文教委員会公聴会 第1号
- 発言数
- 180 件
- 登壇者
- 17 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1959/03/03
会議録
○委員長(相馬助治君) これより文教委員会公聴会を開会いたします。 この際、私より公述に入る前に一言公述人の皆様方にごあいさつを申し上げたいと存じます。公述人の方々には非常にお忙しいところ、本委員会のために御出席していただきましてまことに御苦労さまでございます。厚くお礼を申し上げます。 本日議題に供しておりまするのは社会教育法等の一部を改正する法律案でございまして、この法律が社会教育の振興、充実をはかる上に、今回の改正がかなり重大な諸問題を含んでおりまして、今日まで大いに世論を喚起しているように見えております。本法案が先国会に提案されて以来、しばしば新聞雑誌等を初め、種々の団体の会合等を通じて、本法案に対する批判、賛成、反対の意見が重ねられて参ったのでございますが、本委員会は本法案の重大性にかんがみまして、今般この公聴会を持つことになりました。この公聴会には三十人余りの方が公述人として希望をされたのでございまするが、本日、御出席いただきました皆様方に公述人としておいでを願い、十分に世論を反映していただき、本委員会の審議に供するような公述をお願いすることになったわけでございます。 議事の進行上、まず午前中に全部の方から公述をしていただきまして、午後一括してこの公述をされたものに対する質疑を行いたい予定でございます。発言の時間につきましては、二十分以内と御通知申し上げてございまするが、おそれ入りますが、大体十五分程度を目途といたしまして、二十分をこえることのないよう一つぜひ御協力を賜わりたいと存じます。発言の順序は賛成反対交互にいたしましてお配りしてございますが、名簿の順序に従って進めることにいたしたいと存じます。 最初に、守田道隆君の公述をお願いいたします。
○公述人(守田道隆君) 本日はお許しを得まして、社会教育法等の一部を改正する法律案に対する意見を申し述べることができますことは、非常に光栄に存じます。 私は、全国公民館連絡協議会を代表する会長として、また長く市町村行政をあずかる一市長としての見解を申し述べたいと存じます。 まず最初に、結論を申し上げますと、全国にある八千の公民館と二万六千の公民館分館を網羅する都道府県の連絡機関である全国公民館連絡協議会は、本法案に賛意を表し、そのすみやかなる成立を衷心からこいねがうものであります。と申しますのはこの結論は数次にわたって本会役員会において研究を重ね、昨年十月三日、会の意思決定機関たる評議員会において決定いたしましたもので、それに基き、しばしば参議院教育委員長を初め、委員各位に陳情を重ねて参ったものだからであります。 まず、本法案全体を通じて明らかにいたしておきたいと存じますことは、わが国において明治初年以来、八十数年の教育の歴史を通じて見るとき、学校教育のみが重視されて、国民教育の二大支柱の片方である社会教育が軽視されて来たことはまことに顕著な事実でありますが、終戦後せっかく制定されました社会教育法も、現在ではすでに不十分で、すみやかにその改正をはかるべきであるという意見は、われわれ公民館関係者はもとより、広く教育に関係する有識者の間に要望せられたところであります。全国公民館連絡協議会においては、昭和二十七年第二回の全国大会を日光において開催し、公民館に関する立法の促進を決議して以来、毎年の大会の中心課題となって、政府に要望し続けたところであります。 今回の改正法案は、このわれわれの多年の要望にこたえるものとして立案されたものでありまして、国会御提出に至りましたことについて、まことに感謝にたえないところであります。しかしながら、その内容をつまびらかに検討いたしますと、われわれの要望し続けた理想案とは相当な隔たりのあることは事実であります。 本会で、過去において論議いたしました理想案であるいわゆる単行法制定の趣旨は、義務教育、同様の公民館の義務設置でありまして、一世紀になんなんとする歳月を費して、積み重ねて参りました学校の義務教育になぞらえんとする希望であります。そのために、今回の改正法案につきましては、全国の公民館代表者の間にも種々不満があり、論義がかわされたのでありますが、年々の政府並びに府県当局との間にはもちろん、市町村内部における社会教育予算の問題すら容易に打開し得ない現状において、義務設置その他の理想案が、たとえば直ちに実現するとした場合、問題の起るのはむしろ市町村自体の財政にあります。三万四千の公民館に、かりにわずかに一人の主事だけを設置すると考えただけでも、現在の国、地方の財政事情の直ちに解決し得るものとは思えないのでありまして、諸般の情勢を勘案いたしますとき、現場に足のついた方法として、漸進的に理想の実現をはかることを適当とするという判断のもとに、現段階においては、本法案の実現を、まず緊急なものとして支持することに決定した次第であります。 次に、具体的内容について、重要な諸点について申し上げます。まず、社会教育の中心施設とも言うべき公民館は、施設と人から組み立てられていると言えましょう。その施設、設備については、今日なお巷間、公民館を評して看板公民館、青空公民館などと酷評されているものが少くないのでありますが、これらはいずれも最低基準すら定められていないのによるもので、今後きめられる基準とは、おそらくその最低基準を意味するものと思考されるのであります。この基準は必ずしも強制せられるものではないが、地域社会のレベル・アップを目ざす社会教育施設として一応の基準を定めて、これ以上に達するよう奨励助長するのは当然であることは、学校教育、幼稚園教育その他いずれも同じであります。 教育は人にありという人については、社会教育主事、主事補、公民館長、公民館主事、主事補等がありますが、そのうち、社会教育主事、主事補は、従来府県の教育委員会に必置、市町村のそれには任意であったが、今回は必置となっており、ただし書きに、町村には同主事補を置かないことができる除外例が設けてあります。これは、問題はないようでありますが、社会教育主事と公民館の館長を必置制にしておきながら、公民館主事その他必要な職員が任意制となっている点は、本会としては不満であり、折衝を重ねましたが、政府といたしましては、必置制に伴う国費並びに地方費の急激な増高の配慮から、数の比較的少い社会教育主事、主事補を優先させたということでありまして、近い将来に公民館主事、主事補の必置制と、これに伴う財政措置を考えたいとの御意向のように承わっております。 今回の改正におきまして、初めて公民館主事の職名、職制を定められたことは、その身分を安定せしめる上に効果のあることは認めますが、財政措置を伴う必置制まで進むことは、公民館振興のための最も重要な案件と思われます。 今日わが国の当面しております幾つかの憂慮すべき問題の一つに、青少年の不良化の問題がありますが、校外活動の第一線にあってこれに当りますのは、社会教育関係者が中心でありまして、市町村の社会教育委員は、各種の社会教育団体から民主的に選出された人々であって、当該市町村の教育委員会から委嘱を受けた青少年教育に関する特定の事項について、関係者の間に立って助言指導するのは最も適当と考えられます。 最後に社会教育法第十三条を削除して社会教育団体に補助金を支出し得る道を開こうとする改正については、憲法第八十九条との関係についての論議が行われているようであります。この点につきましては、信頼すべき憲法学者の御意見に待つことにいたしたいと思います。一面においては、同条を削除すれば、官僚統制や政党の支配を招来するおそれがあると心配されておる向きがあるとのことでありますが、われわれ関係団体に対する御配慮はありがたくお礼を申し上げます。しかしながら、すぐ隣りの社会教育法第十二条の規定が厳としてそれを禁止しておりますのに、なおそれを犯すおそれがあるというのであれば、十三条の規定があってもなくても同じく守られないおそれがあるということも言えるのではありますまいか。現に、地方の団体の中には、共同事業とか事業受託の形式で補助金同様のものを援助されている向きもあると聞きますが、これはひもつきのおそれがあるというなまやさしいものではなく、委託する方には事業計画があるので、これに従わせられるのは当然で、この形式が普及すれば、かえって弊害ははなはだしいものと思います。 私は、この問題で、あるいは起るかもしれないという将来の不安について論議する前に、現在わが国の社会教育が何ゆえに伸びないのか、第一線の社会教育団体の最大の苦悩は何であるかということを見きわめていただきたいと存じます。占領下において国情に合わない法律が制定せられたとしますれば、この第十三条のごときは、その好個のサンプルであると私は思います。たとえば、米国の社会教育のごときは、私どもから見れば、あり余る寄付金その他の財源によってまかなわれていて、国や地方公共団体の援助を要しないのに反して、国情、習慣等から、寄付金等の財源の望めないわが国において、公けの援助もなく、何をもって広範囲な社会教育活動の財源とするかという問題であります。乏しい自己資金で、いわゆる自腹を切って社会教育活動をせよというのは、いわゆる竹槍戦法で不可能をしいるというものではありますまいか。財源のないわが国民間の社会教育事業は、統制の不安をおそれる前に、事業自体が成り立たない実情ではありますまいか。 こういう意見によりまして、われわれと同調いたしておりまする全国の諸団体をここで申し上げますれば、全国知事会議、全国市長会、全国町村会、全国都道府県教育委員長協議会、都道府県教育長協議会、都道府県五大市社会教育課長会議、全国公民館連絡協議会、その他全国的な団体が約二十、なお地方的な団体に至りましては、七十以上のものが賛成をいたしまして、これを望んでおるという事実を申し上げたいと思うのでございます。 終戦後民主主義教育のとうとばれる今日に至っても、民主主義教育の戦士と自負する社会教育団体のみが公けの援助のためにいたずらな統制に服するおそれがあると疑われる理由はないと思われます。 今日社会教育団体は、ともかくも終戦後千数年の民主的活動によって苦しい中から自主的なものを身につけて参りました国民の中の良識ある人々の集まりでありますが、わずかな補助金などのために不当な統制に甘んずるほど幼稚な段階では絶対にないと確信いたすものであります。 以上を要約しまするに、今回の改正案は、理想的であるとはもちろん申せませんが、近い将来、理想達成への橋頭堡を築くものとして、私どもはそのすみやかな成立をこいねがうものであります。さらに、今後一そう完璧な社会教育法の実現に御努力願いたいと存ずる次第であります。 御清聴を感謝いたします。
○委員長(相馬助治君) ありがとうございました。 —————————————
○委員長(相馬助治君) 次に、山本敏夫君にお願いいたします。
○公述人(山本敏夫君) 私は本法案の成立に反対の意を表明いたします。 まず、第十三条の問題でありますが当局は、憲法八十九条において、教育と社会教育につきまして、その解釈において前者をことさらに狭く、後者を広く解釈をいたしまして、それに論拠を求めて、社会教育法十三条を削除すれば、この社教団体に対して事柄によっては補助金を出しても憲法に違反しないという立論をなしております。が、その立論の根拠である八十九条の教育の事業とは、あるいは教育とはと言っておるところもあるのでありますが、これは人を教え導くところの要素を持っているものである、人を教え導くところの要素を持っていない社会教育であれば、公金を出しても八十九条には違反しないという論拠であります。これは法制解釈等を受けまして文部省公報二百四十九号そのほか文部省関係者が大いに唱えておるところでありますが、私はこの八十九条の教育あるいは教育の事業についての解釈、これがまずどうしても納得ができないのであります。言葉を縮めるために、人を教え導く教育をかりにフォーマルな教育といいまして、教え導く要素のない社会教育の事柄をインフォーマルな教育と、こういたしますと——言葉を簡単にするためにそう申すのでありますが、この教え導く要素がなければ、あるいはそういう形式がなければ、公金を支出しても差しつかえないんだという解釈は、この憲法第七章の財政の条章全体の趣旨、構成、文脈から見まして、納得が参りませんし、また八十九条そのものの趣旨に反することになると思うのであります。この「公の支配に属しない」という重大な要件を全く無視するところの結果を招くからであります。この点は偶然でありますが、けさの朝日の宮沢さんの論議にも無視する結果になるということをはっきり言っておりまするが、そういうことになる。で、この社教団体は、法十条によりまして、「公の支配に属しない」ということについては争いがありませんが、そのインフォーマルな仕事の面に対しては補助し得るというのであれば、たとえば家庭教育——家庭教育も法によれば社会教育の一部ですが、家庭教育の面で教え導く要素のないものであれば勝手に金を出しても差しつかえないという、そういう極端なことも出てくるのであります。これは非常に極端な例ですが。で、むしろこのフォーマルな学校教育的なものは、実態からいって運営そのほか、諸法令によってすでにその運営の面からいっても、公けの支配に属しておる。ところが、このインフォーマルな要素、公けの支配に属さないところの性格がある、そういうインフォーマルなものに、そう勝手に金を出すことはならないというのが八十九条の趣旨であるべきものである。で、この八十九条につきましてのいろいろの専門家の説を読んでみましても、そう言えるのでありまして、元来八十九条を置きました趣旨は、美濃部氏によれば、これは公費支出防止のためである、田中耕太郎氏によれば、平等の原則のためである、政教分離ということも言っております。清宮氏によれば、これは政治的悪用防止である、あるいは尾高朝雄氏によれば、これは責任財政をはっきりするためのものである、そのほか、干渉排除説、これが一般に行われておるのであります。当局の解釈しておるようなフォーマルなものは除外されておるといっておる。そういう解説書というものはほとんどない。まあようやく一つあるくらいのものでありまして、八十九条の解釈は、この一つに読んで、公けの支配に属さないところの教育の事業にはという、この公けの支配に属さないという点を、非常に力点を置いて解釈をしておるのが普通であります。これが普通の解釈であります。それらの資料につきましては、お手元に配付をいたしました資料一によってごらんを願いたいのであります。時間の都合上こまかなことは省きますが、繰り返して申しますが、当局者の立論の出発点である八十九条の教育または教育の事業が何ゆえに人を教え導くという学校形式、あるいはフォーマルなタイプの教育、あるいはそういう要素を含む教育だけに限定されるので、あるかというその論拠が少しも納得がいかない、これが少しもはっきりしておらぬのであります。それから憲法、教育基本法、学校教育法の文理上の解釈からいって、八十九条における教育だけがそういう解釈が妥当するということがいえない、そういうことを言うことが不合理である、この点をはっきりいたしましたのがお手元の資料の二であります。時間が限られていますからこういうものでごらん願うほかないのでありますが、要点を申せば、この社会教育法というものは、これは一条から見ても教育基本法を受けておる、これははっきり書いてある。教育基本法は憲法を受けておる。そこに資料の二をごらんになりますと、教育基本法の前文、二条、七条、十条と、こういう、脈絡を踏んで参る、そして社会教育法の一条、十二条、十三条と、こうなるのであります。基本法では「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において」、七条では「家庭教育」「その他社会において行われる教育は」十条は、御承知のように「教育は、不当な支配に服することなく」、これを受けまして、先ほどのお話のありました十二条の「いかなる方法によっても、不当に、統制的支配を及ぼし」云々ということが出てくる。当局はしばしば、国会等におきましても、十三条を削除しても十二条が存する以上は不当の支配や干渉を排除し得るものであると述べて、みずから十三条と十二条の関連を特に強調いたしておりまするが、十二条の「不当に、統制的支配を及ぼし」云々とあることは教育基本法十条の「教育は、不当な支配に服することなく」に包括されておりますることはしごく明白でありまして、この場合の教育が決して狭い意味のフォーマルな教育にのみ限定されておるということは言えないのである、基本法の十条は二条、七条を受けておる、だから十条の教育というものはすみやかに社会教育も含んで、だから教育基本法の教育というものは社会教育におけるインフォーマルなものも含まれておる。 次に、憲法における教育の意味でありまするが、憲法において教育という字が見られるのは二十六条と八十九条のみであります。あとは義務教育とかそういう言葉がついておりますが、ただ、教育で見られる二十六条における教育は、これは社会教育が包含されておることは疑いがない。「すべて国民は、」「ひとしく教育を受ける権利を有する。」このことにつきましては、全く諸家の間に争いがないのであります。註解日本国憲法すらこれを認めておる。上述のこの二十六条の教育の機会均等の原則を受けまして、教育基本法においてさらにこれを敷衍しておる条章があるのであります。基本法の三条は、先ほど申し上げましたように「あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなきゃならぬとありまする点から考えましても、この教育の機会均等ということのこの教育の中に、憲法における場合もこの教育基本法の場合においても社会教育が含まれるということは当然であります。この教育基本法三条一項の「教育」に社会教育が含まれない、あるいは憲法二十六条一項の「教育」に社会教育が含まれないという解釈をいたしましたならば、これは社会教育の機会均等の法的根拠を失うとさえ言える。このことは、実はこの教育基本法二条の註解には、福田繁氏編の註解教育六法においても社会教育が含まれておる、二条に含まれており、三条はそれを受けておるという解釈もできるのであります。 以上によって憲法二十六条における「教育」には社会教育が含まれておるということはこれは疑いがないのであります。憲法においては、その二十六条以外にただ一カ所出てくる八十九条のこの「教育」という、これになぜ二十六条と異なるところの解釈をしなければならないのか、文理上はその理由は全くこれを認めることができないのであります。 なお、御参考までにお手元に配りましたこの政府の公けの刊行物にあります八十九条の英訳を見ましても、この公けの支配に属さない教育の事業というものは、エニイ・……・エジュケーショナル……、エンタープライセス・ノット・アンダー・ザ・コントロール・オブ・パブリック・オーソリティ、このノット・アンダー、これは非常に強い要件を示しておるのであります。そのパブリック・オーソリティのコントロールの下にないエニイということはすべてということ、そういうものはすべて、ここにおいてフォーマルな教育であるとか、フォーマルな教育だけをここでさしておる、インフォーマルな教育はここから除外されるということはここから出てこない、エニイでありますから。エニイで、しかも、ノットアンダーとあるのだからそれに属していないところのエジュケーショナルなエンタープライセスに対してはすべてということがはっきりしてくるのであります。 ついでに申し上げますが、この英文をごらんになっておりましても、慈善、これはビネブレント、慈善的なという、ビネブレントを慈善と訳しておる。ところが、御承知のように「慈善、教育若しくは博愛」とあるその「慈善」ということの中に社会福祉事業を包括解釈させまして、わざわざ社会福祉事業法というものを制定いたしまして、公けの支配に属するような非常に手きびしい監督の実体あるいは監督の法制を整えたことは御承知の通りでありまして、「慈善、教育」とあるその慈善だけには非常な拡大解釈をいたしておる。わずかに「慈善、教育」というその「、」一つあるだけで、教育については非常な限定解釈をするというかかる前後ぶぞろいなるところの解釈ということがどうして許さるべきものであるか。社会福祉というものはちゃんと二十五条で出ておる。二十五条で、すべて国民は文化的な最低限度の生活を行うことができる、そこで社会福祉ということが出ておる、そのソーシャル・ウエルフェア、そのソーシャル・ウェルフェアを私どもはここで慈善の中に入れるべきではない、そんなものは慈善ではない、権利に基くところのもの、その社会福祉すら慈善の中に入れておきながら、いいですか、教育からすべて社会教育だけを除外するという、社会教育の大部分を除外するという、そういうような勝手な解釈をすることは憲法の条章の解釈について許さるべきことではないと思う。かりに十三条を削除いたしましても、削除したからということによって、国や地方公共団体等が補助金を出した場合におきましても、憲法八十九条によりましてそれは無効である。ことに自治法二百四十三条の二項によりまして、地方の納税者は違法な金を当局が支出したということによって監査の請求もでき訴訟すらできるところの問題である。さように私どもは行政法的にも考えておるのであります。 要するに、この教え導く要素がない、あるいは形式がないというような解釈によりまして、非常にルーズな支出が行われるような法解釈をして、これらのこの考え方というものは、先ほど申し述べましたいろいろの専門家の述べておる公費不当支出、あるいは政治悪用、干渉あるいは政教分離のためのものである、あるいは責任財政、平等原則、これらの問題にみなかかわりの出てくるところの問題である、さように思うのでありまして、この憲法の字句の解釈につきましては納得のいく解釈をすべきで、要するに法による行政ということを当局者が言われますが、憲法の解釈についてこのような納得のいかない解釈によって措置をいたしますことにつきましては、どうしても承服することはできないのであります。ことにこの任命制教育委員会制度に切りかわりまして後におきまして、この補助金支出につきましては、地方の教育行政に非常な政治的支配の傾向が濃厚でありまするだけに、私はこの十三条を削ることによってのあとの措置ということにつきましては反対をいたします。 第二点の社会教育主事養成の点でありますが、これも時間がないので、この資料の三とそれから参考資料の一を一つ御熟読を願いたい。要点だけ申せば、社会教育主事というものは教特法等によりましても専門的職員である。専門職である以上は、それは一つのプロフェッションである。それに携わるところの者の養成ということは、これは研究の自由、研究の蓄積である機関、大学のようなところで行うのがこれが一番適当である。政党出身の大臣の独任制のもとにおいてこれを行うということに対しては納得が参らないのであります。 それからさらに、県教育委員会もこの養成に当り、さらにその資格の認定に当り得るということに関しましても、県教委の性能等の実態から考えまして納得参らないのであります。 それから、社会教育委員の問題でありますが、これは元来御承知のように諮問、助言——今度は指導助言という点を強く出してきておりますが、この諮問、助言を主とする場合の職能はあくまでも住民の間における意思の反映という点に力点が置かれるはずである。ところが、指導助言ということになれば、先ほど来出ておりました社会教育主事の資格が非常に専門的なものを要求されておる。これは職業人的な要素が求められてくる。従って社会教育委員で指導助言をするというときに、その職能、性能等において十分な調和がとれるかどうかという問題もありまするし、なお現在の任命制教育委員会が、知事、市町村長の影響を非常に強く受けておる実態にかんがみまして、この社会教育委員の指導、直接にこの青少年等に対する指導助言の権能を強めるという点に関しましては、私はやはり賛成するということには参らないのであります。 最後に、公民館でありますが、公民館についても、これは簡単に申しますが、るるお話がありましたけれども、一体財政保証が実質的にはっきりこの法律によって打ち出されているといえるかどうか。一番肝心な財政保証については、それが十分に保証されているということは明文の上からいって申せないのであります。ただ、運営の基準を定めるということが出ている。この運営という言葉はまことに魔術性を持っておる。新しい教育委員会法、すなわち、地方教育行政の組織及び運営に関する法律、あの法律によりまして、この運営という面を通して内容統制が行われておることは、教育委員会の実体から見まして非常にはっきりしておる。公民館に対しまして、運営の基準ということによりまして、金は大して出す道が開けずして内容統制のおそれがある、かように申せるのであります。 なお、私は、かつて社会教育委員等もやったこともありました。公選制のときでありましたが。最後にちょっと申し添えますが、この社会教育関係団体をどうしたら発達させるかということにつきまして、財政面からもずいぶん勉強というか、苦心をしたことがあるのであります。公選制のときであって、今とは非常にいろいろ違っておりました。が、何とかならないものかということで、ずいぶん苦労いたしましたが、どうもやはりこの八十九条に行き当る。そこで、仕方なしに、せめてこの社教団体の行うところのいろいろの催しの、たとえば入場税、そのほかを減税する等の、税制上の面につきましてずいぶん苦労して、何とか減免ができるというような道がないかということもやりました。対策としては、私は施設を整えてやる、これが一つあると思いますし、またこの現在の青年団等によってその予算分析をして見ますと、その会費収入よりも何よりも一番多い収入は、種々の生産活動、学習活動を合せまして、それによって収入を得ております。たとえば試験田——試験の田畑、温床、それらのものをやる、養蚕をやる、キノコをやる、今までやらなかった地帯で落花生であるとか、のりを作るようにする、それらの生産活動と学習活動とを両方合せまして、そして相当な収入を上げてやっておる実態が明らかなのであります。補助金を出さなければやっていけないなんといっても、補助金の占めている率はこれは非常に少い、今後それを多くするといったところでこれは知れております。しかも補助金の弊害につきましては、昨日も衆議院でありましたか、国会において自民党の方からも、この補助金制度というものは何とかこれは整理しなければいかぬという説が繰り返されておるくらいの問題であります。私は、この補助金によらずしてやっていける道というものをもっと考究すべきである。ことに先ほど申しましたような、憲法に抵触するところの、憲法の条章の趣旨なり本旨に反するような行政措置をやるということには納得参りませんし、八十九条だけに限ってしましても、教育が、教える者と教えられる者と、そういうこれは非常な古い教育概念であります。十九世紀的な教育概念であります。そういう教育概念を、文部省が、法制意見であるからといって、これにかじりついておるような、こういう解釈の仕方に対しましては、どうしても教育学者として承服ができないのであります。 以上がおもな反対の理由であります。時間がありませんので、このくらいにさせていただきます。
○委員長(相馬助治君) ありがとうございました。 —————————————
○委員長(相馬助治君) 次に、小林運美君にお願いをいたします。
○公述人(小林運美君) ただいま、非常に詳細な御意見を拝聴いたしまして、傾聴いたしました。私は学者でも何でもございませんが、長年社会教育の仕事に携わって参りまして、今回の改正の案が出ましたことにつきまして、私は両手をあげて賛成をいたしました。むしろ、もっともっとこういう法律は、われわれの理想からいえばもっとやっていただきたいという考えを持っております。ただいま御意見を拝聴いたしまして、非常にけっこうかと思います。われわれは専門家ではふりませんので、教育基本法、憲法、あるいは行政法とか、そういうようなつながりや、そういう点については、ただいまの御意見に傾聴はいたしますけれども、一方翻って見まするに、国に憲法があり、いろいろの法律ができておりますが、これはいつもいろいろの社会情勢によって改正が行われております。この国会でも、いろいろの法律の改正が行われておる。また必要に応じて新しい法律ができてくる。これはそのときの社会情勢によるものでございますので、一ぺんきまったものは絶対に変えてはいけないという理論は成り立たないと思います。こういうことを私が言うのは、釈迦に説法でございますけれども、ただいまの御意見を拝聴して、そういう考えを持ちました。 それからもう一つは、私たちは、日本全国の社会教育関係の専門家の方や、また一般父兄の方々にいつも接しております。その国民全般の声を、こういうところで反映をすることも非常に大事なことではないかと思います。というのは、現在、社会教育に関係のあるいろいろの団体がたくさんありますが、われわれボーイスカウトもその一部門でございまして、われわれは父兄の方々にいろいろ接してお話をいたします。で、われわれのボーイスカウトの教育の内容を申し上げますと、父兄の人たちは、そんないい教育法があったのにわれわれは知らなかった。そういうものに対して、何とか政府がお金を——政府といいますか、われわれの出した税金を使う方法がないのですか——これはないのだということを申し上げますと、一般の父兄の方々は驚いております。それには、こういうことでできないのだということを話しますと、そんな法律はだれがいつ作ったのだかわれわれは知らないけれども、何とかして、早く改正してもらいたいということを方々で言われます。この国民の声を、良識ある参議院の方々に、一つよくお考えを願いたいと思うのであります。これが私の一つの観点。もう一つは、現在いろいろの新聞等をにぎわしております非行少年でございますが、これらは、当然に起ってくる私は問題と思う。ところが、われわれの出した税金でこういう不良少年と申しますか、非行少年を導くために、あるいはいろいろの施設が行われております。この金額は国の予算の相当の重要部面を占めておるということも御存じの通りでございます。ところが、雨が、降りまして、山に水が出てくる、木を切ってしまう、従ってその水が洪水となって下流の農村を荒します。ちょうど現在の非行少年はその農村のいい田畑を荒しておるのと同じでございまして、もっと基本的な、山を治める方面に金を使うことが一番大事ではないかと私は考えます。教育の中に、学校の教育、社会の教育、家庭の教育というようなものがございます。特に私が感じますことは、この一般の社会教育、青少年の社会教育に対して、何らの手が打ってない。法律でああしなければいかぬ、こうしなければいかぬといういろいろの禁止はありますけれども、そういう方面を奨励していくようないい教育があったら、それを助長するような施策をほとんど講じておられない。すなわち山に木を植えて、そうしてあらしのいわゆる水を、雨をたくわえる、そしてスムーズに水を流して、これが灌漑用水になるというこの理屈はわかっておっても、これをやってない。すなわちダムが作ってない。社会教育は山の中におけるダムと私は考えます。これが全然行われていないということは、はなはだ残念でございます。 いろいろ理屈はございましょうが、今度の法律改正によりまして、すなわち十三条の削除によりまして、これらのことが幾分でも緩和されるならば、社会教育の面に非常なプラスになると私は考えております。ただいまもいろいろそれに対する分析もございました。ところが、十二条と十三条の関係についての御意見も承わりましたが、私たちは、長年こういう社会教育の運動すなわちボーイスカウトの運動をやつておりますけれども、御心配になるようなことは全然ないというふうに私は考えます。ヨーロッパ諸国におきましても、あるいはアメリカ、最近、東南アジアにおきましても、われわれのボーイスカウトの運動が非常に盛んになって参りました。ということは、アメリカのごときは、先ほどもお話ございましたけれども、日本の国情とは違います。父兄が寄付金をし過ぎて困ってしまうというような状態でございまして、これはわれわれの日本の現在の状態とは違いますが、特に私は関心を持っておりますのは、東南アジアにおける最近のボーイスカウト運動に対して、その各地の国々の新興国家が、国をあげての援助をしております。このボーイスカウトについてだけのことを申し上げますが、われわれボーイスカウトの運動は、戦争前に、大正の十年ごろから始まりまして、昭和十六年に時の政府によって解散をされるまでに、約二十万人のボーイスカウトの制服を着た子供がおります。戦後復活をいたしまして、最近だんだんふえて参りましたが、フィリピンにおきましては戦争前はアメリカの支配にありましたので、ボーイスカウト運動も多少はございましたが、戦後、政府の奨励によりまして、三十数万人のボーイスカウトができ上りました。先般、私はフィリピンにおきまして、この急速な、進歩につきまして、それらの人と話し合いをしましたが、これはすべてそういった財政的援助があったからでございます。財政的援助があると、それにひもがついて、その時の政府に支配される。あるいは官僚の統制になるというような御意見でございましたが、現在の世界の良識はそんな簡単なものでないということを御認識を願いたいと考えております。われわれの日本におけるボーイスカウト運動についてもそうでございます。変なひもがつけられるなら、それは直ちに私は切り得る社会情勢——現在の情勢であると考えております。 なお、私はいろいろの点について強調を申し上げたいことはたくさんございますが、公民館の点につきましても、あるいは市町村に社会教育のための専門の人を入れるということにつきましても、もうすでに時がおそいくらいでございます。こういう必要なところに国家の費用、いわゆる国民の税金を使うのは、私は当然であると思う。それを何だかんだと言って、法律がどうだこうだと言ってやっております。これは非常におそきに失しておると考えます。というのは、先ほども申し上げましたように、いろいろの非行少年が出てきておる。あるいはいろいろの施設が——施設と申しますのは、そういう未熟な子供たちが悪いことをした、それで、そういう人を集めて、莫大な費用を使っておりますが、これも必要ではありますが、その根源を断っていくというのがこの社会教育の団体でございます。こういうものに何らかの形で援助を与えるということは、先ほど当初に申し上げましたように、国民の声であるということを申し上げたいので、あります。あまり時間もないようでございますが、私はその二、三の点につきまして強調をいたしたいと思います。 以上が私の意見でございます。時間を守りまして、この程度で私の意見を終ります。
