海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号
- 発言数
- 76 件
- 登壇者
- 10 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1958/02/13
会議録
○中川委員長 これより会議を開きます。 本日は、まず、去る一月二十六日より三日間、ソ連地区第十五次引き揚げの状況及び受け入れ援護の状況調査のため舞鶴に派遣いたしました山口シヅエ委員より、その調査報告を聴取することといたします。山口シヅエ君。
○山口(シ)委員 第十五次ソ連地区—樺太地区としては第四次でありますが、引揚者の引き揚げ状況及び受け入れ状況調査のために先般当委員会より派遣されました私より、その大要を御報告申し上げます。 引揚船白山丸は、去る一月十五日午後四時舞鶴港を出港、途中しけのため佐渡両津港沖に三日間待避いたしましたため、若干予定がおくれましたが、一月二十七日午前八時無事舞鶴港に入港いたしました。当日はみぞれが降って骨を刺すような寒い日でございました。私は、当日朝舞鶴に到着いたしまして、引き揚げの方々のために、みぞれのやむことを心に祈りながら、直ちに地方援護局におもむいた次第でございます。まず、地方援護局長より今回の引き揚げについての概況報告を聴取し、続いて、港内艇で白山丸に乗船し、白山丸船長に面会、引き揚げ業務の御労苦をねぎらうと同時に、輸送中知り得た引揚者の状況についてお話しを願い、下船後、棧橋で引揚者の上陸を迎え、引き続き、援護局において、外務省及び厚生省の各担当官よりそれぞれ今次引き揚げについての説明を聴取し、最後に、引揚者代表より樺太の生活状況について座談的に話を聞きました。 以下、これらについて取りまとめて御報告いたします。 今回帰国のため白山丸に乗船帰国した人数は五百四十九名でありまして、その内容は、未復員者五名、一般邦人百七十二名、朝鮮人三百七十一名、抑留船員一名で、これを性別に分けますと、男子のおとな百三十名、同じく子供百五十六名、計二百八十六名、女子のおとな百十一名、同じく子供百五十二名、計二百六十三名となっております。今回もまた朝鮮に国籍を持つ者及び子供が非常に多いことが目立っております。なお、抑留船員の一名は、昭和二十一年一月に拿捕せられた漁夫でございます。ほかに、船内で出産がありましたが、死産でございましたので、佐渡で水葬に付し、総数に異動はございません。なお、今回は遺骨、遺留品はありませんでした。 引き揚げ地点としては、モスクワ、以下、原語では発音がむずかしいので、日本読みで申し上げます。敷香、内淵、落合、川上、大谷、豊原、真岡、清水、逢坂、留多加、恵須坂、オダサム等の各地点に残留していた人たちで、特に今回初めての引き揚げ地点としては、シベリア、敷香、真岡、オダサム等があります。今回の引き揚げ地点で注目されるのは、第一、第二次樺太地区引き揚げが西海岸に片寄り、第三次引き揚げの八割が東海岸であったのに比べて、東海岸、西海岸の両方からほぼ五割ずつ帰っておるということでございます。初めて帰国者のあったシベリア、敷香、真岡、オダサム等からの引揚者は、五百四十九名の引揚者の約三分の一に及んでおります。 持ち帰った金はほとんど米ドルで、総額一万二千八百五十五ドル、日本円は旧日本円四百六十円で、これを平均すると一人当り二十四ドル弱、前回よりやや下回っております。荷物は七百五十八こうりで、総数、一人平均ともに前回と大体同じ程度でございます。 帰国者の落ちつき先につきましては、一応二十五都道府県に定着が決定されております。この定着地では、北海道が多く、続いて大阪、東京となっております。ただ、内地に全然縁故のない者が帰国者の約七〇%、三百八十名もありまして、この定着希望地としては、大阪が多く、続いて北海道、東京の順となっておりますが、これらの人たちは、定着地に落ちつきましても、別に縁故があるわけではなく、就職しやすいところということが理由で、それらの地域を選んでおるようでございます。しかも、これらの無縁故者の大半は、妻だけが日本人で、夫の多くは朝鮮人であり、子供も、三百名近くおりますうち、二百名近くがロシヤ語、次いでシナ語を話し、日本語を話せる者はごく少いようです。日本人である妻も、祖父の代から樺太に住んでおり、多くは日本の内地を知らないようです。従って、一応の定着地がきまったとはいうものの「受け入れ援護の問題は今後に多いことが考えられます。内地人ですら就職にあえいでいる現状の日本に、日本語もわからぬ夫や子供を連れて帰ってくる婦人に対して、受け入れ援護の行き届かなかったときの家族の姿を思い、親身の出迎えのないこの方たちの下船する姿を見守りながら、胸の迫る思いがいたしました。 座談のうちに、樺太で生活をしている以上は、全く食べるに心配はなく、このたび引き揚げてきた人たちも、一人として生活苦にあえいでいた者はないということを聞かされて、私は思わず日本の現状を話しましたところ、「樺太にいても、ラジオで日本の様子は手にとようにわかります。日本の流行歌手の歌などもほんとうになつかしく聞いておりました。ですから、私どもは日本のことは詳しく知っているつもりでおります」とのことでごさいました。そして、さらに言葉を続けて、「私たちは、いよいよ引き揚げも終りになるのではないかということを考えましたならば、矢もたてもたまらず、ただ一日も早く日本に帰りたいということで、夢中で帰って参りました。私たちはこの気持はどう説明申し上げてよいかわかりません。日本人としての血が私たちの帰国をかり立てたというよりほかに、説明のしようがございません。私たちは、寒い寒い樺太にいた人間ですから、このくらいの寒さは感じもいたしません。どんな生活苦にも打ち勝っていこうという決意も持っております。日本に帰れたということのために、どんなことにも耐えて生きていきたいと思います。」この言葉を聞いて、私は涙を押えることができませんでした。と同時に、一そう責任の重さを痛感した次第でございます。 大勢の中には珍しいケースも多いようです。その中の一、二をあげてみますと、独身者は帰国できないことになっていので、兄弟が名目的な夫婦として帰国している者、また帰国の手段として二人の朝鮮人に結婚することを約束し、どちらか片方は出発の際一緒に乗船するだろうと考えていたところ、二人一度に船に乗り込んできたために、やむを得ず三人一組で日本まで連れて参りましたという船長の苦心談もありました。 それでは、最後に、残留者と今後の引き揚げについて申し上げます。白山丸船長と面会いたしました際、船長から次のような話がありました。白山丸の船員が今度の引き揚げで樺太に上陸したところ、真岡の街頭で二人の日本婦人を見かけたそうです。そこで、この二人になぜ日本に帰らないのかと、その船員が尋ねましたところ、二人の日本婦人はまだ帰国の許可がおりないからと答えたそうです。この話から、まだ真岡にも帰国希望の邦人が許可のおりるのを待っていることが想像されます。大体推定される残留者の数は、まず千百二十二人の帰国予定者名簿の中で、前回及び今回の引揚船に乗船しなかった百二十六名、それにテボシャン名簿による未帰還者八十五名、その他、帰国者の報告や厚生省資料からソ連籍になった者を含めて五百名くらいと予想され、そのうち帰国を希望する者は約半数と見られます。これら残留者の引き揚げに対するソ連側の態度は、帰国希望者の数がある程度まとまれば、方針としては帰国させる意向のようで、ソ連側が帰国についてその希望を抑制するとか、帰国の権限を独占するとかいうようなことはないようでございます。引揚者の話によりますと、豊原地区は三カ月後くらいには帰れるということを聞いてい者が大勢おるということでございますから、これなどから、引き揚げはまだある、そして次の引き揚げはそうおそくはない、時期的にいうと、四月か五月ごろにあるのではないかと推定される次第でございます。 以上、簡単に、派遣されました委員といたしまして、調査報告を申し上げる次第でございます。
○中川委員長 以上で山口委員の報告の聴取を終りました。お寒い折からまことに御苦労さまでございました。 —————————————
○中川委員長 この際お諮りいたします。ソ連地区第十五次引き揚げにつきましては、ただいまの山口委員の御報告により、その引き揚げ状況及び受け入れ援護の状況がやや明確になったのでありますが、理事会の申し合せによりまして、従前の例の通り、残留者の実情等を調査するため、第十四次及び第十五次の帰国者の中から、適当な方を本委員会の参考人として選定し、事情を聴取することにいたしたいと思います。参考人の人選及び事情聴取の日時等につきましては委員長に御一任願うこととし、以上の通り決するに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○中川委員長 御異議なきものと認めます。よって、そのように決しました。 —————————————
○中川委員長 では、これから海外同胞引揚に関する件について調査を進めます。質疑の通告がございますので、順次これを許します。 戸叶里子君。
○戸叶委員 ただいま、山口委員から、先ごろ樺太から帰られた方についての報告がありましたが、私も第二次のときに迎えに参りました。そして、山口委員の説明にありましたように、日本の婦人と結婚した朝鮮の方たちが非常に多かったということ、子供さんが非常に多いということ、それから内地で身寄りの少いという方が多かったわけでございまして、私、それらの方々をお迎えしたときに、まず第一に考えたことは、どうやってこれから日本で生活されていくだろうということが一番気になったことなんです。それで、今まで帰られた方々がどういうふうな生活をしていられるか、その状況について、おわかりでしたら、説明していただきたいと思います。
