文教委員会 第40号
- 発言数
- 43 件
- 登壇者
- 8 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1956/05/17
会議録
○佐藤委員長 これより会議を開きます。 内閣提出の教科書法案、及び議員提出の教科書法案を一括議題として審査を進めます。質疑の通告がありますのでこれを許します。小林信一君。
○小林(信)委員 きのう大臣がお忙しくて御質問を申し上げることができなかったので、政府委員にいろいろ御質問申し上げておいたのですが、きょうは私が特に重要と考えるところを大臣にお伺いいたします。 一体今日の教育制度のもとにおける教育の仕事の中で、教科書というものはどういうふうに見なければならないかということが、この法案を検討する上に重大な問題だと思うのでございますが、大臣に、教科書に対するお考えをお聞きいたします。ただばく然と教科書についてというふうにお尋ねするといけないので、私はこういうふうにお聞きして参りたいと思います。まず教科書というものは、教科書を教えるのか、教えるために教科書を使うのか。簡単なことで失礼になるかもしれませんが、そういうような点について大臣の御意見を承わりたいと思います。
○清瀬国務大臣 お尋ねの趣意をとり違えておったら御容赦を願いたいと思います。 教科書は教育のための主たる教材でございます。教科書の種類によって使い方は違おうと思うのです。学科の大部分は、新教育の考えではむしろ子供の自発的能力の引き出しでございます。自発的能力の引き出し一本では足らぬ場合もやはりあろうと存じます。それは、自然の法則等は人類の文明によってようやくここまできたのであります。一番近いところが原子力の利用です。あれを自発的に子供に考えろ、考えろと言ったところが考えられるものじゃないので、天然法則、文明でここまできたところは、やはり教えていかなきゃならぬ重のもあろうと思うのです。しかしその二いろの使い方があろうと思います。
○小林(信)委員 大臣は大へんむずかしくお取りになられたわけですが、しかし大臣のお答えからいたしましても、やはり教科書そのものを教えるのでない、あくまでもそれは教材として取り扱うものであって、その根本には先生の教えるという一つの計画とか、先生の考えとかいうものが根拠になる。そこで教えるという問題になってくるわけですが、これは先日論議されました教委法の問題でも私大臣に申し上げたのですが、やはりそこには教師の熱意ある指導意欲あるいは指導計画、こういうふうなものが何といっても一番大事だと思うのです。その上にその計画を達成するために教材というものが選ばれる。その選ばれるということは、教育の成果を上げるか上げないか、大きな問題になってくるわけであります。しかしそれだけがただ教師の責任とか、教師の自由とかいうことでなされておるわけでなくて、その先生の指導計画というようなものが指導要領によって、これは規制されておるわけなんであります。それから先生が計画をして一つのプランを立てる、そこで選択しようとする教材というものも教科書というものも、これも指導要領から検定基準というものが出て、その検定基準にのっとって選択されたものが教科書になって現われているわけなんであります。そうしてみると先生の指導計画が指導要領によって、また教科書が編さんされる場合に同じところから指針というものが出ているわけなんです。そうすると日本のきょうの教育というものは、先生が教育を行う場合、先生の指導計画も一つのところから指示されておるし、扱う教材、教科書というものも、一つのところから方針というものが出てきておるわけなんであります。こういう機構を考えますときに、もっと先生の指導計画あるいはその指導しようとする意欲、こういうふうなものを高めるところに教育の重大な問題がある。あまり教科書に問題を置き過ぎると、先生の計画するところ、先生がいろいろプランを立てようとするその熱意、そういうふうなものが失われてくることを私は非常に心配するわけなんですが、大臣はそこをどういうふうにお考えになっておりますか。
○清瀬国務大臣 今最後のお問いまでの間に述べられましたあなたの御説明は全く同感であります。教科書のみにたよって教育するというふうに考えてはおりません。しかしながら教科書は教材の主要なものでありまするから、いやしくもこれに間違いがあれば大へんよくないと思います。教材の主要なもので、こればかりが教育であるとは考えておりませんけれども、正しい教科書が出るということは大へん大切なことであるとは思っております。
○小林(信)委員 やはり大臣は教科書の方へ考えを向けられてしまうのですが、あくまでもその教育作業の全体を私はながめてみて、この中で何を一番重視しなければならぬかという点をはっきりいたしまして、今問題になっている教科書のことを考えていくことが大事だと思うのです。つまり今申し上げましたように、私は先生が指導要領に即して——即してということはただ指導要領だけを順奉するのでなくして、その指導要領をその土地あるいは児童の特質というようなあらゆる条件というものを勘案してそこに指導計画を立てる、これが今先生に課せられている任務なのですね。これはもう一つの規定になっておるわけです。そのプランにのっとって、計画にのっとって先生は教材を選ぶわけなんです。その場合、経済的に非常に貧困である日本の現状であれば、外国で見るようないろいろなものを備えつけるには、ただ唯一の教材になるのは教科書である。だから私も教科書という問題についてはほかの国以上に真剣にならなければならぬと思うのですが、しかし教育の問題はあくまでもその土地の事情やあるいは児童の特質、そして指導要領という国の目的でしょうが、その教育目的に沿って仕事をしなければならぬ、そこを私は一番重視しなければならないと思うのです。