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27回国会参議院1957/11/07

商工委員会 第4号

発言数
50
登壇者
12
会派数
3
開催日
1957/11/07

会議録

近藤信一日本社会党

○委員長(近藤信一君) これより委員会を開きます。  前回に引き続き、中小企業団体法案、中小企業団体法の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案、中小企業等協同組合法の一部を改正する法律案を一括議題として審議を進めることにしますが、本日は特に団体法案と憲法との関係につき、法律学者の見解を聞くことになっておりまして、参考人として一橋大学教授田上穰治君、北海道大学教授金澤良雄君に御出席を願っております。  参考人の方に申し上げますが、本日は御多忙のところを、本委員会のために特に御都合下さいまして御出席下さり、まことにありがとうございます。  次に、議事の進め方でありますが、まず、参考人の方の御意見を伺い、それからかねてから御検討を重ねておられる横田公取委員長に、あらためて本問題についての御見解を伺った上、委員からの質疑を行いたいと思いますが、さように進めることに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

近藤信一日本社会党

○委員長(近藤信一君) それではさよう取り計らいます。問題は、先ほども申し上げました通り団体法案と憲法との関係、それも特に法案第五十五条が憲法に抵触するおそれありやいなやということでありますが、まず、田上穰治君からお願い申し上げます。

田上穰治一橋大学教授

○参考人(田上穰治君) 御指名によりまして簡単に団体法案と憲法との関係を申し上げてみたいと存じます。  初めに、この団体法案の五十五条加入強制あるいは加入命令が違憲であるかどうかにつきまして考えますると、これは一方では憲法二十一条で結社の自由が保障されており、そして他方では憲法二十二条におきまして職業選択の自由が保障され、あるいはさらに二十九条におきまして財産権の侵すべからざるととが保障せられております。こういった関係において、特に加入強制につきましては、結社の自由を侵すものではないかというおそらく問題であろうと存じます。この点につきまして、私は結論的に申し上げますと、結社の自由は、この問題については同時にそれが経済生活に関するものであって、経済的な自由と不可分の関係にある。そうなるというと、これは二十一条と二十二条を切り離すととはできないと思うのでありまして、まあ、その意味でその政治的な結社、あるいは広く政治活動の自由、言論とか集会とか結社とか、こういうものを国家権力によって規制する場合とは相当に違いがあると、憲法上まあ解釈上考えるものであります。  簡単に理由を申し上げますというと、この結社の自由を一応憲法二十一条について考えますると、まあ、この条文は一応無条件に個人の自由を保障しているものであります。二十二条の方は公共の福祉に反しない限りということが特にうたわれている。あるいは財産権の不可侵につきましては、二十九条第二項において、「財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。」というふうにしまして、一々公共の福祉という制限を明示しているのでございますが、二十一条にはそのことが書いてない。そこでこの見方によりますと、結社の自由は絶対に保障されている。いかなる意味においても、国家権力によってこれを規制することはできないという学説がございます。ただ、この点で私どもの考えまするところでは、結社の自由についても、一応まあこれは政治的な結社も含めまして、一般に考えまするときに、これにはおのずから内在的あるいは本質的な制約があるというととは、認めざるを得ないのであります。との結社の自由についての内在的な制約と申しますのは、これは事物の本質、まあ自然の法理でございまして、およそ社会生活を人類が営むときに、その各自の行動によって多くの他人の生活に悪い影響、障害を与えることは、控えなければなるまいということでございまして、この言論の自由にしても、集会結社の自由にいたしましても、社会人として隣人、多数の周囲の人に迷惑をかけないように、その点においてもし行き過ぎがございますならば、当然にこれは法の規制を免れないというふうに思うのでございます。  ただ、このような制限は、もちろんその国の政府のそのときどきの政策によって、適当に取り締れるという意味ではないのでございまして、また、国会が法律をもってすれば、どのようにも結社の自由を制限できるという意味でもない。その点は一応明らかにしておきたいと存じます。  ところで、それをもう少しはっきり申し上げますというと、これは公安の維持というか、社会生活、社会の秩序を維持していく、この現状維持を限度とし、あるいはその目的とする消極的な制限にとどまるべきものであります。ところが、この団体法案の今回考えておりまするところは、これは国民経済の健全な発達に重大な支障のあるとき、そういうもちろんこれが不況の対世と申しますか、そしてこの中小企業の経営の安定、それをはかる必要があって、そしてもしそれをやらなければ、国民経済の健全な発達に影響がある、そういうときにやむを得ず制限を加えるということに、あるいはこの結社の加入を命ずることになっているのでございますが、しかし、これは単純な消極的な制限、消極的な目的のためにする結社の自由の制限であるかというと、これは私はかなり積極的な意味を持つもののように思うのであります。つまり中小企業の将来を考えますときに、これをやはり健全に維持していく、そしてそれがひいては国民経済の健全な発達——発達と申しますことは、単純な過去の既成の事実を維持していくというのではなくて、もっと積極的なレベル・アップの意味が含まれていると思うのであります。その意味で、もしこれが政治的な、あるいはその他一般社会の生活において広く一般の結社の自由に対する制限であるとすれば、相当にこれは行き過ぎているように思うのであります。  けれども、経済問題、経済生活については、政治生活その他と比べまして、相当大幅な国家の規制を加えることが許されると考えるのでありまして、この理由は、一つは外国の例を見ましても、十八世紀的な自由主義、極端な個人主義的な考えではなくて、二十世紀の今日、資本主義の経済のすでに相当な大幅な修正を必要とするときにおきまして、かっての無制限の自由を原則とする経済生活を考えることは、もはや許されないのでありまして、その意味で、二十世紀の今日、特に国民個人の自由の中で、経済生活に関しましては、相当広い幅の制限は憲法が容認している、このように考えるものであります。それは日本の現在の憲法の規定を見ますると、二十五条ないし二十八条、このあたりにいわゆる生存権的な基本権、あるいは社会権と申しておりまするものがございまして、これは御承知のように二十世紀の憲法の特色を示している。日本の憲法は、こういう点でいえば、まだはなはだ徹底していない、もっとこのような種類の基本権の規定を拡充すべきであるという御議論も相当に多いのであります。そのような二十世紀の憲法の特色として規定を持っていることからいたしましても、特に憲法が、先ほど申しました自由権についても二十二条と二十九条について、いいかえれば国民の経済的な自由を保障する規定に特に「公共の福祉に反しない限り、」とか、あるいは「公共の福祉に適合するやうに、」という注文をつけておりますことは、決して偶然とは思わないのであります。言いかえますると、この一般の個人の自由を保障する規定の中で、特に経済的な自由を保障する規定については、相当幅の広い制限、国家権力による規制を認める余地がある、このように思うものであります。そうなりますると、結社の自由とは申しましても、明らかに団体法案が考えておりますような、経済的な生活を規制する、あるいはその生活に関する結社については、一般の政治結社の取締りとは、全くおもむきを異にするものでありまして、むしろ二十二条などに、あるいは二十九条に示されておりますような公共の福祉、あるいは、これは積極的なレベル・アップの要求を含めた国家権力の介入も必ずしも憲法違反とは言えない、このように私は考えるのであります。  そこで、第二の点に入りまして、それならばそのような公共の福祉というのは、これは法律をもってすれば、どの程度にまでも取り締ることを許すのかと申しますというと、もちろんそうではないのであって、少くとも公共の福祉という言葉は、これは政府のあるいは与党とか、ある特殊な一部の国民の立場ではなくて、広く一般国民の利益というものを考えなければならない。その点でこの国体法案につきましても、中小企業者だけの利益を守るということでありますというと、これは必ずしも公共の福祉のためとは言えない。それだけでありますと、逆に申しまして一般消費者であるとか、あるいは法案の関係事業者と申しますか、あるいは大企業その他の立場、そういうものの利益を無視して、むしろそれらを犠牲にして中小企業者の利益をもっぱらはかるということでありますと、私は憲法の公共の福祉とは相当違っていると考えるのであります。ところで、この法案につきましては、一応中小企業者間の競争が過度、一定の限度を越えて、そのために国民経済の健全な発達に重大な支障があるときというふうにございまして、一応五十五条の規定などにおきましても、この無制限な制限ではなくて、国家の規制ではなくて、その規制を加えるあるいは国家権力の介入する限度を一応押えてある。そうして、なお四十二条におきまして、政府が認可する場合にも、中小企業安定審議会に諮問して定める判定の基準、これはたしか不況の事実がどの程度であるかということであったと思いますが、とにかくそういった一応やや客観的な判定基準というものを、認可に当って考慮しているということも、われわれは一応公共の福祉による制限が極端に行き過ぎることはあるまいと思うのであります。しかし、それだけではまだ不徹底でございますが、なお、私あまりよく法案をまだ読んでいないのでありますけれども、消費者の利益を考慮する点におきましては、御承知の政府の認可基準につきまして十九条とか、二十八条などで一応その点をうたってあるようでありますし、また、価格あるいは料金の協定などにつきましても、公正取引委員会の同意が必要であるとか、その他かなり慎重な態度をとっているように見受けられます。また、消費者のみならず、大企業の方はどうであるか、この点も、私よくまだ法案を見ていないのでございますが、たとえば組合交渉などについて行き過ぎのないように注意しなければならないと思うのでございますが、これは憲法二十八条の方で、労働者勤労者の団結権、団体交渉その他団体行動の権利を保障とございまして、勤労者、労働者については憲法が正面からそのような特権を保障しております。けれどもその場合に中小企業者がそのような一般の労働者のごとく、使用者に対する関係のごとく、大企業に対してこの団体交渉あるいは組合交渉を行うことができるかどうか、少くともこれは直接憲法の保障するところではないと思うのでありますが、しかし、だからといってそのような交渉が当然に違憲であるという理屈も立たないのでございまして、ただ、私の考えまするところでは、少くともこの一般の労働組合のごとき強い発言権というか、あるいは協約を締結するについての権能を持つことは、それは許されないと思うのでありますが、この点で法案はまあ勧告の程度にとどめていると、これも実際の取扱いがどうなりますかわかりませんが、しかし、衆議院のたしか決議されておりまするかと思いますが、経済取引の本旨に反しないことというのをそのような意味に考えますと、私もやはり特別なそういった注意を加える必要があると思うのでございます。要するに公共の福祉、あるいは相当大幅な国家の規制が、経済的な自由、経済活動に加えられるといたしましても、決してそれは無制限の規制ではなくて、それはやはり公共の福祉のために必要な限度にとどまるということが、憲法論として言えると思うのであります。その場合の公共の福祉は、決して中小企業者のみの利益というのではなくて、同時にこれと対立すると申しますか、中小企業者以外の特に一般消費者であるとか、その他大企業、そういったようなものの利益も考慮して、そしてこれとの権衡を著しく失わないようにしなければいけないと、その点で今回の法案は一応考慮されているように思うのでございます。  さらに第三点といたしまして、公共の福祉のために必要である、あるいは公共の福祉に反する事態に対して国家がその必要な限度において規制を加えるということにつきまして、その程度の問題でございます。これは憲法十三条におきまして、国民の権利を国政の上において最大限度に尊重したければならないという原則が出されております。逆に申しまして、国家権力による規制は必要の最小限度にとどめなければならないということが言えるわけでございまして、これは先ほどの二十一条の結社の自由に対して内在的に制約を認める場合にも同様でございますが、二十二条あるいは二十九条などにおける法律によって公共の福祉のために積極的な統制を加える場合にも、やはり事態の実情に応じて必要の最小限度にとどめなければならないということが憲法の要求であろうと存じますその意味で考えますると、一応この法案におきましては、六十二条でこの規制を加える前提の要件に変更あるいは消滅があったときには、これをその規制を効力を失わしめるとか、あるいは当面の不況事態の克服のために必要な場合というふうな一応要件をしぼってあるという点は私賛成なのでございます。  ただ、問題は五十五条の加入命令と申しますか、加入強制と、五十六条の事業活動規制の命令と、これとの比較でございまして、この点はあるいはまたあとで御意見を承わりたいと存じますが、一応私の従来の常識論といたしましては、この自主的な調整は一般に国家権力による直接の規制よりは、その相手方人民にとっては有利である、言いかえれば、自由を拘束する程度がゆるやかである、あるいは言いかえると取締りを受ける、規制をされる人民にとっては、その人格なり権利を尊重されることになるというふうに考えております。ただしかし、加入命令によって組合の強制的な、自主的な調整に服させられるものにとりましては、必ずしもそれは当初から自主的な調整を受けるというのではなくて、そのスタートにおいては、国家権力による強制が加わるわけでございますから、単純な自主的な調整、五十五条の場合、自主的な調整の場合であるとは言えないと思いますけれども、しかしその自由を制限する、経済活動を制限するにつきまして、五十五条の方は一応内容的には組合の調整規程に従わせる。ところが五十六条の方は、それを参酌して、そして国家が権力によって規制を加えるというのでございますから、これは程度の差であろうと思いますけれども、比較してみると、必ずしも加入命令の方が、事業活動規制の命令に比較いたしましてきびしいものであるとは言えない。むしろ形の上では、幾分穏やかな規制であろうかと思うのであります。その意味で考えますると、特に加入命令が憲法違反であって、そして五十六条の事業活動規制命令は、その点で一応合憲であるという区別が、私にはどうもつきにくいと思うのでありまして、五十六条の方は結社の自由には直接関係がない、五十五条の方は、加入命令は結社の自由に関係しているのでありますが、しかし結社の自由が、先ほど申し上げましたように、特に強く保障されるのは、これは政治的な結社の場合でありまして、少くともその逆に経済的な目的を持つ団結とか結社につきましては、これは単純に二十一条によって割り切ってしまうことはむずかしい、むしろ二十世紀的な憲法の特色として、あるいは社会政策、資本主義の大幅修正ということが二十世紀の特色でありますから、かっての、十八世紀的な、自由主義的な経済というものを原則とする絶対の自由という考えは、現在の憲法としてはとりにくい、むしろ、先ほど申し上げましたような社会権、生存権の保障の規定とにらみ合せますというと、この結社でありましても、経済的な目的を持つ結社につきましては、相当な広い幅で公共の福祉による制限を考えることができると私は思っているのでございます。なお、そのほかに、若干御議論があるかと思いますけれども、一応五十五条の加入命令が合憲か違憲かという問題につきましては、私は違憲ではないと考えるものであります。  なお、蛇足でございますが、これはこのような憲法論が直ちに国会におきまして、そういう法案を作ることが、適当であるかどうかという結論にはならないわけでございまして、むしろ繰り返しこれはいろんな機会に申し上げておりますが、合憲か違憲かという議論が明確に結論を左右するのは、裁判所の場合でありまして、むしろ国会が法律を作った後に、一般の社会においてわれわれが法理上あれは合憲であるとか違憲であるとかという、そういう場合でございまして、国会においては、これは最高機関でありますから、必ずしも憲法のみでなく、もちろん正面から憲法を無視することはできませんけれども、一応憲法違反でなければば、法律はもう当然に作るべきである、そういった拘束は少しもお受けになるはずはないのでありますから、憲法には、相当やはり規定が弾力性を持っておりまして、そこで憲法論と同時に、やはり国民全体のために、そういう法律を作ることが必要であるかどうかということとを合せて御考慮いただきたいと存じます。その意味で私が申し上げましたのは必要かどうかというふうには、実はまだ十分検討しておりませんし、また、私の専門というか、労力の及ばないところでございまして、一応ただ憲法の規定に明らかに反するかどうか、言いかえますと、かりに国会がこの法案をお通しになったときに、あとで裁判官としてみたときに、これはどうしても憲法違反である、このような法律はだから無効として具体的な事件には適用できないというその程度、明確な違憲性を持っておるかどうかと申しますか、私はそうではない。その意味で国会が適当とお考えになるならば、憲法上はこの法律をお通しになることができるという意味で申し上げたのでございます。  一応これをもって私のこの陳述を終ります。