○河野政府委員 今回の十四次、十五次の引き揚げ、これは、帰って日が浅いものでございますので、まだ十分報告が届いておりません。これにつきましては至急掌握するよう努力することにいたしまして、昨年秋に帰りました人たちの状況を御報告いたしたいと思います。昨年の秋十三次の引き揚げが行われたわけです。御承知のように、十月の二十日に舞鶴に上陸をして参ったのであります。七十一世帯で三百十六人の引き揚げがあったわけであります。この引き揚げにつきましても、ただいま御報告のありましたように、日本人世帯よりは朝鮮人世帯が非常に多かった。日本人世帯がわずか十世帯に対しまして朝鮮人世帯が六十一世帯、こういうふうな数字になっておるわけであります。ただいまの報告にもございましたように、朝鮮人世帯につきましては、特に無縁故者が非常に多いわけでございます。数字を御参考までに申し上げますと、全体の世帯、ただいま申し上げた数字でございますが、そのうち無縁故世帯が約半数以上の三十五世帯、十三次におきましてはこれは全部朝鮮人の世帯でございます。私どもこの無縁故世帯の受け入れに非常に苦慮いたしておるわけであります。まず向うに行きます船に当方からも係官を派遣いたしまして、船内でできるだけ事情を聴取し、無縁故者のつもりでおりましても、いろいろ聞いてみますと、中には縁故があるというふうな者も出てくるわけであります。また、行く先等につきましても、どこに行っていいかわからぬというふうな者もございまするし、また一部目安を立てておる者もあるわけであります。そういうふうな人たちについて、いろいろ相談にも乗り、御指導もして、行く先をできるだけ早くきめるようにしたいということで指導いたしておるわけです。舞鶴に上りましてからも、まだ行く先がはっきりしない者も若干残りますので、そういうふうな者は、こちらから行きました係官、それから援護局等が共同いたしまして、適当な落ちつき先をあっせんするようにいたしておるわけでございます。だんだん無縁故者の受け入れがむずかしくなりまして、県の方もなかなか協力しにくいような事情のあるところもだんだん出てきております。この点、県とも十分話し合いをしまして、十分協力をしてもらうようにというふうなことで、今回の十四次、十五次につきましても、県で施設の目安を立てて、それぞれ落ちつき先をきめていただく、こういうふうな事情にあるわけでございます。ことに、無縁故者につきましては、就職等の問題が、ただいまのお話のように、いろいろむずかしい点があるわけでございます。この就職の問題につきましては、かねてから労働省に引揚者の事情を十分考慮してもらって、極力あたたかい指導をしていただくようにお願いをしておるわけでございます。ただいまのやり方といたしましては、まず、舞鶴に係官を派遣していただきまして、そうして相談所を開設して、そこで具体的な就職の世話まではなかなか行き届かないと思いますが、帰ってからどういうふうなところにどういうふうに相談したらいいかというようなことを中心といたしまして、指導をし、相談に乗ってもらっておる、こういうふうなことでございます。 十三次の引き揚げ後の就職状況でございますが、そういうふうに労働省でいろいろお骨折りをいただいておるのでございますが、必ずしも十分の就職がお世話できておらないというようなことになっておるのではないかと思っておるわけでございますが、日本人の世帯につきましては、十三次におきましては単身者が非常に多うございました。中には、高齢者がおるとか、あるいは大工さんであるとかいうような自由業というふうな人たちが二、三まじっておった、あるいは国鉄の職員であった人で復職したというふうな人もございます。現在までのところ、生活保護法を適用するというような世帯は、まだ出てないように報告では承知をいたしておるわけであります。日本人の世帯は、数も少いことでございまするし、十三次の引き揚げにおきましては、全部が縁故先に落ちついたというふうな事情にございますので、一応不満足ながら安定を見ておるというふうにいえるのではないかと思っております。朝鮮人世帯につきましては、向うにおきましても、あるきめられた仕事を与えられて、何と申しますか、自発的でないような形で仕事をするというような習慣があったりして、なかなか就労意欲がない、それでお世話するにもなかなかお世話しにくいというような事情にあるように聞いておるわけでございます。半数余りの世帯は、一応日雇いのような格好で職についておるわけでございます。舞鶴に上りましたときに、おとななら一万円、子供は五千円ということで、応急の生活費を差し上げておるわけであります。そういうふうな金のある間は、なかなか働く気持にならぬで、ぶらぶらしておる人が相当あるというようなことも聞いておるわけであります。これらの人たちの仕事につきましては、労働省にもさらにお願いをいたしまして、働く意欲がなくて生活保護に陥るというようなことのないように指導してもらう、こういうふうに思っておる次第であります。
○戸叶委員 これまで引き揚げてこられた方々全般にいえることだと思うのですが、日本でも就職が非常にむずかしいときで、なかなか、それらの方々の就職を一生懸命お骨折りしょうと思っても、むずかしいということはよくわかるのです。その全般にわたっての質問はいずれ伺いたいと思いますけれども、特に、私は、今回を抜きにして、その前の十四次までの樺太地区から引き揚げてきた方々のことで伺いたいのは、大体朝鮮人の主人が多かったりあるいは身寄りのない人が多いので、非常に生活に困っておられるのではないか、こう思って具体的な実例を伺ったのですが、今の局長の御答弁では、大体これまでこういうふうな形で援護局で世話をしているというようなことで、具体的にまあまあ生活は大丈夫だというようなことが承われなかったように思うのですけれども、今の御答弁から参酌いたしまして、十分ではないけれども、何とかかんとかやっている、こういうふうに結論としてとってもいいわけでしょうか。
○河野政府委員 少し言葉が足らなかったと思います。何とかかんとかやっているとまで申し上げるのはいかがかと思いますのは、生活保護の適用を受けている人も相当出てきておる点でございます。十二次の引き揚げ——これは樺太からの引き揚げが起りましてから最初の引き揚げでございます。昨年の八月にあった十二次の引き揚げ、総体の数字が六十五世帯でございますが、そのうち三十世帯が生活保護を受けております。それから、十三次につきましては、六十九世帯のうち、生活保護を受けておりますのが、これは全部朝鮮人世帯でございますが、四十一世帯、この人たちは、中には就職しておる方もあるわけでございますが、就職もできないで生活保護を受けているという人たちがかなりあるのではないか、かように存じております。
○戸叶委員 そういうふうな具体的な例を伺いたかったのですが、それに今回の十五次の引き揚げてこられた方の世帯、それからまた、まだいらっしゃるということになると、これからずいぶんいろいろな問題があるんじゃないかと思うのです。そういうふうなことを考えられまして、やはり最低でもいいから何とか生活ができるように考えてあげませんと、帰ってきて食べていかれないということになると、やはりそこにいろいろな社会問題が起きてくると思いますから、特に注意していただきたいと思うのです。 そこで、もう一つ私が聞いたことを伺うのですが、この間も、迎えにいらした一人の人が、聞いておりますと、帰ってこられた人に、あなたはどこに行きたいかと聞きますと、こういうふうな県に、身寄りはないけれども、行ってみようかという気持になっていても、だれかから、あの県に行くと非常に冷淡だからというような話を聞くと、それではどういうふうな県に行こう、そこでは非常にあたたかい気持で迎えてくれるらしい、それじゃそこへ行こうと思ってきめたところが、その県から来ている人が、私のところは一ぱいで困るからということで、県同士で、私は引き受けない、私は引き受けないということをやっていて、あまりみっともいい姿ではなかったということを聞くのですけれども、こういう点があったかどうか。あったとしたならば、やはりそういうような方々とも十分な話し合いをしていただきたいと思うのですが、いかがですか。
○河野政府委員 その点、先ほども、県の方ではなかなか受入れ態勢に苦慮しているということを申し上げたわけでございます。帰ってきた人たちは、何とか生活の安定ができるようにというふうな点をひたすら希望しておられることはごもっともだと思うのです。そういうふうな人たちの気持と、それから無縁故者でございますと、やはり特定の施設がございませんで、そういった公共施設に受け入れられるだけの余力がないと、お迎えしても収容する場所がないというふうなことがございますので、その辺の気持のずれで、あるいは気まずいような思いがあったのじゃないかというふうなことが想像されますが、相当の無縁故者とはいいながら、従来の引き揚げに比べれば、非常に規模の小さい引き揚げでございます。率からいうと、無縁故者が多いわけでございますけれども、絶対数からいうと、必ずしもそうとも言えない。余力のある限りは十分協力を得てお世話できる、こういうふうに私どもも確信をいたしておるわけでございます。もしまた不工合な点を御指摘いただけますれば、さらに具体的に当該県なり当該係官に対しまして十分指導をするようにいたしたい、かように存ずる次第でございます。
○山口(シ)委員 関連して。ただいまの戸叶委員の質問に少々関連がございますので、引き揚げてきた人たちが就職するにしても意欲がわかないというようなお話をちょっと伺いましたが、私はこういうような考え方を持っております。大半が朝鮮人を御主人に持っていらっしゃる方が多いので、朝鮮人ということで就職しにくいのではないかということ、そういうことがむしろ就職することをちゅうちょさせる一つの要素になっていはしないかということを私考えさせられます。そうして、この方々のために、より以上受け入れの方が親切であれば、またその気持も解けてくるのではないかということが一つ。それから、私引き揚げてきた朝鮮人の方々とちょっと話をしてみましたら、比較的戦前の朝鮮の人という意識が強くて、おとなしいように私は見受けます。そこで、せっかくそういう気持を持って、日本の妻を持って帰ってくる人たちのために、先ほどの一万円と五千円の生活費の問題ですが、これは日本人を妻に持っている人ですから、何とか——一万円というお金はわずかと申し上げてはいけないかもしれませんが、このお金のために、上陸の際に感情的な大きな問題が心の中に残ってしまってはいけないのじゃないか。そういうことで、ぜひとも御主人の方にも何らかの形でこういう手当がしてあげられたならば、ということも考えさせられました。そうして、使い果すまで就職しないということは、むしろ考え方が逆ではないかというような気持も持ちますので、このことについてどうかあなたの方のお考えをさらにお聞きしたいと存じます。もう一つ、米ドルを持って帰ってきておりますね。あれはどういう意味で米ドルを持って帰っておるのでございますか。なぜ米ドルを持っているのでしょうか。その二つを一つ。
