文教委員会 第2号
- 発言数
- 58 件
- 登壇者
- 10 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1958/12/19
会議録
○坂田委員長 これより会議を開きます。 まず国立及び公立の義務教育諸学校の児童及び生徒の災害補償に関する法律案を議題といたします。提出者より提案理由の説明を聴取いたします。山崎始男君。 ————————————— —————————————
○山崎始男君 ただいま議題となりました国立及び公立の義務教育諸学校の児童及び生徒の災害補償に関する法律案につきまして、その提案の理由を御説明申し上げます。 およそ国家隆昌の基盤を教育に置かなければならないことは言うまでもないところでありますが、なかんずく義務教育における約千七百万人の児童、生徒のすこやかな成長こそは国民全体の念願でありまして、教育基本法及び児童憲章に明示されておりますように、常に留意せねばならないところであります。 さて義務教育に関しましては、憲法第二十六条第一項によれば、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と規定しており、さらにまた第二項においては「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」と規定しておりまして、義務教育について特にその責務をうたって重視しておるのであります。しかるに一昨年来児童生徒の災害がひんぴんと報じられておりますのは、先刻御承知のところでありまして、特に紫雲丸事件や相模湖事件、三重の水難事故や学校給食の集団中毒等、記憶に新しいものが多くあったのであります。楽しい修学旅行や遠足に不安を抱いて行かなければならないことはまことに遺憾なことで、義務教育の諸学校で起きた災害の処置が父母の負担のままに放置されていることは実に忍びないところであり、義務教育の趣旨からもまた絶対に見のがすことのできないものだと存ずる次第でございます。現在地方公共団体においては、自主的な補償策が共済組合的なものとして全国的に広まりつつあるのでございますが、このことは父兄並びに国民がいかに学校における災害に強い関心を持ち、特にその対策の万全をこいねがっているかを端的に物語っているものだと存ずるのでございます。従って、このような現状におきまして、これをさらに一歩前進させ、児童生徒を災害から守るとともに、不幸にして災害を受けたならば、直ちに迅速、かつ、公正な補償を国家によって行うことが焦眉の急務であると存ずる次第でございます。 この法律案は、かような事情のもとにおきまして、ぜひとも必要と考えられる災害補償を国に行わせることを目的として立案いたしたものでございまして、その内容を簡単に御説明申し上げますと、第一に、この法律は、義務教育諸学校の管理下の災害について、義務教育の特殊性に基き、国はこれに対する補償を行う責任を有するのであるという立場に立っているのでございます。この場合、学校の管理下とは、義務教育諸学校の児童生徒が、当該学校の教育または監督もしくは保護を受けている場合を言うのでございますが、具体的には政令に譲っているのであります。 第二に、この法律による災害の補償の種類としては、療養補償、傷害補償、葬祭補償、遺族補償、打ち切り補償を考えておりますが、補償は金銭による補償としております。補償金額は、療養補償については原則として完全に治癒するまでの費用を見ることに考えています。遺族補償につきましては中学校を卒業して勤めに入った労働者が業務上死亡したとき、労働基準法で保障されている金額に準ずることといたしました。傷害補償等その他の補償につきましては、中学校を卒業して直ちに労働に従事したものが、労働基準法で補償される金額に準じて補償することにいたすように考えています。 第三には、最初に申し上げましたように、補償の実施は国家事務でありまして、文部大臣が最終責任者でありますが、公立の義務教育諸学校については、都道府県の教育委員会が委任を受けてその補償を実施するものとしておるのであります。 第四に、この法律による補償は、災害を受けた児童生徒が社会保障による給付を受けることができる場合には、その給付を受けるべき限度において補償を行わないようにいたします。 第五に、補償を受ける手続について申し上げますと、公立の義務教育諸学校の管理下で児童または生徒が災害を受けたときは、本人またはその遺族が文部省令で定める補償申請書を学校長及び市町村の教育委員会を経由して都道府県の教育委員会に提出をし、委員会は政令で定める基準に照らして、学校の管理下における災害であるかどうか判定を行い、補償金頼りを決定し、補償をいたすのであります。これに不服の場合は、文部大臣に審査の請求を行うことができることになるのであります。国立の場合もこれに準じております。何とぞ慎重御審議の上、すみやかに御可決下さるようお願いいたします。(拍手) —————————————
○坂田委員長 次に昭和三十三年九月の水害による公立の小学校及び中学校の施設の災害復旧に要する経費についての国の負担に関する特別措置法案を議題とし、審査を進めます。 質疑の通告があります。これを許します。加藤精三君。
○加藤(精)委員 本年九月静岡県の伊豆地方が非常な災害に見舞われまして、その復旧が実に困難をきわめております状況につきましては、われわれラジオまたはテレビその他新聞等によりまして承知しておるのでございまするが、何しろこの地帯は、たび重なる災害に見舞われまして、全国の地域申でも非常に不幸な地域といわれるのでございます。昭和六年でございましたか、駿豆の大震災の当時、本員は文部省の課長といたしまして、二十数カ町村の災害の状況を視察した経験を持っておるものでございまするが、あるいは山津波によりまして、あるいは河川のはんらんによりまして、当時の惨状を思い起しますにつけまして、今回の不幸は、まことに同情にたえない次第でございます。しかも当地方の河川の状態その他防災施設につきましては、十分に事前の防御が尽されたとは言いがたいと存ずるのであります。寺田寅彦先生は、災害は忘れたときに来るということを言われたのでございまするが、災害行政につきましては、われら国会におきましても、与野党とも、今日以上周密な計画を立てまして、民生の安定に資するところがなければならぬと感ずるものでございます。しかもこうした地方の、この全国の幹線道路からそれている地帯、思い切ってそれておれば、北海道等のごとく特別施策がございますが、少々それている地帯でありまして、人間のからだでいえば、背中のような地帯を忘れがちでございます。ことに、大河川の流域は、河川災害から、神経を使って保護されておりまするが、こうした中小河川地帯の防災対策ということにつきましては、特に意を用いなければならぬと思うのでございます。しかしながら、すでに発生してしまいました災害に対しましては、国力の許す限り、できるだけの配慮を尽すことが、政治の要諦だと考えているのでございます。「やすみししあが大君の食す国はここも大和も同じとぞ思う」という古歌がございます。 われわれはこの古歌を、「あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今さかりなり」という都を謳歌する歌の反面といたしまして、常に心にかけなければならぬと考えておるのでございます。 さて本論に入りますが、今回の災害の法律は常時の場合における災害の補助率三分の一を復旧経費の四分の三負担といたしている点につきまして、主たる目的があると考えているのでございますが、本件は特に第六条の第一項第一号につきまして、それぞれ政令で定める額に達しない被害というのはどの程度であるか。それから第二号、第三号の「明らかに設計の不備又は工事施行の粗漏に基因して生じたものと認められる災害に係るもの」、「著しく維持管理の義務を怠ったことに基因して生じたものと認められる災害に係るもの」というようなことがございますが、これらは大きな目から見まして、防災対策を十分にやる義務を地方団体にも負わせまして、そうして心を引き締めるという作用はあるかもしれませんが、すでにできてしまった災害につきましてはあまりに酷にわたらないようにいたすことが政治の配慮というふうに考えられるのでございます。その点につきまして当局に御質問申し上げたいのでございます。 それから、この適用の区分でございますが、従来は災害復旧経費の額がその地方団体の基準財政収入に比してどれくらいの率になっているかというようなことが議題になったと記憶いたしておりますが、今般の法律につきまして、三条第二項の地域の指定はいかなるふうに政令で規定するかという点につきまして、以上三点を御質問申し上げます。
○小林政府委員 法律案の第六条の適用除外に関するお尋ねでございますが、第一項の第一号につきましては、被害の額が費目ごとにまた一学校ごとにそれぞれ政令で定める額としてございまして、従来の例にも徴しましてその限度額を政令で十万円というふうに規定するつもりでおります。 なお第二号、第三号につきましては、これは現在までのところ私どもの調べましたものの中には、これに該当するような学校はございませんが、いわば災害立法に関する一つの例文といたしまして、ただいまお尋ねの中にもございましたように、将来に対する学校建築技術上の戒めという意味をもって、これを入れておるわけでございます。私どもといたしましては、明白なものが出てきた場合は別でございますが、二号、三号を特に乱用して、厳格にこれを適用するというようなことは、今のところ考えておりません。
○臼井委員 関連して。この機会にちょっと特に復旧に関する方針について一点お伺いしたいのですが、学校の建物は、非常の災害等の場合、また災害が起るであろうというような場合の避難所になるわけなのです。特に地方におきましては、何か、たとえば山津波が来そうだとか、あるいは水が出そうだとか、台風が来る等というような場合には、また大きな火災、こういうような際には、一般の国民の避難場所になりますので、もしその学校が脆弱であって、台風のために倒されるとか、水に押し流される、こういう場合に、その災害、ことに生命に対す災害というものが、われわれ従来非常に案ぜられておったのです。そこでそういう心配のある地方、台風の通過がおもにあるような地帯とか、あるいは海岸で津波の心配のあるようなところとか、また山津波で押し流される、こういうようなところ、また現にそういうことのあったところについては、何とか鉄筋コンクリートにして、安心できる安全な一般の町村民の避難場所として確保したいというのが私どものかっての念願であったわけです。そこで、そういう場合を心配して、こういうような機会、校舎の建て直し等の場合において、新設はもとよりでありますが、できるだけ鉄筋の建物にすべきであるということを申しておったのです。ところが伊豆の先般の災害では、やはりわれわれ心配しておったことが現に起って、校舎に台風の避難をしていたが、校舎が押し流されて多数の死傷者が出たということがあったのであります。今後二度とああいう災害地帯がまた災害にさらされるということは——土木工事、河川工事、植林等によって万全の策を講ずるであろうと思いますけれども、しかしせめてその犠牲者を生かすという意味においても、何とかこの機会に、学校の校舎というものがさらに避難場所としても確保できるよう鉄筋で建てるようにしたいと思うのでありますが、この伊豆の災害地帯に対して、何かそういうような要望があるとか、あるいはそういう指導をされておるのでありますか、その点を一つお伺いしたいと思います。
○小林政府委員 お尋ねのございましたように、災害に限らず、学校を新築あるいは改築する場合には、いろいろ将来のことも考えまして、鉄筋等の耐震耐火構造にするということが最も望ましい次第でございまして、私どもといたしましても、予算の許す範囲内でできるだけそういった面を奨励したいということで従来指導をしておるわけでございます。ただ、御承知のように予算上認められる鉄筋関係の坪数が十分でございませんために、地方からの要望を満足させるほどにいっていないことはまことに残念であります。特に災害の比較的多い、いわば災害の常襲地帯というような地域につきましては、この鉄筋の配分をできるだけ多くするということで従来対処して参っております。お話のございましたように、一朝災害が起りますと、この学校の校舎が避難所になる、あるいは防火壁になるということもいろいろ従来の経験でございました。そういった意味からも今後できるだけ鉄筋の構造比率を多くして参りたい。その方針で今後の予算獲得にできるだけ努力をいたすつもりでございます。 お話のございました伊豆の地方でございますが、罹災者が逃げておった学校が流れて、大きな事件になったということも一時新聞に報道されましたが、その事実は実はございませんで、その学校はすでに老朽改築をするために取りこわしをしておったのを、誤まって流されたというふうに新聞が報道をいたしたので、これは修善寺熊坂小学校のことでございます。その事実は幸いにもなかったわけでございますが、ただ、今回の災害で中伊豆町の大東小学校あるいは修善寺の中学校、これらが流失あるいは全壊をいたしております。そうして設置者の方でも、これらについては、従来の木造ではなしに、鉄筋改築をしたいという要望を持っておりますので、私どもといたしましても、これら設置者の特に希望するものにつきましては改良復旧を認めることが当然であるというので、そういったつもりで予算措置をいたしております。
