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24回国会参議院1956/03/07

予算委員会公聴会 第2号

発言数
45
登壇者
13
会派数
4
開催日
1956/03/07

会議録

西郷吉之助自由民主党

○委員長(西郷吉之助君) ただいまより予算委員会の公聴会を開会いたします。  公述人の方に一言ごあいさつ申し上げます。本日は非常に御多忙の折りをわざわざおいで下さいまして、まことにありがとうございました。公聴会の議題は昭和三十一年度総予算でございます。お一人大体三十分程度で御意見をお述べ願います。順次御発言をお願いいたします。  東京大学助教授大内力君。

大内力東京大学助教授

○公述人(大内力君) きょう私は農業関係ということで御指名にあずかったわけですが、農業関係の問題に入ります前に、少し予算全体のことについて多少感じましたことを申し上げまして、それから農業関係の予算の問題に入りたいと思います。  今度の三十一年度の予算と申しますものは、いろいろ問題を持っている予算ではないかというふうに考えます。そうしてまた結論から先に申し上げるようでございますが、われわれの見るところでは、あまり上出来の予算とは言えないというふうに感じるのであります。そこでまずそれについて二、三考えられる問題から申し上げて見たいと思いますが、まず最初に問題になりますことは、今度の予算が御承知の通り一兆三百五十億というような、名目的に申しますと、日本始って以来空前の大予算になっているということが、すでに相当大きな問題ではないか。しかもその点につきましては、きのう武田教授から話があったと思いますが、実際はこの一兆三百五十億というのは、いろいろな操作をいたしまして、かなり内輪に出ているわけです。実質的に取りますと、もう三百億余りふえるというふうに言われておりまして、そういう点にまず第一に相当問題があると思います。もちろんこの予算の膨脹したということにつきましては、他方では国民所得もふえておりますから、それだけですぐ問題になるとは言えないという考え方もあるのであります。しかし予算の国民経済なりあるいは国民の生活なりに及ぼす影響というような点で考えますと、これは単に一般会計だけを取りまして、それを国民所得と対比するという方法は、正確とは言えないと思います。こういう影響を見ますためには、いろいろの数字の取り方があるわけでございまして、どういう方法がいいというふうには、一がいには申せませんが、少くとも一般会計と財政投融資と、それから地方財政というものを合せまして、全体として予算の国民経済に及ぼす影響というようなものを判定するという必要があるかと思います。  で、そういう観点で少し計算をしてみますと、三十一年度の予算におきましては一般会計と財政投融資関係を合せますと、一兆四千三百二十億ということになりまして、三十年度の一兆三千二百億というのに比べますと相当ふえております。国民所得に対する対比から申しましても、一九・七%から二〇・五%にふえるというふうに膨脹しております。それに地方財政を見ますと、これは地方財政計画で見るしか、さしあたり方法がないわけでありますが、それは御承知の通り、三十年度の九千八百三十億というものから、三十一年度においては一兆四百六十億というふうに、非常に急激な膨脹をとげております。そうしてこの地方財政の数字から国の財政との重複関係というものを差し引きましても、三十年度の五千八百四十億というものが、三十一年度におきましては六千五十億になるということになります。従って一般会計と財政投融資と、それから地方財政、これを合計いたしまして重複分を差し引く、こういう計算をいたしますと、三十年度におきましては一兆九千四十億ということで、国民所得の二八・四%ということになりますが、三十一年度におきましては二兆三百七十億ということになりまして、国民所得の二八・八%というぐらいになります。  こういうふうに全体の財政計画が相当膨脹して来ているということ自身が、すでに相当大きな問題だというふうに考えられます。しかも単に数量的に膨脹したということだけではなくて、実際はこの予算をよく見ますと、こういう膨脹した予算をささえますために、かなり無理なことが行われている。ことに財源調達の面におきまして非常な無理が行われているということがあるわけです。そういう意味で特にこの予算は重大な問題を持っているというふうにわれわれも考えるのであります。この財源調達の点を無理をしているということにつきましては、比較的こまかい歳入におきまして相当過大な見積りが行われておりますというようなことは、昨日武田教授からのお話にもあった通りでありますし、それから新聞その他で指摘されておりますように、たとえば賠償費を削減しているとか、あるいは国立学校の授業料の値上げを見込んでおるとか、こういう点にも相当いろいろな問題があると思います。しかしそういう収入のこまかい、いわば収入源というものだけでなくして、もっと本来の収入源、つまり租税あるいは公債その他の面におきましても、この予算は相当大きな問題を含んでいるのではないかというふうに考えます。  と申しますのは、まず第一に租税、それから専売益金というものについて、われわれが数字的に見て参りますと、今度の三十一年度の租税、専売益金というものは、国の会計だけで申しますと、九千三百九十四億ほどになりまして、三十年度に比べますと、四百七十億ほどの増大ということになっております。その上に地方税を加えますと、さらにこの膨脹は著しくなりまして、三十一年度に国税、地方税、専売益金すべて含めまして、租税関係を全部合計いたしますと、一兆三千六百億という数字が出て参りまして、三十年度の一兆二千七百五十億というものに比べますと、八百四十八億余りの増大になる、こういう形になっております。こういうふうに国民の租税負担全体がふえるということも相当大きな問題だと思います。しかもその内訳を少し考えてみますと、一方では御承知の通り、政府は減税措置というものをとるという名のもとに、所得税につきましては約百五十億ほどの減税措置というものをとっております。しかしその所得税、つまり直接税で減税をした分だけは、あるいはそれ以上のものをむしろ間接税の増大という形で補っている、こういう形になっているわけであります。そしてここにやはり国民の租税負担という点から申しますと、相当大きな問題があるわけであります。なるほど間接税はいわゆる税痛を感じさせない。負担感を国民に与えないで税金がとれるという点では便利な税だということは言えますけれども、しかしその所得階層別の負担という点から申しますと、どうしても所得税に比べますと、かなり不公平になるということを考えざるを得ないわけでありまして、こういうふうに直接税が減って、間接税でその補いをしていくという方向に税制が持っていかれるということは、相当の大きな問題があるわけであります。その上に、しかも地方税の膨張というものが相当に加わるというように考えられるのでありまして、財政計画で見ましても、地方税だけで三十年度が三千五百八十億でありましたものが、三十一年度には三千九百七十六億というふうに三百九十億ふえるという計算になっております。地方税の場合には御承知の通り、固定資産税のような比例税的なものがかなりありますし、そのほかに最近では法定外の税が非常にたくさんふえてきておりますが、こういうものはほとんどすべて負担関係から申しますと逆進的な性質が強いわけであります。ことに貧弱な農業県、あるいは農村地方に参りますと、そういう零細な税源があさられるということになりまして、租税負担が非常に過重になる。ことに中以下の零細な農民に対する租税負担が非常に過重になるという傾向が強くなっていると言っていいわけであります。こういうふうな意味で、つまり間接税とそれから地方税という形で租税負担が主として膨張するということは、結局国民の租税負担から申しますと、小所得者に比較的負担が重くかかる、ことに農村の小所得者に負担が重くかかる、こういう傾向が強くなる、こういうことだと考えられますので、ここにまず第一に非常に大きな問題があるということを申し上げておきたいわけであります。  今度は第二番目の点といたしましては、もう一つの問題点は、一般会計に関する限りは一応いわゆる健全予算になっているわけでありまして、公債の発行というものは見込まれていないわけであります。しかし今度の予算におきましては、一般会計からは御承知の通り出投資金というものを全額削除しております。で、それにもかかわらず、との財政投融資というものの総額を見ますと、それは三十年度の三千二百九十億から三十一年度には三千四百九十億というふうに、これは民間の資金活用分を除いておりますが、除きましても財政出投資というものが相当膨張をしております。  そこで一般会計から繰り入れをしないで、しかも財政投融資を膨張させる、こういうこの操作の中でどういう手品が行われているかと申しますと、これは一方では御承知の通り資金運用部資金をかなり過大評価している、こういう批評が出ているわけでありますが、そのほかに公募公債に頼る部分が非常にふえるという形になっております。これも数字で申し上げますと、三十年度の公募公債が五百二十億でありましたのが、三十一年度には九百億というふうに非常な膨張を遂げる、こういう計算にねっております。で、公募公債に民間資金の活用分というものを加えますと、三十年度におきましては一兆一千四百三十億というものが財政投融資として動員されるということになっておりましたが、三十一年度におきましては実に二兆二千九百七十億というものが財政投融資として動員されると、こういう形になるわけであります。  こういう公募公債とかあるいは民間資金の活用ということは、御承知の通り現在は非常に金融緩慢なときでございますから、あるいは不可能ではない、そういうことをやることが全然不可能だということは言えないといたしましても、こういう非常に膨大な資金を政府が活用するということによりまして、少くとも金利の低下傾向というものをかなり阻害するということは考えられるわけでありまして、そういう意味では、せっかく金利が正常化いたしまして日本の経済が合理化しつつある勢いを、むしろこの予算は弱めるという作用を果すだろう、こういうふうに考えております。  その上もう一つ問題になりますことは、こういう公募債その他で集められました財政投融資のかなりの部分は、御承知の通り住宅公団とかあるいは道路公団とか、あるいは地方債の引き受け、あるいは農林漁業金融公庫というような形で運用されるということにはっております。つまりそういうもののかなり多くの部分はいわゆる消費的な支出になるという傾向が強いというふうに見なければならないかと思います。  で、そういう点から申しましても、このこと自体が多少とも日本の経済にインフレ的な影響を与えるのではないかということが考えられるわけでありますが、その上電源開発とかあるいは海運とか、そういうものが従来は開銀融資にかなり依存していたわけでありますが、その部分がこの民間資金に切りかえられるという形になっておりますので、この面からどうしても金利が高くなりまして、従って電気料金なりあるいは運賃なりの引き上げが行われざるを得なくなる、こういう問題も出てくるわけでありまして、一般的にそういう傾向を考えますと、この予算の中にはかなりインフレを促進するような要因というものが含まれているというふうに判断した方がいいかと思います。ことに最近の日本の経済は御承知の通り少しずつインフレ的傾向をすでに示しているわけであります。それはことにことしに入りましてから、じりじりと物価が上ってきている、こういうことにもかなりはっきり現われてきているわけでありますが、そういう点を考え合せますと、この予算の持っているインフレを促進するような作用というものは、決して無視することができない、こういうことが言えるかと思います。  予算全体で、ことに財源調達の面で今申しましたようないろいろの問題点が含まれているかと思います。  次に、今度歳出の方に参りまして、歳出の内容というものを検討してみますと、まず農業関係の経費のことはあとで詳しく申し上げたいと思いますので、それを一応除きまして、それ以外の経費というものについてごくあらまかに検討をしてみますと、大体におきまして予算全体が膨張しておりますから、三十年度に比べますと、全体の歳出規模というものは多くの費目については増大をしているというふうに言っていいかと思います。たとえば社会保障費にいたしましても、あるいは文教施設費にいたしましても、それから自衛隊の経費その他のいわゆる国防費というものにいたしましても、あるいは地方交付税にいたしましても、とにかくふえております。しかしこういうふえ方というものをわれわれが少し内容的にみますと、大部分の経費のふえ方というものは、いわば消極的なふえ方しかしていないという感じを持つのであります。消極的と申します意味はもう少し正確に申しますと、名目的な経費はふえておりますが、実際はより多くの経費を支出いたしませんと従来と同じだけの政策内容を維持することができない、それにもかかわらず、それに及ばない程度の経費の膨張しか見込まれていない、こういう意味でありますが、そういう意味の消極的な増加ということにとどまっているという感じを持つわけであります。ことに政府は今度の予算におきましては社会保障を非常に拡大して民生安定をはかる、こういうことを非常に強くうたっているのでありますが、しかしその内容というようなものをみますと、必ずしも政府のいう通りにはわれわれには首肯できないのであります。そのことは御承知の通り、たとえば健康保険の赤字が埋められないということで、被保険者の負担がふえざるを得なくなったということにも表われておりますし、それからたとえば生活保護費というようなものをみましても、三十年度の予算におきましては二十九年度から三十年度にかけまして五%生活保護者が増大する、こういうことを見込みまして予算を計上しておるのに、今度は三十一年度におきましては三十年度から三十一年度の間に二・五%しか生活保護者がふえ倣い、こういう形で計算しているわけであります。実質的には生活保護のような経費もむしろ貧弱化する、こういうことに考えざるを得ない。あるいは失業対策事業による吸収人員というようなものをみましても、三十年度に比しましてわずかに二万八千人しか増員が見込まれていない、こういわれておりますが、他方経済企画庁では三十年度から三十一年度にかけまして、失業者の、実質的な増加は約十三万人というふうに見込んでおるわけであります。十三万人の失業者の増大に対して二万八千人の吸収人員の増大というものが、あまりにも貧弱であるということは、言うまでもないことかと思います。それから、その社会保障費だけではなく、たとえば文教施設費のようなものをみましても、これもせいぜい児童数が増加するということに対応して予算がふえておるというだけでありまして、決して教育内容がよくなるという形でふえておるとは考えられないのであります。そういう意味でそのほか同じことは地方交付税についても蓄えるわけでありまして、これも地方財政の赤字に比べますと、ふえ方というものはあまりにも少いわけでありまして、それが結局先ほど申しましたような地方税の増大という形ではね返ってくるということになるわけでありますが、そういうわけで、いろいろな経費というものは大部分が消極的なふえ方しかしていない、こういうふうに言っていいかと思います。  そうして、そういう比較的消極的なふえ方しかしていない中で積極的にふえておるというのは、広い意味における国防費と申しますか、あるいは軍事費と申しますか、そういう経費だけがむしろ積極的にふえているという感じをわれわれは持つわけであります。この軍事費は軍人恩給まで含めまして広議の、広い意味での軍事費というものを考えますと、それは二千百三十億という額に達しておるわけでありまして、三十年度に比べまして相当大幅なふえ方としているということになるわけでありますが、しかもこの軍事費の最近の傾向というものを見て参りますと、大体二十九年度、三十年度、三十一年度というふうに、ほとんど毎年着実に百三十億円ないし百三十五億円ずつ増大している、こういう傾向をたどっているというふうに言っていいと思います。そして広義の軍事費の比率は三十年度には一般会計歳出の二〇%であったわけでありますが、三十一年度には二〇・六%というふうにふえてきている。むろん、戦前、たとえば昭和五、六年満洲事変の前をとりますと、大体軍事費は一般会計歳出の三〇%程度というふうに考えられますから、まだ戦前ほどの重圧にはなっていないと一応申せますけれども、しかし、すでに戦前にかなり近いところまで軍事費の比重が回復してきているという点は、相当注目するに値すると思います。しかも、積極的にふえているという意味は、単にこういう金額が着実にふえて、しかも予算全体の中における比重を増してきているということだけではなくて、その内容もかなり積極性を帯びてきているというふうに見ていいかと思います。それは、ことにこの内容が御承知の通り、たとえば原爆搭載用の爆撃機の飛行機の基地の拡張のために使われたり、あるいはジェット機とか潜水艦の建造のために使われ、あるいは誘導弾の購入のために使われる、こういうものがかなり多いと言われておりますが、そういう面にも国防の内容というものが相当積極化してきている、こういう点がうかがわれるのではないか、こう思うわけであります。  そういうわけで、要するに予算全体といたしましては、ほかの民政的経費というもののふえ方は概して消極的である。つまり内容的には貧弱になりながら、名目的にだけ経費がふえているということに対しまして、軍事費がむしろ積極的に、あるいは実質的にふえている、こういう性格を全体として持っているというふうに考えていいかと思います。  ところで、そういう全体の予算の傾向の中で、農林関係の経費というものが、どういうふうに動いているかということを、もう少し立ち入って考えてみますと、これは昨年に比べまして、今年の農林関係の経費というものは、かなり減少をしている。この経費だけは消極的にもふえませんし、むしろ積極的に、減っているという傾向を示しているといっていいと思います。しかし数字的に申しますと、昭和三十年度の予算におきましては、農林関係の経費は食管会計への繰り入れ分というものを一応別といたしまして九百十二億でありまして、それが三十一年度におきましては八百四十二億円ということでありまして、かなり大幅に減っております。この農林関係の経費というふうに私が申し上げましたのは、食糧増産対策費、それからそれ以外の農林省所管の公共事業費、それに農業保険費、その他の農林省関係の経費というものの合計でありますが、これがそういうわけで今申し上げましたように、大体百億円近く減少しているということになっております。  しかも、ここでわれわれにとっては非常に重大だと思いますことは、二十八年度から三十一年度まで例年の同じ経費、今申し上げました同じ農林関係の経費の推移というものを見ますと、逐年着実に減少してきている、こういう傾向が見られます。数字的に申しますと、昭和二十八年度におきましては千百五十七億、それから二十九年度におきましては九百六十八億、三十年度は先ほど申し上げましたように九百十二億、三十一年度に八百四十二億円、こういうわけでありまして、大体三十一年度の予算は、二十八年度の予算に比べまして七三%ということになります。つまり三割だけ農政関係の経費というものが削減された、こういう形になっているわけであります。この二十八年ごろでさえ御承知の通り三割農政ということがしばしば言われておる。三割農政という意味は、政府の農業政策というものは農村の上層の三割程度の農家しか及ばない、七割の農家は政府の農政の外に取り残されていると、まあこういう意味でしばしば三割農政ということが批判されたわけでありますが、今や少くとも予算の上で見ますと三割農政がさらに七〇%に減ったわけでありますから、まあ機械的に申しますと、二割農政くらいにまで縮小したと、こういう形になっておると言っていいかと思います。  そこで今度は農林関係の経費のもう少し内訳を見ますと、ここではわれわれに非常に奇異に感じられますことは、この政府の農業政策というものが全体としてはっきりした筋が通っていない、むしろ二兎を追うようなと申しますが、そういった形にねっているということがことに強調されなければならないかと思うのであります。二兎を追うと申します意味は、御承知の通り農業政策は、二十五年の朝鮮事変が始まりましてから、いわゆる食糧増産対策というものを中心といたしまして、そして国内における食糧の自給度をなるべく高める、こういう方針で進んできた。確にそういう政策が全部姿を没したわけではないのでありまして、一応政府の五カ年、計画におきましても、食糧の増産ということはうたわれておりますし、今年の予算におきましても食糧増産対策費というものが支出されているわけでありますが、しかしそういう一つの政策の流れの中に、今度はそれとダブりまして、むしろ食糧の増産なんかはどうでもいいと——まあ極端な言い方をいたしますと、どうでもいいのであって、むしろ足りない食糧は輸入に待てばよろしい、ことに余剰農産物の受け入れというような形の援助輸入に待てばよろしい、そしてむしろ農業に対する政策というものはなるべく安上りに済むようにしていって、そして特にこの日本の農業としては、主食中心の増産というような方針を改めて、むしろ適地適作というような形で商業的な農業を発展させるというような方向に向けていくべきだと、こういういわば農業政策の基調というものがそれとからみ合って出ている。むしろあとの方がだんだんだんだんと強くなりつつあると、こういう感じを持つわけであります。そういうからみ合いと、そのからみ合いの中で、あとの方がだんだん強くなっていくという傾向が今後の農林予算の中にも非常にはっきりと現われていると、こういうところに相当大きな問題をわれわれは見出さなければならないと思うのであります。  その点をもう少し予算的に申し上げますと、たとえば食糧増産対策費というようなものを見ますと、これは一応名目的な経費といたしましては二百四十七億になっておりまして、三十年度の二百四十五億に比べますと、ごくわずかでありますがふえているという形になっております。しかしこの中には、三十一年度からあとに加わりました愛知用水その他のつまり外資導入関係の経費というものが含まれておりますから、その外資導入関係の事業費というものを一応除きますと、食糧増産対策費は二百三十五億ほどになるわけでございまして、三十年度に比べますとかなり下回っているという形になっております。そして他方われわれがこれを農林省の発表しております増産五カ年計画というものと対比してみますと、農林省の増産五カ年計画によれば、三十一年度の増産のための所要経費というものは約七百億というふうに計上されております。従って、この五カ年計画に比べますと、実際に計上されております予算額は約三分の一ということになるわけであります。  以上申しましたのは国の歳出分だけの計算でございますが、そのほかに農林漁業公庫の資金というものを加えますと、一そうこの増産関係の経費の出方というものは、少くなっているというふうに考えられます。そうして、この程度の経費の支出というものでは、三十一年度に予想される増産効果というものは、せいぜい百万石であるというふうに言われております。ところが、三十一年度一年間でも人口の増加によりまして食糧の必要量の増大、需要量の増大というものは約百四十万石というふうに見込まれておりますから、百万石増産ができましても、日本の食糧の需要は四十万石だけふえるという形になる。で、これで見ますと、どうやらこの食糧の国内自給力を高めるというような、二十五年以来出発して参りました増産への政策というものは、もはや完全に骨抜きになっているというふうに見てもいいのではないかと思います。むしろ日本の食糧の不足量というものは、このままで参りますと、いよいよふえるということはあっても、減ることはないというふうに考えられるわけであります。  それからまた、この増産関係以外の公共事業費というようなもの、ことに農業関係の公共事業費というものを見ましても、これは大幅に減っておると言ってよい。これは単に農林省所管の公共事業費だけではなくて、特に農村に非常に関係の深い治山治水とか、あるいは災害復旧というような建設省関係のものまで加えて、広い意味の農業関係の公共事業費というものを考えますと、これは三十年度に比べまして三十一年度は約八十四億円減る、こういうことになる。それから狭い意味の農林省所管の公共事業費で、しかも食糧増産関係を除きますと、昨年に比べまして今度は約四十億円減ずると、こういうことになっております。この公共事業費の動き方にも、われわれは非常に重大な傾向を見ることができるのでありますが、最近では公共事業費全体のワクがだんだん小さくなる傾向がありますけれども、その中で道路とか、都市、それから港湾、空港、工業用水道というような、いわば都市関係の公共事業費というものは年々むしろ着実にふえておる。そういう都市関係の公共事業費がふえるだけの分が、あるいはそれ以上——総額が減りますからそれ以上のものになりますが、それ以上のものが農林関係の公共事業費から削減される、こういう形で動いてきておるわけであります。その傾向は今度の予算におきましても、まさしく貫かれておると、こういうふうに言ってよいと思います。  ことに農林関係の公共事業費の中でわれわれが重要視をしなければならないのは、災害復旧費がかなり大幅に削られておりまして、農林省関係の公共事業費が全体で四十億円減っておる中で、災害復旧関係のものが三十二億円減るというわけで、減少の大部分はここにしわ寄せをされておると、こういうことになっております。ところが、これは最近二年は幸にして比較的天災が少かったわけでありますが、そこで予算の組み分としてはそういうことになるのかもしれませんけれども、しかし御承知の通り従来から災害復旧は非常におくれておるわけなのでありまして、まだ繰り延べになってたまっておる事業は非常に多いわけであります。そうしてまた、いつまでも災害がないというふうに安心しておるわけにはいかないわけであります。おそらく今年なり来年なり比較的、近い時期にはまたもや相当大きな災害があるということは予想しておかなければならないわけでありますから、こういう点から考えますと、こういう予算の組み方というものにも相当問題があるわけであります。  その次に、農林省の予算の中で相当大幅に削られておりますのは、農業保険費であります。これも政府の一応の説明によりますと、二十八年、二十九年というふうに凶作が続いたわけでありますが、そのために農業保険費が非常に膨脹したわけでありますが、その穴埋めが大体三十年度で済んだので、三十一年度の予算はかなり小さくなったのだと、こういうように説明されておる。しかし、この政府の申します二十八年度、二十九年度の穴埋め分というものを除きましても、三十一年度は三十年度に比べますと約六億円この経費の削減が行われておるということになります。この計算のし方はわれわれにはどうしても納得ができないわけであります。と申しますのは、昨年は御承知の通り未曽有の豊作の年でありまして、最も被害が少かった。それにもかかわらず、それよりもさらに六億円保険費を削るということは、今年は昨年よりもっと豊作であって被害が少い、こういうことを政府が予想しておると、こういうことを前提としておるのか、もしくは保険の運用におきまして、それだけの削減を行うということを考えておるのか、どちらかと考える以外にはない。ところが、前のように考えるということは、あまりにも楽観的でありまして、予算の組み方としては決して適当ではない。そうなりますと、結局問題はあとのように、つまり手心を加えましてなるべく削減をする、こういうことを考えておるということしかないわけですが、しかも御承知の通り農業保険というものは非常にあいまいな基礎の上に立っていることは、ある程度やむを得ないことでありますが、つまり農業における被害というようなものは、これは査定次第でどうでもなると、極端に申しますとどうでもなるという傾向が非常に強いのであります。そこでこういうふうに予算が削られて参りましたときには、その査定に非常に手心が加えられまして、実際の被害よりもかなり下回った被害率しか計算されない、認められない、こういう形で、事実上農業保険の農家に対する作用というものが縮小される、こういうことになる傾向が非常に強い。これは今まででも非常にあったわけでありますが、ますますそういう傾向が強くなると思うのであります。しかも伝えられるところによりますと、政府は今年か来年か——おそらく来年からになると思いますが、この共済制度の改正を考えておりまして、その場合には、今までの一筆単位の引き受けを農家単位の引き受けに変えるということと、それから一部に任意加入制度を認めるということを新たなる制度として導入しようということを考えておるようであります。これはどちらがいいかとか、いろいろの考え方はあると思いますけれども、少くともそういう農業共済制度の改正のかなり主要なねらいが、それによって政府の財政負担をなるべく少くしよう、こういうねらいを含んでいることは明らかでありまして、こういう点でもこの農業政策がむしろ後退する、あとずさりをする、こういう傾向がはっきりと認められるのであります。  それからそれ以外の農林経費というものを見ますと、これは全体としては約二億円ほどふえる、ごくわずかふえるということになっておりますが、しかしその中で今年からの新しい支出経費として、農林水産業技術会議設置のための四億円というもの、それから新農村建設のための十五億円というものを除きますと、それ以外の農林経費はむしろやはり昨年よりもかなり縮小されるという形になっております。この経費が縮小するという中で、特にわれわれが興味を持ちますのは、今度の新たに農林省から提案されておりますいわゆる農業改良基金の設置という方策であります。これは御承知の通り従来補助金を出してやっておりました事業のかなりの部分を無利子の貸付金というものに切りかえる、こういう方法によって補助金を節約しよう、こういうねらいがあるわけでありますが、ただこういう無利子の貸付金というような形になりますと、そこには農業政策としては非常に大きな問題が出てくるのであります。と申しますのは、農業改良関係の、たとえば新しい品種を入れるとか、あるいは新しい農機具を入れるとか、そういう改良事業というものは、改良したからといってすぐに農家の所得がふえるということになるとは限らないのであります。また所得がふえるといたしましても、それは五年とか十年とかいたしましてそういう新しい技術が農家の経営の中に溶け込んだときに初めてそうなるのでありまして、そんなに一年や二年のうちにすぐに効果が上るということを期待するのは私はあまりにも短気に過ぎると思うのであります。そうなりますと、無利子ではありましても、貸付金であって、しかもそれが三年以内に返さなければならないということになりますと、農家としては非常に困る問題が出てくると思うのでありまして、そこにも、ことに上層農家ならばある程度それでもがまんできるけれども、もともと金に余裕のない中以下の農家になりますと、なかなかそういう資金の余裕ができないであろうということを考えます。あるいは利用いたしましても、かえってその返済のために苦しまなければならないということになり、その上にこの基金の貸し方でありますが、この貸し方が御承知の通り部落に農業組合、実行組合のようなものを作らせまして、それを対象として貸し出す、あるいは個人に貸すこともありますが、いずれにせよ、連帯保証のような形で貸し出す、こういう形になっておりますが、そうなりますと、ことに信用力の非常に弱い中以下の農家というものはほとんど金を借りるチャンスがなくなってしまうということになるわけであります。そういう点からも農業政策がかなり後退をしておる、こういうことが言えると思うのであります。  それからもう一つ最後に申し上げておきたいことは、そういうふうに一般会計からの農業政策の後退というものがかなりはっきり見られるばかりではなくて、食糧管理特別会計というものにおきましても、相当むりな計算の仕方が行われていると思うのであります。これにつきましては御承知の通り、三十年度すでに六十七億円という赤字補てんがこの間の補正予算で行われたわけでありますが、三十一年度におきましては、消費者価格は据置にしておいて、しかも赤字補てんは行わない、こういう形で予算が組まれている。そのために結局この食管会計の赤字というものは、全部が生産者価格の引き下げというふうな点にしわ寄せをされるという形になっておりまして、具体的に申しますと、大麦が七十七円、それから裸麦が五十一円、それから小麦が四十二円、それから米が二百五十六円、これだけ今年度に比べまして来年度は引き下げられる、こういう計算で予算が組まれる。ところが麦にいたしましても、米にいたしましても、昨年は御承知の通り非常に豊作でありました。ことに米は非常に豊作だった。そういう非常に豊作であった年に比べまして、ことしの米価の水準をさらに切り下げるということは、ことし昨年以上の豊作が予想されない限りは、私は農家にとっては非常に大きな経済的なマイナスになるというふうに考えるのであります。この辺にむしろ日本の農業の、ことに主食の増産というようなものをだんだんと押えて参りまして、むしろ食糧の足りない分は輸入に待ってもよろしい、こういう考え方がかなりはっきり打ち出されているのではないか、こういうふうに考えるわけであります。そしてそういうふうに全面的に予算の面では農業政策の後退というものが見られる、あとずさりが見られるのでありますが、そのあとずさりをむしろカバーするものとして、いわゆる新農村建設とかあるいは農業団体の再編成、こういうようなことが打ち出されてきているのではないかと思うのであります。この新農村の建設というようなものは、まあ政府の要綱を見ますといろいろのことをうたっておりますが、これは要するに前の昭和七年、八年ごろに行われました農村更生計画、更生運動、それから昭和十八年、十九年ごろに行われました興国農村建設運動というもののいわば焼き直しと申しますか、戦後版であるというふうに言っていいと思います。前の二回の場合も、こういうやり方というものは大体において効を奏しなかった。単なる精神運動の範囲にとどまったということは大体定説になっておりますが、今度の場合も、この新農村の建設というのは、もっぱら一面では精神運動であり、一面では、これによって政府の直接的な農村に対する指導力と申しますか、あるいは統制力というものを強めよう、こういう考え方かと思うのであります。農業団体の再編成もそれにつながっているわけでありまして、農民を農業会といういわば御用団体に組織いたしまして、それによって政府の統制力を強めよう、こうい考え方であります。そうなりますと、結局本来の予算の面、つまり内容的な面で貧弱になったこと、そういう政府の統制になり干渉なりという、いわば権力的な方法で埋め合せていく、こういうのが今の農業政策の一つの基調になっておりまして、そういうことが今年度の予算にも非常にはっきり現われている、こう見ていいかと思います。  今度の予算を拝見しまして、まあことに農林関係で私が感じましたことはそういうことでございます。  以上申し上げまして、御参考に供したいと思います。

