内閣委員会 閉会後第1号
- 発言数
- 35 件
- 登壇者
- 8 名
- 会派数
- 4
- 開催日
- 1958/07/09
会議録
○理事(松岡平市君) ただいまより内閣委員会を開会いたします。 委員長が他に御用が生じましたので、委員長の委託により、私が委員長の職務を行います。 委員の異動がございましたので、事務局から報告させます。
○参事(川上路夫君) 報告いたします。 一昨七日、矢嶋三義君が辞任され、後任として松本治一郎君が委員に選任されました。 昨八日、鮎川義介君、秋山長造君、光村甚助君、山口重彦君がそれぞれ辞任され、その後任として八木幸吉君、海野三朗君、伊藤顕道君及び矢嶋三義君が、それぞれ委員に選任されました。 以上でございます。 —————————————
○理事(松岡平市君) それでは、これより議事に入ります。 まず、理事補欠互選の件についてお諮りいたします。 ただいま事務局から御報告いたしました通り、先日、矢嶋三義君が委員を辞任されました。その結果、理事に欠員を生じておりまするが、矢嶋君が再び委員に復帰されましたので、この際、矢嶋君を理事に選任するということにいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○理事(松岡平市君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。 先ほど委員長理事打合会におきまして、本日の議題といたしましては、ただいまの理事補欠互選の件並びに駐留軍基地返還の現況について説明を聴取する件、次に三笠の記念保存に関する件、これを順次議題に供したいと存じます。 まず、国の防衛に関する調査のうち、駐留軍関係の基地返還の現況について調査を進めます。政府の説明を求めます。
○説明員(丸山佶君) 駐留軍の使用しておりまする施設、いわゆる基地の最近の推移の概況について申し上げますが、平和条約の発効の当時におきましては、件数といたしまして約二千数百件のものがあったのでございますが、 〔理事松岡平市君退席、理事矢嶋三義君着席〕 ごく最近における個所数といたしましては三百五十ほどに減っております。特に、最近は非常に主要なる施設がどんどん返っておるというのが現況でございまして、御承知のように、昨年の六月に岸総理が渡米されまして、在日米軍今後のことについて米国首脳部と協議になり、その結果、六月の二十二日にいわゆる岸・アイク声明なるものが出されておりますが、それに基きまして、在日米軍の兵力は縮小、撤退、そのテンポが非常に早まるとともに、国内の米軍の配置状況にも大きな変動が行われまして、従いまして、昨三十二年度と、それからこの四月よりの三十三年度におきまして、非常なるいわゆる重要施設というものも、大きなものも返還になっておる。 この状況は、ただいまお手元に差し上げました資料に詳しく書いてございますが、三十二年度におきましては、土地にいたしましても約一億坪に近いものが返還になっておる。その内訳は、演習地が相当の部分を占めておりますが、それのみならず、飛行場のもの、あるいはキャンプ、たとえば東北の仙台地区には、従来からキャンプ仙台というものが中心になって大きなものがございましたが、ほとんど全部撤退、返還、それから関西地区におきましても、従来大津を中心に、また伊丹を中心に、相当の部分のものがありましたのも、これもほとんど大部分返還、軍隊は撤退、この状況が今日なお進んでおる、こういうような状況でございまして、先ほども申しましたように、個所数といたしましては、ただいま三百五十に減っておる。また、その米軍が使用しておる土地の総面積も、二億坪を切っておるというのが現況でございます。
○理事(矢嶋三義君) 質疑のある方は質疑を願います。 私から一言承わりますが、この資料には出ていないようですけれども、最近、報道するところによると、パレス・ハイツがいよいよ返還されることに決定したと新聞紙上で拝見しているのですが、いつ、どういう形で返還されることになっているか、承わりたい。
○説明員(丸山佶君) ただいまお尋ねのパレス・ハイツのみならず、赤坂の方にありますジェファーソン・ハイツ、それからその国会のすぐ前の方にあります教会なんぞの、いわゆる国会周辺の米軍の住宅地区、このことにつきまして、一昨年来米軍側と、その早期返還につきまして鋭意折衝を続けて参ったのでありますが、ようやくその返還のめどが立ちまして、一昨日米軍から正式に公文をもちまして調達庁に通知がございました。ここにその予定をはっきり申し上げることができるのでございますが、パレス・ハイツ、すなわち、あのお堀ばたにありますかまぼこ兵舎の一帯の地域、約二万坪ありますが、これは本年の十月から十二月の間には返されると、これが向う側から正式に受け取りました意思表示でございます。そのように御承知いただいて差しつかえないと思います。
○理事(矢嶋三義君) 本年の十月から十二月の間に正式に返還されるということになると・その返還後の使用計画並びにその手続順序はいかようになるようにお考えになっておられますか。
○説明員(丸山佶君) パレス・ハイツは、二万余坪のうち、国有の土地が一万八千七百八十五坪ありまして、それから民有の土地が三千三百坪ほどございます。なお、建物といたしまして、米軍自体がこしらえましたものが大部分でございまして、百六棟、坪数にいたしまして三千三百坪ほどあるのでございます。あと日本の政府で作りましたものがわずか三百二十四坪。従いまして、国有の土地につきましては、返還になりますというと、調達庁が軍から受け取りますが、この主管庁であるところの大蔵省に返還する。それから民有の土地につきましては、おのおのその所有者に、調達庁が軍側から受け取った上、やはり返還をする。従いまして、これらの土地がその後いかように使われるかということは、実はすでに調達庁の手を離れまして、それぞれそれを主管されるあるいは所有されるというような、所有者あるいは国有の主管庁において、それぞれのその手続によって御処置なさるものと承知しております。 なお、米軍が建てました建物の大部分、これはいかようになるかということは、まだ今のところ未定であります。これにつきまして、調達庁は米軍と今後その処置を協議するわけでございますが、双方の行政協定上のものといたしましては、向うのものであるから向うがどっかへ移転するために持っていくということであれば、もちろん持っていくことはできます。あるいは向うは、もう要らぬからそのまま置いていく、しかるべくということになれば、これはやはりこちらの国有に帰する。その辺の事情は米軍との間に今後調達庁が取りきめまして措置をすると、このような順序になることと思います。
