文教委員会 第35号
- 発言数
- 101 件
- 登壇者
- 10 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1956/05/08
会議録
○佐藤委員長 これより会議を開きます。 この際理事会において決定いたしました事項について申し上げますが、先日の委員会におきましてその人選等につき委員長及び理事に御一任願いました、来たる十一日の公聴会の公述人につきましては、次の通り協議決定いたしましたので御了承願います。すなわち神奈川大学教授高山岩男君、教科書協会制度委員会委員長水谷三郎君、中央教育審議会委員森戸辰男君、学習院講師古川原君、慶応義塾大学助教授山本敏夫君及び日本教職員組合教育文化部長佐藤幸一郎君、以上六名でございます。 なお公述人の選定等につきましては、出席の都合等もあり、多少の変更のあります場合は、委員長及び理事に御一任願いたいと存じます。 —————————————
○佐藤委員長 それでは内閣提出の教科書法案及び議員提出の教科書法案を一括議題とし、審査を進めます。質疑を許します。高津正道君。
○高津委員 この教科書法案を見ますと、非常に中央集権的な色彩が強いのであります。ちょっと見てみましても、たとえば第三条に「教科書の種目は、教科ごとに、教授内容及び教授方法の差異に応じ、文部省令で定める。」と、教科種目をこのように文部省で自由にできるようにしておるのであります。また第五条には「教科書の検定の基準は、文部大臣が教科書検定審議会に諮問して定める。」と、ここでまたはっきりと文部大臣に検定の権利を与えておるのであります。それから第七条の「文部大臣は、検定の申請に係る図書が次の各号の一に該当するときは、教科書検定審議会に諮問して、検定を行わないこととすることができる。」と、ここでまた今まで全然見なかった進歩的な教科書であれば、これを拒否するという拒否権を文部大臣が握っておるのであります。このように教科書を文部大臣、政府が自由に動かすというようなことをすることは、全く戦前の状態に戻ることであって、非常に憂うべきことだと私は考えるのでありますが、政府ではどういう御見解でありましょうか。
○竹尾政府委員 お答え申し上げます。今高津委員のおっしゃいました中央集権という言葉でございますが、この中央集権的な民主主義の考え方につきましては、いろいろ御議論のあるところでございまして、民主主義の理論的な研究にも徹せられておる高津委員のことでございますので、民主主義の内容については十分御理解が深いと私存じ上げております。そこで中央集権的な方法によることがよいか悪いかというような点は、これはおのずから議論の分れるところでございますけれども、御指摘になられました第三条、五条、七条というような点は、そうした中央集権というようなことを目ざして、特にその方向に引きずっていくというような考え方でやったのではないのでございまして、従来の教科書の検定の方法等を考えまして、こういう工合にすることが一番自然である、こういうふうに考えてやりましたことでございまして、特に中央集権ということを目ざしてやったのではないということをお答え申し上げたいと思います。
○高津委員 これはたとえば検定の中から拾ってみて、ここは従来よりもより中央集権的になっておるのである、こう私が申したのに対して、中央集権にするのがよいか悪いかは別として、これは中央集権をねらったものではない、こういうお答えでありますが、これでは中央集権になっている。たとえば従来は出すものはみな受け付けて検定を審査したのである。今度はそうでなしに、検定を拒否する権利を新たにうたっておる。たとえばこういう事実、このように今までよりもそういう権限を文部大臣が強く持つようになっておるという事実を私が指摘しておるのに、中央集権をねらったものじゃありませんというのでは、竹尾政務次官ともあろう人が、私の問いはわかったはずだが、中央集権になっておるではないか、こういう問いですよ。
○竹尾政府委員 これは教科書検定制度の問題でございますが、高津委員もちろん御承知と思いますけれども、戦前には教科書の検定審議会というものはなかったのでございまして、今度の新しい法律ではこの審議会というものを重視いたしまして、民主的に文部大臣が検定をしていく、こういう点を取り入れたのでございまして、こういう意味から申し上げましても、いわゆる中央集権的に方向が進んでおる、こういうことは申し上げかねると存ずるわけでありまして、今の制度はそういう意味におきまして民主主義的である、こういうふうに私どもは考えております。
○高津委員 文部大臣は、教科書検定審議会に諮問してやるのだから、それで審議会を重視しておるのだから民主主義的である、こういう御答弁だと了解したのでありますが、文部大臣は、その検定審議会の決定はいかなる場合でもその決定に服するというのであればわかりますけれども、文部大臣は、自分の考えで教科書検定審議会に諮問はするが、その決定を無視する場合もあり得るでしょう。
○竹尾政府委員 そういう場合も絶対にないとは申し上げかねるとは存じますが、この種の審議会が設けられた場合には、大体において審議会の意向を尊重いたしまして善処をしていくというようなことが、現行制度でもそうだと思いますけれども、その意味において私は重ねて繰り返すようですが、これは民主主義的な制度である、こういうふうに考えておりますが、なお詳しい具体的なことは説明員から説明させたいと存じますので、これで御了承願います。
○安達説明員 ただいま御指摘になりました点につきまして、現行制度と対照して申し上げます。最初に第三条の教科書の種目でございますが、現在は文部大臣が毎年教科書の受理種目ということで告示をいたしております。従いまして第三条はむしろ文部省令で定めるというようにいたしまして、恒久的なはっきりしたものにしようという趣旨でございますが、実質的には従来と変りがございません。 それから第五条の検定の基準でございますが、これも文部大臣が告示をしております。従いまして第五条も従来と同様でございまして、しかもここで教科書検定審議会に諮問して定めるということを明らかにいたしておるのみならず、五条の二項で検定基準ののっとるべき趣旨を明らかにしておるわけでございまして、その意味でも法律によってはっきりして民主的に行おうという趣旨でございます。 それから第七条の検定の拒否につきましても、従来検定基準に掲げてある教育内容を入れてないような教科書が出ることがございます。たとえば小学校の理科の教科書でございますと、そこに保健の事項を加えるということが検定基準に入っておりますが、そういうものが入っていないような場合においては現に差し戻してもう一回出していただくという措置をとっておりますので、それと変化がございませんし、さらに誤記、誤植の多いようなものは便宜返すような場合もございますので、そういう意味で第七条は、第一号に関する限りは従来の制度と同様でございます。従ってこの法律で従来の制度を特に改めて文部大臣の権限を強化したということはなく、むしろ審議会というものを法律上はっきりいたしまして、文部大臣の権限をそういう面で民主的に運営させよう、こういう意味でございます。
○高津委員 今の安達課長の意見を了承することはできませんけれども、新たに文部省の職員として検定の調査官が四十五名もできるのであって、その四十五名は公平に選ぶと言いながら、現在すでに売り込みが始まっておるということをわれわれは聞いております。よその会社のを戻し、自分のを通すような人間を入れれば、会社はそれだけ有利になるわけだから、この人間がよいと言って現在大いに推薦運動が行われておると聞きます。なお文部大臣の好みがどういう好みであるかということは天下だれ知らぬ者もないのでありますから、それこそ亭主の好きな赤えぼしで、おそろしい顔ぶれになると思うのです。そこが文部大臣の意を受けて実際の実務をやることになりますから、全く憂うべき精神の教科書検定が現われてくることを非常に私はおそれるのであります。竹尾政務次官の御意見をもう一度承わりたいと思います。
○竹尾政府委員 新たにこの法案が通りましたら採用されるべき調査官と申しましょうか、この人選につきましては私どもも非常に慎重を期しまして、いやしくも個人的な好みとかあるいは言葉の正しい意味におきます偏向というようなことのないように十分注意いたしまして選考をしたいと存じております。 なお売り込みが始まっておるというようなお話でございましたが、まだ法案も通らないやさきでもありますし、そうした売り込みというような話も実は聞いておりませんが、これは高津委員のお気持ももちろん体しまして、りっぱに厳正に選定をいたしまして、世間の指弾を受けないような調査官を採用したい、こう考えておる次第でございます。
○高津委員 現在文部省は教育に対してどのようなことを考えておるかということは、大臣の答弁を聞いておれば非常によくわかるのであります。たとえば高知県の例の繁藤小学校の天長節の問題でも、参議院におきまして、吉野国務大臣はやり方などには問題があるという答弁をしておられる。それから清瀬さんの方は、そういう限定を置かずにそれを承認しておられるのです。だから現在の政府の中の最大公約数的理念というか、ものの考え方というか、それが清瀬さんは右の方にはずれておられると思うのです。その気持が上の好むところ下それに追随して、その上を行くような風潮が現われておりまして、たとえばこの間の天皇誕生日にどんなことが起ったかといえば、高知県の方は申すに及ばず、山口県の防府市では全小学校が日曜にもかかわらず、その日に学はへみんな登校させて、そして君が代を斎唱させ、天長節にちなむ講話をやっておるのであります。茨城県の上妻中学校でも、君が代を歌い、紅白の菓子をみんなに渡しておる。ひどいのは、東京都世田谷にある国士館短期大学では、「二十九日午前八時半から同校グラウンドで戦前の軍国教育時代そのままの式典を挙げて付近の住民を驚かせた。」これは朝日新聞の報道でありますが、短いけれどもきわめて重要な記事であると思うのです。「式典は同校の短大生、高校生約八百人が全員「国土」のマーク入り腕章をつけ、日の丸と校旗を先頭にして入場。グラウンド中央に設けた台に柴田館長が立ち、宮城遥拝から始った。ついで「君が代」を斎唱、館長が閲兵もどきに学生を巡視して回る。学生側も館長に「カシラ右」。学生は視線を館長に向け、先生は無帽のままで、挙手の礼というまったくの軍国調。このあと、「海ゆかば」のブラスバンドに乗って、分列行進。これまた柴田館長に「カシラ右」をやり、館長は敬礼で答えていた。 柴田館長は最後に「きょうは天皇陛下がお生れになった天長節である。天皇は日本人みんなの親です。」そしてあと天皇陛下の徳を説いておるのであります。また新聞社が館長に感想を求めたのに対して、こういうことを言っております。「戦後のアメリカ教育で、日本の教育は全くフシダラになった。学生に規律をつけ、元気をつけるためにやった」とこう語った。こういうのであります。高知県では、神社庁などが主催する「天皇誕生日祝賀市民大会」を二十九日午前十時から高知市中央公民館屋外会場で開いた。そこでもいろいろな参加者の演説があったが、その演説の中には「多数が出席したのは明治維新に参加して大義名分をただした土佐の伝統を発揮したものだ」あるいは「敗戦でアメリカの管理下におかれた日本人の性根が変えられた。だが新憲法を大和民族は受け入れることは出来ない」といった祝辞まで飛び出した始末であった。世の中には今こういう風潮が起っているのでありまして、政府の大臣の顔を点検してみますと、清瀬文部大臣が一番その右の方に立って旗を振っておられるようであって、この人のもとに出ているこの法律、この人がそれを指揮される。また同じような人がわれわれは今野党でありますから、現われるでありましょうが、全くわれわれは驚き入っているのであります。そのような古い思想の大臣がいて、そうして今度の教科書法案の特徴は、国の責任という言葉が提案理由の中にも何回も繰り返されているのであります。教育を国民が国民の手で行うという点を、今度は何割か削るというか、それをひっくり返すというか、国の責任で国家が統制するようになって、その統制する頭の古さは今申し上げた通りでありまして、憂うべき逆コースの時代に入ろうとしているのでありますが、私はこういうような時代に、そういう政府が教科書について検定——採択はあとで申しますが、検定だけについても従来見なかった拒否権のようなものを書き込んで、権威をここに集めるということは、国のために非常に不幸なこと、教育のためにも非常に不幸なことである、こういうように考えているのでありますが、竹尾政務次官はむろんそういうことはございませんと言うのでしょうけれども、よくまあ考えて下さい。憂うべき傾向が今現われている。以前よりも文部省の権限は少くなったという、そんなことは言えないでしょう。前よりも教育に対して発言権を持つようにした、現状に変更を加えるものであると私は考えるが、そんなら変更を加えるものではないのですか。 それからもう一点は、この憂うべき風潮の時代に、政府各省の中で文部省が一番そういうあおるような発言を文部大臣などがされているので、私は文部省にこの逆コースの責任があると思う。これらの点、整理してありませんけれども、言ったことに対してみな答えて下さい。