○河野政府委員 就職の問題につきましては、私先ほど申し上げましたように、就職意欲の問題に触れたわけでございますが、それよりは、朝鮮人ということで、世話する方も、そういうふうな何か冷たい気持がそこに動くのじゃないだろうかというふうな御指摘でございますが、まあいろいろな事情がからみ合って、そういうふうな引揚者でなくても就職が非常にむずかしい時代でございますので、就職がはかばかしくいかないということになっているのではないだろうか。私が先ほど申し上げた点だけが原因であるというふうには申し上げられないと、かように存ずるわけでございます。それから、受け入れの際の一万円を朝鮮人の夫にもというふうなお話でございますが、実は、やはり引揚者というカテゴリーに入るかどうかということになると、非常に問題があるわけでございます。その点一体子供はどうだというふうなことも、厳密にいいますと、いろいろ議論のあるところでございます。まあこの辺が妥当ではないだろうかということで、子供は無条件にあれするということで、世帯全体としてはまあまあというところが差し上げられておるのじゃないだろうか、こういうふうな感じで実はおるわけでございます。 それから、米ドルの問題でありますが、私も実は詳細はよく知らなかったのでございます。ルーブルですと、こちらに来てかえるわけにいかないので、こちらへ来てかえられるように向うの方でドルを出しておる、こういうふうなことになっておるようです。
○山口(シ)委員 それから、先ほど私が報告いたしました中に、二人の朝鮮の御主人を連れて帰ってきていらっしゃる御婦人がおります。船に乗った以上は、船は日本領であるから、もうおろすことはできないということで、非常に船長が苦心をして日本まで連れ帰っておるそうでございます。けんかのないように船室も分けて、日本まで連れてきたという苦心談を聞かされました。私は、その女性の気持を知りたいと思いまして、間接でございますが、船長より聞かされましたが、日本の土を踏めば二人はもういいんだと言っておるそうでございます。もう日本の女性としてそういうことを言っておるということをここで話すのは、まことに心苦しいのでございますが、いいんだということで、果して、朝鮮の人が二人日本でほうり出されたときに、この人たちはどうなるのでございましょうね。朝鮮の人ですから、日本へ連れてきてどうなるでしょうか。極端にいえば、社会悪のもとにならないとも限らないので、こういう人たちはどうなっていくんでしょうかね。私もわからないし、あなたもおそらくわからないとは思いますけれども、どうなるだろうという想像を一つ……。
○河野政府委員 御親切なお言葉で、私どもも実は最後までどうなるかちょっと見当がつかないのですが、これはやはり不法入国ということになりますので、出入国管理庁で、それぞれ定めたところに従って措置をされることになるわけです。今回のそういった人たちにつきましても、それぞれ出入国管理庁の人が船に乗って行っておりますし、舞鶴にも来ておるので、そちらの係のもとでそれぞれ措置をされたように承知いたしております。
○中川委員長 稻葉修君。
○稻葉委員 私は今後の引き揚げの問題をどう進めていくべきかということを問題にして質問をいたしますから、政府の責任ある御答弁をお願いいたしたい。 昨年の十月の引き揚げのときにも私は参りましたが、今度は山口委員が派遣されまして、御報告があった通り、ただいまの御質問にもありましたように、出入国管理庁の厄介にならなければならないような人たちが帰ってきた。どうしても本人も帰ってきたいし、こっちにいる家族も帰したいという人が帰ってこないということで、どうもうまく引き揚げてこられないという状態は、引き揚げの問題をソ連側の調査にだけまかしておる。日本側の調査員が、現地で、現地の引揚者の意向を聞いて、あなたはこっちに残っておった方がまだ食えるからいいんですよ、日本へ帰ってから縁故がなくてはとてもだめだから、お残りになった方がいいという忠告も、場合によってはする必要があると思う。そこで、日本人が具体的に現地で調査すべきであると思うが、それについて、日ソ共同宣言はその点明確になっていないように思う。従って、この前にも、日本におるソ連大使館と外務省は交渉して、日本と共同調査をすることに向うを納得させるべく努力をせよと私は申し上げて、努力いたしますというお答えが速記録に載っておりますが、その後努力をされましたか、どうですか。
○金山政府委員 この消息不明者の調査、それから個人的にソ連の各地に住まっている未帰還者に対して、個人的に接触を保って、その意向を聞いて、ソビエト側と日本側が協力して帰還を促進すべきであるという御質問であると思います。この問題に関しましては、外務省といたしましても極力努力いたしておりまして、御承知のように、厚生省から二等書記官として高橋氏がソビエトの日本大使館に勤務しております。実は、この書記官を各地に派遣いたしまして、そういうことができるかどうかという問題を打診する意味におきまして、まず手初めに、抑留されている漁夫が相当集まっているんじゃないかと、そういう意味からその抑留所を訪問さしてくれということを申し入れた事実があります。これに対して、ソビエト側は、これは禁止されている区域であるから行くことは許されないという返答をいたしております。その他の地域に対しましても、ソビエト側が日本側の協力を受け入れるように調査に関して申し入れてありますが、一向に返事がない状態であります。
○稻葉委員 モスクワに厚生省から派遣されている調査員は、聞くところによりますと、外務省の部外者なものだから、大使館ではあまりこの人たちに協力しないということを聞いておりますが、そういう事実があるのですか。
○金山政府委員 そういう事実は全然ございません。高橋書記官は完全に外交特権を持った外交官として勤務しております。また、大使の指揮のもとに、外交官として特権を持って行動しております。
○稻葉委員 その高橋さんが、モスクワのみならず、各衛星共和国内の向う側の引き揚げの担当官とか、そういう連中に交渉するような旅費等についても十分考慮してあるのですか。これは厚生政務次官にお尋ねいたします。
○米田政府委員 外務省の大使館の指揮を受けているわけですから、私の方の所管ではございません。
○金山政府委員 外務省には旅費の予算がついております。その緊急性によって、その旅費の使途をきめるわけでありまして、そういうことをソビエト側が同意するということがわかれば、もちろん旅費は出る態勢になっております。
○稻葉委員 ソビエト側との交渉がなかなかうまくいってないようでありますけれども、もしこれがうまくいきますと、共同調査ということができる。共同調査には費用が要る。昭和三十三年度の予算には、この共同調査の費用については、特段の配慮をして、大蔵省からとっておくように、昨年の十一月私は外務省に申し上げておきましたが、ことしの予算に共同調査費はどのくらい計上されておりますか。
○金山政府委員 特に共同調査費として計上してはございません。
○稻葉委員 どういう項目から捻出されるのですか。あすにもあなたとソビエト大使館と話し合いがつきまして、日ソ共同宣言の不備な点は認めるが、これからは、友好国のことでもあるし、共同調査に応じよう、樺太にいらっしゃい、こういうことになったら、どこから捻出されるのですか。
○金山政府委員 配付されております旅費の範囲内でできない場合には、緊急の必要がある場合には予備費の支出も要求することができると思います。
○稻葉委員 私の言うのは、そういうただ旅費をもらって行くというだけでなくて、すなわち調査団ですから、調査費というものが必要なんです。その調査費を計上しておけ、こういうことを実は昨年の委員会でくれぐれも頼んで、政府はそうします、こういう御返答だったのですけれども、欧亜局長の御返答にはどうも少し満足できないのです。その約束が違うようですが、委員会の席上で政府代表がそうしますと言うたものですから、そうなっていないと、どうも委員長初め委員はきわめて軽視されたように感じまして、不愉快なのです。
○金山政府委員 調査費が計上してない、特にソビエト側との共同調査に関する旅費も計上してないじゃないか、けしからぬ話である、昨年の当委員会においてそういう約束をしたじゃないかという御質問であります。私は、そういう事態が起れば、この調査に応ずる、すなわち、ソビエト側がそういう態勢を示してきた場合に、その調査に応ずる費用というものは、今の外務省の予算の中でまかなえるものと信じております。
○稻葉委員 これは外務省は実は大蔵省に交渉したのです。けれども、ソビエトとの間の話し合いがまだついていないので、いつつくかわからぬものを計上するわけにいかない、こういうことで削られた経費です。ですから、やむを得ないかもしれぬけれども、予備費とか旅費とか、そういうもので、もし話がつきましたならば、あなたは担当の当面の責任者とされて、十分に費用を出していただきますように、特段の御努力を一つお願いしたい。政府はこういう方向に進む意思ありやいなや、政府の見解を厚生政務次官から明確に御答弁を願います。
○米田政府委員 だんだん御意見拝聴いたしまして、向うにおる人のことでございますから、なかなか思うようにいかないことはまことに残念だと思いますが、基本的の考え方、やり方としましては、今仰せになりましたような方針でいきたいと考えております。
○稻葉委員 調査の進め方の現況はどうですか。何人くらい残っておって、帰る見込みはどうか、簡単に承わっておきたい。
