海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号
- 発言数
- 61 件
- 登壇者
- 9 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1959/03/24
会議録
○田口委員長 これより会議を開きます。 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する件について調査を進めます。本日は、前会に引き続きまして、フィリピンのルバング島における元日本兵の問題を中心に説明を承わり、その帰還の促進をはかりたいと存じます。 まず、最近同島において、マニラ大使館員等の一行が遭遇したと伝えられておりまする事件の概要について、外務省当局より御説明を承わりたいと存じます。外務省有田説明員。
○有田説明員 この前の委員会で私から御報告申し上げましたその後の、こちらから参りました事件といたしましては、三月の十六日に手紙箱の設置状況を調べに参りました報告と、三月の五日に湯川大使が現地に出張されて調査になられました報告とがございます。それのあとに、御承知の三月十三日に小舟の船頭が左足に軽傷を負った事件が発生いたしました。その詳しい報告は、本日ただいま私の手元に入った次第でございます。それで、順序は違いますが、まず三月十三日の船頭が軽傷を負った事件から御説明申し上げたらと存じます。 三月十三日の事件でございますが、その前の十二日にマニラを出発いたしまして、十三日の午前六時にルバング島のチリクというところに一行は到着いたしました。そこで班を二つ作ったわけでございますが、一つの班は、フィリピン大使館の領事でございます河野領事、それから日本人会の代表でありますところの日本トレーディングの石黒八郎という方、これが一班を作りました。それから第二班は、やはり在フィリピン日本大使館の一瀬一雄という理事官と、日本人会代表の三菱商事の諸橋という方がこれに加わりました。それで両班は、まずバスでヴィゴというところまで参りまして、そして二つに分れまして、一瀬班はヴィゴから山の中に入りました。それから河野班は、ヴィゴから島をずっと北の方に参りまして、そしてその辺のタグバックという町で船に乗りかえまして、現地の方へ来たわけでございます。それでタグバックを午後二時半ごろ出帆いたしておりまして、午後五時過ぎにバレイタンバンというところで船を浅瀬にこぎ入れたわけでございます。そこで射撃事件があるわけでございますが、読みました方が早うございますから、ちょっと読ましていただきます。 それでバレイダンバンで林に面した浅瀬にボートをつなぎまして、そこから二百メートル渓谷をよじ上った場所に設置された手紙箱の点検におもむきました。ここはロークとルバングとの海岸通路と密林の小道との交差点で、渓流に沿った地点だそうであります。手紙箱に手を触れた形跡はなかったが、その場所に着いたとたんに、一人の耳の早い警察隊の者が、ジャングルの中に異様な音を聞きまして、耳をそばだてたそうであります。おそらく竹の音だろうと笑いながら、新しい手紙や写真、新聞等を、箱の中だけでなく、その近くにもばらまき、写真を見やすいところに飾ったりして、海岸のキャンプに帰りました。そこでコーヒーを飲んだり、警察の人たちと野営の準備をして、大声でしゃべり合ったりしておったわけでございます。そのとたんに、陸地に面して左上方の密林とココナットの林との境の辺から一拳の銃声が聞えました。暴発にしては方向が怪しいと思いながら、水上に立ら上がってその突端部をながめたが、人影らしいものは見えなかった。としますと二発、三発と、続いて銃声が起りました。今までなぞであり、想像しておった、また人聞きだけであったものが、現実に銃声によって直感したわけでございます。それで河野領事は、石黒氏と抱き合って岩の陰に隠れたそうであります。そこで二人は頭を出しまして、岩のすき間から、「小野田さん、小塚さん、鉄砲を撃つのはやめて下さい、河野です、石黒です、日本人です」と声を限りに叫び続けたそうでございます。その間、警察隊の方では、威嚇射撃をいたしまして応戦の準備を整え、ココナットの林に散開して発砲地点に向って進撃いたしました。一時間ばかり不気味な沈黙が続きまして、夜になり、星が出たということで、結局、暗黒と密林のために、狙撃者の正体はつかめないまま一行は下山いたしました。警察隊の人の説明によりますと、第一弾は河野領事から二、三メートルの海に落ちまして水煙を立てました。第二弾が、石黒氏からやはり二、三メートル離れた海中に落ちたそうであります。第三弾は、出帆の準備をしておりました船の横腹から厚板を破って中に突き抜けて、船内のカンに当り、そのカンの破片で船頭が足に軽傷を負ったということであります。それから第四弾、五弾、六弾というのは警察隊側に落ちた、こういうことでございます。 それで、河野領事及び石黒氏は、できるだけその当時日本人らしい行動をしようということで、警察隊のものが夜営の準備をしておりますときに、二人は裸になって日本式に手ぬぐいでふんどしがわりに腰に巻きつけたり、頭や顔やからだを洗うやり方、それからはな水のかみ方まで、意識的に日本人らしいポーズを大げさにしまして、五、六メートル離れた距離で大声で日本語でしゃべり合ったりしておったそうでございます。ですから二百ヤード離れたところから見ますと、旧日本兵も、この二人たちが日本人であるということを見のがすはずはなかったであろうと思われるというような感想を書いておるのでございます。ところで問題は、彼らが二人を日本人とほんとうに知って射殺するつもりで撃ったのかどうかというようなことでございますが、結局、もし二人が、ほんとうにこれを日本人であると見ながらなお射撃したということであれば、今後の投降工作につきましては、なかなか容易ならざるものがあるんじゃないかというような感想を持っております。 それから、彼らが持っておりました銃でございますが、これは三八式のような非常に重苦しいものではなくて、軽快な音であったということであります。そして翌日の十四日の朝も、警察隊と手分けいたしまして一時間ばかり発砲の現場を探し回ったのでございますが、落葉が深かったり、前夜の雨を伴う強風に葉っぱがかきまぜられたりいたしまして、結局、薬莢なんかも発見することができずに一応一行は引き揚げた、こういうことになっております。そしてカービン銃じゃないかということが新聞にも載っておりましたし、最初の電報報告によりましても、やはり聞いたところの銃声から判断して、カービン銃と思うという報告がございました。これは一番重要なポイントでございますので、折り返し電報で聞いてやったわけでございますが、そのときの状況を申し上げますと、射撃を受けた際の感じでは三八式のような重いものではなくて、軽快な音であった。最初は、護衛しておりました警察隊の者がカービン銃を暴発したのではないかと思ったくらいである。発砲の時間的間隔は、三八式のように槓杵を引く時間ではなくて、次から次へねらい撃っていくための時間的な間隔にすぎなくて、野営準備で集まっていました警察隊に射撃を向けたときは、二発連発したものと感じた。狙撃者の銃がカービン銃であろうとの推定は、護衛の警察隊長の判断によるものでございます。それにつきまして、警察隊の第二管区の長でございます大佐にも調査を依頼したのでございますが、その大佐の判断では、海岸では銃声は軽く聞えるものであるから、現地の警察隊員が言っておるように、必ずしもそれがカービン銃であるとはいまだ判定ができない、こういうようなことを言っております。そして薬莢が発見されなかった理由については、一人が射撃をして、他の方が薬莢を薬莢受けでもって受けて、証拠隠滅をはかったのではないかというような想像もしておる次第でございます。 これが三月十三日の射撃事件の概要でございますが、ここで一たん打ち切らしていただきまして、御質問によってまたお答えいたします。
○田口委員長 本件に関し質疑の通告があります。茜ケ久保重光君。
○茜ケ久保委員 今の御報告を聞いておると、先般現地のたまが日本に送られて鑑定したということがあるのでありますが、その鑑定の結果について、わかりましたら御報告願います。