近藤信一日本社会党

○委員長(近藤信一君) ありがとうございました。  次に、北海道大学教授金澤良雄君から御意見を承わります。

金澤良雄北海道大学教授

○参考人(金澤良雄君) 最初にお断りしておきたいのでございますが、私は憲法を特に専攻しておるものではございません。専攻は経済法でございます。憲法論につきましては、ただいま田上先生から非常に詳細な御意見が述べられましたので、憲法学者でない私がこの点につきましてとやかく申す筋合いではないかとも思うのでありますが、本日の問題点がそれに関係しておりますので、私は、経済法を専攻しております者から、その問題に触れてみたいと思います。  と申しましても、まず最初に、やはり憲法の解釈論の問題がどうしても出てくるわけでございますが、この点につきましては、ただいま田上先生から詳細なお話がございましたのですが、私も結論的には結社の自由というものは、公共の福祉のために制限することができるのである、こういうように解釈をしたいと思っております。で、強制加入の条項は、やはり主としてこの憲法二十一条の結社の自由との関係を生ずるのでありまして、この点は、公共の福祉によるならば、それを制限することができるという大前提を認めたいと思います。しかし、その場合も公共の福祉というのは、日本国憲法の本質から見まして、全体主義的な利益というようなものではないというふうに解したいと思います。以上のような前提のもとに加入命令を、五十五条の条項を見ますと、本法の加入命令はかなり厳重な要件で縛られております。そうして、この要件の中に公共の福祉を見出すことができると思います。この点は先ほど田上先生がお話しになりましたのと同じでありまして、言いかえますならば、国民経済の健全な発達、発展というのが、まさにこの公共の福祉として考えられてくるのではないかと思うわけでありまして、そのためには、やはり結社の自由が制限されることができると解せられます。  ただ、この点につきましては、次のような問題点があると思います。その一つは、公共の福祉としての国民経済の健全な発展のためということの判定がきわめて困難であるということであります。従いまして、これをもし誤まりますならば、違憲性の可能性が生じてくるということでございます。また、その二は、こういった国民経済の健全な発展というような名のもとに、従来はややともすると、この全体主義的な利益にこれが置きかえられる危険性があったということ、こういうようなことが、特に日本国憲法のもとでは違憲性が生ずるのではないか、そういうことになれば違憲性が生ずるのではないかというふうに考えるわけであります。  なお、衆議院の修正案によりますと、加入命令があった場合でも、加入することはいやだと言えば行政庁に認証を求めることができるということになっております。五十五条の四項。で、この認証を求める、その認証ということについては、私これは拝見しただけではちょっとわかりかねる点があるのでございますが、もしこれを行政庁の自由裁量の余地がないというふうに解しますならば、加入命令が出ても、いやだと言えば加入しなくともよいのである。従って結社の自由が保証されているのだという見方も成り立つだろうと思われます。しかし、この認証を受けないで、まあいわばいいだろうと思って加入してしまった、強制命令で加入させられた。ところが、その認証を求めるのには一定の期間があるわけでありまして、それを過ぎてもそのままになっておった。ところが、こんなはずじゃなかったというようなことがあとから出てくる。そういうような場合に、それじゃ脱退しようとしても、今度は脱退ができないことになっているのでありまして、それが六十三条であります。つまり加入命令が効力を失わない限りは脱退することができないと、こういうことになっております。その点から見ますと、やはり認証制度があったとしても、結社の自由の制限には変りはないというふうに思われます。  次に、先ほど田上先生もお触れになりました加入命令と、規制命令あるいは服従命令というようなものとの関係について触れてみたいと思います。で、加入命令は規制命令に比べて私の考えでは基本権を制限する限度がやや強いのではないかと思われるのであります。その一つは、加入命令の場合は、何よりもまず結社の自由が制限されております。ところが規制命令の場合は、いわば営業の自由が制限せられると解せられます。いずれもひとしく、先ほど田上先生も申されましたように、ひとしく、同じく自由権であります。ところでこの結社の自由の制限の場合は、個人の団体的規制への従属ということは完全に近いものになってくるのではないか。いわば組織的な拘束を受けるということになってくるのではないか。これに比べますと、服従命令あるいは規制命令の場合には活動面での拘束にすぎない。基本的人権の主体にとりましては、加入命令の場合の方が自由を拘束される感度が強いのではないかと思われます。この点につきましては、ドイツの学者がこの加入命令と規制命令との強制カルテルに関連して比較して述べている点がございますが、やはり加入命令の方が制限が強いということを言っているものがございます。参考のために申し添えておきたいと思います。  その二は、加入命令のためには、まず結社の自由が制限されるのでありまするが、それと関連して営業の自由もまた制限されることになるのではないかということであります。このように加入命令では、自由権の制限の限度といいますか、程度といいますかが強く、しかもその運営のいかんによりましては、違憲の危険性を持っているということになりますと、憲法論からいたしましても、やはりむしろ規制命令をまず採用して、加入命令をできるならば避けるべきではないかというふうに思われるわけであります。ただ、先ほど田上先生がおっしゃいましたように、国家の強権によるところの規制を自主的な調整にまかすという点とでは、かなり問題が違ってくるのではないか、この点まことにもっともな御意見と承わったわけでございますが、ただまあ、私といたしましては、やはり加入命令の場合には、その組織に入ることがいわば強制せられる。しかもこの場合におきましては、本法におきましては加入命令の発動される場合には、中小企業の組合員がその中小企業者の四分の三以上が組合員となっている場合でございまして、いわば四分の一という少数者は加入命令によって加入させられる。ところでそうなりますと、多数決原理がもちろんこの組合につきましても、支配するわけでございますが、おそらく少数者は多数決には勝てないというような事態になるのではないか、だから組合自体としては、なるほど組合と国家との関係においては、自主的なものである。だからその点においてゆるいということが言えるかもしれませんけれども、組合と組合内部の少数者の意見というものの対立から考えてみますと、どうも加入命令の方が拘束力が強いように考えられるのでございます。  そこで、次に問題をやや変えまして国際的な関係、あるいは諸外国の動きに関連して申し述べてみたいと思います。第一次大戦後は御承知のように独占禁止政策が国際的にも推進されておりますし、諸外国の立法例を見ましても、戦後はこの方向にむしろ向っているようであります。アウト・サイダー規制を定めましたものは、わずかにオランダくらいのものではないかと思われます。いわんや強制加入を定めたものは、戦後においては見られないのであります。のみならずドイツにおきましては、強制カルテルは違憲であるとの見解が支配的でございます。ドイツのボン規制法の第九条は結社の権利を定めているのでありますが、この結社の自由は積極的な結社の自由、つまり結社を形成するための自由のみでなく、消極的な結社の自由をも認めるものである。つまり結社に入ることを強制されない自由、そういう自由をも認めるものであるというのが、ドイツの通説でございます。そこでたとえばハーマンというような人は、今日のボン規制法のもとでは、かってのナチス時代の一九三三年のあの強制カルテル法に基く強制カルテルのようなものは認める余地がないということを言っております。また、フウバーもほぼ同じように強制カルテルを認めない立場をとっているものと解せられます。とのようにドイツのボン憲法のもとでは、強制カルテルは結社の自由を制限するものであるというわけで、違憲であるというふうな見解が支配的になっております。以上のような国際的な現状のもとにおきまして、戦後日本で初めて新憲法のもとに強制カルテルを定める法律を作るということになりますと、これはかなり問題視されてよいのではないかと思われます。世界で最初にアウト・サイダー規制を定めましたのは、日本であったと言われております。それは御承知のように大正十四年の輸出組合法と重要輸出品工業組合法でございました。ついで強制カルテル法がイタリア、ドイツ、いわゆる枢軸国で発生してきたのであります。日本でもその後強制カルテル法が次第に強化されまして、また広範にこれが波及いたしまして、商工組合法、あるいは重要産業団体令などになりますと、さらに強制設立、当然加入という方向に進んでいったのであります。そしてこれらを支配した思想は全体主義であったと申せると思います。もちろんその基盤には世界的大恐慌であるとか、あるいは戦時というようなそういう特異な状態があったことは事実であります。しかし、加入命令を認めるというこの一事が、やがては過去の例を繰り返すという危険性、あるいは全体主義的な方向を助成するという、そういう危険性を持っていないかどうかということになりますと、これはかなり問題があるだろうと思われます。そしてこの点にこそ、本法が新憲法のもとに許されるかどうかということの根本的な問題がひそんでいると思われます。民主的な新憲法のもとで、民主的な諸立法が推進されたことは御承知の通りであります。独占禁止法はもとよりその重要な一環でありますし、また協同組合法もそうであります。また、独占禁止法の適用除外を定めております諸法律におきましてさえ、できるだけ民主的なものであることに努めているように思われます。協同組合法やカルテル組合を定めているいろいろの法律は、いずれもその団体が民主的な性格を有すべきこととして、その基準及び原則を定めております。しかも、その基準及び原則の中でも、いずれも任意加入、任意脱退の原則を明示しております。そして本法もまた第七条におきましてこれを明らかに規定しているのであります。この原則は、しかし加入条項の五十五条と、脱退の特例条項六十三条で同じ法律の中で破られることになっているのであります。このような立法はまず初めてであると思います。もちろん、原則には例外がつきものということは言えるのでありまして、この一事をもってこの法律がおかしいというわけにも参りません。もちろん、非常な大恐慌であるとか、特殊な事態が発生した場合には例外を認めることは、憲法上も公共の福祉のためには、その制限から認められていると解せられますから、それは不可能ではないと思われます。しかし、民主的な憲法のもとでの民主的立法であるというためには、この例外はよほどでないと認めるわけにはいかないのではないかと、私としては思うわけでございます。  簡単でございますが、これをもちまして私の公述を終ります。

