P政策ポータルPOLICY PORTALウォッチ
31回国会衆議院1959/02/06

外務委員会 第4号

発言数
9
登壇者
3
会派数
2
開催日
1959/02/06

会議録

櫻内義雄自由民主党

○櫻内委員長 これより会議を開きます。  日本国とアメリカ合日衆国との間の小包郵便約定の締結について承認を求めるの件を議題とし、政府側より趣旨説明を聴取いたします。竹内政務次官。     ―――――――――――――

竹内俊吉自由民主党外務政務次官

○竹内(俊)政府委員 ただいま議題となりました日本国とアメリカ合衆国との間の小包郵便約定の締結について承認を求めるの件につきまして、提案理由を御説明いたします。  日本国と米国との間の小包郵便物の交換業務に関しましては、戦前は昭和十三年の約定によって規制されて参りましたが、戦後も米国政府はサンフランシスコ平和条約第七条の規定に基いて、この約定の復活を通告して参りましたので、現在この戦前の約定が両国間に適用されております。しかしこの戦前の約定は、昭和十三年以来一度の修正も行われていないため、現状に適するよう改定の必要がありましたので、政府といたしましては新約定の締結の希望を米国側に申し入れ、以来交渉を続けて参りました結果、先般両国間に意見の一致を見ましたので、この約定が作成され、わが国は昨年十月二日に東京で署名し、米国側も十一月三日にワシントンで署名いたしました。  この約定は、小包交換に関する条件、小包の料金に関する事項、価格表記小包に関する取扱い、転送小包、誤送小包等についての処理手続、航空小包に関する事項、事故の場合の損害賠償等について、現在の状況に適した規定を内容としております。従いまして、この約定を締結することにより、日米両国間の郵便小包の交換業務は改善され、一そう円滑に行われることとなります。  よって慎重御審議の上、なるべくすみやかに御承認あらんことを希望いたす次第であります。

