円滑に入る、こういうような対策をかなり強力に考えるということが一つ必要だろうというふうに思います。  ところが、それに関連して、今度考えられております政策といえば、ぜいぜい農地法を多少改正いたしまして、農地法の規制を多少ゆるめるということと、農業協同組合に対して信託経営ですか、委託経営ですか、そういうものを認めようという程度のことしか考えられていないのであります。それ以上のことは何も予算にも出ておりませんし、政策としても登場していないように思われるのであります。  しかし、この場合に最も重要なことは、私は、そういうふうに農業から離れていこうとする零細な農家というものに対して、彼らの持っております土地を、どういう形で買い上げてやるかということが一つ問題だと思います。この場合の土地買上資金というのは、言うまでもなく、そういう出ていこうとする農家にとりましては転業資金になるわけでございます。従いまして、それが高ければ高いほど、円滑にそういう農家が農業から離れていくことができる、こういうことになる。従って、なるべくその土地も高く買ってやった方がいいということになるかと思います。他方では、今度は専業農家として伸びていく農家の方を考えますと、その土地はあまり高い値段で買ったのでは、とうてい経営として採算がとれませんから、むしろできるだけ安くそういう農家に土地が渡る、こういう措置が望ましいわけでございます。  そこで、それを解決いたしますためには、できればいきなりこの土地のいわば二重価格制度をやりまして、売るものからは高く買ってやって、買うものには安く売ってやる、こういうことをやれば一番いいわけでございますが、ただ、そのためには莫大な財政資金が必要でございまして、とうてい簡単にはできないことかと思います。従って、次善の方法といたしましては、非常に長期の、一種の土地銀行のようなものを作りまして、そこから非常に長期低利の資金を融通いたしまして——非常に長期低利という意味は、おそらく三十年とか五十年とかいうような長期を考えまして、その範囲で土地の売買を行なわせるような方法というものを工夫すべきではないか、そういう点についての問題が全然考えられていないということに非常に不満を持つわけであります。  それから、またそれと関連いたしまして、今度はそういうふうに手放されました農地ができたといたしましても、それがほんとうに経営的に伸びようとする農家の手にうまく入るということがどうしても必要になる。このことは、売買の場合だけではございませんで、従来からの経営地を考えましても、いわゆる交換分合という形で集団化をいたしませんと、機械化ができないというような問題もある。そういう意味で、総合的に村の段階で考えるか、どこの段階で考えるかは別でございますが、とにかく、ある比較的小さい単位のところで、そういう管内の土地、その範囲の中にある土地を最も合理的に配分し得るような自主的な管理機構というものをどうしても作らなければならないものかと思います。つまり一種の土地管理組合のようなものがどうしても必要になってくるだろうと思います。そういうものを作るということにつきましても、法制的な措置も必要でございましょうし、場合によっては予算的な措置も必要かと思いますが、そういうものもほとんど出てきていないということにも疑問を持っております。  それからもう一つ最後に申し上げたいことは、そういう専業農家の経営規模をある程度大きくするということは、単に離農を促進いたしまして、そこから浮いてくる土地を専業農家に集めてやる、こういうことだけではございませんで、言うまでもなく、従来農地として利用されておりませんでした山林原野を利用するということによって、農業の経営を拡大するということが十分考えられなければならない。特にこれからの成長農業部門は、御承知の通り果樹、畜産というものでございますが、そういうことになれば、山林原野は非常に大きな利用価値を持っているわけであります。これは樹園地でも、それからいわゆる草地、放牧地、こういう形といたしましても非常に利用価値が大きいものでございます。現に方々の地方でその山林原野をそういう方向に利用していこうという動きは出ておりますが、この場合に非常に障害になりますのは、従来の山林地主というものがなかなかその土地の利用を開放しないということであります。それは値段の問題もございますし、それからまた山林地主の方は、そういうふうに人に貸すよりは、自分で植林をしてそれを持っていたいという考え方もあるかと思います。そういうことがいろいろ障害になりまして、せっかく村の中でそういう新しい方向への動きが出てきながら、それがそこにぶつかって阻害されてしまっているという例が幾つも出てきております。従ってこれも早急に考えなければならないことでございまして、まずこの山林の開放という点につきましては、これを法制的にも所有権の移動でやるか、あるいは利用権の設定でやるか、こういう問題を考えなければなりません。  それからまたいずれにせよ、そのための土地の価格というものをいかに適正にきめるかあるいはそれが農家の負担になるということであれば、それに対して適当な財政的な補助をする、こういうことを考えなければならない。いろいろそこには解決すべき問題があるかと思いますけれども、とにかくこの山林原野の土地問題というものをある程度解決して参りませんと、農家の経営規模も拡大いたしませんし、経営規模が拡大いたしませんと所得を倍増するなどと申しましても、実際問題としてはできませんし、第一、日本の農業の近代化そのものが行き詰まってしまいます。そういうことがほとんど今度の予算に盛り込まれていないように見えますことを私は大へん遺憾としているわけでございます。  以上、二、三の感じましたことを申し上げまして御参考に供した次第であります。(拍手)

