外務委員会 第21号
- 発言数
- 194 件
- 登壇者
- 11 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1959/12/18
会議録
○委員長(草葉隆圓君) ただいまから外務委員会を開会いたします。 まず委員の異動について報告いたします。本日、鍋島直紹君が委員を辞任され、その補欠として青柳秀夫君が選任されました。 —————————————
○委員長(草葉隆圓君) 日本国とヴィエトナム共和国との間の賠償協定の締結について承認を求めるの件、日本国とヴィエトナム共和国との間の借款に関する協定の締結について承認を求めるの件、以上衆議院送付の両件を一括して議題といたします。 本日は先日の外務委員会の決定によりまして、参考人の方々から御意見を伺いたいと存じます。 開会にあたりまして、委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。ベトナム賠償協定関係両件につきましては、ただいま本委員会において審議中でございます。この条約の重要性にかんがみまして、参考人各位からの御意見を承りまして、今後の審議の参考にいたしたいと存じまして、参考人には御出席をお願い申し上げましたところ、御多忙中にもかかわらず、本委員会の要請に応じて御出席をいただきまして、ここに御意見を拝聴する機会を得ましたことを欣幸に存ずる次第でございます。これから御意見をお伺いいたしたいと存じまするが、御発言の時間は大よそお一人十五分程度にお述べを願いたいと存じます。なお、外務委員の方々に申し上げまするが、御質疑のおありの方は参考人の方の御意見が全部一応終了いたしましてから、御質疑を願いたいと存じます。 それでは公報掲載の順序によりまして、御意見を伺いたいと存じます。まず大平参考人から御発言を願います。
○参考人(大平善梧君) 賠償問題は、法律、政治、経済、各方面に関係することでありまして、ベトナム賠償は特に複雑なものであると考えます。 で、賠償は国際法上戦時中の、特に敗戦の場合に償金として払うものが変形して近代的な形になったものでございまして、損害を賠償するということが中心になっております。そういう趣旨のもとにサンフランシスコ平和条約の十四条におきまして、日本の賠償義務が定められたのであります。戦時中に生じましたところの損害及び苦痛に対して、日本国軍隊によって占領され、日本国によって損害を与えられた連合国が希望する場合に、損害賠償の協定を結ぶことになっているわけであります。で、そのサンフランシスコ条約に基づきまして今まで締結いたしました条約は、フィリピン、インドネシア、まあそういうふうになっておるわけでありまして、ビルマの賠償は別ワクでございますが、今度のベトナム賠償は最後の締めくくりになるわけでございます。 そこで、日本の賠償義務に基づいてこの協定を締結するという点に考えを及ぼしますと、一体日本は賠償義務があるか、またベトナムは賠償の権利を持っているかという点であります。これは国際法上かなり複雑な説明をしなければならないいろいろな事件があるわけであります。と申しますのは、ベトナムは戦争中には存在しなかったのでありまして、仏印は日本と、まあペタン政権という形ではございまするけれども、とにかく協力して戦争をしておった。その後、ドゴール政権ができて、そして日本と交戦状態になった。で、その後にベトナム政権ができたという形であります。そこで国家相続という国際法上の理論が出てくるわけでございます。まず、ベトナム自身が日本と戦争をしなかったということは事実でありまするので、戦争をしたのはドゴール政権であったと、まあそういうことになりますれば、いつフランスが日本と戦争をしたかという点に問題がしぼられるわけであります。これが日本とフランスとの開戦時期という点であります。これは、私は開戦の時期というものは、また戦争終了の時期というものは、国際法上においては、最近の傾向といたしましては必ずしも一定しないものである、事柄によってこれを変えてよろしいものではなかろうか。特に国内法の立場におきましては、最もその事件に━━その事柄に適当した解釈をすべきものであるというふうに私は考えているものであります。ちょうど朝早く日が出ますけれども、だんだんと日が出ていくのでありまして、いつ朝になったか、あるいは逆にいつ夜になったかということは、やはり事柄によってきめてよろしいかと思うのであります。そういたしますると、日本はドゴール政権を承認いたしておりませんので、ドゴール政権がフランスの実権を握ったとき、言いかえれば、四十四年の八月の二十五日パリに入っております。で、はたしてどの程度までフランスを支配したかということは、相当問題がありますが、その後直ちに米英が仮承認をいたしておりますし、まずこの辺でドゴール政権が成立したと考えることが妥当ではないか、まあそういうふうに考えている次第であります。しかしながら、ドゴール政権がその前にロンドンにおいて宣戦布告をしたというようなことをいわれておりますが、承認は遡及効を持つかというような問題がまた起こってくるわけであります。しかしながら、これは私は、日本の立場において別に遡及効を認める必要はないだろう、こういうふうに考えておるものであります。 次に、バオダイ政権というものが、サンフランシスコ会議にありまして向こうの全権を派遣して調印したわけでございます。で、サンフランシスコ条約の当事国になっておるわけであります。はたしてこの政権が実力を持って全ベトナムを代表し得る政権であったかどうかということについては、相当衆議院及び参議院の方で議論が展開したことを新聞紙上で拝見しております。私は、この点につきまして、まあ戦時中というわけには参らないかと思いまするけれども、連合国側におきましては、戦時もしくはそれに関連する事項につきましては、交戦団体の承認であるとかあるいは政府の承認であるとかいうことは、比較的国際法上の厳密なる要件を具備しなくとも行ない得るということが従来の国際法の通則になっておるのであります。従いまして、このバオダイ政権というものが弱体であったという事実からいたしまして、この政権を日本がやむを得ずサンフランシスコにおきまして連合国の一員として認めたということも、そういう力関係、特に今申しました国際法上の慣行からいって無理ではなかった、いな、その無理をも受けて、その後ずっとそれを承認している形であるということであります。ここで代表者の国籍の問題がやかましくなりましたけれども、外交使節全権というものにつきましては、いかなる国の人間を任命いたしましても、その任命する国の自由である、正式であるところの全権委任状を持ち、信任状を持ってくるならばこれを受けてよろしい、こういうふうになるわけであります。もちろんアグレマンの問題とか、あるいはそれを承認するかしないかという問題はございますけれども、全く向こう側の自由であるというふうに国際法上は確立いたしておりまして、幾つかの実例はございます。 次に、二重払いの問題とか、あるいは金額が多くはないか、こういう問題、あるいは南ベトナムに対して支払ったものが北ベトナムに対してどういう関係になるか、こういう問題が残るかと思います。私は戦争前後に仏印に一度参ったことがございます。ピアストルも使った経験があるわけでありまして、当時といたしまして、日本と仏印との関係は非常に密接な関係でございました。ピアストルを軍票のかわりに使ったわけでありまして、そういうピアストルの支払いをいたしたということが、今度の賠償と別な性格のものであるということは、私は現地においてそれを使った関係からしてそういうふうに感じております。これは非常にこまかい技術的な問題でございますので、ニ重払いにはならないというふうに実感的に申し上げます。それから損害賠償の金額が多いのではないか。鶏三羽論というのが出ておりますけれども、私は仏印が戦争中の日本の作戦本拠地であった、サイゴンが総軍の根拠地であったという事実をここに想起したいのでありまして、もちろん北ベトナム方面に損害が大きかったということは事実でございますが、決してここにあげてあるところの金額が、向こう側が二億五千万ドルというものを要求して、その間に折衝した結果出て参った金額でございますので、特に膨大な金を━━もちろん国民の負担になるわけでございますけれども、支払うものではないというように考えるのであります。 南ベトナムについて支払ったところのものが北ベトナムに支払ったものになるか。これは法律問題としては一応割り切れるわけでありまして、南ベトナムは世界の大部分の国から承認されている国であり、日本と正当なる外交関係を営んでいるのであります。従って日本政府としてはサンフランシスコ条約の義務に基づいて南ベトナムに損害賠償を払うという以外に方法はないわけであります。しかも日本の建前といたしましては、全ベトナムについての損害について南ベトナムに払うという立て方になっております。これは国際法的に申しましても、外交的に申しましてもそれでよろしいと思います。ただ政治論が残るわけであります。政治論といたしますと、北ベトナムは南ベトナムと対立して事実上成立しているところの政府であります。ある国においてはこれを承認しておりますし、フランスといえども事実上の承認をやっております。従ってここに政権があり、国があるということは事実でございます。しかしながら、この政権は南の方と対立いたしておりまするので、日本の賠償支払いに対しては不服であります。こういう事実があります。この点につきましては、南ベトナムに日本が支払うということは、北ベトナムとは関係がない。今後どういうふうに仏印の様子が変わっていくかということによってきまるのでありますが、私は、日本の実力から申しまして、北ベトナムが全体を支配するというときに、やはり国家承認の問題が生じまするから、そのときの外交交渉によってこの問題はきまるのである、こういうふうに考えるものであります。従って、現在のところにおきまして、北ベトナムが将来全部を支配するというような可能性はないだろうと思うし、北と南と両方が合体して政府ができるという場合ならば、南に賠償を支払ったということも承認されるのでありますから、政治的な見通しといたしましても、そう南に払ったということが変な関係にはなるまい、こう思うのであります。 最後に、賠償というものの外交的な判断として、一言申し上げます。外交におきましては、木を植える場合には、その木の実によりまして、果実によりまして、その木の価値を判断すべきだと考えるのであります。で、賠償を受け取る権利があるかどうかという問題ばかりでなく、この支払うべき賠償が、はたして生きて日本のために、また極東のため、世界の平和に寄与するかどうかという点が問題になるかと思います。その点におきまして、賠償の経済理論、経済協力の方面を考察する必要があるわけでありますが、一言だけ申し上げますると、南ベトナムにおきましては、日本からの輸入が非常に多い。逆に北ベトナムにおきましては、日本が向こうから輸入してくるところの品物が非常に多いわけであります。南ベトナムが日本の商品を買ってくれるためには、賠償を支払って、相当国民感情をよくし、日本の力によりまして、ダムその他の建設ができるならば、相当よい実が実るのではないか、こういうふうに考えるものであります。さらに、南ベトナムにおきましては、ICAの資金買付という点がございまして、日本が自由諸国群に属し、それと協力しているという立場からいたしまして、このICA資金による買付というものに利益を得ておるわけであります。そういう点を考えまして、私は、サンフランシスコ平和条約による賠償義務を履行するという点からいたしましても、また、よき木をこの際植えて、よき実を実らせるという立場から申しましても、すみやかに国会におきましてベトナム協定の批准の方向に行かれることが妥当ではないか、こう考えるものであります。
○委員長(草葉隆圓君) ありがとうございました。 —————————————
○委員長(草葉隆圓君) ただいま委員の移動がございましたので報告いたします。 木村禧八郎君及び内村清次君が委員を辞任され、その補欠として小林孝平君及び加藤シヅエ君が選任されました。
○委員長(草葉隆圓君) 次に大沢参考人にお願いいたします。
○参考人(大沢章君) 私は、この問題につきまして、国際法及びフランス憲法の上からのベトナムの法的性格と申しますか、ことに、その条約締結権、それも平和条約締結権をフランス憲法の上において持っておったのであるかどうかの問題、これを一つの論点として考えてみたいと思います。 私は、実は昨日こういう席に出席しまして国際法上の意見を述べるようにという御交渉を受けましたので、全く準備が足りません。平生、国際法学者、また法哲学者として考えておりまするところを、まとまりませんかもしれませんけれども申し上げまして問題の真実をつかむについての学者としての努力を尽くしますことが、皆様方に対して何らかのお役に立つことになるのではないかと思いまして、十分準備が足りませんままの、講義をいたす案の、またそのメモのようなものをもちましてそれからお話を申し上げたいと思います。その点、あらかじめお断わりを申し上げて、まとまった意見を申し上げることができずに、むしろ、根本的の疑問の問題を提出させていただきたい、こう思います。 第二の点は、今も大平教授がお述べになりました点の一つで、国家の国際法においての承継の問題、この問題についての原理的の考察とともに、具体的にベトナムの賠償協定についてそれはどういうような展開を予想させるかという問題につきまして、法的に少しく申し上げてみたいと存じます。 で、御承知のことと思いますが、ベトナムがサンフランシスコ条約に署名調印上、続いて批准いたしましたときのその法的の地位は、今日はもはやなくなりましたけれども、第四共和制と申されるその憲法で規定されていると思います。すなわち、一九四六年の十月二十七日のフランス共和国憲法、その中にフランス連合、いわゆるユニオン・フランセーズについての規定がございます。この規定は六十条から八十二条に至る二十数条の規定でありまして、それは憲法といたしましては、ティトル・ユイット━━第八章とでも訳しますが、ユニオン・フランセーズ━━フランス連合について、という規定、その中におきまして、このフランス連合を構成いたしまする要素、形成要素と申しますか、もし、それが連邦的であれば支分国家的な地位を持つともいわれるような、おのおののその結合において違いますけれども、それは、他の一方においては、フランス共和国、その共和国というのが本国であるフランス、すなわちフランス・メトロ・ポリテーヌを含み、それからこの海外のデパルトマンとテリィトアール諸領域ということになる。これが一方にラ・レピュブリク・フランセーズ、フランス共和国を構成するものであります。他の一方にはテリトアール・エ・エタ・ザンシェすなわち、それに加入する諸地域あるいは領域といわゆるエタ・ザンシェル加入または結合国家、それに入っている国家、それらが御承知の通り三つ、もとのまあ古い、いわゆるフランス、インドシナといわれるもとの三つがエタザッソシァーとして、ラオス、ベトナムそれからカンボジアこの三つになっておりますから、このフランス憲法の、第四共和制の憲法の六十条でその地位が規定されておるわけであります。 それから今日なおドゴールのいわゆる第五共和制という憲法ができまして、これは一九五八年九月二十八日、昨年の九月二十八日にレフェレンダムで承認されましてその年の十月の九日に官報いわゆるジェルナル・オフィシェルで公布されております。で、これにおいてはかなり前のフランス連合と違いましてフランス、今度の憲法では第十二章と申しますか、しかもそれは共同体についてド・ラコンミュイテという形になっております。その中において構成要素、それから共同体の諸機関、その共同体の諸権限の行使、共同体とこれを形成する諸国家あるいは領域との関係、いろいろの規定が七十七条から八十七条まで、大体十一条でございますか、規定を設けております。その中に問題となりますのは、第八十六条に次のような規定があるのであります。 ちょっとその前に、順序といたしまして申し落としましたので、前の第四共和制の憲法の第六十一条の規定、このフランス連合、その中においてユニオン・フランセーズ、フランス連合に入っておるいわゆる加入国のその地位というもの、そのメンバーとなる加入国、それに結合しておる国のそのシチュアションという字を使っております。まあその地位とでも訳しますか、法的のまあスタチュー、そのステータスですね、これはどういうふうになるかと申しますと、六十一条の規定によりましてフランス連合におけるその加入諸国の地位は、それぞれベトナムならベトナム、ラオスならラオス、カンボジアならカンボジアこれらのそれぞれにフランスとの関係を定めるところの国内法上の行為によって、その国内立法によってそのことが定まる。アクトという字を使っております。おそらく立法権の立法機関のアクト、国家行動ということであろうと思います。これが今はなくなりました、ドゴール、前の第四共和制憲法下においてのこのベトナムの地位が規定されるについてのフランス共和国憲法の規定であります。ところが今度の第五共和制の憲法におきましては、その第八十六条におきまして次のような規定を設けております。共同体の、つまり前のフランス連合にかわるものであります。それを相続してくるわけでありまして、承継してくる。ユニオン・フランセーズに対してラ・コンミュノーテ、この共同体の構成国の地位の変更というものを、その地位がどのように変更するか、完全独立国家になるか、それともコンミュノーテ内のいわゆる古い、われわれが国法学で学びましたグリード・シターテン、支分国家的のものでありますが、その地位の変更というものはどういうふうに定めるか、それをラ・トランスフォルマッション・デュ・スタチュー、その法的地位の変更と申しております。その変更は、共和国によって、すなわちフランス共和国によってこれが一つの変更の主体として動いて来得る力、またもう一つは、その地域の住民の投票によって、ベトナムならベトナムのその地域の住民投票によって承認されたことに関係のある、それが国民投票的に住民投票でそれをこの承認しなければならない、レフェレンダム・ロカールといっております。その地域のベトナムならばベトナム地域のレフェレンダムによって承認されたそのことに関係のある構成国、だから地位を変更するというならば、ベトナムのフランス憲法上の地位が変更するならば、そのベトナムという地域に関係のある住民のレフェレンダム・ロカールによってそれによって、しかもまたその構成国のその問題となる、今ならばベトナムの構成国の立法議会の決議によって要求することができる。その地域の住民投票の組織及びその管理は、共同体の諸機関によってそれを確保されます。この変更の大要というものは、フランス憲法上の変更の大要は、共和国の国会とフランス共和国の国会とその地位の変更に関係のある国、ベトナムならベトナムの立法議会とによって承認された協定、その両方が承認したところのアコールという字を使っております。それによってフランス共和国のパールマント、その関係のある立法議会の承認、これによって定められます。これが第八十六条の第一項であります。第一項におきまして、さらに同一の条件に従って共同体の構成国はベトナム、ラオス、カンボジアその他の諸領域もあります。そういうものは、独立することができる。八十六条の第二項で将来独立することができる。そうして構成国は、この事実によってすなわち独立したという事実によって共同体に属することをやめる。「共同体に属することをやめる」という言葉を使っております。その共同体に帰属することを、この独立の事実によって停止してしまう、やめてしまう、だからほんとうの意味の独立国家になるということを八十六条の第二項において独立国家となる憲法上の諸条件及びその共同体の構成国の一つである国がどういうふうに独立国になるかという態様について規定を設けております。これが今日のベトナムがユニオン・フランセーズからコンミュノーテに移りまして、どのようにフランス国法上取り扱われているかということが、国際法とも非常に重大な関係がある点だと存じます。もしベトナムが第四共和制の憲法の施行期間中に連合の内部にとどまった国家であり、エタ・アソシエであり、構成国であり、なお今日も第五共和制の中においてこの八十六条の規定に基づいての独立に必要な条件を充足してフランス憲法上その条件に従って独立したのでありますれば、いわゆる完全なわれわれと平等の国際法上の資格においての独立国と申されましょう。