○竹尾政府委員 最初に天皇誕生日の祝日の件でございますが、この件につきましては、大臣からもたびたび御答弁申し上げたと存じておりますが、行事のあり方につきましては、教育委員会と学校の当局が打ち合せしてきめればよいことでございまして、一律にこういうことをやるなとか、あるいはやれとかいうようなことは、これはこちらからとやかく申すべき筋合いではないと存じております。 それから最近逆コースの傾向が非常に強くなって現状を変更するのではないか、こういうようなお問いでございましたけれども、これはいろいろ見方もございましょうが、私どもは、少くとも教育の面では国の責任においてとり行わなければならないことがたくさんございますので、政府といたしましてそういう国の責任を感じて行なっているのでありまして、決してこれを逆コースであるというような工合には考えておりません。 それから文部省が逆コースをあおるのではないかというようなお問いでございましたが、少くとも私どもはそういうような考えはもちろん毛頭持っておりませんので、そういうことは全然ないのである、こうお答えするしか道がないと存じております。 それから検定制度の基本というものは現行制度と変りがないのでございまして、従来省令であるとかあるいは告示等で規定されていたものを法律に規定することによりまして検定の運営の明確化をはかっていきたい、こういうことが今度の法案のねらいでございまして、決して中央集権的にものを取り運ぶというような考え方ではないということをお答え申し上げておきたいと存じます。
○河野(正)委員 ただいま高津委員から例の天皇誕生日の問題につきまして御質問があったのでございますが、これにつきましては高津委員からも御指摘がございましたように、逆コース、反動性、そういった傾向が一点の問題になるとともに、もう一点問題になりますのは、先般の委員会におきましても私が御指摘申し上げておきましたが、竹尾次官も御承知の通り、昭和二十二年六月三日におきまして、文部省二百三十九号の通達によりまして、東方遥拝あるいは天皇万歳というようなことを学校の行事としてやるということにつきましての禁止の通達が出て参っております。そこで私はこの後段の点につきまして若干次官の御所信を承わっておきたいと思うのでございます。傾向の点につきましては見解の相違といたしましても、通達につきましては私は非常に大きな問題が残されておるものと考えるのでございます。と申しますのは、少くとも昭和二十二年の六月三日に文部省二百三十九号通達によって、学校が東方遥拝あるいは天皇万歳、こういった行事を行うということにつきましては、ただいま申しましたように文部省といたしましては一応禁止いたしておるわけであります。そこで傾向の問題は別といたしまして、このような二百三十九号という通達がなければ、ただいま次官も仰せられ、あるいはまた先般の委員会におきましても大臣からいろいろ仰せられておりますように、それぞれの見解で、地方教育委員会との連絡がうまくついて、地方教育委員会と大臣の仰せられますような範囲において了解がつくということになりますれば、これは一歩退いてまあまあ異論ないといたしましても、しかしながら今日までこの昭和二十二年六月三日に出されました通達が生きております以上は、私今度行われました繁藤小学校等の天皇誕生日におきまする行事は、やはり通達違反の疑義がある。これははっきり言える問題ではないかと思うのであります。そこで大臣あるいはまた竹尾次官から御説明がありましたような考えでございますならば、私は当然この通達は廃止すべきだと思う。この通達を廃止することによって、その後それぞれの学校の良識あるいは地方教育委員会の良識のもとに行うということになりますならば、私どもといたしましては一歩退いてそういったこともまんざら話がわからぬことはないのでございますけれども、しかしながら今日まで私どもは昭和二十二年六月三日の通達は生きておると思う。こういった理解に立ちますと、私は今度各地で行われました天皇誕生の祝日に対するいろいろな行事は、やはり文部省の通達に反する行為であるというふうに感ぜざるを得ないのでございます。この辺の通達をめぐりましての竹尾次官の一つ明快なお答えを願っておきたいと思います。
○竹尾政府委員 河野委員のお言葉でありますが、なるほど二十二年六月三日にこうした通達が出ておる。これはまさにその通りでございます。ところがちょうど御承知のように、あのときは終戦の直後でありますし、占領治下にありましたときでもありまして、これは当時、二十二年六月と申しますと、森戸さんが文部大臣のときでなかったか——はっきり記憶いたしませんが、あのときの情勢を考えられて出されたのじゃないかと考えます。これは河野委員もとくと御承知のように、とにかく政治行政というものは時々刻々動いておりますので、通達は通達に相違ありませんが、運用と申しましょうか、そういう点につきましてはその瞬間々々におきましていろいろの考え方が浮んでくる、こういうふうに考えられます。そこであのときの通達は強制的に天皇を神格化するような行事を排除するという意味、そういう趣旨の通達だと思います。当時は教育委員がなかったという関係もございまして、ああいう通達を文部省から出されたことと存じます。しかし今は御承知のように教育委員会がありますので、教育委員会が学校当局と打ち合せをいたしまして、これがよろしいということになれば、そのように運用して差しつかえない、こういう工合に私は考えております。
○河野(正)委員 関連でありますからいろいろ申し上げたくないのでありますが、ただいま竹尾次官の御答弁を承わって参りますと、そのような通達は出ておるけれども、運用においては適切な運用を行うということでございますが、しかし私どもが知っております範囲におきましては、ここに本文は持っておりませんけれども、これは運用と申されますけれども、やってはならないということでありますから、たとえばわかりやすい言葉で申し上げますと、まあやらない方がよろしいというような意味の通達であります。それは運用におきまして、今日では政治情勢も変っておりますし、国の立場というものも占領当時からみますとずいぶん変っております。そういう時勢の変化もございますから、二百三十九号の通達というものがやらないことがよろしいというような文章の通達でありますならば、ただいま次官の仰せられますような御答弁も成り立つわけでありますけれども、しかしながら二百三十九号の通達によりますと明らかに禁止されるところの通達でございます。そういう通達でありますならば、私は運用の面において適切であるというようなことは妥当を欠く答弁ではなかったかと考えられることが第一点であります。 第二点は、通達を出されました当時は教育委員会がなかった、それで勢いそのような通達を出して天皇の神格化というようなことを防止したのだというような御答弁であったわけでございますが、いやしくも文部省が二百三十九号という通達を出して、しかもその後いろいろな社会の情勢なり、あるいは国の情勢なり、そういった変化はあったといたしましても、この通達というものは廃止されません以上は、今日まで私は生きているものと考えます。そこで、今日まで第三次鳩山内閣のいろいろな態度を見て参りましても、たとえば憲法もそうでございますし、あるいはまた教育委員会法も、教科書法もそうでございますが、いずれにしても、これは占領中に押しつけられた憲法であり、押しつけられた教育委員会法であり、教育制度であるということで、今日逐次いろいろな制度の改廃が行われております。そういたしますと、もしそれが時勢の変化あるいは国の立場の変化というようなことで改正すべきであるならば、当然この二百二十九号の通達を明確に廃止して、そして地方教育委員会にまかせるならまかせるというような明確な態度をとるべきだと私は思うのでございます。ところが、いろいろな制度を改革するときには、占領中に押しつけられたので、自主的な制度に改めるのだと言いながら、このような問題が起って参りますと、それは教育委員会がなかったのだというような答弁をされますと、私ども何かそこに割り切れぬもの、言葉を強くして申し上げますならば、一つの矛盾を感ずるような気がするわけでありますが、この二点、いかがでございますか、重ねて御答弁をお願いいたしたいと思います。
○竹尾政府委員 いろいろお説でございますけれども、通達をぜひ変えねばならぬという必要も実はないのじゃないか。必ずしもこれを廃止しなくてもよろしい。今申し上げましたようなことで、委員会もできていることでございますから、その委員会を生かして、そのときどきに適した方法をとればよろしいのじゃないか、こういう工合に私は考えておりますが、なおこの点につきましては、説明員から詳しく説明させますから、御了承願います。
○斎藤説明員 ただいま御質問のありました通達の件でございますが、当時は戦前、戦中にかけまして、本人の意思にかかわらず遥拝その他天皇を神格化する行事が強制的に行われておった、それを排除するための通達であったわけでございます。もう一つはその当時は教育については国の事務として、考え方として文部大臣が直接学校にいろいろなことを、知事を通じて言う仕組みになっておりまして、学校の行事、教科内容等、第一次的な責任をそれぞれの教育委員会に与えるという制度になっておりませんでした。そこで行事等のやり方についてもあるものを禁止するというような指令というか、通達も出したわけでございます。それでお話のように、今通達を直ちに廃止するというようなことは、また強制的にそういう行事をやっていいのだ、やれというような誤解も受けるわけでありまして、その点はまた行き過ぎになるというおそれもあるわけでございますので、むしろこのような行事につきましては、これは強制的にやれ、あるいはやるなということではないのです。しかし児童生徒でございますから、一々児童生徒の意思というわけにも参りませんので、父兄の意思を代表いたしますところの地域の教育委員会が判断をいたしまして、適当だと思う行事をやればこれがいいんじゃないか、かような意味で政務次官は御答弁したわけでございます。直ちに今この通達を廃止するとか、廃止しないということではなくて、それぞれの地域の実情に即して行事を実施したらいいのじゃないか、こういう意味で政務次官も申し上げたと思います。
○河野(正)委員 今政府委員から二段の説明があったわけでございますが、後段の点は了承いたします。前段につきましてはなお若干の疑問がございます。と申しますのは、遥拝あるいは天皇万歳を強制するといったことがあってはならないので通達を出したということでございますけれども、ところがこれは学校の行事でございますから、今ほど総務課長も仰せられましたように、学校の生徒が行事で定められてあることを自分の自由意思でいろいろ行動するということは現実問題として不可能でございますね。先生が礼と言ったのに、おれは礼については反対だから、一部の者は礼をするが一部の者は礼をせぬということは、少くとも義務教育におきましては児童の判断で行動するということは困難である。そこでやはり強制してはいかぬからそういう通達を出したのだ。ところが実際それを行事に織り込みますと、実質的にはそれを強制するという形になってくると思う。これが大学の生徒でしたら、君が代を歌えといってもおれは反対だから歌わぬということはできるでしょう。しかし少くとも義務教育としては現実問題としてできないと思う。そこで行事にそういうことを織り込みますことは、自主性々々々と仰せられますけれども、その自主性が尊重されるかどうかということについては疑問があると思う。そこで私は少くとも義務教育においては、そういうような行事を行うということが自主性に基いて行動されるということでございましょうけれども、現実の面としては不可能であり、強制されることになりますので、私その点はやはり問題があるというように、前段についてはなお疑問があって解消しておりません。その点をもう少し明確にして下さればこれで質問を終りますから、一つ前段の点だけ明確にしていただきたい。
○斎藤説明員 その点はやはり学校の行事といたしましてはどの程度の——もとより現在天皇を神格化するような行事が避けらるべきことは当然でございます。これについては異論のないことでございますけれども、天皇の御誕生の日に当りまして、これを祝うというような感情からいかなる行事を行うかということについては、これは地域の父兄の方々の意向というものによって、そうどれがいい、どれがいかぬということをやらなくてもいいのじゃないか。それぞれ適当な方法によってお祝いするために礼をすることもみな考えればいいのでありますので、そこのところは教育委員会と学校当局の判断にゆだねておけば差しつかえないのじゃないか、こう申し上げるわけであります。
○高村委員 関連して。私は今の具体的問題でなしに、このことは一般論として文部省の御意向を伺ってみたいと思いますが、教育委員会法ができて教育の地方分権というものが行われました後においては、過去の文部大臣の指揮監督的な立場において出された通牒の運命というものがどうなるかという問題ですね。これは法理的に考えれば、すでに文部大臣は地方の教育について指揮監督権というものはなくなっている。従ってそういう権限のなくなったものが、かつて通牒として出したものの効力というものが果して存続しているのかどうかという問題があり得ると思うのです。この問題もそういう意味からいって、私の解するところからすれば、すでに教育委員会の自由な意思によってそういうことを決定し得ることになっておりますから、それに対して指導助言なら別ですけれども、指揮監督的な拘束力のある通達というものはその法律の成立後においては効力を、つまり指揮監督としての効力は失ったと見ることが正しいのじゃないかと思いますが、それはどうでございましょうか。
