文教委員会公聴会 第1号
- 発言数
- 122 件
- 登壇者
- 16 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1958/10/29
会議録
○坂田委員長 これより会議を開きます。 これより学校教育法等の一部を改正する法律案及び学校教育法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案について、文教委員会公聴会を開会いたします。 御承知のごとく、両法案は、新たに専科大学の制度を設け、短期大学の認可は昭和三十四年四月一日以降は行わないこととするとともに、技能教育施設における学習を高等学校の定時制または通信教育の課程の教科の一部の履習と見なすことができる道を開き、その他特殊教育に関する規定を整備する等、わが国の教育制度の上に重要な意義を持つ法律案でございます。本委員会におきましては、慎重に審査いたしているのでございますが、その重要性にかんがみ、広く各界の意見も聴取し、委員会審査の万全を期すため、本日ここに公聴会を開会いたすことになりました次第でございます。 まず本日の議事の進め方について申し上げます。まず公述の順序は山本公述人、関口公述人、児玉公述人、松本公述人の順でございますが、初めに山本公述人及び関口公述人の御意見の開陳及びこれに対する質疑を行い、その後児玉公述人及び松本公述人の御意見の開陳をいただき、両公述人に対する質疑に入ることといたします。 なお公述の際は、お手元に配付の注意書に従って御発言いただきたいと存じます。 それではこれより公述人の公述に入ります。 山本公述人には、御多用中にもかかわりませず、貴重な時間を割いて御出席をいただき、厚く御礼を申し上げます。何とぞ両法案につきましてあらゆる角度から忌憚のない御意見を御開陳下さいますようお願いいたします。山本公述人。
○山本公述人 慶応大学の山本敏夫でございます。 専科大学の制度を新設いたしますことは、六・三・三・四の体系に非常に重大な関係を持つものでありますから、全体の学校体系につきまして、この基本的な考え方、方針をまずはっきり当局が打ち出して、そして慎重に扱うべきものであると思います。またこの科学技術教育を振興するためには、単なる技能者養成的な考え方でなく、小中学校からの算数、理科教育の充実などをはかるべきでありまして、そのためにまず義務教育諸学校の設備の拡充、定員の改善等を急速に実現する必要があり、また高等学校の段階におきましては、義務教育に準ずる段階といたしまして、まずこの機会の均等を拡充することに格段の努力が望ましいのであります。 この高等学校教育を含む広い意味での中等教育の段階で、あまり質の違いました課程を持ち込むということには問題があると思うのであります。最近中学校の三年までも事実上コース制に導くような措置がとられておりますけれども、学校体系についての考え方に非常に不明確なものが現われておりまして、また高等学校の学習指導要領の改訂などが行われようといたしておりまして、大きな教育内容の変化があるのではないかと、教育関係者が種々憂えておりまするこの時期に当りまして、早急に専科大学を設けることには問題があると思うのであります。 それから次に、子供の身になって考えてみましたときに、中学校卒業の十五才の段階で五年または六年の技術者養成コースにすぐ入るということが、その子供本人にとって適しているかどうかということの見きわめはなかなか困難であると思われるのであります。私ども教育学者の間で討議いたしました意見で、共通的に出ておりまする点は、中学校の上学年から高等学校の年令の段階では、生徒の能力、興味というようなものは変化に富んでおって、職業的志望の変更ということもいろいろあり得ることであり、中学校修了段階で、将来テクニシャンたるべきことを決定し得る学問的根拠というものがないのではないか、さように考えられておるのであります。 第三は、この法案によりますると、専科大学の目的は抽象的に掲げられて書かれておりまして、これのみではこまかな性格がわかりませんが、もしも単なる技能者養成に傾くというようなことになりますと、それは科学技術教育のあり方といたしましても問題があると思いますし、またそうなりますと、カリキュラムの構成の点からいいましても、生徒が将来ほかの種類の学校に移る、いわゆるトランスファーにも重大な支障を来たすのではないかと思うのであります。普通課程卒業者で、もし短期のコースを志願するというような場合が出ました場合においては、そういう種類の専科大学には入れない。やはりその点からも短期大学の門戸をあけておく必要があるのではないか、さように思われるのであります。要するに専大制度によりましてトランスファーの自由を妨げ、袋小路に追い込むおそれがあるのであります。 その次に、専科大学制度は高等学校教育のあり方にも非常に重大な影響を与えるものでありますが、大学の教育、研究につきましてもきわめて重大な関連があるのであります。改正条文の七十条の三によりますと、「専科大学の学校に関する事項は、前条の規定に従い、監督庁が、これを定める。」とありますが、これはわれわれ教育学者がはなはだ憂慮をいたしておるところの条文でありまして、御承知のように最近小中学校の教育課程の大改訂が行われまして、各教科のみならず、道徳、特別教育活動、学校行事等についてまでも教育課程の領域としてこれを定め、その内容についてまでも監督庁が指導要領によって定めまして、それは最低限のものでもあるし、またそれをあまり上回ってはならないというきめ方をいたしておるのであります。 このような措置に出ましたところの法的根拠は何であるかと申せば、当局の説明によって明らかなるごとく、学校教育法二十条の「小学校の教科に関する事項は、」「監督庁が、これを定める。」とある。これによってあれだけのまことに驚くべき教育内容の改変を企てておるのであります。この専科大学の学科に関する事項は、監督庁が、これを定めるという言い方と、ただ教科と学科との違いでありまして、万が一かかる条文が法律となりましたる以上におきましては、専科大学の学科内容につきまして監督庁が勝手にこれを定めることができるのであります。法律案の要綱の三ページ、一の(12)によりますると、「専科大学の設備、編成、教員の資格、」そのあとに「教育課程等については、別に監督庁がこれを定めるものとすること。」とありまして、この学科ということは、ここにおいても教育課程を意味することを法律案要綱において当局は明らかにいたしております。 ところでこのようなことはいろんな矛盾を来たすのでありますが、たとえば改正条文の七十条の十におきまして、学校教育法の五十九条の規定は専科大学にこれを準用することとし、従って「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。」ということが専科大学にも準用されるのでありますけれども、学科課程、教育課程こそこの教授会等において審議すべき最も重要なる事項であります。しかるにそのような教育の内容に関する大学の自治が、この条文によって侵されるおそれがあるのであります。またこの専科大学の目的には、七十条の二で、「専科大学は、深く専門の学芸を教授研究し、」とありますが、これは現行の学校教育法第五十二条におきまする「大学は、」から始まりまして「深く専門の学芸を教授研究し、」と全く同じ言葉を使っておるのであります。また、専科大学専攻科につきましても、大学の専攻科と同じく、「精深な程度において、特別の事項を教授し、その研究を指導することを目的とし」とありまするが、このような精深研究をし、または教授をするという場合におきまして、研究の自由ということが重んじらるべきことは当然でありまして、この大学における教育課程、学科課程は、学問の研究と密接不可分の関係を持つことは申すまでもないことであります。従いまして、この大学と同じ目的を掲げまして、同じ文章で、「深く専門の学芸を教授研究」するとあるその専科大学、その学科に関する事項、しかも、その学科に関する事項ということはすでに教科に関する事項という拡大解釈によりまして、拡大のおそれは十分にあるのでありまするが、これを監督庁が定めるということは、大学関係者といたしまして、あくまでも承服しがたいことであると申さざるを得ないのであります。ことに、最近の中教審の教員養成大学につきましての答申におきましても、この教員養成大学の教育内容には特殊のアイデアを持ち込むところの傾向が見られております。そのような時期に当りまして、この七十条の三のごとき規定を設けますることは、すこぶる危険でありまするし、また、過般文部省令で定められました大学設置基準にもいろいろの行き過ぎがあることは、われわれ大学関係者の間において憂えられておるのでありまして、この専科大学に関するところのただいまの学科に関する規定等が一つのこの大学教育、大学の研究の自由というものを侵食するところの足場になるのではないかという点、この点につきましては、われわれ大学関係者ははなはだしく憂慮いたしておる点でございます。 大体以上のような点から、この法改正につきましては反対をいたします。
○西村(力)委員 議事進行について。これは国会のいつもの例なんですが、公聴会となると議員の出席が非常に悪い。社会党は現在八名来ておりますけれども、自民党は三分の二の勢力を誇るのですから、その倍は来ていなければならぬ。いつもそういう工合にサボっておる。委員長は、お忙しいところ御苦労さまと公述人にあいさつを申し上げておりますが、御苦労さまというのは、みんなよく聞くということなんです。こういうものが伴わなければ御苦労さまと言ったかいがない。そして十分に聞いて、私たちの審議の参考にするというのが道であるし、礼である、こう思うのです。この点について、委員長は十分に速急に手配願わなければならぬ、こう思います。
○坂田委員長 西村委員のお話、まことにもっともなことだと思いますので、委員長の方でさっそく出席させるように手配をいたします。 次に、関口公述人の公述でございますが、関口公述人には貴重な時間をさいて、遠路わざわざ御出席をいただき、厚く御礼を申し上げます。何とぞ両法案につきまして、元中央教育審議会の専門委員であり、現在山形大学学部長兼山形大学工業短期大学部学長であられる立場などから、忌憚のない御意見の御開陳を下さいますようお願いいたします。関口公述人。
○関口公述人 私は国立の短期大学を扱っております。教育の理論家でも何でもございません。実際に扱っておりまする短期大学の関係者の立場といたしまして、実際的なことを申し上げたいと思います。 この問題はと申しますか、学校教育法等の一部を改正する法律案の中には、短期大学以外の問題も盛り込まれておりますけれども、今日の焦点は短期大学と申しますか、専科大学の問題でありますから、専科大学だけのことについて申し上げますが、この問題は、私の結論を先に申し上げますれば、私は大体におきましてただいま国会に提出されておりますところの政府の法律改正案には賛成であるという立場でございます。そのことをまず申し上げます。 この問題が最近国会で御研究になっておりまして、私どももお呼びを受けてここへ参ったわけでございますけれども、この問題は、今日突然起った問題ではございませんので、新しい問題ではありますけれども、昭和二十四年以来の古い問題であるということも言えるのでありまして、ほとんど今まで長い間、十年近くの間論議がなされておるくらいなことに私は考えておるのでございます。もとより今まで論議が尽されておりましても今までのことにとらわれる必要はないのでありますけれども、しかし最近におきましても、たとえば文部省の短期大学の教育課程の研究協議会あるいは中央教育審議会におきましても、再びこの問題を取り上げまして、かねての十年以来の懸案を再検討をした結果、やはり当初の昭和二十四年、国会その他で御議論になった線に戻って参りまして、この本案が提出されたのだと思うのでありまして、そういう意味におきまして、恒久化する場合にはその内容につきましても、最近まで長い間検討されました内容を、この際実現するのが当然のことでありまして、この法案にはそのことが盛られておると思うのでございます。 少しくどくなりますけれども、若干それらの沿革を考えてみますと、私の考えがはっきりすると思うのでありますが、御承知のように学校教育法が昭和二十三年に制定され公布されまして、昭和二十三年に私立学校の多くのもの、昭和二十四年に国立大学その他ほとんど全部の大学が四年制としてスタートいたしましたが、やはり御承知のように六・三・三・四の単一の、いわゆる単線型の教育系統を作り上げたものでありますから、御承知のように専門学校その他の学校はたくさんございまして、大部分は四年制の大学に昇格いたしましたけれども、昇格できない専門学校はその当時三十校もあったということになっております。これらを何とか処置しなければならないということになりましたので、翌年の昭和二十四年に学校教育法の一部を改正いたしまして短期大学の制度を認めたわけでありますが、そのときの国会の審議の跡を記録によって拝見いたしましても、むしろ当分の間などというのははなはだ不徹底である。当分の間というふうな法案の条文は削除して、恒久的にそういうものを認むべきであるということが国会の方でいわれておる、これは必ずしも政府与党ばかりではないようであります。そのようなことを委員会にお出になった議員のいろいろの方がおっしゃっておるように私は記録で読みました。ただその議論に関しましては、法案がすでに提出されてから、もしこれを恒久化するとすれば四年大学との関係を十分に研究しなければいかぬというふうな御議論もありまして、とりあえずそれでは当分の間としておいて、極端な御議論をなさっておる議員の方は、この次の国会において恒久的に短期大学の制度を定むべきであるという御主張もあったのであります。そこで審議の期間がございませんから、政府案も一応は短期大学は四年制の大学とは違うものであるけれども、学校教育法第五章五十二条の四年制大学の目的、使命をうたっておるところがございますから、その中に、これは私の一応の解釈でありますが、宿を借りて、そして附則のところで、修業年限を二年または三年にすることもできる、この場合には短期大学と称するのである、こういわれておるわけであります。国会の議論の中にも見えておりますけれども、その短期大学の関係の改正が行われました直後、昭和二十四年の八月の前後に、短期大学関係者と申しますか、あるいは高等学校、専門学校で短期大学にならんとする方方の代表を文部省が集められまして、協議会を作られました。そして協議会は短期大学の設置基準を作らなければいかぬ、憲法を作らなければならぬということになりましたが、それを大学設置審議会に委任したのであります。大学設置審議会では十分議論されましたが、そのときの大きな議論の大体向うところを拝見いたしますと、今われわれが専科大学について考えておるように、短期大学というのは四年制大学とは異なる別の大学として考えるべきである。それから教育内容は、一般教育もやるが、それよりもむしろ専門教育に重きを置き、また職業的にすべきである。それから今度の法案では学科組織にすると書いてありますけれども、四年制大学のごとく講座制をとらないというふうに、非常に短期大学の性格を職業的、実際的なものに考えておられたようであります。この意見は国会の議論のうちにも若干散見しておるのでありますが、設置審議会の特別委員会はこういうふうな考え方で基準を作りまして、現在基準ができておるわけでございます。 そこで、私をして申し上げさせていただきますならば、専門学校で大学になれないものを救わなければならぬ。一方においては四年制でなければ高等教育機関でないと一応きめましたけれども、しかし四年制以外の高等教育機関、すなわち高等学校卒業生を入学させる四年制以外の、昔でいえば専門学校程度、もう少し短かい期間でもって専門の学問、技術を修得できるような機関がほしいということが、いろいろいわれておりまして、それらの点を考えまして、とりあえず法案の条文についての研究が足りないから、あるいは短期大学の本質についての研究が足りないから、四年制の五十二条のワクに宿を借りておいて、とりあえず当分の間二年または三年の大学を置くことにする、こういうふうになったと私は考えるのであります。 今申し上げましたように、内容について設置審議会の特別委員会でも、今申し上げたようなことを考えておりますし、そのことが具体的に現われましたのが、ただいまできております短期大学の憲法でありますところの短期大学設置基準でございまして、この中には、ただいまこの法案の考えておりますような短期大学を明瞭に基準で表わしておるのであります。すなわち基準の第一の趣旨のところには、たとえば実際的な専門職業に重きを置く大学教育を施す、それから一般教育との密接な関連において職業に必須な専門教育を受ける完成教育機関であるというふうなことを書いておりますし、その解説の中には、高等教育機関であるが、制度上は広い意味の大学の範疇に入るけれども、修業年限が二年または三年であって、主として実際的な専門職業の教育に重点を置くものであるから、修業年限が四年もしくは四年以上の大学とは、おのずからその性格が異なる高等教育機関である。すなわち実際的な専門職業とは、いわゆるセミ・プロフェッショナルの職業をさすものであり、これが短期大学の運営の憲法で、これによって今までの短期大学は運営してきたわけでございます。この趣旨が今申し上げましたような、昭和二十四年以来の朝野の議論でありましたし、中教審もこれを取り上げましたし、その趣旨に従いまして、今度の法案ができておることでございまして、再検討は必要でありましょうが、すでに再検討されて、短期大学がままつ子みたいな形で生まれ出ましたときの研究の結果と、たまたま一致しておるのでありまして、私はこの法案の内容は大へんけっこうではないかと思うのであります。 私は国立の短期大学を受持っておりまして、私のところは工業短期大学で、機械と電気を持っておるのであります。私の大学全体といたしましても、工学部といたしましても、短期大学部は、四年制大学と同じものだとは絶対思っておりません。四年制大学のようなものを、水を薄めて四年を二で割ったような、一般教育もしかるべく、専門教育もしかるべくでありましたら、工業界の要請するところの技能者をとても教育できない。たまたま設置基準が今申し上げたようにそういう実践的な教育ができるような形、学校教育法の五十二条はさることながら、さらに実質的には今度の専科大学がねらっているようなものを基準の中に書いておるのでありまして、私の大学では基準をなるべく運用いたしまして、今度の専科大学のねらうような教育を日ごろやっているつもりでございますので、この法案の内容につきましては、私は賛成するのでございます。 なお二、三その他の問題について私の考えを申し上げます。第一は、もし専科大学が国会の協賛を経て公布されます暁には、基準の作成が、将来専科大学を運営するための非常に根本的な骨組になるわけでございますから、基準の作成については、民間の大学基準協会が作るか、あるいは大学設置審議会が作るのでございますが、十分慎重にしていただきたい。と申しますのは、御承知のように、現在の短期大学あるいは将来の専科大学に当る学校の教科の内容は、非常に種々雑多でございます。私どもの方のごとく工業の技術員、中級の技術員を養うところもございますし、経済、商業等をやるところもあるかと思いますと、女子の高等普通教育に類するような、一般教養に重きを置いたような課程を持っている短期大学あるいは専科大学もあり得るわけでございますので、産業関係の教育につきましては、相当基準を高めるべき必要があるのじゃないかと思いますけれども、その他の課程の中には、それほど基準を高めないでも、現在の短期大学とそう違わなくても、専科大学として十分にやり得るようなものもあると思われるのでありまして、ただいまの短期大学の設置基準は、全体のあらゆる種類のものを一つにまとめて規定しておりますから、将来はこれを専科大学については、もう少し個別に基準を設定されることが必要だと思いますので、そのことを申し上げます。 なお、今度の法案によりますと、短期大学は本年度中に認可を受けるならば当分の間存置するということで、無期限に存置し得るようになっております。現在の短期大学の中から転換するということにつきましては、いろいろの問題もあろうと思います。短期大学の立場もあろうと思いますから、まことにごもっともだと思わぬではございませんけれども、先ほど私が申し上げましたように、基準では専科大学的なものはすでに憲法としてできているのでありますから、何と申しましても、学校教育法の第五十二条の大学の目的というものは、これは四年制大学の目的を書いておるのでありまして、どうもそういう点が、教官なり学生の頭にございますから、従って専科大学的な教育をしにくいのでありますから、どうしてもやはり五十二条と別に、法案のごとくに専科大学という章を設けて、専科大学の目的、使命を明らかにするのが私はほんとうであると思うのでありますが、その場合に、そういうことがございますので、短期大学を無期限に置いておくということは、あまり望ましいことではない。当分の間はやむを得ぬと思いますけれども、望ましいことではない。従って、基準につきましては相当慎重な考慮を払われた上で、なるべく早く短期大学が専科大学に切りかえられる時期を進めるべきであろうというふうに私は思うのであります。 その次は、先ほどもお話がございましたが、大学ということでございます。従来は四年制大学のワクの中に短期大学も入っておりまして、それが教育内容に非常に影響を及ぼしておると私は思っておるのでございますが、今度は大学という章の中に大学という節と二つに分けられました。この点につきましては松本先生から後ほどお話がございますが、重大な、非常に強い御反対があるわけでございます。また中央教育審議会の御意見を聞いておりますと、旧帝大の方々は短期大学は大学ではないということも言われるのです。私も実は短期大学は四年制大学とは質の異なるものであって、あれはいわゆる狭義における、従来の意味の大学ではないと思うのでありますが、しかし大学という名前をつけることは別に差しつかえないのでございます。今度の大学というのは高等学校卒業程度を入学資格とする高等教育機関を全部さすのである。その中に四年制大学と専科大学とある、こう考えたらいいと思うのであります。従いまして私は先ほどの山本先生と少し立場が違うのでありまして、そういうふうにほんとうの四年制の大学ではない別個の大学であり、高等教育機関なのでありますから、これに教授会の規定を直ちに準用することがいいかどうかということになると、矛盾が出てくるのでありまして、四年制大学ならば直ちに教授会が教育内容や学部の運営も全部そこでやるわけでありますが、今度の場合ですと、先ほど御指摘のように、教育内容を作り得る教授会というものがどういう内容になるかということの問題になりますし、また短期大学の実情を見ておりますと、専科大学運営の衝に当られる方も教授会が直ちに作らなければならぬということになりますと、いろいろ運営上むずかしい問題も起るのではないかということを一応心配するのであります。時間がきたようでございますから、一応私のお話を終ります。
○坂田委員長 以上をもちまして山本公述人及び関口公述人の御意見の開陳は終りました。これより両公述人に対する質疑に入ります。順次これを許します。加藤精三君。
