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32回国会衆議院1959/08/10

内閣委員会 第3号

発言数
5
登壇者
3
会派数
1
開催日
1959/08/10

会議録

福田一自由民主党

○福田委員長 それでは、これより会議を開きます。  本日は栄典制度に関する件について参考人より意見を聴取することといたします。本日御出席されております参考人の方は澤田廉三君及び鵜飼信成君であります。  この際参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。本日は御多忙中のところ本委員会のために御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。委員会を代表いたしまして厚くお礼申し上げます。何とぞ本件につきましてそれぞれの立場から忌憚のない御意見をお述べ下さればまことに幸いと存じます。  それではこれより御意見を承わることといたしますが、御発言の順序は澤田廉三君、鵜飼信成君とし、委員より参考人に対する質疑は御意見を承わった後に行うことといたします。  それではまず澤田廉三君にお願いをいたします。

澤田廉三外務省顧問

○澤田参考人 本日栄典制度につきまして、参考人としての意見を述べろという御委嘱であったのでありますが、私は特に栄典制度に詳しいものではありません。ただ比較的長く外国におりました関係上、そういう方面からの栄典についての私の考えを聞いていただくことも、一つの御参考になりはしないかというだけでありまして、決して私が栄典の専門家であるとして伺ったわけではございませんから、その点をお断わり申し上げておきます。  参考としていただきました栄典制度に関する今までの論議を尽された点、あるいは法案として出されようとしておりますその筋書等を一べついたしまして、私はただいま申しましたように外国を歩いておったものとして、今日まで論議されたところにどうも欠けていはしないかと思うところが一つあるのであります。あるいはその意味はあっても十分に徹底していないところがあるように思うのであります。それはこの栄典、あるいは端的にいえば勲章の国際的評価という点が欠けているのではないかという感じがありまして、国内的の栄典制度、それを象徴する勲章というものについて、あるいは時代が改まったからして今までの勲章を廃して、これにかわるに新しいものをもってするとか、古いものにはおもしろくない思惑がまつわっておるので、この際すべてこれをやめてしまえというような議論等もありまして、私が申します国際的な感覚、国際的な価値、評価という点がそこに忘れられていはしないか、こう思うのであります。私の国際的評価と申しますのは、勲章そのものに世界各国とも親しみを覚えて、そうして人口に膾炙される。あるいは国家的な伝統を伴うて、そこに一種の権威といえば言い過ぎかもしれませんが、一種のあこがれを伴うておる。これが私の言う国際的評価という意味でありまして、そこから国際的価値、評価というものが私は出てきておると思うのであります。そうして今日日本が国連にも加入いたしまして、日本の国際的地位というものが日に日に高く認められつつある今日において、そうして各国との交通がますます盛んになるにつれまして、やはり勲章というものについての国際的価値、評価というものを十分に私たちも考えて、その効果をおさめるようなふうに考えるべきではないか、こういう感じがするのであります。  さて実際の問題として、それではそれをどういうふうにしたらいいのかということになりますと、私はフランスの勲章の制度を申し上げてみたい。御承知のレジョン・ドヌールというものは、世界的に非常に親しみを感じられております。そうしてまたナポレオン勲章とすら称せられてあこがれを感じられておる、あるいは一種の権威すら感じられておる。私はフランスにおりましてレジョン・ドヌールの最下級の勲章をもらっておりましたときに、御承知のようにシュバリエというのは洋服のボタンに薄い赤いリボンをくっつける。そうして歩くと税関で荷物を検査されるとき、やかましいことを言われないで簡単に通してくれる。あるいは非常線が張られておって、普通の人がとめられておるときに、やはりこうやって見せると通してくれる。これはよろしくない方の特権の乱用かもしれませんが、それだけにレジョン・ドヌールというものが、私のいう親しみとあこがれというものをだれでも持っておるということを申し上げたいのであります。それはフランス国内のみならず、この赤リボンをつけますと、最下級の勲章でありながら、周囲のイタリアに行っても、スペインに行っても、丁寧に取り扱ってくれる。これは何かといいますと、とにかくレジョン・ドヌールというものは古いのです。一八〇二年ナポレオンのまだ執政時代の法律で、ロア・コンシュレールというもので、彼が天皇制をしかない前に作った勲章であります。その後彼はエンペラーとなり、帝政をしきその後ルイ・フィリップが出て、共和制の次に王政となった。その次にまた革命があって共和制となり、大ナポレオン三世が出て、第二の帝政がしかれる。