西郷吉之助自由民主党

○委員長(西郷吉之助君) 御質疑をお願いいたします。

池田宇右衞門自由民主党

○池田宇右衞門君 大内さんのお話でよく農林予算の関係とか、実に急所その他をうがちて、その点は敬服いたしますが、最後の結論にいって、昭和時代の経済更生の精神運動と大差ないということは、これは実施をしてみなければわからないことで、私はその経済更生という時代にちょうど青年時代で、当時の農会におりましたが、青年男女を中心として、当時の長野県が平均千あるいは二千というように、ほんとうに農村の行き詰っておるときに、昼夜農村の若い新進の方々とともに三年かかって長野市あたりの農家の方々の借金をみな返してしまった。これは単なる、精神のことも国全体から見たらあるでしょうが、また見ようによっては、これを契機として、そのやった仕事に対しては直接の効果はどうか知りませんけれども、非常に農村の奮起をさして、農村の経営に一つの気魄を与える新事態を作らしたことは間違いないだろうと思います。たとえていえば、長野県などは養蚕に、あるいは園芸に、あるいは畜産に、農家の経営において非常な戦後一大変革を来たしつつあることは、これはお調べの通り間違いないのでありまして、要するに今後農村の中心になるのは、人材をそれぞれ登用するというか、あるいは人材を選んで、あらゆる団体あるいは新しい村作りに出発させるというところに今後のねらいがありやしないか、かように思うのでございます。そういう新しい日本の農村の村作り、あるいは農家の経営に、時代とともに動きつつあるという点に関しましてどういう御構想を持っておりますか。また実際その時期にきておるというふうに思うのだが、この点について一つ承わりたいと、かように思います。

大内力東京大学助教授

○公述人(大内力君) いろいろ御質問の内容が多岐にわたっておりまして、いろいろの大問題があると思うのですが、まず第一に、経済更生運動のことをちょっとごく短かい言葉で申しましたために、あるいは誤解があったかと思いまするので、まずその点を多少補充させていただきたいと思いますが、私は経済更生運動が必ずしも全然無意味だったというふうには言ったつもりではないので、むろん地方的には、ことにかなりそれを契機といたしましてうまくやった村がないわけではないのであります。ただ全体として、当時の日本の農業が、確かに昭和七、八年ころから回復して、経済的には回復して参っておりますが、しかしその回復したのを、経済更生運動で回復したとはとうていわれわれには考えられない。むしろ満州事変以後日本の経済全体が回復してきた中で、農村の経済も回復したという点の方がはるかに大きかった。経済更生運動は個々の特に優良なる村をとりますならば多少の効果があったということを否定するわけではございませんが、全体としては一つのかけ声に終った面の方が多かった、こういうことを申し上げたかったわけであります。  それから現在の新しい村作りというものについてどう考えるかという御質問だったと思いますが、むろん私は農村に新しいそういう青年、ことに青年を中心といたしました進歩的な動きというものが出て参りまして、その中から農業技術の発達なりあるいは農村生活の改善というようなものが力強く進められてゆく、こういうことを期待する点におきましては、別に人後に落ちるつもりはないのでありますが、ただそういう場合に、今度の農林省で考えております新農村の建設というようなことは、そういう下から青年の力を中心として盛り上ってきた運動を助成するというのではなくて、むしろ上からいわば官製的な計画を作って、さあこの計画をやれという形で上から村に押し付けてゆくという形になる危険性の方がはるかに大きいのではないかというふうに思います。もし下からそういう新しい青年の動きが、これは事実ある村においてはかなり現われてきておりますが、そういうものがいろいろ農業の改良をやる、そのためにはたとえば政府の援助もほしい、こういうような場合には、むしろ今までやって参りましたいろいろな政策を、いろいろな農村関係の施設あるいは政策的な施設というものをそのために活用すればそれで十分足りるのでありまして、それを機械的に上からことしは何百町村というような形でもって指定をいたしまして、そうして指定された以上はいやでも何か計画を作らなければならぬ、計画を作った以上は何とかやらざるを得ない、こういうような形で上から無理やりに押し付けてゆくというような形になりますと、それはかえって農村の自主的な動きというものを伸ばすゆえんではなくて、かえってそれを殺してしまう、そうしてむしろ今のような全体の雰囲気の中では、それが政府による農村の支配あるいは農村の官僚的な統制というものの手段として使われる、こういう危険性の方が大きいのではないか、こういうことを申し上げたかったわけであります。

