農林水産委員会 第26号
- 発言数
- 211 件
- 登壇者
- 15 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1960/04/27
会議録
○吉川委員長 これより会議を開きます。 農林水産業の振興に関する件について調査を進めます。 韓国抑留漁民問題について参考人に御出席をいただいておりますので、この際一言ごあいさつを申し上げます。 本日は御多用中のところ本委員会の調査のため遠路わざわざ御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げる次第であります。韓国抑留漁民問題に関しましては、本委員会といたしましては、わが国漁業の将来、また人道上の問題等より考えまして、きわめて深い関心を持っておる次第であります。従いまして、参考人の方々には忌憚のない御意見をお述べいただき、もって本委員会の調査に資したいと存じます。 なお、参考人の御意見は初め十五分程度にお述べいただき、あとは質疑によりお答えをお願いいたします。 それでは、まず、参考人外磯徳二郎君よりお願いいたします。外磯徳二郎君。
○外磯参考人 私は長崎の底びき船第十一亀秀丸の船長外磯徳二郎であります。 私どもは、諸先生方の御尽力によりまして、去る三月三十一日久しぶりで日本の土を踏むことができました。また、本日は私どものためにわざわざ喚問をいただき陳情の機会を作って下さいましたことにつきまして、心から感謝申し上げる次第でございます。 私が乗っておりました亀秀丸は、昭和三十二年四月二十日の午前一時十五分に農林二百五十六区でひき組中韓国の警備艇に拿捕されました。拿捕当時の状況について申し上げますと、当日は別に危険の情報も聞いておりませんでしたので、安心して操業しておりました。当日は暗夜でありましたが、私どもの近くに別の底びき船一組が操業しておりましたので、なお安心して操業していた次第でした。ところが、突然本船の船尾から激しい発砲がありましたので、びっくりして網を切り、全速で逃げました。すると、なお銃撃が激しくなりましたので、漁撈長が停船を指示したわけであります。本船が停船しますと同時に、韓国警備艇の警備員がカービン銃を持って本船に乗り移ってきまして、本船乗組員十名山機関部の二名を残して全部警備艇に乗り移るよう命ぜられましたので、警備員の命に従いまして警備艇に乗り移ったわけです。私は船長であった関係ですぐ隊長室に連れていかれまして、隊長から、強制的に、李ラインから十五マイル入っているということについて誓約書を書かされました。船は警備艇に連行され、済州島済州港に十四時に到着しましたが、その間、誓約書に署名させられたほか、何事もありませんでした。 済州港を翌二十二日午前六時出港しまして、同日の夕方七時巨文島に入港、ここで一泊。二十三日朝巨文島から釜山に向かいまして、釜山には翌二十四日未明に入港しました。ここで警備員から警備隊の情報部に引き渡され、情報部の簡単な私物検査がありましたが、別に物を没収するようなことは本船にはありませんでした。しかし、他の船では、済州島から釜山に行くまでの間にゴム製品を取られた船もあったということは聞いております。 本船が拿捕されたとき、本船の網が警備艇のいかりにかかって、これをはずすために約四十分ほど時間をとりましたが、その間に、私どものそばにいた手繰船は幸いにして逃げたようです。他の船がつかまったときの様子も、大体、私どものように、夜間無灯火で接近してきた韓国の警備艇に銃撃され、逃げることができずにつかまった船が全部のようです。 釜山に入港してから警備隊の隊員が本船の積んでいるものについて調書を作りましたが、当時本船には、長崎を出港してからの時間から見て大体重油八百カン、マシン油五十カンが残っており、また、とった魚は八十五箱ありました。ところが、警備隊の隊員は、重油の八百カンを十八カンに、マシン油五十カンを八カンに見積って、また、鮮魚八十五箱は雑魚四十四箱に見積り、調書に記入しました。そうして、鮮魚八十五箱を雑魚四十四箱と記入するにあたって、警備隊の隊員は、お前たちの罪を軽くするためにやることだと言っておりました。この実際の数との差を警備隊の隊員たちがどう扱ったかについては、私たちはわかりません。 この調書が終わってから、乗組員は釜山警察署に連行されて、翌日から、昼は取り調べ、夜は留置場に留置されておりまして、取り調べは六日かかりました。五月一日に取り調べが終わりましてから、釜山刑務所に収容されたのであります。 これで自分の何は終わらしていただきます。
○吉川委員長 次に、土井昌明参考人。
○土井参考人 私は大洋漁業所属の第一八三明石丸の船長土井昌明であります。 このたびは先生方の御尽力によって無事帰国できたことを深くお礼申し上げます。 私は、裁判について日本側から弁護士を派遣して下さることについて非常に御尽力に預かったので、その裁判の模様、あるいは検事局並びに海洋警備隊での取り調べの模様を、記憶のままに御説明いたしたいと思います。 私たちは、まず釜山に連行され、釜山の海洋警備隊情報係というところで約一週間にわたって各個人の取り調べを受けたのであります。この取り調べのおもなる点は、拿捕された位置はどこであったか、あるいはライン内にどれくらい入って操業をなしたか、また、その航海以前に李ライン内に入って操業をなしたことがあるかないか、また、君たちはラインを知っていたかどうか、また、ラインをどう考えているか、また、ライン侵犯の動機はどういうところにあったか、それから、船位測定の方法はどういう工合にしてやったかというようなことを主点にして、それにまた付属したようなことを聞かれました。それも、私たちが弁明をしようということはほとんど許されず、暴力こそふるわれなかったが、ほとんどそれに近いような状態の中で、私たちがほとんど強制的にそれを認めざるを得ないような中で行なわれたわけであります。大体、船の責任者、漁撈長あるいは船長、機関長、通信士なる者に主点が置かれ、他の一般船員はこれとほとんど同じような発言内容として調書が作られたわけであります。 この警備隊において取り調べが終わって、釜山の地方検察局に送られたわけでありますが、ここにおいてはきわめて簡単に二回にわたって検事の取り調べがあったわけであります。一回目は刑務所に入所するその日に全員が出頭して、李ラインを犯したことに円違いないか、また、海洋警備隊において取り調べたことに対する答えは間違いないかというようなことを聞かれたわけであります。私たちは、拿捕された直後であるし、心理的にも非常に恐怖と不安の中にあったものですから、やむなくその分厚い調書に内容を知ることなく拇印を押したわけであります。 それから、第二回目は、刑務所に入所して四、五日たって、船長並びに通信長が出頭を命ぜられ、取り調べられた内容は、位置測定の方法はどういう工合にやったかということについて詳しく説明を求められたわけであります。それから、李ライン内において操業する場合に船においては韓国の警備艇をどういう工合に見張りしあるいは監視、警戒するかというそういう二点に質問をしぼられたわけであります。そういう工合に、検事の取り調べはきわめて簡単で、それによって起訴されたわけであります。 そして、それより約二カ月後に出廷通知を受け、私たちは法廷に出廷したわけでありますが、ここにおいて、日本側の家族から弁護人を選定してくれという希望があるから、公判を延期するというような通知を受けたわけであります。それより約二カ月後に弁護人選定の通知を受けたわけであります。この通知書において私たちは韓国の弁護人二名が選定されたことを知ったわけであります。日本側より要求した日本人また米国人の弁護人各一名の選定希望について、これは完全に拒否したということが書いてあったわけでございます。その拒否した理由として、私たちはその通知書なるものは韓国の言葉で書いてありますので内容を十分に知ることはできませんでしたが、同じ刑務所において韓国人の通訳によって大体のその内容を知ったわけであります。その理由として、日本人がこのような国際情勢の中において同じ日本人を弁護することは正当な弁護にならないから拒否する、また、米国人はわれわれ東洋人とは異なった人種であるし、風俗、人情あるいは生活状態においても非常に異なっておる、だから米国人は韓国人の弁護士よりも日本人に対する弁護は妥当ではない、そういう理由が書かれてあったとわれわれは知ったわけであります。 第一回の公判が五月の末にあったわけでありますが、そのときは、ライン侵犯の事実があったかないかということが聞かれたわけであります。私たちはライン侵犯をしていないと事実を強く主張したわけでありますが、これに対して検事のいろいろな質問があり、また、この検事のいろいろな論告あるいは質問なるものも、私たちが答えなければならないような問題だけが通訳され、どういう工合にして裁判が進行されているものか、私たちにはほとんどわからなかったようなわけであります。そして、そのときに弁護士は弁護あるいは質問なるものはほとんどしなかったわけであります。私たちがライン侵犯の否定をしたものですから、検事側としては、拿捕当時の警備長を証人として次の公判に喚問する、それから、船内においていろいろな捜査をした結果、証拠資料を握っている、そういうことを言い、次の公判に移ったわけでありますが、このときに私たちが船内に置き忘れておったローランによる位置の測定記録が発見され、押収されていたわけであります。これをそのとき突きつけられ、私たちはいやおうなくその書類が私たちのものであるということを認めなければならなかったわけであります。その一言によってすべては解決し、季ライン外で拿捕されたそういう問題が全然問題とならなかったわけであります。とにかく、私たちの口から一言李ライン内にいたということを引き出せば罪は成立してしまう。たとえば、証人として出廷した艇長の言葉には、警備艇が常に李ライン内十マイルを航走したということを証言したわけでありますが、私たちは、拿捕された当時はライン外二十マイルで、こういう食い違いなどは、その公判廷において追及したり問題にしたりすることは全然なかったわけであります。でも、そのわれわれが認めた一言によって求刑がなされ、最後の判決には、そのライン侵犯のことによって、漁撈長一年、一般船員六カ月という刑を受けたわけであります。 弁護士が私たちに弁護してくれたその内容なるものは、大要だけが通訳されて、私たちは詳しくはそれも知り得ませんが、大体その李ライン侵犯をしたという事実に対する追及弁護というものは全然なされず、ただ弁護士が主点として弁護したところは、幹部船員と一般船員の責任の軽重を問題として、幹部船員にはその責任はあるけれども一般船員にはその刑が妥当でないということを弁護してくれたわけであります。この結果そういう判決がなされたわけでありますが、弁護人がついたことによって多少とも効果があったことは、先の人たちが一般船員が八カ月で出ておるところに、私たちが六カ月で出ていったことは、弁護人の弁論の効果があったのじゃないかと私たちは多少とも思うわけであります。 とにかく、裁判は、内容あるいは進行の状態をほとんど知らぬままに、そういう工合にして行なわれ、先の人たちと同じように形式的な裁判のもとに判決を受けて結末をつけたわけであります。大体以上の通りであります。
○吉川委員長 次に、泰生丸通信士の佐々木亨参考人。
○佐々木参考人 私は長崎県五島若松町泰生水産第八泰生丸の通信士佐々木亨であります。 このたびは、諸先生方の御尽力により二月三十一日帰国の実現を見、また、本日抑留船員の問題につきまして本委員会に召喚を受け陳情の機会を与えてくれましたことに対して、船員一同を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。 私は昭和三十三年一月十日二十三時五十分農林漁区二三四区の八地点におきまして、無灯の韓国警備艇の接近――国際法を無視し、まっ暗にして、ちょうどどろぼうネコが何かを盗むような格好をして接近してくるのでありますが、その銃撃により、速力の相違もあり逃走できず、拿捕された次第であります。 その私たちをつかまえた警備艇は、私たちが拿捕される前に拿捕された日魯漁業の下関、第八日進丸、九十九トンの手繰船でありますが、これを改造し機銃の武装をした船であります。私たちは操業もせずただ航行していただけなのでありますが、裁判のときは、操業中綱の警戒をしていたとなり、船長で十カ月、機関長、通信士、それから未成年一名が八カ月、船員六カ月の体刑を受けたわけであります。 裁判の模様並びに連行の模様は、ただいま二人の船長方から御説明がありましたので、私はこの点は省略することとしまして、特にお願いしたいことは、現在なお釜山には日本人漁船員四十七名がまだ苦吟しているのであります。新聞、ラジオの報道によりますと、韓国は反政府デモのため国内がこんとんとしており、釜山におる四十七名の船員の安否も気づかわれている状態なのでありますから刑期満了者とか刑が終わってないとかいうことを問わず、全員即刻帰すように諸先生方の御尽力をいただきたいと思うのであります。 続きまして、去る三月三十一日帰国しました抑留船員百六十七名の帰国後の就職問題、病状、生活状況などにつきまして、諸先生方の善処をお願いいたしたいと思います。このたびの帰国船員百六十七名は、同じく漁業に従事する漁船員でありますが、帰国後の立場は、各県別、またその所属する会社別においていろいろと異なっているものであります。たとえば船員保険、失業保険の適用を受けられない人たち、また、拿捕により船主が事業を継続することができず解散した船員が多数にいるのであります。帰国しても、会社、船主より何らの保障もなく就職の見通しも皆無といった人たちはさっそくに家庭生活の不安が生じている次第であります。このような立場にある帰国船員に対し、何とぞ今後お願いする件を善処せられまして、適切なる保護の与えられますよう、くれぐれもお願いいたします。 去る三月三十一日、下関上陸と同時に、下関国立療養所におきまして全員精密なる身体検査を行なったのであります。その際の結果では、無病者四十二名、有病者百二十五名、パーセンテージにしますと、健康者二五%、有病者七五%という結果が出ているわけでありますが、その後各人郷里に帰り、再び健康診断を受けた結果、下関の診断の結果以上の病名が出、また、それより以上に治療を要する船員が多数にいるのであります。しかし、船員保険を有しない船員は、下関国立病院の診断以外の病気が発生した場合に、現在の方針でありますと自賛をもって治療しなければならない現状であります。以上の場合、船員保険の適用を受けられる船員の方は治療できますが、ない人は自費治療ということは、帰国後の今日何らの収入のない現在ではとうてい不可能なことでありますので、今後、抑留に関連ある発病と認定されます諸病に対しては、入院・通院を問わず完治するまで国家経費で治療できますようお願い申し上げます。 なお、現在の方針でありますと、有病者に対しまして、入院者月額一万二千円、通院者には二千円の支給がありますが、入院・通院とも、以上の額で治療できるかという問題であります。病状によりましていろいろ違った治療方法もあると思いますし、以上の人たちの治療はすベて今申し述べましたように全額国庫負担としていただき、この人たちはいずれも就労できないのでありますから、その間の家庭の生活費としまして、その家族の生活でき得る生活費の支給をあわせてお願い申し上げます。 続きまして、失業対策に関する件であります。前に御説明申し上げましたように、拿捕により船主が事業を解散し、帰国した船員の復職できない立場の人のため、格関係官庁におかれましては適宜なあっせんをお願いするとともに、長い抑留中より解放され、帰国と同時に乗船して激しい漁業労働に従事することは、有病者に限らず、全船員に不可能なことでありますゆえ、ある期間の静養をお認めの上、会社より保障のない船員に対し、失業救済金として生活でき得る金額の支給をお願い申し上げます。 以上の件は、今回の帰国音に限らず、前回帰国された船員の中でも、現在なお抑留が原因で病魔に侵され生活難にあえいでいる人たちがおるのであります。この人たちにも適用していただくようお願い申し上げます。 続きまして、拿捕船主に対するお願いであります。すなわち、拿捕により事業財産がごっそり持っていかれました船主、すなわち、無一物どころか、かえって借金を背負い込んだ船主方もおるのであります。この人たちの事情を御賢察の上、諸先生方におかれましても、代船建造資金の一部補償、長期低利融資などの御便宜を与えられますよう、くれぐれもお願い申し上げます。 ただいま数項目にわたりお願いしました件は、前帰国者の場合も同様だったことと思います。すなわち、李ラインがある以上、不法拿捕、抑留、帰国、陳情ということは循環して行なわれることであります。今後、かかる不法行為、不幸にして抑留された船員の悲劇などを根本よりなくすには、李ラインの撤廃があるのみであります。どうかこの点につきまして政府におかれましても早急解決されますようくれぐれもお願い申し上げますと同時に、当面の問題としまして、安全操業できますよう、無線設備のない小型漁船に無線の設置をお願いいたします。また、李ライン哨戒の巡視船にも北洋哨戒と同様武装をせられ、韓国警備艇に対し威力を与えられるようにすれば、出漁漁船も大そう心強く、また拿捕も未然に防げると思われます。 諸先生方におかれましては、私たち抑留中は帰還のためいろいろと御努力下さいまして、ここに私たち百六十七名の帰国実現を見たわけでありますが、以上お願いした件も、何とぞ私たちが海の産業戦士として再起できますよう御尽力下さいますようくれぐれもお願い申し上げます。終りといたします。
○吉川委員長 次に、正信丸船長の杉山実参考人。
