農林水産委員会 第16号
- 発言数
- 114 件
- 登壇者
- 12 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1961/03/17
会議録
○坂田委員長 これより会議を開きます。 内閣提出、農業基本法案及び北山愛郎君外十一名提出、農業基本法案を一括議題とし、質疑を行ないます。 本日は主として北山愛郎君外十一名提出農業基本法案に対し質疑を行なうことといたします。質疑の通告がありますので、これを許します。綱島正興君。
○綱島委員 まずお尋ねをいたしますが、「農業基本法案についての提案理由の説明」という刷りものがございまして、これによって過日大体北山議員は説明をされたのでありますが、この記録の記述に従って質問をしたいと思っておりますが、これについては間違いはございませんか。その点をお尋ねします。
○北山議員 この前の本会議における趣旨の説明、その趣旨によって社会党の農業基本法案は提案されておるわけであります。
○綱島委員 そこで、お尋ねをいたしますが、この提案された基礎的考え方ともいうべきものを、一、二、三、四、五と分けて述べておられる。その五のうちの第一に、「わが国の農業が今日なお過小経営の形で、土地利用その他の生産条件が立ちおくれ、農村の生活文化が前近代的状態にあるのは、農民の責任ではなくして、昔から、時代の支配層によって搾取され、抑圧され続けた結果であるという認識に立って、これらの歴史的な悪条件を除去して」云々とございます。この点の御認識は間違いございませんか。その通りと思っておられますか。
○北山議員 その通りでございます。これは、しかし、われわれがその通りと思うだけではなくて、おそらく日本の農民の歴史を学ばれた人は同じようにお考えであると思います。
○綱島委員 そうすると、ここに使っておる搾取というのはどういう意味で使っておられますか。搾取というのはどういう事実をさされますか。
○北山議員 たとえば、封建時代におきましては、農民の収穫の半分以上、六割も七割も、その当時の支配層である武士階級あるいは封建的な領主から搾取された。また、明治維新のあとにおきましても、地主制度のもとで非常に高い小作料をしぼり取られた。こういう事実をさしておるわけであります。
○綱島委員 そうすると、しぼり取られたという通俗的な意味で使っておられるのですか、いわゆる経済学上使う搾取という特別な概念に従っておられるのですかをお尋ねします。搾取ということは、資本論の訳を高畠素之君が初めてやるときに、剰余価値の収奪を搾取と名づけた。こういう意味でございますか、どっちでございますか。
○北山議員 今お話しのような狭い意味ではなくて、この前文にありますような、全体的の空気から考えましても、あるいは封建的な関係によって、いわゆる経済外的な事情によってその生産物を取られたという意味も含めて、広い意味で搾取という言葉を使っておるわけであります。
○綱島委員 法律の説明でございますから、なるべく概念は厳密な学問的意味でお使い願う方が妥当だと考えるのでございますが、通俗的な意味でお使いを願ったというなら、これもやむを得ません。 そこで、封建時代は七割も領主から取られた、こういうのでございますが、封建制度のその制度はどういう制度をさしておられますか、それを伺います。その封建時代というのはいつの時代からさされておりますか。
○北山議員 これは、徳川幕府以前、鎌倉時代から、それ以前の荘園時代の場合においてはいわゆる奴隷的な形態でございましたが、鎌倉幕府以後、いわゆる封建的な関係において、その領主からその土地を耕すという権利を与えられたというような形で、収穫の大半というものを年貢米として取られるというようなこと。七割とか六割とか、それはかれこれいろいろと事情は違うでございましょうが、しかし、少なくとも半分以上の年貢を取られたということは、農民の歴史の中に書かれておるところであります。そういう意味で記述をしているわけであります。
○綱島委員 鎌倉時代、その後の封建時代と言われましたが、農政については、御承知の通り、豊臣秀吉のときの有名な天正検地というものがございます。また、その後家康の代になってからの改正がございます。それから、天正検地前の戦国時代というものがございますし、鎌倉時代というものは別でございます。そうすると、すべての時代を通じて七割もしくは半分以上取られた、こういう御主張でございますか。
○北山議員 七割とか八割とか、あるいは五割とか、そういうことを前文の中で書いておるわけではないのであります。とにかく、この前文の中でいわゆる経済史あるいは農業史というものを論じておるわけではなくて、全体を通じて収穫の相当部分、あるいは半分以上である場合が多かったと思いますが、そういうものを収奪された、こういう全体としての農民の歴史の認識に立って書かれておるわけであります。この中で農業あるいは農民の歴史を述べようという法律ではないのであります。ただ、全体を通じてそういう経過を経ているのだ、これだけの認識は正しい、こう考えておるわけであります。
○綱島委員 実は、その認識の基礎に立ってこういう施策をするのだという御主張でございますが、これはただ単に飾りでこういうものをやった、芝居の幽霊が出てくる前のどろどろどろどろっというはやしのようなものだということならそれでいい。そうではなくて、この認識の上に立ってこういうことを立法するのだということだと、これはまるでうそを書かれたということになりますか。
○北山議員 内容的には相当違うと思うのでありますけれども、政府の基本法の前文の中にも多少似たような歴史的な経過を書かれておるわけであります。しかも非常に概略的に書かれておるわけであります。農民は非常に苦しんだのだ、そういう歴史的な試練を経てきて、国民の食糧の供給なり、そういうふうなことをやってきたのだという歴史を政府の前文にも書かれておりますが、社会党の前文にもその程度の意味の歴史的な経過を書いておるのであって、しかも、社会党だけでなくて、だれが考えても、古い昔から、今までの農民の歴史というものは、その収穫を自分の手で処分できないで、相当な部分を、領主とかあるいは地主とか、そういう者に取られたという事実だけは間違いない。そういうことがなかったならば、もっと日本の農業は資本の蓄積ができて、生産条件あるいはまた農民の生活の条件というものが今日よりはずっとよかったであろう、そういうふうな認識の上に立って、その立ちおくれといいますか、生産条件あるいは生活の非常に不利な条件というものの歴史的な背景を考えて、それだからこそ今日の政治としてはこの立ちおくれを取り返してやらなければならぬ、それだけではございませんけれども、その考え方の上に立って社会党の基本法が書かれておる、これだけは間違いないのであります。
○綱島委員 結局、その法案の内容は、そのとっておる立場からきまってくるので、これはことに社会党の人なら御存じでしょう。そこで、ここをしつこく質問をしておる。 そこで、これはちょっと無理かもしれぬけれども、もう少しお尋ねをいたしますが、七割とか五割とか言われるが、一体粗税体系ともいうような旧藩時代の農民の上納というものはどういうものであったか、御存じですか。
○北山議員 そういう問題は農業の歴史を研究をするところでお話をすればいいのであって、この社会党の基本法の前文並びに趣旨の説明にある認識は、われわれが説明をした、農民が長い間収奪をされ搾取をされているという全体を通じての歴史的な事実と、これを取り返してやらなければならないというこの気持から出ておるというだけがこの基本法のわれわれの提案の趣旨なのでありまして、日本の農業の歴史がどうなっているかこうなっているか、封建時代の年貢米がどのくらいだったか、どういう制度だったか、これは別に御検討なされればいいんじゃないか、こういうふうに考えております。
○綱島委員 はなはだ不満なお答えのようで、御存じないならはっきり御存じないとお答えになるのが、私は国会における礼儀だと思う。御存じならどなたでもお答え願いたい。
○芳賀議員 北山提案者の考え方と変わるものではありませんが、綱島委員にお尋ねしますが、(「答弁じゃないじゃないか」と呼ぶ者あり)いや、それも必要ですよ。御存じなくて御存じのない事実を知ろうと努めておられるのか、あなたが一つの既成概念の上に立ってそのことをこちらにただされようとしている御意思か、その点が、われわれもこういう答弁者の立場に立った経験が浅いものですから、その点を明らかにしていただければ御期待に沿えるような御答弁ができると思うわけなんであります。 なお、申し上げたい点は、私どもの方の基本法にありましては、やはり法律そのものが主体でありまして、提案理由の説明が主体であって法案そのものがそれの補足的なものでないということは綱島委員も十分御存じの通りであります。従いまして、提案するに至った経緯等につきましては、これは言うまでもなく基本法の前文においてそのことが歴史的に述べられておりますし、その分析に立って基本法を制定しなければならぬという必然的なものが本文の各条章の中に示されておるということを御理解願いたいと思うわけであります。
○綱島委員 綱島は知っておるかというお話だから、いやなことだけれども御説明をしましょう。 大体、日本の上代の農民の負担というものは、三十二分の二を政府に納めたのであります。これは大森金五郎の大日本史という歴史にもはっきり書いてございます。これが大体通則でございます。その後これが御承知のように荘園制でだいぶ乱れて参りまして、そうして、いろいろな時代を経て、結局鎌倉時代に入っておる。鎌倉時代というのは、御承知の通り、地頭が非常に農民の義務をいろいろ曲げてやるようになりましたので、いわば農民の中央政府に対する反発ともいうべきものがありました。それから戦国時代というのが参りました。非常に乱れはございましたけれども、あまりひどい乱れはございません。その証拠は、戦国時代に美術の発達等が一番しておるのでありまして、特にこれは民間に発達をいたしました。当時の民間はほとんど農民でございます。それから、あの戦国時代にいくさをしまして、その当時まで地主というものは一つもございません。日本の歴史には地主というものは明治五年まではないのであります。そうして、この時代にだんだん乱れて参りました結果、秀吉が天下を統一してから天正検地というものをいたしました。長束正家が奉行になりましていたしました。ところが、調べてみたところが、当時は地付百姓というものまで土地を検地して、たとえば何々郷において何々左衛門が何畝、だれそれがどれだけの畑というふうに耕作させてございましたが、実際は反別より多くやり過ぎておる。それは、豪傑どもが農民の意を得るために、ない土地まで広く言うて、大体の結果は二割多かった。当時までは、大化の改新で、大体御承知でしょうが、一反歩というものが大体における一人の食糧のできる地域であって、一反歩の広さは三百六十歩でございます。大体一畝というものが一カ月分であるから三十歩、十二カ月分であるから十二畝、一反である。それが太閤秀吉のときにやり過ぎておったことがわかって十畝にいたしまして、ただいまの三百歩一反という制度ができた。これが秀吉が侵奪をしたとすれば侵奪したと言われぬことはない。 そこで、皆さん御承知を願わなければならぬことだが、当時石高というものがございまして、これは出来高でございます。出来高という標準生産量が大体きまっておりまして、上田は一石五斗、中田が一石二斗、下田が一石、等外は以下それぞれこれに準ずとありますが、上田はほとんど九州の一部にある。中田もほとんど関東なんかにはございません。たまにあるだけで、みんな等外でございます。それでございますから、大体標準反収量は実際の反収量の二分の一であるといわれておる。それに対して太閤秀吉は五公五民と決定いたしました。だから、大体二割五分でございます。ところが、これは徴兵のかわりでもあり、国防のかわりでもある。全部これで済むのであります。全部課役はこれで済むのであります。何にも別にない。あとはみんなさむらいがやる。苦役すれば賃金がもらえる。今の全部の納税から言うと、今の方が高くついている。歴史で非常に虐待されたということ、あるいは非常な搾取をされたということは当たらない。通俗な意味に言っても当たらない。徳川時代になっては四公六民というて、六を民にやりましたから、なお農民の負担というものは減ったのでございます。ただ、不幸にして享保の飢饉の時代に七、八年に及ぶ飢饉がありまして、収穫が農地にほとんどなかったために、離農者が続出いたしまして、初めて近代地主に近いものが農村にできたのであります。明治三年から四年にかけた地券の際に、その大耕作者、地主たる身分を所有者と認めて、明治五年の民法制定のときに所有権を設定した。これが大体日本の農政史でございます。 ただばく然と農政史と言ったってわけはわからない。制度など何も調べないで、カラスの雲あてみたいなことで国会で御論争なさることは迷惑でございます。 そこで、私どもはどういう立場に立っておるか。農村が立ち行かなくなった主たる原因は搾取の結果とか圧迫の結果というよりは、工業力の発達の結果農村がついていかれなかったということが一番のおもなる事情であります。さればこそ、工業力が発達するに従って農民の地位はだんだん低下しておる。ここに基本法というものを作らなければならぬ必然的な経済的・社会的法制上の根拠が生まれてきたので、あなた方のおっしゃる圧迫と搾取の結果生まれてきたということは時代錯誤のはなはだしいものと考えておりますが、いかようでございますか。
○芳賀議員 お答えしますが、綱島委員が述べられた歴史的な事実については、そういう平面的な意味における歴史の記述として残っていることは一部の事実であると思うのですが、それであるならば、その時代々々において、はたして農民が社会的に経済的にあるいはその時代の政治体制のもとにおいてどのような立場に置かれたかという、その歴史的な事実というものもやはり御発言なさらないと、ただ時代の記録で、どの時代には年貢が何石であったということだけのこの表面的な事実は、これはどなたが図書館に行って見られてもはっきり残っているわけです。ただ、その政治体制下における、経済体制下における支配者と被支配者の間におけるその関係というものはどうなっておったか、その場合に農民が絶えずどの立場に置かれておったかということを、やはり歴史的な経過の中で正直に表現する必要というものをわれわれは常に感じているわけであります。これを明らかにしていかなければ、基本法の必要性というものは理論的にもなかなかそこから出てこないと思うのです。ただ、産業革命後におけるいわゆる資本制の工業生産の発展の中で、原始生産である農業の地位が経済的な力関係において非常に不遇であったということは事実であります。その社会的に、またその政治体制下において農民が絶えず被支配者の位置に置かれておったということは、これは綱島委員の立場から見られても否定することはできないと思うわけであります。しかも、綱島さんはかっては労働運動や社会運動の創生期時代の指導者としての過去も持っておられるのでありますが、その時代においての今よりもまだみじめであった農民の社会的な地位、あの時代の資本制の体制のもとにおいてどういうように農民が苦しめられておったかということは十分おわかりと思うわけであります。この地代制のなかった以前は、たとえば土地もあるいは人間も、これは所有物とみなされた時代もあるわけであります。そういう時代には、これは年貢が高いとかなんとかという時代でなくて、それは支配者の所有であるというような時代さえもあったわけであります。言葉をかえれば、たとえば農奴制とか、そういうものもあった。ですから、そういう歴史の長い変遷の中において農民の過去の姿は絶えず支配される立場に置かれている。現在においてもやはりそういうことが言えると思うわけであります。われわれは、失礼でありますが綱島委員よりも深い思索の上に立ってこういう法案を作ったということは、御理解願えると思うわけであります。
○綱島委員 これはちょっと縁遠いから申し上げぬでもいいかもしれぬけれども、世の中に非常に行き渡っておる誤解であります。人民を私有しておったと言うが、農民を私有しておったような格好は、今までございません。臣下に対しては旧藩時代に藩主は腹も切らせたしいろいろしておりますが、農民なんというものは勝手に処分はできない。それは別なんです。文部省の封建制度の説明によると、土地・人民を私有して、——西洋のナイト制度を考えて翻訳して、これは非常に不勉強でございます。そういうのもございますが、日本では百姓を殿様が私有したことはございません。国がえになればみな家臣だけ引き連れていくが、百姓は引き連れていきません。これは非常な間違いだから、そういうことを御説教賜わることは、少しばかり釈迦に説法の気味があると思います。 それで、問題の重点は、悪政の結果、あるいは支配階級の搾取の結果と見るかどうか。この基本法を作らなければならぬ状態にあることには論争はない。その作らなければならぬ事情が生まれたのは、諸産業構成の原因から生まれてきておる。ことに機械力の発達、これから生まれてきておる。そこに生産の格差が非常に伸びるものと伸びないものとができてき、その生産の伸びないのを補うほどには価格差が上伸していかないということから、勢い所得格差というものが生まれてき、農民が貧困の状態に陥る。われわれはこの観点に立って農業基本法を作らなければならぬ。こういう認識が基礎でございまして、その点で実は非常に問題が起きて参るのでございます。実例を申し上げますと、皆さんの法律によれば、農民は共同経営をやってなるべくは共有にしてやっていきさえすれば一つも困らないのだというに近いような立法のようであるが、これについてのお考えはどうですか。やはり共有していけば百姓は今のままで一つも困らないというお考えでありますか。
