本会議 第6号
- 発言数
- 15 件
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- 11 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1958/01/31
会議録
○議長(益谷秀次君) これより会議を開きます。 ————◇————— 国務大臣の演説に対する質疑(前会の続)
○議長(益谷秀次君) 国務大臣の演説に対する質疑を継続いたします。 水谷長三郎君。
○水谷長三郎君 私は、日本社会党を代表いたしまして、政府の施政方針演説に対し、若干の質疑を行わんとするものであります。 まず第一に、総理並びに企画庁長官にお尋ねしたいのは、日本経済の見通しについてであります。御承知のように、政府が、昨年八月三十日の閣議の決定によりますれば、来年度の経済運営については、当面経済の発展を控えぎみとし、輸出の増大をはかり、財政規模については中央、地方を通じて極力抑制し、あわせて、消費の抑制、貯蓄の増進について国民の協力を要請しようとするものであります。この基本的態度を受けまして、政府は、九月十日、三十三年度予算の基本構想について閣議の決定を行いました。それによりますれば、三十三年度予算は、国際収支の改善をはかるため、財政によって経済を刺激しない程度の規模に押えること、歳入が歳出を超過しても、これはたな上げにして、将来の景気の変動に備えること、財政投融資は、実情に即応し、本年度の実行計画並みに押えること、などの三原則が決定されたのであります。越えて、十二月十七日の閣議では、三十三年度予算編成の前提となる考え方を示したのでありますが、これは前の八月三十日の考え方とほとんど変っておりません。この考え方に基きました予算編成方針によってでき上ったのが、一月八日の閣議に提出された大蔵省原案であります。これをめぐる十日余りにわたる予算ぶんどり合戦は、国民をして目をおおわしむるほど醜悪きわまりなきものでありました。 全体として見ますと、昨年九月ごろ予想されたきびしい予算の姿と打って変った膨張財政に仕上げられたのであります。その中身は、大企業には積極、圧力団体には放漫、声なき国民には緊縮という、文字通り性格破綻の無岸予算ともいうべきでありましょう。三十三年度予算は、何と説明いたしましょうとも、また、形式的にはどうであろうと、先に述べた通り、昨年政府が決定発表しました編成方針とは似ても似つかぬものとなっております。先に述べた三原則は、三つともことごとく実現されなかったのであります。一昨日、経済企画庁長官の演説を聞けば、変貌された甘い予算とつじつまの合う経済の見通しを新たに発表されるものと期待したのでございますが、依然として、昨年八月末国際収支が緊迫し、金融引き締めがますます強化されていた当時に発表された経済の見通しをそのまま固定化していることは、予算編成と経済の見通しとの間に重大な矛盾があるといわねばなりません。従って、予算編成について見れば、これは明らかに、昨年来堅持されてきた財政が経済を刺激しないという方針と全く相反するものであります。この予算が実施された暁には、当然、政府が予定いたしました経済成長率は三%を上回り、輸出増加額、国際収支じり、鉱工業生産水準等の目標も勢い変更せざるを得ないのではないか。この際、政府は、既往にとらわれることなく、さきの予算編成方針とこのたびの予算案との矛盾を率直に認め、虚心たんかいに、この間の調整をはかるために、新たに日本経済の見通しと、それに基く方策を国民の前に明らかにすべきではないでしょうか。総理並びに企画庁長官の所見を伺いたいと思う次第でございます。 次に、第一の質問と関連して総理並びに蔵相にお尋ねしたいことは、予算編成途上における総理の態度と蔵相の政治責任についてであります。このたびの予算が、その内容においても、その編成過程においても、戦後最悪の予算であったことは、先に述べた通りでございますが、それにもまさるとも劣らざる問題は、その間における総理の態度と蔵相の責任の問題でございます。岸総理の、だらしなき無統制ぶりに、国民は全く失望させられたのであります。みずから選んだ大蔵大臣が与党からもみくちゃにされ、孤立無援でいるのを、最後まで傍観者的態度で、かばいもせず、閣議できめた予算編成方針がくずれ去るのをどうにもできないのでございますから、総理大臣としての指導力を疑わざるを得ないのでございます。大蔵大臣というものは、閣議で多数の支持があるか、あるいは総理大臣の強力なるうしろだてがなければ勤まるものではありません。一萬田大蔵大臣は、党内でも閣内でも孤立されておる上に、岸総理が助け舟を出してくれないものでありますから、まるで孤児蔵相のようなものであります。 元総理大臣吉田君は、いろいろ多くの欠点を持った政治家であったのでございますが、肝心かなめの点は、ツルの一声で、どしどしきめていきました。このため、池田君のごときも、無事六年の長きにわたって大蔵大臣を勤めたのでございます。統率力の上においては、吉田君と岸君とは、月とスッポンの相違であります。昔、中国には、死せる孔明生ける仲達を走らすという言葉があったのでありますが、今の日本では、隠居のワン・マン現役の信介を走らすというべきではないでしょうか。岸総理の政治的信念とその良心を伺いたいのであります。 さらに、奇々怪々なるは、一萬田蔵相の態度であります。骨のある人間ならば辞表を出すのが当然でございましょう。