○米田政府委員 今ソ連の本土の方におりますのが二百ないし三百と推定しております。この大多数は帰国の意思がないようであります。樺太地区の方は六、七百名と推定しております。この半数が帰国を希望しているやに承わっておりますが、その帰国を希望しながら、それがかない得ないという理由には、すでにソ連の国籍を取得している者もある、パスポートが朝鮮人となっている、あるいは帰国の申請がおくれた、こういうような理由でございまして、ここ数ケ月後には、ソ連地区からの引き揚げの見込みは、一回ないし二回の便船で大体できるのではないか、こういう判断でございます。
○稻葉委員 現在それだけいる人が、この前の引揚者の証言によれば、私直接聞いたのでありますが、向うで差別待遇を受けておる。ソ連人と日本人、朝鮮人とは全く差別待遇で、品物なんか売るにも制限販売でありますから、そういう場合に列を組んでおっても、ソ連人が来るとのけられてしまう。そういう非常な差別待遇があるというが、そういう状態でありますか。
○金山政府委員 引揚者の方々の証言としてそういうことがあるというようなことを承わっておりますが、制度上そういうことはないと思います。
○稻葉委員 制度上そういうことはないと言って、ほうりっぱなしにしておかれないで、引揚者はそういう証言をしておるのですから、ソビエト大使館に乗り込んでいって、こういう証言をしているじゃないか、そうでないことを証明せいというくらいの談判をしておられますか。
○金山政府委員 そういう事実が証言によって具体的にわかりましたら、そういう措置をとります。
○山口(シ)委員 関連して。ただいまの先生の御質問にちょっと関連のあることを私闘いおります。ただいま朝鮮人、日本人、ソ連人に差別待遇があるということ、これは私もちょっと今度の引揚者の話を聞いてこういうことを教えられました。ソ連の社会保障制度には日本人は恩恵に浴せないことは事実だそうでございますが、日本人でも朝鮮人でも労働組合に加入していれば、それらの保障は労働組合がしてくれるということを私は聞いて参りましたので、つけ加えさせていただきます。 —————————————
○中川委員長 この際、河野委員より比島における戦没同胞の遺骨収拾に関して御発言の申し出がありますので、これを許します。河野正君。
○河野(正)委員 私は、今日フィリピンの諸島におきまして遺骨調査団が鋭意遺骨の収拾に当っておるのでございますが、それらの点に対しまして若干の質疑を行なっていきたいと思います。 御承知のように、フィリピンは、常夏の国でございますし、また風土その他が非常に異なりましたところの異国でございますから、そういった悪条件の中でいろいろと収拾団の方々が御苦労願っておりますことにつきましては、心からなる感謝をささげたいと考えております。御承知のように、当時、フィリピンにおきましては、空海陸七十万の兵力が結集されておったかのように承わっておりますし、なお、私どもが灰関するところによりますと、約五十万の将兵が尊い生命を失ったということも承わっておるのでございます。従って、今回の遺骨収拾に関しましては、これらの数十万の遺家族にとりましては非常に大きな関心があることでもございますし、なおまた遺家族は非常に大きな期待を持って見守っておるものと私ども確信をいたしております。そういった立場から、若干の質問を行なってみたいと思いますが、まず最初に、私は、今日いろいろ御苦労なさって遺骨調査団が収集を続けられておるのでございますが、そういった作業というものが円滑に続行されておるということは、もちろん私ども期待をいたしますけれども、どのように展開されておるのか、あるいはまた当初の方針通りに着々と成果を上げつつあるような状態であるのかどうか、その辺の事情を、大まかなことでよろしゅうございますから、まず厚生次官の方から御答弁を願っておきたいと思います。
○米田政府委員 御承知のように、銀河丸をもちまして、団長以下十八名の人員で組織をして収集に参っております。大体三月十日に帰朝をする予定で出発しております。あちらへ参られましてから、詳細な報告は正直のところ参っておりません。大体に順調にいっているから安心しろ、こういう程度の電報しか入っておりません。そういうふうなことを考えまして、御案内のように新聞等にも発表してあったと思いますが、あちらの空気は意外によくて、遺骨収集に協力をしてもらっておる、こういうようにわれわれは判断をいたしておりますので、現在のところは御安心を願ってけっこうではないか、かように考えておる次第であります。
○河野(正)委員 ただいま、次官から、作業はきわめて順調に、しかも現地において比島当局の強力なる御協力をいただいておるというような御報告を承わりまして、私ども非常にけっこうに存ずるのでございます。言葉は簡単に順調というような御報告でございましたけれども、しかしながら、当時のフイリピン作戦が行われました末期の状態を知る者——私もその一人でありますが、その一人として当時の状況を判断いたしますと、当時の敗戦末期の状態というものはまことにさんたんたる悲惨なる状況下にあったのでございます。ことに当初いろいろの作戦で死亡された将兵の方々も非常に多かったと思います。しかしながら、二十年の五、六月以降の末期におきましては、それぞれ各兵団が山間僻地に結集をいたしまして、いわゆる人間が足を踏み込んだことのないようなきわめて深山の方向に退避をいたしまして、その辺から栄養失調その他疫病等によりますところの死亡というものが非常に多かったのでございます。そういった実数というものがどの程度あったかどうかということにつきましては、私ども詳しい資料はわかりませんけれども、現地を見ました私どもの経験からいたしましても、相当莫大な将兵が人跡未踏の地においてたったとい生命をなくしたということは、絶対に否定することのできない事実でございます。そういたしますと、ほんとうに遺骨を収集しなければならぬという地域というものは、今日の状態からながめて参りまして、きわめて困難な状態の中で作業をしなければならぬということを——これは今日の状態がどのような状態かわかりませんけれども、私どもそういった状況を察知いたすのでございます。そこで、当初収集団に対しましてどのような目的が与えられておったか、私ども承知いたしませんけれども、言葉は簡単に順調であるということでございますけれども、実際はなかなか困難な状態であるのではなかろうかというふうにも判断いたすのでございます。その辺の事情につきまして、わかっておりますならば、お漏らし願いたいと思います。
○米田政府委員 何しろ比島の数多い島々全体にわたって転戦、戦死している人が非常に多いと思います。総数四十七万と実は推定せられているわけであります。しかし、今回はできるだけ各地をめぐりますが、大体においてことごとくやることは時間の関係上無理かと思います。目標といたしておりますのは、二十カ所を代表地区と考えまして、その方面から代表的遺骨を収集するという結果になるのではないか、かように判断いたしております。
○河野(正)委員 ただいま次官の方から具体的な答弁があったのでございますけれども、ただ、私どもが心配いたしますのは、次官も戦死将兵の数は約四十七万というふうに御報告になりましたけれども、私どもも大体五十万前後ではなかろうかというふうなことを仄聞しておったのでございます。ところが、最近新聞で見ますと、私どもも、かつてフィリピンにおりましたので、関心を持って見守っておりますけれども、たとえば、北部ルソンにおきましては十六遺骨とか、その他の地区におきましては数十遺骨だというふうに、私どもの想像しておりました以上に非常に遺骨の数が少い。戦争末期におきましては、遺家族の方に対しましては申訳ない話でございますけれども、ほとんど遺骨が帰っておらないという状況でございますので、遺家族といたしましても、このような新聞の報道は何か割り切れないものがあるのではなかろうかと私ども判断いたしますので、その辺の事情につきましても一つお漏らしおき願いたいと思います。
○河野政府委員 私も直接現地を知っているわけではございませんで、間接に伺ったことをお話しするわけでございますが、長年にわたって日がたっております遺骨を探すことそれ自身もまことにむずかしいのではないかということを、実は出発前からも懸念をいたしておった次第でございます。おそらく、墓地に埋葬しているという格好ではなくて、はなはだ残念ながら、一般のところ、ジャングルあたりの中にあって風化しておったというようなことで、今まで、ほかの地点に参りました場合でも、遺骨であるかどうか見分けることも非常にむずかしというケースにも遭遇いたしておるように伺っておりますので、その辺、遺族の方々のお気持にぴったりいかない点、御不満の残る点はまことに残念ながらあろうと思いますが、団員といたしましては極力努力していることは承知いたしております。幸い、この問題につきましては、各新聞社が、非常に御関心を持って、また御協力をいただいており、主として厚生記者クラブの人たちが八名ほど先方に行って活動状況を日々新聞にお伝えいただいているような状態で、その記事からも推察されますように、真剣に働いていただいているものと私どもは考えておるわけであります。フィリピンの政府当局はともかくとして、国民感情がどうであろうかということが、出発前にも相当一般に心配されておったところでございますが、この点も、先ほど次官から申し上げましたように、思ったようなことも全然なくて、非常な御協力を得ておる。今申しましたような遺骨の状況でございますので、土地の人たちの協力を得ませんと、なかなか収骨もしにくいのではないかと予想されるわけであります。幸い先方も非常に協力をして下さっているように承知いたしております。最近ガルシア大統領からもメッセージが参りまして、収集団を歓迎するという趣旨で、日比親善に役立つものというふうなことを書いたメッセージが参っております。そういうふうなことも一例としてわかりますように、非常協力していただいております。なかなか御期待に沿うだけの数が寄りにくいという点についてはお説の通りだと思いますけれども、派遣団員が一生懸命やっているということは一つ御了承いただきたい、かように存じております。
