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34回国会衆議院1960/03/25

建設委員会 第13号

発言数
26
登壇者
6
会派数
2
開催日
1960/03/25

会議録

羽田武嗣郎自由民主党

○羽田委員長 これより会議を開きます。  河川に関する件につきまして調査を進めます。質疑の通告がありますから、これを許します。  三池信君。

三池信自由民主党

○三池委員 きょうは、筑後川の改修計画に伴う松原・下筌ダムの問題で質問をいたし、また希望を述べ、建設省側の御意見を伺いたいと思うわけであります。  この問題はずいぶん前から問題になりまして、担当建設省といたしましても、また主務大臣といたしましても、大へんな御苦心のことであろうと、この点は重々お察しを申し上げておるわけであります。私がきょうここで御質問申し上げたいその趣旨は、私自身が下流受益者、地元であるというような点から、受益者代表としての御意見を申し述べるということが実は主眼点ではないのであります。  御承知の通り、先般参議院でもこの問題を取り上げまして、参考人などを呼んでよく調査をされたようでありますが、そういうことのあったあとで、この問題に対して反対した側の指導的な役割をやっておられるところの室原さんが、新聞記者との一問一答のときにどういうことを言っておられるか。実は重大なことを言っておられる。三月の十四日の西日本新聞に掲載されておるのでありますが、その記者との一間一答の中にこういうことを言っておられる。ずっと前からありますが、あとの方で「補償は問題外だ。矢部川の日向神ダム以上の補償を出すとかなんとかいっても、いままでの補償のやり方を見れば、建設省の補償基準などタカが知れている。」記者の「最後にこんごの反対運動の進め方と見通しを」という質問に対しては、「建設省を打ち負かすまではやめない。いまや下筌は一地域、一ダムの問題ではなく全国的な注目をあびている。」そしてあとの方で「つまりわれわれはどんな国家権力や資本力をもってしてもダムはできないのだという実例をつくるためにがんばるんだ。大きくいえば天下分け目の決戦だよ。」こういうような意見を言っておられる。これは非常に重大な問題でありまして、この松原・下筌ダムに対するところの建設省の措置いかんによりましては、民生の安定あるいは公共の福祉の増進、こういうようなことの基盤をなす国土保全という重大な使命を帯びておられる建設省のその責務遂行ができるのかできないのか、あるいは建設省の存在の意義にもかかわるような重大な問題であると考えるので、ここでわざわざ時間をいただきまして御質問を申し上げたいというのが、きょうの私の質問の趣旨であります。  まず第一番に、筑後川の改修計画についてお尋ねをしたいのでありますけれども、実は時間が非常に制約されております。午後はまた参議院の方で参考人の喚問があっておるようでありますから、私はむしろ承知しております筑後川の改修計画について申し上げて、誤りがあったら訂正さしていただきたいと思っております。  筑後川の改修計画あるいは改修工事は、明治の二十年ごろから三十五、六年ごろまでの間に第一期、第二期工事ができた。そのときの計画高水量は毎秒六千立米であった。ところが、二十四年に治水調査会ができて、高水量を千立米ふやして七千立米にした。ところが、二十八年の大出水、大災害にかえりみて、さらに千五百立米ふやして、現在の計画では八千五百立米毎秒、こういうことになっている。それで、六千立米から増加する二千五百立米毎秒というものの中に、千立米を下流川の改修によってこれを措置し、残りの千五百立米を上流にダムを作ることによって解決するというように方針を決定した。  さて、そのダムを作るということになると、この容量なり地点なりについていろいろ調査をしなければならぬわけでありますが、そういうような条件の可能見込みのある、見当をつけられた十数カ所については、建設省は、建設省の技術のみならず、学界の権威の力を借りて詳細なる調査をされた結果、三十二年においては現在の松原・下筌ダムが最適である、そのほかにはもうないというような結論を得ておられる。これに対しては、先般もその道の最高権威であり、阿蘇博士とまでいわれ、あの辺の地質については一番詳しい松本博士も意見書を発表してそのことをはっきりと確認をしておられる。それで、この下筌、松原両ダムについて三十二年から調査の段階に入ったのでありますが、その関係地域のうちの大分県の四カ村、これが大部分の犠牲者となられる地域でありますが、その大分県側においては非常に協調的である。ところが、熊本県の小国においては強硬なる反対があって、三十二年の九月以来建設省関係の者とは絶対に面会をしないという方針のもとに、現在までその方針を堅持しておられるということであります。それで、やむなく三十四年の四月、土地収用法の第十四条によって試掘あるいは試錐の許可を熊本県知事からいただいて、それを実施しようとしたところが、反対者側の妨害にあってそれが遂行できなかった。そういうように私は承っておるのであります。私の今申し上げたような了解がもし違っておるならば、一つ訂正をしていただきたいと思うのであります。それから私の質問に入りたいと思うのであります。

山本三郎建設技官(河川局長)

○山本(三)政府委員 ただいま三池先生から筑後川の治水計画の経緯並びに現在建設省といたしまして考えております治水の基本対策についてのお話がございました。この点につきましては仰せの通りでございます。また下筌・松原ダムの地元との交渉の経過あるいは現在までの調査の経過というようなものは、ただいまお話の通りでございます。

三池信自由民主党

○三池委員 それで一つお伺いいたしたいと思いますのは、三十二年からこれの実施調査に入って、最も犠牲の大きい大分県側四カ村が、これに対しては非常に協調的であるにもかかわらず、熊本県の犠牲としては割合に少ないところの小国町の地区の一部の方々がほんとうに面会拒絶というような、これはどうにも取りつく島もないような頑強な、むしろ頑迷固陋とでも評したいくらいの態度で反対をしておられる。この理由について御承知になっているところ、あるいは面会謝絶でありますから、はっきりした意見を反対者側から聞くというすべもなかったかと思うのでありますが、それならば推察でも、あるいは見当をつけられることでもけっこうでありますから、そういう反対の理由に対して、思い当たるようなところがあったらお聞かせを願いたい。

山本三郎建設技官(河川局長)

○山本(三)政府委員 お話のように松原、下筌の両ダムが関係いたします町村は、大分県におきまして上津江、中津江、大山、栄の四カ村でございます。それから、熊本県におきまして小国町が関係いたしておるわけでございます。現在までの補償の交渉経過といたしましては、大分県におきましては一部の部落——村ではございません——部落を除きましては、いずれも説明会に出席をしていただきますし、また地元の意見等も具体的に申し述べておられるのでございますが、熊本県の小国町におきましては、ただいま先生のお話がございましたように、建設省当局との面会は一切断わっておられます。また中介の労をとっていただく方々が面会を求めましても、この問題に関する限りはお話をしていただけないというのが現状でございます。それから、ただいま反対の理由はどうかというお話でございましたが、これは直接反対の首謀をしておられる室原さん初め、そういうふうな中心の方々にお会いできませんので、反対の理由がはっきりいたしません。しかし、今申し上げました室原氏等も三十二年の夏ころまでは調査等に、それは予備調査の時代でございましたが、いついろと御協力をいただいたのでございますが、その後急に反対の意向を表明されまして、お会いできないというのが現在までの実情でございまして、お会いできませんので、反対の実情は具体的にはわからないわけでございますが、現在までのお話では、やはり官僚的に話を持ってくるということ、あるいは政治的に下筌・松原の地点がきめられたのではないかというふうな、ほかにもダムの地点があるのに政治的にこういうところへ持ってきて、自分のところだけを水没させるのだというふうなこと、いろいろと意見書等に出ておるところから見ますと、主としてそういう点が反対の理由ではないかというふうに憶測をいたしておるわけでございます。

