外務委員会 第11号
- 発言数
- 233 件
- 登壇者
- 12 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1959/12/04
会議録
○委員長(草葉隆圓君) ただいまから外務委員会を開会いたします。 日本国とヴィエトナム共和国との間の賠償協定の締結について承認を求めるの件、日本国とヴィエトナム共和国との間の借款に関する協定の締結について承認を求めるの件、以上衆議院送付の両件を一括して議題といたします。 昨日に引き続き、質疑を続行いたします。 質疑に入ります前に、委員長から政府側にお願いいたします。ベトナム賠償協定関係についての戦争被害に関する資料について、外務省から本委員会に御提出を願いたいと存じます。
○小林孝平君 議事進行。本件の審議に関連いたしまして、今後、公聴会あるいは参考人を当委員会に呼びまして、いろいろ意見を聞いたりというようなことが行なわれると思いますが、それに関連いたしまして、私は、先般の当院の予算委員会において、このベトナム賠償に関する質疑を行なったのでございます。その際、質疑の内容からいたしまして、どうしても参考人として、日本工営の社長、外務省の調査員である久保田豊氏その他を参考人として予算委員会に招致して、いろいろ話を聞きたいということを委員長に要求したのでありますが、今回の予算委員会は災害関係の非常に急速を要する、成立を急ぐ予算でございました関係もあり、かたがた、当院の外務委員会において本格的にこの案件が審議されるという関係もありまして、理事会において各派この参考人の招致は外務委員会において行なってもらいたいという含みもありまして、予算委員会において行なうことを取りやめた次第でございます。それで、この委員会においていろいろ質問をいたすのに、どうしても久保田豊氏からお話を聞かなければならないと思います。特に、私が予算委員会においてこの問題について質問をいたしましたのに対しまして、同夜NHKの放送において、直ちに、国会における論議はすべて誤りである、あるいは翌朝の日本テレビのニュース解説に、細川隆元氏が行なわれておるのでありますが、それに出席されて、同じく国会における論議はことごとく誤りであるという発言をされ、さらに二十日の日本経済新聞には、日本工営の副社長談として、項目ごとに国会における論議が誤りであるということを指摘されておるのであります。従って、いかにも国会において事実にあらざることを私が発行したようなふうにもとられ、非常に国会の審議の上にも不都合を来たすおそれがありますので、ぜひ一つお話を聞きたいと思います。また、昨日配付になりました外務大臣の説明の中にも、日本工営に関する問題が掲げられてありまして、この内容が日本工営の当事者から直接聞かなければ不明の点が二、三ございますので、ぜひ久保田豊氏を証人として当委員会に喚問されんことを、委員長において理事会にお諮りの上、すみやかに御決定下さるようにお願い申し上げます。
○委員長(草葉隆圓君) ただいまの小林君の御発言につきましては、理事会においてよく検討して決定したいと存じまするので、御了承をいただきます。
○森元治郎君 私の資料の目録に書いてあるのの内容がないのですが、ちょっと申し上げます。特別円関係の四番目がないのですが、どなたさんもないのか、私だけないのか。
○国務大臣(藤山愛一郎君) ほかの方、ありませんか、なければ……。
○森元治郎君 わかりました。
○吉田法晴君 昨日の委員会で、戦争損害の資料を出してもらいたいということを要求したわけでありますが、その後、委員長を通じてもさらにその趣旨は伝えられたと思うのでありますが、外務省の態度をあらためてお伺いします。
○政府委員(伊関佑二郎君) ベトナム側は、この日本軍の戦闘行為あるいは日本軍の占領行政、ことに南方方面軍司令部がございまして大きな兵站基地になっておったのでございます。非常な大量の物資の買付等も行なわれております。そういう占領行政あるいは米軍の爆撃、こういうふうなことによります直接の損害をつかまえる資料というものがない。そこで、やむを得ないので、これらの結果として現われた生産とか貿易の減退、あるいはインフレーション、あるいは餓死者が出るとかいう人的損害、苦痛、こうしたものは資料があるのでこれを提出するから、これに基づいて損害を算定してもらいたいということを申し出たわけでありまして、われわれとしましても、現地の大使館にも調査を命じ、東京におきましてもいろいろと関係者の方々にお会いいたしましてお話を伺ったりしまして、こうしたものを面接つかまえたいと思ったのでありますが、それはどうしてもなかなか具体的なものが出て参りませんので、やむを得ず、先方が申しますように、その結果であるところの数字を、生産、また貿易、インフレーション、そういうふうな結果として現われた数字というものを基礎にいたしまして、損害の算定ということをいたしておるわけでありまして、これらの結果として現われました数字につきましては、従来ともある程度の資料を差し上げてございます。本日もまた、やや詳しいものを差し上げてございますので、どうかこれに基づいて御審議願いたい、こう考えておる次第であります。
○吉田法晴君 そうしますと、資料要求で、明号作戦あるいはイ号作戦といわれるような戦闘行為を伴いましたものについての資料を政府に要求したのですが、それはまだ出ておりません。きょう出されたという中に入っているかどうか知りませんが、少なくともきのうまでまだ……。きょう出されたものもまだ受け取っておりませんが、そういうものはあるのですか、ないのですか。
○政府委員(伊関佑二郎君) それが出ておりませんとしますれば、私の方の事務的な間違いでございますから、すぐ差し上げることにいたします。
○吉田法晴君 そういう戦闘行為による損害というものは、日本の力でも把握されたわけですね。
○政府委員(伊関佑二郎君) 具体的にどういう数字……。数字的には把握できませんが、三月九日の仏印軍の——フランス軍並びに現地部隊を含めまして約五万人の武装解除をいたしております。そのときにどこどこの兵営を攻撃してどうしたとか、どの程度の戦闘行為が行なわれた、あるいはイ号作戦と申しますのは、六月ごろに、主として現在のホー・チミンの前身でありますか、これらのものを北部山岳地帯において、ゲリラ戦をして参りましたので、これの掃討作戦をやった。一カ月にわたって行なっております。そのときに良民とゲリラ部隊の見分けがつかないために、良民を殺傷した、あるいは部落全体を焼き払ったものが相当あるというふうなことはわかっておりますが、はっきりした、それでは何人の良民が殺されたとか、部落を何カ所焼き払ったというようなはっきりしたものはないのでございます。
○吉田法晴君 そうすると、戦闘行為の実態は大体わかる、こういうお話、それから戦闘行為による直接の被害もわかるのですか。たとえば明号作戦で五万人武装解除して何人死んだ、そういう直接の戦闘行為による被害もわかっているのですか。
○政府委員(伊関佑二郎君) どこどこの兵営を攻撃して、そうして戦闘行為が約一日とかあるいは三日か四日にわたって、どの兵営に戦闘が行なわれたということはわかっておりますが、それによって兵舎が炎上したというようなこともわかっておりますが、何名の死傷者があったというふうな点まではわかっておりません。
○吉田法晴君 それでは、戦闘行為の直接の被害でわかっているものもある、わからぬものもある、こういうことですね。それで、戦闘行為による直接の被害でわかっているのは出されたわけですか。
○政府委員(伊関佑二郎君) これはすぐ提出いたしますが、まあ具体的でなくして、抽象的に大体わかっているという程度でございます。
○吉田法晴君 この戦闘行為による直接の被害というのは、わかっているのは当然それは今までに出さるべきだと思うのですが、これから出しましょうで、そんなとにかく無責任な話があるか。そのような無責任を指摘しておいて、迫って出すというから、出すのを待って審議をしたいと思います。 それから、間接と申しますか、間接罪というのですか、戦闘行為に関連をして起こった被害、これもわかっているだけはお出しを願いたいと思います。 政府の方からお出しをいただきませんようですから、今までわれわれ自身で、あるいは太平洋戦争全史であるとか、あるいは戦争裁判であるとか、そういうもので、自分で戦争損害の明らかなものを調べる以外に今まではなかった。私は当然、国会の審議を願うならば、戦争損害について政府が全力を尽くして調査して出さるべきであったろうと実は思うのです。 そこで、これは政府が考えます戦争損害になるかどうかは別問題にして、仏印に進駐いたします前、昭和十五年、これは昭和十五年前にもありますが、二件ほど日本軍が仏印側に戦闘行為によって損害を与えた事実がございます。昭和十五年二月一日の分は、海軍機がアンナン鉄道を爆破するにあたって、たまたま同鉄道上にあった一列車に爆弾が命中して、フランス人の死亡五名、うち婦人が三名、小児が二名、及び多数アンナン人、シナ人の死傷者を出した事件が発生した云々という記事が、太平洋戦争全史にございます。で、これはアンナン鉄道を爆破しょうとして、その鉄橋の上に停車をしておった列車を爆破したわけでありますが、その列車に乗っておったフランス人の死者五名、多数のアンナン人、シナ人の死傷者を出したということでありますが、それに対して損害を過去、認定をして出しておる。こういう事実は、これは御承知でしょう。
○政府委員(伊関佑二郎君) われわれの方は、この損害を最後の一年に限って、戦争は四四年の八月二十五日以降ということに考えておりますので、その前の損害というものは詳しくは調査いたしておりません。
○吉田法晴君 この戦争の期間とそれから賠償というものは、もちろん関連をしましょう。ですが、戦争損害がどれだけあったか、いわゆる平和進駐という時期から終戦まで。その間の最後の一年分を戦争とし、あるいはその中で戦争損害を対象にせられるということは、それはわかります。わかりますけれども、戦争裁判における判決等を見てみましても、これは政府の見解とも違っておりますが、とにかく仏印に与えた損害がどのくらいあったか、その中で最後の一年にどのくらいあったか、こういうことは当然これは調べられなければならぬ。そうでなくて最後の一年だけ調べたというのは、戦争損害から賠償額をきめたのじゃなくて、経済協力で、ダニムの発電所の開発なり何なり経済協力の実態の要求から来た、その要求に対して、この程度の協力をしようという金額がきまってから最後の一年がきまった。戦争損害に対して賠償をする義務があるかどうかということを査定されるならば、戦争損害の全部を調べて、私はその中からたださなければならぬと思う。そういう意味において、私は、この政府が言っている戦争以前においても仏印にどれだけの損害を与えたかということは、当然調べられなければならぬだろうと思うのです。われわれ自身でさえ、戦争損害がどのくらいあったかということで、われわれが入手し得る記録を初めから調べておりますと、そういう事例があった、こういうことを知ったわけでありますが、それに対してどのくらいの賠償が適当だろうかという話し合いがなされて、そうしますと、その議論の中から、損害に対して賠償すべきかどうかということが起こってくる。これは政府の言う戦争期間ではないけれども、いわゆる平和進駐、戦争裁判の言う日本の侵略行為が行なわれる前後からの話でありますけれども、しかし、本質は損害に対する賠償であるという点においては変わりはないじゃありませんか。従って、損害がどれだけあるのか、その損害に対してどれだけの賠償をしなければならぬという問題が起こってくるという点は、これは同じだろうと思うのですが、いかがでしょう。
○政府委員(伊関佑二郎君) ベトナム側が提出しております資料、また私の方でそれを差し上げておりますが、これによりましても、すべて四〇年からの数字をあげております。三九年を基準にいたしまして、日本軍の平和進駐始まって以来の数字をあげておりますので、全体的な損害というものは、これによっても結果的にはつかめるわけでございます。こうした向こうがあげていますもの以外に、いろいろと小さい事件もございましたでしょう。しかし、私どもとしましては、この向こうがあげておりますものにつきまして、これを判定いたしました。向こうがあげないものまで探し出すということはいたしません。向こうが要求しているものにつきまして、こちらがそれの根拠のあるものというものを損害額として支払う義務がある、こういうふうに考えている次第であります。
○吉田法晴君 向こうの資料だけで判断をする、そうすると、それが戦闘行為あるいは占領とどういう工合に関係があったのか、因果関係があったかなかったかということを考えなければなりませんが、それは第二の問題として、腹づもりというか、どのくらいの損害があっただろうかということを考える場合に、戦争損害がどれだけあったかというときには、これは自分は自分でやはり戦争損害がどれだけあったかということを調査しようという態度が当然出てきやしませんか。そういう意味で過去の戦争あるいは戦闘行為あるいは占領に関連をしてどの程度の損害があったかということをお調べになったかどうか、こういうことを聞いているわけですけれども、それでは全然自分の方は調べなかった、こういうことですか。
○政府委員(伊関佑二郎君) その点につきましては、現地の大使館、それからわれわれも東京におきましていろいろな人に会いまして、いろいろなことを聞いております。物資の徴発につきましても、あるいは労務者の徴用とか、その他いろいろと調べておりますが、まあはっきりした、それから具体的な数字的なものは出て参りませんので、資料として差し上げるほどのものにならないということを申し上げているのでありまして、調べることはわれわれもいろいろな点において調べております。
○吉田法晴君 どういう工合に調べられましたか。
○政府委員(伊関佑二郎君) 現地の大使館の報告を求めましたことと、東京におきましていろいろと当時現地におられた方々の話を聞いた、こういう方法によったわけであります。その他資料等も読んだ、こういうふうなことであります。
○吉田法晴君 現地の報告というのは、それじゃ西村総領事の報告だけですか。
○政府委員(伊関佑二郎君) その後ではございますが、小長井大使とか、そういうところからいろいろなことを言って参っております。はっきりしたものが、数字的なはっきりしたものが出ておらぬということです。
○吉田法晴君 資料の中には、西村総領事からの報告だけしかないようですが、それではほかの小長谷、大野氏、その他資料はあるものは全部出して下さい、出せますか。
○政府委員(伊関佑二郎君) それらからの結論をここで御説明いたしておるのでありまして、それらの報告も非常に、何といいますか、正確さを欠くと言って参っております。要するに、人の話を聞いたりなんかしたものでありまして、われわれが東京で聞きましたものと大体同じようなことになるのでありまして、御審議を願う基礎になるような客観性を持ったものではないわけです。
○吉田法晴君 幾つ来ているんですか。
○政府委員(伊関佑二郎君) まあ随時他の報告にまざって参りますし、大使が帰って参りまして、口頭で報告もいたしております。幾つというふうな数ははっきりいたしません。
○吉田法晴君 まとまった報告等もあるだろうと思われますが、とにかく、資料として全部出して下さい。出せぬ理由があるのですか。
○政府委員(伊関佑二郎君) まとめましてお出しすることにいたしますが、非常に不確かなものがございまするから、これにつきまして、外務省はこれをその通り思っておるかどうかという点になりますと、われわれはその通りに思っておるということは言えませんが、非常に、要するに客観性のないものとして、御参考にということでありますれば、まとめまして提出いたします。
○吉田法晴君 それは外務省が認定したかどうかは別問題、外務省の認定をした損害の資料を出しなさいと、こう言っているのでありません。あるいは、そういうまとまったものはございませんと、こういうお話ですから、それじゃ、そのかわりに入手し得る資料をとる以外にありませんが、外務省がそれを信認したかどうかは別問題にして、これは出してもらいたい。まあ出しましょうということですね。それから、日本で当時の仏印におった人たちを呼んで聞いたというお話ですが、それはどのくらい聞かれたか。どういう人たちに、どういう工合に、何人聞いたか。
○政府委員(伊関佑二郎君) 何人という数字は今すぐここで御返事できるほど覚えておりません。どういう人に聞いたということになりますと、皆さんいろいろなお仕事をしておられる関係等もございまして、話はするが自分の名前は絶対にクォートしてもらいたくない、引用してもらいたくないということを皆さんおっしゃるわけでございます。ですから、だれということは申し上げかねるわけでございます。
○吉田法晴君 名前は別に必要ではありませんが、その内容を出してもらいたい。どうですか。
○政府委員(伊関佑二郎君) そういうものとか、大使館の報告とかいうものは大体同じようなものでございますから、それをまとめましてお出しすることにいたします。