今大臣にお話を申し上げたんですが、大臣はしっかりそこのところをおつかみになっているかどうか知らぬが、その扱うところの教材というものも指導要領から出発しておる。先生の方の計画も指導要領から出ておる。そうするともうここにおいて、日本の現在の教育というものは両方から先生というものを制約しているわけなのです。教科書の方も一本の手綱でもって引き締めているし、またその同じ手綱が片方の指導計画の方も引き締めておるわけなのです。そういう中で教育をしておるのですから、初めてそこに先生の相当なその範囲内の自由な計画というものが必要になってくるわけなのです。そういう形の中で教科書をながめたときに、教科書というものはもちろんよい教科書を作っていかなければならぬけれども、そこへ重点を置くと、先生の計画というふうなものはあまり持たなくてもいい、従って教育に対する熱意というものはなくなってくるおそれがあるということを私は感じておるが、大臣はそこをどういうふうにお考えになるか、こういうことなんです。
○清瀬国務大臣 私もあなたと同じように考えております。教科書のみに重点を置いては、生きた教育ではございません。しかしながらいやしくも教育に関係しておるもので、ものを初めて覚える子供の目に触れるものでありまするから、間違った教科書を作っちゃいかない。これは教科書に重点を置く教育であろうと、教科書を教材の一つだと定義する場合との区別なく、正しい教科書を作るということはやはり大切なことと思います。
○小林(信)委員 そこで問題を発展させますが、大体大臣と私の考えが同じようだと思うのです。これはだれしも間違った考えをすべきところじゃないと思うのですが、しかしこういう形であって、今までの教科書制度というものがどうであったかということが、こういう法案を審議する際に私必要だと思うんですが、今までの文部大臣は検定の方に非常に重点を置かれたわけなんです。もっと今のような機構であることを考えて、先生のその指導意欲、指導計画を盛り上げていくような措置を講じなければならなかったのじゃないか、つまり教材の選択というところへ出てくる教科書なんかも、ほんとうに先生がよく研究できる、そして正しい採択ができるような措置を講ずべきだったと思うのです。業者というものは、検定制度である以上は、売らんかなでもって、いろんな手段を講じて先生の周辺にまつわりつくと思うのです。しかし大事なことは、そういう業者の商売根性というものはどうすることもできないのですから、そういうものに惑わされないように、そういうものに引かれないところの教育の熱意というものを持たせることが、こういう教科書問題なんかを考える場合に、私は一番大事な点だと思うのです。先生を信用しなければだめなんです。先生を信用しない以上は、教育というものはできてこない。だから先生を信用する、その先生にどんな誘惑がこようとも、自分が熱心に検討した指導計画を実行するためにはこういう教科書でなくてはだめなんだという、そういう教育行政を行うべきだ。しかしその点では、残念ながら単に十日間の簡単な展示会を行うだけであって、教科書に対する熱意というものを真剣に持たせる機会がなかったと思うのです。そういう反省をしてでなければ、ほんとうの教科書制度というものを考える価値はないと私は思うのですが、大臣はこの法案をお作りになるときに、その点をどういうふうにお考えになられましたか。
○清瀬国務大臣 教育の方針及び教授法ということは、戦後新教育方針をとってから、重要なことでございます。そのために今までも講習、研修その他によって、占領中から占領解放後に至るまで、相当の努力が払われたことと思います。しかしながら、今回御審議を願っている教科書法、またすでに本院で御審議をわずらわしました教育委員会法なり、あるいは臨時教育制度審議会などがそろって通過いたしました暁には、この案の趣旨の徹底並びに教育における教科書の地位等を徹底せしめるために、われわれは一そうの力を尽さなければならぬと考えておるのでございます。
○小林(信)委員 やはり大臣は現場の仕事をお知りにならぬから、私の質問が御納得いかないで、今のような、今後この法案が通ったらその趣旨を徹底させることに努めるというふうなお考えですが、私は、今までの教科書制度のあり方の反省の上に立って、今後の教科書制度というものは考えていかなければならない、それはあくまでも、どうして教育が成り立つかという問題に根拠を置かなければならぬと思うのですが、これは専門家の局長さんでもよろしゅうございますから御答弁願いたいのですが、戦争前の日本の教育におきましても、国定の教科書、そして指導方法というものは、画一的に、至上命令でもって先生に出されるのです。しかし、だからといって、すぐ先生に仕事ができるわけではないのです。それをどうやったら徹底できるかということ、ここに教師は常に苦心をするわけです。その苦心がない以上は、教育というものは成り立たないわけです。先生も教育に興味も出てこないわけです。そこで戦前におきましても、あれほど画一教育が行われ、国家統制が行われましても、御承知だと思うのですが、それを徹底するためにはどういう方法がいいか一これは戦前のわずか五、六年の間でございますが、その方法について非常に意見が出まして、たとえば体験を通してそれを徹底させなければいかぬ、体験教育が盛んになったり、作業を通して徹底させなければいかぬ、作業主義の教育が興ってきたのです。郷土に密着しなければならぬというようなことで、郷土教育というのが盛んに言われたほど、常に教師というものは、どんなに国が一つの要望を持とうが、あるいは文部省当局が考えを持とうが、——持とうがでなくて、それを順奉するためにも、先生がその土地、あるいは児童の特性、あらゆる条件を考慮して、そうして先生自体の指導計画というものを立てなければならぬのです。