○北山議員 ただいままでの綱島委員の歴史的ないろいろとお述べになった点は一応敬意を表しますけれども、その農民の収奪搾取の歴史についてのわれわれの認識というものはあやまちがない、こう考えておるわけでありまして、それは歴史に対する見解の相違であろうと思います。しかし、大多数の農業の歴史を勉強しておる学者にとっても、あるいは日本のみならず世界的な農業の歴史から言っても、農民の歴史というものは、搾取の歴史であり、収奪の歴史、抑圧の歴史であった。これだけは大体を通観して間違いがないだろう、こう考えておるわけであります。 それから、共同化の問題でありますが、 これはこの法案をよくごらんになればわかる通りで、単に経営の構造を共同化すれば万事オーケーというような考え方ではございません。しかし、少なくとも共同化を必要とすることは社会主義の伝統的な考えでありますと同時に、やはり、耕作者の手で経営をさせるのだという原則と、それから、なるべく経営の規模をそういう形の中で大きくしていかなければ、規模を適正化、大規模化していかなければ経営上は不利である、この二つの要求を満たす形として経営の共同化ということが、単にイデオロギーの問題じゃなくて、実際の必要から、その経営の形としての共同化によって規模の適正化をはかり規模を大きくすると同時に、耕作者の手で共同で経営をするのだという二つの要求を満たす形としては最も合理的なものではないか、こう考えておるわけであります。これは、単に社会主義の国々がその方向に進んでおるというだけではなくて、資本主義の御本尊であるアメリカですらも、本日の新聞を見ると、ケネディ大統領の農業教書の中で、やはり経営の共同化、共同経営というものを進めなければならぬということを言われておるわけであります。やはり、アメリカの資本主義の中でたくさんの小さな数百万の経営者がばらばらになっておるということでは、生産あるいは価格の調整というものが円滑にいかない。その結果として、生産性は非常に上がって高まっておりますけれども、農家の所得というものはふえないのだ、こういう点をケネディ大統領は指摘して、そうして、その一つの方法として、やはり経営の共同化ということを言われております。新聞で伝えるだけでありますから、詳しい点はあとで調べなければわかりませんが、私は、資本主義の国の経済制度の中でも、やはり農業の生産の経常形態として経営の共同化ということを進めなければならぬ、こういう意見は、経済的な合理性から見てもやはりそこに十分な理由があるところじゃないか、そういう見解に立って、特に経営形態の問題については、大筋は共同化によって規模の拡大をはかっていく、生産も上げていく、同時に、耕作者の団体、いわゆる資本家的な経営で規模の拡大をするのではなくて、耕作者が相寄って、助け合って共同で経営していくという形を保持していきたい、これが社会党の農業基本法の大きな柱であるということは間違いありません。ただし、その経営を今のような家族経営から次第に段階を経て共同経営に持っていくという場合におきましても、やはり、価格なりあるいは流通の面で、国がしっかりとした、これを助成するような、守るような条件を作らなければ、経営の改革、構造の改革ということはうまくいかないのだ、こういう考え方を持っておりますから、そこで、価格の問題あるいは流通の問題にしても、現在の食糧管理制度を維持する、あるいは生産者の生産費、所得を補償するような方式で、おもな農産物については価格支持の制度をやって、そういう価格政策の中で漸次経営の共同化を進めていく、こういうことをやっておるわけでありまして、単に共同化ということが進めばそれでオーケーだというようなことは、われわれの法案の中では言っておりません。
○石田(宥)議員 関連して答弁をいたしますが、実は、きょうは基本法の論争でございますので、ようやく基本法の本論に入ったところで補足するのもどうかと思うのでありますけれども、綱島委員の所論によりますと、農民が苛酷な搾取のもとにあったということは間違いではないか、こうおっしゃるのですが、しかし、綱島委員は、大正の末期から昭和の初めにかけて新潟県で農民運動のわれわれの指導者であった。当時綱島委員はわれわれにこういうことを言ったのです。日本の歴史は農民搾取の歴史であり、農民を奴隷のごとく搾取し来たったものである、豊臣秀吉のごときは農民に対して民百姓はとうふを食らうべからずと言った、百姓は絹の着物を着るべからずと言った、百姓はみめよき妻を持つべからずと言って、器量のいい女房を持つことを禁じた、その歴史は徳川時代にまで流れてきて、明治から大正にまでそれは流れておる、こう言ってわれわれを指導してきた人だ。また、この問題については、きわめて深刻な事実の中に私どもは育ってきた。先日、池田総理は、自分も農家に育って農業のことはよくわかるとおっしゃった。私も小作農民の家に育ってきた。少年時代、私は、十六才の年に、高等小学校をまだ卒業する前に、地主のうちへ小作料を背負って納めに行ったことがある。その当時、私どもは、自分の収穫したものを八割まで小作料に取られておった。その小作料を納入すれば生活ができない。そうしてその生活費は常に小作料の不納となってたまっていった。滞納となっていった。それが積み重なっていったものが借用証書となって利息がついている。私のおじさんは、そうした地主に対する負債のために、からだを持っていかれて、地主のうちに何年か下男奉公を強制されたのです。また、私と小学校の同級生である、今でも達者でありますが、その男は、多年の小作料の集積した負債のために、やはり地主のうちに下男奉公に取られておった。私がたまたま遊びに行ったら、その男は馬小屋の二階に住まいをさせられておったのです。日本の農民の歴史の中には、借金のためにからだを持っていかれ、下女、下男奉公に持っていかれて、牛小屋や馬小屋で牛や馬と同居をさせられておった。その事実は農民搾取の歴史でなくて何でございましょう。私どもはそういう事実の中に憤然と戦ってきた。私どもの近所の部落には、たんぼを作って自分が収穫した中で、わずかにもみぬかと米ぬかだけが自分の手取りであって、すべての収穫は地主に持ち去られた。私は、これに対して、農民組合を作って、地主さんに交渉に行った。地主の番頭さんは、警察の派出所に電話をかけて、巡査部長以下の警官を呼んで、その番頭さんが巡査部長に命令を下した。おい、巡査部長、こいつらを検束しろ……。地主の番頭さんが巡査部長に対して、石田らを検束しろと言って命令をするほど、時の権力、すなわち自由民主党の前身であるかつての保守党と検察あるいは警察権力とが結びついて、農民を弾圧し搾取したことは否定することのできない事実であって、また、綱島委員は一番よくそのことを知っておられるはずだと私は考える。そうして多くの日本の農民に対してそのことを教えてこられた綱島委員が、今日農民の歴史の中に搾取をされたというようなことを主張することは間違いであろうというがごとき説をなされることは、私どもの受け取りがたいところでございまして、反省を願いたいと思うのであります。
○綱島委員 ちょっと弁明しておきます。先ほどお話しました通り、日本に地主というものができましたのは明治五年からでございます。実質上地主に近いものの制度が生まれましたのは享保飢饉以後でございます。その前にはさようなものはあまりございません。特に新潟などでなぜ地主というものが非常に激しい搾取をやったかということは、それは特殊な事情であって、全般的な事情ではございません。それから、新潟において、地主といっても大きな地主は大したひどい搾取はしておらない。中請けがしておる。これもあなたはよく知っておられる。そこで、これは私のことだからあまり話はしますまい。(「つらいからな」と呼ぶ者あり)つらくはないよ。話は幾らでもできる。しかし、問題は、日本の歴史というものがことごとく圧迫と搾取で農民に臨まれた結果日本の過小形態生産と前近代的な文化生活が行なわれておるということで論ぜられたので、それが工業力の発達の結果それについていけなかったという事情だ、こういうことを論じたのであります。誤解のないように一つお受け取りを願いたい。 それから、北山議員から、アメリカにおいてはケネディさえ共同化を言うておるとか、いろいろな御説があるようですが、大体、共同耕作というものは、大平原地ではやれないことはないと思うのです。ロシヤ平原、ことにドンバース平原のごとき、あるいは北米合衆国のごとき、またカナダの一部であるとか。日本のような山間地の共同耕作ということは、特殊な事情に基づいて、あるいは家畜を共同でやるとか特殊なものはできるから、わが党においてもその道も開いておるのでありまして、基本的に農民の自立経営を十分保障して参りたいという考え方を基礎にいたしております。 そこで、この点はどこまでいっても一致しないと思うのでありますが、なお皆さんにお確かめいたしておきますが、この法案は、社会主義の立場から共同耕作というものを主としてこれを出されたのであるか、あるいは農村問題解決の立場から出されたのであるか、七分三分のかね合いで出されたか、再びその点を御説明願いたいと思います。
○北山議員 社会党の今度出した農業基本法案というものは、先ほども触れましたけれども、この問題は、単なるイデオロギーで社会主義を実現しよう、こういうことで出したわけではないわけであります。現実に日本の農業というものをどのようにしたならば、今のいろいろな不利な条件を是正して、農民の所得がふえ、生活が向上し、しかも国民経済全体として発展することができるか、こういう見地に立って社会党の基本法案は作られておるわけであります。なお、これは現在の憲法の認めるところであって、これのどの条文を読んでも、今の自民党内閣でもこれを理論的に実行できないという項目は一つもないわけであります。ただ、今の資本家なり独占資本の利益を守るという立場からやれないだけの話であって、理論上はできないという項目は一つもない。私どもはそのように考えております。
○綱島委員 ただいま、社会主義に基ついたのではないという御議論でございます。これは重大なる発言でございますので、この点でもう一つ念を押しておきます。何条でございましたか、団結権と団体交渉権を農民に認めるという個条があります。ところが、日本のただいまの憲法では、団体交渉権、団結権を認めておるのは勤労者に対する規定でございます。勤労者というのは、いわゆる原語のレイバース、労働者ということです。そこで、その他の企業者の立場の者が価格等において団結をし団体交渉をすることは公正取引法において禁止するところでございます。これらの点から見ても、やはりこれは社会主義的理論から作られたもので、その団体交渉権で米は一切勝手に輸入させない、そうして団体交渉権で価格をきめていく、わきのものは干ぼしにしてもかまわぬ、こういうことになることも予想されるのでございます。これは一体どういう意味でございますか。これが社会主義的理論でなくて団体交渉権というものを何ゆえにこれに認められるか。農民というものは企業者たる身分がなく全部労働者的立場になる、国家産業としての農業の従業員たる立場だけになるということを前提とせずには、団体交渉権を設定するという理論が通らないと思うのでありますが、これはいかようなお考えでありますか。
○北山議員 勤労者でもあるいは自営業者でも同じですが、もしも団結権なり団体交渉権を認めることが社会主義であるとするならば、現在の労働組合で労働者に団結権を認める、あるいは農業協同組合とかあるいは共販体制であるとか、いろいろな事例がほかにもありますけれども、そういうものが全部社会主義だということになってしまう。われわれは、そういうものじゃないと思う。現在の資本主義の中でも、むしろ資本主義だからこそ業者なり中小企業なりあるいは農民なりの団結を認めて、そして団体交渉権を認めることは、少しも今の制度と矛盾をしない。むしろ、今の制度だからこそ、そういう弱い小生産者の団結を固めて、それを保護していかなければその地位の向上はできない、こう考えるわけであります。ことに、またケネディのことを持ち出すのですが、けさの新聞によりましても、非常に注目すべきことは、農産物の価格とかあるいは生産計画というものをきめる場合に、政府の農務長官と農業の団体が交渉してその生産計画をきめるんだというような項目がございました。こういうことが直ちに社会主義だと私どもは考えておりません。
○芳賀議員 ちょっと補足して……。 この点は非常に大事な点でありまして、特に本会議において政府案に対して私からも総理にただした点なのですが、この農業基本法がいわゆる農業の憲章であり、言葉をかえれば農業の基本原則をきめる憲法的なものであるとするならば、さらにその根源をなすものは、これは当然わが国の憲法である。それならば憲法と農業基本法の基本的な精神というものとの関連というものが基本法の中に当然出てこなければならぬのでありますが、政府案の場合には、御承知の通り、そういう憲法と基本法との原則的な精神的なつながりというものが何らなく、隔絶されておる。社会党の場合には、この憲法を主体として、さらにこの農業基本法との精神的関連というものは各条章に脈脈としておるわけです。従いまして、われわれとしては、やはり農民の権利というものを憲法の精神の上に立脚して基本法の中でこれを明らかにしようという意欲というものは、これは当然優先しなければならぬというふうに考えております。ですから、単に労働者が経営者と労働条件の上に立って団体交渉するということでなくて、たとえば農民の権利主張というものをわれわれはこの基本法の中にうたっておるわけであります。言うまでもなく、憲法の二十七条には、すべての国民はということを前提にしておるわけですね。農民の場合にも、これは雇用条件の上には立っておらないけれども、勤労しておるということは、これは事実であります。自家労働であっても、これは勤労だと思う。勤労の対象というものは、これは経営者との雇用関係で賃金を受け取って費消する場合もありますが、自分が耕作した農産物に対して自分の労働の正当なる価値というものを要求する権利というものは、当然これはあると思う。(「交渉の相手方はだれだ」と呼ぶ者あり)相手方というものは、たとえば政府の場合もありましょう。あるいはそれを買い受ける相手方の場合もありましょう。あるいは自分たちが使う肥料であるとか生産資材を製造するその相手方に対する正当なる価格の主張というもの、これは当然相手というものはあるわけです。そういう相手に対して、農民の正当なる主張、しかも国民としての権利の上に立った正当な農民権利の主張というものは、当然これは基本法の第一眼目の中で約束しなければならぬ点であります。これは社会党が単なる社会主義のイデオロギー、理論の上だけで作ったのではない。農民もそうでありますが、すべての国民に対してもこれは約束できるのが法律の包容力でなければならぬ。社会主義の支持者だけに適用するような法律というものはないのであります。自民党の支持者だけに適用されなければならぬという限界のある法律というものはないと思う。すべての国民ということが大前提になって、その法律の目的は主として農民を対象とする、そういう順序になるとわれわれは自信を持っておるわけです。ですから、われわれといたしましては、憲法二十五条によるところの、国民は健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるというこの権利の主張、第二十七条の「すべて國民は、動勢の權利を有し、義務を負ふ。賃金、就業時間、休息その他の勤勞條件に關する基準は、法律でこれを定める。」ということ、これが憲法の示すところであります。さらに、憲法二十八条では、「勤勞者の團結する權利及び團體交渉その他の團體行動をする權利は、これを保障する。」ということが明らかになっておる。これらはすべて労働者だけということじゃない。国民すべてということが大前提になって、国家がこれを約束し保障しておるということを、われわれは農業基本法の精神としてこれを明らかにしておくことは当然なことであって、何らこれは疑点のない点であるということだけは十分御了承願いたいと同時に、なぜ政府案にこういう大事な農民権利の保障というものをことさらに欠如されたかということは、むしろわれわれが提案者である政府に反問、追究しなければならぬ点であるというふうに考えておるわけであります。