○斎藤説明員 法律的にはお話のように委員会法によってそれぞれその地域の教育事務につきまして、その団体の機関である教育委員会がこれを処理するようになりましたので、その意味では従来の国の事務として文部大臣が指揮監督をしておった時代に出されておりましたとの指揮監督を内容といたします部分の命令等の効力はそこで失われると思います。ただそれが実際の問題として、命令ではなくして同じように指導助言という考え方から、教育委員会ではいろいろな通達等の線を守っておられるという事実があると思いますが、法律上は先生のおっしゃった通りであると考えております。
○高津委員 竹尾政務次官のお答えの中にはたくさんの内容がありますけれども、私が昨年以来学校で天長節や紀元節と称してそういう式典を行なっているが、それに対して文部大臣は教育委員会と打ち合せてやっているのならばいい、こういう答弁をしておられるし、竹尾政府委員もまたそれを今日繰り返されているのであります。それは教育委員会と打ち合せてやるならばかまわぬということを国会で大臣が発言すれば、どんどんそういうようなことをやる傾向がふえていくのであります。 それから文部省はあるいは清瀬文相は、逆コースをあおってはいないのだ、こういうお言葉でありますけれども、それは文部大臣の発言を、ちっとも驚くべき発言でないとこういうようにあなた方は受け取っておられるが、われわれが冷静に聞いてみると全く逆コースをあおるものであると思うのです。この間は四月十四日の清瀬文部大臣の文化放送の概要を私は自分が意味をとって申し上げましたが、竹尾政府委員に、はっきりした速記があるのですから速記を読んでこの委員会で聞いていただきたいと思います。 清瀬一郎氏 実に感慨無量です。ちょうどあれから十年です。私の相手にしたキーナンも死んでしまった。まあ十年一昔で、実に感慨無量です。 アナウンサー 今度の太平洋戦争の責任が中心だと思うのですが……。清瀬氏それは私はキーナン君が徹底的に間違っとると思います。あの戦争をやったときはですね。自衛ということで起ったんです。自衛ということで起りましたが、しかしながら起った以上の結末として、白色人種の東洋制覇を、これを解放しようという考えがあったんですから、その意味で当時聖戦と名づけたんです。当時の軍人諸君がその考えを持っておられたということは了とすべきであります。 アナウンサー A級戦犯の人たちは今後大いに政治活動をしようという方もおられるんでござんすが、これはどうでしょうか。 清瀬氏 私は日本人である以上はそりゃせられていいと思います。現にわが内閣でも重光外務大臣はA級戦犯でありましたし、私もA級戦犯を弁護した者です。過去における失敗をいつまでも責めるべきものじゃないと思っております。下関の方へ早く行く汽車は、ひっくり返したら青森へも早く行けるんですから、あれだけの力を持っている人が一ぺん戦犯になったからといってグニャーとしてしまわないで、新たな方向へ残年を、今から残っておる生涯をお使いになることは私は賛成しとるんです。 このように戦争の初めは自衛であった、終りは白人の東洋制覇からアジアを解放するのである。少しもあの戦争が、日本には間違ったことではないのだというようなことを文部大臣が考えておるということは全く許しがたいことだと私は思います。このような考えを持っておる人は、戦後の民主主義というものはほとんどみな悪いように心の中では考えておられるに違いないと思うのです。そうして確かにアナウンサーが荒木貞夫あるいは橋本欣五郎などと円座を作ってしゃべられたんでないことは、それはわかっておりますけれども、戦争の責任の問題を質問したのに対して、日本には責任はないのだ、こういう答えなんですね、今の清瀬文部大臣の御発言を聞けば。それからそういう人が政界に出られることをどう思いますかといえば、あれだけの力を持っておった人だから大いにやってもらわにゃならぬ、普通よりももっと高い人と評価をしておられるわけです、荒木さんをでもあるいは橋本さんをでも。ところが橋本さんは、どういうことを言っておられるかといえば、思想を扱う、学問を扱う大切な委員会でありますから、これも速記にもとどめていただきたいし、政府を代表して出ておられる方にも聞いてもらいたいと思うのです。やはり短いから読ませていただきますが、 橋本欣五郎氏 東京裁判はね、一つのショウであると僕は思うね。見せ物。要するに日本を弱体化しようと思っとるんだね。弱体化そうとするためには、今までの日本がずっと来りし方式を一ぺん転覆してこわしてしまわにゃならぬと、それには東条と今までのしきたりをずっとついてきとるような人を、首、切ってしまうというのが一番ひどく当るわけなんだね。しかしながら思想的に僕の持っとる思想が極右じゃとキャツら言うんですよ。あにはからんや、極右どころか、おれはむしろ政策面等においては、非常な左の考え方を持っとるんだけれども、極右にしてしまって、僕をつまり終身禁錮にさした。そしてその名目は満州事件をやったとこういうので終身禁錮になった。 それからほかの人の会話が入ってまた橋本欣五郎氏 戦争をやるべく大いに宣伝をしたということは事実ですよ。そうしてこれが敗けたということはまことに僕は国民に相済まぬと思っておるですよ。そりゃはっきりしとりますよ。けれども外国に向って相済まないと一つも思っておらない。 アナウンサー 勝つという目当もつかないで戦争を始めるなどということはおかしな話じゃないか。 橋本氏 わっちら断然勝つと思っとったんだ。けれどもそれは敗けたんだ。これは敗けたから相済まない、勝たんと思っとるのに戦争する人はないですよ。そりや東条さんでもだれでもみんな勝つと思っとった。 アナウンサー やっぱり誤算があったわけですか。 橋本氏 うん、つまり誤算でしょうね。つまり日本の国力が足らなかったと。 アナウンサー 足らないものを足りると評価したことですか。 橋本氏 そうです。これくらいなら勝てるだろうと思ったやつが足らなかった。そりゃ誤算ですよ。こりゃ間違いない。それから作戦上の間違いも、そりゃあると思うですね。大体ね、王手がないいくさをやっとるんだ。そんなら飛車、角を行きゃよかったんだ。歩ばかり追っちゃったんだ。ジャワやスマトラじゃ、ガタルカナルだというようなとこへやっとった。これが非常に僕は悪かったと思うね。 「巣鴨出られてからずいぶん激励の手紙なぞ……」とアナウンサーが言うと ああ、何千本と来たよ。もう余生少いこったから、なあにもせんでお寺におるというわけにもいかんですわ。堂々と政治に出て、自分の償いをしようという今の考えです。 こういうことを言っているのであります。 それからもう一人だけ皆さんのお許しを願いたいのでありますが、これは荒木大将の発言です。 勝ったとは僕は言わせないです。負けたとは私は言わぬ。まだやって、勝つか負けるかわからぬですよ。あのときに上陸してごらんなさい。私、後に研究したけれど、あのときの上陸の第一回は多々良浜と、あそこでやっているし、兵力からいっても、やり方からいっても、あれ九州から上ってくることになっていますがね。それから、それが済んでから、その相模湾に上ってくると彼らは計画を発表しているもんね。 九州——とにかくやったらば、血は流したかもしれんけど、さんたんたる光景を、敵軍が私は受けたと思いますね。 そういうことでもって、終戦になったんでしょう。だから、敗戦とはいってないよ。終戦といっとる。それを文士や何やらが、やせがまんをして終戦なんといわぬで、敗戦じゃないか、負けたんじゃないかといっとる。そりゃ、いくさを知らないものの言ですよ。(机を激しくたたく)簡単な言葉で言やあ、負けたと思うときに初めて負けるんだと、負けたと思わなけりゃ負けるものじゃないということを、歴戦の士は教えているものね。さらにこの戦争は、アメリカのルーズヴェルトの一つの野心による戦争への誘導に日本が落ちたんだと、これを侵略国などというのは、私は当らないのだと、これは幾らでも、私は議論をする余地を持っております。ジリ貧といった東条君の言葉も、私は必ずしもこれを一人を責めることはできぬじゃないかと、どうせしなびてしまわるようにさせられるのなら、目の黒いうちに、一か八かしようというのは、普通の人の、こりゃ頭じゃないかと、こう私は言いたいのです。 もうちょっと、大事なことですから……。 年をとったなんて言っちゃおられないですよ。年をとったからといって、政治年令です。暦年令じゃない、政治年令にはそんなことはない。二十才だっても立てない人もおるし、百だっても動いている人がいるじゃないですか。徳富さん九十四、そうらもう筆をとって頭の方からいったら、とてもやっぱり壮年ですよ。それで結論とすると、私はもう悪口を言われようが、そんなことは考えてるときじゃないです。おー お、政界だろうが民間だろうが、どこへでも……。 そう来なくっちゃあ、何と言われてもですね。まあとりあえずやるものは国民運動に限る。国民運動はただべらべらこうしゃべっとっても、そのとき消えちまうでしょ。講演なんて聞いてもわれわれは、あーあと思うと、帰ってきて忘れてしまいますからね。どうしても組織を持たなくっちゃいかぬです。必ずこれ実行しようと。戦争中にあったことは、いつまでもぐずくず言うのは、これは間違いだ。 今日くらい殺人の多い時代は、おそらくは過去に、私の承知しているうちではないですよ。焼け死ぬなんていうのは昔はなかった。そういうのは、何から来ているかというと、心のゆるみでしょう。自分がない、そうなってくると。 そこで占領政策中のものはもう一回思い直してもらいたい、と、白紙に返していただきたい、と、で、逆コースというやつに対して私はこう言うとるですよ。ジャングルの中に入ったやつが、一番抜け出すためにいいのは逆コースをとるんだ、と、これあ困ったなと思ったら、もとの道をずうとやらして大通りに出て、もう一回考え直して出て行くんだ、と。その考え直すところまで行くのは逆コースなら逆コースでよろしいと、それで私は、今、端的に言うなら、憲法の問題、ぐずぐず何か言うなら、五カ条の御誓文でいいじゃないかと。 アナウンサーが「教育勅語なんかどう考えてます。」こう言うと、 ああ、もう、こりゃ当然教育勅語によって教育の根本を立てるべきものなり、と、こう結論します。教育勅語というものは、りっぱな最高道徳水準を示されているんだ。これによっていってどこが悪いのであるか。勅語であるからいかぬというのは、こりゃもうけしからぬことですよ。真理を研究しているところの学者連中が、なぜ真理というものに対して、ああも偏極にやるのか、あーあ、矢内原さんでも、あの学者の連中も誤解じゃないですか、それをあえてやるというには、何かあるんじゃないか、と、どうも当りまえじゃない、いわゆる魔がさしているんじゃないかと、まあ言いたい。昔よくあるですわね、と思います。 それで、およそこのように巣鴨から出てきておる人が、そういうふうに張り切って、逆コースに油を注いでいる。清瀬文部大臣は、このように有力な人は政界へ大いに出てもらわなければならぬ、こういうように言われるのでは、私は、学校が祝日に関する法律などにない天長節とかあるいは紀元節などというような名前をつけて、休みの日にも全員を登校させてそうして全く許すことのできないような講演をやる風潮ができておるのでありまして、これは文部省は運営の面で少し引き締めるくらいにせねばならぬのに、それをいよいよ手放しに、あっちへ行け行けというようになさっているものであると、こう私は考えるのであります。反対党だからそう考えるのではなしに、清瀬さんの今のやり方は恐しいことで、黙って見ておれない、こう考えるのでありますが、あなたは逆コースをなさってはいないと、相変らずお答えになるのでしょうか。私も長く質問したのでありますから、あなたも、そういうことはございませんという簡単なことでなく、あなたのうんちくを傾けて一つ御答弁を得たいと思います。
○竹尾政府委員 高津委員さんは、今いろいろ引用されましたが、引用された放送の前半はこの間お読み下さいまして、私も拝聴いたしております。後半の方は、荒木さんの方は今初めて拝聴いたします。そこで先般の清瀬文相に関することでございますが、これはそのときに清瀬大臣から詳しく御答弁もなされたのでございますので、私からとやかく申し上げる筋ではないと思いますし、また橋本欣五郎さんや荒木貞夫さんの思想等々につきましてはこの席で私が御答弁するのはどうかと思いますので、差し控えたいと存じます。 その行事の点につきましては、 これは再三お答え申し上げました通り、教育委員会と打ち合せをいたしましてきめればよいことでございまして、これは大臣のお考えというよりかも文部省全体の考え方である、こう御答弁申し上げたいと思います。まあうんちくの方はさっぱりございませんので、この点一つ了承を願いたいと思います。
○高津委員 それは学校で天長節にちなんだ講演をする講演の中に、天皇は日本人すべての親である云々というのでありますが、歴史的事実から考えまして天から一人の天照大神あるいは神武天皇なるものが降ってきて、それから今の八千九百万にだんだんふえて今日まで広がったのではないことは明らかであって、その当時トライブといいますかいろいろの族があって、そうしてその中に生存競争が行われまして他のものはこれに従うことになったのであって、一つの族を十人と見るか何人と見るかによって違いますけれども、たとえていえば原住の民族九千九百九十九対一、それが天皇族だろうと思うのです。従いましてわれわれはその原住の方に大部分は入っておるわけなんです。天皇族の子孫であるという確率はきわめて低いわけなんです。歩きおる人間の千人に一人が天皇族なんだが、われわれは原住民族の一人なんです。それで天皇は日本人すべての親である、そして天皇は親切な方だ云々とその徳をたたえておるのでありますが、日本の道徳教育のもとに、天皇に関連して道徳教育を教えようということは私は間違っておると思う。文部省においては天皇を中心に道徳というものを興していった方がいい、それだから象徴という言葉も何か変えればいいという思想もあなたの党派に生まれてきておるのであって、天皇というものを道徳に関連して、からませて学校の先生が子供に説くということは私は間違いだと思うが、文部省はどうお考えですか。
