文教委員会 第11号
- 発言数
- 117 件
- 登壇者
- 8 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1960/04/08
会議録
○大平委員長 これより会議を開きます。 学校教育法の一部を改正する法律案、公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律の一部を改正する法律案、義務教育諸学校施設費国庫負担法等の一部を改正する法律案を一括議題とし、順次提出者より趣旨説明を聴取いたします。 —————————————
○大平委員長 山崎始男君。
○山崎(始)議員 ただいま議題となりました学校教育法の一部を改正する法律案につきまして、その提案の理由を御説明申し上げます。 御承知の通り、学校教育における学校保健の位置づけは、昨年六月に学校保健法が施行され、健康管理並びに保健教育に一段とその重要性を加うるに至りました。しかも、現在の学校保健、健康管理の立場からその中核ともいうべき養護教諭を置くことはきわめて重要なことであり、またその必要性は疑いをいれないところであります。 このことは、法律的にも明らかでありまして、教育基本法の第一条に、教育は、心身ともに健康な国民の育成を期して行なわれなければならないとあり、学校教育法第十二条には、学生、生徒、児童及び幼児、職員の健康増進をはかるため、身体検査を行ない、及び適当な衛生養護の施設を設けなければならない。と規定いたしております。さらに同法第二十八条におきましては、小学校には養護教諭を置かなければならない。とされており、第四十条において、この規定が中学校に準用されております。ところが、同法附則第百三条では「当分の間、養護教諭は、これを置かないことができる。」となっているため、せっかく本則で各校必置とされているのにもかからず、この附則によって、置いてもよろしい、置かなくてもよろしいということになっております。 そのため、全国学校数のうち、小学校二五・八七%、中学校一三・七%、盲学校九一・五%、ろう学校九八・九%、養護学校五六・七%で、喜平均二四・一%に養護教諭が置かれているにすぎない現状であります。これをさらに詳しく申し上げますと、養護教諭が最も多く配置されている県は、別紙資料にもございますように、小学校では東京の七六・七%、栃木の五八・五%、昨年最も配置率の高かった佐賀は九四%から六二%に減っております。 中学校では、佐賀の四九・二%、次いで、福岡の四五・四%で、小学校よりさらに悪い状態でございます。最も少ない県について申し上げますと、小学校では島根の二・九%、山梨の五・五%、次いで北海道、三重、青森がいずれも七ないし八%、中学校では養護教諭が一人も配置されていない県が山梨、次いで岡山の〇・四%、島根の一・六%、愛媛の一・七%といったような状態でございます。このような実態は、地方公共団体の財政的貧困ということもありましょうが、その主たる原因は義務設置になっていない点にあると思います。 さらにまた公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律第七条四項並びに第八条三項の規定が優先され、小学校児童千五百名に一名、中学校生徒二千名に一名という算出により、これが必ずしも養護教諭の配置規定でないままに配置が行なわれるようになり、地教委単位の配属や、同一市町村内の幾つかの学校を兼務する養護教諭がふえてきていることや、原則として授業を持たない養護教諭が中学校では五〇%、小学校では二〇%の授業を持たされているのが実情でございます。一校にあっても、その仕事はなかなか満足にできない中で、数校兼務をいたしたりしてその職責が果たせないと思うわけでございます。 学校教育法附則にある当分の間置かなくてもよいとする規定あるいは考え方、教員定数の標準にある規定づけについては、義務教育という立場からも、学校教育法本則に規定されているように当然養護教諭を置かなければならないと考えるのであります。 従って当分の間置かなくてもよいとする附則については、これを削除し、学校保健制度の確立をはからなければならないと考えるのでありますと同時に、国及び地方公共団体の財政事情及びこれに伴い必要とされる養護教諭の養成に多少の日時を必要とする点等を考え合わせますと、一挙に整備することは事実上困難であろうかとも存じますので、本案におきましては、昭和三十六年度から三カ年計画を定め、これによって年々財政措置、その他の必要な措置をとり、順次整備を行なっていかなければならないことといたした次第であります。 次に高等学校の養護教諭に関してでありますが、現在高等学校におきましては、養護教諭は必置されておりません。しかし生徒の養護に当たる教諭の必要性は小、中学校と全く同様でございまして、現に高等学校に養護教諭が置いてある学校の割合からしても、そのことが申し上げられると思います。 そこで本案におきましては、第五十条の規定を改正し、高等学校についても養護教諭を必ず置かなければならないものといたしました。しかし、この場合におきましても、先ほど申し上げましたような事情もございますので、直ちにその完全な実施を求めることは問題があろうかと存じますので、昭和三十六年度から完全な実施を求めることといたし、年々整備をはかることとした次第であります。 次に事務職員に関し、御説明申し上げます。御承知の通り、戦後わが国の教育制度は根本的に改善されてから十数年ようやくにしてその基盤が整いつつあります。しかしながら以前はそれほど問題にされていなかった学校事務も今日では教育の機能を十分発揮せしめる推進力として大きな役割を果たしつつあります。 小学校、中学校において学校事務を担当する職員の置かれていない学校では、教師が百四十九種類に及ぶ膨大な事務を、児童、生徒という重責を果たしながら分担処理しなければならない状況であり、義務制諸学校の教職員の過重負担は他の社会人の想像に余るものがあります。 不十分ながらも専門的な学校事務機構の確立されている高等学校及びそれ以上の学校に比べて、小学校、中学校は県教育庁、出張所、地方教育事務所、地方教育委員会等から直接間接に管理されているために、事務量は前述のように決して少なくないのでありますから、事務を処理する専門的な機関がどうしても必要になってくると思うのであります。事務職員が配置されなければ、教師が学校事務まで分担処理することは、教育本来の目的を達成するには事実上不可能といわなければならないと思うのであります。現在の義務制諸学校の事務職員の配置状況は全国の学校三万九千三百四十四校に対し、九千二百七十九名にすぎません。このことは地方公共団体の財政的貧困ということもありますが、主たる原因は義務設置になっていない点にあります。 同時に第二十八国会で成立を見た義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律によれば、事務職員は、小学校十八学級、中学校九学級以上の学校にのみ配置することとなっています。このような基準のため、現実に見られる事務職員の配置は全く不十分な状況になっており、事務職員一人で数校を兼任しているのが実態であります。従いまして、これが改善の要望は、学校運営事務をあずかる事務職員の過去数年にわたる切なる声であります。にもかかわりませず、現実には、学校教育法第二十八条ただし書きによりまして、ただいま申し上げた通りの定数標準法による不十分な配置が行なわれているのであります。かくのごとき状態では教師の保健、児童生徒の教育の建前からも正常な学校教育の運営をはかることは不可能であります。従って教育基本法の根本精神から考えても、学校の正常な教育及び運営を行なうために、全国の小学校、中学校に事務職員をぜひ配置しなければならないと思うのであります。学校教育法第二十八条に「小学校には校長、教諭、養護教諭及び事務職員を置かなければならない。但し、特別の事情のあるときは、事務職員を置かないことができる。」となっておりますが、以上申し上げました理由により、学校教育法第二十八条のただし書きを削除して事務職員を義務設置し、学校教育及び運営の万全を期したいと考えるのであります。 なお、国及び地方公共団体の財政事情を考えまして、一挙に配置することは事実上不可能であろうかと存じますので、本案におきましては、国及び地方公共団体は、その実施のため昭和三十六年度から三カ年計画を定め、これによって、年々財政措置その他必要な措置をとり、順次配置を行なっていかなければならないことといたした次第であります。 以上がこの法律案の提案理由及び内容の概要であります。 次に公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律の一部を改正する法律案の提案理由を御説明申し上げます。 さきの昭和三十三年五月第二十八国会におきまして、本院において公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律を成立いたし、すし詰め学級の解消を目ざしたのでありますが、義務教育本来の目的に立脚いたしますときに、適正な指導と学習活動を展開するためには、不十分な点が多くあると考えられるのであります。児童生徒の日常活動の指導や、学習活動の面からしても、また、諸外国の実例をとりましても多くの問題を有していると考えるのであります。すなわち、文部省が昨年十一月発表いたしました「わが国の教育水準」にも示されています通り、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連、西ドイツなど、いずれも一学級当たり生徒は四十人以下となっておりました。一学級四十一人以上の学級数においても、イギリスでは二三%、西ドイツでは三三%に対し、わが国は六八・二%で、すし詰め学級がいかに多いかを物語っているのであります。 さらに、児童生徒の保健上からしても、現にある学校の教室の条件からして、教室内の炭酸ガス量は、一日の授業時間を四時間といたしまして、五十人から六十人の人員では二時間が限度となっております。さらには、教職員の活動量あるいは外部からの騒音、教室内の塵埃、温度等、検討いたして参りますときに、教育をより向上させるための目的に近づけるにはいま一そうの改善が必要と考えられるのであります。 かかる観点に立ちまして、教育の効果を上げ、学校運営をより円滑にし、適正なる教職員の配置をすることによって、義務教育水準の維持向上に資するために、学級編制の標準を引き下げ、もって教職員の配置をより充実することが適当と考え、今回の改正法案を提出する運びに至った次第であります。 以下内容にわたってその概略を御説明申し上げます。 まず第一には、一学級の編制の最高を四十人とすることに改めました。これは、すでに申し上げた通り、教職員の活動の量、児童生徒の学習活動範囲からしても四十人以上であることはきわめて困難であるということであります。 第二には、教職員の配置基準の適正化を行なうため、その標準の引き上げを行うための改正であります。文部省発表により「わが国の教育水準」でも明らかなように、教師の一週当たり勤務量は小学校で五十五時間、中学校で五十五・八時間となっており、週四十四時間労働の基準に比較した場合の超過勤務を行なっているわけで、担当教科数量並びに活動時間の過重という点からもその改善を必要とするわけであり、教育水準の向上をはかるため児童総数に見合う教職員の配当をより充実させた次第であります。 第三には、養護教諭及び司法教諭並びに事務職員を昭和三十八年度までに各校に各一名を必置することであります。このことは御承知の通り、最近の学校運営上ぜひ必要なことであり、教育全体の向上と充実をはかることの措置をいたすことが緊急の要務と考えるのであります。 なお、現行法律では、経過措置を政令にゆだねているのでありますが、これを法律条項に三カ年並びに五カ年をもって年次的に解消していくことを考えているのであります。 以上が、この法律案を提出いたしました理由及び内容の概略であります。何とぞ、慎重に御審議の上、すみやかに御賛成下さるようお願い申し上げます。
○大平委員長 次に、長谷川保君。
○長谷川(保)議員 ただいま議題となりました義務教育諸学校施設費国庫負担法の一部を改正する法律案につきまして、その提案の理由及び内容の概略を御説明申し上げます。 さきの昭和三十二年五月第二十六国会におきまして、本院は一、義務教育が国と地方公共団体との共同責任にかかる重要事項たる点と、地方財政の実情とにかんがみ、公立義務教育諸学校の施設、設備についても、政府はすみやかに義務教育費国庫負担法の精神にのっとり、これに必要な経費の二分の一を国が負担するために、必要な措置を講ずべきである。二、公立義務教育諸学校における教育効果の向上と教育財政の有効化を期して、多くの市町村が学校統合を企画しつつある現在、政府は義務教育の重要性と地方財政の実情とにかんがみ、すみやかに有効適正な措置を講ずべきである。この附帯決議をいたしました。 また参議院におきましても、次のごとく決議がなされております。政府は義務教育の重要性と地方財政とにかんがみ、すみやかに次の措置を講ずべきである。一、公立義務教育諸学校の施設の設備に必要な経費の二分の一を国の負担とするよう関係法を整理し、もって義務教育国庫負担法の趣旨を完全に実施すること。二、公立義務教育諸学校における校地の購入に要する経費を国庫補助または起債の対象とすること。以上のごとく、義務教育諸学校の施設、設備に関して、その要する経費の二分の一を負担すること、その措置を講ずべきことが、両院において決議せられておるのであります。加えて、第二十八国会におきましては、本委員会、全会一致をもって、同趣旨の付帯要望がなされているのであります。また、第二十八国会におきまして、すし詰の教室解消のために義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律が成立いたしました。これに伴いまして、文部省においても、五カ年計画によって、義務教育諸学校の施設の設備を行なわんとしているところでありますが、建築構造割合の不合理、坪数単価の不適当、さらに加えて、土地購入費等の問題によって、地方財政や父母負担の増大を来たしていることは明らかであり、教育行政水準の低下を免がれません。かかる事情においては、文部省五カ年計画もまた困難になっていると推量いたします。 かかる観点に立っても、また義務教育の本質に立脚しても、義務教育諸学校の施設、設備に要する経費に関しては、国がその大幅の負担をすることが適当と考え、今回提案する運びに至った次第であります。 以下内容にわたって御説明申し上げます。 まず第一には、義務教育諸学校の施設の新築または増築に要する経費については、国がその十分の八を負担することとし、これを昭和三十六年度から三十九年度までの五カ年計画で行なうこととしたことであります。 第二は、義務教育施設については、小学校、中学校とも平等に取り扱われることが適当と考え、不正常授業については、これを統一し、新たに公立の小学校の屋内運動場の新築または増築に要する経費についても国庫負担の対象としたことであります。 第三は、国庫負担の対象を、不正常授業解消、屋内運動場、学校統合に伴う校合増築、危険校舎の新築及び増改築としたことであります。 第四は、校地の購入に要する経費については、その二分の一を国庫負担とすることであります。 以上がこの法案を提出いたしました理由及び内容の概略であります。 何とぞ慎重に御審議の上、すみやかに御賛成下さるようお願い申し上げます。