○加藤(精)委員 山本先生にお尋ねいたします。正直なところ先ほどの先生の御意見はっきりわからないのですが、高等学校を含むところの中等教育の線までは国民に一様な教育を与えるようにというような御趣旨だったと思いますけれども、私の聞き違いでございましょうか。その点を先にお伺いします。
○山本公述人 一様と申し上げたのではないのでありまして、あまり質の違わないところの教育というふうに申し上げました。一様と申しますと全く同じということになりますが、そうまでは申し上げておるのではないのであります。その意味は科学技術の点から考えましても、御承知のように最近は基礎的な学力を十分身につけた技能者でないと、学校出だては役に立つけれどもすぐに役に立たなくなるということが、イギリスの技術者の養成の白書その他にもございますので、これが根底に一つあるのであります。しかし一様に全然同じという意味ではもちろんございません。あまり質を違えたものにしない。専科大学の場合ですと、その前期が予科的なものに偏しまして、ある実例によりますと、非常に手先のことだけの養成に傾き過ぎておるような実例がございますので、そういう例のことも頭に置きまして申し上げたのでございます。 それからもう一つはこの法案そのものにも定時制なり通信教育によりまして高等学校の段階を非常に拡充しようという考え方があるわけでありますから、それからまたいろいろの国々の教育改革の傾向というようなものを考えてみまして、いわゆる広い意味の中等教育、広い意味のセカンダリー・エデュケーションの段階にあまり質の違ったものを持ち込むということには、教育の機会均等という点から心配があるのではないか、さような意味で申し上げたわけであります。
○加藤(精)委員 どうもこちらが頭が悪いのか、納得しかねるのですが、そこのところをもう少しかみ砕いてお話を願いたいのです。ただいま高等学校教育を含むところのセカンダリー・エデュケーションの分野でバラエティをなくした方がいいということをおっしゃるわけです。当座はいいが将来使えなくなる、伸びなくなるというお考えがあるわけですが、それから考えますと、完成教育のことを考えておられるようでもありますけれども、それは一面バラエティということをおっしゃるのでございますから、それで進学課程としてのセカンダリー・エデュケーションを考えておられるようでございますが、そのところがどうもはっきりしない。まあ社会に出てからみずからを教育するということを前提としての教育を与えておきさえすればいい、基礎的な教育を与えておきさえすればいい、こういうふうにお考えになるのでありましょうか。その点を先づ前提としてお尋ねしたいのです。
○山本公述人 決して一様な、ある意味でバラエティのないという意味ではございません。ございませんが、よく実例が実はあるのです。専科大学的なことで、あまりにも準備教育的なことになるようでは困る、その点を心配しておるのでございます。それから先ほど来申し上げましたようにだんだんと機会均等ということがはかられつつあるわけであります。それと教育を受けております本人の成長発達というような点から考えまして、中学を出たばかりの段階からあまり技能者養成的に傾き過ぎるようなことがあってはいけない。先ほど来の機会の均等という点、それから私どもの大学へ来る生徒に入学試験などで面接してみましても、大学へ来ても自分が何をやろうかということはなかなかはっきりしておらぬのでございます。事実入学試験のときなど面接してみますとわかるのでございますが、そういうようなことでありますので、まして十五才で中学校を出たばかりというようなときでありますと、そこのところになかなか無理があるのではないか。それから絶えず勉強ができる仕組みにだんだんなってきております。 それから、もう一つは、私も慶応の工学部の創設などにつきまして、いろいろ技術教育のことなど視察もいたしたのでありますけれども、率直に申しまして実業界の方は、われかれにもすぐ役に立つのを養成しろ、こういうのでございます。ところが絶えず教育者といいますか、学者とわれわれちょうどまん中に入ったのでありますけれども、私は昔の藤原工業大学創設などをやっておりましたので事情に明るいのです。どうもすぐに役に立つというのがすぐに役に立たなくなるおそれがあるという点が、繰り返し教授なり学者の間では心配されておるわけであります。で、それらの点もございまして、先ほどのようなことを申し上げたわけでございます。
○加藤(精)委員 山本先生のお説の中には、非常にたくさんの面から見た要素が含まれておるように思うのでございますが、高等学校教育までは義務教育とは言わないまでも、それに近づけてやりたいという人道的なお考えも潜在意識として入っておられるように思うのであります。それは私も非常にありがたいことでございます。現段階におきましては、日本の教育制度としては、とにかく中学までが義務教育である。その中学までが義務教育である中において、将来の科学技術の基礎になる、そのとうとい基礎教育が非常に不十分であるということは、われわれも認めるのでございまして、これについてはまた別途に大きな措置をしなければならぬという一つの命題はあると思うのでございます。それにもかかわりませず、教育の機会均等の確実に保障されておりますのは中学だけだという現実があるのでございます。それに対しまして、実質的には、先ほど慶応大学のことをお話でございましたけれども、われわれ東京の高等学校に来てからあの時代の慶応義塾というものは、幼稚園から特殊な教育を施して、全く特別な、財界人の、最も程度の高い、ごく西洋文化を取り入れた実業教育を修めた子弟を作るように、というふうな特別の教育であったように思うのでございます。これらは果して義務教育の理念から見てどうかという疑問が、正直に申しましてわれわれ心の底にあったのでございます。と同時に、高等師範の付属教育も、これまた果して国民の平等な義務教育の恩恵ということから見てどうかというふうなことも考えておったわけでございます。しかしながら、いずれにしましても、父兄の人生観によって営み出されているところの私立学校というものは認めているのであります。そういう理念から申しますれば、高等学校教育以上に対しまして、あるいは父兄の希望により、あるいは父兄の人生観により、あるいは社会的環境により、あるいは国家的な需要によりまして、作り上げられる教育機関がありましても、教育の機会均等理念の最初のリミットは守っておるのではないか、そう考えるのでございます。で、そういう観点から申しまして、めったにない機会なんでございますから、山本先生に私お尋ねしたいのでございますが、どうも現代の学校教育が高等学校といえども、大学といえども、学校を卒業さえすればいいのだ、一つの資格がとれるのだという非常に安易な気持がありはしないかということでございます。そういう安易な気持を、ほんとうに社会に役に立つ実業人になるという教育に振りかえなければならぬという、大きな命題があるのではないか。私地方行政関係の調査団のレポートをこの間拝見したのでございますが、どうもわれわれの方の大工場では、工業学校を出ても、普通の高等学校を出た者と同じ月給で、同じように最初から教えているということで、高等学校の価値をあまり認めない工場長があった。そして一面、職業訓練所とか職業補導所とかの生徒は短期間に非常な熱を持って技術を修得して、すぐに役に立っているというような行政総合調査の報告があったのです。われわれは、現代の学校教育というものは、そういう第三者の冷静な判断からみましても、よほど反省を要するものではないか。そういう意味で、各種の個人的な父兄の人生観なりあるいは国家の要請なり、そうしたいろいろな方面からの要請に基いて、あるバラエティのある実業教育の高等教育機関があるということは、むしろそれ自体これは社会の需要ではないかと思う。それに伴って弊害が起るであろうけれども、その起る弊害はネサリー・イーブルであるのではなくて、それ自体これに対処することを教育者、教育行政家が考えるべきものじゃないか、そう考えていくのがすなおな考え方ではないか、そういうふうな気がするのでございますが、しろうとの感想でございますから、まあ一ついろいろ教えていただきたい、こう思っております。
○坂田委員長 加藤先生にちょっと申し上げますけれども、多数質疑の人が待っておられますので、今後は各委員の方々もなるたけ端的に御質問の趣旨をお述べいただきたいと思います。
○山本公述人 簡単に申させていただきますが、いろいろ父兄の希望もあることだから、いろいろのコースがあっていいのではないかという御趣旨でありますが、私は、父兄の希望ということも考えるべきことと思いますが、その生徒本人の気持、これが先ほど来申しましたごとく、大学に来るような年令になりましても、自分の将来の職業というようなことにつきましてはなかなかきめかねておるのでございまして、その本人の気持によりまして、また本人の成長、発達によりまして、相当自分で進路を選び得る、そしてその進路を選び得ることによって、ロスを生じないというようなことも十分考えるべきことではないかと思っておるのでございます。これだけではございませんが、それと先ほど来申し上げました諸点から見まして、この中学校卒業の段階からすぐある方向のきまったコースの中に入ってしまうということにつきましては、やはり相当ちゅうちょをいたしておるようなわけでございます。これだけの理由ではございません。先ほど来申し上げましたようなことでありますが、あまり重複いたしますとかえって御迷惑をかけることになりますので、差し控えることにいたします。
○坂田委員長 辻原弘一君。
○辻原委員 簡単に一点だけ関口先生にお伺いいたしたいと思います。いろいろお尋ねいたしたいのでありますが、時間がございませんので……。 先生は短期大学の専任者と申されるよりも、むしろ中教審の専門委員あるいは山形大学の学長として新制大学の運営に主として当られておるという観点から、私がお見受けするところ、失礼でありますが、いわゆる短期大学をお育てになった方とは多少ニュアンスが違います。そういう点で先生の御議論を拝聴いたしたのでありますが、そういうお立場、また専門的なお立場からの御意見はよくわかりました。ただ公立短大はすでに短期大学制度の改正についてまとまった意見を出されておりまするし、われわれもそうした意見についてかねがね承わっております。従いまして、その中での一つの重要な問題は、今回の法案の改正の中でのこれまた最も大きな部分を占めておると思いますが、修業年限についてであります。それは高等学校と専科大学とを結びつけるというこの点について、公立短大のまとまった御意見としては反対をせられておるようであります。私もこの点については非常に大きな疑問を持っておる。いわゆる子供の発達段階、生徒の発達段階という面から非常に疑問を持っておる一員であります。それについての先生御自身のはっきりした御見解がございませんので、それを承わりたいと思います。 なおそれに続きまして、この公立短大の御意見を見てみますると、高等学校と短大との連携というものは、高等学校教育それ自体を相当ゆがめるものであるという見解に立っておられますが、いま一つの問題点としては、やはり早期教育という観点ですね。いわゆる芸術あるいは科学技術、こういった技能の部面に直結する早期教育というものが、果して本来の技能者を養成するのに最も適した道であるかどうか。この点についての御意見を一つ承わりたいと思います。
○関口公述人 公立短期大学協会の意見についての御質問題でございましたが、私は国立に関係いたしておりますので、公立のことは直接には存じませんけれども、中央教育審議会の専門委員として公立短期大学協会会長の四宮教授が出ておられまして、いろいろお話を伺っておりますと、当初はお話のように、高等学校三年と短期大学の二年を合せて五年または六年にすると運用が誤まられるおそれがあると思う、たとえば短期大学として独立しておれば相当な教官を備えなければならぬのに、下に高等学校がついているからその方を融通したりして悪い面が働きはしないか、それが大体大阪方面の産業高等学校長の意見であった、そういうふうにお話がございました。しかし私がだんだんと伺っておりますと、ごく最近にはそのお考えは消えたのではないかと思うのでございます。私、参考資料を持っておりませんが、最近の公立短期大学協会の意見には、多分その点は消えたのではないか、五年制には反対であるというようなことはないのではないかと私思っておりますが、いかがでありますか、その程度しか私お答えできません。 それから早期教育——中学校を卒業して、高等学校一年の段階から五年制もしくは六年制の一貫した教育を受けることはいかがかということでございますが、これは学説といいますか、理論として、青年期の心理、あるいは先ほど山本先生からお話のありましたような職業選択あるいは進路適性ということを見出すのが非常にむずかしいので、なるべく職業の選択と申しますか、一生の方角の選択はあとに延ばすということが今度の大学の制度でも言われておりまして、四年制大学におきましても、一年、二年の一般教育の間には学科などは決定させないで、三年になるときに初めて決定させるというふうな強い形で初めはやっておりましたが、これも実を申しますと、実際に合わないので、私どものところでも、今までそういうふうにやっておりましたところでも、だんだんに一年に入るときから学部学科をはっきり定めさせておるようになって参りまして、たとえば私の方の工学部でも一昨年までは学科は一年のときにはきめさせませんでした。とにかく工学部に行くのだというワクだけがきまっておりまして、一般教育が済みますと、それから工学部の何学科に入るということになっておったのです。しかしこれは、詳しいことは申し上げませんが、いろいろ実情にそぐわない点がございまして、私の大学でも一昨年以来初めから何学科ということをきめて入学さしておるようなことになっております。今の大学のことでございますけれども、ほんとうの専科大学、あるいは高等学校などの場合におきましても、理論としてはなるべく方角の選択はあとにさせるという理論はわからないわけでもございませんけれども、実際問題といたしましては、先ほどのお話のように、本人も大学に入るまでは何をやるかなかなかわからないような状態であった、あるいは大学はいろいろな境遇やそのときのチャンスによって、専門をきめましても、卒業して入り直してやり直すということもあるくらいでありまして、実際問題としては職業の選択とか進路の選択ということは非常にむずかしいことであります。ですから、私は早期の教育、五年制の教育をなさることは賛成なんであります。他の例を一つ申し上げますと、ただいま高等学校程度の産業教育につきまして、非常にその点が問題になっております。御承知のように、中学校、高等学校あわせて産業教育、ことに工業教育のごときに至っては、これはさっきも山本先生からいろいろ御批判がありましたが、私ども産業教育審議会の委員をやっておりまして、甲論乙駁議論の出尽したほどやったのです。しかし大勢は、そういう理論的な難点はあっても、実際問題としては先に行けば完全なる選択ができるかというと必ずしもそうも言えないし、しかも一方産業教育の実情から申しますと、先ほどからいろいろ御批判がありまして、私も山本先生にお答えすることがあるのでありますが、産業教育、特に工業教育をやるような場合には、今の中学校を出て、工業教育と全然関係のない教育を受けてきて、そして高等学校の工業課程に入るという場合には、三年間でもって時勢の要求する科学技術教育を行うということは、いかに努力しても無理である。やはりもう少し早期に工業に志す者は工業の雰囲気のあるところに入れて、基礎的なところから積み上げていかなければならぬと言われておりますので、私も早期教育は、理論的には難点があることは認めますけれども、実際問題としてやむを得ないと思います。少ししゃべり過ぎるかもしれませんが、私この問題にずいぶん興味を持っておりますので。今日本では小学校六年、その次に三年てもって、義務教育九年になっておりますが、中学の三年には、上の学校に行く者も行かない者も全部入れておる。こういう点に産業教育については、あるいは大学をお預かりしております私どもとしても、非常に問題点があるわけであります。こまかいことは申し上げませんが、そこで六・三・三・四という単線型で大へんけっこうですが、率直に申しますと、短期大学でもって、六・三・三の、幹は変りませんが、小さい枝がすでに昭和二十四年以来ついておるのです。そこで、六・三・三・四の制度だけとっておる国が世界中どこかにあるかと思いまして、私ずいぶん調べてみますと、アメリカでも六・六とか八・四とかいろいろな制度を持っております。一番極端なのはイギリスでございまして、御承知のように五才で入学いたしまして、十年間の義務教育のうちで、六年済みますと、そこで国家試験をしまして、能力に応じて、大体日本の小学校卒業の時期に、あなたはグラマー・スクールに行け——これは高等学校、大学につながる道であります。あなたはテクニカル・スクールに行け、これは実業学校であります。あなたはモダン・スクールに行け、これは一般庶民の学校であります。そういうふうに、最も民主主義の徹底しておるはずの多年の経験を持っておるイギリスでもそういうことをやっております。それは、個人の自由と社会全般の福祉という問題にぶつかるわけだと私は思います。そういう意味から考えまして、私は早期教育はやむを得ないのだというふうに思っております。
○辻原委員 いろいろ議論をいたすつもりではございません。先生のおっしゃる点につきましても、われわれ多少反駁をいたしておきたいのでございます。今の最後に、たとえばイギリスにおけるいろいろな複線コースといわれましたけれども、イギリスのごとく民主主義が徹底しておる国だからこそ、いわゆる学校教育、学制の中に一つの一般教養を中心とした教育はある程度おいても間違いはないだろう。しかしながら、果して今日日本がそういう段階にあるかということについて考えれば、私どもは、それについても尚早論を唱えるわけであります。従って、ただ観念的に、六・三・三・四というきまった学年進行の区切り方を墨守しようというふうな観点に立って、六・三制を複線にしたい、あるいは六・三制をゆがめるような改訂を行なってはならぬという議論ではないのであります。その点は、一つ誤解のないようにお願いしたいと思います。 それから早期教育の問題でございますが、先生は直接公立学校のあれでございませんので、今公立協会の意見をもってお尋ねしては非常に失礼でございますけれども、私は大体国・公立というのは同じような立場にございますから、さしてそれについての懸隔はないだろうという前提でお尋ねいたしておるのでありますけれども、この点については、後刻、きょうは日経連の児玉さんもお見えになるようでありまするから、十分私はお伺いしたいと思います。ただ先生は、理論的に多少の困難はあるが、現状、時代の要請から、この点については踏み切るべきだという御意見によって、いわゆる早期教育に御賛成なさっておるのでありますが、私も若干の経験を通して、またいろいろの経験を経た方々の意見を聞いてみても、この早期教育は、ただ学制が乱れるとか何とかということじゃなくして、たとえば技能教育について、それにふさわしい一つの人格形成をやろうという場合に、果して中途半端な早期教育が成り立つかどうかについて疑問を持っております。公立短大の御意見をもってすれば、一般的な科学技術の面における技能教育は反対だ。ところが、芸能関係については特例を設けていいんじゃないかというんですけれども、私は芸能関係等においても高等学校と結びつけるような早期教育は大して効果は上らないと思います。なぜかなれば、たとえば音楽とか手芸とか図工とかはごく幼児期に身につけておけば、それは非常に進歩が著しいと思う。しかし、高等学校あるいは短期大学の課程に至っては、ただ年限がそれだけかさむということだけで、発達段階が、それだけ下へ下ったから、成長期に非常に身につきやすいというほどのさしたる効果はないだろうと思う。そういうことは、かつての師範制度なんかを見ればいいと思いますが、かつて師範制度には一部、二部があった。一部生は早くから、たとえば音楽なら音楽を履修するが、これはある限度までは非常に伸びていく。ところが片や中学教育を終えてきた二部生は、わずか一年あるいは二年ないしは二年半の間にその技能教育をやる。ところが卒業期になって同じラインに並んだときに、専心それに打ち込んだ者は、かりに二年でも一年でも、かつて前期において三年もやった者と変らないような実績がずいぶん出てきておる。そういう点から考えてみれば、高等学校から身につけたいわゆる技術教育が非常に成果があるということは、私は即断に過ぎると思う。むしろこれは、この間私どものところにある個人の方が一つの御意見をまとめて申し出られた中にもありましたけれども、たとえばかつての専門学校教育、大学教育の伸び方は、やはりそういったバラエティに富んだ形における一般教育の中から積まれた技術教育あるいは科学教育の方が、はるかに将来実際上の実務についた場合の役に立つばかりか、時代に即応するという能力というか、そういうものが十分身についているということを主張されておりますが、私もそういうことを非常に痛感するわけであります。従って早期教育をやったら非常に科学技術教育について現在の時代要請にマッチするような中級技術者が続々現われてきて、それが日本の科学技術の基礎になる、あるいは産業の基礎になる、この考え方は私は一考を要すると思います。まあ意見にわたりまして失礼でございますけれども、先生の御所論に対して多少われわれ異なる見解を持っておりますので、申し上げておきます。
○坂田委員長 臼井莊一君。
○臼井委員 山本先生にお伺いいたしますが、七十条の三について、学科については監督庁がこれを定める、これに非常に強く御反対なすっていたようでありますが、この点については関口先生からもお話があったのですが、まあ教授会できめるということになると、各学校で非常にてんでんばらばらになる心配がありはせぬか、こういう一つの点があることと、それからもう一つ、なるべく高等学校では機会均等という意味から、あまり将来の専門的な方向に向くようなあれは望ましくない。また大学においても将来応用のきくようなことにだけ重点を置いて、あまり技術的な面に深くあれすることはどうかというような御意見があったのですが、ただ事業をやっておる方面からいうと、早く役に立つ人間、大学を出て、実際には役に立たぬで、大学を卒業したというプライドばかり強くてどうも使いにくいというような点があるのじゃないかと思うのです。しかし大企業があれば、これは会社において再教育するだけの余裕もあると思うのですが、日本の実際から見ると、中小企業の方がむしろ非常に多い。従ってそういう中小企業ではさらに専門的なことを自分の方で再教育する時間的な余裕もなかなかないというようなところから、一つはもっと専門的に技術的に役に立つ人間、早く間に合う人間を作ってくれと、こういう点があるのじゃないかと思うのですが、その点についてのお考え、この二点をお伺いしたい。
