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25回国会衆議院1956/11/22

社会労働委員会 第4号

発言数
47
登壇者
7
会派数
3
開催日
1956/11/22

会議録

佐々木秀世自由民主党

○佐々木委員長 これより会議を開きます。  電気事業及び石炭鉱業における争議行為の方法に関する法律附則第二項の規定により、同法を存続させるについて国会の議決を求める件を議題とし、審査を進めます。  質疑を続行いたします。滝井君。

滝井義高日本社会党

○滝井委員 ちょっと、質疑に入る前に、昨日この委員会が終るときに、第二条に関していろいろ政府の見解が述べられたのでございますが、われわれといたしましては、十六国会当時の政府の見解と、今回政府がいろいろ委員の質疑に対して答弁をいたしました見解を総合すると、幾分食い違いがある疑いが濃厚でございます。従って、本日委員会の冒頭に一応政府の二条に対する総合的な見解を御説明だけを願っておきたいと思うのです。われわれとしてはその説明を聞いた上で、衆参ともども一応意思の統一をして、これをわれわれ党としては処理いたしたい、こう思っておりますので、まず政府の総合的な見解を一つ大臣の口から冒頭に御説明願っておきたい。

倉石忠雄自由民主党労働大臣

○倉石国務大臣 政府委員の方からお答えを申し上げます。

中西實労働事務官(労政局長)

○中西政府委員 昨日も申し上げたのでありますが、ここに総括的に見解を申し上げます。第二条の条文にございますように、直接電気の供給に影響を及ぼす行為でございますが、直接とは、現に電気を発生せしめておる段階から、電気を消費のために配電するところまでの過程の中のいずれかにおいて、作為不作為の行為によりまして介入して支障を生ぜしめるものを申します。この過程のほかにあっての行為によって、また現在発送電いたしておりますものとは別個の行為によりまして影響せしめて支障を起させるのは、間接というふうに考えております。電気の発生は水を落して水車を回し、あるいはまた石炭をたいてタービンを回すことによってなされるのであります。従って水を落すことをとめる行為は直接であります。しかし、たくべき石炭を調達してくる行為はこの過程の前段階でありますから、間接と存じます。塵埃処理拒否のごときも、この水を落すことをとめるという性格の不作為である場合は、直接になりますと申し上げたいと存じます。また定期点検を怠ることは、現に発生し送配電しておる過程に介入する行為でありませんから、この行為の影響がいずれ出てくれば、電気の供給に支障を生ずるといたしましても、これは間接でございます。以上のごとく塵埃処理業務拒否と申しましても、そのすべてが直ちに本法違反というのではなく、そのときの状況によりましてこれを怠れば取水口が閉鎖されまして、発電に直ちに支障を起す場合が本法第二条に違反するというふうに考えております。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 今回のいわゆるスト規制法の存続について国会の同意を求めるという事柄に関して、その手続上の論議はもとよりさることではありますが、一昨日来の労働大臣の答弁からわれわれ理解するところによれば、国会、いわゆる第十六国会で決定をいたしましたその決定の事柄に重きを置くというのではなしに、第十五国会の当時に提案されましたいわゆる起草者の意思、その起草者の意思というものが今日なおかつ有効に存続しておる、こういう意味の説明がなされたと思います。従ってもしそういうような立場に固執しておるとすれば、おのずからそこに国会の決定に対する軽視、むしろ無視したいかのごときそういう立場を政府がとっておる。こういうことを私はおのずから暴露してくるのではないか、こう思うのであります。従ってこの問題について特に労働大臣の一昨日来の発言もあることでありますから、もう一度あらためて明確にきわめて少い言葉の中で有効に御発言を願っておきたい。

倉石忠雄自由民主党労働大臣

○倉石国務大臣 私が申し上げましたことについては多分佐々木良作さんとの間の応答のことについてのことかと思います。私があのときに申し上げたのは、提案の当初のいきさつを御説明申し上げたのでありまして、現在国家意思として決定されておるものは最終国会において決定された現行法が国家意思である、かように思います。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 言葉の限りではそれでいいのであろうと思いまするが、しかし特に一昨日の大臣の発言の中で、われわれが受け取りまするところによれば、むしろそうじゃなくて、政府があくまで時限立法にしてもらいたいという意思はなかった。しかし現在もそう思っておる。従ってこれは恒久法としての措置を政府自身は固執しておる。こういうふうに理解されたのであります。従って今度の御提案というのは、もちろんそこの手続上のおのずからな道は別といたしまして、政府の意図するものが、恒久立法にある。こういうところにわれわれの理解が集中されてしまうのです。そうだとすると、本来の国会で決定された法の精神というものが歪曲されてしまうのではないか、こう私は思いますが、この点に関してはいかがですか。

倉石忠雄自由民主党労働大臣

○倉石国務大臣 私はそういうつもりで申しておるわけではないのでありまして、現行法は御承知のように、三年を経過したならば存続するかどうかということについて国会の議決を求めろ、こういう法の命ずるところによって政府は議決をただいまお願いいたしておるわけであります。そこで今度議決がされれば、一応恒久的な法律になる。しかしながら、昨日来申し上げておるように、なるべく良識ある、よい労働慣行が成熟することによって、このような法律がなくてもよいような事態が出てくることを待望いたしておる。こういうことでございます。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 その問題について別にこの場で議論しても意味がないと思いますが、まず一応われわれの理解する点と大臣の所説が意味する内容、それを尋ねたわけです。そこで私は法律の手続による議決を求めるの件について、今問題を取り上げようとは思っておりません。それじゃなしに、本来この立法の措置をしなければならなくなった大きな動機というのは二十七年の炭労、電産のストライキ、そこに政府の発意がある、こういうふうになるわけです。そこで私は当時の争議の模様についてもう少し詳細な究明といいますか、そういうものが要るんじゃないか。幸い参考人の喚問もあると承わっておりますから、その場でかなり詳細になることと思いますけれども、この問題についての掘り下げは、まだわれわれの間で十分になされ尽しておらぬのではないかと私は考えております。というのは、ただばく然と電産、炭労のストが、何だか世の中を騒がして、公共の福祉をかき乱し、じゅうりんして顧みなかったものでもあったかのような印象が、実は政府の御努力によって流れております。これは労働者の立場から考えますと、あるいはさらにひいて、労働者をもその中の重要な部分として内包しております国民の立場から考えまして、これはとんでもないことであります。やはり物事はそのよきあしきの判断をするために、冷静ないわゆる良識のある判断というものを国民がみな持ち得るようにしむける責任が政府にもあるんじゃないか、もちろん国会にもあると思います。従って私はそういう意味から考えますと、先日来政府の御説を拝聴しておりますが、やっぱりそうではなく、何かその逆の意図がそこに介在しているのじゃないかというふうに思わせるのであります。たとえば法の施行以後きょうまでの間における違法行為についての質問があったと思います。局長は非常に詳細にわたって、昭和何年何月どこそこでというふうに御説明なされた。よう聞いてみると、やっぱりそれは違法行為となるおそれがあるという、実にややこしい説明がその次についているわけです。そんなことまでわれわれは今質問したんじゃないと思うのです。その当時の質問者の意図は、違法行為、その法に抵触する行為があったかどうか、こういう質問であったと思うにかかわらず、私はその答弁がどうもためにする答弁である、いわゆる当局をしてそのように説明をさせようとする計らいが大臣の方にあったのじゃないか、こう思うわけです。局長としては一生懸命に忠実に、と疑われる、あるいはその危険のあるという言葉を付しながらも、そうではない問題をあえて具陳するという立場に立たされたと思う。そうすると、それは今さっきから申しますように、国民の良識ある判断をするための資料としては、はなはだ困る、迷惑すると私は思うのです。違法行為があったかどうかということになれば、違法行為はございませんでした、こうなると私は思うのです。別に、となるのおそれあり云々というようなややこしいことを並べる必要は毛頭ない。そういう行為はだれがどんなにせんさくしてみても、私はなかったと思うのです。何があったか、明確にその法に抵触するような行為が、何年何月何日どこそこで、どのような方法でなされたか、こういう説明がなされ得るはずもないと思いますし、われわれはなかったと理解しておるのでありますが、それだけに当日の局長の御説明というものは全く文字通りあいまいもこたるものがあったわけであります。そういうことを時間を費して、しかも努力して、必死で説明をさせられなければならぬ労政当局の、特に局長の発言というものは、非常に国民の良識を惑わす、ためにする発言である、こういうふうに言い切っても言い過ぎではない。結局そうじゃないか。実際顧みておのれを思うと、ほんとうはそうなんだけれども、それを言わなければおれの立場がないからやったんだ、こういうことに落ちつくのじゃないか。もし、おそれのあるような行為があったかどうかという質問なら、これは別です。そうじゃなかった。質問に答えていない。たまたまその質問をよき一つのモメントに使った、こういうことになった。そこに私は政府当局者の心の置きどころというものがやはり問題になると思うのです。どこまでも国民に物事を正しく判断をしてもらう、また取扱者としてもその法に抵触なきことを期するように努力せしめたいという熱意からじゃなくて、問題は、全く国民の冷静な、かつ良識ある判断を惑わせるような、そういうことを醸成する任務を持っておる、そういうふうに申し上げなければならぬような気持がするわけです。やはりお互いは、いつの場合にも正しきを求め、よきを追うていこうとする努力を持っておるはずです。これは政府もそうであろうし、国会もそうなんであります。そうであるならば、私はその立場に忠実に、誠実を傾けてその立場に立つということが、求められておる立場でなかろうか、こう思うのです。従ってそういうふうにかれこれ判断してみますと、ほんとうに心を平らかにして、国民のよき判断を作り上げるために努力する、こういうふうな建前から以後の御答弁を願いたい、こう思うのであります。この点についていかがでしょうか。大臣は例によって非常に雄弁ですから、正しいものでも正しくないように判断せしめたり、まるいものを三角に思わせるように、なかなか巧みに言葉をあやつられるのでありますけれども、そういうことじゃなしに、どんなぼんやり聞いてもそうだと思わせるような意味からの答弁として、私のこの心づかいというものはむだであるかどうか、私は今の場合非常に大切な心づかいだと思うのですが、いかがですか、そのことについての御判断をぴしゃっと……。