○理事(矢嶋三義君) もう一回承わりますが、今まで土地、建物が数多く返還されたわけですが、そのときに、場合によりますと、返還後における土地の使用目的について、内々の条件と申しますか、そういうものが返還側の米軍側と日本政府側との間にあった場合もあるわけですが、今私は具体的にパレス・ハイツの土地を承わっておるわけですが、これらの返還について、返還後この土地はどういう方面にどう使うかというような、そういう条件というものは一切なくて返還されるものと私は予想いたしますが、その点はどうですか。
○説明員(丸山佶君) 米軍との間に、この返還について何ら条件というようなものはございません。 ただ、もちろん、私どもが今までこれの早期返還について折衝する話し合いの、それを求める日本側の理由といたしましては、第一に、国会周辺にいつまでもああいうものがあるということが、国民感情上も逐次悪くなっておるような事情もある。のみならず、ああいう国有の土地は、たとえば国立劇場とかあるいは最高裁判所とか、その他いろいろ政府の各部局においても、早くあれを使用したい、こういうような希望もたくさんにある。なおまた、民有の方は、何とか早く返していただいて、自分の方において適当に利用していきたい、こういうような要望も調達庁にある。こういうような事情をひっくるめまして、ぜひ早期の返還をしてほしいということの交渉のときには、そのような話はいたしておりますけれども、しかし、今回のこの返還については、何ら、何のためにどうとかいうようなことは、何にもつかないものでございます。
○理事(矢嶋三義君) 別に御質疑ございませんか。
○近藤信一君 三十三年度の六月三十日までの返還になったうち、愛知県の守山キヤンプがこれに含まれているのですが、この守山キヤンプにつきましては、今、その後の使用の問題について何か調達庁の方でお考えあるのですか。
○説明員(丸山佶君) 愛知県の守山キヤンプは、土地その他全部国有でありますので、これは調達庁としては全部大蔵省の方に移管しておりまして、その後の使用について、今具体的に公式に、何ら調達庁として何をいたしておりません。
○理事(矢嶋三義君) 別に御発言もなければ、本件についてはこの程度にとどめます。 —————————————
○理事(矢嶋三義君) 次に、三笠の記念保存に関する件について、八木委員から発言を求められておりますので、これを許します。
○八木幸吉君 文化財保護委員会の委員長の御出席を特にお願いいたしまして、旧軍艦三笠の保存の問題について、特に御考慮をわずらわしたいと、こう実は考えておるわけであります。 御承知の通り、旧軍艦の三笠は、東郷提督が乗っておられまして、日本海の海戦に非常な偉功をたてたということは、われわれ少年時代から頭に銘記されておるところであります。ところが、御承知の通り、敗戦の後には非常にこれが荒れほうだいになりまして、心ある人たちの心の痛みとなっておる次第であります。これの保存につきましては、寄り寄り民間の有識者の間にいろいろな企てがあるわけでございますが、何しろ敗戦の後には、軍に関係するものは何か非常に人が避けるというような関係で、これがなおざりにされておる状況であります。 しかし、この敗戦後のお互い国民の間に非常に空虚な気持があり、虚脱状態にあったわれわれ国民に、自尊心を持たせるということは非常に必要なことだと思いますので、特に若い人たちに、日本の歴史のうちでこういうかくかくたる、世界に誇るべきものがあったということをやはり植え付けるということは、将来の日本の国の発展から見て非常に必要なことじゃないか、こう実は考えておるわけであります。御承知の通り、イギリスでも、トラファルガルの戦いでネルソンが坐乗しておりましたビクトリヤ号も保存の処置がとられております。アメリカでも、御承知の通り、コンスチチューション号、これが丁重に保存されております。日本としても、日本海海戦で、近頃はやりのベースボールの話でいえば、完全試合をやったといわれているあの三笠を、民間の人の手だけでなくて、日本の国としてこれを長く保存しておくということが、国民の自尊心を高める上に非常に必要である。しかも、これはひとり軍の士気を高揚するというような、そういう狭い意味でなしに、日本の国民全体の自尊心を振興するという上において非常に必要ではないか、こう実は考えておるわけであります。 民間でも、むろん、いろいろな企てがございます。ございますけれども、相当これを永久に保存するようにするには金のかかることでありまして、今あの状態を国民のうちで知らない者もたくさんあるわけでありますから、何と申しますか、ポンプの呼び水のような意味で、やはり国家が進んでこれの保存に乗り出すということが必要じゃないかと、実は私は考えておるわけであります。昨年の九月でございましたか、ここに当時の津島防衛庁長官が御出席になりましたときに、長官にもこのような意味を実は申し上げたわけでありますが、さらに、その後しかし一歩下って私考えてみましたら、これは単に自衛隊とか何とかいう意味でなしに、日本の国全体のために必要であるとの意味でありますから、幸い文化財の保護法という法律もあるし、法律を拝見してみますと、日本の歴史上に貴重なものは保存すると、こういうやはり趣旨が盛られてございますし、さらにまた、歴史上で保存するに足るいろいろな遺跡等にも法律が適用されるということでございますので、幸い来年の予算の編成期にもなっておりますから、金は多いほどいいのですが、必ずしも全額でなくとも、いわゆるポンプの呼び水のように、文化財委員会としてこれに一歩踏み出すということがこの際ぜひ必要じゃないか、こう思いまして、委員長お疲れのところわざわざ御臨席いただきまして、何とかこれに一つ御配慮をいただきたい、こう考えて実はきょうお出ましを願ったわけであります。どうか一つ、よろしくお願いしたいと思います。