○委員長(相馬助治君) ありがとうございました。 —————————————
○委員長(相馬助治君) 次に渡辺英雄君にお願いいたします。
○公述人(渡辺英雄君) 私は、小さな地方都市の社会教育行政に携わっておる者としての立場から、あるいは公民館の現場職員としての立場から、私見を述べさしていただきたいと存じます。ただいま私見という言葉を使いましたけれども、これは私たちの——二十人ばかりではございますが、小さな公民館職員を中心とする研究グループである近畿公民館主事会の数次にわたる討議の結論ともいうべきものであり、皆さんのお手元に先日お届けをいたしましたけれども昨年末発表いたしました討議報告の要約ともいうべきものでございます。従って、これからの私が申し述べます意見は、ただ単に渡辺個人の意見ではないということを御了解願いたいと思います。 今次の改正案をめぐって、だれかが言わなければならない、あすではおそ過ぎるという声が現場にみなぎっております。そういう感じを強くわれわれも受けるわけでございますけれども、俗に、仕事をせず、けんかをせず、遅刻をせずと、いわゆる三せずの宮仕えの身では、このような際に自分の態度をはっきりさせるということは、ネコに鈴をつけるネズミの思いがするわけでございますけれども、あえてそれをやることが真に自分の仕事を愛する者の道であり、真に社会教育を愛する者の道であると信じますがゆえに、あえて鈴つけ役を買って出たわけでございます。 先日のこの委員会で文部省の社会局長が発表されたと新聞に報ぜられております一三〇対三〇というこの改正案をめぐる賛否の対比の件でございますけれども、この数字はこの委員会においてもだいぶ問題とされたようでございますけれども、あとで引用いたします兵庫県の例から見ましても、おそらくその当時においては大体誤まりのない数字であったろうと考えられるわけでございます。しかし、月刊社会教育という雑誌によりますと、現在における反対団体はすでに七十に達しているといわれております。このように日時がたち、討議が重ねられていくに従って反対の声が高まっているということに御注意を願いたいと思います。いずれにしろ一三〇対三〇という数字が誤まりないということは、その解釈が正しいことであるということにはならないと思うのでございます。例をあげますならば、お手元の資料、「賛成の団体一覧」にございます第五回全国都市公民館大会や、第六回近畿公民館振興大会等では、いろいろな立場から批判の声が出されておりましたのにもかかわらず、反対意見を封ずる強引な大会運営ぶりで賛成に押し切っております。また、全国公民館連絡協議会があげられておりますけれども、ここでは全く組織的な討議を欠いております。私たちもこの会に属してはおりますけれども、このように重要な法改正に対する態度というものは、規定、規約がどうあろうとも、本来なら下部において十分討議がなされた後に順次全国的なものへとその総意が盛り上げられるべきだと考えられるのでありますけれども、この場合には反対に全国より地方、地方より府県、府県より地区へと、すでに決定された態度が押しつけられ、承認を求められるという非民主的な方式がとられているということを御承知願いたいと思います。 大会といい、全公達の意思決定といい、その非民主的な運営ぶりに、近畿におきましては会長の不信任、あるいは全役員の引責退陣の要求の声さえ出ているということを御報告いたしておきたいと存じます。 私たちの兵庫県公民館連盟には研究部会というものがあり、若い主事十二名が研究部員として委嘱を受け公民館のあり方について研究をいたしており、私もその末席を汚しておりますけれども、つい先日、法改正に対する賛否について県下の公民館に対しアンケートを行いました。その結果はお手元の資料にしるした通りでございましたが、この調査結果から私たちは次のような傾向を発見いたしました。 それは、今次法改正に対する態度を分析して参りますと、まず第一番目に無関心型というのがあげられます。この無関心型というのは、全く不明である、法改正に対して何ら関心がないという態度をとっている。 それから二番目には無批判型というのがございます。これは賛成者の中に多く見られるわけです。社会教育の主体性が確立するためには若干の国家権力の介入はやむを得ないとか、公民館主事の国費負担は賛成であるとか、公民館主事の身分が保障されているとか、そういうような理由をつけて賛成という意見を出しております。 三番目に、百尺竿頭一歩型という型があるわけです。これは一月の二十一日に首相官邸で行われました全国の会長会議の際に行われた陳情に使われた言葉でございますけれども、われわれはこれを全公連型、まあまあ型というふうに称しております。 四番目に机上空論型というのがあります。反対をするけれども態度に表わさないという型でございます。近畿のある県では、公民館運営審議会ではっきりと反対が決議されておるのにもかかわらず、それを全然表に出していないという実態がつかまれております。 その次に実践的批判型というのがあります。これは批判を通じて自己の態度をはっきりさしていくという型であろう。これが反対という票で出ておるわけでございます。本来社会教育の活動というものは考える人間の形成を目ざしており、公民館活動は国民の間に批判精神の芽ばえることを目ざしていなければならないはずであります。不当な支配に属さないで自主的に考え、自由な批判の上に立って行動するはずの公民館人が、そのように無批判に行動したり去勢された態度では、今後の行く先が憂えられてならないと言わなければなりません。 次に、私たち近畿公民館主事会の討議報告では、「パンを求めて石を与えられた」という言葉で、この改正法案に対する感想を端的に表現いたしました。私はこの機会にこれまで七回にわたる全国公民館大会の記録を調べてみましたが、先ほども守田会長から意見の開陳がございましたように、第二回の日光大会以来、常に法改正または公民館(単行法)の制定が論議の焦点になっておりますが、そこでは公民館の市町村必置制と主事の身分保障が中心的事項になっております。ここに昨年六月にありました第七回の米子大会の模様を報じた社会教育時報を持って参っておりますけれども、ごらんの通り、法制定、組織強化を誓うとして身分を保証せよ、主事文部省に強く要求と大見出しで書かれております。この大会で役員がかわり、衆望をになって新しい会長が就任し、組織の強化と職員の身分保障と公民館の必置制とを中心的な要求とする法改正運動の展開を誓ったわけでございますが、その期待はみごとに裏切られたわけでございます。組織運営では非民主性を露呈し、法改正問題では全くごきげんとり的な態度に終始しておるわけでございます。会長の辞任を要求する声が出て参りますのも当然であると言わなければならないと考えられるわけでございます。文部省がなぜこのような大会での声を無視した法改正を考えたのか判断に苦しまざるを得ないわけでございます。岸総理は天の声を聞くと言われましたけれども、天の声とは民の声であり、現場の職員の声でなければならないと考えます。文部省はもっとわれわれ現場職員の声を聞いてほしいということをお願い申し上げておきます。もし文部省の立案された方たちが、そのような声は聞いていないと言われるのでしたら、毎年大会には文部省の事務官が出席しておられますけれども、その方々がよほどの難聴者であるかあるいはそれでなければ日本語に弱い、日本の言葉を理解できない方々だったのではないかと考えられます。これからの大会には一つその人選に当ってよく御配慮いただくようにお願いを申し上げておきたいと思います。 またある種の圧力に屈したのでしたら、教育基本法の中に「教育は、不当な支配に服することなく」ということがありますけれども、これはまさに重要な問題点であると言わなければならないと考えられるわけです。そのような行政担当者は忠実な公務員とは言い得ても、真によき社会教育行政担当者であるとは言い得ないと考えられるわけでございます。 この改正法案の中心点は、社会教育主事が市町村の必置制になったのに対して、公民館主事が任意制のまま職名が挿入されたにとどまるという点にあると思うのでございます。米子大会において中島事務官からこの点まことに注目すべき助言がなされております。それによりますと、公民館の性格は主事の活動の内容によって規定される面もあり、社会教育主事は行政に向き、公民館主事は大衆に向いて仕事をする。そのことは公共性と大衆性ということの違いでも表現できようというのでございますけれども、行政の面、あるいは公共の面という点のみが強調されて、大衆の面、大衆性という点が軽視され、無視されているというところに問題があります。しかもその社会教育主事の講習、認定、研修の制度を拡充いたしており、政府の御用命の行政担当者、政府御調製の社会教育主事を全国に設置することによって社会教育活動の政府干渉、官僚統制を強化するものであり、その任務は指導助言にあって、指導監督することは禁止されていると申されるかもわかりませんけれども、ついこの間までこの国にはGHQによって勧告という名の強制が行われ、指導という名の指令が存在していたというなまなましい記憶があるのでございます。社会教育主事を必置することによって、教育行政の縦の系列は強化されるかもわかりませんけれども、公民館活動を活発にすることによって横の系列を、横の結合を固めていくという点が全くなおざりにされているという点にこの法の持つ問題点がございます。現在の公民館は全く六無斉公民館であります。ないないづくしの公民館というのは笑いごとではない、悲しい現実であります。これは公民館関係者の自嘲的呼び名といってよかろうと考えられるわけであります。第一に建物がない、第二に人がない、第三に市町村当局に理解がない、第四に予算がない、第五に設備がない、そこで第六にそのような悪条件のもとでは活動のしようがない、ないないづくしに終るわけです。そこからさすらい公民館が生まれて参ります。会場を求めてさまよい歩く、さすらい歩くという意味であります。また、楢山節公民館というのがあります。定年退職者の隠居仕事として公民館館長または職員をさせるわけでございます。そのような現状の中で、公民館活動が活発になるわけはありません。社会教育活動が学校教育活動に比して不振の理由は、一に物的条件整備が不十分であるという点にかかっております。にもかかわらず、今次改正は社会教育の財的裏づけという点で、むしろその責任を不明確にする改悪であるという印象を強く受ける次第でございます。現在の社会教育は風にそよぐアシであるといわれております。すべての社会的活動がそうであるように、公民館活動を初めとして社会教育活動というものは、日本の民主化を推進するという目標のもとに真に地域のニードに合致するものでなければならないと考えられるのですが、社会教育活動がその地域の真の民主化を目ざして地域のニードに対応したとき、各種の抵抗が起っております。アメリカの神学者R・ニーバーは「道徳的な人間と不道徳的な社会」という著書の中で、およそ社会の平和と称せられているものは、大てい多くの不正を含んでおり、進んで不正を取り除こうと努力せず、そのまま放置してただ安穏に暮していて不正を取り除こうとするすべての企ては平和を乱すもの、暴行的な行為として非難されるという意味のことを書いているそうですけれども、公民館活動はそのような不道徳的な社会が道徳的な人間の行動に加えるいろいろな不当な圧力——有形、無形の圧力に対して防波堤とならなければならないと考えられるのであります。しかしながら、現在のような不安定な身分のもとでは、そのような活動が行われるわけはありません。また改正案は、文部省または都道府県教委が設置だけでなく、運営についてまで基準を設け、指導助言を行うとしておりますけれども、それは公民館の活動が形式化し、画一化する危惧を生んで参ります。絶対にこの点賛成できないわけでございます。そのような指導や助言は親切の押し売りとして厚く御辞退を申し上げておきたいと存じます。また健全な公民館の発達という言葉が使われておりますけれども、なぜわざわざ健全という言葉を使用されたのか了解に苦しむ次第でございます。労働組合運動をやるものに対しては不逞のやからと言い、真理を語る良心的な学者に対しては曲学阿世の徒という非難を浴びせられるこの国柄においては非常に気になる言葉であります、ぜひ健全なという三字は抹消すべきであると考えるわけでございます。 過去における日本の社会教育の歴史をひもといて参りますと、明治十二年に当時の内務卿であった伊藤博文公が「政談の徒過多なるは国民の幸福にあらず」と論じまして、権力への批判精神を押えるような教育政策を進言していたといわれておりますが、過去の日本の教育が天皇への忠誠を最高の無条件的な服従を民衆の中に植えつけることを眼目としてきたことがはっきりとしております。明治三十年に、神田三崎町に片山潜によって設けられたキングスレー館の活動を初めとして、多くの先覚者たちが上から押しつけられた教育や、外から与えられる教育を排して、みずからのためのみずから生み出す教育の必要性に目ざめ、そのような活動が真に起りかけて参りましたときに、時の政府は、これを明治末年の幸徳事件のでっち上げによって葬っております。これ以後日本の教育の、すべての社会的な活動の暗い谷間の時代が訪れてきているわけであります。 また、大正七年の米騒動を境といたしまして、国民の間にみずからの力で立ち上ろうという強い気風が起って参り、国民の間に、教育を国民のものとしようという運動が起りかけましたときに、治安維持法の公布によって、そのような動きを完全に抹殺し終っているわけでございます。 私は、今次の社会教育法は昭和の幸徳事件的な色彩を帯びており、また、社会教育における治安維持的な存在であるといって過言ではないというふうに考えているわけでございます。 ここで、私たちはこの戦後の反省を想起して、そうしてほんとうに国民のために、国民による社会教育が振興するように、もう一度この社会教育法の改正案については十分御検討をいただいて改正いただくようにお願いを申し上げておきます。 逐条的な問題につきましては、すでにお配りしてございます資料によりまして、要点筆記してございますので、このくらいで私の意見を終らしていただきたいと存じます。
○委員長(相馬助治君) ありがとうございました。 —————————————
○委員長(相馬助治君) 次に、徳永アサ君にお願いをいたします。
○公述人(徳永アサ君) まことにりゅうちょうな御弁論のあとに、私全くのしろうとてございまして、しろうととして意見を述べることをちゅうちょいたすのでございますけれども、私がこの法案に対しまして考えております今日までの経験、そうしてこの方向づけについての意見を述べさしていただく機会を与えられましたことを大へん仕合せに存じます。 社会教育法の制定から今日まで満十年、その活動は日本の民主化に大いに役立って参りましたし、お台所の奥におりました私ども主婦たちが世の中を見まする目、世の中に対して批判をする目、そうして私どもが男の方たちと一緒に話をすることのできるような、一人前の人間としての扱いを受けることのできるような段階にたどりついて参りましたことは、社会教育の活動がここまで押し上げて下さったものと私は感謝しております。 私思いますのに、この十年の経験の基礎に立ちまして、法律が私たちのほんとうの要望にかなって改訂され、そうして実情に即した方向に、しかも理想を曲げないで、法の基本、法の趣旨、法の本質を曲げないでそれが改正されるという今度のこの改正に対しまして、私は心から賛意を表するものでございます。 私は、この改正の個所個所によりまして、自分の意見を述べさしていただきますが、社会教育主事の市町村の必置制でございますけれども、従来都道府県に必置されておりましたけれども、社会教育主事の必要は、ほんとうに末端の津々浦々の指導を必要とするのではないかと思います。これまで皆さんが学びたいと思ってい、またこうしたいと思いますけれども、いつもその壁にぶつかり、方法に困難しております。農村僻地、津々浦々に行き届きますように、社会教育主事が市町村に必置されますという方向を、私どもは非常に歓迎するものでございます。 それから次に、主事の資格の規定でございますけれども、社会教育というのは学校教育と違いまして、多くのもっと広い広い範囲の教育をさすものだと私は考えます。でございますから、学校の教育の中において、または大学の教育の中において、この主事の養成が十分であるということはとうてい申せません。でございますから、もっと広く門戸を開きまして、もっと主事の養成の道を広くしていただくことは大へん望ましいことであると思います。それからその次の、主事の養成を大学以外の所でもなされますということでございますけれども、私は大学においても、ますます今後一そう盛んにこれに力を入れていただきたいということを要望いたします。そうしてあわせて社会教育につきましては、もっと行財政の面も理解しなければなりませんし、もっと広く全国的な視野に立って研究の必要があると思いますので、文部大臣が指定しますところの教育機間または都道府県の教育委員会あたりにおいても、この講習をなされますということ、それは私大に賛成するところでございますし、そうしなければ、とても大学だけでは及びつかないと思います。そして教育専門家だけの分野において、主事が教育されるというのでは足りない。ただいまも重ねて申し上げますように、それでは不十分であるということを申し上げておきたいと思います。一そう私が望みますことは、しろうとの指導者——レイ・リーダーの指導、そういうところにまでもっと広く関心を向けていただいて、全然教育専門家でないところの一般社会人の中から、よい指導者を引き出すということに、もっと熱意を持っていただきたいと思うのでございます。そうすることによってそのしろうとの指導者というものが、もっと民間庶民の間に及ぼす影響が、私は大きく評価されてよいのではないかと思います。この主事の養成を文部省、文部大臣が行うということが、ここに学校で行うことにつけ加えられて参りましたけれども、私は、これによって各方面からもひもつきの指導者、そして上からの命令による指導というものがふえてくるということを危惧されているようでございますけれども、私過去において、何度か文部省の主催する研究集会、全国的なもの、または地方的なものの研究集会に出席いたしました。けれども、そのたびごとに民主的な社会教育団体というものは、どこまでも自主的であり、また中立的であり、中立性を持つべきものであり、主体性を持つべきものでありということ、そして、時の権力に屈して、自分たちの考えを曲げたりするものではないということを、もうそのたびごとに私たちは教育されてきております。そうして私たちの意見も十分にその席において述べてきておりますし、それをまた文部省で、そういうことは間違っているというように曲げられたり否定されたり、圧力を加えられたりしたそういった経験は一度も持っておりません。むしろ私どもが、新しくものを考えるような力を養われてきた、内容に大きく役立ってきたと思っております。でございますから、こういった心配をなさる向きは、取り越し苦労ではないかと思いますし、また解釈を曲げていらっしゃるのではないかと私は考えております。いつも文部省の主催するこの研究集会に出席いたしましたときに、非常に私は、ほかの学校教育のことについてよく存じませんけれども、社会教育の面の研究集会に参りまして、いつも献身的に奉仕していらっしゃいますし、献身的に民主的な線に努力していらっしゃることを認めております。 それから次に、公民館関係のことでございますが、今まで公民館がございましても、そこに適当な主事さんがいらっしゃらないで、何かあってなきがごとき状態でございました。ですけれども、ここに主事が必置じゃございませんけれども、まだそこの段階にまで参りませんでしょうけれども、主事がここに置かれますということ、そうすることによって、何かあのさびれた端々の公民館がぴちぴちと生きてくるような気がいたします。あの場所においていろいろな活動がなされ、そうしてもっと広くは、いろいろな農産物の増収の方法まで研究されるというように広めて、あそこが活用されますということを、私は希望するものでございます。この公民館に主事の置かれることによって、全国画一に何か取りきめがされ、画一的な運営がされ、上からの命令がそのあたりにも圧力を加えていくように解釈されるということは、私たちは自己冒涜であろうと思います。もっと私たちは公民館に対する認識を持っておりますし、社会教育団体活動をしてきた者といたしましては、もっと主体性を持っております。でございますから、そうした人が配置されることというのは、その人たちが、その地域の住民にサービスすることであろう、でございますから、そういったサービスをして下さる方々を十分に配置していただきたいと思います。 それから、問題になっております十三条に私は触れて、意見を述べたいと思いますけれども、私の経験から申しますと、いろいろな補助、いろいろなその経費の不足、会計面のこと、そういった不足が出ますたびごとに、それについては、社会教育団体は、お金を必要とする活動と、必要としないで十分にできる活動とあるので、必ずしもそのお金ばかりにたよってはいけないということを、くれぐれも繰り返し今ままで申して参りました。私どももそうあるべきだと思って、会員たちが取りきめました最低の会費、無理のない会費でもって会を運営してくること、それに努力をして参りました。しかしながら、私ども婦人の団体、または都会の団体においては、それでまたやっては参りましたけれども、時と場合によりましては教育委員会の方にお願いいたしまして、共同主催にしていただいたり、いろいろな地域で行われます社会教育活動が、委託でなされたりする現状でございます。私は共催の場合、これはほんとうにその団体が主体性を持って活動をしているとは言えないと思います。でございますから、補助金を受けることによって、もっと堂々と自分の仕事がしていけるようになるのではないか、またなるべきだと思っております。補助金を補助されますことによってこれがゆがめられるような社会教育団体ではないと思っております。私は、先ほども先生のお話にございましたが、社会保障にはより多く、そうして社会教育団体にもより多くもっと適正に補助金が配賦されてよろしいのではないか、しかも公平に配賦されることを心から希望するものでございます。社会教育団体で、特に青少年の団体でありますが、私の地域またはほかで様子を見ておりますと、その土地々々の有力な方、特に政治的に動いていらっしゃる方たちのところを回りまして、指導者たちは非常に寄付をねだっております。寄付をねだることにほんとうにうき身をやつすように寄付をねだって、そうして自分たちの乏しい会計を助け、そしてそれによって活動しております。その場合に、とかくやはりその寄付をいただいた方、その方の意思に沿わなければならないような残念な場合がございますし、また選挙運動のときには利用されている現状でございます。これはまことに社会教育団体の活動としては非常に遺憾千万なことであろうと思います。研究集会も自分たちの団体自身でできるように、十分に補助金が配賦され、また会費も無理のない程度にいたしまして、特に青少年の団体におきましては、子供自体は生産者ではございませんがいろいろと生産する道はございますし、お小づかいの使い方に対しても、そこがほんとうのまた教育であって、お小づかいをむだな使い方をしないで、自分たちの団体にきちんと会費を納めて、それで計画的な活動をするということ、そのことは教育ではございますけれども、それだけではなお足りないと私は思います。なぜならば日本の世の中、日本の民度、日本の経済状態というものは、ほんとうにまだ貧困でございますので、外国の様子を見ておりましても、青少年たちは非常に気の毒な、何かしたくてもできない現状であろうと思いますから、私はこれにもっともっと補助していただきたいと思います。特に婦人団体におきまして、婦人団体は必要のないと思われる団体はこれをお断りになってそういった向きの方へ十分に回していただければ大へん仕合せだと思いますが、御自分の方で不必要だから、全体を否定なさるということはちょっと考えていただきたいと思うのでございます。 それから、社会教育委員の指導性についてでございますけれども、私の方で大へん土地柄青少年の不良、いろいろな問題が持ち上りまして、どうにも手のつけようがなくなりまして、警察が主導権を持ちましてあらゆる方面に呼びかけ、学校方面、あらゆる方面に呼びかけまして、青少年を補導、指導いたしますところの組織を作っております。それは、そういう組織にはいろいろな方が、社会教育委員以外の方が何十人も入って、一人々々の問題の子供たちに当ることになっております。そういった方々にその任に当っていただくのであって、それでいて社会教育委員にそうした人たちへの手が差し伸べられないということはないと思います。また無理に、これは無理じいで指導するのではなく、求めに応じてするという私は解釈をしておりますので、これは決して無理のない、またまことに望ましい方向であろうと思います。いろいろと法の解釈について、私は専門家ではございませんので詳しいことは申し述べられませんけれども、法律はその時、その民情、その時の実情に即して改められ、制定され、そうして役立たせるものでなくてはならないと思います。ただ、その解釈の仕方でございますけれども、それも心配な方面に取り越し苦労をして考えますと、幾らでも心配な方向に伸びてくるのではないかと思います。でございますから、私たちは、実情に即して私たちの要望を入れて、そうしてしかも私たちの国民としての理想、民主的な線を曲げない方向に向けて改めていかれること、そうしてこの社会教育法の改正がその方向に向けられている、そうしてこの十年間のうちに多くの団体からの声が取り上げられて、そうしてやっとここまでの改正に向けられたということに対して私は感謝するものでございますし、そうして一日も早くこの法案が通過することを願うものでございます。 御清聴を感謝いたします。
○委員長(相馬助治君) ありがとうございました。 —————————————
○委員長(相馬助治君) 次に、川口浩君にお願いをいたします。