村上勇自由民主党建設大臣・首都圏整備委員会委員長・北海道開発庁長官

○村上国務大臣 私は昨年の六月に遠藤大臣のあとを受けて建設行政を担当いたしたのでありますが、そのずっと前にさかのぼりまして、昭和二十八年の筑後川の大災害、その直後直ちに筑後川の上流の大分県地内あるいは熊本県の一部にダムを作るということを建設省で計画をされた。その際私どもは、廣瀬さんも私と同じ郷里でありますが、われわれは直ちに筑後川がはんらんしたからといって上流の大分県の山村をつぶしてしまうということは納得できない。少なくとも砂防事業等を完璧ならしめ、そうしてそういう犠牲者をなくするということがまず考えられなければならないじゃないかということで、建設省に対して再三再四私どもは計画の科学的な根拠等を求めて参ったのであります。しかし、先ほど三池委員が御指摘になりましたように、筑後川の最大高水量というものは六千トンである。しかるに八千トンないし八千五百トンという降雨量。要するに洪水にはどうしてもダムによる調整をやらなければ、下流八十七万六千人という沿岸の住民の生命、財産というものは保障できないのだというようなことを、科学的に、また私どもが実際に理論的にそれを聞かされまして、これによって上流の大分県の一部あるいは熊本県の一部の犠牲もやむを得ない次第だ。こう思って、一刻も早くこの治水対策ができるようにということを念願いたしておったのであります。ただいま申しましたように、昨年の六月に私は就任いたしまして、直ちに熊本県知事に会いまして、なんとか熊本県の一部の地区、これはわずかと申しますと語弊がありますが、四戸だけが水没するのであります。大分県の方は二百戸に近い水没家屋がありますけれども、大分県の犠牲者と申しますか、水没家屋の人たちは、こういう公共の福祉のためには政府の適切なる補償等があるならばやむを得ないことであろうということで、一応精神的には解決いたした次第であります。しかし熊本県の一部落、いわゆる水没家屋としては四戸でありますが、その一部落の人を代表して、ただいま御指摘になった室原なる人は、何としても建設省の者あるいはこのダムを促進しようとする者に対しては面会しない。そのために寺本知事が現地に参りまして、本人に去ってよく本人の要望等も聞いた上で、できる限り要望をいれようというので、その使命を帯びて現地に参りましたが、知事も面会謝絶。その後あらゆる人をお願いしたのでありましたが、だれ一人この反対の人たちに会うことができないというような状態で、今日なおそれが続いておる次第であります。聞くところによりますと、新聞あるいは週刊誌等で御承知のように、その部落にとりでを作って、そして、もしも建設省の者が立ち入り許可の条項をたてにとってそこに立ち入った場合には、実力を行使してでもこれを阻止する。蜂之巣城とかいう名前を、これを本人たちがつけたのか第三者がつけたのか知りませんが、それにわれわれは籠城してあくまでもこれらと戦うんだということで、何としても聞き入れない。  先般参議院の建設委員会におきましては、大分県知事及び大分県の関係町村の村長あるいは福岡県知事等を参考人として呼びまして、それぞれ各委員から質疑の応答があったのでありますが、私は木下大分県知事及び福岡県知事の意見等を聞いておりましても、建設省は何をしているんだ、早くやらなければ、せっかく協力している大分県の二百戸に近い水没者ももう協力しないぞ、もとに戻すぞ——すでに中津江村においては水没者大会を開いて、われわれは建設省がいつまでもはっきりした態度を示さぬ限り白紙に戻すんだというような決議も行なわれたように聞いておりますが、こういうような経緯をたどって今日に至っておりますことは、まことに当面の責任者である私としては遺憾にたえない次第であります。なるほど、今日憲法に保障された個人の財産権というものは、これは私はあくまでも尊重しなければならないと思います。しかしながら、また憲法で保障されておりますいわゆる公共の福祉のためには、その個人もこれについていかなければならないということもまた憲法の条章で示されておるところでありまして、私といたしましては実に、上流のわずか一戸でありましても、先祖代々の土地から離れること、あるいはいなかの山奥の人の気持として、たといその先祖が拾ってきたつけもの石一つでも、これを取り除くというようなことは、まことに情において忍び得ない。私自身もそうでありますし、これらの人たちの気持もよくわかります。しかし、さればといって、一たび台風が襲来したときは何千人、何万人の死傷者、犠牲者が出るかわからない。何千戸の流失家屋、あるいは何万町歩の田畑が流失するかわからぬということから考えますならば、たとい先祖伝来の土地であろうとも、公共の福祉のためには——決してこれは無理な価格で押えつけてとろう、あるいは法律でとろうというようなことは考えておりません。十分話し合いをした上で、国家補償というものは建設省の許されている限りの最高の礼をもって補償いたしたいという気持でありますので、何とかして一応この地域の測量あるいは計画を樹立する上に、立ち入りさせてもらいたいという気持で今日もいる次第であります。聞くところによりますと、きょうは参議院に御本人も参考人として呼ばれて、午後からいろいろと質疑が行なわれるようでありますが、私としては全く平穏なうちにこの問題が解決するように、これは八十七万六千人の沿岸の人たちが、一刻も早く枕を高うしてやすみ得るという事態になるようにということを念願いたしておるのでありまして、その犠牲者に対して、少数だから犠牲はやむを得ぬというような、そういう気持は私は毛頭持っておりません。従いまして、私どもはあるところまでは、どこまでもこの精神、この気持で、面会さえしてくれれば建設省としては御本人に対しても十分手を尽くして説得に努めたい、かように思っておる次第であります。