亀田得治日本社会党

○亀田得治君 ちょっと一つお伺いいたします。  先ほど御説明がありましたように、今度の予算面において日本の農業政策が二兎を追うような形がはっきり出てきておる、それは私もその点は同感です。従来の食糧増産対策は一応政府としては堅持しながらも、実際の予算の組み方においてはそれがくずれてきておる、こういう形が出ておるわけです。そこでこれは大まかにお聞きしたい点ですが、予算面ではそういうふうになってきているという点だけの御批判があったわけですが、大内さん自身としては、日本の農業構造のあり方というものが果してそういう方向をとっていいものかどうか、あるいは、従ってそういう方向をとっては非常に将来まずいのであって、そういう方向はやはり切りかえるべきだという御意見であるかどうか、その辺ですね、これは主として日本とアメリカとのいろいろな政治的な関係とか、そういう面もこういう問題には出てきますが、そういう点はなるべく抜いて、日本の農業経済というもの自身のあり方からいって、一体どういう形が正しいものかどうか、そういう角度から一つ大まかに御意見をお聞きしたいと思います。

大内力東京大学助教授

○公述人(大内力君) 今御質問の点は、実は昨年のこの公聴会で私の考えを一応申し上げたと思いますので、ことさら今日は省かせていただいたわけでありますが、御質問がございましたから、その点私の考えだけごく簡単に申し上げますが、私の基本的な考え方は、やはり日本の単に農業政策だけではなくて、むしろ国全体の経済政策の方向といたしましては、やはり国内の食糧の自給度を高めるということはぜひとも考えなければならないのではないかというふうに思っております。これは純粋に経済的な計算だけから申しますならば、ことに最近では国際的には農産物価格が非常に下ってきておりますから、従ってむしろ工業製品を輸出して、食糧は輸入する。また輸入力がなければ援助をもらってもいい。こういうようなことが純粋に経済的にだけ計算いたしますとあるいは出てくるかもしれませんけれども、しかし、最近日本の対外的な収支、ことに外貨の収支というものが幸いにしてここ、昨年の後半あたりからかなり改善されてきてはおりますけれども、しかしこういう状態はむしろ世界的には異常な好景気というものにささえられた、いわば偶発的なことだというふうに見てもいいのでありまして、日本の今の産業構造、ことに工業における対外的な競争力というものから考えましても、あるいは貿易工業の資源に非常に欠けておるという点から考えましても、大体日本の貿易というものは明治以来絶えず輸入超過になる傾向の方が強かったのでありまして、いわんや戦後の非常に国際的な水準に比べますとおくれをとっております日本の工業技術をもってして、いつまでも、輸出超過というものを維持できるというふうには私には楽観できないのであります。しかも今の外貨の黒字というものさえ、実は純粋な日本の経済力で獲得したというもの以外に、五億ドルをこえる——大体五億六千万ドルになるといわれておりますが、そのいわば特需というような特別な援助が加わっておるためにささえられているにすぎないのでありまして、本来の日本の経済力でささえられたものだとはとうてい言えないと思う。そういう点から考えますと、やはり日本の経済を自立させるためには、どうしても国内でできるものはできるだけ国内でまかなって、輸入を削減するということを考えるしかない。これは経済的にはマイナスでありましても考えるしかないじゃないかと思いますが、そういう点でやはり国内の食糧を増産していくということをまず第一に考えるべきだと思います。  それから第二番目の点といたしましては、そういうふうに食糧を輸入していくという考え方になりますと、これはどうしても国際価格に農産物価格を近づけていくということを考えざるを得なくなるかと思います。もちろん国際価格そのものにならないで、その間にたとえば関税政策なりあるいは政府の買い上げ政策なりで、ある程度の価格支持はできるかもしれませんけれども、しかし国際的な価格がみすみす下ってきているのに消費者に高い米を食わせる、しかも輸入したものを政府が高く売りつけているというような形になることは、なかなか世論がむしろ許さないことだと思います。そういうふうに輸入に依存すればするほどやはり国内の農産物価格が国際的な価格に支配されるという点はどうしても強くならざるを得ない、ある程度そこに政策的なクッションを入れましても、やはり影響力は強くなると思いますが、そういう場合に今のように世界的に、麦はむろんでありますが、米まで過剰になってきている、こういう状態の中では、おそらく国内の農産物価格は相当押し下げられる傾向の方が強くねるかと思います。ところが国内の農産物価格を押し下げるということは、むしろ農業の生産の基本的な合理化、それによる生産力の増大というものに裏づけられておりますならばちっとも差しつかえないわけですが、しかし今のたとえば米価水準よりもさらに低い価格でもって、しかも農家の所得水準なりあるいは農家の人口包容力というものを減らさないでやっていくということになりますと、これは相当に生産力の増大を考えなければならない。その効果はおそらく五年とか十年とか、あるいは場合によったら二十年、相当長い期間を経ませんと、そういう生産力の増大を農業で実現することはまずむずかしかろうと思います。そこでさし当りの問題、短期的な問題といたしましては、そういう国際価格の値下りに押されて日本の農産物価格が下るということになれば、それは結局農家の所得水準が下る、同時に農業における人口包容力が減ってくる、こういう形で現われてくるかと思いますが、そういう形で現われて参ります農村問題の重大化、それからまた人口問題というようなものが、今の日本の経済ではそういう形が現われてしまったあとになりますと、とうてい処理し切れないほどの大きな問題になると思うのであります。そういう点から申しましても、やはり将来長い計画といたしましては、やはり日本の農業の生産力を高めて国際的な競争力を持たせる、こういうことがむしろ考えられなければならないと思いますが、短期的な政策としては、やはり一応国際価格から遮断するという形でむしろ農産物価格に一定の支持を与える、こういうことを考えざるを得ないのが日本の現状ではないかと、こう思うのであります。  そういう二つの点から私はむしろ日本の農業では増産対策という方に、ことに主食の増産対策という方に重点を置いて、そしてそれをいわば機軸といたしまして農業生産力の増大ということをはかるべきであるというふうに考えます。

八木幸吉第十七控室

○八木幸吉君 ただいま食管会計の赤字のお話がございましたが、消費者米価を上げないで赤字をなくすのには、米の生産価格を二百五十六円下げなければならぬというお話がございましたが、その数字をもう少し詳しく伺いたいと思います。

大内力東京大学助教授

○公述人(大内力君) 二百五十六円下げなければならないと申しましたのは、ならないと申したわけではございませんで、むしろ政府の予算説明に出ております食管会計の予算のところに、予算米価として計上されております米価というものをことしの支払い米価というものと比べますと、今お話の二百五十何円減るという計算になります。これはつまり予算上は消費者価格を上げないで、しかも一般会計からの繰り入れをしないということでしかもつじつまを合せようといたしますと、どうしても生産者価格をそこまで下げた形で予算を組まざるを得ないわけであります。従ってこの予算がそのまま通りますと、補正予算も行われないということになりますならば、どうしても今度の米価はこの予算米価に縛られてしまうんじゃないか、こういう意味で申しました。

戸叶武日本社会党

○戸叶武君 農業改良資金の問題ですが、今までの補助金が不正に乱雑に使われて効果がなかったということを理由に、政府の方でこの無利子の貸付金の方向へ転換を試みようとしておるようでありますが、今までの補助金のやつももっと徹底した補助金があれば別ですが、実際問題といたしましては土地改良、それから農業改良全体に対してそれほど役に立たないような不徹底なやり方が、かえって中間における農民ボス等の食いものになるような傾きがあったので、その点からするならば、政府の方ではこの方法がいいではないかと言っておりますが、御指摘のように事実上において中以上の者はそれによって利益をこうむるかもしれなけれども、中以下の連中はこの返済の場合において、長期にするならば別ですが、短期ではほんとうに困ると思うのですけれども、それに対してもう少し大内さんに詳しく述べてもらいたいと思います。

大内力東京大学助教授

○公述人(大内力君) 今御指摘のように、従来の農業関係の補助金というものはやはり非常にむだが多かった。そうしてことに末端に参りますとこれがなかなか適正に使われないで、不正に使われると申しますか、一部のボス的な連中がむしろそれを独占してしまいまして、一般になかなか行き渡らない、こういうような難点があったことは確かであります。そういう意味で今度の基金制度というものが考えられたことは、まあわからないわけではないのですが、しかしこれはいわばそういう補助金の悪い欠点というものを除こうとしてますます悪い制度を作るということになり、いわば角をためて牛を殺すというような性格のものではないかというふうに思います。私はむしろ補助金よりは、これは改良事業だけでは広くて、土地改良やその他のことにつきましてもそうであります。あるいは場合によっては共済制度のようなものまでそうかもしれませんが、むしろできるだけ末端まで政府が直接の責任において事業をやっていく、こういう態勢を作るべきだと思います。従来いろいろ補助金につきましても、あるいは共済制度なんかにつきましてもいろいろ欠陥が出て参りますものは、末端の方が農業団体とかあるいは土地改良とか、そういう民間の団体になっておりまして、そうしてその上に政府が補助金を流したりあるいは補給金を出したりする、こういう形になっております。そういうふうに農業政策がげたばきになっている。途中までは政府の責任、それからあとは一般の団体の責任、こういうような形になりますために、どこに責任があるかがはっきりしなくなって効果も非常に減殺される、こういうことじゃないかと思います。やはりまず第一に考えるべきことは、できるだけ末端まで政府の責任で事態を処理するということを考えるべきである。そうしてそれと同時にやはり補助金という形で金を流しますと、これはどうしても農村の社会におきましてはそれが完全、公正に使われるということは予想できないのであります。もし完全に公正に使われなければ困るということを強く考えますならば、結局できるだけ金の形をとらないで補助金を流す、つまり物の形の補助金ということをもっと考えるべきだと思います。ことにいろいろな固定施設を作る、たとえば水路を直すとかあるいは農業倉庫を建てるとか、あるいはもっと小さいものでもって、堆肥舎を建てるとか、あるいは牛舎を建てるとかいうような場合には、これはできる限り現物の形ででき上った物を農民に給付すると、こういうところまで政府が責任を持ち得るよう松態勢をだんだんに作るべきだというふうに思います。これは技術的には、たくさんの農家を相手にいたしまして全部そういうことをやるのはとても行政能力としてはできない、こういう非難がむろん出てくると思いますが、従って実際具体的にはあるところで妥協するしかないわけであります。できるだけ今の行政能力で処理し得る範囲でそういう部分をふやしていって、足りないところは金を流すという形で補うしかないと思いますが、ただ今までは農業政策というものにそういう考え方が非常に弱かった。むしろただ政府が金さえ出せばそれで話が済むと、こういう考え方の方が強かったと思いますので、特にその点は非常に私としては強調したい点なんであります。

戸叶武日本社会党

○戸叶武君 大内さんは食糧の足りない点は外国から補うのでなくて、主食を主体とした増産に向けべきだと言われておりますが、そのお説はごもっともですが、もう一つ問題になるのは、この米食本位の主食に対する考え方を徐々に変えて、食生活の革命を導いていかなければならない、そういう意味においては酪農を相当に取り入れなければならなぬという主張がかなり強くなっておりますが、これに対してどういうお考えを持っておられますか。  それからもう一点は、適地適作主義によるところの商業資本主義的な換金作物への転換ということが政府の今の農政の重点になっておるようでありますが、この換金作物がゆすぶられて非常に困難を来たしておるのは、価格の変動とそれに伴うところの作付に対する計画性のないことなので、大豆なりアズキなりコンニャクなり、今日非常にいろいろ混同されておるのです。それをどういうふうにしてこの価格の安定と計画的な生産に導いていくか、アメリカでも価格の安定方式だけでやっていかれないで、作付制限まできておりますが、この換金作物に対する対策、この二点の一つ御見解を伺いたいと思います。

大内力東京大学助教授

○公述人(大内力君) 最初の国民のいわば食生活を改善する、そういう面と食糧問題との関連という御質問だったと思いますが、この点は私も一般的には今の御質問の通りだと思います。やはり日本人が米食に片寄っておるということはいろいろ弊害を生んでおるわけであります。それからまた日本の農業の方から申しましても、これから増産する余地というものはむしろ米よりは麦の方がずっと可能性が大きいわけです。それからまた酪農を入れるということもぜひ必要でありますから、いずれの点から申しましても、できるだけ粉食を中心として畜産物を結合していくと、こういう食生活の方に国全体が向っていくことが望ましいことは言うまでもないことだと思います。ただ実際にはこれはなかなかむずかしい問題があるわけでございまして、ことに従来の日本の米食というものは、御承知の通り、日本人のいわば生活水準が低いこと、あるいはさらにその基礎といたしましては、所得水準が低いことによっていわば必然にされているというふうに思うのであります。そこで日本の国民全体の、ことに都市の消費者の所得水準が高くなるということが前提になりませんとなかなか急には粉食に変らない。これは三、四年前に食糧庁で所得の階層別による主食の消費構造というものを研究しておりますが、それで見ましても、大体所得の上の方の階層というものは粉食が、ことにパン食が非常に多くなっております。そうして所得の一番低いところはめん類とかあるいは大麦の混食というものが入っております。そうして中くらいの所得のところが一番米食に依存率が高いと、こういう結論が出ております。むろん粉食の本来の理想的な形としてはパン食でありまして、そうしてそれに畜産物が結合される、こういう形だと思いますが、そういうものが無理でなく一般の消費者のところに行き渡るということになりますと、そういう意味でかなり所得水準を引き上げるということが前提とされなければなかなかむずかしいのじゃないか、まあこの辺にこの問題の非常にに厄介な点があるのではないかというふうに思います。  それからあとの方の換金作物につきましてどう考えるかという御質問だったと思いますが、これは今の政府のようにやたらに適地適作というようなことを申しまして、何か商業的な作物を作ればいいと、こういうようなことでやたらに私は推奨することは非常に危険だと、これはこの前もこの公聴会で申し上げたと思いますけれども、実際はそうなりますと農民はいろいろなものをもうかると思って作るわけでありますが、多くの農民が作り始めるときにはすでにすぐにそういうものが過剰生産になりまして値段が下る、こういうことで、むしろ農家の経済的な打撃は非常に大きくなる、こういうことは当然のことだと思います。従って、この問題は先ほど申しました主食の増産という問題とも関連するわけでありまして、いかに適地適作と申しましても、やたらにそういう換金作物を奨励するというような政策は、私はむしろ反対でありまして、むしろ主食の生産を中心といたしまして、まあせいぜい補充的な意味で換金作物を考えるべきではないかと思います。それからこういう換金作物につきましてはむろんある程度の価格支持政策というようなものが必要でありますが、ただ価格支持政策をいたしますと、逆にまた農民はますますよけい作るという傾向がございますので、どうしても価格支持政策というのは、今度は作付統制と申しますか、生産計画というものと合さった形で行われませんと意味がない。支持すれば支持するほどますます過剰が強くなると、こういう結果を生むだけに終る危険性が大きいと思います。そういう意味でやはり生産計画という仕事がどうしても重要になってくるわけでありまして、これも実際は資本主義経済のもとでは完全にはむろんできないのでありますが、しかしそれでも今農林省はすでにアウトルック、農業観測の仕事をしておるわけであります。ああいう国全体としてのアウトルックというものをもう少し精密な形でやりまして、大体の需要の趨勢なり価格の趨勢というものを大まかに押えておきまして、そうしてそれを基礎にしてこの生産計画を立てていくと、こういうことがどうしても必要かと思います。この生産計画を具体的に立てますのはまあ県がやるなり、あるいは村がやるなり、あるいは村の村当局がやるのではなくてあるいは農業委員会なり、あるいはもっともう少し広げました農業団体のいわばサロンみたいなものを作りまして、そうしてそういうところで生産計画を立てると、こういうことでもいいかと思いますが、まあその組織は別といたしまして、とにかくやはり村ごとに生産計画を立てる、そうしてそれは上からのアウトルックの数字でもって下りて参りましたものに大体マッチさせるような指導をすると、こういう形でまあ少くとも大まかには生産のワクをきめていって、農民になるべくどの程度までは作っても安全だ、しかしそれ以上作ると危険だと、こういうような限度を農民にわかるように示してやるということがさしあたり割合に簡単にできることでありますし、やれば相当効果のあることではないかと思います。それ以上に強制的に作付を制限するというようなところまでいき得るかどうかも問題でありますし、またいった方がいいかどうかも問題でありますが、少くともその程度のめんどうは私は政策的には見るべきものだというふうに考えております。     —————————————

