海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第8号
- 発言数
- 63 件
- 登壇者
- 6 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1957/03/20
会議録
○廣瀬委員長 これより会議を開きます。 本日は海外同胞引揚に関する件及び引揚者援護に関する件について、調査を進めることといたします。 この際、引き揚げ問題について発言を求められておりますので、これを許します。山下春江君。
○山下(春)委員 昨日の朝の新聞を私は旅先で見まして、非常にうれしい報道でありながら、非常に驚いたのであります。それは、ソ連のフルシチョフ第一書記が、日本の特定の個人に対して名簿を引き渡したという記事でございましたが、その記事によりますれば、日本人が七百九十三人、それから朝鮮人の家族が百四十六名、合計九百三十九人を帰すという名簿のようであります。この中で、留守家族から帰国させてもらいたいという強い要請があり、本人もまた帰国を希望しておるところの日本人が二百二十五人、それから朝鮮人の全員百四十六名はひとしく希望しておったようでございますので、これを近く帰すというのでございます。そういたしますると、日本政府からかねがね申し入れておりました一万一千百七十七人の未帰還者名簿の中で、すでに帰還いたしました者が百三十九名、それから死亡いたしましたものが八百九十五人で、残余は一万百四十三人ということになって、これらの人が消息不明ということになっておるのでありますが、この渡されました名簿は、一体この中に包含している人であるのかどうか、あるいはかつてマリク名簿の中に記載してありました山代太郎あるいは黒田正夫、佐藤光雄、有田カツエというような人々は帰国させられることになっておりますが、しかしこのマリク名簿で残りました人々は四十九人でございますので、それらの人々が一体その後どうなっておるか。この四人だけでなく、それらの人々の消息は一体どうなっておるのか。今の渡されました名簿は一万一千百七十七各の中に含まれておるものか、あるいは別個なものか、それらについてまずお尋ねいたします。
○法眼政府委員 ただいまの御質問でございますけれども、このたびソ連側が日本に帰すといって通告してきたものは、実は、御承知のごとく、日ソ共同宣言中に、消息不明者については今後調査を続行するということがうたってありますので、その共同宣言の文言に従ってソ連側が調査を続け、とりあえずわかったところだけを日本側に通告して参ったわけでございます。従いまして、われわれは名前をもらってそれを照合してみませんと、断定することはできませんけれども、とりあえずの推測としましては、これは一万何がしかと推測しておるその内訳であろう、こう解釈しておるのであります。しかしこれは、今申し上げました通り、具体的に名前をもらって合してみませんと、あるいは一万名余りの中に隠れて来る者もあり得るかと思います。しかし、これはその後に至って判名することだろうと思います。
○山下(春)委員 そういたしますと、外務省では、名簿を受け取ってみて、その名前をかねがね提出してあるものと照合いたさないと、その帰すという人々がどのようなケースの人であるかということもお答えが、今のところはできないのでございましょうか。たとえば、日本人の中の七百九十三名という方々、今まだ抑留の状態にあるのか。その抑留者の中でも、たとえば抑留漁夫等もありますが、それらの者が非常の長期に抑留されておるものか、あるいは満刑釈放になったものか、あるいは無期の刑を受けて現在まだそういった立場に置かれておるものか、あるいは樺太関係のケースのものか、または満刑釈放とちょっと重複するかもしれませんが、無国籍者というもので、なかなかこちらから調査しにくいようなケースもございましたが、それらの点についても、ただいまは御回答が聞かれないのでございましょうか。聞かれればぜひ聞かしていただきたいのです。
○法眼政府委員 この七百九十三名というのは、実は抑留されている人ではないわけであります。抑留されておったに人たちは、この前の十一次でございましたか、あの引き揚げで全部帰ってきているわけでありまして、そのうち、特別に帰らないという意思を表明した者並びに病気の人が帰ってこなかっただけであります。従いまして、七百九十三名という数は、現在は抑留されてない人ということに解釈してしかるべきかと思います。そうして、それはどういう人であるかということにつきましては、おそらくこれは一万名余りの日本が要求している数だと思いますけれども、そのうちのある人はおそらくは比較的短期の刑を受けて、初期に解放されて釈放された人もおるでございましょう。いろいろそういう人が入っておるということは容易に推測できることであります。しかしながら、名前をもらってみて、照合してから初めてわかるというのは、実は非常に確実なことを期して申したわけであります。ただし、比較的確実な推測はいろいろできることでございまして、これらの推測は今申し上げた通りでございます。
○山下(春)委員 ですから、その推測の中に、私がお尋ねいたしました長期抑留者、いわゆる終戦と同時に抑留された方々であろうが、あるいはその後漁船の船員が相当数抑留されていると思いますが、そういう方も入っておろうと御推察になりますか、あるいはまた日本人だけでなく、朝鮮人の方でございますが、朝鮮人の家族という文字に対して私どもは非常に疑義を持つのでございますが、朝鮮人の家族とは、日本人の妻になって子供ができた、その妻子のことであろうか、あるいは朝鮮人の妻になった日本人のことを言うのか、要するに日本人が朝鮮人の妻になったその人のことを言うのか、あるいは朝鮮人に日本の婦人が妻になってその子供を入れているのか、こういう点について非常に疑問が持たれるのでございます。一体朝鮮人の家族——朝鮮人というならばまだわかるのでございますが、朝鮮人の家族ということはどういうケースのものであるか。これは私どもが推察いたしますれば、戦後樺太等においてはそういう者があったであろう、結婚等が行われたであろうということが考えられるのでありますが、朝鮮人の家族というものの解釈がはっきりいたしませんと、非常に不明確な、朝鮮人を帰すからといって日本が引き受けるという義務——人道上からいえば引き受けてもよろしいのでございますが、国交が回復いたしました今日、それを安易に帰すからといわれて引き受けるということが正しい解釈であろうかどうかというようなことにつきまして、あなたはどうお考えになりますか、同時にまたあなたは、抑留された人はいないと言われましたが、マリク名簿に書かれておる者の四十九名があの十一次でお帰りにならなかったことも御承知の通りでありますから、そういう方々は今一体どういう状況で生活しておるのでありましょうか。