○杉山参考人 私は宝幸丸の杉山でございます。 拿捕された船員のうち、このたび百六十七名が元気で帰ってきましたことにつきまして、皆様方が一方ならぬ御尽力をなさったことに対しまして深くお礼申し上げます。 拿捕あるいは裁判という方面におきましては、先ほど二名の方のお話があったように、多少違うところもありますけれども、大体そういうようなわけで、刑務所に服役、それから収容所というところへ行って私も二年余りおったわけです。その刑務所の実態、収容所の実態をこまごまお話しすれば一日くらいではおそらくできないと思いまして、私が入ったとき、それから、その前三十三年度に帰られた方々、それと現在帰るまでのその変動を少しお話ししたいと思います。 私は昭和三十三年四月四日に刑務所に入ったのでございますが、そのときの居室としましては、約七畳くらいのところに十三名入れられたわけです。それで、四月でありましたけれども、幾らか寒さは感ずるようなときでありましたが、ふとんも十三名でただ三枚です。それが、三枚をつなぎ合わせるとちょうど七畳の部屋に一ぱい広がるくらいで、上にかけたら下にない。下に敷いたら上がないということです。衣服も綿の出た服で、上下ありましたが、そのままごろ寝しておったわけです。その中にこれくらいの便器がありまして、そうしてふたをあけるとくさくてしようがないのですが、そこで炊事もいたしますし、食器を洗ったり、御飯を食べたりしました。それが、現在では刑務所の戒護課長といいますか、その人が尽力なさって、日本人にそういうことをしてはいけない。十三名のところはせいぜい多くても八名くらいにしなければいけないというところから、六、七名入っておるようであります。それで、便器から被服類もある程度改善をされました。そして、ふとんも前よりは多少いいというような状態です。入浴なども、私が入った当時は月に一回、雨が降らぬときには二月に一回くらいしがなかったのですが、現在では一週間に一回から十日に一回くらい入っておるそうです。これは最近刑務所から出てきた人の話ですから間違いないと思います。しかし、医療設備、病人に対しての保護がまだまだできていない。頭が痛いとか腹が痛いとかいう小さいことでしたら医務課の方で薬をちょっとくれますけれども、大病になって黄疸とか神経痛になりますと、お前らは自費でやれというようなありさまです。それは前と一向に変わっておるとは見受けられません。大体、刑務所におりまして、運動が、ただ午前、午後一時間の建前ですけれども、警官によって違いますし、雨天、祭日の場合も違って参ります。食糧の方としましては、皆様方も十分御存じだと思いますが、入った当時は食えたものではない。私は塩だけを食べて三日も耐えたことがありますが、これではいけない、とにかく飯を食わなければいけない、それで腹だけこやして命だけはつないでいかなければならぬからということで、ぼつぼつ食うようになってきました。それで、刑務所に備えつけの食堂があるのですが、半分はその食堂に行って、半分はその食堂に行った人の飯を食う、それで二人分飯を食おうじゃないかということにして、お互い、健康維持においては、十分といいますか、そういうふうなことでやってきました。現在、その御飯は、三十三年度からすると幾らかは変わったように見受けます。副食の方も時には魚などもあるのですが、その魚が食えないこともたまにあります。しかし、入った当時から、私が一年間刑務所生活をして出るときには、だいぶそこも違ってきて、副食もある程度日本人のわれわれも食べられるようなものができてきたということは、やはり、その当時の刑務所の戒護課長が、親日派といいますか、日本人に対して非常に努力してくれたからではないかと思っております。 それで、一年間刑務所生活をして収家所に入れられましたが、収容所に行った当時自炊をしておったわけです。その自炊というのは、収容所の食糧が悪い、それで、どうしても健康維持ができないということから、日本から送ってくる小包を金にかえてもらう、また、物々交換というようなことをしてもらいまして、朝と晩だけ自炊、それで白米を食おうじゃないか、昼だけは収容所でくれる御飯を食べようじゃないか、それから、特に運動はその間しなければいけない、帰るまでみな絶対に健康で帰ろうということで励まし合っていたわけです。ところで、その間に警官が、自分がここでの一番の大将だ、自分の言うことを聞かない者はいかぬということで、日本人の小包はむちゃくちゃにしてしまうし、また、検査するときも、自分たちのほしいものは取ってしまう。それをくれと言うと、向こうは怒って、手紙をくれないとか、小包を破いてしまうということが、もうたびたびどころではなしに毎週あるわけです。必ず一週間に一回は小包を郵便局から持って参りましたが、とにかく日本人を苦しめなければいけない、三十六年間というものは自分たちは日本にいじめられてきた、その反動をお前たちは受けるのだ、くやしかったら日本に帰ってからにしたらどうだということを言うわけです。しかし、とにかくそういうことを言わずに、私たちの言うことを上部の方へ伝え本国の方へ通してくれないかということを言いましたら、向こうは、お前たちの言うことは壁にゴムまりを投げるようなものだ、幾ら言っても上部には達しないと言うのです。それで、その当時多田幸雄、中村保という二人の人が病気でした。そこで、どうしてもこの病人だけは早く帰してくれないかということを再三頼みましたけれども、それを聞きいれてくれないわけです。それで福岡の川口さんという人が、自分のところに送ってきた小包の中に薬が入っているから、それを下さいと言ったら、お前にはやらないということでしたので、川口君が、そんなことがあるかと、ちょっと口返答をしたらしいのです。そうしたら、今度は警官が七、八人寄ってきて、たたく、ける、踏むというわけで、もう三週間あまりの重傷を負ったわけです。それで私たちも非常に憤慨しておったのですが、とにかく一度はこのことをどうしても上部に報告するときもあろうというふうに思っていたわけです。ところが、そういうようなことでいろいろわれわれが言うものですから、自炊をやめさせられたわけです。そこで、それではいけない、これはもう与えられた食糧だけではやっていけない、自炊はだめだ、小包の品物は破られる、手紙はとめられる、新聞、週刊誌は決して見せられない、全く井戸の中のカエルで何もわからないということで苦しかったわけです。それで、七月七日か八日に日本人が二名脱走しました。ところが、ちょうどしけのために船に乗ることができず、山の中に一昼夜半、二昼夜近く入っておりましたが、帰ってきて、それがまた暴力を加えられる。なぜ出たか、不届き千万だということで、相当やられたわけです。そういうことがありまして、去年の七月十七百に、とにかく何はさておいてもわれわれの言うことを上部に達しようじゃないかというところから、事務所の二階に上がっていって、一人々々、戸を破り、電話をちぎりして出ていったわけです。それが七月十七日のデモになったのです。 そういうことで、あくまでも上部にわれわれのことを確かめてもらい、聞いてもらって、そして待遇改善をやつてもらおうということで努力したのですが、その結果、反面、売店もなくなるし、もちろん自炊も帰ってくるまでできませんし、苦労もしましたけれども、病人の中村保さんと多田幸雄さんも帰してもらえますし、また、その後の病人に対しての向こうの親切味というか、それが非常によくなって、少し工合が悪くなったら、どうだ、悪いのはおらぬか、少し悪いのがおったら、警察病院に入院させるからすぐ来いというようにして、病人に対して、また日本人に対して非常に丁重に扱うようになったわけです。それで、その丁重に扱うようになってから、自炊はもちろんできなかったですけれども、ふろなんかも十日に一回、映画も月に一回、それから、ラジオも拡声機をつけてやるからというようなことまで向こうは言っておったわけです。そのデモがあってから、いろいる調べもありましたが、その間、帰ってくるまでの期間は非常に短く感じたわけです。 そうして私たち帰ってきましたけれども、あとに残っておる四十七名の人たちは、私たち以上の苦労をしております。というのは、私たちが収容所へ行った当時は先輩がおりまして、実は収容所とはこういうところだということが何年かずっと口から口へ伝えられ、ほぼ見当がついておりましたが、今度は全部新しく入れかわったわけです。収容所には古い日本人は全然おらぬわけです。現在刑務所で刑を終えて収容所に入った者が二十八名か九名おると思いますが、その人たちはただ警官の言うがままになっておるのであろう、そういう人たちはおそらく収容所生活はできぬのじゃないかという考えを私どもはしておるわけです。警官の数としましては、入った当時は四十名くらいが二十名くらいずつ一昼夜交代でやっておりました。デモ後は約八十名で倍になったわけです。四十名くらいが一昼夜交代というので、とにかく警官の目を盗んで脱走ということは絶対できない。それから、収容所のバリケードも、前は一重だったのが今は二重になり、内側にもう一つバリケードができて、われわれが運動するところもない、あまり運動するとあくる日は体が動かないようになるから、運動はしないぞと言う人が続々出てくるわけです。大体運動不足と栄養失調の方面から、病気もそれぞれに持っているのじゃないかということを申しておるわけです。 とにかく、四十七名を早く帰してもらいたい。それにつきましては、皆様方の御努力、御尽力がなかったらできない。相手が相手でありまして、相手が政府と政府の問題でありますから、これも簡単にいかないでしょうけれども、どうか皆様方のお力で一日も早く帰してもらうようにお願いいたします。
○吉川委員長 本件について質疑の通告がありますので、これを許します。中村時雄君。
○中村(時)委員 まず佐々木さんにお尋ねいたすのですが、先ほどからのいろいろなお話の御苦労、ほんとうに私たちとしても言葉に言えないほど御苦労だったと思うのです。 そこで、第一点としてお聞きしたいのは、あなたが三十三年の一月十日に、農林――地点はどこですか。
○佐々木参考人 二三四の八であります。
○中村(時)委員 二三四の八で銃撃を受けたと言っていらっしゃるが、二三四の八といいますと、あの地図でながめるとどこになりますか。ちょっと地図で示して下さい。
○佐々木参考人 ちょうど泰生丸のみよしのあたり……。ここら辺になります。 〔委員長退席、丹羽(兵)委員長代 理着席〕
○中村(時)委員 わかりました。それは、私たちは季ラインというものは認めていないわけなんですけれども、李ライン外にあるとあなた方は確認をしていらっしゃるわけですね。
○佐々木参考人 はい。一応ラインより十マイル外におった、これは日本の海上保安庁の人も認めてくれております。
○中村(時)委員 そういたしますと、銃撃を受けたとおっしゃいましたが、それは李ライン内から銃撃を受けたのか、李ライン外から銃撃を受けて李ライン内の方に追い込まれていったのかをまずお聞きしたいと思うのです。
○佐々木参考人 それは、二三四の八、今私が示した地点におきまして銃撃を受け、その地点で拿捕された次第です。
○中村(時)委員 そうすると、李ライン外から銃撃を受けた、こういうことになって参りますね。
○佐々木参考人 はい、そうです。
○中村(時)委員 これが第一点。はっきりしたわけです。 次に、おたくの目で見て、大洋漁業の船をその警備艇というものは改造をして、そうして今言った装備をしながら取り扱っておる、こういうことは、その大洋漁業の船そのものをあなたは以前から知っていらっしゃって確認ができたわけなんですね。
○佐々木参考人 大洋漁業じゃありません。それは日魯漁業の船なんですけれども、私たちがその警備艇によって済州島にまず連行され、そこで海上荒天のために釜山向け回航ができず、約十日その警備艇で寝食をしておったわけなんですけれども、その間ずっと船の構造とか各部門の配置などを見まして、刑務所に行って、その日進丸の人たちから聞いたわけであります。ところが、そういうことは、このたび大洋の明石もそういう工合に改造、武装しているという話があり、現在、私たちが帰ってくるときに釜山の海洋警備艇の前をバスで通過したのですが、そのとき警備艇と一緒につないでおったということは、ここに土井船長も来ておられますけれども、このたび全員の目で見た事実であります。
○中村(時)委員 次に、拿捕をされましたとき最初の取り調べを受けたとおっしゃいますが、その取り調べは、拿捕され連行されている途中で警備艇の連中からの質問やいろいろなことが行なわれましたかどうですか。
○佐々木参考人 私たちの場合は、私と船長と操舵室におって、いきなり拳銃を突きつけられて韓国の警備艇に移船させられたわけなんです。その移船させられて済州島に向かう途中において、君たちは平和ライン侵犯のかどによって拿捕する、艇長からそういう言い渡しがありました。その途中、一応向こうの方で位置確認書という書類を作って、ただこれに捺印してくれと言う。船長の方では、これは位置が違うからまた拿捕当時の状況も違うから、これには捺印できないと断わったのですけれども、やむなくおしまいにはそれに捺印したわけです。
○中村(時)委員 次に、裁判所の問題を土井さんに一つお尋ねしたいのですが、裁判所における状況についてもうちょっと詳しくおっしゃっていただきたいと思うのです。
○土井参考人 裁判所は、判事一名、検事一名、弁護人二名、――もちろん私たちの場合でありますが、これによって構成され、ちょうど私たちのころは裁判所の法廷は新築中で仮の法廷が使用されたわけです。これは刑務所のすぐそばにある、昔舞踏場か何かがあったらしいのです。バラック建の、やっといすと机を寄せ集めたようなところで、もちろん、私たちの場合も、韓国のいろいろな囚人というか裁判を受ける人たちと合同裁判になっておったわけですが、ここにおいて裁判はされたわけであります。通訳が一名ついておったわけでありますけれども、この通訳がわれわれに通訳をしてくれる場合は、検事なり判事あるいは弁護士の質問される場合のみ通訳され、検事がいかなる理由をもってわれわれに求刑をしておるかとか、どういう法律に触れるなどということはほとんど通訳してくれない状態で裁判が行なわれたわけです。
○中村(時)委員 それでは、私が具体的にちょっとお聞きしたいと思うのですが、その前にあなたにもう一つ伺っておきたいのは、あなたが拿捕されていったその中において、向こうの裁判の方から、一体季ラインに入っておったかどうか、あるいは拿捕された位置はどこにあったのか、あるいはあなたはラインを知っておったかどうか、その李ラインを侵した理由は何か、こういうことを聞かれた、こうおっしゃるわけなんです。そこで、おそらくあなたは拿捕されている非常な恐怖心から、いろいろな問題の取り上げ方を向こうの有利なような承認をしてしまった結果がある一部では生まれてきたんじゃないかと思うのです。しかし、現実の問題として今はそういうことはないのですから、実際に拿捕された位置、それから、李ラインに入っておったかどうか、それはどんなのですか。
○土井参考人 私たちが拿捕された位置は農林漁区の三百二十一区の左中でありました。
○中村(時)委員 ちょっとあれで説明してみて下さい。
○土井参考人 この近くです。発見されたのはこの位置であります。これから約二時間逃げて拿捕されたわけであります。
○中村(時)委員 そうすると、やはり土井さんの場合におきましても、李ライン外において拿捕されたわけですか。
○土井参考人 それはもう確かです。
○中村(時)委員 そのときにもやはり銃撃を受けましたか。
○土井参考人 これは、追跡されて五百メートルくらいに接近されてから威嚇射撃を相当に受けました。
○中村(時)委員 そのときはやはり実包で受けたわけですか、空砲だけなわけですか。
○土井参考人 それは私の方ではっきりわかりませんけれども、船体に二発程度のたまのあとであろうと想像されるものが残っておりました。
○中村(時)委員 そうすると、大体向こうは実包であったということが言えるわけですね。
○土井参考人 そうはっきりしたことは言えないのですけれども、そういうあとがあるところを見れば、全部がどうであったか知りませんけれども、実際に使ったのはあったであろうと想像されます。
○中村(時)委員 そうすると、たとえば入所をして――要するに引っぱられたときにその中で皆さん方が話し合いをしていらっしゃるわけですね。そういうようなときにやはり実包をもって発砲されているというような実例というものはお聞きになっておりますか。
○土井参考人 聞いております。
○中村(時)委員 あなたがさっきおっしゃったように、弁明をしたくても、要するに弁明をすることのできないような暴力にひとしいようないろいろな威圧が加えられてくる、そのためについに自分たちの心に反してそういう承認をせざるを得なかった、こういうお話があったわけなんです。そこで、威圧を感ずるような暴力に近いような形ですね、それをもう少し詳しくおっしゃっていただきたいと思うのです。たとえば精神的な威圧をこうむったのか、あるいは態度の上の言語の中においてそういうことが出てくるのか、あるいは実際にそういう威圧を加えられるような方向に、たとえば鉄砲を持っておるとか器具を持っておるとか、そういうような観点から、自分たちが威圧を加えられているというふうに、これはいろいろあると思うのですが、それはどういうものを最も大きく感じられたかをお話し願いたいと思います。
○土井参考人 私たちの場合は、特にそういう暴力に近いような方法をもって調べられたのは幹部連中だけでありますけれども、この一人に対して五名も六名も調べ官がついて、たとえば、位置の点などというようなことに対しては、ここであったろうがというように向こうから質問をしてくるわけです。こっちは、そうでない、もっと別な位置であった、そういうことを言った場合において、うそを言うな、とにかく四人も五人もの調べ官がいきり立って、うそを言ったらなぐる、そういうような言葉で、もちろん手を触れたりけったりというようなことはなかったわけでありますけれども、そういう一人の取り調べられる人に対して五人も六人もというような状態で調べたわけであります。