○河野(正)委員 ただいま御答弁いただきましたように、現地におきまするところの調査団、あるいはまたガルシア大統領以下のフィリピン側、あるいはそのほか国内におきます官民両界の方々の非常に大きな温情あるいは御熱意等につきまして感謝をささげることにつきましては、やぶさかでございません。しかしながら、私先ほど当時の実情を簡単に申し述べたのでございますが、そういった実情を十分把握して、たとえば厚生次官から御報告がありましたような二十カ所の代表地区というような御報告もございましたが、そういった二十カ所の代表地区の設定等につきまして、先ほど私が申し述べましたような実情というものが十分尊重されて決定されたかどうか。このことは、成果を上げる意味におきまして、私は大きな影響力を持つものと考えるのでございます。しかも、さっきもちょっと申し上げましたが、末期におきましてはほとんど人跡未踏の密林地帯で生命を失っておるというのが非常に多いわけでございます。まことにこういう席上で申し上げることが適切であるかどうかわかりませんけれども、御遺骨が帰ってきたというようなことでございますけれども、果してそれを信じていいかどうかわかぬというような実情も、私ども現地におりました一人といたしましてよく判断ができるのでございます。そういったいろいろの実情を申し上げますと際限がございませんが、そういった実情というものを十分御認識いただいて、その上に立って代表の二十地区というものが選ばれたということになりますならば異存はございませんけれども、そういった認識の上に立たずに、単に作業が容易であるというようなことだけで二十地区の代表地区が選ばれたということになりますならば、私は遺族の方々も何か割り切れぬ気持が残るのではなかろうかというようなことも心配いたしますので、二十地区の代表地区を設定されるにつきましてどういう判断で御決定願いましたか、その間の経緯につきまして御説明を承わりたいと思います。
○米田政府委員 向うに派遣いたしました団長、副団長とも軍人出の人でありまして、団長の稲葉柾さんは海軍出身であり、副団長の上野さんは陸軍出身の方であります。向うの戦闘にも経験を持っておる方と承わっております。そこで、全島にわたる各地の場所を漏れなく取り上げるということは、費用、時間の関係から割愛せざるを得なくなり、大体において多くの戦死者を出しておるような地点——うんと奥の方というようなところは今回は行けなかったように承わっております。そこで、数の上においての代表的のところということで、二十地区選んでございます。これは、われわれとしましては専門家ではございませんので、河野委員のような向うの戦争に経験を持っておられる方々の御意見に従って、われわれはそれが是なりと判断をいたした次第でございます。
○河野(正)委員 もらすでに現地でそれぞれ作戦に参加した権威者の方々が参加せられてやっておられることでございますから、私どもはそれ以上いろいろ追及しようとは考えませんし、この際今日におきましては、そういった方々が最大の成果をおさめて帰っていただきたいということを、遣族の方々とともに心から祈念をいたすのでございます。 なお、先ほどちょっと御報告がありました中に、今回の調査団については新聞社関係の関心が非常に深いのだ、新聞社の協力が非常に強力であるというようなお話がございました。そこで、若干そういったことと関連いたしまして質問を続けてみたいと思います。 と申し上げますことは、それは、少くとも今回調査団の方々が派遣されて鋭意努力をされて参るわけでございますから、私どもといたしましては最大の成果を上げて帰ってきていただきたい。この最大の成果を上げるためには、もちろん調査団の方々の御労苦ということも当然でございますけれども、住民の協力あるいはまたフィリピン当局側の協力あるいはまた在留邦人等の協力、こういったもろもろの協力の結集というものがいかになされるかということが、今回の調査団の成果に私は大きな影響をもたらすというふうに考えておるわけでございます。ところが、まことに残念なことでございますが、私は、こういった席上でこういった発言をするということは、まことに残念と思いますけれども、新聞の報ずるところによりますと、意外なことが報道されております。しかも、先ほど局長から御説明がありましたように、今回の調査につきましては新聞社が非常に大きな協力をしている。ところが、そういった新聞社の特派員から意外なことが報道されている。これは、もら新聞に出ておりまするから、御承知の通りだと思うのでございますが、それは、今回の遺骨収集の調査に対しまして、現地の大使館というものが非常に非協力である、きわめて冷たい協力の仕方をやったということが新聞で報ぜられております。もちろん現地の日本大使館が非協力であるということはまことに残念なことでございますが、なお一方、そういった非協力によって今回の調査に若干の支障でも来たすということになりますならば、遺族といたしましても、また私といたしましても、断じて許すことができないと思うのでございます。これにつきまして、こういった新聞の報道に対しまして、援護局あるいはまた外務省当局はどういうお考えでおられるのか、この辺を一つ明らかにしていただきたいと思います。
○須磨説明員 アジア局長がおられませんものですから、私がかわりまして御答弁申し上げます。 実は、私は、ビルマにおりまして、直接遣骨収集の仕事に責任者として参加したことがございますが、現地の大使館におきましては、よく遺骨収集の趣旨を体しまして、遺骨収集団の来られましたときには、ほかの仕事を全部なげうっても、全力をもってこれに当っておったわけであります。今度のフィリピンにつきましても、先ほど厚生省の援護局長から御説明がありましたが、フィリピン側も、ガルシア大統領がメッセージを出しましたほか、大使館のいろいろな後方の連絡並びに事前工作によりまして、新聞等も収集団を助けようというような社説を載っけまして、大いにこの際フィリピン側としても協力しなければいかぬという趣旨に徹しておったわけでございます。私は、先日あのような報道を拝見したものでございますから、さっそく電報を打ちましてその状況を聞いたのでございますが、このあれによりますと、ヘリコプターの徴用ということにつきましては、ここにちゃんとノートもございますが、フィリピンの政府側からちゃんと了解も全部得ておるのでございますが、たまたま、二月十一日のヘリコプターに、御承知の通りヘリコプターというものは小そうございますから、団員並びに政府関係者だけで乗ったために、某新聞者の記者をお乗せするわけにいかなかった。それから、その間に、新聞社の間の内部のいろんな問題もあったと見えまして、たとえば特種をとろうと思ったところが、なかなか思うようにいかなかったというようなことから、多少個人的な感情もまじえて、ああいうような記事を書いたのじゃないかというような推測の返事がきたわけであります。私の課からも二人ばかり課員を出しておりますが、それからの報告がこんなにたくさんきておりますけれども、それが出る前にも、とにかくこの仕事は遺族の皆様の精神にこたえてやらなければいかぬから、十分注意してやってくれということをくれぐれも言ってございまして、大使館側でもちゃんとそういうことは了解してやっておられるはずでございますから、新聞の報道はどうも事実と多少違うように私たちは了解しております。
○河野(正)委員 ただいまの外務省当局の御答弁と先ほどいただきました厚生省当局の御答弁とには、私は若干の食い違いがあると考えております。と申しますのは、厚生省当局は、今回の調査については新聞社当局の協力がきわめて顕著である、そのために収集の作業そのものが非常にスムーズに円滑にはかどっておるというようなことで、むしろ新聞社当局に対しまして好意的な言葉を寄せられたのでございます。ところが、ただいま外務省当局の御報告を承わって参りますと、新聞社当局と何か感情的な行き違いが起った、そのためにそういう報道が行われたんだと言う。それは大使館と新聞社の記者諸君との個人的な問題かもわかりませんけれども、しかしながら、今回の調査団の成果に対しまして関心を寄せておりますところの遺家族というものは数十万に及んでおるのでございます。数十万の遺家族のうちの特定の人々というものは、そういった実情というものが御理解できるかもわかりませんけれども、数十万の遺家族の大多数というものは、こういった新聞報道をながめることによって、今回の調査の状態というものを認識いたしておるわけでございます。そこで、外務省当局は、あたかも、新聞者諸君の記事が捏造である、あるいは感情的問題であるというふうに簡単にお片づけになりますけれども、しかしながら、その及ぼすところの影響というものはきわめて甚大であるということを御承知おき願いたいと思うのでございます。しかも、そういった記事が次々に出て参りますし、なおまた私どももこいった問題につきましては非常に大きな関心を寄せておりますから、その実情がどうであろうかというように、実は私は私なりに観察いたして参りました。ところが、最初朝日の本田特派員が報告をいたして参りましたのは、二月五日でございます。その報告をながめて参りますると、この交渉を放置して——いわゆるヘリコプターの貸与ということだと思いますが、その交渉を放置してすでに十日である、十日も放任されておる、そのためにこの遺骨収集のための能率というものが非常に大きな影響を受けそうであるというふうな報道が行われましたのは、御承知のように二月五日のことでございます。そうして、実際にビラまきが行われましたのは、新聞でもさっそく報道されておりますように、二月十一日でございます。そこで、大体そういった問題が現地でいろいろ論議されまして、約十六日目にこのビラまきが実施されたというふうな判断ができるわけでございます。そういたしますと、さっきも厚生次官からいろいろ御説明がございましたように、フィリピン諸島のことでございますから、二十カ所の地域をそれぞれ調査収集しなければならぬというようなことで、現地の限られた調査員にとりましては、非常に大きな負担がかかっておるというふうに考えるのでございます。そういたしますると、そういった十六日間のロスというものは、今回の作業につきましてはきわめて大きな影響をもたらしておる。ことに、内地に帰国いたしますのはすでに三月というふうに限られた期間でございますので、外務省当局の報告によりますと、単なる感情的ないきさつかわかりませんけれども、その及ぼした影響というものはかなり大きなものがあったのではなかろうかというふうに判断いたすのでございます。その点につきましてどのように外務省当局はお考えになっておりまするか、一つ率直に御答弁を願いたいと思います。