船田中自由民主党

○船田委員長 ただいまの大内公述人の御発言に対しまして御質疑があればこの際これを許します。

淡谷悠藏日本社会党

○淡谷委員 ちょっと一、二点お伺いいたしますが、さっきの第二種兼業農家並びに第一種兼業農家の場合もそうですが、土地を放して自営農家に持たせるという構想が今度出てきておるようですが、この小農家が土地を放すということには大体二つの原因がありまして、一つは大へん地価が上がったというような場合、その利益、採算の上から放す場合と、もう一つは土地を持って飯米を作らなくともやっていけるような賃金に変わってきた場合、すなわち日本の低賃金を脱却した場合でないとなかなか飯米を作る小農地を放さないと思うのですが、現在の、これは先生の専門の場面を離れるかもしれませんが、労働政策の上からこういう零細な兼業農家が土地を手放しても暮らしていけるような賃金の保障が経済政策としてできてくるかどうかお伺いしたいと存じます。

大内力東京大学教授

○大内公述人 今御指摘の点は労働問題かと思いまして先ほどことさら申し上げるのを御遠慮申し上げたわけでございますが、私自身の考えといたしましては、御指摘の点は非常に重要なことかと思います。  ことにそれに関連いたしまして多少つけ加えさしていただきますと、現在御承知かと思いますが、農業人口は確かに相当早い勢いで減っております。大体年間三十万人ずつくらい減ってきております。ところが農家戸数の方は御承知の通りそれに比べますと非常に減り方が鈍いのでございます。多少は減っておりますけれども、過去十年間をとりましても、わずかに数%足らずしか減っておりませんで、ほとんど減らないといっていい状態にあるのでございます。こういうようになります原因は、御承知の通り日本の場合は、農村から人口が出て行く場合に、大体非常に若い青少年層が学校を卒業するとすぐに農家から出て行く。これは二、三男だけではございませんで、農家の跡取りになるべき者までが出て行ってしまう。こういう形で単身で出て参ります。従って親のうちは依然として農家として残っている、こういう形になる出方をしております。  そこでこれがいろいろな問題を引き起こすわけでございますが、まず第一には、今申しましたようなわけで、従って農業人口はだんだん補充ができなくなりますから、減ることは減るわけでございますが、家の方はなかなか減らない。これは非常に長い期間を考えまして、三十年も五十年も先を考えれば、だんだん今残っておるおやじが老いぼれてきて、そうしてついに家も減るだろう、こういうことも考えられますけれども、少なくともさしあたりの問題としては減りませんし、またおやじが老ぼれて参りますと、実際には一応外へ出たむすこがまた戻って来まして、その細君なり何なりが農業を始める、こういうことがしばしば起こるわけでありますから、なかなか農家としては減らないわけです。ところが、経営規模を拡大するとか、あるいは所得を倍増するとかいうことを考えますと、これは私は農業人口よりは農家戸数の方が重要な意味を持っておると思います。人口が減っても戸数が減らないのでは、農家の経営規模も大きくなりませんし、従って経営の近代化もできないのではないか、こういう点が問題になると思います。  それからもう一つは、そういうわけで若い層がどんどん農業から出て行ってしまいますので、農業で働いておる人間そのものがだんだん老齢化してくる、こういう傾向が強うございまして、農業人口の老朽化という問題が深刻になってきております。従ってここにも非常に大きな問題があるわけでありまして、将来の日本の農業が非常に近代化してくるというようなことを考えますと、そういう年寄りが残っておるような農業では困るわけでございます。どうしても精神的にも肉体的にもフレッシュな人間が必要になって参りますが、そういうものがなかなか確保できない、こういう形になっております。  そこで問題はなぜそういう若年層だけが農業から出ていくか、こういうことになりますと、しばしば指摘されておりますように、日本の雇用構造というものが、低賃金で使える若年のところだけに集中するという傾向がございまして、そのために農業の人口の流出の仕方がまた非常にゆがめられる、こういう問題があるかと思います。そういう点も合わせまして、今御指摘の通り賃金問題を解決するような手を打ちませんと、なかなか農家は整理できないだろうということを考えます。それからそれは単に賃金問題だけではありませんで、実際に兼業農家にわれわれが参りまして、なぜ農業をやめないのかということを聞いてみますと、かなり共通に見られることは、一つは一種の生活不安があるわけです。つまり工場に働きに行っても首になったときに困るではないか、あるいは年をとったときに困るではないか、こういう不安がございまして、それがなかなか農業から離れられない原因になっておるようです。その点を考えますと、単に賃金問題だけではございませんで、そのほかに社会保障と申しますか、つまり失業の場合の対策なり、あるいは年をとった場合の対策なり、こういうものが相当強化されて参りませんと、なかなか整理はつかないだろう、そういう準備なしに無理に農家の方だけを整理しよう、こういう構想が先走りますと、これはどうも貧農首切りだと言われてもやむを得ないようなことになりはしないか、こういうように感じております。