○公述人(川口浩君) 御紹介にあずかりました青年団の川口でございます。私は断わるまでもなく、社会教育の問題を専門的に研究している学者ではありません。また、法律の内容を詳しく承知している、いわゆる法律の専門家でもありません。ただ、ここ数年来農村の末端の青年諸君と文字通りひざを交えて語り合いながら、農村では社会教育をどうしたら振興することができるかという問題にまっこうから取り組んで参りました一人でございます。従って本日は、そういう農村での社会教育の実践者としての立場から、なるべく抽象的な論議は避けて、今農村の特に末端の社会教育の現状はどうなっておるのか、またその現場ではどういうような問題が、どういうような事件が起っておるのかというようなことを中心にして、率直に私の思っているところを申し上げたい、かように考えているのであります。 昔から理屈とこうやくはつけようだということが言われておりますし、事実だけはいかんとも動かしがたいのであります。そういう意味で、私は先ほども申しましたように、事実を中心にして最後まで私の所感を申し述べる、こういうつもりでおりますので御了承願います。 その前に、私がこれから言わんとしていることを参考までに要約して端的に申し述べておきたいと思います。それはすでに言い古されたことかもしれませんが、要するにこの社会教育法のこの改正案は、われわれが十幾年もの長い間、農村の現場で悪戦苦闘しながら守り育てて参りました社会教育の自主性を根底からくつがえす、そういう危険性を持った法案である、もっとはっきり申しますと、社会教育を官僚統制下に置いたり、政党支配下に置こうとすることをねらいとした法案であるというふうに考えるので、私は社会教育の自主性を守らんとする立場から絶対に賛成することができないという一言に尽きるのであります。私がかように申しますと、おそらく皆さんの中には、特に賛成者の皆さんの中には、そんなことは取り越し苦労だ、あるいはためにする発言だというふうにお聞き取りになる方もあるかもしれません。そこで、先ほども申しましたように、具体的な事実を明らかにしていく中で私の言っていることが決して単なる取り越し苦労でもなければ、またためにする発言でもないのだということを立証したいと思うのでございます。 それを立証する具体的な事例は山ほどたくさん私は知っているのでありますが、それはもし御質問があれば後ほど逐一お話しすることにいたしまして、ここでは私がごく最近身近なところで起りましたなまなましい事実を二、三拾い上げて申し述べる程度にとどめておきたいと思います。 まず第一に御報告しなければならない事件には、先月、二月の四日に日青協の理事会で起りました一つのできごとであります。すでに御承知の方もあろうかと思うのでありますが、それを簡単に言ってしまいますと、日青協の理事会に傍聴に来ておりました文部省の役人が、その日青協の理事会から追い出しを食ったというできごとであったのであります。私が追い出しを食ったなどと申しますと、おそらく皆さんは不届き千万じゃないか、大体青年団の会議というのは、公開の原則になっているのじゃないか、にもかかわらず文部省の役人を追い出すのはひどいじゃないか、乱暴じゃないかというふうに思われる方もあるかもしれません。ところが、これには深い理由と事情があるわけです。それをお話することにいたします。この四日の理事会は、例によって例のごとく会長のあいさつが終ったすぐあと、事務局長の経過報告がございました。ところが、この経過報告が終るやいなや、京都から出て参りました理事が、大要次のような発言をしたのであります。去年の暮れ方に、文部省の主催の全国社会教育課長会議があった。その席上で、うちの課長が文部省の役人からおしかりを受けた、どういうおしかりを受けたかというと、君の方の青年団は勤評に庁対をしたり、社会教育法等の一部改正案に反対をしたりして、傾向がよくないから注意しなさいというおしかりを受けたそうであります。それでそのおしかりを受けた課長が、京都へ帰って参りまして、青年団にそういうことを伝えてきたという発言であったのであります。ところが、その発言が終るやいなや、京都以外の他の府県等からも、いや、うちの方でもやられたんだ、うちの方でもそういうことをやられたという発言が次々に出てきたのであります。さあ大へんです、会議は非常に緊張いたしまして、大体、文部省は自主的な青年団活動を伸ばす役割をしなければならない。そういう任務を持っているにもかかわらず、そういう自主的な青年団の活動や行動に対して圧迫を加えるのは何事だ、これこそがとりもなおさず社会教育法の改正の意図を事実の上で雄弁に示しているじゃないかということに話が発展いたしまして、こういう青年団に圧迫を加えるような文部省の役人には傍聴を許すことができぬということになりまして、残念ながら涙をのんで御退場願ったということになったのであります。こういうふうに説明すると大体筋道が合うのであります。そこでそのあとで、なおも慎重に話し合いを進めまして、こういうふうな圧迫を加える文部省のやり方、態度は絶対に許せぬ、われわれが四百三十万の青年団の名においてこれを抗議する必要があるということで、前例に見られないような圧倒的多数でその抗議をすることを決議をすることを決定して、文部省に抗議をしたわけであります。こういう事実を一つ参考までに御記憶願いたいと思うのであります。 それから、今度は私の県の事件を申し上げます。たくさんありますが、第一に神崎町というところで起りました事件をまずお話しします。要するにこの事件は、ある町長が町の公器であるところの有線放送を青年団に使わせなかったという事件であります。で、婦人会と青年団は一緒になって東大の太田堯という先生を呼ばって講演会をすることになった、せっかく東大の先生を末端の農村にお迎えするのだから、この内容を町民に周知徹底せしめてなるべく大ぜい集まっていただく必要があるだろうというふうに青年の諸君が考えましたもので、有線放送でそれをしようとしたわけです。ところが、有線放送の運営委員長をやっておる町長がそれをストップさせた、だめだと言って断わった、なぜだめなんだということを青年諸君が詰め寄りましたところが、原稿が長いからだめだ、前例がないからだめだ、アナウンサーがなれていないからだめだというような理由で断わったそうであります。そこで、青年諸君は、それならば原稿を短かくするからやってくれというふうに要求したところが、それも取り入れられずに最後まで断わられて、ついに有線放送を使うことができなかったということであります。ところが、まことに不思議なことに、よく調べてみましたところが、それより少し前に、今度自民党の参議院の地方区から立候補するといわれている某氏が、講演会をやった際には、なれていないはずの有線放送のアナウンサーが、しかも前例がないはずの有線放送を、しかも長々とやっておるという事実があるのであります。結局こういうふうに考えますと、参議院議員候補には有線放送を長々と使わせ、まじめな青年団や婦人会の講習会には使わせないということは、これは理屈ではない。町長の本心は、おそらくおれにたてつくような青年には有線放送を使わせたくない。それに第一、青年団や婦人会が講師を呼ばって講演を聞いたり、話し合いをするということになると、何をやるのかわからぬということで、それが心配になって貸さなかったようであります。こういう事件があります。 さらに、次に御報告しなければならないことは、これは理由があってちょっと名前は伏しますが、とにかく私の近辺のある町で起った事件であります。これはよくある事件でありますけれども、青年団の青研集会、つまり青年問題研究集会に共催金を出さなかったという事件であります。なぜ出さなかったのか、青年団の諸君が聞きましたところ、県の青年団の幹部、それから郡の青年団の幹部が講師や助言者として来るから、それだから出さないのだということであります。おそらく傾向がよくないと見たでしょう。そこで、これはとんでもないことだ。県の役員にしても、郡の役員にしても、われわれの青年団自体が民主的な、合理的な方法で選び出した役員だ。その役員をけしからぬというならば、それはとりもなおさず青年団をけしからぬということをいっているのと同じことになる。こういうことは絶対に許せないということで、詰め寄ったために、ついに話し合いが決裂して、共催金がもらえなかったというところに至ったわけであります。ところが、これも不思議なことに調べてみましたところが、それより少し前、今度県会議員に立候補する自民党の某氏が講演会をやった際には、数千円、もっとはっきり申しますと四千円だそうでありますが、金を使っているという事実が明らかになったわけであります。しかもそれが一ぱいに使われているというようなことであったらしいです。そこで、今、青年諸君は、この二つの事実を取り上げて、盛んに教育委員会に抗議を申し入れているという事実があるのであります。今これは進行中の事件であります。 それからまた、千葉県下の八日市場市につい最近起きました事件であります。これは青年団から三名社会教育委員を推薦しなさいという公文書が教育委員会からきた。青年団からいろいろ話し合って三人名前を出した。ところが、三人ともけられた。それで、今度は数を一人にして、しかも青年団から推薦した以外の社会教育委員を決定して、一方的に押しつけてきたという事件があるのであります。これは理由をいろいろ具体的に調べてみましたところが、その前、八日市場の市長選挙の際に、保守派に青年団と青年団のOBが協力しなかったというかどで、それからもう一つは人物があまり好ましくないという理由で断わられたらしいのであります。こういう事実もあります。 それから最後に、私の町で最近起りました事例を一つお話しします。これは青年団関係の社教委員が、町長選挙の際に、現町長に協力しなかったというかどで、そろいもそろって三人首切られたという事実であります。そうしてそのかわりに、だれが社教委員になったかというと、現町長選挙の際に、一生懸命努力した、いわば選挙の功労者が首をそろえて社教委員になっているという、そういう事実があります。これは私の町で起った事件でありますから間違いありません。ところが、私のところでは青年団と婦人会が一生懸命力を合せて不当をつきましたために、ついに最近になりまして青年団から四人、婦人会から四人社教委員を入れることができたわけでありますけれども、こういう強い青年団、婦人会の組織を持っていないところでは、それが泣き寝入りになるというわけであります。 以上のような事実を私がお話ししますと、おそらく賛成者の皆様方は、それは例外というものだ。全国ならして見ればそんな事件はほんの部分的な事件だ、あるいは偶然起った事件だというふうに受け取られるかもしれません。ところが、私は絶対そうは考えない。その一見偶然の事件のように思われるその背後においては共通の本質がある、共通のおそるべき本質がある、必然性があるということを、ここではっきり申し上げておきたいと思うのであります。どういう共通性か、どういう必然性かということでありますが、青年団が自主的に活動をやる、そこまではまあまあ黙認するのだけれども、その自主的に活動した結果、している過程で、お上にたてつくような形になると、それがことごとく、ほとんど例外なくやられているという事実であります。おそらく、ここで今までいろんな団体から発言がありましたが、それは、基本的に政府の方針に賛同しているからやられないのです。それが、たまたま自主的に活動をやった結果、基本に反するというような結果になった場合には、おそらくことごとくやられるということを私は自信を持ってはっきりここで申し上げます。これは、お上にたてつけばやられる。お上の命令に、積極的に、あるいは消極的に協力すればやられないということになると、これは、「この道はいつか来た道」という歌がありますが、何かそういう歌を思い出すようなおそろしい結果をもたらすのじゃないかというふうに考えられるのであります。私どもは、まだまだこういう事実は山ほど知っております。先ほど言ったように、うんと知っております。そういう、うんと現場でもってひどい目にあわされてきたわれわれが、今回の社教法の改正の意図を疑うことが、果して不自然でしょうか。私の発言が、ためにする発言と聞こえるでしょうか。私は、自信を持って、そうでないということをここで繰り返します。その上、私ども青年は、農村でいろんな社会の問題を盛んに学習しております。いろいろな経験と学習を結びつけている中で、これは、勤評や道徳教育や、さらにまた警職法と、一連のつながりを持って出てきた改法であるということをはっきり知ることができたのであります。だからこそ、われわれは心配しているのであります。 結局この法案は、われわれに言わせますと、今までおそるおそる干渉や圧迫を加えてきたものに対して、今度は本格的に、徹底的に、青年団の自主的な活動を押えつけるための法的な根拠を得るためにやられる改正であるというふうにしか見られないのであります。そうとしかわれわれには受け取れません。こういう前提の上に立って、私は、しばらくの時間、各条文の解釈を、私どもの見解を明らかにしておきたいと思うのであります。 まず、十三条の削除の件でありますが、これは、先ほどもお話申し上げましたように、今まででさえひどくやられておるわけでありますから、今回十三条が削除されるということになると、これはどういう結果をもたらすかということは、私がここに言うまでもありません。さらにまた、補助金をもらったって、こっちがしっかりしておれば何も自主性を奪われることはないじゃないかという議論もありますが、これは全くもって農村の実情を知らない卓上の空論であります。おそらく、失礼な言い方かもしれませんが、国会の議事堂で話し合いをやっておられる先生方には、庶民の、ほんとうの農村の庶民の感情や実態というものは理解できないのじゃないかと思うのです。とにかく、私の町で申しますと、町長のところに文句を言いに行くのにも、しょうちゅうを一ぱいひっかけて、ぶるぶるふるえながら行くという実情であります。そういう実情があるのであります。さらにまた、農林省関係の補助金が、今日農村にどういう結果を、害悪をもたらしているかということは、これは私が言うまでもなく、諸先生が十分承知しているところであろうと思うのであります。さらにまた、つけ加えたいことは、この補助金がもらえるようになると、青年団がうんと金をもらえる、自由にもらえるというような印象を与える発言がしばしば行われるのでありますけれども、これは子供でもわかるうそであります。なぜか。県や市町村の今日の予算の状況を調べてみればすぐわかります。多少のでこぼこはありますけれども、ことごとく社会教育関係の予算は減らされております。大もとが減っているのに、改正をしたからといって金がふえるという論理は成り立ちません。これは子供でもわかるうその論理であります。 二番目に、社会教育委員の指導性の問題でありますが、これは非常に危険であります。なぜ危険かといいますと、先ほども申しましたように、今日の末端の農村での社会教育委員がどういうものであるか、どういう人たちがやっているかということを考えると、これはすぐわかるのであります。大体は町の有力者につながっている人たちであります。しかも、今日の青年の気持はわからぬ、これは何とかもう少し訓練をする必要があるじゃないかという、いわば、きつい言葉かもしれませんが、前近代的な感覚を持っている社会教育委員というのが非常に多いのであります。青年団や青年を理解している社会教育委員はだんだん減らされているという現状も一方にはあるのであります。こういう状態の中で、こういう傾向の中で、社会教育委員に指導権を与えるということになれば、何をもたらすか、これは私が言う必要はありません。もちろん私どもは、青年団に対しての指導者が必要だということは、皆さんに言われるまでもなく、十分承知しております。しかし、これが自主性を抑えるような指導はいけないということであります。そこで、どういう指導者が必要かということになるのでありますが、それは、青年団とじっくりと話し合って、相談して、自主性を伸ばすような、青年や青年団を理解した、そういう指導者がほしいということであります。それは、今までの法律の上でもりっぱにできることでありますし、やっていることであります。 主事の養成と必置の件でありますが、大体これはどういう主事を作ろうとしているのか、その主事にどういう仕事をやらせようとしているのか、これがわれわれは非常に危なかしく思われるのであります。これには前例から押してそういうふうにしたということであります。正しい仕事をする主事は大いにけっこうです。しかし、われわれにはそうは思われない。 さらに大学のことは、われわれのような一介の農村青年には理解できませんけれども、何でも言い分によりますと、今日は大学の内容が充実しておらぬから、従ってそのかわりに文部省や教育委員会がやるんだというお話でありますが、これは全くもって論理の誤まりというものであります。なぜかといいますと、大学がまずければ、なぜ大学を充実するような努力をしないのか、そういう努力をしないで、片方で主事を文部省が養成するというようなことを言われるからその熱意が疑われるのであります。 以上いろいろ述べて参りましたが、私どもには、この社会教育法を改正しなければならない、無理をして、反対を向うに回して、どうしても改正をしなければならないという理由をさらに見出すことができないのであります。文部省は、社会教育法を振興するために改法をやるんだ、法律改正をやると言っておりますけれども、私はここで反対に聞きたいくらいです。今日社会教育の不振の原因はどこにあるのか、何が根本的に社会教育の不振をもたらしているのか、このことを聞きたいくらいであります。私は、法律を改正したから、それだけで社会教育が振興するなどとは考えておりません。もっと社会教育の不振をもたらしている根本の原因はほかにあるのであります。そういうふうに考えて参りますと、私どもは、どうしてもこの社会教育法を改正する理由を納得することができないのであります。今からでもおそくありません。どうか、これをお出しになられました方々は、社会教育の不振がどこにあるのか、どうしたら社会教育を振興させることができるのかという振り出しに戻ってその問題をお考えになっていただきたいということを特にお勧めいたします。さらにまた、そういうことを考えた上で、この改正案を御撤回になられることをお勧めしたいのであります。 いずれにしましても、自主的な青年団活動を守るという立場からして……。
○委員長(相馬助治君) 川口君、大体予定時間を過ぎておりますから。
○公述人(川口浩君) その本質や影響を考えましたときに、どうしても反対しなければならないという結論に到達するのであります。以上。
○委員長(相馬助治君) ありがとうございました。 速記をやめて。 〔速記中止〕
○委員長(相馬助治君) 速記を始めて。 —————————————
○委員長(相馬助治君) 次に、松本久子君に御願いいたします。静粛に願います。
○公述人(松本久子君) 本日この公聴会にお招きいただきまして、意見を述べさしていただきます機会を与えられたことをまず感謝申し上げます。 私は、もう賛成者の三人の方が御述べになりましたのと大同小異でございまして、重複する点はなるべく避けたいと存じます。 申し上げるまでもなく、私は学者でもなければ評論家でもございません。ただ一介の実践活動者としての血のにじむような、ここ終戦後十数年の歩みをもとにいたしまして、これからの私の考え方を申し述べてみたいと存じます。 戦後の婦人団体の歩みといたしまして、せっかく与えられました男女同権でありながら、婦人の後進性を、いかにしてある程度レベルを上げるかということにずいぶん悩んできたものでございます。特に民主団体としてのあり方は、私たちの会員はそれぞれに保守の方もございますし、革新系の方もございます。また中立の方もあるわけでございますので、民主団体としてうまく運営していく上につきましては、いろいろな政治的な部門につきましては、決議あるいは、そのほか行動に出るということにおいては、全く戒めて最近まで参っております。ただここで申し上げられます社会教育法の一部改正につきましては、社会教育法が制定されましてから十年間、私たち婦人団体が血が出るような叫びを叫び続けてきた問題の、第十三条削除という点でございます。いろいろ巷間伝えるところによりますと、この十三条が削除されることによって官僚統制になるとか、政党支配になるとかというふうな、いわゆるひもつきの可能性が十分あるといわれておりますけれども、それなれば、現在までに一体どのような方法をして婦人団体を運営してきたかということを申し上げてみたいと存じます。会費に至りましては、皆さんがお聞きになりますと、現在そのような貨幣はないのでございます。年間一円五十銭でございます。一円という時代が相当たちまして、五十銭上げるということが非常に困難であったということ、それは婦人が会費が出すのが惜しいからというふうなのでなくて、婦人団体の運営そのものがほんとうに魅力的でないというふうなこともあっただろうと思います。その乏しい会費で、愛媛県といたしましては、会員十五万といたしましても年間わずかに二十二万五千円でございます。それで大ぜいをまかなっていけるかということにつきましては、魅力ある行事をすることには、どうしても経費が要るわけになって参ります。その経費は、現在までは大体全国的に、各県あるいは各町村において、それぞれ名目は違っておりますけれども、委託金という名前であるとか、あるいは付託金であるとか、そのような名目において三拝九拝いたしまして理事者にお願いして出してもらっておる。この金によってようやくささやかな運営が営まれてきたのでございます。この過去十年間における事業委託金、付託金なるものが今回の補助金の性格とあわせ考えてみましたときに、いかにおそろしいものであるかということを、これこそ私は官僚統制、政党支配の大きな原因になるような経費の支出であったんではないか、にもかかわりませず、私たちはただいま申し上げましたごとく、民主団体の性格にかんがみまして、官僚にも統制されない、政党にも支配されない、このような運営をしてきました結果、今さら自主性が失われるとか、そのような言葉が出ること自体、私はこれはおかしいことだと思います。ことほどさように婦人団体は幼稚ではないはずでございます。もう自主性は十分できておりますので、たびたびの文部省の主催の会議におきましても何とかしてこの十三条削除ということを願いましたが、毎年毎年口をすっぱくして申しましても、何とも聞いてくれないので、もうこのあたりでこの十三条削除という補助金の要請ということはやめようじゃないかということが昨年度でございます。そうしましたら、昨年このような改正案が出ましたことにつきまして、やはり私たちが叫んできたことが無意味でなかったというふうに考えておるのでございます。十三条を削除されましてもひもつきになる可能性は過去よりもはるかにはるかに薄くなってくる、こういう現状は理想的でないかもわかりませんけれども、ある一歩進歩の意味におきまして大いに賛意を表するものでございます。もちろん理事者にポケット・マネーを支出していただくために三拝九拝するような状態がなくなったこと自体私たちは喜ぶべきことだと思っております。いわゆる税の還元を受けるというふうに解釈をいたしております。このような状態におきまして、婦人団体の行事には非常に幅広いものがございます。新生活運動であるとか、あるいは青少年の不良化防止であるとか、その他種々さまざまな計画がなされるのでございますが、新生活運動こそ、私は全額国庫負担で行なっていらっしゃるということにおきましては、これは全く補助金の形式を現在まで続けておられるということにおきまして、十三条の削除もこのあたりで認めていいのじゃないか、そのような苦しい立場の中に愛媛県連合婦人会では、どうしても青少年不良化防止をいたしたいという考え方から母と子がよい映画を見る運動を続けております。会費の年間一円五十銭でも出せない皆様方に、各家庭一世帯十円の募金をいたしまして、三百万円募金でフイルムを購入いたしましてこれをそれぞれの町村に流し、婦人会活動の教材に、あるいは青少年の不良化防止に備えておりますが、なぜ私たち婦人団体がこのことまで手を出さなければいけないか、こういう運動こそ、私は国なり県なりそのようなところでもって大いに運動していただかなければならないことを、われわれ民主団体が身を切るような金をもってこのような運動をするということに至りましては、大いにこのあたりで十三条を削除していただきまして、この運動を助成していただきたいと思うわけでございます。 次に、公民館の設備と人材の件でございますが、これは先ほど公民館主事さんが反対の方がおっしゃいましたごとく、まことに現在までの公民館主事、社会教育主事は学校長を済んで定年になった人の古手の失業対策に使われておられたような人、あるいはまた経費の面から給与がたくさん出せないという点からなまちょろい青年を主事に持ってくるか、こういうふうなことになってきましたときには、実際活動をしていない人たちにとりましては、いかに教育がありましても、いかに年令がいっておりましても、このような人は社会教育には全然しろうとでありまして、むしろ私たちが教えてあげるような立場になって、ただ事務的な処理だけになっておるのでございます。そういう点につきまして、今回の公民館の設置ということ、並びにその主事の人材ということにつきましての大いなる改正がなされるということは非常に喜ばしい現象であると存ずるのでございます。さて、国会に参りますと、あの賛成団体の一覧表を見せていだたきましたが、非常に婦人団体の賛成団体が少いようでございます。しかし、これはほんとうに書類を文部省の方に出された方だけの実情じゃないかと思うのでございます。一月の二十二日だったと記憶いたしておりますが、愛媛県におきまして西日本婦人団体連絡協議会を開きまして、出席した各県の者たちは全部社会教育法一部改正に賛成団体でございます。また、昨日も浜松で会がございまして、そのときにも東北の方あるいはそのほか西日本に属さない方々の御意見を聞きましても、ぜひあしたの公聴会に婦人団体の九割までは全部賛成である、こういうことを発表してこいということを私は言いつけられたのでございます。 政治とは実際にやっている現状を基にして、そうしてそれに理論をからませて行なっていただくということがほんとうに正しい政治、ほんとうに正しい法律になるのではないかと思います。ただ理論だけでなく、実際活動家の、実際活動をしてきた者の過去における苦労というものを十分おくみ取りいただきまして、戦争中のいろいろな苦しみを、現在までもあつものにこりてなますを吹くというような感じかもってすべてのものに反対をせられるということにつきましては、私たち婦人団体は是々非々主義でやっておりますので、この社会教育法改正につきましては、先ほど最初に申し上げました通り、理想的ではないと存じますけれども、と申しますことは、まだやり足りないという意味の理想的ではないのでございまして、もっとやっていたかくようなことにおいおい改正されることを望みまして、私の公述にかえたいと存じます。
○委員長(相馬助治君) ありがとうございました。 時間もだいぶたちましたが、もう一人の公述で終りますので御協力を願います。 —————————————
○委員長(相馬助治君) 次に田中寿美子君にお願いいたします。
○公述人(田中寿美子君) 私は社会教育法の一部改正案に全面的に反対する立場からその理由を申し述べたいと存じます。 社会教育法制定の趣旨は、これは昭和二十四年六月に制定されたのでございますが、少年及び青年を対象としまして、教育基本法の精神にのっとって、すべての国民があらゆる機会、あらゆる場所を利用して文化的教養を高められるように均等の機会を与えられること、それからそのための環境を醸成すること、これがその精神なんでございますが、先ほど来賛成の公述をなさいました方々は、その法の本質を曲げないで今回改正されるのであるから賛成であるというふうにおっしゃいましたけれども、これは実はその本質を全面的に曲げておるものでありまして、従来強調されて参りました社会教育の自主性を破壊するという立場で私は反対を申したいと思うのでございます。で、今回の改正案は、この法の精神に反しておりますし、それから民主的な社会教育を地方に育てていきますかわりに、国家統制を強化するものでございまして、自主性を育てつつあった今日までの地方の青年、婦人に対し、再び戦前の国家統制、国家支配を与えるための根拠となるという理由なのでございます。 実は私は、今日公述いたしますのに際しまして、婦人の世論、先ほどから婦人団体を代表して、あるいは国民の世論を代表してという言葉で賛成をお述べになっていたようでございますけれども、私は婦人の世論が非常に反対であるということの事実を申し述べたいと存じます。実は公述いたしますのは、私よりも実際に婦人会の会員の方が出て来られることがよいと私は思ったのでございますが、これは名前をあげませんけれども、いろいろの人々が個人的に意思表示をしながら、公開の席で政府の提出した法案に反対の意見を述べる勇気がなかったのであります。たとえば、ある県の地域婦人団体連合会長さんで、非常に強い反対の意見を持っておる人もあるのでありますが、その他何人かあるのでありますが、その出席できないといわれる理由は、反対を表明すると教育委員会や文部当局からにらまれる、そうして今後仕事がしにくくなる、あとでまた事業共催もできなくなったり、いろいろ困る、その上土地の有力者からにらまれて窮地に陥ってしまうと、こう申されるのであります。このこと自体がすでに自主的な民間団体であるべき婦人団体に対して権力者の圧力があるということを証明しておることなんであります。社会教育法第十二条で「国及び地方公共団体は、社会教育関係団体に対し、いかなる方法によっても、不当に統制的支配を及ぼし、又はその事業に干渉を加えてはならない。」とあるのにすでに違反している事実の証拠になるのではないでしょうか。 なお、そのほか個人として全国地域婦人団体連合会長の山高しげり氏は、十一月に結成いたしましたところの社会教育に関する婦人研究懇談会、これはこの法改正に反対のために最初に立ち上った団体なのでありますが、その発起人の一人であります。今回の改正に対しては非常に強く反対の意思を表示しているのでありますが、山高氏の最も大きなあげられます理由は、地域婦人団体という、社会教育関係団体の中でも非常に大きな団体でありますものに対して、文部当局が、この改正案を準備する過程で一つの意見も聞かれなかったということであります。これは、文部当局はみんな意見を聞いたと言っておられるそうでありますが、実際聞かれた覚えはないので、山高しげり氏初め文部省にそれを抗議に行かれた事実がございます。また、この改正に反対の理由として、山高さんは婦人団体の自主性をそこなうということをあげていらっしゃいます。 それから、今の十一月に結成されましたこの反対の婦人研究懇談会の中には村岡花子、秋山ちえ子、市川房枝、大浜英子、関根敏子、西清子、平林たい子、松岡洋子、丸岡秀子、それから田中寿美子など、社会教育に相当今日まで深い関係のある婦人の評論家、有識者などが含まれておるのでありますが、これらは婦人の声を一部分代表するということは言えると思います。またこれ以外にも、婦人有権者同盟の会長の藤田たき氏は国連代表として昨年の暮れ、国連総会に出席中アメリカで日本における社会教育法改正案のことを知りまして、第十三条の削除によって、国が団体活動に対して補助金を出せるようにしたということについてアメリカの人々に話をしたところが、そのようなことは考えられないということで、皆から非常に驚かれたということを、去る一月二十一日の社会教育の自主性を守る代表者会議の席上で報告しておられます。さらに坂西志保氏は、昨日私は坂西志保氏とお話したのでありますが、私に対して強い反対の意見を述べておるということを伝えてくれと言われました。その理由として、婦人が選挙権を持っておるために、それを目当てにして現に露骨な利用が行われておる。約二週間ほど前、自分は岡山に旅をしたが、ある町の町長が十三部落を訪問して、行く先々に金一封を差し出して、そうして何回も行く間にすっかり婦人団体を縛ってしまいまして、選挙の際には直ちに動員できるような態勢に作ってしまっておる。このような現実、一番下の段階での現状を認識しないで、大っぴらに金を出せるような法改正をするということは、婦人をひもつきにしないと言われても必ずするものであるということ、それからまた、どのように言いのがれをしようとされましても、憲法八十九条に触れる行為であって、第十三条の削除は憲法八十九条に触れるので、これは憲法を改正せずして、なしくずしに憲法を改正する意図があるという意味で、反対であるということを坂西さんは伝えてくれと言われました。