○臼井委員 耐震耐火建築の方に持っていこうという御意図はよくわかりました。伊豆方面も私の聞き違いでございましたことは非常に幸いでありますが、こういうことは今後も起り得ることなので、全部を鉄筋コンクリートにすることは予算上なかなかできないだろうと思いますが、今申し上げたようにすぐ学校が避難所ということになりますので、校舎の一部は少くとも鉄筋にして避難所に利用できるようにして、将来ともそういう災害が起らないよう一そう御留意御指導を願うことを申し添えておきます。
○小林政府委員 私失念をいたしまして大へん失礼いたしました。災害の被害額と基準財政需要額との関係でございますが、従来災害復旧の場合は、こういった点を取り入れて被害額との比率をとっておったのでありますが、今回は前例にかかわらず、そういった点は一応除外をして災害地域をきめるということにいたしておるのでございます。
○加藤(精)委員 従来災害復旧の所要経費に対して、その地方団体の基準財政収入なり需要額なりの比率で三条二項の地域指定をしたが、今度それと異なる規定を作る御意図であるということでございますが、そういう画一的な方法は正しくないという考えを私も持っているので、新しい規定の内容はどうかということをお尋ねしているのでございますから、その点に触れて御答弁いただきたいと思います。
○小林政府委員 法案の三条二項の災害地域の指定の基でございますが、災害救助費の関係は、その市町村の基準財政収入額の百分の七十に相当する額、これが標準税収入でございますが、その標準税収入額の百分の一に相当する額を災害救助費として出しておる市町村の区域、これが従来の規定でございまして、それを大体踏襲する考えであります。
○加藤(精)委員 大体踏襲するということはどなたも異議がないことなんですけれども、それに対してそうしゃくし定木でいかぬ場合があるだろうと思いまして、その点の合理化の過程を、考え方だけでもいいから教えていただきたいというのでございます。
○今村説明員 昭和二十八年災のときの地域指定の方法に二つあったわけでございます。その一つは教育関係の被害のみならず、公共土木、農業災害の全被害額を集計いたしまして、それと当該市町村の基準財政収入額を比べまして、被害額が大きい団体を指定する、これが一つの考え方です。それから当該市町村の地域に対して災害救助法が発動された場合において、その都道府県が当該市町村のために使った災害救助費が当該市町村の標準税収入の百分の一をこえる場合、そのいずれかに該当する場合には政令で指定される地域となったわけでございます。ところが今回は公共土木、農業関係の全被害についてその被害額を総計し、さらに教育関係の被害額までプラスいたしまして、基準財政収入額と比べるといったような繁雑な方法をとることといたしますと、だいぶ時期がおくれますので、災害のすみやかな復旧をはかるという目的からはずれる心配もございますので、その二十八年災において二つの方法のうちいずれかをとるとされましたその前者の方はやめまして、ただ一つの方法である災害救助費と、それから標準税収入の百分の一と比べて地域を指定する方法をとろうと考えておるわけでございます。それによりますと、伊豆地方のほとんどすべての市町村が該当するということになって参ります。
○木村(守)委員 私の一質問の第一は、あるいは委員会で説明になっておるかもわかりませんが、重ねて御質問いたします。 今回の二十一号、二十二号台風によりまして、文教施設の災害を受けた当初の見積額と、それから地方交付金というものと、すでに災害の査定が終ったろうと思われますので、災害の査定の終った査定額と、どのくらいの開きがありますか。こういうようなことを質問しますのは、御承知のように補正予算によって文教施設の災、害の復旧費が計上されたはずでありますが、この補正予算に組まれた額によって果して災害査定を終った現在災害復旧ができるかどうか。もしもできなかったならば、どの程度までできるような状態にあるか、なお今後できない場合にはどういうような方法でこれを復旧していくか、まさか三十四年度予算からしわ寄せをするようなことはないだろうと思いますが、その考え方をお聞きしたいのであります。 またこれと関連いたしまして、災害復旧と申しますと、御承知のように、農林、建設等におきましては三十五・二の比率でもって三年間で復旧されるのが原則のようであります。しかし文教施設に至りましては、これを三・五・二の比率をもって三年間かかって文教施設を復旧するというような状態では、教育に及ぼす影響が非常に大きいと思われます。そういう点から考えて、他の災害復旧とは違った点を考えられてしかるべきではないかと私は考えるのですが、今までの慣例、また現在の考え方が一般災害と同様に三・五・二というような比率でいくのかどうか、その三・五・二という比率でいって、果して本年は何%ぐらい補正予算に組んだ額で復旧ができるかということをお聞きしたい。
○小林政府委員 被害がありました学校から復旧の申請が出てくるわけでございますが、それに対する大蔵省と文部省との平均の査定率は——費目によっていろいろ違いまして、校舎、校地あるいは工作物等いろいろあるわけでございますが、平均の査定率は八三%という数字になっております。従来、災害の場合に、ある程度被害額が誇大に報告されたということがございまして、一時は査定率が四〇%あるいは五〇%ということになったこともございますが、最近はそういうことが非常に少くなりまして、八〇%以上の査定率ということで、私どもといたしましては、大体この程度で災害復旧の実施ができるものではなかろうかというふうに考えておる次第でございます。 なお、災害復旧の現年度、次年度の実施比率でございますが、教育施設の関係につきましては、他の公共土木と違いまして、本年度六〇%、次年度四〇%、六・四の比率で二カ年間に実施するということで予備費の要求をいたしております。これも大体大蔵省としては了解してもらっておると思います。
○木村(守)委員 報告の八三%を査定額としてとるというような概算はわかっておりますが、実際に査定した額が八三%に落ちついておるかどうか。ことしの災害は、ほかの農林、建設ともに当初の見積りよりも多くなっておるのが実態なんです。少いと思っておったら多くなっておるのが実態なんです。そういう点を考えて、文教施設にもそういうような傾向があるのじゃないか、初め考えておったよりも多くなっておるのじゃないかと考えましてこの御質問を申し上げたのですが、文教施設にはそういうことはありませんか。
○小林政府委員 ただいま私の方でお答え申し上げましたのは、実際に被害を復旧する国庫負担申請書に出て参りましたものにつきまして、立会査定をいたしたのでございまして、故意にこの地方の被害額を縮小したものではございませんので、その点は私どもといたしましては十分信頼してやっていけるものというふうに考えております。
○木村(守)委員 それでは大体報告額の八三%になっておるということでございますね。それはまあそういたしまして了承しますが、ただいま申されましたように、文教施設は初年度に六〇%、次年度に四〇%、ニカ年で完成するというようなお話でございますが、ことし請求しました補正予算でこの六〇%ができますか、何%くらいできますか。
○小林政府委員 本年度予備費で要求するのが六〇%でございます。残りの四〇%につきましては、明年度の当初予算に組んでもらうことになっております。
○坂田委員長 辻原弘市君。
○辻原委員 先ほど加藤さんの方からも御質問がありましたが、法案の除外例のところです。第六条の第一項の問題でございますが、大体政令で定められる額は通例十万円ということになっておるようでありますけれども、この十万円以下の俗に言う小災害の取扱いは最近非常に問題があるのじゃないかと思うのです。これは文教施設だけではなしに、農林災害でも一般公共土木でも、災害のつど特に問題になるのはこの点であります。なぜ問題になるかといいますと、それは各地方で、特に町村合併以後町村で管理する学校数が、一公共団体あたり非常にふえているわけであります。従いまして実際の災害によって生ずる負担は、こういう特別立法の場合はまだ少しいいのですけれども、そうでなしに一般災害復旧でやる場合には、地方の負担分はやはり一方において大きな災害でかかる、さらに小災害はそのままに放置される、そういたしますとその公共団体の負担というものは非常に大きいわけであります。それに反論する大蔵省等の意見としては、これは町村の財政規模も大きくなったのだから比例しているじゃないかというのでありますけれども、実際は必ずしもそうではないと思います。町村合併後の地方財政はどっちかといえば赤字の寄り合い世帯という傾向が多いわけであります。そういう形からいうと、この小災害も、いつでも切り捨てという形では実質的な災害復旧にはならない、私はこういう見解を持つのです。そこでこの小災害についての何か救済方法がないと——これは今度の特別立法をする際にわれわれ社会党の側も非常に重視をいたしましたし、また自民党の方でも重視をされて、両党でのそれぞれの話し合いの中では、これは非常に大きな問題として取り上げられたと思うのです。法律上の措置としては依然として在来の災害復旧に関する取扱いになっておりますけれども、これは何か起債上の取扱いかそういう方向であったと私は理解しておるのですけれども、確実に救済の措置が行われるのかどうか、こういうところをお伺いいたしたいと思います。 なお小災害については、これはかつてはかなり金額が高く、一般の農業あるいは土木の方でも小災害の範囲を広げておったのを逐次狭めてきておるのでありますが、なお狭められるような余地があるか。また起債等の取扱いで救済できる方法があるのか、この点を明確にしておいていただきたいと思います。
○小林政府委員 第六条の適用除外に関するお尋ねでございますが、これは先ほど加藤委員にお答え申し上げましたように、一学校ごとに各費目ごとにそれぞれ政令で定める額となっておりまして、現在のところ御承知のように公立学校施設災害復旧費国庫負担法と同様に十万円というのを限度にいたすつもりでございます。お話のございましたように最近の町村合併の関係から一町村内で数校の学校を持っておる、その数校がそれぞれ十万円以下の被害を受けた場合に合算すれば数十万円になるということも確かに考えられるわけでございますが、しかし従来からのいきさつ等もございますし、まあ災害といたしましては比較的小災害に属するものでございますので、これについては国の負担ということはちょっとむずかしいのじゃなかろうか。自治庁におきましてもこの点につきましては一応場合によっては起債を認めるという方針のもとに現在各府県を通じて地方から申請書をとっておるということを聞いておりますので、単独起債で処理されるものと私どもは考える次第であります。
