文教委員会 第17号
- 発言数
- 43 件
- 登壇者
- 4 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1961/04/19
会議録
○坂田委員長代理 これより会議を開きます。 濱野委員長の都合により、私が委員長の指名によりまして委員長の職務を行ないます。 文化財保護に関する件について調査を進めます。質疑の通告がありますのでこれを許します。高津正道君。
○高津委員 きょうは河原文化財保護委員会委員長の出席を求めてあるのですが、おいでになりませんか。——この永仁のつぼ事件は非常に天下を騒がせ、そして国の重要文化財指定というものがあのように間違っていたのだ、一つばかりかと思えば、ほかにまだ二点加藤唐九郎作のもので間違っておった。三つも間違いがあったというそういう大きな事件でありますが、小山富士夫文部技官自身が文化財の権威を非常にそこなった、傷つけた、これは遺憾であるということを申しておるのでありますが、この間の審議会の結果を詳細に御報告を願いたい。新聞には発表されてあるが、扱っておるこの文教委員会にまず詳細に報告さるべきだと思うのです。その御報告をまず承ります。
○清水政府委員 永仁銘古瀬戸瓶子、いわゆる永仁のつぼにつきまして、昨年来地元の一部から、これは鎌倉時代の作じゃないというような御意見が出されたのでございます。文化財保護委員会といたしましては、常に、指定してあるものも、指定してないものも、調査研究いたしておるわけでございますが、指定いたしました重要文化財に対してこのような御意見が出て参りました上は、謙虚な態度で真実を明らかにするという意味から慎重に調査しなければならないと考えまして、昨年の秋以来、広く資料を収集いたしまして、従来の様式、技法的な見地はもちろん、新たに科学的な方法をも加えまして鋭意調査を続けて参ったのでございます。その際集められました資料は、古瀬戸の作品、いろいろ指定されたものも指定されてないものも、あるいは古瀬戸といわれておるものもいろいろございますが、古瀬戸の作品中指定重要美術品と認定されたような物件を初め、あるいは未指定品でありますけれども、出土地あるいは出土の年月日の明らかなものなど、それからお寺とか神社に長く伝世品として伝えられておったもの、そういうようなもので形の完全なものを九十一個、その他破片を百四十九件集めまして、そうしてこの調査には文化財保護委員会の専門技官がおりますが、その陶磁あるいは書跡あるいは考古、保存科学関係の専門技官がこれの調査に従事いたしまして、その他外部の研究者の意見も徴して、その結果、重要文化財に指定しました三つの件名についていろいろ調査したのでございますが、その三つの、これはいわゆる新聞には四耳壷といわれておりますが、古瀬戸黄釉蓮花唐草文四耳壷、それから古瀬戸狛犬、それから古瀬戸の瓶子いわゆる永仁のつぼでございます。この三件については、先ほど申しました様式技法の見地からは、これは鎌倉時代の古瀬戸にはあまり見られないいろいろの特徴が認められます。それらもろもろの特徴のうちには、近代的な要素も含まれていることが認められるに至ったのでございます。また科学的な調査におきましては、エキス線螢光分析によりまする釉薬、上薬の中に微量の成分として含まれておりまする特定の元素、これはストロンチウムとルビジウムでございますが、その元素の比率、第二にはこれは東大にしかなかったのでございますが、位相差顕微鏡によりまする釉薬の経年の風化損傷などの調査、それから第三といたしましては、エキス組写真による内部構造の透視などの調査を行なって参ったのでございます。ところが鎌倉時代の古美術と先ほど申しました三件の作品の間には、エキス線螢光分析による調査によっては、微量成分としての特定の元素の比率が異なることが認められたのでございます。第二の位相差顕微鏡による調査によりましては、三件の表面、ことに永仁銘瓶子においては経年変化が認められないという状態でありました。第三のエキス線写真によりましては、外部からうかがい得ない内部の成形状態が異なる点が判明いたしたような次第でございます。 科学調査によるこのような結果は、前に申しました様式技法による調査を裏づけるものでございまして、文化財保護委員会といたしましては、以上の総合調査に基づきまして、先ほど申しましたいわゆる四耳壷と狛犬と古瀬戸瓶子いわゆる永仁のつぼ、この三件は鎌倉時代の作品とは認めがたいと考えまして、重要文化財の指定を解除することを適当と認めまして、この三月二十七日から四日間開かれました文化財専門審議会に諮問いたしたのでございます。文化財専門審議会は慎重審議の結果、右の三件の解除を答申して参りましたので、文化財保護委員会はこの答申に基づきまして、三月三十一日に解除を決定した次第でございます。その後四月十日に法律の手続を経まして告示もし、同日付で所有者にも通知したような次第でございます。 以上でございます。