で、婦人会長さんたちの中で、これは配られた資料の中にも賛成の意思表示をしていらっしゃる方たちの名が出ておりますが、中でもいろいろな意味で賛成しておられる方々があると思います。ある方は、もう金をもらってもひもつきにはならないのだ、大丈夫という意味で賛成している方もありますし、またぜひぜひお金を役所からほしいという考え方の会長さんたちもおられます。先ほど徳永公述人は、文部省の講習にいつも出ていて、非常に自主的な指導を受けていると、大へん文部省を礼賛していらっしゃいますけれども、この指導してもらうとか指導してほしいという立場自体が婦人団体のあり方の根本的な私は考え方の違いではないかと思います。これは一番下部の婦人会員たちの段階でものを考えなければならないのであります。なお、法改正に賛成団体、反対団体の資料が公述人に配られて参りました。多分、委員の方々にも配られていると思いますが、この資料は全く不備で片手落ちのものであります。で、聞きましたところ、文部省によって配られたそうでございますが、賛成団体としてあげられているものの中には、文部省の系統を引くところの行政機関関係の団体がたくさん載っておりまして、それが文部省の部内に法案通過促進をはかるために集めてきたものである形跡は十分あるのです。これは、私は実際にある地方を旅行しておりましたときに、教育委員会の社会教育課長が婦人団体その他を集めまして、賛成をするように勧めていられる状況に出会っておりますが、そのようなことはたくさんあったようであります。そのほか、一時的な大会の名まで連ねてあるのに反しまして、反対を声明している団体の名前の方は全く不備なのでありますが、これは別に文部省に報告する義務がありませんので、文部省としてはわからなかったのだろうと思います。提出されている資料のうち、社会教育法等の一部を改正する法律案に反対の団体一欄というのがありますが、それをごらんいただきますと、社会教育法改正に関する婦人研究懇談会というのは、先ほど申しましたように、昨年の十一月の初めにできましたもので、主婦連合会、婦人有権者同盟その他十四団体と、個人として先ほど名前をあげました人たちが入っておるのでありまして、その中に山高しげり氏なども入っているわけです。次に、社会教育の自主性を守る懇談会というのが年末結成されましたが、これは最初にできた婦人の研究懇談会がさらに拡大しまして、青年団体、学者を含めて大きく広まったものであります。これは全く民間の自主的な反対の団体であります。一月二十日現在では六十四団体と個人を含んでおりまして、その個人の中には、三井為友、吉田昇などの学者が入っております。それがさらに拡大しまして、二月二十八日、社会教育法改正反対国会陳情大会というのが開かれましたが、これで現在七十団体、反対の意思表示をした学識者九十八名、もしもこれが、賛成団体のところに書いてあるような工合に、下部の組織、単位団体まで数え上げるならば無数なのであります。青年団体や婦人団体の下部の方でも反対の意思を決議しているところもあるのでありますが、これは別に文部省に報告しているわけではありません。しかし、これはその賛成の団体が幾つ、反対の団体が幾つといって数で争うべき筋合いのものでは絶対にないのでありますが、しかし文部省の課長、局長が飛行機で飛んで行ったり、係官を派遣したりして、いろいろの会議の席上で法の通過ができるようにいろいろと説得活動をしていられる形跡は、十分にあるのであります。青年や婦人の政治教育すら下部では非常におそれられている。中立性ということが社会教育団体について非常にいわれていまして、政治学習とか政治教育すらもおそれて、すくむような傾向が地方に見受けられるのでありますが、そういう婦人たちに対して、中央の係官が出て行って圧力をかけるというようなこと になりますと、簡単に、内容をほんとうによく把握しないで賛成することも十分あるわけであります。 第二に、この法改正が民間団体の自主性と民主的な発展を伸ばす措置ではないということについて、むしろ自主性を押える根拠となるということについて述べたいと存じます。法理論で申しますと、自主性を何ら妨げないのだというふうに文部当局の人は説いております。すでに山本先生初めいろいろの反対の意見を述べられた方々があげております幾つかの点、特に四つほどの点については下部の方では実際問題としてたくさんの弊害が起っております。すでにたくさんあげられましたけれども、私も実際に見ていることもたくさんありますので、多少それを述べたいと思いますが、たとえば十三条を削除して団体運営に補助金が出せるようになるということについて、十二条で不当の干渉ができないようになっているから、また憲法八十九条が生きているから大丈夫だという説明をされますが、この説明は法律上成り立っているだけで、これを受けとめる下部の方では、どのようにでも利用できる根拠を、もし十三条を削除すれば与えるわけなんです。すべてそれは法理論ではなくて、実際の問題、運用の問題なんで、運用上そのようにたくさんの危険を伴うような改正をあえてする必要は少しもないということなんであります。で、例を申しますと、婦人団体の自主性は次第に下部から育ってきていると私は思っております。確かに婦人の団体の中には、非常にすばらしい人たちがたくさん出ておりますし、それから社会教育主事さんの中には、ほんとうに民主的な、いい技術的な援助を与える意味で、非常にいい主事さんたちがたくさんいられることも、私たちも感謝しているわけです。戦後、婦人が育ったことには非常に役に立っていると思うのですが、いまだに新しい有権者としての婦人は利用されやすく、先ほど坂西志保氏のあげた例のように、地方末端にはそういうことがたくさんあるのです。たとえば、もうすでに、しばしば引き合いに出されて参りました三十一年—三十二年にかけての、滋賀県での社会教育課長による婦人団体の自主性のじゅうりんのような例、あるいはひもつきなんかにはならないと言明しているけれども、現状では遺憾ながらたくさんの事例があるので、現にある県—県名は秘しますけれども、県の連合婦人会長さんは、会員が問題意識を持ったりしたのではやれませんと言って学習を押えている現状であります。また、ある東北の町では、学校給食費の集金を、婦人会長が、町長及び教育委員会から請け負ってきたのですが、非常に農繁期なので、婦人会員の方としては、それはできないと断わったのでありますが、婦人会長さんは、教育委員会や町長から推薦されてなったのだからといって、それを無理に婦人会に押しつけようとしました。そのために分裂してしまった事例がございます。このように、婦人会が町や村役場の手先のように考えられる、会長自身もそういうふうに思っているようなところがまだあるのです。私もその場に居合せたある会合の席上で、ある婦人会の役員がわれわれ社会教育課の配下にあるものは自由にしてはいけませんということを発言しておりました。つまりまだまだ、自主性はだんだん育ちつつあるときでありますけれども、そういう意識がたくさんあります。皆さん御承知のように、選挙になりますと、部落推薦、部落投票という悪風がありまして、だれでもそういうことは知っているのでありますがこういう状態の中で、国から補助金がおりてくることになりますと、上から下への態勢—国家統制ができて、せっかく横に自主的につながって、小さなグループの中で相互に学習して、これによって自主性を育てようとしております婦人有権者を、またもとの姿に引き戻すという危険があります。 次に、今回の改正は、国家統制を強化して、地方自治を侵す危険があるということを申したいと思います。従来は、事業委託費として出していられたのでありますが、補助金を出すようになりますと、補助金を使うその使途が指定されるわけです。地方自治体の意図が尊重されない心配がある。地域の中で、国家の金をいかに使うかということを決定する方向は、地方財政を豊かにすべき方向に使うべきであります。実際には、地方財政が非常に逼迫しております。再建整備団体に指定されている地方に対しては、新たに補助金を出すことは困難です。そういうことになりますと、補助金を出す出すといいながら、実は婦人団体や青年団体に何か夢を抱かせるという役をするにすぎない。そして精神的に国家統制をする結果になります。この点について、文部当局は、補助金はあまり出せないというような意味のことを言っておりますし、自民党の機関誌によりますと、どんどん出してやればいいというような言い分をして、両方に矛盾があるように思います。また主事養成についても、文部省が主導権をとるということは、文教政策の国家統制の現われでありまして、公民館の運営基準を国できめるということも、地方自治を侵害するおそれがあります。教育委員会のもとに公民館が入って以来、もうすでに中央統制の色が見えているのでありますが、それをますます強化していくので、これは地方の自治を育てていく社会教育法の精神にも反するのであります。むしろこの予算は、本年度とられております予算を見ましても、三十四年度予算でも、青少年の、青年の家などというのに一億一千九百万もとっておりまして、公民館の施設のために一千七百万円しかとっておらない。このとり方を見ましても、先ほどから言われております、末端に金がほしいほしいといっておるのですが、そっちの方にとる方向よりは、派手な宣伝、海外渡航とかあるいは国内留学とかいうようなことを先にして、緊急の、ほんとうに末端の社会教育の環境を醸成することの方に向わない憂いがあるのでありすす。先ほどから、ボーイスカウト、ガールスカウトなどから非常にこの法律の改正を要望していらっしゃるようですけれども、外国の例で、こういうものは、特に少年団というものは、少年の団体は、別個な取扱いを受けているわけなんであります。 要するに、民主主義を育てて団体の自主性を守る上で大事なことは、現行法律を完全に実施してほしいということなんであります。けさの朝日新聞にも、宮沢俊義先生が八十九条は憲法違反だという議論を出していらっしゃいますが、憲法の論争は、これは法律家におまかせいたしますけれども、少くとも憲法違反があるという疑義が抱かれているような、そういう重大な改正を勝手にしてもらうことは、非常に困るのであります。 以上の理由をもって、私は反対をいたします。
○委員長(相馬助治君) ありがとうございました。 以上をもちまして、予定された公述人の方の公述を全部終了いたしました。各委員から公述の方々に対してそれぞれ質疑があると存じまするが質疑は午後に讓りたいと存じます。午後は二時十分より開会をしたいと存じます。 午前中は、これをもって休憩といたします。 午後一時十三分休憩 —————・————— 午後二時二十分開会
○委員長(相馬助治君) 午前に引き続き、ただいまより公聴会を再開いたします。 午前に拝聴いたしました公述に対し、質疑のある方は順次御発言を願います。
○吉江勝保君 私は二、三、山本先生あるいはその他の先生に御高説を拝聴いたしまして、なお十分に了解できません点がございましたので、お教えをいただきたいと思います。 その前に少し、午前中、松永理事から、時間のことで、あれは失礼じゃないかというようなことをおっしゃっておりましたが、大体この会では時間の打ち合せができておりまして、その時間が過ぎても注意がないものでありまするから、係の方に、私どもは時間を忘れているのじゃないだろうが、実はこういう意味で時間の注意をするようにという意味で申しておりますので、先生がその時間をお守りになろうと、あるいは無視されようと、そういうことを言うた意味ではないのであります。しかし、社会教育関係の公述においでになりまする各位でありまするので、大体きめられました時間はお守りになるものだと、こういうように私どもは了解をいたしておりましたので、その点は、お互いに気分悪くされぬように、私の方からも申し上げておきたいと思います。 山本先生の憲法に関しまする御高説、よく拝聴いたしましたが、だんだんそれについてお教えをいただくのでありまするが、お話の最後の方から逆にお尋ねをいたすのでありまするが、この社会教育法の改正によりまして、社会教育団体に補助が出せる、そういうような一部改正が行われても、実際は、金はあまり財政的に出さない、そして、しかも内容の統制のおそれがあるのだと、こういうような金は出さないで、内容統制のおそれがあるのだと、非常に強く卓をたたいて実はお話をいただきましたので、実は私どもも非常にお力の入った御高説を承わったのでありまするが、こういうような実際の具体的の実列につきましては、他の委員からも発言があったのでありまするが、金が今までどういうように出ておったか、また、今後どういうふうに予算の支出がされるかと、こういうことについてまで、御発言といいますか、御見解を披瀝されますことは、少し行き過ぎじゃないのだろうか、そういうことは、私どもの方で予算を今度はきめまして、社会教育団体にも相当必要なところには出せる、法案が改正になりましたら考えることで、金は出さずに内容統制ばかりやるおそれがあると、こういうところにまで論及されますることは、幾らか、聞いておりまして、まあ参考にはいたしますが、少しどうかというような感じがいたしたのであります。それはともかくといたしまして、こういうふうに、現在の憲法の建前の上から申しますというと、国の補助を出しますることが憲法の違反になる、こういうお話であったのでありまするが、具体的にそれではお尋ねをいたすのでありまするが、山本先生がメンバーにおなりになっておりまする日本社会教育学会というのがございまして、この日本社会教育学会は、昭和三十二年度におきましては、日本社会教育学会理事犬丸秀雄という名前におきまして補助金の申請をされ、二十三万円の補助をお受けになっておるのであります。また、昨年、三十三年度におきましては、同じく日本社会教育学会の代表者として、犬丸さんが申請をされまして、今度は二十五万円の文部省から補助をお受けになっておるのであります。こういうように自分たちの所属をしておりまする日本社会教育学会には、文部省から補助を受けてもひもつきにはならない。しかし地方の市町村あるいは県からもらうというと、それは社会教育団体、こういう団体がひもつきになって、それはよろしくないんだ、憲法にも違反するのだと、そういう社会事業団体は生産事業でもやって、しいたけの栽培でもやって、そこから財源を捻出するのがよかろう、自分らの団体は文部省から多額の補助を受けておっても、これは差しつかえないのだ、こういうような論旨にも聞けるのでありまして、今までもらっておられますものがいけないということを、確信をもってお考えになっておるならば、こういうような国の補助も御辞退になるとか、あるいは文部省が出そうといっても、そういうひもつきなものは受けちゃいかぬ、こういうように主張されて、本日ここにおいでになりまして論旨を展開されますというと、私どもも学者に対しまして非常に尊敬の念が持てるのであります。そういう点につきまして、一番最後に、金は出さずに内容統制だけやるおそれがある、こういうことをおっしゃいましたことに対しまして、事実いかにお考えになっておりますか、お教えをいただきたいと思います。
○公述人(山本敏夫君) 第一点でありますが、これは最後のところで、主として公民館ですが、公民館のことを述べましたときに、公民館についてのこのたびの法律改正、これは種々現行法と違ったような面は、細かに言えばあるのでありますけれども、この公民館主事等が非常に望んでおった財政保障の面についての、法律上の保障の明文を欠いておるという点を、ことに申したのでありまして、ただ運営の基準という点が出てきますので、財政保障の面は法律上はっきりしてない、さように申したのであります。それから、この財政保障を法律上もっとはっきり出してくれという、これは公民館の場合は御承知のように、市町村立が大部分でありまして、これに対して助成するということは、これは憲法上問題なければ、そのほか問題がないわけでありますが、非常に望んでいるそういう財政保障の面につきましては、これを欠いている、法律上その明文がない、やはりこれを安心させるのは、法律上これこれ、こういう点についてはこうということをはっきりさせれば、これは安心ができるわけですが、それを欠いている、逆に法律上はこの運営の基準について、国が設けられるということになっている、で、運営の基準は、運営ということについては、これは内容統制を含み得るところの実例が、この教育委員会制度などで非常に顕著に、最近の教育行政の面からして現われている、だから、これに、法律上保障の面は薄くして、内容統制のおそれがあるのだ、かように申し述べたのであります。今後の予算の組み方、来年なり再来年なり、それがどうなるかということについては、予測はそう簡単にできません。あくまでも法制上、保障が一方にはなくして、片っ方には内容統制のおそれがある、かように申したのであります。 第二点につきましてでありますが、この学術団体に対する研究につきましての補助、これが八十九条に触れるか触れないかにつきましては、すでに御承知と思いますが、ただいま手元にその写しがあるはずなのですが、探しましたのですが、見つかりませんので、これは昭和二十四年五月の法制意見などによりまして、私はこの部分は相当よりどころが——この部分は私は法務総裁意見だからすべていいとは申しません。この研究ということについて、助成金を出すということは八十九条に触れない。慈善、教育及び博愛とありまするが、そういう回答を明らかにしておりまするし、御答弁のように、公けの支配に属しない教育について公金を支出してはならないという法律を最も多く作っておりまするのはアメリカの諸州でありますが、しかしながら、それらのそういう八十九条に非常に類似したところの法制を持っておるところにおきましても、研究助成に公けの金を出してはならぬという法律を作ってもおりませんし、また、研究助成については、アメリカ等の中央政府も非常な多額な金を出しておるのでありまして、この教育のコントロールということにつきましては、いわゆるノーサポートのコントロールの原則を非常にやかましくとっておりまする国におきましても、研究の面においても、これはサポートを相当でなくて、非常な大幅なことをやっておるのであります。それらの点から考えまして、学術研究につきまして助成をするということは、これは八十九条に抵触するというふうには私は解釈をいたしておりませんのでございます。あれから何か拡大解釈をして、たとえば教育に関係があるから研究に金を出すということは、八十九条違反であるというお考えでありますれば、これははなはだおかしなことになる。すなわちあの教育というのは、教え導く要素のある、あるいは教え導く形のあるそういう教育だ、こういうふうに言っている。研究というものに教え導くものはないのであります。これは全く各人が自由に、あるいは御指摘にありましたような団体が、ただ研究しておる、これは教え導くものでもなければ、教育でもないのでありまして、どうぞそういうような解釈なり、あるいはほかの国において行われておりまするような法制実体、それらによりましてお考えを願い得ればと思うのでございます。
○吉江勝保君 午前のお話の際におきまして、憲法の二十六条と八十九条に教育という文字がありまして解釈をされておったようでございますが、今御説明によりますというと、この教育というものの中にも、研究というような、こういうようなものは教育じゃないのだ、狭い意味で教育というものは考えるべきで別に社会教育関係の団体がやっておっても、それは教育でなければ受けてもよいのだ、その一番よい例は社会教育学会、先生の属しておられまするような、そういう社会教育関係の団体は、国の補助や公共団体の補助を受けても、多々ますます受ける方がよろしいのだ、こういうように拝聴いたしまして、私の言わんとするところを先生からおっしゃってもらったような感じが実はいたすのでございます。そこで、その次にお伺いをいたしたいと思いまするのは、今度は社会教育主事の講習でありまするが、その資格を与えられまする講習でありまするが、先ほどは、こういう講習は学界の最高でありまする大学でやるべきもので、政党出身の大臣があるところの文部省であるとか、このごろ任命制度になった教育委員会がやるべきものではない、こういうようなお説でございましたが、これは現在の社会教育法の建前を改正しようという御意見をお述べになっているのか、現在の法制のもとにおいてそういう制度になっていると、こういうようにおっしゃっているのか、その点を明確にしていただきたいと思います。
○公述人(山本敏夫君) 前段におきまして研究の問題にお触れになりましたので、この点につきまして、さらにちょっと簡単にお答えを申し上げます。
○吉江勝保君 その点はわかります。次の点をどうぞおっしゃって下さい。
○公述人(山本敏夫君) これは憲法の二十三条に「学問の自由は、これを保障する。」という、すなわち、学問研究の自由な憲法によって保障されているのでありまして、これくらい強い条文がほかの教育活動について明文としてあるかどうかと言います。と、その点については……。
○吉江勝保君 委員長、質問したことにお答えを願いたい……。
○委員長(相馬助治君) 関連しておりますから……。
○公述人(山本敏夫君) これは関連しておりまして、今の最初のところの御発言に関連がありましたので、私といたしましては、さらに明らかにいたしておきたいと思うのであります。簡単に申し上げますが、こういう二十三条の学問の自由の保障という明文もあるのでございまして、これらとにらみ合せまして研究に助成を受けるということ、並びに実体から申しまして、研究に対するコントロール、これは教育の場合よりも、実体上は割合につけやすくない面もあるわけでございます。 それから後段でありますが、社会教育主事の養成でありますが、これは今度大きな違いは、文部大臣または教育委員会が直接にその養成に当る、こういう形になりました点、これがやはりきわだって従来と違った点として響くのでございます。それで午前中に差し上げましたような資料なり、あるいは参考資料にございまするように、専門職、御承知のように教育公務員特例法によりまして、指導主事と並びまして社会教育主事は専門教職員となっておるのでございます。そしてその基礎資格につきましても、大学における二年の在学であるとか、あるいは六十五単位以上の云々というような基礎資格が、一般教養等を含みましても相当幅広いものがあるのでございます。で、これは専門職、ちょっと英語を使うのもきざで恐縮なんですが、その方がかえってわかりがいいと思いますが、いわゆるこのプロフェッショナルな仕事でございまして、こういうプロフェッショナルな仕事の健全な発達を育成いたしますのには、その前提条件といたしまして、その専門的な事柄についての研究の自由があるようなところ、あるいは研究の成果の蓄積がおのずからあるような、そういうような機関におきまして当ることが適当である、さように考えまして、この現行法のような行き方の方が専門職育成に適しておる、さように申しておるのでございまして、はなはだ遺憾なことではございますけれども、種々教育行政に対しまして、中央統制なり、あるいはその他のいろいろのコントロールが及んでおりますることは、これは事実でございまして、そういう実態から考えまして、ことに日本の中央の行政官庁は、独認制の政党出身の大臣の力というものが、諸外国に比しまして、非常に強く及んでおる実態でありまして、それら諸外国との関連、比較から考えてみましても、また現在の実態から考えてみましても、それと先ほど申し上げました、決して完全な研究の自由が保障はされていないにいたしましても、比較的に研究の自由と研究の蓄積のありまするような大学において、これを育成するという、それらの比較対照から考えまして、後者の方が適当である。従って法改正をいたしますと、むしろ弊害が出てくる、さように考えて申し述べました次第でございます。
○吉江勝保君 私はお尋ねを省略しておったのでありますが、研究に関しまして相当詳細に御説明をいただきましたので、それでは少し研究の方に入って質問をいたしてみたいと思います。 研究というようなものは、これは社会教育の団体が、いろいろな事業をやっておりまするが、その社会教育の関係団体が研究をやります場合は、社会教育学会と同じようにこれは補助を受けてもよろしい、こういうことになるんですね、お尋ねいたします。
○公述人(山本敏夫君) これがいわゆる従来の解釈なり、慣行からいたしまして、これが純然たる研究事業、純然たる研究であるということになりますれば、それは個人であろうが、だれであろうが、純然たる研究に対して金を出すということが八十九条にふれると、そういう解釈は成り立たぬと思うのでございます。
○吉江勝保君 研究という内容を今度は分析されまして、研究の中には純然たる研究と、純然でない研究があるようでありまして、日本社会教育学会の方の特別委員会でやっておられまするこういう発表されておりますものは、こういうものは純然たる教育になっておると、こういうような御解釈のようであります。これをただいま読みますることは省略いたします。私はこれを追及しようというのではありません。そういうように教育に関しまする教育の事業、こう申しましても、研究であればそれは差しつかえない、そういたしますと、社会教育法の第十三条では「国及び地方公共団体は、社会教育関係団体に対し、補助金を与えてはならない。」、こういうようになっておって、これを削除することが憲法違反だという御論旨のようであったのでありますが、しかし社会教育団体のやっております事業というものは、社会教育法の第十条によりましても、いろいろな社会教育に関する事業が行えるのでありまして、その中にはあなたのおっしゃる通りに、純粋な研究がもちろん入るわけなんであります。そうすると、社会教育関係の団体が純粋な研究をやりますときに、補助金を国が出しますることが、なぜ憲法の八十九条違反になるのか、お答えをいただきたいと思います。
○公述人(山本敏夫君) その前にちょっと申し上げておきますが、十三条そのものを削ることが、直ちに憲法違反になるというふうには私は申しておらないのです。十三条を削りまして当局が意図しているような、教え導く要素のないものには、社会教育であっても金を出せるのだとこういう考え方をしてそしてそれに金を出すというようなことをすれば八十九条に違反する、そういうふうに申しているのでありまして、十三条そのものを削ることが、直ちに憲法に違反すると、さように申してはおらないのでございます。これはあとで速記録等をごらんになりましても、おわかりいただけることだと思うのでございます。それから後段のことでございますが、この社会教育関係団体につきましては、御承知のように、社教法の十条で、「「社会教育関係団体」とは、法人であると否とを問わず公の支配に属しない団体で社会教育に関する事業を行うことを主たる目的とするものをいう。」とございまして、元来性格が相当はっきり社教団体の場合においては出ているわけでございます。さらに社会教育の定義につきましては、第二条で述べているのでございまして、そういう点から考えまして、社教団体の性格それから社教団体そのものの実態というものは、相当、法律ばかりではなく、これは明かになっている点でございます。それで、先ほどの純然たるという言葉につきまして、いろいろお言葉がございましたが、私の言っているのは、先ほど引用いたしました二十四年五月の法制意見等を踏まえまして、あの純然たるという意味は、一種の学術研究というような意味でございます。学術研究というようなものである。私は何も、そういう意味のものなら、それは出せるでしょう、さように申します。これは学術研究を行うのが、こういう主体でないのは書いてございません。あの法制意見にも書いてはないし、それからこの純然たる研究というのは、さっき申した教育的な事業に、事業とうらはらにならないような研究という意味もありますし、それからもう一つは、さっき二十四年五月の法制意見を参照いたしました点から言いましても、学術研究といったようなもの、これらなら私はやはりいいのではないか。ただ、それが社会団体はここにもありますように、元来が社会教育的なことを行うまあ団体でございますから、非常に教育と研究とが混同されるおそれというのが、これは非常にあります。われわれ大学関係の者は、学校教育法等によりましても、教育ということと、研究ということが、はっきりその二つが本務であるという書き方を、学校教育法の大学の章などでも申しているのでありまして、そういうような点と、この社教団体との間、これは申し上げるまでもなく、比較をいたしましたときに、それらの点を御勘案になってお考えを願えればと思うのであります。
○荒木正三郎君 関連して。山本先生の説明をただいま聞いておったのですがね、どうも私にはちょっとわかりにくい点があるのです。それは吉江さんの質問の中に、社会教育事業団体でも、研究をやっている部門に対しては補助金を出してもいいのだというような意味に私はとったのですが、私の解釈では、社会教育学会のようなのは、はっきりと性格が研究団体ですよ、それ自体が。しかし、社会教育の事業をしている団体は、これは研究団体じゃないですよ。それは社会教育事業をするために研究するかもしれません。しかし、それは研究が目的でないのです。社会教育の事業をすることが目的なんです。こういうものに補助金を出すということは、かりに、その一部分の中で研究をしておろうが、こういう団体に出すことは、私は憲法違反だと思うのです。そういう点、どうもはっきりせぬように思ったのです。その点はっきりおっしゃっていただきたいと思います。
○吉江勝保君 私もこれからだんだんそこへ持っていこうと思って発言しておるのですがね。途中から先走って聞かれてしまうと狂ってしまう。
○委員長(相馬助治君) ちょっと速記をやめて。 〔速記中止〕
○委員長(相馬助治君) 速記を復活して。
○吉江勝保君 私は、社会教育法第十三条の社会教育関係団体に補助金を与えてはならない、こういうようにありまする条文を削除いたしますことは憲法違反になるというような論旨であったと、こういうふうにお尋ねいたしましたら、それはそうじゃないのだ、それは憲法違反になるのじゃないのだ、八十九条の中に、教育を行う事業、こういうものに純粋に該当するものが憲法違反になるのであって、社会教育団体にやることすべてが何も憲法違反になるという論旨ではないのだ、こういうように御答弁をいただきまして、実は私がそういうようにいただきたい御答弁をいただいたのであります。第十三条の削除につきましては、これは別に何も削除して憲法違反にはならない、しかし、八十九条のここに憲法で言うておりますような教育の事業、こういうような教育事業には公けの金を支出することはできない、その点は私もよく憲法はわかるのであります。ただ、十三条の削除が憲法違反であると いうような論旨のように午前中聞きましたので、この点をお尋ねしましたら、はっきりと、憲法違反でないのだ、憲法八十九条に違反するような、純粋の研究でないところの、教育になるような事業に金を出してはいけないのだ、こういう御説明であったので、実に明快によく了承ができたのであります。その点を幾らか関連質問でお答えになっておりまするが、これは先ほど御明快な御答弁をいただきましたところでよくわかっておるのであります。
