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28回国会衆議院1958/04/23

内閣委員会 第33号

発言数
12
登壇者
5
会派数
2
開催日
1958/04/23

会議録

福永健司自由民主党

○福永委員長 これより会議を開きます。  国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。  討論に入ります。討論の通告があるので、これを許します。稻村隆一君。

稻村隆一日本社会党

○稻村委員 私はただいま議題となっております二月十一日を神武天皇即位の記念日として国民の祝日にする法律案に、日本社会党を代表して反対するものであります。  第一に、日本書紀のいかなるところを見ましても、三笠宮の言われる通り、二月十一日が神武天皇即位の日とは書いておりません。二月十一日が神武天皇即位の日であると決定したことは、何ら学問的根拠がなく、明治政府の勝手に作り上げたものであることは明瞭であります。すなわち、明治五年十一月十五日及び十一月二十三日の太政官布告は、一月二十九日を紀元節と決定しながら、翌六年十月四日には二月十一日と決定したのであります。さきに一月二十九日が神武紀元の日であると算出した方法は、日本書紀の辛酉の年春正月朔日は大陰暦の一月一日であるから、これを太陽暦に換算すれば一月の二十九日になるというのであります。これくらいむちゃな話はないのでありまして、神武時代の暦のない時代であり、これをどうして太陽暦に換算できるかということであります。しかもわが国は古代から八回も改暦が行われてきておるのにかようなことができるはずがないのでありまして、その大胆と無知に驚くのみであります。明治の初め、東京帝国大学文科大学の教授をしておりましたイギリス人チェンバレンは、本居宣長の古事記の翻訳を当時しておりますが、その翻訳の序文の中に、二月十一日が決定された事情を書いております。それは、すなわち、明治五年から逆算いたしまして、神武時代は二千五百何十年というふうに決定したこと、しかもそれは多くの皇室中心の歴史学者すら全部反対したにもかかわらず、明治政府がそれを強行したのであります。そういう事情が書いてあるのでありまして、今日すでに二月十一日が神武天皇が橿原に即位したということは事実でないという学者が大半を占めておるのでありまして、そのことはチェンバレン氏が明瞭に本居宣長の古事記の翻訳の序文に言っておるような次第であります。これをもってしても、紀元節の日取りである二月十一日というものは何らの根拠のないものであることは明らかであります。しかも古事記及び日本書紀は文字のない時代の伝説を奈良朝時代の元正天皇のときに文字に表わしたものである、しかも日本書紀の編者というものは中国史の影響を非常に受けておることは明らかでありまして、神武東征による橿原朝の創設は、中国の古代史を模倣した点が多いということは、歴史学者が認めているところであります。たとえば、今現に生きておられる津田左右吉博士でありますが、この人は皇室中心の古い意味の歴史学者でありますが、この人は古事記における支那思想というものを書きまして、それは支那事変の前後でありますが、古事記もしくは古事記を題材としている日本書紀、これは非常に中国の古代史に影響されている。そういうことを書いて、不敬罪に問われて監嶽に入れられたのであります。ですから当時は、終戦前までは古代史に対する自由なる研究ができなかったわけです。むろん明治におきましてもわが国の最も偉大なる歴史学者で久米博士あるいは那珂博士等は、古代史に対してかなり自由な意見を表明したのでありますが、それはだんだんいろいろな政治的な事情によって言論を封鎖され、できないようになったのであります。だからして、古代史におけるいろいろな非科学的な、伝説的な点はそのまま何ら訂正されることなく、終戦まで至ったのであります。こういうふうな非科学的なものを無理に事実として国民の記念日にすることは、科学教育を主張する現在の精神と全く相反するものであり、少年と青年にうそを教えることになり、日本歴史の権威を全く失墜せしめるものであります。しかもそれだけではない。この二月十一日というふうなこと、あるいは神武東征による橿原朝の創設といったごとき問題は、過去におきまして非常に政治的に官僚、軍閥政府に利用されてきたのであります。現在すでに右翼もしくは反動主義者、ファシズム的な政治の傾向に悪用されていることは明瞭であります。しかもその紀元節の問題についてわれわれが自由な論議をするならば、三笠宮もその被害者の一人でありますが、現に脅迫が行われている。学問の自由を破壊するような行動が一部の右翼団体によって実行されている次第であります。こういうふうな過去において政治的に権力者のために悪用され、しかもまた現在悪用されつつあるこうしたものを、無理に、しかも科学的に何ら根拠のない、不明である事実を国の記念日にするというがごときことは、私は根本的に間違っているのではないか、こう思うのであります。  