○綱島委員 ただいま憲法論をお話しでございますが、御承知の通り、二十七条は、「すべて國民は、勤勞の權利を有し、義務を負ふ。」とございます。これは身分の関係はないのです。二十八条の団結権と団体交渉権は、これは「勤労者」と者の字を入れてございまして、これは労働者という意味であります。レーバースということです、御承知の通り。(「農業者はどうだ」と呼ぶ者あり)農業者はいわゆる労働者じゃない。勤労しておることは間違いないけれども、労働者じゃない。ところが、一体、団体交渉権、団結というものはどういうことから生まれてきたかというと、御承知の通り、十八世紀の後半から、賃金の鉄則という議論が経済上に起こって参りました。この賃金の鉄則をどうして破るかという問題は非常な時代の問題である。マルサスの人口論と賃金の鉄則論というものは非常な問題であります。これを破るために、労働者、レーバースに対して団体交渉権と団結権というものを認めようということで、これが法制化したものでございます。従って、この二十八条の団体交渉権と団結権というものは、労働に対する価値、労働の値段でございます。これはあなた方の本尊であるマルクスが非常にやかましく言うておる。労働というものは実際は評価されないのだ、労働力を大体見て幾らだとするのだ、そこで剰余価値が生まれるのだと論じておる。賃金というものは労働する力を持っている者にまず払う、労働したその労働の付加価値について全量の賃金を払うのじゃない、そこに剰余価値が生まれて、剰余価値の奪取によって資本蓄積が生まれるというのが大体マルクスの資本論の第一回目の理論でございます。そこで、この二十八条というものは、そのうちの労働力というものを売りものにする人に対する理論である。企業の結果を売りものにする場合の規定ではないはずでございます。これをしいて憲法で保障されておると、みずからあざむかず語るに落ちて言われるところを見れば、農民をことごとく労働者にするということが前提とされて立法されておるのじゃないかという、これは私の疑いであろうか、これがほんとうの推論のように思う。特に、この点は北山氏がそうでないと言われたけれども、どうもほんとうはそうではなくて、やっぱり共同経営にするということ実はとどのつまりはコルホーズまで持っていこう、最初のうちは大体ソホーズのようなやり方をしてみよう、こういう考えではないかという疑いを持っているので、社会主義的に立法をしてこられたかと言うと、社会主義的立法でないと言うから、それならこの二十八条の規定はどうして出てきたか、こういうことがただいままでの論争の原因でございます。 この点についてもう一つ言うておかなければならぬが、アメリカのことをよく例に引かれましたが、アメリカは、御承知の通り、農産品が余って非常に困っておる。大体このごろは三年分できる。それが第一次生産分だけではない。バターのようなものまでできる。はなはだしきは、このごろは、なるべく栄養のない牛乳をどうして作るか、あの口ざわりのいい飲料はいい、だけれども、それから栄養や脂肪がついて太るやつは困る、太らないで姿がよくなって口ざわりのいい牛乳をどうして作るかということまで考えている。そういうアメリカの農村状態と、日本の欠乏して非常に困っておる状態とでは違ってくる。食糧の値段の限度も、消費者が絶えず反抗いたしまして、ある程度までしか上げられない。二重価格を無制限にやるか、もっと二重価格はふやしていきたいとは思っておりますが、無制限にやれるかというと、日本の財政収入はそこまでいかない。皆さんの主張によると、労働者の賃金さえ上げれば農産物が高くなってそれでやっていけるのだというお話でありますが、私どもの主張は、どうしても生産力をふやしていかなければならぬ、そうして類似産業と均等なる文化生活を保障するだけの価格保障をしなければならぬ、そのためには、大体自給のできる程度のことをいたしましたら、人口はその自給度に準じて減らすというのじゃなくて当然移行していく、それについては万々の誘導的、助成的、教育的措置をしなくてはならぬという考えだ。皆さんのこの法案を見てみると、過剰人口については言っていない。世界じゅう農民人口は減っておるじゃありませんか。ことに工業力が発達するからどんどん減っていって、日本のような人口の多いところで工業力の発達しておるところは日本以外にあまりない。これは、しかし、日本の農村というものの状態がこういう山間地でございますために、勢いたくさんな労力を要するのでございましょう。ただ、私どもは、皆さんの話をうのみにどうしてもできないことは、ただいままで人類が到着いたしました状態は、金もうけならば働く、また働かなければ監獄へやるというならばこれも働く、しかし、任意にまかせて監督がゆるんでなおかつ効果的な労働をするという事実は世界にあまりないようだ。だから、大平原で監督の効果が行き届く地域ならば社会主義生産もよろしゅうございます。北米合衆国とかそういうところはいけるかもしれない。あるいはシナもいいでしょう。——あなた方は私が中共と言わぬといって驚くでしょうけれども、地図上の地域的名称です。シナと言っておかしいと思うかもしれぬが、ヨーロッパに行きますとロシヤと言わぬ者はない。ソビエトとだれも言わない。だから、そんな子供みたいなことは考えぬでもいいのです。それで、問題は、農業というものは、もっぱら気象、風土の影響を受ける。その影響下に順応適応した耕作様式というものをこしらえることが科学的農業の妥当性を持つゆえんでございます。そこでわれわれはこういう形態をとっておる。あなた方の何もかも共同に全部移行して持っていくのだという考え方は、自然状況、気象、風土の形を無視した、いわばユートピア的な考え方だというふうに考えるのでございます。一体、働いておるやら昼寝しておるやらわからないところに監督官をつけて、農民三百万人おれば三百万人を監督官に雇って農業をさせるか。そういうことで一体農業の生産というものが上がるか。なるほど、石田君の新潟平野とかあるいは濃尾平野とか筑豊平原とか、秋田の一部というところは割合に監督の行き届かぬところはございません。山間地はそれを共同にして一体どうしてそれがやっていけるか。大体、ここに並んでいるお方は、平原地帯の秋田とか佐賀だとかいうところの方ですが、山間地というものはそういうわけにはいかないのであります。共同経営で結局は育成強化して全農村を共同化するという目的がないのならいいですよ。一部だけをやるというお話なのかどうか、その点明らかにしていただきたい。
○北山議員 ただいまいろいろなことをお述べになったわけですが、われわれの共同経営の問題は、別に山間僻地とか平地とかそういう関連はないわけです。要するに、お互いに監督をしたり、昔の大名みたいに、だれからでも見えるようなところで監督をして農業をさせるという考え方は持っておらない。そういうことと全然無関係な考え方でやっているのでありまして、政府の農業基本法案のいわゆる協業というものもおそらく監督をしてやらせようという農業じゃないと思う。また、実際問題としても、山間地が共同経営に適しないと言いますけれども、実際は、開拓なんかで、むしろ現在の状態でありますと山地の農業あるいは開墾地というような場合の共同経営の方が進む可能性が大きいのじゃないか。平地の方は、やはり、昔からの土地に縛りつけられる、いわゆる自分の土地を大事にするという所有者欲の強い稲作というものを中心にして、そういう古い歴史と血縁を持っているわけでありますから、そこで共同化する可能性というものはなかなか容易でない。山間地の新しい開拓地の方が共同経営に適している、また現実にそのように事実が示しておる、こういうふうに考えております。 いろいろなことを申しましたから、私の方でもいろいろ述べますが、社会党の基本法は、先ほども申し上げたように、単にその共同経営ですべてを解決しようというわけではない。ことに、われわれが力こぶを入れておりますのは価格と流通の関係でありまして、現在農家が生活あるいは所得の上で非常な不利をこうむっておるというのは、生産の問題もありますけれども、価格関係が非常に多いわけであります。御承知のように、最近における農家の所得の率が下がってきておる。粗収入は一戸当たり五万円も上がっても、経費の方がよけいかかって、四万円も経費がふえるということになれば、五万円収入がふえても、実際の所得は一万円しかふえない。ですから、昭和二十六年から最近に至る農家の所得率というものが低下してきておる。これを解決しなければならぬと思うのです。そのためには、農家の資材というものの値段を下げなければならぬ。ですから、社会党の農業基本法の中では、肥料なり、あるいは、電力なり、あるいは家畜の飼料なり、そういうものを安く供給するということを強調しておるのであります。また、同時に、小さな家族経営でおのおのが農機具を買い入れるということが経営的に見ても非常に不利だ。そこで、やはり、共同化した形において、政府が機械のステーション、あるいはサービス・センターを置いて、大きな機械を貸し付けるというような形をとって、機械化から来るところの経費の負担というものを軽減してやるというような考慮を社会党の農業基本法ではやっておるわけです。政府の方ではそれをやっておらない。この点が非常に違う。 それから、農家の所得を増大させるための大きな問題は、いわゆる農家の手取り率です。牛乳を一合四円七十銭で農家が売る。ところが、消費者の方では十四円何ぼか払う。小売価格の三五%しか農家の手元には入らない。一個五円のリンゴを売っても、消費者は十五円払わなければならない。二倍にも三倍にも高くなる。この分配の割合というものを是正しなければならぬ。それを確保するためには、多少の無理がありましても、おもな農産物については、食糧管理制度というものを維持していく、あるいは価格支持制度というものを維持していかなければ、これを昔のような自由販売にしてしまったならば、農家の手取りの率というものが下がってくるわけなんです。米の統制を続けておるからこそ、消費者が払う米価の大半というものは農家の手元に入ってくるわけです。やみ米があるにしても、七五%は農家の手取りになるわけです。これを現在のくだものや牛乳のように間接統制にする、あるいは自由販売にしたならば、米についても中間利潤なり中間マージンというものが現在の一五%から二〇%あるいは三〇%に上がる。その結果は生産者である農家も消費者も両方とも不利を見る。こういうふうな所得の分配あるいは所得率というものが現在の農家経営を圧迫しておる大きな問題であるから、特に価格と流通の問題についてはいろいろな点を強調しておるわけであります。単に経営の形が共同化すればそれでいいんだというのではない。しかも、共同化を進めていく場合においては、単に、生産法人なり、あるいは協業なり、そういう制度を作っただけでは足らないのでありまして、価格の上で、あるいは流通の面で、今申し上げたようないろいろな施策を先行させて、その政策をむしろ強化をしていかなければ、経営の改造というものはできないんだ、こういう考え方に立っておりますから、綱島委員が、社会党の基本法はただ共同化だ、こういうように言われるのは、社会党の基本法のほんの一部、一つの柱ではありましても、一部しか言っておらない。非常に誤解があるといけないと思いますから、その点はよく御理解を願いたいと思うのです。
○綱島委員 ただいま私が論争いたしたのは、いろいろなことをやれない、社会党は共同化だけやるんだという意味でお尋ねしたのではございません。また、政府もやっておりますし、政府提出の法案でもやっておる。何も社会党の専門ではございません。また、米の食管制度を維持しなくてはならぬと言われるが、こっちも廃止する意思なんか毛頭ございません。その点なんか別段変わりはない。ただ、変わっておるところは、経営体をこちらは家族経営を主にしようというところと、皆さんの方は共同化をしていこうというところが変わっておる。その点を私は論争をいたしておるのであって、それが日本にどっちが合うか、こういうことをお尋ねしておる。私は、日本のような国で共同化をやったら——特殊なものはよろしゅうございます。たとえば開墾地をみんなで一緒に行って開墾したら共同になる、これはけっこうです。あるいは開拓地でも特殊なところだけ小団地の開拓を共同でやれば、こういうものはいいでしょう。しかしながら、問題は、共同化をするということを本体にするかどうかということを尋ねておる。その部分的な問題を尋ねておるのではない。前からやかましく申しましたのは、悪政の結果というのではなくて、工業力の発達の結果必然的に起こってきたのだから、それに対応する処置をしなければならぬと言うておるのであって、そうしなければ決して農業企業にはならない。 そこで、われわれが主張しておるところとあなた方の主張されておるところの大きな違いは、今日の農業基本法をもって農村対策を立てなければならぬその原因が悪政の結果によるか機械力の発達によるかということが一点。もう一つは、皆さんは結局コルホーズまで持っていこうというような考え方ではないかということ。そうじゃないと言われるけれども、その証拠は、この二十三条の団結権というのはレーバー・ワークに限られておる権利を農民全部に持っていこうというのが、それがどうも証拠のように思える。こういうことでお尋ねいたしておる。大体わかりましたが、大いに差がございまして、もし皆さんが言われる通りだとすれば、もう少し再考願って、法文などももう少し書き直していただかぬと、このままでは受けとれないと思うのであります。ほんとうにいい法文なら、われわれも、百姓がよくなりさえすればいいんだから、何もその法案を社会党だからだめだという考えはございません。 この際一言しておきたいが、若い方は御記憶ないかもしれぬけれども、第二次世界戦争のときにドイツ軍がウクライナと白ロシヤを占領した。そこで、食糧源がなくなったからロシアは必ず食糧不足で手を上げるだろうといったら、なかなか手を上げない。また、ドイツもそのつもりでポーランド、ウクライナ、白ロシアというものを無理をして占領した。ところが手を上げない。調べてみたら、ドンバースという大平原があって、これが熱帯植物より寒帯植物までできる世界の農業の宝庫である。その宝庫を持っておりながら食糧飢饉に見舞われておる。大体飢饉というものはそう一カ所だけに来るものではないが、共産地帯にずらっと農村飢饉が来たということの中には、組織上の欠点があるとわれわれは考えている。中共もその通りですが、中共も食糧飢饉と称しておる。ロシヤも食糧飢饉と言うておる。これはどういうわけなんです。私どもから見れば、その制度なるものが生産形態によく合わぬからである、そうして生産度が落ちたからであると私どもは解釈しておるのです。それに、この日本のような食糧が足らずに困っておる国を、その生産度の落ちる方に近い方に持っていこうとされることは、われわれは非常に迷惑であって、これに踏み切ることは処女をあばずれの前に差し出すような気がする。これはどうも私どもが同意ができないところでございます。
○足鹿議員 綱島さんのただいまの御質問の中心であります共同化の問題について、いろいろ御意見を承ったわけでありますが、私どもの考え方の基本を申し上げたいと思います。 先ほど全般的に、生産面のみに共同化がかりに促進されてもそれのみによっては解決されないという理由は北山委員から詳細述べましたので、私は、この両者の基本法が指向しておる一つの共通のテーマといいますか、その点に触れて申し上げたいと思います。 それは、日本農業の近代化ということにおきましては、その言葉の限りにおいては両者一致しておると思うのです。あなた方の法案を拝見しましても、近代化という言葉が随所に出ており、それを達成するための資本の装備の問題とか、あるいは新技術の導入とか、あるいは近代化の資金の供給とか、いろいろの諸条件を示しておられるわけであります。ただ、その近代化を指向するその言葉においては一致しておりますが、私どもが今、一つの生産面に限定して考えた場合を申し上げますと、近代化に至るまでの道程において、また近代化の諸条件の整備のやり方について、あなた方と考え方が違っておるということが大体言えると思うのです。これは正確に条文を読んでみますと御納得がいくと思います。私どもがイデオロギー的なあるいは思想的な立場に立って、最終的には、綱島委員の御説によりますと、ソ連のコルポーズとかあるいは中国の合作社、最近では人民公社のシステムになっておるようでありますが、そんなところへ持っていくのではないかという御質問でありますが、ソ連ではソ連のコルホーズの方式がその国土なり自然的諸条件あるいは社会情勢から生まれてそういうやり方を示しておると思います。また、中国にも私ども二、三回行きましたが、中国における自然的あるいは社会的あるいは政治的ないろいろな諸条件によって、中国にはそういう形のものができておりますし、政府もこれを承認しておる。日本の場合におきましては、それを模倣するという考え方ではなくて、あなた方の前文の中に書いておられるように、自然的・社会的・経済的諸条件を勘案して農業基本法をあなた方の方も御提出になっておるわけでございますから、結局、私どもも、日本の自然的・経済的・社会的な諸条件の中にあって最も近代化の目的を達成する生産面における方法いかんという見地から、われわれは共同化を取り上げておるわけであります。 いま一つは、共同化は、イデオロギーや思想によって、今の日本の場合におきましてはそういうはっきりとしたイデオロギーのもとにやっておる人も現実にあります。しかし、そういうことではなくして、他産業との格差の拡大、また所得の低下ということに対して、農民みずからの創意と工夫とによって共同化を行なっておる事例は枚挙にいとまがありません。あなた方の政府の農林省がお出しになりましたものでも、いわゆる作業部分の共同化、さらに進めて経営自体の共同化というふうに、いろいろ分類をされておりますが、それは最近になって特にその傾向が増大しておることを農林省の資料も示しておるわけであります。この事実は御否定にならないと思います。従って、私どもは、そういう農民の創意と工夫、また現実の必要から生れておる形態のあり方について、よくこれを検討し、その農民が考えておる創意のみによっては達成できない面に対して積極的な国の援助、支援を与えていくということになるわけでありまして、この点については綱島委員もあえて御異論はなかろうと思うわけであります。たとえば、先般もあなたと雑談中にいろいろお話ししたのですが、愛媛県の吉田町の立間というあの急勾配の地帯にあって、ミカンの村といわれるところの立間地区が、協同組合を中心にして三百六十戸が四十一の法人化を昨年の九月一日を期して実施をし、その成果は見るべきものがあります。これは法人形態であります。その出発は、御存じのように、課税上の問題から出発しておりますが、私は現地に三回行きました。その現実を見ますと、課税上の問題を通り越しまして、いわゆる経営上の実際の必要に基づいてよほど事態は進展しておるという事実をわれわれは正確に認めておるわけでありまして、これは、お互いが事実に立脚してみれば、立間の農協がイデオロギーでこれを推進しておるとは自民党政府もおそらくお考えになりますまい。従って、そういう日本農業の他産業との格差の拡大、所得の低下ということに対して農民みずからが現に行なっており、農民が必要と認めておるものに対して、われわれは一つの方向を明らかにし、そしてその指向する近代化が達成されるためにはどういう諸条件を満たしていくことが必要であるかということを、この農業基本法の全条を通じて、それを主としておる場合もありますし、流通その他の面においてはこれをカバーする、付随的にカバーして目的を達成するような方向を打ち出しておるわけであります。従って、ややもしますと、社会党のやっておるものは何でもソ連だ、何でも中国の模倣だ、従って赤だ、こういう一つの偏見と申しますと失礼だと思いますが、少なくともそういう考え方では、政府与党といえども日本農業の近代化ということは私は達成できないと思うのです。あなた方の思想なりあなた方の政治上の立場の限界に立ってもですよ。そういう軽率な、そして一つの片寄ったものに基づいて相手のものを感ずるということでは、私は目的は達成できないと思う。そういう点でございますので、その点十分御理解を願っておきたい。 それから、最終的にどうなるのかということでございますが、あなた方の法案を拝見しましても、第十七条に「協業の助長」という条項がございまして、それには、今後の審議を通じて明らかにならなければならぬと思いますが、協同して農業を営むことができるように農業従事者の権利の取得の円滑化等、これは農地の分散を避けるという別なものの関連法をさしておると思いますが、少なくともこういう明文を挿入されたということは、やはり一方においては協業を促進しながらしかも自立経営をはかるという矛盾の中からこういう言葉が出ておると私は思うのであります。従って、この近代化をわれわれが指向し、その目的を達成するためには、自立経営だけでは自民党政府もやれないということだけは認めておいでになる。そうしますと、その方法としては、あなた方は自立経営をまずはかって、それを助長育成するための協業あるいは共同という方向を打ち出しておられるわけであります。そういう点について中心を自立経営に置いておられますし、私どもは、生産基盤をもっと国の責任において歴史的な過小農経営を克服していくという条件に基づいて拡大しあるいは整備しという条項に基づいて、農業が農業として成立するような状態を国の責任においてなし遂げていこう、その上に一つの近代化を指向するものとしての共同化を考えていく。現在の資本主義の経済組織の中において、それに一応の限界のあることはわれわれもすでに認めておるところでありますが、しかし、日本の政治形態が、あなた方のこのままの姿で今後長く続くとは国民も思っておらないでしょうし、われわれもそうあってはならぬと思って努力しておるわけでありますが、そういう点については、あなた方の一つの考え方が最終的には絶対的に正しいという考え方それ自体が少し行き過ぎであり、自己過信に陥っておられるのではないか。少なくとも、私どもの考え方、また私どもの事実に即した一つの方針というものに対しては、正当に評価をされるべき性質のものだと私どもは考えるわけであります。 そこで、共同経営の問題でありますが、御存じのように、第九条の「農地の所有形態」というところでわれわれの考え方を明確にしておりますので、十分それを御判読いただきたいと思うわけであります。その他の点についてお尋ねがあれば、また詳細をお答えいたしますが、共同化問題は、共同化自体がどういう意味を持つかということよりも、日本農業が近代化を遂げる方法としてはどういうところに問題があるのか、近代化を指向するための一つの方法であり手段である、こういう観点に立って真摯な検討を加えるべきものである、こういうふうに私どもは考えておるわけであります。