その熱意をかつての教科書制度というものはどういうように見てきたか、その反省の上に立って、今度の教科書制度というものを作らなかったら無意味だと思う。ただ教科書だけにとらわれて、よい教科書だとか、安い教科書だということでやったら、ますますもって先生の教育的な熱意あるいは責任感というものはなくなってくるんではないかというところを大臣はしっかりお考えになっておいでになるかどうか。つまりこれが教科書法のほんとうの骨にならなければならないことです。そこをしっかり大臣が持っておいでにならなかったら、幾らりっぱな法案が出ましても空文に終るわけなんで、そこを私はしっかりお聞きしたいのです。今大臣がちょっとおっしゃられた点から考えても、この法案の中から一カ所を取り上げて批判できるのですが、指導書を各出版社でもって出しておる。それが間違っておる場合には、改訂するということを要望することができるなんていう条文があるのです。こんなことを規制し始めたら、先生というものはそういうプランを持たなくてもいいんで、教科書を自分が選択したら、その教科書についておる指導書を買ってきて、その指導書にのっとって教えればいいんだというようなことにまでなって、先生の自発的な意欲というものは全然なくなってくるおそれがあるわけです。 以上のような点で、大臣にこの際根本的な問題ですからお伺いしたい。もし大臣があまりそういうことを詳しく知らないというなら、局長の方からでもけっこうです。
○清瀬国務大臣 私はあなたと同じように考えております。教科書でそればかりを覚え込ませるというのが、私は教育じゃないということは先日からもたびたび申し上げております。主たる教材であります。しかしながらそればかりがお手本じゃないといっても、誤まった教科書は避けなければならない。教育における第二義的のものとたといいたしましても、誤まったものは改めなければなりません。そのことを申し上げておるのであります。それゆえに教科書の検定、採択においては、たとい教科書が教材の一つであって、唯一の教本じゃないといいましても、それには誤まったものは避けなければならぬ、こういうことを申し上げておるのです。
○小林(信)委員 大臣がそれほどまでにお考えになるならば、私と同じ意見であるならば、その教科書というものは、指導要領から出た検定基準に照らして、そうして検定する一つの制度があってやっておるわけなんです。それをあまり厳重にするというと、大体似たり寄ったりの味のない教科書が出てくるおそれがある。もし大臣が私の考えと同じであるなら、大体今まで程度の検定基準によって検定されたもので私はけっこうだと思うのです。あまりそこのところを窮屈にしてしまうと、検定を通らなければいけないということから、教科書会社のよい本を作るというような意欲というものはやはりそがれてくるわけです。よい教科書を作るというそれには教科書会社の創意工夫というようなものがやはり出てこなければならぬ。その教科書会社の創意工夫を尊重するような採択を今度は教師が持たなければならぬ。その教師の正しい採択というものは教師の指導計画に対して創意工夫をする。そういうものが盛り上ったときに、私は教育がよくなると思う。それを正しい教科書でなければいけないからといって、今りっぱな制度があるのですが、さらにそれをいろいろなことにワクをはめ過ぎたら、検定を通るということでもって教科書会社は創意工天をする、よい教科書を作るというような意欲がなくなってくる。結論的に言えば、大臣が私の意見に賛成であるというならば、今度の法案のような窮屈さを除いて、今までのような程度でもって、もっと教科書会社に創意工夫をさせるようなそういう方向に向わなければならぬと思うのですが、どうですか。
○清瀬国務大臣 私は今まで、現在の検定基準は疎だからなお密にするといったようなことを申し上げたことはないのです。新たに今度は審議会ができまするから、その審議会に信頼いたしまして、今までの検定基準がよければそれでいいのでありまするが、移り変りの際でありまするから、なおよき検定基準ができればそれを採用いたしたいと思います。なおよきというのはなおこまかなしゃくし定木のものだという意味ではございませんから、御了承願いたいと思います。
○小林(信)委員 それなら私少しくお聞きして参りたいと思うのですが、大臣は今度の検定がそれほど窮屈なものでない、しかも検定審議会というふうな制度を設けて当っていって、大臣は独裁的なことはしないというふうな御意見なんですが、きのうもこの点では次官にお伺いしたのです。検定の場合には検定審議会を設けるとか、あるいは発行には教科書発行審議会を作る、採択の面では選定協議会を作るというふうに、民主的制度の運営というものができておるように見えるけれども、しかしそれはほんとうに形ばかりで、決してこの制度を民主的に運営するというふうな内容を持っておらないと私言ったのです。そうしたら次官はその通りでございます、あくまでも諮問機関でございます、こういう御答弁で、そういう考えが間違っておるというふうなお話が次官からあったように私は承わったわけです。だからそれで私は質問をよしたわけですが、大臣がお述べになるところは、今度の制度はどういうふうな形であっても、そういう審議会というふうなものがあって、その審議会の意見によって合格できるのである、大臣独裁にはならないのだと言われるのですが、私の考えではその審議会というものは非常に形ばかりになってくる、そういう運営のもとに検定の面を見ますと、非常に従来よりも検定を受ける人たちにとっては窮屈を感ずるように私は見るのです。たとえば、まず業者は登録をしなければならない。それから今度はいよいよ検定を受ける場合に、従来は原稿で検定が受けられたのに見本木で検定を受けるということになる。