決算委員会 第17号
- 発言数
- 127 件
- 登壇者
- 11 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1961/04/05
会議録
○荒舩委員長 これより会議を開きます。 日本、原子力研究所の会計に関する件、特にCP5型原子炉購入の問題について、調査を進めます。 本委員会は、目下国費の効率的使用及びその経済的効果に重点を置き、決算審査を行なっておりますが、先般の科学技術庁の決算審査において、CP5型原子炉の購入及びその後の試験研究の実績、安全性等について、種々疑問の点が生じて参りましたので、本日は、原子炉の購入に関与せられ、また、現に研究に携わっておられる方々に参考人として御出席を仰ぎ、実情を聴取することと相なった次第でございます。 御出席いただきました参考人は、菊池正士君、駒形作次君、嵯峨根遼吉君、藤岡由夫君、安川第五郎君の五名でございます。 各参考人におかれては、御多用中にもかかわらず、本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございました。厚くお礼申し上げます。どうか本問題に関し、忌憚のない御意見の御開陳をいただくようお願いいたします。 なお、参考人よりの意見聴取は、委員の質疑において行ないたいと存じますので、さよう御了承願います。 質疑に入ります。質疑の通告がありますので、これを許します。木村公平君。
○木村(公)委員 先日来、本委員会におきまして、第二号実験原子炉の問題が、いろいろな点から当局に対して質疑の形で疑問が解かれつつあったのでありますが、まだ究極的には釈然としない点がありますので、当委員会においても、国政調査の一環といたしまして、国民の血税であります国費の——原子力研究所は、九〇%は国費でございますので、国費の使用に正鵠を得ておったかどうかにつきまして、今日おいでの参考人の方々を通じて、若干お聞きをいたしたいと思うのでございます。 第一にお伺いいたしたいと存じますのは、この第二号実験炉は、伺うところによりますれば、原子力研究所が邦貨でおよそ五億円の国費を投じて導入したものと言われておるものであります。まず、その点について研究所の当局からお伺いいたしたいと思うのであります。邦貨五億円をもって導入されたということでございますが、さよう間違いございませんか。
○菊池参考人 原子炉本体としては、そうでございます。
○木村(公)委員 原子炉は、五億円するというのですか。
○菊池参考人 そうです、付属建屋やその他実験器具を除きまして……。
○木村(公)委員 私どもはしろうとでわかりませんが、CP5といわれる原子炉の購入契約がなされたのは、日本原子力研究所と米国のAMF社と三十一年十一月十五日にニューヨーク市において契約締結したと聞き及んでおるのでありますが、さようでございますか。
○安川参考人 私の記憶では、間違いないと思っております。
○木村(公)委員 資料はございますか。
○安川参考人 資料は、研究所にはあるはずです。
○木村(公)委員 記憶において間違いがないとおっしゃるのですから、これを是認されたと存ずるのでございますが、原子の火がついたのは、いつごろでございますか。
○菊池参考人 火がつきましたのは、昨年の秋でございます。日にちははっきり今覚えておりません。
○木村(公)委員 そういたしますと、三十一年の十一月に契約がなされて、品物がこちらへ送られて、組み立てを終わって、点火したのは、実に三十五年の多分秋だとおっしゃるのですが、これは十月だと、私の方は調査をいたしておるのでございます。十月だとすると、予定よりおくれておるのではございませんか。
○菊池参考人 約二年おくれております。
○木村(公)委員 おくれました主たる原因というものは、あなた方委員会の専門家からごらんになって、どこにございますか。
○菊池参考人 いろいろとございますけれども、一番大きい原因は、外国から参りました熱交換器が、一部不足がございまして、それを送り返して作り直した。それが一番大きな原因でございます。そのほかにも、いろいろな部品で、一度できましたものをまたかえなければならない点もございました。ですから、その熱交換器だけではございませんが、そういうことが重なりまして、おくれた次第であります。
○木村(公)委員 契約当時において、アフター・サービスの期間は、およそ何年になっておったのでございますか。
○菊池参考人 契約の日から発して、その確実な数字は覚えておりませんが、契約発効の日から三十カ月か、あるいはでき上がってから百八十日というような、二通りの契約がございまして、それの早い方ということになっておりました。
○木村(公)委員 そうしますと、ただいまのお話を伺っておりますと、品物が日本へ届けられてから、部品の不良があってそれを取りかえたりいろいろして、二カ年おくれた。そうして国家に損害を与えたのだが、しかも、その契約当時の保証期間を定めるにあたって、定め方がルーズであるとは申し上げませんけれども、定めた方によってアフター・サービスの期間もすでに経過してしまって、不良であったことに気がついたときには、もはや保証を得ることができなかったという意味に受け取ってよろしゅうございますか。
○菊池参考人 それは多少違います。熱交換器も、結局向こうで無償でかえてくれました。その他すべて不良の部分はかえまして、保証期間も、完成しましたときは切れておりましたけれども、さらにそれから二カ月延長されまして、その保証期間が切れたのが、本年の二月十四、五日だったと思います。ですから、その保証期間延長の交渉をこちらからすぐいたしまして、完成後も、なお約二カ月の保証期間を得たわけでございます。
○木村(公)委員 契約当時の日本には、実験原子炉の良否を正しく判断する技術も、知識もなかった。そこで一般の入札方式によって、疑問があったけれども契約したんだというようなことが、桂岡いわれておるのでございますが、当時の日本の技術の面のことは私どもはわかりませんが、当時の日本におきましては、設計技術の面におきましても、知識の面におきましても、原子力技術はきわめて幼稚であって、とうてい契約にあたって良否の判別ができないような程度の技術水準だったのでございますか。
○駒形参考人 CP5の契約は、今菊池参考人がおっしゃったような式になっております。その前に作りましたウオーター・ボイラー第一号研究用の炉、これの契約におきましても、全くそれと同じような工合になされておるのであります。このことは、結局その当時アメリカがほかのところと契約を結びます場合に、そういった形においてすべてやられておったことを意味するのでありまして、CP5におきまして、特別そういう点を投げてやったのではございません。私ども、できるだけその点につきましては、向こうと話をしましてやったわけでございます。そうして今のように、たとえばおそくなりました、原因が、炉を作りますメーカーの方にもあるというようなことでありますので、その期間を延長することを交渉をいたしたわけでございます。それが、ことしの二月の半ばごろまで延長するということに話がなったという次第でございます。
○荒舩委員長 元原子力委員でございまして、埼玉大学の学長の藤岡参考人は、学校の都合で、午前中だけしかおられないそうですから、藤岡さんに御質問があれば、なるべく午前中にお済まし願うように注意をして下さい。
○木村(公)委員 それでは藤岡先生にお伺いした方がよろしいかと存じますが、当時の状況では、この第二号の実験原子炉の購入契約をしようというときに、米国のゼネラル・エレクトリック会社、ノース・アメリカン航空機製作会社などが非常に日本への売り込みを希望した。ところが、出力が五千キロ以上のものはできないからというので、あまり名もないAMFという会社と契約されたということも、巷間伝わっておるわけです。ところが、その一万キロ出るというものを持ってきてみると、今ようやく苦心に苦心を重ねても、まだ一千キロも出かねておるような状態である。じんぜんと日は経っておる。しかも、日本のその方面の知識では最高の水準にあられる藤岡先生も、原子力委員会の長として参画されておられる。そこで私は、先ほど来、契約当時の日本には、原子炉の設計の良否を正しく批判する原子炉の知識も技術もなかったのではないか。なかったとするならば、私どもはあえて責任を追及しようとしないのです。なかったにもかかわらず、あったような顔をして、そうしてこういう莫大な国費を投入して契約するというようなことが、もしもなされたとするならば、それは国民に対する一種の欺瞞なので、事実は良否の判断をする知識も技術もない。けれども、とにかく一ぺん買ってみようというので一この原子力研究所というものは、公社、公団と同じく、九〇%以上が国費なんです。国民の血税ですべてがまかなわれていると申し上げて岡迷いはないのでございますが、その国税を外国に流す、国税でもって外国から品物を買おうとする場合には、それが実験炉であろうとなかろうと、慎重な態度でもってこれを扱っていただかなければならぬことは、申し上げるまでもない。ことに藤岡先生は、日本における当代の良識の最高の方であり、しかも原子技術については、われわれの最も敬服もし、最も尊敬もし、最も自慢にもしておる方ですが、この藤岡先生が参画しておられながらも、なおかつこのような誤りが出たということは、私どもは不思議にたえざるところです。従って、面子として言いにくいことかもしれませんけれども、その当時、実は著名な学者がいろいろおるが、まだ、日本には原子炉の技術も知識もなかったのだということをここではっきりしていただきますれば、おのずから責任の限界等について、われわれ判断ができると思うのでございますので、藤岡先生から、その当時を御回想下さいまして、今日に及ぶ原子力の技術について、一つお伺いをしてみたいと思います。
○藤岡参考人 ただいまの御質問は、日本の当時の技術が、その設計等の真否について判定し得なかったかということでありますが、遺憾ながら、当時まだ日本では原子炉を作ったことはございませんので、日本の技術ではこれを判断することはむずかしかったと思います。いろいろとアメリカその他にも聞きまして、それで判断をするはかなかったわけでございます。また、CP5を英米に発注するにつきましては、いろいろ意見がございましたが、当時、原子力研究所といたしましては、種々の過程を経て御決定になったものかと存じます。
○木村(公)委員 ただいまの藤岡先生のお話によりますれば、当時の日本の原子炉技術に対する状況は、まだ原子炉を作ったこともないので、万全の知識があるとは言い得ないのだというお話でございましたが、もしもそうでありますれば、この第二号原子炉の問題は、これはおのずと攻撃する場合にも、その攻撃には限度があると思います。従いまして、その過去を追及いたしますよりも、むしろこれを一つのいい例といたしまして、今後はかような、いわば失敗と申しますか、失敗を繰り返さないように、藤岡先生あたりの最高の技術者の指導よろしきを得て、国家のために、世界のために、一そう御健闘あらんことをお願いして、私の第一次の質疑は終わりたいと存じます。