○吉田法晴君 それではこの在外公館、出先機関の報告、それから日本において調査をした話の内容を取りまとめて報告をするということですから、それは了承いたします。この戦争損害が基礎になるということは、昨日認められたようでありますけれども、しかし、なお、昨日も同僚議員の中から、苫米地さん等出ましたように、損害と、それから損害賠償とは関係がないではないか、こういう御議論等もあり、あるいは大臣の答弁を聞いておりますと、従来から支払い能力等を勘案して、というその支払い能力の方が先になる答弁等もございましたし、もう一度あらためてこの賠償の、これは理論の問題になりますけれども、念を押しておきたいと思うのですが、昨日議論になり、あるいはあれをいたしましたから、私ももう一度さかのぼってこの平和条約、それから平和条約の賠償に関します調印前後からの論議、それから賠償——この日本の大戦後の賠償問題について取り扱いました論述等を、もう一度引っぱり出して実は見たわけでありますが、この山下氏、あるいは外務省について顧問をしておられるという横田氏の論文等を見ましても、今度の日本の賠償が、在外財産あるいは日本の軍需産業等の中間賠償等を除いて、十四条にいう賠償が加工賠償あるいは役務賠償といわれておるように、サービス、労務を中心にして賠償をするという原則、それから賠償そのものが損害に対して賠償すべき場ものであるという点は、みんな意見が一致をしております。異論がないようであります。それらの点について、外務大臣はどのように理解しておられますか。賠償問題について、日本が協議によって生ずる賠償でありますけれども、賠償義務でございますけれども、その賠償義務の本質についてはどのように理解しておられるか、あらためてお伺いいたします。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 御承知のように、サンフランシスコ平和条約の第十四条によりまして、戦争で与えた損害と苦痛に対して賠償をしなければならない義務を日本は負っておるわけであります。従いまして、戦争で与えました直接、間接の損害、また、それに伴います苦痛、その中には経済的な問題もございますし、あるいは人の上に与えました苦痛というものもあろうと思うんであります。そういうものを対象にして賠償を払うのでありまして、そういうことを勘案して、そうして、われわれとしては払うんでありますから、払いますときには、むろん賠償を約束いたしました以上は、それが途中で払えないようなことになっては、これは信義を裏切ることになりますから、従って、できました賠償が忠実に履行されるためには、日本の支払い能力というものも十分考えて参らなければならぬと思います。また、日本の立場から申しましても、これらの賠償を払う場合には、できるだけ相手方を満足させる範囲内において、最小限日本の支払い能力に対応するような金額に定めて参らなければならぬことは当然のことでございます。従って、そういう意味において、私どもは折衝の際に、これらの諸種の事情を勘案し、かつまた、同時に他の賠償支払い国との大体のつり合いというものも念頭に置かざるを得ないのでありまして、それらのことを考えながら進んでおるわけであります。むろん、賠償のそれぞれの国においては、物的損害が多かったとか、あるいは人的の損害が多かったとか、あるいは精神的苦痛が多かったとかいうように、それぞれ国によって若干異なっております。たとえばフィリピンでありますとか、ビルマでありますとかは、物的損害が相当大きかった。インドネシア、あるいは今回のベトナムというものは、フィリピンなり、あるいはビルマに対しましては、物的損害は比較的少ないというような、いろいろその国に上っての事情もございます。従って、それらのこともわれわれとしては勘案して参らなければならない。また、役務賠償が賠償の根幹でありますこと、むろんでございますが、しかしながら、今回の賠償にあたりましては、ビルマ賠償以来、役務というものの解釈について、単純な労務の提供でなくて、役務の集積によってできました果実というもの、つまり資本財と申しますか、あるいは消費財と申しますか、そうした役務の集積によってできたもの、そのものをやはり対象にすることは、当初からの方針でございますし、また、当時の議会等の論議を見ましても、やはりそういう形において、できるだけ相手国に満足を与えるということに、大体がお考えになっているように思うんであります。従って、いわゆる、書いておりますような単純な労務提供というだけでは、初めから、ビルマから始まりました今回の賠償がやられておらぬのであります。その方針は、われわれもやはり継続して、そういう方針のもとにやってきておるわけであります。なお、詳しい点につきましては、条約局長から御説明いたします。
○政府委員(高橋通敏君) ただいまの点、補足さしていただきます。御承知の通り、賠償の義務は条約によってきまりますわけで、戦争の終了によって、敗戦国と申しますか、それが当然に賠償しなければならないという義務は生じてこないわけでございます。御承知のように、第十四条によって、相互間に賠償の権利と義務が定まるわけでございます。第十四条の冒頭では、日本は損害及び苦痛について賠償を支払うということを申しまして、しかし、そういう損害を全部払うということは、日本の経済上、存立上できないんだという大原則を第十四条の(a)項によって定めておるわけでございます。そうして、その細目といたしまして、第一項に、しからば、どういうふうな具体的な賠償をなすべきであるか、これによりまして賠償の義務が具体的に定まるわけでございます。それによりますと、ただいま申し上げました日本人の役務によって賠償すべきである、ただ、役務というのは、この場合は当初から広義に解釈いたしまして、役務が懈怠をしたところの生産物、そのようなものもこれに含まれるというふうな解釈によって進んで参っておる次第でございます。ただ、これに対する制限は、このために特別な外貨の負担が加わるようなことになれば、われわれとしましては、そこまで義務として負担する必要はないんだ、こういう趣旨であろうと考えます。
○吉田法晴君 戦争損害がなくても賠償をするのかどうか、あるいは損害を基礎にして賠償するのかどうか、こういうことを第一にお尋ねをしたわけですが、これは第二次大戦の講和条約——きのうもちょっと引き合いに出ましたけれども、以後、賠償の原則として、戦敗国の軍事行動に基づく損害、あるいは軍事行動と占領によって与えられた損害、こういう損害に対しては賠償しなければならぬというのが賠償の本質だという点は、これはいかがですか。きのう異なった意見等もあり、あるいは藤山外務大臣の今までの答弁もございますけれども、この点はお認めになりますか、いかがですか。
○政府委員(高橋通敏君) 戦争中に生じさせました損害及び苦痛に対して行なわれるわけでございます。従いまして、もちろん、損害がある、苦痛があるということを基礎として賠償が行なわれる、損害または苦痛を当然前提として賠償が行なわれるわけであります。
○吉田法晴君 外務大臣、どうですか。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 今回の賠償は、サンフランシスコ条約に書いてあります通りでありまして、ただ、昨日の御議論は、従来のヨーロッパ大戦なり、あるいは独仏戦争なり、そういうときにおいて、いわゆる賠償というものが、そういうときには必ずしも物的損害、あるいはそういうものを与えなくとも、戦敗国が戦勝国に賠償を支払うような条約ができておる場合もあるということで、賠償そのものはそのときの決定に従って行なわれることになろうと思うんであります。ですから、原則として賠償は何か一つの根拠がなくともいいのだという苫米地委員のお説は、一般論的には言えると思います。今回の場合には、みなそういう意味において規定されておりますので、その規定を履行するということだと思います。
○吉田法晴君 損害に対して、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対してですけれども、損害が結局賠償の基礎であるという、こういう点は大体お認めになったようであります。 引き続いて、先ほどの二人の答弁の中にございました十四条に基づく賠償、これはもちろんあとの損害賠償に関する協定がなければ生じて参りません。しかし、十四条によって連合国に全部生ずるのではなくて、戦争中に生じさせた損害及び苦痛について、別に協議、協定があってそれで賠償請求が出てくる、これはもちろんです。それからもう一つ日本の「存立可能な」云々という(a)項の後段があることもそれもお認めになる。しかし、その十四条の解釈として役務賠償が中心であるということは、これは大臣あるいは条約局長といえども認めざるを得ないと思うのであります。これはその後衆議院等に出てきて、横田さんあたり少し違った意見を述べられておる、あるいは出されておる。条約を弁護するかのごとき解釈をしておられますけれども、前に書かれました論文によると、はっきり「与えた損害と苦痛に対して賠償すべき根本原則が認められ、」あるいは「存立可能な経済を維持するには、日本の資源は完全な賠償を行うのに十分でないことが認められた。」そしてこれは日本の「賠償が全部でなく、日本の資源の許す範囲内に軽減されるべきことを暗黙に含んでいる。」ということを言うたあとに、「賠償の方法に関しては、」「日本人の労務によって行うこととしている。」そしてそれは「「与えた損害を修復する費用をこれらの国に補償することに資するために、日本は当該連合国とすみやかに交渉を開始するものとする」と規定している。ひと口にいえば、「生産、沈船引揚げ、その他の作業における日本人の役務」によって賠償するのである。金銭によるのでなく、現物によるのでもなく、役務によるのである。これも日本の講和条約における賠償の一つの特色である。」と書かれておるわけであります。そうすると、役務賠償が原則であった、あるいは生産物をもって賠償するとしても、その生産物の中の労務でもって賠償するというのが原則だと、こういう点は少なくとも当初においては一致した意見であったと考えられるのですが、その点はどうですか。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 役務の解釈だと思うのでありますけれども、まあ単純な労務提供というような役務だけでなくて、もっと広く役務の集積である生産物ということに解釈して参りますことが、やはり東南アジアの方面に対する賠償にあたりましても適当であろうということは、各方面でそういう解釈によってやるべきであるという御議論が多かったように思うのでありまして、そういう意味からいいまして、ビルマ賠償以来今日まで役務というものをそういうふうに政府は解釈してきておる次第でございます。
○吉田法晴君 損害に与えた賠償であるから、与えた損害を修復する、あるいは回復するというのが原則だということもこれは認めざるを得ないところだろうと思うのですが、どうですか。
○政府委員(高橋通敏君) この条項におきます「与えた損害を修復する費用をこれらの国に補償することに資するため」こういうふうに規定してございます。しかし、これは個々の損害、その損害を取り上げまして、その損害自体を具体的にかつ直接に補修するというふうにやるべきであるというふうな、そこまで解釈する必要はないと、すなわち損害を与えましたならば、その損害に対しまして、それに対する全体としての補償としてのわれわれは生産物または役務というふうに、考えれば考えるべきである、こういうふうに考えております。
○吉田法晴君 条文から見ても、それからこの損害賠償の原則からいっても、あるいは当初説明されておった学者の説明等からみても、損害を修復するあるいは回復する、原状回復が原則だという点は、理論上はこれは認めざるを得ないじゃないか。実際その後どうなったかということは別問題として、原則的にはどうですか。
○政府委員(高橋通敏君) これはただいま申し上げましたように、個々の損害たとえば鉄橋だとかその他が損害を受けてこわれているから、役務によりましてそれを直接に補修すべきであるというふうな条項ではないと思います。しかし、全体としての損害、それに対しましてこれの回復のために必要とせられるところのわれわれは補償をいたすんだと、こういうふうに考えております。
○吉田法晴君 全体の損害に対して回復をするという点で大体賠償の本質は触れられておる。そうすると、原状回復が原則、従って、その後生産物が、回復のための生産物、その中身は労務ということが中心であったわけでありますが、それがだんだん広がってきて、そして消費資材あるいは金銭にひとしい、とにかく金銭賠償にかわるような消費資材までも広がってきたのは、少なくとも賠償の本体から考えると、平和条約その他に書かれておった原則からするならば、これはだんだん広がってきたものだ、条約の精神からは、これはだんだん逸脱していくものだ、こういうことは言えると思うのですが、その点はどうですか。
○政府委員(高橋通敏君) その点につきましては、この役務のやはり解釈といたしまして、これは日本人の労務のみならず、労務の集積でございます。そのでき上がりました価値ということにも考えまして、そのような広義の解釈でこれは初めからビルマ賠償以来そのような扱いをいたしておる次第でございます。従いまして、ビルマ賠償のときにおきましても、単に生産財のみならず消費財という部面もお互いの合意によって行なわれておる次第でございますが、要するに、それに対する制限といたしましては、ここにございますように、追加負担をかけないようにすること、これが特別の生産財をやります場合に、その生産財に特に必要な外貨を負担するようなものはこれには考えない、のみならず、従来まで、今般の条約にもございますように、また、消費財の場合でございましても、通常の貿易を阻害しないようにするということをやっておる次第でございます。
○吉田法晴君 労務を原則にする、サービスを原則にする。従って、日本でこれに加工をする場合、その輸入について特別の外貨が必要な場合には、それは日本では負担をしない。原材料は向こうから提供する。それは労務が原則だからそうなっておる。従って原状回復を原則にし、損害を回復をするということが原則であるならば、生産物の中におけるサービスが対象ですけれども、消費財がだんだん含まれてきたのは、これは最初の原則からいえば拡大だということは、これは衆議院段階でもお認めになった議論、あるいは前の賠償のとき等においてもお認めになった議論ですが、それはそう言えるんじゃないですか。
○政府委員(小田部謙一君) お答え申し上げますが、実際ビルマのときも、条約局長がお答えになりました通り、概して生産財ということが主になっておりますが、同時に民生安定というようなことも眼目になっておる次第でございます。それでございますから、実際の実施にあたりましては、ことにビルマ側に経済政策の変換がございましてからは、むしろ生産財というよりも、消費財というものに相当重きを置いて、しかもこの理由は、ビルマ側の外貨が非常に少なくなってきて、経済情勢が悪くなったから、外貨が少なくなったから、民生安定のために消費財をよこしてくれという話がずっとございまして、それでございますから、実際上実施していきます上においても——ビルマにおいては一番大きいのはバルーチャンの発電所でございます。もっともこのバルーチャンの発電所と申しますのは、必ずしもこれを戦争で破壊したからこれを修復するという意味じゃ参なくて、ビルマの経済復興並びにビルマの民生安定というようなことがむしる主眼になっておるのでございまして、ビルマ賠償の当初のころは、ラングーン湾の修復とか何とかいうものもございましたけれども、しかし、その後の情勢に至りましては、むしる今後の経済発展あるいは民生安定というために、生産財もしくは消費財を提供するということになったのでございます。それからもう一つは、消費財と申しましても、この消費財でも、日本人の生産物であり、かつ役務であるわけでございまして、それで、これは金銭賠償ではないと信じている次第でございます。
○吉田法晴君 ここで議論をしようとは思いません、資料に関連をして要求をいたしておりますから。しかし、今まで認められた原則から言うと、戦争の損得を賠償する、あるいは戦争の被害を回復するというのが賠償の本質であり、そしてそれをサービス、役務でやると、こういうのであるならば、これはその戦争の被害の回復じゃなくて、今後の発展のために、あるいは経済開発その他のためにやるというのは、これは賠償の本質から経済協力に移行しつつある、賠償の本質が変わりつつあるとこれは言わなければならぬし、それから、消費財、金にかわる消費財、金にかわることを目的とする消費財というものは、これは最初の原則からはみ出してきたものであるということは、これは過去においても認められたところですが、過去において認めたところをここでひっくり返そうと今されておりますが、それらの点はこれはあとの論議に移します。 ただ、戦争損害として政府が出されました資料の中で、直接、戦争——戦闘行為あるいは占領によって出てきたものでないものがございます。いわゆる加害行為によって出てきたものでないものがございます。いわゆる間接損害というものが相当含まれておるようでありますが、間接損害と、それでは戦闘あるいは占領というものについて、因果関係がありと考えて、これは査定をされておるわけですか。その点を一つ伺っておきたい。
○政府委員(高橋通敏君) ただいま御指摘の点でございますが、これは第十四条の、「日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して」賠償する、ということになっております。さらに第一項において、日本国によって損害を与えられた地域を所有しておるところの連合国に対して賠償を与える。従いまして、この損害を与えたというのが、直接損害であるか、間接損害であるかという問題でございますが、結論といたしましては、この間接か直接か、日本軍の行為の結果、因果関係をどこまで認めるか、個々の具体的な問題についてどこで切るかという問題ではないかと考えております。
○吉田法晴君 それは論理的な問題、実際問題として、アジア局長なり、あるいは外務大臣にお尋ねをするのですけれども、資料として出される以上、直接損害であるか、間接損害であるかは別問題にして、因果関係はこれはちゃんと検討をされて、因果関係ありとして出されたか、この点を聞いているわけです。
○国務大臣(藤山愛一郎君) むろん戦時中の期間のことでありますから、いろいろな軍の行動、その行動は、決して現地の人に対して激しい何か処置をしたということでなくとも、全体としての行動において、迷惑や苦痛をかけたこともございましょうし、あるいはそういうようなことからくる影響によって、経済的な諸般の問題を起こしたこともございましょう。従って、そういう問題については、むろん直接損害ばかりでなく、間接な面においても因果関係にあると、そういう状態でなければ、そういう事情は起こってこないということから見て、因果関係はあるとわれわれは考えております。
○吉田法晴君 それは戦争なり、あるいは占領なりというものがなければ起こってこないということを言われると、それは風が吹いておけ屋がもうかるという式にこれはなりますですから、それはそういうとにかく原因があり、結果があるが、その中に相当因果関係があるかどうかということを、これは判断をして、そしてこれは戦争あるいは占領の結果だと認めざるを得ないと思うのですが、その辺には、大臣としてはどういう関係があったからこういう結果が起こったのだという、その因果関係について判断をされて、そしてその資料を出されたか、これだけの戦争損害があるというように判断をされたかという点を伺っているわけです。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 私どもとしては、前々から申し上げておりますように、向こう側が提出いたしました——そういう因果関係があるということで提出いたしました資料を検討して、そして適当と思う考え方のもとに、日本の支払い能力も勘案して、問題の解決をはかってきたとこういうことでございます。
