社会労働委員会 第33号
- 発言数
- 115 件
- 登壇者
- 8 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1957/04/02
会議録
○藤本委員長 これより会議を開きます。 引揚者給付金等支給法案を議題とし、審査を進めます。質疑を続行いたします。滝井義高君。
○滝井委員 大臣が午前はお見えにならないそうでございますので、一応条文の上でわからない二、三の点について局長さんの方にお尋ねをして、午後大臣が見えられましてから、少し政治的な問題についてお聞きしてみたいと思います。 まず、この引揚者給付金等支給法案を見ますと、六カ月以上本邦以外の地域に生活の本拠を有したということが引揚者という定義をつける場合に重要なものさしになっているわけなんです。外地を旅行しておった者は引揚者ということはできないと思うのです。しかしたといそれが六カ月未満であったにしても、生活の本拠を外地に置くと決心をして置いて、そして八月十五日に終戦になった、こういうような者は、旅行者でない限りは私はやはり引揚者という部類に入れなければならぬのじゃないかと思うのですが、こういう点、この前野澤君からも六カ月未満の者についての質問があったようでございますが、どうも私聞いておって理論的に納得のいかない感じがするのです。こういうように引揚者に給付金を支給しようとするならば、やはり六カ月未満の生活の本拠を有した者についても、この際温情を広げていくことがいいんじゃないかと思うのです。というのは、その数が非常に多ければ、ある程度そういうものさしが必要かと思いますけれども、六カ月未満の者は多分一%くらいだというお話がこの前あったのです。そうしますと、一%だというと、どうでしょうか、三万そこそこということになるのですね。そういう点、やはりある程度の温情を示すことが必要じゃないかと思うが、その点どうしてもやれなかったという理論的な根拠があれば、一つお示し願っておきたいと思います。
○田邊政府委員 お答えいたします。御承知の通り今回の措置は、在外財産問題審議会の答申に基いて行う特別の政策的措置でございますが、在外財産問題審議会におきましては、引揚者という特殊性をいろいろ考慮いたしました結果、引揚者が、終戦後多年積み上げた生活の基盤を失って、強制的に内地へ引き揚げさせられたという点を強調いたしまして、その点において他の戦争犠牲者、戦災者等と異なる事情があるものと認められる、その点に基点を置いて措置を講ずべきであるという答申をいたしております。従いまして生活の基盤とは何ぞやということは、いろいろむずかしい議論があるかもしれませんが、常識的に考えまして、生活の基礎を外地に置いておった人ということになりますと、引揚対策審議会のこの答申の文字からうかがえますように、少くとも生活の基盤を作り上げるためには最小限六カ月程度は必要ではなかろうか、こういう一般常識によったものでございます。この点につきましては引揚者団体ともいろいろ話し合うというとおかしいのでありますが、引揚者団体からのいろいろの要望もございましたので、その点について話し合いました結果、六カ月ということで先方も了解したわけであります。六カ月未満ということになりますと、一とどまったいと希時的居住者であるとか旅行者であるとかいろいろまぎらしいものが入ってくる可能性もございますので、六カ月程度に押えることが最大限の考慮ではなかろうか、こういう考え方でございます。
○滝井委員 今の御答弁は短かくとも六カ月以上なければ、生活のいろいろな根拠というものができない。従って引揚者者等とも相談して、六カ月ということで一応の限界線を引いたのだという御説明でございますが、私は今申し上げましたようにその数が非常に多ければそういう線も引かなければならないかと思いますが、一%であるということをこの前多分田邊さんからか御説明があったと思います。従って三万そこそこになる。わずか三万人の人の不満を買って、画竜点睛を欠くよりか、この際恩情をそこらあたりまで示す方が非常にいいのではないかと思います。われわれのところに六カ月未満の人からたくさん陳情書が来て、荷物も何も全部持って外地に行った、ところが無一文で引き揚げてきた、帰ってきたら引揚者なのに差別待遇されておるということで、おばあさんやおじいさんからいろいろ言ってきておるのです。こういう点はやはり一応考慮する必要があるということを私は主張しておきます。 その次は条文のいろいろの問題ですが、「終戦に伴って発生した事態」こういう言葉が二条の中に使われております。それからソ連の参戦によって発生した事態というような言葉が使われておるのです。少くとも六カ月という期間を生活の本拠として切ったからには、何もそういうむずかしい言葉をつけなくても、とにかく外地に六カ月以上おって内地に帰ってきた者はやはり一応引揚者になる。どういう事態であったにしても私はそうなると思うのですが、どうして終戦に伴って発生した事態とか、ソ連の参戦によって発生した事態というものをつけなければならないのか、これを一つ御説明願いたい。
○田邊政府委員 六カ月以上外地に生活の本拠を持っておる者が帰った場合は引揚者ではないか、大体それでよろしいと思いますが、終戦後外地から帰った者の中にはアメリカ、カナダ、南米、欧州いろいろございまして、いわゆる強制的移住者と目せられる引揚者の範囲は、終戦後帰った引揚者の大部分であろうと思います。シナ、満州、朝鮮、樺太、台湾その他南方諸地域、これらにつきましてはおおむね今回の措置回の対象となる引揚者でございますが、戦闘の行われなかったような地域からも終戦後永住の目的をもって内地に帰ってきておる者があります。こういったものを区別いたしまして、こういう非戦闘地域から帰ってきた一般的な引揚者をこの対象にするかどうかについては個々の場合に検討を要しますので、条文の上におきましても終戦に伴って発生した事態に基くやむを得ない事由による引揚者、こういう言葉を使ったのであります。端的に申しますれば、終戦に伴って発生した事態と申しますのは、無条件降伏をいたしました結果、国の行政権または外交保護権が全然及ばなかった地域、こう大体言えると思います。 ソ連の参戦に伴った特殊事態と申しますのは、第二条第一項第二号の八月九日から十五日までの間に帰った引揚者があるわけであります。これは引き揚げというよりは混乱の中に逃げ帰った方々であります。こういった方々も同じく八月十五日以降の引揚者と同じように取り扱ってやるのが実情に即応するのではないか、そのためには地域を限定する必要もございますので、こういった言葉を使った次第であります。
○滝井委員 そうしますと終戦に伴って発生した事態ということのものさしに使うものは、国の行政権あるいは外交保護権が一応及ばなかった一切の外地については引揚者と見てこの法律の適用ができるということになるのですか。
○田邊政府委員 言葉が足りませんのであるいはそのように御解釈をなさったのかもしれませんが、ここにも書いてありますように、それにプラスいたしまして、やむを得ない理由による引揚者という言葉を使っております。これはいわゆる強制的移住者という気持を出すためにこういう言葉を使ったのでありますが、外国官憲の命令のあった者もございます。生命を保全するために帰った者もございます。あるいはその地域でとどまっておったのでは生活することが事実上できないといった方々もございます。その地域はおおむね先ほど申し上げました満州、シナ、朝鮮、樺太、台湾及び南方諸地域、これらの地域がそれに該当すると考えております。その点につきましては、私ども事前に各地域についての引き揚げ事情を調査し検討いたしました結果、それらの地域におきましては先ほど申し上げました事情が発生した事態であると考えます。その事態は敗戦に伴う事態であると考えているわけであります。従って同じ外交保護権ないしは政府の権限の及ばなかった地域でありましても、ヨーロッパであるとか、南米、北米等の地域については強制引き揚げの命令はございませんし、またそこにおっては生活できないという事情も一般的にはなかったと考えられます。全然なかったかどうかにつきましては詳細検討を要すると思いますが、おおむね原則的にはなかったとわれわれ考えておりますので、そういう気持を現わすためにこういう言葉を使ったのであります。
○滝井委員 今後段の南米、北米ですが、そこらあたりがやはり私は幾分問題が出てくると思うのです。この二条の一と四との用語の関係を見ると、残留を余儀なくされた者というのが四で、一の方はあなたの今おっしゃるようにやむを得ない理由になっているわけであります。残留を余儀なくされたということをやむを得ない理由ということはあまり変らないですね。残留を余儀なくされるということは、やはりやむを得ない事情の中に入っちゃうことにもなると思うのですが、そこらあたりの用語の使い方で、たとえば第二条の四で「終戦に伴って発生した事態により昭和二十年八月十九日以後引き続き外地に残留することを余儀なくされた者で、」こうなっておる。これは結局残留することがやむを得なくて、そしてその後に帰って来ることになっておるわけです。私はそういう点で、これは少し問題が変ってきますが、二条の四なんかで、二十七年の四月二十九日以後本邦に引き揚げた者になっておるわけです。そうしますと、もし八月十五日から二十七年の四月二十九日の間に引き揚げた者は、どうなるか、こういうことが出てくるわけですね。
○田邊政府委員 引揚者という場合、大きく二つの種類があるのでございます。一つは、終戦に伴ってポツダム宣言によって内地に引き揚げさせられた者、または第二条第一項に書いてありますように、本人は永住の地である外地にとどまりたいと希望しておったのであるけれども、外国官憲の命令等によって、内地へやむを得ない理由によって移住させられた者、こういうグループであります。もう一つのグループは、早く帰りたかったけれども、しかし抑留その他の事情によって外地に残留をせしめられた岩、これは現実に後期引揚者と前期引揚者をごらんになればすぐわかると思います。私の方では、前段の強制的移住者につきましては、外地に生活の本拠を持った者を今までも考えております。後段につきましては、講和発効後においてもなおかつ内地へ帰ることができなかった。従って内地へ帰ってからの生活再建ということがそれだけおくれたわけでありますので、生活の本拠がなかった人であっても、そのハンディキャップを取り戻す意味におきまして引揚者の扱いをしたい。これは昭和二十八年以降中共から帰った引揚者の実情を観察いたしましたときに、そういう考え方にならざるを得なかったわけであります。従って残留を余儀なくされたという言葉の中には、典型的な例は抑留でございます。前段の力は、やむを得ず内地に引き揚げさせられた者、やむを得ない理由によって引き揚げさせられたということでありまして、その言葉によってとらえんとした事態は全く本質的に違って参りますので、こういう言葉の使い分けをしたわけであります。 昭和二十七年四月二十九日までの間に帰って来た者はどうかというお話でございますが、集団引き揚げは大むね昭和二十二年末をもって終了いたしております。満州の一部につきましては昭和二十三年までかかっておりますが、大むね昭和二十二年末をもって南方その他の諸地域からの集団引き物げは終っておるわけであります。ソ連からの引き揚げは、御承知の通り二十一年十二月から始まりまして、昭和二十三年の四月をもって終っております。それから引き揚げの中絶時代が続きまして、二十八年の三月中共からの引き揚げが再開され、二十八年の十二月からソ連からのいわゆる戦犯者の引き揚げが始まったわけであります。従って強制的移住者というものは原則的に申しますと、二十二年の末をもって終っておるわけでございます。またソ連からの引揚者をとってみますれば、二十五年の四月をもって終っておるわけであります。その間に帰った者はどうかということでありますが、その間に帰った者の中で外地に生活の本拠を持っているような者があるかもしれません。しかし大部分は内地から応召して外地に行かれた軍人が主でございます。こういう方々は独立前に帰った方々でありますので、特別な考慮を払わなかったわけであります。
○滝井委員 今御説明になったような集団的な引き揚げのいろいろ区分があるわけですね。それが少し実際的にわからなくなるのは、こういうように二条の一、二、三、四と見てみますと、全部期日を非常にシビヤーに切っておるわけです。こういう非常に正確な日月の切り力によって、引揚者でありながら、引揚者として今度のこの法案の恩典に浴さない者が一体どの程度あるかということです。それはたとえば軍人で幾ら、それから一般の者で幾らと、こうちょっと教えてもらいたいのですが。
