逓信委員会 第22号
- 発言数
- 48 件
- 登壇者
- 10 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1958/04/03
会議録
○片島委員長 これより会議を開きます。 本日は、昨日に引き続き放送法の一部を改正する法律案について、参考人各位より御意見を承わることにいたします。 参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。本日は御多用中のところ、各位には本委員会のために御出席をいただき、ありがとうございました。委員会を代表して厚くお礼を申し上げます。どうぞ本案について忌憚のない御意見をお述べ下さいますようお願い申し上げます。 それではこれより参考人より御意見を承わりますが、御発言の順序は、東大新聞研究所長千葉雄次郎君、文学博士波多野勤子君、日本文芸家協会会長青野季吉君、日本民放連副会長高橋信三君、文学座中野春子君とし、まずおのおの十分ないし十五分程度で順次御意見を伺い、全部の御意見を伺った上で、委員側より参考人各位に対して質疑を行うことにいたします。 それでは順次御意見を承わります。千葉参考人。
○千葉参考人 放送法の改正はここ数年来の懸案でございます。と申します意味は、改正の必要が国民によって痛感されておったという意味ではなくて、政府側からしばしば改正が企てられたが、実現しなかったということであります。記憶に残っておりますものをたどってみますと、昭和二十八年の七月、第五次吉田内閣でございますが、NHKに対する監督権強化を目的とした改正案が提出されております。この改正では、本協会はこの法律により郵政大臣が監督する、公共の福祉の増進、その他必要と認める場合は、郵政大臣は監督上必要な命令をすることができるといった、非常に広範な大臣の監督権を規定した条項が入っておりました。この案は各方面の反対が強く、ついにこの国会でも審議未了になっておりますが、その後も放送法改正のための作業は政府部内の中で続けられておって、一昨昭和三十一年の二月には、政府は緊急を要する改正だけをするのだとして、放送法改正に関する試案というものを発表いたしました。この試案もNHKに対する監督権強化を骨子としたものだったのですが、これに対して臨時放送法改正審議会が設置されました。私もその委員の一人でございましたが、この試案を相当修正した答申が出されております。この答申に対して、私は現行放送法の精神に反するものがあると考えましたので、賛成することができませんでした。そしてこの答申は、そのまま今日まで立法化の手続はとられずにきたわけでございます。今回の改正案についてみますと、この答申が尊重されている部分もありますが、当時最も問題とされましたNHKに対する監督権強化及び聴取料金をどういうふうにするかという点は、大体見送られております。そして試案には全然現われておりませんでした放送番組に関する規定がかなり加わっております。 この改正案を通読いたしました私の印象では、世間ではこれをあとへ下ったなどと批評しておりますが、今までの改正案に比べますと、はるかに現行放送法の精神に即した案だと言っていいと思います。でありますから、私はこの案を従来の改正案よりははるかに改善された案だと言うをはばからないのでございます。従来の改正案では、放送法の目的としております放送を、公共の福祉に適合するようにして放送の健全な発達をはかるためには、何よりもまず放送事業者に対する当局の監督権強化をしなければならないという方向をとっておりましたのに対して、今度の改正案においては、放送を健全なものとして番組の内容をよくすることについて、協会及び一般放送事業者の責任を強調するという方向をとっております。この行き方は、放送の自立をうたっております現行法の建前として、当然そうあるべきだと思うのでございます。実際放送事業に対する政府の監督権強化について、従来政府当局はこの点に熱心であったようでありますが、国民の世論はむしろこれに抵抗を示してきておるのであります。これが今日まで監督権強化をねらった政府の放送法改正が実現しなかった理由なのでございます。 しかし現実の放送に対して世の批判がなかったわけではございません。そこで改正案では、放送番組は善良の風俗を害してはならないという条項を加え、また教養教育番組と報道番組及び芸能、娯楽番組の間に調和を保つこと、また番組の編集基準を番組の種類や放送対象別に設けてこれを公表しなければならない、また各放送局が番組審議会を設ける、放送番組の内容を放送後確認できるようにする義務などが負わされております。今までの放送が十分社会の期待に沿っていたとすれば、このような新たな規定はいずれもなくもがなの規定であります。またこのような法律改正が行われたからといって、直ちに放送内容がよくなるだろうとも私は思いません。しかしこのような改正を是認させる事態の変化も考慮に入れなければならないと私は思います。それは放送事業の異常な発達ということでございます。現にここ一、二年のうちにはテレビ放送局も七十局と飛躍的に増加いたします。そしてほとんど全国で視聴可能となり、ある地域では非常に激しい競争が起ることが予想されております。マス・コミュニケーション機関が特定のものに独占されるということき事態はむろん好ましくはありませんが、テレビのように社会に絶大な影響力を持ち、かつ膨大な資金を要する媒体機関が乱立することによってもたらされるところの弊害というものも、独占による弊害にまさるとも決して劣らないものがあるのであります。私はそうい弊害を事前に防止する措置がなかったわけではないと思っているものでございますが、現実の問題として、ここ一、二年後には激しいテレビ局の競争が起ることは必至の勢いとなっております。その結果は、番組内容にも影響が現われ、番組の低下を来たすおそれは、遺憾ながら十分考えられるのでございます。 そこで今回の放送事業者に課した法的義務程度のことは、現状ではやむを得ないのではないかと思っております。NHKに対しては、以上のほかに、その公共性にかんがみてさらにその指標を明らかにする規定が設けられ、組織及び業務についても幾つかの改正が企てられましたが、これには一昨年の改正試案や、また答申に現われた問題になった諸点はほとんど含まれておりません。そこで一昨年の改正試案及び答申に対してはかなり強い反対を私は持っていたのでありますが、この改正案については、私はほとんど積極的に反対しなければならぬと考える点はございません。むしろ私は現実の事態にかんがみるならば、事業者の責任を強調したこの改正案は、この国会で成立させてほしいと思っております。 それからこの改正案に対しては、一般放送事業者、つまり民放に関する事項も幾つか掲げられておりますが、その中で重要なものとしては将来ネットワークによる放送局の独占的支配を排除する規定がございます。現在ここに懸念されているような事態が起っているとは申せないのであります。地方テレビ局がたくさん開設される勢いにある今日、この規定は将来ネットワークの姿を規制するものとなるでありましょう。またNHK、民放双方に対して、放送法施行に必要な限度において、業務報告を要求できる旨の規定がございますが、NHKに対しては伝えられるところによると、もっと立ち入った調査ができる、ある場合には立ち入り調査もできるというようなことが掲げられていたかのごとく新聞で見たのでありますが、この案にはそういう点がなくて、双方ともに業務報告が求められるということになっております。この規定を正当に解釈して適用されるならば、私はこれもさしたる弊害はないであろうと考えます。今正当に解釈という言葉を用いましたが、この法律改正に対していろいろの批判が聞かれますのは、将来政府がこの改正を正当に解釈せずに、不当に拡大して解釈する場合の弊害あるいは懸念を指摘しておる者が多いのであります。各種類の番組の間に調和を保つべしという規定があるから、政府は比率を指示することもできるであろうというように懸念されるのもそれであります。 私は今回の改正案の根本の趣旨とするところは、放送事業者の責任ある行動に待つというところにあると思います。そういう趣旨でこの法律改正が企てられたものと考えますから、これを大体至当であるというのであります。しかしこの数年来のこの問題に対する動きを見ますと、政府の監督権を強化して、法的規制を加えようとする意向はかなり強いのであります。そこでこの程度の改正に対しても、かなり強い警戒心が示されていることも十分わかるのでございます。でありますから、特に国会にお願いしたいことは、将来、今回の改正が不当に放送事業を規制する足がかりとして使われないよう、十分監視をお願いしたいということでございます。私は、それだからこの法律改正しない方がいいとまでは言いたくありません。それは今後、さきに言ったようにテレビ放送局乱立による番組への影響を考えないわけにはいかないからでございます。それと同時に申したいことは、放送事業が、政府によって実際にいかなる規制を受けるかということは、放送事業者の現実の行いと決して無関係ではないということであります。もしも国民各階層が大体満足すべきものと考えている放送に対して、政府がいたずらに規制を加えようとするのであれば、世論はこれを許さないでございましょう。しかしもしも放送内容が漸次低下して、国民の鋭い批判を受けるようになれば、政府がこれを規制しようとしても、国民は反対しないどころか、これを歓迎するかもしれないのでございます。その意味で、私は事業者の責任ある行動に期待している今回の改正の持つ意義を非常に重大視するのでございます。私がこの改正に賛意を表すのは、政府が業者の自主的規制に期待していると見られるこの改正を、あたかも政府の放送事業に対する監督権の一歩前進であると解して、出過ぎた行動には出ないという前提においてこれに賛成するのでございます。 思うに放送法において、NHKの経営方針及び業務の運営の重要事項を決定する権限と責任とを持つ経営委員を、両議院の同意を得て総理大臣が任命するものとしているのは、放送協会の経営方針や運営については、経営委員会及びそれの任命する協会役員に委任していることを示しているのであります。これはイギリスのBBCの場合と全く同じでございます。こういう組織であるからには、法律の個条を拡大解釈して、政府当局が業務や番組に干渉するがごときことを考えてはならぬと思います。この点は一般事業者に対する場合でも同じであります。改正法案には、いろいろの義務が規定してございますが、そうかといって、この上事こまかに規則を作って、その日その日の仕事に干渉を受けるようなことになってはならないと思います。以上、この改正法案が、放送法の精神にのっとって運用されるということを条件として、この改正案に賛成いたします。
○片島委員長 次に波多野参考人にお願いをいたします。
○波多野参考人 私は児童心理学が専攻でございまして、また母親でもございますから、そういう立場からこの改正放送法を見て参りました。 一体、放送やテレビが子供に非常に大きな影響を与えるということは、皆様も御存じの通りでございますけれど、それでもまだ皆さんがお考えになっておるよりも大きい影響を与えるのじゃないかと思います。もし今日本じゅうの子供に何か一つの歌を教えようとしたらば、日本じゅうの学校の先生は大へんな努力をしなければならないと思います。ところがこれを放送に乗せたならば、もうそれは実に簡単にできます。教えようと思わない歌でも、ときには子供はすぐ覚えてしまいます。たとえば少し前には「お富さん」なんか、そこらじゅうにはやって困ったのは、その一つのいい例だと思います。そういうふうに歌ばかりではなくて、子供の考え方とか、ものに対する態度とか、そういうものが、この放送を通じて非常に子供に影響するわけです。今度から道徳教育がはっきり時間がきまりまして、方々の学校で道徳教育の時間をきめていろいろお話もなえるようになったといいますけれど、私から言わせれば、放送の方がもっとずっと効果があるのじゃないかと思うのです。逆にまた道徳教育の時間でいろいろなことをお教えになったところで、もし放送の方でもってそれをこわすようなものを見せたり聞かしたりするならば、それは何にもならないのではないかとさえ思っております。そんなわけでございますから、もうすでにあちこちに番組委員会みたいなものができておることでございましょうけれども、ここで子供のためにいい番組を作るということが、そしてこの放送をよくするということが非常に大事だということを確認する意味で、この番組審議会をお作りになるということに賛成いたしたいと思います。ただそれはあくまで自主的であってほしいということ、それからただ形式的に審議会の方が審議をなさるというのじゃなくて、十分に審議のできる時間と教養と、それからそっちの方に興味のある方であるということを条件にお願いしたいと思います。それからどうか地方番組を——どうせローカルがだんだん盛んになりますから、そんな場合は地方番組についてもよく審議していただきたい。