○荒舩委員長 質疑の通告があります。続いて勝澤君の質疑を許します。勝澤君。
○勝澤委員 私は、藤岡先生お早くお帰りの御様子でございますので、特に藤岡先生を中心にお尋ねいたしたいのですが、このCP5の原子炉の決定が、三十年の十一月の原子力利用準備調査会においてなされて、三十一年の一月に入って原子力委員会で決定された、こう聞いておるのですけれども、この辺の経過を少しお尋ねいたしたいと思います。
○藤岡参考人 日本で原子炉をどういうふうに作ろうかということを利用準備調査会できめましたときに、まずウオーター・ボイラー、今日の第一号炉というものを購入することを決定いたしました。そのおもな理由は、わが国は、原子力基本法の第一条、第二条によって、秘密のないこと、公開ということに非常に重きを置きました。その当時の情勢といたしまして、原子炉の中に入れます燃料の作り方については、かなり秘密が保たれておったのでありますしそれで、ウオーター・ボイラーは、燃料が液体の形でありまして、これには秘密も何もない。そういう意味で一番簡単なものであるということで、まず第一号炉はこれにしましょうということで、一番先にきめられたのであります。それから国産鹿一号炉といわれている、目下建設中のものでありますが、これも最初のうちは、日本ではやはりすべてのものを国産でやろうという論が非常に強かったのであります。当時、日本では、黒い鉛よりも重水の方に希望が持たれたものでありますから、軍水を作って国産で作ろう。最初は出力もごく小さなものの予定でありましたがとにかく最初国産で作るということをきめたのであります。その後、原子力利用調査団が派遣されまして一その時期は、今記憶でございますので、多少食い違うところがあるかもしれませんが、原子力利用調査団が派遣されまして、これが外国の事情を見て戻って参りました。そうしますと、国産炉として作ることを予定しておりました当時、初めて考えておりました千キロ、二千キロというのでは、とうてい世界の進歩の情勢に追いつかない。それで、これを一万キロにしようというので、一万キロの国産炉を作ることに計画を変更いたしました。それから、これはまだ相当ひまがかかりますので、ウオーター・ボイラーのあとで、なおもう一つ原子炉を購入しようではないかということになりまして、そのときにCP5は、当時原子力調査団の見て参りましたところによりますと、非常に性能の高い、能率のいいもので、いろいろな研究ができる。そこで、これを二番目に購入するのがいいのではないか、こういうふうに、委員会のできる前において決定したように記憶しております。
○勝澤委員 そうしますと、CP5型をきめたときには、そのあとでもう次の炉は出力のいいものを作ろうという考え方——CP5型をきめたときには、一万キロというものは条件としてきめられたのでしょうか。
○藤岡参考人 当時、CP5というのは、シカゴの近所のアルゴンヌという研究所で作られたものでありまして、これは五千キロでございます。日本では、なるべく出力の高い炉ということで、それでは一万キロまでできないかという希望も実は持ちました。ただ、これを条件として、一万キロでなければならぬということを申しましたかどうかは記憶いたしませんが、今私考えましても、もしどこのメーカーも一万キロはできない、五千キロしかできないというならば、これは何ともやむを得ないのではないかと思っておりまして、一万キロ作るというところがあれば一万キロを作らせたい、こういう程度であったように記憶しております。
○勝澤委員 そうしますと、このとき原子力委員会では、CP5型をきめた。出力については一万キロが出れば望ましい、こういう程度であった、こういうことになるのですか。それとも、それは絶対的な条件ではない、こういうことなんでしょうか。その辺をもう少し……。実はこの問題のポイントというのが、一万キロが絶対的な条件だということで、一万キロの出力を保証したのは、実はAMFしかなかったわけなんです。ですから、その点がAMFをきめた一番大きなファクターになっているように、私たちは今まで審議をした中では言われてきておるのですから、その辺をもう少しはっきりおわかりになりましたら、教えていただきたいと思います。
○藤岡参考人 当時の非常にはっきりしたことを申し上げますと、これはどうも原子力委員会に記録がございますれば、それによるほかはないのでございまして、私のはすべて記憶でございますが、とにかく一万キロが望ましいというので、入札を求めました際にも、その一万キロということがうたわれております。一万キロで、燃料も二〇%の濃縮ウランということが言われておって、ただばく然とCP5型の入札をしたのではないように記憶しております。
○勝澤委員 原子力委員会と、それから原研の理事会の議事録が出ておるのですが、その中では、実はCP5型をきめたということだけになっておって、出力の点については明確に書かれていないのですが、その点どうなんですか。
○藤岡参考人 原子力委員会並びに利用準備調査会としては、一万キロということをはっきりきめたことは、やはりないようでございます。
○勝澤委員 そうしますと、二万キロというものを原子力委員会としてはきめたことがない。 そこでお尋ねをしたいのですが、この原子力委員会とそれから原研というのは、どういう関係にあるのでしょうか。このCP5型をきめた中では、どういうお互いの役割といいますか、立場で行なわれたのでしょうか。
○藤岡参考人 原子力委員会は、決定機関ではないので、総理大臣は勧告をすることができる、形から申せば諮問機関であるのでございます。こういう実際上の問題は、原子力研究所において行なわれまして、原子力委員会は、後にこれの報告を受けまして、そしてこれについて承認をする、そういう形をとっております。
○勝澤委員 そうしますと、CP5型を決定をしたのは原子力研究で、そして原子力委員会はそれの報告を受ける、それから閣議もそれに了解をしている、こういう筋になるわけですか。
○藤岡参考人 さようだと思います。
○勝澤委員 それでは次に、当時の理事長さんは安川さんですか。
○安川参考人 はい、そうです。
○勝澤委員 今のCP5を作るということが閣議並びに原子力委員会できめられて、それで一切をあなたの方にまかされたといいますか、そういう形になったと思うのですが、その一万キロの出力というものについては、どういう形でそれが条件として出てきたのでしょうか。
○安川参考人 私が、日本原子力研究所創立早々理事長に就任いたしましたのが、昭和三十一年の六月十五日であったと思うのであります。そのときは、この記録にもありますように、すでに研究所として第一号炉のボイリング・ウオーターの五十キロというものは、もうすでに前の財団法人時代に発注されておった後であります。それから第二号炉としてのCP5の引き合いは、すでに私が就任前の財団時代に、ここにあげられております四件のアメリカの原子炉製造会社の引き合いが出されて、各社から見積もりが提出されて、その見積もりを比較研究をして、どこに発注するか、その未決定のさなかに、私は理事長に就任したわけであります。それまでのいきさつは、直接私はタッチしておりませんので、よく詳しいことは承知しておりません。ただ提出…されたこの見積もりのうちで、AMFだけが一万キロを保証し、他の三つの製造会社は、五千キロ以上は出力を保証できないということでありました。しかし、出力は大体私の承知しておる限りでは、一万キロが絶対必要なわけじゃない。これは研究炉であって、動力炉でないのでありますから、必ずしも一万キロが絶対必要条件ではないが、しかし、もし二万キロ出し得るということになれば、研究できる範囲が非常に広がる。これでもって他の種類の炉の役目までも兼帯にやらせる便益がある。だから、できるなら二万キロ出力は望ましいことであるというふうに、私は聞いております。しかし、それがAMFに決定した唯一の条件ではないのでありまして、むしろ決定の一番大きな原因は、この価格にあるのであります。他のメーカーは、ほとんど比較にならぬほどの値段の差があって、しかも、これは予算に制限をされておるというので、でき得べくんば一番大きな会社——と言えば、この四件のうちではGEが、一番われわれ電気業者としてもなじみはあるし、会社としても最も世界的な大きな会社だから、でき得ればGEに発注したいという希望があったのですが、とうてい比較にならぬほど値段が高いのと、GEで、幾らかでもその値段の値引きということができ得れば、あるいはできるかできぬかわからぬが、何とか理由をつけて、幾らか高くてもGEに注文した方が安心だという考え方はあったので、GEに相当強硬な交渉をしたのですが、GEはがんとして、ほとんど一文も値引きはできないということで、交渉は不調に終わったわけであります。一方、AMFの方は、日本の三菱グループのメーカーとタイアップして、自分の方で責任を持つ。設計全部はAMFがやる。そうしてどうしてもアメリカでなければできない、日本で今の段階で製造不可能な部分はもちろんAMFが責任を持って作るが、その他の、何もアメリカから商い運賃をかけて持ってこなくても、設計さえあれば日本で十分製造ができるような部分は、三菱に注文をして、下請のような形で三菱にやらせるというような条件を持ってきたので、われわれは、結局一日も早く原子炉の国産化ということを目標に立てておった関係上、これは一つの国産化に対する第一歩の前進であるということに非常な魅力を感じまして、値段も一番安いし、容量も一万キロ出る、また、国産化の第一歩を踏み出すことができるというような利点を非常に高く買って、実はAMFに決定することに研究所としてはきめたわけであります。そういうようないきさつでAMFに発注をきめ、これを原子力委員会に提出してその承認を求めたのが、当初AMFにきめたいきさつであります。
○勝澤委員 原子力局長にお尋ねしたいのですが、結局、AMFにやって、総括して幾らになったのですか。見積もり合わせの段階ではなくて、最終的には幾らになったのですか。
○杠政府委員 先ほど、原研の理平長から木村先生の御質問に対してお答え申し上げましたように、今計数をここに調べてございませんが、最終的には約五億でございます。それは炉本体だけでございます。
○勝澤委員 この見積もり合わせ計に合わせたら、幾らになったかということをお尋ねしたいのですが……。
○杠政府委員 見積もり合わせば、お手元に、資料の御要求がございましたので提出してございますが、当時の価格におきまして約三億八千五百万円ということになっておりますが、その後、いろいろな原研からも注文がついております。見積もり合わせ書の段階における後、いろいろな施設を付帯的にその炉にくっつけたいという注文が出ておりまして、ただいま申し上げましたような、約五億の金額に相なっております。
