決算委員会 第15号
- 発言数
- 61 件
- 登壇者
- 8 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1960/04/01
会議録
○鈴木委員長 これより決算委員会を開会いたします。 前会に引き続き、国会の決算審査に関し、参考人より御意見を伺うことにいたします。 本日御出席いただきました参考人は、東京都立大学助教授小島和司君、東京大学教授杉村章三郎君の御両名であります。参考人各位には、お忙しい中を御出席いただき、まことにありがとうございました。 国会の決算審査に関しましては、新憲法となりましてからも、第一回及び第七回国会において取り上げられ、参考人の方々より意見を聴取するなど、種々検討を加えられたのでありますが、まだその結論を得ておりません。 当委員会におきましては、国会が国権の最高機関となり、特に財政に関しては、国会中心財政の原則をとっている新憲法下におきまして、国会の決算審査が、旧憲法下と同様でよいかどうかについて根本的に検討を加え、もって国会の決算審査を権威あらしめたいと、党派を越えて鋭意問題の究明に努力いたしておる次第であります。 参考人各位におきましては、それぞれのお立場より、国会の決算審査に関し、決算の確定に関する問題、内閣の国会への提出に関する問題、会計検査院の検査報告中心の審査方法に関する問題、決算の議決に関する問題、決算の後会継続に関する問題などについて、忌憚ない御意見をお述べいただきたいと存じます。 なお、小島参考人には、特に外国における決算制度並びに決算審査の方法に関し、触れていただければ幸いに存じます。 それでは、これより両参考人の御意見の開陳を願うわけでありますが、大体お一人三十分程度の御意見の御開陳を願い、そのあとに両参考人に対し委員よりの質問があれば、これを許したいと存じます。 それでは、まず、都立大学助教授小島和司参考人より御意見を伺うことにいたします。小島参考人。
○小島参考人 委員長から、外国の決算制度などについても触れてほしいというお話でございましたが、非常にたくさんの問題がございますので、その中で中心的と思われるものを取り上げながら、お話ししたいと思います。 中心的なところをお話しいたしますと、あとの問題はおのずから解決されていくのではないかと考えるからであるわけですが、実は、日本の明治憲法時代以来今日までやっておりますような決算審査のやり方というのは、非常に異例と申しますか、外国の制度と比較して、珍しいものであるわけです。大きく外国の制度を見ますと、決算の審査には二つのタイプがあるというふうに考えていいように思います。 第一のタイプは、決算審査について一番初めに完成した組織を作り上げましたフランスでありますが、フランスでは、会計年度が終わりましたあとで決算を作りまして、これを会計検査院に提示して、そこで認定を受けます。政府は、会計検査院の報告と決算とを議会に提出して審査に付するわけですが、議会は決算法——正確にはロアー・ド・レーグルマンと申します。俗称はロアー・デ・コムトと申しますが、正式にはロアー・ド・レーグルマンという、決算法というものを議定いたしまして、そうして決算について政府の責任の解除をやるとか、あるいは決算の残額に関する処理をきめるとかいうようなことをやるわけであります。このフランスのタイプと申しますものは、会計検査院はかなり裁判所に近いような独立的機関でありますことと、最後には法律を作って締めくくるという意味で、一応法的な統制と言っておきましょう。 それに対して、第二番目の全然違うやり方というものは、イギリスのやり方でありまして、これは法的な統制と比較しまして、政治的な統制というふりに言ってよいかと思います。やはりここでも決算に対する認定というものはジ・エクスチェカー・アンド・オーデイット・デパートメントという特殊な機関を作ってやらせますが、このデパートメントというものは、実は下院に対して責任を負うという機関でありまして、いわば下院の補助機関たる地位にあるわけであります。従いまして、この補助機関たる地位にあるデパートメントの作りました報告は、下院のパブリック・アカウント・コミッティ、決算委員会に直接出される。フランスの場合には、政府を通じて出す。イギリスの場合には、直接に決算委員会に出される。決算委員会は、これを受けてどうするかといいますと、これについて審査をするだけで、実は下院としての議決にかけるということもないわけでございます。ですから、従ってフランスのように、あとで決算法というようなものを作るということもないわけであります。そういう意味で、イギリスのタイプは、政治的な統制というタイプに属するものと考えてよいかと思います。 こういう二つのタイプが決算の審査についてはあるわけでございますが、では日本のはどういうことになるかと申しますと、実は会計検査院というものが、憲法でことさらに規定されておるわけであります。これは単なる国会の補助機関というよりも大きな意味を持っておるだろうと思いますが、さらに憲法の規定によりますと、会計検査院の決算報告というものは、内閣を通じて出すわけであります。ですから、これはイギリスのような国会の補助機関という地位ではなくて、フランスのような独立的な機関であることを憲法は予定しているというふうに考えることができます。従って、会計検査院についてはフランス型である。では、そういう決算と決算報告とを受け取ったあとで国会はどうするかということにつきましては、これまでのやり方は、御承知のように、フランスのように、ことさら決算法を議決するというようなことはありません。両院それぞれがこれについて意見をきめるというわけです。少なくとも議院の議決になるという点ではイギリスとは違うのですが、最後の締めくくりの点においては、フランスと重みが全然違うわけでございまして、国会の扱いは、むしろイギリス型に近いものであるということが言えます。そういうちぐはぐなことに、今の日本の制度はなっているわけであります。 では、なぜそんなことになったかということでございますが、これは御承知のように、今の扱いは、前の憲法のときにそういうふうにしていたから、そのまま慣習が続いているだけにすぎないわけです。では、なぜ前の憲法のときにああいうふうにしたのかということ、これをお話ししてみたいと思います。 実は、前の憲法の起草の事情を少し簡単に申し述べますと、この点がはっきりいたすかと思いますので、その点について触れますと、一番初めに憲法を作ります場合に、伊藤博文が中心になりまして、井上毅、これはあとで法制局長官になった人、伊東巳代治、これはあとで枢密顧問官になった人ですが、そういった人が助手として憲法を起草したわけです。そういう首脳が憲法を起草する前に、実は大蔵省が、憲法について、財政の章にどういう要求をするかということについて、大蔵省案ともいうべきものがあります。これは現在伊藤博文家の文書の中に残っているわけでありますが、これを見ますと、こう書いてあります。「毎年国会開会ノ際会計検査院ノ審査ヲ経タル前年度ノ歳計決算ヲ両院ニ報告ス」。前の憲法を作ります場合の大蔵省案は、「報告ス」です。しかも、立法趣旨がちゃんと書いてございまして、「歳計予算ヲ予定法律ト為ストキハ其決算ヲ決定法律ト為スヘキハ道理上無論ナルヲ以テ仏国等ニ於テハ之ヲ法律ト為シテ議定スト雖トモ英国其他ニ於テハ必シモ敢テ然ラサルモノアリト聞ク、故ニ本邦ノ如キニ在テハ必シモ之ヲ法律ト為スヲ要セス両院ニ報告スルニ止マルヲ可トス」というわけで、大蔵省案は、両院に報告するを可とするというわけであったわけでございます。そういうものも参考にいたしまして、初めに前の憲法起草を手がけましたのは井上毅でございまして、この井上毅が中心になりまして作りました甲案、乙案という案があるのですが、いずれにもこう書いてあります。「歳出歳入ノ決算ハ毎年会計検査院ノ審査報告ト併セ両議院ニ付シ其承認ヲ経テ之ヲ完結ス」。「両議院ニ付シ其承認ヲ経テ之ヲ完結ス」です。しかし、今のような各院ばらばらなのかといいますと、実は、この甲案、乙案について、予算のところを見ますと、予算も「両議院の承認を経て」と書いてありますから、予算と同じようなやり方で決算というものは完結すると、井上毅は考えていたように考えられるわけです。ですから、井上毅の甲案、乙案というのは、大蔵省の考え方を否定したというところに意味があります。その後、実は当時の政府の法律顧問であるロエスレルから憲法草案が提出されたわけですが、ここでもこう書いてあります。「政府ノ義務ヲ免カレシムル為通常会毎ニ之ヲ国会ニ提出ス」ということで、これも両院共通の議案になるのだということになろうかと存じます。 しかるに、途中で井上毅が少し憲法制定について腹を立てたことがございまして、中心的役割から離れる時期があるわけですが、その時期に憲法起草の中心人物になったのが伊東巳代治でございます。伊東巳代治の作りました草案は、こうなっております。「歳出入ノ決算ハ会計検査院之ヲ審査確定シ其審査報告ハ証明書ト共ニ之ヲ帝国議会ニ付ス」。「帝国議会ニ付ス」だけでもって、議決があるのかないのか、そういうことはここでは全然わからなくなっているわけでございます。こういう案が伊東巳代治によって作られて、しばらくたちますと、井上毅が少し気持を変えまして、また憲法の起草に参加することになります。気持を変えて参加したときに、すでに伊東巳代治などによる仕事が進んでおりましたものですから、井上毅は、その案を借り受けまして、逐条意見というものを作っております。これはそれまで、要するに井上毅がはずれておりました時期にできた条文に、一条々々意見を述べているわけですが、その逐条意見を読みますと、こう書いてあります。「各国ニ於テ決算ヲ議院ニ付スルハ或ハ其承認ヲ取ルカ為ニシ或ハ決算法トナシテ公布スルカ為ニスルナリ。本条ニ」——というのは、要するに伊東巳代治の作りました条文ですが、本条において「之ヲ議会ニ付スト云テ議会ハ何等ノ目的ヲ以テ受取ルヘキコトヲ謂ハス」、何にも言ってないわけです。「思フニ議会ニ付スルハ予算ヲ議決スル為ノ参考トナシ決算ヲ示スノ意ナルヘシ果シテ然ラハ其意ヲ明言シテ以テ将来ノ疑義ヲ断ツヘシ」。何のために出すのかはっきりいって、将来の疑義を断てということをいうわけです。それからさらに「然ルニ予算既二議会ノ承認ヲ経タルトキハ決算亦必其承認ヲ以テ之ヲ完結スヘキハ事物始終ノ当然ナルニ似タリ」。