西郷吉之助自由民主党

○委員長(西郷吉之助君) それでは次に移りまして、大阪市立大学教授近藤文二君。

近藤文二大阪市立大学教授

○公述人(近藤文二君) 昭和三十一年度の予算の説明を拝見いたしますと、政府はさきに策定されました経済自立五カ年計画の初年度としてこの予算を計上しておられるとのことでございますが、果して政府はこの五カ年計画に基いて厳密な財政五カ年計画をお立てになってこの予算案を策定されているかどうか疑いなきを得ないと思うのでありますが、わが国の予算は、外国にその例をよく見ると聞いておりますような、長期の財政計画をお立てになってその上でそれぞれの年度の予算をお立てになるというようなやり方をしておられないように思われるのでありまして、そのため毎年の予算が極端に申しますと場当り予算になってくる、こういう疑いを生じ得るのでございますが、今回の場合もどうもそういうようなきらいがあるように思われます。そこで私日ごろ研究いたしておりまする社会保障関係費を中心といたしまして、少しばかりこういった角度から意見を述べさしていただきたいと思います。  社会保障関係費と申しますと、普通にこれを軍備費と比較いたしまして云云されるのが例のようでございます炉、今回の予算案を拝見いたしますと、社会保障関係費は一千百三十四億円、予算総額に対します比率は一〇・九%となっております。防衛関係費は一千四百八億円でございますから比率は一三・六%となります。従いましてバターと大砲との関係は必ずしも大砲に重点が置かれていないようにも見受けられますが、ここに注意しなければなりませんのは恩給関係費でありまして、考え方によりますと予算の八・七%を占めております。八百九十九億円の恩給関係費もバターの一部に属するとも見られるのではありますけれども、しかし文官の恩給の場合には確かにそうした性格があるとしても、旧軍人遺族等恩給費ということになりますると、むしろ潜在的な防衛費といった感がいたすのであります。私はかって軍人恩給が復活いたします際に、国会におきまして公聴会を通じまして、軍人のいわゆる階級差を前提とした恩給制度の復活は反対であるという意見を申し上げておいたのでございますが、今日でもこの見解には変りはございません。七百二十六億円、比率にして七%に当る旧軍人遺族等恩給費はいま少しこれを圧縮する必要があると思うのであります。ことに文官の恩給を合せますと近い将来には一千億円にも達すると考えられるのでありまして、そういう意味におきまして、今回出されました予算案における昭和二十三年六月三十日以前に退職した文官に対する恩給が他に比べて低いからというのでこれを調整するために計上された三億円、さらには軍人恩給のベース改訂に基く百億円、こういった増額は何としても承認することができ得ないのであります。ことに文官に対する三億円を上げると、現在では三億円でございますが、さらにこのベースにならって軍人恩給のベース・アップをするということになりましたならばゆゆしき金額を予算において計上しなければならないことになるのは今日から予想されるところであります。また軍人恩給のベース・アップ自体につきましては、これは昨年度に恩給法が改正されたその結果でありますから今ここで予算だけについて云々するのは当らないかもわかりませんけれども、以上述べましたような見解からいたしまして、もしでき得るならば今年度の予算においては前半期は半額のベース・アップにとどめられ、後半期において初めて完全にアップするようになっておるようでありますけれども、この後半期におきましてもこの半額のアップのままでとどめていただくというような方法がとれないものかどうか。最小限度においてそうした措置をとっていただきたいと思うのでありまして、このことによってこうむるところの被害と申しますか、恩給を受けられる方の犠牲は、普通恩給だけについてみますと、普通のベースの場合においては月額にいたしましてわずかに二百六十六円程度の犠牲で済むのではないか。しかもこのような措置をとることによって、約四十億円の節約ができるのではないかと思います。いずれにいたしましても軍人恩給の復活が今日社会保障の予算を圧迫しているということは、これは世論が強く強調しておるところでありまして、しかも先生方初めわれわれが望んでやまない国民年金制度というものを確立させるためには、このような軍人恩給がありますと非常な妨害になるのでありまして、この点を特にこの際思い起していただきたいと思う次第であります。また防衛関係費につきましても、なるほど諸外国の例に比較いたしますと、バターとの比率において必ずしも大き過ぎるというわけではないようであります。しかしながらアメリカやイギリスのように豊かな国の場合と、わが国と比較するのは問題でありますし、ことに憲法において戦争放棄ということをはっきりとうたっております国といたしましては、たとい今日の段階において防衛支出金はこれはいましばらくいたし方がないといたしましても、防衛庁経費のごときはこれをいま少し節約することは必ずしも不可能とは考えられないのであります。ことに伝えられるところによりますと、二十九年度の検査報告におきまして、防衛庁費の不当使用の事例がいろいろと上げられているとのことであります。さらにまた新聞等の伝えるところによりますと、たとえば陸上自衛隊に無電機が余っているにもかかわらず、航空自衛隊では新たにこれを買い入れている、その金額が七十三億円だとうわさされているのであります。もしこれが真実であるといたしますと、国民は強い憤りを感ぜざるを得ないのでありまして、おそらく三十一年度の予算におきましてはこのような不要な費用は絶対に計上されていないと信ずるものでありますけれども、なお十分に御検討をお願いしたいのでありまして、私といたしましてはできますれば本年度の予算において五十億円程度の増加で、この防衛庁経費の百三十四億円という増額は許していただいて、そして残るところの八十四億円程度はこれを社会保障関係費に回していただくような措置が国会においてとれないものであるか。これと先ほど問題にいたしました文官恩給の不均衡是正を撤回することによりまして三億円、さらに軍人恩給のベース改訂による増額を半額にとどめることによって四十億円、合計百二十七億円程度のものは今回の予算の中からこれを社会保障関係費に振り向けるということは、これは決して無理な注文ではないと考えるのであります。もっとも社会保障関係費は三十年度に比べまして百二十二億円増加しております。しかしこの百二十二億円の増加の半ばに当る六十二億円は、失業対策費が二百八十九億円から三百五十一億円に増加した結果でありまして、われわれが本来社会保障と呼ぶようなものに対する費用の増額は差引六十億円にすぎないのであります。もちろん私今回の失業対策費の増額が不必要だというのではございません。ことに従来地方で問題になっておりました資材費の単価の引き上げとか、あるいはその補助率の引き上げを初め、新しい老令者、女子等に対する簡易失対事業などの実施をお考えになっており、そのための費用でありますからその意のあるところはこれを多とするものでありますけれども、このような費用が増大したからといって社会保障の前進だとは言えないと思います。このように考えて参りますと社会保障費の増額はわずかに六十億円ということになるのでありまして、これを防衛関係費や恩給関係費との増額に比べますと何としても遺憾千万というほかはございません。さらにこれを個々の費用について拝見いたしますと、生活保護費では約十五億円増額されております。さらにこの十五億円の増額は、三十年度の場合には、二十九年度の不足補てん十億円が含まれているとのことでありますから、結局これを合せて二十五億円の増額となるのでありますけれども、しかしながらこの増額たるや、保護人員を三十年度に比較して二・五%増と見込んだからだというのでありますから、問題にならざるを得ないのであります。と申しますのは、前年度においては、この保護人員の増加率を五%と見込んでおられます。ところが、今回は扶助額の引き上げは全然行わずに、保護人員の増加を二・五%というふうに昨年度に比べて半分の増加率にしておられるのであります。これは五カ年計画による失業対策との関係を織り込んでこうされたのかどうか、これらの点についても疑問がございます。しかも問題になりますのは、医療扶助でございまして、医療扶助は人員においての増加の趨勢はややとまったようでありますけれども、一人当り金額におきましては、ますます増大の傾向を示していくのではないかと思われます。ことに、私の見るところでは、今回国会で問題になっておりますところの医薬分業を前提とする新医療費体系に基く新点数表が四月一日から実施されるということになりましたならば、さらにその増大をみるのではないかと懸念するのでありまして、その点を今度の予算においては十分織り込んでおられるのかどうか、この点も問題と言わざるを得ないのであります。また、児童保護その他の社会福祉費につきましても、実質的には前年度に比べまして三億円程度の増額になっているのでありますけれども、児童保護措置費が五十六億四千万円から五十六億八千万円にほんのわずかしか増額が認められていないのは遺憾でありまして、厚生省原案ではこの数字は七十七億九千万円、すなわち二十一億五千万円の増額となっていたのを、その端数の五千万円だけ認められておるというまことに皮肉な数字になっているのであります。しかし私ここで特に問題にしたいと考えますのは、社会保険費と結核対策費でございます。社会保険費につきましては、国民健康保険助成金が三十年度の七十二億六千万円から八十八億二千万円に約十五億六千万円ほど増額されているのでありまして、これは国民健康保険のすみやかね普及を期待して三千万人の被保険者を見込んだ数字だというのでありますが、三十年五月の被保険者は二千五百三十六万人でありますから、結局四百六十万の新加入に見合う数字となっております。私の推算では、賃金労働者のほかに現在二千万人近い人々がまだ国民健康保険に加入しておられないのでありますから、この数字に当てはめますと、今回の予算は五カ年間に国民皆保険の実を上げようとしておられるもののごとくであります。しかしながらこれら二千万人の人たちのほかに、家族を含めますと約一千万人と推定される賃金労働者の方があることを忘れてはなりません。もしこれらの人々をも国民健康保険に加入させるというのでありますならば数字の上で五カ年では国民皆保険は実現できないので、七カ年を必要とすることになります。このようなことを長期的にお考えになって今回の予算が出ておるのかどうか。しかもこれら一千万人になんなんとする賃金労働者及びその家族、それらの人たちが健康保険に今日入っていないのは、主として五人未満の従業員しかない零細企業に働くがゆえでありまして、こういった零細企業に働く人たちに対する健康保険こそ焦眉の問題だといわねければなりません。しかもこれらの人たちに健康保険がないということは、単に日雇労働者には貧弱ながら健康保険があるということに引き比べてバランスがとれていないという点からだけではなく、実は側面から申しますと、健康保険の赤字の原因の一つともなっているのではないかと思われます。と申しますのは、政府管掌健康保険では現に三十一年度におきまして六十六億六千五百万円赤字が出るという計算をしておられます。そうしてこれに対しましては三十億円の国庫補助がなされるようになり、さらに患者に対しましては二十三億六千万円と見込まれている一部負担を行い、そのほか標準報酬月額の最低及び最高金額の引き上げ、あるいは薬価の引き下げなどの措置によってさらに十三億円ほどひねり出して、そうしてつじつまを合わそうとしていられるのでありますが、こうした膨大な赤字を出すに至りました原因は、これは申し上げるまでもなく、結核の費用が増大したからではありますけれども、しかしながらたとえきわめて例外的であるといたしましても、前述のように健康保険にはいっていない人たちが被保険考証を借りて不正使用をしてそうしてその結果健康保険にいくぶんの赤字を作っておるというような見方もでき得るのであります。この場合これらの人々のそういう行為を責める前に、われわれはこれらの人々に健康保険がないということを反省しなければならないと思います。こういうわけでありますから、私が参加いたしました前厚生大臣から委嘱を受けた健康保険に対する赤字対策を中心にする七人の委員の報告におきましては、まず五人未満の従業員しかない零細事業場にも健康保険の適用を行うため特別健康保険制度を作ってもらいたい、そうしてこれらの人々に対しましてはその保険料の半額を国庫で負担するようにしてもらいたい、そのため国は五十億円程度の負担をなすべきである、ということを主張したのであります。もちろんこの保険の実現には慎重な準備が必要であることは言うまでもございません。しかしながら三十一年度においてこういった保険を実施するということは、必ずしも不可能とは考えられないのであります。しかるに政府は、わずかに八百万円程度の金を出されて医療保障委員会及び調査費という名目でもってこの問題にいかにも熱意を示すかのごとき態度をとり、これによって世論を糊塗しようとしておられるのは、心外千万でございます。また、七人委員会の報告におきましては、これら零細企業の労働者と並んで現に健康保険にはいっておる人々に対しても五千円未満というような低賃金の人たちに対してはその保険料の半額程度を国庫において負担すべきであると主張し、そのため国は年九億円程度を負担すべきであると主張していたのでありますが、政府はこうした点に考慮せずして標準報酬の最低月額を三千円から四千円に上げようとして今労働者の反対を買っていられるようであります。さらに申し上げたいことは、政府管掌健康保険の赤字の計算でございます。これは三十年十二月に厚生省は九十五億円の赤字が出ると発表されたのであります。ところが結局前述のように、この赤字は六十六億余りだということになったのでありますが、そうしてそれはおそらく昨年の秋ごろからの点数改訂とか、あるいは行政措置の強化といったことに基く現象であろうと思いますけれども、しかし大蔵省と厚生省との推算が大幅に違っていたことによるのではないかと思います。元来こうした数字はすべてこれを天下に公表して、大蔵省が正しいか厚生省が正しいか、国民の批判を聞くといったような措置を今後はぜひとっていただきたいと思います。この点特に問題になると思いますのは、国庫負担三十億円の問題であります。厚生省では最初医療給付費の一割に当る国庫負担四十六億円を要求されていたようでありますが、大蔵省では赤字は四十億円程度に済むのだ、この程度なら患者の一部負担その他の措置で十分まかなえると、こう言われる。給付費に対する国庫負担の必要はないと断定しておられたようであります。ところがそれが十億円出されることになり、さらに二十億円になり、最後には償還金十億円の返済を繰り延べることで三十億円となったのでありますが、これらの経過におきましては何ら理論的根拠がないということはくれぐれも残念でございました。さらに残念に考えますのは、こうした措置があくまでも赤字対策として取り上げられている点であります。なるほど後には赤字対策ではないということを確認されたとの話でありますけれども、ただいま衆議院で審議中の健康保険法等の一部を改正する法律案を拝見いたしますと、「予算ノ範囲内ニ於テ政府ノ管掌スル健康保険事業ノ執行ニ要スル費用ノ一部ヲ補助ス」となっておりまして、この点は必ずしもはっきりいたしておりません。もっとも私個人といたしましては健康保険に対しまして定率で一割とか二割とか国庫炉負担するというような考え方には必ずしも賛成ではございません。このような定率国庫負担は理論的には国民皆保険の暁においてのみ主張され得ることかと思うのでございまするし、また今日の段階におきましては、むしろすべての国民が納得するという意味においては、前述のように標準報酬の低いものに対する国庫負担、こういう行き方をとるか、そうでなければ国民健康保険に対する国庫補助と同額の国庫補助を行うといったような考え方をとるべきだと思うのであります。もし国民健康保険の場合と同じ金額というふうに考えて参りますと、現在国民健康保険では被保険者一人当り約二百円の国庫補助となっているのでありますから、政府管掌健康保険におきましてはこの計算で参りますと、大体二十四億円程度のものを国が負担すればよいということになります。しかしさらに考えなければならないのは、もしこのような考え方で国庫負担をするといたしますならば、当然健康保険組合に対しましても同じ措置をとらなければ筋が合いません。そういたしますとさらに十八億七千万円の国庫負担が必要となって参ります。また政府は三十億円の国庫負担で間に合せますために一部負担制をとろうとしていられるのでありますが、私はこの一部負担制という制度は乱診防止の意味におきまして制度としてはこれは認めていいものだと思うのであります。しかしながら今回のように赤字対策として誤解されるようなやり方は反対であります。たとえば再診ごとに十円取るとか、注射投薬のごとに三十円取るとかといったようなことは事務の複雑を来たすおそれもあるのでありまして、できるならば私は現在本人負担となっております初診料の五十円程度のものを百円程度に引き上げるといったような措置でしんぼうすべきではないかと思うのでありますが、しかしもしそういうようなやり方をするといたしますと、十三億円程度の減収となります。そこでそういう減収をどうしてしからば償うかという問題が出てくるのでありますが、これらの点につきまして特に問題にせなければならないのは結核対策であります。私はこのような一部負担の変更をかりにやられるとするならば、ぜひともお願いしたいのは結核公費負担制の拡充を行うということであります。元来この健康保険の赤字というのは先ほども一言申し上げましたように、結核費が増大したということに基くのでありまして、この点をはっきりとのみ込まずにただ単に赤字対策を云々するのは誤まりだと思います。ここで私今結核対策の重要性を繰り返す必要はないと思いますし、またその時間もございません。ただ今日の医療技術をもってすれば早期に発見し、早期に治療する限り結核は必ずなおる病気だということをこの際思い起していただきたいと思いますとともに、そういうものでありますから思い切って国庫から金を出しておきますれば長い目で見て結局国費を節約することになるという点にも考慮を払っていただきたいと思います。もっとも結核療養に要する経費をすべて国家で持つということになりますと、少くとも一千億円くらいの費用は要ることになるのでありますから、一兆三百四十九億円の予算ではこれはまず問題とはなりません。しかしその一歩といたしまして、たとえば今後十年間くらいに結核を撲滅するといったような計画を財政的にお立て願いまして、そうして結核予防法に基く公費負担の割合を増大する。たとえば七人委員会の報告が指摘しておりますように、現行の特殊治療法に対する国庫負担率を四分の一から二分の一に引き上げる、さらに財政困難な地方の実情をよく考えて現行の四分の一になっておる地方負担率を五分の一程度に圧縮する、そのかわりにこれを義務制にするというようなことをやりますれば、今日地方においては地方の負担ができないからせっかく公費負担の制度があってもそれが有名無実になっておるという実情もなくなるのではないかと思います。さらにその公費負担の対象につきましても、入院料についても一定の割合で公費負担を行うというようなこともやっていただきたいと思います。そうしてこの程度のものでございますと、大体九十億円程度のお金を国が出されましたならば問題は片づくのでありまして、現在の予算の数字から申しますと七十五億円の増額で十分だと存ずるのであります。しかもこのようにいたしまして結核公費負担の線が拡大いたしますならば、政府管掌健康保険の地方負担を合せて十五億円程度の金が入ることになります。この十五億円程度の金がこういう形で入るとするならば、先ほど申し上げました一部負担制を初診料百円程度で実現いたしまして財政的につじつまが合うことになるのではないかと思います。ところが今回の予算案を見ますと結核対策費はわずかに三億七千万円増額されて百三十三億六千万円になっておるにすぎないのであります。しかもこの増額は国立結核療養所経営費が約七億二千万円増額されたのと健康診断及び予防接種費が約一億三千万円増額されたことによるのでありまして、差引その他の費用では五億円近い減額になっておるのであります。なるほど今回の予算措置を通じて拝見いたしますれば、これまで補助を受けられなかった外科手術に伴う入院料も公費負担の対象となっておるというようなやや前進した面もあるのでありますけれども、公費負担を中心とする医療費が十五億円から十四億四千万円に減額されておるというのは、これはどういたしましてもふに落ちないと思います。何ゆえに政府は自民党政調会や厚生省が求めてやまない今の公費負担率の引き上げ、すなわち二分の一を三分の二に引き上げることを承認されなかったのでありますか。予算にしてもこのための増額はわずかに三十億円程度で済むのではありませんか。しかもこの際結核対策に幾分でも多くの費用を投じておくということは結局五年先、十年先に大幅に国費を節約することになるという点を考えなければならないのでありまして、もし政府が真に昭和三十一年度の予算は経済自立五カ年計画の初年度としての予算であるとするのであれば、こうした長い目で見た社会保障計画をお立てになって長期財政計画とにらみ合せてこれをぜひとも実現していただきたいのであります。最初に私が今回の予算もまた場当り予算ではないかといった疑いを持ちましたのは社会保障を通じて見た今回の予算が以上のような内容を持っていたからであります。どうか先生方の御努力によりまして当参議院において予算案を修正され、結核対策の前進、五人未満の零細企業に働く人々の健康保険の実現、さらに国民健康保険の普及発展のために何とぞ努力していただきたいのでございまして、そのための予算としては、先ほども申し上げましたような、百二十七億円の財源をもってすれば必ずしも机上の空論ではないと考える次第であります。  はなはだ行き届かないところの意見を申し上げて礼を欠いたかと思いますけれども、私の感じておりますところを率直に申し上げて御参考に供したいと存じます。