○法眼政府委員 抑留漁夫は、現在はほとんどいないのであります。先般四十名帰って参りましたから、これはほとんどございません。従いまして、あるとしても一名か二名だろうと思います。それから、ただいまのお話の長期抑留者はいないということを私が申したと申しますけれども、実は第十一次の引揚者で帰ってこなかった人たちは、それぞれ先方にその帰りたくないというような意思の表明があった場合、病気のため等で帰ってこない人数でございまして、従いまして、今回の、ここに表がございますが、四十九名帰ってこなかっという内訳については、死亡したということをいわれている情報のある者が六名、第三国人と思われるのが二十一名、病気のために残留しておるものが一名、その他残留希望の者が二名等々でありまして、これはそれぞれ一応の理由は表明されているものであります。従いまして、七百九十三名の中には、これが入っていないという解釈でございます。
○山下(春)委員 マリク名簿にかつて登載されておりました人々の中で、四名だけ特に今回の名簿に入っておるようでございまして、それは承知するところでは、山代太郎、吉原俊雄、これはカンスクであります。それから吉田晴雄、マリンスク。佐野清一、樺太。このうちで特にこの山代太郎さんは、二月中だけでも、ソ連側に対して、早く帰りたい、あるいは家族の方からもぜひ帰してもらいたいという嘆願書が六通も行っておるということでありますし、あとの三名の方も、外務省を通じて盛んに帰国の要請をしておられたというのでありますので、今の外務省のお話とちょっと食い逢うのは、マリク名簿の中には帰りたい者はもういないのだということでは、ちょっと当てはまらないのであります。この四名の方は、そういう実例が十分に留守家族の方にはわかっておりまして、盛んに要請をしておることがわかっておるのでありますが、そういうふうに家族からも、ぜひ帰してもらいたい、本人も帰りたいという嘆願をしておる。四名だからこれは特に今度の名前の中に入れたのかどうか。それからまたそういう運動が非常に熾烈にされていない場合には、帰す中へなかなか入れてくれないのではなかろうか。大体四十九名中に帰りたい人がいないのだ、これこれのケースで大体いないのだということでございますけれども、このうちにもう一人樺太関係の松村喜八郎という方も非常に帰りたいというので、これ合せて五名になりますか、合せてその五名の方が今度の名簿に入っておるということです。そうなりますと、あの中にも帰りたい人がいるということがこれでもはっきりしておるし、こういうふうに一ヵ月のうちに六回も七回も嘆願書を出しますと、向うの方でも、めんどうだから、そういうのは帰国の中に入れようということになったのかどうか。その辺のいきさつはどうなっておりましょうか。
○法眼政府委員 ただいまお話の山代太郎さんという力は、実は病気で残留した人でありまして、今回病気が直ったというのでお帰しする、こう言ってきているわけであります。あとの三名の方はいずれもマリク・リストになかった方であります。マリク・リストで残った四十九名の人が帰ることを希望せぬということが私が申し上げたのは、そういう人が多いということを申し上げたので全部が帰ることを希望しないというのではないのであります。のみならず、その中で相当の人が死亡したり、第三国人等があると思われるということを申し上げたのであります。この点は誤解のないようにお願いいたします。
○山下(春)委員 わかりました。そういうことでお帰りになることは非常にありがたいことでございますが、こういうことになりますと、かねがね問題になっておりました遺骨、遺品というものをぜひ引き渡してもらいたいと思うのであります。たとえば、ごく最近なくなられました近衛文隆さんとか川越重定さんという方は、向うの責任ある病院がこの遺骸を管理しておるというふうに伝え聞いておりますが、あるいは御遺族の方は遺体のまま渡してもらいたいというような希望もありましょうが、これはなかなか容易なことではございませんので、ぜひとも御家族の切なる希望も入れて、遺骨、遺品を引き渡してもらいたいと思います。外務省は、これの引き渡しを一つ厳重にお申し入れを願う御意思がございましょうか。どうでしょうか。
○法眼政府委員 ただいまのお話、まことにその通りでございますので、われわれはあらゆる手段を尽して、こういった方々の遺品あるいは遺骨等をできるだけこちらへ帰してもらうという措置をとるつもりでございます。これは前からそういう方針をきめておるところでございます。