○田邊政府委員 この表面だけごらんになりますと、あるいはそういう疑問が起きるかもしれませんが、私どもは実態をまず頭に置きまして、それをとらえる場合の表現としては、私それで差しつかえないと思っております。条文の上からとれるものはとれるようになっております。もっとも個々に審査を要するものはあるかもしれません。個々の審査によって、外地に生活の本拠がなかったとか何とかいうことがあるかもしれませんが、対象としては相当広くとっております。ことに昭和二十七年四月以降引き揚げた者につきましては、外地に生活の本拠がなくても見てあげるということになっておりますので、今後帰って来る引揚者の中で、ずっと自己の意思によって残っておって、途中から自分で帰りたくなって帰って来たという方々が今後はずいぶん予想されると思います。そういうものは厳重に審査を要すると思いますが、今日まで帰った者につきまして観察しますると、この条文の表わし方でとらえられると思います。
○滝井委員 大体われわれは、一々正確な日月が切ってありますので、いろいろ一つ一つについて考えてみておるうちに、どうもこれはかからない人が出てくるのじゃないかという懸念があったのですが、今の御説明でほとんど全部かかる、それから二十七年四月以降に引き揚げた者についてもそれを全部見ていくのだ、こういうことでございますが、後段の四月以降の引揚者を見るというのは、これは二条の一にも入る人もいるのだと思いますし、それから四などというのも特殊なものになってくると思いますが、そういう場合は条文はどこでそういう読み方をいたしますか。
○田邊政府委員 御質問の点は、昭和二十七年四月二十九日以後引き揚げて来た者で外地に生活の本拠があった人もあるではないか、その場合に一にもかかるし四にもかかる、こういう御質問じゃないかと思いますが、その場合は、正確に申しますれば、一か四かどっちかに書き分けねばならぬわけでありますが、実際問題としては、ダブってもらえないようにしておけば、実際の弊害はないわけでございますので、第二条におきましてはこういう書き方をいたしまして、あとで両者併給してもらうことができないようにいたしてございます。
○滝井委員 それで大体かかるということがわかったのでいいと思います。 それから二条の2で「その他の島」というのがあるのですね。「歯舞群島、色丹島及び厚生省令で定めるその他の島」これは小笠原関係ですか、ああいうものは一体どうなるのかということと、その他の島へは含まれないのかということ、「その他の島」というのは具体的にどういうところを言うことになるのでしょうか。
○田邊政府委員 「その他の島」という中に予想しておりますのは、択捉と国後を予想しているわけでございます。小笠原島は現在アメリカがこれを使っているわけでございますが、この地域からの内地への疎開者に対しましては、別途行政措置で見舞金をすでに支給しておりますので、この法律の適用の対象にはいたさない考えでございます。
○滝井委員 小笠原は見舞金を支給しているのでやらないという。そうしますと、沖繩関係はどういうことになりますか。
○田邊政府委員 沖繩はこの法律で本邦の中に入っておりますますので、外地から沖繩に引き揚げて来た人につきましては、当然この法律の適用があるわけでございます。
○滝井委員 外地から沖繩に引き揚げた者は、本法の適用があるということでございますが、その判別の仕方ですね。これは、沖繩が今のような状態になっておると、調査その他がうまくいくかどうか、ちょっとわれわれ疑問に思っているのですが、そこらの調査は具体的にどういう方法でやっておるのか、この際それを御説明願っておきたいと思います。
○田邊政府委員 昨年引揚者の在外事実調査を実施いたしました際には、沖繩も合せて行い、沖繩では南連の事務所において調査をいたしております。終戦以来日本政府の行政権の及ばなかった地域でございますので、都道府県と同じように実態を把握することにつきましては、若干隔靴掻痒の感があるわけでございますが、すでに遺族援護法、留守家族援護法も適用している地域でございますし、多少手はかかるかと思いますが、手を尽して参りますならば、引揚者である実態を把握することは不可能ではないと考えております。
○滝井委員 一つそういうふうに事務的に抜かりなくやっていただきたいと思いますが、歯舞、色丹の関係ですね、これは今度今までとは情勢が少し変ってくる状態が出てくると思うのですが、そこらあたりの事務的な——これは本邦に含まないということになって、そうして、結局たとえば北海道なんかに来ている人は、この法律ではもらえないわけでしょう。
○田邊政府委員 その逆でございます。歯舞、色丹から北海道に引き揚げた方々に対しましても引揚者給付金を支給するために、本邦という中から除いたわけでございます。
○滝井委員 そうです。私はちょっとそこは誤解しておりました。そうしますと、その具体的な把握の仕方ですね。歯舞、色丹と択捉、国後とは、今の取扱いは少し違っておりますね。そこらの今後のいろいろな問題……。
○田邊政府委員 この法律に限っては、少くとも外地並みに扱おう、こういうことでございます。
○滝井委員 どうも少しそこらあたり、外地と十ぱ一からげにくくっていくと、いろいろあとで問題になるような感じがするのですがね。
○田邊政府委員 この点につきましては、外務当局とも十分相談をいたしまして、特に法律の第二条第二項にそういうことをうたったわけであります。十分外務省とは打ち合せをいたします。
○滝井委員 だいぶ外交上いろいろあとになって問題が残ってきそうな感じがするのでございますが、外務当局とも打ち合せてやっておるということでございますから、一応信頼をいたしておきます。 次には、戦後すでに十二年を経過したわけなんですが、まだ相当未帰還者もおられます。しかし、現実に外地におられる人々で、もう内地の方に帰ってこないのだという意思を持って外地におられる方も相当おるかと思います。そうしますと、現在未帰還者留守家族援護法との関係等が出てくることになるわけなんですね。そうすると、これは本人は外地に住んでしまっておる。そして向うの御婦人と結婚されている。内地には年老いた父母がある、あるいは奥さんがこっちにいらっしゃるということで、援護法その他の適用を受けておるのですが、これらの関係がずるずるっと長くいくということについては、もう戦後でないといわれ始めたので、やっぱり一つの限界がきたと思うのです。これは私厚生大臣にも一ぺん聞かなければいかぬと思いますが、少くとも内閣の方では、いろいろの戦時中あるいは戦後に起った戦争の災害に対しては、もうこれをもって終りだというような意味のことも大臣は答弁されているわけですね。農地等については、これは自民党の中にも異論があるようでございますが、今後一切やりませんということをおっしゃっておる。そうしますと、やはり戦後でなくなって新しい日本の姿を打ち出していくということになると、もうそろそろそこらあたりで何か政策の転換をやらなければならぬ時期がきているような感じがするのですが、事務当局として、今後未引揚者の生死不明、こういう関係と、内地における未帰還者留守家族援護法等との法律上のもろもろの関係、こういう点を、今後どういう工合に処理をしていくおつもりなのか。この点、一つ事務的な御見解を一応承わっておきたい。そしてそのうちにまた大臣に承わりたい。
○田邊政府委員 未帰還者問題についての最終的な、きわめて困難で、しかも本質的な問題にお触れになったと思うのであります。一般的に戦争犠牲者の問題は、そろそろこの辺でケリにしたらいいではないかという御議論がたびたび出るわけでございます。一般的には私も同感でございますが、ただこの未帰還者問題については、そう簡単にいかないところに、未帰還者問題の特殊性があるわけであります。何となれば、留守家族というものはここにおるわけでございます。そして留守家族の納得のいく措置をするということが、やはり未帰還問題の解決の場合に一番大事なことであります。人の生命に関することでございますので。そこで考え方といたしましては、先ほど滝井委員のおっしゃるように、いつまでもだらだらしておるわけにはいかぬ、こういう考え方については全く同感でございます。御承知の通り未帰還者留守家族援護法におきましては、この留守家族手当を支給する期間について年限を切っております。これは最初昭和二十八年八月に立法いたしました際は、昭和三十一年八月まで、つまりこの留守家族援護法が制定になってから三年間たっても、その間いろいろ調査、究明しても、なおかつ生存の資料の得られないものについては留守家族手当を打ち切るという条件をつけましたけれども、三年の間にできるだけ努力し、未帰還者の消息を究明して、そうして何とかこの間にケリをつけたいという気持を現わしている、つまり努力目標をそこに現わしたのでありますが、何分にも調査がそこまでいき得なかった関係から、さらに昨年国会の御審議を得まして、その期限をもう三年延長したわけでございます。三十四年の八月まで延長になったわけであります。 そこで未帰還問題について一番大事なことは何かと申しますと、われわれの方で氏名を把握している未帰還者個個人についての現在の生死の状態がどうなっているかということを、できるだけ的確に把握したいということでございます。そのために国内でもずいぶん手を伸ばして調査したのでございますが、国内調査には限界がございます。そこでどうしても関係相手国の協力を受けるということが絶対必要になってくるわけであります。たとえばソ連に抑留されておった、あるいは現在おる人も含めまして、抑留されておった方々の名前というものは、全部把握しております。その中から、帰った人、死亡処理された人を引いて、現在約一万名の未帰還者があるわけでございますが、それの実態は、現在生きているか死んでいるか、どちらかでございます。生きている人については、現在帰国を希望しているか、希望しないか、どちらかでございますが、それがわれわれの国内調査では、やはり一定の壁を隔てて見ているわけでございまして、上からのぞいて見たように的確にいかないわけでございます。そこでソ連当局に対しまして、ソ連当局の情報の提供を求めているわけでございますが、ソ連もわれわれの要望の正当であることを自認いたしまして、日ソ共同宣言にああいう調査継続の条項を入れたわけでございます。ただし、ソ連といえども現在どうなっているかということを全部的確に把握しているわけではないのでございます。実態からある程度の距離を持っているわけでございます。ただし日本側よりは実情について一そう詳しく知り得る立場にあるということはこれは当然でございます。何となれば拉致連行し、抑留したのはソ連自身でございますので、ソ連が知っているべきはずの立場にあるわけでございます。しかし遺憾ながら終戦直後から翌年の昭和二十一年の春ごろまでの間におきましては、国際法できめられておりまする捕虜名簿等もソ連で必ずしも完備しておらなかったのではないかと思われる節がございます。現在樺太を含めまして約一万足らずの未帰還者がございますが、その大部分は終戦直後の生存資料しかなかった方々でございます。実体的にはおそらく死亡したのではないかと思われる方々でございますが、留守家族といたしましては可能な一切の手段を尽してなおかつわからないという場合にはあきらめるけれども、その前にできるだけの手を尽してもらいたい、こういうのが留守家族の心情でございますので、私どもといたしましては可能な一切の手段を尽したいということで、ソ連当局に実情をよく話しまして協力を求めたわけでございます。われわれのソ連に対する要請の仕方はこういう要請の仕方でございます。ソ連側では捕虜である以上名簿を作っているはずである、しかし先ほど申し上げたように全部名簿を作っているかどうかわからない、しかし名簿を作っている限りにおいては、われわれの方で出した未帰還者の名簿に載っている人は、その名簿に現在生きているかあるいは死亡したかみんな書いてあるはずでございます。死んだ人については、いつどこでどういう病気で死んだかということが必ず書いてあるはずでございます。これは向うで作った名簿等を手伝っておった抑留者が帰ってきたということもございますので、そういうことで名簿にある限りわかるはずでございます。名簿がない場合はいたし方がないわけでございますが、名簿がある限りにおいては、資料がある限りにおいては、生存あるいは死亡ということを回答をしてもらいたい、こういうことを向うに要請しているわけであります。先般ようやく樺太地区につきましては——と申しますのは先般発表になりました数字はおそらく樺太に終戦当時おった人に関する情報の提供であると思いますが、いまだにソ連本土には昭和二十五年以降現在という資料に載っている人が二百名以上ございます。その中に内地へすぐ帰りたいといって手紙をよこしている人がございますので、こういった資料を外務省を通じましてソ連側に提供して、なるべくすみやかに内地へ還送してくれるように要請いたしております。何分にも広い地域でございまするから中には内地へ帰れるということを知らぬ人もあるということを聞いておりますので、少くともすぐ内地へ帰れるのだという趣旨が普及徹底いたしまして、手続の簡素化につきましてもソ連当局に要望している次第でございます。手はかかりますが、詰めるだけ詰めましてこれ以上どうしてもわからないという段階にいきますれば——またその時期がくることをできるだけ早くしたいとわれわれ念願しておりますが、そういう手段を尽した上で最終的な処置を講ずるようにして参りたい、こう考えている次第であります。