竹中勝男日本社会党

○竹中勝男君 近藤さんに伺いますが、今全般的にいろいろお聞きしたいこともありますけれども、まずさしあたり今度の国会で問題になるのは健康保険の一部改正に伴う患者一部負担のふえることが一つの大きな問題でありますが、あなたは一部負担は制度として認めてもよいという考えなんですね。事実英国でもやっておりますし、国民経済のこれは大きさ、あるいは所得の分配分の傾斜が非常に緩慢なところではそういうことがいわゆる受益者負担という考え方によって認められると思いますけれども、日本においてこの一部負担をだんだん強化していくような結果になれば、結局医者にいくごとに今度の医療費体系にしても五十円、再診にいけば三十円取られる。そうすると日雇労働者にしても組織労働者にしてもやはり五十円とか三十円という金は電車賃の節約でもしなければならない、ことに病気になれば六割しか傷病手当では入らないというような状態のところで一部負担のために医者に行くことをおくらしてしまう。そうすれば結局早期治療だとか、早期診療ということはできないで逆に悪く循環して今度は医療費が増大するということははっきりしておるのです。現実にそういう場合でも、あなたは一部負担を原則としてでなくて現実の制度として認めるのがいいと思われますか。一応その点から……。

近藤文二大阪市立大学教授

○公述人(近藤文二君) 辛らつな御質問でありますが、私個人の意見といたしましては金額がかさばらないですべての人が一応納得するような一部負担であるならば、これは制度としてもちろん残すべきだという考え方です。しかしそれを将来どんどんと一部負担制度というものを拡張していくようにというような考え方はいたしておりません。それからもっと全体の方に同じような形で医療が行われるということになりましたならば、一部負担の必要はむしろ私なくなるのじゃないかと考えております。ただ今日の場合に健康保険の一部負担が問題になりますのは、健康保険のしからば一部負担をやめればどうするかということで必ず国庫負担が出てくる。そういう人々の一部負担を五十円の程度にとどめていくために国庫が出す金があるならば、私はその金を五人未満の健康保険を持っていない人にむしろ振り当てるべきじゃないかという意見なんです。それで非常に余裕炉あるならば一部負担というものを強化する必要はないという意見もあるようでございますけれども、しかし私は今日ちょっと手をけがしたからというので、お医者さんにかかるというので労働の場を離れていかれるということは問題であると思いますので、百円くらいの初診料の一部負担というのは、これは当然あってしかるべきじゃないかという考え方なんです。そこで先生とちょっと意見の分れますのは、どういう形でやるか、やらぬかという問題じゃないかと思うんです。先生が一部負担は絶対反対だというふうにおっしゃるならばこれはまた別なんでございますが、その辺に非常に微妙なものがあるのじゃないかと思うのでございます。従って私の強調したいのは、もし予算が許されるならば、むしろその漏れている人たちの方に目をつけていただきたいのであって、一部負担をやめて、そのために国庫負担を増額するということによって零細な健康保険にはいっていない人たちが相変らずあとへ残されていくというようなことがあっては困る、こういう考え方なんです。

竹中勝男日本社会党

○竹中勝男君 被保険者というものは、とにかく一つの診療を受ける権利を持っているわけなんですね。五人未満の零細な企業に働くところの者が保険の対象になっていないということは、この診療を受ける義務を果していないから権利もない、一応形式的にそう考えられるわけなんですね。そうして国庫負担を健保だけに相当額支出するということは、国民の医療の均衡の上から、むしろ健康保険をもっと拡大することに使うべきだというあなたの議論なんですが、現在持っているところの権利ですね、こういう受益権を持っている者、つまり保険金をかけているからして病気の場合医者にいける、治療を受けることができるという人たちが、それを利用するためにまた負担をしなければならないということが一つの問題だし、現実にその一部負担をする能力がない場合ですね、おそらく日本の勤労階級というものはないという方が近いんじゃないかと思うんです。その証拠には医療担当者が一部初診料を取れないのが一割あるんです。これは請求する権利も医者にはない、自然泣き寝入りになるわけですが、それまでにしてでもやはり医者にかからざるを得ない連中が医者にかかっているわけなんです。これがまた今度再診料を払わなければならない、入院するときに百三十円半年は出さなければならないというような、こういう一部負担制がすでにだんだんとこれは強くなっていきつつあるわけなんですが、そうすれば結局国民医療というものは低下してくるということをわれわれは現実的におそれているわけなんですね。そういう医療費の負担能力がないということから、われわれはこの健康保険を、社会保険にこれを切りかえ、社会医療に切りかえているのですが、そういう日本の現実に直面しての一部負担というものは、私はやはり社会医療の促進の上に、これはどうしても何とか逆にこれを減らしていくようにしなければならないと考えているんですが、その減らしていくということについては、あなたはどういうふうに考えられますか。

近藤文二大阪市立大学教授

○公述人(近藤文二君) ちょっと問題がこう複雑になって参りますが、もし一部負担というものを減らし、あるいはこれを全然なくするという考え方でいきますならば、社会保険の立前から言えば、やはり保険料でこれをまかなうべきだと思うんです。労働組合の中でもそういうような考え方で保険料を上げてもいいというふうに言っておられる方もありますけれども、第一の前提としてこれ以上保険料を上げられないのだという考え方がありまして、今回の一部負担論が出ておりますところに問題があると思うんです。私は既得権の問題に関連するというような御意見でございますけれども、国民健康保険を見ましても、これは半額は本人が負担せざるを得ないことになっておりますし、そうして健康保険の被保険者の場合でも家族はやはり半額これを負担しなければならないということになっている。まるまる全部何にも患者になったときに出さずとも保険で見てもらえるというような保険の考え方は、これは私少し問題点があるのじゃないかと思います。のみならずその点につきましてはお前は保険ばかりやかましく言っている、今は社会保障の時代だから当然国がそういうものを出すべきだという議論で私の議論に対して反対される方が多いのでありますけれども、それならば全体の医療が国の責任によって行われるということを前提としてならば私は納得する。たとえば国民医療が全部イギリスのように行われるならば、国庫負担は九割になっておるわけでありますから、八割であろうと、七割であろうと、そのときの経済の状態によって税金でまかなう方がいいか、保険料でまかなう方がいいかということを、国民所得の再分配の見地で考えていけばいいと思います。しかし現在の国民健康保険なり健康保険のあり方、さらには健康保険に入っていない人たちということを考えますと、現在健康保険にお入りになっている方は恵まれた方といえるわけであります、被保険者の方につきましては。そういう方はこの際外国においても例を見るように、一部負担制ということを承認していただくのが筋合ではないかと思います。ことに五十円というものを百円程度に引き上げるということでありましたならば、ちょっとしたけがなら別でございますけれども、まあ先生のおっしゃったような早期発見といったような点から申しますと、それほど妨げになるものではないと、私はこういうふうに考えるのでありますが、そこらあたりになりますと、ちょっと先生の御議論に対して私の見解で反駁するというわけにはいきませんので、この辺で一つお許し願いたいと思います。

竹中勝男日本社会党

○竹中勝男君 それと関連するのですが、この間歯科医師の方と私会いましたときに、歯というものは痛むときにしか行かないというのです。そうするとどうしても歯が痛いので歯科医師のところへ行く。そうすると歯科医師の第一の仕事は痛みをまずとめることだ。ところがそのとめるだけでは治療の目的は達せられない。ところが患者にしてみれば、再診料がかかるし、補填料がかかるし、そうすると歯の痛みがとまったのだからして、もう二度と当分の間行かない。そうすると歯科医師にとってみれば、そうやられるともうこの次は五で済むべきものが十も十五にもなるというのですね。そういう事実が国民医療の中で現われてくるということは、やはり一部負担ということが原因になっておる。まあそういう点でわれわれはこの一部負担の強化ということを、現在のままだったらまだいいけれども、一部負担がさらに再診料にもあるいは入院料にも、あるいは今度の改正のごときは家族という範囲も非常に限られてくるし、半額負担の家族すらさらに制限を受けるというような改正というものに、非常に危険性を感じているわけです。今度の健康保険の改正案下というものに対して、あなたの意見を一つ伺っておきたい。

近藤文二大阪市立大学教授

○公述人(近藤文二君) 今の問題、歯科の問題がちょっと出ましたので申し上げておきたいと思いますが、イギリスは御承知のように歯科治療を受けます場合には、だれでも一ポンド本人負担になっておりますので、かためて治療を受けるということも聞いておるわけであります。イギリスのような非常に徹底した医療保障の国でもそうなっておる。だから日本の今回厚生省で考えられておりますところの三十円というものの中には、歯科の場合の処置料は入っていないようでありますから、先生のおっしゃった点で申し上げますと、五十円とあとの十円くらいか問題になるのじゃないかと考えられます。しかし全般といたしましては健康保険法の改正の中では私賛成点もありますし、反対点もあるわけなんですが、家族の問題なんかは、家族の範囲を制限するというよりも、家族の範囲というものをはっきりとさした、扱い方によってはどちらでも扱える、社会保険出張所が自由に適当に扱えるというようなやり方は、これはいかんじゃないかという意味で、家族の問題も私は賛成を一応しておるわけでございます。継続給付の問題でも一年延ばしたのは少し問題じゃないか、むしろあれは過去において保険料を払い込んだ期間に比例して、失業保険でやっておられるようなやり方をしたらいいのじゃないかというような、個人的な意見を持っております。一部負担につきましては先ほども申し上げましたように一応納得できるような少額のものであるならば差しつかえないという考え方なんです。根本から申しますと、もしそういうものをやらない場合は、一体どういう財政的な結果が出てくるか、保険料を上げるか、国庫負担をするか以外に財政的なつじつまを合わす道はございません。だからもし政府が先ほど申し上げましたように結核対策に重点を置いて、公費負担というものが有名無実といわれているが、健康保険の方にも公費負担のものをどんどん流し込むというようなやり方をされますならば、さらに結核の費用を増大されますならば、一部負担も先生のおっしゃったようにもっと減らすということも可能になってくるし、今後の改正の場合、家族の取扱いについてもはっきりした範囲内でもっと広げるということも考えられるのであります。継続給付の場合も同じことであります。大体そういったような予算との関係もございますので、私としては、国会の先生方は健康保険だけに何割国庫負担をするということは保険に入っていない人たちに筋が合わないからという御議論もあるようでありますが、私もその点は保険に関係のない人たちの口からも聞くことでありますから、すべての国民が納得するということについては、結核についての費用を予算で計上して、それを健康保険の方に持ち込むことによって竹中先生の考え方の方向が実現できるのじゃないか、それで先ほどから予算についてもこれは私の理想論は少しも申し上げておりませんで、現実に参議院において予算の修正ができ得る範囲内において、先ほどのような意見を申し上げているわけでございますから、その点十分一つおくみ取り下さいまして善処していただければ非常に幸いだと思います。

吉田法晴日本社会党

○吉田法晴君 ちょっと簡単に私も伺いますが、社会保障あるいは社会政策をやっておられます立場から新医療費体系についてのあなたの御意見を伺いたいと思います。

近藤文二大阪市立大学教授

○公述人(近藤文二君) どうも問題が非常にむずかしくなって参りまして恐縮でございますが、私は医薬分業というものは理論としては筋が合っている。しかしながら現実の日本では医薬分業というものは少くとも医療費に影響を及ぼす限りにおいては医療費を上げるものだと考えております。ところが新医療費体系は、不可分論、可分論、両方あるようでありますけれども、やはり医薬分業というものが前提になっているのであります。新医療費体系の新点数が実現されましたならば医療費は上る、と申しますのは、お医者さんの方も、この国会で新医療費体系についての公聴会に公述されたお医者さんが私におっしゃっておったのは、もし新しい計算でいくと、自分の方は一割七分ぐらい減収になる、減収になればその減収を債うために何らかの方法を考えると言ったところが、国会の先生方からそれはどういう方法をやるのだということを聞かれて、ちょっとおそれ入ったというお話をしておったのでありますが、今までの収入を守っていこうとすれば、必ず何らかの方法をおやりになると思います。そういたしますると結局今まではお医者さんだけで片づいておったものが、今度は薬屋さんという商売人が入ってくるのでありますから、その両方から攻められるということになりますと、勢い新医療費体系によって医療費は上らざるを得ないというのが私の見通しなのであります。厚生省は最初は下る、要らん薬を出さんから下るということを言っておりましたけれども、最近は上るか下るかわからぬと言っておりますが、新医療費体系についての私の考え方は、あれはなるほど差し引き勘定、つじつまが合うことになっておりますけれども、頻度率というものがどうなるか——回数でございます。過去の三月のときの同じ診療行為度数によれば……。やはり診療行為度数が変れば変ってくるわけで、それがどう変るかということはわからぬ。だからあれを取り上げて国会で議論しているのは、率直に申し上げますとおかしいという感じもするのでありまして、あれで議論するのは水掛論でございます。一度おやりになれば上るか下るかわかるのでありまして、あまり議論しているとどこへ問題が行ってしまうか、横道へそれてしまうのじゃないかというのが私の率直な見解でございます。

西郷吉之助自由民主党

○委員長(西郷吉之助君) 他に御質疑はございませんか。

竹中勝男日本社会党

○竹中勝男君 せっかく社会保険の権威者である近藤教授が見えておられるので……。たびたび国会で、総理大臣は社会保障が前進しておるか後退しておるかということを聞かれて返事ははっきりしない。大蔵大臣に一体日本の国民経済の中で社会保障費というものがどういう程度に、どれくらいの率に出るかというような質問をされた方があるのですが、私もしたのですが、これもはっきりしないので、どうもそれも聞いてみたいと思うのですけれども、どういうところでこの社会保障費、あなたはさっき軍事費との比較だとか、いろいろな比較の仕方がありますけれども、社会保障というものは緊要性があると思うのです。速度がある。速度の点があるし、それから経済の中で、財政の中の程度といいますか、深さというものがあると思うのですね。それでこの所得の分配が非常に流動性が強いというときには、この社会保障の緊要性が私は大きくなっておるというのが世界の現状だと思うのです。むろんこれは国民所得との関係はありますが、いわゆる貧富の差といいますか、所得の分配の平等性というものが比較的緩慢であって、国民所得が大きいというようなアメリカのようなところでは、これは公的扶助のような形で実は社会保障ができておるのだと思うのです。ところ炉この傾斜、不平等の傾斜度がわりに急になっておって、しかしながら国民所得が比較的大きいというような、英国の場合がそうだと思うのですが、こういうときには、やはり社会保障を拡大していく、あるいはそれを深めていくことが促進されてきたのだと、私の独断に近いかもしれないのですけれどもそういう考えを持っておるのです。ところが日本のように、一方には資本家層の総体的な収入が減って資本蓄積が低下しておる。他方には勤労大衆がいつも最低生活水準をさまよっておるようなところで、こういうところでは、わずかに不平等性があっても生活不安という意識が非常に敏感になってくる、こういうところでは一体社会保障は早くやらなければならない、五カ年計画、七カ年計画というようなものでは社会保障の意味をなさないと思うのです。しかしまた国民経済の上からいうと、資本蓄積を妨げるような累進税というようなものをもっていけば、日本経済がやはり拡大できないという矛盾に直面するわけです。一体日本は社会保険でもっと拡大する可能性がありますか。

近藤文二大阪市立大学教授

○公述人(近藤文二君) 非常にむずかしい御質問でございますが、イギリスの場合におきましても直接税だけで計算すれば所得の再分配効果というものは十分あるのですが、間接税をも考えますと、ほとんど所得の再分配効果というものはないらしいのです。イギリスの場合におきましてもそれでいろいろなやり方が問題になる。保険料で行くべきか、税金で行くべきかということが問題になるのですが、日本の場合におきましては一応の考え方としては、医療につきましては先ほど申し上げましたような健康保険と国民健康保険の両立てで五カ年間の計画で推進させるということは必ずしも不可能でないと思います。さらにその次に国民年金制度というものをどうしても考えなければいけないと思います。その場合に、日本のように財政経済の非常に貧弱な所で、人口の多い国でありますと、やはり防衛関係の費用というものは一番大きな盲点になるので、これをやめてしまえば費用が出ますけれども、防衛関係費を全然やめることができないとするならば、社会保障の実現ということは非常にむずかしい問題になら、ざるを得ないと思います。そこで財政あるいは、資本蓄積、防衛というような環境をいろいろ織り込んで、少くとも五カ年くらいの程度の財政計画をお立てになって、そとから問題をはじき出していかれませんと、経済の今度の五カ年計画を見ましても、社会保障の面がほんのおざなりにしか考えられておりませんし、肝心の財政の計画というものは全然入っておりません。経済自立計画というようなことをいいましても、財政計画の入っていないような自立計画というものは私考えられないと思うのです。そういう点をいろいろ考えていけば、間接税と直接税の問題、それから保険料の国庫負担でいくのがどういうふうになるか、これは非常に重大問題だと思いますので、一つ機会がありましたらいろいろ研究したいと思っておりますけれども、日本の場合においては先生のおっしゃるように早急にそういうものをやるべき必要があるにもかかわらず現実にはやれないから、生活保護法中心ということにならざるを得ない。この際生活保護法中心でやっておるために医療補助がどんどんふえてきて、かえって逆に経済的には国費を余計使うようになる。その盲点の大きなものは結核だと思いますので、結核に対する五カ年計画とか、十カ年計画とかいうようなものができまして、早期治療の道がとられていけば、社会保障、医療保障の面は将来においては軽減して行くのではないか、こういう考え方でおります。お答えになっていないかもわかりませんが……。