倉石忠雄自由民主党労働大臣

○倉石国務大臣 仲原さんのお話はまことにごもっともでございまして、非常に大切な点を論じておいでになると思います。私も中原さんの御説に同感でございまして、労働組合ばかりじゃない、一般大衆も私どもも、民主主義についてなお成熟いたしておりませんから、やはりときどき間違いのあることはやむを得ないことだろうと思います。一番民主主義を体得しておらなければならない国会で、言論を封殺するような暴力のやりそこないをすら演ずるのでありますから、大衆が労働運動に対してまだ十分な理解を持ち得ないということもこれはがまんして、長い目でお互いに訓練をしていくよりしようがないと思いますが、要は、この法律がねらっておりますところは、国民大衆の利益を保護する義務が政府にあるわけでございますから、そういう見地に立って、やはり大衆の利益を著しく阻害するような、妥当性を欠く争議手段というものは、これはそういう意味からいってやることはよくないではないか、こういう建前でこの法律ができておりますことは、しばしば申し上げておる通りであります。そういう見地に立って電気関係の争議手段を検討いたしてみますと、やはり昨日労政局長が申し上げましたことも、これは警戒しなければならない争議行為の一つの手段である。これは労政局長という立場で、今中原さんのお話しのように、お前の立場でやむを得ずそういうことを言わざるを得ないのかもしれないというお話でございましたが、労政局長が申し上げておりますことは政府全体の意思を代表して言っておることでありまして、今日皆様方に申し上げます政府の説明というものは、やはり全体が見解を一致して申し上げておるということでございますから、さようにおとりを願いたいと思います。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 ちょっとあとに戻りますが、当日の局長の答弁というものは政府が確と一致した見解を発表したものである、それはそうでもよろしい。そうだとすると責任はますます重大だと思うのですが、それはそのときの質問に適確に答えた答弁になるでしょうか。当日の質問からすると、そうではなかったと思います。法の施行後今日の間において、法に抵触するような違法行為があったかどうか、こういう質問であったと思います。そうならば、まずそれに対して答えをなし、補足して実はこういうおそれのある事柄はございました、こういうことならなるほどそうかもしれません。けれども、抵触するような行為がなかったというお言葉があったかどうか、私にはなかったという言葉は聞えていない。私は耳が悪いからちょっと違っておるかもしれませんが、記録を見ればわかります。そうならば、これをまず答えなければならぬ。そういう違法行為はございませんでした、しかし以下述べるような危険な行為があった、これなら私は政府を代表する御答弁として了承するのです。そこにどうも扱いのからくりがあったと思う。言葉の扱いならば、さっきから申しますように三角でもまるく説明ができるわけです。そういうことは結局国民の正確な判断を欺罔し混乱させる、そういう答弁になると思うからあえて申し上げておるわけです。だから少くとも政府の答弁というものは、国民に正常な良識ある判断をせしめるに足る政府答弁でありたいと私は思うわけです。簡単に言えば、私は答弁に対して異議がある、答弁がけしからぬと言っておるのです。そういう答弁をなさってはいけません。われわれは、どのように言われても三角は三角に見えますし、まるはまるに見えます。しかしややもすると、それが曲って流れていくというおそれがありますから、それを私は申し上げておる。はなはだしつこく申し上げておそれ入りますけれども、これは大事なことです。だから、この場における発言というものは、私はどのように言い回しをしようとも、結局正しき判断を求める熱意から発言してもらいたいと思うので申し上げたのです。しかしその点についてはもうそれ以上問いません。  そこで、十六国会だったと記憶するのですが、学者や経営者その他労働組合等々の諸君にお集まり願って、公聴会があったように思うのです。その公聴会の席上において、特に労働法規学界の公述人各位の発言というものは、私は大体結論が一致に近かったと思うのです。ただ一人だけ妙なことを言われた学者がありましたけれども、それはただ一人だけでありまして、その他の学者各位の御発言というものは、スト規制法というものが結局大資本を擁護するための立法になる、従ってそのことは憲法に背反する立法措置とならざるを得ない、だから心を用いてこの点に落つることのないようにしてもらいたい、大体こういうことを言われたと思うのです。具体的には速記録をごらんになれば、詳しく書いてあります。そうすると、まず学者が発言した場合にわれわれがこれを受け取る心がまえというものは、まずもって学者のまじめな学問追求の態度に対する信頼と敬意、こういうものが前提になると思うのです。ところがその当時の空気なりその後のうわさ話を聞きますと、あるいは扱い方からも立証できますが、学者何を言うか、こういうことになってきたのじゃないか。極端な言い方をしますと、学者の発言にはいささかも心を用いなかった、むしろ逆なことを考えた、こういうことにもなるのではなかろうかと思います。そこで、良識ある判断を求めようとする熱意から考えますと、この学者の発言に対してはどうお考えになっておりますか、一応大臣の御所見を伺いたいと思います。  それからもう一つ、その当時の大臣の発言は倉石労働委員の発言として私はよく聞いております。当時の倉石労働委員の御発言と、労働大臣倉石氏の発言が違うということなんです。その後御転換になったのでしょう、あるいはその後御判断が発展してそうなっておいでになるのかもしれませんが、発展とすればはなはだ遺憾しごくな発展でありまして、とんでもない発展です。だからその点を、大臣のお立場で前後に心を用いられながら御答弁を願っておきたいと思います。

倉石忠雄自由民主党労働大臣

○倉石国務大臣 お尋ねのことにつきましては、私は第十五、十六国会で中原先生とともに熱心にこの法律を審議した一人でございますが、当時学者も経営者も労働代表者もおいでになりまして、いろいろお話を承わりました。その中で、ただいま学者の説をどう考えるかということでございますが、私どもは学者に限らず、この法律というものはしばしば申し上げておるように、国民大衆の利益ということを第一に考えてきめておる法律でありますから、国民大衆がどういうことを考えておいでになるか、停電ストをやることによって経営者に経済的損失を与えるという威迫行為になるばかりではなくしてそれは、労働法上違法性が阻却されるとしても、そのことによって経営に何の関係もない大衆に非常に大きな迷惑をかける、かようなことはよくない、こういう建前であります。そういうことでありますから、国民の意見をもちろん尊重いたします。同時にまた学者といわれる人々の御高見を十分に尊重いたすことは当然でございますが、学者といわれるものの中にも曲学阿世というのもあるのであります。それは取捨選択をいたしまして、やはり私どもとしては社会通念、国民一般の——大衆は愚なりなどという言葉がありますが、大東亜戦争などの経過を見ておりますと、国家的行為であっても、大衆のほんとうの納得した協力を得られないものであったならば、それは結局失敗をするのであります。日清、日露の戦争の歴史を見ましても、やはり私は大東亜戦争の失敗はほんとうに大衆の心から沸き立った戦争でなかったというところに失敗の原因があると思うのであります。政府の施策も、やはり労働運動といえども、黙って見ておる大衆の理解が必要なんだ、この大衆の考え方を尊重する建前でありますから、学者の御意見は尊重いたしますけれども、やはり今申し上げましたような角度で、私どもは冷静に判断をいたし、尊重すべきものは大いに尊重してこの御意見を取り入れるという建前であります。  それから十五、十六国会において私どもの考えておりましたようなことと、大臣に就任いたしましてからの考え方が違ったのではないかというお説でございますが、私も当時私が質疑をいたしました速記録を詳細に検討いたしてみまして、今日この法律に対する私の考え方というものは少しも違っていないということを発見いたした次第であります。ただ私は質問いたしております過程においては法体系その他のことについて、こうあった方がいいではないかというふうなことを政府にただしておりますけれども、この法律が公共の福祉を尊重する建前で必要であるという最終的結論においては今日と三年前とは少しも変っておらないつもりであります。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 倉石大臣のものの根本的な判断が変っておろうとも思えません。それはそうでしょう。しかし法の取扱いの問題については必ずしも当時政府の提出した見解と一致していなかった、そう思います。しかしそれを論議する必要もないわけです。ただそれだけ申し上げておきます。  そこで先ほどの御答弁の中で、学者に対する一つの代表的な御見解としては、曲学阿世の徒という言葉がございました。これは私はめったに言うべき言葉じゃないと思うのです。今私はその当時来た教授の名前をちょっと出してみましたが、一橋大学の吾妻教授、東大の石井、有泉教授、和歌山の後藤、早稲田の野村、慶大の藤林、そうなりますと、この人たちの御説を曲学阿世の徒なりという結論でひっくるめて御判断になりますか。政府におかれてもこの中には、相当信頼をお寄せになられていろいろな仕事を御委託になっておいでになる方のお顔つきも見えるわけであります。そうなりますと曲学阿世の徒に政府は重要なお仕事をおまかせになっておいでになるのでありますか。そういうことになると私は思えるのです。そういう実情を詳細に判断してみると、そういうめったな言葉で学者先生たちを一緒に縛って葬るというようなものの言い方はけしからぬと思うのです。いかがですか。