○大平委員長 以上三法案に対する質疑は追って行なうことといたします。 ————◇—————
○大平委員長 次に、学校教育に関する件について調査を進めます。 質疑の通告があります。これを許します。臼井莊一君。
○臼井委員 学校教科書の問題について少しく御質問申し上げたいのですが、その前に緊急の問題で一つお伺いいたしたいのは、これは千葉の野田市の高等学校で起こった問題であります。しかしながらこれはひとり野田の一高等学校の問題とか、あるいは千葉県の問題ということでなく、全国的に深い関係のある問題でありますから、この機会にお尋ね申し上げたいのであります。 その内容は、野田市の県立野田高等学校の普通科を受験した生徒で、学力検定では一番か二番の成績であったけれども、右足が不自由という理由で不合格になった。これについては、推薦した野田の二中においては、就学にさしつかえないということの医師の証明までつけて推薦したのだそうであります。ところが受験の成績の内容は一、二であったにもかかわらず、今言ったような右足が不自由というような理由に基づいてでありましょう、ついに不合格になった。これでだいぶ社会的にもいろいろな反響を呼びまして、野田高等学校の取り扱いは不当ではないか、教育基本法にさえも違反しているではないか、こういうようなきびしい批判がございました。これによってでありましょう、その後夜間の定時制にさらに試験を受けさせて、これの方には去る四日に入学の許可が出たということなのであります。これは、夜間の定時制に入って就学できるというくらいであれば、昼間でも就学ができるはずだ。問題は、学校ではどうして落ちたかという理由は言わぬそうでありますけれども、おそらく三階に上がるのに不自由であるとか、あるいは体育科の勉学に不自由である、こういうようなことからであろうかと思うのであります。しかしながらすでに小学校、中学校——小学校のときに何か機械体操でけがをして、それで足が不自由になったのだそうでありますけれども、せっかく成績においては非常に優秀であり、しかも本人が育英資金まで受けて勉学しよう、こういうのに、まことに人情のない扱い方のように思うのであります。これにつきまして、文部省の方にも県の方から何か連絡があったようにも聞いておるのでありますが、その点御承知でありますか。
○内藤(譽)政府委員 事情はよく承知いたしております。
○臼井委員 そこで、こういう際に一つお伺いしたいのは、こういう三階に上がることは不自由ではあるでしょうけれども、もうすでに試験の際に二階か三階にも上がって、そういう不自由はない。問題はおそらく体育であろうと思うのです。手が不自由であるということであれば、あるいは理科の実験等において不便だというようなこともあるでしょうけれども、足の方でありまするし、そういう点では心配はない。そこで、そういう際に体育の実技でございますね、これはやらなくても、何か座学の方で単位をとる、こういうような方法もあると思うのですが、そういう点はどうなんでしょう。
○内藤(譽)政府委員 体育は本来実技でございますが、もちろん体育の中には保健の学科もございます。保健の方は支障はないのですが、体育につきましてもからだを丈夫にするということが目的でございますから、一般の体育はできなくても、適当な方法で補えるのではなかろうかと思うのでございます。 ただこの機会に、学校側からの事情を少しく説明さしていただきたいと思うのです。高等学校は義務教育と違いますけれども、やはり就学に支障があるかないかという点が判断の基礎になろうかと思うのであります。学校側の事情をよく聞きましたところ、肢体不自由児だから入れないというわけではなくて、例年肢体不自由児も入れている、こういうことでありまして、本年は二人肢体不自由児が希望したそうでございます。そのうちの一人の方は成績が悪かったけれども、就学に支障がないということで入学を許可した。今御指摘の一人の方は、程度が非常に、何と申しますか、就学が困難である、こういう認定をしたようでございます。この問題について前後三回にわたって慎重に審議をしたそうでございますが、ついに教員の皆さんの意見で不合格ということになった、こういうふうに申しておったのであります。ですから、就学に支障があるかないかという判断で、学校も非常に苦慮し、悩んだ結果不合格とした。それではなぜ夜間に入れたかということになりますと、成績がかなりよくて、この子は育英会から特別奨学金として三千円を貸与されておることでございますし、何とかして就学の道をつけたい、こういうふうに考えまして、夜間ですとつき添いが割合楽にできる。昼間ですと、御兄弟の方がありまして、小中学校の場合は一緒に自転車に乗せていったそうでございます。高等学校の場合になりますと、つき添いがないと一人では行けませんので、昼間では非常に困難である。夜間ですと、家族のだれかが送り迎えできるということが一点、それから定時制の場合には実技の体育はあまりやりませんので、この辺も非常に楽になるだろう、こういう判断から、実は定時制の方に入学を許可した、こういう事情のようでございます。
○臼井委員 この点については、私どもも実際に本人に会って調べたわけではございませんから、その点については学校の取り扱いが絶対に不当であったということの断定ばかりは下せないと思うのでありますけれども、ただ、しかし、中学校においては就学に差しつかえないということで推薦し、昼間の全日制高等学校に行きたいという希望を持っていたのが、それが踏みにじられて、しかも成績がいいというまことに惜しい子供でありますので、そこでこういういろいろ社会的に反響が多かったのじゃないか、こう思うのであります。そこで考えられることは、一つはこういうような肢体が不自由のために勉学を途中で思いとどまざるを得ない、こういうような子供は全国に非常に多いのじゃないかと思います。将来はそういう児童、生徒、学生のために、高等学校においても、特殊学校までは急にいかぬにしても、特殊学級までは急にいかぬにしても養護学級くらいを、やはり県に幾つか設けて、そして寄宿舎でもできればなおよろしいし、そういうふうにして、ことに身体障害でありますと、将来生活していく上においても非常に限定されております。しかも今政府におきましても、身体障害者の雇用促進法案というものが出ておりまして、政府でもこの身体障害者の雇用については極力推進しようという時代であるのでありますから、やはり教育においても高等学校等において、そういう特殊学校あるいは特殊学級あるいは養護学校、こういうようなものも将来必要ではないかと思うのでございます。特殊教育については非常に大臣が御熱心でありますが、それについてこの機会に一つ大臣の御所見を伺っておきたいと思います。
○松田国務大臣 事情を承りまして、私どももそうした措置に対して特定の教室なりなんなりを設けて、その向学心を満たしていきたいものであるというふうに考えますが、さて実際問題としては、そういう特殊児童に対してどういう措置を講じ、どういう施設をもってすることが最も適切であるかということについては、いわゆる一般の特殊学校に入学さしていいものやら、またそうした児童を目標にして特別の施設をこしらえていくということが最も望ましいのではないかと思いますけれども、それについては調査すべきそうした児童の数であるとか、あるいはその地域の事情等をいろいろ研究の上、適当な措置を講じなければならない、かように考えております。深く検討して参りたいと思います。
○内藤(譽)政府委員 ちょっと補足説明させていただきたいのですが、実は養護学校については、すでに学校教育法で就学の義務が規定されております。本年政令を改正いたしまして、各府県に養護学校を義務設置する、ですから府県は設置義務を負うことにいたしましたので、すでに各県相当今日まで養護学校ができておりますが、数年後には、肢体不自由児の養護学校は各県に少なくとも一校は作らなければならぬことになっておりますので、御期待に沿えると思っております。
○臼井委員 そうすると、その養護学校の中には高等部を設ける、こういうことになるわけですね。
○内藤(譽)政府委員 さようであります。
○臼井委員 それでわれわれも非常にその点は明るい感じを持ちますが、大体今年は試験も済んでしまったのですが、養護学校が高等部まで順調に各県できればよろしいのですが、それが義務といってもやはり幾らかは高等部の方はおくれるのじゃないかという心配があるのでありますが、そういう際にはこういう肢体不自由児についても、いろいろな困難はあろうが、学校でもできるだけ親切に勉強の便をはかるように、機会があったら一つ全国的に各教育委員会なり委員長の方にお流し願いたいということを希望申し上げまして、この質問は終わります。 そこで本日の問題であります教科書の問題につきまして少し御質問をいたしたいのです。最近、各新聞とか週刊誌等で教科書検定の問題、さらに教科書採択の問題についていろいろの記事が載っておるわけでありますが、そこで採択の前に教科書の検定の問題でありますが、これは数年前の偏向の教科書から検定を強化して、大体是正されて、内容においては中正的なものになりつつあるということをわれわれは聞いておるのでありますが、この検定の機構については、大体どういうような順序で検定をいたすのでございますか。その点をちょっとお伺いいたしたい。
○内藤(譽)政府委員 検定制度につきましては、文部省に専門の調査官が四十名ございまして、これは各教科別に配偶いたしております。そのほかに現場の先生方の意見を聞くとか、あるいは特に専門的な学識経験を有するような人がございますので、こういう観点から現場の先生と大学の専門の方々を調査員として五百名程度委嘱いたしておるのであります。この双方の意見が出まして、それを検定審議会に——この審議会は約百人でございますが、そのうち検定に当たる方が八十人おりまして、二十人は供給、採択、発行に関する方の部会であります。この検定審議会で各部会に分かれて慎重に審議をされて、そこで合否の決定がされるわけでございます。もちろんその中でどうしても直していただかなければならない意見はA意見として出されて、参考にこう直した方がいい程度のものはB意見として、そこで論議をきめられまして、それに基づきまして、文部大臣が審議会の答申を受けて各会社に合否の指示をいたす、こういう順序でございます。
○臼井委員 相当いろいろな機関を通して慎重にやっておられるようでありますが、しかし数多い教科点の中でありますから、世間から見れば、これはまたいろいろな立場から批判の出るのは当然かと思うのであります。 そこで、最近日本歴史学協会ですか、その歴史教育特別委員会が大臣に何か面会されて申し入れをされたそうでありますが、それはどういう点について希望を申し入れたのでありますか、伺いたい。
○内藤(譽)政府委員 その要旨は、教科書の検定にあたっては、誤記や誤植を直すことはけっこうだけれども、著者の歴史観は自由にしてほしい、こういう要望のようでございました。
○臼井委員 その申し入れについては当然のことのようにも思うのでありますけれども、ただ新聞雑誌等で伝えられるところによると、いろいろのこまかい事例をあげて、こういう点が不当だと、こういうようなことが出ているのであります。その一、二の事例を見ますと、明治憲法と今の憲法とを比較して説明したところ、何か削るように命じたというようなことですね。あるいは建武の中興という言葉を使わなくちゃいかぬということを言った、こういうような点でありますけれども、それらの点で何か誤解があったというのか、あるいは事実そういうふうにしてやっているのか、こういうようなことについてお伺いしたいのです。なお、ある新聞には、御陵の航空写真はだめだという見出しで、この一月千葉で開かれた日教組、日高教の合同教研に教科書問題協議会から報告された検定を拾ってみると、四年生の教科書で米作りという言葉を使ってはいけないというようなこまかい事例、それからもう一つは、六年では仁徳天皇陵を大きな古墳の例として出したら、天皇の御陵を空から写真にとるとは何ごとだといわれた、こういうような点、それからもう一つは、消防自動車の赤旗があったら、赤旗はいかぬから白旗に変えろ、こういうことを言ったというような点なんですが、これらの点については事実はどうなんでございましょうか。
○内藤(譽)政府委員 おおむね週刊誌等であげられておる事実は、事実無根のことが多いと思いますし、また誤解や曲解に基づく見解も多いように見受けられるのでございます。ただいまおあげになりました消防自動車の件でございますが、消防自動車に白旗が出ておったので、これはむしろ赤旗ではなかろうかということで疑問を抱いた。ところが、夜でございますので、白旗が正しいのだということがわかりました。私どもの方は、むしろ赤旗じゃないかという懸念を持ったのです。逆のことでございまして、これは全く事実に相違いたしております。 それから仁徳天皇のことでございますが、これは仁徳天皇の御陵を航空写真でとっておりますが、これについて文部省がとやかく言った事実もなし、航空写真のままで検定が通っておりますので、これはごらんいただけばわかると思います。 それから建武の中興の話が出ましたが、建武の中興という言葉を全然使ってない教科書がすでに検定にパスしております。また南北朝時代と建武の中興は時代が前後しているので、著者のおっしゃるように南北朝時代を建武の中興と直せということは、これは歴史上あり得ない。これも事実に相違いたしております。 それから明治憲法と今度の憲法を比較してはいかぬということは、私どもは言っていないわけです。文部省側としては、歴史の教育の中で価値判断を入れて比較検討することは、これは場所としては適当でないのではないか。憲法を論ずるところは政治、経済という分野がある。その方に憲法論議は譲った方がいい。もちろん歴史の中である程度のことは必要でございますけれども、これは時代の背景なり流れの中で歴史を見ていかなければならないし、そこで一々比較検討して参りますと、歴史の大きな流れを見失うわけでございまして、歴史的な観点とそれから政治、経済の方で論ずべきところが別にあるわけですから、そちらの方で比較検討をしていただきたい、こういう趣旨を申し述べたのでありまして、これも誤解であると思うのでございます。 それから、米作りという言葉はいかぬと言ったような事実は私はないと思っております。