そういうふうに非常に政治上の変革があって、帝政時代、王政時代の残滓はすべてこれを一掃してしまえという意見があるにかかわらず、勲章だけはずっと今日まで続いておる。百五十何年続いておるわけであります。それは古さと、そうしてナポレオンが作ったという伝説的なところが、この勲章に一つのゆかしきかおりと潤いをつけておる。これが私は国際的に大切なことではないかと思うのであります。  そこで日本のまだ今日行われております旭日章と瑞宝章——その上の菊花章とか桐花章とかは、特別な人に贈与するものでありますから別としても、一般人、外国人にも叙勲する対象となる旭日章と瑞宝章、この二つについて今の観点から申し上げたいと思うことは、瑞宝章さえもできてから七十年、旭日章はその十年前の制定ですから、これは八十年であります。ともかくも七十年、八十年という歴史を持っております。これが非常にとうといところで、これをあらためて新しい序列のものをここへ作っても、それが私のいわゆるゆかしきかおりと潤いとを伴うてくるまでには、また非常な年月を経なければならぬ。それにはここに今七、八十年の歴史を持っておるこの二つの勲章を廃止してしまうということは、私は非常に惜しいことのように思うのであります。しこうしてこの旭日章は日本の国の、日の上る国の象徴であるという、まあ伝説的な考え、それから瑞宝章の方は日本の三種の神器をかたどる鏡と剣と曲玉、それをうまくあんばいして、そうして意匠そのものが非常なやわらかみを持って、外国人が非常に親しみを感じているわけです。日本の序列から申しますると、瑞宝章は旭日章より一つ下っております。それにもかかわらず外国人は瑞宝章をもらって非常に喜ぶ。それは今の鏡と剣と玉とのデザインが、何かしらぬ一つのやわらかみを持っておるというので、そっちをもらいたがるというようなこともありまして、外国人もすでに一つの親しみと、日本の歴史の神話的な伝説を伴う三種の神器なんというものにかたどられたところに、一つのあこがれを私は持ってきてくれておるように思うのであります。この点からいいまして、ここにこれをすっかりやめてしまって、新しい桜なら桜とかいうようなものにしてしまうということが、その古い値打を放擲することが私はまことに惜しいように思うのであります。  そこで、それでは古いけれども、その一つを存立せしめるとして、あまりに繁雑ではないか、もう一本でいいではないか、旭日章なら旭日章一つでいいではないか、こういう議論になってきますと、これは外人に授与しますときに、叙勲しますときの手続の上に非常に簡単になってくる、やさしくなってくるのです。序列があって、それが五等とか六等に分たれておりますと、つまり十二か十三の階級ができてくるわけであります。小刻みになりますからして、人に与えるときに、これが非常に操作がしやすくなる。これは内閣の賞勲部でも十分経験上御承知のことと思いまするけれども、たとえばこのごろよく外国の総理並びに外務大臣その他の国務大臣が随行してくることがあります。国賓としてくることがあります。ところがこれに対して旭日章一本しかないと、総理には旭日一等を与える。まさかほかの大臣に同じ旭日章を与えたのでは、総理に対して礼を失する。といって二等ということになると、ほかの随行してきた外務大臣その他の国務大臣が不満なんです。一等と三等と差をつけられる。そこで序列は違うけれども、同じ瑞宝の一等、一つ下っておるけれどもとにかく一等なんだ。総理は総理大臣として旭日の一等、外務大臣は瑞宝ではあるけれどもやはり一等、こういうことになりますと、そこに二人ともに満足してもらえるというような便宜がありまして、これを授与する方の操作の上からいいますと、二つあるということが非常に便宜なことになるわけでありまして、フランスのレジョン・ドヌールも、あれは名前は五等とか三等とかいいませんで、名前をつけておりますが、五等になっております。ところがそれだけでは今の操作が非常に困難であるがために、フランスでは植民地の勲章をこの中に織り込んでおるのであります。それから外務省、大使館あたりの下の方の外交官補なんという人には、レジョン・ドヌールの勲章をやられぬというので、その次のアンストリュクション・ピュブリーグというような記章のようなものを設けて、それでさばいていくというふうでありまして、勲章は五等だけれども、これを授与するときにはこれを七階級、八階級に使えるような組織、機構にしてやっておるのであります。  そこで私は、旭日と瑞宝というものは二つ建にして、それが六等ならば十二の階級ができるわけでありますから、外国人にこれを授与するときに操作の上に非常に便宜があるという意味において、やはりこの二つは存置していっていいのではないか。そして今申しましたように、その二つとも日本の勲章というものに対する親しみとあこがれを外国人は感じてきておるということを、むざむざ捨てたくないものだという感じを持っております。従いまして参考としていただきましたこの第三十一国会に提出せられました法案の政府案、自民党社会党二党の共同案とあります中で、私は、その勲章の部について、政府案の原案を通していただきたいものだということを、私の外国に生活いたしておりました経験から申しまして、申し上げておきたいとこう思うのであります。