○河野政府委員 ただいま、入手いたしましたたまを取り寄せておりますので、間もなく届くと思いますからごらんをいただきたいと思いますが、けさほど外務省からいただきまして、さっそく警視庁の科学検査所で鑑定をしていただいたわけであります。その結果によりますと、日本の歩兵銃であります三八式あるいは九九式のたまではない、また、カービン銃あるいはライフル銃のたまでもないというふうな一応の結果が出ております。鋼鉄製の、口径にいたしまして八分の二インチの、割合口径の小さいたまでございます。これは想像でございますが、何か民間の手工場で作ったものではなかろうかというような判断が下されておる次第でございます。
○茜ケ久保委員 ただいま説明になられましたたま、それはいつの日づけのころの事件のたまでしたか。
○河野政府委員 申し落しましたが、去る一月二十七日に島民の傷害事件が起りましたのでございますが、その際に、水牛が二頭、翌日見に行ったときに倒れておったということをこの前衛報告申し上げたのであります。その水牛から摘出されたたまでございます。
○茜ケ久保委員 ただいまの外務省がお調べになった三月十三日の事件、それを聞いておりますと、たまは、やはり銃声等から見て、日本のかって陸軍が使った三八式の歩兵銃ではないという判定ができておるということであります。その中で聞いておりますと、相当多数の発砲を相手がしておるのですね。それと、先ほどの報告の水牛に入ったたまでありますが、これは大体今御報告の通り日本のたまではない。さらに、この前一人負傷して一人死にました。このたまは見ていませんが、これもおそらく推定しますと日本のたまじゃないということになりますと、私どもは三月十三日の事件も元日本兵のしわざとは判定する資料が非常に弱いので、河野領事あたりが日本人だということを相手に知らせようとする努力や、あるいは今の報告を聞いておると、河野領事その他の諸君は、発砲した者が元日本兵だという断定をしておるように思われるのですが、しかし、具体的なそういった事実を見ますと、そうでないように思われる。こういった点に対してのもっと徹底した検討と、どうもこの間の委員会あたりから聞きましても、政府の努力が不足していると思うのです。もっと突っ込んだ調査がなければ、私は、交代に出ていく、いわゆる捜索に行く行為そのものに大いなる疑問と、これは大へんな問題が残ると思うのです。そこで、 この問題についてはもう少し詳しいというよりも、的確な、しかも、どうも私どもが聞いておると、政府も、当委員会等で相当問題にされ、あるいは新聞その他の報道機関で問題にされているので、仕方なしにやっているという形が非常に見えるのです。この間、本会議でも特別に議題とされて、ああいうふうな形でなされましたほど、日本人が非常に大きな関心を持っているわけです。それに対して、どうも当委員会における政府側の発表なり、あるいはそういった調査の結果を聞いていますと、何かしら物足らぬものがある。そういう点で、おそらくほかの委員からも質問があるかと思いますが、私としますと、今言った感じをもつ。これはあなたにここで言ってみても始まらぬことであるけれども、私は委員長にも聞いてもらいたいのだが、外務大臣あたりが出てきて——私は決して政府委員が政府の意向を代表しないとは言わぬけれども、ここまで問題が発展してきますと、当委員会にも外務大臣なりあるいは厚生大臣なりが出まして、政府を代表して真剣なこれに対する態度を表明するなり、また、それをもっと突っ込んで検討するという態度を表明することがなければ、私はどうも満足できない、こう思うのであります。そこで、結論としては、今の御報告はかなり精密な御報告であるけれども、今言ったように、肝心なところはつかんでおられない。日本人であるかどうかという点をもっと突っ込まなければ、こういうことを何回繰り返しても、ほんとうの姿が出てこないと私は思う。と同時に、あるいは今せっかく計画して、肉親の皆さんや特別な人たちが現地へ行って捜索しようということ自体の中に、私は大きな不安を持たざるを得ない。もし日本人でないとすれば、これはあたら小野田外一人の肉親を、肉親ということで死地に追い込む結果になる危険性がある。これは後刻さらに新しい調査のことに対しても問題が出てきますが、そういった点で、何か政府当局として、きょうおいでの河野局長と外務省の説明員と、あなた方がそういう報告なり今までの経過も見て、こうしたらいいとか、こうすべきじゃないかというお考えがもしもあるならば、あわせて一つここでお尋ねしたいと思うのです。
○河野政府委員 ただいま御質問がございましたように、従来はいろいろこういった事件が起りましても、単なるうわさであったとか、あるいはたまがあってもそれは流れだまでなかろうかというふうな想像もいたしておったわけでございます。しかし、今回大使館から、現地で射撃を受けたという現実の事態に遭遇しておるわけでありまして、今までの考え方は、さらに考え直さなければいかぬじゃないかというふうなことを考えているわけであります。少くとも、現地の密林の中に島民でない者が入り込んでいるのではないかというふうなことまで一応考えざるを得ないような事態である、かように考えておるわけであります。ただ、これが日本兵であるというふうなことは、現在の段階では断定できない。むしろ現在の考え方では、そのたまは日本兵が使っておるものでございませんので、それ以外のものではなかろうかというふうな気持も実は強いわけでございます。従いまして、これからどういう措置をとっていくかということにつきましては、今の判断を基礎として考えていかなければならないかと思うのであります。 これが日本兵であるかどうかということを、さらに突っ込んで調べる方法はないかというようなお尋ねでございましたが、これもなかなか簡単にはきめ手がないのではないか。かといって、これをほっておくわけにも参りません。そこで、ただいまお言葉にございましたように、今度の派遣団を出す問題にも関連してくるわけです。日本兵でないかもしれぬという公算が相当あるにもかかわらず、肉親を、直ちに現地に行っていただくというふうなこと、今のお言葉にありましたように、死地に追い込ませるというふうな危険も非常にあるわけでございます。第一回の措置といたしましては、そういうふうなことをむしろ避けて、もう少し事前工作をやって反応を見、できるだけの調査なりをしてみるというふうなことがいいのではなかろうか、というふうなことで、ただいま案を練っておる次第でございます。
○茜ケ久保委員 外務省の方でも、手紙なんかを現地に持っていかれた。よくいわれるのですが、小野田元少尉は諜報将校としていろいろの謀略戦術を相当研究した人で、すべて裏から裏を見るということがいわれておるのですが、それもわかります。けれども、少くとも私は日本から送られた日本語の手紙ないしは写真といったものがあれば、一応それを謀略と見るにしても、日本人という気持を持っておれば、これは見るのではないか。見て反応がどう出るかは別として、そこにちゃんと日本から来ている手紙なり写真、新聞があれば、これは私は見るのが当然だと思う。ところが今の報告によると、全然そういうものには手も触れてない。手も触れてないが、その付近で銃声が起った、こういうことなんです。そうなりますと、私はやはり、今問題になっておるその銃を撃ったという存在は、どうも元日本兵とは考えられない。日本兵が——今の小野田君と他の一人が生きていてもらいたいという非常に強い念願はあります。その二人が生存しておることに非常に大きな期待と希望を持っておりながらも、しかし、そのことが、今言ったように、三月十三日の発砲事件とは、私は直接関係はないと思わざるを得ない。ところが先ほど言うように、フィリピンの日本大使館の諸君は、すぐそれは日本兵であるというような断定を下して、物事をやっておるような気がするのです。そこに私は危険があると思う。これは外交上の問題にもなると思うのですが、しかしそれは決して、私が先ほど指摘するように、小野田元少尉外一人が死んでいるということを証明するものじゃない。生きておることを望み、それを願いながらも、その具体的な問題とは私は関係がないと思う。ここのところを、もっとはっきりしなければいかぬと思うのですよ。その努力を、フィリピンの日本大使館の諸君はやってくれていると思うけれども、何かやっておられることが、どうも私どもから考えると、そこのところがうまくマッチしないような気がする。今河野局長からも御答弁がありましたが、それは私としても、ここであなた方にこれ以上突っ込んだことの説明もできないと思うけれども、しかしできるだけの努力をしなければならぬ。この点で、外務省の河野理事官などの報告書を読まれて、外務省はどういう見解を持っておるか。外務省として、何かそれに対する統一見解とでもいうか、一つの見解をお持ちになっているのかどうか、あるいは相談をされたことがあるかどうか。ただ報告書を受けてここでそれを報告されたのか、受けた報告書によって、元日本兵がどういう状態であるか、あるいは捜索した状態がどうであるか、これに対するはっきりした態度をおきめになっておるかどうか、おきめになっておればその点を一つ伺いたい。