というのはどうしても中央局はよく審議できるけれども、地方には知らない間につまらないのが流れておる、子供のためによくないのが流れているというようなことがあることが多いからであります。そういうふうにするのにはもちろん審議会の方たちにも十分の報酬を払って、そしてこれが大いばりでやっていただけるような、そういうのにしてやっていただきたいと思っております。 放送番組相互の調和を保つようにしなければならないというところがございますが、このことも審議会の方たちがお諮りになることなのでございますが、この調和というのがどういうふうな意味でここに書かれているのかはっきり私にわからないのですけれども、放送番組相互の調和というのは、つまりNHKならNHKの中だけの相互の番組であるとすると、幾つも局がございますから、私ども見る方、それから子供に見せる方から見ますと、これが非常にむだがあったり、ある時間にはばかにいいものがある、ある時間には何にもないということになる。ですからお互いの調和ということもお考えいただきたいと思います。 それから教育放送をなさる民間の割合でございますけれども、たとえば教育放送は何%ときめてあれば、それは朝やってもよく、夜やってもいいものではないと思うのです。これなんかも、民間放送で教育放送をそんなにできないということはよくわかりますけれども、でもいつも人が聞かない時間にただやれば、それでお役目が済むものではないと思うのです。だから月曜日なら月曜日は、ゴールデン・アワーでも教育放送並びにそれに準ずるものをちゃんとやる、そういうふうな調和もほしいと思います。 それから一つの放送局の中でお金の調和ということも考えたらどうか。たとえばこの間大へん評判がよかったNHKの例をとりますと、沢田さんだけの番組があったと思いますけれども、あれなんか非常にお金がかけてありまして、あんなにかけて、あの上にもしできれば外国から二人外人を呼ぶ予定だったと新聞に書いてありました。これはうそかほんとうかわかりませんけれども、外人を二人呼んで、それからそのほかになおかける。その割合にすると、私なんか子供のことばかり考えているせいですか、教育番組というのは非常にお金がかかってないと思うのです。だからこういうところも審議会の方はよく考えていただきたい。そういう意味の調和というふうに考えたいと私思いました。 それからもう一つ、番組審議会の方があまり気になさらないのじゃないかと思っておりますことには、娯楽番組がございます。娯楽番組と申しますとあまり卑猥な言葉を使わないとか、それから子供に聞かせられないようなことは放送しないというような程度でもっていいように考えられがちでございます。あれはレクリエーションだからというふうに考えるのでございますけれども、私あのくらい子供に影響の強いものはないだろうと思います。たとえば寄席でございます。寄席なんか子供の小さいときにはわかりません。それがだんだん大きくなってくるとわかるようになる。かけ合い漫才なんかもそうでございますが、それをただうちの子供はだんだんおとなになってきたからそれがおもしろい、わかるようになるのだろうと簡単に考えておりますけれども、そればかりではないだろうと思います。というのは、その説明を外人にしたところで、わからないことが多いのです。やはりあの中には日本人らしい考え方というものがどっさり入っておりまして、それだからこそ小さいときにはわからないのが、だんだんおとなになるに従って日本人らしい考え方になるから、ああいうかけ合い漫才とか落語とかがおもしろくなると思います。あれを私、気をつけて聞いておりました。ところが日本人の欠点だとよくいわれておる、たとえば相手をばかにするとか、いない人のことは悪く言ってみたり、抜けがけをするとか、また子供の人権を認めないというようなこと、そういうのが非常に多く入っているのですね。同じような娯楽番組でも、たとえばアイ・ラヴ・ルーシーなんかはそんなものはあまりないのです。自分が楽しんでおる。結局日本人らしいずるさとか抜けがけをするとかというのは、片方で直そう直そうといいながら、ああいうふうな番組を一生懸命で見せているのじゃしようがないから、同じ楽しむのでも、何もああいうふうなものでなくても、おとなも楽しめる、子供も楽しめるものができるだろう。娯楽番組というものをもっと重要視していただきたいと思います。ことにそういう意味で、これは民放には無理ですから、NHKの方の娯楽番組には気をつけて、そういうことも研究していただきたいと思うのでございます。そういういろいろな研究がございますし、それからテレビになりましたので、テレビですと今度はラジオとはまた違いまして、ラジオですと小学校五年生くらいになりますと、一つの話をずっと聞いてそれで全体としての話の理解をすることができます。ところがテレビですと、その場その場で現われるものですから、全体として把握する前に部分々々として把握いたします。そこで全体から見たら、そこに悪い人が出てきても、結局その人がおしまいにはまずくいったのだからよかろうということになっても、部分々々が非常にあくどいものであると、テレビの場合は工合が悪い。そういうような研究もこれからはどんどんしていただかなければならないと思います。 そこで研究所というものは当然必要になってくるわけでございます。私は放送がこれからますます盛んになることを考えますと、この放送の研究所というものはNHKにくっついているくらいなものじゃなくて、むしろ国立のりっぱなものがあっていいと思います。ただ日本という国は不思議な国で、現場から離れた研究所というものがなかなか育たないのです。育ったのは大学にくっついているのが割合によくいくので、こういうものも将来は大学へつくものじゃないかと思いますけれども、それは今すぐのことではないので、今はここでは研究所というものを非常に重要視して、いろいろな方面から研究していただきたいと思います。つまりその技術の方面とか、ただどんなことを放送するとかということじゃなくて、身心の影響とか、それから——民間放送のためのは広告が目的なんでしょうけれども、どういうときに広告を入れたときに一番記憶に残っているか、ただやたらによけい入れてはいけないとか、どのくらい入れた方が効果があるとかということじゃなくて、どういうときにどのくらい入れたら記憶に残っているのか、そういうような研究もみな研究所ですべきだろうと思います。ただその研究所が拡大されました場合には、これがうっかりすると、お役人さんの最後の行き場所になりがちでございます。そういう研究所ではなくて、ほんとうにこれを生かす研究所を作っていただくなら、研究所も私大へんけっこうだと思っております。 あとは私の直接のことはあまりわからないのでございますが、四十九条の二の「逓信大臣は、この法律の施行に必要な限度において、協会に対しその業務に関し報告をさせることができる。」というのが、私にはちょっとよくわかりませんでした。経営委員会があるのに、どうしてこれをしなければならないのかしらと思ったのでございます。 大体そんなところでございまして、もしこれを統制の足がかりにすることなく、あくまでも自主的にすること、それから日本じゅうがテレビだの放送というのが子供に非常に大事なもの、つまり影響の強いものだということを、みんなで考えるためのものであるということであれば、私は喜んで賛成いたしたいと思います。
○片島委員長 ありがとうございました。次は青野参考人にお願いいたします。
○青野参考人 私はごく簡単に文芸家の立場から申し上げます。 この法案に限らず、法律が作られて、政府当局がその法律の精神をよくくんで、あくまでもその精神に基いて拡大的な解釈をしない、また乱用みたいなことをしないということを前提として、また一般の事業者が自覚して自粛するということを前提とすれば、私は悪法でもある場合には善法になると思います。しかし私どもの経験によりますと、一たん法律が作られると、それを運用する人は結局役人になるわけですから、非常に不安になります。法律というものは、一つの権威を持って臨むものでありますから、しかも私はこの日本においては、過去にそういう痛い思いがたくさんあると思います。私自身も法律の拡大解釈めいたもので、非常に苦しめられたことがあります。それでまず私はそれを前提にしておきます。たとえば私はよく知りませんが、英国のBBCの法律には、相当きびしい政府の監督権のような条項があるといいますが、しかしそれはかつて第二次世界大戦のときに一回使ったくらいで、それきり使わない。それくらい法律というものの適用がきびしい精神に基いておるものならば、法律は相当きびしいものであってもいいのじゃないかと思います。それで私は先ほど申し上げたように、それほどの信頼は持てません。また私のような不信を抱いておる者が相当多いのではないかと思います。 それを前提といたしまして、私どもは今度の改正で一番ひっかかりますところは、従来の「公安を害しないこと」いうところへあらためて「及び善良な風俗」が入って参りました。これはこの間私どもの協会で一つの委員会がありまして、この放送法について話し合いましたときに、文芸家はみなこれにひっかかりました。善良な風俗という言葉は非常にけっこうでございます。善良な風俗を害してはいけない。だれもこれに反対はできない。しかしこれは一億総白痴化ということに対する警告だと思いますが、あの一億白痴化、ああいう放送というものはあれは善悪ではない。ただ人の感情、それから情操なんというものを無視してしまって、ただばかばかしいということで人を喜ばしておるということでございまして、善悪というような重いものではない。ここに善良な風俗ということがありますが、私はこの言葉自体はあながち無理ではないと思いますが、しかし一体芸術といいますと非常に幅が広いのですが、文学というものは、まずでき合いの善良な風俗というようなものを認めてかかったのでは文学は成り立ちません。その風俗が形式化してしまって、人間性の自由な発露というものを押え、またいわゆる善良な風俗をなすところの基本になる道徳というものが、ただ表面上は美しい衣をまとっても、虚偽の道徳化してしまって、やはり人間性の自然というものを押えるのに対して抵抗するのが文学であります。ですからいかなる文学でも、一種の反俗的な精神——反俗というのは俗に反抗する、俗というのは世の中の習俗になっている形式化されたもの、固定、硬化されたものに対する抵抗であります。そういう点から見まして、この善良な風俗を妨げないということは、この法を作られた精神から、総白痴化というようなものや、あまりにばかばかしいもの、あるいはごく下等なものを押えるというところにあればいいのでありますけれども、例の通りこれを実際に運営していく人が、もしも狭い考えで善良な風俗ということを解釈されれば、私ども文芸家は非常な不安を感じます。その点私は特に強調したいと思います。私どもの仲間もそれを非常に不安を抱いて、もしこの項目が撤回できるものならば、むしろ撤回した方がいいというような意見を表明しております。——その点私はもう少し申し上げたいのですが、善良ということは、今度できる番組審議会の方々がしっかりしてさえおればいいのでありますが、しかし公安ということのほかに、あらためて善良な風俗というものを入れたところに、私は将来の何か道徳的な規制、道徳的な監督という強い言葉はありませんが、その足がかりがここにあるのではないかというような不安を持っております。 その他の条項で、番組審議会の設置は私は非常にいいと思います。私もNHKの番組審議会の末席に連なっているのですが、これも番組審議会がよく運営されるためには、一方に偏した人間でなく、やはり社会の各方面のいろいろな変った意見の方が、番組審議会の委員になって討論して、ほんとうにいい番組を作るということでなければならぬと思います。そうしますと、東京のような大都会はいいのですが、地方の一般事業者のところでは、一方に偏するような事情に置かれるのではないかと思います。その点私非常に心配しております。もしもここに非常に古い考えの道徳を抱いている人があったとして、それが偶然二人も三人も番組審議会の委員になると、多少の無理があっても新しい感じを出し、新しいセンスを出し、今まで押えられておった人間の官能、感覚、感情、思想の解放に役立つようなものを、最初の小さい芽のうちに刈り取ってしまうという不安が十分あります。その点で私は番組審議会はいいが、その人事の運用は非常に大切なことであって、しかもNHKのようなああいうところはいいが、民放の地方の方々はその点の御注意を促したいし、またこの法案を審議される代議士諸君にもそういう点を考えていただきたいと思います。 それから私は一々条項については申し上げませんが、さっきの教育番組、報道番組、娯楽番組の調整ということも、実際私はよくわかりません。私は調整ということはいろいろな方面から、時間的にも、また内容からいってもいろいろあると思うのですが、そういうことはこの法律が詳しくこまかく規定するわけにいきませんが、私どもわからなくても仕方ないと思っておりますが、こういうことでNHKのような放送と、一般の民間のスポンサーによって成り立っている放送とを、同じにしていくというようなことがあってはいけないのではないかと思います。その点もこの法案を審議される方がもう少し考えてもらって、修正とまでいかなくても、私どもが一見してすぐわかるようなことにしてもらうと非常にありがたいと思います。 私の意見はそれだけですが、最後に結論を申しますと、私どもは今度放送法案が出るというときに最初考えたのは、この前の村上大臣のときの草案のようなものを知っておりますから、もっと政府の監督権が強まるような、私どももっと一そう反対しなければならぬような法案が出るかと思いましたが、これが出ましたらそうでもなかったという安心がありますが、しかし私ども最初にも申し上げました通りに、従来の経験から、この運用については十分な信頼を持っていけない、そういう意味でこの法案が、参考人の方々また私どもが言ったことを参考にされて、もっと明るい、そして私自身から言えば、善良な風俗というような点を改めてもらって修正をされれば、私はこの法案に賛成してもいいと思いますが、このままではどうも私は、いろいろそういう不安の穴がありまして、賛成しがたいものであります。これだけです。
