予算委員会公聴会 第1号
- 発言数
- 49 件
- 登壇者
- 14 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1956/03/06
会議録
○委員長(西郷吉之助君) ただいまから予算委員会公聴会を開会いたします。 開会に当りまして公述人の方に一言ごあいさつ申し上げます。本日は御多忙中のところわざわざ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。公聴会の議題は、昭和三十一年度総予算でございます。公述人は大体三十分程度で御意見のお述べをお願いいたします。 それでは順次お願いいたします。東京大学教授武田隆夫君。
○公述人(武田隆夫君) 私ただいま委員長から御紹介いただきました東京大学の武田でございます。 昭和三十一年度予算につきまして、財政一般の見地から意見を述べよというお話しでございます。しかし突然のお話でございましたので、あまり準備をする余裕がございません。それから最近の予算は非常に複雑でありまして、私のように多少専門にやっておるものから見ましても、なかなかよくわかりませんので、概括的な意見になるかと思いますが、ともかく私が考えております点を、六つばかりの点に分けまして、率直な感想を申し上げたいと思います。 第一は、予算の規模についてであります。御存じのように、一般会計予算の総額は、本年は一兆三百四十九億円になっております。政府の出しております予算の説明によりますと、この額は、三十一年度の国民所得——計画の数字でありますが、それに対しまして一四・八%で、昨年度に比して増減がないということになっております。しかし私は、昨年度の衆議院の公聴会の席でも申し上げたのでございますが、最近の予算では、いわゆる一兆円のワクにこだわりまして、予算の規模をなるべく小さく見せるためにいろいろな操作をやっております。多小悪い言葉を使えば、ある意味でのごまかしをやっておるというふうに感じております。たとえば交付税譲与税配付金特別会計に、入場税とか地方道路税というような収入を直接繰り入れておるというようなことがそれであります。それから今年度に新設を予定されております賠償等特殊債務処理特別会計に三十年度の一般会計の決算剰余金を直接受け入れるというのもこれに当るのではないかというふうに考えております。政府が予算の編成に当りまして、一定の一兆円なら一兆円というワクを設定いたしまして、公約いたしまして、それを守るということを念頭に置きながら予算を編成するということは、むろん大切でありますが、そのワクにこだわり過ぎまして、あるいはそういう公約を守ったという見せかけを作るために、今申しましたような操作をいたします。そのために予算をますます複雑にする。そうして国民がそれを理解することをますます困難にするということは十分戒めなければならない点ではないかというふうに考えておりますが、その点につきましては本日はこれ以上触れないことにいたします。 ただ、ここでその点を念頭に置きまして、今申しました二つの特別会計を一般会計に加えまして、重複分を差し引きまして、一般会計のいわば実質的な額を計算してみまするというと、三十一年度の予算額は、一兆六百六十七億円になるかというように思います。三十年度の当初予算の一兆二百三億円に比しまして、四百六十四億円の増加であります。ただ国民所得に対する比率は、三十年度が一六・二%でありましたのが、今回は一五・三%になりまして、かえって少し減るというようなことになっております。こういうふうにいたしまして、国民所得についての計画の数字を、かりにこれをそのまま受け取りますならば、三十一年度の予算の規模は、三十年度に比べまして若干小さくなっておるというふうに言うことができると思います。しかし予算規模を考えます場合には、このほかに財政投融資を考慮に入れる必要があるということは御承知の通りであります。予算の説明でも、やはり一般会計に財政投融資を加えたものを予算のまあ第二の規模と見まして、その国民所得に対する比率を算出しておりますが、それによりますれば、この比率は、三十一年度が二〇・五%、三十年度の一九・七%に比して〇・八%の増、私のように一般会計に交付税特別会計その他を加えたものをとってみましても、荷じく〇・八%の増というふうになっております。このようにいたしまして、三十一年度の予算の規模は、まず三十年度と大差がない、その限りでは政府も言っておりますように、これがいわゆるインフレのない予算であるというふうに言ってもまあいいのではないかというふうに私は考えております。しかしそれはどこまでも三十一年度の予算の規模がこのままにとどまって、そうして補正予算によってそれが拡大されることがないということを条件あるいは前提にしての話であります。 そこで第二番目に、本年の予算が補正予算によって拡大されるおそれがないかどうかという点を少しく検討してみたいと思います。多くの人が指摘している点でありますが、三十一年度の予算案は、財源の点で非常に無理をしておるというように思うのであります。ある学者のごときは、ばくち打ちの亭主ががらくただらけの家の中を血眼になって探し回ったあとのようだというような批評をしているくらいであります。今、私も二、三の数字について見ますると、三十一年度の租税及び印紙収入は八千二百六十七億円になっております。三十年度の七千七百四十八億円に比べまして、五百十九億円の増加ということになっております。三十一年度におきましては御承知のように、勤労所得税の減税計画百五十一億円ほどありますが、それは砂糖の関税の引き上げと法人税の増収の措置によりまして大体相殺をされるということになっておりますから、この五百十九億円はいわゆる自然増収であるというふうに見ていいかと思います。しかも八千二百六十七億円という今年度の租税及び印紙収入の予算は、三十年度になされました所得税等の減税の措置の平年度化によるところの減収額約二百六十億円を織り込んだ額でありますから、この分を先ほどの五百十九億円にプラスをしてみますると、七百八十億円というものが、これがこの今年度の自然増収額であるというふうに考えられておる、こう考えていいと思うのであります。これは三十年度の租税及び印紙収入に比べまして、一〇%以上の増収の見込みということになるわけであります。しかし国民所得の増加は、三十年から三十一年にかけまして二千八百七十億円、約四・三%の増であるというふうに計算されております。それに比べまして、和税印紙収入の一〇%以上の増収になるというのは、これは若干過大ではないかというふうに考えられるわけであります。事実、大蔵当局が昨年の八月二十二日に財政懇談会に提出しました資料によりますというと、三十一年度の租税印紙収入の見込額は、全体としては三十年度程度、ないしは若干これを上回るくらいという程度に言っておるのであります。まさか若干というのが、五百億円以上のことである、あるいは七百八十億円であるというふうには考えられないのでありますから、そうしますと、この五百十九億円なり、あるいは七百八十億円なりの増収になる根拠というものは、どういう点にあるのかというふうに、われわれのように深い実情を知らないものは非常に疑問に思うわけであります。いずれにいたしましても、租税及び印紙収入がかなり辛く、ぎりぎりのところまで見積っておるという感じをおおうことができないわけであります。 次にもう一つ、専売納付金の中の日本専売公社の納付金、いわゆるたばこ専売益金について見てみますると、これは三十一年度には千百二十五億円の収入の見込みというふうになっております。三十年度の千百七十一億円に比べまして四十六億円の減少ということになっております。しかしこの減少は、地方税でありますたばこ消費税率が御承知のように引き上げられましたことに対応する減少でありまして、それを除いて考えますと、やはり昨年度の当初予算と同額の益金が見積られておるということになります。しかしながら、この昨年度当初予算は昨年度における——昨年度と申しますか、昭和三十年度におけるたばこの売れ行き不振によりまして、先ごろの補正予算によりまして、約四十九億円の減少というふうに改訂されたということは、皆様御承知の通りであります。そうしてみますると、三十一年度におきまして、たとえピースなどを値下げするとか、あるいは新しいたばこを売り出すとかというようなことをやりましても、これだけの三十年度に比べて増収をはかることが果して容易であるかどうかという点につきましても、かなりの疑問をいだかざるを得ない、こう見て参りますと、たばこ専売益金の見積りというものも、現状から見まするならば、多少無理ではないかという感じがするわけであります。このほかに罰金であるとか、没収金であるとか、あるいは授業料の値上げであるとかというようなことまでいたしましても、かなり収入の点においてはぎりぎり、無理をしておるという感じをどうしてもおおえないように思うわけであります。 これに対しまして、ふるがえって歳出の面を見てみまするというと、ここでも時間の関係上、二、三の点を指摘するにとどめざるを御ないわけでありますが、第一は御承知のように、この予算は最終決定の段階におきまして、公共事業費その他の復活財源といたしまして、いろいろな項目が切りつめられまして、賠償費であとか、予備費であるとか、国債費であるとかいうようなものがかなり切りつめ、削られたというふうに承知しておるわけであります。しかも他面このようにして増加の努力が非常になされた公共事業費におきましてさえも、三十年度に比べますと総額におきまして四十七億円ほど減っておる。もっともこの特別失業対策事業費、これどうもよく私わからないのですが、これを公共事業費に加えますと多少ふえるということになっております。四十七億円減。そのうち治山治水対策事業費というものは十一億五千万円ばかり減っておる。災害復旧事業費に至りましては七十二億五千万円ほどの減となっております。このような公共事業費が削減されたにつきましては、あるいは地方財政の窮乏に対する考慮がある。あるいはこれらの経費、特に災害復旧費のようなものが従来一番乱費されたものであったとかいうようないろいろな理由があげられておりまして、国民の中にはこれに賛成をする者がかなりあるように感じておりますが、私はそういうことと治山治水とか、災害復旧の重要性ということとは別であるというふうに考えておりますし、ともかくもこれらの経費が切りつめられ減っておるということは事実であるわけであります。 以上、歳入歳出両面についてのごく一、二の考察からいたしましても、次のように言うことができると思うのであります。すなわちもし本年度中にフィリピン、その他に対する賠償の支払いが非常に進むとか、あるいは台風による災害があるとかいうふうなことがありますれば、しかもこれは十分あり得ることでありますが、そのときには今申しましたような歳出ではとてもやっていけない。そして補正予算を組むことが必至になるのであろう。しかもその場合、これまでのように租税の自然増収とか、あるいは既定経費の節減、繰り延べというようなことでこれをまかなうことは非常に困難でありまして、増税かあるいは公債発行かによらなければならないようになるのではないかということをおそれておるわけであります。そしてさらに申しますならば、もしそれを公債でまかなうような場合に補正予算を組まれるころになりますと、あとで申し上げますように、金融も今日のような緩慢な状態が続くというふうにも考えられませんので、その公債の発行ということを契機にしてインフレに転ずる、インフレーションのおそれが出てくるという憂いが相当にあるのではないかというふうに考えております。 以上二つの点は、いわば予算の全体に関するものでありましたが、次には予算の歳出の面につきまして、一つ二つ気がついた点を申してみたいと思います。 この昭和三十一年度の予算に対しまして、しばしば無性格な予算であるとか、あるいは無表情な予算であるとか、あるいは総花的な予算であるとかいうような批評がなされております。私はこれはある意味では当っておるというふうにも言えるし、またある意味においては当っていないというふうにも言えると思います。三十一年度の一般会計予算の重要項目につきまして、それらの項目が全体の中に占めるところの比重、ウエイトが前年度よりも増大しているものをとってみますると、地方交付税交付金が一・八%ふえておる、防衛関係費が一・三%ふえておる、社会保障費が〇・七%ふえておる、恩給費が〇・三%ふえておる。これはウエイトの増加であるというようなものがおもなものであります。それから財政資金の投融資充を見てみますと、地方債に向けられるものが三二・六%強で若干減っておりますが、まあ前年度と同じくらい。それから国営事業に向けられるものが一二・五%で一・七%の増。それから農村漁業公庫その他まあ通商産業とか、それから勤労厚生住宅というようなものに向けられますものが三〇・七%で、四・三%の増であることに対しまして、開発銀行等を通じて巨大産業に投資される分が二四・三%で六・四沢ほど減っております。しかしこの分につきましてはいわゆる民間資金を活用する、昨年度に比べまして相当多額の民間資金を活用することによってこれをカバーしようというふうに考えられておりますので、これはあまり減らないというふうに考えるわけであります。 私は最近の予算を一貫する性格を、一つはいわゆる再軍備を推進していくということ、もう一つは巨大産業と輸出産業を中心にして経済基盤の拡大をはかっていくという点にあるというふうに見ておりますが、そういうのが最近の予算の一貫する性格であるといたしますならば、この性格は三十一年度の予算をも貫かれておると言ってもよいと思うのであります。そういう意味では決してこれは無性格予算ではないというふうに言わざるを得ないと思うわけであります。