○有田説明員 今の御質問の点でございますが、幸い湯川大使が東南アジア在外公館長会議で帰朝されておりますので、さっそくお集まり願いまして情勢判断も伺いますし、今後の対策等も相談いたしたことがございます。それによりますと、何分にも今まで、銃声は聞いた、あるいはけがしたといううわさを聞いたというだけでございまして、現実に日本兵らしき者の姿を見た者はないのでございます。今度の場合にも、銃声が聞え、直ちに行動をとって確認しようと努力しておるのでございますが、西日に照らされて姿が見られなかったというようなこともあるわけでございます。そこで御指摘のように、もし日本人であれば、いいと申せばいいのでございますが、もしなかった場合の危険、これは重々われわれとして知っておりますし、先ほど河野局長からも御説明がございましたように、救出に先だちましてまず第一に、何らかの確認をする措置を今度の派遣団にやってもらうことが必要なことじゃないか、こういうように思います。これからといたしましても、確認されない限りは——いろいろ否定的な要素もありますけれども、肯定的な要素もあるわけでありますから、やはり希望を持ちまして、日本人であるという前提で、今度の調査班が最終的な確認をいたすまでは行動をとるのがしかるべきじゃないか、こういう考えでございます。
○田口委員長 角屋堅次郎君。
○角屋委員 ただいまルバング島の現地の状況について外務省の方から御報告があったのてございますが、実は私も、ちょうど大東亜戦争の始まる最初から十八年まで比島方面に行っておったものでございますから、こういういわば旧戦友に当るような人々の問題が出て参りますと、非常に胸痛む思いがするわけでございます。先ほど来の質疑応答の中で、必ずしも日本人であるという確認をされておるわけでないというように言われておりました。その辺のところはきわめて不確定な要素でございましょうけれども、私はやはり、帰還を待っておられる小野田さんあるいは小塚さんのお気持からいけば、日本人という前提に立って最善の努力をするのが本筋だろうと思います。同時に、私どもが考えてみましても、現地住民がいわばフィリピンに対抗するような形勢を依然として示すということは、なかなかあり得ないことだと思うのであります。もちろん私どもがおる前にアメリカの統治に批判的な方々が、中部ルソン島で、ある程度ゲリラ的な行動をとっておったことは承知しておりますけれども、今日、戦後のフィリピンの状況というのを直接には詳細に知りませんが、しかし少くとも現地住民が政府あるいは現地の警察官等に対して、長きにわたって反抗的態度をとるということは通常考えられない。おそらくやはり、従来から想定しておりますように、日本人じゃなかろうか、そういう前提に立つのがいいのじゃないかと実は私も考えるのであります。しかし、小野田さんであるとかあるいは小塚さんであるという前提に立つには、おのずからその根拠がなければならない。そこで前の委員会でもおそらくいろいろ論議がなされたと思いますけれども、小野田さんあるいは小塚さんという人の戦争中における所属の系統、こういうものははっきりしておると思いますが、その点はいかがでしよう。
○河野政府委員 所属の点でございますが、これはこの前にも申し上げましたように、終戦の年の昭和二十年にルバング島に一個小隊駐在をしておりましたので、それの一員であったというふうに私どもは考えておる次第でございます。所属の点につきましては、一応はっきりしておるというふうに考えておるわけであります。
○角屋委員 そうすると、ルバング島におりました一個小隊の中で相当部分が帰還をされた、そういう方の証言に基いて推定をされたわけでございますか。
○河野政府委員 昭和二十年の二月末に、小野田少尉を含めまして七十五名おったわけでございます。その後三月一日から八月の十五日までの間に、戦闘によりまして三十一名が死亡いたしました。それから八月ないし九月の間に、九名が投降、帰還をいたしております。それから翌年になりまして、二月の二十九日の投降者が三十一名であります。結局差引四名が残ったということになるわけでございますが、この四名の名前もわかっておるわけでありまして、二十六年三月に帰りました赤津さん、それからその赤津さんが帰りましたあとに、嶋田さんという方が一人なくなっておられます。二十六年に帰って参りました赤津さんの証言によりまして、小野田さん、小塚さんが残っておるはずであるということを確認いたしておるわけであります。従いまして、現在残留しておるのではないかと伝えられております者は、ただいま申し上げました小隊に属しておった小野田さんと小塚さんだろうというふうに、数の上からもはっきりわかるわけでございます。
○角屋委員 今このお話の経過から見まして、同じ小隊におられた方々の、いわゆる救出のための活用ということが、やはり大きなポイントの一つになろうかと考えます。こういう点の従来からの経緯並びにそういう活用の手段について、どういうふうにやってこられたか。
○河野政府委員 私どもといたしましては、帰ってきた方々の現地におきます事情等を詳細に聞きまして、それを一つの目安といたしまして今までもいろいろと工作いたしておるわけであります。あるいは帰ってきた方にもう一回行っていただくというふうな考え方もあるわけでございますが、そのことにつきましては、個人々々いろいろ事情もございますので、必ずしもそういうふうにいきかねる面もあろうかと思います。必ずしも帰ってきた方でなくても、こういったことについて経験のある方の御協力をいただくというようなことも考えられますし、今後の派遣団の構成等につきましては、十分その辺も考えて対策を立てていきたい、かように考えております。
○角屋委員 生き残っておられる関係小隊の人の活用ということで、現地派遣の問題について、直接そういう人々を派遣してはどうかということについては検討するというお話でありますが、私は従来の経験からいきまして、やはり同じ関係者であるそういう人々がダッチをするということが、非常に必要じゃないかと思う。もちろんルバング島の現地住民の動向というものが、私必ずしも詳細にわかりませんけれども、そういう現地住民の動向というものが、かつてそこにおった、今生き残っておられる人々とスムーズな状態にあるということであれば、できるだけ御無理を願って、適当な機会に派遣して救出の第一線に立ってもらうということも、やはり十分検討しておく必要があるのではないか。これはどなたでもけっこうだというふうに言われます。けれども、やはりそれはそれなりに、土地の事情にも明るいし、ジャングルの中はきわめて複雑、困難な悪環境でございますが、そういうところの生息位置なんというものは、現地の事情を知っておる者はある程度勘でもわかることでございますから、そいう点ではやはり十分今後の問題として配慮すべきじゃないかと思いますが、いかがでございますか。
○河野政府委員 今どういう方策をとるかという具体的な問題にも関連してくるわけでございますが、終戦当時帰ってこられた方の御意見を伺ってみましても、自分たちが行っても、お互いあの当時一緒におったというふうなことを認識し合うことは非常にむずかしいのじゃないか、だれだかわからぬということの方が実際に近いのではないか、肉親が行っても、いざ対面という段階になれば非常に意味があるわけでございますが、ちょっと離れたところで呼びかけても肉親の呼びかけであるということが向うに伝わるというふうに期待することもむずかしいのじゃないかというふうに言われておるわけであります。ことにこの前、二十九年には小塚さんの弟さんと小野田さんの兄さんが行ったわけでございますが、こういった兄弟の顔も、十数年時期がたっておりますと、会ってもむしろわからぬくらいではなかろうかというふうなことも伺っておるわけであります。そういった御意見等も十分参考にいたしまして案を立てて参りたい、かように考えております。
