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26回国会参議院1957/02/26

運輸委員会 第5号

発言数
10
登壇者
5
会派数
4
開催日
1957/02/26

会議録

戸叶武日本社会党

○委員長(戸叶武君) これより運輸委員会を開会いたします。  先般当委員会が行いました派遣委員から報告を願います。まず第一班の報告を願います。

市川房枝第十七控室

○市川房枝君 第一班の報告を申し上げます。  松浦清一氏と私二人でございます。私どもは名古屋、四日市地区の運輸事情、特に港湾事情に重点を置いて、二月十日の夜行で東京を出発し、十一日、四日市港及びこれに関連する鉄道事情、十二日、名古屋港及び名古屋市を中心とする鉄道事情、十三日、小牧空港及び名古屋地下鉄工事現場を視察し、調査して十三日に帰京いたしました。  まず四日市港より申し上げます。四日市港は特定重要港湾でありまして、三重県が管理者であります。戦後繊維工業を中心とする生産力の回復と、臨港地帯、特に旧海軍燃料廠跡に進出した各種近代工業の躍進もあり、港勢はとみに発展し、昭和三十年度の入出荷量は二百六十万トン、金額にして五百八十億に上り、取扱量は昭和十二年の最盛期を上回るということであります。なお、この趨勢は続き、昭和三十一年度には、取扱量は三百万トンをこえ、貿易額も七百億程度に達する見込みであると言われます。その大宗貨物は、輸入で、原油、羊毛、綿花、燐鉱石等でありまして、輸入貨物総量の八〇%に及んでおります。ここの港は、輸出は少いのでありまして、臨港地帯にある工場の製品の出荷が大部分であります。要するに、四日市港は石油中継港であり、羊毛、綿花の輸入港であります。石油港としての四日市は、大型タンカーの就航とともに、港湾設備の拡大が要求され、羊毛、綿花の輸入港である四日市港は、その背後地輸送のため、鉄道設備の増強が伴うのでありますが、鉄道設備については、あとで臨港工業地帯の造成の問題とも関連がありますので、その節申し上げます。  四日市港の現在の埠頭は、一万総トン級の船が五隻接岸できるわけでありますが、現在庁側工事中でありますので、三隻接岸できるわけであります。ここでは、主として羊毛、綿花を扱います。石油関係としては、昭和石油と大協石油及び東亜石油がありますが、昭和石油と東石は、岸取りが可能であるに反し、大協は、地先水面の水深浅く、接岸できませんので、陸上即市内を貫通するパイプを引いてパイプ取りをしております。一般にこの港の水深は九メートルでありますが、船舶の大型化に伴い、これを深くする必要があり、同時に三万トン、四万トン級の船舶の接岸可能な埠頭を、前記埠頭と並べて目下造成中であります。この第二埠頭と災害復旧が継続工事でありまして、海面の水深を増すことと、あとで申しますが、漁港基地の整備が新規工事であります。この港湾施設の整備は、臨港工業の既定産業計画の進行とピッチを合せねばならぬというので、目下しきりに工を急ぐ努力を続けております。ここの港は広大な臨港工業地帯を有しておりますので、その見地から見ましても、発展性に富む港と申すことができます。ことに旧海軍燃料廠跡は、東海硫安工業及び昭和石油の手によって活用せられ、大協石油、東亜石油もわずかながらその一角を活用することになっております。その他臨港地帯の工業としては、石原産業、三重火力発電所、三菱化成、モンサント化成など相並び、港頭中央沿岸に日本板硝子があるなど、工業港として立地的条件に恵まれております。従ってこれらの原料製品並びに従業員の陸上輸送は、勢い累増の状態にありますので、鉄道の設備の増強及び道路の改良を必要といたします。現に国鉄においても四日市駅の拡張を考えているようでありますが、同時に四日市港駅、塩浜駅も改良を加える必要があるように見受けました。ことに臨港工業地帯の従業員諸君の通勤に適当な施設なく、バスを利用している者が多いように聞きましたが、現在貨物線である塩浜線へ旅客列車を通すようにすれば、通勤輸送の緩和に役立つことと考えられます。また地元では日永信号所の駅昇格と旅客扱いを希望しておるようであります。輸送力増強は地元ばかりの問題でなく、四日市港で荷揚げされた綿花等の材料が、中部各地、北陸方面の工場へ運送されます場合、現在の中央線、高山線の輸送力の足りないことでありまして、現地では特にその事情を訴えておりました。  なお四日市港に関連しまして、漁港整備の問題がございます。それは四日市を遠洋漁業、主としてマグロでありますが、その基地にするために、富田港と富洲原港とを合せた漁港を新設しようとするものでありまして、そのため四日市港の港域をこの線まで拡張し、昭和三十二年度より第一期工事として、一億一千万の予算で工事を始めたいような意向のようであります。  四日市の報告を終りますに当って、一言つけ加えておきますことは、ちょっと触れました道路事情でありますが、港勢の拡張に伴い、現在の国道の交通もほぼ飽和状態に近づいておりますので、名古屋と四日市間にいわゆる名四国道を造成いたす計画を関係当局で進めていることであります。  次は名古屋港について申し上げます。名古屋港は、中部日本の産業の門戸として作られた人工港でありまして、四日市港と同様、特定重要港湾の一つであります。その管理形態は、名古屋港管理組合と称する県市の一部事務協同組合であり、管理者は知事と市長が二年交代で当っております。かようなポート・オーソリティは全国でここ一ヵ所であります。名古屋は最近とみに工業都市化いたしましたことは御承知の通りでありますが、そのためか戦時中、市内目抜きの場所を初め臨港地帯一帯、はなはだしい戦災をこうむり、戦後市の人口も六十万台に下りましたが、戦後、皆後地産業の旺盛な復興に伴い、その立ち直りも早く、港勢も飛躍的に増加し、海上出入貨物は、昨年九百八十万トンに達し、昭和四十年には千三百万トンを予想しているとのことでありました。外国航路の入港汽船数は、昭和三十年で二千百隻、昨年は二千四百隻でありました。出入貨物は内貿、外貿合せまして、昭和三十年、七百八十万トンでありますが、昨年は八百万トンを越しております。