○説明員(河井彌八君) 八木委員の、軍艦三笠の保存と申しますか、ということについての非常な熱心な御意見、これは全く同感であります。私どもも日露戦争の当時、みずから軍隊には関係しておりませんが、しかし、われわれの友人等が進んで戦争に参加いたしまして日本の国を安全にし、そうして世界の平和に貢献したということは、忘れることのできない大きな功績であったと思います。現にその一人のごときは、三笠に乗って武勲を立てた者が今日でも現存しておりまして、われわれが尊敬している的となっている士官であります。こういう大切な三笠につきましては、お話の通り、国をあげて全体がこういうものを保存していくべきであるというように考えるのでありまして、御意見に全く同感であります。 そこで、文化財保護委員会としてこれの保存の経費を心配しろ、こういう御意見と拝承いたしたのでありますが、その点につきましては、文化財保護委員会としまして、現在の制度から参りますと、少々困難があるということを考えるのであります。というのは、文化財保護委員会といたしましては、その保護の対象と申しますか、文化財であるということの指定をしなければならない。そうしますと、これは文化財保護法という法律がございまして、その規定に基いて、建造物であるとか建築であるとかあるいはその他のものとして、この規定に当てはまる条件が必要となっているわけであります。そこで、いろいろ解釈をいたして参りましたが、これまでの解釈では、遺憾ながらまだそこまで解釈を広めていくことができない取扱いになっております。 しかし、これはきわめて重大なことでありますから、何も解釈が狭くていけないというならば、また広めてもいいでありましょう。それからまた、もっと進んでいえば、文化財の規定を改正して、そういう艦船等も含まれるような改正をなさったならばそれでもいいだろうということにもなりましょうが、現在のところでは、ちょっとその取扱いが困難なことになっております。そういう関係から申しまするというと、やはり大蔵省に対して予算の要求をするというようなことなどにつきましても、非常に不便を感ずる次第でありまして、実は文化財全体の予算と申しましても、これはまた、その文化財の保護ということ、このくらい大事なものはないと考えるのにかかわりませず、非常に予算の許される金額というものは軽少であります。というようなことから、これは皆さん方のような政治家の大きな力でもって進めて下さるならばとにかく、われわれの事務折衝では、とても十分な予算というものはとることができないような情ない状態であるのであります。 私が、これは個人でありますが、個人と申しましても、文化財保護委員長としてここに出席して発言しているのでありますが、委員会の意向はどうかということには、委員会の会議を開いての決定がなければ申し上げることができないのでありまするし、従いまして、個人としての意見でありますが、とにかく、軍艦三笠のようなものは、かつて三笠保存会というものがありまして、そうしてその艦体の所管というものは海軍省であったと思うのでありますが、それを三笠保存会に管理させまして、財団法人でありますが、それに管理させまして、そうしてこれを保持してきたのであります。ところが、戦争に負けまして、米軍が参りまして、この三笠保存会をば解散させてしまって、そしてみずからその艦体、三笠そのものを接収して、そして軍艦の大砲あるいは艦橋、またマストなどもすっかり取ってしまいまして、はずしてしまいまして、そして一時はダンス・ホールのようなものにまで使ったというような、実にそれは残酷な、情ない取扱いまでしまったのであって、それが現在残っておって、そして横須賀のもとの軍港のところにコンクリートで固めて、そしてその周辺を埋めてしまって、そのままになっておるというような実情であります。ほんとうにこれは、さっきお話しになりましたイギリスなりアメリカなりの実例と照らし合せまして考えまするときに、非常にこれは情ない取扱いであると思うのであります。 で、文化財保護委員会としてこれを取り扱いまするならば、やはりこれをもっと完備した形に置いてほしいのでありまするし、むしろ残骸のごときものをそのままに認めるというようなこともむずかしいことであろうと考えるのであります。でありまして、やはり文化財保護委員会の文化財として指定する資格が十分でないだろうというようなおそれを持っております。何とかして、やはりこれはもっと文化財保護委員会というようなことばかりでなしに、広い立場から、このものは、三笠がもっと完全にでき上って、そしてその価値を認めまして、文化財保護委員会として文化財としてこれを認めるというときが来てほしいということを考えておるわけなんであります。ただいまの状況におきまして、すぐにそれでは文化財保護委員会としてこれを文化財として決定するかと申しますると、ただいまの現状においてはかなり困難があるであろうということを考えております。 しかし、どうかこういうりっぱな国民的の記念物が復元せられまして、そしてこれが長く記念となり、保存せられ、そして国民の大切な宝としてこれがありまするような時が来ることを希望はいたしておるのでありますが、従いまして、すぐにそれでは保存のための費用を出す、その前提といたしまして、重要文化財——国宝にはどうか知りませんが、重要文化財としてこれを指定するには、現状においてはかなり条件が欠けておるのではないかということを、これは一個の私見でありまするけれども、申し上げておきたいのであります。
○八木幸吉君 今までの文化財保護委員会のあり方並びにその見地に立っての委員長のお話、よく私もわかりました。しかし、私、文化財の従来の取扱いは、おそらく今委員長の仰せられる通りのことだろうと思うのでありますが、この法律を詳しく研究したわけでもございませんけれども、拝見いたしてみますと、文化財保護法の二条に、文化財の御承知の通り定義がございます。その中には、有形文化財、無形文化財並びに史跡に類するものも書かれているわけでありまして、歴史上のやはり価値のあるもの、価値の高いものはいろいろ種類があげてあって、文化財に指定する。なお、第二条の四には、城跡であるとか、あるいは古墳であるとか、旧宅その他の遺跡も、実は文化財の定義のうちに入っているわけであります。今仰せられましたように、三笠の、極端な言葉でいえば、残骸といったような実情でございますけれども、私よく研究しませんので、話が的をはずれているかもしれませんが、現在のありのままの状態を、たとえば史跡なら史跡として一応指定をする、そしてそれの補修と申しますか、完全な旧態に復するような手段をとってから後に、さらに必要があればいわゆる文化財に指定するとか何とかいうような便法があるのじゃないか。 一番おそれることは、今の形態がますます荒れ果てるということが困るのが一つと、今委員長が仰せられまするのに、あれが完全な形になって、そして文化財に指定のできる形になれば指定しようというお話なんですが、その完全な形にするための莫大な費用が要るので、民間ではそれぞれ骨を折っているけれども、やはり国の方でもポンプの呼び水のような若干の、金額の必ずしも多少でなくても、これに力を入れるというその態勢を示すということが、国民全般のあれに対する関心を高め、ひいてはあれが新しい形に再現されるという大きな一つの力になるのではないか。