○山口(シ)委員 関連して。たまのことで、関連と申しましたけれども、先ほどの質問に関連してちょっと伺いたいと思います。ただいまそこにきておりますたまは、一月二十七日に水牛二頭がいためつけられたというたまでございましたね。このたまは、水牛を撃つ目的で撃たれたものでしょうか、それとも流れだまでしょうか。
○有田説明員 これは撃つために撃ったと思います。というのは、みけんに当っておりますから……。この二十七日には、きこりが二人おりまして、そのうちの一人がけがをして、もう一人のきこりが助けて町まで連れていきまして、帰ってきたら牛が死んでおった。
○山口(シ)委員 それでは、牛を殺すつもりで撃ったたまなんですね。そうしますと、フィリッピンというところは、水牛を労働力にしておりますから非常に大切にするところですが、水牛を食するのでしょうか。
○有田説明員 湯川大使から伺いましたところでは、食べないそうでございます。
○山口(シ)委員 食べないですね。食べないのに牛を殺すということは、やはり食うということが目的で牛を殺したということになりますね。もし牛をねらうためにこれを撃ったとすれば、流れだまじゃない、そういうことになりはしませんでしょうか。
○有田説明員 それは何とも申し上げられないのじゃないかと思います。
○山口(シ)委員 私は、そういうところをもっと厳密に調査すべきだと思いますね。フィリピンでは確かに水牛は食わないのです。私はそれは聞いて参りました。それからフィリピンというところは、大へん水牛を大事にするのです。水牛が堂々と道路を歩いておりまして、人間の方がよけて歩くくらいです。これは大事な労働力です。でございますから、こういうものを撃つということは何の目的で撃つか。もしこれが流れだまで撃たれたとするならば、私は間違いのたまで、日本の兵隊の撃ったたまじゃないと思います。猟にでも来た人が、流れだまでそれをいためたのだという解釈もできますが、これを撃つ以上は、食うことが目的だろうと私は思います。ところがそのたまが、どうも皆さんのお話では、ジャングルの中ではとてもできないようなたまである。一応町工場らしきものでもなければ、それだけのたまはできないということを考えますと、またそこに矛盾を感ずるのです。そこで私は、そういうことの調査をもっと徹底的にする必要があると思います。ただ、たまが出た、撃たれたということではなく、もっと厳密に調査することによって、彼らが生きているか生きていないかということもはっきり証明し得るじゃないかと思うものですから、私はそのたまについて、特に掘り上げて質問したわけです。それだけのことで、これを参考にして、より以上調査を徹底させていただきたいということを要望する意味で一言申し上げました。
○角屋委員 今山口委員の方から、たまの問題についてさらに深く触れられたわけですけれども、これは向うにおられる二人の方に対して、いろいろな方法で投降を説得するということで、ずいぶん政府としても出先を通じて努力しておられると思いますが、たとえばこういう特別委員会においていろいろ論議されている内容、あるいは過般の本会議において満場一致で決議された状況、その他現地から帰ってきた生き残りの方々の直筆によるいろいな文章、あるいは家族の写真など、やはりあらゆる衆知を働かせて投降説得に努力しなければならぬと思うのですし、またそういうふうにやっておられると、私は思うのですが、このための経費というものは、そう膨大なものじゃないと思う。やはり日本兵であるらしいということで、現地の方々があるいは負傷者を出し、あるいは危険を感じても、あくまでも人道的な立場から救出をはかろうということで協力を願っておることは、私たちも衷心から感謝しなければならぬので、最終結論を得るまでは、あくまでも日本兵だという前提に立って、最善の努力をしなければならぬと思うのです。そういう面から見ると、私は、従来打ってきた手というものについては、必ずしも詳細には知りませんけれども、十分投降の気分にさせるための宣伝啓蒙、そしてまた時期を見て現地に対する関係者の直接派遣、これは先ほど、生き残っておられる方々が会っても顔も知らぬだろうというお話をされましたが、私は必ずしも現地に行くことを避けて言っておられるとは思いません。これはお互い子供の時分の学友でも、あるいは十数年前の自分の部下であった者でも、会うと直ちにわかるということもあるわけで、異常心理の状態にあるということを抜きにすれば、生死をともにしたお互いが会ってわからないという、そんなものじゃないと私は思う。ですから、あくまでも救出するという前提に立った場合には、そして現地に直接派遣する場合には、たとい道案内でもいいから、生き残りの人にも行ってもらおうという努力は最善やってもらいたい。そして、かりに母親その他を連れて行かれる場合は、これはずっとあとの方にして現地に行かれても身の危険のないようにしていただきたい。またそういう肉親の方々を生かす道というものは、あるいは巨大なマイクを通じて、あるいは現地に着かれたときの写真とか、その他いろいろな方法で伝える方法があろうと思います。そういう内親の方々が現地に行かれるというのも一つの方法であろうと思いますし、いずれにいたしましても、結局これは希望になるわけですけれども、今までの状況についてはわかりました。今後も十分に、一つの端緒でもあらゆる角度から分析をいたしまして、確かにそれらしいといわれる二名の救出の問題について、今後とも最善の努力をしてもらいたいと思います。
○田口委員長 辻政信君。
○辻(政)委員 一言お伺いしますが、そのたまは、水牛のみけんから、どのくらいの深さのところにとまっておったか。
○有田説明員 深さについては報告がございません。
○辻(政)委員 そこが非常に不確実な調査と言わざるを得ない。ほんとうに真剣に調査するならば、どこに命中してどの深さのところにそのたまがとまっておったか、それによって火薬の力だとか、使った鉄砲だとかがわかる。たまだけではわかりません。ともするとそのたまが、日本軍の正式のたまではないかというような判断から、当局は、これは日本兵ではない、フィリピンの匪賊かもしれないというので、その救出をおろそかにするというか、熱意が薄らぐというような心配を私は持つのです。絶対にそういうことではいけません。 それから、先ほど山口委員から御質問がありましたように、水牛はフィリピン人は食わない、だからその食わない水牛、大切な水牛を撃ったということになると、私は多分に日本人という感じがする。われわれは戦場で水牛を食ったものです。うまくはないが、食った経験がある。牛を食うのが一番いいが、牛のないときは水牛を食うということは、戦場で苦労した者にはだれでもわかることなのです。そういう意味において、水牛を尊重してこれを食う意思のないフィリピン人が撃つということは考えられない。 そこで問題はそのたまです。たまはどうだったかということですが、これはジャングルの中ではできっこない、これはわかります。だから、おそらく日本軍のたまがなくなって、いわゆる匪賊のフク団あたりが遺棄した小銃とたまを利用して、最後の生きる努力をしておるのではないか、私はこういう判断をするのです。これを救い出す方法は、何回か講じられておるが、飛行機からビラをまく方法、これはだめです。おそらく逆になります。小野田少尉が中野学校で昔それを専門的にやっておったのです。そうなると、これはまたうそをついておびき寄せるのだということが本能的にわかってくる。だからビラとか手紙なんかで本人が出てくるという考え方は、十五年間ジャングルに住んでおった者の心理から見て逆効果だと思う。まけばまくほど奥深くもぐり込んでしまいます。そうではなく、これをほんとうに救出する方法は、特定のごくわずかな者がジャングルの中に入って、大体ひそんでおるところの見当がつきますから、その場所に小屋を作って、連中と同じ生活を約一カ月続ける。そうして最も強力なマイクを備えつけて、お経をあげるように、朝晩連続同じ放送をする。