底の浅い日本経済よりも恵まれた事情にあるイギリスにおいてさえも、あくまでイギリスのポンドを維持するために、わずか五千万ポンド、日本の金にすれば五百億の歳出増のために、自己の政治的信念と良心とに従い、ソーニクロフト氏は蔵相の地位を去ったではありませんか。「東は東、西は西」とは有名なキプリングの詩の文句でございますが、これはあまりにもすれ違った東と西の相違であるといわなくてはなりません。蔵相は何のかんばせあってこの本会議場においてわれわれとまみえんとするか。蔵相の政治的責任を問うものでございます。 第三に、総理、蔵相、厚相並びに農相にお伺いしたいのは、予算の内容についてであります。御承知の通り、三十二年度におきましては、千五十億円の自然増収があり、また、三十三年度におきましても、一千億円の自然増収が見込まれております。社会党は、カイザーのものは、カイザーに返せ、国民より取り過ぎた税金は国民に返せという立場に立って、これらの自然増収は、低額所得者の減税と社会保障の拡充の二つに、重点的に充当すべきことを主張して参りました。岸内閣は、自然増収分の処理について何らの定見をも持たず、その大半を大企業のためのひもつき資金に充当し、残りのごく一部を減税に充てて、ごまかさんとしておるのでございます。このたびの政府の減税案を見ましても、総額一千億円の自然増収に対して、減税額は、初年度二百六十億円、平年度三百七十五億円で、しかも、その内容は、法人税の税率一律二%の引き下げ、貯蓄控除制度の創設等、大企業、高額所得者に重点を置いた減税でございまして、大衆にはきわめて魅力乏しきものであるといわなければなりません。今こそ、政府は、われわれの主張に耳を傾け、少くとも年収三十二万円までの低額所得者の免税、中小企業者のための事業税の減免、農民のための固定資産税の引き下げを断行すべきであろうと思うのでございますが、大蔵大臣のお考えはいかがでございますか。 次に、歳出の重要な問題について触れておきたい。岸総理は、去年の五月三日、憲法施行十周年記念日だというのに、政府主催の憲法記念行事は何一つ行わず、その日の午前、総理大臣として初めて伊勢神宮に参拝したのでございます。そこで、若くしてすこやかな内閣総理大臣岸の信介氏は、野党攻勢を右に払い左にかわしという迷のりとに気をよくしてか、期せずして、総理は、貧乏、暴力、汚職の三悪追放の名文句を社頭で発表されました。このうち、予算と特に密接な関係を持つ貧乏追放はどうなったのでございましょうか。 三十三年度予算案の社会保障関係費の内容を見ますと、この公約はまず看板倒れに終ったといわなくてはなりません。社会保障関係費の総額は千二百五十四億五千三百万円でございまして、なるほど前年度に比べ九十九億三千六百万円ふえております。これは、歳出予算総額が前年度に比べ千七百億、一六%ふえておるのに対し、社会保障関係費の増は、わずかその半額の八%程度にすぎないのであります。これでは、さきに自民党が新政策の重点施策としてうたった「全国民に社会保障」というスローガンにふさわしい積極的な増額予算とは言えないのであります。社会保障関係では、医療保障制度の改善、結核対策、生活保護、失業対策等、現下わが国の重要問題が山積しておりますが、そのうち、厚相のいわゆる結核半減五カ年計画については何らの予算も組まれず、生活保護費、失業対策費は若干の増額を見たにすぎません。これら生活保護費、失業対策費等の増額は、政府の経済政策の犠牲者に対する当然の増額であります。これは、政府の公約した貧乏追放の政策と縁もゆかりもなく、実は貧乏追加を前提とした救貧政策にすぎないと思うのであります。かくて、貧乏追放は跡形もなくくずれ去ってしまいました。これでは、国民をばかにするばかりか、せっかくお参りしたお伊勢さんをもばかにしたものであろうと思います。貧乏追放は岸内閣の追放からと国民は叫ばざるを得ないのであります。岸総理のお考えはいかがであるか、お聞かせを願いたいと思うのであります。 このたびの予算編成に当り、最後の瞬間までもつれ、最も醜悪をきわめたのは、軍人恩給増額の問題でございます。このたびの予算では、総理の裁断で、軍人恩給がついに平年度千百億円を突破し、これに文官恩給を加えると、恩給費だけで実に千三百億、国家予算のちょうど一割を占める勘定であります。国民一人当りざっと千二百円の負担であり、昭和六年以降初めての恩給亡国の再現でありまして、岸総理の責任はまことに重かつ大といわなくてはなりません。これは、総理の裁断というものの、実は圧力団体に対する無条件降伏でございまして、岸総裁と大野副総裁との違いは、恩給のことはおれにまかせておけとぽんと胸をたたいたか、たたかなかったかの違いだけではございませんか。 一口に軍人恩給といっても、その過半を占めるものは、百五十三万人の戦死者の遺族に支給される公務扶助料でございます。ことに、一片の召集令状で戦争にかり出されて戦死した九十万人の兵、五十万人の下士官、さらに下級将校の遺家族が、不均衡の是正を求めて恩給増額を主張する立場は、理解できないというわけでは決してございません。しかし、不均衡の問題を、恩給を受ける者、すなわち受恩給者相互の間だけで解決しようとする結果、その他の広範な戦争犠牲者との不均衡をますます拡大するところに、深刻な問題があるのでございます。不均衡論の引き合いに出された公務四十割の倍率の扶助料を受ける文官の数は、わずか六千人にすぎないのであります。