それの手助けと申しますか、ポンプの呼び水的な仕事を文化財保護委員会でやっていただけぬかということを、実は私申し上げているわけでありまして、日本海海戦の五十年記念のときにでも、各国の新聞等には、こぞって三笠の写真を出し、東郷提督の写真をあわせ載せて、その当時のことを回想したそうでありますが、不幸にして、日本の新聞には五月二十七日の海軍記念日に一行も書かなかったというように、伊藤正徳君が文芸春秋に非常に憤慨いたしているようなわけでありまして、先般も、ことしの二月の文芸春秋でありましたか、かつての太平洋艦隊の司令長官であったニミッツが原稿を書いて、日本の東郷提督の記念のみならず、日本国民の記念物である三笠が荒廃しているということは非常に残念なことで、ミズリー号の降伏文書の調印の二日前かに自分があれを見て、いかにもこれはひどいというので、わざわざ歩哨を立てて一切あれをこわしては相ならぬということを、実は自分が命令をしたのだという回想文を書いて原稿料をこういったような方面の金に使ってもらえば幸いだというような、外国人までもこれほど力を入れているわけでありますから、広い見地に立って、有力な委員長が、一つこの問題に対して積極的に働きかけていただくというロ火さえ切っていただけば、微力ながらわれわれも、あるいは政府なりあるいはその他に話しかける機会を得るわけでありますけれども、すげなくはねつけられてしまうと、また民間だけでやらなければならぬ。それでも民間でもやりはいたしますが、国としてやはりこれは非常に意義の深いことで、またやらねばならぬことである、こう考えるので重ねてこの点、あなたの善処せられるお気持の御表明をいただきたい、かように考えるわけであります。
○説明員(河井彌八君) 八木委員の御意見、ほんとうに全く同感であります。しかし、ただいま申しましたように、文化財としての取扱いは、やはり費用を出しまするためには、それに先だって文化財としての認定ということが必要となっております。でありまするから、そういう取扱いがそれに先だって、まず費用を出すというようなことは、現在の法規の建前から申しましても、さらにまた予算を大蔵省からとりまする上から申しましても、それは困難だと、さように考えます。でありまするが、しかし、こういう問題につきましては、やはり何か国民運動としてそういうことが認定され、そしてさらに必要な経費も出し得る方法があるならば、それを出すようにするということは、これは私は望ましいことだと考えるのでありますが、ちょっとただいまお話の通りには、現在の取扱いの規定ではむずかしい、かように考えております。 しかし、よくその点につきましてはもっと研究をいたしまして、たとえば艦船とかという文字もありませんけれども、しかし、必ずしも建築ともいえないが、しかしやはり一種の物というような解釈もできないことはないでありましょうが、しかし、そういう点につきましてもなおよく検討してみたいと思います。しかし、先例といたしましては、まだそういうものは入っておらないように聞いておるわけなんでございます。その点を申し上げておきます。
○八木幸吉君 今コンクリートで固めている関係上、第二条の四の「旧宅その他の遺跡でわが国にとって歴史上」云々という これには入らないのでございますか、もし固定したものとすれば……。
○説明員(河井彌八君) 第二条の四というのは、「貝づか、古墳、都城跡、城跡、旧宅その他の遺跡でわが国にとって歴史上又は学術上価値の高いもの、庭園、橋りょう、峡谷、海浜、山岳その他の名勝地でわが国にとって芸術上又は観賞上価値の高いもの」、それから、動物、植物、地質鉱物でもって「学術上価値の高いもの」、こういうことで、これは大正八年の法律で史跡、名勝、天然記念物ということで規定された法律に基いた、それを盛り込んだ条文であります。従いましてどうもそのこれまでの取扱い上は、古墳なり都城跡あるいは城跡並びに「その他の遺跡で」というその「遺跡」という字が、かなり何といいますか、窮屈な解釈になって取り扱っております。それの取扱い規定といたしましては、取扱い規定が規定されておりまするが、これもまた狭いので、それで史跡、名勝、天然記念物の指定基準というものがありましてそしてそれが史跡と名勝と天然記念物というものに分けてありまして、こまかく列挙してありまするが、その中にはどうもまだ、これまでの取扱いとしては入りにくかったのであります。 で、何といたしましても、一つこれでもって何か指定した上でならば金が用意ができますが、どうもそれがないと、文化財保護委員会として国庫からの金を出すということが無理だという、これまでの取扱いはそういうふうになっておりますことを御了承願います。
○八木幸吉君 よく今までの事情はわかりましたですが、一つ、なおこの問題については、先ほどもお言葉がありましたように、御研究をお願いして、なるべく推進する方にお願いしておきたいと思います。 幸い委員長が御臨席でありますので、委員長のお許しを得て、もう一点だけ簡単に伺わしていただきたいと思います。それはほかでもございませんが、この内閣委員会で先般決議をいたされました、この正倉院と若草山の観光道路との関係の問題でございます。土地の新聞を土地の人が送ってきて、私拝見しましたが、その後文化財保護委員会、それから建設省、運輸省、宮内庁等がいろいろお集まりになりまして、奈良県の文化財保護の方の課長が東京へおいでになって、だんだんいわゆる観光トライブ・ウエーの路線を、正倉院の方を砂塵から保護するために、つけかえようというふうな方向に進んで参ったと。で、正倉院の行事の方の関係で、その方の評議会でも、そういうふうなお話が去月の二十五日でありましたか、まとまったというふうに東京の新聞にも出ておりました。私大へんいい方にこの問題が発展していっていると実は喜んでおるわけであります。 そこで、委員長、詳しくはあるいは御存じないかもしれませんが、大体どういう方向に進んでいるということを、この機会にお聞かせを願えれば、非常に幸いだと存じますので、御承知になっておる範囲内で一つ承わっておきたい。