○勝澤委員 今の安川参考人のお話の中で疑問に思う点は、あなたが就任されたときには、もう四社が出ておった。で、もうきめるばかりになっておったという話なのです。そうしますと、結局財団法人の原子力研究所から三十一年六月十五日に日本原子力研究所となり、これまでの問に、このCP5型というものが相当進められてきておった、こういうことがいえると思うのですが、その中で一万キロもあまり大した条件ではなかった、こういうふうな言い方をされておるのですが、そうしますと、あなたが就任をする前の運営というものは、どういうふうにされておったか。これはどなたに聞いたらいいのでしょう。
○駒形参考人 私は、財団法人原子力研究所におきまして、やはり副理事長をやっておりまして、財団法人原子力研究所の業務につきましては、私からこの際お話し申し上げた方がいいかと思います。 今安川さんからお話がありましたように、財団法人原子力研究所のときに、各所に、CP5を買うというふうな工合に決定がありましたので、聞き合わせたわけであります。そして、出て参りましたのがこのアメリカの四社でありまして、その各社から技術者が参り、いろいろ向こうの状況を向こうから提出しました書類につきまして説明があって、検討中であったわけであります。それで、この財団法人原子力研究所から日本原子力研究所に移りましたときに、その仕事はなお引き続いて移っていったわけでありまして、財団法人原子力研究所のときにどこまで、それからあとどういうふうな工合に、あとへどれだけ尾を引いているかというようなことにつきましては、どうもはっきりいたしませんけれども、ともかく、これの契約のサインができますまで、いろいろ比較研究をし、各社との打ち合わせをやり、そういう仕事を進めておったわけでございます。
○勝澤委員 そうしますと、財団法人原子力研究所というのは、原子力委員会なりあるいは閣議決定によって、CP5型を君のところでこの話を進めろ、こういう命令を受けてやられておったのですね。
○駒形参考人 日本原子力研究所といったようなものを作ろうという考えが大体あって、しかしながら、なるべく早くスタートを切った方がいいであろうというので、それの法律が通ったりいろいろなことをする前に仕事を始めようということで、民間からの金と、それから当時の原子力予算の中から金を持ってきて、財団の形を作って、そして実質的に仕事を始めていったわけでございます。でありますから、そういうことを考えて、財団法人、原子力研究所の方にウオーター・ボイラーの契約、CP5の仕事というようなものをやるというふうに進められて参ったということになるわけでございます。
○勝澤委員 そうすると、出力一万キロというのは、どこでついたのでしょうか。
○駒形参考人 先ほどもお話がございますように、一万キロでなければならないという、そういうことではなかったと私も思います。しかしながら、いろいろ交渉をやっておりまして、五千キロのところもありますが、AMFは一万キロを保証してやるというふうになっておりまして、それで、一万キロが絶対条件でないけれども、出力が多ければ非常に便利に使えることになるはずでありますから、その当時、やはり一万キロというものに魅力を感じたことは事実でございます。
○勝澤委員 私は参考人の方々は、とにかく日本における原子力については、相当権威ある方々だと思うのです。この当時の情勢において、一体一万キロというものは、日本の技術的な検討において、可能であったというふうに思われておったのでしょうか。もし、参考人の方々の中で、具体的にそれを証明される事象があったら、一つ御説明願いたい。
○嵯峨根参考人 私は、当時、むしろ英語が話せたので、交渉の方というか、英語でしゃべる方を引き受けたわけですが、もともと原子力関係の勉強をしておりましたので、従来から杉本、神原、そのいう人たちから、財団法人時代の検討の結果をよく聞いて、了解しておりました。その結果によりますと、当時一万キロということが可能であるということは、十分わかっていたわけであります。しかし、各社ともそれを保証するということに対しては、非常な疑問があった。というのは、この型で一万キロ出した経験のある炉は、まだなかった。しかし、類似の炉で一万キロ出してうまくいくという事実は、よその国でたくさんあったわけであります。そこで実際問題として、最終の交渉の詰めのときに私は参加したわけでありますが、どこに急所があったかというと、保証をとるということ、それから確かに出るという理由を持ってこいということを、一生懸命私は、英語で言ってくれという立場でやらされたわけです。もちろん判断は、自分の今までの科学的訓練によってやっていたわけであります。その結果、アメリカの国立研究所において、可能であるというふうに近い間接的証明のものを示されました。そこで、そういう研究所でそれだけのことがあるのならばよかろう。しかし、やはり保証はしてくれということを、むしろ交渉をやる人間として、最後までがんばったわけであります。各社についても、五千キロというなら、五千キロの保証を出してくれということを交渉いたしました。ところが、各社とも、保証条件というものの解釈が非常に困難であるということをよく知っているらしく、なかなかそれに応じてくれなかった。AMFの保証についても、非常な努力をした結果、やはり保証に近いことをやるということを言われたので、これは先ほどから繰り返されているように、非常に大きな魅力といいますか、決定をする一つの大きな因子になったと、私は了解しております。
○勝澤委員 嵯峨根参考人には、あとでまた今の問題をもう少しお聞きしたいと思うのですが、戻りまして、藤岡参考人に次はお尋ねしたいのですが、結局こういうことになるんですか。原子力委員会できめて、実際の仕事というものは、今言われておりましたように、財団法人の原子力研究所がそれを進めていって、そして法律改正によって、財団法人原子力研究所が日本原子力研究所になって引き継がれた、こういうふうに理解してよろしいのでしょうか。
○藤岡参考人 それはその通りだと思います。
○勝澤委員 そこで今度はAMFをきめたいきさつについてでありますけれども、たしか三十五年の十二月の暮れの新聞だと思うのですが、先生の書かれた文が載っておりました。当時、三十一年の夏ですか、南米のサンチャゴで原子科学者会議に出席されたときに、アメリカの原子力学者でありますマサチューセッツ工科大学のベネディクト教授ですか、この人の意見によって、AMFでCP5型を作ることは少し問題じゃないだろうか、そしてこの当時CP5型を作ったアルゴンヌ研究所にいた技術者はほとんどACFに行っているというようなことで、これによると、駒形副理事長に慎重だということを注意されたということがいわれておるわけでありまして、この辺のことについて、一つ経過を教えていただきたいのですが……。
○藤岡参考人 当時心配されましたことは、これが日本の国内のことでありますと、いろいろの会社の事情、どういう技術者がいるかというようなことは、大体わかります。あそこの会社には、それはできるであろうとか、できないであろうとかいうことは、ある程度判断がつきます。アメリカのことにつきましては、それがさっぱり判断がつかない。たまたまこれは、ジェネラル・ダイナミックスという会社が、サンチャゴの近所のラフォリアというところに研究所を作りました。その開所の記念として、各国の学者を集めまして、会議を開きました。正力委員長が呼ばれたのでありますが、正力さんはおいでになれなかったので、かわりに私に参れということで参りました。湯川委員も、当時ヨーロッパの帰りに立ち寄られました。そこで私は、なるべくアメリカの学者に会って、そういう会社に関する実情を聞いてほしいという依頼を受けておったのであります。それでアメリカの学者が十人ばかりおりましたが、いろいろ尋ねまして、マサチューセッツ・インスチチュート・オブ・テクノロジー、MITでありますが、そのベネディクト教授は、重水に関する権威であります。そしてその同じMITのやはり重水炉の非常な専門家で、確かピックフォードといったと思いますが、私は、この名前だけはどうも思い出せないのであります。調べればわかりますが、その二人が重水に関する権威であります。そしてベネディクト教授は、重水炉に関することはピックフォードの方が非常に専門であり、詳しいので、これによく聞きなさいということでありまして、その人ともっぱら活をしたのであります。その意見によりますと、CP5の作られましたアルゴンヌ研究所の技術者は、何かごたごたがありまして、ほとんど全部やめまして、ACFという会社に行っておる。でありますから、ACFならば必ずできるであろう。AMFは、原子炉は作っておりますけれども、CP5のような高性能のものは作っていないということでありますから、これはなかなかむずかしいのではないか。そういう意味のことを話してくれたのであります。そこで、私はすぐ日本にそういうことを知らせまして、間に合わなかったのではないと思うのでありますけれども、先ほどからいろいろ意見がありましたように、やはり日本には炉の、たとえば見積もりでありますとか、いろいろの決定をします法的の根拠があります。私の申しましたことは、あくまで参考意見であります。そしてそのいろいろな法的根拠によって決定されたものと理解しております。
○勝澤委員 それでは藤岡参考人に続いて聞きたいのですが、この一万キロというのは、当時の情勢の中で好ましいという言い方をされておったのでありますけれども、技術的にある程度可能だというふうになっておったのでしょうか。当時の情勢といいますか……。
○藤岡参考人 これは先ほど嵯峨根博士がお話しになった通りでありまして、CP5というのは一つしかございません。シカゴにあるだけだったと思います。そしてこれは五千キロしか出ていないのであります。しかし、それに類似の炉でもって一万キロ出ているものは、ほかにもございますし、研究のためには、一万キロ出る方が非常に望ましい。出れば出るにこしたことはないと望んでおったようなわけであります。
○勝澤委員 その場合は二〇%濃縮ウランなんですか、九〇%なんですか。
○藤岡参考人 類似の炉でありますが、これは二〇%で一万キロ出たということは、今私はっきり申し上げかねるのでございますが、しかし、そこはつまりメーカーがいろいろの設計を、こういう方法によって可能であるということを保証いたしまして、残念ながら、先ほど御答弁いたしましたように、日本ではまだ炉を設計した経験がないものでありますから、可能であるかないか、はっきり日本側の立場においてきめることは、できなかったのであります。
○勝澤委員 今の注意があり、また、ほかのいろいろな資料によりましても、このAMFでは少し困難ではないだろうかという話というのは、私たちは決定までに相当言われておることを聞いておるのです。 駒形参考人にお尋ねしたいのですが、今のような連絡といいますか、ましてや藤岡参考人は、原子力委員という立場から、その実情を聞いてきてほしいということを依頼を受けて、それが絶対的な使命ではなかったと思うのですけれども、いろいろ聞かれた結果というものを参考に知らしてきたということは、大へん重要な連絡だと私は思うのですが、それについて、原子力研究所ではどういうふうなお取り扱いになったのでしょうか。