三池信自由民主党

○三池委員 大臣の本問題解決に対しての非常な御苦心なりあるいは御努力の点は十分承りましたし、またその行き方に対しては了とする気持が十分なのであります。河川局長の先ほどの私の質問に対する答えで、反対の理由というのは、憶測の範囲を出ないけれども、あの下筌、松原、この二カ地点にダム・サイトを決定したのが政治的なものじゃないかということに対することじゃないか、そういう疑惑によるものじゃないかということを言っておられる。  これは二月二十六日、当委員会において社会党の坂本委員が発言になっておることにも、そういうふうに出ておる。その発言の一部分でありますが、松原・下筌ダムが「いいときめたのは何できめたのか。いろいろ政治的にやられたのではないだろうかという疑惑がそこに深まってきて、反対が出てきたわけです。落とされた場所が十六、七カ所あるようですが、どういうふうにして落としたかという理由がはっきりしないから、それが反対の大きな理由になっておると思う」ということを言っておられる。これは私たちとしてはまことに奇怪な話であって、疑惑があるから反対をするというならば、それこそ建設省当局なりに面会をされて、その疑惑の点を深く突っ込んで、納得のいくまで問いただすということができるはずなんです。それを面会拒絶という一点張りで、疑惑を解こうという何らの意思表示もしないで、これが反対の理由であるといわれることは、私たちとしては全く納得ができない。さらにその日の坂本委員の発言には、後段においてこういうことも言っておられる。先ほどの疑惑の問題に対して、河川局長の、私の方では納得のいくように説明を申し上げる準備は十分できておるのだということに対しまして、「建設省が、説明します、どうしますと言われたのは、ごく最近のことでありまして、すでに松原・下筌の予備調査というのは、大体三十二年の八月にきまっておるようですね。その当時、こういうふうにして実施調査した結果、松原・下筌二カ所が一番適地であるし、やむを得ないという説明があればよかったんですが、昨年の五月、反対するならば土地収用法で強制測量をするんだといって、強引にこんな大きな杉の木をたくさん切り倒す、それから相当りっぱな雑木山を全部切り倒した。だから建設省というのは法を無視し、法によらなくても強引にやってしまって、山間僻地の農民は泣き寝入りになっている。こういうことで、強引なダム建設で犠牲になった人は、一時は補償金をたくさんもらっても、今はみじめな生活をしている。移転をしても、その移転先はやはりうまくいかないで、開拓その他もほとんどだめになって、その犠牲者は悲惨な状態になっておる。こういうことをつぶさに調べておるわけなんですね。そういうわけで、今盛んに、話をしようと思うけれども向こうが受け付けないと言うが、もうこうやるのだときめてしまって、そうして杉その他の大木を強引に切り倒したあとで話し合いをしようじゃないか、こういうふうにきておるから、そこに大きい反対の理由があるわけなのです。それで、説明を聞いてもらえないという点は、反対者側の方にその責任があるわけではなくて、その責任はやはり建設省側にあるのじゃないか」というような発言があっておるのであります。  私はこれは全く奇怪しごくの言葉だと思う。というのは、先ほども局長が話されましたように、室原さんというのは最初は非常に協調的であった。三十二年の八月までは非常に協調的であった。九月になりますと、何の理由かわかりませんが、がぜん態度一変して、いわゆる建設省面会謝絶という張り札をして、絶対にその後会わないということであります。ですから、説明のしようがないというのはそこなのでありますが、しかし、大木を切ったというのはそれから一年半の、去年の五月です。大木——杉の木を切ってから説明をしようと言ったのではなくて、もう一年半前から会わない、説明も聞かないというのでありますから、この坂本委員の話というものは前後撞着もはなはだしいといわなければならない。私はそう考える。しかも、説明を聞かないというのは反対者側に責任があるのじゃなくて、建設省がそういうふうな大木を切ってしまってから説明しようなんということを言うから、その責任は建設省にあるのだ、こういうような発言があっておるのであります。そのときの委員会においては、建設省側からこれに対しての何らの答弁が出てない。私は、事実と、はなはだ相違した発言があった場合には、それに対して明快なる建設省の立場あるいは意見というものを言ってもらわなれけばこの問題に対するところの事情がはっきりわからないとともに、かえってそういうところに、いかにも建設省というところは官僚的に無理なことをやっているのじゃないかという印象を一般に与えやすい危険性があると思うのですが、その点についてお伺いしたい。

山本三郎建設技官(河川局長)

○山本(三)政府委員 ただいまのお話は、この前の委員会におきまして委員の先生から御質問がございまして、その点についての意見を求められていなかったために説明をいたさなかったわけでありまして、説明不十分ということでおしかりを受けたわけでありますが、その通りでございます。本日あらためてこの点につきまして御説明を申し上げます。  三十二年八月までは非常に協力的でございまして、三十二年八月におきましても、小国町の志屋小学校におきましてダム計画についての説明会を開催いたしたところ、そのときにおきましては説明等も聞いていただいたわけでありますが、三十二年九月ごろから反対の意向を非常に強くされたわけでございます。その後におきましても、三十三年七月には説明会の開催を小国町に申し入れをいたしたわけでございますが、八月二十二日に拒否の返事を受けてございます。それから九月二十五日にも、小国町の志屋部落の部落長の穴井さんにも説明会の開催を申し入れたのでございますが、十月一日に拒否の返事を受けてございます。それから引き続いて十月三十一日には室原、穴井の両氏に面会を求めましたけれども、最初不在でございまして、面会をすることができなかったわけでございます。  これでごらんいただけますように、一年半の間にわたりまして、大分県側におきましても説明会が順調に催されたわけでありますが、主として小国町におきましてはお話をしようと思いまして、一年半現地等に対しましてはいろいろと努力をいたしたわけでございます。その結果三十四年一月になりまして、九州地建からは熊本県知事に対しまして収用法十一条の立ち入りの通知をいたしまして、その後におきましても一月におきましては室原、穴井両氏に試掘、試錐等の工事につきまして同意を得るためにおたずねをしたのでありますが、拒絶されております。それから文書でもってもお願いをいたしたのでございますが、これも受け取りさえもしないで、受け取り拒絶で返信をいたされたわけでございます。  そういうふうな結果、熊本県知事は収用法十一条による立ち入り通知を県公報に公示をいたされました。  それから引き続き、試掘、試錐の許可の問題でございますが、この点につきましても、四月になりまして、工事の進捗をはかるためにこの許可を知事に申請をいたしまして、許可をいただいたわけでございます。これらを施行するにあたりましても、事前に該当する方々には面談して了解を得るためにいろいろの努力をいたしたわけでございますが、いずれも面会はできませんし、また文書等は受け取り拒絶で返信を受けておったわけでございます。  引き続きまして、それこれいたしておるうちに、たびたびいろいろと手段を尽くしましたけれどもどうも何ともならないということになりまして、五月十三日に土地の立木を切るというやむを得ざる手段に出たわけでございますが、この後、地元民の方々が強硬に作業を妨害いたしたために、一時停止をいたしておるわけでございます。  以上の経過によりまして、先般の委員会におきまして、木を切ったから反対になったということではございませんで、その反対にかわった動機は先ほど申し上げましたようにつまびらかにいたすことはできないのでございますが、説明あるいは同意を得るために二年以上にわたりましていろいろ努力をいたしたのでございますが、そういうことをいたしましても無効に終わりましたために、やむを得ず土地の立ち入り並びに試錐をいたすために必要な立木を伐採をいたしたわけでありまして、決していきなり立ち入りをいたし、木を切ったというようなことはございませんので、御了承をいただきたいと思います。

三池信自由民主党

○三池委員 次に、数字になりますが、伺いたいのは、現在松原・下筌ダムで水没する家屋並びに耕地、山林というもののうち、反対をされておる側の関係耕地並びに山林、家屋、それから協調的であるといわれている側の関係しておられる耕地の面積、あるいは山林の面積、家屋というものの数字がおわかりになれば、合計の数字と、協調的であると思われる側とそうでない反対者側の数字とを、内訳にしてお知らせを願いたい。

山本三郎建設技官(河川局長)

○山本(三)政府委員 反対賛成のはっきりとした——中には大分県側におきましても反対の向きを表明されておる方が若干ございますので、その点が多少はっきりと分明いたさぬかと思いますけれども、大分県側の四村は大体において賛成いたしておるわけでございます。熊本県の小国町は、これはほとんど全部が反対と見てよろしいわけであります。従いまして、大分県側の数字が賛成ということで申し上げますが、その中には若干反対の人があるということでお聞きとりをいただきたいと思います。  松原・下筌ダム建設に伴う水没いたします戸数は三百十一戸ございまして、そのうち熊本県の小国町は五十三戸でございます。従いまして、残ります二百六十戸くらいは大体賛成ということでございます。それから、たんぼにいたしまして全部で六十五町歩余りでございます。小国町が二十三町歩でございます。畑の水没は全部で四十四町歩余り、小国町が十町歩余りでございます。山林にいたしまして水没が全体で百八十六町歩、小国町が五十六町歩でございます。その他宅地にいたしますと全体が十二町歩余りで、小国町が二町九反余りでございます。