○吉田法晴君 まあ以上の質疑で、損害に対して賠償をするものだ、従って、損害が問題だということは、これは外務大臣、外務省といえども認めざるを得ませんでした。そうすると、その損害がどれだけあるのかということを実際に私ども知らなければ——資料によって知らなければ、この損害賠償が適当であるかどうかということは、これは審議はできません。それから因果関係について、あると認めたという判断をしたということですが、この要求された経済協力の実態でありますデニム発電所、その他の、総額から割り出されたこの要求金額と、確定金額と、それからそれぞれの戦闘行為、あるいは占領というものの間の因果関係というものをはっきりしなければ、これは賠償が妥当であるかどうかは審議できません。従って、資料はぜひ一つ全部お出しを願いたい。個々に要求したものもございますが、なお全貌が明らかになるまで、私どもはこの完全な審議ができませんから、資料は全部お出しを願いたいと思う。で、委員会を通じて、現地の調査等も主張をいたしましたが、なかなか与党側においては難色を示している。自分で調査をしなければならぬような事態に追い込んだことは、きわめて私は遺憾である。戦争の開始前後から、自分で、とにかく資料によって戦争損害の調査をしなければならない努力を続けてきたのを、非常にまあ残念に思うのですが、われわれがなし得る努力というものは、これはきわめて限られたものであり、政府は当然全部の資料を委員会に出して委員会の審議に待つべきだと思うのでありますが、戦争損害についての全部の資料の提出を待って審議をいたして参りたいと思います。で、私は資料に関連をいたしまして資料の提出を要求し、それから賠償が戦争損害に対してなされるものだという点だけを確認をとって次の機会に譲りたいと思います。
○委員長(草葉隆圓君) それではこれにて暫時休憩し、午後は二時から再開いたします。 午前十一時五十一分休憩 —————・————— 午後二時十三分開会
○委員長(草葉隆圓君) 休憩前に引き続き委員会を開会いたします。 ベトナム賠償協定関係両案の質疑を続行いたします。 午後は主として岸総理に対する御質疑をお願いいたします。
○森元治郎君 一日の外務大臣の杉原委員に対する御答弁に関連して総理に御質問申し上げます。 本日、私が御質問をいたしたい主題は、戦争の開始日に関してでありますが、これに関連しますので第一番にお伺いするのですが、今度のベトナムとの賠償協定に関して何か秘密の文書といいますか、国会にお出しにならない日本ベトナム間の協定文書がおありになるかどうか。われわれのちょうだいしているのは、賠償協定と借款協定、交換公文、参考の共同宣言であります。この点を伺います。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 今回の協定で、特に秘密文書というものはございませんが、先般杉原委員からのお尋ねでは、賠償がこれで最終的に他の請求権を放棄したかというような御質問がありましたときに申し上げた交換公文はございます。これは先方側が特に公表をしてもらいたくないという希望がありますので、公表いたしておりませんけれども、議会等で質問があった場合には答えてよろしいというだけの了解を得ておりますので、今その全文を条約局長から読ませます。
○森元治郎君 総理大臣に同じことを伺います。総理のお考えは……。
○国務大臣(岸信介君) 今外務大臣がお答えをした通りでございます。
○森元治郎君 今外務大臣が交換公文とおっしゃって、政府委員をして御説明をするということでありますが、その前に二、三伺っておきたいことは、この内容についてでありますが、この内容では日本とベトナムとの関係では一九四四年八月二十五日を戦争開始日とする政府の方針通りに、この日以前の日本に対する賠償請求権は存在しないということをベトナム側が確認をしておるということでありますが、この種の確認はインドネシア、フィリピンあるいはビルマでも同様な確認をやっておられるかどうか、これを総理に伺います。
○国務大臣(岸信介君) 私の承知いたしております限りでは、そういうものはなかったと思います。
○森元治郎君 私はこの外務大臣の答弁から解釈するに、確認の文書をとっておりますというのですから、おそらく口約束ではなくて、はっきりした文書である。その文書は、私は議事録というようなものか、あるいは覚書、特にこういう場合には、条約形式として議定書という形式をとるので、議定書ではないかと思っておったところが、交換公文だ、こういうことでありますが、交換公文も、これはやはり広い意味の外交文書で、外交文書は国会の審議を経るというように憲法にも示され、またそれが常識的の問題だと思うのですが、その点に関する御答弁を総理に伺います。
○国務大臣(岸信介君) 外交文書全部を国会に出してそして御承認を得るというように従来も扱っておらないと思います。
○森元治郎君 それはそういう場合もありましょうが、内容とするところがきわめて重大であって、それ以前の請求権は存在しないのだ、もう請求しません、こういうことであります。しかも、ただいま総理の御答弁にあるように、インドネシア、フィリピン、ビルマの場合には、これはしていないというのに、特にベトナムの場合には何か一札をとっておかなければ、将来のために不安心だというような感じがするのですが、いかがでございましょうか。
○国務大臣(藤山愛一郎君) もちろん今回の場合において、ベトナムとの間の賠償をやります際に、できるだけ慎重にそれらの問題を扱いますことが適当だと思いまして、私としては書簡の形式による交換公文によりまして、そしてこういう一札を取ったわけでございます。
○森元治郎君 私たちが受ける感じでは、どうも政府がいわゆる南ベトナム側からこういう一札をとっておかないと、将来ジュネーブ協定などによって選挙でも行なわれ、あるいはその他の客観状勢の変化によって統一ベトナムでもできたときに、その政府から要求されたのでは困る。この際はっきりとっておいて、新しい政府からさような申し入れがあったときには、もうすでに払ってある。あなたは前のベトナム国の正当な継承政府であるのだから、もはやあなたの請求権はないのですよと、こういうことを言わんとする下心と、まああまり上品な言葉ではないが、そういう気持ちがあるのではないかということを私は心配するのであります。
○国務大臣(藤山愛一郎君) これは今森委員の御指摘になりましたような関係では全くないのでありまして、われわれといたしましては、御承知の通り先方側の戦争損害に対する算定期日等がわれわれと食い違っております。従ってわれわれとして四十四年八月二十五日という日を切って、その後の一年間、ほぼ一年間という日にちを定めた以上は、それ以外に対しては何らかの保証を得ておきますことは、両方の期日が食い違っております、請求の条件が違っております以上、当然しなければならぬ務めだと思って、やったわけであります。御指摘のようなジュネーブ会議等の関係はございません。
○森元治郎君 これはいずれの側から、こういう確認文書をしようと言ってきたのですか。これは日本政府がおやりになったことではないですか。向うからもうやりませんから、お帰りになるとき、これをお持ちになるといいでしょうとくれたわけではないでしょう。
○国務大臣(藤山愛一郎君) もちろん日本側からそういう申し入れをいたしたわけであります。
○森元治郎君 いつごろからそういう申し入れをされたのですか。この協定が調印される五月ごろ申し入れたのですか。
○国務大臣(藤山愛一郎君) いつごろからというのははっきり——交渉の途上でございましたのではっきりいたしておりませんけれども、最終段階になりまして、いよいよ条約を決定していくというような時期でございますから、今年の三、四月のころかと存じております。
○森元治郎君 今大臣の御答弁の中に、こちらは四十四年の八月二十五日、向う側はその日には同意しなかった。別な戦争開始日を基準にして話し合いをしてきたように食い違っているらしい。その向う側の言うのは何年何月を言っておられるか、後ほどそういうことを総括的にやりますが、ちょっとその年月日だけを、向うの主張する年月日をお知らせ願います。
○政府委員(高橋通敏君) 昭和十六年の十二月八日でございます。
○森元治郎君 まことにいい日を向うは言っておる。まあ当然そう言ったはずであります。それは後に触れるとして、外務大臣が相手方の代表とお話をするときに、これは公表しないでくれということを聞いて、それでは公表しないことにしようということはわかります。これは個人藤山愛一郎さんはけっこうなんですが、これは外務大臣であるという立場になると、こういう外交の重要文書になるものは、そういうあなたの気持ちはわかるとしても、政府代表としてはにわかに賛同できないと突っぱられたか突っぱられないか、こういう点を。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 先ほど申し上げましたように、向うのそういう要求がございまして、従って私といたしましては積極的に公表はしない。しかし議会等の論議の場合にこれを、こういうものがあるということを申して、その内容等について説明を加えることは日本としても当然必要なことだから、という了解を得たわけであります。従って今御質問がありますれば、申し上げたいと思います。
○森元治郎君 資料を、それではその内容をまず配付するような御準備もないかと思いますので、これはきわめて同情申し上げますが、それを読み上げて、そしてできたらばすぐ用意があれば配付してもらいたい。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 今申し上げたようないきさつでございますから、全文を朗読いたさせます。
○政府委員(高橋通敏君) 「書簡をもって啓上いたします。本全権委員は、日本国政府の承認を得た次の了解の文言を閣下に通報する光栄を有します。」。——日本側書簡でございます。——「千九百五十九年五月十三日に署名された日本国とヴィエトナム共和国との間の賠償協定に定める場合を除き、第二次世界戦争の遂行に関連して日本国及び日本政府の軍隊が執った行動から生じたヴィエトナム共和国及びその国民の日本国に対する請求権は存在しない。閣下が、前記の日本国政府の了解の文言に対するヴィエトナム共和国政府の承認を同様に確認されれば幸であります。」。外務大臣からベトナム全権委員に対する書簡でございます。 その返簡でございます。「本全権委員は、」——これはベトナム側でございます——「前記の閣下の書簡における了解の文言に対するヴィエトナム共和国政府の承認を確認する光栄を有します。」。
○森元治郎君 一番大事な日付が抜けているのですが。
○政府委員(高橋通敏君) 一九五九年五月十三日。両方とも五月十三日、サイゴンにおいてであります。
○森元治郎君 総理大臣に伺いますが、外交交渉になりますと、いろいろな公表しにくいこともあることは了解しますが、こういうふうに向うから頼まれたならば、それをそのままきめて、国会で気がつかないでおれば国会に出ないで済んでしまう。将来秘密文書として大問題になる書類でありますが、日米交渉とか安保条約のあるようなおりから、かようなことは今後絶対にやらないということを御確言願えるかどうか。
○国務大臣(岸信介君) 外交文書につきましては、これはいろいろな内容、またそのときにおける両国交渉の経緯におきまして、いろいろ今まで条約、議定書、交換公文、議事録その他いろいろな形式で作られていることは、これは国際慣行上当然であるわけでございます。従いまして、ある文書については、両国の意向におきまして、今言つたように取り扱うというようなことも従来の外交慣例からあるわけでございまして、特に私どもこのベトナムの賠償協定を結ぶ際におきましても、そういうことについて特別な異例をいたしたという考え方はいたしておりません。従いまして、私は将来におきましても、何か非常な異例なことを条約締結等においてするかと言えば、そういうことは私は考えておりませんが、しかし、各文書を必ずすべて外交文書は国会へ提出するというようなことをお約束することは、私将来の外交交渉の上におきましても、またいろいろな場合を考えまして従来の国際慣行まで一切せず、認めないというわけには、これはいかぬことだろう。しかし今お話のようにいろいろな重要な事項について秘密協定とか、あるいは秘密文書において何かの重大なことを取りきめるということをなるべく避けていかなければならぬことは、私はこれは当然であろうと思います。ただ文書の扱いにつきまして、一切公表すべきだということをここで申し上げることは適当ではなかろう、こう思います。
○委員長(草葉隆圓君) ただいま委員の異動がございましたので報告いたします。加藤シヅエ君が委員を辞任され、その補欠として木村禧八郎君が選任されました。
○森元治郎君 総理大臣の御答弁の中に、もう一点念を押しておきたいのは、いかなる外交文書でもということには参らないような今の御答弁でありましたが、条約は、これはもちろん国会に出す、協定は出しますが、議定書とか覚書、あるいはただいまありましたような交換公文というような、はっきりした意味の外交文書は、やはり国会に出していただく、(「当然出すべきだよ」と呼ぶ者あり)そういう参考文書ではなくて、当然出すべきものだ、この程度の種類のものは……。その点だけを確認しておきたいと思いますが、総理の御答弁をもう一ぺん願います。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 私ども条約交渉その他において、秘密文書を作成したいとは思っておりません。できるだけ公表されることが望ましいことでありまして、そうした文書を作成して参りたいと思っております。がしかし、今回のように、申し上げましたように、向こう側において積極的に公表はしてもらいたくないというような希望がありますることは、外交慣例上もございます。しかしその際私も、今回の場合においても、積極的には公表できないけれども、しかし、もし質問等があって、この間の経緯を説明しなければならぬ場合には、われわれは消極的にはこれは公表しますというだけの了解はとったのでありまして、相当に慎重に日本の立場から、皆さんの御審議に便宜になるような態度はとって交渉してきているつもりであります。でありますから、今後とも相手国との交渉でございますから、相手国がいろいろ言いました場合に、それについてやはり考慮しなければならぬ場合があるということだけは、御了承願わなければいけないと思っております。
○森元治郎君 外務大臣がそういうつもりで杉原さんの御質問にお答えになったのでしょうが、そういう工合の悪い場合には、国会には便利な秘密会というようなものもあります。幾らでも非公式に議員の各位に見せることも十分できるのでありますから、隠そう隠そうということではなくて、発表していくという方向に願いたい。これが一つ、それは御答弁要りません。 総理に伺いますが、条約、協定以外に議定書とか、こういうただいま藤山外務大臣が交換公文としてやってこられたようなことは、よく昔は、詳しいことは知りませんが、プロトコールのような形で書いたものもあるのですが、議定書とか、覚書とか、そういうものは、やはり国会に出すという原則は、この際きめておいた方が審議が明瞭になると思いますが、いかがですか。
○国務大臣(岸信介君) これは憲法により、国会の承認をしてもらわなければならぬものは、名称いかんを問わず、内容的に両国の間の一つの権利義務をきめたり、なにするようなものに対しては、これは国会に出すということに、承認を得るということになっていると思います。ただ、行政権にまかされている部分も私はあると思うのでありまして、従来の慣行から申しましても、外交上の文書は一切国会に提出するのだという慣行にもなっておりませんし、また(「それはおかしいよ」と呼ぶ者あり)私は、すべての外交文書を国会に出して承認を得るというようなことは、申し上げることはできないと思います。しかし、条約その他国際間の関係におきまして、いわゆる秘密協定というような種類のものを作るというようなことは、これは私は本質上からいって、国会の承認を得なければならぬという意味からいって、そういうことが新憲法のもとにおいてあり得るとは思っておりません。しかし、すべての文書を全部外交文書は出して御審議を願わなければならぬというふうには考えておりません。
○森元治郎君 それは、今の交換公文の内容をもし刷ったものができていれば、すぐ議員に回していただきたい。
○委員長(草葉隆圓君) 森君の御要求は外務省の方へ伝えまして、なるべく早く差し上げるようにいたします。
○小林孝平君 関連。今、外務大臣のおっしゃったのは、これは交換公文だと、こういうことでお話しになったのです。それで、一切の外交関係の書類は国会に出すとか出さぬとかということは別ですが、今までの国会の論議を通しますと、安保条約に付属いたします交換公文というものを論ぜられたときに、交換公文というものは条約と同じなんだ、こういうお話だったのです。それで、そういうことであればこの交換公文というものは条約と同じ内容を国際慣行上持つという場合に、今回のように交換公文を国会の承認を得る得ないは、それは別といたしまして、また別に論ずるとして、それを国会に示さないという法はないと思うのです。そうすれば条約に類似するいろいろの協定が秘密に行なわれることになるのではないかと思うのです。この点はどうですか。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 交換公文と一般に申しましても、内容によって必ず国会の御審議を得なければならぬものと、内容によっては国会の御決定を得なくてもいいものとあると思います。しかし御審議の便宜上、交換公文で、御承認を得なくてもいいものでも、御審議の便宜上できるだけ出すべきことは、これは当然のことだと思うのでありまして、従って、そういうものについては、われわれはできるだけ出して参りたいと思います。ただ今回の場合は、今申し上げたようないきさつで、一応積極的に公表しないでもらいたいという向こう側の希望がありましたから、従って消極的に、御質問があればそれを御審議の参考上出すということを、こちらもベトナム側に納得させたわけなんでありまして、私としては、できるだけの努力をいたしましてそういう決定に持って参ったわけででありますから、御要求がありますれば、出して一向にさしつかえないと思います。