あくまで井上毅は、決算も両院交渉の議決が要るということをここで主張しているわけです。こういう伊東巳代治の案に対する痛烈な批判と自分の主張があったわけですが、それ以後、実はどんな文書を調べましても、この点につきましては、もはや争いがありません。そうして一体何のために提出するのか。ただ「提出する」だけで、このような明治憲法第七十二条になったわけでございます。 今そういう現存の資料をあとで見ますと、おそらくは憲法起草者はこう考えたのじゃなかろうかと思います。要するに、両院交渉の議決に付するということを井上の案でははっきりいっておりましたが、これははっきりさせない。しかし、単なる報告でいいか、そういうふうに踏み切ったかというと、そういうふうにも踏み切っていたのではなかろうというふうに考えられるわけであります。おそらくは後の運用にまかされたのではなかろうかと考えます。この点は、実は前の憲法が発布されましたあとで、いろいろな人が解説書を書いているわけです。当時新聞がすべて解説書を書いたのですが、あの七十二条について、たとえば朝日とか、読売とか、時事新報とか、日日とか、絵入朝野とか、郵便報知とか、そういったいわゆる大新聞が、解説を書いたのです。その解説を見ますと、いろいろな読み方をしているわけですが、これははっきりせぬ、こういう当時の読み方、これが一番すなおな読み方であるし、しかも、起草者の一つのねらいだったのではなかろうかと思われるわけです。従って、憲法が施行されましても、実は、政府部内には二つの考え方が出て参りました。御承知のように、伊藤博文の名前で発表されました憲法義解、これは井上毅が筆を入れて書いたわけです。従って、憲法義解の中には、決算というのはあとで国会両院の承諾が要るということが見えておるわけであります。これは、井上だったから、そういうものが見えます。それから、当時若い役人で添田壽一、これはあとで大蔵次官になりましたが、そういう人も、やはり同じようなことを書いております。それから事務局で作成されました資料にも採録されておりますが、これはもう少しあとになりまして、衆議院の書記官長をしておりました水野遵という人も、やはり決算というのは、両院交渉の議案として議決が要るのだというようなことをいっているわけであります。 さらに、御承知のように帝国議会におきましては、第六回の議会、すなわち、初めて決算を審査する場合に、議決が要るということを決算委員会では一応きめまして、そういうことを議院の議決にして確認しようとしたというような事件もあります。もちろん反対派もあったわけで、その反対派の意見が一番よくわかるのは、第八回の帝国議会での議論で、これもお手元にあります決算審査に関する参考資料(四)というところに書いてございますが、反対派が政府部内にもあったということになります。結局どういうふうにきまったかといいますと、結局この運営は閣議決定ということになりました。これはお手元の(四)の資料の初めから四番目、「大蔵大臣請議歳計決算ニ関スル件」——これは現在伊藤博文家の手に残されていて、これは宮内庁保管になっておりますが、そういう文書に出ておりますように、現在のような閣議決定になった。しかも、その閣議決定のやり方はどういうやり方だったかというと、実は大蔵大臣の要求で、大蔵大臣の線できまった。大蔵省はすでに前歴があるわけです。決算報告にしろという前歴があるわけですが、これを閣議決定をして了承したというようなことになるわけであります。 こういうふうに見ますと、憲法自身は、実はあまりはっきりしてなかったのではないか。これは当時有賀長雄という法学博士がおりまして、これは憲法の敏典なりとはっきりいっておりますが、そういうふうに倣典にしておいて、運用にまかせる。運用にまかせれば、結局大蔵省案が通ってしまって、これは政府の御都合主義で通ったということに一応なるかと存じます。 さて、明治憲法の話をそんなに長くいたしましたのは、その規定がほぼ今の日本国憲法に受け継がれているからなんです。もちろん、今の日本国憲法の九十条について申しますと、これは大体明治憲法七十二条を継承していると申し上げてかまいません。一つ気になりますことは、明治憲法七十二条では、会計検査院は決算を「検査確定シ」と書いてある。今のはただ「検査し」で、「確定」がないという点が違うわけでございますが、この意味は、実はあまり大した意味ではなかろうと考えられます。というのは、この確定という言葉が明治憲法に出たのは、おそらくこれはプロイセン憲法百四条というものに従ったのだろうと思いますが、プロイセンでは、確定があったって、あとで議会の議決、決算法というものにしているわけです。だから、ああいう言葉があったら、国会両院交渉の議案にならないなんということはないので、あってもなくてもそれは大した意味ではなかろう。現在の憲法ではなくなりましたが、じゃ、なくなったという点につきまして、なくなったから、確定というような行為はどっかの段階で必ず要るかといいますと、そんなものは必ずしも要らないし、もし要ると考えましても、国会が確定しなければいかぬとか、内閣が確定しなければいかぬとか、検査院が確定しなければいかぬとかいうことで、一義的に出てこないのであります。ですから、確定という言葉がなくなったということにこだわる論者がかなり多いわけですが、そういうことにそうこだわることはなかろうと思います。井上毅が明治憲法起草の過程で示しましたように、今の憲法は、何のために国会に出すかということは書いてありません。ほぼ明治憲法と同じような規定でありますから、これを解釈するにあたっては、明治憲法と同じように、将来の運用にまかされているのだというふうに考えていいのだろうと思います。 ついでに、今の憲法を作ります場合、アメリカ合衆国のGHQというのが非常に大きな影響力を持ったわけでございますが、GHQはどう考えたかといいますと、実はアメリカでは、こういう包括的な決算審査というような制度は発達しておりませんで、全然ないわけでございます。従って、日本のやり方を尊重して、従来のものをそのまま残したのだというように考えていい。憲法解釈としては、これは一義的にはきまらないので、あと運営は国会にまかされたというように考えていいと存じます。これが憲法論です。ですから、たとえば、必ず憲法上、決算について国会の議決というものがなければ憲法違反になるとか、あるいはそういうことをしたら憲法違反になるとか、そういうことは、もちろん一義的には出てこないというふうに考えるわけです。 従って、立法論ということになるわけでございますが、じゃどういうふうに国会がお取り扱いになる方が望ましいかといいますと、もちろん、この場合、明治憲法時代の取り扱いに拘束される必要はないわけです。政治機構全体がそれとは違った原理で動いておりますから、そういうものを尊重するということは、理由のないことでございます。この問題については、国会の財政に対する権限をどう考えるかによって決定されると思いますが、明治憲法のころは、こう考えました。財政処理というのは、そもそも行政権固有の権限で国会がこれに対してただ初めと終わりに関与するだけだというふうに考えたのですが、もう一つ、こういう考え方も、実は諸外国を見ると、成立します。すなわち、国会というものは、財政処理についで、初めから最後まで、財政がどうあるべきかということについての決定権を持っておるのだというような考え方、これは諸外国にあります。これは非常にたくさんの国で承認されておるところで、決算について決算法案など作りますところは、そういう考え方で、予算法、決算法、その間のすべて国会が決定権を持つのだという考え方なんでございます。 私は、実はどう考えるかという場合に、あとでお話ししたような考え方をとります。従って、決算の扱いにとりましても、両院交渉の議案という扱いにするのが適当であろうと考えます。もちろん、こういうことを考えます場合に、いろいろなことに注意をしなければいけません。それでもう少しフランスのことを例にとって注意すべき点をお話ししますと、まず第一に、フランスでは、予算というのは——先ほど井上の書いたものにも出て参りました、大蔵省の案にも出て参りましたが、予算というものは、初め予算法というのになります。これに合わせて決算法というものを作っているわけです。これで初めと終わりが符合しておるわけでございます。今の日本の憲法は、私個人は、年来、予算というのは予算法になるべきだという、そういう意見を持っております。私の意見に従えば、決算も決算法になるべきだということで、符合するわけですが、これは残念ながら私の意見というのは、むしろ少数意見ということで、現行法になっておりません。従って、予算をあわせて根本的に考え直していただくというようなことは、ここではあり得ないわけで、決算承認とかいうような、一予算と対応するような一つの法形式を考え出していただきたいということを、ここでは切望したいと思います。 次に、決算承認の法的効力の問題です。この問題は、よく両院交渉の議案とする意味がないという方は、法的効力がないじゃないかというようなことをおっしゃるわけでございますが、実は諸外国の例を見ますと、法的効力に三つ考えられます。これは決算制度を発生史的に見ますと、予算審議の対象ということがあるわけでありますが、これはあまり意味がありませんから、ここでは無視して、三つございます。第一の決算の効力は、計数の確定、数を確定するということです。この計数の確定というのは、それだけではあまり意味がなくて、むしろ法律にすることによって公表されるという、次の点に意味があるわけですが、しかし、フランスでは、特に計数の確定というのが非常に大きな意味を持っているわけです。それはフランスの歳出予算で項、これはシャピトルと申しますが、シヤ。ヒトルには三つの種類のものがあるわけです。そのうちの一つの種類の中に、こういうのがあります。概算的支出許容といわれる項、シャピトルがあります。これはたとえば公債とか年金とか訴訟の費用とか、民事の賠償のための資金のように、法律上義務づけられている、予算がないから出さぬというわけにはいかぬほど重要なものがあるわけです。こういうものは、一応目的だけ示しまして、金額というものは一応は目安のためにきめておきますが、この金額をこえて支出してもかまわない。これはフランス語でクレディ・エバリュティと申しますが、金額をこえて支出してもいい。