倉石忠雄自由民主党労働大臣

○倉石国務大臣 私の言い回しがへたでございまして、誤解を招いたかもしれませんが、中原さんのお話は学者というものを総括してお話になったように聞えましたから、学者の中にはりっぱな方もあり、曲学阿世の徒輩もおると申し上げたので、私どもはこの前公聴会においでを願いました学者先生方は、私どもはこの学説を十分拝聴して尊重いたしておるものであります。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 言葉というものは実に便利なものでして、いわゆる言葉の魔術というやつがありますが、大臣は非常に魔術が上手なんです。これはわれわれもよく知っております。今初めて御説を聞くわけじゃない、もう長い間の御関係ですから、よく知っております。けれども私は言葉の魔術でこの場をあやつられちゃ困ると思うのです。私は初めから何回か申しましたように、たしか十六国会の公聴会におけるということを前提として申し上げたと思うのです。何も一般の全部の学者をひっくるめてお尋ねをしたのじゃなかったのです。だから今の御答弁は何というかちょっとためにするというか欺罔的な御発言になると思うのです。そうじゃないのです。そうなるとやはりその曲学阿世と大きく縛られた方たちの中に慶応の藤林教授もおいでになるし、東大の有泉教授もおいでになるのですから、その他を含めて当日公聴会の席上で御発言ができておるわけです。ただいまおっしゃったように学者先生たちの御発言を非常に尊重して判断をしたというのが事実ならば、その人々の御発言に対してこのスト規制法はどういう答えを出しておるのですか。私はどう考えても判断がいかぬのです。私どもが寡聞にしまして、先生の切々の御発言にかかわらず、その御発言の重要な点をちっとも頭によう残さないで、とんでもないことばかり聞いたのだとすれば、あるいはそうかもしれませんけれども、まず私だけじゃないのです、委員各位が全部御列席の場でありますから、それでしかも明確に速記がなされておりまするし、その記録もその後配付されておるわけですから、おそらくどんなうかつな者といえどもこれを曲げて考えるはずはないと私は思います。従ってこれらの学者先生たちの発言に対しては、やはり最初に率直におっしゃったように、曲学阿世の徒もあるということの中にその人を含めておるのじゃないか、そう思います。そうなりますと公聴会に御出席になる方々が、ほんとうにまじめに真剣に責任を感じて発言することができなくなると思うのです。幾らまじめに正しいことを力説強調しても、国会というところではこれは曲学阿世の発言と、こうなってしまう。国会というところは国民の正常な判断の外に位しているものであって、国民の感覚とつながっちゃおらぬ、こういうことに規定されるおそれが従って起ってくると思うのです。もう少し国民の動きの実体をまじめにつかみながら国政が運営されていくということになってきませんと、それはときには立場が違いますから意外にも逆なことが出ることがあるでしょうけれども、よし結論が逆になりましょうとも、その底辺になるものはつながっておる、国民感情でうなずける、こうなってきませんと結局国民全般の憤りというものが醸成されてくると思います。従ってその国民の憤りというものは反政府的、反国会的、私はこうなると思います。国会も政府も信用するに足りない、むしろしばしば国民の正しい判断をかき乱すものである、私はそういうふうに陥っていくおそれなしと保証しがたいと思います。これはやはり幾ら立場があられましょうとも、単なる立場ということだけで事柄をきめちゃならぬということの重要な証左だと思うのです。これは起りますよ。しばしば起ります。ちょっと話が脱線しますけれども、先般の砂川事件のごときも、得々としてあれをよしとなさっている政府の当局もおありかと思いますけれども、とんでもないことです。あれは写真で出ております。新聞にも出ております。だれが見ても正常な判断が出てくるのです。政府は何をするか、こうなるのです。その動きが最近いろいろな面でうなづける点もあると思うのです。ただ力で押せばそれで足りる、権力で押せば足りるという考え方は、もう今日の判断としては許されちゃならぬ、そう思います。従いまして私は、もう少し責任のある立場から、もう少しおのれを省みて恥じざる良心の立場、良識の立場から事柄を処理するために努力してもらいたい。これなしには今日のこの本委員会に付託されておりますこの事項の審議でも、実は真剣にできなくなってくるのです。冗談じゃない。数さえあれば何でもできる、そういうことになってくる。そうなればきめようとする事項それ自身が、今日国民の判断で大賛成であるかどうか。一応選ばれたという条件がそれをきめているのであって、実は国民の判断に直接に結びついていない、いやむしろ逆なことをとり進めている、こういうことにしばしばなっていると思います。これは決して——総評ということがさっきありましたが、総評がただ労働者の団体であるから勝手気ままなことを言うておるのと違うのです。総評議会その他の労働団体というものは、たえず国民の感情にさからわぬように努力しております。私はそう判断しておる。従って総評議会の出した方針が国民感情ととんでもない逆行をしておる、もしそうであるならば、もう総評の存立の意味を失うわけです。そういう点では誤解があっては困るので誤解のないように願いたいと思うのです。かれこれ思うてみますと、やっぱり学者の方々の御発言というものがそう軽率に取扱われたのでは、今後公聴会等の権威というものがなくなってくる。公聴会の発言をそのままに取り入れろというのじゃないのです。その公聴会における公述人各位の御発言に対して、誠実をこめて判断する努力がない、このことを私は申し上げているのです。努力がない。もし努力があるならばああいう立法措置が平気でできるはずがないわけですから、そこに問題があると思う。ですから本臨時国会において、法の命ずるところに従うて存続を求めるの件を議題とするということの可否の問題より、その根本のことが私はやはりどうしても了解できない、こういうことなんです。そのことに関しまして、そんなら昭和二十七年の炭労、電産のストの問題について、一昨日あたり同僚委員からいろいろ具体的な指摘がありかかったのでありますが、残念なことには時間や何ぞでがちゃがちゃやられて、とうとう徹底した議論をなさることができなんだと思うのです。もちろんその機会を得て必ず継続の御発言があると期待いたしておりますが、私はそれぞれ委員各位からその当時における争議の実相をもっと明確につかませるように質疑応答、研究——もし必要ならばやはりそのときに参加いたしました関係者もたくさんあることでありますから、われわれ委員たるものは責任上、関係者のあらゆる地区、全国的な地域を回って、真相の調査をする必要さえ私はあると思うのです。何でも妙な時間のワクがきまったように聞いておりますけれども、それはとんでもない、そういうワクをとりきめて審議を進めるということは許されません。そうではなくて真相をつかむということを基礎としなければ、存続を承認するか、せぬかということの判断はできぬと思います。それをもしいや存続すべしと簡単に言い切る人があり得るとすれば、その人の議員としての責任が果されておるとは思いません。いわゆるそういう真相を十二分にせんさくして、なるほどこれでは存続しなければなるまい、あるいは存続してはならない、すべきではない、いろいろな判断が出ると思います。そういう判断の資料を求めるためにも、全国各地域の関係職場その他の場所を実地に私どもは踏査して、その当時のできごとを思い起して、真相を誤まりなくつかむ、こういう熱意を示すべきだと思います。従って、われわれ社会労働委員会の構成メンバーはだれ一人として私はそのことにいやと言われる方はないと思います。みな熱心であります、どこまでも行きます、行かなければならぬと思います。もしそれをわれわれが拒みあるいはちゅうちょするならば、これは議員としての職責を全うしたことにはならぬと思うからであります。そこで私はそういう前提から考えますと、そんならあの当時の電産、炭労のストライキというものは、経営者側は公共の福祉をこわすまいとして一生懸命に努力したけれども、労働団体がむちゃくちゃをやったのだ、こういうような資料が出てくるかどうか、私はこの点についてはなはだ疑問というよりもむしろ逆なことを考えている。そうじゃなかった、一昨日もどなたの発言でしたか、四十数日間団交を拒否し、逃げ紡げたのは経営者であった、こういうことを言われたと思います。その言葉を聞くまでもなく、われわれはよく知っておりますが、そうなると、労働組合が労働者の要求を相手方経営側に持ち込んで参りますためには、当然団交を行わなければならぬ、団交を行うといたしますと、法も命じておりますように、団体交渉には応じなければならぬはずであります。それならば四十数日間もあの重要な問題をはらみつつある労使関係の中で団交を拒否し、身を避けるということにうき身をやつした相手方経営者、資本家の諸君が、果して公共の福祉に対して心を用いておったと言えるかどうか、この点について一つ大臣の御見解をお聞きしておきたいと思います。