おもなる輸出は陶磁器で、金額は全国の九三%を名古屋から出します。輸入は綿花、羊毛、小麦、木材、米などがおもなものであります。かく名古屋港が異常の伸展を見せましたのは、臨港工業地帯の整備、工業用水、労働力の豊富なことなどによる工業都市として、名古屋が近代都市として再建されたことに負うところ少くないのであります。名古屋の近代都市としての姿は、港湾にとどまらず、その広大な都市計画にも現われているのでありまして、東西南北に幅員百メートルの道路を造成して、市を四大ブロックに分つほか、なお数条の都市計画道路が完成されております。港につきましても、十年計画をもってその整備を急いでおります。御承知の通り名古屋港は人工港でありまして、今の泊地を掘った土で埋め立てをやりました。さようなことで、港へは長さ約一里の航路によって船舶は出入いたします。この船の進路及び泊地の水深は九メートルでありますので、今でも一万トン級の船舶が荷積みで出入いたしますことはその限度に来ております。また現在の埠頭も、係船能力は一万トン級を出ませんし、狭隘を告げておりますので、稲永地区に埠頭を新たに建設するほか、一般に水深を増し、大型船の出入に備え、掘った土で西側の埋め立てをさらに促進したい意向を持っておられます。このように名古屋港が伸びて参りますことは、四日市港に対して脅威になるのではないかという見方も出ておりますが、理事者初め名古屋の産業界ではさように考えておりませんので、名古屋港と四日市港とは、おのずから港の性質が違い、たとえば四日市港は将来石油港として約束され、また名古屋港は定期船の出入港であるというように、おのずから差異もありますが、ともに中部産業圏の門戸として唇歯輔車の関係にあり、一体をなすべきものと考え、この両港の間には何ら相剋摩擦は見えませんでした。  次に、名古屋港が拡充整備されるについて直ちに問題となるのは、背後地の鉄道輸送であります。現在名古屋港へは、国鉄として名古屋駅から埠頭へ臨港線、笹島駅から稲永地区へ西臨港線が出ておりますほか、私鉄の名古屋鉄道の東臨港線が国鉄の熱田で連絡しております。これら臨港線自体の輸送力もさることながら、これを受けます東海道線、中央線の輸送能力が限界に達しておることであります。またこれら臨港線相互の連絡、貨車の操配が現在いかにも不便になっております。よって国鉄中部支社におきましては、管内輸送力増強対策を持っておりますが、臨港線関係におきましては、笠寺より分岐する東臨港線の建設と、これと結びまして臨港地帯を貫通して批把島へ達する南方貨物線の計画を推進しようとしております。臨港線以外におきましては大府−枇杷島閥線増、中央線増など百六十億近い工事を五ヵ年計画として立てております。ことに中央線市内部門の改良は、市の都市計画が進んでおりますので、いつまでも放置しておくことはできないと思います。  なおこの際、名古屋の市内交通と地下鉄のことを一言申し上げておきますが、市内交通で目につきますことは、バスの利用の盛んなことでありまして、名古屋駅を中心に各方面へ出ております。名古屋陸運局の調査によりますと、三十年度は対前年三六%増ということであります。これに反し市電は同比較で二〇%減であります。三十年度一日平均利用者は、市電六十八万、市バス二十二万、郊外バス二万、市内タクシー十万ということであります。名古屋の地下鉄は市営でありまして、市内五十五キロの計画を有しておりますが、昭和二十五年免許を受けた東山線の一部、名古屋駅−栄町間、建設費二十一億の工事が進捗しておりまして、両終端駅の完成近い工事現場を見て参りました。栄町から先は高架式になる設計でありますが、地下式にする説もあり、目下研究中であるとのことであります。将来地下鉄が予定通りできて参りますと、市の交通の中心も名古屋駅のほか、金山橋がまた一つの中心となるように思われます。  これで名古屋に関する御報告を終りますが、名古屋視察の日、商工会議所で地元産業界の方々と懇談いたす機会を得ました。その節いろいろのお話を伺いましたが、国鉄運賃値上げについて、石炭販売業者の立場からと、菓子製造販売業者の立場から、値上げ率緩和についての意見、自動車運送事業者の立場より揮発油税反対の陳述がありましたことだけ申し上げておきます。  第三日は小牧飛行場を視察し、ついでに新三菱重工名古屋航空機製作所を見学いたしました。小牧飛行場は名古屋市内より約十二キロ、自動車で二十分の行程であります。広さ七十万坪の広大なものであり、現在米軍管理中のもので、米名古屋空軍基地となっております。日本の定期航空は、最初日航機も寄航しておりましたが、昭和二十八年四月以来、日航機は寄航せず、現在は日ペリの東京−名古屋間三往復、名古屋−大阪間二往復、なお夏期に名古魔−小松間一往復が離着陸しております。この離着場は一々許可を受けて出入しており、不便でありますので、近く飛行場外に客扱いの設備を設けることになっております。飛行場及び保安施設の整備等については、当地に名古屋航空保安事務所がありますが、そのほか当地には名古屋地方気象台の管下、小松航空測候所があります。気象台よりの希望がありましたが、これはあとで申し上げることにいたしまして、当小牧飛行場の拡充につき一言申し上げておきます。  それは飛行場の現滑走路は七千五百フィートでありますが、使用機の改変に伴い、近くこれを千五百フィート延長する計画で、現にその工事に一部取りかかっております。その所要面績は二十三万坪でありまして、これがため立ちのきを要する家二十五戸、関係者五百二十名に及んでおります。調達庁の話では、大体円満に運んでいるということでありまするが、今なお十名くらいこれに不服を唱え、未解決のままの由であります。  なお、小牧に参りましたついでに、飛行場に近接して存します新三菱重工の名古屋航空機製作所を見学して参り、大いに参考になりました。ことでは今F86の組み立てを流れ作業でやっておりましたが、米機及び自衛隊機の修理もやっております。部品はほとんど全部日本品で間に合うそうであります。  最後に、小牧で名古屋地方気象台を管区気象台に昇格し、地区気象事情の連絡を密にし、予報の正確を期したいとの希望がありました。  以上で御報告を終ります。