○辻原委員 きょう実は大蔵省、自治庁等にも御出席を願いたいと思ったのでありますが、何か予算編成できょうお見えになれないようでありますから、私別の機会にそういう点についての大蔵省の見解を十分承わりたいと思いますが、今のお話でありますと、直接文部省と自治庁との間にそういう話が成り立っているという状況ではなさそうでありまして、自治庁が一般の災害に対する起債の取扱いの中で、小災害の分をも考慮できるという程度にしかすぎないと思います。私は今回の場合はやむを得ないと思うのでありますが、今後この小災害の取扱いについてはやはり恒久的な検討をすべきじゃないかと思います。やはり合算いたしますと非常に——現地において相当見ましたが、ことしの災害の特徴というのはちょっとおかししですけれども、特徴を見ますと、傾向というか、これは文部省も非常に努力せられて最近の立教施設はかなり改まってきている。いろいろ災害に対する抵抗、こういうものも考慮してできておりますから、非常に一般の被害が大きいのにかかわらず、文教の施設については致命的な被害というのは割と少かった。どっちかというとこうした部分的小災害が多かった。ですから、合算いたしますとかなりの額になる。ところが個々に見ますとそうきずはつかない、こういうような傾向があったように思います。そういたしますと、財政負担の問題で、やはり小災害を十全に手当しておきますと次の災害にたえ得るということにもなりますから、合算額に見合って何か救済できるような恒久的措置も考慮すべきではないか、こう考えますので、一つ文部省においても一般災害復旧費国庫負担法についてのこの適用除外の分を検討していただきたい、こういうことを希望申し上げておきたいと思います。 それからこれに関連して一般の文教施設の問題について、ちょうど予算の編成時期でもありますし、私もお伺いをいたしたいのでありますが、文部省の考え方はしばしば伺っておりますが、やはり大蔵省あるいは自治庁との関係をこの委員会で最近承わったことがほとんどございません。これも委員長等にお願いをいたしまして、別の機会に一つ文教施設についての今後の方針というものを全般的にただしてみたいと思います。 そこできょうは時間がございませんから、簡単に、文部省から一、二の点だけをこれに関係して一つ承わりたいと思います。それは臼井さんからも先ほど鉄筋建築の効用ということを強調されておりましたが、これはわれわれ在来の持論に全く一致しておりますので、一つこれらの点については十分文部省においても予算編成の中で飛躍的に考慮してもらわなければならぬと思います。この鉄筋建築の中でも問題を一つあげれば、考え方でありますけれども、比率を上げていくということがもちろん当面の重要な問題であります。同時にもう一歩進めてこういうことは考えられないかというものであります。それは防災ということを兼ねて鉄筋建築を奨励するということももちろん必要でありますが、同時に最近の都市における校舎建築の状況を見ますと、どちらかといいますと人口の都市集中の傾向から手が回りかねて校舎施設状況がだんだんと落ちてきているのではなかろうか。非常に不正常に追いまくられて間に合せの校舎を、勢いただ入れものを作るという程度にしか都会においては考えられない。特に都市周辺の人口の膨脹している地域においては、そういう傾向が非常によく見受けられるのです。そういう点から考えますと、従来から特に鉄筋については防火地域をもって優先的な取扱いをしておりますが、今ではそのこともありますけれども、やはり全国的にどこにでもこれを作るという方法でやっておられます。これはまことにけっこう、だと思います。そういうふうにスタンダードの面で一歩進んだわけでありますから、もう一ぺんもとに返って言えば、そういう都市における一つの施設状況という問題と鉄筋というものとの関連を考えてみる必要がある。従って今後都市において作る校舎というものをやはりはっきりさすためには、防火地域においては鉄筋でなければならぬというくらいの強い態度であっていいのではないか。そういう奨励方法をもってやるならば、都会における防災、それから都市において非常に施設状況が落ちているものを防いでいくこともできる。しかしそれには国の援助方法というものを裏づけしなければなりませんから、口先で言うのは簡単でありますが、事はなかなかめんどうだと思いますが、施策としてはそういう方向にやはり持っていく必要がある。ですから片一方を上げ、また片一方を上げ、さらに片一方を上げるという段階を追って進む必要があると私は思います。これは意見であります。 それから、それに関連して都会地の不正常の問題ですが、これも私かねがね申し上げておりますように、どうも一般の不正常という形の中では、人口膨脹に伴う社会増の不正常は防ぎ切れないという感じを持つのであります。それは何か特別の方法を講ずる必要がある。たしか大達文相の当時であったと思いますが、たえかねて一時十億の起債をもって五大市に対する救済措置をはかったことがありましたが、これもまた一つの方法かと思うのであります。そういう点で考え方を一つ広めて、社会増に伴う不正常の措置というものを別途やはり考慮していく段階ではないか。特にこの点は考慮すべきじゃないか。ですから今文部省もすし詰め解消、定員確保の法案と並んで、やはり入れもの、建物を重視するという意味で、すし詰め解消の予算措置ということを力説されていることはけっこうだと思いますが、そういう一般的事項の上に、やはり社会増に伴う周辺都市における不正常をいかに解決するか。それの具体的方法というものがあれば、一つお考えをお示し願いたいし、なければ一つ積極的に考究していただかなくては、私はその方面の教育事情というものはちょっと問題じゃないかと思うのです。毎年私も見ておるのですけれども、年の初めには一応解消の形になっているが、年の暮れにはまた二部授業が始まる。こういうイタチごっこをほとんどここ三、四年繰り返しております。これは例をあげてもいいのでありますけれども、そういうところが顕著でありますから、これは一つ考えていただきたいと思います。あまりたくさん申し上げるのもどうかと思いますので、今の鉄筋での取扱いと、不正常という点を簡単に……。
○小林政府委員 都市における防災建築についてのお尋ねでございます。お話のございましたように、ことに市街地につきましては、できるだけ私どもといたしましても、鉄筋構造ということで予算の配分につきましては注意をいたしておるつもりでございます。御承知のように防災の点からも、またことに大都市では校地を拡張することが非常に困難でございますので、そういった意味からも高層建築になりがちでございますが、特に台風の多い地帯、並びに大都市の防火地帯、準防火地帯については、これは法規上もきまっておるものでございますので、予算の配分を重点的にやっておるつもりでございます。ただ最近は、御承知のように都市以外におきましても全国的に耐火建築、防災建築ということで非常に希望が多いものでございますので、なかなか都市の要望だけを満たすわけには参っておりません。この点はまことに残念に思いますが、明年度以降の予算につきましても、できるだけ鉄筋のワクを拡大してもらいまして、そういった方面の御要望にこたえたいと思っております。 なお都会地の不正常の関係でございますが、これはお話のように一般的傾向といたしましては、小学校の児童がある程度減ってくるということもございまするけれども、大都市並びにその周辺都市におきましては、依然として社会増がある。二部授業その他の不正常授業は非常に急激に減少してきておりますが、いわゆる圧縮授業は依然として減らないという実情でございます。これにつきましては、明年度以降の私どもの計画といたしましては、年次計画を立てて、できるだけ早く詰め込み授業を解消したいというふうに考えておるわけでございますし、また自治庁におかれても、起債の面で、特にこういった不正常授業の解消のための起債についてはワクを増大して、今後の対策にするということになっておりますので、予算及び起債と両々相待ちまして、できるだけ解消の方向に向うものと私どもは信じておる次第でございます。
○加藤(精)委員 非常に簡単に申し上げますが、これは、ちょっと委員長から発言の制限がありましたけれども、その発言制限を押し切って御質問したいくらい重要なことなんです。というのは、不正常を今度政府が査定する段取りになっておりますけれども、不正常の建築費というのは、これは非常に問題なんです。これはまた古いことを言うといかぬのですけれども、私がちょうど今村さんと同じ立場の、そういうふうな義務教育の財政を扱っていた課長だったときから今日に至るまで、文部省は一つも前進していない。しかも先ほど辻原君が指摘されました社会増の都市郊外の建築などについて特にそうなんです。それはこういう考え方なんです。人の困るのはしばらくの間はがまんしてやる。人の困るのは百年もがまんするというわけではないけれども、社会増のために人口がぐっと増して、人が非常に窮屈な思いをして、不正常な二部教授をやっておっても、文部省の局長さんや課長さんには、そう大して痛くもかゆくもない。文部省の局長さんや課長さんの見る都会のまん中にあるりっぱな校舎は、がらあきで、ゆうゆうと二人ぐらいのいすを占領しているくらいの広さを持っておる。ところが実際に貧困地帯等は非常に困る。そうしてしかも不正常になってしまわなければ、すなわち二部教授をしていなければ不正常の補助金をもらえないというのは、これは非常な政治の盲点です。そういう社会増というのは現実の厳粛なる事実であって、そうして社会主義的にいいましても——自民党も社会主義というのは非常によく採用しておるのであって、むしろ社会党は、日本銀行の非常に月給の高い労働組合のべース・アップとか、あるいは王子製紙の、九割何分くらいテレビを持っている労働貴族のべース・アップには熱心だけれども、必ずしもそういうふうなこまかいところに気をつけておられるかどうかわからぬと思うのです。社会党の悪口を言う必要はありませんけれども、とにかくそういうところが僕は見るにたえないのです。二部教授をしていなければ建築はできない。二部教授になることはわかり切っているのですから——終戦直後二十一年の春に私も戦地から帰ってきて、そうして直ちに子供を生みましたが、あのときどっと子供が生まれたのです。そういうのがたくさんいて、中学なんかは生徒数がふえるのです。二部教授になるのは当りまえなのに、二部教授になってしまってからでなければ不正常として認めないというに至っては、これは非常に暗い感じがするのです。これは社会党からも、きょう初めて辻原君から指摘されただけであって、これはわれわれの責任です。国会議員全体が悪いのです。政府も今度の予算編成で、この三十何年来の、あるいは数十年来の積弊をこの際解決していただきますことをお願いいたしておきます。
○辻原委員 次に少し端折ってお伺いしたいのですが、土地取得の問題について努力をされているようでありますが、一体見通しはどうなのか。それから統合校舎の問題について、これはむしろ文部省というよりも、われわれの側においても若干この法律についての不備な点があったように思うのです。そういう点について、これはどちらかで私は努力をして直していきたいと考えますので、文部省の見解をついでに承わっておきたいのですが、統合校舎を促進していくというのは、これは文部省の方針であり、同時にわれわれも無理なことをやってはいけないが、効果を高めるためにできるだけ適正な学校を作っていくということには賛成であります。ですからそういう意味で、これの円満な進捗をはかれるような形に、法律も予算の措置も持っていかなくてはならない。ところが法律の中には、やはり考えてみると、法律を作ったがために、ややその実際運用には不便な点もあるように私は見受けるのであります。その点これは指摘をいたしておきまして、認識をしていただきたいと思うのであります。それは特に統合校舎の中で、新しく統合校舎の補助をつける場合に、一つは、土地正取得についての手当ができていないということです。これは法律で限定されている。 それからもう一つは、ことしの四月から実施されておる負担法の第三条の第一項の第五号の中に、統合校舎に対する補助の範囲が規定されておりますが、その範囲は、小、中学校の場合は校舎の新築あるいは増築に要する経費の二分の一だと規定しておるわけです。そういたしますと、古い校舎を統合して新しい校舎を建てるという場合に、校舎だけは対象になるが、屋内体操場については直接これの対象にならない。中学校の場合は、中学校の屋内体操場ということの補助でもっての救済方法はあるが、小学校についてはこれがないということ、これは私は非常に矛盾した話だと思う。二つの統合した校舎に、今まではそれぞれ講堂、屋内体操場を持っておった。ところが、新しく統合していい施設、いい学校を作ったなら、今度は講堂については自力で建築をしなくちゃならぬ。実際問題としてそういうことはなかなか不可能なのであって、統合を促進する以上、少くとも旧来の建物、施設にあったものは、同様にそれは作っていくというものの考え方に立たなければ、これは矛盾をしてくると思うのです。これは法律にもミスがあり、法律にミスがある以上、予算の運用にも非常にむずかしい点があるので、どういう救済方法があるか、法律の改正の要があるか、こういう点について承わっておきたいと思います。
○小林政府委員 まず最初の校地取得の問題でございますが、この学校の校地を取得する場合につきましては従来からも国の補助というものがございません。実は本年度初めて、この校地につきましては、場合によっては起債を認めるということになったわけでございます。これは私どもといたしましては、とにかく国の方で一つの手当をするということでありまして、前進したものと考えております。明年度以降につきましても、自治庁の方で、この校地関係の起債をある程度増額して、そのワクをきめるというふうに聞いておりますので、ことに土地獲得の困難な都会地等につきましては、ある程度この起債がもらえるものであるというふうに私ども考えております。 なお第二番目の、学校統合の場合の校舎についてのお尋ねでございますが、お話のございましたように、現在の国庫負担法では、校舎の新築または増築に要する経費といたしまして、屋体は含まれておりません。ただ中学校の屋体には、御承知のように新増築の場合の国庫負担ということか規定されておりますので、設置者の方で希望をする場合には、この屋体が認められるわけでございますが、お話のございましたように、小学校につきましてはこの点が脱落いたしております。確かに理想的には小学校の校舎のみならず、従来屋体を持っておった学校の統合の場合には、屋体も国の負担において建設できることが望ましいと思いましたけれども、現状では、法律上それができないことになっております。文部省としては、将来の問題として、そういった特殊の事情のある場合には予算もとり、また将来できればこの法規も変えていきたいというふうに考えておる次第でございます。