○竹尾政府委員 この点につきましては大臣の御答弁もされてあると思いますので、高津委員のお説にも賛同をされておる点があったかと記憶いたします。天皇の地位につきましてはこれは憲法下、定めてある通りでございまして、私どもが行事を行うという点につきましては、これは再三繰り返して申し上げますが、教育委員会との了解、打ち合せがあればそれでよろしい、こういうふうにお答え申し上げたいと存じております。
○高津委員 それでは先に竹尾政務次官のお言葉の中に、この法案に現われておる検定制度は現行制度と変ったものではない、従来省令であったものを法案に明文化したにすぎない、このような御意見でありますが、何も加わったものはないという御意見に受け取ってようございますか。
○竹尾政府委員 先ほど御答弁申し上げましたのは、検定制度の基本になるものは現行制度と変りはないのだ、こう申し上げたのでございまして、従来の省令告示等で規制されておるものが本法の中に取り入れてある、こう申し上げたのでありまして、精神としてはそうである、こう申し上げたのですが、なお詳しい点は説明員から説明をいたさせますから御了承願います。
○安達説明員 従来の制度を法律化した以外に新しく加わりました制度といたしましては、一番大きいものは検定の有効期間という制度でございます。従来これは全然なかった制度でございます。それからそれに関連しまして十一条の検定の失効でございます。それから手続面で若干従来の制度を改めたという点では「説明書の交付」というのがございます。これは従来口頭で伝えておりましたのを説明書という文書で伝えることにいたしたことでございます。それから十二条の「検定に合格した図書の修正」というのがございます。それは従来発行者の任意でやっておりました点を十二条で一つの義務といたした点が異ったわけでございます。それから第七条につきましては、先ほど申し上げましたように、従来若干実際上の手続として行なっておりました点を明文化いたしますとともに、第七条の二項は、従来は一たん検定に合格したものの改訂版はいつでもできるようになっておった点がございますが、そういう点に著しく類似しておると認められる図書については四年間は行わないということを明らかにいたした点が違うわけでございますが、その他の点は大体従来の省令等の規定を整備いたした点でございます。
○高津委員 供給の面について考えてみまして、この法案の中に供給の業務に当っておるものは各都道府県に根を張っておる特約供給所、そのほかに日本教科書販売株式会社、すなわち日教販あるいは教販あるいは中央社、こういうようなものに何十の教科書会社が教科書の供給を扱わせておるのであります。すなわち特約供給所とその大取次といわれる日教敗などが契約をして、そうして児童生徒に教科書が渡るように明らかに供給の仕事をやっておるのでありますが、これがこの法案には全然顔を出さないようにしてあるが、それはどういう理由があるのでしょうか。同じように扱ったらよかりそうなものであるが……。
○竹尾政府委員 お答え申し上げます。ただいま御指摘の点でございますが、これは高津委員がとくと御承知の通り、今までは発行者と特約店と県下にある小売、こういう線に加えまして大取次という制度——制度ではございませんでしょうが、大取次というものが、今御指摘の三者に加えてもう一者、四者ございます。この大取次は、御承知のように大体発行者の大手筋も加わってはおりますが、それ以外の大多数の兼業者と申しましょうか、三省堂さんなどが入っておりますが、数は四、五十ございましょう。そういう社で発行いたしまする教科書を、大部分ここで発送と、それから代金の回収までやっているところがあるようでございます。そういう現状でありまして、今高津委員のお尋ねは、なぜこの大取次をこの法案の中のどっかにうたわないか、こういうお尋ねだと思いますが、なるほど、扱っている教科書のパーセンテージは、全体の教科書の約四〇%程度になっておりましょう。しかし大体の契約は、発行者と特約業者、それから県下の小売、こういう筋を通しまして、従来も発行者と特約店は、契約に基きまして、大取次の方は直接県下の小売に発送もし、場合によっては取り立てもいたす、こういう制度になっておるようでございますが、この基本線というものは、あくまで発行者と特約店と小売、こういう線で進んでおりまするので、大取次の方は、もちろんそういう存在が必要であれば、これは今後ともそれでいいのでございまして、これをこの法案の対象にしない方が自然ではなかろうか、こういう考え方でこの法案には大取次の方は全然頭を出していない、こういう事情でございます。なお詳しいことは説明員から説明いたさせます。
○安達説明員 ただいま政務次官から申し上げました通りでございますが、つまり発行者と特約店との間に供給委託契約がございまして、それを実施するところの一つの方法、手段といたしまして大取次という制度と申しますか、それが用いられておるわけでございまして、大取次と称しますのは、本質的には配送機関でございますので、今政務次官からお話がありましたように、すべてのものを法の対象にする必要はなくて、最小限必要なものだけについて法的な規制を加える方がよかろう、こういうことで、発行供給の基本線でございまする発行者、特約、小売、こういうルートを基本的に規制をする、こういう考え方でございます。大取次という制度は終戦後できたものでございまして、その機能は十分御承知だと思いますが、そういうものをあえて排斥するつもりはございません。そういうものが自由契約に基いて存在することはそれといたしまして、あえてこれに法的な規制を加える必要はない、こういう意味でございます。
○高津委員 日教販、共販、中央社、大阪の一社、この大取次というものは基本線ではない、しかし配送機関だと言われますが、小さい教科書出版社はそれに全部をまかせておるところもあるので、その出版社から言えば基本線が大事な部分だと思うのです。それから、法案の対象にしない方が自然だ、こう言われるが、現実にそういうものがある以上は、一方をまま子にして一方を長男のような扱いをしないで、やはり法案に織り込むべきだろうという疑問が私にはまだ解けないのであります。そうするとこれは施行細則とか省令とかいうものの方に入ってくるのでしょうか。
○安達説明員 最初は小規模の発行者にとっては配給の基本線ではなかろうかというお尋ねでございます。私の方へ委託契約というものを発行計画の一部として現在出されておりますけれども、その場合にも、必ず従来の特約業者との間に供給契約が結ばれておりまして、その契約を便宜日教販その他の大取次にまかせる、こういうことになっております。従いまして、小さい企業の発行者の場合でも、やはり特約というネックは必ず通るわけでございます。そういう意味では特約は基本線でございますが、六割のものについては大取次は通らない、こういうような点につきましては基本線ではないというように考えておるのであります。 それから第二点でございますが、大取次をまま子扱いにするのではないか、あるいはこれをどういうように省令、政令等で規制をするかということでございますが、これはただいま申し上げましたように、すべての発行者が四十一条の規定によって特約との間に供給契約を締結するわけでございまして、その締結したところに従って教科書を供給する。その契約について四十三条で文部大臣の承認を受けるわけでございます。従いましてその発行計画の中に、自分はこういう特約と結んでこういう契約で教科書を供給するけれども、その配送についてはこういう大取次を使うということを発行計画の一部としてお届けを願う、こういうようなことによりまして、その現実の状態もさらに把握していくということにすれば、決して大取次そのものの機能を否定するという意味は全然ないわけでございまして、それぞれの機能に従ってそれぞれの法的な規制を加える、こういう考え方でございます。
○高津委員 教科書の四〇%扱う業者がある。片方はいわゆる特約業者があって、六〇%扱っている。四〇と六〇という状態は、社会党の百五十三と二百九十八というよりはもっと幅が狭いですよ。少数をもっともっと尊重すべきじゃあるまいか。六〇対四〇というのは相当のものですよ。それは基本線でない。そういう線も明らかに基本線ですよ。これに対する御答弁を承わりたいです。
○安達説明員 ただいま特約の方は六〇%で、大取次は四〇%というお話がありました。これはそういうわけではございませんので、特約は一〇〇%利用されております。その四〇%と申しますのは、発行者が大取次を通じないで、特約を通じて直送するものが六〇%で、大取次を配送機関として使うものが四〇%である、こういうことを申し上げたのであります。もしその四〇%の配送機関である大取次をやれば、六〇%を送るいろいろな配送会社があるわけでございますので、それをも規制の対象に加えなければならぬ、こういうことになるわけでございまして、従ってそれで大坂次の場合でも必ず特約を通ずるわけでございます。その意味におきましては、特約は一〇〇%利用されておるわけでありますが、その点十分御了解いただきたいと思います。
○高津委員 従来の特約供給所というものが、どのルートを通ってこようと一〇〇%扱うのだ。それは了解いたしました。しかし四〇%というようなものの通っていく道があれば、大取次というものも具体的な大きな存在であって、それは法律に載らないような扱いでなく、やはり法律に載せるのがその業者をも安心せしめるゆえんではないですか、何か載せると言われるのですか、どうもさっきの答えでは……。
○安達説明員 今四〇%とおっしゃいましたが、四〇%を扱うからそれをも規制の対象にするならば、あとの六〇勉を発行者は直送しておるわけでございますけれども、その直送する場合に便宜いろいろな配送機関を使っておるわけでございます。それをも規制の対象にせざるを得ないというようなことになろうかと思うのでございます。この点はしばらくおきましても、原則的に大取次というものは配送機関である。しかしながら相当な部数も取り扱うことであるからして、省令等でこの発行計画の場合に発行者から届けてもらう、こういうことによってその地位も明らかになろう。これを法律化するということはあとの六〇%の均衡上もどうかと思われますし、本質的な配送機関も供給であるからといってすべてこれを法の規制の対象にすることはいかがかという、こういう見地に立っておるわけでございます。
○佐藤委員長 午前の会議はこの程度とし、午後一時三十分より再開いたします。 これで休憩いたします。 午後零時二十四分休憩 ————◇————— 午後四時開議
○山崎(始)委員長代理 休憩前に引き続き会議を開きます。 委員長が所用のため出席がおくれますので、委員長の指名で理事の私がその職務を行います。それでは質疑を続行いたします。高津正道君。
○高津委員 私はまず質問の趣旨を申しますが、私はこう考えておるのです。この教科書法案が通過して実施されれば、教科書の内容にも統制が行われ、またその進歩もとめられるであろう。採択の面でも大規模なスキャンダルの発生を誘発するだろうし、発行の面では約八十社の教科書出版会社が現在は営業をしているけれども、二、三年ならずして大手七社あるいは八社のみが残存することとなり、百数十億円の売り上げはそれら数社の独占に帰するであろう。このような大きい憂いを抱いておるのでありますが、まず採択地区の問題についてお尋ねをします。 文部省は採択地区を設定するように指示をしていられると聞くのでありますが、それは事実でしょうか。
○竹尾政府委員 お言葉でございますが、指示はしておりません。
○高津委員 私は指示をされて、すでに大分や佐賀や宮崎などは一採択地区になり、静岡は三つ、福岡は四つというようにほとんどきまっておるように開いておりますが、それでは、この大採択地区主義といいますか、こういう方針でいかれると、教科書に関する限り、環境主義的教育というものは成り立たなくなるであろう、こういう強い疑念を持つのであります。一県一区の場合で申しますと、一つの県には普通山間地帯、平坦地帯、そうして海岸地帯というような区別もあるし、あるいは都市とその周辺が一つの種類で、他の農山村地帯がもう一つの種類というように二つに分れるのも事実であります。それを一種類の教科書で教えていくのでは、環境に即した教育を行うということは非常に困難になろう、こういう欠点があると思われるのでありますが、政府の御見解をお伺いします。
○竹尾政府委員 今、高津委員のおっしゃられるようなことをそのまま実行に移すといたしますれば、そうした懸念があるいはあるかとも思います。しかしこの法案の第二十一条に、採択地区につきましては自然的、経済的、文化的諸条件に照らして、その地域に適応するところの教科書を採択する、こういうふうに明らかに法案にもうたっておりまするので、高津委員の御懸念になられるようなことが起らないように努力をいたしたいと存じております。