戸叶武日本社会党

○委員長(戸叶武君) 次に第二班の報告を願います。

森田義衞緑風会

○森田義衞君 それでは私から御報告申し上げます。  今回の派遣議員は、後藤委員及び中村委員と私でありまして、去る二月十二、十三日の二日間にわたり兵庫県、主として神戸港でありますが、港湾管理、港湾荷役作業の現況と、大阪府における市内交通事情及び国鉄環状線計画について調査して参りました。以下おもなる点につきましてその概要を御報告申し上げます。  まず、神戸港の管理状況について申し上げますと、神戸港は戦前からすでに世界の主要港の一に数えられておりましたが、第二次大戦の影響により海運、貿易ともに著しく衰微したのであります。しかるに戦災復旧に当り、わが国諸港湾の先頭を切りまして、その復興開発を促進いたしました結果、戦災復旧の分については、昭和二十四年にこれが完了を見、新たに戦前以上の諸設備を有するに至けました。すなわち終戦後、神戸港の外貿施設の大半が米軍接収下に置かれた当時、逐年増加する貿易貨物の処理に困難を来たしたため、新しい港湾施設の建設と接収施設返還が必要でありましたが、昭和二十七年のわが国の独立を契機として、第六突堤を除き、すべての接収施設が解放されまして、一方新規施設の建設といたしましては、灘埠頭のほか、第七突堤は西側が上屋倉庫を有する最も近代的施設を整備し、最近さらに東側上屋倉庫及び六千トン容量穀物サイロ建設を終了いたしまして、現在は第八突堤建設工事が進行しておるわけであります。  さらに港湾管理の面について申しますと、昭和二十五年施行の港湾法に基き、神戸市が港湾管理者となり、翌二十六年七月より業務を開始して、今日に及んでおるわけであります。  次に貿易面についてみますと、昭和三十年度の実績を戦前最盛期に比較してみますと、外航船舶の入港数は三千八百六十五隻、三千百二十三万総トンで約八割、外貿貨物トン数では六百六十万トンと戦前をしのぐ盛況でありまして、これもわが国経済が逐年目ざましい発展向上をしていること、背後に阪神、北陸地帯の産業地域を控えている上、商港として広範に日本全土を背後地とすること等をあわせ考えますと、その将来は有望であると判断し得るのであります。  次に、神戸港における港湾荷役問題について申し上げます。神戸港が特にわが国の他の諸港湾より異なった特色を有しておるということは、輸入船内荷役高が六大港中、横浜に次ぐものであるということ、輸出の面については、六大港中、第一位を占めており、かつ取扱い貨物も昨春以来飛躍的に増加しておるという事実が物語っているのであります。しかも本船在隻数は、はなはだしい波動性が見られる半面、かつその最盛期が月末、月初のほぼ一週間に集中されておるのであります。かかる状態を船内荷役口数についてみますと、月半ばにおいては特例を除き、大体百口前後の範囲で動いているのが、月末、月初のほぼ一週間は一挙に二百数十口にも達し、平常の倍の立て口数となるのでありまして、他の港湾に類のないところであります。  このことは、まず貨物輸送が船舶による場合、季節的な貨物の荷動きがあること、また輸出金融の問題、日本の生産出荷の慣習等の事情からいたしまして、日本の各港における共通した傾向となっております。従って港湾荷役における労働力需要というものにおのずから波動性を伴うことは否定できず、しかも荷役力に機械力が加わると申しましても、現段階では人力に依存するところがきわめて大きいと言わなければなりません。これに対して、荷役業者はピーク時にのみ臨時的に不足の労働力を補充するという手段を講ずる結果、平常とピークの労働力需要に顕著な舟底が現われるのであります。しかも短期間に荷役作業を迅速になし得ない場合には、出港遅延を招く原因となり、その結果、船会社、商社等が荷役完遂に獲得る労働力の獲得をはかる際に非常な無理な手段に訴えることとなり、経済的損失をこうむることとなるのであります。ここに手配師の問題が生ずるわけでありますが、手配師は以前からあるもので、特に月末集中配船から来る労務需給の混乱のもとで、手配師の動きが目立ってくるのであります。また一方、労務需要に対して職業安定機関は登録された労働者を最大限に紹介するのであるが、特に問題となるのは船内荷役で、これは特殊作業であるという理由から紹介範囲が限定されるのであります。  以上申し上げました港湾労働問題に対する対策として、神戸港における荷役力の増強及び港湾労働関係法規の適正なる運用をはかる目的をもって、港湾関係官公庁の連絡を円滑にするため、神戸港労務対策連絡協議会が設置され、以下申し上げる点につきかなりの効果を上げているのであります。  すなわち第一は、集中配船による月末、月初のピーク時の荷役、特に船内荷役の調整でありまして、立て口数、労働生産性及び労働災害の点において良好な結果を生じているのであります。第二は、労務需給調整上の対策として、荷役業者に対して労働力の絶対量の範囲での相互調整と、労務確保に当り、でき得る限り公的機関を利用するよう協力を期待したこと、及び手配師に対する措置として、荷役業者は手配師を求人連絡員として職業安定所に登録させて身分を明確にさせたこと、またピーク時における調整については、従来労務の枯渇をおもんぱかって必要以上に労務を確保していた手持ち労務のロスを解消させたこと、元請、下請の系列外の荷役力が系列内下請業者と対等に下請されるようになり、効率的な荷役力が発揮されたことであります。第三は、職業安定機関の紹介方式の改善として、従来の狭隘な職業安定所の窓口を緩和するため、特に弁天浜労働出張所を港湾労務専門の取扱所として、本年二月一日より発足する予定となっていることであります。  以上神戸港についておもなる概要を申し上げましたが、なお現在当面しておる問題としては、北陸線の輸送力が隘路となっておりまして、これがかなり神戸港の貿場面に障害となっておりますので、北陸線の輸送力を強化する必要があると思われます。これに関連して灘塩頭線及び神戸海岸線建設の問題があります。すなわち神戸港の港湾物資の鉄道輸送に必要な貨車集配の迅速化、輸送能力の向上をはかるために、現在神戸市内の主要貨物駅が連絡されていないために、同港湾地帯最大の輸送隘路となっている東海道線湊川支線と山陽線兵庫支線との短絡線建設を促進する必要があると思われることであります。なお、現地は神戸港内及び第七突堤のサイロ施設、海技専門学院並びに明石−岩屋間を運航しておりますフェリーボートの実情を視察して参ったのであります。  次に、大阪市の市内交通事情について申し上げます。