西郷吉之助自由民主党

○委員長(西郷吉之助君) それでは一時半再開いたすことにいたしまして、休憩いたします。    午後零時三十七分休憩      —————・—————    午後一時四十六分開会

西郷吉之助自由民主党

○委員長(西郷吉之助君) それではただいまより公聴会を再開いたします。  公述人に申し上げます。大体三十分程度で御意見をお述べ願います。日本中小企業団体連盟理事鎌田正明君。

鎌田正明日本中小企業団体連盟理事

○公述人(鎌田正明君) 私は中小企業問題を中心として、昭和三十一年度予算について総括的な意見を陳述いたしたいと存じます。  中小企業の問題は、古くて新しい問題であり、商業、工業を問わずその性質上お互いの利害関係がきわめて複雑であって、いろいろ問題点が多いのであります。本日はその中で次の項目を取り上げてその概要を公述いたしたいと存じます。  第一、中小企業の現状と中小企業庁の強化拡充。第二、中小企業の組織化と中央会の強化。第三、就職層としての中小企業。第四、下請代金等の支払い遅延の防止。第五、中小企業に対する課税の均衡化。第六、中小企業金融の問題。  以上六項目についてお示しの時間三十分間に仕上げたいと存じますが、ことによりますと若干時間が延びるかもしれませんから、お許しを願いたいと思います。  第一に、中小企業の現状と中小企業庁の強化拡充について申し述べます。昭和二十九年総理府事業所統計調査によりますと、従業員三百人以下の事業所すなわち中小企業は、大企業を含む全企業事業所の九九・九%に当っております。おおむね三百万軒と推定されております。また中小企業の事業所に雇用されている従業員数は、全企業の八三・九%に当ります。おおむね千二百万人と推定されております。また中小企業はその生産、出荷額等から見ましても全企業の過半に近い比重を占めております。ことにわが国の輸出貿易においては中小企業の手になる製品が過半を占めておりまして、外貨獲得を通じて中小企業がわが国の自立経済達成に大いに貢献しておることは皆様御承知の通りであります。かように中小企業は経済的見地におきましても、はたまた社会的見地におきましてもきわめて重要な地位にあるのであります。しかるにわが国においては終戦後市場が狭隘となり、かつ過剰な人口をかかえ、産業は苦難の道を歩んで来たのであります。特に中小企業の分野においては企業の過剰が著しく、これが大企業に対する関係においてはもちろん、中小企業相互間においても激しい競争を引き起し、これらの膨大な数による中小企業はきわめて恵まれない境遇に置かれている実情であります。申すまでもなく中小企業はそれ自体としてあるいは規模があまりに小さ過ぎるとか、あるいは生産単位ないし経営単位として無理であるとか、その他いろいろな欠陥が指摘されているのであります。さらには中小企業が資本力が弱く、何らかの形で大企業の従属的地位に置かれているのも多数ありまして、これらはその方面から不公正な取扱いを受けやすく、またその経営上の欠陥からとかく金融機関からも冷遇されるなど、中小企業は経済的に社会的にいろいろ不利、不平等な地位に置かれているのであります。そうして中小企業は事業の性質上お互いの利害関係が複雑でありまして、農民とか労働者のような強い団結の力を背景とする政治的発言力が弱いのが現状であります。ところが近時中小企業界においても現下の政治情勢ないし社会情勢にかんがみ全国各地において業者団結の叫びがほうはいとして起っておりますので、やがては農民または労働者に劣らぬ政治力が結集されるのではないかと思うのであります。中小企業がこれまで身にしみ困窮しておるいろいろな原因を排除し、その経営の安定と振興をはかることは国民経済の合理的発展と中堅社会層の安定のために欠くことのできない緊要事でありますがゆえに、政府におかれては昭和二十三年に中小企業庁を創設されて、中小企業に関する各種の政策や事業を実施されており、それと同時に常に中小企業の実情を調査し、関係方面に意見を述べ適切な措置を求めるなど、中小企業者の正当な意見の代弁者としての役割を果しつつあるのであります。われわれ中小企業界においては中小企業庁創設以来数々の事績を賞揚するとともに、中小企業庁に対し今後より一そう適切な施策なしい行政指導を期待しておるであります。しかるに昭和三十一年度予算を見ますと、中小企業庁関係予算はわずかに八億円にすぎないのであります。もちろん中小企業関係予算としては通産省その他各省にまたがる予算を総合集計すれば相当額に上るものとは思われますが、かりに中小企業庁だけの予算八億円を取り上げて総予算額一兆三百四十九億円に対比すれば、その金額はわずかに千分の一にも達しない、いわばスズメの涙ほどの少額であります。  御参考までに海外における中小企業行政の一、二を捨い上げてみましょう。先年アメリカを視察された通産省の某大官の帰朝談によりますと、アメリカの国務省においては大企業の力が偉大であって、各立派な自主経営がなされておりますので、政府としてこれらの大企業に対しては単に統計資料を徴求する程度で行政のうち外的存在でありまして、同省の行政はもっぱら中小企業方面に行われておるとのことであります。そうして中小企業行政については実際至れり尽せりで、細大漏らさず行き届いた指導がなされておるとのことであります。思うにアメリカの商務省の行政は、実質的には中小企業省的な存在ではなかろうかと私は推測するのであります。  次に最近外務省顧問荒川昌二氏が講演されたベルギー駐在時代の談話によりますると、同国の人口は八百万人余で、日本の十分の一にすぎないのでありますが、輸出は年間二十五億ドルで竹本を凌駕しております。ベルギーの産業は石炭、鉄、鉄製品、繊維製品等で、輸出品の大部分が中小企業の手によるものであります。そしてベルギーの産業政策は自国だけをマーケットにしていないで、世界全体をマーケットにしておるのであります。ベルギーはかような経済状態でありますので、一昨年から初めて中小企業大臣ができたのであります。そうして同大臣は中小企業に直結する問題はもちろん、それが金融であろうと、また労働であろうと、中小企業全体の行政を縦割りに担当しておるのであります。なおこの中小企業大臣は、町のチョコレート製造業の主人であるそうであります。私はあえてアメリカに学べとか、あるいはベルギーに学べとか申すのではありませんが、先刻から申し述べましたように、わが国中小企業の重要性にかんがみ、政府におかれてはこの際中小企業——取り消します。国会におかれましてはこの際中小企業庁の機構を強化拡充せられ、中小企業庁を通産省の外局からはずしていただいて、独立庁として、現在通産省その他各省にまたがる中小企業関係の部署を中小企業庁に統合整理し、もって中小企業行政の強化拡充をはかり、中小企業庁から漸次中小企業省にまで推進されんことを切に要望する次第であります。  第二に、中小企業の組織化と中央会の強化について申し述べます。わが国の中小企業は特殊なものを除いて、一般にきわめて零細であります。業種、業態によっては一個の経営単位としてそのまま存続するには必ずしも適当でないものが相当含まれておるし、また個々の企業がばらばらでは競争力が欠ける場合も少くないので、中小企業を組織化して、その経営単位を引き上げることにより生産、経営の合理化をはかり、かくして取引の地位を強化、改善し、大企業との競争力をつけることが、中小企業の育成ないし振興の見地からきわめて重要なことと思うのであります。  現在中小企業等協同組合の設立は順調に進んで、昭和三十年十二月末現在、組合数は参考資料第一表に示すように、事業協同組合二万四千四百七十五組合、企業組合一万三百七十六組合、その他合せて三万五千六百五十八組合設立されております。そして、現在わが国の中小企業は先刻申し述べました通り、三百万軒と押えまして、そのうち百五、六十万軒が組合に加入しておりますので、組織率はおおむね五二%前後と推定されております。しかしながら、この協同組合の設立数をもって直ちに中小企業の組織化の効果を表わすものとの楽観を許されないのであります。すなわち、この多数の組合の中には、設立の趣旨に沿い、活発に事業を行なっているものが相当数あると同時に、ただ協同組合の看板だけを掲げて何らの事業を行なっていない。いわゆる睡眠組合に属するものが相当数あるのであります。  先般の第二十二国会で、中小企業等協同組合法の一部が改正されて、協同組合の指導連絡団体として、都道府県中央会と全国中央会が設置されるに至りましたことは、われわれ業界の宿願が達成されたわけで、業界こぞって歓喜を禁じ得ないと同時に、この機会において立法府その他政府関係当局に対しまして深甚の謝意を表する次第であります。都道府県中央会の設立は、自来着々として進行し、もはや設立未済は埼玉、群馬の二県のみとなっており、また全国中央会も来たる三月十五日に設立されることになっているのであります。  ここに都道府県中央会及び全国中央会が発足の暁は、今後協同組合新設の指導となるのみならず、既設組合の内容も順次整備し、強化され、実質的に組織化が一そう促進されるものと思われるのであります。  中央会においては、今後組合の指導や監査はもちろん、その他各般にわたる施策が活発に行われるものと思われますが、それには相当額の経費を要するのであります。その経費を中央会の会費その他の収入ではとうていまかないきれるものではありません。新発足の中央会をして真に協同組合の指導連絡団体としての重大な使命のもとに活発な行動をなさしめるためには、政府の絶大な援助を仰がなければならないのであります。この際国会におかれましては、諸般の事情をおくみ取りの上、中央会に対し大巾な補助金を交付されんことを切に要望する次第であります。  第三に就職層としての中小企業について申し述べます。現在新制大学は二百二十八校、短期大学は二百六十五校、合計四百九十三校の大学が設置されております。そうしてこの三月に卒業する学生数は約十四万八千名で、そのうち約八割十二万名が就職を希望しておるのであります。文部省の一月末現在の就職状況調査によりますと、このうち三九・一%、約四万七千名が就職決定し、残りの七が三千名は未決定であるとのことであります。これは社会的に見てまことにゆゆしい問題であろうと私は考えるのであります。世間ではかような就職難を引き起す原因は、今日の教育制度そのものに欠陥があるからだと論議されているようであります。これらの批判の是非はさておき、現在大学卒業者は従前通り一にも二にも有名な大企業、大会社や銀行を希望し、無名な中小企業方面にはあまり関心を持たないのであります。一方中小企業において求人の必要があっても、学校に対し正式に求人の申し込みをする場合はきわめて少いのであります。またせっかく学校に対し求人の申し込みをしましても、学生側はあれは会社の宣伝のための申し込みだなどと言って、希望しないのが実情であります。まず大学卒業生は大企業及び銀行を本位とする従来の考え方から切りかえると同時に、中小企業においても人材を公募し、これを培養するという進取的な経営が望ましいのであります。小零細企業は別といたしまして、今日中企業においては大学卒業生を受け入れ得る余地が多分にあるように思われるのであります。また農村方面の次男坊、三男坊は中企業、小企業を通じて受け入れ得る余地がかなりあるようであります。先刻申し述べました通り、現在中小企業の従業員は約千二百万人で、一割増員が可能としますれば、百二十万の収容力を持っておるということが言えるのであります。かように中小企業の育成ないし振興をはかることは、就職希望者の吸収層という社会的観点からもきわめて重要性を持っているものと思われるのであります。  第四に、下請代金等の支払い遅延の防止について申し述べます。大企業は製造業たると商業たるとを問わず、その強大な資本力と優越した取引上の地位を利用して、種々の不公正な取引方法を行使することであります。すなわち中小下請企業に対する納品代金等の不当な支払い遅延とか、あるいは買いたたき、百貨店や問屋の小売商に対する圧迫などがその典型的なものであります。下請への不当な支払い遅延に対しては、かねて中小企業庁と公正取引委員会が密接な連絡のもとに、大企業の下請企業に対する納入代金の支払い状況を調査し、不当に支払いが遅延しているものに対しては公正取引委員会より改善勧告を行う等の措置を講じ、下請への支払い促進に努力されておりまして、かなり効果を上げておりまするが、今回政府におかれてはこれを法律案として近く国会に提出されるとのことですから、その節はよろしく御審議をお願いいたしたいのであります。ただ御参考までに申し添えますが、この法律の施行によって大企業を抑圧し、その犠牲の上に支払いを促進しようというようなこと、また大企業と中小企業との対立関係が生ずることのないよう、あくまでも大企業と中小企業のそれぞれが経済的存立理由に基く独自の職能と分野において、しかも調和のとれた共存共栄の精神に塞ぐものであることを念願してやまないのであります。  第五に、中小企業に対する課税の均衡化について申し述べます。戦後数次にわたる税制の改正によって、わが国の税制は漸次改善されつつありますが、中小企業の税負担はいまだ実質的には他の企業に比べて少からず不均衡であります。また過重になっているものと思われます。申すまでもなく、税は法人にしろ個人にしろ、また業種のいかんにかかわらず応能負担によるべきもので、絶対に不均衡であってはならないと思います。中小企業に対する徴税面においては種々の問題が残されております。これが中小企業の経営を圧迫し、ひいては資本蓄積を阻害しておるのであります。かくてこれらの障害を除去することは中小企業の育成ないし振興をはかるために緊要事であると思います。  まず所得税について第一の問題点は、低額所得者の税負担の軽減であります。特に個人企業者にとって所得税は生活自体に直結する重大な問題であります。その軽減を要望する次第であります。  次に法人税でありますが、従来は法人税は所得金額の大小にかかわらず一律に四二%でありましたが、かねてよりの中小企業庁の主張が実現しまして、所得金額五十万円以下三五%、五十万円をこえる所得金額四〇%と二段階税率制が採用されたことはまことに感謝にたえないのでありますが、中小企業の所得の実情に即し、さらにこの低税率適用金額の引き上げを要望するのであります。  次に所得税の特別措置でありますが、現行わが国の租税制度には企業合理化促進法及び租税特別措置法による特別償却制度を初めとして、準備金制度、積立金制度、所得税控除制度など多くの特別措置が存在しておることは御承知の通りであります。これらの措置は企業の資本蓄積、設備の近代化、輸出振興などの経済的効果をねらわれたと思われますが、それらは主として大企業によって利用され、中小企業はその特典を利用することが困難な実情であります。そうしてこのことが中小企業と大企業との間に実質的に少からざる税負担の不均衡を生ぜしめている大きな要素になっているものと思われるのであります。そこでこれら特別措置による特典が中小企業にも十分均霑するように御配慮をわずらわしたいのであります。  次は地方税でありますが、地方税の中で中小企業によって最も問題となるものは事業税であります。特に個人事業税は、事業主の勤労による所得と考えられる部分が、法人のように経費として課税標準から控除し得ないために、法人事業税との間にかなりの負担の不均衡が見られるのでありまして、個人と法人との間の税負担の不均衡が種々問題とされているのであります。この際個人事業税の基礎控除の大幅引き上げ及び税率の引き下げを要望する次第であります。要するに税については国税たると地方税たるとを問わず、中小企業と大企業との間の負担の均衡、中小企業と農林業との間の負担の均衡を主張するものであります。  第六に、中小企業金融の問題について申し述べます。中小企業金融の問題は、従来中小企業問題の焦点のような観を呈しているのであります。これは中小企業が経済的に、社会的に、その基盤が一般に脆弱であることから起ることで、すなわち中小企業は概して資本力が弱く、かつ信用力に欠けているので、この窮迫が資金難となり、金融難として集約的に表現されているものと思われます。そして、中小企業対策の一環としての金融対策は、このような中小企業の現実の姿に応じて、直接には政府関係金融機関たると民間金融機関たるとを問わず、中小企業の資金を確保すると同時に、中小企業の信用力の補完、すなわち中小企業信用保険制度と信用保証協会制度を活用し、これらによって中小企業の競争力を培養することが緊要事であることは今さら申すまでもないのであります。昨年は戦終後初めて見る輸出の好調と加えて未曽有の豊作の影響を受けて、いわゆる数量景気が浸透し、金融は漸次緩和の趨勢をたどり、これに伴い金利も著しく低下を示しつつあるのであります。しかしながら中小企業の中で特に優良層に属する業者は別として、その他の多くの中小企業者については、その効果の浸透もまことに遅々としております。大部分の中小企業の資金繰りは依然として恵まれない実情にあります。これを実際面から見ますと、本年に入ってから不渡り手形は増勢が鈍り、一月ごろにはほぼ頭打ちの傾向を示しましたが、二月初めから再び増勢が強まり、東京手形交換所がまとめた二月中の不渡り手形発生状況によると、その届け出総数は四万六千五十六枚で、前年同月に比べて一万八千七百八十二枚上回っております。そして一月中平均の不渡り手形は千六百二十六枚、全体として前年同月に比べて約三割になっておるのであります。最近目立っている金融緩慢の情勢にかかわりませず不渡り手形がふえているのは、小零細企業のうちに依然日の当らぬものがかなり多いことを如実に物語っておるのであります。  さて、今後の金融の情勢を観察すると、経済の正常化に伴い金融は漸次緩和の過程をたどるものと推測されますが、今後の金融のあり方としては、産業政策の線に沿ったいわば質的補完を主眼とした融資と、産業政策遂行の過程において生ずる経済的、社会的摩擦を緩和するためにする、いわば社会政策的な零細金融の確保という、二つの要請が起るであろうと思われるのであります。政府金融機関を含む全体金融機関の中小企業向け融資残高は、参考資料第五表に示す通り、昭和三十年十一月末現在一兆八千二百七十九億五千万円で、総融資額四兆三千百二十三億四千七百万円に対し四二・四%になっております。そうして、中小企業向け融資額を政府関係金融機関と民間関係金融機関とに分けてみますと、参考資料第二表に示すように、政府関係が千四百二十三億九千八百万円、民間一億六千八百五十五億五千二百万円で、その割合は一対一一・八になっております。また民間融資額のうち一兆五百六十八億一千九百万円は都市録行及び地方録行の分で、これが民間融資額の六二・七%になっております。かように都市録行及び地方銀行の中小企業向け融資は大きな比重を占めておるので、これら録行の方針ないし動向いかんは中小企業金融一般に影響を及ぼすところきわめて大きいと言わなければならないのであります。  次に政府関係中小企業専門金融機関の融資残高は、参考資料第二表に示す通り、千四百二十三億九千八百万円で、中小企業融資総額の七・八%にすぎないのであります。これら金融機関の融資も漸次増加されるものと期待しておりますが、それには政府出資金のほかに資金運用部資金の大幅な活用を主張するものであります。参考資料第六表に示す通り、昭和三十年十二月末現在同資金による中小企業向け運用額は五百九十二億八百万円で、原資総額八千四百四十三億九千七百万円に対してわずかに七%にすぎない状態であります。  要するに、中小企業金融の今後のあり方としましては、第一に都市及び地方銀行の中小企業向け融資の促進、第二に相互銀行、信用金庫など中小企業専門金融機関の強化拡充、第三に政府関係中小企業専門金融機関の強化拡充、第四に信用補完制度の強化拡充などを今後一そう積極的に推進されんことを要望するのであります。  以上をもちまして私の公述を終ることにいたします。

