社会労働委員会公聴会 第2号
- 発言数
- 60 件
- 登壇者
- 10 名
- 会派数
- 1
- 開催日
- 1956/12/01
会議録
○委員長(千葉信君) ただいまから公聴会を開会いたします。 昨日に引き続きまして、公述人各位の御出席を願って御意見を拝聴いたします。 この際一言ごあいさつを申し上げます。 公述人各位にはお忙しいところを特に御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。これからそれぞれのお立場から御意見を拝聴いたしたいと存ずるのでありますが、時間の関係もございますので、お一人二十分程度で御意見の発表をお願いいたしたいと存じます。短時間でございますので、十分意を尽していただくことが困難かと存じますけれども、なるべく時間の範囲内で重点的に御意見の御発表をお願いいたします。 次に委員の方にお諮りいたします。 議事の都合上、公述人全部の御意見発表が済みまましてから御質疑をお願いいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(千葉信君) 御異議ないと認めます。
○藤田進君 昨日、労働大臣は、予算委員会の都合をみて当委員会に来るとの約束であったが、ついに姿を現わさず、本日もこれまた影も見えないのですが、どういうことになっているのか。委員長において、もし事情がわかれば、この際、その事情をこの委員会に報告していただきたいし、本日はぜひ出席するように促していただきたい。
○委員長(千葉信君) ただいまお話ございましたように、昨日は衆議院の予算委員会に出席中なので、そちらの方が手があき次第こちらの方へ出席するという約束で、絶えず私の方からも武藤政務次官を通じて連絡をとったのですが、とうとうほとんど最後まで衆議院の予算委員会の方にくぎづけになりまして、こちらの方へお見えになることができなかったようであります。きょうは必ず出席するという約束がございますので、若干の今の川事が済みましたならば、すぐこちらの方へ参るそうですから、御了承願いたいと思います。 それでは各公述人から順次御意見の発表をお願いいたします。 まず最初に、三菱炭鉱労働組合連合会会長松尾亀一君からお願いいたします。
○公述人(松尾亀一君) 私、三菱炭鉱労働組合連合会の会長をつとめております松尾亀一です。 このたびのストライキ規制法の存続に対しましては、私どもは全面的に反対をいたします。まずそのことの基盤に立って、五点ばかりあげて、十分反対する理由の裏づけをこれから述べたいと思います。 この法案が作られました二十八年の夏でありますか、当時二十七年の暮の電産並びに炭労の、あのとった戦術、闘争そのものに問題があったのだ、こういうことが一番の要素になっているようです。従って第一点を申しますが、当時私ども炭労としては、賃金要求を経営者側に出して日本石炭鉱業連盟と交渉に入ったわけです。当時経営者側から提示されました案は、賃金額は据え置いて、ノルマを、いわゆる遂行率の一〇〇%以上上昇している部分について、その六〇%をノルマとして新たに労働者側にかぶってくれ、こういう提案があったのです。当時朝鮮ブームで労使間が非常に協力して出炭の能率は上っておりました。そういうものをほとんど半分以上労働者の賃金の中へ押し込んでしまって、賃金額は据え置きだ、こういうことに対する根本的な労働者の立場に立った反対の戦いが続けられたわけですが、当時、日本経営者連盟、日経連を中心としまして、とにかく民間産業の労働組合である炭労と電産の戦いを何とかしてここでたたきつけることによって、日本の労働者階級の攻勢を防ぐことができるのだ、しかもまた、そのことによって、労働者の組織の破壊と申しますか、そういうことまで、いわゆる日本の資本主義とそれの最も中心である日経連は考えておったのではなかろうか。このように私どもは判断せざるを得ないわけです。そのことの端的な表われといたしまして申し上げますわけですが、日比谷の日活会館における団体交渉の席上、経営者側の提示した案に対して、われわれが反対だと、こういうことを団体交渉の場で炭労の代表が申しました。そのときに、多数の者が向い合って坐っている席上で、ある経営者の代表は、そんなに反対であればストライキに入ればいいじゃないか、つまり私どもはそういうことを私語している経営者の代表の言葉を、私は向い同士におって聞いたわけです。このこと一つを考えて皆さんが理解していただきます場合に、当時の状態は、なるほど労働組合も戦おうという強い決意は、経営者の提示した実質的な賃金の切り下げ案に対する戦いであったとしても、経営者側のそのような態度は、まさに戦いをいどんできた挑戦的な態度ではなかったか、このように考えるわけです。まずこれがやはり当時の一審問題となった熾烈な労使関係の争いの根本ではなかったか、こういうふうに考えるわけですが、その後相当な長期にわたった血みどろの争いがなされて、十二月の十五日の深夜に妥結をみたわけですけれども、当時この法案を作られますときの政府与党の首脳は、炭労は保安要員の引き揚げをしたのだ、こういうことを言っておられるけれども、なるほど労働組合の会議は内部においてそういうことを決行せざるを得ない、これたけいじめられて経営者の財産を守らなければならないという考え方はどうしてもこれ以上は持てない、そういう声は当然ありました。しかしながら、そういうことを決行するという指令は出しておらぬわけです。従って労働組分というものは、民主的に会議を開いて論議し、さらにそれらの論議の内容は、それぞれの下部の組織にこういうことを論議したということは流しますけれども、労働組合の意思の決定というのは、それを決行するという指令を出したときに初めてそういうことが客観的にも言えるのではなかろうか、こういうふうに考えます。従って、当時の状態の中で、私どもは、炭労やそれぞれの労働組合が要求した賃金額そのものに対しては、多くの批判が世論にあったといたしましても、あの争いは、決して労働者側が、労働組合が闘争激発主義でもってあのような血みどろな戦いをやったのではない、むしろ総資本を代表した炭鉱経営者と炭鉱資本と電機産業の資本が、要するに電産と炭労をここで何とかしてたたきつけることによって、日本の資本主義そのものを堅持できるし、労働攻勢を今後抑えることができるだろう、こういう意図は確かにあったと私どもは理解いたしております。そういう点から考えました場合に、二十八年にこの法案が最初に作られるときの根本として主張されたことに対しては、十分考えられるべき多くの要素がある、私どもはこのように考える。従って、以上申しましたように、炭労は保安放棄をするという指令は絶対出しておらぬ、内部では民主的に論議するときにそういうことを論議したという情報は下部へ流すとしても、労働組合の意思の決定は指令を出すことによって意思の決定だ、こういうふうに私どもは長い組合運動の中から判断しておるわけです。これがまず第一点。 それから次に、私は三菱炭鉱の労働組合の者ですが、まあ三菱とか三井とか、中央に大手八社と通常言われております炭鉱の会社がございます。戦後十年間、私どもはいろいろな多くの経験を持ってきておりますけれども、今日の炭鉱の労使関係というものは相当正常なルールにのっとって安定しておるのではなかろうか、こういうふうに私どもは信じております。これはお互いの成長ではないかこういうふうに考える。しかし今日の状態になるまでに、石炭界そのものにも多くの波がありまして、三菱の場合でも、二十三年ごろには、九州、北海道合せて約五万五、六千人の組合員を持っておりましたけれども、今日では二万七千そこそこであります。こういう状態の中で、出炭の状況というものは当時と何ら劣ってはいなくて、むしろ上昇しております。個人当りの能率にいたしましても、御承知のようにすでに大手各社におきましては十四トン以上の月当りの能率を遂行してきておる。こういう状態の中で、私どもは過去吉田内閣当時に、四千万トン以上の出炭をもし日本の炭鉱労働者が遂行してくれるならば、賃金もかくかくしかじか上がるであろう、将来に対して、二十三年、四年、五年ころ、相当将来に対するそういうような約束と申しますか、政府の宣伝がなされた。しかしながらその後私どもは、朝鮮動乱であれだけ炭鉱やその他の産業が利潤を一律たといたしましても、私どもの賃金、実質的な賃金というものは、資本家に対比いたしまして上昇はあまりいたしておらぬの、です。しかも合せて言えることは、私どもの三菱におきましても老朽山が相当ございます。そういう状態の中で、二十五年、六年、さらに二十八年の当時を思い返してみましても、相当な組合員を会社側の強硬な合理化の考え方によって退職させた、希望退職等が、また場合によりましては離山したり廃山したりいたしております。こういう状態の中で、私たちはやはり客観的な諸情勢を判断して、多くの困難は内部にあったとしても今日まで歩んできておる。こういうことを考える場合に、三菱以外の他の各社にいたしましても、大体同様な状態で利潤を追求して、山が老朽の状態になってきたときに、一番最後にこれらのしわ寄せを受けるのは炭鉱の労働者であります。そういうふうな状態の中で今日まで推移してきておりますけれども、炭鉱労働者が山を爆発させるとか、または山がどのような危険な状態にあってもいいのだ、こういうことは絶対考えておらぬ、こういう点を第二点として申し上げます。 それから中小炭鉱の問題に一点触れて、さらに私どもはこの法案に対する反対の裏付けとして申し上げたいのは、一昨年の秋だったかと思いますが、九州の長崎県に中島鉱業という会社がございますそこは四千五、六百人の組合員が働いておるわけですけれども、二十八、九年の石炭界の不況から、賃金の一五%程度の引き下げと、合せて標準作業量、ノルマですね、ノルマの引き上げを会社側から提示されて、一時暫定的にそういう状態でも、のまざるを一得ないだろうということで、その中勘炭鉱の四千七百人ばかりの組合員は、その実質的な賛金の切り下げと、それから標準作業量の引き上げを了解したわけです。しかしこういう状態をわれわれは一時了解はするけれども、業務が好転した場合にはこれを復元してくれるかということを話した結果、来年の四月ごろになれば、何とかしてこれはもう一ぺん元の姿に復元させましよう。こういう約束があったということです。確かにそのような協定書があったという事実も私どもは承知いたしております。しかしながら、その後相当な時日をたったけれども、その復元の約束が遂行されない。そういう中から組合員の多くの声が出て参りまして、ささやかな賃金の引き上げを要求したわけです。それに対して中島鉱業の経営者の方は、絶対それはまかりならぬ。こういうことを言った。これはそのうしろに九州の地方銀行を中心として中局鉱業に相当な融資をしている金融業者がこれを阻止したということも私どもは承知しております。それからその労働組合は部分ストライキに入ったのです。一部の職場の人を指名してストライキに入れたのですが、その通告と同町に会社側はロック・アウトをした。事業場を閉鎖したわけです。そういう状態であったから、中島の労働者は、もう復元もしてくれない、ささやかな賃金の引き上げを要求したところ、これも拒否されて、そういうことを言ってくるのであったら、いつ山を締めるかもわかりませんぞ、こういうおどしをされたのではもうたまらないということで、初めてその山は部分ストライキをやったら、今度はロック・アウトをやって事業場閉鎖をやられて、しかも、わしらの賃金はちっとも上げてくれない経営者に対して、それらに対して保安要員まで出さなければならぬのかどうか、こういうようなほんとうに人間的な感情の中から一時間五十分ばかり保安要員を引き揚げた。そのことによって今度はその地方銀行を中心とした金融資本はその山を完全にもう解いてしまう、閉山する、こういうことを宣告いたしまして、四千七百人ばかりの組合員は約半歳にわたって失業してしまったわけで、同時に中島炭鉱のそれらの町の財政そのものまでも非常に窮屈な状態になって、長崎県は自民党の出身である西岡竹次郎という方が県知事をしておられますけれども、その県の中から労働部長を派遣して、これらの労働者の救済を考えなければならぬという事実があったわけで、こういうふうなことを皆さんが考えていただいた場合に、どちらがほんとうに無理なことをやっておるのだということは、十分もう私が申し上げなくてもおわかりかと思います。従って私どもは、かかる意味合いからいたしまして、中小炭鉱のそれ以外にも多くの問題はございますけれども、私たちは、大手はもとより、中小炭鉱の人たちこそ、ほんとうにみじめな状態に放置されておるのだということを考えていただきたい。従ってあなたたちは、ストライキの規制法を存続させるということよりも、これらの中小炭鉱に働く労働者を、これらをどう守ってやるか、また山でささやかな賃金の要求をしたところ、金融資本が前面に出てきて、それらの中島の経営者を引っ込めてしまって前面に出てきて経営陣をにぎってしまう。しかし山の労働者はどういうことを言っているか。その金融資本に対して、これら金融資本の代表が勤労課長や鉱業所の相当な幹部になって出てきておりますが、これらに対して進駐軍だといっております。この点を十分お考え願いたいと思います。 それから次に第四点といたしまして、炭鉱の保安ということについて一言申しますと、皆様も御承知のように、今、私がここでこの話をいたしておりますときでも、各炭鉱では、私たちの同士が傷ついておるかもわかりません。