もしそうでないとすれば、多くの連合国家である、あるいは連邦とも俗に申されます。たとえばヘルベティッシェ・アイドゲノッセンシャフト(スイス盟邦またはスイス連邦)いろいろまあそういう連邦形体を国際法上あげることができます。それらの国の構成国家である、いわゆる支分国家も、ある事柄については条約締結権を持っております。しかし、そういう組成国家が、連邦を形成しておる部分国家が、平和条約を締結する権限を憲法上持つかというと、私の乏しい比較憲法学の研究の上からは、あまりどうも例はないように思います。ことにフランスにおきましては、平和条約の締結ということは、第四共和国の憲法におきましては、その三十一条の規定がございまして、共和国大統領の権限になっております。共和国大統領が条約に署名し、かつこれを批准するということになっております。署名調印の権と批准権が大統領にある。しかも平和条約については前の第四共和制憲法のいわゆる外交条約、トレテ・ディプロマティク(外交条約)についての規定が第二十六条から第二十八条まで三条ございます。そのうちの二十七条におきましては、次のような規定がございます。国際組織に関する条約、平和条約、通商条約、国家財政を拘束する条約、外国におけるフランス人の身分並びに所有権に関する条約、フランス国の国内法を変更する条約、及びフランス領土の譲渡、交換、添加を内容とする条約は、法律によって批准されたあとでなければ確定しない。そういたしますると、フランスの第四共和制下の憲法におきましては、平和条約の締結権については規定があり、その中でユニオン・フランセーズ、フランス連合を構成しておる部分秩序とも申しますか、法的には。その部分国家的なものに、条約としても重大な政治条約、平和条約を締結する権限がフランス憲法上あるかどうかということは、私にはどうもはっきりいたさないのであります。ただ、フランスの法律によって批准を行なわなければならないということは、これはまずフランス共和国が第一には拘束される規定に違いないけれども、このフランス共和国の憲法の中にフランス連合の規定があってそのフランス連合のエタ・ザソシエの一つとしてベトナムがあがっており、サンフランシスコ条約を一九五一年九月八日に調印いたしましたベトナムは、フランス憲法の上からは、どの条文に基づいておるかの点は、わからないのであります。おそらくこれは、その当時のベトナムの憲法の第何条かの規定に基づいて、平和条約を締結する権限が授権せられ、それが全権委任状をもって、委任状の権限の合法であることを審査する資格審査委員会を通過して、そして調印されたことであろうと思います。これは私が事案を詳しく存じませんので、全く想像の域を脱しません。法理的には、フランス国の平和条約締結の権限とその態様というものは、憲法の明文がございます。これが一つの点であります。 それからもう一つ考えてわかりませぬ点は、これも皆様方にお尋ねを申し上げてお教えを受けたいと申すくらいな、私未知な、よく存じておらないのでありまして、昨日から本日にかけていろいろなものを拝見しておるようなことで、一九四六年の九月十四日のジュネーヴ協定、フランスとベトナムの暫定的の協定というものが、いわゆる休戦条約であるか。それは平和条約的なものではないというようなお考えも一部にはあるかと思いますが、この条約を協定を締結いたしましたいわゆるフォンテンブローの協定は、パリにおいて、一九四六年九月十四日、締約当事国の一方はフランス共和国臨時政府のためにフランス海外フランス領相マリュス・ムーテ、それからベトナム民主共和国政府のためにとなっており、その共和国の政府主席ホーチミン、こうなっておりまして、この協定の全文は十一条でなっております。で、その中において軍事的の内容を持つ、いわゆるもしそれを戦時規約と申しますならば、休戦条約としての戦時規約的な性格の条文は、第九条の一条だけといってよかろうと思います。この十条は将来発生し得るあらゆる問題について、友好的関を固める見地から、個別的協定の締結を共同して考究し、最終的な一般的条約への道を用意することを約するとあります。あとはその発効規定であります。また第九条がいわゆる休戦協定で、広く申してそれを戦時規約の一つと申しますならば、そういう意味の戦争法上の、国際法的に申せば戦時協定になっております。この国際的な合意は、一条から八条までの中で、たとえば第一条はい通商航海条約の中に普通規定すべきような条項が入っております。ベトナム在住のフランス国民は、本国国民と同一の居住の自由並びに教育、商業、交通の自由さらに一般的にはあらゆる民主的自由を享有する。これはまず国際法の常識といたしましては、通商航海条約に含まれてくるのが慣例であろうと思いますけれども、それから第二条では、ベトナムにおけるフランスの財産及び企業についての規定があり、第三条におきましては、文化関係についての協力の規定があります。ことに科学研究、諸科学機関の設立及び活動、これはベトナムの全領土において、フランス国民に対して自由に認められております。それからベトナム国民もフランスにおいて同一の特権を有するようになっています。いわゆるレシプロシティ(相互主義)の原則をとっております。相互主義と平等主義とでベトナム国民も同一の特権を持つ。こういうふうにして、ベトナム国民、そしてそれがベトナム民主共和国政府のためにとしてホーチミンが調印しています。さらにアンスティテュー・パスツールについても規定を設けております。これは私もフランス留学中にその近くに住んでおりましたので、非常に親しいもので、またパスツールは私ども宗教的には同じ信仰を持っておる人として非常に尊敬している人でありますが、そのパスツール研究所、このアンスティテュー・パスツールについてもその財産及び権利を回復すると規定しております。また混合委員会によって、フランスのアカデミー・ド・レキストレーム・オリアン極東学院が、これは一種の学問の研究所、大学的なものであります。これも権利を回復する条件が定められます。それから後、四条、五条以下、すべては、文化的な活動、あるいは通貨の発券銀行、アンスティテュー・デミッションというような発券銀行の規定まであるし、通貨、為替の調節、関税同盟、交通通信調整などあらゆる国家の活動、政治的、文化的、経済的活動、学問、科学のこと、そういうものまでが、フォンテンブロー協定の中に規定されておりますので、この暫定的にせよ、協定というものを戦時規約と見ることは、私は、国際法学者としては、それを認めるのに少し勇気はないのでございまして、これはやや、平和条約、少なくとも平和条約の予備条約的な、プレリミナリーになるような、そういう性格をもって、一般政治条項、文化条項、経済条項、財政条項などを規定しております。こう見なければならないかと思います。 これを締結いたしましたのが、そのときも今日も、ベトナム民主共和国というものになって、いわゆる北になっている国であります。今、二つに、ベトナム共和国とそれからベトナム民主共和国と、二つに分かれておりますが、そのフランス憲法上の地位というものについて、むしろ疑問を提出させていただいたことになりまして、はなはだ不完全なことを申し上げて恐縮であります。 時間がはなはだ過ぎて申しわけありませんが、第二の点は簡単に申し上げます。国際法上の国家の承継の問題でございます。で、この点につきましては、私は、比較憲法学の上から、国際法学としても非常に私の学問的の研究にはいろいろ有益な、またわからない問題もございますので、一つ例をとって申し上げますと、このビシー政権のフランス憲法上においての行為、あるいは国家行動が、法的にフランスの憲法の上でどのように取り扱われたかということについてであります。このフランスの憲法と申しましても、その当時は、まだほんとうの意味に確定はいたしておりません。この一九四四年の八月四日のオルドナンスという形で、大陸領域においてのレガリテ・レプブリケーンの再建、つまり、ビシー政府が共和国としてエタ・フランセの否定となります。ビシーによって共和国がエタ・フランセつまりフランス国家となり、レピュブリック・フランセーズでなくなったのであります。その後の一九四〇年七月十日の憲法たる法律でペタンに全権を与えましたから、ちょうどまあ全権をもって、国会、パルルマン、ことにアッサンブレ・ナシォナール(国民議会)は、ほとんど動きがとれなくなるようになった。それらのフランス国の行動、ビシー政権のある期間内の行動が、フランス憲法の上でどういう取り扱いを受けておるかということにつきましては、このオルドナンスがまあ形は法規命令でありますけれども、内容は憲法であります。その中において、このフランスのフォルムがレピュブリックであるということはずっと続いているのであるという規定を、一条に設けております。そうして、次のようなもの、すなわち一九四 ○年の六月十六日より後に、このヨーロッパ地域、テリトアールコンティネンタールとかいってありますから、ラ・フランス・メトロポリテーン(フランス本国)においてなされたそのすべての立法的もしくは法規設定的の行為というものについて、それは全く無効であると第一条でニェル・エ・ド・ニュル・エッフェという字を使っております。それは全く無効だ。そのニュリテ、無効性が明らかに確認されました。そして第三条では、次のような規定を設けておるのであります。第三条では、次のような、次に述べる国家行動というものは、すべてニュリテである、無効であるということが確認されたとありますので、そのまず最初に、ラアクトディ・ロア・コンスティテュショネル、一九四〇年七月十日のいわゆる━━いわゆる憲法として書いてあります。アクトとしてカッコしまして、ロア・コンスティテュショネル憲法たる法律というのをあげております。これは全くニュルテ(無効)であるとしております。フランスの憲法の上で、一九四〇年の、今あげました七月十日の憲法たる法律、ロア・コンスティテュショネルというのはどういう規定かと申しますと、今申し上げましたように、一条しかない規定であります。非常にこれは国法学の研究といたしましては、ことに比較憲法学の上では、国際法とも関係がござりますから、私どもには非常に学問的の興味の深いもので、その中でこういう規定を持っています。これはアルティクル・ユニーク、単一条文、一つしかない条文。それで、まだそのときには、共和国で、その当時のフランス共和国の大統領はアルベール・ルブランという方で、アルベール・ルブラン氏がビシーで、一九四〇年の七月の十日に、そしてそれはプレシダン・ド・ラ・レプュブリック、それからマレシャール・ド・フランスであるぺタンとが、すなわちぺタンはコンセーユ・デ・ミニスブランと、こういうことになります。 その中で、ペタンに授権をするのでありますが、このアッサンブレ・ナショナーレ、国民議会が、すべてマレシャル・ペタンに全権をあげて与えています。それはどういうプーボアール(権力)を与えたかというと、ユーン・ヌーベル・コンスティテュション(一の新しい憲法)を作る権力を、エタ・フランセの、フランス国家の、一つの新しい憲法を作る権力を、ペタン元帥の権威と署名とのもとに置かれる共和国の政府に作って、それを発布するということ、その権限を授与するとあります。そしてこの憲法、マレシャルペタンの権威と署名とのもとに政府が作るべき憲法は、このフランスのドロア・デュ・トラバイユ、労働の諸権利、それから家族の諸権利、祖国の諸権利というふうなものの諸権利を保障しなければいけない。そしてそれはまだ二つのアッサンブレはありますが、フランスのナッション、国民によって批准され、両議院によって適用されるとなっています。彼の権威のもとに後に作っていく憲法は二つのアッサンブレによってアプリケされるだろう、適用されるだろう、こういうことで規定を設け、つまり一八七五年の諸憲法の規定憲法たる法律というものをまあなくしてしまう、それらにかわってペタンに全権を与えて、エタ・フランセの憲法を作る、その憲法ができるということになります。 これが、今述べました一九四四年の八月九日のオルドナンスによって否定されます。その中におきましても特に今、述べた一九四〇年の七月十日の憲法法規、すなわちペタン憲法は、無効である、という規定を設けました。それから、長くなりますから申し上げませんけれども、その中でも、ある行為は認めても差しつかえないもの、たとえば裁判所において裁判した民事の裁判、それまで無効とする必要はない。カテゴリーをおよそ大きく申し上げますと、三つに分けて、全く無効なもの、部分的に無効なもの、そうでなくして効力を存続するもの、こういうふうなものを作って、憲法たるオールドナンスが規定をいたしましたから、この点から申しますと、日本のいわゆる仏印の共同の防衛議定書というようなものは、全く無効で、ニュル・エ・ノン・アベニューということになる。それは法的には、なかったということになる。こういう点を考えますと、後にもし単一的な政権によってベトナムという領域が、今日はジュネーブ協定で十七度に分かたれておりますが、南北が、もしもかりに将来、いつの日にか一つの政権によって統一されるというような可能性がもしあるといたしますれば、その場合には、フランス憲法の歴史的な過程から考えまして、過去のある政府のやった行為が、ことに政治的条約が、あるいは重大な新しいレジームと両立し得るかどうかというような、そういう条約なり協定というものが、そのまま無条件にその新しい政治権力によって国際法の上で承継されるかどうかは、これは私ども、政治の問題にもなりますので、はっきりしたことはわかりません。ただ新しいレジームと両立し得ないようなものであるとか、あるいはあらかじめその行為を承認しないとか、あるいは、それに反対するというような明白な意思表示をもし現わしておるという事実がございますと、それが後の政治権力によって、その両立しない点についての条約というものが、ペタン憲法についてフランスの後の憲法上とられましたように、無効であるという、その統一した国家の国内憲法上の規定に基づく措置が出てくる可能性も、法的にはあると存じます。政治のことにつきましては、私ども学者でございまして、全くその点に通じないこともたくさんござりますので、私はただ国際法学及び比較法学的に、ことに承継の法理の底に横たわる安全性の保障の問題などから私としては疑問があるということが、むしろ一番に貫ぬいておる感じなのでございまして、皆様に御参考になるようなお話が十分にできたとも存じません。これでもって、私の申し上げることを終わります。
○委員長(草葉隆圓君) ありがとうございます。 —————————————
○委員長(草葉隆圓君) 次には、富崎参考人にお願いいたします。
○参考人(富崎万右衛門君) 私は戦前、戦時中十一年間、戦後三年半サイゴンに居留いたしておりました。従いまして、サイゴン近在の状況について御報告申し上げたいと思います。 サイゴンは南方総軍が置かれておりました所でありますし、また兵站の基地として強力なる物資の調達が行なわれました。南方各地の前線の分まで準備せねばならぬというものもありました。旧仏領インドシナ時代の貿易態勢を見ますと、サイゴン港は最も大きな規模でありますし、これについで、ハイフォン港、さらにカンファーからの石炭の積み出し、カナからの塩の積み込み等がありました。サイゴン港におきましては、これら各港からの輸出入貨物の合計金額の大体三分の二を占めるという重要な地位を占めておりました。ことに食糧品が豊富でありましたことからして、わが国の物資調達に深いつながりを持っておりました。昭和二十年の四月ごろ米軍の空軍基地がフィリピンにでき上がりましてから、毎日午前十一時ごろから午後の二時ごろまで三十機、四十機、五十機という爆撃で、非常なる混乱を来たしました。この爆撃は百日以上連日続きました。大きな爆弾が落ちますと、数町四方被害をこうむりますので、市中の物資は極端に不足しますし、生活用品の入手はまことにむずかしくなって参りました。物価は法外な値段となりまして、著しい苦しい生活を送らざるを得なかった状態でありました。米とゴムは最も大きな農産物でありまして、サイゴン米の状況について申し上げますと、これは米作は、経済の大きな動脈をなしておりまして、世界の三大輸出地の一つでありまして、戦前には年間大体百五十万トンぐらいの輸出をしておりましたが、また北部地区、主としてハイフォン港向け年間十万トン以上ぐらい、中部山岳地帯へ四、五万トンを回送するというのが普通の状態でありました。北部送りは海上輸送、鉄道輸送ともに途中からできなくなってしまいましたので、同地方の食糧事情には大きな影響があったものと推察いたします。 戦時中日本側がこの米を大量に収買いたしました。多いときには年間大体百万トン近くにも及びましたが、終戦時ごろの一年間には非常に減産となっておりましたので、せいぜい五、六十万トンしか買えなかったかと思っております。この米の収買は、初めごろは現地の米の組合を通じて標準価格をもってなされておりましたが、だんだん状況が悪くなって参りまして、米の組合のみには頼っておられないということで、奥地の産地まで日本側が出かけまして買い取り輸送に努めたものであります。何分にも五百キロメーター、六百キロメーターという広範囲にわたって集貨を行ないますので、相当にこの間苦心があったことはもちろんでございます。なお一般市中の小売値段は非常な高値を呼んでおりまして、大体標準価格の三、四倍、時と場合によっては四、五倍という値段を現わしておったこともございます。米は同地方の全く経済の基盤でありまして、住民の大体六五%は関連を有しております。またこれの輸送、精米、包装資材の取り扱い、トラック、はしけ、荷役人夫というような専業者等、広く生活の基礎としておりました。しかし、この米もだんだん減産となって参りました。その減り方は戦前に比べて二〇%ぐらいだと見る向きが多く、すなわち八、九十万トンから百万トン見当、現在のFOB価格は一トンについて百ドルないし百十ドル見当でありますから、大体この分だけで一億ドル見当となります。国の財政上大きな影響があったことは当然でございましょう。 それでは、どうしてこんなに減産になったかという原因は種々あることと思いますが、トラックやはしけが不足しまして輸送がうまくいかなくなった、集荷の機構がこわれてきたというところに大きな原因があるように見ておる筋が多くあります。トラックやはしけは日本側でもかなり使用しておりました。在来のものは修理できぬとか、大体が輸入に頼っておりました関係上、新規補充が困難であるというようなことにて輸送力は非常に減殺されて参りました。従来の習慣からみますと農家は大体まずしい者が多くございましたが、耕作期になりますとその土地の有力者から前借りをして、農機具の購入あるいは水牛を借りるというその借り賃を払うことに充当しておりましたのですが、それで収穫がありましたときに現物で返すというような方法をとっておりました。産地の有力者が自分の資金だけでは十分でない場合が多くございますが、ショロンの精米所、米穀商、籾商、そういうところから融資を受けておったのであります。トラックやはしけでの輸送がうまくいかなくなって参りましてから見返りの米を確実に入手できるかどうかということの不安が非常に増して参りまして、これらの融資に対しまして全く積極性を欠くようになって参りました。これが糸を引いて農家は前借りが十分できず、農機具が不足しまた水牛の借り賃を払えない。農繁期には臨時手伝人を雇い入れるところがたくさんございますが、それもできないというようなことからして十分な耕作が行なえずに、つまり植え付けをしない、放棄しておく放棄田というものがずいぶんふえて参りました。終戦時この廃棄田は大体二割ぐらいあっただろうと見る向きが相当ございます。一度耕作しないで放棄しておきますと猛烈に雑草が生えて参ります。ところによりますと灌木が繁って参ります。その米作地帯というものは天候的に半年間は連日雨、残りの半年間は完全に乾季で雨一滴降りません。水田も岩のように固くなって参りまして、とうていすきやくわは入りません。次の雨季が来て土の柔らかになるのを待たなければなりません。そのときは耕作しやすい所から先にかかりますのでなかなか廃棄田には手が届かないことになります。それで全く雑草が生えて参り灌木が繁ってくるというような状態になって参ります。戦後もいろいろな事情でこの廃棄田は一時三割にも達したと言われております。その回復には深い考慮が払われておりますが、なかなかに思い通りにいかないと見えまして、まだ現在も二割近いものが残っておるのではなかろうかということが言われております。 