しかしそういう性格を貫いていくためには、たとえば再軍備を推進していく、あるいは巨大産業、輸出産業を中心にして経済基盤を拡大していくという目的を追求していくためには、それだけをがむしゃらに追求していくというわけにも参りませんので、いろいろな手を打ち、回り道をしなければならぬ。たとえば再軍備を推進するためには軍人恩給をふやす、軍人恩給をふやせば文官の恩給もふえる。あるいは巨大産業、輸出産業を中心にして経済基盤を拡大していこうといたしますと、失業の問題が起きてくる。あるいは中小企業を救済しなければならないというような問題が起きてくるかもわからない。それに対して手を打たなければならないというような問題が起きて参りまして、そういうための支出をしていかなければならないということになってくるわけであります。しかもそうしたことをいわゆる一兆円前後の財政規模、国民所得に対しまして二〇%内外の財政規模の中でやっていこうといたしまするならば、一方ではそういう二つの目標をがむしゃらに追求していく、はっきりした性格を出していこうということはなかなか困難である。他方いろいろな項目に対しまして少しずつまんべんなく予算を割り振っていくということが必要となってくるのではないかと思うのであります。そこでがむしゃらに二つの目的を追求し、そういう点にはっきりした性格を求めるという人からいえば、これは無性格予算、無表情予算ということになります。あるいはまたいろいろな利害関係があるから、自分のところへたくさん経費をもらいたいという方からいえば少しずつ経費を割り振られたのは総花的であるというふうに見ることになってくる、こう思うのであります。そういう意味では無性格であり、総花的であるという批評もある程度は当っておるということになると思うのであります。しかし私がここで申したいのは、無性格であるとか、あるいは総花的であるとかいう非難の中には、各位が大いに考えていただきたい一つの点が含まれておるというふうに感ずるわけであります。それは今のような予算の編成がもう一つの限度にきておるのではないかということであります。ここらの辺で予算の規模をどの程度にするかとか、あるいはまた再軍備につきましてはいろいろ意見があるといたしましても、もしそれをやるとすれば、それをどういう方法でどのくらいの速度で進めていくか、あるいはその場合に、そういうことと日本の経済の基盤を拡大するということとはどう関連してくるか、その中で中小企業の問題とか、失業の問題をどう解決していくかというようなことについて十分反省をしなければならない。そういうところへきているのではないかというのが私の申し上げたい点であります。 歳出につきましてはそのくらいにいたしまして、今度は歳入の方について、これもごく大ざっぱでありますし、また二、三の点でありますが、申し上げたいと思います。 本年度におきましては、租税制度の上での大きな改正は、先ほどもちょっと申しましたが、勤労所得税につきましては、勤労所得額を一五%から二〇%に引き上げました。これによって減税をしようとしているわけであります。この勤労所得税が重いということは、ただ勤労者だけでなく、広く一般の人、企業家までも認めておるところでありますので、これは大へんけっこうなことだと思います。しかしこれで勤労所得税はもういろいろな税と権衡がとれたのかと思しますと、私はまだそうではないというふうに考えておりますので、なお勤労所得税の引き下げという点には御配慮をいただきたいというふうに考えております。問題になります点は、その減収分を補いますために、一つは砂糖関税を引き上げておる。これは妥当かどうかということと、それからもう一つは法人税につきまして、退職給与引当金勘定の累積限度額を半減しておる。それから公債費の損金算入範囲を拡大しておるという、これが妥当かどうかということについて、ごく簡単に意見を申したいと思います。 砂糖関税の引き上げにつきましては、これは間接税の引き上げであり、その引き上げは望ましくない。そういう一般的、観念的な理由からだけでも異議があると思われるのでありますが、私はこの砂糖関税は今日の日本の関税収入のうちの非常に大きな部分を占めておりますので、新たに引き上げますと、関税収入の半ばを占めるということになります。その半ばを占める砂糖関税の税率が非常に高い。そうしますと、関税全体についての平均率というようなもの、その算出方法はいろいろあると思うのでありますが、これを非常に高くすることになります。むろんこれはよく説明をすればわかるのでありますが、しかしちょっと見ますると、これは日本は非常に関税を高くしておる国であるという印象を与えまして、外国との関税交渉とか、ひいては輸出の振興とかいうような点について影響しはしないかというふうに私は考えております。御承知のように砂糖の国内価格が高いのは、もっぱら外貨割当の関係からくるものでありまするから、そうだといたしまするならば、私の考えでは、これはやはり関税の引き上げという措置でなく、先年の構想のような価格差益を吸収するという方法でやる方がより妥当ではないかと考えておる次第であります。 それから法人税を引き上げるということ、これは法人税につきまして今日非常に複雑ないろいろな減税の措置がなされております。それはまだ日本の経済の基盤が余り強固にならなかった時代、そうして法人税率が高かった時代に設けられたものであります。今日のようにだんだん固まってきて、法人税率も引き下げられておる、そういう時代に、いろいろな特別措置を残しておくということについて、私は全体として疑義を持っております。その幾つかをやめるとか、だんだんやめていくということで増税をする。多少税収の増加をはかっていくということはまあ妥当ではないかと思うのであります。ただそれが退職給与引当金を半減するというような形で行われるか、あるいはそのほかの減税措置から手をつけていくかという点については、多少問題があるのではないかというふうに考えております。それともう一つは、昨年法人税率を引き上げまして、本年度は平年度化による減収見込額を計上されておるというような状態のところへ、また今度は別途な形で増税をしていくというようなぐらぐら変る、しょっちゅう変る、そうして変ることによってますます税法を複雑化していくというようなことは、かなり大きな問題ではないかというふうに私は考えておるわけであります。 それから第五点に進みますが、第五点には、財政投融資について簡単に意見を申したいと思います。前にも申し上げましたように、本年度の財政投融資は三千九百六十九億円、そのうち財政資金によるものが二千五百七十二億円、民間資金によるものが千三百九十七億円であります。昨年度に比べまして財政資金によりますものが八十七億円の減少、民間資金によるものが七百七十四億円の増加ということになっておるというふうに承知しております。そのこと自体、つまり財政資金によるものが減りまして民間資金によるものがふえるということは、一国の総投融資の中で財政投融資にいかなる役割を期待すべきかということによりましていろいろ批評されると思うのであります。今日のような金融情勢下におきまして、財政投融資はもっぱら資金の投資の質的補完をねらう、あるいは民間資金のベース、コマーシャル・ベースでは資金が流れていかないような、しかし国家的見地からは重要な方向へ財政資金を振り向けていく、そうでない面には民間資金によっていくのだ、そういう方向へ切りかえていくというのでありまするならば、それも一つの見解であると思うのでありますが、しかし実際には一般会計で、先ほども申しましたように、一兆円のワクを守る。そのワクからはみ出したものを財政投融資の方へ回したものの中で、財政資金の限度からはみ出したものをさらに民間資金の方へ押しつけていく。そういうようなことで今年のようなことになっておるのではないかというふうに見ておる。そういう意味でははなはだ便宜的な、コンヴェンショナルなものではないかというのが率直な感想であります。この推定を、私のこういう考えを裏づけますものは、民間資金活用分のうち六百十億円に及びますところの公社公団債であります。この半ばにつきましては政府保証がつけられております。先ほど申しましたように財政投融資が質的な補完を引き受けるのであると申しますならば、政府保証をつけなければならないような部面には、むしろ財政資金そのものによって投融資していくべきである、それからまた民間資金でやるにふさわしいというのでありますならば、そういう部面につきましては政府保証はつけるべきではないんではないかというふうに私は考えております。ともかくこの政府保証公団公社債というものは、実質上は国債であるというふうに考えられるわけでありますが、そうだといたしますならばこれは一般会計で一兆円のワクを守る、それから特別会計でも財政投融資でも国債にはよらないというような形を作るためだけにこういう無理をしておる。そのために比較的高い利息を払う。それは銀行には有利な投資口を与えるかもしれませんが、その元利を政府保証を通じて負担していく国民にとりましては、国債よりも高いものになるというような点が問題になるのではないかというふうに考えるわけであります。さらに少し先まで考えますならば、今のこのときにおきまして公団公社債を発行いたしますのでありますならば、もちろんこの発行条件とかについていろいろ問題はありましょうが、金融の基調が緩慢であって、まあ比較的問題なく発行されるでありましょう。しかし三十一年度の下半期になり、ちょうどそのころにこれらの公団公債が発行されるというころには民間における長期資金の需要もかなりふえてくるし、それから先ほども申しましたように、場合によっては補正予算を組んで、それに関連しての公債の発行というようなことも問題になってくる。そういうときになりますというと、この公団公社債の発行が今日考えられるほど問題がないかというと、私は必ずしもそうではないのじゃないかというふうに考えるわけであります。もちろん私は金融のことは専門外であります。が、ともかくもいつまでも今日のような金融基調が続き、そしてこういう形の資金調達がスムースにいくということはそう楽観はできないのではないか、もしそうだといたしますならば、よほど財政と金融との調整について真剣な配慮がないといたしますならば、ここにもインフレーションに転化する一つの契機があるのではないかというようなふうに考えておるわけであります。 少し長くなりましたが、もう一点だけ申し上げさしていただきたいと思います。最後の点は繰越明許費とか、継続費とか、国庫債務負担行為等についてであります。申すまでもなくこれらの措置あるいは制度は、一方におきまてしは今日の予算の建前はいわゆる単年度予算であります。これに対しまして、他方におきまして、今日の国家がしなければならないいろいろな仕事の中にはその性質上一年度限りでは片づかない長期にわたらざるを得ないものがある。その間の調整をはかるものであるというふうに言っていいと思うのであります。しかし最近の傾向を見まするというと、これらに計上されますところの費目がだんだんふえてきておるばかりでなく、ある費目は継続費にされ、ある費目は国庫債務負担行為とされるというふうに、どういう基準でこれを政府が分けておるか、あるいは皆様が御審議になっておるかという点が、私のようなものでさえも必ずしもよくわからないわけであります。そのままにいたずらに年々複雑化して行くというふうに言っていいのではないかという感じを持っております。たとえば防衛庁の経費でありますが、この総額は千二億円でありますが、そのうち防衛庁施設費百六十六億円というのは全額繰り越しが明許されております。それから防衛庁という項のうちの器材費、運搬費、それから艦船受取外国旅費というようなものの合計三百五十億円というものと前の防衛庁施設費と合計いたしまして五百十六億円というものが繰り越し明許されておるわけであります。やはり防衛庁経費の半ば以上五一%強について繰り越しが認められておるというような状況であります。 それからまた潜水艦の建造につきましては三カ年の継続費として継続費に計上されておるようであります。その本年度支出四億五千何百万円かが予算に計上されておるというふうに記憶しております。その半面航空機購入費とか、装備品購入費、施設等の整備、艦船建造等合計百四十三億円は国庫債務負担行為というふうにされておるわけであります。 それからもう一つ建設省の経費を見てみますと、建設省経費総額九百四十六億円のうち河川等事業費という項のほか九つの項があります、合計六百億円、建設省経費総額の六八%強というものについて繰り越しが明許されております。 それからまた利根川総合開発事業費というような河川総合開発事業費等六つの項が金額にいたしまして二百四十億円、建設省経費総額の二五%に当るものがこれは継続費というふうにされておるように見受けられます。つまり建設省予算のうち八百四十億円——この二つを足しまして九三%くらいのものが本年度限りでは勘定の締めくくりができない、そういう経費からなっておるのであります。申すまでもなく、今例にあげました防衛庁経費とか、それから建設省が中心になってやっておる治山治水事業という、いずれも国民生活、国民経済にとって最も関係の深い経費であります。そして予算はそれを一年という勘定単位、その項に示された目的と金額によって何をするものであるかということを国民に具体的に示すということを任務とするものでありますが、それが今申しましたような状態にあるのでありましては、これは国民はこれについて正確に知るということは非常に困難になるのではないかというふうに私は考えております。最近この経費の不当使用の問題が会計検査院において指摘されまして、それがいろいろ問題になっております。国民はあきれたり、憤慨したりしておりますが、その一つの原因はこういうような国民になかなかわからないような複雑な予算を作っておきまして、その中で仕事をしていこうとしている点にもあるのではないかというふうに考えられるわけであります。