福田一自由民主党

○福田委員長 それでは続いて鵜飼信成君にお願いいたします。鵜飼参考人。

鵜飼信成東京大学教授

○鵜飼参考人 栄典を与えますと、栄典を与えられた結果、その栄典を持っておるということによって人間の間にある種の差別が生まれて参ります。そのことは民主主義の原則からいって、ある意味で望ましくないような事態を生ずると思います。しかしまた考えようによりますと、人がある仕事をし遂げたという場合に、その仕事に対して正当な評価をするということも、これも否定することのできないことでありますので、そこで日本国憲法は、私の見るところによりますと、栄典の制度を全然否定してはいないけれども、しかしそれが人の間に差別を生ずることがないように若干の重要な制限を設けておる、そういうふうに思います。すなわち貴族というふうな制度は認めない。また栄誉、勲章については、それが何らの特権を伴わないということを定めております。そして特に栄誉というものはその人の一代限りであって、その人の子供が当然にその栄誉を享有することはない、こういうふうな重要な制限のもとに栄典を認めておると思うのです。  そこで栄典を与える基準というものは、こういう制度のもとでは、身分的な関係から生まれてくるものではなくして、その特定の個人のなし遂げた功績によるものだ。英語で申しますと、アチーブメントによってのみ栄典は与えらるべきであって、アスクリプションとして与えらるべきではない、そういうふうに考えられるわけであります。そこで現在残っております勲章の中で、アチーブメントを最も何人も疑い得ないような形ではっきり示しておるのは文化勲章でありまして、文化勲章は科学、文化に何人も認めるような非常にはっきりした功績があった、こういう理由で与えられるものでありまして、これに対してはほとんど反対の意見はないだろうと思います。同じような意味で戦争において功績を上げたということについても、戦功についても勲章を与えることは、このアチーブメントという見地からいえば当然でありまして、そのこと自体に対しては、多くの民主主義的な諸国、特にアメリカなどにおいても非常に重要な民主主義の一つの原則として認めているわけであります。しかし日本憲法においては、戦争というものを放棄いたしましたので、日本では戦功によって勲章を与えるという考え方は、かりにアチーブメントの考え方をとるにしても認められないわけでありますし、さらにまた金鵄勲章の制度は現在廃止されておりますが、金鵄勲章に伴うもう一つの問題は、単に戦功によるのではなくして、勲章を与えられる者の階級によって金鵄勲章の等級が違っていた、そういう意味で一種の身分的なものが入っていたということが言えるわけでありますから、そういう意味からこの制度が廃止されたことは、むしろ当然だったということができます。  栄典の中では位階というものが一つの問題になりますが、いただきました法案を見ますと、位階についてはこれを廃止するという考え方が出ているようであります。位階についてこれを廃止するというのは、それが多く身分的な形で用いられるというところから来ているのだろうと思います。つまりアスクリプションという基準から与えるものは認めない。しかし勲章の中にもそういう意味でアスクリプションに基くものがないではないのでありまして、ことに官吏が与えられました勲章は、年功によってのみ自動的に与えられるというふうなものが、戦前においては大へんに多かったわけであります。  そこで私の結論としては、今日の憲法の要求している栄典制度は認めるけれども、その基本原則は、一にかかってその本人がどれだけの功績を上げたか、どれだけのアチーブメントを示したかということによって与えるということにならなければならないわけであります。しかし功績を判断するということは必ずしも簡単なことではありませんので、この功績を判断する具体的な制度というものについては、かなり考えなければならない問題があります。特にこの法案にもあがっておりますように、その功績を判断する、栄典を与うべきかどうかを判断する機関として、総理大臣の諮問機関として栄典審議会というものがありますが、こういうふうなものの構成については十分考えませんと、これが功績によって授与するという栄典にならないで、ほかの水準から授与されるということになるおそれもないではないと思います。  大体これが一般論でありまして、この一般論に基いてここにいただいておりますプリントにある、考えられた法案というものの内容点についての私の意見を申し上げたいと思います。私は政府案として示されている栄典法案の根本の考え方には、いろいろ疑問を持っております。