そこで私は、なぜ明治の革命におきまして、紀元節というふうなものがお節句にかわって——そして最初は皇室だけが紀元節を記念日としたのです。それがだんだん国民的な記念日として時の権力により強制されたのでありますが、どうしてこういうものが強制されたか。かっての日本は決して紀元節というふうなものを、二月十一日を国民的な祝日として、これを祝わなかったのであります。というのは、それは明治政府が政治的なる意図によって自己の統制を強化するために、この紀元節なるもの、あるいは神武東征による橿原朝の創設なるものを政治的に利用したにすぎないのであります。私はむろんこのことが悪いというのではない。当時の政治的背景、歴史的背景を冷静に分析するならば、これもまた一つの手段であったかもしれないのであります。すなわち日本が徳川封建制度を打倒して近代的な統一国家にするためには、いまだ自由民権の思想というものが日本には十分に——十分ではない、ほとんど発達しておりませんでした。そこで無意識のうちに封建諸侯を押えるためにはどうしてもそれよりも偉い天皇を中心にして統一国家を形成することが必要であったのです。そこでその天皇を中心とする統一国家を作り上げるために一つの理論となったのは、水戸学派を中心とする近世の勤王論であります。こういう水戸学派を中心とする近世の勤王論が古事記、日本書記のある部分を取り入れまして——五代将軍のときに水戸光圀という学問のある副将軍がおりまして、これが明から亡命した朱舜水という学者に私淑いたしまして、それの示唆によって彼は大日本史を作り上げたのです。大日本史はいわゆる古事記、日本書紀並びに太平記——太平記というのは南朝が没落したときに公家が非常に美しい文書でもって書きました。いわゆる足利尊氏の一派というものは武士ですから全然文章が書けない。文学がない。ところが公家は学問があったから非常に文学があった。そこで太平記を書いた。その太平記が非常に天下の名文でありました。その太平記を中心に古事記、日本書書紀をあさりまして、水戸光圀が大日本史を編纂したのであります。大日本史は非常に大きな業績であり、文章も非常にいいのでありますけれども、歴史的な史実としては非常に欠陥の多いものであります。それがいわゆる水戸学派となって、それが明治維新における革命の一つの理論になったのであります。当時藤田東湖はこの幕末の水戸学派の中心人物でありますが、徳川斉昭に仕えた藤田東湖でありますが、彼は神武紀元を二千五百二年前であるということを言っておるのです。それは当時何も歴史学が別に発達しておるわけではないから、ただかれは自分の何と申しますか、独断的な成論からわが国の建国は二千五百年前であるということを言っておるのであります。しかし藤田東湖の言っておることは、何ら科学的根拠のあるものではない。いわゆる水戸学派によって提唱された近世勤王論は近世の産物なんであります。大日本史によるそれと日本外史にも影響されておる。それが明治革命の一つの理論になり、それが尊王攘夷になって、それが自由民権のかわりに——自由民権の思想がまだ入っておりませんでしたので、それが徳川幕府を倒す一つの哲学になった。そこで水戸学派による勤王論とそれから当時ドイツが普仏戦争に勝ちまして——当時フランス革命の影響によりまして、ヨーロッパは人民主権の憲法がようやく具体的な風潮になっておったときにプロシャだけが神権的な国家至上主義によって独得の憲法を持っていたのです。そうして普仏戦争によってプロシャがフランスを負かした。そういうことを見て参りました日本の官僚政治家は、よい意味におきましては、日本において強大なる統一国家を作り上げるために、また自分たちの権力を自由民権の人々から守るために、このプロシャの哲学、神権思想を輸入して参りまして、それを水戸学派の勤皇論にくっつけて、盛んにいわゆるこの勤皇論をあおった。それがつまり明治憲法の基礎にもなったのです。むろん明治憲法には民主的要素が全然ないというのではありません。多くの民主的要素はありますけれども、しかしこのプロシャの国家主義思想と勤皇論に影響された天皇神権説、その他非民主的な要素が非常に多かったということは、何人も認めるところであります。こういう当時の事情によりまして、当時の明治政府の権力を確立するために利用されたことは明瞭でありまして、そしてそれが多くの功績を残した。つまり日本が封建制度から統一国家になるためには、国権主義的な傾向が絶対に必要であった。国家主義的な傾向もまたこれも必要であった。けれども同時に民権主義と民主主義が発達して、この国家至上主義と国権主義とを適当に調整すべきであったのですが、それが調整できなかった。官僚、軍閥は強大なる力によって、自由民権運動を圧迫したのです。そこで不当に国家主義と国権主義のみが発達しまして、遂に帝国主義と侵略主義と植民地主義に発展をしてしまったのです。  そこで私はこういう問題を考えますときに、政治家は、過去のこうした歴史的な事実をよく反省して、そして過去のあやまちを再び犯さないようにすることが、一番重大な問題であると思うのです。