よけい行くと警戒しますから、なるべく一人か二人で、警戒せずにそういうふうな方法をとらなければなりません。それには、幸いにして、大へん出しゃばりでありますが、私は元軍人として責任を感じております。ですから、皆さんが厚生省の方で救出の計画をなさるときには、国会も決議したことであり、委員長においてもよくお含みの上で、国会でその経験を持ち、旧軍人としての責任を感じておる私を一カ月問ジャングルの中に送っていただきたい。汁代議士という名前は小野田少尉は知りません、辻参謀という名前は知っておるはずです。そういう気持でやりませんと、単に肉親が行って、海岸から山に向ってスピーカーで呼びかけるというようなことではとてもだめです。あなた方が行かれてもだめです。何とかしてそれでやってもらいたい。これは委員長にも申し上げております。党の幹部にも申し上げておりますが、まだ許可がない。それにお役に立つならば、私は本望であります。十五年ジャングルにもぐった戦友を救うためには、たといそれで殺されようが、病気で倒れようが、本望だと思う。樺太犬が南極で死んだのでみんな大騒ぎをしているが、十五年間もジャングルの中にもぐっておった同胞に対してのこの民族の熱意、政府の熱意というものが、この樺太犬以下であっては申しわけがない。タロ、ジロ以下だ、こういう感じを受けております。幸いにして、そこにいる吉田君あたりも軍人でジャングルの経験もあるのだし、また美山次長も、ジャングルの経験はないとしても元軍人なんですから、これはわれわれ元軍人であった者の生き残りの責任において解決をしていきたい。その意味を一つよく頭に入れられて、いつでも参りますから、委員長も厚生省も、関係者はどうか真剣になって取り組んでいただきたいと思います。
○河野政府委員 私どもも、今度の直件を起した人が日本兵であるというふうな断定はいたしておりません。そうでないという可能性もあり得るというふうに考えておりますが、だからといって、この救出工作に手かげんをするというような気持は毛頭ございません。ただ、日本兵ではないという可能性もあるということになりますれば、やり方については若干その点を考慮に入れて、慎重に案を作っていかなければならない思います。日本兵でないかもしれないということで手かげんをするというような気持は、毛頭持っておりませんことをお答え申し上げておきます。
○辻(政)委員 四月の中旬から雨季に入りますが、厚生省として考えておる救出隊の派遣時期はいつでしょうか。
○田口委員長 辻さん、その問題はあとで説明を聞いてからお願いいたします。——大貫大八君。
○大貫委員 二点ばかりお聞きしておきたいのでありますが、たまは、現地の警察隊の見解というようなものはついていないのですか。先ほどの説明ではこちら側だけの推定のようですが、要するに、現地のフィリピン側の警察隊の、たまについての見解説明はついていないのですか。
○有田説明員 まだ見解はきておりませんが、もう一発のたまは先方の警察隊が持っておりまして、先方でそれを調べておりますので、その結果によってわかるじゃないかと思います。
○大貫委員 もう一発のたまは、人間を撃ったたまですか。
○有田説明員 やはり水牛であります。
○大貫委員 その人間を撃ったたまは、手に入っているような説明をこの前受けたような気がするのですが、そうじゃなかったでしょうか。そうだとすれば、そのたまとそれはどう違いがあるか。そういうような情報が入っておりますか。
○有田説明員 この前はマニラの近くの病院に入りましたきこりの負傷者のたま、これが入手できるのじゃないかと思っておりましたが、これは私の非常な知識不足で、貫通銃創なんです。盲管銃創と貫通銃創の区別があまりつきませんものですから、入手できると思ったのですが、貫通銃創の関係で入手できませんでした。
○大貫委員 そうすると、たまについてはあまり正確なものが入っていないようですが、これは再々各委員からも要望があったのですが、これだけのことで日本兵でないという否定的な結論を出すことは、非常に早計だと思うのです。もう十四年も十五年ももぐっておるのですから、その間には三八式のあのもとの銃なんか捨ててしまって、新たな銃を手に入れたかもしれない、そういうことも想像つくと思うのです。たとえば、これはかつて満州でちょうど終戦のときに、中共軍、当時八路軍といいましたが、八路軍が入ってきましたときには、まあよくもこんなに各国の銃を集めたと思うくらい、いろいろな銃を持っていたのですよ。日本の三八式をかついでいるかと思うと、アメリカの銃も持っている、あるいは国民党の銃も持っているというような工合で、もういろいろな変った銃をかついでおる。だから日本のもとの軍隊の常識で、これは三八式のたまではないから日本兵じゃないというふうな断定を下すことは、私は非常な早計だと思うのです。その辺は、幸いそういうふうなたまが出てきたのですから、調べるのにも非常に調べよくなってきていると思うのです。現地のフィリピンの警察隊は、現地は現地なりに、これはどうなんだということが一つの勘でわかるのじゃないかと思うのです。そういう点はもう少し調査を正確にしていただいた方がいいのじゃないか、こう思います。
○田口委員長 細田義安君。
○細田委員 いろいろ御熱心な討議がされたのですが、実は小塚さんを指導いたしました昔の軍事教練の青年指導員というのが私の親戚でありまして、これが嘆いているのには、十年たっても、十五年たっても降参をしないというふうに仕込んだような責任を感じておるということで、これらの連中が中心になりまして、八王子ではこの救援会を組織しておるわけであります。私どもは、この人たちをどうするかということについては先ほど来熱心なお話がありましたが、さらに一段の工夫と努力をもって確認を願いたい、また確認した場合においての救出の方法についても、さらに御努力願いたいと思うのであります。この家族たちが非常に心配をいたしまして、またその親友たちもグループを作りまして、救援会等を作っております。これらにつきまして、政府が非常に御熱心にあらゆる手を尽してあたたかい手を差し伸べておる、かように存じまして私どもは感謝をしておるのでありますが、これらの状況をこれらの家族なり周辺の人たちに、厚生省といたしましては何らか御連絡を賜わって、こんな状況である、なお一そうやっておるとか、安心をしろとかいうふうなことについては、何か御処置をとっておりますかどうですか。
○河野政府委員 今回の事件につきまして御心配されている向きは、非常にあちこちにあるわけであります。その人たちにもお会いいたしまして、いろいろお考え方も伺っておりますし、また、こちらの考えておることも、そういう機会にいろいろお話を申し上げておるわけであります。まだはっきりした結論を得ておりませんので、こういたしますということをまだはっきり申し上げておりませんが、大体の考え方も整理されて参りましたので、近く結論を得て、来月には少くとも派遣団を出すようにいたしたい、こういうふうに考えております。
○細田委員 一つそれでよろしくお願いしたいと思います。
○山口(シ)委員 もう一点、私お伺いしたいんですけれど、先ほど、牛がみけんを撃たれたということでございましたね。参考人の赤津さんでしたでしょうか、あの方がジャングル生活をしている間に、幾度かやはり牛だとか馬だとかをいためたという話の中で、だんだんたまも乏しくなるので、できるだけむだだまを撃たないようにしようということを相談した、それで牛や馬を撃つときには、あのときの証言では、何か必ず足を撃つというように記憶に残っておるのですが、足よりもみけんを撃った方が確実なんですか。だんだんみけんを撃つように研究したのだろうとは思いますけれども、赤津さんが一緒にいた時分の彼らの行動など、そういうときに、たまが少くなったから、どこに的中させてうまく牛、馬を手に入れようとか、いろいろその当時の話し合いもあったと思うのですが、そういうことも多分に調査の参考になるのじゃないかと思うのです。みけんを撃つことも相談し合ったかもしれない。私は、これはまことに何か末梢的なことのようにお感じになるだろうとは思いますけれども、やはり調査というものはもっと厳密にやることが必要なんで、こうしてお話を聞いておりましても、たまのこと一つ伺っても、何かずさんな感じがいたします。そこでやはり人間二人のことでございますから、もっと徹底した調査をして、もっとわかりやすくわれわれに報告していただきたいということを、重ねて要望いたしておく次第です。