○辻原委員 これは大臣も政務次官もおられるので、少し認識をしていただきたいと思います。局長はだいぶ遠慮してものを言っておりますが、法律でこう規定している以上、実際運用はできません。予算をとってみたところで運用ができないのでありますから、法律を直して、統合校舎だけの特例を作るか、統合校舎は可能のように作るか、あるいは文部省が予算要求されておる形のように、小学校についても歩一歩進めて、中学校と同様の取り扱いをするか、どちらかの方法を採用しなければ救済措置がありません。従って、これは非常な欠陥だと思いますので、私どもも協力いたしますから、何とか解決をしておいていただきたい。これは大蔵省の予算に対する既定方針から生まれてきた欠陥だと思いますが、こういうことを立法の際に気がつかなかったわれわれの方法にも責任があるので、そういう問題はできるだけ早く——局長は将来の問題と言うが、将来の問題でなしに、少くとも来年には解決すべき問題だと思いますので、考えてもらいたいと思います。 いろいろ質問もいたしたいと思いますが、これは文部省よりも、大蔵省、自治庁に申すことが多いので、自余の点はそういう機会に申し上げたいと思うのでありますが、ただ今の土地取得の問題について、局長のは私は答弁として伺ったのでありまして、起債にすべて逃げることは、実際問題として効果はないのです。起債は御承知の通りいろいろランクをつけ、順位をつけてやっておりますから、あればやるし、なければやらないという主義で、そうなりますと、これは実際都会と山間部が問題で、山間部になぜ必要かといえば、土地を造成する必要がある。都会地の場合には取得それ自体について困難だ。山間部は造成をしなければならぬ点に困難がある。そういうことを考えれば、事は起債だけでは解決いたしませんから、土地取得についても歩一歩進める必要があると思います。これはやがて大蔵省の見解もただしたいと思いますので、きょうは以上の点だけ申し上げまして、私の質問を終ります。
○坂田委員長 ほかに御質疑はありませんか——ほかに御質疑がなければ、本案に対する質疑はこれにて終りました。 これより本案を討論に付します。 別に討論の通告がありませんので、直ちに採決いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○坂田委員長 御異議なしと認め、これより採決いたします。本案を原案の通り可決するに賛成の諸君の起立を願います。 〔総員起立〕
○坂田委員 長起立総員。よって、本案は原案の通り可決するに決しました。 なお本案議決に伴う委員会報告書の作成につきましては、先例により委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○坂田委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。 午前の会議はこの程度とし、午後二時より再開いたします。 休憩いたします。 午後零時八分休憩 ————◇————— 午後二時三十一分開議
○坂田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 この際、理事の補欠選任についてお諮りいたします。 ただいま理事が一名欠員になっておりますので、先例によりその補欠を委員長において指名いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○坂田委員長 御異議なしと認め、小牧次生君を理事に指名いたします。 —————————————
○坂田委員長 これより、学校教育、社会教育及び教育制度等に関し調査を進めます。質疑の通告があります。順次これを許します。長谷川保君。
○長谷川(保)委員 また勤務評定の問題にからみまして各地に血なまぐさい事件まで巻き起しまして非常な争いとなっておるのでありますが、この際お互いに十分にこの問題について討議をして、そうして日本の政治の中でも一番大事な教育の、どろ沼に落ちましたところから解決へ向って何とかして抜け出す工夫をお互いにしてみたい、こう思うのであります。今日まで文部省の言うことを聞くと、どうも日教組が悪い、こう言う。日教組は日教組の方で、文部省が不届きだ、こう言って、どうにも解決がつきそうもない態勢にお互いに立っている。これであってはならないのでありまして、この問題をお互いに深く責任を感じて解決に向って前進をしたいと心から念願をするのであります。 まず第一に文部大臣にお伺いしたいことは、教職員の勤務評定を実施することを文部省は急に非常にやかましく言い出したのでありますけれども、その目的とするところは、地方公務員法の第一条にありますように、地方公共団体の民主的かつ能率的な運営をするために、また地方自治の本旨の実っ現に資するためのものでなければならないと思うのであります。勤務評定というものも、そういうものでなければならぬというように考えられます。御承知のように、地方公務員の勤務評定は、地方公務員法の四十条の中にあるわけですが、私はこの大目的をはずれてはならないと思うのでありますが、文部省もさように考えていられるか、大臣にお聞きいたします。
○灘尾国務大臣 勤務評定の目的としますところは、前々から申し上げておりますように、人事の公正な管理をやり、勤務成績の向上をはかっていくというところに眼目があると思うのであります。従いまして今仰せになりましたような御趣旨と同様に私ども考えております。
○長谷川(保)委員 確かに勤務成績の評定をして、地方公務員法の第一条にありますところの目的、すなわち民主的かつ能率的な運営、地方公共団体の働きができるように、地方自治の本旨の実現するように、こういう大目的りに立ったものというお話でありますが、教職員の勤務評定の問題が大きくクローズ・アップして参りましてからもう二年余になると思うのであります。文部省がこれを強行しようというようにお考えになってから、こういう長い月日を経過しておるのでありますが、この間の事情は、どうも地公法の目的でありますところの地方公共団体の民主的かつ能率的な運営、あるいは地方自治の本旨の実現というようなこと逆になっているように思うのであります。この点につきまして民主的かつ能率的な地方公共団体の運営に資しておるのか、それとも逆になっているのか。私はどうも逆になっているように思うのでありますが、大、臣はどうお考えになっておられますか。
○灘尾国務大臣 勤務評定の実っ施ということをめぐりまして、いろいろ反対の動きがございます。その反対の動きの結果、教育界に混乱を生じ、あるいは紛議を生じておるということは認めざるを得ません。その意味におきましては、地方公務員の勤務能率の向上というふうなことが逆に阻害されておるという事実も率直に認め、ざるを得ないと思うのであります。問題は勤務評定の実施ということについてすなおな心持をもって、また民主的な態度によって協力してもらえなかったというところに、私はまことに遺憾な点があると思うのであります。それがなければかようなことにはならなかったであろうと思うのであります。そういう意味におきまして、せっかく勤務成績の向上をはかるために仕事を進めて参ろうという途中において、かような状態が出てきましたことはまことに遺憾でありますけれども、しかし、なすべきことはやはりやっていかなくちゃならぬと思います。関係者の自覚と反省によりまして、すみやかに問題が終結するようにということを祈っておる次第であります。
○長谷川(保)委員 今お話しのように、これは私どもといたしましても、あるいは文部当局へいたしましても、あるいは天下万人が、この勤務評定を文部省が強行しようとしたことによって、地方公務員である教職員の勤務評定をすべしということを書いておりまする地公法の大目的が逆になったということは、天下万人が認めるところだと思うのであります。率直にさようお認めになったことを私はよしとするのであります。ただ、この反対がなければそうならなかっという言葉でありますが、しかし反対がなくてもそうならなったかどうか、これは非常な問題だと私は思います。なぜかと申しますと、教職員の勤評を強行しようとする文部省とそれから教組の教育に対する考え方、そこには思想的な非常に根本的な相違が考えられると思うのであります。つまりたびたび新聞その他でも報道されておりますように、教組としましては、あくまで教育基本法にのっとり、憲法にのっとって平和主義の教育、再軍備をしない教育、個人の人格をあくまでも尊重する民主的な教育、自由な教育をしたいと願っている。そして最近の教育学にのっとった教育をしたいと考えております。ところが、どうもそれと文部省の考えていることとは違っております。文部省の方は、そういう戦後の教組の職員諸君、ことに教組の考えておりまする根本的な思想の傾向とは違いまして、むしろ古いものに少し戻っていこう、そして再軍備をしないような教育ではなく、逆に再軍備をす錢教育をやっていこうと考えておるように考えられるのであります。また民主的な教育をあくまで主張します教組は、教育の地方分権を主張する——日本の占領後、敗戦後に教育の中央集権が全く廃止せられる態勢ができたことは御承知の通り、教育の地方分権という態勢ができたことは御承知の通りであります。その地方分権による民主的な教育を教組が強く主張す錢のに対しまして、文部省の方はどうもやはり教育の中央集権を強く考えておる。言いかえますならば、中央の政権による教育の支配ということを非常に強く考えておられる。それぞれ私は一理あると思います。それぞれに一理あると思いますけれども、そういう大きな思想的な非常に深い対立がある。従いまして、そこから今日のような勤評を強行しようとする文部省に対しまする教組の反抗、抵抗ができておるわけであります。そのほかにもまあいろいろの問題がありましょうが、あるわけであります。でありますから、これは簡単な問題でないわけであります。ただ勤評をやろうとした文部省の態度に対して、それに反対をしなければ教育の効果は上ったであろう。言いかえれば、民主的能率的な地方公共団体の運営に資するような教育になったであろう、こう簡単に考えるわけには参らぬと思うのであります。でありますから私は、今簡単に教組が勤務評定を受け入れてやってくれれば、それで簡単に済んだんだというようなことでなく、そこに非常に深い思想的な隔たりあるいははざまと申しますか、そういうものがある、その間に一つのふちがある、こういうように考えられるのであります。こういうような思想的な非常な隔たりに対しまして、どうお考えになっておるか。私が今申し上げたようにお考えになられるか、あるいはさらにそのほかにどういうお考えを持っておられるか。さらにその思想的な隔たり、その間に置かれましたふちというものをどうやって乗り越えていこうとされるか。そこに一方的でない合理的な民主的な立場において、何人をも納得せしめる、ことに教職員諸君を納得せしめ得るものがなければ、この問題は解決しないと思います。それについて大臣はどうお考えになっていられるか、伺いたい。
○灘尾国務大臣 私の先ほどお答え申し上げました点に言い足りない点があるいはあったかと思うのでありますが、私は今回の地方における勤務能率の向上というふうな問題について現在支障を生じておるということを認めたわけでありますが、これは私は勤務評定そのものの問題ではないと思います。 勤務評定を実施するという問題をめぐっていろいろな紛争が起る。そのために現実に地方でスムーズに物事を進行する上において支障を生じておるというふうな意味で申し上げたのでありますから、これは一つ御了解願いたいと思います。 勤務評定そのものは、先ほど申し上げましたように、どこまでも公正な人事をやる、適正な処遇をし、勤務成績の向上をはかっこいくという本旨に基いこやっこおるわけであります。これが果して期待するがごとき結果を来たすかどうかということは今後の問題だろうと思います。私どもとしましては、この勤務評定を実施することによって、勤務成績の向上をはかるという建前のもとにこれを実行しておる、こういうふうにお考えをいただきたいと思うのであります。 なお教師の反対ということでありますが、私はこの勤終評定の問題について、勤務評定をやることがいいか悪いか、あるいはその内容がいいか悪いかというようなことについてはいろいろ御意見はあるだろうと思います。前前から申し上げましたように、それをかれこれ申し上げるわけではない。お互いに実施しようとするものはその納得を求め理解を深めていく努力をするのは当然のことだと思うのであります。同時にまた勤務評定を受ける側におかれましても、この制度の趣旨、また問題の性質というようなことをよくお考えの上に物事を考えていただきたい、かように考えておる次第であります。文部省の教育に関する方針なりあるいは態度に対する思想的な教員の反対があるということがもし事実とすれば、まことに遺憾に存じます。私は現在文部省のやっております教育の方針は、あくまでも憲法ないしは教育基本法の精神に立脚しておると信ずるのであります。そのほかこれらの根本的な法規のもとに現に制定せられておりますところの実定法に基いていろいろな行政を進めておるわけでございます。それに違反したようなことはやっておらないつもりでございます。もしそういうふうなことがほんとうに深いみぞとなり深いふちとなっておるとするならば、われわれといたしましては、どこまでもわれわれの趣旨の存するところについて教職員諸君の理解を深めるために努力したいと思います。