六千人対百五十万人の遺家族、そうして、数百万、数千万人の恩給に縁なき戦争犠牲者、この均衡論こそが問題であろうといわなくてはなりません。さらに、敗戦十数年、今なお依然として将官、佐官、尉官、兵卒の階級差をつけ、上に厚く下に薄い恩給を支給するなどということが、果して許されていいものでありましょうか。今こそ、旧軍人、文官、一般国民の差別なく、全国民の生活を保障する国民年金制度の方向に切りかえるときではないでしょうか。総理並びに厚相の所信を伺いたいと思う次第であります。 次に、防衛関係費について言及したい。このたびの防衛関係費の特色の一つは、陸上自衛隊の一万人の増強にあることは言うまでもありません。しかし、今や大陸間弾道弾、人工衛星の時代におきまして、果して陸上兵力の増強ということがいかなる意義を持つかということに対しましては、自民党内部にすら疑問の声があげられたほどであります。陸上自衛隊一万人増強の表面的な口実としては局地戦の可能性を強調されているが、そのほんとうの理由は、岸訪米の際の落し子といたしまして、アメリカに対して約束した一万名増強を果したにすぎないのであります。防衛関係費千四百六十一億円、軍人恩給千百億円を加算いたしますれば、その額二千五百億、わが国予算総額の約二割に達する膨大な額に上るのであります。今や、軍国主義の亡霊は、白昼公然と、首都のどまん中、永田町かいわいを徘回しておるのであります。戦争責任者である岸総理が軍国主義の亡霊に取りつかれるのは自業自得ではございますが、何ら罪なき一般国民にとっては、まことに迷惑千万といわなくてはなりません。世界の情勢と近代兵器の発達は、かねがね社会党が自衛隊に対してとってきた態度がいかに正しかったかということを立証しておるのでございます。現下の情勢に対応して自衛隊をどういう方向に持っていくかということはきわめて重大でございますが、総理の所見を伺いたいのであります。 次に、農林関係につきましては、三十三年度の農林予算の復活要求が大幅に認められ、一千億をこえたといわれておりますが、一般会計予算総額において占める比率は、わずか七・七%にすぎません。昭和二十八年以来の農政後退の方向に何ら変りはないのであります。わが国経済構造においては、第二次、第三次産業に比べて、第一次産業の農林水産業が著しく立ちおくれておるのであります。農村人口が総人口の四〇%をこえているにかかわらず、産業別国民所得における農業所得が一七%にしかすぎないことは、このことを最も端的に示しております。 昨年度の経済白書で強調された日本経済の二重構造の基盤がこの農林水産業の立ちおくれにあることは、すべての識者の一致して認めるところであります。これを改善することなしには、国民生活の安定はもとより、また、政府の言う長期経済計画の達成も不可能であります。年々後退していく政府の農林政策及び農林予算をもって、立ちおくれた農林水産業を引き上げることができるかどうか。私は政府の深刻なる反省を求めるものであります。私は、問題の防衛費を削減いたしまして、平和国土総合開発を促進し、これに伴うて農業生産基盤を抜本的に強化し、また、農産物価格の支持政策を強化拡充すること、これこそ、日本農業の体質を根本的に改善し、農民所得を向上させるゆえんであると確信いたすものでありますが、総理並びに農相の見解はいかがでありましょうか。 また、政府は、旧地主農地補償についての調査費を一たん計上し、その後これを削除されたのでありますが、農民諸君は、この政府のあいまいな態度に対しましては、なお重大な危惧の念を抱いておるのであります。政府は、農地改革の成果維持の見地から、旧地主に対する一切の補償を行わないとの態度を明確にすべきであると考えますが、総理並びに農相の見解を聞きたいと思います。 次に、まだ重大な問題があります。昨日、政府は、インドネシア賠償に関する一億七千万ドルの債権棒引きの処理について関係予算書類に重大な誤まりあることを、わが社会党の指摘にあって、これを訂正し、本会議において蔵相は遺憾の意を表明いたしました。前代未聞の醜態であるといわなくてはなりません。このことは、今回の予算そのものが、われわれの指摘いたしましたように、いかにずさんきわまるものであるかを端的に証明したものといわねばならぬのであります。問題は一片の正誤表で片づくものではありません。われらは、予算委員会等におきまして、本問題の処理について政府の手落ちを徹底的に追及するものでありますが、とりあえず本日お聞きしたいことは、予算編成の基本的なあり方についてであります。 政府は、従来、そうして、このたびもまたそうでございますが、当然一般会計に計上せねばならぬものを、予算規模その他の理由によって特別会計に逃げ道を求めておることは、きわめて遺憾に思う次第であります。このことは政治的配慮に基いたものでございまして、予算の一体性という予算編成の基本原則を破るものといわねばなりません。大蔵大臣の所見いかん。 さらに、言うまでもなく、予算というものは国の収入支出、財産の増減を数字の形で示すべきものであるにかかわらず、このたび、六百三十億という巨額な国の財産の切り捨てを、一片の関係書類である外為特別会計の貸借対照表の誤まりの是正のみによって済ますということは、予算のあり方からいって、不合理きわまるものといわねばならぬのであります。大蔵大臣の所見をとくと伺いたいと思う次第であります。 さらに、私は、政府の経済政策の基本に触れまして、総理、蔵相、通産相並びに企画庁長官に対し、二、三お尋ねしたいと存じます。 