そこで私はこの点を申し上げたのでありますが、日露戦争までは日本はアジアにおける唯一の独立国家であるがゆえに、非常にアジア非圧迫民族の憧憬の的であったのです。だから中国国民党の革命も日本に影響されたること、あるいはインドの革命も、アジアにおける唯一の独立近代国家として成長発達したる日本に非常に影響されたことは事実であります。だから真に日本が、アジアの弱小民族の立場を理解し、民主主義と民権主義を理解するならば、全く西欧の帝国主義と植民地主義と別個の立場において、アジア民族の味方なるべきであったのであります。ところがプロシャ的な過度の国家主義と国権主義は、遂に非常な驕慢な誤まれる哲学を作り上げまして、そして御稜威のもと皇道を世界に宣布するのが大和民族の使命であるというがごとき妄想を抱きまして、そして西欧と同じような侵略主義、帝国主義、植民地主義をやったるがために、国権主義と国家主義のみが不当に発達をしたから、世界から全く孤立をして、遂に大東亜戦争において敗戦の悲劇を招くに至ったのであります。  私どもはこういう点を深く反省いたしまして、神武東征による橿原朝の創設が事実であるかいなかということは、むろんわれわれはこれは事実でないと思うけれども、事実であるという人も多いのです。けれどもこういうふうに政治的に、過去の帝国主義やあるいは国家至上主義や軍閥に悪用されたるそのものを、またここで復活をして、国の記念日とするがごときことは、過去の日本の歴史の失敗に対して、少しも反省していないものであるということを断言せざるを得ないのです。(拍手)私はこういうふうなものを復活して国の記念日にする必要は何らないと思います。  そこで私は、率直に自民党の賢明な方々に申し上げたいのですが、われわれは過去における日本の帝国主義の失敗によって、戦後初めて人類共通の真理である人民主権の憲法を獲得いたしました。人民主権の憲法は敗戦後初めてです。そして五月三日に憲法記念日を祝うことになっておったのです。ところが最近は憲法記念日に対して実に冷淡なんです。今まで祝ったことを祝わなくてよろしい、これはどうせ葬式憲法なんだ、敗戦の屈辱憲法なんだ、こういうことを言っておる人があるのです。しかしこれは歴史の流れに対して全く盲目なことを表わしているものだと私は思うのです。たとえば歴史の上から見まして、イギリスの大憲章でありますが、これは一二一五年、七百年前に、世界における立憲政治の先駆をなしたる一つの形式でありますが、イギリスの大憲章、これはノルマン王の子孫としてイギリスを征服した暴君ジョンが、フランスの遠征をしばしばやって失敗した。非常に強大な権力によってヨーロッパの征服を試みて失敗をいたしまして、そして非常な打撃を受けた。そもそも内部の強大な権力は内部の力のみによっては打破できないのです。これは歴史の余すところです。外的条件によって……。これは日本の軍国主義もそうでありますが、外的条件によって崩壊した。そしてこのジョン王の強大な権力はフランス遠征によって失敗した。そこでイギリスの地方豪族どもが集まりまして、ジョン王に憲法の制定を要求した。それが大憲章になった。この大憲章が世界における立憲政治の一つの模範となったのです。イギリスにおいて立憲政治が発達したということは、初めからイギリス国民が民主主義者であったのでなくて、何度も征服者のあらゆる暴政と戦って、血の出るような戦いをして、そして独裁政治にこりこりした、その結果です。イギリスは一番政治が暴政でありましたから、従ってイギリスにおいて一番早く民主政治、議会政治が発達したのです。こういう事実をわれわれは知らなければなりません。  それからまたフランス共和国憲法は、一たびナポレオン並びにナポレオン三世によってじゅうりんされましたが、そのフランス共和国憲法がフランスにおいて今でもその伝統を持って、そしてフランスが民主主義国家として成長しているということは、普仏戦争においてナポレオン三世が敗北した結果、フランスの民主主義が擁護されたのです。そのことはフランスの民主主義にとってきわめて私は幸福だったと思うのです。  かような意味におきまして、われわれは世界の人々が長い間血を流して戦ってきたところの人民主権の憲法を、戦によって初めて獲得したのです。このことは日本民族が敗戦という苦悩のうちから真実を発見したのです。人間は順境のときには非常に驕慢になって失敗するものです。われわれは、明治維新以来われわれの先輩が血を流して近代国家にした、その苦労をわれわれの時代、われわれの前の時代になって忘れまして、そして驕慢になって失敗をした。けれどもわれわれは敗戦の悲劇の中から、その苦悶の中から真実を発見した。その真実が私は世界共通の真理である、人民主権の憲法であると思うのです。  紀元節などというものを今さら国の記念日とするくらいなら、敗戦の苦悩の中より発見したる真理であるこの憲法記念日を、なぜもっと積極的に祝日としないかということを私は申し上げたいのであります。たとえばインドは五千年の古き文化を持っております。