○田口委員長 次に、前会に引き続き、厚生省において計画されております現地調査方針等について御説明を承わりたいと思います。厚生省引揚援護局長河野鎭雄君。
○河野政府委員 先般、衆議院の本会議におきまして早期帰還を期する旨の決議がなされたわけでございますが、その前から私どもも何とか措置をいたしたいというふうに考えて、いろいろ研究をいたしておったわけであります。当面の措置といたしましては、外務省にお願いをいたしまして、現地の大使館を通じまして連絡箱の設置あるいは手紙等の散布というふうなことをいたして参っておるのでございます。すでに二月に二回現地に行っていただきまして、そのような措置をとっていただいております。また今回の事件のありました今月の十三日、その前日から現地に行って、同様の工作をお願いいたしておるわけであります。また今月下旬にも、そういう計画をしていただくというふうなことをお願いいたしておるわけであります。それと同時に、私どもの方でも、いろいろ手紙等を集めて現地にお届けしまして、ただいま申し上げました工作の用に供していただいておるわけであります。また、先ほども御質問がございましたが、二十年、二十一年当時帰って見えました方にも御足労をわずらわしまして、いろいろ当時の事情を聞き、また御意見等も拝聴いたしまして、今後の対策の資料にいたしたい、こういうふうな準備をいたしておるわけであります。また、先ほど外務省からもお話がございましたが、湯川大使がちょうど上京中でございますので、湯川さんにもお会いいたしまして、いろいろ事情なり、お考え方なりを伺っておるわけでございます。 当初の私どもの考え方といたしましては、救出工作と一口に言いましても、遭遇するというふうなことは非常にむずかしいのではないだろうか、かりに生きておるとしても、そう短期間のうちに向うが考え方を変えて出てくるというふうなことは、なかなかしにくいのではないだろうか、また今までの資料から判断いたしますと、あるいは生存の可能性というものがそれほど大きくはないのではないだろうかというふうな考え方もいたしておったのございます。そういったような判断に立ちまして、生きておるとするならば、遭遇しないまでも、山の中を歩き回ったら何か痕跡にぶつかるというふうなことも考えられますので、そういったようなことを一つの主眼にいたしまして、山の中に入るということになりますと、そう少数の者ではいかがかと考えられますので、ある程度まとまった、少くとも数人程度の——数人と申しますのは六、七人程度を考えておったわけでありますが、その程度の人たちを現地に送りまして、痕跡調査と申しますか、そういうふうな角度から調査をしてみたらどうだろうかというふうなことで案を練っておったのであります。ところが最近になりまして、先ほど外務省から御説明がございましたように、十三日に事件が起りました。六発狙撃をされたというような事件が起った。先ほども申し上げましたが、今までいろいろうわさ等は聞いておったのでございますが、確認し得ないようなうわさが多かったので、先ほど申し上げましたような判断を一応はしてきたのであります。今度の事件によりまして、これが日本兵だとまだ断定はできないと思いますけれども、島民でない者が密林の中に入り込んでおるというふうなことを、どうしても考えざるを得ないのではないかというふうな考え方に変って参ったのであります。こういった想定のもとに案を練り直す必要がある。また、一月二十七、八日の事件に関連して、当時のたまが送られるというようなことも聞いておりましたので、そのたまの届くのを実は待っておった。けさいただきまして、先ほど御報告申し上げましたような一応の鑑定の結果も出ておる。 そこで考えられますことは、もしも日本兵でないとすれば、派遣団を派遣いたしますと、相当これは危険を覚悟しなければならぬ。また日本兵であるといたしましても、長年密林の中にがんばっておったというふうなことから考えましても、そう簡単に、日本人が行ったから会うというふうな気持にも、すぐはならぬのではないかというふうなことを考えまして、この際一挙に肉親等を含めた相当まとまった人をやるということはいかがか、その前の準備工作がぜひ必要ではなかろうかというふうに実は考えておるわけであります。しかもその準備工作も、あまりに短期間では意味がないのではないだろうかというふうにも考えております。まだ結論を得たわけではございませんが、ただいま考えておりますのは、当面二人くらいの人に、これは状況によって期間を伸縮しなければならぬと思いますが、さしあたり三カ月くらいの見当でもって現地に行っていただいて、いきなり中に入り込むということは相当危険もございますし、無理も伴うと思いますので、そこまでいかないでも、空中、地上両方合せてできるだけのことを第一の準備工作としてやってもらう、その後に、肉親等を含めた派遣団を出すというふうなことに考えてみたらいかがかというふうな考え方をいたしておるわけでございます。三カ月と申しましても、先ほど申し上げましたように、反応があればこれは短縮することも、ぜひしなければならぬことでございます。その辺は一応やってみて、その状況に応じて次の段階の時期なり、やり方なりを考えたいというふうにいたしたらいかがか、かように考えておる次第でございます。 それからまた、先ほど辻委員から雨季の問題の御質問がございました。これにつきましては、いろいろの意見がございまして、雨季は避けた方がいいのじゃないかという常識的な意見も非常に多うございますし、また、ことに終戦当時帰ってきた人たちの意見を聞いてみますと、むしろ日本兵がいるならば雨季の方がいいのだ、あまり向うが移動しないときの方が、呼びかけ等は効果があるのではないだろうかというふうな御意見がございました。また、実際問題といたしまして、二十九年に救出班を出しました際、これは五月、六月で、実は雨季と称せられる時期でございますが、そのときは別に、雨のために支障があったというふうなことも聞いておりません。また、伺うところによりますと、この方面の雨季といいますのは、日本のさみだれのように四六時中しとしと降るというのではなしに、ある一定の時間すごいスコールがくる、あとは大したことがないというふうなことも伺っておりますので、雨季がいいかどうかということは別といたしまして、雨季だから絶対にできないという筋合いのものではなさそうに判断をいたしております。その辺も、第一期工作の進渉状況に応じて、雨の問題もあわせて次の手を考えていくというふうにいたしたらどうか、かように考えております。
○田口委員長 ただいまの説明に対し、質疑があればこれを許します。辻委員。
○辻(政)委員 今の御計画を承わりまして感じます点は、ジャングルの中に入っていく人間であります。これはそこに十五年、もぐっておった人の本能的な心理を考えなければならぬ。本能的な心理は、それこそ動物の足音にもびくっとする。そこへたくさんの人間が入っていったら、これは絶対に出てきません。むしろ逆に追い込んでしまう。今かりに二人残っておるならば、できたならば一人がよろしい、最大限二人です。二人以上の者が入ってきますと、必ず警戒します。そして、あなたは三カ月とおっしゃったが、この三カ月は部落におったのではだめだ。その三カ月の大部分というものをジャングルの中に入って、彼らと同じように小屋がけをして、同じ生活状態で、そうして毎日々々根気強く、強力な拡声機で呼びかけるという方法しかないと思います。そうなってきますと、これはジャングルの経験ある者ということが必要になる。普通の者があのジャングルにおったら、入った者自体が病気になってしまいます。非常な気候といいますか、体に悪いところですから、ことに雨季になりますと……。ですから人選をよく注意をされて、そうして私は、最大限二人だと思います。そこの小屋がけをするときには相当の労力が要りますから、食糧運搬とか、これだけは二、三人のクーリーを連れて行ってもいいが、とにかく山にこもって探すのは、絶対二人以上ではだめだということが一つ。 それから、雨季の問題について御説明がありましたが、なるほど雨季というのは、梅雨と違ってひどいスコールがくる。問題は雨季のときの病気であります。雨季というのは、非常に湿度が多いからして健康に害があるのだ。捜索にはあまり問題がありません。あるアメリカ人か何かの通信を読んでみると、ほら穴の中に二人の兵の遺骨があったという情報も入っております。これなんかも、もし死んでおるとすれば簡単だろう。ジャングルの中で一カ月間歩き回れば、何かにぶつかる。今までの失敗は、マイクロホンで叫んで、それから大勢の者が行って、むしろ逆に奥の方へ追い込んでしまった。これが最後だとすれば、そういうジャングルへ一人か三人、武装せず、フィリッピン人を連れないで入れて、そうして強力なマイクで一カ月間連続呼びかける、それ以外にないと思いますから、どうかその辺は考慮に入れて、ほんとうにジャングルの性格とひそんでおる人の心理状態をお考えになって、こわばった心理をどうしてほごすか、こういうところが救出のコッだろうと思います。お抜かりはなかろうと思いますが、そうして一日も早く出すということであります。おくれてはいけません。一日も早く、今言ったようなことを計画に入れてお作り下さるように希望しておきます。