まず、大阪市における地域別人口趨勢を見ますると、大阪市は昭和三十年においてもなおかつ昭和十年に及ばない人口動態傾向を示しており、反対に郡部の方では昭和十年と比較して一五〇ないし一八〇%に増加し、大阪府全体として一六〇%の増加となっておるのであります。従って大阪を中心とする出入り人口は、近郊の衛星都市との間に絶えず人間の移動が行われて、いわゆる貸間、夜間の人口差を顕著なものとなし、通勤通学の必要から交通機関の発達を促し、交通圏は拡大してその都心への交通量は著しく増大しております。すなわち混雑区間における輸送量と乗車効率を見ますと、乗車効率は国鉄の東淀川−大阪間−緩行でありますが、二八五%を最高として、大阪市路面電車の大阪駅前−桜橋間の一三一%が最低率を示しておりまするが、概して混雑区間においては国鉄の方が乗車効率が高くなっております。また主要駅における降乗人員では、国鉄、私鉄を通じて各交通機関とも定期が定期外を上回っておりまして、大阪市周辺都市の人口が増加いたしまして、通勤距離が延びたことを顕著に現わしております。以上のような交通需要に対しまして、現在では輸送力がかなり復旧して参りましたが、なおラッシュ時の輸送状態は激しい混雑を呈しております。従いまして今後逐年増加を予想される輸送量に対処するべく乗客の輸送増強対策を考慮するに当り、路上交通の輻湊しておりまする地域では高速地下鉄道の建設以外に道はないと考えられるのであります。  次に、大阪市の将来の人口に基く乗客予想に対しまして、市営交通機関の将来の計画について申し上げますと、まず、高速鉄道網を都市計画事業として建設することでありまして、本市の交通事業の根幹ともなるべきものであります。本市の高速鉄道は大正年間から都市計画事業として計画され、すでに四路線五十四キロにわたって軌道法による特許と都市計画事業法による認可を得ており、昭和五年以来建設を続けて参りましたが——戦争により一時中断されましたが、戦後は特に地下鉄の整備拡充に鋭意努力いたしました結果、昭和二十五年以来建設工事を再開続行してきたのであります。現在の高速鉄道網計画は、戦前策定されました四路線について、戦後市の復興都市計画が樹立される機会に、これに即応して根本的に再検討された上、昭和二十三年戦災復興院に設置された大阪市高速鉄道協議会において五路線七十六キロ余が審議決定されたのであります。これはまだ認可にはなっておりません。  次に、大阪環状線計画について申し上げます。大阪環状線計画は、現在の西成城東線並びに貨物専用の大阪臨港線を約二キロ五百メートル新線建設によって結びつけて電車を環状運転すると同時に、浪速及び大阪港駅対吹田操車場間相互の貨車輸送を西成線経由よって行おうとするのであります。環状線は、大阪市における交通網整備、大阪港振興にとってきわめて重要な性格を持つもので、昭和八年の都市計画委員会においてこれが早期実現の建議がなされていたものであり、戦後環状線の新線区間に当り西大阪は区画整理、盛土、街路、港湾等の復興計画が立てられて実施されておりますが、従来から大阪港と背後地間の連絡が市電、市バス等のみで高速鉄道がなく、大阪市の復興計画が完成した場合に、これが発展を期待し得ない状況にあるため、市の復興計画においても特に高速鉄道整備の一環として環状線の早期実現を期待しておるのであります。なお、戦前実現をはばんでいた用地確保も区画整理により比較的容易になり、また安治川の架橋問題も安治川内港の完成に伴い解決が期待できる状況となりましたので、  一、西九条−天王寺間の環状線新設に要する工事費概算額二十七億六千五百万円相当の利用債を昭和三十年から三十四年までの五ヵ年間に地元で引き受けること  二、環状線新設に要する用地のうち、大阪市の区画整理区域内のものは国鉄に対して無償譲渡すること  三、安治川橋梁は桁下OP一二・二五メートルの固定橋とすること  四、新駅の設置は国鉄で決定すること、等を条件といたしまして、施行期間五ヵ年、昭和三十年度着手、三十四年度完成を目標として、環状線新設工事を現在実施しているわけであります。  従いまして、環状線新設の効果といたしましては、次のことが言えるのであります。  一、環状線新設の意義は大阪市の交通計画の根幹となるもので、現在施行中の安治川内港臨港線とともに、環状線浪速貨物線を実施することにより、西大阪地帯の産業経済の発展に資するものである  二、現在最も混雑している城東線区間の通勤輸送の緩和に役立ち得る  三、通勤輸送増加のための必須設備がそのまま環状線に転用可能となり、新規の所要設備として貨物輸送設備を除き約二十工億円の投資にとどまること  四、電車編成両数の節約のため、環状線運転により電車所要両数はかえって減じ、運用効率の向上を期待し得る  五、浪速、大阪港駅着発貨物の対東海、山陽線輸送が環状線新設により対吹田操車場の短絡ルートを形成するので、運転費等の節約が可能となり、貨物輸送の速達、合理化がはかられる  ということであります。  次に、大阪港の関係でありますが、昭和二十二年以来、十ヵ年計画で大阪市が施行しております大阪港修築計画が昭和三十五年度完成を期しておるのであります。すなわち、特にここ十数年来臨港一帯の地盤沈下が激しいので、安治川、尻無川等の諸河川を拡張して内港化し、浚渫土をもって臨港地帯をOP上三・五メートルまで地盛りする等、画期的な工事を行なっているのでありますが、これは環状線工事に資するところが大であると考えられまするとともに、未完成の大阪港修築工事に対しましては、特に国の財政的援助をさらに強化することが必要であると考えられるのであります。  次に、大阪市の計画路線として近鉄、阪神、京阪等の私鉄乗り入れと郊外バスの市内乗り入れ、これには第一次市内乗り入れで私鉄ターミナルまで現在参っておりますが、第二次乗り入れに伴いまして、バス・センターの設置といったような問題、あるいはこれらの私鉄の市内乗り入れと高速度鉄道計画の関連の問題等が、市内交通機関の整備に対しましてあるわけでありまするが、これに対しましては、すみやかに交通調整方策を樹立いたしまして、これらの交通機関の総合運営が可能になるよう早く解決をはかるべき問題だと考えられるのであります。  以上、大阪陸運局において、市内交通機関関係者より説明を聴取した現況及び計画でありますが、これの実現に当りましては、参議院運輸委員会の皆さんの御協力を要望したいとのことでごさいました。  なお、環状線工事現場及びバス・ターミナル並びに大阪埠頭株式会社を視察した後、在阪私鉄五社代表と大阪市を中心とする都市交通調整につき種々懇談を重ね、その際私鉄の市内乗り入れ等につき、要望を受けました後、日和を終了いたしましたわけであります。  以上御報告を申し上げます。