○長谷川(保)委員 今度の勤評問題は単に勤評問題として考えるべきではない。今申しました思想の非常な深い違い、そこが根本である。それさえなければ、そう大きな問題にはならなかったのではないか。勤務評定というものに名をかりて、そうして文部省が考えておる教育の中央集権がその内容である。率直にいえば再軍備の教育をしていこう、民主的な教育というよりも、中央集権をしていって、時の政府が考えているように子供たちの教育を型にはめていこう、——この前、憲法に違反している、いないという議論が少しされました。一方は憲法に違反しておると考える。悪法も法であるという話もありましたけれども、しかし憲法に違反しているような法律は従う必要がないという考え方も、確かに一面正しいのであります。憲法に反するものは全部無効であると憲法に書いてあるから、憲法に違反している法律というようなもの、あるいは行政というようなものは、それは無効である、正しいものではない、公けのものと考えるわけにいかぬという考え方も当然あるのであります。従いまして率直に申しまして、再軍備というようなところを一つのポイントといたしまして、それぞれ考え方が非常に違っておる。少くとも教職員諸君は考えておる、そういう教育をまたやられてはたまらない、かつて自分たちの教え子たちが、また自分たちがその大きな犠牲になった、それをやられてはたまらない。今日の戦争は水爆戦争だといわれている。水爆戦争とするならば、それに一歩も近づけてはならない。近づける近づけぬでお互いに意見の相違が出てくるわけでありますけれども、少くとも教職員諸君はそれに一歩も近づけてはならない、勤評はそれに一歩近づくのだ、再軍備に近づくのだと考えておる。どうも文部省の方では再軍備をする教育をしていこうという考えのように私どもには思われる。今その実例を一々引く資料を持ちませんけれども、やはり私どもそういうふうに感ずる。指導要領を見ても、何だかそういうにおいがする。この勤評をポイントとして大きな闘争となっておりますけれども、どうもそこにもう一つ別にそういう大きな闘争があるわけであります。これをどうしても解決しない限り、たといこの勤評を権力で押しつけても、今後あらゆる機会に同じような闘争が繰り返されると思うのであります。ここは非常に困難な問題ではありますけれども、それをさせるために教員の職場はあるいは人事管理というものを、どうも文部省が、間接的ではありますけれども、教育の中央集権的な立場でそれを強行していく、こう考えておるところに今日の苛烈な闘争が起きてきていると思う。何とかこれを解決する道はなかろうか、これは非常に困難な問題だと思います。が、何とかこれを解決する道はなかろうか。そういうような大きな思想の越えがたきふちというものを現状が持っているならば、そのときに勤務評定を強行しようというところに、大きな間違いがある。やはり今すぐ勤務評定をしなくても、もうすでに二十六年二月からですか、本来効力を持っておった地公法での勤務評定をせずにやってきて、そして教育上大きな弊害はなかったのであります。だから何も今そういう大きなふちを持っているままに、権力でもってこれを強行させようとしなくてもよいのじゃないか、こういうようにも思うのであります。そこにまたお互いの思想の大きなふちを埋めていく一つの道がありはしないか。これをただ行政罰、刑事罰でしぼり上げるということであれば、そのふちはなおさら大きくなるだけであります。そうでなく、そういう問題が誤解なら、その誤解がとけるまで延ばして、お互いに誤解のないように話し合いの場を十分持っていこうじゃないか。きのうも大臣は、話し合いするといっても実はそれは擬装であって、つるし上げるのだからやらないんだというお話がありましたけれども、そういうことでなく、よし何べんでも話し合おう、まさか文部大臣を殺そうというのじゃないですから、話し合いを忍耐をしてやっていく、そこに教育をつかさどる文部省といたしましてふさわしい教育的な立場があるのではないか。教育的立場というものを捨ててしまって、つまり話し合い、納得という教育的立場を捨ててしまって、権力で強行しようするなら、教育をつかさどる府としてはまことにふさわしくない。そう言うとお気にさわるかもしれませんけれども、旧内務省ならとにかく、文部省、しかも新しい教育をやる文部省として、ほんとうに納得の上に教育を築き上げていこう、新しい教育、民主的な教育をしていこうという戦後の文部省としては、どうもふさわしくない。全く逆の行き方だと思うのであります。だからやはり話し合いをして、勤務評定をするならせっかちにやらないで、話し合いをして教育的な立場にお互いに立って、どっちが教育するのか知りませんけれども、双方常に相互教育するでしょう、これが民主社会におけるお互いの人間関係でしょう。相互が教育し合っていく、そういうふうにやっていけば、今日のようなひどい闘争はないのではないか。小林委員長があのような目にあうというようなひどいことにならないのではないか。またたくさんの子供たちが非常な不幸に陥っておるということにならないのではないか。私はあの小林委員長が負傷をしました夜の録音放送を聞いて、頭を下げました。あの、鼻の負傷でありましょう、息の詰まる声で痛々しく小林委員長が申しました。こういうことでだれも幸いになる者はないのだ、何とかこれを機会にして解決をしたい、だれも幸福になる者はないのだといった録音放送を聞いて偉いと思った。教育者としてこの人は偉い。敵をののしるのではなく、だれも幸福になれる者はないのだから、これを機会に何とか解決したい。この人は教育者としての資格を十分持っていると思いました。お互いに考えてこの泥沼を脱出する、何とかして日本の教育を静かな、幸福な教育に戻すために、ここでそう強行せぬでも、みぞがあり、越えがたきふちがあるならば、それを埋めるために忍耐をもって一年でも二年でもいいじゃありませんか。昭和二十六年にさるべきものを今日までしなかったのだから、そう強行しなくても、これは文部省の面子をかけなくても——教育というようなことは、面子というような不まじめなものではないのでありますから、もっとまじめに人間の生命をほんとうにいとおしむところのものでなければならないのでありますから、そういうような面子など考える必要はありません。むしろそういうところは捨てて、ほんとうに教育者の立場に立つとき、ほんとうに民主的な話し合いの立場に立つとき、私どもは文部省の権威に対し深い尊敬を持つわけであります。その権威をとうとぶわけでございます。でありますから、今この大きな泥沼から脱出するために、お互いに話し合いの場を持って、理解し合うまでは話し合っていこうということでいいではないか、それよりほかに道はないのではないか。お互いにお互いの責任だけを呼ばわっておりましても問題は解決しないのであって、そこを深い忍耐を持って、どうせ民主主義というのは忍耐を要するのです。時を要しない、忍耐を要しない民主主義などというのはあり得ないのでございますから、そういう行き方でいいのではないか、私はこう思うのです。それとも文部大臣は、思想的に違っておらぬとでもお考えになるか、また思想的に大きく違っておるが、それを乗り越える道がほかにあるとお思いであるか、どういう道で解決をしようとなさるか、私は解決の方法を、お考えを率直にお伺いしたいと思います。
○灘尾国務大臣 私どもは、憲法なり教育基本法の精神に従ってやって参りましたし、今後そのつもりでおるわけであります。具体的に行います施策等につきましては、これは時の推移によって変化するということもございましょう。しかし、根本の精神においては何ら変るところはないのであります。また、すでに国会において議決を経ておりますところの、現実にできておる法律制度のもとに行政当局は仕事をさしていただくわけであります。その法律制度のもとにやって参ってきておるつもりであります。文部省としましては、その意味におきまして現行法のもとに仕事をしておるというふうに一つ御理解をいただきたいのであります。 日教組の諸君が、この勤務評定を実施するにつきまして、これが平和を脅かすものであるとか、あるいは再軍備につながるものであるとか、民主主義に反するとかいうふうな反対を呼号しておられることは私もよく承知をいたしております。一体どこがこれと結びつくのか、私にはよくその論理の展開がわからないのであります。勤務評定をやることによって、なぜ一体平和が脅かされるのであるか、なぜ一体再軍備につながるであるかというふうな事柄が、私どもにはよく理解ができないのであります。しかも、勤務評定を実施するという場合の話し合いとかなんとかいうお話もあったわけでございますけれども、しかし現実には話し合いにあらずして、つるし上げであるとかカン詰めであるとか、すなわち勤務評定そのものについて話し合うというよりも、頭から反対をする、絶対に拒否するというようなことが各地において行われて参ったわけであります。そういうふうな状態のもとに今日まで推移してきたのであります。勤務評定という事柄は、内容はともかくといたしまして、国法でもって実施することになっておる。私がかように申し上げますと、すぐに何か法律一点張りだというふうなおしかりをこうむるのでありますが、現実にそういうものがあるのであります。これを実施するというそのこと自体についてはお認め願わなくちゃならぬのであります。非常に民主主義、民主主義ということを言われますけれども、それを否定する、現行法を否定する、無視するというような態度こそ、非民主的なものでなかろうかと思うのであります。もしその法律制度が改正を要するものである、あるいは廃止すべきものであるというなら、その御意見をお立てになることはけっこうであります。それをかれこれ申すのじゃありませんが、やはりそのためには与えられておる正しい手続なり方法によってその改廃を求められたらよろしいのじゃないかと思います。行政当局といたしましては、現に与えられでおりますところの法律制度を忠実に実行するのがその任務ではないかと思うのであります。そういうふうな意味合いにおきまして、今日までの教職員組合の指導者の諸君のいわゆる反対運動なるものは、いかにも私は不条理である、こういうふうな気持がするのであります。これが正当な姿に立ち返って参るということでありますれば、自後の話し合いというふうなことも必ずしも不可能なことではないと思います。また問題というものは、時間を経てだんだん進んでいくわけでありますから、その状態を無視しての議論を幾らなさっても、それはちょっとその通りにはなかなかいきかねるということもあると思いますけれども、いずれにいたしましても、勤務評定制度なるものが制定せられております以上、これを実施することについてはお認め願い、その上に立ってお互いに静かに意見の交換をする、話し合いをするというようなことならかれこれ申し上げることは私はないと思います。従来は遺憾ながらさような姿でなかったと私は申し上げざるを得ないのであります。