もちろんこういうものにつきまして、すなわち公共事業費のような仕事、あるいはまた防衛費というような仕事もそれをやるからにはあるいは繰り越し明許とか、継続費とか、国庫債務負担行為等によらなければならない点があるということは一番最初にも申し上げました通りでありますが、しかしこの現状はいかにも複雑であります。そうしてまた乱雑であるように感ぜられるわけであります。私はこれを継続費を中心にしてできるだけ整理をいたしまして、どの場合におきましても必ず全体の計画とともにこれを政府側に示させて、皆様はそれによって御審議をされる、われわれにもそれを示していただくということにすることが必要なものではないかというふうに考えておる次第であります。 以上瞬間を多少超過いたしまして幾つかの点につきまして三十一年度の予算について考察して参りました。もう一ぺん要約いたしますと、規模は大体妥当、というよりはまあここらへんが限度ではないかと思う範囲に大体おさまっておる。しかしその内容についてはいろいろ問題がある。そうしてそれらの問題は一言で申しますならば、今日では今までのような行き方で予算の編成をやるということが一応の行き詰まりにきたのではないか、つまり防衛漸増、それから巨大産業、輸出産業を中心にする生産力向上というようなことを言ってそうして予算の編成をするということについては、何か大きな手を打たなければ行き詰まりにきておるのではないか、そこへ賠償問題とか、あるいは世界情勢の変化に対応するいろいろな経費というものが加わってきておるわけであります。そこでそれを打開いたしますためには、新しい構想と、それに基く計画が必要ではないか。しかしその計画なるものがない。それを立てて国民にこれを示して、その協力を求めながらこの行き詰まりを打開していこうという方向ではなくて、少くともことしの予算につきましては、その場その場の問題として、言葉は少し悪いけれどもそれをごまかしたり、あるいはお茶を濁したりしていこうというようなことをやっているきらいがあるのではないか、そうしたことにいろいろな予算内容の難点というものが基因しておるのではないかというのが、私の財政を多少とも専門にやっておる、あるいは国民の一人としての偽わらざる率直な感想であるわけであります。先憂後楽という言葉がございます。先んじて憂い後に楽しむという言葉であります。私が皆様にこういうようなことを申しますのは、はなはだ僣越でありますが、政治家こそはそれを使命とされるものではないかというふうに了解しております。そうして私は国民の一人として各位にそれを切に求めるわけであります。その先憂後楽に当りまして私が三、三の点について意見を申し述べましたことが少しでも御参考になりますならば望外の仕合せと存ずる次第であります。どうも大へん長らくにわたりまして失礼いたしました。
○委員長(西郷吉之助君) ただいまの公述に対しまして御質疑ございますか。
○委員外議員(深川タマヱ君) インフレなき経済、インフレなき予算ということはもう大切なことに違いございませんが、ここ数年間の日本の予算を見ておりますと、いつも私不審に思われて残念に思っておることが一つございますのでお尋ねいたしておきますが、災害によります損害が大体二千二百億円くらいございます。しかも終戦後十年間に人がそのため死にました人間、あるいは再起不能の重傷患者になりました人が大体五個師団全滅くらいでございます。それですけれどもそれを根本的に直しますとインフレになるということでおそれております。ことしやっとまあ百五十億円の建設公債を出しますと八百億円の損害が未然に防げるということになりそうでございましたので歓迎いたしておりましたところこれも実現できませんでございました。インフレももちろん悪いことでございますけれども、さりとてどうも日本の社会保障費全額の二倍半ほど、あるいは国防費の一倍半ほどのものが毎年むだに流されておるということじゃあまりにもったいなさすぎるのでございますが、このインフレを起さない、しかもこの損害を防ぐ何か名案ございましたらお尋ねいたしたいと思います。
○公述人(武田隆夫君) せっかくのお尋ねですが、名案の持ち合せございません。インフレと申しますのは、今のお話で八百億円なら八百億円を、これを私の考えでは日本銀行の引き受けというような方法で公債を出せばインフレになりますが、租税であるとか、あるいは民間の資金で直接応募してこれをやるというような形でやればインフレは起きないというふうに考えております。しかし実際にそれだけの公債を発行するなり、租税をどう取るか、それをどうするかということについての名案、というよりは具体的な知識の持ち合せがございませんので遺憾ながらお答えできないわけであります。
○佐多忠隆君 今の御報告で、現在の編成様式の予算はすでに行き詰まっておる、大きな手を打って新しい何か構想を考えるべきじゃないかというようなお話でありまするが、その点全く同感なんですが、それならばその大きな手を打つとか、あるいは新しい構想というようなものをほぼどういうふうにお考えになっておるか、あるいはそういうことを考える場合の問題点を、どういうものを問題点とすべきだとお考えになっておるか、その辺ちょっとお尋ねをしたわけであります。
○公述人(武田隆夫君) これも私のなかなか手に負えない問題でありまして、多少は考えておりますが、一番大きくは世界の情勢の中で日本をどう持っていくかということ、その点にかかると思いますのでこれも残念ながら限られた時間でかつ整然と今述べる用意を持っておりません。問題は世界の情勢の中で日本をどう持っていくか、それからそれに従って、先ほども申しました二つのウエートのうちどちらにどのくらいのウエートを置いていくかということになってくるのではないかと、そう考えております。
○田中啓一君 ただいまの深川さんの御質問に関連でございますが、今そのお答えの中に災害の復旧であれその他の公共事業であれ財源を公債に求めて、しかもその公債のまた財源が日本銀行から札を出すということになればインフレになるのだが、そうでなくて、まあ銀行等の引き受けで日銀の札は増加しないと、こういうことでやればインフレにはならないのだと、こういうお話でございました。ところが、実はまあだいぶ預金がふえまして、その預金というものを目当てに公債を出してやろうというのが長年の自由党、今の自民党の相当部分の考え方で、中には強いその主張を持っている者もだいぶいるわけでございます。ところがこれに対して銀行あるいは財界方面は一斉に反対、いち早く大蔵省へ乗り込んで、公債はどうもよくない、たとえば日銀引き受けにならないにしてもよくない、やはりインフレのおそれあると、今は何をおいても通貨安定が第一だ、こういうことで本年の予算編成にもこの問題は相当激しく、あるいは深刻に政府部内でも、あるいは党政調会でも戦わされた意見なんです。それを先生すぱっと大丈夫だとおっしゃっているが、そこで一つその理由をお伺いしておきたいと思います。
○公述人(武田隆夫君) 多少先ほどの御質問に対する言葉が足りませんでしたので、あるいは今のような御質問が出たのかと思いますが、理論的に申しますならば、先ほどお答えした通りであると私は考えます。つまり日本銀行引受けという形でなければ、インフレーションの原因には究極においてはならないというふうに考えております。しかし、先ほどの公述の中でも申しましたが、公債を発行する場合に、全くこの銀行がある事業の将来を見て、その事業から上る収益によってその公債が返済できる、いわゆる商業ベースの上に立って、銀行の健全な判断によって金を貸すとか、あるいは社債を引き受けるというような仕方と全く同じ仕方が公債を銀行が引き受けるというような情勢にきて、そのときに公債を出すというのであれば、それは私はインフレーションの原因にならないと思っております。しかし公債と申しますか、あるいは公社債を出す場合にも政府保証をつけたり、いろいろなことをしなければそれが消化ができないというような、そういう状況のもとにおいて公債を出すべきかどうかということは、今申しました日本銀行引受けの形で発行するのでなければインフレーションにならないという非常に抽象的な理論的な判断以上に、いろいろ具体的な判断が必要ではないかというふうに私は考えております。その具体的な判断ですね、いろいろな項目について多少の考えがありますけれども、今は申し述べないことにいたします。
○吉田法晴君 武田先生が最後に公述されました点に関連をしてお尋ねいたします。繰越明許費、継続費、債務負担行為がだんだんふえて参っておる、こういうようなお話しでございますが、まさにその通りだと思います。そのことのほかに、お言葉の中にありましたように、国民がわからなくなってきた、そうすると、税金も国民がその代表を通じて取り立てることを承知をする……、法律を通じて、国会を通じて……、その使途についても、予算の款項の流用は許されない、あるいは会計検査院制度を通じて監督する、こういうような財政民主主義が定められておるわけでありますが、あまり繰越明許費、継続費あるいは債務負担行為というようなものができて、お言葉のように国民にわからなくなるということは、その財政民主主義がくずれておるということではないかと、こういう感じがいたします。財政学の専門家でいらっしゃいますから、もう少しその点について御所見を承わることができれば幸いと存じます。
○公述人(武田隆夫君) おっしゃる通り私はくずれつつあるというふうに考えております。もう少し説明ということでございましたが、どういうふうに説明をしたらよろしいのでしょうか。もう少し具体的にお聞きいただければありがたいと思います。
○吉田法晴君 もう少し具体的に……、これは材料をあげて御質問しなければならないと思いますから、そのくずれておる程度と申しますか、その点について御所見を承わることで、こまかい数字をあげての、あるいは具体的な事例をあげての御質問は遠慮をいしたます。
○公述人(武田隆夫君) くずれておりますことは、これは程度と申しましても、ものさしではかるように申しがたいのでありますが、一つの例は、先ほどの御質問に関連しまして繰越明許費とか、継続費とか、国庫債務負担行為が非常にふえているというようなことが、一つの例であります。 それからもう一つ申しますと、予算の項の数が今日、これは正確に計算をしておりませんが、約五百ぐらい一般会計であるのではないかと思っております。しかもその項のふえ方が、非常に何と申しますか、システイマティックにふえておらないで、これはやむを得ないのでありましょうが、ふえる、それをどこの組織へくっつけるかというようなことが、毎年々々そのときそのときのコンベンショナルなあれでふえて参りまして、それがあまり系統だたない形で、五百幾らの項がある。これは正確ではありません。そういうようなことも一つの例にあげられるのではないかというふうに考えております。
○秋山長造君 二点ちょっとお伺いしたいのですが、第一点は、最後に御説明があった中に、三十一年度の予算規模が、果して妥当かどうか、健全であるかどうかということに関連して、前年度の三十年度の国民所得に対する予算規模の比率が一四・八%である。それから三十一年度も同じく一四・八%ということになっているので、大体健全財政だということを、政府の説明書にも書いてある。それに実質的な地方交付税の特別会計とか、その他実質的なものを加えると、もっと予算規模が大きくなるので、まあ実際には、その国民所得に対する予算規模の比率というものは、三十年度より三十一年度の方がふえている。だからそこにやはり不健全な要素を見出すことができるというようなお話しだったのであります。そういたしますと、大蔵当局の説明にしても、また武田教授の御説明にしても、その説明の基本として、健全予算であるかどうかということを判断する場合の一つの、どういうか基準というか、たてりとしては、やはり国民所得に対する予算規模の比率というものが、一つのたてりになっていると思う。それで私はそういうたてりでもって、予算が健全であるかどうかということを判断することが、大体適当なのかどうかということについて疑問を持っている。その点をもうちょっと詳しく、一つ先生の御見解をお伺いしたい。 それから第二点は、よく問題になる軍事費、再軍備費、防衛費というものに、何か一つの限界、客観的な限界というものは、なかなかきまらないと田ふうのですけれども、客観的と言い切れないにしても、ほぼいろいろな面から見て、ここら辺がという一つの限界というものが、財政学上あるものだ、これもまた国民所得に対して何パーセントということで、よく議論される。現に高碕経済企画庁長官は、この間この委員会で、国民所得に対して二・二%ぐらいが適当であろうという、なるほど説明書を見ると、去年もことしも国民所得に対してちょうど二・二%になっておる。どっちをもとにして合わされた数字か知らぬけれども二・二%、また別に学者の中にもいつだったか都留教授が、そういうことを座談会か何かで言ったと思うのです。その他にも大体二・何パーセントとか二%とかいうような、大体そこいらを指しておる。一体そういう考え方、見方というものが実際学問的に見て妥当なものであるかどうかということもこれまた私非常に疑問を持つ。その両点について一つ少し詳しくお教え願いたい。