○片島委員長 ありがとうございました。次に高橋参考人にお願いいたします。
○高橋参考人 高橋でございます。民間放送の役員をしておりますが、必ずしも民間放送のためにお話を申し上げるのではなくて、たまたま放送事業者の一人といたしまして、多少放送事業に経験をしております立場からお話を申し上げたいと思う次第であります。 今回の改正案を一言で申し上げますならば、八年ぶりの改正にしてははなはだ消極的であるということなんでございまして、われわれは民間放送が生まれましてから今日まで、機会あるごとに放送法の改正の必要を要望して参ったのでございます。その改正の要望の趣旨は、民間放送というものが今日のような状態にまで発展した現在、この民間放送の発展した現実とNHKの存在という、この二つのものを二本立とした日本の放法界の今後のあり方というものを善導し得るような法律を作ってもらいたいということなんでございまして、現行法制定当時の民間放送に対します考え方というものは、NHKというものが主たる仕事をするが、民間放送は、よくわれわれが使う言葉でございますが、刺身のつまという程度の存在として存在価値があるであろうという前掛のもとに、現行の放送法が作られたような感がいたすのでございます。これはもちろん現行放送法制定当時、何人も現在のような状態にまで民間放送が発展するということは考えなかったであろうということによるものでございまして、現在そういう予想を裏切りまして、民間放送もすでに全国津々浦々までその影響力を持っておるという現在におきましては、おのずからそのあり方というものが明確にされなければならない。民間放送のあり方が明確にされますためには、NHKのあり方というものも同時に明確にされなければならない。あるいは逆に申せば、NHKのあり方が明確になることによりまして、民間放送の今後のあり方というものがおのずから明確になるのでございますが、今回の改正案についてはその点が全然触れておらないのでございます。この点を非常に不満といたすものでございまして、この法律改正の機会がございますなれば、まずこの根本問題を大前提として解決していただきたいということなんでございます。 この根本問題は、今日提案されております改正の趣旨とあるいは離れるかも存じませんが、実を申しますと番組の規制という問題は、この根本問題を離れては成り立ちにくいのではないか。NHKに求むるところの番組というものと、民間放送に求められる番組というものは、おのずから違うのではないか。どういうように違うか、またいかに違えるかということは、今後あるいは皆さん方が大いに研究していただきたいと存ずる次第でありますが、少くとも経営の本質におきまして、NHKは受信料を徴収し得るという特権を持っているのでありまして、国家がこういう非常に大きな特権を与えております半面には、国家としてNHKに特別期待するところが大きいということもおのずから推測されるわけでございまして、国家がNHKに何を期待するかということについての内容が明確でないがために、NHKと民間放送との存在の理由というものにつきまして、あるいは番組の調和と申しますか、均衡というような問題についても、いろいろな問題が起るのでございます。現在放送法の第七条に「日本放送協会は公共の福祉のために、あまねく日本全国において受信できるように放送を行うことを目的とする。」という条項がございまして、この第七条の条項のヘッディングには、目的というようになっているのでございますが、この内容は、今申しましたごとく目的ではなくして手段であるというふうに考えるのでございます。日本全国において受信できるように放送を行うような設備を持つべきだということが、NHKに義務づけられているのでありますが、その中身は何かということについては何ら法律は触れておらない。この手段と目的というものがここに混同されておりまして、NHKの目的というものは法律によって何ら明示されておらないのでございまして、この点を、今回法律改正をされる絶好の機会でございますがゆえに、この第七条の目的の条項そのものの中に、NHKの放送の内容について、一つの指導原理的な目的をここに盛られるということが必要ではないか、これこそは、民間放送が発達して参りまして第八年目に改正さるべき最も大きな意味があるのではないか。このNHKの放送内容が明確にされますならば、おのずから民間放送の番組の内容のあり方というものも、そのあり方が自主的に規制されると考えるのでございます。 番組の規制が問題になりました原因は、申し上げますまでもなく、民間放送あるいはNHKを通じてでございますが、非常に影響力の多いところのラジオ、テレビというものがあまりに低俗であるということから起ってきた次第でございまして、これについてはわれわれも放送に関係いたしております一員といたしまして、大いに自省、反省しなければならない面も少くないと思うのでございますが、ただ一言この機会にこの問題についても申し上げたいことは、民間放送は低俗である。スポンサーがつくから低俗だという非難でございまして、これはわれわれから申し上げますならば、非常に大きなる罪を着せられておると思うのでありまして、スポンサーがあろうがなかろうが、民間放送であろうがなかろうが、この番組が低俗であるかないかということは全然別個の問題でございます。もちろんスポンサーがつくと、いわゆるスポンサーは番組が一人でも多くの人によって聞かれるということを希望しておることも事実でございますが、それは民間放送が誕生いたしました初期の時代のことでございまして、その後のスポンサーも大いに勉強されまして、必ずしも数をたくさん聞かすことが、スポンサーの社会的地位を高めるゆえんでないというような立場から、量より質という面に向って、番組内容についても大いに研究されておるのでございまして、従いまして番組が低俗であるかどうかの問題は、民間放送あるいはスポンサーの番組というようなものを離れまして、NHK、民間放送を通じまして番組が低俗であるかどうかという問題になると思うのであります。この問題は低俗な番組も少くないというような意味においては、われわれこれを肯定しなければならないのでございますが、すべての番組が低俗だ。いわんや民間放送の番組は常にNHKより低俗であるというような議論があるといたしますなれば、これは個々の番組をお聞きになり、あるいはごらんになりますればおのずからわかることでございまして、観念論としてそういう議論が行われておることははなはだ遺憾だと考える次第でございます。従いましてNHKあるいは民間放送を通じまして、低俗なる番組をいかに少くするか、あるいは影響力の多いラジオ、テレビの影響による弊害を少くするかということは、NHK、民間放送を通じて一応共通の問題でございまして、このために番組審議会というようなものを設置することによりまして、番組の編成の根本方針をきめられるということも一つの方法ではございますが、それが必ずしも絶対の方法ではないと考えられますし、しかもこの一つの方法でありますところの番組審議会を、法律によって作らなければならない理由はどこにも見出しがたいのでございまして、法律によって作った審議会が、自主的に作られた審議会よりか権威が上だというような結論は、どこからも出てこないのでございます。番組の問題は非常に重要な問題でございますが、この番組の中身をよくするという問題は、法律によらずして、これこそNHKあるいは一般放送事業者の自覚反省を求めることによって、その実を上げるということが一番いいのではないか。番組が低俗であるという問題が起りまして以来、一番敏感にこの問題と取り組んでおりますものは、おそらくNHKの編成担当者であり、あるいは民間放送事業者の編成担当者であろうと思うのであります。番組が低俗であるということは、一面低俗なる番組を好む人々が世の中に多いということにもなるのでございますが、その同じ世の中の人々の中から、低俗な番組が多過ぎるという声が聞えるということは、これまた世論の中の一部からは、すでに現在の番組は決して満足すべき状態ではないという声が起っておる証拠でございまして、こういう意味から放送というようなものは、新聞、雑誌の場合と同様でございまして、一般の世論がこれを批判するわけであります。低俗な番組に対しては一般大衆がスイッチを切らないということも起り得るでございましょうし、あるいはそういう反応に対しまして、われわれ事業者あるいはNHKも同様でございましょうが、番組の向上というものに対し細心の注意を払う次第でございます。従いまして番組の規制のための審議会というようなものは必要ではありましょうが、法的に作る必要がないというのが私の一つの考え方でございまして、その前にまず何をなすべきかということは、番組に対する一般国民の世論調査というものを行いまして、具体的な世論の反映を求める必要があるのではないか。これはNHKもあるいは民間放送事業者も、ときどき番組についての聴取者の調査を行なっておりますが、その際の調査の目的はどういう番組が好まれておるかどうかということが主であり、どういう番組が現実に聞かれておるか、いわゆる聴取率を調査するのが主でありまして、番組に対する意見を求めるということは少いのでございますが、まず番組規制の前提といたしまして、番組に対する根本的な世論調査、これは放送の国勢調査ともいうべきような調査を行われますことが大前提になるのではないか。その調査の資料によりましていろいろな考え方が出てくると考えるのでございます。この聴取者の世論調査と申しますか、大々的な放送の国勢調査ということもわれわれはかねがね当局にお願いしておったのでございまして、その調査の費用はおそらくNHKの受信料の自然増収分、すなわちNHKの予算がきまりました以後において増収されるであろう受信料をもって、これを行うことが十分にできるのではないかと考える次第でございます。 今回の改正案の中に、番組審議会に対しまして、NHKに対してはかなりきびしくこれをやる、民間放送に対してはこれに準じてやるというような含みがあるように考えられるのでありますが、この考え方がどこから出発しておるかということについて私は十分につまびらかにいたしませんが、もしもそこに何らかの差が置かれておるといたしますなれば、それは国家としてNHKに求められておるところが、それだけ何らか強いのではないかというようにも考えられるのでございます。民間放送につきましては、もともと現行法ができます当時、民間放送は自由奔放にやるのだという建前になってきておるのでございます。自由奔放に放任されることによって適者生存と申しますか、存在意義のないものは滅びる。これは滅びるだけじゃなくして、現に民間放送の電波に対する免許、すなわち民間放送事業の免許は三年ごとに更改されるような仕組みになっておるのであります。過去三年におきます実績において、ある民間放送の存在理由が意義がないということになりますれば、再免許の際にその免許を取り上げ得るという権限が現に国家に与えられておるわけでございまして、もちろん突如そういう免許事業を取り上げられることがいいかどうかということになりますと、その前に勧告の形か何かによって、国家の希望される面を民間放送に意思表示される方法もあるのでございます。こういう意味からは、特に民間放送につきましては、自由放任のあり方において放任されましても、われわれみずから番組審議会のようなものを作りまして——現に民間放送連盟においてはそれを作っておるのでございまして、番組については非常に細心の注意を払っておる。われわれの考え方は、ラジオ、テレビは映画と違いまして、直接家庭の中に入り込むということを念頭に入れておるのでございまして、従いまして映画において許されることも、テレビ、ラジオにおいては許されないというようなきびしい批判のもとに、われわれ放送基準を作っておるのでございます。今後われわれはますますこの点において大いに自制したいと考えるのでございます。 結論的に申し上げますなれば、今回の改正案は、八年ぶりの改正にしてははなはだ消極的である。むしろ根本的な問題と取っ組んだ積極的な改正が望ましい。そういう根本的な問題と取っ組むまでの間、この消極的な改正案はしばらくおかれてもいいのではないか。今急いでこれを実施される必要はないのではないか。根本的な改正案の中には、先ほど申し上げましたNHKの放送の目的、あるいは受信料の性格、なぜNHKが受信料という特権を与えられておるのか。その受信料の特典に対するNHKの義務は何かということをまず明確にされまして、しかも番組については大々的な世論調査をされまして、その結果を待って、今回提案されましたような番組規制に関する一つの法規を作られても、おそくはないのではないかと考える次第でございます。時間がございませんので、要点だけを申し上げた次第でございます。