櫻内義雄自由民主党

○櫻内委員長 本件についての質疑は後日に譲ります。     ―――――――――――――

櫻内義雄自由民主党

○櫻内委員長 国際情勢に関して調査を進めます。質疑の通告がありますので順次これを許します。  ちょっと速記をとめて。     〔速記中止〕

櫻内義雄自由民主党

○櫻内委員長 速記を始めて下さい。帆足計君。

帆足計日本社会党

○帆足委員 在日朝鮮人の帰国問題につきまして、与党におきましても慎重審議されまして、これを政党政略から切り離して、純粋の人道、国際法、基本人権の問題として取り扱おうという態度をおきめになり、関係主管官庁においても同様の態度がすでにきまりまして、あとはただ手続として閣議の決定を見るというだけに至りましたことは、まことに御同慶の至りでございます。そうなりますと、この問題を最も公平に、最も人道的に、雑音なしに円滑にあと実現に進ますということが、残された問題になるわけでございます。従いまして、この点につきまして事情を知る者として、私は多少の御注意と御注文を政府に申し上げたいと思います。  日本における朝鮮人の今日のあり方は、移民というものは、まず広大な領域に開拓者として移住する、あるいはまた果樹栽培、水田耕作、コーヒー栽培等の特殊技能を持って開拓に従事する。あるいはまた強健なる工場労働者として、工業の発展地帯に行く、こういうような所を得る移民というのが、普通の状態でありますけれども、日本における朝鮮人の状況は、その歴史を振り返ってみますと、日本の朝鮮に対する植民政策、同時に朝鮮における原始農業の崩壊という過程から、流民として日本に流れ、窮民として日本に定着しておるというのが歴史的背景だったと思うのです。明治三十八年ごろ、朝鮮人の日本に住んでおる者はわずかに二百名前後、それが大正元年日韓併合後急激にふえまして、それでもやっと三千人前後なんです。それが欧州大戦のときのブームに乗じまして、一方においては日本において工業力か発達し、また安い賃金の労働力が豊富に要請されまして、急激に朝鮮から日本への渡航者がふえました。大正十二年の関東大震災のとき、民族的偏見から朝鮮人虐殺という償いがたいほどのまことに不幸な事件が起った。その大正十二年においてすら、朝鮮人は日本に八万人しかいなかったのです。それがさらに急激に増加いたしまして、昭和六年には三十万になりました。その渡ってきた朝鮮人の実態を調べますと、非常に貧乏な貧農は総督府の手によって渡航制限を受けまして、むしろ中農程度の農民諸君が、あるいは恐慌であるいは農村不況で土地と職を失いまして、そして春窮といいますけれども、春の食糧に困った人たちで、三月、四月になりますと急激に日本への渡航者がふえまして、これは春窮の農民といわれております。そして渡航者の大部分、その八割までは農民が日本に渡ってきておる。そして渡ってきますときは家財道具を全部片づけて、当時の金で三十円か五十円、あるいは二十円、十円というようなわずかな小づかい銭を持って日本に渡ってきました。そして日本に渡ってきますと、まず言葉かわからないのでまごまごしているうちに、半失業者の状況になる。あるいはまた幸いに職を見出し得ましても、過去における牢固たる民族的偏見と教育の相違、それに言葉の不自由ということがさらに加わりまして、朝鮮の労働者の諸君は、鉱山においては大体日本の労働者の労賃の半分、工場において大体三割方安いというような状況に置かれます。そして一たび失業いたしましたときは、縁故関係も少いものですからいよいよ生活に窮乏いたしまして、あるいはバタヤとなりくず拾いとなり、さらに下りましてこじきに近いような状況に追い込められて、犯罪に陥る者が多い。また固定の資産、貯蓄を持っていないために、狭い土地、安い非衛生な場所に定着の場所を求めて、そこに一種のスラム街ができる。こういうような過程をたどりまして、昭和六年に三十万でありました朝鮮人の諸君はだんだん数がふえまして、その上に戦時体制に入りましたために、日本において労働力がますます必要となりまして、ついに朝鮮から大量の徴用をいたすようになりました。徴用で参りました者の数は六十万をこえております。そして、当時日本の青年たちは軍需工場には参りますけれども、鉱山や炭鉱に徴用で参ることを大へんきらいましたために、鉱山、炭鉱の労働力の約四割以上は朝鮮労働者諸君、特に徴用したところの朝鮮の労働力をもってやっておったのです。さらに中国から強制的に連れてきた労働力をもってそれを補い、そして僻陬の地であるために監督も行き届かず。封建遺習は牢固たるものがあり、戦争に便乗して労務管理はフアッショ的に強化され、食糧の不足がこれに伴い、物資の不足がこれに加わり、そうして栄養失調で多くの労働者が倒れ、今日でも鬼哭啾々として白骨が埋まっておる鉱山の遺跡は、至るところにあるという状況です。当時の調査報告を見ますと、たとえば福岡県における石炭労働者のうち朝鮮労働者諸君は、その苦しい生活に耐えかねて約四〇%が逃亡し、五%が病気で送還され、結局残った歩どまりは四八%と報告されております。こうして戦時中動員されまして、昭和十九年には在日朝鮮人の数は実に二百万に偉しました。それが戦後情勢が変りまして、一挙に百数十万、大部分は軍用船によって朝鮮のふるさとに戻ったわけであります。そのうちに朝鮮の統一はならず、南北戦争は起り、去就に迷ううちに今日約六十万の朝鮮人諸君が日本にとどまっている。これらの諸君は、終戦直後には外国人としての多少の有利なる特権を利用して糊口の道をしのぎましたけれども、それもすでに過去のものとなり、経済が正常化するにつれまして不況の脅威、不景気のしわ寄せば最も強くこの少数民族に当るわけです。  なおわれわれとして注目すべきことは、六十万朝鮮人諸君のうち約半数が二十才以下の青少年である。これら青少年は民族的偏見、学歴の相違、言葉の不自由等のために、学校を出ても職なく、日本の青年に職がないくらいですから、朝鮮の青年に職が豊かに供給されるわけがない。