○駒形参考人 今お話がございましたように、藤岡さんからそういう御連絡がありましたことは事実でございまして、それも最後の決定の前であったと思っております。今、藤岡さんからお話がありましたように、MITのベネディクト、それからピックフォードの両氏には、私どもも、藤岡さんが団長で調査団がMITに参ったときに、そのお二人にお目にかかっておるのでございます。従いまして、それらの方々が権威のある方であるということも、十分私どもも承知をいたしております。従いまして、そういうお話がありましたことにつきましては、その検討の中に入れて、そして検討を加えていった。これは当然そういうふうな工合にいたしました。なおつけ加えて申し上げますと、MITで自身がCP5を作っておりまして、それも存じております。そのMITが作っておりますCP5は、ACFが下請けをして作っておるのであります。ACFから参りました——どうも人の名前がはっきり出てこないのですが、ドクター・アンダーソンといったと思いますけれども、ドクター・アンダーソンという技術者が、ACFの仕様書を持って日本に参りましたが、その人は非常に人柄のいい方で、これは私もお目にかかった方でありますし、一緒に交渉をしていらっしゃる方も、みなそう言っておったのであります、そういう人にも会って、ACFがおそらくアメリカにおきましても評判がいい会社であったであろうとは、私も思います。しかし、ACFは、CP5は作っておりませんでしたけれども、そこの書類にもございますように、非常にたくさんの炉を作っておりました。当時もそうでありましたし、現に現在でもアメリカの中で一番たくさん炉を作っておる会社であったことは、これは統計を見ればはっきり出ておる。当時もすでに相当の数を作っておったようなわけでございます。まあ藤岡先生の御連絡というものは、当時としては非常に重要なものでございますから、そういうものも十分中に加えまして、そしていろいろといろいろな面から検討をさせていただいたのでございます。
○西村(力)委員 ちょっと関連。二月の二十一日に、この問題を当委員会でやりまして、私が原子力局長に、AMFでなく、もっと確実な会社に発注すべきであるという意見は出なかったかと、こう言いましたときに、これに対する答弁は、「その当時原子力委員をしておられました藤岡由夫博士、現在埼玉大学の学長であられますし、原子力委員会の参与であられますところの藤岡博士が、アメリカの方から手紙をよこしまして、AMFは適当でないのではなかろうかというようなことは言ってきた事実はございます。その事実はございますが、それを取り上げる論拠、なぜAMFはいけないのだ、その論拠については何ら示されておりませんでしたので、原子力委員会といたしましては取り上げなかったということであります。」かような答弁をいたしております。このことは、藤岡さんのおっしゃることと、ただいま駒形さんのおっしゃることと、相当食い違っておる。しかも、いやしくも学者的な良心にかけてよこした手紙が、何ら論拠も示さなかったぐち的なものだというような答弁が、原子力局長の口からなされておる。こういうことは、藤岡さんの御自分の学問的立場に立っても、許しかねることではないかと私は思うのです。あなたのお手紙はただ単に、これに何ら論拠も示さないで、ばくとしてよこしたのかどうかということ——そういう工合に受け取って、これを棄却したのだと原子力局長は言っておられる。これに対して、あなたの御感想はどうでございますか。
○藤岡参考人 技術的な論拠、これはやはりそういうアメリカの学者たちと話しておりましたときに、どうせ話でございますから、非常にこまかい技術的の論拠というものは、やはり示されてはなかったと思います。でありますが、私としては、CP5のようなむずかしい炉を作る技術者はそうAMFにはいないということを、アメリカの非常に事情に明るい人が言っておりますし、そしてACFならば確実にできる。しかも、炉を作った人はACFに行っております。ただ、GEはできるだろう。GEは非常に大きい会社で、たくさん技術者もおりますが、なかなか仕事が多いので、早期には間に合わないだろう。しかし、日本のアドバイスをするならば、ACFの方を考えた方がよかろう。AMFはそれだけの技術者がいない。そういうことを言われたのであります。その手紙がございますれば、私はどういうことを書いたかわかりますけれども、私の記憶では言われたのはそういうことなので、そういう趣旨の手紙を書いたと思っております。これを技術的論拠を示してあるかないかということは、やはり解釈の相違であります。 それから、私が原子力委員であったことは確かで、後に原子力委員会に決定を付議されたとき、私も、その席にもちろん立ち合っております。ただ、こういうことは、参考的な意見は申せますけれども、いよいよ決定されたものをそこでくつがえすということは、なかなかできないものであります。原子力委員をやめるつもりであくまでこれに反対したらよくはないかということ、それは言われることだと思うのでありますが、実際この問題が原子力委員をやめるほどの大問題であったかどうか。当時としては、決定されたならば、これは必ずだめだと保証することは、私もできないのであります。だから、そのまま過ぎたのであります。従って、当時の駒形副理事長が言われますように、私も駒形さんといろいろ話をしておったので、駒形さんあてに手紙を出したのでありますが、そういうことも考慮に入れて調査した上で、いろいろ諸般の事情からそういうことに決定されたということも、やむを得なかったのではないかと考えます。
○西村(力)委員 それで、原子力局長のこれに対する当委員会の答弁は、今読み上げた通りでありますが、今の藤岡さんの手紙を出された御自身のお話、それからそれを爼上に乗せて検討なさったという駒形さんのお話、そういうことからいいまして、あなたの答弁というものは、全くそういう立場の人々を無視した言い方ではないかと思うのであります。この答弁というものは、再度繰り返されるか。
○杠政府委員 ただいまもお聞きしておりますと、おそらくは私の言葉が足りなかった点はあろうかと思います。と申しますのは、ただ単に、論拠がないということをお答えを申し上げておるのであります。ただ、その論拠と申しますのは、ただいま藤岡先生からもお話がございましたように、技術的に比較検討するに足るところの論拠という意味でございました。その点については、いまだに私は、確実なる技術的論拠が示されたというふうには了解しておりません。
○西村(力)委員 そういうことだろうと思います。しかし、いやしくも原子力委員であり、しかも、日本より進んだアメリカに行きまして、権威ある人々の話を基礎にしての手紙であるとするならば、ただ、こまかい技術的な論拠というものは示されないにしても、こういう手紙を出す立場になったときは、やはり相当の確信を持ってなされるものだろうと思いますので、これは当然尊重されなければならぬのじゃなかろうかと私たちは思うのです。ただ単に、時候のあいさつ的なものに——一体学者内良心に立つとするならば、そう簡単にいいかげんなことはできないのじゃなかろうか、こういう考え方に立っております。そこに比較検討する数字的な、資料的な論拠はなかったので、これを棄却した、こういうような言い方は、少しそういう立場に対して無神経過ぎるのじゃないか、私はそう思うのですが、関連質問でございますので、これはその程度にとどめて、後日またやることにいたします。
○勝澤委員 駒形参考人に続いて聞きたいのですが、今御答弁の中で、藤岡先生から来た書簡について検討された、こういうお話をされたが、一体どういうふうに検討されて、そうしてどういう意見によってこれが取り上げられなかったかということを、もう少し具体的にお示し願いたいと思う。あるいはどういうような会合で、どういうふうにやられたかという点につきましては……。
○駒形参考人 先ほどもお話がありましたように、藤岡さんからのお話というものは、技術者の点を多く御判断のもとにお話があったのではないかと思います。先ほどから言いますように、技術的のこまかいことの御連絡というわけではないわけであります。従いまして、会社の技術陣とか、全般の評判とか、そういったものが当然主であったわけであります。そういったようなものを中心に、藤岡先生の御意見というものが検討の途上加えられたというふうに考えております。決定の点につきましては、先ほど安川さんからお話がありましたような点が主でありまして、なお技術的にそういう保証もあり、経験もやはりその会社としてはあるというようなことも、安川さんのお話につけ加えての理由としてあるのじゃないかと思いますが、そういうことで、原子力研究所の意見というものは結論を得ているのではないかと思います。
○荒舩委員長 藤岡参考人は、さっきお話し申し上げた通り、お昼までに学校の都合があるということなので、退場してよろしゅうございますか。
○西村(力)委員 それではお尋ねしますが、藤岡さんのそういう意見書を却下するに足るAMFの信用度の調査は、一体だれが、どういう方法で、どの程度なされたか。AMFはだめだ、心配だ、こういう意見を一ぺんで捨ててしまった。その半面には、やはりAMFの信用度の調査ということが、当然十分になされていなければならぬはずです。それがなくて、ただ却下するのではいけない。その点は、駒形さんか嵯峨根さんか、どちらかにお尋ねしたいと思うのです。また、そのAMFは、相当炉を作っているらしいが、その当時は何基作っていたか。二十基といい、十基といい、この答弁は、この委員会でさまざまなことが出ている。しかも、その型はいかなる型かも示されていない。あるいはまたAMFの売り込みに来ているセールスマンの資格というか、原子炉に関する知識というものを身につけておるものかどうか。そういう点なんかの検討、それから現にAMFを絶対間違いない会社だという工合に判定した信用度の調査というものを、どういうふうにやってきたかということ、その点がはっきりしないと、やはり私たちとしては、技術的な論拠を示さない意見であるから、これを却下したというだけでは、なかなか済まされないと思う。その研究、信用度の調査は、どういう方法で、どの程度やったか。これを決定する場合においては、信用度というものは、相当重大なウエートを占めて決定されたと思う。そうでなければならぬと私は思うのですが、いかがでしょう。