○山本公述人 第一点でありますが、専科大学の学科に関する事項は監督庁がこれを定める、この規定の仕方がただ一字、教科と、教と学とだけ違っておりまして、最近の文部当局の解釈から、学科に関する事項ということが直ちに教科内容なり教育課程に及ぶ、現に先ほど申し上げましたように、当局の御用意になりました要綱の中にも、教育課程と書いてあるくらいでありまして、その点でこれが非常に拡大されるおそれがあるということを指摘いたしたのでありますが、この何かてんでんばらばらになりはしないかという点についての御心配も、ただ教授会にまかしておけばてんでんばらばらになるのじゃないかというような御心配もおありでございますが、現在の大学につきましては学校教育法で学科に関する事項は監督庁で定めるという規定はございません。ございませんが、四年制大学は御承知のように教授会もあって運営されてはおりますけれども、決しててんでんばらばらになっておらないのであります。てんでんばらばらになるという御心配は実はあまりないので、むしろ関口先生からも先ほどお触れになりましたが、これは設置基準法等によって大体のワクは出てくるのであります。それらによってそうてんでんばらばらになるという心配はむしろ出てこない。むしろ今度の法律改正の第三条にも「設置しようとする者は、別に法律又はこれに基く命令で定めるものの外」とある、命令によって、文部省令によってすら、設置に関してのいろいろのことがきめられるおそれが出てきておる。こういう一連の改正が微妙にあるのでありまして、学科に関する事項は監督庁がこれを定めるという法律の文章がない四年制大学ですら、事実上は非常に画一的になりつつあります。これは大学設置基準というものを省令で定める——先ほど関口先生は大学基準協会で定めるとおっしゃったけれども、そんなものじゃございません、これは省令でお定めになる。その根拠の法律のない大学についてすらそうでございまして、今度は根拠の条文を持つのです。しかも今申し上げたような三条などによりますと、省令で設置についてこまかな点もきめ得る。こういう点については実にすみずみにまで御活用になっておるのです。こういう点から考えましたならば、てんでんばらばらになるというような御心配は毛頭ないわけです。むしろ非常な画一的なものになるおそれがある。バラエティ云々のお話がありましたが、こういうような法律を作ればむしろ型にはめられて参るおそれがあるのであります。 それから第二点の問題でありますが、これは小中の企業等の需要ということを考えてみましても、中小の企業というのは非常なバラエティがある。そのバラエティに応ずるところの職能教育を専科大学なり学校のコースでできるかというと、正直いってこれはとてもできない。それからそれをやった者が直ちにその職業コースに入れるかどうかという問題もありますので、それらの点も考慮いたしまして、また先ほど引用いたしましたが、イギリスの科学技術教育の白書、それらの点から考えましても、あまりこまかい需要——先ほど社会の福祉の要求というお言葉がありましたが、あまりそれにこだわり過ぎますと、かえって能率の上る科学技術教育ができない。本人に対しては決してそれは仕合せじゃございません。それで先ほどイギリスのお話もございましたが、関連があるので、私なりに視察したところを申し上げますと、イギリスは中等の段階でグラマーとテクニカルとモダンの三つのコースの中に押し込められております。これがどれくらい青少年に対して暗い気持を与えておるか。グラマーに入った者だけはこれはオックスフォード、ケンブリッジにいけるのだ、またグラマーに押し込めるために三才から入学試験の準備をやる。三才からというとおかしいですが、生まれたときからもう男の子はといって大騒ぎをするくらいであります。テクニカル、モダンに入りましたものは学校にいきましてもその教員が、ここにきている者は劣っている。インフェリアーなフェローだからという言葉を教員が平気ではくくらいに三つのコースは非常な差別、区別の問題を生んでおるのでありまして、これにつきましての改革ということは、これは実はイギリスでは問題になっておる。フランス等におきましてもランジュヴアンの教育改革、あるいはスエーデン等におきましても、早期のこういうコースの中へ押し込んでいくというやり方につきましては、いろいろの教育改革案が出ておりますけれども、この点においてはフランス、イタリア、スエーデン等の教育改革におきましてひとしくこれを避けるべきだということを出しておるのであります。従いまして先ほど申し上げましたような中小企業のバラエティというようなことから考えてみた場合に、それに応ずる職業教育を学校の中で——技能的なことをやることはとうていできないことであります。科学技術教育そのものの振興をはかるということから考えても、基礎的な学力と申しましても、私はただ単なる抽象的な教養というようなことを申すのではございません。先ほど来申し上げましたように、小学校、中学校の算数、理科から入る。御承知のように最近の行政監理庁の文書によりますと、理科教育振興法の設備の基準に対して四分の一にも達しない学校が非常に多いわけで、指導要領の方は、最低基準でこれだけやらなければ、法律違反だということでおやりになっている。そういう点から先ほど申し上げましたようなことで充実をはかって参りませんと、とても科学技術の振興ということははかれない、さように思うのであります。
○臼井委員 私がてんでんばらばらになるのじゃないかと申し上げたのは、四年制ですと四年の間に包含しますからですが、二年ですと二年の中でその方面の専門的な勉強をするという意味で、年限が短いので、従って学ぶ学科の数が少いので、学校によってまちまちになるのではないか、こういうふうにちょっと考えたのです。それから今の短大を見ましても、戦前の年限からいうと、小学校から専門学校まで十四年かかって三年の専門学校を出るわけであります。今の短大もやはり十四年かかるわけです。そこでそれを比較すると、今の短大が少し専門的な力が足りないのじゃないかというようなことからこういう要望も出たんじゃないかと思うのです。ただ四年制の大学になると、戦前よりはたしか一年少いのでございますが、戦前の六年、五年、三年——三年ですと十七年、もっとも五年制の大学もありましたから、年限ではそう大差ないのですが、そういう点で、いつか桶谷教授と稗田先生と私の三人で科学技術教育の振興はいかにあるべきかという放送討論会に出たときに、ある女学生が、自分は理科系の大学の四年にいるけれども、一年に入ったときには、一年から二年間ぐらいは一般学科で、おもに教養的な学科だ、それで最終の現在の四年のあれでは、ほとんど就職に追われて勉強できない、専門的な勉強ができるのはまん中の一年ぐらいだ、こういう状態では、出て自分がほんとうに専門的に大学で勉強してきたということについて非常に不安に思うというようなことでありましたが、そのとき桶谷教授は、なに大学でも、たとい科学技術の教育でも、戦争に持っていくような研究をされるような勉強の仕方には反対で、やはり教養を持って人類福祉に必要な学問をする考え方がなくちゃいかぬというようなことであったのですが、ただ稗田先生と私は、やはりもう少し専門的なことに力を入れていただきたい、教養は必要であるが、高等学校を出たら、うちでもある程度相当の教養はできるのじゃないか、こういうお話であったのですが、それらのいろいろな問題点があると思うのです。 それはそれとして、今度は関口先生にちょっとお伺いしたいのですが、今の六・三・三・四のあれですと、世界的に見ても、あまり類のない、あまり単線過ぎる。日本の実情から見ても、もう少し複線的であっていいんじゃないかというような意見もあるのですが、そういう意味において、今度の専科大学を作るということになると、短期大学を全部専科大学に変えてしまいたい、こういう考え方があるわけです。そこでただ四年制の大学を短期大学二年に縮めた格好では、短縮であってはならないということはその通りでしょうけれども、しかし学科によっては短縮のようなものであっていいものもあるんじゃないか。というのは、たとえば家政科とか文科とか文学方面のこと、あるいは芸術方面のことであれば、そういう考え方もあり得るんじゃないかと思うのです。そこで現在の短期大学が相当数ができたということも、やはりこれは社会の要求というものがそこにあったと思う。ただしかし、それには技術的な特に男子の働く方面においては、そこに技術的な教育の不足があるという声が起ってきて、そこで専科大学ということなんですが、全部を専科大学方面に移してしまうということには相当——またこれはほかの先生からお話があるかと思うのですが、反対の声もあるわけです。そこで、ことに婦人あたりの教育については無形の嫁入り道具の一つとして短期大学をやはり出ていて、そこに教養を身につける、また家庭を持っていく上においても、新しく社会に出てからの人間を作り上げたい、こういう考え方があるのです。従って勉強する内容によっては、やはり現在のような短大でも差しつかえないのじゃないかという方面もあるんじゃないかというふうに考えられるのですが、これも今度の法案を作る際にもいろいろ御意見があったと考えるのですが、今度の法案によって、あとは許さないということになると、信用上も、もう将来はいずれもなくなるのだということで、短大に入る者さえも不安を感ずる。むしろこれを将来もりっぱな短大であり、また目的にかなった短大であるならば、これの新設もいいんじゃないか、こういう道をあけることも一つの方法であり、そこに専科大学なら専科大学として別にある。そこで世間の自由の選択におのおの好むところに従って入る。お互いにそこで短大は短大として、専大は専大として励み合う、いい意味においての競争の方法もできるのじゃないかというようにも考えられるのですが、その点についてのお考えをちょっとお伺いしたいと思います。
○関口公述人 先ほどその他みたいなところで最後に私の意見を申し上げましたが、結論はあれでお答えになっていると思います。私はできるだけ早い機会に——何と申しますか、程度をそう高くしないまでも、基準の中においてできるだけ早く短期大学は専科大学になった方が望ましい。当分の間はけっこうだけれどもというように私の気持は申し上げたのですが、短期大学二百六十九のうち百幾つ、約半数が女子の短期大学であります。女子は四年制では長過ぎるので、まあ二年か三年だとちょうど都合がよい。大いに存在理由があるわけでございますし、なおお嫁に行くまでの教養を積みたいということもよくわかる。ですから、私はそういうような女子の一般教育と申しますか、高等普通教育に重きを置くようなものは別にしてもいいかもしれぬという考えを持ったこともかつて四、五年前にはあるのです。しかしよく短期大学の中身を見て参りますと、完全に職業と離れた高度の一般教育を受けるという形のものは大体少い。しかも社会的な需要は、やはり短期大学に行く以上は、何か先生の免状を持ちたいとか、看護婦の免状を持ちたいとか、栄養士の免状を持ちたいとか、保母の免状を持ちたいとか、文科系でしたら先生の免状、自然科学の方でしたらその方の免状、これも一つの社会の要求だと思うのですが、その要求にタッチするために、短期大学の中でも大体何らかのそういう資格をとらすような職業的な陶冶をしているわけです。 それからなおもう一つ申し上げますと、女子が経済的に独立をして自由を獲得しなければならないということになりますと、せっかく短期大学に入ったならば、そういう職業的な陶冶を受けまして社会に出ることもいいことだと思います。ただ職業陶冶が工学とか、農学とか、商業とかいうようなことでは、だいぶ程度も薄い低いはありますけれども、おしなべてやはり職業教育が必要だ、現に先ほど私が申しました、短期大学は現在の基準でもセミ・プロフェッショナルな、職業的な教育を行うのだということでありますから、私はやはりこの際もし専科大学が国会の協賛を得て公布されるのならば、それの方へ吸収した方がいいと思います。 なお先ほどちょっと申しましたが、現在のやり方でありますと、短期大学は四年制の大学の目的によって支配されます。そうなりますと、やはり四年制の一年半なり二年の一般教育を半分に薄める、二年なり二年半の専門教育を半分に薄めるというお考えがどうしても起りがちだという気がいたしますので、この際専科大学の目標がはっきりいたしますから、できればしかるべき機会にその方面に吸収された方がいいのではないかという気持で、先ほど申し述べたのであります。
○坂田委員長 櫻井奎夫君。
○櫻井委員 私は、今臼井さんがお聞きになったことと同じ七十条の三の問題につきまして、関口先生にちょっと御意見を承わりたいと思います。 今回のこの法律の中で、やはり一番大きな問題点となるのは、七十条の三のこの規定であろうと思います。「学科に関する事項は」、「監督庁が、これを定める。」こういうことであります。これは今後、かりにこの法案が成立した暁における取扱いの中において非常に重要な面を持ってくると思うのです。これは前の山本先生の方からその疑義についてはるると説明があったわけでありますが、私どももやはりこのような危険性と申しますか、現在の文部省がやっておる行政的な行き方からして、このような危険性というものも多分に感ずる。おそらくこの法案が通りますと、この専科大学に対する設置基準というようなものができまして、その中で非常に詳細な点を規制してくると思うのです。ただ単に総則とか学科というようなものに限らず、授業科目であるとかあるいは単位であるとかあるいは施設あるいは学科の内容、こういうものまでやはり設置基準というものに詳しく織り込んでいって、それを一つの省令で定めて、今後の専科大学の運営の面における金科玉条的なものにやっていくおそれなしとしない。そういう場合、内容はなんといたしましても、いやしくも名称は専科大学という大学の名前を冠しておるのですから、そういうふうに基準によって非常に制約するということになると、この条文があるために大学の自治というものが相当侵害される危険性があるのではないか。特に関口先生も先ほどおっしゃったように、この専科大学というのは非常に種類が複雑でございまして、その内容も種々雑多になろうと思います。従ってそういう学校こそはもっと学校の自主性を尊重して、十分その地域に応じた専門教育ができるように、基準についてはこういう学科等についても十分にその学校の独自性を生かすようなものを設置するのが好ましいのではないか。従ってこういう条文を入れることは、そのような危険性があるから私どもは有害無益であるというふうに考えるわけでありますが、この七十条の三の条項についての先生の御意見を承わりたい。
○関口公述人 これも私は皆様方と少し見解が違うのでございます。政府に対する考え方ということもあるいは基本的に出てくるかも存じませんが、そういうことではなしに私は今までの自分の体験で推したことで申し上げたいと思いますが、最終には、たとえば先ほど山本先生のお話になりました大学設置基準、これはもとは大体大学設置審議会がしかるべきものをもってやっておられたのが、今度公に省令できめられたわけでありますが、その前にやはり敗戦前の政府とは違いまして、必ずそれぞれの学識経験者あるいは専門家等を集めて、そうしてそれの議を経て大体その通りきめている、今の大学設置基準につきましてはこういうことでございます。五、六年前から文部省は調査費をとりまして、大学の組織運営に関する研究協議会というものを作りまして、大学の事務局長や学長、教官などが入りまして、少くとも国立につきましては長い間審議いたしました。その結果最大公約数の基礎的なものだけ大体あれに並べられておるのでございまして、あれにつきましては国立大学では別に心配いたしておりません。それから私の経験した直接のことを申し上げますと、中央産業教育審議会というのがございまして、日本の高等学校程度の産業教育のあり方についてずいぶん長い間、もう十年もほとんど毎月開かれて、各部門にわたって研究しておりますが、これなども文部省はただこれに資料を提供するだけでございまして、審議会の自由な意見を少しも拘束することは私はなかったと思っております。その審議会の結果、会長が採決されまして、そこでもって特別委員会ができ、案を作ってそれを学校の方に流すというふうにいたしておりますから、私の経験では今までのところそういう心配はないと思っておるのでございます。ですから七十条の三があっても、実質的には、たとえば教科課程を定めるとか、設置基準を定めるということになりましても、私が先ほど申し上げましたように設置基準を定めますのは、たとえば短期大学の現在できております設置基準は、大学設置審議会と申します文部大臣の諮問機関の立案をそのまま流しておるようなわけでございます。今までの私の経験では、そういう心配はないのではあるまいかと思っておりますから、七十条の三は運用よろしきを得れば別にこれを削除することはない。先ほど臼井さんのお話にございましたように、やはり最大公約数、基礎的なものは全国ある程度一致することが必要でございますから、その程度のものは、しかるべき委員会で十分練られた結果、その通りを文部省がおきめになることがあっても、それはやむを得ないのじゃないだろうかというふうに私思っております。
○櫻井委員 これは今の文部行政のあり方に対する見解の相違といえばそれだけのことになるわけですが、特にこの専科大学の内容、各学校の種類の複雑性にかんがみて、私どもはやはり基準を作るにしても、非常に最大公約数の——それはでこぼこがあってはならないのですが、一定の大きな基準ということが必要だと思う。しかし、あまり学科に関する事項というふうに、こまかな内容に立ち至ってくれば、これはやはり文部省が内容まで拘束するという危険性が生じてくる、こういうことで、私どもはこういう条項というものが今後の運営に非常な危険をはらむ、こういうふうに解釈しているので、これは先生とここで議論するわけではございませんで、一応御意見をお伺いしたい。
○関口公述人 ちょっと補足して申し上げますが、先ほど私沿革的なことを申し上げましたのでおわかりだと思いますけれども、現在の法案に盛られております内容、これは文部省が考え出したというよりかも、むしろみんなが考え出したといってよろしいのではないかと私は思うのです。それは、これは非公式のものでありますけれども、文郡省に短期大学教育課程研究協議会というものがありまして、松本先生もその委員でいらっしゃいましたが、短期大学はどうあるべきかということを文部省から資料を出してもらいまして、年限の問題、あるいは学年制にすべきかどうかとか、あるいは教育内容の問題、性格の問題等、長くいろいろ議論したことがあるのです。私の見るところでは、大体その場合の最大公約数が結局中央教育審議会でも認められ、法案の形になってここへ出てきているのではないか、そういうふうに私は考えております。
○坂田委員長 山本勝市君。
○山本(勝)委員 簡単に二つばかりお尋ねしたいのですが、時間もありませんので、かいつまんでお答えを願いたいのであります。 山本先生にお教え願いたい一つは、外国、ことにソ連とアメリカ、そういうようなところで学科に関する事項はどういうようにきまっておりますか。監督庁できめておるのか、これは教育専門に御研究になっているのでお教え願いたいと思います。私も学校に長い間おりましたけれども、私の考えを言うと、学校で、大学自身できめるというのは、学問の自由という建前からも、大学としては当然の要求なんですけれども、教授本位にきまっていった弊害はないか。たとえば特別な、大したことでないんだけれども、ある専門のすきなことをやっている専門家がおりますと、それで一つその学科を設ける。たとえば経済原論なら経済原論で、その中のさらに分配論がすきだというので分配論という学科を作ってみるとか、あるいは現在でもある大学で、経済原論の中でマルクスの経済学だけ教えておるという大学があります。ほかのことは教えない、一から十までマルクスの資本論を書きかえたような、章の分け方まで同じ、それだけしか教えないという学校があるのでありますが、そういう場合に、どうもわれわれ国民の代表として出てきておっても、大学の自治を尊重しなければならぬというようなことから、何とも言えないようになっておるのです。しかし、もしこれが監督官庁できまっておるということであれば、現に今日ここで論じておりますように、国民の代表として党派を問わず盛んにいいとか悪いとかいう議論ができる。そういう点で、やはりそういうことは監督官庁できめる方がむしろ論議を尽せるのでいいんじゃないか。まあこれは私の気持なんですがね。しかしソ連なんかじゃどうなっておるのです。監督官庁というものは、全然関与してないんだろうかどうだろうか。これは第一点であります。 それから第二の点は、これは関口先生にも山本先生にも伺いたいのですけれども、だんだん分業というものが国際的にこまかく進んでいくことが、いい悪いは別問題にしまして、文化の必然というか必至の趨勢だと思うのです。だんだん分業が進んでいく、スペッシャリゼーションといいますか専門化していくということは、これはもうよかれあしかれ一つの趨勢であって、その専門化の趨勢に沿っていかなければ、個人としてもそうですし、国としても、立っていかないというふうなことになっておるのじゃないか。どうも昔の——われわれ初め高等学校からずっと来たんですけれども、日本では文学とか哲学なんというようなものは非常に尊重する。しかし労働は少し軽べつするというふうな悪い風習があるのじゃないか。それで何だか専門の技能というか腕を持ってやるという者をばかにして、頭だけでいろんな空理空論をやっておれば、それが何だか上品なような一つの傾きがあるのじゃないか。それでなるべく年がいくまで特別の専門など持たないで、一般的なことをやっておる方が人間が大きくなるとか、あるいはこせこせしないでいいとかなんとかいって、そういう昔の——われわれでも正直に言って高等学校に一つの郷愁を事実感じたりするのです。しかしそれがどうも日本の教育の大きな欠点になって、中学校を出た者ならしんぼうできるけれども、高等学校を出た者はもう役に立たない。大学出たらなお理屈ばかり言って何にも役に立たない。そこでからだでやろうという気持がなくなってしまう。昔の中学がすでにそうでした。昔は小学校出たやつならほんとうにどんなことでもやれた。しかし昔の中学をちゃんと出ると、もう筋肉を働かしてやるというのは下等のように考えてしまう。現に浅草でたたき上げて非常に成功し、りっぱな日本一流の業者になっておる人があるのですが、その人に就職を頼みましても、大学出たのなんか、もう全然問題にならぬ。高等学校出たのも、何べんやってみてもしんぼうできない。中学出た者なら一つ仕込みましょうというので、中学校からのはとる。そこに日本の教育の何だか一つの時世に合わぬギャップがあるのではないかということも考える。それは両方考えるけれども、しかしそういう分業、専門化ということの関係で、やはりこれまでよりも早くから専門化していくということが明らかになってきておるんじゃないか。もう一点ありましたけれども、これは臼井君が質問されたところで大体わかりましたので、この二点だけ一つお答え願いたい。