○滝井委員 そうしますと大体基本的には今の法律の関係がありまして、三十四年八月まで援護法がずっと続くことになるわけですから、一応のめどとしては三十四年八月までぐらいにはそういう関係がある程度整理ができて見通しがつくという、こういうことを一応常識的に考えておけばいいということになるわけですか。
○田邊政府委員 その通りでございます。ただしその前にやはりソ連及び中共に対して日本側で持っておりまする現在の資料をそのまま提供して、率直に相手国の調査に関する協力を求めて実効を上げていくということが、こういった措置を講ずる場合の非常に大事な要素となっているわけでございます。今後その点について外務当局を通じましてできるだけの努力を続けて参りたい、こう考えております。
○滝井委員 これは今後日ソの国交調整あるいは中共との関係等も非常に重要な要素になってくる、そうしますと外交上の問題が入ってくると思いますので、その問題は一応これくらいで打ち切って、いずれ外務大臣にもう少し自信のほどをお聞きさしていただきたいと思います。 次に事務的なことで恐縮でございますが、六条関係で一応所得税の額を八万八千二百円と区切って、これ以上所得税を納める者には今度の給付金を支給しないことになっておるわけであります。これは大体所得額にすると五十万円くらいになるのでしょうかどうでしょうか。そういう八万八千二百円という一つの線を引いた根拠はどういうところからきているのか、これを御説明願いたいと思います。
○田邊政府委員 八万八千二百円という金額に対応する所得額は幾らになるかと申しますと、個人一人の場合で申しますと、給与所得でございますれば総収入五十万円でございます。御承知の通り所得税の賦課に当りましては、扶養親族を持つ場合にはその数に応じて一人の場合には四万円、二人のときには六万五千円、三人九万円、四人十万五十円がそれぞれ控除されまして、その残額に対して課税されますもので、八万八千二百円の所得税が課せられる扶養家族を持っておる実態をとらえてみました場合に、二人の場合におきましては九万円……。(滝井委員「こまかいことはいいです。」と呼ぶ)夫婦二人切りという場合には六十万円になります。それから五十万円に対応する八万八千二百円という金額を算定いたしましたのは、別にきちんとした理屈があるわけではございませんが、まあ生活の基盤を再建し得たと認められる方々、これは一般社会通念によりましてこの程度以上の方々は一応富裕と認めらるべき人々、こういう方々は除外する、こういう方々には御遠慮願うという意味におきまして、五十万円という金額に算定の目安を置いたわけでございます。
○滝井委員 そうしますと私が言いたいのは、こういう五十万という線を引くことによって、いわゆる二条の「引揚者」と定義づけられる人の中からどのくらいの脱落者が出るかということです。
○田邊政府委員 私どもの計算では約三%強になっております。
○小島委員 関連して。私は今実はよく読んでいませんからわかりませんが、税額できめてあるのですか。税額で八万何千円ときめて、それが所得額は大体五十万円ということになるのですか。
○田邊政府委員 法律の上では所得税で押えております。
○小島委員 そういうことになりますと、税率が変ってきた場合には五十万が六十万円にも七十万円にもなるわけですね。今度あたり減税になってくるとどうなるのですか。
○田邊政府委員 三十一年度における所得税額が八万八千二百円、ただし三十一年度以前の三カ年間、二十九年、三十年、三十一年における所得税の平均額が八万八千二百円よりも低い場合にはその方によってよろしいという特例を設けております。
○滝井委員 大体三%程度が恩典に浴さなくなるということはわかりました。実は政府の税制改革の基本的な方針は、現在の日本の税制においては昭和三十一年度において五十万から百万の層が非常に重いのだ、これらの層はお気の毒だということで政府は減税の重点を五十万から百万に置いちゃったのです。そこらが昭和十五年に比較して四倍、五倍の税を納めておるのだ、だからここらがかわいそうだということで政府がやったので、どうもここらあたりのとり方は、政府が今まで主張しておった主張の仕方とあなた方の主張の論点が少し違ってくるのです。五十万から百万の層は税金が重くて非常に苦しいんだ、だからこれは減税してやらなければならぬ、こういうことになっておる。ところが今度は昭和三十一年度を基礎にして、五十万円の層は富裕だから、そこはもういいだろうというと、どうも引揚者に対するものの考え方と、大蔵省の減税政策の考え方とが少しギャップのある感じがするのです。
○田邊政府委員 それは別問題ではないかと思います。なお所得制限をかぶります範囲は夫婦だけでございます。所得制限額以上の所得があった方々でありましても、その子供には給付金を支給するということにいたしております。
○滝井委員 生活の本拠を喪失したということが基本になって、私たちもこういうことは必要だと思っておるわけです。しかし今まで政府がいろいろ減税の理論として展開しておったところと、これとは、同じ政府の中で少しニュアンスが違う感じがしたわけです。それで皮肉な質問だったけれども、ちょっとお尋ねを実はしておいたわけです。 その次にちょっと私のわからぬところは八条の三ですが、ここで「三十二年三月三十一日以前に死亡した者で、死亡の当時二十五歳以上であったもの」としておるのですが、多分政府の初めの考え方は三十才だったのです。それが二十五才に変ってきたのです。何かこれは三十才を二十五才に引き下げなければならなかった非常に重大な理由でもあってこうやったのか、それともできる限り広く恩典に浴せしめようという親心から、別に大して理論的な根拠もなかったのだが、二十五才以上が適当だろうということでしたのか、ここらあたりを一つ。
○田邊政府委員 これは社会党の方々と与党の関係の方々とお話し合いになりまして、三十才を二十五才にしてほしいという御要望があったと私聞いておりますが、そういう点も考慮されてこう訂正になったかと思います。
○滝井委員 それからいま一つは、二十五才という年令を区切ることによって、十一条で、遺族の給付金をもらうことになるわけですね。その場合、引揚者のもらうあの年令区分による遺族給付金の表が適用されることになるわけでしょう。そうすると結局十八才未満は関係がないし、二十五才未満も関係がなくなるので、結局表は二十五才ならば一万五千円遺族がもらう、こういう解釈になるのですか。
○田邊政府委員 これはこういう考え方でございます。引揚者として、生きておったならもらえるであろう金を差し上げる。ただし死んだときに二十五才未満であった方には差し上げない、こういうわけでございます、従って引き揚げてきたときには十八才未満でありましても、死亡したときに二十五才以上という方があるわけでございます。もらう金額にいたしますれば、一番最低の七千円をもらう方もあり得るわけでございます。たとえば十七才で引き上げて来られた方がずっと今日まで生きておったならば七千円もらえるわけでございますので、その方が終戦の十年目になくなったときには二十七才だった、こういう方は七千円もらえるわけです。
○滝井委員 「第二条第一項各号のいずれかに該当するに至った後昭和三十二年三月三十一日以前に死亡した者で、死亡の当時二十五才以上」でしょう。従ってその条文で行きますと、今度は第十一条の第一号で、「第八条第三号に掲げる者の遺族に支給する遺族給付金については、死亡した者の昭和二十年八月十五日における年齢により定めた次の表の額」と、こうなっているわけでしょう。そうしますと、昭和三十二年三月三十一日以前に死亡したときの年令によって、たとえばそれが三十であった。ところが二十年八月十五日は、それから十年さかのぼるのだから、二十になる。そうするとこの表は十八才以上三十才未満の一万五千円で行く、こういう解釈になるわけですね。わかりました。 次は不服の申し立てですが、ここらあたりが特に将来よく問題になるところで、ちょっと聞いておきたいのですが、処分の通知を受けた日から一年以内に不服の申し立てを大臣にしなければならぬ。ところがこれは、やむを得ない理由があるときには、その期間の経過した後でもよろしい、こういうことになっているわけですね。このやむを得ない理由があるという場合は、一体どういうときが具体的に考えられるか、それを一二、こういう場合が特にやむを得ない場合になるだろうということがあれば、一つお示しを願っておきたいと思うのです。これは、この法律を作るについて、引揚者の皆さん、いろいろ運動資金等を集めてやっていらっしゃるわけですね。ところが運動資金を出さない者にはもらえないのだということが一時非常に流布されて、相当当時恐慌を来たして、私たちも、運動資金を出さなければもらえぬということだが、先生、そんなことがありましょうかといって、ずいぶん尋ねられたのです。従ってこれはもしかすると、全部に周知徹底をするだろうと思うけれども、何百万という引揚者の中で、ぼやぼやといっては語弊があるが、こういう問題に関心を持たない学問の少い人もいるわけです。従って、そういう人が気づかずに、あとになって、私は知らなかったというのも出てこないとも限らないし、やむを得ない理由というのは大体どういう場合をいうのか、それもやはり時効の関係もあるのでお教えを願っておきたいと思います。
○田邊政府委員 滝井さんの言われました法律の趣旨の普及徹底の問題、あるいはその普及徹底に要する期間の問題でございますれば、その問題は引揚者給付金を受ける権利行使のための時効の問題だと思うのです。この不服の申し立てというのは、一たん権利の認定があって、だめだと言われてから不服の申し立てをする場合でございますので、お述べになりましたのと事情が若干通っているのではないかと思います。不服の申し立てをする期間を一年とし、やむを得ない場合は例外を設けるという例といたしましては、天災地変のようなものを考えております。 それから法律の普及徹底の問題につきましては、これは昨年実態調査を私の方でいたしました際に、この申告をしなければ将来もらえるであろう引揚者のための在外資産の補償はもらえないのだということを言った地方があるということを私も耳にいたしておりますので、私どもは昨年あの調査をいたします際にこの調査をしたからといって、必ずしも将来金がもらえるということが約束されたものでもない、それが大事なことである。それから今度の調査に関する申告をしなかったからといって、将来法律ができた場合に、金がもらえないというものではない、しかしまあ大事な調査だから漏れなく申告をしてほしい、こういうことで各県を指導したわけでございまして、引揚者団体の中央におきましても、地方におきましても、少くともその地方の幹部までにはそれは徹底しておるはずでございますが、末端におきましてその趣旨が十分徹底しなかったところもあるように思われる節もないではないのでございます。今度はそういうことのないように末端までこの法律の趣旨を普及徹底さして参り、そういう事態の起らないようにいたしたいと思います。
○滝井委員 ああそうですか。今私は十五条を十八条と少しこんがらかって質問いたしましたが、厚生大臣の処分に不服のあった者は、その不服の処分に対して一年以内に申し立てをすることができる、特にやむを得ないときというのは天災地変等であるということがわかりました。「受ける権利は、三年間行わないときは、時効によって消滅する。」ということと、今ちょっと私ごっちゃにしておったようでございますが、この受ける権利についてはできるだけこの法案の普及徹底を早くやって、漏れなくもらう権利をむだにしないようにしていただきたいと思います。 それから二十二条関係で「郵政大臣は、前項の規定により取り扱う事務を処理する場合において、特に必要があるときは、同項の規定にかかわらず、その事務の一部を政令で定める者に委託して取り扱わせることができる。」となっておるのですが、この事務の一部を政令で定める者に委託するという政令で定める者とはどういう者なんでしょうか。