しかしインドは、あのアソカ王朝のけんらんたる古代文化を、あのけんらんたるアソカ王朝の昔を決して記念いたしません。それは最近一九五〇年、独立によって新憲法を発布いたしました。その日をインドは国の記念日としているのであります。いやしくも、国の記念日とするものは、これはすべて近代的な意義がなければならないと思うのです。フランス革命もしかり、あるいはアメリカの独立戦争もしかり、しかもその国の記念日は人類共通の真理であり、人類共通の善であり、人類共通の美でなければならぬ。すなわち自由、平等、友愛もしくは人間の生存権の尊重、そうしたものを中心として、その人類の理想に倒れたる人々を記念したり、リンカーンのごとき、奴隷を解放した人を記念したり、あるいはキリストのごとき、弱者のために戦って、磔刑に処せられた人を記念したり、それからまたその人々の犠牲によって、そうして真に人類が自由と平等と友愛を実現したところのアメリカの独立戦争並びにフランス革命、あるいはロシヤの農奴制を解放したところの十月革命、それらの人類共通の自由、平等、博愛等の崇高なる目的を実現したその歴史を近代史は記念しているのです。いかなる国もそれを記念している。決して征服者の事績を記念しておりません。世界の人々は、世界において初めてできたところのアメリカの自由、平等の憲法を記念するけれども、しかし南米において、インカ帝国を略奪して、そしてスペイン王朝の黄金時代を築いたところの猛将ピサロの事績は断じて記念しないのです。フランス革命を記念するけれども、フランス革命の精神を裏切ったところのナポレオンの業績は、断じて人類は記念しないのです。人類が記念すべきものは、これは共通の真理であり、共通の喜であり、共通の美であり、そして自由と平等と友愛の人間の生存権を守るための失敗した戦い、もしくは成功した戦いを記念するのが、私はあらゆる近代国家の行事であると考えるのであります。そういう意味におきまして、私は日本におきましては、何も実際にあったかどうか、まだ多くの疑問があり、かつ何らそうした意義のないものを、今ここに再び明治政府がやったと同じように、これをまた国の祝日とするがごときことは、根本的に誤まれるものであり、時代錯誤もはなはだしいと思うのであります。  そこで私は最後に申し上げます。まだたくさん言いたいことはありますが、何時間もかかるので、最後に申し上げますが、私は、だからといって、日本のわれわれの祖先が行なったところの偉大な業績を決して無視するものではないのです。今日われわれがこうやっていわゆる世界最高の文化水準を持っている国の国民として生きていくことができることは、確かにわれわれの偉大なる祖先の業績のおかげなんです。そういう意味におきまして、私はわれわれ祖先の偉大な業績を記念することは必要であると考えます。しかしそれは決して神武東征による橿原朝を記念することではない。これには私は何ら文化史的意義はないと思うのです。たとえば生きた日本古代文化のその文化史があるじゃないですか。たとえば伊勢神宮という一つのものがあります。日本人は多くこれは価値がないものとして、あまり今までは顧みなかった。日本の名物、偉大な建築というと東照宮である、こういっておった。ところが有名なるドイツの建築者ブルーノ・タウトがナチス・ドイツから追われまして、日本に亡命したときに、伊勢神宮を見ました。ところがその伊勢神宮が、あまりに建築学的に見て文化の標準が高い、非常に全体の自由であり、個々も自由である、全く自然そのものに一致しておる、これはギリシャのあらゆる最高建築を凌駕するものである、またその流れをくむところの桂離宮に至っては、これは人類の驚異であるということを、彼は日本美の再発見の中に言っているのであります。そしてこのいわゆる皇室文化なるものは、最も自由なる文化である。それに加えまして、東照宮を見たところが、これは一見専制君主の作ったものであるということがはっきりした、これは全く調和を欠いた最も愚劣な建築物である、こういうことを言っている。そういう日本の歴史上において生きたところの一つの偉大なる文化があるのです。奈良朝、平安朝のさん然たる文化の遺跡、法隆寺その他を見ても、実に偉大なる古代文化の遺跡がある。しかも現に存在しておる。今日進歩した歴史学あるいは考古学、土俗学、民俗学、そういうものを自由に駆使して、そうしてこの建築物がいかなる時代にできたかということは、これは学者が研究すればわかるわけなのです。そういう日をわれわれは日本古代文化の記念日として、そうして日本の偉大なる文化を、日本民族のために、また世界の文化のために永遠に伝えることが、私は今日の日本のわれわれの義務ではないかと思うのです。われわれは日本の古代文化の偉大なる記念物を文化の日として記念することに賛成でありますけれども、私は何ら神武東征による橿原朝の創設のごとき、軍国主義、帝国主義に利用されたるものを記念する必要はないと思うのです。どうか自由と民主主義を看板とする自由民主党の方々は、自由と民主主義のために、かくのごとき反動的なる提案をすみやかに撤回されんことを切望いたしまして、私の反対討論を終ります。