三池信自由民主党

○三池委員 実は今その数字をお聞きしました理由は、反対者の方々が賛成者の方々に比べたら一小部分でしかないということを認識するためと、もう一つは、三月八日の参議院の建設委員会において参考人の喚問がありました。そこで社会党の方々からいろいろの質問が出た。特に調査団の一員として行かれた小柳勇君からこういうような発言があった。松原・下筌ダムの工事によって上流側が非常な犠牲を払って下流側が非常な利益を受ける、いわゆる上流の犠牲において下流が利益を受けている、九州では他人の畑のゴボウで自分の家の法事をするなということが言われておるのだというような発言があった。これはダム建設による上流側の犠牲において、いわゆる他人の畑において下流側が自分たちの利益、自分たちの法事をするなというように了解されるのでありますが、私はその話を聞いて、まことに小柳委員は筑後川の改修というものの今日までのいきさつ、今後のあり方について知っておられるのだろうかというような疑念を受けながら、私はその質問を聞いておった。ところが、その委員会を傍聴しておりました下流側の人たちの一人が、あとで私に泣いて訴えた。それはどういうことかと言いますと、現在筑後川の改修のために下流側が払った犠牲というものは、実に畑にいたしまして八百四十五町歩ある。今度のダムの建設によって水没されるために犠牲を払うよりも倍近い犠牲を今日まで払っておられる。また家屋の移転というようなことでは、実に千五戸という家屋が移転を強要されておる。しかも、その時代は御承知の通り明治時代、いわゆる強権のもとに自分たちの希望意見も吐くことができないままに土地を収奪されまして、その犠牲になった。そして、もう農耕がやっていけないということでその土地を去った家さえ実は数軒あるのであります。そして今度ダムが作られましても、上流側において非常に犠牲を払われますが、このダムによっては、先ほども申しましたように千五百立方メートル毎秒の水量しか処置できない。あとの千立方メートル毎秒というのは下流の改修によってでなければ筑後川の改修というものは完成しない。この千立方メートル毎秒の改修を下流側に受け持たせるために下流側が払わなければならないところの犠牲は、田畑において三百三十四町歩、戸数において千六百戸の家屋が移転をしなければならないのであります。筑後川の改修ということが今、松原・下筌ダムにのみ寄せられておるように考えられて論議されておりますけれども、筑後川の改修をするためには、たといダムを作りましても、上流側にそれだけの犠牲をお願いするとともに、下流側においてもそれに劣らぬところの犠牲を払わなければ、筑後川というものは改修工事が完成しない。いわゆるまくらを高くして安んじて生業に従事するという状態にはならないということを、その人が私に泣いて訴えた。ダムを作らなければ下流においては田畑において七百七十町歩、人家において実に四千四百戸というような膨大な犠牲を払わなければならぬし、その工事においてはダムを作るよりも数倍の工事費がかかる。国家のために非常な損失である。土地利用の面から見ましても大変なことだというので、国家的な見地からダムの建設が決定されたと思うのでありますが、ダムが建設されるから筑後川の改修のためには下流側は安穏として何らの犠牲も払わないで、他人の畑のゴボウで自分の家の法事をするなどというような表現はまことに私たちは納得できない、ということを下流の人が私に泣いて訴えた。今までの筑後川の河川改修工事によりまして、さっき申し上げたような田畑、家屋が非常な犠牲を払っておるのみならず、現在においても非常な犠牲を払いつつあるのであります。たとえば、これは福岡県側にも大分県側にも、たくさん諸所にあることでありますけれども、いわゆる河道が変更された、盛んにうね曲がったところはショート・カットでまっすぐになすという、いわゆる河道が変更された。従って、土地も移り家も移転しなければならぬのでありますけれども、同じ行政区域にある村が、途中で約四百メートルにわたるような大きな川で隔てられておるのが現状であります。そうしますと現在日常の生活におきましても、経済活動においても、非常な不便をなめておる。また教育の面になりますと、これは言語に絶するのです。学童は毎朝あるいは毎夕、小さな渡し船で学校に通っていかなければならない。雨の日、風の日になりますと船は通れない。学校を休まなければならない。また、病人がありましたような場合でも、そういうようなときには、泣く泣く、医者も呼べないというようなことに相なっておるのであります。実に痛ましい話でありますけれども、昭和二十七年には、そういうような学童が真冬に通学のために船で行っておりますときに、突風が起こって船が転覆をした。学童六人、幼い子供がそのためになくなった。そういう犠牲も払っておる。そのために、そこには橋をやっとかけてもらった。天建寺橋という橋であります。その橋のたもとには、そのときになくなった学童を地蔵尊として祭ってある。そういうような犠牲も今日まで払ってきたのであります。なおかつ、農耕をやる農民側はどうかといいますと、現在毎年々々非常な犠牲を収穫の面において払いつつある。なぜかと申しますと、上流側のいわゆる河道変更その他によって改修ができましたから、筑後川の水が下流側に到達するのに六時間から七時間実は早く流れてくる。そのために、筑後川の下流におけるところの水位の一番高くなる時間が現在までよりも六時間、七時間早くなったということになる。そうしますと、今日まで筑後川の下流はどういう状態かといいますと、筑後川の水がふえて水位が上がりますと、それがみんな支派川に逆流をしてくるわけです。従って、その逆流をとめる水門は、みんな支派川の筑後川と合流する地点に設けられている。改修がなかった前には、筑後川の水が上流から増水の場合に流れてくる時間がおそかったために、その間に下流側の支派川から、その辺の支派川の水というものがどんどん筑後川の方に流れることができた。そして、筑後川の水が七時間おくれて水位が上がってきますときには、その水門を締めるということができた。ところが、今日七時間も早く筑後川の水位が下流側において最高水位になりますと、支派川の水位の高くなるのと同時になる。従って、支派川の水門というものは、支派川の水が非常に多いときに、もうすでに締めなければならない。従って、滞水する時間というものは非常に長くなってくる。今まで四日くらいで済んだものが、一週間も十日も滞水をしつつあるという現状であります。これがいかに農民にとっても、その収穫の面において非常な犠牲を現在強要されているかということなんです。それで、建設省におきましては、その対策として方々にポンプを据え、そういうような滞水を排除して、一日も早く、一週間のものは五日、十日のものは一週間にというふうに、いろいろの設備をしつつあるのが現状なんです。といいましても、なかなか予算その他の関係で思うような進捗を見ておりません。そういうような関係で、あの小柳議員の発言を聞いて、その窮境を、傍聴に来ている下流側の一村長は、泣いて私に訴えたのであります。  そういうような実情でありまするから、この松原・下筌ダムがほんとうに上流者側の犠牲の大きい、またそれに対する当局としての配慮の措置は当然であり、また十分なさなければならぬと思うのでありますけれども、ただ、下流側が手をこまぬいて何らの犠牲もなくしてそういう利益を受けるというような認識を、もし関係委員の方なり何かが持っておられますと、私は大へんに事実と違うということを申し上げたのであります。それで、この問題解決に向かって、建設省側が非常な苦労をしておられることは、ただいまのお話でもよくわかるのでありますが、しかしながら、さっき私が読み上げました新聞記事にもありました通り、全く面会謝絶で話し合いの場というものはないのでありますが、今日までそういうような面会謝絶というようなことで、建設省側として事業の遂行のために法的な処置をとっておられるように聞いておりますから、その法的処置はどういうようなものをやられたかということを一つ承りたい。いわゆる土地収用法に関する法的な手続は、どんなふうに今日までとられたかということであります。

關盛吉雄建設事務官(計画局長)