○高津委員 確かに第二十一条第二項には「採択地区は、教育上考慮すべき自然的、経済的、文化的諸条件に照らし、その地域内の右町村立の小学校及び中学校においては、同一種類の教科書を使用することが適当と認められるものでなければならない。」と書いてはありますけれども、私の質問はやっぱり答えられないで残っているように思います。それはそうしようといっても、今も大分とか宮崎、佐賀というように一県一採択地区になる場合には、一種目の中でまたあるかもしれぬが、一種目について一種類の教科書を選ぶんじゃないですか。
○竹尾政府委員 今御指摘の府県にそういうような指示を与えているかどうかというようなお尋ねでございましたが、そういうことはございません。そういう県に対しておそらく一つの採択地区を設けるというようなことはあり得ないと思いまするし、ここの二十一条二項にうたっているような原則に照らしまして、重ねて申し上げるようですが、そういう弊害の起らないように極力努力をいたしたい、こう考えておる次第でございします。
○高津委員 第二十一条の第一項には「その区域を一の採択地区とすることができる。」とはっきり書いてあるので、そこについてもう必ずこういうことは言えるだろうと思うのです。必ずしも自然的、経済的、文化的諸条件がその県でそろっておるわけはないのでありますから、それで政府に聞くのでありますが、それならば何ゆえに法案に一県を一採択地区にすることができるということを書くのであるか。書いてはあるがそうはしないように努めますというのですか。
○竹尾政府委員 この自然的、経済的、文化的諸条件に照らしまして今高津委員のおっしゃられました諸条件の違うところにおきましては違った採択地区を設けるのが当然でございまして、この第二十一条の第一項の三行目に「次項の規定を考慮して適当と認められるときは、その区域を一の採択地区とすることができる。」こういうふうにうたっておるのでございまして、適当と認められないときは当然その県を幾つかの採択地区に分ける、こういうことに相なろうかと存じます。
○高津委員 それでは一つの県は一採択地区にするということはこの法律では許されぬ、こう理解してよろしゅうございますか。
○竹尾政府委員 一つの県で、まあ地域の小さい県と仮定してもよろしゅうございますが、そういう県でもここにうたってあります通り自然的、経済的、文化的条件が違う場合にはこれは当然採択地区は違って参ると思うのです。ただそういう諸条件を考慮して条件が同じであるというような場合には、あるいは一県を一採択地区にきめるというようないとも起り得るのじゃないかと思うので、そういうことを考慮いたしまして一つの採択地区とすることができる、こういうふうにきめたと思うのです。
○高村委員 関連して。第二十一条第二項の採択地区の関係でございますが、高津委員の質問に対して、いろいろ御当局から、御答弁がございましたが、私は今日の文化の発達した状況のもとにおいて、教科書を決定する上において、自然的、経済的あるいは文化的諸条件が違うからというので、特に採択地域を細分しなければならぬという考え方は、どうも納得がいかない。ことに今次の教科書の性質というものは、従来のごとき性格のものではなくて、一つの教材にすぎない。そして教員は、自由な考え方によってこれを使いますけれども、自由な考え方でその内容等は教え得るということになっておりますから、これは教育のやり方によって幾らでも弾力性のある教育はなし得るのです。そうすると、教科書という一つの主たる教材ではございますが、こういうものを採用するに当って、一県を細分して採択地区をきめなければならぬという考え方そのものが、私は非常に時代おくれのような気がいたしますが、もしも文部省でそういった強い考え方を持っておれば、そのことがかえって地方に影響して、無理に何か採択地区を分けて異なった教科書を採用しなければいかぬような錯覚を起す危険がありはしないか、かように思いますが、この点はいかがですか。
○竹尾政府委員 これはもう皆様とくと御承知のように、教育の本旨といたしまするところは、その地域々々の地域社会における最も有効適切な教育を完成するということが一つの方針でございますから、そういう意味でやはり自然的、経済的、文化的の諸条件が違うという考え方は、これは無理でない考え方である、こういう工合に私どもは考えておりますので、その地域に適用し得べき教科書を採択するとなりますれば、自然に採択地区というものが幾つかに分れるという結果にもなり得ることがあるのでございまして、そういう意味合いでこの条文は作られたものである、こういう工合に考えております。
○高村委員 私は関連質問だから、あまりしつこくは申しませんが、私はこの条文そのものに反対というわけじゃないのです。ただこの条文で、教科書を採択するときに、一つの府県というものが細分される場合がもちろんありましょう。が、必ずしもそうでなくてもいい。先ほど申しましたように、今日では文化の交流も非常に激しくなってきているし、距離も狭くなってきているわけでありますから、従って何も都市と農村だから教科書を変えなければならぬといったあれは、封建時代と違って、非常に違うわけであります。かつては、日本は全部国定を使っておりましたが、私は何も国定を主張するものじゃないので、検定制度を貫くとして、なおかつそういうことが言い得るということを思うのでありまして、このことは、今お話しのような、環境教育といいますか、そういうことを重視することとは少しも矛盾しない、こう私は思っているのです。それはまた教科書以外のことで、いろいろ郷土の歴史とかいうようなものは教えるでございましょうし、またそういうものを教科書で取り上げるわけにもいかぬでございましょうから、私はどうもこれは、いわゆる環境教育と申しますか、そういうものに少しとらわれ過ぎた考え方が不必要に強くなっておるのじゃないかというふうなことを感じますので、これは地方の方で採用されるときに、その点は、中央の考え方が強い影響を与えないように、一つぜひ御注意をいただきたいということを、私は特にお願いを申し上げておきたいと思います。
○竹尾政府委員 御趣旨はよくわかりましたが、そのためにも第二十二条の教科書選定協議会というようなものを設けることになっておりますので、そういう選定協議会等々で十分御協議を願いまして、御説のような心配のないように努力をいたしたいと存じております。
○加藤(精)委員 関連。ただいま教科書の採択地域についていろいろ真剣な御質問があったのでありますが、私もこの問題は今度の法律で最も重要な部分に属するものと考えておりますので、お尋ねしたいのでありますが、大体一県数地域主義というものが本則であって、一県一採択地域というのは例外だと私は解釈して、それで例外は狭きに過ぎて解釈するという法律解釈の原則に従って考えるのです。そういうふうに御指導に相なるということに理解してよろしゅうございますか。事務当局の方じゃなしに、政務次官の方から伺いたいのですが、立法者の考え方がどこにあるのか、まず先にお聞きしたい。
○竹尾政府委員 一県数地区主義あるいは小県一地区主義というような固まった意味の気持でこれは作ったのであるというふうに断言はできないと思いますので、この条文にあります通り、諸条件が違う場合には幾つかの地区に分ける、違わないときには別途の方法を考える、こういう工合に少しゆとりのある解釈をしていただいた方がよろしいのではないか、こういう工合に考えております。
○加藤(精)委員 どうもはっきりしませんが、一つの県で、諸多の社会的、経済的、文化的な環境に従って、同一教科書を採択するのに適すると認める地域を限って、県の教育委員会が採択地域を区割りする、こういうことの御説明の中に、私の理解するところによれば、六・三新教育の本質は、地域社会教育であるから、しかるがゆえにこういうふうな立法をしたという政務次官の説明があったのですが、そこまで強くおっしゃったかどうかわからないけれども、理念的に政務次官の御説明を拝聴しておれば……。果してしかりとすれば、採択地域の問題については、文部省は大体一県数地域ということを根本として御規定になった、こう理解するのでございまして、各学校ごとに教科書の採択をさせる、学校の先生の採択自由というものを樹皮に広く認めるという社会党の考え方とは相当対照的なものになる、そういうわけじゃないのですけれども、社会党の方たちの言われるほどではないけれども、やっぱり地域社会教育という六・三新教育の従来の御方針をかなり濃厚に盛った考え方の基礎の上に立って、一県数地域採択地区をお考えになっておられると思う。果してそうでありますれば、一県数地域というのが原則で、そして県が大きい小さいを問わず、一県一採択地域にするということは、これは例外として認める。法文を読めば、だれでもがそう受け取れるような法文なんです。例外という場合には、例外は狭きに解するというふうに考えるのが解釈法学の原則でございますので、すなおにそれをお認めになっていただけないかということを私は言っておるのであります。
○竹尾政府委員 たびたび申し上げるようですが、そういうような原則を考えてこの条文を作ったのではないのでございまして、この二十一条の規定通りに、これはいろいろ読み方によって違いましょうけれども、そうした条件の違う場合には、諸条件に照して採択地区を幾つかにする、こういうことなのでありまして、さように御了承願いたいと思います。
○加藤(精)委員 ただいまのは見解の相違でございますから、私深くそれ以上御質問いたしません。私この間中からどうも感じているのでございますが、教育というのはいろいろな方向から考えなければいかぬと思うのでございますけれども、先生の側から見れば、教科書はどんな教科書でも自由に使えるのが一番いいだろうと思うのでございます。そういう意味からいえば、学校のそれぞれの担任の先生が教科書の選択をするのが一番本道だと思うのでありますが、その方面だけから考えられないことがある。たとえば教育測定というようなことからいいまして、町村合併による大町村で二十学級、三十学級という統合中学ができている。中学は学年が三年しかないのですから、同じ学級が十も十五もある学校がたくさんできるわけです。そうすれば担任の先生が非常にたくさん要る。そういうような場合に、その担当ごとにめいめいの先生が違った教科書をお使いになるというような場合に、学校として各学級の児童生徒の教育測定なんかをやります場合に、学校教育上非常に困難な問題がありはしないか。そういうような点について、社会党の方々がお考えなさる極限はそこだと思う。社会党の案はそうなっていませんが、教師の自由選択ということに対しては限界があるのじゃないかと思うのであります。それでその教科書の採択地域を考える場合に、地域社会全般、あるいは県全般、あるいは国の児童生徒全般についての教育測定というようなことからの御考慮が、立案の根底にあるかどうか、それを一応お聞きしておきたいと思います。
○竹尾政府委員 そうした一つの原則を、これこれこうであるというような工合に定めて、この教科書の採択を決定するような工合には考えられないと思いますが、先生の自由選択に際限もなくまかせるというようなことにつきましては、これは問題がございますので、今度の教科書選定協議会におきましても、もちろんこれは市町村立の小中学校の校長先生や職員の方も入ると思いますが、そのほかに市町村の教育委員とか、あるいは教育長とか、あるいは県の教育委員会の指導主事でありますとかその他の職員が入りますし、それから教科書の発行にもちろん関係のない学識経験者も入っていただくというようなことになろうと思いますので、そういう点でほどよく調整いたしまして、厳正、中正な教科書の採択を行いたい、こういう工合に考えている次第でございます。
○加藤(精)委員 了解。
○辻原委員 今の高村さんそれから加藤さんの御質問になった採択地域の解釈の問題ですが、これは私は別にその本文の中の採択地域の設定がいいとか悪いとかいう問題じゃありませんが、今政務次官からのお答えによりますと、高村さんの御質問に対しても、何か肯定せられたようなふうに聞えましたし、それから加藤さんの御質問にも、肯定せられたような御答弁を承わったわけでありますが、高村さんの御質問は——高村さんの御質問の中には、私自身の意見からいうと、若干の誤謬を発見するわけでありますけれども、そのお尋ねの趣旨は採択地域はそれぞれの諸条件を考慮するということで、細分化するということはあまりにもそれはとらわれ過ぎているのじゃないか、だから都道府県という範囲内であれば、一元化して地域の設定をすることがむしろ望ましいのじゃないか、そういう趣旨にこの法文は若干考えて差しつかえないかというような意味合いの質問であった。ところが加藤さんの場合には、これはむしろ私らの意見と原則的には一致している。それは、教科書は本来教員が採択すべきものである。この原則の上に立ってやはり考えていくべきである。その場合に徹底した考え方は何かというと、あくまでも教員採択というこの現行法の慣例というか現行法のとっている方針を貫くのが最も徹底したやり方であろう。しかしこの趣旨は、それから一歩ずつだんだんゆるんできて、そこで都道府県の中では、原則は、二十一条にかかっているように、いわゆる都道府県の中において郡市を中心として採択地域を設定するのが、これがこの法案の考え方ではないか。例外としてその二項にかかっているところの、諸条件を勘案した場合に、適当と認められる場合だけのみこれは都道府県で一地域を設定する、こういうような考え方ではないかというのが加藤さんの御質問であったと私は思うのです。提案者としては、この点の解釈は統一して明快にしておかぬと、与党の中で全く違った御質問が出ている。それを私の聞く範囲においては、おそらく竹尾さんは、加藤さんの御質問に対してはまさにその通りでございますという答弁があるだろうと思った。ところがそういう趣旨ではございませんという御答弁であったので、私はあえて関連せざるを得ないようになったわけですが、その点は、これは法案を出された責任上明確にしておかぬと、このことは法案の立案過程においては最も重要視されて、しかもこの法案に非常に関心を持つ関係筋等においては、採択地域がかりにこのように限定されてきても、その中において都道府県が中心であるのか郡市が中心であるのかという点については、異常な関心を払っているところなんです。従って将来法案が施行された場合に、これは都道府県が原則であって、郡市単位については、その地域の諸条件を考慮してできるんだという解釈が成り立つとするならば、これも非常に問題が出る。また逆に郡市が中心で都道府県が例外だという解釈をした場合においても、現在この法文を見てそう思っていない人には、また非常に法文の解釈上とまどいをさせると思うので、この点については明確に解釈を下しておく必要があると思います。