○中村(時)委員 そうすると、たとえばそういうふうに五、六人の人間が集まって、――これは一つの集団的の威圧ですね。それへもってきて、たとえばあなたの言葉のしりをとらえて、お前がうそを言うんだったらなぐり飛ばしてやる、そういうような事柄をはっきりと打ち出しておったのか。あるいは、法律的の根拠に基づいて裁判所において罪の軽重が出てくるのだが、そういうようなことには一切おかまいなしにそういうようなばり雑言といいますかそういうような事柄を現実にはっきりと打ち出すということは、韓国側の方々の教養の度合いによるのですけれども、われわれとしてもはっきりそうかなというふうにうなずける点もあるわけでありますが、その点をもう少し明確に、たとえば、なぐってやるとか、うそを言ったらぶっ飛ばすぞ、そういうような言葉の上の問題がありましたかどうですか。
○土井参考人 これは、非常な威嚇射撃によって拿捕され、釜山に連行されるまでには一室に閉じ込められて、全然自由な行動も話し合いなどもできないような状態で連行され、また、向こうに行って、そういう環境の中で調べられ、また、私たちがそれ以前に人によって聞き伝えられる向こう側の状態、そういう恐怖と、また、無理に反抗しても何らそれは通されないというような、そういう心理状態にあったために、多分にその事実に反しても向こうの言いなりにならなければならないというような状態であったわけです。
○中村(時)委員 そうすると、結論としては、自分たちの立場、そういうものは明確に李ライン外であるという確信があり、その立証ができるにかかわらず、向こうの方の威圧によってそれを認めざるを得なかった、というよりも認めさせられてしまった、こういう結果になったわけですね。
○土井参考人 そうです。
○中村(時)委員 次に、その裁判のときに、向こうの方では、その位置、あるいはあなた方の就業の状態、そういういろいろなこまかい点を細部にわたって克明に調べてくれたかどうか。向こうの方では、ただいきなり、お前の方は李ライン内に入っておったじゃないかということで、もう頭からそういうことにしてしまったのか、そうでなく、調べ方としては、まずあなた方の位置はどこにおったんだ――たとえば、その船は出港してからどういう経路でどういうふうにとってどうなっていくということになれば李ライン外におるか以内かということもわかってくるわけだが、そういうこまかい聞き方をしてくれたのか、そうではなくて、いきなり、李ライン内におったじゃないかということから、おるということを前提にしていろいろな質問をしておったのか、そこのところを冷静に一つ考えてお答え願いたい。
○土井参考人 最初は、主として拿捕地点はライン外であったか内であったかということに問題が集中されたわけであります。私たちは、あくまでも、ライン外であった、それを主張したわけであります。しかし、船内に置き忘れておったローランによる位置記入のメモが発見されたわけであります。それが発見されたことによって、結局、李ラインの外で拿捕されたかあるいは内で拿捕されたか、その問題は全然問題にせず、その証拠のために、ライン内で過去に操業をやったことがあるということだけに問題がしぼられてきた。それが発見されたために、それ以外の問題は全然問題にされなかったわけであります。
○中村(時)委員 そうすると、その書類の中に、以前には李ライン内に入ったということの立証があったわけなんですね。
○土井参考人 そうです。
○中村(時)委員 それから、次に、お聞きをしておりますと、あなた方が拿捕されて以来四、五日で法廷の中で云々があって、それから日本側の弁護人の要求をあなた方がしたわけですね。日本人の弁護人を立ててもらいたい、こういう要求をされたわけなんでしょう。その結果、あなたのお話をずっとつじつまを合わしていきよりますと、大体二カ月以上経過して韓国側の弁護人二名の選定というものがきまってきた、こういうことになっていると思うのです。これに間違いないですか。
○土井参考人 弁護人を要求したのは、私たち本人ではなく、家族の方であります。で、それがはっきり選定されたのは、刑務所に入って二カ月後にそういう希望が日本側から出ている、だからこの弁護人を選定するまで公判を延期する、その通告を受けて、それから約五十日ぐらいして、結局入所して四カ月ぐらい後になって弁護人が選定されたわけなんです。
○中村(時)委員 いずれこれは政府の方にあとからいろいろ質問をしなくちゃならぬものですから、こういうくどくお尋ねをしているわけなんです。今度はその内容なんですが、その内容の弁護人二名という韓国人は、日本語は全然できないわけなんですか。
○土井参考人 十分にできます。
○中村(時)委員 十分にできるにかかわらず、向こうと話をするときには韓国語で言って、そうして実際の要点のところはほとんど話をしなかった、こういうことに解釈するわけですか。
○土井参考人 弁護人がおもに発言をしたのは求刑がなされたのに対する反論であります。これは長時間にわたって一応話したわけでありますが、それは韓国語でなされ、その弁論が済んで後に、通訳が、今弁護人の方はこれこれのことを言われたという大要を通訳してくれるわけであります。
○中村(時)委員 次に、その判決をやられたわけなんですが、その判決を言い渡されたときには、向こうの方ではどういう法規に基づいて判決を下すというようなことは言わなかったですか。
○土井参考人 それは言いました。韓国の漁濃資源法第二条だったと思います。
○中村(時)委員 そうすると、あなた方が拿捕されてから裁判まで何日くらいかかりましたか。
○土井参考人 私たちが刑務所に入所したのは二月の四日です。これですっと未決の状態を続け、六月の十八日に判決を受けました。
○中村(時)委員 その間、呼び出されたり、いろいろなことがあったんでしょうが、何回くらい呼び出され、何日くらいほっぽらかされておったか。
○土井参考人 取り調べは、私たちが海洋警備隊から刑務所に移されるその口に、入所する前に検事の方に全部出頭したわけであります。それで、書類に、――ほとんど内容なんか見せてくれないのですけれども、それに拇印を押して、一応ラインに入ったということを認めさせたというような形式をとったわけです。そうして、刑務所に入って、多分四日目だったと思います。私たちは二はいの船が一緒につかまったわけですから、両船の船長二名と通信長計三名が検事局の呼び出しを受けたのであります。それによって検事の取り調べが終わったわけであります。それから、裁判の公判がある前日に、その二名の弁護士が一応顔見せ程度に裁判所の方に出向いて参りました。
○中村(時)委員 そうすると、調べられた期間というものはわずかであって、ほとんどがほっぽらかされたわけですが、そのほっぽらかされておったときの待遇ですね、漁業法の第二条ですか、まだそれに適合する判決を受けない以前の状態は、やはり罪人と同じような待遇を受けたかどうか。
○土井参考人 これは普通の囚人以上の待遇であります。どうしてかというと、刑務所におって未決囚と既決囚は、所内の生活の苦しさは未決囚の方がひどいくらいです。ただ、頭を坊主にするとか、そういう形式的なことは未決囚にはやらされないけれども、運動の時間も既決囚より短いし、また、映画を見せる場合も未決囚には見せない。だから、実際の生活は、判決を受けた後よりもつらかったわけであります。大体において判決を受けた後と同じような状態をずっと続けておったわけであります。
○中村(時)委員 個人から言えば、判決も受けてないにかかわらず、そういうようなことをするのはけしからぬと私たちは思うんですけれども、それは韓国の野蛮的な一つの行為であろう、私はそういうふうに判断して差しつかえないと思っておりますが、これは、外務省当局の連中はどういうふうなお考えを持っているか、あとでお聞きをいたしたいと思います。 次に、杉山さんに、今度は、内容の問題をお話しされたようですから、内容の問題の二、三点をお尋ねしておきたい。当初七畳のところに十三名くらいの者が押し込められておる、――これは押し込められておると言って差しつかえないと思うのですが、押し込められておるような状態であり、便所も炊事場所も全部同じようなところでもって、完全な、極端な、ひどい意味の罪人扱いを受けておった、こういう結果が出てきておったわけですが、それは大体いつごろまでなんですか。その後ある程度それは改良されたと言いますけれども、それは大体いつごろまでそういうような状態が続いておったか。
○杉山参考人 私は昭和三十三年の四月四日に入ったのでありますが、九月中ごろまでそういうふうに十三名がおりました。なぜそんなにしておったかといいますと、入れるところがない。朝鮮人の囚人で一ぱいだ。朝鮮人の囚人を二十名から二十五名入れるところへ、日本人はその半分だからがまんしろということで入れられたわけであります。それで、七名、八名になったというのはごく最近でありまして、去年の十月ごろからだと思います。
○中村(時)委員 そうすると、その次にお尋ねしたいのは、その変わって以来、便器や炊事場というものは別個になりましたか。
○杉山参考人 便所、便器、炊事場、また、げた箱というものは、やっぱり同じです。全然変わっておりません。それで、外来者のある場合は便器の見えないようにしておけというようで、廊下の方から見えないように廊下の方にくっつけて、いかにも便器は中にはないというような見せかけをするためにそういうようなことをやっておったわけです。
○中村(時)委員 それから、次に、食糧の問題ですが、食糧の量は大体どの程度の量を支給されておりますか。
○杉山参考人 量といいますと、はかったこともありませんが、一等食から五等食まであるわけです。それで、日本人には三等食だというところで、大豆が二割、米が一割、丸麦が七割というような、これぐらいの大きさの、高さこれぐらいです。それをぱっと型に入れて三という字を判で押したのを一食に一つずつもらったわけです。
○中村(時)委員 豚扱いなんだけれども、実際はそれくらいで腹一ぱいになりますかなりませんか。
○杉山参考人 それを腹一ぱい食べるとしたら、三つか四つくらい食べなかったら腹一ぱいにならないようなものでした。
○中村(時)委員 副食はそれに対してどういうふうに……。
○杉山参考人 副食は、ナイロン汁といいますか、塩気がちょっとあるくらいなもので、下関の市場あたりへ行ったら下水に入っておるような魚、ああいうふうなものと塩汁みたいなものをまぜて、しょうゆで色をちょっとつけておるようなものでありますから、それを食べたり付飯を食べたりすれば下痢をしてしょうがない。大豆がごろごろ便器の中にあるのが情ないくらいであったのです。
○中村(時)委員 それから、映画はどういう映画を見せてくれましたか。
○杉山参考人 映画は、私は、刑務所におる一年周に洋画が一回と、それから、韓国の映画は、見ていても全然わけのわからぬような映画が二回、一年間に三回見せてもらいました。韓国映画ばかりです。
○中村(時)委員 それから、新聞・雑誌ですが、日本の新聞・雑誌ですか、それとも韓国側のやつですか。
○杉山参考人 日本の新聞と問わず、韓国の新聞と問わず、そういう書きもの類一切は、雑誌にしろ週刊誌にしろ、全然見せられないわけです。ただ、しかし、見せられるのは、「平凡」とか「明星」、ああいうもの、漫画とか、そういうようなものは見せてもらえるわけです。それで、政治的なものなんか、ときにさぐってみようとしても全然見られないわけです。
○中村(時)委員 次に、飲料水の問題はどうですか。
○杉山参考人 飲料水は、梅園は、特に釜山は少ないところでありまして生水というものは全然飲まれないわけです。洗たくなんかも、刑務所におる当時は、洗たく時間もありませんし、運動時間を利用してするのでありますが、その水が、水道というものは全然ないわけです。井戸水ばかりでやって、その井戸水も、あとすすぐのに一尺ぐらいから底がつかえるというようなくらいの水で夏の日には半年ぐらいは使っておりました。それが濁っていてくさくて、それが川に入るのですが、その川は一晩雨が降ったら一ぱいになる。四、五日も降らなかったらずっと減ってしまうような井戸であります。収容所でももちろんそういうような雨が降ったときなんか変動が激しくて、収容所の方には井戸が二つありましたから、それでできておりましたけれども、虫がおってとても始末がつかない。虫がいていけないから、さらえようじゃないかといって、われわれがさらっても、ものの十日もすればまた虫が入る。それは結局流し込む穴が大きいのじゃないか、雨が降ったらまたすぐそこも使えないというようなあんばいで、雨水を飲んだら絶対下痢をするのは間違いないような状況だったのです。
○中村(時)委員 アジア局長、しっかり目をあけて聞いておって下さいよ。あなたにもこれからものを申さなければならぬことがたくさんあるのだから。 次に、内地からの慰問品の問題ですが、内地からの慰問品に対しては、ある意味ではやはりその中から品物の引き抜きをやるとか、そういうような現状が、帰ってきて調べればわかるわけです。どういう物を送ったが実際に向こうに届いていないということが皆さんわかるわけですが、そういうような状況があったかどうか。
○杉山参考人 それは再々ありまして、刑務所でも、これは釜山で取られたのだろうか京城の税関で抜き取るのだろうかということが再々ありました。収容所でも、それは現に破られて、商品価値もないようにされたことがありますが、日本から送ったものと、それから受け取るものとは、量がだいぶ違うことがあった。それで、手紙では送ったと言うて来ておりますが、それでも品物はない。そのときには、必ず、送り状といいますか、あれが入っていないのです。品物がなくなっていない場合は送り状が入っておりますが、一個でも品物がなくなっている場合は、送り状が小包に入っていない。それははたして郵便局で取っているものか京城で取っているものか、また警官がやりくりをしておってそういうように手配をしておるものかということを私どもはいろいろ疑問に思ったわけですが、事実そういう小包の品物を抜き取る横領というようなことはありました。
○中村(時)委員 そうすると、二つの面が考えられるのですが、そういう韓国人全部がどろぼう的なものの考え方を持っておるとは思わないのだが、一つは韓国側のあの警備をしている人たち自身の待遇の問題になってくると思うのです。おそらく、私は、韓国側の今の状態からいくと、その待遇が非常に悪いのじゃないか、こう思うわけです。そういうようなところから、たとえば、インフレになっているから、日本の味の素などの調味料にすれば数十倍になっていますね、そういうところから、そういうものを盗んでいろいろな方向に使っていくというような考え方があるのじゃないか、このように推察されてくるわけですが、これはよその国の人たちをどうとかこうとか言うことは悪いことなんでしょうが、現実には盗品として盗まれておるわけですから、現実は現実としてはっきり明確にすべきだと思うのです。そこで、あなた方は、韓国の警備隊員の待遇を見ていて、その待遇は非常にいいように思われますかどうですか。
○杉山参考人 ああいうように韓国は経済的に苦しい。それで、日本人の品物でもできるものだったら少しでも買うて自分で商売したい、警官をしておっては月給だけで食っていけないと言う収容所の警官が多数おりました。また、刑務所におるときにある囚人から聞いたところですが、とにかく刑務所で食うだけのことはしゃばではしきれない、刑務所の飯の方が自分のうちの飯よりよほどいい、だから、ちょっとどろぼうのまねをして入ってくればそれで食えるんだと言う。それで、前科何犯というような人たちがだいぶおったのです。とにかく、韓国では食っていけない、食うのに一生懸命だという状態なんです。それで、警官が私たちに言うのは、何か売ってくれるものはないかと、警官同士の目を盗んで売ってくれと来るわけです。それを自分も売って幾らか足しにしよう思っておるところから、やってくるわけです。だいぶ韓国政府としては経済的に苦しいのではないかということを感じたわけです。
○中村(時)委員 これは韓国の実態がこの委員会を通じて全国的にはっきりしてくるわけなんですが、次に、七月七日に脱走された、こうおっしゃるわけですが、そのときに暴風雨のためについに日本に向けて帰ることができずしてまた所内に帰ってきて、その結果非常に暴力を加えられたと言っていらっしゃったが、どの程度の暴力を加えられたのですか。
○杉山参考人 それは一週間くらい寝込むくらいのものだったです。目がちょっとはれて、手や顔がはれたりというようなありさまだったです。それで、一時一人ずつ監禁されておった。それは二百くらいと思いますが監禁されて、その間にどういう理由で逃げたかというようなことを調べられたこともありますし、それから、たたかれもしたわけですが、出てきてそれから三日くらいはやはり寝ておりました。
○中村(時)委員 次に、七月十七日に二回にわたってデモをやった、こうおっしゃるわけですが、そのデモを行なった最も大きな原因はどこにあったわけですか。
○杉山参考人 最も大きな原因といいますと、直接私が苦しんだのは、楽しみにしておる手紙が来ない。どうして手紙が来ないのかということをいつも思っていたわけです。うちの家内は手紙を出さないがどうしておるんだろうかという非常な苦しみから調べたところ、警備員が全然来ない人間のものは破って捨てたり焼いたりというようなことで来ておらなかったわけです。それで、さっきも申しましたように、警備員が、日本人は人間じゃない、人間扱いはしない、お前たちはたびをはくじゃないか、げたをはくじゃないか、だから足の指が分かれて牛なんかと同じだ、朝鮮人はたびもはかなければげたもはかないと侮辱されますし、全体として暴力でもやられますし、また、小包が朝鮮に来たときに、それをもらいに行くわけです。そうして、自分のがほしいからそれを下さいと言いますと、いやこれはお前のじゃないと言って自分で取る。そうしてそれをいやと言って振り切った場合には、それこそ一カ月も二カ月も手紙が来ないということで非常にわれわれは苦しんだわけです。