○山下(春)委員 これから先のことは法眼さんに御回答をいただきますことは多少むずかしいのではないかしらんと思いますけれども、しかしながら、法眼さんはこの道の外務省における大家でいらっしゃいますので、ぜひとも承わりたいと思うのであります。私先ほど申しましたように、きのうの朝の新聞紙に非常に大きく伝えてあったので、旅先で見まして実にびっくりいたしましたのですが、従来日赤その他の団体を通じて、民間団体が人道上の問題から引き揚げ問題に努力して参りました経過におきましては、もちろん特定の方であろうとあるいは赤十字に渡されようと、それは非常にありがたいことで、こちらも飛びついて受け取るべきであると思うのでありますが、すでに国交が回復されまして、正常な外交交渉が外交ルートをもってできる今日、そうして特にもう門脇大使もモスクワに到着しておられます今日、ソ連の政治関係の最高首脳陣が日本の特定の個人にそういうものを取り次いだということにつきましては、私どもいかなる意図があってこういうことをなされたものか、非常に判断に苦しむのでございます。今後のこういったような問題は、日ソ交渉の段階におきましても、田邊さんや法眼さんはその点はとくとお申し入れになった点でございまして、政府と政府で正式に外交ルートをもってこれを解決しようというお約束になっておるやさきでございますので、まことに判断に苦しむのでございます。このいきさつは一体どういうわけだったのでございましょうか。
○法眼政府委員 ただいまの山下先生の御不審の点はまったく同感でございまして、われわれも実はもし新聞の報道が事実としますれば、はなはだ不審に思っておったところであります。そこで、さっそくわれわれの方では門脇大使に電報を発しまして、そういう新聞情報がある、果してこれが真なりやいなやということを聞いてくれろということを申したのであります。門脇大使はさっそくソ連政府のフェデレンコ次官と会いましてそれをただしました。先方は、いや自分の方も正式にそういうことが行われたことは全然知らぬという返答でございました。それで、先方の返答は、名簿は実はまだ完成しておらぬ、完成次第あなたにお渡ししますと、こういう返答でございます。従いまして、これはまだしばらく時日を待ってみなければわかりませんけれども、先生の御不審の点はわれわれも不審としておった点でございます。われわれも、不審の点をただすべく、目下処置をしておるのでございます。さようなわけでございますから、先方は正式にはそういうことはないであろうと言っておりまするし、名簿もできていない、できたらさっそくあなたにお渡しするということを回答しているということは先方の回答の事実でありますから、さように御承知を願いたいと思います。
○山下(春)委員 新聞の報道と参事官が直接お会いになりましてお確めになった点とが、そういうふうに食い違っているとなれば、もう少し時をかさなければ、この問題の結論を伺うことはできないと思います。要するに私は、今後ある特定の個人の方がお持ちになる名簿等によりまして、直ちに引揚船を差し向けるとか何とかということでなく、人道上から申しますれば、一日一刻を争う問題でございますので、時あたかも少しずつ暖かくはなりますし、厳寒の冬の場合とは違いますので、こういう点の国民が納得できないような線を取り残さないように、外務省におかれましても厚生省におかれましても、十分にただすべきをただして、それからこの引き揚げの実際運動にとりかかっていただくようにお願いしたい。私は、特に日ソ国交の回復というものがどのような方法で行われるかということは、国交回復後の日本国民の全部の関心のまとだと思いますので、引き揚げ問題が人道問題だからといって、ただすべきをたださないで、納得のいかない方法によって事を処さないようにお願いをいたしまして、時間がないそうでございますから、私の質問を終りますが、ちょっとその点に対して外務省の御意見を承わっておきたいと思います。
○法眼政府委員 ただいまのお話の御趣旨は、全くわれわれも心しておるところでございます。御質問の御趣旨を体しまして、この上とも、厚生省とも十分相談をいたしまして、万遺憾なきを期したい覚悟でございます。
○廣瀬委員長 戸叶里子君。
○戸叶委員 私の伺いたいと思いましたことは、今、山下議員からお聞きになりましたから……。法眼参事官のおっしゃったように、門脇大使がフェデレンコ氏に会ったところが、自分もわからない、もしも名簿がわかったらそれは直接門脇さんに渡す、こういうふうに言われたというので、あの新聞の記事の内容が大体わかったような気がするのでございます。しかし、新聞にはフルシチョフさんが畑中さんとお会いになった、こういうふうに書いてあったので、このフルシチョフ氏に門脇さんが会ってみなければわからないのじゃないかという気もいたしますけれども、この辺のことはいかがでございましょうか。
○法眼政府委員 普通出先の者が先方と会うときには、外務大臣並びに外務次官と会うことになっておりまして、今のお話の点は私もお話の通りだと思いますけれども、先方は正式の回答としまして、自分たちはこのことはよく知っておらぬ、おそらくないであろう、しかもまだ名簿もできておらぬのだ、名簿は完成次第むろんあなたに渡します、こういう説明をしているわけでありますから、これはその通りわれわれは信じなければならない。将来またどんなことでどうなってくるか、これは将来の問題でございますけれども、現在のところはそういう説明をわれわれは承わっておる、こういう状況でございます。
○戸叶委員 新聞によりますと、畑中さんとフルシチョフ氏の会談といいますか、お会いになったときに、たとえば漁業条約の問題も日本では非常に行き詰まっているけれども、これは貿易の問題とからませて解決するというようなことを、言っております。このことは外務委員会でいずれゆっくり伺うことにいたしますが、引き揚げ問題について伺いたいことは、漁業委員会等でいろいろな問題が出ましたときに、たとえばその委員会の中でも何か貿易問題とか領事館の問題とか、あるいは引き揚げの問題等についても触れられるような節があったかどうか、この点を伺いたい。
○法眼政府委員 日ソ漁業委員会の交渉は、漁業問題だけを扱っておりまして、御質問のようなことは全然議論をしてないのでございます。
○戸叶委員 山岸さんとテヴォシャン駐日ソ連大使とがお会いになりましたときに、向うから渡されましたのは、大体幾人が帰りたい希望者で、幾人がなくなってというようなこまかい数字を発表されたようでございます。そのときに、行方不明者の名簿は大体できているような口調であったのでしょうか、それともまだ全然できてないから、できたら渡すという話し合いまで行ったのでしょうか、その辺のいきさつを伺いたいと思います。