その支出した金額は、野放図で天井なしかといいますと、その天井というものは、決算法によって確定する。ですから、議会の事後審査において確定するのだということを、フランスでは言っているわけです。ですから、フランスの制度というのは、予算のときに金額の天井をきめませんで、決算のときにきめるものもあるということで、ここでは非常に大きな意味を持つわけです。ベルギーも、そういうやり方を一九二六年までやっておりました。そういうところでは、決算というのは、予算ともうくっついて、前と後を締めくくるという大きな意味を持って参ります。日本ではそんなものはないから、では意味がないかと申しますと、実は若干あるように私は思います。現在の財政法三十三条ですが、項というものがあります。歳出予算の項は、原則としては彼此移用することを認めませんが、あらかじめ議決を受けたものは、大蔵大臣が彼此移用することができるということがある。これは国会の議決を勝手に大蔵大臣に移さしておいて、そうしてあとで国会はそれについて是認するとか是認しないということが何もないというのは、これはまるで白紙委任のようなものでおかしいわけで、フランス人が考えれば、おそらくこういうものは、あと決算法の制定のときに、議決を得て承認されなければいかぬというふうに考えるのだと思います。それから財政法にはございませんが、予算総則で、よく移しかえということが年来慣行として成立しているわけです。こういうものにつきましても、およそ不測の事故が起こったとき、これは官制の変化でございますが、そういうときに移しかえというものを白紙で委任しておいて、あとで何もチェックしてないというのが今のやり方でございますが、フランス人が考えれば、そんなことはなくて、こいつは、あとで決算法というものの議決のときに、初めてさかのぼって合法化されるといふふうに考えるわけでございます。こういう考え方をまず第一点日本では改めまして、ここに意味があるということにすべきではなかろうかと私は思います。 第二の論点、第二の決算法の法律効果というのは、政府の執行責任の解除ということでございます。これは財政に関する決定権はすべて国会にあるという考え方をとるわけです。従って、国会が財政についての執行を政府に義務づけている、政府はそういう義務を負担いたしまして、責任を持って財政の処理を行なうのだ、だから、終ったときに、政府にそういう執行責任を解除する必要があるのだというふうに考えるわけでございます。ドイツでは、先ほど申しましたクレディ・エバリュアティ、そういう慣行がございませんから、主として執行責任解除だけといいますか、この点を決算法の効果として期待しているわけで、ドイツの憲法には、特に執行責任解除のために国会に出すのだということが明示してあるわけでございます。ベルギーでも、このごろはクレディ・エバリュアティというのをやりませんから、この点が非常に強調されております。この辺も、日本のやり方としては大いに考え直して、そういう考え方をとっていいのじゃないかと思います。 第三の決算法の法的効力は、こういう問題です。実は一年間の会計をやっておりまして、残余額が出ることもありますし、不足額の出ることもあります。残った金はどう処分するか、足らなかった金はどういうふうにしてまかなうかという問題が出てくるわけでございます。フランスでは、この足らなかった金、あるいは残った金というものは、決算法でもって処分をきめる。だから、たとえば一九六〇年の予算なのだから、この財源は本年度の歳出に使うのだということでございます。日本では、この点ルーズにいたしまして、財政法の四十一条で、余りますと、翌年繰り入れがあります。足らなかったときの処置は、何も書いてございません。ああいうふうに当然翌年繰り入れというのは、明治憲法の時代からのやり方でございますが、これは外国とは少し違うルーズなやり方で、会計年度というものをあまり厳格に考えないやり方なので、この辺も改めていただきたい。やはり残余額の決済とか、あるいは不足額の充当というようなことは、決算法で処置するのだというふうにしなければならないように思います。 これが私の立法論でございますが、先ほど申し述べたところで少し飛ばしてしまいましたところを一点補足いたしますと、では、決算についての議決はどういうふうにするか。これは、予算と全く同じにするのが適当であると考えます。 その他いろいろ申し述べたいこともございますわけですが、時間が超過いたしましたので、もし質問でもございましたら、そのときにお答えすることにして、ただいまは責を終わりたいと思います。
○鈴木委員長 次に、東京大学教授杉村章三郎先生より御意見を伺うことにいたします。杉村君。
○杉村参考人 問題は、新憲法下における国会審査というものが旧憲法下と同様でよいかということが、一般的な課題になっておるわけであります。その点につきまして私の考えを述べる前に、およそ決算というものはどういう性格のものであるか、こういう点をお話しいたしたいと存じます。 決算は、その財政上の性格におきましては、ある特定年度の予算によって定められた収入・支出が、現実にどのような状態で執行されたかということにつきまして、政府から国会に提出する計数的な報告である。ここはあまり報告という言葉を正確には使っておりませんが、とにかく、政府から、その財政状態の現実の執行ということを報告することが、その内容をなしておる。だから、計数上から申しますと、予算は、収入・支出に関する予測であるというのに反しまして、決算は、現実の収入・支出の内容につきまして、確定した事実であるというふうにいえると思います。しかし、法律的に見ますれば、予算は、特に支出につきまして、事項なり時期及び金額につきまして、政府を拘束する一種の法規範であるに対しまして、決算は、過去の年度における政府の収入・支出行為に対する報告であり、それは一つの事実でありまして、法規範ということはできないと存じます。予算は、もちろんなるべく正確な計数の予測に立ってすることを必要としますが、決算は、全く個人の作為を加えない客観的正確な事実を表示するものでなければなりませんし、従って、作成者の誠実あるいは厳正な態度というものが、特に要望されるわけであります。予算が、法規範であり、同時に、来たるべき年度における政府の支出権を与えるという効果を持つものであるのに反しまして、決算が、そういように事後報告であるという結果としまして、予算が重要視されるに対し、決算は従来あまり重きを置かれておられなかった傾向があるわけでありますが、これはもちろん間違いでありまして、予算は、政府に対して支出権を与えますけれども、支出の義務を課するものではないのでありまして、年度開始後、事情によりまして、予定しておって支出科目の支出が不用となることもありますし、あるいは予定の金額よりも少ない支出額で足りることもありまして、決算はそういった過不足を総合する清算の役割を持つわけであります。また政治的に申しますれば、決算は、国民の血税の結晶であるところの支出というものに対して、国会、すなわち国民の代表者が、その執行者たる政府の責任を解除するという意味を持つことになるのであります。決算の政治的意味はとにかくとしまして、性格的に見まして、予算におけるいわば予測的部分を現実化し、確定するものであり、予算と表裏一体をなすものでございます。従いまして、予算につきましてとられた考え方なり制度の差異によって、決算の持つ意味が異なってくるわけであります。たとえば、企業会計方式による決算というものは、現在の国家予算の主要なる部分をなしております現金を内容とする消費会計方式に比べまして、企業の真の成果を表わす重大な意味を持つものであります。これに反して、消費会計制度の場合におきましては、要するに、誠実に予算の執行に当たったということを示すことになる意味を持つわけであります。 で、どのような予算方式がとられるにしましても、国家予算のような大規模の形態における決算が、非常に技術的な要素を多く持っており、また細分して緻密な事項の集積であるということは、明瞭でありまして、これの審査に当たる機関も、多数人の合議体である国会だけでは十分ということができませんので、そこで各国におきまして、議会のほかに、決算審査に当たる専門的な権威ある機関としまして、会計検査院というものを設けるのが通例でありまして、わが国も、明治憲法以来、決算審査につきまして、議会と会計検査院の、いわば二本建の方式をとっておるわけであります。 かように決算審査がその重要性を持っておりますから、その結果、二種の独立機関にその審査の任に当たらしめておるわけでありますが、この二つの機関における審査というものは、その性格なり効果において異なるものがあると考えます。すなわち、会計検査院の審査は、あくまで行政部内における審査たる性格を持つわけであります。すなわち、会計検査院は、専門的な行政機関としましてその任に当たるわけでありまして、その審査も、国会の審査のように、国民の代表者としてこれを行なうものではありません。もちろん、検査院は、憲法上の独立機関でありまして、見方によりますれば、現在徹底した三権分立主義をとった憲法のもとにおきましても、検査院だけは行政府からさらに憲法上独立した機関ということになっており、小さいながらも、一つの四権分立制というようなものの一つの機関を構成するということもいえないことはないと思います。これが検査院の検査を、いわば権威づけるものでありますが、しかし、それによって、検査院が国会の補助機関となるという意味ではなく、これはあくまで行政機関であるということを、それによって性格を変えるものではないと思います。従って、その審査も、行政機関としての意思表示でありまして、国会の議決とは性格を異にするわけでありまして、この両者は、従って、独立の意味を持っておるものと解せられるわけであります。また、検査院の権限の重点は、実質的には、検査の確認ということよりも、むしろ、検査の途上におきまして発見された会計上のいろいろな間違いというものを是正するという措置を、その重点としておるというふうに考えられるわけであります。で、検査院の権限につきましては、ここに問題点として提起されておりますいろいろな事項がございますが、この点につきましては、後に時間がございましたら申し上げることにいたします。 次に、決算の審査につきましての国会の権限の問題であります。