○中村(時)委員 ついでですけれども、これはあとから別にいろいろの質問が出てくるのですが、朝日新聞の七月十八日付にはこういうことが書いてある。自衛官がそういう手紙を抜き取ってながめたりいろいろすることは、日本の共産党がいろいろ組織的にその中の人たちに動揺を与えるためだ、動揺を与えるという意味はいろいろあるでしょうが、そういう内容の問題で手紙を警戒するのだ、こういうようなことが朝日新聞には出ておるわけなんです。だからそういうような事柄もあったわけなんですが、問題は、あなた方の待遇の改善を中心にして上層に訴えようという考え方がデモの基本にあったのだ、こういうふうに見ていいわけですか。
○杉山参考人 実は一括して待遇ということでお話ししたのですが、先ほど申しましたように、病人とか食糧、それから、われわれに対する手紙、小包、一切の方面を改善してもらいたい、それは、警備隊長に言っても収容所の所長に言っても全然上部には行かないから、この際本属の局長とお話ししようというところからデモをやったわけです。
○中村(時)委員 あともう二、三点お願いします。 デモの事件に対して、そのデモをやったという観点から処罰を受けられたかどうか。
○杉山参考人 処罰は全然ありませんでしたが、それに対しての反響といいますか、先ほど申しました、売店がなくなる、自炊ができない、それとバリケートが厚くなって運動ができないということももちろんあったわけです。
○中村(時)委員 内面的の問題は何もなかったけれども、外面的に再びデモができる可能性のないような方向を裏づけられてしまった、こういうことにもなるわけなんですね。
○杉山参考人 はい、そうであります。
○中村(時)委員 それから、抑留中におけるあなた方の不平、不信の一番大きかったものは何でありますか。
○杉山参考人 とにかく、刑務所においては、毎日々々同じ監房、小さい部屋におって動けない、全然手紙も来ない、自分の身が自由にならないというようないろいろなことで刑務所は非常につらかったのです。それと、食糧も申すまでもなく悪かった。それで、自分のからだがいつ自由になるだろうかということを思ったわけです。
○中村(時)委員 それから、次に、実は三十年十月十四日に第二億水丸が拿捕されて以来、第二千鳥丸、加茂丸、明石丸がずっとやられて、二十二船が拿捕されてしまっている。その中で、先ほどのお話を聞いていますと、病人が七五%というような数の多い数字になっておるわけなんですが、その病人の国からの援助というものが今までどういうふうになされたか。たとえば、通勤が二千円、それから入院が一万二千円とおっしゃいましたけれども、それ以外に何らかの方針が国からとられておったかどうかということです。それから、帰還後におけるこの方々の就職の問題はどういうふうな形になっておるか、そういう点を一つお話し願いたいと思うのです。――わからないですか。実は、これはもう非常に重要なことで、家族の方々も心配していらっしゃると思うので、あなた方も調べ、私たちも調べた中からよく見てみますと、三十年の千月十四日に第二億水丸がやられ、それから続いて三十一年の十二月二十六日に第二千鳥丸が拿捕され、それから続いて加茂丸、明石丸、第三小値賀丸、それから勢力丸、第三日進丸、泰生丸、――これはあなた方のところです。第五泰魚丸、第八日東丸、それからずっとやられまして、最後が昭和三十四年の九月三十日の第十八幸洋丸まで、その間をひっくるめましても二十二船やられておるわけなんです。そのうちで拿捕された人たちが全部で百六十七名。実際にその中で帰還された者の具体的なものを見てみますと、健康者はわずか三五%であり、病人の方が七五%である、こういう状況であることに先ほどもちょっと触れられたようです。そこで、病人に対しましては、今のところは入院する場合においては一万二千円を支給され、それから通院をする場合におきましては二千円を支給されておるということなんですが、それ以外に何か別の方法で国から援助をするような具体的な問題がありましたかということが第一点なんです。
○杉山参考人 私も現在病院通いをしておるのでありますが、政府に対して幾ら幾ら出してくれということは、私は幾ら要るかまだわかりませんから見当がつかぬのであります。でき得る限り、政府の方で、現在入院しておる人にどれだけの費用が要り、通院しておる人が全快するまでにどのくらいかかるかということをおはかりになりまして、できるだけ全快するまで見ていただきたいと思っております。
○中村(時)委員 希望的には病人が全快するまで見てほしいとか就職もさせていただきたいということであって、実際に政府がやってくれていることは、今言った入院料、通院料をわずかくれているということ以外には、今のところはわれわれには何の援助もしてくれていないんだ、自分たちがこういうことを希望するということは別にして、現実に病人に対してはそれだけしかしてくれていない、そういうことなんですね。
○杉山参考人 その方までは私まだよく考えておりません。現在、私どもとしましては、ぜひやってもらいたいという希望を持っているわけです。
○中村(時)委員 そこで、私はこれから政府に若干お尋ねをしたいと思っております。 まず第一にアジア局長にお尋ねをしたいのですが、先ほどからのお話であなたも日をさまされたからよくおわかりだろうと思う。そこで、第一にお聞きしたいのは、日本弁護士会が弁護士を派遣する動きに対しまして、あなたはそれを知っておったかどうか、また、そのとき政府はどういう態度をとったか、まず第一にこの点をお聞きしたい。
○伊關政府委員 私は当時アジア局長をいたしておりませんが、ここに調べがございまして、政府は知っておりまして、日本の弁護士を出したいということを向こうに申し入れております。返事がないので催促をするというふうな手続もとっております。
○中村(時)委員 返事がないので催促をいたしましたとおっしゃる。ただ、今言ったように手紙を出して、こういうような実情だから行かせてくれ、それであとはナシのつぶてで何もしなかったというのですかどうですか。
○伊關政府委員 正式に公文でもって向こうに言ってやり、また、当時のアジア局長が口頭でやったかどうか、そこは覚えておりませんが、ともかく、文書を出しておりまして、それに対して返事をよこさない。そこで、また文書で督促をする、それに対しても返事をよこさぬというような実情であります。
○中村(時)委員 先ほどからの参考人の話では、五十数日を要しておる。五十数日を要しておる中において、あなた方のとった態度あるいは行為というものは、文書を二回出しただけで終わったのかどうか、その点をお聞きしたい。
○伊關政府委員 今ここにあります調査では、文書を二回出しておりますが、口頭で何回催促したか、そこらになりますと、今のところちょっとはっきりいたしません。
○中村(時)委員 そういたしますと、実に無責任だと私は思うのです。そういう観点から、私の言っているのは、どういう態度を打ち出すかといえば、公然とした国と国との一つの交換文書を二回も出しておきながら、その返事がないからといってそのまま黙視をしていくということになれば、外務省頼むに足らずという結果が私は生まれてくると思う。そういうことに対して、あなた方は、――向こうの方は大使館を置いておる。置いてない日本の方は一体どうすればいいか、いろいろな問題が生まれてくると思う。そういう問題に対してどういう態度をとられたか。もちろんあなたがその当時アジア局長でなかったからといってそのまま済まされるわけのものではないと思う。だから、そのときどういうふうに誠意をもって努力していったかという実情を、わかっている人からでもお聞きしたい。
○伊關政府委員 ここにおる課長も当時は別のところにおりまして、当時の事情を知っておる者はここに参っておりませんが、韓国に対します場合、いつでも、正式には文書で、それから何べんも口頭でいろいろな問題を交渉いたしております。これに対しまして、大ていの問題には応じてこないわけであります。それに対しまして外務省としてどうするという点になりますと、これは対韓外交の根本的な問題になるわけでありますが、ともかく、できるだけいろいろな手を尽くして、文書でもいい、口頭でもいい、あるいは国際赤十字にも頼む、あるいはアメリカ側にもあっせんを頼む、あらゆる下を尽くしてやっておるのが実情でございます。
○中村(時)委員 その意味はよくわかるのです。私の言っておるのは一つの事態をとらえて言っているわけなんです。今言いましたように、弁護士がほしいという願いというものは、日本人の抑留されている者から見れば、それはもうほんとうにわらをもつかむ思いだろうと私はそう思っている。そのときに、ただ文書を出しましたと言ってほうっておかれるものではなかろうと思う。たとえば、ここには大使館もあるのだから、それに対してどういう抗議を申し込んでいったか、さらには、それらの人たちの家族を通じて電報を打つとか、いろいろな手段方法というものはあったと思う。それらに対してはほとんど黙視をしておって、何一つやらなくて、ただ文書を出してその返事を待つというだけのものではないと、私はそう思っている。その点に対してあなた方はどういう行為をとったかということは、全然何もしなかったとおっしゃるならしなかったでけっこうです。正直にその点をはっきりさせておいていただきたい。
○伊關政府委員 公式な行動としましては、正式な文書を二回出しておる。そのほかにいろいろ口頭でおそらく言っておるだろうと思います。あらゆる問題を通じまして対韓の問題はこちらが要求いたしましても向こうが応じない問題ばかりでありますから、常にあらゆる問題を通じていろいろな筋からいろいろやっておるわけであります。何もしないというふうなものではございません。
○中村(時)委員 あなたは局長をしていらっしゃらなかったから内容がわからないし、ここにもだれも来ていらっしゃらない、こういうような問題なんですが、これは厳粛に考えてほしい。それは、きょう参考人を呼んでおるということは前もってわかっておる。わかっておれば、その当初からどういう行為があったかということは当然あなた方は調査をしなければならない。その調査に基づいていろいろな答弁というものがあり得ると私は思う。ところが、あなた方の方はぼけてしまって、何も私は知りませんということでは、責任のがれになると思う。そういう事柄は今後において大いに注意をしていただきたい。 同時に、今後における問題も出てくるだろうと思いますが、今後もしも弁護人の派遣ということを向こうに抑留されておるところの日本人側から打ち出された場合に、今度は現実にあなたがアジア局長をしていらっしゃるのだから、あなた自身であればどういう行為をとられるか、その点をお聞きしておきたい。
○伊關政府委員 それは、もちろんそれを達成すべくあらゆる観点から交渉をいたしますが、ただ、具体的にどういう行動をとるかということになりますと、今一々申し上げるわけには――申し上げかねるというより、そのときに応じまして、いろいろほかの問題もありましょうし、そういうものとの関連におきましてともかくいろいろ交渉いたすわけであります。
○中村(時)委員 それでは、もう一つ。これはあとから資料ででもいいですから、その当時におけるところの具体的な行為はどういうことを行なったかということを提出しておいていただきたい。 次にお尋ねしておきたいのは、抑留者が、先ほど言ったようにデモを行なったということになっておりますが、政府は一体これをどういうふうに見ておりますか。
○伊關政府委員 このデモがありましたのは、要するに、抑留が長期に及んでおる、刑を終えても帰さないという点が一つと、それから待遇が悪いというようなことが明瞭な原因であるということは、こちらにおりましてすぐわかったわけでございまして、そのために、早期釈放という問題、それから待遇改善ということをすぐ柳大使を呼んで厳重な申し入れをいたしております。それからまた、国際赤十字に対しましても申し入れをいたしました。それから、アメリカを通じまして収容所の事情を調べてもらうというふうなことをいたしました。
○中村(時)委員 いたすことはよくわかりました。そこで、アメリカを通じて行ない、あるいは国際赤十字を通じて行ない、あるいは韓国に直接あなたが柳大使に会ってそういう抗議を――あなたがそのときの局長をしていらっしゃったかどうか知りませんが、厳重なる抗議を行なった、こうおっしゃるのですが、抗議というものも行ないっ放しではしようがないので、返事が必要なんですが、アメリカからはどういう返事を受け取ったのか、あるいは国際赤十字の方はどういう結論を出してきていらっしゃるのか、さらにはまた、韓国の柳大使はどういう御返答をされ、どういう行為をとられたか、そういう点をつまびらかにしていただきたい。
○伊關政府委員 アメリカ側の方は、釜山の総領事館をして調べさしてみたら、一般の韓国人の生活に比べて特に悪いというふうにも思えないという返事が参っております。スイスの国際赤十字の方は、ちょうど北鮮帰国の問題がありまして、これに対して韓国の赤十字が非常に抗議をしておった時期でありますので、ちょっと今すぐ韓国の赤十字に頼んで調査をするとか自分の方から人を派遣して調査をするのには時期が悪いので、もう少し時期を見たい、こういうことを申しております。柳大使は、この待遇については改善をしなければならぬだろう、処罰は絶対にしないようにする、あるいは、負傷者が出なかったかという点につきましても、幸いけが人はなかったというふうなことを申しております。
○中村(時)委員 そうすると、私はそこで一つ解せないのは、たとえば、アメリカの答えの中に、特に待遇が悪いとは思わない、こういうことをアメリカ側から言ってきたとなると、これはアメリカ自身の真意を疑いたくなる。そうでなくても今反米闘争というのは日本では非常に強く出ておる。そういう事柄を易々として受けるという点が――日本人の日本としての生活の限度、その問題と、韓国における生活の限度、そういうものはおのずから違いがあると思う。アメリカの方として、アメリカ人がもしもそういうような立場に立ったら、アメリカは一体どういうような考え方を持つか。アメリカ人が韓国においてそういうような状態になり、そういう立場にかりになったとするなれば、どうこれを考えるか。おそらくこの待遇というものは、今お聞きの通り、人間の待遇じゃありませんよ。あなたは、これが人間の待遇だ、そういうふうにお聞きになりましたか。私は、人間の待遇でない、こういうふうに受け取っておる。そこで、少なくともあなた方もそうでないかと私は善意に解釈したい。さすれば、アメリカが大した変わりのない待遇であると言うところの限界というものに、どういうふうにあなた方は反撥されるのか、あるいはこれに易々諾々としてその通りでございますというお考え方を持っておるのか、そういう点をお聞きしておきたい。
○伊關政府委員 アメリカには参考までに聞いたわけでありまして、アメリカがそういう返事をしたからといって、それを私たちはアメリカの判断を正しいとか悪いとかそういうふうには全然思っておらぬわけでありまして、もちろん、アメリカの総領事館も、行っておそらく向こうの係か何かに聞いてみて、米の量が幾らとか、副食が幾らと聞いた程度だろうと思います。それはこちらに全然よくわからないものでありますから、ただ参考までに聞いたものでありまして、もちろんそういう場合にアメリカはどうするこうするという問題とは無関係だろう、単なる情報として提供を受けたというにすぎないわけであります。
○中村(時)委員 それならそれで答弁のときに最初からはっきりすればいい。私がどういう行為をとったらいいかという前提で聞いたら、アメリカを通じて――あなたはこの速記を読んでごらんなさい。おそらくここの委員はみんなこれを聞いておったと思うのです。その速記をよく読み直してみればよくわかる。アメリカに対しては、アメリカを通じてその問題の話し合いをつけるために言ったのでしょう。国際赤十字に対しても仲介の労をとるように申し入れをしろというふうに私に言われては大へんだと思ったのでしょう、あなたは、国際赤十字にも申し入れをした、また、直接柳大使に対して厳重なる抗議をした、こう言っておる。そうすると、あなたの今の御答弁では、そういうことはないのだ、ただ単なる参考の一例としてそういうことの情報を得るために聞いただけの話なんだ、こういう御返答なんです。さすれば、当初私の質問に対する答弁と今のあなたの答弁とは食い違っておる。そういう点はよく注意をして今後は答弁をやっていただきたいと思う。 次に、帰還船員について、中小会社の方面がなかなか就業に恵まれていない、あるいは就業あっせんについても政府は保護施策をほとんど何もとっていないのではないか、私はこういうふうに今のお話を聞いて思うわけですが、それに対して何か政府の方としてそういう就労のあっせんであるとかあるいは援護処置をとっておるか。そういうような事柄を厚生省あるいは漁業関係における農林省の方から御返答いただきたい。
○西村(健)政府委員 今度の百六十七名の帰還者の内訳は、大洋、日水あるいは日魯というようないわゆる大手会社の船の乗組員であった人が七十五人、中小の会社あるいはもっと小さい船の乗組員であった方が九十人で、私どもは、この大手会社の方は、これは会社も大きいし、そこで再び再就労できるというふうに思っております。私どもがいつも気にするのは、こういう中小の漁船の乗組員でありまして、この点につきましては、下関にみな帰られたときに、私どもの方の課長も派遣しまして、現地的にも、各県の者も来ておりますし、よく口頭で頼んでおります。同時に、私どもから職業安定局長と運輸省の船員局長の方にも、事前の打ち合わせに基づきましてぜひしかるべく特段の御配慮を願いたいというお願いもしております。なお、私どもとしましては、口頭で下関で申しましたけれども、さらに、各県に、その後どうなっておるかという状況を随時報告をとりたい、こういうふうに思っております。
○中村(時)委員 就業の問題は随時そういうことになっていく、それはそういうふうに一つ一つ先へ先へ安定の方向をとっていく、これは私全面的に賛成です。そこで、今のところ帰ってきてからどういう実績があがっているか、その点一つお聞きしておきたい。