○嵯峨根参考人 私は、当時責任分担者の一人として、そういう議論をできるだけ系統立てて出す役目の一人をやっておりました。先ほどから藤岡参考人に詰められた点は、技術水準がどの程度違うかという点だと私は了解しております。その点については、当時のAMFがどれだけの炉をそれまでに作って、どれだけの炉をその当時交渉中であったかという、こまかい数字は必ずしもはっきりはつかんでおりませんでした。しかし、相当の炉をすでに作って、相当の炉が引き合い中であるということは、十分承知しておりました。それから技術水準については、CP5についての技術水準は、藤岡さんの言われるように、われわれも大丈夫かという点は考えました。しかし、原子炉という全般のものについての水準は高いということは、十分認めました。しかも、AMFというのは、こまかい技術的な、特にコントロール・ロッドというような非常にむずかしいもの、いわゆる制御のものについては、世界で一流である。大きなメーカーといえどもAMFのものを買ってつけるということは、十分われわれ承知しておりました。われわれの了解は一等大事なのはコントロール・ロッド、その制御が非常にうまいものがいい。これは非常にプラスであったわけです。御承知のように、最後の詰めは、ACFにするかAMFにするか、どちらか。それにこっちで、どの点に何点つける、どの点で何点つけるというのを積み上げていった。もちろん、全部が同じベースで比較できるわけではありませんけれども、科学者として、そういう比較の仕方をしたくなってやったわけであります。その点については、コントロール・ロッドは、ACFの方はだめだ——だめだというのではなくて、AMFの方がいい。CP5全般としての経験は、ACFの方がプラスであるというふうに覚えております。そういうわけで、現在といえども、AMFとACFをただ比べたのなら、そうひどく違いはないと、私個人は考えております。しかし、CP5の経験ということになると、多少差があったということは、現在ではわかっております。しかしACFといえども、ボストンにおいて決して一ぺんで成功したのではなくて、先ほど御指摘のありましたように、納期は相当に延びておるという事実もあるので、実験用原子炉というのは、いかにむずかしいかということは、おわかりだと思います。そういう点で、技術水準の比較というのは、多少ACFの方がプラスであるということはわかっております。 次に、会社自体の信用度というのを銀行を通して調べたものがあります。これは両方とも一流であるけれども、AMFの方は、前から一流の大きな、りっぱな会社である。しかも、日本の会社と引き合いがあったということがあって、あれは信用のある会社である。それに対してACFは、比較的新しい会社であって、一流だとは思うけれども、そういう経験は必ずしもないというふうに、私は報告を受けました。そういうふうに記憶しております。 それから、そういう点をどの程度重要性をとって考えるかという点について、やはり国費を最も有効に使うという面から、まっ先に値段が一等安いこと、できるだけ出力の大きいという点でみんなが満足できる、それから国産化にできるだけ早く役に立つということ、しかもギャランティがあるなしというようなプラスの面を比較してみたところ、結局最終的にはAMFの方が少し勝ったというところで、われわれはAMFというふうにきめたと思います。大体そういうふうにきまったときに、藤岡さんからの、僕は最初は電報だったと思うのですが、それをいただきまして、確かにわれわれの考えておるように技術面で多少プラスである。そのプラスの面が、十分予算の原則である一等安い、出力が出る、しかもギャランティがあるというのに打ち勝つかどうかということを一応検討した結果、原子力研究所としては、打ち勝つほどの十分な根拠が自分たちには示されているとは思わないという形になったと記憶しております。
○勝澤委員 今、嵯峨根参考人から話をされ、先ほどまた駒形参考人からもお話を受けたのですが、しかし、結論的にいえることは、今言っていることは三十一年のときにいっておることであって、今日の段階においては、私は通用しないことだと思うのです。先ほども、技術的なものとか、予算とかいわれておるけれども、しかし、結果的に出てきたものはどうだというと、CP5をめぐってあらゆる点において、きめたいきさつ、それからの日本に入ってきた状態、今日の実態ということから考えれば、皆さんが幾ら科学的に、技術的にものを言っておるように見えても、われわむしろうとは、どうもこれはおかしい、これが常識になっておると思うのです。 そこで、その問題はあとでまた続けて私はお尋ねすることにいたしまして、藤岡参考人に最後に一つだけお尋ねしたいのですが、このCP5をめぐって、この炉の建設が相当おくれ、現実にこの出力の点についても、先ほど何か保証をしっかりやったとか、あるいは保証をとったとかいっておるのですが、もう保証がなくなっておるわけです。そういう中で、最初原子力委員会が予定したものは、まだ成功していないわけですから、こういう観点から考えると、この日本の原子力の発達については、相当チェックされたというように私は思うのですが、こういう点について、先生の今日の忌憚ない御意見を賜わりたいと思うのです。
○藤岡参考人 私は、確かに今嵯峨根さんの言われましたように、最初は電報を打ってしばらく見合わせるようにということを申し、それからまた私の聞いただけのことを書いて送ったのでございます。それからあとの経過は、先ほどからいろいろ言われた通りであります。私としては、やはり自分の申しましたことを——聞いたことでありますけれども、世界で一番その方面のエキスパートと思われる人から聞いたことであります。そうしたいと私は思っておりましたけれども、これはやはりすでに決定されました以上、原子力委員会で、これを自分でやめてくつがえすということもできなかった。その点、私も同じような立場にあるのであります。ただ、その後の経過を聞いておりますと、当時ピックフォードの申した通りになっておる。安い、納期も短かいということであっても、安くても、あとで金をとることになって請求されれば同じことじゃないか。納期は短かいといっても、納期通りにできなければそれまでじゃないか。ひしひしと思い当たることがあるのであります。率直に私の意見を申しましたならば、アメリカがもしそういうことを注文したとしたら、やはりもう少し上手にしたのではないかと思うのであります、ただ、原子炉の注文というようなことは、非常にむずかしいもので、保証の問題もいろいろありますけれども、非常にむずかしい。事実また、特殊のものなのであります。当時の日本の実情といたしましては、普通の会計法規でありますとか、その他従来のやり方でやるはかなかった。今日から見ますと、私は、やはりピックフォードの言うようになったということをひしひしと思い当たることがありますけれども、当時そういうふうにきめられましたことは、やむを得なかったというふうに考えております。しかし、こういうことは一つの経験でございまして、今後の日本の原子力の発展のために、貴重な経験であったというほかないと思います。
○勝澤委員 それでは、私は、藤岡参考人に対しては、これで質問がございませんから……。あとの方々には、まだ質問があります。
○荒舩委員長 他の委員の方、藤岡参考人は、さっき申し上げるようなわけですが、よろしゅうございますか。——それではどうも御苦労さんでした。
○勝澤委員 次に、私はお尋ねしたいのですが、このAMFをきめた責任といいますか、これは何の資料ですか、「CP−5型原子炉年表」によりますと、十月閣議決定と、こう書いてありますが、しかし、これは私が今まで聞いたのによると、原子力研究所の責任において決定してきたのだ、こういうふうに聞いておるのですが、その点はどうなんでしょうか。
○杠政府委員 お答え申し上げます。 閣議決定と申しますのは、CP5型を入れるということは閣議決定でございまして、勝澤委員から、AMFを決定した、その決定をする主体はどこかということに相なりますと、やはり契約の主体でございますから、日本原子力研究所でございます。
○勝澤委員 私の言っているのは、資料にこう出ておるものですから、それを言たわけです。昭和三十一年の十月閣議でAMF社と決定した、こういうふうになっておりますから、それはそれでわかりました。そこで、このAMFを決定するいきさつについて、この会社の問題があるという点も、今藤岡参考人からるる述べられました。そこで、私の調査によりますと、その原子力研究所の研究者の諸君は、技術的には、このAMFよりもACFですか、こちらの力がいいじゃないだろうかというふうな意見が強く出されておったということがいわれておるわけでありますが、この点についてどうなんでしょうか。
○菊池参考人 現在、私はそういう意見は一つも聞いておりませんでした。その当時でございますか。
○勝澤委員 当時です。
○駒形参考人 先ほど嵯峨根さんからお話がありましたような工合でございまして、当時ACFの方がいいというふうに原子力研究所で言われたということは、私はなかったと思います。両者をいろいろ比較研究いたしたのでありまして、そして先ほどのようないろいろなことからAMFの方に決定された。原子力研究所といたしましては、AMFをとりたいこういうことであります。
○勝澤委員 そうしますと、次に、AMFは、一万キロワットをどういう形で保証されたのですか。また、その保証されたのを科学的にどう検討されて、日本側としては了解されたのですか。現在の所長は当時おりませんから、当時おられた菊池、嵯峨恨、それから安川参考人の中から一つ……。
○嵯峨根参考人 御質問の趣旨、急所がどこにあるかよくわかりませんので……。
○勝澤委員 それでは質問し直します。 AMFが、一万キロを保証したと言われておるわけです。ですから、その保証をされたのは、具体的にどういう形で保証されて、日本は、科学的にどういうふうにその保証が確実なものだということを決定されたのですか。
○嵯峨根参考人 事実が契約当時のことであれば、私が一等それを一生懸命主張した人間として、私の個人的了解を申し上げます。むしろ、それほどこまかいことを、皆さん、特に原子力委員、あるいは原子力局に了解を求めた記憶を覚えておりません。先ほど非常にこまかい点として、二〇%でということを言われたのを私言い落としましたが、われわれが外国の国立研究所で確かに出るという間接的、技術的な面を要求したのは、二〇%でという条件で一万キロワット出る見込み非常に大という資料を見せられたというだけであります。その次に一万キロワットをどうしてきめるかということは、技術的にはきっちり一万キロというのは非常に困難なのでありますが、常識的な一万キロ程度のものを出せるということをきめるのは、熱出力もしくは中性子東というものを測定することによって可能である。従って、それが出ないときには、それができるまでAMFが出すように努力をするという了解のギャランティだったと、私は了解しております。
○勝澤委員 今あなたがそう言われたような契約をされてはないのじゃないでしょうか。
○嵯峨根参考人 最終的の契約の面の条項については、私も関与はいたしましたが、最終責任者ではございません。そこで、そういう点について監督官庁その他とも相談した結果、この程度であればよかろうという表明で契約になったと記憶しております。もちろん、その契約のときには、私の記憶では、有能なる弁護士、及び従来それに近い経験のあった電力会社の担当者にも十分見てもらった結果でありますし、こまかい点は、最終に至るまでには、原子力局の専門家にも十分見てもらった結果であります。そこで、いまだに私が覚えておるのは、それをきっちり入れろといって努力した覚えはありますが、実際的にやれるからいいじゃないかというので、おりたのだと思います。そこで現在では、そのギャランティの期間が切れましたけれども、AMFの会社としては、そのつもりのギャランティの期間をことしの二月ごろまで延ばしたと、私は了解しております。