この決算の権限につきましては、小島参考人が述べられましたように、旧憲法時代からその取り扱いが変わっておらないという点が指摘せられるわけでありまして、両院各別に政府が決算の提出をし、各別にこれを議決する、そういうような方式をとっており、両者が国会として一致した議決をするということをいたしておらないわけでありまして、この点につきましては、現在の憲法のもとにおきましては、言うまでもなく国会中心財政主義というものがとられておるわけでありますが、そういうような新しい憲法のもとにおきましては、決算につきましても、国会が一致した、国会として統一した見解を表示すべきである、こういう議論があるわけでありまして、これはまことに傾聴に値する議論であろうと思います。しかし、この議論につきましては、多少問題があろうと思われるのでありまして、それは第一には、この決算につきまして両院の一致の議決を経なければならぬとしますと、その場合に、まず第一点としましては、どちらを先に1衆議院を先に提出すべきか、あるいは参議院を先に提出すべきか、そういういわゆる先議権の問題がありますが、この点につきまして、むろん憲法は何ら触れておりませんし、また、衆議院の先議権というものを認めるということは、予算につきましては憲法に規定しておるわけでありますが、決算につきましては規定がありません関係から、はたして憲法上衆議院が先議するということを定めることができるかどうか、こういう問題が一つあろうと思います。 それからもう一つは、決算につきまして両院の議が一致しなかった場合におきまして、普通の法律案なり、あるいは予算案、あるいは条約というようなものにつきましては、両院協議会というものがあるわけであります。しかし、その両院協議が整わない場合におきましては、憲法の規定によりまして、衆議院に優位的な議決権というものがあるわけでありますが、決算につきまして、両院の国会の議決といたしますと、両者の議が両院協議会を開きましても一致しない場合におきまして、はたして衆議院に優先・権を認めることができるかどうか、こういう問題があろうと思います。この二つの点につきまして、決算が両院の議決を経べきであるということにつきましての問題点が存するのではないかと思われるのであります。 それからもう一つは、両院の議を経るということによりまして、決算の審査につきまして非常に時間がかかるということが一つの難点ではないか、こういうように思われます。本来、決算制度の財政的に見た大きな存在理由というものは、いわば過去一年間における予算執行、実施の反省ということにあるのでありまして、その反省の対象ということになりますと、これは政府がむろん最も大きな対象になるわけであります。しかし、むろん政府だけではなく、予算の執行の責任を有するすべての国家機関というものが、決算の審議、報告によりまして、反省をしなければならない、こういうことになるわけですが、国会自身も、やはり現在予算の増額修正なり、あるいは予算を伴う法律の制定権というものが認められておるわけでありますから、そういう意味におきまして、決算の結果につきまして全然無責任であるとは言えないわけであります。ですから、決算につきまして最も期待せられるところは、両院の議決が一致して国会の意思として表示せられるということよりも、各院においてそれぞれ適切な審査の結果が現われる、それからなるべく早く審査が終了する、こういうことでありまして、こういう意味におきまして、この両院の議を決算について一致させるということにつきましては、財政制度の問題としまして、これが遅延するという可能性が非常にあろうと思われるのであります。現在、決算の提出というものがとかくおくれがちであろうと思われるのでありまして、財政法の規定を見ましても、決算は、次の年度、つまり翌年度の十一月三十日までに内閣から会計検査院に報告、送付しなければならない、こういうことになっておりまして、内閣から会計検査院に対して報告するというのが翌年度の十一月三十日でありまして、それから内閣が国会に提出するという時期は、翌年度開会の常会ということになっておるのでありまして、さらにこれはおくれるわけであります。それをしかも常例とするという規定になっておるのであります。そういう規定になっておりますので、たださえおくれがちなものが、両院の議をあえて一致させる、そうして国会の議とするということによって、非常に遅延する。これによって、決算の真の財政的な意味を喪失するというおそれがあるのではなかろうか、こういうように考えられるわけであります。こういうふうな点を考えまして、私は、そう両院の議が一致して国会の意思表示になるということを決算について強く要求するということにつきまして、むしろ消極的な見解をとっておる次第でありまして、それよりももっと早期に、また両院それぞれにおきまして、権威ある正確な決算の議決がなされるということが、むしろ望ましいのではないか、こういうように考えられるわけであります。 外国の立法例につきましては、今小島参考人から非常に詳しいお話がありましたので、私は、ただ自己の平素から考えておりますところを、以上簡単ながら申し述べて、その責めをふさぎたいと存ずる次第であります。
○鈴木委員長 以上をもって参考人各位の御発言は終わりました。
○鈴木委員長 参考人に対し、質疑の通告があります。通告順によってこれを許します。小川豊明君。
○小川(豊)委員 おとといも清宮先生と鈴木先生においでを願ったわけですが、私どものお尋ねすることは、ほとんどどの先生に対しても同じなのです。私どもは素朴に考えて、国民の血税をどう使うかということが予算だと思っておりますし、どう使われたかというのが決算である。従って、ともに非常に重要であるにもかかわらず、ややともすると、予算は、非常に重大視されておるけれども、決算は、日本では軽視されている傾向がある。これはお互いの今の国会の審議のあり方の中からばかりでなくて、憲法の上、あるいは財政法の上でも、そういう点が規定されていないところを見ると、やはり軽視されているのではないか、こういう感じを持つわけです。しかも、この決算については、過去においても、明治憲法以来から、あるいは新憲法に移っても、決算のあり方というものは、非常に論議されても、いまだもって結論は出ておりません。そして従来から、今までやってきた慣行を尊重してやってきているわけです。私は、慣行は重んずべきものであり、尊重さるべきものであるということは認めますけれども、慣行が正しいということは、これは違うと思うわけです。そういう点で、いろいろ御意見をお聞きして、さらに私お尋ねしたいと思うのは、憲法には「国会に提出しなければならない」ということが規定されているわけですが、提出するということは、国会に何らかの行為を求めることだ。その行為を求めるとするならば、国会の行為というのは、やはりこれは審査する、審議することであろう。審査し、審議するとするならば、当然そこには結論として、議決というものが出てこなければならないと思うわけで、従って、今の、報告でよろしい、単なるこれは報告であるということに対して、今までの私の考え方としてはやはりこれは議案として提出すべきではないか、こういう考え方に固まりつつあるわけですけれども、こういう議案とすべきであるという意見について、小島先生、杉村先生から御意見を承りたいわけです。
○小島参考人 今のお話の中で、結論といたしまして、議案として提出すべきであるということにつきましては、私同感でございます。ただ、その結論に至ります過程において、憲法に、提出すべしと書いてあるというところを根拠になさるのは、これは提出と書いてあるわけで、これをどう扱うかということまでは、憲法は触れていないわけでございます。これは先ほど申しましたように、明治憲法のときからわざと触れなかった。従って、これにつきましては、どう扱うかということは、国会がきめるべき問題だと思います。ですから、議案としてお扱いになることはいいわけでありますが、できれば憲法の解釈としてではなくて、財政法あるいは国会法の中で、立法的措置をしていただきまして、そういうふうにきめていただくというふうに扱われるのが適当かと存じます。
○杉村参考人 私が先ほど報告と申しましたのは、実体的な、財政的な性格の問題をお話ししたにとどまるのでありまして、結局両院におきまして、それぞれ決算についての審議なり議決をするというわけでありますから、議案としてお取り扱いになるということは——議案にもいろいろな使い分けがあるようであります。けれども、むろん差しつかえないというふうに私は考えております。
○小川(豊)委員 政府は、当然国会の意思を尊重する責任があるわけであります。そこで、国会とは、もちろん衆参両院をさしていうわけですが、今は両院にそれぞれ提出されておるわけです。両院が異なった議決なりをし、あるいは意見なりを有した場合に、今の制度、慣行のままでは、政府としてはその去就に非常に困るわけです。そういう点についてどうお考えになりましょう。
○小島参考人 両院別々にいたしますと、非常に困ることになる、これは非常にもっともなことでございます。そういうことを除くためにも、両院交渉の議案というふうにして解決しなければいけないと存じます。
○杉村参考人 その点は、いわば決算というものが、いわゆる承認ということによって政府の責任を解除する、こういう考え方で従来いっておるわけであります。従って、国会の一致した意見というものは、結局その両者の議決のいわば最大公約数になるわけでありますが、政府としましては、おそらくその両院それぞれの意見を尊重する、少なくともそれを調査し、それに従って、自己の意思と自己の適する態度をとる、こういうように思われるのでありますが、この点は、従来の慣行から申しますと、二本建の両院各個に議決するということに対する非常な難点であることは、認めざるを得ないというふうに考えるわけであります。
○小川(豊)委員 憲法の八十三条は、国の財政処理の根本原則だ、こう私は考えるわけですが、これを根本原則だとするならば、当然これは議案として提出すべきではないか、こういうふうに考えるわけです。これだけを根本原則としていくと、議案説が出てくるのですけれども、これはあまりにもわれわれとして一つの先入感にとらわれた考え方でしょうか。私はどうもそういう気持が強く出てきているのですが、この点についての御意見はどうでしょう。