○公述人(武田隆夫君) お答えいたします。 第一点は、私が予算の説明を引用いたしまして、本年度の一般会計の総額を国民所得として算出された数字と比べて見ると、ほぼその比率は去年と同じである。まあその規模は大体妥当と申したのは言葉が悪かったかもしれませんが、そこら辺というところが限度と考えられる範囲内にあるだろうというようなことを申したわけであります。それに対しまして、国民所得に対して予算の規模を比べてそれをもって予算が健全であるかどうかということをお品別も言っているし、また一般でも言っているが、それはよくないじゃないかという御質問だと思います。私は一つお断わりしておくことは、健全という言葉は、先ほど公述の際には使わなかったつもりであります。これは私はいつも意識して避けて、こういう価値判断の多分に入った言葉は、いつも意識して避けておるつもりであります。従って申し上げましたことは、単に昨年度と比べまして今年度の予算がそうひどく大きくなっていない。昨年度の予算がまあまあということであれば、ことしもまあまあというふうに言っても、その限りではいいのではないか。そういう意味であります。それならば国民所得に対して予算の規模を比べて、それをもって云々するということが学問的に正確かどうかという御質問になるかと思いますが、その点は私は国民所得の数字そのものについてどの程度まで正確であるかということを、これは非常にかねがね疑問に思っておりまして書いたこともあります。たとえば日本の国のお米、これは国民所得の中の一つでありますが、そのお米の取れ方自身についてもほんとうに正確な推算ができるかというと、これはなかなかできないという現状であります。いわんやいろいろな小さな企業によって生産されるいろいろな形の国民所得というものを正確に捕捉するということははなはだ困難である。その限りにおいては国民所得の数字というのは、一つの目安以上のものであるというふうには考えておりません。しかし去年とことし同じような形で算出されて、それを正直に発表されたものが国民所得の数字であるといたしますならば、その同じ基礎で計算された数字に対して、去年とことしと予算を比べて一応の見当をつけるというのは、それ以外にあまり適当な方法がないという情勢のもとでは、まあやむを得ないことではないか。その程度に考えておる次第でございます。 それから第二点の御質問は、軍事費と申しますか、あるいは再軍備費と申しますか、防衛費と申しますか、そに対してこれはまあ国民所得の何パーセントというようなことで妥当な限度というものを、学問的と申しますか、科学的に引けるかどうかという御質問でありまするが、私はこれは学問的にはそういうことはできないという考え方なんです。ただ、先ほども多少よけいなことを申しまして誤解をお与えしたようなきらいがありますけれども、もう一ぺんそう言うことを許していただきますならば、国民所得の中には国民がその年度の生活を営むために消費していく、つまり国民消費基金とでも申しますか、それがございます。これ自身がまた非常に弾力性のあるもので、この程度でなくちゃならないというようなものではございません。これは生活を切り詰めて貯蓄をしていけばこの部分は小さくもなるし、あるいは多少豊かに暮していこうとすれば大きくもなるというふうな部分でございまして、その部分を差し引いた残りの中で、これはまあ財政基金とでも申しますか、財政租税として取られて財政をまかなっていくものと、それから投資とか何かに、民間の投資その他に充てられていくもの、それから貯蓄分、あるいは投資分というようなふうに当てることができる。この貯蓄分、投資分というものも一国の経済発展をどのくらいに考えていくかとか、あるいは過去における蓄積がどのくらいあるかとかというようなことについて、これもまあかなりの弾力性のある部分である。そういういずれも弾力性のある部分で、この政府財政の大体の規模がきまって、政府財政がまたある社会の、ある時においてやらなければならないいろいろな仕事の中で、どのくらいを軍事費にさいていくことが妥当であるかというような判断、これは具体的に、そうしてまた一つの目標とか、目的とか、価値判断をもってきめていかるべき問題でありまして、これを単に国民所得の二%とか三%とかいうので、それが科学的に妥当であるというふうに言い切るわけには私はいかないだろうと思うのであります。おそらく先ほど御引用になりました都留教授の場合も学問的と申しますよりは、そういう具体的ないろいろな判断を入れてこられた一つの目安見当というような意味ではないかというふうに私は考えている次第であります。
○戸叶武君 歳入の面で武田さんは特に法人税の問題に対していろいろ触れられましたが、その中で法人税のいろいろな複雑化、これにはもちろん私はごまかしを伴っていると思いますが、これを整備すれば、もっと引き上げる可能性があるというような点は、私はあるところまで暗示していると思います。これはドッジ、特にシャープの税制勧告以来勤労者の方に税の負担が重くなって、資本蓄積ということを打ち出しながら、法人税のいろいろな操作によって資本家並びに財界の人たちの資本蓄積に、非常に都合のいいような税制のからくりというものが、現在においては非常に伸びてきていると思うのです。で、ここでこの法人税の複雑化されている点を、どういう方向に整備すればよいかという点を具体的に承わりたいと思うのです。これはアメリカ自体においても本年の年頭教書の中においては繁栄の分け前という形において、所得が特に農民層何かに減退してはいけないという形で、政府はそれを声明するだけではなく、積極的な施策を打ち出しているのですが、朝鮮事変以後におけるところの変化というものに、問題が非常にあると思うのですけれども、その点何か具体的な二、三のお考えがありましたらお述べ願いたい。
○公述人(武田隆夫君) 大へん申しわけございませんが、特に具体的な案というものを持ち合しておりません。先ほど申し上げましたけれども、この法人税に関するいろいろな特別措置というものは、日本の経済基盤と申しますか、資本蓄積の程度というものが、今日に比べてまだ非常に不十分であったという時代、それから法人税も四二%というように高かったという時代に設けられたものでありまして、今日においては、その複雑なる点を整理するという意味も含めまして、私はもっとすっきりしたものにしていけばいいという点は、おっしゃる通り、そう思っておりますけれども、具体的に、特別措置全部をやめてしまっていいものやら、あるいはそのときの法人税率がどのくらいが妥当かというような点、こういう点は、理論的にと申しますか、学問的には一時的にきまるものではございません。いろいろな具体的な考慮と判断というものが必要であり、そういう点までまだ研究しておりませんで、申しわけございませんが、お答えすることはできません。
○戸叶武君 武田さんは、砂糖関税の引き上げというものが、関税収入中の半ばを占めるというような、非常に高率のものであって、それにはいろいろの理由があるであろうけれども、問題は、外国との貿易の場合において、こういう高率な関税があるという例にあげられたのでは不利じゃないか、そういうならば、価格差益金の方から吸い上げるのが妥当じゃないかというふうに指摘されておるのでありますが、御承知のように、砂糖の問題は、外貨割当の操作並びに原糖割当の操作から、この二、三年来を見てくると、非常に政治権力を握っておるものが、この操作によって不純な動きがあると見られておるのです。これは、ずっと今までの株界の変動なり、それから各精糖会社の配当率の変化なりを見ればわかるわけですが、大体国会が開かれているときは安くなっていて、国会が休みになるとぐっと上っているような、非常に政治的な動きというものを気にしながらやっておるのであって、価格差益金を吸い上げるという場合においても、なかなか生産のコストが問題でありますけれども、コストを出せと言っても、政府は国家資金を吸い上げた開発銀行なんかまで資金を与えて、たとえば池田勇人が伸ばしたところの名古屋精糖なんかは、それによって膨大な利益を収めておっても、そのコストを、われわれが国会の審議の対象として、そういうデータをよこせと言っても、監督官庁はこれを拒んで、ほとんどよこさない。国会の審議権というものは、データを持たなければ審議ができない。これは砂糖の問題だけでなく、硫安の問題でも、われわれが今財政を検討する場合において、一番大切なのは、正確なデータを持たなくちゃならない。それをわれわれ国会が、当然審議の対象とすべきところの国家からの財政投融資がなされたり、それから国家からの補助がなされたり、そういうような問題でもつかまえることができないでいるわけです。そういうところに、今のところでは、ただ価格差益金の吸い上げということだけだと、非常に政治的な操作によって問題点が残るようなことになってくる。砂糖関税の引き上げということがあったとしても、日本の特殊な状態というものは外国にもわかると思うのです。日本で大体原糖がとれないんですから、こういう困ったところにおいてやっていく行き方としては変則的な行き方であるけれども、こういうやり方もやむを得ないんじゃないかという考えもあると思うんですけれども、まあ先生は純学問的な立場からそれを打ち出しておられるんだと思いますが、その問題に対してはどういう御見解ですか。
○公述人(武田隆夫君) おっしゃる通りに、学者が机の上で考えますと砂糖関税を高い関税の例にあげられるというのであれば、今おっしゃったように、これは財政関税のようなつもりであるというような説明をすればいいと思いますが、平均関税率というようなことで、よくガットあたりでは議論される場合がある。あるいはそういうところの議論でなくて、相手国国民、あるいは業界全体に与える影響、日本としては平均関税、これは出し方がいろいろあると思いますが、それが高いというような印象を与えるという意味と、それから間接税をふやして直接税を減らしていくという一部の考え方、この二つの考え方は、私はともに反対でありますので、できれば価格差益金でこれを吸収するという形でこれを吸収する方が妥当ではないかというふうに思います。今申されましたような点は、どうか参議院の御努力で、十分審査ができるようにしていただきたいということを、国民の一人として、もし事実であるとすれば、要望したいと思うわけであります。 —————————————
○委員長(西郷吉之助君) それでは次に進みます。国民経済研究協会理事岡崎文勲君。
○公述人(岡崎文勲君) 御指名によりまして、昭和三十一年度総予算中、主として防衛庁予算について私の意見を申し上げます。時間の関係から、細部にわたりまして申し上げるいとまもございませんので、それを補う意味で、若干の統計資料をお手元に差し上げておきました。後ほどごらん下さいますれば、まことにありがたく存ずる次第でございます。 さて、昭和三十一年度の防衛庁の予算について意見を申し上げますためには、順序として、総予算、ひいては国民所得などとの関係にも触れる必要がありますので、私の公述は次のような順序によることにいたしたいと存じます。 まず第一に、防衛費が妥当なものかどうかを検討する要素として、一、各国の国民所得額、国家財政支出と防衛費との相互関係について、二、わが国の戦前、戦時中、戦後における国民所得、国家財政支出と防衛費との相互関係について。三、戦前、戦後における租税負担と可処分所得について。四、戦前、戦後における所得階層別の所得税負担について。五、日、英、米三国の勤労者の所得税負担の比較などから、一般会計予算なり防衛費が妥当なものであるかどうかの概括的な所見を申し上げます。第二には、本論として、防衛費に関する問題点の主要なものをとり上げ、最後に私の結論を申し上げることにいたしたいと思います。 そこで、第一に防衛費が妥当なものであるかどうかを判断するのにはいろいろな方法があると思いますが、普通最もとつつきやすいものの一つは、各国の国民所得や国家財政支出と防衛費との関係がどのようになっているかということを調べる方法であります。お手元に差し上げました資料の第一表はそれでありまして、そこに掲げております十二カ国中、わが国の二十九年度の国民所得に対する防衛費は二・四%、また国家財政支出に対する防衛費は一三・九%と、前者におきましては十二カ国中の十一番目、後者におきましては十二番目でありますから、単に数字の上からだけ見ますと、わが国の防衛費は一応各国の最低位にあると言えるわけであります。これがいわゆる再軍備論者が、自衛力漸増を可能であると主張する有力な根拠の一つとなっているのではないかと考えられます。またアメリカがわが国の防衛努力の不足を唱えるゆえんでもあると思うのであります。しかし、それは必ずしも合理的な考え方ではないことは後ほど申し上げます。 次にわが国の戦前、戦時中、戦後の国民所得や、国家財政支出と防衛費との関係についてでありますが、それは第二表のようになっております。すなわち満州事変勃発前年の昭和五年度におきまして、国民所得に対する軍事費は三・八%、国家財政に対する軍事費は二八・五%でありましたのに対し、昭和三十一年度の見込みは、国民所得に対して二%、国家財政支出に対して一三・七%となっております。そういたしますと、満州事変前に比べても、今日の防衛費は、約半分程度の割合にしかなっていない。こういうことが一応言えるわけであります。従いまして各国との比較と同様に、国内だけの関係から見ましても、なお自衛力を増強する余地があるかのように思われます。そこにまた再軍備論者の主張する第二の根拠があるのではないかと想像するのであります。 では果して防衛費を増加して差しつかえないものかどうか。私は必ずしも以上の理由だけで軽率に判断してはならないと思うのであります。二枚目の第三表の戦前、戦後の、国民一人当りの租税負担と税引の可処分所得との関係を見ていただきますれば明らかでありますように、昭和五年度に国民一人当りの租税は二十六円、税引可処分所得が百五十六円でありましたものが、昭和三十一年度の見込みでは一人当り租税負担一万四千七百六十四円で、昭和五年の五百四十七倍、税引可処分所得は六万二千五百九十六円で、三百四十六倍であります。そして戦前を基準とした消費者物価指数は、最近約三百倍という関係になっております。この三者の関係を、ごくわかりやすくしましたのが第三表の左の下の方に掲げてありますグラフでありまして、戦前、すなわち昭和九−十一年の平均を一としまして終戦後の国民一人当りの租税負担、税引可処分所得、消費者物価、これらをすべて指数で表示してみたわけであります。