○西村(健)政府委員 今度の百六十七名につきましてはまだ私の方にその後情報はございません。ただ、二年前に九百二十名が帰ってきましたときに、私どもとしてもこの点が一番気になったものですから、各県に相当文書も出しましたし、機会あるごとに、それぞれ国に帰った場合にその後の状況がどうなっておるかということを報告してくれということをずいぶん口をすっぱくして口頭でも頼みましたが、遺憾ながらその後はっきりした情報が来ていないというような状況でございます。しかし、今度は、そういう前例もありますが、もっとしっかりこれを把握して、しかもその上に立っていろいろ考えていく、また、水産庁が直接引き揚げ漁民についてタッチするというわけに参らぬわけでありますから、県を督励してその方向でやって参りたい、こう考えております。
○中村(時)委員 それと同時に、過去において帰ってこられた方々、そういう人々を含めて十分な対策というものを打ち出していっていただきたい。同時に、拿捕されていった船に対して、利子補給をやるとか、あるいは建造に伴うところの資金の貸付をするとか、そういうような事柄は何か具体的に考えていらっしゃるかどうか。
○西村(健)政府委員 あれは昭和二十七年でございましたか、漁船保険の中に特殊保険という制度ができまして、これによって拿捕等の事故に保険がなされるということになっております。なお、乗組員につきましては、給与保険制度が設けられまして、そこである程度まかなわれる。ただ、漁船保険に入っていない船につきましては、やはり融資方法として現在のところ特別な利子補給というようなことを考慮しておりませんけれども、建造のワクを優先的に見てやるということで考えて参りたい、現在もそういうふうに処置をとっております。
○中村(時)委員 その中に入っていないところの人たちにも、法律上入っていないからという姿ではなくて、法律上と同様の待遇をもってそれを取り扱うように要望するわけですが、それに対して、そういうことができるかどうか。
○西村(健)政府委員 利子補給というようなことになりますと、これは新しい制度を作りますとかいろいろな問題がございますので、従来もこれは問題になったことがありまして研究したこともございますが、私どももまたこれをあらためて研究して参りたい。ただ、現在のところそういう方向で進むということにきめておるわけであります。
○中村(時)委員 おそらく、ここにいらっしゃる委員の方々にしても、そういう特殊な立法措置といいますか、そういうような事柄に関しましては、私は当然行なわれなくちゃならぬ責任と義務があると思う。そういうような立場から、十分その点の行為を一日も早く打ち出していただきたい。これは重ねて強く要望しておくということにしておきたいのです。 次に、今の就職の問題と同時に、留守家族に対するところの生活補給ですね、これをどのようにしていらっしゃるか。
○西村(健)政府委員 現在、先ほど申し上げました給与保険に加入しておる者でありますと、その給与保険が留守家族の者に渡されるわけです。その給与保険に入っていない人につきましては、一人当たり月額一万円、それから、給与保険に入っておっても、その給与保険で受ける額が一万五千円に満たない者につきましては、一万五千円とその給与保険で給付を受ける額の差額の三分の二を給付する、こういうことであります。
○中村(時)委員 その場合、たとえば抑留された人間が帰ってくるといたします。そうすると、給与保険はなくなっていくというようなことはないのですね。
○西村(健)政府委員 給与保険は帰ってくるとなくなります。
○中村(時)委員 そうすると、さっき言ったように関連事項が出てくる。すぐに就職はできない、また、ことに中小企業形態の中で実際の造船もできない、解散もせんならぬという状態が生まれてくるわけです。だから、そういう人たちは実際抑留されている人と同じ立場に立っている。それに伴うところのあなた方の政策としてどういうことをお考えになっていらっしゃるのですか。
○西村(健)政府委員 今御質問の問題は、いわば失業保険と同性質のものであろうと思います。従って、そういうものを入れるべきじゃないかということは確かに一つの検討の価値ある問題と思いますけれども、現在のところは、私どもとしまして、給与保険、あるいは給与保険にかわるものとしての見舞金をそういう抑留者に贈る、いわば抑留漁船乗組員の抑留されている間に対する措置をしております。その問題はほかの省と関連して問題があると思います。引揚者の援護等とも関連があって、現在はこういう制度であります。
○中村(時)委員 これはやはり外務、厚生、農林、すべてが一つになって考えていただきたい。ということは、今申しましたように、ただ単に失業保険というような事柄で私は解決するものではないと思う。そういうような立場から、これはアジア局長なんか冷静ななかなか手腕家でありますから十分御配慮を願っていると思いますが、外務省の方といたしましても今の農林省の考えている考え方に対して御援助を願っておきたいと考えておりますが、これに対して外務省当局としてはどうでしょうか。
○伊關政府委員 おっしゃる通りにいたしたいと思います。
○中村(時)委員 次に、静養のための生活保護資金といいますか、今病人が七五%からおる、そういうような事柄を考えました場合に、やはり、今すぐ病気にならなくても、一年以上のこういうような生活をしておりますと、おそらくその後において病気というものが出て参ります。そういうような場合に、抑留が原因をして病気になるというような結果が生まれてきた場合には、少なくとも、現在病気になっている人と同様に、からだが回復されるまでの一つの資金援助といいますか、そういうような事柄を考えていらっしゃるかどうか。
○西村(健)政府委員 先ほどの答弁がちょっと足りませんでしたので補足させていただきます。乗組員が帰ってきました場合に、帰還に伴う見舞金というものをおおむね三月間のものとして一万三千円程度のものをお渡しするということをやっております。もちろんこれで十分であるというふうには申しません。 それから、今の問題は、私どもとしましては、その帰還当時は無事であっても、あとで発病した場合、それが抑留に基因すると認められる場合は適用しております。従来そういう例が一件あります。
○中村(時)委員 最後に一つお尋ねしておきたいのは、現在まだ四十七名の者が抑留されておるわけです。私たちは李ラインというものは認めておらない。しかも李ラインというものは法的根拠がないこともはっきりしている。そこで、今度李承晩大統領というものがやめてしまうということになれば李ラインというものは当然撤回だ、そういう点でも私たちは李ラインというものは考えてない。そういう立場から考えた場合に、李承晩大統領がわけのわかったようなわからぬようなことをやっている李ラインというものをあなた方は一体どういうふうに見ていらっしゃるか。特に外務省においては今後どういうふうに考えていくか、よくお聞きしておきたい。
○伊關政府委員 李承晩ラインというものを認めておらないということは、ただいま仰せの通りであります。われわれも当然その立場をとっております。向こうが一方的にやったことでございます。今回の韓国における政変によりまして今後どういう事態になりますか、非常にものが動いておりますのではっきりした見通しは立てがたいのでありますが、いずれにいたしましても今より悪くなることはなかろうと思います。だんだん事態は改善されるのではないかというふうに考えております。ただ、李承晩ラインと申しましても、李承晩が大統領をやめたからそのラインがすぐなくなるものだというふうには私は考えておりません。これは国としてやったことでありますから、国として廃止しない限りはなくならないのではないかと思っておりますが、いずれにしても、韓国側の日韓問題に対する態度というものは、従来から見ますとより合理的なものになるのではないかというふうに期待しております。李承晩ラインそのものにつきまして、もちろんこれは認めておりませんが、今後日韓会議の漁業委員会でどういうふうにこれを解決していくか、これは今後の交渉の方針になるわけでありまして、あまりはっきりしたことを申し上げるのもどうかと思いますが、絶対にこれを認めないということははっきりいたしております。ただ、魚族資源の保護ということもございましょう、あるいは韓国の新しい国の漁業の育成というふうなことも一応考慮しなければならぬという点もわれわれは考えております。いずれにしても、これは話し合いによって合理的に円満に解決すべきものである、一方的な解決ということは絶対にいけない、こういうふうに思っております。
○中村(時)委員 私事言っておるのはこういうことです。今から李承晩大統領というものはなくなろうとしている。内閣もなくなろうとしている。この際にこそ私たちはもう一回の方法というものはたくさん出てくると思う。もうすでにその準備は十分されておると思いますが、そういうふうなことをここで発表していいか悪いかというようなお答えもありましたので、外交上の問題だから私はそれを深くは追及いたしませんが、少なくとも国際赤十字においてもこの問題をニューデリー決議に基づいて人道問題として取り上げております。これはあなた方百も御承知の通りであります。そこで、国際赤十字を通じて一つの緩和策を求めるとか、あるいはまた、今まで日本において相当痛めつけられましたけれども、柳大使も辞任の意思を漏らしておるような状況であります。そこで、それとの関連性の問題も出てくる。あるいは、アメリカの大使館を通じての発表も皆さん御承知の通りであります。そうすると、アメリカを通じてのあっせんの依頼という方向もあろうと思います。そういう点も十分考えていただきたい。この結論はあなた方自身のお考え方でけっこうだと思う。 同時に、もう一つ。日本自体として相手方に強く要求していただきたいことは、韓国に拿捕されておる残りの四十七名に対して、日本の弁護士団を派遣させていくのでなければ国会議員団の派遣をしてもけっこうだと思う。そういうような事柄を含めてあなた方は手落ちのないようにしておいていただきたい、こういうように私は考えている。その点、局長といたしましてもどういうお考え方を持っていらっしゃるか。もちろん細部にわたってこういうことはこうしたらいけないという事柄に関しては発表しなくてもけっこうですが、基本的な概念についてははっきりさせていただきたいと思う。
○伊關政府委員 いろいろな方法が考えられますが、いずれにいたしましても、今は交渉相手もないという状況でございます。もう少し時局が安定いたしましてこちらにも交渉相手ができるという事態になれば、韓国の政情とにらみ合わせながら考えられる手を逐次打っていきたいと考えております。
○中村(時)委員 この前に、外務省としては、韓国の抑留者と引きかえにというわけにはいきませんけれどもということを前提にして、米三万トンの輸入という問題があった。その米の輸入に対しましても、私たちの方としてはもみでいただこうと思ったら、向こうは白米にしなくちゃならないと言う。これは白米にすれば数量が減るから、三万トンといえば数量がふえてくるわけです。そういうようないきさつがありましたが、その結果はどういうふうになっておりますか。
○伊關政府委員 この問題につきましては、今月のたしか四日か五日から向こうの専門家が参りまして交渉をいたしております。それで、価格の点にはまだ入っておりません。その他の問題につきましては大体詰めておりますが、問題が残っておりますのは、価格と、それから白米か玄米かという点でありまして、韓国側ではもみからいきなり白米にしてしまうという制度をとっておるということは、こちらもわかったのであります。その過程において玄米が当然出るわけでありますから、一貫作業を途中でとめて玄米を出した場合に、その玄米がこちらの希望するような貯蔵に耐え得るものであるかどうかという点が一番目題になりまして、そういうふうな一貫作業の機械になっておりますが、その一貫作業の大体玄米ができるところで機械をとめてその玄米を出させて、その玄米の見本を取り寄せたわけであります。それが参りましたのが月曜日でございまして、今食糧庁でもって、この玄米がはたして貯蔵に耐え得るものか――この玄米、白米の問題というのは、要するに貯蔵に耐え得るかどうか、配給の方の関係もありまして、梅雨も参りますので、ことに韓国の米は水分が多いというので、その観点からもっぱらこれは論議されているのであります。玄米にいたしましても、そういう日本と違った作り方でできる玄米で貯蔵に耐え得るものかどうかという、今その分析をいたしております。これがわかりました上で結論が出てくる、こう思います。
○中村(時)委員 今おっしゃった通りに、これから輸出されてくると八月か九月になるのではないか。そうすると、十月ころには端境期になってくるから、貯蔵の問題はそれほどの問題ではない、こういうふうな見解も成り立ってくる。そこで、ただ問題は、品種が問題になってくる。その品種というのは、現実に月曜日に来たというのですが、どういう品種が入ってきたのですかで
○伊關政府委員 私の方で聞いております範囲では、米自体味はいい、しかし水分が多いというのが韓国米の特徴であると聞いております。
○中村(時)委員 そういうことでなくして、農林省にはそれぞれ専門家がおります。その米を見れば大体どの程度の貯蔵ができるかということは明確にわかるわけです。たとえば農林何号ぐらいに適応しているかということは見ればわかるわけです。ここにおる委員でもだれが見たってわかると思いますが、そういうような事柄に関しては速急にこちらの方に通知をしていただきたい。これは非常に大事なことですから、農林省の方に報告をしていただきたい。 最後に、自衛隊の方にお願いしたいのですが、この前の八幡丸事件のときに拿捕されていったのは、これは違法というよりも、少なくとも韓国の李ラインを認めたと仮定いたしましても、李ライン外にあるということの結論ははっきり出ておったわけです。また、同時に、拿捕されていった現状の中において、ただ指をくわえて、信号で、お返し下さいお返し下さいとお願いしただけだという結論も出てしまった。それは保安庁の一つの回答であった。ところが、自衛隊の方はどういう考え方かといいますと、当然これは自衛権の発動ができるという結論を出された。自衛権の発動ができるという結論を出された結果において、今お聞きになった通りの状態が現われてきている。戦後あるいは戦争中においては、生活の擁護という意味において漁民をどんどんこき使っておった。そうしてカロリー上の大きな源泉となって漁村の方々がわれわれの生命を確保して下さった。ところが、今になってしまうと、今度は一般国民が生活が安定しているという建前かもしれませんけれども、やられればやられっぱなしの状態になっておる。そういうことを考えた場合に、自衛隊としていかなる考え方をもってこれを保護するというおつもりであるか、この点をまず第一にお聞きしておきたい。
○栃内説明員 本日大臣、局長見えておりませんので、私からお答えしますので、おのずからお答えに限界があると思います。 防衛庁といたしましては、李ラインの警備問題につきましては、さきに決定されました政府の方針に基づきまして、海上保安庁の方が警備問題を担当する段階であるというふうな方針と承っております。自衛隊の出動云々ということは現在におきましてはお考えになっておらぬのではないか、こういうふうに了解しております。
○中村(時)委員 あなた方は私たちとは見解を異にするかもしれませんが、現実には自衛隊というものがあるわけです。その自衛隊の中において、防衛庁長官からのはっきりとした言明では、この問題に関しては自衛権はありとしている。そうすると、もし自衛権ありと仮定してこの問題を取り上げた場合においては、あなた方は出動する意思を持っているかどうか。
○栃内説明員 自衛権ありやなしやという問題と、現実に政府の方針としてどういうふうに自衛隊を使われるかということは別のことではないか、政府の御決定によって自衛隊は動くべきものである、かように考えております。
○中村(時)委員 もちろん自衛権のありなしということは政府が判決をするわけです。そこで、政府の方で自衛権ありと認めた場合ですね、要するに、この前の御答弁では、防衛庁長官は、自衛権は確かにこれにはあります、だから政府の要求があればいつでも出動をいたしますと、はっきり言明をしておる。そのことは今でも変わりはないかどうかということをお聞きしている。あなたに聞くのは少し無理かもしれませんけれども……。
○栃内説明員 自衛権を発動し得る対象になるかどうかという問題と、現実に国として自衛権を発動する方針をとるかどうかという問題は異なると思います。こういう非常に重要な問題の方針につきまして、それ以上私からお答えすることは適当ではないだろうと思います。
○中村(時)委員 ここにアジア局長もいらっしゃいますが、その前で、また各委員もいらっしゃる前ではっきりと言明されていらっしゃる。これはあなたに質問しても非常に無理なのでやめますが、あなたも帰ってからよく御研究していただきたい。 もう一つお尋ねしておきたいことは、現在朝鮮の方で政変が行なわれている。そういう際においてもやはり李ラインには警備艇が出ておるかどうか、これをお聞きしておきたい。
○伊關政府委員 先方の警備艇は依然として出ており、ことに何か厳重だということを聞いております。と申しますのは、むしろ政治亡命者等の警戒をしているのではないかというような解釈もしておりますが、いずれにしても出ております。
○中村(時)委員 最近において拿捕されているという実情はありませんか。
○伊關政府委員 それはございません。
○中村(時)委員 参考人の方々はまことに御苦労さまでしたが、今政府からいろいろな答弁がありましたが、その政府答弁の中において自分たちはまだこういうところが不満であるというような事柄がありましたら、同僚の方々がこれから皆様方に御質問されると思うから、その際に皆様方の意思をそこで十分明確に打ち出しておいていただければ、なおけっこうだと思うのです。
○丹羽(兵)委員長代理 午後二時より再開することとし、暫時休憩いたします。 午後零時五十九分休憩 ――――◇――――― 午後二時十七分開議
○丹羽(兵)委員長代理 休憩前に引き続き会議を開きます。 韓国抑留漁民問題について質疑を続行いたします。角屋堅次郎君。