近藤信一日本社会党

○委員長(近藤信一君) ありがとうございました。  次に、横田公取委員長にこの問題について法律学的な見解をお願いいたします。

横田正俊公正取引委員会委員長

○政府委員(横田正俊君) 実は私はきょうお見えになりました田上先生、金澤先生と違いまして憲法の勉強をいたしておりませんし、また私の役所といたしまして、ある法律が憲法違反であるかどうかというようなことを云々すべき筋合ではございませんので、従来この法案に対しましては、もっぱら独占禁止法の精神という面から、いろいろ意見を申し上げて参りました。ことに五十五条につきましては、好ましくないのではないかという意見を終始持っているわけでございます。  ただ、この法案ができますまでのいろいろな経過を、私は横から見ておりまして、その間で憲法問題が相当当初から論議されておりましたので、私個人といたしましては、相当その点に関心を持って参っておったわけでございます。たしか当初はたとえば三分の二が加入いたしますれば、あとは当然に加入をするというかなりドラステックな考え方もちらちらいたしておったようであります。しかし、だんだんそれらの点は反省されまして、一定の条件のもとに強制加入を認めるというような線に、だんだん落ちついてきたように見ておりますが、内閣の法制局におきましては、その点はやはり非常に気にされておったようでございまして、果して憲法に抵触しない適当な線を引いて、強制加入を認めるかどうかということは、相当法制局の中で検討されておったように聞いております。その結果、非常に苦心をされてできましたものが、現在五十五条として規定されたもののように聞いておりますが、あの法案につきまして次官会議がございまして、その次官会議の席で、たしか法務次官からだったと聞いておりますが、これは違憲ではないかという意見が出たそうでございますが、その際、内閣の法制局の担当の方が出席されておりまして申されますのには、これはなるほどそういう問題もあるが、これだけいろいろ条件がしぼってあるから違憲ではない。しかし、ぎりぎりの線であるということをはっきり言われたそうでございます。ただいま、おふたりの先生のお話を承わっておりますと、結局法律そのものとしては違憲ではないというように大体承われるように思います。私自身も個人としてはまさにそういうように考えております。ただ、あそこにいろいろの条件がございますが、特に国民経済に対する発展に著しい支障を来たすというような重要な要件は、先ほど金澤先生がおっしゃいましたように、この認定は非常にむずかしいことでございまして、もしもこれの認定を誤りますならば、法律そのものは合憲でございましても、その実際の運用、特に通産大臣がこの規定に基きまして、この重要な要件の欠けた場合に、加入命令を出されるという場合に、その加入命令はただに団体法の規定に違反するばかりではなく、やはり憲法違反の処分ということで、裁判所においてその効力を否定されるというような場合が出てくるのではないかということを、私はひそかに考えておるわけでございます。その意味におきまして、たしか公正取引委員会としては、憲法問題については何も今まで申したことはなかったのでございますが、たしか参議院の本会議でございましたか、衆議院の本会議でございましたか、参議院だと思いますが、その際に運用を誤れば、やはり憲法違反の問題が生じ得るということを、私がちょっとどなたかの御質問に対しましてお答えしたと思います。そういう私は気持でおるわけでございます。  で、なおこれは憲法問題と離れますが、それならば、なぜ公正取引委員会がこの法律、ことに第五十五条について反対をしているかという点につきましては、当委員会で私がたびたび申し上げましたように、要するに強制命令制度がございまする上に、もう一つこれはきついかどうかは、いろいろただいまおふたりの先生の間でも、多少御意見の食い違いが見られるようでございますが、その上に加入命令の制度を設ける必要はないということで、終始通して参っておったわけでございます。実はこの強制命令自体につきましても、公正取引委員会としましては、いわゆる強制カルテルの一つの糸口といたしまして、法制的にはあまり好ましくないものであるということを、中小企業安走法に二十九条命令、現在の強制命令でございます。二十九条の命令の規定ができます際に、公正取引委員会といたしましては一応反対をいたしましたが、しかし、やはり現在の五十五条、五十六条と同じように、非常に要件がしぼられておりまして、その要件の上でならばやむを得ないということで、しぶしぶ二十九条をのんだというようないきさつもございまして、実はその強制命令自体にも、まだ多少問題はあるように考えておりまする上に、さらに加えて今度は、われわれの見解をもっていたしますると、もう少しきつい意味の加入命令が加わってきた、ますます問題であるというのが、率直な私どもの気持でございます。なぜ加入命令がきついかという点につきましては、強制命令の方は、その命令を出します際に、具体的な調整規定がございまして、それについて審議会の議も経、公聴会も開き、かなり具体的に問題が処理されるようにできております。ところが、五十五条の方の加入命令の場合は、一たん加入命令が出されますると、その後に決定されまする調整規程は、いわば強制命令を含んだ調整規程と同じ結果を伴うわけでございます。その意味におきまして、われわれは非常にこれはきつすぎる、言葉は多少不適当であるかと思いますが、加入命令を出しますることによって、その後の強制命令の権限を、いわば組合に移譲してしまったと同じような形になるのではないか、しかも、加入命令が一たん出ますると、実際問題といたしまして、これを取り消すということは、なるほど法文の上には、りっぱに要件が欠けた場合は取り消すということになっておりますが、実際問題としまして、われわれの実務上の今までの経験から考えますと、一ぺん出しました加入命令を取り消すということは、なかなか実際問題としてむずかしいのではないか、そうなりますと、もういわば白紙委任状を組合に渡してしまいまして、あとは調整規程で適当に、かなり強制的なことが行われる、ここに私どもは、どうも加入命令について釈然としないものを感ずる次第でございます。もちろん、これは組合に入りまして、中の一員としてこの調整規程が、そう変なものにならないようにすることができるではないかということも言えますが、それは先ほど金澤先生が申されましたような、いわゆるアウト・サイダー的な存在というものは、組合の中では全く陰の薄いものでございまして、やはりそこにできまする規程というものは、かなりそれらの人に不利なように見られるおそれが多分にあるというように考えるわけでございます。  はなはだ大づかみな、あらましだけを申し上げたのでございますが、大体そういう観点からいたしまして、憲法問題から一歩下りまして、私どもはそういう点から、この加入命令の制度に対して、ただいまでも釈然としないものを感じている次第でございます。

近藤信一日本社会党

○委員長(近藤信一君) ありがとうございました。これで参考人及び公取委員長から御見解を伺ったわけであります。  それで、これより委員の質問を許すことにいたします。御質問のおありの方は、順次御発言を願います。

島清日本社会党

○島清君 田上先生にお教えをいただきたいと思います。先生が結社の自由の制約については、政治的なものと経済的なものと区別されまして、経済活動を目的としての結社の自由の制限については、これは積極的に解釈をしてよろしい、こういうお考えで、これは違憲のおそれはない、こういうふうに御説明になったように拝聴いたしました。そうしてそれが違憲でないという、自由の制約を受けて可なりという大前提をなされたのが、まあ公共の福祉の問題であります。これは憲法も公共の福祉のためならば制約を認めておりまするので、だれも、何人も異存のないことだとは思います。しかしながら、この公共の福祉というのが問題でございまして、この公共の福祉の概念について先生にお聞きしたいのでありまするが、先生は、この違憲論でないという、これを容認をされた大前提は、第一条にございまする「国民経済の健全な発展に資する」、これが公共の福祉のためであり、それで経済的な活動目的としているのであるから、これを積極に解釈して可なりではないか、こういう御議論の発展であったように記憶をいたしております。ところが、ここに制限し得る条件としまして、九条が不況要件として規定をしているのでありまするが、その不況要件といたしましては、ここに「一定の地域」、さらに十条では「商工組合の地区は」と言うて、さらに九条の不況要件は、二定の地域」、さらにそれを、商工組合を結成し得るまた地域は、さらにこれを小さくいたしまして、地区ということに相なっているのであります。従って、第一条のこれからいたしますならば、「国民経済の健全な発展のために」ということでございまするならば、あるいはこれが公共の福祉という制限の概念の中に入るかもしれませんのでございまするが、九条、十条になりまするというと、非常に範囲が狭められて参ってきているのであります。従いまして、私はここにこの法律が、一体公共の福祉のために自由を制約しておりまする精神というものが、この第一条の目的の通り全条をこの精神で貫いているかどうかということについて、はなはだ疑問なきを得ないわけであります。そこで、私は公共の福祉というものは、どこまでもこれは国民経済の発展のためである。であるといたしまするならば、これは私はどこまでも一般的なものであり、さらに原則的なものであり、さらに客観的なものでなければならないと思います。一地区のために、あるいは一職種のために、あるいは一地域のために、こういったような公共の福祉という概念が、その必要なる政策のためにこういうふうに例外的なものが認められたりするようなことがあっては、私ははなはだ憲法の解釈といたしましては、政策的なものに左右されないでこの憲法の自由というものの問題について私たちは冷静に、やはり解釈を誤まらないようにしていかなければならないのじゃないか、こういうふうに考えまするので、ここの公共の福祉というものがこの条文の中にも非常に概念がまちまちになっているように思いまするので、先生はこの点については、いかように解釈をしておられますかという点についてお聞かせをいただきたいと思うわけであります。