○高津委員 完全なものを九十一個調べられたというのでありますが、この三個以外にはにせものはなかったのですか。
○清水政府委員 この九十一個のうち重要文化財といたしましては三個でございますが、重要文化財に指定しないものの中には鎌倉作でないと思われるものが数件あるようでございます。
○高津委員 その数件の名前を知らせて下さい。
○清水政府委員 これは指定してないものもございますし、今その点はむしろ御遠慮申し上げた方がいいのではないかと考えております。
○高津委員 それではお伺いしますが、鎌倉時代の重要美術品に指定されておる昭和十三年五月、当時の責任者は奥田誠一氏ですが、瀬戸印刻文瓶という高さ二十七センチのものでございますが、世界陶磁全集の第二巻に載せられておって八十二番という番号が打たれておる。これは重要美術品ですか、鎌倉時代のものですか。
○清水政府委員 その今の具体的なお話に入る前にちょっと申し上げることをお許し願いたいのでございますが、ただいま高津先生の方から重要美術品云々というお話がございました。御承知のごとく重要美術品の認定は、昭和八年にできました「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」というのがございます。この法律は、これまた御承知のごとく文化財保護法、二十五年制定の際に廃止になったのでございます。ただし文化財保護法の付則におきまして、これから重要美術品としての認定は廃止になったからできぬ。しかし今まで重要美術品と認定せられたものが約八千件ございます。八千件ございますが、そのものについてはまだ効力が有するということになっております。この「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」は、御存じのごとく国宝、今で言えば重要文化財でございますが、重要文化財にするかしないか、鑑査の結果を待って、その間は海外移出を制限するという意味合いでできた法律でございます。言いかえれば、仮指定というような制度でございまして、ただいま有効になっておりまする八千件に上りまする重要美術品については、調査研究をいたし、そのうち二割にも達しない、大体一割五分くらいのものが重要文化財のワク内になる予定でございまして、重要美術品については、今具体的に重要文化財にならないものにつきましては、近い将来においてしかるべく処置しなければならぬと思っておる次第でございます。
○高津委員 瀬戸印刻文瓶については、古瀬戸陶器の研究をしておる菊田清年氏という人が雑誌に、これは間違いであると指摘しておるのですが、その分についての答えが聞けないですか。公然の秘密のようになっておるのです。加藤唐九郎作で……。
○清水政府委員 重要美術品として認定されている物件が約八千ばかりございますが、そのうちに古瀬戸のものも若干ございます。このたびの永仁のつぼを調査する際に、そういうもののうちでも相当集まりまして調査いたしたのでございますが、その中に若干模古作と思われるものもあるのでございますが、所有者の関係もあり、これは重要美術品の性質から考えまして、ここで申し上げることは遠慮申し上げた方がいいんじゃないだろうかと私は思います。
○高津委員 それでは次に、これも鎌倉時代の重要美術品として指定されてある、河出書房の世界陶磁全集第二巻では、八十五という番号が打たれておりますが、瀬戸印刻文百合口瓶、むろんこれは本人が、加藤唐九郎自身が作ったと言っておりますが、重要美術品になっております。そのものの結果はどうでしたか。
○清水政府委員 いろいろ、名前も同じような名前が相当ございまして、重要美術品に指定してあるのもないのもございます。中には、何のたれがしが作ったという近代作もございましょうが、指定されてないものはもちろん、重要美術品に指定されているものも、それが模古作であるかないかということを申し上げるのは、御遠慮申し上げた方がいいんじゃないかと思っている次第でございます。