これもついでに御説明をお願いしたいと思うのですが、見本本でやられると、もし不合格になった場合には、もうそれだけ見本本を作るのですから、相当な費用がかかっておると思うのです。そういうものがもしだめになったら、今度はそれを次の教科書にかけて取りかえさなければならないということで、教科書は非常に高くなるし、高くなるばかりではない、それでもって教科書会社はつぶれてしまって、大資本を持った教科書会社だけしか残らないということになる。それから登録なんかも、この法案から受ける印象では、非常に資格条件というものがあって、これでもって整理されることができる。それは悪い会社が整理されるならいいけれども、情実でもって整理されるというようなこともなきにしもあらずと思うのですが、そういうことになると勢い文部省に迎合しなければならないというふうな気持が業者に起きてくるおそれがあると思うのです。それから今度検定拒否ができるようになると、これは検定を事前に拒否するということなんですが、こういうむずかしい条件がありますが、これらも果して窮屈にするものでないかどうか、あるいは教科書をほんとうに創意工夫をして、教育のために創意工夫をするという態度を持たせることができるかどうか、あまりよけいなことをして検定を拒否されるようなことがあってはならないということで、おざなりの教科書を作る結果になりはしないか。あるいは検定の失効ということがございます。この点もついでによく御説明願いたいのですが、私の考えでは一ぺん検定を受けたものが使用することが適当でないと認められるような、そういう検定基準の変更というのは、私はそうあってはならないことだと思うのです。ところがあの条文を見ますと、種目の変更とかあるいは基準の変更によって、この教科書は使ってはならないというようなことを大臣が認めた場合には、審議会に諮ってその検定を失効させることができるという条文があるのですが、こういうことになると、業者は非常に戦々兢々たる気持でもって仕事をしなければならなくなる。それから先ほど申しました指導書の改訂をさせることができる、あるいはこれも御説明願いたいと思うのですが、出版会社に対して常に立ち入りをして検査をすることができる、こんなようなものが並べてあって、それで検定というものが前よりも窮屈でないといえるかどうか。こうなったら教科書というものは形通りの教科書が出てきて、そこにはもう業者が創意工夫をするというようなことはなくなってくるのではないかと思うのですが、この点を大臣にお伺いいたします。
○清瀬国務大臣 検定の基準は名のごとく基準でございまして、その通り書けというのではなく、その上下には幅があることでございます。そこで自由競争の結果基準以上のりっぱな教科書ができることをこの法律は希望いたしております。あの第七条の検定以前に拒否するというのはよくよく例外の場合でありますが、引き続いてやっておられる教科書会社などではそういうことはございますまいけれども、個人としてこういう教科書を作りたいといって手前みそで検定基準も何もろくすっぽ読まないで粗雑なものが出てくる場合にはやはりこれは抜いて、これがいけないというのでもう一ぺん検定に合うたようなものを出す機会を早く与える方が本人のためにもなる。またそれがあるがために規格に合うたものの検定がおそくなるということもはなはだ気の毒であるから、そこで七条のようなものができたのであります。また世の中は日進月歩でありまするから、一ぺん検定を受けたのを八年も十年も世の中が変ってしまっておるのに引き続いてこれを使うということもいかがかと思って、有効期間をこしらえたようなわけであります。それから、今までは一ぺん検定した後にあやまちを発見してもこれを訂正すべしということを命ずる権利があいまいであります。なかったとは断言できませんが、それがあいまいであって、同じあやまちを続けて印刷して配布した例もございまするので、そこらのところを常識にかなった教科書を作りたいというのが念願であります。見本本、完本との関係についてはよほど検定技術のことに関係しまするから、政府委員より説明をさせまするからお聞き取りを願いたいと思います。
○緒方政府委員 具体的な問題につきましてまず申し上げたいと存じます。 ただいま第六条の検定の申請の際に完本審査一本やりじゃ窮屈じゃないかという御質問がありました。これは結論的に申し上げまして、この教科書の検定というものは、内容のみならずその造本のことにつきましても十分審査をいたしまして、完全なものを供給させる必要がございますので、完本審査の原則を作ったのでございます。これは御承知のように戦前におきましても中学校の教科書は検定制度でございましたけれども、これはすべて完本審査でいたしておりました。業者の方もそれに応じてやっておったわけでございます。現行の検定制度になりました当初、これは御承知のように終戦直後でございまして、いろいろな事情が不安定であった時代でございます。経済事情等も非常に苦しかった。それからまたもう一つ申し上げなければならぬのは、教科書の原稿は必ず英訳をして占領軍当局の承認を得なければならぬ。それで初めから完本審査という方針をとりますことは非常に窮屈になってどう変るかわからぬ、そういう事情もあったわけであります。従って校正刷り、原木、完本という、いわゆる三段階の審査方法をとって参りましたけれども、今日この臨時措置法を改正いたしまして、総合的な正式な立法をいたします際におきましても完本審査という原則を掲げた方がよかろうと考えましてこの趣旨に従ったわけでございます。しかしながらにわかに一度に完本ということにつきまして業者の方に非常に窮屈だという事情もあるかと存じますので、これは原則としまして当初の見本本及び必要な書類を添えて提出しなければならぬという規定がございますが、この政令を規定いたしまするときに、校正刷りとかあるいは原本複写というものも当分の間やっていけるような緩和的な規定を作りたい、検討したいと存じております。現行の省令であります検定規則に基きましても、これは三段階審査になっておりますけれども、業者の方の要望もございまして、大体今校正刷りを審査さしております。校正刷り審査をまずすることになっております。政令の点につきましても十分検討いたしますけれども、趣旨は以上申し上げたような次第でございます。