従いまして、この六十万の朝鮮人の諸君はいわゆる開拓者として、また開拓者農民、開拓者的労働者としてこの地に場所を求めているのではなくて、貧窮の民として、世界多しといえども、少数民族にしてこれほど苦しい生活をしている民族はないといってもいいくらいであって、われわれ国会に籍を置く者として、この少数民族に対する合理的対策がいまだ立たず、隣邦の困っている民に対して人間らしい待遇を十分に与える政策を持っていないということを、私はまことに恥かしいことであると思っております。わが社会党としても与党の諸君と相談いたしまして、かねてこの問題についてはもっと人道的な、もっと筋道の通ったもっと義狭心のある対策を立てねばならぬと思っておりましたが、お互いに国内のことに追われて、隣邦の民に対して、あたたかい政策をなし得ていないということを、私は恥かしいことに思っております。このときにあたって大量の帰国問題が起ったわけですから、この帰国問題に対しては友情と人道の立場から十分に協力して、そして同時にこの際、国内に残る朝鮮の諸君に対しても、全体の少数民族対策を考えながら適切なる、そして合理的なる施策を施すことが必要であることを私は痛感いたします。  また朝鮮は大陸の東端に突出している半島の形をなしておりますが、面積は大へん広くて日本国土の三分の二くらいあると思います。そして人口は日本の三分の一である。人口密度は非常に小さいわけです。しかし日本と違って寒さきびしく、風土苛烈でありますから、これまでの歴史の段階においては多くの人口を生かすことはできませんでしたけれども、最近急激に工業が発達し、さらに国際的にも技術が進歩いたし、同時に特に北朝鮮においては石炭と水力ともに恵まれ、そして鉄鉱石に恵まれ、希少金嘱に恵まれている。そしてまた海産物が豊かである等のために、現在朝鮮人民民主主義共和国の人口は一千万足らずであると思いますけれども、あと五百万や一千万の人口は、社会主義建設のためでなくても朝鮮の民主主義革命のために、すなわち朝鮮の国民の生活をヨーロッパ並み程度にする工業を発展させるためにも、平和建設のためにより多くの労働力を必要とするという状況ですから、これはイデオロギーから離れて自然の摂理として、今日本の過密人口の中であえいでいる朝鮮の友だちが所を得て、朝鮮人民民主主義共和国に多数帰られるということは、私は、天地の理法にさからうものではなくて、天の摂理に合うものとして認識することが必要である、こういうことを思うわけでございます。従いまして、そうなりますと、ここで政府関係各省の御注意をわずらわしたいことは、今度の朝鮮人帰国問題は、一定の場所に収容されておる捕虜をその本国に送るというような種類の事件ではないわけです。一定の収容所の中に置かれている捕虜をおのれの決定する祖国に移すというだけのことであるならば、ただ伝票を配り、技術的配慮を加えるだけで済むわけです。しかしただいま日程に上っておる帰国問題は、日本におる六十万朝鮮人諸君のうちで、所を得ざる隣邦の友が、その自由なる意思に従ってわがふるさとに帰ろうとする問題でありますが、これらの諸君は貧窮のどん底にあえいでおるとはいえ、それぞれみな、それぞれなりに生活のからを背負っているわけです。従いまして、自分の祖国に帰るとなりますと、まず第一には帰ろうとするふるさとの実情がどうであろうかということをだれしも考えるでしょう。あるいはまた、ことし子供は尋常五年になるか来年になれば尋常六年である。中学に入るときの境目に帰ろう、せっかく友だちもあることであるから来年に延ばそう、同じ帰るとしても来年を選ぼうという人もあるでしょう。あるいはまた、病人をかかえておってどうしようと思い惑って、まあしばらく見合せようという人もあるでしょう。あるいはまた、当分日本にいたいと思っておりましても、ことし子供が高等学校を出、そして五月には平壌の金策大学か、金日成大学に入りたいと子供が言うので、子供に勧められて、それでは思い立とうという人もある。あるいはまた、今日閣議の決定すらまだ見ない段階において、今国に帰るなどということを勝手にきめたところで世間を騒がせるだけだからと思って、判断に迷って黙っておる方もあるでしょう。あるいはまた、帰るといううわさが立ちますと、朝鮮人に夜逃げされては大へんだというので借金の取り立てに来る人々もぼつぼつおるそうです。あるいはまた商売を続けようと思いましても、帰る人に金を貸すのは危ないというので銀行が金融を引き締める。またヤギ小屋ほどの家を整理するにいたしましても、家を一軒整理し、借りている土地を人に譲り渡すとすれば、多少の権利金ももらえる。ましてや自分の家であれば百万円で売れるか、百二十万円で売れるか、売り方次第によっては有利になろうというので、少くとも一軒の家を売り、世帯を片づけるには半年なり一年なりの期間がかかる場合もある。あるいはまた、国に帰るといたしましても、一体どの程度の貯金を持って帰ることができるか、外貨をどの程度まで携帯を許すか、当然外貨を大量に持って帰ることは許されないということは常識でわかるでしょうが、そうすれば、家財道具をどの程度まで持っていけるか、金で持っていけないから、自転車十台ぐらい、ミシン二十台や三十台ぐらいは持って行ったらどうだろうというようなことも言えると思う。そういう条件かはっきりしていないで、帰るか帰らないかと言うてみたところで、それは私は言う方が無理だと思う。今日与党の議員の方の中には、これは単に常識論で、まあ三千人でも帰ればそれもいいことではないか、こう言われる方もあるし、いや三万人くらいは実行できるだろうという方もあります。あるいは五万人くらいはお帰りになるであろうという予測をされる人もあります。しかしこれは全部そのときの天気かげんで、ある天気晴朗の日の思いつきにすぎませんで、何ら根拠のあることでないと思います。現在朝鮮総連合並びに帰国協力会の手元に集まっている資料によりますと、大体十一万人の署名が集まっております。これに対して公安調査庁では同庁の一月二十日現在の調査で帰国希望者を四万人と推定し、今後増加しても六万人くらいであろう、こういっております。一体、公安調査庁というのは、私はスパイの集まりだと思っておりますが、こういうものがこういう人道の問題に発言をすることすら第一おこがましいと思っておりますが、いかなる根拠をもってこういう数字を発表して世間を惑わそうとするか。