○高津委員 今のは重要美術品に指定されておるものであって、そうして佐藤進三氏という陶磁協会の専務理事ですが、一味徒党ですが、非常に激賞しておるもので、これがいいか悪いかということは、こういうのはみんなはっきりさせる必要があろうと思うのですよ。私の聞いておるところでは、国宝の中の刀剣で、正宗というのはきちんとしたつかみのところに銘がある。だれが見ても正宗に違いない。しかし、先の方がその後いたんでだめになっておるので、中に鋼鉄のしんを入れて、そして別のものを、これは変造物ですよ。そういうものが国宝に指定になっておる。あるいはまた甲冑類、よろいですね。よろいの片そでが切れておるために、むろん国定の指定などを受けられるはずもない。重要文化財にもなり得ない。だから、似たようなものをつけて、ほとんどわからないようにして審査官によく頼み込んで、それがパスして国宝になっておるものがあると権威ある人が私に言うのであります。この際は、東京の博物館へ行けばにせものなら幾らでもあるというような評判が立たないように、きちんと大掃除をしてしまったらどうかと思うので、それで世間でみんなそう言っておるものを、たった三つだけ間違ったものがありましたという発表では満足できないので、やはりもう少しはっきりした名前をあげて質問しますが、世界陶磁全集第三巻の87という番号で、瀬戸印刻文水注、鎌倉時代の重要美術品です。美術雑誌でも何でも写真がたくさん出ていますが、これはどうですか。
○清水政府委員 重要文化財に指定された古瀬戸のうちでは、ただいま申しました通り三件について解除の決定をしたことは先ほど申した通りでございます。重要美術品につきましては、先ほど来申し上げました通り八千件で、これを目下調査、審議し、そのうち格上げのできるものが二割弱ありますが、それが終わったあとで処置いたしたいと思っておりますので、重要美術品八千件の二割を除いたあと八割というものは重要文化財でないと思っていただかなければならぬのじゃないかと思っておりまして、どれとどれがいけませんというようなことは、ここでは申し上げない方がいいんじゃないだろうかと思うのでございます。その点一つ御了承願いたいと思うのであります。
○高津委員 近い話が、昭和二十年八月に指定された、同じように世界陶磁全集に出ておるのでありますが、瀬戸刻文鉢、口径三十センチ、高さ八センチ、底径十五・五センチ、そういうものがありますが、これは加藤唐九郎のやはりにせものである。それを小山富士夫という人はこういう解説を書いて非常に高く評価しておりますが、「釉薬にちじれのあるのは、鎌倉時代の古瀬戸の一つの特徴で、釉中の灰が特に多い時に起る現象とされている」「おそらくは鎌倉時代の瀬戸松留窯のものであろう」こういうように日本一の陶器の鑑定人がほめている。重要美術品で、あなたの言われる昔のものでなしに、八千件ある中のその一つには違いあるまいけれども、昭和八年でもないし、昭和二十年八月に指定された重要美術品です。このものはどうですか。
○清水政府委員 古瀬戸陶器のうちで重要美術品として認定されておるものは大体二十件ばかりございます。詳しく言えば十九件ばかりあります。その中にこれとこれとこれはというものが——先般の調査によりましてほぼわかっているものはございますけれども、これとこれは鎌倉作ではないというのは御遠慮申し上げたいと思うのでございます。
○高津委員 雄山閣から出ておる陶器図録東海篇の中に瀬戸古窯黄釉印花梅唐草文瓶、高さ九寸九分というものがございますが、これも唐九郎の作品に違いはないのですが、これは必ず審査されているわけですから、どういうような審査の結果が出ましたか。
○清水政府委員 これも先ほど申しました通りのような事情でございます。いわゆる——いわゆるでございますが、いわゆる松留窯といわれるもの、それ以外のものもあるのでありますが、両方にわたってなお研究を要しなければならぬものがあることも事実のようでございますが、具体的にこれとこれはいい、これとこれは悪いということはここで申し上げない方がいいのじゃないかと私は思うわけでございます。