福永健司自由民主党

○福永委員長 相川勝六君。

相川勝六自由民主党

○相川委員 私は簡単に賛成の討論をいたしたいと思います。本案は、御承知の通り先国会において、当委員会も本会議も通過しておりまするし、その際に十分論議をしておりまするから、この際詳しい論議はいたしません。ただ簡単に社会党さんの反対意見につきまして、私の思いつきのことを申し上げたいと思います。  第一に、社会党さんの御意見は、二月十一日ということが科学的根拠がないということについての御所見のようであります。それにつきましては、日本の古事記、日本書紀が科学的ではない、こういうような御意見のように承わります。確かに現在、古事記、日本書紀の科学的合理性については異論があることは認めます。しかしながら、これは将来十分に御研究になって、そうしてこれがいずれが正しいかということを御研究になることは歓迎すべきことでありまするけれども、現在すでに正史としてきまっておること、この正史をくつがえすほどには至っておりませんから、われわれはこれは正史でないということが決定になるまでは、やはり二月十一日を建国の日とするほかはないと思うのであります。ちょうどお互いの誕生日につきましても、めいめいの誕生日が果して戸籍謄本にあります誕生日やいなやは必ずしもわからない。これは万人の戸籍謄本のうち多少日づけが違っていることもあると思います。しかしながら一応戸籍謄本にあるのは正しい誕生日と考えまして、われわれは戸籍謄本にありまする日を誕生日にして、自分の誕生をお祝いしております。われわれは国の誕生をお祝いするならばやはりこの正史にあるものを確実なものとしてお祝いするほかはないと思うのであります。  次にこれは御承知の通り社会党さんは、よく建国記念日制定を一部右翼のものがやっておる、こういう御意見でありまするが、過去三回の世論調査によりましても、国民の八〇%以上はことごとく何とかして二月十一日を建国の記念日にしたいという意見が出ておるのであります。要するに、これは今日本民族がほうはいとしてわが民族の国家の誕生を一つ祝おうじゃないか、民族国家の独立性を一つ大いに高調したい、こういう気持であろうと思う。決してわれわれはソ連の隷属国でもないし、中共の隷属国でもないし、アメリカの隷属国でもない、独立な民族国家であります。こういう国民のほうはいたる世論が凝集して、建国記念日を作りたい、こういうことになっているものと考えるのであります。  さらに社会党さんは、この神武建国の理想は侵略主義と言われるが、決してそうではない。私はむしろ社会党さんが強く言われるような、世界一家の思想に合致しておると思うのであります。八紘一宇というお言葉は、世界を一家のような平和なところにして、それぞれの国がめいめい友好関係を結びたいというところにある。われわれは現実の世界が、共産主義国家と自由主義国家とに相対立して二つになっておることは、きわめて悲しむべき事実なんで、願くは世界一家になるべきだ、神武建国の大理想はここにある。こういうところを目的にして、日本民族が大きな理想のもとに平和的な民主国家を作ろう、これはやむにやまれない希望であります。  あるいは社会党さんの言われるごとく、確かに東条軍閥内閣をめぐって紀元節を侵略主義に利用した節はわれわれは認めます。しかしながら現在お聞きしますれば、日本は日露戦争まではりっぱな近代国家であって、申し分なかったというお話である。この紀元節は日露戦争前の明治政府において確定しておるのでございます。(「悪用されたと言っておる」と呼ぶ者あり)悪用は将来されないように努力すればいいことであります。紀元節そのものが本来そういう侵略主義ではないのであります。われわれは本来の正史に立ち返って、そしてあくまで日本の平和的な大理想を作る、これにわれわれは力を尽すべきだと思うのであります。  これをもって私の賛成討論を終ります。(拍手)