○法眼政府委員 十六日の会談における先方の申し出は、日ソ共同宣言によりまして調べておりました、とりあえずこれだけわかりましたという返事でございます。従いまして、これはまだ先方は調査を続けておって、わかり次第こちらに通報してくれるということに解釈してしかるべきかと思っております。
○戸叶委員 もう一点だけ。消息、不明者の調査について、だれか専門の人をやった方がいいという話も折々この委員会で出ておりまして、岸外務大臣もそのようなことに同意をされたように私は承わっております。そういうことはいつごろなさるか、またそういうことをなさる必要があるかないか、この点伺います。
○法眼政府委員 この問題は私たちのところと厚生省とで緊密に話をしておりまして、一番いい方法は何だろうということで話しております。従いまして、これは現在の在ソ大使館の予算は経過年度中は御承知の通り予備金でやっておりますけれども、先般の予算でもこれが認められておりますので、四月一日からはさような人を出せることになっております。どういう人が適当かということにつきましては、具体問題としましては、私どもの方と厚生省の方と十分に打ち合せて、一番いい方法をとろうということに協議中でございます。
○櫻井委員 マリク名簿につきましてお尋ねしたいのですが、このマリク名簿に記載されておったのは千三十一名ですね。ところが第十一次の引き揚げで帰ってこられた人の中には、名簿外の約四十名の抑留漁夫が入っておった。従って第十一次の引揚者中のマリク名簿に載っている人は、四十名の漁夫をとるから、九百九十一名の人が帰ってきたということになりますか。
○田邊政府委員 いわゆるマリク名簿に登載せられておりました総人員は千三百六十五名です。昨年の末第十一次の帰還がございまして、それを含めまして帰った人数が千三百七名でございます。それから死亡したということが確認されている数が九七、差引きいたしますと四十九名残るわけでございます。
○櫻井委員 わかりました。そうすると、今度テヴォシャン氏と岸首相との会談で発表した七百九十三名のうち、マリク名簿記載の三十九名、同記載外の生存確実者二百六十名を合せると二百九十九名がシベリアになお残存している、こういうことですが、今度はっきりした三十九名はこの四十九名のうちの人だ、こういうことになりますか。
○田邊政府委員 櫻井さんの言われたことがよくわからないのですが、三十九名とか何名とかいうのは、私どもあまりよく知らない数なんです。
○櫻井委員 これはもちろん新聞の発表ですから真偽のほどがはっきりしないのです。それで私は確かめているわけです。この新聞紙の発表によりますと、在ソ邦人の数は七百九十三名と称している。第十一次の千三百七名帰国いたしました、その後日本側が調査したところによると、シベリア本土にマリク名簿記載の三十九名が残留しているということを確認している、こう新聞が伝えております。その点はどうですか。
○田邊政府委員 どの新聞がそういう伝え方をしておりますか存じませんが、私の方ではそういう数字を作ったこともございませんし、発表したこともないのであります。先ほど申し上げました通り、マリク名簿登載人員の中で残っている数字が四十九名、これは氏名も確認しております。その内訳につきましては、先ほど法眼参事官から大方説明した通りでありますが、それと七百九十三名との関係はどうなるかというお話につきましては、これは一応別の数字ではなかろうか、こう思っております。しかし、いずれにいたしましても数字だけでは調査上意味がないのでありまして、一人々々の問題でございますので、やはり一人々々の氏名を十分把握いたしまして、それによって確認をするということが調査上大事なことでございますので、私どもは、一人々々の氏名等が正確に伝えられて、それによって確認をしたいということが今日の段階でございます。
○山下(春)委員 関連して。田邊局長のお言葉で私ちょっとびっくりしたのでございますが、一万一千百七十七名の外だと思われるということは大へんなことになるのでございますが、どうなんでございましょう。
○田邊政府委員 一万一千百七十七名という数字の外とは申し上げないのでして、四十九名残っておるのは、この数字とは別の数字であろうというふうに回答を申し上げたのであります。
○山下(春)委員 それなら非常にけっこうでございますが、一万一千百七十七名の外ということになりますると、これは大へんなことになると思って、びっくりしたのでございます。 そこで立ちましたついででございますから、厚生省からお出しになりました一万一千百七十七名のその後の推移について、幾ら帰って、幾ら死亡して、幾らどういうふうになっておるということを、わかります限りお知らせを願いたいと思います。
○田邊政府委員 結論から申しますと、その後帰還した者、死亡した者等がございますので、整理いたしますと、現在——現在と申しますのは一月一日現在で、九千九百六十一名となっております。
○山下(春)委員 もう一度確認さしていただきますが、九千九百六十一名が、その後いろいろな変動があった残りの消息不明と思っておられる数字でございますね。そうしますと、一万一千百七十七名でわれわれの承知いたしておるものもございますが、どういう変化によって九千九百六十一名になったかが、そこにございましたらお知らせ願いたい。
○田邊政府委員 帰還者が十六名、死亡と判明した者が千五百十八名、それから一たん入ソしましたけれども、その後ソ連外に移送されたというのが百八十三名ございます。これを引き、さらに新たに加わるものとして、逆に新たに入ソしたという資料の上ってきたのが五百一名、これを差引合計いたしますと、先ほどのような数字になります。なお九千九百六十一名が消息不明者であるというお話でございますが、これはいつも申し上げることで恐縮でございますけれども、消息不明者と申しますと非常に不正確でございまして、これは未帰還者で、未帰還者の数であります。この中には最近生存の資料があったという者、つまり昭和二十五年をとって申し上げますれば、昭和二十五年以降生存の資料があったという者は、九千九百六十一名の中で四百五名あります。