淡谷悠藏日本社会党

○淡谷委員 時間がだいぶたっておりますのであと二、三点ほど簡単に伺いたいのですが、さっきの麦対策費の問題に関連しまして、大裸麦の転換作物として小麦あるいはてん菜、菜種というようにあげられておりますが、これはいずれも見込みのない作物である、これはただ麦対策というだけでなくて貿易の自由化とも関連しまして農家が非常に迷っておるのが新しい作物として何を選ぶかという問題なんでございます。これはあるいは家畜の飼料を自給するという方向がわずかに残されておるかもしれませんが、何かこうした従来の畑作物にかえるべき伸びる作物があるかどうかという点についてお伺いしたいと思います。

大内力東京大学教授

○大内公述人 これは非常にむずかしい問題でございまして、新しい作物があるかどうか、こういう御質問でございますと、私にもよくわかりませんと申し上げた方がいいのでありまして、もちろん地方的にいろいろ工夫をいたしますならば、小さい作物として将来輸出性があるとか、あるいは大いに消費が伸びそうだ、こういうものを見出すということは必ずしも不可能ではないかと思います。たとえば思いつきでございますが、最近非常に伸びて参っております高級蔬菜のようなものはある程度そういう可能性を持ったものだというふうに考えられますし、それから果樹のようなものにいたしましても、これももっと値段が下がるような合理化ができるということを前提といたしますと、国内消費だけではございませんで輸出市場が開げる、こういうようなことも考えられますので、そういう方向への解決方法というものは考えられるかと思います。  ただ基本的に私が考えておりますことは、やはり日本の農業の従来からの最大の欠陥をなして参りましたのは、御承知の通り日本の農業に輪作形態というものが十分に入っていなかったということだろうと思います。日本の土地は大体米、麦という禾本科の作物を連作する、こういう形で利用して参りましたために、地力が非常に減耗をしております。もちろん化学肥料でそれをある程度は補っておりますが、御承知の通り化学肥料というのは決して完全に地力を維持することはできないものでございまして、化学肥料を運用しておりますと、だんだん土地の条件は悪くなって参ります。そういうことから今の日本の経済で一番重大問題になっておりますのは、年々よけいの化学肥料をやり、また肥料をたくさん使うために農薬もよけいに使わなければならぬ、そういうふうに肥料と農薬をいわば惜しみなくつぎ込む、こういう形になりながら、生産はそれに対してちっとも伸びていない、ちっともと言っては言い過ぎですが、ごくわずかしか伸びない。従って農家としては、ますますその採算が悪くなってくる、こういう現象が起こっていることでございますが、こういう問題を基本的に解決いたしますためには、日本の農業に輪作という形を導入するという以外に私は方法はないだろうというふうに思うのであります。従ってこれは畑作及び水田の裏作ということを一貫いたして考えなければならないことでございますが、表作に穀物を作るといたしましても、裏作には飼料作物を作る、あるいはできれば田畑輪換作という形で、一年水田として利用して一年は畑として利用する、こういう技術の方向に進めまして、そしてその飼料化を通じまして畜産を拡大していく、こういう方向に持っていくのが基本的な進み方だろうというふうに考えております。もちろんそれは地域的に山村の場合はどうだとか平坦村の場合はどうだとかということになりますと、またいろいろ条件はございますが、ごく日本全体をならして申しますならば、そういう方向で問題の解決をはかるべきではないかというふうに思います。