○説明員(河井彌八君) 東大寺の旧境内地が文化財として指定せられております。そして、その旧境内地にいろいろの問題がありましてこれは八木委員が一番よく御承知だと思います。それで、問題となりまして最後に残りましたのは、正倉院の西側と北側を通りますそのドライブ・ウエーの問題。で、それは結局は、何といいますか、−従来の取扱い上のゆきがかりと申してははなはだ相済みませんが、というようなこと。それから、各官庁の間の連絡が緊密でなかったというようなこと。それから、いろいろあります。それで、ああいう去年の三月三十日にその道路を許すということに委員長として決定をいたしました。それで、自来それの、まあ何といいますか、その後の実情を見守っておったわけなんであります。それは四月の幾日ですか、内閣委員会において決議をせられまして、そうしてその道路についてはもっと考慮をしろという意味の、含蓄ある決議をいただいたのであります。委員会におきましても、その後やはりたびたび職員を派遣いたしまするし、それから実情の調査、報告を求めまして、そうしてどうしたならば一番いいだろうかということについては、絶えず研究をいたしておったのであります。 そこで、ただいま八木委員のお話のありましたことなんでありますが、その一番正倉院に有害であると認められるところの、その西並びに北に沿うておる道路、それの何といいますか、舗装が不完全であるということと同時に、これも予想せられる通りでありまするが、バスの交通量が非常にふえてきているという事柄から、ますます正倉院にとりましてはおもしろくない結果を来たす、こういうことであります。従いまして、いろいろ対策につきまして、奈良の教育委員会を中心としましてわれわれの方は検討をさせたのであります。それから教育委員会におきましても、これは捨てておかれないことと考えまして奈良市から、市の都市計画の道路を今計画中なんであります。でありまするから、その問題となっておる道路を、何といいますか、廃道というか、これは言葉はとにかくとしまして、別に路線を作ろうという計画もあるのであります。 それから、つまり、もう一つ促進いたしました原因は、その自動車道路から、その道路から分れまして、そしてあるものは文化財保指定区域ではありませんけれども、そこにホテルを経営しよう、そしてそのホテルのわきにゴルフ練習場ですかというようなものを作ろうという計画をしたのであります。そしてそのホテルを作る材料のごときは、正倉院の裏とは少しはずれておりますけれども、先にいったところで、その指定地を無断で横切って、そして何といいますか、ホテルの建築の材料を運んで、そして将来はそのホテルへの出入の道路としようという意思をもちまして、相当な道を作った。それは文化財保護委員会から申しまするというと、これまた無断でそういうことをやったのでありまして、それは取り消しまして、許可いたしません。のみならず、その道を原状に復するように命令をいたしておるというようなことから、ますますこれまでの不完全な舗装道路を使わせるということはよろしくないというようなことで、新たなる道路計画をいたして、それを持ってきたのでありますが、それを検討いたしまするというと、まあ一番それは合理的である、将来のために非常にいいだろう、特に正倉院にとっては望ましいことであるという結論を得たのであります。 しかし、これはもちろん、その都市計画の道路でありまして、やはり関係するところは多いのでございます。そして、従いまして、建設省、あるいはまた自動車専用道路関係におきましては運輸省等との関係もあります。それらともある程度の交渉をしておるわけなんであります。そして過日の、先月の二十五日ですか、正倉院評議会というのがありまして、そこでこの問題を報告いたしまして、こういう計画があるのだということを報告いたしまして、そして評議会におきましては、その道路は望ましいのだ、従って実現するようにしたいものであるということの結論は得てあります。 私は評議員の一人でありまして、やはりそこに出まして、正倉院の保全のためにはこのことは必要であるということを私は強く述べまして、そこで、しかしながら、やはりこれはまだ各官庁の間に、何といいますか、協議がまだ熟しておりませんので、今御質問がありましたから私はお答えをするのでありますが、こういうことがまだ、何といいますか、むやみに発表せられまして、そしてしかも誤まって発表せられるようなことがありまするというと、また問題の、何といいますか、故障なき解決にじゃまになるだろうということをおそれておるのであります。 そこで、そうなりまするというと宮内庁は相当に乗り出して、ぜひこれをやってくれということで、各官庁に呼びかけまして、そして円満にこれができていくようにしたい、かように考えます。これは都市計画の道路でありまするから、国から相当な、幾らですか、三分の二くらいの国費の補助があると思います。でありまするけれども、たとえば廃道にする、不完全とはいいながら、一部を廃道にするようなことから、あるいは補償問題が起るであろうし、いろいろなことがありましょう。そんなことがあっても、とにかくこれを実行していくことが、国宝以上の国宝であるこの正倉院を保全するために必要だ、こういうことを考えておりまして、大体関係しておる官庁は、意見がまだまとまったとは私は思いませんが、まとまるであろうということを希望的にも考えておるわけなんであります。 これは、これからやらなきやならぬ重大なことでありますし、ことに昨年のこの委員会における決議の趣意にも沿うわけなんでありましてこれははっきり自分の知っているところだけを申し上げまして、そしてさらにその方向に実現ができますように推進したい、かように考えております。
○八木幸吉君 大へんけっこうな方向に進んでいるお話を承わりまして、御同慶にたえない次第であります。昨晩の東京の新聞にも、このことが大きく、実はきのうの夕刊で、産経時事だったと思うのですが、出ておりまして委員長ごらんになりましたかどうか、私は昨晩見て驚いたわけなんです。どうか一つ、その線で今後とも強く推進をお願いいたしたいと思います。これで私の質問を終ります。