○綱島委員 大体、社会党の案とわれわれが提出しておる案とは、はっきりいたしました。それで、われわれが考えておるものの中にも、協業を決して排斥しておるわけではございません。それに適当な範囲においてはこれをやる、また、価格保障をやるということも否定をしておりません。あるいは農地改良、開発というものも否定しておりません。御承知の通り、毎年調査して、これをやるようにいたしております。ただ、三百万ヘクタールというものがはたしてやれるかどうかという自信も、実際のところございません。調査が実はそこまで終わっておりません。そこで、妥当な範囲における干拓もやりましようし、開墾もやりましようし、改良もやりましょうし、もちろんこれを併用いたすことは従来通り。さらに、基本法を作ります以上は、これによってなおさら進むことは間違いございません。従って、この相違点は、自営を大体中心に考えて参るか協業を中心に考えて参るか、共有を中心にして考えて参るか個人所有を中心にして考えて参るか、こういうところが主になってくるというところが大体はっきりして参りましたので、私の質問はこれをもって終わりといたします。
○坂田委員長 次は、藤田義光君。——藤田君に申し上げますが、時間の都合上、途中で切れることを御了承願います。
○藤田委員 私は、いわゆる農政にはきわめて未熟であります。閣僚席にすわっておられる五名の社会党の諸君はいずれもエキスパートであります。ただいま綱島委員から大原則の質問がございましたが、この論議を通じて私のどうしても納得のいかない点をまず第一にお伺いいたしたいと思います。 それは、北山君の答弁では、この社会党の基本法は社会主義の観点から立案しておらないと言明された。しかし、現に、社会主義農業の世界的な傾向を見ておりますと、順次個人所有を廃して共同化するという方向に持っていくことが社会主義農業の重要なテーゼになっておる。現に、東ヨーロッパにおきましては、フルシチョフがこの点に関しまして相当な熱意を持って無理な共同化を急いでおる。その結果が、昨日の日本経済新聞にも出ておりました通り、非常に農業不振にあえいでおる。逆に、ユーゴスラビアにおきましては、この共同化を是正し、それを緩和したがために生産性が向上したという報道がございます。天候条件も一部にありますが、大体世界的な社会主義諸国の風潮といたしましては、共同化を急いだ結果は成功しておらない。しかし、社会党の基本法の原案を流れる一貫した思想を見ますと、中心はやはり、綱島委員が言ったように、共同保有にある。しかりとすれば、現に世界の社会主義農業が試みて失敗したそのわだちを、社会党の原案では踏むのじゃないか、こういう基本的な疑問をまず投げかけている。北山氏の御見解を伺いたいと思います。
○北山議員 私は、社会党が今度提案をした農業基本法が、直ちに社会主義実現の政策ではないのだ、社会主義でなければできないことをやっているのではないのだ、今の憲法のもとでも、また、理論的に言えば、自民党の方々の立場から言ってもできないことはないことを、われわれは基本法として出しておるわけです。ただし、しかし、御指摘のように、共同化という方向は社会主義の農業に対する経営の形として昔から議論をされた点であります。エンゲルスにしろ、あるいはカウツキーにしろ、そうです。共同化の方向へ社会主義国は行っているということは否定をいたしません。しかし、それは単に社会主義というイデオロギーを達成するために行なわれておるのではない。また、現在われわれが共同化を言っておるのも、先ほど来申し上げたように、社会主義実現のためだ、こういう趣旨ではなくて、現在置かれておる日本の農業と農民というものをどうしたらいいか、経営をどのような形にしたならばいいかということを考えた場合に、われわれは、大規模経営にしても資本主義的な経営は排除する、搾取を排除する以外に、あるいは元のような地主的な土地所有もこれは排除する、そうして、耕作者自身がお互いに共同をして、そうして経営規模を拡大していくという形、そういう合理性があるからこそ、しかも現在置かれておる諸条件の中で共同経営が正しいのだ、こういう見地から、今度の農業基本法案では、方向として共同経営の方向へ持っていこう、こういうことを言っておるので、理念のためにやっておるのではないのです。それから、同時に、この社会党の基本法案をごらんになればよくおわかりになると思うのですが、全部または一部共同経営、いわゆる漸進的に共同経営に持っていこうという考え方を入れておるわけです。決して無理をしてやるのではなくて、共同経営に参加した農民が共同化したからこそ実際今まで家族経営でやっておった当時よりも所得が上がる生活水準が上がる、生産もふこる、ういう実際の利益を与えるような、これを保障するということをはっきりといろいろな条項に示しておる。ですから、共同化をする場合の土地改良なり、あるいは土地の集団化なり、あるいは農地の造成、こういう問題については、国が全額国費でもってこれをやる、それなら、協同組合を作る場合も、営農の設計の指導であるとか、あるいは技術の指導、あるいは共同化資金、あるいは機械の問題、こういう問題についても積極的な助成の措置を講じて、実際に共同化をしたならばそれだけ農民が今までよりも利益が出るのだ、こういうことを保障しながらやっていくのであって、ただ観念的に監督をして共同化という形を作り上げよう、こんな考え方は毛頭持っておらないわけであります。
○藤田委員 そこで、お伺いしますが、あなたの方の第三次案におきましては、ここの八条の中で農民という表現がなかったのです。第四次案におきましては、「農民又は」云々と、農民を入れておる。この立案の経過にかんがみましても、大体社会党の諸君は共同中心の立法を考えておるということを言わざるを得ない。特に、私は、北山君の御答弁でありますが、第九条というものがよくわからないのです。最初に個人の所有ということをうたいながら、自主的にそれを共同保有に移行するという、こういう法律形態がありますかどうですか、私はこれはちょっと珍しい規定じゃないかと思う。何か、よろいを着てそでの下からそのよろいが見えておるという表現は古いかもしれませんが、そういうにおいが非常にする。それに関連して、あなたの方の原案では、第三条に、長期農業基本計画という表現のほかに、数カ所に計画という表現がある。計画は統制ではないか、これはもう常識であります。そういう表現と勘案しますと、今北山議員が言われました趣旨は多少牽強付会のそしりを免れない。この点一つお伺いしておきたい。
○芳賀議員 この五人は答弁者はみな考え方が同じだということを前提にお答えいたします。 社会党の第九条を一つ読んでもらいたい。土地の私有の原則は、これは耕作する農民の所有ということになっております。ですから、土地の所有制をどこに置くかということの原則は、耕作する者の所有ということが原則になります。その次は、土地の所有を共同所有とか共同保有にするというのではない。権利、耕作者の諸権利ですね。ですから、たとえばこの共同化が進む場合は、何も生産組合の所有ということにしなければならぬということを強行しようとは考えておらぬわけです。これは、後刻社会党から農業生産組合法案が出ますから、ごらんになれば内容は明らかになりますが、たとえば、農業生産組合に農民が加入する。しかし、その場合、その組合員は、自己の所有農地はそのまま自分の所有として、組合との間においては、たとえば賃貸借の契約を結ぶ。そういうことになれば、その共同体の本体である生産組合は、組合員等の所有地の間においては、これは賃貸契約を結ぶことによって耕作権というものはそこに生ずるわけです。この耕作の権利は、これはわれわれとしては保有ということでここに表現しております。権利の保有、あるいは生産組合が施設とか財産とかそういうものを取得したりまた所有するわけでありますが、これらもあわせて、われわれは、所有というよりも、これを幅広く保有というふうに法律上規定しておるわけであります。この点に対してはいささかの疑念もないのであります。たとえば、政府案の場合も、御承知の通り、この第二条の一項三号にも、「農地保有の合理化」ということがうたってあるわけです。政府案はいかなる意味で農地保有ということを法律語として使われたか、それは知りませんが、所有と保有というものにはある程度の幅があるということは、これは当然であります。既存の法律から言うと、たとえば石油資源開発株式会社法あるいは北海道地下資源開発株式会社法等においても、その会社の持っておる株式の二分の一以上を政府が保有しなければならぬということが法律の上からもこれは明らかになっておるわけです。ですから、そういうことを事例として考えた場合に、決して、社会党が言う権利の共同保有というのは、土地の所有の形だけを、これを共同所有するとか共同保有するということではないのであります。耕作上あるいは経営上の一切の権利をその共同体が所有するというような場合を、これを保有というふうにわれわれは明らかに規定しておるのでありまして、原則は、あくまでも、前段にうたっておるところの、これを耕作する者に所有せしめることを原則とする、いわゆる財産の私有制というものは、われわれは憲法をあくまでも尊重するという建前の上に立って、ここで特に確認しておるわけであります。それを、自民党の諸君は、何か、全くこういうものを勉強なさらないで、社会党の天下になれば全部土地を取り上げて国有にするとか、社会党の共同化というものは全部農民の個人所有というものを否定して、そして共同所有に移行するとか、ただ自分の固定した概念の上から立って、それをだんだん発展させてそして無責任な宣伝に努められておる。自分がまじめに考えて、今後の日本農業が必然的にどこに発展するかという、その必然性を十分認識する目というものがないのですね、失礼ですけれども。ですから、この第九条の点は、ここに書いてあることそのままであります。これを反復してお読みいただけば、これですべて、土地の所有制度に対する社会党の考え方、あるいはこれが決して権力的に共同化に移行させるというのではなくてあくまでも耕作農民の自主創造の意欲によって共同化に移行するのだということがおわかり願えるわけで、その場合においては、当然政府としてはこれを助長するということに努めなければならぬ。 さらに、ここで一言申したい点は、皆さん方の方は協業であります。綱島委員によると、協業も共同も変わらないという歩、これは学説的にも歴史的にも非常に変わっておるのであって、協業というのは前近代的なその時代の一つの所産であったことは、これは明らかであります。産業革命以前、その産業革命の発生の時限、その当時においては、これは協業という形態はあったわけですが、それはもう昔話のようなものに属するわけです。どうして政府がそういう前近代的な言葉をわざわざ法律の中に持ち出したかということは、これは議論のある点でありますが、皆さんは国会議員ですから、政府案に対しても十分これは御検討願いたいと思うのです。——盲目的に政府案を支持するということは。協業というものはその時代の所産としてこれが行なわれた。たとえば、協業にしても、単純協業とか資本性協業とか、いろいろ学説的にこれはあるわけです。ですから、こういう点、もしおわかりにならないとすれば、われわれは、時間を費やして、協業と共同の相違点について、これは私どももそちらから御質問をいただいて十分ここで論議をしたいということを心から望んでおる次第であります。 まあこの程度にしておきます。
○小山委員 今の問題に関連して、私も疑問がありますので、お答えを願いたいと思いますが、先ほど北山議員の御説明によりますと、共同保有というものは近代化するためにやるのだと言われた。近代化するためには、所有を共同にした方が一番いいわけなんです。そうしませんと、たとえばあぜを取っ払おうというのに、耕作権だけではあぜは取っ払えない。所有権を移さない限りは取り払えない。そうでしょう。機械を使おうというのには、あぜを取っ払う、あるいはみぞを埋め、あるいは高い土地を低くして、そうして初めて近代化ができるのだと私は思う。ところが、今の芳賀委員の御説明によると、これは所有権を移すのではないのだ、所有権を移す場合だけではなくて、耕作権を移すのも含むのだと言われる。ところが、それも含むのだと言われるが、しかしながら、この条文を見ますと、自主的に共同保有に移行せしめるように政府は指導していくのでしょう。そうしますと、耕作権だけを移している場合には、解散しました場合にももとの土地は返ってきますよ。もとの土地が所有者に返ってきます。ところが、あぜを取っ払い、高い土地を低くしたり、みぞを埋めたりしたときに、自分のもと持っていた土地がその大きな農場のちょうどまん中にあった、そのまん中の土地を返してもらいたいというときに、この共同保有会社は成り立ちますか。成り立たないでしょう。だから、そういう意味では、土地の権利というものは、近代化をするのが目的であるならば、所有権を移さない限りは近代化ができないはずだ。もし耕作権だけを移そうという目的であるならば、この会社は解散するときはどういうふうな形態になるのか、この生産法人は解散することを予定しないのか、私はこれを聞きたいのです。われわれが最も疑問に思うのは、この共同会社は解散することを予定しない会社であるならば、やがてこれは国有にいくのではないか。われわれの協業会社、あるいはわれわれの生産法人は解散することを予定しているのです。解散することを予定しているところの法人と、解散することを予定しない法人との間には根本的な違いがあると私は思う。この点を一つお聞かせ願いたい。
○芳賀議員 だいぶ誤解があるようですが、小山委員も御承知と思いますが、田のあぜは個人の所有地の境界線の必要性で水田のあぜができておるのです。一定の面積の中に水をためて、そうして水稲の栽培をするという目的で田のあぜがあるのです。ですから、そういう場合には、たとえば五反歩の水田を保有している場合も、これは五反歩だけの所有地にあぜを築いて、五反歩に水をそのままためるということはない。ですから、田のあぜというものが農業経営上どういう必要性で築かれておるかということは、これはよく現地にお帰りになったら見ていただきたい。たまたまあぜが隣の農地と自分の農地との間を走るあぜもあることは明らかです。それを境界ということは、これはやむを得ぬと思いますが、あぜについてはその通りであります。 それから、次に、生産法人として解散を予定するかどうかという点は、まだ提案されておりませんが、社会党から農業基本法の関連法案として農業生産組合法というものが上程されるわけです。それをごらんになれば明らかでありますが、この農業生産組合の基本的な思想は、現行の農業協同組合法、それに準拠したといっても決して差しつかえないのです。この法律にありまするのは、農業協同組合の下に農業生産組合を置いて、これが農業生産活動をやるということになっておるので、その関連から言いましても、農業協同組合の今日形成されておる法人としての性格とか内容、それから成立の要件とか解散の要件、そういう点をごらんになれば明らかであって、あくまでもこれは耕作農民の自主的な意欲によって加入脱退は任意であるという協同組合の原則の上に立って農業生産組合というものをわれわれは考え、これが共同化の生産活動の主体的な仕事を行なうということになっているので、まだ法案の提案がおくれましたので、その点は、どうして知らぬかということを言うのはいささかこちらが失礼になりますが、近日出しますから、そのときにあわせてごらん願いたい。