○臼井委員 今お伺いすると、記事がだいぶ誤り伝えられたように伺ったのでありますが、これは何かにちょっと出ますと、それを引用して方々にそれが伝わるわけです。この一番のもとは、昨年十二月二十五日のアカハタに「皇国史観で貫かれる教科書検定」ということで教育評論家ですか、徳武敏夫という方が書いている中に、建武の中興という言葉を出さなければいかぬとか、「天皇は国民統合の象徴である、と憲法に定められている」というような表現ではいかぬとか、それからここで憲法の論議とか戦争放棄の問題というような、いろいろそれに類似したことを書いているんです。そうすると、これが十二月二十五日、これは割合早いのですが、その後三月ころにかけて各新聞や雑誌等でということになっている。その前にさかのぼって一月の日教組の今お伺いした教研大会で、こういうようなことをもとにして取り違えた——もともとあの教研大会は文部省にすべて反対ですから、そういう一つの色めがねで見ているから、よけい白を赤と見たい、赤が白と見えたりするのかもしれませんが、根底にそういうことがあるので、そういうふうにいろいろ誤り伝えられると思う。 そこでそういう投書とか記事があった場合にはすみやかに訂正されることがよかろう。その点では最近の投書で、たしか読売の社説でしたかに出ていた「再検討を要する教科書検定」というところにそういうことが出ているのに対して、社会科担当教科書調査官一同としてこの批判に答えるようなことが出ておりましたが、こういうことは、もしそういう誤謬があったら正すようにしていただくことが誤解を生じないのではないかというふうに考えます。この機会にそういうことを申し添えておきます。 そこで今から採択の問題について少し伺いたいのですが、地方へ参りますと、多くの母親の方、婦人の方が集まると、なぜ国定教科書を作ってもらえないのかという希望がどこでも出るのです。これは昔の教育を受けた婦人が多いので、昔の教科書は安くてそして全国統一されていて、どこへ転居しても同じ教科書が使える。それからにいさんやねえさんのを弟、妹が使えるとか、あるいは友だちから譲ってもらえるとか、その点は非常に便利をした経験から、最近の学校ではそういうことでないので、そこで素朴な考え方からそういう希望が出て、ある婦人会に出たら私たちは決議までするからそうしてということで希望があったのです。しかし今はなかなかそういうふうにいかないということで、私どもはそういう機会によく事情をお話するのですが、しかし、実際現在の教科書では、今言ったように以前と逆に価格の点についても問題があるばかりでなく、同じ市内でも教科書が違うために、これは私どもの千葉市であった例ですけれども、昨年でございましたか、新しく小学校ができたので、そっちへ新学期に子供を移そうとしたところが、すでに前の学校の教科書を子供が買ってしまっておった。今度はそっちの学校へ行ってみたら、そこで使う教科書が同じ千葉市内で違うというのですね。それで子供の親の方からだいぶ苦情が出まして、結局しようがない、どっちでも子供が望む方でいいというようなことにきめたということです。同じ市内でそういうことが起こる。そういうことから見ても、少なくとも県内ぐらいは同じ教科書を使ってほしいという希望があるわけなんです。 さらに、そういう点では全国的に国定になればいいという素朴な要望というものは、これはたしかにあると思うのです。そこで、一つの国定教科書ではいかぬということは、一つは思想統一、思想統制、そういう点でこれがいかぬというのが大きな理由であろうと思うのですが、もしそれが大きな理由であるとするならば、そういう思想的に関係のない、たとえば数学とか理科とか、書道とか図画、工作とか、そういうようなものなどは、これはかりに全国統一したものを作ってもそういう思想統制というような面には関係ないじゃないか。しかも数学、理科というような問題については、全国的に水準を上げるということも急務になっておりますので、そういう点で高等学校を受験するにしても非常に便利だ、まあこうも考えるのであります。そこでお伺いしたいのは、私、学校教育法の二十一条を読んでみますと、「小学校においては、文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部大臣において著作権を有する教科用図書を使用しなければならない。」こういうことが書いてあるわけです。さらにまた、教科書の発行に関する臨時措置法の第二条には、前文のあとで「又は文部大臣において著作権を有するものをいう。」こういうようなこととか、それから臨時措置法施行規則の第一条に「文部省著作教科書」というようなことがあるわけです。これから見ると、やはり国で教科書を作っていかぬということではなくて、やはりこういう国定ということがいいかどうかは別としても、文部省で作った教科書、こういうものもでき得ると思うのです。その点さしつかえないと思うのですがお伺いしたい。
○内藤(譽)政府委員 差しつかえないばかりでなく、むしろ適切な場合があるわけでございまして、たとえば、現在やっておりますのは盲ろう学校の教科書については国で編集いたしております。それから、職業教育でも部数の非常に少ない場合、これは民間ベースでペイしないような場合には国で編集をいたしておるのでございます。ですから、原則としては検定制度でございますけれども、そういう特殊な場合には国で編集をしている道も開かれており、現に編集もしております。
○臼井委員 私の申し上げたのは、自分の出向いた二、三カ所の例でありますから、これがはたして全国の要望だと断定することはいささか早いのでありますけれども、しかし、そういう声が非常にあるということから考えて、今申し上げたようなそういう思想統制にわたらないようなものは文部省で一つの標準教科書というようなものでも作って、——もちろんそれを使わなければいかぬということではなく、そういうものも使ってよろしいということで出すことも一つの方法ではないかと私は思うのであります。 そこで、一つお伺いしたいのは、教科書の価格の問題、これについては文部省の方でもこまかく一ページについて幾らとか、ある程度原価計算をして指定をしているようでありますけれども、そういう際に紙質を同一にするとかいうようなことは別に指示してはございませんですか。
○内藤(譽)政府委員 価格の点につきましては、従来は、今お話しのように原価計算の方式をとって参りましたが、最近これを改めまして、最高価格をきめました。たとえば国語では幾ら、算数では幾ら、理科では幾ら、こういうふうに最高価格をきめまして、その中で会社が自由に競争できるように、たとえば薄くて非常にいいものもできるでしょうし、厚くて詳しいものもあり得ると思います。その辺は自由にしたわけでございます。その最高価格をきめるときに、従来の実績を基礎にいたしまして、原価計算に基づいたものもございますので、それを基礎にいたしましてやや低目のところで押えたわけでございます。紙質、印刷その他につきましては相当こまかい規定をいたしておりますので、こういう点についても、現在のところそれほど弊害がないのではなかろうかと考えております。
○臼井委員 それでは、時間の関係でこの採択の問題について少しくお伺いしたいのでありますが、採択するについては、その権限が学校では学校にあるのだとか教師にあるのだとか、あるいは教育委員会にあるのだとかいろいろ言われておるのでありますけれども、これはわれわれ常識から考えて一応は教育委員会にあるのだというふうに考えるのでございますが、その点はいかがでしょうか。
○内藤(譽)政府委員 これは地方教育行政の組織及び運営に関する法律によりまして、市町村の教育委員会の職務権限に、教科書に関することというふうに出ておりますので、その規定から、私どもは当然教育委員会にある、こう解釈しておるのでございます。
○臼井委員 次に、採択の区域の問題ですが、これは今も申し上げたように、使う方からいうと、広い方が非常にやりいい。たとえば県なら県内同じ教科書であるならばやりいい。この点は教える側でも研究がある程度一つにしぼられるので、たとえば先生がよその学校に移ってもそういう点やりいいというふうにも思うのでありますけれども、しかしながら現在では、何か聞くところによると、東京都のように各学校単位で違っておるところもあるし、あるいは市町村によって違うところもあるし、あるいは郡市ぐらいは統一しておるというふうなことも聞いておるのでありますけれども、せめて郡市ぐらいは同じ教科書を使うことが望ましいというふうに思うのですけれども、その点は全体でどの程度の割合になっていますか。
○内藤(譽)政府委員 御指摘のように郡市単位がほとんどでございまして、七割以上が郡市単位に統一されておるのでございます。今お話のように、学校ごとに分かれるものもありますし、市町村ごとに分かれるものもございます。大勢は郡市単位ではなかろうかと思っております。
○臼井委員 それからこの採択について、いよいよ七月に展示会が行なわれるというふうに聞いておるのですが、この展示会については、どうも最近ではあまり展示会は見に行かないというようなことで、これもある雑誌などの伝うるところによると、展示会のときにはもう売り込み合戦が終わって、九九%は決定しているのだというふうに書いてある雑誌さえあるのでございます。 それからもう一つ、それに関連して、最近日教組が総点検運動というようなことで展示会に反対して、自分の方で何かそれに類似したものをやろうというのでしょうか、あるいは研究しようというのでしょうか、そういう問題があって、これに対して文部省が何か注意を与えたということでございますが、その点のいきさつをちょっと伺いたい。
○内藤(譽)政府委員 展示会は例年七月一日から十日間ということにきめられておりますけれども、実は常時の施設にいたしまして、教科書は一年じゅうそこに展示されておるわけでございまするから、ふだんから研究をしていただいて、展示会で最終的にきめていただく、こういうことになろうかと思うのであります。 それからセンターにつきましては、今センターが六百カ所ほどございますが、そのほかに同数以上の、一千ぐらいの臨時分館もございますので、そういうところでふだんから研究をしていただきたいし、また、センターの重要な任務として常時研究をするというような態勢を作らしておりまして、これには若干の補助金も委託費も出しておるわけでございます。これに対して日教組の方から——これは日教組がそうきめたのかどうかはっきりしないのですが、ある県におきまして法定展示場以外に何か教科書の展示会を開きたいから会社に協力を願う、こういうことを申しておったように記憶しておるのですが、これはあくまでも法の範囲から逸脱しておりますし、今の教科書センターを中心にそこで研究し、そこで採択をきめるような方向、それを基礎にして採択をしていくというのが筋でございますので、その行政のルートを乱して別に展示会を設けることは違法でございますので、そういうことのないようにという指導をいたしたわけでありまして、これに対して教育委員会にも通達し、また発行社にも協力をお願いしたわけでございます。
○臼井委員 今一番問題になりますのは採択で、いよいよ来年の四月から小学校においては教科書が変わる、そしてこれは一度採択がきまると三年間据え置きだということなんですが、これは採択が据え置きじゃなくて、今度の検定を通ると三年間据え置きだ、こういうことなんでしょうか。
○内藤(譽)政府委員 三年間据え置きとかなんとかいうことは全然ございません。ですから、毎年変わっていいわけでございますが、教科書というものは一年から六年まで小学校の場合には一貫いたしておりますから、途中でくらがえをすることは教育上支障があるということだろうと思うのであります。中学校ですと三年、小学校は六年でございまして、そこに一貫した一つの精神が流れており、編集がされておりますので、一ぺん採択がきまるとなかなか変更しにくいという事情はございますが、もちろんいい本が出れば、学校なり教育委員会がその判断に基づいて教科書をお変えになることは一向差しつかえないわけでございます。
○臼井委員 なるほど六年なり三年なりを通じてのことになりますから、やはり六年なり三年なりは変えない方がお互いにいいということになるかと思うのです。そこで、これは高等学校の例で、いつかラジオの私たちの言葉に出ていたと思うのですが、高等学校の教科書で、前年度の教科書を友人から借りて使ったところが、内容は同じだけれども、ページ数が変わっておる、だから、先生が何ページを勉強しなさい、こういうことになると、内容が違ってしまっておるというのです。よく調べると、要するに配え置きをごっちゃにしておる。これは一つの新しい教科書を売ろういう商売の点からいえば無理もないかもしれませんが、こういうような際にもやはり大臣にそういう届出をするんでしょうか、それとも、それは業者の自由でしょうがないということでしょうか。
○内藤(譽)政府委員 そういう場合には、その改正した部分については検定の出願があるわけでございまして、そういうことは当然出てくると思います。 ただ、先ほど臼井先生が三年とおっしゃったのは、こういうことがあるのです。実は今小学校、中学校、高等学校の教育課程を全面的に改訂をいたしましたので、教科書が全部変わる。そこで、昨年は小学校に主力を注いだわけでありまして、本年は中学校に主力を注がざるを得ないし、来年は高等学校に主力を注がざるを得ないのであります。こういう点で、実は小、中学校の教科書の改訂がかりにできても十分に審査ができないというような点はあろうかと思っております。
○臼井委員 そこで、先ほど来からいろいろお話し申し上げたのですが、ことしの検定を通った採択は、今言ったように大体三年くらいは動かぬだろうという予想からでございましょうが、競争が非常に激烈化してきておるというようなことが新聞等にも出ているのです。これについては、過去にいろいろの問題もあったので、大臣におかれても関心をお持ちだろうと思うのですが、この点、大臣は御承知かということを伺うのは失礼かと思いますが、これについては大臣の御感想をお伺いいたしたいのであります。
○松田国務大臣 私はこまかい点についてはよく承知いたしませんけれども、文部省としては、答申に基づいて特に採択の点については最も慎重な態度をもってやるように通達をいたしております。
○臼井委員 大臣もその点は御心配されて、文部省の方から通達をされたということでございますが、従来教科書業界に対してはどういうような規制とか指導とかを行なっておられたかということと、将来さらにまたどういうような文部省として規制なり指導を行なおうということであるか、その点を一つお伺いしたい。