倉石忠雄自由民主党労働大臣

○倉石国務大臣 だいぶ長い間いろいろ御高見を拝聴いたしましたが、私は学者の意見を尊重しないというのではないのでありまして、私どもの民主主義国家においてはやはり大勢の人の意見を承わる、従って国会の運営にはやはり参考人というふうな方に来ていただくわけであります。参考人というのは私どもが意思決定をするときの参考に御意見を拝聴するわけでありますから、それを十分拝聴して、そうして三年前の国会議員は多数でこれをおきめ下さったわけであります。数の多数はやはり国民多数の選挙によって選ばれてきておるものでありますから、もちろん少数党の方々の御高見を十分述べていただき、それを判断の資料にいたすことは当然でありますが、政府はこういう法律が必要であるから一つきめていただきたいということを出したので、国会の多数においてそれを御決定下さったわけでありますから、これは国会の意思として、国民の意思として民主主義的ルールによって決定されたものでありまして、私どもは今あなたのお言葉の中にあった、多数で無理押しをするとかなんとかというお話でありますが、無理押しということであるならばすべての国会の決定というものは無理ということになるのでありまして、それは民主主義のルールによる選挙ということを否定することになるのでありまして、私どもはそういう御意見には同調いたしかねるのであります。やはりこの事柄について御不満である場合には、御承知のように民主主義国家においてはその次の選挙において、こういうおもしろくないことをやっておる政府与党は少くしなければならないという努力をして、そうしてその反対党が多数になって初めて今までやってきた政策がくつがえされる。ローマ法王に強圧されて自分の学説を翻したかのごとく言われたガリレオのごとき学者がございますけれども、やはり正しい真理というものは幾ら権力で押えつけたって真理は真理でありますから、そういう全体主義国家のような、独裁国家のようなことは今の日本ではできないのでありまして、民主主義のルールによって行われておるということは中原さんも御承知の通りであります。私どもは、政府がこれをきめるのじゃないのであります、妙なことを申し上げるようでありますが、皆さんにきめていただくのでありますから、十分に一つ御審議を願って決定をしていただきたいと思います。  それから三年前の争議のことにつきまして、団体交渉に対する経営者の態度について御批判がございました。私は今寡聞にして四十幾日間団体交渉を回避いたしておったところがどこであるか、明確に存じておりませんけれども、もちろん電気は公益事業に指定されておりますから、いろいろな法規、規則によって公益事業というものはその経営についてすべて規制を受けておることは御承知の通りであります。もちろん私どもは、経営者側においてもこの組合側の要求について十分理解ある態度をとってもらうことはわれわれが要望いたしておるところでありまして、将来もそういう方向に進んでいくために、前国会において出しましたような重要産業についてはおのおの労使協力する労使協議会を作って、平素からそういう経営及び労働問題についての協議をして、相互に理解を深めるようにということで指導いたしておるわけであります。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 民主主義のルールについての御見解が述べられましたが、そのことについては今議論しても仕方がないことです。これは相当私にも議論があります。われわれは決して民主主義の法則を否定してものを言うておりません。民主主義のルールの上に上ってものを言っております。決して誤解しておりませんし、しかも大臣の御所見というのは残念なことには相当独断論がありますし、無理がある。それが通ったのでは大へんなことになりますが、これは別といたします。  そこで経営の方にも経営上の国家的な規制が行われておるということで、従って経営の方は無理はなかった、ことに四十数日の団交拒否の問題については寡聞にして私は知らない、こうおっしゃるのですが、私はいやしくもこの法規を扱う担当大臣としては、これは責任を重んずる立場からの発言とは受け取りがたい。そういう大それたことをやっておきながら、それの経営に対して、おれは寡聞にして知らないということで逃げられるとすれば、一体大臣は、担当大臣として、主務大臣として責任を果しておると言えるかどうか。これは反対論がそこに相当の根拠を持っておるとすればなおさらのこと、そうではないならそうではないと言い切ってもらいたい。そうではない、とんでもないことを言うな、毛頭ないぞと言われるならば、たくさんあるという議論を私はしなければならない。それを、寡聞にして知らないという言葉でさっと片づけられたのでは、国民が納得しないと思います。ことに消費大衆は納得いたしません。なぜかといえば、たとえば電産について申しましょう。たしか佐々木君が一昨日そのことを追及しかかって、時間の関係でごちゃごちゃになってしまったような気がするのですが、いやしくも佐々木君の発言とあれば、これは徹底的にきりをもみ込むくらいやってほしかった。従ってもっともっと発言の時間を保留しておいでになると思いますから、あとの継続発言を期待しております。  それで私が単なる一般労働者の立場から考えまして、こういうことを伺いたいのです。あのときにスイッチ・オフあるいは電源スト等々のことがあったわけですが、労働者のストライキによって停止された電力の量は、全送電量のうちどれだけの位置を占めておったか、こういうことなんです。この場合ばく然とでもいいですから、ただ大まかに知っておきたいと思うのです。これについて一つ政府から、はっきりと当時の記録に基く御証言が願っておきたい。一応そのことを聞きましょう。

岩武照彦通商産業事務官(公益事業局長)

○岩武政府委員 昭和二十七年の電産ストは、九月二十四日から十二月の十一日まで行われております。正確な数字、ことに喪失電力量の正確な数字はちょっとはっきりいたしておりませんが、大略停電ストを除きまして、いわゆる電源関係のストと称せられるもので約三億六千万キロワット・アワー程度かと考えられております。そのうち、会社側の運営によりましてセーブしました電力量は約七千八百万、差引いたしますと二億八千万程度が喪失された電力量かと思います。これは全体の何割に当るかというお尋ねでございますが、この期間は全体で約三カ月でございますが、当時の発生電力量は月間約三十億程度でございますから、まあ二割ないし三割程度に当るのではないかと思われます。そのほかに変電所等におきます職場放棄あるいは溢水無効放流等もございましたので、この喪失電力量は期待しましたものに比べればもう少し多くなるのではないか、こういうふうに考えられます。その点は正確につかめませんが、先ほど申し上げましたような時間的な関係だけで約二億八千万ということになっております。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 そこでその送電された残余の量がどういう方面で消費量を減殺しておるか、それはわかりますか。

岩武照彦通商産業事務官(公益事業局長)

○岩武政府委員 当時の正確な停電の範囲等は、これはなかなかつかめません。御承知のように電源ストでございますれば全般的に供給力が減りますが、どこの方面でどうなっておるかわかりませんが、変電所以下の単位である程度見ますれば、やはり各方面に広く及んでおるようであります。工場関係が比較的多いようでありますが、一部は家庭等に及んでおるところもこの期間にはかなりあったように承知いたしております。詳細な内容、地域等は実は正確なデータがございませんので、ちょっとお答え申し上げかねます。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 当時における電力の消費大衆についての詳細な資料をほしいのですが、まあいいでしょう。しかし私どもは、非常に重大な問題でありますから、電気がどういうふうに使われてどういう状態が当時起ったかということは、実際的にはかなり広く調べておるわけですから、大体を知っておるわけです。おそらく私どもの当時の常識で判断する結論が実態とあまり違うておらぬとは思うておりますが、そのことは別に今議論せぬでもいいと思います。  そこで総電力量の中で、たとえば大口消費の地位と小口の地位と一般の大衆といいますか、そういう三つに分けますと、大口の地位というのが、大体われわれの常識では八〇%くらいにわたっておるのではないか、こう思うております。もしそうだとすると、その八〇%からにわたる消費量を占めておる大経営、まあ大口消費というものが、このストライキによってどういう影響を受けたであろうか、こういう判断がその次にほしいわけなんです。政府はもちろん大体の御判断を持っておいでになると思いますから、その点について、一応できれば数字的に、もし不可能ならばパーセンテージの程度でもよろしいからお知らせ願いたい。

岩武照彦通商産業事務官(公益事業局長)

○岩武政府委員 ただいま大口の消費電力量が全体の八割の部分ではないかというお話でございましたが、昭和二十九年当時におきましては、大口と申しますのは御承知のように受電容量五百キロワット・アワー以上のものをわれわれはそういっておりますが、二十九年におきましては、約六割程度でございます。八割までは及んでおりません。電灯は合計といたしまして一割七、八分、残余が大体お話がありました小口動力と申しますか、あるいは業務用とわれわれが称しておりますビルとか大きな建物とかいうふうなものの需用でございます。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 パーセンテージのせんさくはいいとしまして、やっぱり大口といわれる消費のパーセンテージは政府の資料に基いても六割、しかしそれは少し無理があると思うのです。大と認定する内容ですね。どこからを大というかというところに問題があるわけですから、その議論はよろしい、いたしません。なお電灯の一七、八%ですか、電灯というのも必ずしも一般消費者、国民大衆だけが対象ではないのですね。電灯というのはいわゆる大経営も電灯は持っておる。違いますか。

岩武照彦通商産業事務官(公益事業局長)