○北山議員 計画の問題がありましたからお答えします。 社会党の案が政府案と非常に違う点は、長期の農業計画、それから年次計画というものを政府が作って、これを国会の承認を得て、そしてこれの実行を確保するような予算、財政措置をする、政府は農業生産の見通しを立てていろいろな施策をやる、こういう点は非常に違うわけなんで、この計画という言葉を使い、また計画というものに従って実行するから社会主義だ、こういうことにはならないと私は思うのです。政府も、治山治水十カ年計画であるとか、あるいは所得倍増計画であるとか、いろいろな計画を、むしろわれわれから見れば乱発をしていらっしゃる、こういうふうに考えるのです。しかし、私どもは、計画という言葉はまじめに考えるべきだと思うのです。少くとも、戦争前の保守党——保守党というか、保守政権は、もちろん反動的ではございましたけれども、計画を立ててこれを実行するというような、たとえば治山治水等の継続事業というものを閣議決定をしたならば、毎年その計画に従って、よほどのことがない限りはそれを実行したわけです。ところが、戦後の政府のやり方は、きわめてその点は誠意がない。計画を立ててはこわし、立ててはこわし、そしてそれを実行する裏づけになるような政策をやっておらない。むしろ計画というものの評価が非常に下がってきておるわけです。私どもは、この大きな、日本の農業を新しい方向へ持っていこうという大事業でありますから、そこで、これは単なる政府だけの問題じゃない、国会も、国をあげてこの実行を確保しなければならぬ、こういう見地から、やはり長期の計画、それから年次計画を作って、国会で論議をして、国会はまたこの実行に責任を持つというような体制を作り上げたいという趣旨でありまして、決して、計画といえば社会主義だ、こういうことにはならないのじゃないかと、私はこう考えるわけであります。
○小山委員 今の問題をもう一度確かめますが、そういたしますと、あなた方のお考えでは、われわれが考えておる協業の生産法人と同じように、これは加入脱退は自由なんだ、こういうことですね。加入脱退が自由な生産法人を全国的に作っていこう、そうですね。そうしますと、一ぺん所有権が移ることになるわけでしょう。生産法人に必ずしも耕作権ではなしに所有権が移るはずだ。移らなければおかしい。それはわれわれも考えていますが、われわれとの違う点を申し上げるのであるが、所有権が移りますると、いずれはこれは、いろいろな条件、たとえばその生産組合員の仲間が仲間割れをしたり、仲たがいしたりして解散するときがくるかもしれぬ。その解散するときには、所有権を移しておるのだから、もとの耕作地をそのままもとの耕作者に返すことはできない。その場合は必ず金で返さなければなりませんね。その場合、金を返す場合において評価をどうするか、地代をどうするかというようなことは、現在の農業の実態あるいは日本農民の心情から言って非常にむずかしいことであるから、われわれは家族経営ということをまず第一に考えたわけであります。そして、共同の生産法人を作ろうという場合には、農業協同組合による法人だけでなしに、あるいは合名会社とか合資会社というような、ほんとうに血の通った連中がやるような形態を考えているわけです。ところが、あなた方の場合には、これは他人同士が寄って作るところの法人というものをまず原則として考えておられる。他人同士はいつ仲たがいし、いつけんかをするかわからない。従って、その人たちは解散をするということを考えなければならぬ。解散したときに、元の土地は戻らないでお金で返さなければならぬという場合には、よほど慎重な評価を前もって行ない、金で返ってきても満足するような評価でなければ、この生産法人は成り立たぬですよ。そこでわれわれは家族経営を考えたわけであります。そして親族同士の合名会社あるいは合資会社を考えたわけであります。従って、農民が納得する土地評価というものができておらぬ限りは、こういうものは成り立つはずはないのであります。農民は、解散した場合、ただお金だけ返してもらえばそれでよろしいのだというような心情にはなり得ません。そこで、われわれは、このような農業法人、生産法人、あるいは共同保有という形は、現在の日本の農家の心情をとらえたものでないということを言っているわけであります。
○芳賀議員 小山さんは主として株式会社的な考えで法人を考えておられるようでありますが、農業協同組合の原則はロッチデールの原則から出発しておることはおわかりの通りだと思います。協同組合方式で農業生産組合を作る場合は、たとえば土地をお互いが出資するという形はとれるわけです。出資してもそれは所有権の移行ということになる。それでは、その場合、出資した組合員はそれに対する財産上の権利はどういうことになるかというと、やはり、持ち分という形で財産は個人が確保しておるということに当然なるわけであります。ですから、かりに明日脱退したいから明日から全部もとに戻してくれといってもそれはできないが、たとえば脱退の申し出が出て六カ月の期間とか一年間の期間とかいう限定された期間を予告されて、その後に脱退ができることは当然なんです。ですから、持ち分を返還することになれば、当然現物出資の場合はその出資したものが戻るということが原則と見ても差しつかえないと思います。ただ、その場合に、現在も、北海道なんかは別でありますが、内地府県における所有地というものは必ずしも一団地になっていないんですね。飛び地で点在しているわけです。ですから、これを近代化するためにはやはり集中化しなければならぬということになって、一つの区画の中のその組合員の土地というものは、これは相当積極的な耕地整理事業が徹底して行なわれる。そういう場合には田のあぜの形も変わってくることはもちろんであります。ですから、点在されておったかつての所有地というものは今度は共同化によって非常に価値的にも高まってき、土地生産力も増大する形の中において整理されたときに、また飛び地にあったもとのところを返せというようなことはなかなかできないと思います。やはり、その地域内における一定の面積、そういうものをたとえば現物で返還することは可能であるが、(小山委員「可能ですか」と呼ぶ)……可能ですよ。それは現物出資を持ち分で払い戻すということはできるんですよ。そんなことは、議論しなくたって、農業協同組合法等を見たり、あるいは今度政府の農協法の改正法律案、農地法の改正法律案も出ておるでしょう、この農協法の改正法律案の中にも、小組合というものを作って、この小組合が農地の所有もできるということが規定されておるじゃないですか。もう一つは、法人会社というものができて、この法人会社も農地を所有することができると書いてある。自分の政府が出した法律案の勉強もしないで、できるかできないかということを聞くことはおかしいじゃありませんか。われわれはあくまでも農業協同組合法の基本的な形態と全く同じ生産組合法というものを出すのですから、提案の時期は数日おくれますが、それをよく見ればそういう疑点というものは直ちに氷解するわけなんであります。ですから、何も御心配はありませんよ。権力的にこれに無理に入れとか、あるいは入らないとかいうものじゃありません。それはあくまでも農民の自主性の上に立ってやるわけであります。
○小山委員 芳賀議員ちょっと誤解があるようですが、生産法人に限っておられるところに非常な疑問を持つわけなんです。われわれの方は、このほかに、合名会社もあれば合資会社もあり、有限会社もあるのです。これは家族経営ということを主体として考えておりますからそうなるのであって、あなたの方の生産法人は、他人同士が原則になっておる。他人同志が寄ることを原則として法人を作るのか、それとも血の通った連中が法人組織を作るのか、この二つの場合を比較するとき非常な違いがあるということであります。
○中澤議員 おくれまして申しわけないですが、ほんとうはもっと早く生産組合法を出す予定だったのです。来週中には提案する予定でありますが、ここに法案があるので、これをお読みすれば小山さんの疑点は全部氷解すると思います。協同組合の原則をそのまま適用しております。出資については、われわれはこういうふうに規定しております。出資条項では、組合員は、「出資一口以上を有しなければならない。」、3、「組合員の責任は、その出資額を限度とする。」、これは協同組合の原則そのままです。4は、「組合員は、出資の払込みについて、相殺をもって組合に対抗することができない。」、次の「持分の譲渡」が、今あなたの言った払い戻しする場合にどうかという問題になるのですが、これは、「組合員は、……組合の承認を受けて、他の組合員又は当該組合の組合員たる資格を有する者にその持分を譲り渡すことができる。」、(小山委員その場合はお金でですね」と呼ぶ)いやいや、現物の場合もあるし、いろいろな場合がある。使用収益権、耕作権というものを含めてわれわれは共同保有という形で考えているのでありますから、あるいは使用収益権だけ返す場合もあるし、どちらを譲渡する場合もある。耕作権も同じ形でやる場合がある。(小山委員「譲り渡す場合と戻すのと違うでしょう」と呼ぶ)持ち分を譲渡することもできるということを規定している。それから、脱退ですが、脱退は、組合員は、定款で定める期間前までに予告し、事業年度の終りにおいて脱退することができるということになっておるので、脱退もできるのです。それから、これは自然条項で、これは組合原則で、どこにでもあるのですが、「組合員は、次の理由によって脱退する。組合員たる資格の喪失、死亡、除名」となっており、その次に、持ち分の払い戻しを規定しております。「組合員は、脱退したときは、……その持分の全部又は一部の払い戻しを請求することができる。」、こういう規定になっておる。だから、それはお金でやるとかなんとかいうことではなくて、共同保有の場合に幾つか共同化の段階があるのです。作業共同とか、あるいは経営共同とか、あるいは土地共同という段階も現実に農村では出ているのです。たとえば、国営開墾地などにいけば、全部共同保有、完全共同保有というような形態をとってやっておるところも出ているわけであります。だから、われわれの作った案では、生産組合員が脱退する場合は、何もお金で必ずしも評価するのではない。それは、あなた方の言うような有限会社とか何々会社というようなものは、今の商法の規定でいけば、これは出資を評価すなければならないのですが、使用収益権、耕作権の評価というものは非常に問題だと思うのです。だから、そういうものを、われわれの方は、やったものを譲渡もできる、組合員の中で、おれはもう年をとってだめだからやめるよと言えば、その持ち分をその組合員は譲渡できる。必ずしもお金で返すんだという原則じゃないのです。お金に評価できない使用収益権、耕作権というものが一ぱいある。どういう形でそれを提供して生産組合を作るかということであります。
○坂田委員長 午後一時三十分より再開、質疑を続行することとし、暫時休憩いたします。 午後零時三十一分休憩 ————◇————— 午後一時五十分開議
○坂田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 質疑を続行いたします。藤田義光君。
○藤田委員 第九条の問題を午前中に引き続いてお伺い申し上げます。非常にいい関連質問が出ましたから、少し質疑の重点がぼやけた感じがいたしますが、まずお伺いしたいことは、この第九条の中でどちらが重点になっておるかということです。個人の所有を重点に提案者は考えておるか、あるいは共同的保有を重点に考えておるか、お伺いいたします。
○北山議員 第九条には二つのことが言われておるわけです。一つは、農地は耕作する者が所有することを原則とする。これはいわゆる耕す者がその田を有すという原則です。それを言っておるわけであります。ただし、その耕作する者という場合に、それは、個人の場合もあるし、あるいは共同で持つ、いわゆる団体が持つ場合があるわけです。ですから、耕作する者というのは、従来の狭い意味の自作農といいますか、個人が持つというような狭い観念というよりは、むしろ、耕作する者が個人あるいは団体であろうとも、とにかく耕作する者が農地を持つという原則をうたってあるわけです。第二段の方は、その所有の形を漸次自主的に共同的な保有に移行するように指導するのだ、こういうことでありまして、先後矛盾したものを対立的に置いておるのではない。それを御了解願いたいと思うのであります。
○藤田委員 政府の案は、先般池田総理が答弁いたしました通り、きわめて明確に、自家農業経営を大原則にいたしまして、補足的に協業を助長するということでありますが、この規定からしますと、ただいまの答弁でもはっきりしない。これは読み方の相違かもしれませんが、それでは、共同的保有という言葉は、法律的に従来の法体系からしますと初めての表現であります。民法上のいわゆる共有とも違うようであります。「的」という字が入っている。第三次案におきましては共同的所有と明示しておったようでありますが、どういういきさつで、保有に変わったか、民法上の共有とどう違うか、こういう点を一つお伺いしておきたいと思います。
○芳賀議員 その点は、北山提案者の言った通りなのです。法律の作業の段階で最初立案の大きな柱をお互いに立てますが、やはり、完全なる法体系を立てるということになれば、熟さないものからだんだんに熟するという作業の段階は当然経る必要があると思うのです。従って、私たちも基本法を完成するまでに三カ年を費やしたわけですが、やはり、その間、第一次案、第二次案というように、藤田さんは非常に御勉強なすっておるのでそれぞれの段階の案を見られたと思うのですが、その経過を見ていただけば、第一次案よりも第二次案の方が熟してきておるということは御了解願えると思うわけであります。従って、その所有あるいは保有という場合は、これは財産権に関する問題ですから、財産の所有とか保有というものは基本的な原則解釈についてはその変わりはないと思うのです。——所有ということであっても保有ということであっても。ですから、法律にも書いてある通り、土地制度の上に立ってわれわれは耕作する者自身がその土地を所有するということを原則にしておることは、これは戦後の農地改革の精神がやはりそこにあると思うわけであります。これは、地主制の圧制から脱却して国土の公共性、公益性ということを考えた場合には、やはり耕作する者がその土地を所有することが一番望ましい形であるという考え方の上に立って、われわれとしては、土地所有の原則というものは、やはり耕作する者の所有、——耕作する者という中には、やはり、耕作する者個人、あるいは共同体が土地を完全に所有しておる場合、その共同体が経営をやるという場合にも、「者」の範疇に入ると思う。耕作する者は必ずしも個人だけでないということは私が言うまでもありません。いずれにいたしましても、法人であっても個人であっても、耕作する者の人格はその所有者になるということで、われわれは、財産権の規定として耕作する者が所有する、こういう規定の上に立って、共同化というものは権力的に共同化に移行させるという考えは毛頭ない。農民の自主性あるいは自然の発展の形態の中においてその道を開いておくことは当然必要だと思います。政府案においても、共同化の道を、今回の基本法あるいは関連法案の中で自作農経営からさらに共同化に移行あるいは発展する場合にはその道を開くということで、農地法の改正あるいは農協法の一部改正が企図されておるわけでありまして、その点には変わりがないと思う。 どうして所有と書かなかったかという点については、たとえば法人になった場合、土地の所有をする場合もありましようし、あるいは生産設備とかいろいろなそういう施設を所有する場合もありますし、また、法人として財産を取得する場合、出資をするとか株式を取得するとか、財産保存の形態はいろいろあると思うのです。ですから、そういうものを総称してわれわれは保有というふうに規定したのであります。その点については、先ほども申しました通り、政府案の第二条の規定の中にも農地の保有ということが規定されておるわけであります。それから、また、たとえば組合が財産を取得するという場合において、これも先ほど一度申したのですが、現行の制度の中にもやはり財産の保有ということは法律の中に規定をされておることは幾多事例がある。先ほど言った通りの、石油開発株式会社の場合、その株式会社の株式の二分の一以上を政府が出資してその株式を保有しなければならぬとか、あるいは北海道地下資源開発株式会社の場合にも、政府がその会社の株式をどれだけ以上保有しなければならぬということが規定されておるわけです。ですから、生産組合が系統の組織に出資をするとかあるいは株式を取得しておるという場合には、むしろ所有というよりも保有という表現の方が妥当性があるのではないか。あるいは耕作権の保有とか、そういうことを全部総合して諸権利ということにした。所有権ももちろんでございます。そういうことで、前段では土地所有の原則を所有とうたい、後段では共同化の場合に諸権利の保有、こういうように区分したわけです。
○藤田委員 保有の意味はわかりましたが、共同的保有は民法上の共有と違うかどうかという点の御答弁がなかったのです。答弁が非常に懇切丁寧なのはけっこうでございますが、要点だけ一つお答え願いたい。ここはイデオロギーの宣伝の場所ではございませんから、私は要点だけを率直に聞きますから、要点だけをお答え願いたい。共有の観念と共同的保有と同じか違うか、伺いたい。 次に、共同的保有はどの程度の規模があなた方の基本法の目ざす規模であるか。生産性、生活水準あるいはほかの産業との所得の格差を是正するための基本法であると第一条にうたってある通りでありますが、そうすれば、共同的保有に持っていくためには、当然、あなた方の理想とする形態、規模というものを考えられておると思う。われわれは、自立農業経営におきましては、一応、先般総理、農林大臣が答えた通りの規模を考えております。社会党ではどういう規模を考えておられるか、お答え願いたいと思います。
○北山議員 今の共同所有、共同的保有という問題は、率直に申し上げると、法制局の見解を取り入れたわけであります。たとえば耕作権なり土地の所有権というものを所有する場合もあれば、あるいはその組合が農地を借り受けるという場合もあるのではないか。また、管理保管というか、使用する、こういう場合もあり得るのではないかという、たしか法制局の御意見で、共同的保有という表現にしたわけであります。従って、表現としては所有という場合よりも概念的には広いというように了解をいたしております。 それから、どの程度の規模を共同的保有の基準と考えておるかということは、いわゆる共同経営の規模の点は土地だけの要素ではないわけでありまして、たとえば機械力とかその他の要素を考えなければならぬわけであります。従って、ある一定規模の機械を共同的に使って最も効率的に使い得る単位というような考慮も払わなければならぬわけであります。単に農地の面積の単位だけでは考えられない。ですから今後さらに検討すべき問題だと思いますが、今までの過程におきましては、少なくとも十町歩ないし二十町歩という程度のものはいろいろ検討しておるわけであります。これは、政府の所得倍増計画の中にも、将来における協業の形としては二十ヘクタールないし四十ヘクタールですから、われわれよりももっと大きいものを想定しておられるようでありますが、一応私どもが今まで検討しました段階においては、その程度のものを考えておる。ですから、単に土地だけの要素、条件でものを考えないで、経営その他機械の利用とか、そういう点も考えまして、適正な規模をきめたいと考えております。