○關盛政府委員 お答え申し上げます。松原・下筌のダムに関しましての起業者といたしましての地方建設局長から建設大臣に土地収用法によります事業認定の申請がなされまして、それを受理いたしましたのが昨年の九月の七日のことでございます。この事業は、水没者が当時といたしましては非常に多いので、事業認定の手続を進める前になお地元の方の了解を得る適当な方法を講ずべきであろうという考え方のもとに、十月の二日と十月の十九日の二回にわたりまして、筑後川の改修期成同盟会の代表者である久留米市長さんが室原さんに面会を求める等の手段を講じて、極力努力されたのでありますが、今、前段にるる御説明がありましたように、了解を得ることができなかったのでございます。従いまして、土地収用法の二十四条の規定に基づきまして事業認定の申請書を地元の縦覧に供するために、三十四年の十二月の二十二日に建設大臣から関係町村長あてに申請書の写しを送付いたしますとともに、熊本及び大分両県知事にも申請書の写しを添えまして地元の縦覧に供する旨の通知をいたしたのでございます。申請書の地元縦覧につきましては、熊本県小国町におきましては、三十五年の一月十三日ごろから二十七日までの間行なわれまして、一月の二十五日付で室原氏ほか四百七名から意見書が提出されまして、建設大臣に熊本県知事を経由してその書類の到達いたしましたのが今年の二月の十二日でございました。一方、大分県の四カ村におきます縦覧も、各村によりましては多少日時は違っておりますが、本年の一月五日から一月二十日までの間におおむね縦覧を終了いたしまして、関係者からの意見書が、大分県知事を経由いたしまして一月の二十九日に建設省に到達いたしたのでございます。それらの意見書の内容につきましては、法律に基づきまして事業の主体に対しましても意見を聴取する必要がありますので、このダム建設の事業責任である河川局と地方建設局にその照会をとっておりまして、二月二十五日にそのような手続をいたしたのでございます。その後その関係書類の整備を待ちまして一応認定の判断を行なう、こういうことになるのでございますので、今日までの段階におきましてはまだ土地収用法の規定によりまする事業の認定は行なわれておらない、これが実情でございます。

三池信自由民主党

○三池委員 今、事業認定に対する担当局長のお話を承ったのでありますが、私が非常に納得しにくいように感ずるのは、九州地方建設局においては、先ほど申したように面会謝絶で、何としても説得する機会も得られないというので、万策尽きて三十四年の四月九日に熊本県知事の許可を得て、いわゆる試掘、試錐の許可を土地収用法第十四条によって得て、五月十三日に、先ほど来話に出ました杉の木その他の準備行為に妨害のある障害物を伐採して、五月十九日に建設省側が現地におもむいて実際の試掘、試錐のための作業に取りかかろうとしたところが、地元の反対者側のすわり込みその他の妨害によって事が荒立てられ、不側のことが起こってはという考慮のもとに、何ら作業をなすことなく引き上げておる。そして三十五年二月二日に妨害排除の仮処分を申請して、二十六日には取り下げたというようなことを、現地の地方建設局においてはとっておる。そして三十四年九月七日に、今お話のように、建設大臣に対して事業認定の申請をしておるということでありますが、地方建設局においては、いわゆる建設省の一環である地建においては、もうすでに四月の九日に土地収用法によるところの熊本県知事の許可を得て土地収用法を発動しておる。ところが、第十四条によっては仕事ができない、所期の目的を達することができないという認定のもとにであろうと思うのでありますが、九月七日に大臣の事業認定の申請書を出しておる。ところが、地元縦覧をやりましたのは、それから実に百五、六十日後なんですが、その間、建設省としては何をしておったか。現地では土地収用法の十四条の発動において、いわゆる試掘、試錐の準備行為をやろうとしたけれども、反対者側の、ある意味においては実力とも言いたいような妨害によってその工事ができなかった。だから、大臣の事業認定によってでなければ仕事ができないという方針のもとに事業認定の申請をしたのにもかかわらず、地元縦覧ということをするために、九月から実に翌年の一月までの期間を必要とするのか。何のためにこういうような長い時間を、何らの手もつけないでと言いたいくらいな状態でそのまま放任されておったかということについて、私たちには、なかなか納得ができない。この点、どういうような検討をなされて、どういうことのためにこういうような時間を空費しておったかということを一つ御説明願いたい。

關盛吉雄建設事務官(計画局長)

○關盛政府委員 ただいま御質問のありました建設省としての、土地収用を所管いたしております建設省と事業をやる所管の地方建設局との間において実際の計画の実施について、何か土地収用法の認定手続の進め方について、非常にギャップがあっておかしいではないかいうことに関連した御質問でございますが、土地収用法の第十四条の規定によります起業者の試掘、試錐等の行為に着手する手続関係は、これは土地収用法に該当する事業の準備行為でございまして、これは必ずしも事業認定という行政処分に関係なく実施できる行為でございます。従って、地方建設局におきましては、三十四年のダム予算におきまして、ダムの計画を立てます際に行なう調査につきましても、できるだけ地元の納得の形で試掘、試錐ができるようにという建前で折衝せられたようでございますけれども、十分その効がないので、やむを得ず十四条という形で試掘、試錐の調査を始めることについて、土地収用法のその関係の許認可権を持っております知事の許可を得まして行なうこういうことになったのでございまして、この行為とただいま御質問のございました土地収用法の事業認定の手続とは、また別でございまして、事業認定につきましては、お話のように、建設省において申請書を受理いたしましたのは確かに昨年の九月の七日でございました。従って、この当時は大臣とも相談いたしまして、当時の実際の状況といたしましては、できるだけこの地元の了解を得るための措置を、事業認定の手続を進める前提行為としてまず地元縦覧という手続がございますが、その前に、もう一ぺんやった方が一つの方法としていいんじゃないか、こういうような考え方のもとに、先ほど申しましたように、久留米市長等の地元の有力な方が、室原氏に面会を求める等の手段を二回にわたってもおとりになるということで、時間を費やしたのでございますが、その結果の判断によりまして、十二月の二十二日に縦覧の手続をとるということに決定をいたしまして、それから法律の規定によりまして所要の準備を進めて参ったのでございます。

三池信自由民主党

○三池委員 今の局長の御答弁は、私は地先、いわゆる起業者であるところの地方建設局が熊本県知事に第十四条の申請をしたということと、大臣の事業認定というこの問題とは何も関係があるなんということは申し上げていない。私が御質問しているのは、地元の局において第十四条によってやったが、どうしてもできなかった。実力的な妨害によって試掘、試錐の工事ができなかった、その作業はできなかったということの前提に立って、大臣に事業認定書を提出しておるにもかかわらず、それが三十四年の九月七日であるにかかわらず、地元縦覧ということをなぜ四カ月以上にわたってそのまま放置しておったのか。その間に何の検討をし、どういうことがなされたかということを質問しておるのです。事業認定書が九月七日に出て、そうして地元縦覧をやったということは、話し合いを拒否するわけでも何でもない。結局は事業認定というものは大臣が判を押さなければ、承認をしなければ事業認定というものは結果がないのでございます。認定しているというわけにいかないのであります。認定をする準備行為として地元に縦覧させるということは一日も早くやって、地元にどういう意見があるのか、あるいは地元がこの事業に対する認識を深めてくれることとしては、もう即刻にも地元の縦覧はやるべきではなかったか。にもかかわらず、四カ月の間も何のためにそれを握ったままにしておったか。その間に建設省当局として、あるいはこれの担当の計画局としてはどういうような検討がなされたか。こういうことを質問しているわけです。

關盛吉雄建設事務官(計画局長)