○岩武政府委員 電灯と申しますのは、これは電気の方の扱いの問題もございまして、大きなビルなんかでつけております電灯は電灯扱いをしておらぬと思うのでございます。これは入っております線の容量、電圧等が違っておりますので、中でおろして電灯とかあるいはエレベーターとかに分けております。従ってわれわれが電灯と申しますのは、定額灯あるいは従量灯になっておりますが、比較的いわゆる生活に密着した面の需用、ことに夜間の需用が多いのであります。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 そこで残余の、つまり二〇ないし二二、三%というのが一般の動力などの消費量ということになるわけですね。そこで当時の模様をちょっと想起いたしますと、切った電源を経営の方でいろいろ操作をいたしまして、どこへはどうしても送らなければいかぬ、どこはむしろ送らぬ方が戦術上賢明である。いわば国民のごうごうとした憤りを激発することの方が有利だから、これは切ろうという作戦が実はあったわけです。これは一つの作戦ですから、作戦に乗った方が負けですけれども、そういう作戦もあったことをわれわれは了承しております。これは政府の方で明確にそれに対する答弁もできようはずはないと思いますが、とにかく経営の方ではあの当時切った電力の取扱いの問題について、かなり手の込んだことをやったわけです。いわばそれはストライキに対する一つの応酬戦術です。その応酬戦術とそれを受けなければならなかった労働者の側との対立抗争もあったわけですが、いずれにいたしましても、そういう手の込んだことが当時行われた。そこで大口の消費につきましては、あのストライキは実は影響を与えようとしたのだけれども、比較的経営の方の協力が向うへ効を奏しまして、比較的影響が少なかった、こういうことが言えるわけです。従ってそういう手の込んだストライキの様相でありましただけに、そこにやはり回そう政府の良識があのときほど必要だったことはなかったのではなかろうかとさえ思うわけです。ところが不幸にして当時の政府の判断というのは、どうも無意識的ではありましょうけれども、無意識的であるだけ、それだけなおさら問題は本質的になるのですが、経営の側に立っての判断が多かったようにわれわれは見受けております。そこで労働者の側から申しますと、あの電気を消す対象としては大口消費の方へむしろ振り向けるという意図をもって行われておったように伺っておりますが、そうだといたしますと、労働者の意思は消費大衆に迷惑をかけまいとする努力がその中に非常に払われておったというふうに相なると思います。だからこそ当時ある一局の地域を見ますと、実はその通りの現象が出ておる場所もあったわけです。ところがそういういろいろな両者の戦術上の対抗があったのですが、そういう中で政府がしばしば口ぐせのようにおっしゃる公共の福祉をそこなうてはならない、公共の福祉を擁護する意味において云々、こういうことをいわば乱発されるわけです。とすると、何だか公共の福祉と労働者のストライキは対立しておるように聞えるわけです。労働者のストライキというものは、公共の福祉をじゅうりんするものである、こういうような印象がその中でどんどん盛り上げられてきた。これは私は物事を公正に判断して良識ある結論を求めようとする努力者でなければならぬはずの政府のなされ方としては、ちょっと意外に思うわけです。そういうことじゃ因る。そうじゃなくて、真実はどうであったかということを国民が理解できるように政府がむしろ努力すべきじゃなかったか。そこに政府は両者の階級から離れた中庸の線を守るということになるのじゃないか、そう私は思うのです。そう期待するわけですが、しかし残念なことに、私どものそういう期待はまことにささやかな期待で、どうにもならぬようです。どうも無意識的にも経営の側にぴったりとついておるということでありますから、そこに公共の福祉と労働者の行為というものが対決しておる、正面衝突しておる、ぶつかっておる、こういうふうにしきりと流されたわけです。そういう概念さえひょっとしたらできておったかもしれません。そういう中でいわゆるスト規制法なるものを打ち出されたのでありますから、国民としても、どうも判断のつけようがなかったのではないかということを私は想像いたします。ところがそれだけの事情の中にかかわりませず、やはりこれは行き過ぎである。学者の先生たちもそう言われましたが、どうもこれは大経営に対して政府が力こぶを入れてこれに協力する態度をとった。できた法律は大経営の、特に独占資本の利益を守るために、この立法措置がなされた。従ってこれは憲法の命ずるところに逆らうておる、こういう結論が従って当時非常に強く出ておったわけです。これらのいろいろな姿をもう少し整理して政府なり国会が判断をする責任がやはりあるのじゃないか。ことにそのことがとにかく国民の意思に反しておったにしましても、大臣の言葉をかりて言えば、民主主義の手続に基いて、多数決できまったのだから、国民多数の意思がそうであった、こういうふうにそこへぴしゃっと持ってこられますけれども、やはりそれは相当議論のある点でありまして、必ずしもそうは理解できない。ただ、たまたま選ばれた国会というものがこれに賛成する勢力をたくさん持っておった、国会の中に勢力がたくさんあったということにすぎぬのでありますから、これは私はやはりもっともっと論議をする必要があると思うのです。まあそれはいいのですが、いずれにしましても、そういうような様相の中でなされた法律の措置でありますから、やはり違憲論があればあるだけ、なおさらその違憲論に対して、何とかしてそれを切り抜けようという判断じゃなくて、もう少し誠実を込めて憲法の精神をくむために努力するという必要があったのじゃないか。これらの、私が今申し上げましたような判断について大臣はどう思うておいでになるか、一応この際聞いておきたいのです。ただ私が前提しますが、大臣はさっきからも承わるようになかなか名論家です。大臣はうまいことを言います。これは有名ですから、大臣の言うた言葉を三分の一くらいに聞いておかぬと、どうもしばしば誤またされる、こういう習性を持っている。むだごとを申しましたけれども、それを前提しながらも、一応大臣の判断を聞いておきます。

倉石忠雄自由民主党労働大臣

○倉石国務大臣 私は誠心誠意、真実と信じているところを申し上げるのでございますから、三分の一だけでなくて全部聞いていただきたいのでありますが、今のお話のように、政府は国民大衆の利益ということをまず第一に考えて、そういう建前から、憲法二十八条の労働基本権というものも、やはりそのことを野放図に自由に国民の自由権というものを許しているのではないのだ。きのうもどなたかに申し上げましたように、われわれが銀座通りを歩くときに、どこの道を歩こうと、これは自由であります。しかし大ぜいの人が団体生活をするためには、横っちょの方から通る人を通してあげなければだめですから、やはり赤い信号の出たときにはとまる、青くなったら進んでいく、こういうことはやはり団体生活には一番必要なことであります。しかしおれはそこを歩く権利があるんだからということでつっ走るということは、赤信号のときにそれを横切っていくということは、それは団体生活を阻害することなんだから、そういうことはおもしろくないではないか、こういう考えなんであります。つまりなるほどこの停電ストというふうなものが行われまして、それはあるいは大工場の供給が割合多いかもしれませんが、この法律によって期待いたしておるところは、もし自由にそういう停電ストというふうなものを、労働基本権の発動であるということで自由に行動されるということが許されるといたしましたならば、それはどういうふうな方面にでもやはり停電も行われるということになるのであって、それは憲法の予定いたしておるところではない。つまり、きのうも私は申し上げましたように、インド憲法であるとか、あるいはイタリアの憲法、その他の国の憲法にも、みんな労働者の基本権、これにはやはり他の法令の定むる範囲内においてというふうなことをうたっておりますが、日本ではそういうことを特にうたわぬでも、やはり憲法十二条及び十三条には、国民に与えられたる自由権というものは、これを乱用してはならないといっております。つまり大ぜいの人の利益のためには、やはり国民の自由権というものは、大ぜいの人の利益を尊重するという建前で制約を受けることは当然である。従って堅実なる日本の労働運動がだんだん育成されて参りますならば、やかましい規則などを作らぬでも、今申し上げましたような、団体行動を円滑にしていくような労働運動が行われるようになる、そういうことを私どもは期待いたしておるわけであります。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 当時の送電不足になりました大きな原因が数々あったわけですが、もちろんストライキもその一つの理由に数えられておりますけれども、まだほかにあったことをわれわれは忘れてはならぬと思います。いわゆる公共の福祉に云々という言葉とつながるわけなんです。当時駐留軍がいろいろなところで、実に日本人の常識では判断がつかぬほどにぜいたくに電気消費をやっておりました。そのときに、これは全然問題にならない、これはもう仕方がない、絶対命令であるというふうな判断でしか、それは全然、特に政府としては議論になっておりません。私はこれに一つ問題があると思う。どうしてそういうような野放図な——それこそ野放図もない電力消費が一面ではでかでかとなされている。それだけは別個において、その残りの部分についての争いをしておる。いわば国民がその残りでAだBだといってけんかをしておる。こういう形が出ておったことも、またわれわれは今日の情勢下における日本の国民としての判断の資料にする必要がある、そう思います。そこで全般の送電量の中で駐留軍が消費しておった量はどれだけあったのか、これはぜひともこの際聞いておきたい。これは判断の資料なんです。聞いておきたい。  それから石炭不足とか、渇水とかいうことが当然あったわけです。従って、さなきだに電力は一応不足をしておったということにもなるわけですが、そういうような情勢の中における労働階級の立場というものは、政府としてはどういうふうに理解しておいでになったのか、これもこの場合この政府の提案に対するわれわれの見解を明確にするために聞いておきたいと思います。

岩武照彦通商産業事務官(公益事業局長)