○竹下豐次君 三笠保存の問題につきまして、私も委員長に希望を申し上げておきたい。 実は四月であったかと思います。私は横須賀に見に参りました。もう実に惨たんたる状態で、委員長ごらんになっていないかもしれませんが、実際、私はほんとうに、涙をこぼしましたのでございます。三笠公園という名前のついた公園もあるということでありまして、そこのところに三笠艦が保存されている。そういう公園の名前もついているというので、ある程度には、まあそう見苦しくない程度に保存されているものだろうと期待して参りました。もっとも、その前から、下村海南さんからよく聞きまして、だいぶ荒れている、これを何とかしなければならない、運動を起さなければならないということを、私、相談を受けたというわけでもございませんけれども、そういう話を承わったこともありました。しかし、横須賀で公園ということを聞きまして、これは案外いいのかなと思って入りましたところが、それは実にひどい。 先ほどからお話も出ましたが、岸壁につけまして、それをコンクリートで固めまして、ちょっと感じが、船が海に浮いておりませんから、何だか作ったものみたいな感じもちょっとするわけです。それから、上に上って見るということもできません。船に乗ることはできないのであります。船の窓がありますね、あの窓が開いておりまして、そこからのぞいて見まして、もとの船室などが見える。みな、さびて、まっかでございます。それはもう見るかげもない、惨たんたる状態であります。それから、戦争後、そのころ聞いたこともあったのでありますが、甲板に木造でもって何かホールみたいなものを作っている。そしてそこでダンスをやったり酒を飲んだりした、遊興場に使っておる。これは戦争後アメリカの支配時代でありますから、やむを得なかったことかとも思います。その継ぎ足したものが今でも残っております。非常に荒れて残っているわけでございます。 で、それを見まして、私、一緒に行った者が写真をとろうと、こう申しまして、写真をとってもらいましたけれども、三笠艦のトップの方に、もとより下の方ですけれども、立って写真をとりましたときの私の気持というものは、ほんとうに申しわけない、恥かしい思いをしながら、まあ記念にと思って写真をとってもらったのであります。そのとき感じましたのは、私自身も日本国民として非常に申しわけない感じを持ったのでありますが、日本国民は恩義を知らない国民であるということを、あの三笠艦の現状をもってほかの国の人にもそれを広告しているのじゃなかろうかというところまで、私は感じました。まあ、あの戦争についてのいろいろな批判もありましょうけれども、それはそれといたしまして国民の多数のものは感謝の念を持っておるはずだと思っております。しかるにもかかわらず、あの状態で三笠艦がさらされておるところを見ますというと、どうもそれを疑わなければならない。感謝の念は全く消えてしまっている。恩義を知らない、国の恥ということを知らない国民性であるかのように、少くともほかの国の人からは誤解される心配が当然あるんじゃないかということを私は痛感したのであります。 ところが、今申しますように、非常に荒れておる。これをもとの軍艦のようなりっぱな状態に返して保存するということになると、莫大な金がかかる。これは容易なことでない。国から金を出すにしても、民間から集めるにしても、容易なことでない。しかし、そうしてもらいたいのは切なる念願でありますけれども、もしそれができないということであったならば、もうむしろたたきこわしちゃってあの形をとどめないようにした方が、かえって国の恥をさらさないゆえんじゃない−か、そこまで私は考えたのであります。 その後聞いてみまするというと、民間でも財団法人を組織して、保存をしたいということを運動しておられるようでありまして、その基金も幾らか集まっているかもしれません。一億とか一億とかいうようなことであります。これも一応集まりましても、またそのあとの保存の費用も要るということになりますので、わずかそれくらいの金で永久にあれを保存するということは、不可能な問題じゃないか。また、次の募金ということも考えられないこともありませんけれども、非常に困難が伴うのじゃないか。そうすると、やはり国家が相当に考えてこれを保存をするという方向に努力をしていくということでなくちゃならないんじゃないか、私はかように考えております。 まあ、たたきこわした方がいいんじゃないかという、非常に極端な論でありますが、実は私、これは余談になりますが、数年前に江ノ島に参りましたときに、乃木大将の像であったかと思いますが銅像がありまして、それが終戦後でありますから、サーベルだけをたたきこわして、ただの兵隊さんが軍服を着て立っている、つまり腰の物なくして立っているあの姿を見まして、私は非常に憤慨したことがあります。これもその当時のことでありますから、やむを得なかったのであります。むしろ全部の銅像を取り除いた方が好ましい、その当時は私はさように考えたのであります。近ごろ行ってみましたところ、これは取り払ってありましたので、これはさっぱりしたなという感じを、気の毒ながら思った次第でありますが、ちょうど三笠艦はその大きいのでありまして、どうしても国が何ともすることができない、民間の資金も幾らも集まらないということであったら、むしろこわしてもらった方がいい。ただ恥をさらしておくというのがここ数年間続く。結局は、あのままにしておけば、腐ってしまうにきまっております。その点をよくお考えを願いたいと思っております。 ただいま、八木委員の御質問に対して委員長のお答えを承わっておりますと、お気持は同じように持っていらっしゃるようでありますけれども、保護の規定の関係から手が出せないのじゃなかろうかというお話。しかし、もう絶対に関係がないとまでは言い切っていらっしゃらないようであります。私はそれをたよりにいたします。どうか、でき得べくんば委員長が中心になって、というところまでは申し上げるわけにいかないかもしれませんが、大蔵省なり、あるいは防衛庁なり、海上保安庁あたりとも連絡をおとり下さいまして、ほんとうに政府だけということ− 政府々々と申しておりますけれども、これは私の気持は、国、国民の仕事、こういう意味で、一部の人の、ただ財閥の人たちの寄付を集めるとかいうような問題ではなくして、国全体の問題として保存する方向に一そうの御努力をお願い申し上げたいと思うのであります。 三笠の保存会というのは、これは御記憶でもございましょうが、もと、ございました。古い話ではありますが、まあ私など知っております。もう故人になりましたけれども、津留という海軍の大佐が、ちょうど戦争に三笠艦で働いた人であります。その人が中心になって、事務長みたいな格で、全国募金して歩きました。しかし、その当時は、もとより軍国主義の盛んなころであります。それさえあまりそうたくさんな金は集まらないで、津留大佐は非常に骨折っておられたことをよく承知をしております。まして、これを民間にまかせておくということは、非常に心細い次第じゃなかろうかと思います。その点よくお含み下さいまして、一そうの御努力をお願い申し上げたいと思います。