○須磨説明員 ただいまの御質問の中で、私の申し上げた言葉が至らないために、あたかも新聞記者の皆さんが非常に協力的でなかったというような印象を与えたとすれば、これは私の誤まりでございますが、非常に協力していただいておったというのは、先ほどの厚生省側からの御説明の通りでございますけれども、ただ多少そこに感情の行き違いがあったんじゃないかということを申し上げたわけでございます。 それから、この計画でございますが、もちろん遺骨の収集は今度の全体的の計画の一環ではございますが、遺骨の収集自体でございませんで、生存者を助けるための計画なんでございます。これは、初めから、もしいろいろな状況が好転するならばやろうという厚生省の御計画でもあったわけでございまして、そのため、マニラの大使館としましては、さっそく、フィリピン当局に対しまして、ヘリコプターの貸与並びにこれを飛ばすについてのいろいろな条件等について話をして、ようやく向う側の承諾を得たわけでございます。従いまして、ほかの遺骨収集の全体の計画よりは、多少一両日のおくれがあったということは事実かもしれませんが、とにかく直接に折正面に当っておりました大使館といたしましては、全力を尽してやっておったという報告が参っております。
○河野(正)委員 もちろん、大使館というものは外務省の出先公館でございますから、外務省に対しまする報告につきましては、失礼でございますけれども、適当な報告が行われるということは、これは常識的に判断できるのでございます。そこで、私はそういったことを御答願弁っておるのでなくて、このような新聞記事が出て、そのために遺家族というものが非常に割り切れぬ気持に追い込まれていく、そのことが私はきわめて大きな影響だというふうに考えてお尋ねいたしておるのでございますから、たとい事実がどうであろうと、こういった誤解を招いたということについて、外務省当局は大きな責任を感ずべきではないかというふうに、私ども考えざるを得ないのでございます。ところが、ただいまの答弁を承わっておりますると、もちろん、あなたは課長でございますから、責任がないので、そういったおざなりな答弁をするのかもわかりませんけれども、少くとも数十万の遺家族が関心を持っておるというようなきわめて重大な問題でございますので、もう少し謙虚な態度があってしかるべきではないかというふうに、私ども強く感じるのでございます。 それから、なお一点、ただいまの答弁につきまして非常に不満でございましたのは、もし事情が許すならば第二義的に生存者の救出をやるというようなお話でございました。もちろん今回の調査団の主目的は遺骨収集にあるということでございますから、そういった建前からは第二義的かもわかりませんけれども、しかしながら、遺家族の身になってみますれば、まだフィリピンの密林地帯に生存しておるかもわからぬというようなことで、何も戦沒者の遺家族の方々と生存しておるだろうという未帰還者の家族の方々とに私は差別をつけるものではございませんけれども、しかしながら、残された家族の身になってみますれば、あるいは生きておるかもわからぬというようなことになりますならば、なお一そうこの問題に対しまして真剣なる気持があるのではなかろうか。なおまた、私ども同僚から、自分の家族にフィリピンで戦沒した者がおる、今回収集団が行ったので、何かことずければよかったというふうな希望をちょいちょい承わるのでございます。そういった多数の遺家族の方々の気持を私どもが想像いたしますると、ただいまのような御答弁では、遺家族は決して浮び上れぬというふうに考えるのでございます。そこで、何も事務的にここで御答弁いただくのではなくて、その及ぶ影響が大きかったということ、これはどなたも御否定できぬ事実だと考えます。そこで、そういった事実につきましては、率直に謙虚な態度を示して、遺家族に対して外務省当局の誠意を示さるべきだと思うのでございますが、いかがでございますか。
○須磨説明員 私は責任者じゃないからというようなお話もございましたが、実はこの前に私直接に遺骨収集にビルマへ行きまして、よく遺族の皆様のお気持もわかっておったつもりでございまして、当時はできるだけのことをやったつもりでございます。ただ、いかに一生懸命にやっても、ああいうような記事が出たということで、遺族の皆様に非常に悲しい影響を与えたろうということに対しては、非常に遺憾の意を表します。ただ一言、現地の大使館の弁護ではございませんが、そもそも今度の遺骨収集が割合にスムーズにいきましたというのも、この前岸総理が行かれましたときに、ガルシア大統領が遺骨収集については全面的に協力をしょうという了解をされまして、それが共同コミュニケの中にも入ったわけでございまして、当時湯川大使も同席しておられたわけでございますから、大使としては当時の気持を体して一生懸命やっておられた。ただ残念ながら、こういうような記事が出て、せっかくの収集団の御努力に対して非常にマイナスな影響を与えたということは、非常に遺憾に思います。
○河野(正)委員 ただいま謙虚に、今回起りました事態に対しまして発言がございましたので、私ども了解することにやぶさかでないのでございます。と申しますのは、なお今日鋭意作業を実施中でございますから、なお一そうの御協力を賜わることによって、最大の成果を上げていただきたい、そういう意味から了承をいたします。 それから、今後ともこの作業が三月まで続けられるわけでありますから、なお念のために申し上げておきたいと思うのでございますが、この新聞報道をながめて参りましても、どうも新聞記者諸君と出先でございまする大使館当局との感情的なもつれというようなことのあるないは別といたしましても、収集団あるいは居留民の方々、こういったものも大使館のとった態度に対してはいささか不満の意があるというようなことがいわれております。極端な新聞社の論説によりますと、遺骨と一緒に——遺骨という言葉は避けたいと思いますが、今度収集団が帰るならば、外務省の出先の人間を収集して帰れというような極端な言葉も使われております。そういった新聞記者諸君だけでなくて、出先の大使館というものの一番大きな協力がなければ、その目的を達成するわけには参らぬのでございますから、私は非常に重要だと思いますが、そういった出先の大使館と居留民あるいはまた収集団、調査団、そういった三者の間に感情的なもつれがあるのではなかろうかということも判断できます。誤解かもわかりませんけれども、想像せられるのでございます。そういったことになりますと、今後の収集につきまして非常に大きなひびを作るわけでございますから、こういったことにつきましては、さらに格段の御注意を願わなければならぬと思います。この点は、もちろん収集団との関係がございますから、厚生省当局にもお願いしなければならぬと思うのでありますが、このような点につきまして厚生省に何らかの情報が入っておるのかどうか、一つこの点を明らかにしていただきたい。
○米田政府委員 今外務省の方がお答えせられた程度のことは聞いておりましたが、それ以上の今お話しになったようなことは、厚生省はまだ聞いておりません。
○河野(正)委員 聞いておられなかったようでございましたならば、そういったことについて国民の中にも非常に憂慮しておる人々が多いということも十分御承知を願って、今後とも最善の努力を続けていただきたいということを特に要望いたしておきます。 そういったことを私がなぜ取り上げたかと申しますと、これまた、恐縮でございますけれども、新聞に次のような報道が出て参りました。さっきいろいろ取り上げて参ったのでございますけれども、そういった事柄からそういった一つの報道となって現われてきたのではなかろうかというようなことから、お尋ね申し上げるのでございますが、これはまことに残念なことでございますけれども、現地の——いわゆるフィリピン現地でございますが、現地のマニラ・クロニクルという報道紙に、今回の遺骨収集というものは、遺骨を収集するほかに、金塊、銀塊というような宝探しをやるところの任務があったのだというようなことが報道されたということでございます。このことは国際的な友好関係に及ぼす影響というものもきわめて甚大だと思いますし、なおまた、今回の遺骨収集あるいはまた生存者の救出、こういったものに非常に大きな期待をいたしております数十万の遺家族にとりましても、私はきわめて大きな影響を及ぼす問題であるというふうに考えるのでございます。こういった報道が次から次へ出て参りますが、こういった報道に対して厚生省はどうお考えになっておるのか、あるいはまた、外務省当局は、これまた新聞記者と大使館との感情的な行き違いであるというふうに御答弁になるのか、一つ、その辺の事情を、それぞれの当局から、率直に謙虚に御報告を願っておきたいと思います。
○米田政府委員 まことに意外な新聞記事を、外国の新聞ではありますけれども、ただいまこの耳で聞きまして、何とも遺憾しごくでございます。われわれは、さような不純な考えがあれば、こういうことに同意はいたしません。長年国家のためにそれがよかれと思って、あの暑いところで戦って、不幸倒れた方々のせめて遺骨だけでも、残っておる人の目の前に差し上げたい、こういう気持から、厚生省としては全幅の努力、御協力をしたのでありまして、宝探しを今ごろ向うへ行ってやるなんということを、もし潜在的にでも、多少でもありますれば、われわれは断固としてそういう不純なことには反対をいたしたはずでございます。不幸今まで知っておりませんから、たとい外国のクロニクルという新聞でありましても、そういう記事が出たということは厚生省としてまことに遺憾だと存ずるのであります。