○田邊政府委員 これは琉球政府の場合を考えております。
○滝井委員 そうしますと、沖繩関係は結局沖繩の政府でやってもらうという規定なんですか。——わかりました。どうもこういう場合をいろいろ考えてみたらわからなかったので質問いたしましたが、大体私は条文の上でわからないのは以上で終ります。あとは少し政治的なニュアンスのある問題でございますので、午後大臣が来てからやらしていただきたいと思います。
○藤本委員長 岡本委員。
○岡本委員 この機会に事務当局の方から御意見を承わっておきたいと思います。戦争による犠牲には、生命を失ったとか、あるいは身体に障害を起したというふうな犠牲と、それから財産的な損失を大きくこうむったというふうな犠牲と二種類あるわけですが、今度の場合には財産的な損失に対して補償が出るわけなんです。しかしその場合、生命を失ったとか、あるいは不具者になったとか、あるいは非常に病弱になってしまったとかいうふうなことに伴うところの損害に対する補償と、それから財産を失ったということに対する補償とどちらを重要に考えておるかということについて、局長のお考えを承わりたいと思います。
○田邊政府委員 今回の措置は、お言葉にもございましたが、財産に対する補償であるとは考えておりません。財産に対する補償そのものずばりとは考えておりません。やはり生活の基盤を失った、無一物になって帰ってきて、生活再建をはかるにおいていろいろ御苦労があったであろう、できれば上陸直後において若干のお見舞金を差し上げて、それをもって立ち上りの資金にしていただきたいというふうにすべきであったが、当時いろいろな事情からできなかった、二十年もたった今日ではあるけれども、こういった措置を講じて引揚者の多年の御要望に報いたい、こういうことでございまして、厚生省でこの給付金を支給するという中には決して財産補償的な理念は入っておらぬのでございます。引揚者団体におきましては、いわゆる暫定補償ということを申しまして、在外年数に応じて世帯主だけに金をほしいということを言っておりますが、理論的にも実際的にもいろいろ欠点がございますので、私どもの方ではかっての戦時災害保護法の例を参考としてこういう措置をとった次第であります。 なお、財産的な、ただいまのお言葉を拝借するならば、いわゆる財産を置いてきた者と生命の問題とどちらを重視するかというお尋ねに対しましては、生命を失った者を重視する、これはこの法律の中にも書いてあります通り、外地において終戦後のああいった特殊事態に基いておなくなりになった方に対しましては、生きて帰った方よりも厚く見て差し上げたい、こういうことを明記しておるわけであります。この中にただいまの考え方が現われておると思います。
○岡本委員 そうすると、今度は簡単に言えば補償というのじゃなくて、慰謝料だ、そういう観念から出ておるわけですか。
○田邊政府委員 在外財産が国家賠償の肩がわりに使われた場合に国が補償するという観点に立っていないことは明瞭であります。また失ったものが多いからその大きさに応じて国が出すという筋ではないのでありまして、これは大臣から先般の委員会においてお答えがあった通りでございます。政府が金を出す気持にはいろいろの気持が含まれておるわけでありますが、慰謝料という言葉は必ずしも適当ではないのであります。在外財産問題審議会の答申に基いて行う特別の措置である、その根拠は、引揚者がその生活の基盤を失ってほとんど無一物になって帰ってきて、日本の内地において生活の再建をはかるにおいて御苦労があったという事実に着眼いたしまして支給するものであります。
○岡本委員 財産を失い、同時にそのことで生活の基盤を失って一時非常に苦労された、その苦労されたことに対して何らかの措置を講ずるというふうな意味であろうと思います。そこで、そういうことは同じように、今度の戦争によって内地におってもあるいは外地におった人にもあると思うのであります。いろいろな生命もしくは身体的な損失を受けておる人がまた相当あると思うのであります。 〔発言する者あり〕
○藤本委員長 御静粛に願います。
○岡本委員 そこで、今度の場合財的な損失に対するいろいろな問題ですね、それに対する補償というと語弊があるかもしれませんが、補償ではなくても一種の財的措置であることは確実です。ところが、たとえば軍の徴用とかあるいは軍属であって、厨夫とか、まかない夫とか、そういう形で軍艦とか船に乗っておって、そしてその船と一緒に沈んじゃったというような人がたくさんいるわけです。ところがそういう人に対しては、正式の軍の徴用者でなかったということで、はっきりした軍属の身分が保障されてなかったというので、何らの措置が講ぜられておらない人がまだ残っておるのです。片一方は召集されて兵の身分で行ったから、戦争のために死んでもそれに対して戦没者としての厚い慰めを受けておる。ところが同じように軍のお役に立っておりながら全然国から顧みられないという人がまだ残っておるわけです。そういう人に対する国のある程度の弔慰の措置というものは講じられるべきであると思います。従って私の今言いたいことは、外地から引き揚げてこられた、長い間非常に苦労されたでしょう、それじゃ今度その気持が幾らかでも休まるように措置を講じましょうというのが今度の法の趣旨であるなら、生命を失った人で、まだ網の目から漏れておる人を、この際網をこまかくして救い上げて、遺家族その他の人たちの心休まる措置をこれからおとりになる用意があるのかどうか。声の大きいものだけ取り上げて、これは声が大きいから仕方がなくやった、ところが片一方声の小さいものは聞えても知らない顔をしておる、こういうことではいかぬと思うのです。網の目から漏れておるこまかい具体的な問題がいろいろあると思うのですが、そういうお気の毒な人について今後十分検討して、何らかの心休まる措置を講じていただきたい。またこれは数が少いから、そうたくさん費用も要らないと思います。そういう網の目から漏れておる人を一掃される用意があるかどうかということを承わっておきたいと思います。
○田邊政府委員 陳情が強いからそれだけを限定して政府はやるのかといったお言葉がございましたが、私どもはできるだけ陳情がない場合におきましても実情に即した措置をとって参りたいと考えております。今度の法案をしさいに御検討いただきますれば、たとえば外地においてなくなった人の問題は別に強い陳情を受けておりません。しかし生きて帰った方に対して金を出すなら、当然それ以上の厚い処遇を外地において命を落された方に対してすべきだ、こういう考え方に立って措置しておるわけであります。また外地に生活の本拠がなかった方でございましても講和独立後帰ってきた方、たとえば昭和二十八年以降中共から帰られた方の中には非常にお気の毒な方がございます。こういう方の数が少いために声はほとんどございませんが、われわれ長い間の引き揚げの過程におきまして非常にお気の毒であった実情がわかりますので、こういう方々に対しても措置する心がまえでやって参ったのでございますが、ただいま御指摘のありました戦争中に戦没された方にいまだ何ら遺族としての援護措置を受けていない方があるのじゃないか、こういう御質問だと思います。一般的に申しますれば、戦争中御承知の通り戦時災害保護法というものがございまして、戦時災害によって命をなくされた方に対しては戦時災害保護法によって家財とか住宅を失った方以上に国は処遇しておったのでございます。戦時災害を受けた場所は必ずしも内地だけではありません。船の上で受けられた方に対してもあるいは外地において受けた方に対しても一律平等に措置いたしておったのであります。包括的にはそれでやっておったわけであります。なお戦没者の中でも、戦没された当時の状態が軍人軍属に準ずると認められる方々、私どもの方ではいわゆる準軍属といっておりますが、これは法三十四条によって弔慰金を出しております。この弔慰金の金額は安過ぎるという御批判はあると思いますが、一応それでやっておるのであります。そうして内地における学徒、徴用工等、国家総動員法に基いて徴用された方々もしくは国家総動員業務に協力せしめられた方々、こういう方々に対しましては、死亡当時にそれぞれ当時の一般社会通念によって処遇をいたしておったのでありますが、あらためて遺族援護法で処遇をいたしたわけであります。そのほかに遺族援護法では、陸海軍の要請に基いて戦闘に参加した者という言葉を使っております。それから特別未帰還者という言葉を使っているのです。これの端的な例はソ連、中共に抑留された方々であります。抑留というのは狭い意味でございまして、単なる残留ではないのであります。国家権力によって身柄そのものが拘禁状態にあった方々をさしております。実際の運用に当りましてはこの二つの条項、特別未帰還者という条項と陸海軍の要請に基いて戦闘に参加した方々で戦没された方々に対してできるだけ幅広く運用することによって広く援護の手を伸ばしていきたいという考え方に立っております。具体的事例を申されましたが、それが果してこの中で救済される対象に入っているかどうか今直ちにお答えはできませんが、できるだけそういう考え方でやっているわけであります。この弔慰金の範囲、準軍属の範囲が現在の状態で果していいかどうかにつきましては、数は多くはないけれども、ちょこちょこあるいはあるかもしれませんので、これは各方面からいろいろ御要望を承わりまして、しさいに検討して現在の法律の範囲内でやれるものは逐次実施しているわけであります。なくなった方につきましては、わずかではございますが措置をいたしております。ただ問題は三十四条関係の方々の中でけがをされた方々、しかも重度の傷痍者、ことに学徒の場合なんか顕著でありますが、これも数はわずかであると思いますけれども現に何もしていない。私どももしょっちゅう気がかりになっておりまして、できるだけ早い機会に適当な何らかの措置を講じたいとは考えております。今回の措置と並行してというところまでは実は間に合わなかったが、恩給に関していろ問題があるようでありますので、すべての関連において十分検討してできるだけすみやかな機会に何らかの措置を講ずるようにしたいものであるということで、せっかく検討いたしている次第であります。
○岡本委員 精神というか、考え方は、漏れなくできるだけ措置していきたいというようなお考えのように承わったのです。ところで現行法規で数は少いであろうけれども救いがたい人もまだあるのではないかと思う。そういう法規でもって救済困難な者が出てきた場合にはなおこれからでもその個々の人たちが救われるような法改正ないしは新しい法律を作るというような形でもって救っていくというふうな方針を持っておられるかどうかということをこの際もう一度念を押しておきたい。というのは飛行場を作るとか、その他の基地の設営に軍夫の形で連れて行かれたとか、徴用された商船に臨時の作業員として乗船した、それが沈んじゃったというふうな人がどうも漏れているように思うのです。そういう人からいろいろな陳情が来るのです。そういうことはありませんですか。そういうものは全部すでに何かの形で措置されていますか。それならそういう場合具体的にどういうふうな措置が講じられておるか御説明願いたいと思います。
○田邊政府委員 軍人、軍属に該当する方でございますれば、大むね遺族援護法で年金ないし弔慰金を差し上げておるのでございます。もっとも軍属と申しましても非常にピンからキリまでございまして、ただ名義だけの軍属というものもございます。遺族援護法では、ずっと有給であった軍属、身分的に申しますれば、嘱託、雇員ということになりましょうか、雇用員ということであります。あるいは雇用人、軍属でありますれば、戦争中すでに陸海軍の共済組合によって殉職年金というものを支給しております。戦地の雇用人、軍属だけが間に合わないために、そういった措置がなかったわけであります。これは理屈から申しますれば、当然戦地を先にして内地はあとにすべきでありますが、当時の切迫した情勢から、共済組合を使って年金を支給しなければならなかったという関係から、そういう措置をとって、戦地の軍属を何とかしたいという間に終戦になってしまった。こういう経緯から遺族援護法は戦地の軍属を取り上げたわけであります。お話のように軍艦とかあるいは徴用船に乗っておった軍夫と申しますか、まかない夫のような方は、船員としても雇用人、軍属の扱いを受けておるのではないかと思います。問題はそういう範疇に入らない、軍人、軍属以外の一般の邦人が戦時災害等あるいは空襲あるいは攻撃等によって死んだ場合において、どういう措置を講ずるかということでございますが、一般的には先ほど申し上げました通り、戦争中戦時災害保護法があって、これは弔慰金といいますか遺族給付金を差し上げておったわけであります。今度遺族援護法では、出は軍人、軍属ではないけれども、軍人、軍属と同じような立場で国家の公務に協力された方々、こういう観点から弔慰金を差し上げておるわけであります。従ってただ戦時災害で死んだということにプラスして国家公務ないしは総動員業務に国の要請によって参加し協力したということを一つの要件としておるわけであります。その観点から現在の法律ができておりますし、その運用に当りましても、またその趣旨によって運用しておるわけであります。もしこの法律の運用でどうしてもできないというものがあり、しかもその範疇のものが、先ほど申し上げました公務ないしは国家総動員業務に国家の要請に基いて協力ないしは参加したというものがありますれば、これは同じように扱っていくべきではないかということに当然なるわけであります。その点はできるだけ法律の運用によって措置をしていくことが一番簡便でございますので、そういう方針でやっておるわけでありますが、もしそれにより得ないというものがありますれば、十分検討いたしたいと思います。