一昨日の河野経済企画庁長官の演説によりますれば、本年度の国際収支は予想以上に好転し、実質的な赤字は一億三千万ドル程度にとどまりそうだということであります。なるほど、国際収支は形式的には好転したでありましょう。しかし、その実態は、輸出がふえて拡大均衡に向って好転したというのでは断じてなしに、輸出の伸びは横ばいであるが、輸入が減少したので、いわば縮小均衡に向っているという意味において、表面上好転しているにすぎないのであります。従って、アメリカ及び西欧先進諸国が一斉に景気後退に入り、また、東南アジア諸国のドル不足がますます深刻化し、これに加えて、岸内閣みずから東西貿易に鉄のカーテンを閉ざしておる現在、岸内閣は、いかなる具体策をもって、国際収支の縮小均衡を打開し、長期経済計画にいう輸出三億五千万ドルの増加を実現せんとするものであるか。この点、総理並びに企画庁長官から具体的な御答弁を要求する次第であります。 これに関連いたしまして、私どもは、明年度の輸出増加を達成するためには、どうしても、貿易構造の変革、すなわち日中貿易を再開し、共産圏貿易の拡大を促進せねばならないと主張するものでありますが、総理並びに通産相の所見を伺いたいと思う次第であります。 次にお伺いしたい点は、明年度予算が政府案のように本年度予算より実質的に増加すれば、当然この面よりの財政の対民間収支は散超要素が強くなることが必至だということであります。このような明年度予算がそのまま実行されるとするならば、金融は緩和の方向に向わざるを得ません。このときに当って、この資金の流れをいかなる方向に向けるか。政府のような無計画な、無方針なる経済政策を続けるならば、この資金の流れはいたずらに滞貨融資に向っていきまして、大企業救済資金に奉仕するだけでありまして、何ら不況の打開、国民生活安定に貢献しないものであります。この資金の流れを正して導くためには、総理並びに大蔵大臣はいかなる見解を持つか、承わりたいのであります。わが社会党の経済危機突破対策の大道としては、先に述べた通り、日中貿易を中心とした東西貿易の拡大によって輸出の振興をはかるとともに、国内におきましては、減税、社会保障の拡充、最低賃金制の実施を通して低額所得者の生活水準の向上をはかり、これをもって国内市場を安定させて、その上に立った輸出振興をはかるべきだと思うのでございますが、総理並びに通産大臣の所見を伺いたいと思う次第でございます。 最後に、結論として政府の所信を問いたいことがあります。それは、一昨日鈴木委員長も述べた通り、衆議院の解散問題でございます。言うまでもなく、政権の移動は総選挙を通して行うべきでございまして、この原則は、与党、野党を問わず、民主主義を守り、議会主義を守るためには、ぜひ通さねばならない大筋であると確信するのであります。この大筋をはずして、百たび民主主義の説教をしても、しょせんは説教強盗と同じたぐいではありませんか。まして、このたびの予算は、先に述べた通り、国民の意思に大きく反した、満身創痍の予算であることは言うまでもありません。それは、わが社会党がいみじくも唱えた、戦後最悪の予算といわねばならぬのであります。かくのごとき予算の実施が、わが国経済の危機をますます深刻化し、わが国国民生活をますます窮乏のどん底に陥れることは、火を見るよりも明らかであるといわねばなりません。いやしくも主権者たる国民に対して責任を持たねばならないわれわれ政治家といたしましては、かくのごとき予算の成立は断じて許すことはできません。もし政府がこの予算に良心と責任を持つならば、直ちに正々堂々と国会を解散して、信を国民に問うべきでございます。これこそは、岸総理大臣が好んで用いるところの政府対社会党の対決ではないでしょうか。総理の忌憚なき所感を伺いたいと思います。 これをもちまして私の質疑を終ることにいたします。
○国務大臣(岸信介君) 水谷君の御質問にお答えをします。 第一、予算の編成についての御質問でありましたが、政府は、昨年末、三十三年度の予算編成の大綱として、三十一年度の剰余金中、公債償還等に充てるものを除いて四百三十六億はこれをたな上げする、それから、約二百五十億程度の減税をする、それから第三は、実質的の予算増加を一千億の範囲にとどめるという方針を明らかにして、これを世間に発表いたしております。われわれの今度の予算編成が、いろいろな議論もございましたが、このワクの中ですべてでき上っておるということは、根本方針が絶対に変っておらないということであります。 予算編成の過程における私の態度についての御質問もございましたが、御批評は自由でありますけれども、私は、この予算の編成については全責任を持ってこれを国会に提案いたしたのであります。 貧乏追放の問題に関しましては、しばしばこの議場におきまして私の信念を申し上げております。この問題は、私の政治的信念であり、非常にむずかしい問題であり、長くかかる問題であるけれども、私は、私の力のあらん限り、これを実現することに向って努力するということを申しております。しこうして、それには、一面において経済の繁栄の基礎を作り上げて経済を拡大していくということ、一面は社会保障制度の拡充をするということ——今回の予算の増加は一千億の範囲内にとどめましたけれども、社会保障費を約百億ふやしておることは、決して私がこれを軽視しておるということではないということの証拠であります。 次に、軍人恩給の問題であります。