○荒木正三郎君 関連質問に対する答弁がまだない。それはぜひしてもらわなければならない。あっちの方から言うてもらっては困りますよ。私の質問に対してお答えがなければいかぬ。
○吉江勝保君 もう一ぺんあとでおやりになったらどうです。その点は。
○荒木正三郎君 順序を経て私は質問しているのですから……。
○吉江勝保君 あなたの時間にやりなさいよ。
○荒木正三郎君 了解を得て、委員長の指名で質問しているのですから、むちゃくちゃにやっているのじゃないですよ。
○委員長(相馬助治君) 私語はやめて下さい。山本さん、さっきの荒木委員の質問にお答えになられますか。
○公述人(山本敏夫君) ええ。
○委員長(相馬助治君) それでは、それと、今の吉江さんの質問がなされておりますから、先に関連質問の方についてのお答えを願いたいと思います。
○公述人(山本敏夫君) ちょうど資料を探しておりましたら出て参りました。私は、この点は一つの論拠になると思っておったのですが、昭和二十四年五月三十日に法務調査意見が出ておるのですが、「学術団体に対する補助金の支出について」という書類ですが、そこで、「私法人または個人の経営する」——私もうろ覚えで言っておりましたが、「純然たる学術研究機関または学術団体に対し国が補助金を支出することは憲法八十九条に抵触しないか」、こういう問いに対して、これは差しつかえないと、かように回答しておるのであります。私は、これはさっき申し上げましたような、アメリカ等の法制なり、実態から見ても差しつかえがないじゃないか、またそれほど弊害も事実上、日本の場合においても、諸外国の場合においても認められておりませんので、これは差しつかえないじゃないかと思います。それにつきまして、それでは、社会団体の場合どうだ、こういうことで、私非常にばく然と、純然たる研究であれば、こういうことを申し上げまして、それからそのあとで、社教団体の性格というものは、社教法十条で大体きまっておるものなんだ、だから学術団体とは、大学のような場合、大学は初めから教育と研究をやるとか、あるいはわれわれ大学に勤めておりまする者は、教育と研究を最初からやると、こういうことになっておるものと、社教団体との間には違いがあるじゃないかということを、荒木先生の御質問があります前にもお答えして、純然たるという意味には、学術という意味があるようだということを、これはうろ覚えで実は申し上げておったのですが、社教団体の場合に、研究するならと、こういう、その場合の研究ということには、これは私はどうも社教団体そのものが、名前からして社教団体なのであって、どうもこれは非常に混同されるおそれが実はあると思うのであります。それらの性格の違いから言いましても、抽象的に考えれば、これは研究であって教育じゃないという、単なる抽象論から言えば、純然たる研究であれば、出してもいいというような考え方は、これは一応出てこないことはありません。ありませんが、それはいわゆる抽象的、文理的に出ることであって、実体上から言いますと、これはやはり学術団体の場合とは異なる面があるじゃないか、さように思えるのでございます。これは実体論としてさように思える。研究ならいいだろう、さっきの、ちょうど教え導くことには出せないが、導かない方なら出せるというのと、非常にそこのところが似てくるのであります。ことに社教団体のような場合ですと、研究をやる、サークル活動をやる、そのサークル活動というようなことを研究なんだ、サークル活動が研究なんだ、読書会は研究なんだ、こういうようなことになってきますと、これはどうも問題が広がってくるように思うのであります。それを、そういうサークル活動をやること自体を社会教育活動とわれわれが言っておりますから、だからそういうふうに解釈すると青年団や何かの研究ということが実は社会教育活動、その場合には社会教育活動に入ってくる。よく純然たる読書会をやる、展覧会をやる、それらは教え導くことじゃないのだ、だからそれならいいだろうというのと非常にその点が似てきて、両方がかぶさってくるのであります。単に一緒に本を読む、だからこれは研究なんだと言うが、それは社会教育活動だと、こう見ているのが普通でありまして、そういう面に対しては、そういうような意味のものに対しては、私は出せないという解釈の方がこれは妥当するじゃないか、なぜなら、それは社会教育活動の中へ入ってきちゃう、さように思うのでございます。その点補足いたします。
○吉江勝保君 大体関連質問の答弁があったようでありまして、第十三条の削除につきましては、先ほど来申しまするように、何もこれを削除することは憲法違反じゃないのだ、しかし八十九条の中の教育の事業に該当するようなことをやる社会教育団体には、もちろんこれは教育の事業でありまするから、これには補助を出してはいけない、憲法違反になる、こういう論旨でお話を徹底されたようであります。それで社会教育団体というもの、関係団体というものは、今全国でこれは無数に数多くあります。その団体がやっておりまする事業、それも主としてやっておるという制限をいたしましても、主としてやっておるといういろいろな事業をあげましても、これは無数にある。先ほど先生が言われたように、実にばく然たるものでありまして、非常に多くの事業をやっておるんであります。ここで、そのやっておりまする事業を羅列いたしまして、あげる煩を省きますが、これも先生御承知のように、実に数多くの活動といいますか、事業をやっておるんであります。そういうような事業の中には、教育の事業もあれば、教育と言われないようなものもあり、いろいろあるんで、そこで社会教育関係団体には、包括して国の補助金を出せないと、こういうことをいいますることは、先生の論旨からいいましても矛盾を来たしますので、純粋に憲法八十九条にいう教育の事業に関しましては、これは国は公貴をもって補助することはございませんが、しかしそうでないものには、たとえば先ほどの日本社会教育学会でありますか、こういう研究団体も、いわば社会教育団体の一つであります。そういうものは差しつかえない。こういうように内容を分けまして、そして教育の事業には憲法違反だから補助金をやらない、しかし教育の事業でないものには何もとめる必要がない、それは憲法違反にはならない、こういうことは、もうどの憲法学者も大体認めておりまするところでありまして、また国の有権的な解釈におきましても、これは明白になっておりますので、またその論旨と先生の今の御説明と一致しておるのでありまして、この点は私も了承ができるのであります。そこで、ここで先ほど私が論旨を次に進めて参りましたら、研究でまたあと戻りをいたしたのでありまするが、大臣が政党出身だから、そういう政党出身の大臣がやっておる文部省が直接講習をやるようなことはいけないんだ、また、地方の都道府県の教育委員会が講習をやることはよろしくないんだ、これはもう現在やっておる大学だけがやるんだ、大学だけがその権限を持っておるんだ、ここにやらすべきだと、こうおっしゃっておるようでありまするが、もちろん今やっておりまする大学も、講習をやることは変りないんでありまして、さらにその不備なことは、先生も御承知のように、その大学で講師がやられぬような課目もたくさんあるんであります。現にここでお尋ねいたしますれば、お隣りにすわっておられまする渡辺さんも、大学の講習を受けて社会教育主事におなりになったようには聞いておりませんので、これはやはり地方で、教育委員会でありまするか、あるいはそういうところで資格をおとりになっておるのでありまして、そういよ道を開くことが、優秀な渡辺さんのような方が社会教育主事におなりになるのにも道が開いてよろしいのではないか、それを大学だけがやるんだと、こういうことになりますというと、せっかくきょう公聴会に出て、非常に高邁な識見を御発表になっておりまする渡辺英雄さんが、資格がなかったと、こういうものは資格がないんだということを先生がおっしゃっているような感じがいたすのでありまして、それは余談でありまするが、そういうように十学自身もやれるが、必要なときには必要な課目を、その経験を尊重いたしまして資格を与えていくと、こういう道を開きますることがなぜ悪いか、こういう点についていま一度御説明を伺います。
○公述人(山本敏夫君) 前段の十三条、八十九条の問題の関連につきましては、午前中るる申し述べておるのでありますから、これを申し述べましたところをその通りにお受け取り願いたい。ここでまた繰り返しますと非常に御迷惑だと思いますので、これはやめます。それから研究云々のことがございましたが、先ほど来申し上げましたような理由によりまして、純然たる研究といいましても、普通この社教団体の行われますることは、これは社会教育活動という中に入りますから、やはりこれは包括的に見てこの教育の事柄の中に入ってくる、さように考えるのでありまして、この点もはっきり申し上げておきます。 それから何かお言葉の節で、十三条を削っても、いわゆる八十九条の教育の事業以外の事業というのを、その意味をちょっと法制解釈のように解釈されておる響きがあるのですが、私はそうでないので、これは午前中はっきり申し上げたように法制解釈なり、文部解釈のその教育という考え方を限定することが文理上どうしても納得がいかない、また、そういうふうに分離することから生ずるいろいろの弊害が、それらの弊害を防ぐために財政の条章なり八十九条が設けられておる。それを限定した教育の事業以外の教育事業であるといって、公けの支配云々ということを全く滅却し得ることは、これは非常な問題であるという点を申し述べましたのでありまして、この点はくどいようでありますが、繰り返しておきます。 それから第二点の主事養成の点でございますが、これは私も言葉の使い方には相当注意しておりまして大学でやることが適当なんだ、大臣が直接に養成したり、教育委員会が養成することは適当でない、かように申しておるのでございます。その点はそういう意味で一つおくみ取りを願いたい。これもくどくど言うことになりますから申し上げたくないのでありますが、任命制教育に切りかわりました後などにおける中央、地方の文教行政の諸傾向からいいまして、特にそのことを申し上げておるのと、それからさらに、社教主事が専門職であるという、そういう性能を考えまして、大学が養成に当ることが適当なので、現行法の方がよろしい、大臣や教員が直接当るようにしない方がよろしいのだ、かように申したのでありまして、むろんこれは大臣の委託があってやるのでありますけれども、直接当るのは大学が当るというふうになっておる方がいいので、その大学の社会教育の研究そのほかを充実していくという措置を講じますれば、相当多量に社教主事が要るということになりましても、これは措置の仕方によって、大学でできないことはないと思うのでございます。さような意味で後段の方は申し述べましたわけでございます。
○吉江勝保君 ただいまのお話によりまして、文部大臣という大臣が直接当るということをだいぶ繰り返されたようでありまするが、もちろん、文部大臣が大学に対しましても委嘱をすると同じように、実際の運営というものは大臣が当るのではもちろんないのであります。それは適当な学者の人たちとか、その方の担当の人たちがおやりになるのでありまして、そういう実務を担当いたしますのが、あるいは大学の方に行けば教授がやられ、あるいはそうでない場合には大学の先生以外の人が講習をやられる。政党出身の文部大臣がじきじきに講習をやるというような、そういうような意味ではなかろうと思うのでありまして、この点はもう私もよくわかるのであります。そこで、これは文部大臣がそういうことを直接と申しまするか、大学以外のところにやらすのはよくない、こういうようにお話しになるのでありまするが、これは見解の違いで、私どもは大学が完備しておればよろしい、足らないところはほかの実際の経験を生かしましたり、そういう方の学問を身につけておる人に講習を受けた方がよかろう、こういうように思うのでありまするが、これは見解の相違といたしまして、山本先生がそういう論旨を、はっきりと文部省の大臣がやるのはいけない、こういうように明言されまするのに対しまして、幾らか私疑念にたえないのは、昭和二十三年から二十六年の間、先生が慶大の助教授でおありになりました当時、文部省の資格付与講習であるいわゆるIFELの先生は副主幹をされておりました。講習をされて、そうして資格をお与えになっておった。昭和二十三年から二十六年ごろまでは、先生が関係したところの講習会は文部大臣がこれをやっておっても差しつかえない、しかし、二十九年、三十年、三十一年というよりになってきますというと、だんだんこれは文部大臣がやっては悪い、こういうように変ってきたかのような感を受けたのであります。そういうような論旨でいらっしゃいまして、大学で御指導になっておるならば、なぜ二十三年から二十六年ごろの文部省主催のこういうIFELの副主幹なんかにおなりになって付与されるような、資格をお与えになっておったか、そういうことが実に納得いかないのであります。
○公述人(山本敏夫君) いわゆるIFELといいまして、教育長講習、あるいは指導主事講習、これは実を申しますと、文部省主催ではありまするけれども、実際にはあの当時はこれは占領下でありまして、これはよく文部省の方も御存じだと思いますが、この文部省が実際はその内容なり、内容をこうやるとか、こういうふうにやるとかいうことは、これは文部省のお役人は一言も言えない、おもにこれは設営だけでした、ほとんど。私は確かにIFELの教育長講習の、専門が教育行政でありますから、教育長講習の副主幹そのほかをいたして、教育委員会制度の行財政の講座を長年担当いたしました。いたしましたが、今のこの文部省とそのころの文部省の権能というものは全く違っておった。これは必ずしも日本国民としてどうこう言うことはできませんけれども、とにかく文部省は内容のことについては一言も言えない、ただ場所を確保する、バスだとか、そのほかの設営をやっておっただけであります。内容につきましては、この新しい憲法、あるいはその当時の教育委員会法、これにのっとりまして、限界は、それはこれらの諸法規に限界はありまするけれども、日本の教育なり、日本を民主化するために必要な、とにかくその時代においては前向きの役割をするところの意味を持っておったことは事実であります。もちろん、それがすべて完全な活動をやっておったとは申せませんが、しかしながら、戦前の官僚統制、これを抑えまして戦前の中央統制を抑えまして、旧委員会法によるところの、日本の教育行政の民主化をはかるための旧委員会法、しかも公選制委員会制度というものにのっとりまして、今から考えますというと、非常に画期的な前向きの教育改革をやったのであります。なるほど形式は、文部大臣が主催しておるごとくに見えましたが、先ほど来何たびも申し上げておるごとく、任命制以後の中央、地方における諸傾向というものは全くなかったのであります。私の申し上げておることは、それらの背景と照し合せて申し上げておるのであります。どうかそういう点を御勘案願いたいのであります。単なる形式を言っておるのではないのであります。先ほども申し上げておるのは、任命制以来の諸傾向に照して好ましくないということを申し上げておるのであります。単なる形式論でおっしゃることにつきましては、どうか今申し上げたような点につきましてお考えを願いたいのであります。
○委員長(相馬助治君) 今のところ質疑通告者が大体六人あるのですが、吉江君、間もなく終りますか。
○吉江勝保君 ええ、すぐ終ります。 文部省につきましては、ある時期の文部省はよくないが、ある時期の文部省はよろしい。前向きの文部省ならばやってもいいが、後向きの文部省じゃやっちゃいかぬ、大体こういうような御論旨のようで、もっと言いたいのでありますが、次に進んで参りまして、きょうはだいぶ勉強さしていただきまして、先ほどは英文の解釈を、どこにありましたか英文をいただいたのでありまして、この英文のエニイ……エデュケーショナル……エンタープライセスですが、こういう語学といいますかに、久しぶりに接したのでありますが、こういう英文の憲法を非常に御推奨になりまして、英文をこういうようにお話しでありますが、ここでエニイというのに非常に力を入れておいでになったのであります。いかなるということを非常に主張されておりました。しかしだんだん聞いてみますと、先ほど私が言いましたように、純粋な教育というのに限るのでありまして、ほかのものはこれはもう教育の中ではないのだ、何もエニイというばかりが何でもいいというのじゃなくて、エニイの次にエデュケーショナルがあって、教育ということがあって、その次にはエンタープライセスですが、これは目的と組織をもって企てられます事業といいますか、企業といいますか、こういう語訳があるので、こういう限定されたいかなる教育事業にも国は補助してはいかぬ。しかし原文をお出しになるならば、エニイばかりに力を入れずに、あとの方のエンタープライセスとか、エデュケーショナルというところもしっかりおっしゃっていただいて、そういういかなる事業にも国は補助してはいかぬ、しかしそれ以外のものは差しつかえない、こういう論旨になるのであります。私はここでこういう説明を承わりまして受けた感じで、あまりにエニイに力をお入れになりまして、何でも、エニイはいかぬのかと、こういう誤解が起らぬようにちょっと私の意見を申し上げたのであります。この憲法の法文解釈をなさっておりまするが、現在の憲法のエニイ……エデュケーショナル……エンタープライセスでありますか、こういうような憲法の条章にいたしましても、国の補助を出してはいけないという規定にいたしましても、先生はこういう学説を説明されまするとともに、学者として、やはり自分一個の、憲法を離れました自分の意見としても、こういう憲法、こういう建前というものはよいと、こういうようにお信じになるのかどうか、その点をお尋ねいたします。
○公述人(山本敏夫君) エニイというところで、この純然たるという言葉、これは出てきたのじゃないのでございまして、これは先ほど申し上げました純然たるというのは、純然たる研究、純然たる学術研究というところで出ましたので、エニイのところで出ましたのではございませんので、どうかその点は誤解がございませんようにお願いをいたしたいのであります。 それから憲法についてどう思うかという点でありますが、後段の御質問でありますが、それは理想論から申しますれば、この条章のことを言うのじゃありませんが、憲法全体につきましては、決して完全なものとは申せません点はございますがしかしながら、私はこの現在の諸情勢——これも現在の諸情勢からいいまして申し上げるのです。——を踏まえて考えまして、決して完全ではありませんし、いろいろ立法上諸問題は含んではおりまするけれども、この憲法の条章を踏まえまして、それの完全な実施ということをいたしますることが、日本の民主主義をやはり確立するゆえんでもあるし、いろいろ物足りないと思う点があります。物足りないと思う点があるけれども、むしろ物足りなくても、これを守っていきますことの方が日本の民主主義を守り得るのだ、そういう考え方をこの八十九条にもいたしておるのでありまして、ことに最近の諸傾向から考えました場合においては、多少窮屈な面がありましても、やはりこの八十九条の条文は、これをごくすなおに読みまして、そしてこの趣旨によって参る、先ほど来、午前中に申し上げました幾つかの原則がこの中にこもっておりますが、その原則を守るということが日本の民主主義のためになる、さように個人といたしましても考えておる次第でございます。
○吉江勝保君 憲法の解釈につきましては、午前中からお尋をし、さらに学者としての意見というものも、現在の情勢と申しますか、にあっては、現行憲法の建前というものをよろしい、こういうようにお認めになって、学者としての研究もなさっておる、こういうようにお伺いをいたしたのでありまするが、さようでよろしいのですか。
○公述人(山本敏夫君) それは細かい点についてはいろいろな点があると思いますけれども、大体論としては、これがいいのじゃないか、さように思っております。その一々の条章はともかくとしまして、ことに八十九条などについては、これをすなおに解釈してくることがよろしいのじゃないか、さように思っておるのでございます。
○吉江勝保君 そこで、山本先生の、あれは昨年の何月でありまするか、六月でありますか、十月ですか、出版されました先生の著書を拝見いたしますというと、そういう点に論じられまして、これは社会教育事業の団体のみならず、私学に触れて、いわゆるイギリスの教育と大学というのでありますか、そういう点に触れて先生が著書をお出しになっておりますですね。その著書の中を引例をさしてもらいますというと、憲法第八十九条の規定などによって幾多の困難が感じられることは周知の通りである。イギリスではかなり以前から大学に対する助成の方法がとられ、ことに第二次世界大戦以来は目ざましい展開を見せている。これはイギリスのことをおっしゃっておる。そこで今度は、大体日本の憲法の規定は、いわゆるノー・サポート、ノー・コントロールの原則によるものであるが、このような原則は再検討の余地がないとはいえない。こういうようにおっしゃって、それからあと、現在の憲法というものはアメリカ流の方法であって、わが国の実情から見て検討を要するものだというような著書をお出しになっておるのでありまして、きょうの立論のような御意見、現行憲法の現在の情勢のもとにおきましてお認めになっておる立場なら、ごく最近お出しになっておる著作、憲法八十九条を批判して、再検討の要があるというような、こういう著述をお出しになっておるのは、どういうようなお立場からお書きになったのか、御説明をいただきます。
○公述人(山本敏夫君) それは何に書きましたのか、私もちょっと記憶にありませんが、趣旨はこういうことであります。主として、これはオックスフオード、ケンブリッジ、そのほかの大学を見てきまして、イギリスの場合は、要するにサポートはするけれどもコントロールはしないという、そういう建前になっておる。で、それができれば望ましい、先ほど申し上げましたのも、この憲法が種々申し分があるということを申しておるのは、そういうような点も実は含めておるのです。たとえば今のこの憲法は、非常にはっきりいいますと、自由権的な人権は保障しておりますけれども、生活権的な面の保障というのは弱い。で、そういうような点については私は実は不満があるのです。不満があるが、先ほど来申し上げましたように、いろいろ不満はあるけれども、一応これを守る方が今の情勢としてはいいのだということを特に申し上げておるのです。それからもう一つは、これはやるのなら憲法改正という、憲法そのものの改正、憲法を改正しないでおいて十三条削除で金が出せる、それがいいといったことじゃないのでありまして、ノー・サポート、ノー・コントロールよりも、それは憲法まで改正して、サポートもできるがコントロールできるということになれば、その方が理想です。それは理想です。ところが今の憲法はそうじゃない。これは私立学校に関する法律にしましても、社会福祉事業法にしましても、児童保護の法律にしましても、そうじゃない。で、午前中にもいろいろのあれがございましたが、サポートしても全然ノー・コントロールだというようなことになるのなら、これは理想なんです。私の何から御利用になったか、何か書いたものがあるのですが、それらを言っているのはそれでありますが、イギリスのような場合であれば、たとえば大学に対して、研究ばかりでなくて、オックスフォード、ケンブリッジ、これは私学でありますが、その七割までの経営費が国庫から出ておる。国庫から出てはおりますが、その場合に、金の配分の支出を、イギリスの文部省に扱わせたのではひもがつく、だからそれは全然文部省から離しまして、金のことだからというので、大蔵省所管のユニバーシティ・グラント・コミティという補助金を扱う委員会におきまして、その委員も全く大学人だけでやっておるのです。非常に長年の自由と自治との伝統のありまするイギリスにおいてすら、何も私はイギリスを礼賛しておるんじゃないのですが、それだけの用意をいたしておるのであります。そういうようなところまで考えてやるのが理想である。それを申したのであります。そういうことができない現状においては、先ほど申したように、不十分な点があるけれども、この憲法でいくよりしようがない。まして憲法は改められていないのであります。憲法八十九条から考えましても、これを重んじていくというのは、これは秩序の源泉になるわけであります。ですから、それらの点においてはそれを守っていく、しかし、私の専門は教育行政、教育法制でありますから、現在の憲法に定められている制度、それよりも一段よいものはないか、研究はしています。そういう立場でいるのであります。それについて検討をすることは大事だぞ、すなわち金が出ればコントロールがつく、そのコントロールの方がきびしいというそういう現実ではなくて、サポートはしてもコントロールしないという方が一段と望ましいということで、理想論のことで申したわけであります。
○吉江勝保君 長時間お教えをいただいて大へんありがとうございました。先生から、私が尋ねて参りますと、それに応じて御明快な答弁を次々にいただきまして、最初からそういう趣旨でずっと論旨が進んでおりますと、私も非常にわかりよかったのでありますが、現行のこの社会教育法改正の条文削除でありますとか、憲法のおもなる点につきましての非常に専門的な反対でありますとか、大きな異論を唱えられておるように聞いたものでありますから、順次お尋ねをいたしました。先生のお気持はわかりました。質問はこれで終ります。
○松永忠二君 山本さんに一つお聞きしたいのですが、だいぶ今しまいの方でお話があったのでわかったのですが、私たちは憲法第八十九条というもので、公金——公けの支配に属しない教育の事業に対して金を出してはいけないということを規定されておって、それが教育基本法の第七条に、社会教育というものは国及び地方公共団体によって奨励されなければならないということが規定されておる。そうしてそれを受けて、今、社会教育法の中に、第十二条、第十三条に、統制を加えてはならないし、補助金を与えてはいけないということに関連されたものとして、具体的に規定をされたものだというふうに解釈をしておるわけでありますが、やはりそこに一連の関連を持っている法律の設定であるというように考えているのですが、その点はいかがですか、簡潔に御答弁願いたいと思います。
○公述人(山本敏夫君) 簡単に申し上げますが、第七条では、「国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。」とございます。これはまあ申し上げるまでもない。御承知の通りに、奨励するということは、いろいろの方法があるわけでございまして、補助金を出さなくとも、いろいろ使える施設を十分に作ってやる、婦人団体、青年団体が使えるような施設を作ってやったり、そのほかによりまして、これは奨励ということは、これはできる方法が補助金以外に十分あるはずでございます。それと、社教法の方の十二条、十三条の関係でございましたが、これはもちろん一般的に、基本法で奨励ということは申してはおるけれども、この奨励ということによっていろいろの支配が及んではならぬという意味で、この御指摘の十二条、十三条が出てきたわけでございまして、私はこれは十二条、十三条は、文脈から考えますれば、むしろ基本法の十条の「教育は、不当な支配に服することなく、」とあることに要約されて十二条が生まれてきておる。十二条の「不当に統制的支配を及ぼし」てはならぬとありまするのは、やはりこの十条の教育行政の大原則に沿っておるものと思うのであります。そしてその十二条のあとにこの十三条の「補助金を与えてはならない。」とありますることは、やはり支配統制ということと文脈上関係があって、そういうコントロールを排除するという意味で、先ほど来お話がありましたノー・サポート、ノー・コントロールという意味で、ここで繰り返しておると思うのであります。これは書きませんでも、八十九条があるわけでございますけれども、そういう書き方は、まあ繰り返して書いておる、さように思うのでございます。
○松永忠二君 そうすると、八十九条、教育基本法の第七条、第十条、それと社教法の十二条、十三条というものは、関連性を持ってここに法律ができている。そういうことになると、先ほどからお話がありましたように、憲法八十九条というものの中でも、特に教育の事業を非常に狭く解釈をして、そうしてこの補助金を与えてもいいというようなことに解釈をしていくということになりますならば、やはりそういうふうなことが行われないという意味でも、社会教育法の十三条というものは非常に必要なものだというふうにあなたの論説ではなさっておると思うのですが、その点はそういうふうに理解してよろしゅうございますか。
○公述人(山本敏夫君) 特に十二条のあとでこれを繰り返して書いておりますることは、その社会教育の部面で特にやはり注意をいたしておくという意味があると思いますし、十二条のあとの十三条でありまするので、やはりこれは文脈もおのずから関連もあり、先ほど御指摘のありました基本法との諸関連もあると思うのでございます。
○松永忠二君 まあ大体わかりました。今の御説明でいろいろはっきりしてきておるわけですが、そこで、皆さん方から簡単に御答弁をいただきたいと思うのですが、今の社会教育を振興する、その前提といたしまして、賛成の方、反対の方、特にこの法案に賛成の方も、この社会教育を拡充しなきゃいかぬというお説、そうしてまた、そのためには予算は十分とられなきゃできぬということについては、私たちも全面的に賛成であります。そういう点は、反対なさっておられる方々も私は全部御賛成ではなかろうかと思うのであります。では、今一体、社会教育を振興するについて、国がこの金を使っていかなければできない場所はどこなのか、どういうところに国は予算を、社会教育を振興するために使っていかなきゃできないのか、そういうことをお考えになっておるのか、どこに一体、今、社会教育を振興するために予算を使っていかなければできないのかという点について、お答えを願いたいと思うのであります。 それからもう一点、時間もありませんので関連して申し上げるのでありますが、この十三条を取った場合に、補助金が適正に行われるという保証があるのかないのか、十三条を取った場合に、補助金が出される場合に、適正に行われるという保証が一体あるのかないのかという点について、徳永さんとそれから小林さんと、それから田中さんに一つお答えをいただきたいと思うのです。最初のは全体の方に簡単に一つお答えを願いたいと思うのです。
○委員長(相馬助治君) それでは、全部の公述人の方に、最初のことを質問されたようですから、御意見がございましたら、守田公述人の方からずっとお答え願いたいと思うのです。松永さんの今の前段の質問です。