○藤田委員 実は、この共同的保有の規模というのが社会党の基本法の一つの眼目でなくてはならぬと私は考えます。ただいま面積だけは十ないし二十ヘクタールということを言われましたが、当然、面積と固定資本と労力というものは最低この程度の規模をさしておるのだ、そうすることによって基本法のめざす農業経営に持っていくのだということを検討せずんば、これは法律が死文になってしまうと極論されてもやむを得ないのではないか。今から検討されるということでありましたが、中澤議員、どうでございましょうか。この点少し提案が軽率にすぎておるのではないかという批判を受けはしないか。私は社会党のために質問をしたい。
○中澤議員 御指名がございましたのでお答えしますが、われわれとすれば、生産組合法を出さないで皆さんにこういうことを言っても納得いかないかもしれぬ。要するに、生産組合の自主的判断が一つの基礎になっておるのです。何でも国がきめてこれ以下は生藤組合と認めないのだという考え方を持っておりません。要するに、生産組合そのものの自主的に作られた機関の定款で決定して、われわれの生産組合は地形上五町歩がいいだろうあるいは二十町歩がいいだろうという判断をすれば、やはり生産組合の自主的な判断できめていく。そういうものに対して政府案と特に特長を出しておるのは、われわれとすれば、どうしても共同化するには土地改良という前提で考えなければならぬ。そこで、五町歩なら五町歩の一地形集団化で生産組合で共同化していくという場合には、国が一つ土地改良なり——今のような国営、県営、団体営、市町村営という改良方式ではなくして、国がやはり無償でその土地改良を一つめんどうを見て口火をつけていく、誘導していこうじゃないかという考え方なんですから、頭から何町歩ときめることは、これはいろいろ議論もやってみましたが、それは生産組合の地形、規模において決定したい、自主的にきめてもらおうという考え方であります。
○藤田委員 この第九条に関連いたしまして、第二十条におきましては、国営、国家管理という表現があります。先ほど申し上げました通り、第三条、第四条その他には計画という表現がある。これを総合すれば、客観的に冷静に見て、共同体を中心にした基本法というふうに認めざるを得ない。この点一貫してそういう思想が流れていないかどうか。当分はとか、——まだ速記録を見ておりませんからわかりませんが、午前中の北山議員の答弁の中には、今すぐには社会主義云々という御回答があったように記憶しております。将来はどうするということにわれわれは多大の疑念を持つのであります。いま一度その点を明らかにしていただきたいと思います。
○北山議員 この点は午前にも申し上げましたが、社会党は社会主義の実現を目標とするものでありますから、当然将来は社会主義の社会を作り上げようというふうに考えておることは否定できない。当然だと思います。しかし、今この農業基本法をわれわれが出した趣旨は、その理想である社会主義というイデオロギーを実現しようということではなくて、むしろ、現実に、今の日本の農業、農民の状態その他いろいろな条件を勘案して、しかも現在の資本主義経済の中で国が従来よりももっともっと責任を持って積極的にしかも計画的に日本の農業を発展させる、あるいは農民の生活、地位を向上させるということになればこれだけが必要だという問題を出しておるわけであります。しかも、国営、国家管理にしても、現在国営事業もたくさんございますし、また、国営の機械化センターを作る、機械ステーションを作るという規定がありましても、国営の農業試験場があるわけでありますから、質的には少しも変わらないのであります。しかも、計画につきましても、いろいろなほかの例もあるわけでありますから、それだけをとって全体を流れるものが社会主義的なイデオロギーのもとに作られている、こう言うことはむしろ当たらないのであって、非常に現実的な、しかも、日本の農業を立て直して、そうして発展をさせるということは国の大きな責任だ、こういう認識の上に立っていく以上は、いろいろ積極面が現われ、あるいは国のいろいろな行政面において積極的な活動が出てこなければならぬわけでありまして、それがこの法案の中にやはり流れておる。これだけは当然のこととして認めるものであります。
○藤田委員 そうしますると、現在の資本主義自由経済体制下における案である、この体制を認めつつ、政治形態を認めつつこの法律を提案するんだということになりますと、日本の農民の自分の農地に対する愛情、こういうものを多少軽視した法律ではないか。たとえば、第九条後段の、「自主的に共同的保有に移行させるように指導する。」とある。大体万やむを得ざる場合の補正的なる共同保有ならばともかくとして、相当強く共同という表現を使って、農民の伝統的感情、本能ともいうべき自分の農地に対する愛情を軽視した法律ではないかと思う。社会主義農業に将来持っていくための過渡的な法律だということでございますが、しかりとすれば、私が先ほど申し上げました通り、社会主義農業というものはすでに東ヨーロッパその他において試験済みではないか。農地の集団化は失敗しておる。しかし、社会主義農業というものを学問的、現実的に考えれば、これは集団化をやらざるを得ない。私は、社会党の基本法というものは、将来に非常に重大な矛盾を包蔵しておる、こういうふうに考えるのでございますが、いかがでございますか。
○北山議員 今、藤田委員は、農民の土地に対する伝統的な執着ということを申されました。私も、相当古い昔から農民が農地に対して非常に激しい愛着と執着を感じておる、また現在でもそうであるという事実を認めますが、その原因は一体どこにあるかということになりますと、農民が自分らの勤労の権利が保障され、そうして自分たちの生活が保障されるというような状態にあったならば、私は、土地に対する執着が現在ほどひどくはなかったんじゃないかと思う。むしろ、農民の地位が不安定である、そしていつ何どき自分の農地を手放さなければならぬかもしれないといったような、そういう不安定な状態に置かれたからこそ、農民は自分の農地だけはがんばって離さない。現在でもそうなんです。農村からたくさんの人たちが毎年他の産業に移っていきます。けれども、なぜ農業をやめて完全によその産業で仕事をしないかということになれば、それは、もうすでに政府のことしの経済白書が指摘しております通り、完全な社会保障がない、おまけに転業先の仕事が非常に不安定であって低賃金である、そういう悪条件のもとだからこそ、やはり農民は自分の土地だけは守らなければ最低生活が守れないというところから、私は、土地に対する激しい愛着があるのではないかと思うのであります。もしわれわれ社会党が政権をとって、ほんとうに、生産労働に従事をする労働者、農民の生活、それから勤労の権利と義務が保障されて、そうして完全な社会保障になるということになれば、これは人の頭の中の問題でありますから、何も土地を持たなくても生活と耕作をする権利が保障されるのですから、だんだんに考え方が変わってくると思うのです。漸次そういうふうな政治をやるならば、それは農民の中の長い間の伝統であるかもしれませんが、いわば新しい社会においては必要のないところの土地に対する所有欲といいますか、そういう気持が自然に消えていくのではないか、こう考えておりますので、それを期待しつつ、自主的に共同保有に移行するように指導するという意味であります。
○藤田委員 私はだいぶ見解が違うのです。農民は自分の土地保有に不安があったから愛着を持っている、これは一面そういう面もありましょうが、全般を見た論じゃないと思うのです。そういう一面だけで全般的な農民の本能化している土地に対する愛情を定義づけるということは、北山議員らしくないと私は考えておりますが、これは見解の相違になるといけませんから、この点で打ち切っておきますが、この社会党の案全体を何回も見ましたが、農村人口の問題には全然触れておられません。年々三十万以上農村の人口は減っております。その減る場合の対策もなければ、現状を維持するのか、あるいは将来どうするのかという方針もない。農業従事者という、いわゆる社会党の労働者の定義づけをやるならば、当然懇切丁寧なる労働対策を法文化すべきである。これがかねての社会党の主張に合致するゆえんである。ところが、それが何もない。考えてみるとおかしいじゃないですか。
○石田(宥)議員 お答えいたします。 農業人口については、先般来総理との間に話をいたしましたように、日本の農業がだんだん近代化していき、経営が合理化していきますれば、農業従事者というものが減って参りますることは、これはやはり当然であると私どもも思います。ただ、先般申し上げましたように、日本の農業人口が他の自由主義諸国と比較してなぜ一体非常に多いかということを実は疑問に思うのでありますが、これは、先般私の質問でも申し上げましたように、農業というものをきわめて不利益な状態に置けば農業人口というものはどんどん減らなければならないのに、日本の農業人口というものはなかなか減らない。これは、不利益な農業であるけれども、農業を離れて他に移った場合に生活の安定が得られない、生活の保障が行なわれない、ここに問題がある。だから、私どもは、農政の中だけではなしに、やはり、労働政策という面に関連してこれを行なわなければならない。それがためには、今の賃金の二重構造の問題が重要な問題ではないかと思います。農業県に参りますると、三十人の規模以上の労働者の賃金でも、やはり一万一千円程度にしかなりません。社会党が主張しておりまするように、やはり八千円という最低賃金を立法化して、そうして適正なる賃金が保障されれば、農業から他の産業にどんどん移っていく機会ができる。また、先般も申しましたように、若い労働力はどんどん近代産業に吸収されるけれども、都会に出た老人だとか、病気になった場合とか、工場がつぶれたとかいうような場合に、それがやはり年々三十万人くらいの非常に劣悪な労働力として農村に還元されるという事態はどこから起こるか。これは、やはり、日本の社会保障制度というものが不十分であり、老後を養うに足るだけの社会保障制度ができておりませんので、それがために、年とってからまた農村に戻って多少の耕作もしなければならないというよらなところに問題があるのであって、農業人口が減って参りますることは私どももやはり賛成するところでありますが、その減り方の問題、他産業との関連の問題、社会保障制度との問題においてこれを考えなければならない、こういうふうに考えておるのであります。
○藤田委員 そこで、ただいまの石田議員の御答弁でありますが、政府案におきましては、十九条に教育の事業の充実、二十条におきましては就業機会の増大というきわめて時宜に適した規定を作って、農業人口の削減という現象に備えた規定を作っておる。社会党にはそういう規定が全然ない。これは労働政策全般として考えるということでは、あなた方が鴨民を愛すると言われる言葉にどうも即さないのじゃないか。やっぱり、この基本法には、農業政策の基本的方向を指示する法律なるがために、どうしてもこういう教育あるいは転業の機会均等というがごとき大方針は明示すべきじゃないかと私は考えておるのです。どうしてこの点に対する規定がなかったか。 次に、ただいまお話がありましたからお聞きいたしますが、農業従事者は社会党のいわゆる勤労者である、勤労者の最低賃金は八千円である、そういうことになりますと、ただいまの御指摘の通り、米価その他の農産物の価格を相当引き上げずんば、この最低賃金は実現できないのじゃないか。消費者に大きなはね返りが来る。こういう矛盾をどうして解決されようとしておるのか。このきわめて素朴なる一般の疑問に答えていただきたいと思うのであります。
○北山議員 ただいまの教育の問題につきましては、第十三条にその規定があるわけであります。お読みを願いたいと思います。ただ、これは、もちろん近代的農業経営の担当者としての教育であります。なるほど、政府案には、よそへ転業をする、脱農するという場合の世話をするんだ、めんどうを見るんだという文句は書かれております。けれども、この問題は、非常に重大であって、単に農業基本法の中にあっせんをするんだという文句を書いただけでは解決をしない。現在でも、職業のあっせんをする機関、制度があるわけであります。これをただ書くだけではなくて、むしろ、けさもお話を申し上げたように、よその産業、ことに零細企業、中小企業に働く人たちの労働条件をよくすることが大事でありますから、具体的な提案としてわれわれは最低賃金法案なるものを提案するわけであります。もちろん、最低賃金法だけではなくて、中小企業についてのいろんな所得を引き上げるような措置、いわゆる二重構造を是正するような措置もあわせてやらなければならぬ。そういうことをやって、現実に具体的な政策をとる方が大事であって、単に基本法の中にそれだけの言葉がございますよと言っただけでは解決をしない、こういうふうに考えておるわけであります。ことに、数日前の新聞、日本経済でありましたか、東京都の労働局の調査として、昨年二万四千人いなかから東京に入って参りました中学校の卒業生の就職の状況を見てみると、その八八%は、三十人未満の小さな経営、半分くらいが五人未満の零細経営であります。しかも、その賃金は、住み込みで三千円、しかも休みもない、その他のいろいろな社会保険の制度もないという非常に悪い条件の中にある、そこで、そういう若い中学校卒業程度の農村から出てきた人たちが脱落をする、その脱落を防止するために大わらわであるというようなことが書いてあったわけです。こういう条件をなくさなければいけない。この点は、もう一つは、先ほど触れたような社会保障の問題であります。農村の老人たちが年をとってもなおかっ農業の非常に激しい労働をしなければならぬ。それは労後の保障がないからであります。これについても、社会党は、今の国民年金制度というものをもっともっと画期的によくするような国民年金法案を提案しておるわけです。私どもは、単に基本法の中でそういう文句を書くというだけではなくて、具体的にこれに関連をしたいろんな政策というものを出して、農村で働く人たちが、農村の中で、また農村から町へ出ても、いい条件にあるように、その生活が保障されるような措置をとっていく。この点を認めていただきたいと思うわけであります。 なお、米価の問題等につきまして御質問がありました。これはけさも触れましたけれども、今の食管制度を維持してしかも農家の所得を高めるような米価をきめたならば、それは消費者に対する大きな負担になるであろうということを言われたわけであります。しかし、私どもは、農産物全体を考えて参りましたときに、農家が売り渡す値段と消費者が買う小売価格との間には非常な開きがある。いわゆる手取り率がものによって非常に違いがあるわけであります。その中で、食管の制度のもとに置かれている農産物あるいは支持価格制度のものに置かれている農産物については、農民の手取り率が高いわけであります。その高いということは結局、消費者もそう高い値段を払わなくてもいいし、消費者が払う価格の大部分というものは農民の手に渡るということです。もしも、米の統制をはずしてしまうならば消費者が安い米が買えるかということになれば、牛乳のような格好で、三倍にはならないでしょうけれども、少なくともその中間のマージンとか経費とかは三割くらいになるでしょう。そうすれば、現在一五%で済ましているのが三〇%に広がれば、そのしわ寄せは生産農民にもいくし、また消費者の方にもいくということを考えていくならば、多少財政的な負担はあるかもしれませんけれども、農家の所得を流通価格の面で保障しつつ、しかも消費者の利益も考えていくという制度としては、やはり主要な農産物の管理制度、価格支持制度はわれわれとしては強化改善をしなければならぬ、このことは消費者に対して決して不利益なことではないのだ、こう考えているわけであります。
○藤田委員 この政府案の二十条に対する社会党の原案には、全然就業の機会増大等の規定がない。これは現存の機構等で相当やれるというような御答弁もありましたけれども、私は、この点に関しましては、北山委員の御見解はもう一回御検討願いたい。われわれは、やはり、職業訓練をやり、転業のあっせんをやり、それから現在京浜あるいは中京あるいは阪神、北九州に集中しておりますいわゆる工場の四大ベルト地帯から全国津々浦々に工場を分散して農業従事者の転職に備えようというような構想からしますと、そういう表現をこの二十条で使ってそういう親切なる用意をしているという大方針を農業憲章に示しているという方が親切ではないかというふうに考えております。これは見解の相違かもしれませんが……。 それから、今食管制度もちょっと言われましたが、社会党の十四条に対しまして、わが党は十一条の規定がある。この十四条の規定の中で、社会党が食管法の管理制度だけを摘出いたしましてその維持改善をうたっていることは、いかにも宣伝的なにおいが強い。これだけをどうして取り上げたか。ほかにもいろいろな価格安定法を適用している物資が、たくさんあります。法律形態として、これだけを抽出して、これだけをここにわざわざうたう必要はない。社会党の三十一カ条を見ましても、現存法律制度をその名前を冠して表現した文句はどこはもない。十四条にだけこの表現を使っている。これはちょっと法律の形態としても適当でないのではないかと考えております。