○須磨説明員 今の宝探しの点につきましては、これは何も、今度派遣された収集団が、よもやそういうようなつもりをもって行かれたことはないと思いますが、これは、ずっと前に、やはり反目的な感情の現われといたしまして、日本が遺骨収集をするのならば、そういうようなことがあるんじゃないかということを前に言われたことがありますが、一回も政府ないし正式な機関から日本側は申し入れを受けたことはないのでございます。これは、荒唐無稽な話だとして、外務省では取り扱っておりました。それから、先ほど御注意がございましたが、これからの遺骨収集につきましては、まだ相当日にちもあるわけでございますから、お話のありました御趣旨のほどを公使並びに大使によく伝えまして、今後居留民ないしは新聞記者との間に協力態勢をさらに強化して、遺骨収集を無事にやっていただくように、大使にお願いしょうと私は思っております。
○河野(正)委員 ただいま厚生次官からきわめて明快に御答弁いただきましたので、私ども、そのようなことがあってもなりませんし、またあろうというふうにも考えないのでございますけれども、こういった記事が日本の国内におきまする一流紙にでかでかと報道されるということになりますと、きわめて大きな影響を受けて参るわけでございますから、私は、これが単に誤報であったにいたしましても、その記事そのものを私どもは軽視するわけには参らぬと考えます。と申し上げますのは、数十万の遺家族は、その中でも特定の方々は真相を御認識いただくかもわかりませんけれども、大多数の方々は、国内におきまする新聞紙上等で認識をいたすわけでございまするから、この点に及ぼしまする影響もまことに大きなものがあったというふうに、御指摘しなければならぬと思うのでございます。先ほどから私がいろいろ論議して参りましたように、こういったまことに残念な記事が、次から次と、国内に、しかも有力紙に報道されて参ります。さっき外務省からも御指摘がありましたように、これが一新聞記者と出先機関との感情的な摩擦、そういったことがあるいは影響して、こういった憶説的な一つの誤報に相なって参るのではなかろうかというようなことを、私ども判断をいたすのでございます。もちろんそういった判断が正しいかどうかは別といたしましても、そういったことを想像いたすのでございます。そこで、さっき御報告がございましたように、三月の十日に帰国する予定でございますし、なおかなりの日数今後それぞれの調査収集に当っていただかなければなりませんし、また、そういった作業の進捗状況につきましては、数十万遺家族及びそれをめぐりまする国民の方々が、非常に大きな関心と深刻な気持をもって見守っておるわけでございます。従いまして、こういったことが次々に起ってくる、その原因がどこにあるかということは、私どもも判断できぬわけではないのでございますけれども、しかしながら、先ほどから私いろいろ苦いことを申し上げましたが、こういった報道が国内におきまする一流有力紙に次から次と行われておることは、私は、結果的にはきわめて重大なる影響を持って参るわけでございますので、この点につきましては今後とも深甚なる御注意と御反省をお願いしなければならぬというふうに考えるのでございます。私ども何も当局側を責めるのが目的ではございません。でき得べくんば、現地に派遣されております調査団が最大の成果を上げて、そうして残されました数十万の遺家族にこたえていたたくことを私ども心から祈念いたすのでございますけれども、そのためには、今日のような状況が次から次と派生的に起って参りますと、大きな期待を持って見守っております遺家族あるいはそれをめぐります国民は非常に大きなショックを受けるのではなかろうか。そういたしますと、せっかく収集団、調査団の方々が努力されましても、その努力は水泡に帰してしまう。そういうことになりますならば、そういった労苦をしておられます調査団、あるいはまたその調査団に対して全面的に協力されておりますフィリピン当局、あるいは居留民の方々、こういった方々に対しましても、まことに申しわけないことであると考えざるを得ないのでございます。 いろいろ申し上げましたけれども、究極するところは、今回の調査団が最大の成果を上げて帰ってこられることであり、最大の成果によって遺家族の方々にお報いしていただくことでありますので、この点は、厚生省も外務省も、謙虚な態度をもって、十分なる御反省と、なおまた努力をしていただきたいということを心からお願い申し上げて、なおそれに対する御所感を、厚生次官あるいは外務当局から率直に御披瀝を願って、私の質問を終りたいと存じます。
○米田政府委員 御注意ありがとうございました。われわれの至らぬ点で少しでもこういう事業にマイナスになるようなことがありましたら、まことに申しわけのないことだと思います。 ただ一点、これは私個人の立場で意見を申したいと思うのでございますが、国民が何でもかんでも新聞に引きずられて新聞に盲従するというあり方も、文化国家としては私は健全なあり方じゃないと思うのです。新聞も、神様でないのですから、ときに誤報なきにしもあらずでありまして、そういう点を、大所高所から、紙の裏まで通るような眼力をもって読みこなすという国民の文化、こういうものが、私は、究極においてそういう新聞も売れなくなる、こういうことになると思う。ですから、これは両々相待ちましてそういうような理想国家に早く到達いたしたい。河野委員のお話しになりました点は、もう全面的に私はそういうようにいたしたい、こういう考えでございます。
○須磨説明員 いろいろ御注意ありがとうございました。先ほど私所感の一端を述べさしていただきましたが、よく御趣旨を体しまして、できるだけ善処いたしたいと思います。
○中川委員長 山下春江君。
○山下(春)委員 ただいま社会党の河野委員から貴重な御質問がございまして、政府よりもそれぞれ御答弁がございました。私ども、敗戦後今日までこの引き揚げ問題を扱ってこられた厚生省援護局及び外務省の関係の諸機関に対しては、よくもまあこれだけの大事業をとにもかくにも進めてきた、その間にはいろいろな批判あり、いろいろな障害ありしたものを乗り越えて、ここまで持ってこられたということについては、私は深く感謝をいたしておるものでございます。広い世界じゅうから一千万に近い大人口が移動したということは、これはほとんど地球上の歴史にないことであろうと思うような問題でございます。のみならず、今の問題点となっております遺骨の収集等につきましても、非常な御苦心を願ったことに対して感謝をしておるものであります。しかしながら、考えてみますと、どうも、厚生省にいたしましても、外務省もそうでございますが、これらの計画を遂行するに当って、事前に十分に国民に納得をさせ、十分に理解をさせるという御努力が多少欠けておる点が、今のような質疑応答になって現われてくるものであろうと考えますので、これらの尊い事業を遂行するに当っては、国民が全部事前にこの内容をよく知り、そしてその御努力がほんとうに成果を上げるためには、国民全体がこのことに協力をするという態勢がまずもって必要なのでございますので、今後まだ幾つかの困難なこれらの問題を遂行していかなければならない厚生省及び外務省にありましては、事前に十分なるお打ち合せをもって、国民に疑心のわく余地のないような態勢に持っていって、この問題を進めていただくならば、遺家族の方々、あるいは留守家族の方々、その他これに関心を寄せる全国民の非常に喜ぶところであろうと思いますので、ただいまの質疑応答を承わって、私もお願いをしておきたいと思います。 —————————————
○山下(春)委員 そこで、私は、今度はごく範囲をしぼりまして、御努力によっていろいろと引き揚げ問題が推進されてきたわけでございますが、その引き揚げてきた方々に対する援護の方法につきまして、私は、具体的な事件について厚生省の御意見を承わり、善処をしていただきたいと思うのであります。 その第一点は、この間、第十二次の樺太からの引き揚げ、すなわち、昭和三十二年八月一日に帰って、北海道の旭川の親和寮に落ちつきました大野ハルさん以下十余名の方々の実情について、御配慮を願いたい件であります。それは、樺太から引き揚げたあと、今申しました旭川の親和寮に落ちついたのでありますが、何しろまだ定職が得られないために、失業対策で働いておるのであります。旭川は、御承知のように寒いところでございまして、冬はどうしても一カ月のうちにやっと十日働ける程度でございます。そこで、その厳冬を越すために、燃料に非常に困っておるのであります。十日間失対で働いた収入では、とてもある寒さをよけるだけの燃料を購入することができませんために、引き揚げて参りました子供たちの健康にも非常に重大な影響が今すでに起りつつあるのでございます。それで、とりあえず薪炭を——北海道のことでございますから石炭でございますが、無償でこれらの人々に相当な収入を得られるまでの期間中与えてやっていただくことはできないか。生活保護のケースの中には、北海道はたしか厳冬期間中石炭の無償配給があるはずであります。しかしながら、その量をもってしては、家族の数もありますし、なかなか十分でないと思うのであります。この石炭すなわち薪炭の無償給与の方法がないかどうか。ぜひともそうしていただきたいのでございますが、政務次官のお答えを願いたいと思います。
○米田政府委員 ただいま私も局長から聞いたのでございますけれども、生活保護法の中に、寒冷地に対してはそういう制度もあるやに聞きましたが、帰りまして正確に調べて、御趣旨に沿うように、現状の制度のもとで可能な範囲で努力いたしたいと思います。
