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24回国会衆議院1956/04/20

法務委員会 第26号

発言数
279
登壇者
13
会派数
2
開催日
1956/04/20

会議録

高橋禎一自由民主党

○高橋委員長 これより法務委員会を開会いたします。  法務行政及び人権擁護に関する件を議題とし、調査を進めます。  本日は立正交成会の問題について参考人より実情を聴取することになっております。すなわち、立正交成会の人権侵害及び違法行為の有無等について調査を進めます。  参考人に対する質疑は午前四名、午後四名とし、各参考人に対して約十五分以内程度にいたしたいと存じますので、御了承願います。  なお、午前の参考人は医師山角彙晏君、農業樋口米藏君、医師長澤豊君、警部星野要作君とし、午後は仲井より君、材木商佐藤達男君、会社員和田龍男君、弁護士磯部常治君といたしたいと存じます。  この際私より参考人各位に簡単にごあいさつ申し上げます。  本日は御多用中にもかかわらず当委員会のため遠路わざわざ御出席下さいまして、まことにありがとうございます。厚く御礼を申し上げます。本日御出席の参考人各位におかれましては、それぞれの立場から忌憚のない御意見を陳述していただきたいと存じます。なお、念のため申し上げますが、考参人各位は委員への質問は許されませんから、さよう御了承願います。  それでは長澤豊君に対する質問から始めます。質疑は通告に従ってこれを許します。猪俣浩三君。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 ご多忙中ご出席いただきまして、ありがとうございまいした。私ども立正交成会には何らの因縁情実がありませんので、どうぞお考えになる通りに御説明いただきたいと思います。  長澤さんにまずお尋ねいたします。長澤さんは立正交成会とはどういうふうな御関係でありますのか、その関係された点につきまして御説明いただきたいと思います。

長澤豊医師

○長澤参考人 お答えいたします。私は現在地に開業しておりまして、たしか昭和二十五年と思いますが、私の方の方角がいいのだそうです。そして、方角のいい医者だからかかりたいというので、長沼妙佼さんが私のところに初めて突然に診察に見えたわけでございます。そして、自分としてはたよりにする医者もおらぬから、一つ主治医になってほしいというので、月に一回くらい、私の考えではノイローゼのようなものだと思いますが、起しまして、そのたびに呼ばれて参りました。そして、二十五年の秋ごろでございますか、あそこに立正交成育児園というものができたのでございます。そして、育児園の規定に従うと、園医が必要であるというので、週に一回でいいから園医として勤務してくれないか、それで園医になったわけであります。それが大体一年ちょっとでございますか、それで、私の立正交成会とのつながりといえばそれだけなんです。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 ただいま御説明の中に、妙佼がノイローゼぎみで、あなたの診察を受けたというのでありますが、それはいつごろの話で、どんな症状でありましたでしょうか。もう少し御説明いただきたいと思います。

長澤豊医師

○長澤参考人 それは二十五年のことでございまして、それから数回呼ばれて診察いたしましたとき、いつでも心悸高進を訴えております。心臓の動悸が非常にするというわけでございます。そして、ああいう毛色の人々に見られますようなヒステリー症状と申しますか、それが特に強いもの、こう私は考えておりまして、特別な治療は必要といたしませんでした。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 この立正交成会の人たちが中心となりまして、「大和ムシ風呂」というようなトルコぶろ式な湯治設備、さようなものを作っておったということですが、この「大和ムシ風呂」なるものがどういうふうな作用をしたものであるか、御存じでありましたならば、その概略を御説明いただきたいと思います。

長澤豊医師

○長澤参考人 私は、蒸しぶろ自体というものは、すっかり中まで入って見たことはございません。ただし、その蒸しぶろによる弊害があった点は、私は二、三は知っております。

高橋禎一自由民主党

○高橋委員長 参考人の方に申し上げますが、発言なさる際は、委員長とお呼びになって、許可を求めてから発言していただくようにお願いいたします。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 この「大和ムシ風呂」の設備は十分ごらんにならなかったようでありますが、これはどんな信者に対してどういうふうな働きをしたものであり、あなたが今申されました弊害のあることは知っておるということの具体的の説明をもう少ししていただきたいと存じます。

長澤豊医師

○長澤参考人 これは少しはずれるかもしれませんが、私は一週間に一度参りましても、育児園の小さな子供は、年に一、二回のツベルクリン反応あるいは定期健康診断以外にはほとんど用がございません。ところが、その育児園に行く道すがら見ておりますと、参詣人の中に非常に顔色の悪い者、一見して肺結核と見られる者が多いのです。それで、私は、長沼妙佼さんに言いまして、もしも私が育児園に出てきている時間に、医療法違反にならない程度、つまり、患者があなたに相談に来たらば、こういう病気を持っているというときにはどういうふうにしたらいいかという御相談に乗ってあげるから、そういう機会を作られたらどうかと言いまして、週に一回育児園に行きましたときに一時間くらい相談に乗りました。そのときに大ぜいいわゆる信者という人が相談に見えます。ほとんど病人と私は思っておりますが、そのときに、どうしたらいいだろう、現在蒸しぶろに入っておると言う者が八〇%から九〇%ございます。脊椎カリエス、あるいは高血圧、あるいは心臓弁膜症、だれもかれも蒸しぶろに入っている。私の見た範囲の患者はほとんど入っております。いわゆる相談簿の中に片っ端から蒸しぶろ禁止、蒸しぶろ禁止ということを書いたことは、非常に幹部の忌諱に触れたように私は存じております。なお、蒸しぶろで卒倒して、ちょうどたまたま私が木曜日に行っておりましたときにかけつけて強心剤を注射した例は二例ございます。木曜日以外は私は参りませんから、あるいはもっとそのケースは多いか少いか、これは、私、想像しておりますけれども、現在はわかりません。そういう状態でございます。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そうすると、八〇%以上も信者が蒸しぶろへ入っておるについてあなたが、医者的立場から、この人間は入っちゃいけないというふうに忠告なさった。それが何か立正交成会の幹部の人たちの気に入らないで、あなたに対して何か文句を言ったとか、あなたを排斥したとかいうようなことがあったでしょうか。

長澤豊医師

○長澤参考人 別に特にそういう具体的なことはなかったと思いますけれども、最初ほどにいわゆるよく来て下すっているというような感じは持たれなかったように思います。特別に具体的にどう排斥したとかいうようなことはございません。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そこで、先ほどのあなたのお話によれば、長沼妙佼、長沼マサの主治医のようなことをやってくれということで、ずっと診察をなさっておったそうですが、その後そういう主治医というような立場及び育児園の嘱託医というような立場、それは現在もお続けになっておりますか、おやめになっておりますか。

長澤豊医師

○長澤参考人 二十七年の春で一切やめております。私は、過去もそうでございますし、現在も立正交成会の会員というようなものには全然なっておりません。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 その二十七年春あなたがおやめになった動機を一つお漏らし願いたいと思います。

長澤豊医師

○長澤参考人 私は、長沼妙佼さんの診察をしましたときに、あなたは医療と信仰というものをどういうふうに考えているのだと言いましたら、はっきり、病気はお医者さん、心の病気は私たちですと、こういうことを言われたのです。それから、そういう考えを持っておられるならば、ここの会にいわゆる参詣に来るといいますか入会してくる人のほとんどが病人じゃありませんか、それだったら科学的な治療の手を差し伸べてはいかがですか、病院をお作りになったらいかがですかというアドバイスをいたしました。それはすぐ聞き入れて、病院の建設を始めたわけでございます。そのときに、私に院長になってくれという話がありました。それから私は、そのときに、少くとも医療担当者、つまり医師あるいは看護婦、薬剤師、こういうものは一切会員でないはっきりした純然たる医療担当者で組織することが必要である、これが条件であるということを申したのでございます。ですから、いわゆる看護婦を選考いたします場合には必ず院長が看護婦の人事を選考するわけでございます。ところが、病院が完成に近いころに、看護婦はもう選びました−。それから、これは不思議なものですねということを言いましたらば、看護婦は全部信者をもって組織した−。それでは私の趣旨に反しますから、この辺で私がお手伝いすることはやめさしていただきます。こう申したわけであります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 さっきのあなたのお話でも、二回も強心剤を打ちに行ったことがあるということですが、こういうことにつきまして何か警視庁からこの「大和ムシ風呂」の状況について捜査が行われたようなことをお聞きでございましょうかどうか。

長澤豊医師

○長澤参考人 全然私は存じません。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 最後に、あなたは立正交成会というものについて多少前に御関係があったのでありますが、現在どういうふうにお考えになっておりまするか、お漏らしいただきたい。

長澤豊医師

○長澤参考人 私は、はっきり長沼妙佼さんが、病気は医療担当者、それから心の病は私というような形をとっているものであったらば、それほど悪いものではないと、こう思っております。しかし、いわゆるいろいろ支部と申すものですか、そういうものがありまして、そこで逸脱行為があることは非常に耳にいたします。ことに科学者である私たちにとりましてがまんのできない点もたくさんあると思います。ですから、医療類似行為にわたるようなことがあまりあるのであったらば好ましくない、こういうふうに考えております。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 科学者としての医者の立場からあなたが好ましくないと思われる医療類似行為あるいは盲信的な行為というようなものを具体的に御存じでありましたら、二、三お示し願いたいと思います。私の質問はそれで終りたいと思います。

長澤豊医師

○長澤参考人 私がその健康相談をやっておりましたときに、名前は忘れましたが、福島か栃木だと思いましたが、そこからやはり会員が来まして、私にレントゲン写真を示して、なお、自分は三日後に国立病院でベッドがとれた、そして胸郭成形手術を受ける、しかし、本日来てみたところが、そういうところに入ったらばお前の命はなくなると言われた、そうして、ここにはいい先生がというその人の言葉ですが、おるから、一応健康相談をしてみて、その上にしたらどうだ、とにかく病院に入院するのはよくない、こういうふうに言われたというので、私に相談に来たわけであります。私が写真を見ましたならば、当然胸郭成形手術の適応症がありますし、ことにベッドのとれないときにとれるということで、私の手元に宮本先生の「成形を受ける友に」という、いわゆる普通の方が読んでわかる小冊子がありまして、これを貸してやるから読んであなたは必ず入院しなさいと言って、帰しました。ところが、一昨年でございましたか、ころガキと一緒にその小冊子を私のところへ小包で送ってきてくれました。その中に手紙がありまして、先生の言うことを聞いて入院をして手術をした、その結果、今農業だが、元気で働いておる、ありがとうございました、という手紙をもらったことがございます。そういう場合に、入院すると死ぬというような言い方をすることは全くよろしくない、こう思います。

高橋禎一自由民主党

○高橋委員長 他に御質疑はありませんか。——なければ、これにて長澤豊君に対する質疑は終ります。  次に星野要作君に対しての質疑に移ります。猪俣浩三君。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 星野さんの現在の職業、地位、身分等をちょっとおっしゃっていただきたいと思います。

星野要作警部

○星野参考人 警視庁第七予備隊中隊長警部星野要作であります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 警視庁の警部さんでいらっしゃるとのことですが、ただいま長澤医師が証言されましたような、この立正交成会の中に「大和ムシ風呂」なるものがあって、ほとんど信者の八〇%以上がそこへ入浴せしめられておった、入浴せしめては医学上危険なる病人までも全部入れておったということで、そこで相当の被害者が出てきたというようなことから、警視庁では捜査なされたと聞いておりますが、さような事実があったかどうか、もしあったといたしますならば、その模様を御説明願いたいと存じます。

星野要作警部

○星野参考人 昭和二十八年の春でございます。当時の毎日新聞に二回にわたって立正交成会の記事がありました。私は保安課におりましたので、保安警察の立場上、医師法違反あるいは金銭物品等寄付募集に関する東京都の条例、これに違反するかどうかということで内偵いたしました。その内偵の途次において「大和ムシ風呂」で死んだ人があるということを聞きました。その後の内偵で引き続いてそのことを内偵いたしましたが、確たる資料を得ることができませんでした。以上であります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 昭和二十八年ごろ内偵された動機は、医師法違反の疑い及びもう一つの金銭物品等何とかとおっしゃいましたが、もう一度おっしゃって下さい。内偵の疑いの点ですが、どういう疑いで内偵されたのか。

星野要作警部

○星野参考人 東京都の条例で金銭物品等寄付募集に関する条例というものがございます。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 あなたが内偵された際に記憶なさっておられる医師法違反の事実及び金銭物品等寄付募集に関する条例違反の事実は、大体どんな具体的事実があったと覚えていらっしゃるか、その点を御説明願いたい。

星野要作警部

○星野参考人 金銭物品等寄付募集に関する条例については、しばらくかかって調べたのでありますが、結局おさい銭あるいはお布施というような名義で、具体的に寄付を募集したというようなものが最後まで出てこなかった。それから、医師法違反は、無免許で医療したかどうかということでありますが、これも具体的に診察治療の行為というものは発見されませんでした。以上であります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そこで、その内偵中あなたが耳にされました「大和ムシ風呂」の件、これを調査なされて、——何か、今長澤医師の証言によると、気絶した人、強心剤を打ちに二回も行ったという事実があったということでありますが、あなたの内偵の線に、この「大和ムシ風呂」の被害の事実について何か御調査になりましたか、その結果どういうふうなことが現われたか、それを御説明いただきたい。