西郷吉之助自由民主党

○委員長(西郷吉之助君) ただいまの公述に御質疑はございませんか——なければ次に移ります。     —————————————

西郷吉之助自由民主党

○委員長(西郷吉之助君) 次に東京大学助教授遠藤湘吉君。

遠藤湘吉東京大学助教授

○公述人(遠藤湘吉君) 私遠藤でございます。今日は地方財政について公述を命ぜられましたので、客観的な立場から今回の予算における地方財政の状態について見解を申し上げて御参考に供したいと思います。それで、一般財政につきましては、すでに昨日以来多くの公述人からいろいろ意見を申しておりますので、私はなるべくそういうことについてあまりダブらないようにして、もっぱら地方財政について、かなりこまかいことになるかもしれませんが、意見を申し上げたいと思います。従って、内容といたしましては、多少予算委員会向きではない点も含まれるかと思いますが、すなわち地方行政委員会で御所管になっているような点にまで入るかと思いまするが、その点はあらかじめ御了承を願っておきます。  で、本論に入ります前に、私が地方財政というものをどういうふうに考えているか、すなわち国の財政と地方の財政とをどういうふうに関連させて考えているかという点について、多少簡単にお話し申し上げる方が便利と思いますので、ちょっとその点を申し上げさしていただきたいと思います。  一般にいろいろな新聞、雑誌、あるいはラジオ等において現われますところの、地方財政問題に関する議論、討論というふうなものを見たり聞いたりしておりますと、とかく国の財政と地方の財政とあたかも対立するものであるかのごとく考える傾向があるやに見受けられます。しかしながら、私はこういう考え方はすでにもはや古くさい考え方であって、今後はこういう考え方では問題の解決にはあまり役に立たないのではないかというふうに考えておるものでございます。で、言うまでもないことでありますが、完全な地方自治などというふうなものは現在はあり得ない、こういうふうに経済状態、経済機構が非常に高度化し、社会状態が複雑になって参りますと、完全な地方自治というふうなものは、いわば十八世紀的なこれは理念であって、現在はこういうものは存在することはできない。従いまして、しばしば地方財政の担当者であられる方々の方で、あたかも地方財政の完全な独立というふうなものを主張されるかのごとく見受けられる意見が出てくるわけですが、これは多少行き過ぎではないかというふうに考えるわけでございます。しかしながら、それと同時に、地方財政は国の財政に従属すべきものであるというふうな考え方も、また少し行き過ぎではないか。それは言うまでもないことでありますが、国の施策というものは地方の行政組織あるいは地方の行政能力というものを通じることなくしては、目的を達することがほとんどできないというのが現状であります。そこで、そういう地方が一定の行政組織を備え、一定の行政能力を維持していくためには、やはりそのために地方にある程度の独立性のある財政力というものを与える必要がある、そういうふうに考えるわけであります。これを別の言葉で言いますと、純粋の行政事務というふうなものは、外交や防衛関係、司法、その他のごくわずかなものを除いては、ほとんど存在しない。それからまた純粋の地方限りの事務というふうなものもないわけでありますから、そういう意味で、国と地方とは相補う関係にあるのでありますから、要は、中央、地方を通じて、行政がいかにすれば能率的にかつ経済的に押し進められるかということが問題であって、そういう観点から考えて、国の財政と地方の財政との関係もまたおのずから定められていかなければならない、私はこういうふうに思っておるわけであります。  こういう点は非常にわかり切ったことのようでありますが、   〔委員長退席、理事堀末治君着席〕 私は実際問題として、このわかり切った点が、非常に問題がこじれて参りますと、とかく忘れがちになってしまう。最近の地方財政の赤字の問題というふうなものにつきましても、たとえば国と地方が責任のなすり合いをするというふうなこと、これはやはり大きな観点というものが、実際の問題になりますと、とかくぼやけてしまうのではないかということを考えさせるわけであります。あるいはまたもっと問題が卑俗化されて、自治庁と大蔵省の対立というふうな、官僚機構内部の対立の問題になってしまうという、そういう現象も往々にして見受けられます。またこれもやはりそういう国と地方との関係を大局的な立場に立って考えるという努力が薄い、あるいは必ずしも十分ではないということの現われではないか。そういう点にまあ接しまして、そういう現象に接しまして、あえて今のようなわかり切ったことを申し上げて、お耳を汚したわけであります。  以上ははなはだ抽象的なことを申し上げましたが、次にやや具体的に、主として今年度の地方財政計画を中心に意見を申し上げてみたいと思います。  本年度の地方財政計画は、昨年と比べますと、かなりその規模において増加になっておるし、これはこの増加を来たしましたということについて、いろいろの理由があるわけでありますが、その中で、つまり本年度の地方財政計画のこの立て方そのものが、御承知のように、旧来のいわゆる既定財政規模というふうなものにこだわった立て方ではない。たとえば給与実態調査というふうなものを取り入れるというふうに、昭和二十九年、三十年の地方財政の現状というものを踏まえて作られたものである。従って、従来の地方財政計画のように、ともすれば地方財政の現実から離れた、非常に何といいますか、ワクを作って、現実をはめ込むというふうなやり方ではないという点につきましては、まあこれが本年度の財政規模を大きくした有力な原因だと思いますが、その点についてはやはり相当の改善であるというふうに考えるわけであります。従いまして、本年度においては、従来ありましたように、財政計画が無理をする、赤字を赤字として認めないというふうなことがかなりなくなっておるため、本年度の地方財政も、昭和三十一年度の地方財政も、従前と比べれば楽になる。楽になるといっても、それが当然のことでありますけれども、つまり赤字はまあ出ない。従来と比べれば、あまりひどい赤字でなくて済むかもしれないというふうに考えられるわけであります。しかしながら、この財政計画の内容に入りまして、個々の点を論じていきますと、相当問題がある。さらにその昭和三十一年度において問題があるというのみならず、将来の問題としてもいろいろな点が指摘できるのではないか。さらにそれをもっと広げまして、単に地方財政将来の問題としてではなしに、国の財政にも相当深い影響を及ぼすという問題点があるのではないかと、こういうふうに考えるわけであります。  そこで、それならばどういう点があるかということでありますが、まあ時間の関係等もございますので、問題点としてごく大きな点についてのみ考えているひとを申し上げたいと思います。  第一は、この税収あるいは税法の改正の問題でありますが、本年度においてこの譲与税——交付税の点についてはまた後に申し上げます。譲与税の問題をめぐって、相当紛糾した。特に入場譲与税の問題をめぐって紛糾したことは御存じの通りでありますが、この紛糾の経過を見ておりますと、もちろんこれは新聞等によって承知しているわけで、実際のこまかいいろいろないきさつはもちろん知らないわけでありますが、そういう新聞等から得ていろ印象におきましては、この譲与税というものをめぐっての政府内部あるいは政党間のいろいろな考え方について、多少私としては疑問を持たざるを得ないのであります。それはどういう点かと申しますと、これもいかにもわかり切ったことをあえて申し上げるようで恐縮なんでありますが、交付税と譲与税とは本来その性質を異にするものである。これは言うまでもないことであります。しかしながら、今回この譲与税につきまして、交付税の不足あるいは交付税が十分ではないかもしれないという点を補うために、譲与税から一部さいて、これを交付税的に使うというふうな、そういう考え方が見受けられたわけであります。先ほども述べましたように、交付税と譲与税とは本来その目的もしくは役割を異にしておる。   〔理事堀末治君退席、委員長着席〕それについてそういういわば一種の混同が行われておるということは、要するに、国の財政からできるだけ地方に出す額を少くして、そうして地方団体内部でしかるべく操作をさせよう、そういう思想の現われではないかというふうに思うわけであります。これをもう少し具体的にこまかく申しますと、入場譲与税の算定、いわゆる二割天引の削減に当りましては、基準財政需要と基準財政収入との関係が問題になるわけであります。本来基準財政需要というものは、いわゆるナショナル・ミニマムというような思想から出てきているものでありまして、これは何も一定の団体が富裕であるか富裕でないかというふうなことを算定することをもって直接の目的として、設定せられた基準ではない。むしろある団体がいわゆるナショナル・ミニマムという状態に達しているかいないか、そうして達していない場合には、国として当然これを達するところまで引き上げる責任があるという考え方からして出てきたのであります。それがいつの間にか、ある団体に余裕があるかないかというふうなことを測定する基準にもなってきている。この点は私は多少筋が違ってきているのではないかというふうに思います。これをもう少し具体的に申しますならば、このたび入場譲与税のいわゆる二割削減に当りまして、余裕団体、収入が超過する、収入超過団体というふうなことについて、いろいろ今の基準財政需要と財政収入の関係が問題にされたわけでありますけれども、この場合基準財政需要の方には相当の余裕があるといったところで、それはつまり一がいに余っておるというものではない。むしろ基準財政需要を上回っておるということは、その団体がいわゆるナショナル・ミニマムの状態、最小必要限の状態に達して、さらにその団体としてはさまざまな地域の特殊性、地域住民の要求に応じてもう少し高度の行政をしなければならないということの表現であって、これを単純に、余裕があるから引き揚げて、そうして財源調整に回してもいいというふうな性質のものではないというふうに考えなければならない。もちろんそうは言いましても、地方団体の間に非常なアンバランスがあるという場合には、ここで貧富の度をある程度調整するということは必要であります。必要でありますが、その場合、それは先ほども言いましたように、ナショナル・ミニマムを維持するということに本来論理的なつながりはないわけであります。便宜上そのナショナル・ミニマムを維持してゆくための国家の側の責任を果すべき交付税というものが多少不十分であるということで、ある場合にはこの今の譲与税もそれにある程度利用されるということは、現実の問題としてやむを得ないことであるかもしれませんが、今回のいろいろな地方財政計画が定まるまでの譲与税あるいは交付税の問題をめぐるいろいろないきさつというものについては、そういった便宜上やむを得ないという程度のものではなしに、交付税と譲与税というものの考え方そのものの中に、いささか混乱が生じておるのではないかという感じを与えたことは否定できないように思います。従いまして、そういうふうなことが今後もまた引き続き行われる。しかもそれが国家財源に余裕がないということによってそういうことが今後も行われるという可能性は十分あるわけであって、その点については相当考えてみるべき問題が残されておりはしないか、かように感じるわけであります。  それから次に、軽油引取税の問題でありますが、これは多少こまかくなりますけれども、軽油引取税というものは府県税として現在考えられておるわけであります。この軽油引取税の法案を拝見いたしますと、免税規定がかなり広範に設けられておる。しかしながら、こういうふうな使用の用途によって免税をどうこうするというふうな、こういう消費税は少くとも今までの地方税には一回もなかったのではないか、国税においてもほとんどなかったのではないかというふうに私は考えております。従って、こういう税はかなり問題がある。それは具体的に申しますと、農業や漁業等に使用される軽油については免税になるわけでありますが、この免税の軽油が本来の用途に使われずに、課税さるべき用途に使われるという場合に、これをどのように捕捉するかということは、国税としても困難でありますが、さらに徴税能力の限られた地方団体、道府県においては、きわめて困難な問題が出てくるのではないか。そうしてもしこれを徹底的に追及するということになりますならば、相当の徴税費がかかるということになりはしないかというふうに考えられます。そこで、あまり大した徴税費もかけない、そうしてある程度税収を確保するということになりますれば、もちろんその場合には自治庁あたりで計算しておられます見込みの二十四億ばかりはまず困難となるわけでありますが、それはしばらく別といたしまして、もしも今も言いましたように、府県があまり徴税費をかけない、しかもある程度の税収を確保するということになりますれば、どういうことになるかというと、実際問題としては、自動車に使用される軽油に税をかける、つまり自動車が使う油だけは一生懸命とるが、それ以外は適当にやる、こういうことになりかねないわけであります。それはどういうことになるかというと、単に税収が確保できないというのみならず、もっと無形の影響を持つ。それはつまりどういうことかといえば、正直者はばかを見るということであります。すなわち、ごまかした方が得なんだ、こういう印象を納税者に与える。これは言うまでもなく、納税意欲を阻害するわけであります。従来地方税には、実態のいかんはともあれ、とかくそういう印象を与えるものが多かった。たとえば遊興飲食税あるいは木材引取税、そういうふうなものがあるわけであります。これらについてはそれぞれしかるべき方法が講じられつつあるわけでありますが、そういうものが多い。そこにもってきて、またそういう税を加えるということは、地方税として果してどうであろうか。それは地方税を納める納税者に心理的影響を与える。そうしてまあ国の税はともかく、地方税の方は適当にやってもいいのだというふうな印象を与えるというにとどまらず、それはひいては税一般、すなわち国税についても正直者はばかをみる、適当にやった方が得なんだという、そういう印象を与えはしないか、そういう点を私としてはおそれるものであります。  それから次に申しますのは、目的税であります。目的税につきましては、今回まあ受益者負担というふうな制度を大いに拡張するというふうに言われておるわけであります。そしてその結果、今の軽油引取税と、それから市町村における、いわゆる都市計画税というものが作られたわけでありますが、本来まあ目的税というものは、これはいろいろ議論もありましょうけれども、私としてはこれは名前は税であっても、本質的には受益者負担であるというふうに考えております。そこで受益者負担ということになりますと、受益者負担にとって重要な要因はいわゆる受益という事実の有無であります。従って受益者負担として受益の度合が現に受益という事実が存し、そして受益の度合いがある程度以下である場合には、受益者負担という制度はこれは排斥すべきものではないというふうに考えられるのでありますが、それが逆にその受益という事実がかなり一般的あるいは抽象的であって、しかもその受益度というものが明確でない場合には、これは名前は受益者負担でありながら、実は一般的な経費を支弁するべき税とほとんど本質において変りはなくなる、こういうことになるかと思うのであります。それでこの軽油引取税につきましては、税法を拝見いたしますとこういうことになっております。「道府県は、道路に関する費用に充てるため、及び道路法に対し道路に関する費用に充てる財源を交付するため、軽油引取税を課する」、そしてその軽油引取税の納税義務者等がきめられております。これは考え方といたしましては、つまりこの軽油を使用する自動車、トラック、バス等は特に道路を損傷することが多い。逆にまた道路がよくなれば軽油業者の受ける利益が大きい。そこで軽油引取税というものが課せられてきた。そのほかに軽油とガソリン、揮発油との均衡というような問題もありましょうが、この条文に関する限りそういうふうに考えられる。しかしながら、この場合それが果して受益というふうな観念ですべてを律し得ることができるかどうか。すなわち軽油を使用する者が道路がよくなるということによって受益するといいましても、その受益というのは、きわめて概念的なものではないか、もちろんそれはいろいろの運送機関の種類によって違いますから、業態によって度合いが違うわけでありますが、かなりそれはその業種、業態によっては抽象的な受益になってくるのではないか、そういうふうに考えられます。しかしながら、この軽油引取税についてはその点はまだよろしいのでありますが、都市計画税になって参りますと、これがますます私はあいまいになってくる。すなわち受益という事実が都市計画税の場合には軽油引取税よりもまだ観念的になってきて、そういう意味で受益者負担というような考え方は、今回の都市計画税に徴してみますると、どうも多少無理じゃないかというふうな気がいたします。これはあるいはあげ足をとるようなことになるかもしれませんが、地方税法の改正案を見るとわかるわけであります。それはなぜかと申しますと、今回の地方税法の改正案の軽油引取税ならびに都市計画税の条文におきましては、受益ということは言葉は全然出ておらないわけであります。すなわち第七百条に軽油引取税、第七百一条に軽油引取税の課税が掲げてあるわけですが、この条文の中にはどこにも受益という文字は現われておりません。従前の目的税である水利地益税、それから共同施設税等におきましては、利益に応じてとか、そういうふうな明文が入っておるわけでありますが、故意か偶然か、今度の条文にはそういう文字が入っておらないということは、今私が申しました今回の目的税なんかについてはその点が観念化されておるということと、ちょうど相対応するわけであります。そこでかりにこの軽油引取税の場合、あるいは百歩を譲って都市計画税の場合においてもそういうことは言い得るのだといたしましても、しかしながら、すでにそういう受益という観念があいまい化されてくるならば、これは将来相当問題ではないか、特に地方税、国の税もそうでありますが、地方税ももう相当の負担になって、これ以上地方税として、つまり税として負担を増強していくということは相当困難なところにきておる。その場合におきまして、つまり税ということをもって負担を増強することは困難であるからということであるならば、そういう受益者負担という名目でもって、実際は税にかわるべき負担を課するということが出てくるのでは広いか。そして今言いましたような今回の二つの税については、いろいろの今言ったような根処からして、そういう心配をすでにしてもいいのではないかというふうに考えさせられるわけであります。その点におきまして、今回の税制改革というものは将来の問題としてかなり考えてみるべき点があるのではないか。  それから最後は起債であります。起債につきましては、昨年度と比べまして多少ふえたわけであります。そしてその起債の計画の一般的な方針といたしましては、普通会計分はできるだけ減らして、公営企業人会計分をふやすということであります。これは私は当然の措置である。なぜかと申しますならば、この戦後の十年間おきまして申すまでもないことでありますが、いわゆるインフレーションというものは相当の程度に高進した。昭和二十四年のドッジ・ブランで一応区切りがつけられたようでありますが、また朝鮮事変によって相当それが高進した。その結果との一般的に言って借金をするということについてかなり神経が鈍っておるように思われます。もちろんその場合にとかく地方財政費として国庫負担がふえるということを回避する意味で、起債をかなりルーズに認めるという傾向があったことは否定できないわけですが、そのことと今のそのインフレーションに伴うそういう考え方とが一緒になりまして、とかく十分な財政上の努力というものを払うことなしに、地方団体等におきまして起債に頼るという傾向がなかったとは言えない。その点に対する反省として、こういう一般方針が立てられたというふうに私は受け取るわけでありますが、それはそれとしてきわめて適切であるというふうに考えるわけであります。  ただしかしながら、それならば具体的に本年度の地方財政計画におきますところの地方債の計画、あるいはこの財政計画の起債の分をも含めました地方債の計画というものが、果して十分であるかどうかということになりますと、やはり相当問題があるように考えられます。それはどういうことかと申しますと、第一は地方の赤字の問題につきましては、これはほんとうのところ幾らに達するかということについて見方がいろいろあるわけ、であります。この点は後にちょっと触れさせていただきますが、まあいずれにいたしましても、過去の赤字というものは相当な額に達しておる。そうしていわゆる財政再建、地方財政の再建促進というふうな特別措置法の対象となっておるものは、きわめてその過去の赤字の中限られた一部分である。そこで従来の地方団体の赤字というものは、この特別措置法のみによっては、必ずしも十分に解決されないということは言うまでもないわけであります。その結果といたしまして、放っておくならば、地方財政の中から支払われる地方債の元利償還の費用というものは、今後も年々膨張いたしまして、あと一、二年たてば借金を返すために借金をするというふうな状態が出てくる。つまり通常の常識で申しますならば、これは財政的に破産に近い状態が現われるといってよろしいのではないかと思うわけでありますが、そういう状態について本年度どこまで考慮されておるかというと、その点についてはほとんど考慮されていないのではないか。まあ多少借りかえというふうなことで表面糊塗されておりますけれども、それ以上のたとえば利子補給とか、あるいは償還期限の延伸とか、こういうような措置はほとんどない。この点が一つの問題点であります。  それからもう一つの問題点は、全体としてふえておりますが、しかも昨年度と比べてふえたにもかかわらず、公募債の占める割合はかえってふえておるわけであります。それで、公営企業会計分等につきましては、これを私は全面的に無条件で認めるわけにはいかないと思いますが、これについては多少別といたしましたも、その他の分につきましては、本来ならばこれは国家資金、政府資金で私はめんどうをみるべき性質のものではないか。それにもかかわらずかえっていわゆる公募債の方がふえているということは、はなはだもって合点のいかない点であります。この財政投融資計画等につきましては、非常にこまかい計画ができておるわけでありますが、民間に対する資金供給というものももちろん重要でありましょうが、しかしながらなおこれと地方との関係を比べますならば、そうして特にいわゆる資金源というようなものの性質を考えますならば、地方に対して政府資金で引き受けるべき部分をもっとふやすということは私は妥当ではないかというふうに考えるわけでございます。  それからもう一つ、これはこまかい点でありますけれども、いわゆる借りかえの問題があるわけであります。昨年度の地方財政再建債として発行された分の借りかえというふうなものが、一体どの程度まで本年考えられておるか、そういたしますと、それはつまりその借りかえの額がどの程度に、公募債から政府資金への借りかえというものがどうなるかということによって本年度の地方債の実質的な内容も変ってくる。そういう点は実はここでは、私の聞いている限りではあいまいになっておる。そういう点も地方債計画としてはかなり不十分であって、何といいますか、多少失望を禁じ得ないわけであります。  本年度のこの地方財政計画というものにつきまして、やや大きいと思われる点を五つばかりあげまして、いろいろ申し上げました。これはもちろん問題となる点を指摘したのでありまして、先ほども申しましたように、いろいろな点で私は改善があるということはもちろんあるのでありますけれども、その点については時間の関係からあえて触れなかったわけであります。そうして最後に、私はふだん感じておることを、大へん恐縮でありますけれどもちょっとお耳に入れて、ぜひ御検討を願いたいと思うのでありますが、これは地方財政に対する政府その他の一部の政党の態度について、私は常々疑問を感じておりますその点をあえて申し上げたいというわけであります。  それはどういうことかと申しますと、先ほども申し上げましたが、地方財政と国の財政、あるいは地方の行政と国の行政というものを切り離して考えるということは誤まりである。これは先ほど申し上げた通りでありますが、さらに国が木もとであって、あるいは国が本家であって地方はその枝であるというふうな考え方、あるいはもっと端的に申しますと、国の財政は非常に重要なんだが、地方の財政はある程度便宜的にこなしていっていいんだというふうな考え方、そういうものがあるのではないかというふうに私は感じておる。これはあるいは私の誤まりであるかもしれませんが感じておる。それは具体的に申しますと、どういうことであるかというならば、たとえば最もそのいい例は、いわゆる官給領収書の問題であります。これは私の誤まりであるかもしれません、誤まりであったとするならば取り消しますが、官給領収書につきましては、これを廃止するという考え方が相当はっきりと一部に出てきておるというふうに聞くわけであります。これは私は非常におかしいことではないか、それはなぜかと申しますと、ただ単に朝令暮改というふうな言い古された抽象的な文句で批判さるべき事柄であるというだけではないのであって、その底に私は地方税というものを慎重に取り扱わないという考え方がひそんでおるのではないか、はなはだ失礼でありますがそういうふうに感じます。それで、何もそういう講義をするわけでは毛頭ございませんが、一般にどんな悪税であっても、これは時間がたつにつれていい税と怒る。古い税は悪税であってもいい税だというふうな一種のモットーと申しますか、そういうものが古くから財政学の中にはあるわけであります。これはあえて説明をいたす必要もないわけでありますけれども、つまり相当その実施上、あるいはその内容上問題がある税であっても、長い間これを実施していくにつれて、自然にそれが経済機構あるいは社会機構の中で次第々々に不合理な点が矯正されていく、そうして住民の生活あるいは経済機構というものの中にある程度無理のないようにとけ込んでいくものだ、そういうことをこれは言っておるモットーであると思いますが、その点から考えますと、この官給領収書の発行、交付ということも、それはもちろん徴税の手続上の問題でありますが、しかしながらやはり今のモットーと切り離して考えることのできないものではないか。で、一般に申しまして官給領収書を発行されたからといって、税収はそうにわかにふえていないのではないかというふうな見解があります。しかしながらこれは遊興飲食税について相当税率の低下、あるいは免税点の設定等が行われたということを度外視した議論でありまして、しかもなおそういう軽減措置が講ぜられ、なお従前とほぼ同様な収入が上げられておるということについて、やはり私は官給領収書というものの効果を便宜的に否定するということはできないと思う。それから中には、官給領収書によってかえって手間が煩雑になったと、そうしてしかも税収は減ったということが現われている府県もあるようでありますが、これは官給領収書の問題とは関係がないのでありまして、そういう府県における特別徴収義務者というものの経営の内容が税率の引き下げによって、特別徴収すべき税額が減ってくる。つまり税法の問題であって、官給領収書の問題ではない、こういうふうに考えるわけであります。そこで、そういう意味からいっても、官給領収書を廃止するという必然的な根拠はない。またこれを万一廃止いたしますならば、やはり税というものに対する納税者の軽視といいますか、そういう納税意識というものを非常に混乱させるものである、こういうふうに考えるわけであります。  それから先ほどもこれは申し上げたことでありますけれども、交付税と譲与税というものについて、思想として十分な統一がない、統一がないというよりも、統一はあるけれども、あったのであるけれども、しかも現実に国家財源というものが不足しているということから、やむを得ずそういう混乱を起しているということかもしれませんが、それも先ほど申しましたように、国家財政というものを非常に重要視し、もっぱらこれの均衡を守るがために、かえって地方財政を混乱させるというような結果になっておるわけでありまして、それはやはり初め申しましたように、国の財政さえしっかりしておれば、地方の財政は多少どうでもよろしいという考え方の現われではないかというふうに考えられるわけであります。全体といたしまして、つまり現在の地方財政というものを一括して、そうして何といいますか、維持していく、あるいは支えていくというふうな配慮、これはもちろん一つには内務省というようなものがかくなったということと関連がありましょう。私は必ずしも内務省を作るべきものだというふうにとこで申し上げようとするわけではありませんが、そういうものがなければない、だけに、地方財政というものについて、国全体の立場から、つまり中央の国の政治、国の財政というものと有機的に結びつけてこれを考慮していくという努力が、そういう制度が不十分であればあるだけに、一そう私は全体としてその努力ないしは考慮が払われなければならないのではないか、こういうふうに感じさせられるわけであります。従いまして、いろいろ申しましたが、全体といたしまして、結論はやはりそういう面において多少今後の問題として検討していいのではないか、これがまあいわば結論のようなものであります。  時間を限られておりまして、それでも多少超過いたしましたが、一応地方財政で考えておりますことを申し上げて、御参考になれば幸いでございます。  以上、公述を終ります。

