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33回国会参議院1959/12/11

外務委員会 第16号

発言数
235
登壇者
12
会派数
2
開催日
1959/12/11

会議録

草葉隆圓自由民主党

○委員長(草葉隆圓君) ただいまから外務委員会を開会いたします。  日本国とヴィエトナム共和国との間の賠償協定の締結について承認を求めるの件、  日本国とヴィエトナム共和国との間の借款に関する協定の締結について承認を求めるの件(以上衆議院送付)の両件を一括して議題といたします。  本日午前は、先般の外務委員会の決定によりまして、久保田参考人から御意見を伺いたいと存じます。  開会にあたりまして、委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。  ベトナム賠償協定関係二件につきましては、ただいま本委員会において審議中でございます。この条約の重要性にかんがみまして、久保田参考人からベトナムとの賠償、借款について関係かあったこと等について御意見を承りまして、今後の審議の参考にいたしたいと存じまして御出席をお願い申し上げましたところ、御多忙中にもかかわらず、本委員会の要請に応じて御出席をいただきまして、ここに御意見を拝聴する機会を得ましたことを欣幸に存じます。  なお、外務委員の方々に申し上げまするが、御質疑のおありの方は、久保田参考人からの御意見が一応終了いたしましてから御質疑を願いたいと存じます。なお、久保田参考人は、午後は先約があるから十二時ごろまでにお願いしたいとのことでございまするので、あらかじめ御了承を願います。  それでは久保田参考人から日本とベトナムとの間の賠償及び借款について、特にダニム・ダム設計の経過及び事業の概要について御意見を承ることにいたします。御発言を願います。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) ただいま御紹介をいただきました日本工営の社長久保田豊でございます。  私がベトナム国との問におきましてダニムその他につきましていたしました今日までの経過と、問題になっておりますダニム・ダムというものはいかなるものであるということについて御説明を申し上げたいと思います。このベトナム国につきましては、私は戦争前及び戦争中、海南島を主にして南方で仕事をいたしておりました関係上、私その土地を存じており、また、私どもの従業員を派遣をいたしまして調査をいたさせ、調査事務所も持ち、調査の資料も持っております。たまたま一九五五年——昭和三十年になりましょうか、の二月、私この東南アジアを、経済協力関係で、ことに技術協力関係と、ずいぶん方々を回っておりましたのでありますが、その途中一回立ち寄りましてございます。そのとき先方の関係のいろいろの方にお目にかかって、ことに私のはっきりお話をいたしましたのは、当時の公共事業大臣チャン・バン・メオさんでございます。そのほか数人の役所の方にお目にかかったのでございます。そうして私の申しますことは、どこの国においても同じことでございますが、日本はたくさんの人がおって、ことに技術の人間が多い。ことに外地から引き揚げた技術の人間などにおいてはあまりにたくさんおるので仕事がない。外地においての仕事は彼らはなれてもおる。そういうような意味で技術協力をすることができないかという趣旨を申し述べております。そうしてそれについて、私の知識におきましては、ダニム・ダムなどもおそらくおやりになることが適当ではないかと考えるがどうなっておるかということを申し上げましたら、ダニム・ダムについては、すでにフランスの経済助力によって調査を進めております、今日進めておるが、時間が少しかかっておるということでございました。しかしながら、すでに頼んでおるのでということでございました。それじゃ私どものお手伝いする余裕はございませんね、しかしせっかく参りましたから、私の意見を申し上げましょうと言って、私の考えております一つの開発方式について当時申し述べております。そうしましたら、この申し上げました人は、技術出身の大臣でもございますので、非常に関心を示されたのでありますが、しかしながら、もうすでにフランスに頼んでおるからそれはだめだが、この電気が少し余分に出るように思うが、これを電力を使って産業に充てるというようなことに私の考えはないかということでございましたので、私は、多年北鮮において、たくさんの電気とたくさんのそれを利用する工業に関して経験と知識を持っておりますので、さようなことはできると思いますから、そういうことについてもなお将来御希望があればお手伝いすることができましょうと言って帰っております。その後、向こうの政府から一ぺん来てみてくれぬか、お前はよく東南アジアを歩くようであるが、一ぺん途中に立ち寄ってダニム・ダムを見てくれぬかというお話がございまして、三十年の九月、私東南アジアの諸国を回りますついでに訪問をいたしましたが、大へん喜ばれまして、ダニム・ダムを見てくれというので、先方が関係の人をつけて案内をいたしております。そこで私の構想をレポートにいたしまして、もしこれが私どもの手によって行なわれるならば、短い時間においてこれは調査が完了する。なおまた、これが日本の協力においてこの仕事を御依頼になるならば、短い時間においてこの仕事は完了いたすであろう、こういう意見もつけ加えましたところ、大へんいいお考えである、実はフランス側の設計がどうも遅延ぎみであるから、一つ幾らでやってくれるか見積りを出してくれということでございましたので、当時見積りも出しております。当時におきましてはその見積り——その金は日本側において出してくれることはできないかという話でございましたので、私は、とうてい日本政府の金などはこういうものには、私の経験によりますと、出ないと思いますということをはっきり申しております。何とか方法はないかということでございましたが、私はお断わりをいたしまして、これはおそらく民間の事業者やメーカーや請負人というような業者関係において、こういうような金を集めてやるということがあれば、あるいはできるかもしれませんが、さようなことはあなたの国のために御不利益であります。これはもし御希望であれば、こういう費用をぜひあなたの国の予算においてお出しを願うということが適当であるということを関係の大臣その他にお話しております。そのとき最後において、非常に興味ある話であるから、一つこの話を聞こうということで、ただいま申し上げましたメオ大臣の取り計らいで、私ゴ・ディン・ジェム大統領にお目にかかっております。その席においては、政府の関係の大臣及び局長並びに専門家、ことに中央銀行の総裁等の人たちが七、八人出席されたと思っております。同時に、私はこの問題は日本としても非常に重要なことであるように思うし、また大統領にお目にかかることであるから、私が個人で行くということは適当でないと考えましたので、当時の旧ベトナム日本大使に御連絡いたしましてお立ち会いを願っております。私と大使だけでございます。そうしましていろいろ御質問がございましたので、私は今までレポートに出したこと、その他について御説明を申し上げましたところが、非常に大統領においては関心を示され、また列席した人たちも大へん関心を持たれて、その席上において、非常におもしろいが、私の国はこの予算その他において非常に困難ではあるが、一つ予算として考えてみましょう。従って、その結果さようなことになれば、一つ大使を通じてあなたにお願いするというようなことが起こると思うから、数日私どもの相談を待っていただきたいというお話を受けまして、私帰っております。九月か十月か、その辺の期日は精細に取り調べませんとわかりませんが——ということでございました。日本に帰りまして十日か、二週間かした後、外務省から御通知を受けました。ベトナム国の依頼である、お前の話はおもしろいから予算の措置をとったから契約をして仕事を進めてもらいたい、従って、なるべく早い機会に渡航して来てもらいたい、こういうことでございました。私直ちに参りまして、契約についてこまかい契約の条文を作りまして、着手をいたすようになったのでございますが、当時の金額を御参考までに申し上げますと、米ドル——これは米ドルにしてもらいたいということを申しておりまして、米ドル三十二万五千ドル、それから向こうの現地通貨ピアストルを四百二十万ピアストル、換算いたしまして四十四万五千ドルというような金額でありました。期間もごく短くて、たしか八カ月かそこらだったと思います。それから大ぜいの人間をもちろんやる。地質調査等は十分念を入れるというようなこまかい契約の条項を盛っております。それで、契約は直ちに調印ができまして、担当のメオ大臣が担当者であり、私が一方の担当者でございました。そうして後日そちらの大蔵大臣なり大統領なりの承認を得たというしるし等のついておるのを私見かけております。この契約を、私日本に帰りまして、これは為替管理法の承認を得ることでありますので、直ちに日本政府に提示いたしまして、もちろん条件が、日本政府のアプルーバルが要るという条件のもとにこれは契約いたしておりまして、従って、提出いたしましたところ、これは日本政府の承認を得まして、これはさっそく仕事にかかりまして、当時二十数人の技術屋を派遣いたしまして、非常に急激な調査を、短い期間で仕上げるという調査をいたしております。調査の内容といたしましては、ダニム付近における水力発電の全部の概念的の調査をいたすこと、それからそれのうちの最も早く最も有利に開発される一部分の仕事を調査をいたす、こういうことを土台にいたしておりますので、その方針で仕事を進めたのであります。その調査は、ずいぶん難儀もいたしたのでありますし、十分の私どもとしては全力をあげて期待にそむかぬよう、ことに外国における技術協力でございますので、十分の入念の調査を進めまして、計画案を、翌年の三十一年の九月ごろだったと思いますが、約束通りの期間に提示いたしました。そういたしましたところが向こうは大へん喜んでくれたのでありますが、そのころ並行的に調査をいたしましたフランスの案が、これもフランスとしてはフランスの金でやっておるのであります。それを日本に頼んでやったということで、これもまた非常にスピーディに努力をいたしまして、私どもの出します期間におくれないように出すから、おれの答えもとってくれと申していたらしいので、これは私どもより一カ月おくれたと思いますが、とにかく向こうもまとめて設計を出しております。同時にフランスの申し出は、この設計においてやつてくれるならばフランスは経済協力としてこれを直ちにやる用意があるということを申しております。日本側においてはそういう資金的の裏づけ等については、当時はございませんでした。それで、それと前後いたしまして後ほどになりますが、資金的な問題がここに出て参りますのでございますが、この二つの設計について、ベトナム当局は、とても調査は自分の国の力ではなかなかこの判定は困難であるし、第一フランスという強い相手方を土台にしてはねつけるということが困難であったろうと思います。また実際いい設計をとりたいということが土台だったと思います。ベトナム政府は国連に依頼いたしまして、国連の技術委員会というのに依頼いたしまして、この二つの設計についてどちらがいいか適否を調べてくれということを申し出ておりますが、国連はこれを承諾いたしまして、三十一年の暮れ三人の専門の土木、電気並びに機械と、こういう三人の専門の技術者を送って調査を始めたのでございます。当時ベトナム政府から要請がございまして、お前説明のために出向いてこれらの者に十分説明してくれ、フランス側においても同じようなことがございまして、フランスの技師なども参りまして、両方の技術家が説明に二ヵ月ほどいろんなことで当たっております。その後調査の進行につれまして、なお不十分であるというので、この国連の連中はインドのニューデリーにおいてこの結論を書いておりましたので、ニューデリーまで行ってくれぬかという迷惑なベトナム政府の依頼もございまして、私どもニューデリーに二週間以上滞在いたしまして、フランスももちろん参っております、十分の説明をいたしております。その結果は、その後数カ月後に聞きますところによりますと、日本側の設計が正しい、よろしい、精細をきわめておる、十分これをお勧めするというようなことで、それからまた値段等においてもこれは正確なものである、こういうようなことを申し出て、日本案をとることを勧めておられます。それにつきましては、この当時の説明等においては、日本案が単価の取り方等においては安いではないかということで、ずいぶん一体私の予算は辛いのでございますが安いのではないかというような質問等も受けたのでありますが、私はこういう程度でできるというようなことを申し出て折衝した記憶がございます。同時に、幾ら日本案がよくても金がなくてはしようがないということでありましたので、後ほどお許しを得てコンサルタントというものの御説明も申し上げたいと思いますが、コンサルタントの仕事といたしましてはワールド・バンクその他に交渉をして、資金を作ってあげるということもその職員の一つでございますので、まあワールド・バンクに持って行ってもとうていこの話はできないが、日本においてこういうようなことができないかということを考えまして、日本の輸銀当同等に相談いたしましたら、向こうの政府がそういうことを申し出れば、向こうの政府に貸すことになれば、そういうことの可能性はある。それから、いつもこういう海外においては、こまかい金利等が問題になるのでありまして、金利が日本が高いという、またどこでも高い日本の金利のことが非常に問題になりますので、金利などの話もありましたので、金利などはどうしたらいいかというような御相談もいたしましたが、ワールド・バンクなみの金利でいこうじゃないかというようなお話等もございましたので、向こうの関心を引きます関係上、そういうことを申しております。もちろんこれらの点について政府にも御連絡をいたして、向こうに、こういうことをお申し出になれば、かようなことができ得る見込みがございますという正式の書面を出しております。これは関係の大臣——その当時公共事業大臣はかわっておりましたが——関係の大臣、大蔵大臣、外務大臣それから大統領にも、これはその当時大使も御同伴願って、この書類を出しております。従って私どもは、日本側の案がよいというし、日本側においてもこれは資金ができ得る見込みがあるというようなことで、この問題が取り上げられる問題であるということを期待いたしておったのでございますが、その後どういうわけで——おそらく先方の要求と思いますが——これが賠償に移ったかは、私の存じたことではございません。一切私はその問題に関係をいたしておりません。  それが大体の経過でございまして、今日といえども、これが聞き込みますところによりますと、賠償として用いられておるということでございますので、何らその後の進捗はいたしてないことになっております。  工事の概要を申し上げますと、最初私の申し上げて第一回提出いたしましたのは、第一期に七万二千キロワット発電をいたして、そうしてこれを海岸線回りに、向こうの要求でございましたが、海岸線回りにサイゴンに送る。それから一部の送電をすぐそこにありますカムラン湾という大きないい港がありますが、カムラン湾に送って、将来そこへ電気を安く使う工業の中心地を作るというような示唆も私どもいたしておりまして、そういう計画になっております。ところが国連の技術者といたしましては、またフランス側としても七万二千キロくらいで切ってやるのはどうかと思う。お前の設計は大へんいいから、もしこれを一期に十六万キロまでやるならば幾らくらいになるか。その対案を出してくれぬかということでございましたが、私は、はなはだ契約とは違ってよけいな仕事でございましたが、しかしこの案も提示いたしてあげております。それによりますと、千メートルくらいの高台のある大きな地域の川の水をせきとめまして、大きな貯水池を作りまして、約五キロほどのトンネルを掘りますと、これは流域が変わりまして東海岸に落ちるわけであります。この東海岸に急峻な斜面がありますので、それを鉄管で落としますと、約八百メートルの落差が得られるのであります。これによってこの貯水池を一気に作れば、これは十六万キロになるのでございますので、さような計画が今日ベトナム政府が考えておる開発計画になっております。ただ、私の意見として先方に申しておりますのは、十六万キロ全部完成するまで多額の資金を突っ込むのは非常に適当でないように思うので、貯水池が半ば以上完成したとき若干の水をためて、八万キロまず作ったらよかろうという意見を申しております。いずれベトナム国政府が仕事をするようになれば、さようなことになると考えております。  それから、これを使いました結果のこの国の利益等について、若干時間がございますようですから、申し上げますと、現在この国は、サイゴンだけで五万キロ近くの電気を使っておりますが、不十分でありますので、ときどき停電もいたすし、また、このために火力発電をいたしておりますので、燃料といたしましては、約四百万ドルぐらいの一カ年に燃料の輸入をいたしております。これが全然なくなるという外貨問題、従って、高い燃料を使っております関係上、一般のこういう所で使います電気料金は、一キロワットアワー当たり、日本円に換算いたしまして、三十五円に近いのであります。日本の三倍以上になっております。それから動力にいたしましても二倍以上になっております。これをもし切りかえることになれば、少なくとも半分、あるいは三分の一の値段で一般の供給ができる。つまり民生に対して非常に幸福を来たすという問題がございますのみならず、多くの中小企業等がございますが、それはみな電気で因っておりますので、そういうものに十分の安い電気を供給することができるということになっております。そういう期待をもってこの国は最初からそういう問題を考えておるというふうに了解いたしております。  なお、いずれ御質問があると思いますから、この辺でとめまして、その先は御質問によってお答えした方が適当かと思います。