田上穰治一橋大学教授

○参考人(田上穰治君) 先ほど申し上げましたことがあるいは不十分であったかと思いますが、その公共の福祉というのは、私どもは必ずしも国民全体というものが常に対象になっているという、九千万の国民というふうに明確には考えていないのでございまして、不特定多数の一般公衆というふうに言ってもよろしいかとも思いますが、ただ、御質問の意味は、かりに私どもが一地区の者の利益のみを考慮して、その他の地区の者を場合によっては犠牲にするというふうな、この一地区の利益と他の一般の国民との利害が相反する場合でありますというと、そういう場合には、つまり一地方の、一地区の利益のみを考えて、他の一般の者の利益に反するような場合は、これはもちろん公共の福祉のためとは言えないと考えるのでございます。しかしながら、この一地区の者の利益が必ずしも他の地区の利益と反しない場合には、直接にはその一地区の利益を考えるということが、必ずしも公共の福祉に反するものではない。これはまあ当然のことかと思いますけれども、一応そのように考えます。  そして、ただいまの御質問に対しましてなお補足をいたしますと、この国民経済の健全な発達に重大な支障があるとか、あるいは第一条の場合のこの「国民経済の健全な発展に資する」ということが、当然にこれが公共の福祉ということになって、そしてだからこの法律は合憲であると考えるのかという御質問でございますが、先ほど私の申し上げましたのは、もう少し何というか、限定して申し上げたのでございまして、それはこの公共の福祉という言葉のまず意味を一応申し上げた第二の点でございますが、それはやはりこの中小企業者というものの利益を、一応はこの本法では直接の対象として、目的としておるように思うのでございますけれども、それがその中小企業者以外の一般消費者なり、あるいは大企業者、その他の者の利益と相反するという場合には、むしろまあそういった場合も多いと思いますが、そういう場合には、やはりそれを、そのバランスを考えなければいけない。言いかえますると、著しく消費者に不利益に、消費者の犠牲において中小企業者を救済するということは、これはよほど慎重に考えないと、むしろ憲法違反ということになるのではないか、これは一つは、その人数と申しますか、国民の中の何十パーセントであるかということによっても違ってくると思うのでありますが、比較的この少数の者のために、大多数の者を犠牲にするということは、これは公共の福祉に反する。逆の場合はどうか。大多数の者のために一部の者がある程度の犠牲をまあ忍ばなければいけないというふうなときには、そういう法律は公共の福祉に反するかどうかと申しますと、その場合は、私はこの公共の福祉に直接反するものとは思わないのであります。それは一つは、もう常識論でございますが、先ほどの社会権というか、生存権的な基本権と申しますか、そういう新しい、今の憲法の中に含まれている新しい規定でございますが、そういった考えは、当然に経済的に余力のある、余裕のある者のある程度犠牲において、弱い方の一般国民を救済する、あるいはこれを保護するということが大きな目的、使命でございまして、そういう意味において、この一部の国民がある程度、特に経済問題につきまして犠牲を忍ぶ、これは法律においても許されると思うのでございます。  しかしながら消費者ということになりますと、これは国民のかなり大多数の者が含まれるわけでございまして、その一般消費者と中小企業、中小企業者も数においては非常に多いと思うのでありますが、その利害が対立する、そういう場合には、この法律が当然に合憲であるとは言えない。これはやはり違憲の場合を一応考えなければならないと思うのでありまして、もし、その点で本法が十分な用意を示していないとすれば、その点に私はやはり憲法上の疑問があると思うのであります。実はつい先ほど拝見したのでありますけれども、たとえばこちらの委員会でお考になっておるようでございますが、先ほども十九条に規定するようなことが、広く一般の、たとえば五十五条、五十六条の行政権を発動する場合にも考慮されなければならないというようなことは、私としては大いに賛成なんでございまして、十分な、やはりその意味における公共の福祉ということは、慎重に考えなければならないと思うのであります。  それからもう一つは、先ほど申し上げましたが、公共の福祉のため必要ある規制を加えることがやむを得ないという場合でありましても、その国家権力の発動は最小限度にとどめなければならない、必要の程度を越えて、行き過ぎた規制を加えることは憲法の規定に反すると思うのでございます。そうなりますというと、程度の問題でありまして、実はあとで金澤教授のお話を伺っておりまして、五十五条と五十六条の関係で、五十五条の方の規制がやはりきびしいと、これは横田委員長のお話しにもございました、実はこの点は私は専門からはずれるのでございまして、金澤先生とか横田先生の方は専門家であられますから、私伺っておりまして、実は私の申し上げたことが幾分誤っておったように今考えるのでございます。これはしかし、金澤教授からかなり詳しくお話がありましたので、もう私はそれに対して何も反駁するような材料もございませんし、率直にこの五十五条、五十六条の比較におきましては、五十六条の方が規制としては穏やかであるということを私も認めざるを得ないのでございますが、ただ先ほど申し上げましたように、一般の何というか、強制カルテルの問題につきましては、相当やはり法案では注意をしているように見受けるのでございまして、六十二条のこの要件を欠くに至った場合には、その命令を取り消すとかというふうな規定もある。しかし、これは横田委員長が御発言になりましたように、実際にはもしこの法律の規定を政府において忠実、誠実に執行しないで、いわゆる権力を乱用した場合にはどうかということになりますと、実はこれはもう一般の憲法論でございますけれども、司法権によって、つまり最初から裁判所の判決によってこの規制を加えるというのであれば、司法権を乱用するということは、まずわれわれの常識では考えられない、行政権の方は非常に切れる刃物のようなものでありまして、ただその扱い方によっては、かなり効果があるが、他方においてまた乱用されますというと、人民には非常な傷がつく、けが人が出る、そういう意味におきましてやはり司法権による規制の方が取締りを受ける、規制される人民にとりましては、安全であるというととは、一般的に言えると思うのであります。憲法の学説の中にも、先ほどは申しませんけれども、公共の福祉に反する場合に必要な最小限度において個人の自由を制限できるという場合にも、司法権によるならば差しつかえない、合憲であるが、最初から行政権によって規制を加えるということは、非常にきびしいから、憲法違反であるという相当強い学説もございます。私は実は申し上げませんでしたのは、必ずしもその学説に賛成しないのでありまして、行政権による取締りが常に違憲であるというのは、憲法上明確な根拠はない。憲法はどこにもその意味において行政権と司法権とを区別してはいないと思います。けれども、やはりこの場合比較いたしますというと、司法権の方は比較的人民にとって安全である、だから程度の問題といたしまして、行政権の乱用に対しては十分にこの注意を払わなければいけない。これは、もちろん現内閣の閣僚が乱用するという意味では毛頭ないのでありますけれども、しかし将来どういう、どなたが当局の地位につかれる場合であっても、われわれ国民は安心してその法律に従うことができるというふうに考えておかなければならないのでありまして、その意味では横田委員長が御指摘になりましたように、非常にこういった法案は要件が不確定概念と申しますか、当局の解釈によって相当幅のある、違った意味にとられるような規定の場合には、よほど立法に当っても慎重にお考えいただく必要があると存じます。そうして、もちろんこれによって違法に個人の自由が侵された場合には、訴訟で争うことができるはずでございますが、御承知のように裁判所の救済というのは、非常に時間がかかるわけでありまして、急場の間に合わない。従って必ずしも訴訟上の救済を、初めからそれに信頼して、そうして法律の規定が幾分不明確であっても差しつかえないという、そういうふうには私は考えないのでございます。ただしかし、初めに申し上げましたように、立法の技術としましては、五十五条あるいは五十六条その他あとに続いております条文などを見まして、相当に注意をしておられる。もちろん欲を申しますというと、さらに要件をしぼって、そうして権力の乱用される、あるいは裁量の余地をできるだけ狭くするということが望ましいのでございますけれども、それはこの程度であるから、直ちにその意味において憲法違反であるかというと、先ほど申し上げましたように、私は、現状において合憲だと考えるのでございます。ただしかし、それがさらに立法の技術の上で要件をしぼることができるならば、それは適当であろうと思いますが、しかしそうでなければ違憲であるとは考えないのでございます。御質問に対するお答えが少しはずれたようでございますが、もう一度申し上げますと、公共の福祉の意味をやはり私は厳重に吟味しなければならない。その場合に中小企業者の利益のみを考えて、その他の国民の利益を全く無視するようなことであれば、もちろん公共の福祉とは言えない。また、地区の業者のみの利益であって、それがしかし他の地区の一般の国民の利益と反するような場合には、これもやはり公共の福祉のためとは言えないと思うのでございます。また、その場合に必要な最小限度に規制をとどめるということも、当然憲法の議論としては計算に入れていただきたいと存じます。

島清日本社会党

○島清君 言葉が適切でなく、議論めいたような表現でございますれば、先生に御議論申し上げようと考えておりませんので、お許しをいただきたいと思いますが、先生は今、第一回の御説明よりはやや消極的な意味の前進のように御説明を拝聴しましたが、不特定多数の利益を守るということが、公共の福祉でなければならぬというお説でございましたが、もちろん私は大へんな、重要な要件であろうと思います。私たちがこの法案を審議いたしましてから、閉会中も審議をいたしましたが、非常に国民の関心が高まりまして、この法案に国民の関心が向けられておるのであります。そこで連日傍聴者も超満員の状況でございますが、これもきょうは消費者の利益を心配される方々の方が多いようでございます。で、私たちは賛成をされる方々の方が多いのか、それとも反対をされている方々の方が多いのか、いつも傍聴席を見ながら、まあ、この法案と取り組んでいるわけでありまするが、審議に際しましても、これは絶対不特定の多数の利益を守るためにということは言えないような気がするのであります。そこで、この条文を拝見をいたしましても、この不特定の大多数の利益のためにという、いわゆる抽象概念で表現されておりまするものが、これには随所でこの概念がくずれておる。さらにそれを一般的な、原則的なもの、さらにこれを客観的なものはどこで判定するんだということにつきましては、審議会というものが一応設けられておりまするけれども、しかしながら、審議会の方へ持ち込みまする原則的なものは、どこまでもやはり一般的なもので、原則的なものであり、こういうものでなければならぬという条件がそろって、初めてこの審議会の方に持ち込めるというふうにしなければならないと思います。何でもかんでもその審議会の方に持ち込んでいって、審議会の方でよろしく客観性を与えて判定をしたらよかろうというようなことは、私はやはりその憲法の公共の福祉を云々という概念がくずれてしまっておるのではないか、まあ、こういうふうに思えましたので、先生に公共の福祉というものの概念の条件的なものをお聞きしたようなわけなんでございますが、まあ大体先ほどの説明で一応の理解ができるような気がいたしますけれども、もっと先生の方からさらに説明を加えていただきまするならば、なおこれに過ぎる仕合せはございません。

田上穰治一橋大学教授

○参考人(田上穰治君) 実はもうこれ以上申し上げる知恵もないのでございますが、公共の福祉という言葉の意味、あるいは定義を明確にするということは、実は非常に私どもむずかしいように思うのでございます。問題はむしろ定義をかなり詳しく抽象的な言葉で法文に現わしましても、それではやはり決定しないので、ただいまもお話がちょっと出ましたように、実際はこれを認定する、あるいは行政当局の権限が乱用されないように、それを実際の手続の上でどういうふうに乱用を阻止することができるかということであろう。つまり手続きの方の問題が中心であろうと私は考えます。その意味で審議会の、たとえば一部御意見があったように思うのでありますが、いわゆる三者構成のようなことも一応は私考慮されると思うのでございます。しかしそういう点におきましては、実は私よりもむしろ金澤先生の方が御専門でありまして、どうかあまりはっきりとそれがいいとか悪いとか、私は申し上げるのは、これは差し控えたいと思うのでございますが、もちろんそういった審議会のような制度、さらにその委員の構成などにつきましても、十分に考慮すべきであろうと存じます。また、結局最後に救済の問題になれば訴訟ということになるわけでございますが、そういった点でも、あるいは特別な考慮を払う必要があるかもしれない。たとえば破防法とか、いろいろな公選法とかというようなものを考えますと、訴訟についても特別な規定が入っておりますが、そういうこともあるいはこういう問題につきまして、もし考えることができれば合憲と、つまり憲法違反の疑いはそれだけなくなるわけでございます。不徹底でございますが、一応……。

近藤信一日本社会党

○委員長(近藤信一君) 委員各位にお願いしますが、質問者もたくさんありますので、なるべく質問は要点を簡潔に一つお願いします。

相馬助治日本社会党

○相馬助治君 田上教授に伺いたいと思いますが、私は三点伺いたいと思います。まず第一点は、一つの条項が憲法違反であるかどうかを、法律上の一条項においてのみ判断はできない。すなわち他の条項において救済しておるがゆえに、一つの条項の憲法違反の疑いも消滅する、こういうふうな意味の御発言のように思うのでありまするが、これは先生が初めからお断りしておりまするように、先生は経済学者でなくして憲法学者であるということをよく承知いたしております。しかしながら、今問題になっている法律は明らかに経済立法のその中に起きて参りました憲法違反の疑いありやいなやという問題なのでございます。従いまして端的に五十五条を見ます場合には、他の救済規定云々を別といたしまして、憲法違反の疑い、憲法違反ではないとおっしゃったことはよくわかりましたが、憲法違反の疑いありとお考えでございますか。いわば運用上は憲法違反の疑いある結果になる懸念なしとしないというふうに御判断でございましょうか。それともまた、この程度のものならば、憲法違反の疑いは理論上差しつかえないと、かような断定でございましょうか、伺いたいと思います。