このグラフで注目すべき事項が三つあると思います。その一つは、租税指数が可処分所得や消費者物価指数をはるかに引き離して、独歩高になっているということ、その二つは、二十七年まで可処分所得指数が消費者物価指数より相当下回っていることは、ある程度所得に余裕のある階層でも貯蓄が思うように参らなかったし、所得に余裕のない一般大衆はタケノコ生活をしいられたということであります、二十八年になって初めて可処分所得指数が消費者物価指数を上回り自後急速に民間蓄積が伸びたことを如実に示しております。 最後に最も注意を要しますことはドッジ・ラインによって、放漫財政を引き締め、同時に法外な税制の緩和をはかった二十五年度に消費者物価指数が下っていること、また二十八年度の財政並びに産業活動の行き過ぎから、二十九、三十年度と財政を引き締めた両年度に、消費者物価指数が横ばいから、わずかながら低下したことなどの事実から、一般に考えられております税の吸い上げは、民間の購買力を抑制するという見解は必ずしも当っていないということであります。なるほど租税の徴収はそれだけ一般の購買力とならないことは当然でありますけれども、その租税収入は国家並びに地方財政の重要部分を占め、これが政府購入に回るわけでありますから、買い手が民から官に振りかわるだけのことで、購買力である点にいささかの変りもないばかりか、使い手が官であるだけになおさら厄介なのであります。というのは、申すまでもなく、現行会計法におきましては、予算収入と支出との収支じりが年度末にはゼロになるということが建前になっておりますから、予算に計上されたものはその要否の緩急軽重にかかわらず、年度末までには全部使い果すことになり、もし予算の剰余を返上すれば、次年度の予算獲得の障害にもなるということも手伝いまして、とかくむだな支出が平気で行われるというのが財政上大きな欠点であると思うのであります。ところで、民間の場合は全然そういうことはなく、一般大衆としては少しでもむだな経費を節約して貯蓄に回そうという気持、これは通貨が安定している限りだれでもが万一の場合に備えたいというのが人情であろうと思うのであります。従いまして税金が軽減され、可処分所得がふえたからといって、必ずしも直ちに購買力をあおってインフレの要因になるというのは、これは思い過ごしに過ぎないのであります。むしろ二十五並びに二十九、三十年度の実績から見まして、政府購入の抑制こそ物価の値上りを押えるのに役立ち、反対に政府購入の増大がてきめんに物価の上昇を招くことは動かすことのできない事実であると思うのであります。この見解に誤まりがないといたしますならば、一般会計予算において四百三十四億六千万円、そのほかに財政投融資において地方債を含めて二百四億七千万円、合計六百三十九億三千万円の膨脹は、国際関係に変化がないものと仮定しました場合、疑いもなく三十一年度はインフレになる危険が多分にあると予測せざるを得ないのでありまして、現にわずかながら物価上昇の気配があるのであります。こう考えますと、昭和三十一年度総予算案は必ずしも上出来のものとは義理にも申されませんし、最近社会党で発表されました組みかえ予算案は、一層インフレに拍車を加えるものとしてなおさら賛成はいたしかねるのでございます。 〔委員長退席、理事池田宇右衞門君着席〕 さて話をもとに戻しまして、第四表の一に掲げましたように、昭和十年当時年収千五百円、特価にして約五十万円以下の所得層によって所得税を負担した度合いはわずか二・四%に過ぎなかったものが、二十七年度におきましては実に七八・七%と所得税の約八割近くを占め、また昭和十年当時年収三千円、時価で約百万円以上の所御暦では、戦前八九・一%、戦後八・三%と、非常な変化を見せているのであります。要するに、国民全般の所得が戦前に比べて実質的に低くなっておりますために、庶民層の租税負担が非常に重くなっている事実は、何としても見のがすわけには参りません。なお年収三十万ないし五十万円程度の勤労者の日英米三国の所得税率の関係は、第四表の二の通りでありまして、わが国は圧倒的に税金が過重になっていることは一点疑う余地はないのであります。 〔理事池田宇右衞門君退席、委員長着席〕 以上かれこれ申し述べましたところからも、わが国戦後の財政並びに租税は国力以上に不当に膨張しているのでありますから、防衛費の比率は必ずしも大きくはないとしても、その他の諸経費、特に異常にふくれ上っている過剰公務員の人件費、総花的な各種補助金などに対し、思い切った整理を行わない限り、防衛費の増加も、また今後ますます必要と考えられます社会保障の強化も、輸出振興のための基本的条件であります産業の合理化によるコストの切り下げも、なかなか言うべくして実行できないことは間違いないと思うのでございます。 以上第一段をこの程度にとどめまして、本論の防衛費に関する問題点に移りたいと思います。 まず第一に、戦前と戦後における国の底力の比較検討についてであります。申すまでもなく、わが国は敗戦によって領土の四割四分を失い、勢力圏たる満州の諸権益その他海外の資産一切を剥奪されましたほかに、人口のみは戦前より約三割もふえております。九−十一年の平均は六千九百二十四万人、三十一年度の予想は九千十七万人になっております。ちょうど一・三倍でございます。まさに泣きつらにハチとはこのことであろうと思います。このほかに、日華事変から終戦までに軍事費に投じました経費の合計を時価に換算いたしますと、約三十兆円強、戦災による軍関係以外の国富の喪失は約六兆五千億円、これに日華事変以前にありました旧陸海軍の艦艇、諸兵器等の損耗をかりに十兆円といたしますと、これらを合計して四十六兆五千億円というような膨大なものになります。このように、戦争の直接的な損害だけでも、三十一年度国民総所得見込み六兆九千七百億円の六・六カ年分に相当いたします。かりに国民所得中蓄積に回る分が二割見当といたしますと、実に三十三カ年分の蓄積を失った勘定となるわけでありますから、われわれの祖先、先輩たちが粒々辛苦の上積上げた遺産を、われわれの時代に完全に蕩尽し尽したといっても、あながち過言ではないと思うのであります。その上に、前に述べましたような、今直ちに数字では示し得ない有形無形の損害を加えますと、戦前に比べて、戦後の国の底力がどの程度低下しておりますものか、この十分な検討もなされずに、戦前の軍事費がかくかくの比率であったから、それが今日でも可能であるかのような考え方は、非常に誤まっていると思うのであります。 次に、アメリカのMSA援助によって艦艇その他の諸兵器の大部分は供与または貸与を受けている現状でありますが、これがここ数年後に打ち切りとなり、わが国がそれら一切の兵器を維持並びに更新することになりますと、それに要する経費は相当増加せざるを御ません。この経費の増大は、単に金の問題だけではなく、実は物の問題でもあるわけであります。今でさへ防衛庁の経費は、人件費より物件費の方が多いはずであります。それが今後MSA援助打ち切り後に飛躍的に増大するということは、国氏経済の運営上重大な関心事とならざるを得ないのでありまして、既往の経験は次のようなことを教えております。すなわち戦前わが国の国力の最高潮時は昭和十二年でありますが、日華事変勃発後 戦域の拡大から軍需の増加となり、翌十三年から統制経済に入り、物資動員計画によって物資需給の規制をやったのは御承知の通りであります。十三年から十五年にかけて軍需資材の増産はある程度進みましたけれども、民需物資の供給力は急速に低下し、全体の国力としては、十二年を頂点として、徐々に低下し、十六年には、国際情勢の緊迫と軍需の激増とのために、国力は急角度で下降したのであります。この経緯をつぶさに調査いたしました結果、戦前の国力におきましては、軍需は普通鋼鋼材において二〇%、特殊鋼四〇%、非鉄金属平均して四〇%、軽金属八〇%、石油平均いたしまして二〇%、この限界をこしたとき国力の低下を招いておるのでありますが、それが現在の国力においてその二分の一程度と見るべきか、あるいは三分の一程度と見るべきかは、それは先に申し述べました戦前、戦後の国力比がはっきりしない限り、早急には断定しかねますけれども、いずれにいたしましても、今後防衛力漸増、ことにMSA援助打ち切り後の物件費の中に占める資材の所要量を測定することは、きわめて肝要なことであります。そしてそれを正確に突きとめますためには、まず各種兵器の原単位を明らかにする必要があるのでありますが、これがほとんどなされていないというのが今日の実情であります。ともかく防衛庁経費が今後数年間以降におきまして、二千億円あるいは二千二百億円になるといたしましても、その経費のほかに、それを裏づけする資材の関係が国民経済の発展を阻害することがないかどうか、これがより大切な点でありますが、果して防衛庁で納得のいく成案がありますかどうか。 第三には、わが国の地理的環境から、わが国情に最もふさわしい自主的な防衛力について再検討を要するという点であります。わが国の自衛力は、朝鮮動乱勃発後間もなくマッカーサーの指令によって、警察予備隊七万五千人から発足して、今日に及んでおるのでありますが、国民の感じとしては、多分にアメリカの要請に左右されている印象を受けていることは、争えない事実であると思うのであります。ことにアメリカとしては強く陸上自衛力の増強を期待しておりますが、これをよく調べてみますと、実はアメリカの国内事情によるということでありますが、その詳細は一応ここで省略いたしますけれども、その要請を額面通り受け入れるがいいかどうか。私といたしましては、わが国の地理的環境から判断いたしまして、わが国の自衛には空、海に重点を置く必要があると確信するものであります。と申しますのは、わが国の防衛の対象は大陸にある幾十万、あるいは幾百万の地上軍ではないのでありまして、これを運搬する手段によって左右されるということであります。 今かりにアジア大陸から五個師団の侵略が行われるものと仮定いたしますと、それに要する運搬手段としては空挺隊か船舶によらなければなりません。ところで、空挺隊は小銃、機銃、せいぜいジープ程度の軽装部隊でなければ落下さすわけには参りませんから、戦車、大砲、大型車両などの重装備は、すべて超大型の輸送機によって敵地に着陸して搬出するか、あるいは船舶で輸送するよりほかに道はないわけであります。しかし敵地に離着陸することは、戦争がよほど有利に進展した場合のほかはまず至難でありますから、勢い重装備の軍隊は主として船団の輸送が中心とならざるを得ません。日清戦争当時一個師に約五万総トン、日露戦争時代に、約十万総トン、今次戦争には約二十万総トン、人員及び装備の増加に伴いまして所要船腹が激増して参ります。と申しますのは、戦車、大砲のようなものは、一般貨物のようには積み重ねるわけには参りませんので、非常に場席をひどく食うということであります。そこで一個師一万八千人見当、装備はアメリカのものに準ずるとして、五個師のうち一個師程度の軽装部隊は空挺隊、あと四個師分が船団によって侵攻するものといたしますと、一個師に対して三十万総トン、少くとも二十五万総トンの船腹を要しますから、四個師で少くとも百万総トンの船腹を必要とします。そこでわが国に隣接する極東諸国中、その可能な国はどこそこかと申しますと、朝鮮、台湾、中共、フィリピンは問題となりません。結局残るのはソ連一国ということになるわけであります。 ところで、ソ連の船舶は非常に貧弱でありまして、一昨年六月現在ロイドの登録によりますと、百総トン以上の汽船は二百三十七万総トンで、その特徴的なところが二点あります。その一つは、大型船舶が非起に少いということ、その二つは老朽船がはなはだ多いということであります。すなわち千百隻、二百三十七万総トンのうち、四千総トン以上の航洋にたえる船舶は百八十隻、百十九万総トンにすぎませんし、それから船齢二十五年以上を経過したものは五百六十八隻、百三十五万総トンと、過半数がオンボロ船ということであります。現在のところソ連の船舶は年三十万総トンの増加で、大型小型相半ばするものとして、この状況が一応今後も続くものと仮定いたしますと、四千総トン以上の航洋船が二百万総トンに達するのは一九六〇年の見込みであります。そこでソ連がその半分の航洋船、つまり百万総トンの船をきいて侵略の企てを強行するものといたしましても、平均四千総トンの船舶、二百五十隻ものものを、隠密裏に極東に集中することが果して可能かどうか、およそ常識で判断できる問題であると存ずるのであります。 で、これは一つの仮定に立つ事例にすぎませんけれども、ともかくわが国が島国であって、その侵略のためには多数の船腹を要することにおいて、イギリスと類似の関係にあると思います。今次戦争中ダンケルクでドイツ軍が英仏軍を壊滅した直後、あえてイギリスに上陸作戦を敢行できなかったのは、ドイツの船腹が不足であったことと、制空制海権がイギリス側が優勢であったからであります。従いまして、わが国の自衛も、与国を含んで、航空、海上に重点を置くべきものであり、その限りにおいて、いかにアメリカの要望が強くありましても、わが国としてはあくまでもわが国の地理的環境から、わが国情に最も適した自衛力について、自主的に方針を確定し、これを基礎にして、日米両国間に善意の了解に達することが望ましいと思うのであります。その意味で、わが国自衛力の内容については再検討を要するものがあると考える次第でございます。 最後に、国際情勢の推移とわが国の防衛力との関係についてであります。御承知の通り、今や原水爆、音速をこえる大型爆撃機、大陸間誘導弾など、米ソ両国はしのぎを削ってその優勢をかちとろうといたしており、特に原水爆を弾頭につけた大陸間誘導弾を果して防御する手段があるのかどうか。私どもの研究グループの研究によりますれば、理論上それは必ずしも不可能ではないようでありますけれども、果して現実にそういう防衛兵器ができるものかどうか。