草葉隆圓自由民主党

○委員長(草葉隆圓君) それでは久保田参考人に対し、御質疑のおありの方は順次御質疑を願います。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 久保田さんは、電力関係の技術者として非常に名声を博されているし、戦後は東南アジア方面において各種の仕事をおやりになっておられまして、私たちも非常に敬意を表している次第でございますが、ただいま国会でこのベトナム賠償の問題が審議をされておりまして、私たちは、あらゆる方面からこの疑義がないようにいたしたいと考えておるわけなんであります。非常に国民の中には、この問題についてなかなか納得がいかないという意見がございますので、私たちも、国会で十分これらの点について国民の納得できるようにいたしたい、こういうふうに考えまして、連日審議をいたしておるわけでございます。そこで、このダニム・ダムの久保田さんのおやりになった関係のことについては、久保田さんの直接の御意見をお尋ねしなければ、政府にいろいろの問題をただすわけには参らぬ、こういうことで、本日委員長からお話があったように御足労を願ったわけでございますので、これから若干の点をお尋ねいたしますが、やや古いことでございますので、御迷惑かとも思いますけれども、一応いろいろの点についてお尋ねを申し上げたいと思います。  最初に、このダムの設計費のことはお話がありましたけれども、久保田さすのおやりになった設計によりますと、総工事費というものは幾らになっておったのか。それからフランス側の設計費並びにそれによるところの総工事費というものは幾らになっておったのか。こういう点を一つ伺いたいと思います。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) お答えいたします。たびたびの設計の計画の変更等がございましたので、かなりお答えが、こまかい数字まで申し上げることは困難でございますが、フランス側で提出されました設計は、十六万キロを出すということでございましたので、国連技術書と同じスタンダードで建つように一つ計画を立ててみてくれということでございましたので、その数字をもって申し上げることが適当と思います。こまかいピアストルなどいろいろ入っておりますし、また先方はフランスで入っておりますので、非常に比較が困難でございますが、国連等において了解いたしましたのは、私どもより一割以上、二割近く高かったと思っておりますので、おそらく六千万ドルくらいに換算されるのじゃないかと思います。私どもでやりましたものは、五千万ドル弱、四千九百万ドルくらいになっております。最後に整理いたしましたが、予備費等の扱いによってラウンド・ナンバーとして四千九百万ドルになっております。そのうち三十七百万ドルが外貨、必ずしも日本円とは申しておりません。米ドルに当たる外貨。それから千二百万ドルに当たるベトナムの通貨が必要であるというふうに私心得ております。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 フランスの設計費というのはどのくらいになっておったのでありますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) フランスの設計費と申しますと、設計をいたす費用でございますか、技術費でございますか。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 あなたが設計書を提出されまして、設計費としてどれだけを受け取られましたか。それからフランス側はその経費はどういうことになっておりますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 私の申しました費用は、先ほどもちょっと申し上げましたが、三十二万五千ドル、プラス四百二十万ピアストルでございます。フランス側については、幾らになったか存じません。おそらくベトナム政府もあるいは存じないかもしれません。何ゆえかと申しますと、フランス政府の経済協力基金か何か、どういうことがあるか私存じませんが、その方が出しておりますので、おそらくもっと多くの金を、私の想像でございますが、取っておるだろうと思います。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 ちょっと聞き落としましたのであれですけれども、フランス側は、約六千万ドル、日本側は四千九百万ドル、こういうわけですね。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 建設料でありますか、建設費は、申し上げたおよそ六千万ドルという数字はここに手元にございませんので、私の記憶を申し上げておりますが、私のより二割ほど高かったと思いますので、約六千万ドルではなかろうかと私申し上げております。そしてまた、そういう正確な数字を私はもらっておりません。もちろん、試験の答案みたいなものでございますから、もらうわけはございませんが、伝え聞いたところによりますと、さようなことでございました。責任を持って申し上げるわけには参りません。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 フランス側の設計書というものは、久保田さんと同じころお出しになったようでございます。その前に、フランスは設計に着手して、いろいろ具体的に計画を、調査をやっていたわけでございますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) やっておりました。三年あまりも前からやっておりました。そうして、これは補足いたしますが、実は申し上げていいかどうかわかりませんが、フランス側は非常に設計が遅々としておる。この設計はあまり急いでやりたくないであろうというような邪推を言っておるベトナムの高官がございました。従って、ということは、フランスが火力発電所を持っておりまして、その火力発電所で十分の利益を得ておるので、これはうわさ話でございますが、責任を持って申すのではございませんが、情報としてお伝えいたしますが、そういうことであるので、あまりこれじゃ困るということで日本側に予算を出させて刺激剤にしたのじゃないかというふうに想像されます。同時に、ややそういうことの空気があったかのように私存じておりますので、情報としてお伝えします。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 このベトナムとの設計書の提出あるいはその後の輸出入銀行の融資の問題等については、向こう側の政府と、相当折衝、連絡をされたそうでございますが、この問題について日本の政府とはどういう御連絡をされておったわけですか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 輸銀の当局とも折衝しました結果を、逐一、外務省及び外務省を通じて大蔵省にも連絡をいたしております。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 ややこまかいのでございますけれども、外務省はどなたに——外務大臣でございますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 外務大臣には申し上げた覚えはございません。当時の外務大臣は重光さんでございまして、外務大臣には申し上げてございません。私の申し上げておったのは、アジア局の担当の人だと思っております。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 大蔵省の方は……。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 大蔵省は、アジア局を通じて、どなたかはっきりいたしませんが、担当の方だと思います。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 そうしますと、日本政府も久保田さんのベトナムにおけるこの仕事については承知しておったわけであり、また当然そういうわけなんですが、そういうわけでございますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) お答えいたします。——承知しておったというのは、日本政府が承知しておったということでございますか。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 そうです。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) もちろん承知をいたしておりまして、第一、その設計をいたしておりますときには、大蔵省で説明し、許可を得ております。それから、これは経済協力にわたりますので、たびたびその報告を、口頭でやったかわかりませんが、いろいろな報告を、経過を申しております。それから、在外の大使館におきましても、事経済協力にわたるというようなことでございますので、おそらく私どもに関する御報告は直ちにしているかと思います。それは私は存じません。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 久保田さんの設計書をベトナムに提出されたのは、今のお話では三十一年の九月ごろ、それから認可というか、採用を決定されたのは三十二年の暮、大体私のあれも十一月の二十七日だと思うのですけれども、大体日はそういうわけでございますね。提出は三十一年の九月、決定は三十二年の十一月。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 三十二年の十一月と申しますと、私にそういう記憶がございません。私は三十一年の九月に設計書を提出いたしまして、その後国連との折衝、つまり説明方を依頼されておりますので、三十二年にわたります間こういう話を続けております。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 最終的に久保田さんの案を採用するということがきまりましたのは、いつでございますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 私は決定していないと思います。今でも決定していないと思います。当時の状況からいうて、こういう日本側の勧告があったので、これでよかろうと思っただけで、予算措置等について決定していないと思います。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 私の言うのは、その久保田さんの案を採用して、これで事業をやるということでなく、久保田さんの設計料ですね、そういうものの支払いはいつごろ行なわれたのですか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 設計料の支払には、ちゃんと契約によりまして、最後はいつでございましたか、当然その前にもらっております。全部済んでおります。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 契約が締結されたのは、先ほどお話がありましたけれども、それが十一月ごろでございますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) それは十一月ごろであり、十二月ごろ日本政府の承認を得ております。ですから、私の方の契約の出発点は十二月だと思います。日本政府の承認がなければ、これは日本政府の承認を条件といたしておりますから……。私の方で条件といたしております。それですから、条件として満足されたのは、大蔵省の許可を得ましたのは十二月ごろでございましたから、十二月が出発点でございます。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 専門的なことでございますので、ちょっとわかりませんが、大蔵省の認可を受けたことは、外務省の方も当然それは知っているわけでございますね。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) だと思いますね。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 それから、ちょっとお尋ねいたしますけれども、久保田さんはビルマのバルーチャンの電源工事に御関係になって、非常に御活躍になったのでありますが、ビルマのバルーチャンの電源工事に関してはどの程度御関係になったのでございますか、ちょっと今の問題と違いますが。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) お答えいたします。ビルマにつきましては、よほど前でございますが、二十八年の十月、ビルマにいろいろな仕事があり、また外貨等も持って活発ないろいろな計画をしておられるということを伺いましたので、私はビルマに立ち寄ったのでございます。そうして、これは特にその当時の総領事館にお願いをいたしまして、工業大臣または工業次官というような方に面会できるかどうかということをお頼みしましたら、大臣は差しつかいがございまして、次官は会う。それで……。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 ちょっと、発言中ですが、経過はあれでございまして、あなたがあれを設計されたわけですか。ビルマの工事をあれしておりまするが、その工事の経費について……。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) そういう経過でございますが、そこで私に設計をしろということになりまして、設計費用は向こうの費用でもらいました。それでこれも完了いたしました。それから、その後、お前の設計は非常におもしろいから、お前の設計で進めよう。ついては、自分から、それじゃ資金をどうなさいますかと聞きましたら、おれの国の予算でやるということで、工事に着手いたしました。従って、当時同じようなことで監督の契約を私は結びました。そうして仕事は済んでおります。賠償に関係ございません。  それが、途中においてビルマと日本との賠償の交渉が始まりまして、そうしてこれはバルーチャンと申しますが、バルーチャンをやるとか何とかということは入っておりません。おりませんので、まとまりました。まとまった結果、向こうの国は、これを一つ賠償でやりたいということで、賠償に繰り入れまして、賠償が事実的に実際に事務的に発効いたしますまでは、私はビルマ国政府から外貨をもらっております。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 私、ビルマのバルーチャンの電源工事が賠償に関係あり、ベトナムの問題と関連して、久保田さんがいろいろの今世間でいわれておるような御関係にあるというので、お尋ねしているわけではございませんですが、純粋にバルーチャンの電源工事が行われている、その工事に直接どういう御関係をお持ちになっておられるか。もう少し具体的に申しますと、あなたがバルーチャンの電源工事に御関係になっておるのは、バルーチャンの第二発電所建設工事の監督、その内容として、一般的工事の監督、工事の予定計画の樹立、各種資材の試験、工程の把握、こういうような問題、それから第二は、送電線、沿線の道路の工事監督、その他ずっとございますが、このうち送電工事には具体的にどの程度日本工営として御関係になっておるのでございますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 送電工事は、私は、監督の契約をいたしております。工事については、この国に私は申し入れをいたしまして、私が仕様書を書きまして、それをこの国がもう一ぺんレビューいたしまして、それに基づきまして入札をいたしております。私もそういうふうに進めております。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 ちょっと問題のあれと違いますけれども、日本工営の電力部というのはございますね。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 電力部と申しますか、私どもは工場を二つ持っておりますし、それから電気関係の仕事をいたしております。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 日本工営は、たしか発電機整流器等、日本工営製のものをお作りになっておられる。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) そんな大きなものは作っておりません。修繕をいたしております。残念ながら、戦争前はそれくらいの力もあったかもしれませんけれども、戦争に負けて以来、残念ながらございません。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 先ほど、ベトナムのあれに最初に関係したのは昭和三十年の二月とおっしゃいましたけれども、その前にベトナムとの関係はございませんでしたか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) その前の関係は、御承知のように、経過の説明で申し上げましたように、私は戦前関心を持って参っております。それから、戦争中も調査員などを出して、存じております。その今申しました二月の前後においては、ベトナムの人に接触したことがございます。それはその人の仲介で、こういう人が通商の協定か何かで来ているが会ってみないかということがございまして、お会いしたことがございます。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 昭和二十九年の、先ほどおっしゃいました前年ですが、昭和二十九年の、それは九月に、前のベトナムの企画庁長官、企画長官ですか、当時は顧問だったと思いますが、トラン・バン・チェットにお会いなさったことをおっしゃっている。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) そうです。そうでありまして、その当時、私が三十年の二月に参りましたとき、私は面会いたしております、その人に。その人は、いろいろな事業があるから、技術協力でやるのは非常におもしろいから、わが国に来たらいいだろうという、その人の勧めも承っております。そうして会いました。ちょっと申し上げますが、その方は長官ではございません。顧問か嘱託かでございまして、その後はもう今日、その後直ちに五、六カ月後に参りましたときは、その人はもう仕事をやめております。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 トラン・バン・チェット氏が来朝されたのは、昭和二十九年の八月の末であったと思うので、外務省から情報部長の談話で来朝の目的その他が発表されておりますが、トラン・バン・チェット氏と久保旧さんは、九月の二日に東京都内でお会いになったのですが、具体的にどういう話をされたのですか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) そのとき、九月二日というのは私存じません。よくご存じだと思いますが、私、存じません。多分そうでございましたろう。そのとき、会いましたときは、技術協力について私を紹介した人たちが二、三人御列席でございました。それで、ベトナムにおいて知己がありますので、いろいろなベトナムの事業等について技術協力が、日本は貧乏だから金の方はむずかしいが、技術協力はできますという話を私はいたしました。当時、ダニム関係のことは、私は戦争中あるいは戦争前から存じておりますが、それはおもしろい話がありますというので、それは国で問題になっておりますという話を承っております。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 そのとき通訳として席におられたのは、岸本商事の専務だったようでございますが、そうでございますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) その通りでございます。この人はインドその他において私と、いろいろな手伝いをいたしてくれる人で、商売関係ではございません。そうして、この人はフランス語にたんのうでございますので、私は無理に一つフランス語の通訳として一緒に行ってくれということを頼んで、同行いたしております。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 聞くところによりますと、この昭和三十年の二月、さっきお話がありました、最後にビルマの帰途おいでになった。そのベトナムに二月においでになった経緯は、九月二日都内でトラン・バン・チェットにお会いになってお約束されて、ビルマの帰途立ち寄るということをお約束になったということを聞いておるのですが、そうでございますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) それもございます。ということは、当時仲介をいたした人がそのころベトナムに行っておるから、あんたもいい機会だから来ないか、こういうお話がございましたので、これも一つのあれでございます。そのほか、私、先ほどから申し上げておる通り、非常に関心を持って、いつかは行こうということでありました。と同時に、またベトナムに寄って、知り合いであった人などがぜひいらっしゃいということでありましたので、いい機会だと思いまして、ちょうど私の時間がとれて、参りました。そうしましたところが、さっき仲介人のお話を申し上げましたが、おいでになったはずの仲介人がおいでになっておりませんので、私、単独にいろいろな接触をいたしました。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 ついでに、ちょっとこれからお尋ねするのに、参考のために。久保田さんは、外務省の調査員の辞命を発令されておるそうでございますが、現在も調査員でございますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) お答えします。そうでございます。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 それから、あなた、外務省の調査員に発令をされたのは昭和二十九年十二月ごろらしいですが、久保田さんは世界をずいぶんお歩きになりましたが、公用旅券として十八回発行を受けておいでになって、ずいぶんお歩きになっておりますが、大体そういうことでございますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 回数は存じませんが、お調べが済んでおりますならば、その通りでございます。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 いや、私はあまり存じませんので、念のためにお尋ねをいたしました。そこで、ベトナムにはずいぶんおいでになっておるようですから、ちょっとお尋ねいたしますが、先ほどベトナムに最初に行った、三十年の二月ごろ行った。それで今の東京でお会いになったトラン・バン・チェットとベトナムに最後においでになって日本大使館でお会いになったということでございますが、間違いはございませんか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 三十年二月の話でございますか。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 そうです。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 三十年二月には、私は案内人がおりませんので非常に困りまして、日本の大使館にたよっていきました。そしてトラン・バン・チェットという人は知らぬかと言ったら、あまり皆さんお知りでない。調べて下さい、こういう方でございますから連絡をとって下さいということでお願いをいたしまして、大使館で会ったかどうか存じませんが、私、役所であったことはたしか覚えております。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 それでそのときは、ベトナムの方にいろいろ御接触になったのでしょうが、どういう方に最初お話しになったのですか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 先ほども申し上げましたが、トラン・ベン・チェット氏の紹介で、計画委員会と申しますか、——どういう字を使うか知りませんが、計画庁の関係の方に、同じ役所のことで何人かお会いしました。しかし、これはただお会いしたけれども、私の目的を達するような方たちではございませんでした。従って、だんだん大使館の情報等を得ますと、関係大臣に会ったらよかろうというので、一番最初に申し上げました公共事業大臣、トラン・バン・メオ氏に面会を求めて会っております。これはだれがアレンジしてくれたか、直接秘書官に電話をかけたか、大使館で……、私、記憶しておりませんが、トラン・バン・チェット氏でなかったことは確かでございます。これは一緒に行っておりません。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 小長谷大使と一緒にお会いになったのじゃございませんか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) そうではございません。そのときに参りましたのは、小長谷大使とは参っておりません。小長谷大使と同行いたしましたのは、先ほども申し上げました通り、大統領に面会いたしました二回だけでございます。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 サイゴンで、大南公司の松下光広という人がおられるようですが、この三十年の二月においでになったときはお会いになりましたか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 当時は松下光広はおりません。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 この三十年の二月には、松下光広氏とはお会いにならないわけですね。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 当時は行っておりません。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 松下氏と最初にお会いになったのはいつでございますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) これは戦争前でございます。私、ベトナムで——当時の仏印でいろいろの調査をいたしておりました関係上、また、私だれかからの紹介で戦争前から会って知っております。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 ベトナムの電源開発に関係されるようになってからはお会いになっておりますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) そうでございます。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 サイゴンでお会いになりましたか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) サイゴンで会いました。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 この三十年の二月には、ゴ・ディン・ジェム大統領にはお会いになりませんか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 会っておりません。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 その後、先ほどのお話のゴ・ディン・ジェム大統領にお会いになったときは、松下氏と一緒にお会いになりましたか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) ありません。小長谷大使だけでございます。公式に会いましたので、そういう関係のない方とは会っておりません。それから念のためちょっと私のささいなことでございますが訂正いたしますが、第一回に会いましたときは、ゴ・ディン・ジェムは国務相でございました。まだ大統領ではございませんでしたので、もちろん知っておりません。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 昭和三十年の三月に久保田さん、ベトナムから東京にお帰りになったのですが、向こうでいろいろそういう話をされましてお帰りになってから、日本では政府あるいは実業界、そういう方面に、どういう方にベトナムにおいてそういう話があったということをお話しになりましたか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 外務省には逐一報告いたしております。逐一口頭であったか書きものであったか、おそらく口頭であったと思いますが、報告をいたしております。それから業界の人には私この問題について申しておりません。ということについて、ちょっと短い時間がいただけませんか、御説明申し上げます。  ちょっと、この際私、申し上げたいと思いますが、このコンサルタントというものについての御説明を申し上げたいと思いますが、コンサルタントというのは、いかなるメーカー、いかなる業者、いかなる商社とも連絡を持ってひもがついてはいけないのでございます。ただ依頼人の利益をはかることをすることが土台であります。これは国といえども、ひもがついてはいかぬ場合がございます。これは私、コンサルタントとして長い間仕事をしておりますが、国がひもをつけて国が派遣した人間であれば、その国のためにばかり働くだろうという邪推をこうむりますので、少し国際的過ぎますが、私としては国際人として、ひもがついておりません。従って、いろいろな悪評をかえってそのためにこうむりました。なぜかと申しますと、私どもがそういう仕事をしておりますと、何か一つ特別の便宜を与えてくれというたくましい商社の方たちが続々見えます。業者も見えます。メーカーも見えます。ことごとく私はお断わりをいたしました。そうすると、そのお断わりに対して、ほかのやつにやっておれを断わったなというような感覚をお持ちになるのではなかろうかと私は想像されて、もし、そういうことで何かあれば、私邪推でございますが、そういうことでずいぶん悪く言われおるのじゃないかと想像されますが、この際、釈明をかねてコンサルタントなるものの存在を御説明申し上げました。どうも恐縮でございます。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 久保田さん、別に邪推をされなくともいいのでございまして、久保田さんほどの大きい仕事をおやりになれば、相当それはまあ、俗っぽい言葉でいえば敵もできるし、反感を持つ者もあるので、そんなことで御心配になる必要もないし、われわれ、また、そういう人たちの声を聞いて久保田さんに偏見を持とうと思っておりませんから、どうぞ御心配なく。そこで、先ほどからお尋ねをいたしまして、久保田さんは外務省の調査員でありまして、しかも、その久保田さんの発令の目的は、非常に重要な任務をあなたは与えられておるわけです。久保田さんの発令の目的は、わが国と東南アジア各国との経済協力に関する諸問題について、当該国官民有力者と意見を交換するため、という非常に重要な任務をあなたに外務省は与えておるわけなんです、外務大臣が発令者でありますけれども。そこで、先ほどから非常に日本のためをお考えになりまして仕事をおやりになって、そうして外務省にも逐一御報告になる、また書類については認可を求められるような場合もあったのにもかかわらず、外務省当局は、久保田さんを知っていますか、関係はどうですかと言ったら、全然久保田さんと関係は外務省はありません、こういうふうに言われて、その後まあ調査員として発令しています、というようなことを言っておるのですね。これは常識上、ちょっと解せないと思うのです。久保田さんほどの方を発令をして、そしてしかも、逐一それが御報告になり、しかも、特に最近においてはあなたメコン川開発の調査団長として、昨年ですかおいでになり、近くまたおいでになろうとしている。そのあなたを外務省は、全然私の方とは関係ありません、というような御答弁なんです。これは別に久保田さんとはあれなんですけれども、何か外務省と気まずいことでもあるのですか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 私は存じません。外務省がどう御答弁になったか、私また、私のようなコンマ以下の人間は問題にされぬのかもしれません。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 外務省の答えを久保田さんにお尋ねしているわけではなくて、コンマ以下なんとおっしゃいますけれども、ともかく東南アジアにおける久保田といえばだれ知らない者のない久保田さんですから、ことさら、何かこれは知らないと言っているのではないか、それには外務省と何か気まずいことでもあるのではないかと、これは久保田さんではないけれども、邪推を私はいたしておるのですけれでも。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 心当たりございません。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 それはまたいずれ外務省にお尋ねいたします。久保田さん直接御関係のことではございませんから。そこで、本日のこの賠償にこれが取り入れられるようになったことは、全然いつなったかわからぬというお話でありましたし、今年の三月、衆議院の外務委員会においてあなたお話しになったときも、この仕事がいつ賠償に繰り入れられるようになったかわからないと、こういうふうに御発言になっていますが、今でもそういうふうにお考えになっておられますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 今でもそう思っております。私は経済協力の線を持っていただけのことでございますから、いつ、それがどういう政府の都合であったか存じません。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 この賠償の問題は非常に大きい問題であって、その後これだけ、いろいろ紆余曲折はありましたけれども、絶えず実業界としてはこの賠償がどういうふうにきまるかということは、常識上多くの人が関心を持っていたと思うのです。特に経団連の副会長の植村甲午郎さんが二回にわたっておいでになった。特に二回目にこの昭和三十年の秋、あなたが正式に向こうと調印をされるころには、植村さんが外務大臣の特使としてベトナムにおいでになっているわけなんですね。そこでこの問題が、賠償にあなたは御関係ないけれども、ダニム・ダムが賠償でやられるかどうかということは、ベトナムに関係をする者なら非常に関心を持つはずじゃないかと。また、特にダニム・ダムの開発に御関係になったあなたとしては、このダニム・ダムのあなたの設計が確実に実現をするかどうかということは、そういう賠償によるのか、賠償の金でやるのか、輸出入銀行あるいは世銀の融資等によってやるのか、いろいろそれによって実現するかしないかということに関連するのですから、常識上、ちょっと全然知らなかったということは何かおかしいような気がするのですけれどもね、いかがなものですか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 今のお話の程度はむろん知っております。そういううわさは流れておりますし、それから新聞紙上でも承知しておりますし、それは今のおっしゃった程度のことは存じております。しかし、私が賠償に関係——つまり賠償に関係があるという公的のものは一つもございませんということを私申し上げて、もちろん新聞紙上その他で報道されるし、また、おっしゃる通り、私はこれが賠償に移るのかどうかということは、もちろん関心を持っておりますし、また、ベトナム等におきましても、ベトナム政府等がこんなことを言っているといううわさ程度はもちろん聞いております。その意味においては存じております。しかしながら、私がこの賠償の問題に関係をするというようなことはございません、という意味で私はお答えいたしました。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 そうしますと、衆議院の速記録あるいは本日のお話をちょっとお伺いしますと、このダムが賠償の中に織り込まれるようになった経緯は全然知らないという意味は、ちょっとあれでございますな。久保田さんが先ほどの邪推をされて、私が関係があるというとおかしくなるから、全然知らないと言っていた方がいいという意味でこうお話しになったのを、われわれはこれを見ておるものですから、この仕事がいつ賠償に繰り入れられるようになったかわからないというような御発言になったわけで、久保田さん自身は、非常に御関心を持たれて、積極的に賠償に繰り入れられるという動きはされておらなかったけれども、御関心は持っておられた、こういうことでございますね。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) そうでございます。ちょっともう少し……。持っておりますが、私は、向こう側に対して、賠償などはめんどうですよ、そんなことをなさったのじゃなかなか時間がかかりますよ、というあべこべのことは、私の意見として、茶話であったか、言った記憶はございます。