星野要作警部

○星野参考人 「大和ムシ風呂」について最初近くの商店とか一般の民家でいろいろ聞きました。しかしながら、死んだとかあるいはけがしたというような事実を答えてくれた人がありませんでした。それで、その後も元信者等について聞いたのですが、知っておったというのは、また聞きですが、一人だけしかありませんで、それで、大和村というところに交成霊園という墓地があります。そこへ行きまして、墓地に新しい墓標でもあったらその先を尋ねてみよう、こういうふうに思いましたが、何しろ広大な墓地で、入ってみましたけれども、新しい墓標はたくさんある。それから、墓標には住所のようなものが書いてない。ただ名前だけしか書いてない。そういうことで、その問題についてもついにその後の資料を得ることができませんでした。以上であります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そうすると、あなたの聞き込みとして、「大和ムシ風呂」へ入って死んだ人がある、けれども、たれのたれ兵衛でどこの人間であるかは教えてくれる人がなかったので、墓地へ行って調べようと思ったが、それもそのままになった、こう承わってよろしいか。

星野要作警部

○星野参考人 その通りであります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 どうも警視庁の警部の捜査としてはおかしいと思うんだが、あなたの今の証言は、何か気が抜けたような捜査のやり方じゃなかったか。もう少し具体的にないのでしょうか。せっかく警視庁の警部という重要な職にある人が主となって捜査に乗り出したにしては、だれも言うてくれる者がなかった、何も事実はつかめなかったというようなことでは、あまりにばく然としたことじゃないですか。あなた一体どのくらいの日数をこの捜査にかけられたか、それをお答え願いたい。

星野要作警部

○星野参考人 期間として約六十日か七十日ぐらいかかったと思います。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 六十日か七十日。そうすると二、三カ月のわけですが、その調査の結果としてはあまりにあっさりし過ぎていますがね。何かもう少し詳しいことは出ないのですか。今のあなたの証言では、そんな何カ月も内偵する必要があったかどうか、はなはだ疑問なんだが、どんなところを調査されて、どういうことを七十日間もやっていらっしゃたのか、ちょっと私どもはふに落ちないのですが、何かもう少し具体的に説明できませんか。説明できないとすると、何かあなたそういう説明できない状況があるんじゃないですか。私どももあると見ておるのです。この立正交成会には相当の政治の上層部が関係しておるということが調査に出ております。ことに都の関係の人が出ておる。そういうことから何かあなた口どめされているようなことはないですか。ここは国会ですから、もう少しざっくばらんにお話し願いたいと思う。

星野要作警部

○星野参考人 さような口どめされているような事実はありません。  それから、期間の問題ですが、これは期間として六十日か七十日と申し上げたのでありまして、その間毎日やったという意味ではありません。  それから、捜査の経過ですが、内偵を始めてしばらくしてからそのことを聞いたのでありまして、私としては、これはおもしろい話だというので、それからそれべと聞いて歩きました。しかしながら、内偵の方法は、正面切って立正交成会の調べに来たというような調べ方をしたのではなくて、情報をとったというようなやり方であります。それで、最後に墓地なんかまで調べまして、何とかしょうと思ったのでありますが、どうにもならなかった。また、一面、私の考えとしましては、蒸しぶろで死んだと申しましても、おふろで死ぬというような事実もあるのでありまして、それが直ちに刑法とかそういう事件にかかるかかからぬかということは確認できない、そういうわけであります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 その「大和ムシ風呂」で死んだ人があるということをあなたに伝えた人の住所、姓名はおわかりですか。

星野要作警部

○星野参考人 これは三鷹市の永瀬という婦人であります。元信者と本人が称していました。はっきりしたことはわかりません。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 その人の住所及び姓名等は現在あなた御記憶でありませんか。もっとはっきりした……。

星野要作警部

○星野参考人 ちょっとあいまいになるかもしれませんが、永瀬よしと言ったと思います。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 住所はおわかりになりませんか。

星野要作警部

○星野参考人 住所はわかりません。駅へおりまして左へずっと行ったところでありますが、ちょっと記憶がないのであります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 何か店屋でもやっておるのですか。

星野要作警部

○星野参考人 いや、店屋ではなくて、何か洋服の修理かかさの修理か、そういう様子に感じましたが、ちょっとわかりません。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そうすると、この三鷹市の永瀬よしという女の元信者であった人が、「大和ムシ風呂」で死んだ人があるということをあなたに告げた。その際に、この永瀬よしという人は、立正交成会の信者であったものが、そのときは信者でなくなっておったのですが、立正交成会について、あなたに「大和ムシ風呂」で死んだ人があるとまで言うのには、何かほかのこともいろいろ話したのじゃないかと思われますが、何かそういうことについて話を聞いたことがありますか。

星野要作警部

○星野参考人 はっきりした記憶はありませんが、病気で入った、しかしながら、病気はなおらないというのでやめた、こういう話でありました。やめるときほかの信者からそういう話を聞たという答えでありました。以上であります。猪俣委員 そうすると、その際、永瀬よしから、その死んだ人はどこのだれだというように聞いたのか。あなた墓地まで行ったとするならば、大体どの辺の墓地に埋まっておるということも聞いたのか、その点を一つ御説明願いたい

星野要作警部

○星野参考人 先ほども申し上げましたように、正面から立正交成会の問題で尋ねに来た、こういう聞き方じゃないのでありまして、向うの方で話のつでに話し出すものをそのまま聞いて来たのでありますから、根掘り葉掘り聞くという段階ではなかったのであります以上であります。猪俣委員 そこで、根掘り葉掘り聞かぬにしても、あなたが墓地まで行って調べたというのには、大体どの辺の墓地に埋葬されてあるかというようなことを永瀬から聞いてその墓地べ行ったのですか。どこの人間だかわからぬ場合に、あなたは東京じゅうの墓地を調べたわけではなかった。どこの墓地を調べた、どういうわけでそこを調べに行ったか、それを一つ説明してもらいたい。

星野要作警部

○星野参考人 交成会の信者がなくなると、大和村の交成霊園ですか、そこに埋葬するということを聞きましたので、そこに埋葬されたのだろう、新しい墓標でもあったらそれを尋ねてみよう、こういうふうに思いました。しかながら、新しい墓標もたくさんありますし その墓地ではどうにもならなかった、こういうわけであります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そうすると、結局、立正交成会の信者で死んだ者があるというけれども、名前も何もわからなかったので、とうとう調べができなかった、こういうことになりますか。

星野要作警部

○星野参考人 そうであります。

高橋禎一自由民主党

○高橋委員長 福井盛太君。

福井盛太自由民主党

○福井(盛)委員 星野警部さんにお尋ねいたしますが、あなたは立正交成会には何ら関係は持っていないのですか。あるいは会員とか、その他の関係はありませんか。

星野要作警部

○星野参考人 何もございません。

福井盛太自由民主党

○福井(盛)委員 いま一点。今お話しになった以外に、立正交成会について何かお調べになったことはありませんか。

星野要作警部

○星野参考人 何もありません。

福井盛太自由民主党

○福井(盛)委員 よろしゅうございます。

高橋禎一自由民主党

○高橋委員長 他に御質疑がなければ、これにて星野要作君に対する質疑は終ります。  次に山角彙晏君に対しての質疑に移ります。猪俣浩三君。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 山角先生にお尋ねいたしますが、山梨県下には立正交成会の信者が六千名ほどおる、ところが、昨年秋ごろから立正交成会の会員で精神病患者が非常に多くなってきている、こういうことが報道せられておるのでありますが、あなたのところは甲府市の県下最大の精神病院であらせられるそうであります。そこで、あなたの病院の精神病者の中に立正交成会の会員とはっきりわかる者がどのくらいあって、そういう精神病になった原因はどういうところにあって、その現在病 状はどのような状態であろうか。なお、できましたならば、山梨県下における立正交成会の状態ももしおわかりになりましたならば、さようなことについてお尋ねしたいと思いますが、まず、あなたの病院で病人として取り扱われた中で立正交成会の信者と思われる人があるのかないのか、あったとするならば、それが精神病になった原因等に対して科学的なメスが与えられておると思いますが、さようなことについて御説明いただきたいと思います。

山角彙晏医師

○山角(彙)参考人 その点につきまして、私は院長をしておりますから、実際治療主任の副院長からお答えさせていただきたいと思います。

高橋禎一自由民主党

○高橋委員長 ただいま参考人の山角彙晏君のお述べになりましたところによって、山角司君を同道されておる、しかも猪俣委員の質問されたことについて山角司君が非常に事情をよく知っていらっしゃるということでありますから、この際お諮りいたしますが、参考人に山角司君を追加決定するについて御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

高橋禎一自由民主党

○高橋委員長 御異議なければ、さよう決定いたします。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 先ほど山角彙晏先生にお尋ねいたしましたことを、あなたもわきにいてお聞きになっておるはずでありますから、重ねてお尋ねいたしませんが、その点についてお答えいただきたいと思います。

山角司医師

○山角(司)参考人 お答えいたします。私の病院におきます患者で立正交成会に入っている者の数ということは、ちょっと私にはわかりません。ただ、立正交成会によって発病したと考えられる患者は数人あります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 立正交成会によって発病したと思われる患者が数名あるというお話ですが、もう少し具体的にその動機、実情等を御説明いただきたいと思うのです。名前なんかを発表していいのか悪いのか私ども判断できませんが、それは皆さんでお考えになって、もしある程度の姓名、あるいは男か女かというような抽象的なことでもいいですが、御説明できたらもう少し具体的に御説明いただきたいと思います。そして、主として発病するに至りました動機に宗教がどう影響しておるかということが本委員会でお聞きしたい点なのであります。その点についても御説明いただきたい。

山角司医師

○山角(司)参考人 私が今申しましたのは、私どもが医学的に見ていわゆる祈祷性精神病と考えられる例であります。去年の六月ごろから大体五名、これは立正交成会のみでございますが、私どもが考えまして祈祷性精神病と言えると思われるものがありました。結局、この祈祷性精神病なる概念は、宗教もしくは加持、祈祷、それから、たとえばお坊さんの暗示とか、そういったものによって引き起される精神障害、そういうふうに考えられます。今申し上げておるのは入院患者の例でありますが、私のところで見ましたものは大体最年少者が二十九才、それから最年長の者が四十八才でしたか、みな立正交成会の場合は家庭の婦人でございました。最年少の者で一人未婚の者がありました。大体そういうところであります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 これが立正交成会の会員であるということですが、一体どういうことによって精神病になったかという動機とか経路というようなことがあると考えられますが、その点についてもう少し御説明いただきたいと思います。

山角司医師

○山角(司)参考人 一例々々症例をちょっと……。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 五人でございますので、できたら一人々々その年令と、それから、姓名はむずかしいかもしれませんが、婦人であることは明らかなんですが、一体どんな状況で精神病院にまで入るようになったかというようなことを、もう少し具体的に御説明いただきたいと思います。

高橋禎一自由民主党

○高橋委員長 今猪俣委員から名前の点についてお話がありましたが、やはり医師としての秘密を守らなければならないという問題については特に御意見を述べていただかなくてもいいというような趣旨だと思いますから、その点はよくお考え下さってお述べ下さい。