田上穰治一橋大学教授

○参考人(田上穰治君) 簡単に申し上げますと、私は先ほど申し上げましたように、程度の問題と、この必要の程度ということがこの場合には重要であろうと思います。そしてその程度の問題、程度の違いによってあるいは合憲となり、あるいは程度のいかんによっては違憲となるというのは、あいまいな答えではないかという御懸念があるかと思いますが、これは先ほどもちょっとお断り申し上げましたが、大体私どもの憲法論というのは、裁判所において裁判官が論ずる場合を一応考えるわけでございまして、国会が法律をお作りになった後に、つまり国会で合憲と判断し、適当と考えて法律をお作りになった後に、裁判官の立場であるいは法律学者の立場において違憲であるかどうか、こうなりますというと、これはやはり原則として合憲と推定する。よほど明確な根拠と申しますか、論拠がなければ違憲とは考えない。その意味では憲法は非常に弾力性を持っているから、大体の、ほとんどの法律が多少議論があっても合意という答えを出すのでございます。それはつまりこの政治の議論には私どもはなるべく介入をしないで、明らかに法律の法理論によって割り切れる範囲において発言をすると申しますか、結論を、一応判断を下す分をわきまえているつもりでございますが、しかし今回の、つまり国会におきまして法律を論ずる場合には、この合憲が違憲かという議論と、それからその法律が、法文が適当であるかどうか、政治的に見て立法の必要があるかどうか、そういうことは非常に区別がむずかしいし、また、厳密に区別する必要があるかどうか、私は疑問を持っているのでございます。つまり国会におきましてはもちろん明白に、裁判所においてもおそらく違憲であろう、そういうそこまではっきりとしておると、これはもう政治的に適当か不適当かということを論ずる余地はないのでございますが、しかしそうではなくて、裁判所の方で合憲であるという場合でありましても、しかし国会の立場においてはそう簡単には答えが出ないわけでありまして、かりに裁判所で合憲、あるいは法律学者が合憲という場合であっても、なおそれが不適当であるという場合が十分に考えられます。従ってそこまで広げて参りますというと、ただいまここで御論議になっておりまするような問題は、程度のいかんによっては私はやはり違憲の場合が考えられる、しかしその場合に、それは裁判所において程度のいかんによって違憲という結論は出しにくいのでありまして、また私どもの立場といたしましては、憲法学の立場においては簡単に、程度がややきびしい、五十五条の方が五十六条よりきびしいからといって違憲だという結論は出しにくいのであります。出しにくいというのは、御遠慮しているわけではないのでありますが、純粋な法律学として私どもの立場から、はっきりと判定できる範囲においては、違憲ということが困難である、しかしながら、国会議員の方は私どものようなこの憲法論をもう少し幅を広くお考えになってよろしいと思うのでありまして、つまり合憲、違憲という議論、政治的に適当か不適当かというその違いは、非常にこの国会の御論議においてはデリケートな違いでありまして、はっきりとしたその線を引くことはむずかしいように思うのであります。私のお答えしておるのは、むしろはっきり申し上げますと、裁判官として、あるいは国会が制定、かりにこういう法律を制定したときに、一法律学者として違憲と言うかどうか、そういう問題に対しては、はっきりとこれはこの原案を、現在の法案は違憲ではないと申し上げておるのでございまして、それならば当然国会においても適当としてこの法案に賛成されるかというと、これはまた私どもと違った独自のお立場があるまずでございまして、そういう意味において、繰り返し申し上げますが、程度はもちろん慎重に考えていただきたいのでありまして、必要の最小限度ということでございますが、それならばどの程度行き過ぎた場合に、はっきりと憲法違反と言えるか、これは私どもといしたましては疑わしい場合は、やはり合憲と考えるという立場でございます。

相馬助治日本社会党

○相馬助治君 ただいまの問題を先生が立場を明瞭にされて御説明下さったので、その立場はよく了解をいたします。私は質問の第二として、ただいまの問題を別な角度から一つお尋ねして御指導いただきたいと思うのでありますが、先生は、国会においてこの法律を立法せしむる場合、立法の技術上この程度ならば差しつかえない、かようにおっしゃっておるのでありますが、私どはむしろこの種の、かりに憲法違反の疑いがありとする議論がかなりあるこの問題を、訴訟上の救済な目途としてあとで合憲か違憲かを裁判所によって争い、そこにおいて救済するというような内容を含む立法をするということについて、実は疑念を持っておるわけでございます。先生も御承知のように、アメリカ等においては、憲法違反事例というものがかなり断定されまして、これは憲法違反であるというような事例が多いのでありますが、日本においては残念ながら憲法違反というものは、ほとんど成立をいたしておりません。憲法違反であると最高裁判所が断定した事例というものは、まことにりょうりょうであるということは、先生自身が御承知の通りでございます。従いまして、国会といたし残しては、運用上違憲の疑いが生じてみたり、あるいはまた、時の政府の拡大解釈によって違憲の疑いを生ずるであろうというような立法、あるいはまた、公共の福祉というものの判断がかなり複雑であるというような問題、かつまた、先生自身としては経済学者ではないと御断定でございますから、中小企業全部の利益のためにこの法律が立法されるというような前提にお立ちになるのは当然だと思いますが、金澤先生が御指摘のように、実は救済されるであろうと予想される中小企業者の中においてすら、この法律がこの五十五条の規定によって真に救済になり得るやいなやに、零細企業その他の面において疑問があるという前提があるわけです。そういたしますと、実は五十五条が、かりに憲法違反でないと断定されれば別として、憲法違反の疑いが法律上もあるし、かつ運用上さようなる疑いというよりも、さようなる懸念が十分にあるとする場合には、国会といたしましては、またわれよわれ国会議員といたしましては、これの立法については慎重を期さなければならない、かような立場をとるのでございます。田上先生の場合は、これはいずれ訴訟上救済されるから、あまり窮屈に考えずに立法を進められてもよろしいのではないかという御議論に思いまするけれども、私どもといたしましては、さようなる自信が未だ胸の中に固まらないのでございます。そういうような角度からお尋ねするのでございまするが、五十五条は明瞭に憲法違反であると断定できない。そうしてこれは憲法学者の立場から見れば、まず突き詰めて言えば合憲であると、かようにおっしゃるのでございますが、日本の今の政治の現実、それから憲法違反の裁判の事例その他から考えましてこの五十五条というようなかなり疑義のある問題を議する場合に、先生としてはどのような態度を国会がとることが、国会議員としてとることが正しいとお考えであるのか、非常に質問がオーバーであるとは思いますけれども、(笑声)私は率直にこの点を承わりたいのであります。これは笑いことでなくて、この法律は事実この一点に集中しているのでありまして、ぜひとも先生の御見解を承わりたいのであります。

田上穰治一橋大学教授

○参考人(田上穰治君) ただいまの御発言に対しまして、私は訴訟上の救済を初めから期待しているという意味ではなくて先ほど申し上げましたように、裁判所は、ただいまの御発言にございましたように、明らかに、ほとんど従来は日本の裁判所は憲法違反と法律を判断したことは非常に特殊で、少くとも最高裁判所においてはあまりないといってよかろうと思いますが、そういう現状だから、私もその意味において、だからと言うと変でございますが、裁判官のその態度は決して間違っていない。それは裁判官が立法権を侵すことは許されないことであって、明らかに憲法違反という確信がなければ、この国会が制定した法律を違憲とすべきではない。この意味で私は現在の最高裁判所の態度には賛成なのでございます。その点はだから私が何か訴訟上の救済に非常に期待して、その方でかりに違憲の疑いがあっても何とかなるというように、もしお受け取りになったといたしますと、それは私は一応御訂正申し上げたいと思います。  そこで私の意見はどうかと申しますと、これは先ほど申し上げましたように、この法案はこの程度であれば合憲と申すのでございまして、それは決して大ざっぱに公共の福祉にただ適合するというふうなそういうのではなくて、一応時間は不足しておりましたが勉強、これは昨日この法案をお送りいただいたものでございますから、ほんとうの一夜づけで十分な勉強はできておりませんが、拝見したところでは、相当にいろいろな点で注意を払っておられるので、つまり権力を乱用することなく、防止するような工夫をしておられるという意味において、私は合憲と考えるのでございます。ただ、その私の発言がかなり不徹底であったように思われますのは、それはもしそれに対してわれわれ学界の中で五十五条が憲法違反であるという学者が出て参りましたときに、それに対して私どもの方で、いや合憲であるという議論をいたしとます。そういうときに程度の差ということになりますから、はっきりしたきめ手はない。だからそういうことを一応予想いたしまして、そこで学者によっては違憲であるというふうなことがあるだろう、そういう意味で私表現が幾分不徹底でございましたが、私一人の、一個の考えはどうかという御質問でございますと、私は合憲と考えております。

相馬助治日本社会党

○相馬助治君 最後の三点目の質問を私は金澤教授にお尋ねしたいと思うのです。お聞きしたいことは、田上教授に質問をいたしたことと同断です。要するにこの五十五条の規定を立法いたしました場合に、立法府の意思にかかわらず法律は単独の効力を発生して、時の行政府によってこれが運用され、しかも、経済生活上重大な意味を持つ法律でありまするので、私どもはこれは慎重に考えておるのでございますが、この五十五条の別段の面において行政権の乱用がなされないような保障が各所に見える。しかもまた、具体的に申しますれば、商工組合の設立要件というものもかなり厳重であるから、五十五条というものは違憲の疑いはあるけれども、差しつかえないという議論も多いのでありまするが、先生は経済学者としての立場から、この五十五条を他の救済規定と連関して違憲と考えられるか、また、違憲の疑いありと考えられるか、またこれをこのまま成立せしめるとするならば、別段のところで、もっと積極的な何らかの立法上の保障が必要とお考えになるか、これらを総合して御指導賜わりたいと思います。

金澤良雄北海道大学教授

○参考人(金澤良雄君) 私は経済学者ではなくて、実は経済法で、やはり法律の方ございます。ただいまの御質問でございますが、もちろん、五十五条の合憲性を検討いたします場合には、まず五十五条自体に限ってまず考えてみる必要があると思います。その場合に国民経済の健全な発展という非常に抽象的な表現のもとに、ややともすれば運用の面で違憲の危険性が生ずるということは、それ自体として言えると思います。ただ、国民経済の健全な発展という問題、たとえば発展に著しい支障を生ずるおそれがあるかどうかというようなことを行政庁が認定をいたします際に、他の条項においてその判断を誤まらしめないような措置が十分に講ぜられておるならば、その危険性はそういう条項との関係で相対的に薄れてくるということは、一般的には言えると思います。その点につきましてこの五十五条につきましては、発動する場合には公取と協議するということになっております。それからもう一つは、例の審議会に諮るということになっております。ただ、この二つは判断を誤まらしめないだけの十分な保障であるかどうかということになりますと、従来の例を見ますと、必ずしもそうはいかない。かなり最悪の場合にはおざなり式のものになる危険があるのじゃないかということであります。

近藤信一日本社会党

○委員長(近藤信一君) ちょっとお諮りしますが、金澤参考人は一時から東大の講義があるそうでございますから、若干おくれてもいいそうですが、でき得べくんば一時までに帰りたい、こういうことでございますから、金澤参考人に御質問がおありの方は、その方を先にしていただきたいと思います。

阿部竹松日本社会党

○阿部竹松君 金澤先生にお尋ねいたしますが、先生のさいぜんのお話しの中で、大正十四年に作った二法案のことが若干触れられておったのでございますが、私は大正十四年の二法案についてはよく勉強しておりませんのでわかりません。昭和十三年に作りました国家総動員法、それから十六年に作った総動員法の改正、この主要部分が非常に今回の団体法に似た点が多々あるわけであります。従いましてこれの相違点を若干お伺いしたいと思います。私はこの主要点は国家総動員法と全く同じだというふうに、文字は違っておりますけれども、意味は全く同じだというふうに理解しておるものでございますから、もし相違点があれば、先生から御説明願いたいと思います。