佐多忠隆日本社会党

○佐多忠隆君 ちょっと今の点について。今の賠償に切りかわる問題ですが、先ほどからのお話によりますと、それじゃコンサルタントとしては、むしろコマーシャル・べースで開銀あたりでやった方が、建設その他も、時期その他から見て、期間その他から見てスムーズに、しかも、円滑に進む、同時に、あなたがお話し合いになったところでは、輸銀も、従ってまた、政府もそれが可能だというふうには大体その当時はお互いに了解ができていた、こういうふうに考えておいてよろしゅうございますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) その通りでございます。

佐多忠隆日本社会党

○佐多忠隆君 世界銀行では不可能だというようなお話がありましたね。これはどういう意味なのか。それから、この問題については、アメリカ側は、直接にICAなりなんなりで技術協力なり経済援助の形で出てくるというような気配なりなんなりはその当時なかったのかどうか。その辺をどうお考えになりますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) アメリカ側については、私接触してみましたが、どうもその意思がない。つまり、この国としてはまだまだ農業及びレヒュージーでございますね——避難民の処置を先にやるべきだということで、そういうものはアメリカとしてはまだ関心を持たない。フランスなり日本なりが協力することは大へんけっこうだが、ICAとしてはその問題に入りたくないということでございました。これはアメリカと協力できないかということで、私接触しておりますから存じておます。それから、ワールド・バンクにおきましては、まだまだ国が若いので——ワールド・バンクというのは、御承知のいわゆる銀行屋です。でありますから、なかなか確実な担保なり、支払いの条件がなくちゃいけませんので、ことに東南アジアについてはきびしいので、できるかしれませんが、困難がございましょう、なかなか容易ではございますまいという意味で、私はワールド・バンクにコンタクトされるのをお勧めはいたしませんでした。できるかもしれません、けれども、困難があるだろうというふうに私存じまして、お勧めをいたさなかったのでございます。

佐多忠隆日本社会党

○佐多忠隆君 その当時、あなたがお話しになったころは、ベトナム政府自体は、その点についてはコマーシャル・ベースでやることについては、どういう気持を持っていたのか。それから、あなたがお勧めになった通りにかりにいったとすれば、すでに今ごろはもう工事が完了しているような手配なりはかどりになるような、当時はお見通しだったかどうか、その辺の事情を少し……。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) その点は、ベトナムの政府はほかの費用、ことにフランスはずいぶん広範囲な資金援助を持っておりますから、フランスに頼めばこれは容易にできたろうと思います。けれども、当時、フランスに対してはあまりいい感じを持っておりませんので、やむを得なきゃフランスに頼むと、できるならほかのルートをとりたいという空気がありましたので、これが私どもが関係いたすちょうどチャンスになっておると思います。従って、フランスならできると。しかし、日本その他において、できるならウォールド・バンクと——国連の連中はウォールド・バンクに依頼したらどうだということをずいぶん勧めておりました、というような時代もございましたのでよかったのでありますが、そのことが成り立たなかったと思います。それから、私の提案いたしましたことについては、その後、何ら返事がなかったので……。向こう側が非常に関心を持つだろうと思いました金利でさえも、日本の金利が高いというのは御承知の通り有名なんでございますから、そういうことも考えられるであろうということまでつけ加えたのにかかわらず、それに対しては何ら答え——研究いたしますというきりで、何ら返事がなかったのであります。で、あとで考えてみますと、そのころから多少、賠償についての考えがあったんじゃないかと、これも想像されます。

佐多忠隆日本社会党

○佐多忠隆君 工事の進捗の……。もしあのときに経済協力でやっていたら……。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) おそらく、そのとき経済協力が進んでおりましたら、あれからだいぶになりますから、おそらくもうそろそろできかかるころだったと思います。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 ちょっと、先ほどお尋ねしようと思ってあれしましたが、念のためお尋ねしますが、あなたの、最初にベトナムにおいでになりまして、三月帰国されましたが、その、あなたが帰国されてから一カ月くらいたって、四月ごろでございましたか、ベトナムの、これはどういうことをいうのですか、復興大臣とでもいいますか、ニェン・バンホワイという人が日本に来ておるんですが、御存じでないですか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 名前は存じておりません。おりませんが、復興大臣というような職責の方だと思いますが、その方がエカフエの会議に見えておりました。それで、私は当時、東南アジアをよく歩きますので、たとえばラオスのごときは、私が知らないのに向こうから私を招待してくれまして、いろんな経済協力、おれの方にも来てくれということで御案内を受けたことがございます。同じようなことでビルマも参りますし、インドネシアも参りますし、各国が私に接触をしてくれました。その当時、どういう経緯でございましたか、復興大臣の、そのエカフエの代表の御一行に私は会う機会がございまして、会っております。その名前は存じません。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 ちょっとお尋ねしますが、先ほどの、このあなたの契約された設計調査料というのは一億七千万円ですか、四十四万五千ドル、邦貨にして一億八千万円近い金を設計調査料として……。そこで、あなたはコンサルタントとして、技術者として、自分がせっかく非常に努力して設計をされたこの工事が、この事業が完成されることをお望みになるのは、これはどうしても当然だと思うのです、何らかの形で。そこでさきの、今の佐多委員からも話がありましたように、経済協力の線でいろいろやる、あるいは融資というあれでやるということも考え、あるいは日本の業者が金を出し合ってやるというような、そういうものの協力を得てやる、いろいろの点が考えられて、それが実現するかどうかということに非常に久保田さんも御苦心をされたわけでありますけれども、その際にこういうことは関係者として当然考えられるわけだと思うのです。これを賠償でやれば、それは金は完全に日本から確実に来る。それは返済するとか何とかいう心配もない。その賠償のワクの中に入れば、確実にこの仕事がやれる。そうすれば、それはなかなか賠償はむずかしいけれども、それがきまれば、これは実現が最も簡単にして可能の方法であるということは、これは関係者として考えるのは当然だろうと思うのです。それが日本のためになるかならぬかという点は別ですけれども、そういう点から、久保田さん御自身としてもそういうことをお考えになったことはございませんかどうか。  というのは、私は、政治的な考慮を払えば別ですけれども、単なるコンサルタントあるいは技術者として考えれば、そういう経済のこと、国の賠償の問題は、国会においてどういう論議を巻き起こすかというようなことは考えないで、純粋にともかく早く、早期にできる道として、確実にできる道として、賠償という点をお考えになられるのは当然だと思うのですけれども、この点はどういうふうにお考えですか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) もちろん、おっしゃる通り、それは賠償ということが行なわれればいいと考えるのが常道でございましょう。しかし、私は意見をちょっと異にいたしまして、当時行なわれておったフィリピンの賠償にいたしましても、インドネシアの賠償にいたしましても、なかなかこれはお互いの決定はおくれるのでございます。そうしてまた、この処置、実際の取り扱いについてもずいぶんめんどうのようでございます。従って、私はむしろ、金利はこの事業は当然負担できるから、この賠償はけっこうであるかもしらぬけれども、経済協力の方がいいではないかという意見を当時私は持っておりました。それはけっこうではあるが、なかなか容易なことではないという意見を持っておりました。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 先般、この問題につきまして、私が参議院の予算委員会において、先月の十八日、賠償審議の上からいろいろの観点からこれを考えなければいかぬ、また国民の一部にある疑惑を解く必要があると思って発言をいたしましたら、翌日、日本経済に日本工営の副社長の玉置さんですか、御意見を発表になりまして、国会における論議はことごとく間違いである、そういう事実はない、こういうことをお出しになっておるわけであります。また、当日のNHKの録音においても、久保田さんはそういう——その録音のあれを聞いておりませんから私は知りませんけれども、久保田さん御自身が御否定になった。さらに、翌日の日本テレビの朝のニュース解説に、細川隆元さんが、久保田さんをお呼びになったのですか、私見ませんけれども、何か放送されて、国会のあれは間違いであるという御発言をなさっておる。細川隆元さんは熊本の方で、久保田さんと同郷で、よく御存じであるからかと思っているのですけれども、同時に、日本経済新聞に、副社長の名前で、国会の論議は誤りであるというようなことをお出しになって、私も、何を君はでたらめを言っているのだという批判を相当受けまして弱りましたけれども、その中の一つに、この設計費はすでに受け取り済みだからこの賠償とは無関係であると、こういうふうに特に言われておるのですけれども、私たちは、設計費を受け取ったから賠償と無関係であるということを——関係があるとかないとか、受け取り済みでないから賠償と関係があるとかないとかということを言っているわではないのでありまして、この設計をやる、そういうことはないかもしらないけれども、この事業は日本の賠償でやるように確実になるのだと。それならば、一億何千万円も金をかけて設計をやってもらってもむだではないという考え方がかりにあるとすれば、それは金を受け取ろうが受け取るまいが、賠償に関係がある。日本工営が直接やるとかやらぬとかということではなくて、そういうここは当然関係があると、こういうふうに考えまして、発言をいたしたのでありますけれども、全然、ことさらこれは強く御否定になる必要がないと思うのですけれども、新聞に報ぜられまして、国会においては非常に無責任な発言が行なわれておるような印象を受けたのでございますが、この点はどういうふうにお考えになりますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 日本経済については、私の存じないことでございますが、おそらく経済記者が非常にニュースだと考えて、いろいろなことを聞きに来たのでございましょう。従って、くどくどと聞くし、またくどくどと答えたのだろうと思います。その編集技術がどういうふうになっておるかは、私は存じません。玉置に聞いてみますが、おそらく、玉置はどういうことを言って、どういう編集技術でそれをなさったかということになると思います。今、同時にお話しを願ったNHK及びテレビジョンでございますが、それについても、NHKの経緯を申しますと、きょうはあなたに対して実は非常におもしろくない質問があったと。私は存じません、どういう質問があったか存じるわけがございませんが、それを一方的に報道するのはあなたにお気の毒だと思うから、NHKは非常に公平を期するの上で、あなたにお話を伺いに来たということでございましたから、それはどうもありがとうと言って、これまたちょっと長く問答をいたしましたが、編集技術の関係上どういうことを言っているか、私の言っている片言隻語はおそらく出ていると思いますが、私もテープレコーダーを持ちませんし、不幸にしてどういう結論になっているかは存じません。  それから、細川隆元君は、お話の通り同郷で、長いつき合いがございます。これは細川隆元君の依頼じゃなく、何とかというテレビジョンから、こういうホット・ニュースだから、あなたは、細川が解説するから、この問題に一つ出て、細川と問答をやってくれぬかということでございましたから、それは私として、誤解を解いてもらうなら非常にしあわせだと存じまして、まかり出ました。そのときも、編集技術と申しますか、非常な短時間でございましたので、言い尽くすことを言い尽くさなかったと思うし、また私の言い方が下手で誤解を招くようなことを申し上げておいたかもしれませんが、それもテープレコーダーがございませんので、誤りがあったり、ことに国会の発言について私が非常に悪いことであったということでありますれば、それは私はお断わりをしなければならぬと思っております。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 私の発言に対していろいろおっしゃったことを私別に気にしておるわけではないのです。そういうことがあるということであります。そこで、私のお尋ねするのは、その玉置さんの発言、それから、今まで全然関係がないと言っておった外務省が、今度は、この問題が起きてから、外務大臣がこの経緯を説明する書類の中に、あなたの副社長がおっしゃっておられることと同じことを言っているのです。受け取り済みになっているからダニム・ダムと全然無関係だと、こういうふうに言っておるので、妙なところに外務省は力んだものと私は考えているのです。けれども、私はその点、これが設計費を受け取り済みになっているから賠償の問題でないということは言えないと思うのです。久保田さんも先ほどお考えになったように、これは賠償で確実にやられると、こういうことで、これが賠償でやられるかやられないかによって実現するかしないかきまるわけです。実現が不可能であるということならば、久保田さんにわざわざ一億九千万円も設計料を払うばかはないわけです。従って、非常にこれは関係があるのでございますけれども、これはむしろ外務省にお尋ねいたしますから、久保田さんの御発言はよろしゅうございます。  それで、時間の関係もございますから、もう一、二点お伺いいたします。重光外務大臣当時は、賠償はすでに沈船協定で一応もう終わったのだと。従って、今後いろいろなベトナムの経済開発というようなものは、日本は経済協力でやろうという強い意見があったことは、おそらく御存じだろうと思うのです。それは、久保田さんもそういう御発言をなさいましたが、あなたが最初に、昭和二十九年の九月二日に都内の某料亭においてトラン・バン・チェットに紹介されて、あなたの電源開発に関する抱負経綸を述べる機会があって、それを契機にして、その後翌年の三月にビルマに行かれ、さらにだんだん発展して設計をされるようになったのですが、あなたに最初に話が紹介されたのは、ベトナムの経済開発は早急にしなければならぬ、しかしそれは賠償ではなくて経済協力でやるのだという観点からあなたを紹介されたと思い、また席上そういう話が出て、トラン・バン・チェットはそのときはそういうことを了承し、そうしてあなたの御意見をベトナムの各方面の人たちに連絡をし、実現をさせたいという気持でこの会談が行なわれたのだと思うのですけれども、その点はいかがですか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) トラン・バン・チェットと会いましたとき、私は、そういう協力についてのお話があったことは、私、話が非常に下手でございますので、よく詳しいことは……。そういう議論をなさったことが私の紹介人との間にあったかどうか存じません。また、記憶がございません。あったかもしれませんが、記憶がございません。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 あなたが、三十年の三月ベトナムにおいて、先ほどお話があったように、各方面に具体的にお話しになって帰国されましてから、ベトナムの方から手紙が日本に参りまして、久保田さんをベトナムの各要人にことごとく紹介をし、会談をされるようにしたと、そうしてお帰りになったと。その際に、あなたが、日本工営がこの仕事を確実に設計を請負うようになるためには、もちろんフランスの見積りよりも安くするということが一つの条件、その他いろいろの二、三の条件がありますが、最大の条件は、いろいろの点から考えて、この問題を賠償額に繰り込むようなことが行われれば、確実に日本工営をしてこの設計をさせるようになるであろうということが、ベトナム側から日本に連絡があって、それをあなたに伝えてくれ、こういうふうな手紙がきておるのでございますが、あなたはそれを御存じですか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 存じません。そういうようないろいろなことを考えておる方があるかもしれませんが、あるかもしれませんが、私にはどうも記憶がございません。そういう手紙がきたからどうだということは記憶がございません。あるいはそういう手紙を受け取って、そういうことのために、これは邪推を申し上げて恐縮ですが、私が設計でもすれば、それのための若干の費用等が分配されるであろうというふうにお考えになった方が、そうはいかないということであったかどうか存じませんが、まことにそれは失礼な邪推とその人に申し上げるわけですけれども、存じません。そのことをお伝え願ったかどうか、どうも記憶がございません。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 何しろ非常に膨大な事業でございますから、こういうことに、特にこの場所は外国でございますから、いろいろの誤解あるいは邪推、反感というのがあるのはまあ当然だとも思いますけれども、まあわれわれはそういう邪推、反感というようなものをみんなとり除いて、事実だけを確認をいたしまして、国会の審議の参考にいたしたいと思ってお尋ねをいたしておる次第なんでありますが、そうしますと、久保田さんにそういうお話は伝えられてあるということでございますが、久保田さんは御記憶がない、こういうことでございますね。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) はい。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 それから外電が伝えるところによりますと、本年の七月、南ベトナムにおけるアメリカ援助の不正査問委員会がワシントンで開かれたということが伝えられております。これはベトナムには、先ほどからおっしやったように、何回もおいでになり、ベトナムの事情——これはベトナムだけでなく、東南アジアにおいては日本の久保田で通っておられますから、何でも御存じだと思って一応お伺いいたすのでございますが、そこでベトナムにおけるアメリカ援助の不正査問委員会の件でございますが、これはアメリカの上院は、南ベトナムにおけるアメリカからの援助費のひどい乱費、むだつかい、及び窃盗的な実情の調査を始めたと外電は伝えておるわけなんです。そこでサイゴンの駐在大使及びアメリカの援助機関USONの団長アーサー・ガーディナ及びマーグ団長サミュエル・ウィリアムズ中将等がサイゴンから召喚されているそうであります。今後上院はこの問題を秘密会において徹底的に調査されると伝えられておるのであります。これらの事情から考えますと、南ベトナムの官界、政界は相当綱紀が紊乱しておるとわれわれは考えるのでございますが、こういう事実は御存じでございますかどうかお伺いいたします。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 私は不幸にして、そういうような、今お話しのようなことを最近、問題になっておるということをごく最近、それも国会で問題になるということで、国会の新聞記事において初めて承知いたしました。これに関連いたしまして、ベトナムの政界が腐敗しているかどうかというお尋ねでございますが、私はさようは考えておりません。特に私の接触いたしております、接触といっても二回でございますが、ゴ・ディン・ジェムの態度といい、うわさといい非常にりっぱな方でございますし、それから私の接触しております人たちにおいて、さようなことがあるとは、私はどうも想像できません。で私の知っている範囲において申し上げました。