○關盛政府委員 先ほど申しましたように、事業認定の申請書の受理と申請書の地元縦覧の期間との間における間隔、この考え方といたしましては、要するに法律的な手続の内容としての時間の空費ではなくて、地元縦覧という行為でありましても、何か地元に対しまして一方において、大づかみに申しますと、さらに円満なる話し合いの方法を、もう一ぺん最後の努力をしてみた方がよくはないか。こういう行政的な別の判断がございましたので、その過程におきまして土地収用法の地元縦覧の手続は、仰せの通りに単なる土地収用法の事業認定の準備行為でございます。しかしながら、その事柄が、とかく土地収用法の事業認定で、もう収用するんだというふうな影響といいますか、そういう感じを地元に持たれる。法律的な解釈でございませんが、そういう感覚を持たれる傾向が多いのでございますので、それで、そういう考え方によって誤解されてもいかないということで、先ほど申しましたような筑後川の期成同盟会の会長さん等が近くそういう折衝もおやりになるまぎわでもありましたので、しばらくその結果についての様子を見守った方が、法律的じゃなくて適当じゃなかろうか。こういうことで、実は大臣にも御相談いたしまして、その間の時間の間隔があったのでございます。

三池信自由民主党

○三池委員 お話はわかりました。しかし、ここに私が申し上げたいことがある。それは、地元のいわゆる事業主である九州の地方建設局と本省のいわゆる事業認定などを担当しておられる計画局長あたりとの間に、この事業に対するところの認識あるいは決意というものの非常なズレがありはしないかということなんです。地方の建設局では、もうすでに三十四年の四月に土地収用法の一部であるところの第十四条を発動しておる。土地収用法でやりますぞということを地元には、はっきり明示して、それをやっておる。そうして、それが反対者側のいわゆる妨害によって遂行されない。だから、もうすでに土地収用法というのは出ておるのです。建設省のいわゆる現地第一線部隊は、もうすでに土地収用法を発動しておるのです。ところが、その十四条ぐらいのことではできないということで、それで事業認定というようなものを大臣に申請しておる。そういう段階になっても、なおかつ話し合いができやしまいか、どうしようかというようなことで、ここに四カ月の時間を空費した。そのいわゆる現地側と本省側との間にこの問題に対するところの考え方の相違がありはせぬかということが、私が申し上げたいところなんです。今や、この新聞にも出ておりますように、それのみならず、参議院でも取り上げ、大きくいいますと、実に天下の耳目を集中している建設事業におけるキー・ポイントの最も重大なところです。これに対して建設省自体の中において、現地側と本省側との認識の相違があったり、あるいはこれを遂行するところの手続において、その考え方に食い違いがあったりというようなことでは、私は的確なる処置を誤ると思う。このことがやがて建設省にとっては、建設行政の上においてこの処置を誤ったならば、それが禍根となって重大なる支障を起こしやせぬかということが私の一番心配している点なんです。しかしながら、私はこれを今ここで追及いたしまして過去を言っても実は始まらぬのでありますが——大臣が一時から参議院の委員会ですか、時間が非常にないし、また社会党の方でも関連質問をしたいという御希望の方があるようでありますから、私はほんとうはこの問題について、もう少し私の知っておりますことなり、あるいは希望なり意見なりを申し上げて、十分に説明をお聞きしたいと思うのでありますけれども、時間の関係で、途中で結論に一つ入りたいと思います。  現地では、これは前から当委員会などで問題になっております三月中に強行試掘、強行試錐をやるかどうかということが問題になっております。これは年度末とかなんとかというようなことを言っておられるのでありますが、そうじゃない。熊本県知事の許可の期限が三月の三十一日までになっておる。この期限内に準備行為をやらないと、もう許可の期限が切れてしまうのです。それで、そういうことをおそれて、地方建設局では再申請をしておる。しかし、熊本県知事は出さないかもしれない。もし熊本県知事がこの認可申請に対して許可を与えないとしても、これこそその責任は建設省側が負わなければならぬと私は思う。許可をして一年間何らなすところなく、なそうとしてもその妨害にあって手をこまぬいておるような、そういうような建設省に対して熊本県知事が、それじゃもう一ぺん許可しますということを言うか。言わなくたって、私たちが、それをなぜ出さないかといって責めるだけのことができるかどうか。私は、熊本県知事はそういうことを考えておられると思う。それは、結局建設省がこの事業をほんとうに遂行しようとする熱意があるかどうか。熱意があるならば、なぜ事業認定を出さないか。出先機関の土地収用法による処置に全部一任しておいて、そうして本省側はのほほんとしておるような、そういう熱のないものに、地元の県知事が片棒かついで責任をとらなければならぬような、そういうことはまっぴらだというような気持になられても、私はこれは責めるべきことじゃないと思う。  それで、結論に入るのでありますが、きょう、反対者側の一方の指導的な室原さんが参議院の建設委員会に参考人として喚問されて、この前は来られなくて、今度はお見えになっておるそうでありますから、大臣はその委員会においてあるいは室原さんのほんとうの意のあるところを御承知になる機会があるかもわからない。あるいはまた、どういうことを言われるかわからぬのでありますが、しかし現段階において、私はもう室原さんと話し合いをするなどということは、とうていできないという認識に立っておる。この前の参議院の委員会において、大分県知事が最後の努力を二十日までにやるといって、関係三県知事において面会を申し込まれたけれども、それは拒否された。もう私は、万策尽きた。起業者であるところの地建においても、省においても、円満に大臣がほんとうに話し合いで、これは国家的な事業であるけれども無理をしないでやろうという、そういう真意を向こうに伝えるよすがもないし、たといわかっておっても、がんとして受け付けない。あらゆる努力をし、あらゆる方策を講じても、今の段階においては、もう決して一話し合いをするということは不可能になっておると私は思うのであります。ですから、ここにおいては、この国家的な事業を中止をするか、あるいは計画変更ができるものなら計画変更をするか、いわゆるその反対にあって敗退をするのか、強行突破をするのか、この断の一字にあると私は考えておるのであります。それで、下流側の熱望もさることながら、今日まで非常な犠牲をしのんで、大分県側の賛成者の人たちはしんぼうしておられると思う。聞くところによると、学校も改築しなければならぬ。いろいろ新農村計画もやらなければならぬ。しかしながら、ダムができればそういうことを今やって不要な経費をかけべきではないというので、しんぼうしておられる。もうしんぼうし切れないのであって、何を建設省はしているのだということが、今までの協力態勢の白紙還元という結果になっておると私は思うのであります。これは、もうすでに限界にきておるにかかわらず、建設省は何をしているのだ、優柔不断ではないか。私はそういう鞭韃の意味があの白紙還元の決議書の中にはあると考えておるわけです。ですから、ここで一つ大臣は、もういろいろの論議は尽くされすぎた、一つ事業認定によってこの事業の遂行に、そしていわゆる国策的な立場における筑後川沿岸の百年の大計を立てられるように断固やってもらいたいのであります。きょうの午後の参議院の建設委員会において、どういうような結論が出るかわかりませんが、幸いにして室原さんが非常に協力的な意見になっておれば、もうこんなありがたいことはない。もし、そうでなくて、今までの態度に何ら変更の見るべきものがないとするならば、一つ早急に事業認定を出して、そして強行突破をしていただくように——強行突破といいますけれども、今の土地収用法は、どなたかの意見ではありませんけれども、決して生活権を無視したり、非常な損害を与えたりすることではないのでありますから、世論もすでに、むしろ大臣に向かって断を要望している機運が高まっていると私は思う。地元における声もそうでありまするし、新聞その他の論調もそうなんでありますから、一つここでは、国家のために大臣の断を一段とお願いをいたしまして、私の質問を終わりたいと思います。