福永健司自由民主党

○福永委員長 討論は終局いたしました。採決いたします。本案に賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕

福永健司自由民主党

○福永委員長 起立多数。よって本案は原案の通り可決いたしました。  本案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕     —————————————

福永健司自由民主党

○福永委員長 御異議なしと認めます。よってそのように取り計らいます。

福永健司自由民主党

○福永委員長 国家公務員法等の一部を改正する法律案を議題とし、提出者より提案理由の説明を求めます。石橋政嗣君。     —————————————

石橋政嗣日本社会党

○石橋(政)委員 ただいま議題となりました国家公務員法等の一部を改正する法律案につきまして、提案者を代表いたしまして、その提案理由の御説明を申し上げます。  国家公務員に対する勤務評定の制度は、昭和二十二年国家公務員法第七十二条に定めるところでありますが、人事院が評定に関し、必要な人事院規則を制定いたしましたのは昭和二十六年であり、その間実に四年を経過しているのであります。実施基準の制定にさえ四カ年を要したことは、勤務の評定がいかに困難なものであるかということを示していると思われるのであります。  国家公務員の勤務評定が、能率増進の措置であることは、法の定めるところであります。人事院は、国家公務員法制定以来、勤務成績優秀なものに対して特別昇給制度を実施しておりますが、勤務成績の著しく不良なものに対する矯正方法についてはまだ研究中であって立案に至らず、法に定める適当な措置を講ずるに至っていないのであります。  しかるに昨年来、たとえば国税庁等におきまして、職場の中に勤務評定を強行しようとする動きがあるようであります。これは職員の成績をA、B、CDという工合に分類し、係長、課長、署長のおのおのによって、三重の評定をすると聞いております。当局ではこれによって職員の能率増進をはかると申しておりますが、果して能率は増進するでありましょうか。私どもは能率は増進するどころか、逆に低下するのではないかと考えております。もしほんとうに能率向上をはかろうとするならば、職員個々の能力の向上に資するような措置、たとえば研修制度の充実等をはかるべきであります。評定者の主観によって大きく左右されるような勤務評定をただ画一的に実施しますならば、それは職員間の疑心、意味のない競争心、上司に対する阿諛追従を助長するであろうことは、火を見るより明らかであります。のみならず、このような制度が昇給の停止、解雇、職制の支配強化につながり、正常な組合活動を押えるとともに労働の強化をもたらすであろうことも、十分考えられる根拠があるのであります。  憲法十五条には公務員が全体の奉仕者であることを規定しておりますが、真に全体の奉仕者としての資質を高めるためには、前に述べたような研修制度の拡充や、職員間の融和、協力体制を作ることが先決条件であります。今日にわかにこれを実施しようとする動きがあることは、法に定めた能率増進が真の目的ではなくして、組合活動の制限と職場における職制支配とがねらいではないかとの疑問を抱かせるのであります。  以上勤務評定の実施が、実際上はほとんど無意味であるどころか、逆に職員の能率を低下させるおそれがあることを申し述べました。この際、実体に即して国家公務員に対する勤務評定の制度を実施しないことが最も妥当な措置であると考え、本改正法案を提出いたした次第であります。  次に、本法律案の内容を簡単に御説明いたします。すなわち国家公務員法第三条第三項第一号中「勤務成績の評定、」を削除、第十二条第六項のうち十三号を削除、第七十二条を削除いたしました。裁判所職員臨時措置法の本則第一号中「第七十二条第二項、」を削除いたしました。附則におきまして、外務公務員法の一部を改め、第十四条を削除し、第二十六条中「第十四条、」を削除いたしました。また教育公務員特例法の一部を改め、第十二条を削除し、第二十五条第一項第二号中「、第十一条及び第十二条第二項」を「及び第十一条」に改め、同項第七号を削ることといたしました。  以上本法律案の提案の理由とその内容の概略について、御説明申し上げました。  何とぞ慎重御審議の上、御可決あらんことをお願い申し上げます。