○小林孝平君 私は、その交換公文を国会の承認を得るか得ないかという問題は別なんです。これはまた別に論ずるとして、とにかく、その交換公文は今までの国会の説明では、われわれは交換公文というものは、そういうものではだめだから条約の中に入れるべきであるという主張を、いろいろ事前協議やその他の問題で政府にお尋ねしたら、それは交換公文というものは条約と同じ性質のものだから大丈夫なんだ、これでいいんだ、こういうお話なんです。従って、そういう建前からいえば、国会の承認を得る得ないの問題は別として、この交換公文というようなものは、当然国会に出す私は義務があるのではないか、これはおかしいです。これは速記録を見まして、そうした従来の政府の答弁と全然食い違っております。また外務大臣、あるいは総理大臣の先ほどからの御答弁は、国会の承認を得るか得ないかという問題と混同して御答弁になっておるのであって、今私が質問をいたしました点は少しも明確になっておらぬ。こういうことなら、すべて交換公文で秘密に、そうしてそれが条約と同じ効果を持つと、こういうことになるんじゃないですか、これは大へんなことです。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 私のただいま申し上げましたのは、交換公文という形をとりましても、条約と同じような内容を規定いたしておりますものは、これは当然国会の御承認を得なければならぬこと、お説の通りであります。がしかし、交換公文の形をとりまして、行政権の範囲内で委任されております交換公文もあるわけであります。それらについても御審議の便宜上、できるだけ出して参りますことは、これは私は、当然政府としてすべきことだと思います。がしかし、その場合に、今度のケースでは向こう側も積極的に公表しないでもらいたい、望むらくは向こうは公表したくない、これはこの文書の内容から申しまして、日本側に非常に有利なと申しますか、はっきりした立場を確認しておりますから、向こう側としてはあまり積極的に公表したくなかったと思います。しかしそれでは困るから、御質問等があれば、議会の御審議の便宜上、われわれはこれをその際には出すという了解を得ておりますので、先般来、御質問がありますれば、当然御審議の便宜上出します、こういうことでございます。
○吉田法晴君 行政権の範囲に属する記録、交換公文等もあろうから、そういうものは出さなくてもいいというような岸首相の答弁がございましたけれども、しかし本件の問題の交換公文は、賠償あるいは戦争損害に関連する問題でございますから、当然条約の一部をなすと考えられるわけであります。それならば当然とにかく積極的に最初から出すべきで、ただ、向こうから積極的には出さないでもらいたいということだから、要求があったら出すけれども云々という話ですけれども、しかしその要請も、出してもらっちゃいかぬ、こういう秘密のものではないのではないか。結局、要求があれば公開の席上で読み上げられ、あるいは配られるような性質のものならば、これは交換公文として最初から出すのがあたりまえです。それからその損害賠償の基礎をなします戦争損害、あるいは戦争の期間に関連する問題について質問があれば、積極的に出されるのが当然じゃないかと思うのです。その第一点の、この交換公文は本来出すべきものであるかどうか、あるいは本件の場合は、条約の一部をなす、合意の一部をなすものであるから出すべきであるかどうか。それから本件の場合についての取り扱いについて、さらに御答弁を願いたい。
○政府委員(高橋通敏君) 先ほどの御答弁をちょっと補足さしていただきます。この交渉に当たりましては、先方は一九四一年、すなわち昭和十六年の十二月八日からが開戦日であるという法律的立場をはっきりとっている次第でございまして、従いまして、先方の法律的立場からいたしますれば、このような請求権は全部これは賠償に含めうるべきであるという法律的立場でございますから、本来このような請求権はあり得るはずはないわけでございます。ところがわが方としましては、これは外交交渉ですから、先方にはこちらの立場を実ははっきりはさしていないのであります。法律的立場というものは、これは先方の立場を確認しているだけでございます。しかしながら、こちらの気持と申しますか、最も正確な判断としましては、一九四四年八月二十五日からが開戦日と見るのが妥当であろうというのが、交渉に当たりました場合のわれわれの建前なのでございます。従いまして、先方の確言した立場、法律的立場からいえば、このような請求権はあり得るはずはない。しかし、われわれの交渉の腹がまえとしては、そういう問題がありますから、特にこの際向こうに確認を求めた次第でございます。
○吉田法晴君 交換公文を見て審議をしなければなりませんけれども、今のように開戦の時期とそれから請求権の問題とを関連をさせて話をされますと、その限りにおいては一応お尋ねをしておかなければならぬのでありますが、岸総理は、先ほど行政権の範囲内でやる合意については、これは一々公表をすべき性質のものではない、こういうお話がございましたが、本来交換公文として条約についているものは、条約の一部をなすものではないか。従って、これは原則的に出すべきではないかということをお尋ねをしたのが一点、これは先ほどの岸総理の答弁についての関連をしての質問です。 それから第二は、本件の交換公文については、明らかに賠償協定の一部をなすものだから、当然出すべきではないか、あるいは戦争開始の時期あるいは戦争損害の問題に関連をして質問があった際には、これは向こうのあれもあるかもしれないけれども、その論拠はこういうことだといって出されるのが当然のことではないかというのが第二の質問。 それからもう一つ。今、条約局長が言われましたのは、戦争開始の時期について向こうはこう言った、こっちはそれを必ずしも認めたわけではない。そうして十九年の八月二十五日とわれわれは解しておる、こういうことですが、その戦争開始の時期についての合意を含むのかどうか。請求権の放棄だけなのか。その点は最後にお答え願いたい。前の方は総理に。
○国務大臣(岸信介君) 先ほどお答え申し上げましたように、これは外交文書で、憲法上国会の承認を受けなければならぬものは、必ずしもその文書の与えられている形式的の名前できまるものではなしに、やはり私は、性質上その内容からいかなければならぬと思います。この今問題になっております文書については、私どもの立場からいえば、これは一つの事実を確認せしめた——われわれは当然一九四四年八月二十五日が開戦日だと考えておりますし、またこのベトナムの賠償協定というものは、これによって、今回の戦争によってベトナムに与えた一切の損害をこれで賠償するので、これですべてが解決するものだという意味において交渉をし、締結したわけであります。念のために、そのほかにおいては一切もう請求権は向こうは持たないということを確認せしめて、その事実をただ確認せしめたという性質のものであって、従って、私どもの考えによれば、もちろん御審議の上において必要があるということであり、これを資料として出すというような事柄をわれわれは否定するものじゃございませんけれども、われわれの方から進んでこれを出さなければならぬものだとは、実は考えておらなかったわけであります。
○森元治郎君 総理大臣の御答弁は、どうも明晰なる頭で、これ以上はない法制局長官だというふうに私は尊敬しているんですけれども、今のは全くこれはおかしいので、これは藤山さんと向こうとの個人的なレター、すなわち両国の権利義務を拘束しない個人的な手紙の交換ではないので、これは日本の権利義務を拘束し、戦争開始日という賠償にとっては出発点である日取りをきめる、その日取りに従ってその間における損害はどうであったか、その損害に立って両方の折衝をして賠償額をきめるという根本なのでありますから、それは総理のおっしゃることは間違い。しかし出さないというけれども、今これからお出しになるのですから、もう出したことになるから、こういう実質上の政府を拘束するようなものは、そうがんばらないで、はなはだ遺憾であったから今後は出すようにする、これでおさめていただきたい。
○国務大臣(岸信介君) 私どもはかように考えておるのですが——交換公文という名称が使われておっても、性質上、内容上……。
○森元治郎君 内容が大事なんです。
○国務大臣(岸信介君) 内容上条約の一部をなすようなものがあり得ると思うのです。そういうものは当然条約という名前がついていなくても、国会の御承認を得なければならない。そうして今度は内容として、ある条約を結んだ場合には、ただ単に行政権の範囲にまかされている交換公文であって、承認の対象とはならぬけれども、当然私は国会へ出していくべきものもあると思う。またそういうことが適当である交換公文もあると思います。 それから第三の問題としては、本件のごときものは、私どもは一応これはただ単に事実を確認している、当然のことであるのをただ確認して、念を押しておるというふうな性質のものであると私どもは解釈をいたしておるのであります。そういう意味において、外務大臣が先ほど来御説明申し上げましたような経緯もあることでございますから、われわれの方から進んで出すということの処置をとらなかったわけであります。しかし、それがさらにこの一番問題になりますところの交換公文というような名前でもって、秘密協定や秘密の何かするというような意図を私どもは全然持っているものでないということだけは御了承願います。
○小林孝平君 まず第一点の、その交換公文は国会の承認を得るか得ないかという点ですけれどもね。これは政府は、今まで、交換公文は、国会の承認を得なくとも、条約と同じ効果がある、しかし、今回の安保条約改定に付属する交換公文は国会の承認を得ますというような答弁をされておりますけれども、いずれにいたしましても、国会では、はっきりと交換公文は条約と同様な効果があるということを確認しているのです。その内容がどうだとかこうだとかいうわけじゃないのです。これは、速記録を見れば明らかでございますから、いずれその速記録を調べて、もう一度総理に出ていただいて御答弁を願いますが、まず、総理は、今までもそういうことを何辺も御答弁になっておりますが、今の答弁と違うという点が一点です。 それからもう一つ、外務大臣あるいは法制局長官が総理に話をされて、内容が行政上のものであれば、それは国会の承認を得なくともいいのだ、その交換公文は国会に出さなくともいいのだというようなことを言われますけれども、これは先例があります。日米行政協定の実施に関する交換公文として、岡崎・ラスク交換公文の内容が完全な行政上の交換公文でありますけれども、国会に出している、こういうふうになっております。全然従来の政府の答弁と違うのです。幾ら総理が上手に御答弁になったって、違うのは違うのです。これは、総理は御答弁できないはずなんです。あなた、答弁は上手だから、うまくやろうと思ったっていけません。 それからもう一つは、さっき外務大臣は、これは日本に有利なんだからいいじゃないかと、こういうことは、これはおかしいのです。日本に有利だからいいったって、それは、もともとこんなものを払うのがおかしいのに、こういうことくらいは向こうはいいだろうと思ってやっているのですから、こういうことになっている。そういう町の論議みたいなことはやめるにいたしましても、これは当然条約の一環として交換されたものじゃないですか。それを、これは日本に有利なものだから出さないでおいたというようなことはおかしいじゃないですか。有利だとか不利だという判断は、これはわれわれがやるのであって、あなた一人で勝手に、これは有利だとか不利だなんということをやるのはおかしいじゃないですか。これも答弁できないでしょう。
○国務大臣(岸信介君) 第一点と二点、私がさっき説明しておったのを、小林君なんか質問されておりましたが、よく私の申し上げたことが徹底していないようです。私の申し上げたのは、交換公文という名前であっても、内容的に条約の一部をなすような場合は、これは、交換公文という名前であっても、国会に提案して、そして承認を受けなければいけない、こういうことを第一点に申し上げた。 第二点は、条約に付属している、行政権にまかされている範囲内における一つの交換公文というものがあっても、条約を御審議を願う以上は、その付属のなにも出すことが適当であるということを第二点で申しておる。 ただ、それでは本件の問題をなぜ出さなかったのかということに関しては、先ほど来外務大臣が御説明申し上げたような経緯をとっており、この内容も、当然のことの事実を再確認したという性質のものであるから、われわれは、向こう側の意向も考えて、そして積極的にはこれを提出しなかったのだ、こういう三段階に分けて私は御説明申し上げている。
○政府委員(林修三君) ただいま総理がお答えになったところで尽きるわけでございますが、憲法の七十三条で申します条約の締結について国会の承認を得てやる場合の条約という言葉が、形式的な意味の何とか条約という条約だけでないことは、これははっきりいたしております。協定という名前であろうと、あるいは交換公文であろうと、その内容が国家間の新しい法律関係をきめるというようなものにつきましては、国会の承認を得るという建前で今までも来ております。ただし、それは総理が第一点にお話しされたことであります。それから、条約に付属します、従って交換公文でも、条約の一部をなす、不可分の一体をなすというものにつきましては、当然これまでも、条約と同時に国会の御承認の対象として提出いたしております。今、小林委員の仰せられました点は、おそらく安保条約に付属する交換公文のことだと思いますが、これは、外務大臣も何回も御答弁になっております通りに、事前協議の問題、交換公文は条約の一部として考えて、これは当然国会の御承認の対象となるべきものとわれわれは考えておるのであります。しかし、一口に交換公文と申しましても、これはいろいろなものがあるわけでありまして、全く行政府同士で、行政府間のいろいろな外交上の問題についてきめたものがあるわけでございまして、こういうものは、憲法でいう条約の範囲には入らない。従って、これは国会の御承認の対象にならないと従来考えておりますし、そういう取扱いで来ております。 ただ、今総理が申されました第二点といたしまして、そういうものでありましても、たとえば、条約に付属していろいろ行政府間で交換公文をやります。こういうものは、条約御審議の参考資料として、従来できるだけ、これはいわゆる向こう側の了解を得て出しておるわけでありまして、今回のものについては、今言ったようないきさつがあるわけでございます。 それから、小林委員の仰せられました岡崎・ラスクの交換公文の問題でございますが、あれは、御承知の通りに、現行の安保条約に基づく行政協定は安保条約第三条に基づいて両政府間できめるということになっておりまして、従ってあの行政協定は、国会の御承認の対象になっておりません。岡崎・ラスク協定もその一部でございます。従いまして、これは国会の御承認の対象にはなっておりません。ただし、御承知の通りに、昭和二十七年三月だったと思いますが、行政協定ができましたときに、その後国会の御論議の参考資料として、これは国会にお見せしております。そのときに、その一部でございますので、岡崎・ラスク交換公文と同時に国会で配付しておるわけでございまして、これは国会の御承認の対象として出したものじゃないということは、これは御承知のことだと思いますので、念のために申し上げます。
○吉田法晴君 三者三様、四者四様といいますが、答弁が違っておりますから、統一して答弁をしてもらいたいと思うのですが、第一は、交換公文は、条約の一部をなすものがあり、なさぬものがある。そういうことで、交換公文なりあるいは条約に付属する文書を出す出さぬは政府の勝手だと、こういう答弁が第一ございますから、交換公文としては、原則として出すのが当然じゃないか。それは、条約の解釈をしたり、あるいは内容に関係があるものは出すのが原則じゃないか、こういうことを第一点に尋ねたところが、あるものは関係のあるものもあり、ないものもあり、あるいは行政権に関するものもある、そういう答弁では、われわれは承知をするわけに参りません。 それから、本件のとにかく交換公文は、これはこの条約と関係があるかないか。われわれは、賠償請求権に関係があるという限りにおいては、当然条約の一部をなすものだと考えるのですが、それはそうだとお認めになりませんか。これは当然の事実を認定したものである、あるいは念のためとにかく書いたものである、こういったように、これは賠償請求権と関係がないような御答弁である。それじゃ、これはとにかく条約の一部をなすのかなさぬのか、あるいは賠償請求に関係があるのかないのか、お尋ねをしなければなりません。そういう賠償に関係のある交換公文は、当然条約に付属して出さるべきものである、それが私どもの質問の第二点。 向こうから積極的に出さないでもらいたいということがあったが、しかし、結局は出さなきゃならぬようになりましたが、しかも、それは秘密会でやってくれというのじゃなくて、公開の席上で発表できるようなものならば、何らかの機会に積極的に出さなければならぬのが当然じゃないか。実体的に条約に関係しておるならば、あるいは賠償に関係しておるならば、出すべきじゃないか。こういうことを申し上げているのが第三点です。 従来の総理あるいは外務大臣それぞれの答弁の中に食い違いがありますから、統一して答弁して下さい。
○政府委員(林修三君) 私の申しましたところは、多少御了解いかない点があるのじゃないかと思いますので、私からもう一ぺん重ねて御答弁いたします。 いわゆる交換公文というものは、国会の承認を得べきものかどうかは、これは内容によってきまる問題でございます。形式ではない。形式が交換公文だからといって、どうなるものではございません。しかし、普通は交換公文というものは、原則としては条約の付属のものでございまして、当該条約の解釈をするとか、あるいは当該条約に基づいて行政権のなし得ることについてのいろいろの取りきめをする、そういうのが普通でございます。従いまして、こういう交換公文というものは、普通の場合国会の承認を得る対象にならないと思います。ただし、交換公文という形式でございましても、内容が、先ほど条約の一部と申しましたのはこういう意味でございますが、つまり条約と同じウエートをもって、国家間の法律関係を新しくきめるような内容を持っておるもの、こういうものがたとい交換公文という名前であっても、これは憲法でいう条約の一種で、国会の御承認を得ることになる。かように考えておるわけでございます。しかし、たとえば条約に付属いたしまして、その条約に書いてある文言を解釈をする、あるいは事実を確認する、そういう問題は、新しく権利関係、義務関係を設定するものではない。そういうものは、行政権同士でやっておることでございます。これは国会の御承認の対象にはならない。しかし、条約の御審議の材料として従来も御配付申し上げておると思います。今後もその方針で行くべきものだろうと思うわけです。 それから、今度の交換公文につきましては、先ほどからお話がございました通りのものでございまして、つまり、条約に関連いたしまして、一定の事実を確認したものにすぎない。従いまして、これはそれ自体国会の御審議を得るようないわゆる条約ではない。しかも、その内容から申して、向こう側が積極的な公表を避けてくれということでありますので、今のような取り扱いをなされたということだと思います。
○吉田法晴君 それでは、総理、外務大臣は大体同じ解釈ですか。
○国務大臣(岸信介君) 先ほど来私が御答弁申し上げておることも、全く同じ趣旨で申し上げております。