○勝澤委員 契約の担当理事は、あなたなんでしょう。
○嵯峨根参考人 私の了解は、相当理事は、私ではございませんでした。私は英語がしゃべれるということで、こまかい交渉を英語でしゃべれる、及び技術的な面で非常に了解ができるという面で、非常に大きな役割をしたことは記憶しておりますけれども、最終的な契約の担当者であるというふうには、私は了解しておりません。
○勝澤委員 ある雑誌に、こういうことが載っておるのです。当時原研の企画課長であった阿部さんですか、それから企画部長であった嵯峨根理事も、こんなあとで問題になるような契約条項はもっとはっきりした方がいいと言って、この当時の職員がだいぶ実情を訴えたけれども、何も取り上げられずに、結局その職員は親会社に帰された。その二十才の若い職員でさえ、契約がいかに不十分なものかということを知っておって指摘したけれども、何も取り上げられなかった。こういうことが出ておるわけです。これはもうこの前のこの委員会において、政務次官から、その契約がいかに不十分であるかという点について、具体的に述べられておるわけです。この契約を進めてきた責任者といいますか、あるいは契約の原本を作ったところ、最終的にこの契約でよろしいと言ったところは、どこなんですか。
○駒形参考人 今の御質問に対しましては、嵯峨根さんは、当時企画部長で、今のような場合に、技術的の面のことについて関与されたわけであります。契約となりますと、これはやはり総務あるいは経理というような……。
○勝澤委員 だれとだれか、具体的に名前を出して下さい。
○駒形参考人 そしてそれの総括を私がいたしておったわけでございます。ここに資料が出ております。別紙三でございます。今泉さんが総務関係、木村健二郎さんが研究関係、久布白さんが建設関係、杉本さんが研究関係、嵯峨根さんが今のような企画の関係です。
○勝澤委員 契約審を中心にやられた方はだれですか。
○嵯峨根参考人 中心にやられたという言葉も、責任者であるというのと、一等中心に努力をしたというのか、具体的な英語のこまかい言葉っちりまでつかまえたかというのと、日本語がはっきりいたしません。私自身としては、本来が理学の訓練を受けた人間で、契約という面からいけば、もちろん責任のとれる人間でありません。しかし、英語がわかるという点では、私は一生懸命買って出たという意味で、あるいはやり取りという面から、一等よけいやり取りをやったので、そういうことを中心といえば、私でございます。しかし、契約としてこれが正当であるかどうかという責任感を持って考えられたのは、当然契約の担当の理事であったわけであります
○勝澤委員 このCP5をめぐって、AMFとの契約が今日になって不備であるということを、それじゃ認めますか。
○嵯峨根参考人 不備であるという言葉も、これも程度問題であります。今日なれば、こうはしなかったということは、十分にあります。しかし、契約というものは、いつでもこちらが要求する通りの文面でできるとは限りません。従って、今日といえども、似たような契約が行なわれる可能性は十分にあると、私個人は考えております。
○勝澤委員 安川理事長、どうですか。契約が不備であると、私たちは思っている。今の話では、不備でないような言い方をしている。あなたとして、AMFと契約したその契約というものは、私たちは不備であると思うのですが、あなたはどう思いますか。
○安川参考人 それは結果的に見て、私はこういう複雑な問題が起こるということを予想すれば、もう少し何か条項を加えるべきじゃなかったかということは痛感いたします。しかし、私は、こういう問題が発生するということはまさかないということを前提として、でき得る限り条件をよくすることには努力をさせたのですが、まあこの辺で契約してもあとでかれこれ問題を起こさないだろうという確信のもとに承認はしたのです。私も、実はその方の専門でないので、大体担当者に言っておいて研究をさせて、まあこれなら大丈夫でしょうという報告があれば、これは承認せざるを得ないのです。しかし、今日こういうような問題が起きた結果から見れば、決して私も満足な契約をしたとは思っておりません。非常に遺憾な点が多々にあったということは、覚醒いたしております。
○勝澤委員 原子力局長でも、政務次官でもけっこうですけれども、今の嵯峨根参考人の発言というのは、私は重大だと思うのです。不備があったって、不備の程度だ、こう言う。不備の程度といわれるものだったら、こんなに科学技術の特別委員会や決算委決員会で、長い間かかってこの問題が問題にならないはずです。また、世間の各雑誌や新聞に、これれほど騒がれないはずなんです。また、藤岡参考人も、技術者の立場から謙虚な気持で発言されているわけです。しかるに、あなたは理事であり、企画部長という立場なんですよ。私は英語をしゃべる通訳だけだった。これでは私は、理事としての資格を疑われると思う。まして理事なら、理事会の中で決定権のある一員なんですから、それが今日になってさえも、どうもあまり不備でなかったように思うということになれば、この前の委員会で、政務次官なりあるはい原子力局長の発言したことと、私はだいぶ食い違っておると思う。この点をどういうふうにお考えになりますか。
○杠政府委員 お答えいたします。 面会のお尋ねは、私の記憶によれば西村委員からのお尋ねだったと思います。西村委員はあなたは、現在の立場から当時の契約をいかに考えますかというお尋ねだったと思います。私は、現在の時点から考えますならば、多少の不備はあったことは認めざるを得ませんとお答えを申し上げたと思います。しかし、当時の時点。すなわち契約の結ばれました昭和三十一年当時の時点において考えますならば、おそらくはただいま嵯峨根参考人からもお答えになりましたように、最善をお尽くしになった。不備な点があるがままに御契約をなさったとは考えておりません。時点の違いにおいて、そのようなお答えを私の方はいたしたのでございます。
○勝澤委員 いや、当時一生懸命にやったということは、いいと思うんですよ。今になって考えたら間違いであったということを、私は率直に認めるべきだと思うのです。それがしろうとのやりたことなら、いいと思うのです。しかし、権威ある方々がみな寄り集まってやったことなんですよ。そしてその中でも、先ほど藤岡参考人は、ちゃんと一つの反省をしておるわけです。しかし、現在の日本原子力研究所の理事各位が、いつまでもそれを反省しないということになったら、これは私は重大な問題だと思うのです。政府の方針とも私は違うと思うのです。どうなんでしょう。
○杠政府委員 嵯峨根委員は、現在は原子力研究所の理事ではございません。当時において理事でありました。現在の原子力研究所の理事長は、菊池参考人でございます。
○勝澤委員 局長、それはでたらめな答弁ですよ。今原子力研究所の理事じゃないからいいじゃないか、そういう言い方は、私はないと思う。まあその論争はまたゆっくりやりますから……。
○西村(力)委員 関連して。安川さんでも嵯峨根さんでもけっこうですが、契約を結ぶときには、日本側の希望する契約原案というものを持たなければならぬと思います。向こうから提示されたものを、あっちをこずき、こっちをこずきまして、何とかして手直ししようとするようないき方は、これは卑屈なやり方だと思う。対等じゃない。それは、あの当時売手、買手の問題もあるでしょうし、また三十五万ドルという、ああいうものもぶら下がっておりますので、何かそういうところで買手が弱くなったということがあり得たかもしれませんけれども、ほんとうに考えれば、やはり対等に交渉するには、こちら側の希望する原案というものを持って先方と突き合せて、そして話し合いをまとまるところにまとめていく、こういう工合にいかなければならぬと思うのですが、お話をだんだんお聞きしますと、そういう準備は全然なさらずに、向こうから提示されたものを、何とか少しでもわが方に有利なようにしよう、こういう交渉に終始されたように見えるのですが、どうでしょうか。こちらの契約原案というものをしっかり持たれたのかどうか。その点はどうですか。
○嵯峨根参考人 その点については、率直に申し上げますと、ウオーター・ボイラーについても、CP5についても、こちらが全面についての契約文書という草案を持ったということはございません。部分的には、こちらで草案を作り直してぶっつけたことはございます。その点については、率直に御意見の通りだと思います。従って、その次に私が担当いたしました動力試験炉の契約のときには、大部分をこちらが対案を持っていたしました。しかし、従来の電力会社その他の外国との契約において、こちらが全文を用意してやったという例はほとんどございません。従って、むしろ動力試験炉の場合には、お前は余分な努力をするといって怒られた経験を持っております。その点は、十分に経験を生かして反省をしたつもりでございます。今後とも、できればそういうふうに動くというのが当然だと、私は考えております。
○木村(公)委員 ここの委員会の質疑応答は、新聞等を通じて、国内はもちろん、世界じゅうに広まることもあり得るわけでございますが、先ほど、日本における原子力の学者としても最高水準にあると世間で思っております藤岡参考人から、意外な発言がございまして、私は実は驚いておるわけでございます。自分は、このAMFに第二号の実験原子炉を発注されることに対しては、多少の疑問があったから、わざわざ電報を打って契約を猶予しなさいと言ってきたのだ。それにもかかわらず、原子力研究所の責任において契約がなされた。そのとき、もしも自分が原子力委員会の委員として、職を賭して争えば、あるいはこの契約は破棄できたかもしれぬけれども、それほどの勇気もなかったといったようなことが言われ、それからさらに引き続いて、自分が当時考えた通り、いろいろの故障が起ってきておる。現在も起こりつつある。そうすると、自分の考えたことは間違いでなかったということをここで言明をされて、ただいまお帰りになったわけでございますが、これに対して当時の嵯峨根副理事長から御答弁がありまして、自分はプラスもあったけれども、マイナスもあった、いろいろ勘案した結果、結局プラスの面の方が多かったからAFM会社と契約を結んで——そういうお言葉はなかったのでありますが、良心に恥じないのだ。それはマイナスの面もあったけれども、プラスの面もあって、プラス・マイナスの面を比較検討してみた結果、良心に恥じないで、結局次善の策だと思うけれども、金額も安いし、国産炉を築く場合にも非常にプラスである、あるいはその他のプラスの理由もいろいろおあげになって、そしてこの方がいいと思ってやった。