○高村委員 ちょっと御答弁にならない前に、私の質問に触れられたから、申し上げた方がいいと思いますので、許して下さい。
○山崎委員長代理 関連して高村君。
○高村委員 私は、社会党の委員の方からお話しがありましたが、この条文そのものには決して異議はないわけなんです。ただ問題は、ここで社会党の高津委員の御質問は、文化的あるいは経済的、政治的ないろいろな情勢が、環境教育の立場から細分した方がいいんだ、従って一県でやるということは非常な間違いじゃないかといったような趣旨の御質問があったから、私はこれは条文のままに読んでもらいたい、地方の見るところによって、一県でやってもいいじゃないか、今日は非常に時代も変ってきているし、距離も近くなっているんだからということを申し上げたので、その点においては決してこの条文の趣旨に反対ではない。私は条文は筋のままに、この条文に書いてあるままに地方には映るようにしてもらいたい。ただ文部省の方で、地方に対して、いや、こうは書いてあるけれども、実は一県一採択ということは好ましくないんだということは言ってもらいたくない、こういう意味で御質問したのですから、どうぞ誤解のないようにしてもらいたい。
○竹尾政府委員 この細分がよろしいか、あるいは一県一地区主義がよろしいかというような点をめぐりまして、御承知のようにこの採択地区の問題については非常に議論があったところでございまして、その点につきましては、辻原委員もとくと御承知のことと存じます。そこでこの条文には「自然的、経済的、文化的諸条件」云々、こううたっておりまして、私どもは一県一区を原則としてこの採択地区を立てたものではないということははっきり申し上げ得ると思うのでございます。そこでこれは条文の解釈や読み方によっていろいろ違うかもしれませんが、できるだけこの第二十一条を正しく読んでいただきまして、採択に対して誤まりなきようにしていただきたい、こういうことが私どもの念願でございます。
○辻原委員 今政務次官のお話によると、政府の解釈としては、原則は郡市の単位の採択地域であって、例外として都道府県一本だというふうに常識的に解釈してくれ、こういうことなんですか。
○竹尾政府委員 そういう意味でもないのでございまして、一県一区を原則として採択地区を作るべきであるという考え方ではない、こういうことでございます。でありまするから、そこで第二十条の二項の、こうした諸条件に照らして幾つかの採択地区が結果的には生まれるであろう、という工合に解釈していただいてよろしいのじゃないか、こういう工合に考えております。
○加藤(精)委員 関連して……。私、文部当局にお願いしますが、あしたも午前中から委員会があるわけでありますから、それであした当局の方で十分御研究になって、一般の人にわかるような統一説明をしていただきたいと思いますので、きょうお答えにならぬでいただきたいと思うのであります。
○竹尾政府委員 それではそういう御要求もございますので、これ以上申し上げたくないのでございますが、これは「ただし」というただし書きになっておりますので、とりようによりましては、一県一区は例外である、こういう工合にも解釈ができると思いますけれども、なおこの点については、誤解を生じないために、明日はっきりしたお答えを申し上げたいと存じます。
○高津委員 ただいま竹尾政府委員から、一つの県が一つの採択地区を設定する場合もあると、このような御答弁がありました。そしてまさにこの法文にはその通りになっております。しかし一集一採択地区にしたり、大きな県を二つあるいは三つ程度に分けたのでは、自然的、経済的、文化的諸条件が一つだと一つにしていいということが言えないのではあるまいか、かゆいところに手の届かない無理な教科書を使う子供がたくさんできるのではないか、そうであるならば、環境を尊重するという教育は阻まれる結果になる、こう考えるのでありますが、これに対するお答えをいただきたいと思います。
○竹尾政府委員 それはまことに御説の通りでございまして、もしそういうような大きな県が二つあるいは三つというような工合に分けられるかどうかというようなことも、これは教育委員会や何かの御意見によるものと存じますけれども、都道府県の教育委員会といたしましては、実情に即しまして適切な採択地区を設けて下さるものと私どもは信じておるのでございます。でありまするから、それに応じて各採択地区に教科書選定協議会ができることでございますので、高津委員の御懸念のようなことのできるだけないような方途を講ずべきである、こういう工合に考えております。
○高津委員 教科書の採択は都道府県の教育委員会が行う、そして都道府県にできる教科書選定協議会が選択をする、その協議会はどうして意見をまとめるかというと、末端の教育委員会の意見をみんな集めてくる、その末端の教育委員会は学校の先生の意見をまた集める、こういうようになっておると思いますが、都道府県の教育委員は、衆議院を通過したあの地教委の法案によって、数でいけばほとんど大部分が政党色を持った自治体の長が任命するのです。一週間ぐらい前に関東の知事が自民党に御入党になりました。みんなはっきりしておるのです。そういう人の任命によってできた教育委員会が採択を行うのであって、政党色を帯びて採択が左右されるというように私は考えます。下の数がずっと集まるといっても、まずだれをその協議会の委員にするかということは上がきめるのですから、そうして学校の校長の首を握っている人間が意見を集めるんですから、今度はこれだぞというように、これがいいなといって話せば、下の方の意見が動く危険性があって、上の方がきめるんだ、教科書を今までのような工合でなしに、広い採択地区を設けて、その広い採択地区で采配を振うボスができて、そのボスの思う通りになる、教科書が公平に採択されるということが非常にむずかしくなる、このように私は考えますが、政府の御所見を伺いたいと思います。
○竹尾政府委員 確かに御懸念の点もございましょうと存じますけれども、そういう御懸念のないようにすることが私どもの勤めでございまして、たびたび繰り返すようですが、県の教委といたしましても、実情に即しました適切な採択地区を設けて下さる、こういう工合に私どもは信じておりますし、また教科書選定協議会の委員も、ただいま申し上げました通りいろいろの方が入ることになろうと思いますが、私はそれが全部高津委員の御懸念されているような委員ではないと信じております。これは何と申しましても、私どもの党派だけで政治ができるものではございませんので、やはり皆さんの政党も力を発揮すれば非常にいろいろの結果を生じ得るのでございまするので、そうした点はやはり強く主張ざれるというようなことで、自然とどなたにも納得できるような結果に選定協議会あたりの結論も出てくるんじゃないか、こういう工合に私は信じております。なお選定協議会につきましては説明員からもう一度説明いたさせますが、どうぞ御了承願います。
○安達説明員 まず、都道府県の教育委員会が行いまする事務をちょっと申し上げてみたいと思いますが、都道府県の教育委員会といたしましてやりますことは、第一が第二十一条の採択地区の設定でございます。ただし、この設定につきましては二十一条第三項にございますように、あらかじめ関係の市町村の教育委員会の意見を聞いて、適切にその市町村の意見をも考慮するようになっております。それから教科書選定協議会を採択地区ごとに置くのでございますが、これも県の教育委員会の仕事でございます。その選定協議会の委員の任命につきましては二十二条の第四項にございますように、市町村の教育委員会の意見を聞いて行うわけでございます。それから最後に採択を決定するという仕事、この三つが主として都道府県の教育委員会の仕事になるわけでございます。 そこで、選定協議会で教科書を選定する場合には第二十四条にございまするように、まず小、中学校の校長から使用希望教科書を申し出させるわけでございます。従ってこの申し出を待って行うわけでございますので、申し出なくして市町村の教育委員会でいきなりきめるということはないようになっているわけでございます。従って校長が申し出をする場合には、おそらくそれぞれの担任の教員の意見も聞くでありましょうし、そういう申し出を各市町村の教育委員会が取りまとめまして、そしてその取りまとめたものに市町村の教育委員会としての意見を付するわけでございますけれども、その場合でも各学校の校長の申し出を消したりするようなことはないようになっております。この申し出がありまして、それに意見を付して県の教育委員会に報告するわけでございます。そうすると二十四条の二項で、県の教育委員会がそれを取りまとめまして、そのまままとめたものを協議会に提示するわけでございます。 そこで協議会の委員は、先ほど政務次官からお話のございましたように、市町村教委の委員及び教育長その他の職員、学校の校長、教員、その他学識経験者というような者を交えまして、その申し出及び意見を基礎として選定を行うわけでございます。従って校長の申し出にないものを選定協議会で選定するということはないわけでございます。そういうように、下から上ってきましたものについて、十分意見を戦わしまして、そして最も採択地区に適しているところの教科書を学年ごとに一つの種目について一種類の教科書を選定するわけでございまして、その選定したものを県の教育委員会に報告する、そして県の教育委員会がそれを採択する、こういう手続になっております。 県の教育委員会あるいは採択協議会、あるいは校長とかいうものは、独断でできないように常に民主的にと申しますか、正当な手続で適正な公正な採択が行われるように機構を立ててあるわけでございまして、その点だけ事務的に申し上げておきます。
○辻原委員 ちょっと関連して。今の説明員の方のお答えなんですが、すなわち下から積み上げて民主的な選定方法をとるというようにこの法律は仕組んでいるのだ、こういう御答弁であった。その中に、校長が推薦をする場合に、前提として教員の意見を求めるという御説明があったわけです。これは関連質問ですから、幅を広げてお尋ねはいたしませんけれども、教員の採択地域のところで加藤委員も言われましたが、本来その教員が採択するのが一番いいのだという考え方、ところが私が法律を見た範囲では、法律上明記されているのは、校長が推薦をするということになっておる。以下その法律の中には、採択関係者という言葉も出てきている。その採択関係者という言葉の中に、教員というものを含めて解釈して差しつかえないのかどうか。また民主的にとあなたは言われて、教員の意見も求めるということが行われるのだと説明なさった、そういう保障をこの法律で与えている、こういうふうに受け取って差しつかえないですね。
○安達説明員 最初の、教員が採択関係者であるかどうかにつきましては、第二十八条で「学校の校長及び教員並びにその他の採択関係者」といっておりますから、学校の先生も採択関係者に入る、こういうことを前提として第二十八条ができておると思います。従いましてその考え方は、この法案の全体にわたるわけでございます。それから校長が意見を申し述べますのは、これは校長は学校教育法によりまして校務をつかさどる職員でございますから、校長はその責任において申し出をするわけでございます。その実際上の運営においては、そういう実際の意見を聞くということが当然ある、こういうことを申し上げたのでございまして、法案においてそういうものは別に出ておらなくて、学校教育法の精神によって校務をつかさどる校長の責任において申し出をする、こういうことでございます。