山角司医師

○山角(司)参考人 では名前は失礼させていただきます。一名は二十九才の婦人でございます。これは家族歴、遺伝歴というものは否定しております。精神病になったような遺伝歴はない。それから、本人は高等女学校卒業の婦人でございます。入院は去年の十月の例でございますけれども、おととしの春ごろから立正交成会に入会してほとんど毎日行っていた。最初の動機は何かいとこに勧められて入会したそうであります。これは、母親が四年前に脳溢血で倒れて、その当時半身不随であったので、それも入会の動機になったと申しております。入会してから、今まで百姓なんですけれども、農事で常に忙しいところをほとんど毎日朝晩会の支部というところへ行っていたわけです。農事で忙しくて行けないときは本人はそれを非常に気にするようになって、それで家で朝晩お経をあげているような状況で、最近になって、というのは入院間近かになって、いわゆるお導き——お導きというのは僕もよくわからないのですけれども、何か他人を入会せしめることだそうです。それができない、それで、それを苦にするようになった。それで、何か因縁が切れないとか、神様に対して申しわけない、そんなふうに泣いてばかりいて仏壇から全然離れようとしないそれから、夜中に友だちを入会するように説得に行くのだと称して出かけていくようなことになる。そうしないと因縁が切れないというふうに考える。だんだんと非常に神がかりのような状態になりて、霊感が感ぜられる。それから、仏様がああしろとかこうしろとか言う。そういうようなときにははたで何を言っても聞き入れない。それから、拝んでいるときは黙ってしまって非常に緊張したような症状になってしまう。そんな状態で入院したのであります。入院当時の症状は、非常に拒絶的、でありまして、そうして診察なんかを拒診しまして泣いてばかりいる、それから、何か不随意の拝むような運動が盛んに起っている、言うことは、霊感を感ずるとか、本部から自分を呼んでいる声が聞えてくる、それから、その声は妙佼さんの声である、——これは幻聴と考えられますが、そういうような症状、それから、盛んに、申しわけないとか、うちの中でお経を唱えるような状態、大体そんなような状態で、そのほかに、何か妙佼さんの方から命令してくるような声が聞える、そういったようなことです。それで、電気衝撃療法というのを六回ほどやって全くよくなって帰っております。それで、最後に帰るときは、交成会の教えはいいん、だ、しかしこんなことが再び起るようでは困るなどと言って帰った。そんなことです。  それから、比較的最近の例では、ある官吏の奥さん、これは三十四才でございます。去年の二月ごろに腎臓結石で病院へ入院しておりました。手術したのですけれども、その入院中に他の患者の付添人から勧められて入会した。その手術の経過がよかったのは御利益のためだというふうに考えまして、だんだん狂信状態に陥ってきたのです。毎日通う。それから、お導きと称して、信者を勧誘するよう何か強要されたと本人は言っております。しかし、どうだかわからないのですけれども、家族や親類の者を入会させないお前は精神病になるなどということを言われたと称しております。精神病になるとか、子供が死ぬとか、そんなことを言われた。それで、そういうような暗示をされたので、去年の九月ごろからほとんどうちの仕事をしなくなって信仰に熱中するようになったのです。本人、また家族の言うのには、交成会の幹部の人の意見も人によって異なっている、うちのことをするように、こう言う人もあるかと思うと、もっと導きに歩かなければいけない、こう言う人もある。それで本人も非常に迷ってしまったらしいのです。何か甲府の支部長が本人は気違いになるなどという予言をしたことがある、こう言っております。去年の暮れごろから、うちにいても、もちろんうちのことは何にもしない。ラジオも聞かない。全く黙ってしまったような状態になった。本人の言うのには、妙佼先生の教える無念無想ということだというふうに語っておった。そうして、幻聴ですね、何か聞えてくるんです。それは去年の暮れごろから妙佼先生の教えみたいなものが聞えてきた。そして、妙佼先生の教えだと称して、寝てばかりいて、一切からだを動かさない。尿もたれ流しの状態になってしまった。食事もとらなくなった。主人が注意したところが、一月ごろから、一月にはこたつにあたってはいけないといって、玄関のたたきにすわり込んでしまったというような状態、それからまた不眠状態が続いたそうです。それから、お導きと称して、御主人の実家とか自分の実家に、ちょっと遠いところなんですけれども、そこへ足しげく通うようになった。そして、どうしても入ってくれと頼むようになった。そんなふうな状態。それから、食事をとらなくなってしまったのですね。というのは、米を食べてはいけないというふうなことが聞えてきたらしいのです。入院の少し前までは、野菜やお汁くらいはとるんだけれども、御飯というものは食べないような状態で、入院して来た。入院してからも、主人が交成会のたなみたいなものを片づけたかどうかというようなこと、片づけては困るといったようなことを非常に心配しておった。やはり入院してから食事をとらないんで、鼻から管を入れて食事をとらしたんです。妙佼さんの教えとかそういったようなものが聞えてくる、それから、何かからだのあちこちにしびれを感ずる、それは法の力だとかいうふうなことを言っておりました。大体そんなような状態で経過しましたけれども、やはりこの例も電気療法十回ですかで完全によくなって帰っております。  そういうような例が五例ほどあるのでございます。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そこで、山梨県下におきましては、他の精神病院にも相当入院患者があると聞いておりますが、医者同士としてさようなお話をお聞きになったことはございませんか。

山角司医師

○山角(司)参考人 そういう話は聞きましたけれども、具体的に幾例とかいう、その症状を聞いたことはありませんです。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 これは、医学的に見て、何かあるものにこるとそういう異常な状態が起るということも常識でわかるんですが、今お話にありましたいわゆるお導きですね、信者獲得、これを強く幹部の人から要請されていることは、われわれの調査によっても出ておるんです。この責任を果すということが、それが十分果たされないと一家に不幸があるとか、子供が死ぬとか親が死ぬとかいうようなことでおどかされていることが他にあるわけです。そんなことからこういう精神病になっていく。つまり、私が聞かんとするところは、立正交成会の幹部といいますか、妙佼といいますか、これらが信者に対して非常な義務を課し、それが強烈に精神に打ち込まれた、それとこの発病とは医学的に見て関係ありという断定をなさるかどうか。ただ信者ではあったけれども、それはいろいろほかのことでそんなになったので、それとは面接に関係がないとお考えになるかどうか。医者としての御見解を承わりたい。

山角司医師

○山角(司)参考人 いわゆる祈祷性精神病というものは、先ほど言ったような暗示とか狂信とか、そういったものを直接原因とするのは当然でございますけれども、しかし、それ以外に、そういうように起りやすい状態、場を作る、それがやはり少しは問題になっております。それには、一つは素因、これは遺伝学的なものとか性格上の問題、そういった問題が一つ取り上げられております。それから、もう一つは、その発病に至るようになった身体的の、たとえば非常に疲労していたような状態とか、疲労こんぱいの極に達していたようなとき、そういったようなことも問題になります。ただ、そういったような素因とか、そのような状態、その上に宗教的のものが重なり合ったときに初めて発病すると考えられます。こういった病気になった人の話を聞きますと、お導きというものが相当心の負担になっていたと私ども考えられるようなことがたくさんあります。それから暗示的な言葉ですね。お前の子供は死んでしまうぞとか、お前は気違いになるんだとか、そういったような、もし本人ないしは本人の家族が私に述べたようなことがあるとすれば、そういったようなことは発病の直接原因としてやはり相当考慮せられなければならないと考えます。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 今二十九才の婦人と三十四才の役人の奥さんのお話を承わったのですが、いろいろな状況は、本人は気が狂っているのですからあるいは客観的に正しくないことを言うかもしれないが、あなた方の判断としては、その夫なり親なり子供なり兄弟なり親戚、そういう周囲の人たちからもいろいろ事情をお聞きになって、今下されたような診断をなされたと考えますか、そこはいかがでありましょうか。

山角司医師

○山角(司)参考人 その通りでございます。

高橋禎一自由民主党

○高橋委員長 ほかに御質疑はありませんか。——ほかに御質疑がなければ、次に樋口米藏君に対する質疑に移ります。猪俣浩三君。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 山角先生には御迷惑ですがもうちょっとお残りを願います。それでは樋口米藏さんにお尋ねいたします。樋口さんのお隣りかなんかに立正交成会に入会しておった人があったのではありませんか。あったとすれば、その名前、職業、どういう人であるかを御説明願いたいと思います。

樋口米藏農業

○樋口参考人 御説明申し上げます。青柳保と申します。そのおかみさんは青柳さと子と申します。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 夫が青柳保、それから、立正交成会に入ったのがさと子という夫人ですね。

樋口米藏農業

○樋口参考人 はい。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 あなたは隣りの家におられた。それで、あなたの御職業は。

樋口米藏農業

○樋口参考人 自分は農業であります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そこで、その青柳さと子さんが信者になってどういうふうな行動をやって、どんなふうになったか、あなたの知っている通りのことを御説明いただきたいと思います。

樋口米藏農業

○樋口参考人 その青柳さと子という人は、昨年の五月十日になくなったのですが、その約二年ぐらい前から、からだの工合が悪かったのです。そして、ほんとうに発病したというのは四月の下旬かもしくは五月の初めだと思います。何か気が触れたような症状でありました。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 気が触れたというのは、具体的に言うとどんなところが普通の人と違った行動をするようになったのですか。

樋口米藏農業

○樋口参考人 私が見たところでは、普通の病人でしたら、何か物を食べるとか、あるいはここが悪いとか言って寝ておりますが、何か手で変なまねをしましたり、どこのかみさんのところにはキツネがきたとかどうとかいうよなことを言って盛んに騒いでおりました。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そこで、結局そのさと子さんはどんなふうになったのですか。

樋口米藏農業

○樋口参考人 どんなふうにと申しますと……。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 からだの工合のことです。

樋口米藏農業

○樋口参考人 何か手を振ったり、それから、二人も三人も押えていなければとも押え切れないほどあばれまして、五月の十日になくなりました。もちろんその間御飯も何も食べられませんでした。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 昨年の五月にとうとうなくなったのですね。

樋口米藏農業

○樋口参考人 そうです。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そして、それまでは御飯も食べなかったのですね。

樋口米藏農業

○樋口参考人 食べなかったのであります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そこで、御飯を食べなかったり、あばれたりすることは何のためであるか、あなたはわかりませんか。たとえば、神様が乗り移っているとか、あるいは妙佼さんが御飯を食べてはならぬと言ったとか、今山角先生のお話を聞いても、御飯を食べるなというような妙佼の声が聞えたと言って食べなかったという人もあるのだが、その人も同じような病状だったと思うのだが、そこで、今言ったお導き、信者の獲得競争だとか、そういうようなことがうまくできなかったようなことを苦に病んでおったようなことはなかったか、そのような点についてもう少し詳しく知っている通りをお述べいただきたいと思います。

樋口米藏農業

○樋口参考人 私が見たところでは、立正交成会のことは本人は何も言いませんでした。それで、私自身も、交成会とかどうとかいうことは全然考えておりませんでした。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 なぜ飯を食わぬかというようなことを聞いたことはありませんか。あるいは、なぜそんなにあばれるのかということをあなたは聞いたことはないのですか。あるいは、その人から聞かぬにしても、青柳保という夫ですか、その人から何かこぼされたようなことはありませんか。——どうしてそんなような状態になったのか。私、お聞きしたいことは、立正交成会の信者であることをあなたは知っておったと思うのだが、一体信者になる前にはそういうようなことがあったのかないのか、信者になってからさようなことが起ったのかどうか、その亭主も非常に迷惑しておったろうと思うが、保さんが何かあなたにこぼし話をしたことがないかどうか、そんなことについてもう少し詳しく説明を願いたい。

樋口米藏農業

○樋口参考人 お答え申します。先ほど申しましたように、病人がほんとうに発病したのは四月下旬でありましたが、医者にもかなり見てもらっていましたけれども、どこか近所の方が、この際交成会にでもおすがりして拝んでもらったらいいだろうというようなわけで、病気になって五、六日たってから入会したのであります。一度来て拝んでもらっているようでありました。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そうすると、交成会に入らぬ前に病気になったというのは、精神病になったという意味ですか、何かほかにからだが悪かったという意味ですか。からだのどこかが悪いので、それから立正交成会に行ってなおしてもらおうというので入ったというのか、からだの悪いというのはどこが悪かったという意味ですか。

樋口米藏農業

○樋口参考人 からだの工合の悪かったのは十二指腸とかいう虫で二年くらい前から二ところか三ところの医者に見てもらっていたようでありました。そして、病気になってから初めて入会したのです。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そうすると、十二指腸とか何とかいう病気に二、三年悩んでおったので、そこで人の勧めによって立正交成会に行ってなおしてもらおうということで立正交成会に入ったと思うというのですね。それで、気が変になったのはいつからでしたか。今聞き漏らしましたが、立正交成会に入ったというのはいつごろで、気が変になったのはいつごろなんですか。

樋口米藏農業

○樋口参考人 気が変になったというような病気になったのは、昨年の四月下旬、二十八、九日ころからでした。そして、立正交成会に入会したのは、五日、六日たってからですから、五月の五、六日ころだと思います。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そうすると、気が変になってから交成会に入ったのですか。

樋口米藏農業

○樋口参考人 そうです。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 さっきのお話だと、何か十二指腸虫とかがたまっておって、それがなおらぬので、交成会に入ってなおしてもらおうというので交成会に入った、こういうふうに聞いたのですが、そうすると、そうじゃなくて、気が変になったので交成会になおしてもらおうと思って入った、こういうことになるのですか。

樋口米藏農業

○樋口参考人 そうでございます。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そこがちょっとあいまいなんだが、気が変になったので交成会に入ったらなおるというので交成会に入ったという意味ですか、あるいは、十二指腸になってからだの工合が悪いので交成会に入った、入っておるうちに気が変になったのか、どっちなんですか。

樋口米藏農業

○樋口参考人 交成会に入る前に気が変になった。気が変になって、ほかの医者に見ていただいても、御飯が、つまり歯を食いしばっているものですから、口に入れようと思っても入らないし、どうすることもできないから、近所の方も、それじゃ交成会にでも入って拝んでもらったらどうだ、こういうわけで入ったのです。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そうですか。それじゃ、今のお話を聞けば、交成会に入って気違いになるのが多いと聞いていたのだが、あなたの話じゃ、気違いになったので交成会に入ったというのだから、なお気違いになるという話になるのですが、それじゃ話にならぬわけです。そこで、立正交成会へ入ってから、交成会では一切御飯を食べちゃいかぬ、油あげばかり食べておれと言われたので、油あげばかり食べておったというふうな事実があるように聞いておりますが、そんなことをあなた見聞きいたしませんか。

樋口米藏農業

○樋口参考人 さようなことは見も聞きもしません。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 あなたは立正交成会へ入っておりますか、入っておりませんか。

樋口米藏農業

○樋口参考人 私は、立正交成会もほかの会も、神信心ということは今まで一切したことはありません。

高橋禎一自由民主党

○高橋委員長 他に御質疑はありませんか。——なければ、これにて午前の調査は終ります。  参考人の各位には熱心に御陳述下さいましてありがとうございました。今後の委員会の調査に有益な参考になるものと存じます。  ではこれにて午後一時半まで休憩いたします。    午後零時二十二分休憩      ————◇—————    午後一時五十八分開議

高橋禎一自由民主党

○高橋委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  立正交成会について人権侵害及び違法行為の有無等について参考人より実情聴取を進めます。  まず参考人の変更についてお諮りいたします。すなわち、和田龍男君が病気のため出席できませんので、印刷業鳥海澄男君を参考人と決定いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