○北山議員 この基本法の中には、たとえば現存の制度で農業協同組合とか、そういう言葉も使っております。ここだけではございません。ここで食管のことをはっきり申し上げたのは、これは、やはり、農家の方々に対する農業基本法で、しかもこれからの農業の目標を示すのでありますから、あいまいな抽象的な、前へ進むのだか後へ下がるのだかどうにでもとれるような抽象的な基本法では農民にはわからないわけです。だから、やはり、食管は維持するのだ、これこれはこのような価格支持をするのだということは、特にこの価格問題というものは非常に農家の人たちの関心の強い問題でありますから、明確にする必要がある。私は、政府の案というものはその点で非常に不明確だと考える。ことにたとえば需給条件だとかそういう経済上の条件を考慮してきめる、価格の安定をはかる、こう書いてあった。従来から見るというと非常に不明確なんです。ここで政府側が答弁するときには、いや食管は維持するのだ、こう言っておる。しかし、所得倍増計画、政府が閣議決定をしてきめた所得倍増計画には、はっきりと、米の直接統制は廃止をして間接統制にするのだと書いてあるのです。それだから農民が不安になるのはあたりまえです。私は、書いてあるなら書いてあって、しかも閣議で決定しておってそれが正しいと思うなら、そのような表現をし、そのように説明をすればいいと思う。それを、現在のような管理制度なりそれをそのまま引き続いてやるのだというようなことを言っておきながら、しかも、閣議の決定にしろ、そういうものは間接統制にするとある。要するに、今度大麦とはだか麦でとったような措置、それが今度は小麦になり、今度は米になる、そういう方向を示しているのだという、少なくともそういうふうに思われるわけです。そういうふうに思われないためには、政府案といえどもこの点ははっきり書くべきだ。食管を維持するなら維持すると、そういう表現をしなければ、農民にはわからないばかりじゃなくて非常に不安を与える。ですから、特にこの点は明確にわれわれは表現をしておる。この点を御了承願いたいと思います。
○藤田委員 現在農産物あるいはてん菜、繭糸、酪農、肥料、飼料その他に関しまして価格安定法が実施されておることは御承知の通りであります。従来無統制でありました価格政策をここに総合した規定が十一条なんです。それで、これを一々食糧管理法その他ずっと列記するということは、法体系として適当でない。われわれは、従来の無統制なる農産物の価格政策を総合した規定として十一条を掲げておる。しかも、その中に、価格の安定をはかるための必要な施策をするという大方針を明示しておる。この方が基本法の性質から言って適当ではないか、そういうふうに私は考えております。 次の質問に移ります。社会党では、浅沼前委員長以来牛乳三合論という政策をとっておる。これは畜産の振興ということであります。こういう点は、政府案の中に、農作物の選択的拡大をやるというような表現をわれわれは使って、はっきり果樹、畜産等に作付転換を予定した規定を親切に明示しております。社会党案ではその点がどうもはっきりしないのじゃないか、こういうふうに考えておる点が一点と、次は、選挙のときは五百万ヘクタールの開墾をやるのだということでございましたが、今日社会党は三百万ヘクタールの開墾をやるということを政策として取り上げられておるやに理解いたしております。この三百万ヘクタールというものをきめた基準、根拠、理由、これをお示し願いたい。
○芳賀議員 お答えいたします。 まず第一の点でありますが、この政府案と比較しまして、選択的拡大というのは、これは非常にくせ者なんです。一体何を選択して何を拡大するということが、政府案の基本法で明らかでないのです。これは農業の主体性というものを失なわせるという目的で作られたとわれわれは考えております。ですから、政府案は、どこを見ても、この農業の努力によって自給度を高めるということはどこにもうたわれてない。どうして自給度をうたわぬかというと、これは、明らかに、現在の政府や自民党の皆さんの方針は、自由化を進めるということになりますから、自給度を高める努力を農業や農民の中で進めていくと、自由化をやるということに対しては最大の障害が起きるわけです。ですから、自由化というものを大きく取り上げてアメリカのごきげんをとることになれば、これは自給度も高めない。従って、アメリカのごきげんをうかがいながらそれを中心とした長期見通しを立てて、そして選択的拡大の方向に農民を向けていかなければならない、そういうことになるのであって、これは基本法が農民を圧迫することになるのじゃないかという不安が起きるわけです。ですから、われわれの方では、そういう農民を常に不安定に置くような選択的拡大という新しい法律文言は全然使わないで、長期の計画という、いわゆる生産計画、基本計画、国家の責任で農業に対する長期計画を立てるということが、これが法律の中では相当重要な部門であります。資本主義のもとにおいては、吉田総理の時代も、自民党は長期経済計画は立てない、立てるべきでないということを非常にがんばった時代がありましたが、最近では五カ年計画とか十カ年計画を立てますが、これも長続きはしない。計画を達成する努力というものは、スケジュールがないから、ただ宣伝的に計画だけは作るのですが、そこに到達しないうちにまたやめてしまって、そしてまた次のうたい文句の長期計画を立てるだけです。社会党はそういうわけではないのです。もう少し責任を持って、責任のある立場の上に立って、農業の基本計画を……。
○坂田委員長 芳賀君に申し上げまするが、質問に対するお答えを願いたいと思います。
○芳賀議員 質問に対して答えております。ですから、そういう点は、比較論になりますが、日本の農業を発展させるための長期的な計画、スケジュールというものがやはり基本法の中になければならぬが、それが政府案にはないのですね。藤田さんも非常にそれはさびしい点だと思います。それがわれわれの将来の展望に対する基本であります。 それから、農地の拡大は、これは国土の開発というものがむしろ基本をなしております。日本の国土総面積の中で農用地全体の面積の比率というものは、わずか一七%しかないわけです。ところが、政府の方では今後積極的に農地の開発をやらぬという方針の上に立っておるのですね。これもけしからぬことだと思う。従って、われわれとしては、少なくとも十カ年計画で三百万ヘクタールの農用地の開発をやる、そのうちの百万ヘクタールは畑地だ、あとの二百万ヘクタールは草地ということになっている。なぜ草地に重点を置くかということになると、これは牛乳三合論と重大な関係があるわけです。政府の方でも成長部門としては当然畜産農業に重点を置くということでやっておられるし、所得倍増計画の中においても、少なくとも牛乳、畜産品は十年間に三倍ないし七倍に需要が拡大するということを言われておる。その需要に応ずるためには、どうしても家畜に対する自給飼料というものを相当大幅に生産しなければならぬが、単に消極的に麦作をやめさせて一反歩二千五百円ずつ預けて麦を作るなというような、そういう情けない施策を進めた場合には、これは畜産農業の大発展はできないわけです。ですから、われわれは、積極的に未利用地の開発を行なって、十年間に草地の二百万ヘクタールの開発を行なう、畑地百万ヘクタールを、これは国で開懇して農民には負担させないという、そういう大方針の上に立っております。従って、これをやらぬければ牛乳三合の達成はできない。外国から乳製品を買ってこなければ三合の牛乳を飲ませられぬということになるので、われわれは、当然の基盤を作る意味に立って、そうして農用地の拡大計画というものを十カ年計画で堂々と進めるということになるし、それをやるには、これは国家の責任である。国が開発した国土ですからして、これは当然国の富がまたふえるということにもなるわけでありまして、この点は十分御理解を願いたいと思うわけであります。
○藤田委員 ただいまの御答弁を聞いておりますと、畜産振興のためにほとんど三百万ヘクタールを充てるように私は解釈いたしましたが、畜産だけではないんじゃないですか。もう少し三百万ヘクタールという膨大な面積を開懇する根拠というものをお尋ねしたい。しかも、この政府案にも土地改良、開懇等は予定しているんです。生産基盤の整備及び開発というふうにはっきりとうたっておるわけです。だから、これは決して社会党の専売ではないということも御理解願いたい。 次に、またもとに戻りますが、社会党の価格決定方式は生産費及び所得補償方式の大原則にのっとるとなっておりますが、これは私は言うべくしてなかなか実行困難な価格決定基準じゃないかと思うのです。どういう地域でどういう階層を基準にこの価格決定方式を採用されるのか。実現困難じゃないですか。実現性ありという自信のもとに提案されておりますか。
○石田(宥)議員 お答え申しますが、前段の土地改良問題や農地開発の問題でございますが、実は、政府案を拝見いたしますと、二つの案が出ておりますけれども、十年後における耕地面積というものは二つの案とも六百万町歩でありまして、全然ふえておらない。これは一つ藤田委員も政府案を御検討願いたい。 次に、生産費及び所得補償方式の問題でございますけれども、私どもは「米麦等」ということにいたしておるのでありまして、食管制度は必ずしも米麦だけに限るのではございませんので、将来やはり、主要農産物について、どれを選ぶかということは今後の推移にも待たなければなりませんけれども、やはりそれを考えておるということでありますし、さらに、ただいま御質問の点につきましては、一昨年以来米については生産費及び所得補償方式を政府もとっておるところであります。私ども多年主張いたしましてこれが実現をいたしておる問題でございます。この点は今朝来綱島委員からいろいろ御議論があったところでありますけれども、私ども、農業政策の基本となるべきものは、やはり農民の労働に対する評価の問題、これがまた人権の基本的な問題でございますので、農産物価格を考える場合において自家労力をどう算定するかということが一番大きな問題であろうと思うのであります。いわゆる勤労報酬の評価の問題でございまして、これを取り入れることなしに農業の基本的な問題を議論することは当を得ない、こういうふうに考えておりまするから、やはりすべての農産物については農民の勤労報酬というものを適正に評価して価格の中に繰り入れるということがきわめて大切な問題であり、困難であろうとおっしゃるけれども、実はもう政府も実現をいたしておりまするので、御了解を願いたいと思います。
○丹羽(兵)委員 関連して……。 ただいま価格の問題について御説明、御答弁がございましたが、いずれにしても、農産物に対する価格の問題は大へん重要な問題である。それで、私は、農村議員といたしまして、先ほど北山さんからの御答弁のうちに、政府が閣議決定をして、米の統制、いわゆる食管法をやめる、近く間接統制の方向に持っていきたい、こういうふうな閣議決定をいたされたということは、これは、ひとり食管法の存置の問題でなくて、現在においても、農村としては、また農民としては大へんな問題である、そういう意味から、私は与党でございますが、政府がさような閣議決定をしておるとするならば、私どもは聞き捨てならぬことでございます。そういう点、いつの閣議決定でなされておるか、先ほど御説明のうちに申されましたので、まことに恐縮なお尋ねでございますが、この点承らしていただきます。
○北山議員 われわれの手元に配付になっております経済企画庁の「国民所得倍増計画」、この目次のところに、「国民所得倍増計画に関する件(昭和三十五年十二月二十七日閣議決定)」、こういうふうに印刷してあるのです。そして、ずうっとこの計画があるわけですが、その中の四十一ページの下のところに、「政府の誘導政策のあり方」として、「第二に、外国為替については自由化を積極的に進め、米については直接統制を廃止して間接統制にきりかえるものとする。これらの間接統制は、経済安定を維持するうえに基礎的問題を含んでいるため、自由機構の例外措置として、こんご相当の期間必要となるであろう。」、こういうふうに明確に書いてあるのです。だから、私は、こういう資料を政府からもらっておりますから、この通りに申し上げておるのであります。
○丹羽(兵)委員 ただいま、北山さんから、私どもの手元にもありまする経済企画庁から出したそのものについての御説明をいただきました。なるほど、こうした印刷物は配付されておりまするが、新聞あるいは国会等でもよく御存じになっておりますように、こうした委員会なるものの方針、企画庁なるものの方針はこうした方向で進めたいということで書いて出しておるわけであります。しかし、閣議決定はしていないということを私どもは承知しておるのでありますから、ただいま閣議決定したというお話がありましたが、私はさよう承知しておりませんので、(発言する者あり)一応申し上げておきます。
○北山議員 今朗読しましたのは、この印刷は社会党で作ったのじゃないのです。経済企画庁で作って、われわれに参考資料として配付になっているものであります。その中に、はっきりと、目次のところに何月何日閣議決定と書いてあるのです。それが間違いであるとするならば、これを政府は直さなければならぬ。われわれはその政府が配付された資料によってものを判断するのであって、これによって私の意見を言っておるわけであって、決して間違ったことを言っているのじゃない。これがもしもお話の通りに間違いであるとするならば、政府を呼んで、そして、これがうそであるかほんとうであるか、はっきりしてもらいたいと思う。
○丹羽(兵)委員 社会党では閣議決定したと認めておられまするが、私どもはそう考えておらない。(「それは重大問題だ片偽文書じゃないか」と呼び、その他発言する者あり)真偽を確かめていただく必要がある。(「政府を呼べ」「理事会を開け」と呼び、その他発言する者、離席する者多く、議場騒然、聴取不能)……御相談を願いたいと思います。 〔「理事会を開け」「休憩しろ」「総理大臣、農林大臣が出られなければ、官房長官でもいい」「暫時休憩して理事会を開け」と呼ぶ者あり〕
○坂田委員長 暫時休憩いたします。 午後二時五十二分休憩 ————◇————— 午後四時三十五分開議
○坂田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 農業基本法案に対する質疑を続行いたします。角屋堅次郎君。
○角屋委員 池田総理が御出席になりましたので、先ほど来問題になっておる点につきまして質疑を申し上げたいと思います。 実は、御承知の通り、本日は、私どもが数年間苦労して今次国会に提案をいたしました農業基本法の問題について、従来かつて先例のない、野党側の農業基本法に対して与党の方々が一日かけて本日第一日目の質疑を尽くされる、こういうことに対しては、私どもも心から敬意を表しておる次第でございますが、たまたま、この審議の経過の中におきまして、先ほど来自民党の藤田委員、それに関連する丹羽委員の質問に関連をいたしまして、これからの食糧のうちで特に重要な米の問題について今後どうするかということについていろいろ質疑の中に、所得倍増計画の問題が出て参ったのであります。そこで、「国民所得倍増計画」として昭和三十五年十二月二十七日閣議決定としてわれわれに責任を持って配付されておるものの第三部の「民間部門の予測と誘導政策」、そのうちの第一章の「民間部門の地位」、その第2項の「政府の誘導政策のあり方」、この第二のところに、米の問題について触れておるわけであります。この事実に基づいて、北山委員の方から藤田委員の質問等に対してお答えをしたわけでありますが、その問題がたまたま閣議決定の問題と関連をしていろいろ紛糾をいたしました。この際、この問題について、「国民所得倍増計画」というものはすでにわれわれに昭和三十五年十二月二十七日閣議決定ということで政府の方から責任を持って資料として配付をされておるわけでありますけれども、この問題について総理からまず経過をお伺いしたいと思います。
○池田(勇)国務大臣 政府で決定いたしました所得倍増計画の中に、「米については直接統制を廃止して間接統制にきりかえるものとする。」という言葉がございます。これは、たびたび私申しておりまするごとく、お配りいたしましたる資料の一番前に、「政府は、別冊「国民所得倍増計画」をもって、昭和三十二年十二月十七日閣議決定の「新長期経済計画」に代えるものとするが、今後における経済の運営にあたっては、内外経済の実勢に応じて弾力的に措置するものとし、とくに、別紙「国民所得倍増計画の構想」によるものとする。」と、こう書きまして、これは、一応、企画庁における諮問段階の所得倍増計画の答申と、全体を計画として決定しておるのでございます。個々の内容につきましては、われわれは時間があればこれを変えるつもりでおったのでございますが、何分にも時間がない関係上、これは全体としての指針としてきめるというので、その内容につきましては「構想」によって弾力的にやると言っておるのであります。従いまして、こういうことはございまするが、たびたび答えておりまするように、私は、米の直接統制を撤廃する気持は今ないのでございます。だから、それならばこれをなぜ書いたかというと、これは一体として答申されたものでございますから、一応全体としてこれを決定する、こういうことでございます。内容につきましては「構想」によっていろいろ変えていく、こういう考え方でございます。
○角屋委員 まず第一に順序を立ててお伺いをいたしたいと思います。われわれに配付されております「国民所得倍増計画」というものは、ここにもありますように、昭和三十五年十二月二十七日正式閣議決定という形においてきめられたものであるかどうかをお伺いいたしたいと思います。
○池田(勇)国務大臣 全体としてこの計画でいくということをきめたものであります。
○角屋委員 先ほど来の委員会における質問の中では、閣議決定であるかどうかということについても少し問題があったようですけれども、総理の答弁で、全体としてはこの所得倍増計画は閣議決定になっておるということは明らかになったわけであります。しかも、御承知の通り、今度の国会には政府の方からも農業基本法を中心にして農業関係の諸法案が出されてきておる。そういう意味で、農政問題は一つの重要な項目として国民から注視され、特に農業団体や農民関係からは注目の的に相なっておるわけでありますが、そういう際に、農政関係の重要な項目でありますところの米の食管制度の問題がどうなるかということについては、農民や農業団体から異常な関心が持たれておることは御判断の通りであります。そういう際に、ここにもありますように、はっきり、「政府の誘導政策のあり方」として、第二の項に、「外国為替については自由化を積極的に進め、米については直接統制を廃止して間接統制にきりかえるものとする。」、こういうことを明言しておることは、食管制度を維持する、あるいはまた直接統制を間接統制に切りかえないというふうな考え方が当面の政策とあっても、将来の方向としては、いわゆる政府の誘導政策の方向としては直接統制を廃して間接統制に持っていくのだということだけは、池田総理の考え方としてははっきりしておるわけでございましょう。