○内藤(譽)政府委員 従来やって参った点を申し上げますと、教科書という特殊なものでございますので、文部省側においても、また公正取引委員会側においてもそれぞれ指導をいたしておるわけでございます。文部省側におきましては、今競争が熾烈とおっしゃったけれども、まだ検定が通ったばかりでございますので、これから見本本を見るという段階でございます。従来は主としてセンターを中心に研究、協議を進めていくということで、この面から献本の制限をいたしております。献本があまりたくさん出ますとセンターが有名無実になりますので、献本の制限をいたしております。たとえば千部とか千五百部とかいうふうに制限をいたしております。それから高等学校は事情が若干違いまして、学校単位になりますので、高等学校の献本は小、中学校よりも部数を多くいたしております。それから教科書業界でそれぞれ講演、講習会をおやりになる。このことはいいと思うのですけれども、それが採択に影響しては困りますので、五月以降はこういう講習会は避けていただくということにいたしておるのでございます。そのほかに専従駐在制度がありまして、駐在員については教育関係者は特別の場合を除いては御遠慮願うということで、顔をきかして売り込み競争をやるということのないように指導いたしておるわけでございます。
○臼井委員 それでは時間の関係で少し公正取引委員会の方にお尋ね申し上げたいのですが、今お聞き及びのように、まだ私どもその内容、実情等を知りませんが、局長のお話によると、これからいろいろ運動がシーズンに入るそうでございます。しかし私ども過去のあれを少し振り返って見ても、明治以来こういう問題ではよく不祥事が起こっていて、ある雑誌などでは、金港堂事件が起こったのは明治三十五年だ、ことしは昭和三十五年だからなどという、あまり好ましからざる御幣をかついでいる向きがあるので、私どもも教育界にそういうような問題が起こることは非常に困った問題であるということで、文部省の方でもいろいろ通達等を出しておられるようでありますけれども、われわれも、文教に関係する者として放置しておくことがはたして適当であるかどうか、この際に文教委員会でもこれを取り上げて、政治的に大いに関心を持っているということをはっきりさせてしかるべきではないかということで、本日の委員会でこれを取り上げることになったのでございます。数年前にも当時衆議院の行政監察特別委員会でも取り上げられて、今は行政監察特別委員会はありませんから、採択問題などもここで一応検討しておくことがよかろうというふうに考えておいでをいただいたのですが、公取委員会の方でも、採択が今言ったような事情であるということはすでに御承知かと思うのでありますが、今もすでにお聞き及びの通りであります。それに対してのお考えがございましたら一つお話し願いたいと思います。
○坂根政府委員 今、文部省の局長からもお話しになりましたように、ことしは小学校の教科書が変わるので、非常に売り込み競争が激烈になるであろうということは、私どもも予想しております。そうして私どもの方の取り締まりといたしましては、あるいは御承知かとも思いますが、昭和三十一年に教科書業における不公正な取引方法の指定ということをいたしました。その内容はどういうことかと申し上げますと、第一は、教科書業者は、その発行する教科書の販売にあたって、教科書の選択に関与する者に対して、直接、間接を問わず金銭、物品の提供、供応などの利益供与を行なうこと。第二は、今申し上げましたような経済行為を、教科書発行業者が販売業者に対して行なうこと。第三には、教科書発行業者が、他の教科書発行業者の発行する本の中傷、誹謗を行なうこと。こういうことは独占禁止法の二条七項の中にあります不当誘引の事由になり、競争業者の事業を不当に妨害する行為に該当するおそれがありますので、昭和三十年に公聴会を開いて、教科書業におけるこういう行為はいけないということをいたしましたものですから、もしこの行為に該当する行為があるとすれば、これは独禁法十九条違反の問題として取り上げざるを得ないと考えております。
○臼井委員 これは内容によっても違いますが、独禁法違反について何か刑事罰的なものがあるのでありましょうか。
○坂根政府委員 それは内容によっていろいろ違いますが、そういう独禁法違反の行為がありますと、公正取引委員会はこれを審判に付するわけです。公正取引委員会は第一次の裁判所の作用をいたしまして、そうしてその行為をやめろという一つの審決といいますか、判決を下して、その判決に違反した場合に刑事罰がかかる、こういうことになっております。
○臼井委員 そうすると、何かそういうような指定をされて違反した場合の違反の件数は、現在までに相当あったのでございましょうか。それからその内容はいろいろ複雑でございましょうが、おもな違反の問題はどういうことでありましょうか。
○坂根政府委員 私どもが特殊指定——ある業界について特別に業界の取引の行為を指定いたしました場合、それを守ってもらうということは、その業界みずからこういう行為を守るということをやってもらうわけであります。従って私どもが昭和三十一年にこういう特殊指定をいたしました結果、その教科書業界に教科書の公正取引協議会というものができまして、教科書業者が公取の指定をみんなで守っていく。そうしてなるべく独禁法違反といいますか、そういうむずかしい問題を起こさないで取引協議会の中で話し合いをしていただいて、いよいよ話し合いのつかないような問題は私どもが取り上げて法律違反の問題としていく、こういう態勢をとっておりますから、独禁法違反のケースとしてやったケースは、この特殊指定の問題にはございません。しかし昭和三十一年に特殊指定をいたしまして、昭和三十二年と思いますが、教科書業者が文部省に検定申請中の原稿をプリントして、白表紙をつけて見本として配って、その配ったものについて意見なり批評なりをいろいろ求めて、それに謝礼をするというような行為をいたしました。これは私どもの特殊指定から見ると違反する疑いが濃いものですから、直ちに私どもで取り上げて、教科書業者十六社に対して警告を発し、文部省の方にも私どもの方から御通知申し上げて、そういうことがないように文部省の方からも御指導願う、こういう措置を公正取引委員会としてはとったわけです。それから業界の公正取引協議会のいろいろやった問題の中に、辞書を無償配付して教科書をとってもらうとか、あるいはこれは熊本県、広島県でございますが、他の教科書発行会社の教科書を中傷、誹謗したというようなケースがありまして、こういうケースは約十件くらいありますが、それはお互いの教科書業界の内部で、こういうものは公取の特殊指定違反になるから一つやめようじゃないかということでやめてもらっておるというケースがございます。
○臼井委員 今お話を伺うと、業者の公取協議会でございますか、そういうもので自主的にやらしていて、そこでそういう協議会からの申請があってから内容を処理する、こういうふうに伺ったのであります。そうすると現在の機構で教科書問題ばかりかかっておられるわけじゃないと思うのですけれども、ずいぶんいろいろな問題があると思うのですが、これからいろいろそういう激烈なことが予想されるというような今日でありますと、協議会ばかりでなく、特殊指定した問題について公取自身、皆さんの方であらかじめそういうことのないようにある程度目を光らすというか、そういうことが必要だと思うのですが、そういうことはおやりになるのですか。それともその協議会が言ってくるまではそのままでいいのか。それからもしやるとすれば、現在の機構で十分なのかどうかその点を一つ……。
○坂根政府委員 この問題は私どもも特殊指定を三十一年に行ないました関係上、やはり毎年々々教科書売り込み競争につきましては私どもの役所自体が十分監視しております。ことしはすでにこの問題は相当の重要性があると思いまして、私どもの関係課長が二月一日に文部省の関係の課長と今後の問題を調査し、それから監視していくということをいろいろ話し合いをしておるようでございます。それから二月以来小学校の教科書の関係発行会社約三十社につきまして、その営業の最高責任者を私どもの役所に呼びましてそして全国的な売り込みの実態についてわれわれは十分決意を持って調査に当たるということを申し渡しております。そういうようなことでございまして、私といたしましては教科書協議会にたよるということではもちろんございませんで、公正取引委員会としても十分その特殊指定に対して責任を果たしていきたいと考えております。ただ機構の問題はお話がございましたが、私どもの役所でも今先生の御指摘のように上は鉄鋼の問題から下はとうふの問題までいろいろやっておるものでございまして、教科書だけについておるわけではございませんが、課長とそれから三、四人がこの問題を調査しておる、こういう工合になっております。
○臼井委員 もう一つ公取にお伺いしたいのですが、そういう違反のときには業者だけが独禁法違反で処分を受ける。しかしたとえばそういう金銭の提供を受けた者とか、物品の提供を受けた者、供応を受けた者、そういう受けた者に対する何らか処罰の規定はあるのでございますか。
○坂根政府委員 独禁法は専業者の法律違反を問うという建前になっておりますから、事業者だけが罰せられるということでございます。
○臼井委員 その点文部省側からごらんになって、ごく一部でありましょうけれども、そういう不心得な業者との間に立つとかあるいは受けるというようなものは教育関係者の方のあれになるのでございますか。そういうものを受けたときには公務員であれば、公務員の何から受けるのでありましょうか。これは当然かと思うのでありますけれども、その点についてちょっとお伺いをしたい。
○内藤(譽)政府委員 文部省では、教育研究を教科書の研究という点に重点を置きながら、各教科書センターでいろいろと研究をいたしておるのでございます。このルートが一番いいと思っております。それでこの場合にお話しのような公正な取引を害するような事件がありますれば、文部省からも若干の調査費を府県に委託しておりますので、そういう事態のないように努力をいたしておるわけですが、今御指摘のように教職員とかあるいは教育委員会の関係者が不公正な取引に関係したという事実が明白になりますれば、適当な処分をいたすつもりでございます。
○臼井委員 それで私どもこの委員会で調べてもらったものによりますと、いろいろ業者と、それから採択に直接関係のある学校長とか教員、あるいは選定とか採択上あるいは教育委員とか教育長、指導主事、それから教科書センターの研究員、この間にやはり一つの仲介に立つというか、そういうものにある程度圧力を加えるとかいうことが、編さんに携わった関係から大学の職員とか、あるいは校長会とか同窓会とか、あるいは教育委員会の職員とか、あるいは教職員組合、教科書センターの職員とか、研究所の職員、こういういろいろの関係が考えられるのでございます。今お話のように、これからそういう競争が業界で激しくなるということが予想されるのでありますから、できるだけそういうことを未然に防ぐような方策を講じないと、教育そのものが信頼を失うことにもなります。私どもそういう意味において、これは取り越し苦労に終われば非常に幸いでありますけれども、それぞれの関係の方面へも今申し上げたようなことがあるのでありますから、事故のないように願いたい。 それからもう一つ、その点は業者として出す方も、もしそういうことをやるとすればもちろん悪いのですけれども、やはり受ける方でも——これも雑誌等によって見るのでありますから真偽のほどはわかりませんけれども、先ほどお話の白表紙の問題とか、あるいは見学にかこつけて体のいいたかりみたいなことをやる者があるとか、あるいは副読本とかワーク・ブックとか夏休み帳、冬休み帳の学習帳を作るについて——これも記事に出ていたのですが、九円のものを三十円くらいで売るようなことは、合法的ではあるかもしれないけれども、どうもそこに協議会としては思わしからざることがある。こういうことでありますから、そういうことのないように。私どもはもちろん先生方を信頼しておるのでありますけれども、ただ心配されることは、昔の先生方と違って、今は聖職じゃないということを言っておるわけなのですね。労働者だと言っているのですから、労働に対しては正当な報酬をもらうことが当然だと考えて、骨を折ったことに対して報酬をもらうので、正当なのだというような間違った考えの者が、大ぜいの中でありますから中にはないではない。しかし少なくともこういう点に関しては聖職という気持を先生は持っておやりいただかないと、私はこれは非常に問題になると考えるのです。不正当な報酬を正当なりと自己的にかこつけたり、そういう理屈でないような理屈をつけるのです。ですから私は常識はずれの解釈をもってされることを遺憾といたしますので、どうぞ一つ教育界のために間違いのないような御指導を願いたい。よけいなようなことでありますけれども、そうなることを祈ります。 最後に、業者ばかり責めても、業者も商売であります。先ほどの同じような紙質にしてというのも、私は無理な競争が——たとえば地図についてはどういう紙質であるとか、国語についてはどういう紙質をということをきめて、あと値段で競争させる。なるほど値段は安いと思ったけれども内容が悪かったというような教科書でも困るが、書いてある内容あるいは印刷の内容はいいのだということであれば、もちろん差はあります。けれども、せめてそのくらいの差にして、紙質などはできるだけ同じような紙質のものを用いる方が採択する方からいえば優劣の差がわかりいいのじゃないか。それからできるだけ価格を安くするために、私は経営内容はわかりませんけれども、できるだけ安い金融の道を講じてやる。これは業者は商売をやっているのだから勝手だともいえますけれども、事文教に関しますので、そういう助成の道も請じてやったらどうか。厳重にやるべきことはきちっとやるにしても、ただ業者いじめみたいなことに終わったのでは、これはどこかへしわ寄せが出てきますので、これは大蔵省の問題だと思いますけれども、文部省におかれても機会があったら連絡応援してやる。そのかわり厳正にやるべきことはやって、できるだけ安い教科書を作ってもらう、こういうことをお願いいたしまして、私の質問を終わります。
○大平委員長 小牧次生君。