○岡本委員 もう一点お伺いしておきたいのですが、これは私前にも申したことがある例でありますが、例の結核の再発の問題です。あれはどうなさるおつもりですか。やはり再発しておっても、一たんなおってしまっておれば、再延長になった当時に一たん治癒したという形にあるものは、もう再発しても顧みないのか。あるいは今後それが再発したものは再発したものだとして援護の措置を今後お講じになる御方針ですか。
○田邊政府委員 実は戦没者遺族援護法を制定いたします際に戦傷病者に対し更生医療という新しい道が開かれたのは御存じの通りであります。これはたとえば戦争に行ってからだにたまが入った、あるいは手がこうなった。ところがちょっとした手術を講ずることによってたまを抜き出し、手がこうなるという場合がある。そういう該当の患者が相当あったわけであります。そういう方々については好意的にできるだけ是正してあげる道を開いたわけであります。その際に今お話にあったような結核の再発はどうなるかということを政府としては真剣に取り上げたわけでありますが、結核という病気の特殊性から申しまして、再発を取り上げるということは非常に技術的にむずかしい問題が出てくる。極端に申しますと、一たん軍隊の門をくぐって、あとで終戦後結核になった人はみな再発だということになると全部取り上げなければならぬじゃないか。その辺の基準がなかなかむずかしいということもありましたので、実は正直に申しますと、あの法律では取り上げなかったわけであります。そこで、ある限度を置いて再発も取り上げていこうじゃないかという考えをとっているわけであります。それが未復員者給与法から今日に至るまでのあの復員者に対する療養の規定でございます。これは何も未復員者給与法ができたあとにおいて外地から引き揚げて来た方々ばかりを対象にするのではないのでありますけれども、未復員者給与法を制定した当時において、復員者で療養している者を全部取り上げたわけであります。それが期間が再延長になったわけであります。そこでその再延長の範疇に入ってきた人は見ているわけです。全部をやればそれに越したことはないのですけれども、いろいろな事情からそういった制約を置かざるを得なかった。従って法律ができたあとで、三年間だと思いますが三年間たったあとで過去の病気が再発したといっても、それはこの法律で取り上げることは、情においてはともかく、実際にはなかなか困難ではないか。そこでこれは私の所管ではありませんが、一般的な結核対策を強く推進することによって包括的にやっていくほかないのじゃないか。これは一般戦争犠牲者にも通ずる考え方でございますが、特に身体障害者の問題、結核患者につきましては、さらに結核対策の強化という線によって問題をカバーする以外には方法はないのではないかと考えております。ただし現在の未復員者給与法の範疇で救える範囲内においては極力救っていきたい。しかし限度がございます。またゆるめますと切りがございませんので、法の条文に規定された限度内においてできるだけ援護していきたい、こう思います。
○岡本委員 結核の治療の断定が非常に困難であるということは御承知だろうと思います。そこで今度は延長されたのは三十五年までですか、三十五年の当時に発病した人、病気である人は引き続き援護を受けられる。しかしながらそのとき一見外観的によくなったが、それからまた別な形で少し無理をしたために、自分で生活を支えなければならないから無理をしたために、また出てきたというふうな場合には、その人はもう援護の対象からはずされる。現実にそうめっぽう多くはないでしょうけれども、そういう形で一たん治癒したというので退所を命ぜられる。ことにこのごろ結核の患者を退院させる場合には、療養所が全治という形では全部出しておりません。みんな略治、ほぼなおったという形で出すのです。全部全治という形では決して出しません。全治とは書かない。略治という形、それでなおったということに一応なる。そして一応それでもってある程度の軽い業務ならつけるという解釈をするわけなんです。それは化学療法が発達してきたからそういうふうになってきたわけですね。化学療法が発達しない場合はなかなか退院させなかった。しかしながらこのごろは化学療法が発達したために、退院の期間が以前よりは早くなった。そして働きながら、経過を観察しながら養生させる、こういう形の療養所からの退院が相当出てきているわけです。そういうような場合に、ある程度再発の危惧もあるし、同時に治療するのにも以前よりも結核の治療というものは相当費用がかかるわけですね。だから結核の治療というものはある程度経済能力を持った人でも自分の独力ではなかなか養生しにくいのです。勢い生活保護法とかあるいは諸種社会保険にたよることが多いわけであります。ところが戦傷病者の場合、比較的経済力が乏しい。経済力の乏しい人が一応なおったということで出される、相当無理をして働かなければならぬ。一たんなおったという認定を下された限り、再び出てきても、もう援護法の適用を受けられないということ等、これは相当矛盾があると思う。だからそういう場合は、法律ことにこういう厚生関係の法律というものはあたたかい心を持たなければならない。できるだけそういう戦争の犠牲をこうむったであろうと思われる人はその中へ包括していくというふうなことでなくちゃいかぬと思う。今の局長のお考えは、できるだけ切って荷物は捨てていきたいというふうなお考えのようであって、できるだけかわいそうな人を救い上げていきたいという考え方の上に立っていらっしゃらない。しかしながら厚生省という役所はできるだけ救い上げていきたいという考え方の上に立つべき役所であると思う。あなたの任務もそういう任務であると思うが、お考えがちょっと冷たいと思う。どうでしょう。
○田邊政府委員 再発患者の問題について若干現在の法律の規定に不備なものがある、こういう御指摘でございます。私その点を申し上げたのではないのでございまして、軍隊に勤務しておった者が再発した場合に、全部見るべきではないかという御議論、これは私の誤解であったかとも思いますが、先ほどそういうふうにとったので、そこまではちょっと行きかねる、こういうことを申し上げたわけでございます。ただいまのお話では、期間満了の日において退院している者については、期間の更新があった場合において、再発した場合に認められないのじゃないか、こういう御指摘だったと思いますが、(岡本委員「期間中でも同じことだ」と呼ぶ)期間中でございますれば、再発は認められるのじゃないかと思います。たとえば三年延長になって、あと三年間療養の期間が本人にあるという場合、一年目に退院した。ところが一年後に発病したという場合は受けられるのではなかったかと私理解しておりますが、もし間違いであれば、この次に正確にお答えしたいと思います。 なお御指摘の点はごもっともな点がございますので、今後法律の改正等がある際には十分検討したいと思います。
○岡本委員 法律等の改正がある際にはというよりも、法律を改正される用意がありませんか。何かもののついでにやっていこうというのでなしに——なるほど結核の治療というものは、経済的な力のない人は、援護法の適用が受けられなければ、これは生活保護法の適用を受けて、いずれは国の援助でもって療養していくわけです。ただしかしその場合、援護法によるのと、生活保護法によるのとは、経済的には多少国の負担は援護法による方が重くなるようには思うのです。しかしながらそれは五十歩百歩の問題で、十のものが生活保護法によれば八というふうに国の経済的負担が二、三分軽減せられるかもしれません。しかしながらいずれは国の援護によって療養しなければならない結核患者であるとするなら、むしろその人は、自分は戦時中戦争に参加しておって、その間においてからだに無理をしたから結核になったんだ、そして一たん内地へ帰還して養生してなおったが、再び出てきたというような場合には、未帰還者援護法で援助していくというふうになさった方が、気持そのものもあたたかいし、同時にまた患者のお心も休まるのではないかと思うのです。だからそういうふうな法改正をこれからお考えになる用意はないか、こういうことを承わりたい。
○田邊政府委員 いろいろ複雑な事例がたくさんあると思いますので、もう少し勉強させていただきたいと思います。私ども、先ほど申し上げました通り、現在の法律の範囲内でも極力実情に即する取扱いをするように心がけてはおりますが、なおその点で検討を要する面がありますので、これらをあわせて検討させていただきたいと思います。
○堂森委員 一点だけですが、日本の国籍を持たない場合でも、戦犯として外地にあった人が帰ってきて給付を受けることができる、こういう例外がありますね。ところがソ連、中国に抑留されておって、戦犯ではないんですが、平和条約による裁判による扱いでないから、あなたの方の扱いでは、そうではないんでしょう。従ってこの条項には入らぬ、そうではないんですか。
○田邊政府委員 附則の第二項に規定しておることであると思いますが、これはこう書いてございます。「第五条第二項に規定する者については、第四条の規定にかかわらず、その者が日本の国籍を有しない場合においても、同条の規定による引揚者給付金を支給する。」つまり第五条第二項の規定は、給付金は朝鮮、台湾の国籍を持っていない者についても適用する、日本の国籍を持っていない者についても適用するという条文でございます。第五条第二項と申しますのは、第一は「日本国との平和条約第十一条に定める裁判により拘禁されたた者、いわゆる正式の戦犯と申しますか、それから「又はこれと同視すべき事情の下において外地に残留することを余儀なくされていたもの」というのは、ソ連、中共地域におけるいわゆる戦犯として扱われた者。従ってソ連、中共からいわゆる戦犯として拘禁されておった者が帰ってきた中には、朝鮮、台湾の人もおるわけでありますから、そういった方ともこの第二項によって二万八千円の引揚者給付金がもらえるわけであります。
○堂森委員 そうしますと、向うで戦犯として抑留されておったのではなしに、長い間抑留されておったという場合もあるのですが、そういう人はだめですか。
○田邊政府委員 それはここに書いてありますように、「これと同視すべき事情の下において」つまり平和条約第十一条に定める裁判の場合には裁判の原因となる実体があるわけであります。理由があるわけです。それからもう一つは厳重なる拘禁を受けておったわけであります。ソ連、中共地域におきましてもいわゆる抑留の原因となった事由というものは裁判による拘禁がおもでございます。中共の場合は判決がありませんでしたけれども、これは講和条約の戦犯と同じような事由であるようでございます。ソ連地域におきましてはいろいろ複雑な原因がありまして、中にはちょっと同視し得ない事由の者も僅少ではございますがあるようでございます。また拘禁の状態におきましては、おおむね平和条約の戦犯の拘禁と同じようではございますが、中には拘禁を解かれてから、いわゆる流刑といって、ある地域を指定してそこへ流す、そしてそこの地域で一定期間自活しなければいかぬ、しかし別にからだは拘禁はされていないが、自由が拘束されてそこから出るわけにはいかない、こういうものもございますが、こういった拘禁に引き続く流刑の状態というものはおおむね拘禁と同視すべきじゃないか。そして帰ってきた方々もございます。そしておおむね戦犯として扱われた者、ないしはこの方々と一緒に帰ってきた人々は、この法律の適用を受けることになるのではないかと思いますが、中にはどうしても私の方へ入っている情報、ないしは本人について聞きただした結果、同視することを得ないという者もあるのではないか、こう考えているわけであります。しかし大部分は第五条の二項の適用を受けることになるだろうと考えております。