戸叶武日本社会党

○要員長(戸叶武君) 次に第三班の報告を願います。

平島敏夫自由民主党

○平島敏夫君 資料として「北陸線の現状とその対策」というのをお手元に差し上げてありますので、それをごらん願いたい。  ただいまから第三班の委員派遣について簡単に御報告いたします。  江藤委員 相澤委員及び私どもは二月十二日より十五日までの四日間にわたり、富山県及び新潟県下の輸送状況並びに港湾の整備状況等につきまして視察して参りました。十二日夜上野を立ち、十三日早朝富山駅に着き 休憩後直ちに富山県庁におもむき、矢山金沢鉄道管理局長、上野第一港湾局長及び県土木部長等より北陸線の輸送状況及び伏木港の整備状況につき説明を聴取した後、伏木港及び富山操車場の視察におもむきました。  北陸線の輸送状況につきましては、お手元にあります資料をごらん下さればわかると思いますが、資料に基いて説明いたします。まず第一に、近年豊富な電力、工業用水、地下資源等を背景に近代工業が著しく発達し、また沿線にある豊富な観光資源の開発、宣伝に伴い、旅客並びに貨物の輸送が急激に増加してきたことであります。三ページにありますように、旅客においては、昭和二十六年を一〇〇とすれば、その旅客輸送量の増加指数は三十年度で一一五という数字を示し、さらに増加する傾向にあります。七ページに、特に貨物については、輸送面から見た産業構成は、全国と比べて、鉱工業の比重がはるかに大きく、またこの伸び方も非常にテンポが早く、このことはとりもなおさず天候や季節によって以前のように左右されず、年間を通じて絶えず強い輸送要請があることを物語っております。本線の現状では、すでに輸送需要に対する輸送能力が極度に不足しております。この傾向は年とともに激しさを加えてきております。すなわち三十一年度の輸送要請七百六十万トンに対し、輸送見込みは六百四十万トン、約八四%しか達しません。さらに三十二年度には八百万トンと大幅に伸びを示したのでありますが、現状から見まして、北陸通過車の大量迂回を前提としても、旅客輸送力を現状のままにすれば、六百八十万トンの計画しかできず、七三%を満たし得るにすぎないありさまであります。このように輸送力が非常に逼迫してきた理由は、先ほど申しましたような急激な近代工業の発展にもよりますが、一方輸送力の増強計画がこれと並行して進められなかったためでもあります。その打開策としては、根本的には北陸線の全線電化及び複線化の一言に尽きますが、応急の対策としては、十七ページに書いてありますが、現行では、線路容量の極限まで列車が設定されているため、弾力性を失われているのであります。部分的でも早急に線増及び信号所を新設する。二には、大部分の駅の列車着発有効長が短小でありますため、機関車索引能力を百パーセント発揮できず、短小列車の増大による容量の行き詰まりの打開のため、有効長を延長する。三には、線内の各ヤードの設備の完全化及び冨山操車場の第二期工事の促進であります。第四には、現行の七百トン貨車の千トン貨車への切りかえによる輸送力の増強。以上の点に力を注ぎ、当面の輸送力増強をはかることが必要と考えられます。  なお、線路増設としましては、敦賀−木ノ本間、今庄−木ノ本間、木ノ本−米原間、福井−今庄間、金沢−福井間、高岡−津幡、間高−岡富山間、市振−親不知間等で、これらが完成すれば、多少の緩和は予想されるのであります。  さらに現在早急に防護設備を要すると認められる個所は約五十ヵ所にも及びまするが、特に浦本より有間川間は土砂の崩壊等により、至急に土砂どめ擁壁を必要とする現状であります。その他鉄げたの老朽度のひどいもの、橋脚の老朽になっておるもの、これらが数十ヵ所あるのであります。このように北陸線の輸送は、線路容量的にも、ヤード作業能力的にも、行き詰まっているにもかかわらず、物資の輸送は日ごとに増加の一途をたどり、年間を通じて大量の北陸通過車の他線区への迂回を余儀なくされておる現状であります。  以上述べましたように、北陸線の輸送状況は非常に逼迫しており、当初当局の立てた輸送計画より約二年もズレがあり、中でも伏木、富山地区の輸送量は非常に増大してきており、冨山操車場の完成により、その解決を計画していたが、第一期工事完成後の作業能力は、上下線十四本、貨物千二百両の操作ができるようになりましたが、すでに現在では千百両の貨車の操作を行なっており、今後ますます増大していく見込みのために、すでに手一ぱいの状態になっており、今秋第二期工事として、上下線十六本、貨車千八百両の操車を予定しておるのであります。ちょうどわれわれが現地に行ったときには、雪がひどく、多数の従業員諸君は雪中を除雪作業を行っていたが、他の操車場と違い、天候によって相当余分の作業まで行わなくてはならないありさまで、その上、定員も少く、また相当の訓練を必要とする現場にもかかわらず、熟練の人が少く、また人員の不足等によって労働も強化され、それが肉体的、精神的に与える影響も大きく、作業が危険にもさらされる。これらの点につきましても、十分注意を払わねばならぬと考えたのであります。なお、金沢管理局長から、米原−富山間の複線化、電化について、三十四年度に電源開発が完了し、それに伴い輸送要請の増加は必至であり、三十四年度までにはぜひ完成されたい。