○高津委員 今、私はこの間解除された三つ以外に五つほど並べてみたのですが、どれもどういう審査の結果が出たかの答弁が得られませんので、方向を変えて質問します。 小山富士夫という人は、平凡社の十八巻出ている「世界陶器全集」のただ一人の監修者です。全十八巻をみな一人で監修しているわけです。それから河出書房の「世界陶磁全集」、それでも第十巻、第十三巻、第十四巻、第十六巻というようにこの人が監修をされて、解説を書いている。何せ重美にするのも重文にするのも国宝にするのも、文部次官にはわからぬ、あるいは文部大臣にもわからぬ、その人が陶磁の専門家であるから、その人が全く生殺与奪の権を持っておる。国が認めておる全国最高の鑑定者という地位なんです。一方、加藤唐九郎という役者は日本陶磁協会の理事もやっておったし、またソ連に日本の伝統工芸を売り込んだときの、七千万円の売り込みをやったその責任者でもあるし、それから四千円の「陶器辞典」——あれが辞典としては最高のものでしょうが、「陶器辞典」の編さん者でもあるわけです。このような民間の陶器の方の大へんな権威者と、それから国を代表する権威者と、その権威は、編者にこういう人を頼むところを見ても、民間もこれを承認しているわけです。その者がなれ合いで、そうして税金を払わずに、加藤唐九郎の品は、大てい、日本陶磁協会の専務をやっておる佐藤進三という人のところで売買をされておるのです。最近にもその人の手で加藤唐九郎の品が動いておるわけです。その三人が全く同じ穴のムジナで、この間の委員会で使った言葉をむし返せば、同じ森の住人で、日本陶磁協会というものが非常に権威があるわけです。国の重要文化財の指定なんということをそういう三人が動かしておるというのが、私は現状であろうと思うのです。これは実に重大なことであって、日本の美術行政、そうして文化財の行政にとってこのガンを何とか料理しなければいけないと思うのです。小山富士夫という人を文化財保護委員会ではやめさせるつもりですか、どうですか。責任がありますか、どうですか。責任があることはもちろんだが、文化財保護行政において重大な汚点を残した。そのままでおるようであるが、河原委員長はどうなさるつもりですか。
○河原説明員 まず最初に、局長からも申し上げたろうと思いますけれども、文化財保護委員会が指定いたしましたものを、その指定を解除するというような事実を招来いたしましたことについて、まずおわびを申し上げます。 それからただいま御質問のありました小山技官の問題でございまするが、これが国家公務員法に規定しておりまする懲戒処分等に該当するものでありますれば別といたしまして、本人はその当時ただ職務を遂行しただけでありまするから、小山技官に対して懲戒処分をするというようなことは考えておりません。もちろんわれわれの知らざるところにおいて刑事事件が起こるというようなことがありますれば、それはもう別問題でございますけれども、ただいまそういうふうに考えていることだけをお答え申し上げます。
○高津委員 瀬戸市の古瀬戸研究家が十三カ条も書いて、詳細に、これは間違いだといって出したのです。これにはきめ手がない、とるに足らないといって、それを出したあとで反駁している。官尊民卑で、役所のやったことには間違いないのだという顔をしていたわけです。しかし、あんまり世間がやかましいから、ことに本人が自分で作ったということを、パリから帰って発言したのですから、そこで今度は前の言葉を改めていくというか、裏切ってというか、前とは違って、仕方なく調べて三つだけ出した。今そこまでの段階になっているのでありますが、これは職務の遂行上に誤りがあっただけで、懲戒処分をする考えはないというお考えでありますけれども、文化財の権威をそんなに失墜させることをやったということは、ちょっとのあやまちじゃないと思うのです。職務のあやまちはなかった、だから懲戒処分は考えておらぬ、こう言われるのでしょうか。なかなか大きいですよ。
○清水政府委員 お答え申し上げます。 私事務局長として部下職員を監督するという立場があります。昨年四月、体育局から文化財へ参りまして早々、この問題が地元にあることを聞きましたので、美術工芸課を通じまして、調査研究するようにと申しつけたわけでございます。その後地元から、書面でもって、具体的にこれこれこういう点についての疑義があるから解除してもらいたいという話がございましたが、その際、これも参考にはなるが、もっと調査研究して、文化財保護委員会があるいは科学的な方法もやらなければいかぬということを申したかもしれませんが、新聞に出るような、ああいうことはなかったのでございます。 それからもう一つ、先ほど先生がおっしゃいましたような、小山技官がぐるになったとか、同じ穴のムジナ云々とございましたが、さような事実はないものと私は認めております。ただし、小山技官はこの問題について調査に従事しておったわけでございますが、今日から考えますと、その調査研究はいかに慎重にやってもし過ぎることはなかったのではないだろうか、こう思いますときに、法理上の義務違反あるいは懲戒には該当しないが、もっと慎重に調査研究すればよかったのではないだろうか、こういうふうには思っておりますが、懲戒の対象にならないというのは、先ほど委員長が申しましたことを補足する意味において申し上げたわけでございます。