炭鉱くらい危険なやはり状態の作業場はないわけです。私どもがお互い現場で働いておりますときに、仕事から上ってくる者と、これから交代で入って行く者と出会いましたときに、あいさつはどういうことを言うかというと、「御安全に」ということを九州ではいいます。つまり安全に働いてこいよというわけです。私どもが仕事場から上ってくる、向うから二番方の連中が入ってくると、坑道で出合いますと、そのあいさつは「御安全に」ということです。そのような危険な状態のもとで働いておるがゆえに、あいさつは「御安全に」と言う。このことも一つ十分考えていただきたい。従って私ども労働者が、みずからのその職場の保安を危険な状態に陥れたり、または山を爆発させたり、溢水させたり、そういうことを好んでいるかどうか、これを考えていただきたい、こういうふうに私どもは考えます。従って労働組合が争いになれば、いつどういうことをやるかわからぬからということで、このストライキ規制法というものは、全くかかる実態からいっても、私は反対せざるを得ないわけです。 それから次に、先般衆議院等におきましての当問題に対する委員会で、二十九年の秋の炭労の期末手当の闘争をめぐりまして、三菱の高島炭鉱の海底貯炭の問題が論議されておるようでありますが、当時私は高島の労働組合長として山元におりましたので、一点この点について私は当時の状況を御参考までにお話し申し上げます。この中には炭鉱のことはあまり十分御存じない方もおられるかと思いますが、従って自然発火という点についてどういうことなのかということをまず申し上げてみますと、高島のような炭鉱は、坑口が一本でございまして、島の方から坑口を切りまして、それからずっと海底の力に向って坑道を下していって、ある一定の所に水平坑道を作って、それからさらに深部に入っていく、こういうふうな山です。従って自然発火というのは、普通作業を続けておりましても、その切羽がずんずん百米の幅でもって、多少の傾斜はございますけれども、百米なら百米の幅をもって進行していきます。前方へと進んでいく、炭を取りますから。従ってそれは上の方から当然重圧によって流れてきて、それがふさがってしまうわけです。それで切羽はどんどん進行していくのですが、そういう状態では、やはり上と下とに坑道が切ってあるならば、空間があって通気がどうしてもあります。そういう関係は、あと方の方で密閉いたしましても、粘土でつめましても、いささかの漏風はあるわけです。従ってそのあと方に多少残ります石炭は、いつの場合でも多少の空気を吸うことによってこれは自然発火の状態にあるわけです。ただ切羽が進行しておりますと、だんだんそれがまた重圧が激しくなってきまして、そうして密閉の方もどんどん進んでいきますと、あとは完全に通気が、もういささかの空気も通らないように密閉をいたしてしまいます。坑道を閉ざしてしまいますから。そういう状態で自然発火は自然消滅という形になるわけです。従ってストライキを労働組合がやったら自然発火するのだ、こういうお考えを持っておられるとすれば、全くそれは大きな誤まりです。その正常な状態の中においても、炭鉱のあと方には、ある炭は自然発火の状態を続けておる。ただそれが正常に進行しておるから多くの問題にならない。こういうわけです。従いまして高島のような場合には、二十七年の冒頭に私が申し上げましたあの炭労の六十三日の経営者との紛争の当時に、まだ経営者はノルマの引き上げ、実質的な賃金の切り下げの形を主張しております。十一月の末に至りまして、労働組合の側から、これは相当切羽のあと方が危険だから、何とか措置すべきではないかということを、現地の鉱業所長にも十分意見を開陳いたしておりましたけれども、当時の状況で、たしか私の記憶では、十二月の二日に危険な状態になったわけです。従って炭労の方は、その紛争は十二月の十五日に解決をいたしましたけれども、もうこれ以上は放置できないという状態で、炭労の中央とも連絡をとりまして、当時私は中闘でこちらに来ておりましたので、現地の状態を十分聞いた上でこの対策については万全を期せという指令を炭労の名によって出したわけです。しかしながら、その自然発火の状態が急速度に進展をいたしまして、この高島の六卸と申します所の上下層の二つの切羽は、海水を入れて火をとめた、こういうケースもございます。従ってあれほど激しい闘いをやりました六十三日のあのストライキの当時でも、炭労は、やはりあの荷馬の対策には、要するに山を危険な状態に置いて、いわゆる爆発させるような状態は絶対に避けるべきであるという炭労の考え方であったわけです。しかもなお、その切羽をそこでとめてしまったということは、相当数の石炭を採堀不能の状態にしたのでは、ストが明けたあとの組合員の働く場所に困るだろうということで、そういう新しい切羽を作るためにも、一部の作業要員を出して、あのストライキの中でもそういう措置をとったというケースもございます。従って二十九年のあの期末手当の当時に、ストライキに入りましたのは十一月十三日からでございますが、大体二週同程度切羽の進行が停滞いたしますと、あと方の自然発火の傾向が除々に出てくるわけです。しかしこれは一酸化炭素、これをCOと申しますけれども、COが幾ら、温度が幾ら、つまりここまでCOが上れば、もうこれは爆発するんだとか、ここまで温度が、COが上れば、もう危険な状態だ、そういうふうなことは一応言えないわけです。従って私どもとしては、自然発火の危険な状態というものは、それぞれの経験の中から、これ以上は放置できないというようなことを労使関係で論議いたしまして、そこで見解が一致した場合には、ストライキの途中でありましても、保安採炭を行なって、切羽を進行させて、あと方のそういう問題を解決するという措置をとったわけですけれども、当時の紛争が長引いて参りまして、なかなか中央で問題が解決つかない。こういう中で私どもは二回にわたって保安採炭を行いました。従って海底貯炭の問題につきましては、これは一つの戦術として、炭労からそういう指令はいたしておりましたけれども、私どもは山を爆発させるということは目的でなくして、その出す炭の処理についても問題があった、こういうことで、常時その保安採炭そのものは拒否いたしましたけれども、坑内には前方百五、六十名の組合員を一般保安要員として坑内に下げております。従って私たちみずからの組合員を、いつどういう危険な状態になるかわからぬという中へ、そういう保安作業に入れるわけには絶対にいかないわけです。そういうことをもし私どもが判断を誤まりました場合には、みずからの組合員の相当数の生命を一挙にしてなくするというようなことは、とうてい考えられないものでありまして、そういう点で海底貯炭そのものをもって、非常に炭労が、もうああいう行動をとったがゆえに、このストライキ規制法というものは必要だという考え方については、納得がいかないわけです。 なお、この問題につきましては、あとでもし御質問がありましたら、詳しく当時の状況を申し上げます、時間もございませんので、以上で終りたいと思いますが、かかる観点に立ちまして、私どもはこの法案に対しては、反対をいたします。
○委員長(千葉信君) 御苦労さんでした。 —————————————
○委員長(千葉信君) それでは次に、三菱鉱業常務板締役大槻文平君にお願いいたします。
○公述人(大槻文平君) 私、三菱鉱業株式会社の大槻文平でございます。本日、電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法の規制に関する法律に対しまして、その存続の可否についての意見を求められましたのでありますが、私といたしましては、ぜひともこの法律は存続さるべきであると考えておるのであります。従いまして、以下この点につきまして、主として石炭鉱業の立場から申し述べさしていただきたいと思います。 ただいま私どもの組合の松尾君が高島炭鉱の問題を取り上げておっしゃられましたが、私は一応一般論といたしまして今から陳述させていただきたいと思うわけであります。 この法律は、申すまでもなく、石炭鉱業の事業主及び従業員の双方に対しまして、争議行為として、保安業務の正常な運営を停廃する行為であって、人に対する危害、鉱物資源の滅失、もしくは重大な損壊、重要施設の荒廃、または鉱害を生ずるような行為、すなわち、いわゆる保安放棄をしてはならないということが規定されているのであります。御承知の通り、この石炭鉱業というものは、一般の工場、事業場とは全く趣きを異にするものであります。すなわち、工場というものは、一たん設備をいたしますと、長年にわたりまして継続的に使用できるのに対しまして、炭鉱というものは、地下数千尺に埋蔵するところの石炭を、坑道を堀って採堀するものでありますから、毎日、毎時作業場が変っていく。そればかりではなくて、地下に坑道を堀る関係上、大地の圧力と戦いながら、多量にわき出るところの地下水とか、坑内に発生しますところのメタンガスを常に排除しなければ、炭鉱そのものの維持ができないのであります。従って排水のためのポンプを運転し、またメタンガスを排除するために、扇風機によって空気を送る、その空気を通すために坑道をくずれないように維持するというような、いわゆる保安業務というものは、四六時中間断なく行なっていることが絶対に必要なのであります。従いまして、万一これらの保安業務が放棄されるというような場合には、炭鉱は、場合によっては埋没したり、あるい水没したり、もしくは自然発火を起したり、あるは時には爆発を起すというような危険があるのでありまして、こういうようなことが起りましたならば、炭鉱そのもののみならず、あるいは坑内のその部分は、復旧は全然不可能となりまして放棄せざるを得ないというおそれが十分にあるのでございます。すなわち、炭鉱におけるところの保安放棄は、保安作業に従事するところの従業員が就労を拒否するという、単なる不就労、不作為によって、他の工場、事業場においては積極的な破壊や放火が行われたと全く同じ状態が発生するのであります。この点が、石炭鉱業が、一般の工場、事業場と根本的に、その性格、態様を異にする宿命的な特殊性を持っているということが言えると思うのであります。このような事情にありますので、炭鉱における保安放棄は、人命の危険ばかりではなく、重要な国家資源の荒廃、壊滅を招来する危険性が多分に存するということをよくお考え願いたいのであります。 さらに一歩進んで考えますというと、争議行為の手段として行われますところの保安放棄は、炭鉱に働く者の職場そのものを壊滅させる危険があるのであります。たとえ争議が解決いたしましても、復帰すべきところの職場が喪失する危険が多分にあるのであります。従って本来労働者の労働条件を維持向上させるための手段でありますところの争議行為の目的に、全く逆行する行為となるのでありまして、この点から考えましても石炭鉱業における保安放棄の禁止は当然のことであるといわなければならないと存ずるのであります。 この法律が三年前、すなわち昭和二十八年に制定いたされましたのは、昭和二十七年末のストライキが長期にわたって、そうしてその際に炭労が傘下全炭鉱の保安放棄を指令したことによる深刻なる社会不安に起因するものでありますけれども、この法律が、制定当時、時限立法として一応三カ年間の期間を限られた理由の一半は、この間において当然労使間に健全なルールと慣行が確立されることを期待していたものと考えられるのであります。しかしながら、まことに残念なことではございますけれども、その後現在に至るまで、炭鉱労働組合の主勢力を占めますところの炭労は、争議行為としての保安放棄はあくまでも合法であるという見解のもとに、数次にわたってその実施を指令しております。また去る五月の大会において決定させられました本年度の行動方針の中におきましても、こういうことを言っております。「去る三月の賃金闘争の際に、既定方針であった保安放棄戦術の実施を避けたのは、当時の条件のもとにおいては、それを採用することが適切でないと判断したからであって、この方針を放棄したわけではなく、それは最後の手段として今後も残されているものであることを再確認しなければならない」という趣旨のことを明記しております。さらにはまた、ごく最近、十月の末、宇部市において開催せられました炭労の臨時大会においても、保安放棄の戦術は放棄しないことを再確認しておるのであります、この炭労の一貫した考え方は、去る十一月十四日付の東京新聞の夕刊紙上において、炭労の原委員長が、保安放棄戦術はもともと正当な戦術であると明言しておられることによっても明らかなのであります。 このように、炭鉱労働組合、特に炭労に保安放棄をすることが違法な争議行為であるという認識が全く欠けておりますということは、歴然としておるのであります。従いまして組合が必要と考えた際は、いつ何どきでも保安放棄戦術がとられまして、炭鉱が壊滅の危険にさらされるという事態が予想されるという、この現実を前にして、何人といえども、本法が三年の日子を経過して、その制定の目的を果したとは絶対に言えないと思うのであります。まして万一にもこの法律が廃棄されるとするならば、逆にこの炭労の態度が正当であり、保安放棄は合法であるとの考えがびまんすることは火を見るよりも明らかでありまして、一たび保安放棄が実施されれば、取り返しのつかない事態を惹起することの危険がある炭鉱の実態を考えます場合、炭鉱経営者としての立場のみならず、一国民としてもまことにゆゆしいことであると考える次第であります。 