また、当管理局の定員は、作業量が全国的に比較して非常に多いので、定員増加を要望する。以上二点に強い要望がありました。  次に、上野第一港湾局長の説明及び案内によりまして、伏木港の整備状況及び現地視察に参りました、伏木港は富山湾に面し、小矢部川の河口に位置する河口港でありまして、付近には冨山港があります。伏木港は新潟港と同じように、河口にある港のために、流下土砂による港湾埋没に悩まされ、毎年約二十五万立方メートルに及ぶ浚渫を行なっており、これによって辛うじて水深七・五メートルを維持しておる次第であります。三十一年度の貨物取扱い量約百二十万トンで、主として中南米、米国より石炭、マンガン鉱、燐鉱石、オイル・コークス、これらを輸入し、北海道より木材、主としてパルプ原木等を取り扱っておりまするが、古い港でもあり、戦前に比べて船舶の大型化とともに、最近急激に物資の取扱いが増して、それに伴いまして工場等も増加したため、現在の設備ではとうていその需要に応じかねる状態であります。ぜひとも一万トン級の船舶が岸壁に横づけにできるように、左岸第一号岸壁の拡幅及び水深を九メートルに維持することがぜひとも必要であると思います。それと同時に、先にも触れましたように、この地区の物資の輸送量の増大に伴い伏木−高岡間の複線化、または伏木−冨山操車場の直結等の実現が望ましく、現在は三百車の配車要求に対し、その半分しか要求を満すことができません。また全部要求通り高岡へ運んだとしましても、すでに本線が一ぱいなために身動きができないような状態であります。付近には製紙工場、化学工場、カーバイド工場等があり、業界の代表として橘氏より、一、第一号岸壁を百メートルに拡張し、水深八一五メートルにぜひとも拡張し、一万トン級の船舶の入港を可能にしてもらいたい。第二に、木材の取扱いが多いため、植物防疫検査所の支所を作ってもらいたい。現在は入港のたびに横浜から係官が出張してきているので、きわめて不便であります。以上二つの点が要望がありました。  以上で富山県下の視察を終えて、翌朝七時三十分富山を立って新潟に参りました。新潟鉄道管理局にて河村局長、小田陸運局長、小浜海運局長、上野港湾第一局長、井本第九管区海上保安部本部長、中田気象台長より、それぞれ所管事項の説明を聴取しましたが、主として新潟地帯の輸送状況について御報告いたします。  この新潟地帯は、上沼垂操車場をかなめとして扇型に広がり、東新潟港、沼垂、新潟港、新潟、万代及び関屋の各駅が所在する新潟市とその周辺で、沼垂を除きすべて貨物支線の形態となっております。旅客輸送の面では一応信越線のターミナルとして体面を保ち、昭和三十三年度には新新潟駅も完成される予定であります。ほぼ完全な輸送形態ができるのでありますが、貨物輸送量については、戦前比較的輸送量が少かった関係から、新津駅の中継による支線的存在であったために、戦後新潟港を背景として工業原料、主として石油、石炭、銑鋼、肥料、鉱礦石等の諸物資の発送の急増とともに、石油、肥料、工業薬品、製紙工場の拡張増設等が行われましたために、裏日本最大の工業地帯を形成し、輸送要請に応じ切れないありさまで、新潟駅の客貨分離、越後線の乗り入れ、上沼垂の操車場への昇格等、相次いで行なってきましたが、とてもその程度の強化ではまかない切れなくなってきた状態であります。今後の輸送貨物の増加は必然であり、豊富な天然ガス等も大量に発掘され、ますます工場の新設に拍車をかけることになり、ここに根本的対策を樹立しなければならない状態になって参ったのであります。すなわち現在の輸送形態は、上沼垂操車場に東新潟港、沼垂、万代、関屋の四方面よりの貨車が集中しているが、すでに操車場の能力は麻痺している。昨年の実績を見ても、四月六百九十八車、五月五百六車、六月四百四十二車、七月四百七十車の要請に対して、四月二百八十一車、五月二百九十車、六月二百七十七車、七月は二百七十六車、約半分程度しか応じられないで、本年の正月の滞貨十万トンもいまだにさばき切れない状態で、今秋の繁忙期において作業車別の設定はもちろん困難と思われる。しかし、上沼垂操車場六百両が限度なのを、危険を冒して現在七百三十車まで操車している次第であります。しかも次から次に来る貨物に追いかけられている状態であります。  これが対策といたしましては、一、万代−上沼垂の短線新設、二としては、新沼垂操車場の新設、三として、新津−上沼垂の複線化 四として、新沼垂−石山の短線新設等であり、すなわち一の力は、万代から沼垂を経由せずに、直接上沼垂に貨車を集め、二は、上沼垂−新発田間に新操車場を作り操作を行う。これができれば、見通しとしては、昭和三十八年までは輸送力は確保できるし、この計画については、県、市、商工会議所等も全面的に協力し、もし資金の調達が困難であれば、全額約三十七億円を地方債でまかなってもよいと言っておりました。資金面でも明るい見通しでありますが、幸い、すでに移転用地として現在五十万平方メートルが買収済みでありまして、また二十三万平方メートルは整地されておりますので、付帯施設の一部もできており、本省に地方債の申し出をしましたが、本年はすでに他に決定したところがあり、割当がなく、とりあえず一億円で土地の整備にかかる予定であるということであります。