○山本公述人 最初のアメリカ、ソ連の問題でありますが、アメリカにつきましては、御承知のように委員会制度が大体本体になっておりまして、憲法で、教育のことは州の事務である、とありますけれども、州がきめますのは、非常に強い統制的な法制を持っておるところでもごく大まかな基準であります。あとはいわゆる地方委員会の段階におきましてカリキュラムを編成することがまかされておりますし、学校においての、ことに実際の編成をやることが強く現場にまかされております。それからソ連は、これは御承知のように、全体の体制が違う国で、いわゆる計画経済に即しておりまするので、従って計画養成的な面が、国柄でありまするから相当出て参りまして、その点においてカリキュラムについての統制がある。これは一つは、社会経済全体の基盤、体制の相違が御承知のようにありまする点から出て参るのであります。従ってそれらとの関連で考えらるべき事柄であると思うのであります。 この問題についてあまり詳しく申しますことは時間でかえって御迷惑だと思いますので、第二点の方に移りますが、どういう学科を設けるかは、国会などでむしろわれわれが関心を持っておるのだという御発言がありましたが、私はこれはまことにけっこうだと思うのです。ただ問題は、監督庁が定めるということが問題であります。現在の学校教育法の施行規則の八十一条の二で、「この省令は、別に学校の教育課程」という言葉をちゃんと使って、「教育課程、設備及び編制の基準に関して規定する法律が定められるまで、暫定的に効力を有するものとする。」すなわち、教育課程の基準というものは、本来は法律のレベルできめらるべきものであります。ところが、こういうことを書いてあるにかかわらず、「この省令は」という施行規則で、御承知のように小中学校の道徳教育から特課から、学校行事までおきめになっておる。それは何かといえば、教科に関する事項というのがあるからだという。それがまた、学科に関する事項は、監督官庁が定めるということでおやりになろうとしているから、問題が——私は教育課程の基準ということであれば、この基準という点をよほどよくお考えにならなければなりませんが、それらは国民の代表である皆さんが、それこそ法律の段階において議するのが当りまえである。それを命令によってやっておる。そこに問題がある。今度の改正も第三条そのほかでそれをやろうとなすっておる。ただし国会においても基準という点はあくまでも基準である。この点につきましては、ただ基準を定めるとありましても、憲法、教育基本法、学校教育法、そのほかの種々なる条文と照し合せて、またこれは考えるべきはずのものであります。私は大学のことだけを申しておるのじゃないので、教育基本法の第二条には、教育の方針として、御承知のように「学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、」とあるくらいでありまして、決して大学の立場だけで教授会云々などということを申しておるのじゃないのでありまして、この根本精神は基本法十条から考えましても、小中高を貫いておるべきはずである。先ほど引用いたしました施行規則から見ましても、小中高の基準すら——法律で、国民の代表である皆さんが基準だけについてお考えをはっきりさせることが望ましいのであります。従って決して単なる教授だけで何でもきめればいい、さようなことを申しているのではございません。その点誤解のないように申し添えておく次第でございます。 それからもう一つは、学校で云々、学校が役に立たないから学校だけの段階にあまりこだわり過ぎることはどうかと思います。先ほどもイギリスの話が出ましたが、イギリスが割合に早期に専門のコースを置いて職能教育をやる。割合にといいましてもそう早くありませんが、やる一方、御承知のように十五才までの全日制の義務制に引き続きまして、十五才から十八才までは一週八時間は、これは土曜日の午後とか日曜日ということでなくして、勤労者の給与までも保障いたしまして、科学技術なりまた広い基礎的な教育に関する充実をはかっておるのであります。従いましてそれらの点を考えあわされまして、単に学校教育の段階だけということでなく、もう少し継続的に青少年の教育等についての拡充の御方策をお考えいただければまことに仕合せだと思います。それはイギリスばかりでなく、ほかの国におきましてもそういう現われがありますので、一言申し添えておきます。
○関口公述人 どうも今の教育は空理空論を重んじて、勤労的なことを軽蔑される、こういうことで、出てきた大学の卒業生は役に立たぬというおしかりを受けたのですが、しかしその問題は今に始まったことではないので、日本の社会に伝統的に横たわっておるところの抜きがたい間違った考え方だと私は思うのでありまして、そういうことは日ごろ大学の教官も考えて教育しておることと思いますので、大学卒業生がお役に立たぬことはあるまいと私は思うのであります。専門化の方はお話の通りでございまして、基礎的な、ことに自然科学の方では非常に分化して参りまして、そういう意味では現に今の大学はだんだんにこまかくなってきて、たとえば農学科でやっておりましたことのうちでも、機械や土木等に関係いたしますと、今度は農業工学科という新しい学科ができる。応用化学にいたしましても、今まで応用化学でみんなひっくるめておりましたのが、このごろのオートメーションその他の関係から、化学工学科という分科がまた分化発展して参る。だんだんにそうなっております。そこで先ほど五年制の短期大学についていろいろお話がございましたけれども、お話のように中央産業教育審議会でもその点は非常に問題でございます。だんだん専門分化する。また中小企業にはすぐに役に立たぬと工合が悪い。しかしまた大企業ではすぐに役に立つ必要はないから、将来職場に来てから十分伸びるだけの基礎的なものを深めてもらわなければ困るということでございまして、かりに五年制の専科大学ができましても、大筋としては基礎的なものがやや早くから、まだ若いうちからみっしり仕込まれることになる。それはたとえば何も機械を扱うということではないのでありまして、今の大学で困っておりますのは、かりに機械学科へ行く者が物理が非常に弱い、あるいは化学へ行く者が化学を高等学校でとってないというふうなことになります。五年制の専科大学でございますれば、中学校を卒業してから前期の課程に入って参りますから、そのときから普通の高等学校へ行く者より、そういう基礎的なものが十分にやれることになるのでありまして、この点は工業高等学校の校長が切に望んでいるところなんでございまして、その点はごもっともだと思います。 なお余談でございますけれども、私はこういうふうに考えるのでございます。教育の機会均等ということは非常に大事なことで、幸いに敗戦後非常に実現されました。ただ、機械均等というのは、あらゆるものがほかの条件で左右されることなしに、教育の機会を受けられるということでございますので、ただ財政の負担力があるから能力がなくても上級学校に進める、こういうことは私は必ずしも機会均等じゃない、逆に能力がありながら上級学校にいかれない。これは私大げさに申しますと、憲法では、国民は法律の定めるところにより、その能力に応じてひとしく教育を受ける権利があると書いてある。現在の六・三・三・四は、私の考えでございますが、反対がうんとあると思いますが、私は能力に応ずる教育という点で、すなわち実質的な機会均等、実質的な民主主義というものが少し閑却されておるのではないかというふうに思うのです。そこで私は非常に残念ですが、単線系は理想的には非常によろしいのですけれども、実情から考えますとやはり若干複線系の枝も出すべきではないかというふうに私は思っておりますので、能力に応ずる教育をするということになりますと、先ほど山本先生からもお話がありましたように、職場でも十分そういうことに協力してもらわなければなりませんが、また国家としましても、たとえば育英制度を大いに拡充して、能力のある者が経済的な理由を顧慮することなく上の学校にいくべきである。しかし能力のある者が、今の制度でございますと、能力がない者と一緒に小学校卒業段階から教育されておりますから、そこで結局教育のレベルは能力のない者に引かれてしまうのです。それは学校の先生がそう言っております。だから能力のある者が中学段階でもって能力が伸びないで、昔ならば五年制の中学に行って初めから基礎的な物理でも化学でもやっておったのが、それが今の中学校ではとても望めない、これは能力に応ずる教育だとは思わないのです。率直に申しますと、きょうは少し言い過ぎたかもしれませんが、やはりその点で基礎的なものはもう少し深化しなければならないが、それには能力に応ずるような制度をもう少し考えるべきではないかというのが私の立場でございます。
○坂田委員長 堀昌雄君。
○堀委員 三点ばかり関口先生に伺いたいのですが、実は御出席の方の中に技術の系統から御出身の方がないわけでありまして、この専科大学の問題は……。
○坂田委員長 児玉さんは技術の出身でございます。
○堀委員 失礼いたしました。経営者の方だからそうでないと思いました。
○児玉公述人 技術者の端くれだから、あまりありません。
○堀委員 先に関口先生に伺うのでありますが、専科大学の問題は、先ほどもお話が出ておりましたし、私は委員会で申しておりますが、三つの問題はかみ合っているのです。第一点は、短期大学をどうするかという、最初に先生がお話になった問題があるわけです。もう一つは技術者をどうするかという問題がまた別個に起ってきている問題だと思うわけです。もう一つは女子教育をどうするかという問題、この三つの問題が一つの専科大学という法案の中にまとめられてしまっているというところに、私は非常に問題が複雑になっておる点があるのではないか、こう思っておるわけなんです。ところで短期大学の問題については、先生の最初におっしゃったことは、短期大学が恒久化していいんじゃないかと思うので、そういう点については、私は短期大学恒久化差しつかえないと思うのですが、それを専科大学という名前に置きかえて恒久化するのが正しいかどうかということにはちょっと問題があろうかというふうに考えておるわけなんです。これが第一点でございます。これはもうすでに短大設置基準で御説明になりましたように、短期大学というものはなるほど置かれました沿革においてはああいう状態でございまして、私はちょっとその点問題があると思いますは、昭和二十四年の四月にこの法律が出ているわけですが、二十四年の八月には短大設置基準がすでに作られておる。大体頭の中に短大というものはこういうふうにしたいということがほぼ煮え詰まってきた時期にああいう法律が出てきておりますことは、私はやはりあの法律の附則で書くべきではなくて、短大設置基準を大学、短期大学と並べてあのとき書くべきであったので、私はその点は文部省側の手落ちであったと思う。その点は今論じても仕方がありませんが、短期大学は短期大学として一つあってもいいんだから、専科大学という名前の考え方については、技術者養成という考え方であるならば、また別個の問題として論ぜらるべき性格のものではなかったかと私は考えておるわけですが、その点で先生はそういうふうに二つに分けて考え得られるかどうか。先生は短期大学はだめなんだ、専科大学でなければいけないと、臼井さんの御質問か何かにお答えになっていますが、私はどうも短期大学というものの性格が、それはそれで一つあっていいんだ。その短期大学の性格というものは、短大設置基準にあるようなものを短期大学として書いていいんだ。専科大学というものは、私は技術者養成という関係においては、あるいは五年制なり、六年制なりというものは必要であるかもしれない。それは短期大学とは別の性質であるべきものではないかというふうに考えておるのですが、そこのところをもう一回重ねてお伺いいたします。
○関口公述人 先ほど臼井議員にお答え申し上げたと思うのですが、なお重ねてですから、同じことになるかもしれませんが申し上げます。お話のように、現在の短期大学は昭和二十四年に法律的に発足いたしまして、二十五年から実際に発足いたしましたが、そのとき四年制になれなかった専門学校等をどうするかということが一つありまして、お話のような技術教育、女子教育というものは頭の中にはそうなかったのじゃないかと思うのです。要するに女子教育とか技術教育というふうに分析しないで、とにかく四年よりもっと短かい期間にいろいろな職業的陶冶ができる高等教育機関がほしい、これは社会の要請であると言うことでできたものであると私は思うのです。そこで、それなら短期大学を恒久化するのは、当分の間やめておくのはいいが、何も専科大学にかえる必要はない、専科大学と短期大学と両々相待っていいじゃないかというお話もございますが、先ほど私いろいろ御説明申し上げましたように、短期大学の設置基準を読み上げましたけれども、あれは短期大学の理念において、大体セミ・プロフェッショナルなものを考えておるわけです。完全な高等普通教育というものは考えておらないのです。私はそれがほんとうじゃないかということを先ほど申し上げたのですが、女子教育におきましては高度の高等普通教育ということは考えられないことはないと思う。現にそういうところに重点を置いている学校がたくさんありますけれども、女子といえどもやはり現在の短期大学基準の線に沿って職業的陶冶もある程度やらなければいけないのだし、そうすれば専科大学の目的と変りないのであるから入れたらどうか、私そういうふうに申し上げておったわけであります。別に短期大学を専科大学とあわせて並べておく必要はない。並べておきますと、かえってここでは申し上げませんが、弊害が起るのではないかという気がするくらいであります。
○堀委員 その点は私は短期大学というものは、高等普通教育だと見ていないのです。やはりセミ・プロフェッショナルなものだと思うのですが、セミ・プロフェッショナルなもののジャンルに問題があるので、たとえば工業とか農業とかいうほんとうの技術的なものとやや一般的な文学であるとかあるいは家政であるとかいうものとちょっと別個なものがあると思うのです。そこで私は技術的な問題は——私は専科大学という名前は気に入らないので、専門学校でいいじゃないか、専門学校でやるのだ。短期大学というのはそうでなしに、大学教育の中の、さっきおっしゃった水増しというと大へん語弊があるのですけれども、二年の課程において行い得る程度のものをやるというようなものがあっていいんじゃないかと私は考えたので、ちょっとその点を伺ったのです。 その次にもう一つ技術者の問題で伺いたいのですが、中級の技術者の要請があるということで出ているわけですが、この技術者という問題は、さっきもどなたからお話が出ておりましたけれども、学校を出てすぐ間に会うような技術者を作るということは私は事実上不可能だと考えておるわけであります。私は出身が医者でございますが、おそらく自然科学系統の立場に立てば、いかなる学校を出てもそのあくる日から工場に出て、すぐ役に立つような教え方をするということは、その学校の中にその会社にあるのと同じような設備を持たなければできないということで、原則的には私は不可能の問題だ。時間的にいかにすみやかに順応させることができるかということに問題があるのだろうと私は考えておるわけです。そうすると順応する能力というものは、大学のあれに書いてありますように、やはり深く専門の学芸を教授し、応用できる能力を展開させることを目的とする、こういうふうにございますので、やはり基礎的な問題が非常に大事なのであって、非常に末節の技術的な問題だけを何かつけ加えたらいかにもあしたから会社にいってすぐ間に合うというふうに受け取られておる誤まりがあるのではないか、こういうふうに私は感じておるわけなんです。そこでさっき山本先生もおっしゃったし、先生からもお話がございましたように、これは大臣にも私お話したのですが、現在学制の中で数学なんかの単元が少し少な過ぎるように思う。やはり数学とか理科というものは、科学技術振興について中教審が御答申になっているように、ふやしていくことが望ましい、これはさっき先生もおっしゃったように、これは何も技術者になるからふやすというのではなくて、経済方面にいかれる方でも、分析能力がなければ見通しが立たないわけですから、分析の能力を養うのはやはり数学だ、こういうふうに私は考えておりますので、あらゆる職業の分野について数学というものは基本的に非常に大事な学科であると考えるわけであります。だからそういうものを普通教育の中でしっかりやることは決して妨げになるわけではないですから、それをしっかりやっておけば、必要なかつ専門的なものだけを五年制でやらなくてもいける余地はある。これが現在の学制の中の不十分な点だ、それをそのままにしておいて、専門学校とか専科大学だけで補おうという点に多少私は無理があるのではないか、こういうふうに中級技術者という問題点から感ずるのですが、先生はその点どうお考えでしょうか。
○関口公述人 技術教育の内容についてお話でございますが、五年制の専科大学が叫ばれて参りました一番の根本は、技術者の養成だと思うのです。産業教育以外では必ずしも五年制専門教育ということは、そう言っていないと私は思っております。そこで御承知のように、敗戦前は世界各国が、大体今そうでございますけれども、技術者の養成のために中等の技術教育とそれから大学の技術教育と、その中間の専門の程度の技術教育、大体そういうふうに技術者養成機関が分れておりまして、大学を出た者は、テクノロジストとなる、その一番下を出た者はクラフッマンになる。そのまん中のものはテクニシャンになる大体現場ではその三つぐらいの技術者の段階を考えておりまして、一つの工場を考えて参ります場合には、その三つの段階を——軍隊の例をとってはまずいけれども、兵隊と指揮官と司令官あるいは参謀というふうな工合に各職分の段階に応じた技術をもってしなければ、工場の運営はうまくいかない。生産はうまくいかないということになっております。今度の場合は大学がみな専門学校になりましたから、テクノロジストも必ずしもそこまでの力でいくか別問題ですが、テクノロジストを作り、その次の段階に従来の実業学校に当る高等学校の工業課程職業課程ということになります。それではどうしても中間の技術者がほしいわけでございます。そういう意味でテクニシャンを養う教育の段階がほしい。それが今までの短期大学あるいはこれからの二年制の短期大学が背負うべきでありますけれども、再々お話がございますように、相当専門分化されて参りましたし、自然科学に関する基礎的な教養がもっと進化しなければならないような今の科学技術の状況でございますので、やはり二年ではどうもうまくいかないということになろうかと思います。私下に伸ばすのは必ずしも理想としては賛成でないのですが、しかしこの現状、はたまた各国の現状を見ても、いろいろな技術者養成の制度がございますから、この段階ではやはり五年制の方が、二年制でそういうテクニシャンを養成するよりかも、より力のある中級技術者が出るんじゃないか、そういう意味で五年制に賛成いたします。実際は、おそらく文化系統の専科大学とか法律系統の専科大学とかいうふうなものが、必ずしも五年制にはならないんじゃないか。法案によりましても、作り得るということにはなっているようであります。作るについては相当大へんだろうと思います。資金の面から申しましても教官の面から申しましても、施設の面から申しましても大へんでございますから、すぐできないんじゃないか。そういう意味で私は五年制があってしかるべきじゃないかと思うが、その中級技術者の養成を今までの短期大学の二年の課程に押し込めることは望ましくないのではないか。やってできればよろしいのでありますが、できれば五年制に伸ばしたら、現在の社会が要求する技術者ができるんじゃないか、こう思います。
○堀委員 科学は非常な進歩を遂げて参りまして、戦前におけるような専門学校的な教育というものでは、今後非常に困ってくるんじゃないかと私は思うわけです。そこで先生は山形大学の学長でいらっしゃいますが、戦後今先生のおっしゃったように専門学校が新制大学に昇格したわけですね。日本は本来の意味においては、いわゆる高級なプランメーカーとなるような技術者というものが、日本の旧制の大学出身者をもって充てられる程度で、さらにその上に、非常にたくさんできた新制大学というものは、やはり本質的には専門学校的な性格をもっておる。これは大学設置基準の中に、片方は講座制ということで研究を主体としろ、片方は学科制ということで教授を主体としろ、こういう二つの性格が大学の中に出ている。その内容の差別を見ましても、明らかにその講座制と学科制の問に差があることは、現実の姿だと思っているわけであります。その講座制の大学には大学院を設けて、さらに深い学問の面と同時に、そういうものを出た人が優秀な技術者になり得る道もあるだろうと私は考えておりますので、全体を下に下げるという考え方よりは、やはり上に伸ばしていくということが、日本の産業を振興させるコースとしての本来の道ではないか。だんだんと非常に科学が進歩して参るにつれまして、現在ではセールスマンすらも、技術者を要求しておるという段階に来ておる。あるいは大会社の社長とか常務、専務の中には、最近は多数そういう技術者出身の方がふえてきたということはやはり単なる狭い専門的なことをやる技術者をふやすということよりも、基礎的な学力のある人たちがさらにその上に専門的な知識を身につけたものをふやすべきであって、私は中級技術者というものは、今の高等工業学校を卒業されたような方が、現場に入られて訓練を受けて中級技術者になるのでなければ、私はまことに中途半端なものをここで作ってくる危険がありはしないか、こういうふうに思うのです。それに伴って予算上の問題についてこの間大臣にもお伺いしたのですが、旧制大学における工科系統は設備が非常に古くなっているし、不十分だ、新制は新しくできたからこれまた設備が不十分だ、こういうふうに国の要請として産業界も求めておる技術者を、現在は講座制大学でも新制大学でも、十分にその要請にこたえるだけのものができるかというと、設備の面その他で非常に不十分な状態にある。それでさらにまた新たに五年制の専科大学、二年制のものがありますが、その下にさらに三年制の工業学校課程をくっつけるということで、法律は書いていないが、実質的にそんなものができて、中級技術者を、産業界の要望にこたえられるかという点に問題があると思います。先生は山形大学の学長として、現在の工科系統における設備その他に対する状態は果して満足な状態であるかどうか、大学課程においても短期大学課程においても満足な状態かどうかちょっと伺いたい。
○関口公述人 新制大学、専門学校、高等学校から昇格いたしました大学は専門学校じゃないかというお話でありますが、その点は肯定もいたしませんし否定もいたしませんが、とにかく先ほど来問題になっております第五十二条には、旧制帝国大学も私の大学も皆等しく目的、使命を書かれておるのでありますから、私どもは帝国大学に対して少しもひけ目を持たずに、レベルを上げようと思って日夜努力をいたしておりますし、文部省の方としても、いろいろ施設につきましては、乏しい国費の中からだんだんにはいただいておりますけれども、私どもの大学はもとよりお話の通り、設備はまだまだ足りません。それでも相当最近は研究に必要ないろいろな機械など買っていただいておりますけれども、足りません。これは私どもだけでなしに、旧制帝国大学にさえそういう面を持っておるのでありまして、私ども新制大学の立場から申しますと、旧制帝国大学であるところの新制大学ですね。ややこしいのですけれども、大学院を持っておるから特別な——たとえば講座制を持っております。私どもは講座制は持っておりますけれども、公けには認めていないやみの講座制ということで、ハンデイキャップをっけられております。従って研究費も、しばしば問題になりますように、旧制大学からでき上ったところの新制大学と旧帝国大学とは、非常な差別をつけられております。いつも問題なんであります。しかしそれは私どもの立場から申しますと、むしろ大学院は現在の法制の上では、学部の上に大学院を置かれるということになっておりますけれども、そのために旧制でも大学院の運営に非常に困っておることは、文教委員会の先生方よく御承知であります。私はむしろ分けて大学院は大学院で独立さして、十分な専任教官を置いて、大学の学部としましては、われわれの大学も帝国大学も同じようにやるという形になるのが、本来のあり方であろうと思っておるのです。 そこで私どもの短期大学の問題でありますが、これは冒頭の御説明のときに申し上げましたが、今までの短期大学が五十二条の四年制の目的、使命の中に入っておりますが、成り立ちが再再私お話しいたしましたし、今堀さんからお話ございましたように、成り立ちはもっと短かいセミプロの教育をしなければならぬ、そういうものが欠けておるというので申し上げたのでありまして、従って基準はそういう点を相当考えてできておりますから、私どもはそれを活用いたしまして、私の大学では先ほど申し上げましたように、短期大学部は大学ではないと明らかに教官は観念しておる。名前は大学ではあるが、四年制大学のまねしてはいけない。私どもの方は夜間ですから三年です。これが特別な使命があるのであるからプロフェッショナルの教育に一つ重点を置いて、昔の専門学校と違うところの一般教育も相当やっておりますから、要するにある意味では昔の専門学校をアウフヘーベンしたような内容にしたいと思って努力しております。おかげで今工業ブームでもありますけれども、短期大学の卒業生は全然就職には困りません。一人に何ヵ所からも就職の要請があるくらいでございますから、私は少しも問題はないと思っておるのです。工業についての短期大学は特別かもしれませんけれども。そこで今度専科大学になりますと、先ほど来申し上げましたように、四年制大学のワクに入っておりますと、どうしても大学である。大学であれば学問研究が相当重要であるというような、あるいは大学の先生であるということで、先ほども山本委員が言われましたように、抽象観念的な教育になりがちでありますから、この際法律も学校教育法も完全にその趣旨を現わして、専科大学すなわち短期の大学、高等教育機関の目標をはっきりさせていただきたい。そのことが短期の高等教育の内容がほんとうのものになるきっかけになるであろう、こういうふうに私考えておるのです。