なお、世上、二部に石炭鉱業の今申しましたような特殊な事態というものを十分御存じない方が、この法律の存続を否定する立場からいろいろな論議をされておるのでありますが、これらに関しまして私の見解を若干申し述べさせていただきたいと思います。 最初に、この法律は憲法及び労働組合法に保障せられました労働者の団体行動権、争議権を、不当に抑圧するものであるという主張であります。これは、この法律が一般にスト規制法と略称されておりますことからくる誤解が多いのではないかと思うのであります。申すまでもなくこの法律は、争議の方法のうちで、石炭鉱業の特殊性から行うべからざるいわゆる保安放棄という、ただ一つの戦術のみを、争議行為として実施すべきではないということを特に宣言したものでありまして、争議行為そのものを、他産業以上にことさらに制約しているものではないのであります。炭鉱労働組合としては、全面的に生産を停止する、いわゆる全面スト、その他いろいろの争議戦術をとられていることは御承知の通りでありまして、この点は他産業における労働組合の争議手段に比べまして、決して遜色がないのみならず、炭鉱においてストライキが行われる場合には、生産が全面的に停止するばかりでなく、炭鉱の特殊性から、経営者は保安確保のために、常に全従業員の約二割程度の保安要員を非生産的な業務に従事させる必要があるのでありまして、他産業に比べてみまするならば、それだけ余分の犠牲をこうむるのであり、従って争議行為としての保安放棄戦術を禁止したからと言って、組合側の争議権が大幅に制限され、組合の力が殺がれ、労使対等の原則が破られるというようなことは全然ないわけであります。万が一にも逆に本法が廃棄され、安保放棄が違法でないとされましたならば、重要な国家資源を維持し擁護すべきところの社会的責任を負うております炭鉱経営者といたしましては、労働組合の保安放棄戦術の前には常に屈服せざるを得ないことになるのでありまして、労使間の力関係は完全に均衡を失いまして、健全なる労使関係の樹立はとうてい望むべくもないと考える次第であります。すなわち、炭鉱においては、その特殊性から保安の確保を前提として、初めて他の産業同様集成の際の労使対等が生まれるのであります。さらに経営者がロックアウトを実施する以上は、組合が保安放棄をするのは当然であるという主張をするものがありますが、もちろん経営者といたしまして、いたずらに事を好んでロックアウトを実施する考えは毛頭ありません。しかし前にも述べましたように、炭鉱はその特殊性から、保安確保が労使間の紛議のワク外にあるべきものである、すなわち炭鉱における争議時の労使間の均衡というものは、争議戦術としての保安放棄が違法であるという前提のもとに初めて達成されるものである、このことを御認識願いますならば、保安業務以外の場合において、他の一般産業同様に労使対等に、一方にスト権があれば他にロックアウトの権利ありと認められるべきものでありまして、ロックアウトをするから保安放棄をするという主張が全く不当なものであるということは御理解願えると思うのであります。 次に申したいのは、ロックアウト中、炭鉱の保安は経営者に課せられたる義務であるからして、経営者だけの力で確保せらるべきであるという考え方であります。これは炭鉱の実情にかんがみ、全く不可能なことを経営者にしいるものであります。通常炭鉱の保安業務に従事しておる従業員は、前にも申しましたように全従業員の約二割程度でございますが、この作業は全くの未経験者ではとうていできない仕事であります。ある程度炭鉱におけるところの坑内作業の知識、技能あるいは法に定められた一定の資格を必要とするのであります。しかし炭鉱はおおむね山間あるいは離島の僻地にありまして、一般市街地とは隔絶し、炭鉱社宅が中心となって部落を構成しているのが通常なのでありまして、このような生活環境、条件のもとにおいて、数百あるいは千人をこえる多数の保安要員を炭鉱労務者以外から求めるというこは不可能と言い得ることは御判断願えると思うのであります。 以上申し述べましたように、炭鉱の特殊性、特にその自然条件並びにその危険性、さらには炭鉱労組の実態というものをあわせ考えますとき、重要なる国家資源を擁護し、かつ健全なる労使関係を樹立するためには、ぜひとも争議の際における炭鉱保安確保のための特別法の必要を、私は日ごろから痛感しているものであります。従って少くとも現存しますところのこの法律の存続は絶対に必要であるというふうに私は考えておるものであります。 以上であります。
○委員長(千葉信君) 御苦労でございました。 —————————————
○委員長(千葉信君) それではその次に、東京電力労働組合委員長片山武夫君にお願いいたします。
○公述人(片山武夫君) 東京電力労働組合の片山でございます。このスト規制法の延長に対して私は反対する立場で一言申し上げたいと思います。 この立法は大体において精神的な規制を目的とするというふうに考えられるわけです。そういう意味から少し前にさかのぼって問題を考えてみたいと思うのであります。日本に新憲法が発布されて、そしていわゆる自由であって、平和な日本を築いていこう、こういう立場で憲法、そしてさらに当時労調法等が施行され、このことは何といっても日本の従来の封建的な状態を民主化していこう、こういったような大きな精神で現在の憲法ができておる、そういうような観点から一般的な状態を考えてみましても、またやはり国民一般の考え方というものは、従来の封建的な日本の中に長く育ってきた環境からいって、どうしてもなかなかこの封建性が抜けない、こういう状態が今でも私は続いていると思うのです。 そこであのスト規制法が実施に移るちょうど二十七年から八年にかけての、そのときの状態をわれわれも思い起してみたいと思うのであります。まだまだそういう封建性が払拭し切れない状態の中では、国民一般がストライキ、こういうものに対して一般的にきらいだ、いやだ、こういう感情的なもののあったことを、これはだれも否定ができないと思う。従ってそういう環境の中にある労働者が、やはりストライキはやりたくない、こういう気持が根本的にある、こういう点を私は皆さんが考えてみねばならぬと思うのであります。従って労働組合がやむにやまれない状態の中で、ストライキをやっていかねばならないというのは、これはやっぱり社会政策、いわゆる政策の貧困から、そういうことが起きてきているのだ、こういうふうに考えておるわけです。 ちょうど昭和二十六、七年にかけまして、特に電気事業におきましては需用が急速に伸びていく、そういうような中でいわゆる停電が非常に多かった。この停電の多かったあの時期に、一体皆さんはどういうふうに問題をお考えになったかと申しますれば、これは何かストライキによって停電が起きる場合、それから電源の不足によっていわゆる緊急遮断等によって電気が消える場合とを混同されている場合が非常に多かったのではないか。あの当時のいわゆる電気労働者の停電ストライキが、いわゆる緊急遮断によってとめられる量と比較して見ても、これは量においては比較にならないほど小さい。いわゆるストライキ行為によるところの停電というものは比較にならないほど微々たるものであった。まずこういうことから一つ問題を考えていっていただきたい、かように考えておるわであります。確かに昭和二十七年の暮に、電産が相当大きな争議をやりました。そうしてある程度長期な電源ストも行われました。あの当時のストライキのやり方がよかったか悪かったか、いろいろ社会的な批判が起きたことも皆さん記憶に新たなものだろうと思うのであります。そういうことが一つの大きな原因をなして、そうしてこのスト規制法を実施しよう、こういうような考え方になった。この考え方について私は少し触れたいと思うのであります。 あの当時非常に電源ストが長引いて、そうしてこれはわれわれ今考えてみても、確かにある程度行き過ぎであったという自己批判はしております。それは、なぜそういう自己批判ができるかといいますと、先ほど来申し上げましたように、いわゆる国民感情というものは、ストライキはいやだ、そういうな環境の中にある。労働者といえどもやはりストライキはやりたくない、こういったような気持の中から、やはり長期にわたるストライキというものに対しては当然批判が起きてくる、これは当然だと思うのであります。その批判の結果が一体どういう形で現在現われているかと申し上げますと、いわゆる電産が電労連という形に現在なり、その勢力はすでに十一万を突破し、電産が今一万を欠けておる、こういったような実態に変っておる。この実情を見ても、この感情なり気持なりというものは十分御理解を私は願えると思う。 そこでつけ加えたいことは、この組織がたとえば変ったといっても、この組織を構成する人というものは変っておりません。こういうことをまず皆さんお考えになって、その状態を十分に分析していただく。そういうことによって私は今この段階で、三カ年というふうに限られたこの法律をさらに延長しなければならないという理由は一つもないと思う。従ってそういうような、いろいろ労働組合なり、あるいはまた社会の動きというものにつれて、いわばこの法律というものの可否を論じていかねばならぬのじゃないか、かように考えているわけであります。よたこの規制法によって掲げられておるところの公共の福祉、この問題が一番大きく掲げられているわけでございますけれども、この公共の福祉を阻害する行為、これは非常に抽象的であり、そうしてこの公共の福祉を阻害する範囲が一体どこまでなのかということについては、これは先般来いろいろ国会においても論議されておるようでありますが、その限界が非常に不明確だ、不明確だということはこの法律があって益のないことだというふうにも考えられるわけであります。ということは公共の福祉というもののいわゆる解釈の範囲、これによってこのスト行為というものがいろいろ変ってくる。そしてその解釈いかんによって罪人ができたりできなかったりするといったような、非常に不明朗な法律をここに残しておくということ自体が私は不可解なんであります。たとえて言うならば、公共の福祉を阻害するいわゆる停電スト、あるいは電源ストにまさるいろいろな施策の貧困があるわけでございます。それを具体的に申し上げるならば、最近ようやく電気事業、電力事情もよくなって緊急遮断あるいは電力の制限というものもしないで済むような状態になったということは、これは電気事業がいわゆる建設を進め、そうして施設を完備していくという、こういう中でこういう状態がかもし出されたのであって、この一体努力はだれとだれがしたのか、もちろん国の財政援助もあったであろうし、あるいはまた経営者の努力もあったであろうし、またこれに携わるところの電気労働者もやはりそれに貢献したということが言い得るわけでございます。そういう意味に立って最近の状況は非常にいい状況であったわけですけれども、ちょうどこのスト規制法が実施された二十六、七年ごろは、そういう状態ではなく、むしろ施設の拡充がおくれて、そうして緊急遮断、あるいは電力制限等を行わなければならなかった一体原因がどこにあったかということを、これはやはり考えてみねばならんのじゃないかと思うのであります。これはおそらく意識してかしないかは別として、やはり電源開発を怠けていたり、あるいはまた施設の改善を怠けていたりしたという結果から起きてきたことなのであって、これはやはり労働者に責めを課すよりも、むしろ経営者なり国の施策なりに大きな責めがあるわけでございます。そういうような状態の中でこのスト規制法を実施し、そうしてただ一方的に労働者のスト行為だけを禁止していく、こういったような考え方は私は根本的に間違っているであろうし、またおそらく電気事業がこれから需用の増加につれて、そうしてその見通しを誤って、そうしてまた従来あったような緊急遮断や、あるいはまた大口制限をしなければならないような事態がもしきたとしたならば、この責めは一体だれに課すべきだろうか、こういったような問題も考え合せていかねば、この公共の福祉ということについてはなかなか解釈がむずかしくなってくるんじゃないかという点が私は指摘できると思うのであります。 で、このスト規制法を実施して、そしてその効果が一体どの程度あるのかないのか、こういったような問題について少し申し上げてみたいのでありますが、たとえば電気事業におけるところのスト行為というものの、そしてそのいわゆるウエイトの大きさは、やはり電源ストとか、あるいは停電ストにあることは言を待ちません。そうしてこのスト権を取られた電気労働者のいわゆるストライキというものが非常に脆弱になって、そうして圧力にならぬということは言い得るわけでございますけれども、ただそういうような状態に置いたために、労働者の生活が貧困になったときに、この規制された中でストライキをやる、このストライキというものが非常に危険な状態のストライキ行為になる可能性がある。これはもちろんまあ指導者の指導方針にもよることでありましょうけれども、そのストライキか否か、あるいはまたこの法に触れないでそうして起り仰るいわゆるストライキ行為というものがいろいろな形であるということなんです。これを端的に申し上げるならば、電気事業のような非常に複雑で高度な施設を持っておりますから、スト期間中において起きてきたいろいろな事故が、これが誤まってスト行為というふうに置きかえられる危険性があるということを申し上げたいのであります。で、それはいろいろな形でやり得る状態もありますし、また起きてくる場合もあります。