○岩武政府委員 前段の御質問にお答えいたしますが、駐留軍の需用は、当時大体六億キロワット前後だったと思います。全体の一%ちょっと上回っている程度であろうと思います。  それから先ほどお話がありましたが、この電源ストあるいは停電ストの際に、電気の供給が大経営の方に有利に供給されたのではないかというようなお話でありますが、実際はこまかい当時の事情は私も存じませんし、またストライキをやっている組合側の作戦もよく承知しておりませんが、われわれの普通の常識といたしましては、電気が不足になりますと、まず大口の消費のところを押えて参る、これが一番大口であり、しかも手取り早く調整がききますから、現在でも少し水が減って電気が足りなくなりますと、まず大口の工場を先に落してしまいます。その次に一般の低圧供給といいますか、配電線に手をつけますが、これはよくよくのことで、それまでに至ります間には、たとえば大口工場の方を押えましたほかに、休日を振りかえるとかなんとかいうことでやりました結果、どうしてもやむを得ないときに、電燈線あるいは小口工場なんか集まっております一般の配電線に手をつける、これがわれわれの普通の常識でございます。当時もたしかそういうことで大口工場を押えて、最低のぎりぎりの——保安電力がございますから、保安用の電力を確保して、なおどうしても足りないということで一般線の方に手をつけたんじゃないかと記憶いたしておりますので、特に大口経営に有利に処理したということはないのではないだろうか、こう思っております。ただ先ほど申し上げましたように、相当広範囲かつ大きな量の電力量が消費されましたから、結局その影響は広くなりまして、大口工場を押えただけでは間に合わなくなって、一般線の配電線に手をつけた。家庭等の電燈線も、地域によりましてはやはり停電せざるを得ない、こういう状況ではなかったかというふうに記憶しております。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 大口の消費を一番に押えることが便利だからでもあるし、またそういう主観は持っておいでになると思います。しかしながら、その当時の日本の社会の実態の中で、ほんとうにそのように行われておったかどうか、これは重大な点でして、やはり一応この実態を調べてみる必要があるわけなんです。なおそれだけでなしに、その大経営の方からかなり大きな反撃が出まして、政府がかなり文句を言われたという事実も想起し得るわけです。そのことはいいのですが、いずれにいたしましても、そういうようなかれこれしたいきさつの中で、経営側の責任というか、これは不問に付してもいいのかどうか、経営側の責任、ことに争議の中における配電の措置について、電力経営がやりました、大資本家の考え方というものはまことに驚くべきものがあったわけです。これは皆さんもだれでも気がつくのですが、当時小坂君が労働大臣であった。たしかそう私は思っている。小坂労働大臣です。これはいろいろ関連を考えてみると、われわれがすなおに受け取りがたいものがたくさんある。それは私がそれだけ申し上げておけば皆さんにはわかると思うのです。当時の小坂労働大臣が個人的にどうこうというのじゃございませんけれども、どうもそこに妙な関連が出てくる。親子がどうであったか、日本のその当時の電力経営等々の関係の中でどういう地位を占めておったか、そのことがどういうふうになったかというようなつながりというものを国民は知っておるわけなんです。それを国民が知らぬのではないのです。ですから私はそこでよほど公正に言動しておきませんと、そういうことがうなずかれてくることになると思うのです。これは親切な注意なんです。非常に大事なことです。ですからそういうことをかれこれ見ますと、当時経営の方におかれてはかなり反撃が出たということもありまして、その間における経営側の社会的責任を政府はどういうふうにお取扱いになったのか、同時にそれと関連いたしまして、団交を回避したという事柄については不問のままでいいのかどうか、こういう諸点について政府はどういう御努力と対策を持たれたのか、これを伺っておきたい。

倉石忠雄自由民主党労働大臣

○倉石国務大臣 先ほど具体的のお話がありましたのを今聞いてみましたが、中原さんも御承知のように労働争議でございますから、大体労働条件の問題について樽爼折衝が行われ、意見の対立があって争議行為になる。そういう結果、双方がしばしば団交があっても、なかなかその間にいろんな事情があるようであります。従って労働組合側にも経営側の納得できないような主張もあるでありましょうし、経営側の方も労働組合の納得できないようなことを主張する場合もありましょう。そういうことで団交が非常におくれたということもあるようであります。政府といたしましてはもちろん具体的にはそういう場合に、その後もやっておりますけれども、経営者側に対しても実情を聴取いたしておりますし、組合側からも実情を聴取して、こういうふうなことはやらない方がよいではないか、あるいはこういうふうにしむけられてはどうかというふうな注意勧告をその後もしばしばいたしておるのでありまして、この法律について私どもはもちろん、経営側の注意もしばしば喚起して参っております。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 そこでしばしば政府が引用されました憲法なのでありますが、十二条、十三条というと、すぐに公共の福祉に対する問題が強調されるわけです。しかし憲法は必ずしも公共の福祉を第一義に取り扱ったのではなかったのではないか、私はそう思っております。それで公共の福祉は非常に重大ですが、全一の福祉を取り扱う前に、個人の権利、自由、こういうことがかなり慎重に検討されたものが新憲法ではなかったか、そう思います。これはお互いに、新憲法の提案されました当時いろいろ検討もしたわけでありますから、だれにしても、おそらく当時の国会に席を置きました者はみな専門の委員であろうとなかろうと、一生懸命に憲法を追求したと思います。その追求によりますと、その前文でちゃんと書きましたように、国民に今まで失われておりました、持つことのできなかった人間の権利、自由、こういうものを何とかして生かさなければ新しい近代国家はとてもできないのだ。こういう判断をみなが持ち続けたわけであります。その判断が新憲法の基底をなしておると私どもは理解しておりますが、そうだといたしますと、今度のスト規制法というのは、ただいまお言葉がありましたように、経営に対してもできるだけの措置は講じたという程度であって、具体的に国家権力で経営に対してはものを言っておらぬ、よう言わなかった、言えなかった、また言う手続もない、法的基礎もない。そういうことなので、ただ良識上こう言ったということでしかないと思います。ところがただいま申しましたように、近代国家を形成する一番基底としての基礎条件としての人間の権利、自由、これを何とか守り上げなければならぬというので事あるごとに精魂を傾けた新憲法です。その新憲法がやはり旧憲法的のいわゆる日本帝国憲法的の判断で見られておるのではないか、そのことがあるがために個人の自由、権利というものが軽く取り扱われておる。従って新憲法の精神かのみ込まれておらぬ。そこで私はこういうことになってくるのじゃないかと思う。だから平気で新憲法の精神をじゅうりんして、しかも言葉たくみに公共の福祉にかぶせてしまって、そうしてこういう措置を講ずることをもって恥じざるものが出てきたのではないか、かような判断が出てくるわけであります。そこでもし労働階級に対して、こういうスト規制法という名前で——名前は規制という言葉を使っておりますが、実は規制ではなくて、ストライキ禁止法です。そう言いますと大臣はいつやら本会議でだれかの質問に対して穴があったものだからその穴をつかまえてゆすぶられた。さすがになかなか大臣は手に負えぬと思いました。団体行動権ということをその人が落した、そうしたら団体交渉と団結権という問題だけをあなたは強調された。行動権をそういう意味でやるんだということを非常に強調されたのですが、なかなかうまく言われたと思いました。しかし質問者の意思はそうじゃなかったのです。結局団体行動権というものを抑制されるということは同時にストライキを否定することになるわけですから、ストライキを否定することが立法の趣旨だということになって参りますと、資本主義的な判断で考えましても、一面には経営に対して何らかの措置を講じなければ公正を欠く、こういうことに理屈はなるように思うのです。これは私の判断というよりむしろ一般の判断です。一般の判断としてはそうなっている。労働者だけを根本的にやっつけてしまえばいいということじゃなくて、そういう窮屈を労働者には与えておいて経営には遠慮をするということでは公正を欠くのじゃないか、こういう議論が一般論として出ると思います。これは資本主義の立場を謳歌する方の立場から考えても当然出るのであります。出なければ公正でない。しかしながらよく判断してみると、ただいまもいろいろ御説明がありましたけれども、経営に対しましては、どういう場合にもこれを規制する法的な権力をその上にかぶせられないということになるのじゃないか。従って、このスト規制法に対する問題の論議は別にいたしましても、いずれにしても経営者に対してはどうなるのか、何もせぬでよろしいのかどうかということなのです。これを一つ、かれこれした話の中から出てくる結論として一応聞いておきたいと思うのです。どういう言葉を使ったらはっきりしますか。経営規制法というようなもの、経営者を規制するというような一つの法的な措置が当然考えられなければならぬのじゃないかということなのですが、この点を一応承わりたい。