こういうばかなことを言わなければ、罪も少くて、そして呼吸するくらいの人権は許しておいてもいい官庁であると思っておりますけれども、これが帰国問題に口を出す。この無学な、戦前においてはおそらくフアッショに最も心酔したであろうところの主義と政策を持っておる、これらの徒輩か、この朝鮮人問題に口を出して、まあ三万人か四万人だろうなんていうことを天下の新聞に発表するなどというのは、私は大それたことであると思う。公安調査庁の諸君の仕事は、ただ破壊的な活動をする勢力に対して多少の調査をしておるということ――たとえばフアッショの勢力、それから破壊的アナーキストの勢力、そういうものに対する調査にとどまるならば弁解の余地もあるでしょうけれども、朝鮮人の帰国問題に対し公安調査庁がえたいの知れぬ数字を発表するなどということは、まことにあきれ果てたことと思いますが、一体外務省の皆さんはそれをどういうふうにお考えになっておられるか、これも伺っておきい。  ところで、こういう問題でありますので、独身者が固まっておる捕虜収容所の捕虜というような特殊の身分の人が帰るというなら、もうきようにでも、おまわりの古手か何かが伝票を持っていきまして、お前は東か西かと聞くと、これで解決するということも言えましょうけれども、今度の問題はそういう捕虜を送還する問題でなくて、生活のからを負っておる、そして貧乏して苦しい生活をしておる隣邦の民がどういう手順で国に帰ろうか、あるいはまた子供のために日本にととまろうか、思い惑いつつこの問題をきめねばならぬ。しかも長きにわたって、日本政府はとても朝鮮に帰れるような便宜をこんなに早く与えてくれるとは期待もしていなかった。また南に帰ろうと思いましても、今南に帰りたいという人が六、七百人届けを出しているという――これは風評です。私が朝鮮のある専門家に聞いたことですから、その人個人の意見ですが、数百の届けを出しておりますが、朝鮮の公使館では出国ビザを与えない、こういうことも聞いております。そういうような環境に置かれた朝鮮の諸君が、帰国について軽率な判断ができないのは、私は当然であると思う。また多数の家族をかかえた慎重な御家庭では、第一船、第二船が出て、そして一体朝鮮に渡った人たちの生活はどうであったか、うまくいっておるか、また先方ができるだけのことをしてくれても、社会主義の制度と資本主義の制度とは、風俗習慣において多少異なるところがあるから、長らく自由経済のところで、どちらかといえば放漫な生活をした人たちが、規律正しい社会主義の建設、経済の中に入っていくときに、それに適応できるかどうかということを思い惑う人もあろうと思うのです。私が朝鮮に行って現地を見ました印象では、そういう過渡期の人たちに対しては、懇切な教育と忍耐強い愛情にあふるる指導が行われ得る、私はそういう観察を持って参りましたけれども、われわれのように政治家としてまた経済学者として社会主義圏を視察するというような機会に恵まれた人は、ごくわずかでありまして、大部分の人はニュースや風評を聞いて、一方では朝鮮を天国のように賛美する人があるかと思うと、他方では地獄のようにけなす人もおる。こういう状況のもとで、どちらかといえば今日では教育水準の高くない朝鮮の友だちが、思い惑うことも、これまた無理もないことだと思う。しかも先ほど申し上げた統計を見ますると、昭和六年においては三十万くらいの朝鮮人しかいなかった。大正十二年のあの記憶すべき痛ましい年に、わずか八万の朝鮮人しかいなかった。それが今では六十万おるわけですから、自然の摂理にゆだねるとしますならば、純粋の論理でいけば、ほんとうに日本で所を得た朝鮮の諸君と言えば、まず十万そこそこではあるまいか。パチンコ屋りで安定した仕事をしておるといっても、パチンコは賭博なのであって、社会党内閣でもできたならば、パチンコという趣味に対して、それほど寛大でもなかろう、私は勤労者の内閣ができたときには、そういう賭博場に対してはあまり寛大な政策をとるとは限らないと思う。あるいはまた特殊喫茶、特殊キャバレー等の経営をしている朝鮮人、中国人が多いことは、諸君の御承知の通りですが、そういう商売が、所を得た健全な商売であって隣邦の民としてそれで経済能力をもって日本民族に寄与しておるという解釈は、私は立たぬと思うのです。そういうような領域における企業に第三国人がはびこることは、私は健全なる日本民族の道義と趣味と、またレクリエーションを養うために、それはよい影響をもたらすものではなかろうと思います。そういうものをさらにはぶいて、純粋によき勤労とよき技術とよき経営能力とよき文化を持つ隣邦の民として尊敬され、日本に寄与しておる移民の数はどれくらいかと言うと、十万をはるかに割るということになる。そうすると、帰るということの事実は人道の問題であって、何人も関与せざる個人の自由です。しかし政治家としてこの問題を達観して、この問題が起ったところの歴史的背景、立地条件、経済発展の段階等を考えますならば、日本に所を得る朝鮮人諸君の最大限度は十万ぐらいである。五十万ぐらいの人口には、多少、またははなはだしい無理があるという見通しを立てざるを得ない。そういう客観的、社会科学的見通しのもとにこの問題を考えますると、これは一万、二万の捕虜送還の問題と違って、隣邦の民が所を得るという問題でありますから、われわれの態度も忍耐強く、寛容で、友情をもってこの問題をながめ、彼らがその自由意思によって意見を発表し、あるいはまたわれわれに友だちとして助けを求めるならば、われわれはこれにあたたかい手を差し伸べて、そして彼らが祖国に帰る道の手順やその順序や、その帰国への手続、実現への過程を円滑ならしめるように見守って差し上げなければならない、こういうように思うのです。  しかりとするならば、今日ちょいちょい新聞に出ておりますように。国際赤十字に頼む、国際赤十字に調査をさせる、われわれはこれに賛成です。