そういう危険な事業の中において、ただ電源スト、停電ストを規制するというだけで、そして労働者に圧迫を加える、それに対する反発というものが非常に陰険な形で起きてくる危険性がある。もちろん先ほど冒頭に申し上げましたように、いわゆるストライキを好んで労働者がやるんではなくして、やむにやまれない状態の中でやるのであって、そうしてそれもできるだけやりたくないという気持の中で行われるわけでございますから、従ってこの度合というものは非常に限られた回数なりあるいは度数なりになってくる。そういうような状態の中で、まあ労働者もそれ相当に考えておりますし、そして電気事業がどういった性格のものであるかという、こういう全体的な、今の労働者の考えの中に、これだけをもってして正常な労使関係が保てるというふうに考えておられるとしたならば、これはおそらく目的は達せられないのじゃないかということが言えるわけであります。 最後に現在の状態を少し申し上げてみたいと思うのでありますが、先ほど申し上げましたように、三年前に非常に実際の問題として電源スト、停電ストが大きく行われた。で、そのことについて労働者自身また、社会一般の批判、そういうものを勘案して、労働者自身が大きく育っている、これは電気労働者のみでなく、一般の労働者が大きく育っているということは言えると思うのであります。その時期に、そしてまたこの三年間にこの規制された違反行為があったかどうか、こういったような問題を考え合せたときに、あえてこの規制法を延長しなくとも、私は労働者の良識というものがある以上、決して心配のない状態であろうと思うのであります。と同時にこれは並行的に経営者なり、あるいはまた施策において良識ある施策が伴うということはもちろん条件ではありますけれども、そういう状態は今私は徐々にこれから向上するような状態にある中に、特にこの規制法をここに延長しなければならないという理由並びに根拠が非常に薄れている、むしろなくなっているというふうに指摘したいのであります。そういうような立場からこのスト規制法を存続したところで、こういう複雑な事業であるために、むしろ労働者の行為というものを非常に険悪な、陰険な方向に向わせるのに役立つのみであって、公正な労使対等の立場を踏んでいこうとするこの気持をむしろ阻害しやしないかというふうにすら考えておるわけでございます。でもちろんこの三年間において電気労働者がこのスト規制法に抵触するような行為がなかったということは、もちろんこの社会情勢の変化もあろうし、また、労働者の意識の、考え方の向上ももちろんあったし、その限りにおいては三年前の状態と今の状態とにおいて比較し、そして延長の可否を私は決定すべきじゃないかと、こういうふうに考えているわけです。でこのスト規制法を——最後に申し上げますが——実施するいわゆる昭和二十八年当時の労使の関係、あるいは社会情勢、まあそういうものを基礎に置いてこれが実施せられたし、また、その状態をこの三年間においてお互いに——これは政策においてもしかり、労使関係においてもしかり、この三年間に是正あるいは向上せしめようと、こういう努力は、これはお互いにしてきたつもりです。お互いにしてきた。その効果はこの三年間に私はどちらの立場から言っても効果はあったというふうに、これは逆な点から言えば言えると思う。そういう意味でこれが効果が上ってそして有名無実になった今日さらに延長しなければならないという理由がどうも私はわからない。そういうような意味合いでむしろこの正常な形をさらにさらに伸ばすためにも、こういったようないわゆる屋上屋を架すようなこのスト規制法をさらに延長して、そしてこれをさらに恒久化しようというような考え方に対しては私は全く反対なのであります。そういう意味合いで、非常に抽象的ではございますけれども、以上申し述べました三年前の状況とそして現在の状況とをよく考え合してこの規制法を存続しなければならない状態、あるいは施行しなければならなかった状態とを比較して十分に考えていただくという上に立って、この法規はむしろこれを残すということの方が有害ではないかという立場に立って反対を申し上げる次第でございます。
○委員長(千葉信君) 御苦労様でございました。 —————————————
○委員長(千葉信君) それでは、次は東京都電力協会副会長飯田務君にお願いいたします。
○公述人(飯田務君) 私は飯田務でございます。主として電気のことに関しまして、スト規制法をぜひ存続してもらいたいということを申し述べたいと思います。 ただいま片山君から電産の争議による停電被害はそんなになかったはずだとおっしゃいましたが、昭和二十七年度電産ストによる被害状況調書を見ますと、ストライキによる喪失電力量が約五億キロワット・アワーあります。これは現在の日本の電気事情下において決して少いという電力量ではございません。由来私は電気の一消費者としての立場でございますが、電気に関する争議の被害をこうむる者はだれかと申し上げますと、電気の需用者でございます。企業者でもなければ、従業員でもないんです。ここに電気の特性があるわけでございます。争議をやっておる方々が非常に軽微な負担によって国民大衆に与える被害と国家産業に与える被害を比べてみますと、実に天と地の相違がございます。こういう争議が行われるということが本質的に私は間違いだと、こう信じて疑わないのでございます。一例を申し上げますと、昭和二十七年度の電産の争議によります工場の被害の調査、一千五百ばかりの工場について実際金額の上でどれだけの損害があったかと申し上げますと、まず金額で約五十億、この争議をなされた電産の組合員が喪失された賃金は約三億円、日本の全国の工場、事業場数というものは一千五百工場の何百倍あるでしょう。この差を見ても私はこういう争議が繰り返されることは絶対にあってはならぬ、こう信ずるものでございます。 御承知のように、電気は発生即消費であって、一瞬といえどもとめておくことができない。ためておくことができない。使わなかったらそのまま消えてなくなる資源でございます。争議によって昭和二十七年に逸水された量がどのくらいあろうかと申しますと、約一億キロワット・アワー、これは水を流して電気にしなかった。一度流れた水は再び電気にならない。こういう資源を、労働条件を改善するために行われる争議によって国民に被害を与えててんとして顧みない。 なお御承知のように、この院の外にすわり込み、赤旗を掲げてこのスト権をもう一度握りたい、こう欲求せられておる腹の底には、もう一度この争議の方法を握りたいというところにあるのじゃなかろうかと考えます。それでなかったならば、それほどまでしてこの方法を握らなければならぬ理由はない。なぜかと申し上げますと、過去三年間においてこの法に抵触するストライキ行為をやらなかったと、こう申し述べられましたが、この法律があったのでやられなかったのであって、もしここにこの法律を廃止されましたならば、おそらくこの実力を行使なされるであろう、再び私たちはその被害に泣かなければならない。そういうことを私どもは繰り返し、繰り返し、さなきだに電気の足らない今日、だいぶ事情がよくなったと言われております今日でも、すでに日本全国にわたって十二月の休電日の振りかえを、ウィーク・デーと日曜日との操業振りかえを大口工場に向って要請されておられる。電気事業という企業体の従業員も事業主も、打って一丸となって、いかにしてこの電気を間に合わせるかということを考えてもらう方が、私は先だと思う。なるほどあらゆる立場から労働組合の性格も向上しているでしょうし、そういうようなことはやらぬと、こうおっしゃるならば、国民がこの法律によって安心立命し、この法があるために私たちは電気が安心して使えると、こういう要望を一昨日、昨日も全国の電気需用者大会の席上で叫ばれておる。そうするならば、私どもはどうしてもそういう法律をとどめておいてもらって、安心して電気が使えるようにしてもらいたい。私たちがそういう安全な状態におかれて電気を使いたいという欲求は、形を変えて、姿を変えて電源の開発をやってもらいたい、あるいは火力発電所の増設をやってもらいたい、あるいは電気事業の九分割をやってどこまでも電気事業者が国民の要望にこたえて国家産業を伸ばしていき、国民の生活をより高度なものにしてやろうじゃないかという私たちの念願から、全国に電力協会を組織いたしまして、政府あるいは国会の要路の方々に繰り返し、繰り返し要望を続けて参っておるのでございます。決して私どもは、労働組合の皆さんが悪かれとは考えておらない。であるがゆえに、昭和二十七年のあの争議の最中にも繰り返しこういうような争議の方法がとられるならば、自分で自分の首を絞めなければならないような日が来るぞということは繰り返し、繰り返し申し上げて参りました。昭和二十七年の暮れの東京駅のNHKの街頭録音に私の声が入っておるはずでございます。それにもかかわらず、電産は断固としてあの争議をやってのけた。こういうことについてちっとも責任を感じておられない。こういう姿は、どうしても私どもは将来この方法によって争議をやろうとしておられると考えざるを得ないのでございます。電気というものは、商品としての価値よりも公共的価値がよりとうとばれなければ、私たちは安心して現在のような電気事業と現在のような電気事業労働組合のあり方には賛成しかねる。どうかこの点につきましては、労働組合の皆さん方も、おれたちは、そういう国民のきらう方法によってストをやらなくても、理屈行われているストの方法が指を折り切れないほどたくさんある、その方法によって争議の目的は達してきておると私は考える。もうすでに昨日からいろいろこの問題に関します公述をしておられますが、その中に私だけはどうも純然たる消費として電気事業に小言を申し上げる資格があるようでございますから、被害の最大をこうむるこの事業者の立場から、国会の皆様方にどうかこの法律を存続してもらいたいということをお願いしまして、公述にかえる次第でございます。 —————————————
○委員長(千葉信君) それではただいままでの公述された方々に対して、質疑をお願いいたします。順次発言をお願いします。
○田畑金光君 松尾さんにお尋ねしたいと思いますが、先ほど高島炭鉱における保安放棄の問題について荒筋の説明がありましたが、もう少し当時の模様等について報告を願いたいと思います。
○公述人(松尾亀一君) お答えいたします。二十九年の十一月に、炭労が期末手当の要求をいたしまして、炭労と炭鉱各社との集団交渉、こういう考え方で交渉権の問題でまず労使が完全に意見の対立をしたわけです。これは御承知のように、その後、中央労働委員会の中山会長のあっせんによりまして、経営者のそういったふうな考え方は労働法上不当労働行為だ、そういうことになるから、一つ炭労の申し入れをいれて対角線交渉で、炭労と炭鉱各社とが団体交渉をもって話合いを進め、調印すればいいんではないか、そういう解釈が出まして、その後ずっと三十年の賃金、さらに現在の賃金などもそういった形で解決を見ております。従って、この期末手当の問題は、まず金額そのものよりも交渉権の問題をめぐりまして紛争が長引いたわけですが、十一月の十三日にストライキに入りまして、高齢炭鉱は当時炭労の指令によって三菱の高島、私どもの高島と北海道の美唄炭鉱、さらにその後十日ばかり経過いたしまして、端島炭鉱という、高島鉱業所の中にやはり別な離れ島に端島炭鉱というのがございますが、この三つが炭労の指令によって重点ストライキに入ったわけです。先ほども公述の中で申し上げましたように、高島炭鉱は特異な状態の中で、平常でも切羽の跡方はずっと自然発火の傾向があるということは申し述べましたから御承知だろうと思いますけれども、ストライキに入りますと、大体ここの経験では二週間を経て一酸化炭素並びに温度が切羽の跡方で相当顕著に出てくるわけです。しかしこれをもってして、一酸化炭素が何%で温度が何%になればこの炭鉱は爆発するのだ、まさに危険な状態になるのだという、そのようなきまった数字はないわけです。これは労働組合と経営者側がそれぞれの過去の経験の中から、もうこの程度以上は放置できないだろうという見解が一致いたしますと、まず第一の手段としては切羽を切って進行させまして、跡方の自然発火の危険な状態のところをいわゆる天盤からばれてくるボタによってこれを防ぐわけです。そういう形で進行していきますと、自然発火の跡方の傾向がだんだん切羽面には低い形で徐々におさまって出てくるわけです。こういう状態がありますので、炭労は当時指令をもちまして、もし自然発火の傾向が顕著であれば過去の慣例に従って保安採炭を行なえ、こういうような指令が出ておったわけです。従って当時の会社側は、私どもの思い過しかもわかりませんけれども、炭労からは危険な状態があれば保安採炭を行なえという指令が出ておるがゆえに、むしろあらゆる施策において怠っていたのではなかろうかと判断するような要素も間々あったわけです。しかしながら、当時の私どもの山元の状態としましては、お互いの職場がもし万が一不幸な事態になった場合に、将来がどうなるのかというような観点にも立ちまして、私たちは保安採炭を炭労の指令の通り会社の申し入れによって協議の結果行いました。これが十一月の終りであります。しかしながら、中央の問題は一向解決がつかない、まだ交渉権の問題で紛争が続いておる、こういう状態の中で山元の組合員としましては、こういった形で紛争が長引き、さらに坑内が危険だから、その炭を切って切羽を進行させる。