次に、ゴムは米に次ぐ大きな経済の基礎を成しておりました。サイゴンから百数十キロメートルの範囲内には優秀なものがたくさんあります。戦前は年間七万トン近く産出しておりましたが、輸出が停頓して参り、またゴムの液を凝固せしめるときに使う化学薬品の不足が起こって参りました。終戦時にはごくわずかしか生産されなかったと言われております。多くの労務者はだいぶ失業するような状態になりました。ゴム液を凝固せしめるその過程に使う酢酸というような化学薬品の不足を補うために、ゴムの木を切ってこれを乾留して木酢を取るという応急措置も行なわれました。またサイゴンの近郊のゴム園は軍需物資の貯蔵所として利用されたものも相当ございます。そうなると労務者の出入は禁じられますのでゴム園の手入れもできなくなって参りますし雑草が生えて参り、水はけをよくすることもできなくなってゴムの木はだんだん老化して参るわけでございます。採取を行ないましても液の出方が少なく、労務賃金をカバーできないような、採算からはずれたものになってしまうわけでございます。戦況がだいぶ激しくなって参りましてから、ますますゴム園は使用されますし、応急の倉庫を作る、防空壕を作るというような場合、最も手っ取り早いゴムの木が使われました。ゴムの木は植えつけてからまあ八、九年目からタッピングができると言われておりますが、本格的に生長するには十八、九年を要します。 なお、現在ゴムの値段は一トンについて八百ドルないし九百ドル見当でございます。それから豚と鶏は非常にたくさんおる土地柄でございました。以前には豚などは立豚と申しまして、生きたままシンガポール方面へ満船で積み出されておりましたが、普通の食糧及び乾燥肉の材料に使用されたものも相当ございますので、消費が激しくて市中でこれらの肉を買うということは非常にむずかしい状態に至ったことがございます。もしあっても非常な高値ということでございました。 戦後大体ひよこ三十数万羽、種豚六千頭、牛二万三千頭が輸入されております。ということは非常に消費の激しかったことの頽勢の挽回に努めておるわけであります。 それからたばこ工場はちょっとしたものが四つと、小さなものが一つ、合計五つありました。大体これらの設備は国内の自給自足ができる程度の設備でありました。この工場では大体バージニア種系のものと、フランスたばこという、つまりトーストしたものの両種類を製造しておりました。ところが日本人向きとしては大体バージニア種系のものが適当でありますので、これらが買い取りの対象となりました。原料のいろいろな都合、機械の故障、備品、部品の不足などがありまして、一時生産がだいぶん減って参りました。ところが前線送り分まで含めて、その当時三十万人くらいのものを準備せねばならないというような使命がありましたので、強力にその増産方を要求いたしました。それぞれのたばこ工場には日本側の連絡員が差し向けられまして、工場の維持あるいは備品の手当に努力するという、増産の態勢をとったのであります。 そういうことによりまして、非常に能率を上げることはできましたけれども、まあ上った製品は、優先的に大部分を買い取りましたために、一般市中にはほとんど出回らずに極端な不足とやみ値を現わしておったことがございます。以上をもって終わります。
○委員長(草葉隆圓君) ありがとうございます。 —————————————
○委員長(草葉隆圓君) 次は林参考人。
○参考人(林寧寿君) 東邦商会の営業統轄部を担当しております林でございます。 私は日本といわゆる北ベトナム、べトナム民主共君国との貿易が今日までどういうふうに行なわれ、どういうふうに発展し、現状がどういう状態にあるかということを、この貿易に従事しております幾多の商社の一人といたしまして御報告させていただきたいと思います。 現在この日本と北ベトナムとの貿易には、いわゆる俗に言われております物産、商事、五綿その他、日本の有力な商社はほとんどすべてこれになんらかの形において参加しており、またこれらの有力な商社はこの北ベトナムとの貿易におきまして、大きな業績をあげておられます。この北ベトナムとの貿易は実際に始まりましたのは一九五六年でございます。当時は日本と北ベトナムとの間には、直接の行き来もできないために、かろうじて香港を通じて補足的に行なわれるにすぎませんでした。一九五六年すなわち昭和三十一年の五月にわれわれ民間業者とベトナム貿易関係の国営公司との間に日越貿易に関する議事録というものが締結されましてこれをかりに第一次日越貿易協定といたしますが、議事録が交換されました。これは目標額といたしまして往復三百万ポンド、ドルに換算いたしますと八百四十万ドルになりますが、これを目標に大体当時行なわれておりました。日本と中華人民共和国との間にやはり同じように民間で締結されておりました日中貿易協定に準じまして双方の取引を始めたわけであります。その議事録を翌年の、五七年の一月にさらにこれを更改拡大いたしまして有効期限を一九五八年、昭和三十三年の三月末まで延長いたしまして、取引額の目標を片道四百五十万ポンド、往復九百万ポンドとしたわけであります。この議事録に基づきます取引の実績を見てみますと、五六年の九月から十二月までの輸出入の実績は、輸入においてはホンゲイの無煙炭、これを十六万英ポンド、輸出におきましては繊維、タイヤ、チューブ、紙類等、これを十三万七千ポンド、合計いたしまして輸出入二十九万七千ポンドの実績を上げたわけであります。ドルに換算いたしまして八十三万千六百ドルの状態であります。先ほど申し上げましたように、この取引は輸出入とも香港スイッチで、当時通産省の要求で香港の第三国商社——主として華商でありますが——を中に介入せしめ、日本からは香港への輸出、それから輸入は香港からの輸入として、いわゆる香港貿易として処理されておったわけであります。従いましてその途中におきまして第三国人商社に約三%の仲買い手数量をとられ、さらにベトナム向けの航路をわざわざ香港に寄港せしめましたために三〇%がたよけいの運賃をとられておったわけであります。こういった非常に不自由な貿易をわれわれ民間の業者は血の出るような思いで将来の楽しみとしてこれを育てていっておったわけであります。五七年の実績を見ますと、輸入、これはやはりホンゲイ炭でございますが、百八十八万七千ポンド、輸出におきましては、先ほど申し上げました繊維、肥料、化学品、タイヤ、チューブ、鋼材、非鉄金属、こういうものを百三十五万六千ポンド、合計いたしまして三百二十四万三千ポンドの実績を上げ得ることができました。五七年の一月、当時日本政府の非常な御援助によりまして標準外決済が認められるようになりましたためにホンゲイ炭の輸入のみは香港を経由——決済は香港を経由いたしますが、船は香港を経由する必要がなくなったのであります。それだけでも運賃の面で非常に助かったわけであります。 このように次第に発展して参りまして、一九五八年——昨年の三月ハノイにおきまして第三次日越貿易協定が民間団体によって締結されました。その協定額は往復六百万ポンド、そして有効期間一年ということで出発したわけであります。五八年六月輸出入ともベトナム民主共和国との直接の貿易を政府の方で許可されるようになりまして、決済も従来香港の中国銀行——バンク・オブ・チャイナを通じて行なわれておりましたものが、ロンドンのモスナロ銀行を通じても行なうことができるようになりました。五八年の輸出入の実績は、輸入におきましてはホンゲイ炭、トウモロコシ、燐灰石、こういう新しい商品も出て参りまして、合計百六十三万六千ポンド、輸出におきましては、やはり繊維品、化学品、肥料、ゴム製品、鋼材、非鉄金属、機械、こういうものが百六十七万八千ポンドに達し、合計三百三十一万四千ポンドになることができました。ところが本年に入りましてから、この五月に南ベトナム賠償協定が調印されましてから、一九五八年結びました第二次日越貿易協定の期限が本年の三月で無効になるわけですが、これをさらに延期するか、あるいは第三次の日越貿易協定を結ぶか、いずれにしても両国間の貿易に何らかの形において、協定によって保護されるような形を持ちたいと思いまして、われわれ業界から代表が参りまして交渉したのでありますが、ついにこの貿易協定は廃棄になりまして、現在無協定のまま貿易を行なっているわけであります。 本年に南ベトナム賠償協定が調印されました以後のベトナム側の態度をここで簡単に御報告したいと思います。これはベトナム側が言っておりますことをそのまま皆さん方にお伝えするわけであります。ベトナム民主共和国政府は、岸政府のベトナム賠償強行に非常に強く反対する。このような誤まった政策が是正されない限り、たとえ民間協定といえども日越貿易協定を締結する意味がない。しかしながら過去数年にわたり築いた両国国民の友好的成果を評価して、今後親善友好の関係を増大することを心から希望すると、こういう基本線において現段階においては新貿易協定は締結せず、日越両国友好のきづなとして、かつ日本の各団体、関係業界の要望にこたえて暫定的に貿易を継続する、こういうことで無協定のままケース・バイ・ケースで取引を現在行なっておるわけであります。五九年——本年の一月から六月までの取引を見てみますと、輸入におきましてはホンゲイ炭、松やにその他を入れましてその金額は九十三万一千ポンド、輸出におきましては繊維品、肥料、化学、ゴム製品、金属等四十万ポンド、合計百三十三万一千ポンドの契約を行なっております。これは数字的に見ますと、それほど、……、たとえ両国の関係が悪くなっても貿易面にあまり影響がないではないかというふうな錯覚にちょっと陥るわけでありますが、ここに現われております数字は、昨年契約されたものが実際の受け渡しが行なわれた数字でございますので、本年度に入りましてからの実際の契約というものは非常に微々たる状態になっております。私どもの会社におきましても、本年度に入りましてからの契約というものは、わずかに二千数百万円にしかすぎないという、非常に心さびしい状態になっております。 次に、日本とベトナムとの貿易が、もし両国の政治関係が好転していくなら、どういったふうに発展する展望を持っているか、こういうことについて若干述べたいと思います。 ベトナムは、北ベトナムでは、現在三カ年計画なるものを実行しておりまして、去年から実行いたしておりまして、去年、今年、来年、来年でもって完了するわけでありますが、一九六〇年におきましては、その対外貿易は、一九五五年を一〇〇といたしますと、六〇年には一八〇〇になる予定になっております。五七年に比べて三倍になる勘定になっております。現在北ベトナムが資本主義諸国との、いわゆる自由主義諸国家との貿易の比率は、五五年度は八・五%、それから逐年増加いたしまして五七年には二九・五%、五八年には三三%、そして近々四〇%程度に増大することが期待されております。ベトナム側では、本年度、五九年度対日貿易として予定しておりましたものは、日本からの輸入といたしまして、鉄鋼製品、非鉄金属、繊維、肥料、化学品その他を合計いたしまして、大体三千二百五十万ドル買い付ける予定にしておりました。日本に対する輸出、すなわち日本の輸入でございますが、それにつきましては、ホンゲー炭、燐灰石、鉄鉱石、トウモロコシ、ウルシ、そういうものを合計いたしまして、大体千五十万ドル予定しておりました。すなわち、輸出入四千三百万ドルの対日貿易が計画されておったわけであります。この数字は決して絵にかいたもちではなくて、今まで民間業者で築き上げて来ました日越貿易の実情から、経験から見ますと、そしてわが国産業経済の需給状況から見ますと、きわめて楽に達成できる目標であったわけであります。しかも、北べトナムとの貿易は、わが国においては輸入超過とよく言われるわけでありますが、決してそうでなく、輸出は非常に順調に進んでおりますし、この計画におきましても、輸出が三千二百五十万ドル、輸入が千五十万ドルという数字を目標にしておったわけであります。さらに日本側の輸入が拡大されていくものとして、しかも、ベトナムの三カ年計画における生産目標を基調として計算してみますと、輸入は三千六十万ドルまでに伸ばすことができるわけであります。これによりまして、往復七千万ドルの貿易というものはけっこう達成できるのではないか、こうわれわれは見ておったわけであります。七千万ドルと申しますと、現在日本とソビエトの通商協定の交渉が行なわれておりますが、今年度の日本とソビエトの貿易が、ちょうど往復七千万ドルぐらいに達するわけであります。これくらいのものが北ベトナムとの貿易においても容易に達成することができる見込みであります。 次に、時間がございませんので、簡単に申し述べますが、この北ベトナムと自由主義諸国との貿易が一体どういうふうになっておるか。これは、われわれの側では、数字的にははっきりつかむことはできませんが、西欧諸国、ことに英国とフランスは、この北ベトナムを有力な市場として、非常に有力な通商活動を行なっております。フランスは、御存じの通り、すでに北ベトナムとの間に国家間の通商協定を持っており、相互にパリとハノイに代表部を置いております。英国もまた、ハノイに領事館を置いて、積極的に商活動を行ない、その交換条件として北ベトナムは香港に通商代表部を設置し、香港、北ベトナム間の貿易の拡大に相互に努力しております。その他東南アジア諸国、すなわちインド、インドネシア、ビルマ、それからアラブ連合等は、それぞれ外交関係を持つとともに、また通商協定を締結して、国家が積極的に相互の貿易の発展に努力しております。 われわれの場合は、北ベトナムの最大の競争者はフランスと英国でありまして、フランスと英国もまた、日本を最大の競争者として取り扱っております。現在東南アジア諸国と北ベトナムを結ぶ三角貿易的な動きもまた、非常に活発でありまして、たとえば、インドネシアや北ベトナムとの間には、北ベトナムからインドネシアに対して米とセメントが輸出されております。また、北ベトナムからインドに対して米が輸出されております。この輸送には、現在でも日本船が使われております。こういうところで、われわれは輸送の面において外貨を獲得しているわけであります。また、北ベトナムとカンボジアとの間で取引が行なわれておりまして、これは、カンボジアからトウモロコシを出すわけでありますが、そのトウモロコシは、ベトナムでは自分の国で生産するものですから、これを必要としないために、日本側はこれを買おうとしております。こういうふうに、東南アジア諸国、インドネシア、カンボジア、ビルマ、こういった所と北ベトナム、それから日本と、こういった三角貿易の展望も非常に大きいわけでございます。 しかしながら、このベトナム賠償協定が一体どのように貿易の面に影響してくるか。これは、現在のところわれわれは、無協定という形で、辛うじてスポット的な、ケース・バイ・ケースの取引しか行なわれないという、非常に不安定な状況の形で現われており、これがさらにどういう形になるかということは、簡単には憶測できませんが、少なくとも西欧諸国並びに東南アジア各国がこの北ベトナムの存在とそれから北ベトナムの経済発展の展望を見きわめて、これを大いに着目しており、こういう点は非常に大事ではないかと思います。よく言われることでありますが、ベトナムに行きました各商社の代表の方の話を聞きますと、日本の場合は、日本の商社は駿馬のごとき非常に積極的な働きをするが、いかんながら政府においてこれを十分に応援しない。すなわち騎手がいない。ところが英国、フランスになると、騎手はきわめて優秀であり、馬がそのあとからのこのこ走ってくると、こういうことをよく言われるわけでありますが、とにかくこの数年間において、血の出るような思いで民間業者は、ただいま大平先生も言われましたように、木を植えてきたわけであります。この木をとにかく育て上げて、そして大きな実を実らせるということは決して不可能ではない。これはわれわれだけでなく、東南アジア諸国並びに西欧の各国すらも大きな木を植えようとしておる。そして実らせようとしておる。こういう事案を一つぜひ考えていただきたいと思うわけであります。 こういう観点に立ちまして、いま少し北ベトナムの事情をよく御調査いただきまして、全ベトナムの統一までに、この賠償協定はいましばらく延期していただいて、全ベトナムの統一ができた暁において賠償問題も考えていただく、こういった進め方をしていただくことの方が、われわれにとっても、わが国にとってもきわめて大事なことではないか、こう思うわけであります。 非常に簡単でございますが、御報告にかえさしていただきます。
○委員長(草葉隆圓君) ありがとうございました。 —————————————
○委員長(草葉隆圓君) それでは、参考人の方々に対しまする御質疑のおありの方は、順次御発言を願いたいと存じますが、大沢参考人がお急ぎでありますので、大沢参考人に対する御質疑をお願いしたいと思います。
○森元治郎君 ちょっと伺いますが、大沢さんは何分ぐらいまでおられるのですか。
○参考人(大沢章君) 一時ぐらいまでけっこうでございます。
○森元治郎君 それでは、大平さんにちょっとお伺いいたします。
○委員長(草葉隆圓君) こういう予定をしております。大沢参考人に先に御質疑をいただいて……。
○森元治郎君 関連があるので、ちょっと伺ってすぐ……。大平教授にお伺いしますが、さっきのお話の中で、政治論として南ベトナムの北の方には、北ベトナムという対立している政府がある。フランスがこれを事実上承認している国があり、そして政府があるということは事実であると、こういうことをおっしゃいましたが、その点をもう一ぺん確認したいと思うのですが、それからもう一つは、この北ベトナムの承認は、日本の実力からいって、外交交渉によってきまるというような、ちょっとこの意味がわからないのですが、意味の御説明を願います。
○参考人(大平善梧君) 北ベトナム政府があり、その政府がはたして国家であるかどうかということにつきましては問題がございます。すなわち、北ベトナムといたしましては、全ベトナムを代表する政権になりたい、また現実にそういうことを主張しているわけでありまして、従って、二つの国があるというふうには私は考えておりませんです。ただ、政権がある。そしてその政権は、かつての母国であるところのフランスも事実上承認している。もし正式に承認するならば、これは政権を承認するのですから、国家を承認したことになりまするから、二つの国があるということは、はっきり言えると思います。しかしながら、事実上の承認でありまするから、それは事実上の政権を承認したというわけであります。ところが日本は、そういう事実的な承認すらしておらないのでありますから、単に事実上の政権があるという、そういう事実関係にとどまるわけであります。 それから、第二の点でありますが、南ベトナムに日本が賠償をいたしまして、それが北ベトナムにどういう関係があるだろうかという点でありますが、先ほど申しましたように、北ベトナムは一つの政権であり、そこに政府がありまして、その政府は事実上北のベトナムを支配しており、この賠償問題については不満の意を表して、南北統一の暁には、むしろ賠償を放棄してもいいというような非公式の意思が伝えられているわけでありますので、南ベトナムに日本が賠償をしたということに不満を持つことは当然であります。そういう場合には、これは政治問題でありまして、法律論といたしましては、南ベトナムは全ベトナムを代表するという意味において、全ベトナムに対する損害を日本に請求する、そして日本との関係におきましては、全ベトナムに対する損害の賠償がこれで終わったという形をとっており、その点は、この参議院でございましたですか、往復文書が明らかにされておるところであります。従って、南ベトナムに関する限りにおきましては、賠償問題は完全になくなっておる。ところが、北ベトナムはこれに不満でありまするから、賠償問題が再発するという可能性は政治的にある。その場合に、北ベトナムが日本に賠償を請求する権利があるかと申しますと、私は、その権利はないと思います。何となれば、賠償を請求するためには条約が必要である。ところが、北ベトナムは、日本と賠償協定を新しく結ぶならば別でありまするけれども、何ら賠償に関する条約上の権利はない。ただ、南ベトナムに日本が支払ったという事実を向こうが承認して、昔受け取つたものをこちらも受け取つたものと考えるというようなことを、北ベトナムが全ベトナムを支配したという場合に、それを認めるかという点になりますると、それはわからない。ところがそのときに、日本は確かに承認の問題につきまして外交交渉が始まると思います。この場合に、日本の経済力その他から考えまして、相当に強い態度をとることができるのじゃないか、そういうふうに考えるわけであります。