最終的な確認は、もし朝鮮赤十字、国際赤十字、日本赤十字の御協力によって、またその御指導によってそれを行うことが、今日複雑な国際情勢下において正当であるとするならば、その最終的確認は赤十字の手によってなされることにわれわれは異議を申しませんが、しかしそこまで流れてくる過程においては、やはり調査をする者としては深い理解かなくてはならぬ。すなわち赤十字が担当したからと言って、直ちに地方の国勢調査員や村役場の吏員や、あるいは巡査の古手などに頼んで、直ちに期限を切って、そして一体何人帰るか、調査員は横柄な態度をもって鉛筆を口でなめなめ一人々々戸別訪問して、赤い国に戻れるそうだがお前戻るかね、今のうちに戻るなら戻ると言うておかないと、二度と機会かないよ、そういう言い方をして回ったとしたならば、その統計が心理学的に見て妥当であるとは言えないと思うのです。従いましてこれは一定のさく内におる戦時捕虜を送還するような問題でないということです。民族移住の問題である、その民族自身の立地的あり方や経済的条件が無理があるからです。その無理がこれでだんだんほどけていくような問題を背後に持っておるということなどを、私はよく理解しておく必要があると思う、しかし、その調査にはやはり朝鮮人の自治体の朝鮮連合とか、あるいは岩本代議士と一緒に私どもが党派を離れて純粋の人道的立場から協力しておる協力会とか、そういう友邦団体も朝鮮の諸君の意見をよく聞き、そうして円滑化やその要望の取りつけなどにただいま協力しておりますけれども、政府におきましては最終的法的確認は赤十字の手によるとしても、その確認に至るまでの朝鮮人諸君の要望を取上げたり、彼らの意見を聞いて、無理のないように、調査方法についても彼らから要望があるでしょう。また帰国の申し出の日取りの区切り方についても、幾つかの方法があるでしょう。また送還の手順、送還の流れにしても相当の長期間の流れがあることも見越しておかねばならぬ、そういうことをよく理解していただきたい。私は、今日この席で竹内次官から軽率なる即答を求めようとするものではありません。そうではなくして、大体議員というものはお役人の意見を聞くべきものではなくて、私どもは民意を代表してその国民の世論のあるところ、われわれが、科学的に確かめたところを行政をあずかっておる諸兄に申し上げて、そうして諸兄の施政の参考にしていただくというのが、護民官たる議員の任務でありますから、私は申し上げるのであって、皆さん方から軽率なこれに対する論断を私は今直ちに聞こうとするものではありませんから、どうかこの問題に対して私は朝鮮に十五年もいたもので、少年時代、中学生の時代も、全部朝鮮の中学校を出たものでありますし、朝鮮同窓会の副会長もしておりますし、また私の性癖からいって、この少数の民族に対しては理解と満腔の同情を持っておるものの一人で、また九州生まれでありますから義狭心としても、この不遇な環境にあるところの朝鮮の友に対して、できるだけ友情と人道とをもって処遇したい、こう考えておる政治家の一人ですから、そういうものの声として一つわれわれの誠意のあるところもおくみとり下さって、この問題が円滑に運ぶように御協力を願いたい。従いまして調査方法について政府はこういう意見を持っておりますというような軽率なことを今聞こうというのでなくて、今後岩本議員にも御相談下され、われわれにも御相談下さって、一つ摩擦のないように、また政党の左右両極の政略に利用されないで、これか人道的見地から円滑に進むようにという誠意をもって申し上げておるのですから、この問題についてそういう含みある御配慮をただいまから御研究しておいていただきたい。  第二に、時間を長くとって恐縮ですから、結論を簡単にいたしますが、政府がすでに人道の問題としてこれをお取り上げになったあと、日韓会談の問題、また李承晩さんがこれに対して興奮して、また正当な理解を示さずに、筋違いの反撃をされるであろうことも予想される。しかし岸総理はその問題はその問題として、懇切なる態度で対処したい、こう言われておる、まことにその通りであると思います。ただいま予想されるところを考えますと、李ラインをとりでとして、日本の漁船に対して不当なる銃撃、不当なる逮捕等のことが今後しげくなるおそれがあるのでございます。この問題については、岩本議員と一緒に現場を視察いたしました調査報告書が政府に提出されておりますし、その詳細は速記録にも掲げておりますので、一つ関係御当局においては、この調査報告にもう一度目を通していただきたいと思います。特に大蔵省から主計官の方が見えておると思いますが、外務委員の著たちわれわれは玄界灘に遊びに行ったんじゃないのです。潮風を浴びなから巡視船に乗って現状を視察してきて、その結果を報告してあります。その報告の趣旨は、外務委員全員が党派を離れて御理解を下さっておる報告書でありますから、一つことしの予算審議に当っては、主計宮殿の特別の御勉強と御留意を促したいと思います。当時においてすらわれわれがこれに対して適切な対策を要望したのですが、その帰還の問題が人道上の見地から起るとし、それが一年、二年帰還船が続くとし、それがやむなく李承晩政権を刺激するとしたならば、彼らのわれわれに対する反撃は、あるいはもっと強くなるおそれかある。今日領海が三海里とか六海里とか、せいぜい最高十三海里というような議論がありますときに、李承晩ラインの領海は一番離れているところは二百四十海里というわけで、しかも領海外において漁業に従事しておりましても、しばしば海賊的な銃撃を受け捕獲を受けるというのですから、まことに残念なことです。この水虫のような不愉快な地帯に対して、当然これは私はアメリカ当局が、アメリカの政府当局自身が李承晩に対して同時に警告すべきである。あるいははまた、国際連合自体において、これは取り上げるべき価値のあることであると思いますが、これは私はアメリカの極東政策のやはり一つの怠慢であろうと思います。こういうことであるから日本国民の信用を失うのではなかろうかと思いますが、しかし、われわれは他国の援助によって解決するよりも、やはり大部分のことは、自分の国の見識によってこれを解決せねばならぬ。