○堂森委員 私の言っておるのは、中国は判決はなかったとしましても、向うで使役されておった、そうして長い間拘留されておった、これは日本人ならいいですけれども、国籍のない者の場合はどうなのですか。だめなのでしょう。
○田邊政府委員 同視すべき状態でなかった方々は第五条二項に入らないわけでございます。朝鮮人、台湾人もだめなわけでございます。今お話によりますと、昭和二十七年四月以降帰った方々の中には——むろん昭和二十七年四月二十九日以降と申しましても、ソ連からの引揚げの再開は二十八年十二月でございましたかでございますが、それ以後はいわゆる戦犯と称せられる方——戦犯という言葉は当らないかもしれませんが、ソ連の国内の刑法によって有罪の判決を受け、服役しておった方ばかりのはずでございます。それはソ連の建前でそういった方々は全部返したということになっております。大体それに該当すると思っておりますが、第三国人の場合にありましてもそういう方々以外にはなかったのではないかと記憶しておりますが、もしありましたならばそれはたまたま一緒に帰ってきただけの話でありまして、それは適用にはならないわけでございます。
○堂森委員 そうすると朝鮮の人あるいは台湾の人でそういう該当者はどれくらいおるかもわかりませんか。それはあるはずです。私は現に知っております。
○田邊政府委員 今正確な数字は持っておりませんが、私もそういう方があることを現に知っております。どのくらいの数になりますか、いずれまたあとでお知らせ申し上げます。
○藤本委員長 午後二時半まで休憩いたします。 午後零時三十五分休憩 ————◇————— 午後二時四十三分開議
○藤本委員長 休憩前に引き続き会議を再開いたします。 引揚者給付金等支給法案を議題とし、審査を進めます。質疑を続行いたします。滝井義高君。
○滝井委員 午前中法律のこまかい技術的な問題をいろいろお尋ねしたのですが、今度は少し政治的な関係の問題を一、二お尋ねさしていただきたいと存じます。 先般来この委員会で他の委員からも御質問がありましたが、引揚者給付金の支給、この給付金というものの性格なんですが、日本の過去の立法で戦争犠牲者に対して給付金というような性格のものをやった例があるかどうかということなんです。この点を一つどういうようにして大臣の方では給付金ということにしたか、何か過去にそういう例があってこういうことになったのか、その点を大臣から御説明をいただきたいと思います。
○神田国務大臣 この給付金の性格はどういうものであるかというようなお尋ねでございましたが、これは政府といたしまして、在外者が戦争に破れて全部外地におって捕虜の扱いを受けた、いわば無一物といいましょうか、長年つちかって参りました全生活の基盤というものを失って帰ってきておる。そこでこれについては何らかの形で特別の措置をしなければならないのじゃないかという考えがあったわけでございますが、たまたま在外財産問題審議会の答申もやはりそういうような答申でございました。この答申の趣旨に沿って給付金を出そうという考え方でございます。御承知の通り今まで日本といたしましては戦いに破れたことはなかった関係もございまして、こうした例等はないということであろうかと考えております。
○滝井委員 こういう例はないということでございますが、在外財産問題審議会からの答申があったので、例がないのにこうしたということになるのでしょうが、やはりこれはお金の性格というものを明確にしておく必要があるのじゃないかと思うのです。これは財産の補償でもないし見舞金でもない。ある意味ではそれではこれは手切れ金かということにもなると思うのですが、そこらあたりやはり給付金は給付金だということになっても、その給付金の性格が問題になると思うのです。戦時災害保護法のうちの戦災者の給与金とは性格的に一体どこがどう通うのですか。
○神田国務大臣 戦時災害保護法では、日本といたしましては戦争を完遂しようという際でございまして、戦争目的を完遂いたしたい、そこで大いに士気を保持していかなければならない、また戦力を保持する上において、そういうような災害を受けた人を救わなければならない、こういうことが考え方の骨子じゃなかったかと思います。今度はそうではなくて、戦争に破れ、いわゆるポツダム宣言を、日本の自由意思でなくしてのまざるを得なかった、そうして帰ってこられた方は、全生活の基盤を失われたので、再起更生の道を開いてやりたい、こういういろいろな意味を込めた政府のあたたかい気持である、こういうふうに考えております。
○滝井委員 戦災者の受けた給与金と今回の引揚者の受ける給付金が、今の大臣の御説明のようなことでは、われわれはその性格はなかなか理解できない。引揚者と戦災者とは非常に違うことは明白でございますが、しからば、財産の補償でもないし見舞金的なものでもないというなら、一体その金は何のためにやる金かということになるわけです。一体何のためにこの金をやるのですか。
○神田国務大臣 今お答え申し上げましたように、これは一人々々に対する金額から申しますと非常に少いという感じが深いだろうと思います。しかし総額になりますとこれは財政上からいって相当の金額であるといわなければならない。そこでその性格は、今までもそういう性格のものがないし、一体どういう性格かというお尋ねがございましたが、こういうことは再々あってはならぬことでございまして、私が先ほど来お答え申し上げておりますように、戦争の跡始末と申しましょうか、この戦争を一つ何らかの形において終局のものにいたしたい、そこでこういうケースを今御審議願っているような形で処置いたしたい、こういうことであると私考えております。
○滝井委員 戦争の跡始末、それから終局のものにしたいというその言葉はどうもわかるようなわからないようなことになるのですがね。戦争の跡始末あるいは終局のものにするといっても、まだあとたくさんあるのです。いずれこれは次かその次くらいの質問に出てくるのですが、どうも今の御答弁では私性格がはっきりしないのです。 〔委員長退席、亀山委員長代理着 席〕 では少し方向を変えて聞いてみたいと思うのですが、政府のつかんだところによれば、一体在外財産というものは総額幾らあったかということです。
○神田国務大臣 これはいろいろお尋ねを受けるのでございますが、当時全地域にわたって詳細調べて、それが全く正確なものであるかどうかは別といたしまして、一応の調べがついておったものにつきましては政府委員から詳細述べさせることにいたします。
○田邊政府委員 わが国民の在外財産の額は幾らであったかという御質問であると思いますが、在外財産の額につきましては確実な資料がございませんので正確な計数を把握することはきわめて困難でございますが、昭和二十一年ごろ個人及び企業から申告を徴したものがございます。それによりますと、個人の分といたしまして千三百三十六億円、法人の分として三千二百五十一億円、計四千五百八十七億円となっております。この数字はあくまでも申告された数字をなまのままに集計したものでありまして、政府としては何ら調整を加えていないのでございます。なおこの数字についてはいろいろの問題点はございますが、ただなまのままの数字を大蔵省で集計したもので申し上げたのでございます。
○滝井委員 今個人と企業の財産があったのですが、国の財産は幾らくらいですか。
○田邊政府委員 これは厚生省ではちょっとわかりかねます。
○滝井委員 このほか国の財産があることに確実らしいのです。そうしますと問題になる点は、企業の三千二百五十一億という財産なんですね。今度の法律は、法律の立て方を見ると個人を中心にして物事が処理されていっておると思うのです。そうすると政府はこういう企業の財産——戦争の跡始末とか終局のものだということになると、自然人も法人も、人という大きい概念からいけば大して変るものではないことになる。そういう点、やはり私はここらあたりで給付金の性格を明確にしておかないと、企業からの在外財産補償の要請というものも問題になり得ると思うのです。千三百三十八億という個人の申告したものより二倍以上の三千二百五十一億というものがあるわけですね。こういうものとの区別を一体どうして割り切って、企業はもう一切めんどう見ませんという形になっていくのか、そこらの理論構成と申しますか割り切り方と申しますか、こういうものを私たちは一応御説明いただいておかぬと、この法案を通した後にそれらの者に説明する場合にも政府の意向というものを知っておく必要があろうと思うのですが、そういう点一つ御説明願いたい。
○神田国務大臣 今の滝井委員のお尋ねはまことにごもっともでございまして、明らかにそのことがこの問題の解決の焦点であるとも考えております。政府といたしましては、先般の戦争につきましては、終戦以来のしばしば行う施策によってその考え方が現われていると思いますが、御承知のように、敗戦の状態がいわば国力を消耗し尽している、もっと具体的に言えば、政府の力をもってしてはもう何事もできないような状態になっておったのではないか。そこで支払い能力というようなものもないという前提のもとに、御承知のように第一次吉田内閣の際において補償打ち切りをやっております。政府のあらゆる債務を踏み倒してしまう。しかもこれは昭和二十年の八月十五日前の債務にして、その後支払った債務を全部返還さした。それはどういう考えであるかといえば、敗戦の結果日本国は一たんつぶれるというか、そういう力がもうないのだという考え方で全部返還さした。これは私は、政府はこうした戦争の跡始末についてはそういう考え方で終始していると思う。その後御承知のように国民の努力によって逐次復興してきている、その復興に伴ってこの戦争犠牲というものを解決してきた、こういうことが言えるのではないかと思う。今度のこの引揚者に対する給付金等を決定するに当りましても、昭和二十年八月十五日現在の日本国の力というものは、もうそういうことについて一切能力はない、財産補償はしない、そこで法人関係についてもこれは取り上げない、こういう考え方だと私は考えております。
○滝井委員 どうも大臣、ちょっと理論の筋がはっきりしないのですがね。財産補償をしないということはよくわかるのです。そうすると、個人の場合に、在外財産の補償はしないけれども、戦争の跡始末として、終局的なものとして給付金を与える。そうしますと企業には財産の補償はしなくてよろしい、戦争の跡始末として、あるいは終局的なものとしてたとえば融資をしてくれという要求も出てくるかもしれないと思うのです。たとえば外地にあった会社をもう一ぺん内地で再建するのだ、当時の自分の財産は十億あった、だからそこに何ぼか融資をしてくれという理論も出てこないとも限らぬ。だからこれはやはり、給付金というものの性格は個人を対象にしなければならぬという理論構成をきちっと割り切っていっていないと、いわゆる企業の問題が問題になると思うのですがね。全然問題にならぬという確信はおそらくお持ちじゃないと思うのです。そこらあたり、企業というものは今後問題にならないのだという理論構成といいますか、何か説明のつく明確な答弁がほしいのですがね。日本の国が能力がなくなった、だからもう財産補償はしませんということでは、能力がないというけれども、今は神武以来の好景気で、欧米の戦争に負けた国よりかはるかに生産力は伸びていっているという段階ですから、そういうことはちょっと今の段階では言えなくなるのじゃないかと思いますが、もう少しわれわれの納得のいくような御説明がいただきたいのです。
○神田国務大臣 これは私が先ほどから申し上げておりますように、国民と国との関係ですが、要するに今度の敗戦というものは、日本という国が一ぺんつぶれたというような状態であったのだ。私は、本来からいったら、いろいろ議論はありますが、これは革命だと思う。そこでそうした戦争の犠牲に対する補償は、自然人以外にはしない。もし外地に会社があって、その会社が内地に企業した場合には融資をしないかというようなお話は、その会社が日本の再建あるいは復興に必要だという場合においては、そういう意味においては融資をするが、在外財産を対象として、あるいは在外年数を対象としては補償しない。それは内地においても同様なんです。爆撃された会社、法人は、爆撃自体を対象としては政府は何ら補償していない。しかしその会社が爆撃されて工場を失った、それを再建することが日本の再建に直接、間接必要であるというような場合には、そういう意味においてはこれを取り上げて融資しておる。だから海外の法人についても、やはりそれと同じ関係に立っているのだ、こういうふうに考えているわけでございます。 それからただいま滝井委員から法律的にどうだという専門的なことがありますので、そういった法律的なことにつきましては政府委員から逐次答弁させることにいたしたいと思います。