その疑問は、主として多数の勲章があり、一つの勲章の中にも勲等がありますけれども、その多数の勲章それ自身が、やはり一種の上下の差を持っているというところにあるのであります。果してそういうふうに断定していいかどうか若干疑問でありますけれども、少くともたとえば菊花勲章と瑞宝勲章とを比較いたしますと、菊花勲章の方が上級の勲章であるというふうになることだろうと思います。これは政府案を批評しました別の案も示されているようでありますが、その中でもやはりこの勲章相互間の上下関係というふうなものはおのずから考えられているように見えます。そしてその勲章の間に上下関係があって、しかもそのうちの一つである、たとえば桐花勲章というふうなものの中にさらに階級を設けまして、重光章、双光章、単光章というふうな段階を定めますと、結局勲章の数は、文化勲章を除きまして三つになるという考え方をとりましても、その三つのものの中に、さらにそのうちの一つには三段階があるために、全体として五階級、こういうような基本の考え方がありまして、あまりに等級があり過ぎるのではないか。これは功績を判断するということは大へんむずかしいことでありまして、十分に検討すれば、あるいは功績の中にはより重要な功績とそうでない功績とがないことはないと思いますけれども、しかし人間のいたしますことでありますから、勲章を受けるに値するかどうかという判断はできますけれども、その功績の中にどういう等級があるかということになりますと、ほとんどその判断ができなくて、結果的には、勲章を受ける人の身分によって等級を差別するほかには方法がないということになります。そういたしますと、これはアチーブメントによって勲章を与えるという基本の原則に反するのではないか。そういう意味から、栄典はなるべく簡単にして等級のないものにする。もしも勲章の種類を設けるならば、勲章を受けるに値する功績の種類によって分ける。たとえば学術、文化に功労のある者は文化勲章を受けるが、そのほかの功績に対してはある特定の勲章が授けられる。そういうふうになることの方がこの本来の原則に適合するのではないかと考えます。  また伝えられております勲章の種類が、戦前の勲章の種類と全く同じでありまして、菊、桐、桜、旭日というふうなものが考えられているようでありますが、私は新しい憲法のもとにおける新しい栄典制度を作る場合には、全く新しい観念から出発するのがいいことではないかと思います。従って戦前の、日本の功績の種類を示している勲章である菊や桜や旭日はやめまして、全く新しい図案を用いて、新しい種類の勲章を作るのがいいのではないかと思います。全く新しい図案というものをどういうふうにして考えたらいいか、いろいろ問題はあると思いますが、もし必要ならば、図案を公募してもいいと思いますし、ほんの私の思いつきでありますが、日本に特有な高山植物を材料にするとか、あるいは考え方によりますと、全く抽象的な図案でもいいのではないか。いずれにしても旧来の制度を思い出させるような図案は、ここで廃止した方がいいのではないかというふうに考えております。  次に新しい栄典制度ができました場合に、従来の勲章がどうなるかという問題でありますが、従来の勲章はこれを有効にするという考え方には私は賛成できませんで、古い制度を廃止した上で、あらためて全く新しい制度を行う方が、新しい制度の趣旨が十分に生きてくるのではないかと思います。ことに先ほど申しましたように、単に年功によって得た勲章というふうなものが現にございますので、そういうふうなものをそのままの形で復活するということは、新しい制度をせっかく設ける趣旨に反するのではないか。また金鵄勲章は廃止されておりますが、そのほかの勲章の中には、軍事的な功績による勲章もあるわけでありますから、そういうふうなものを一応ここでやめまして、真に新しい趣旨にのっとった栄典を行う、こういうふうに考えるのがいいかと思います。  それから外国人に勲章を外交的儀礼として授与する必要があるということは、先ほど澤田先生からもお話がありましたが、これは私は国際的な儀礼としてかなり大切なことだと思います。これをどういうふうに処理するかということについては、実は十分な具体的な意見を持っておりませんが、これは必要ならば外国人との関係だけを規律する、あるいは外国人だけに授与される勲章を考えてもいいのではないかと思います。ほかの国でどういうふうにしているか、実は私もよく存じませんけれども、拝見しました資料の中に示されているところによれば、たとえばアメリカのような国では、戦功による勲章以外にはほとんど何もない。