○角屋委員 本日は、かねてから国会でも政治的に大きな問題になっておりました韓国抑留漁民の方々が帰国されたのを機会に、外磯さん初め四人の方々にお集まりいただきまして、午前中参考人のそれぞれ貴重な御意見を承り、さらに中村委員からそれぞれ総括的ないろいろな質問がございました。私は、午前の質問とも若干重複すると思いますけれども、あらためて以下数点についてお伺いをいたしたいと思います。 私どもは、この韓国抑留問題について、参考人の意見を聞くまでもなく、この種問題の解決は、抜本的には李ライン問題というものを全面的に解決しなければならぬということ、同時に参考人の方々がるる訴えられましたように、あとに残っておられる四十七人の方々を一日も早く帰すということ、さらに、せっかく帰って参られました抑留漁民の方々の今後の対策について万全の措置を講ずるということ、これらのことは国会として当然十分な配慮をしなければならぬ問題でございまして、後ほどこれらの点についてもある程度お伺いをいたしたいと思います。 まず第一にお伺いをいたしたいのは、李ライン付近における操業という問題になって参りますと、これはやはり韓国の警備艇が李ライン付近を排回しているということが想定の中に入って参ります。 〔丹羽(兵)委員長代理退席、永田 委員長代理着席〕 そこで、ここにおいでの方々は、あるいは船長であられ、あるいは通信士の佐々木さんもおられ、それぞれ重要な職責におられる方々でございますので、韓国の警備艇というものに対する李ライン付近の操業の場合の対策といいますか、この辺のことについてお伺いしたいと思います。具体的に申しますと、これは御承知の、日本の海上保安庁のいわゆる操業漁船に対する一般警報あるいは警戒警報あるいは特殊警報、こういうふうな形において操業漁船との連係をとるようにもなっておるわけでございますが、船として無電の施設のあるもの、あるいは従来これが問題になりましてラジオ等を国でも施設補助を三分の二しながらこれを活用するというふうな対策等も講じてきておるわけでありますけれども、これらの具体的ないわゆる韓国の警備艇に対する対策というようなものについて常々どういうふうに配慮されておるか、どなたでもけっこうですから、お伺いをいたします。船長でございますから、無電設備の有無、ないしはラジオ等の軽便な方法でやっておられるとか、それぞれの船について少しくその辺のところ状況を伺いたい。
○土井参考人 私たちは、漁場について、特に李ラインの付近において操業する場合は、通信士は昼夜その職務につき、その韓国警備艇の行動状況を海上保安庁の巡視船また水産庁の監視船等よりの情報として始終聞いているわけであります。そして、近くに韓国の警備艇が出動したと情報を受けますれば直ちに李ライン外三十マイルあるいはそれ以上に退避する行動を大体普通とっておりますが、一般に韓国の警備艇が出た場合は早急にライン外に退避することに努めております。
○角屋委員 そこで、今の問題に関連をいたしまして、拿捕当時の状況として、海上保安庁からの警報等の有無、その辺の当時の状況を、それぞれ外磯さんなり土井さんなりあるいは杉山さんなりからお伺いしたいと思いますさ
○外磯参考人 私らの船のときは、全然情報というものが出ておらなかったのです。それで、拿捕せられてからその警備艇の人から聞いたのですが、そのときは警備艇は済州島から出て西側を警戒するようであったのですが、済州島の東側に揚繰船が出ておるという情報が入ったというので、済州島のすぐ北側を通って東に来たそうです。自分らのときには情報というものは出ておらなかったのです。それですから、韓国の警備艇はラインに沿うて警戒をしているように自分らは今まで思っておりました。それでありましたけれども、自分らは情報がないというので安心して操業しておったのです。自分らの船にはローランがあり、船の位置もはっきり出ておる。ラインの外で十分操業できておったと思います。
○角屋委員 土井さん、当時の状況を……。
○土井参考人 私たちの場合を説明しますと、私たちの拿捕された前日に、韓国の警備艇が韓国のずっと北の方にあります大青島という基地を出て南下してくるという情報が入ったわけであります。それで、私たちは大体北緯三十五度付近を操業しておりましたが、そこに到着するには、韓国の警備艇が十三マイル程度として翌朝到着してくる、そういう計算のもとに、翌朝になったら退避しなければならない、そういう情勢のもとにその付近に操業をやっていたわけであります。通信士の方では始終その情報を聞く。その前日のたしか一十四時近くであったと思います。そのころに入った情報を最後として、翌朝までその付近に操業し、夜明け前にその韓国の警備艇を警戒してライン外十マイル付近に出たわけであります。それからずっと韓国の警備艇の情報は入らなかったわけであります。ライン外十マイルに出て投網し、西側に操業を続けておったわけでありますが、九時ごろに韓国の警備艇の情報が入りました。しかし、この情報は、その日の朝六時の韓国警備艇の位置を知らしてきたものであります。だから、九時に聞いて、その三時間の間の韓国警備艇の行動状況というものは知らなかったわけであります。九時五十分ごろですか、遠くに船影を見たのでありますが、これは北から南下するといわれていた情報と食い違って、南南東付近からやってきたわけであります。それで、韓国の警備艇の小さい船影を望遠鏡によっていろいろ判断して、これは確かにおかしいというわけで逃走し始めたのでありますが、二時間後に拿捕されたわけであります。大体そういう事情であります。
○杉山参考人 私の船は義務船でありまして、いつも出航したならば権利船の責任船長のようなものに相当しておるのであります。当日は曇っておりましたが、その二十日の朝蛭子丸が済州島南方で二はい拿捕されたという情報が入っております。それも片船から知らせがありました。と同時に、済州島から二はいの朝鮮の監視船が出たから気をつけなければいけない、お互い気をつけて商売しようということでありましたけれども、大体ライン外でありまして、ここなら大丈夫だ、心配する必要はないということで、その日一日やったわけです。そして、午後六時ごろだったと思います。とにかくお前らもう一回網をやってみぬかというので網をやったわけですが、そのときは、片船にはローランもありますし、位置の測定は十分できておったろうと思います。しかし、私の方は片船からの連絡だけで、ただひよりのいいときに天測をとるくらいのものでありまして、二、三日前からずっと曇っておりましたからとらなかったのですけれども、片船のローランまかせにしておったわけです。そして、網をあげて、北の青島の方にエビが入るから、エビを取りに行こうというので、すぐ漁場変更をやったわけです。ところが、三十分くらいしたら銃撃とともにもうぱっと右舷側に横づけにされた。何にもかにもどうするもこうするもできなかったわけです。そして、私は自分の部屋に入るひまもない。ただストップして警備艇に連れていかれたのです。いきなり連れていかれてから艇長室に監禁されて、それから全然身動きもできない。五、六名の拳銃を持った警官とも兵隊ともどちらともわからぬような連中が、とにかく、お前はなぜラインに入ってきたのかということで、あくまでもライン内ということを向こうはしきりに言うわけです。だから絶対違うのだ、これはライン外だ、片船からもちろん連絡があったと言いましたけれども、とうとうしまいには手を握られて拇印を押したのですが、そういうようで、結局この警備艇に拿捕されたわけです。
○角屋委員 今の第一項の質問に関連して、これは海上保安庁、水産庁に関係があるわけですが、水産庁の方にお伺いしたい。大体韓国の警備艇はおそらく七隻ないし九隻程度李ライン付近を徘徊しているのだと思うのですが、そういう警備艇の行動状況については、海上保安庁の巡視船なり水産庁関係の監視船なりが終始連絡をとりながら操業中の漁船に連絡することになっているが、ただいま拿捕当時の状況をお伺いしますと、必ずしもその辺のところが十分な連係がとれていない。これは、無線装置の問題、あるいは簡易なラジオ等で携帯でやる場合いろいろ技術的な問題があろうかと思いますが、そういう韓国の警備艇に対する操業漁船の対策といいますか、それは海上保安庁、水産庁含めて具体的にどういうふうにしておられるか、少しくお伺いしたいと思います。
○中村説明員 季ライン付近の警備につきましては、海上保安庁、それから私どもの方も協力しておるわけでありますが、主としまして海上保安庁の方で情報はキャッチするということになっております。私の方の監視船はやはり保安庁の方から連絡を受けましてこの連絡をさらに流す、あるいは、たまたま私の方の監視船がライン付近におった場合に、その付近でラインの中に日本の漁船が操業しているのを見れば、そばに行って、今警報が出ている、注意するようにということを伝えております。 〔永田委員長代理退席、田口委員 長代理着席〕 私どもが聞いておりますのでは、韓国側の警備艇は九隻程度が交互に出ておるようでありますが、この対馬海峡、李ラインに沿いまして幾つかの区域に分けておりまして、第一区に向こうの船がおれば厳戒警報、あるいは次の区に向かっていれば次の区に対しては警戒警報というような警報を出すわけです。これは、結局、向こうの船の早さなりあるいは漁船の早さ等を考えまして、大体向こうの警備艇がわが方の漁船に向かってきた場合に警戒警報なり厳戒警報を出すということにしております。従来、二十トン以上の漁船はほとんどが無線を持っておりますが、小型船に対しては、無線がないというのがほとんどでございましたので、一千台ほど簡易な無線機を補助いたしまして、それで警報を受けるということにしております。
○角屋委員 今の李ライン問題の根本的な解決ということは焦眉の急でございますけれども、当面の問題として、やはり拿捕対策としては、韓国から出ておる警備艇に対して速急に動向を把握し、操業漁船に対して的確にこれを通知する、そういうことを通じて拿捕の機会をなからしむる。こういうことのためには、今冬船長の方々からお聞きしますと、まだきわめて不十分な組織体制になっておるのではないかという感じが率直に言ってするわけです。これは今直ちにこの委員会の質問でどうというのではありませんけれども、この操業漁船の全体的な傾向、そしてまた無線その他の装備状況というようなものを十分に分析検討の上に立って、この辺のところは今後とも万全の策を講ずるように、ぜひ海上保安庁あるいは水産庁でやってもらいたい。 次に、韓国抑留中のいろいろな諸問題につきましては、午前中にもそれぞれ詳細に御質問もありましたし、また、参考人からもいろいろな御意見があったわけでありますけれども、特に裁判問題に関連をして土井さんの方から、日本の留守家族の方で弁護士の要求があって、具体的にはこれは韓国側によってけられた、こういう経過のお話があったわけですけれども、特にこれはまだ抑留されておる四十七人の問題とも関連をして今後の一つの大きな問題だろうと思う。そこで、外務省のアジア局長にお伺いをしたいわけでございますが、日本としては李ラインは認めておらないが、そういう関係の中で李ライン侵犯ということで漁船の抑留をされ、そしてまた韓国の法律に基づいて裁判を受ける、こういう形になっておるわけでありますけれども、この際これは国籍は日本ですから国際的な裁判の性格を持ってくる。その場合に、韓国の国内法で裁判をするにいたしましても、その国籍を有する被告の弁護士要求というものは、国際法上の解釈としてこれは拒否できないという建前になるのじゃないかというふうに思うのですが、その辺の韓国の法律あるいは日韓関係との関連あるいは国際法上の解釈、こういうものから見て、今の留守家族から出ておった日本の弁護士要求というものが拒否されたということは不当ではないかと思うのですけれども、その辺の解釈を一つ法律的にお伺いしたいと思います。
○伊關政府委員 私もその点法律的な点をあまり詳しく存じませんで申しわけございませんが、向こうの法廷の許可がなければそういう申請をいたしましてもこちらの弁護人をつけられないというふうな刑事訴訟法の規定があるということでございます。ちょっとよく勉強しておりませんので、その点詳しくは存じません。
○角屋委員 今度の帰還の方々を含めて留守家族としては、韓国による一方的な裁判が行なわれることを防止するためには、日本側からぜひ弁護団を送って正当な裁判を受けられるように、こういう強い要請でこの問題が提起されておったと考えておる。外務省が韓国と外交折衝をやられる場合には、やはり国際法上の観点あるいは韓国の国内法の解釈、そういうようなものをいろいろ勘案をして正当な主張を私はしなければならなかったと思うのですけれども、アジア局長ともあろうものがどうも法的な解釈については必ずしも十分わからぬようなお話で、この点はまことに遺憾だと思うのです。この辺のところは、特に四十七人の今後の問題もありますので、十分検討されて、やはり正当な主張に基づいてぜひ今後の問題もありまするからはっきりした見解を確立してもらいたい、こういうふうに要望いたしておきます。 そこで、参考人の御意見の中に、これは杉山さんでございましたが、向こうで食事その他給与状況が非常に悪いので、ときどきは収容所内の食堂等で食事をする、こういうふうなお話が出ておったわけですけれども、皆さん方、この季ライン付近で操業される場合には、場合によっては拿捕されるかもしれないというふうなことで、操業に出られる前に日本金等をある程度持って出られるというふうなことがあるのかどうか、あるいは、現実に日本金を持っていった場合に、向こうでそれが正当に使用されるというような形であったのかどうか、また、ある程度持参金等を持っていったけれども、その一部は相手側によって取られてしまったというふうな事態等もあったのかどうか、この辺のところを少しくお伺いしたいと思います。
○杉山参考人 刑務所、収容所で半分の人数だけ食堂で食べたというのは、小包が日本から送られてきまして、薬品約一カ月分、次に送ってくるまでの分だけを残しておいて、そのあとのものを金にかえてもらったわけです。それをチケットにしてもらいまして、そのつどそのチケットを食堂へ持っていって食べたのです。現金を持っていた者は、おそらく持っているとしても十円玉が二つか三つくらいなものでありまして、その後に、収容所におきましては、品物がおりない場合にどうしてでもからだの健康維持をしようじゃないかということから、暗号文を作って千円あるいは二千円という金を送ってもらって、韓国金とかえてもらいまして、米やら肉類をときたま買って健康維持に努力しておったわけです。それで、おそらくほかの者も、拿捕されたときに困るからというような考えは毛頭なくて、もちろん日本金を持っておる者はおらなかったろうと思います。
○角屋委員 その間の事情はよくわかりました。そこで、ここに参考人に来ておられる方々は相当長期にわたって抑留されておったわけですけれども、その間日本人の抑留者以外の訪問その他を受けられたというふうなことがあったかどうか。 また、これは外務省のアジア局長の方にお伺いするわけですけれども、外交交渉の中で、収容所、刑務所等の実態というものをやはりつまびらかにしなければならぬというふうな意味から、外交を通じて努力をされたりあるいは実際に行なわれたことがあったら、参考人の意見のあとにお伺いしたいと思うのです。
○佐々木参考人 外部からの来訪者の件につきましてお答えいたします。私は約二年三カ月釜山の方におりましたけれども、収容所に出ましてから、はっきりした回数は覚えておりませんけれども、よく外国通信社、IPとかUP、ああいうところの記者といいますか、ほとんど韓国人が多く、中には外人もおられましたけれども、そういう人たちがたずねてこられたことがあるのです。その人たちの来所の理由はほとんど同じようなことでありまして、収容所の実情を知りたいから詳しく話してくれという目的で来るのでありますけれども、それに面会するのには必ず向こうの係官が五名も六名もつく。そして、悪いようなことは言わせないように事前に工作をする。それで、たとえばそのときに収容所がこういうことをするから改善してもらいたいというようなことを言っても、そういうものはそのまま日本の方にしろ世界的にしろ全然発表になってない。これはあとから家族から来る手紙でわかるのですけれども、そのようにして、来所はありましたけれども、実情が外部には出ないというありさまであったのです。
○伊關政府委員 われわれの方もいろんな方法によって実情を知りたいということは痛切に思っておりまして、国際赤十字に頼んだというようなことは何回もございます。結局、国際赤十字も、自分で行かずに韓国の赤十字に頼んでその報告をとる。そうしますと、韓国赤十字の報告というものはそれほど悪い報告は出ておらぬというふうなケースがございます。昨年の二月にもそれをやりまして、その回答はそれほど悪い待遇ではないというような報告が来ております。そのほか、調査に行くというふうな形よりも、慰問品を持っていって、慰問品を渡して、かたがた会ってくるというふうな方が向こうも受け入れやすいだろうというような点もございまして、そういう交渉も何度もいたしました。日本人につきましては、新聞記者も入れぬ、商売する者も入れぬというふうな状況で、赤十字の関係ということで行くのが一番いいのじゃないかというので、日赤の関係というルートを何べんも話をいたしましたが、どうしても、もう少し待ってくれとかなんとか申して、いまだに実現しないというのが実情であります。
○角屋委員 これは、今アジア局長からお話がありましたけれども、日本と韓国との国交の関係、あるいはまた非常に至近距離にある韓国の地理的関係というものから見て、しかも李ラインそのものについては日本としてはこれは国として認めるわけにはいかないという立場等もあって、同時に、抑留者の状況というのは、前々から帰った抑留者の実態を見ても、今参考人からお話を聞いた実態を見ても非常に劣悪な条件にある、こういう際に、人道的な立場から見ても、私はやはり外務省としてこれはねばり強く今日まででも努力されるべき筋合いでなかったかと思うのですが、韓国がこういう問題についてそれは受けるわけにいかないと言った場合に、これは国際法的にその通りに認められるという解釈になるわけですか。