○田邊政府委員 滝井委員の御質問は、国に在外財産を補償する責任があるかどうかという問題が根本になろうかと思います。この点については、在外財産問題審議会におきまして、慎重にしかも熱心に議論されたことでございますが、結論を得るに至らなかったのでございます。その経過につきましては、先般の委員会で御報告申し上げました通りでございますし、また在外財産問題審議会の答申の中にも詳しく報告してございます。そこで政府といたしましては、これは厚生省の所管ではございませんが、本問題については国には法律上補償する義務はないという見解をとっておりますので、先ほど御指摘になりましたような引揚者の在外財産はもちろんのこと、企業に関する在外財産についても、法律上補償の義務があるという考え方は持っておらないわけであります。
○滝井委員 そうしますと、法律上在外財産に対して責任がないとはっきり割り切り、同時に会社にもやる必要はない、そうすると今度の個人にやる給付金は一体何かということになるわけです。
○田邊政府委員 これにつきましては、先ほど大臣からもお答えがありました通り、平たく申しますれば、全生活の基盤を失ってほとんど無一物で内地へ引き揚げてきた人縁、地縁の乏しい引揚者が、内地における生活の再建をはかるに当っては、非常に多くの障害が予想されたのでございまして、でき得るならば上陸されたとき何かしかの金を差し上げて、それを元手として再建をはかっていきたい、こういう念願を引揚者は持ったのであります。しかし当時占領下でございましたし、またその他いろいろな事情がありまして、引揚者の要請に沿うことができなかったのでありますが、今日引揚者の要望も強く、また在外財産問題審議会において慎重に審議いたしました結果、その点に着眼して給付金を支給することが適当であるという答申をいただいたのであります。政府といたしましては、その答申を慎重に検討いたしました結果、在外財産に対する補償ではないが、先ほど申し上げましたような事実に基礎を置きまして、この給付金を支給することといたしたわけであります。
○滝井委員 議論が堂々めぐりをしますからやめますが、どうもそこらあたりの性格が、今政府の御答弁をいただいても理論的になかなかすっきりいかない感じが非常に濃厚です。そうしますと、憲法二十九条との関係、これは当時平和条約の批准をされる臨時国会でも相当問題になったと思うのです。私たちはこういう私有財産と申しますか。それと憲法二十九条との関係をもう一回今あらためて考え直してみる必要があるような感じもするのです。当時のものの考え方——大橋さんはきょうはおられませんが、当時大橋さんが法務総裁でありましたが、憲法は日本の国内しか及ばないんだ、外国には及ばない。従って憲法二十九条と在外財産とは関係ないという答弁をされている。吉田総理は、個人としては補償したいのだ、しかし日本の国が、今厚生大臣の言われた通り無一物になっておるのでできないのだという意味のことを言っておるような感じがしたのですが、大橋さんの答弁とちょっとニュアンスが違うのです。大橋さんは法律の大家だから、きようおられたら個人的に聞いてみたいと思うのですが、憲法の施行地域外だから——請求権の放棄というものは、日本があのサンフランシスコ条約で放棄しておるのだから、憲法違反ではないということを言っていらっしゃる。そういう点、あの当時はだいぶ混乱の状態であったし、お互いに頭の平静を欠いておった。しかし今は人心も落ちついてきたし、われわれの頭もノーマルな状態に帰っておるので、もう一回在外財産と憲法二十九条との関係というものをお互いに考え直してみることも必要じゃないかという感じがするのですが、政府は依然としてその当時の——批准国会は昭和二十六年の十一月だったと思いますが、そのときの状態と今と解釈その他一貫して変っていない、こう見て差しつかえないでしょうか。
○田邊政府委員 憲法の解釈に関連いたしまして、国に補償の責任がありやいなやという点は、条約の解釈の問題と同様在外財産問題審議会におきましても、ずいぶん議論が戦わされたことでございまして、たびたび申し上げますように、審議会においてはいずれとも断定するに至らなかったのでございますが、政府におきましては、先ほど申し上げましたように、憲法の解釈としても法律上当然に補償の責任があるという見解はとっておらないようでございます。
○滝井委員 いずれ憲法との関係その他は、岸総理に来ていただいて最終的にお尋ねをしたいと思うのですが、その次には、在外財産たとえばインドの日本人の財産ですね。それからアメリカのダークセン法案といいますか、日本人やドイツ人の財産を、何か没収しておる財産の処分金の十分の一程度を返すとかいうようなことが去年問題になっておりたと思うのですが、もしそういうことが具体的になってきた場合には、この法案との関係は政府はどういう工合になると見ておりますか。
○田邊政府委員 それは別個の問題で、関係はないと考えております。
○滝井委員 この法律の二条関係を見ると、アメリカやインドはあまり関係がないような感じがしますけれども、終戦に伴って発生した事態というような、こういう解釈の中からやはり何人か出てくるような感じもするのですが、そういうものは全然ありませんか。
○田邊政府委員 ただいままでのところでは、インド及びアメリカからの引揚者の中には、どうもこの法律に該当する者はないように考えられるのでございますが、絶無であるかどうかにつきましては、やはり個々のケースに当ってみませんと断言できませんので、結論的なことは申し上げられませんが、今までのところでは、私どもアメリカ、インドには該当者がおそらくないのじゃないか、こういう予測をしております。しかし実際の場合に当ってはどうなるか、よく検討してみたいと思います。
○滝井委員 そういう該当者が出た場合には、やはり幾分これは問題が出てくるような感じがするのです。そういう人たちのたとえば財産というものが今度は自分のものになる可能性が出てくるわけです。そうすると均衡上の問題が出てくると思うのです。これは現実にインドなりアメリカ合衆国においてそういう問題があることは事実で、一応これは将来の問題に残しておきたいと思うのですが、次に今度のこの法律を見てみますと、六カ月という一つの期間を重要なものさしにして、あとのお金を与える上下というものはすべて年令が中心になっておるわけです。今までの引揚者団体等のいろいろの要請書その他を見てみますと、在外年数というようなものが相当問題になっておった。在外年数と年令とは私は非常な関係はあると思っておるのですが、しかしこれをものさしにする場合には、在外年数をする場と年令をする場合とは、仕方によって引揚者に及ぼす利益というものが、各個人に相当のアンバランスが出てくるのですが、政府が在外年数というものを捨てて年令をとったことについて、何か年令が非常に年数よりか有利な点というものがあって年令中心にとられたのですか。それとも何か在外年数というものについては非常に信憑性がない、現実の年令が戸籍その他で一番いいんだということでとられたのか、そこらあたりの年令を中心にこの法案が組み立てられた、この点で年令を根拠にしたのだというものがあれば、お示しを願っておきたいと思います。
○神田国務大臣 引揚者の団体の方々は在外財産を補償せよという建前に立っておるわけです。そこで在外年数というものを基準として御主張になっておられる。これは一つのお考えだろうと思います。しかし在外年数によって必ずしも財産の多寡がきまらないことは御承知の通りでありますが、一応の御納得がいけることとも考えます。政府といたしましては、在外財産は補償しないという建前に立っておりまして、そこで全生活の基盤を失った者が内地に来られて、どういうようにこれを一つ措置したらいいか、こういうふうになりますと、どうしてもやはりお年をとっている方々が生活の責任者だという問題が考えられると思います。それに社会政策的な考え方をも若干加味したということが言えるのではないかと思っております。要するに、在外財産を基盤として御主張になる。私どもはそうではなくて、全生活の基盤を失った、それに対して一つ生活更生というかお見舞というか発奮していただきたいというか、いろいろな総合的な考えで年齢を基準にした、こういうふうに御理解願いたいと思います。
○滝井委員 年令を基準にした点が、やはり給付金ですかの名称をつけたのと同じように、どうも今の御説明ではちょっとはっきりしないのですが、今までの答弁をずっと聞いておりますと、どうも給付金というものの性格が社会保障的な性格が非常に私は強く出ておるような感じがしてならないのです。そうしますと、政府はこの際割り切って、これは在外財産の補償ではないんで、これは全く社会保障的なものとして引揚者のための給付金を出したのだ、こういう工合に明確に割り切れるのですか。
○田邊政府委員 在外財産の補償という言葉は、よほど正確に使い分けませんと誤解を受けるのでございますが、一体在外財産とは何かということが明確でないのです。引揚者が在外財産の暫定補償というものを主張します場合には、一つは私有財産権の尊重、それが国家賠償の肩がわりに使われたがゆえに、国が補償の責任を持てという場合の在外財産と、それから引揚者は無一物で帰ってきたから、在外財産に対して何らかしてもらいたいという場合の在外財産とは、実体が違うのです。そこで政府はいずれの場合でも財産の補償をするという考えはない、そこで先ほど社会保障的性格が強いとおっしゃいましたが、その通りでございます。しかし単なる社会保障であるならば、何も特別にこういう性質のものを出す必要はないわけです。そこにはやはり先ほど大臣の仰せられましたように、いろいろなことを勘案して、出す気持の根本はあるわけです。しかし出す以上は、この配分の理念といたしましては、できるだけ社会保障的にやりたい、こういう考え方であります。あたかも遺族援護の場合におきましても、あれは国家公務員の災害補償というものを根本精神としておりますが、国家補償の精神を根本としつつ、援護と国家補償的の精神とがうまく調和されて法案の線が組み立てられておるのとちょうど似ておるわけでございます。財産の補償ということでなしに年令ということを基準としたのは、お説のような気持を多分に持っておるのであります。 〔亀山委員長代理退席、委員長着 席〕
○滝井委員 だんだん社会保障的な性格が非常に強く出ておるということはお認めになったようでございます。そうしますと問題になるのは、引揚者の諸君も戦争犠牲者であるという点については、内閣としては異存はないでしょうね。
○田邊政府委員 その点は在外財産問題審議会においても強調されておりますし、その気持の通り考えます。
○滝井委員 そうしますと戦争犠牲者であるということが明確になってきた。給付金というものは、いろいろの点が総合されて給付金という性格が出ておるが、しかしそこには社会保障的な性格が非常に強く出ておるということもはっきりしてきた。そうしますと、この戦争犠牲者に対して戦後いろいろの対策がとられたわけですね。戦災者にもとられたし、まだ帰還していない未帰還者の留守家族にもとられたし、軍人なんかの恩給も復活してきた。これら一連の戦争犠牲者に対する政府のとったいろいろの対策というものは、これは保守党の政府のもとにおいていろいろ打たれてきたのですが、戦争犠牲者に対してはこれだけのものは最低として与えていくのだという何か一貫した基本的な方針でもお持ちであったのか、それとも何もなく、行き当りばったりで今までやってこられたのか。戦争犠牲者に対して保守党内閣として一つの筋金というか筋、そういうものを何かお持ちになっておりましたか、それを一つお尋ねしたい。
○神田国務大臣 私は今度の戦争の犠牲者は全国民だと思うのであります。だからみんなが戦争の犠牲者だと考えております。そこでその中から真に政府が何らかの手当をしなければならない、こういう限られた犠牲者をどういうふうな一貫した考え方で扱ってきたか、こういうお尋ねだろうと思います。政府といたしましては、しばしば機会あるごとにお答え申し上げ、またいろいろな機会に御説明いたしておるわけでございまするが、何といっても今次の戦争の最も大きな犠牲者は私は戦死者、戦病死者だと思います。従いまして戦死者及び戦病死者の遺家族の方々に対してまず最も政府としては意を用いなければならない。これを最高として、順次その事情等々を勘案いたしまして、そしていろいろな措置をして参りたい、こういうことであろうかと考えております。