○片島委員長 ありがとうございました。 次は中野参考人よりお願いいたします。
○中野参考人 私、法律のことは詳しく知らないのでございますけれども、大体先ほど青野先生のおっしゃったこと、私も同感でございます。というのは、やはり戦時中にいろいろな統制を受けまして、とても仕事がしにくかった。それでいやな思いをたくさんした。そういうことが、あるきめられた法律の運用のよしあしで、また私たちがそういうときにめぐり会わせるようなことになるのじゃないかという不安が、だれにもあるということ、それをどういうふうに運営していくかということは、やはり人を得なくちゃならないということ、それをどういう人がやるのかということが、また不安です。 私は一人の放送出演者として自分が出てやるということと、それから家庭の主婦として自分が家の中で聞くということ、そういうことを主にしてちょっと申し上げたいと思うのですけれども、私は愛宕山時代から出始めて、三十年近く放送に出ております。最近はテレビにも出ております。いろいろなものに出ました。そしてその放送の番組審議会というものが、今度は法律できめられるということ、それは今までにも自主的にいろいろな局であったということ、それはできるだけ低俗な番組を避けて、いい番組を作るための審議会であったということは、むろんわかるのですけれども、幾らいい番組を作る審議会を作って、その道のエキスパートの方がお集まりになって、どういう考えをしたにしても、現在のような作り方ということだったら、私はあまりいいものはできないと思うのです。中に働いている者としてですね。もう絶対人数が足りないのです。やる方も、それから出演者も、それから企画する人も、それからその中で働いている演出家、すべての部門でとても人間が足らない。だんだん放送局の方はふえる一方なんです。ますますちぎれるんじゃないかと思うほど、あっちからもこっちからも人気者は引っぱられ、その中で仕事をしていますから、これでほんとによくたえられると思うのです。これでは一つの番組を練って、いいものを作り上げる時間というものは、どこにもないわけです。作者は作者でただ追い回されて書くばかり、出る人は出る人でただ追い回されて出るばかり。ですから、もう少しいい番組を作る。それはNHKでも民間放送でも——今民間放送の方もお言いになりましたけれども、民間放送の番組は低俗だという世間の声、そういう考え方には、私もやはり賛成できません。民間放送でもとてもいいものもあり、NHKでもとてもくだらないものもありますけれども、しかしどっちにしても、作るための時間というものがとても少いのですから、いいものができるわけがないのです。ですから芸術祭とかなんとかいって、特別に——私たちの関係しているプログラムだけについて考えてみますと、芸術祭とかなんとかということになると、各局が自分たちの全力を集中してやりますから、非常にみごとなプログラムができます。お金の面でも時間の面でも——脚本なんかでも半年も前から頼んで、ちゃんとしたものを作りますからりっぱなものがあります。しかししょっちゅうそういうことをしているわけに、みんないかないわけです。それでも、それだけいいものができる人たちが中にいるのですから、もう少し時間とかいろいろな面の余裕と、それからただ人気者とかそういうような者を引っぱらないで、かりにNHKならNHKのように、大きな組織があって、お金も十分にあるらしいところでは、そういう人たちを育てる機構というものに——今急には間に合わないのですけれども、それは日本のどこの面でもそうです。現在、ものを育てようということがちっともない。あるものをただ使って、すり減らすばかり、それではすり切れて、何もいいものができないのです。ですから二年先、三年先のことを考えて、人数を豊富にして、そうしてみんな余裕を持っていい仕事を作れるように考えなければ、番組審議会があっても何ができても、私は今のプログラムがよくなるとは思われない。私は現在が限度じゃないかと思います。しかしだからといって、法律のできるかできないかということ——ほかのことは私にはわからないけれども、直接自分の面だけに考えてみまして、何かそういうふうな、いわゆる締めくくったり、監督したりする方の考え方がよければ、非常に消極的ですけれども、そういうものができて、よりいいものにしようとする、そういう審議会ができるということは、別に不賛成でありませんけれども、しかしさっきから何べんも申しましたように、もっともっと根本的なことを考えて、それこそ将来のためにいろいろな手を打っていただかなければ、とてもいいものができるように思われないのです。 家におって聞いていても、もうどこを回してみても、皆さん、お聞きになったことがおありかどうかわかりませんけれども、歌謡曲が流れてきたら全部歌謡曲だし、これもしょっちゅういわれておることですけれども、何かお互い局同士で相談し合って、こっちがこれなら、こっちはこれというふうにうまくできないものか。それも何もできない。それからNHKの特色、お金を取っておるから教養番組をやればいいということがいわれますが、それも私は片方に偏した意見だと思います。別にNHKがお金を取ったからといって、何か余裕があって、そういうスポンサーの好みに従わないでもいいところでは、そうして時間でも割合に融通のできるところでは、自分の思ったいいプログラム、娯楽のプログラムでも何でも、思う存分に時間をとって——かりにニューヨークのシティ・バレーが放送したいと思っても、よそではスポンサーなどがつくから三十分ぐらいしかできないけれども、NHKでは二時間から三時間、ずっとできるというようなことがございますから、そういうふうなことはNHKでもできるし、民間放送は民間放送で、別にそれぞれ特色を持っていくことができるのじやないかと思うのです。ですからそういうふうに、おのおのの局がはっきり自分の特色を持つことができるような番組審議会というものが作られるための何かだったら、別に私は不賛成じゃございませんけれども、特別にこれがいいとか悪いとか言うだけの材料を私は持っておりませんし、ただ自分が出演者として、もっとその先のことを考えていただかなければ、何ができてもあんまり上等なことができないのじゃないかというふうに思いますので、今いろいろ青野先生のおっしゃった御意見と私大体同じでございますから、また繰り返すようで詳しくは申し上げませんけれども、また何かあとでございましたら申し上げます。
○片島委員長 どうもありがとうございました。 次に委員諸君より参考人に対して質疑の通告がありますので、順次これを許します。なお理事会の申し合せによって、質問者は一人十分程度にお願いをいたしたいと思います。竹内俊吉君。
○竹内委員 本日は参考人の方々、お忙しいところをお出まし願って、非常に貴重な御意見をお聞かせ下さいましてありがとうございます。ただいまお聞きいたしました御意見について、さらに二、三お聞かせ願いたいという趣旨でお尋ねをするのでありますが、放送法改正のよってきたりました一つの大きい条件は番組の低俗化を防いで、その向上をはかるという点にあることは御承知の通りであります。そこで現在の放送の番組が低俗だ、こういう批判が強いのでありますが、その批判の分析と申しますか、一体どういうふうに低俗なのかという点を皆様から具体的に一つお聞かせ願いたいのであります。 つまり皆さんのただいまお述べになった中にもそれぞれございましたが、これには私は五つか六つかの条件があると考えます。現在の放送全体が、番組が全面的に低俗なんだ、レベルが低いのだ、こういう意味の低俗論もあると思います。そうじやないのだ、先ほど高橋さんもお述べになったように、その中に若干、これではあまりにひどいという低俗なものがあるのだという一部低俗論もあると思います。また今の放送番組のうちで教養教育といったふうのことを扱っているものはまあまあいいのだ。娯楽の中にひどいのがある。こういう娯楽番組の低俗論もある。これと全く逆に、娯楽というものは元来肩のこらないことをねらいにしているのだから、これは多少ばかばかしくたっていいのだ。教養教育と銘打った番組が、今の日本の知識階級のレベルからすると低過ぎる、これをもう少し引き上げてほしいのだという低俗論もあると思います。また先ほど御議論が出ましたが、今の番組の調和そのものに欠くるところがあるのであって、どうも娯楽番組偏重になり過ぎている点が、番組低俗論の基本的なものだ、こういう考え方もあろうし、さらにもう一つ加えますと、先ほど来出ておりますところのNHKの番組はまあまあいいが、民放が低俗で困るのだという民放低俗論もあると思います。これらの今の番組が低俗だといわれておる事柄について、おいでになりました方々から具体的にこの辺が低俗だと思うということを一つお聞かせ願いたいと思うのであります。ごく簡単に要領だけでけっこうでございますから皆さんから……。
○千葉参考人 番組が低俗だという意見には、ただいま御指摘のようにいろいろな意味があると思うのです。先ほど杉村さんも言われましたですが、どこへダイヤルを合わしてみても、いつも同じ歌謡曲ばかりをやっている、これは非常によく聞く批判なんです。事実これだけたくさん聞ける放送が、夜ある時間にダイヤルをひねってみると歌謡曲ばかりだということは、これは低俗だといわれても仕方がないと思うのです。これは放送事業者の側の方にお聞きしますと、いや歌謡曲ばかりだとおっしゃるけれどもそうじやない、わが放送局のパーセンテージはこれこれでございますというようなことを言われる。全放送時間に対する歌謡局の比率、こういうものをとると割合低いのです。ところがただいまもどなたかお話しになりましたように、ある時間、夕方のゴールデン・アワーの一定の時間、たとえば午後七時から午後九時までの時間、そういったような時間をとりますと、あるいは昼間にもそういう時間があるかもしれません。そうすると圧倒的に歌謡曲が多いという時間が出てくるのです。これが一つ低俗だといわれる理由だと私は思っております。これは毎日載っております各放送局のプログラムをごらんになれば一目瞭然でございます。 それから具体的に低俗の例を示せとおっしゃいましたから、これはあるいは差しさわりがあるかもしれませんが、この点はお許しを願うといたしまして、最近私の印象に残ったものはロカビリーであります。これはある番組に出て、これは困ったものだということで問題になって、そうして実は私民放とNHKと両方の番組審議会の委員をやっておりますが、たしか民放の番組審議会があったときにも問題になっております。ところがこの番組審議会のあった直後に前に輪をかけたような、これは低劣と申して差しつかえないと思いますが、きわめて低劣なロカビリーの中継放送が行われております。これは劇場で料金を払って、好きな人がごらんになるのはかまわないのです。ところがラジオ、テレビのように家庭の客間に入り、茶の間に入り、若い青少年の人たちも見る、この人たちに与える影響というものはやはり無視できないのでございます。民放連でもいかに番組を作って、いかに注意しているかというお話も、実は番組審議会ではるるお述べになったのでございますが、そのやさきにこういうものが放送されたことは、私非常に遺憾に思ったのです。おそらくこの問題は将来も番組審議会かどこかで問題になると思いますが、こういうことが続発いたしますと、やはり法的規制をもっと強化しなければならぬという意見が出ると思うのです。そういうわけで私はこれはやはり番組審議会のような自主的規制機関を作って、また放送基準を世間に公表したならば、それを忠実に守っていくということが大事だと思っております。