○説明員(河井彌八君) 竹下委員から、三笠の現状をごらんになりましての御感想、それから御希望もよく承わりました。なお、八木委員からさっきお話しになりました御意見もよくわかりますのであります。で、それに対しまして文化財保護委員会としての立場というようなものも一応申し上げたのであります。どっちにいたしましても、結局これはもっともっと国民運動といいますかというようなことで、その保存の目的を達するというところにいかなければならぬと、かように考えます。 それで、さっきちょっと申しましたが、米軍があれを接収して、三笠保存会を解散させて、それからあとどうしたかということでありますが、ちょうど今竹下委員がおっしゃったように、何かダンス・ホールのようにまで改造して、何やつたか知りませんけれども、はなはだ侮辱を与えているような心持がして、たまらないのでありまして、そのままが現在残っておるのだろうと思います。 ところが、昭和二十七年になりまして、米軍は三笠の接収を解除してしまった。そうしまするというと、それの所属はどこへ行っているかと申しますると、大蔵省なんです。国の財産として、管財局がこれを管理するということになっております。そして管財局は、関東財務局ですかがこれを管理しておるというような、これが実情であります。そして大蔵省としましては、これを、普通財産でありまするから、行政財産に切りかえることの理由もありませんし、できない。それで持て余しておるらしいのであります。今お話しのように、荒れ果てた、実に情ない状態というものを、いかにしてみっともなくないようにするかということの費用などについても、管財局が困っておるのじゃないかと聞いております。従って文化財保護委員会に移管したらどうかとか、あるいは防衛庁に移管したらどうか、さらにまた、三笠保存会のごときものを作って、そしてそれに管理をさせたらどうだというようなことがあるようであります。その点につきまして、文化財保護委員会としての立場は、さきに申し上げました通りなのであります。 しかし、われわれといたしましても、何とかこれが荒廃のままに、しかも、そのりっぱな仕事をしたこの軍艦そのものを恥さらしの的にしてしまうということは、どうしてもこれは耐えられないことだろうと、かように考えます。そこで、大蔵省の現状においては、管財局がこれの保管の責任を持っておるのであります。そういう方面にもやはり強い議員諸君の要求を徹底させていただきたいと思うのであります。そしていいものにしまして、そうしたならばこれはまた国宝、あるいは重要文化財としてこういうものを指定して、永久に、何といいますか、たっとさを国民に示していきたいというような考えを私は持っておるのであります。 今、竹下委員のごらんになっての御感想を述べられましたが、私も実は、八木委員からどういう御質問があるがしれませんが、三笠ということで御質問があると聞いたものですから、日曜日に横須賀に見に行こうと思ったのですが、どうしてもいろいろな用事が、日曜日でありましたけれども、旅行のあとでたくさんの用事があって、とうとう行かなかったのです。一ぺん行って見たいと思いますが−・−。お答えだけは、今の御質疑等がありましたから、自分の意見を述べまして、ここに申し上げておく次第であります。
○竹下豐次君 ぜひ一つ、一度ごらん下さい。ごらん下さいますと、また感じがずっと違います。私自身が大へんな違いであります。聞いたときとでは違いますから、ぜひお願いいたします。 それから、先月の二十四日だと思いますが、海上保安庁にこの内閣委員会から視察に参りました。そのときに、ちょうどその沖を船で通りました際に、保安庁長官以下の幹部たちに、私はその話をいたしたのであります。もと、あれは軍艦で、あなたたちは違うのだけれども、しかし、海上保安のためにどれくらいの功績が昔の海軍にあったかということは、よくおわかりのことでしょう。その恩義はお感じになっておるでしょうから、せめて幹部の人だけでも見に行って下さいとお願いした次第です。おそらく見に行って下さったと思いますが、ぜひあなたも見に行って下さいますようにお願いしておきます。
○理事(矢嶋三義君) 委員長お見えになっておる機会に、私、一言伺っておきたいのですが、これは文化財保護委員会の所管事項は多種多様で、大きな問題をたくさんおかかえになっていて大へんだと思うのですが、そのうちの一つは国立劇場の問題だと思うのです。本日返還施設の説明がありまして、実は官房長官の出席を要望したのですが、事情があってお見えにならないので、あなたにお伺いをするのですが、先ほどの説明にありましたように、今パレス・ハイツは年内には確実に返還されるということになったのです。ところが、国立劇場の敷地というものは二転三転いたしまして、最近パレス・ハイツが返されるが、きょうも本院の議院運営委員会が議論するらしいのですが、衆参議長公舎とかあるいは最高裁判所の敷地とか、いろいろ伝えられておるわけです。ところが、今までの経過から考えて、私は国立劇場の敷地としてはパレス・ハイツにする以外にないのではないか、あの敷地が最適である、それ以外に得られないのではないか、こういう見解を私は持っているものですが、文化財保護委員長としてはどういうようにお考えになるか、いかように事態が進んでおるか、お答え願いたいと思うのです。実は政府を代表して官房長官に御出席願って、その見解をただしたいと思ったのですが、きょう所用があるので、どうしても出席になりませんので、一応委員長、ここでもって……。
○説明員(河井彌八君) 国立劇場の敷地の問題のお尋ねでありますが、実は国立劇場の設立というものは、昭和三十年に閣議でもって決定してどうしてもやっていくということになっているのですが、従って、準備費等も千七、八百万円ばかりです。年々それをとつている。ところが、敷地の問題で、敷地がまずきまらなければ、どういうふうに設計をするかというようなことからしでいきません。従って、スタートできない。 そこで、まず初めに考えましたのは、都内の各場所をずいぶん詳細に検討しまして、そうして候補地を探したのです。その結果、一番いい所は青山御所の一角だということでありました。そのときは、その時分には、私はまだ文化財に関係がなく、高橋君が委員長をしておられたが、宮内庁に内交渉したといいますか、宮内庁の意向を尋ねてみたところが、宮内庁長官は、あすこは——青山一丁目のかどです。