金澤良雄北海道大学教授

○参考人(金澤良雄君) 国家総動員法、あるいは昭和十八年にできました商工組合法による統制組合、こういうようなのは、ただいまお話しのように傾向として非常に似ておるというお話しでございます。その点につきましては、国家総動員法のあの十六年の改正、あるいは商工組合法によるところのかつての統制組合、これはこの強制加入命令よりさらにもう一つ進んだ段階であると思われるのであります。設立自身が法律によって直接設立される。そして設立されますと、今度は強制加入というよりも、さらに進んだ当然加入と申しますか、設立されたら、資格者は全部その組合員になってしまう。そういう段階に進んだ。その点が本件の場合とは違う。それからもう一つの違う点は、統制組合なり、重要産業団体令による統制会、その他はフューラー・システム、指導者原理を導入したものでございます。つまり最高議決機関の総会を無力化せしめまして、理事者の専断で運営していく、こういう形になっております。ところで、この点につきましては、本法案によります商工組合は議決権の点については、そこまでは進んでおらないのであります。やはり最高議決機関としての総会は認めているという点で違うのではないかと思われます。それから大正十四年の輸出組合法と重要輸出品工業組合法は、この本法案の関係で申しますと、本法案には直接そういう規定はないのでございますが、いわゆるアウト・サイダーを規制し、一定の組合の協定にアウト・サイダーも従えという命令を出すようにした法律であります。それが進みまして、そういう段階にまで来たわけであります。

小幡治和自由民主党

○小幡治和君 先ほどのいろいろな質問とお答えの面について私拝聴いたしておりますと、どうも法律問題と運用問題が何か混同されているような御問答もあったように存ずるのでありますけれども、現在のこの団体法そのものの条文というものを、一つ読んでいただいて金澤教授に御判断願いたいと思います。五十五条には要するに、「第九条に掲げる事態の克服を阻害しており、」とあり、この第九条には、正常の程度をこえて競争が行われているため、その中小企業者の事業活動に関する取引の円滑な運行が阻害され、その相当部分の経営が著しく不安定となっておる、そういうときには五十五条においてそれを受けとってきて、中小企業の経営の安定に重大な悪影響を及ぼし、国民経済の健全な発展に著しい支障を生ずる、これだけの要件がそろっている。そういう要件のそろっているこの法律の条文というものと、憲法を一つ比較して考えると、憲法の中においては、結社の自由もありましょう、営業の自由もありましょう。しかし、その中に公共の福祉ということによってこれを制限し得るということもある。憲法の違憲であるか、合憲であるかということは、憲法のそういう全体についてこれを律するというならば、法律にこれだけのことが書いてある、この法律のこの条文というものを見て、法律の条文として公共の福祉ということに当てはまっているか、おらないか、この条文は公共の福祉として考えるには足りないという御判断なのか、   〔委員長退席、理事相馬助治君着席〕 また、これだけのいろいろな条件というものがそろっているこの法律文であるならば、憲法の公共の福祉というものにこれは合致しているのだ、あとは運営の問題なのか、どういうことなのか、そこのところをはっきり一つ承わりたい。いかなる法律があっても、いやしくも権利の乱用ということがあれば、それは違憲になり、法律違反になるのは当然です。そういう乱用の問題でなく、法律の条文の面において、公共の福祉という言葉が、この法律にいろいろたくさん書いてあることだけで、公共の福祉と言えないのか、また言えるのか、これだけそろっているならば、公共の福祉と言えるのだ、あとは運営の問題だ、行政権はしっかりそこのところを考えなければいけないという御注意なのか、そこのところをはっきり法律論として伺いたい。

金澤良雄北海道大学教授

○参考人(金澤良雄君) これだけの条件がそろっておれば、公共の福祉による制限が憲法上認められるという点につきましては、その通りだと思います。ですからお説の通りあとは運営の問題であるというふうになると思います。ただ、その点について十分の注意を要するということは申し上げておきます。

梶原茂嘉緑風会

○梶原茂嘉君 二点私伺いたいのでありますが、今の問題にも関連するのでありますが、純粋に法律論といいますか、そういう点で伺いたい。田上先生にまず……。一点は憲法違反の疑いがあるということに関連して、結社の自由に触れると、こういうまあ議論があるわけであります。私よくわかりませんけれども、結社の自由はですね、先ほど田上先生の言われたように、積極的な結社の自由というものを憲法は保障しておるのであって、消極的な加入しない、参加しない、結社を作らないという自由を確保したものかどうか、この点が第一点。先ほど金澤先生はボンの基本法の御説明がございましたが、私ボンの基本法をよく知りませんけれども、現行の日本の憲法でこの問題が結社の自由の問題に関連するのかどうか、これは別じゃないかというのが私の考えであります。それをお教えを願いたい。  それからいま一点は、先ほど来問題になっております点は、五十五条だけごらんになりますと、おそらく田上先生もそれから金澤先生も今言われたようにこれは公共の福祉の点から見て当然違憲でないという御判断をされることは私無理はない、むしろ、ごもっともと思うのであります。現在この法案が立法の過程にあるのであります。問題の所在はここにあると思う。五十五条と九条に関連いたしまして、公共の福祉から言えば、何らかの方法によってアウト・サイダーを規制しなきゃいけない、規制しなければ公共の福祉が確保されない。従ってその方法として五十五条が現われておるのであります。しかしながら、アウト・サイダー規制命令を出して、それによってその一つの制限に服せしめることができれば、百パーセント公共の福祉は確保されるのであります。百パーセント確保される、立法上その道があり得るにかかわらず、それにプラスして加入命令を出して組合に入れるというところに問題があるのであります。論者としては、考え方としては、それで百パーセント公共の福祉が確保されているんじゃないか、それで中小企業は安定するんじゃないか、その通りだ、員外規制命令ですよ。   〔理事相馬助治君退席、委員長着席〕 ところが、それをとらずに、その道をとらずに強制的な加入命令によってその方法を確保しようというところに問題があると思うのであります。この委員会の議論といたしましても、組合に入った方がベターである、その方が好ましいというわけなのであります。一体この好ましいとか、ベターだということは、公共の福祉にどういう関連性があるかというのが一つの疑問なのであります。五十五条だけをごらんになりますと、先ほど申しましたようにお説の通りだと思いますけれども、従来も金澤先生御指摘のように立法例から見ましても、員外規制命令で事が足りておる。現在の安定法でもそうなっておる。それを一歩進んで強制加入せしめなければ公共の福祉が確保されない、こういうふうに言い得るかどうかというところに、問題の所在が私はあると思うのであります。その点を一つお教えを願いたい。

近藤信一日本社会党

○委員長(近藤信一君) 金澤参考人に先に答弁していただいて、それから金澤先生に他の委員からの質問がなければ田上先生から答弁していただきます。

田上穰治一橋大学教授

○参考人(田上穰治君) 金澤教授の方からお答えするのが本筋かわかりませんが、ただいまの御質問に対しまして、実は私ちょっと御訂正申し上げたいところがあるのでありますが、それは、私も結社の自由というのは、結社を作る自由だけでなくて、結社に入らないということのやはり自由、それは憲法で保障されている。これは一般に言論の自由でもその他自由権一般の共通な議論でございますが、そういう自由は積極的、消極的、両方の意味において憲法は一応保障していると考えるものでございます。ただ、その積極的とか消極的ということをちょっと先ほど申し上げましたのは、それとは少し違うのでございまして、結社の自由、憲法二十一条特に政治的結社などにつきましては、これはアウト・サイダーなんということを問題にすることは、ちょっと非常識かもわかりませんが、しかし今回の団体法のように、そういう意味においてもし強制的にある一定の範囲の人を、特定の政治的結社に加入せしめるというようなことになれば、これは明らかに憲法に違反する。言いかえますと一般の結社の自由に内在する制約とは、このような加入強制は認められない。ところが、先ほど申し上げましたのは、今回の法案は政治的結社ではなくて、明らかにこれは国民の経済的な活動に関する結社の自由でございますから、そうなるというと単純な内在的な制約という一般的な法理ではなくて、それは社会権というか、生存的な基本権との関連において、かなり積極的な、積極的と申しますのは、単なる現状維持、社会生活における秩序が従来通り維持されるというだけではなくて、それはさらに進んで一そう、たとえば法案にございます健全な発達という、水準を引き上げていくレベル・アップの要求を込めた、そういう意味の統制というか規制が可能である。その意味において積極的な国権の発動が一応合憲とされる。そういう意味において普通の結社の自由の場合とは幾分違っておるということを先ほど申し上げたのでありまして、結社を作らない自由を私が認めた、認めないわけではないのでございます。ちょっとそれだけお断り申し上げます。

金澤良雄北海道大学教授

○参考人(金澤良雄君) 第一点につきましては、ただいま田上先生がおっしゃいましたのと同じ。第二点につきましては、五十五条と五十六条でございますが、五十六条の読み方、私ちょっと不明確で、わかりにくかったのでございますが、五十六条の場合は障害を与える活動が中小企業者の場合も含むというふうに解せられますならば、五十五条と五十六条の場合によって、保護せられるべきいわゆる国民経済の健全な発展とか、いろいろな条件というものは同じなのであります。従いましてこの目的とされている経済的な効果を達成するという点につきましては、同じだと思うのであります。そうなりますというと、先ほど申しましたように、五十五条による規制の方が、五十六条による規制よりも強いということになりますと、その強い段階にまで、しかも運営いかんによっては、憲法違反になる危険性のあるような方法は、なるべくならば避けた方がいいのじゃないかというふうに思うのでございます。

小西英雄自由民主党

○小西英雄君 大体私たちがこの法案の審議に当って、やはり五十五条だけを読んでおると、どうもわれわれのしろうと考えでも、多少違憲の疑いがあるのじゃないかという考え方に一度は立つのでありますが、法案の全体を通じて考えますならば、この公共福祉の点から推して、これは違憲でないという判定に立ったのでありますが、本日田上教授、金澤教授並びに横田公取委員長の三者の意見は、一致して法案そのものは、大体違憲でないという明らかに判定が下されたように考えますが、運用のいかんによっては、そのおそれがなしとしないという面もございましたが、私たちはこの五十五条は職業の選択、あるいは結社の自由に対する相当な規制であるようにも考えられておりましたが、本日の皆さん方の三者の意見、いろいろわれわれこういう参考人を呼ばれる場合には、時の政府の御用学者的論が非常に強い場合が多いのでありますが、本日は横田委員長、三者ともの意見が相当突っ込んだ意見でありましたので、私たちは大体この法案が運用さえ誤まらなければ、りっぱな法案であるという確信を持ったのでありますが、こういう点に……。

近藤信一日本社会党

○委員長(近藤信一君) 小西さん、それは質問ですか、金澤参考人に対して今質問をやることになっておりますから……。

小西英雄自由民主党

○小西英雄君 金澤参考人に対しては、私たちは一点聞きたいのは、やはりこの二十二条における職業の自由という面については、何らの異議をはさまないかどうか、これは公共の福祉によっていろいろ問題点は全部打ち消されてしまったかどうかという点であります。そういう点について御意見を承わりたい。

金澤良雄北海道大学教授

○参考人(金澤良雄君) 加入命令の場合に、まず第一に問題になるのは、やはり結社の自由だと思います。しかし、それに関連いたしまして入りますと、当然いろいろ組合の規定に服していくわけでございます。調整規程に服していくわけでございますが、そうなりますと、本人の意思に反してそれに服さざるを得ない、多数決原理によって、得ないという場合も生じてくるということは、結局その営業の自由を制限せられる可能性もそこに出てくる、こういうふうに思うわけでございます。それで規制命令の場合には、これは活動制限つまり営業の自由の制限ということだけであります。そういうふうに考えております。