○堀委員 もう一つ伺いたいのですが、実は先生のところの工業短期大学は夜間——国立大学だとほとんど全部夜間でございますが、そうしますと、そこに来ておる方はほとんどが会社に勤めて、そうして夜間就学しているのだと思います。そうすると会社ですでに技術者である者が夜来てさらにやっているということであれば、これはちょっとさっき申し上げましたよりに非常に並行していて私はいいことだと思うのです。しかしこの専科大学は必ずしも夜間は考えていないわけなんで、本旨としてはやはりこれは全日制のものだと思うのです。そうすると今国立の工業短期大学でやっておられますような状態なら、これはまた別個に実際上の職業について身につくものができるかと思うのですが、普通に昼間にこういうことをやるということになると、新たな設備が全部要ると思うのです。工業大学については、新たな大学が設置されたら新たな設備が全部要ることになると思います。おそらく山形大学においても、短期大学の設備というものではなくて、山形大学の工学部の設備を短期大学でお使いになっておるのじゃないか、こういうふうに私は思うわけです。それをお使いになっておるとすると、ここに問題が起ると思う。ここで四年制課程でやるべき設備で、果して水増しでない二年制の別個のものをやろうとすると、同じ設備でやることができるのかどうか。やはり二年でやるためには、別個の工科系統として、それに応ずる設備が必要だ。新たにプロフェッショナルにやろうというなら、新たなものを設けるのでなければ問題があろうと思いますが、その設備の点と、それから夜間に来ておる者の就職しておりますのは、やはり工科系の技術員として会社に就職しておるのか、あるいは一般の文科的なただのセールスマンといいますか、事務屋が夜工業短期大学でそういう技術的なものを身につけようとしておるのか、その二点を伺いたいと思います。
○関口公述人 今の点でございますが、国立の短期大学部と称しておりますが、短期大学は当初の考え方は、勤労者の教育ということが一つの重要な目的になっておったと思うわけであります。従いまして、御指摘のように昼間勤労して夜通うということが建前であって、事実開設の当初は全国的に見ますと大部分そういうふうに勤労者が入っておる。しかしここに問題がございます。近年だんだんに勤労者が入ることが少くなって参りましたのが、全国十九ございましたが、昨年度二つできまして、二十一の国立短期大学の実情なんです。私の大学はまた米沢に工学部がございまして、これは機織りこそ盛んでございますけれども、工場その他会社などもそうたくさんはございませんので、ここは遺憾ながら職業を持っておりまする短期大学部の学生は約三割、あと七割は職業を持っておりません。ただし大学では入って参りましてからいろいろあっせんしまして、昼間の職業を与えたり、また大学では研究助手が——よけいなことになりますが、これは旧制大学と非常に違うことでありまして、研究教授、助教授に対する助手が非常に少い。そこで学生に学年に応じて月に三千円なり四千円なり給与を出しまして、大学の助手がわりに使ってやって、昼間の仕事を持たしているのが相当ございます。そういうふうなことにいたしておりますので、勤労者がだんだん減っていることは遺憾ながら事実なんです。 それから設備でありますが、これは言葉を返すようですけれども、少くとも工学に関しては、短期大学向きということは、それはいろいろありますけれども、より高度の機械や実習の設備を持つということは、短期大学でも非常にプラスになっていると私は思っておるのでありまして、短期大学がもし独立しておりますれば、とてもあれだけの設備でもって実験、実習をすることはできないと思うのであります。それから教官も四年制の方の教官が相当兼務して指導しておりますので、その点では工学部と短期大学部が有機的に運用されて、あれは制度としては非常にうまいところをねらわれたと私は思っております。
○堀委員 私伺いたいのは、設備がいいことはいいのですが、さっきおっしゃったように目的が違うわけなんです。大学の卒業生というものと、短期大学の卒業生というものははっきり今おっしゃったように目的が違っておるのだ。要するに技術的にすぐ間に合う者を片一方は早く作りたい。片一方は会社へ来てからそれから経験を積んで、そうして技術者になればいいのだ、こういうふうにはっきり目的が違うということになれば、おのずからその学習の中が水増しではなくて、別個なコースが多少歩まなければ、出てすぐ技術者として間に合わないのじゃないか、こう私は感ずるわけです。そうすると多少設備も短大のための設備が別個に持たれておらないとまずいのじゃないかと思うのですが、果して国立短期大学では、四年制の方では要らないけれども、二年制の短期大学のためにはどうしてもこれだけ必要だ、それで技術者としてすぐに役に立つに必要な設備が別個に設けられておるかどうかという点を伺いたかったわけです。
○関口公述人 重ねて御質問でございますけれども、化学の実験をするとか、物理の実験をするとか、あるいは旋盤を使うとか、歯車を切るとか、鋳物を作るというようなことにつきましては、短期大学用とか四年制用ということはないと私は思うのですが、ただ国家では短期大学ができましたからめんどうを見てくれまして、昨年度でございましたか、六百万円工業短期大学のために設備費を下さいまして、それで必要なものを充実せよということでございました。そういうようなものがございますから、御指摘のような短期大学用の何か実習に必要なもの、あるいは研究に必要な機械等があれば、そういうもので買えると思います。思いますが、その範囲内においてはそう区別することはなく、教育の目的は多少違います、内容も違いますけれども、その設備についてはより高い、大は小を兼ねるわけでございますから、特別なものが要るとは私は考えておらないわけでございます。
○坂田委員長 高橋英吉君。
○高橋(英)委員 時間も大へんおそくなりましたし、御迷惑をかけますから、私は簡単に要点だけ一問一答式にお聞きしたいと思うのです。関口先生は今ずっとお伺いするところによると、大へん博学、多識、雄弁でありますから、他の機会においてゆっくり御高教を仰ぎたいとは思っておりますが、本日はごく簡単に御答弁を願います。私は専門家ではないのですから、非常に低俗で卑俗な質問をいたしますが、お許しを願いたいと思います。 この法律は巷間伝うるところによると、短期大学をつぶす目的で作られたのだというふうにいわれておりますが、その点についてどうお考えでございましょうか。
○関口公述人 私はそういう考えがどこにあるか不思議なくらいに思うのです。従来短期大学の目的がはっきりいたしておりませんでしたから、再々お話がありますように、大学四年制教育の非常に薄いものでどっちつかずになっておった。そのために社会からも就職等について認識をされないで、非常なハンディキャップを受けておる。そうして今度はその短期大学にほんとうに活を入れるたあ専科大学というものが考え出されたのだ、こういうふうに考えております。
○高橋(英)委員 そうすると専科大学ができても短期大学はこのまま現在と同様な姿において、範囲内において継続されるとお考えになっておりますか。
○関口公述人 先ほどお答え申し上げましたけれども、当分の間存置するのは現状からやむを得ないのじゃないか。しかし短期大学が今まで四年制のワクに入っておることによっていろいろ問題も起るわけです。しかるべき時期までに専科大学に切りかえて、そうして目的、使命をはっきりして、ほんとうにそういう社会の誤解を一掃して、短期大学をほんとうに新しい専科大学の形において生かしたい、こういうふうに私は考えております。
○高橋(英)委員 そうすると、今の短期大学は専科大学に切りかえができるとお考えになっておりますか。
○関口公述人 これも先ほど触れましたつもりでございましたが、先ほど申しましたように、専科大学の内容的なあり方をきめますところの専科大学設置基準というものが、おそらく大学設置審議会等で作られることと考えております。その際に、バラエティに応ずるような基準を作りますれば、現在の短期大学はこちらの方に移り得るのではあるまいか、私はまたそういうことが望ましいと思っております。ただたとえば中級の技術者でありますけれども、私どもの方は、四年制の大学の工学の工学部に依存しておるからできておるのでありますけれども、新しく作るとすれば、相当高い基準に対する施設、設備はなかなかできないのでありますから、これについては国の方で相当な御援助が望ましい。そして早く切りかえるなり、そういう方面の専科大学を作るなりして助長されたらどうであろうか。それから文科系統なり何なりでは、基準の方にバラエティがもしありますれば、そういう困難なく専科大学に切りかえられるべきではないかというふうに思うのであります。
○高橋(英)委員 この専科大学ができるというふうなことが表面に浮び出て以来、短期大学の志望者が半減したということは事実であるが、御存じないですか。すでに半分になってしまった、そういうことはお聞きになっておりませんか。
○関口公述人 聞いておりませんです。
○高橋(英)委員 先生の山形短期大学では、上級へ進学する学生がありますか。
○関口公述人 幸いほとんどございません。毎年六十人くらい出ますけれども、単位の認定の試験を受けまして、四年制の方に移る者が一人くらいございますけれども、ほとんどございませんです。
○高橋(英)委員 そういうふうなお立場だから、そういうふうなお考えが出ると思うのですが、ほかの私学の短期大学のごときに至っては、ほとんど卒業生の半分くらいが上級へ進学していくというふうな事実は御存じないですか。
○関口公述人 それは存じないでもございません。ただその点は結局教育内容の問題ではないか、私の立場からいたしますとそう思うのであります。そこのところに早く専科大学に切りかえる一つのモメントがある、私はむしろそういうふうに思うのでございます。
○高橋(英)委員 そうすると、国の補助とか公共団体の補助がなければ、なかなか専科大学に切りかえることができない、できにくいということもお認めなんですね。
○関口公述人 これも先ほど申し上げましたけれども、学校の教育内容によると思います。相当な施設設備の要るものは、ことに科学技術者などの養成に貢献するような内容の専科大学は、何とかして助成してでも作っていただきたい。それから文科系統や社会科学系統でしたら、それほどの困難はない。ただ教員組織というようなことになるとどうなりますか。それは基準でいずれおきめになると思いますが、その内容いかんによると思いますが、ほかの方はそれほど政府の方でバツク・アップしなければつぶれるというようなこともないのではあるまいかと私は思います。ただし、以上私はお答えいたしましたが、私は私立短期大学は経営いたしておりませんですから、お答えが間違っておるところはたくさんあるかと思います。
○高橋(英)委員 専科大学ができた場合の将来の見通しについてはいろいろありましょう。切りかえる可能性も出てきましょう。しかし私立大学に対する国家とか公共団体の現在までの冷淡さからいえば、なかなか切りかえができるような、そういう補助を希望するなんということは、現実においては絶対に不可能なことなんです。そういうふうな意味から、そのほかのいろいろな観点からいって、専科大学ができた場合においては、私立の短期大学の前途は、いわゆる自然消滅になるというふうな運命にあるのじゃないかと思われるのです。これは見通しですからわかりませんが、将来私立の短期大学というものが、そういうふうにつぶれてしまうというような運命になるとするならば、これは一種の既得権の侵害といいますか、今まで奨励して作っておって、大へんな努力と経費、御承知のようないきさつによって今日の短期大学をなしておるわけなんですが、これを一片の法律によってつぶしてしまうということは、国民の持っておる基本的な権利、すなわち既得権というようなものに多大の侵害を与えることになるのではないか。既得権者といいましても、たとえば売春業者のような違法なことを目的とする、前提とするところの既得権なんかは廃棄してもよろしいでしょう。その権益を侵害してもよろしいでしょうが、しかしこういうふうな既得権を侵害するというふうなことに対しては、よほど考慮しなければならないというふうにお考えですか、どうですか。
○関口公述人 短期大学は社会の需要に適応いたしまして、そして昭和二十五年以来たくさんできたわけでございまして、これが自滅するというふうなことはもちろん望ましくないことですし、それからまた、専科大学ができたから短期大学が自滅するということはないのではあるまいか。しいて考えまするならば、再々申し上げておりますように、短期大学の内容が、専科大学ができましてそれがしっかりした内容のものになって、それにもし劣るというふうなことになると、先ほどもお話がありましたが、入学者が減るとかいうことによって万一の場合が考えられないではありませんが、さればこそ、何とか政府の方でもお骨折りになって、できるだけ早い機会に専科大学に切りかえらるべきであるというふうに私は思うのであります。また、自滅のおそれがなければ当分の間今のところは無期限に存置できるわけでございますから、問題はないと思います。
○高橋(英)委員 これは見通しに対する見解の相違ということになりますから、これ以上申し上げることを控えます。要するに、われわれの見通しでは、この法律で専科大学ができれば、短期大学は国家その他がよほど考慮してやらなければ自然消滅する、すなわちつぶれるという運命をたどると思うのです。そういうことに対する最大最善の考慮を払わなければいけないと私ども思うのですが、学長さんらもその点については慎重な御考慮が願いたいと思います。 さらに女子教育に対する短大の功績というものは、先ほどもちょっと触れられたようでありますけれども、われわれもこれは絶対的なものであると思うので、短期大学がつぶれれば、結局専科大学一本ということになるならば、現在短期大学にいるところの女子並びにその親たちの家庭内における幸福、福祉とかいうものに対して大へんな損害が生ずるのではないか。先ほど先生は社会的な全般の福祉を考えなければいかぬというふうなことを言われましたが、そういうふうな観点からいいますと、私どもの社会全般の福祉ということは、先生の言われたこととはちょっと違いますけれども、しかしやはり同じ社会全般の福祉から考えて、この法律案に対してはよほど慎重な取扱いをしなければならないというふうに考えておりますが、先生はどうですか。
○関口公述人 ただいまの点はむしろ政府委員からお答えになった方がよろしくないかと思います。(笑声)
○坂田委員長 野口委員。
○野口委員 関口先生にただ一つお聞きしたいと思うのですが、重ねて申し上げるようなことになるかもしれませんけれども、先生のお言葉では六・三・三・四の学制の基本的な問題にいて御意見等もあられたわけですが、中教審の方に関係があられる先生のお立場でのこのような問題について、私は一つだけお聞きしたくなったわけでありますが、六・三・三・四の学制に対する批判、反省、検討ということは十分になされているのだと思うのですけれども、やはりこの制度の由来する教育の持っている使命というのは、憲法の理想の実現ということにあると思うわけであります。その点ではこの制度に対する理論の限界というものが必ずあるのではないかと私は考えるわけであります。技術教育、職業教育というような問題について、これを社会の一つの要求としていろいろな議論をする議論の場はあってよろしいと思いますし、そのような御意見の発表においては、先生のお話も、私はいろいろな面で勉強しました。またこちらで考えている面も出たわけでございますけれども、そのような社会の要求を現わすことのなかで、やはり人間の教育ということを失ってはならないということを憲法ではうたっているように私は思うわけであります。その点で、行政機関の任務というのは、教育基本法で明らかになっているように、不当な支配を排除するという自覚の上に立って、教育がほんとうに学校の中でよく行われるように、その諸条件を整備してやることであります。このたびの法案の中には、先ほどからありましたように七十条の三では、学科についての監督庁の権限があり、四十五条の二には技能教育についての施設の設定は文部大臣行うというようなことがあり、六十条の削除等があります等、この点では非常に行政機関の権力が教育の中に干渉し過ぎてはおらないだろうか。そのような点を含めたこの専科大学の立法趣旨ということについて、先生は先ほど全面的にこの内容に賛成なさいましたけれども、私は憲法があり基本法がある限り、このような行政機関の教育活動の内容面までにわたっての干渉については厳に慎しまなければならぬと思います。先生の、技能教育、技術教育、職業教育等についてのお話はよくわかりましたけれども、この法案の中にはそういう面が非常に多いのです。この点についての関口先生のお考えを一つお伺いしたい、こう思うわけであります。
○関口公述人 本日の問題でございますところの専科大学に関する限りは、先ほどるる実例をあげて申しましたように、私はそういう心配はないだろうと思います。ただし、そういうような形がもっとさらにほかの問題、あるいは教育全般に及ぶかもしれぬという御心配があるのだろうと思うのですが、その点は私何ともここでお答えできません。そういうことは多分ないだろうと思うし、ないことを望みたい。それから政府当局は十分に良識を持って、権力の乱用は避けられるであろう、それを信頼したいということを申し上げるより、この際としては仕方がないと思います。専科大学については、私はその点の心配はないだろうと思っております。
○坂田委員長 以上をもちまして山本公述人及び関口公述人の公述は終りました。両公述人には貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見は両法律案審査の上に今後多大の参考となるものと存じます。 それでは午前中の会議はこの程度として、午後は二時より再開し、児玉公述人及び松本公述人の御意見を聴取することといたします。 休憩いたします。 午後一時二十四分休憩 ————◇————— 午後二時十三分開議
○坂田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。 午後は児玉公述人及び松本公述人の公述でございますが、まず児玉公述人よりお願いいたします。児玉公述人には御多用中にもかかわりませず、貴重な時間をさいて御出席をいただき、厚く御礼を申し上げます。何とぞ両法律案について経営者の立場から忌憚のない御意見の開陳をお願いいたします。児玉公述人。