○茜ケ久保委員 私は辻君の話に異存はございません。しかしやはり疑問があります。と申しますのは、三月十三日の発砲事件はどうも日本人とは思えない。辻君の言うように、相手が非常に敏感であれば、大部隊が行ったときに自分からは絶対に撃つわけはありません。従って三月十三日の発砲は日本人でないことは私は断定できると思う。そうなりますと、私は問題がだいぶ変ってくると思う。もちろん、日本人以外にたまを撃ったり、銃を持っている者がないという断定ができれば、今辻君の言うことに大賛成ですが、まだやはり、日本人が単身あるいは二人でジャングルに飛び込んでいくということは、私は非常に危険だと思う。そういうことも急がなければならぬけれども、まず一番急がなければならぬこ一とは、三月十三日にたまを撃った者の実体を至急つかまなければいけない、これをつかむことなしに行くことは、私は賛成できない。当委員会において問題にしてやることになれば、なおさら問題です。国会の本会議の議決は非常に大事であるし、私も大賛成であったのでありますけれども、それは日本人二人が生きている、この生きている日本人二人を救出するための決議である。その方法については、よほど慎重にして参りませんと、特に三月十三日円の事件があった際だから私は問題だとど思う。そこで、一日も早く救出しなければならぬけれども、救出するためにまたあたらほかの人の生命を失っては問題であります。そこで一つそうらいった救出隊を出すと同時に、外務省は十三日の事件の実体を何とか早く調べてもらいたい。でなければ、私は軽軽には行けぬと思う。これに対して、先ほどから言っているように、現地の大使館としては十二分な調査をしているというお考えであろうけれども、たとえば、先ほど申された調査等も相当困難を冒してやってもらってはいるのですが、たまを撃ったことがありながらたまを撃った実体がつかめないのです。しかも二百ヤードというのですから約二百メーターですね、そうしますと、ジャングルで二百メーター程度ならば——私はジャングルは知りませんが、撃つのですから、おそらく全然見えないところは撃たないと思う。やはりこちらの捜索隊が来たことを確認した上で発砲しているのでしょうから、そうしますと、ある程度視界がきくはずです。そうすると、撃たれたとき、何らかの方法で撃った者の実体を確認するという努力が私は足らぬと思う。従ってそれが大使館でできなければ、今の二人を出すということ、これは二人でなくてもっと人数が多くてもよ士い、小野田少尉以下の者を探すということのほかに、発砲した者の実体をつかむことが大事ですから、それを確かめなければならぬ。それには辻君でもよいでしょう元軍人でもけっこうです。かなりジャングルの事情がわかり、しかも相当敵の所在を感じながら、自分の身を守りながら相手を探す、元軍人にはそういう適任者はかなりいます。そういった諸君を、ある程度の人数出して、まずそれを確認するという努力をしなければいかぬと思う。これが第一点。その確認によって、私は次には的確な救出隊が必要だと思う。もし二人をはっきり確認できるならば、その次には、いきなり肉親なりそういう人が行ってもよいと思う。従ってこれは、この前の委員会のときと情勢が変わっていると思う。この前の委員会のときには、今言ったような事情はなかった。従って私どもは、発砲した者が日本人ではないとしても、日本人が生きているという前提によって、日本人だけを探すということでいけるということを想定した。ところが三月十三日の事件を見ますと、これは容易ならぬ事態である。しかもかなり人数もいると私は思う。しかも武器を持っている。十三日のたまを見ても、二人残っている者が、十五年間に町へ出なければ銃を手に入れるはずはありません。絶対その可能性はありません。今辻君の言うように、足音にびくつくような人たちには、とても新しい銃や弾薬を仕入れることはできません。これは私は断定してもよいと思う。そうなりますと、やはりどうしても最近の発砲事件は元日本人二人であるとは言えない。このことは、二人が死んでいるということではございません。先ほど言ったように生きていることを願い、生きているという前提を持ちますけれども、そうしますと、やはり私は、繰り返しますが、まず三月十三日の発砲事件の実体を握ることが一番大事だと思う。これに対して、まず政府は一つしっかりした調査団を派遣して、実体を握ったあとでも私は決しておそくないと思うこれを私は進言する。一つ当局は、私の今言ったことに対してどういう見解をとられるか、要望と同時に一つ質問したいと思います。
○河野政府委員 ただいまの質問、私どもも非常に同じ気持を持っておる部分が多いわけでございます。ただこの間の十三日の事件の正体をつかむ、こういうことはなかなか簡単にはいかないことだと思うのです。ことに、外部からこれをつかんでいくという方法は非常に手段が限られているのではないか、せいぜいこのたまの出どころでもわかればよいのでございますが、そういうことも、そう簡単にはいかぬのではないかと思います。私ども第一の準備工作として、二人程度の者を出すというふうなことを考えておりますのは、もしも日本兵なら何か反応を示すようなことが考えられないかどうか、ことに日本語で話しかければほかの人にわからない、たとえば手紙を拾ったらしいというふうなことでもあれば、日本兵だろうというふうに考えられる公算が出てくる、そういうふうな反応によって、逆にこの間の事件の正体もある程度つかめてくるというふうなことにもなるのではなかろうか。いきたり二人の人が行って、すぐ山の中に飛び込んでしまうというふうなことは非常に危険も多いと思いますし、策としてどうであろうか。最初は周辺から、逐次中へ入るというふうな考え方をしていく方が実際的ではなかろうか。この間の事件につきましても、翌日も捜査をしておるようでございますし、当時も何とか正体をつかみたいという努力はしたようでありますが、何分にも夕方のことで、密林の中に飛び込んでしまって何もつかめないというふうなことでございますので、それ以上これを追及するということは、やはり密林の中に働きかける以外には適切な方法がないのではないかと思います。結局日本人を探すということと、かりに日本人以外の者であるといたしましても、それを確かめるやり方については若干の相違があるかと思いますけれども、やはり現地に行って何かの反応をつかんでくるというふうな方法以外には、あまり的確な方法というものは考えられぬのではないだろうかというふうな判断をいたしておるわけであります。