現地を視察いたしました結果、われわれはなおかつ隣邦に対して、できるだけ無用の刺激は与えたくないというので、この李ライン外で漁業しておっても、なお銃撃を受ける。また、海が霧に包まれておりますようなときには、その境というものは必ずしも明確でありませんし、海波激しいときには明確を欠いております。そもそも彼らが一方的にきめた領海二百四十海里というようなばかはかしい状況でありますから、漁民の諸君としても、魚群を追うて突入いたしました場合に、そのボーダー・ラインに触れるということは、しばしば起り得ることでございます。従いまして、無用の刺激を避けるために、私どもはレーダー、無線電信をこういう小さな漁船にも備えるようにしてもらいたいあるいはまた、巡視船の数を数隻ふやしてもらいたい、また漁期には他の方面に出ておる巡視船もそこに集中するようにしてもらいたい、また巡視船が突入いたしましたときに銃撃を受ける、貴重な人命を損傷するということにならないように、そして事件が拡大するという不幸なことにならないように、要所々々には適当な厚さの鉄板を張っておいてもらいたい、その鉄板を張る費用は千八百万円程度で足りる。巡視船の若干の増加は、今日もう時代おくれの三八式機関銃の近代型と言われておるグラマン、ロッキードなどのジェット機を買うよりも、むしろ巡視船の数隻でも、この計画をもって作っておるものを、少し繰り上げ支出して、巡視船を強くしてもらいたい。今日諸兄の御承知のごとく、自衛隊が事実問題としてできておりますが、それが外に出て戦争、交戦状況に入るならば、それは憲法違反であることは明らかであります。また、そういうことは、事態は事態を拡張して、われわれとして望ましくないことでございます。従いまして、私どもはこの問題をただ海岸の警備の問題にとどめたい。海岸の警察、海賊船の取締りという行為だけにとどめたい。幸いにして韓国側も同じようにして、韓国側の自衛隊が玄界灘に出てくるというような不謹慎なことは、さすがに韓国側といえとしていないわけです。従いまして、この問題については、ただ海上警備の問題にとどめることが至当である。そうだとするならば、それに必要なる最小限度の経費ぐらいは、私は当然大蔵省が承認すべきではあるまいか。いわば三十六計逃げるにしかずの戦法でありまして、私はその地帯を水虫地帯と考える。これをトリコマイシン療法という名前の戦術で、そのトリコマイシンの代価をすら大蔵省が出し惜しむということは、私はまことに残念なことである。そこできょうは大蔵大臣に来ていただこうと思いましたけれども、外務大臣もお見えにならないといいますから、それではむしろ実務をやっている主計官の方に来てもらいたい、もし主計官殿がそのくらいのことわりすらわからないならば、一つ御自分で玄界灘に行って潮風を浴びてこられたら私はわかると思うのです。そうしてそこに苦労しておる漁民の諸君やまた海上保安庁のフリゲート艦に乗っておる水兵さんたちの苦労を眼前に見て参られたら、あるいはまたラウド・スピーカーで大声疾呼しつつ韓国の巡視船を追っかけて、釜山のほとりまで、日本の漁船を取り戻すために、銃撃を受けながら叫び続けていった船長さんの苦労談などをじかにお聞きになったならば、このくらいの予算折衝にまだ手間取って事が解決しないなんというばからしいことはあるべきはずもない。従いましてこれは一つ外務省当局も先頭に立って、関係官庁と連携を密にして、そうしてこれに必要なる経費はぜひともとってもらいたい。昨年の事態においてこうでありますが、今年の事態においてまたもっと事態が悪化いたしたならばどうであるか。ある与党議員が、私に笑い話で、もしそれ以上感化したならば、日米軍事同盟があるのだから、アメリカがどかんと一発やる。京城では直ちに李承晩大統領を逮捕してしまうよ、などと智いましたけれども、これは笑い話にすぎないのであってやはり私どもとしてはそういう笑い話でなくて、慎重な対策を講ぜねばならぬ。そうしてその場合にもできる限り隣邦に刺激を与えない対策をとることが私は必要だと思う。しかし事と次第によっては、トリコマイシンぐらいではもうおさまらぬではないか、サリチル酸くらい塗らねばならぬではないかという議論も聞きますけれども、私はそういう軽率な言葉をこういう微妙な国際問題において吐くべきでなく、その事態に対してはこれも与党の諸君と一緒に慎重に対策を講じて、そしてさらにもっと適切な対策について、外務委員会等で今後慎重に冷静に相談せねばならぬ問題である、問題は残っておると思います。従いまして当面としては、そのサリチル酸対策よりもトリコマイシンの方にとりあえず重点を置きまして、一つトリコマイシン療法だけについてはどうか関係官庁において特別の配慮を願って、竹内政務次官がそのあっせん役となって、責任をもってこれを解決していただくことを私は政府に要求いたします。  同時に釜山の収容所に人質になっておる漁民のことでございます。私どもも戦争中筆禍を得て一年有余も憲兵隊の地下室に閉じ込められておりましたが、韓国の今日の政治の欠陥は、昔の朝鮮の官僚が政権を握っておるところにある。その人たちは多少の教養はあるけれども、昔の日本の植民政策、総督府の下級官吏の悪いところを学んでおって、それが政権を握ったので急にいばり出して、そうして一種の属僚政治が行われておるということも批評家から聞くところでございます。しかも生活水準が高くないために、わいろは横行し、そしてその韓国収容所は、日本型監獄を朝鮮型生活水準に引き下げたものであるとすらいわれておりまして、一時ここに三千人近くの日本の漁民が収容されておった。収容された漁民が幸いにして政府の御努力等もあって、昨年大多数戻ってきましたが、戻ってきて半年もすればもう元気よく再び漁船に乗っているかと思っておりましたところが、さにあらずして、半年たって就職している者の数は一割五分、三割くらいは腰が立たず、五割くらいは病院通いをしておる。栄養失調のために三、四カ月は腰も立たないという状況です。戦争中の監獄といういうものかどういうものであったかということを私どもはよく知っておりますが、戦争中でなくて、平和なこの時代に、人道と人工衛星の時代に釜山の収容所においてわれわれの同胞は、飢えほど辛いものはない。