高橋禎一自由民主党

○高橋委員長 御異議なければ、さよう決定いたします。  午後の参考人は、無職仲井より君、材木商佐藤達男君、印刷業鳥海澄男君、弁護士磯部常治君、以上の四名でございます。  この際委員長より簡単に参考人各位にごあいさつ申し上げます。参考人各位におかれましては御多忙中にもかかわらず遠路わざわざ当委員会のため御出席下さいまして、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。十分忌憚のない実情を述べていただきたいと存じます。なお、参考人の方から委員に対しては質疑ができないことになっておりますので、御了承下さい。  それでは、これより実情聴取に移ります。まず磯部常治君に対して質疑を行います。猪俣浩三君。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 磯部先生は日本弁護士協会の何か役員をなさっておったことがあるかどうか、その役員をなさっておったころ立正交成会の問題について御調査なさったことがあるかどうか、御調査なさったとするならば、その概略のケースの御説明をいただきたいと思うのです。

磯部常治弁護士

○磯部参考人 申し上げます。昭和二十六年十一月当時、私は日本弁護士連合会の人権擁護委員を務めておりまして、その人権擁護第五部部長として立正交成会に関連ある蔵敷事件というものを取り扱ったことがあります。その蔵敷事件と申しますのは、ごく概要を申し上げますと、東京都北多摩郡大和村蔵敷一千五十五、近藤豊五十二才の長女由美子十四才が昭和二十四年八月十一日に疫痢でわずか一日で死亡した。この葬式のときに立正交成会の信者の中岩司という人が来て、交成会の御利益を話して、ぜひ入会するようにと勧めたのであります。そうすると、近藤氏の妻とき四十才は、長女の死亡に非常に打撃を受けて精神状態もだんだん悪化してきておったようなときであったので入会しましたが、近藤氏は入会を拒絶しております。そうすると、九月の十五日ころの長女の三十五日の供養のときに、交成会の北多摩の支部長の小島敬太郎という人が、立正交成会の本部の女役員二名と、ほかに十二、三人の信者を連れて参りまして、近藤の宗旨は真宗であるのに、南無妙法蓮華経を一時間くらい大勢で唱えまして供養しました。このときに近藤の隣人または知人等も十五、六名そこにいて一緒に供養しておったのでありますが、読経が終ったあとで、その小島氏が、長男の輝男という名前をさしまして、輝男と言ったらまことにかわいそうだ、十四才で寿命がなくなるのだ、本部の役員も同じことを言って、名前が悪いのだということを言ったのであります。当時輝男は十二才であったのであります。それから、長女の四十九日、百カ日の供養のときにも小島と中岩という人が来まして小島が輝男の寿命のことをあなどりまして、近藤にぜひ入会しろ、こう勧めたのであります。そして、入会すれば由美子もいいところへ行かれる、また妻の病気もなおる、輝男の死も助かる、商売も繁昌して生活も楽になると言いまして、寿命の予言はおれが言うのではない、本部の先生——本部の先生と申しますと、庭野会長及び長沼副会長のお告げである、両先生は信者全体の寿命がわかっておるのだというように話して、しきりと入会を勧めたのであります。それから、妻ときは、そういうことならというので入会しましたが、一向病気はなおりません。長男輝男は非常に元気である、ときは長女の百カ日過ぎより長男死期の予言を信じて親子三人で死のうと毎日せがむようになりまして近藤は全くとほうにくれてしまった。この状態で長男及び妻の死まで約二年近くも過ぎたのであります。妻は、死ぬのには何がよいだろうか、アドルムか青酸カリか、カリの方が早いだろうというようなことで、昭和二十六年三月ころ横浜に、四月ころ大宮の知人に面会に行ったが、あるいはそのときにカリを入手したのかもわからないが、近藤はこの入手経路は全く知らなかったというようなことで、妻はこのころから長男を毎晩抱いて寝るというようになって参ったのであります。  それから、昭和二十六年の六月五日に事件が発生したのでありますが、六月四日夜十時ころ、妻ときは近藤の面前で長男に虫下しを与えました。翌五日朝六時ごろ、長男がラジオ体操に行くというので新しいシャツを着せ、妻が虫が出たかと聞いたところが、出ないと言う。それではもう少し飲めと言って、流しのところにあった薬を持ってきて飲ませた。長男は家を出て二間くらい行くと倒れてしまった。近所の人がそれを連れてきていろいろ手当したが、もうからだがかたくなって、水をやっても飲まない。近所の病院にかついでいったが、とうとう死んでしまった。近藤の妻にどうしたことかと言ったら、おじさん長々ありがとうございます。あとはよろしくお願いしますと言って、やっぱりそこへ妻も倒れて死んでしまった。そこで、近藤は長男のことが気にかかりまして病院へ飛んでいったが、医者が輝男はいいから妻をいたわれと帰宅させたところ、妻も死んでしまう、輝男も死んでしまう、全く手のつけられぬような状態になった。近藤はつい腰が抜けてしまって、この日こそ実に輝男十四才の寿命が予言に当るということになった。約五分くらいで警官その他六、七人が検視に来て、死に方が変だといって調べましたが、隣の人が台所のすみで小ビン、茶わん、紙などを見出して、そこのところに妻の文字で、青酸カリにつき御注意下さいということが書いてある。また、たんすの中から、輝男と由美子はこの世を去るのだから私もこの世に生きていられないという趣旨の遺言が発見された。それから、昭和二十六年の十一月二日ころであります。近藤が庭先に菊を植えようとして地下一尺くらいを掘ったら、一尺くらいのブリキカンの茶づつが出てきた。その中に牛乳ビンくらいのビン一ぱいに青酸カリが入っておった。すぐ蔵敷駐在所の一ノ瀬巡査に連絡して検分してもらって引き渡した。      妻、長男の死亡後、交成会の信者の石塚庄太郎氏は、信者獲得に当って、近藤一家は豊が入会しないので罰が 当ったのだと言って入会勧誘の具に近藤宅の不幸を使ったという。とき及び輝男の死後近藤宅に小島敬太郎及び石塚庄太郎らがおわびに来たというような事実があったということを近藤が訴え出まして、これを第五部が担当してこれが人権侵害になるかならぬかということを調査したのであります。しこうして、その調査の結果をかいつまんで申し上げた方がよかろうと思いますので、調査の結果を申し上げますと、その調査の結果の結論は、まず、取扱いの警官の処置については、ときの自殺決意の原因について、青酸カリの入手経路究明がなかった、その点を調査していない、次に、立正交成会の影響を調査しなかった、こういう警官の疎漏があったことはまことに遺憾に思われるという結論が出たのであります。それから、立正交成会についてはどうかと申しますと、会の支部長小島敬太郎及び中岩司氏らが姓名の判断によって死ということを予言して近藤ときの入会を勧誘し、ついにはとき自殺に至らしめたことは同人の人権を侵害したものであると思われる、しこうして同会はその他信者の獲得及び扱い方について逸脱した行為をなして信者に物的精神的迷惑をかけた、それは人権を侵害したる事件なしとは思われない、ゆえに将来はかかることのないように大いに反省を求むべきであるという結論に到達したのであります。そこで、昭和二十七年の六月二日に、これを本委員会に第五部長私の調査の結果として報告しまして、さらに番議した結果、日本弁護士連合会人権擁護委員会委員長林逸郎氏の名をもって連合会の会長の長野国助殿あてに、一、立正交成会に対しては、近藤の妻の死が交成会布教員が長男の死期の予言をしたることに重大なる原因があり、これは人権侵害であったと認められるにより、今後大いに反省を望む旨を通知す  ること、二、文部省、法務府、最高裁、最高検等に対しては、参考として委員会の報告を送付すること、三、東京都公安委員会に対しては、本件近藤の妻が自殺の原因捜査に当り国警立川地区署が青酸カリの入手経路及び立正交成会の影響の二点につき不十分であったのは遺憾と思料する旨を通知すること、以上を申し送ったのであります。しこうして、連合会としては、これを理事会にかけられて、同様趣旨のすべての手配をされたと思います。  なお、調査の経路につきましては、これをしさいに御報告しますと相当長時間にわたると思いますが、ただ、関係者として、河原かん、立川の署長柏田新兵衛、医師梶山盛夫、巡査一ノ瀬元三、小島敬太郎の妻ヨネ、菓子商の石井信司、そば屋の前川平衛門、炭屋の石原織太郎、その他相当多数の人を参考として調査しました結果、先ほど申し上げました結論を得て報告したのであります。  大要以上であります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 大体蔵敷事件の概要はわかりました。弁護士会が警告を発せられたそれに対して、文部省なり法務省からは何らかのあいさつがあったものですか。そのままに握りつぶしのような形になっておったものでしょうか。弁護士会ばどうお考えになっておるか、お聞かせ願いたい。

磯部常治弁護士

○磯部参考人 ちょっと、その点は、私、確たる調べもせず、記憶もありませんので、ただ私の今の記憶としてお聞きとり願いたいのですが、連合会の、勧告その他の報告に対して何ら確たる回答はなかったと記憶しております。一口で言えば握りつぶしの結果になっていたのだと記憶しております。しかし、それは調べればはっきりどうだったかということはわかります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 この立正交成会の問題あるいは霊友会その他の新興宗教がたくさんありますが、さような問題について人権問題として日本弁護士連合会なりあるいは東京弁護士会なりで何かお調べになったことがございましょうか。

磯部常治弁護士

○磯部参考人 私はこの第五部長は一年間の任期で終りましたので、その後連合会の人権擁護委員はやっておりませんので、その後どうであったかよく知りません。最近聞くところによると一、二件か出ておるということでありますが、詳しいことは知りません。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 なお、立正交成会に対しても警告を発せられたと先ほどおっしゃいましたが、立正交成会から何らかのあいさつがあったでありましょうか。

磯部常治弁護士

○磯部参考人 なかったと記憶しております。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 これはあなたにお尋ねすることははなはだ心苦しいのでありますけれども、これは新聞紙上非常に伝えられたことで何人も存じておることですから申しますが、あなたの最愛の妻とお子さんを失われましたその人生の実に最大の悲嘆の中にある際に、立正交成会側の人間は、あれは礎部が立正交成会の非をあばかんとしたから神様のたたりなのだ、かようなことを揚言して、先ほど申されました近藤ときの自殺を夫の不信行為に原因づけて布教の道具に便ったごとく、やはり同じ態度でさようなことを盲信者どもに宣伝しておるということを私どもは承わっておるのですが、さようなことがあなたの耳にお入りになっているかどうか、なっているとするならば、いかようなる者がそんなことを言っておるのか、またさようなことを信者の前に言った事実があるのかどうか、これについて忌憚ない御意見を承わりたいと思います。

磯部常治弁護士

○磯部参考人 今申されたようなことは、その後直接私にありませんが、過日、読売新聞でしたかに、一月十八日の私の災難の事件に関連しておると思いますが、第二弁護士会の副会長磯部常治の今度の惨事、強盗に殺害されたのは、そこに立正交成会の蔵敷事件と書いてあったかどうかはっきり記憶ありませんが、その事件を扱ったことが因縁でああいう災難をこうむったのだという記事があったのであります。私に直接そういう話はありませんが、ああいう事件を扱ったからそれが因縁であの災害をこうむったのならば、第五部は私一人のみじゃなく、ほかに四人の弁護士が委員として扱ったですから、それも災難を食いそうなものなのに、それが私のごとく災難を食わないということを考えますと、実に私に対する冒=であり、名誉毀損であり、宗教家としてけしからぬと思うのであります。ただ、読売新聞社に私は聞いたのでありますが、果してあの記事は真実なりやいなやということを聞いたところが、決して間違いない、二万人の信者のいる前で言ったということを聞いておるのであります。これは事実かどうか調べればわかることですが、そうであるとするならば、私は、実にけしからぬ、そういう宗教というものこそ是認することはできないと、実は内心憤慨しておる者でありますが、具体的にとやかく申したことはありません。以上であります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 関連して人権擁護局長にお尋ねいたしますが、今お聞きの通り、東京弁護士連合会では蔵敷事件を調査して法務省にも警告を発しておるはずであります。これは局長が就任されて以前か以後かは今ちょっとわかりませんが、これに対して法務省としてはどういう対策をお立てになったのであるか、それをお聞かせ願いたい。

戸田正直人権擁護局長

○戸田政府委員 私の就任後の事件であります。ただいま磯部先生からいろいろ詳細な報告がございましたし、私どもも当時この事件を承知いたしておりました。先般もお答えいたしましたように、この事件を日本弁護士連合会で取り上げていただくのが最も妥当なのではないかという考えを持っておりまして、磯部先生も私どもの法務省の人権擁護委員を当時かねておられましたので、こういう方が、また弁護士連合会でお調べ願うのが最もよろしいと考えまして、その結果を期待いたしておったのであります。その結果、ただいま申されましたような結論に達せられまして、法務省にも勧告というのではなく報告が参りました。私はその結果を是認いたしておりまして、この前もお答えいたしましたように、こうした迷信であるとか予言であるとか暗示というようなものに迷わされるところに大きな問題がある、かように考えておりましたので、人権擁護局としては、その後十二月の世界人権宣言の週間の記念行事の一つといたしまして、因習の打破ということを取り上げて、毎年こうした無知な民度の低い人たちの啓蒙に資しなければならぬ、かように考えて啓蒙活動に力をいたしておるわけでございます。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 私、これで終りました。