このことは争議の実際のわれわれの目的としておる争議解決を意味せずに、むしろ経営者側におきまして、より強力にがんばらせることになりはしないか、こういう声が組合員から相当強力に出て参ったわけです。しかしながら、私ども組合の指導者としましては、そういった組合員の素朴なふんまんに対しても十分説明を加えて、保安採炭を行なって自然発火のその状態を防止したわけですけれども、その後一定の距離を進行いたしまして、大体安定の度が判断できましたので、これは当庁の申し合せによって中止をするという考え方に立っておった。しかしながら、中央の方におきましてさらに解決がつかずして、十二月にずっと日時が経過していったわけですけれども、一応停止いたしました保安採炭をさらにまた続けてやらなきゃならんぬような状態になったので、私の記憶では十二月の十五日から再び第二回目の保安採炭に入ったわけです。しかし中央におきましては、地方交渉権の問題が未解決のままに具体的な金額の話し合いに入ってしまった、こういうことで私どもは早期の解決を期待しておったわけですけれども、経営者の当時提示いたしました回答案は五千五、六百円だったと思います。それは十二月二十四日の午前五時ごろに妥結をいたしまして、七千二百五十円だったかと私記憶しておりますけれども、そのように相当紛争が長期化しておるけれども、いよいよ解決のための手段として金額の交渉に入っても、なおかつ七千二百五十円で妥結するものを、会社の最初の回答としては五千六百円しか出なかった。こういう事実を私どもは炭労と連携のもとに非常にふんまんに考えたわけですけれども、炭労の中央といたしましては、このような経営者の態度では、早期に解決するためには何とか戦術を強化するなり、方法を考えなければならぬだろう、依然として高島炭鉱に保安採炭を続けさせる、しかもその炭は坑外に上げておるという状態では、これはむしろ解決を長引かせることになりはしないか、こういう意見から、その保安採炭は行うけれども、その炭は要するに高島炭鉱は島でありますから、周囲は全部海です。その中でいわゆる海底貯炭を経営者側が認めれば、保安採炭は依然として続けてよろしい、従ってこの海底貯炭を経営者側が認めない場合には保安採炭を中止せよ、こういう指令が十七日に発令されたわけです。従って私たちは直ちに炭労の中央から出て参りましたオルグと協議の上で会社側と協議に入りましたけれども、会社側は明らかにそれは貯炭でなくして、海へ投げることである、これはもちろん流してしまうことだ、投炭だ、こういうことを言って、そのような組合の主張に対しては何としても会社側は了解するわけには参らぬ、しかもそれは、そういう組合の主張は、ストライキの規制法からいっても問題があるのではないか、こういうことを経営者側は強く主張いたしておりました。しかし私どもは問題の、先ほど申し述べましたようにCOが幾らになれば爆発するのだ、温度が何度まで上れば爆発するのだという、そういう数字はない、過去の経験の中から私たちは鉱業所と組合が話し合って保安採炭を行わなきゃならぬ場合には行なったわけです。従って十五日から第二回目の保安採炭をやっておりまして、当時の状態では、私たちは坑内はそんなに憂慮するような危険な状態ではない、こういう判断に立って、私どもは経営者がその海底貯炭を聞かないので、保安採炭を、再び二回目の採炭を中止したわけですけれども、この海中貯炭と申しますのは、組合としてはそんな海水の中へ炭を流してしまおう、そういう意味は毛頭ないわけです。しいていいますれば、これを何かのいわゆる工夫を講じて俵に詰めるとか、または箱に入れるとか、何とかそういう方策を考えれば、その海水の中に貯炭は私どもは可能だ、こういうふうに考えますけれども、経営者としてはそういった国原資源をそういう海の中へ捨てるわけには参らぬ、こういうことで交渉は決裂いたしまして、先ほど申しましたように保安採炭は中止したわけです。しかしながら先ほども申しましたように、一般保安要員といたしましては、常時そういう状態の中でもそれぞれの職場に全部保安要員として出しております。要は保安採炭を行うその特殊な採炭夫の就業を拒否したわけであります。そういう点で海底貯炭問題を御判断願いたいと思います。 それからなお一言つけ加えて申し上げたいことは、私どもとしては常時その組合員を一般保安要員として坑内に下げております関係上、私たち自身が期末手当の解決の一つの手段として、そういう海底貯炭という指令を受けて決行いたしましたけれども、問題は期末手当の早期解決に目的があるわけでありまして、ほんとうに私たち高島炭鉱がもうこれ以上放置しておけば爆発するというような状態になって、一般保安要員を就労させるというようなことは絶対できないわけです。そういう観点に立って皆さんが判断願えれば、そのCOが何度までいけばいわゆる爆発だ、温度が幾らまでいけば爆発だ、そういうことはないのであって、労働組合は自主的に判断して、これは危険だというような場合には、私たちは主体的な判断の中から措置をとるという考え方も十分あったわけです。 それと、もう一つ申し上げますと、国家資源の喪失とこういうことをこのスト規正法の中には考え方としてうたわれておるけれども、高島炭鉱において、その当時あともう三十メートルを進行すれば次の卸のために問題がある。従ってもう三十メートルくらいの炭層だから、それらはもう放棄してもよろしい、こういう考え方で、会社側はその切羽を三十メートルくらい捨てるという考え方でそういう意思を発表いたしました。従って私どもはその切羽の中にある器材、約五、六千万円の器材でありますけれども、そういう紛争の中においてやはり私どもはこれらの器材は結果的にはわれわれの将来のためにも必要なものだ、こういう判断からその器材を撤収して、そうしてあとの三十メートルの炭を密閉してしまった。こういう事実は経営者側も十分記憶しておられると思うわけです。 そういう点、非常に長くなりましたけれども、一応の経過をお答えいたしました。
○田畑金光君 よくわかりましたが、それで大槻さんにお尋ねしたいと思いますけれども、先ほどの公述は一般論としていろいろな角度から取り上げられておられたわけであります。一般論もけだし尊重しなければならぬと思いますけれども、やはり私はその一般論としては具体的な事実というものが大事じゃなかろうかと思うわけなんです。この法律案を延長するについては、具体的に法律を延長しなければならぬような、過去において具体的な事例が発生したのかどうか、こういう問題について私はやはり説明の中につけ加えていただきたいと考えるわけであります。 それからお話のように、保安の放棄は不作為行為によって一般の工場、事業場における施設を破壊する、そういうような作為行為と同一の効果を持つものであるということもよくわかるわけでありますが、理論としては私もわかるわけでありますが、ただ御承知のように炭鉱の場合を例にとりますと、一番大事な問題はこれは人命の問題だと、こう思うのです。施設とか鉱物の資源というのは、これはもちろん国家の資源として大事であるかもしらぬが、しかしこういうようなものは概括的に申しますと、財産権であり、それは経営者の財産にすぎないのです。一番大事なのは人間の生命であろうと、こう考えるわけです。その生命の問題については現在の法体系の中においては、御存じのように労調法三十六条というものがあって、人命保持の施設というものがあくまでも争議の行為の場合でも停廃してはならない、こういう明確な法律があるわけです。労調法三十六条は明らかにこれは炭鉱のような人命の保持のために規定されている法律であるわけです。それからまたその他の鉱物資源とか施設とかいう問題は、鉱山保安法にももちろん人命は当然でありますが、うたわれているわけで、ことさらにスト規制法が炭鉱の場合に必要であろうということは考えられないわけであります。この点について、大槻さんはどのようにお考えなされるか。 それからもう一つ、私これは特に大槻さんにお尋ねしたいことは、昨日も御質問申し上げましたが、労働組合のストライキで保安放棄が行われて、その結果人命が失われたというためしは、そういう深刻な話はまだ聞いてないのです。ところがこの鉱山保安の不備からして、炭鉱における災害による死亡者というものは実に多いわけです。死亡者だけの数をとりましても、昨日も公述の中にありましたが、昭和二十八年に六百九十八名、昭和二十九年は七百九名、昭和三十年は六百六十六名、昭和三十一年には六月現在三百三名死亡しておる。しかも、在籍総人員に対する比率からいうと、昭和二十八年が六・一一%、二十九年が七・二%、三十年は八・一七%と、だんだんだんだんこの比率は高まってきておるんです。スト規制法によって、ストによる保安放棄から人命の保護を強く主張するとするならば、当然もう一つ、平常の作業の段階において鉱山保安法に基く経営者やあるいは監督行政機関の責任というものは一体どうなるのか。これだけのたくさんの人間の生命を奪っておいて、一体それに対する責任はだれがとらなきやならぬのか。単にこの鉱山保安法の罰則規定適用だけで、一体経営者は責任をとったということになるのかどうか。私はこのスト規制法案の比重というものと、鉱山保安法というものの比重というものを考えた場合に、そういう点について一体皆さん方はどのように考えておられるのか。 それから、私第四にお尋ねしておき、たいことは、スト規制法第三条によりますと、「人に対する危害、」とか、「鉱物資源の滅失若しくは重大な損壊、鉱山の重要な施設の荒廃又は鉱害」、こう書いてあるんです。そこで、こういうものを滅失する——これは人命は別ですが、鉱物資源を滅失するとか、鉱害を起すということは、直ちに公共の福祉につながるんだという問題です。公共の福祉につながるということになりますと、少くとも私は炭鉱事業の経営というものが、ある意味において社会化されていなくちゃならぬ。経営者は社会的な責任をどう感じておるのか。言葉をかえて言いますと、経営を通じ、それはほんとうに個人の財産権として、個人の経営を通ずる利潤の獲得手段として以外にですよ、以外に、社会公共のためにどういう積極的な施策をなされておるのか。要するに、社会化という面から、他の企業に比較して別なものがあるのかという問題です。私は石炭だけでなく、中小企業でも、いかなる事業でも、よく検討してみると、これはいずれにしても社会に対する一つの役目を持っておると思うんです。炭鉱が社会に対する一つの役目を持っておると同じように、いかなる産業においても、いかなる工場事業場においても、社会に対する一つの責任、社会的な一つの規制というものがあると、こう思うんですが、石炭企業においては、何か別の公共の福祉に特別つながるような経営上の問題があるのかどうか。 いろいろ質問がありますが、まあとりあえず、こういうような点について、先ほどの公述を通じ疑問が起きましたから、教えていただきたいと考えるわけです。
○公述人(大槻文平君) ただいまの御質問に対して、お答え申し上げます。具体的な事例があっかないかという問題でございますが、これは二十八年以来三十一年に至るまで、保安放棄の指令を炭労が数次にわたって出しているということは、これはもうはっきりしていることでございます。 それからもう一つ、どうも二、三年前の古傷を三菱の労使がここに集まってかれこれ言い合うことは非常にまずいんですけれども、話が出ていますから申し上げるのでありますが、高島問題につきましても、われわれは保安放棄があったというふうに考えております。それは、どういうことかと申しますというと、なるほど、ただいまお話がございましたように、現地労組の非常な協力によりまして、坑内が採炭を長らく停止したことによって危険であるという双方の意思が合致して、保安採炭というものをやっておったのであります。ところが、十二月の十六日の炭労の指令によって、現地労組が——危険であるから保安採炭をやらなければならない、従って保安採炭用の人員を提供しなければならない、そしてまた、それをしておった、その保安採炭要員というものを拒否してきた。それは全く炭労の指令によってやったものであります。のみならず、先ほども話がありましたが、どれだけのCOが出た場合に、あるいはどれだけの温度が上昇した場合に危険なりやいなやという問題、これはきわめてややはり困難なむずかしい問題であります。そこでわれわれといたしましては、やはり監督官庁の認定というようなことが最も適当ではないかというふうに思われるわけでありますし、また、当然なことだと思うのであります。ところが、本件に関しましては、十二月の十九日になりまして、福岡鉱山保安監督部長から、電信をもって労使双に対して、保安確保に関する勧告がありました。さらに翌二十日には、重ねて今から申し上げるような電報が参ったものであります。「さきに保安確保の見地より慎重対処を要望打電せるも、派遣班」——派遣班というのは、保安監督の課長が現地の緊急性にかんがみまして、高島に行っておったわけです。その「派遣班の報告によれば、すでに自然発化のおそれ濃厚にして、事態は緊迫の度を加えつつあるものと認む。切羽の進行に関し両当事者の善処を勧告する」、こういう勧告書が参ったのであります。従いまして、それに基きまして会社側といたしましては、組合と相談をいたしまして、その反省を求めたのでありますけれども、組合側といたしましては、上部組織である炭労の指令を固守して会社の要望を容認しない結果、やむを得ずわれわれは二十一日の夜に至りまして、この保安採炭の必要人員の二百四十二名というものに対して、文書をもって就業してくれという命令書を出したのであります。