○池田(勇)国務大臣 たびたびお答えしておるように、私はそういう考えは持っておりません。これは私の口から申し上げておきます。
○角屋委員 これは、池田総理にお聞きしたいのですが、さしあたってそういう気持がないということと、将来展望としてそういう方向に持っていくということとは、おのずからこれを区別して考えなければならない。政府が一枚看板にしておった国民所得倍増計画の中で、しかも従来から見て農政の重要な根幹である食管制度の問題について、明らかに政府の責任において直接統制を廃して間接統制に切りかえるということを閣議決定しておきながら、しかもその総理である池田総理がこの問題について全然考えてないというのは、矛盾撞着もはなはだしいと思う。当面の問題として直接統制を間接統制に切りかえないということは、これは池田総理の答弁としてあり得ることだと思う。しかし、重要な誘導政策の項目の中で第二項にこのことをうたっておるということは、私たちはきわめて注目しなければならぬと思うのです。従って、私がお聞きしたいのは、政府がこれからやっていく誘導政策の中で、農政部面の重要な根幹である食糧管理制度については、米の問題は直接統制を廃して間接統制に切りかえていく、この誘導政策だけは方向として間違いないというふうに思うのですが、いかがでございましょう。
○池田(勇)国務大臣 個々の問題について閣議決定しておるのじゃございません。この計画を全体として閣議決定をしたのでございます。従いまして、この中におきましても、われわれは、たびたび言っておりますように、行政投資が一兆円では少ない、——はっきり言うと少ないのです。こういうふうに、どんどん変えていきます。従いまして、「構想」としてまず先に掲げて、一応全体としては閣議決定したけれども、具体的の問題につきましては「構想」としてやっておるわけであります。だから、初めにカバーリングをかけております。カバーしておるわけです。私は、こうお考え下さればいいと思いますと。いろいろな委員会の席でございますから、いろいろなことが出ておりますが、われわれは、それを一々消し、加えるというのではなしに、全体としては一応閣議決定いたしますが、内容の点に至って、われわれの意に満たぬところ、われわれのとらざるところがございますから、「構想」として前に書いておるのでございます。そう御解釈下さればよろしいと思います。
○角屋委員 この条項は、文章で全体的に書いてあるうちの枝葉末節の問題ではないのです。農政の歴史から見ても、価格政策上あるいは農業所得の部面から見ても、農政の根幹をなす制度の問題なんです。この制度の問題について、しかも政府の誘導政策の中で第二の項でこの問題に触れておるということはきわめて注目しなければならぬのです。今日新しい農業基本法が出される場合にも、一体これから食糧管理制度をどう持っていくのか、こういう点については、御承知のように、農林漁業基本問題調査会の答申の中でも、米の価格と管理という中でいろいろな内容のものが指摘されておるわけです。時間の関係上これらの詳細については触れませんけれども、こういう内容から見ても、農業所得の中で今日約半数近くを米作で持っておる今日の農家の実態から見ても、食糧管理制度あるいは米価の問題、こういうものをどういうふうな方向に持っていくかということは、農民としてはきわめて関心の深い問題である。そういう問題が文章全体の中で出てくる。枝葉末節の問題ではなしに、農政の根幹に触れる問題である。しかも、政府の誘導政策の中で、はっきり第二項で、重要な問題として、直接統制を廃止して間接統制に切りかえていくということをうたってあることについて、総理が責任を持って閣議を主宰されて決定されたということであるならば、総理として、これは方向としてはこういうふうに持っていくのだけれども、それをいつやるか、こういうことについては弾力的に考えたいということならばわれわれもいわゆる政府の政策として了承するにやぶさかではありませんが、間接統制に切りかえていくのだということそれ自身を否定しながらこういう重要な問題について閣議できめられたこと自身、不用意じゃありませんか。
○池田(勇)国務大臣 そこで、カバーリングをつけまして、考え方はこうだ、全体として閣議決定するのだ、内容の個々の問題につきましては変わることがあるという構想を述べておるのであります。だから、そういうふうにどこが変わるかという問題につきましては、一々皆さん方に御相談いたしましてやるのでございます。これは一応の指針として全体として閣議決定しておるのであります。個々の問題につきましては、予算案なり法律案ではっきり皆さん方と御相談いたしたいと思います。
○角屋委員 この問題については総理大臣にお聞きしたいのですが、直接統制を廃止して間接統制に切りかえるというこの考え方そのものについては、総理大臣はこの方向を全体として了承されるのですか、このことには反対だということなんですか、いかがでしょう。
○池田(勇)国務大臣 これは、もう、今国会におきましても前国会におきましても、常に私は、直接統制を続けていくということをはっきり申し上げております。
○角屋委員 それならば、なぜ、こういう重要な事項を閣議決定という全体の方向の中でしかも政府の誘導政策の重要な項目の中で明らかにしたのでございましょう。食糧管理制度については再検討しなければならぬということを書いておるのならばこれは別問題でございます。しかし、食糧管理制度については再検討しなければならぬということを書いておるなら別として、誘導政策の方向として直接統制を廃止して間接統制の方向に持っていくということを明らかにしたことは、これはやはり誘導政策の性格を明瞭にしておるわけなんです。従って、これに対して総理自身が反対であるならば、この条項は削除すべき問題であろうと思います。であるにもかかわらず、こういう重要な問題をはっきりここに書き、しかも全体として閣議ではそれをきめたのであるということならば、方向としてはその通りと考えておるけれども、運営の問題としてはやはり諸般の情勢を考えて弾力的に考えるのだ、こういうのが私は政治家として正しい答弁のあり方だと思うのですが、いかがですか。
○坂田委員長 静粛に願います。
○池田(勇)国務大臣 所得倍増計画の委員会の答申といたしまして、答申を全体として閣議決定したものでございます。内容その他につきましては今後変えていくことがあるということを私は申し上げておきたいと思います。
○石田(宥)委員 関連して、ちょっと総理に伺います。 ただいま答弁をお聞きいたしておりますと、ただ一つの問題が偶然に出てきたのではございません。二千万円という経費と一年有半を要して作られたところの答申というものがあります。その答申に基づいてさらに経済企画庁がこれをきわめて端的に表現をしておるのであって、偶然出てきた問題ではないのであります。そして、国の所得倍増計画ときわめて大きな関連を持つ全人口の三九%も占める農民の農業所得の中の五〇%を占める米の所得、そういう重大な問題について、答申に基づいてさらにこれが所得倍増計画の中に明記されておる問題について、総理が先ほど、だから冒頭にただし書きをしてある、こうおっしゃるけれども、こういう大きな問題にそのような変更を加えられるということであるならば、閣議決定というものの政治に及ぼす影響というものは国民は非常に大きくかつ重く見ておる問題でございますので、これは早急に全面的に改定をされて、池田内閣の所得倍増計画というものに対する国民の認識を改めさせなければならない問題であると私は考えるのでありますが、閣議決定というものの及ぼす影響の重大さにかんがみまして、これを全面的に再検討をされる用意があるかどうか、一つ伺っておきたいと思います。
○池田(勇)国務大臣 今後の問題といたしましては検討いたしまするが、ただいまのお答えといたしましては、この閣議決定というものは、全体として一つきめていこう、こういうことでございまして、内容につきましては今後いろいろ違っていくものと思います。
○石田(宥)委員 問題は国民の生活に直接結びついた問題なのでありまして、形式や総括や、そういう問題ではないのです。ですから、国民の日常生活に直結する重大な問題について間違ったものを出しておる、こういう不用意なことが次々と行なわれるとすれば、これは内閣の威信に関する問題だと思う。ことに、所得倍増計画というものが池田内閣の中心的な課題である。それがまた国民の信を大きく得ておるところの重大なポイントの一つなんであります。でありますから、軽くこれを扱ってはならないと思う。従って、こういう重大な問題については、当然再検討をし、さらにこれを国民に明らかにする責任があると考えますが、いかがですか。
○池田(勇)国務大臣 そこで、私の口からたびたび、御質問のある前から私は言っておるわけでございます。私ばかりでございません。所管の農林大臣も、あるいは企画庁長官もはっきり言っておるのでございます。これをもって御了承願います。 なお、従来の例から見ましても、今度置きかえます前の三十二年に決定した新長期経済計画、これもこの通りいっていないということは御承知の通りであります。これは全体の指針として一応決定した、こういうことで御了承願いたいと思います。
○石田(宥)委員 そのことだけなら私どもは了解できないことはないのです。ところが、大麦、はだか麦をはずすということも総理の口から聞いておりますけれども、大麦、はだか麦をはずすような一切の手続を事務当局がやったのは、閣議決定に基づいて農林省が作業をして実現しておるのです。ですから、米の統制を間接統制に移し、これをはずすようにするというこのことは、もうすでに閣議決定に基づいて一部は実現をしておる。それだけに、今度はまたこれを米にやるという意向を明言した以上、総理の口からたびたび答弁がありましても、私どもは了解をいたしかねる問題なんです。ですから、私どもはこの点をやかましく申し上げておるのであります。閣議決定というものの政治的な影響力、これを十分御考慮願いたいと思います。
○坂田委員長 静粛に願います。
○池田(勇)国務大臣 従来の例からごらん下さっても、委員会の答申を一応全体として決定しておきまして、具体的の問題につきましては、それより違った場合も多いのであります。それが政治であると思います。従って、今回におきましては、特に「構想」というものを前に書きましてやっておるし、説明につきましても、たびたびそういうことを私は申し上げておるのであります。一応これを決定しておきますが、この「構想」によってやるのだ、こう書いております。しかも、その「構想」によってやる場合におきましても、随時法律案、予算案であなた方に相談する。こういう個々の問題につきましてはまだいろいろな点があると思いますが、全体として一応閣議決定した、そして「構想」によってそれを改める、こういうことにいたしておるのでございます。そうお考えいただきたいと思います。
○坂田委員長 五時までにお願いしたいと思いますが…。
○角屋委員 ただいまの食糧管理制度そのものに対する問題は、今次国会においても予算委員会等でいろいろ追及がされた際に、総理の御答弁を見てみますと、当分の間、あるいはしばらくの間とかいう言葉が入って、食糧管理制度を維持する、こういうふうに私どもは議事録を通じて見ておるわけです。従って、そういう予算委員会等における答弁の中身、そしてまた今日の所得倍増計画の中で今問題になっておりますところの直接統制の廃止、間接統制への切りかえ、こういう問題と結びつけて考えてみる場合には、総理の考え方としては、ここで述べておるような政府の誘導政策としてこういう方向に持っていくということはちゃんと考えておられて、そして、やはり政治的な影響とかいろいろなことで、今われわれがこの問題は非常に重大であって総理の真意を聞いておる際には、その点には直接触れられずに、当面の問題を中心にしてこれを切り抜けられようとするというように感じられますが、その点いかがですか。
○池田(勇)国務大臣 何百年先のことまでは言えません。しかし、当分の間ということは、私の内閣ではやらぬということははっきり私は申し上げておきます。 〔「そういう人を侮辱した話はない。百年、二百年の話をしているのではない」と呼び、その他発言する者あり〕
○坂田委員長 静粛に願います。
○角屋委員 今の総理の御発言はちょっと不謹慎です。国民所得倍増計画でも、やはり十年というところに前提を置いて、そしていろいろなことが書いてあるわけです。われわれは、今総理が比喩的に言われたそういうことで問題にしておるわけではない。非常に軽率不謹慎な表現だと思います。この十年間にどうするという構想の中で、政府の国民所得倍増計画で言っておるその中身の中で、私どもが農政国会の中で農業基本法の問題を論ずるときに食糧管理制度というものは非常に問題になる。皆さんも問題にしておられる。農林漁業基本問題調査会でもこの問題についていろいろ意見を述べられておる。この問題について、所得倍増計画の十年の間にどういう展望を持つのか、ここ一、二年の問題ではなく、十年の間にどういう展望を持つのかという際に、政府の責任においてきめられた閣議決定の中で、十年の展望の中で、直接統制を廃止して間接統制に切りかえるのだ、こういう誘導政策に基づいてこれからの施策をやっていくのだということについては、責任をもって閣議できめられた以上は、はっきり総理としてもお答えになるべきだと思います。ただ時期的に早くなるかおそくなるかという問題はあっても、十年の間にこういう誘導政策をやっていくのだということだけについては、やはりそう考えておるのだというようにお答えになるのが、責任ある政治家として当然だと思いますが、いかがでしょうか。
○池田(勇)国務大臣 池田内閣ではやりません。そういう直接統制をやめるという考えは私は今持っていない、こう申し上げて、おわかりいただけると思います。
○坂田委員長 五時までにお願いします。
○角屋委員 それならば、御承知のように、食管制度の中には米の問題ばかりではなしに麦の問題もあるわけです。大麦、はだか麦については、食管制度があるにもかかわらず、別の特別措置法でもって実際に食管法の重要な一部を骨抜きにしようとしてきておられる。食糧管理制度というものについてあくまでもやっていくということであるならば、この法案を撤回されたっていいじゃないですか。いかがですか。
○池田(勇)国務大臣 食管制度全般にわたって一切手をつけぬとは言っておりません。今問題の米につきましては、今の直接統制を私はずっと続けていきます。(「麦はどうした」と呼ぶ者あり)ただ、大麦、はだか麦につきましては、経済事情、生産事情がいろいろ違ってきておりますから、あなた方に、こうしたらどうでしょうかということを御相談申し上げておるのであります。
○角屋委員 今向こうの方からお話しのように、食糧管理制度というものは、現実に大麦、はだか麦について今度の特別措置法によって大部分が骨抜きになる。先ほど石田委員も言われたように、やがて、今後の推移としては、農業所得の重要な根幹をなしておる米の問題についても、麦と同じ方向で考えようとする、そういう判断をするのは、これは自然の推移だろうと思います。そういうことについてわれわれは心配を持ち、そういうことをやるんじゃないかと思っておるときに、閣議決定で責任を持ってきめられたことの中に、直接統制を廃し間接統制に切りかえるということがあるのだから、これはやはり非常に重要な意味を持っておるし、私どもとしては問題にせざるを得ないのであります。池田内閣としてはやらないということは、これはあり得るだろうと思うが、池田内閣が十年も続くわけではありませんけれども、しかし、池田内閣の責任において十年間の展望を持つ場合においては、直接統制を間接統制に切りかえるということについての方向は認めておられるということは、私はやはり明らかであろうと思う。方向だけはあなたも認められるし、十年間にそういう方向に誘導政策として持っていきたい、こういうことについては、それは持っていきたいだろう。しかし、それをいつやるとかというようなことについては、これはやはり慎重に考慮しなければならぬと思うのです。
○池田(勇)国務大臣 そういうふうに誘導しようとは思っておりません。それで、閣議決定とおっしゃっても、全体として決定しておるのでありまして、個々の問題については、「構想」にありますごとく、弾力的に考えていく。しこうして、米の問題についてどうするかというたら、これはいたしません、こういうことであります。
○角屋委員 ただいままでの総理の答弁では、私どもは了承しかねます。ただし、本会議の開会の時間等もありまして、本日この問題でさらに追及するということは、これは時間的にもできないわけであります。しかし、先ほど来質問しており、また総理が出られる前に本委員会でいろいろ質問した過程でも、与党の諸君の中だって、そういうことが閣議決定になっておるのかどうかということさえ出てきた。今の総理の答弁で、全体としては閣議決定になっておるということは明らかですが、ただ、私どもが非常に重要視しているこの問題については、総理は何かこれを否定されるような意見を述べられるけれども、それならば撤回しなさいということになると、これも端的に言われない。でありますから、この問題については私どもは今までの総理の答弁では了承しかねますけれども、いずれ本委員会はさらにまた総理の出席を求めて総括質問等をやる機会もございましょうから、そのときに私どもはさらにこの問題について追及することにいたしまして、本日は、了承しかねる、将来に問題を残すということで、私の質問を終わりたいと思います。
○坂田委員長 次会は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。 午後五時四分散会