○公述人(守田道隆君) 前段の方の松永先生のお尋ねでございますが、国の費用をどこで求めておるかというお話でございますが、私ども公民館に長く関係いたしております立場と、それから市町村長の立場から申し上げますと、さっきも公述の際に申し上げましたように、公民館は大体建物と人によって組成されておるものだと思います。そういう点で、施設の面につきまして国がもっと奨励さるべきだ。さっきも申し上げましたように、看板公民館であるとか、青空公民館であるとかいうような、まことに日本としては恥辱の言葉がときどきはやる。こういうことは非常に遺憾だと思いますので、そういう点で、施設に対して助成がしてもらいたいということと、それかし教育はやはり人でございますが、人の待遇が非常に悪いのであります。これは要するに財政事情オンリーと言ってもいい。と申しますのは、御承知の通りに、市町村では今日地方財政の問題については、諸先生にも非常にお骨折りをかけておると思いますが、そういう実情から申しますると、国の方で本式に取り上げて助成をされるような事業でなければ、たとえば補助を与えるとか、起債を与えるとか、そういう事業でございませんと、市町村長の方では取り上げ得ないのであります。これは財政上の立場でございます。そういう点から、どうしても義務教育の方は補助も与えられ、起債も十分に認められるというような点から、義務教育偏重という姿にならざるを得ぬのでありまして、そのために、大部分の公民館の関係者と申しますのは非常に老齢でありまして、しかも兼務が多い。はなはだしいのになりましては、館長は、助役という非常に忙しい立場の人が、名目上館長をやっておるというような実情でございまするし、なお、二千円とか、三千円とか、月にであります。日ではございません。それに当てがい扶持と申しますか、そういうことで、恩給を取った方に嘱託として勤務していただいておる。しかし勤務自体は普通の公務員よりも長時間であり非常に骨が折れる。しかもそれに対して、そういう嘱託の扱いをしているというの が全国至るところであります。そういう点で、人の助成、人の第一番は今度の法律に出ておりますように、まず地位の確立、身分の確立であります。そういう点をいたしますと同時に、これを、やはりその職業を保障するということが必要だと考えております。 なおもう一つは、それはいわゆる公けな設備の問題でございまするが、公けな設備だけでは、さっきお話がございましたが、役所の仕事になってしまいます。これを盛り上げるものはあくまでこれは市民の活動であります。社会教育のボランティアやその他の活動が要るのであります。そういう活動を助成するために、今閉じられておりまする団体に対する助成の道をどうしても開いていただかないと、弊害はともかくとしましても、弊害が起るよりもその前にスタートができない、立ち上りができないという実情でございます。そういう点で、まあそういう点をおもな大きな問題としますればお願いを申し上げたい、こう思っておるわけでございます。 委員長、それから十三条の削除の問題もお答え申し上げてよろしゅうございますか。
○委員長(相馬助治君) それは御指定がありましたら……。
○松永忠二君 徳永さんと小林さん、田中さんに一つやって下さい。 非常に失礼な申し分でありますけれども、だいぶ時間もあれでありますので、そのお話しになります項目については大体了解いたしましたので、どんな項目に金を使っていくべきであるかということを簡単に一つ申し述べて下さい。
○公述人(小林運美君) 松永さんからの最初の御発言を聞きまして私は非常にうれしく感じました。というのは、今度の改正案にあります社会教育事業に対して国の費用が要ることは賛成だ、そういうものに助成を出すことについては非常にいいことだというような御発言があったように私は考えまして、非常にうれしく感じました。そこで、こういう前段の質問に対しましては、今、守田さんからお話がありましたのと私は全く同じ考えを持っております。特にわれわれが今まで社会教育事業をやって参りまして、地方に参りますと、そんなにいい事業に対して国が何にも援助をしないじゃないかということをしょっちゅう聞きます。それを今回、国の予算をそういうところへ使うことができるようなふうになるということは、地方公共団体が非常に信用いたしまして、ほんのわずかな経費でも出していただくことは非常にいいことだと考えております。それを強調をいたしまして、次に、この予算を使う場合に公平に分配できる保証があるかどうかということの御質問のようでございましたが、それに対しましては、今までほかのいろいろの助成金等につきまして、国に審議会とか、いろいろのものがございますが、これは少し私は見解を異にしますが、そういうものがあっても、むしろおざなりになってしまうことが考えられます。むしろそういった審議会というようなものはなくてやっていただきたい。もっともっと莫大なお金が出るならこれは別問題でございますが、今われわれが期待しているのはそんな大したものではないというふうに考えます。ただ、そういうような助成金を出すのに、何とかおえらい方をたくさん並べて、そしてそこの名目だけの審議会のようなものが方々にございます。そういうものでなくて、ここにこの国会が、予算委員会もありますし、決算委員会もある。文教関係は文教関係の委員会がある。こういうところで十分検討されればそれで私は十分と考えております。非常に逆説のようでございますが、それで十分にやっていける。また社会教育の事業というものは、そんなに簡単なものではない。社会のすべての人が見て、この社会教育ならりっぱだと言うものは、もう大体社会的にわかっております。そういうものに良識を持って政府が助成をするなら、それで十分だと私は考えております。
○公述人(徳永アサ君) 私は補助金は、初めから十分には、とてもこの国の財政においては無理だと思います。ですけれども、この門が開かれるということは大へん好ましいことでございまするし、私どもが補助金を受けましたときに、補助金を受けたのだから、それをできるだけ多く、たくさんもらってたくさん使うというのではなくて、もらった補助金の額を最大限に有効に使うということを、各団体が研究し合うということが大へん必要ではないかと思います。ですから、国の乏しい財政からもらうという補助金をとうとく大切に使う、上手に使うということをお互いに教育し合うという方同に行きたいと思います。 それからどういうものに使うかということ、特に先ほど申し上げたように、青少年団体の活動には特にこれを回していただきたいと思います。それから青少年団体のみならず、婦人団体にいたしましても、地域的にまた全国的に研修会を開きます場合の費用がいつも足りなくて、やはり補助金とは言わなくても出していただいております。実際には出していただいておりますので、こういうところにも堂々と使って、その団体自体の計画を持って使えるような方法に出していただきたいと思います。 それから農村、僻地、ことに貧しいところの団体に対して配分していただきたい。それから委託事業、共済事業を現に今までしております。従来のそういった場合に、委託とか共済とかにしないで、この補助金を充てたら大へん妥当ではないかと思います。 それからあとの問題でございますけれども、そのお金がどうして公平に使われるか、公平に使われるにはどういう方法をとったらいいかということでございますが、ただいま全国的に調査が整っていて資料が整っているのは、やはり文部省であろうと思います。それにはやはり今後ともに社会教育研究会の先生方の御協力を私はいただきたいと切望いたしますが、最もいろいろな面で資料が整っている文部省におかれて、そこに民間のあらゆる面からの人たちが七人でも、十人でも、十五人でもよろしゅうございますけれども、そのための公平な配分の審議会を作っていただいて、官僚だけにまかせないで、公平に配分していただければ、納得のいく方法で配分されるのではないかと思います。 ただいまのお答えは、今即座に考えたことでございますが、これだけのことを申し上げておきます。
○公述人(小林運美君) 申し落しましたので……。後段のことで、この配分に対する審議会というようなものが私は望ましくないということを申し上げましたが、その理由を申し上げます。ほかの予算とか、補助金等は、いろいろ出ておりますけれども、それが末端に参りますと、ほとんど実質的には、助成を受けたところに行くと、もうほんとうに小さくなってしまって、せっかくのわれわれの納めた税金がその目的に合致しない。ほんとうに零細になってしまう。それでは、あっても何にもならなくなる。そういう理由でございます。というのは、たとえば今度のこの法律が通りまして、この配分のための審議会というようなものが国会にできる、文部省にできる。そうなりますと、県でもあるいは市町村でも、それにならってその委員会ができる。ところが今までの例から考えますと、その委員会の会合だとか何とかいうところに行ってしまいまして、実際に受ける段になりますと、非常にこまかくなってしまう。われわれ地方に参りますと、いろいろの団体や助成にあずかっておるそれらの人が集まって飲み食いをしてしまう、そういうようなことになりやすいので、それは一つよく考えていただきたい。どこまでも助成金の本旨を忘れないようにやってもらうには、りっぱな国会があり、予算委員会があり、決算委員会がある。そこで十分に私は尽きると思うのです。途中でいろいろの機関ができますと、それの費用の方がかさんで、最後にはだめになってしまうという理由で、そういう審議会というようなものは、私は必要がないということを申し上げたいと思います。
○公述人(松本久子君) ただいまの守旧先生の御説明によりまして、大略私の意を得たと存じますが、特に第十三条削除という点につきましては、先ほど公述の際に申し上げました通りでございまして、一向に反対の方が反対なさいましても、私どもは依然として、早急にこれを、実施していただきたいという熱望以外に何ものもないのでございます。さて、それをどのように使うか、どういう点に使えばいいかという御質問でございますがこれにつきましては先ほど来の……。
○松永忠二君 ちょっと言っておることが……。私が聞きましたのは、社会教育を振興させるのには、国はどういうところへ金を使っていくのが一番大切なのかということを聞いておるのです。その点だけですから一つ。
○公述人(松本久子君) それでは第十三条と関連いたしませんで、社会教育をどのようにすれば充実できるか、もっと振興できるかという点につきましては、先ほど来、あちらの議員さんと、それから山本先生との質問のやりとりの際に私感じたのでございますが、純然たる研究調査という点と、私たち民主団体がやる研究調査は、これは社会教育活動であって、おのずと違うというふうにおっしゃいました点につきましては、私は頭が悪いので、どうも納得できないのでございますが、あくまでも社会教育研究会がなさいます純然たる調査は、調査しおく程度で、それで補助金をもらう資格があるか。やはり調査なされば、それは自然に何かの資料として配付されるならば、これも教育活動になるのではないか、こういうふうに私は考えを及ぼしていっておりますので、あくまでも民主団体としての独自な教育委員会とか、あるいはそのほか文部省あたりの援助、あるいは御協力を得ないで、単独で純然たる研究調査をする場合には、やはりこれも第十三条を削除してもかまわない、いわゆる憲法に触れない研究というふうな意味に御解釈いただきまして、どうしてもこの社会教育を伸長させる点につきましては、こういう点に御留意いただきたい。つきましてはやはり全国的に、あるいはブロック別に、このような研究調査の機会を作っていただきまして十分社会教育の伸長をはかりたいと存じます。先ほど御質問になりました点は、守田先生がおっしゃいました点と同一でございますので、ただ違う点だけを申し上げますと、最初お答えしておいて申し上げたつもりでございますけれども、公民館の施設充実、人材の養成、こういう点につきまして、大いに国費をお使い下さいということが伸長する大きな問題であると思います。
○委員長(相馬助治君) ありがとうございました。渡辺君。
○公述人(渡辺英雄君) 委員長、ちょっとお願いをしたいのですけれども、松永先生の御質問にお答えする前に、先ほど吉江先生から御指摘がありました私の資格のことについて少し弁明さしていただきたいと思うのです。
○委員長(相馬助治君) あなた個人のことについてですか。
○公述人(渡辺英雄君) 私の社会教育主事についての資格について御指摘があったわけでございますけれども、その点について一つ弁明さしていただきたいと思います。
○委員長(相馬助治君) 簡単に一つお願いいたします。
○公述人(渡辺英雄君) 私、実は一昨年の十月に尼崎市に社会教育主事の要員として赴任をしたわけでございます。その際に、県に資格があるかどうかということを問い合せをいたしましたところ、途中、私、経歴が中断をしておりますので、六カ月たたないけれども、六カ月たてばできるからということで承認を得たわけです。これは社会教育法の、昭和二十六年法律第十七号の際の附則の第六項にこの規定をしており、全然講習を受けなくても社会教育主事になることができるという項目があるわけです。この点について、県の職員課では認定をしたわけでございますけれども、社会教育課の方で認定を渋ったわけです。おそらくこの吉江先生に御報告があったのは、きょう傍聴に来ておられるこの兵庫県の社会教育課の職員から御報告があったと思いますけれども、その点についていろいろ時日を要しまして、そこで職員課の方から文部省に、該当するものかどうかということを問い合せをいたしております。当然該当するものであるという認定を得て私この任命をされておりますので、その点一つ御了承を願いたいと思います。 それから松永先生の御質問ですけれども、端的に申しまして、私、守田全公連会長のお答えと全く一緒になるわけです。社会教育を振興させるためには、横の系列である地域における共同学習、自主的な共同学習を進めていくことが真に日本の教育を民主化し、日本の社会を民主化する基礎になる、その意味で地域の自主的学習を進める場として公民館の施設を充実し、公民館の職員の質を充実さしてほしい、これを文部省に望むわけです。
○公述人(川口浩君) 私は国に力を入れていただきたいことは三点ございます。 一つは、先ほど来お話しがございましたように、公民館や図書館の施設の充実に力を入れていただきたいということ、第二点は、社会教育主事や公民館の職員の身分保障のためにうんと金を充当してもらいたいということ、三番目には、大学の充実と、純然たる教育団体に対する援助に金を充当していただきたいということです。 理由を簡単に申し上げます。
○松永忠二君 理由はいいです。
○公述人(田中寿美子君) ただいまの第一点の社会教育を振興するためにはどこに重点を置くべきかということについては、川口さんと大へん似ておりますが、私は現行法を完全に実施するに十分予算措置をとるべきであるということです。そのとりました予算は、第一番に、公民館その他の施設の拡充、設置、それから職員の身分保障などに使うべきである。それから主事の養成は、これは主事がふえることは、確かに望ましいことでありますから、将来ふえてほしいのでありますが、それを直ちに市町村段階まで必置にして、そうして程度の低い人をどんどん入れてしまうというやり方でなくてこれを養成するところの機関として大学の中に社会教育学部、それをもっと充実する、それにお金を出してりっぱな主事を養成してほしい、公民館の主事さんについてもそうなんでありまして、長期計画を立ててやってほしいと思います。その予算のとり方は、思い切ってやる気があれば、海外渡航費なんかにたくさんのお金を使うことを思えば、できないことはない思います。そういうことをしてほしいと思います。 それから社会教育を振興しますためには、さっき守田さんからの御指摘もありましたけれども、地方において末端において社会教育に対する認識が不足しておりますために、せっかくありますところの社会教育費も使い残して、飲み食いに使うことがありますので、そういうことがないように十分しなければならないのではないかと思います。 それから第二番目に、十三条を取ってしまって、補助金が適正に配分される保証があるかということについては、私は保証がないと考えます。それは審議会を作ったり、国会の段階で一番下まで目が届くわけはないのであります。ただ一つ例をあげて申しますと、ごく最近の例ですが、ある町の婦人会長が、その町の教育長と講演会をするのについての講師と相談をしまして、意見が対立しましたところ、その教育長は、そういうふうに反対するなら、いまに社会教育法が通ったときには、あなたたちのところなんかには助成金を出してやらないから、そしてお前のような婦人会をぶっこわすぐらいわけはないという暴言を吐いておる事実がございますので、末端でこれを扱います人たちが、そういう状態にあります現在、公平に、すべてのこれは税金を還元するというならば今日まで共済事業委託費などの形ででも、その援助を受けていない団体がたくさんあるのですが、すべての国民に均等にこれが分けられなければならないのでありまして、そういう意味では、そういう保証がないということを私は考えます。
○松永忠二君 それじゃ松本さんにお聞きしたいのですが、その補助金を国の場合も市町村の場合も、ある市長さんが、ある町長さんが気に入ればそこへ補助金を出す、気にくわなくちゃ補助金をやめてもいいと、ただ補助金を与えることも与えないことも自由なわけなんですね。そうなってくると、つまり与えることもできれば、額もすべて、幾ら補助金を出そうが、それは全部勝手だ、自由自在に与えることもできれば、与えないこともできるという状態に補助金はなると思うのです。そういうふうなことで果して一体適正な補助金が与えられる保証が得られるものなのか、どうなのか。それから委託事業とか、事業委託とか、共済ということになれば、各事業に出してもらって、その事業について、この事業は適当だから出すという理屈がはっきりするわけです。そういう事業の委託でもなく共済でもなく、ただ補助金を、あるときには出し、あるときには出さないという自由自在にできるという状態の中でも、この補助金が適正に各団体にいくという保証はどこにあなたはお認めになっておられるのでしょうか、それを一つ御意見を伺いたい。
○公述人(松本久子君) ただいまの御質問が、果して私が十分くみ取れたかどうかということは不安に思いますが、県においても市においても、その知事あるいは市町村長の考え一つで補助金の額が多いこともあるかもしれないし、少いこともあるかもしれないと、こういうふうなことについて安心していられるかというお尋ねであったと思うのでございますが、そうでございますか。そういうことは、結局私は、これで私がそれははっきりと保証できますと言うことはできない。と申しますことは、その人柄によると思うわけでございます。その人柄によりまして、また妥当な線を民主団体が持っていくならば、その心情をくみ取っていただいて、大略私たちの意見というものはいれられるのではないかと、別に大した不安は私は持っておりません。それでよろしゅうございますか。
○松永忠二君 いろいろ私たちも意見を持っておりますが、もう一つ、今賛成のほうの方からいろいろ御論議を承わった中に、社会教育関係団体というのは、もう自主性をだんだん高めてきておる、だから補助金をもらっても自主性というものを傷つけることはないじゃないかというような御意見がいろいろ開陳をされたのですが、それについて、川口さんと渡辺さん、どういう御意見をお持ちでありますか。
○公述人(川口浩君) 私は先ほども申しましたように、末端の青年と接しながら社会教育の仕事をやっておりますので、全国的にどうのこうのということは、ここで責任をもって申し上げることはできません。ただ私も日青協の理事という仕事をやっております関係上、一応、研究集会などに出ておりまして、そういう問題を私なりに専門的に調査をしたり、考えたりしております。それらのことを総合して申し上げますと、全体として、婦人の場合でも青年の場合でも、自主性が出てきつつあるということは、はっきり申し上げることができると思うのであります。しかしながら、全体としてみた場合、特に農村全体の状態から推して考えた場合、まだまだ自主性が出ているとはとても言い切れないのであります。部分的にそういう芽ばえはうんとあるのだということを私は考えているわけであります。われわれとしては全国の至るところに芽ばえている自主性を伸ばすことが、社会教育の振興をもたらすゆえんであるというふうに考えているわけであります。とにかく全体としてまだ自主性が強い形で出ているとは言えないということを、はっきり申し上げておきます。以上です。
○公述人(渡辺英雄君) ただいまの御質問にお答えをする前に、私、実は三年ほど前、三年間ばかり、かつて山陰地方のある保育専門学院の講師をいたしておりました。その際に、その島根県の各町村を回って、婦人団体の方々に触れる機会を持ったわけですけれども、常に感ぜられることは、農村において、特に婦人の地位を高めていくという場合、自主性を取り戻していくという場合に言われることは、財布のひもをだれが握っておるかということであります。ところがしゅうとめが握っている、あるいは夫が握っているという場合がたくさんあるわけですけれども、その点を指摘いたしましたところ、多くの婦人たちが、今のような貧乏な財布なら、自分たちが握らない方がいいということを言ったわけです。これは財政の貧困ということと自主性ということを完全に取りかえしているわけですけれども、今度十三条削除に賛成をしている多くの団体の傾向をみていると、どこかその取りかえの傾向を含んでいるのじゃないかという感じがするわけであります。それから今度十三条の削除について、社会教育の団体には社会教育事業ばかりでなしに、教育外の仕事があるのだから、それに対して補助金をだすのだということの解釈がなされているようですけれども、とすると、補助金と引きかえに教育を放棄して、教育事業以外に専念をするという傾向が起ってきはしないか、こういう点、非常に疑問があるわけでありまして、そういう観点から、十三条の削除に対して私あまり賛成ができないような気がするのであります。
○公述人(山本敏夫君) ちょっと委員長にお願いがあるのですが、私の述べました午前中の意見は、こまかな法制論でありますので、時間の点で意を尽しておらない点もありますので、午前中にお配りいたしました資料の二、三及び参考資料の一、これはできましたならば速記録にお載せ願えることを、あとでけっこうでございますがお考え下さって、おきめをいただければと思います。これを一つ要望しておきます。
○委員長(相馬助治君) それはあとで相談して委員長において善処いたします。
○坂本昭君 大へん遠方からおいでになられた方がおられて恐縮ですが、一つ簡単にお尋ねいたしたいと思います。遠方の方を含めて、いろいろな立場の方の御説明をいただきまして、非常に充実した公聴会であったことを感謝いたします。 今度の社教法の一部改正について賛否両論がございましたが、ただいま松永委員からのお尋ねに対して、皆さん方の各位の御熱心な御意見によりますると、いずれも社会教育が非常に緊急必要である、そうしてもっと予算的な措置をとるべきである、そういう点につきましては、みな意見が一致しております。特に具体的に、第一線でこの社会教育に、行政にも当っておられるところの方々の御意見は、いずれも公民館ということに帰着しているように私は感じたのであります。そこで、代表的に守田さんに、八幡の市長でもあられ、また全国の公民館連絡協議会の会長さんでもあられますので、今事態は、一番緊急要望しているものは、各地区における公民館の充実である。そうしておそらくはその器である建物、公民館の施設並びにその中のいろいろな諸設備、これが一番欠けていると私は思うのであります。そうした際に、この今日の社会教育を充実する上において、先ほど守田さんは、この十三条に関連していろいろとその御意見をお述べになった中で、二通りになったように感ずるのであります。最初は十三条の削除によるいろいろな危惧、懸念よりも、もっと現実的に、金をもらいたいのだというふうな意見を言っておられまして、また途中で、占領下の法律の中の悪い例がこの十三条だ、これはまたひどく悪く言っておられましたが、一体この公民館の施設設備を整えていくことの上において、十三条のあるなしは、いかようにお考えになっておられますか、守田さんの御意見を承わりたい。
○公述人(守田道隆君) 今ちょっとお触れになりましたが、十三条に対して私が二様の意見を述べたようにおっしゃいますが、私はそうは考えておりません。と申しますのは、十三条の削除という問題について、今非常に心配されておりますのは、補助をもらうということ、金が出るということよりも、ひもつきになるということがいやだ、そういうことのようであります、皆さんの御心配が。それともう一つは憲法の解釈でありますが、憲法の解釈には私は公述いたしましたように触れておりません。でありますから、結局金が出て、それでひもつきになるかならないかという問題について私は申し上げた。ところが私は一面の解釈として、あれは占領下において、いわゆる占領行政の遺物というようなことがよく言われます。法律の論議のときに。それからいうと、あれはおそらくアメリカの実情から言うと、あれは公共団体の助成というのは、財政的な助成が主でありますが、そういうものについて期待をしていない、さっきどなたかもお触れになりましたが、私もこのために特にアメリカをずっと回って歩ついて参りました。ところが全然市の方では問題になりません。市でも州でも問題になりませんが、すぐ宗教団体あるいはその他の社会教育団体の方に案内をしまして、向うで聞いて歩いたそういう実情から言いましても、また寄付が非常に多くて、われわれから見れば潤沢な経営をやっておる。そういうところから言いますと、おそらく国、公共団体がこれに助成をするというようなことは考えられぬであろう、そういうことが主体になって、占領行政下におきまして、こういうことができたのじゃないかという、これは私の感じでございます。そのことをちょっとついでに申し上げましたので、そごしたように思いになったかもしれませんが、私はこれは補助が出ましても、ひもつきにはならない。それからさっきからいろいろお話がございましたが、十二条の否定がございます。これは厳然として禁止をいたしております。その禁止は法律で有効でございまするから、その心配はない。それともう一つは、団体の方が、さっきもお話がございましたが、今日の団体はそういうわずかばかりの補助をもらったために、ひもつきになるほど幼稚な時代ではないという、私のこれは現場における認識であります。そういう点で申し上げたわけでございます。 それから今お話のございました公民館の助成の問題でございまするが、その十三条の削除というものは、直接はこの施設の充実というものは関係はないと思います。ただ公民館の施設並びに運営の問題につきまして、その主体といっていいぐらいに私どもが期待いたしておりますのは、育成活動でなくして自主活動でございます。いわゆるお役所のおしらせ、文部省あるいは県、市町村のおしきせの活動でなくして、どうしてもこれは自主活動に移らなければいけない、それを目標に出しておりますが、もうすでに全国各地の優良な公民館ではそれがはっきり現われておる。公民館を主体としましていろいろな民主団体の活躍が動いております。そういう点から言いまして、直接には十三条の削除によって、施設に対する補助ということは参りませんけれども、結局間接に自主活動が盛んになって各種の団体が動けるように十分なる。それから国家もそういうものを認めてくる。そういうことになりますと、それが市町村財政あるいは行政に非常な影響を及ぼしてくる。そういう点で間接には非常に影響があることと考えておる次第でございます。それでよろしゅうございましたか。
○坂本昭君 やはりもう一ぺん。公民館の補助の件でございますが、今度の実は法律の一部改正がありますけれども、今のような点で一番緊急に要求しておられるのは、公民館の施設整備ということが一番の緊急のことであるならば、この三十五条の公民館の補助その他の援助の二項について積極的に、全国公民館連絡協議会会長さんとしては御努力されるべきではないか、そのことと今回の十三条の削除のこととは別途の問題として八幡の市長さんでもあり協議会の会長さんである守田さんはお考えにならないか、あくまでこの際十三条をのけるということが、やはりこれが緊急必要なことであるとお考えになるかどうか、その点のお考えを改めてお聞きいたしたい。
○公述人(守田道隆君) さっき公述でも、あるいは坂本先生いらっしゃらなかったかも存じませんが、公述でも申し上げましたし、それから松永先生にも御答弁申し上げましたので繰り返すのを避けましたけれども、実は私どもは今、坂本先生からお話がございまする施設設備の補助、つまり整備というもの、この問題だけを重視しておるわけではございません。三本立でございます。これは数年来、実は全国の公民館連絡協議会としましては、研究もし、大会などで決議をし、繰り返してきたのでございますが、その趣旨が三本立でございます。一つはお話のように、公民館はやはり施設設備が充実しなければいけない、それからもう一つは、そこで働いておる人の身分が現状のままではだめだ、青空公民館というようなことで人間はいないんだ、外でやるとか、あるいは看板だけ上っておって、中にはだれもお世話をする人がいないというような実情でほったらかしたままでは、全国に今公民館が三万四千ございますが、その施設も悪いが、またない区域がございます。約一千近くの市町村にはまだ公民館の一つもないところがございます。ついででございまするが、普及率から言いますると、市町村の数にいたしまして八六%あるのでございますが、それはしかし、大きな市にたった一つあれば一〇〇%になるわけでございまして、それで十分とは言われません。でありますから、施設は、むろん施設設備が充実する必要がございまするが、しかし人の面ではもっと欠けておる。さっきお話がございましたように、資格のない人がほんとうのひまつぶしのような姿で、こういうことを言うのは御本人には大へん失礼に当りますけれども、事実恩給をとっていらっしゃいまして、そうして恩給とあわせて、月に五千円とか三千円とかいうようなことでお働きを願っておる。しかも時間からいうと、朝早くから夜おそくまで、場合によると九時、十時まで働く、これは市民の方々の利用が高くなればなるほど、そういう犠牲がひどいわけでございます。そうしてしかも五千円しか出していない、そうして本人の身分に対しては何らの保障がない、ただ嘱託である、そういう状況では公民館が盛んになろうとしても、ほんとうに親切に青年団、婦人会その他のお世話をしようとしましてもできないんじゃないか、そういう点を強力に進めていただきたいと思いましたのと、もう一つは、さっき申し上げましたように、民主団体の、民主団体と申しますか、社会教育に関係のありまする諸団体、それの助成が、これは当然一緒と申しますか、あるいはそれが先にいく場合もあるかも存じませんが、必要だ、そういう三本立でやらなければいけない、こういうことは私のただ単なる意見ではございません。皆さんの検討の結果の決議でございます。 それからなお、話しが長くなりましたけれども、いろいろ御意見がございましたが、私どもは今理想的な姿を追うてはおりません。これは公述にも申し上げました。今のわが国の現状で理想的な姿が今すぐに追えるかということであります。それは文句を言えば一ぱい不平はございます。しかしわれわれとしては、全国の社会教育運動を一つ皆さんと手をつないで進めていかなければならない。そこにはいろいろな不平がありましても、一時忍んででも、お互いが手をとり合って、そうしてこれまで、二十四年に社会教育法が制定になりましてから今日まで、ほとんど改正らしい改正が行われておりません。従って現行法は御承知の通りに、まことに何と申しますか、不足だらけでございます。それに対してここで前進をしなければならぬ、どうしても前進をしなければならぬというので、さっきお話がございましたが、ここ数年来、文部省にも盛んに参りまするし、それから大蔵省、自治庁その他にほとんど年に十数回参っております。これは私だけじゃございません。副会長の人とか、その他理事の方とか、その他いろいろな方と一緒に参っておりますが、どうしても大蔵省の方で——これまででは大蔵省、自治庁の方で、やはり財政の事情、あるいはさっきどなたかからお話しございましたが、補助金をここで新たに始めるような姿はまずい、そういうような技術的な問題でなかなか通らない。ところが文部省その他の非常な御熱意によりまして、今回こうして皆さんの御審議にかけていただくという段に参りましたことは、われわれ関係者としてはまことに感慨無量でございます。十数年の苦闘が今日少しでも報いられつつあるという喜びを持っておるわけでございます。どうぞ一つそういう点でよろしくお願い申し上げたいと思います。