ところが、その個人別に出した命令は、組合によって一括返上されるという結果を来たしまして、結局二十二日一日というものは全く保安放棄の状態、監督官庁の要望にもかかわらず、結局保安放棄の状態に入ったのであります。幸いにいたしまして二十三日、問題が解決しましたので、大事には至りませんでしたが、保安放棄の事実は厳然として存在するわけであります。 それから労調法三十六条との関係についての御質問がございましたが、私は、労調法三十六条の規定するところは、このスト規制法の精神と全く同一のものを規定しているように思います。しかしながら、その解釈が往々にして非常に狭義に解釈されていること、及びその字句がきわめて抽象的であって、鉱山、炭鉱のような実態に触れていないという意味合いからいたしまして、やはり労調法三十六条だけではきわめて不十分であるというふうに考えております。 それから保安法との関係でございますが、さきほども申しましたように、保安法におきましては、炭鉱の従業員は保安管理者あるいは鉱業権者の命令によって保安の業務に携らなければならないという規定があるにもかかわらず、今中したように、そういう命令を出せば一括返上するというような形が行われますならば、保安法規をもってしては争議時の保安を確保するということはできないと言うて差しつかえないのじゃないかと思うのであります。 それから第三の死亡者の問題、これは御指摘のごとく、われわれといたしましては、まことに遺憾に存じております。炭鉱は、先ほども松尾君も申されましたように、何しろ地下で働くものでありますからして、そういう不可抗力という問題が地上で働く業種よりも数多くある。従って、この災害者を絶滅させる努力は十分やっているにもかかわらず、年々多少なりとも多くなりつつあるという状態に関しましては、経営者といたしまして、まことに恥かしく思っております。これは、不可抗力もさることながら、やはり労使双方が相協力して、全力を尽して災害の絶滅をはかるという以外にはないのじゃないか。そのためには、機械あるいは施設の改善というようなことにも、われわれといたしましては十全の努力を払っておるつもりであります。 最後に、保安確保のための日常の操業における経営者の監督等について、もし改善するところがあるならば、やはりその方面を改めていくべきではないかというふうに考えるのであります。 それから炭鉱の経営者の社会的責任、ほかの産業との関係はどうかという御質問でございますけれども、炭鉱は要するに、産業の米を送っているのだ、人間の食糧である米に相当するところの石炭を送っておる、いわゆる基幹産業の根底をなすものであるというところにおいて違うのではないかというふうに考えております。
○田畑金光君 第一の質問に対して大槻さんからお答えがありましたが、これについてまた松尾さんの方で御意見があるならば、後ほど聞かしていただきたいと思います。 第二の点といたしまして、私は大槻さんに切に望むことは、鉱山保安の不備からして、しかもそれが年々災害がふえていっておるということ、この事実というものを私は厳粛に考えてもらわなくちゃならぬと思うのです。鉱山保安法に基く責任者は鉱業権者であるわけなんです。そういう平常の場合に、やはり鉱山保安確保をするためにも、今のお話にあるごとく労使が協力しなければならぬ、やはり協力関係というものは必要だと思う。信頼関係というものが必要だと思う。そういう協力、信頼関係を確立するためには、やはりそういうお互いの広場というか、共通の土俵を作ることが大事であろう、こう考えるのです。そういう面から見ても、私はあなたの第一のお答えでは、スト規制法が具体的現実の中から必要だという積極的な理由を見出すことができない。やはりそういう点はもう少し労働運動の成長、発展というものを信頼されて、労使が文事通り協力する、こういうような考え方が望ましいことじゃなかろうかと思いますが、この点はどうでしょうか。 それから第三の点としてお尋ねしたいことは、大槻さん御承知のように、石炭合理化法という法律が昨年の国会で通って、昭和三十年から三十四年まで、五年間のうちに年間三百万トンに相当する能率の悪い山を整理しようという問題が今実行されておるわけです。ところが、このスト規制法案というものを形式的に読みますと、まあ能率の悪いという山で、そうしてこれは買い上げてもらおうという、そういう具体的な話がまとまった山であっても、しかも、そういう山は多く賃金の未払いとか、いろいろな悪条件があるわけです。たまたまそういう山で労働争議が起きた、この山はいずれ一カ月後、二カ月後には鉱山を閉鎖して放棄する山なんだが、そういう山であってもやはりこのスト規制法というものが適用される、その理由は、公共の福祉に違反するのだ、国家的な資源を喪失する心配があるのだと、こういうことなんです。一体そうなってきますと、この法律の趣旨というものが、そういう事例おにいて一体どう判断すればよろしいのかと、こういう問題が起きてこようと思うのです。これは法律の解釈について、適用について、あなたにお尋ねするよりも……ただ一方においては中小炭鉱を買い上げる、そしてこれは閉山する、重要な鉱物資源の滅失です。しかもそういう山々の中には監督官庁においても、労働組合においても、まだ努力をすれば一、二年の寿命はある。特に隣の鉱区との話し合いがつけば今後何年、何十年の生命もあるのだ、しかし経営者はそういうときにやはり自分の財産をどうして守るか、山をつぶしてもどうすれば残りをよけいにふところに入れられるかという尺度からいろいろ考えますから、従業員が職を守りたい、われわれの職場を守っていきたい、こういう希望を申し上げても結局それは受け入れられない。私が先ほど申し上げたのはそういう点ですが、そういう点で、一体鉱物資源というものが社会福祉とか社会公共の名において保存する価値があるのかどうか、この点はどうお考えになりましょうか。 それから最後に私お尋ねしたいのは、たとえば鉱害の問題ですが、このスト規制法の第三条によると、鉱害の問題も直ちに保安放棄から出ておるように規定されておるのです。鉱害というようなものはどこの炭田地帯を歩いても、またわれわれ第三者あるいはしろうとが考えても、保安放棄から直ちに鉱害が発生するとは思わぬ。いわゆる鉱害というものは長い採炭の結果起きてきておるのが通例なんですね。一体直接鉱害とスト規制法というものを結びつけるというのは非常に私は冒険だと考えるわけですが、この点大槻さんの考え方をお開きしたいと思います。
○公述人(大槻文平君) 第一の問題は、私が先ほどるる申し述べました炭鉱の特殊性というものをお考えいただければおわかりであろうと思いますので、回答の限りではないと思います。 それから第二の点のいわゆる鉱物の滅失損壊というような問題、それは事業団があってどうこうというお話でありますけれども、これは全然観点が違うのでありまして、その観点の違う問題をここで両方角突き合せていたところでこれは問題にならないというふうに私は思います。 第三の鉱害問題は私もどういうことがあるかわかりませんけれども、私の知っておる範囲では、保安放棄を何日間やったからといって、膨大な鉱害が即時に発生するということは、私としても考えられないような気がいたしますけれども、しかしまた、私の考えている以外のような事情があるのかもしれませんから、はっきりしたことは申し上げられません。
○田畑金光君 あなたは観点が違うというお話だが、鉱業合理化法に基いて山が買い上げられているということは御承知だと思う。しかもそういう山々の実態というものは、先ほど私が申し上げましたように、まだ寿命ある山だし、稼働のできる山があるわけなんです。これを手の下しようによっては、あるいは監督官庁等が中に入って話し合いのいかんによっては、鉱区の問題も処理される、こういうような問題についてほんとうに鉱物資源が大事であるとするならば、それだけの手を打つのが、これが国の産業政策の一環として大事じゃなかろうか、私はこの点を申し上げたのです。この点に関して、こういう考え方について経営者の立場からはどう考えられるのか、スト規制法によって、およそ公共の福祉なんというものとはつり合いもとれないような小さな山においても、スト規制法に該当するような行為をやってはならぬ、それは鉱物資源の滅失だ、公共の福祉に反するのだと、こうやっておる。そしてその理由は、結局労働者の職場が失われるじゃないか、あなたの先ほどのお話のように、労働者の職場が失われるではないか、こういうような理屈なんです。労働者が職場を失われる、同じことなんですよ。そういう点についてあなた方としては、鉱物資源の滅失を防ぐ、あるいは国域資源を擁護するという立場からいうと、合理化法に基く買いつぶし等について産業政策、国の政策の面等についてもう少し御意見があってしかるべきじゃないかと思うのですが、その点、私はお伺いしたわけなんです。
○公述人(大槻文平君) 私たちがスト規制法を要望しておるのは、保安放棄というものが争議行為としていいか悪いかというのを今論じておるのでありまして、それ以上のことを論じておるつもりではないつもりであります。 それから、また、炭鉱といいましてもこれはいろいろな炭鉱がありまして、保安要員を入れなくともあるいはそういう危険のない炭鉱もあるでしょうし、また、どうしても初めから入れなければならないという炭鉱もあるでしょうし、これは非常に種々雑多、自然条件によって種々雑多であります。しかしながら、法律がきめてあることは、一般的に概括的にきめておるのでありまして、異例に属する、例外の例を取り上げられて論ずることは必ずしも妥当なのではないのではないかと私は思います。 それからまた、事業団の問題は、これは全然別個の問題と私は思うのですが、これはあなた方がやはり種々御論議になりまして、そうして国の立場からこうした方がいいということでもって合理化法というものを立てられたのであって、私の方からむしろお伺いしたいように考えております。
○大矢正君 大槻さんにお伺いいたしたいのでありますが、これはあなたばかりそう言われるのでなくて、昨日は石炭協会の万仲さんがおいでになり、万仲さんも同じようなことを言っておられたのですが、組合は保安要員を差し出さなかった。そういうことを非常に鬼の首でも取ったように振り回しておるわけなのです。私はまあ差し出さなかったことがどれだけ、たとえば法律の内容にいうところの資源のいわゆる滅失やあるいは人命の危害と、こういう点では影響があったかという、こういうことを承わったわけなんですが、そういうものは具体的にはない。しかし、ただやってはいかぬという保安要員の引き揚げをやったのだと、こういう一点ばりなんです。実際的には、そのことによってどういう影響も起ってきていないけれども、ただやったという事実は残っておるのだと、その残っておる事実だけをとらえて盛んにこれを振り回しておられるわけです。私どもはこのことに対していろいろ言い分はあるけれども、しかし、それはあったことだからいたし方がないとして——大槻さんは長い間石炭鉱業に従事しておられて、現実に終戦以降のことを考えて、昭和二十八年にこの法律ができた以降において今言ったような結果が、そういう法の内容に示すような重大な危害や影響を与えたかどうか別にしても、単なる引き揚げだけで影響がなくて終った場合でも私はかまわぬと思うのでありますが、そういうような保安要員が出なかったという事例が、法律ができた三年以降に多かったか、あるいはそれ以前に多かったか、いかがでしょう。
○公述人(大槻文平君) この保安要員差し出しの問題でありますが、ストライのやり方というものがだんだん変ってきて、そのことが法律のあった前とうしろとどうだということは比較にならないと思うのです、やり方が違ってきているのですから。そして私は保安要員、それからまた——それだけでしたね、あなたの問題は。
○大矢正君 これは争議行為のやり方が変ってきたとかこないとかいう、そういういわゆる内容において法律というものは実施せられるものではないと私は思うのでありまして、少くともこれは終戦後ほんとうに労働運動が憲法上において認められて、そうして労働者の権利が認められた以上、当然これは保安要員の引き揚げとか——引き揚げという言葉は経営者が使う言葉で、一般の労働組合の人は使っておらないのです。おれは強制労働には働きに行かないのだと、やりたくないから私はやらないと、これは引き揚げではない。出ていかないのだから。だからそういうことは争議行為として私は終戦後も依然としてあったと思うのですが、それはいわゆる情勢の変化によってそういうものが問題にされておるかとらいうようなあなたの答弁でありますけれども、私はそれは終戦以来争議行為として現実にあったと思うのです。それからこれは私の記憶では、この法律ができる以前にも事実保安要員の引き揚げというような争議があったのですからね。だからこれは総体を通してあったのですから——経営者がよく言われるのでありますが、昭和二十七年には現実的にはこの法律ができておりませんでした。できていないときにはこれはまた結果として保安要員の引き揚げはなかったけれども、その引き揚げのための準備の指令というものが炭鉱労働組合から出たことも事実なわけであります。私はこういうことを振り返ってみて、法律ができた以降において必ずしも保安要員引き揚げというものが、保安要員が出ないという、こういう事態が減ったとは思われない。むしろこういう法律ができた以降においてこういうような結果が現れてきているということは、これはとりもなおさず、経営者の態度が頑迷なためにこういう結果が出てきたのではないかというとふうに私は感ずるのですが、あなたは経営者の立場でいかがですかね。