○長谷川(保)委員 法律にあるからその通りやるのだという、確かに一つのお考えです。しかしいつか朝日新聞に矢内原先生が論じておったのを見て私は感心したのでありますが、法律には刑事法もあれば民事法もあるのだ、これはもうきまった通りきちっとやるのだ、しかし行政法もある、行政法というものは性質が違うのだ、行政法の場合には、必ずしもそれをすぐそのままやるかやりぬかという点は、やはり人民がそれを納得し、それにみんなが従っていてようにする、そこに政治があるのだということを論じておられたのを今思い出したのでありますが、私はやはりそういう区別をすべきである、それでなかったら実に変なことが出てくる。三十六年二月に、それからもずっと自由党あるいは自民党さんの政府であったが、それをなさらなかった、そこに政治というものがあるのだ。そういう点をお考えになるべきではないか。つまり納得しないものをあくまでやっていく。ことに国会が多数決という原川則で押しておりますから、教育委員会法にいたしましても、いわゆる教育二法の問題のときに御承知のように非常な混乱が起きた。国民の三分の一を代表します社会党は力をもって阻止しようとした。こういうような国民の三分の一以上というような多数の者が納得できないというものを力で押していった、そういう結果が、教育委員の任命制度なり等々、次々と積み重なっていって今日にきておる。納得できない国民の三分の一という多数の人があるものを、権力をもって押すとすれば、力で抵抗するのは当然のことです。暴力革命に追い込んでいくのは当然のことです。そういうところに、こういう法律というものがほんとうに納得の上に、先ほど来も繰り返して申しますように、ことに教育に関するこういうものは、ほんとうに納得の上になされなければできるものではありませんし、教育の効果が上るものではありません。私は先ほどからのお互いの質疑応答で、地公法の第四十条でありましたか、一条だけにあなたはとらわれて、それにつかまっておられて、先ほど一番先に伺いましたこの地方公務員の勤務評定をも含んでおります地公法の第一条に掲げてある目的である、地方公共団体の民主的かつ能率的な運営、地方自治の本旨の実現というような、こういう大目的をあなたは捨てていらっしゃる。あなた自身が先ほどおっしゃった通り、それは反対をしたためであるとはいえ、確かにこの地公法の目的の逆の結果になっているとお認めになりました。確かにだれが考えても天下万人そう思います。地公法の目的と反対の現象になった。だから私が思想的な問題をここへ持ち出しましたのは、思想的な問題という大きな隔たりがあるのでなければ、あるいは権力で押していってこれが片づけば、教育の効果が上り、能率が上り、そして人事管理がうまくいき、地方公共団体の民主的かつ能率的な運営が行われるようになるかもしれない。しかし事教育である。非常に精神的な労働である。とするならば、この志気が阻喪すれば教育の効果は絶対に上りません。まして思想的に納得できないということであれば、もう教育は破滅ですよ。教育の能率が上りっこはありませんよ。でありますから、この地公法の一条につかまってその大目的を見失うということは、これは実に本末転倒である。だからすでにきめられたからやるんだ——これにも私は後にだんだんに議論したいと思いますけれども、文部省は決して法律通りやっていらっしゃらない。この勤務評定自体も法律通りやっていらっしゃらないことを後ほど指摘をいたしますけれども、かりに一歩譲って、法律に書いてあるからやるといたしましても、その区々たる一条、しかも先ほど申しましたような行政法である区々たる一条をしゃにむに強行して、それによって法律全体の大目的を失う。勤務評定自体が申すまでもなくこの大目的のためにあるのであります。その大目的を失いますならば、これは全く愚かなことではありませんか。そのようなことを絶対にすべきでないと私は思います。法律にはありますよ。あなたのおっしゃる通り地公法第四十条だと思いますが、あります。しかしそれは先ほど申しました刑事法ではないのです。民事法ではないのです。行政法なんです。それだから教職員諸君、国民がみな納得する形においてこれをする。それをさせるまでは十分政治的な配慮をする。昭和二十六年にこのことが法定されておりながら、昭和二十六年のニ月から実施すべきものをおやりにならなかった。その政治的な配慮というものをこの際もう一度反省する必要がある。決して一条にとらわれてはならない。木を見て森を見ないとか山を見ないとかいうことであってはならない。この大目的に立ってどうやってこのどろ沼から抜け出るかということをお考えにならなければいけない。さきに伺いましたように——重ねて伺いますが、どうやってこの泥沼から脱しようとなさるか、その具体的なお考えを承わりたいのであります。そこで私どもが納得できることがあれば、教組諸君にこういうような合理的な正しい方法で文部省は考えているから、諸君も考えたらどうかということを私どもも一生懸命で勧告したいと思います。だからどうやってこの泥沼から脱却するか、その具体的なお考えがあったら伺いたいのであります。なければこれは十分考え直してもらわなければならぬ。お考えがあるかどうか伺いたい。
○灘尾国務大臣 勤務評定に関する地公法の一条だけとらえて云々している、こういうふうなお言葉でございますが、勤務評定に関するこの一条文は地公法の大目的、大精神というものを達成する一要素をなすものと私は思います。私はこれだけ切り離して論じておるつもりはございません。地公法の趣旨、目的を達成するためにやはりこういうふうな制度が必要であるというのでこの法律の中に書いておると思うのであります。 なおまた行政法だからというお言葉がございましたが、矢内原さんがどういう御趣旨でそういうふうなお言葉をお使いになったか存じませんけれども、行政法だからどうでもいいんだというふうには私は解釈しないのでありまして、それぞれの法律によりましてこれが適用について考えていかなければならぬ問題だと思うのであります。仰せの通り法律は出ましたけれども、直ちに即日施行ということになっても、現実に勤務評定というものを実施するには、相当な準備も研究も必要だというようなことがあって、従ってまた即日勤務評定実施ということに参らぬのであります。その間に時間的な経過というものがあるということはやむを得ないことと思うのであります。いよいよ勤務評定を実施するという段階になって、各地方の当局においてその計画を進めて参ります以上は、やはり国民としてはその措置に対して協力してもらわなければならぬと思います。あるいは勤務評定について異なった意見を持っておる人もありましょう。また私どもには心外でありますけれども、政府のものの考え方等について反対の意見をお持ちになる方ももちろんあるでありましょう。あるでありましょうが、しかし少くとも法律制度をそれに基いて行政的に実施していくというときには、お認めを願わなければ、ものの秩序が立っていかないじゃないかと思います。改善をする必要があればだんだん改善していけばよろしいのであります。またどうしてもよくないということで、必要がないということで廃止するということならば、それもけっこうであります。しかしとにかく法律があります以上は、この実施には国民としてお互いに協力していかなければならぬ性質のものじゃなかろうか、私はさように考えるのであります。思想的に違っておるから反対だ、ぜがひでも反対だというふうな態度は、私はとるべき態度じゃないと思います。十分今後ともに関係者が研究を重ねまして、現在あるものをよりよきものにしていくというふうな努力をなすことは当然なことと思いますけれども、しかしいやだから反対だということでしゃにむにやっていくという態度は、私は民主主義の政治のもとにおいてとるべからざる態度であると思います。今日の勤評問題に対する紛争はそういう意味におきましてもまことに残念に思っておるのであります。静かに互いにこの問題を取り上げて研究する、そうしてきょうきめたことがもし改善の余地があればあすは改正していく、こういうふうな心持で法の秩序をともどもにはかっていくという態度こそ望ましいのじゃないかと思うのであります。 さような意味合いにおきまして、この泥沼から抜け出すにはどうしたらいいかというようなお話もございましたが、私はあくまでも教職員組合の方方の反省と納得と理解を求めて参りたいと思うのであります。理不尽なる反対闘争をあえていつまでも繰り返すというようなことは、教職員としてはとるべき態度じゃないと思います。
○長谷川(保)委員 先ほどちょっと申しました矢内原先生の文章がちょうどここにございます。「「法で定めてあることを行うのは行政の任務である」と文部大臣や内藤局長は言ったが、法と行政の間に「政治」というものがある。民法や刑事法については、法の適用は司法権にあるが、行政法規については、実行の程度や方法や時期をきめるのは、政治問題であることが少なくない。政治を通して、初めて技術的な行政面に出てくるのである。」前後は長いのでありますが、こういう文章であります。私はやはりこれは傾聴すべき文章だと思う。だから泥沼から脱する方法といって、どうも日教組が改めてくるよりほかにないんだというようなお話でございますが、それではあまり芸がないというものだと私は思うのです。どうも政治家の言うべきことではないように、失礼ながら私には考えられる。行政の事務官ならともかくだから局長、課長さんの言うべきことであって、大臣としてはやはり大所高所からこの泥沼をどうやって脱するかということについて、まだまだただいま矢内原先生のおっしゃるような配慮をすべきではないか。もう一方的に、どうしても日教組が悪いんだから、日教組の指導者は一つ考え直してこいということだけで解決するものなら、今日解決しております。けれども、様相はいよいよ私は険悪だと思う。なるほど多くの県がすでに勤評を提出したとか、勤評のやり方をきめたとかいうようなお話も、このごろよく伺いました。しかしそれは決して教員は納得したんじゃないんです。そのことを私どもはよく考えておかなければならぬ。問題は教育の能率を上げ、効果を上げることですから、地方自治体の運営の能率を上げ、民主的な運営をさせるということですから、権力で上からおどした、刑事罰、行政罰だということで屈服しても、それは少しも民主的なものとして解決したのではない。でありますから、大臣としては、私ども率直に歯にきぬを着せずにいえば、そこがいけないのじゃないか。これも大へん失礼な言葉でお気にさわると思いますけれども、きょう私はできるだけまず文部大臣と私どもの話し合いの場を作りたいと思いますから、穏やかに申し上げるのでありますけれども、しかし大へんここにはきつい言葉がありまして、お気にさわるかもしれません。十七日の朝日の天声人語に、「神奈川県の教育界が編み出した教育活動に関する記録の自主的、話し合い的評定方式は、教育の庭に最も大切な明るい人間関係に道を開いたものと思われるのだが、文部省はこれを法律に違反するものとして排撃している。そういう石頭では、教育上の混乱は救えない。今日の教育界に何よりもまず緊要なことは、子供本位の明るい人間関係の復活である。」こういうように書いております。今のお答えを伺っていると、どうも失礼だが、やはり石頭だという感じがするのであります。それでは政治家ではない。もう政治界の大長老でありますから、私は灘尾さんはやはりもっと政治的な配慮というものをこの際とるべきじゃないか。あるいは自民党さん、あるいは文部省の官僚諸君から突き上げられるのかもしれませんけれども、この間の星島前議長が、ほんとうにやるべきことをやらなんだ、たとい監禁されても断固としてあそこで命をかけなんだというところにあの悲劇が大きく広がっていった。そして星島君の、ある意味では——私は同信の友でございますけれども、星島君の政治家としての地位は全く失われたというような形になった。その轍を大臣は踏まれてはいけないと思います。やはりこういう問題をどこで収拾するか、どうして教育をほんとうに本来の静かなる、子供たちにとってほんとうに幸いなる教育に戻すかということについて、今こそ全力を尽すべきときである。今こそ一切を忘れてそれに熱中すべきときであって、単に日教組にやめてこいといったって、日教組でもそうなればやめられるものでもないでしょう。そういうことではなくて、お互いにここを話し合いの場として——国会だけではない、日本の天下全体が正常化していく必要がある、教育界が正常化していく必要がある。天声人語に「そういう石頭では、」とこういわれておる。大変失礼な言葉でありますけれども、今のお話を承わっておると、まことに申しわけないことでありますけれども、私にもどうもそういう感じがする。多分天下万人そういう感じがすると思うのであります。でありますから、私はここでもう一度お考え直しを願わなければならぬと思うのであります。今のお話では、日教組が悪いのだからもう一度悔い改めて出てこい、その主張を下げてやってこい、こういうことでだれが解決すると思っておりますか。きょうは自民党の諸君だれもおりませんけれども、自民党の諸君でもおそらく——おそらくそうはお考えにならぬ。だれでも今のお話で解決するなんということは思いませんよ。だから今のお話は、私がお尋ね申しました、どうやって泥沼から脱却するつもりだということのお答えになっておらぬのです。しかし時間もあることでありますから、少し先へ進んでいきましょう。また後ほどそれらの点についてさらに論議をいたしましょう。 私は、文部省は少し勘違いをしていると思う。それは、国民は教職員の勤評に賛成だ——この数日のお話を承わりましても、また前国会のお話を承わりましても、どうもそういうふうに勘違いをしておる。国民は、そうじゃありませんよ。国民は教組が休校をする、学校を休むということに対して反対をしました。これは、大部分の国民が反対をしました。私は賛成しましたけれども。私は、私の子供は学校へやりませんでした。わずか一日や二日のことで、日本の教育の大方針が変な方へ曲っては困ると思ったから、子供はやりませんでした。よく話をして、子供は納得して、行きませんでした。けれども、国民の大多数は、事の重大性ということを十分にお考えになったかならないか知りませんけれども、ともかくも教組が学校を休む指令を出したことに対して、これに対して反対しました。これはまさしくあなた方のおっしゃっている通り国民大多数は反対しました。そのことを勤務評定に賛成したと思ったら大きな間違いです。勤務評定に対しましては、すべきである、すべきでないという論議はまだまだ不十分だと私は見ております。私自身は、国民全体としてはまだ不十分だと思う。不十分のうちにこれが非常な泥沼闘争に入ったところに、教組が非常に苦境に落ちた原因があったと思います。もし教員の勤務評定は一般の勤務評定と本質的に違うのだということ、本質的にはできないのだということ、そういうことが十分国民の中にPRされて参りますならば、また事態は違って参ります。国民が反対をしましたのは、学校を休むということです。それを、文部省ではさも国民が勤評に賛成したというようにお考えになっておるように、このごろの御答弁を伺っておると感ずるのでありますが、そうでないのです。国民がこれらの問題につきまして十分な理解をもって勤評に賛成しているなんて思ったら大間違いだ。教職員諸君は、今日決して納得しておりません。全体として決して納得いたしておらぬ。大多数が納得しておらぬ。ともかくも多くの県において、教組がある程度ほこをおさめておりますのは、一つは、教育の混乱を避けたいという彼らの純粋な教育に対する愛情です。何とかして教育の混乱を避けたい。第二は、行政罰や刑事罰を受けたくない、ことに刑事罰を受ければ教職員はできない。こういうことからして、多くの地方において一応ある程度ほこをおさめておりますけれども、決して納得していないのです。これをもしあくまで文部省の言うことに従ったの、だ、権力に屈服したのだと思うかどうか、そう思ったら大きな間違いです。従ってこういうことで収拾して教育が成果をあげる、能率をあげると思ったら大きな間違いだと思う。 私はきょうは議論のために議論をするのじゃない。どうやってこの問題を収拾するかという意味で議論申し上げているのであります。従って良心に従ってほんとうに議論したいと思うのです。文部大臣は一部勤評反対のほこをある程度おさめたのを納得しておさめたと思っていらっしゃいますか。教員は納得してそれに従ったと思っていますか。この点良心に従って——ごまかしても何にもならない。お互いに議論に勝っても何にもならない。議論に負ける勝つよりも、どうやって問題を解決するかが大事なんですから。きょうは与党とか野党とかいうことじゃないんです。私は一国会議員として問題を憂えて質問しているわけです。ですから、ほんとうに教員は納得しておらぬと思うのでありますが、大臣はどうお考えになりますか。