倉石忠雄自由民主党労働大臣

○倉石国務大臣 中原さんのお説のように個人の自由をあとう限り尊重する建前でなくちゃならない、これはわれわれの要求いたしておるところであります。日本の国民がみなそのことは同感だと思います。最近小説家の石川達三君がソ連圏諸国を回って帰られましてから、個人の自由をあまり追求しておったのでは国家の復興がおくれる、やはり一面には全体主義的な方向を持っていく方がいいといったような論説をこのごろ出しまして、これが非常に論議の的になっていることは御承知の通りであります。われわれはそういうソ連圏のような方向にいくことは、日本としてはだれも賛成しないでありましょう。そこでこの個人の自由というものをあとう限り伸ばし得る方向に、われわれ国会議員というものはだれも考えていることでありますが、それはさっきからしばしば申しておりますように野放図であっていいはずはないのでありまして、やはりわれわれの個人的権利の伸張というものも、国民大多数の利益をそのことによって阻害するような個人の自由の追求ということは慎しむべきである、これがわが国の憲法の底に流れておる思想であろうと思います。先ほど申しました諸外国の憲法の労働関係のところを見ましても、やはり他の法律に定むる範囲内においてということをわざわざうたっておる国が御承知のようにほとんどであります。しかしわが国はそれがなくても、やはり今私が申し上げましたようなのがわが国の憲法をわれわれが制定いたしたときの精神でございますから、その範囲においてわれわれの個人の自由権というものはあとう限り伸張するようにしなければならない、いやしくも官憲の力などで個人の自由権をそこなうようなことがあってはならないのであります。そのことは全くそういう考えであります。  そこで今その次にお話のございました経営につきましては、私どもといたしましては、御承知のように公益事業については、公益事業令というもので事業経営についていろいろな角度から束縛いたしておることはすでに御承知の通りであります。もちろんそこでこの争議行為というのは、もうすでにあなたもよく御承知のように、大体組合側と経営者側とが、民間産業におきましては労働条件についての話し合いその他の意見の一致を見ずして行われることでございますから、これはどこまでも経営側と労働組合側とが十分に話し合われる。せんだっても私がこの席で触れましたが、公益事業である電気事業などについて強制仲裁の制度を設けたらどうだという御意見もしばしば出ております。われわれもそれについては将来ともに研究を続けるつもりでおりますけれども、どうも経営側も労働組合側も第三者が介入してくることを極度にきらっておる、これはもう御承知の通りであります。どこまでもやはり労働組合と経営者側というものは労働条件について、民間産業においては自主的に決定したい、第三者の介入をなるべくしないでもらいたい、こういう傾向であります。これは当然なことだと思うのです。しかしながら私どもとしては、一般国民の生活に利害関係の深い事業につきましては、経営側についてももちろんいろいろな今申しましたような規制もございますし、なおそういう民間産業における労働争議行為は、あとう限りこれは憲法の基本権を伸張することにおいて自由にしていただくのでありますが、その自由が行き過ぎて、憲法の底に流れておる国民大衆の利益をそこねるようなことは許すことはできない。従って今度の法律でも、ただいまストライキ禁止法だというお説でございましたが、それは私よりもあなたの方がよく御存じであります。電気産業及び石炭鉱業について今度の法律が果して禁止的規定であるかどうか、こういうことはもうあなたは口でそういうことをおっしゃいますけれども、大衆がよく知っているのであります。直接電気をとめることと、同時にまた炭鉱においてはわずかに保安業務を怠ってはならないということでありまして、せっかく労働争議が終りまして、労働者がその職場に帰ってこようとするのに、保安要員を引き揚げた結果、石炭の鉱坑の中に水がたまったり、ガス爆発したりして、労働者が帰るべき職場を失う。同時に国家的な大きな財産を滅失してしまうというようなことは、決してこれは国家の利益ではないのでありますから、そういう危険なことはしてはならないということだけ規制しておるのであります。あなたも非常な御研究家でございまして、かねがね私はあなたの研究に対して、敬意を表しておる次第でありますけれども、たとえばイギリスの共謀罪だとか財産保護法などには、ガスや水道まで加えて、しかも争議手段の一つの手段ではなくして、全面的にこれに対して制約を加えております。諾外国の立法例についてもたくさんあることでありまして、あなたが立場にこだわって故意に御反対なさるならば別でございますけれども、この程度のことはやはり国民の利益を代表しておる政府としては、国民に電気など消えるものではないのだという安心感を持っていただくということは、政府の義務ではないか、こういうふうに考えておるわけであります。

佐々木秀世自由民主党

○佐々木委員長 中原君に申し上げますが、大体のお約束の時間から三十分経過しております。十二時半で暫時休憩したいと考えておりますので、一つ結論に入っていただきたいと思います。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 残念ながらわれわれは発言の時間が制約を受けておりまして、言いたいことは山ほどあっても、その十分の一も言えないわけです。はなはだ残念です。しかし方針を乱すわけじゃありませんから極力御協力申し上げます。  そこで、今大臣からせっかく外国の例をおあげになられて、どうもイギリスあたりで云々ということでございますが、そうなるとやはり外国の例を聞かなければならぬことになる。外国にわが日本が今施行しておるような、いわゆるスト規制法に類似の立法措置が、少くとも先進国の英米独仏ですか、そういうところで何かありますか、聞かせてもらいたいのです。

倉石忠雄自由民主党労働大臣

○倉石国務大臣 政府委員の方から今御説明申し上げます。

石黒拓爾労働事務官(労政局労働法規課長)

○石黒説明員 外国の立法例につきましてのお尋ねでございますが、イギリスにおきましては御承知のごとく一八七五年、共謀罪及び財産保護法の第四条におきまして、都市に対する電気、ガス、水道の供給の大部分を絶つというような労務契約の破棄は禁止されております。また同じく第五条におきまして、人命もしくは重大高価なる動産、不動産に対する破壊、重大なる損壊ということを禁止しておりまして、この英国の立法例はわが国のただいま問題になっております法律とかなりよく似たものであろうかと思います。なおそのほかに電気につきまして争議行為を全面的に禁止する、あるいはいつでも政府がとめられるといったような立法例は、これは申し上げてもよろしゅうございますが、非常にたくさん各国にあるわけでございます。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 共謀犯に対する云々というようなイギリスの立法措置が引例になりましたが、おそらく世界のどこを調べましても、特に先進国といわれる各国においては、ストライキを規制するどころか、むしろ実質的にはストライキをなし得ざる状態に追い込むような立法措置はございません。それはなるほど電気、水道、ガス等に対する特別な措置を講ずるということはあり得るとしましても、日本のスト規制法に見合うような法律がもしあるとおっしゃるなら、どうも事務当局におかれても、ただこういう法律があるということならばわかるけれども、そういう説明をお加えになるということについては政治的責任があると思う。われわれはそう簡単にそうでございますかといって引き下るわけに参りません。そうじゃないと思うのです。やはりそういうことではなしに現行のわが日本のいわゆるスト規制法なるものが行動しようとしておるような、そういう法律行動がよそで許されておるかどうかということが問題になると思います。ただいま御引例になったような、そういう十九世紀の終りごろにできたような法律は、今晴れ晴れしく引用される法律には値しない。今日は一九五六年でありますから、二十世紀も後半に及んでおります。そういうことですから、それとこれとの法律的な解釈についてはだいぶ私は距離があると思います。ただそう言えばそういうことが言えるということはあるかもしれない。しかしそういうことは私の質問の答えとしては、まことに不適当であります。いずれにいたしましても、外国のことをしきりにおっしゃる政府におかれても、スト規制法の説明に外国の例をどんどん出してきて、だからうちでもやるんだということの説明にはなりがたいと思います。だからそういう無理は言われぬ方がいいと思う。われわれも多少いろいろ研究し、あるいは聞かされてものを言っておるわけでありますが、そういう無責任な発言によって事を糊塗するということはやめてもらいたいのです。そういうことじゃない。むしろそういうことなら、それに類するものが日本にもたくさんあります。ですからあえてスト規制法を出す必要はない。ただ問題はそうじゃなくて、スト規制法なるものがここに出現したことに問題があるのですから、やはりそれに感度が合うような立法措置がかくのごとくになるということにならなければお答えにならぬじゃないか、私はそう思います。その議論をする必要はないのでありますが、とにかく国民をそれで錯覚に陥れては困るのであります。残念なことには、わが日本は非常に野蛮な措置を講じておるわけで、これだけはやはり私どもとしては許しがたい立法措置であると言わざるを得ないのでありますから、あえて申し上げておるわけであります。  なお先ほど申しましたように、経営に対して大資本に対しては、それを規制する措置、実際法律的な効力を持っておるものがないというのが現状であります。それはいろいろ業務規程や何かはあるけれども、そんなことではなしに、やはりそういう法的な措置がなされておらぬ。従って私はそれじゃ意味が違うじゃないか、ことに先ほどから何べんか申し上げましたように、ストライキを行う場合には、やむにやまれざる問題があって、ストライキになっておるわけでありますから、そのストライキの一方の相手側の経営者としては、その団体交渉に応ずべきである、それに応じなければならぬ。ゆるやかな規定ではどうにもなりません。彼らにはそういう良識がありませんから、そうでなしに応じなければならぬという法律的な義務をつけなければ私はだめだと思います。従って応じなければならぬという一定の義務を明確に規定づける、こういうことがやはり要るんじゃないか。特に電産、炭労のストライキの一番大きい原因、あれがあのように長引いたときの一番大きな原因というものは、団交に応じなかったことにあるということはたれもよくわかっておりますから、やはりそこにしかるべき措置が経営者に対しては講ぜられていなかったということを意味するわけであります。ですからこれに心をお用いにならぬようなことでは、政府が公共の福祉をほんとうに考えておいでになるということにならないと私は思います。公共の福祉というものは、先ほどから申しますように、ストライキが公共の福祉と正面衝突するのと違うのです。この点は明確にしておかなければならぬのです。そうじゃなくて、争議を解決するための努力を払うためには、経営者側に大半の責任があるわけです。だから団体交渉に応ずべき法律的義務を当然ここに規定すべきであろうと考えます。あるいはストライキを破る方法が実は幾らもある、スキャップを入れましたり、あるいは金で買収したり、脅迫したり、ありとあらゆる許しがたいようなストライキ破りの悪方法があるわけであります。これは大臣の言葉をそのまま拝借いたしますと、それこそ野放図でやりっぱなしであります。何をやっても問題にならない。官公労の場合は、もし万一金でどうこうということになると、これはひょっとしたら涜職になるかもしれないと思いますけれども、一般民間企業の場合はそれこそ野放図であります。何でもやります。それはやりっぱなしでストライキに混乱を与えて経営者の勝つにまかすというような形を政府が黙って認めておる。それがしばしば公共の福祉をじゅうりんしておるということになって参りますと、公共の福祉を気になさる政府の立場、また新憲法の精神をどこまでも生かそうと願うてやまないまじめなわれわれの立場から申しますと、この間の責任というものは経営者側に相当重点を置かなければならないような事実があることを見のがしてはならない、そういうことになると思います。従ってそういう諸問題について、経営者において妥当適切な団体交渉を成立させるための熱意を持たせるための規制、そういう規制の方式はお考えになったことはございませんか。もしあるとするならば、どういうことを考えてみたか、今どういう施策を講じておいでになるのか、そういう点をこの際聞いておきたいと思います。