高橋禎一自由民主党

○高橋委員長 ほかに質疑はございませんか。——なければ、次は鳥海澄男君に対して質疑を行います。猪俣浩三君。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 鳥海さんは和田龍男さんのかわりに参考人としてお聞きするように、ただいま委員会で決定されたのですが、あなたと和田龍男さんとの御関係はどうなっておりますか。

鳥海澄男印刷業

○鳥海参考人 私の次男でございます。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そこで、和田龍男さんの奥さんの絹江さんという方がおありだったそうでありますが、この絹江さんが立正交成会にお入りになった、その結果何か精神上に異常を来たしてとうとう発狂されたような形になったということを新聞が伝えておるのであります。そこで、そういう事情につきましてお尋ねしたいと思いますが、あなたの次男の龍男さんの一家及び絹江さんが立正交成会に入った動機その他のこと——その前に、この和田龍男さんとあなたは同居されておるのであるか、あるいは別居されておるのであか、知っておるとすれば、どういうわけで和田龍男さん夫妻のことを詳しく御存じなのか、そういうような点についてお述べを願いたい。

鳥海澄男印刷業

○鳥海参考人 一応読売新聞に私が投書いたしましたことから申し上げてよろしゅうございますか。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 どうぞ、そのいきさつを一つ自由にお話し下さい。

鳥海澄男印刷業

○鳥海参考人 実は私四日ほど前から病気で寝ておりましたので、腰かけさせていただきますが……。

高橋禎一自由民主党

○高橋委員長 どうぞ。

鳥海澄男印刷業

○鳥海参考人 昭和三十一年三月二日の読売新聞紙上に掲載されたことは自分の投書によってなされたものであります。というのは、読売新聞が立正交成会の土地問題を取り上げましたので、これに便乗してやるということは社会で卑怯だと言うかもしれません。しかし、少くともこれによって社会の人々が目ざめ、また明るい社会を作り上げる、邪教は是正して、信ずる人々は心して正しい信仰に入ることを望むこと、これ以外に私は他意はなかったのであります。それで、これは交成会に限ったことじゃないのです。他の宗教、また宗教家も、布教に心して、金よりも、まず人を助け、よい導きをするということこそ、宗旨の盛大なことだと私は思うのであります。私はそういう心持から投書したのでございます。  龍男の結婚は昭和二十三年五月二十三日です。神奈川県寒川町一ノ宮千百四十五番地の、とうふを製造している和田太吉の三女絹江と結婚したのであります。子供は昭和二十四年四月十三日に生まれました長女明美をかしらに、二女の直美、長男哲一郎の五名がございます。現在勤務しておるところは昭和産業株式会社の鶴見工場であります。結婚当時の家庭は、和田太吉のうちには長男の進という人があったのです。しかし、親子の関係がよくなかったもので、太吉のところへ龍男が養子縁組して入ったわけなのであります。  その和田太吉という者の性格を申し上げますと、非常に一徹がんこなのでございます。わが子と他人の見さかいもなく、わが子の絹江に対してもあまりしっくりいかなかったわけでございます。この苦労は、しばしば私のうちに来ましてぐちを言いましたけれども、わが親なるがゆえに、私が意見すればすなおに考えてくれました。家庭の不和を常々口にしておりました。絹江も、性格は非常に男まさりのところがありまして、人に負けることのきらいな女で、家庭はもちろん、商売のとうふ業も一人で切り回してやっておったのです。実にりっぱな女でございました。父と子と、まことに似たような性格のゆえか、しばしば争いがありまして、このような親子の仲の好ましくないことは近所でもまたよく知っておったのです。昭和二十七年の、月は忘れましたが、寒川のとうふ屋の前のうちの高橋とかいう女の人に、立正交成会に入会を勧められました。再度辞退したのですけれども、御近所ではあるし、日ごろおせわになっておりますもので、ついに我を折って入会したのです。というのは、あるいは入会によって家庭の不和も解消でき、またその商売も何とか繁昌するとか、そういうこともあるかもしれないというので入ったわけなのでございます。それで、入って早々本部に行くようになったのです。自分の悩みを打ち明けて、昭和二十七年一月ごろと思いますが、入会後寒川町一ノ宮から杉並まで定期を買いまして、本部に日参をするのです。朝は九時に家を出まして、晩は午後五時過ぎでなければ帰宅しませんでした。それですから、家庭の中はまるきりうち捨ててあったのです。その盲信によって、仏壇、先祖の戒名を直して、そしてまた、私のところへ来ても入会を勧めまして、仏壇を清めたり、戒名も妙佼先生につけていただくのだと言って全部書いて持っていきました。その盲信ぶりに和田太吉も母も怒りまして、信仰をやめさすべく、立正交成会で買い求めましたじゅずとかたすきとか経本等、交成会に関するもの一切を焼き捨てたのです。そして、この信仰をやめるように、もちろん龍男も盛んにいさめたのです。しかし、絹江は少しもひるみませんでした。それで、絹江はある日、焼き捨てたことを幹部に言ったわけなんです。そうすると、その幹部に、三年のうちに火事が起きて子供が大やけどを負うということを聞かされたのです。昭和二十七年の秋ごろ、それを口走るようになったのです。そうして、火事になったら子供だけは助けて下さいと言って近所、親戚を歩くようになったのです。これが昭和二十八年の四月、そぼ降る雨の朝です。龍男が二女の直美を背負って私のところへ参りまして、ちょうど御飯を食べているときでしたが、絹江が気が変になったから来てくれと言うのです。私も取るものもとりあえずに寒川へ急いだのです。しかし、そのときに思ったのです。私の家に来たときに、お父さんの家も火事になりますよ、夫の生家だからと、こういうことを口走っておりました。それを思い出して、私もやられたなと直感したのです。そのとき、龍男にも、あんなばかなことを信仰しちゃいかぬということを私は申したのです。とにかく寒川へ行ってみますと、私の顔はよくわかっておりまして、ほんとうに飛びつくようにしまして、お父さん、火事になるから、火事になるからと言って叫ぶのです。そうして、明美と直美を助けて下さいと言って哀願して伏し拝むのです。私も、ああやったな、恐怖心によってこうされたんだと思っても、いかんともすることはできないのです。私はこのような話はしばしば耳にしております。幻覚というのか、幻聴症状といいますか、そういうことをされればおそらくそういう気持になると思うのです。どんな人でも気違いの症状になると思います。私は、そんなばかなことはない、火事になんてなりはしない、心を落ちつけろ、お前の前に子供がりっぱに二人いるじゃないか、お前が変なことを言うから子供が泣いているじゃないかと言いますと、あ、そうだったと言って、何か追憶しているようなうつろな目で私を見ておりました。それからまた、火事があると言い出すのです。それから二、三日たちまして、今度は口走ることが違っているのです。名前は申されませんけれども、何々さんと夫婦になればよかったとか、あるいは何々さんは親切だとか言って、実に考えもつかぬことを言い始めたのです。それから三日後だったと思います。相模原病院へ私と龍男と親戚の向川という者とつき添って診察を受けに行きました。そうしたところが、相模原病院では入院ができませんで、通院いたしたのです。症状は、診察はどうか知りませんが、精神分裂症と言ったんですけれども、きのう龍男に聞きましたら、信仰何とかということでした。私がちょっと診察のときに言ったんです。どうも立正交成会へ入って変になったと、こう言ったら、龍男が私のけつを突っつくのです。なぜ突っつくんだと言ったところが、みっともないからやめろと言うのです。タベ聞きましたら、精神分裂症じゃなくしてたしか信仰なんとかじゃないかと言っておりましたが、その点よくわかりませんです。その後しばしば立正交成会の人々が来まして、今度は裏に祭ってあるお稲荷さんが因縁があるからこのお稲荷さんを取り除かなければいけない、こういうことを言ったのです。それならばというので取り除きましたけれども、やはりそれでも気違いは直らなかったわけです。ついにお父さんもお母さんも怒ってしまったわけです。それで退会をすると言い出したわけです。退会をするんだから娘の気違いを直してよこせと私はそのとき言ったんです。ところが、立正交成会の人々の言うのには、これはまだ信仰が足らないのだということです。これは日を忘れましたけれども、私が寒川へ行って、ある日の午後七時——なぜ私が忘れないかというと、四、五人の信者が来まして、絹江の父が怒るので、信仰が足らないんだからもう少し信仰すればなおるんだということを言ったんですけれども、私は、信心が足らないから気違いがなおらないとかなんとかいう信仰は聞いたことがない、そんなばかげた信仰は立正交成会だけだ、父母の言うように今日限り退会します。させますと言って、信仰が勝つか医学が勝つかやってみようじゃないか、ばかばかしい、話にならないと言って、私は怒りましたんです。それで、もう相模原病院へ約四カ月間通っておりましたんです。それで、一時よくなったんです。一家も安心いたしましたけれども、私たちにも絹江が礼に来たのです。ほんとうに済みませんでした、いろいろ言いましたんですけれども、大へん笑いも出ましてよかったんですけれども、昭和二十八年の秋、ごろまたまた狂い始めたんです。そして、龍男に対して出ていけと物を投げつけるように、手がつけられなくなりまして、十二月三十一日に着のみ着のままで私のところに出てきてしまったのです。それから、昭和二十九年五月に和田太吉の妻が死亡しまして、そのとき離婚してしまった形になっておりましたから、そのまま行きませんでした。不参しましたけれども、昭和二、十九年六月、雨の降る午前十一時ごろ、向川の妻と星本という朝鮮人——それは二女の夫ですが、自動車で明美と直美と哲一郎の三人を連れて私のところにに来ましたんです。私は昭和二十九年の八月に離婚訴訟を提訴したんです。で、家庭裁判所においても争うことになったのですけれども、しかし、全快だか不治だかわからないから離婚にはならないというのでもって、一時取り下げましたんです。それで、前後しますけれども、三人の子供を押しつけられました龍男の人生というものは全く取り返しのつかないものです。若い身空でこの世に何の希望も持たず、毎日居そうろうの苦しい生活をしておるのです。しかも、そのとき連れてきた哲一郎というのは生まれて四日目です。へその緒がくっついているのです。私に抱かせると逃げるようにして行ってしまったんです。これは立正交成会のせいではないかもしれませんけれども、まあ立正交成会からできたことがこういうふうになったんですけれども、私たちのうちの孫がありますし、しかも生まれて四日目の気違いの子を、しかも妊娠したのは気違いが妊娠したのですから、何とか方法があるらしいのです。それを処置してくれと頼んだんですけれども、八カ月の月足らずで生んでしまったんです。それで、私の嫁の文江が、これは長男の妻ですけれども、十日以上も世話しておりましたんですけれども、万一を思いまして八方手を尽しました結果、県の福祉司の木下さんという人の御好意によりまして川崎の乳児院に入院させまして現在に至っておるのです。連れてきて二日ばかりの夜、龍男が子供を殺してしまおうかしらと私に相談したんですけれども、私は、幾ら何でも生まれ出た者を殺すわけにはいかないから、そういうことはやめた方がいいよと言って、やめさせたんです。それで、二女の直美は嫁の母がめんどうを見てくれておったのですけれども、その母が死んでしまいまして、いないために、鶴沢さんの方にもらってもらったんです。それはなぜくれてしまったかといいますと、大和病院で医師が言うのには、嫁が見舞いに行きましたときに、もうこれはなおらぬ、たといなおっても子供のめんどうは見ることはできないということを言われましたので、一人でも先にくれなければいけない、うちでは世話ができないといって、くれましたのです。昭和二十九年十二月三十日に和田太吉は死んでしまいました。みな苦労して死んだのです。  三十一年四月二日の午後七時三十分ごろです。南多摩支部の支部長の妻という人が加藤という一人の女の人を連れて私のうちに参りまして、私は立正交成会の者でございます。まことに申しわけありませんでした、ざんげに参りました、——それまではよくわかったのですけれども、あまり多弁で、法の話とかいろいろしゃべっておりましたけれども、実にとるに足らない話なのです。しかし、見事な話しっぷりで、私も、私の長男の賢一も、龍男も、そのときにいた石田進とか、賢一の嫁と私の娘教子とか千栄とか、都合七人が聞いておりましたが、三年のうちに火事が起きる、子供が大やけどをすると申しましたのは私ではありませんと言うのです。幹部の山崎とか何とかいう山がつくのですが、そういう者が言いましたので、現在その幹部は支部へもあまり顔を出さず本部にお参りする程度だ、こう言っておりました。そのときに、和田さんの親戚だと言って本部に金をゆすりに行くということを聞きましたのですけれども、私も、七人の者を指さしましてこれが私の親戚で、これ以外にないのだから、私のつらをよく見て本部に伝えてもらいたい、金がほしくてやったのじゃない、よく人間を見た上で想像してくれ、こういうことを四月二日に来た南多摩支部の者に言ってやったのでございます。  以上でございます。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そうすると、申しわけなかったと言って四月二日に信者と称する者が来たのは、読売新聞にあなたの記事が出たあとのことですか。

鳥海澄男印刷業

○鳥海参考人 そうでございます。読売新聞に出ましたのが三月二日でございます。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 大体わかりましたが、この絹江さんは立正交成会に行く前は別に精神に異状のあったようなことはないわけでしょう。

鳥海澄男印刷業

○鳥海参考人 絶対にございませんです。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 立正交成会に入会を勧められて入って、朝の九時から晩の五時ごろまで日参するようになった、それが結局度が高じて精神異状になったものだ、こう思われるのですが、何か、つまり、お導きと称して信者を獲得するというようなことに対して非常に熱心にやるとともに、それが思うようにいかぬ場合に非常に苦に病んだようなことはないでしょうか。