従って文官は勲章をもらう機会がほとんどない。ただ例外として外国人に授与する勲章があるようであります。しかしこの外国人に授与する勲章というのも、果してそういう外交的な意味で使われているのかどうか、私はよく存じません。おそらくはそうではないのではないかと思いますが、アメリカのような国であれば、あるいは外交的関係で外国人に授与する勲章はなくてもいいかもしれませんが、日本ではそうではない。ないと外交上非常に困るという考え方もあるいはあるかもしれませんので、もしもそういう必要があれば、外国人に対する勲章を別に考えるという方がいいのではないかと思います。なぜかと申しますと、もしそうしないと、どうしても功績によって勲章を授与するのではなくして、単に身分的な差異によって勲章を授与するということになってくるおそれがありますので、この点は具体的な問題を考える場合に慎重に考えた方がいいかと思います。  そして最後に一番大切なことは、先ほど申しましたように、この新しい栄典制度を運用して参ります機関の問題であります。この法案に示されておるような栄典審議会というふうなものが設けられることは、ぜひ必要だと思いますけれども、一番大事な問題はその構成でありまして、栄典審議会の構成いかんによっては、どういう制度を作っても、旧憲法下の栄典のように運用されるおそれがないでもないと思います。これに対してそれほど具体的な提案を私は持っておるわけではありませんが、少くとも栄典に関する感覚が、旧制度のもとで栄典というものを受けたかどうかということによっても多少異なると思います。私自身は旧制度のもとで官吏としての一番下の勲章をちょうだいいたしましたが、もし栄典制度審議会を設けるとすれば、旧制度のもとで相当高い勲章を得た方、それからあまり高くない勲章を得た人のほかに、なお全然旧制度のもとにおける勲章を得たことのない人を入れることによって、栄典審議会というものが、真に新しい感覚で新しい栄典制度を運用していくことができるようになるのではないか、そういうふうに考えます。ただ具体的な問題として、それをどういうような形で規定するか、多少問題はあると思いますが、委員が相当多数——法案では十五人となっておりますが、相当多数で構成せられるように考えられている以上、そういう種類の人を委員の中に入れる余裕は十分あると思いますので、この構成については法案の中に明記されるようにされてはどうかというふうに考えております。  大体以上が私の意見でありますが、私の考えているところを結論的に申し上げますと大体三つになるのでありまして、第一点は、栄典というものを認めることは現在の憲法でも考えているけれども、それはもっぱら功績により認めるべきである、アチーブメントに基いて授与すべきである。アチーブメントの場合には、そのアチーブメントの種類を分けることができますけれども、その程度を分けることは大へんにむずかしいので、従って勲章には等級をつけない方がいいではないか。すなわちアチーブメントの種類によって勲章を設けまして、各勲章を単一の等級とするということが第一点であります。第二点は、過去の栄典制度からは完全に絶縁する方がいいではないか。新しい日本の栄典というものが、日本国民の心の中で十分に信頼を得るような、栄典たるに値するような、そういう国民の意向を十分考慮に入れた新しい制度を発足させまして、これに伴って旧制度からは完全に絶縁するのがいいではないかと思います。これが第二点であります。第三点は、一番大事な点は、栄典審議会というこの制度を運用する機関の構成の問題でありまして、この構成の中に全く新しい感覚を持った新鮮な人材が入ることができるように、あるいは入れなければならないように、国会で法案を御審議になる場合にその点を明記しておかれるように希望したいと思います。  これが私の意見であります。

福田一自由民主党

○福田委員長 これにて両参考人の御意見の開陳が終りました。  御質疑はありませんか。ございましたら順次御発言を願います。——御質疑がなければ、本日の議事はこの程度といたします。  参考人各位には種々有益なる御意見を開陳いただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。  次会は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。     午前十一時八分散会

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