岡三郎日本社会党

○岡三郎君 先ほど金澤さんの方から、こういうふうな中小企業の事業が不況に陥った場合に、その不況な事業を克服するために、まあいろいろと手だてをする、そういった場合において、第九条の規定というものは、私は非常に抽象的であって、なかなかこの判定というものはむずかしいわけでありまするが、しかし、一応そういうふうな第九条の趣旨にのっとってこれを克服するために、この五十五条、五十六条というものがある、そうしてこれは運用する仕方によっては、違憲の疑いというものも出てくるという、そういう心配感から先般われわれはこの委員会においても、五十六条があれば一応その目的が達し得られるじゃないか、そうして全体的な、総体的な面から考えれば、やはり結社の自由というものを侵すような心配を屋上屋を架して作っていく必要もないのではないかということを尋ねたのですが、その場合において岸総理は、まあ二つとも違憲であれば違憲だからということで、二つともいいのだという意見、私の方はもしもそういう疑いがあるならば、一方だけでも目的が達せられるということになるならば、あえて国民が不審に思っておるそういう強制加入という問題を、無理にここへ入れてやる必要はないじゃないかということを言ったわけなんです。しかし、これは見解の相違で分れておりますので、もう一ぺん確認したいと思うのですが、今五十六条で大体その目的が達せられるとするならば、五十五条というものが非常に今問題の焦点になっておるわけです。私はだから違憲論という立場ではなくて、今の時代において、戦争放棄の第九条について戦車を特車といっている時代において、大がいのことは何を言ったって合憲ということになっちゃうと思うんです。国民はこういう点に非常に不信を持っているんですが、こういうふうな横暴な解釈が憲法について横行しているときに、私は合憲であるか、あるいは違憲であるかということを論ずるということは、やややぼに近いというような気持を持っているわけですが、これは私は今の解釈上に対する非常な不満な見解の一人なんですが、そういうふうな点から考えて、合憲、違憲ということではなくして、実際に中小企業を救済してやりたいとわれわれも思っているわけです。しかも憲法の条章というものにこれが抵触することを避ける、こういう精神、こういう基本的な、新しい民主主義の原則に立脚した精神からいえば、どうしても私は五十五条、五十六条の中で、五十六条でいけるんじゃないか。だからもっときつい五十五条を削除したらどうかという意見について、重複するようですが、もう一ぺんお答え願って、それに合わして田上教授の御意見を伺いたいと思うんです。

金澤良雄北海道大学教授

○参考人(金澤良雄君) その点につきましては、同じ営業の自由も、それから結社の自由も同じく基本的自由権であることには違いございません。そうして営業の自由権を制限し得る要件が備わっている場合には、その同じ要件で結社の自由を制限する場合にも私はそれはできるのだというように考えます。その点は全く平等でございます。ただ問題は、公共の福祉による制限は、できるだけ最小限度でなければならないというととがやはり大前提としておると思います。そういう前提に立って考えます場合に、先ほど申しましたように、加入命令の場合の強制の仕方は規制命令による強制の仕方よりも程度が強いと思います。つまりその一つは、加入命令の場合には団体的、統一的統制に全面的に服せられてくるということ、それからもう一つは、加入命令の場合には結社の自由だけでなくて、営業の自由の制限をも結果するということ、従いまして、そういう場合に憲法の違憲問題ということではなしに、よりよい、どういいますか、公共の福祉による制限は最小限度でなければならないという前提のもとから言えば、その五十五条の加入命令によっても、五十六条の規制命令によっても、その経済的エフェクトがほぼひとしいのだということであれば、五十六条の規制命令を採用して、五十五条の加入命令を避けるべきであるというのが、私の見解でございます。

田上穰治一橋大学教授

○参考人(田上穰治君) 私もただいまの金澤教授の御意見に対する批評は控えますけれども、憲法の議論といたしましては、今の程度の問題ということでございますが、まあかりに、かりにと申しますか、金澤教授のお説に従いまして、五十五条の方が五十六条よりはどうも規制する程度はきびしいように、実は私も横で伺っておりまして考えているのでございますが、しかし、このような程度の違い、この程度でありますというと、いずれにしても私は合憲だと考えるのであります。しかし、それは繰り返し申し上げますが、私が違憲と申し上げるときは、これはたとえ国会の多数によって御決定になりましても、法律が通りましても、私は違憲であって、それは厳密に言うと間違っている。この効力は本来否定さるべきであるというふうに考えるのでございますが、そうではなくて、この五十五条を残すか、残さないか、こういうようなことは、これはそういった国会の土俵の外でもってすでに結論が出てしまうような明確な問題ではなくて、国会においてこれは政治的にいずれであるかを御決定いただけるものである。で、いずれに御決定になりましても、私は合憲としてその法律は当然国民として承認さるべきだと、こういう意味で申し上げているのでございまして、まあ、その意味において現在の法案は五十五条も合憲である。しかしこれが適当かどうか、この委員会においてこれを御採用になるかどうかということは、これは委員会の当然自主的に御決定になれる範囲で、もし違憲ということであれば、これはもう委員会が違憲の問題を合憲にするということは不可能でございますが、そういう意味ではなくて、国会が政治的に御決定になる範囲の問題であると私は考えております。

岡三郎日本社会党

○岡三郎君 それじゃあ簡単に……。今の点でよくわかりましたが、実際問題としてこの第九条に載っている言葉そのものも非常に抽象的で、そのときの運用いかんによっては、ずいぶん弾力性があり過ぎる。そうしてまあそういうものを受けて事業克服に当るためにいろいろと手だてをするわけですが、そういった場合においても非常に重大だとか、あるいは正常を越えたとか、いろいろと解釈上大きな幅があるわけですね。そうするとこの運用というものが、もう即大きな問題になってくるわけです。われわれとしては厳密に法律そのものも十分検討せにゃならぬが、その裏に流れている影響といいますか、それが法律が施行されて後に国民に与える影響全体を考えてみるときに、相当この問題があるんではないかと、こういうふうに考えて、まあ御質問したわけですが、危険性のあるようなものは最小限度で食いとめるべきだというふうな考え方については、それはいかがでございましょうか。つまりその運用面において憲法違反の疑いが出てくる、もっと積極的に言えば、憲法論ではなくて法運用そのもの、たとえば独禁法そのものの精神からいっても強制カルテルというものをみだりに作るものではないという基本原則から言えば、なかなか簡単にはいかぬとしても、とにかく中小企業に対しては何とか手だてをしてやると、そういうふうな面について第五十六条のこういうふうなアウト・サイダー規制命令というものが効力を発すれば、問題の焦点は解消するということになれば、運用面に多大な影響が考えられるような五十五条というものをやはり立法上避けるべきであるという、こういうまあ声ですね。これは合憲、違憲の論ではなくて、法案審議の場合における立場としてどうお考えになりますか。

金澤良雄北海道大学教授

○参考人(金澤良雄君) その点は先ほど田上先生がおっしゃいましたように、私の立場としては、今日の私の立場としては、申し上げる筋合いのものではないかと思いますが、ただ、私の率直な感じを申しまするならば、たとえば世界的な大恐慌が起ったと、あるいは非常なもう客観的に見てもこいつはいかぬということが、もうたとえば消費者の有知識者の間にもわかってきたと、もうつまり角をためて牛を殺すというような愚をなしてはいけないというような、そういう事態に立ち至ったときには、運用の面で多少憲法違反の疑いを生ずるおそれがあるという場合であっても、規定の文字づらからは違憲ではないというようなことが一般的に認められるような法案については、これはいわば非常的な措置として通しているということも、国会としてはお考えになっていいことかと思います。しかし、そういうような段階に立ち至っておらないとすれば、危険性のある、しかも運用いかんによっては違憲の危険性があり、かつ公共の福祉による制限についてほかの方法でも同じような経済的効果をもたらすことができる方法があるにもかかわらず、それよりより強いと思われる制限を加える立法をすることにつきましては、私は個人的な意見でありますが、疑問であろうと思います。ただし、これは私のいわば法律学者としての立場を離れた意見になりますので、はなはだ恐縮ですが、まあ申し上げたわけであります。

松澤兼人日本社会党

○松澤兼人君 簡単にお伺いしますが、金澤教授が先にお帰りということでありますから、最初お伺いしたいと思いますが、経済法といたしまして今回の中小企業団体組織法というものは、ただいま問題となっております五十五条を中心といたしまして相当画期的な法律であることは私たちも認め、また、金澤教授も認めておられると思うのであります。元来こういう大きなと申しますか、俗な言葉で言えば、一つの大きな網をかけて、そうして何もかもその網の中に入れてしまうという法律の形式をとるのが、この事態を救うのに適当であるのか、あるいは中小企業安定法のような形の個別に指定していくような形をとるのが適当であるかということは、われわれも問題としているわけでありますが、経済法学者として金澤教授がこういう大ざっぱな法律でいい面も出てくるかもわからないが、また悪い面も出てくるかもしれない、それよりはほんとうに不況の事態があり、あるいは過当競争があるという業種一つ一つを拾い上げていってこれを指定していく、その業種に支障がない場合にはこれに関連するとか、あるいはそれより程度の低い業種に対してまた指定を加えていくという、そういう安定法的な形をとる方が、法学者の立場としては適当であるとお考えになるのか。あるいは全体にまあ国民経済が非常に不況になっているから、大きな網をかぶせた方がいいと、それには多少疑義があるけれども、しかしそういう大きな網をかぶせた方がいいというようなふうにお考えでございますか。これはもう純然たる学者の立場からお答え願えればけっこうだと思います。

金澤良雄北海道大学教授

○参考人(金澤良雄君) その点につきましては、私も実は非常に重一要な問題であるとかねがね思っている次第でごいます。ただ、このカルテルとか、そういったものは非常に波及をするおそれがあります。で、これは一つはおそれということでありますが、同時に半面から言いますと、業界の人にとっての立場から言えば、一定のものはカルテルできるけれども、そのいわゆるカルテルができる特権が与えられているけれども、その他のものは与えられない、不公平であるという声が生ずるということも考えなければならないと思います。現に先般通過いたしました環境衛生営業法におきましては、たまたま厚生省の取締り法規が公衆衛生上の立場から、環境衛生上の立場から取締り法規が、ある業者についてそれが定められている。そのほかのものは指をくわえて見ておらなければならないというような事態も考えなければならぬのであります。で、そういう点からいきますと、まあオープン・ドアといいますか、そういう方式をとっておくということも、業者の相互間のまあ平等というような点から好ましいのではないかと思います。ただし、その場合にはその認められる組合が何をするかということがかなり問題になっておる。たとえば協同組合のような場合には、これはオープン・ドアでけっこうです。しかし、こういう非常に強力なカルテル統制を行う、しかも加入命令が認められるような組合の場合には、それをオープン・ドアにしておいていいかどうかということになりますと、これは問題があると思います。その判定はまさに非常に抽象的なことになるわけですが、結局九条なり五十五条なりによってうたわれているところの要件が、果して満たされる必要があるかどうかという点にかかっていることかと思います。

松澤兼人日本社会党

○松澤兼人君 ただいま環境衛生法の問題が出て参りましたが、これにもいろいろ意見がありまして国会の中におきましても賛否両論が相対立したことは御承知の通りでありますが、しかし国民消費階級と申しますか、国民全体としましては、できるだけ自分たちの立場を守りたい、こういうことを考えることは当然でありまして、その意味からいえば、先刻来問題となっております公共の利益とか福祉とかいう問題と関連があると思うのであります。それと同時に、一方では国民経済という一つの要請がある。この国民経済の要請という点と、それから一方では消費大衆の利益という点を、どういうところで調和させるかということが問題ではないかと思うのであります。環境衛生の方で問題がありましたのは、果してそういう業種に対して特定な調整行為までさせて消費大衆が不利益を受けて、それでいいのであろうかどうか、もっと国民経済の上から考えてみて、どうしてもこれに対して過当競争を排除して国民経済に寄与するという必要のある業種があるのではないか、それをそのままにしておいて特定の業種だけに環境衛生の適正化に対する法律の適用を受けさせるということは片手落ちではないか。しかもその場合において消費大衆に対しては犠牲があるかもしらぬ。もっと高い見地から、よしあしは別でありますけれども、国家的な見地から何らかの措置を講じなければならぬというのであれば、あるいはその国家的な見地というものと消費者の利害というものとがある一つの調整点に到達することができれば、その業種に対して指定をしていくということの方が、経済立法としては適当ではないかと、こういうような意見もあるわけです。この点いかがでございますか。

金澤良雄北海道大学教授

○参考人(金澤良雄君) その点は非常にむずかしい問題でございまして、国民経済の健全な発展と申しますが、その国民経済の中に消費者が含まれているということは当然のことでございます。資本主義社会におきましては、消費者は最終の購買力の保有者といたしまして、重要な地位をむしろになっているわけなんでありまして、そのものの利益を無視してやることが、国民経済の健全な発展になるとは、とうてい考えられないのであります。ただその場合に、そういう利益のいわば調整、調和点をどこに見出していくかということは、これは本法におきましては、それこそまさに主務大臣の責任にかかってくると思われます。その場合にそれを全面的にその主務大臣の責任にかけておくか、あるいは法律事項として一定の業種については特に指定するというような立場、これは最初は中小企業安定法の当初のやり方であったと思います。これは法律でその指定業種をきめておったのであります。しかし、そういうことはわずらわしいからというので、その後の改正で、これが主務大臣の権限に指定は委任されて参りました。そういうようないろいろの方法があるわけでありますが、どれが正法であるかどうかということは、今日私本件の場合に関連いたしましては、十分検討はしておりません。むしろそういうことはまさに国会において御審議を十分に願いたいことかと思うのであります。