○児玉公述人 私は日経連の理事をしております児玉でございます。日経連の中の技術教育委員会の方をやっておる者であります。私三時から用事があるので、松本さんより先にさせていただいて、大へん御迷惑をかけたと思いますが御了承願います。 私の申し上げたいことは、先にお話になりました関口公述人と大体同じ意見で、私も偶然の一致というものがあることは知っておるのですが、まことに偶然の一致で、前に関口さんとお話したことも何もないのでありますが、ほとんど同じ意見なので、私の申し上げることがほとんどなくなったわけでありますけれども、一応私の意見を申し上げます。 結論から申しますと、今回の学校教育法等の一部を改正する法律案につきましては、賛成であります。私日経連の理事をやっています関係上、日経連でいろいろな委員をやっているわけでありますが、日経連には御承知の通りに非常にわずかな中小企業の方と大企業と両方ありまして、中小企業と大企業の利害は、いろいろな面で必ずしも一致しない。技術教育委員会においても中小企業の問題と大企業の問題と両方あるのでありますが、今回出ております専科大学のこの案につきましては、これこそ文字通り中小企業も大企業も大賛成であるという結論になりました。これくらい大、中が相当大きな問題であるにかかわらず一致したものは、私の記憶する限りではありません。大企業の人も中企業の人もみなこれに賛成であるということになりましたので、これは私も個人的には大賛成で、数年前からこの案をひっさげて世の中に訴えておったわけなんでありますから、全体においてこの案に賛成だということになったのでありまして、委員としてもまた私個人としても賛成であると申し上げるわけであります。ただ賛成ではありますが、多少細部にわたりまして、これは私の個人的見解でありますが、見解を少し述べさせていただきたい。 大へんたくさんあるので、この学校教育法等の一部を改正する法律案要綱という印刷物によりまして、一応触れていきたいと思います。 この中で一、専科大学に関する事項、これはむろん夜間のものも昼間のものもあると思うのですが、この中の専科大学という名前、これは私の個人的見解でありますが、名前はどうでもいいと言えばいいようなものですけれども、専科の科は、どうもわれわれの一般常識からいきますと、電気専科大学だとか、機械専科大学というようなニュアンスがある。科というのが複数である。日本人には単数と複数がはっきりしないから、科が複数だというならば、工業短期大学というものもあるであろう、商業短期大学というものもあるであろうと考えますが、それにいたしましてもどうも短期大学という名前は、もし変えられるなら私は専門大学とした方がいいではないかと思う。ここに問題は専門大学とすると、旧来日本には専門学校というのがあったので、何だか大学が格下げしたような感じを受けるのじゃないか。この意見はずいぶんありました。ありましたけれども、それはここ何年かやっておればそういうこともなくなるでありましょう。これはいろいろ意見があるのですけれども、個人的見解は、専門大学の方が名が実を現わしておる。名は実の賓ということがありますから、実を現わしておるであろうと、一応私はそう考えます。しかしこれはそう大した意見ではありません。 それから「深く専門の学芸を教授研究し、」というのは、一体学芸とは何ぞやということをちょっと私考えてみたのですが、学問芸術であるか、学問、技芸であろうかと私考えてみまして、技芸と考えるならそれでよかろう、それなら一字か二字ですから、学問技芸をとかなんとかという言葉にした方がはっきりするではないかというのが個人的見解でありますが、しいてそう主張するわけではありません。 それから三項のところは、これでよいと思いますが、これは六・三・三・四制との関係がありまして議論があるところと思いますが、本来ならば修業年限を五年または六年とするのを原則のようにしておいて、二年または三年とすることを得るというように、上と下を取りかえた方がよいのじゃないか。これはいろいろ議論がありますから詳論は避けますがどうもその方がよいのではないかというような考え方です。これは必ずしも強く主張するところではありません。 さて、専科大学というこの案にあるものがなぜ必要かと申しますと、私はもとは技術屋ですが、それも中級技術者か初級技術者くらいな資格だろうと思いますが、かりに技術だけを考えましても、そうでない会社を運営する事務系のことを考えましても、大体人員というものはピラミッド的というか、そういう配置になる方が人事管理上非常に都合がよい。頭でっかちでも困るし、またフラットになっても困る。そこでかりに現在の六・三・三・四制の工業学校、商業学校を考えましても、高卒三年程度の者と、大学四年を終った者との間には相当な開きがあります。この間を埋めるためにはどうしても、結局私はピラミッド論ですから、ピラミッドにするために、その中間の技術者、事務屋が必要であろう。そうするとこの専科大学案が最も適当であろうという私の考えであります。 さてそれならば、これは高等学校を卒業して二年でありますが、その案を作るのにどうしたらいいかということを考えますと、さっき技術々々という話がありましたけれども、事務系におきましても五年制にした方がより効果的である。商業高等学校を出た人と大学との間の、その中間の人として商業短期大学、あるいはこれで言えば専科大学ですが、専科大学の人がぜひ必要であろう。そうしますと六・三・三・二になるわけであります。今の短期大学の六・三・三・二、ところがこれはいろいろな議論がありますが、私は教育というものはこま切れにすべきものではない。できるだけ同じ学校で長く教育する方が教育効果が上る。幾ら優秀な先生がおられても、時間が短かいことにはどうしても感化を及ぼすことはできない。やはり時間のファクターが入ってくる。そうしますと、昔は専門学校は六・五・三でありました。それが今度のこの案によると六・三・五になるわけで、トータルの年限は同じでありますけれども、三が中間に来るか最後に来るか、教育はできるだけ終りが長い方がいい。それは十年も何年もかかると困るんだけれども、終りが長い方がいいというのが私の見解でありまして、そうしますと従来の専門学校の六・五・三よりも六・三・五の方がより有効であるというのが私の見解であります。従ってこれができますれば、これはもとの文化系統で言えば商業高等学校、商業専門学校、それから技術で言えば工業専門学校、あの三年制度の専門学校よりは——これは大学という名前もついておるのでありますが、よりいい有能な人ができ得るであろう。教育というものはどうしても最終において相当の年限を要する。ことに技術教育においては年限を要する。それを二年ではまことに短か過ぎると考えますので、専門学校のもとよりははるかにいい卒業生が出るであろう。あるいは六・三・五を四にしても従来くらいな——これは一年減るわけですが、大学は新制が今度一年減ったんですから、それとの関連においては六・三・四でもいいではないかというくらいに思っているわけなのであります。それを六・三・五にすれば、あるいは六にすればもっとよくなって、日本の工業界に非常に貢献するであろうと私は考えます。 同時に、現在事務系の方は非常に卒業生が余って就職難だ、技術系は逆に希望する人数が得られないで各事業場は非常に困っているという時代に、今後技術者の、ことに中級、高級技術者の数を非常に増さなければいかぬ。日本が工業国として立つ以上はどうしても技術者の供給数をともかく増さなければいかぬ。増す場合に何を増すべきかといいますと、私は四年制度の大学は世界並みに考えましても日本では数が少いとは考えません。従って今後技術者を増すために工業高等学校を増したらどうか、それもけっこうでありますが、それではどうも足らないというところで、中級、高級の技術者を今後日本がたくさん作らなければいかぬ。それがためにはこの専科大学による技術者を日本は作るべきだ。その方が父兄の負担も少いし、国家の負担も少いし、しかも民間の事業会社は切にこれを望んでいるのでありますから、これを増すべきだ。大学はそうやたらに増すべきではなかろう。電子工業だとか原子力だとかいうような新しい科を大学にお増しになることはけっこうでありますけれども、四年制の工業大学を新設するよりは、専科大学をそれと同じ金でやればたくさんの教育ができるわけですから、その方が日本の国家として進むべき道だろうと考えます。私はそう考えるわけであります。 女子について先ほどもいろいろ議論がありましたが、女子につきましてはいわゆる花嫁学校というものも考えられますけれども、今後の日本におきましては女子が就職戦線に相当期間出ていく可能性が十分ある。またそういうようにならなけりゃいかぬであろう。そう考えますと、現在のニヵ年よりは、女子においても、たとえば先ほど関口先生からお話がありましたが、看護婦さんだとか、料理だと家政、裁縫ですか、そういう面につきましても、現在の二年よりは五年制度の女子単科大学の方がはるかに有能である。有能というと多少語弊があるけれども、役に立つであろう。こういう方向に進んで、女子が就職に進んでいくことを非常にやりやすくすることは、国家として非常に女子に対して親切なやり方であろう。従って男子に対しても女子に対しても、この五年制度あるいは六年制度の専科大学を今後は作るべきであるというのが私の見解であります。そうすれば非常に専門というか、ピラミッドはうまくいきますし、女子につきましても今後四年制の大学を増すことよりも、この方を国家としてお増しになることが得策だ。ただしそれは五年制にすべきであろうというのが私の見解であります。 もう一つは、先ほどこれは触れませんでしたが、世の中の必要は、これはもう先ほど申した通りに中級技術者というか、こういう技術者を必要としておる。たとえば原子力にいたしましても、これは非常にむずかしい問題でありまして、非常に高級な技術が必要なんですけれども、その人が今はすべての計算までやらなければいかぬ。ところが原子力のメインの部分だけを大学あるいは大学院を出た人がやっておって、その下に助手としてある程度の、中級の技術者が必要であります。それを持っていけば、一人の人が二人前も三人前も——下の人を使うことによっても三人前も働けませんけれども、一・五なり一・六人前くらいの仕事をりっぱにできる。これは大学でもそうじゃないか。たとえば大学の助教授は必ず教授にするんだということになると、なかなかむずかしいけれども、助手として一生涯働くという人は、必ずしも大学を出ていないでも、こういう専科大学を出た人が助手として働けば、大学の方でも教授をそう増さぬでも教授のロードをこれによって軽くできるであろう。会社においても同じであります。大学院や大学の卒業生のロードを軽くする、というと多少語弊がありますけれども、そういう意味でこの問題は非常に必要であろう。 もう一つは、関口さんの触れられたように能力の問題であります。なるほど教育は機会均等でありますけれども、学校というものは一様の者を作ることではなくて、入った者をどれだけ伸ばすかということで、しかも人間の能力には限界があります。能力のない者を、現状では工科を志望する場合、工業高等学校があるが、それ以上は大学へ行くよりない。工科関係の専門学校は少いわけですから、ニヵ年では非常にむずかしいのです。大学まで行かないで、自分は中級技術者くらいの素質でも、その人は、中間がないものですから、現在ではどちらか一つだけ選ばなければならぬ。これはやはり自由に選べるという形でこういうことをした方が自由の原則に合うであろうということを私考えるわけです。やはり能力と、資力が全然なくちゃ困るわけですから、体力、それから頭、それから資力というものを考えてどの道へでも行けるということが国家としては一番必要であろう、こう考えるわけであります。ただ五年制にすると、あまり早くから専門教育をやり過ぎるのではないかということについてはいろいろ議論があるのでありますけれども、大学を卒業してすら、おれは工科を出たけれども法科へ行ったという人がずいぶんある。そういうことでもいいけれども、限度がある。また専科大学しかないのじゃないのですから、中学校を出て——大体私大学を出た者を毎年何百人も採用の面会をするのですが、いつごろ希望がきまったかということを聞きますと、高等学校を出たときにもうすでに電気に行きたいというふうにきめた人もありますれば、教養学部を一年やってからきめた人もありますし、中学を出たときから、おれは工科に行くつもりだった、文科に行くつもりはなかったという人が非常に多いのであります。中学校を出れば、文科系統に進むか工科系統に進むかは、全部ではありませんけれども、相当多数日本にはすでにきまっている人がいる。それは家庭も本人も——先ほど本人のお話がありましたけれども、本人もすでにきまっている人があるにきまっているのですから、そういう人が何人かはそこに行けるということは自由の原則に合うであろうということから、私はどうしてもこういう五ヵ年制度の専科大学が必要であろう、こう考えます。そのほかについては私は今申し上げたところで尽きておる。あとは関口さんの御意見と大体一致します。 それからこの二に書いてある「高等学校の定時制課程」、これはどなたもお触れになりませんでしたが、「通信教育課程と技能教育施設との連携に関する事項」、これは多年われわれが主張したことですが、技能者養成というものは労働省の所管になっております。学校は文部省の所管だ。労働省であれだけ技能者養成に力を入れてやっている。そこで工業関係が多いのですけれども、実習なら実習あるいは数学なら数学、電気なら電気をすでにやっている人が定時制の夜間高等学校に行って、もう一ぺん全く同じものを、しかも程度が低いのであります。技能者養成の気のきいたところでは、夜間部の高等学校よりも専門学科についてはずっと上の教育をしております。そういう人が毎日月曜日から土曜日まで定時制の学校に行かなければ卒業免状がもらえないというのは、働く青少年に対してまことに私は不親切なやり方であると思う。これを実際やっているものを調べてみますと、会社の仕事をいいかげんにしておいて夜間へ行くか、そうすれば夜間も出られます。今度は夜間をいいかげんにしておいて会社の方を一生懸命やるか、両方一生懸命やる人、両方サボるのと四種類あるわけです。両方とも一生懸命やっている者は、統計をはっきりとったのではありませんが、ほとんどからだをこわすわけなのであります。これは青年の体位に対するゆゆしき問題だ。それはできません。会社で八時間働いて夜の九時まで行って、しかも月曜日から土曜日まで毎日でありますから、そんなことを青少年のちょうどあの若いときに二年も三年も続けて、からだの持つ方が不思議なんです。それをそのままにしておく法はないというので、ずいぶん私は、国家が教育しているのだから労働省の技能者養成を全部認めよというのではないが、その中の電気なら電気、機械なら機械を文部省で認めることにしてくれということを言ったのでありますが、文部省の人がここにおいでになりますが、労働省へ行くと、文部省ががんこで聞かないのだ、なわ張りだからどうにもならぬ、官庁というところはなわ張りだよということで、そんなに強いなわがあるかと言ったのですが、これが出て、これは文部省も話がわかる、文部省の人には大へん失礼ですが、私の文部省に対する認識が変りました。これで大へんよくなった。そのかわり文部省でこういう技能者養成の施設は認められないとか、こういうことは認めますということでやっていただいてけっこうなんです。私が双手を上げて賛成するというのは、私のためではありません。そうすれば働く青少年が大体一週間に三日か四日ならばからだのいい男は続けられるであろう。一週間に六日間毎日九時ごろまで、話に聞くと、九時ごろ終ってから汽車の中で弁当を食べながら帰る。そんなことを三年も四年も続けることは非常に困る。それはスーパー・マンはやったらいいのですが、そうでない人にはこういう方法ができることが非常にいいので、私はこの問題は非常に賛成なのであります。
○坂田委員長 これより児玉公述人に対する質疑に入ります。この際委員各位に御了承をお願いしておきますが、児玉公述人に対する御質疑は、やむを得ない御都合のため三時ごろまでには終了いたしたいと存じますので、質問は簡単に要点をお述べいただくように御協力をお願い申し上げる次第でございます。辻原弘市君。
○辻原委員 非常に児玉さんの現実的な意見を承わったわけでありますが、その意見はまた一つの批判になるので、われわれの方で別の面からいろいろ承わっておきたいと思います。第一にお伺いいたしたいのは、いわゆる卒業生とそれから財界、産業界の需要供給の関係がありますが、これは今度の専科大学の構想が特に経済界、産業界の強い要請のもとにここにクローズ・アップされて、法案化されてきたということは、私は事実だと思うのです。それだけに今の大学——短期大学を初め一般大学についてもこの需給、いわゆる就職の問題が非常に大きな問題になっておると思います。これはあながち例年の状況を見ましても、必ずしも工科の学生だから就職が非常にたやすかったというわけには参っていない。そういう点について現実の経済界の要請と学校教育との間に何がしかのギャップがあるのじゃなかろうかというふうに考えるわけですけれども、しかし問題は、ともかく学校を卒業しても就職ができない、こういうような現実の中に新しい一つの大学を設けていくわけです。ですから、そこに私はやはり将来に対する需給の問題について相当明確な線を出しておく必要があると思うのですが、そういう点について——しかもそういう立場にいらっしゃるし、かなりの統計を持っていらっしゃると思いますから、はっきり申せばこうした構想のもとに養成せられたいわゆる技術者等について、今後日本の経済界の動きを見通した場合、かりにこれが設置せられたといたしますと、直ちに二年ないし三年後には新しい卒業生ができるわけですから、そういった場合に、いわゆる完全というのは言葉のあやでありますけれでも、最大限そういうものを受け入れられる態勢にほんとうにあるのかどうか。この点をわれわれは非常に疑問にしておるのです。従来いわゆる科学技術、そういった面ばかりではなく、教員養成にいたしましても非常に需給の関係がアンバランスになってきておる。どんどん養成はするが、しかしながら国で作ったものですからこれが保障されていない。こういう現実を見るときに、需給の問題は単に短期大学ばかりでなく、全般の大学をひつくるんで考えるべき問題でありますけれども、しかし今これだけは非常に強力に推進せられて、特に財界のお立場でいらっしゃいますから、その点一つ承わっておきたいと思います。
○児玉公述人 需給の問題でありますが、私も神様でないし、将来のことを必ずお引き受けしましょうと申し上げられないのでありますが、これだけははっきり言えると思うのです。これは終戦前は別といたしまして、終戦後——理工科系統と文科系統とがあるわけなんで、将来非常に日本が、そういうことがあっては困るのですが、不景気になれば工科系統といえども就職難に陥るのじゃないか、大学の就職難が出ておれば、専科大学はもっと就職難に陥るのじゃないかという御意見でありますが、将来のことでありますから、それは絶対にないとは私は申し上げません。ただ現在の大学を考えてみますと、終戦後いろいろ景気、不景気はありました。ありましたけれども、終戦後十数年たつわけですが、いつのときを見ましても、文科系統の就職率より工科系統の就職率が悪くなったというためしは、私は知りません。従って将来工科系統だけは完全就職をして、文科系統は非常に就職難だというのは、国として考えるべき問題じゃないか。私どもは五年制が説なんだから、二年制の専科大学にはあまり自信がない。五年制にすることを得とある。五年制でおやりになれば、文科系統の大学の卒業生の就職率より工科系統の方が就職率がいいということは、ここ五年や十年は——まさか百年も二百年もたった後のことは申し上げられませんが、変らないであろう。就職率というものは、率ですからいいか悪いかは比較の問題ですから、文科系統よりは工科系統の方が現状では、文部省がどんなにがんばって工科系統の学校をお作りになっても、文部省の力に限度があると私は思いますから、ここ当分は工科の方が文科よりは就職率がいいであろう、そういう判断であります。
○辻原委員 これは特に私立関係の大学の場合に言えることなんでありますが、文科とそれから理工科のバランスというものが、実際の要請とは非常に逆の形になっている。これは私もたびたびそういう意見を申し上げたわけであります。そういう現状が今日の新制の既設の大学の中にあるわけですね。ですから、かりに新しいものを作るにいたしましても、それを通じてやはり考えていかないと、片一方で、そういうバランスを何らかとって新しいものを作るのだ、こういう形は、これは財界の方で人を雇い、お使いになるというお立場の問題ではありますけれども、そういう観点から、私どもとしては非常にいい表現ではありませんが、そういった時代の要請ということを考えれば、どうもそれは一面だけしかとらえていない、こういう印象を受けるわけです。確かに最近の理工科についての要求度合というものがだんだん高くなっていることは事実なんです。だから、なるほど既設の大学制度というものについて、そういう要請にこたえられるような一つの内容というものを備えていく必要もありましょうし、また新設する大学等についてのものの考え方等においても、やはりそういった方向に——私立の場合ですから国でどうこうするわけには参りませんが、しかし国が財政的な援助をするというような形に持っていけば、ある面では充足せられるわけですから、そういう面についてもう少し検討を加え、それとの関連において短期大学というようなものも考えるべきではなかったかということなんでありまして、今お述べになっておられることは、中級の技術者だ、中級の技術者だということだけで、そこだけを抜き出して考えている点に若干あきたらぬ点がございます。これは意見にわたりますからやめます。 それから今お述べになりました、児玉さんは率直に五年制を中核にした、そういう新しいものがよろしいという御意見でありました。私もその点はわからぬではありませんけれども、しかしこれは人をお使いになるという立場からいえば、非常に便利で好都合かもしれませんけれども、しかしまた一面そういった立場の人が中心になった産業界というのは一体どうだろうか。もちろんその上の技術者は大学、あるいは大学院の方々がやるのだということですが、あなたも言われましたように、ピラミッド型にしていくためには、少くとも一つの技術者としても将来性のある、単に機械的な人間ということでは困るのじゃないか。そういう意味合いにおいて、かつての専門学校教育の中にも幾多の欠陥があったとわれわれも考えております。ですから、現在の短期大学を暫定的に認めている程度の、高等学校までは少くとも一般教養を十分やらして、もちろんその中において科学技術の教育を効果的に充実していくことは現在においてもかなりの欠陥があると思いますから、まず一般教養をそこまでやらせる、そして高等学校の中に食い込んで、それから専門教育に及ぼすということは、これは少しく時期的に早いのではないか、それがただ年令的にマッチしないというようなことであるなれば、学齢年令の引き下げなんということは、世界でもすでに行われているのですから、そういう点も考慮すれば、年令的な要請にもマッチはできると思うのです。だからあなたの御意見でありました五年制ということについて、私どももそれについては今日かなり疑問を持っております。なお、そういう点について、今後あなたの方で御検討が得られれば非常にけっこうだと思います。 それからお伺いいたしますと、結局旧制の専門学校を中核にして、そして大体内容的なものとそれとほぼ相似たものをお考えになっていらっしゃるようですが、これについての批判は、結局財界の要請というのは、一面においては使いやすい人間を作る、それから便利な人間、便利な技術者を作る、しかも経営上からは比較的安上りになるような人的構成を中核にしたいというようなことで、専科大学の構想というものを非常に強く推進されておる、こういう批判があるわけなんです。確かに経営上からはそういうお考えを持たれるのは私もごもっともだと思うのですが、結局これは財界だけの問題でもございませんし、やはり個々の人間の教育という問題であれば、その上にもう一つお考えを賜わらなければならぬ点があるのです。そうした観点から、それらの批判について、財界としては、いや我田引水のことばかり言っておるのではない、国家的な立場、あるいは教育という立場でこの専科大学に賛成なんだという御意見を、この機会に承わることができたら大へんけっこうじゃないか、こういうふうに思います。
○児玉公述人 それについてお答えいたしますが、私は、これには中級とか高級とかいうものがありますけれども、そこを出た者は中級以上にしないということはどこにもないので、これは中級以上にするという意味なんです。実のところきょうは私は申し上げないつもりだったが、何でもざっくばらんに言う方なので申し上げますが、現在専門学校にもいろいろ批判がありますが、私は実は中級なんです、大学出の学士さまではありません、専門学校出であります。専門学校のしかも電気をやったのでありますけれども、専門学校は中級だからそれ以上になれないというものではないのです。しかも今度は大学という名前で、昔の専門学校というのではありません。従来は専門学校は三年、三年というのは短か過ぎる、明治専門学校は四年やっておられた。その議論があったものでありまして、それが今度は年限は五年なんで、大学よりは下だけれども一年多いのだから、年限があるだけ有能な先生方の訓育が十分行き届くであろう。従来と同じという程度なら、さっき申し上げた四年でよかろうというふうに考えるのでありますけれども、今度は専門的に分野が分れましたから、五年になるのはいいと思う。六・五・三が今度は六・三・五になって、最終段階が五年になったのですから、私は従来の専門学校よりは有能な人が出るであろうと思う。それも大学でありますから、同じように二つも高級ということはできないから、高級としたいのだけれども、まあ中級となっているので、中級の人から高級が出ることは一向差しつかえない。それにこれより上にしないぞというものではありません。ことに最近の学校は教養というものをよくやっておられますから、三年間専門ばかりやるのではなしに、ことに高等学校から続いて五ヵ年やれば、眼界の広い人が出るであろう。私も実業界におりますが、ことに技術者出ですから、技術者は先見の明がないとか、眼界が狭いとか、がんこで困るとか、目先しか見ないとか、あるいはお前ら安い者を使うことばかりやっているのではないかというお話がありますが、そういう御批評は私も十分承知しておる。私自身は決して今技術者が足らぬからどうこうというのではないのだ、長き将来にわたってこういう者が必要であろう、しかもこの中から有能な技術者がたくさん輩出するであろうということを考えておるわけでありまして、教育というものはことに三年や五年先のことを考えるべきではない、長き将来のことを考えるべきだ、そうすれば本人の能力に応じ、進むべき道は、大学に行こうと思ったらこの案でも行けるのです、大学院にも行けるわけです。道は開いてあるのだから、決してこれで悪くはない。 それからもう一つ早期に専門教育をすることは人間を小さくするという意見がありますけれども、私は必ずしもそういうものでないと思う。それなら昔の高等工業学校を出た者は限界が狭くて社長や何かになれないはずなんですよ。しかしなっているのは幾らもあるのだ。それはやはり卒業後のトレーニングが今日民間でも非常にやかましくなりましたからです。ところが高等工業学校ではあまりにも基礎が足らない、第一外国の本が読めないということがあります。数学も足らない、物理も足らない。基礎が非常に足らないということで、それを初めから教えることに非常に苦労しておるのであります。ところがこの専科大学になれば、相当程度の基礎もできるだろうと考えますから、出てから後、伸びるのが非常に伸びしろのいいものができるだろう、こう考えるわけであります。私は何も、安上りに使える人間で、しかもはいはいと言うことを聞く者でなければならぬとは思っていないのです。そういう者では事業は伸展しないのですから。そういう会社はありますよ。ごらんなさい、それはあります。しかしそういう会社はきっといつかは行き詰まります。私はそう確信しております。ですから行き詰まらないものでやりたいと思えば、この案で十分やっていける。民間人はその場限りのことばかり考えると皆さんはお考えになる。われわれから見れば皆さん方もその場限りのことばかり考えると言いたいのだけれども、それは別として、私自身は何も目の先のことばかり考えてはおりません。これで十分役に立つと言いますか——私の役に立つというのは国家の役に立つということですよ。会社の役に立つということではないのですそれは誤解しないようにして下さい。そういう意味で私は申し上げているのだということであります。