三は、二が完成すれば必然的に新津−上沼垂間の輸送量がふえるため、受け入れ態勢として複線化が必要であり、四は、新津−上沼垂の中間にある駅で、二の完成によって上沼垂に余力ができるので、北陸線の新発田より貨車を新沼垂に入れ、多少の緩和に役立たせたい意向であります。なお、要望事項としましては、先に申しました新沼垂操車場及びこれに付随した一連の工事及び応急措置として、余目−酒田間の部分複線並びに有効長不足に伴う行き違い駅、越後岩沢及び平林の工事等であります。  以上のような説明を聞いた後、新潟交通株式会社に行き、中野社長より同社の説明を聞き、バス・ターミナルを視察いたしました。同社は新潟近辺のバス交通を一手に引き受け、天然ガスを利用して運転を行い、経営もりっぱでバス・ターミナルとしてのモデル・ケースとして優秀なものでありました。次いで県庁に行き、鈴木剛知事及び土木部長等より、新潟海岸の欠壊及び新潟港の整備状況につき説明を聞き、翌朝新潟海津及び港湾の視察を行いました。海岸欠壊は、単なる日本海の冬季季節風の激烈さによるものだけでなく、長大な西突堤の影響と、大河津分水による補給土砂の減少といった特別な原因によるものと考えられます。すなわち越後平野そのものが信濃川の流下土砂によって形成された三角州であるために、大河沖分水によって土砂の大部分が寺泊海岸に放出されることになった結果、波浪による土砂の喪失と供給のバランスが破れたためと、延長千五百メートルの四突堤ができたため、季節風による激浪がこれに沿って流れを変え、西向きの流れを生じ、砂丘の根本の砂がくずされ、海底の土砂が著しく浮遊撹乱されたために、こういう点から、以前三つあった砂丘が現在では二つ半も欠壊して、目下この対策として潜堤、縦堤、護岸工事の方式をとり、欠壊の防止に努めておりますが、われわれも現場を見ましたが、まず潜堤により激浪をしずめ、縦堤によりさらに波をしずめて、特殊な防波堤を作りこの対策に当る一方、毎年百万立方メートルの土砂を浚渫する新潟港の土砂を利用して護岸工事を行なっておりました。  次いで第一港湾局の牽引船に乗船し、新潟港を一巡しましたが、新潟港は信濃川河口に位する河口港で、古い開港場であるとともに、近年の対ソ、中共貿易の再開に当り最も重要な港湾である。ただ毎年百万立方メートルに及ぶ土砂の埋没により、現水深八・五メートルを維持するのが精一ぱいのため、この問題を解決せずには本港の発展は期しがたく、港湾局及び県、市それぞれこれが解決に当っておりますが、方法としては、分水を作り土砂の流れを変える以外になく、目下下流分水案、すなわち西海岸への分水、もう一つは、関屋分水案、すなわち上流分水の二案があって、それぞれ長所、短所があり、まだ決定を見ていないありさまでありますが、下流分水案によりますれば、流出する上砂をそのまま西海岸の欠壊に利用できる利点があるが、港自体として奥行きが狭くなる問題があります。なお工事費は約十億円であります。上流分水案によりますれば、港自体は広く利用できるが海岸欠壊について、また別途の方法を考慮しなければならぬ点と、工事費も三十億円を必要とするということが問題になっておる次第であります。現在新潟港は、毎年の浚渫より水深八・五メートルを維持し、一万トン級の船舶の出入が可能であり、現にわれわれが視察したときも浚渫を行なっており、二、三の大型貨物船が荷をおろしておりました。新潟港における取扱い貨物は二百八十万トンで、鉱油、石炭、燐鉱石、セメント、木材等で、その入港トン数は裏日本諸港中最も多く、伏木、七尾、敦賀、舞鶴の四港の扱い量に匹敵し、次位の伏木港の約二倍となっております。また只見川の開発によりセメントの輸送が大幅に増加すると考えられます。最近は韓国、中共貿易の伸長及び日ソ貿易の再開等により、入貨能力を四百五十万トンに引き上げるべく計画中であるということであります。  最後に、新潟市の陸運、海運業者代表と懇談を行いましたが、次のような要望がありました。軽油取引税増額に対しては望ましくないが、やむを得ないときには、徴税した県の道路整備のために使ってもらいたい。自家用のモグリ運送業者に対する取締りの強化の立法化を希望したい。小型船舶業者の運賃のダンピングの取締り強化の立法化をお願いしたい。以上の三つの要望がありました。  以上、簡単でありますが、これをもって報告を終りますが、われわれがこのたび裏日本輸送状況並びに港湾整備状況の視察に参りまして、特に痛感いたしましたことは、現地ではわれわれが想像していた以上に輸送力が逼迫しており、現段階ではすでに動きのとれなくなってしまっているということであります。早急に何らかの手段をとらなければ、せっかく各種産業が盛んになりつつある現状も、このままではもうつぶれてしまう、そういうおそれがあると思ったのであります。またそのためには、一日も早く北陸線の電化及び複線化を強く当局に要望してやまないのであります。港湾につきましては、われわれはわずか二ヵ所しか視察いたしませんでしたけれども、日本の経済の現状から見て、今後いかに裏日本の港湾整備が重大なものであるかということもまのあたり見ましたので、重ねて当局に一そうの御努力をお願い申し上げる次第であります。  以上であります。