倉石忠雄自由民主党労働大臣

○倉石国務大臣 どうもあなたのお話があまり上手で、ついつり込まれて参りますが、結論において違うものでありますから、そういうところで気がついてつい立ちどまるというようなことで、はなはだ困るのでありますが、皆さん御承知のように、民間産業の争議行為というのは、自由経済のもとにこの人たちが自由にやっておいでになるのでありまして、今私どもが考えておりますある程度の最低賃金制というようなことについては、あるいは将来立法措置が講ぜられるようなことになるかもしれませんが、どこそこの山の賃金は幾らでなければならない——大体御承知のように、この炭労の争議などを見ておりましても、おもなものは賃金の問題であります。こういうことについて政府が、あなたが政府の立場になったときに、どういうことを経営者に規制し命令されようとするのであるか。自由経済の今日において、そういう点について民間企業であっても公共性を持っておる石炭鉱業などについては、もちろん先ほど来申し上げておりますように、労使の協議会というふうなものを設けて平和裏に交渉を続けていくようにというあっせんをして、しかもだんだんそれが成熟しかかってきております。ですからそういう方向で指導いたしていくということはできますが、政府の権力で経営に何らかの規制をしようということになりますと、かえって経済機構全体についてあなたが憂えておられるような結果を招来するのではないか、こういうことであります。ただその行う行為自体が公共の福祉、国民大衆の利益を阻害するような行動だけはあってはならないということを言っておるのでありまして、あとのことは組合と経営者とが自由に樽爼折衝してきめていただく、こういうことは政府の歓迎いたしておるところであります。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 幸いわれわれが政治権力を持つといたしますと、はなはだ問題は簡単であります。けっこうやりますからおまかせを願います。とにかく新憲法の精神を具体的に生かすための方策につきましては、われわれの方では具体的のものを持っております。ことにこの専制と隷従と申しますか、あるいは圧迫と偏狭などというこの悲しむべき実情を永遠にこの地上から葬らなければならぬ、こうきめた新憲法でありますから、この新憲法の精神を間違いなくそしゃくいたしまして、それが実現できるように、われわれはあらゆる施策を施していかなければならぬ、こう考えております。そこであなたの御立場に一応戻りまして、あなたの言葉にそのままつり込まれてあなたの立場に戻って考えましても、経営に対する措置については、一生懸命経営の自由をあなたは擁護する。しかもそのことが公共の福祉を阻害することになっているにかかわらず、これには手をつけられない。けれども公共の福祉に逆らうというので、労働者には手をつける。こういうように御解釈になっておいでになると思います。そこであなたの立場から考えましても、経営に対してもわれわれは放置するわけにはいかない、こういうことになるのが私は良識だと思います。少くとも資本主義的良識であります。資本主義的良識というものがもしあるならば、この際労働階級に対する制約をあくまでやろうというならば、資本に対してもこういう制約をもって臨む、こういうことにならなければ、人の自由とか、権利とか、制限とかいうようなものは軽く扱うても、資本の、経営の自由に対してはどうも手がつけられないというのでは、これは一方的に物事が偏在していることになりますから、これはいかぬと思います。これはあなたのお立場から考えてのことであります。そのお立場から考えて、こういうようなストライキの状態に直面したときの資本家の法的な制約、これをつけることは一つも差しつかえないと思います。これはあなたのお立場です。そういう意味から考えまして、現在の政府が真実に、言葉でおっしゃる通りに公共の福祉、国民の幸福ということを真剣に考えておいでになるのであるならば、私は当然このことを打ち出すための用意と努力をなさるべきだ、そう思います。この点はいかがですか。

倉石忠雄自由民主党労働大臣

○倉石国務大臣 あなたのおっしゃることと私の考えていることは、そこで違うのであります。つまり労働組合に何らかの制限を加えるんだからというお話でございますが、当然なすべからざる行為であるから、これはやってはいけないということを言っているのでありまして、そのほかの団結権、団体交渉権、団体行動権は、労働組合法に保護されている範囲内において正当なる行動は自由でありますから、経営の方でも自由にやっている。そうして樽爼折衝をして、その間に両者の話し合いをつけて、雇用契約を持っているのでありますから、そこでその産業が十分に発展していくように指導していきたい、こういうことであります。あなたが政権をおとりになれば考えがあるとおっしゃる。そのように、たとえば国家がこれを経営するという段階になれば、争議行為はなくなるのでありましょう。あなたも御存じのようにソビエトの刑法などにおいては、そういうことは考えられないことでございます。私どもはそういうことは反対なんであって、自由経済のもとにおいてどういうふうにしたならば労働者の生活を向上することができるかということについては、むしろあなた方より私どもの方が全力をあげて今努力している最中でありますから、われわれの労働政策を一つ御援助を願いたいと思います。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 これはあくまでもあなたのお立場に立って言うのですよ。とにかく公共の福祉をそこなうような行為があるから労働組合に制約を与える、こういうわけでしょう。それなら同じ論法で、公共の福祉をそこなうような大きな原因の一つに資本家の立場、態度があるが、これを野放図にほうっておいてもよろしいのかというのであります。

倉石忠雄自由民主党労働大臣

○倉石国務大臣 どなたのおやりになることであっても、国民の利害休戚の責任を持っておる政府は、公共の福祉に反するような行動は許すことができません。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 そうでありますから、現在の炭労、電産のあのストの経験からかんがみて、労働者を規制する必要がありとなさったのがこの法律なんです。そこでその原因を探究してみますと、まず一番大きい問題は、団体交渉に応じなかった、あるいはこれを回避するために努力した経営ですね、これが争議を長引かした。その過程にいろいろな問題が起っておるので——そのことについてはわれわれはもちろん議論がありますよ。ありますけれども、いろいろなことが起っておるので、だから労働に制約を与える、こうおっしゃるのだから、そんならもう一つの原因の、資本の方には制約を与えぬでもいいのか。この方はそっとほうっておいて、いわば野放図にほうっておいて、労働者の方ばかりたたくといろところに問題がある。だから公共の福祉をそこなうことがあるならば断じて許さないとおっしゃったその言葉を、そのままに経営に向ってなぜ振り向けられなかったか、こういうことなんです。

倉石忠雄自由民主党労働大臣

○倉石国務大臣 あなたの御意見はよく承わりましたが、公共の福祉を阻害する行為は、何人といえども政府は許すことができないのであります。

中原健次小会派クラブ

○中原委員 それでは、とにかく資本家の方には公共の福祉を阻害するような行為なしという前提にお立ちになっているんですね。それなら、そうであったかそうでなかったかということについての実相を調べるために、一つ社会労働委員会は全員で全国を実地踏査に歩こうじゃありませんか。これは委員長に申し上げます。そうしなければ事は解決がつかぬと思います。そうして、実際調べた結果、なるほど労働者が悪かった、労働者ばかり責める必要があるというなら、仕方がありません。われわれは引き下ります。そうじゃなくて、経営の方にかくのごとき大きな責任があるじゃないかということに相なるならば、これはやはり労働委員会としても、あるいは政府当局としても責任上ほうっておけない、こういうことなんです。大臣の発言の前提は、資本家の方はあやまちがございませんでした、こういう前提であるから違うんだ、それはおかしいじゃないか。そこで、公共の福祉に逆らうような行為のあるものは断じて許さぬというのであるから、よろしい、それはその通り、そこで資本家に対してもその追及をしようじゃないか、こういうことなんですが、いかがですか。

倉石忠雄自由民主党労働大臣

○倉石国務大臣 国会の運営のことは政府の関与する限りでございませんから、皆さんできめていただけばけっこうでございます。

佐々木秀世自由民主党

○佐々木委員長 中原君に再度申し上げますが、もう約二時間になりますので——いろいろ午後からの日程もございますから暫時休憩いたしまして、午後二時半から連合審査会を開会いたします。    午後零時三十七分休憩      ————◇—————   [休憩後は開会に至らなかった]

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