○坂本昭君 全公連の会長さんの御意見はよく承わりましたが、先ほどまた別な方の説明によると、百尺竿頭一歩型、まあまあ型だとかいうような、そういう説もありましたですが、それはわれわれとしても社会教育を推進するために努力を惜しまないものですが、そのことと、今、全公連の会長さんが文部省にも大へん感謝しておられまして、今度のこの一部改正についても非常に支持しておられる向きに拝せられるのですけれども、どうもそのことと、この社会教育の基本的な推進の問題とは、どうも別の面もあるのではないかと思うんです。でありますから、先ほどまあまあ型だと言われた渡辺さんに、今の点についてあなたの御意見をお聞きしたいと思います。
○公述人(渡辺英雄君) 大へん毒舌を吐いたわけで、百尺竿頭一歩型、あるいは全公連型、まあまあ型というようなあれを便ったわけですけれども、このたびの改正問題をめぐりまして、私たちは近畿の公民館主事会として論議するだけでなしに、阪神間における官庁並びに主事の会議で、これを検討しております。それから県における公民館連盟の常任理事会においても検討しております。その際に、どうも今まで日光大会以来、常に唱えてきた公民館必置制と身分保障の問題が今度は全然打ち出さていない。これは不満だ。こういう決議を一体だれがしたのだということを、私たちの県あるいは近畿から代表で出ております者に追及をしたわけです。そうしたら答えが非常にうやむやになってきて、まあまあということになってくるわけです。ここに私たち自身が組織しておりまして、全国の公民館連絡協議会に属しておりながら、その内情をここで暴露しなければならない、ここでこういうようなことを申し上げなければならないというのは、確かに一面私どもに手ぬかりがあるわけですけれども、そういうような一応民主性を装った運営で意思が決定されたのでは困るということです。これはもちろん評議員の会にもかかっていることはよく知っております。理事会にかかっていることはよく知っているのです。しかし、こういうような重要な態度を決定する際には、やはり下部の声を、あるいは過去における大会の方針を、現場の従持者の声を聞いて、それによって態度を決定してほしかったということを私たちは感ずるわけです。そうしてこの百尺竿頭一歩型と銘打ってこの一部賛成という中には、そういう非常に大きな政治的な配慮が感ぜられる、そこで私たちは常にいろいろな方と話し合っておりますけれども、そういうような妥協性というものを見出してこういうような名前をつけた、しかし、やはり私はこの社会教育を愛し、文部省を愛するならば、やはり文部省が、正しい道を歩み、あるいは社会教育が前向きの、国民の側に立つ前進の道を遂げるように、改正につきましても訂正をすべきじゃないか。その点で私は全公達型に対して賛意を表し得ないわけでございます。お答えになりましたかどうかわかりませんが。
○坂本昭君 そうすると、渡辺さんは今の十三条とかいう問題よりも、「(公民館の補助その他の援助)」という三十条、こういう点においてもっと具体的に皆さん方で御検討されたようなことはございますか。
○公述人(渡辺英雄君) このお手元にお配りしてございます資料の中で、一番最後、二枚目九のところでございますけれども、「公民館を設置する市町村に対する補助規定、国の財政上の責任を不明確にする改悪であるので反対する」ということを書いてあるわけですけれども、この点につきましても、約半日を費しまして検討をしております。それから、今後また、この平衡交付金の中に盛られている公民館費の分析もしていこうということをいっているわけですけれども、その際に人口割で進めて参りますと、人口数の非常に少いところであっても、公民館の設置に要する基礎的な費用というものはあまり変らないのじゃないか。それが全然見込まれていなくて、人口が少くては、しまいにはゼロに達するというような組み方がされているわけです。そういう点を今後やはり問題にしていかなければならないのではないかということを強く感ずるわけです。現行法では、「予算の定めるところに従い、その運営に要する経費の補助その他必要な援助を行う。」としてありますのに、改正法案では「予算の範囲内において、公民館の施設、設備に要する経費その他必要な経費の一部を補助することができる。」、「予算の定めるところ」というのと「予算の範囲内において、」というのでは、明確さがずいぶん違ってくる。このことは、私、今条文をはっきり覚えておりませんけれども、私立の児童福祉施設に対する補助規定が、やはり文教予算の範囲内となっております。その条文で、現在ではたしか一銭も出ていないはずです、設置費について。そういう点を考えてみても、こういうような、わざわざ不明確にするような改正については、やはり賛成ができないという結論に今私たちのグループでは達しております。
○委員長(相馬助治君) ちょっと速記をやめて下さい。 〔速記中止〕
○委員長(相馬助治君) 速記を始めて。
○近藤鶴代君 松本さんにお尋ねいたしますが、社会教育法が問題になりました非常にまだ間ぎわでないころであったと思いますけれども、たくさんの婦人団体が反対の何かをなさったことがございます。そのときに、全国地婦連会長山高しげり、山高しげりという名前が先に出て、カッコして地婦連会長と書いてある場合は、私は個人的な見解だと思うのでありますけれども、全国地婦連会長山高しげりという名前が、はっきりとその中にあったことを記憶しているわけなんです。そこで私は、これほど全国的に大きな団体の一つである地婦連の会長が、ここにはっきり反対の意思を表明されたということについては、どれだけの手順を踏まれたのであろうかということを、実はその当時ふと懸念いたしたわけでございますけれども、それについて別に確かめもいたさなかったわけでございます。ところがきょうあなたの公述を承わっておりますと、西日本の婦人協議会では、これに対して、社会教育法の一部改正については賛成であるという意思表示をはっきりとなさっておるということなのですが、山高さんという全国の会長さんと、西日本婦人協議会長としてのお立場は、一体どういうふうになっているのでしょうか、それを伺いたいことが一つと、それから西日本で協議会をされて、今日この決議をなさいましたその間のいきさつについて、簡単でけっこうでございますが、お話しいただきたいと思います。
○公述人(松本久子君) ただいま御質問いただきました全地婦連に関係のあります者は、本日の公述人で私一人でございます。この全地婦連とは全国地域婦人団体連絡協議会と申しまして、たとえば愛媛県連合婦人会、香川県連合婦人会という県単位の団体が集まっておる団体でございまして、その会長が山高しげりさんでございます。従いまして、山高しげりさんは東京都の地婦連の会長さんでございます。そういう組織の上に立ちまして、昨年の、日にちをはっきり覚えておりませんが、警職法の反対闘争が、たしか五日というのは覚えておるのでございますが、十一月でございましたか、十二月でございましたか、その二、三日前に電報で、実は常任理事会の招集にあずかったわけでございます。常任理事会はブロックでもって常任理事会がございますので、私は四国代表といたしまして、何事であろうかと思って出席いたしましたら、ちょうどその日が闘争の日でございました。そしてほとんどの人が遅刻をして常任理事会に出たのでございますが、いつもの会は皆さんが集まらないとお始めにならないのに、その日ははっきりと十時にお始めになりまして、そして私が到着いたしましたのは一時間半おくれましたから、何事であろうと思っておりましたら、よく聞いておりますと、社会教育法一部改正に対する反対を、実は私は表明したのだ、それは全地婦連の会長としてでなくて、個人の資格においていたしましたということでございました。そこで私たちは、個人の資格ということは、全地婦連の会長として発言する場合には、なかなか皆さんにはっきり御認識していただけないんだということでもって、了承することはできない、現に私たちは参議院の文教委員長である湯山先生の方にも、あの法案を通過していただきたいという電文ももはや打って済んだあとだと、こういうことで、なぜもう少し地方の意見を聞いて、そのような態度を御決定にならなかったかというふうなことを申し上げましたけれども、とにかく了承せよということでございましたが、私たちは非常に不満な気持でもって帰っておりました。ところが西日本婦人団体連絡協議会が、たまたま愛媛県が当番でございまして、愛媛県でいたしましたのでございますが、その席上集まりました県の代表者が、みんな不満の意を表されまして、なおそのとき出ておりました常任理事は四名おりましたので、中国ブロックと、それから副会長が二名と、それから四国ブロックの私と四名がつるし上げにあったような状態で、それでは、ここで一つ社会教育法の審議をしたらどうかということで、皆さんでいろいろ検討いたしました結果、かねて私たちが要望していたことと一致するので、そういう意味において、社会教育法は西日本婦人団体連絡協議会の名において決議をしたのでございます。それで、さっそくにその決議をしたものを全地婦連の会長にも送付してございますし、また文部省の方へも送付いたしました。 大体、以上のような経過でございます。
○近藤鶴代君 田中さんにお尋ねしたいと思いますが、先ほどのお話の中に、社会教育法賛成のために文部省が非常に今圧力をかけたというようなお話があったと記憶するのです。で、そういうのは、一体どういうところによって、そういうことをお感じになったのでしょうか。
○公述人(田中寿美子君) 文部省が圧力をかけた形跡があると私は申し上げたのです。実は私、各地に旅行しておりましたときに、社会教育課長が婦人団体の人を集めて、まだ国会に提案されて審議中でありましたこの法案について説明会を開いておられました。もちろんこれは法律的に申しますと、国会に提出された法律の案の説明ですから、少しも問題はないのですけれども、実際に中央から係官が出て来たり、あるいはかねてお世話になっている社会教育課長などが、これは非常に皆さんのためになる法律であるという説明をいたしますと、これは精神的な圧迫を受けるわけです。これは婦人団体だけでなくて、全公達の会議でも、係官が御説明にお出でになったようでございますし、そのほか各地でそのことを聞いておりますので、そういう精神的な圧迫を、ある意味では政治活動に近いようなことをされた形跡があると申し上げたのです。
○近藤鶴代君 それはやっぱり立場が違って、先ほどからの皆さん公述なさいました御意見を伺っておりましても、例えば松本さんのように、現地においてほんとうに婦人会の団体の長として苦労なさいました方の御意見と、そう申しますと大へん失礼でありますけれども、田中さんのように、どちらかと申しますと、そういう現地の経験をあまりお積みにならなかった方との相違ということもだんだんあると思うのです。従いまして、ただいまのように、文部省がこの法案を通過させたいとか、法案を間違って考えられては困るということにおいて、それを説明して歩くということは、必らずしも私は圧力をかけた形跡があるというような、そういう表現をするということは、まあやはり一つの指導者の立場に立たれた方としてはどうかと思うのです。また同時に私は、そうおっしゃいますと、そうすると、一面において自主性を守る会——自主性を守る会という意味で、国会議員であるとか、あるいはまた国立の大学の先生方が、この法案の絶対反対の先頭に立っておられるというような動きに対しては、あなたはどういうふうにお考えになるのでしょうか。
○公述人(田中寿美子君) 圧力をかけた形跡があると、これは私の感じでもありますし、また、連合婦人会長さんの御意見の方だけが尊いようにお考えのようでありますが、私はその意味で一番末端からの事例を出しておるわけであります。名前を出せば、その人たちが非常に困るから伏せておるのでありますが、そういう事例を、そういう圧迫をかけられたと感じておる人たちが相当あるから、そういうふうな形跡があると言ったまででございまして、大学の先生方が運動して歩いていらっしゃるかどうか私はちっとも知りません。ただ、研究をして意見を述べていらっしゃるのでございます。
○中野文門君 だいぶ時間も経過して参りましたので、ごく簡単に渡辺さんにお尋ねを申し上げたいと思います。 まず渡辺さんの手元から私どもに資料が提出されておるのでございまして、質問の便宜上、資料によってお尋ねを申し上げたいと思います。この兵庫県下のアンケートの成績がまず載っておるのでございまして、これはおそらく社会教育法等の一部を改正する法律、案についての賛否のアンケートだろうと思いますが、賛成七十六、一部賛成三十七、反対八、不明十二、その他一、未記入十五、合計百四十九という数字になっております。そこで、先ほど来、委員側からも言葉が出たのでありますが、あなたの何回となく申された言葉の中に、百尺竿頭一歩型という言葉がございました。すなわち、この百四十九のアンケートの分析の一つとして、無批判型、盲従型、百尺竿頭一歩型、机上空論型、実践的批判型とこういうふうに五つに分けて説明をされておるようでございますが、これはどういうようなさばきで、こういう五つの型をお出しになったのか、まずそれをお尋ね申し上げたいと思います。
○公述人(渡辺英雄君) 中野先生の御質問にお答えをしたいと思います。このアンケートは御指摘のように、社会教育法の改正について、あなたの感じではどう思いますかという質問を発しておるわけであります。その際に、理由書きをいろいろしておりますが、きょう持ってきておりませんけれども、いろいろな理由書きを分析していったわけです。それから後において、どの程度この社会教育法の改正問題が討議されたか、また認識されておるかということについて、いろいろな全県下から出て参りました研究員が話し合いをやっております。その結果、全然社会教育法の改正について無関心の方がある。これはおそらく未記入の十五という数になって現れたんじゃないかというふうに分析したわけであります。それからこの盲従型というものをあげたわけですけれども、この文部省崇拝型、政府恐怖症という言葉でカッコにしてあるわけですけれども、これの理由書きを大体分析をしていきますと、公民館主事の国費負担が規定してあるから賛成だということを書いてあるわけです。それから公民館主事の身分がはっきりと保障されるからというただし書きがしてあります。それから社会教育の主体性を確立するためには若干の国家権力の介入はやむを得ないということが書かれてあるわけです。こういうことの理由を見て参りますと、これは全然当っていないということが言われるのじゃないか、そういう点から、賛成論の中の全部とは申しませんけれども、ある程度の高いパーセントがこれに属するということができるのじゃないか。それから百尺竿頭一歩型と言いますのは、これは一部賛成の意見の方なんですけれども、この方たちのいろいろの意見を聞いてみますと、まあまあ仕方がないのじゃないか、文部省も苦しいだろう、文部省の苦しさに免じて一つ賛成しようじゃないかという意見が出ているわけです。もちろんこの県の公民館連盟の常任委員会で討議をいたしまして、それからそのあとで阪神ブロックの館長会議に下ってきておるわけです。こういうふうに全く径路が逆になって、すでに決定された態度を承認しろということになってきて、それに対する不満がかなり強く出ておるということ、こういう点から考えてみて、やはり全公連型、まあまあ型というもは確かに言えるのじゃないか。それから机上空論型というのは、私の県ではございませんけれども、先日ある県の公民館運営審議会に出席する機会を得たわけです。その際に、委員さんのすべてが、この法改正は確かに問題がある、反対すべきだということを出しておられる。ところが、この態度を表明してはまずいからということで態度表明を保留しておるわけです。これが批判をしながら、反対だという態度を出しながら、ただ机の上だけで批判しておる、実践を伴わないというので机上空論型を設けたわけです。それから実践的批判型といいますのは、じっくりと討議をして、そうしてそれに対していろいろ実践をしておる。この中にはもちろん賛成論もあると思う、それから反対論もあると思う私はこれがいろいろな立場によって批判をして、それが正しいと感ずるものであるならば賛成をするのもけっこうでしょうし、悪いと思うならばやはり反対をすべきだ、私は自分が反対の立場に立っておるから、賛成論の立場に立つ者が全く無批判だというような極論はいたしておりません。しかし一応全体を討議してそのいずれかに属するでしょうけれども、大体こういう五つの型があるのじゃないか、これはこの調査だけでなしに、調査のただし書き、あるいはこれまでの地方の実情、あるいはいろいろな会議における発言、そういうものを加味いたしまして分析したものでございます。
○中野文門君 ただいまのお話しの中の百尺竿頭一歩型、この百尺竿頭一歩型ということが、(全公達型、まあまあ型)となっておりますが、何か公述人の渡辺さんは百尺竿頭一歩という言葉を取り違えているのじゃないでしょうか、その点いかがですか。百尺竿頭一歩型というのはどういうふうにおとりになっておるのですか、参考にこれはお伺いするのですが。
○公述人(渡辺英雄君) これは去る一月二十一日に、首相官邸で行われました全国の都道府県の公民館連絡協議会、この会長と事務局長の会議がございました。その際にこの陳情がなされておるわけです。今度のこの改正はいろいろ問題があるけれども、百尺竿頭一歩を進めて賛成しようという表現を使っておるわけです。そこで、私もこういう表現が今出てくることに、私のようないわゆるアプレの感覚からすると非常におかしい感じを受けるので、非常におもしろい表現であると感じましたので、(笑声)この百尺竿頭一歩型という名句前をつけたのです。
○中野文門君 笑い声も出たようでございますが、この百尺竿頭一歩を進めるという言葉は、古来、東洋でずいぶん使われてきた言葉でありまして、語源を私の知る範囲で申し上げますと、これは禅の思想から出て参っております。百尺竿頭、竿の先まではだれでも行くけれども、それから先の一歩を踏み切る、すなわち全我を露呈するという境地を百尺竿頭さらに一歩という言葉で、われわれ東洋の思想を研究する者は非常に愛する言葉になっておるのですが、それがたまたま国会のこうした公述の席上で、そうしたとうとい言葉がまあまあ型の中に一緒に入れられたことは私非常に残念に思うのでございますが、これは私のみのあるいは考えかもわかりませんので、さらに進んで参りたいと思います。 資料でいただきました二枚目の逐条賛否の点でございますが、第九条の二でございます。第九条の二は、いわゆる現行法では、「都道府県の教育委員会の事務局に社会教育主事及び社会教育主事補を置く。」となっておるのが、今度の改正案で、「都道府県及び市町村の教育委員会の事務局に、社会教育主事及び社会教育主事補を置く。」、ただし、主事補は町村の場合は置かないことができるというふうになっておるのでございますが、この第九条の二に御反対のようでございます。市町村の教育委員会の事務局に社会教育主事を必置するということなどのどこが不賛成の原因であるか、私は不賛成の意図がわからないのでございます。渡辺公述人御自身は尼崎市の社会教育主事をやっておられる、兼ねて尼崎市立の公民館の主事をやっておられるのであります。尼崎市は兵庫県における、すなわち神戸に次ぐ人口四十数万を擁しておる大都市でございまして、その尼崎市でおそらくあなた一人だろうと思いますが、尼崎市の吏員として社会教育主事という職務をとられ、公民館の主事を兼職されておるあなたの口から、市町村に社会教育主事を必置するという改正案のどこが反対の御理由に相なっておるのか、非常に理解に苦しむのでございますが、その点について御答弁を承わりたいと思います。
○公述人(渡辺英雄君) 私たちは、法というものが条文だけ、言葉の上だけで解釈すべきものでなく、全体的な政策の中で、あるいは全体的な時代の流れで解釈しなければならないというふうに感じているわけです。社会教育主事を市町村に必置するということは、将来において必要になってくるということは私ははっきり言えると思うのです。ただ横の結合を進めていく、公民館に対する政策が非常に手薄でありながら、社会教育行政を進めていく、末端機構としての役割を持つおそれのある社会教育主事のみを必置制にした。そこに問題があるというふうに感ぜられるわけです。確かに御指摘の通り、私一人しか尼崎市に社会教育主事はおりません。本年度、三十四年度にはもう一人置こうということになっているわけです。私は社会教育主事というのは、図書館にしてもそうだと思うのですけれども、いい図書館というのは、やはり右も左もすべての図書がそろっている、こういう図書館がいい図書館だと思うのです。社会教育主事の市民に対する働きかけにおいては、政治的に中立でありながら市民の考え方を進めていく、そういうような不当な支配に属さない、ある種の意図のない、そういうような独立した存在でなければならないというふうに考えるわけです。こういう意味からも、私自身、今後仕事を進めていく上で、こういう社会教育主事の必置を何ものよりも先にやろうという政策のもとでは、非常に仕事がやりにくいということを感ずるわけです。これは決して、私がただ単に感覚的におそれをなしているというのではなしに、たとえば、こういうことを申し上げて大へん恐縮ですけれども、私たちの近畿公民館の主事に松末という主事がおりますが、これは大阪学芸大学の助教授をやっていて、そうして豊中の公民館主事として就任した人です。あらゆる大会で助言者ないし議長という役割に立っているわけですけれども、これは非常に穏健な人ですけれども、ある程度、歯に衣を着せないでものを言う、そういう観点から、かつての県の社会教育課長から忌みきらわれて、助言者として兵庫県に全然呼ばれなかったというようなことがあったのです。それからつい最近におきましても、この社会教育法の改正について、月刊社会教育その他で批判をしている津高正文教授を県の公民館研修会に呼びたいということをいいましたときに、県の社会教育主事が、津高さんは困るというようなことをはっきり言っているわけです。その他、今度の社会教育学会が反対を声明いたしましたときに、社会教育学会というのは赤の集まりだというようなことを言っておるわけです。こういう流れの中で、私たちは社会教育主事のみを必置しようという行き方に反対をしているわけです。
○中野文門君 申し上げるまでもなく、あなたの公述人としての本日のお立場は、個人的な立場でお見えになっておるのであろうと思います。がしかし、尼崎市の社会教育現任主事であり、兼ねて尼崎市立公民館の主事であるということも間違いのないことでございます。そこでお尋ねいたしたいのは、あなたは尼崎市における社会教育主事として、あるいは公民館の主事として、これはもちろん市町村条令の定めるところ、尼崎市は尼崎市の条例その他当然ございましょうし、吏員の服務規程もございましょう。あなた自身が社会教育主事なり公民館主事として現在おられて、特にあなたの御発言をるる聞いておりますと、何か個人の立場ではあろうと思いますけれども、本日の御発言は。しかし、そのような御発言を通して、午前中からあなたの御発言を聞いておりますと、尼崎市の社会教育主事とか、あるいは公民館の主事なんかは、もう立ちどころにおやめになって、自由な立場から社会教育問題に取り組まれた方がいいような感じを受けるのでございますが、何かあなた自身が社会教育主事として、そういうようなことで、(「答弁の必要なし」と呼ぶ者あり)そういう点についてお尋ねを申し上げたいと思います。
○委員長(相馬助治君) 答弁しますか。
○公述人(渡辺英雄君) します。もちろん、そういう御質問が出るだろうということは覚悟の上で参りました。しかし、私は旅費の二重取りはやっておりませんけれども、出張命令ははっきり取ってきております。それから戦後に一億総ざんげということが言われました。私もすなおにざんげをいたしました。ざんげをした結果、私はどういう立場に立とうとも、一応はっきり、やはり正しい国民の側に立つ政治が行われるように、そういうものの防波提にならなければならない、そういうことを考えるわけです。そういう観点から社会教育法の改正が通りましたら、私はこれに従わなければなりませんけれども、これが制定されるまでは少くとも私たちの考え方というものだけは表明しておきたい、そういうふうに考えるわけです。もしも、私がここで地方公務員として反対の発言をすることが地方公務員法その他に触れるおそれがあるというなら、なぜ私に発言をお許しになったか。
○委員長(相馬助治君) 国会は、君の発言を保障しています。
○公述人(渡辺英雄君) その点、初めに発言を封ぜられるべきじゃなかったか、そういうふうに考えるわけです。
○中野文門君 誤解のないように願いたいと思いますのは、あなたのお立場を、私自身が感じておることを申し上げたので、あなたがここで申し述べることが、尼崎市の公務員としての制限を受けるとか受けぬとか、そんなこと絶対に私は心配いたしておりませんので、堂々と御答弁を賜わりたいと思います。 次に、これも資料でちょうだいした第九条の四、五、六、社会教育主事の講習、認定、研修というふうになっておりまして、「政府調製の社会教育行政担当者、政府用命の社会教育主事となり、その指導が国家意志の強制伝達化するオソレがあるので反対する」、こういうふうに書かれてあるのでございますが、この「国家意志の強制伝達」ということでございますが、「国家意志」ということをどういうふうにお考えになっておるのでございましょうか、御説明を賜わりたいと思います。
○公述人(渡辺英雄君) 直接お答えする前に、ちょっと引用をしておきたいと思います。それは大へんなまいきな言い方ですけれども、曽野綾子さんが訳したと思いますが、マッキーヴァーの社会学入門という本の中にコミュニティについて説明して次のように書かれてあります。これまで学者たちは国家というものをコミュニティだというふうに解釈してきた。基礎社会だというふうに解釈してきた。そこに問題があるのだ。国という、民族という立場に立てば、それはコミュニティであるかもわからないけれども、国家というのは明らかにアソシエーションだ。だからやはりそこでは国民の真の利益を代表するものじゃないということを書かれてあるわけです。そういう観点から、私たちはやはり国家というものを見て参りたいというふうに考えるわけです。私は、実は二、三の女子の短期大学で、今休んでおりますけれども、社会保障ないしは社会事業に関する講座を持っております。そういうような観点から国家というものを分析して参りますと、国というのはどこまも第三者的な存在ではないということが経済学的に立証できるのではないか、そういう観点で、先ほど公述、最初の意見を述べますときに申し上げたことですけれども、アメリカの神学者のR・ニーバーが、教育というのは国の宣伝である、支配者にとって宣伝である。また被支配階級にとっては解放の手段である。支配者たちは、国民に、被支配者たちに教育を与えるときに、そこに恐怖と期待とを感じたであろうということが書いてありますけれども、確かに、そのような第三者的な、どこまでも中立の立場に立って果して国というものが存在するかどうか。ここに非常に疑問があるわけです。これは国の、現在、日本国憲法の中に規定されているいろいろの精神とは一応矛盾をいたしますけれども、私は日本国憲法の精神を現在の段階において守り抜くためには、やはり国家の意思の伝達というそういう観点に立つ国家意志の伝達では困るということを強く感じているわけです。
○中野文門君 この「国家意志の強制伝達化するオソレがあるので反対する」ということでございますが、国家に意思がある、国家の意思が、強制でなければ、伝達されても、これは国家の意思が国民に伝達されることは当然であるわけです。また伝達されねばならぬ。私はさように思っておりますが、「国家意志の強制伝達化するオソレがある」からいけないということが、まだ私自身理解できないのですがね。もうちょっとわかりやすく教えていただけませんか。
○公述人(渡辺英雄君) 日本の社会教育の歴史を、通俗教育という名前のもとで出てきてからその歩みをずっと振り返って見ますと、確かに国の一方的な伝達を努めてきているわけです。これは少くとも戦前の社会教育の歩みというものを振り返って参りますと、少くともはっきりとれる。それは国民のための国民による教育ではなかった。真に国民の中に批判精神が芽ばえる考え方がなかった。知性が育っていくような目的が社会教育に中心的にうたわれなければならない、こういうふうに解釈すると、国の一方的な意思が伝達される、そのことだけが強制されるというのでは困るということを申し上げているわけです。
○中野文門君 こうした点につきましては、なお相当な時間をもって公述人の御意見を承わりたいのでございますが、遺憾ながら省略をいたします。 さらに第二十三条の二でございます。
○委員長(相馬助治君) まだだいぶございますか。
○中野文門君 いや、そうたくさんはございません。 第二十三条の二、第二十三条の二で、あなたはこういうふうに申されております。「健全な公民館というのが、健全という語に政治的偏向色が濃厚であるので削除されたい」、これは、二十三条の二は、「文部大臣は、公民館の健全な発達を図るために、公民館の設置及び運営上必要な基準を定めるものとする。」 2 文部大臣及び都道府県の教育、委員会は、市町村の設置する公民館が前項の基準に従って設置され及び運営されるように、当該市町村に対し、指導、助言その他の援助に努めるものとする。」と、こういうふうに新しく改正と申しますか、追加が原案で出ておるのでございます。この健全な公民館というこの「健全」をとらえられまして、「健全」という言葉に非常な考えを集中されて、「健全」という言葉が政治的偏向である、「健全」という語に政治的偏向色が濃厚である。どうもこの「公民館の健全な発達」というような場合の「健全」という言葉をとらえられて、直ちに政治的偏向と結びつけて意思がここに表明されておるのでございますが、どうも私自身「健全」ということと政治的偏向ということが了解に苦しむのでございますが、一つ御説明を賜わりたいと思います。