○波多野参考人 私も大体においてはやはり歌が多過ぎるのだと思います。歌謡曲が多過ぎると思います。いい番組のないわけではなくて、いい番組があるときは家じゆうで喜んで、これはラジオのおかげだとかテレビのおかげでこんないいものがみんなで見られると大へん喜ぶのでございますが、そういう番組のあるときにはほかの局でもそれをいち早く知ってか、それに負けないようなものを持ってくるものですから、いいときは必ず重なってしまって、どっちかを犠牲にしなければならぬ。ないときは今のところ安心してしまうのか、みな悪いのです。そういうときには非常に低俗になる。歌も、ことにこのごろコンクールがございまして、コンクールのときがあまり感心しない。なお感心しないのは司会者の方の話しぶりです。打ち解けさせる意味なんでございましょうけれども、非常に感じが悪い司会者が多いのでございます。あれをもう少し考えていただいたらもう少しよくなるのじゃないかと思います。それから今千葉さんがおっしゃいましたロカビリーでございますけれども、あのただ踊っているだけを見せて下さるなら、まだこういうものだからと思って見るのでございますけれども、山下さんとかいう方がやっていらっしゃるところへ、若い女の子が次々に上っていきまして、抱きついたりほおずりしたり、いろいろなことをするのでございます。これが映画でございますと、まあ映画だから、作ったのだということは言えるのですけれども、そうじゃなくて、実際ああいうファンがいろいろなことをするのをそこら辺に子供が一ぱい見ているし、これをスイッチを切るわけにもいかないし、まことにこの間も困りましたので、やはりああいう点なんかをお気をつけいただいたらいいと思います。
○青野参考人 娯楽番組が卑俗である、また教育番組なんかでも卑俗ということが言える場合があります。それは高い意味で卑俗という場合は、単に断片的の知識、それから考えとか、そういうことでやるような教育番組というものもあるのです。もっと一貫したつの思考方法を教えるとか、一貫した一つの見方を教えるというなら、これは相当平易な言葉を使っても、決して卑俗にならないと思います。この例はちょっと思いつきませんが……。この娯楽放送の卑俗ということは複雑な問題であります。放送でやっては卑俗にならないが、テレビでやると卑俗になるという場合がございます。また歌ですね。シャンソンならシャンソン、あのシャンソンの歌手、またあの歌い方を放送でやれば姿が見えない。ところがテレビでやっても、やはりその歌詞は同じ、歌い手も同じです。しかしこれはシャンソンですから身ぶりが入るのは当りまえでしょうが、その身ぶりが、ある場合にはよけいにおしりを振ったり、よけいにうしろを向いたり、しかも最近では舞台のうしろへリアリズムの背景や何かをつけて、何かなまなましいいやなものを感ずる。むしろこれを自分で感じないで、自分の子供にもそういうことがいいと思う人は、その人はすでに卑俗なものになってしまっている。でありますから、これはキャバレーや何かへ行って、シャンソンの歌い手がああいう身ぶりをするのはいいかもしれませんが、しかしかりにも家庭に入っていくところのテレビでああいうことをされては、やはり卑俗であります。それから落語なんかもそうであります。私は落語が非常に好きで、落語番組を見ますが、落語家によっては、名人なんかはそうでもありませんが、落語が下手くそなところを補うためによけいな見振りをする、いやらしい見ぶりをする。これは善悪じゃなくて国民の趣味ということになります。そういう場合に卑俗になります。ですからやはり卑俗ということを分解的にいろいろ考えて、その総合勘定をわれわれとしては卑俗と考える。 それからもう一つ、先ほど杉村さんも言われましたが、テレビの娯楽番組に出るところの俳優が、同じ俳優が今までりっぱな人間になって出てきたかと思うと、すぐその次の番組に悪人になって出てくる。ああいうことが卑俗になるのじゃないか。そういうことではいかぬと思う。そういうことでは見ておるところの子供の頭に——やはりおもしろいということは一面信頼するということです。何もその役者を信頼するのじゃなくて、その役全体として信頼する。そういうものであれば決して卑俗にならない。しかるに今までは、その十分くらい前に善人をやっていた人が、悪人、無頼漢のような役をやるということも、これは役者が非常に手不足で人物不足という先ほどのお話の通りでございますが、そういうこともやはり卑俗です。あなた方も経験がありましょうが、実は私どものところにもテレビがあって、付近の子供が見ておるのですが、ああ、あれはこの前悪者になったということになりますと、全体が、人間に純粋な一貫したものを信頼するというような考え方、それから統一した美というものを与えるという考え方をすっかりくずしてしまう。それを称して卑俗というのです。それからまた、これは日本の国民全体にあるのですから仕方がないといえますが、大体娯楽番組の悲劇的なものは非常にセンチメンタルです。あの家庭悲劇的なものは必ず泣く。それでセンチメンタルで、お涙ちょうだいという言葉が昔からありますが、何か涙で、その上に音楽が添えられて、泣かないとおもしろくない。私はこれはもっと悲劇にしても喜劇にしても、そういう泣かせるという昔ながらの、それをもう一つ持っていけば浪花節情緒になってしまうというような、泣かせるというのじゃなくて、もっと意志的な、ウイルというものを養う。そうして喜劇にしても、単におどけでなくて、やはり人間生活の中にあるコミカルなものをつかむということになれば、かりにやっていることが裏長屋のことでも、あるいは愚かな人間を扱ってもいいのですけれども、決して卑俗にならないと思います。それらの点で一々これを卑俗だと、統一的感覚を分析するのは容易ではありませんが、今私が申し上げたことも、私の卑俗ということと関連せしめる大きな要素であると思います。
○中野参考人 私の言いたいことを皆さん言っておしまいになりましたのですけれども、結局今青野先生がおっしゃったように、ラジオよりテレビの方が、姿が見えるので、そういうことがよくわかります。それもやはり準備不足、それから脚本のいいかげんさ、家庭内のいろいろなおもしろいことを書いたものでも、それが誇張してやられる場合に、それをまずくいいかげんにやってしまうと、ほんとうに、それは卑俗とかなんとかいうことでも言い切れないほど、鼻もちならなくて、見ていられないようなものがたくさんあるのです。それはやはり準備不足と人が足りないということと、それから私たち考えてみて、毎日々々よくこれだけのプログラムを、各局が朝から晩まで作ることができるものだと思うくらいに、いろいろなことをしているのです。あれでは多少は卑俗なものが出てきても仕方がないと思うし、また卑俗というふうなことだけでは言い切れません。そういうものを好む人にだって、やはり何かあげなくちゃいけないということもむろんありますけれども、やはり作る方の側の人、さっきのロカビリーでもそうでありますけれども、それがただやられて、それであんなところがテレビに映され、家庭の中に入ったら、とてもたまらない。うちの子供たちに見せたくないということもあるし、あれが、いわゆる道徳教育というとまたおかしいですけれども、こういうことはおかしいのだ、つまらないことだというふうに思わせるというような雰囲気で持っていけないことはないだろうと思うのです。けれどもそれは非常にむずかしいことで、うっかりすると全然その逆の方ばかり強くなるということもあるけれども、こういうことはいけないことだ、こういうことはいいことだ、ということが判断できるような方法ということも考えて、きたないものもある程度は見せて、ただただ隠してばかりおかないということも必要だと思う。それをどういうふうな形で出すかということが一番大きな問題じゃないでしょうか。ただプログラムに、歌をうたう人の人数が足りないのに、歌の要求が多過ぎる。それからやはりしろうとのど自慢というのは、どこの会社でも大へん評判のプログラムで、それには大へん力を入れておるらしいですけれども、さっきもおっしゃったように、司会者が大へん人をばかにしている。あれはやはり一番直しやすいことで、実行されないことではないでしょうか。あれがみんなに受けているなんと思ったら大間違いなんで、それはどういう人に聞いても——出てくる人に「あんた、だれ、幾つ」なんて聞いていますね。女の子らしい人に「あんたどうしたの、家に黙って来たの、学校どうやった」とか、実に、来てやってくれる人、その時間を埋めてくれる人に対しても失礼だと思うのですけれども、いろいろ聞くところによりますと、その常連という人がおりまして、どこにもかしこにも全部願書を出して行っておる。どんなことを言われたって、何言われたって、太刀打ちできる。女の子でも、はらはらするくらい、司会者に負けないように何か言っていますわ。そういうことを聞かせるのが一番いけないことじゃないかと思います。それはちょっと考えれば、一番手つとり早く直せることじゃないかと思います。
○高橋参考人 低俗の問題は非常にむずかしい問題で、それこそ私の方が聞きたいくらいなんですが、われわれ自分の仕事をしております立場から申し上げますと、不愉快な感じを与えるものは絶対的に避けねばならぬ。今杉村さんが言われましたような、いわゆるしろうとのど自慢そのものの番組が低俗かどうかの問題よりも、その司会者の態度というものが明らかに問題になるのじやないか、こういう面から一つの基準と申しますか、われわれが持っております基準は、不愉快な感じを与えてはならない、もう一つは、家庭においてお父さんと娘さんが一緒に見たり聞いたりしておられても、おやじさんが恥かしい思いをしない。ということは、落語などにときどきそういうものがなきにしもあらずと思うのでございます。そういう標準においてわれわれがいろいろ考えるのは、放送の時間、同じ娯楽の番組にいたしましても、たとえば落語というようなものは、子供が寝たあとの方がいいとか、あるいはどうとかいうような問題を考えるわけですが、もう一つの問題はラジオ、テレビから何も得るものが見られるわけではなくして、肩のこりをほぐすという意味においての娯楽を求められるのでありましょうが、見て時間を損したというようなものは、これは結局いい番組ではなかった、それだけの時間があるならば、本を読んだ方がよかったというようなことがあれば、決してその番組はよくないというのをわれわれの一つの基準にしておりますが、先ほど千葉さんが申されました点において非常に問題が含まれておりますのは、一つ一つの放送局の番組の調和と申しますか、たとえば朝から晩まで私の方の放送を聞いておられるということを標準にいたしますならば、朝早くは農村向け番組、十時ごろは主婦の時間だとか、午後も主婦のための時間だということになるわけでございますが、たまたま夜になりましてよそのスイッチをひねってみたら、また歌謡曲だった、どこも歌謡曲だったという問題は、これは個々の放送局の番組の作り方が悪いのか、全体としての考え方が至らないのか、これこそはNHKと民間放送については、少くとも何らか違うものがありたいというようにわれわれももちろん念願としておるところでございます。どこのスイッチをひねっても相撲ばかりやっておるということは、これは低俗の問題とは離れますが、せっかくの電波が無益に使われているという非難があってもやむを得ない。しからばこういう問題はいかにして規制するかということこそは、今後業者同士の話し合いということになると思うのでありますが、ただ何が低俗かという問題になりますと、浪花節が低俗だというわけのものでもなくして、その中身が低俗なものもある。これはわれわれ常に頭を悩ましておるのでございまして、雑誌の場合、中央公論、改造あるいは文芸春秋からキング、講談倶楽部までの要素を持ったものが、一つ放送局の中に全部出ておるわけでございます。必ずしも放送局そのものがキング的だとか中央公論的とは言えないと思うのであります。だからその置き方というものについてこそは、番組審議会というような方々の御意見を聞きたい。この御意見を聞くについては、現実にそれこそこういうものは低俗だというような意見を集めたような世論調査をしていただきたいというのが、私の考え方でございます。
○竹内委員 時間がありませんから、最後に一点だけ千葉先生にお尋ねしたいのでありますが、今度番組編集の基準を公表して、それによってやるわけですが、その編集基準というもののねらいが、大へんめんどうじゃないかと思うのです。たとえば新聞についてわれわれ考えてみても、千葉先生はその方の専門家ですから、特にお聞かせ願いたいのですが、現在の日本の新聞、一般紙というものの編集のねらいといいますか、レベルといいますか、基準は一種の安定を保っておると私は考えています。多少新聞によって違いがあるけれども、大体一つのレベルを保っている。このレベルが日本の国民大衆の文化水準全体からすれば、やや高きに過ぎるという批判もあるようであります。もちろんこれでも新聞は売れてけっこうやっておりますから、いいことだと思います。しかしながらこれと比較することは、新聞とラジオ、テレビは表現の仕方が違うのでありえますから、多少違うことは当然でありますが、その編集の内容について考えます場合に、今の新聞編集のレベルで放送の番組の編成、編集の基準とすることができるかどうか、現在の日本の国民大衆の文化の水準から考えて、どの辺のねらいが果して実際に国民の文化的成長に貢献するゆえんであるか、一足飛びに高いものを持ってきても、これは飛びつけない大衆が相当多いと思います。でありますから、その点が非常にめんどうなんでありますが、専門家で、あられる千葉先生はそういう点について、どういう御所見を持っておりますか、お聞かせ願いたいと思います。