鳥海澄男印刷業

○鳥海参考人 そんなことはないと思います。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そうすると、あなたのお考えでは、どうも名前が悪いので三年のうちに火事が出るというようなことを言われたことが非常に気にかかっておったというふうに思われますが、そうでしょうか。

鳥海澄男印刷業

○鳥海参考人 それは絶対にそうなのでございます。というのは、実は、例を引きますと、私の隣りと申しましょう。そこのうちで実はやはり信仰されているのです。それで、私の嫁に火事があるということを言われたのでするそうしたところが、嫁のやつがノイローゼになってしまいまして、ただ一晩のうちで、火事がある、ナイロンのふろしきのようなものへ石油を入れて、そして背の高い人がこの路地へ入れて燃すかもしれないから、もう少し保険に入った方がいいと言いまして、嫁もほんとうに一晩のうちにやせてしまいました。嫁でさえそうなのですから、おそらく、交成会に関する一切を焼いたのだからそういうことのあるのは当然だと言われれば、女である以上はどんな考でも気に病むことは当然だと思います。

高橋禎一自由民主党

○高橋委員長 ほかに質疑はございませんか。——なければ、次に仲井より君より御意見を伺います。まず、質疑の通告をなさっておる猪俣浩三君。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 仲井さんには、私どもの調査によると、御長男があり、そしてあなたもその御長男も立正交成会にお入りになった。長男の方は現在なくなられておる。そこで、立正交成会にお入りになった動機、それから長男の方が病気になりて倒れられたような原因等をそのまま自由にお述べを願いたいと思います。

仲井より無職

○仲井参考人 私が立正交成会に入会いたしましたときは、うちの中も、子供たちもみんな非常に健康でしたし、家庭も円満でございまして、主人も交通局に勤めておりましたが非常にまじめだったものですから、家庭は何事もなかったのです。私は小さいときから法華経を少し読んでみたい、勉強してみたいということをいつも心の中に思っておりましたので、近所に住まっていた信じられる金子さんという方からお導きをいただきまして、立正交成会はいい会だから入会なさいと勧められたものですから、入会させていただきました。昭和十九年の九月ごろだと考えます。そのころお導きをいただき、縁も縁、運も運といいますか、第七支部長に来ていただきまして入会させていただいたのであります。そして、非常に私にぴったりしたところもございましたので、これはいい会なのだ、自分は非常にわがままで、人に下ることの大きらいな人間だから、信仰して自分の心、根性を直さなければいけないと支部長さんからおっしゃられまして、その通りだと思いまして、一生懸命直すようにしていただきました。あの当時小さい子供が五人もおりましたので、初めは思うように交成会へ行かれなかったのですけれども、幸いお導きを知れば、結局自分の既定の悪因縁も切らせていただくということを絶対私信じましたものですから、これだけの子供はかわいいし、何事もなく信仰すればすみやかに通らせていただくということも教え込まれたものですから、一生懸命やらせていただいて、ついに盲信したような形になりました。  申し上げれば数ございまして、一日も二日もしゃべってもしゃべり切れないほどございますけれども、それは私の因縁であって交成会に対してそれだけのことをされなければならない自分に深い因縁があるためにこうされるのだと今日まで信じておりましたから、読売新聞の方々がだいぶ来て下さいまして、どうしても話して下さいとおっしゃったけれども、いいえ、私は交成会をいやでやめたのではないからと言って今日までお話しませんでした。ちょうどなくなった長男の命日で、青山病院からちょうど死骸がうちに着いた命日の時間にこの手紙が参りましたので、ああ子供のことだけは話させていただかなければならない、必ず両先生の神通力があるという考えもやめさせなければと思って出て参りました。  私がやめましたのは、昭和二十五年九月、忘れもしない大あらしがあるというとき、鎌倉に五百人以上第七支部が参らせていただいたとき、決心してやめたのです。けれども、やめた原因というのも、自分一人が交成会がいろいろなことでいやだと思ったのではなくして自分のそばにおりますところの——私が支部長に困った困ったと言いながら幹部になって、幹部なんという席に置かれる人間じゃないと思っているうちに副支部長をやれ、そういうところまでいってしまいまして、そのころはちょうど昭和二十二年ころ、自分のところから導いた人は百五、六十名でしたけれども、やはり次から次にお導きになりまして、千人に達するところまでいきましたので、やはり副支部長にあなたがなりなさい、両先生の心だからとおっしゃったので、私はその器ではないと思いましたのですけれども、これもさせていただくことが修行の一つだと思いまして、これも五人も生んだ子供をりっぱにして自分のできる限り——そこに立正交成会の当時の幹部さんがいらっしゃるようですけれども、その幹部さんは、私が尽させていただいたことは御存じだと思います。私、やめさせていただいてからでも、自分がやめるということも、交成会をいやでやめたのではないのですから、決して交成会をののしったわけでもなく、許可を得て自分だけそうっと——それも大きい金が要りましたのです。第一道場を立て、幼稚園を立て、第二道場に入りましたときに、もう自分もお金も尽きたし、どうにもこうにもやりようがなくなって、もうこれだけの子供を教育していくことが大へんだ、また幾ら主人が働いても働き切れるものではない、やっていかれないと思いまして、そうっとやめさせていただいいて、また自分ができるときが来たらばお手伝いなりさせていただくつもりでやめたのでございます。  これは、両先生が神通力がある方だから、必ず私が今休んでいる今日が日までもお見通しじゃないかと信じておりましたのですけれども、長男も中学を出てから高校にやろうと思いましたら、あなたの家の子供は因縁が悪いのだから高校へやるよりも交成会で修行していただいた方がほんとうに仕合せになるのだから、学校ばかり身につけるのもその者の仕合せではないのだから、そうするようにと支部長に言われましたので、私もそれは絶対に信じておりましたものですから、学校に行きたいという者を無理にやめさせまして、そうして交成会へ行くのはいやだと言って麦畑に隠れてしまったの を、和夫よ、お前は親に次いで劣者だから死ぬよ、お前が死んだらお母さん大へんだから交成会へ行けよと、それこそいやがるものを無理に連れていきましたのです。長男は割り方気の弱い子でありましたが、また気のすなおな子でありましたから、初めはいやだいやだと言っておりましたが、交成会へ行っているうちに青年部ができましたので、その青年部の中にお友達ができたらしくて、楽しげに行くようになりましたのです。そして交成会に楽しげに出ていくようになってから私がやめさせていただかなくちゃならないところまでいきましたが、第二支部長、第七支部長の勢力争いみたいな格好になりまして、日ごろ第二支部長は年が若いけれども大ぜいの支部員を出して第七支部とは非常に差がありましたの で、いつも第二支部長からは——それは両先生はおわかりであったかどうか知りませんけれども、当時いらっしゃた幹部さんの方はよくわかっていると思います第二支部長と第七支部長の争いになりましたときに、何とかして第七支部長を第二支部長の席まで上げなければならないというので一生懸命に私がなり過ぎたものですから、導いた自分の系統の幹部あたりにも、ほんとうに前の参考人の方がおっしゃった通りに、無理を言ったことは確かに私は言いました。私も裸になるから、みんな裸になってさせていただきましょう、真心から尽さしていただいたにもかかわらず、子供は、母さんが交成会に行かなくなってから、毎日本部に行くと、支部長が、スパイに来たとか、何しに来たとか言うから、僕はつらくてしょうがない、今から学校に行くわけに行かないから、母さん僕はどうしたらいいか、僕の前途はめちゃくちゃになってしまったと言っておりました。今の話をすれば、本部に行っており ましたうちに、第二道場の建設になりまして、第二道場のマンホールを掘るのに、全部その当時の幹部は奉仕をして基礎工事をいたしたのであります。そのときに、ほかの支部からは非常にお手伝いの方が多かったのですけれども、第七支部の幹部でお手伝いをするような方は、なるべく古い方とおっ しゃられたもので、第七支部で労働でできるような人がございませんので、つい、うちのむすこがからだも年の割に大きかったし体格がよかったものですから、毎日々々マンホールを掘る奉仕をしておりました。七、八、九と三月間マンホール掘りにかかりまして、実は私はその当時休ましていただいておりまして見ませんでしたけれども、私たちの下の幹部の人が見て、長男ちゃんはかわいそうだ、毎日水浸しになって労働しているのではだがはれ上っている、疲れたらしくてちょっと腰をおろしていると、第七支部長の岡部さんが来て、あなたのお母さんは根性が違うからだめだ、そうしてあなたは人が見えなくなればすわったりぐずぐずしていると毎日しかっている−。そのときはもうすっかり急性の腎臓炎になっておりました。それでも、私が心配すると思って、工合が悪いとは言わないで一生懸命にしておりました。十二月に初めて堀之内のお祖師様のお会式をやりましたが、そのときに万灯を初めて作り、日中労働したあと、まといを振らしていただくので、まといのけいこをした。そうして十月十三日に堀之内のお祖師様のお会式の晩に行列を全部済まさせていただいて、私はちょうど親戚の結婚式がございましたのでそのお会式を見ることもできずにうちへ帰りましたら、はんてんを着て化粧をしたまま倒れていたのです。そうして、見たところが、熱がある。えらくひどいので、すぐ先生を——普通だったら、交成会にいましたならば、私もおわび一方で、それもざんげ、これもざげでなおしていただくのですが、こうして交成会をやめたのだから、神様も聞いていただけないのだと思って、結局そばのお医者様に見ていただきました。腎臓から急性肋膜になって、それから三カ月、十一、十二、正月まで、うちで看病しましたのですが、ども思わしくないので、青山病院に入院させました。させるときめてから、青年部の方が五、六名お見舞に来て下すったのです。青年部の方が来て下すったときに、非常にうちのむすこが喜んで、僕は交成会の人だけが友だちだ、学校の人たちとは全部つき合いをしてないが、君らが来てくれなくてさびしかったが、来てくれてありがたかったと青年部の人の手を握って喜んでおりました。あとの話によりますと、親の心が違っているから子供が病気になったのに、そこへ見舞に行くような根性では、お前たちも同罪だからというので、見舞に来てくれた青年部の方は、支部は違いますが、この青年部の方は結局支部から除外されたような格好になったそうです。これは私はっきり聞きました。  そうして、病院で一年手当しましたが、僕は死ぬんだ、母さんは因縁は悪くないが、僕が因縁が悪いんだ、父さんだってやりきれたもんじゃないよと、交成会で言われたことを、頭の中の潜在意識というのでしょうか、ついにこじれてなおらないということまで考えておりました。それも私が悪いのでございますけれども、当時第七支部長が保険の外交をやっておりました。交成会に尽しているために保険がとれないから、みな幹部が一生懸命保険をとれと言われたので、私も一生懸命家庭のいいような人からは保険に入っていただいたが、うちのむすこには、岡部支部長が、長男さん、あなたは親より先に死ぬんだから、生命保険に入るんだとお母さんに言えと勧められたので、親思いの子供だったから、私は生命保険はきらいでしたが、主人も私も出て、おりませんでしたので、子供が一人で判を押してしまいました。私も、やむを得ず、いやな気持をしながらお金を払っておりました。その日数を病気になって数えるようになりましたので、お前のからだが悪くなったのは、お母さんが交成会をやめておるからではない、交成会を悪く言っているのではない、一生懸命おわびしているのだからと言って、なだめましたが、ついに十二月の十八日になくなりました。  そのなくなる日の一日前に、僕は交成会に行っていたからからだを無理して病気になったのでもないし、母さんが交成会をやめたから病気になったのでもない、こう言って、そうして交成会にも悪くないように、私もあとで悔みのないようにと言って、この子が死にましたにもかからず、交成会では、拡声機を据えて、仲井さんの坊っちゃんがなくなったのは交成会をけったからああいう姿になったと言うんです。交成会に入って無理をしてこういうからだになったのでないと言ってなくなった子供までも踏んだりけったりするようなことを言われては、子供は成仏できないだろうと思います。私は黙っていたけれども、参考人としての手紙がちょうど子供の命日に来るのは——ひどい修行をさせられたのは、自分で好きで入ったので当然だから、一つもしゃべることもないけれども、これまで尽した子供を、今日に至っても、ああいう根性の人間だからああなったんだと言われたんでは、両先生あたり神通力のあるものと私信じておりましたのに、もちろん両先生はこの心がわからないで、死ぬ一日前まで交成会をよく思って交成会をけらずに死んだというのに、悪く言うということは、この子が成仏できないのじゃないかと思いまして、きょう初めて交成会のことについて子供のことを言おうと思って決心しました。  まだ私はいろいろなことがございましたが、信じてやったことであって、自分もさきに参考人の方がおっしゃったようなことをして参りましたので、決して自分では交成会の先輩から言われたことを悪意にとっておりませんし、私にとってもいい修行であったと、今になっても決して悔いておりませんが、このむすこのことだけは残念に思いまして、話をさせていただいたのでございます。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 あなたのむすこさんが最初交成会へ行くのをいやがっておったのに、学校までやらぬで交成会へやらしたのはだれですか。

仲井より無職

○仲井参考人 第七支部長をしておりました、現在区会議員になっております岡部つねさん。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 女の人ですか。

仲井より無職

○仲井参考人 さようでございます。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 それから、あなたの長男が母親より早く死ぬのだと予言したのはだれですか。