○吉田法晴君 形式じゃなくて内容だ。内容が条約と同じものを含むのは、これは国会にかけなければならぬ。しかし、その解釈に関連一するもの、あるいは条約の中に含まれている当然の事実を確認するようなものは出さなくてもよろしい、こういう法制局長官の今の答弁ですが、本件については、これは賠償の金額あるいは賠償の義務と関係をしないのですか。賠償責任を負うべき期間について交換公文は了解をし、きめておるようですけれども、それは解釈とか何とかいう問題ではないと思います。内容をきめます。そうすると、内容が賠償の金額あるいは賠償の請求権の内容に関連を事実上すると思うのでありますが、そういうものは、これは条約と一体をなして、条約の中にうたわれている条件を規定するものだと考えられるのですが、それでもなお、当然の事実を確認するものとして、条約の一部をなすものではない。こういう答弁ですか。
○政府委員(林修三君) この点は、先ほど条約局長が読み上げました文書で御了解がいくと思いますが、決して新しい、たとえば、この交換公文によりまして、ベトナム側が持っておるような権利を放棄したとか、そういうものではございません。当然内容がないと言っただけでございまして、これは事実を確認するものだ、先ほど条約局長もそういう趣旨の答弁をしたと思います。何もここに新しい権利義務関係を設定したものではない。そういうことですから、先ほどのお答えで足りるものと、かように考えております。
○吉田法晴君 関連だから、いいかげんでやめますが、重要な発言ですから、念を押しておきたいと思いますが、戦争の開始の時期、それから終わるまで、この間に戦闘行為が行なわれ、あるいは占領が行なわれた。それから戦争損害が起こって、それに対して賠償をどうするかという問題、従って、戦争開始の時期というものは非常に問題になるのですが、戦争開始の時期あるいはこの賠償請求権、損害等がどのくらいあったかということは条約の中に書いてないで、戦争開始の時期については、昭和十六年、一九四一年十二月八日という法律的な解釈を向こうはとった。しかし、それを承認したわけではない。しかし、戦争損害については、一九四四年の八月二十五日からと、こう解釈をして、交換公文でその間の期限を了承した、こういうお話ですと、これは、戦争の期限にも関連をすれば、あるいは賠償請求権にも関連をする。しかし、戦争の期限の問題は含まれておらないかもしれないが、賠償請求権については、はっきり両方の合意が成立したわけです。あるいはそれ以前の賠償請求権は放棄したという意味も私は含まれていると思うのですが、そういう意味の交換公文が、賠償の価格を決定しました条約と関係ございませんか。それは条約の一部ではない、当然の事実を確認して、それは条約と関連をするけれども、一部ではない、こういう説明は、これは通りません。そういう答弁で了承するわけには参りません。答弁が一致しなければ、見解を統一して出てもらいたいと思いますが、いかがですか。
○政府委員(高橋通敏君) ただいまの点、先ほど申し上げました通り、この交渉の経緯、交渉の過程におきまして、先方は、一九四一年の十二月八日からが開戦であるという法律的立場をとるのだということを、交渉の経過ではっきりと先方が明言しているわけでございます。従いまして、先方のその法律的立場に立てば、この賠償は全部これからのが含むという法律的立場になるわけでございます。従いまして、法律的に進めて参りますれば、それ以外の請求権は存在しないということになり、当然の事実だということになるわけでありまして、それをここで当然の事実を確認したにすぎないと、かように考えております。 なぜ確認したかと申しますと、われわれの方としては、先方に対しては、この法律的立場はコミットとしてはできませんが、しかし、われわれとしては、心がまえとしては八月二十五日、一一九四四年八月二十五日という心がまえで交渉し、賠償も交渉をしていたのでございますから、念のためにこのような手紙を取ったということでございまして、手紙の中において、それでは戦争の開始の期日が云々というようなことをはっきり両方が法律的に合意したということではないわけでございます。
○吉田法晴君 この賠償の期間についての合点が成立していることは、これは私どもも認めます。その文書の中で、そして法律的な立場について、戦争の開始の時期等について争ったことはない、十二月八日であるのか、あるいは八月二十五日であるのか、そこは向こうの表明に対して、こっちからコミットしたわけではない。しかし、戦争損害を算定をする時期について、八月一十五日以降のものに限るのだ云々という点は、それはこちらの主張が通ったから返事が来ている。あるいは合議に到達したから来たのではないか。じゃ何です。当然の事実とあなたはおっしゃるけれども、当然の事実というものは何だ。当然の事実について、戦争の開始の時期、戦争の期間等については合意しないで、じゃ事実というのは何だ。法律的な主張は対立した。それから、事実の確認については、当然の事実と言われるけれども、その確認されたという事実は何か。それは条約の中にはないじゃないか。条約の中にありますか。条約の中にない。条約の中に書いてあるならば、それを交換公文で確認して、それは、当然なことを確認したと、こういうことになるかもしれませんけれども、条約の中にありますか。ないでしょう。
○政府委員(高橋通敏君) ただいま私申し上げましたのは、お互いの法律的立場でございます。しかし実際の賠償交渉になりますと、それでは一体損害がいつの時期において最も起こったか、それがいつの時期であったかということによって交渉が行われる、実際の外交交渉は行なわれると考えます。それは一九四四年八月二十五日以後のわれわれの戦闘行動が起こった口、起こってから以後の問題がいわゆる賠償の問題として現実の賠償額、賠償損害という問題で問題になるわけでございます。
○小林孝平君 最後に一つ。法制局長官は、交換公文といっても内容はいろいろあるんだと、内容によると、ところが今までの国会の論議を通じましてそういうお話はなかったんです。交換公文は条約に準ずるもので、同様の効果があると、こういうことをはっきりおっしゃった。それでわれわれはこの事前協議事項その他を条約の中に入れるべきではないか、ということを何べんもわれわれが追求したのに、外務大臣、あなた、あるいは総理大臣は、いつもこれは条約と同じだからと、こういう御説明があった。そのときは交換公文にもいろいろあるなどというお話は一度もありませんよ。だからわれわれはそういうこともあるのかなあと、こう思っていたんですよ。ところが今のあなたのお話では、そういうことはあり得るんだから、そうすると事前協議のごときは今後検討して、今までは条約と同じだというので、おかしいと思ったけれども納得しようと思っていたが、あなたの今のお話で、これは今後はこの事前協議事項を交換公文にしたのは、果して条約に準ずるものであるかどうかということを、もう一回これはやり直さなければならぬという事態になった。国会の速記録にはあなたが今おっしゃったようなことは一回もお話しになっておらぬと思うんです。その場その場で都合のいいようなことをおっしゃっておるからつじつまが合わなくなる。もうはっきりと交換公文は条約と同じものである、批准をするしないはこれは別だと、こういうお話なんですか。
○政府委員(林修三君) ただいま申し上げましたことをもう一ぺん繰り返すようなことになるわけでございますが、いわゆる憲法七十三条で申します条約というものが、必ずしもいわゆる条約という名前に限らないということは御了解できると思います。で、かりに交換公文という名称をとったものであっても、内容が国家間の新しい権利義務を設定するというようなものにつきましては、これは憲法で言う条約として扱うべきである、かようにまあ考えておるわけでございます。過去におきましても、交換公文の形式のものを国会の御承認を得た例が一、二ございます。御承知だと思いますが、日米通商航海条約に基づきます交換公文等で、これは国会の御承認を得ているものがあるわけでございます。事後承認になりますけれども、あるわけでございます。まあそういうようなものがあるわけでございます。一がいに交換公文と申しましても、内容によって違うということはどうもこれはその通りなんでございます。で、またあの交換公文は、しかし先ほど申し上げました通りに、条約に付属いたしますものは大体条約の内容の解釈である。あるいは条約によって行政府、いわゆる行政府にまかされたことをきめる、あるいはそういうことと関係なしに時々いろいろの外交交渉をするに当たりまして公文を交換するということも、これはひんぱんにあるわけでございまして、こういうものはもちろん交換公文という形式でありましても、いわゆる七十三条で言う条約でないということでございます。むしろ七十一条の中にある外交関係を処理一すること、こういう部類に入ると、かように考えて取り扱っておるわけであります。問題は、いわゆる新しい安保条約の事前協議条項の問題だと思うのでありますが、あの事前協議条百項を何がゆえに交換公文にしたか、あるいは交換公文になると国会の承認をとらないんじゃないか、そういうような御質問がたしかあったことに対して、あの事前協議条項は、まさに条約と一体をなすものと考えて交渉している、条約と同じようなウエートをもって両国間の権利義務関係をきめるものとして実はわれわれは考えておる。従って国会の御承認の対象になる、そういうことで交渉しているということを申し上げたと思います。いわゆる交換公文と申しましても、内容によって今言ったようないろいろの取扱いがここであるわけです。その点は内容によっておきめ願い、われわれもきめていく、こういうこと以外にはどうも申し上げようがないわけであります。
○吉田法晴君 今まで述べられた総理の答弁、これは速記録を取り寄せて、速記録を持って論議をいたして参りたいと思うのであります。今まで言われたことと、それから先ほど答弁されたこととは明らかに食い違っておりますが、それは速記録によってあれをしたいと思います。 それから、今問題になっている交換公文が条約の一部をなすかどうか、あるいは法律関係、事実関係をきめるかどうかという点も、これはまだ交換公文をもらっておりませんから、交換公文をもらった上で、明らかに意見が対立をいたしますから、総理以下政府の答弁に満足するわけに参りません。それを了承するわけに参りません。記録をもらった上で論議をすることにして、関連質問でありますから、森君の質問に譲りたいと思います。
○森元治郎君 戦争開始日というのは政府はあんまり重くとっていないようですが、これは非常に大事なことで、この日が定まらないといつ戦争やったかわからない、そこでいっその賠償払えるかもわからないので、これは大事であります。政府は八月二十五日というのを何とかどこかで一つ具体的に協定とか、法的効力のあるようなもので印象づけたいとあせっておるようでありますが、実にこっけいなことがここに一つあるので、総理に御披露申し上げますと、これは外務省から出ている資料目録、特別円の関係であります。それはそこらにたくさんありますから……。そこでその第三に四十四年の八月二十五日、日本政府が、「日本、仏印間戦争が開始されたと称する時期における特別円の残高」、これは外務省の紙に……。政府が称するというのは、これはどういうことになっているのか。まさかインドシナ銀行の方がこれに書いたのかどうか知りませんが、こういうようなおひゃらかしが書いてあるのであります。あやふやなので、これからそれについてお尋ねをいたします。 まず第一に、戦争開始日というのは幾つあるのですか、一つですか、二つですか。数があるのかないのか、まず総理大臣から伺います。
○国務大臣(岸信介君) ちょっと、御質問でございますが、御質問の御趣旨がよくわかりません。
○森元治郎君 日本とフランスが戦争をいたしたことは、これはもう明瞭であります。国と国との戦争があった場合に、戦争を開始した日取り、戦争開始の日というのが法律的な用語かと思うのですが、あるいは通常で言う宣戦布告をした日は一つか、二つか、幾つあるのですか。
○国務大臣(岸信介君) このフランスとの間の日本との開戦の日、戦争状態の開始した日、いわゆる開戦日というものはこれは一つであり、それが一九四四年の八月一十五日だと、政府はこう解釈いたしております。
○森元治郎君 戦争の開始日というのは、両方がどうも主張が違う場合には御相談で決定もできるのかどうか。
○政府委員(高橋通敏君) 戦争の開始日ということは、これは客観的に決定せらるべき問題であろうと考えます。
○森元治郎君 ただいまの高橋政府委員の御答弁でありますが、総理大臣は参議院の予算委員会の御答弁の中にも、向うとこっちではいろいろ主張が違っておるのでございますと、こう言っておる。主張が違っておるのでございますが、事実問題として八月二十五日が適当であろうかと存じます。この主張が違うことはしばしばあり得ることですか、どうですか。専門家ばかり出てこないで……。
○国務大臣(岸信介君) 私は具体的の事実をはっきり握っておりませんけれども、私はそれは理論的にはあり得ると思うのです。
○森元治郎君 日本とフランスとの間の戦争開始日というのと、宣戦布告をした日というのと、戦争状態に入った日というのは同じことでありますか。
○政府委員(高橋通敏君) 言葉の問題でございますが、結局宣戦布告というのは、いずれか一方が明らかに戦争を宣言するわけでございます。その宣言した結果の状態を法律的には戦争状態と申す次第でございます。それから、戦争の開戦の宣言がなくて敵対行為において御承知の通り戦争が開始される、その場合の状態も法律的には戦争状態と、こういうふうに見ているわけなんです。
○森元治郎君 それでは戦争状態と宣戦布告の日、開始の日というものは同じと解していいですか、本日より……。
○政府委員(高橋通敏君) 宣戦布告なしに敵対行為によって戦争が起こるということも考えられるわけでございます。通例は戦争開始を宣言すれば、そこで戦争状態というのが成立する、このように考えておりますが……。
○森元治郎君 戦争開始日について、たとえばベトナムの場合なんかを見ても、向こうは十二月の八日の法律的主張、こちらは八月二十五日が適当かと思いますという、なかなか政治論と法律論をまぜて押し合っているようですが、こういう相違している場合には両者が話し合ってきめるということもあり得るのですか。
○政府委員(高橋通敏君) もし両方のその当時の現実の事態を検討いたしまして、両方の意見が一致しますれば、そこで話し合って、なるほどと意見が一致すればその日が戦争の開始の日であります。
○森元治郎君 両方が相違した場合にはこういうものを不明確にしておいてもいいのか。これは戦争ですからいろいろ勝った国、負けた国がありますから、何とか確定解釈……、確定日を両方で作らなくてもいいのですか。私は、ただいまこれからフランス関係を聞く前に、原則論を一々伺っているのですからお答え願いたい。
○政府委員(高橋通敏君) これは当時、たとえば戦争が始まりました場合に、開戦宣言をいたしましてまず戦争が始まるわけでございますが、それによりまして、その後、いろいろな国との交通の手段も絶えますし、戦争が拡大していきますと、お互いの意思というのをはっきりその場で確認することができないという場合が多々あるわけでございます。そこでそういう意思を表現した場合、また、その表現前または表現後に敵対行為が起こっている場合といろいろございますので、戦争が一旦開始されて戦争が拡大していく過程においては多々そのような事例があるのではないかと、このように考えております。
○森元治郎君 フランスは日本に対して十二月八日に宣戦を布告したと、総理及び外務大臣、政府の答弁も先方ではさように言っているのでありますといって——この十二月八日に宣戦したのだと、もちろん昭和十六年でありますが、したのだということは認めておるようであります。それを日本との関係における開戦日ではありませんが、戦争を開始したと向こうが言っているという事実を認めている。この日は、政府からいただいた極東裁判判決速記録、これの第二ページにも、オランダ、オーストラリア、ニュージーランド、そろって当時、自由フランスと言ったドゴールの自由フランス全国委員会ですか、自由フランスは日本に対して宣戦をした、こういうふうに書いてあります。それから裁判所がその結論の中にも「当時の日本の行動は、フランス共和国に対する侵略戦争の遂行を構成するものであった」という結びで、やはり十二月八日を妥当とするような裏づけをやっております。これについて政府のまず反論といいますか、政府の所信を伺いたい。
○政府委員(高橋通敏君) ただいま御指摘の点でございますが、ドゴールがそのような意思を昭和十六年十二月八日に持っていたということは、これは確かな事実であると考えておる次第でございます。しかし、当時ドゴールはそのようなフランスの正統政府という地位を持っていなかった。すなわち、ドイツが侵入しまして、一九四〇年の六月でございますが、当時の内閣のレイノー内閣が御承知のごとく倒れたわけでございます。そしてこれに代りましてフランスの正統な憲法上の手続を経ましてペタンが首相になったというわけでございます。そこで、いわゆる正統政府たるビシー政府がそこで成立しておるわけでございます。ところ品が、レイノー内閣時代の国防次官でございましたドゴールがそこで英国に逃亡をいたしたわけでございます。そして四〇年の六月の末になりまして、英国において自由フランス運動というふうにみずから称しておるわけでございます。しこうして、その後に四一年の九月になりまして名前をフランス国民委員会と改めております。しかし、この当時、英国のみならず、みずからもフランスの政府という地位は持っていなかったわけでございます。それからさらに進みまして、一方アルジェリアの方にもダルランを主体とする委員会ができておりまして、この委員会とドゴールの委員会が合流いたしまして、一九四三年の六月でございますが、解放フランス国民委員会というふうに称しております。しかし、この場合も、各国はこれに対して政府としての地位を与えていないわけでございます。従いまして、この時代に日本とも戦争状態にあることを宣言いたしていますが、法律的に見ますれば、これは正式の法律上の戦争状態ではあり得ない、すなわち、そのような国際法上の効果を持ち得るような政府としての地位を持っていないというふうに考えられる次第でございます。 一方ビシー政府の方につきましては、日本は正統政府として外交関係も維持しておりますし、米国その他も外交官を派遣しております。そこで、その状態が続きまして一九四四年の八月二十五日、八月になりまして連合軍とともにドゴールはフランスの本国に上陸し、パリを奪回しております。そこでペタン政府を倒しまして、そこから初めてフランスの正統な政府たる地位に着いたものである。従いまして、このときからこそ初めてその法律的な意味における戦争状態が客観的な意味においては開始したと見ざるを得ないのではないかというふうに考えておる次第でございます。先ほどの極東裁判の点につきましても、あれは事実を叙述しておりますが、正式に自由フランスというふうな表現を用いておりまして、フランス国またはフランス政府というふうな表現を用いていないというふうに考えております。