草葉隆圓自由民主党

○委員長(草葉隆圓君) ちょっと申し上げますが、予定の時間も過ぎましたので、久保田さんに御迷惑でございますが、もうしばらく一つお願いをし、また委員諸君もその要点だけで一つお願いを申し上げたいと思います。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 はなはだ御迷惑でございますけれども、もう間もなく終わりますが、この今の点については後ほどあれしますが、こういうことは非常に、一般にこのベトナムの賠償というのは、何といっても国会においては、いろいろな点から審議してふに落ちない。これは最近の問題といたしまして、これほど問題になり、そうしてわけがわからない筋が通らない問題はないと、こういうふうに言われておるのであります。最近にちょっと例がないじゃないか。これだけ国民に疑惑を与えた問題のある点でございます。今の久保田さんに関連しての問題ではございませんが、そこでそのうちの一つに今までもう大体賠償は終わったと、こういっておったのに、突如植村さんが三十一年の三月に行かれ、そうして三十二年の九月には外務大臣の特使として向うにおいでになった。それから急に、この賠償の問題が具体的に急速に実現、表面に出てきて、さらに岸総理が行かれて決定的にきまったと、こういうことで非常にこの点がはっきりしないというので、国会でも問題になっておるのでありますが、たまたまこの植村特使が行かれた三十二年の九月から十月、この期間が、たまたま久保田さんの御努力になりました設計が、向こうの調印をするのと大体時期が同じになっておる。こういうようなことで、事情がわからない者は、何かこの間に関係があるのではないかということで、おそらく関係はないと私は思いますけれども、関係があるのではないかというふうに見ておるわけでございます。そうしてまた久保田さんにちょっとあれでございますが、賠償の交渉などというものは、総額をまず事務的に折衝して、そうしてきまるべきはずなのを、こういう植村さんのような経済界の世話役といいますか、そういう各方面に非常ににらみのきく方をおやりになって、政治的にきめられるということは、大体筋が通らないのじゃないかという国会の議論なんですけれども、そういうことと関連して何か久保田さん御自身は御関係はないけれども、たまたまそういう全体からそういうふうにとれるのじゃないかということが言われて、久保田さんとしてもはなはだ御迷惑であったかもしれませんが、現実にそういうことが言われておるわけなんです。そこでわれわれは、そういう事実があれば——なければその久保田さんに対してこれは迷惑の話でありますから、国会においてこれは明らかにしたい。ところがこれは国会において明らかにするといっても、なかなかそういうことは裁判所でもないし、そういうことはできませんから、なるべく明らかにして、国民の疑惑を晴らす、そうして心よく賠償の義務を果たすなら果たすということにしたいと思って今やっておるわけです。  そこで最後にお尋ねをいたしますけれども、先ほどのこの外電の伝えたベトナムの事情でございますが、この点に関連いたしましてやはりこの際久保田さんから、はっきりお話になっていただくと、今申し上げた国民の疑惑を晴らす意味からも都合がいいのではないかと思いますが、あなたが昭和三十年の三月に帰国後東京のある場所で、サイゴンでいろいろお会いになった模様を詳細お話をされておるのでありますが、その際にこの今回のダム建設工事に関する仕事を日本側、すなわち自分がやるにはある種の工作をベトナム側にやる必要がある、ということをベトナム側からほのめかされた、こういうことをお話になったそうでありますが、これはほのめかされたからやったということを私は申し上げておるわけじゃない。そういうことをほのめかされた。そういうことはないと思いますけれども、最近ワシントンにおけるアメリカ上院の査問委員会において、非常にベトナムの綱紀の紊乱が問題になっておるのを見ますと、こういうことをあなたがお話しされたということが一般に流布されている。従って向こうのベトナムにおいでになっていろいろ折衝をなさいましたけれども、そういうような一般的の情勢でございますかどうか、風潮はどういうものでございましょうか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 私は今のお尋ねの三十年三月、帰ってからどういう機会にだれにそういう話をしたかという記憶は全くございません。もしどういう機会にだれだれにどういう話があったということについて何かございましたらば、私は記憶を呼び起こす必要があると思いますが、私は記憶はございません。それからまたそんな若干のものをどうかしなきゃならぬというようなことは私は考えておりません。私の接触しました範囲においてはさような人たちはございません。これははっきりベトナム国の名誉のために私申し上げたいと思います。私の接触した人はさようなことはございません。ただし私の聞いたうわさによりますと、民間人でそういうようなブローカー的なことをいたす、役人でなくいたす人たちがあるかもしらん、これは参考のために申し上げますが、ということを、全くうわさ話でございますが、そういうことはございますようでございます。しかし私の接触しました範囲においてはさようななには一つもございません。それからまたたびたび申し上げますように、一億何がしをくれるということは、この問題を早く仕上げたい、日本で行かなければフランスがとってこれを進めたいという刺激剤として考えたかと私は存じておりますので、あわよくば日本の協力を得たいということで進めたかのごとき私は印象を持っております。従いましてこれがおしまいには賠償になって、そういうことになるかどうかということについては私は何も想像はございません。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 あの衆議院の外務委員会におけるところの参考人としての御発言の中に、ビルマにおいてもインドネシアにおいても、特にビルマのバルーチャンの電源工事の設計をやったけれども、そのあとそれが工事に着手すればいろいろの点において自分が指導し、やはり仕事にも関係してある程度やった。それで今回のこのベトナムの問題についても、これがきまれば、何か特別のことが起こらなければ、支障がなければ、従来と同じに関係をするであろうとおっしゃっておりますが、これはやはりその通りでございますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 私はそれを期待いたしております。ところが実際は、この際申し上げますが、実際はいよいよ賠償になって仕事が起これば、日本の品物等がくるのであって、日本の監督者を使わないで、第三国の監督者を使う。つまり私を排除するというような相談が、そういうような議論が立っているということを向こうの政府から聞きましたので、とんでもないことじゃございませんか、私を今日まで仕事をさせて、そして私が信用がないならそれはいたし方ないけれども、日本人であるが故に日本人はいかん、日本はけしからぬというお話ならといって、私は開き直ってやっておりますが、これは決定いたしておりません。従って当然私がこの仕事に関係するであろうというのは、私の甘い期待でございまして、どこまでも私は期待しておりますが、どうなるかわかりません。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 最後にお尋ねいたします。  エコノミストの最近号に、久保田さんは東南アジア、世界の久保田さんというような意味で久保田さんを紹介されております。また久保田さん御自身の御意見も出ております。ほかのところでもおっしゃっているようでございますが、自分は政府やその他の力でやったのではなく、自分の力でやったのだ、いろいろ言われるのは迷惑だ、こうおっしゃっておられます。久保田さんのお立場としては、従来の経歴なり実力からして、そういう自負をされるのは当然だろうと思いますが、今回のこの問題についてはそうばかりとは言えないのじゃないか。久保田さんは先ほどもあまり政府なんかと関係しない方がいいとおっしゃっておりますけれども、あなたは昭和二十八年十二月に外務大臣から外務省調査員として発令され、その内容は先ほど申し上げたように、非常に重大な任務を負わされ、そして今度は政府から十八回にわたって公用旅券が交付され、そのうち十回は一回限りの旅券、八回は数次にわたって使える旅券で、非常に特権的待遇を与えられているわけであります。そこでこれはまことに異例な待遇ではないかと思うのでありまして、そういう点から考えますと、私は久保田さんの技術者としての実力は何人にも劣らず敬意を表し、失礼でございますけれども評価している者でございますけれども、みな政府の力でなくこれは自分の力だけでやっているのだということは、ちょっと言い過ぎのような気がいたすのでございます。また今回の問題が起きてから、こういうように外務省当局といたしましても、こういうような重要な任務をあなたに与えて御活躍を願ったにもかかわらず、外務省とは全然関係がないのだということを繰り返し発言をされているのでありますが、この点、最後に、久保田さん御自分は、日本政府をやはり背景としてその結果、単なる日本工営というものだけでなく、いろいろの仕事を、特にベトナムの仕事をやったんだというふうにお考えになりますかどうか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) お答えいたします。エコノミストその他において伝えられているようなことは、私の言った通り伝えられているかどうか存じませんが、私との問答において、私の記憶いたしますところにおいては、あなたは政府から金をもらったり、また特にあなたを援助するような紹介等があるのか、ことに質問した人は、あなたは政党に関係があるのかというようなことがございましたので、私はさような関係はございません、金はもらっておりません。正確に申しますと、あとでそういうことで調べてみましたが、メコン川の調査のために私は政府から派遣されて行き、旅費をもらっております。これは、しかし当然下さるべきものだと思います。それを言えば別ですが、そういうようなもの以外において、実はいただこうとも思っておりませんし、いただいてもおりません。そういうような意味で、少しエキサイトしてちょっと私が興奮したと思うのですが、私の言い足りないことは一つお許しを願いたいと思います。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 私は久保田さんが外務省から金をもらっているとか、もらっていないとかいうことはおかしいと思うので、あなたにかりに月に最高の十万円を出したとしても、久保田先生には目くされ金でしょう。むしろ、この外務省調査員、外国においてこの外務省調査員というあなたの肩書きの与える影響、特に世界的な発電工事に関する権威としての久保田さんに、さらに加えての外務省調査員という肩書き、あるいは国内における一般的な業者関係においての——非常に事大主義といいますか、外務省の調査員と言っても、世間は久保田さんが調査員なんと言ってもだれも知らないので、久保田さんが外務省の顧問だと、こういうふうに考えているのでありまして、私はそれがどれだけの久保田さん自身の権威にプラスして効果があったかどうかということは、これは非常に問題だと思うのです。効果なしとは私は言い切れないと思うのです。外国におきましても、おそらく久保田さんの行動は、これは当然外務省の、日本政府の顧問というような印象を与えておると思うので、まあこれはお答えはよろしゅうございます。

佐多忠隆日本社会党

○佐多忠隆君 ちょっと一点だけ。先ほどお話を聞いておりまして、私の聞き違いかもしれませんが、総出力十八万キロというふうに聞いたのですが、これは十六万ですか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 十六万キロでございます。

佐多忠隆日本社会党

○佐多忠隆君 それをまず半分からやるというお話ですが、期間としては第一期、第二期あるいは第三期ですか、どれぐらいをお考えになっているかということが一点と、それからもう一点は、経済協力の中に、今審議しております中に、ダニム建設用の資本財の買い付け百五十万ドルという問題があるのですが、これもやはりあなたの設計なり何なり、見積り書、それの中に入っている問題ですか、それともこれはそれ以外の全然別な問題ですか、そこだけをちょっと御説明願いたい。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 向うの政府の希望は十六万キロを一括して続けてやりたいということでございまして、それに約三年弱で第一期工事が、貯水池が一部できて、八万キロ発電する。それから引き続いて残りの八万キロは約五年間ぐらいの期間においてでき上るということを私は向うの政府に連絡いたしました。

佐多忠隆日本社会党

○佐多忠隆君 なお五年間ですか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 三年、二年です。それで五年間です。  それから資本財云々の七百五十万については、私は存じませんが、ただ私の見積りは、さっきも申し上げたように三千七百万ドルと千二百万ドルでございます。従ってその中でどういう扱いをあの国がして、どういうことでそういう七百五十万ドルになっているかということは、私は存じません。向こうはおそらくその中を向こうの費用——向こうは当然向こうのピアストルなり、それから日本はドルは賠償では出さぬことになっておりますから——ドルとかいうようなものは出すだろうと私は想像いたしますが、その辺の取り扱いをどういうふうにいたしますか、これは私連絡を受けておりませんし、存じません。