○小島参考人 八十三条の読み方というのは、非常に微妙な読み方があると存じます。これは財政処理についての大原則でございますが、ただそういう大原則から一々こまかい手続まで全部一義的にきめて、それ以外は憲法の原則に反するから憲法違反だというほど厳格には出てこないのじゃないか。やはり憲法というものは含みがあるように、私は存じます。しかし、問題は、それ以外には憲法違反だというほどの強い意味までは出て参りませんが、そういう原則に合わせて今度はどう扱うかということであります。その点は、やはり国会が財政制度についてはすべてきめる、だから、決算の取り扱いの手続もあわせて国会がきめるような、そういう原則としてであれば、八十三条というのは、そう読んでしかるべきものだと思います。ですから、政府の出し方のことよりも、国会がどう扱うかということをきめる、そういう権限が、八十三条からは出てくると思います。
○小川(豊)委員 杉村先生にお尋ねするのですが、今御意見を承りますと、やはり国会に提出すべきであるから、両院の意見が一致した形で出るのは好ましいのだ。しかし、それには二つの難点がある。これを国会に提出するとしても、決算に関しては衆議院に先議権は与えられていないから、そういう点からも両院の一致を求めることはなかなか困難だ、こういうお説のように伺ったわけです。そこで、この点では、前段の一致した意見というのは好ましいのだ、こうなるならば、これは憲法が先議権を与えていないのだから、今は憲法を改正しなければできないということになると解釈したわけですが、こういうのは、憲法を改正するとか、憲法に手をつけるということをしなくとも、そういうことを最も好ましい行き方だとするならば、これはその他の法律の改正なり何なりでできないことかどうか。もう一つは、時間が非常にかかり過ぎる。これはまさにその通りで、われわれも扱っておって非常に時間がかかり過ぎて、先議権を与えられて、衆議院できめて参議院に回すとしても、現在のままでは、この点においてもまさに不可能だと言い得ると思います。であるならば、遅延させない方法というか、時間をそうとらずに参議院に送付することはできないものかどうか、こういうことも考えてみなければならないと思うのです。そういうことがいいことだというならば、それはいいことの方へ近づけるために——今の法律なり制度ではできないことになっているわけですけれども、改正すればできるわけですから、改正したならば、そういうのはできるのじゃないか。それならば、どこを改正するかというような点が出てくるわけです。またどう運用するかということも出てくるかと思いますが、そういう点についての杉村先生の御意見を承りたいわけです。
○杉村参考人 私は、どういう点を改正したらいいかということにつきましてあまり考えておりませんけれども、結局その前提として、憲法にどうかという点を解決して、もしそれが憲法に矛盾せず、先議権を衆議院に与え、そうしてその審議期間に制限を設けるというようなことで、非常に迅速にそれの審議ができ、またこの両院議決が一致しない場合において、これをどういうふうに処理するか、両院協議会を開いてもなお一致しない、こういう場合におきまして、どういうふうに一致に持っていくか、衆議院の議決をもって国会の議決ということを規定して差しつかえないかどうか、こういう点につきましては、私としては今なお疑問を持っておるわけであります。むろん、国会におきまして、国会法の改正によってそういう措置を講ぜられるということは、いろいろな議論はありましょうけれども、でき得ると思うのでありますが、私の意見といたしましては、それまでにする必要があるかどうかという点に疑問を持っておるということを申し上げたわけであります。
○小川(豊)委員 ほかの委員の方々の質問もあるので、あまり長いのもいけませんが、二、三点お尋ねいたしたい。 実は、きのうもお尋ねしたことですが、旧憲法の七十二条には「会計検査院之ヲ検査確定シ」とあるのです。この「確定」というのは先ほどもお話があったわけですが、この確定とはどういうふうに解釈したらいいか。会計検査院法の第二十一条の「確認」というのは、旧憲法の確定と同じ意味に解釈していいのかどうか。この二点を小島先生にお尋ねしたいと思います。
○小島参考人 前の憲法に確定という言葉が出て参りましたのは、おそらくプロイセンの憲法の百四条に同じような言葉がございまして、それをそのまま受け継いだのだと思いますが、ドイツでは、伝統的に、確定という言葉に対してそれほど強い意味を持っておりません。たとえば予算なんかの議決でも、官報をごらんになりますとわかりますが、ドイツ語でフェストシュテーレン——確定するという議決をいたします。本年度の予算を確定する法律という名前を用います。確定だから、あとで追加できないか、あるいは修正できないかといいますと、これはできるわけであります。ですから、ドイツ語の確定という言葉は、あまり強い意味に読んだらいけないのではないかと私は考えます。前の明治憲法におきまして、確定という言葉が決算の審査についてございましたが、今の憲法を理解いたします場合に、あそこにあって今度はずれた、どこかに必ず確定がなければならぬから、国会の段階で確定するのか、検査院の段階で確定するのか、内閣の段階で確定するのか、そういうふうに確定という言葉にあまりとらわれて議論をすることは、必要がないのではないか。今の憲法のもとにおいてはそういうふうに思います。 なお、後段の御質問の点は、すべて先ほどから申し上げておりますように、八十三条の国会の権限でおやりになればいいのでありまして、現行の会計検査院法の「確認」というのは、確定であるかと申しますと、おそらく言葉をわざと違えてありますところには、ニュアンスの問題があろうかと思いますが、いずれにいたしましても、この問題をどう理解するかによって、国会で議案として扱うか、扱わないかという問題とは無関係で、ドイツで確定と書いておきながら、しかも、あとで決算法というようなことが出てくることでおわかりだろうと思います。 〔委員長退席、井原委員長代理着席〕
○小川(豊)委員 それに関連してくるのですが、検査院の検査報告書に未確認部分というのが出ていますね。これは検査を終了していないというふうに解釈していいわけでしょうか。
○小島参考人 これは非常に徴妙でございますが、留保付に一応検査を確定したというふうに考えていんじゃないかと、私は思います。と申しますのは、実は、決算の審査というのは、提出時期が憲法でもって限定されているわけでございます。従って、原則から申しますと、それまでにすべてを確定、確認いたしまして報告書を作るのが原則でございましょうが、では一カ所でも届かないところがありますと、もはや報告書は作れないかということになりますと、憲法で要求する次の年度までに出せということにかないませんものですから、これは一応留保付の確定というふうに考えてよかろうと存じます。
○小川(豊)委員 杉村先生にお伺いしたいのです。先ほどの御口述の中にあったわけですが、国会に提出と規定してあるのですが、これは各院別々に提出しているわけですけれども、これで国会に提出したといい得るのかどうか。それから両院の各別の議決では、国会の議決にはならないではないか、こう思うわけですけれども、この点について、くどいようですが、もう一度お尋なしたいと思います。
○杉村参考人 これは国会に提出するといいましても、決算の場合は、従来、解釈上、おそらく各院に提出するということをもって国会に提出したということにしておるのじゃないかと思われるわけでありますが、これは各院にそれぞれ同じものを提出することになりますので、私としては、そう拘泥することは必要ないんじゃないか、こういうように思うのであります。 それから各院の議決ということは、各院で議決するということが両院の議決、国会の議決にはならないのじゃないか、こういうお尋ねかと思いますが、この点も、私の今までの考え方からいきますと、まあいわば非常に弱点とも言えるわけでありまして、むろん、決算については、各院で議決するということによって、その共通的なものがいわば国会の意思というふうに政府の方では受け取る、こういうように考えざるを得ないのではないかというふうに思うわけであります。
○小川(豊)委員 いま一点お尋ねさせていただいて、ほかの委員に譲りたいと思いますが、私は、決算は国会の議決案件とすることが新憲法の精神に合致するものではないか、こう思っているわけなんです。そこで法律改正の方法において、国会の承認を求めることを明記した場合に、憲法上差しっかえあるかないか、こういう問題が出てくるわけでして、先ほどもお尋ねしたわけですけれども、憲法改正をしなければできないと解釈しなければならないのか、憲法を改正しなくとも、その他の関連した財政法なり国会法なりの改正によって、新憲法の精神に沿えるように承認を求める、いわゆる議案の式をとれるのかどうか、ここが一番問題になってくるわけで、この点を、両先生に簡単でよろしゅうございますから、結論的にお尋ねしたい。
○小島参考人 憲法を改正する必要なく、これは国会の立法で解決すればいいと存じます。ただ、こういう問題があります。衆議院と参議院との意見の不一致の場合にはどうするかという問題がございますが、この問題につきましては、杉村先生と意見が違いまして、現在の憲法で、四つの場合衆議院に対して優越的な地位が認められておりますが、あそこに認められておらないことでも、たとえば会期の延長の場合には、衆議院の優越を国会法できめております。同様に、決算につきましても、優越をきめればよかろうかと思います。どういうふうにきめるか。それは会期の場合のように、不一致なら、ずばり衆議院だというふうにきめないで、むしろ、やはり憲法六十条の予算の例にならってきめるのが適当かと存じます。
○杉村参考人 究極のところは、私の意見では、少なくとも決算が国会の両院の一致の議決を経なければならぬということになるとすれば、その点やはり憲法上明らかにしなければならぬ、こういうふうに思うのであります。現行憲法のもとにおいてそれができるかどうかという点になりますと、私としては疑問に思っているわけでありまして、正確に言えば、やはり憲法の改正を要するのではないか、こういうように私としては考えているわけであります。
○井原委員長代理 山田長司君。