○公述人(大槻文平君) そういうふうには考えておりませんがね。それから、また、多かったか少かったかということはこれはよく調べてみなければ、あなたがそういうふうに多かったとか少かったとかいうことを言っているだけであって、これは責任ある言葉でも何でもないので、もう少し統計的によく調べた上でなければ何とも言えぬですね。それから経営者が頑迷だったとか何とかいうことは、お互いにそういうことは言わぬ方がいいのじゃないかと思うんだがね、そういうことは別問題だから。
○大矢正君 これはまああれですよ。私がそう言うのは、それはそれなりの事由があると思うのですよ。たとえば、このストライキ規制法というものを作る基本的な考え方というものはどこに立脚しているかということ、これはさっき田畑委員が言っているように、これは公共の福祉を擁護するためにこの法律があるのだと、こういうことなんです。決して経営者の利益を守るためにこの法律を作るのだということを政府は一言も言っていないのですよ。あなたはこの法律があれば経営者が非常に助かるというような感じの御発言もあったようでありますけれども、この法律を作る基礎というものは、あくまでもこれは公共の福祉に迷惑がかかるからという——これは政府の言い分ですよ、私のじゃない、政府の言い分です。それじゃ実際問題として、炭鉱の保安要員の引き揚げというものが、これが公共の福祉に重大な関連があるかどうかということになってくると、これは日本の国の炭鉱が全部保安要員の引き揚げをやったらどうかわかりませんが、かりにお宅の高島炭鉱一つやってみたって公共の福祉に重大な影響がきて、それによって国民生活を破綻に陥れるとか、国民経済に重大な影響があるとは私は考えられない。そうすると、いわゆる公共の福祉という問題を抜いて、果してこの法律というものがどっちに利益をもたらすものであるかといえば、これはあなた方経営者が利益を得ることは当然で、労働組合はこういう法律があればかえって損する。得するのは経営者だけなんです。そういう立場から見てみても、私はこの法律でねらわれている意図というものは非常に経営者の立場に立脚した、経営者の利益を擁護するという、こういう内容が強いものであるように思うのであります。こういう論争をここであなたと繰り返しても仕方がないのですが、あなたはさっき私が申したように、公共の福祉というものは一応除外してこの法律というものをながめてみた場合に、これを経営者の立場に立って見た場合に、これは経営者に非常に有利だと思うが、どうですか。
○公述人(大槻文平君) それはあれですよ、私はさっき申し述べましたように、存続しなければならぬという立論の根拠として二つ言っているわけですよ。それは一つは、公共の福祉につながる危険性ということを譲っている、その危険性を防止するために必要である、それが一つであります。それからもう一つは、労使対等の立場に立たせるという意味において必要だ、こういうことを言っているので、これは何も経営者の利益とか何とかいうことを言っているのじゃない。公平な立場からそういうことを論じたつもりですが、十分説明をお聞きいただかぬと、同じことを繰り返さなければならぬですからどうぞ一つ……。
○大矢正君 あなたは非常に何ですね、私どもがさも十分に聞いていないような発言をあなたはよくされるのですが、私どもはこの法律をほんとうに慎重に審議したいという立場からあなたに質問いたしておるので、あなた自身が——これはかりにあなたが自分の立場から、あなた自身の立場からこの法律を早く作ってもらいたいという主張をされておる。これは私どもよく存じておる。炭鉱の経営者の主張は、この法律を何とかして作ってくれと自民党のところに盛んに行ったということも、私ども話を聞いてよくわかっている。だからそういう話であるから、あなたも真剣にわれわれの質問に対して答弁をしてもらわなければ困りますよ。(「議事進行、議事進行」と呼ぶ者あり)
○公述人(大槻文平君) いろいろ言われましたが、何だか忘れてしまったけれども、何でしたかね、もう一ぺん一つやってください。(笑声)
○委員長(千葉信君) 質疑応答はまじめに願います。
○大矢正君 どうもあなたは。あなたの立場。
○公述人(大槻文平君) 思い出しました。(笑声)経営者として言っているのだ、こういうふうなお話でございましたね。しかし私は、陳述の中で、経営者ばかりではない、一国民としてもゆゆしい問題だという言葉を使ったことを記憶いたしております。決して私は経営者の立場から言っているのじゃなくて、国民の一人としてもこうだということを言っているのです。
○藤田進君 大槻さんにお伺いいたしたいのでありますが、ちょうど今の大矢君とあなたの質疑応答を聞いていると、組合を前にして団体交渉をおやりになるときの態度のように映るわけですが、それではないのでありまして、ここではやはり議会における公述人としての立場でお願いをいたしたいと思います。 実は昨日の十二名の御公述の方の御意見を伺いましたのですが、そのうち八名の方は反対、四名の方は存続に賛成、こういう比率が出て参りました。これをずっとさらに見ますと、直接労働組合の関係の方は、これはもう例外なしに反対されております。それから半面資本というか、経営側の方々は、これはもう例外なしに存続賛成、こういう対立の中にある。そこでわれわれは、こういう利害関係の層が、どういう御意向かということは、本日あなたの御主張を聞いてもわかるわけですが、ただこの間にあって、いわゆる公益的な立場、中立的な立場、ことに戦後労働法を手にかけて、今日の日本の労働法の体系を、現在のものを作り上げてきた、いわゆる労働法の学者、こういう公益中立学者というような方、昨日はお百姓の方というか、農業兼編集関係をやっておいでになる方、こういう方は、もうことごとく反対なんですね。存続反対なんであります。昨日も質疑の中で出てきたわけですが、どうも公述に、そういったいわゆる中立的な、あるいは学者というような方々が、この存続に賛成するという人はなかなか探してもいないというので、自然八が反対、そうして四が賛成、その四はことごとく各会社の取締役の方であるとか、社長の方であるとかいう、いわば経営の立場にある方であったわけです。昨日土木技術者というお方で、お一人公述がございましたが、これは実は京都を出るときは存続に賛成、スト規制法が必要だということ、出てきて、ここでいろいろ公述人の方方の意見を聞いてみると、これはまさに賛成できない、京都を出るときと気持が変りました、反対いたしますというのです。これは実は自由党の方々が御所望された参考人でありますけれども、そういう実情であります。そういう中にあって、もし大槻さん、こういう有名な学者なり評論家なり何なりが、これは非常に熱心に存続することに賛成しているという人がありましたら、参考まで知らしていただければ、私も門をたたくなり何なりして、御意見を拝聴いたしたいと思っているわけですが、この点もしあなたの胸のうちに、これこれがあるということであれば、この際お聞かせをいただきたいと思います。
○公述人(大槻文平君) ございませんな。私知りませんね。
○藤田進君 そうでしょうね。それはもっともだと思います。なかなかないそうでありますから、それはやむを得ない。
○公述人(大槻文平君) たとたば北岡さんあたりはあれじゃないですか。
○委員長(千葉信君) 発言するときは委員長の許可を得てください。
○藤田進君 いや、実は私自身もわからないので、もしかと思ったのですが、おわかりにならないということであればいたし方ないと思います。ただこういう事実に立ってわれわれがどうするかを判断する以外に方法はない。
○藤田藤太郎君 私は飯田公述人に少しお尋ねをしてみたいと思うのです。飯田さんは先ほどの公述のときにこういうことを言われた。電源開発は必要だということ、それは私も電源開発には、何としても電源開発をやることには私は賛成です。しかし、その基礎に立っておられるあとの言葉をお聞きしますと、九分割の会社によってこれをやって、大いにやってもらいたいのだということに続いて、そのあとにはどういうことが続くかというと、次には単なる会社の商品でない、公共的なものなんだだから、そういうことをあとで強調されるのを見ると、どうも九分割の会社でやるということしか、むしろあの九電力会社になるときに、国営とか国家管理的な要素にすべきだという問題をめぐって社会的に大問題が私は起きたと思う。そういう工合な状態の中で、何かこの前の、ここまで行かれる前のお話には、いろいろ意見があったと思う。消費者の立場から意見があったと思いますけれども、ここまでくると、何かどうも会社の肩を持って出てこられたのじゃないかというような気がするわけです。ここのところあたりを少し聞いてみたい。
○公述人(飯田務君) 電源開発問題につきましては、かつて私は国会に、電源開発会社法案が出ましたときに、意見を求められまして、電力会社が日発を解体いたしまして、発送配電一貫の会社によって九つに分けられる、これの是非を私は今ここで論争申上げようとは思いませんが、そういう会社に分けられて、その会社が企業意欲によって電源を一日も早く開発して、この不足している電気を早く供給してもらいたい、その不足は今日なお続いている最中に、たとえ一キロといえども、そういうような争議によって電気をとめるということは、私どもは賛成できない、こう申し上げたのです。
○藤田藤太郎君 今の飯田さんのお言葉ですけれども、会社に分割する方がいいのだ、会社によって電源開発する方がいいのだ、こういう立場に立っておられると思うのです、今のお話を聞くと。そうですね。
○公述人(飯田務君) 九つの会社に分けたことがいいか悪いかということについては、これは私にも意見がございます。しかし、本件に関しまして、そこから理論を引っぱり出すということは、今私が申し上げる立場じゃないと思いますので、御答弁を差し控えたいと思います。
○藤田藤太郎君 そこで問題になってくるのは、あとほどあなたがおっしゃいました、電気というものは公共性が強くあるのだ。この公共性が強いのだということで、もう一つ問題を進めて参りますと、今の九つに分けられた電力会社というものは非常に膨大な利潤を得ておる、こういう公共性が強いということをあなたが主張しながら、この会社が膨大な利益を得ておる、そうして片方においては労働者のスト権というものがもぎ取られて正常な関係にない。なおプラス利潤ということで、公共の福祉ということをあなたが願われるものとは、私からみれば反対な方向において利潤追求という形に電力会社が進んでおるように私は思うのです。 もう一つの点は、この三年間のうちに違反がなかったという問題が出てくるわけですけれども、私はきのうからの公述を聞いておりますと、その三年間組合はいろいろの角度から対等な、要するに労使バランスがくずされた、あらゆる労働条件が次から次へと悪条件の中に置かれてきておるということを組合の方々はここで公述されておるんです。そういうことと、今の公共性という問題についてどういう工合にお考えになるか。
○公述人(飯田務君) 第一点の電力会社の利潤の問題でございますが、これは電力会社が電気料金を定めます場合に供給規程の申請をいたしております。そのときには、毎回漏れなく私は出まして値上げ反対運動をやった。皆さんによく聞かれますが、ほとんどこの供給規程の申請がありました場合は、何かの形で私は代表に出まして値上げ反対運動を展開しております。にもかかわらず、今年度は水が平水年より上回ったというので黒字が計上されておるということでございます。この点は将来にわたりましても、私は供給規程の問題についてはたびたび出る意思を持っておりますし、また、電気料金そのものが本質的に高いか安いかということについてはこれまた別な角度からいろいろな意見があると思いますので、私は電力会社の利潤の上ることを望んでおるとお考えでございましたら全く立場が反対だと思います。 第二点の過去三年間の争議において非常に従業員の立場が不利になった、こうおっしゃいますが、私はあながちそうばかりではないと考えておりますが、たとえばスイッチ・ストをやらなくても、勝ち取ってこられた労働条件というものは他産業に比しまして必ずしも低位にあるとは、私ども寡聞にして事実を知らぬのです。もし教えていただくような機会がございましたら、そういう点につきましてもお教え願うならば、労働組合の地位向上ということについて私は賛成することにやぶさかではございませんが、被害をこうむる私の立場から考えますと、スイッチ・ストということにつきましては賛成できません。以上。
○藤田藤太郎君 私はこの法律ができてから、今、後段で申し上げましたように、労働者が交渉時における力のない交渉という格好で非常に労働条件が切り下げられておる、こういうことの問題についてお尋ねしたわけです。だから、私は続いて片山公述人に、今のような状態、三年間における労働条件が切り下げられ、あらゆる角度から交渉に対する圧力があって非常にお困りになっておるということを、昨日小川公述人から聞いたのですが、片山さんの御意見を伺いたい。