しかし、今から振り返ってみて失敗だったかどうかということになると、これは安川参考人のお話のように、そのときには予測できなかったようなことも現在現われていて、現在の時点に立ってみた場合には、必ずしもこれは万全の契約、あるいは万全のものだったとは思われない、多少の失敗も認めざるを得ないというようなお言葉も言外にあったのでございますが、私は、こんなところで野党、与党と申しますのは、いかがなものであろうかと思いますが、政府の与党としまして、当時は、やはり現段階から比較しますと、研究の面においても、技術の面においても、学問の面においても、まだ未熟であった。それゆえに、万全を期して御契約なすったのだろうと思うけれども、やや失敗であった。その失敗を率直にお認め願って、今後はそういうことのないように進んでいただくことを希望いたしまして、私の質疑は終わるわけでございますけれども、これは失敗ではないのだとどこまでも言い張られることは——学者としては、そういうように持っていきたいところでございましょうけれども、失敗であったことは、実は毎日新聞の論説において、すでにはっきりと失敗であるということを書いているわけです。それから他のいろいろの資料を見てみましても、結局理屈を抜きにして、第二号の実験原子炉というものの購入は失敗だったのだということは、これはもうほとんど公知の事実のように存じます。そこへ持ってきて、この公開の席上において、世界中の窓になるところのこの委員会において、藤岡参考人は、今堂々と、実は自分は電報でもってこの契約を持ちなさいと言ったが、それを得たなかった。あのとき、職を賭して自分が反対をすれば、あるいは破棄できたかもしれないが、その勇気がなかった。そのため、はたせるかな、自分の考えたような故障が今になって続発している。まことに考えて残念だと言わんばかりのお話がありましたが、一応失敗をお認めになりつつ、今後は一つ失敗を繰り返さないようにお進め願いたいということが、与党としまして、私どもの希望するところでございます。
○菊池参考人 私、まだ御質問がございませんが、一言いたしたいと思います。 契約の当時、私はいませんでしたが、その後いろいろやって参りまして、その後のやり方につきましても、われわれはいろいろまずかった点があったと思います。たとえば、仕事のおくれその他も、われわれの方のやり方で、もっとおくれないようにすることもできたのではないかと思います。ただ、先ほどのお話を伺っていて、はなはだ心外に私として思いますのは、藤岡さんも、現在のCP5がどういう状態でやっているかということは、あまり御存じない。現在のCP5は、決して悪い炉ではございません。非常にいい炉でございます。この点は強調しておきたいと思います。ただ、今問題になっておりますのは、フュエルであります。フュエルの問題というのは、今世界じゅうで一番むずかしい問題でありまして、燃やさないフュエルを持ってきて、これがどこまで燃えるかということを事前に判断するということは、非常にむずかしい問題であります。そこで、いろいろな問題が起こったのでありますけれども、これをフュエルができたときに、AMFが非常にロー・パワー、低出力しか許さなかったいきさつがありまして、このいきさつは、AMFの非常にロー・パワー、低出力を主張する、原因を、われわれ非常に追及いたしましたのですが、私は、これは決して技術的な判断でないと思いましたので——当時日本の新聞その他で、これはわれわれにも誤りがございましたけれども、AMFに対する非常な窓口が放たれたわけでございます。これは実際国際慣習的に見て、あれだけの悪口を言われたということは、AMFとしては耐えられるところじゃなかったと思いますが、それはわれわれ自身も、事に触れてちょっと新聞社の方にも困ったとかなんとか言ったことに端を発しておるのでありまして、われわれも責任を感じますけれども、あのときに言われた悪口の大部分は、私は、日本として取り消すべきものだと思っております。あれは国際的な不信行為だと、私は感じております。そういうことがありましたもので、AMFとしては、ここで燃料を入れてやった場合に、何か起ったら、これはもう大へんだ。自分の方の——その当時、AMFは日本でほかの商売もいろいろしておりまして、副社長なんかも私のところに参りまして、どこに商売をしにいっても、お前はあのAMFかと聞かれるということで、非常に困っていたわけであります。それでここでまた何か起こされて非常に困るからということで、低出力に向こうは主張したわけです。われわれは、どこまでも追及して、その低出力の理由を技術的に追及したのですけれども、ついにわれわれの満足するものは得られなかったわけであります。AMFは、燃料を作るのではなくて、M&Cが燃料を作って、AMFがインスペクトしてリコメンデーションを与える、そういう形になっております。しかし、それがわれわれはどうしてものみ込めなかったものですから、こちらからわざわざ人をやりまして、その事情をすっかり調べまして、大体はAMFああ言っているけれども、これは決して技術的な根拠ではない。もっと何かいろいろ根拠を含めてああ言っているんだと判断をしましたので、そのとき神原氏がアメリカに行って、すっかり調べて、一度帰ってきてもらいまして、こちらですっかり検討した結果、この燃料なら、われわれとしては三千キロなら安全にいける。一万キロまでだって、やってみる価値は十分にある。そういう考えを持っておりました。ただ、われわれとしては、それまで上げる段階で、フュエルの一つ二つ、あるいは三つでも四つでも、被覆が破れて、回っている冷却系に放射能物質が多小は出る。出るにしてもごくわずかだけれども、多小は出ることはあろだろう。そういうことは覚悟しなければ、フュエルの研究なんかできるものではない。だから、われわれはそういうことを覚悟してやる。それが実際に従事している研究員にも何にもあぶないことはないんだから、私はそれをやろうと思いまして、AMFが非常な低出力の運転を勧めておりましたのですけれども、私どもはそれを引き取って、それでAMFの言うことにはかまわず、われわれはそれを上げていこう、そうい決心で引き取ることを原子力局の方にも依頼したわけであります。それ以来、あれでもって出力上昇の実験をとめられるようなことなら、もう私は原子力の研究なんかやるのはいやだとまで腹をきめております。それで、もちろん出力上昇をやる前に、低出力の運転の期間がどうしても必要でございます。ですから、その期間が二月十五日まで、ちょうどそのときにギャランティも切れることになります。これはそれまでAMFの技術者もおりますから、AMFの人がそうまで言っているところで、その面前で出力上昇をして、そして何か問題を起こしたらつまらぬからということで、二月十五日までは遠慮いたしました。二月十五日にAMFの技術者が帰りましたあとで、準備をして、その出力上昇をやったわけです。千キロまでは、何の問題もなしに上がっております。今その期間に、アルゴンヌのスチブンスというCP5の専門家が来ております。その人の見解を聞きましても、この炉で一万キロ出せないことはないと断言しております。現在の燃料でも、やってみる価値は十分あると言っております。もちろん、中途で一つ二つ、それは燃料の被覆が破れるというようなことは起こるかもしれません。起こっても、何も危険はないのであります。それをおそれていたら、今後の原子力の研究なんかできないと思っております。あの炉が悪いということが非常に言われますけれども、私は、今のところ、あの炉はちっとも悪いとは思っておりません。ただ、燃料に非常に問題がある。この燃料の問題は、世界的な問題で、どういう燃料がいいとか、悪いとかということを判断するということになると、非常にむずかしい問題になる。その問題にからんで、これは非常に残念ないきさつでございますけれども、これはもちろんわれわれにも罪がありますが、世間を全く妙なふうにお騒がせしてしまったという感じを非常に深くするのであります。もう小しそっとしておいたら、AMFもああいうことは言わなかったであろうし、そうなれば、出力もあの燃料ができたときに順調にすっと出せたのじゃないか、そういう感じさえ、私はしております。もちろん、契約その他の点でもっと十分な契約ができていれば、いろいろ今のような問題はなかったのじゃないかということは、一ぱいあります。しかし、AMFも、保証期間を延ばすことを承知しまして、そしてその期間に、現に炉の中の相当の部分について無償で改造もやっておりますし、決して世間で伝えられているほど、AMFの実績が悪いわけではございません。われわれとして、もちろん、こまかい点でいろいろ言いたいことはございますけれども、それはどこの会社でやったって、文句のないようなことはないだろうと思います。先ほどからのお話を伺っておりますと、何か非常に悪いものを買ったということの前提ですべての話が進んでいるように思いますけれども、私は、今決してそういうふうに思っておりません。
○勝澤委員 これはきょう出された資料だと思いますけれども、この「CP5型設置に関して審議した議事録」という第五側の定例原子力委員会と、四十二回の臨時委員会と、十三回の原子力研究所の理事会の議事録が出ておるのですが、どうもあまり簡単なんですけれども、大体議事録というものは、こんなものですか。
○杠政府委員 さようでございます。
○菊池参考人 研究所の理事会の議事録は、普通理事者間のやりとりを速記したようなものはありませんで、最終的な結論だけが、大体議事録として出ております。そういう習慣になっております。
○勝澤委員 そうすると、原子力研究所の三十一年の十三回理事会議事録というのは、これは正規の理事会の議事録なんですか。何かカッコして「三十一年度日本原子力研究所年報より」こうなっておりますが……。
○杠政府委員 資料を作りました関係から、私から答弁申し上げますが、三十一年度の第十三回の理事会の議事録には、残念ながら、ここに書いてありますように、三十一年度の日本原子力研究所年報というものよりないわけであります。その研究所の年報は、それでは原本はどれから写したのかということは、残念ながら、今日調査してみましたけれども、判明いたしません。そこで、年報は公刊されているものでありますから、その公の記録という意味におきまして、ここに注をつけてお配りしたわけであります。
○勝澤委員 私の調べた範囲内においても、原子力研究所の議事録というものはないように思います。結局原子力研究所の理事会には、議事録をこの当時はつけていなかった、こういうことなんですね。
○駒形参考人 その当時の原子力研究所におきましては、議事録を作っております。各理事の判こも一々もらって、閉じてあるところにも判こを押すといったようなことで、議事録なるものを作っております。今のお話で、その当時の議事録というのが明確でないような話でありますけれども、ちょっと私も、そんなことはないだろうというふうに、今そういう気がいたしておりまして、ともかく議事録なるものは、きちんと明確に作って、そうしてみんながこれを認めるというシステムは、ずっととっておりましたわけでございます。