○高津委員 それでは、昭和二十四年にこの同じ永仁のつぼを、小山さんが主張して審議にかけたわけです。その場合に、田沢金吾ほか一名の人から、このものはだめだという反論が出て、取り下げになったわけです。その取り下げになったものをまたどうして小山富士夫という人は持ち出したのか。そこには重大な理由がなければならぬ。その理由を伺いましょう。
○清水政府委員 昭和二十三年に、これは文化財保護委員会ができる前でございますが、この専門審議会にいわゆる永仁のつぼを諮問したことは事実でございます。諮問する前にはそれぞれ専門技官あるいは専門家の意見を聞いて、そうしてそれに諮問したのでございますが、その際保留になりました理由は、永仁銘瓶子の干支が肩下がりのななめ書きに書いてあるのでございますが、田沢金吾委員から、縦書きとか横書きは多いが、ななめ書きになっているのはあまり見たことがないから、これはちょっとおかしいじゃないか。もっと調査してみるようにということで保留になったのでございます。その後調査をいたしましたが、干支の肩下がりのななめ書きの例がございましたので、それで一昨年あらためてこれを専門審議会にかけたような次第でございます。この前の委員会で先生斜め書きの例を次会に申せというようなお話がございましたので、そのうちの一、二だけ例を引いて申し上げるならば、興福寺の竜燈鬼像、これは建保三乙亥と斜め書きになっております。あるいは歓喜院の歓喜天像、これは建久八年四月丁已と、これも斜め書きになっております。あるいは熊本の青蓮寺の観音勢至菩薩像も永仁三乙未と斜めになっております。その他刀にもございますし、この辺に近いのでは建長寺鐘銘には、これは国宝でございますが、建長七年乙卯、これも斜め書きになっておりますので、こういう例がその通りあるということがわかりましたので、一昨年あらためて専門審議会に諮問したというような事情でございます。
○高津委員 それではどうもあなたの答弁は私了解できない点がありますので、たとえばこの間小山技官は昭和三十二年に日本陶磁協会をやめた、こういうことを言われたが、その後の新年号、それから夏の、雑誌「陶説」という雑誌ですね、日本陶磁協会の機関誌、それに理事小山富士夫という広告がずっと載っております。なおまたことしになってから加藤唐九郎理事、それから小山富士夫理事から辞任の申し出があったのでこれを審議して認めることにした、承認した、それから日本陶磁協会としての謝罪文がその機関紙の「陶説」の三月号に一ページで書いてあるわけです。あなたはこの前には、三十二年に小山はもう辞任しているんだ、あと顔を出しておればオブザーバーで顔を出したにすぎないのだ、明らかにそう答弁されたが、それは違うのですか。文教委員会でそういうことを答弁していいですかね。
○清水政府委員 この前の委員会で私、小山技官は三十二年に理事をやめるということを申し出ておるので、理事をやってないと承知いたしております、こういうふうに申し上げたのでございますが、現在形においても実質的においても小山技官は今先生おっしゃいました通り向こうの役員はやっておりません。
○高津委員 昭和三十五年の四月にやっておるかやっておらぬかということを私は聞いているのじゃないですよ。今はやっていないでしょう。だが、だれもその理事でない者を、理事加藤唐九郎、理事小山富士夫両氏より申し出があったので、それで理事を辞任することを承認したと書くものですか。その前日までずっと理事であったということをその文章が証明しておるし、年々の広告が出れば断わればいいでしょう。無料の広告であろうとも、ずっと年々正月とそれから夏の広告に出ておるのだから、理事であったことは間違いないです。それを昭和三十二年にやめておるんだというのは、それは文教委員会に対して偽るものだと私は思います。どうですか。