仲井より無職

○仲井参考人 それは姓名鑑定のときに……。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 姓名判断でそういうことが出たのですか。

仲井より無職

○仲井参考人 それは交成会でです。私は自分で鑑定もしておりましたし、さんざ鑑定しましたけれども、百人が百人そんなような形の人が出ましたので、絶対そうだと信じております。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 それで、あなたは相当交成会に深入りなされて婦人の部長なんかなされておったようですから、もう少し聞きたいのですが、交成会に入ると何か買わされるようですが、何を一体買うのです。たとえばお経とかじゅずというものは買わなければならぬのですか。

仲井より無職

○仲井参考人 はい。私たちが入会した当時は、お金も非常にかかりませんでしたし、安かったのです。じゅずとか経文とか、そういうものは大がいどこの信仰者でも求めなければならないと思います。私も入ったときに喜んでそれを買わしてもらいました。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 それは最近どのくらいで売っているか、あなたは御存じありませんか。

仲井より無職

○仲井参考人 私は昭和二十五年の九月にやめさせていただきましたから、最近どのくらいで売っておるかわかりません。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 たとえば支部長とかいうふうになるのには、相当多数の信者を作らなければならぬということになっておりますか。

仲井より無職

○仲井参考人 そうでございます。当時千人以上のちゃんと会費を納めている会員がなければなれませんでした。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 その支部長というのは何か月給みたいなものをもらうのですか。

仲井より無職

○仲井参考人 昭和二十三年だったと思いますが、一番最初に月給を出していただいたときに、副支部長として私三千五百円いただきました。その当時支部長が幾らいただいておるか、聞きもいたしませんでしたのでわかりませんが、副支部長は三千五百円でありました。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 それから、立正交成会に、本部というか何というか、お堂みたいなものがあるでしょう。そして、そこへ行くと毎日だれが何ぼ献金したとか寄付したとかいうことがざあっと張り出されておるというのだが、そういう状態ですか。

仲井より無職

○仲井参考人 いいえ、別に張り出しませんでしたけれども、大がいそれは支部名と名前を書いて出しますから、どこの支部が何名いてどのくらいの御奉納が両先生に上ったかということは、紙に書いてありますからわかると思います。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 それは別に掲示してあるわけではありませんか。

仲井より無職

○仲井参考人 掲示していません。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 あなたは最近のことはわからないのじゃないか。

仲井より無職

○仲井参考人 最近のことはわかりませんが、その当時はそうだったのです。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 最近は掲示しておるらしいな。競争させるらしいな。

仲井より無職

○仲井参考人 競争ということは、信者のところに、法座に両先生が出るころには、幹部連中が悪いこと、自分勝手なことは決してしませんでした。しかし、両先生が出ないようになってから、上げろということを私も言いました方でございます。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 お導きと称して、とにかく信者をふやすこと、これは非常に一生懸命にやっておるように見受けられるのですが、その信者をふやすことができない者は交成会へ行ってあまり幅がきかぬ、こういう形でしょう。

仲井より無職

○仲井参考人 そうですね。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そこで、信者はお導きを一生懸命やるというような状態がたくさんあるのですか。

仲井より無職

○仲井参考人 あります。また、入った方々は、やはり姓名鑑定をしていただくと、名前というものはレッテルと似たようなもので、先生も非常に研究なさった方ですから、姓名判断では確かにぴんとくるようなところがございますので、はっと自分の心を打たれる。やはりあれだけの人が入るのですから、姓名判断というものはよく当ると思うのです。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 信者ができると、祭り込みとかなんとかいって、支部長とか、あなたがやったような副支部長とかが、そこの家へ行って何か祭りみたいなことをやるのですか。

仲井より無職

○仲井参考人 お祭といって、そこの御主人の先祖、また私であれば仲井家の先祖、私が嫁入り前の隅田と名乗っているときの実家の先祖の名前を書きまして、総戒名と称して、その総戒名というものを両家の先祖代々のあれとして……。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 何かごちそうでもして皆が飯でも食うのですか。

仲井より無職

○仲井参考人 私たちが入った当時は祭り込みのときにはもう競争してごちそうし合ったのですけれども、それがいけないということになりまして、昭和二十四年ころからそれはやらなくなりまして、ただ本部へお礼参りということだけになりました。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 あなたも相当活躍された方ですが、非常に弊害を及ぼしている。当法務委員会が今調査しているのですが、あなたも多少片棒をかついだことがあるわけですね。

仲井より無職

○仲井参考人 はあ、あります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 それに対して罪滅ぼしの意味で私は正直なことを言ってもらいたいのだが、そのほかに、祭り込みなんということで幹部の連中が行っておって、そこの家の状態、つまり、何ぼくらい金が出せる家なのかを視察することもやったのじゃないか。

仲井より無職

○仲井参考人 いや、それは、だんだんと深く入っていくと、やはり交成会がありがたくなって上げたくなるのじゃないでしょうか。上げるように、私たちは、第七支部は感謝が少い、あなたたちは御功徳をいただいても感謝が少いというように言いますと、ぴんときまして、その信者はお包みしてみんな持って参りましたのです。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 あなたのむすこさんが水洗便所のマンホール掘りをさせられた、これは日当が出るのですか。

仲井より無職

○仲井参考人 その当時は日当は出ません。全部御奉仕でございました。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 ただでマンホール掘りを毎日させられたのですね。

仲井より無職

○仲井参考人 基礎工事は今は払うのでしょうけれども、第一道場、幼稚園、第二道場の基礎工事は、大工なんかはお金をもらったかもしれませんが、幹部は全部御奉仕ということでお手伝いさせていたのです。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そうして実に広壮もないものが建っているのだね。それであなたの長男なんかは学校へも行かぬでマンホール掘りをさせられておった。あなたは今どう考えるか。

仲井より無職

○仲井参考人 ほんとうに申しわけがないと思います。親としての価値がなかったと毎日おわびしております。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 便所のマンホール掘りをさせられて死んだ人というのはどういうことになる。今あなたは後悔なさっているのを責めてもしようがないけれども、だから、あなたは陣頭に立って、さようなものがなくなるようにしなければならぬ。あなたは内部のことを相当知っておるのだから、詳しいことを訴えてもらいたいのだ。こんな邪教は征伐しなければならぬ。  そこで、今姓名判断、姓名判断と言うのだが、交成会の姓名判断は非常に当るようなことをあなたは言うが、これはやっぱりいけないのだ。その姓名判断をしては、何年後に死ぬの、火事が出るの、それを免れるためにはうんとおさい銭を持ってこいなんということを言う。この姓名判断をやっておった当時の担当者は何という男だ。男だか女だか知らぬが、だれなんです。

仲井より無職

○仲井参考人 私が入りましたときは、今はたくさん支部がございますようですけれども、第一から第八までの支部がございまして、八日目々々々に交代で当番をしましたので、その幹部たちが姓名鑑定はいたしました。私が入りましたときは第七支部の五、六人の幹部さんと支部長さんがしておりました。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 その名前はあなたはわかりませんか。

仲井より無職

○仲井参考人 その当時しておりました方は……。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 今ここで思い出せませんか。

仲井より無職

○仲井参考人 大勢いるので……。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そういう当るような人があったら、私も一つやってみてもらいたいと思うのだが、あなたはわからぬか。

仲井より無職

○仲井参考人 その名前の鑑定は今の幹部さんたちも全部しておりますね。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 その幹部というのはどういうのを言うんです。支部長以上ですか。

仲井より無職

○仲井参考人 幹部というのは、一番最初に十人か十五人お導きいたしまして、その方が自由に家を出られるような形になりますと、おまんだらさんというのをいただくわけです。おまんだらさんをいただきますと小さい幹部のまねになるわけで、それから大ぜいふえてきまして三百、五百となりますと御守護神様をいただきますが、その御守護神をいただきましてから大がい幹部になります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そうすると、おまんだらと御守護神をいただくと幹部になるのだが、それはただでもらえるのか、金が要るのか。

仲井より無職

○仲井参考人 それは、幾らよこせとは言いませんけれども、私たちも人にさんざん言ってしまったのですけれども、嫁取り婿取りは一生に一度は来るのだけれども、交成会の両先生の尊いおまんだらさんをいただくことは一生一代にないのだから、身上ふるって上げなさいということを、私は信じておりましたから、自分も上げましたし、人にもそう申し上げました。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 大体どのくらい上げたか。あなたの昭和二十五年ごろと今と違うかもしらぬが、おまんだら、御守護神をもらうときはどのくらい上げたのか。

仲井より無職

○仲井参考人 その人その人によって、幾ら上げろと言っても上げられい人もあります。支部々々でおまんだらをいただく方は大ぜいございましたけれども、御酒代というのを持つのでありますが、御酒代を幾らにしたらよろしいのでしょうかと聞くと、それは導きの親に聞きなさいということで、導きの親にはちゃんと指導してありまして、まんだらをもらった人ですから、自分の経験をその人に話す方がいいと思いますから、結局その人は、導きの親が千円したら、今は物が高いときだから、あなたの境遇では千五百円でも二千円でもしなさい、こういうことで、それは上から言うのでなくて親に相談して上げます。そうしてそのあとに本部へお礼参りをいたすのです。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そのときにまたお布施を上げるのですか。

仲井より無職

○仲井参考人 御酒代以上のお礼参りをさせておりましたし、自分もしました。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そのときにお布施を上げてくるわけだね。

仲井より無職

○仲井参考人 はい。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 今聞けば、おまんだらなんかもらうのに三万円くらい出すのだけれども、金を出さぬでもくれるのだろうかね。

仲井より無職

○仲井参考人 私たちがいるときは、先生が因っている人達には恵んでやるというような言葉でしたから、そんなに強制しなかったようでございますけれども。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 あなたは今大へんありがたい御利益な宗教のようなことをおっしゃったが、一体この立正交成会へ入るとどんなありがたいことがあるのだね。

仲井より無職

○仲井参考人 私がただ自分でありがたかったというのは、支部長にさんざん修行させられたために、自分がわがままがなくなったし、人にどんな無理難題を言われてもかんにんできるようになったことは、交成会の支部長に仕えてやかましく言われたために自分の心がこうなったのだと、それだけはありがたく思いますけれども、七年間一生懸命で尽さしていただいて、主人が何十年かかかってためた十六万円の金を奉納させていただいて、その上に大事な子供を交成会のために犠牲にさせてしまって、その後どうかというと、神通力があると信じていた両先生は、死んだことを知っていながら、交成会に倒れるまでやったのに、ついに線香の一本も上げに来なかった。花の一つも持って、かわいそうだ、長男ちゃんは因縁通り行ったよと言ってもけっこうだったのですけれども、それもしていただかなかったということについては、大ばかを見ましたと思います。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 わかりました。姓名判断の係の名前なんか、あなた思い出したら、あとでもいいですが、一人でも二人でも知らしてもらいたいのです。

仲井より無職

○仲井参考人 当時の幹部さんは、最高支部長とか副支部長とか、両先生の身内でない方はやめて、私たちが知っている支部長は四、五人しか今おりません。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 まるで現人神みたいに皆さんが思っている長沼妙佼、俗名マサ、それから、もう一人の男の神様、俗名庭野鹿蔵、こういう者の前身、どんなことをやっていた女であり男であるか、皆さん知っているか。何かハスの花からでも生まれたようなことを聞かされたのじゃないか。ああいう宗祖なんというものは、太陽を腹にはらんで生まれたのが日蓮になったとか、浜辺のハスの中から日蓮が生まれたとかいうようないろいろな奇蹟的な生まれ方をするのだが、庭野鹿蔵という男は神様の名前は何というのだね。

仲井より無職

○仲井参考人 庭野日敬です。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 庭野日敬だの妙佼という人たちはどんなお生まれの方だと聞かされていたのか。

仲井より無職

○仲井参考人 当時は絶対に神様の化身だと信じておりましたのです。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 わかりました。