軍人恩給という言葉で表わされておりますが、これは、水谷君もはっきりと、その本体は遺族扶助料であるということを御認識になっておるようであります。私は、社会党の諸君もこの問題の実質はよく御承知だと思います。今回の増額の大部分が、これから遺族の、従来文官の遺族との問の非常な不均衡を是正するという趣旨におきまして、最低限なものが盛られており、傷痍軍人に対するものが大部分でありまして、軍人の、いわゆる職業軍人といわれておる高級の人に対しては、今回の措置は全然及んでおらないのであります。こういう恩給の問題を全部含めて国民年金等の社会保障制度に切りかえたらどうだという御意見に対しましては、私もその御意見には賛成であります。従って、今日あらゆる面においてこの国民年金制度の創設のために調査をしており、社会保障制度審議会も五月にはその答申を出すことになっております。これに基いて、これを実現しようということには、私は熱意を持っております。その前に、遺族扶助料のこの不均衡をそのままに放置するということは、私は、日本の社会情勢からいって許されない問題として、今回解決したのであります。 防衛費の問題につきまして、一万名の陸兵の増加の問題についての御質問でありました。この点は、すでに国防会議においてきめました防衛の長期計画に基いて、われわれはこれを本年度の予算に盛っております。しこうして、いろいろなこの軍事科学の変化が将来の防衛の上にいろいろな影響を持つことはもちろんでありますけれども、今日、どの国といえども、普通兵器によるところの防衛力を決して減員はいたしておりません。この現状におきましては、この程度の増員は必要であると認めたのであります。 農地補償の問題については、私は農地改革という事態をくつがえす意思は毛頭持っておりません。しこうして、これに対して法律上補償の義務のないことも、国会を通じて明らかにいたしております。しかし、こういう非常な社会的の変革の行われたことに伴って生じておるいろいろな事態をいかに処理するかということも、われわれに課されておる政治的な義務であると考えます。これらに対しては慎重な調査をして、これに対処するつもりでおります。 最後に、解散の問題でありますが、解散の問題については、すでにしばしば申し上げております通り、いわゆる民主主義の公式論に対しましては、今日の情勢においては、これは公式論としては正しい議論であろうけれども、政治の実際としては私のとらないところであって、今日解散する意思は持っておりません。
○国務大臣(河野一郎君) 水谷さんにお答えいたします。 明年度の予算と長期経済計画との問題でございますが、これはただいま総理大臣からお答えに相なりましたことで大体御了承願えると思うのであります。ただ、しいて申し上げますならば、水谷さんも第一次の予算査定がどういうものであるかということは十分御承知のことと思いますので、この第一次予算査定を取り上げて、とやかくわれわれが議論すべきではない。予算はあくまでも決定したものについて御考慮願いたいと思うのでございます。 次には、経済の見通しにつきまして、貿易の問題であります。輸出入が非常に縮小しておる、これでいいのかということでございますが、経済の問題は、数字を申し上げて御説明をいたしたいと思います。まず、前年度の貿易につきましては、輸出は月平均第一・四半期は二億一千九百万ドル、第二・四半期は二億三千七百万ドル、第三・四半期は二億五千万ドルということで、順次適当な増加を示しておるのでございまして、これを想像して、全年度を通じて二十八億三千万ドルとわれわれは推定いたしております。これはその前年度に比しまして一三・五%の増加でございまして、決して萎縮均衡ではないことを御了承いただきたいのであります。こういうふうに、おおむね正常なケースをたどっておりますので、ただいま御議論になりました議論の根底の数字が違っておることをここに御指摘申し上げまして、御答弁にかえたいと思うのでございます。
○国務大臣(一萬田尚登君) お答えいたします。 予算編成につきまして私の責任をお問いになったのでありまするが、ソーニクロフトをどういう理由でおあげになったか、これは私の関知するところではありません。先ほどから予算編成につきまして総理大臣並びに企画庁長官からもすでに詳しく申し述べましたように、大蔵大臣としても、さきになにされました三十三年度予算編成基本構想、これを実現するのにあらゆる努力を払いまして、できた予算はおおむねその線を守っておると申して差しつかえないと思います。この点は、やはり、先ほど話がありましたように、数字をもってするのがよろしいのですから、予算委員会で十分御討議を願います。 それから、自然増収と減税のことでありまするが、大蔵大臣として、まず予算を編成する場合に減税ができるかできないかを考えるのは、これは義務です。大蔵大臣は常に減税ができないであろうかということを考えておる。しかしながら、日本は敗戦国。敗戦国で、敗戦後においてしなくてはならぬ仕事が非常に多い。それで、はなはだ残念であるが、やはり税の負担が重いのですが、まあがまんをしてもらわなくてはならぬということに相なるのでありまして、従いまして、いやしくも減税をする場合は、所得税にいたしましても、間接税にいたしましても、常に大衆あるいは低額所得者を対象にしてやっておるということを御存じ願いたいのです。今回の減税においても、同業に、どの税を見てもみんな大衆や低額所得者のためをはかって減税をしておるということは、きわめて明瞭でございます。 それから、インドネシアに対しますこげつき債権の処理についてのお尋ねでありますが、これは外為会計所属の資産の減額であるのであります。従いまして、同会計の帳簿上の処理で足りるものであります。これは外為会計の帳簿上の整理にとどまるものでありますから、一般会計からの繰り入れは要しない、かようになっておるわけであります。 御答弁といたします。