○千葉参考人 お答えいたします。放送の番組基準という問題は、今度は法律で公表を義務づけられるわけでございますが、これはそうむずかしくはないと考えております。と申しますのは民放の番組審議会では放送番組の改善、向上ということをいっております。それから法律では番組の適正化ということをたしか使っておったと思います。そのために放送基準とか番組審議会というものを作っておるわけですが、実際から申しますと、番組審議会にしても放送基準にしても、それあるがゆえに番組が非常に積極的によくなるということは私は期待できないと思います。ただ期待できることは、最低限度以下に下らないということだと思うのです。ときどき番組が問題になりますのはこの最低の線以下になったときであります。ごく抽象的に低俗であるとかいったような批評はありますけれども、しかし最低線以上であれば、世間でこの番組はいけないといったように非常に問題になるものはないのです。この放送番組基準というものは、それ以上の倫理的な要請を書いております。これは個々の業者の自発的努力に待つよりほかないのです。ただその書いている最低線から——だのどの部分を露出してはいけないといったようなことがあれば、その線だけはあくまで守ってもらわなくちゃいかんという意味の基準、そういうものは割合に作り得ると思う。それから今新聞との比較でおっしゃいましたが、今日の日本の日刊新聞の内容が割合に高いということはお説の通りでございます。しかしこれはそれ以下になり得ないのかというと、御承知のように新聞は全く自由でございますから、その方が売れると思うと、そういう最低線を割った新聞も作り得る。また現にそういうものがときどき出現することも御承知の通りです。マス・コミニュケーション・メディアでも、放送は新聞に比べますと、特に影響が大きいということと、それから電波が割り当てられて放送事業者というものは、公共のために公共の委託によって仕事をしているということがございますので、この程度の規制を受けることは私はやむを得ないというふうに考えているわけなんです。ですから放送基準を設けることについて私はそれほどむずかしいとは考えておりません。
○片島委員長 松前重義君。
○松前委員 私は千葉先生の御意見を承わらなかったのでありまして、いろいろ御質問申し上げるのは失礼かと存じますけれども、昨日もこの点についていろいろ御意見を承わってみたのでありますが、一つ重要な問題だと思いますので、これをお伺いしたいと思います。 まず第一に、NHKが聴取料金を取ります。民放は取らない、こう規定してある。ところがNHKが聴取料金を値上げをしなかった。値上げをしなかったのでありますから、今度NHKが各方面に相当な拡張をやる。すなわち民放が方々に免許されましたので、それにおくれないように各地にテレビの放送局を作らなくちゃならぬ、こういうことに追い込められてきておりまして、従ってこの建設に対しては相当な資金を必要とするのであります。この資金を聴取料金の値上げによってまかなうということも一つの考え方であった。ところが聴取料金の値上げは今回なさないということで、政府はここにこのような法案を出してきた。そこで聴取料金の値上げによらないならば、一体どこから建設資金を仰ぐか、こういうことになります。その建設資金は、郵政省の意図によるならば、簡易保険の積立金からこれを回してやろうというような御意図もあるようです。あるいは資金運用部資金から回す。国家の金をここに貸し付けることになりますので、従ってそこに私は問題が起ってくるのではないかと実は心配しておるのであります。放送というものは言論の自由を確保し、そして政府のいわゆる言論干渉が行われてはならないということは申すまでもないことでありますが、しかしながら現実の問題として、金貸しが貸した金の行方を知る。そしてその経理状態を調べ、あるいは計画に干渉する、あるいはNHKの内部のいろいろな機構その他に干渉する、こういう傾向を持っておることは言うまでもないのであります。私どもが今まで関係して参りましたもろもろの現象を見ましても、たとえば一例を申し上げれば原子力研究所法案なるものを作りまして、それにはなるべく役人は干渉しないで、そして自由にやらせよう、研究をうんと伸ばしてもらおう、こういうつもりで相当の予算をつけて研究所の設立をやったのであります。ところがその後その運営の状態を見てみると、政府が助成金を出しますその助成金というものに対して、非常に強力な複雑なひもをつけて、一つ一つの物品の購入までも監視される。あるいはまた大蔵省の推薦する人物をその中に入れなければ云々する。だから理事として一人この中に入れるとか、いろいろな点において政府の干渉が、そのお金を通じて行われて参っておるのであります。これが実は原子力研究所の非常な悩みでありまして、現在においてもこれは継続されておるのです。このようにいたしまして、金の問題というものは、表面には出ておりませんけれども、どうも将来この法案が通ったって、この程度ならよかろうというような御意見もあるようでありますけれども、その翼に現実的にこういう問題がひそんでおるというような感じを私は持つのです。もしもこれがこういう方向にいくのを絶対に拒否しなければならないというのならば、これはどうしてもこの法案の中に一項目挿入しまして、政府はこれに金を貸してやっても干渉はしない、干渉してはいけないというような文句が、どうしても入れられなくちゃならぬのじゃなかろうかという感じを私は持っておるのでありますが、この点についてどういう御意見をお持ちか、一つ伺いたいと思います。
○千葉参考人 この問題は、ただいま松前さんのおっしゃった通りだと思うのでございます。私新聞紙上で拝見したばかりでございますが、最初NHKの聴取料値上げについては、政府でも所管大臣は賛成しておられたかに承知しておる。事実聴取料を値上げしなければ、正常のやり方で運営していくのには困難がある。ことに今おっしゃった民放のテレビ局の開設問題とからんで、NHKが相当の資金を要することはだれの目にも明らかなことなんでありますから、その必要はあったと思うのでございますが、しかし政府の御方針で、その聴取料値上げは見送るということもあって、政府でそれではその金を見ようということになっているようでございます。これに対して必ず政府がそれではくちばしをいれるか、これは私はわかりませんが、しかしNHKのような企業体ですね。先ほども申しましたようにNHKの経営方針をきめ、運営の重要事項を決定する責任と権限を持っている経営委員会というものは、両議院の同意を得て総理大臣によって任命される。これはまかすということなんです。でありますからそれが金が足りないから何とかしてくれ、それでは金を出そう。それに対してお前金を出したのだから、とことんまで金の行方を監視するのだ。監視は必要でございますが、しかし一々それを言いがかりにしてそういうことをやるということは、私はこの法律では予想されていないことだと思うのです。しかし御指摘のような懸念がそれではないかと言われれば、私は非常にあると思います。それでただいまおっしゃいましたこの法律に、そういう政府資金を貸すがゆえに干渉がましいことをしないということをお入れになることが必要だということならば、私はそれはもうお入れになった方がいいと思います。あるいは政府が絶対にそういうことをやらぬ。今の放送法の精神にのっとって、放送というものの自立を十分尊重するのだから、その心配はないとおっしゃれば、あるいはそれでいいかもしれないですが、しかしこの点は非常に問題であることは事実だと思います。
○松前委員 ただいまの問題につきましては、私も大体そのように考えておりますので了承いたしたのでありますが、もう一つ問題となりますことは、日本放送協会が、これは御存じではないかもしれませんが、大阪やどこでしたか、NHKの百キロの中波の放送を使いまして、これは米軍によってなされておるそうでありますが、北鮮並びに中共に対する一種の謀略放送をやっておるのです。このことは私は非常に重大な問題だと実は思っております。NHK自体がアナウンサーによってこれをやっておるのではありませんけれども、米軍にこれを貸して謀略放送の道具に使わしておるということは、これは対共産圏との間に日中貿易その他が促進されようという今日において、やはり好ましからざることではないかと私は思うのです。日米行政協定で一応米軍に貸してやるというような項目があるのでございますけれども、NHKを貸してやるということがあるかどうか、この点は私まだ調べておりませんが、いずれにしましても放送の自主性並びに言論の自由という立場は、ただ施設だから何でもないのだといって、すべて便宜を供するというような。そういうことで一体いいのかどうか。私は施設を使わしても、やはりそこに一つの放送の自主性というものが侵されておるのじゃないかという感じがするのであります。でありまするので、このような問題に対して、NHKのいわゆる言論の自由並びに独立性というものをここに保持するためにはただいま政府に対して、資金を貸してやるがゆえにこれに干渉がましいことをしてはならないという一項目を加えることがよりよいことであるとするならば、またこの日本放送協会なるものが、政府あるいは政党に対して料金を取っても、その宣伝放送はなさないというようなことやら、あるいはまた日本の国内においては日本の政党や政府あるいはまたその他の団体、それが意識的な、ある一方的な放送を料金を取ってやらせるというようなことはなさない。同時にまた米軍に対しても、アメリカに対しても、あるいはソ連に対しても、同じような意味の自主性の確保の条項を私は必要とするのじゃないだろうかということを実は感じておるのであります。非常に重要な国際的な問題でありますので、この点についてどういうふうなお考えをお持ちでありまするか、伺いたいと思います。
○千葉参考人 ただいまのお話は初めて伺うのでございますが、これは私的に、NHKが米軍に貸していいかどうかというような問題はよく存じません。ただ今おっしゃいました法律の中で、政府や政党の宣伝放送もやらないと規定するようなこと、それはNHKの自主性を保たせる上においてはけっこうなようにも思われるのでございますが、国際放送というのは、これはなかなかむずかしい問題でございまして、世界各国が実は宣伝放送をやっており、その放送のやり方も世界各国種々さまざまでございます。日本へもモスクワ放送がたくさん人って参ります。北京からも放送が入って参ります。イギリスのBBCでも放送をやっております。アメリカのVOAでもやっております。これらはそれぞれの国でいろいろなやり方をしているわけなんで、私どもの見るところからいいますと、BBCのやり方が割合に望ましいのではないかということです。それはイギリス、アメリカの放送にしましても、結局は宣伝放送だと言ってしまえばそうでありますが、民主主義国の海外放送というものは、自分の国の真相を外に知ってもらうというのを建前にしております。それらの国の法律ではそういうふうに書いておる。日本の場合でも、ただいま御指摘になりましたアメリカ軍の謀略放送、こういったようなものは別といたしまして、その国から海外へ出す電波、これをナチスがやったような明瞭な宣伝放送、残念ながら昔の日本の海外放送は、ナチスまがいの非常に宣伝色の強い放送でございます。これは対外的にいいますと、大して効果ない。これは国内で検閲制度をしいて、ほかの意見を聞かせず、その意見だけを宣伝して吹き込むという場合にはかなり効果的でございますが、今日の国際放送のように、あらゆる電波がどこからでも入ってくるという状況のもとにおいて、相当あくの強い宣伝放送などというものは大して効果がない。こちらがほんとうに自分の国の真実を他国に知ってもらう、自分の国のやっていることが誤解されておるから、ほんとうのことを知ってもらうということなら、いわゆる宣伝にわたらない程度において真実を放送する、これが最も望ましいと思うのです。こういうやり方を終始変らずやつてきておるのがイギリスのBBCでございます。BBCの海外放送というものの非常に信頼度の高いのは私はそこから来ておると思う。 それではBBCが何によってまかなっておるか、国内の放送聴取料によってまかなっているかどうかというと、海外放送については全部政府持ちでございます。二、三年前の統計をちょっと先日見たのですが、たしか日本の金にして五十三億円くらい出しております。今日日本では伝えられるところによると、少し減らされて八千何百万だとかいうことでございますが、これほどの開きがあるわけなんですね。この問題は実際NHKの独力で、もっとやれもっとやれといって押し得るものかというと、それは私は無理だと思うのです。