○山田(長)委員 先ほど小川委員の御質問に対して、憲法の九十条に、決算は、会計検査の報告とともにこれを国会に提出しなければならぬという規定がありますが、このことで議案として出すことに賛成だという御意見だったようですが、もし議案として出して、決算委員長が本会議で一応この報告をするといたします。その場合、決算委員長の報告に対して、賛含の意見が生まれると思います。賛否の意見によって議決がなされれば、院の意思が決定することになると思うのですが、もしも院の意思が決定した場合に、違法あるいは不正なこと、不当事項等が強く訴えられて否決をされたというような場合、これは政府の責任になってくると思うのですが、そういう場合に、政府の責任追及等で内閣が解散するというような事態は考えられませんか。解散でなくとも、政府の不信任案ぐらいは当然出される結果になると思うのですが、そういう二つの点について、両先生に伺いたい。
○小島参考人 そういう事態がありましたときに、新たに不信任案が出されるかどうかということは、これは予測できないと思います。その否決が、六十九条に申します不信任案とみなされるかどうかということに関しましては、私は、これは不信任案とはみなしがたいように存じます。と申しますのは、六十九条というのは、非常に大きな衆議院の入れかえ、さらには内閣の総辞職というようなことを考ておる非常に重要なものでございますから、あれにつきましては、憲法の規定も、信任案が否決されるか、不信任案が可決されるかというように、非常に念入りに規定してあるわけでございます。従って、あれはただ政治的にそういうニュアンスを持つ、意味を持つというだけではだめで、明示されてなければだめであろうと思います。ですから、政治的にそういう効果を持つだけで、六十九条と同じことにはならないと私は存じます。 ついでに、今の御質問の中にあるいは含まれていることかと存じますが、こういう問題があるわけでございます。会計検査院の報告の中に、不当処理とか不法処理の問題がたくさんあります。先ほどの御質問では、これのために否決された場合とおっしゃったのですが、それでは否決された場合にそういう問題はどうなるかということが、議論としては出て参ります。不当というのがなくなるのか、不法というのがなくなるのかという問題でございますが、これにつきましは、フランスでも、ドイツでも、国会の議決を留保付で行うということが慣行として行なわれております。不当事項とかあるいは不法事項につきましては、留保を付して、後日報告させるということで行なう。それからもう一つ、法律効果といたしましては、いかに国会が法律でもって、決算法でもって是認いたしましても、個々の処分を行なったものの民事責任は解消しないということが、決算法の効果になっております。そこまでも、たとえば横領とかいうものまでも、解決するようなものではございまん。
○杉村参考人 決算案の否決という事態、これは要するに、結局政府の責任を解除しないという意味になるわけでございますが、それはそれだけの意味でございます。また、決算がおくれる結果としまして、内閣がかわるという、責任を追及さるべき者がすでに内閣にいないということもあるわけでありまして、そういう場合におきましては、それは国会の意思表示としての意味を持つだけで、法律的な効果というものはあまりないと見なければならないと思います。そのために、政府に対して不信任案を提出する、あるいはそれが不信任案の意味を持つか、これはむしろ政治的な、いわば従来の国会の慣行に照らして考えるべきものでありまして、法律的な問題としては、決算の効果としては、そういう否決がありましても、別に法律的には何ら効果を生じないというふうに考えざるを得ないのじゃないかと思います。
○山田(長)委員 御承知のように、会計検査院の人手の少なさとか、あるいはなかなか困難な点もあると思うのですが、会計検査院の検査報告に、未確認部分が相当あると思うのです。いっか会計検査院長がこの委員会の質問に対して、十分の一くらいの調査しかできないだろう、そう言ったことがあるのでございますが、その場合、検査を終了していない部分、未確認であっても、これが会計検査院の報告書の作成等で一度国会に提出された場合は、これも検査終了したものとみなしてよいのかどうかということなんです。これを一つ、二人の先生方に伺いたいと思います。
○小島参考人 これは、先ほど小川先生の御質問のときにお答えいたしたわけでございますが、未確認の部分につきましては、要するに留保付でやはり検査が済んでいるのだと考えまして、国会は、会計検査院が未確認でありましても、独自に決算についての審査をなし得ると考えられます。これは憲法九十条の規定をごらんになりましても、すぐおわかりのことで、内閣は、決算と会計検査院の報告書とあわせて提出するわけでございます。国会では、決算の方を審査されるわけで、会計検査院の報告書を審査されるのではないわけでございます。報告書の方は、第二義的に、決算審査におけるいわば参考書と申しますか、そういう意味のものでございますから、そこで未確認であることにとらわれることはなかろうと存じます。
○杉村参考人 私も大体同意見でありまして、先ほど申しましたように、会計検査院の検査と国会における審査とは、性格が違うというふうに思います。従って、国会は、独自の立場において決算を審査されるという任務を持っておられるわけです。いわばその基礎資料として、会計検査院の検査報告というものを憲法上国会が受け取られるわけでありますから、従って、その場合、未確認の部分がありましても、むろん全体として国会としては審査できる、こういうように考えます。
○井原委員長代理 淡谷君。
○淡谷委員 ちょっとお伺いしたいのは、決算が承認されない場合は政府の責任は解除されないというふうになるように承りますが、政府の責任が解除されないということは、いつまでも解除されないままに残されているというふうになるきらいが多分にあるのです。解除されないことから生ずる政府の責任の果たし方が、今の決算のあり方ではどうもはっきりしないので、いつまでも承認されないままに決算の審議がずるずるになっていくという傾向が見えるのですが、これはどういうことになりましょうか。解除されない場合の政府の責任は、いつまでも解除されないまま残っていていいのかという問題です。
○小島参考人 これは外国の例を申しますと、大体こういうことについて書いてございます本では、決算について、政府の責任というのは大体解除されることが原則であるようで、解除されない場合というのは、あまり書いてございません。議会の取り扱いとしましても、ドイツでそういう例が非常に多いのですが、留保付解除ということが非常に多いのでございます。また、これはドイツではしようがないので、議会の方が誤って解除しちゃったということがあるのですね。そうしまして、もう一ぺん先ほどの解除を取り消したというようなことをやっておるようなこともあるわけでございます。というような事件は、これは解除するものだと頭からきめてかかって、その問題を取り扱っておられるのじゃないかというように考えられます。ベルギーあたりでも、大体決算についての議決というのは、これは形式に堕してしまったなんて学者はみんな書いておりますが、大体そういうことのように存じます。ただ、こういう問題が一つあるわけです。それはいかに形式に堕したからといって、決算についての議決というのは、政府が決算を出して参りましたその会期に、必ずしも議決しておりません、外国では。時によりますと、おくれて七年分くらい一括して解除しているということがあるわけでございます。これはおそらく、その間何といいますか、ずっとひっかけておきまして、そして情勢が変わったときに解除するというやり方をとっているのだろうと思います。日本でそういう制度を採用する場合にも、おそらくそういうやり方をならうのが適当ではないか。運営の問題でございますが、そう考えます。
○淡谷委員 さっき杉村先生のお話で、両院の議決を求めることになると、決算の審議が大へんに遅延するのではないかという御心配があったようであります。私ども実際にやっていますと、逆じゃないかと思われる節が多分にあるわけです。予算などは、膨大な予算書を出されますが、実際の話は、あの予算書について数字的に十分当たる余裕はもうございません。それで、御承知の通り、予算委員会での審議は、数字を離れた政治論議になる場合が非常に多いのです。結局いわば短期間に通過させることを強要されるような予算の決定に基づいて、莫大な国費が支弁されるわけなんですが、決算が、今お話しのように、政府の責任が解除されないで、何年も何年もずるずるになっていくということで、ことさらに決算の審議は急ぐ必要はないという考えを持たれるらしい。従って、予算ならば、きびしい会期でどんどん締め上げて、しゃにむに、十分な審議は尽さずとも、上げてしまいますけれども、決算の場合は、担当大臣がきまっているわけでもなし、審議を促進するわけでもなし、いつでもいいから適当なときに御承認下さいということで投げておかれるようになるのではないかと思われますので、むしろ、この際はっきりとした議決を打ち出しまして、議決を得ない場合の政府責任が強く問われるような仕組みにした方が、かえって決算の審議が促進されるのではないかというようにわれわれは考えますが、この点はどうでございますか。
○杉村参考人 私、実際のことをあまりよく存じませんので、あるいはそういうことになるかとも思うのでありますけれども、今までの決算の順序、手続というようなものを見ますと、一院だけで一つ一つやっていっては、非常に時間がかかるのではないか。しかし、決算につきまして、いわゆる継続審議で、議会が開かれていない場合においても、どしどしその審査をされるということになって、早く審議議決されるということができれば、私としては、非常に適当なんじゃないか、こういうように思うのであります。
○淡谷委員 それで、決算の結果によりまして、次年度の予算などにも政府の責任が追及されるような形になりますと、勢い政府も責任を持って決算委員会に臨まなければなりませんし、また、審議についても促進方をはからなければならないというような政治責任が生まれてくると思うのですが、今のような決算委員会のあり方、今のような決算審議の仕方だと、あってもなくてもいいというような、非常にイージーな考えになるおそれが多分にあるのです。それが結局、決算委員会で基本的な問題を一つ調査を進めようじゃないかという話になっているわけですが、やはりこの際は、議決方針をとって、そして一定期間に議決されない場合は、次年度の予算審議にもこれが影響するといったような政治責任のあり方を明確にした方が、国会の予算、決算という関連性を持った審議について、非常にすっきりした形が出てくるのではないかと思います。これは両先生に一つ、御意見を伺っておきたいと思います。