○辻原委員 二十八条は採択に関する不公正行為の禁止の条項で、「発行者又は登録教科書供給業者は、学校の校長及び教員並びにその他の採択関係者云云ということで、これらの者がその採択の公正を誤まらせるような行為をしてはならぬ、こういうことをここではうたっているのだろうと思う。そういうふうに私はすらっと解釈するわけです。私のお尋ねしたのは、いわゆるその採択権者、同時にその採択に関与する者、これが常識的にいって採択関係者ですね。そうするとこの法律では採択権の所在並びにその採択権に関与する者というのは、教員まで含んでおるのですかと私は聞いておる。あなたは今二十八条にそうかかっておるから、私の質問に答えて、教員は採択関係者ですと言われた。二十八条は採択関係者というものの中に教員というものを含めると説明しているのではない。教員というものと、採択関係者と校長と三者並列的に書いてある。だからこれは別の疑問がある。採択関係者であるとするならば、その採択関係者の中にこれは含めてしかるべきものでありましょう。しかし校長が推薦ということで採択権に関係しているとは言い得る。しかし教員の場合は、この法律では何ら採択に関与する条項というものはない。採択権に関与するものはない。この法律では都道府県の教育委員会が採択権を持つということなんです。それに関与するものとして選定協議会が、その採択の事実上の選定を行うということになっている。そうなんでしょう。そうすると教員というものに、一体法的にいってこの法律は採択権を保障しているか、あなたのさっきの御説明では、採択関係者であります。採択関係者であり、しかも二十八条においてはそのことを書いているものでありますという説明なんです。それでは私はちょっと納得ができない。そうであるとすれば、この法律は法律技術上非常に不備であるということが言える。あなたの御説明が妥当であるとするならば、将来誤りないように、教員は採択関係者であり、採択に関してかくかくの関与をするのだという明文がなければならぬのです。校長はあるのです。校長は学校教育法云々というよりも、当然に校長の推薦を通じて明らかに手続を踏むということが書いてある。校長の推薦によって云々ということが書いてある。だから採択の事務手続上、校長の推薦にかからない教科書の選定というものは、法律の解釈上無効であるとも言い得るのです。ところが教員の場合には、校長が意見を聞くのだ。 〔山崎(始)委員長代理退席、委員長着席〕 こういうふうにあなたは説明されたけれども、これには意見を聞くという条項はない。事実上意見を聞くのだというようなことでは、これは法律の保障にならぬのです。 そこでもう一つはっきりしておきたいのは、教員の採択権という問題について、他の法律で保障されていることを前提にしてそういうような解釈を立てているのかどうか。その点を明瞭にしておいてもらわぬと、ただあなた方の説明の際に、そういう説明があっただけでは、これは将来法律にそういう重要な点の解釈の相違が生れたときには、これは非常に困る問題です。だから私はそういったあいまいな答弁をされることはお断わりです。だから明瞭にその根拠を示して、そうして説明をしていただかないと、これは黙ってもいいようなもんなんだけれども、答弁の随所にそういう穴が見える。
○安達説明員 初めに形式的なことから申し上げますと、二十八条に「学校の校長及び教員並びにその他の採択関係者」とございますが、その他という場合は、その採択関係者の中に上の者まで含めた意味でございまして、校長も採択関係者であり、教員も採択関係者であり、その他の採択関係者、こういうふうに、法文の解釈技術上なろうかと思います。このことはさらに二十七条にもございます。これはこの教科書法で一応校長、教員を採択関係者の中に入れておるということの表現でございます。 それから第二番目に、教員が採択についてどういう根拠で参画するかというお尋ねでございます。これは学校教育法の第二十八条に「校長は、校務を掌り、所属職員を監督する。」とございます。それから「教諭は、児童の教育を掌る。」とございます。この教科書の選定の申し入れというものは、これはやはり一つの校務に属するかと存じます。従って校長が校務をつかさどり、所属職員を監督する責任がございまして、そういう校務を執行するについては、所属職員の補助を得てやるというのは、これは行政並びに行政法の原則でございまして、所属職員の補助を得て校務を執行するということは、当然の行政なり行政法の事理になっておりますので、従いまして学校教育法の二十八条と、それから行政法の一般原則によりまして、校長が校務としてこの教科書の申し出をする。それについて所属職員の補助を得るということは、当然なことになろうかと存じます。そういう当然なことということを前提にいたしまして、第二十八条でその他の採択関係者といっておるわけでございまして、その他という場合は上の者も含むというのは条文の解釈の原則であると思います。
○辻原委員 これは教科書の採択権の所在の問題は、今論ぜられた問題じゃないのです。私がなぜそういうことを申し上げるかというと、今まで採択権の所在についてはいろいろな論争があった。一つは、最も大きな根拠として文部省があげたのは、これは教育委員会法の教育委員会の職務権限の項で、いわゆる教育委員会は教科書についての事務を行うということが唯一の根拠として、これは委員会にその採択権の所在があるのだ、こういうことをあなた方は立論の根拠としている。そうして教員に採択の権限があるということを否定された。ここで私が言っているのは、事実上採択に何らかの関係があるという問題を言っているのじゃない。校長は、教科書については推薦をする権利をここでこの法律は保障しているわけだ。従ってもしその所要の手続をとらない場合には、その教科書の選定というものは欠格の条項になるわけだ。校長の推薦がないものはこれは欠格になる。法律上欠格になる。そうすると、教員の意見を聞かなかった。通論すればもし教員全体の意見を聞かないで、校長が推薦した場合には、校長に与えられた権能と同じように、これは欠格条件になりますか。当然下から積み上ってくるのだから、校長は推薦をするのだ。その推薦をするものは当然行政組織法か何か知らぬけれども、行政一般の原則に照らして当然そうするのだ、こういう建前をとっておる。しかも学校教育法の二十八条によってやるのだけれども、そうするとその所要の手続は、事務的に一貫したものでなければならぬ。どこが欠けても欠格です。そうすると教員全部の意向、意見を聞かなかった場合には、それは明らかにこの法律上では欠格条項とあなたは認めますか、どうですか。
○安達説明員 第二十四条で申し出をする権限を校長に与えておりまして、その校長が申し出をする場合に、その補助執行としてそういうものを行わした場台には、教員がその職務に関連するということでございます。従いまして教員の意見を聞かないことがわかった場合に、事実上はそういうことはあまりないと思いますが、たといそういうことがあったといたしましても、申し出が無効になるということはないわけでございまして、部下の職員はその命ぜられた範囲内において、その主たる者を補佐するということが当然なわけでございまして、たとえば文部大臣が仕事をされる、文部大臣の権限に規定されておる事項につきまして、私どもが補助をしてやっておるわけでございますが、そういう場合にその職務について——たとえば公務員の収賄とかそういうものがあればその職務に関連する、そういうことでございますので、その命ぜられた範囲内において、校長が教員に意見を聞いた範囲内において、その意見を言うことについては採択関係者になる、こういう趣旨でございます。
○辻原委員 そうすると、だんだんわかってきましたが、二十八条でいっている「発行者又は登録教科書供給業者は、学校の校長及び教員」この「及び教員」の「教員」は校長から諮問を受けて意向を尋ねられた場合においてのみ採択関係者としての教員であるという意味ですか。全部するのじゃないから意見を聞かれた者、その意見を聞かれた者は採択関係者だ、意見を聞かれなかった場合は教員といえども採択関係者じゃない、今そう言われた。そういうことでしょう。そうすると、この教員と書いてあることは——校長はいいです。校長は必ず推薦するということが法文上明記されておるわけです。だから校長については採択関係者であることはその通りだと私は思う。ところが教員の場合は、今あなたの御説明によると、校長からそういう一つの意見を求められるか、ないしは校長に協力をしてその推薦についての協議を行う。そういう場合においてのみいわゆる採択関係者だ、そういうような解釈である。あとで贈賄、収賄という事件についての御説明があったと同じように、直接上司の命を受けてやってそうして関係した者のみが連座する、給食の問題で疑獄事件を起す、そうするとその給食課長その者と、それに面接事務を担当した者が関連するのであって、同じ給食の事務であっても、そのものに携わらぬ者は関連しない、これは行教一般の原則でしょう。それと同じような解釈だ、こう言われる。そうすると、ここでいう教員というのは、全部が採択関係者であるという意味の教員でないということが明瞭でしょう。それでいいですか。
○安達説明員 ただいま私が申し上げましたことは、その校長の申し出をする場合に、教員の意見を聞かなかったぎりぎりの場合をおっしゃいましたので、そういうふうに正確にといいますか、ぎりぎりの場合を申し上げたわけでございますが、学校教育法第二十八条にございますように、「教諭は、児童の教育を掌る」わけでありまして、その児童の教育をつかさどる者が教科書についての意見があるということは当然でございましょうし、また校長が意見を聞くということも常例でございます。従いましてそういう一般の常例なり、学校教育法で定めておる一般の常例に従いまして、二十八条で教員ということを一般的に規定をしておるわけです。個々の教員が職務の上において命を受けたかどうかということの限定を入れたものではなく、そういう常例を前提といたしまして、教員ということを二十七条、二十八条で採択関係者の中に入れてある、こういうように御了解願いたいと存じます。
○辻原委員 それはそういうあいまいなことではいかぬのです。そういうことが常例であるとするならば、校長の項目がなくてもよいということになる。都道府県の教育委員会なり、市町村の教育委員会というものが、その当該学校の教科書を選定をするのに、校長を無視して教科書の選定を選定委員会にゆだねてしまうということも、これはあなたの言う常例としてはあり得ないのです。しかし常例としてはあり得なくても、そういうことが行われる可能性があるから、ここに明らかに立案者は校長の推薦ということを入れたのだろうと思う。それと同じように、もしそのことが常例であるとするならば、なぜ教科書について最も直接そのものを扱う教員の採択に関与する条項を入れなかったかということが問題になるわけです。入れてなくて、私に言わせれば都合のいいときだけ、極端に言うと採択に関係したことにおいて、それを取り締るような必要が起きた場合においては、教員は採択関係者なんだからそういうことをやったのはけしからぬという取締りを行い得るようにしてあるのが二十八条なんです。そして事実上採択を行うについて十分なる意見の開陳は、これはもし必要あれば校長が意見を聞くという程度であって、法的に保障しなくてもよろしいというのが、この法律の立案の趣旨なのです。そういうところにこの教科書法がけしからぬと言われる原因があるのです。採択について教員が意見を持たないというようなことはあり得ないとあなたが説明をされる、そのことが常例であるならば、何でその一番大事な教員が採択に関与する条項をここで明記しないかということが問題なんです。事実上学校教育法において教員は子供を教えるのだから、意見がないということはあり得ません。しかしそんなことでは法的な保障になりませんよ。書いたからといって、何もそのことが学校教育法と競合するわけのものでもなし、常例だとおっしゃるならば、常例であるように法文に書けばよろしい。書かないところからそういう疑問が起ってくる。かりにそれが常例であるというあなたの解釈に立ってみても、この二十八条の教員というものが、一体何がゆえにこの法律の中に入ってきているかということは、この法律の形から見て私は不思議でならなかったのです。これは解釈がつかぬのです。あなたは学校教育法をひっぱってこられておりますが、学校教育法をここでひっぱってこられるならば、先ほど私が述べたように、その法律の根拠において、当然教員は校長に対して教科書採択に関する意見を述べる、そういう責任を持っておる、言いかえればそういう権限もあるのだということにならなければ、個々の教員というものが採択関係者であるという解釈が一貫しないのです。常例だからこれは入れましたという解釈ならば、この教員の頭には採択に意見を申し述べたる教員はという限定をするか、ないしはもう一つこれらの手続の上において、教員の意見の開陳というものがなかった場合においては、それは手続上選定に当っての欠格である、こういうふうに断定をするか、どちらかにきめなければならぬ。そういうあいまいなことではいけないのです。こういう重要な問題はもう少しその点を明瞭にしておく方が、立案者の趣旨もよく生きるでしょう。
○安達説明員 学校の校長が校務をつかさどる場合に教員の意見を聞くということは、常例であるということを先ほど申し上げたわけでございまして、他の教育法令でも、校長がいろいろな仕事をする場合に教員の意見を聞いて云々ということは規定しておるものはございません。すなわち学校の内部関係でございまして、公務員の、たとえば私どもが大臣を補佐するというのは当然なことでありましょうし、必要がある場合に大臣が意見を聞かれるということも普通の話でありますので、そういう学校内部、営造物内部のことについて特に校長が教員の意見を聞く、そういうことは教育法令で小、中学校の場合に規定していることがございませんので、そういう用例に従ったわけであります。