○小牧委員 私はまず冒頭に委員会の運営について委員長に注意を喚起したい、同時にまた御要望をしたいと思います。というのは、従来のわが文教委員会の運営に、私も理事の一人として関係をして、つくづく思うのでありますが、すでに文教委員会が開かれることがあらかじめわかっておるにもかかわらず、大臣が所用のために欠席をいたしまして、やむなく文教委員会が開かれないという事態が二回もあったわけであります。一回は関西の野球の始球式に行った。これは大臣の選挙地盤でもあろうかと思ってわれわれも一応やむを得ないと考えたわけでありますが、さらにその次は京都の醍醐寺の五重塔の改修復元の落成式があるからこれに出させてもらいたいということで、再び文教委員会が流れた。さらに本日はアメリカの何とかさんと飯を食わなくちゃならぬから中座させてもらいたい、こういうことなんです。あらかじめそういうことを文教委員長の方に申し出をしてあれば、文教委員会を流会させないで、適当な日に文教委員会が開かれるべきである。大臣のそういった行動のために大事な委員会が開かれないということは、私は非常に遺憾に考えております。さらに本日の委員会においても、これは何も臼井さんをどうというわけではありませんが、午前中の理事会において、質問の順位についても打ち合せをいたしまして、各位の御了解を得て、臼井さんは先ほどの高等学校の入学試験の問題で緊急質問をさせてもらいたい、ただし大臣は十二時からどうしても出かけるから、これを了承してもらいたい、こういうことでございましたが、今の委員長の運営のやり方を見ますと、私は何も臼井さんのそれにけちをつけるとかなんとかいうわけではありませんが、きまったことはきまった通りにやってもらわなければならないし、さらに文部大臣の今申し上げたような行動についても、もっとしっかりした態度をもって、責任をもって文教委員会が運営できるようにすべきである、こう私は考えるのでありますが、まずこれについて御所見を承りたい。
○大平委員長 小牧委員の御意見ごもっともだと思います。文部大臣には十分委員会を御重視いただいて御精励をお願いするように私からいたします。 それから本日の委員会の質疑につきましては、小牧委員のおっしゃった通りでございます。臼井委員につきましては、緊急質問を当初にお願いして、あと教科書問題につきましては小牧委員から御質問をお願いする順序にきまりましたこともよく承知しています。ただ臼井委員と私との間に了解の食い違いがございまして、すぐ教科書問題に移られたときに、私は暗黙のうちにお許しをいただいていたと思いまして会議を続行いたしました。これはお互いの中でございますから、そのときにもし緊急の案件で小牧委員の御発言が必要であるという場合には小牧委員から何か御発言があるのじゃないかと思っておりましたが、そういうこともございませんで、あるいは暗黙のうちに御了解願ったのではないかと私は判断いたしまして、臼井委員の質問の続行を許したわけでございます。しかしお約束でありましたことは事実でございますので、本日の運営につきましての不手ぎわは全く私の不明のいたすところでございます。今後十分注意いたしたいと思います。
○臼井委員 今のお話ですと、何か私が約束を違えたように誤解されると困るのです。私はこの前から教科書問題をやるということで早く申し込んであったので、ただそれに入る前に野田の問題だから緊急質問をやるということで御了解を得たつもりであったのです。しかしただいまの委員長の話では、あるいは私が誤解していたのかもしれませんけれど、私は決して民社党さんの質問を横取りしようというような考えでやったのではなく、きょう教科書問題を与党の私が質問申し上げ、その次に民社党さんという了解のつもりでおったのです。しかしそれはいろいろ誤解があったようでありますから、今後一つ理事会においてそういう誤解のないように、がっちりきめるようにいたしたいと思います。
○小牧委員 何も質問の順位の問題で臼井委員と言い争いをしようとか、そういうけちな考えはちっとも持っておりません。ただしかし先ほどの運営については、それは私も一応意見がございましたが、委員長の良識において判断されるであろう、こう考えた。というのは、大臣が二回も出てこれない、その前のことを考えてみますと、私が大事な質問に入る前にいろいろな関係で中止せざるを得なかったことが二回続いてあったわけであります。こういう点を考えると、そういう今の臼井君のお話もこれは若干違うのじゃないか、こう私は考えるわけでありますが、しかしこういうことはもうやめにいたしまして、引き続き今の教科書の問題について私も若干文部当局に質問いたしたいということで、準備もいたして参ってきておりますし、先ほど文部大臣が何らかの会合に出られるというときに、一時までには帰ってきて出席をするということでございましたので、委員長においては責任を持って一時には文教委員会を再開されて、そうして私の質問ができるようにお取り計らいを願いたい。
○大平委員長 承知しました。 暫時休憩いたします。午後一時より再開いたします。 午後零時二十一分休憩 ————◇————— 午後一時三十七分開議
○大平委員長 これより会議を開きます。 質疑を続行いたします。小牧次生君。
○小牧委員 午前中同僚臼井委員の方から教科書の問題についていろいろ御質問がございましたが、私もこの教科書の問題について、大臣その他関係の方に若干の質問をいたしたいと考えます。 先ほども臼井委員のいろいろな御質問の中にございました通り、教科書の問題については教育課程の改定に伴いまして小学校の教科書は明三十六年度から、中学校は三十七年、高等学校については三十八年度から新しい検定による教科書にかわるということになっておるわけでありますが、そのためにこの教科書の検定と採択の問題について臼井委員からもいろいろな問題が指摘をされ、週刊誌や新聞等にもいろいろな記事が掲載をされておるわけであります。私は何もそれらの記事を全部が全部その通りであるとは考えておりません。しかしながらこういう今申し上げたような事情のもとにあるために、教科書会社におきましても相当多額の宣伝費その他を投入して激烈な競争が展開されるであろうということが予想される。こういうことを考えました場合に、少なくとも私ども文教に関係のある委員といたしましては、検定と採択と販売という問題について適正な措置がなされなければならない、かように考えるわけであります。たしか昭和三十年ごろでございましたか、教科書の問題がいろいろ取り上げられまして、国会において相当論議がかわされたということを私どもは記憶いたしておるのであります。従いましてこれらの立場から、私も逐次大臣その他の方々にいろいろな問題点を質問をいたして、見解を明らかにしていただきたい、かように考えるわけであります。 私は現在行なわれておる文部省の検定の問題について御意見を伺ってみたいと思うのでありますが、これについても検定の内容その他いろいろと臼井委員の方からもお触れになって、また答弁もなされておるわけでありまして、多少重複するところもあろうかと思いますけれども、その点は一つ御了承をお願い申し上げたいと思うのであります。 そこで、まず第一にお伺いいたしたいのは、検定をするのは、法によれば、文部大臣にその権限があるというわけでございますが、実際には、これは先ほどの御答弁にもありましたが、四十人の調査官によって検定が行なわれておるということが実情であろうと考えておりますが、初中局長の管理下にあることからいたしまして、初中局長自身もこれに関係をされるのか、大臣も関係をされることがあるのかということと、それから四十人の調査官の氏名と経歴を一つ御発表願いたい。ただしたくさんの人数でございますから、ここで大臣や初中局長が一々御説明ができなければ、資料によってお示しを願ってもけっこうだと考えます。
○内藤(譽)政府委員 教科書の検定につきまして出版業者から申請がございます。それに対して、文部省ではどこの出版社というようなことは明示しないで、番号をつけて、番号で審査をいたしているわけですが、先ほど申しましたように、四十人の調査官がそれぞれ教科別に分属されておりまして、一人の調査官だけでやるということはないわけでございます。ですから社会科ですと、約十人くらいの調査官が合議制をとってやっておるわけでございます。それから審議会へ出す前に一応私も目を通しております。で調査官の見解に疑問な点がありますれば、その疑問は解明いたして、そして審議会に提出する。今お話のように、調査官が調査はいたしますけれども、決定権は調査官にはございませんし、局長にもございません。審議会が中心でございますので、審議会は、各委員が教科書の原稿をつぶさに読んでいただきまして、それを慎重に審議される、一つの教科書でも実は何時間もかかるわけでございまして、夜中までやっていらっしゃるのをしばしば見受けるような状況でございます。調査官の意見、同時に先ほど申しましたように現場の方の先生方の教科書の取り扱いの問題、あるいは専門的な事項についての学識経験者の御意見、こういうものが調査員の意見として提出されるわけであります。その調査員の意見と調査官の意見、これを双方検討されて、そこで審議会が合否の判定をされるわけでございます。その合否の判定をされたものを文部大臣に答申いたします。その答申を受けて、文部大臣はその答申を尊重して、業者に通達をいたす、こういう順序になっておるのでございます。四十名の方々は大部分が大学関係の方方でございます。地方の指導主事の方も若干おりますし、高等学校の先生方もおりますが、それぞれ教科についてのりっぱな学識経験を持った方でございます。しかしその一人々々が決定権を持つわけじゃなくて、各教科別に合議制をとっておる。それから審議会もこれは合議体でございます。ですからできるだけ全員一致をとっております。従って多数決というようなことは——きまらなければ多数決主義をとらざるを得ないのですけれども、いまだかつて多数決をとりません。全員一致、皆さんの御了解を得てやっておるような次第でございます。
○小牧委員 それについて、調査官の氏名と経歴を提示願いたいと申しましたが、それはいかがです。
○内藤(譽)政府委員 それは後刻提出させていただきます。
○小牧委員 そこで私は現在の検定の基準ということについていろいろ調べてみましたが、これは非常にたくさんの規定があること御承知の通りでありますが、その基準は、どちらかと申しますと、非常に抽象的である。そういうことからいたしまして、実際に今合議制をとっておると局長は申され、さらにまた審議会が中心で各委員の方が審議をし、答申をされる。これに基づいて、これを尊重して大臣がきめると言われますけれども、検定の基準がきわめて抽象的であるために、合議制をとるとはいえども、これを合格させるか不合格にするかという場合に、多分にこれを調べる人の主観が強く働く余地が相当あるのではないか、私はかように考えるわけでありますが、実際今いうところの検定の基準だけで検定がほんとうにできておるのかどうか。これについてははなはだ疑問だと思う。従ってもし私の言う通りでないとするならば、私の意見が違うといわれるならば、これに対する、そうでないという一つの反証を示してもらいたい。
○内藤(譽)政府委員 検定の基準の基本になるものは、何と申しましても学習指導要領でございます。学習指導要領は骨組みだけをきめておるのでございまして、一々内容に触れておるわけじゃございません。従って著者に自由裁量の余地が残されておるわけでございます。その検定の基準から考えて、あまりに著しく逸脱しておるというような場合が問題になるのでございます。調査官の会議でも教科別に合議制をとっておりますから、個人的な主観でどうのこうのいうようなことは私はないと思うのであります。それぞれの問題につきまして十分検討して、皆さんが同じ教科書を全部見て、そうしてこの問題についてはどうするとか、こうするとかという判断を下して、まとまった意見としてくるわけであります。それは私もできるだけ見ておりまして、調査官の意見に疑問があれば、先ほど申しましたように、疑問を解明さしてもらう、こういうふうにして、もちろん特に不合格にするような著書に対して私も一々全部目を通しております。だれが見てもこれは少し行き過ぎだ、こういうような、まあ主観的ではあるけれども、総合された主観でございますので、間違いはないと思うのでございまして、審議会でも慎重に審議されるので、他の審議会と違って、この教科書の検定審議会は、ほんとうに先生方が自分のことと思って、みずからの責任において、あれだけ熱心にやっていらっしゃることに対して、私どもはほんとうに深甚の敬意を払っておるようなわけでございます。ですから調査官が意見を出したらそのままうのみにされるような方法ではございませんし、教科書業に関係した人は一人も入っていらっしゃいませんし、公正なる判断に基づいて総合的にこの審議会でも検討を熱心に続けておられる、こういうことを考えますと、それは主観だとおっしゃっても、皆さんの主観がやはり統合された主観でございますから、非常に客観性を持ったものだ、こう考えておるのでございます。
○小牧委員 私は直接どういう検定が行なわれておるか、一々調べたわけではないので、実際どういうふうに行なわれておるのか、ほんとうに申し上げられないわけですが、これらの経過については、先ほども話に出ましたが、いろいろな週刊誌その他に、これに関する記事が相当出ておる。そういう記事を見て、私は今申し上げたような感じを強く持っておるのです。たとえば社会科の検定については、小学校において、たしか三百点か四百点くらいの中に、結果的には九八%くらいの合格率であるけれども、第一次の調査の場合には、無条件で合格したというものは一つもない、こういう記事が出ておるわけでありますが、教科書会社においても、学習指導要領あるいは教育課程、そういうものについて相当専門の人がおられて研究をし、その線に沿った原稿を作り出すであろう、私は見たわけでありませんが、そう考えておるわけであります。これが第一次の調査においては、無条件で合格するのは一つもなくて、そうしていろいろ調査官のところに呼ばれて、あるいはメモなり、あるいは口頭をもって、いろいろ是正すべく指示を与えられておる。しかも口頭なりメモでありますから、これはあとに記録は残らない。こういう点から、きわめて秘密主義であるということが、大かた言われておるわけである。ところが、先ほども話に出た通り、近く展示会が行なわれ採択が行なわれるので、教科書会社はここを先遂に猛烈な宣伝戦、過当競争をやらざるを得ない。非常に弱い立場にあるがために、調査官に呼ばれていろいろ指示を受けると、どうしてもこれをのんで、そのままこれに従わざるを得ない。先ほど主観とか何とかはないと言われるけれども、絶対性はないにもかかわらず、結果的には調査官の言う通りの結果にならざるを得ないというのが、私は実情であろうと思う。 こういう点に関して、私も諸外国の例をいろいろ研究いたしてみましたが、国が検定をやっているところも、たしかあるようであります。そして国家が発行しているのは、たとえば共産圏のソ連、あるいは中国、あるいはまたアジアの後進諸国であります。検定制度をとっているところは、たとえば西ドイツとか、スエーデンとか、タイとか、そういう国々、さらには全然自由に発行させているところは、イギリス、フランス、イタリア、オランダ、デンマーク、あるいはアメリカの一部であります。こういうふうに、先進諸国は大かた自由発行、あるいはまた認定制をとっている。認定制をとっている国は、アメリカの半分、ノルウエー、ベルギー、スイスです。こういう諸外国の例をいろいろ比較検討して考えました場合、今私が言うような、出版業者を呼んで口頭で指示したり、あるいはメモで指示したり、しかもこれに従わなければ合格できないし、従って採択もされないし、販売もできないという点について、一体初中局長は諸外国と比べてどう考えておりますか。