○滝井委員 いや、私は順位を尋ねておるのではないのであって、戦争の犠牲が全国民に及んでおることは私も認めます。しかし大臣もいつか朝日新聞の在外財産の特集をお読みになったと思うのですが、朝日の橋本君が何か勉強して、ドイツの茂木特派員からわざわざドイツのことを取り寄せて載せておったのです。 〔委員長退席、八木(一男)委員長代理着席〕 ドイツあたりの取扱いを見ると、戦争犠牲者に対する立法を三つくらいに分けてやって、いろいろ違った取扱いをしておりますが、一貫した方針は何かあるような気がするのです。今大臣の答弁の、戦死者あるいはその遺族の方が非常に重要だからそれを第一にやっているということはわかるのです。しかし戦争犠牲者と私たちが言う場合には——私たちも戦争犠牲者ですけれども、家も焼かれていませんし、からだも無事で帰ってきている。全国民みな戦争の犠牲者であるけれども、その中でもわれわれが普通の概念で戦争犠牲者と言い、終戦以来国会でいろいろ立法上の措置をとったのは、やはり一定の範囲があるわけです。その一定の範囲の戦争犠牲者には保守党の政府として大体こういうものをやっていくんだという何か一貫したものがあるのか、それともケース・バイ・ケースで手を打ってきたのかということなんです。岸内閣の神田厚生大臣にはそういうことは無理かもしれないけれども、今度、終戦以来問題になっておった引揚者の在外財産問題と関連して、引揚者給付金法という五百億になんなんとする予算を伴うものを出しておるわけでありますから、当然過去のものに対してもそれ相応の検討をせられて給付金という結論が出てきておるだろうと思うのです。保守党としては、われわれが言う狭義の戦争犠牲者に対して、何か一貫した筋の通ったものがあって——戦争犠牲の非常に重かったものから軽かったものにだんだん段階があることは認めますが、しかしそこに何か一貫した基本的な考え方を持ってやっていくんだということで、きたのか、それともケース・バイ・ケースで、軍人、学徒、徴用工、在外財産を持っておった人たちというふうにばらばらにやってきたのか、それを私はお聞きしたい。
○神田国務大臣 戦争の犠牲者が全国民であることは、御同様、同一の考えであることは明瞭であるわけでございますが、政府は戦後ずっと社会補償を考えながら、財政的見地からこれを逐次実施してきております。さらに今の限られた戦争の犠牲者であって、しかも顕著なものについても、財政の許す範囲内において、戦死者、戦病没者等に対しては遺族年金を出すというようなことで、政府の考え方としても突如としてここで給付金を出すことにきめたわけではなく、第一次吉田内閣からそういう考え方が現われておったのでございます。そうして財政状態をにらみ合わせながら、すべての顕著な戦争犠牲者にいろいろ見合ってバランスをとりながらやってきたわけで、決して個個のケースだけを取り上げて整理してきたという考え方ではないと思います。解決の早いおそいはあったと思いますが、一貫してやるべきものはとにかく財政の許す限りやって参った、こういうことであろうと思います。
○滝井委員 日本の戦争犠牲者に対するいろいろの施策を見てみますと、みんなばらばらなんですね。そうして受ける恩典というものが非常にでこぼこが激しい感じがするのです。どうも脈絡がないような感じがするのです。今私、ドイツのことを言いまして、持ってきてないと思ったら持ってきておったのですが、やはり立法をやるのには一貫した施策を持って、二つか三つくらいのグループに分けてきちっと処理していく形をとった方が、国民もわかりやすいし、それに対する不満を柔げることもできるのではないかという感じがするのです。たとえばこの引揚者の問題にしても、戦災者と引揚者の比較論というものは、在外財産問題を論議するときに相当やられているのです。そして戦災者と引揚者とは違うのだということを北条さんなんか実にくどくどと述べられておるのです。あるいは軍人恩給の中における兵と将官との不均衡論というものはやはり相当国民の中にあるのです。そういう点、何か日本の戦争犠牲者に対する補償の仕方と申しますか、社会政策的な処置というものがどうも行き当りばったりでばらばらな感じがするのです。その点、茂木特派員がいっているドイツの状態を見ると、第一は、一九五〇年十月七日実施の戦争犠牲者救済法、第二は、五〇年六月十九日実施の引揚者及び戦争捕虜損害補償法、第三は戦災平等負担法、こういうふうに三つくらいに大きく分けて、きちっと三つの法律的な土台を確立してやっておるのです。そうして戦災を受けなかった者と受けた者をそれぞれぴちっと調整して財源を求めてやっておる。日本も何かそういう形をとらなければいけないのじゃないかと思うのです。私がどうしてそういう心配をするかと申しますと、いろいろ調べてみると、まだあとに残っているのが非常に多いのです。引揚者の給付金の問題が解決した後にわれわれの手元に来ておるのをずっと調べてみますと、これは大臣もやられると申しましたが、動員学徒、徴用工、報道班員などの援護措置、軍人恩給と文官恩給の不均衡の是正、最近は金鵄勲章年金の復活というのが非常にやってき始めました。それから農地の補償、これは最高裁判所で自作農創設特別措置法が違法でないということがはっきりしたので、今度は見舞金という形で出てき始めております。それから郵便年金、簡易保険の戦前に積んだ掛金を現在の物価に調整すること、占領軍の土地接収に対する補償、戦時中の沈没船舶の補償、これは戦争犠牲であるということには変りがない。特に一項、二項の動員学徒の問題、軍人恩給と文官恩給の不均衡の是正ということは自民党さんでも何とかしなければならぬという動きもあるように聞いている。これが社会保障的なものであるということになれば、今言った七つばかりのもののほかにまだ私はあるだろうと思うのですが、今私が手元に集めただけでも七つくらいあるのです。これらのものに対する処置が当然次の政治の日程に上ってくる可能性がある。こういうものをだんだんやっていると——恩給だけで一千億を越して恩給亡国論が最近行われておるので、ここらあたりで戦争犠牲者に対するいろいろな過去の立法を整理して、ある程度やはりきちっと系統的に分けてやってみる必要があるような感じがするのです。そういう点この問題を契機として政府としては何かお考えになったことがあるかどうかということです。田邊さんはこの方の所管ですけれども、厚生省が一番そのしりのくるところなんですから、大臣としてそういう点どういう工合にお考えになっているのか。これは今後日本の国政の上においてやっぱり非常に問題になってくる点だろうと思うのです。先ごろ私が予算委員会で大臣に農地のことについて御質問したら、大臣は農地のことはもうやりませんと言った。そうしたら何か自民党の力から少し抗議めいたことが出ておったようでありますが、そういう点、いろいろあると思いますけれども、当局としてどういう方針で臨まれるか、これは大臣にも聞きますし、岸総理にも私はお聞きしたい点なんですが、その点御答弁をいただきたいと思うのです。
○神田国務大臣 今ドイツの戦後の社会政策と申しましょうか、そういった施策のやり方をお述べになったようでありますが、これは日本でもやはりいろいろやっておるのでございます。たとえば財産税を非常に高度なかけ方をしたことも、これは滝井さん御承知の通りだと思います。戦争犠牲者と戦争犠牲者でない者の富のバランスを接近させようというような考え方で、非常に高度の財産税をとった。それからまた、戦災で家を失わなかったという者に対して、特別家屋税というものを非常に高い率で徴収したことも、御承知の通りでございます。それはみな戦後の復興にあったことも、これは事実であります。だから、日本においても——ああいうやり方は思い切ったやり方でざいまして、これは日本政府自体がやったというよりも、占領軍の威力で行われた、ごうごうたる非難がございましたが、とにかくあれは行なった。この二つのことを申し上げても、今おあげになったドイツの例に決して劣らないことを日本はやったのだと思います。戦争の犠牲がどっちが大きいかということについていろいろ議論がございますが、とにかく日本も決して思いつきだけでなくやってきた。しかし、今度の戦争の犠牲というものがいかに大きかったかということだろうと思うのです。それから、今お述べになりました学徒あるいは徴用工というようなものに対する政府の施策もまたあたたかみが足りないということは、これはお説の通りでありまして、これは何とかいたしたいということ、それから文官恩給と軍人恩給が是正されておならいという問題、それから軍人の恩給自体がどうも社会的な公平を欠くというようなことがいわれておるということ、これらも取り上げて是正の道を開かなければならないというようなことも、これは一つの常識になっておるようでございますので、これらは、どの程度でありましょうか、とにかく私は行うだろうと思います。しからばそれは非常に大きな意味で行うかというと、私は軍人恩給の増額が日本の現下の財政からいって、そうたくさん行えるものじゃないと思う。先般の閣議においても、私は担当大臣として、石橋内閣以来社会保障を充実する、福祉国家を作るのだということは、内閣の一つの柱になっておるのだ、これはいかなるものにも優先して行うものであろうということを持ち出しまして、各閣僚とも、それはその通りである、社会保障を充実するのだ——財源に限られておりますから、これはやはり社会保障が優先して、そうして今述べられたような、戦争犠牲といいましょうか、そういう問題は、今後はみんな見合ったような、主観々々がございますから、どこまでいっても納得するということはむずかしいと思います。しかし多くの人が納得するところに地ならしされて落ちついていく、こういうふうに私は見ております。歴代政府がもしこういう戦争の跡始末に一貫性を欠いているというふうに見られる点があるとすれば、それはやはり日本の敗戦の姿、政治の力が欠除しておって、バランスを合せないで措置を講じたというよりも、バランスを合せながらやっていくことに努力しながらも、力が及ばなかった点があったのではないだろうか、こんなふうに見ております。今後そういうことがありますれば、やはり政治の公平の上からいって、逐次これは是正さるべきものである。しかしあくまで是正であって、それによって大幅なものが打ち出されるというのではない。こういうふうに考えております。
○滝井委員 これで終ります。午前中にも問題にしておりましたように、この未帰還者の問題、あるいは生死不明者の問題、そういうものは、いずれ未帰還者留守家族援護法等が三十四年八月までだったですかね、延期されておる。こういう姿もあるわけです。やはりこの戦争犠牲者に対するいろいろの立法上の措置というものは、早くできたものもあるし、最近になってできたものもあるし、それからその内容の援護する条件その他においても、初期にできたものはやはりインフレその他の関係もあってきわめて僅少である、あとでできたものは相当いいものもあるということで、凹凸があります。従って、まあ日本経済もある程度安定をして、戦後でないという状態にもなっておりますので、未帰還者あるいは生死不明者等の問題とともに、やっぱり戦争犠牲当に対する、現実に生きて適用せられておる諸立法というものを検討をして、立法的にもある程度の均衡をとって、そしてすっきりした姿で、今後社会保障ならば社会補償で一貫していくのだという姿、これは年金問題等とも関係をしてくると思いますが、恩給等がありますから……。そういう点を一つ今後政府は十分検討していただいて、万遺憾なきを期すべきだと私は思うのです。そういう点、一応要望して、大臣は一時間のお約束でありますので、これで私のきょうの質問を終ります。 —————————————
○八木(一男)委員長代理 次に小委員会設置の件についてお諮りいたします。本日の理事会におきまして協議いたしました結果、診療報酬及び薬価に関する調査のため小委員十名よりなる診療報酬及び薬価に関する小委員会を設置すべきであるとの御意見でありました。同小委員会を設置することとし、小委員及び小委員長の選任につきましては委員長より指名いたしたいと存じます。これに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○八木(一男)委員長代理 御異議なしと認め、小委員には 亀山 孝一君、小島 徹三君、 田中 正巳君、野澤 清人君、 八田 貞義君、亘 四郎君、 岡本 隆一君、滝井 義高君、 堂森 芳夫君、八木 一男君の十名を指名し、小委員長には小島徹三君を指名いたします。 次に、本小委員に欠員を生じました場合の補欠選任及び本小委員会の調査のため参考人を招致する必要を生じました場合には、その決定、人選、及び手続等につきましては、あらかじめすべて委員長に御一任願っておきたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○八木(一男)委員長代理 御異議なしと認め、そのように決します。 次会は公報をもってお知らせすることとし、本日はこれにて散会いたします。 午後三時三十九分散会