○茜ケ久保委員 それはわかるんですが、私が言っておるのは、日本人だけを探すということであれば、ほかに何もなければそれでよいのですよ。だけれども、どうも私はそうは思えない、日本人以外にかなりの者がいるということ、それをつかまなければ日本人の実体もわかってこない。そうなりますと、いわゆる二人とか五人とかということですが、人数の問題になってくるし、行く人の人選がおのずから出てくると思うのです。幸い辻君あたりが自分でも希望しておられるのですが、私は辻君なんか適任だと思う。辻参謀を中心に昔の猛者を幾人かつける。これは私は辻君を推薦します。もし辻君が行ってくれるなら、辻君に配するに、昔彼と生死を共にしたがかての優秀な——今優秀かどうか知らぬが、かつての優秀な諸君をつけていくことはよいと思うんですよ。これは私はむしろ期待を持っています。今のあなた方の計画は、二人が生きているという前提と、二人の元日本兵以外には危害を与える者がないということが前提だと思うんですよ。そこに問題がある。私は、元日本兵以外に、危害を与える者があるという前提を持っている。そう想定せられる。そうしますと、そこでやはり捜査の方法が変わってくるんですよ。従って私が言っているのは、二人という人間にも問題があるし、その人間の人選にも問題がある。と同時に、フィリピンの警察隊や何かと一緒にいらっしゃると思うが、フィリピンの警察隊なんか本気で探しません。絶対におつき合いですよ。従って中に入りません。たまがくれば逃げ出す。これは何回やっても同じことです。従って行く場合には白言分たちの身の危険も顧みないくらいの気持でなければ探せないのです。私が言っているのはそこです。先ほど指摘したように、二人を探すために三人が死んではいかぬけれども、しかし十五年間、かつての日本の誤まった思想によって犠牲になっている諸君を救い出すためには、私はある程度の危険も仕方がないと思う。もちろん死んではいかぬけれども、けがくらいしてもいとわぬというくらいの気持でなければ、絶対に探せません。そのくらいの気持を持っているかどうか。そこで今おっしゃるように、その二人が第三者に危害を加える場合があるという前提に立てばおのずから方法も出てきますから、きょうここでこういたしますという答弁は要求しません。そのくらいのことを、さらにもう一ぺん検討してもらいたいということを一つお願いしておきます。 と同時に、この間私が外務省に対して要望した点がある。それは小野田元少尉は中野学校出身で情報将校だ。従って、たとい肉親が行って幸いにして肉親と会い得ても、それでお前は無事に帰れると言っても、絶対出てこないと思う。出てきたら、必ずマニラに引っぱられて裁判にかけられて、極刑に処せられるという心配を持つから。そこでフィリピンに対して要請してもらいたい。それは形式的な裁判も必要だろうし、何らかの形を作ることは必要だけれども、絶対に生命に別条を与えないで日本に帰すという取りつけをしなければ、しかもそのはっきりしたものがなければ、会い得ても帰ってこないという心配を持っておる。それに対して外務省は早急にフィリピン政府に何らかの折衝をしてもらいたいということを私は言ったのですが、この折衝をなさったかどうか、なさったらそれに対するフィリピン政府筋の態度はどうか、この点を一つお伺いしたい。
○有田説明員 この前の御意見によりまして、湯川氏の方にはさっそくその旨を、電報を打っておきました。それに対しまして、湯川氏の御意見でございますが、これを直接に要求いたしまして、もし向うがノーと言った場合にはどうするかという懸念を持っておられるわけです。それよりも、むしろ対策といたしましては、軍関係及び政府首脳関係、それから現地に出張して原住民に対する工作ということで、自然な雰囲気といいますか、日本に対する同情の気持を盛り立てていくことの方が重要ではなかろうか。たとえば仮定でございますが、戦時中にアメリカの飛行士が信州の山の中に落ちた。それが危害を加えておる。そのときに、日本政府に対して、彼らが出てきた場合には無事釈放してくれというようなことが起った場合に、政府としてはイエスと申しましても、それが法律的な拘束力を持つのかどうかということ、政府の発言が裁判所を拘束するものかどうかというような法律問題もあるということで、この法律問題については目下検討しておるわけでございますが、要するに、今のところでは、むしろ上層部及び原住民に対していい雰囲気を作っていくことの方が重要ではないか。ギャランティをとるとしてもノーと答えられた場合には、かえって逆影響があるのではなかろうかという心配を持っておられます。
○茜ケ久保委員 私が言っているのは、何も形式を言うのじゃないんですよ。問題は実質なんです。従って、何も大きな判こをついてもらう必要はない。しかし、少くとも迎えに行って幸いにして会えても、そのときに、お前は出てきても無事に日本に帰ることはできないというのでは意味がないんです。兄なり弟なりが行って、お前はほんとうに今まで間違いもしてきたけれども、幸いフィリピンでも同情してぐれて帰れるのだと言うことができればいいのであります。その点形式的なことはいらぬから、せっかく大使が帰っておられればこの委員会の状態なども細詳報告して、ぜひそういうことを処理するようにお願いしておきます。
○辻(政)委員 ちょっと今の茜ケ久保委員の非常にいい質問に関連しまして、実は私は、今から四年ほど前、第一回のルバングの事件があったときにマグサイサイ前大統領に手紙を出して、ぜひ救出に行きたいからと申しましたら、マグサイサイ大統領から親書がきまして、ルバング島にたくさんの日本兵がおるということは言えない、おるとしてもきわめて少い、それにわざわざ来てくれるまでもない、自分の方で万全を尽すという、マグサイサイ前大統領のサインした返事が私のところにあります。これは外務省の皆さんが、現在のフィリピン当局と交渉なまる一つの資料として、いつかお渡しいたします。ただ外務省にお願いすることは、いわゆる外交関係、国と国との関係を現場で調整されて、幸いにして救出できたら絶対に殺さぬということを確約させること。厚生省の方は、いわゆる肉身の者とか戦友——これを救うのは肉身愛、戦友愛しかない。お役人なんかが行ってもとてもできるものではないから、それを一つ探してもらいたい。中野学校の同級生とか、元の部隊長であるとか、これを厚生省にお願いして、ほんとうに山の中に入って行くのは肉身か戦友以外にない。計画を立てるときにはそういうつもりで、それぞれの分担がございますから、申すまでもないと思いますが、手抜かりないようにして、一日も早く出発して、ちょっとおくれたために死んだということにならないように、時期を決してお延ばしにならぬように特にお願いしておきます。
○角屋委員 本会議の時間もきたようですから、簡単に申し上げます。先ほど来辻委員からも御意見が出ておりましたが、やはり短期に見通しをつけるためには、一つの行動隊が何名になるかということとか、いろいろあろうけれども、ジャングルは通路以外のところは通れないということもありますから、現地の事情を精査すれば、大体奥地に行くにはこの径路、この径路といろいろあるわけですが、少くとも数個の調査班を作らなければならぬ。お互いに無線連絡、その他十分科学力を生かしてやらなければならぬと思う。派遣団を本格的にやる場合の数というものは、やはり少数精鋭と申しましても、五個班なら五個班なり、現地にふさわしい配置をして、そうして双方に摩擦、問題を起さないような、十分な綿密な計画のもとに短期のうちに救出をはかる、こういうことでなければならぬと思いますので、先ほどは一個班の人数で言われたと思いますけれども、全体としての捜査計画、救出計画というものは、綿密に現地の実情とにらみ合せて、本格的にやられることを希望しておきます。
○田口委員長 なお、この際御報告申し上げます。 去る二月の二十八日、朝日新聞文化事業団に名古屋市の一看護学生より、ルバング島の元日本兵の救出のために役立ててほしいとの文書を添えて三百円の寄託があり、同事業団より委員長に転送して参りましたので、厚生省に依頼し、しかるべく使用してもらうことにいたしました。 右、御報告申し上げます。
○茜ケ久保委員 私、先ほどちょっと指摘したのですが、この委員会へ最近厚生大臣も、外務大臣も出ていないのです。きょうベトナムから引揚者が数人帰ってきたはずです。この実情等も私は聞く必要があると思う。従いまして、来週でも委員会を開いていただきまして、外務大臣と厚生大臣に時間をさいてぜひ出てもらって、この問題をもっと真剣にやっていただきたいことを要望いたしますから、委員長においてしかるべく取り計らわれるようお願いいたします。
○田口委員長 きょうは参議員の予算分科会がありまして、各大臣支障を来たしておりましたが、来たるべき機会に、御趣旨に沿うような処置をいたしたいと思います。 次会は公報をもって御通知申し上げることとし、本日は、これをもって散会いたします。 午後三時三十二分散会