村上勇自由民主党建設大臣・首都圏整備委員会委員長・北海道開発庁長官

○村上国務大臣 大へんどうも激励の御意見と、私は喜んで拝聴いたしております。事業認定を地方の方から申請されたものを許可しなかったのは、ただいま計画局長からお答えがありましたように、私としてはできる限り、この事業認定による方法をとって参りますよりも、話し合いの方が、今までの例から申しましても非常にスムーズに進んでおりますし、この問題につきましても、すでに大分県側の非常に多くの犠牲者はこれを了解されて協力的な方向に参っておりましたので、わずかな方々もいずれはこの重要性を御認識されて、不日必ずわれわれの目的が達成できるものと、かように考え、またそうあるべきことが、無理にお願いする方としては、そういうような穏健な措置の方がいい。こう考えておりましたので、一応、今御指摘のあったような経過をたどったのであります。しかし、立ち入りについては熊本県知事の許可をとっておりますので、私どもとしてはひどい妨害がない限りは、立ち入りに対しては、これは遠慮なくその調査を進めることができるのでありますから、これも実は非常に強硬な反対をしておるということを察知いたしておりましたし、私としては、万一暴力的な行為でもあった場合には、また取り返しのつかないことにもなることをおそれまして、今日まで私は隠忍自重して、少しでも早く御了解できるということを待っておったのであります。  しかし、こうして委員会で質疑応答しているときにも、私としては、これが三十八年なりあるいは三十九年という、この時期には完成するという国が予算措置を講じており、もしも三十八年に完成するようにというその計画が三十九年の秋になった。三十九年の夏に万一二十八年のような大災害を受けた場合のことを考えますと、私もただ単に隠忍自重で、どこまでも反対者のごきげんをとっているというわけにもいかないのであります。従って、私はその計画を遂行するその時期はいつかということについては、私も慎重にこれを検討いたしております。少なくとも八十七万六千人のこの民生を安定させるためには、少数の人たちにはお気毒ではありますけれども、ここに十分理解と協力を求めなければならない段階に立ち至っておるだろうと私は思います。これは国家権力というようなものではなくて、国民権力であろうと思います。民主主義の原則は最大多数の最大幸福でありまして、その多数の人たちのためには、また少数の——私は犠牲という言葉は使いたくない。決して犠牲にさせたくない。どこまでも国が最善の方法をもってその人たちの気持に合わしていきたい。こういうような考え方を私は持っておりますので、時期、方法等につきましては、万事一つ私どもの方へおまかせ願いたいと思います。

羽田武嗣郎自由民主党

○羽田委員長 兒玉末男君。

兒玉末男日本社会党

○兒玉委員 ただいまの御質問に続きまして、これに関連する問題としてお願いをしたいと思うわけであります。  先ほどから三池先生のいろいろな質問を聞いておりまして、特に私、感じますことは、われわれ九州出身の社会党の議員といたしましても、決してこの治水計画に対しまして絶対反対という立場をとっているわけではないのでございますし、また、私も一昨年の八月建設委員としまして、筑後川の水域の状態はつぶさに視察する機会を得ましたし、また二十八年災害当時の非常にさんたんたる情勢等につきましても、当時の新聞、ラジオ等を通じ十分理解し、また現地における関係議員の説明に対しましても、その甚大さを十分に理解をいたしておるわけでありまして、決して私どもはこのダム建設の問題につきまして、何でもかんでも反対というような立場に立っておるものではないのであります。  この点につきましては、先月の二十六日の建設委員会で、私も大臣並びに河川局長にも質問申し上げたわけでありますが、問題のポイントというものは、やはり今いろいろと新聞等を通じて報道されておりますように、いわゆる上流のダム建設地域の住民と、それからこの下流にある、先ほど言われましたような八十七万の流域住民の利害というものが、根本的に対立はしていないと私は思うわけであります。そのことは、このダムを作ることによって、それだけ住民の生命財産が保障される。こういうことで十分な理解と納得のいく説得工作を続けるならば、今反対の立場に立っている人たちといえども、人間である以上、お互いの同胞の利益を守るという立場でいくならば、この問題の解決は決して不可能ではない。このように私は判断をいたしておるわけであります。  こういう立場に立ちまして、今までのこの工事を進める上において、そういうふうなあらゆる角度からの地域住民に対する、反対してしている地域における人たちに対する説得活動、あるいはそういうような了解工作、こういうことについて、具体的にどのような努力をされておるのか。この点について、要点だけでも一つお答えをいただきたいと思います。

村上勇自由民主党建設大臣・首都圏整備委員会委員長・北海道開発庁長官

○村上国務大臣 もとより、国の要請でありましても、個人の財産権というものを一部割愛していただくということでありますれば、われわれとしては十分手を尽して、そうして理解の上、協力を仰がなければならないということは、言うを待たないのであります。今回の下筌ダムの一部の関係者につきましては、面会しようにも、いかなる方法をもってしても面会しない。それから、熊本県知事寺本氏に私からも懇々とお願いして、もしも幾軒かの人たちの移転先等について、相当金もかかると思うが、しかしそれについては知事におまかせするから、できる限り御本人たちの希望を聞いて、金はかかっても、かわってよかった、災い転じて福となったというようにやってあげたいということを申し上げまして、熊本県知事からもいろいろな注文がありました。熊本県側としては一つも利益がないのだから、一つ熊本県に協力してほしい、こういう点も熊本県の要望をいれてほしい、そうすれば私は必ず説得いたしますから、というような、自信のある言葉を聞いて、私は熊本県知事の言うがままに、その程度のことは十分考えていこうというようなことで別れて、もう五カ月にもなります。熊本県知事は現地に参りまして、その当人のところへ行ったが全然会えなく、面会謝絶です。話によれば、川向こうから、何か拡声機で話しかけたそうでありますけれども、これは全く不得要領に終わったようであります。その後、これらの問題について説得者が参りましても、説得をする者に対しては絶対に会わない。先般も社会党がわざわざ、この忙しいときに現地を調査して下さって、もし、かりにこういう場合にはどうするのだというようなことを言った議員さんがあると、その議員さんに対しては、もうここにおるな、出て行けという態度に出たということを、これはあとで聞いた話なんですが、聞きました。  ともかく、それは別としても、だれが行っても、説得に来る者に対しては会わないのだ。これでは、今兒玉委員の御指摘のような——私ども、たとい公の福祉のためであろうと、国家が必要であろうと、あるいは八十七万六千人の人を助けるためであろうと何であろうと、個人の財産権というものを関係のない人から使わしてもらうということになれば、どこまでも礼を尽くして、その意のあるところを十分聞いて処置することが、これは常識でもあるし、また今日国家権力などというものは振り回せるわけのものでもなし、私としては、そういう常識的な考えに立って解決したいと思っておったのでまありすが、しかし全然会わない。また意見もないということでは、私としては、もうとうてい方法がないということに尽きるのであります。

兒玉末男日本社会党

○兒玉委員 私のお聞きしたい問題点は、作業の過程において、こういうふうな面会拒絶という情勢が生まれてきたのじゃないかと思うのです。下筌や松原地区にダムを設定する、当初の計画を実施する以前の段階においてその話し合いが持たれたならば、決してこのような事態にはならなかったのじゃないか。いわゆる建設省側のこのダム設定地点に対して、調査等に関する一切の行動を開始する以前の話し合いというものは、決してこういう状態ではなかったのではないかと私は思う。いわゆる途中の作業過程において、地域住民の感情を非常に阻害するようなことが、この一切の面会拒否というふうな結果に発展したのじゃないかということを私は聞きたかったのです。一定の作業計画実施以前の状態においても、最初から全然話ができなかったのかどうか。この点を私はお聞きしたがったわけですが、その辺はどうですか。