○清水政府委員 先般私そういうような意味で申し上げたのでございますが、先生からただいまのようなお話がございまして、さっそく小山技官を呼びまして、なるほど君はやめたと言って辞表を出したが、これこれこういうことでもって雑誌にも載っておるじゃないか、本人は、実は私の知らぬのに出しておって非常に困る、それならばきっぱりこの際名実ともにやめるようにしてもらいたいということで、そういうふうになった次第でございます。その点は私として深くおわび申し上げなければならぬと思っておる次第であります。
○高津委員 それでは今回の古瀬戸などの調査ですね、その責任者はだれですか。
○清水政府委員 最高の責任者は文化財保護委員会でございますが、実際上の今度の文化財保護委員会の実質上の事務上の責任者は私であり、実質上のこれを指揮と申しますか、連絡、調整等をいたしましたのは美術工芸課長でございます。
○高津委員 小山という文部技官に対して、去年文化選奨の中の一人に加えて特別に推奨したという、これは陶磁の研究及び陶芸界に尽くしたる功績、こういうので、問題になっておるまっ最中にその人をあのように格上げするというか、特別に選奨をやったという、これは一体どういう意味ですか。
○清水政府委員 小山技官が文部大臣の芸術選奨の対象になったというお話がございましたが、文化財保護委員会としてはその辺何も聞いておりませんが、事実選奨になったことは間違いないですね。これは私文部大臣の方に聞いてみないとわからないのですが、おそらく私の個人的な想像では、小山技官はシナの陶器関係に非常に詳しいので、その方面の著書の関係じゃないか。これは私の想像でございますが、どういう意味で文部大臣選奨になったかは私つまびらかにいたしておりません。
○高津委員 ここにきょう出席しておられる河原委員長は文部次官の前歴者であるし、あなたは文部省の体育局長の前歴がおありなんでしたね。そのように、まるで文部省と文化財保護委員会というものが出たり入ったりして、文部省は何もかも知っておるので、文部大臣選奨はあったが、文化財保護委員会は知らなかった、——文化財保護関係で役者はないかというので、あなた方の方から上申されたのではないですか。
○清水政府委員 それは全然文化財保護委員会とは関係のない事項でございます。
○高津委員 この小山富士夫という人は美術研究所、今は名前を変えて文化財研究所、それの昭和二十六年四月の第百六十一号ですが、「美術研究」という国を代表する国の出版物ですね、その出版物の中に北宋の修武窯、この論文が全くカールベックというスエーデンの人、学者の初めに発言したものを取って、しかもカールベックを非常に攻撃しながら、名前まで無作窯という名前であったものを、自分が新たに修武窯という名前にして発表したために、世界的に問題になり、日本の陶芸研究家の中でも非常に不道徳といって問題になって、その結果ボストン博物館で出しておるファー・イースタン・セラミック・ブリティン、極東陶器会報と訳しましょうかね、それの中へ謝罪文を発表する、小山さん自身が謝罪文を発表しております。これはナショナル・ミュージアム・トーキョー、フジオ・コヤマ。この英文ページの翻訳もむろんここに持っておりますが、謝罪文を発表せねばならないようなことに立ち至った人物である。国内では全然、日本の活字でどんなに攻撃されても、何号も何号も雑誌で続いて攻撃されても、全く黙っておって、外国にはすぐこういう謝罪文を発表しておるのであります。その謝罪文の翻訳は専門家の翻訳でありますから、間違いないものですが、こういう書き出しです。「焼作、すなわち修武に関する私の議論には、ある日本の学者たちもまた反対でした。私があの論文を書いたときには、他に緊急を要する仕事があったので、急いで書いたため翻訳に誤りがあり、また書き方にも足りないことがあったのをおわびします。」といってずっとこれから書いてあるわけです。私は、国内で日本の活字で一つもあやまらないで、外国には、指摘されたら、どうもしようがないから、こういうものを書くという人は芸術選奨には値しないと第一に思うのです。これが第一点です。 第二点は前田幾千代という人が、これは、おそらく御存じの有名な陶器の学者でありますが、その人の書いた薩摩焼の研究というものがあって、その原稿を小山さんが見せよと言うから見せたわけです。そうしたら、それを自分の名前で今度出して、そうして前田さんは間違っておるというようなことをあちこちに書いて、攻撃しながら、名誉を自分で取るということをやられたから、非常に前田幾千代という人が怒って、この日本美術工芸という雑誌に六カ月にわたって反論を書いて、誤りを指摘したわけです。