○小島参考人 どうもこれは現実の取り扱いとかかわりがございますから、非常にむずかしい問題で、一がいに申しがたいと思います。予算と関係さして決算を審議するというやり方を——実は決算を議会で議決するなんというやり方を一番初めにとったのは、フランスの一八一八年でございます。そのときには、予算と関連さしてやるという原則でとったのであります。それから二十年くらいの間は、ですから、ほぼ予算法ができます少し前に決算法ができておりまして、非常に能率的であったわけであります。それが、その後ばらばらとなって、今のようにルーズになりました。だから、外国にもそういう例があって、あるいは日本はわかりませんが、全体としては、決算を時間をかけて厳重に審査する、予算の場合にもひまがございませんが、その前に議決するなんということをいいますと、またひまがなくなるわけであります、決算について。ですから、全体としてどちらがいいかということは、ちょっと一がいに申しがたいことじゃないかと存じます。
○杉村参考人 私は、今の淡谷さんの御意見に賛成で、私の意見は、まさに決算の両院の議決の一致ということよりは、むしろ審議を促進して、つまり予算と決算というものをうらはらにして、次の年度の予算にその決算の審査の結果を織り込むということに重点がある、こういうように考えるわけであります。
○小川(豊)委員 もう一点、私大へん疑問に思っている点をお尋ねしたいわけですが、私は、予備費というものは予算の補正的な性格だ。こう思っているわけです。予備費は、この決算委員会で議決するわけですね。予備費は決算委員会で議決しながら、決算は議決しますけれども、これは参議院には送りません。従って、これは国会の議決とはならないわけですが、こういう決算委員会のあり方に対して、両先生の御意見、これでいいのか悪いのか、こういうものが変則ならばどう改むべきかという点をお聞かせ願いたいと思うわけであります、
○小島参考人 実は、今のところが、決算を議決するかどうかという点について非常に重要なわけでございます。先ほど私、フランスの例を申し上げましたが、初めに政府に白紙委任を与えっぱなしみたいなことが、日本では行なわれているわけでございますね。その例として、そのとき、彼此移用の場合と予算の移しかえの場合は申しましたが、予備費の場合でも、全く同じでございます。フランスの場合には、こういう問題がある。ちょうどフランスで予備費に当たるものは、クレディ・グロバールと申しまして、これは金額だけ限定して目的は限定しないというものかあるわけであります。そのクレディ・グロバールをどう使うか。これも実は、決算法のときに最終的に議会の議決が得られるのだ、そういう原則に立っております。ですから、今のところは、まさにこういう制度をフランスが考え出したときのポイントが出てきたわけでありまして、その点からも、現行の制度はおかしいと思います。
○杉村参考人 私は、予備費というものは、予算の一年制の原則の非常に厳格な適用というものに対する一つの逃げ道といいますか、一つの緩和の方式でありまして、予備費の内容というものは、まさに予算と同様な方法で審査しなければならぬ、こういうように考えて、それが予算委員会でなくて決算委員会で行なわれているということは、非常に疑問があるわけであります。しかし、それにつきまして、決算委員会においてその内容を審査せられるということは、これはむろんどこかで審査されなければならぬわけでありますから、決算とは——私の考えでは、少し違った意味において、予備費というものはあくまで予算というふうに考えておりますからして、決算委員会において審査せられるということも、別に現在としてはやむを得ないのではないかというふうに思っております。
○小川(豊)委員 私は、決算というのは、決算という名前からいって、使われた使途、それが予算の立て方の方針と一致しているかどうか、それから不正不当があったかなかったか、こういうことが決算委員会の主として任務だ、こう考えているわけです。この予備費の場合は、現在の制度ではやむを得ないという御意見ですが、予備費というものは、予算の補正的なものだ、こう考えておるが、こういうことこそ、予算委員会でやるべきことであって、決算委員会に持ってこなくてもいいのではないか。それからそういう予備費は、当然議決しなければならぬから議決を求めるのでしょうが、議決をさせていながら、一方において、われわれの主たる任務である決算の方は、議決はしますけれども、参議院へは送りませんから、これは国会の議決とはなっていない、こういうあり方に対しては、私は非常に疑義を持っている。これを改善する方法はないのかどうか。これでいいというのなら、私どももそれでいいわけですけれども、どうもこれに対して疑義を持っている。これは疑義があるとするならば、どう改善したらいいかということが、お尋ねしたい点なんですが、杉村先生どうでしょうか。
○杉村参考人 私は、予備費の方は、実際御説の通り、あるいは予算委員会の方がむしろ適切であろう。もしそこでそういうふうな事後的な承諾を求めるというふうな議決をなすことが従来なされておるならば、それはけっこうであろうというふうに思われます。どうもこの予備費について議決があり、決算について議決がないということは困るということにつきましては、それはむろん国会の両院の議決があることが望ましいわけでありますが、しかし、また別の点を考慮しなければならぬ、こういうことを申し上げておりますので、その点を何か解決していただけば、私は非常に適切な解決方法だというふうに思うわけでございます。
○小川(豊)委員 そこで、決算の承認を求むるの件、こういうことで提出された場合に、これを承認するかどうかの問題ですが、決算は一体として議決すべきもので、部分議決はできないのではないか、こういう問題が出てきます。それから不法・不当の問題は、これは附帯決議として行なっておけば、両院の不一致というようなことはなくて済むではないか、こう思うわけですけれども、御意見はいかがでございましょうか。
○杉村参考人 私は、この書面をいただきまして、やはり決算の承認というのは、両院がむしろ全体として承認するかいなかということを決すべきで、従って、不当・不法の処置というものを発見されましても、それを除いた部分の議決ということは、どうもすっきりしないのではないか。だから、やはりそういうことであれば、むしろ附帯決議として両院のそれぞれの意思を通知する、それに表示しておく、こういうことが、やはり適当ではないかというふうに考えております。
○小川(豊)委員 小島先生、いかがですか。
○小島参考人 今の問題は、決算の議決、これは議案として、両院交渉の議案とする場合に、何のために決算の議決にするかというポイントをはっきりして制度を考えなければいけないように思います。というのは、先ほどから申し上げましたように、諸外国で見ますと、三つくらいのねらいがある。フランスなんか、三つとも込めてやっているわけですが、第一のねらいというのは要するに計数の確定ということでございます。第二のねらいは、政府責任の解除、第三番目のねらいは、余剰金とかあるいは不足についての充当という問題でございます。ですから、どこに大きくウエートを与えるか。単なる計数の確定だけだということにしますと、決算必ずしも分割して承認して悪いということは出てこないように思います。しかし、政府責任の解除ということになりますと、これを分割するのは少し筋が通らないわけでございまして、そういうところを、制度としてお考えになります場合には、やはり考えなければいけないが、今ここで問題になっておるのが、実は何をねらっていらっしゃるのかよくわかりませんものですから、第一義的な御返答はむずかしゅうございます。
○小川(豊)委員 何を求めておるかわからないと言われると、われわれも大 へんに困るわけなんですが、われわれがどういう点を求めておるかと申しますと、今のいろいろな、憲法の上からも、財政法の上からも、国会法の上からも、今までの慣行、これを照らし合わして見るときに、非常にいろいろな面で矛盾があるわけです。これを、政府も国会も統一した見解に立って、改むべきは改めなければならないだろう、こういう点から、諸先生方においでをいただいて、御意見を伺っているわけなんで、その改める方法の中に、いろいろな具体的なこまかい点も出てきて御迷惑かと思うわけですけれども、われわれのねらいというのは、今申し上げたようなわけなんで、従って、これは単なる一片の報告でいいのか、それとも議案として出すのが正しいのか、帰結していくなら、ここにいくと思うのです。
○小島参考人 今までのやり方が、どうもいろいろな点で矛盾があるということは、もちろん賛成でございます。じゃ、さて問題は、今までの決算についての審査を、両院交渉の議案という形で出される場合に、これに承認を与えるかいなかということが、結局国会の仕事になるかと存じますが、そのとき、国会としてはどの点にウエートを置いて承認を与うべきであるかという問題になるわけです。単なる計数の確定という点にウエートを置くならば、これは分割ということも、立法措置を待てば、できるはずでございます。ただ、そのときの承認を、政府の責任の解除というような点にウエートを置きますと、このときは分割はできないということでございます。ですから、これからおやりになろうというときに、どこにめどを置いておやりになるかということによって、分割できるかできないかという問題が出てくるのだろうと私は存じます。
○小川(豊)委員 それではいま一点お尋ねいたしますが、決算に対する政府の責任の解除——一体この決算が成立するときは、これは閣議が決定したときか、あるいは会計検査院が検査を確定したときか、国会が承認したときか、これは三つあると思う。これはいずれが決算が確定したときであるか。さらに政府の責任が解除されるということは、国会がこれを承認したとき初めて政府の責任が解除されるのではないか、私はこう思っているわけですが、これに対しての御見解を伺いたい。