○森元治郎君 あとからまたお伺いしますが、次は、今のお話の中で、いつ日本と戦争したかという開戦の時期、それから終わった終期ですね。これについては、どの日ということをどういう条件できめるのだというようなむずかしい条件は、最近の傾向ではない。そういう開戦の時期、終期というものは、事柄々々によって変えてもいいのじゃないか、こういうような御意見があったようでありまするが、この最近の傾向とはいつからをいい、事柄によって変えてもいいということの御説明を願います。
○参考人(大平善梧君) 大体第一次大戦からそういう先例が起こっているのじゃないかと思います。たとえば、戦争終了の宣言というような一方的な宣言で、国内法的に戦争を終了するという場合がございますし、また、戦争ではないけれども、保険契約とか、そういう国内法のあるものについては、戦争が始まったと考えられるというような幾つかのケース、バイ・ケースでこれを変えるということが必要であります。ただし、国家の正式なる関係におきまして、大きな問題につきまして、たとえば、第二次大戦が日本においていつ戦争関係が起こったかといえば、十二月八日であります。しかし、その前に、経済関係とか何とかという点につきましては、いろいろなケース・バイ・ケースで、戦時と同じような場合が起こってくるのじゃないか。特に敵産管理とか、そういうような国内法の問題については、そういうことが考えられる。私は、そういうような考え方は、大体第一次大戦以後、現象が起こっておるということを申し上げます。
○森元治郎君 大沢参考人にお伺いしますが、この条約の開戦の時期の遡及効ですね。この遡及効をお認めになるのか。私は、依然やはり世界でこういう考えが有効であるだろうと思うのですが、日仏間の開戦の日を一体いつとお考えになるか。遡及効があるとすれば、その遡及効の起点ですね。スタート、これは、平和条約から始まって考えていくべきだと思うのですが、その点をまず伺います。
○参考人(大沢章君) これは先ほど申し上げたのでありますが、フランスの憲法の上からは、ドゴール政権のアト・コンスティテュショネル、憲法上の諸行為と申しますか、それを一九四四年のオルドナンス、まあ法規命令で効力がないといたしまして、ドゴールが日本との間に戦争状態のあることを、開戦宣言といいますか、戦争状態にあることを宣言した一九四一年の十二月八日を、それからその一九四〇年七月十六日以後のものを、憲法上の諸行動というものを、無効とするという建前をとっておりまして、ペタン政権のそういう条約的な行動は、効力がないという憲法たる法規命令で、形はオルドナンスでありますけれども、明文で、その第三条で認めておりますから、もし日本がそのフランスのビシー政権のとった国家行動を否定して、憲法の上ではそれとの間に法的の連続性がないということに対して、プロテストなり、あるいは異議というものを明らかに表示せずに、サンフランシスコにおいての外交代表の条約締結に対しても、留保なしにしておるとしますれば、やはり日本は、フランスがとっておる憲法上のその、国内法の上での法の連続性は、どうかということについては、それを認めたと法的には解しなければならないのではないか。日本の国家が、フランス国家の憲法上のその行動を、あるものは、フランスは認めていないのに、日本はそれを認めるとか、その戦争状態に入った日について、フランスはこの時点から入ったと、ドゴールの宣言を承継しているわけでありますから、国家承継、それを日本は認めないというならば別です。それは日本が意思表示をする自由は、平等国家として、あると思います。日本としては、こういう時点を広く戦争状態が始まった日と認める、こう言えるのではないかと思うわけであります。 それから大へんに違うことを申し上げて、先ほど私は何分昨夜、ある書類を見ただけでの考えを申し上げたので、読み違いをいたしまして、たしかフォンテンブロ━━協定と申し上げたと思うのでありますけれども、ジュネーブと申しましたが、もし混同いたしまして、先ほど十一条の規定のあるのを申し上げたのはパリの暫定協定でありまして、ジュネーブ協定とフォンテンブロ━━、ジュネーブ協定と言ったのではないかと思いますので、そうだといたしますと、非常な違いであります。それは一九四六年の九月十四日のマリウス・ムーテとホー・チミンとの間、その中で、フランス共和国臨時政府のために、それからベトナム民主共和国政府のために、そのフランス共和国とベトナム民主共和国とが、協定を結んでおります。それを申し上げたので、それを何か誤まったかと思いまして、その点は大へん皆様に誤解をおさせ申しては済みませんのでその点を訂正させていただきたいと思います。
○森元治郎君 そこでいろいろな文書、条約文の出ているのを見ると、大ていは開戦日は十二月八日という字が出ていて、今政府側が言っているような一九年の八月二十五日という文字は、どこの新聞にも、雑誌にも、法学雑誌にも、その他の記録にも出ていないのですが、ただいまのそのオルドナンスからいくならば、八月二十五日という日、これはもう当然吹っ飛んでしまうというのでは、説明ではこの日に全フランスを押えたというまでにはいかないが、とにかくドゴールがパリを回復してきた日だと、こういうこと、そうしてまた間もなく仮承認もあったし、実態があったから、同年の十月二十三日には米英ソ三国の承認を得るようになったのだから、八月二十五日がいいなどという議論が、政府側の説明として出ているわけでありますが、この点は私はなくなってしまうのじゃないかというのが質問の一点。 第二点は、当時ドゴールは、遡及していきますと、ドゴールはロンドンにおって、自由フランスを作っておった。ところが、政府側その他の議論は、当時政府の実態を持っていないから、また、各国の承認も得ていないビシー政府と日本は条約関係にあったから、ロンドンの自由フランスというものは資格がないのだということで、一蹴をしているが、これは今の議論からいえば、当然問題にならない議論であると思うのですが、大沢参考人の御意見を伺います。
○参考人(大沢章君) お答え申し上げます。幾度か引用いたしました一九四四年の八月九日のオルドナンスの立法の趣旨を書きましたものの中に、この一九四〇年六月十六日、すなわち元の第三共和政府、最後の、レジティーム・グーヴェルヌマンと書いて、最後の正統政府が、それがついえた、シュートという字を使っておりますが、没落した、つまりペタンに変わるわけであります。そのフランス共和国の正統政府が没落した日、一九四〇年の六月十六日以後のそのすべてのことは、明らかにこのニュリテ、無効であるという、フラッペ・ド・ニュリテという言葉を使っている、それを受けて参りまして、本文の第三条で、次のことが明らかに無効であるとして、コンスタテされた、確認され、一九四〇年七月十日の、「いわゆる」憲法という法律、そうしてすべての憲法的の行動、━━それはいわゆるアクト・コンスティテュショネル、憲法に基づく諸行為というものは、すべてニュリテである、無効であるという規定がございまして、ぺタン政府のその間に六月十六日以後、いわゆる授権法で、唯一の、一条しかない法で、先ほど申し上げましたこの法律と申しますか、「いわゆる」憲法たる法律と、フランスみずから憲法で言っています、憲法といっても、オルドナンスであります。それは、無効なのだと、そのことが明白に、エクスプレセマンに確認されたと書いてあります。フランス国としては、条約締結については、その立場から出ておるのではないかと思いますので、そのドゴールと間にたったビシーの何年かというもの、それは無効で、憲法上の行動だからそれを認めないと、ドゴールのまだ正統政府となっていなかった時代の一九四一年の十二月八日を、日本との開戦の日付としたということをフランスとしては確認しておる、こう見なければならないのではなかろうかと思います。フランスの憲法の上では、日本がそれに外交的に異議なり抗議なり、まあ他国の憲法行動について異議を申すということは、国際法上どうかと思いますけれども、それにしても、外交交渉として、その日付は日本としては認められないという留保がございますと、国際紛争にまで展開し得ると思いますけれども、そうでなく、サンフランシスコ条約において、日本はフランスの政府の全権というものを認めて調印したとなると、フランス政府がとっておる憲法上の行動を認めておると法的には言わなければならないのではないかと思うのであります。私はまだ昨日のことで深く考えるいとまがないので、どうも物事のおそいたちと申しますか、お許し下さい。そう思っておりますけれども、あるいは思い違いで、それを直さなければならぬか、どうも法的にはそう思われます。
○森元治郎君 大沢参考人は、突然のことでいわゆる当面問題していることに、直接のお答えができる十分なる準備がなし得なかったということは、ほんとうにお気の毒でありますから、私は原則論だけをそれでは伺いますが、このオルドナンスでもってビシー政府によってなされた一切の立法的行為というものは、その形式とか名称のいかんを問わずだめだとなるならば、われわれが、日本が結んだ日仏議定書を初め、現在問題となっている特別円の基礎となった日仏間の通商、貿易、あるいは銀行間の取りきめというものもこれは無効である、こういうふうに考えるのですが、原則的にそのように私は思うのですが、参考人いかがでしょう。
○参考人(大沢章君) お答え申し上げます。一九四四年の八月九日の法規命令、オルドナンスの第三条によりまして、すべての憲法上の行動、アクト・コンスチィチューショネルと書いてある。しかし、先ほども申し上げましたように、第四条、五条、六条以下におきまして、十一条までありますけれども、全く無効のものと、部分的に無効のものと、エグゼキュートアール、執行する効力あるものとして認めるものと、大体大きく申し上げますと三つのカテゴリーに分けております。今私の申し上げましたのは、条約締結権的な憲法上の行動については、明らかにその三条にございますので、その点は。それからこういうものは有効だとしてあるものもございますし、それからまた非常に詳しいものは、別のこの表ができておって、その中でタブローというのを作って、そうしてあげておるようでございますから、今私の持っております材料にはそのタブロー、表のすべてがござりませんので、具体的のものについてはお答えがいたしかねます。
○森元治郎君 その具体的な表は私調べておりまするが、少なくも国家財政を制約するような条約というものは、これは無効ということにはなっているようですが、いかがでしょう。
○参考人(大沢章君) 一般の国際法論といたしますと、承継の法理からいえば、政治的の条約というのは、大体承継しないのがまず原則だろうと思います。ことに、承継国家の現在の憲法上の基本的な原則と両立しないようなものを承継する義務は、国際法上はござりませんし、問題は通商航海条約などについてでござりますけれども、これは非常にこの例は分かれておりまして、アメリカがテキサスを併合した場合には、イギリスやフランスはそういう通商条約というものについて存続するという共通な宣言をいたしておりますし、国際法の例としては、どの条約が承継されるかということについては、これは一番原理的にはむずかしい問題の一つでございまして、国家承継の原則に関する理論、まあ政治条約は大体承継しないだろう、しかしそれもいわゆるまあフランスならばトレテ・ロアに当たるもの、つまり立法条約的なもの、それからもう一つはトレテ・コントラ、大体契約的な、大体二辺条約的なものがそれでございましょう。それらに分けますが、ドイツの国際法学者のいわゆる立法事項をきめたフェラインバールゲン、それからそうでない二辺条約としてのまあ私法的な、契約的な性格を持つエルトレーゲ、この二つに分かちましてこの二辺条約の中でも、この立法条約については、問題は比較的に簡単だと思います。一国がそれから脱退するとか、そういう問題は除きますけれども、多数の当事国がありますから、存続して参ります。この二辺条約の中で、いわゆる何と訳したらよろしゅうございましょうか、トレテ・レエル、領域とか、その領域の現状、国境、その領域等に関係しての問題は、これは継承していくということになりましょう。これはある意味では政治条約で、国境条約なども、それになりましょう。だから新たに三つに分かれておるものが統一した場合の、その領域についての義務の問題というようなことについては、承継が認められるのではないか。この点が国際法の一つの非常にむずかしい主題でございまして、各国の慣例的なものも分かれておりまするし、学者の説も、多少分かれておりますので、まあケース・バイ・ケースにあるものは、どうしても基本的な観念に基づいてきめていくほかはないのではなかろうかと考えます。
○森元治郎君 それではこの十九年の八月二十五日、ドゴールがパリに到着した日、パリを回復した日とかいうこの日ですね、この日は今までの御見解からいくならば、問題にならないと思うのですが、いかがでしょう。
○参考人(大沢章君) フランス政府のとっておる立場は、その日は問題にならず、日本との戦争状態の開始の時期は、ドゴールのその行動をフランス憲法上の行動として承継しており、ビシーは否定されましたから、問題にならないのではないかと私は考えます、法理論的に。
○森元治郎君 それでは、法理論的でけっこうですが、いわゆる国民のいわゆるしろうと━━一般の感情としては、二十年、ちょうど日本がフランスに、仏印の総督に最後通牒を突きつけた、あの日からが実際の宣戦布告、戦争があったのだから三月九日だというのも、今の御見解ではやはり法理上は無理である、こういうふうにお考えになられますか。
○参考人(大沢章君) 純粋に国際法及び憲法との関連から申しますと、フランス政府がそれを戦争状態の開始のときとして、国家行動をとった、ドゴールがとったことが承継されましたから、それは法の連続性で、フランス国家の国家行動となります。それに対して、もし何らかの意思表示がなければ、そのときを戦争開始の時期と認めるほかはないのであり、もう一つは、国際法上、戦争の開始は一方的の行動でできますから、双方のそれでなくして、一方的の行動で国際法上開始し得るわけでありますから、もちろん国際条約の上の最後通牒とか、宣戦の正式な開戦宣言とかいう点は別といたしまして、日本が真珠湾を攻撃したというその行動で、戦争は開始するという、一方的に戦争の開始が国際法上は認められるわけでありますから、私は純粋に法理論だけを法学者としての意見を申し上げるにとどめさせていただきます。
○森元治郎君 それでは、戦争開始日というものが現在の政府の御説明では、フランスは十二月八日といっておりまするが、日本政府としては十九年八月の二十五日というのがわれわれの日本側の法律的立場でありまして、そういう心がまえだと、こういうのですが、戦争開始日が法律的立場とかあるいは腹がまえだというようなことで決定されるものかどうか、もしそういう場合には、何か政府の公文書でも出して、日仏間の戦争状態に入った日は何年何月、昭和十九年八月二十五日だということを一般的に公示しなくてもいいものかどうか、この二点を伺います。
○参考人(大沢章君) 後に政府が、客観的の戦争開始の時期として、一方が法的に認めておるところをこちらはそれとは違ってこう考えるということを申すことは、国家としてその判断で、そのときどきの政治権力が正しいと思うところで決定することができると思いますけれども、それが法的に妥当であるかどうかということは、問題は別になってくるのではないかと思います。 いま一つの点は、戦争状態に入ったことを、国家行動として、たとえば、その主権者がそのことを知らせるということは、多くの国が適当なる機関をもって国民に知らせるということは、後にするということもございましょうし、同時に、戦争状態が開始して交戦状態に入るということもございましょうし、その意思の外への表明、内及び外への表明と、実際の戦闘行為が開始されるということの間には、時間的のズレがあると思いますけれども、いずれにしても、事実によって、事実的に戦争状態に入るということがあり、のちにそれを宣言するというような形を、事実的に始まったならば、そのまま続くというだけでなく、戦争状態にあることを法的の処置その他で明らかにいたしますから、たとえば敵国人及び敵国の財産の取り扱い等の中に、国家の意思は現われまして、平和状態にできない行動を示しますから、そういうことも、国家が戦争状態に入ったことを、軍隊の戦闘行動でなくて、国家の意思を確認することができると思います。それは戦争の例によって、いろいろ事実的な武力の行使から始ること、それから外交談判の断絶したのちに戦争状態に、いわゆる交戦状態に入ってくる、いろいろ分かれますから、一概には申し上げられないと思います。
○森元治郎君 一点。それではこれは原則論ですが、戦争開始日というものが、二つも三つもあっていいものかどうか、ということは敵産の処分についてはこう、たとえば工業所有権の問題については、この日が開戦日だという幾つもあっていいのかどうか、言葉をかえていえば、開戦記念日というのが、起こった問題についての処理上適当な日どりに上げ下げできる、ムーバブル的なものであるかどうかということが、そのことが過去の判例なり、なんなりにありましたかどうか。 もう一点は、これは問題が起こったときには、戦争開始日で何らかの問題で日仏間にどうしても戦争開始日を決定しなければならぬような場合が起こると思う。そのときにはやはり国際司法裁判所へ訴える。国際司法裁判所の問題になり得ると思うのですが、その点を伺います。
○参考人(大沢章君) お答え申し上げます。国際法の上におきまして、交戦国間にいつ戦争状態が始まったか、言いかえれば、いつ平和状態が終了して戦争状態に移行したかということは、法的には、一つしかないと思います。国際法的には。ただ従来の取り扱いなどで、ある種の外国のその権利の保障、あるいは保護の問題で、実際の客観的にはそれが国際法上戦争開始の時期であるのと違った取り扱いをいたしておるということもございましょうし、そういうあるいは法律なり、規則、規定を作って、その問題については、特に戦争の時期を、違う国家行動をとっておるということも事実でございます。しかしそれは、国内法的に、その時期を定めて、相手方の権利についての特別な、まあ利益あるいは本来ならばそうでないものを認めるとかいう関係で、国際法的にいえば一つしかないと考えます。二つはあり得ないと思うのです。 それから第二の御質問は、のちにそういう、いつから戦争開始の時期か、いつが戦争状態に入ったときかということについて、当事国の間に争いがあり、意見が一致しないということになりますれば、いろいろそれについての外交上の交渉なり、それについての外交権の交渉ということは考えられますけれども、結局、どうしてもその問題についての主張というものが対立して参りますれば、いわゆる国際紛争にまで展開して参りまして、条約関係がそれに結びつきますれば、今日の国際法におきまして、ことに国際連盟以来、国際連盟の時代におきましては常設国際司法裁判所、今日の国際司法裁判所、これらに問題が提訴されるという可能性は、法的には認めることができると考えます。
○杉原荒太君 大沢参考人に数点にわたってお尋ねしたいと思います。 第一点は、一九四六年九月十四日のフォンテンブロー暫定協定についてですが、この暫定協定、先ほど言われたような内容のものが署名されたことは事実である。ところが問題は、これの効力ですが、参考人はこの暫定協定の効力がすでに発生して、しかもなおその効力が持続しておると見られるのか、そうであるとすれば、その根拠はどこにあるのかということを私はお尋ねしたい。
○参考人(大沢章君) お答え申し上げます。パリにおいて一九四六年九月十四日にフランス共和国臨時政府のために、またベトナム民主共和国政府のためにという署名を得ております暫定協定が、今日フランス及びベトナム民主共和国、両国の間でどういうふうにそれを廃棄してしまったのか、それについて、それを継続していくどういう意思を持っておるのか、その事実的の関係について、私はベトナムの問題について多少は研究いたしておりますけれども、十分に事実的な点を精確には明らかにしていない点もございますので、フランスがその前の条約を後の条約で廃棄するなり、変更するということは、むろん法的にはできることでありますから、それを全然否定するような意思が表われておりますれば、その条約は、一方的にはできませんけれども、ベトナム民主共和国との合意ですから。合意によって変更し、あるいは存続を認めないという、いわゆるその条約の消滅的な行動をとっておりますると、問題は明らかになると思いますけれども、その点につきましての事実的の根拠は明らかにいたしませんので、もしその両当事国において、その合意であるものを後の合意で変更していなければ、法理論的には継続しておると考えなければならないかと思います。後法で前法を廃止し、変更することはできますから、この協定を変更し廃止する措置がとられていない限りは、法的には継続して効力を持つこの当事国間の関係でありますから、そう考えなければならないのではないかと思います。