アメリカにおきましても、決定兵器とかあるいは究極兵器とかいうようなことを言われておりましたものが、最近ようやくその防御も不可能ではないというように伝えられておりますけれども、しかし非常に困難であるということだけは確かであります。といたしますと、在来兵器による自衛力は、今後におきましても必ずしも全然無価値になるということはないとしましても、著しく長足の進歩発達を遂げつつあります。これらの新兵器の出現や、うっかり戦端を開けば自他ともに殱滅のうき目にあうというようなことから、お互いに戦争を避けたいという気持が非常に強くなりつつある国際情勢下に、わが国が相も変らず腰だめ式の防衛力を漸増してゆくことが果して賢明な策かどうか。少くともここ数年間に戦争はない公算が非常に強いといたしますれば、いま一度わが国としてはじっくり再検討をして、真にわが国の守りとなるに足る自衛のあり方を見出すべきものではないかと考えるわけであります。 以上、時間の関係から、かけ足で申し上げました。自然具体的なことから離れた論理に移りまして、まことに恐縮でありますけれども、要しますに、わが国の国力から見まして、財政、ひいては租税の徴収は行き過ぎであり、その関係から相当思い切った冗費の節約を行わない限り、自衛力の漸増にも賛成しがたく、ことにるる申し述べました理由から、確信もなしに腰だめ的な防衛力を反射運動的に進めることには、同意いたしかねるのであります。各政党には組織があり、幾百万の労務者には組合がありますが、幾千万の一般大衆には何の組織もないのであります。しかし大衆の声なき声を察して善政をしき、国民生活を安定させること、これが何より優先的に考慮せらるべき政治の要諦ではあるまいかと考えるのであります。 以上、私が大正の後半期から昭和にかけての海軍勤務二十数カ年、民族的に無気力から軍部の無軌道を制し切れずに、史上空前の大失態を演じ、あげくの果てさらに終戦後苦難の十カ年、わが国がたどってきました歩みの跡を謙虚な気持で反省をいたしますとき、昭和三十一年度総予算並びに防衛庁予算について考えられますことは、残念ながら国民のための政治観がまだはっきり打ち出されていないというのが私の率直な意見でございます。はなはだ口はばったいことを申し上げましてまことに恐縮でありますが、これで私の公述を終りたいと思います。 御清聴ありがとうございました。
○委員長(西郷吉之助君) 御質疑ございますか。
○羽生三七君 今のこの防衛費関係と国民所得、なかんずく各国との比較と、そういうような問題について詳細をお尋ねいたしません。それからまた原水爆時代において今のような形の防衛というものは役に立つものかどうか、それよりももっと私どもとしては、防衛という概念を戦力だけに見る、この見方そのものを解明せねばならぬと思っておりますが、これも別にして、お話の最後のところでちょっと不明なところがあるのですが、それを伺いますけれども、それは日本の地理的条件に即して防衛を、方式を再検討しなければならぬというお話がありましたが、そのことはいわゆる地上軍中心のこの防衛を改めて空海に中心を置くように直せという意味なのか、原水爆時代においてはそういうこともあまり意味がないから、もっと他にほかに考えがあろうということをおっしゃったのか、その重点がどこにあるのかちょっとわからないのですけれども、この点をお伺いいたします。
○公述人(岡崎文勲君) 今の御質問の点でございますが、この原水爆が出現しておる時期に在来の方式による陸海空だけでは工合が悪いということと、さればといってこの原水爆ができたからといって全然在来の方式の軍備が要らないかといえばそうはいかないと、ということは、米ソその他各国でも、原水爆ができてきたからそれでは在来の軍備は一応要らないのだということなら、これはもう別段会議をやるまでもなく、軍備を全廃するはずでありますけれども、多少在来の軍備は減少はするにしても、やはり持っておるというようなことから申しましても、またこの原水爆で相打ちになるというような戦争は起きなければ、かえって仏印あるいは朝鮮等でありましたような局地戦がものをいうということにもなりかねないから、全廃するということではいけないと思いますが、しかし現状のようなアメリカの要請に強く支配されて、まず陸上をどんどんふやしていくということになりますと、経費におのずから限度がありますから、自然空海の方に非常に力が及ばない。こういうことは、わが国の地理的の環境からいってはなはだ不本意であると、こういうのが私のねらいでございます。
○羽生三七君 今の局地戦の問題は、私この前もあるところで申したことがありますが、私は日本が地理的条件から朝鮮やインドシナのような局地戦ではなかろう。もし日本に何かあるとすれば、もっと違った形の大陸から来ると予想するのですが、これは私は局地戦でなくなる。それは別としまして、そうではなしに、今お話のソ連やアメリカのような膨大な経済力を持った国、それから現に今非常に大規模な軍備を持っておる国、その場合の軍事力を減らすかふやすかという問題と、それから今岡崎さんからいろいろ詳しくお話しがあった日本の脆弱な経済誌基盤、特に戦争によって失った基礎的な諸条件、それから人口の増大、その他日本のこの朝鮮、台湾、満州、樺太等旧植民地を失った条件ですね、そういう中でなおかつ原水爆等に対応できるような軍事力を持ち得る可能性が日本のこの経済力からあるとお考えでしょうか。一般的戦略論は別といたしまして、経済力から、先ほど各国との比較をお示し願ったその点から考えて、なおかつ何か床の間にいけ花をいけるというような意味で持つというならこれは別問題ですが、これは実際上役立たつということで、何か日本の経済力の限界でできるとはどうも受け取りにくいのでありますが、いかがでありますか。
○公述人(岡崎文勲君) これはごもっともな御質疑でありまして、私も実は非常に窮迫の状況にある日本で、非常に無理をしてこの形のある軍備に精出すことよりは、国民のいわゆる気持と申しますか、この方が非常に大切であると思うのでありまして、これは自分の国はわれわれが何としてでも守らなければならぬのだというこの精神があるなしで、この再軍備をやることがいいのか、あるいはそれがかえって危険になるかという分岐点にもなると思うのであります。現在自衛隊におります人々、まあ私どもの後輩で非常にりっぱな人もたくさん入っておりますが、その半面はなはだ好ましくない人々、露骨に申しますれば共産党員もかなり入っておるというようなことでは、これは安全というよりは危険の度合の方が多いと思います。従いまして日本としてはできるだけこの国民生活を安定させつつ、できることならば徐々にやっていく。今のところなかなか日本がみずから原水爆を持つとかあるいは大陸誘導弾を作るとかいうことはちょっとできかねると思いますが、さればと言ってこいつを全く無関心でいくということもどうかと思いますから、これは長年の努力でこの二、三十年のおくれを取り戻すということ、ことに私痛切に感じますのは、まあスイスあたりからエリコンの誘導弾を買うというのもいいですけれども、万事はやはり資材、素材の研究、これが根本になるのではないか。現に今次戦争直前に海軍でもレーダーを十数台試作したのでありますが、結局そのブラウン管に必要とする純度の高いジルコニウムができなかったわけであります。そのために非常に性能が違う。まあジェット飛行機にしましても、その排気等には金属チタンが要る、こういうことでもおそらく日本では純度の高い金属チタンはなかなかできない。こういう肝心かなめな、所要量は少くても非常に肝要な素材、これが最も日本のおくれておるところと思いますから、私ども将来を考えれば、防衛庁の技術研究所に相当金をつぎ込むようでありますが、その素材の研究のようなことがほとんどまだ考えられていないのじゃないかと思うのですが、これは軍需方面だけでなしに、一般産業方面にも非常に寄与するところが多いから、やるとすればそういう有効な方にもっと力を入れてやるべきじゃないかというのが私の所見でございます。
○亀田得治君 先ほどのお話の中で、結局日本としても仮想敵国といいますか、自衛力を増強するに当っての対象として残るものはソ連だ、こういうふうに私ちょっと聞いたのですが、まあ私そういう立場で、日本の自衛力増強ということは、これは財政的にはもちろん成立しないと思いますが、軍事的に見た場合にでも、その場合にはおそらく日本単独ではこれはやれない仕事なんで、結局米ソ戦争になっておる状態だと思うのです。そういうことを想定した場合に、これは私ども常識的に、日本の国内に対する爆撃、誘導弾による攻撃、そういったようなものは当然考えられる。単なる局地戦の場合であればあるいはそこまではいかないかもしれませんが、米ソが衝突しておる場合には、これは当然もうその可能性百パーセントと断定してもいいと私ども思うのです。こういう点はあらゆる問題を検討する場合に根本的にやはり割り切っていかないといかない問題だと思うのです。その点それは主観的なお互いの見方の違いであるということでは私は済まされないと思うのです、政治でもあるいは経済問題を取り扱うにしても。で、若干あなたのお話を聞いておりましてそういうふうな感じを受けましたので、もしそういうソ連を仮想敵国としての日本の自衛力の自主的な体制を整えるということが考えられておるのであるとすると、これは日本の社会というものは大へんな混乱状態にそういう場合にはなると思うのですが、これはどういうのでしょうかね。
○公述人(岡崎文勲君) それは私が先ほど申し上げました日本に侵略できる国、この極東地域でなし得る国はソ連一国になってしまう。そこでそれじゃソ連がかりに五個師を日本に向けるということが可能かどうかということを申し上げたわけであります。だから日本としてはっきりソ連を仮想敵国にするのだという旗じるしを掲げるとは私は全然申しませんし、考えてもおらないのですが、しかし軍備はこれは相対的に、相手がもし侵略してきたときの備えでありますから、だから直接ソ連が仮想の敵国であろうとなかろうと、百パーセントソ連から侵略しないという保障がない限りは、日本に侵略の可能性のある国を一応目標として軍備をやるよりいたし方がないのじゃないか、こう思うのです。
○亀田得治君 仮定の上に立って一応そういう仮想をしてみたということのようですが、それでもいいです。私がお尋ねするのは、じゃかりに私どもそういうことのないことを希望するが、あなたのおっしゃるようにかりにそういうソ連の攻撃ということがあるといたしました場合の日本の社会の状態ですね。これは非常な混乱状態というものが予想できるのです。で、そういうことがあっていいとはおっしゃらないと思いますが、私はそういう事態になった場合には、あらゆる構造というものはもう何といいますか、一変してくると思うのですね。そういう社会状態を考えた場合、そういう点を聞いておるのです、かりにでありますが。
○公述人(岡崎文勲君) そういうことがあったときに国内状態が一変するというのは、それは平時状態から戦時状態に変るのですから、それが相手方がソ連であろうがソ連でなかろうか、国内はまあ大へんなことになるということは、これはもう当然予想されることであって、そういうことがあるから、そんなら平時から軍備は要らぬかといえば、それはおかしいじゃないかと思うのです。
○亀田得治君 ちょっと私の言う意味が少しはっきり通じないようですが、そういう事態になった場合には、私はもう日本の社会というものは壊滅状態だと思うのです。そういうことはお考えになりませんか。
○公述人(岡崎文勲君) それは私は考えておりません。
○亀田得治君 それはその辺が見方の違いということになるかもしれませんがね、私は日本がソ連とそういう形で衝突する場合には、最初に申し上げたように、それは日米が一緒になったソ連との衝突ですよ。それ以外にはあり得ない、これは力の関係からいったら。そういう状態が日本本土を中心にしてでき上った場合に、私はもういよいよそれで日本の社会というものはもう終りだと思うのですがね。そんなことはあり得ないということはちょっと考えられないと思うのです。最近いわれておるそういういろいろな兵器の発達等からして、これは局地戦ではそういうものは使われないでしょう。しかし米ソが衝突するという場合には私は当然これは頭を出してくるものだと思っております。そんなことはあり得ないという——私の言うのもあるいは若干主観が入っておるかもしれませんが、あなたの方のおっしゃるのも私以上に、主観が強いように思うのですが、どうでしょう。
○公述人(岡崎文勲君) これは見解の相違でございまして、何とも説得のいたし方のない、おそらくここの場で論議する範囲外のことではなかろうかと考えます。
○吉田法晴君 今の亀田君の質問はこういうことじゃないかと思うのです。状態の認識は、これは認識の相違ですからあれですが、お話の基礎になっております点に、侵略があると考えられてのお話かどうか、こういう点じゃないかと思うのです。あったとして、それに対する方法はこうこうこうだというお話がありましたから、お話の前提として、侵略があるという前提に立っておる、こういう点じゃないかと思う。その点をもう少し明らかにお願いしたい。 それからアメリカは日本に陸軍を持つことを要望しておるが云々というお話ですが、国内事情のためにというのですが、どういう国内事情からアメリカが日本に陸軍を中心にして持つことを希望しておるか、それを向うの事情をどういう工合に見ておるかお伺いしたい。 それから第三点は、あなたは科学的に軍備というものを見ようというお立場からしまして、今の日本の自衛隊、特にその装備、これは物の面についてはお詳しゅうございますが、装備を含めまして、日本の今の自衛隊が役に立つのかどうか、これは先に法制あるいは政治というものから疑問を投げられましたが、そうじゃなくて、構成あるいは軍事的にあるいは装備の点からいってこれをいかように判断を下されますか、この三点を伺うのであります。