○灘尾国務大臣 私の政治家としての修練が足りない、もっと政治家らしい考えでやれという御忠告はありがたくちょうだいするものであります。 私があまりにもがんこであって、新聞の報道するところによれば、石頭というようなことも、実は私もその新聞を見ました。さような批評もあるいはあるかと存じます。十分この後の修養の資料といたしたいと思っております。ただ、この問題についていかにも私ががんこであるように言われるのでありますけれども、なぜさようにがんこであるかということについて一つ御理解をいただきたいと思うのであります。国民の間にはいろいろものの考え方もありましょう。利害の相違もございましょう。そういうことは大ぜいの中でありますからいろいろあることであります。しかしおよそ民主国家をなして政治、行政を進めて参ります上から言えば、きまったことは実行するという考えだけはぜひ持ってもらいたいと思うのであります。また改めるのは改めるだけの手続をとってやっていけばよろしいことでありますので、決して一度きめたことを永久不変のものと考える必要はないのであります。今度の勤務評定の問題につきまして、その反対の仕方というものがいかにも無理じゃないかということを私は思うのであります。もちろんいろんな立場において、いろんなものの考え方において、勤務評定の実施に不賛成の方もいらっしゃいましょう。しかしこういうふうな制度ができておるのでありますから、この制度が現存いたしております限りはこれに従って行政を進めていくことは、私は当然の措置であると考えるのであります。それがいけないということなら国会において法律の改廃をはかっていただく、こういう姿になってこなければならないと私は思うのでありますが、とにかく気に入らないから全面的に阻止する、内容についての検討に協力もしないで、頭から反対する、拒否するというふうな態度で出てこられる、しかもその反対の運動を行うに当っては、これまた公務員として許されない手段方法に訴えてまでやっておるというふうなことがいかにもおかしい。これだけはやめてもらいたいのであります。そうして正当な手段方法によって反対意見があれば反対の意見をお出しになってけっこうでありますから、そういう姿で物事を進めてもらいたいと思うのであります。国の行政が法律に基いて行われます場合に、それをあくまでも実力をもって阻止するというふうなことを、いかに考えましても私は認めるわけに参らない。その意味でいかにも強硬なことを言っておるわけでございますけれども、この立場はぜひ一つお認めいただきたい、私はかように思うのであります。 この勤務評定そのものにつきましても国民の間にもちろんいろいろな考え方もございましょう、私は教職員の間にもやはりいろいろな考え方があるだろうと思うのであります。賛否両論それぞれあることと思うのであります。必ずしもあなたのおっしゃるようなふうにも私は見ておりませんけれども、いずれにいたしましてもいろいろな意見があることは間違いないことでありますが、ともかくしかしこれが実施については一応これを認めて、そしてこれに協力する、悪いところは直していく、こういうものの考え方でやっていただきたいものと心から願うのです。今回の勤務評定につきましても、もちろん評定票の提出が終りましても、それですべてが済んでいるというふうに私も思いません、また腹の底から納得してみながやってきておるとも実は思いません、現実問題といたしまして。しかしながら、勤務評定というふうな各県ごとにやっております評定の仕方等について意見があれば、またこれから大いに研究してやっていかれたらいいことだと思います。そしてお互いに納得をし合うことも大切なことかと思うのであります。けれども、何さまどうもすべていけないということで物事の進行を阻害するということだけはぜひやめてもらいたい。その上に立たなければ、今後の収拾とか解決とか申しましても、私は思うように参らぬと思います。がんこで石頭だということについては恐縮でございますけれども、何もほかのことにまでそれほどがんこなつもりではございません。
○長谷川(保)委員 先般の警職法の問題、あの事件を通しまして、私は日本の民主主義というものがここまで発達しておったということを事実をもって見せられて、心から喜んだものであります。これについては、もちろんいろいろ御意見がございましょうけれども、しかし、ともかくももはや権力で屈服させようと思ってもしないところまで日本民族の民主主義は発達しておったというように私は考えたのであります。今度の勤務評定の問題について、今日まで文部当局が行政罰、刑事罰をもって厳罰にするということでこれを押えつけてきた、これは事実だと私は思うのであります。今お話の通り、心の底から納得しているものでは必ずしもない、行政罰、刑事罰で屈服させてきたと思うのでありますが、そういう権力でこの問題を押していく限り、先ほど申しましたように問題は解決しない。逆になる。ちょうどイソップ物語の北風と太陽の話しの通りで逆になる。だから、これじゃいけない。どうも今日までの勤評のやり方の経過をずっと見ておりまして、文部省は各県教委、地教委に対しましてそれぞれの教組と十分話し合いの上でこの方式をきめなさい、このやり方をきめなさいと言ったということをいまだかつて聞かないのですが、そういうふうに話し合いの上できめようということをおっしゃったことがあるのでしょうか。どうも私はまだ聞いておらぬと思うのですが、いかがでしょう。
○灘尾国務大臣 別にこの問題について教職員組合と相談をしろというふうなことは、おそらく言っていないと思います。しかしまた特に教職員組合と相談する必要のないことだと思います。問題はやはり関係の向きのいろいろな方の意見を聞く、これは当然なすべきことであろうと思いますから、かりに県の教委が考えるといたしますならば、やはり関係の教職員、学校長あるいは委員会というふうなものの意向を徴すということは当然なすべきことだと思っておりますけれども、特に教職員組合に相談しろというふうなことはおそらく言っていないと思います。私はすべての問題について、もちろん行政を執行いたします上に民心の動向がどうあるか、あるいは世論がどうあるかというふうなことを十分頭に置いて進めなければならぬということは、これはもう申すまでもないことでありますが、それにいたしましても、今回の勤務評定の実施は何か文部省が権力をもって臨んでおる、あるいはいたずらに圧迫を事としておる、こういうふうにおとりになっておられるようでございますけれども、われわれの気持はそういうところにはございません。ただ単に勤務評定を実施しようというのにすぎないのであります。関係者の間で穏やかに研究が進められ、討議が進められていい案が得られるというふうなことについて、何もかれこれ否定しているわけでも何でもございません。ただこの実施ということについてはいろいろ意見があるにせよ、基本的には協力してもらいたいのであります。少くともこれを認めてもらいたいのであります。内容等に入らずに、それを実施するのはあくまでも不可能だというふうな態度で、理屈に合わない、また正しくない手段、方法によってこれを阻止するという、このことがいろいろな問題を巻き起しておると思うであります。刑事罰とかあるいは行政罰とかいうようなことをやってまでこれを遂行するということが本旨ではございません。しかし、いやしくも公務員、ことに教職員の諸君が行動をいたします場合に、行政罰とか刑事罰というふうなものにあえて触れるような行動に出られるということこそ、反省を求めてしかるべきことじゃないか、私はかように考えておる次第でございます。
○長谷川(保)委員 先ほど来大臣は、教組の方がこの内容を研究しないというお話でありますが、教組は十分研究しています。この内容については、もう彼らは必死になって研究をいたしております。決してしていないのではない。その結果彼らはそういう結論を出している。ある意味では確かに木を見ずに、今度は森を見過ぎているという点があるかもしれませんが、しかしどうもここ数年来の文教行政を見ると、一つ一つのタケノコだけを見ているわけにはいかぬ。その下にちゃんと一連の根っこが張っているというふうに考えられるのであります。またそれが当然のことでありましょう。どうもその根っこが、われわれから見るとあまりおもしろくない根っこである。教職員組合から見ても、まことにおもしろくない根っこであると考えておるのでありまして、教組は決して今度の勤務評定の内容を研究していないのではない。研究は十分しております。その上で彼らは言っていることであることを認識を改めていただきたいと思います。 それから教組に相談をせよということは、文部省は何も言わないのだということでありますが、しかし御承知のように、この教員の勤務評定は地公法の第四十条と、それから都道府県の人事委員会、従ってまた人事委員会がそのよりどころとしますものは人事院規則の一〇の二であると思います。一〇の二の二条には、御承知のように評定の結果についての識別力、信頼性及び妥当性があるものでなければならぬと書いてあります。従って信頼性のあるものということになれば、これは何と申しましても教員が、その団体であります教組が納得するものでなければ私はいけないと思います。それが信頼性というように考えられます。だれが信頼するんです。第三者がただ信頼するというだけで済むのでしょうか。私はやはり当事者であるものが信頼ができなければだめだ。そうしなければ、勤務評定の結果の人事管理あるいは給与の問題等々について、だれがそれを納得しますか。だから信頼性がなければならぬというときには、これはやはりだれよりも先に教職員諸君がそれについて信頼をできる、納得のできるものでなければならぬということは当然なことでしょう。でありますから私は当然、こういうような険しい立場の違いにありまする文部省あるいは県教委と教職員諸君、教組、こういうものの間に、この勤務評定を、法律できまっているが長い間しませんでしたが、いよいよ実施するということになれば、そこに話し合いの場がなくてはならなかったと思うのです。だから文部省としてはそういう点で十分話し合って、よいものを作りなさい、教育の能率が上るように、教職員諸君がほんとうに腹から納得して、教育の仕事に協力をできる、そういうようなものにすべきであるという話し合いをしなさいということを助言すべきであったと思います。ところが結果はそれと反対の逆のことをやっていらっしゃる。こういう点が私は残念だったと思うのです。それが、こういうふうに問題をこじらした大きな原因である。あるいはそういうことをすればなおさら問題は解決しなかったろう、いつまでも勤務評定はできないだろう、こういうお考えでやったと言うかもしれません。それが私は権力思想だと思うのです。権力で押せばいいのだ、やれるんだ、こういう考え方は最も非民主的な考え方だと思うのです。だからなぜ話し合いをさせなかったか。また今からでもおそくない、そういうような話し合いを十分させなさい、話し合いをしなさいということが、文部省はなぜできないのであろうか。それをしなかった理由はどこにあるのでしょうか。また今日もそういうお考えを持たない理由はどこにあるのでしょうか。その点を伺いたい。法律にあるからやらねばならぬということであれば、なおさらそういうことをどういうわけでおやりにならなかったのか。人事院規則一〇の二第二条には、はっきりと評定の結果に識別力、信頼性及び妥当性がなければならないと書いてあるにもかかわらず、これをおやりにならなかった理由はどこにあったか伺いたい。