○本島委員 ただいま承わっておりまして感じられましたことは、あなたは現在経営の方にいらっしゃるからおわかりになると思いますが、短大卒業生は相当使っておられるわけですね。そういう場合に、今度できる専大を出る人と短大を出る人とは、どういう点で違うというお考え方で専大の方がいいとおっしゃるのか、伺わしていただきたい。
○児玉公述人 この二年制という専大の案では、今の短大の二年制の人とそう差はなかろうと私は見ております。これはどうなるかわかりません、将来のことですから。それはそう差はなかろう、現在の短大と同じくらいであろう、甲乙をつけろと言われるとちょっと困るのですけれども、つかないというのが私の見解であります。たとえば英文学をやる、短大で二年英語をやったという人では、とても会話はできません。ところが中学校から五年制の短大を出て——たとえば女子の英語の科を出られた人は、おそらく会話なんかはすらすらとできるだろう。だからこの五年制度における専科大学といいますか、短期大学といいますか、名前は何でもいいのですが、五年制ということになれば、現在の短大の人よりはすぐに役に立つとか何とかいう意味ではないのです。長く将来にわたって役に立つ人が出るのじゃなかろうか。五年も十年も立てば同じになりますよ。卒業して五、六年もたてば、あとは自分が勉強するかしないかによって違うのですから。しかし五年制にした方がより有能な人が、しかもすぐにも役に立ち、将来も役に立つ人が出るだろうと思っております。
○本島委員 反論するようで申しわけありませんが、技術者は非常に世間が狭いとかものの考え方が一徹だということはあなた自身がおっしゃったのですが、大体人となりを見て参りますと、人間というものは、人間的な基礎的な教育を十分受けておられる方の方が、あらゆる方面に伸びていかれる場合によりいいということを今までの経験から私たちは知っておるわけです。業界においてもそのようなことを言われております。大へん失礼な言い分ですが、戦前におきましても特定の教育だけを受けて検定などを受けてきた方方、こういう方々はものの考え方が非常に狭くて、仕事をするときには都合がいいが、外に置いておいてはまずくて仕方がない、あるいはいろいろな位置につかれた場合も、あれは検定を受けておる人だという言葉さえ出たことがある。そういたしますと、あなたはこの案に賛成だとおっしゃったのですが、短大においては基本的に大学と違う形において教育をされていくわけですから、あなたがおっしゃるような特定に進んだ専門的な知識が得られるとは感じられない。なぜかというと、年令的に見ましてもそういう特定の教育をつぎ込む時期ではないわけですから、そういう意味で反論いたしますれば、むしろ、先ほどからいろいろ関連して公述人の方々が述べておられましたけれども、人間性というところから考えていけば、幅広く持たしていけるという形の方が、職場においてお使いになる方も使いいいのじゃないか、またその人の伸びていく姿も、さっき旧制の明専をお出になったとおっしゃったのですが、そういう方々と比較して、基礎的な教育をがっちりと受けた方の方が割合に伸びる率が多かろうと考えております。そういう意味合いで、特に専科大学に賛成だとおっしゃったから、先ほどの論法を繰り返しにおなりにならないで別な角度から、それの方が効果的だというものがあったらおっしゃっていただきたいと思います。
○児玉公述人 その問題は五年制にした高等学校の問題だと思うわけです。高等学校課程といいますか、下の課程というか、この課程の教育は必ずしも専門ばかり教えるわけではないのです。今までと全部同じではありませんが、たとえば実習なら実習について、工業へ進むものは工業関係の実習をやればいいし、実習といいますか、職業課程というのが高等学校にありますが、その中で商業に進む人はそろばんをやればいい。同じ時間に、片一方の人はそろばんをおやりになっても片一方は機械の実習をおやりになればいいのであって、必ずしも一般教育にそんなに食い込まなくてもいいと私は思う。たとえば物理と化学を自由にやるのを、こういうところは物理を主としてやり、こういうところは化学をやる。化学をやったからかたくなになり、物理をやったからかたくなにならないということはないのですから、私はそれは同じにできるであろう、こう考えるわけです。しかし、先生が悪ければ別ですよ。それはできるという考えであります。従って必ずしもがんこだというのは——私がさっき技術屋はかたくなだというのは、人が言うということを言ったのです。自分はかたくなだとは思っていないのだ。しかしそれは火のないところに煙はたたないのだというの理屈にあっているだろうと思います。その点は別といたしまして、必ずしも専科大学というものについて、五年制にするから人間が小さくなって、三、二と二つに分けるから人間が大きくなるとは私は考えません。
○本島委員 その科目の分け方でなく、先ほどの御説明は、関口先生と全く同感だとおっしゃったものですから、お聞きしたわけなんです。そういたしますと、あなたの論法でいくと、ただ教授の仕方において、比重が工業なりあるいは商業なりに少し重点的な教育をされると思う。から、短大より専科大学の方がいいという考え方のようですが、そうするならば、今日の短大においてもそういうことが言われるわけだ。特に先ほどからおっしゃられるような、受け入れ側から専科大学の方がよろしいという論点は見受けられない、それで私は、同じことを繰り返し御返答のようですけれども、そうはならないだろうと言うのです。むしろもっと人間の本来の希望と申しましょうか。本能的な欲望と申しましょうか、そういう面から言うならば、木型にはめていくような専科大学的な、いわゆる戦前におきます専門学校という形におけるよりは、むしろ短大の方がよくないかということを気持の上で持っていたものですから、あなたに別の角度からということで聞いたのであります。ですから、もしなければよろしゅうございます。
○児玉公述人 それは三、二と分けますと、今の短大では化学をやった人も物理をやった人も英語を主としてやった人も一緒に来るわけですね、そういうことよりは一貫してやった方が非常に能率的な教育ができる。能率がいいということは、逆に言うならば、今度は、そんなことをするから眼界の狭い人ができるのだという説はあります。ありますけれども、大学よりはとにかく二年少いのだから、これは狭い人間ができるのは当然なんですが、元の専門学校よりは、さっき申しましたようによくなる。それから三、二と二つに割るよりはその学校しかないとすると困るのですけれども、これにもあるように、二年のもあるし、五年制もあるとすれば、すでに自分はこういうものになりたい、文科系統に行きたいんだ、工科系統に行きたいんだときまっている人は、五年制に行った方がよりよい教育を受け、そうしてよりよく将来も伸びるような人間になるであろうというのが私の考え方であります。あとは見解の相違かもしれません。
○坂田委員長 それでは、次に松本公述人の公述でございます。 本日は御多用中を御出席下さいましてありがとうございました。両法律案につきまして、日本私立短期大学協会会長としての立場から、忌憚のない御意見の御開陳をお願いいたします。
○松本公述人 私は、私立短期大学の協会長をいたしております松本でございます。 短期大学は、専科大学と関連をいたしましてよほど前から問題になっております。私個人の意見じゃございません。全国の短期大学が二百六十九校あります。その中の八割を占めております二百十一校のものが総会の決議できめてある線があるのであります。私は、この線を述べて、皆様の御了解を得たく考えておるのであります。実は、自分の経歴を申しますれば、会社、工場でも十年ばかりの経験がございます。また、役人と申しますか、そういうことも十年ばかりやっております。そのために工業的、産業的方面からの意見を述べたいのでもありますけれども、これは遠慮を申しまして、主として短期大学二百十一校の代表的意味において申し述べまして、私の意見はなるべく差し控える次第でございますから、御了承を願います。 まず、短期大学と専科大学との関連と申しますか、これが妙にこんがらかって参っております。第一に、短期大学はいかなる制度によってできておるかということを大略申し上げておこうと思うのであります。わが国の戦前の教育は、御承知のごとく、軍国主義、極端なる国家主義によった教育でありました。ところが、戦後になりましては、国家も民主国家と変りました。従いまして、教育も民主化されて参りました。教育が民主化されたのみならず、産業におきましても、工業におきましても、政治におきましても、そういう主義によって変って参ったのであります。教育は国家百年の計でありす。それゆえに、特に重んぜられまして、教育の尊重、教育の機会均等、女子教育の向上と高等教育の開放、教員の養成、教職の尊重、私立学校、社会教育の振興とかいうような、旧教育制度では見られないようなものが一躍してわが教育界に現われたのであります。そうして今までの旧教育制度は、御承知のごとく大陸主義と申しますか、欧州主義と申しますか、その主義によった教育でありましたがために、複線形の教育主義になっておりました。ところが戦後は、御承知のごとく、今までのお方がたびたび御説明になったように、六・三・三・四の単線形の教育制度に変ったのであります。これは全く教育の機会均等というような精神から出ておるものであります。しこうしてこの制度の変りましたときに、専門学校を廃する——直線形になって専門学校がなくなりましたときにみな大学に昇格したが、昇格できないものもありました。それは前の方から御説明のあった弱い専門学校、すなわち、戦災をこうむったような専門学校は考慮すべきものであろうということと、さらにその当時産業界より、二年または三年の教育が必要だという声も起ったのであります。また、女子には二年または三年で大学教育を受けさすことが最も適当ではないかという声があり、大体この三つの考え方から短期大学が生れたのであります。 それで、短期大学が生れてから後の状態はどうであるのかと申しますれば、本年で九ヵ年になりますが、その間に短期大学は、御承知のごとく二百六十九校という多数になりました。これは社会の要求なくして生れる理由はないのであります。国もその必要ありとして二十一校の短期大学をお建てになっております。公立は三十七校あります。私立は二百十一校でありまして、全短期大学の八割を占めておる私立短期大学は、社会の要求によってできたのであります。理由なくしてむちゃくちゃに建てられるものではありません。全く社会の要求があったということを裏書きいたしておるのであります。 この短期大学はどういうわけで設立されたかと申しますれば、百九条によったのであります。設立をなさるときの委員会でどういう話があったかと申しますと、森戸委員がこの委員会において御質問になっております。短期大学を当分というようなことでなくて、恒久的制度にしたらどうか、こういうお尋ねがありましたときに、その当時日高政府委員は、短期大学を当分にしたのは、文部省の最も信頼すべき委員会、すなわち、刷新委員会の御指示によって当分とした方がよかろうということであったから、当分ということにいたしました。しかし議会におきまして、当分ということでない方がよいというお考えならば、恒久的の名称にお変え下さってもけっこうである、その用意があるという御説明をなさっております。それで短期大学、いわゆる私立の短期大学が二十五年、六年、七年、八年、この四年間に百八十四校できました。それで、これくらい短期大学がたくさんにできたのであり、そうして議会が希望するならば、恒久的のものにしてよろしいという文部省の御答弁があるから、われわれ短期大学の者が、百八十四校もでき、そして相当の成績を上げておるのであるから、恒久的のものにしていただきたいということを、短期大学の総会の決議できまりましたので、これを文部省にお願いをいたしたのであります。ところがその当時、全く意外にも、短期大学を大学にあらざるものにしよう、こういうお言葉であったのであります。それで短期大学側は非常に驚きまして、直ちに、ではございませんが、二十九年の十月二十五日に、短期大学協会は臨時総会を青山学院において開催をいたしたのであります。当時私は病気のために、この総会には出席することができなかったのでありまするが、各短期大学の皆様が、青山学院にお集まりになりまして、いろいろ検討をし、慎重審議の結果、こういう決議をなさっておるのであります。われわれ短期大学は、大学基準によって、相当むずかしいところの設置基準によって設置したのである。教員組織においては、四年制大学と同様の資格のある教員でなければならぬ。これにも相当の苦心を重ねまして、短期大学は社会の要請があるために設立したのである。それを今大学にあらざるものにしようということは、まことに遺憾しごくであるという結果こういう決議ができておるのであります。 学校教育法第百四条の「当分の間」をとって、暫定的短期大学制度を恒久的制度にしていただく、これが第一の決議であります。二は、学校教育法を全面的に改正なさるときでも、現行法通り短期大学を大学教育のワクの中に置いてもらうこと、こういう決議であります。なぜそういう決議をなさったかと申しますれば、いわゆる五十二条の大学の目的によって認可されたる短期大学であります。ただ四年制大学と違っておりますのは、修業年限二年または三年でもよろしいという、特別の認可を得ておるのであるから、この大学のワクをはずしてもらわぬようにせねばならぬ、こういう決議であります。 それから次は、短期大学の改善方法につきまして、文部大臣が中央教育審議会に御諮問になりました。そのときに短期大学の全学校は、短期大学の改善であるから、よくすることは大へんけっこうである、短期大学の改善方法を御審議なさってまことにありがたいことであるということで、短期大学の者は全員これを歓迎いたしておったのであります。当時、関口先生が前に言われましたように、私も専門委員として関口先生と同様にその席上に参ったのであります。ところが短期大学を別の目的にして、そして違ったものにしよう、こういうような意味の話でありましたから、これは改善ではない、短期大学を廃して、新たなるものを作るのであるからと言うて、短期大学協会はこれに反対をいたしたのであります。改善ならよろしい。いわゆるこの机を改善して、りっぱな机にしようというように、短期大学をだんだんよくしようというならば、それはまことにけっこうだ、けれども、この机をやめてしまってほかのものにしようということは、これはまことに困るというので、たびたび中央教育審議会の委員のお方にもお願いをし、文部省にもお願いをいたしておるのであります。 ところが、また技術教育振興云々の問題が出ました。この技術教育振興の問題と、短期大学の問題がこんがらがって一緒になって参りました。それでわれわれ短期大学協会の全員は、技術教育の必要はだれも否定するものではない。中級技術者養成の必要なりということは、これはだれも否定できません。ただこれを養成する方法であります。この方法につきましては、短期大学協会はこういう見解をとったのであります。短期大学で中級技術者の養成も、技術教育の振興もできるではないか。それは、今度御提案になりましたところの専科大学の目的を見ますと、「深く専門の学芸を教授研究し、」云云とあります。これは短期大学の基準にそれと同じようなことが書いてあります。同じことならば、これでできるではないか、こういうことです。ただ違いますのは、短期大学は大学のワクの中にあるが、今度の専科大学は大学にあらざるものにするのだ。そうすると、大学というものであればこの科学技術ができぬで、大学にあらざるものにすればできるという理由がどうもわからぬ。むしろ短期大学協会の方のお方は大学のワクの中へ置けば、みな、われわれは大学であるから、もっとよくやらなければならぬのだというような自信があるのではないか、その方がよくできるのじゃないか、こういう考え方を持ったのであります。科学技術、中級技術者の養成そのものには、少しも反対はいたしておりません。ただその方法が、短期大学の活用によってできるではないか、こう申しておるのであります。この条文の方から申しましても、これでやれば、まことに簡単にわれわれはできるように考えておるのであります。 さらに私は短期大学と就職の問題を皆様に申し上げようと思うのであります。短期大学はおくれてできましたために、また新たなる制度でありますために、社会一般に知れ渡っておりません。そのために最初は就職率が悪かったということは事実であります。しかしながら三十三年の六月三十日現在として文部省の大学学術局学生課の御発表によりますると、大学の方の就職率が八八・二%になっております。短期大学生の六月三十日現在の就職率は、七九・二%であります。もうほとんど似通っております。これを御承知になれば、皆様が就職率の悪いという理由をもって、短期大学をやめるという根拠はなくなったように私は考えるのであります。 それからさらに短期大学と女子教育であります。女子の短期大学が悪いと言われるお方は、いまだかつて聞いたことはないのであります。歴代の文部大臣のお方にも、全部とは申しませんが、大体お目にかかっておりまするが、女子の短期大学は悪くないということをみなおっしゃっております。しかるに女子の短期大学まで専科大学に切りかえをなさらんとするのは、あまりひどくはないかという考えであります。こういうことを申し上げてははなはだ恐縮であるかもしれませんが、女子は就職をするとかいうことが本職ではございません。これは一家の主婦になって、そうして子女の教育をやるということが主なる仕事であります。短期大学で、中学校教員の資格とか、幼稚園の先生の資格とか、小学校の先生の資格をもらっておいても、一生これによって職業的にやろうという人は、ほとんどないのであります。嫁入りをする前にちょっと就職するぐらいのものでございまして、これが男子同様にみな就職をするということになりますれば、日本の家庭はいかになりますか。これらはみな一家の主婦となって、そうして家庭教育に従事して、日本のりっぱなる家庭、りっぱなる子女養育をするところの義務があると私は思うのであります。これを女子は二年にして大学の教育はできたんだ、こういうことになりますれば、自分の子供でも母親は大学を出て、そうしてこういう資格を持っているんだということになりますれば、少くも小学校、中学校に行くまで母親の教えを真に喜んで尊敬して受けることはできます。これをもし大学にあらざる専科大学にいたしますと、わが母親は大学出と言うけれども、あれは大学じゃないのだ、こういうことになれば、子供が母親を尊敬する程度も差異を生じます。これは非常にデリケートな問題であります。そのときに母親が子供に及ぼす感化というものは非常に重大なものだ、こう考えるのであります。こういうことを考えまして、女子の短大制度というものは、まことに必要なものであるということは社会一般がこれを認めておるのは、皆様御承知のことと私は思うのであります。 しかしながら結論的にここでまとめて申し上げますると、日本私立短期大学協会は、極端なる例をもって申し上げることは一切いたしません、いわゆる常識に合い、理論に合うことでないと皆様に申し上げることは非常に恐縮に考えております。それゆえに申しますれば、今の短期大学は大学として御認可になったものであります。それを漸次大学にあらざるものにしようということになりますれば、いわばここに局長さんがおられます、この局長さんを課長さんにしようということになりますれば、だれも喜んでこれに応ずる者はないわけであります。それはあるいは言い過ぎかもしれませんが、そういう具合な例であります。女子の短期大学は必要なり、こういうことであります。 そして特にお考え願わなければならぬのは、二百十一の大学は私立の短期大学であるということで、これを設立するには国立あるいは公立と違っております。どういう違いがあるかと申しますれば、私立学校法と学校教育法、この二つの認可を要するのであります。この大学設置の法によりますれば、校舎、設備、教員資格、これがほとんど大学と同じであります。これは大学であるゆえに当然でもございましょう。さらに私学は私立学校法によりまして学校法人の認可を受けております。この認可には相当の資産と相当の資力がないと認可できぬのであります。その二つの認可を得ておるものを、大学にあらざるものにしようということについて、短期大学は非常に快く思っておらぬのであります。当分の間存置し、なおもう先にはできぬぞということになれば、つじがとまって当分だということになりますれば、せっかく今まで二百十一校もできたところの大学が、自然消滅をする形になるのであります。その私学の二百十一校を自然的消滅にさすというようなことは、どうか皆様にお願いをして、よく御了解願って、これを存置させていただきたいのであります。 専科大学をお作りになるなというのではない。二本立にしておやりになれば社会の人はよい方にきます。よい方へくるということが民主的の教育であります。一方をとどめて一方を育てるというようなことは、民主主義国家の民主化の教育ではなかろうと私は思うのであります。 これは私が短期大学の協会の会長として申し上げ、いわゆる二百十一校の代表として、私見をはさまないで決議の結果を申し上げた次第であります。
○坂田委員長 ただいまの松本公述人の御意見の開陳に対して、順次質疑を許します。小牧次生君。
○小牧委員 ちょっとお伺いしますが、一番最後のは、今の法律では私立の短期大学は大体自然に消滅をする形になる、従って当分の間という文句をとって、三本立の形にしてもらいたい、こういう御意見ですか。もう一度確認しておきたいと思います。