○山下(春)委員 消息不明と申し上げましたことは、私の言い間違いでございます。 そこで、新たに入ソした五百一名とおっしゃいましたが、これはどういうケースでございましょうか。
○田邊政府委員 調査をずっと続けて参りますと、いわゆる中共での戦場場面の調査があるのであります。戦場で行方不明になった者を一人々々追及して参りますと、中から終戦直後入ソしたという資料の出てくる者がございます。これはおおむね昭和二十年、二十一年の古い生存資料しかないという者が大部分でございます。しかし、入ソしたことは入ソしたという正確の資料が出ておるのでございますから、統計上の二区分といたしましてはソ連の方に入らざるを得ない。こういうことになるわけであります。
○櫻井委員 いずれにいたしましても、十一次の引き揚げ後ソ連の領土内にさらに在住しておる邦人があるということが、いろいろな情報でだんだん明確になってきておるわけであります。この残留者に対してどのような処置をとられるつもりか、たとえばまた向うの政府と交渉して、ある地点に集結をさして、興安丸を適当な時期に差し向けるとかなんとか、こういう具体的な措置を考えておるかどうか。聞くところによると、興安丸の契約は三月中で切れるというようなこともあるようでありますが、そういう点をどういうふうに考えておられるか。
○田邊政府委員 ただいま櫻井委員からどういうふうに考えておるかというお話がございましたが、これは、マリク名簿が出たときから、抑留者の送還が終ったあとで残る問題はそういう問題であろうとわれわれ考えまして、未帰還者一万一千百七十七名という数字を当時出しまして、これは詳細な数字を出したわけであります。これについて一人々々の正確な調査と回答を要求しておったわけであります。それで一人一人に対する実情がわかってきますれば、生きておる者につきましては、それが残留を希望しておる、あるいは帰りたいという希望を持っておるということがだんだんわかってくるわけであります。わかれば問題は自然道がついてくるわけであります。今回は向うがそれを調査した結果一応の数字が出てきて、そのうち帰りたい者がこれだけだという回答がなされたわけでありまして、今までわれわれが要求しておったことに対する反応が現われてきたわけであります。そこで、帰りたいという希望者が、先ほどお話になりましたようにありますので、これの引き取りにつきましては、法眼参事官から向うの係官に対しまして、できるだけすみやかに配船をしたいという申し出をしておるわけであります。 興安丸との関係でございますが、御承知の通り、興安丸は三月一ぱいで契約が切れるのでありますが、四月中できるだけ早い機会に配船が可能でございますれば、興安丸の問題も運輸省としては考えてくれる可能性がございますので、この点は運輸省と連絡をいたし、運輸省に対しても申し入れておるような状況でございます。
○廣瀬委員長 次に、引揚者の援護に関し、近く政府より引揚者等に対する給付金の支給に関する法律案が提出されるようでありますので、その概要について、厚生省当局より説明を求めることといたします。
○田邊政府委員 三月七日の閣議におきまして、引揚者等に対する給付金の支給に関する措置要綱が決定いたしました。これに基きまして、目下法律案の作成を急いでおります。近く正式決定を見て、国会に提案の運びになろうかと思っております。そこで、ただいま委員長からの御要望によりまして、閣議決定の要綱につきまして、既要御説明申し上げたいと思います。 在外財産問題に関連する引揚者に対する措置につきましては、昨年十二月に在外財産問題審議会の答申がなされたのでございます。答申の内容につきましてはすでに御承知のことと存じますので、説明を省略さていただきます。この答申がありましてから、政府におきましては、この答申の趣旨にのっとって引揚者に対する措置を実施するという根本方針をきめまして、その後具体的方法についていろいろと考慮をいたしておりましたが、ようやく結論を得まして、このような閣議決定に相なったわけであります。 この要綱は、対象をおおむね三つに分けてございます。第一は引揚者、第二は引揚者であって日本へ帰ってから死んだ人、その遺族、それから第三は終戦当時以降外地において死んだ人の遺族、つまり命を置いてきた人の遺族に対する給付金、この三つに区分をいたしておるのでございます。 第一の引揚者に対する給付金につきましては、終戦当時の年令を基準といたしまして四段階に分けまして、十八才未満の者には一万五千円、三十才以上五十才未満の者には二万円、五十才以上の者には二万八千円、こういうふうな年令区分によって給付金を支給いたすことといたしたのであります。引揚者団体におきましては、在外財産暫定補償法という法案の実施を要求したので、ございますが、この法案によりますると、終戦時における外地の世帯の世帯主を対象にして、その世帯主の在外年数によって給付金を支給してほしいというのが向うの要害でございましたが、いろいろ折衝した結果、年令によって区分するということに結論が一致したわけでございます。 そこで、引揚者の定義でございますが、在外財産問題審議会の答申に書いてありまする通り、引揚者は多年営々として積み重ねた生活基盤を一挙に失って、まる裸になって日本に帰ってきたという点に、他の戦争犠牲者と違った点があるので、その点に着眼して、政策的措置を請ずべきであるというような答申がなされておるわけであります。いわゆる引揚者は強制的移住者であるという観点に立ってこの措置がなされるわけでございますが、ただし、引揚者の中には、御承知の通り、終戦後そういった強制的な移住という形で帰ってきた人のほかに、もう一つ別に、早く帰りたかったのだけれども抑留その他によって残留を余儀なくされて、講和独立後ようやく帰ってきたというふうな者もございます。