○森元治郎君 自由フランス政府とかあるいは自由フランス国とか、そういう名前は使っておりませんが、宣戦したと、こういうふうな表現になっております。 そこで私は、この歴史をずっと概観しますと、日本とフランスとの間の戦争の開始日はどうも四つぐらいあるように感じられるのです。第一点は、十二月八日、その次は、だんだん自由フランスが大きくなっていきまして、アルジェリアに自由解放フランス委員会を作ったとき、あるいはまた、いよいよパリに乗り込んできた、政府の言うところの一九四四年の八月二十五日、フランス共和国臨時政府のとき、それと三月九日の仏印における日本とフランスとの共同防衛がわれわれの最後通牒によってつぶれて、日本が単独防衛に乗り出して、初めて戦闘が起こった時期の、この四つの時期があろうかと思うのです。 そこでお伺いしますが、自由フランスは、今御説明あったように、後に自由フランス全国委員会になり、戦うフランス委員会になり、続いてアルジェに参って、このアルジェの政権が私は一つの事実上の政権になるのではないか、こう思います。国民解放フランス委員会、これを一体政府はどう見るか。なかなか条件がそろっているのじゃないかと思うのですが、総理大臣からこの点、大きいところを一つ御答弁を願って、こまかい方は外務大臣、あるいはそれ以下でよろしい。
○国務大臣(岸信介君) 私どもはドゴールの政権がいつからフランスを支配したものと見るかという点から考えますというと、ロンドンにいたときはもちろんのこと、アルジェリアに移りましてからも、まだその要件を具備しているものとは考えておりません。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 先ほど条約局長の御答弁申し上げましたように、フランスの正統政府としてのビシー政権が存在をしているわけであります。従って、むろん自由解放委員会、その他の委員会をフランスの正統政府と見るわけには、その時期においては適当でない。むろんドゴールがロンドンにおいて解放委員会を作りましたときよりも、形、その他には逐次整えてきたものもあると思いますけれども、実質的には八月二十五日にパリに入りましたときを、フランスの正統政府としてドゴールが継いだという時期と見るのが適当であろう、こう考えております。
○政府委員(高橋通敏君) 御指摘の点は、一九四三年の六月三日に、ドゴールとダルランが合流いたしまして、解放フランス国民委員会、すなわちアルジェ——アフリカの方とロンドンの方が合流いたしまして、解放フランス国民委員会と称したときではないかと思いますが、このときも、みずからもやはり解放フランス国民委員会、まだ委員会の時代でございまして、諸外国からも、これを政府またはそれに近い地位は与えられていない。やはりパリに帰りまして、八月二十五日、英米とそこで協定をしまして、ペタンを倒し、フランスのシビル・アドミニストレーションと申しますか、行政をすぐ担当した、このときからはやはり正統の政府として見るべきではないか、こういうふうに考えます。
○森元治郎君 去る十一月二十七日の本委員会における外務大臣の説明の中で、ロンドンの自由フランス、あるいはその後に発達した自由フランス全国委員会——戦うフランス、こういうものを批判した説明に、彼らは「みずからもフランス政府と称することもなく、」こういうのがあります。その前には、「一国の政府たる要件を有しない」、それは、その意味はわかりますけれども、みずからもフランス政府と名乗ることもなく、名乗れば一体政府になるのか、これは非常に大胆な御説明だと思うのです。戦国時代でも、おれは天下の副将軍だと言って名乗れば、これは梟雄といって、そういうようなのがよく世の中にはびこった。自由党総裁なんというのもありましょうが、そうすれば、一体フランス政府となるのか。これは取り消しになる必要があると思うのと、今あなたが、アルジェにある委員会ですね、国民解放フランス委員会、これも政府といっていないとか、こういうフランス政府と名乗ることが、政府の事実上承認、あるいは形式上承認の条件になるのか——第一の条件、この点を一つ伺いたい。
○政府委員(高橋通敏君) ただいまの点は、ちょっと言葉が足らなかったと思いますが、自分で名乗るということは、自分が名乗ったからすぐ政府であり、名乗らなかったから政府でないという意味ではありませんので、みずからも政府というようには考えていなかった、もちろん政府であるためにはいろいろな条件がありますが、みずからも、条件があるなしという実体問題にかかわらず、自分自身もそう思っていなかったということでございます。
○森元治郎君 もう少し、こういう外務大臣たるものは一字一句ゆるがせにできない。条約局長よく知っていることだが、もう少し注意してかからなくちゃいけない。それから、ただいまのアルジェにある政権は、これは実質的には亡命政権ではないか。亡命政権は国際法上の主体として、国際法上の権利を行使することができる、従って宣戦布告も有効だ。たとえばポーランドとかオランダは、当時ロンドンに亡命政府として、自国の本土から離れて来ている。しかもこれはロンドンにおいて認められているのに、どうして戦うフランス全国委員会、アルジェは認められないのか。
○政府委員(高橋通敏君) ただいまの点は、オランダ、ベルギー、それからポーランドという国々が、その政府がロンドンに逃げまして、そこで政府を継続しているわけでございます。で、それは当時ほかの国々からも政府としての地位を認められておりましたし、本国が全然ドイツによって分割統治または併合、その他を受けておりまして、本国においても何らそういうその国の本来の機関はない、そうしてその逃げて逃亡した政府は、それらの国々からも政府としての地位を与えられておったわけでございます。従いまして、このフランスの事情とはいささか事情を異にするのではないかと、こういうふうに考えます。
○森元治郎君 亡命政権ではないかという点の御答弁はどうですか、実質的に……。
○政府委員(高橋通敏君) いわゆる亡命政権という言葉は、非常にまあ政治的な不確定な言葉だと思いますが、その場合は、その国の本国にある政府といいますか、そういう機関があって、それに対抗するところの政府、すなわちいずれかが正統性を争うような場合に、一方が正統であり、一方が亡命であるというふうにわれわれは通常解するのではないかと思うのであります。ポーランドの場合も、ベルギー、オランダの場合にも、本国にはそういうのがございません。従いまして、それが政府としての伝統を継いでいるのだ、こういうふうに考えます。
○森元治郎君 いや、ただいま御答弁まことにその通りで、当時のフランスの状態は、ドイツ軍によってフランス本土は完全に押えられて代行政府は支配力を失って、そうして一方、アルジェというのは、これはフランスの領土、自分の国の中に、ロンドンから回ってきて北アフリカに入って、本国はドイツ軍に押えられていて、しかもアルジェの一角にこの解放委員会をぶっ立てている。これは亡命政権として国際関係の客体として存在できるのではないか、日本が認めたってちっともおかしくないのではないか、こういうようなことを考えるのです。
○政府委員(高橋通敏君) ただいまの点、お考えでございますが、やはりそれが何と申しましても、アフリカの一端におったわけでございます。それがフランス本国に帰りまして、ペタンを倒し、パリを回復するというところが、名実ともに政府としての地位がそこで備わってきたと見るのが正当ではないかと私は考える次第でございます。
○森元治郎君 それでは一年を経過いたしまして、四四年に入ります。フランス解放委員会は、四三年のアルジェ政府から、四四年にはいよいよ六月になってフランス共和国臨時政府ができた。ここへできて、そうして八月二十五日、政府の説明によると、ドゴールがパリを回復した日だと、だからこの日がアルジェより適当だ、こういう御説明のようであります。私はそこに日本政府の、これは解釈ですからおかしいと思うのは、ちょうど戦争中によく日本の軍隊が、天長節に一つどこへ占領をやろう、あるいは紀元節にやろう、シンガポールは紀元節めがけて占領するようにというようなもので、パリに着いたらというのは、何か劇的といいますか、小説的ではあるが、法律的な問題としてはそんなに大したものではないんじゃないか。これは一つ外務大臣から伺いたいのですが、何で八月二十五日というのにそんなに固執するのですか。
○国務大臣(藤山愛一郎君) ただいま条約局長が御説明申し上げました通り、法律的に見ましても、やはりフランスのパリに帰りまして、そうしてペタンが倒れたという事実がやはりドゴール政府のフランスにおける地位の確立ということに見るのは当然だと思います。むろん象徴的な意味で何月何日にどこを落とすというようなことが、いろいろ御指摘のように日本の場合にあったのかもしれませんが、そういう意味からかりに言いましても、パリというものは、何と申しましてもフランスの首府でございまして、首府としてのパリの回復が行なわれたということは、象徴的に見ましても非常に大きな意味があるということは言えると存じております。
○森元治郎君 ドゴールがパリに入った日、入った日ということを、盛んに象徴的とおっしゃっておりますが、ドゴールがパリに入ったのは二十五日ですか、二十六日ですか。
○政府委員(高橋通敏君) 八月二十五日でございます。
○森元治郎君 二十六日という記述もあるのですが、それは何によって二十五日と言うのですか。
○政府委員(高橋通敏君) 一九四四年の八月二十五日に、イーデンとマッシグリー——これはドゴール政権の外務委員でございますが——それからアイゼンハワーと三人で、パリのシビル・アドミニストレーションに関する協定をそこですぐに締結いたしております。従いまして、私はこれは二十五日であろうと考えております。
○森元治郎君 私は、八月二十五日にドゴールが入ったとか入らないとかいうようなことは小さいことで、象徴的なということはとりません。やはり客観的にそのフランス共和国臨時政府が認められたときがやっぱりよりよいのではないか。これは政府の立場をとっても、十月の二十三日にアメリカ、イギリス、ソビエトが承認しているときの方が、戦時中のごたごたでよくわからないときにはっきりと連合国の大どころが承認した日の方が、政府の立場をとってもより正しい。なぜ八月二十五日という、そういうふらふらしたところをとるのか、もう一ぺん……。
○政府委員(高橋通敏君) 御指摘の通り、一九四四年の十月二十三日に、英米によりまして正式に承認を受けております。ただ、この承認を受けるということは、その前の八月二十五日パリを回復してそこで確立したからこそ、そのような手続をとって十月二十三日に承認が行なわれた、このようにわれわれ考えている次第でございます。
○森元治郎君 どうも専門家同士はそれでわかるかもしれぬが、国民にはそういうことはよくわからないんで、やはりこれは承認が必要だろうと思う。どうして十二月八日がだめで——十二月八日の宣戦布告説を、フランスの主張する八日説をとらないで、八月二十五日から戦争状態に入ったとするのか。政府の説明では、あれは一国の政府の体をなしておらない、政府とも名乗ることもしていない、よその国から承認もされていないというならば、ドゴールがロンドンで日本に対する対日宣戦をしたというその効果は消えてしまっちゃって、四四年の八月二十五日にはそれは生きてこないと思うのです、新たにそこで言わなければ。この点はどうですか。
○政府委員(高橋通敏君) その点につきましては、その従来の委員会自体においてもたびたびその声明をいたしております。従いまして、それがドゴールの——政府の中心となったのはドゴールでございますので、ドゴールの意思は明確であろうと、このように考える次第でございます。なお、パリを回復して以後も、まだその点を——一九四四年八月一十九日でございますか、岡本公使の公電によりますと、はっきりと宣戦を——日本と戦争状態にあるのだ、しかも、一九四一年からあるのだと、こういうことをその時期においても繰り返し言っているわけであります。従いまして、われわれとしては、その政府としての地位を持たない時代のことを計算に入れることはできませんが、パリ回復以後は、これは正当な国際法上の効果を用いなければならないものだと、このように考える次第でございます。
○森元治郎君 その八月二十九日に——岡本さんのスエーデンの電報でしょうが、それ以外にそれを立証するものがあるか。昭和十六年の十二月八日、この時のドゴールの対日宣戦の布告文というものは、外務省ではちゃんと入手しているのかどうか。
○政府委員(高橋通敏君) ただいまの岡本公使からの公電でございますが、そのほか、昭和十八年、その前年でございますが、前年の十二月十日に、フランスにおきますわが方の三谷大使からの公電によりますと、先ほど申しました、ドゴールとダルランの合流しました解放委員会でございまするが、それがやはり北アにおきまして、一九四一年来戦争状態にあるのだということをはっきり明言し、仏国は連合国に協力し敵の惨敗云々、フランスの云々に至るまでほこをおさめざるべしという宣言をいたしております。これが公電によってわが方に通報になっているわけでございます。
○森元治郎君 事実関係だけを先に聞いて参ります。私は、政府の立場をとっても、もうパリという町の中へ歓呼の声で入ってきたのだからその日がいいのだということは、これは国際法上問題にならないので、やはり米英ソの承認した日だというふうに思っております。続いて、実体的に戦争に入ったのが、だれが見ても昭和二十年の三月九日、日本の軍隊が仏印軍に最後通知を突きつけて攻撃をしかけた三月九日説、これがより実体的であろうというのが、まあ法律論は別として国民一般の気持であろうと思うのですが、その点を法律的と実体的に一つ御説明を願います。
○政府委員(高橋通敏君) 確かに、御指摘の通り一九四五年の三月には軍事行動に移っている次第でございます。しかし、そのような軍事行動に移ったということは、その前に、そのような戦争状態とわれわれが認定しなければならないような関係に仏印とその本国とがあったということは、すなわち、本国が八月二十五日に明らかに戦争の意思を表明する、その意思を実効的ならしめるような地位にパリにおいて立ったわけでございます。従いまして、その以来というものは、仏印に対する関係も、そのような状態のもと、すなわち戦争状態のもとに見られなければならず、それによって、現実の軍事行動は一九四五年に行なわれたと、このように解釈する次第でございます。御承知のように、戦争の状態は、いずれか一方が一方の意思を表明すればそれによって発生するわけでございますから、その以前にすでにそのような状態が存在したと、このように考える次第でございます。
○木村禧八郎君 戦争の時期とこの賠償との関係について、今、関連してちょっと伺いたいのですが、平和条約の十四条で「戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことが承認される。」、この場合に、法律的にいつ幾日から戦争状態に入ったという、そういうこととは別に、実際に、先ほど条約局長もいわれましたが、宣戦布告をしなくても実際に戦闘状態に入ることもありますね。従いまして、この賠償をやる場合の対象の損害とは実際に戦争によって与えた損害と、そういう意味に解釈することはできるのじゃないですか。そういうことは間違いなんですか。その戦争に入った時期というものを法律的にきめて、しかし実際にはその前に実害があるのです。これはあとでお伺いしますが、今関連質問ですから、その点をお伺いしたい。その賠償の対象となる損害というものは法律的に認められた戦争開始の時期、それから以後というそういう機械的なものか、実際にはその前に実害を与えているのにそういうものをカバーしないのか、そういう点伺っておきたい。
○政府委員(高橋通敏君) やはり十四条は現実的な戦争行動というようなことになりますと、非常に基準が取りにくくなりますから、やはり第一次的には法律的に戦争状態にあったということを考えていると考えます。
○木村禧八郎君 しかし、賠償というものの精神はどういうものなんですか。賠償というものの精神は、その軍事行動によって与えた具体的な物質的な損害あるいは精神的な苦痛、そういうものに対する補償なんでしょう、精神は。そうしなければ賠償というものの精神からいって、そう機械的に判断していいのかどうかです。
○政府委員(高橋通敏君) やはり法律的に戦争状態にあったということが基準となりまして、その基準のもとに損害とか云々というのを考えるべきであると、こういうふうに考えます。
○木村禧八郎君 その戦争状態ということは鉄砲を撃ち合ったり殺し合ったり、そういうことだけじゃないでしょう。その前に、たとえば平和進駐でも、撃ち合わなくてもいろいろな物資の動員をやりますね、軍事動員やったりあるいは軍票を発行したり、そういうこと。そういうこともやはり軍事行動の中に入るでしょう。その戦争の時期を定める場合に、パリに入った日とか何とかいう、そういうことも一つの政府の見解でありましょう。しかし客観的にと、さっき条約局長言われましたよ、客観的に戦争状態に入ったかどうか、軍事行動を日本が起こした場合は、たとえば軍票を発行して物資を徴発する、そういうこともいわゆる軍事行動の中に入るでしょう。だから、実際にそういうことが客観的ということは、ただ法律的なことじゃないと思う。事実問題です。そういうふうに時期の問題についても考えなければなりませんし、また政府の言われている八月二十五日たるや、法律的にそれをおきめになっても、法律的にですね。しかし実際問題としてその前に軍事的な行動あるいはいろいろ苦痛を与えた場合、そうしたらば、事実問題として政府が法律的に考えている前にやはりその戦争状態があったと、こういうふうに解釈できないのか。
○政府委員(高橋通敏君) 十四条はやはり法律的な戦争状態、彼我の戦争状態、戦争ということが主眼でございますから、現実に軍事行動や現実にいろいろな行動が行なわれましても、それが戦争という状態と申しますか、戦争という関係で行なわれたのか、そうでないという関係のもとに行なわれたということによってこれは区別さるべき問題じゃないかと、このように考えます。
○木村禧八郎君 それはあとで伺いますが、それはあとの戦闘との事実関係においてわかってくると思うのです。たとえば物資を徴発したことが、実際に戦争をやるためでなく、物資を徴発したかどうかはあとで事実としてわかってくるわけです。仏印の場合には、はっきり、もう武装を解除し、そういう戦争状態に入っていったんでありますから、事実問題として、その前提としての軍事行動というものは、やはり戦争の中へ、その戦争行為の中に入るべきじゃないかと、これはあとでまた御質問する場合に非常に重要なものですから、その点ちょっと確かめておきたいと思います。もう一度御答弁願いまして、私は関連質問ですからその程度にしておきます。もう一度御答弁願います。