○小島参考人 これは決算制度だけを予算制度と取り離して考えてみましても、あまり意味がないのでございます。とし申ますのは、たとえばこういう制度が一番初めにできましたフランスの例ですと、予算制度と密着して決算制度ができているわけでございます。決算制度がなければ、予算制度などというのは半分手足をもぎ取られたようなものだという形でできているわけでございます。どうも今お考えになっておられますのは、何か予算制度と対をなすものと考えないで、予算は今のままにしておいて決算だけを考えるということになりますと、どうも目的がはっきりしませんものですから、お答えしかねるということになるわけでございます。
○井原委員長代理 神近委員。
○神近委員 私は、きょうは大へん勉強させていただくつもりだったのですけれども、ちょっと余儀ない用事でおくれたので、質問を控えていたのですが、今小島先生のお話で、一八一八年のフランスの決算に関する制度が確立されたときは、予算と非常に密着されていたということと、それから日本の伊藤博文あたりが書かれたものには、非常に決算にウエートを置いてあるのです、予算と決算とは離すことのできないものだというふうな考え方です。ですから、ものの革新が行なわれるときにはそれが認識されていて、ずっと長く権力の衝に当たる人がこれをくずしていくというふうな印象を受けたわけなんですけれども、予算と決算とが密着していない場合、あるいは決算の作用が予算に反映しない場合は、今答えられないというふうにおっしゃたのですが、私どもの今度の調査あるいは研究、あるいは学習の基本的な問題は、やはり予算とは非常に密着しているのです。国費が私どもの納得のいかないような使い方をされているのではないかというような疑惑、それに対してわれわれが決算においての審議の状態、あるいは慣習の上に乗ったやり方を踏襲してきてみて、そして一体どれだけの効果があるのか、国会内の決算委員会という委員会が、一体何をする委員会かというふうな疑惑がたびたび生まれてきて、こういうふうに御出席願って、お教えをいただくという結果になったと思うのです。ですから、目的は非常にはっきりしているのです。それで一体どうしたらいいかということが今一番私どもの頭にあるので、おそらくいろいろなことをお願いして御質問申し上げて、大体こういうふうにあったらいいんじゃないかということは、非常にお話があったと思うのですけれども、やはりいろいろ御遠慮があって、はっきりと御批判いただけないようにさっきから伺っているので、もしおよろしければ——私どもがいろいろなものを拝見してみて、あれほどの論議が国会外でいろいろかわされている、その意義は何だろうということも私どもの頭にあるので、一つそのお考えがございましたら、伺わせていただきたいと思います。
○小島参考人 先ほどから私が申し上げておりましたこと、私の方がおそらく表現が足りなかったためだと存じますが、実はこういうことなのでございます。およそ財政というのは、国会が初めから終わりまですべて決定してこれを処理していく権限を持っているのだ、そういうふうに考えますと、こういうことになると思います。一番初めに予算を作りまして、これに従って、政府、お前やれというわけです。従って、これは白紙委任状ではございません。これはやれという責任をあくまで負わしているわけでございまして、最後によし、よろしいということにするということになるわけでございます。そういうやり方で、実はフランスではこういうものが発展してきたわけでございます。ですから、まずやれ、自分の財布であるのだ、この財布をお前が使え、どう使ってもよろしい。ですから、フランスの場合は、もっと特色的なことを申しますと、フランスには決算委員会というものはございませんが、あそこの財務委員会は、会計年度の予算執行中に、どう執行しておるかというようなことまで一々検査したりいたします。ですから、これは完全に、最初から最終の解決をするまでは、国会の方の権限なんだというふうに考えます。たとえば、明治憲法のやり方はそうでは、ございませんで、一番初め、そもそも財政というのは行政権の行なうべきことなんで、予算でもってこれに対してただ一つのワクをはめるんだ、どういうふうに行なってきたかということは、国会の承認なんかは要らないで、あとは報告だけでいいのだという考え方でございます。ですから、そもそも財政というものは、国会が最初から最後の終わりまでぐっと握っておるべきものと考えるか、あるいはこれは行政部の権限の中だ、行政部の財布なんだ、使い方を指定しているにすぎないのだというように考えるかという問題と、かかわり合いがあると思います。私は、むしろ今の憲法のもとでは、初めに申しましたフランスのような考え方を採用することが望ましいし、八十三条は、おそらくそういうふうに理解すべきではないかというふうに考えます。そういうふうにいたしますと、最後につきましても、どういうことになるか、おそらくおわかりだと存じますので、それ以上は、また御質問が、ございましたらということにいたしたいと存じます。
○神近委員 もうきょうの御論議で、その点出てしまっておると思いますけれども、この前の委員会のときに、清宮先生にちょっとお尋ねしたことがございます。そうしたら、その点では今度おいでになる小島先生に伺ったらいいだろうというようなことを承って、それは重複するかと思いますけれども、ちょっと伺いたいことは、今度委員部からいろいろ出されました各国の規定がございまして、その中に、行政府の外に会計検査院あるいはそういうものを独立させておる国がある。私どもも行政府の中に会計検査院があって——私どもが一番初め疑惑を持ちましたのは、同じ行政府の中の役人同士で、調査する者とされる者とができる、しかも、検査官というものは、政府が任命する。そうすれば、都合の悪いような検査が出たときには、これは一体どういうふうになるだろうというようなこと、いろいろ実例も出てきたり、またうわさあるいは投書というようなものが出てきたりしたので、いろいろ論議になったんですけれども、もしこれを行政府外の独立——どこかには司法制度、裁判所というようなものということが書いてありましたけれども、そういう場合は——この点は小島先生に聞けとおっしゃった方は、先生が非常に外国の立法には詳しいということにあったのだろうと思うのですけれでも、もしそういう場合でしたら、どういうふうな独立府になるとお考でしょうか。もし御存じでしたら、お教えいただきたい。
○小島参考人 会計検査院というものを、たとえば裁判所に類似したような独立的な機関にしておりますところでは、その審査報告というものをつけて決算が国会に出されますときには、必ず国会は議決いたしまして——国会はというのは、両院交渉の議案として議決いたしておりまして、そういう形で締めくくっております。これは実は一番初めにきょう申し上げたのでございますが、日本のように会計検査院をああいう独立的機関としながら、国会における最後の扱いが単なる報告ということは、非常に異例に属するやり方だというふうに申し上げていいと思います。
○小川(豊)委員 もう一点。今までずいぶん長くお聞きしていたわけですけれども、きょうの目的はどこにあるのだということになってくると、もうこれは大へん困るのですが、われわれとしては、決算委員会で指摘されたようなことが、その後の予算編成に現われてくることを望むわけです。ところが、そういう決算委員会において指摘された事項というのは、一つも予算編成の中では出てきていない。これはわれわれの決算委員会の任務と、さらに政府の責任として、この点が不満ですし、それからそこで決算が単なる報告である限りにおいて、政府はこれを聞きおけばいいわけです。われわれがどんなことを言ったって、これは聞きおけばいい。従って、政府当局としては、決算委員会へ出てきて、その場だけ頭を下げて通してしまえば、あとはもうどうでも差しつかえないということになってきて、われわれがここで真剣に審査するということは、その結論が政府の施政に反映するということを、われわれは期待し、それを望んでいるわけです。そういう点からいうと、今のこの決算の制度というものは、従来の慣行ばかりでやってきているわけです。従って、この制度、この慣行というものは、これでいいのか悪いのかということが、われわれは疑問として出てきた。そういう点から、三十三年度の決算に入る前に、この点を明確にして三十三年度の決算に臨もうではないか、こういうことから、先生方においでを願って、御意見をそれぞれ承っているわけですが、そのねらいというのは、従って、決算委員会における審議というものをもっと権威あらしめるものにしたい、しなければならない、同時に、その決定というものに対して、政府は政治的に十分に責任を負う、負わなければならないということを明確にしていきたいということが、今回先生方においでをわずらわしているねらいの一つなのでして、この点を一つ御了承願ってお話を願いたいと思うわけです。
○小島参考人 きょうこういう問題を取り上げられた理由とか、あるいは決算審査を予算の審査に反映させたいというようなねらいについては、実はよくわかっているのでございます。先ほど決算審査の目的がわからないと申し上げましたのは、そういうことではございませんで、こういうことなんです。現在は、ただ報告して、議院の議決という形になるだけでございますが、おそらくこれに対して、これにかえる案というのは、両院交渉の議案とするということであろうと存じます。その場合に、もちろん大きなねらいは同じことなのでございますが、ただ、両院交渉の議案として扱う場合に、それでは政府責任解除というポイントを第一義的に考えながら、そういう決算審査制度をこれから作り上げていくのか、それとも計数の確定というところに第一義的なねらいを持ちながら新しい仕組みを作り上げていくのか、そこのところはまだはっきりしていないようでございますというので、きょうお取り上げになりましたことは、よくわかりますし、私個人としても大賛成のところでございます。
○井原委員長代理 両参考人には、お忙しい中を御出席いただき、貴重な御意見をお述べいただきありがとうございました。委員会といたしましては、拝聴いたしました御意見は、他の参考人の御意見などとともどもに参考といたしまして、本問題の検討の成果を上げたいと存じます。委員会を代表いたしまして、厚くお礼を申し上げます。 次会は四月六日午前十時より開会することとし、本日はこれにて散会いたします。 午後零時四十七分散会