こういう有名な事件がございます。ものをはっきりさせるためにちょっと読めばいいのですが、たくさんありますから、読みませんけれども、こんな不道徳なことはないということで責めてあるわけであります。そのような人物を何ゆえに芸術選奨の中に入れるのか。これは質問ですよ。 それからもう一つは、懲戒処分には値しない、事務処理か何か、職務を遂行する上で、ちょっと間違いがあったのだ、そう言われるが、このような疑いを持った人間をそういう地位に置かれるということは、私は大へんだろうと思うのです。文部省の外郭団体が一ぱいあるのだから、次官でも局長でもみな外郭団体へどんどん出ておられるから、せめてそういうことでもなさるのかと思えば、それもなさらず、ずっとそこに居すわっておれば、これは非常に困るだろうと思うのです。今の外郭団体へ出しなさいという私の提案は言い過ぎであるかもしらんが、私はこういう場合は免職にすべきだろう。資料が要るといわれるならば、資料を提供します。ここにちゃんとありますから。懲戒には値しないですかね、時効ですかね、そういうことは。
○河原説明員 第一点の選奨のことにつきましては、先ほど局長からお答え申し上げました通り、文化財保護委員会としては全然関係いたしておらなかった事柄なのでございます。それからなお、少しよけいな答弁のようではございますが、私は文部次官の前歴はございますけれども、やめたのが昭和十二年でありまして、その後終戦のときに二カ月ほどいたしただけでありますから、前歴は持っておりますけれども、今文部省に対してそんなに非常に関係があるとは思っておりません。 なお第二点につきまして、いろいろ私が全然知らないことを教えていただいたことは感謝いたしますが、その事柄については、今後なお検討をして参りたいと思います。ただその事柄を検討するということと、今回の事件に対して懲戒に値するかしないかということは、これは私別問題だと思います。今いろいろ例をお引きになりました事柄に対して、今後なお調査して参るということだけはお約束申し上げます。
○高津委員 永仁のつぼの審議会を持たれた場合に、今回でなく、昭和三十四年の三月に審議会を持たれたときに、芸術院会員でもあるその松田権六氏が議長を勤められましたが、その人の責任はどうなりましょうか。どのようにそれをお考えになりますか。
○河原説明員 専門審議会は、御承知のように文化財保護委員会の付属機関であり、同時に諮問機関でございます。まあ普通一般の慣例といたしまして、諮問機関の答申がありましても、決定するのは、この場合においては文化財保護委員会でございますから、諮問機関に責任を持たせるということは、まず普通あり得ないことかと存じます。
○高津委員 自分は文部省とは関係は薄い、昭和十二年に次官をやっておっただけだと言われるが、その前ずっと課長、局長といって、事務次官をやられたのです。次官をやられた期間が短くても、文部省イットセルフですよ。あなたも清水事務局長も、局長になる前には課長であり、課長補佐の時代もあり、文部省の明白な出店のようなものが文化財保護委員会です。だれもそう見ています。人脈をたどれば、ほかの人も、そういうふうに出たり入ったりなさる。文化財保護委員会と文部省は……。 そういうことでありますが、正木清氏の葬儀がありますから、私は時間を何して、あとでもう少し質問さしてもらいたいですが、他のことにどうぞお移り下さってけっとうです。 ————◇—————
○坂田(道)委員長代理 この際、理事の辞任並びに補欠選挙についてお諮りいたします。 理事山崎始男君より理事を辞任いたしたいとの申し出があります。これを許可するに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○坂田(道)委員長代理 御異議なしと認めます。よってさよう決しました。 それでは、ただいま一名欠員となっております理事の補欠選挙を行なわなければなりませんが、先例によりまして、委員長においてその補欠を指名するに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○坂田委員長代理 御異議なしと認めます。それでは高津正道君を理事に指名いたします。 午後三時より理事会を開くこととし、それまで休憩いたします。 午後零時二十九分休憩 ————◇————— 〔休憩後は会議を開くに至らなかった〕