○国務大臣(赤城宗徳君) 農林水産業の立ちおくれという問題は、御説の通り、日本経済の二重構造ともつながりのある問題でありまして、この解決はきわめて長期の観点に立った施策を必要とするものと了知いたしております。私どもといたしましては、かような観点に立ちまして、農林水産生産基盤の整備強化を前提といたしまして、農林漁業経営の刷新改善を進める等、他産業部門との均衡のとれた発展に努めておる次第でございます。また、この点につきましては、予算のそれぞれの裏づけを持っておるわけであります。農産物の価格安定支持政策といたしましては、御承知の通り、現に、農産物価格安定法によりまして、カンショ、バレイショ、菜種、大豆等の価格支持を行なっておりますが、これらと米、麦、繭等合せ農業粗収入の七割に達するものにつきまして、その価格を保証しておるのであります。また、三十三年度予算案におきましては、農産物価格安定資金に一般会計から十億円の繰り入れを特別会計に行なっておりますほか、特に農林水産物の流通改善対策に意を用いまして、これによって農林水産物の価格形成の適正化、安定化をはかりたいと考えております。 なお、三十三年度農林関係予算は総額の七・七%で、農林政策が後退しておるではないか、こういう御指摘でございますが、三十二年度の農林予算についての比率は七・八%でありまして、この比率で言いますと、三十三年度は約一千二十二億円になるわけであります。ところで、三十三年度予算案中、農林水産関係予算額は、二十九年度から四カ年ぶりで一千億円を出て、一千八億となっております。前年度予算に含まれておりまする災害復旧費約二十億、その他当然減と合せ、これが二十五億円になっていますが、それを加えまするならば、一千三十三億円に該当するので、前年度に比べまして百十三億、純増百三十七億で、決して予算面から見て農政の後退とは考えられぬばかりでなく、むしろ前進だと思っております。 なお、解放農地に対しての補償の問題につきましては、総理大臣から御答弁がありまして、全く同様に私も考えております。
○国務大臣(前尾繁三郎君) 輸出が縮小均衡ではなしに拡大均衡になっておりますことは、先ほど企画庁長官の言われました数字でおわかりであると思います。その上での、先ほど間違った立論の上で、いろいろお話し願っても、何とも答弁の仕方がないのでございます。 中共貿易につきましては、長期計画としましては、私は今後貿易構造を変えていかなければならぬというふうにも考えております。しかし、御承知のように、中共貿易の問題は、政治的な問題もさることでありますが、現在中国は外貨が不足でありまして、日本が輸入をしなければ輸出ができない。しかも、輸入物資は、遺憾ながら、価額が高かったり、また、現実におきまして日本で必要のないもの、そういう関係にありますので、多きを現在期待することはできません。しかし、われわれとしましては、極力輸入を切りかえまして、そうして、中共貿易の拡大に努力はいたしたいと考えておる次第であります。 その他の輸出振興につきましては、ただいま御審議願っております予算案にいろいろな問題をお願いしておりまするし、また、輸出保険の改善あるいは輸出手続につきましても、いろいろ御審議を願いますので、それらの問題と、御承知のようなジェトロの画期的な拡充改組をいたしまして、努力をいたしましたら、三十一億五千万ドルの来年度の輸出は十分達成し得る、かように考えておる次第であります。 ————◇—————
○副議長(杉山元治郎君) 御報告いたすことがあります。議員砂田重政君は去る十二月二十七日逝去せられました。また、議員宇田耕一君は去る十二月三十日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。両君に対する弔詞は、それぞれ議長において贈呈いたしました。 この際、弔意を表するため、安平鹿一君及び佐竹晴記君から、それぞれ発言を求められております。順次これを許します。 安平鹿一君。
○安平鹿一君 ただいま議長から御報告がありました通り、本院議員正三位勲一等砂田重政先生は、旧臘二十七日早暁、心臓障害のため急逝いたされました。まことに痛惜のきわみであります。私は、ここに、諸君の御同意を得、議員一同を代表いたしまして、つつしんで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。 砂田先生は、明治十七年愛媛県の今治市に生まれ、長ずるに及び、笈を負うて上京し、苦学力行、同三十七年中央大学校科を御卒業になり、同時に、判検事登用試験に合格して司法官試補となられました。しかし、官界は自由にして闊達な先生の驥足を伸ばすには適せず、二年有余で野に下り、神戸市に住んで弁護士を開業いたしまして、法曹界にあって大いに活躍されました。その後犬養毅先生に私淑し、やがてその知遇を得、大正八年、神戸における衆議院議員の補欠選挙に際し、立憲国民党より立候補して、みごと当選の栄を得られたのであります。 