これは法律にも、国際放送は放送協会が受け持つことになって、その規定がございますが、さてこれをそれではNHK独力で各国並みに、各国とコンピートしてやるものができるかどうか、こういう問題になりますと、やはり国策というものを考えなくちゃいかぬと思うのです。しかし国策だからといって、昔の枢軸諸国のやったような宣伝放送をやるということは、今日好ましくない。ですから各国が共存して、国際放送については、国際親善に寄与する目的でなくちゃならぬということをうたっておりますが、宣伝でなしに、お互いの理解を促進する意味の放送というものならば、これは私は政府が金を持ってもいいと思う。ただ先ほど松前さんがおっしゃいましたように、金を出しているからおれの言うことを聞けということは、これは国際放送についても、やり方としては下の下だと思うのです。なぜならば、NHKのようなマス・コミュニケーションの専門家のそろっているところ、その人たちに自由にやらせて、日本の国情を海外に紹介するのに最もいい方法を考えてくれ、そのためにはこれだけ何億かの金を出すから、一つよろしくと言えば、一番いいものができると思うのです。それで何億出したから、ここへこういう人を置いて、こういう検査をしょっちゆうしなくちゃいかぬ、またこういう内容のものを放送しろ、あるいはこういうことを言ったのはけしからぬということを一々言ったのでは、これは放送当局は安心かもしれませんが、しかし放送の目的からいうと、全く目的に反する結果になりはしないか、結局それだけの金を出したに値しない結果が現われやしないかと思うのです。これは言論機関を政府が見られる場合に、どうしたら言論機関によって一番よく目的が達成できるかということをお考えになって、要するに政府があまりに事こまかに干渉しなければいかぬ、それでなければ安心できないというようなお考えでなくて、自由にさせて、それで行き過ぎがなければいい、それで十分効果が上っていくのじゃないか。私はそういう意味で、ただいま御指摘の問題について、いい意思でも悪い意味でも、あまりワクなどを作らずに、出すものは政府が出してやるが、ワクは作らぬ方がいいのじゃないかというように考えるのです。
○松前委員 私たくさんありますけれども、もうこの辺で打ち切りたいと思いますが、ただ、ただいまお答えいただきましたのは、一般的な短波の国際放送についての、BBC等の事情も承わって、ありがとうございました。その点につきましては私どもも非常に心配をして、国際放送の拡充については非常に関心を持って努力をいたしておりまするけれども、どうもなかなか現実化しないというところを実は遺憾に思っておりまして、ほんとうに同感です。ただ私がちょっと御意見を承わりたいと思いましたのは、日本の中波の大電力なんです。中波というものは、少し技術的な問題ですが、夜おそくなりますと遠方まで電波が到達するのです。従って中共、ソビエト方面にも行くのであります。もちろん北鮮にも参ります。こういう方向に参ります。しかも日本に割り当てられた電波なんです。施設はNHKのものであるが、放送する人は米軍であるからこっちに責任はないというけれども、与えられたる電波と日本の持っている施設を使って、アメリカの思う通りの宣伝放送をされるということは、私は非常に大きな影響が来るのではないかと思うのです。NHKその他を規制することはけっこうでありまするが、やはりNHK自体の独立性、自主性をここに確保するためにも、また国際的に考えても、非常に悪い影響を私は及ぼすと思うのです。そういう点から見て、政党が、たとえば社会党なら社会党が、おれの言う通りのことを一つやってくれ、君のところの施設は借りるぞ、あとはおれが適当に放送すると言っても私は借さぬだろうと思う。しかし米軍には倍しておる。国内的にも国際的にも、そういうふうなある意図を持った放送をするような目的のためにはほかのものにこれを貸与したりすることは——これは貸与ではありません。現実に割り当てられたNHKの電波を使っておる。米軍に割り当てられた電波ではありません。施設だけ使っておるから大丈夫だと政府は言っておりまするけれども、そんなことはないので、電波というものはつきものでありますから、そういう点から見て非常に悪いのじゃないかという感じを私は持つので、それならば放送法等をここで提案する場合において、これに対処してそういうことを拒否できるような態度を持っておく必要があるのじゃないかという感じを私は持つのですが、この点について一つ承わりたいと思います。
○千葉参考人 これは現状ではNHKが借しておるというので、法律的にはやれる。やれるというか、やらざるを得ないのでやっているのだと思うのですが、それがいいのか悪いのかとおっしゃれば、まあ感心しないということは私ははっきり言えると思うのです。しかしかなりこまかい法律の問題になりますので、今この法律改正の場合に、これを入れて日米行政協定等との関係でどうなるのか、そういったようなことを私ども詳しく存じませんので、わからないと申し上げるよりしようがないのですが……。
○片島委員長 上林山榮吉君。
○上林山委員 千葉参考人並びに高橋参考人に少しばかり御意見を聞かしていただきたいと思います。御承知の通り電波は国民の貴重な財産でございますが、それにもかかわらずNHKがやる場合は税金にも匹敵する聴取料を取っておる、民放の場合にはスポンサーが広告費を出して経営をやっておる、こういうことになっておることは御承知でございますが、そういう立場から今度の放送法も、たとえば世間の非難を受けておる放送の低俗化あるいは偏向的な放送、こうしたようなものを国民にかわってある程度軽い規制をする、こういうことであって、これに対して昨日も今日の参考人も、概してやむを得ないであろうという意味でお認めになっておるようでございます。 そこで私がまず伺いたいことは今度の番組の規制を法定はしたものの、自主的にこれをやらしておるという点に対して、世間往々にしてあまりにも神経質になり過ぎておる人があるように見受けられますが、これはあくまでも自主的な規制であって、この点についてもう見解を表明せられておりますので私ども了承しておるのでありますが、ただここで注意をして伺いたいことは、私はむしろ第三者の七人委員会あるいは九人委員会というようなものを、アメリカのやっておるものと性格を少し変えてもいいのでございますが、そういうような偏向的な考えを持たないような人々が番組をいつもよく注意をして聞いておられる。自主的でけっこうなんでごさいますが、そうしたような権威のある七人委員会ないしは九人委員会というものを設けて、一年間これをよく見ていく。場合によってはあまりにも偏向的な放送をしたり、あまりにも低俗化する放送をたくさんやったような場合は、これに対して民放の場合等においては免許を取り消す、こういうくらいにまでいくのも一つのやり方ではないか。これはアメリカで私が言うようなふうには必ずしもやっていませんが、それに類似したやり方をやっておる。これに対してたといそれが自主的になされても、これは行き過だというお考えを持つかどうか。この点をまず私は将来の問題としてこれと関連してお聞きしておきたいという点でございます。
○千葉参考人 ただいまのお話は、この改正案にうたっておる番組審議会のほかに、また別にそういうものを作ったらどうかというお話なんでございますか。
○上林山委員 私はできるならば今の正番組審議会にかわったもっと権威のあるものを作るべきである、こういう見解を持っておるのです。自主的にまかしておるという意味では非常に民主的に聞えますけれども、これは軽く言いますと、友だち同士の話し合いというようなことに堕すきらいがある。先ほど参考人もおっしゃいましたように、最低の基準は保たれるけれども、最高の基準というものはこれでは不可能であるというような御意見も拝聴したのでございますが、私はそういう意味からいって、もう一歩飛躍して、それこそ民主的な運営でけっこうでありますが、自主的なやり方でいいのだが、もっと権威のあるものを法定しておくべきじゃないか、こういうように考えるのです。
○千葉参考人 私は今御指摘のように、番組審議会というものによって放送内容が非常に向上するとは考えておりませんが、しかしこれにかわるものとして、ただいまおっしゃった七人委員会というようなもの、これは私よくわかりませんので、あるいは誤解しておるかもわかりませんが、この種の七人なら七人という人の意見にそれだけのウエートを持たせていいのかどうか、それに多少私は疑念を抱きます。実はさっき申し上げましたNHKの経営委員になるような人の資格は何が必要であるかというと、公正な判断ができる人というのが第一の要件であります。こういうところで判断してもらって、放送番組についても重大な事項というものはそこで方針が決定されるのでございます。これは参考的にそういうモニター制度をしいて、それが各放送局の当局者にわかる、あるいは監督官庁である郵政省もその内容を知らしてもらえるという組織になって、参考程度ならば私はけっこうだと思うのです。しかしそこの意見が最終的なものとして、ある場合には免許取り消しまでその意見に従ってやるということになると、少しそれに重きを置き過ぎるような傾きになりはしないかということを私考えるのですが、ちょっと詳しくお伺いしないのでよくわかりません。
○片島委員長 質問も答弁も、時間がだいぶ過ぎましたから簡潔にお願いします。なお中野参考人は舞台の準備の関係でお帰りになられるそうでございます。どうか御了承願います。
○上林山委員 先ほど松前委員から、政府がNHKの設備強化のために公共放送の性質上資金を援助することはときにはいいが、ことに国際放送のような場合は、やり方においてはいいが、原則としてはあまり賛成じゃない、こういうような御意見のように今承わったのでございますが、英国のBBC放送は、これは政府が資金的に相当バックアップして経営をしておることは御承知の通りであります。英国は民主主義的に非常に訓練をされた国であるからというようなことも、あるいはあるかもわかりませんが、私はただ資金を出すことにおいて偏向した放送がなされるというところは、これは冷静にすべての関係者が反省しなければならぬ行き方だと思いますけれども、そういうことにあまりこだわっておることは、NHKの税金的料金を思い切って上げざる限りは、ほかにはもう方法はないのだ、こういうことになってくるのですが、私はやはりときには国民の経済生活や物価を考えて料金を上げるのもいいし、ときにはそういうものも勘案して政府が思い切って資金を出すことが、あまねく国民に聞かさなければならぬ公共放送としては当然なことじゃないか。現にBBCなどは、これは思い切って国費をば投入しておる。それにもかかわらず、先ほど国際放送で御説明いただいたように権威のある放送をしておる。しかもニュースなどは決定版的な、良心的な放送がなされておる。こういうことなどを参考にしますと、私は資金の面において投入することが原則としてはいけないというようなニュアンスで聞き取ったのですが、その辺をもう少し明確にしておくことが、われわれも協力するのに非常に参考になるのです。そういう意味で、何もこれは変な意味で申し上げるのではないのですが、一つお聞かせ願えれば幸いだと思います。
○千葉参考人 先ほど原則としては聴取料でまかなうがいいということを私は申し上げました。これは国際放送の点は別にいたしまして、国内において放送設備をする、それから放送の内容を改善していくというのは、これはやはり聴取料を取って、聴取者がふえていくに従ってだんだん改善されていくという行き方がいいだろうと思うのです。普通の事業会社の経営でも、借入金ができるから借りられるだけ借りまくればいいというのではなくて、やはり自前でまかなって発展できればこれが一番望ましいのでございますから、そういう意味で聴取料によって聴取者の利益になることはまずまかなうということが私は望ましいと思うのです。ただ先ほどお話のように、当面相当巨額の資金を要する、またこれが相当急いでそれだけの手当をして設備を充実していかなければならぬという事情がございますので、その点を政府でも十分知っておられて、これだけの政府資金を貸してやろうということになったのだと思うので、これは私はNHKではございませんから、特に政府に感謝することはございませんが、しかし第三者として見ても、全国あまねくテレビが見られるようにする、そのために政府が資金を出してやるとおっしゃるのは私は非常にけっこうだと思う。その限りにおいて決してそういう金をお出しになることも、またNHKが借りることもいけないと申し上げておるわけではないのでございます。
○片島委員長 上林山君、まだあと質問者がありますから……。