○松本公述人 短期大学協会の決議は、専科大学をお立てになるのは、これは短期大学で同じようなことができるのだけれども、ぜひお立てになろうというならば、やることをとめる権限はない。ただ今の短期大学は当分というても、もう十年になんなんとしておるのだ、そうして学校も二百十一校もできておるのだから、当分をとって、さらにできぬというようなことをやめてもらって——今の法律にはないのです。ただし書きをおつけにならないで、「当分の間、」だけとって、そのただし書きをなくして、これからできるようにして下さればそれでけっこうだ、こう申しておるわけです。
○小牧委員 それで大体わかりましたが、そうすると、新しくできる専大とそれから恒久的な今の短期大学、これとどちらがいいかということは、これは自然にわかってくる、こういうような御意見だったと思います。ところがその前に、これは理想を言えば、今の学校教育法のいわゆる大学、このワク内でやっていってもらいたい、そういう御意見だとするならば、理想を言えば専大ばかり作らないで、学校教育法の中のいわゆる大学のワク内でやってもらいたい、またいろいろな法律案の趣旨を見ると大体同じようなものだ、だからやっていけるではないか、こういう御意見ですか、もう一度……。
○松本公述人 大体今の専科大学の規則というか案を見ますと、短期大学の現在の規則と同じなんです。同じと言うても、これはほとんどどこも違わぬと言ってもいいくらい同じなんです。目的は短期大学の設置要綱の中にも、あれと同じようなことを書いてあるんです。そうして五年のいわゆる専科大学、それをお作りになるというならば、私立の方は大てい高等学校をみな持っておるんです。そうしてこれは現在の法律やわれわれの考えをお変えにならぬでも——今進学課程というのができた。これは医科、歯科に進学課程ができておる。そこまで申し上げていいかどうか知りませんが、進学課程ができておる。だから私立の短大はその進学課程というものを置けば、法律のあの改正をなさらぬでもできるように思っておる。大体御承知のように、百九条というのは附則になっております。附則というのは、われわれも知っておる範囲では経過的規定をお書きになるのが普通なんです。ところがあれには実体的規定を短期大学にはお書きになっておるから。これを当分をおとりになっておっても、決して附則にあるからどうこうという問題は起きぬのです。 それから短期大学協会の初めの主張は、これを本文の中に入れて下さればいい、五十五条の中にお入れになれば、五十五条の中でできるのだ、これはもう法的にできると、みな短期大学の方は思っておるのです。しかしそれをお入れになるのがめんどうならば、ただ現在の「当分の間、」だけとって、ただし書きなんかを置いて下さるなというのです。
○小牧委員 ところが、われわれ今まで文教委員会で大臣とかあるいはまた局長さんにそういう問題をいろいろ質問してきたが、だいぶあなたの話と違うのです。それからまた関口さんでしたか、先ほどお話がありましたが、あの方の話ともだいぶ違う。というのは、大臣はやはり六・三・三制のこの基本はくずさない。ところがこれを一方、専大を専門に設けるということになってくると、これは根本的な学校制度の変革ではないかとわれわれは言うのですが、いやそうじゃない。それならばなぜ別に専大を設けるかと聞きますと、現在の短期大学はこれはいろいろ問題があって、そうして非常に不安定なものだ、こう大臣も局長も答弁しておられる。従ってこれを恒久的なものにしたい。ところが関口さんは、もうそういうことは全部抜きにして割り切って、専六一本でよろしい、こういう御意見。これはもう大臣や局長の答弁とは大へんな違い。六・三・三制の教育の基本制度は絶対にこれはくずさない、こう言っておる。そういうところに非常な食い違いがあるのですが、現在の短期大学はそのように不安定なものであるかどうか、この一点をお伺いいたします。
○松本公述人 少しも不安定でございません。不安定ならば、私学のものは二百十一校もできません。そういう不安定なものを好んで作るような私学のものはありません。
○小牧委員 それでは最後にお伺いしますが、結局専科大学にこれを切りかえていこう。これは私の質問に対しての文部省のはっきりした意見です。それでこれをどうやって切りかえていくかということを聞きますと、緒方さんは、これは強制的にはできない。確かにその通りです。ところが強制的ではなくて、今あなた方のようないろいろの御意見の通りの御希望があるとすれば、大半を占める私立短期大学の切りかえは果してほんとうに可能であるかどうかということについて、私どもは非常な疑問を持っているわけであります。これは一番大きな問題でありますが、これを一つお伺いいたしたいと思うのです。
○松本公述人 とにかく現在の短期大学のお方はみんな大学として認可されたものですから、大学以下のものにはなりたくない。こう言うているのです。だからもう御想像なさればわかりますが、切りかえを好んでやるものはないのです。ただ今の短期大学もだんだん発達をして四年制大学にはしていきたいという希望はみなあるのです。
○坂田委員長 臼井莊一君。
○臼井委員 一つお伺いしたいのですが、今のお話のように、従来の短期大学は大学であって、専科大学は大学ではない。この点は、従来は大学という規定の中の当分二年で置くことができるというところからきていると思うのですが、そうすると、今度は第五章に大学及び専科大学と分けているので、専科大学は大学でない、こういうふうにおっしゃるのではないかと思うのですが、その点そうであるかどうか。専科大学というのは大学ではない。こういうように大学という字がついていてもいなくてもそうじゃないのだという論拠があるのかどうか。ただ世間から見ると、これは法規のいかんにかかわらず、短期大学は短期大学であって、四年制の大学ではない。こう常識的には考えている。しかし短期大学も大学といっているのだから、やはり大学じゃないか。こういうことなら専科大学もやはり専科という名前と短期という名前と違うだけで、大学と名がついているから大学じゃないか。一般的には学校教育法の中をさして区別する人は世間にはいないと思う。その点何か従来の短期大学より以下の学校になるんだというような主張が非常にお強いようなんですが、その点はどうでしょうか。
○松本公述人 これは提案理由の御説明をごらんになっても明らかに大学ではない、高等学校でもない。一種の——こういうことを申してはいかぬかもしれませんが、一種の特殊なものができたのですね。元の複線型のものに戻りつつある。これは年限の通算というようなことがあるから一本ではないかと言われますけれども、目的が違うものが同一の学校ということは常識上許さぬ。一つは第五章大学の五十二条に目的が書いてある。一つはまた別に何条かに目的を書く。目的の違ったものが同一の立場ということはないのです。それでもわかりますし、それから一つはいろいろ同じようなことを書いてはありますけれども、これは全然違ったものだということは、高等教育機関ではあるが、大学ではないとちゃんと書いてある。われわれはたびたび文部省でその話をいたしております。これは大学のワクの中にあれば何でもない。今の短期大学は、第一条の大学という中に入って、ただ短期大学と称する大学なんです。それから片っ方の方は専科大学という、大学と肩を並べた大学なんです。そこが違うんです。
○山本(勝)委員 関連して。なかなかデリケートな問題で、結局はこういうことじゃないですか。最初できるときには従来の専門学校というものをなくすつもりであったけれども、しかしなかなか事情があってできないものもある、そこで短期のものを当分の間ということで認めた。それが主だったんじゃないか。私の理解が間違っておるか伺いたいのです。ところがやってみると今度は社会の需要が非常にあるから、従来あった専門学校で四年制の大学になり得なかったもののほかに新しくたくさんできてきたし、それを文部省が認可したというか、文部省自身でも作ったというところに事情が非常に変ってきている。つまり最初のものを貫くならば、新しく作るということはないわけだけれども、古い部分を始末に困って残しておったのだから、それだけを何とかすればいいけれども、しかしそれのほかにまた新しくたくさん作ったということは、やはり社会の需要があったということが原因だろうと思う。最初当分の間という言葉があるから、それでやはりあれは当分だったんだということは、そこで事情が変って、消えたのではないか。しかし文部省の提案者の側では、実際に今の短期大学が専科大学に変れば何も実質的には変ったことはないのだ、だから変ればいいじゃないか、こういう気持でおられるのじゃないか。ところが従来のもうすでにできておる短期大学からいうと、やはり自己本能といいますか、一つの生命体ですから、生存欲望というのもある、自己拡大欲というのもある。これは生命体の当然の法則だ。そこで何か不都合なことでもあって、社会の要求がないというのなら——何の悪いこともしないし、社会の需要に応じてきたものを、ただ都合だけで変えられて、そして従来の大学のワクの中に入っておったということも、これは一種の気休めかもしれませんけれども、何だか気持が悪いでしょうが、何よりやはり一つの生命本能が働いてきておるのではないか、しかしこれは私は無理はないことだと思います。自己防衛とか正当防衛権なんというものが絶対の一つの権利として認められるのは、その本能を自然の要求として承認するから、正当防衛でやった行為というものは罪にならない。こういうこともあるから、これは決して無理のないことだと思います。やはりそういうところが一番大きなところじゃないか。そこで私はそれも無理がないという考えがあるから、一つの既得権という言葉は悪いですけれども、すでに生命を与えた以上は初めから産まなかったらよかったけれども、産み落しておいて、あとで都合が悪いから、不便だからということで処理することは——産み落してみたけれども間違っておった、かたわものであったというのだったら、これはどこぞへ隔離するとか殺してしまうということもやむを得ぬ場合がありますけれども、なるべくならば置いたらいいのじゃないかと思う。ことに私は女子の場合には確かに非常な社会の要求があるということは、これは何人といえども疑いがなかったと思う。だから話し合いで、いやそれは文部省もあまり複雑になると困るから、変れというなら変りましょう、そのかわり文部省も大いに援助してくれということで話がつけば一番けっこうだと思う。そうでなければ、文部省の方でも少し考え直すとか——ほんとうの生命本能からきているんではないでしょうか、その辺はどうですか。
○松本公述人 私どもも文部省案に反対をしようというような趣旨は少しもない。なるべく話し合いでいこうじゃないかということは、もう二十八年以来唱えている。従いまして内容的には一致しているのです。ただ大学として認可したものをほかのものにするということになると——今言われたように、これは生まれたものです。生まれたものは、人間ならばかたわでもめくらの学校へ入れたり助長するのです。短期大学はかたわだとおっしゃるならこれを助長してよくして下さればいい。そのことはいつでも賛成しているのです。ところがかたわだから殺すということは、人間に例をおとりになっても今できない。まして短期大学はたくさんできている。みな生徒もおります、教授もおります、その者がもし短期大学がつぶれて専科大学にならぬというようなことになりますれば、これは一種の社会問題にもなると私は思います。それでなるべくならば話し合うということは、灘尾文部大臣にも私は言って——今局長さんもここにいらっしゃいますが、局長さんが呼ばれたものですから行ったところが、こういう案を作ったからこれに賛成せいと言われた、それなら話し合いにならぬというので、私はうそを言うのはきらいですから、それならやむを得ません、短期大学の初めの主張通りに恒久化してもらうということを局長さんにも申して、それから皆様にもお願いし、短大協会の総会の趣旨の通りを申し上げている。だから短期大学が何か社会のために悪いことをしたのだということがありますれば、みんな自粛するのです。しかし何も悪いことはしておらぬ。ことに私学が悪いことをして立ち行かぬというのならこしらえません。国立ならば国家の費用でおやりになるから、おやめになろうが簡単です。公立もこれに準じております。しかし私はそう簡単にあっちこっちいくわけには参りません。しかし学制改革が米国式に乗ったといいますか、それによってどうも日本に適合せぬからやり直すということになるならば、短期大学はそんなことは申しません。ただ、今専科大学をお作りになれば、袋小路を作ってちょっとおかしなことになるうらみがありやしませんか、そう申しているのです。
○山本(勝)委員 校長さんの意見はたびたび聞いたのですけれども、教授とか生徒とか、あるいは父兄とかいうような方々は、これに対して、そういうことを知らないのか、知っておってじっとしているのか、あるいは校長さんたちはあまり総評のようなことはやりたくないから静かにさしているのか、その辺はどうですか。
○松本公述人 これは生徒に申しますれば、あるいは議会へ何百人か何千人か押しかけてくるかもしれません。われわれはそういうことはやりたくない。話し合いで穏やかにこういう教育問題は解決すべきものだ、そして理論と常識によってやるべきものだ。
○臼井委員 関連してちょっとお伺いしたいのですが、先ほどの質問の延長みたいなものですが、最初学制制度として作ったときには、大学は四年ということであったのが、当分の間二年の短大を認めることが、実際社会では四年の大学までいくにはいろいろ家庭の事情、本人の能力もあろうし、また目的によって四年は必要はない。その中間の二年くらいで、一つできるだけ専門の技術、教養を身につけたいという要望というものは、私はそうであったと思うのです。そこでそれの要望に沿って短期大学というものが二年、それしがなかったからそれでできた。できたけれども、現在の短期大学は女子の方は別としても、男子あたりこれは全部ではないでしょうけれども、やはり何となしに帯に短かく、たすきに長しという、ちょっと何かそういうあれがあるので、そこで二年ないし三年くらいでほんとうに実際的な役に立つような技術を一つ社会でも要望している、こういうことから今度の案ができたので、そこで今後かりに両方共存するとすれば、社会がどっちを要望するか、学生はどっちを望むか、これは自然淘汰です。たとい短大の門戸を開いておいても、自然に解決する問題じゃないかと私は思うのです。そこで今の二年は大学だという、短大だけは大学なんだけれども、専科大学は大学じゃないという何かあまり少し観念論的な反対のように私は思うのです。規則を見るとその中にあるから、それはそうだと言うけれども、社会の認織が私は決定する問題じゃないかと思う。専科大学というものが大学でないから反対だ、短大がそれを作ると格下げになるのだという考えは、どうも常識的にあまりそうも考えられないので、ただ目的が二年で四年の大学の目的と同じくしてやる、こういう意味からそうおっしゃるのかもしれないけれども、どうもその点が私はちょっと理解に、社会党の常識とわれわれの常識はちょっと違うかもしれないのですが、そう感じたのです。
○松本公述人 それは学校へ入る人は非常にデリケートのところまでよくわかっておる。御承知のように旧制度で実業学校がございました。みな乙種と甲種がありまして、商業学校あるいは農学校という名をつけておりましたけれども、これは乙種だ、これは甲種だとはっきりわかっておる。これは制度を、入る者がちゃんとわきまえてくれるのです。そこは非常に不思議なものです。みなわきまえてくれるのです。大学という名をつければ、それだけで、入る生徒がおれは大学生だ、ほんとうの大学生だ。一つはほんとうの大学生でないのだ。大学という名はついておるけれども、大学でないのだということは、入る生徒はみんなわかるのです。そこに違いがあるのです。それは明らかなんです。 それから今の短期大学は四年制へ連絡することが当然となっておる。完成教育であると同時に、四年制へ連結する。だから単位の数も同じ工合にとっておるのですから、三年へ入って単位がずっといっても、二年あれば卒業できる。専科大学はどういうことをきめるかわかりません。ところがわれわれの考えでは、目的が違うのだから、年限の通算はできても、単位の通算は困難だ。二年でいいと言っても、今単位をとって卒業するのだから、それは四年かかるかもしれない。
○本島委員 私、先ほど児玉公述人にもお聞きしたのですが、先生のお立場から、今度できようとする文部省の考えている専科大学と今の短大とでは、内容的にどういう開きがあるのかという考え方、先ほど自然消滅のおそれがあって、既得権的な考え方で感情的に反対しているのではないか、そういう発言もあったようですが、そういう点をどうお考えになりますか、お教え願いたいと思います。
○松本公述人 これは内容的にはさっき申しましたように、ほとんど同じなのです。専科大学の目的も短期大学の設置基準もほとんど同じなのです。ただ観念が違うのです。こう申してはおかしいですが、旧大学のいわゆる学術のうんのうをきわめる、こういう人の考えから言えば、短期大学は大学でないように考えられる。ところが今度新制度で、そういう学術のうんのうをきわめるということにはなっておらぬ。だからやはり今の専科大学の深く学術を教授、研究するというようなことは、これは大学でもできるのです。大学であるがためにできぬで、専科大学にしたためにできるという理由はどこにもない。感情的にも私は何もない。また専科大学という名をつければ困るのじゃないかと私個人としては考えておりますけれども、それはここでは申し上げません。
○本島委員 先ほどからの論法で、あなたに聞くのはおかしいのですけれども、社会的に要求されて先生方がお出しになったのですが、それが実質的に今作られようとするのですから、できてみないと比較はできませんけれども、要求された場合に、専科大学を出る人と短大を出られる方と、どこか違う点が出てくるような考え方をお持ちになりますか。
○松本公述人 どうも片一方ができませんから、どういう違いだということは申し上げかねますけれども、その違いが想像できますのは、専科大学というものは中級技術者の養成ということに重きを置いているようですね。そうしますと、一般教育というものは自然に私はなくなるのではないかと思っております。それが同じようにあれば、これはつまり同じことになる。そこに違いがあるのではないかと想像いたします。従いまして専門的のものが少し多いということを希望なさる人は専科大学へおいでになろうと思います。それから広い視野に立って、一般教育もおさめて常識を豊かにしようというお考えの人は短期大学へおいでになって、さらにまた進んで四年制大学へおいでになる道も簡単に開けているわけであります。そのことが違うのではないかと思うのです。 また教員資格の問題も、今の短期大学は中学校なり小学校なり幼稚園の先生の資格も、栄養士の資格もありますが、今度の専科大学というものは、そういう資格がもらえるのかもらえないのか、それはまだわかりません。
○本島委員 結局現在の短大においてなさっていることが、十二分に専大を設けなくてもできるということをあなたは確信を持って言い切れるわけですね。
○松本公述人 今の専科大学の規則を見ますれば、ほとんど同じようなのですから、短期大学ならばなおできると考えております。
○坂田委員長 高橋英吉君。
○高橋(英)委員 松本さんは先ほどの御説明で、当分という点と、それから将来の認可の制限を撤廃されれば了承するというふうに言われたようにも思いますが、先ほども御質問があったように、本来の観念から言うと、専科大学というようなものに対しては絶対的に反対だという考え方を短大の関係者は持っておられるのではないですか。どうです、理想的な形で言えばほんとうは反対なんだけれども、監督者たる自党のごきげんを損じちゃいかぬというような弱気で、やむを得ず妥協されておる、その意思表示じゃないのですね。
○松本公述人 えらいことをいわれます。なるべくそういうことを申し上げたくなくて、私はなるべく円満に、常識に理論に合うようにという考えから、短期大学の初めの考えは、専科大学なんかをお作りにならぬでも、短期大学でできるんだから、そんなものはお作りにならぬ方がいい、こういう考えであったのです。しかしながら、これもできてみなければわからぬものですから、どうもしようがない。そこまでは妥協して、文部省の方の御立案に反対までせぬでもよいだろうというわけです。
○高橋(英)委員 そうすると、御希望の通りにすれば、一応将来短期大学は内容も充実し、繁栄するというふうにお考えになりますか。
○松本公述人 先のことはわかりませんが、鹿児島とか秋田とかいうようなへんぴな地方までいきますと、今の短期大学は非常にいい制度なんです。これは、そこを卒業しまして、また東京へ出て、そうして三年へ入学できるという、教育を全国的に普及させるのには最もいい制度なんです。だから、男子におきましても、これは非常にいい制度だと思っておる。ところが、東京のような大都市におきましては、就職率云々のために問題になったようですが、短期大学は、会社に今まで採用する基準がなかったのです。四年制大学と同じような試験を受けた。そのためにこうなったんです。
○高橋(英)委員 うまくいくかどうか。当分ということと認可の制限というものを撤廃すれば、うまくやっていかれる自信がありますか。あなただけじゃないのです。短期大学関係者全体です。
○松本公述人 全部その自信を持っております。
○高橋(英)委員 それから上級学校へいかれる率はどういうふうになっておりますか、短期大学の場合。
○松本公述人 正確な数はわかりませんが、ある短大では半数ぐらいは参っております。それからある短大ではそういかぬのもあります。
○高橋(英)委員 松本さんは、今の当分ということと、将来認可の制限を撤廃されればいいというふうなお話ですが、私が短大関係者から聞いたところによりますと、その上にやはり専科大学に、高等学校からの五年制といいますか、これの制度を認める以上は、やはり短大に対しても五年の高等学校の並置を認めてもらわねばいかぬというふうな説が非常に強いようですが、その点はどうですか。
○松本公述人 専科大学にそういう前期後期を設けて、前期の方は高等学校のものにして、私立の短期大学もそういうものを設けて下されば、最も簡単にいくんです。だからむろんそれは要望いたしております。けれどもあまりそういうむずかしいことを言うても皆様に御迷惑だと思って、これは御遠慮を申し上げております。私学はたいてい高等学校を併設いたしておる。これは最も簡単にそれができるのです。おそらくは国立はそういう手に参らぬと私は思っておる。
○高橋(英)委員 最後にごく簡単に、今の女子の就学率といいますか、入学率といいますか、在学率といいますか短大の学生は七割か八割が女子学生だとお聞きしましたが、どうですか。
○松本公述人 生徒数は八割くらい女子なんです。二割くらいが男子です。二割くらいの男子のために、女子まで道連れになさるということは困るという理由もここにあるのでございます。
○坂田委員長 以上をもちまして、松本公述人の公述は終りました。 松本公述人には、長時間にわたり、私立短期大学の立場から、貴重な御意見をいただき、まことにありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見は、両法律案審査の上に今後多大の参考となるものと存じます。 これをもちまして両法律案について予定いたしておりました公述人の公述はすべて終了いたしました。両法律案に関する文教委員会公聴会は以上をもちまして終ることといたします。 これにて散会いたします。 午後四時五分散会