吉田法晴日本社会党

○吉田法晴君 時間もおそいから簡単に二、三点お伺いいたしたいのですが、松下さんとはこれは同県人の関係でよく御存じのようですが、二十九年の九月に東京でトラン・バン・チェットにお会いになったときに仲介になった者、それから三十年の二月にベトナムにおいでになったときに仲介者として期待された人、これは松下さんなんでしょうか……。この点は質問を取り消します。  岸首相とは、これは岸首相が満州におられるとき、それから久保田さんがあの水豊ダムの建設なんかなさったときからお知り合いのようですが、岸さんとはいつごろからお知り合いでございましょうか。それから今度のベトナムの問題について、何べんも行ったり来たりしておられますけれども、御報告になったりあるいはお話しになったり、お合いになったりしたことがございましょうか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 岸さんとは、今お話しがございましたように満州時代で、私が鴨緑江水電をいたしますとき、満州国の何次長でございましたか、担当の次長でございましたので、お目にかかって、それ以来いろいろな産業開発、そういうプロジェクトとかいうような点についていろいろなお話しをして、それ以後においてもお知りをしております。ただし、岸さんは御承知の通りのトップ・レベルの方でございますので、私どもがひょこひょこやって行ってお目にかかる機会もございませんし、御遠慮申し上げております。  それから今のベトナムの関係について報告をしたかということでございますが、行きずりにパーティ等でお目にかかる機会はございましたが、そういうとき、ベトナムの話を特にしたという覚えもございません。それで岸さんとは、ことこまかに申しますと、バンコックで、何か御旅行先で私ちょっと短い時間お目にかかったことがあるくらいでございます。

吉田法晴日本社会党

○吉田法晴君 最初は経済協力で、例の開発もおやりになろう、それから東南アジアの経済協力については、これはおいでになりますたびたびの旅行の目的もあったわけですが、そういう点からいうと、東南アジアとの技術協力を目的にしている技術協力会社との間には、少なくとも目的においては同じ目的があるように思うのですけれども、技術協力会社なりあるいは植村さんとの間については、交友関係といいますか、御関係はございませんでしょうか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 技術協力会社というようなたぐいの名前がたくさんございますが、おそらくそれは何でございましょうか、植村さんがおやりになっている技術協力会社でございましょうか。だとすれば、私全然関係ございません。

吉田法晴日本社会党

○吉田法晴君 それでは最後に、これはダニムの発電所の設計は、久保田さんの設計は、国連の技術部のあれもあって、大体きまっていると考えるのですが、しかしどういうことであるか、私の方は賠償でやられるということになっていると了解しているのですけれども、政府の方では、これは賠償でやるかどうか、まだきまっているわけじゃない、あるいはだれがやるかきまっているわけじゃない、こういう答弁をしておりますけれども、現地ではすでに工事が、基礎工事と申しますか、初めの工事が始まっている。あるいは土管その他材料まで持っていって仕事が始まっているというふうに私ども聞くのですけれども、これはあなたが設計された工事ですから、工事がどういう段階にあるかということは、これは十分御関心のあるところだと思うのですが、いかがでございましょうか。そういう話をたびたび聞くのですが、事実でございましょうか。あるいは御存じないのでございましょうか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) どういうことか存じませんが、先方の、今後ダニムを賠償で行ないますかどうかということのきめた、決定的のものについては私は存じません。おそらくやるだろうと思います。想像するだけでございます。  それから、従って基礎工事をするとかなんとかということはあり得ないことでございます。ただ、さようなことが言われるのは、ずいぶん悪意のあるうわさがときどき飛んでおりまして、ことに、私はベトナム政府から相当の信用を受けておりまして、さっきも申し上げましたように、国連の調査を手伝ったり、あと残務的のことがございますのと、あの付近にフランスでやった発電所がこわれたのでございます。それの修繕を頼まれたり、据え付けを頼まれたりというような灌漑排水工事の設計を頼まれたりして、その後若干の仕事がございますので、私の方の人間が五人ないし八人、その後、ベトナムの何としては終わったのに、若干の人間があの辺にうろちょろしているわけでありまして、従ってその基礎工事とかなんとかというような、あそこにまだ日本工営の人がいるじゃないかということがあるいは言われているのじゃないかということを想像するほか私には心当たりはございません。

吉田法晴日本社会党

○吉田法晴君 最後に、松下光広さんとは同県人の関係でよく御存じのことは、これは事実でございますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) よく存じております。

草葉隆圓自由民主党

○委員長(草葉隆圓君) 先ほど来委員外発言として坂本君から発言を求められておりますが、これを許可することに御累歳ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

草葉隆圓自由民主党

○委員長(草葉隆圓君) それでは、坂本君にお尋ねしますが、久保田参考人に対する御質問ですか。

坂本昭日本社会党

○委員外議員(坂本昭君) そうです。

草葉隆圓自由民主党

○委員長(草葉隆圓君) ごく簡単に、時間がないから。

坂本昭日本社会党

○委員外議員(坂本昭君) 午後お急ぎのところ大へんお気の毒ですが、数点お尋ねいたしますので、簡明に御説明いただきたい。  ビルマ賠償の電源開発を日本工営で担当しておられると聞きますが、その規模、それから現在の工事の進捗の状態、それから鹿島建設、それから日本工営が関係しておられると思いますが、そのそれぞれの仕事の内容、それから日本工営が外務省の賠償部から直接支払いを受けているその内容、その点御説明いただきたい。

草葉隆圓自由民主党

○委員長(草葉隆圓君) 従来の質疑の中に答弁のあったもの以外を答えて下さい。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) ビルマでやっている私の仕事は、さっきも御答弁申し上げましたが、工事の監督、管理でございます。  それから鹿島というお話がございましたが、鹿島は入札によりまして工事の直営の仕事の人間を供給いたしております。それから支払いは外務省からは受けておりませんで、日本に来ておりますビルマのミッションからビルマ政府の承認を得た契約により、また承認を得たことによって支払いを受けております。

坂本昭日本社会党

○委員外議員(坂本昭君) それでは日本工営が今のビルマ賠償で直接ビルマ政府から支払いを受けているのは、内容は、技術者のいろいろな賃金、そういったものであって、いろいろな電気設備、そういったものは全然関係してないのですか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) おっしゃる通りでございます。

坂本昭日本社会党

○委員外議員(坂本昭君) 今の日本工営の直接関係した分、それ、何か資料を見せていただけますか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) どういうことでございますか、直接の資料と申しますと、大へんなボリュームのものでございますが、どういう御要求でございますか。あまりにボリュームのあるものであるし、相なるべくは一つお断わりしたいと思いまするが、しかしどうしても出せということであれば、御要求によって出さなければならぬのでございますが、資料と申しますと、大へんな広範な資料がございますが、どういうことでございましょうか。

坂本昭日本社会党

○委員外議員(坂本昭君) 主として私は人件費だと思うのですよ。ですからそんなに広範ではなかろうと思うのですが、社長、いかがですか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) 人件費は、向こうに行っております人間が多いときは四十数人、少ないときでも三十人、もう今日まで何年にわたりますか、五年近くにわたっております。それから向こうにおける支払い一切をいたしております。なお、今後続いて延長になっていたしております。ですから人間の費用等はこれこれということになってやっておりまして、仕事が最初の計画と違って延長いたしましたので、今日は何人、何カ月おるかということで、何人、何ヵ月に対して支払いをいたしております。

坂本昭日本社会党

○委員外議員(坂本昭君) あと二つほど。ビルマ賠償、それから、たしかフィリピンかインドネシアの何か灌漑用水のことをおやりになったと思うのですが、それらの賠償関係の工事にも直接関係せられて、特に経済協力の実情をつぶさに見ておられたと思うのですね、東南アジアにおける日本の関係の。それらについて久保田さんの感想をちょっと承りたい。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) フィリピンはいたしておりません。フィリピンは来てくれと頼まれたのでありますが、私の方で辞退いたしました。現場を見て報告は出しましたが、私の業務に関する限りは御辞退いたしました。それからインドネシアにおきましてはカリブランタスという非常に荒川を今調査をいたしております。それから水を分流する工事を監督をいたしております。そういうようなことで、これは賠償において若干の仕事をしたのでありますが、私の主として考えは、賠償ではなく、経済協力でどんどんいろいろな仕事が東南アジア地域においても行なわれることを希望しておりますし、のみならず、そのほかの地域においても、はなはだ手前みそで恐縮でございますが、コンサルタントの第一線となってこういう仕事を見つけてくるというようなことが、あるいは若干日本の国の利益になるのじゃないかというような気がいたします。はなはだ手前みそを申し上げて恐縮でございます。

坂本昭日本社会党

○委員外議員(坂本昭君) 最後に。ビルマの方は例の賠償の五条の債権条項を持ち出してきているのですが、あなたの直接関係された今の電源開発関係で、あと残っているとか、今のビルマとの関係で持ち出されてくるような、そういう電源開発というものがまだあるのですか。

久保田豊日本社会党

○参考人(久保田豊君) まだ仕事が残っております。送電線の建設工事が残っております。それから先方の申し入れでオペレーションの運転をもう少し教えてくれ、オペレーションの手伝いをしてくれということを新たに申し入れられております。これはまだ決定いたしておりませんが、私もおそらくこれはやって上げなければいけないと思っております。

草葉隆圓自由民主党

○委員長(草葉隆圓君) 終わりにあたりまして、久保田参考人に一言お礼を申し上げます。本日は貴重な御意見を伺いましてまことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。  これにて休憩し、午後二時より再開、ベトナム賠償協定関係両件の質疑を続行いたします。  これにて暫時休憩いたします。    午後零時三十九分休憩。    —————・—————    午後二時二十三分開会

草葉隆圓自由民主党

○委員長(草葉隆圓君) 休憩前に引き続き、委員会を再開いたします。ベトナム賠償協定関係両件の質疑を続行いたします。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 本日は、日仏間開戦の時期についてお尋ねいたしますが、この問題は、先般この開戦の時期につきまして重大な、従来の答弁と食い違った御答弁がありました。私たちは政府のはっきりした態度をあらためてお尋ねをいたすことになっておりますが、それとは別に資料提出も含めましてお尋ねをいたします。  先般の委員会において、私はドゴールがパリに入城して対日宣戦布告をやった。これがこの問題に関連いたしまして、そのラジオ放送はわかりましたけれども、正式の宣戦布告文書は見つかったかどうか、至急調査をお願いいたしておりましたが、どうなりましたですか。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) 先般申し述べました岡本公使の来電、これは一九四四年八月の三十日の来電でございますが、その前にも、一九四三年の十二月十日付で、ビシーの三谷大使よりの公電もある次第でございます。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 公電はわかりました。公電でなくて、その岡本公使がラジオ放送を聞いた。そのラジオ放送を聞いたことは、公電を聞いたということはわかりましたが、それはただラジオだけでございますから、その宣戦布告文書というものは、当然ラジオ放送の原稿なりあるいはその後文書にしてあるはずでございますから、至急そのもとの宣戦布告文書というものを調べてくれ、こうお願いしてあったのですが、お調べになりませんでしたか。あれだけはっきり言っておいたのですがね。調べたか調べないか。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) 一九四二年の一月二十日のジュルナール・オフィシェルと申しますか、官報でございますか、これによりまして、一九四一年の十二月八日以来戦争状態にあるんだという、公式の先方の宣言がございます。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 私の言うのは、そのドゴールの対日宣戦布告文書を、ラジオ放送の今のやつは、あれですか、岡本公使の公電のそのもとのやつですか。そうじゃないでしょう。私のお願いしていたものと違うでしょう。あなたのおっしゃるのは、あとからまた話があるのです。私の言うのは、この委員会において岡本公使からかくかくの公電があった、ラジオ放送を聞いたと、こういうのですから、そのもとの原文があるはずだ。だからその原文を調べてくれと。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) それは目下調査中でございます。その公電のもとになる、その直接のもとになる宣言文と申しますか、それは現在調査中でございます。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 私は先ほどからお尋ねしているのに、非常に簡単な今お答えのようなことをお尋ねしているのに、それに対してお答えがなかって、別なことをおっしゃっているのですが、ほんとうに調査中なんですか、これは東京で調べてもだめなんです。フランスに照会しなければならぬのですが、されているのですか。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) 照会中でございます。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 それから、先日政府は岡本公電及びその他によって云々と答弁されておりますが、その他の文献とは具体的にどういうものですか。その全部を資料として提出していただきたいと思います。そうして、それは今口頭でどういうものであるということは、ちょっとお尋ねしてもいいのですが、いずれ資料として全部そういうものを根拠にしてきめられたとおっしゃいましたが、それを提出していただきたい。その信憑性はわれわれ外務委員が責任をもってやるわけですから、どうぞお願いいたします。どうです、出せますか。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) 承知いたしました、提出いたします。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 大体その資料として出しますが、項目言えばどういうものですか。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) 先ほど、これはもうすでに御提出済みでございますが、岡本公使の公電でございます。それから三谷大使よりの公電もございます。それが一つですね。それから、先ほど申し上げました、これは一九四二年一月二十日の官報でございます。それからもう一つ、官報で一九四三年十二月八日フランス国民委員会の、まあ委員長でございますか、それの宣言、これも正式にございます。大体その点であろうかと思います。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 以上は全部資料として……。

森元治郎日本社会党

○森元治郎君 条約局長、資料で、ドゴール政府がもし中立国に宣戦布告のあれを通告していたとすれば、あるいはしていたのかいないのか、そういうようなことわかれば……しゃくし定木にやればそういうふうなことになるのです、普通なら。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) ちょっと、今の御指摘の点は、ドゴールが中立国を通じて日本に対して正式に守戦を布告したかどうか、それの資料でございますね。

森元治郎日本社会党

○森元治郎君 そうです。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) 当時おそらくそういうことをやっていないと思いますが、調べまして……。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 先日、一九四四年八月二十五日にドゴールと連合国代表との間に民政に関する協定が結ばれたと述べられましたが、その協定文を資料として提出願います。そうしてその出典も明らかにしていただきたいと思います。よろしゅうございますか。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) 承知しました。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 これは後刻あらためて森委員からお話が他日あるのでありますけれども、一九四四年八月二十五日に日仏開戦があったというなら、松本俊一大使は交戦国に対して派遣されたことになるわけでありますが、これは国際法上あり得ないことじゃないかと思うのです、どうですか。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) 当時は在仏領インドシナの日本大使府と申しましたから、通常の外交関係における大使の交換とはちょっと性質が異なっているものだと考えております。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 それにしても、十月に着任して、もうすでにこれはフランスとの戦争状態に入っている、そうして仏印はその属領である、そこに戦争の相手国にどういう名目であろうと、ともかく大使として赴任するということはあり得ないのじゃないですか。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) やはり当時正式の、そういうふうな関係とは私ども考えません。やはり当時現地でそういうふうな処理の必要上、そのような機構と申しますか、組織が設定されたというふうに考えております。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 この問題については、本日は時間の関係もありますから、また他日お尋ねいたしますが、そちらもよく納得のいくような説明のできるようにしておいていただきたいと思います。  それから、同じく先般参議院の予算委員会でもって松本俊一氏は、政府委員として仏印のドクー総督が本国政府とどんな関係があったかは私は知らないと答弁されておりますが、私はこれははなはだ不謹慎な答弁だと思います。松本俊一氏は現在の官房副長官でありますが、私はこの松本俊一氏の当委員会における出席を求めて、こういう御発言がございましたが、そういうことでいいか悪いか、本人にとくとお尋ねをいたしたいものですから、会期中適当な機会に出席をお願いいたしまして、そういう大使として派遣されておって、その相手国の仏印のドクー総督が本国政府とどういう関係にあったか、それは全然私知りませんなんという答弁は困りますから、どういう気持でそういう御答弁になったか、お尋ねいたしたいと思います。御出席の手配を願います。  まだございますけれども、本日は時間の関係がございますからこの程度にいたします。

永野護自由民主党運輸大臣

○永野護君 ベトナム共和国との賠償協定の審議も相当回を重ねて進行して参ったのでありますが、これまでの会の模様を拝聴しておりますと、それは前提あるいは環境に関する御質問がだいぶ多うございまして、肝心の賠償協定の本文に関する、内容に関する質問があまり行なわれておらなかったように思いまするので、今日私は問題となっておりまする賠償協定の内容について二、三の点を伺いたいと思います。  その賠償協定の案文は、十一条にわたって、かなりいろいろなことが書いてありますけれども、その中心になるものは二点あります。一つは、賠償総額を三千九百万ドルにするということ、それを実行するのに、いわゆる直接方式によるということをきめている。この二点でありまして、ほかの条文はそれの付随の手続規定その他のものでありますから、大体この二つの点にしぼって政府の所見を伺いたいと思うのであります。第一の、三千九百万ドルという数字の根拠について、いろいろの今まで議論がありました点を要約して申しますと、この根拠は、第一は戦争損害、第二は日本の負担能力、第三は他の賠償国との振り合いというようなことでこれが議論されておったのでありますが、私はそのほかに、この三点よりはもっと大きい、少なくも私どもの経験から申しますと、この三千九百万ドルということをきめるこの背景と申しますか、資料になるのはもっと大きいものが落ちていやしないか、こう考えるのであります。これは本来政府の御所見を聞いてから、私の意見でありますが、述べるのが順序だと思いますが、私の疑問をまず先に申し述べたいと思うのであります、と申しまするのは、賠償を払うということは、もちろんサンフランシスコ平和条約の十四条の規定に基づく義務の履行であり、さらに進んで戦争中の日本が犯した罪に対する贖罪の観念であるということは、これは言うを待ちません。しかし、それ以外に、この四つの小さな島に閉じ込められましたる日本が生きる道を発見するのは、東南アジア地方しか、ほとんどないと思われますので、これらの地方に新しく日本が生きる道を発見するための捨て石と申しまするか、悪い言葉で、少し語弊があって悪いかもしれませけれども、ある意味における投資というような心持ちがこの金額の査定になったのではないか、こう考えるのであります。日本はどうしても貿易によって食糧の二割、原料の三割の代金を払わなければならぬのでありますけれども、なかなか新市場の開拓ということはむずかしいのであります。現実の問題といたしまして、東南アジア地方に友好関係を進めていって、そこに日本の生きる道を発見する以外に方法がないということは確かだと私は思うのであります。そういう意味において、ベトナムとの賠償を早く片を付ける、もちろん繰り返して申すまでもなく、義務の履行であり、いわゆる贖罪の心持ちを具体的に表わす、これが本質であることは言を待ちませんけれども、この金額の否定に当たりまして、今私が申しましたような、あるいは想像しましたような要素があるのではないかと思うのでありますけれども、この点は、その交渉の衝にあたられました外務大臣のお心持を伺いたいと思うのです。