食べている間にからだががたがたふるえてくるのです。そういう営養失調の生活を今しておる。幸いにして去年おととし大量解決しましたが、また再び逮捕された者の数がふえて、多分百四十七名くらいになっておると思いますか、現在何名になっておるでしょうか、数字を承わりたいと思います。私は一人の人間の命に対しても、百人の命に対しても、とうときことにおいては同じですから、去年は千四百名もいたけれども今はたった百四十七名だから見殺しにしていいなどとお考え下さらないように一つ。この漁民の諸君は今日の段階ではもはや私は国策の犠牲というべき性質を持っているのではあるまいかと思います。ましていわんや今度の人道上の見地よりする帰国問題が進むとすれば、李承晩の方ではこれを人質扱いとするようなきたないことをするおそれもあるわけです。従いまして私はこの人たちに対して今救いの手といえば、同じように獄窓のうき目を見た私どもとして思うならば、とにかく食べものを入れることです。食べものと書物と下着を差し入れてあげることです。現地の状況を聞きますとそれには金がない。御主人が失業して一家飢えに迫っておって、どうして仕送りするだけの余力があるでしょう。政府はこれに対して多少の補助金を下さっておりますけれども、その補助金は普通の小包郵便でものを送るという基準でできた補助金ですが、最近の小包郵便で送ると、途中で抜かれてしまう。飛行機で送るとどうやら確実に着くらしいのです。飛行機の持っている一つの威力と貴族的性格でしょう。飛行機の貴族的性格によって、飛行機で行けば尊重されて品物が届くが、飛行機代が非常にたくさん要って十分なものを送ることができない。あるいはまた十分なものを送っても、向うの検閲に引っかかって制限を受けるというようなことでありますが、しかしできるだけ豊富に品物を送るように政府の補助金もふやし、地方庁の若干の補助もふやし、あるいは漁業団体でもたった百四十七名ですから、少し基金募集でもして、入っている方々がこの期間それほど地獄の苦痛を受けないで済むようにしてもらいたい。あるいは赤十字から慰問団を派遣するようにして――実はこの問題について私は新しいことを聞いたのですが、たまたま釜山に行き得る人がいたならば、その人は収容所に慰問に行くことも許されるのだそうです。ところが日本から正式にヴィザを持って慰問団か行くことができない。こういうような矛盾した状況になっているわけでありますので、もう少し政府側もこの問題に対しては心を砕いて赤十字あたりで慰問団を派遣するくらいなことはしてもらいたい。同時にまた入っている者にとっては、自分は飢えてからだががたがたふるえておっても、家族はどうなっておるかということが苦しみの種です。私どもが監獄の中にいたときでも、もうわが身一つなどはどうでもいいのです。、どうせ数にもならぬ自分だから、こう思い込むことができるけれども、子供の声が耳について、またからだの弱かった女房が今ごろどうしているかということで気か弱くなって、中で非常に苦しむというわけでありますから、家族援護に対してもう少し適切な措置をとっていただきたい。外で捕えられて収容所に入ったというなら、あっちこっちにある事件だから一々かまっておられないといいますけれども、今日の事態では釜山の収容所の待遇が一番悪いわけで、中共に入っている方は、留守家族は気の毒ですが、入っている方はそれほど悪い待遇じゃない。すなわち生物学的にダンテの地獄編のような苦しみくじゃないわけです。ですから今直接生理的に苦しくて早く助けねばならぬというならば、やはり私は釜山の収容所だと思う。全部一律じゃないわけですから、もし政府が予算の関係上重点を注がねばならぬとするなら、は、釜山の収容所に対して重点的な措置を講じていただきたい。そういうとるべき措置をとらないということは、私は政治として恥かしいことだと思います。現地で岩本議員とともにつぶさに視察した結果、そうして最近の日韓の諸関係を憂慮いたしまして、政府としてはやはりなすべきことはなしておく、そしていかなることがあっても、李承晩が興奮してきたからといってこっちが興奮することのないように冷静に対処せねばならぬ。最近李承晩がこう言っているということを聞きます、藤山さんにも岸さんにも欺かれた、彼らは人道のためとかたんとか言いながら、おれの一番きらいな北鮮に朝鮮人を帰しやがる、その上つえとも柱とも頼んでいたところの大野伴睦老が、韓国、台湾、日本を含めた日本合衆国を作るといって私をびっくりさした、と。もうほとんど脳溢血に近い状況でふとんの中に入って寝ているということを風の便りに聞きましたけれども、こういうような不健康な両国の間柄になっておりますから、私どもとしては、冷静に対処してあまり相手方を刺激するようなことをしないということは、いいことだと思う。日韓会談も休むというならば休んで、静かなること林のことし、新宿裏でよく私はごろつきや暴力団や酔っぱらいに因縁をつけられることがあるんですけれども、そのときにおれは九州男子だからといって興奮したらますます事がこんがらかるので、そのときはやさしい涼しいかわいらしい顔をして静かに歩いていけば難を免れることができるのですから、当分の間日韓会談に対しては政府は人道の道を歩んで、涼しい顔をして冷静に事に処し、相手を刺激するようなことをする必要はない。しかしなすべき手、打つべき手だけは一つ外務次官があっせんして――これは各官庁にまたがっておりますためかいつまでたっても解決しない。大村収容所に関する問題は、収容所の朝鮮人の諸君から、ごあっせんによってだいぶ近ごろ円滑化したという手紙を南北ともいただきまして、二、三の問題は残っておりますけれども、解決した問題に対しては私は深く感謝申し上げたいと思っております。  以上が朝鮮帰国問題と同時に、李ライン対策について当面の事務的問題だけを申し上げまして御参考に供しました。私の申し上げたものの中で、よき回答がいただけることについてはよき回答をいただきますし、ことわりがあるとお考え下さいますならば、軽率な御回答よりもよく一つ今後の施策の御参考にしていただきたい、こういうことを申し上げた次第であります。