○山下(春)委員 引き揚げに非常にあたたかい協力と御推進を願っている反面、連れて帰ってきてからはどうでもいいということになると困りますので、これはぜひとも御努力願って、この寒さにふるえている者に何とか与えてやっていただきたいと思います。 次に、今度は傷病恩給のことについてでございますが、これも、実例を申し上げますと、第八次の昭和三十一年八月十九日に引き揚げました鳥取市の田中智という方、及び第五次の昭和三十年十二月十一日に引き揚げましたソ連引揚者の中村稲夫という岡山県児島郡の方でございますが、この両名は元憲兵准尉で、ともにハバロフスクにおいて抑留されております際に、生活の急変から、脳盗血のために二、三年間半身不随になっておったのであります。それぞれ病人ということで早期送還になったケースの者でございます。それが帰国後両名とも今日までそういうことでございましたので、就職が不可能でございました。それでそれぞれの妻に扶養されて今日まで参ったのであります。従いまして、家族といたしましては、夫が帰ってきたことは非常にありがたいのでございますが、帰ってきたために留守家族手当は打ち切られますし、帰ってきた夫は半身不随で労働ができないというようなことで、家族の負担が非常に加わりまして、経済的には二重の苦しみになっているというのが、この両名の現状でございます。舞鶴に引き揚げて参りましたときに、舞鶴の国立病院にとりあえず入院させられまして、それからそれぞれ地元の国立病院において入院加療をいたしたのでありますが、その期間中は国費で治療を受けておったのであります。ところが、治療を受けていると申しましても、その人間から収入が一つもないのでありますから、なかなかそれだけでは事足りませんので、これらの人々は、せめて普通恩給だけでも全額支払ってもらえないか、そうすれば多少でも負担が軽減されるということでございますが、両名とも、若年停止にひっかかっているわけであります。従いまして、半額程度しか今手に入らないという年令でございます。そこで、こういうことに至りましたのは、俘虜としてソ連に抑留中、過激な強制労働の結果、高血圧から脳溢血で倒れたのでございますからという理由を付して、せめて傷病恩給を下付していただきたいということを恩給局に願い出ましたところ、恩給局はこういう理由書をつけて却下したのであります。貴下の現在の症状は、さきに軍人として勤務されたときの勤務に基因したものであるとは認められないということで、この申請は却下されたのであります。しかしながら、抑留は公務であると日本の法律が認めております以上、シベリア抑留の特殊性にかんがみまして、特殊な環境と過重労働から生じました特殊な疾病と認められて、傷病恩給の対象とすべきだと思うのでございますが、そのようなお扱いをしていただくわけには参りますまいか。ぜひそうお願いいたしたいのでありますが、政務次官の御答弁をわずらわしたいと思います。
○米田政府委員 いろいろごもっともに私も承わりました。ことに、法の解釈の問題でありましょうが、軍人として直接の勤務でないといたしましても、その延長であるということは、本人の自由意思によらざることでございますから、常識的に判断できると思います。これらの点につきましては、法解釈の問題でにわかにしろうとがどうこうということは言えませんが、御意思のあるところを十分体しまして、具体的な問題が起りましたら、こちらとしてはそういうように進めていきたい、かように考えております。
○山下(春)委員 私はその具体的な問題が起ったらと政務次官に言われては困るので、具体的な事例をもってお願いをいたしたのでありまして、決してこれは架空な、こういうことが起るかもしれないということではないのでございます。そこで、わざわざそういったケースを調査いたしまして、人の名前も明確に申し上げてお願いをしたのでございます。援護局は恩給を扱うところではございませんから、今ここで恩給局の答弁を厚生省に求めることは無理だということは、私もよく承知いたしておりますが、今の却下の理由を——政務次官も仰せられた通り、自己の意思によらざるものでございまして、そうして私は今二名を申し上げましたけれども、あるいは同じようなケースで若年停止を受けておる者があるかもしれません。当委員会としましては、昨年夏じゅうそこにおられる櫻井委員にも御協力願って小委員会をこしらえ、この若年停止の問題について、強く政府にこの抑留者のケースについてははずしてもらいたいということで、われわれ小委員会の結論としては、はずそうという結論になったのでございますが、なかなかそれから先に進みませんで、今日に至っております。私は今実例をもってお願いをしたので、範囲を拡大されると困るというので御用心をなさったと思いますが、この二名の非常に困っておる者に対して、特に政府のあたたかい御処置を願うべく御決意を承わりたい。重ねて恐縮ですが……。
○米田政府委員 承知いたしました。まあこういう恩給関係は、本来なら、十分その労に報いるという精神で、何でもただ財布を締めるという考え方で恩給当局が判断すべきでないことはもちろんでございます。と同時に、またこれがばらばらと右へならえでたくさん出るということも、国家財政の上から堅実なあり方でないと思いますので、十分今日の御説を体しまして、この両名の問題につきましては厚生省として努力いたしたいと思います。
○山下(春)委員 もう一つ実例について御配慮を願いたいと思います。こういう問題は長く扱って参りましたので、こういうケースが許されたものだということになると、相当拡大をして参ります。拡大して参りますと、どこに線を引くかなかなかむずかしいことが起って参りますので、私は特に名前をあげてお願いをいたしたいと思います。それは引揚者の療養の給付についてであります。第十四次の三十三年一月十四日樺太から引き揚げて参った札幌市の斎藤正雄という者でありまして、これは、本人が、糖尿病のために、白山丸で引き揚げて参りますその船の上において、すでに入院加療が決定いたしておりましたために、十五日に舞鶴に上陸と同時に、国立病院に入院したのでございます。その後一月十九日に自分の居住地である札幌に転送されまして、そうして札幌市の福祉事務所と相談の結果、二月五日札幌市の菊水国立病院に入院加療をいたしておるものでございます。その後福祉事務所から救護申請が却下されまして、入院加療は自分の費用で出すようにということの言い渡しがあったのであります。その却下の理由は、扶養義務者の扶養の履行によって、扶養義務者の収入が最低生活よりも高いから、それでお前はだめだというのでございます。ところが、実情は、前に引揚げてきた妻が十五才と十二才になる二人の子供を連れておりましたので、子供がそばにいたのでは自分の生活ができませんので、これを弟のところに預けまして、女中奉公をして生計を維持して参ったであります。その上、入院は、本人の希望ではなくて、白山丸の船上で入院ということを決定され、舞鶴の国立病院にすぐに入れられて、舞鶴国立病院を経て、しかも今後まだ入院加療を必要だということを認められ証明されて、札幌の国立病院に入院しておるのであります。本人は生活保護を求めておるわけではありませんけれども、実際はそういうわけで非常に困っておる立場にありますので、引き揚げ後の収入もまだございませんために、医療保護のみ——生活保護を受ければ全部のあれがあるのでありますが、せめて生活保護を受けないで医療給付だけを受けたいというのですが、これは、生活保護の医療給付でなく、引き続き療養を要するものという法律で私は救済できると思います。医療保護を適用するのが正しいか、未帰還者の療養給付でやるのが正しいか、どちらにいたしましても一つこの医療を完全にさしてやっていただいて、一日も早く健康を取り返して社会の労働の中に復帰することのできるような態勢を講じていただきたいと思います。これは、政務次官からも御所信をいただいて、なお事務当局からもお答えを願いたいと思いますが、引き続き医療を要するものの中から医療給付の方でやりますか、生活保護の医療保護でやりますか、どちらでもけっこうでございますが、具体的に申しましたこの男の医療をどうしてやるかということについての御回答を願いたいと思います。
○河野政府委員 今の方はもう少し具体的に伺ってみないとわからないのでございますけれども、特別未帰還者の範疇に入るか入らないかによって違う。特別未帰還者として考えられないということになりますと、やはり生活保護の医療保護ということで考えていくことになるじゃないかと思いますが、その辺もう少し具体的に伺っておいて、あるいは社会局の方とも話し合いをしてみたいと思います。
○山下(春)委員 それはそうでございます。生活保護法のワクに入ると、どうも特別未帰還者の身分でないかもしれないと思うのです。遠いことでございますから、詳しい調査がしてありませんが、そういうことであっても、自己の意思に基かない抑留生活中に起ったことでございますから、引き揚げ問題の一還として、ぜひ局長から、というよりも政務次官から社会局にお申しつけを願って、そうして生活保護の医療保護を急速に与えていただいて、安心して健康を取り返すことのできるように御処置を願いたいと思っております。
○米田政府委員 今承わった範囲ですと、生活保護には少し収入が上回るというように山下委員から承わったのであります。そこで、これが、法の上において心あっても、法の上で取り扱うことができるかというような問題など、帰りまして社会局ともよく相談いたしまして、要は御趣旨を体したさばきをしていきたいということだけ申し上げておきます。
○山下(春)委員 その通りでございまして、上回っておるということを社会局へ持っていきますとだめになるのです。引揚委員会に特に持ち出したということは、引き揚げのケースでなければ解釈がつかない。社会局に持っていきますと、これはちょっと上回っているからだめだというケースがすぐに出ていることだけは、明らかに私の方にもわかっております。従いまして、私が特に引揚委員会でお願いをするゆえんは、そういうしゃくし定木の解釈ですでに社会局では落されたのです。そこで、次官に特にお計らいを願って、引き揚げ問題の中でこれを扱うということで、ぜひ、社会局の医療給付だけでけっこうなのですから、一つお出しを願うよう御努力を重ねてお願いをいたして、私の質問はこれで終ります。政務次官はきっとそのことをやっていただけると思いますから、御返事いただかなくてもけっこうでございます。
○中川委員長 他に御質疑はございませんか。——御質疑がなければ、本日はこの程度にいたします。 次会は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれをもって散会いたします。 午後三時三十二分散会