○加藤(精)委員 ちょっと関連して。はなはだうかつなことを御質問いたしますが、教科書の学校教育における使命について、小林委員から今非常に問題の本質をついた御質問がありましたので、私、今考えたのでありますが、教科書というものは、児童、生徒に、新教育においてたとえば原子力というような、とにかく自発学習だけでは到達し得ないものをある程度手引きするものだ、そういう部分もあるというお話でございましたが、いずれにしましても児童、生徒の学習がどの程度まで伸びつつあるかということの測定ということが相当大きな問題になってくると思うのです。教科書をどの程度まで活用するのがいいか、あるいはどういう場合に活用するのがいいか、どういう場合教科書を離れて教える必要があるかというような根本の本質的な問題になりますと、教育測定ということは常についてくると思います。そうしますと、翻って地域社会とか実地団体生活ということを考えますと、相当広い範囲について最後の一人の児童、生徒の力まで国家で考えなければならぬと思いますから、相当広い地域社会の範囲で統一した教科書を持たなければならぬことになるのではないかと思います。先ほど採択区域の問題について論議がございまして、一府県一教科書という場合はほとんど考えられない、ただし書きは狭きに解釈して、一府県の地域においては数地域主義が本則だということを承わったのでありますが、そういうことになりますと、最高限は押えられるわけでありますけれども、最低限ある村の一部を教科書の採択範囲にすることは、法律上できない規定になっておりますけれども、郡市といっても今は一カ村か二カ村の郡市があります。そういうような郡を一採択地域といってもいいかどうかということ、教科書の学校教育における利用の方法、それから同時に地域社会教育の測定ということについて一つ疑問がある。最低限を規定しておく必要がないかということが問題になると思います。その点について事務当局から考え方の基礎をお聞きしたいと考えます。
○緒方政府委員 本法でとりました採択地区の設定につきましての考え方は、少くとも郡市の区域を最低限といたしまして、しかし郡市だけでは狭まい場合もございましょうから、これを合せた区域にすることもできるようになっております。これは地域の事情によりましていろいろな今おあげになりましたような要請があると存じますけれども、少くとも教育上の観点から考慮いたしまして、その地域々々の実情に即しまして、あるいは経済的な面からの事情もございましょうし、文化的な事情からもございましょうし、あるいはまた自然的な条件もいろいろ違っておることもございましょうし、それらを総合的に勘案いたしまして適当な地域を考えて、この際やはり最低限は郡市程度に押えるべきではないかという考え方からこの条文ができたのでございます。ただ、今申し上げましたような教育上の観点もございますし、それからまた転校したりした場合の教科書が変っては困るといったような要請もこれは含まっておるのでございますけれども、しかし教育上の観点からの考慮をしなければいけないのでありまして、そのいずれにきめるかという判断は都道府県の教育委員会にまかせる、しかし少くとも最低限は郡市程度にすべきであるという観点から、この制度をとったわけであります。
○加藤(精)委員 ただいま局長から御説明がありまして了承したいのでありますが、しかしながら全国の町村合併というものは、町村合併促進法の施行の油がきき過ぎたくらいでありまして、全国にわたって郡に町村が一つか二つくらいのところが非常にたくさんできたと思う。そういう場合だと、教育の測定とか、あるいは教育者が学校教育の仕方について、地域社会の教育の仕方について共同研究するというような場合、一カ村か二カ村の郡単位でやるということはきわめて不適当だと思うのでありますが、そういうことは県教委の良識に待ってそれで解決して大体いいような気もしますけれども、県教委の良識に待つというお考えでありますかどうか、その点を伺いたい。
○緒方政府委員 御趣旨のように、あるいは教師の共同研究その他の要請からいたしまして、ある広域の教科書の採択が必要だということは、この法案もその考え方をとっておるわけであります。ただその区域の最低限をどこに押えるか、これは今お話のように町村合併が行われました今日におきまして適当であるかどうかということでございますけれども、地域の事情はいろいろ複雑だと思います。その同じ県の中で同じ郡市の分け方につきましても、ここに掲げましたような各種の条件から、これは非常に複雑になっておるのじゃないかと考えまして、この法律といたしましては最低限を押えまして、今御質問の中にもございましたけれども、その最終的な判断は都道府県の教育委員会にまかせる、こういう程度を考えております。