○灘尾国務大臣 もちろん勤務評定については、識別力とか妥当性とか信頼性の問題は考えなければならぬことでございます。そのつもりでそれぞれの当局者が計画を進めておることと私は思うのであります。これについてなぜ教職員組合にお話をしなかったか、こういうお尋ねでございます。私は教職員組合の諸君と地方の教育委員会の諸君とが会見をして、いわゆる話合いを進められることは別に何ら差しつかえないことと思っておりますが、行政を進めて参ります場合に、問題の性質上、教職員組合というものに対しましては必ず話し合いをしなければならぬというふうな建前のものではないと思う。事実上の問題としていろいろ意見を交換するというふうなことについては何ら異議のあるものではございません。問題は今度の勤評について、私から見ますと、いろいろ地方で少くともお互いに顔を見る機会は相当あったのだと思います。その際に、今お話のように、もし案でもあるならその案をもってよく意見を述べる、要望するところがあれば要望していくというふうなことなら、おそらくそれほどむずかしい問題にはなっていないのではなかろうか。問題は教組のいわゆる反対運動があまりに激烈であって、実は話にも何にもならない。こういうふうな姿で推移したというのが、きわめて不当であったと私は思うのでございますけれども、そういうふうな事実がかなりあったように思うのであります。また教組の諸君のきめました事柄を通さなければ、どこまでも反対である、あるいは場合によってはストライキもやるというふうな態度は、私は許されぬと思う。やはり教組も意見のあるところはどんどん申し出る、また教育委員会としては、とるべきものはどんどんとっていく、こういうふうな気持でお互いに接触していかなければならぬと思います。われわれの言うことを聞かなければストだぞ、こういう式でいわゆる闘争によって問題を進めていこうという考え方だけはやはり考え直してもらわぬと、今後ともに問題はむずかしいのじゃないかと思います。
○長谷川(保)委員 だからさっきから申しておりますように、私も政府の言うことに反対だからストだということがいいとは思いません。間違っておると思います。が、先ほどから申しましたように、納得していけるものをやるならばいいけれども、そうじゃない。権力で押していこうとする。納得しないものを権力で押していけば、一方は力で抵抗するということになって、この数年来の国会の事情もそれなんです。数の力で押すから、片っ方は数は少いけれども力でこいということで、われわれも大いに奮闘しているわけです。ですから全く通らなくなるわけです。納得しないものを権力で押すから、一方は力で抵抗するということになります。今次の勤評がその姿だと私は思う。初めなぜ納得するように持っていかなかったか。納得するまで話し合いの場を持たなかったか。先ほど来、法律にあるからやるんだ、やるんだと言っておりますけれども、この勤評のやり方というものは、明らかに人事院規則にのっとってやるものだと私は思います。そうなりますと、この人事院規則にははっきりと信頼性のあるものでなければならぬと書いてある。あるいは試験的な実施が十分されていなければならぬ——ちょっとされていいというのじゃない、十分にされていなければならぬと書いてあります。形式上やってあってもだめです。十分にしなければならない。十分というのは、もう絶対に過まちがないと、少くともその時点において考えられるものでなければならないものである。世の中は進歩しますから、その進歩に従って変るかもしれません。しかし人事院規則の一〇—二の第二条にはっきり書いてありますように、試験的に実施するのは十分にされていなければならない。十分にされていますか。十分にされていたら、私は大臣や局長がたびたびおっしゃる言葉は矛盾してくると思うんです。まずやってみよう、その結果を見て、悪ければ直そうじゃないか、話し合いに応じようじゃないか。まず勤評をやることを納得せよ、受け入れを承認せよ、その結果を承認したならば、その内容については話し合ってもよい、やり方を変えてもいい。言いかえますと、まだ十分の実施がなされていない、ほんとうにコンクリートしたものではないということを言っておるわけです。でありますから、そういうものをやろうとするのは人事院規則違反じゃありませんか。法律違反ですよ文部省は。まず承認せよ。承認した上でならやり方を変えてもいいというならば、これは人事院規則違反じゃありませんか。むしろ法律違反です。私がしばしば文部省は法律違反だといってやじるのはそのことなのです。さっきの評定の結果についても同様です。信頼性がないのです。 さらにこの二条には、容易に実施できるものでなければならぬと書いてある。事務的にも容易にできないじゃありませんか。校長さんたちは、できないからといってほうり出したところがずいぶんあるじゃありませんか。こんなものはできませんと言う。だから容易にできるものではない。容易にできるものでないものを強行しようとする。行政罰、刑事罰をもって臨もうとする。ここでも違反じゃありませんか。さらに人事院規則に何と書いてある。そういうような条件を、以上確めたものでなければならないと書いてある。試験評定が十分なされておる。「評定の結果に識別力、信頼性及び妥当性」がなければならぬ。容易に実施できるものでなければならぬ。容易にできるどころじゃない。天下麻のごとく乱れちゃって、勤評はどこにいったかわからぬくらい。事務的に容易にできないばかりでなく、実際できないじゃないですか。しかも以上のものを確めたものでなければならないと書いてある。そうでしょう。何も確めていないじゃないですか。だから人事院規則違反じゃないですか。文部省は法律違反をしていますよ。そうじゃありませんか。私は法律をすなおに読んでみて、文部省はどうも法律違反をしておると思う。あるいはさせようとしておる。県教に対し、地教に対しさせようとしておる。文部省の指導、助言というやつは、私の見るところではどうも指導、助言という範囲を越えて、監督強要ということになっておるようであります。そればかりではない。どうも間違った法律を実施させようとしておるように思われる。いかがでございましょう。
○灘尾国務大臣 地方の公務員たる教職員に対する勤務評定に当りまして、人事院規則の規定しておりますところを尊重してやらなくてはならぬということは当然のことでございましょう。しかし私は今日までやっておりますことが、法律に違反しておるというふうなことはない、かように考えておる次第でございます。もし御疑問でございますれば、それらの点については政府委員をしてお答え申し上げたいと思うのでございます。勤務評定の、地方でやっておりますものは、それぞれの地方におきましていろいろ研究を加え、また資料を集め、十分検討した結果計画を策定しておると思うのであります。従ってそれぞれの県におきまして今日やっておることについては、文部省といたしましては、一応これでけっこうだろう、こういうふうに思っておるわけであります。それに対してかれこれ干渉がましいことを文部省はいたしておりません。ただ私の申しますことは、人間のやることでありますから、ことに初めてのことでありますから、やった結果に徴して、さらに改善を要するような場合があれば、これは改善したらいいじゃないか、そういうふうにこの問題について、一度きめたら未来永劫変えてはならないものではないというふうな意味のことをむしろ申し上げておるわけであります。こういうふうな制度を実施いたします以上、やはりお互いに関係者はその内容がよりよくなることについては研究もし、努力もしていかなくてはならぬ。この心持ちはやはり文部省としましても、また地方の当局者といたしましても、みんな持っていかなくてはならぬ、そういうふうな心持ちを申し上げただけでございます。今やっておりますものについては、それぞれの地方においてこれでよかろうという考えのもとに実施しておる、こういうふうに私は承知いたしておるのであります。
○長谷川(保)委員 考えなければならぬことは、確めたものでなければならないと書いてある。そうじゃないですか。私もきょう人事院規則をうっかりして持ってきませんでしたけれども、私がノートに写してきたところではそう書いてある。ですから私が申すまでもなく、法律をお作りになります皆さんは十分御承知なんです。確めたものでなければならないという言葉と、そうでないのとではずいぶん違いますよ。ならないというものを簡単にしてはなりませんね。そうでございましょう。そればかりじゃありません。申すまでもなくこれには除外例がございますね。御承知のように除外規定、勤務評定を実施することが著しく困難と認められる職員についてはしなくていいと書いてある。そこで著しく困難であるかどうかという問題ですが、まさに著しく困難なんでしょうね。この事態は。どうも勤務評定がやさしいものであれば、こういうことにはならない。事務的にばかりでなく、実際これは実施する上において、もう実に困難をきわめているわけです。私はこれが単に事務的なものとだけ考えるべきではないと思います。なぜならば、勤務評定というものは、相互の信頼がなければ成り立たない。つまり、その信頼がなければ能率が上らない。だから、事務的なものだけと私は解釈すべきじゃないと思いますが、とにかく勤務評定を実施することが著しく困難と認められる職員、事務的にも著しく困難だから、静岡県の人事委員会は、前に申し上げましたが、三十年の六月に、除外例の四にちゃんと入れております。高見さん、あなたは静岡県の副知事をしていらっしゃったのですから御承知でしょうけれども、静岡県の人事委員会は三十年の六月に、これは教員はむずかしいからだめだということで除外例に入れております。それから今度、これは神奈川県のものをよく拝見しました。神奈川県のこれを拝見しましても、一般論の中にはっきり書いてある。これはできない。勤務評定についての一般論の二のところに「勤務評定についての地公法第四十条の「職員の執務」とは、教職員の場合、学校教育法第二十八条の「教育を掌る」を指すものである。「教育を掌る」活動の成績について、(教育効果)測定し、評定することは、活動の対象が児童、生徒であるため、包括的にも且つ直接的にも議論多くして極めて困難である。且つ評定実施に際して、教師の教育活動を分析して、かくあるべしという測定判定の基準を設定する権限は、法規的にも教委当局(文部省は勿論)に与えられておらず、基準設定は、実際上も不可能に近い。」……。
○坂田委員長 長谷川さんに申し上げますが、本会議も間もなく始まりますし、最初に私のがありますから……。
○長谷川(保)委員 承知いたしました。私が米国を調査した結果でも同様です。教育の専門学者は全部みなそうです。ここにカリフォルニアの教員組合の論文の抜粋がありますけれども、それにもできないとはっきり言っております。でありますから、これは著しく困難な除外例として人事院ではっきり出しているのです。ところが静岡県の教育長は文部省の言うことを聞いてアメリカにでも行きたいというやつですからやっておりますけれども、実際に人事院規則はできないといって除外してある。こういう除外例がある。だから法律にきめてあるというが、法律ではそういうものはやらぬでいいと書いてある法律論から申しますれば、やらぬでいいということがはっきり言える。文部省はそうお考えにならぬかもしれませんが、少くともこちらの立場ではそう言える。それだから教組があれだけ戦いまするのには、やはりそれだけの理論的な根拠も持っていらっしゃる。ですからある意味では水かけ論です。それで法律に書いてあるからということにつきまして、逆に私ども静かに法律を調べていってみると、文部省がしばしば法律違反をしているという判定もつくのです。この点について著しく困難でないと大臣はお思いでしょうか。これで一応区切っておきまして、また次にやります。
○灘尾国務大臣 文部省は法律違反はいたしておらぬつもりであります。いろいろこれにつきましては、見る人によりまして意見もいろいろあろうかと思います。あるいは著しく困難なりという意見を持つ方もいらっしゃいましょう、いやしくも校長である以上、こんなことは何でもないことである、こういうふうな考え方を持つ方もありましょう。いろいろな意見は私はあると思うのでありますが、少くともお互いの意見によりまして、法律の適用を二、三にするわけにはいかない。現行法は教職員に対する勤務評定について除外例を認めたものではない、とさように御了承願いたいと思います。
○坂田委員長 本日はこの程度とし、次会は公報をもってお知らせいたします。 これにて散会いたします。 午後四時七分散会 ————◇————— 〔参照〕 昭和三十三年九月の水害による公立の小学校及び中学校の施設の災害復旧に要する経費についての国の負担に関する特別措置法案(内閣提出第一号)に関する報告書 〔別冊附録に掲載〕