○勝澤委員 原子力局長の発言によると、議事録はないと言うし、駒形参考人の話によりますと、議事録があると言うのですから、じゃ、次の委員会のときに、その原本を持ってきていただいて、どんなふうになっているか、一つ御報告を願いたいと思います。
○杠政府委員 議事録がないと申し上げましたのは、やはり駒形理事のおっしゃいますように、理事会の議事録はずっととっております。しかし、三十一年の第十三回理事会の議事録に、このCP5購入に関する件というものは載っておりません。そういう意味でございます。しかし、年報にははっきりと載っておりますから、公刊されておる年報によりました。そこで注釈を加えております、という意味であります。
○荒舩委員長 石川君。
○石川委員 菊池さんが先ほど答弁されたことに関連する問題でありますが、菊池さんは、契約の当時はおいでにならなかったわけでありますが、ともかく理事長としての最終責任を負わなければならぬということで、大へんお気の毒だと考えておりますが、どう考えても、契約当時のいきさつというのは、あまりすっきりしたものじゃなかったのじゃないかという疑問をわれわれは数多く持っておるわけであります。しかし、その点については、勝澤さんの方からいろいろ質問があったようでありますから、要点だけを大体申し上げますが、これは、条件は、一万キロワット、中性子束一平方センチ毎秒十兆個、百五十万ドル、二〇%濃縮ウラン、大体問題になるのはこういう点だろうと思うのです。ところで、百五十万ドルではどうしてもだめだということで、いろいろな会社がおりてしまって、AMFという会社が残ったということと、それから三菱電機が下請をやるということで、国産化を促進するということから、これに食指を動かした。それから三十五万ドルというような助成金があるというふうなことで、順序を狂わせて、ウォーター・ボイラー型に出行させてこのCP5型というものを採用したというふうないきさつは、何か一つ、そこにいろいろな利害関係やあせりというものがあったということは、否定できないと思うのです。しかし、それはともかくとして、今最後に菊池さんが答弁になったことに関連してですけれども、今のところ、千キロワットが出ておるというように御答弁がありました。そのいきさつはまだ聞いておりませんが、科学技術委員会の方でまた詳細に伺いたいと思っておりますが、この契約を最初にやる場合に、若い科学者がこれに非常に反対をしておったということを、私は当時から聞いております。私は、科学技術委員会でも申し上げておるのでありますけれども、この原子力というものについて皆さん方は最高権威であられますけれども、しかし、この若い科学については若い科学者の意見というものを相当尊重しなければならない。彼らは相当の自信を持っておる。従って、これらの若い科学者がほとんど一致したような形でもって、この契約に対しては非常に下安があるということで、反対の意思表示のような形が行なわれておったのが無視された。こういう点は、特筆大書すべきではないか。従って、今後は、この点についてはよほど慎重に考えなければならぬ、こう私たちとしては考えております。ところで、今三千キロワットまでは出せるのだというお話がありましたけれども、今、私も原子力関係の連中といろいろ話をしておりますが、この若い科学者が、過去のいきさつについては非常な批判を持っておるし、反対意見というものをかなり多く持っておるようでございます。しかしながら、今までのいきさつを水に流して反省を求めるという前提に立って、この燃料棒、大した金額じゃありません、三千九百七十八万円でございますが、これはもともとメタル・アンド・コントロール社がアメリカの原子力委員会から受け取って、燃料棒の加工をして、この燃料棒の設計書というものは、AMFが設計を提供しておるようでございますけれども、それに基づいてやった、これに非常に問題があるということについては、大体結論が一致しておるようであります。従って、この点についてすなおに反省をして、燃料棒というものは、今までのものにこだわらないで、あらためて再検討を加えるということによって、新しく出直すという考え方に立ったならば、一万キロというものは不可能ではないのじゃないか。ただし、これは慎重に、再出発の形で、相当長い年月を要するという考え方から出発をし直さなければならぬのじゃないかという意見を、私は聞いておるわけであります。従って、そういう点では、菊池さんとも大体意見が通ずるように思うのでございますけれども、しかし、今の御答弁によりますと、今のままでもできるのだ、こういう御返事のようでございますけれども、こういう点については、われわむしろうとなりに不安を感じております。従って、今までほかにもいろいろ問題はありますけれども、少なくとも、燃料棒の問題については、再出発をして、再検討をして出直すのだという考え方になるかどうかという一点だけを御質問いたします。
○菊池参考人 私の考えでは、現在のもので一万キロまでそのままやろうとは思っておりません。しかし、三千キロなら、私は十分やる価値はあると思っております。この問題については、若い諸君とも、所内でいろいろ問題がありましたから、せんだって公聴会式に全部の諸君に集まってもらいまして、この問題についての説明を十分にいたしております。そして、そういう何か不安があれば、私のところに直接言ってきてくれるように極力言うのでありますけれども、私のところに直接そういうことをまだ一度も言ってきておりません。もしそういうことがあれば、私は、そういう人から十分話を聞きたいと思うのであります。
○石川委員 今の燃料棒の問題については、二〇%というものが九〇%ということに変更することも含めての私の意見だったのですが、それからあと一つ、一万キロワット出すことは必ずしも必要としなかったのだという答弁は、われわれにはどうしても是認できないわけであります。と申しますことは、今の実験でありますと、基礎的な研究実験しかできないというようなことで、一万キロが出れば、小規模な材料試験というものもできる、工業的に応用試験もできるというふうなことで、一万キロを何とか出したいという意欲は十分あって、この契約が出発したというふうにわれわれは理解をしておるのでございますが、この点は、菊池さん、どうでございましょうか。
○菊池参考人 私は、今のわれわれのいろいろな計画から見ましても、一万キロのものはやはりぜひほしいと思っております。それは、今のお話のように、第二次装荷、あるいは第三次装荷——私は、一万キロにするのが、必ずしも九〇%絶対必要とは思っておりません。二〇%でも十分いけると思っております。しかし、九〇%の方がより楽であるということは、確かであると思います。そういう意味で、できれば九〇%でやっていきたい。そして、少くとも、はっきりしたお約束をしますと問題でありますけれども、一万キロまではぜひ上げたい、そう思っております。
○西村(力)委員 先ほどの菊池参考人の御発言について、私たちはことさらに事をかまえようという気持はないのですが、ただ、過般ニュース映画を見ましたときに、池田正之輔大臣が、白いガウンを着てあなたのところに行かれて、わしは科学には弱いんだ。そのときに、一万キロワット出力のものが一キロワットしか出なかった、こういう解説が出るのですね。そうすると、観衆がわあっと笑うのです。私もそれを見ておって、まあ笑う気持もありますけれども、非常にみじめな気持がした。これは一般国民全体がそうではなかろうかと思う。そういう国民のみじめな気持を受けてこの問題を取り上げておる。そうして個々の皆さん方の責任云々という追及よりも、原子力開発全体に携わる人々が、やはり謙虚に率直にこの問題をこれからの発展の素材として相互に検討していかなければならぬ。われわれとしまして、また、携わる皆さんとしてもですね。そういう趣旨でこの問題を取り上げたのでございます。しろうとでございますので、失礼にわたることはもうたくさん出ると思いますし、また受けられる御印象が、一方的にAMFをけなし、CP5型をけなすというふうにとられるかもしれませんが、真意はそういうところにあるのでございますから、まずそれを御了解いただいて、私たちの審議に、一つ御一緒に問題を発展させるために御協力賜わりたい、こういう気持なのですから、この点だけをはっきり申し上げておきます。
○荒舩委員長 まだ質疑が多数残っておりますので、明日十時より再び参考人に対する質疑を行ないたいと存じます。参考人各位には、明日また、まことにお忙しいところ御苦労さんでございまするが、ぜひとも御出席を願いたいと思います。 私、委員会の全体の空気からいたしまして一言申し上げたいと思いますが、一体国民の血の出るような税金を使って——原子力というようなものは、まだ日本の科学の上においてはなかなかむずかしいことだと私は思っております。過去のことは別にいたしましても、国全体をあげて、もう少し科学の進歩も必要であり、原子力に対する知識も必要だと思うのですが、ただ質問とお答えになる皆さんの間にかなり開きがありまして、どうも責任転嫁のように聞こえる節も、私にはあるのでございます。はなはだ失礼な言い分かもしれないが、国民全体の関心の的である原子力の問題が、この程度でいいのかどうかということを、つくづく質疑応答のうちに考えさせられたわけであります。ほんとうに原子力を国民あげて、国全体あげて、もう少し研究し、早く先進国と肩を並べるところまで進ませなくちゃならないという、われわれ考えを持っております。また、委員各位の質問も、決して意地の悪い質問じゃない。この程度でいいのか、過去のやり方はこれでよかったのか、こういうことを考えてみると、まことに残念ながら、どうも非常な失敗であったように思うのですが、それは別にいたしまして、この速記をやめろといえば速記もやめて、懇談的にでもお話は十分できるのですから、一つ腹を打ちあけてもらって、もう少し、これはこういう失敗だったのだ、これもだめだったのだとか、これも失敗だったのだ、しかし、まだわれわれの知識だけではそこまで及ばなかったのだというような点も、もしそういう気持がおありでしたら、速記をやめてでも一つあしたは意見の開陳をしていただきたいと思う。それでお互いが納得し、また決算委員会としても、決してしゅうと根性で嫁いじめをするようなことでございませんから、打ちあけた——失敗は失敗であっても、新しいことですから、これはやむを得なかったと思うのです。今後に向かっては再びこういう失敗のないように、災い転じて福となれというように持っていっていただかなくちゃならないと思うのです。なお、政府の原子力局長の答弁も、まことに不満足で、私は聞いていて、一体日本の役人が、こういう程度の答弁でいいのか、国民に対してまことに相済まぬじゃないかというような考えまで、私はきょうは持たされたわけですが、これは少し私が出過ぎるかもしれませんが、どうか一つ、参考人の皆さんには、長い時間をかけてはなはだ申しわけありませんが、明日も御苦労をぜひいただきたいと思います。 本日はこれにて散会いたします。 午後零時五十五分散会