あの土地は割譲することはできないと断わられたというようなことで、これは皇室御用の財産でありますから、国有財産ではありますけれども、それは国立劇場としまして、文化財保護委員会といたしましては、それでは遠慮しようということで、次にどこということで、二番目でありますが、パレス・ハイツということにきめまして、これよりほかないということで、大蔵省にも交渉いたしましたところ、大蔵省もまたこれについて、何といいますか、好意を持ってくれたわけなんです。 ところが、あすこの場所につきましては、最高裁判所などがやはり希望を持っております。特に田中長官がこれに熱心でありまして、まあどっちか、何と申しますか、大蔵省としてはきめにくくなってしまった。そこで、これをきめますためには、あすこにアメリカの駐留軍の兵舎が九十何個ある。それをどうするかという問題もありますが、とにかくそれにしましても、あの場所を国立劇場に使ってよろしいということを大蔵省がきめる前提といたしましては、国有財産中央審議会というものがある。それに諮らなければならぬということで、一昨年です、その審議会に諮ったのです。ところが、それの会議を開きまして、たしか二回ぐらいやった。ところが、どうも思うような結論が出ない。そうしてぐずぐずしてしまった。 で、われわれの委員会といたしましては、すでに国策できまっているものを、場所がきまらないからというので、延び延びにされては困るということでおりましたが、そうしてちょうど昨年の七月の十日です。あの内閣の改造があったその日に、衆議院の文教委員会において決議をされた。もう国立劇場設立の論をすることは要らない、すみやかに今年度内に敷地を決定して、そうして来年度の予算には必ずその進行する経費を計上しろという、きびしい決議をされました。それから、九月になりまして、これは矢嶋委員も熱心に御関係下さったんですが、両院議員の設立促進議員連盟というものができまして、そちらからも大へんに強く要望されたので、私どもといたしましては、とにかく敷地が決定しないならば、いつまでたっても仕事の進行をすることができないということから、だいぶあせりましたのでありますが、その間、青山御所につきましても、一応は断わられたのでありますが、さらに宮内庁の意向を伺ってみようということでお尋ねしたのです。 そうしましたときに、宮内庁では、前には、宮殿計画やいろいろなことがありまして、それが未定であるからやることはできない。また、あそこに、一部に、学校の敷地として要求されまして、それは学校だから許そうかということであったが、結局閣議の決定ができなくてしまったというようなこともありまして、宮内庁としては、非常に慎重な態度をとっておったわけであるのでありますが、今度は、それならば、つまり閣議が円満に決定するならば、やってよろしいというところまでいった。ところが、非常に、これはパレス・ハイツと比較いたしましても、場所柄といい、交通関係といい、大へん都合がいいというので喜んだのでありまして、しかも、その大蔵省の事務当局との間には、宮内庁はもちろんでありますが、大へんに円満に話し合いが進みまして、計画がどんどんいったのでありますが、最後に行って、一萬田大蔵大臣が反対した。それは、皇室用のお財産である土地は他の用途に向けることはいけないのだ、こういう議論でありました。まあそれも一つの議論であります。私どもはまた違った意見を持っており、皇室が下さるというものを、それも重要な国立劇場であるのだから、ちょうだいしない方が間違っているのだというような意見を、私は出したのであります。 結局、政府は、われわれの方の文化財保護委員会では、希望は述べることはできますけれども、しかしながら、どの場所にするということの決定権はない。その決定権を持っているのは政府であります。だからして、結局政鮮の言う通りになるほかはないのでありますが、まあ私どもの期待に反しまして、結局パレス・ハイツということになった。一萬円大蔵大臣は、あそこに兵舎があるということは承知している。しかしながら、そういうものは、アメリカの地上軍が撤退する時はもうわかっておるのだからして、それはかまわぬではないかということまで言って、それから、必ずあそこならやって見せる。そうしてあそこにある兵舎のごときものはどこかに、横田ですか、場所は交渉の結果きまるのですが、そちらへ移転させるというまで、はっきり言っておるのです。ところが、内閣がかわってしまいました。そうして今もってきまらないということでありますが、結局政府の考え方は、岸総理も言っておられますが、パレス・ハイツだということになっております。 私は、決定権はありませんが、しかしながら、パレス・ハイツでもどこでも、とにかく早くきめて下さい。そういつまでも延ばされるということだったらば、これは設立ということについて非常に不便になる。ぜひ早くきめて下さいということが一つ。それから、パレスハイツにやるならば、赤坂離宮のあの場所に持っているところの長所を、パレス・ハイツで持っているところに、補うように十分なる施設をしてほしい。面積にしましても、あるいは経費にしましても、相当思い切ったものを出してもらいたい。あえてぜいたくを要求するわけじゃありません。しかし、これはさすがに国立劇場を建てたというその価値を、後世の人から喜ばれるように、また外国に対しても恥かしくないように、そうしてその施設というものは、単なる興行場ではなくて、いろいろな資料の収集なり、研究なり、また後継者の養成なりというまでに役立つような、意味のある施設をしてもらいたいということを、私は強く総理の前で要望をいたしまして、そうして早く決定することを現在お待ち申しているわけなんであります。その間、私は参議院の決算委員会において、矢嶋委員からも御質問を受けて、その当時のことを説明を申し上げたのであります。 今日の実情は大体、申し上げますとそういうことでありまして、文化財保護委員会といたしましては、なるたけ早くそれが決定せられることを待っておる、こういうわけなのであります。それだけお答えします。
○理事(矢嶋三義君) 本件についてはこの程度にとどめて異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○理事(矢嶋三義君) 御異議ないと認めます。 —————————————
○理事(矢嶋三義君) それでは、次に、委員の異動がございましたので、事務局から報告させます。
○参事(川上路夫君) 御報告いたします。 本日、海野三朗君が辞任され、後任として三木治朗君が委員に選任されました。 以上でございます。
○理事(矢嶋三義君) 他に御発言もなければ、本日はこれにて散会いたします。 午前十時五十九分散会