○公述人(岡崎文勲君) 第一の、まあ私が先ほど来申し上げ、いろいろ御質問も出ましたのですが、あれはつまり、かりに日本にこの程度の侵略を企図する場合があったときに、それが可能であるかどうかということを一つのまあ仮定の事例として申し上げたのであって、そういうことが今後非常に行われやすかろうということではないのであります。 それから第二のアメリカの陸上軍の増強の強い期待、これは先ほどちょっと省略いたしましたが、現在アメリカには陸海空合せて二百九十万人であり、それから海外に派兵しておるものが四十数カ国、約百万人になっております。そこでこの二百九十万人のうち職業軍人をまあ五十万人としますと、あとの二百四十万というものが結局兵隊あるいは下士官というような人たちからなっておる。そこで志願が四年、選抜徴兵が二年、平均して、計算をしやすくするために平均三年としますと、年々八十万人の壮丁が兵隊に行かなきゃならぬ。このことはアメリカの人口一億六千万人に対する八十万というものは、日本の場合に引き面して考えますと、日本は九千万でございますから、アメリカの一億六千万に対して五四%、従って四十数万の青年が毎年兵隊にとられるというのと同じであります。そこで現状を想定しますに、まあ男女全体の半分として約七十万見当とすれば、そうすれば七割見当の若者が毎年兵隊にとられる、これは非常な苦痛だろうと私は考える。従ってアメリカとしてはできるだけこの頭数を食う陸上軍をまず撤退さしたい。従ってその補いはお前の方でしろ、こういうことだろうと思うのです。 それから第三点の、今の自衛隊が果して役に立つか立たぬか、これを私に判定しろと言われても非常に困った問題でございますが、まあ草創間もないことであり、今の自衛隊の人がどういう気持で勤務し、どういう精神で教育しておるか、実のところ私はっきりわからないのでありますけれども、ある人々はまあこれが自分の性格からいって最も適しておる、かつまた経験もあるということから入っておる人もありましょう。が、職がなくてやむを得ず自衛隊に入ったところが、存外給与がいいということで、まあまあおれば何とかなるというような人も相当おるらしく聞いております。それから私ども今後非常に過去の失敗を繰り返すおそれがあるのではないかと思いまするのは、旧陸海軍の参謀本部、軍令部、陸軍省、海軍省あたりで多少とも謀略に味をしめた人々が自衛隊に相当入っておるということは、これは非常に私は考えものだと思うのです。だから海軍でありますれば艦隊で勤務をし、陸軍であれば各連隊で戦闘要務に専念して、純潔に軍人として終始した人は、私は安んじてこの防衛をまかし得るけれども、既往において多少とも謀略に味をしめたような連中は、その人の才能のあるなしは問わず、そういう者は一応入れないことを原則にして、ほんとうの新軍備をやらない限りまた同じ失敗を繰り返す懸念が多分にある。そういう意味で、私は今直ちに今の自衛隊が非常に国民のためになるものになるかどうかということについては疑問に考えておる次第でございます。
○矢嶋三義君 私が伺いたい点は、他の委員諸相からすでに若干質疑がありましたが、二点だけ伺いたいと思います。それは先ほどあなたの意見を承わっておりますというと、大体ここ五年ぐらい戦争はないであろう。また現在のわが国の防衛力の増強政策というものは、ただいま触れられておりましたように、アメリカの抑圧に屈した面があって自主的防衛力に欠けている。従って現在のわが国の自衛力増強政策というものを否定したい、こういう御発言のように私はとれたわけでございますが、この点に対する所見と、それとあわせて、またあなたはソビエトがあるいは侵略してくるであろうという仮想のもとに手放しもならないという御発言をなさっておりますが、あなたとしてはそれではどういう形のそれに対する力と申しますか、防衛力と申しますか、そういうものをお考えになっていらっしゃるのか。もしそうお考えになっていらっしゃるとすれば、わが国の現在の経済力からどの程度の予算規模というものをお考えになっていらっしゃるか。またそれと現在の憲法との関連をどうお考えになっていられるか、これが質問の第一点。 それから質問の第二点としては、ただいま現在の自衛隊が役に立つであろうか立たないであろうかという吉田委員の質問に対して、主として精神的方面からこれに答えられたようでございますが、よく国会で問題になっておりますところの現行憲法第九条と現在の自衛隊との関連をいかようにお考えになっておるか。特にあるいは武力の行使あるいは戦力との関係においていかようにかつて軍人であったあなたはとられておりますか、以上二点についてお答え願いたいと思います。
○公述人(岡崎文勲君) 第一点の、私はあるいは説明が不十分であったから誤解を招いたかもしれませんが、私としては自衛力が全然なくていいと否定的には考えておりませんが、が、何しろ窮迫している日本の現状におきまして、ここ当分国民経済の安定ということに重点を置きながら多少とも自衛力を持っていくということ、しかもこの程度ではもちろん大軍の侵略にたえるということは非常に困難でありますから、これは当分いわゆる与国と共同と申しますか、——まあ米ソのような強大国ですら一国で防衛をやるというような考え方はこれは持っておりません。まして日本のごときは自分の国力だけで大敵を防衛するということはできませんから、これは相当の期間やはり与国というものと共同で防衛するということにならざるを得ぬと思うのでありますが、まあ根本的に私の考え方を申さしていただきますと、やはり国連警察軍というものを現在各国で持っている軍備と別途に作って、それをだんだん盛り上げていき、そうしてこれはいわゆる国際赤十字と同じような性格で、いずれの陣営にも属せず、侵略があったときにはこれは必ずその防止に当るとか、あるいは緩衝地帯にはその国連警察軍が当るとかというような方向に、日本の軍備も将来合流するということが一番好ましいものではないかと考えております。 それから憲法第九条との関係でありますが、これはもうはっきりいたしておりますように、あの九条は自衛を否定してはおりません。どう読んでも自衛を否定するという文句は全然ありません。しかしあの第二項で、自衛の手段としての戦力を持つことを禁じておりますから、そこに非常に問題がある。こういうことで、あの第一項はもちろん侵略といいますか、不戦条約と同一の文句を掲げて、国際紛争を武力でもって解決することはやめるということを中心に書いております。それで第二項は、右の目的を達するためとかというようなことで、陸海その他の戦力を持たない、こうありますが、あれで一国の自衛を否定してはおらない。しかし自衛しようにもその手段としての軍備を持てないというのがすなおな解釈ではないかと私はこう考えております。
○矢嶋三義君 現在の自衛隊は戦力の範囲に入ると思いますか、いかがですか。
○公述人(岡崎文勲君) 私はこれはまあすでに入っておるのではないかと思うのです。だから私は、MSA援助を受けるあの協定のできたとたんにもう戦力を持つということになったのであって、それまでこれは一応艦艇も、あるいはその他の兵器も貸与されておったわけです。従ってこれは将来日本が軍備を持つことの訓練のために借りておるのだ、ところがこれはMSA協定によって向うからもらうとなれば、これは自分のものであるということで、日本は戦力を持っておる、こういうことがあのMSA協定によって私は分れてきたのだ、こういうふうに考えております。
○矢嶋三義君 この予算は憲法違反ですね。
○参考人(岡崎文勲君) そういうことからいえばそうとれないこともないので、それはまあ政治的に一つ御折衝を願います。(笑声)
○委員長(西郷吉之助君) それでは時間も大へん経過しておりますので、午前中はこのままにいたしまして、午後の公述人がもうお見えになっておりますので、一時四十分から再開いたします。 暫時休憩いたします。 午後一時五分休憩 —————・————— 午後二時三分開会
○委員長(西郷吉之助君) ただいまより予算委員会を再開いたします。 全国地方銀行協会常務理事、吉橋鐸 公述人に申し上げておきますが、大体三十分程度でお願いいたします。
○公述人(吉橋鐸美君) 私、地方銀行協会の常務理事の吉橋でございます。会長がきょう急病でございましたので、私かわって出席いたしたわけでございます。 まず、予算全体に対する感じと申しますか、総括的な意見を簡単に申し上げます。 三十一年度の予算の総額が一兆円の線を大きく越えなかった、おおむね健全財政の性格を持っている、この点はかねて金融界といたしましても要望申し上げましたところでございまして、まずまずよかったと、かように感じるわけでございます。特に予算編成の途上におきまして、産業投資、公債とかあるいは特殊金融債、そういったものの発行の意見がございまして、心配をいたしたわけでございますが、とにかく公債を発行しない、こういう基本線が貫かれた。このことは健全財政政策の維持という点からも、非常に仕合せであったと、かように感じるわけであります。従いまして総括的にみまして、三十一年度の予算案は、それ自体がインフレ的な傾向を持つものではなくて、またそれが国民全般に、なお日本経済の前途に対する信頼感をつないでいる、こう申してよろしいかと存ずるわけであります。 次に、予算と密接な関係にありまする財政投融資の振りかえとしての民間資金の活用、これについて少し触れたいと思います。予算は先ほど申し上げましたように、総額として大してふえてはおりませんが、その反面に、従来財政投融資によってまかなわれて参りましたところの資金が、相当多額に民間資金の活用にまつ、こういうことになったのでございまして、御了承のように、総額は約千四百億円、これは三十年度の民間資金の活用の約二倍くらいに当っておるのでございまして、このことは、見ようによりますと、それで財政規模が膨張した、こういうふうにも言えないことはないわけで、この点は将来の国の予算編成、これに対して注目を要する点ではないか、かように考えるわけでございます。この民間資金の活用額のふえたということは、現在の財成経済状況のもとにおきましては、やむを得ないことだということは、十分金融界といたしましても承知をいたしております。従いましてすでに銀行といたしましては、昨年来自主的に投融資の委員会というものを設置いたしまして、そして政府の御方針に即応する受け入れ態勢を作っておるわけでありまして、現に三十年度の浴用額につきましても、これが引き受けを実行中でございます。三十一年度の千四百億円につきましても、さらに積極的に御協力を申し上げる、こういう所存でございます。 しかし申し上げるまでもないことでございますが、民間の金融機関といたしましては、資金の性質上、どうしても財政投融資資金とは違った面もございまするので、民間資金の活用額の引き受けにつきましては、これらの点についての調整、これに苦心を要しまするが、でき得る限り引き受けについて円滑に進めて参りたい、かように考えておる次第でございます。特に新たにいろいろな公団債、公庫債、そういったものが発行されまして、その額も相当多額に上ることでもございまするので、その消化等につきましては、今後関係方面と十分の御協議を申し上げて参りたいと存じております。 次に、予算と直接の関係はございませんが、銀行といたしまして特に関心の深い、いわゆる資金委員会の問題、金融制度調査会の設置、そういったことについて一言申し上げたいと存じます。先般財政投融資の民間資金振りかえ活用に関連いたしまして、資金委員会を法律で作るというお考えが国会方面にもございましたように承知いたしておりますが、これにつきましては、先般来金融界といたしまして、法制化の必要はないではないでしょうか、法制化を待たなくても民間金融機関といたしまして、自主的に、かつ積極的に十分御協力を申し上げるという考えを卒直に申し上げた次第でございます。これにつきましては、金融界の意見なり、お願いなりの趣旨をよくお汲み取りいただきまして、法制化がとりやめになったというように承わっておりまするが、これは金融界全体といたしましてまことに仕合せに存ずるところでございまして、この機会に厚くお礼を申し上げます。 次に、資金委員会の問題に関連いたしまして、今度金融制度の調査会を法律で設置するというので、現在国会の方で法案の御審議中であるように承わっておりますが、金融界といたしまして、そういった調査会ができるということ自体につきましては、まことに時宜に適したことでございまして、賛成をいたしておるところでございます。終戦以来もう十年も経過いたしておるわけでございまして、長い占領政策の影響もございますので、日本の金融制度といたしましては相当再検討を要する点もあろうと存じます。この際、腰を据えて十分な研究あるいは討議を重ねられるということはきわめて必要であると存ずるのでございます。従いまして、この調査会の審議あるいは運営、これはあくまで目先の利害得失といったことに左右されない、あるいは当面の必要によって結論を急ぐというようなことは避けるべきでありまして、日本の長い将来の金融制度を確立するために最も慎重に審議せらるべきものである、かように考える次第でございます。 次に、資本蓄積の必要性と預金利子の優遇措置のことについて触れてみたいと存じます。御承知のように昨年の秋以来、金融が急速に緩んで参りまして、その結果、いわゆる金融の正常化が進行して参りました。このことにつきましてはまことに御同慶にたえませんが、ただあまりに正常化の声が世間に大きうございます。もう金融問題については何も心配はないんだ、このままどんどん進めていけばいいのだ、そういう考え方が、何かこうだんだん行き渡っていくような気がいたします。