淡谷悠藏日本社会党

○淡谷委員 最後に一点。酪農、果樹というものは成長する農業として注目を浴びておるわけなんですが、従来の米麦本位の農業に比べまして、この方面に出ますと非常に流通過程を経るものが多くなってくると思うのです。ただし今までのように粗生産の段階で販売に乗っけておっただけでは、これはまことに収益というものは少なくなりまして、所得が増さないと思うのですが、ことしの予算にも関連しまして農業の流通過程における施策が予算面に現われておりますかどうか、この一点と、それからもう一つは、大資本の農村進出、たとえば大洋などのいろいろな加工方面での農村進出ですが、これに対して逆に農村から貯蔵、加工の方面まで資本が増していかなければならないはずなんですが、なかなか出て参りません。しかし将来はどうしても粗生産だけではなくて、ある程度加工もし、貯蔵もしたものを流通過程に乗っけていかないと、農村と他の産業との所得均衡というのはむずかしいと思われるのですが、これは特にことしの予算にそういう面が顔を出しておるかどうか、お考えを伺いたいと思います。

大内力東京大学教授

○大内公述人 今お話しの点も私はその通りだと思うのでござまして、ことに酪農、果樹のようなものにつきましては、ある程度の加工ということがどうしても必要かと思います。この加工につきましては、幾つかの考え方があるわけでございまして相当高度な、いわば最終生産物に近いところまで農村でやるべきだ、あるいは協同組合でやるべきだという考え方が一方ではあるかと思います。他方ではむしろ大資本が、資本家的な経営としてやっております乳業会社あるいはカン詰会社というようなものが相当生産過程に近いところまで参りまして、たとえばアメリカの場合のように、農家にくだものならくだものの委託生産をさせて、そうして加工過程は全部大資本が握ってしまう、こういう形の方がいいんだという考え方もあるかと思います。しかし私はどちらも多少極端だという感じがするわけでございまして、やはり加工のある段階まで、それがどの段階かということは具体的にいろいろな条件で一がいには申し上げられませんが、とにかくあるところの段階までは加工なり保存なりということは農民自身がやる、つまり具体的には協同組合という形でやることになると思いますが、そこまではやって、それからより高い技術なり、より高い設備なり、それから販売市場なり、こういうものが必要とされますような高度な加工というものは、大資本にまかせるべきものではないかというふうに考えております。そういう意味で流通対策費というものはぜひ必要なわけでございまして、これは農業基本法にもある程度うたわれております。それから基本問題調査会の答申には、十分であるかどうかということはむろん御議論があるかと思いますが、一応そういう構想に立ちまして、加工部門を農協にできるだけやらせる、それから流通対策に相当力を入れる、こういうことがうたってございます。ただことしの予算におきましては——私非常にこまかい費目まで全部検討いたしませんで、概略の説明だけを拝見して参りましたので、あるいは間違っておるかもしれませんけれども、どうもそういう流通対策というものに対して、少なくとも十分な手が打たれているというふうには感ぜられないのであります。少なくとも大ざっぱな予算の説明の中には、そういう費目は全然出てきていないように思います。

淡谷悠藏日本社会党

○淡谷委員 終わりました。

船田中自由民主党

○船田委員長 他に御質疑がなければ、大内公述人に対する質疑は終了することといたします。  大内公述人には、御多用中のところ、長時間にわたり御出席をわずらわしまして、貴重な御意見の御開陳をいただきましてまことにありがとうございました。委員長より厚く御礼申し上げます。(拍手)  明十七日は午前十時より開会し、公聴会を続行することといたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時七分散会

国会会議録検索システムで原文を見る ↗