○内藤(譽)政府委員 諸外国でも、いろいろ国情によってさまざまでございまして、今お述べになったように、検定のところもあれば、国定もある。ソ連、中共は国定でございますし、トルコ、豪州も国定でございます。フィリピンやインドは準国定になっておりますが、そのほか検定をやっているところでは、西ドイツもやっておりますし、米国の一部でもやっておりますし、スエーデン、ノルウエー、デンマークのような国、あるいはイタリアも、オーストラリアでも検定をやっております。ですから、それぞれの国の事情によると思います。イギリスのように、非常に民主主義の発達した国でもって、そして国家試験がございますので、その国家試験に合わせて教育課程を組んでおる、こういうところもございますが、長い歴史と伝統がございますので、どの制度が一がいにいいとは言えないと私は思います。国定がいいか、検定がいいか、あるいは自由出版がいいか、いろいろそれぞれの国情によって違うと思います。わが国の場合には、従来から国定教科書を使っておったのであります。国定教科書で思想統一になって、特に戦時中は軍国主義、超国家主義の温床にもなったという批判から、検定という制度が生まれたわけであります。しかし日本のような小さな国であまりに教科書がばらばらになってしまいますと、民族の統一という点から、これまた問題があろうと思います。こういうところから、転学とか進学にも不自由を来たす。そこで指導要領ができて、その指導要領のワクの中で教科書を作っていただく。この場合に、教科書が出版会社の方で、良心的なものができてくることを私どもは期待しておるのであります。ところが現実に見てみますと、間違いが非常に多いのです。これは、この前行監で御指摘があったように、私ども実際に見て、ほんとうに調査官の諸君にお気の毒なほど、全ページにわたって赤字なんです。これは間違いもありますし、また適切でないのもあるわけですが、特に私どもが指摘したいのは、間違いが非常に多いということであります。私どもが調査官制度をしく前に出たものの中には、まだまだたくさん間違いがございました。そのつど訂正をいたしておりますけれども、十分でない。しかし昨今の例は、調査官制度をしきましてから、間違いというものはほとんどなくなった。多い教科書ですと、一冊で三百カ所も四百カ所も、あるいは五百カ所も間違いがある。調査官諸君が調べた付箋を見ると、私はほんとうに涙ぐましいと思うのです。ですから、一がいに検定がいかぬとおっしゃるのは行き過ぎじゃなかろうか。確かに条件付でないのはなかったと思うのです。そういう間違いがみんなあるのです。ですから、間違いを指摘しただけでも何百カ所ありますから、それに付箋がついて訂正願うのは、これは当然だと思うのです。ただ問題は、立場の相違や何かで議論が分かれる点がございます。そういうものについては、非常に慎重に審議するのですが、そういうケースは非常にわずかでございます。ですから、A条件というのは、これはどうしても不合格にしなければならぬというようなきつい条件であります。これについては、当然審議会でも論議されて、これはここを直さなければ教科書としての資格がない、こういうような基本的な問題であります。B条件の方は、直していただけばいいという程度のもので、それは著者の自由にまかされておるわけであります。それについては文部省は強制いたしておりません。ただこちらとしては、この方がいいじゃなかろうか、こういうことでございまして、B条件についても、審議会で十分論議された結果を調査官が申し上げているのであります。なるほど文書にして、一一お書きしたらけっこうかもしれませんが、それはとても煩瑣にたえないのでございます。一度調査官が調査した原稿をごらんいただけば、いかに付箋が多いかということで驚かれると思う。ですからこういう点で、実は半ページや一枚程度の文書で不合格理由を出すということはかえって適切じゃないと思うのです。もちろん文書で理由書は出しますけれども、同時に、せっかく教科書を作るためには何百万あるいは何千万あるいは何億というほど金がかかっているわけですから、その会社がもし不合格になってそのために倒産になってしまうことは、これはまた社会的な問題でもございますので、できるだけ私どもは親切に文部省検定の立場を解明するということがいいと思っておるのでございます。何か業者に不当な圧迫を加えるとか、そういう意図は毛頭ないのでございまして、よりよき教科書を作ろう、こういう熱意からでございますので、一つこの点は御了承いただきたいと思います。
○小牧委員 私は一々どういう原稿が出てどういうふうに訂正をされるか、それを見たわけではありませんが、今お話を聞きますと非常にたくさんの間違いがあって、そうして調査官の方々の努力は非常に大したものだ、また文書をもってそういった指示や回答をするのも煩瑣にたえないというようなお話があったように聞いたわけですが、ここでお聞きしたいのは、その間違いが多いということの内容は、たとえば歴史でいうならば明らかに年号を間違うとか、あるいは字を間違っておるとか、そういうような間違いであるのか、あるいはまた検定基準に示されておる、たとえば絶対条件とか、あるいは任意条件とかいろいろ基準がありますが、そういったものに照らし合わせて不適当だというようなことまで間違いだというようにいわれるのか、その辺を明らかにしてもらいたい。
○内藤(譽)政府委員 私が申し上げた間違いというのは、事実の間違い、たとえば理科ですと足が一本多いとか、二本多いとか、あるいは頭が違うとか、ともかくさし絵が非常に違うのです。ですから事実の相違が非常に多いことです。 それからもう一つは、誤記、誤植が多いのです。ほんとうに調査官がかわいそうだと思いますのは、校正屋みたいなんです。実に気の毒に思う。私は教科書の出版業者の方も、もっと丁寧に御審査していただきたいと思う。ただ期間がなかったので十分でなかったとおっしゃる点は私認めますけれども、もう少し業者の方でもこの点は真剣に考えていただかなければならぬ。どうせ文部省の調査官が直してくれるのだからという安易な考え方でやられて困るので、誤記、誤植、事実の相違、こういうのが非常に多いということです。今申しましたようなA条件とかなんとかいうような根本問題は、非常にケースが少ないのでございまして、これは私は間違いという中には入れてないのでございます。
○小牧委員 事実が間違っておるとか、いろいろ字の間違いがあるとか、こういう点がどの程度あるのか、私も詳しくは存じませんが、今言われるから、あるだろうと思う。従ってそういう点は私もはなはだ遺憾であり、業者の方でも大体そういうことのないように努力をしなければならぬことだと思うのであります。先ほど臼井委員からもいろいろお話がございましたが、そういうようなことではなくて、そのほかに私がさっき申し上げたように検定のいわゆる基準、絶対条件なり任意的な条件というものに照らしていろいろ見解の相違もあろうと思うのでありますが、そういう場合にややもすれば調査官の考え方なり主観というものが、さっき言ったような調査するものとされるものとの立場の相違からいたしまして指摘され、こうすべきであるというふうに言われたようにならざるを得ない、こういう点もどこまで事実であるかどうか、いろいろ週刊誌あるいは新聞紙等を見ると指摘をされておるようである。これについては先ほど臼井委員からも御質問がありまして、初中局長からそういうことはないと申された。たとえば建武の中興という文字を使うように指示したとか、あるいはまた明治憲法と新憲法とを比較するようなことをしてはいけないとかいうようなことを質問された場合に、そういうことはございませんという御答弁がございました。しかしながら歴史学協会が、これも先ほどお話にありましたが、いろいろな申し入れをいたしておる。これはただ何にもないのに、ことさら異を立てて、歴史学協会というようなものが、わざわざ文部大臣に申し入れをするようなことも私はあるまいと思う。何にもなければおそらくそういうことを考えつくはずもないと思うのだが、しかし申し入れをした以上は、何かそこにやはり検定をする際に、調査官がいろいろ原稿を調べてこういうふうにすべきだという、考え方が違うというようなことから、そういう申し入れがなされたのではないかと私は思うのですが、この点についてはどうですか。
○内藤(譽)政府委員 歴史学協会の方、あそこに並んでおる全部の先生がそういう意見かどうか私は存じません。と申しますのは、あの中に名前を連ねた人は全然知らずに載せられておるという事実を聞いておるのです。ですから全部の人がそういう意見であったかどうか存じませんが、従来の日本史の説き方にも私は問題があろうかと思う。つまりある教科書のごときは、徳川時代を説くのに、黒船と百姓一揆と幾つかの事例をあげて徳川時代を済ませる。こういうような書き方は、歴史の正しい記述の仕方ではないと思う。やはりその時代を正しく把握しなければいかぬと思う。こういう点は私どもができるだけその時代を忠実に書いていただくようにと、指導要領にも大体のアウト・ラインが出ておりますから、そのアウト・ラインの特定のところだけをより抜いて、そうして大事なものが抜けないようにしていただきたいと思う。教科書というものは、決して学者の議論をするところではないと私は思う。やはり指導要領に基づいて国民の基礎的な知識として必要な事項を教えていただかなければならぬと思う。そういう点で学界に異論のあるようなことはなるべく避けて、一般的な定説になったようなものを出していただきたいと思うし、その時代々々というものを正しく子供たちに理解できるようにしていただきたいと思う。従来とかくすると日本歴史の著述の仕方について、一方的な片寄りがあったと私は思う。こういう点が教科書の検定にあたっても従来から指摘されたところであります。ですから、私どもは皇国史観に立脚してやろうなんという考えは毛頭ない。大体歴史のあり方というものを、この指導要領に基づいて教科書の中に織り込んでいく、こういうことが基本的な考え方でございます。
○小牧委員 検定の基準については、御承知の通り絶対条件あるいは任意条件というようなことで規定がなされ、それに基づいて調査検定がなされるわけであります。今局長はいろいろ答弁されましたけれども、その検定の前提としての学習指導要領、この内容を考え、その変化を考えてみた場合に、必ずしも私は今あなたの言われることを直ちに肯定するわけにはいかない。元来、御承知の通り学習指導要領は、その出発においては試案であり、参考的なものであった。これは間違いないと思う。それがだんだん内容が変わって、拘束力を持ってきておる。これも私はまぎれもない事実であると思う。従って検定がいいか、あるいはまた自由発行がいいか、あるいは認定がいいか、これはいろいろそのときの事情によって違うでありましょう。にわかに今ここで私は結論は出しませんけれども、しかし私は、元来教育は直接現場の先生が担当して子供に教育をされるということになっておる以上、どういうものを教え、どういうふうにしてやっていくかということについては、その先生が本来そういうものを担当してやるのが純粋な意味においては正しいと思う。教える人がどういうものを教え、どういう方法で児童生徒の知識を高めていくか、その自由と創意もちろんそれには相当先生自身が勉強をして、豊かな知識をつけてもらわなければならない。正しい知識を身につけておかなければならないことは当然のことであります。にもかかわらず、現在は検定制度になっておる。しかも学習指導要領の性格とその内容も年を経るに従いましてだんだんと変化をいたして参っておる。これは私が従来文教委員会においてもたびたびあなたに質問をし、指摘をした通りであります。そこで今皇国史観なりいろいろな御批判がありましたが、その絶対条件としての、たとえば平和の精神を堅持するとか書いてあります。あるいはまた勤労と責任を重視しなければならないというような、いろいろな重要な項目が絶対条件の中にうたわれておる。この平和の精神一つをとって考えてみても、あくまでも平和と民主主義を守り、これを育成していかなければならないという立場から考えた場合に、今の学習指導要領を見ても、日清、日露戦争を経て、日本の国力は向上するとか、だんだんとその平和に対する考え方自身も学習指導要領の内容の表現についても徐々に変化をしてきておるのではないか、かように私は考えるわけであります。そういう立場をとって調査官が検定をやるとするならば、そういう人人こそその絶対条件としてのその基準をはずれて、自分自身の別な基準をもって、出版会社から送られた原稿その他を調べて、そうしてこれに点数をつけてやるのではないか、こういう気がしてならないのでありますが、これについてどうお考えですか。
○内藤(譽)政府委員 先ほど来学習指導要領の性格論が出ましたが、学習指導要領は明らかに学校教育法及びその施行規則によっても、これは教育課程の基準であるということは明示せられておるわけであります。試案というものは、英語でいえばテンタティヴ・プランというのは、それが固まっておるのだけれども、将来動くかもしれない、こういう意味の試案だと思うのでありまして、ある意味では永久に試案かもしれません。改訂を経るたびに改善していかなければならぬと思う。ですから一度きまったら、それで永久に変えないというわけではなくて、改善していくんだ、基準性を持っておることは従来も今も変わりないのです。教科書の検定というものは前からこの指導要領の基準に基づいてやったわけです。ですから基準性についてはこの教育課程改正前と変わりなかった、こういうことを申し上げたいと思うのです。 そこで平和の点でありますが、歴史で扱う場合と政治、経済、社会科で扱う場合とは違うと思うのです。歴史というのはある意味では戦争の歴史であったかもしれないと思うのです。一一戦争の価値観を論じて、どの戦争がいい、悪いということを論じていったら歴史にならないと思う。ですから昔から今日までの歴史の流れというものをつぶさに検討し、また反省すべきところは反省していくことはいいと思うのです。そういう場合に日露戦争を契機にして日本の政治、経済、文化の面において向上したということも事実だと思う。そうだからといって、それは戦争を肯定したんだ、こういうことにはならないと思う。それは別のところで、政治、経済、社会の中では、戦争というものはいかぬのだ、日本の平和憲法の趣旨というものは十分述べられておるわけだから、歴史の中にまでこれを持ち込んで、歴史の中で一々価値判断をしておってはきりがないと思うし、また適切でもないと思う。それぞれの時代の背景なり事情というものをよく理解して、その当時における時代的意義というものは認めなければならぬと思う。それと平和憲法の問題はわれわれは別だと思う。あくまでも社会科、政治、経済の中においては平和憲法の趣旨を徹底するということが出ておりますので、その点は誤解のないようにしていただきたいと思います。