○杉原荒太君 この協定の効力が発生したか、また一たん発生したその効力が存続するかどうかの問題は、全く、事実、その後どういう事態が起こったか、事実上どういうことがあったかということを、そしてその事実というのは、これは単なる法律的の関係を抜きにした意味での単なる事実行為ではなくして、法的にも条約上も意味を持つ、そういうもの、その関連において見ることが、私は一番大事だと思うからお尋ねしたんですが、しかしそういう関係は御存じないということで、私はそれがもしあれば、その根拠に立って言っておるならば、私はもっと御質問したいと思ったけれども、御存じないと言われるから、この質問はこれだけにいたしておきます。 それから第二点、一九四四年八月九日の、先ほどから出ておるオルドナンスの問題ですが、先ほどからの御質問に答えられております点もありますけれども、なお私、確認したいと思うのは、このオルドナンスによって全然無効ということになったもののうちに、日仏議定書等も含まれておるのかどうかという点、はっきりそこの御所見を……。
○参考人(大沢章君) 第二の点についてお答え申し上げます。この一九四四年八月九日の憲法たる法規、オルドナンスによりますと、憲法上の諸行為、まあ条約締結権というようなものは含まれると思いますので、そこですべてのいわゆる憲法上の行為というふうに包括的な表現をいたしておりますので、そういう政治的な、軍事同盟的な条約は無効として処置をとったのではなかろうかと解釈いたします。それは、いろいろあげておりますので、一々申し上げるとたくさんございますので長くなりますけれども、すべての憲法上の行為という言葉を使っておりますので、条約、ことに相互の防衛の条約議定書というようなものは、政治的に、軍事的に非常に重要な行為ですから、政治的な条約というものを国家が今までは承継しないということを先ほど申し上げました。それとも関連しまして、明らかにフランス共和国としては、それを無効であるという文字を使っておりますが、法の上からはどうもそうなるのでなかろうか、全く無効で何らの効力がないという規定も文字もございますので、そういうビシー政権のとった四〇年六月十六日以後の行為は、それはみなだめだという一般的な言い方をいたしておりますので、フランス国の憲法上の問題としては、そうなってくるのではなかろうか。そうすると問題は、非常にむずかしいと思いますけれども、ポツダム宣言を無条件に受諾しておりますので、そうして、日本国民の間における民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害を除すべしということを、障害を除くということを、無条件でわれわれは認めておりますので、ビシー政府との間の取りきめというものについても、それはポツダム宣言の受諾の全体の趣旨からみて、その当時の日本の国家行動というものについても、われわれは、それを歴史的事実としてあったその当時のビシー政権との━━具体的には仏印でございましょうけれども、その国家行動は、認めないという後の意思を表わしたフランスの側としては、その憲法たる性格を持つ法をもってそれを無効であるという規定を第三条で設けております。法的にはそうなるのではないかと思います。
○杉原荒太君 そうすれば、日仏議定書とオルドナンスとの関係をそういうふうに解釈される根拠は、そのオルドナンスの中のコンスチチュショネルにある、それが唯一の根拠ですか。
○参考人(大沢章君) そのほかに、いろいろビシー政府が例外的な、私法的な取り扱いをいたしておりますから、そういう行動について、すべてというふうに列挙しておるものもございますけれども、その一番先の重要なところで、すべての、いわゆるという意味でございましょう、憲法上の諸行動というものは、一九四〇年六月十六日以後のものは、効力がないという、その根本の立て方がずっと後のすべての行為、すべての行為と、こうなってきておりまして、今一々訳して申し上げることは時間をとりますので略さしていただきたいと思いますけれども、三つぐらい大きくカテゴリーを分けて、全部的な無効と、あるものを無効とし、またあるものはそれを実施する力が続くというような規定を設けております。フランスの憲法上の、後の国家行為として、前の国家行為をどういうふうに取り扱ったかということについては、法的にははっきりいたしておると思います。
○杉原荒太君 かりに、かりにといいますか、お説のように、この日仏議定書を━━もっと本質的にいうならば、対外条約関係ですが、これがこのオルドナンスの無効を宣言された……含まれておるとしても、そこに一つの仮定を置いて質問するのですが、あなたの法理論を質問するのですが、一体一国の政府のやった行為は、あとの政府が無効とするというようなことは、国内法関係においては、国内的の措置としては、それはそういうことをなし得るということは、国際法上からしても、私はそういう権限といいますか、国にそういう権能があるということは認められると思うが、これから先は質問ですよ。一体一国の政府がやったことを、あとの政府が国内法によってやったことが、一体国際法上も、あるいは条約関係等国際法上においても、それは対抗し得るものかどうか。国際法上においても、その効力は認められるのか。そういうふうに、国際法の法理といいますか、国際法の原則、国際法の規則というものがあるというふうにお考えですか。
○参考人(大沢章君) お答え申し上げます。一般的の論といたしましては、合意は合意によってのみ、それを変更し、消滅することができるだけでありますから、二辺条約といたしまして、片方の当事国が一方的の宣言で、その条約の効力から免れるということは、その条約そのものの中に廃棄なり、脱退の規定があればできますけれども、それがなければ一方的にするということができないということは、それは国際法の原則として明らかでございます。ただ、仏印の共同防衛についての議定書のようなものは、日本の側といたしましても、ポツダム宣言を無条件に受諾したということの中に、過去のそういう日本の民主主義の発達を阻止する障害的なものをすべて除くという決意を示し、それを受諾したわけでありますから、その戦争の遂行のために、フランス自身が日本と合意したその共同防衛の議定書を否認し、日本が、それについて日本側がそれは一方的の行為ではその条約を廃止することはできないという意思を明らかに表示して抗議なり疑義を出していない限りは、フランス側の憲法上の行為に基づいて、ポツダム宣言を日本が受諾し、サンフランシスコに臨んだということは、日本が、一方的に国際条約を、二辺条約をフランスが認めないということを申すのではないと思います。その場合は、全くある特殊のそういう政治条約も、政治条約、軍事同盟的なもので、そのフランスの国法上の継続性を否認したというその行為を日本も承認しております。あるいは、抗議を出さなかった、異議をその当時も申し立てなかったということから、何らその軍事条約、あるいは政治条約は承継されなかった、こう見なければならないかと思います。先ほども申し上げたと思いますが、大体むずかしい問題でありますけれども、政治的の条約は後の新国家が、今の場合は新国家でなく政府でありますけれども、承認しないというのが原則ではないかと思うのです。
○吉田法晴君 議事進行。
○委員長(草葉隆圓君) 速記をとめて。 〔速記中止〕
○委員長(草葉隆圓君) 速記を始めて。
○杉原荒太君 私も先ほどから意見は述べないでという趣旨でやっているので、今の点などでも、意見を述べれば幾らでもまだ聞きたいことはあるけれども、しかし、意見を伴わないと質問がしにくいから、その点はこれ以上述べませんが、そこで次にお尋ねしたいのは、先ほどからたびたびどういう条約を継承するかの論になって、国家の継承の場合をよく出されたけれども、一番最後にちょっとそれの訂正のようなことがあったのですが、条約関係などの継承論をする場合に、何かいかにもフランスのビシー政府からドゴール政権になったのが、国家の継承であるかのごとき前提でなされておったようであったから、その点どういうふうにとられるかをお尋ねしたかったのであります。
○参考人(大沢章君) お答えいたします。国家の承継として論じましたのは、一般論をいたしておりましたので、ビシーとドゴールとの関係は、むろん国家の承継として申し上げたのではございません。
○杉原荒太君 ベトナム国の外交権に関することの一部分ですが、サンフランシスコの平和条約に御承知の通りベトナム国がこれに署名して、批准している、サンフランシスコ条約ももちろん出席した、同時に、フランス国がサンフランシスコ会議に参加して、これに署名し批准している。そこでお尋ねしたいのは、そのことがベトナムとそれからフランスとの関係において、いわゆる条約権の問題、ベトナムの条約締結権の問題とどういうふうにそこを見るか、そこの点を一つお伺いをしたい。
○参考人(大沢章君) お答え申し上げます。フランスの第四共和制の憲法の中では、条約の締結についての規定を先ほど申し上げましたが、そのフランス連合の中の何と訳しますか、加入しておる国のベトナムに平和条約の締結権があるかどうかということにつきましては、私もはっきりわかりませんということを申し上げました。それは、平和条約のような条約の締結には、二十七条の憲法の規定がございまして、それは法律の形式で批准するということになっております。そのフランス連合を構成する、いろいろ要素があることを申し上げましたから省きますけれども、その中でも、三つの加入国家という言葉を使っております。その一つのベトナムがフランス共和国の憲法の中で、その共和国の憲法によって、フランス共和国とともに、平和条約を結ぶ権限があるのかどうかということについては、憲法そのものには、どうも規定がないように思いますので、それはフランス連合を形成しておる一部分であるベトナム国家の普通の連邦ともまた違うと思いますけれども、国際法的の性質は……、もちろん連邦と言っても、国際法上いろいろございますから、定型化することはなかなかむずかしいと思いますけれども、例も少し引いて申し上げたと思いますけれどもドイツ連邦共和国のそのグリイド・シュターテン(支分国家)の条約締結権、スイスの州の条約締結権というのが、いわゆる支分国家的なものも、ある種の条約は結ぶことができることは認めております。あるいは国境関係のごく特殊な国境の間の取引とか、通商的なものに関して、条約を結ぶというような。しかし政治的の条約を、中央国家とも申せませんけれども、その部分的な国家に平和条約を、フランスならば、フランス共和国とともに結ぶ権能を、憲法上与えておるかというと、どうも規定の上では、ないように思いますので、そうなりますと、それはそういう加入国の地位、第四共和制の憲法では、法的地位という文字を使っております。それから第五共和制では、法的状態(法的性格)という字を使っております。それの変更というようなこと、それは、変更の規定がございますから、その変更によって、憲法上、それらの組成国家にも、あるいは支分国家にも、平和条約締結権を認めておるということが明らかになりましたならば、平和条約を締結する権が憲法の上ではあるのだろうと思いますけれども、その点は、私もはっきりしないということを最初にもお断わりして申し上げましたので、ただいまフランスの、この少くとも第四共和制の憲法の規定の上からは、支分国家と見てよかろうかとも……、訳せないのでございますけれども、エター・アソシエの一つの……、ベトナムに、フランス共和国と平等の立場で、外国と平和条約を結べるかということは、どうも私は、規定していないように思いますので、その点が事実としては、調印して、批准いたしておる条約国でございますから問題はございません。それは、フォンデンブローの暫定協定的なものから見ましても、やはり条約で本当の独立国になって、非独立国家的な、半独立国などと申しますけれども、そういう国家でも今申し上げたように州に当たるようなものが、条約を結ぶことをスイスもドイツも認めておりますけれども、平和条約のような重大な条約をそういう支分国家的のものに認める例は、あまりないのではないかと思います。フランスの憲法の建前から、加入している国家に、独立に平和条約を結ぶことを授権している規定がどうも探しましても入ってないので、私はその点は疑問だと思っておるのでございまして、はっきりしたことが私にはまだ申し上げられません。いずれもっと研究いたしまして、その点に何かそういうその地位を変更するフランス国憲法上の措置がとられておるとしますと、できるのかもしれません。しかし、そのときは、おそらく完全な独立国家になるという、今度の八十六条の変更という文字を使っておりますが、その地位のステータスの変更、それがなかったのではないかと思うので、この点は、私は事実的な点を十分まだ調べておりませんので、このようにしか、原理的にしか、申すことができません。
○杉原荒太君 まだ伺う前提として、いろいろのことを確認していないという前提でおっしゃっておりますから、これ以上お尋ねしてもいかがかと思いますが、今の点をとにかく同じ会議に出席したフランス自身が何らかの法的、国内法的な根拠なくして、そうして明らかにベトナム国の条約締結、平和条約締結を認めたことを異議なくしてあすこで異議を差しはさんでおれば別だが、異議なくしてやったということ、そこからの前提として、まだ事実的にはわからぬけれども、何らかあるのだろうというふうにお考えなのか、違憲なことを、あるいは国内法的には違法なことをやっておるのだろうとこれは推測、そういう推測をされるのか、どういうふうに推測をされます
○参考人(大沢章君) 客観的の事実の認識を持ちませんので、その点について推測いたすことを差しひかえます。違憲ということを申しておりません。憲法の規定の上にはその条文がないので、何かいわゆる変更の措置がとられたか、この点、私よりもむしろ日本の外交権を御担当の方のお方が事実的な材料を十分にお持ちになるのではないかと思いまして、私はただ法理論だけで申し上げますから……。
○杉原荒太君 最後に、これは少し付随的なことですが、大沢参考人は憲法のことに非常に詳しいからお尋ねするのですが、いわゆる仏領インドシナ時代と言いますか、つまりアンナン国ですね、その時代におけるアンナン国のフランスの憲法上から見ての地位、ステータスはどういうふうになっておったのでしょうか。
○参考人(大沢章君) これは御承知の通りいろいろ分かれておりましたから……。
○杉原荒太君 私はアンナン国だけを聞いております。
○参考人(大沢章君) その地位がどうなっておったかという御質問でございますね。これは保護国的な関係にあったのではないかと考えます。
○杉原荒太君 それの憲法上の地位を私はお尋ねしておる。
○参考人(大沢章君) 憲法上の地位は……
○杉原荒太君 フランス憲法上の……。
○参考人(大沢章君) その点については、今の憲法より前のものでできておる……。その時代は、前でございますから。やはり保護条約があったのではないかと記憶しております。
○杉原荒太君 条約上ではなく、憲法上の地位ですよ。
○参考人(大沢章君) それから憲法のことになって参りましょう。それと保護関係に立つということから、憲法上の地位が出てくる。宗主権的なものが出てきますから、憲法の上では。特にアンナンのフランスの憲法上の地位について、私は研究している対象が、その方でなく、ことにほかのことを非常にやっておるものですから、今御質問に十分御満足のいくようなお答えをするだけの十分な材料を持ちません。
○杉原荒太君 アンナン国、つまりもとのアンナン国、今のベトナム国との法的関係はどうですか。
○参考人(大沢章君) それはフランスが、三つのもの、だんだん集まってきまして、コーチンチャイナ——コーチシナというものと集まって、フランスのいわゆる加入国、レ・ゼター・ザアッソシエを作っていくということになったのですから、そういう宗主権的なもの、植民地的なものから、だんだんに自治的な、国内的の自治を認めていくような方向に発展してきたのです。そして憲法の上では、それを海外のテリトアールとレ・ゼタ・ザッソシエというふうにして、結合しております。つまり第四共和制のもとでは、フランス連合という、その国家的結合のその構成員として取り入れてきたという形で、そのユニオン、フランス連合の一員、その組織は二つに分かれております。一方では、他方では、というふうに分けています。
○杉原荒太君 私、そういうことを聞いておりませんから。私が特に聞いておりますのは、このベトナム、もとのアンナン王国とこのベトナム国との法的の関係、もう少し具体的にいいますならば、そこに国家継承の関係があるのか、そうじゃなくして全然新しい新国家の、国際法上から見て新国家の独立国とベトナムの方は見られるのか、その辺のところを聞いているのです。
○参考人(大沢章君) 法的の地位の、いろいろ違う部分が、一つのベトナムとして形成されてきたのでありますから、普通の単純な国家承継というふうにはいえない。国家承継にも、いろいろ態様がございまして、いろいろ違った地域が集まって一つのベトナムを作っていくという形でありますから、国家承継があるとすると、前の時代と、その法的の地位が、性格と申しますか、非常に変わってきました。植民地的な、あるいはそのある部分、王国というふうな名で、半——私は、国際法学者としては、主権を可分的には考えませんので、半という言葉を使いたくないのですが。しかし、いわゆる一部主権国とか半主権国という、そういう保護的な関係にありました。完全に外交権、あるいは軍事、そういうものを持たなかったものが、だんだんにそれを持つ方に近づいてくるという点で、比較して申せば、マンデートの、委任統治や信託統治などの対象となるその地域、あるいは民と、少し似たものを持っておるのではないかと思います。やはり新しいベトナムとして、国家として調印しておるのですから、そういうふうになったと見るほかはなかろうと思います。
○委員長(草葉隆圓君) だんだん、まだ御質問がありましょうが、時間が、御案内のようにずいぶん進みましたので、もう一人だけお願いして、要点を、御答弁の方も恐縮ですが簡明に一つお願いして、そして午前中終わりたいと思いますけれども、御了承願います。
○吉田法晴君 一時までというお約束で、一時をすでに過ぎております。杉原さんの質疑があったようですけれども、私も、これからのわずかの時間御質疑を申し上げたいと思います。実際には時間が足りませんので、これは、また機会がございましたら、大沢参考人に来ていただく機会を持っていただくことをお願いをして質問を進めます。 先ほど、ベトナム民主共和国とフランスとの間には、一九四六年のフォンテンブローの協定もあり、その内容は、終戦——戦時休戦に関する条項だけじゃなくして、通商航海条約、あるいは文化、科学、その他国家としてのあらゆる活動部面にわたっての条約が、両国家の条約があるので、平和条約か、あるいは少なくともその予備条約的なものだと、こういう御意見でございましたが、このフォンテンブロー協定、それからジュネーブ協定においても、停戦問題だけじゃなくして、文化、経済についての協定も含まれております。 そうすると、フランスとベトナムとの関係は、先の大平参考人は、事実としての政府の承認云々ということを言われましたけれども、国家活動のあらゆる部面にわたって合意に達した、そうして民主共和国を相手に条約を結んだという点からいうと、フランスからは、これは、やっぱり国として、——その国のステータスがどういう状態であったかということは、これは一応基きまして、——国としてフランスとしては、これを認めたということがいえるではなかろうかと思うのですが、この点について、お聞きしたいと思います。
○参考人(大沢章君) 私ですか。大平参考人にお聞きになったのではないですか。
○吉田法晴君 そうじゃない。