西郷吉之助自由民主党

○委員長(西郷吉之助君) ただいまの公述に御質疑がございますか。

木村禧八郎無所属クラブ

○木村禧八郎君 先ほど地方財政の赤字の問題につきまして、後ほどその問題に触れたいというお言葉があったのですが、その点について御説明があるかと思って待っておったのですが……。

遠藤湘吉東京大学助教授

○公述人(遠藤湘吉君) どうも失礼いたしました。それはこういうことでございます。この地方財政の赤字の額というものにつきまては、どれだけ赤字があるかということで、自治庁と大蔵省との間でかなり見解の開きがある。およそ二百五十億くらいの開きがある。これはそれぞれの所管の官庁から申しますと、いろいろ理由もあることでありましょうが、国民としてはとにかく、この地方財政という住民の生活に非常に関係の深い財政について、それだけ大きな開きが出てくるということは、いかにも解せない現象であります。で、その点実は申し上げようと思いましたのは、最後に申し上げたことと関連するわけでありますが、そういう大きな開きをもとに争っておる。そうしてその争いがなかなか結着がつかないということは、やはり地方財政というものに対して、これを国の財政と密接に関連さして取り扱っていかなきゃいかぬという考慮ないし真剣な努力というものが払われた結果であるかどうか。もしそういう考慮や努力が十分に払われておるならば、そういう膨大な赤字の上の計算上の開きというものは、そうそういつまでも続いて争点になるはずはない、こういうふうに感じるわけであります。その点と関連さして、この赤字の問題を申し上げたいと言ったわけであります。

西郷吉之助自由民主党

○委員長(西郷吉之助君) 他に御質疑はございませんか。

秋山長造日本社会党

○秋山長造君 先ほどのお話で、まあ地方税の問題について、軽油引取税であるとか、あるいは都市計画税、こういう本来目的税でありながら、どうもその実態は普通の税金と混同されているような、あるいは故意に混同されているような点があるということ、まあそういう点についてもわれわれは疑問を持っているのですが、同時に今度の地方財政計画によりますと、三十一年度でこれらの新しい税金の税収は百十二億ばかりになっておるのですが、それとは別に、既存の税金でやっぱり自然増収を二百八十億くらい見ている。だから両方合せますと、まあほとんど四百億になる。国税の方は大体自然増収を五百億くらいに見ておられるようですが、どうもまあ国税と違って地方税の場合は非常に財源が貧弱なんです。それから税を一々検討してみても、その税金そのものが非常に貧弱な税金なんです。国税の方はそれに反して相当豊富ですね、税源が……。ところがにもかかわらず、この地方税で四百億増を見、国税で自然増五百億を見る、まあその差額は百億くらい。そうすると、ごく大ざっぱに考えてもですね、地方税の負担というものは国税に比べて、まあ国税も重いんだけれども、地方税の負担というものはさらに重いという結論になると思うのですがね。その点について、この地方税の自然増を二百八十億見ることが一体適当なのかどうかということを中心に御見解を承わりたいと思います。

遠藤湘吉東京大学助教授

○公述人(遠藤湘吉君) ただ国税の場合には、所得税における減税という問題がありますので、今の御数字はその点を御考慮なさった数字でございましょうか。全部つまり差し引き計算して幾らになるということでございましょうか。それとも、つまり所得税におけるそいうう減税措置というものを考慮に入れないとするならば、つまり従前の税法でいくならば、もっとふえるということはいかがなものでしょうか。

秋山長造日本社会党

○秋山長造君 それはもちろんこの所得税の減税ということは入れてないのですけれども、所得税の百五十億の減税というのは、関税の引き上げだとか、その他の税金の引き上げによって結局相殺された形になっているのです。だから含めて申し上げても、それからそれを差し引いて申し上げても、結局実態は同じことになるのです。だから五百億という数字は、もちろん所得税の減税分は別にしての数字です。

遠藤湘吉東京大学助教授

○公述人(遠藤湘吉君) 全部で三百九十六億でございますか、本年はそれぐらいの収入がふえておるのです。それでこれはまあ申すまでもないわけでありますが、今回の減税、増税を実質的に見ますと、私は府県の方はかなり法人の事業税とたばこの消費税というものに重きをかけておるように思います。法人の事業税というものは、これはそうこの見積りが大きくない、大き過ぎはしないだろうと思いますけれども、たばこの消費税につきましては、最近のたばこの消費の実態から見まして少し見積りが大き過ぎやしないか、そういうふうに考えるわけでございます。それから市町村税の方につきましては、やはり固定資産税というものについて今年は従来と違いまして、いろいろな公有財産、あるいは公社の固定資産というものに課税するということでふえておりますが、なおそのほかに都市計画税というものは先ほども申しましたが、相当無理な税じゃないか、これは市町村税の中で相当大きなウエートを持つわけでありますが、相当無理な税ではないか、これまでも固定資産税というものはいわゆる物税として、まあこれは納税者によって違いますが、かなり逆進的とまではいかないけれども、負担能力に応じないような傾きがあったわけであります。それに対して、さらに都市計画税が加算されるということになりますと、広い意味での固定資産税というものは相当重くなって、無理なことになりはしないかというふうな気がいたしております。それでちょっと今の御質問からそれるかもしれませんが、こういうことになりますと、やはり家賃や間代、あるいは先ほどの軽油引取税から見ましても、いろいろな運賃や料金の値上げというようなふうに響いて参りまして、実は目的税あるいは受益者負担でありながら、結局はそういう一般住民の負担に転嫁される可能性が非常に多いように考えられます。そういう意味で、確かにおっしゃる通り、一般住民の負担が、ことしはかなり重くなる、そういうふうに言って差支えないのではないかというふうに思います。

西郷吉之助自由民主党

○委員長(西郷吉之助君) 他に御質疑はございませんか。

木村禧八郎無所属クラブ

○木村禧八郎君 ちょっと質問ではないのですが……。

西郷吉之助自由民主党

○委員長(西郷吉之助君) 他に質問ありませんからどうぞ……。

木村禧八郎無所属クラブ

○木村禧八郎君 それでは、今の公述に対する質問ではないのですが、これまで予算公聴会を開きまして、各公述人から非常に参考になる御意見をお聞きしたのです。今度予算が非常に重要であるために、人によりますと、毎年公聴会のたびに、予算委員会で新聞、ラジオに公告いたしまして、一般から公述人を募るわけですね。今回予算の重要性にかんがみて非常に多くの希望者があったやに伺っております。二十人くらいの方々からの、一般からの応募者があったように聞いておるのであります。ところが、今まで一人もその応募者の中から公述を伺っておらないわけです。非常な熱心な方がおられまして、そうして私もそういう不満を訴えられたのです。従いまして、この取扱いについては非常にむずかしい問題もあろうと思われるのでありますが、これまで一般に新聞なりラジオに公告いたしまして、応募された方が一人も公述できないということになりますと、その意見が反映されない、そこに何かどうもその取扱いについて割り切れないような点があるように思いますが、この点について、委員長の御意見をこの際伺っておきたいと思います。

西郷吉之助自由民主党

○委員長(西郷吉之助君) 御承知のごとく、今回も従来通りきのう、きょうの二日にわたりまして、公聴会を開きまして、その人選につきましては、きわめて慎重に検討を加えまして、できるだけ公聴会の公述の内容の充実ということに重点をおいて人選して参りましたが、特にただいま木村さんからもお話の通り、今回は非常に多数の応募者がござまして、非常な熱心な方も多数おられますので、今後はそういう方々につきましても十分検討を加えまして、今後一層公聴会の公述の慎重を期して参りたい、かように考えております。  それではこれをもちまして公聴会を終了いたしました。  本日はこれにて散会いたします。    午後三時二十七分散会

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