○政府委員(林修三君) これはやはりただいま条約局長からお答えしたように、平和条約というものはやはり戦争した国との条約でございまして、もちろん戦争をしていなかった国には、それに損害を与えても実は平和条約の適用はないわけでございます。従いまして、戦争をした国というものは、やはり日本が法律的に見て戦争状態にあった国ということだと思います。従いましてあとから戦争状態になった、その以前にいわゆる戦争状態になかった時代において、あるいは軍事行動、それは日本の与国としてあるいは中立国としてそういうような地位のもとにおいて被害を与えましても、これは十四条の関係にはどうも入ってこないと言わざるを得ないじゃないか、日本の立場としてはそう考えるべきだろうと思います。要するに、戦争があったということが前提の平和条約でございまして、その平和条約に基づいた日本の戦争の賠償責任、戦争のなかった国とはこういう問題は起こらない。従って戦争のなかった国というのは、戦争状態になかった時代をやはり戦争のなかった国と、こう言わざるを得ないじゃないかと思います。
○木村禧八郎君 もう一点、おかしいような答弁を伺いましたから。仏印という銀行はこれはこの銀行ですか。
○政府委員(林修三君) これはフランスの銀行だと思います。
○木村禧八郎君 それはあとで伺ってみます。 私は戦争を行なった国との関係を聞いておるのですから、そういう関係が出てくるのですよ。だから私が聞いておるのは、鉄砲を撃ち合わなければ戦争状態にならないのか。その前のいろいろな軍事行動においても、これはやはり戦争をした国との間においてはやはり軍事行動の中に入るでしょう。さっき条約局長が……。それはあとにおいて、それが戦争のためであるかはあとでわかるわけですからね。戦闘の準備行為でありますから。そういう点について伺っておるわけです。その点だけ伺っておけばいいのです。またあとで……。
○政府委員(林修三君) もちろんいわゆる一国と他国との間が戦争状態にあるかどうかは、一つは宣戦布告というようなこともございましょうし、宣戦布告のない場合に、事実上の戦争状態が起こる場合もあるわけでございます。この事実上の戦争状態は、結局事実関係から客観的に推定していくよりほかにないわけでございます。純粋に理論的に申せば、今木村先生のおっしゃったように、戦争行動があって、敵対行動があれば宣戦布告をしなくても戦争状態にあったということは、それは言える場合は幾らでもあると思います。しかし日本とフランスの間では、少くとも日本側といたしましては、ビシー政府が健在であった場合には、ビシー政府との間には戦争状態がなかった。これは日本と友好関係にあったと、こう考えておるのでありまして、その間にかりに何らかの損害を与えたということがありましても、日本側としては少なくとも損害賠償責任はないと主張しているわけでございます。相手方は御承知の通り一九四一年十二月八日以後のものを言っておるのでございますけれども、少なくとも日本側としてはそういう責任はないということを言っておるわけでございます。
○吉田法晴君 これは林法制局長官、これは法律的には明晰でなければならぬのですが、政府の主張を裏づけるために、法律的にきわめてあいまいもこたる答弁をされてあきれかえるのですが、よく言われるように、そういうのは三百代言的な答弁です。日本とフランス、あるいは日本と仏印との間に第三国的な関係がございましたか、そうではないでしょう。平和条約の調印あるいは十四条その他で戦争状態にあったから、戦争状態を終結させるために平和条約を結んだ、日本とフランスとの間に第三国的な関係がありましたか。そういうことはへ理屈、三百代言ですよ。十四条を含む平和条約では戦争はいつから始まったかということは、これは戦争が終わるときですから、おそらくはっきりしておったと思うのです。じゃ、その平和条約での戦争開始の時期というのはどういう工合に考えるか。向こうはベトナム国との——国と言われるような国じゃありませんけれども、ベトナムと称するあれの代表との間には、十二月の八日が主張された云々というお話ですが、サンフランシスコ会議のときに、戦争は対フランス関係においていつから始まったと、こういう工合に了解されていたんですか、それをお答えしていただきたい。 それからもう一つ事実関係云々、事実関係の法律的な解釈でありますが、事実関係の法律的な解釈として、森さんが引きました戦争裁判の中に、これは戦争中の仏印関係について事実が認定をされ、そして判断が下されておりますが、その中に戦争開始の時期があります。これは戦争開始の時期について、この法律的な判断というのはないのですか。あるいは連合国との間の中における戦争開始の時期ではないのですか、二点どうでしょう。
○政府委員(高橋通敏君) 戦争裁判の判決の記録の中には、自由フランスいうふうな言葉を使って十二月八日であるというふうな事実関係の叙述がございます。 それから先ほど申し上げました一九四五年の三月の行動をもって侵略行動であるというふうに、大体それを中心として言っているようでございますが、そのようなこれは事実のそういうものは、行動に出た日でございまして、先ほど申し上げましたように、その前にすでにフランスとは、私どもの見解では戦争状態の関係にあった、このように解しております。
○政府委員(林修三君) 先ほど私が木村委員にお答えした部分が、十分に御理解されていない点があると思いますので補足いたします。私はもちろんフランスとの間は、平和条約にフランスは署名しております。フランスとの間に戦争状態があったことを否定していますわけではございません。私は一般論として先ほど申し上げたことは、日本と戦争状態になかった国について平和条約の適用はないということを申したわけでございまして、それは要するに日本と戦争状態にある国が、日本と戦争状態に入った以後の問題は、やはり平和条約の問題である。それ以前の問題は、平和条約の問題じゃないということを合わせて申し上げた趣旨でございまして、フランスとの間に終局的に戦争状態があったということを私は否定して申し上げたわけでも何でもございません。 ここで問題になりますのは、結局日本とフランスはいつ戦争の状態になったかという問題に帰するわけであります。これは日本はもちろん一ぺんもフランスに対して宣戦布告した事実はなかったのでございますが、そういうことから考えまして日本とフランスとの間の戦争状態は、いつをもって戦争状態にあったかと解釈すれば、一九四四年八月二十五日というのが一番妥当な解釈じゃないかという立場だという、その以前においては戦争状態ではなかったと、かように考えておるのであります。
○小林孝平君 先ほどからのお話の岡本公使の公電というのをちょっと読んでいただきたいのですが、大体資料としてこんなのは配付してもらわなければ困ります。いずれ配付していただくのですが、一応読んでいただきます。
○政府委員(高橋通敏君) 「仏臨時政府は、二九日ラジオにより左の通り声明せり。仏国は、一九四一年十二月八日以来日本と戦争状態にあり、現に海上において日本と戦争しつつあり、而して連合諸国側に与して仏国領土が解放せられるのみならず、アジア及び欧洲における仏国の敵を撃退する迄全力を以て戦争を継続すべし。」
○小林孝平君 いつ出したのですか、向こうの岡本公使が。日付はいつですか。
○政府委員(高橋通敏君) 昭和十九年八月三十日。
○小林孝平君 これは非常に重要問題ですから、いずれ資料として出していただきますが、向こうがラジオでこういうことを言った。それをそういうことを傍受とか何か聞きました、こういうことなんですか。今この問題が非常に重要になっているから、これは文書か何かになっておるのはないのですか。というのは、戦時中にいろいろ謀略放送が行なわれたのですね。これは敵、味方とも謀略……。これが謀略放送であるかどうかわからぬじゃないですか。岡本公使が正式の公電を出したことは、これは疑いませんが、その受信したものが謀略放送であったかどうか、どうしてわかるのです。正式な書類があるのですか。フランスのどこか倉庫か何かにあるはずじゃないですか。それはどうなっています。
○政府委員(高橋通敏君) これは先ほど申し上げました通り、当時戦争が開始して、これが拡大いたしておりますから、おのおの在外邦人も引き揚げたり、また交通もとだえておるということもございますので、こういう公然たる声明をすることによって、われわれはその意思をそこで明瞭にそんたくする次第でございます。それからそのほかにフランスの過去の文章を振り返ってみますと、そのような意思がはっきりと明瞭に受け取れるわけです。
○小林孝平君 そのほかの方はいいのです。これを基礎にされているから申し上げたのです。そういうそうそうの間だから、ラジオ放送をやったのはいいけれども、このラジオ放送が謀略放送であったかどうかということは、どうして確認されたのです。当時は非常にいろいろの謀略放送をお互いにやっていたのです。どれだかわからぬじゃないですか。あなた方、この放送がちゃんと正式のものであるかどうかということは、どういうことで確認されたのです。そうしてもしこれが正式であるというならば、少なくともその後こういう放送をしたという原文があるはずなんです、どこかに。フランスの政府に確かめてみたことがありますか。
○政府委員(高橋通敏君) これは、岡本公使の当時の正式の公電でございますので、この公電を私どもは信用いたしまして、戦争状態にあることを確認している次第でございます。のみならず、それ以後フランスは、平和条約に調印いたしておりますし、その後のフランスの態度やたくさんのドキュメント、文書に従ってこれが確認されている、こういうわけでございます。
○小林孝平君 その他いろいろは要らないのです。この点を予算委員会でおっしゃったのです。私はそのときすぐ聞こうと思ったのですけれども、これは質問できませんでしたから黙っておりましたが、この公電はわかりました。岡本公使から来たものが、にせの公電でないということは疑いません。そういうことを言っているのではないのです。その公電は公電として認めますけれども、岡本公使のその聞いたラジオ放送が、正式の声明であるか、あるいは謀略放送であったか、あるいは聞かなかったのかというのは、どうして確認しているのです。少なくともこれを国会に正式に言うならば、フランスへあなた方確かめなければならぬのです。そのくらいのことをやるのは、当然じゃないですか。私は予算委員会でこれを聞いて、辻委員が聞かれて、辻委員がすぐこれを納得されたのをおかしいと思って、聞こうと思ったけれども、質問ができなかったから、今日まで黙っていたのですが、おかしいです。その後少なくとも予算委員会でこういう資料を出されるならば、フランスに尋ねてみたらいいだろうと思う。私がひそかに調査したところによると、フランスはこの声明を正式にやった書類がなくて弱っているという話を聞いている。どうですか。そのくらいのことは調査したらどうですか。われわれは謀略放送をたくさん聞きまして弱ったのです。
○政府委員(高橋通敏君) それは当時岡本公使の公電でございますので、もし岡本公使がこれが謀略放送かどうかという疑いがあれば、このような公電はなかったかと思います。もしくは疑いがありますれば、その意味のまた情報をくれたかと思います。しかし、はっきりと声明したということを公電で来る以上、私どもはそのようなことはなかったと判断するわけでございまして、先ほどから申しますように、その後否定するものもなく、むしろこれを確認するということが行なわれている次第でございます。
○小林孝平君 この岡本公使の公電はわかりました。その公電のもとはどういうものであるか。そのじぶんの公電は、現在十数年後国会でこういう大論議になるということをわからないで打っている、電文を。公電だっていろいろ来ていると思う。こんなに問題になると思って岡本公使が電報を打ったとは言えないですよ。そこで、こういうことを国会へ出されるなら、フランス側でそういうラジオ放送された記録があると思うのです。それを探されたらどうですか。 それで私が伺いたいのは、あなた方は、これを公電々々と言われるけれども、先ほどから繰り返しますが、フランス側では、これが記録がないので困っているということらしいのです。その点は調べられましたか。——それは、怠慢じゃないですか、そんなことぐらい。ほかのことはいいですよ、調べたか調べないか、そして調べることが当然であるとあなたは思わないか、そういうことで、条約局長の任務が果たせると考えておられるのか。
○国務大臣(藤山愛一郎君) ただいまの、条約局長が御答弁いたしましたように、日本の在外使臣が、こういう時期に打って参ります場合には、それが謀略であるか謀略でないか、あるいはそういう点について、十分な検討をした上で、公電としては打ってくると考えております。でありますから特に今日まで、そういう点について、フランス政府に調べたことはございません。
○小林孝平君 今日まで調べたことはないというなら、今日からフランスに照会されたらどうです。そういうことは必要はないとおっしゃるならいいですよ。今日まで調べないというのですから、直ちにフランス政府に照会したらどうです。 これだけ問題になっているこの期間をきめる基礎資料なんですからね。それを、ラジオ放送で聞きましたというようなことでは、あまりこれはおかしいと思うのです。私は、すみやかにフランスに照会して、どこかの倉庫かどこかにあるんだろうと思うのですが、それを出して調べてもらいたいと思います。もっとも、私が繰り返して申しますが、なかなかこれは困難らしい、困難らしいけれども藤山さん、外務大臣から言えば、それは入手することができるかもしれない。これは、開戦の時期をきめる非常に重要な問題だから私申し上げている。委員長からも、とくと督促されるようにお願いいたします。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 今日まで調査いたしましたことはございませんし、また、今申し上げましたような事情でありますから。他の関係においても、ドゴールが四一年十二月八日を開戦日としておるという幾多の事実があるわけでありますから、特に調べる必要はないと私ども考えております。
○佐多忠隆君 ちょっと関連して。 先ほどからの議論を聞いておりますと、どういう戦闘なり戦争が、あの地において行なわれたか。従ってまた、いつ戦争状態に入ったと認定をすべきかということが非常に重要な論議の対象になっているように思います。これは、まあいろいろ議論をする上において、事実認識を正確にしなければならないと思いますので、ちょっと事実認識のために、必要な書類を要求しておきたい。 それは第一に、この間、極東国際軍事裁判の速記録の中で、インドシナ王国で行なわれた戦闘状況その他を詳細に、わかるように資料を出してもらいたいということを申しましたら、七、八枚の一部だけは出て参ったのでありますが、これで十分でありませんので、さらにもっと、この当時の戦闘、戦争状況について、詳しい陳述なり何なりが、単に判決だけでなくて、いろいろな場合に述べられておる記録があると思いますから、これを、もう少し正確に詳細に出していただきたい。特に、この速記録のほかにも、今お出しに一なった速記録の中にも書いてありますが、日本側の公式記録を引用すると云々、と書いてありますので、日本側の公式記録なるものもお出しを願いたい。私は資料要求として、参謀本部その他の戦闘あるいは戦争状況に関する公式記録があるはずだから、それを出してほしいと言ったのに、それが出ておりません。たまたまいただいたこの速記録によっても、この速記録も、日本側の公式記録を引用すればという、引用をいたしておりまして、これは、あることは明瞭であると思いますから、これを、ぜひ出してもらいたい。 それからさらに、もう少し具体的に申し上げますが、一九四〇年の九月四日、西原少将とマルタン将軍との間で結ばれました、ハノイで結ばれた日仏軍事協定成立のための基礎事項に関する取りきめ、これを出してもらいたい。 それから引き続いて九月二十四日、同じ両者の間で軍事協定に関する最終取りきめの成立ができております、これを出してもらいたい。 それから同じく一九四〇年七月二十九日ですか、仏印共同防衛に関する日仏議定書及び交換書簡、これが加藤大使とダルラン副総理との間に取りかわされておりますから、これも出していただきたい。 それから、これはあるいは出ていたかと思いますが、出ていたらけっこうだと思いますが、出ていなかったら、さらに九月二十七日に日本軍北部仏印進駐に関する日仏共同コミュニケが出ておりますが、これも一つ出してもらいたい。 それからさらに一九四〇年の十二月九日に、これは現地軍当局の間での仏印共同防衛に関する日本軍、フランス当局者間の現地軍事協定が、基礎要項と細目規定にわたって出ておるようでありますが、これも一つ出してもらいたい。 それから、これはずっと最近のものですが、特に日本側のものですから、おありだと思いますが、一九四五年二月一日に、最高戦争指導会議で、仏印処理に関する方針なるものを決定をしております。これを一つ出してもらいたい。 それから引き続いて二月二十六日には、最高戦争指導会議で、仏印政務処理方針をきめておられます。これも一つ。 それから同じ日に同じ会議で、対仏印武力処理に関する決定をなされております。これを出してもらいたい。 以上の資料を出していただきたいと思います。その資料によりまして、事実認識の上で、私はあらためて今の問題を質問をいたしたいと思います。非常に具体的に。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 今、いろいろ資料の御要求がありましたが、もし間違うといけませんから、あと佐多委員と事務当局の方で、正確に御要求の資料の名称、内容等について、お打ち合わせを願いたいと思います。こちらで書いてはおりますけれども、間違うといけませんから。 それからなお、参謀本部の書類あるいは現地軍の協定等は、現存しているものがないと思われるものもあると思いますから、そういうことでありますれば、提出できないものもあるかと思います。提出できるものに対しては、できるだけ急速に出すようにいたします。
○吉田法晴君 この戦争開始の時期、戦争が始まった時期、あるいは事実上の戦闘や、あるいは占領が始まった時期、これらは先ほど来、同僚森委員から質問の形で展開をいたしましたが、政府の答弁をもってしては、これは、何人も納得することができません。 そこでこの質疑は、戦争開始の時期については留保をして、次の機会に争いたいと思います。関連質問の中で、戦争開始の時期について、若干の質問をしたんですが、列国も認めてない時期をとる、あるいはそれまでに進駐、あるいは占領等も行なわれておるわけでありますから、戦争開始の時期については、別の機会に、ゆっくり争いたいということを申し上げて次に移ってもらいます。
○森元治郎君 ちょっとしり切れトンボになったので、残念ながら話題をちょっと転回いたします。総理大臣にこの八月二十五日、昭和十九年八月二十五日というのが、日仏間の戦争状態発生の目と決定したのはいつか。どの内閣でいつの——おそらくこれは閣議でありましょう。重大な問題でありますから、その点いつやったかをお伺いしたい。
○国務大臣(岸信介君) これは別に閣議で決定をしたわけではございません。