竹内俊吉自由民主党外務政務次官

○竹内(俊)政府委員 ただいま帆足委員より在日鮮人の歴史的な経緯について非常に詳しくお話がございました。もちろんこの問題は捕虜の送還等とは根本的に違うという点につきましては、政府も十分な認識を持っておるのであります。人道上の問題としてこれを処理しようとしておりますことは御承知の通りだと思います。  お尋ねに当るような点二、三ございましたので、お答えいたしたいと思いますが、公安調査庁の調査につきましては、外務省は全く関連いたしませんので、希望者四万名の発表が適当かどうかというぜひについては、意見の述べようがないわけです。御了承願いたいと思います。また帰国する在日鮮人が、その帰国に伴って起きてきますところの環境の変化というものは、十分予想されるところでありますが、何かの方策が必要であることは、言うまでもないことであります。どういう方法で、どういうお世話ができるかということは、今ここで明言はできませんが、お説の通りその引き揚げが容易に、しかも気持よく円滑に行われますよう政府においても十分考えていかなければならぬことでありますが、大体具体的方法としては、今お話がありましたように、国際赤十字のその中立性と独立性に深く信頼して、その機関を通して実施をはかるという方向にきまるものと考えておるのであります。  また最後にお述べになりました李ラインをめぐる問題、今までにもございましたが、今後もまた予想されるところでありまして、この問題は外交上きわめて重要であるばかりでなく、関係五万の漁民にとりましては死活の問題でありますから、この具体策につきましては今後一そう慎重適切な施策が必要であることは、政府においても十分認識いたしておりますので、今後においてこういう点は、帆足委員、岩本委員等がお作りになりました御報告書を一そう尊重して施策をはかりたいと存じます。またこの李ライン問題の根本的解決は、もちろん外交交渉によっていたさなければなりませんので、その点の努力をいたしますことは、もちろん申し上げるまでもありませんが、現在韓国に収容されております漁夫は最近五名ふえまして、現在百五十三名になっております。はなはだ遺憾なことでありまして、この解決につきましては政府も極力努力いたしますが、また収容者の救援方法等につきましては、今日までも多少やって参りましたが、お説の通り十分ではありませんので、直接収容されている方々への慰問の方法あるいは留守家族への方法等につきまして、今後差し入れ費あるいは見舞費というようなものにつきましても、今までよりも何らかのあつい方法を考えなければならぬ、そういうふうに考えております。以上お答え申し上げます。

帆足計日本社会党

○帆足委員 時間が移りましたから、あと一、二の点御注意だけ申し上げて、これで打ち切りたいと思います。  第一は、入国管理局関係では、いろいろわれわれがこの席で要望いたしましたことを逐次御採用になっている向きもありまして、その御努力に感謝いたします。ただ密入国につきましての対策が、まだわれわれに十分納得できませんから、これは次会の外務委員会において密入国対策についてもう少し筋を立てた対策を、政府の意向も伺い、われわれの要望も出したいと思っておりますが、特に夫婦、親子というような問題でこちらへ渡ってきましたようなときには、これは子供のためには親はドーヴアー海峡も渡るというくらいに言われておるわけでありますから、いとことかめいとかという場合はよほど距離が離れておりますけれども、夫が妻を呼び妻が夫を呼び、子が母が求めてきたというような場合に対しては、もっと同情ある措置をとっていただきたいと思います。先日伊君という朝連の外事部長の姉さんか妹さんが夫を求めてきた。これはたまたま友人で私の知っておる例の一つですから入国管理局に注意を促しておきましたが、不幸にして裁判の判決を受けて、今収容されているそうです。違反は違反として、それは判決もいいでしょうが、長い間の夫婦しかも南にいて北に行くこともできず、主人はこちらで学校の先生をしておる。乳飲み子を連れて参っているような場合は、これはもう少し人道的措置が必要であると思います。そういう例があと二、三あると思います。  それから、最近また五十何名かの孤児を送っているんですね。これは李承晩もひどいですね。あの問題も私はこの次伺いますから、ただ入国管理局長に対して、そういう問題に局長自身がもう少し特別の注意を払っていただきたい。そしてこの次の機会に私は詳細に承わります。  それから水産庁並びに安西海上保安庁長官に要望いたしますが、それぞれ李ライン問題に対して御苦労されていることは、われわれも、岩本議員と一緒に承わりまして、よく存じております。しかし大蔵省がこの事情にうといのと、それから今差し迫った問題に対してまだ十分な認識をお持ちになっていない。大蔵省は忙しいから無理もないでしょうけれども、そこできょう来てもらったわけですからつ、一つ竹内次官があっせんして、もう少し大蔵省と話をしてもらいたい。というのは、わずかこれくらいの経費を惜しんで、一時は三千人も漁民が逮捕されておった。そうしてわずかなことを惜しんで事件が拡大したり、また必要以上に韓国を刺激したり、すなわち、なすべき火災保険に入らないでおいて、そうして火事が起る、火事が起ると騒ぐ。また置くべき場所に水の入ったバケツを置き、消火器を置かないでおいて、火が広がったといって騒ぐことは、私は愚かなことだと思うのです。かりに越中ふんとし一つで新宿裏をプラプラ歩いておれば、いろいろな災いが起る。やはり利宿裏を歩くときにはきちんとした服装をして、卑しからぬ風体で歩いておえばごろつきは寄ってこないと思うのです。李承晩ラインに対してわずか二億か三億の予算を惜しんで、そのために何千人という漁民がつかまって、そうして何億円という漁獲がふいになってしまうというのは愚かなことですから、大蔵省は海堀主計官がおいでになっているそうですが、大へん頼もしい、ごかっぷくのいい方ですが、一つきょうの会議の速記録を大臣、次官、主計局長に見せて、そうして聞かなければ外務委員会の命令で玄界灘に送りますから、そう議員が申していたと一つお伝え下さいまして、関係官庁とよく御相談下さって、適切な予算をおさき下さるようにお願いいたします。  時間をとりまして申しわけありませんでした。

櫻内義雄自由民主党

○櫻内委員長 本日はこれにて散会いたします。     午前十一時四十七分散会

国会会議録検索システムで原文を見る ↗