○伊關政府委員 これは国際法上と申しましても私は法律の問題にはならぬと思うのでございますが、こちらから人をやりたいと申しまして、法律的に見ますならば向こうが入国の査証をよこさなければ入れぬということになるわけで、それを出さないわけでございます。それで、それは不当だということは言えると思いますが、法律上の問題を離れまして、現実に、何ぼ申しましても、そういうふうに、まだちょっと早い、もう少し待ってくれとかいうふうなことを言って断わってきておるというのが従来の実情でございます。 〔田口委員長代理退席、金子委員 長代理着席〕
○角屋委員 これは最近の韓国の政情から見て相当に変化が起こり得るかもしれませんけれども、いずれにしても、日本と韓国との地理的環境あるいは日本と韓国との国交関係というふうなものから見て、韓国における抑留漁民の実態が日本の外交交渉を通じて全然明らかになってこないという事実は、私は日韓関係の今後の進展のためにまことに悲しむべき事態だと思うのです。この辺のところはやはりもっと外務省が積極的な努力をさるべき性格のものであると思う。同時に、先ほど述べた日本人の弁護士の派遣等の問題についても、必ずしも法律的な根拠についても十分な精査をしてないという問題とも関連をするのですが、なるべくはれものにさわらないというような気持じゃなしに、やはり、正当に主張すべきことについては正々堂々と主張する、またそれを実現する、こういうことで日本の外務省も外交をやるべきじゃないか、率直に言ってかような感じがするわけです。 そこで、参考人の方にお伺いしたいのですが、先ほども少しお話がございましたけれども、抑留されて裁判が行なわれていく、それから判決というものが下る、それから判決に基づくところの相手側の解釈によるところの刑期が終了する、こういう三つの過程の中での収容されている自分の場所あるいは給与状況その他というものには取り扱い上変更があるのか、何ら変わらないのか、その辺のところを、どなたでもけっこうですから、お伺いしたいと思います。
○佐々木参考人 拿捕、続いて警備艇での取り調べ、この拿捕のときからしてすでに罪人扱いなのですけれども、取り調べ中は留置所入りです。約十日くらい留置所におりました。その後刑務所に入ってから、未決から既決になる間、さっき土井船長が説明されたように、既決より未決の方がかえって生活はしにくかったという実情であります。刑務所を出所いたしまして収容所に入れば、もちろん青天白日の身で、韓国の法律でも一応刑期を終えて僕たちは罪人じゃないのだからもう少し自由な生活ができるものと思って収容所に入ったわけなのですけれども、当時はまだあのデモ以前でありまして、かえって収容所の方が刑務所より精神的にいろいろな不安焦燥がありまして、収容所の中でも、このようなところだったらかえって刑務所の方が住みよかったという工合に言っていたわけなのです。その後、昨年の夏以来のデモで、当局の待遇――係官の更迭などがありまして、幾分そういう圧迫というものがなくなりましたけれども、やはり収容所の中も刑務所の中もそう大差がないような気持で私たちは過ごしてきた次第です。
○角屋委員 あとに残っておる四十七人の健康状態ということなのですが、これは参考人として来られた方々は十分承知しておられるかどうかわかりませんけれども、先日帰ってこられた方々は病人が大体七五%、健康体の者が二五%、しかもこれは再診査の結果によるともっと病気の者が率としてふえておるというようなお話もございましたが、それから判断はできるわけでございますけれども、あとに残っておられる四十七人の健康状態というふうなものについて、おわかりでしたら一つお伺いしたいと思います。
○佐々木参考人 私が帰国前の三月二十五日ですが、収容所の方から、そのときの団長、それから私が長崎県を代表して収容所当局あて刑務所の面会を申し込み、三月二十五日に釜山刑務所において抑留船の各船長と面会して参りました。もちろん、刑務所の面会でありまして、そう詳しいことも、それからその他いろいろなことも聞けず、時間も短くて事情を詳しく聞けなかったのでありますけれども、各船の船長は、現在のところ一人も病人はいない、かように家族に伝えて安心さしてくれ、このように言われました。
○角屋委員 刑務所ないしは収容所における病人に対する取扱いの問題なんですが、重病、軽症、いろいろの問題があろうと思うのですけれども、医者の技術程度、あるいは医薬品の程度、あるいは実際に重病人、軽病人等に対する静養その他の問題というようなことについて少しお伺いしてみたい。
○杉山参考人 先ほどもお話ししたのでありますが、刑務所ではおそらく重病人に対しての準備がないということは、これはもう確実であります。薬品もない。全然薬品はありません。それで、日本から送ってくる小包をその係官がもらいに来るわけです。課長級、部長級がもらいに来るわけです。刑務所ではそういう実情であります。収容所では現在一名の医師がいるのですが、そこでもやはり重病人に対して全然薬も買えないというわけです。私どもの船員が熱病をわずらって四十五日も寝たのでありますが、それもとうとう薬を買ってくれない。買おうと思っても国の予算がないから買えぬのだからしようがないというところから、私らの方で船員と話し合いをして、薬の名前は忘れましたが、五千五百円ほどの薬を二本買って、それにリンゲルをまぜて打ってやった次第ですが、そういうようなことで、薬が買えないものですから、重病になったら非常に困難するわけです。それで、どうしても警察病院に入院さしてくれないかといって頼んで、そのときの医師が部長なり課長なりに言ったのですが、その程度の熱病であったならば大したことはない、すぐなおるだろう、きょうなおる、あしたなおるということで、あしたあしたがとうとう四十五日になったのですが、そういうふうに、薬品とかの設備は全然不十分であります。医師も産婦人科の方から出てきたという医師がおったのですが、しかし、言葉においては非常に親切にやってくれました。そして、品物がないために自分の腕が発揮できないとか言って嘆いておりました。
○角屋委員 相当長期にわたって刑務所ないしは収容所に生活をしておられたのですけれども、その間、いわゆる苦役といいますか、何か仕事をさせられるというふうなことが現実にあったのかどうか。もしあったとするならば、どういうふうな作業をやっておったか。同時に、実際に刑務所あるいは収容所にいる間は、一歩もそういう所内から出られないような厳重なバリケード等を築いた体制の中であったのか。あるいは、長い期間のうちには、町場とまではいかぬまでも、ある程度外にも保健上出してくれるというふうな機会が一回でもあったのかどうか。その辺のところを少し伺いたい。
○杉山参考人 刑務所では、もちろん、朝洗面があるときに出るだけでありまして、その後は翌日の朝まで絶対出ることはできぬ。絶対というか、午前、午後に運動がありますが、そのときに出るだけでありまして、その同は絶対出られない。既決になってからでも、どうもすわっていたらからだを害するから仕事をさしてくれないかと言いますと、外国人には仕事をさせるようになっていないと言うのです。しかし中国人には仕事をさしているじゃないか、日本人にはなぜさせないかと言いますと、日本人には絶対仕事はないのだ、させられないのだということで、刑務所には仕事はありませんでした。もちろん、収容所でも、こうして運動もできないから何か仕事をさしてくれないか、遊ぶばかりではどうしても飯が食えなくてからだが悪くなるばかりであるから、何か仕事をさしてくれ、野菜でも作らせてくれないかということを再三頼んだのですけれども、それも絶対できない。それでなかったら、上の山に、十名なら十名について警官が一人ずつついて、一時間くらいの散歩ということもできぬのかと言いますと、それも絶対できないと言う。ただ、バリケードでコンクリートが二重になっておりまして、その中に一重の鉄条網があります。その中でわれわれが運動しても、五分か十分くらい歩いて回るだけのものであって、そのほかはずっと部屋におって、いろいろ娯楽と申しますか、マージャンとか将棋などで日を送っておったわけです。
○角屋委員 お踊りになるときに、向こうに抑留されたときの私物といいますか、いろいろな携行品、これは全部無事に持ち帰れる、そういう状態でお帰りになったのか、あるいは、長い抑留中に途中一部のものを取られたり、そういうようなことがあって、帰られるときはほんとうにいわば裸一貫、着の身着のままという状態であったのか、その辺のところの取り扱いについて少し伺いたいと思います。
○杉山参考人 拿捕されたときには、私どもの船には私のほかに二、三名おりましたが、とにかく、拿捕されてすぐ警備艇に乗せられて済州島に着いて、そして私どもの船に行ったとき、すでに私どもの航海用の私物とか作業服とか帽子というものは一枚もなかったのです。しかし、今度帰るときに際しましては、警官とか韓国人が没収するということは全然ありませんでした。それで、韓国の赤十字から、洗面具一式と作業服の上下、それからオーバーみたいなものが一枚と下着が上下、たばこが二箱、それだけもらったわけです。
○角屋委員 アジア局長にお伺いしたいのですけれども、李ラインの設定という問題が従来からこういういろいろな問題を提起しておるわけですけれども、国際的に見て、漁業関係において一方の国が認めない形で他方の国がこういう制限漁区を作っておるという例が他にあったら、一つお話しを願いたいと思います。
○伊關政府委員 漁区の制限を設けている例は国際的にはかなりあるのではないかと思いますが、問題は、拿捕するとか、それからあと国内法によってこういう取り扱いをするという点の方にむしろ問題があるのじゃないかと思います。国際法上一方的の制限ということは、これはもちろん相手方を拘束するものではありませんし、非常に問題になる点でありますが、そういう広い水域を専管の漁区にしているという例はかなりあるのじゃないかと思います。
○角屋委員 李ラインの撤廃問題ということについては、午前中、中村委員からも御指摘があったわけでございますが、この点については、アジア局長は、韓国の政情の変動等がもう少し安定した状況と見合って解決する方向へ努力しなければならぬ、こういうふうに抽象的に答えておられるわけでありますけれども、これは、韓国の政情が安定をするときにはすぐさま李ライン問題というのを対韓国の交渉の一つの大きな重点として正式に打ち出される、こういう御意図を表明されているわけですか。
○伊關政府委員 本来であれば現在日韓会談をやっているべき時期なのでございます。そうして、会談をやっておりますれば、わが方にとりまして最も中心になる問題がこの漁業問題であるわけでありますが、現在のような政情でありまして、先方の代表も全部向こうに帰っておりますし、こちらにおります柳大使も辞意を表明しておるというような事情で、相手方がないという状況でございます。政情が安定し、向こうから代表が戻ってくれば、すぐこの会談が再開される。再開されれば、一番の中心問題にこれがなってくるという次第でございます。
○角屋委員 当面の問題としてのこの四十七人の帰還問題ということについては、今日韓国の政情が動揺し不安であろうとも、速急に解決しなければならぬことであろうと思います。この点については早期帰還の問題として午前中にもお話がありましたけれども、具体的にいつごろ帰還の実現ができるという展望に立っておられるか、これは外務省でも水産庁でもけっこうですけれども、大体四十七人の帰還の時期というものはおそくともいつまでに実現できるという見通しに立っておられるか、明らかにしていただきたいと思います。
○伊關政府委員 これは四月九日に二十九名が刑を満了しております。そうして、先般の百六十七名の帰還の際に約束がございまして、今後は刑を満了次第便船をもって送り帰すという話でございまして、四月九百前後に何度もこの話はいたしておりまして、船があり次第帰す、それでおそくとも四月末までには帰すということは柳大使は私に何べんも申しております。先般も、二、三日前もその話をいたしました。この問題だけはいかに政情がどうあろうと至急やってほしいということは申しております。彼はやると言っておりますけれども、何しろ御本人がやめるとかやめぬとか言っておるのであります。それから、韓国においては警察がこういう問題を扱っておるわけでありますから、この方も大へんな騒ぎでございますし、現実の問題としまして、はたして四月中ということが可能かどうかという点にはかなりの不安を持っております。もう少し安定しましてから、だれか責任を持って交渉をする相手が出ましたら、これはまっ先に取り上げたいと思っております。この点は、何と申しましても、向こうがあのような騒ぎでありまして、柳大使が向こうへ行ってもどうなるか、柳大使自身が帰るか帰らぬかわからぬような事情で、ちょっと見通しといたしましてもはっきりいたさない点があるのでございます。
○角屋委員 韓国からの米の輸入問題は、何か私どもの印象では人質政策で、日本として食糧事情等から必ずしも必要でないのを輸入せざるを得ないというような状況にあったと思うのでありますけれども、今後四十七人の帰還問題の推移によっては、韓国米の輸入という問題は修正ないし再検討という、そういう要因を含んでおると解してよろしゅうございますか。
○伊關政府委員 お互いに約束したことは誠意をもってこれを実行すべきものと私は考えております。ですから、お互いの誠意というものはどうなるか、片一方がそれを守らぬという場合に、こちらが守るかどうかという問題はあり得ると思うのであります。今のところ、誠意をもってやっていきたい、こう思っております。
○角屋委員 これは希望として申し上げておきますが、参考人からもるるお話がありましたように、四十七人のい期帰還問題については、韓国の政情の今日の状態のいかんにかかわらず、いろいろな方法を通じて一つ実現するように、外務省としてもあるいは水産庁としても最大限の努力をしてもらいたい、こういうふうに考えます。 参考人の意見を聞きましても、私ども非常に考えなければなりませんのは、今回帰られた方々のいわゆる就業対策、あるいは病人に対する今後の対策、こういう問題があるわけでありますが、その話に入ります前に、参考人の方々にお伺いしたいのでございますけれども、帰って参られまして、抑留中の留守家族の生活状態というものをどう感じられたか、そのときの感じからして、抑留者の留守家族の対策というものはこういうふうにすべきじゃないかという意見がございましたから、どなたでもけっこうですから、率直にお聞かせ願いたいと思います。
○佐々木参考人 抑留中の家族の生活状況につきましては、帰ってきてからいろいろ話を聞いたのでありますけれども、拿捕によってすでにその事業が解散し、その船主が自分の船の船員の家族に対して何らの保障を与え切らずにいる、こういう立場にある人が特に長崎県、福岡県には多数におるのであります。この人たちの家族に対しまして、政府の方から見舞金として月額一万円ずつの支給がありましたけれども、たとえば奥さん一人の場合でも一万円、奥さんがおり、それに子供が五人おり、それに年取った両親が二人、こういう家庭も同じく一万円で生活をするというのは、ちょっと矛盾があるかと思いますから、その家族数なども含めまして生活でき得る金額を支給していただいた方がいいと思います。 それから、生活費として国から一万円支給になりまして、別に八千円の慰問田代があるのでございますけれども、この八千円の慰問品代では足りず、自分の生活費として支給された一万円の中からまた千円、二千円出して慰問品を送っていた、それで、残りの八千円、九千円で、もうその日食うのが一生懸命であった、こういう家族も中には多数にいると聞いておりました。
○角屋委員 帰ってこられた方々の正常状態の場合の俸給、これは船長以下船員に至るまで差があろうと思うのですけれども、そういうふうなことで従来生活をしてきておったのが、抑留されたことによって条件が相当に変わってきた、こういうことから、多数帰られた方々の中には、留守家族で担当数の借財を作っておるというような実態等も率直に言ってあるんじゃないか。これは単に今回の帰還者ばかりでなくて、従来長期にわたって抑留されて帰還された場合もそういう実態があるのではないかと思いますが、その辺のところは、直接の問題ではなくても、一般論でもけっこうですけれども、いろいろお聞きになっている点がありましたら参考までに一つお伺いしたいと思います。
○佐々木参考人 家庭の生活費のために他から借財したということは今のところ私は聞いておりませんけれども、小さな船の船主で人から借銭して船を作った、船が作ったとたんに拿捕されたため、帰ってきてもその借財が何十万も残っている、こういう人の例はあります。
○角屋委員 今度帰られた方々の中で、これは水産庁長官もお答えになっておったわけですけれども、就業対策の問題で、大手筋の者はまずまずそう心配は要らない、中小のところがやはり大きな問題になるのだ、そういうお話があったわけですけれども、皆さん方から見て、大手筋あるいは中小の関係ということで大分けして、対策として誤りがないのかどうかという点、それから、帰ってこられた総体の人数の中で、再就職の問題等についてどうしても対策を講じなければならぬという人数がどの程度あると見ておられるか、その辺のところをお伺いしたいと思います。
○佐々木参考人 帰国船員の中で下関在籍の大手会社の船員の人たちは、おっしゃるようにほとんど原職復帰になりまして、就職の心配もないわけでありますけれども、さっき申し上げました中小企業、特に長崎県、福岡県の小企業の船主の人たちは、拿捕によりすでに事業が解散され、帰ってきても働く船もないという船員が約五十名ほどおります。この人たちは、小型船舶でありましたゆえ、拿捕保険はもちろんですけれども、船員保険、失業保険にも加入しておらず、今後の生活の不安をより一そう感じておる次第なんでございます。だから、就職と同時に、就職するまでの生活費の支給なども含めて一つ御善処下さるようお願いしたいと思います。