○参考人(大沢章君) 聞き漏らしまして失礼いたしました、大平参考人とおっしゃったかと思いまして。
○吉田法晴君 もう一ぺん言いましょうか。
○参考人(大沢章君) いいえ、わかりました、伺っておりますから。 やはり共和国としての、という文字は、書いております。フランス共和国は、問題ないと思いますけれども、べトナム民主共和国のその政府のためとなっておりますから、やはり内容も、先ほど申し上げたような内容にわたって、普通の国家が結ぶ条約の内容を含でおるように思いますので、その限りでは、国家的な取り扱いをして、この協定を結んだのではないかと考えます。
○吉田法晴君 ありがとうございました。 その次に、ジュネーブ協定の効力については、先ほど公述の中でお述べいただきませんでしたが、ジュネーブ協定と日本との関係、ジュネーブ協定の中で、統一のための選挙を予定し、あるいは当時の、停戦当時の軍事状態を変更してはならぬとか、あるいは基地をふやしたり、あるいは兵や装備をふやしたりしてはいかぬという規定がございますが、このジュネーブ協定が国連に寄託をされ、あるいは日本も国連に加盟をいたしております今日、ジュネーブ協定は日本にも、その効力が及ぶのじゃなかろうか、こう考えるのですが、ジュネーブ協定と日本との関係は、どのようにお考えになりますか。
○参考人(大沢章君) 法理論的に申せば、それは直接には、効力は及ばないと思います。ローマ法以来の原則があります。いわゆるユス・インテル・アリオス・アクタと申しまして、他人の間の法律行為です。ここでは法律行為ではありません、条約ですけれども、第三者のためにその条約が直接に効力を持たないというのが、国際法の定まった原則だと思います。それを他国家間の条約として、われわれが道義的にも尊重し、それに敬意を払うということは、国家の相互尊重の義務から、正しいと思いますけれども、条約そのものは、いわゆるフランスの法律行為的な、契約的な条約、いわゆるトレテ・コントラで、立法条約的な、集合条約ではないわけですから、その当事国でないもの、以外のものを、直接法的に拘束するという力は、それはないと思います。それは国際法の定まった原則だと思います。それは、国内法の問題でも同じではないか。ただ問題は、利益を設定しておるような、一方の意思表示で、それに利益を均霑できるような条項のある、いわゆる何と申しますか、公開約款、クローズ・ウーベルトと申しますけれども、オープン・クローズがあって、その利益に第三国も均霑できることが定まっておる場合には、その限りにおいては、効力がある。たとえば、かつてのスエズ運河に関しての条約、コンスタンチノープル条約など、それがすべての国に対してそれを開かれておりました。その公開約款があって、権利なり利益が、帰属し得るという場合は別でありますけれども、その場合を除けば、条約の効力は、その締結当事者だけに及ぶのが、国際法の確立した原則だと申してよろしかろうと思います。
○吉田法晴君 道義的には拘束をするという御回答を得て、満足をいたします。 第三の、大沢先生にお尋ねをいたしたいのは、問題は、先ほど来バオダイ政権の平和条約締結権があるかどうか非常に疑問があるというお話しでございましたが、ジュネーブ協定で統一が予定をされておるベトナムは、これは将来にわたっては、おそらく統一をするでしょう。その統一をしたベトナムに、日本が南のベトナムに賠償を払って、その賠償の根拠になっておるのは、平和条約締結権があるかどうか、はなはだ疑問なバオダイ政権、バオダイ政権からゴ・ディン・ジェムに賠償請求権の継承があるかどうかという点も、大へん疑問だと思う。 そうしますと、統一をした将来のベトナム、統一ベトナムに対して、日本が、南に賠償を支払ったということで対抗できるかどうか、こういう点は、いかがでしょうか。
○参考人(大沢章君) 原理的には、先ほど申し上げた中に含ませていただいたと思いますけれども、具体的なベトナムの例として申し上げますと、その北方の政権が、明らかに留保して、それを認めないというような立場をとっておりますけれども、可能性としては、そのものについては、先ほどフランスのドゴール政権後の、フランスの後の政権が、前の政権のやったことを否定した。その行為の可能性から見て、そういう協定の効力というものに対して、一つの後の政権が、統一の後に、留保しておるというようなことを理由にして否定的な態度をとる。言いかえれば、国際法上のその承継の対象の外に置くということも、政治でなく、法的にはあり得るのではないか。承継の理論は、実にむずかしいので、私ども、何十年も国際法を学びながら、十分、はっきりとお答えできない点もございます。 それは、国際法学者、ドイツあたりの一流の学者でも、その点、ずいぶん分かれますので、事態が、いろいろ場合によって違いますから、どの条約を、あるいはどの国家行為を認めるか、ごく概略的に申せば、政治的な、後にできたレジームと両立し得ないようなものは、承継する義務がないということは認めておるのでありますから、従って、政治条約は大体において承継しないということになってくるのではないか。賠償協定というようなものは、政治だけのものではなく、むしろ経済、財政、そういう問題が非常に多いのでございますから、今、具体的にどうかとおっしゃられますと、私は、お答えいたすについて、十分自信を持ちません。法理論的には、前の国家の、その国際法的な行為の、あるものを承継しないということはあり得ると思います。 政治条約であると、それはどうしても仕方がない。一方から見ますと、それは政治犯罪人の不引渡しの原則などについてと同じ法的な考え方が、その底にあることであります。 お答えになったかどうか存じませんけれども、その点については、具体的なことについては、どうぞお許し下さい。
○吉田法晴君 法理的には、継承されない可能性が十分あるという御答弁で、けっこうです。ありがとうございました。 最後に、日本と戦争中の仏印との間に結ばれた日仏議定書のような、それは先ほど、何回も引き合いに出されました、——オーディナンスで取り消されたということで、なかったものと、双方の間に認められております、——こういうお話がございましたが、この日仏議定書の直後、「日本国印度支那間関税制度、貿易及其ノ決済ノ様式ニ関スル日仏協定」ということで、日本とフランスとの間に、関税制度、貿易、その決済の様式に関する協定ができて、それからさらに、向こうで軍費を調達いたしますために、横浜正金銀行とインドシナ銀行との間に、協定等があったのでありますが、日仏議定書は無効になった。なくなった。特別円関係についての協定の基礎になりました日仏協定は、これは存続している。こういうことは、論理が一貫しないと思うのであります。貿易、あるいは決済の様式に関する日仏協定も、同様に無効であったと考おえになりますか。最後にお伺いいたします。
○参考人(大沢章君) お答え申し上げます。 それは、条約または協定の内容、その性質が、もし明治憲法時代の日本と、日本国憲法時代の日本の、憲法の原則、あるいはとっておる体制と両立しないものは、承継できないことは明らかであること、先ほども政治条約的なものとして申し上げましたが、そういうものと矛盾しないような内容のものであれば、それを承継していくというようなことは、それは、決して国際法上できないことではないし、通商航海条約については分かれておるということも申し上げましたが、そして、それを明らかに宣言によって承継するということも認めておる例もござりますし、あるいは、新たなものを結ぶというのも、一つの方法でござりましょうけれども、前の条約の効力の停止しておったものを、また効力を復活させるという方法もとられるわけでありますから、そういう、国の新しい憲法体制、その憲法の精神と反しないものを、すべて承継しないというようなことは、一般的には言えないと思います。 だから、それは具体的に、その協定なり条約の内容をよく検討して、その上で、両立するものは承継していくのが、国家の承継の理論としては、国家の同一性の問題からも、法秩序の継続性の問題からも、世界の秩序の安全の上からも、認めなければならない原則だと思います。 原則論だけを申し上げて、お答えにかえさしていただきます。
○委員長(草葉隆圓君) それでは、午後二時四十分まで休憩いたしたいと思います。 なお午後は、大沢参考人は、御都合で御出席になりませんので、あらかじめ御了解願いたいと思います。特に、大沢参考人には、きょうは、大へん時間を延ばしまして、まことに恐縮に存じます。貴重な御意見を伺いましたことを厚く御礼申し上げます。 それでは、午後二時四十分に開会いたします。 午後一時四十一分休憩 —————・————— 午後三時五分開会
○委員長(草葉隆圓君) 休憩前に引き続き、委員会を再開いたします。 参考人の方々に対する質疑を続行いたします。
○吉田法晴君 林さんと富崎さんに少しお尋ねをしたいのですが、まず、林参考人にお尋ねをいたしたいと思いますが、南ベトナムに賠償を払いまして、それがベトナム民主共和国━━北の方に悪影響を及ぼすのではないかということが心配をされ、あるいは衆議院等でもいろいろ論議されたりしておりますが、貿易をやっておられます業界の代表として、南ベトナム賠償の北に対します影響についてお教えをいただきたいと思います。
○参考人(林寧寿君) 南ベトナム賠償協定の調印と、それが実際に発効した場合、北ベトナムとの貿易にどういうふうな影響を及ぼすか、これは私は簡単に予測はできないわけですが、今日までの経過を、事実を述べさせていただきますと、政治的な問題は私も十分わかりませんが、ただ、ベトナム民主共和国では、この南ベトナム賠償協定に対して数次にわたって声明を発表しております。同国の外交部並びにその他団体が声明を発表して、意思の表示を行なっております。これはもう御承知の通り、認めないという立場をとっておるわけです。これが貿易面に影響したところは、本年の九月、われわれ業界の代表の方々がちょうどそのおり向こうに行っておりまして、第三次の貿易協定の交渉を行なっております。ちょうど五月に調印が行なわれますと同時に、ベトナム側では第三次協定を結んでも意味がないというふうなことで、とうとう結ばれないままに今日貿易が、けさほど総括的な御報告で申し上げましたように、細々と続けられておるわけであります。この協定があるなしで取引の安全性の保障の問題にずいぶん影響して参りまして、現在ホンゲイ炭の輸入も細々行なっておりますが、これとても北ベトナムのホンゲイ炭輸出計画の計画からはずして、対日輸出はベトナムの対外貿易の計画からはずされているわけです。ホンゲイ炭を出すかわりに、その見返りとして何らかの有利なものが買えるといったときにホンゲイ炭を出すというふうなケース・バイ・ケースで、スポット契約の形で取引が行なわれております。そのために、出荷のスケジュールがぎりぎりにならなければ確定しないというような不安定な状況に置かれているわけです。このように実際の取引の面についてはそういった格好で影響が現われております。また、無協定になるのを見越しまして、ちょうどこの賠償協定が調印されまするやいなや、英国の鉄鋼ミッションがハノイに乗り込みまして、鉄鋼の契約をする。それから、イタリーの繊維代表がハノイに乗り込みまして、一九五九年度の北ベトナムの人絹糸輸入契約を全部押えてしまうというふうな形で、すばしこくやられちゃうわけです。ただいまのところそういったような影響になって現われている、こういう御報告しかできないわけです。 今後どういった格好になってくるか、これはわれわれとしても非常に心配しながら、見守っておるというのが現状でございます。
○吉田法晴君 ベトナム民主共和国で反対をし、あるいは賠償請求権を留保すると言っておる。南ベトナムヘの賠償協定が調印をされたので、協定がなくなって、スポットものしかない。その日本との貿易が、この協定がなくなった、そのあと、あるいはイギリスだとか、フランスだとかのミッションがやってきて貿易を拡大しつつある、こういうお話ですが、そうしますと、賠償協定がベトナム民主共和国との貿易に悪影響を与えるという点は、数字はわかりませんけれども、現に出ているということですが、南の方との貿易の関係はどの程度御承知か知りませんが、先ほど、ベトナム民主共和国の経済建設計画と関連して、七千万ドル程度の貿易はこれは確実に見込めるところに、それがこわされるようで、大へん心配だというお話もございました。今後の貿易の、南と北との、何と申しますか、対照について、どういう工合に見ておられますか、その点を承りたいと思います。
○参考人(林寧寿君) 私は北ベトナムとの貿易に専心しているものでございますので、南ベトナムとの貿易の事情については非常にうといわけでございまして、われわれ貿易をやります者の建前といたしましては、世界各国いずれの国とも仲よく貿易をやっていきたい、こういう建前をとっておるもので、しいて南と北とを比較して、南が貧弱で、北との貿易がこれは非常に光り輝いているというふうなことを私は申すわけではございません。ただ、今日北ベトナムが経済三カ年計画を実行し、非常に着実なテンポで経済建設にいそしんでいる。そうしてすでに昨年、ことしにおいては目標を達成しているという、ややもすればこういう共産圏諸国の経済建設については、われわれ批判的に見がちで、また批判の眼で見なければならないでしょうが、それが確実なテンポで進んでいるという事実もやっぱり認めていかなければならないのじゃないかと思います。このことはわれわれ民間の業者が認めるだけでなく、英国も、フランスも、はたまた東南ア諸国、インドネシア、インド、そういったところも認めて、そうしてこの市場が今後大いに発展するという展望のもとに、その貿易競争に努力している、こういうことは言えると思うのであります。われわれ北ベトナム貿易に従事しております者が現在四十数社ございますが、そういう商社でもってこのベトナムの市場性の調査を本年の六月時分から三カ月ばかりにわたって検討し、そして北ベトナムの対日輸出余力等も十分に調べまして、またベトナム側が、ハノイに訪れました日本の各商社の代表の人たちが総合的にベトナム貿易当局者と交渉いたしましたときに出しました数字その他を整理して出てきたものが、けさほど御報告申し上げましたように、一九五九年度対日貿易計画というものが、輸出においては三千二百五十万ドル、これは日本側の輸出、日本側の輸入になるわけですが、輸入が一千五十万ドル、これを三カ年計画の主要目標をべースにして、さらに今後の政治情勢が好転をするということを前提にして考えてみた場合には、われわれの輸出が四千六百五十万ドル、輸入が三千六十万ドル、計七千万ドルという目標の突破はそうむずかしいことではないのじゃないか、こういうふうに御説明申し上げたわけであります。南ベトナムとの貿易については、むしろその方の専門家であられます富崎さんから、いろいろむしろ私どももお伺いしたいくらいに思っております。
○吉田法晴君 従来ベトナム民主共和国との貿易はそう大したことないのだと、こういう、委員会等で同僚議員が質問をしたのに対して答えておりますが、今おあげになりました数字は、これは若干政府の従来の答弁と違うのではなかろうかと考えられますが、あるいはその中に香港経由のものが含まれている、含まれていないという違い等もあるかもしれないと思うのですが、従来の政府の答弁あるいはご存じあるかどうかわかりませんけれども、政府は、南についてはこれは将来大きくなる、北ベトナムの貿易については影響がないという通産大臣の答弁と、それからその他の貿易は大したことないのだという、多少違った答弁がなされておりますけれども、いずれにしても、ベトナム民主共和国との貿易は大したことはないというのが実は従来の答弁であったかと思うのです。多少、午前中あるいはちょっとおあげになりました数字と違うのですが、その辺はどこに原因があるのでしょうか、重ねてお尋ねいたします。
○参考人(林寧寿君) 私は、政府の発表している北ベトナムとの数字については、ちょっと参考にメモしたものしか持っておりませんが、一九五七年日本から北へ輸出したものが二千米ドルというふうになっております。私はけさ、五七年の輸出実績では百三十五万ポンド、ドルにいたしまして三百七十九万六千八百ドル、こういうふうに申し上げているわけです。これはどうしてこういう食い違いが出ているかと申しますと、これも午前中御報告申し上げましたように、香港を経由して行なわれるケースが非常に多かった。いわゆる香港スイッチの取引が非常に多い。通関統計で香港スイッチしたものが全部省略されて、こういうふうな非常にミゼラブルな数字が計上されたんではないか、こういうふうに私は推測しておるわけであります。
○吉田法晴君 南ベトナムとの賠償が北ベトナム民主共和国への貿易に悪影響を及ぼすというようなお話は先ほど承りましたが、アジアのほかの国々との貿易の関係、多少三角貿易というか、一部は午前中に述べられたようですけれども、もう少しできれば詳しくお伺いしておきたいのですが、アジアの他の国々に対する影響は、貿易の面でどういう工合に現われるだろうとお考えになっておりますか。
○参考人(林寧寿君) これまた、もう一つ非常に予測しがたいことでありますが、とにかく東南アジア諸国が北ベトナムときわめて友好的な貿易関係を持ちたがっているということは、これは言えるのではないかと思うのです。一つの例をあげてみますと、さきに日本に参りましたインドネシアのスカルノ大統領は、日本からの帰途ハノイに立ち寄って、貿易協定を結ぶというふうなこともございました。インドからはプラサド大統領ですか、ハノイに訪れて、やはり双方の経済関係の好転についていろいろ話し合う、こういうことが行なわれているわけでありますが、そしてけさほど御報告申しましたように、現にこれは日本の船が動いていることですから確かなことでありますが、インドネシアに対しては米やセメントを出し、インドに対してまた米を出している。その他カンボジアとの間にトウモロコシその他の取引が始まり、それについては日本もその中に一枚加わりたい、こういう動きがあるわけでありますが、インドネシア、インド、ビルマ、北ベトナム、日本、こういうところで三角貿易が今後行なわれていく可能性は十分あると思われますし、そういう三角貿易を発展拡大させることによって、日本と東南アジア諸国との友好関係というものもますます増大していくのではないか。こういう関係が大事にされてこそ友好関係が増大するのであって、大事にされないときは、それは決してプラスな格好としては現われないだろう、この程度しか私としても言えないわけであります。
○吉田法晴君 それで最後に、午前中の参考陳述の中で、フランスなりイギリスなりが日本の最大の競争相手として現われ、このハノイでしたかにフランス代表部を置いたり、あるいはイギリスも領事館を置き、ベトナムも香港にベトナム代表を送って、この貿易の拡大をはかっているというお話でしたが、具体的にはどういうものをイギリス、フランスあるいはは西ドイツ等からベトナム民主共和国の方に入れておるのか、具体的な日本の貿易の競争相手としてどういうものを入れておるのか、それをもし御存じでしたら、教えていただきたい。
○参考人(林寧寿君) 英国とベトナムとの貿易の実績、こういうテーブル、統計が発表されておりませんので、確かなことは言えません。またフランスも同様であります。ただ、われわれが日常的な商談において競争した場合に出てくるものとして、一つは鋼材、鉄鋼製品でございますが、こういうものが英国、ドイツ等の競争で破れたこともあります。また、それから電線類についても英国との競争において破れたことがありますので、おそらく鋼材、電線、その他機械、化学品というようなものがベトナムに対して輸出されているんではないかと思います。また、イタリアについては、先ほど申しましたように、これは圧倒的に繊維類が多いのではないか。これは数字を持たないで、商談の経験を通じて関知した程度のことしか御報告できません点をおわび申し上げます。
○吉田法晴君 ありがとうございました。 富崎参考人にお伺いをしたいんですが、今御在籍の三井物産なり、あるいは前に第一通商にもおられたということですが、ベトナムとの貿易、あるいは現在のベトナム━━南の方との貿易には大へんお詳しいといいますか、お詳しいというよりも、たくさんあります商社の中で一番大きな取引もしておられるかのように承りまして、お教えをいただきたいんですが、今南の方との貿易は実際どういう貿易で、どの程度の貿易がありますか。われわれ委員会でやっておりまして、南の方との貿易の大半はICAファンドによる買付がその半分以上を占めておるんではないかというように私ども聞いたりしておるのでありますが、実際いかがでございましょうか。実際貿易に従事しておられます富崎さんよく御存じだろうと思いますので、お伺いをいたします。