○小林(信)委員 だいぶとんだ方向へいってしまったのですが、先日も加藤さんの御意見をちょっと承わっておりましたが、この法案については事前に相当与党としては制定に参画しておいでになるように承わっておったのです。そこでやはり与党としても相当御研究下さらなければならぬような気が、今の加藤さんの御発言からうかがえるのであります。私も検定の問題を今重点に考えておりますが、先ほど申しましたように、教育はどこに問題があるかという点から考えていけば、今度のこの法案を検討して参りますと、採択の面でも私はこの法案とは相当異なった意見を持っておるわけです。今私はこの検定の問題から文部省の方の御意見を承わっておるのですが、今加藤さんも私の意見に対して子供の自発学習というものを尊重しなければいかぬが、やはりその手引きとして云々というようなことで、子供の学習ということだけに問題を置かれておるのです。私は今の教育作業の一つのケースというものを取り上げて申しておるのですが、子供の自発学習も先生の指導計画、カリキュラムによらなければならぬわけです。それが根本にならなければならない。ところがその指導計画というものは指導要領から出ているわけです。指導要領というのは文部省が制定するものです。だから、先生の指導計画というものもそれに準拠をするわけですから、一つの制約を受けているわけです。教科書の方もそれから出発して検定を受けて、一つの制約を受けているわけなんです。こういう形がもうあるのだから、検定あるいは採択に対してそれを生かすような方向へいかなければいけないというところで私はお伺いしているわけなんです。児童の自発学習、これもそのカリキュラムの中に入るわけでしょうが、しかし教科書の問題から考える場合に、あくまでも先生の指導計画を考えていかなければならぬわけで、それを助長し、それをますます旺盛にするために、法案というものは根本の精神をそこに置かなければいけないと思う。それにはあまり検定制度が以前よりも窮屈になっておりはしないか、結局いい木が出てこない結果になりはしないかということをお伺いして、今大臣から一応の御説明を受け、それから局長から詳細な御説明を受けている最中なんですが、まだ途中だと私は考えております。もうそれ以上文部省としてお答えになるところはないのかどうか。ありましたら続けて御答弁願いたいと思います。
○緒方政府委員 御指摘のように学習指導要領というものは文部省かきめることになっておりますし、この学習指導要領によって教育が行われる、これは仰せの通りでございます。しかしながら学習指導要領というものは大綱でございまして、その学校々々における、あるいは教師々々の指導計画というものは、大幅の学習指導要領の範囲内におきまして、それぞれ個性を持った、創意を持った学習計画が生まれるわけでございます。それからまた教科書にいたしましても、その検定は国でいたすわけであります。文部大臣の権限としていたすわけでございますけれども、これは検定制度でございまして、各種の教科書があり、それを使っていくということであるのでございます。学習指導要領にいたしましても、検定にいたしましても、これはやはり国の教育としての一定の水準を保つためにはどうしてもそこに大綱をきめ、あるいは内容を検討していくことが必要だという立脚点に立っているわけであります。このことは決して教師の学習指導計画等の意欲をそいでいくというようなことにはならぬのじゃないかと存じます。 検定制度を窮屈にするというお話でございますけれども、そういう観点に立って検定制度を堅持しつつ、しかしなお、先ほど大臣の御答弁にございましたように、教科書の内容に誤まりがなく、よりいい教科書を作っていくためには、こういう機構を整備していくことが必要だという建前で作られているわけでございます。 それからなお御質問になりました点の、教師の自由な活動をなるべく守っていくようにしなければならぬ、それはどこに盛られているかというお話でございますが、これは昨日もお話に出ておりました二十七条の教科書研究施設、これも一つの新しい規定でございます。従来の展示会制度の欠陥を改めまして、ここで常時研究ができるようにいたすという点でございます。それからなお二十八条の規定もごらんいただきますと、採択に関する不公正が教師等を対象として起る、これを十分排除していきたいという規定を設けております。そういうことにわずらわされないで教師が十分に創意を生かせるようにしていきたい、そういう趣旨にのっとっております。 それからなお教師用指導書のお話が出ておりましたけれども、これも何も教師用指導書を奨励いたしましてこれによらなければならぬということをこの法案としては一つも考えておらないのであります。ただ教師用指導書が実態といたしましては相当利用されておりますし、その教師用指導書に検定の趣旨と反するようなことが盛られておりましたならば、これは検定の趣旨が没却されますので、出す場合には十分その誤まりがないようにしなければならぬという配意から、こういう規定ができたのであります。決して小林さんがおっしゃったように、教師用指導書にたよれという趣旨はここにはないのでありまして、その意味においては教師の自由な研究と申しますか、教育活動がそれによって阻害されることはないと考えます。
○平田委員 関連して。ただいまの小林委員の学習指導要領についての質問に関連してお伺い申し上げたいのでございますが、ただいま緒方局長さんは、指導要領は大綱をきめるのだとおっしゃいました。私の聞くところによりますと、教科書の問題について研究されておる方の御意見をちょっと私伺ったのでありますけれども、現行の文部省の指導要領はあまりに詳し過ぎるということを聞いております。従ってあまりに詳し過ぎるから、その基準によって教科書が作られるものですから、画一的なものができてしまう。ニュアンスな内容のあるものを盛ることができないような結果になっている。それで学習指導要領の規定を大綱にとどめるというところにいかなければいけないというような御意見を私承わっておるのでございますけれども、不勉強でございまして、ただいまの学習指導要領を実は私見ておらないのでございます。それを拝見さしていただきたいと思いますし、その大綱にとどめなくちゃいけない、詳し過ぎるということについての批判に対する御意見を承わりたいと思います。