私の方では強制的移住者という引揚者のほかに、独立してもなおかつ外地に残留を余儀なくされておったという人たちには、外地に生活の基盤があったかいなかを問わず、引揚者と同様に取り扱う、こういうふうにいたしておるのでございます。具体的に申しますると昭和二十八年の中共からの引揚者の中には、内地から一時的に向うに行っておった方々が、当時のどさくさで中共軍等につかまりまして、衛生機関に留用されてずっと引っぱり回されて帰ってきたという方々が相当数ございますので、こういった方々は外地に生活基盤のなかった方々でありますが、引揚者として処置するというふうにいたしたわけでございます。 なお、引揚者の中でも、昭和二十七年以降の帰還者であるところのいわゆる長期強制抑留者、マヌス島、モンテンルパから帰ってきた方々もございます。それから、中共から同様の事情のもとにあってお帰りになった方々もありますが、こういった方々に対しては、年令区分によらずに、最高額の一万八千円を支給するということにいたしたのであります。 第二は、引き揚げ後死亡した方々の問題でございますが、これはいろいろ議論がございましたけれども、今日まで政府の施策がおくれた結果もらえないということになっては気の毒な点もございますので、死亡した当時において一家の生計の中心であったと思われるような人に対しましては、引揚者に準じて、年令区分によって支給するということにいたしたのであります。 第三の外地において死亡した方々の問題は、これは全く別でございまして、いわゆる生きて帰った人、つまり財産その他を置いてきた人と違って、命を置いてきた人の問題でございますので、特に丁重に扱いたいということで、十八才以上の方には一律に二万八千円、十八才未満の人には一万五千円、包括的にこれだけの遺族給付金を支給することにいたしたのであります。もっとも終戦当時以降外地において死亡された方々の中には、軍人軍属として弔慰金、年金を支給された方もございましょうし、あるいは戦闘参加者、あるいは特別未帰還者としてすでに弔慰金の出ている方もございますが、そういう方の重複は避けまして、そういう弔慰金、年金の支給されていない一般の方々に対しまして、この遺族給付金を支給しよう、こういう趣旨でございます。 この給付金は、十年償還の国債をもって交付する記名国債でございます。利率は六分と相なっております。 それからこの給付金につきましては、審議会の答申もございましたので、所得制限をするということにいたしてございます。昭和三十一年度における所得がおおむね五十万円以上の一定の所得でありましてもその金額がちょっと違ってきますので、税金で差等をつけるということにいたしまして、単身者勤労収入五十万円ということを標準といたしまして、年額所得税三十一年度において八万八千円以上の人には、この給付金は支給しないということにいたしてございます。ただし一過去三カ年の所得税の平均額が八万八千円以下である場合には、この三ヵ年の平均をとってもよろしいということにいたしております。なお所得制限をかぶります範囲は本人と配偶者だけでございまして、本人と配偶者以外はすべて支給する、小さい子供であっても支給するというふうにいたしております。 なお、この備考におきましては、引揚者対策としまして、給付金を支給するほかに、昭和三十二年度以降五年間毎年おおむね二十億円、合計百億円の融資を国民金融公庫を通じて実施するということにきまったわけでございます。これは国債を担保にして融資をする場合もございましょうし、国債を担保にしないで融資する場合もございましょうし、いずれをも含めまして、総額百億円を五ヵ年間に融資するということがきまったわけであります。 それから住宅問題につきましては、三十二年以降五ヵ年間に二万戸を建設するということを目途として努力しようということがきまったわけでございます。これは、元兵舎等を利用した集団引揚者住宅等で、今日腐朽化いたしておりまして、別に収容を要する者も相当数あると思われますので、そういったものを含めまして、おおむね二万戸程度の引揚者のための住宅を建設しようという努力目標のもとに、今後いろいろ措置をしたい、こういうことが同時に閣議で決定をいたしております。 以上簡単でございますが、一応ご報告いたします。
○廣瀬委員長 それでは、本件に対する質疑を行います。山下君。
○山下(春)委員 援護局長の非常な御努力、お骨折りによって、十年間懸案になっておった問題が片づいたことは、まことにありがたいことでございますが、ただ私は、この法律が施行されるに当りまして、非常に問題だと思うのは、例の戦犯の問題でございます。戦犯というのは、講和発効後に戦犯として外地から引き揚げた人ということのようでございますが、その以前に引き揚げた者も当然本法で救済してやるべきではないかと思いますが、どういうわけでこれはお除きになったのでございましょうか。
○田邊政府委員 これはどこで線を引くかという問題でございますが、ソ連の場合をとってみますれば、昭和二十五年に集団引き揚げが終了したわけで二十二年に引き揚げが完了いたしております。どの辺で線を引くのがいいか。昭和二十五年で線を引くのがいいか、あるいは中共から集団引き揚げが始まった二十八年以降とするのがいいか、きわめて偶然的なことになるのでございますが、私どもは講和独立までは日本は占領下にあったということでございますけれども、講和独立してもなおかつ強制抑留ということで内地へ帰れなかったという方々に対しては、特別に見舞金を厚くしてあげよう、こういう趣旨でございます。従いまして、長期抑留者以外のいわゆる中共から帰った居留民に対しましては、昭和二十七年講和独立になってもなおかつ残留を余儀なくされておった点を一つの基準として、その中でこういった強制抑留になった方々に対しては一そう国の待遇を厚くしたい、こういう趣旨でございます。恩給と違って抑留期間一年ごとに幾ら加算するというわけじゃございませんので、どこかで線を引かなければなりませんので、私どもは講和独立ということが一線を画すのが比較的適当じゃないか、こう考えた次第でございます。