藤山愛一郎自由民主党外務大臣

○国務大臣(藤山愛一郎君) 賠償の交渉にあたりまして、われわれのとりました基本的態度と申すものは、今御指摘のありましたような苦痛、損害に対する日本の責任を果たしていくということ及び日本の負担能力、また同時に、他の賠償請求国に対するつり合いというものを、われわれは基本的の態度で持って参ったわけであります。しかしながら、金額がきまり、あるいは賠償がきまりますれば、それを将来大きな意味におきまして東南アジアの経済発展に協力し得るものとしていくように、われわれはこれを考えて参らなければなりませんことは、これは当然のことであります。ただ、そういうことのために金額を定めたというのではないので、金額は、できるだけ日本の負担能力なりあるいは日本の払い得る最小限を考えて、そうしてこの金額をなるべく査定して参ったと、こう思うのでございます。

永野護自由民主党運輸大臣

○永野護君 すでにおやめになった吉田総理がフィリピンの賠償交渉のときに言われた言葉、つまり賠償は、ハウ・マッチは問題じゃない、ハウ・ツウ・ペイだということを言われたのであります。幾ら値切って安くしましても、それは何らの意義をなさない。取られっぱなしになるのなら、日本国民に対する非常な負担をかけることになる。それを上手に使って、そうして将来の日本経済自立のために役に立つようにすれば、その金額は問題じゃない。つまり金額の問題に固執して非常な悪い感じを残すよりは、金額の点は、もちろん非常にルーズにしろということを申さないのでありますけれども、それが新しい日本の市場開拓のために非常に役に立つような使い方をしたならば、それはむしろ生きた金になるということを言っておられたのであります。私がこれを今伺いますのは、あとの、つまり支払い方法について、これからお尋ねします点と関連がございますので、まずこの点を確めておきまして、高い安いは今きまる問題じゃない。その払った結果、その国と日本との交渉がどういうふうになるかということで、どんなに安く値切っても、高いものを取られたことになるし、あるいは少々高くても、それは安いものになるというようなことがあり得ると、私は考えるものでありますから、そういう質問をしたわけであります。  そこで、次の一点、すなわち直接方式と間接方式という問題について、払い方が大切だという今の問題にからみまして伺いたいのでありますが、まず第一は、今度の賠償は直接方式だということをはっきりと明文に表わしておられますが、この賠償は、サンフランシスコ条約に基づく義務の履行であり、その義務者は国であります。でありますから、国の背負っておる義務を払うのは、当然国であるべきだと私は思うのであります。それはいわゆる直接方式にしまして、その賠償の実際上の履行は、日本の商社と向こうの国の間との取引にまかしてあります。その理論的の根拠、その次に、私は実際上それでうまくいきますかという、実際上の取り扱い方、この二点に分けて伺いたいのでありますけれども、まず第一に、国の債務を一商社の履行にまかせられました理論的の根拠をまず伺いたいのであります。

小田部謙一外務省アジア局賠償部長

○政府委員(小田部謙一君) この直接方式か、あるいは間接方式かという問題は、ビルマ賠償のときからすでに問題になっていた問題でございます。そこで、ビルマ賠償の協定を読みますと、そこにはまだ、国が直接義務を履行するか、あるいは間接に業者を通じてやるかというようなことは、その協定自体には出ていないのでございます。そのあとで、ビルマとの間には交換公文を結びまして、その交換公文の中に、初めて直接方式を採用する、原則として直接方式を採用するということが出ておるのでございます。そこで、なぜそれでは、そのとき直接方式に踏み切ったかといいますと、当時いろいろな見地から検討したのでございます。一つは、諸外国の方はどうなっているかということを研究いたしました。そうしますと、たとえば、イタリアとギリシアとの賠償及びドイツがイスラエルに払った賠償というのを見てみますと、これは直接方式、日本の今採用しておる方式と同じでございます。これに対して、相互政府間で契約を行なう方式としましては、フィンランドのソ連に対する賠償というものがございました。そこで、その当時、直接方式がいいか間接方式がいいかということを、関係各省の間でいろいろ検討したわけでございます。そうしますと、直接方式の方が実際上非常にやりいいという部面が多いということがいろいろわかったのでございます。たとえてみますれば、もし政府が物を買って向こうに物をやるということになりますれば、行政機構というものを非常に大きくしなければならない。今のような賠償部とそれから賠償連絡会、各省のちょっとした機構があるのと違いまして、特別調達庁とか、あるいは公団とか、相当大きい組織にならなければならないということもございますし、それからまた、その次の問題は、日本政府が買って、これを向こうに渡すということになりますれば、今でも値段の問題はいろいろ問題がございましょうが、日本政府が変に高く売って、早く賠償の義務を済ませようとしているのじゃないかというような疑いを招くということもございますし、それから、もしくはその問題に、渡した品物にクレームなどがついた場合におきましては、クレームを日本政府が背負わなければならない。すなわち、そういうことに関する責任というものを全部負わなければならない。もちろん、間接方式を政府がやるということが全然悪いということではなくて、そこにも利点もございますが、現在のような方式と、日本政府が中間に立って一応買ってやるという方式と、どちらがいいかということをいろいろ検討しましたあげくに、まずビルマ賠償におきまして、直接方式がいいということに決定したのでございます。その前だと思いますが、沈船引き揚げをフィリピンとやりましたときには、まだそのときは中間賠償で、金額の少ない問題でもございましたので、日本は、直接でも間接でも、どちらでもいいという考えをとっていたようでございますが、向こうがこちらに使節団もいかないことではあるし、間接方式にしてくれということで、いまだにフィリピンのやつの沈船引き揚げに関することは、間接方式の姿が残っているのでございます。そういうことで実は決定しまして、これは、ビルマと交換公文を結ぶ前に、ビルマ連邦に対する賠償実施要領に関する件という閣議決定がございまして、その閣議決定におきまして、まず一応直接方式を採用するということになったのでございます。それが続きまして、フィリピンの場合におきましても、またインドネシアの場合においても、この直接方式がいいということを向こうがメモランダムで主張したというような関係もございますし、それから、フィリピンの場合におきましても、まあ感情的には、ある向こうの法律をやっておるオフィサーから、交渉の途中において、フィリピン政府と日本の業者と結ばして、日本政府が上に立って認証すると、何となく日本政府が上に立つというような印象でいやだというような意見も漏らされておることがあったようでありますが、この際において直接方式がいいということになりまして、それからずっと、それ以来直接方式というものを採用しておる次第でございます。

永野護自由民主党運輸大臣

○永野護君 私が伺っておりますのは、まずもって理論的の根拠を伺っておるのであります。行政機構が繁忙になるとか、クレームのときの相手方がうるさいとかいうのは、理論じゃないのであります。私は国が国に対して債務を背負っておるのだから、その渡す債務者の国が自分の責任の持てる相手方商社を指名して、そしてそれから日本政府が買って、それを向こうの国に渡すのが理論としては正しいのじゃないか。あとで実際上のいろいろな問題は別に伺うと言って私は申しておるのでございまして、今お説の直接方式をおとりになった理由は、皆実際上の扱い方の方ばかりお話になって、理論的の根拠のお答えが一つもないのであります。まずそれを伺いたいのであります。つまり、賠償という義務は、国家が国家に対して背負っておるのでありまして、一商社が、その商社と向こうの債権国との間に取引をするということは、理屈には合わぬのじゃないか。だから、理屈はそうかもしらぬけれども、実際上はこの方が便利だからというような御説明であれば、今度は、私の議論は、実際上でも、私は実は間接方式の方がいいと思っておりますから、そのときにまたいろいろ議論になりますけれども、とりあえずは、理屈からいうと、間接方式にすべきものだと私は考えるのでありますけれども、政府当局はどうお考えになっておりますかということを伺ったのであります。

小田部謙一外務省アジア局賠償部長

○政府委員(小田部謙一君) 今申し上げましたのは、実際上の方からということで御説明を申し上げましたが、理論上から申しますれば、あるいは間接方式ということが理想であるかもしれないと思うのであります。ただ、そのときいろいろ協議いたしました際には、まあ理論上はそうであっても、実際にはこれはどちらがやりよいか、どちらが将来困難性が少ないかという、おもに理論よりも実際上の問題で検討したのだと思います。

永野護自由民主党運輸大臣

○永野護君 それでは、理論的にはお前の言う通りだと思うけれども、実際上の運営から直接方式にしたのだというお答えだと了承いたします。それでは、今度は実際上の問題に入ります。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) ちょっと、ただいまの理論的な問題を補足させていただきますが、十四条では、御指摘の通り、国が先方の国と、国対国との義務を負い、権利義務の関係に入っているわけでございます。ただ、その義務の実施の方法をどうするかという場合に、いろいろな方法があるかと思うのでございます。そこで、国が負っておりますが、この賠償協定自体におきましては、申すまでもなく、国が実施の計画を定めますし、しかも毎年度、年度計画も国が定め、そしてさて具体的にどういうものを出すかということも、ベトナム政府が要請し、また両政府が合意するものを出すということになっております。しかも、賠償契約ができますときは認証いたします。そのように、国家も、大きなワク内におきまして、その方式を定め、その実施をするということになるわけだと思うのであります。

永野護自由民主党運輸大臣

○永野護君 実際問題として直接方式の方がいいのだという理由を三点おあげになりました。そうすると、一つは行政機構が非常に膨大になる。第二点は、クレームなんかの場合に、国が一々かけ合っておってはたまらぬ。第三点は、値段なんかいろいろ問題があるというのは、まあ日本政府が買っておりますと、それでなくても汚職があるとか何とか言われるのに、そんなあぶないところにはかかわり合わぬ方がいいだろうという、イージー・ゴーイングなお気持じゃないかと思うのでありますけれども、その三点のように伺いますが、このうちの行政機構が非常に大きくなるという問題は、私もたびたび聞いたのであります。聞いたのでありますけれども、国家が国際的の義務を背負いましたら、国内的に幾らか経費が賠償の実行によけいかかるとか、人員が少ないからということでは、それを直接方式にする理由にはならぬと思います。これは、賠償を払うということは一時的のことであって、永久に日本の行政機構が膨張するわけでもなければ、経費がふえるわけでもありません。それは、今の人間で予算をふやさないでやれと言ったら、それは無理かもしれません。しかし、国家が国の債務を背負いましても、国会の承認を経ておりましたならば、それに伴う当然の費用の増強もやむを得ぬ。これは、堂々と国会に御請求になればいいと思うのであります。一方においてそれだけの費用がかかることを国会がきめておきながら、その費用は認めぬということは、それは無理ですから、これは国会は言うまいと思います。でありますから、一つも今の機構で、今の予算で実行しろということは、だれも言っておらないのでありますから、これはちょっと理由にならぬと思います。それから、値段なんかをきめるときに、いろいろうるさい問題が起こるということは、これは敢然としておやりになればいいのであって、私は、日本の役人は、例外としては問題になるような役人もいないわけではありませんけれども、大多数の役人は非常に正しいと信用しておりますので、役人の方が国家の債務の履行として渡す品物の調達は、少なくも私は安心して政府当局におまかせし得ると思いますから、それも理由にはならぬのじゃないかと思います。それから、クレームなんかについての一々の始末をつけるのは困るというお話がございましたけれどもこれは、どうきめてありましても、クレームがつきましたならば、それはお前が勝手にきめたのだから、日本の政府は知らぬとは言えないと思います。その証拠には、そういう問題が起こったときにはどう処置をするということをあらかじめ考えて、その規定も現にできているのであります。でありますから、その規定の有無にかかわらず、クレームの起こるようなものを日本政府が渡した、向こうから言えば、今局長のお話の通り、日本政府の責任においてやるべきことを、事務手続として民間商社にやらしたというのでありますから、クレームが起こったならば、当然、たとえば、船を作って渡すときに、向こうまでもほとんど自力では航行ができぬような船を渡したような実例が事実あったのでありますけれども、そういうときには、あくまでもその最後の締めくくりは日本政府がつけなければならない、こう思いますから、今の三点とも直接方式にするという理由にはならないと、私は考えるのであります。私がこういうことを申しますのは、多少賠償の実施を見聞きしておりますので、困ったことだと思っておるから、この質問をするのであります。ただ、実際現にビルマ、インドネシア、フィリピンにおいても、この問題をあまり国会であげつらいますことは、それらの国々との将来の国交におもしろからない影響を与えると思いますから、私は、具体的の事実は一切あげません。あげませんが、これらのいわゆる賠償使節団は少なくも日本の官吏よりは私は信用いたしません。日本の官吏は、先ほど申しましたように私は絶対に信用いたしますけれども、日本の官吏に比べますと問題の余地が非常に多いと思います。こういう非常に抽象的なことを申しまして、小林さんでもいられれば、具体的にこれはどうだ、これはどうだとおやりになるだろうと思うのですが、この材料はあるのでありますけれども、私はそういうことをいたしませんが、とにかく直接方式がいかに弊害を起こしておるかということはそんなにくろうとでなくてもおわかりになるのです。そういう意味で今から条文を変えるということは事実上困難だと思いますが、ただ一つ、私はここに逃げ道を意識的にお作りになったのかどうか知りませんけれども、この直接方式をおきめになりました条文に、つまり第四条の4の項に「1の規定にかかわらず、」つまり直接契約方式という規定にかかわらず「賠償としての生産物及び役務の供与は、賠償契約なしで行うことができる。」というこの場合には「両政府間の合意によらなければならない。」と書いてあって、必ずしも直接方式でやらなくても間接方式でもやれるような道が開かれておるのであります。でありますからこの実情を御検討になりまして、そうして両国の国交に悪い影響を与えないような方法で改善ができるものならば、少し第四項を御活用になったらどうか。この点についての御当局の御意見を承りたいと思います。

藤山愛一郎自由民主党外務大臣

○国務大臣(藤山愛一郎君) 賠償にあたりまして、直接方式をとるか、間接方式をとるかというのはおのおの一利一害があると思います。従いまして、ただいま永野委員から御指摘のありましたような点についていろいろ問題はあるとは思います。むろん第一点であります日本政府の機構が大きくなるということは、今日までの日本の実情から申しまして行政機構をできるだけ拡大して、そして別途にそれを、その経費を支出いたしますよりも日本の政府の機構は最小限にいたしまして、ミッション等の経費は賠償費の中から支払っていくということが、むしろ賠償をさせる上において適当ではないかという当時の判断であったと思います。また、日本の官吏等が御指摘の通り非常にりっぱな人が多いのでありまして、例外が少数ありましても、日本の官吏がりっぱな人が多くを占めているということはその通りであります。従ってそれらによって運用されることが、あるいは私どもそれぞれの国の官吏が悪いとは申し上げる立場にはないのでございますが、同じようにりっぱな費とだと思います。しかしながら、やはり違う国に来まして、必ずしも十分に実情を存じておりません結果として、いろいろな面において支障を来たすような点があるのではないかと思うのであります。そういう点も、あるいは御指摘のようなどういうことがあるか私ども存じておりませんけれども、御指摘のような欠陥もないとは申せないかと思います。しかし同時に、間接方式によりましても、従来の例から申しますと、相当むずかしい問題が起こるのでありまして、フィリピンの沈船引揚げの場合の例等を見ますと、非常に困難な立場に日本政府が立たされるというようなことも起こってきた実例もございます。でありますから、そういうようなことを考えて参りますと、やはり全体の運用としては、直接方式が適当であろうかと考えております。  なお、第四条の四項の規定というのは、これは賠償のミッションの経費なりあるいはミッションで使います何と申しますか、器具、備品、そういうような種類のものをこの項でやるわけでありまして、それ以外にこれを拡大するということに、解釈いたしますことは、適当ではないのではないか、こういう工合に考えております。

永野護自由民主党運輸大臣

○永野護君 逆になりますが、今、最後に大臣の仰せられた第四項の問題、これは、きわめて小さい備品だとかの経費の問題だと、そのためにあるんだというふうな御説明、私もそう思います。しかし私は、こういう、これはこの条文だけを、説明を聞かないですらっと読みますと、賠償としての生産物及び役務の供与は、賠償契約なしでも行なうことができると書いてあるので、これはそういう賠償ミッションの費用に限るとは、どこにも書いてないのであります。でありますからこれをすなおに読んで、文字の通り読んで、賠償はみんなこれでやるというふうに読む余地もあるのじゃないかと思いますから、かりに直接方式に非常に弊害をお感じになりますならば、この条文を変えなくとも、この第四項の運営でいくんじゃないか、もしもこれは厳格に賠償ミッションの使用品及び給料は賠償契約なしにできるとでも書いてありませば、何ぼ拡張解釈をいたしましても、そういうふうな運営の余地はありませんけれども、幸いにも全く前提抜きで広い意味において書いてありますから、もしもその方がいいとお考えになるんだったら、この条文全体を変えなくとも、この運営でやれるのではないかということを伺っておるのであります。趣意は、大体これをお書きになりましたときは、大臣の御説明の通りであると考えるわけであります。  それからその前の問題に返りまして、私が伺いたいのは、クレームの問題でありますけれども、第五条の2で、円を払ったときに、日本政府の義務は履行したものと認める、こう書いてありまして、ここで外務当局はほっと一息をついておられるのでありますけれども、しかし私の伺いたいのは、いわゆる瑕疵担保の責任というものまでこれで一緒にきめてしまうのかどうか、つまり渡したものが悪かった場合には、この第五条の二項のいかんにかかわらず、日本の責任はどこまでもついていくのではないかということが伺いたい点なのであります。と申しまするのは、日本の事情に全く暗い方々が日本に見えて、そのメーカーの責任だとか、あるいは技術の程度だとかいうことを御存じない方が発注されるのでありますから、そうしてその間には、えてしてこういうときには非常にたくさんなブローカーが暗躍いたします。そこでいわゆる瑕疵担保の責任をしょわなければならないようなものが、賠償物の中に加わる傾向が非常に多いのであります。そこで、単にこれを払いさえすれば日本政府の責任は済んだものだという五条の二項だけによって、それで日本は安心しておるのかどうか。どこまで日本政府は瑕疵担保の責任に束縛を受けるのか、その瑕疵担保の責任の終期をどこに求めておられるかということを伺いたいのであります。