○公述人(渡辺英雄君) この二十三条の二の「文部大臣は、公民館の健全な発達を図るために、」という条文を、たとえば、文部大臣は公民館の発達をはかるために、あるいは活動の振興をはかるためにというふうに変えても、意味は変らないと思うのです。にもかかわらず、なぜ「健全」という言葉を入れたか、ここに危惧を抱くわけです。こういう「健全」という、もうまい、ばくとした言葉は、あまりお使いにならない方がいいんじゃないか。この「健全」という言葉が必ず将来大きく響いてくるのではないか。健全な公民館と不健全な公民館という区別をおそらくお作りになるというふうに考えるわけです。こういう点から「健全」という言葉は削除していただきたいというふうに考えるわけです。
○松永忠二君 議事進行。
○中野文門君 もう少しありますから。
○委員長(相馬助治君) 議事進行の発言はあらゆるものに優先しますから、発言を許します。
○松永忠二君 だいぶいろいろ自民党の方々も御意見があるようですし、私の方にも非常にまあ疑義をただしたい点もありますので、そう長くいろいろあれでしたら、公聴会を延ばして明日も一つやったらどうかと思うのですが、どうですか、私どもでもまだ質問も残っておりますから。
○委員長(相馬助治君) ちょっと速記をやめて。 〔速記中止〕
○委員長(相馬助治君) 速記を復活して下さい。
○中野文門君 私は努めて簡潔に質問をいたしておるのでございましてたとえば国家意思の強制云々の問題とか、その他、ただいま渡辺公述人に対してお尋ねをしておる事柄は、まだまだ相当お尋ねをしたいことがあるのでございますが、省略を実はいたしております。ただ、私がただいまの段階において、なぜ渡辺公述人にいろいろお尋ねしておるかと申しますと、本日お見えの公述人の方で、現職の社会教育主事をなされており、公民館の主事をなされておるというその職名に対しまして、幸いの機会でありまするから、その一応気になるところを究明と申しますか、お尋ねをしたいというようなわけでお尋ねをしておるのでありますから、さよう御了承賜わりたいと思います。しかし、お急ぎの方もあるようでありますので、あと一、二点だけにいたしておきます。 ただいまの第二十三条の二でございますが、おれはそう思うのだとおっしゃられれば、それだけでございますが、「公民館の健全な発達を図る」というこの文言に対しまして、「健全」という言葉が政治的偏向だという、ふうに仰せられることが、どう考えても私わかりませんが、もう仕方がありませんが、もう少しわかるような御説明ができましょうか。——いやもう御答弁がなければ、次に進みます。
○委員長(相馬助治君) ないようですから、その次にそれでは。
○中野文門君 それでは遺憾ながら健全な公民館の発達ということにつきましては、渡辺公述人の意思が十分わからないことを残念に思います。 最後に、この第三十五条でございます。第三十五条は、国庫は、「公民館を設置する市町村に対し、予算の定めるところに従い、その運営に要する経費の補助その他必要な援助を行う。」というのが、今度の一部改正におきまして、「国は、公民館を設置する市町村に対し、予算の範囲内において、公民館の施設、設備に要する経費その他必要な経費の一部を補助することができる。」というふうに相なっておるのでございますが、従って、この三十五条の改正が実現をするといたしますれば、ここに公民館の基準ができ、従ってそれに伴う起債等もできることに相なろうと思うのでございますが、これを「公民館を設置する市町村に対する補助規定」云々と書かれて、「国の財政上の責任を不明確にする改悪であるので反対する」、こういうふうに記述されておるのでございますが、この点も私納得が参りませんので、御迷惑ながら御説明を賜わりたいと思います。
○公述人(渡辺英雄君) 不明確という言葉を使っているわけですけれども、予算の定めるところによって援助を行う。と現行法ではなっているわけです。ところが改正法では、予算の範囲内において補助することができるという規定になっております。で、もし、「予算の定めるところに従い、公民館の施設、設備に要する経費その他必要な経費の一部を補助する」ということにすれば、はっきりするのじゃないか。われわれはもちろん、先ほどから申し上げておりますように、日本の社会教育を振興させる道は、公民館に対する国の財政的な援助がもっと増大されることだというふうに感じているわけです。ですから、公民館の設置に関する起債が許され、その他いろいろな運営に関する経費が保証されるということは、最も求めているところのものなんですけれども、予算の定めるところに従い必要な援助を行うというものを、予算の範囲内において、補助することができるというのは、確かに国の財政責任を不明確にしているという感じを受けるわけです。
○中野文門君 私はこの第三十五条の現行法よりも、第三十五条のいわゆる意図されている改正案文が百尺竿頭一歩一を進めておると思います。この「予算の範囲内において、」ということが云々と申されるのでございますが、これは当然な言葉であると思うのでございまして、予算の範囲外で扱うわけにはなかなか参らぬと思うのでございます。どうもこういう点について、公述人自身の御意図が十分にくみ取れないのでございますが、時間その他の関係上、私の質問はこれをもって終了いたします。
○松澤靖介君 渡辺公述人にお聞きしたいと思いますが、あなたには社会教育主事と公民館主事を兼務されておりますが、あなたは社会教育主事を主と考えていなさるのか、あるいはまた公民館主事を主と考えて、いわゆる社会教育を推進すべきだということの意味において、先ほど申された通り、いわゆる公民館主事が必置制でない、任意制であるがゆえに主体性をなくするというような意味において御反対のような御意見と拝聴したのですが、そういう意味において社会教育主事よりも公民館主事の方を主と考えて社会教育を推進すべきであるというお考えであるかどうか、伺いたいと思います。
○公述人(渡辺英雄君) 私に一番最初出ました辞令は、社会教育主事を命ずるという辞令でございます。そのあとで私がいろいろな事業をやって参ります場合において、公民館の中に実際に入らなければ現場と接触を非常にしにくい。そういう意味で公民館主事の兼任辞令をもらいたいということを非常に強く要求したわけです。現在では社会教育課と公民館の職員はいずれも、兼任になっております。私は社会教育主事が主体で、公民館主事を兼ねるという辞令は出ておりますが、私は実際の活動を進めていく場合においては、公民館主事としての役割に非常に大きな期待をかけております。また事実それに非常に大きなウエートをかけて仕事をしておるということを申し上げておきます。
○松澤靖介君 それでは全国の公民館連絡協議会とか、そういうものに対しまして、公民館主事というものは、任意制でなくてやはり必置制にすべきであるというような御意見をなされたことがあるかどうか。
○公述人(渡辺英雄君) 公民館主事の身分を保障する、すなわち必置制にするという問題は、この資料の中に、第一回大会から第七回大会までずっとしるしてございますけれども、第二回大会以来の公民館の関係者の要望でございます。そういう点で私は第七回の大会だけにしか出ておりませんけれども、その際にも強く要望をいたしております。先ほどから守田八幡市長さんからもお話がございましたように、確かに現在の公民館関係者の強い要望である。それはわれわれ主事だけではなしに、公民館館長としても強く要望しておるのではないか、それが本音だというふうに考えるのでございます。
○松澤靖介君 守田さんにお伺いしますが、全国の公民館連絡協議会におきまして、今度の社教一部改正に対しまして、今までの考え方がやはり公民館主事を必置制にすべきであるというお考えがあまり強くなかったのか。それでまあ社会教育主事を先決にすべきだということの意味において今回御賛成になったのかどうか。
○公述人(守田道隆君) その前に、一言私は今のことに関連しまして、全国の公民館連絡協議会の立場をはっきりいたしておきたいと思います。 さっきから尼崎の渡辺さんからいろいろお話がございましたが、何か公民館の内輪が非民主的で、何かでたらめのやり方をしておるような御発言が、この国会の公聴会の席でございました。いろいろ不平をお持ちになっておるように承わりましたが、しかし今日まで、先ほどからいろいろお話がございましたように、わが国の公民館並びにそれの団体でありまする各県の連合会、全国の公民館の連合会、そういうものの立場は多少御存じじゃないかと思うのです。ところが一部においてそういう話がありましても、たとえば府県の連合会で意思をまとめられて、そうしてブロックの連合会に移された、そちらからお話しがございませんと、全国の連合会には議題にならぬわけでございます。そういうことに対して今日まで何らの公式な手続がとられておりません。いろいろ御不平がありましたけれども、全国公民館連絡協議会としては、少くとも昨年の春以来は、しばしば皆様の御意思も聞き、それからいろいろな広報活動もほとんど月に何回かを送るくらい広報活動をいたしております。そうして各連合会あるいは単独に主事の方や、社会教育主事あるいは公民館主事、そういう人からの意思の発言もあっております。そういう点を取り上げまして、いろいろ皆さんと慎重審議した結果、公述いたしましたような結論に達したわけでございます。ところが、何か中央できめてしまって、それを府県に流したと一部の現象をとらえておっしゃっておると思います。象のしっぽをつかまえて象全体のお話しをなさっておるような、はなはだ不愉快な感じを私は得ております。ことに私に対して直接おっしゃるならば、これは内輪でございまするから、けっこうでございまするが、この参議院の公聴会の席で、そういうお話しがしばしば出ますことは、これは全国の公民館連絡協議会の皆さんに対しても、まことにこれはまずい話になるわけであります。そういう点は非常に遺憾に考えております。個人としてどういうお話しをなさろうと、さっきお話しがございましたように、これは自由でございますので、それは別に束縛するわけではございませんが、しかし全国の公民館の中にお入りになっておって、いわゆる社会教育主事としての立場、ある組織の中にお入りになっておる方が勝手な御発言をなさって、そうして自分の方でこれまで意思の発表もしないで、そうしてこういうところで、そういうことを皆さんに提供しまして、あたかもこの全国の公民館連絡協議会というものが、皆さんに対していろいろこれまでお願いをいたしておりますが、そういうものに対してはどうも……。
○坂本昭君 議事進行、質問に対する返事をしてもらったらいいんだ。
○公述人(守田道隆君) いやちょっと……。それは質問でございますから、はっきりその点をしておきませんと……。大へん余分なことで恐縮でございましたが、その点ははっきりしておきたいと思います。というのは、参議院の皆様には、これまでたびたび陳情もいたしまして、全国公民館連絡協議会の意思の決定ということで、先ほど公述しましたものはお願いしたのであります。そういう姿でございまするので、その点は御了承を願いたいと申し上げるのでございます。 それから今お話しがございましたこの全国の公民館連絡協議会といたしましては、お尋ねがございました社会教育主事と、それから公民館主事との関係、これは社会教育主事並びに公民館の主事は、御承知の通りに両方とも非常に必要な職制でございます。いずれも実は必置制を要望してきたのでございます。ところが大蔵省あるいは文部省、自治庁その他に折衝を続けましたが、社会教育主事並びに主事補の方は文部省の方で県の方に早くから設置をされております。必置になっております。ところが公民館の主事の方は必置になっていないのです。そういう関係と、もう一つは、社会教育主事の方は、これは全般を見ますので、数の点から申しますると少数でございます。ところが公民館の方は、公述のときに申し上げましたように、一館に一人ずつ主事を置きましても三万四千でございまするから、そうすると、百億以上の金がかかる、そういうふうな問題もございまして、折衝はいたしましたけれども、社会教育主事は、従来、県に、県の教育委員会にあったものだから、それを市町村になお必置しよう、これはさっきも渡辺序から話がありましたように、数は少数でございます。しかもそれを渡辺氏の場合と同じように、公民館の主事と現段階においては兼務してよろしい、そうしてわれわれとして要望いたしましたのは、社会教育主事ばかりでなくて、公民館主事もぜひこの際に必置制にしてもらいたいということをお願いしたのでございまするが、これを置きますためには、全国の五百二十幾つの市と、それから何千という町村、そういうところの財政事情とにらみ合せたければできないわけでございます。百億の国の費用、そのうちの一部でございましょうが、国の費用をいただくばかりでなくして、地元の市町村の負担が非常にふえるわけであります。そういう事態もございまして、残念ながら、折衝ではこの程度しかいかなかったわけでございます。そういう点で、おそらく一年間、その問題は各省にお願いを申し上げました結論でございます。
○松澤靖介君 もう一つ、前々から公述人の方からお伺いますと、社会教育の推進の場は公民館である、そのためには公民館主事を置くべきであるというような御意見を多数の皆様から伺ったように存じます。しかし、国が百億もかかるからといっても、この社会教育にほんとうに熱意をお持ちならば、百億がかかろうが、二千億がかかろうが、そんなものに拘泥しなくて、もっともっと強力に、私は皆さん方が政府を鞭撻するなり何なりやるべきだと考えるんですが、そういう点において今後おやりになるつもりですか、どうなんですか。
○公述人(守田道隆君) 松澤先生から大へん心強いお話しを承わりまして、百万の味方を得たような気がいたしまして、大へんこれは、おそらくきょうの公述にお立ちになりました皆様も御同様の感じであると思います。私どもはそういうつもりでございますが、しかし地方財政の事情のわかり過ぎております関係と、それから実は金ばかりではございません。公民館の受け入れ態勢と申しますか、そういうものもまだ過渡期でございまして、それさえできれば、すべてオーケーというわけに参りません。そういう点で、これまで折衝をあちこちに長くやりましたけれども、現段階でとまったわけでございまするが、一つ皆様方の非常な御熱意をいただきまして、ぜひともその段階まで持っていきたい。おそらく、失礼な話でございますが、政府、文部省の御当局にしましても、そういう御意思であろうと、こう推察いたしておりますので、今後一つよろしくお願いいたします。
○委員長(相馬助治君) 間もなく終りにしたいと思いますので、御協力を願 います。
○後藤義隆君 小林さんにお聞きしますが、ごく簡単にお答え願います。社会教育法の第十三条におきますと、「国及び地方公共団体は、社会教育関係団体に対し、補助金を与えてはならない。」、こういうふうに規定されております関係上、個人には与えてもいいが、社会教育団体には与えてはいかぬということが十三条にあるようでありますが、そういうことになると、何でも伺っておりますと、本年、滋賀県下で日本ボーイスカウト大会を行うことになっているそうでございますが、そうすると、そういうようなふうな団体には、国の補助が与えられないということになると思うんですが、その点はどうお考えになりますか。
○公述人(小林運美君) ただいまの御質問でございますが、われわれ社会教育団体といたしまして、いろいろの事業をいたしておりますが、ただいま御質問のように、本年八月、滋賀県の饗庭野という所で、全国のボーイスカウトの大会をいたします。これに対しまして、非常な経費がかかります。これはひとり日本のみならず、世界各国でそれぞれ自分の国の大会をやっております。それからまた世界の大会もございます。今年はたまたまフィリピンで世界大会が七月に行われます。これには莫大の費用を要しておりまして、フィリピンの大会、われわれの方ではボーイスカウトのジャンボリーと申しておりますが、ジャンボリーの予算は、フィリピンにおきまして、日本の金にいたしまして十五億ほどかかるのでありますが、そのうちの三分の一はフィリピンの政府が出します。それから三分の一の五億は、いろいろの関係の寄付を求めておりますし、三分の一の五億は、集まります子供たちが出し合ってやります。これは世界の場合でございまして、一昨年、英国にありました世界大会も同様な組織でやりました。これは各国とも大体四年に一ぺんやることになっておりますが、そういう臨時のものに対しましては、われわれ零細な子供の一カ月十円といううな経費からは、とてもまかないきれないのでございまして、そういうような大会に対しては、国の補助を直接団体は補助していただくのが当然と私は考えます。なお、こういう大会というものについては、個人でというようなことはとうていできない、こういうことはおわかりの通りでございまして、そういう場合には、ぜひこの団体に補助していただきたい。ただお前たちが自分たち勝手の大会をやるんだから、それは自分でまかなえというような御議論があるかもしれませんが、われわれは決して勝手にやっておるわけではありません。われわれの大会を持つというのは、今回は日本でやるという場合には、外国から数千のボーイスカウトを参加させるようにしております。すなわちよその国とのおつき合いをいたしますので、そういった関係で、多少はわれわれの団体としましても、外国人に対する礼を失しないために、相当の経費を必要としますので、そういうものには国の助成金をいただきたいというように考えております。
○後藤義隆君 川口さんにお尋ねいたしますが、ごく簡単にお願いいたしますので、簡単に申します。千葉県の青年団が、県の教育委員会に何か共催を申し込んだところが、それを断わられたのは非常に不都合だというような意味の御批判の発言がございましたが、先ほどそういう趣旨のことがございましたが、何か共催を申し込んで、それに対して共催を断わられたことがありますか、それは今度の社会教育法を改正すれば、どういう点が共催を断わられるような理由になりますか、その点についてお伺いいたします。
○公述人(川口浩君) お答えいたします。その前にお断わりをいたします。どういうことかというと、私は千葉県の青年団がそういう問題にぶつかったというふうに言ったわけではありません。日青協の問題と、それから県下の各町村に起った問題、この二つを申し上げた次第でございます。しかし、やはり県の場合も、今お尋ねがございましたので、多少申し上げておきたいと思うわけです。それはどういうことかというと、ここに文部省のお役人も二、三お見えになっておりますので、私の申し上げた発言を御利用されると困るんですが、そのことを御利用なされないようにお願いした上で、一つ言っておきたいことがあるわけです。それはどういうことかというと、私ども実はつい最近、県自体の青研集会をやったわけです。青年問題研究集会をやったわけです。そういたしましたところが、講師の問題で、いや、あの講師はいけないから何とかしてくれという、そういう注文があったわけです。もう少し具体的にはっきり申しましょう。吉田昇という講師は、これは社会教育法にまっ先に反対しているのだから、これだけは何とかしてくれないかという発言がはっきりしておるわけです。それから学生団体を記録係に頼むそうだが、これも何とかしてくれという発言があったわけです。それから分科会に平和と民主主義という話し合いの分科会があるようだが、これも何とかしてくれという発言があったわけです。私どもはそういう発言にびくともしませんから、別に問題はなかったわけでありますけれども、むしろ私どもの青年団の中から編み出した理論で社会教育家の方々にお話をいたしましたところ、御了解願ったわけでありますけれども、しかし、もし私どものようなそういう強さがなかった場合には、これは必ず干渉として、あるいは圧泊として具体的な結果を現わすわけです。こういう事態が県の中にもあったということをお話しました。それから参考までにもう一つ申し上げておきたいと思います。これは県の課長に対して、ちょっと申しわけない発言でありますが、こういう発言をしているわけです。私どもは正しい方針で青年団を指導しようとすると文部省の意思に反してしまう。といって、文部省の意中に沿うて指導しようとすると、君たちからおしかりを受ける、おれたちは一体どうしたらいいのかという、そういう苦しい答えを出しているわけです。私どもは決して課長をいじめているわけじゃないということで、課長を抱えるような態度でそれに接したから、まだよかったわけでありますけれども、これはしかし、考えようによっては、受け取りようによっては重大な干渉になってくるわけです。そういう事態が県にもあったということをお答えするわけであります。
○後藤義隆君 今私のお聞きしていることは、そういうことではなしに、今度の社会教育法を改正することが、その問題とどういう関連があるか、何条を改正することに関連があるかということをお聞きしているんです。あなたは有線放送の例をあげたり、そういうふうなこともされたんですが、何条を改正すればそういうことになるか、お正しなくても、現在でも、あなたの言うところによると、そういうふうな干渉を受けているというんだが、改正十ればどうしてそれが悪くなるか、こういうようなことをお聞きしているわけです。簡単に、第何条を改正することによってそういうことになるかということだけでけっこうです。
○公述人(川口浩君) 第何条ということじゃないんです。
○後藤義隆君 私のお聞きしているのは、今度改正しようとする第何条を改正すればそういうことになるかという、その条文だけ聞いているんです。
○公述人(川口浩君) 十三号です。
○後藤義隆君 十三条を改正しなくても、現在のままでもそういうふうな干渉を受けているとおっしゃるんですか。
○公述人(川口浩君) そうです。十二条と十三条は、先ほどのどなたかの御発言の中に、十三条を取っても、十二条が厳として生きているんだから問題はないじゃないかという御発言があったわけですけれども、これは論理の転換というものです。なぜかというと、現行法においてさえも、十二条があってさえもやられているわけです。私どもはこの十三条が取られるということになると、先ほど松永先生からもお話がありましたように、今度はどういう団体にやろうとやるまいと、あるいはその重をふやそうと減らそうと、それが自由にできるようになるので、これはそんなことはないとおっしゃるかもしれませんけれども、私どもは理屈でなくて、現場の体験の中から、それをからだで感じ取っているということを申し上げたわけでございます。 ついでに一つ申し上げておきたいことは、本日、こういうことを申し上げては失礼でございますが、資格がどうのこうのという、そういう形式論でこの公聴会が終始したということは非常に遺憾に思います。今、日本の社会教育の現場がどうなっておるのか、どういう問題にぶつかっているのかということのお話し合いがなされると、もっとよかったんじゃないかという感じを持ったわけであります。
○委員長(相馬助治君) 六時までに何とか終りたいと思いますが、御協力願います。
○後藤義隆君 それでは今の川口さんにもう一点だけお聞きいたしますが、共催というよりも、補助金を出してもらった方が青年団の運営は自主的にできるのではないかどうか、その点だけ。共同主催の共催あるいは委託ということよりも、補助金をもらってやることの方が自主的に活動ができるのではないか、その点だけ、あなたどう思いますか。
○公述人(川口浩君) そのお説は一見いたしましたところ、ごもっとものように聞こえるわけでありますけれども、実はそうじゃないわけです。なぜそうでないかというと、今まで県の社会教育課や町村の教育委員会は、どういう理由で共催金を出さなかったかということをお考えになっていただけばすぐわかるわけです。大体は幹部の傾向が悪い、あるいはそれは政治活動だという解釈のものにやらないわけです。つまり政治活動するような団体は社会教育団体ではないのだ、青年団の活動ではないのだという解釈をされるわけであります。ところが私どもの現場での声は、政治活動こいうのは何を指すのか、われわれは生活をよくするためにやっていくと、どうしても政治の問題にぶつかってくる、生活をよくするという観点から政治の問題に関連をせざるを得ないのだということをやると、すぐ政治活動だということで共催金を拒否される。もし今後、先ほども申しましたように、お上の方針に結果においてたてをつくようなことになった場合、これは社会教育団体じゃないのだ、政治活動する団体なのだという解釈のもとに、そういう政治活動する団体には補助金をやらぬということになるわけです。われわれに自由に金をくれて、自由に使わせるということならばまだしもですが、それは今までの前例から推して、とうてい考えられないわけです。政治団体だから補助金をストップされることは明らかであります。これは体験の上から、はっきり自信をもってお答えすることができるわけであります。
○後藤義隆君 次は山本先生にお聞きしますが、十三条の社会教育団体の行為は、あなたは憲法八十九条の教育の事業であるというようなふうに、何か私は午前中にはそういう工合に伺ったのですが、そういうようにお考えでしょうか、どうでしょうか。
○公述人(山本敏夫君) この私の論旨は、午前中に申し上げましたように、教え導く要素のあるもの、あるいは教え導く型ののもの、それが八十九条の教育の事業であって、その要素でないところのもの、そういう要素なり形でないところのものはこれに当らない、そういう解釈をすることが八十九条の趣旨に反すると、かように申したのでありまして御質問に大体その通りだというふうに申して……その御質問がありましたが、社会教育活動というものが社会教育の事業とどう違うかといいましても、これはほとんどまあ変りがないもの、私は変りがないと、さように解釈すべきものと思うのであります。ことに先ほど来何度も申し上げておりまするように、最近の文教政策なり、その背景の動向から考えまして、この八十九条の教育の事業ということにつきまして、あまり限定したような解釈をすることはよくない、これははなはだちょっと憎まれ口をきくようで恐縮ですが、文部省も従来そういう解釈をしてきておりまして、昭和二十三年の七月十四日の社会教育局長の通達などを見ましても、はっきりそれをいっております。特定の民間団体に援助を与えちゃいけない、それは憲法八十九条により、自今これを打ち切ることということを二十三年七月十四日発の通達で言っている。これは非常に申し上げにくいのですけれども、はっきりさせるために申し上げますが、七で、都道府県教育委員会が、たとえばボーイスカウトなどの会合にその費用を支出することは不当であるということをわざわざ七で申しておる。五で八十九条ということをいっておりますから、この解釈が私は正しいと思うのです。ついでに申し上げますと、十三条では団体といっているから、だから十三条は団体のことを禁止したのだから、個人に出すのは十三条に触れないのじゃないかというような御発言もありましたが、これが今の御質問にも関連があるのですが、八十九条は慈善、教育もしくは、博愛の事業に対して、団体であろうが個人であろうがこれは別にきめてないのであります。従って先ほどの御質問の通りに、私は社会教育関係団体の行なっておる教育活動は、やはり教育の事業というふうに見るのが妥当である。これがことに現在の任命制教育委員会、そのほかの情勢から考えまして、そう考えることが、ことさらに必要でもありますし、また、その点で妙な例外を置きますことが、この公けの支配に属さない団体に対しまして、公金を不当に乱費したり、あるいは干渉したりすることになりますので、この点について例外解釈を設けるべきでないというのがお答えであります。
○後藤義隆君 もう一点だけ。社会教育法の十三条と憲法八十九条とが、ほとんど同一であるということになりますれば、社会教育法の附則の第六でありますが、十三条の規定にかかわらずこれは全国的及び国際的の事業を行うところのものに対して補助しても差しつかえない、こういうようなふうな法律があるわけなんですが、これはあなたのお考えはどうでありましょうか、憲法違反でしょうかどうでしょうか。
○公述人(山本敏夫君) その法改正はございましたけれども、はっきり申し上げますが、憲法違反であるというふうに考えております。これは宮沢氏の注解憲法、最近のコンメンタール編におきまして、これをごらんになれば、これは法律改正以前の見解でございますが、宮沢氏の見解などによりましても、その点は違憲性がある、かように考えておりますし、名前を引くことは、これは著者ではありませんので、この場合は遠慮をさせていただいてほかの憲法学者なり、行政学者なりにも、この点につきましては私も意見をただしておるのであります。私についての御質問でありますが、私はこれはやはり違憲である、さようにはっきりと申し上げます。
○松永忠二君 会後のこともあるので、一つだけ確めておくためにお聞きしたいと思うのですが、四人の賛成の公述人の方々が政府委員室にお集まりになって、そうして文部省の方々とお話し合いをなさったということを聞いたわけなんですが、政府委員室にお集まりになったのですか、その点だけこれは確めておきたいと思うのですが、どなたでもけっこうです。
○公述人(小林運美君) ただいまのお話、私は全然そういうことはありません。いつどこでそういうことをお聞きになったのでしょうか、私はきょうはあすこの控室に行きました以外に、全然そういう所に行ったことはございません。
○松永忠二君 私はそういうお話を聞きましたので、そういう事実がなければないということで、あればあるということで、そのほかの三人の方に、そういうことはないのでありましょうか。
○公述人(松本久子君) 私は政府委員室に入りました。しかしそれは参議院の中のどの部屋かわかりませんから、文部省の方に連れてきていただいて、一応どの部屋か聞いていただくために入ったのと、私が東京へけさ参りましたから、連絡しなければならないところへ電話をするために入っただけでございます。
○松永忠二君 もう二人の方にお聞きをしたい。二人の方、どうですか。
○公述人(守田道隆君) 私面会はいたしましたが、打ち合せはいたしません。
○公述人(徳永アサ君) 私も松本さんと同様でございまして、場所を聞くためについて参りました。
○委員長(相馬助治君) 以上をもって公聴会を終るわけでありまするが、終りに当りまして、一言、委員会を代表して私からお礼を申し上げたいと思います。 守田君外七名の公述人の方は、本日、非常に御多忙のところを午前、午後にわたり、しかも長時間、六時になるこの時間まで熱心に公述をして下さり、かつ委員の質問にお答えいただきまして、まことにありがとうございました。皆様方の御意見を十分に参酌いたしまして、本委員会は、本法案に対する審議に大いに益するところがございました。非常に簡単でございまするが、委員会を代表して、公述人各位に厚く感謝の意を表します。ありがとうございました。 本日はこれをもって散会いたします。 午後六時二分散会