高橋禎一自由民主党

○高橋委員長 ほかに質疑はありませんか——なければ次に進みまして、次は佐藤達男君に対して質疑を行います。——猪俣君。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 佐藤さんは立正交成会に御関係があったと思うのですが、立正交成会に入る動機、入ってからどうなったか、そして現在どういう心境であるかを御自由にお述べいただきたいと思います。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 系統立てて大して申し上げられませんが、私が入りました動機と申しますのは、やはり先ほどからいろいろ問題になっております姓名の鑑定から入会の動機というものが始まったのでございます。それは、私の子供に二人九画の名前子供がいる。名前の画数が九つの者は目上を倒す、従って、その結果として父母なりまたはその尊属、上の者が倒れるかあるいは一緒に暮せないような結果をたどるということを聞かされたものですから、私の家はおじいさんの代から材木商を営んで相当優勢にやっておりまして私も一人子でかなり気ままに育ったのでございますが、そうした予言を聞かされたことによってひどく考えさせられまして、それから入会したのでございます。それで、私は、過去七年ほど交成会に席を置きましてやめるころには、特別交通を省略した特交という役で、これは各支部から一名ないし二名選抜された者が、極端に言うと護衛というような立場でその任務につくのでございますが、そうした立場にありましたものですから、自分が商売をやっている関係上、自由なからだであるのも手伝いまして、若い人を十数人使って、そしてやっておりましたが、私がそうした特別な役に当てられておりました関係上、どうしてもその当った日には行かなければならないという義務づけられたような観念に自分が縛られたのであります。先ほどからも各参考人から申されたように、そうした自分に与えられた職務といいましょうか、職責というか、そうしたものをすべての苦難を乗り越えてやるときに幸福がくるんだというような、抽象的な観念でございますけれども、そうした義務づけられたことによって一切自分の生業をなげうっても行って奉仕をしよう、どちらかというと自分を幸福な立場に導こうとする欲の深い考えからこうした結果が生まれたんだろうと思うのでございますが、とにかく、やらなければいけないんだというので、おじいさんからいただいた財産も——私の方じゃ相当同業者もおりまして、大体戦前は材木の問屋というものは深川にあって現在もそうでございますが、終戦直後は輸送が非常に困難でございました関係上、地域的に問屋ができたのでございます。私などは継いだ財産もけっこうございましたものですから、その辺の地域の材木屋に問屋として君臨していたわけなんです。その財産も、結局、先ほど申し上げましたように、縛られたような形で、出なくちゃならぬというところから、大事な取引も、その日に当るとほうっても行ってしまう。十数人使っている若い衆によく頼んでおいて、朝の一番くらいで飛び出して、暗くなってから帰ってきて、若い者からきょうの結果を事後報告を受けるというような形で、一切顧みられないような状態に追い込まれてしまったのであります。そんなものですから、取引の結果はますます悪くなって、ついに生業を続けることのできないような状態に追い込まれたのでございます。そして昨年の五月でしたでしょうか、廃業のやむなき状態に立ち至って、おやじの代からかわいがって育てた若い連中も涙をのんで私の店を去ったのでございます。  こういうことは非常に抽象的な問題ですから、交成会のために貧乏になったということははっきり申し上げられないかもしれませんが、一切義務づけられて、私の家内なども、私がしきり出るころなどは、定期を買って、子供の世話からお客さんのことも一切捨てて、朝早くから夜おそくまで、女中に頼んでうちの方をやらして、一切顧みないというような状態から、やはりこうした結果が生まれたのだろうと思います。  なお、ここでもう一つ私申し上げたいことは、私のうちで長く使っておりました井上長松という男、この人は木を伐採することの方に専門にかからしていたのでございますが、やはり自分が交成会に入っておる関係もございまして、彼が入会したことを非常に喜びまして、過去二年くらい彼も熱心にはやっておりましたものの、結核でついに悩み出して、法座へ参りましたところ、あんたの状態では蒸しぶろへ入ったらいいだろうということで、蒸しぶろへ通わされたのでございます。ところが、医学的な見地から結核が蒸しぶろ——薬のふろですが、それで治療されるかどうか、私にはわかりませんが、彼が死んで初七日の日に、私が非常にかわいがっておった若い衆の供養があるというので私は招かれて行ったのでございます。ところが、近くの人に私はこういう質問を受けたのです。交成会というものは結核患者に入浴さしてなおると言うのか。それで私も非常に当惑してしまって、いや、それは私にはわからないけれども、蒸しぶろに行けば、蒸しぶろの担任の医者がおって、そこで診断を受けて入るのじゃないかと思うけれども、詳しいことはわからない、こう申したのですが、しかし、この長松なる者が入浴した動機というものは、結局支部の幹部から言われて入ったんだろうと思うのでございますが、しかし、ああした料金までとっておる蒸しぶろにおいて、しかも医者がおると私は考えておりますが、その医者の診断を受けないで入って悪い結果を見たんじゃないか。私はどこに原因があるかということまで追及する必要はないのですけれども、そうした結果を起して、彼の残した二人の子供を私はとうてい今はみついでやることはできないので、その家の前を朝な夕な通らなければならないのですけれども、常に涙してその前を通っておるのでございます。以上簡単でございますが……。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そうすると、あなたが便っておった使用人の中に井上長松というのがおって、この立正交成会に入っておったが、蒸しぶろに入れられてその結果、結局井上長松はなくなったわけですか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 さようでございます。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 井上長松の遺族の現在の住所はおわかりですか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 私と同じ村で、南多摩郡鶴川村です。あざだけ違いまして、能ガ谷だと思います。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 今蒸しぶろの話が出ましたが、さっきのお医者さんは信者の八〇%以上はみなそこに入れられておると言っておりますが、一体一日何人ぐらい入るか、御存じありませんか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 その数はわかりません。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 おおよそわかりませんか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 少くとも三百人ぐらいは入れるのじゃないかと思います。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そうすると、そこに入るのにはお金は一人幾らとるのですか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 六十円だと思いましたが、記憶が薄らいでおります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 一人六十円とって、肺病患者でも何でも無理やりそこに入れるのですね。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 まあそういう結果になります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 仲井よりさんは、何人くらい入るか、はっきりわかりませんか。

仲井より無職

○仲井参考人 私がやめてから蒸しぶろができましたから……。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 六十円とることは、あなたははっきり自分でもお払いになりましたか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 この料金はたしか六十円だったと記憶しておるのでございますが……。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 あなたも払ったのですか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 払って入ったことは幾度もございますけれども、料金の高についてははっきりした数字を申し上げることはできません。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 それは一体一ぺんに何人くらい入れるふろなんですか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 男女別のふろになっておるのでございますけれども、一度に十二、三人は入れるんじゃないかと思います。ちょうどドラムカンを半分に切ったような形で、あおむけに寝た時分につかるようになっております。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そうすると、蒸しぶろに結核患者なんか入れて死人が出たということで警察の耳にまで入ったということを聞いたんだが、とうとう警察ではそこまで調べられなかったというんだが、あなたのうちの方がその一人であることが今初めてわかったわけです。そのほか、そういうことを、まだふろなんか入れちゃならぬところの病人を入れたために死亡したとか、非常に病気が悪化したというようなことを、あなたお聞きになったことはありませんか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 それは詳しく聞いたことはございません。ただ信じて入っておりましたものですから、そうした現実に身近かに問題が出て、そのときには非常にいたく感じました。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 この井上長松さんは幾つぐらいでなくなられて、そして今その遺族はどなたがやっておられるのですか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 本人の長松さんという方は、たしか三十七才ぐらいでなくなったと思います。遺族としましては、奥さんと、その子供さんがまだ小さい方が二人。それで、奥さんという方は二度目の方で、前のだんなさんとの間にやはり二人で、長松さんとしての小供は二人と思いました。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 その奥さんの名前はおわかりになりませんか。それから、何を商売をしておるか、おわかりになりませんか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 名前はわかりませんのですが、農業でございます。片手間にやはりしょっちゅう私のうちに来て働いておったのであります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 あなたも相当先祖代々の材木商としてのしにせを棒に振るくらい盲信されたようですが、一体この宗教はどういうところがありがたいのですか。そして、どういうところがありがたいと説かれたのですか。こんなふうにあなた方身代を棒に振るまでに入り込むには、何かうまいことがあったんだろうと思うが、何かありがたみがあって入ったのか、あるいは、姓名判断で、お前信仰しないとお前の店は火事になって灰になってしまうと言われた、それがこわさにやったのか、どっちなんですか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 そのただいま申されたあとの方の言葉に当りまして、やはり脅迫がましい言葉につられて入ったのが最もの原因でございます。入った後の、何といいますか、神がかりな言葉、これは当時私も信じてやったのでございますが、今にして思えば、現在生きている人間がわれわれの上に幸福というものを当えるだけの力があるかということが、結局自分が財産を振ったあとに到達した結論であったのであります。生きている人間を対象に交成会の人たちはみな拝んでいるのであります。妙佼先生とか、あるいは会長先生とか言って、生きている人間から幸福をいただこうとしてすがっている姿です。それがすべてだとは申しませんが、もう一つは、死んだ先祖の霊を祭って、その霊を供養することによって幸福がもたらされるんだという、そうした考え方から、私もその財産を振って何とかなるだろうというまでへばりついてきたのは、そうした考え方でやはり盲信しておったわけです。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そうすると、非常に盲信する最大の原因は、姓名判断から火事になると言われた。この宗教はどういうわけだか火事ということをすぐ言うのです。火事になると言われた。それでこわいために一生懸命になったというほかに、先祖を供養する、そうすれば大へんいいことがあるというようなこと。これは霊友会というのと同じであります。そのほかに何かありがたい教えというものはないのですか。ただそんなことなんですか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 教義自体としては全くないと言ってもいいくらいじゃないかと思います。結局、人間の幸福になりたいという弱点に食い込んで、先祖の霊とかあるいは生きた人間を拝んで幸福になりたいという考え方、そうした誤った考え方がこうした結果を生んだことと思います。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そうすると、結局、先祖の霊を祭ったり、生きた神様である妙佼と日敬ですか、こういうのを拝んでれば幸福になる、こういう教えですか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 結論としてそうなります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 自敬とか妙佼とかいう者はどういうあらたかな人たちであるか、その前歴や経歴について聞かされたことはありませんか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 当時は盲信しておったところでもございましたし、そうした教祖の出発した過程などというものは全然考える余裕がなかったのです。そうしたことを考えることそれ自体が結局誤っているんだというように観念づけられて、そこまで行ったのであります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 そうすると、教祖の前歴など考えること自身がはなはだ不敬な話なんだということで、日本の昔の天皇制みたいなものだな。そう教え込まれた。そこで考えなかった。  それから、これはあなた御存じですか。教祖だかだれの名前になっているか知らぬが、一千五十万円も出して自動車を買った。日本に二台しかない。一台は皇太子が持っている。イギリスから持ってきた。もう一台は妙佼という神様が持っている。まだあなたが信者の時分、その自動車を見たことがありますか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 車の価格などについては一切私たち知る由もなかったのでありますが、高級車だなということは、しばしば見ておりました。相当な高級車が入っている、そういうことはしょっちゅう見ておりました。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 一体、交成会は、こういう自家用車みたいなものを何台も持っているんですか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 自家用車としては四、五台あると思います。そのほかに、宣伝カーと称するもの、それから小運搬用に供するような中型のようなのが二、三台、計十台を下らないと思っております。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 あなたはその妙佼という教祖を身近く拝んだことがありますか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 私が教祖の近くへ行ったことがあるかという御質問について、ちょっとその前に、結局、私たちの方は地域的に農産物が非常にとれるものですから、その豊穣を感謝するというような意味におきまして、穀物を出来秋に上げるのでございます。それで、私のうちなんかの輸送に使っている車に、その私の方の地域の信者から上げられた米を積みまして、私のうちの方を出るときには暗いうちに出て、杉並に入ったころに夜が明けるというような早出をして、教祖のうちへも運び込んだ。そのときなどは実に身近に教祖に接することができました。そのほかは、特別の行事のある場合とか役をいただいたような場合には身近に行くことがありますが、普通ではできないのでございます。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 こういうことをあなたは御存じないかもしれませんが、この妙佼と称する教祖は百万円もするダイヤの指輪をはめておったということだが、あなた拝んだことはないですか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 それは私は新聞に出てからはっきり知った事実でございまして、常に装身具としては身にまとっているようには記憶しておりますが、その価値のあるものかどうかということは最近新聞で知ったような状態でございます。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 結局あなたは盲信している間にどのくらいなお布施をして、どんなものを寄進したのか、それを一つ説明していただきたい。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 金額のことをお聞きされましたのですが、あらためてつけてもおりませんものですから、はっきりもわかりませんですが、金を上げること自体もそうでありますが、定期を買っている人などは定期で参りますけれども、月に三回というものは大ていの信者さんはお参りに行く。それに電車賃をかけ、その近所で昼食をするなり子供にみやげを買うなりして、その上に布施をするというような状態でございますから、私もまたそういう過程をたどって参りましたものですから、金を上げたというそれ自体では少くも十万円やそこいらは下らないと思いますが、そのほかの経費なり自分のからだを費したということを計算すると、かなりの数字に上るのではないかと思います。そのほかに、先ほど申し上げました物で上げたということは、土地柄農産物などを寄進したということであります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 この交成会は「交成」と称する月刊雑誌みたいなものを出しておると思うのですが、あなたもそれをお読みになったことがありますか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 「交成」という雑誌は信者さんの大半が読むのでございます。これは義務づけられているというわけじゃないのですが、信仰のかてになるのだということで、ほとんどの方がこの「交成」を読んでおります。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 一体交成会の信者というのはどのくらいあると聞かされていましたか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 俗に八十万というようなことで、間近に百万だという数字を聞かされておりました。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 この「交成」という雑誌は一冊幾らで売っているのですか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 月々発刊されるのでございますが、一カ月三十円だと記憶しております。

猪俣浩三日本社会党

○猪俣委員 この「交成」という雑誌に相当の知名の人が文章を書いたり揮毫したりしていることはありましたか。あなたの記憶している人でどんな人がありましたか。

佐藤達男材木商

○佐藤参考人 知名人の揮毫とか何かについては一切ないと言っていいくらいだと思います。その中の内容というものは、信者さん方がこういうことをしてこういうありがたい結果をいただいた、あるいは、こういうふうなことによって私のうちはこういうような隆盛な状態にあるとかいう、りゃくというか、利益な立場だけを表現しておると言っても差しつかえないと思います。

高橋禎一自由民主党

○高橋委員長 他に御質疑はございませんか。——質疑がないようでありますから、これにて参考人に対する質疑は終ります。  参考人各位には長時間にわたり、かつまた熱心に当委員会の調査に御協力下さいまして、まことにありがとうございました。  それでは、本日はこれにて散会いたします。    午後三時五十五分散会

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