○参考人(富崎万右衛門君) 日本と南ベトナムとの貿易は、昭和三十年から急に増大して参りました。それで、一番たくさん参りましたのが昭和三十三年だと思いますが、日本からの出超額は約五千万ドル以上になっております。昨年の後半から少し低下いたしまして、四千万ドル見当となっております。それの大部分はICAファンドによる取引でございます。
○吉田法晴君 そのICAファンドの占めます部分というのは、どの程度でございましょうか、パーセンテージで申しますと。
○参考人(富崎万右衛門君) そのパーセンテージについては、正確に発表されたものを私見たことございませんのですが、普通われわれが常識に考えております場合には、九〇%以上だと思っております。
○吉田法晴君 ありがとうございました。それから、賠償は貿易とどういう関係があるか。従来、他のインドネシア、ビルマ等の場合にも賠償は貿易を伸ばす役割をするんだ、そういうことが言われておりますが、昨日の朝日新聞でしたか、賠償はむしろ貿易を伸ばさないでチェックをしている、こういう新聞記事等もございましたが、南ベトナムとの賠償はこれからですけれども、今までの他の国に対する賠償と貿易との関係は、実際に貿易に携わってこられた方として非常に具体的に御存じだろうと思うのですが、どういうように見ておられますか、その点承りたい。
○参考人(富崎万右衛門君) 承りますと、今度の賠償問題はダニムの電源開発に重点があると。そうしますと、それが貿易とは別個に計上されると思います。それで、その他のものについて申しますと、だいぶベトナムもいろいろ国内の産業が発達して参っておりまして、建設資材その他のものは相当に輸入しつつございますが、消費物資については国内での生産というものがだんだん多くなってきておりますので、日本からの南ベトナムに対する輸出といたしましては、非常に拡大するということは期待できないだろうと思います。が、ただ、密接な関係が出てくると思いますし、また日本としてもあそこの産物を買う、買ってやるということにだんだん変わって参りますので、全体としてはふえるのじゃないかと思っております。
○吉田法晴君 今お答えの中に出ましたように、生産財の━━電源開発ですから、生産財、生産物、その中に七百五十万ドル分までは消費物資をこの賠償の一部としてやる、それを売って向こうの労賃分として使う、こういう消費財が賠償の中に含まれているのですね。消費物資についてそう非常に拡大することはできぬという今のお話からいたしますと、消費物資等を賠償の中へ入れてやるということになると、消費財関係の貿易はそれだけ阻害されるのじゃないかと、こういうことも考えられる。それから、今までのこの賠償と輸出との関係からいうと、政府は賠償によってそれが呼び水になって大きくなるのだと、こう言われるけれども、これはきのうの朝日新聞に、丸山前バンコック支局長が書かれたところによると、賠償で輸出が減っているということがはっきり指摘されているわけですね。これはベトナムじゃなくて、ほかのアジアの国々との関係ですけれども、そうすると、今までの実際と、それから消費物資がベトナム賠償の中に入る云々という点からいって、南ベトナム賠償の中に入るということからいって、やはり南ベトナムについても、賠償は日本の輸出を増大させるよりも、その輸出を押える役割をするのではなかろうかという心配があるわけですが、その点について今まで貿易に従事してこられました富崎さんはどういう工合にお考えになりますか。少しはっきりいたしませんでしたから、重ねてお伺いいたします。
○参考人(富崎万右衛門君) 先方で輸入しておりますものに、大体二通りございます。それは、どうしても国の産業を発展せしめるため、あるいは生活上必要なもの、これは輸入ライセンスをどんどん発行しております。ただし、そういう不要不急物資あるいはぜいたく品というようなものについては、極力これを現在までは制限しております。それは普通においては、日本からもめったに行っておりませんのでございますけれども、おそらく七百五十万ドルというようなものは、そういうようなものにたくさんあるいは向けられるのじゃなかろうかということは思われますので、一般の貿易はあまり大きくは響かないだろうと思います。それからまた、賠償によって必ずしも減るとは私思いませんのですが、全般的といたしましては、軽工業のようなものはだんだん国内で作っていくというようなことが進みつつございますので、まあ全般的にはそのような種類の貿易にはあまり期待できないような次第でございます。
○吉田法晴君 まあ議論をしようとは思いませんから……。ぜいたく品は輸入制限をされておったが、そういうぜいたく品で七百五十万ドルの消費物資が行くのではなかろうかというお話ですが、これはお見通しが実は違うのじゃなかろうかと思うのですけれども、その点は、これはまあ政府の説明からいっても、ぜいたく品を出すとは言っておりませんから、間違いないと思うのですけれども、その辺が少し、消費物資で行きます品物が少し今のお話でいきますと違うのじゃなかろうかと私は思います。これは見通しのことですから、今までの実績と御経験からして、心配するように貿易が減りはせぬかというようなことについて、御否定的なお言葉ですが、それから先はこれは意見の相違ですから、質問はいたしません。 三井物産なり第一通商なり、南だけじゃなくて北の方とも貿易をやっているようですが、その南北ベトナムに対しまするそれぞれの貿易の実態ですね、それからその貿易、通商を通じてごらんになりました経済の特質について、あるいは貿易関係からする将来の見通しというものについては、どういう工合に見ておられますか、富崎さんに重ねてお伺いしたい。
○参考人(富崎万右衛門君) まあ南の方に対しましては、日本の物資が非常に世界的に見ましても競争で勝っているというようなものは現在たくさんございます。ですから、両国の関係がよければ従来通り、あるいはそれ以上に付き合ってもらえる、こう思っております。ただ、日本といたしまして、今北の方の、お話にちょっとございましたですが、ホンゲイ炭、無煙炭、これは日本の産業にとって非常に必要なものだ、また非常に関係の深いものだと思っておりますので、これは継続して日本が買えるように、あるいは向こうが売ってくれるように、そういうことはぜひこれは、むしろ皆様のお力にお願いしたいと、こう思っておるわけでございます。
○吉田法晴君 その北といいますか、ベトナム民主共和国では、南の方をベトナム全体を代表するものとして賠償を支払う、こういうことはこれは不当だと、サンフランシスコ条約それ自身に南ベトナムと調印をする権限もないという主張がありますが、とにかく南ベトナムの賠償に反対をし、そしてこの賠償請求権も留保する、こう言っているところから、この賠償によってベトナム民主共和国が貿易の面でも協定を続けなくなるとか、悪影響を及ぼすだろうということは、これはあなたといえどもお感じだろうと思いますが、そうすると、今のホンゲイ炭だけ言われましたけれども、ホンゲイ炭なり、あるいは民主共和国、北の方との貿易というものもなお続けられるように、これはお気持はわかりますが、両方をやりたい、これは商売の上からいえばその通りだと思います。その通りだと思いますが、賠償あるいは調印、批准ということで、北の民主共和国との貿易に悪い影響があるのではなかろうかということは、これは私どもだけじゃなくて、あなたの方でもお考えになっておると思うのですが、その辺はいかがでしょうか。今ホンゲイ炭が継続して入るようにというお話ですが、この賠償の問題と、それから南北のこの影響。
○参考人(富崎万右衛門君) どうもその辺のむずかしいことになりますと、私たちはなかなか判断を下しにくいのでございますが、それは皆さんの方でお願いしたいと思います。
○吉田法晴君 これは北の方との、民主共和国との結局貿易が心配されるから、継続できるようにという御発言があったんだろうと思いますが、今の私がお尋ねしたのは、現在の南、それから北の貿易の実態はどういうもので、どれくらい結局貿易をやっているんだと、あるいは、それぞれの経済は将来にわたってどういうようにいくだろうか、あるいは、私の聞いているところでは、今、林さんからは、ベトナム民主共和国との貿易は七千万ドルにもなるだろう、それから、あるいは北の方はICAファンドが大部分、九〇%くらい、そうすると、このICAファンドは先になれば、減りはしてもふえはしないのではないかということを考えますと、将来にわたっては、民主共和国との貿易の方が将来性があるんではなかろうか、こういうことが考えられるわけですが、その辺の現状と将来についての富崎さんのお見通しを一つ承りたい。
○参考人(富崎万右衛門君) 従前からの先方における経済力というようなものを総括的に見ますと、大体、南の方が多少大きかったと私は思っております。それと、非常に日本との貿易のルートがついておりまして、非常にたくさん出ておったわけでございますが、その点は将来とも継続されると思っております。それで、いろいろ計画としては数字が出て参りましても、実際にそこまでにそれを実現するまでには、相当日数と時間、あるいは困難がやって参りますので、当分の間は、もちろん南の方に大きな貿易ができるだろうと思っております。
○吉田法晴君 今のICAファンドが九〇%以上も占めておるという南の貿易は、その面だけからいえば、これはやっぱり将来にわたって減るということが言えるんじゃないでしょうか。
○参考人(富崎万右衛門君) ICAファンドは現在多少減りつつある傾向にあると思っておりますが、それにかわりまして、開発資金などの借り入れなども計画されておりますので、物資の買付量というものについては、極端には減らないと思っております。
○吉田法晴君 それでは、北の方については、計画の所要量そのまま来るかどうかわからぬけれども、対日貿易が出るかどうかわからぬけれども、もし数字通りにいかないとしましても、増加するということは、これは言える、こういうのですか、あなたの御意見あるいは見通し。
○参考人(富崎万右衛門君) 実は、私も北の方のことはあまりよく知りませんのでございますが、従来からいたしまして、日本にとって最も関係の深いものは、ホンゲー炭、それから燐灰石という工合に聞いておりますので、主としてその部面に私は考えております。
○吉田法晴君 この北といいますか、民主共和国との貿易についても、お宅といいますか、三菱さんなり第一通商で、貿易の額からいえば、一番大きい取引をしておられるというように私は聞くんですが、そうではないでしょうか。
○参考人(富崎万右衛門君) 現在、東南アジアの各地には、日本人の商社が非常に多数支店、出張所を設けております。それで、外地におきましても、いろいろ、ほかの商社と力を合わせたり、話し合ったりしておりますが、その点、大体同じような取引ができておるのじゃないか、こう思っております。
○吉田法晴君 具体的に一つウルシの点だけ伺いますが、中国からウルシが入らなくなって、全国の業者が非常に困って、昨年、払い下げ物資ということで、中国からわずかばかり入った、あとはべトナムから入っておったということですが、もし、北の方からも入らなくなると、全国のウルシ関係の業者諸君は、これは非常に仕事なり、あるいは生活の面で困ってくるかと思うんですが、南の方からもとれるのですか。これからふえるという話があったけれども、われわれ従来聞くところでは、北からは出るけれども、南ではウルシの生産はしていなかったというように聞いておりますが、そういう点は御存じございませんか。
○参考人(富崎万右衛門君) 従来、私、そのように伺っております。北の方に相当とれますが、南の方にはウルシはあまりなかった。しかし、南の方はウルシ工業というものが非常に盛んでございまして、ウルシの原料をどうしても南の方で得たい、こういうことがございまして、ウルシを南の方でも出るようにしたらどうかというようなことを町で話しておられることをちょっと聞いたことがございます。ただし、どの程度かということは、私、存じません。
○吉田法晴君 北の方、民主共和国との取引について、先ほどホンゲー炭の話がございました。それからウルシの話がございましたが、そのほかにどういうものについて今まで取引されてきたのか、ホンゲー炭、ウルシ以外に、大きいものについて御存じでしたらお教え願いたい。
○参考人(富崎万右衛門君) 全般でよろしゅうございますか。
○吉田法晴君 大きいものについては、どういうような取引がされておるか。
○参考人(富崎万右衛門君) まず輸出と輸入とに分けますと、日本から最もたくさん出ておりますのは繊維製品でございます。それから鉄鋼類、化学品、機械、ゴム製品等でございます。日本が買う方といたしましては、米が多少ございます。それから今後ゴムが起こって参ると思います。次に塩、それから近く珪砂の問題が起こってくると思っております。
○吉田法晴君 これは南北一緒にしてのお話ですか。
○参考人(富崎万右衛門君) 南の方を主としてでございます。
○吉田法晴君 それじゃ、北の方について、いろいろな民主共和国との取引のおもなものはどういうものがあるかということを教えていただきたい。
○参考人(富崎万右衛門君) 北の方については、私、ちょっと存じておりませんので、かんべん願いたいと思います。
○吉田法晴君 それじゃ、前には北から出ておったホンゲー炭の点は御存じで、継続して入るように、買えるように一つ国会でも考えてもらいたい、こういうお話ですが、南ベトナムの財政あるいは経済状態等について御存じでしたら、御存じの限りにおいて一つお教えを願いたい。私どもの聞きますこれは断片的なものですが、経済的にもアメリカの援助が多くて予算の大半を占めておる、あるいはインフレが進んでおる、あるいは生産力━━米やゴム等についても、生産力が落ちておる、こういう若干の数字や、あるいは資料は得られるんですけれども、私ども参りもしませんし、全般的にそう詳しくないのですが、財政経済状態について御存じの限りお話をいただきたいと思います。
○参考人(富崎万右衛門君) これはごく概略のことしか私わかりませんので、その点だけを申し上げますが、向こうの支出します金額の六割は国内で歳入として上がって参ります。四割見当が各国から援助を受けておるものであります。物価の点はここ三年ほどほとんど一定しております。物によっては一部下っております。それから米とゴムであります。米は戦前に比べますと非常に減っております。ただし、国内消費の分は十分ございます。年によりますと二、三十万トン━━ことしの予定は三十五万トンでございましたが、それだけの余力があると見ております。ゴムについては非常に回復いたしまして、大体戦前並みの七万トン近く生産しております。
○吉田法晴君 米の減産の理由というのはどういうところにあるのですか。
○参考人(富崎万右衛門君) この問題については、いろいろあると思いますが、その一番大きな原因は、戦争の末期に起こって参りました。と申しますのは、非常に水田地域が広範囲にわたっておりまして、そこから集荷いたすのでございますが、トラック、あるいははしけなどの輸送機関がなくなりましたということ、それでその向こうの米の従来の習慣から申しますと、農家が割合に貧乏でございまして、いろいろ耕作用に必要な農機具を買うとか、あるいは水牛を借りるとかいうようなもののために前借りをいたしまして、その後に現物で返すという習慣がありましたのですが、どうもその現物をうまく回収できないというような懸念が一つございまして、だんだん前貸しをしてくれる人がなくなったということで廃棄田ができたということでございます。要するに稲を植え付けない廃棄田ができたということでございます。それなどが大きな原因だと思っております。
○吉田法晴君 あなたの午前中の公述にもそう言われたのですが、それはまあ戦争末期あるいは戦争直後はそういう理由があったと思うのですが、私の聞いたところでは、農村部には、今おっしゃったようにゴ・ディン・ジェムの支持がほとんどなくて、ホー・チミンの影響があり━━ゴ・ディン・ジェムの支持よりもホー・チミンの影響の方が強いように聞いておるのですが、今のようなあれは過去の原因であるように聞いていたんですが、違うでしょうか。それからもう一つは、六〇%が国内歳入で四割ほどが各国の援助と、こういうお話でしたが、各国の援助の中では、アメリカの援助が一番大きいということは御否定にならぬと思うのですけれども、私どもがざっと読んだ数字では、四割よりもまだ上がっているような数字を今まで見てきたのですけれども、その点はいかがでしよう。
○参考人(富崎万右衛門君) 多分その数字に多少食い違いがあるかと思いますが、今年の歳出歳入の予算面でいきますと、多分五六、七%が国内で上がっているのではないかと思っております。それから米のことでございますが、なるほど、戦後大きな変革が起こっております。それでちょっと午前中にも申し上げましたが、一時廃棄田が三割にもいったということがございますが、それは一つは、非常に地方に大地主さんがおりましたですが、そういう方が都会に参りまして、なかなか農家のめんどうを見る方が少なくなったというような結果がございまして、一時非常に減産いたしましたことがございます。
○杉原荒太君 午前中の大沢参考人に私が質問したことに関連することです。大沢さんお急ぎだったから、私質問を端折りましたが、国際法の権威の大平先生がおられますから、大平参考人にお尋ねをいたします。サンフランシスコの対日平和条約には、言うまでもなく、ベトナム国もフランス国も当事国となっており、しかも、フランスはベトナムが当事国となることに異議を唱えてもいない、そういうことでこの両国だけの関係についていえば、ベトナム国とフランス国との間に平和条約の関係が成立しておるということは争いのない明白な事実であります。しかも、この事実は、単なる裸の事実というのではなくして、法律的にも条約的にも意味のある一つの法律事実である。そこで、この事実をベトナム国の平和条約締結権との関係において法的にいかに評価しておられるか。別の言葉で言いますならば、この事実そのものだけでもフランスはベトナムの平和条約締結権を認めておる証拠になると解せられるかどうか、その点をお伺いいたします。
○参考人(大平善梧君) サンフランシスコ平和条約にベトナムが出席いたしまして署名し、かつ、後に批准しております。そこで、条約締結権の問題が提起されたわけでありますが、実は私はベトナムの憲法、フランスの憲法については十分研究しておりませんが、国際法の一般論から申しますと、先ほど大沢さんがおっしゃったように、フランス憲法におきまして条約締結権があるのかないのかということがはっきりしないという場合に、だれが一体条約締結権をありと考え、ないとするか。これは全くフランスの憲法、フランスの解釈に従うというのが第一だと思うのであります。従って、フランス政府及びベトナム政府が並んで条約に参加したという事実は、これはフランス憲法に認めるということをフランスが認め、そして、各国がそれを承認して、それに調印し、かつ、批准さしたのでありまするから、私は、ベトナムに条約締結権がある、そして、自後、争われていないという事実で、はっきりしていると思います。たとえば、私の記憶にして間違いなければ、インドがまだドミニオンという地位━━今、リパブリックになっておりますが、そういう地位を獲得しない場合におきましても、第一次のベルサイユの平和会議には彼は出席しておるわけで、署名しております。まあ、そういうようなわけでございまするから、たとい憲法に疑義がありましても、その国がそういう解釈をとり、各国がそれを認めるならば、そこに条約締結権があると考えてよろしいかと思うのであります。それは、やはり、憲法というものはある意味において生きたものでございまするから、バイ・ケースで、いわゆるコンベンションというものが特にイギリスには発達しておりますので、インドの場合には、そういうふうに考えたのだろうと思います。
○大和与一君 大平参考人にお尋ねしたいんですが、今ほんとうはお尋ねしたいと思いましたけれども、憲法に疑義があっても、これはいいというお話があったんですけれども、これは日本の憲法においても同じお考えですか。
○参考人(大平善梧君) どういう場合でございますか。