小田部謙一外務省アジア局賠償部長

○政府委員(小田部謙一君) 御質問が二点ございましたと思いますので、一点は、大臣の御説明にちょっと補足させていただきますが、「1の規定にかかわらず、賠償としての生産物及び役務の供与は、賠償契約なしで行うことができる。」ということがございますが、この一番最初の根源は、ビルマ賠償のときに交換公文に文句がございまして、そのときは前に御説明いたしました通り、直接契約か間接契約かということがはっきりしていないので、交換公文によってはっきりしたわけですが、その交換公文の第七項に、「日本国政府は、また、日本国政府とビルマ連邦政府との間の合意により、ビルマ賠償使節団の経費の支払、ビルマ人の技術者及び学生の教育及び訓練のための費用の支払並びに両政府間で合意することのあるその他の目的のため」云々ということが書いてあるのでございますが、その根源は、ビルマ賠償の際には、非常にこまかくきめておりまして、ビルマ賠償使節団の経費の支払とか、ビルマ人の技術者及び学生の教育、訓練のための費用のための支払いとか、そういうようなこまかいことになっておったのでございます。ところが、フィリピンのところに参りますと、フィリピンの賠償協定の中の中間賠償八条の規定におきまして、沈船の引揚げをすることも賠償の一部を構成するものとするとありまして、なお、「この協定の効力発生の後における前記の役務の供与は、この協定の規定に従うことを条件とする。」ということが出ております。それでフィリピンの場合において直接方式というものが大体の原則として合意されたわけでございますから、してみるとフィリピンの場合においては、この沈船協定も直接契約でやるのじゃないか、直接方式でやるのじゃないかという疑いがあったわけでございます。そこで、これと同じ規定がございまして、この賠償契約なしで生産物及び服務の供与ができるという言葉と条文と両方を読み合わせまして、フィリピンの場合においては、沈船協定はいわゆる間接方式でやることができるというふうに解釈したわけでございます。その後インドネシアそれからベトナム等になりますと、そういうような間接方式のものがないのでございますからして、この規定をこのままおきますれば、あるいは直接契約だけに限らないで、適当なものがあれば賠償契約なしで行なうことができるとも必ずしも解釈できないとは考えられませんが、ただ、この協定を両方で合意いたします際の両当事国の気持といたしましては、また日本側もそうでございますが、先方におきましても、直接方式の方がよろしいというような気持が双方あるものでございますからして、この規定はむしろ例外的で、もし万一そういうことがあったならばやろうというふうに解釈するのではないかと思っております。

永野護自由民主党運輸大臣

○永野護君 ちょっと途中でありますけれども、今の点だけについて……。  私は賠償部長の御説明になったことは、むしろ私に対する反駁じゃなくて、私の主張を裏書きしていることをおっしゃっておる。つまりそれを、たとえば沈船引揚げだとか、あるいはミッションの経費だとかいうものに使うときにはと書いてある。それをこれを取って何もなしに書いてありますから、そういう例を見ると、書いてある分はそれに違いない。しかしこれは何も書かないで、広くそういう例があるにもかかわらず、特にこういう場合には間接方式でもいいという前提を置かないで、広くこう書いてあるのでありますから、むしろ私は逆にあなたの主張を私の方で言いたい。ビルマのときはこうあるじゃないか、フィリピンのときはこうあるじゃないかと限定して書くべきじゃないか。特に今これを取ったんだから。広くつまり間接方式による方がいいと認めたときには、何でもそれでやれるという道が開けてあるというようにすなおに読む方が事実に合うのじゃないか。向こうの人の気持が直接方式を好んでおることはよく承知いたしております。それはむしろ直接方式がいけない理由と言いたい。ただ、それを具体的に言えないいろいろの制約がありますから、はなはだなまぬるい質問でありますけれども、そういう意味で伺っておるのであります。でありますから私はそういう理由を抜きにして、せっかくここに前提のない、他の賠償協定にはそういう前提をつけて、この場合だけは間接方式でいいと言っておる。それを取っておるのだから、だからこれは無条件にどんな場合でも間接方式によった方がいいと思うときには、それはやってもいいのだぞというふうに読むことが実際にも合うし、理論にも合う、こう私は解釈するのでありまして、むしろ賠償部長の説明は、私の主張を裏書きされたような気がするのであります。

小田部謙一外務省アジア局賠償部長

○政府委員(小田部謙一君) あるいは幾分御説明が足りなかったかと思います。インドネシアと実は協定を結びますときに、インドネシア側から交渉の途中におきまして、自分らは直接方式がいいということを主張したのでございます。そこで、この条文から読みますと、あるいは永野先生のような議論も出てくると思います。条約交渉の両当事者の気持において、この協定は、原則としてごくまれな場合を除いて直接方式によるのだという一つの暗黙の了解のもとにできているのではないか、そして条約の解釈というものも、これは条約局長の領分でしょうが、両当事者が結んだ意図に基づいて、大体実施していくのが至当だと思われる次第であります。また、その上に協定を見ましても、直接方式の規定が非常にたくさん載っておりまして、たとえば第六条には、「日本国は、ヴィエトナム共和国政府の使節団が、この協定の実施を任務とする同政府の唯一かつ専管の機関として日本国内に設置されることに同意する。」と書いてあります。また、使節団はこの第四条に戻りまして、「各年度の実施計画に従って生産物及び役務の供与が行われるため、ヴィエトナム共和国政府に代って、日本国民又はその支配する日本国の法人と直接に契約を締結するものとする。」とありまして、もともと協定交渉の当時の、ずっと経緯を見まして、直接方式が両当事者の暗黙の了解、交渉のあれでございますから、そういう規定が多いわけであります。そこで「1の規定にかかわらず」云々という規定がありますから、必ずしも間接方式というものを全然否定しているということではないかもしれないが、この協定の実施ということにあたりましては、先方も望んでいることでもございますし、それから協定の交渉の経緯にもかんがみまして直接方式が原則である。将来間接方式によらなければならないようなごくまれな場合が起こった場合には、「1の規定にかかわらず」云々ということが適用されるのではないかと思われる次第であります。

永野護自由民主党運輸大臣

○永野護君 条文を書いた人同士の暗黙の心持がそうであったというようなことは、条文の起草にあたった人が死んだら、だれもわからない。だから、そういう趣意を何らかの文章で、あるいは条約でなくてもよろしい、交換公文のようなものでもよろしい、それに書いておきますれば、あるいはそういうことが言えるかもしれませんけれども、この条文をすらりっと読みますと、どうしても原則は、もちろん原則は直接方式だけれども、しかし、間接方式の方がいいと思うときには、それはいいぞと、一般的に認めたとすなおに読むとそう思わざるを得ない。そうすなおに読んではいけない、こういう了解事項であったということならば、交換公文なり、何なりに、こうは書いてあるけれども、実はこうだったと、そうしませんと、繰り返して言うようでありまするが、ほかの条約にはみな用途がちゃんと書いてあって、こういうときにだけは、例外として間接方式は認めると書いてあるのに、これは何も前提を抜きで、必要なときには間接方式を認めるということが書いてあるといたしますと、そのときの気持はそうであったと言われることは、条約の解釈の上からいうと出てこない。何らかの形で付属文書なり、何なりに残しておおきになるのが、あとのためじゃないか、こういうふうに思います。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) 私から補足させていただきます。ただいま御指摘になりました点でございますが、やはりこれは、原則としては、そのような原稿の手数料とか小さい問題につきまして賠償契約なしに行なうことができるというのが、やはり双方の協定全体を通じての第一の原則としての了解ではなかろうかと考えております。しかし、それだからと申しまして、ただいま申し上げましたように、賠償契約なしで、すなわち間接に行なうこと、これを全然否定するものではございません。これは確かにそういうように読めるわけであります。ただ、全体の条文を通じて見ますれば、これは直接方式というものを主体にして、それに必要な条項を書いてあります。従いまして、何といいましても、この賠償協定の主体は直接方式であるというふうに考える次第でございます。

永野護自由民主党運輸大臣

○永野護君 私は、これを読みまして、主体が直接方式であるということは御同感であります。しかし、特に一条ここに掲げるゆえんのものは今のような、了解事項というような、文書の上には現われない事情を抜きにいたしますと、直接方式だけで困る場合には、それが何であっても、間接方式でやれるという場を開いてあるように読むのが一番自然じゃないかと思います。そこで、私が申し上げるのですけれども、条約局長も、ある程度まで、きめて限られたる、ミッションで使う器具とか給料とかではないんだというふうに御答弁になったようでありますが、そうすると、それをついでにもう少し広げて、直接方式で弊害を感ずるときには、間接方式でもやれるという道が広げてあるものと、この四項を解釈いたしまして、そうしてこれは、実はきわめて塩のきかない料理のような質問なんでありますが、もしも直接方式の弊害をお感じになったようなことがありましたら、この四項を活用されて、そうして間接方式を日本政府の責任において、日本政府の最もまじめな役人の選定において、それから、単にまじめとか勉強するとかいうことを抜きにいたしまして、日本の商社の実情は、日本の役人が一番よく知っているのであります。同じ木造船を作るのに、三菱造船に頼むのと、どこか広島県のいなかにある小さな木造船の工場で作るのとは、同じ百トンの船を作るのにも、本質がまるで違うのであります。そういうメーカーの信用、技術の差によって、非常に差の起こるようなものは、この四項によって、日本政府の責任において、あの造船所なら大丈夫という所に、日本政府の責任において御注文になって、与えられたトン数だけを供給されるというのがいいのではないかと、こう私思いますから、もっともこれは、御調査になって今の直接方式が弊害なく、最も理想的に行なわれておるのでありますれば、そう認定されましたならば、私の御注意は杞憂かもしれません。残念ながら、しかし、私は杞憂とは思わない。そこで、それならばどんなことがあるか、例をあげて説明しろと言われると困るのでありますが、国交を害さない範囲において、それは四項を御活用なさることをむしろ希望したいのであります。実は、この賠償の実施につきましては、いろいろまだ申し上げたいことがあるのでありますけれども、これは、一々すぐ現にその問題に具体的な影響が起こりまして、それが日本の国との友好関係を増進していく上において好ましくない影響を与えると思いますから、私の質問はこの程度で打ち切りまして、御参考に供したいと思います。

小田部謙一外務省アジア局賠償部長

○政府委員(小田部謙一君) 今の賠償契約と直接方式というものが必ずしも非常に理想的にいっているかどうかということは、これは非常な検討の余地があることだと思います。それから、現在フィリピンにおきましても、大統領などが、現在の賠償方式と申しますか、現在のフィリピン側の発注方式に問題があるのじゃないかということで、検討しておるというような情報もございますので、これは決して、今の直接方式が非常に理想であると、こう申し上げておるわけではないのでありまして、ただそれならば、どういう方法が、どういう形でより理想的な方法があるかというようなことになりますれば、先方の気持も希望もありましょうし、いろいろ問題があると思っております。  それから、御質問になりました日本政府の責任は、それに対する金額を支払ったときに終了いたしますのでございまして、それ以後は、全く契約に基きました日本の当事者と向こうの当事者との問題でございます。瑕疵担保の問題も、どういう用語がこれは使ってあったか便りませんが、ある期間は日本の契約者が瑕疵に基く義務を履行するというような条項が多分入っていたと思います。その限度において、もし瑕疵がわかって、その金額を払わなければならぬときにも、これをわが方が賠償の金から支払うのではなくて、業者が支払う。ただその場合においては、私の記憶によれば、通常賠償、実施にあたっては外貨を送金できないのですが、この際は、その外貨の送金を許可するということになっておると思います。

永野護自由民主党運輸大臣

○永野護君 今の瑕疵担保の問題は、法律論と政治論と二つあると思います。それで、法律論といたしましては、そのメーカーがこの程度までの瑕疵担保の責任にしようといって、向こうのミッションがそれで納得したんだから、日本政府は知らぬと言えるかもしれない。しかし、かりに日本のメーカーに非常に不徳義な人がおりまして、実はそういう例が絶無ではないのでありますが、その瑕疵担保の責任を少しも実行しない。そういうときに、同こうの国は、そういう自分の選定したメーカーが悪かったから、日本から来たものは悪かったんだと言って世間には発表しないのであります。日本が賠償物資でけしからぬものを渡したと言って、日本政府をクレームする例が、現にそういう例がたくさんあります。でありますから、政治上の責任は、どこまで行っても尽きないのであります。ごく狭義の法律論といたしましては、今賠償部長の言われることで片づくのでありますけれども、政治論としては片づかないのじゃないか。どこまでも信用のできるりっぱなものを渡して、日本の商品の信用を確保していかなければならぬ義務が日本政府にあると、私はこう解しておりますから、瑕疵担保の責任の限界はどこかと、こう伺ったわけであります。

苫米地英俊自由民主党

○苫米地英俊君 今まで審議を重ねて来まして、大体明らかになりまして、この上お伺いすることもありませんが、二、三の重要な点についてはっきりさせておきたいということがあるので、二、三にしぼってお伺いいたしたいと存じます。でありますが、私、せんだって関連質問でも申し上げましたように、内容に関係が出て参りますので、まず前提として多少の質問をさしていただきたいと思います。一九五一年の九月八日にサンフランシスコで締結された平和条約、これはその当時もしきりに宣伝されましたように、寛容と公正比類のないものだということでありますが、私はある意味においてそうだろうと思うのであります。ああいうような敗戦の結果締結した平和条約としては、きわめて寛容であり、公正であったと認めざるを得ないが、その寛容とか公正とかいうことは、ある限度があるので、世間一般にはそう見るかもしれないけれども、日本という立場に立ってみるというと、ずいぶんきびしいところがあったのじゃないか、公正でないところもあったのじゃないかという疑いも同時に持たれるわけであります。そこで私は、賠償というものは、根源は戦争に負けたということが根源であって、勝った国の方は相当ひどいことをしておっても賠償を払ったためしはない。とするというと、日本がいくさに負けたということから、この平和条約に調印し、第十四条の賠償義務を日本がしょったのである。この大前提をわれわれが頭に入れておかないというと、条約の内容についていろいろ議論が出てくると私は考えるのであります。そこで、さらに私どもが考えるのは、今度の太平洋戦争敗戦の結果の賠償というものが非常に複雑な要素を含んでおる。で、賠償というものは、従来は戦後の相手国、戦争の敵国である勝った敵国が負けた敵国に対して要求して賠償を取っておる。ところが、今度の戦争の場合は、日本は、たとえば、インドネシアにおいてはオランダを敵として戦った。短期間ではあっても仏印においてはフランスを敵として戦った。インドネシアにおいては、インドネシア人はむしろ日本軍に協力して独立をかちとるということを目標としておった。であるのに、賠償はインドネシアに払い、また仏印においては、フランスに払わないで、ベトナムに払う、こういうことになっておったのでありますが、これはおそらく法律的に言ったならば、インドネシアがオランダからそのすべての債権債務を引き継いだ、ベトナムにおいてもフランスから債権債務を引き継いだ、こういうふうに解釈されておるのじゃないかと思いますが、その点をまずはっきりさしていただきたい。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) ただいまの点は、賠償に関する第十四条でございますが、十四条の一項に「日本国は、現在の領域が日本国軍隊によって占領され、且つ、日本国によって損害を与えられた連合国」というふうになっております。すなわち、その領域——そのテリトリーが損害を与えられた場合に、連合国に対して賠償をする、こういうふうな規定になっているわけでございます。従いまして、フランス時代に、またはオランダ時代に与えたところの損害を、新たに独立した国が引き継ぐというふうな構成ではございません。その地域がそのあとで独立したかいなか問わず、その地域が、とにかく戦争損害を受けたその国に対して賠償を払うのだと、こういうふうな仕組みになっておるわけであります。

苫米地英俊自由民主党

○苫米地英俊君 そうすると、そこのところに、連合国ということに対して疑問が出てくるのですが、戦争中にインドネシアは連合国じゃなかった。仏印も連合国じゃなかった。連合国の戦争の行なわれた地地ということになると、そこのところちょっとわからなくなってくるのですが。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) そこで、平和条約第二十五条に連合国の意義というのが掲げてございまして、「この条約の適用上」、すなわち、平和条約の適用上、「連合国とは、日本国と戦争していた国」、これが一つでございます。それから「又は以前に第二十三条に列記する国」、これはたとえばオランダだとかフランスだとか英国だとか、そういう国々でございますが「第三十三条に列記する国の領域の一部をなしていたものをいう。」、こういうふうになっております。従いまして、この戦争していた国またはその領域の一部をなしていた国でこの条約を署名、かつ、批准した国と、こういうふうに考えられる次第であります。