○緒方政府委員 学習指導要領は学校教育法に基いてできたのでございますが、「教育課程については、学習指導要領の基準による。」、こういう規定であります。これはあくまでも基準として定めておるわけでございます。 それから実情でございますが、これはおっしゃいますように、戦後できました学習指導要領、これは占領軍当局の相当指導を受けて作られたものでございまして、ちょっと今日から振り返って見てみます場合には、相当やはり内容がこまか過ぎる場合がございます。何と申しますか、指導計画の面等にわたってまで若干学習指導要領の中に織り込まれておるような点がございまして、教科課程の基準になる部分とそうじゃない部分とを両方ごちゃまぜになっておるようなきらいがございます。これは今後の改訂におきましてそういう点は十分整理いたしまして、基準になるようなものだけにしていきたいと思います。従いまして最近私どもが改訂して参りました高等学校の教育課程等については、その点を勘案いたしまして大綱をなるべくわかりやすく盛り上げる、こういうふうに努めたいと思います。
○野原委員 関連して。大臣でも緒方さんでもけっこうでございますが、学習指導要領というものは、これはわかりきったことをお尋ねいたすようですけれども、だれが作るのですか。
○緒方政府委員 文部大臣でございます。
○野原委員 文部大臣が作るのですが、実際の仕事の担当は文部省の初中局ですか。
○緒方政府委員 その通りでございます。
○野原委員 大臣にお尋ねいたしますが、学習指導要領によって教科書の内容が決定される、これは疑いようがございません。教科書を決定する学習指導要領をあなたが作る、教科書を決定するものは文部大臣だという、この三段論法は成り立ちませんか、これをどうお考えですか。
○清瀬国務大臣 今申しますように、学習指導要領は、文部省令であります学校教育法施行規則で、文部大臣の責任において作るのでございます。教科書には検定基準というものがあります。検定基準はこれも文部大臣の責任ではございまするけれども、今度できまする審査会の議を経てこれを作るのであります。検定基準は、一方において指導要領ができてきまして、その基準で学校でやるところの教科書ですから、やはり審査会においてはこれとマッチするような検定基準ができると思うのでございます。
○野原委員 まことに失礼なことを申し上げますが、私の質問に対する御答弁にはなっていないようであります。私は教科書が検定基準によって作られることは百も承知しております。そういうことほお尋ねしておりません。その検定基準の中の最も大事な要素は学習指導要領なんです。国際の教科書を作る場合には、あなたが作った国語の学習指導要領によって教科書ができるのです。教科書検定の必要なる条件として明らかにそれが出ておる。その教科書の内容を規定するものをあなたが作るということになれば、結局教科書を作るものは文部大臣だ、こういう論法は間違っておるかと聞いておるのです。これは間違っているか間違っていないかお尋ねします。
○清瀬国務大臣 教科書を作るという言葉の意味ですが、作るということが印刷するということなら印刷会社であります。しかしながらもしも書くということであれば著者であります。教科書の著者、編さん者であります。そして検定するのは今度文部省に置きまする審議会で検定するのであります。しかしながら審議会で検定するものは、文部大臣の責任においてこれは検定するのですから、最終責任者は文部大臣で、さらに最終責任者は文部大臣を監督して下さる国会である、こういう組織になっておるのです。
○野原委員 作るということが誤解を与えるようでしたら、作るという言葉はやめましょう。教科書を作るということは教科書の内容を規制するものと呼びかえてもよろしゅうございます。教科書の内容を規制するものは学習指導要領ですね。お認めになりますか。
○清瀬国務大臣 そうじゃございません。学習指導要領におそらくはマッチする検定基準を作ります。現在の検定基準を見ますると、教育基本法に書いてあることを絶対要件としております。学習指導要領とかあるいは学校教育法第十八条、その他その課目に従って必要なことを必要条件といたしておりますので、学習指導要領即検定基準というわけには参らないのです。しかしながらこれは審議会に諮問いたしましてやりましても、責任は文部大臣が負うようにはなっております。
○野原委員 ますますもって了解ができない御答弁であります。私は検定基準と学習指導要領がイコールで結ばれるものであるかどうかは聞いていない。検定基準の中の必要なる条件に学習指導要領が入るのではないか。そうなりますと学習指導要領が必要条件というので、教科書の内容が規制されるのではないかと聞いておる。学習指導要領は教科書の内容を規制いたしませんか。それではお尋ねいたします。規制しませんか。
○清瀬国務大臣 学習指導要領の中で必要なことを検定基準に取り入れるのであります。ですから直接には規制しませんが、やはり間接にはおっしゃる通り影響することば重大であります。学習指導要領によって学校の教育をやる時分に、その主たる教材に使うのが教科書でありますから、これとマッチするようにはいたします。
○佐藤委員長 野原君、関連ですから、なるべく簡単に願います。