松澤兼人日本社会党

○松澤兼人君 先ほど田上教授もおっしゃったことだし、ただいま金澤教授もおっしゃった必要があるかどうかということと、それからもう一つは合憲であるか違憲であるかという判断、これはまず第一として国会においてやらなければならない。なるほど憲法の中におきましては、国権の最高機関である唯一の立法機関であるということを規定されておりますから、それはいかなる法律を作ってもよろしいわけでありまして、それが悪ければ両教授並びに裁判所において、ああいうばかな法律を作ってといって御批判を受けるわけであります。しかし、唯一の立法機関であって国権の最高機関であると、こう言われましても、われわれとしましては、やはり違憲あるいは違憲の疑いのある法律はなるべく作らないのが当りまえだと思っております。そこで最後にお伺いしたいことは、私はほんとうに法律は知らないものでありますけれども、今までこの法律のずっと経過を見て、特に経済立法あるいは経済統制立法というような考え方からながめて参りまして、今回のこの団体組織というものは一つのエポック・メーキングの法律じゃないか、こう思うのですが、特に加入命令というようなもののついた法律というものは、これは画期的なものだと思う。こういうものは今まで正常な一つの自由経済の立場をとって参りましたものが、ここで何か統制経済的な立法形式をとり始めたのじゃないか、今後そういうことの続いてとられる危険性があるのじゃないかということを、私非常に、私ばかりじゃなくて同僚の議員の人たちは心配しておる。この法律がいわゆる法の体系と申しますか、法の形式から考えて、金澤教授はそういうふうな画期的な意味を持った法律であるとお考えでありますか。あるいは今までの積み重ねであってこういうものは一つふえても、それは全体の法の形式、法律の体系の上からいって何でもないのだとお考えでございますか、その点一つ。

金澤良雄北海道大学教授

○参考人(金澤良雄君) ただいまの問題は、まさに量より質への転換が行われるかどうかという点の問題だと思います。この点につきましては、最初にも申し上げたように、第二次大戦後の世界各国の情勢を見ておりますと、むしろ独占禁止政策が推進されておるたとえばI・T・Oチャーターにおいてもそうでありますし、また日米通商航海条約においてもそうであります。その他ガットにいたしましても、そういう線からこれが出てきておるわけであります。しかも、各国は国際独占禁止立法をむしろ推進しようとしておる情勢にあります。私の見ましたところでは、アウト・サイダー規制について申しますならば、わずかにオランダの法律にうかがえる程度でありまして、アウト・サイダー規制さえもそんな程度でほかにない。いわんや加入命令を含む意味での強制カルテルを認めた法律は、第二次大戦後はどこにもない。しかも、ドイツにおいては加入命令を含めた意味での強制カルテルは違憲であるということが、支配的な見解になっております。これはおそらく法律解釈論の問題だけでなくて、いわば第一次大戦後の恐慌に対処したあの当時の蹉跌を再び繰り返さないようにといいますか、国際的にはシリアルな考え方が出てきておるのじゃないかというふうに思われるわけであります。そういうような国際的、あるいは諸外国の中における一環としての日本の立場から考えてみました場合には、まさに加入命令を認めてくるという段階は、かなり重要な段階になってきておるのじゃないか、それが今までの積み重ねの上のさらに一つの積み重ねであるかどうかということにつきましては、なお将来を見なければわからない問題が残ると思いますが、大体画期的、というと言い過ぎになるかと思いますけれども、客観的な情勢から判断して、かなり注目に値する立法になってくるのじゃないかというふうに思う次第でございます。

阿部竹松日本社会党

○阿部竹松君 時間がございませんので、簡単に金澤先生にお伺いいたします。お二人の先生に承わっておりますると、要は中身の問題であって、社会福祉に該当するかどうかというところから出発した御論点のように承わりますが、その現実の問題として昭和二十三年にできた独禁法、その独禁法は御承知の通り、まあ経済憲法とまで言う方があるぐらいなんですが、この独禁法によってできておる公正取引委員会の委員長の意見もですね、五十五条については耳を傾けないというような状態でございまするから、この法を実施するには、どういうふうになるかということは、われわれ非常に心配しておるわけであります。そこで、御先生方の御結論をとうまとめてみますると、第一条に自主的に調整云々ということが、この組合の立法の第一条にございます。しかし、そうなって参りますと、自主的という字句が当てはまらないというように私は考えます。この点についての御見解と、ただいまの論議のあまり発展的な飛躍かもしれませんけれども、まあ、日本は御承知の通り、世界で有数な中小企業のある国なんですね。そうしますると、この中小企業が毎年歳々、どんどんふえていきます。しかし、現在ある中小企業でさえ、不況カルテルをもって措置を講じなければならないんだから、今後ふえる中小企業を、その法的に開業してはならぬということになれば、当然これも憲法にかかってくるわけです。しかし状態はこうだから、公共の福祉がこうだからということで、これを認めるということになるという理論にも通ずるように考えるわけですが、この点についてお伺いしたいと思います。  その次に田上先生に一点お伺いいたしますが、実は労働三法というのが、これは先生も御研究なさっておると思いまずるが、まあ労働組合法とか調停法、基準法、三つございます。その三つの労働三法の中で、労働組合法にはこの組合員の資格にこういう加入命令とかその他はございません。入るも自由であれば、出るも自由であるということで、それをこういうような強制加入、アウト・サイダーの点については、そういうようなことをやれば憲法違反であると現在の政府が言っております。そうしますると、中小企業はこれを設けても憲法違反ではない、しかし、その中小企業よりそこに働く労働者はまだ苦しいわけですが、しかしそれよりまだ苦しい労働者に対しては現在の政府は、それはそういう団結権は認められませんと、それをやれば憲法違反である、出るも入るも御自由である、こういうことなんですから、この点私は非常に矛盾がある、当然その労働者の方がいかに苦しくても、中小企業より上であるというように私は考えますし、その中小企業のこれを認めて、それをより苦しい労働者にこういう条項を認めない、認めるということは憲法違反であるといって現在の政府がきめつけておる、これについて田上先生の御見解を承わっておきたいと思います。

金澤良雄北海道大学教授

○参考人(金澤良雄君) 自主的調整ということは、第一条の目的にもすでにうたわれておりますし、そのほかにもうたわれております。ここでこの自主的調整というととは、言葉をかえて言えば、いわば民主的にやるんだということが、その背後にあるのではないかと思います。その点につきましては、この法律は強制設立ではない、任意設立である、申請によって設立される。また調整にしても申請によって行われる。ただ、まあ規制命令が出る場合もありますけれども、この規制命令も、組合の申請によって行われるというような意味で、またその内部が先ほど言いましたような統制組合とは違って、多数決原理によっておるというような点から見ますと、なるほどこれは自主的調整を行うものであるということは、十分に認められるだろうと思います。ただ問題は、その強制加入が発動した場合でありまして、この場合に果してその民主主義的な意味での自主的であるかどうかということになりますと、かなり問題が出てくるのではないかというふうに思われます。その点につきましては先ほど申しましたように、なるほど入ってしまえば内部は多数決原理で片づくのだということになりますけれども、いやだと言っている少数者がこのアウト・サイダーが入れられた場合に、そのアウト・サイダーの意識としてはおそらく自主的という意味は、組合自体としての自主的なものであって、組合員としての自主性というものはそこに最初からないという危険がある。だから自主的調整という意味は、団体自体としてのそのものとしての自主的調整という意味については、異議はございませんけれども、それが果して民主的な自主性であるかどうかという点においては、加入命令があるために、ややそれが疑問になってくるというふうに考えます。  それから第二点の方は、ちょっと私御質問の御趣旨がのみ込めなかったのです。

阿部竹松日本社会党

○阿部竹松君 では簡単に。公共の福祉ということで、加入命令あるいは規制命令ということができても、憲法違反でないという御論議であれば、当然その中小企業を助けるということが公共の福祉であるという御議論だと私は拝察するわけです。そうなると、年々中小企業がふえていっております、御承知のごとく。しかし、これを押えるということになると、職業の選択の自由によって憲法違反だということにまたなるわけです。しかし、これが憲法違反でないということになれば、君の職業を、これをやってはいかぬということをやれば、そっちの店がつぶれるとか、そっちの会社がつぶれるとか、こういうことになるから、この点はどうですかということです。

金澤良雄北海道大学教授

○参考人(金澤良雄君) この法律が、結局中小企業の保護ということが公共の福祉ということになるのではないかというお話しでございますが、その点は私の考えでは違うのでありまして、国民経済の健全なる発展というのがその公共の福祉である、こういうふうに考えております。

田上穰治一橋大学教授

○参考人(田上穰治君) ただいまの金澤教授の御発言に私も賛成でございまして、これは既設業者あるいは現に中小企業としてやっておるその業者の利益を保護する、あるいはこれを救済するということが、唯一の目的であって、そのためにあるいはそれ以外のものに対して犠牲をしいる、これは一部の少数の業者かもわかりませんけれども、そういったある一部のそういう一種の既得権を擁護するような意味でこの法案が考えられているといたしますというと、それは公共の福祉の目的とは違う。この点はこれに類似した、たとえば公衆浴場などにつきましての判例があるわけでございますが、私はそういうふうに全く同様でございます。金澤教授の今のお答えと同じでございます。  なお、先ほど御質問を伺っておりましてちょっと感じましたのでありますが、まあ労働組合との比較はちょっと私もあまり研究しておりませんけれども、この法案が広く加入命令を認めるとすれば、これは確かに行き過ぎであると思うのでありますが、私の一応理解いたしますところでは、この加入命令は商工組合に当然についてくるのではなくて、やはりこれは例外のむしろ非常事態というのは、少し言い過ぎかもわかりませんが、とにかく応急の暫定的な措置として、例外として認められるように考えるのでございまして、もし、これがこういった当然商工組合にはそういうふうな、場合によって容易にアウト・サイダーを加入せしめることが、政府を通じてせしめることができるというふうに広く考えますというと、それは非常な疑問があり、私もその規定によりましては憲法違反という答えが出るかと思うのでありますが、この現在の問題になっております条項は、私はそういうふうにきわめて例外的な暫定的な応急の措置というふうに考えているのでございます。また、中小企業者というものが確かに国民の中では非常に多いのであって、だからこれがもしこのように強固な組織をもって立ち上りますというと、ほかの、先ほど申し上げましたが、消費者などは太刀打ちできないというふうな危険というか、おそれを感じないわけではございませんけれども、これもやはりこの法案全体から見ますというと、私は現段階におきまして相当不況、ことに金融の引き締めとか、そういった問題が中小企業者にしわ寄せになっているということを考えますというと、いわば中小企業者は、今日の段階においては非常に有力な団体と見るよりは、むしろ救済を要すると申しますか、全体の立場から見まして弱い立場にある。これがだから将来かりに非常な強固なものになってくれば、そうすればもちろん独禁法の精神から申しましても、むしろ、ある程度これを押えて、そうして今度はそれと違った、対立した立場の方を守ることが、全体的な見地から見て必要だと思うのであります。そういう意味におきまして、広く一般的に国民のある特定の範囲のものの利益のみを考えるということであれば、それは憲法の精神に合わないけれども、この法案は今申し上げました意味において、私はこの程度であれば、合憲と考えています。

近藤信一日本社会党

○委員長(近藤信一君) 参考人の方々には、長時間にわたって貴重な御意見をお聞かせ下さいまして、まことにありがとうございました。委員会を代表してお礼を申し上げます。  他に御発言もなければ、本日はこれにて散会することとして御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

近藤信一日本社会党

○委員長(近藤信一君) 御異議ないと認めます。  それでは本日はこれにて散会いたします。    午後一時十一分散会

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