福永健司自由民主党

○福永委員長 次に、国家公務員に対する寒冷地手当、石炭手当及び薪炭手当の支給に関する法律の一部を改正する法律案を議題とし、提出者より提案理由の説明を求めます。千葉信君。     —————————————・

千葉信日本社会党

○千葉参議院議員 ただいま議題となりました国家公務員に対する寒冷地手当、石炭手当及び薪炭手当の支給に関する法律の一部を改正する法律案につきまして、提案理由を御説明申し上げます。御承知のように、国家公務員に対する寒冷地手当、石炭手当につきましては、一般の給与とは別個に、昭和二十四年法律第二百号によって定められているのでありますが、同法施行以来最近に至るまでの間における実績等にかんがみまして、その支給額及び支給区分が現在の実情に沿わない点がありますので、実情に沿うよう同法の一部を改正する必要が認められるのであります。  すなわち、石炭手当は現在北海道全道一律に、世帯主である職員には三トン、その他の職員には一トンを、それぞれ公定小売価格によって換算した額に相当する額以内で支給されているのでありますが、この支給区分は、冬期採暖に必要な石炭の量が、その地域の寒冷その他気象の諸条件の強弱の度合に応じて差異があるという実情に沿わない点があり、またその支給額については、一冬期間消費する暖房用燃料が最低三・五トン、最高五トンを必要とする実情から見まして、低きに過ぎるのみならず、近年、公社、現業官庁では、この種の手当を相当に増額いたしておりまして、同じ土地に勤務いたしながらも、一般の国家公務員は、公社、現業官庁の職員に比し、はなはだ不均衡な状態に置かれている実情であります。  次に、寒冷地手当についてでありますが、この寒冷地手当は現在、一冬期を通じ、本俸及び扶養手当の合計月額の八〇%を最高として、最低一五%まで五段区分として支給されているのでありますが、寒冷地に勤務する職員が冬期六カ月に及ぶ寒冷積雪地の困難な生活の事情から起る被服、食料、住居、防寒、防雪等の対策を講ずるに必要な生計費の増加等の実情よりいたしまして、その額につき若干増額の必要が認められるのであります。  以上申し述べましたような事由によりまして、この際同法の規定の一部を改正し、石炭手当については、その支給地域の区分を甲地、乙地、丙地の三区分とし、それぞれ世帯主である職員には、四トン、三・五トン三・一トンその他の職員には一・三トン、一・一トン、一トンを、それぞれ時価によって換算した額以内で支給できるようにするとともに、それぞれの地域を別表によって指定いたすごととし、また寒冷地手当につきましては本俸及び扶養手当月額の合計額の一〇〇%を最高額として支給できるように改めたいと存ずる次第であります。  昭和二十四年法律第二百号が当時議員提案の形で提出されました経緯もありますので、この法律の施行以来、その実施に伴いまして改正の必要を認められて参りました。以上申し述べました諸点につきまして、今回も同じく議員提案によって同法の改正を行い、その責めを果したいと存ずる次第でございます。  何とぞ慎重御審議の上、すみやかに御賛成賜わらんことをお願い申上げます。

福永健司自由民主党

○福永委員長 次会は公報をもってお知らせいたします。  本日はこれにて散会いたします。     午後五時五十五分散会      ————◇—————

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