そういった半面には、やはり好ましくないような副作用が起る危険もややもすればあるのではないか、そういった副作用の点が何か忘れられていはしないだろうかというような点が感ぜられるわけでございます。 その一つといたしましては、終戦以来、いろいろと苦心を重ねられて、ここまで参った資本蓄積、資本蓄積が重要であるということでございますが、何か最近一般にその重要性に対する認識といいますか、それが薄くなってきたような感じがいたすわけでございます。金融自体といたしましては一応正常化の姿をとりつつあるのでありますけれども、果してこれが自然の、あるいは真の金融の正常化であるかどうかという点については、無条件であるいは手放しで安心ができないのじゃないか、そういう感じもいたしますが、そういった点は別問題といたしまして、日本の経済全体がすべて順調で問題がないというわけではないのでございまして、特に資本蓄積の方は、戦争前に比べまして、銀行預金だけについてみましても、実質の価値とでもいいますか、戦争前の七三%程度に過ぎないのでございまして、まだきわめて資本蓄積は不十分であるということは、もう今さら申し上げるまでもないことでございます。当面の日本経済の様子を見てみましても、うまくいっているというものの、もしここで一般の貯蓄心、大衆の貯蓄心にゆるみが出て参り、消費購買力が表面化し、インフレ的な徴候でもあらわれるというようなことになりましては、今までの国民の苦心の跡は、これは大部分失われてしまう危険がないとはいえないのであります。金融の正常化の声が大きいために、かりにも資本蓄積の必要性、これが軽んぜられるようなことがございましたならば、きわめて危険と申さなければならないと存じます。 それに関連いたしまして預貯金の利子の課税の問題でありまするが、御承知の通りに、預貯金の利子につきましては、昨年の七月以来預貯金の増強なり資本蓄積の必要性から課税全免の措置がとられておるわけであります。そのことが最近の預貯金の増強なり、あるいは国民の貯蓄性向の向上に相当大きな効果をあげておると存ずるのでございますが、ただこの措置は明年の三月の末で終る時限立法になっておるのでございます。従いまして、この四月以降に預け入れる定期預金などにつきましては、このままで参りますると、来年の四月以降の分につきましては課税される、こういうことになるのでありまして、この点は先ほど申し上げましたような理由から、資本蓄積をさらに推し進めるためにも、この利子課税の全免の措置を今後とも継続するよう特別な御配慮をお願いいたしたいと存ずるわけでございます。十分御検討をお願い申し上げる次第であります。 以上、私は三十一年度予算に関連いたしまして、私どもの考えておりますところを卒直に申し上げ、また予算編成と関係のありまする金融上の問題について要望申し上げましたが、根本は国民全般が財政あるいは金融に対して信頼感を持つかどうかということがきわめて重要なことと存ずるのでございます。 財政につきましては冒頭に述べました通り、三十一年度の予算はなおおおむね健全性を維持していると思われます。このことが通貨の価値に対しても現在国民に一応の安心感を与えまして、そうして今日の一応平静順調な日本経済の発展をもたらすとも言えるのでございます。三十一年度予算についても、いろいろ御意見や見解があることはもとより当然なことでございますが、結局、現在の財政なり金融、さらに言葉をしぼって申しまするならば、通貨価値に対する国民の信頼感をあくまで保持して、そうしてこれをさらに強めていくということが、三十一年度予算の審議なり運用上最も重要な一線であるというふうに考えるわけでございます。 以上ごく簡単でございますが、私の公述を終ります。
○委員長(西郷吉之助君) 御質疑はございますか。——なければ次に進みます。 —————————————
○委員長(西郷吉之助君) 日本労働組合総評議会事務局長岩井章君。
○公述人(岩井章君) 私は総評の岩井でございます。三十一年度予算案について、労働者の立場から意見を述べさせていただきます。率直に言ってこの予算案に反対の理由を申し上げる結果になることを最初にお断わりしておきたいと思います。 そこでまず第一に申し上げたいことは、私ども総評を中心とした労働者は、現在平均二千円のベース・アップを要求しておりますが、この予算に直接、間接関係を持つ国家公務員、地方公務員、公共企業体職員も、それぞれ同様の要求を掲げて闘争中であります。ところがこの予算案は、これらの労働者の要求を全然無視しておるのであります。私はここでわれわれの要求の根拠を申し上げて、政府並びに委員各位の再考を促したいと思うのであります。 御承知の通り、現在公務員は、昭和二十三年の政令二百一号や公務員法の改悪で、団体交渉権を制限され、ストライキ権を奪われましたが、そのかわりに人事院や公企体等調停委員会や仲裁委員会を作って、民間の賃金とつり合いのとれた賃金を支払うことをきめております。しかしながら、政府は今日まで数回出された人事院勧告なり仲裁裁定なりの賃金を支払ったためしは一度もございません。そればかりではなく、昭和二十八年以降人事院は、政府の圧力によって、公務員の賃金は低くなっているという報告をしながらも、賃上げの勧告をいたしませんでした。従ってここ三年間公務員は賃金をストップされてきたわけであります。日本経営者団体連盟は、公務員賃金は民間より高いといって宣伝をしておりすが、政府機関である人事院の資料はこのことを明白に否定しておるところであります。私の職場である国鉄について具体的に例を申し上げますならば、同一産業の私鉄と比べて、東京でおおむね七百円から八百円、大阪では千九百円程度国鉄の方が低いのであります。倉石労働大臣は、定期昇給の財源は確保しておると言われております。もちろん国家公務員には年四回、公企体職員には年二回の昇給の機会があります。しかしながら、その昇給、昇格の予算は、実在人員の六〇%から七五%ぐらいしか見込んでありませんし、その上職階給で、職制や管理職の場合と普通の労働者の立場では、額の点で大へんな開きがあるのであります。だからこそ、日経連の資料によっても、次官一〇〇に対して、課長は七二、旧制中学事業で八という賃金格差が生まれることになっておるのであります。また、最近では人員削減や労働時間の延長などによって労働強化が行なわれ、さらに勤労評定や人事考課、表彰制度などで、定期昇給がストップされたり延伸されたりいたしております。私どもはこのような実情に照らして、法律に規定してある通り、民間とおおむね似通った賃金として、また団体交渉権、ストライキ権を剥奪した代償として、法律にきめられた人事院勧告や調停委員会の勧告を完全に実施されたいと言っておるにすぎないのであります。すでに国鉄を初めとして公企体の職員について中央調停委員会の調停案が出されましたが、それは「国鉄職員の給与はその実態より見て、その労働の質と量に対応して必ずしも適当なものとは認めがたいので、すみやかに是正の靖国を講ずること」云々と、明白に賃上げの必要をうたっております。そうしてこのことは国家公務員、地方公務員も同じ立場で考慮されなければならない点であると考えるのであります。 私はここで多くのことを語ろうと思いませんが、もう一つの見方として、これは必ずしも公務員給与に直接の関連は持たないでありましょうが、生産性の点に触れてみたいと思うのであります。生産性に見合った賃金という議論がありますが、生産性向上運動に熱心な中山伊知郎先生から伺ったところでは、昭和九−十一年を一〇〇として、昭和二十三年には四二、昭和二十五年には六八、昭和二十七年には一〇 一、昭和二十八年は一二四、昭和二十九年は一三三となっているそうであります。そこで明らかなことは、二十九年には、二十五年朝鮮動乱の年と比べて約二倍に生産性がなっているということであります。ところが、賃金の方は、日経連の数字でも一〇−一五%の上昇にすぎないのであります。それに物価は横ばいだと言っていますけれども、現に砂糖や電車賃、水道、授業料等が上ってきています。参議院の選挙が済んだなら米価も運賃も値上りになるのではないかとも言われておるのであります。このような立場で今回私どもが平均二千円賃金を要求しているのだということを御理解願って、この予算審議を進めていただきたいと思う次第であります。 第二に申し上げたいことは、最低賃金制の問題であります。御承知のことと思いますけれども、現在インドやビルマ、フィリピンのような旧植民地をも含めて四十数カ国にこの制度が実施されておるのであります。日本の賃金水準は、製造業労働者の場合、アメリカを一〇〇として、イギリス二九、ドイツは二二、イタリア一五、日本は一二となっておるのであります。アメリカの八分の一は論外といたしましても、西ドイツの約半分であり、その上三十人以下の零細企業の場合はアフリカと同じぐらいだと言われておるのであります。世界的に進んだ重工業国である日本の労働者がこのような低賃金であり、総理府統計局の資料によれば、八千円未満が全体の約五〇%、六千円未満が約三〇%という文字通り飢餓的賃金で働いておるのであります。大企業の労働者の賃上げは格差を増大するという議論があります。しかし私どもは、このような悲惨な全く奴隷的な賃金の中であえいでいる零細企業の労働者を健康で文化的生活の標準と見ることは絶対にできません。日本の経営者や政府がそれほど賃金格差のことを御心配するならば、この際、ぜひとも最低賃金制の確立に一歩踏み出してほしいと思うところであります。すでに昭和二十九年五月、この必要性につき中央賃金審議会から、労使、学識経験者の一致した悪鬼として政府に答申、されておりますことは、御承知の通りであります。また、私どもは昨年十二月、この制度の実現につき政府に申し入れを行なっておりますが、この予算にはわれわれの申し入れについて配慮の跡が全く見えないことは、大へん不満であります。現在総評は組合員一人当り十円ずつカンパし合って中小企業の労働者に回そうとしておりますが、どうか政府でもこの際中小企業及びその労働者のための政治を考えていただきたいと思うのであります。諸外国の労政の動向から取り残されたこの最賃法の立法を急いでいただきたいものと再度訴える次第であります。もちろん私どもは輸出の重要性を否定するものではありません。だが、外国からダンピングと非難されるような低賃金にささえられた価格での輸出には反対であります。それよりもむしろ労働者や農民の生活を多少とも向上させることによって、その購買力を高め、国内の産業規模の拡大を図ることの方が国民全体の立場で正当な方法ではないかと思うのであります。 第三に、健康保険法の改正についてであります。政府は健康保険の赤字対策として健保法改正案を提案しておりますが、私どもはこの案に全く反対であります。現在の私どもの生活が決して楽でないことは前に申し上げました。従って多くのたくわえを持たない暮しの中で、万一病気になったとすれば、その前途は暗たんたるものがございます。しかしながら保険という制度があるために、若干でも安心感が持てることはいなめません。ところがこの改正案によれば、医療費の一部負担を患者に強制し、入院や診察の場合そのつど現金を支払わなければならないとか、標準報酬の引上げで医療費が高くなり、その上被扶養者の範囲を制限したりして、労働者に赤字を背負わそうといたしております。また継続給付に関する条件の制限は失業者を事実上健保からシャット・アウトすることになります。官給請求書の保険者交付の制度は急病人が出た場合でも請求用紙を勤め先からもらわなければならなくなるそうですが、病気の性質や事業主の態度でもらいにくくなることも考えられ、医者にかかることが不可能に近くなるのではないかと心配をいたします。このような点を考えて参りますと、国民の保健をどうするか、医療を向上させるためにはどうしたらよいかという面を無視して、赤字解消のために国民の健康を破壊する政策を行なっているといわれてもやむを得ないのではないでしょうか。三十億の政府負担金にもう二十億をプラスすれば、改悪しなくてもいいのではないかと朝日新聞の社説でも言っております。この点は十分御配慮願いたいと思うところであります。 またその他、社会保障関係の費用にいたしましても、過重労働と低賃金の結果、結核の発病率は非常に高く、入院をしなくてはならぬ患者が百万人もいるというのに、本年度の予算では病床を三千増すだけで抜本的な施策を怠っています。鳩山内閣の第一の公約であった住宅政策にいたしましても、三十年度には住宅公庫や、住宅公団に六十七億出したのに、今年は一銭も出していない。約百億の民間資金を動員するといっていますが、その計画では庶民の住宅は約五万二千戸から四万八千戸に減って、高級公団住宅は二千戸ふえるという計算になると思います。生産性の向上ということは、日本の現状では失業者の増大を意味するのですが、その対策はきわめて貧困で、一般特別失対で二十三万人、三百五十億にしか過ぎません。 第四に、税金の問題に触れてみたいと思います。三十一年度予算唯一の功績は勤労控除を現行の一五%から二〇%に引き上げ、百五十億の減税を行うことであります。この限りにおいて私どもは感謝したいと思います。ところがその陰で地方税において百四十五億の増税が見込まれており、砂糖の輸入関税の引き上げを行うことになっています。これではせっかくの減税も何の足しにもなりません。私ども勤労者の税金は申告納税者に比べて不当に多く取られています。今度の措置だけではまだこの不公平は是正されていません。少くともシャウプ税利の二五%まで引き上げるべきだと考えるものであります。そうしてこの際、大企業にのみ与えている特別免税措置を大幅に取りやめ、ベース・アップの原資にしていただきたいと訴える次第であります。 以上で私の口述を終ります。
○委員長(西郷吉之助君) 御質疑はございませんか。——別段質疑はないようでございますから、本日の公聴会はこれにて散会いたします。明日は午前十時より開会いたします。 午後二時三十四分散会