○森元治郎君 一国と一国の関係に属する大問題であり、大きな賠償を払う問題が、実質的に関連する問題を一体どこでやられたのか。これは当然きまってなければならぬはずであります。そういうことには、よその国との関係においても、権利、義務の問題について、開戦日はいつにするというようなことがあるものであります。当然これは、ことにベトナムに臨むにあたってはやっているはずであります。ベトナムの交渉は一九五三年からやっておりますから、どういう経緯でそれでは八月二十五日ときめられたのか、思いつきで岸さんがきめられたのか。
○国務大臣(岸信介君) 一国と一国との間の戦争状態がいつから始まるかというような問題は、これは重大な問題であることは、森委員のお話しの通りであります、ただこの日仏周の問題は、あとから、ある起こっておるところの状態を、いつから以後、ことに賠償の問題に関連して、いつからこれを戦争状態と見るか、他の場合のような宣戦布告とか、あるいは国の状況がはっきりしている場合におきましては、これは非常に明確でありますが、この仏印の状況は、御承知の通りいろいろなその間の変化がありまして、いろいろな見方ができるわけでございますが、私どもはベトナムの交渉にあたりましては、今申し上げたように一九四四年八月二十五日に戦争状態ができたものとして考えることが最も妥当であるという解釈のもとに、ベトナムとの間の賠償交渉を進めてきた。これが私どもの態度であり、従って他の場合、これから生ずるところの将来における法律関係や何はどうするか。戦争状態をいつからと見るかというようなことであれば、非常に明確にしなければならぬのですが、この問題は、今申しましたような関係において、われわれはずっとあと続いておるところの状態を、いつから戦争状態として見て、そして賠償の対象に考えることが妥当であるかという点を考慮してそういう解釈をとっておる。これが日本側の政府の態度であります。私が思いつきで云々というようなことではございません。
○森元治郎君 しからば、そういう解釈はどなたが集まっておきめになったのか。総理大臣と藤山外務大臣で御相談して、そこで法制局長官が加わってやられたのか。大体八月二十五日というこの日が国会に出たのは、去年の二月ごろの衆議院の予算委員会あたりで、法制局長官の日から出たのが最初ではなかったかというふうに考えるのですが、そのころすでに政府間ではベトナムから突っつかれて、十二月八日説ではとてもじゃないが大へんなので、もっとおくらしてというようなことでしょう。当然御相談する。その解釈をいつされたか、確定解釈を。実質的にその品が適当でございます。判断をしている。これは外務大臣の発言集をここに書いてみたのですが、事実的にその品が宣戦布告が有効になったと見るのがけっこうと考えます。また、事実問題から見てその日が一番適当であろうと考えます。それから日本とその日が当然戦争状態にあると判断される。こういうふうに事実上、実質的ということを並べて、そして苦しい答弁をされて、八月二十五日ということになったのですから、当然いつの日か解釈について政府部内で御相談があったはずだ、その日はいつか。その間に閣内においてだれかは十二月八日が適当であろうという人もあっただろう。あるいは三月九日でいけという人もあっただろう。その間の日取りと、そういう会合の経過を承りたいというのが趣旨であります。
○国務大臣(藤山愛一郎君) この問題は賠償の過程におきまして、今まで御説明申し上げましたように、向こう側の主張もございます。従ってわれわれとしても、開戦日を決定しなければならぬわけであります。戦争状態に入りました日を決定しなければならぬわけであります。従ってそれらの問題については、先ほど来御指摘のように、いろいろな時期が考えられます。でありますから、事務当局が相当検討をいたし、かつまた、学者等の意見も聞きました上で八月二十五日が適当であるという結論に達して、それをわれわれの見解としてとってきた。こういうことでございまして、だれが決定したと申し上げますれば、研究の結果そういう結論に到達したということでございます。
○森元治郎君 それはいつごろでありますかを伺っておるのです。
○国務大臣(藤山愛一郎君) 今回の賠償交渉の始まるときからでございますから、いろいろとり方はあったかと思いますが、その過程においてきまってきたわけであります。
○森元治郎君 事務当局がそういう日が適当であろうかというので検討をして、ああそうか、こうなったというのでは、いやしくも、どうも内閣というものはあやふやなものではないか、かように思うのです。交渉の始まるときとおっしゃいましたが、この交渉は、例の休戦協定の一九五三年が交渉開始日でありますが、そのころからあったということですか。ただいまのお話では、五三年からもう八月二十五日だというふうにおきめになっていたというふうに、ただいまの御答弁を承ったのですが。
○国務大臣(藤山愛一郎君) むろんはっきりした、いつということを私今記憶もいたしておりませんし、申し上げるのはあれだと思いますが、交渉の過程におきまして、今申し上げましたような経緯によってこれが適当であるという結論に達したわけであります。むろん外務大臣として仕事をいたします場合に、事務当局が結論をある程度検討して出しませんければ、外務大臣自身がそういうことを一々調査研究してやるわけに参らぬのでございまして、そういう意味において事務当局が検討し、いろいろな議論を比較して、これが適当であろうという見解に達したものですから、その上に立って処理して参るということだと御了承願いたいと思います。
○森元治郎君 御了承して上げたいのですけどれも、それはちょっと通らないのじゃないですか。その過程においてもやもやと出てきた。星雲から地球が出てきたような話じゃだめです。交渉の相手があってやっているのですから、それは何年何月に事務当局が検討したものを外務大臣から総理大臣に報告し、閣議に報告し、そうしてその日がよかろうと決定があったくらいのことは言えないのですか、言っては悪いのですか。われわれが、お前らはいつから戦争が始まったかと聞かれても、何となく八月二十五日らしいというのでは、これはとても選挙区に帰っても落選してしまいますよ。はっきりこれは返答できないのですか。
○国務大臣(藤山愛一郎君) これは要するに交渉をいたしますときのこちらの腹がまえと申しますか、こちらの考え方をきめて参る問題でございまして、この交渉に関する限りにおいてわれわれはそういう態度をとった、こういうことでございます。
○森元治郎君 それではちょっと問題を先へ進めましょう。それでは交渉の過程とおっしゃるのですが、交渉は五三年から始まってから、植村さんが二回、藤山さんが一回、岸総理大臣が一回、どの交渉あたりから向こうにそれを言ったのか。向こうは十二月八日をしょっぱなから主張したと思うのですが、この二点を伺います、
○国務大臣(藤山愛一郎君) 向こうは御承知のように十六年十二月八日ということを主張するわけであります。われわれはそれを承認しておらぬのでございまして、今申し上げたようにわれわれとしては、そういう考え方でこの問題を処理しようということを向こうに対してそれを申し、あるいはそれが一致しないからこの賠償の話ができないという状態ではなかったのでございます。
○森元治郎君 どうもこれは重大問題だと思うのですが、総理大臣は先ほど重大な問題だとおっしゃったけれども、重大な問題に関する政府の御答弁としては、きわめて軽く扱っているように思うのですが、いつ決定されたかということはどうしても言えないのですか、重ねて一つしつこいようですがお伺いいたします。
○国務大臣(藤山愛一郎君) ただいま申し上げましたように、われわれ交渉過程におきまして、向こう側の主張は向こう側の主張として、われわれとしては、こういう心がまえ、またこういう解釈、それでこの問題に当たっていくということであったわけであります。特に文書として残った問題ではございません。
○吉田法晴君 政府の方から答弁ができないで、顔を見合わせてここで相談するようなことでは、これは審議は進められませんから、閣議を開いて検討をして、統一した答弁でもって出てこられなければこれから先進められません。
○国務大臣(岸信介君) 別段この問題に関して政府側の答弁が違っておるわけではございません。先ほど来申し上げておる通りでございますので、別段、この問題について意見の不統一があって、統一解釈をしなければならぬというような問題でございません。従ってそういう必要はないと思います。
○木村禧八郎君 いつごろ政府が八月二十五日というふうに意見を統一されたか、これはあとの質問とも関連しまして非常に重大な問題なのです、その時期が。ですから、これは今すぐじゃなくても記録をお調べになればわかるはずだと思うのです。ですからお調べになっていつからということをちょっと御報告願いたい。これはあととのいろいろな問題との関連で非常に重要だと思います。そこでお調べになってから一つ御答弁願いたい。
○国務大臣(岸信介君) これは先ほど来お答え申し上げているように、日仏の関係、仏印と日本との関係というものがずっと状態があって、どこからを戦争状態と見るべきかという解釈の問題でございまして、いつ宣戦するかとか何とかという問題とはこれはおのずから違うと思います。従ってそれも主として賠償問題を交渉するに当たって、フランス側及びベトナム側におきましては、十六年の十二月八日ということを主張しておるのでありますが、そういう基礎にしますというと、あるいは二十億ドルとかいろいろな向こうの主張している、非常な多額な賠償額の根拠として、そういうことをなにしておりますけれども、私どもが交渉の最初からそういう多額の賠償をすることは、日本のなにも許しておりませんし、またフランスと日本との関係も、他の国々のように、十二月八日に日本が宣戦して、そうして日本から軍隊を送って戦争状態になったというところとは違っておる。平和進駐の時代からずっとつながっておるものでありますから、従ってわれわれの賠償に当たる心がまえとして、一九四四年八月二十五日と戦争状態の開始を見ることが妥当である、というわれわれは解釈をしてこの問題に取り組んできておる、ということを御説明申し上げておるわけでございます。従って文書等において何月何日にさように閣議においてきめた、というような性質のものではないのでありまして、このことを御了承いただくならば、先ほど来政府当局からお答えしておること、また私どもからお答えしておることは、別に不統一があるということではございませんので、御了承いただけるかと思います。
○木村禧八郎君 閣議決定ということを聞いておるのじゃありませんし、意見の不統一を聞いておるわけではないのです。いつごろ統一をしまして八月二十五日になりまして、そうして当たったかと、これは非常に重要な問題があるわけです。今、岸総理も言われましたように、仏印との関係、平和進駐からずっと続いておるわけですから、そこで八月二十五日ということに、政府が大体それをきめて、その交渉が、きめた時期というものが非常に重要な問題が出てくるわけなんです。そこでこれはお調べになればすぐわかるわけです。これはもう大体外務省の省議あたりでも検討されたと思う。向こうとこちらとこんなに開いているのですから、そこで賠償をきめるにあたりまして、賠償だけじゃないと思うのです、いろいろな問題とも関連してくるのであります。そこでいつごろからそういう意思統一されたか、これはあるいは省議でもけっこう、いつごろの省議できめた、そのことがわからないはずがないと思うのですがね。それが御答弁できないということは、閣議決定というものを云々いっているのじゃありません。意見の不統一を何も私たちは追及しているわけじゃないのです。その時期を、じゃあもういつということをはっきりじゃなくても、いつごろでも、大体わかればけっこうですよ、その時期を。
○吉田法晴君 きわめて重大な問題だと総理が答弁をして、その重大な問題について、いつ意思が統一したか言えぬようなことで大事な問題が審議されますか。とにかくそういう態度で審議に臨まれるならば、われわれ審議に応じられませんよ。(「議事進行」と呼ぶ者あり)
○政府委員(高橋通敏君) ただいま、いつごろからこういう検討をしているかというお話でございますが、これはフランスとの関係で特別円の問題もございますし、仏印との関係では沈船の問題もございますし、さらに引き続いて賠償の問題がございますから、事務当局としましては、これはもう当初からわれわれの交渉の腹がまえとしては、いつを妥当とすべきであるかということは、これは検討しなければなりませんし、随時検討してきたわけでございます。確定の日付をあげろとおっしゃいますが、それはたとえば一九五二年でございますか、昭和二十七年あたりからそういうふうな結論を出しております。それから一九五六年末ごろの結論も同じような結論、一貫したそういう結論をとっております。さらに当時特別円をかえるときの、横田教授でございますか、学者の意見を徴したときもそのような同じ結論に到達した次第でございます。
○森元治郎君 今政府委員の条約局長が御答弁しなければならないようなのはおかしいので、やはり総理大臣、外務大臣は当然そのくらいのことは知っているはずであって、なぜ総理大臣、外務大臣が事務当局に説明さしたのか、これが第一点。 第二点は、私はこれから触れようと思ったけれども、そういう政府のふやふやした考えではやれないから、私の言い放しでも言いたいのだが、この八月二十五日という日どりは、いかにして安く上げようかということが一点、それからフランスとの特別円の支払いの関係上この日が適当であろうと、これよりおくらせたのではフランス関係がまずいというので、フランスとなあなあをやったのじゃないかということ、こういう点がはっきりわかるのです。この二点について、一つ総理からお答えを願いたい。
○国務大臣(岸信介君) 先ほど来私がお答えを申し上げておるように、日にちはいつだということをさっきから御質問(「何月何日じゃありませんよ」と呼ぶ者あり)……その点は事務当局より今お答えした通り、私たちは初めからこの交渉に当たる腹がまえとしては、四十四年八月二十五日としてずっと一貫してきておると、こう考えております。それを事実的には今およそのことを条約局長からお答えを申し上げた通りであります。 第二のいわゆる何か特別円のフランスとの間のなにをきめるために、フランスとの間になあなあでこれをきめたのじゃないかというお話でございますが、そういうことは一切ございません。
○森元治郎君 なあなあではないというかもしれぬが、フランスじゃ昭和十六年の十二月八日というのは、きょうの現在でも依然主張している。しかるに敗戦国の側の方で、解釈されます、適当であります、ことに条約局長は観念する、八月二十五日と観念するという表現を使っている、これは非常におもしろいので、私は辞書を引いてみたら、観念するというのは、通常であきらめるという意味が書いてあります。それからその次に心を澄ましてじっと考えて——紙がなくなったのですが、その観念するというのはまことにいい言葉で、この辺でいこう、何とかしてその十二月八日でなくて、あとに下がろう、これはフランスの方で特別円その他を取りたいためということに応じようとすること、それほど自由に開戦日が解釈で動いてしかもフランスが文句言わないで、ベトナムも藤山さんが言われるように、交換公文でさせるくらいのことなら、三月九日でやるのが当然じゃないか、明敏な岸総理大臣、そつがないのですから、その辺は何とでも、フランスでもベトナムでも言いくるめられると思う、どうですか。
○政府委員(高橋通敏君) ちょっと補足さしていただきますが……(「総理に質問している」と呼ぶ者あり)
○国務大臣(岸信介君) この賠償協定を結ぶにあたって、いろいろな損害の発生の時期であるとか、あるいは損害の額を算定するという問題において、戦争状態がいつからきまったかということを考えていかなきゃならぬと思います。フランス側及びベトナム側においては、先ほど来申し上げておる通り、十二月八日から始まっておる、こういうなにであった。従って、私どもはこの状態をどういうふうに、ずっとさっきから言っておるように、続いている状態を、どこから戦争状態と見ることが国際法上から見ても、また客観的に見ても妥当性があるか、これはわれわれから言えば、あるいは全然戦争状態がなかったのだということで、一文も賠償のあれはないというようなことを主張するとか、あるいはただ少ないことを主張するだけにおいては、非常にあとに持ってくることが適当であるというような議論になるでしょうけれども、やはり国際慣行その他の情勢を広く考えて、そうして妥当な解釈としての時日を大体とって、標準として、それ以後の損害についても考えていくということが、国際社会の一員としては、私は妥当だと思うので、ただ日本の都合が、少なくすればいいから、少なくするためにこれをなにするのだという一方的な考え方ですべきものではなしに、やはりそういう見地に立って考えるというと、先ほど来われわれがお答え申し上げているように、四四年八月二十五日というものが妥当である、こういう解釈に立っているわけでございます。
○木村禧八郎君 先ほどお伺いしたのですが、まだお答えがないのですが、いつごろから統一されたかということですね。今すぐではなくてもいいのですから、これを明確に記録をおたどりになって、八月二十五日というふうにきめられている、これを御答弁願います。これは何回も総理大臣言われましたように、ずっと関連があるのです。いろいろな問題に関連があるのですから、いつごろからきめられたということは、これは非常にいろいろ関連が出てきます。どうしてもその点をあとでお調べになって——おわかりになるはずです、じきに。——大体いつごろからそういう意見を統一して交渉に当たったということだけは伺いたい、あとでもいいのです。
○政府委員(高橋通敏君) 先ほどその点につきましてはお答え申し上げた通りでございます。この問題が起こりましてから、われわれといたしましては、われわれの腹がまえとして、われわれの立場、法律的立場はきめなければなりませんものでございますから、直ちにわれわれは検討いたしまして、そのような立場をとった、こういうわけでございます。
○小林孝平君 腹がまえとか何とかではないのです。政府として正式に何月何日を開戦の日ときめたということを聞いているのです。それでさっきから不統一とはいってないけれども、不明確に統一しているのです。だから、これを明確にして統一してもらいたい。それで、今お聞きしても困難だから、本日はこの程度にして散会して月曜に一つ……。火曜にでもお願いします。
○森元治郎君 一言。この問題は、政府の方もちゃんと腹がまえはできているのだろうが、非常に表現があやふやで、きょうはただ事実の認定だけを伺ったので、論議をすることは次の機会に譲りますが、これから重大な質疑を展開することだけを申し上げておきます。
○委員長(草葉隆圓君) 本日は大体予定の時間に近くなりましたので、この程度で散会いたします。 午後四時四十六分散会