○山下(春)委員 戦犯者は未帰還者としての取扱いを受けて参りましたが、その未帰還中に死亡したというようなケースも相当の——相当ということもございませんが、かなりの数に上ります。未帰還という観念からいって、この死亡した人に対して何らかの処遇をする方が公平ではなかろうかと思うのでございますが、いかがでございますか。
○田邊政府委員 一般的に申しますれば、在外財産と申しますか、生活手段といいますか、それを失って帰ってきた人と比較しますと、ただいまお話になった命を置いてきた人には、われわれといたしましては、生きて帰った人にこれだけの処遇をするならば、当然それ以上の比重をもって処遇しなければならない、これが先ほど申し上げました遺族給付金の思想でございます。従って、内容においても、金額等においては生きて帰った人よりも厚く処遇しておるわけであります。なお、戦犯者として、あるいは長期抑留者として向うに拘禁されている間になくなった方につきましては、いわゆる平和条約関係の戦犯者の場合には、これは現在遺族援護法で処遇がなされておるわけであります。それから、ソ連、中共関係については、今日特別未帰還者として扱っておりまして、遺族援護法において、金額はわずかでございますが、三万円の弔慰金を差し上げておるわけでございます。この金額がいいか悪いかは別問題として、これが出ておりますので、それとは重複しないようにという思想でございます。これはそちらの方の戦没者遺族援護法の系統で処置をしていくべきだろうと考えております。
○山下(春)委員 一般戦犯者の処遇につきましては、非常な権威者であられる田邊さんのことですから、もちろん公平を欠くようなことはなさらなかったと思うのでございますが、そこで範囲を非常に縮小して、巣鴨の戦犯者ということになりますと、これは講和発効後に引き揚げたということになりますと、御承知のように、濠州のマヌス島、フィリピンのモンテンルパと限られた二つのケースだけであります。あとは戦後国内に帰ったけれども、講和発効までは連合軍が監督、監視しておった巣鴨プリズンに帰ってきたのであります。これは一体日本の中へ帰ったのか、私はその解釈がよくわからないのであります。相当期間、非常にきびしい監督の中に、しかも巣鴨プリズンの中は外地と同じようなところでございまして、外地において生活の基礎を失ったというケースと同一とは考えませんが、もっと違った意味において、外地から引き揚げたこのケースというものを落してはならないように思われます。それが落ちているように思いますが、どういうわけで落ちたのでございましょうか。
○田邊政府委員 ごもっともな御質問でございますが、それは政府部内でもいろいろ論議があった点でございます。結論から申しますると、今回の措置は引揚者に対するものという点で一線を画すほかはないということで、終戦後——終戦後と申しますのは、ソ連参戦時以降という意味に解釈しておりますが、そういった終戦時以降の引揚者を対象として実施するという点に大きな一線を画したわけでございます。従って、その範疇に入らなかった方は、いろいろ御事情はございましょうけれども、終戦後の引揚者とは違ったものがあるということで対象から除外したわけでございます。 巣鴨におられた方あるいは外地から終戦直後帰って巣鴨で講和発効時以降まで拘禁された方々に対しましては、先ほど申し上げましたようなこの法律でいう引揚者ではないということで、一線を画したわけでございます。しいて申しますれば、内地で拘禁されておったといっても、それは外地のマヌス、モンテンルパの異郷の地で拘禁されておった方とは事情が違う、ソ連、中共の地において戦犯者として拘禁されておった人とは、心身の労苦の点において違うものがあったろう、かたがた先ほど言ったような基準というものを作らなければならぬという理由等から、今回はそういった方々は除外するほかあるまいということに、いろいろ検討の結果、きまったのでございます。
○山下(春)委員 明敏な田邊局長のお答えとも思えないお答えでございます。巣鴨におられる方は、もちろん終戦後外地で裁判を受けて、数年間非常な御苦労をされて、外地の苦しみもなめ、帰還されましても、帰還者に扱っておらない未帰還者でございます。その未帰還者というワクの中におった人が内地に帰ってきたのだから、これは帰還したんだということになると、巣鴨を出るときに帰還者としてお取扱いになりましたことがおかしくなってしまうのでございます。これは何といたしましても未帰還者でございます。これがはずれるということは、どうしても私どもには納得のいかないケースでございます。これは別な意味でひょっとお忘れになったのでございますれば、ぜひともこの際お加え願いたいと思いますが、いかがでございますか。
○田邊政府委員 目下この閣議決定の要綱に従って法律案を作成しておりまして、近く法律案が決定いたしますれば国会に提出することになりますので、その際またあらためて十分御審議をいただきたいと思います。
○戸叶委員 関連して。私も伺いたいと思いましたことを、今、山下委員からお聞きになりまして、それにお答えがあったわけでありますが、私大へん頭が悪いせいか、今の田邊局長の御答弁はどうしても納得がいかない、ちっともわからないのです。もしこのまま巣鴨の方が適用されないというのであったら、もう一度わかるように説明していただきたいと思うわけです。今の御答弁では、何か一応要綱ができたからあと考える余地があるというふうな御答弁だったでしょうか。最後の方が聞き取れなかったものですから、もう一度伺いたいと思います。
○田邊政府委員 この要綱におきまして、政府が考えていることにつきましては、先ほど申し上げた通りでございます。その点について山下さんからいろいろ御質疑があったわけでございます。われわれは、この要綱に基いて先ほどお答え申し上げました。この要綱に基いて法案を作成中である、いずれその線で法案が決定いたしますので、近くそういった法案が国会へ提出されますので、よろしく御審議をいただきたい、こういうふうに申し上げたのであります。