○公述人(片山武夫君) これは大へんむずかしい問題なんですが、先ほど私は労働者だけじゃなくて、一般的にまだいわゆるストライキはやりたくない、こういったような気持が、しかしゃむにやまれない事情のためにやはりスト行為もやらねばならないといったような社会的な情勢がある。そういう中でいろいろな争議行為が起きてくる、これは労使といえどもお互いに考えねばならぬ問題だし、特に政策を行う立場にある人たちが最も関心を持たねばならぬ問題だと思います。そこで具体的にこのスト行為を禁止されたがゆえに労働条件がどのように変ってきたかという御質問だと思うのですが、これは電気労働者全般について言わねばならぬ問題だと思いますし、そういう意味ではたしか昭和二十六年だと思いますが、電気事業が再編成されて、そうして各企業ごとの運営がされておる。これは、まあ再編成されない以前も、されてからもいわゆる官僚統制といいますか、通産省の非常に強い統制下に置かれて運営されておる、そういうような状態の中ではそれぞれが企業ごとに企業努力を発揮して、そうして成績をあげるという分野は非常に少いと思う。そういうような状態の中でいろいろ分割された以降弊害もあったと思います。またいい面もあったと思うのですが、具体的に、じゃどういう面がよく、どういう面が悪かったかということについてはこれは非常に長くなるので割愛したいと思いますが、そこで起きてきた現象はやはり賃金格差、これが明らかに起きておる。これは昭和二十七年のあの争議の一つの大きな原因であったと私は思っております。あの当時電気事業が分割されて、そうして各企業ごとに運営されていくというような中で、いわゆる電産が調停闘争までやって、その中で出された賃金がいわゆる企業格差がまず最初につけられた。最初三段階に格差がつけられたわけですけれども、それが不満だということで電産があの当時相当大きなストライキをやった。で、結局あげくの果てが四国のみ格差がつけられて、そうして一つの賃金が決定しました。それが最終的な妥結であったと思います。 この電気事業の労働者の賃金の差があっていいかどうか、こういうような問題なんですが、これは私は他産業に比較していわゆる電気事業というものが非常に複雑な技術を要するし、また緻密な技術も必要だ、こういったような特殊な関係からいって、決して他産業よりも低い貸金でいいということは言えません。そういう中で、また同じような技術を提供して、同じような労働を提供して、そうしてまた、その中で賃金格差がついていく、こういうようなことにも賛成はできないわけでありますが、現実にああいったような現象が起きて、それに反対して電産がああいうストライキをやって、そうして最終的には、一社ではありましたが格差をつけられていった。これは非常に電産としても残念なことであったろうと思いますし、また、それに反駁しようという意味からああいう大きなストライキがあった、こういうふうに私は考えています。もちろんあの当時私はすでに電産にはおりませんでしたし、東京電力労働組合といって企業別労働組合をすでに結成しておりまして、そうして電産の行為に対して決して私はもろ手を上げて賛成はできない、そういう意味で労働者自身もああいった大きなストライキに突入することがいいかどうかということについての自己批判といいますか、そういうものもわれわれは持っておりましたし、また、電気産業労働組合の中にあったんじゃないか、その結果が先ほど来申し上げましたように、いわゆる電気労働者が電労連に結集していって、そうしてすでに今その人員が十一万に達した、こういうようなことは、そういったような指導の面からいった一つの反省といいますか、批判、そういう中からこういう形ができてきたと思っております。従って、これはまあ直接にあのストライキ以降いわゆる自己批判という中からお互いに反省して、そうしてよりよい発展のために組織の再編成が今日行われたというふうに感じておりますし、先ほどのような状態があって、その後におけるところの賃金はやはりだんだん、だんだん格差は大きくなっていっておりますし、そういう意味では全般的にいうならば、いわゆる賃金格差の中において非常に劣悪化していく傾向もありましたし、また、現に相当な開きができているという現実はございます。そういう意味からいって、このいわゆる労使対等の立場というものは、非常に脆弱化しているということはこれは否定できないと思います。ただ申し上げたいことは、そういうふうな状態におかれながらも、みずからの道を切り開いていこうとする限り、電労の自主的な交渉というものが、たとえ劣勢にありながらも鋭意努力して、そうして格差を狭めていく努力をしていたということは言い御ますし、そうしてまた、その良識の中から、この三年間といえどもこのスト規制法があるなしにかかわらず、いわゆる労使の正常な自主的な交渉をよりよい形で発展せしめようとしている努力は、これは認めていっていいのじゃないか、また認めてもらいたい、こういうふうに考えております。
○栗山良夫君 私飯田さんにちょっとお尋ねいたしたいと思います。あなたが公益中業であり、基幹産業である電気事業に非常に関心をもっていろいろ活動しておられることにつきましては、私はよく承知しておりまするし、大へん敬意を表しておるわけでありますが、特にこの問題についての御所論の中で、あなたの中心に述べられておる点は、電気事業の企業体内において始末をすべき電気事業の労使間の紛争をいわば第三者である需用者に影響を及ぼしてくるところにはなはだ不満なものがある、こういうことが中心になっておるように思いますが、大体そういう工合に伺ってよろしゅうございますか。
○公述人(飯田務君) いろいろ申し上げますことの中に、まあその点が非常に大きな社会的問題を常に引き起しますので、特に強調さしていただいたということでございます。
○栗山良夫君 そこで実は先ほどもお話のあったように、きのうは京都の河井さんが賛成の立場で上京せられ、この委員会に臨んでいろいろの意見を聞かれたあとで、最後に公述されたわけでありますが、最初の意思を翻して反対の意見を述べられました。これはきのうでございます。私はそういう工合に、どうもこの電気事業の争議、石炭の争議というものが内部的に第三者である国民の皆様方によく理解をせられていない点があるのじゃないかという点を大へんおそれているのであります。現に労働省から出している新聞の中にも、果してスト規制法を国民のどれだけが知っているだろうか、啓蒙パンフレットを作らなければいかぬのではないかということが得かれておりますが、そういう工合でございます。ところであなたにお伺い申し上げたい中心は、かりにこのスト規制法をこのまま実行いたしますと、あなたの望んでおられるように、電気労働者は発電所、変電所、給電所、その他に、争議のために何ら手を加えることができませんから、従って争議による停電というものがなくなるでしょう。まあ会社側が経営者の失策によって、あるいは電源開発とか、こういうことによって不足電力を起して、電力制限を行う、そのために停電をするというようなことはありましようけれども、争議についてはなくなる。それは最大限のサービスになるわけでありますが、かりにそういうことでなくて、一歩譲りまして、その他何らかの方法で需用者にはもう全然迷惑をかけない、大口の工場から、あるいは十燭の電灯一灯をお引きになっておる零細な需用家まで全然電気の供給には支障を与えない、そういう保証の得られるような範囲において、なおかつ電気労務者が労務の提供を拒否する、そういうような道の余地があるか、こういうことでありますが、これはまあ労働者の基本的人権を守るわけになるのでありますが、そういう場合には少しゆるめてもいいのじゃないか、こうわれわれは主張しているのでありますが、それらはどういう工合にお考えになりますか。
○公述人(飯田務君) 今、お話のように、全然そういう争議行為によって電気をとめないと、こういう事態がきたならば、こういうものはなくてもいいんじゃないか、こういうような御説でございます。そういうようなことが行われるとするならば、こういう法律があって、国民が非常に安心ができるということならば、あっても一向差しつかえないじゃないかと、私はこう考えております。
○栗山良夫君 ちょっと私の申し上げるところがおわかり願えないので、もう少し申し上げますが、この法律がそのまま適用すれば、全然迷惑を及ぼさないということを私も先ほど申し上げました。しかし、電力事業の内部を見まするというと、こんなに厳格にやらなくても、こんなに厳格にしなくても、なお適切な措置を考えれば、この法律の適用をもっとゆるめても、そうして労働者の争議権をもう少しゆるめて与えてやっても需用者には全然影響を及ぼさない、迷惑を及ぼさないという手段があるわけです。そういう手段については認めてもいいんじゃないか、こういう工合に私は主張しているのであります。
○公述人(飯田務君) 私はどうも栗山さんのおっしゃることは、こういうきつい法律と、こうおっしゃいますけれども、私はどうもきついと考えられないのです。そうしてそれにかわるストの方法を一部規制するというようなことが考えられるかなと、私はどうもはっきりそこらのところが考え至らないのでございますが、そういうことがこう敷衍されていって考えると、またこのスイッチ・ストはいかぬということに返ってくるのじゃないかと思うのですがね。
○栗山良夫君 それは具体的に、きのうも私はこれをお話し申し上げたのですが、私が質問した弁護士の方は大体答弁ができなくて困られたのですが、こういうことなんです。あなたも御承知のように、今、日本の電力は水力と火力と両方でまかなっているわけです。そうして全部一つの送電網で連繋されている。あなたが活動されていると同じようにそれと全く同じ格好です。そこで、川の方の水はどうかというと、一番よく水が出るのは、夏と冬と比較いたしますと、夏の四割くらいに冬は減ってしまうわけです。そういう大きな変動がきたのでは、安定した電力の供給ができないから、あなたが御承知のように火力発電所が相当の施設を持っている。水力発電所の半分くらいの施設を持っている。そして水力の足らない部分は火力で補っている。そうして安定した供給をする。それでありますから、夏などは水がたくさん出ますから、従って当然に火力の運転というものはずっと減ってしまうわけです。これは必要がないから、石炭をたかないで済みますから、減ってしまう。そういう夏にたまたま発電所の方において労働者に与えられた基本的な権利として、全部の水力発電所がやってしまったのではだめでございましょうけれども、一、二、三カ所くらいの発電所において労働者が労務の提供を拒否した。これによってたまたま発電所はとまった。そういう場合におきましては、電気事業の争議は抜き打ちにやるわけじゃありませんから、明日はこの発電所が労務提供拒否によって労働者がいなくなる。そうすれば、会社の方は、発電の力を持っているから、火力発電をフルに動かして、電気の需用には何らの影響もない。そういうようなことが私は技術的に考えられるわけですね。ところが、そういうこともこの法律はとめてしまっているわけです。そこで、私はこの法律をもう少しゆるめてもなおかつ需用家には全然迷惑を及ぼさない送電の方法というものがあるのだ、こういう工合に主張しているわけです。
○公述人(飯田務君) それは栗山先生はよく御存じでありながらそういうことをおっしゃるのですが、現在夏の間も火力をたいても需用に追っつかないのです。だからそういう時期がいつくるか、私はどうも心配でならぬのです。電気の潜在需用というものは非常に大きなものなんです。従って私どもはそういう状態にどうも火力をたいておけばこの水力発電所はとめてもいいのじゃないかというような、しかも予告をするのだから被害はないのだろうというような時期が一日も早くきてほしいのですが、そういう時期はなかなか到達しないと思いますので、そういうことになったときの話は一つ私に答弁させていただくことは勘弁していただきたい。
○栗山良夫君 そういうことになったときの話ではなく、私もあなたの意見は傾聴して聞いているのですから、人の意見はすなおに聞いていただきたい。現在の状態においてもしあなたの言われることがそのままそっくり真実であるなら、夏ですら火力を一ぱい入れなければ電気の供給ができないということなら、冬は全部とまっちゃって電力が足りなくなる。それはあなたのおっしゃることは暴論というものですよ。それは少くとも電気事業を三百六十五日運転しておる。その運転の状態を理解しないところの暴論というものです。きのうの沢田さんという弁護士の方も、私の所論には傾聴されて答弁に窮せられました。あなたのそういうふうに追いかぶせた暴論は、私はいささかいただけない。
○公述人(飯田務君) それは栗山さん、そうおっしゃいますが、夏は需用が減りますと、発電所の手入れとか、火力発電所のボイラーを直すということをしておられる。私の聞き及びます限りでは、そういう手入れをするために、夏といえども需用が一ぱいである。こういう説明しか聞いておりません。私は暴論を申し上げておるのでなく、栗山先生は私より以上に、発電所の状況について御存じだと思いますので、決して私は暴論を申し上げておるとは考えておらぬのです。
○委員長(千葉信君) 公述人に対する質疑はこの程度にいたしたいと存じますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(千葉信君) 御異議ないと認めます。 公述人の方は長町間にわたりまして、貴重な御意見を御発表下さいまして、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。 公聴会はこれにて終了、散会いたします。 午後一時三分散会