○小牧委員 今あなたの言われたことはあなたの考えです。どこにそう言われる検定基準の絶対性がありますか。
○内藤(譽)政府委員 検定基準は指導要領に基づいておるわけですから、指導要領の中をごらん下されば、そのことは社会科の指導要領の中に出ておるわけでございます。
○小牧委員 だから私が申し上げるのはそこなんです。たとえば教育基本法あるいは学校教育法、さらに今言われた学習指導要領、こういうものがあって、これに基づいていろいろなそういう教科書なり原稿が作られておる。その上に、さらに今あなたの言われるようないろいろな解釈をもって検定をやる必要がどこにあるのです。
○内藤(譽)政府委員 これは指導要領の中に、社会科は社会科の中にその規定があるわけです。ですから社会科の教科書は大きくいえば憲法なり学校教育法はかぶっておるけれども、その憲法、教育基本法の線にのっとって社会科の指導要領ができておるわけですから、その社会科の指導要領をごらんになればそのことが明らかでございます。
○小牧委員 それは私も読んでみましたよ。指導要領の国語とかあるいは社会科とかいろいろそこの中に規定があります。しかしあなたが今言われたような考えをもって絶対にそうしなければならないという規定はどこにもないじゃないですか。それじゃどこにそういう文句がありますか、ちょっと読んでみて下さい。
○内藤(譽)政府委員 ここに指導要領を持ち合わせておりませんが、先ほど申し上げたような趣旨が社会科には出ておるわけなんです。 指導要領がくる前に、大体検定の基準の基本的考えを申し上げておきたいと思います。検定には絶対条件と必要条件と二つある。その絶対条件が三つございまして、その第一が「(教育の目的との一致)教育基本法に定める教育の目的および方針などに一致しており、これらに反するものはないか。また、学校教育法に定める当該学校の目的と一致しており、これに反するものはないか。」というのでございます。二番目に「(教科の目標との一致)学習指導要領に定める当該教科の目標と一致しており、これに反するものはないか。」それから三番目には「(立場の公正)政治や宗教について、特定の政党や特定の宗派にかたよった思想・題材をとり、またこれによって、その主義や信条を宣伝したり、あるいは非難したりしているようなところはないか。」これが絶対条件でございます。教育の目的、教科の目標、立場の公正であります。それから必要条件として十ございまして、その一つは取り扱い内容でございます。取り扱い内容は学習指導要領によっているか。二番目に正確性の問題でございます。三番目に内容の選択でありまして、学習指導要領に示す教科の目標及び科目または学年の目標の達成に適切なものが選ばれているかどうか。それから内容の程度、組織・配列・分量、表記・表現、使用上の便宜等、地域差・学校差、造本、創意工夫、この十項目がございまして、これによって検定をいたしておるわけでございます。
○小牧委員 だから、私はどこにその絶対性があるかということをお聞きしている。調査官が半強制的にそういうことを指示し得る絶対性があるかということをお聞きしている。
○内藤(譽)政府委員 これは検定をする立場でございますので、この検定基準に照らして、そして調査官の会議でも相談し、検定審議会に権限がまかされておるわけですから、検定審議会で審議して、そこできめておるわけでございます。
○小牧委員 それは調査官の権限ですけれども、その権限の前提となる考え方ですよ。その基準です。
○内藤(譽)政府委員 その基準は、ここに示されたように、絶対条件が三つと必要条件が十でございます。それの中身は学習指導要領に反するかどうかということになると思うのです。
○小牧委員 だから、その絶対条件あるいは必要条件を今お読みになりましたが、絶対条件は平和の精神とか、あるいは先ほど私が申し上げた勤労と責任を重んずるとか、そういうことに反していないかどうかとかいうとこです。そのあとの必要条件はいろいろな配列とかそういうようなことで、内容自体について、考え方自体について判断をする基準は、その絶対条件の方に大部分ある。しかしこれはそうこまかく規定はしてないのじゃありませんか。
○内藤(譽)政府委員 ですから絶対条件というのは非常に概括的なんです。むしろ必要条件という十の問題、これがこまかいことを規定しているわけです。絶対条件は、立場が公正であるかどうかということと、教育の基本目的に反しているかどうか。それぞれ教科の目標がございますので、その教科の目標に反しているかどうか。これは非常に抽象的でございます。しかしながらあと必要条件の方は、その取り扱いの内容とか正確性とか内容の選択、組織・配列・分量、内容の程度等、これは相当具体的な問題でございますから、それを指導要領に照らして適切であるかどうかという判断をしているわけであります。
○小牧委員 そういう場合に、概括的な絶対条件でありますから、いろいろ人によって解釈なり考え方が違う場合がある。これは当然なことであります。従って、前に昭和三十一年でありましたか、政府の方で教科書法案を出されて、当時の社会党からこれに対する対案として同じ教科書法案が出された。その社会党が出した法案の中のものを今思い起こしてみますと、そういう場合には異議の申し立てをすることができるようにすべきではないかということが重要な項目になっておったと私は思う。ところがそういうことは全然なされないで、一方的に調査官なりあるいはあなたの考え方なりが通るという結果になるのではないか、こうわれわれは考えたがゆえに、あの当時はああいう対案の中に、異議の申し立てができて、そうして調査官と業者の原稿を作った方と対等の立場で意見の交換ができ、話ができるようにすべきではないか、こういう建前で法案が出されたと私は思うが、これについてはどうですか。
○内藤(譽)政府委員 教科書法案がいずれにしても通っていないので、今教科書法案について論ずることは差し控えたいと思いますが、もちろん検定について異議の申し立てばやらせております。ですから実際問題として、業者の方に意見があればそれは十分聞く用意は持っておるし、また現に聞いておるわけでございます。
○小牧委員 私は先ほども申し上げた通り、検定の実際を見ておりませんからよくわかりませんが、当初申し上げたのは、最初は無条件で通ったものが一つもない、全部条件付である、そうして二回目にはいろいろな指示を受けて九八%の合格になっておるというその数字の上から結果的に見ると、これはもうほとんど文部省のそういう一つの考え方に従った結果、合格が九八%という数字になったのじゃないかと思う。だから、あなたが異議の申し立てを聞いておるとかなんとか言っておられますが、そういう具体的な実例を私は知らないのだが、異議の申し立てを聞いてそれを通したという例があるのですかどうですか。
○内藤(譽)政府委員 異議の申し立てがもっともな理由があれば、それはお聞きしております。ただ審議会で決定になりますと、審議会で多数の皆さんの了承を得てきまったものは——それは異議の申し立てがあってさらに審議会におかけして、審議会がそれを否とされた場合は、異議の申し立ては通らぬ場合がございます。しかし異議の申し立てが通る場合もあるわけでございます。
○小牧委員 まだ指導要領は来ないですか。
○内藤(譽)政府委員 今とりにやっておりますから、いましばらくの間お待ち願いたいと思います。 社会科の今のお話でございますが、第六学年のところにこういうふうに書いてあるのです。六学年の内容の(2)に、「現在の政治は国民全体の意見を政治に現すため、国民が選んだ代表者による議会政治のかたちをとっている。(3)このような政治のしくみのおおもとのほか、国家の理想、天白の地位、国民としてのたいせつな権利や義務などが、日本国憲法によって定められている。」この辺が政治の問題になっているわけでございまして、それから日露戦争のところがお話がありましたが、日露戦争のところは、「近代産業もおこり、日清、日露の戦争や条約改正を経て、わが国の国際的地位は向上したが、その後第二次世界大戦における敗戦を経て国内の事情も改まり、民主的な国家として新たな発展を遂げつつある、」ここが歴史の部分の最後になっているのですが、歴史の部分は古代から近世にきておるわけでございます。最後のところが今申したところでございます。
○小牧委員 今の指導要領のおもな点をお聞きしてみますと、何もあなた方が具体的にこういう考え方でなければならぬというところはあまりないじゃないですか。たとえばこういうことをある本に書いてある。今の日清、日露の戦争の問題でも、あなたの読まれたところでは、学習指導要領では、日清、日露の戦争を経て日本の国際的地位が向上した、こう書いてある。ところがある人は——原稿を作った人でありますが、それをあまり詳しく書いてなかった。君の教科書あるいは原稿には、日清、日露の戦争を経て云々ということはあまり書いてないじゃないか、こういうことをいわれたということを、直接の編集に当たった人が書いておる。そういう権限がありますか。
○内藤(譽)政府委員 ここに書いてあるように、その初めのところを読んでみますが、「開国後やがて明治維新が行われ、四民平等の世の中に移っていったばかりでなく、その後の政府や民間の先覚者たちの非常な努力によって、欧米の文化が取り入れられ、憲法がつくられ、議会政治への道が開かれた。また近代産業もおこり、日清、日露の戦争」云々と続くわけですが、やはり明治の歴史を説くとき、日清、日露の戦争を説かずに明治の歴史を教えることは私は不可能だと思う。これは当然に歴史の教科書には記述していただかなければならぬと思っております。
○小牧委員 それは何の教科書であったかここに具体的に書いてありませんが、それは教える先生の方で、あるいはそういう例に触れて話を生徒にせられるかもわかりません。私が申し上げたいのは、そういう戦争に対する考え方——これはあくまでも絶対条件としては平和の精神を重んじ、これに違反しはしないかということが絶対の条件になっておる。先ほどあなたからいろいろ答弁がありましたが、そういうふうに書いたからといって何も戦争を肯定しておるのじゃないとかなんとかありましたが、初めは学習指導要領にいたしましても、きわめて民主的な内容であり、しかも絶対平和をうたい、あるいは労働を尊重し、そういう面が高らかにうたわれておった。それがだんだん戦争は肯定しなくても、その絶対条件としての平和の精神を強調する面が次第に薄れてきつつある。こういう考え方を文部省がとって学習指導要領を改訂し、これにそぐわなければ、これはなかなかうまくいけないのだということで、検定の場合にそういう指示の仕方をするということであれば、これは従来言われておるように、明らかに文部省が次第に教育の国家統制、国家基準、これを強化しつつある現われである。こういうふうにわれわれは考えざるを得ない。これは文部大臣にお伺いしたいのでありますが、いかがですか。
○松田国務大臣 歴史を教える場合に大切なことは、やはりその時代々々のその国に起こった現象を正しく教えていくことがもとより大切であると考える。またその歴史の見方に対しても、そのときの世界史、世界の情勢、それを正しく把握し、その観点からあるいはまたその当時において行なわれておる道徳観に基づいてそれらの時代は判断されるべきものであると考えます。そういうことをやはり正しく解明して、そうして歴史の推移について教えていくということはこれは当然のことであります。
○小牧委員 大臣は私の質問をいたしておる場合にほかのことを考えておられたのではないかと思うのであります。静かに瞑想をしておられたようでありますから、あえてこれ以上は言いませんけれども、私はそういうことを聞いたのじゃないのですよ。これは大臣が、私の質問を自分にはこないだろうと思っておられて、十分聞いておられなかったのであれば、それはいたし方ありませんが、私はそういうようなありふれたことをお聞きするために先ほど答弁を求めたのではなくて、学習指導要領が文部省の考え方一つで当初の出発から今日までの間見ると、どんどん変化をして参っておる。そうしてそれに基づいて検定なりあるいは調査が行なわれる、業者は弱いから自分たちの考えで書いて出したものを、指示をされあるいは指摘された通りに書きかえて再提出をして合格させてもらう、こういうことではいま一つ取り上げた絶対条件の平和の精神をうたうということも、文部省の考え方でわれわれの受ける印象では非常に弱いものになってしまっておる。こういうことをそうでなくて、あくまでも平和と民主主義を守らなければならないという考え方のもとに各出版会社の方で作った原稿の中に、そういう精神が盛られておるという場合に、それが違うような方向への指示をされて、そうしてだんだんと内容が変わるということであれば、これは文部省の考え方、すなわち国家の考え方、国家基準を強化して統制を加えていく、こういう方向になるのではないかと申し上げて、大臣の御意見を聞いたわけなんです。
○松田国務大臣 日本の教育は、漸次国家統制の方向に向かっておるのではないかというお尋ねと思いますけれども、私はやはり憲法並びに教育基本法に盛られておるところの教育の根本義に即してこれらの問題が検討され、多くの人々によって多くの時間を費して、あらゆる観点からそうした基本的な問題について、それに合致するようにできておるものと考えておるわけであります。
○小牧委員 きわめて抽象的な御答弁ですが、先ほど申し上げたこういう点に触れて、歴史に協会の方から文部大臣にいろいろな申し入れをした。これについて大臣はどういう態度をおとりになるつもりか、とられたのか、いかがですか。
○松田国務大臣 歴史家の仲間にも、あるいは個人間にもあるいは歴史家のグループ間にも、それぞれやはり史観を持っておって、必ずしも一致したものではないと考える。そこでこれらの各科目について、調査官がそれらの問題を全面的に検討し、そうしてやはり教育基本法の精神を貫こうという考えでやっておると私は承知いたしておるわけでありまして、何もかも国家統制の線へ、その方向に持っていこうという考えに基づいてやっているものではない、かように考えておるわけであります。