戸叶武日本社会党

○委員長(戸叶武君) 次に第四班の報告を願います。

柴谷要日本社会党

○柴谷要君 第四班の調査の結果について御報告をいたします。  第四班は、戸叶委員長、成田委員と私の三名であります。去る二月十一日より五日間にわたって、京都、福井、石川の三府県の港湾の整備状況、飛行場の現状並びに北陸線の輸送状況等を中心に調査いたして参りました。  以下、日程の順序に従って申し上げますと、十一日東京出発、十二日朝、東舞鶴に到着、直ちに第八管区海上保安本部を訪れ、本部長よりその業務内容、警備救難作業の実情等詳細な説明を聴取した後、港内艇にて舞鶴港内を視察、船内にて府及び市当局、第三港湾建設局、近畿海運同等出先機関関係者から本港の現況、整備状況等につき説明を受け、西舞鶴港に上陸し、港湾施設、荷役設備等を視察いたしました。午後現地関係者と懇談をいたしまして要望など聴取いたしましたが、その概要を申し上げますと、舞鶴港は東港と西港に分れ、その水面横は約二千五百万平方メートルで、港内はしごく静穏で水深も平均二十二メートルで干満の差はほとんどなく、船舶の出入り、停泊に何ら支障なく、防波堤の必要すらない天恵の良港であります。港湾施設、荷役設備等も一応完備されているのでありますが、従来の近海貿易を対象とする航路及び諸施設は、最近船の大型化によって支障を来たすようになりましたので、現在運輸省の直轄工事として三十一年度予算千五百万円をもって水深九メートル、延長三十メートルの係船岸壁の改良工事を行うとともに、航路の浚渫を行なっております。また本港の貿易は、戦前は年間五十ないし六十万トンが常時ありましたが、現在は北海道との間に定期航路があるのみで、三十年度において出荷は、雑貨、木材等約五万七千トン、入荷は石炭、建設資材等で約二十二万トン程度でありまして、将来の対岸貿易に大きな期待と希望がかけられているわけであります。特に地元側としては、対岸貿易の再開に備えて、三十二年以後においてさらに係船岸壁延長百十五メートル及び航路の浚渫を早急に実現しなければ、港としての機能を十分に発揮できないので、工事費の増額を強く要望しておりました。  かくて舞鶴地区の調査を終え、夕刻敦賀市に到着、県及び市の関係者から敦賀港の現情につき詳細な説明を受け、翌十三日早朝より港湾施設、荷役設備等を視察いたしました後、市役所に設けられた港湾関係者の懇談会に臨み、当市の各界の代表者から実情を聴取いたしました。  当地における調査の概要を簡単に申し上げますと、この港は、戦前までは日本海沿岸における優秀国際港として栄えてきた港で、天然の良港を形成し、大型船の出入りもきわめて容易で、水深八メートルの係船岸壁、国鉄の臨港駅等を有し、荷役機械、倉庫等も完備しております。修築工事については、去る二十八年運輸省の直轄工事は完了し、現在は小規模の工事を行なっているにすぎませんが、地元としては将来の対岸貿易に備えて水深十二メートルの新しい岸壁工事を計画中で、三十二年度以後に着手できるよう予算化を強く要望しております。また本港の貿易は、戦前最盛期には入荷で百二十万トン、出荷で六十五万トンからありましたが、現在は出荷では肥料、セメントなどの年間約三万二千トンで、入荷は石炭が大部分でその他重油、木材等で約四十一万六千トンできわめて衰微した状態であります。市民は対岸貿易の再開に前途を期待している現状であります。懇談会における各代表の特に強い要望は、北陸線の輸送増強問題、敦賀−今庄間の隧道の件、対岸貿易促進の件、敦賀市と滋賀県を結ぶ二級国道の整備の件等でありました。  敦賀港での調査を終り、打ちに石川県の小松市に参り、小松飛行場関係者から飛行場の現況を聞きまして、翌十四日早朝より飛行場の視察を行いました。この飛行場は広さ約百が坪、滑走路は南北千七百メートル、東西千五百メートル、幅はいずれも百メートルで、旧海軍の使用していたもので、中小型機の民間航空用としては十分でありますが、その他の誘導路、エプロン、ターミナル、照明施設等地上施設はほとんどなく、定期航空川としてはきわめて不備なものであります。また現在駐留軍用の飛行場ではありますが、常置している飛行機は一機もなく、時たま連絡機が来る程度で、もっぱらレーダーの基地として使っているにすぎないのが現状であります。地元としては、早期に返還を受け、民間用として施設を完備してほしいとの強い要望がありました。  飛行場を出発して金沢市に向う途中、金沢測候所を訪れ、実情を聞いた後、県庁に到着、知事より県下の運輸事情につき種々説明を聞き、またこの地方の関係代表者と懇談いたしましたが、そのおもな点は、北陸線の輸送増強に関する要望が特に強く、福井、石川、富山の三県は協力してこの打開に当っている状態であります。なお、県下の自動車業者よりガソリン税増額反対の陳情がありました。  続いて金沢鉄道管理局に参り、当局より北陸線の現状と今後の対策について詳細なる説明を聞き、質疑を行なったのでありますが、その概要を申し上げますと、戦後急激に増加した国内人口と諸産業の復興並びに国民生活の安定によって旅客交通量は著しく増加しておりますが、特に北陸線においては、沿線にある豊富な観光資源の開発、宣伝による観光客の増加等により、最近急激に増加して参りました。旅客輸送量の増加指数は、昭和二十五年を一〇〇としますと、三十年は一三五という急上昇を示し、将来ともますます増大するものと思われます。また一方、北陸の貨物輸送面から見た産業構成は、全国と比較して鉱工業の比重がはるかに大きく、その伸び方も非常にテンポが早いのでありまして、総トン数から見ましても、北陸の伸びはきわめて高く、平均年増八%という強いものになっています。従って輸送需要に対する輸送能力が極度に不足し、三十一年度の輸送要請七百六十万トンに対して輸送見込みは六百三十八万トン、さらに三十二年度は九百十五万トンの要請に対して、現行の設備では七三%弱の六百六十七万トンしか考えられない状態であります。このように北陸の輸送は非常に逼迫しており、強い出荷抑制を余儀なくされています。そればかりでなく東北、北海道方面から関西へ北陸線を通過して輸送される貨車が、年間二万五千両以上も東北、上越線を迂回輸送されている現状であります。このように北陸の貨物輸送が急激に逼迫してきた理由は、豊富な電力、工業用水、石灰石等の地下資源を背景に、近代産業が目ざましい発展を遂げているにもかかわらず、輸送力の増強がそれに並行して進められなかったために、輸送能力の根底である線路容量、ヤード能力に全く弾力がなくなってしまったことであります。このような事態を一刻も早く解決し、しかも最も効果の上がるような輸送力増強の手段として、当局は北陸線増強五ヵ年計画により米原−富山間二百四十三キロメートルを工事費約七十億円をもって電化するとともに、これと並行して工事費百五十四億円をもって複線化の工事を進めております。すでに米原−木ノ本間は複線、電化を完了し、木ノ本−敦賀間は電化が本年秋までには完成することになっております。また敦賀−今庄間は隧道により直接結ぶ計画などもあり、着々とその成果を上げつつありますが、対岸貿易の再開あるいは北陸地方の産業の急激な発展に即応して輸送の万全を期するためには、少しぐらいの増強工事ではとても追いつかないという実情でありますので、この際思い切った工事費の増額により、五ヵ年計画を三ヵ年くらいに短縮して、急速に本線の増強をはからなければならないと思われるのであります。  以上で石川県下の調査を終り、全日程を完了、十五日東京に帰着いたしました。  右御報告いたします。

戸叶武日本社会党

○委員長(戸叶武君) ちょっと速記をとめて。   〔速記中止〕

戸叶武日本社会党

○委員長(戸叶武君) 速記をつけて下さい。  以上をもって委員派遣の報告を終了いたします。  本日は、これにて散会いたします。    午後二時四十一分散会      —————・—————

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