村上勇自由民主党建設大臣・首都圏整備委員会委員長・北海道開発庁長官

○村上国務大臣 何でも、昭和三十二年ごろまでは会ったし、非常に協力的であったように私も聞いております。しかし、それが突如として変わったということについて、どういう意味で変わったのか。もしも建設省の用地の交渉係なり、あるいは現地の工事事務所の者に不都合な行為があって、非常にしゃくにさわったから、建設省の者には口をきくのもいやだということであるならば、そういうことを第三者にでも訴えて、建設省の者にはもう口をきくのもいやだ、こういうことがあって自分を非常に侮辱するようなことがあった、ということを指摘されて面会しないならば、それは私は、工事事務所長に不都合があれば、たとい役人であろうと、どこまでも地方の河川部長なりあるいは建設局長なりに了解を求めにやります。しかし、そういう理由も何もなくて、ただ会わないということであります。  それから、その理由の一つの中に、何か八円の切手一枚で自分を処理したというようなことも聞いておりますが、それはともかく、ダムはいかにして必要であるかという一つのパンフレットを配ったようでありますが、それはどこにも八円の開封切手で出しておりますので、あえて室原さんだけにそういう処置をしたものでもなし、また説明会あるいは何々と言って呼びかけた際に、来てくれればいいのですが、絶対に来ないので、そういう郵便物による措置よりはかなかったということであります。いろいろ、そういう点を取り上げて抗議書の中にありますが、これは私は単なる言いがかりであって、それが一つの面会拒絶の理由だとは常識的に考えられません。もちろん、建設省の役人だからといっても、人間ですから、あるいは下からバスで一時間以上もあの悪い道を行って、それで室原さんに会おうと思ったところ、門口で、面会謝絶だ、こう言われれば、やはり若い者とすれば、何で会ってくれないかと、多小そういうような点も、あるいはあったのじゃないかとも私は思います。そういうことがあったら、あったように、そういうことがあったから会わないのだ、という理由をあげて下されば、そういう点について、もしも建設省にあやまちがあれば、それぞれ、そのあやまちをただしていくということは、私は何ら意に介しておらないのでありますが、今日のところ会わないし、他の人を頼んでも会わない。今回も大分県知事、福岡県知事、それから佐賀県知事の三人が、せめて三県知事にだけでも会ってほしい、反対でも賛成でも、そんなことはいいから、一度会ってくれ、ということを申し入れたようでありますが、今月の十七日までに会見するということでありましたけれども、そのことも徒労に帰したように私は聞いております。  そういうことでありますので、ほんとうに私ども冷静に判断して、そして御本人が、これからでもおそくないから、何とか一つ協力しようということになって下されば、これにこしたしあわせはないのであります。ただしかし、協力はするんだが話し合いしよう、いつまでも引き延ばしておくんだという態度であれば、たとい話し合いをするにしても、私としてはその話し合いに応ずるわけにいかない。ただ単に引き延ばしならば、私としては考えなければならぬ。そういう段階にまで今追い込まれております。

兒玉末男日本社会党

○兒玉委員 参議院の方の予定があるようでありますので、あと二点だけに限定して御質問さしていただきます。  第一は、現在の情勢から申しますと、下流の福岡県、佐賀県等の住民の方々と、それから今反対に立っている下筌ダムの地域の方々と、非常に感情的な動きになりつつあると思う。ですから問題は、過去何百年か何十年か知りませんが、筑後平野の流域の住民が非常に損害を受けているわけであります。この本質というものは、国の治水計画の貧困に最大の原因があるのであって、今ではあたかも下筌ダム設置に反対する地域の人たちに過去のすべての不満というものが集中せられ、あるいは現地調査に行った社会党の調査団にその不満がすりかえられようとしておることは、きわめて遺憾であると思います。下筌ダムに反対している人たちに対しましても、われわれはやはり下流の佐賀や福岡の住民の利益を守るという立場に立って、よりよい方法をもってこれが解決をしなければならないという、そういう建設的な立場にあるということを特に大臣も了解していただいて、下流の佐賀やあるいは福岡県等の住民の一方的な意見だけによってこの問題の処理はできないということも、十分理解していただきたい。決してわれわれは、これに何でもかんでも反対の立場でないということを十分一つお含みいただきたい。  第二の問題としては、本日参議院において室原氏のいろいろ意見聴取等も行なわれるそうでございますから、またとない機会であろうと思いますので、法的な立場なり、そういう感情的な問題、あるいは過去におけるところのいろいろな両者間の意思の疎通を欠いた点、また将来に対するところの下筌ダムの効果、あるいは下流の住民に対する利益、そういうような総合的な立場から、私は、十分に理解と納得のできるような説明を大臣がしていただきたい。このことを特に要望して、最後的な大臣の見解を伺いたい。

村上勇自由民主党建設大臣・首都圏整備委員会委員長・北海道開発庁長官

○村上国務大臣 この問題で、特に社会党の方々がわざわざ現地に行っていただいて、今まで会見もしなかった者が会見してくれ、そしてその中では、社会党の方もずいぶん室原氏に対しては痛いところも言われたようであります。しかし、それがかえって、室原氏にやかましく言われるくらいになったので、そこで、ある程度言葉を合わせた点もあろうと思いますが、社会党の方もこの問題については非常に心配していただいて、一刻も早く解決するようにということであることは、これはもう全くその通りであって、私は衆議院でもそうでありますが、参議院でもこの点については感謝いたしております。  下流の人たちの問題は、私は下流の人が少し眠っておるのじゃないか、というくらいに考えておったのですが、下流の人の話を聞いてみますと、向こうが反対して面会もしないというときに、それぞれ関係市町村長がみんなで隊を組んであそこに頼みに行ったら、かえって刺激して悪いのじゃないかという遠慮もあったそうであります。それから、杉本久留米市長は、わざわざ行って室原氏にも会ったそうでありますが、なかなか、杉本さんといえども説得ができなかった。今下流では、社会党の鳥栖の市長——杉本さんも社会党ですが、これらの人は非常に真剣に心配して、先般も県庁に押しかけて、そして県議会一致の決議をとったというようなことでありまして、その誠意のほどは、私ども十分感謝いたしております。  それから、治水計画については、これは日本のまだ何もないときに作った。測候所もなければ何にもないときです。あるいはまた、その後、明治二十二年にはそれができて、その規模等も、六千トンならば大丈夫だという計画を立てた。そのときの技術とか科学的な調査等によって作られたものでありまして、今日の進歩した時代からこれを再検討してみると、二十八年の大災害から考えましても、これではならぬということになったので、これは、すでに明治以前から日本のこういう河川に対する知識が乏しかったということであります。今急にそれらを私どもが批判してみても、やむないことでありますが、私どもは十分科学的に見て、何とかして、これらの非常に多くの人たちに影響を及ぼす地点でありますので、できるだけ抜本的な治水対策をして、地域住民に安心してもらえるようにということを念願して計画いたしておりますので、この点につきましては十分御了承のほどをお願いする次第であります。  それから、先ほどの参議院におきましての本日の参考人の問題につきましては、私も十分、ただいまの御意見の通り、これを尊重して、私に、もしその機会がありますならば、私は十分説得してみたいと思っております。

羽田武嗣郎自由民主党

○羽田委員長 次会は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。     午後一時十八分散会

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