○小牧委員 それは、私が質問すれば、大体大臣はそういうふうに答えられるだろうと私は予想をしておったわけでありますが、しかしあなたの御答弁や主観と別個に、私が申し上げるような方向へどんどん動いていくのではないかということは、われわれの深く感じられるところであります。大臣は、そういうことはない、そういう考えはないと言われるが、私どもはそういう気がしてならないし、また歴史学協会がそういうことを指摘したということも、私は一応大事な問題だと思う。少なくともそれぞれ多少の考え方は違っても、歴史学協会の名において、そういう文部省のとっておる検定の内容についての考え方というものに歴史学協会としての意見を出し、さらにまた批判を加えていくということを発表しておるようであります。こういうことだと、こういう過程を経ながら検定をされ、また合格し採択された教科書というものに対して、教育に対する不信という真の声が生まれてくるということになると、これは非常に大事なことだと思うのです。そういうことのないように私は文部省の検定の場合には十分これは注意しなければならない問題であると思うのです。 私は先ほど当初に初中局長に四十人の調査官の方々の氏名と経歴をお示しを願いたい、こう御要望を申し上げておりますが、いずれその資料を配付していただけるものと考えますけれども、それによって初めてわかることでありますが、ただ私どもが外部から聞くところによりますと、この調査官の方の中には追放にあっておった方が相当おられるということを聞いておるわけであります。その割合がどの程度のものであるか、これは資料を渡していただかなければ正確には申し上げられませんが、私どもが知るところではそういう追放された方がたくさん入っておられるのではないか。もしそうであるとするならば、これは終戦後いろいろ時代が変わり、その調査官のそういう経歴のあった方も終戦後においては考え方の変わった方もおられるかもわからないが、しかしあるいは中には前の考え方に固執して、前の考え方を頑として守って、次第に自分の主観に合わせるように提出された原稿の内容その他に変更の指示を与えたりあるいは口頭でそれを示したりするようなことであれば、これは非常に重大な問題であると思う。こういうところに教育の逆行性あるいは調査官の権限の強化、こういう言葉が生まれてくるのではないかと私は思う。でなければそういう言葉が出てくるはずはないのではないか、こう考えますが、現在の四十人の調査官について文部大臣はその責任者としてどの程度そういう方々について御存じであるのかどうか、お伺いをいたしたい。
○松田国務大臣 私はよく知りませんが、追放になったような者はいないと聞いております。かりに追放になった者がおるといたしましても、追放になった者、追放に値するかというと必ずしもそうではない。追放にならない者必ずしも追放にならないでそれでよかったかというと、かえって追放になるべき人もあっただろうと思う。何となれば超国家主義者や軍閥主義者ばかりが追放になったのではない。一線を画して、それによって一律一体に追放されるのであるから、そこには不正義も不公平もある、行き過ぎもある。今日も向こうの軍人に会ったときにそれを言った。これは大きなマッカーサー指令のマイナスだ、僕は事前にインフォーメーションに基づいて急いで占領政策を打ち立ててはならないという注意を与えた。しかるに、きわめて事情に暗い人間が、いろいろさまざまの安易に得た情報に基づいて指令を出したような場合も幾多あるということはアメリカ人みずからが今日認めておるところである。そういうわけでありますから、私は必ずしも今のお話のように、追放されたからといって一生涯を通じて民主主義のために働いてきた者も追放された人々もある。でありますから、そういうことによってその今日の人間の性格なり考え方を一律に律するということはできない、かように考えます。 私は先ほど来からのあなたのお説に対してお答えいたしたいことは、私としては、やはり民主主義の重要なる要素の一つである自分の意見と異なる人の立場からものを考えるという、この気持が大切である、かように考えておる人間である。従って歴史の問題にいたしましても、何の問題にいたしましても、意見の異なる人々の意見を十分に聞いていくという考え方が望ましいのであって、調査官のごときも従って広い視野に立ってこれらのことを検討して、その職責を果たしていくようにしてもらいたい、かように考えております。
○小牧委員 この調査官の経歴の問題について、私はそういう人がどのくらいおられるのかよくわからないから、この資料を示してもらいたい。こういうことで、追放云々の経歴のある人がおるのではないかといううわさもあるというので私は申し上げたのだが、とたんに大臣は、非常に元気が出て、何といいますか、非常に熱弁をふるわれたようでありますが、私は別にあなたにどうのこうのと言ったわけではない。そういうことも聞いておるかどうか、そういうことを知っておられるのかどうか、こう私は申し上げた。ところが、マッカーサーに言ったとかわけがわからなかったのですが、私はよく聞きとれなかったのだが、どうも何か勘にさわったように、いろいろほかの方向に話を持っていかれたように思うのですが、それはあなたの私の質問に対する聞き違いじゃないかと私は思う。それはあなたが言った通り、追放の内容は人によっていろいろあるでありましょう、千差万別です。どういう理由でどの人が追放になったかということは、それはその人によっていろいろ私は違うと思うのだが、従来常識的に言われておる通り、極端な軍国主義あるいはまた国家主義、あるいは絶対主義、こういった思想なり考え方をもって戦時中に指導し、あるいは教育し、あるいは行政の指導をしてきたということによって、終戦後民主化の気運に沿って追放されたというよう経歴の人もあるいは追放の中にもおられるかもわからない。もしかりにそういう理由によっての追放という経歴を持った人がありとするならば、私はあくまでも仮定を申し上げておるのでありますが、ありとするならば、終戦後考えのお変わりになっ方もおありでありましょう。しかしながら、事教育に関する、しかも民主教育を強力に推進しなければならない、平和と民主主義を強く生徒、児童に教えて、そうして国際場裡に立っても恥ずかしくない、りっぱな人間に仕上げていかなければならない大事な教育の前提となるその教科書を、その内容を担当し、検討する人としては、私はあまり歓迎すべきことではないではないか。むしろそういうものでない普通の人を当てて、原稿なりその他教科書の内容の指導をするのが一番ふさわしいことではないか。もし私が前に申し上げたような経歴の人がかりにあったとするならば、ややもすれば復古的な前の考えに戻ろうというようなそういう郷愁がないとは絶対に言い切れない。もしかりにそういう気持が脳中を去来して出てきて、教科書の原稿を見て、平和をうたい、民主主義をうたい、戦争を否定し、あくまでも平和国家の建設に邁進しなければならないということを書いてあった場合に、何となくそれにけちをつけるというようなことになりかねないのではないか、こういうことをおそれるがゆえに、私は、くどいようでありましたが、さっきああいう質問を申し上げた。あなたは決して教育を国家統制とか、あるいは国家的基準を強化していこうという方向に持っていく気はない、こういうふうに言われるけれども、失礼ながらこういった検定については、大臣あなたは直接ごらんになったことがあるのですか。いかがですか。おそらくあなた自身がそういうことをおやりになることはございますまい。少くとも調査官あるいはせいぜい内藤初中局長あたりでとまりではないかと思うが、いかがですか。
○松田国務大臣 私も時間があるときあるいはたまたま審議会なりそういうところへ行ったこともあります。しかし、あまりよく知らぬということを申し上げます。また、この教科書の内容についていろいろ調査する調査官等について、追放者はおらないというふうに承知いたしております。
○小牧委員 今委員長の方から、故林讓治先生の葬儀があり、それに大臣も、また委員長も、その他の方も御出席をされるということのようでございます。せっかくそういうお葬式でございますから、今申し上げた方々が御出席なさるということについては、私も異存がございません。従いまして、まだ検定の問題についていろいろ御質問を申し上げ、さらに採択、販売の問題についても大臣あるいは公取の方々にも私は十分御質問を申し上げて御意見を聞いてみたい、かように考えておりますので、問もなく私は質問を打ち切りたいと思いますが、この次の文教委員会においては、今申し上げたような私の希望を取り入れてもらって、質問を続行させていただきたい、かように考えますが、念のために委員長のお答えをいただいてから残された一、二の質問をしてきょうはやめたいと思いますが、いかがですか。
○大平委員長 お答えいたします。御要望通り取り計らいます。
○小牧委員 それでは大臣にお伺いいたしますが、先ほど私が申し上げた通り、教科書の発行についてはそれぞれ国によっていろいろ方法、制度が違ってるようであります。わが日本は、今いろいろ臼井委員や私から御質問申し上げておるような方法、制度をとって教科書の検定をし、発行をしておるのでありますが、まだ私はいろいろお聞きしたいと思うのでありますが、今まで聞いた点だけについてもいろいろ指摘しなければならない点があろうかと思う。どうもその検定をし、合格をさせるということについて、検定の形式上の基準はあるけれども、今私が質疑応答をいたしましたように、その考え方を、どこに拘束力といいますか、基準を求めておるのか、こういう点については私はまだ非常に不備な点が多いと思う。従って、概括的に大臣のお考えを聞きたいのでありますが、現在のわが日本のやっておる検定制度について、大臣はこれでいいと思っておられるのか。あるいはまたこれはいけないから何とかこれを改正し、直していかなければならないと考えておられるのか、これを承ってみたいと思います。
○松田国務大臣 私の承知するところにおいては、現在の重要な教科書の検定にあたっては文部当局としては十分慎重に、またいろいろの方面から考えてやっておることとして、私はこれを今やり方を変えるとかいうようなことはない。考えておりません。やはり文部当局としては御指摘になったようなこともあるかもしれぬが、そういうことに対しては、十分これに対して意見を徴し、改むべきは改むべきであると考えますが、大体においては、私はよいと考えておる次第であります。
○小牧委員 これは若干異なことを承ると私は思うのであります。先般参議院の文教委員会において、たしか野本参議院議員でございますが、多少これらの問題に触れて質問をしておられるようであります。私はその内容をちょっと拝見をいたしましたが、今の御答弁とは違って、これを改正する必要がある、こういうような意見を述べられたように、内容に書いてあるのでありますが、いささか今の御答弁はそれに比べると違うと思うが、いかがですか。
○松田国務大臣 野本委員が指摘されたのは、現在使っておる教科書にいろいろの誤謬がある、はっきりと一々指摘せられたのであります。そういうものはできる限り早く訂正しなければならぬと、かように申したと思っております。
○小牧委員 私はその委員会に出ておったわけではありませんから、確かなことはわかりませんが、今言われたようなことは、確かに野本委員の方から質問の冒頭においてはなされたようであります。しかし、だんだんと質問が進むにつれて、一番終わりごろの内容を読んでみますと、教科書の発行に関する臨時措置法という名称まで出て、これに対する文部大臣の考え方を野本委員が聞いておる。これは内藤初中局長もいろいろ意見を述べておられるようでありますが、大臣も同時にこの問題に関する野本委員の質問に答えておられる。それは今のお話とは違うようでありますが、再度念のために聞いておきますが、間違いありませんか。
○松田国務大臣 野本委員の質問は、教科書の主として制度の問題であって、検定の問題ではなかったと私は承知いたしております。
○内藤(譽)政府委員 私その席におりましたのですが、今お話しのように、第一に、今まで使っておる教科書に間違いが多い。それは調査官の制度ができる前のことでございました。 いま一つの問題は、現行の教科書制度は、臨時措置法でやっておるんじゃないか、用紙の不足したときに、教科書をいかにして確保するか、こういうことであって、教科雪の発行、供給について、これでいいのか、こういうお尋ねでありました。それに対しては、実は教科書法案を出して、そういう問題を整備いたしたいと考えたけれども、不幸にして流れてしまった、こう申し上げたのです。 いま一点は、海外の各国で日本の事情について非常に誤解が多い。ですから、これを何とか資料の交換等によって是正する方法を考うべきじゃないか、こういう点であったのでございます。
○小牧委員 それでは私の見間違いであったかもわかりませんが、もう時間がありませんから何ですが、また次の委員会で聞きますけれども、現在の検定の方法について、出版会社なり業者の方から何か意見というものを聞いておられるかどうかあるいはまた現在そういう調査官の権限が次第に強化されて、国家基準ないしは統制の度合いが加えられつつある傾向ではないかという今の質問に対して、認定とまではいきませんが、これをあまりにもきつい一つのワクにはめるというようなことではなくて、今よりは多少緩和し、ゆるめていくというようなお考えはないかどうか、これをお伺いいたしまして、本日の私の質問はこれで終わり、さらに引き続きこの次の委員会において質問を続行いたしたい、かように考える次第であります。
○松田国務大臣 私どもの承知しておるところでは、業者の方から別に不満などのことが来ておらないと承知いたしておるのであります。従って、今このやり方について変える必要を認めておらぬというわけでございます。
○小牧委員 それはあるいは大臣の方に来ていないかもわかりませんが、これは考えようによっては、全然そういうことを言ってこないから、これはもうこれでいいのだということに大臣はお考えになるかもわかりませんが、あるいはそうでないかもしれない。元来業者は、検定に合格しなければ元も子もないのは、商売として当然だ。まずこれに合格するということが絶対必須条件なんです。そういう弱い立場から考えてみると、言いたいことも遠慮して言わないということも、私は会ったことはありませんが、やはりあり得るのではないかという気持も持つのであります。従いまして、そういう点についてはやはり慎重に研究され、そしていろいろ新聞やあるいは雑誌等に指摘されることがないようにしてもらわなければ困ると思う。そういう雑誌や新聞は勝手に書いたのだ、こう言われると、今度は新聞社と対決しなければならぬ、あるいは雑誌社とも突き合わしてみなければならぬということにもなるので、全然何もないところに、何もこういう記事が突発的に出てくるものではないじゃないかと私は思う。大臣はこれは考えは違うかもわかりませんが、そういうことですから、これについては不備の点があるならばこうすべきであるとか、いろいろさらに十分研究を続けられるということが望ましいのではないかと私は思い、これを要望いたしまして本日の質問は終わりたいと思います。
○大平委員長 次会は、来たる十三日午前十時より理事会、十時三十分より委員会を開会いたします。 本日はこれにて散会いたします。 午後三時八分散会