かくして、政界に入られまするや、先生は、嶄然頭角を現わし、国民党の三傑の一とたたえられ、党内外から大いに将来を嘱目されました。大正十四年、同志とともに政友会に転じ、中堅幹部として縦横の活躍を遂げ、昭和十三年には幹事長の重任につかれたのであります。この間における先生の政治活動は、もとより各方面に及んでおられますが、特に農林行政の部門に造詣が深く、昭和二年には田中内閣の農林参与官に、同六年には犬養内閣の農林政務次官になって直接農林行政に参画するなど、当時最も深刻なる政治問題であった農村の不況打開に大なる貢献をなされたのであります。 昭和十七年、一時政界を退き、南方総軍軍政最高顧問の要職につかれ、また、戦後はやむなく雌伏しておられましたが、昭和二十七年の第二十五回総選挙には、捲土重来の意気をもって出馬し、本院に復帰されました。次いで、三十年二月の第二十七回総選挙に当選されました後は、年来の盟友鳩山一郎君を助けて日本民主党の国会対策委員長となり、困難なる国会運営の衝に当るとともに、また、故三木武吉君等とともに保守合同の推進に挺身されたのであります。同年七月には第二次鳩山内閣に入閣し、防衛庁長官に就任されましたが、十一月、自由民主党の結成なるや、その全国組織委員長となり、翌三十一年十二月以来は、総務会長の重職にあって、党内の融和と意見の調整に日夜たゆまざる努力を傾倒し続けられたのであります。 かくして、先生は、衆議院議員に当選されること前後十回、政治生活四十年の長きにわたり、きっすいの政党政治家として、議会政治の向上発展と国民の幸福増進とのために、ひたすら努力精進されたのでありまして、その輝かしい御功績はまさに永久に伝わるべきものと信じます。 思うに、砂田先生は、まことに重厚な御性格で、まれに見る清廉高潔な士でありました。常に高い理想を目ざして、みずからの利害得失を顧慮することなく、信ずるところを断行するというお人柄であり、その高邁な識見と円熟した人格とをもって、党内はいうに及ばず、広く本院内外の信望を一身に集めておられたのであります。 先生は、つとに努力家をもって聞こえ、また、雄弁家と賞揚されておりました。かつて、政友会時代、予算総会において、先生が広く収集し、こまかに整理された資料をもって舌端鋭く政府に迫られるときは、文字通り天下の耳目を聳動したものであります。 先生は、昭和十一年より選挙区を兵庫から御郷里愛媛に移されましたが、平素中央政界において多端な激務に当られるかたわら、常に強く郷土の繁栄を念願され、あるいは地方産業の開発育成に、あるいは後進子弟の指導誘掖に、労をいとわず努められ、あまねく郷党人の景仰の的となっておられましたことは、人の知るところでございます。しかも、その日常の御生活はきわめて質素で、かつ規則正しく、草木を愛し、書画を楽しみ、特にお若いころから釣を好んで、忙中の閑を得ては、よく軽井沢の清流に、あるいは伊予の沖合いに、静かに糸をたれておられたのであります。 私は、先生とは主義主張を異にし、過去幾度かの選挙においても、互いに反対党の立場に立って相争って参りましたが、先生の円満無比な人格と卓越透徹した識見とに対しましては、常々深い尊敬の念を抱いておったのであります。ましてや、十二月二十七日早暁、先生の訃を伝えるラジオ放送に接し、驚きの余り、取るものも取りあえずお宅にはせ参じました。大往生を遂げられた先生の平素と少しも変らぬ安らかなお顔を拝し、私は思わず砂田先生と呼びかけました。しかし、もはや永久にお答えをいただくすべのないことを知り、ただただ暗涙にむせぶのみであったのであります。 顧みれば、昨秋十一月、先生は、本院議員に在職二十五年のゆえをもって表彰の栄誉を受けられ、この壇上に立って、今後も国民の信頼にこたえるために全力を傾倒すると、その覚悟を力強く披瀝されたのでありました。これが政治家砂田先生の最後の晴れ舞台になろうとは、だれが想像し得たでありましょう。今、私は、あのときの先生のさっそうたるお姿が眼前にほうふつし、万感胸に迫るを覚えるのであります。 先生、行年七十三才、その天寿は必ずしも恵まれて余りあるとは申しがたいのであります。私どもは、今後もなお長く壮者をしのぐ覇気と健康とをもって、ますます御活躍を示されることを期待しておりましたのに、不幸にも御長逝にあい、突如として先生のごとき練達なる指導者を失いましたことは、ひとり党のみならず、国家、国民のためこの上ない損失と申すべく、哀惜の情いよいよ切なるものがあります。 先生の申し述べられましたごとく、現下の変転きわまりない国際情勢に処して、国民生活の安定と国力の発展とをはかり、ひいては世界平和の確立と人類福祉の増進とに貢献するためには、私どもは、さらに一段の自覚と奮起とをもって、その職責の遂行に最大の努力を払わねばならぬと存じます。 ここに先生の御冥福を心からお祈りし、もって追悼の辞といたす次第であります。
○副議長(杉山元治郎君) 佐竹晴記君。