○野原委員 委員長、一つゆっくりやりましょう。教科書に影響するという言葉を今あなたは申された。一体影響と内容を規制するということはどれだけ違うのか。教科書の内容に直接制約を与えないけれども、間接に規制するとは何をさしておるのか。一体あなたは教科用図書検定基準というものをお読みになられておると思う。失礼でございますが……。その教科用図書検定基準は、御承知のように、絶対条件と必要条件というものがある。あなたの方から発行された教科用図書関係法令集、これをあけて見ましても、たとえば小学校の国語科の検定基準は、絶対条件といたしまして、「わが国の教育の目的と一致しているか。」教育目的には教育基本法、学校教育法をあげておる。それから「立場は公正であるか。」この二つはすべての教科の検定の絶対の基準のように私は思うのですが、なお国語の場合は「小学校国語科の指導目標と一致しているか。」ということがございます。そして次に必要条件として、(一)内容、国語の教科書の「内容は、現行の学習指導要領国語科編に示されている教育課程に基いているか。」とある。そこで、国語の学習指導要領というものは文部大臣の責任において作るのです。従って国語の教科書の内容は、あなたが責任を持ってお作りになられた学習指導要領によって、これは厳密なる審査がなされる。国語の教科書内容は、国語の学習指導要領が規制するのです。これは断じて間違いがないのです。これが間違いであるならば教えていただきたいです。私の言うところの間違いの点を……。
○清瀬国務大臣 私の言うのと同じことをほかの言葉であなたはおっしゃっておるのであって、間違いというのじゃございませんよ。学習指導要領は、別の機関である教育課程審議会に諮問して作りまするが、それだけが基準じゃないのです。あなたが今お読みになった通り、必要条件のうち(一)内容というところで、「内容は、現行の学習指導要領国語科編に示されている教育課程に基いているか。」ということがあるので、基くものでありますけれども、しかしながらこれは必要条件の一カ条だけであって、そのほかに絶対条件、あなたが御指摘になったようなものもたくさんあります。これらを総合して、別に今度の法律では第五条で教科書検定審議会が大臣の諮問を受けて基準を作るんです。その基準によるのが教科書検定の基準であって、教科書検定の基準は学習指導要領だけじゃないのです。学習指導要領が即教科書検定の基準だとおっしゃるというと、少し違うのであります。しかしながら両者に関係があるということは私は言っているんです。学習指導要領でやっている、学校で主たる教材として使う教科書でございまするから、その教科書の基準はそれとマッチするようにしなければできるはずのものじゃございません。しかしながらこの学習指導要領も、基準もまた検定も、終局の責任は大臣でございます。これもあなたのおっしゃる通りと思います。
○野原委員 私の尋ねておることをだんだんお認めになられつつあるのであります。初めは反駁するような御答弁でございましたが、あなたのおっしゃる通りというお言葉がだいぶたくさん出てきたように、私は失礼ですが思います。そこで、大臣がただいまも述べられましたように、学習指導要領は教科書の内容を規制する要素である。そこでその一つの要素とは重要なるものということであります。だから、教科書の内容を規制するその要素をあなたが決定される。もっと言葉をかえて言うと、そもそもこの学習指導要領は、大臣も御承知のように、本来これは学校の先生が子供に教科書を教える手引きであったんです。今日もそうでございましょう。その手引きであるということとともに、実は教科書を作るに当ってのこれが真髄になってきておることも事実なんです。いやしくも教科書を編集する者は、文部大臣がお作りになられた学習指導要領を見過ごして編集は断じてできない。またこれを見過ごして編集したら、要素でありますから、あなたの検定にパスするわけもない。そこで、その教科書の内容を大きく決定づけるところのものが文部大臣によって全部作られるというこのことは、国定に反対だと天下に声明をされた清瀬文部大臣として、まことにこれは再思三考を要すべきものとお考えになりませんか。いかがです。
○清瀬国務大臣 国定と検定とこれは違うのです。国定は国家が起草してきめるのが国定であります。検定は民間の人が腕をふるうて、ある基準に基いてこさえたものを国家が認定するのであります。いずれも国の力は入っておりますけれども、国定と検定と同じだとおっしゃる御議論には、私はいかにしても承服できません。
○野原委員 委員長、関連でございますから、大事な点でありますけれども、私はここで失礼ですけれども、あなたには教科書について十分お尋ねしなければならぬたくさんのものを用意しておりますので申し上げておきますが、一体国定教科書という場合の国とは何かということであります。一体その国定教科書の国、その国の意思を代行するものは教科書の場合はどなたかということですね。これは国定教科書に自分は反対だという場合にぜひとも考えていかなければならぬ大事な点であると私は思うのです。それからこの新しい今度出て参っており、審議しておる教科書法案を見まして、なるほど表はこれは検定になっております。ところが今日これに対して非常な非難を浴びせておる識者の方は、この法案の底を流れるものを非難しておる。底を流れるものは何かといったら、国定の精神だ、こう言っておる。——いや、そう手を振らぬでもよろしい。それはいずれまたあらためて振って下さい。そこで、そういう点について一つ私は予告をいたしておきますから、どうか十分御検討になって、この問題は最も大事な、私ども社会党とそれから今日のあなたとの今日までの質疑応答の過程で見られたように、大きなこれは見解の違いになってきておりまするから、十分一つ御検討の上で、あらためてまたただいまの学習指導要領についてもお尋ねいたします。これで関連を終ります。
○高村委員 内閣提出の教科書法案につきまして、この際質疑打ち切りの緊急動議を提出いたします。直ちに動議の採決を願います。 〔「反対だ」、「散会だ」、「休憩だ」、「理事会だ」と呼び、その他発言する者多し〕 〔委員長退席〕 午後零時十一分 ————◇————— 〔休憩後は開会に至らなかった〕