苫米地英俊自由民主党

○苫米地英俊君 そこで、日本が仏印に平和進駐をしたということで、仏印には損害を……、戦争は四四年の八月二十五日までは戦争状態になかった、これは私、それにかれこれ言うわけじゃないのでありますが、平和進駐の相手の政府、ビシー政府の性格を一つはっきりさしていただきたい。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) これはドイツの進入に際しましてレイノー内閣が倒れまして、それに引き続いてその国内の正当な憲法上の手続を経てビシー政府というものが成立したわけでございます。すなわち、フランスの正統政府という地位を持っておりまして、これとわれわれは条約関係に入ることになって、平和進駐を行なったわけでございます。

苫米地英俊自由民主党

○苫米地英俊君 そこでその次には、平和進駐というものはどういうものかということを一つ御説明願いたいと思います。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) 当時、仏印の領域に日本軍がフランス、すなわち、ビシー政府の了解のもとに進駐をして、そこで進駐軍として駐屯するという約束をしたわけでございます。その目的といたしますところは、第一次的には、その仏領インドシナの方面から、中国でございますか、そちらの方に対する物資の補給とか、そういう問題に対する対抗のためであったと考えておりますが……。

苫米地英俊自由民主党

○苫米地英俊君 この平和進駐というものは私は戦争の一部である、こういうふうに見られるのですが、それはなぜそう申すかといえば、フランスと日本との関係においては平和的に了解を得ていた。しかし、それが戦争の基地になったということになれば、英国とか米国から見れば、それは戦場の一部であると考える。であるから、海上においても日本の軍を攻撃する、また陸上においてもできれば日本の軍を攻撃するということになりますから、平和進駐ということは日本とフランスとの間のことであって、それが戦争にやはり関連しているのじゃないか、こういう気がいたすのでありますが、どうでございましょうか。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) その点は、フランスとの関係におきましては平和進駐でございますし、条約上合意に基づいて入る——むしろ共同防衛関係にあったわけでございます。ただし、日本は米英その他とは戦争中でございますから、その意味において戦闘行為が行なわれるということは、これは御指摘の通りであると思います。

苫米地英俊自由民主党

○苫米地英俊君 そうであるとすると、平和進駐の間に、日本軍もしくは日本が滞在しておった連合国の領域に損害損失等を与えるということは当然起こってくると考えられるのでありますが、それはいかがでございましょうか。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) ただ、法律問題といたしましてはあくまでこの十四条にありますような、連合国と申しますか、十四条の規定に従ってその国に対して支払うという、戦争状態にあった以後その国に対して支払うということになるわけでございます。

苫米地英俊自由民主党

○苫米地英俊君 そうすると、平和進駐時代にその占領地域の国民に与えた損得自身は賠償の対象とはならない、こういう意味でございますか。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) その問題は法律的に戦争の開始の時期の問題と考える次第でございます。法律的に戦争開始の時期いかんによりまして開始時期の以後の問題として戦争損害というのは考えなければならぬ、こういうわけでございます。

苫米地英俊自由民主党

○苫米地英俊君 そこのところがはっきりしないのです。住民に与えた損害というのは、平和進駐というものは、フランスに対しては平和関係を保っておったかもしれないけれども、それは戦場にしたということについては間違いないんですよ、戦場にしたということについてはね。それで連合国の領域において戦争の損害を与えた場合に賠償するというと、やはり平和進駐であっても、日本が平和進駐をやらなければそこの国民は損害を受けなかったのだから、賠償の義務はないというけれども、フランスと日本との関係においては、賠償する義務は宣戦があった日からということではっきりすると思うのです。太平洋戦争という立場から見れば、どうもそれだけじゃ解釈がつかないような気がするのですが……。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) 十四条の賠償の問題といたしましては、先ほども申し上げましたように、戦争ということがまず第一の前提となっているわけでございますから、戦争関係にあった以後の問題である、こういうふうに解せざるを得ないと思います。

苫米地英俊自由民主党

○苫米地英俊君 どうもそこがはっきりしない。私は、平和進駐したときには、もう戦争が、フランスとは戦争はないけれども、日本の敵国とは、つまり連合軍とは戦争がこの地域で始まっているのだと、私はこう考えられるのでございますが……。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) しかし、賠償という問題は、どの国に対して損害を払うかという問題でございますから、その国に対して戦争状態にあった以後という問題になるかと思っております。

苫米地英俊自由民主党

○苫米地英俊君 それならば、この賠償協定の中にはっきり、この賠償協定で支払うことにきめた以外のものは支払う義務がないということをどこかに明瞭にしておくべきじゃなかったかと思うのですが……。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) それは請求権に関する交換公文には、日本国に対しては請求権は存在しないということをここで確認しているわけでございます。

苫米地英俊自由民主党

○苫米地英俊君 そういう状態がないということを確認しているのでしょう。それでないと、政府の答弁と違うということに……またおかしなむずかしい問題になる。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) この交換公文には、日本国に対しては請求権は存在しない、従いまして賠償協定によりましてこの賠償の義務の履行と申しますか、賠償の内容を決定いたします以上は、もうそれ以外については請求権は全然存在しないということをここではっきりしている次第でございます。

苫米地英俊自由民主党

○苫米地英俊君 ですから私は、その交換公文は、政府の説明を承認するけれども、それは平和進駐ということが考慮に入っておらなかったかというのですよ。こういうこともあり得るから、こういう請求も出てくるかもしれないから、この賠償協定はそれだけで打ち切りというのが本体だから、平和進駐のときのことが問題にされると困るから、そういうことを一つ、そういう状態じゃないということを念を押しておいたのだ、こう考えるのですが、この平和進駐は全然問題にしないでおられたのですか。

高橋通敏外務事務官(条約局長)

○政府委員(高橋通敏君) ただいまの御指摘の点でございますが、これは法律的に見ますれば、フランス側といたしまして、あるいはベトナム側といたしましては、ただいま平和進駐云々というお説がございますが、昭和十六年十二月八日、これが戦争開始日というふうに考えておる次第でございます。これはフランスの法律的立場でございますし、われわれといたしましてはまたわれわれの、これは腹がまえと申しますか、われわれの法律的な見解はあるわけでございます。従いまして、そのような法律的見解云々の問題は、問題をさておきまして深入りせずに、とにかく請求権は存在しないということをここで確認いたした次第でございます。

苫米地英俊自由民主党

○苫米地英俊君 そこのところちょっとあれですね、平和進駐のときには戦争状態にあったと思うのです。私は、フランスとは戦争状態にないけれども……、すべてをひっくるめての交換公文、文書であればそれはそれでいいと思うのですけれども、まあそれ以上言うてもしようがないから、それでまず前提としてのことは終わります。

小林孝平日本社会党

○小林孝平君 関連。苫米地さんがこの平和進駐を行なったから戦争状態にあったのではないかというようなことから、将来の賠償請求権が留保されるようなことも心配されてその質問をされたら、それは交換公文で一切その請求権がないということを確認しておるのだからと、こういう条約局長は答弁をされましたが、おかしいと思うんです。この間から交換公文の性格を論じたとき、交換公文なんかこんなものはほんとうはなくても条約でもってはっきりしているけれども、念のために書いてあるのだ、こういうのを、今度は、今の答弁では、この交換公文によってそれを明らかにしている、こういうことを答弁しておるのですから、私はこれ以上答弁は要りませんが、これは従来の答弁と全然違いますから、念のため、あらためてやりますが、申し上げておきます、速記録を調べまして。

苫米地英俊自由民主党

○苫米地英俊君 そこでですね、賠償の金額ということになるのですが、賠償の金額が多過ぎるというような議論が非常にあります。沈船引揚協定の何倍になっているとかいうようなことがありますが、先ほど申しましたように、賠償を払うというのは敗戦の結果なんだから、いくさに負けたということが原因であるので、まず要求する側からして損害を提出する、その損害についても、はたして正しい根拠に基づいているかどうかということは、突きとめることはできない。いわんや賠償を支払う側から、その賠償の数字を集めて、積算していくということはできないのでありますからして、賠償を払うというときには、政府と政府の間の折衝によって、自分の国の腹づもりの損害よりも多いかどうか、また支払い能力の限界内にあるかどうか、これが標準で折衝されて、結局の賠償金額というものがきまるのだと思うのであります。それで三千九百万ドルという純賠償は、われわれの見るところでは、そしてまた政府の資料によっても、これは日本にきわめて有利なところできまったものであって、決して世間でいわれているように、賠償が非常に大き過ぎるというようなことはないと私は信じているわけであります。この点について、政府に対して日本の損害を与えた総額を示せといわれても示し得るものでもなし、また大臣の御説明のように悪用されるということもあるししますので、そういう資料は出さなくても、私は支払い能力の限界内にあるということ、損害を与えた以上の賠償額でないということが証明されれば、それで十分だと考えるのでありますが、これは今までの政府の説明で十分われわれにはわかるのでありますが、まだ承服しない人もあるようでありますから、もう一度その点をはっきり御答弁願いたいと思います。

藤山愛一郎自由民主党外務大臣

○国務大臣(藤山愛一郎君) 苫米地委員のお話のように、賠償を払います場合のわれわれの態度というものは、先ほどお話ありましたように、与えた苦痛と損害というものを向こう側から出される、それをわれわれは査定しながら適当な額にきめていくのが一つ、同時に、日本の支払い能力というものを考えませんければ、一たんきめました賠償でありましても、日本が途中で支払えないということになりますれば、これは国際信義の上にもはなはだ相済まぬわけでありますから、同時に、日本の支払い能力というものを勘案して、そうして向こう側と折衝をいたすわけでございます。その上に当然日本は今回他のビルマ、フィリピン、インドネシア等々と賠償折衝をいたしておりますので、それらの国々とのつり合いと申しますか、関係をも考慮いたさなければならぬわけでありまして、大体以上、三つの要素を考えながら、先ほど永野委員の御指摘のありましたように、それをいかに有効適切に活用できるかということも、あわせてその背景として考えて参るわけでございます。で、今回の折衝にあたりまして、今回きまりました金額というものは、私どもは決して与えた損害よりも多いものを払っておるわけではございませんし、むしろ少ない金額を、しかも、今申し上げた他国とのつり合いなり、あるいは日本の支払い能力に応じて最終的には決定いたしたものでありまして、今回の賠償にあたりましては、適当な金額のところに、数年間の交渉の結果が落ちついたというふうに考えております。

苫米地英俊自由民主党

○苫米地英俊君 大臣の御説明了承いたしますが、私はもう一つつけ加えておきたいのは、この賠償は物的な損害のほかに苦痛というやつがある。この苦痛というものは、数字じゃどうしたって説明のつくものではない。この苦痛というものが含まれている。この苦痛というものが、だれが評価するかといえば、要求する方で見積もるのですが、それとても何ら数字的の基礎のあるものではないし、確固不動のものでないといたしますならば、この与えた損害の日本の見積もり、概算というものを出せということは、私は無理じゃなかろうかと考えます。従って、今の大臣の御説明の通り、日本の与えた損害よりはむしろ内輪であり、支払い能力の限界内にあり、他とのつり合いを見ても、これはこの賠償金額というものについては、私は問題が解決されたと考えるわけであります。  次に、このジュネーブ協定の違反だという批判があるわけであります。その根拠は賠償によって南ベトナムの軍事力を強化するということになる。もう一つは、現実に軍事力の強化になる道路とか、マイクロウエーブだとかというようなものを日本ですでに作っているじゃないかという議論であるのでありますが、このジュネーブ協定は日本も尊重するけれども、日本は直接関係しておらないんだということもありますが、この賠償問題に対して日本が第三国から軍事力を強化するという問題で、異議を申し込まれたことはありますでしょうか。

藤山愛一郎自由民主党外務大臣

○国務大臣(藤山愛一郎君) 賠償折衝にあたりまして、そのようなことはございません。

苫米地英俊自由民主党

○苫米地英俊君 私もそうだろうと思うのであります。賠償が南の軍事力を強化するなんということは、これはどこの国でも見ておらない。国内の一部の人が見ているというだけのことであろうと思うのであります。  次に、道路を作った、こういうことを言うておりますが、これについて思い出しますのは、北海道で千歳から札幌、札幌から小樽までのドライブ・ウエーを作ったのであります。これは私深く関係いたしております。ところがこのときに、軍用道路を作ってけしからぬという反対を非常にされたことを思い出すのであります。道路はなるほど軍用道路にもなるだろうし、産業道路にもなるだろうし、レクリェーションの道路にもなるでしょうし、この道路というものを軍用だときめつけるということもどうかと思うのであります。マイクロウエーブ、これも軍用にもなるし、娯楽用にもなるし、通信用にもなるし、これを軍用だと片づけるということもこれはどうかと思うのでありますが、これは政府が関係されてこういうものを作ったのじゃなくて、民間の問題だと思いますが、いかがでございましょう。

藤山愛一郎自由民主党外務大臣

○国務大臣(藤山愛一郎君) 賠償とは全然無関係な問題でございまして、今日まで賠償に関連してそういう問題は起こっておりません。

苫米地英俊自由民主党

○苫米地英俊君 私もそうだろうと思うのであります。  そこで、これも世間で反対の理由になっておるようでありますが、こういうこともこれは国会を通じて国民によく理解してもらいたいと思うのでありますが、もし賠償によって発電所ができるということになると、そうするとこれが軍需品の生産に使われるというようなことも言われておるのでありますが、これも今申し述べたと同じように、電気は平和産業にも使われるし、決してそれが軍事力を強めるために特に作ったものとも考えられないのでありますけれども、もう一つ問題になっているのは、賠償を統一後にしたらどうか、統一後になれば北ベトナムの方では賠償を放棄すると言っておる、何ゆえに急いでこの賠償をやるのかということでありますが、これに対する政府の御説明は私には十分了解できるのであります。この点については、統一は東西ドイツ、二つの中国、南北朝鮮、これらの問題と一連の関係を持っていまして、(「それぞれ違うんですよ」と呼ぶ者あり)政府の説明の通りいつの将来になったら統一されるのかということはわかりませんが、この点はどうも平行線のように私どもには見えるのであります。そこで、これはただ南ベトナムが調印した国であり、そこに全ベトナムを統制、全ベトナムを代表している国だという政府の見解に私賛同いたすのであります。もしこれをくずすというと、その国際的に及ぼす影響というものは非常に大きくなる。今国内が二つに分かれているところ、それから行政権の及んでいないところ、いろいろの関係がありますので、この反対論のように統一まで待つという思想を承認するということは、これは国際的に非常な影響を持つ重大な問題だと私は考えるのでありますが、これは政府はただ法律論だけで統一を待てない、また国際信義の上から待てないということでありますが、私はそのほかに政治的にもこういうことは認められないと思いますが、その政治的の考慮は政府の方はどういうふうにお考えでしょうか。

藤山愛一郎自由民主党外務大臣

○国務大臣(藤山愛一郎君) 私どもたびたび見解を申し上げております通り、今日われわれといたしましては、南にありまするベトナム共和国が全ベトナムを代表する政府としての歴史的な事実を持っております。従ってこれを全ベトナムを代表する政府と認めているわけでありまして、その点は他のこれらの国を承認されております国と同じ立場をとっていると思います。むろん統一ができますことは望ましいことでありますが、今日の事態としまして、統一が非常に困難であるということも事実でございます。そういう場合にわれわれは戦後の処理をいたす場合に、当然サンフランシスコ条約に調印したわれわれの義務をできるだけ一方では早い機会に果たして参りませんければ、そうして戦後の諸般の問題を片づけて、積極的に各国との親善関係を進めて参らなければならぬわけでありまして、その意味におきまして、われわれは今日解決いたしますことが適当な時期である、こういうふうに政治的にも考えているわけでございます。

苫米地英俊自由民主党

○苫米地英俊君 もう一つ、せんだって木村委員からこの貿易基準年度について質問がありました。私はあれは立場の相違で、必ずしも木村委員の言うような工合に重大視する必要はないと思いますが、あれについて政府の御答弁はなかったようですが、この機会に一つ委員会に向かって御答弁をいただきたいと思います。

小田部謙一外務省アジア局賠償部長

○政府委員(小田部謙一君) その後一九三九年が特別に生産の高いときであるかどうかというようなことを調べてみましたところが、石炭につきましても一九三九年は特に向い——石炭におきましては少し高いのでございますが、しかし二百六十一万トンで、一九三八年も二百二十四万トン、それから一九三七年が二百三十万トン、一九四〇年に二百三十万トン、大して相違ございません。それからすずに関しますれば、三千三十七万トンが一九三九年の数字でございますが、一九三八年は三千三百八十二万トン、一九三七年が三千百二万トン。すなわち、一九三九年が特に生産の高い年でもございません。それからその点は亜鉛につきましても、それから鉄鋼、セメント、マッチ、ゴム、米につきましても、ここに数字が一応ございますが、同じ一九三九年が特に高い年ではない。大体一九三七年、八年、九年、四〇年というような年が一応ノーマルな生産を続けている年だというふうな感じを持っております。

苫米地英俊自由民主党

○苫米地英俊君 今の賠償部長の御説明、私も大体そのように見ておりますので、この問題は、私今の御説明で了承いたします。まだあれですけれども、大体そのくらいのところで私の質問を打ち切ります。

草葉隆圓自由民主党

○委員長(草葉隆圓君) 本日はこの程度とし、明十二日午前十時から、ベトナム賠償協定関係両件についての質疑を続行いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後四時十二分散会

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