○佐竹晴記君 本院議員従三位勲二等宇田耕一君は、去る十二月三十日、病のため逝去されました。私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼の辞を申し述べたいと存じます。 私は、宇田君とは同じ高知市で、住居もごく近所であり、政治的立場こそ異にしていましても、平素何かと御懇意に願っておりました。君が病床につかれたことを承わり、御全快の一日も早からんことを祈っていたのでありますが、思いがけない訃報に接し、驚愕おくところを知らなかった次第であります。年長の私が年少の君のため追悼の辞を述べなければならぬようになろうとは、夢にだに思わなかったところでありまして、まことに痛恨のきわみであります。 宇田君は、高知県香美郡の素封家の出でありまして、明治三十七年十月、元本院議員宇田友四郎氏の長男として生まれ、高知一中、高知高校を経て京都大学法学部に学ばれました。昭和四年優秀なる成績をもって卒業の後、欧州各国を遊歴され、その見聞を広め、国際的視野を拡大されたのであります。その後満鉄に入社し、大連で数年間を送られましたが、昭和九年父君の業を継ぎ、土佐電鉄株式会社の社長に就任されました。次いで、昭和十三年、株式会社淀川製鋼所の社長となり、社運の興隆に渾身の努力を払うこと十数年、よく今日の隆盛を見るに至ったのであります。 君は、昭和十七年、第二十一回総選挙に郷里より出馬され、三十七才の若さをもって本院議員に当選されました。その後、第二十五回、第二十七回と合計三回当選、在職七年二カ月に及んでおられます。 君は、すでに実業家として大成されておられたにもかかわらず、本院においては、一議員、一党員として、終始真摯な態度をもって国政の審議に当り、また、改進党資金局長、日本民主党総務の要職について党務の処理に努力されたのでありまして、民主政治の発達のために尽された君の功労はまことに顕著であると申さなければなりません。 一昨年の十二月に石橋内閣が成立するや、君は、その才幹を認められて一躍入閣し、経済企画庁長官、科学技術庁長官に任ぜられ、原子力委員会委員長につかれました。岸内閣においても引き続きその職にあって、わが国現下の重要国策たる経済の発展と科学技術の振興のために、その達識とうんちくとを傾けて尽瘁されたのであります。ことに、原子力平和利用の問題は君が最大の情熱と畢生の努力とを傾倒されたところでありまして、研究体制の整備充実、原料資源の開発確保、関連産業の育成強化等、原子力行政のために日夜粉骨砕心されたのであります。また、昨年六月には欧米に渡り、先進諸国の原子力事情をつぶさに視察、調査されるとともに、各国の権威者ともひざを交えて懇談をいたしまして、多大の成果をおさめて帰朝されました。かくして、君はわが国原子力行政の確立とその発展のために多大の功績を残されたのであります。 君は、また、日中貿易促進の偉大なる功労者であります。すなわち、君は、戦後早くから対中国貿易の必要性を痛感されまして、昭和二十七年十二月、日中貿易促進議員連盟の発足に際しましては、その中心的人物として尽力し、その後も、同連盟の常任理事として、常時献身的努力を続けてこられました。二十八年秋には、通商視察団の一員として中国に渡航し、北京において交渉されること一カ月、ついに、いわゆる第二次日中貿易協定の締結に成功し、また、三十年五月、東京における第三次貿易協定の調印の際にも、代表者の一人として目ざましい活躍をされたのでありました。 君は、資性温厚篤実であるとともに、意思強固な努力家であり、他面、財政経理の才に長じ、典型的な外柔内剛の君子人でありました。人を信ずること厚く、常に自己の信念に従って行動し、目的の達成のためには、いかなる障害をも破砕せずんばやまざるの概があったのであります。君は、また、中央における公私多端な活躍の中にありましても、常に郷土の発展に意を注ぎ、多大な貢献をされたのでありまして、郷党の信頼を一身に集め、その敬愛の的となっておられたのであります。 君は、平素至って健康で、明朗なスポーツマンとして人々に親しまれ、ことにゴルフにおいては、アマチュアとして最高の技量の持ち主と称せられていたのであります。しかるに、国務大臣在任中の激務と外遊中の御疲労が災いを招いたのか、昨年夏退官後間もなく不幸にも病いを得られ、その後入院加療のやむなきに至ったのであります。昨年の暮れの二十五日、私が同僚森本靖君とともに病院にお見舞に参りましたときには、年内には退院し、明春早々には湯治にでも行かれるほどに快方に向ったと承わりまして、全く安堵いたしておりましたところ、その直後病にわかにあらたまり、御家族の骨身を削るお手厚い看護もむなしく、ついに御本復を見ることができなかったのでありまして、まことに痛惜の至りであります。 顧みるに、君は、名門に生まれ、才能に恵まれ、財界にあっては大会社の社長となって手腕をふるい、政界に入っては国務大臣の栄職について才幹を伸ばされたのであります。われわれ君を知る者は、いずれもみな君の将来を嘱目し、多大の期待を寄せておったのであります。しかるに、天は、無情にも、この人にかすによわいをもってせず、前途なお春秋に富む五十三才の君を卒然としてわれわれから奪い去ったのであります。はるかなる理想を目ざし、大なる抱負を胸にし、練達にして有為の才を抱きつつも、功業いまだ半ばならずしてゆかれた君を思うとき、郷土にとり、邦家にとり、返す返すも痛嘆にたえぬ次第であります。 ここに、君が生前の事績を追懐し、その風格をしのび、君の限りの安からんことを心からお祈り申し上げ、もって追悼の言葉といたします。 ————◇—————
○山中貞則君 国務大臣の演説に対する残余の質疑は延期し、明二月一日定刻より本会議を開きこれを継続することとし、本日はこれにて散会せられんことを望みます。
○副議長(杉山元治郎君) 山中君の動議に御異議ありませんか。
○副議長(杉山元治郎君) 御異議なしと認めます。よって、動議のごとく決しました。 本日はこれにて散会いたします。 午後六時十二分散会