○戸叶委員 そうすると、私ちょっと困ると思うのです。というのは、この要綱に基いて法案が作られるということは、つまりこの要綱以外のことは入れられないということになると思います。そうなってくると、やはりもう少し、なぜ入れなかったかということの納得のいく線を伺いませんと、巣鴨の方たちだけ終戦のとき引き揚げてこなかったというふうな理由で入れていないということだけでは、どうしても私頭が悪くてわからないのです。もしも、この要綱の中できめるけれども、まだそういうふうな問題を考える余地があるということでしたらけっこうだと思うのですが……。
○田邊政府委員 いろいろ範囲が膨大でございますし、複雑な対象でございますので、御不審の点が多々あるかと思います。政府では閣議決定をいたしましたので、私ども事務当局としては、この閣議決定の線に従って法案を作成するほかないわけでございます。しかし、これは法案でございまして、国会で御審議をいただいて初めて法律になるわけでございます。本日は要綱について御説明申し上げたのでございまするが、おそらく先ほど御疑念になり、御理解いただけなかった点は、そのままの姿で国会に提出されるのではないかと思っております。御満足のいく答弁ができなくて大へん恐縮でございますが、御了承願いたいと思います。
○戸叶委員 幸いにいたしまして、山下委員は自民党の議員でいらっしゃいます。山下の議員の御質問の内容を聞いておりましても、私と同じように伺っておりました。従って田邊局長が良心に反して要綱に沿うた法案を作られたとしても、私は自民党の議員の方々も反対されて、巣鴨の力たちもその中に入れられるようにされるだろうということを期待するわけです。ですから、局長がこの要綱に基いて法案を作られるにいたしましても、こういうふうな意見がこの委員会にあるのですから、この法案が通るのはむずかしいから、もう少し要綱のワクを広げようじゃないかということをこの機会に提案していただきたいと思いますが、このことをどうお考えになりますか。
○田邊政府委員 先ほど申し上げましたように、閣議決定がすでになされておるわけでございます。法案作成の手続も着々と進んでおりまして、すでに最終の決定を見るばかりに至っております。政府の考えておりますことは、いろいろ論議はございましたが、結論は講和独立後巣鴨から釈放になった方はこの法案では対象としないということに一応なっておりますので、その点は、政府原案においては変ることはあるまいと考えております。
○山下(春)委員 戸叶さんも大へんわからないとおっしゃいましたが、私もわからない一人でございます。それは、閣議決定というものは貴重な、権力のある、実力のあるものであることは了承しておりますけれども、きわめて最近に閣議決定で米価を上げることを決定になったにもかかわらず、これが正しい議論というか、世論というか、そういうものによって変更になった事例がございます。今、戸叶さんは良心的にという言葉を使われましたが、局長自身は、良心的に考えて、ずいぶんあなたは言いにくいへ理屈を並べておられます。閣議決定でそういうふうに決定したのだから、これはもう仕方がない。政府の要路におられる局長としては、そういうようにしか答弁のしようがないように承わるのでありますけれども、しかし、あれは帰還者でなくて、政府自身が未帰還者としてお扱いになった者に対して、もう帰ったのだからという議論をあなたがなさるというのは奇妙なことでございます。これは閣議決定をくつがえしていただきたいとあなたにお願いをいたすわけではございませんけれども、閣議決定になったということは、あなたがこれを断じて行おうというお気持でございますならば、閣議決定の結果についてはなはだのみ込みにくい、はなはだ納得しないこの点、これが非常に広範囲に波及するというお考えであるならば——ソ連、中共の問題に対しては、あなたはあとう限りの力をお尽しになりましたから、残っておるのはこの問題だけだと思います。これだけの大法案が通過いたしますに当りまして、この少数の、しかも、私ども今考えてみますと、あの終戦直後の敗戦の空気から考えてみて、非常な苦労をしたのであろうその人たちが残されることは、何としても耐えられないのでありまして、おそらくこれと同じようなものが再び出るとは考えられないのであります。また、こういう不備なものを出していただいては困るのでありしなす。十分に調査され、検討された結論でございますので、この大法案が通過せんとするときに、このわずかの人員、しかもこのケースを落すということは、私ども何としても忍びないのでございます。これ以上どうして下さいということの答弁を求めることは、閣議決定後の政府の立場としては言いにくいであろうと思いますが、私ども委員会としては、何としてもこのまま見のがしてこの法案を通過させるわけに参りません。委員会としても十分にこれはわれわれの意見の通りにいたしたいと思いますが、その場合に局長はこれを受けて立っていただけますか、どうでございますか。もし御答弁がしにくければ——そういうふうに委員会でしたのなら、仕方がないから受けて立つという気持でおられるものと御返答がなければ、そう私は了解して質問を打ち切りますし、御答弁があれば承わらせていだたきたいと思います。
○田邊政府委員 不日この法律案が国会に提出になりまして、国会で御審議をいただく時期も近かろうと思います。その際また十分御審議の結果につきましてやるはかなかろう、こう申し上げるほかはないと思います。
○戸叶委員 今そういうふうなことをこれ以上繰り返しましても結論は出ないと思いますが、もし巣鴨関係の方を入れたとしますと予算にどのくらいの狂いといいますか、総計が変ってくるのでしょうか。
○田邊政府委員 人数は千名足らずでございます。
○戸叶委員 金額はちょっと今出ないですね。——それじゃあとでわかりましたときに伺いたいと思います。
○廣瀬委員長 ほかに御質疑はありませんか。——なければ、本日はこれにて質疑を終ります。 次会は公報をもってお知らせすることとし、これにて散会いたします。 午後五時三十一分散会