○上林山委員 時間がないそうでございますから、高橋参考人にお伺いいたしたいのですが、今回の改正案を見ますと、第九条第二項の規定中に、新たにNHKの業務として「放送番組及びその編集上必要な資料を一般放送事業者の用に供し、」こういう規定が加えられることになっておりますが、資料のことは別といたしまして、NHKの放送番組を局間放送事業者が使うということがだんだん民放が発展をしてくれば、充実をしてきますればあり得ることでありましょうかどうか、やがて民放が堅実に発展をしていきますと、資料は別として番組までも借りるというような状態はなくなるのではないか、私はこういうふうに思うのですが、そうするとこの規定は将来を考えると空文になる、こういうことにも考えられるのですが、現段階ではやむを得ない、これでもやむを得ない、いいことだ、こういうようにお考えでございましょうか。
○高橋参考人 お答えいたします。この条項が何がために今回入れられたかについては、われわれは十分なる真意を知り得ないのでございますが、民間放送が発展すればするほど、NHKの番組をもらうというようなことはあり得ないというように考えるのでございます。ただし先ほどちょっと触れましたが、NHKと民間放送とが同じような番組内容のものをやること自体が、もはや電波の不経済なことだと申し上げましたが、現実の問題として、例でございますが、豪州において国際オリンピックがある。そのオリンピックのためにわざわざNHKからも民間放送からも特派員を出しまして、オリンピックの実況放送をやるというようなことは無意味なことであるから、そのオリンピックのレコードだけ——百メートルのレコードはこうだというようなものをNHKの特派員からもらうというようなことは、経済の面から、放送界全般の経済の面からあり得るかもわからない。従ってもしもこの条項がそういう場合のことを予想して入れられておるならば、必ずしも拒否する必要もないというのがわれわれの態度でございます。
○上林山委員 一分間お願いしますが、波多野参考人と青野参考人から一日でけっこうですが、現在のラジオ放送、これはNHK、民放を通じて、今のままでけっこうだとお考えになるか、また改良してもらわなければどうもいかぬとお考えになるか、どういうふうにお考えになりますか、この点を一つ拝聴したいと思います。
○波多野参考人 私は今度の改正法のところだけをよく読んでくるように言われましたから、そういうふうにおっしゃられましてもちょっと今すぐお答えができないのでございます。
○青野参考人 私は今の放送にいろいろ不備があり不満があると思います。それを改正されたこの放送法で規制することにちょっと疑問があると思います。
○片島委員長 松井政吉君。
○松井委員 各参考人の方々には大へん御苦労様です。時間がございませんので一問だけ申し上げますから、私がお伺いしたいという点はきわめて簡単でございますので、そのままずばりお答えを願いたいと存じます。 まず質問の前提となるべきものは、今度の放送法の改正で放送業者全体に対して法的措置をしたことが重点になるのじゃないかと思われる。たとえば第一には「善良な風俗」を加えたこと、この意味は道徳論になってもかなり議論がある問題である、それから第二はいろいろな番組編集、放送に対する規定をしたこと、第三はその番組編集基準の制定及び変更についての公表、第四は審議会そのものを法制化したこと、それから放送後の措置を政令で定めていること、こういうことが全般の放送業者に対する法的措置の中身となっております。そこで日本の放送の歩みというものを考えると、NHKには放送法に基いて、いかなる不便なところの国民にもあまねく放送を聞かせるための努力を払わなければならぬことが義務づけられておる。さらに民間放送が起りました創生期におきましては、聴取率を高めるためにいろいろの努力をしなければならないことは私は創生期の必然だと思う。そこで創生期を経て、今度は番組に対するいろいろな国民の世論も、いい番組にしなければならないということが世論化していることは現状において当然であります。そこでNHK、民放を通じて、放送業者自身が番組に対する自主的な規制を考えなければならないし、番組の組み方についても世論を聞かなければならない、こういうところへ来ているわけです。そういう創生期から本格的文化の向上のためにという時代になって、この程度の法律で一体その仕事をなし得るかどうか、この法律が必要かどうか、これを前提として私はお伺いをしたい。 そこでまず千葉参考人にお伺いしますが、千葉さんは冒頭に、国民が要求するのでこの法律ができたのではない、政府がたびたび言明をされたのでこの法律ができたのだということを前提にされてお述べになったようにお聞きいたしました。さらに千葉参考人は、臨時放送法審議会にも御関係があったのじゃないかと私記憶いたしております。そういたしますと、今言ったように創生期から本格的文化向上の使命を果さなければならない時代に入った放送業界について、若干世論から批判されるところがあったからといって、法律の統制が加わるということになると、どうしても権力の介入だということになる。そういうことから従来から放送法改正については当委員会において議論がかわされ、千葉参考人もある場合においてはその改正の中身に反対をされたこともある。それからずっと幾たびか変転をいたしまして、最終的にはこの程度の法案になって出て参りました。しかし提出者、法律を必要とする人々の考え方は、依然として何らかの形における言論統制、放送番組に対する業者の自主的規制以外の場所における干渉という精神がこの法律には流れておる。にもかかわらず、これを必要だと言われるのは一体どういうお考えかということをお伺いいたしたいのであります。 それから波多野参考人にお伺いをいたしますが、番組審議会は必要であるが、しかし自主的なものでなければならないと、こうおっしゃったのでありますけれども、これは一番重大なところでありまして、自主的といっても、法律できめておいて自主的にやることと、それから業者自身が世論にこたえるために自主的にやること、ここが問題になります。そこで私は、民主主義か発達すればするほど、法律によって規制をするという考え方ではなくて、どうしても国民としての業者自身が自主的に国民にこたえるいい番組にするための審議会を作るべきものだと思うが、この点についての見解を明らかにしていただきたい。 それから青野参考人にお伺いをいたしますが、法律の各条文よりも、その運用とそれから運用する人々の考え方が一番大切だという意味の参考意見を述べられたと思います。そういたしますと、先ほど千葉参考人にお伺いしたように、この法案が出るまでの経緯は、あるときは監督強化の条文があったり、あるときは番組に直接介入したと思われる条文があったりして、それがいろいろ私たち論議の過程においてこの程度に後退したといいますか、まあこの程度のものになってきた、こういうことでありまして、依然としてやはり法案提出者の考え方の中には、どうしても何らかの形において自主的にまかしてはおけない、こういう考え方があるのじゃないかと思われる。ところがこれが交通事業者のような場合ならば、取締りについてあるいは運用の規制について、法律で実施しなければならないという点がありますが、これは国民の電波を使っておる業でありますので、電波そのものの割当の基準においてあるいは割当の条件において、十分な規制をすることができる事業体でありますから、要するにそれについて法的規制をしようということは、どうしても私は何らかの形における直接統制、干渉の考え方があるのじゃないかと思われるので、この点が心配でございますが、一言この問題についての具体的なお答えをお願いしたいと思います。 それから高橋参考人にお伺いいたしますが、八年ぶりに改正案として出されたものとしては、大へんお粗末なものだというお考えのような言葉をお述べになりながらいろいろお聞かせ願いましたけれども、やはり世論調査をして、その世論にこたえるための自主的番組審議会等が必要だ、これは私はもう非常にいい参考意見だとしてお伺いをいたしました。そこで、この非常にいいことを参考意見として聞かしていただきました部分は除いて、参考人は、大体放送法を作るということになりますと、やはり民放、NHK、すなわち私の受け取り方でいえば、電波を規制する電波法があり、放送全体を規制する放送基本法があって、そうして民放、それから協会つまりNHK、こういう形の法体系が望ましいという工合に受け取ったのでございますが、その通り受け取ってよろしいかどうか、この点についてのお答えを願いたいと思います。以上簡単でよろしゅうございますが、一つお答えを願いたい。
○片島委員長 千葉参考人よりお願いをいたします。
○千葉参考人 放送法改正は従来政府の監督権強化でやってきたので、今度もその色が見えるのに、賛成したのはどういうわけかという御趣旨のようだったと思うのでございますが、実は先ほど私はその理由を申し述べておったつもりでございます。それは今度の改正が従来の監督権強化というものを表面に出していない。そうしてこの改正に盛られているところは、放送事業者の自主的規制に待つということが骨子になっておるというので、先ほどそういう精神で、放送法の精神をくずさない運用の仕方をするという条件で私は賛成しておったのでございます。それとこの程度のものを私が賛成する理由として、放送事業のその後の発展ということを申し上げております。今御指摘のように、この放送が今日あるいは今後一両年中に予想されるような乱立状態になって、放送内容が一そう低俗化しやしないだろうかと思われる事態、これを防ぐ方法は私もあったと思います。それは郵政大臣のおっしゃるように、放送局の免許において、これは相当の程度に規制し得る問題だと思っておるのです。それがなくして、そしてもう一両年先には乱立状態、過度の競争というものが目に見えている。その影響というものは私どもとしては、これは座視していることはできない状態になりはしないだろうかということをおそれる。それでこの程度に業者の自主的な規制に待つ法律改正は、今日の場合やむを得ないのではないかというのが、私の論拠でございます。
○波多野参考人 番組審議会が自主的であってほしいと言いながら、この法律を認めるのはどういうわけかという御質問だと思うのでございますけれど、私も理想としては確かにそれぞれの民放は、もちろんそれぞれでもってそれを作るということが理想的だと思います。ただ、今それが自然に非常にいい審議会にそれぞれの会社でできるという段階にきているかどうかという自信がないのでございます。一方、子供は毎日のことをこれにわずらわされて、そうしてどんどんいろいろな問題が起きてくるだろうと思います。そうすると今の段階としては、なるべく自主的にしてもらうということでこれを法律化することがいいのじゃないか。何年か先になってそれがなくなっても、十分いい審議会ができるということがわかったときには、これは一刻も早くおはずし下さったらそれでいいのではないかと思っております。
○青野参考人 この程度の案では言論、表現の自由に対する不安がないかという御質問ですが、私は先ほどそれについて、善良の風俗にもとらないという点でお話ししましたが、私は今までの放送法案のいきさつから見て、これがもう少し修正されて通ったとしても、これがすぐに言論統制、圧迫になるとは思いませんが、しかしどうも私どもは、これが場合によっては一つの足場になりはしないかという不安を持っております。しかしそういう不安を除くものは、先ほど申し上げた通り運営であり、結局その人であると思っております。この法案では私よくわかりませんが、その番組審議会の人を選ぶのにはどういうことでやるか。これは実際問題として、そこまで私どもは考えられませんが、そういう点がだんだん具体化されていくに従って、その心配なことは、単なる杞憂になるかもしれませんし、やはり不安がほんとうであったかということになるかもしれません。それだけお答えしておきます。
○高橋参考人 簡単にお答えいたします。先ほども申し上げましたが、現行放送法は、NHKのことを主にした法律でありまして、そのついでにと申しますと語弊がありましょうが、先ほど申し上げましたごとく、刺身のつま程度の二条の条項によって、民間放送のこと、もちろんそのほかにも関連条項がございますが、二条によって取り上げられておる。これは当時としては、民間放送の現在の発展が予想されなかったということによって、やむを得なかったと思いますが、現在の段階においては、民間放送というものの現在存在しております現実に即しまして、その使命というものはおのずから別個にあるのではないか。NHKと別個にあると考えますゆえに、NHKに対しては日本放送協会法、一般の放送事業者に対しましては現在の電波法の中の放送局に関するものをも含まれまして、一つの法律を作られる。現在の電波法は、放送局以外の電波に関するもの、こういう三本立にされることが妥当ではないかと考えます。
○片島委員長 本日の会議はこの程度にとどめます。 参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。本日は長時間にわたって有益なる御意見をいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。本日の皆様の御意見は、今後の本案審査上、多大の参考になることと信じます。 本日はこれにて散会いたします。 午後零時五十六分散会