○大和与一君 どういう場合って、それは学者としてですね、憲法に疑義があっても、実際の場合にはいいということを今おっしゃったでしょう。日本の憲法に疑義がある場合に、便宜的に解釈をし、あるいは適用するというようなことは実際にあり得るのか、そこだけちょっと聞いておきたい。
○参考人(大平善梧君) 憲法というものは、その国の国内事項でございます。従って、その国がその憲法の解釈を持つということは、これは国際法上の通則でありまして、他国がその国の憲法の解釈を云々することは、内政干渉になると考えるわけです。で、多分、御質問の点は、日本の憲法の規定及び範囲においてというような文句が、かりに、ある条約に入ったという場合を予想されているのかと思いますが、そういう場合におきましては、日本の解釈するところの結論というものを、その条約の相手国がこれを包括的にのむという理解のもとにそれが締結されたというふうに考えるのが、これが条約の解釈だろうと考えるのであります。従って、憲法に疑義があると━━疑義があるというのは、何か非常に不信だと思うのであります。そういう意味じゃなくて、どうでも解釈できる、何も規定がない、こういうような場合に、その憲法の規定がないことは、憲法がないということではない。やはり憲法があるとその国が主張する、こういうものを国際法的には認めなければならないというのが普通の場合だと思うんです。
○大和与一君 富崎参考人にお尋ねしますが、あの、終戦前後何年ぐらいおいでになられましたですか。
○参考人(富崎万右衛門君) 戦前、戦時中を通じまして、十一年間、戦後三年半でございます。
○大和与一君 先ほど、相当爆撃なんかあったというようなお話がちょっとございましたが、まあ私が聞いておるところでは、兵隊さんも、一番毛並みのいい近衛師団と、それからしろうとの鉄道特設隊と、これだけが行っておったように私は聞いておるんです。で、爆撃があった場合、この兵舎とか、非常に極限された━━一般の国民に対して殺すとかというようなことはなくて、そういうふうなことをしたというふうに聞いておるのですが、そうではありませんでしたか。
○参考人(富崎万右衛門君) 爆撃の当初は、大体郊外の軍事施設から初めて参りました。ところが、もう目ぼしいものがなくなったというような状態に入りましてから、市内に集中して参りまして、市内に少しでも兵舎のある所というところは、ほとんどその目標になりまして非常に痛烈な爆撃を受けたのであります。
○大和与一君 この餓死をした人が、多い人は二百万人もおると言うし、あるいは少ない人は千人もいなかった━━これは南ベトナム地区に限ってですよ、特にあなたがおいでになったサイゴン付近でもいいですが、そういうところで、一体あなたは何人くらい死んだ人をごらんになったのであるか、あるいはあなたの聞いたくらいの範囲内でいいですがね。
○参考人(富崎万右衛門君) その点、私、現地におりますときに、非常に死傷者があるようだということを聞きましたけれども、その数字については全善聞いたことございませんです。
○大和与一君 もう一つは、この餓死者ができた理由として、サイゴンのそばのショロンですか、まあ米の集散地で、フランスの華僑ですね、華僑が、田んぼの中に稲ができないうちに、青田を刈っちゃって、そういう売買をうんとして、それで米が国内に全然出回らぬので、それで非常に国民はひどい目にあったというようなことを聞きますが、そういうことはありませんですか。
○参考人(富崎万右衛門君) 米は減収はありましたが、大体筋道立った耕作は行われておりました。
○大和与一君 そうすると、南べトナム地区では餓死者があったというようなことは、ほとんどうわさぐらいで、そうごろごろしておったわけでもないし、大してなかったとお考えになったわけですね。
○参考人(富崎万右衛門君) ただ、非常に一時物資が不足いたしまして、かなり栄養不良な方があったのじゃないかと思いまして、墓場の前を通りますと、非常に葬式が多いということは見たことございます。
○大和与一君 もう一つは、ジュネーブ協定に違反してゴ・ディン・ジェム政権が、まだ選挙もやっていないわけです。で、国民感情からいって、特に有産階級の人が、こういう不統一な国におって、いつどうなるかわからぬ、こういう心配があれば、これはなかなか━━先ほどから、南ベトナムの方からどんどん産業なり、貿易なりが発達、振興、拡張するというふうにおっしゃいます、この気持はわかるけれども、現実に金持の気持はよくおわかりでしょうけれども、そういう人がこういう政情不安定の中に実際に、ほんとうに投資をする、そういうようなことを実際にやるものでしょうか。あるいは実際国民の、金持のですよ、特に有産階級の感情というものはどんなものでしょう。
○参考人(富崎万右衛門君) 現在では非常に落ちついておるものと思っております。それで、いろいろな生産計画、これはベトナム人自体が大いに考えております。
○大和与一君 全部終わりました。それじゃあなたのお話から、餓死者の方はもうほとんどそんなにいなかったということだけはわかりましたから、政府のおっしゃっていることがだいぶ違うらしいから、そこだけわかりましたから終わります。
○委員長(草葉隆圓君) これにて参考人に対する質疑は終わりたいと存じます。 参考人の方々に一言御礼を申し上げます。本日は御多忙の中を、貴重な御意見を拝聴いたし、まことにありがとう存じます。この機会に厚く御礼を申し上げます。 —————————————
○委員長(草葉隆圓君) それでは昨日に引き続き、ベトナム賠償協定関係両件の質疑を続行いたします。
○森元治郎君 長いばかりが能ではありませんから、順次要領よく御質問を申し上げます。賠償交渉というものは、平和条約に定められた義務としての賠償支払いの問題はベトナム賠償をもって最終的解決になると、こういうふうにお考えですか。
○国務大臣(藤山愛一郎君) さように了承いたしております。
○森元治郎君 そうすると、現在何べんも問題になりましたが、ビルマ側から昭和二十九年に結んだあの協定について、リエグザミンしてみたいと、もう一ぺんよく調べて検討をしたいという条約規定に基いての申し入れがありましたが、これはいつから交渉されますか。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 先ほど賠償が、サンフランシスコ条約による賠償の義務が今度で済んだと申し上げたのは、そういう協定が全部行なわれるという意味で申し上げたのであります。ビルマは御承知の通り、再検討条項がついておりますから、それによる再検討、ビルマは、すでにそういう義務を果たしつつあるのでありますけれども、再検討条項がついておりますから再検討をいたす、向こうの政府に対していたさざるを得ないということはこれは御承知の通りだと思います。
○森元治郎君 賠償交渉最終解決のときにと言うのですから、解決をしたらば、すなわちベトナム賠償が終わったときというのでしょうか。終わったときというのは批准をしたときということであるのか、どういうことですか。
○国務大臣(藤山愛一郎君) まあ批准書交換を終わったときと申しますか、大体の意味はそういう前後。私ども従って、先般来向こうの方に意見を聞いておりますけれども、まだ特に交渉というような形において持っておりません。
○森元治郎君 と申しまするか、というような怪しいのではなくて、法的には直ちにビルマ賠償がかりに国会を通った後にというときに交渉を始められるか、もう一ぺんそこのところ、交渉を始められるか。
○国務大臣(藤山愛一郎君) これは向こう側の態度もございまするから、まあ国会の批准を終わったとき、すぐに翌日からやるというような必ずしも厳格な意味でもないと思うのであります。向こう側と話し合いながら適当に一つ交渉を持つべきものは持っていくと、こういうことでございます。
○森元治郎君 そうすると、今までこういう申し入れがあったんですから、二、三回、あるいは何回ぐらいお会いになっているか、何回ぐらいお会いになっているか、そして向こうの意向をそこで聞いておられるというのですから、しかるべき応答があったはずだと思うが、何回ぐらいやって実体的な問題に触れたのか。ビルマ側の意見だけを聞くにとどめたのか。私はビルマ側の意見を聞くだけにとどめたのでは、ビルマ側も何べんも会う必要がないから、そういうことでなくて、少しずつ話が進んでいると思うのですが。
○政府委員(伊関佑二郎君) 七月の終わりごろから予備交渉という名前で、私がここの大使と四、五回交渉をいたしております。それで向こう側の考えを最初聞きまして、それに対しましてわれわれの方の考えを述べてございますが、あくまで予備交渉ということでやっておりまして、将来もう少し進展いたしますと向こうからおそらく使節団が来て本交渉をやりたいということに向こうは言ってくるだろうと、こう考えております。
○森元治郎君 向こう側の意向はどういうところにあるのか、予備交渉も大へんやられているようですから意向を伺いたい。というのは、私たちとしては、やはりビルマの賠償も━━フィリピンその他もありますが、ビルマの賠償の計画も外交筋を通してビルマ政府当局は当然情報を入手しておるはずだから、はなはだ不愉快な、公平な待遇を受けてないというような感じを持たれて話を進めてきておると思うのですが、ビルマ側の態度はどういうふうですか。
○政府委員(伊関佑二郎君) ビルマ側は要するにフィリピンとインドネシアに日本が払います賠償額との比較、これを問題にしているわけでございます。これらに比べて自分の方がやや少ないという感じがするという点を申しております。
○森元治郎君 だいぶ深く入ってきたと思うのは、予備交渉を終わったら本交渉に入る、こういうことですが、本交渉というのは、予備交渉が終われば直ちに入るのですか。あるいはビルマとの関係がついて、その開催日は別にされるのですか。
○政府委員(伊関佑二郎君) 予備交渉をいたしまして、ある程度両方の考え方が一致いたしますれば、今度は本式の交渉に入れるわけでありますが、今のところ、予備交渉をやりまして向こうの考えを聞きまして、こちらの考えも入れておりますが、まだこの考え方が一致いたしません。そしてそのままで予備交渉がまあ一時、今のところ中断をしている。われわれの方もべトナム賠償で非常に忙しくなりましたりいたしまして、まあ中断しておるという形でございますから、今後、直ちに本交渉に入るというまだ段階ではありませんで、もう少しまだ下打ち合わせがありまして、あるいは本交渉に入らぬままになるかもしれない、あるいは入り得るか、まだその辺のところははっきりいたしません。
○森元治郎君 この賠償再検討を申し入れてきたのはいつでしたか。
○政府委員(伊関佑二郎君) たしか四月の七日でしたか、九日でございます。文書で言ってきております。
○森元治郎君 これを世間に公表されたのは、あれは外務省発表だったと思うのですが、一月半くらいあとのようにわれわれ承知しているのですが、なぜ、こういう問題を発表されなかったか、その理由を伺いたい。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 別段特段の理由はございません。こういう申し入れがありましても一々初期に発表するという問題はないのでありまして予備交渉等をやって、そしてなお話の進展によってはこういうことも問題にしていくということで、別に特段意味があったわけじゃありません。
○森元治郎君 大臣はそんなすましたことを言っておられるが、当時省内にはこれを発表すべきだという意見がなかなか強かったことは、これはそこらにたくさんおられるからわかっておると思う。まあ楽屋裏の話は別としてとにかく、こんなものを発表すべきだというところは、これはくさいと思う。そこで、あなたが言うかわりに私が理由を申し上げましょう。政府は当時参議院選挙も控えて、せっかくビルマ賠償は結んだわ、片方からは再検討しましょうということがわかったのでは、われわれ反対党の社会党にもうけられてしまうというので、不利な材料になるから伏せておく。それから、ビルマの要求が公になったらば、ベトナム賠償が過大だったということをおそれた。第三点は、こういうことがわかると、ほかの求償国が賠償引き上げによる借款供与、賠償繰り上げ実施などの要求があるのではないかというのが、これがかくしたほんとうの理由でございます。大臣にかわって私が説明いたしましたが、これは大臣、大体似ているでしょう。どうですか。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 特に参議院議員選挙のためにかくしたというようなことをわれわれは考えてやったわけではございません。それから今お話しのように、ベトナム賠償に何か影響を持つというようなことも考えたことはございません。また、経済協力等に対して、他の国がそういう問題を、これは再検討条項がついておりますから、持ち出すこと自体については、何も不審がることもないわけでありまして、再検討条項がついてないような国が、何か別個な要求をして参りますこととは別でありますから、特にそういう意味でかくしたわけでございません。
○森元治郎君 まさか私に言われて、その通りだとは言えないから、私もこれは突っ込みません。そこで参議院選挙前、こういう賠償要求を再検討したいということを聞いて、驚いて向こうで事情を説明かたがた慰撫しに行ったといいますか、事情を聞きに行くミッションを出したと思っておるのですが、出しましたか。
○国務大臣(藤山愛一郎君) そういうような、ビルマを慰撫するようなミッションを出したとは思っておりません。
○森元治郎君 それでは、経済局のだれか局長か事務官か、あるいは大臣代理か、外務省から、役所から人は行っておりますか。あるいは現地のビルマ駐在大使を使ってそういうことをしておりますか。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 特に何か慰撫をするとか、というような目的でミッションを出した、あるいは人を出したことはございません。しかし、こういうことがありますれば、現地の大使としては、一応在東京のビルマ大使がわれわれに説明すると同時に、われわれとしてもビルマ政府の意向を在ビルマ日本大使を通じて聴取しますことは必要なことでありますから、その範囲内においては、あるいはやったかもしれませんけれども、時に何か慰撫をするためにミッションを出した、あるいは何かそういうことをやったということはございません。
○森元治郎君 ビルマ側の態度は、七月終わりから予備交渉を始め、話がまとまれば本交渉に入りたい、しかし、今は中断しているという政府委員の答弁でありますが、ビルマ側の態度は大体おわかりでしょう。あまり回りくどく質問しませんから、ずばりと御返事を願います。
○政府委員(伊関佑二郎君) ビルマ側の態度は先ほど申し上げましたように、フィリピンとインドネシア、この二つを問題にいたしまして、これに比べて公正を欠く、こういうことを言っておるわけであります。
○森元治郎君 しかし、このベトナム賠償が日本で大騒ぎになりまして、これを見たらいよいよたまげて、もし知らないとすればもってのほかだと、こうなって、さらに強くなってきたということは当然だと思うのです。どうですか、これは。
○政府委員(伊関佑二郎君) 当然、先方はベトナム賠償の金額は幾らであるかということは知っているはずでありますが、予備交渉を通じ、あるいはその前からベトナムというようなことは一言も申しません。
○森元治郎君 それでは、ずばりといきますが、ビルマ側は一億五千万ドルの増額を要求をしているということが、確実なる方面から流れてきております。現在のビルマは二億ドル、十年間経済協力五千万ドルの賠償ですが、われわれが知っている人の調査によれば、これは軍人でありましたが、北方は自分の目で餓死者を見たのは三人である、ベトナム三国といい、鶏三羽といい、人間三人といい、三という数字がだいぶ好きなんですが、このくらい少ないことなんです。これを見て、戦争開始日はいいあんばいである。与えた損害というのだから、どこで何がということがわかるべきはずなのが、わからないで、つかみ金で五千五百万ドルもちょうだいできるなら、われわれビルマの戦場というものは、日本軍が押していき、押し返えされているので一億五千万ドルくらいは当然であると主張しておるようですが、この点どうですか。
○政府委員(伊関佑二郎君) ビルマ側は具体的な金額は、全然申しておりません。ただ要するに、ビルマの賠償額は、インドネシア、フィリピンに比べて公平でないという原則的なことをまず日本が認めてほしい。その上で、それじゃ今度はどれだけふやしてくれということになるわけであります。とにかく公正でない、均衡がとれておらぬということを一生懸命になって説明して、その点は認めないか、こういう段階でありまして、金額等には全然触れておりません。
○森元治郎君 しからば、ビルマ側の公平がとれていないということに対して、外務省でとれているとがんばっているのですか。
○政府委員(伊関佑二郎君) まあ交渉の中身に入りますし、いろいろそれは、われわれがなるべくあまり出したくないということは御存じの通りでございますから、いろいろなことを言っております。しかし、あまり具体的なことは、まだ現在やっておるところでございますから。
○森元治郎君 交渉に応じたのだから、公平を欠いているということを暗黙に認めたのだから、さてどこが公平を欠くのかというのは、どなたが考えてもわかることなんで、一々のやりとりはわからないけれども、公平を欠くという以上、どこが欠くのだということは、当然あなたが、あるいは大臣が向こうの大使なり大臣なりに話しているはずだと思う。この点、大臣から一つ伺います。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 再検討条項がついておりますから、再検討の申し入れをしたときには、それはやはり受けざるを得ないと思います。話し合いをしなければならぬ、これは条約そのものにそういうことが書いてございますから当然でございます。でありますから、今後それらの問題についてわれわれとしては十分なビルマ側の理解を得ていきたい、こういうことでございます。
○森元治郎君 どうも政府側では一億五千万ドルはちょっと出せないが、五千万ドルくらいのものを、すなわち生産物、役務を無償で供与したいというようなことを言っているようであります。これは賠償の増額というような形を多分はばかって━━はばからなくても、みんなわかっているのですが、自分だけ一人ではばかって、そうして贈与の形か何かでいきたい、大蔵当局もこれを承認しているということは、われわれのアンテナに引っかかるから、有力な数字は、これは暗黙に認めているが、たまたまベトナム賠償が社会党の反対にあって今や葬られんという危機だというので、そういうふうにやられているのです。このことは相当具体的にわれわれが知っている方面から私はつかんでいるつもりなんです。五千万ドルという金、金額賠償の増額は、これからまたほかのフィリピンやインドネシアで言われてはたまらぬから、これは増額の形でやる、しかし贈与の形でいきたいということになっている。しかもそのやる時期はベトナム問題が片づいたあとに、本交渉でと、今やると騒がれるからというんですが、これは大体間違ってないと思うが、はっきりお答え願います。
○国務大臣(藤山愛一郎君) まだ全然、今お話のような五千万ドルというような金額を、われわれきめているわけでもございませんし、あるいは贈与の形でやるというようなことをきめているわけでもございません。いわんや大蔵省とこれを相談したということは、全然ございません。
○森元治郎君 リーズナブルな数字だということはお考えになりましょう。
○国務大臣(藤山愛一郎君) まだこれがリーズナブルとも何とも、私ども検討しておりませんから申し上げかねます。
○森元治郎君 私もやろうと思ったのだが、どうも人が少ないようで、せっかく張り切って材料を整えて、だんだんこれからいこうと思ったのですが、これはだめですね。
○委員長(草葉隆圓君) ちょっと速記をとめて。 〔速記中止〕
○委員長(草葉隆圓君) それじゃ速記を。 それでは本日は、だいぶん時間も過ぎましたので、この程度にいたしたいと存じますが、御異議はございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(草葉隆圓君) それでは本日は、この程度とし、明十九日午前十時よりベトナム賠償協定関係両案についての質疑を続行いたします。 本日は、これにて散会いたします。 午後四時四十一分散会