○角屋委員 これは政府筋にお伺いしたいのですが、抑留船員の再就職等の問題については、責任の窓口としてはどこがやられるというふうに各省間の話し合いをしておるわけですか。水産庁の方からお伺いしたい。
○中村説明員 どこが責任の窓口かというお尋ねでございますが、特にはっきりどこか責任を持ってやるということはきめておりません。しかし、厚生省あるいは運輸省の船舶局、こういう船員の人たちの就職関係なり、あるいは海上以外の一般の職業紹介の方を扱っておられるところにも連絡をいたしまして、そういうところでも出先でもってできるだけめんどうを見るように本省からも指導するということでございます。私の方としましては直接どうというわけには参りかねるわけでございますが、午前中に長官がお答えいたしましたように、県の方と常に連絡をとりながら、私の方でも県庁に対していろいろ督励するなり、あるいは県の方から、こういう小さい会社の人に対してはかわりの船を作ってそれで漁業をやらせたいが、何とか金融のめんどうを見てほしいというような具体案が出て参りました場合には、極力それが実現できるように骨を折る、こういうことで各省協力してやっていこうということにいたしております。
○角屋委員 水産庁は責任ある係官等を現地に派遣されて、帰国されてきた方々と直接会ったり、あるいは実態をいろいろ聞いたり、そういうことで今後の対策についていろいろと練られた、こういうことはあるわけですか。
○中村説明員 私、実は帰還の日に下関まで参りまして、その際県の係の人、あるいは一部の人でございましたが帰ってきた船員の方にもお会いしまして、いろいろ話を承ったわけです。しかも、当時としましては帰還のことで一ぱいでありまして、特に今後就職がどういうようになるかということは、もう少し落ちついてみないと何ともわからない。さらにまた、帰ってこられた方はほとんどからだをこわしております。また、健康な方であっても、長く抑留生活をしておりますので、船に乗るような重労働はすぐにはできない。今おそらく皆さん静養しておられる時期じゃないか。もう少したってみないと、おそらく県としても、就職をどういうように持っていくか、あるいは就職の非常に困難な人がどのくらいできるかという点は、ちょっとつかめないのではないかと思います。私の方にもまだ報告は参っておりません。
○角屋委員 帰還してこられた方々の就業問題、あるいは病人で帰ってこられた方々の今後の医療費その他を含めての静養期間の問題等、たくさん問題が山積しておると思うのです。これはやはり長期にわたって抑留されて内地に帰ってこられたという方々でございますから、これらの諸対策については、どこが直接的な窓口になり、どういう関係が協力をして、そして具体的にはこういう方法でやるんだ、帰ってこられた方々は、病気の者はこうなる、あるいは元気な者はこうなる、こういう点がやはり明確にされなければならぬと思う。お互いに協力してやるんだということであっては、帰ってこられた方々ではどういうふうにしていいかということが十分わからないという場合が私は出てくるのじゃないかと思う。この辺のところは、やはり漁民の問題でございまするから、気持から言えばやはり水産庁が直接の窓口になるような意欲を持って、関係各省と協力しながら、あるいは地方自治体の協力も得て、速急に解決すべきものは解決する、同時に、従来入院に対して一万二千円とかあるいは通院に対して二千円とかいうこれらの問題に対しても、実態に即して、ことに大蔵の折衝の関係をやって、帰ってこられた方々が後顧の憂いなく次の道に進める、こういうふうに私はぜひともしてもらわなければならぬと思うわけですけれども、その辺のところを今後どうされるか、お伺いしたいと思います。
○中村説明員 ただいま御指摘の点につきましては、これは、各省でといっても、何といいますか関心が非常に薄くなるので、もちろん水産庁が窓口になるという気持でやっていきたい、こういうふうに思っております。 それから、医療の点等につきましても、さらに大蔵と折衝してみたい、こういうふうに考えておりますが、この点につきましても、ほかとのバランス等があるようで、かなりむずかしいのじゃないか、こういうふうに思っておりますが、実態をもう少し把握いたしまして、大蔵の方にも折衝をしてみたい、こういうふうに考えます。
○角屋委員 私のあと、さらにその方面の権威者の赤路先生が質問に立たれることになっておりますので、私の質問は一応これで終わらしていただきますが、特に外務省並びに水産庁あるいは海上保安庁も含めてでございますけれども、質問の過程を通じてお伺いしましたように、やはり、李ラインというものが現存する段階においては、漁船の安全操業という問題についての従来の状態についていろいろつまびらかにし、欠陥がある点については十分これを是正していく、 〔金子委員長代理退席、丹羽(兵) 委員長代理着席〕 そうして一船たりとも抑留漁船の出ないような最善の努力をするということが一つの問題であろうと思う。同時に、韓国の最近の政情の変化等も伴って、すみやかに李ラインの撤廃問題に対して、外務省を中心にして最大限の努力をする具体的な計画を作って、速急に乗り出す方途を考えてもらいたい。同時に、先ほど来お願いしておりますように、四十七名の十期帰還の問題、あるいは帰ってこられた方々のこれからの問題に対する万全の措置等については、従来の財政措置その他に必ずしも拘泥することなく、特に漁民の問題でありますから、水産庁が、自分が直接の責任を持ってこの問題の解決に当たるんだというような意欲を持って今後推進されますように希望を申し上げまして、私の質問を終わります。
○丹羽(兵)委員長代理 田口長治郎君。
○田口委員 私もいろいろな点について質問申し上げたいと思っておったのでありますが、前二人の人が詳細質問されましたから、大体それで尽きておる、さように考えますから、ごく簡単に要請だけをいたしておきたいと思うのでございます。 今回の送還の実現ということにつきましては、アジア局長が非常にかけ引きなしに一直線に折衝しておられますから、どうもアジア局長はだまされるんじゃないか、こういうような心配もしておりますし、また、アジア局長にもそういうことを私言っておったのでございますが、やはり、アジア局長の戦法で、もうかけ引きも何もなしに正道を踏んで堂々とやられたことが今回この話のつく糸口でなかったか、こう考えるのでございます。かかる点から申しまして、今回の抑留者の帰還につきましては、伊關アジア局長の非常なお骨折りにあずかったことにつきまして、私厚く感謝をする次第でございます。まだあとに四十七人の連中が残っておりますし、でき得れば四十七人、それがむずかしければ、少なくとも刑が終わったら直ちに帰す、こういうような処置につきまして、一段と一つ御努力を願って、そうして一人も残らないような状態に一日も早く処置していただきたいという問題と、同時に、日韓会談の問題も今回の韓国の事変によりまして多少予定が違ってくると思うのでございますけれども、先ほど伊闘局長が言われましたように、少なくとも日韓問題につきましては今回の事変は悪い方向には向かない、こういうふうに私らも考えておるのでございまして、この李ライン問題の根本的の解決というものは、やはり本会議によりまして解決するよりほかに方法がないのでございますから、この点も一つ従来同様に誠意をもって正道を踏んで押していただきたい、こういう気持がするのでございまして、この点お願い申し上げておきます。 それから、水産庁に対しましては、これは、現地の状態を聞きますと、早く帰りたいが、帰ってみると、どうも抑留されておる間は生活をどうにかやっていけたのが、帰ってきたために生活に直ちに因った、どうにもしようがない、こういうような声が非常に高いのでございます。これは、海外の未帰還者留守家族の問題と関連いたしまして、この方だけ帰った後の処置をするということにつきましてはいろいろな事情もありますけれども、現状を知っておる者は、これは何とかしなきゃいけない、こういうような実情にあるのでございますから、三カ月の給与以外に理屈をつけて何か出されないかということにつきまして、この上とも一つ研究を願いたいのでございます。ことに、この帰られた人が病気されて仕事ができない、しかも、帰った人が一家の生計の支柱である、こういうような家庭が非常に多いのでございます。私のところにも、長崎の帰還者で今徳島県の方に帰ってきておる人がおるのでございますが、この人なんかの手紙が参っておりまして、これを見てみますと、もう読むにたえないような悲惨な状態であるのでございます。一番みじめなのは、健康でないということから起こる問題が深刻のようでございまして、この問題、船員保険あるいは大手の会社の人、こういう人はまだ幾分か救われるところがあるのでございますけれども、船員保険の適用も受けていない、しかも船主はこれらの人を養生さすだけの力がない、こういうような関係で非常に困っておる人が非常に多いのでございますから、この点も一つ詳細に調査をしていただきまして、そうして何らかの対策を一つ立てていただいて、国会と一緒になってこういう問題を解決するように。国ばかりの問題でもありませんで、日韓対策本部なんかとも役所として相談をされて、何とかこの失業の問題を解決し、健康が回復されるまでの間の処置方法を講じられないものかどうか、こういうような気持もするのでございます。 それから、この帰ってきた人で失業している人をどうするかという問題につきましては、いつも失業者の実態がどうもはっきりしない。幾人の人がどういう状態において失業しておるか、こういうことがはっきりしないために、役所その他との折衝資料としてはいつもその点において突き当たるのでございますが、これは一つ水産庁が親心を出して、帰ってきた人で自己の生活すらもささえることができないというような人にほかの人の状態まで調べろということは無理でございますから、水産庁が、一定の期間を経過した後における失業状態、このことを常に気をつけて資料をまとめておかれる、あるいは役所でできなければ日韓対策本部と連絡をとられて、そうして、ワクがはっきりすれば、いろいろまた大蔵省その他との折衝もあり、あるいは労働省なんかとの折衝もあり、あるいは業者との折衝もあると思うのでございますけれども、個人の就職問題と違って、こういう場合は団体あるいは国で失業者のワクの問題がはっきりきまらなければ、一人出てきた、その対策をする、またあとで出てきた、というようなことでは、これは問題にならないのでございますから、いつも私どもが因っておるこの帰還者の一定期間経過した後の状態ということについて特に研究をされて、それらの資料を一つ整えていただく、このことをお願いしておきたいと思うのでございます。 今回の帰還者のうちで、船員保険に加わっていない、しかして労災保険にも入っていない、そういうような人が八、九十名程度あるそうでございますが、これらの連中のことはすぐ困る問題でございますから、何か一つ真剣になって御研究願いたい。水産庁はやりたいけれども大蔵省の関係でできないことが非常に多いのでございますが、その点につきましては、国会も水産庁に強力に協力して、そしてこの犠牲になった人を一日も早く普通の状態に持っていく、こういうことに一段の努力をされるようにお願いを申し上げまして、私この程度にとどめておきます。
○丹羽(兵)委員長代理 赤路友藏君。
○赤路委員 ほとんど同僚委員によって質問なり希望要項が述べられたので、ただ一点、今角屋委員の質問に対してアジア局長がお答えになりました点でお調べを願っておきたいと思います。それは、トルーマンが大陸だな宣言をやりました直後、たしか、南米の方で、チリーかペルーだったと思いますが、これと同様の宣言をいたしまして、そうして、その中に入って操業をしたアメリカの漁船を拿捕いたしております。これに対しまして、アメリカ政府では、公海上において拿捕されたものであるとして、政府自体が全面補償をやっておる。こういう事実がありますから、この点を外務省の方でも一応お調べおきを願いたい、こういうふうに思います。 それから、アジア局長の方からいろいろお話がありまして、外務省が現段階において慎重な態度をとるということ、この点私も賛成であります。韓国の今の情勢というものは非常に大きな転換期に当面いたしておる。今までの李承晩大統領の独裁政治のあり方というものがくずれ去ってきておる。私どもは、ほんとうに韓国が新しい民主主義的な国として再発足するだろうことを希望いたしております。そういうような時点でありますから、われわれとしましても、かつての同胞として、あたたかい目で静かにこれを見守っていくという態度が今の時点では非常に必要ではないかと思います。これは長い期間はかかりそうもないと私たちは考えておる。新政府ができまして、新政府がどういう態度で出てくるかということが焦点になろうかと思いますから、その間は静かにやはり見守っていくという態度が正しいのではないか。新政府ができました場合は、それと話し合いをする。依然として態度が従来よりも変わらないというようなことであるならば、断固とした措置をこの原日本政府としても考えていかざるを得ない、こういうように韓国の情勢からくる今の時点においては私は考え方を持っております。おそらく今まで御努力願った伊關さんも御同様な与え方であろうと思いますが、この時点、韓国の非常な転換期がおさまりましたら直ちに交渉を開始して、今までのようなことでない抜本的な問題の解決に御努力を願いたいと思う。 それから、国内事情の問題につきましては、ただいま田口先生からいろいろお話もありましたし、午前中中村、午後角屋、両委員からもいろいろ御意見があった。これを要約いたしまして私もお願いをいたしておきたいと思いますが、それは、保険未加入者に対する療養面の救済措置、これが第一点です。第二点は、不安定な状態にある船員のすみやかなる就職のあっせんであります。第三点は、就職までの生活の保持に対する援護措置であります。第四点は、船主の代船建造に対する優先あっせんであります。これには普通の金融のべースではいけないのであって、当然融資についての条件緩和ということが考えられなければなりません。この四つに私は大体今までの各委員の御意見はしぼられると思います。また、参考人からお聞きした点もこれにしぼられる。従来いろいろと韓国抑留者の問題につきましては政府の方でも勘案をしていただいております。従来の経緯から見まして非常に至難なことであると私も考えます。しかしながら、至難ではあっても、現実に不安定で生活に困っておるという姿がある限り、これは傍観するわけには参りません。田口委員からもおっしゃったように、名目のいかんを問うのではありません。名目のいかんにかかわらず、実質的に効果があるような方法をすみやかにとっていただきたい。以上の点を私は要望いたしておきます。 質問は申し上げません。もうお答えをいただかなくともやっていただけるものと私は理解いたします。
○金子委員 関連して……。 ただいま赤路委員から御要望がありました、拿捕船の代船建造に対して水産庁における特別な御配慮をいただきたいということで、かねて水産庁でもそういった方針で進んでおるようなことを承っておりますが、現実にはそうではない。一例をあげますと、拿捕された第二松栄丸は、十一人の抑留者を出しておりますが、これは二十トン未満のまことに脆弱な沿岸の零細業者でございます。代船建造の融資の申請をいたしましたところ、これは融資の対象にならない。従って、漁業組合をもって転貸しなければ、いわゆる農林漁業金融公庫の融資の対象にならないといって却下されておる。そこで、漁業組合が転貸で融資の申請をしてくれるかと申しますと、これは破産の状態にあるのですから、漁業組合自体としてはなかなか松栄丸には転貸いたしたくない。現地ではこういうようなトラブルが起こりまして、全く拿捕後破産の状態です。拿捕された船員の中には、その船主の長男、二男といった、一家こぞって、その他一族郎党が十一名をもって操業しておった。いわゆるシイラづけでございます。そういうことで、全く再起不能、再起の道はない。これは、私に言わしますれば、李承晩ラインにおけるいわゆる拿捕される船主もあるいは乗組員も、一つの国家の犠牲だと私は考える。御承知の通り、炭鉱が斜陽産業になりまして失業者が出ると、これを救うために数十億の予算を組んでこの対策を立てている。ところが、どういうことか、農林省の水産庁が所管するこういった国家の犠牲である船員あるいは船主に対しては、他のいろいろな産業面との比較をいたしますと、まことに冷たい、なまぬるい取り扱いをされている。これは、私は、所管庁である農林省の水産庁に熱意がないのじゃないかと思う。われわれ国会の方でもあるいは熱意に欠けているかもしれませんけれども、こういった面を実行するためには、やはり、役所の方で積極的に乗り出して国会の諸先生方の協力をいただいて実行に移すということでなければ、すべてのことが実行に移されていかないというのが現状でございますので、こういった面において、各先生からいろいろ御要望がありましたこと、特にこの船員の就職、あるいは病人である七五%の方々に対する措置、また、そういう沿岸の零細業者が拿捕のために倒産して再起不能になっているというのは、これはやはり、国家がめんどうを見るというか、むしろ私は国家が補償すべきだと思いますけれども、そういうことが不可能であるとするならば、せめて、いわゆる公庫融資でも、水産庁が優先的に特別取り扱いをして、そしてこの十一人の乗組員を復職させ、再起させるというようなことは、当然とるべきであり、また、それは至難の問題ではないと思います。どうかこの点十分御検討いただきまして実行に移されますように強く御要望申し上げて、私の発言を終わります。
○丹羽(兵)委員長代理 本件に関する調査は本日はこの程度にとどめます。 参考人各位には長時間にわたり本委員会の調査に御協力いただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げる次第でございます。 次会は公報をもってお知らせすることとし、本日は、これに散会いたします。 午後三時四十七分散会