○辻原委員 それならば先ほどの解釈と違ってくる。常例で、法的な根拠はないというのですが、あなたは学校教育法二十八条がその根拠だという説明を先ほどなすったのです。だんだんこうやっていくとそういうような根拠は法律上ありませんと言う。法律上なければ一体ここであなたが最初に解釈された教員が採択関係者であるという根拠は何か。一体どこにあるかというと、この法律ではないし、他の法律でもなかったならば、適当にここでもって、事実上先生だから教科書に関係があるから、当然採択に対しても意見を言うだろうし、採択の権限もあるだろう、こういう想定に立って法律というものが作られたのですか。そういうことなら、すべての事実問題があれば、法律はその事実問題からひっぱってきて、そうして適当に用語を書き並べることができるんだ……。あなたも法律を立案された一人だろうと思う。私はそうじゃないと思う。根拠があってそれに関与する権限をどこかで規定される、その上に立ってこれはこういうふうな資格のある人間です、というふうに規定するのが私は法律の基礎だと思う。重要な、教員の採択というような問題が、何やらわからぬような事実の常例でございますとかいうようなことで、ここでぽっかりはめられた。その根拠はどうかというとさっぱり出てこない。これじゃ困ります。どうですか。答弁を求めます。
○安達説明員 ただいまそういうふうに申しましたのは、個々の特別の法令でそういうことがないと申し上げたのであって、その二十八条は今申し上げました一般原則に立って、そういう規定がございますからそういう常例だということを申し上げただけでございまして、個々の具体的な、何々の法で校長はこういう場合は教員の意見を聞かなければならぬということを小中学校の場合に書いたことがないという、そういう一般の法令の用例に言ったわけでございます。そういうことを申し上げておるわけであります。
○辻原委員 それは一般の何で、個々の法律にはない。あなたの言う一般原則というのは何ですか。何の一般原則ですか。いかなる法律に基いた一般原則ですか。答弁が二転三転してはいけませんよ。
○安達説明員 それは私としては、学校教育法二十八条で、校長は、校務を掌り、所属職員を監督する。——校長と教員との間は、いわゆる特例権力関係という行政法上の原則がございますので、そういう校長と教員との関係というものがありまして、その前提の上に立って二十八条があるということを申し上げておるわけでございまして、個々の法令において校長が意見を聞くことはないということを申し上げておるわけで、私は一貫しておるつもりでございますが……。
○辻原委員 学校教育法の二十八条というのは、校長の監督、権限を規定しているのであって、監督される者が常識的には同じ一つの仕事をやっていて、また同じグループの中にあるんだから、意見の交換をすることはあるでしょう。しかしそれは何も原則とか法律とかいうものによって保障を受けているものではないんです。そういうことが一般原則だからということの解釈ですべてが律せられるなら、何でもそういうことが言える。たとえば今度の教育委員会法ですか、これには人事についての校長の内申権というものがある。そうすると同じように学校教育法二十八条の一般原則に照らして、教員個々も人事の関与者だということが言い得る。そういう解釈でいってもいいんですか。かまいませんか。その二十八条を全部適用して、学校長が持っている権限、またその上司である教育委員会が持っている権限、それは一般原則に照らし合せて、上司と下司との関係にある。こういうことだからすべての職務権限については、意見を申し述べる権能があって、それらの点については教員は関与者であるということが言い得ますか。そういうことなら教育行政の体系はありゃせぬですよ。そういう解釈を下さるのなら、今私が限定して言いましょう。そうしますと、あなた方が作ったこの前の教育委員会の法律だ。この法律は人事についての校長の内申権——いいですか、それについて校長は教員を監督する、と学校教育法では規定しておりますので、その一般原則に照らし合せて、教職員の人事に対する関与の権限も、校長の推薦権に関連して教員もございます、こういう解釈をとってもいいですか。
○安達説明員 それは命ぜられる場合に、所属職員の職務に属さなければ、あるいは職務に関連する事項でなければいけないわけでございます。すなわち教員は児童の教育をつかさどるということでございます。従って教科書のことは、児童の教育に関連があるから、校長から意見を聞かれるわけで、関連のない事項については意見を申し出る権限もないし、聞かれることもございません。ですから人事については、教員は何ら権限がございませんから、そういうことについては学校長から意見を聞くということは、今私の申し上げたこととは全然違ったことでございます。
○加藤(精)委員 関連事項なんですが、ただいま辻原委員と説明員との質疑応答をお聞きしておりましたが、辻原委員は実際教育者の立場から、気魄を持った大へんいい御意見で、私はうれしく思っておったのでございますが、法律の解釈としては、私の考えるところによれば、学校教育法二十八条の第四項で考えるべき問題のように思う。教員は児童の教育をつかさどるのですから、そして児童の教育をつかさどり得る者は教員以外の者ではない。文部大臣であろうが、局長であろうが、校長であろうが、児童の教育をつかさどるというような乱暴なことはできぬと思うのでございます。それで、その点でこそは独立の権限を持った職員なんです。補助職員じゃない。トルストイは、ロシヤの国民学校法の批判の論文の中で、先生と生徒とがおったらそれは学校じゃないかという名言を吐いておりますが、教育即学校即教員だと私は思っておるのでございます。そういう信念を持って私は教育行政の問題を研究しております。 ただいまちょっと議論が複雑になりましたのは、文部大臣と文部省の官吏、これは文部省の官吏は文部大臣の補助職員だと私は思うのです。それと違って、学校というものは、教育を本旨としてあって、その教育というのは教員以外には全然行われない。保障し得ない。そこで非常な重点が先生にある。いわばこれは憲法上の権限ぐらいに僕は言いたいくらい重要な意味を持つような気がする。それを文部省内における大臣と課長との関係のように並べなされたので、誤解が起きたのではないかという気がする。児童の教育をつかさどる以上、副読本にどういうものを採用しようが、いかなる教材を使用しようが、いかなる教科書を使用しようが、これは本来は自由なはずでございまして、現実に単級の小学校におきましては、辻原さんのお言葉の通りだと思う。ところが辻原さんも御承知のように、たとえば三十学級の新制中学のような場合には、各学級に一人ずつ先生がおりましても、同一場年を受け持つ先生が十人ないし十何人要るわけであります。そういう場合にめいめいの先生がめいめいに教科書を使ったらどうなるかということでございまして、そういうような観点から、実質的には先生が相談して教科書を定めまして、そうして学校長に申し出るのはさまっておりますけれども、それは学校長を代表者として、これは法律上では一種の校務というのだろうと思うのですが、その点になりますとそれは全くビジネスだと思うのです。どこまでも学校の先生の採択の意思が私は生かされてくるのだと思う。生かすのが事実上よき学校管理だと考えておる。そういう意味から申しまして、法律上の根拠がなしに先生が教科書選定に関与するのは、法律上の関係でなしに事実上の関係だということを言われますけれども、私はその点、法律の解釈が聞違っているかもわかりませんけれども、実際学校教育法においては、いい教科書だとして校長に推薦するというようなことは、私は一種の法律上の権限だというふうに解釈しているので、辻原先生のお考えと課長さんの考えておられることは、実際上は合致するのじゃないかという気がするのです。その他につきましては、ただいま教科書選定協議会その他につきまして、教科書の選定採択につきまして、都道府県の教育委員会の権限等を御説明になったのは、非常に明快にわかりやすく御説明になったので感謝しているのですが、たった一つ、二十二条第四項についてですが、こういう場合どうなんでしょうか。選定委員の人選、任命について、これは名簿を作って、こういう人を任命したいから貴市町村教育委員会の御意見を承わりたい、ということを各市町村委員会に聞いて、その回答をもらって、その回答を考慮しながら選定協議会の委員を任命していかぬのかどうか。そういうことをお聞きする理由は、先ほど委員というものは市町村の教育委員会からだんだん積み上げて、市町村教育委員会の意見の入ってない委員というものは出るはずがないから、それで民主的に構成されていくという課長さんの説明でございましたが、これは私はどうも理想論はそうですけれども、民主主義の理想というものは、ある程度ビジネスから見て、非常に時間のかかり過ぎるものであって、またそれだけにこだわりますと、大局を忘れることになると思うのです。市町村の委員会で考えつかない非常にいい委員候補が、その採択地域の中にあるかもしれないし、また必ずしもその採択地域に居住する必要もない、そういう意味から教科書の採択——よき教科書を使うということによって教育水準が上りますためには、場合によっては市町村の教育委員会が思いつかなかったようないい人物を……。(高津委員「ひものついた……」と呼ぶ)高津先生の不規則発言がございましたが、どうも高津先生の平素の御議論に似合わず、あまりに邪推したお考えを持っておられるようでございまして、そのお考えを述べられたようでありまして、その不規則発言はあまりに考え過ぎだと思うのであります。その点私はそんなことを考えているのじゃないのでありまして、私がいやしくも教育を考えるときには、少くとも私は党利党略とか、そんなようなことは絶対に考えているような人間じゃございませんので、その点社会党の方も一つ御安心になっておつき合い願いたいのでありますが、とにかく私といたしましては、教育水準の上昇のために非常に優秀な人物があって、市町村教育委員会も気がつかない場合には、県の教育委員会がそういう人を選定協議会のメンバーに入れまして、名簿を作って、市町村教育委員会の意見を聞いて、そうして任命することもできるようにしていただきたい、こういうような考えでございますので、その点の御説明をお願いします。
○安達説明員 ただいまのお話のように、名簿を作って市町村の教育委員会の意見を聞く方法もあるということでございます。あるいはその推薦をさせるという方法もございましょうし、いずれにしてもその意見を聞けばよろしゅうございます。
○辻原委員 時間がありませんので、先ほどからの問題は疑問を残しておきますが、ただ最後に私、課長さんの言われた法律の解釈についてあなたが肯定されるかどうかだけ承わっておきたい。それは学校教育法の二十八条で、加藤さんは権限があると解釈される。(加藤(精)委員「推薦する権限はあると解釈しておる。」と呼ぶ)その解釈ならまた別の考え方が一つ浮かぶのです。法的に権限があるとして採択に関与する、これはそういうことなら採択権の一部と言ってもいいでしょう。それならそれをあなたが確認されるならばそれでよろしい。しかしあなたの答弁は幾つもに分れている。事実上、法的根拠を持たずして、条例としてこういうことが言い得るのだ、またあるときには、その諮問を受けて関与した者が採択関係者になるのだという解釈も下されている。いろいろ新解釈を下されているわけなんで、どれがどれか果してその教員をもって採択関係者とする、統一された解釈が私にはまだわからない。ただ加藤さんがきわめて明快に、学校教育法二十八条の条項によって権限がある、こう解釈された。そのことを肯定されるならそれも一つの解釈でありましょう。だから、そのことを肯定されるかどうか、それを一つ承わっておきたい。 それから最後にあなたが答弁された、こういうような形で意見を申し述べることもあります、また名簿を作ってやることもあります、いろいろ考えられておるようなんで、その案を一つ示してもらいたい。私は今度質問するときには、そういう点を詳細に承わるつもりでおりますが、その参考に、今あなたの説明されたのはおそらく政令案の内容だろうと思うのですが、その政令案の内容を一つ委員会に提出してもらいたい。そういう場合もございます、名簿で意見を申し述べる場合もございます、一体どういう形にこの選定協議会の手続というものをやるつもりであるのか、これらについての腹案を一つ委員会に提出していただきたい。
○安達説明員 第一の児童の教育をつかさどることから、教員に選定に関与する権限があるかどうかにつきましては、なお慎重に検討いたしまして、後刻お答えいたしたいと思います。 第二番目の、都道府県の教育委員会が市町村の教育委員会の意見を聞いて任命する意見の聞き方でございますが、これは各都道府県の教育委員会が適当なりとする方法をとるわけでございまして、要は市町村の教育委員会の意見を聞いたかどうかということでございますので、いろいろな方法があるといって、そういう方法を指導するというほどのことでもないかと存じます。さよう御了承願います。
○辻原委員 時間をとりますので、今のあなたのあとの問題は、今度一つゆっくりやりましょう。前の二十八条の解釈は慎重にお答えいたしましょう——あなたは先ほどから慎重に答えてないのですか。(発言する者あり)いやいや、堂々と答弁をしておるのです。堂々と答弁しておるわけなんだ。私が黙って見過すならば、その一つの解釈に固まってしまう。随所にそういうような解釈の相違が現われるから(発言する者あり)これは私は言葉がはげしいどうこうの問題ではない。(発言する者あり)いやいやそんなことを答えるような人らではないのだから、(「そう責めるなよ」と呼ぶ者あり)そういうことはない。解釈は、こういう重要な点については、法律にぴしゃっと書いておるのだから、その根拠というものは一貫して示してもらわなければ、これはまことに困る。今のところあいまいでしょう。どういうことになるのですか。教員が意見を申し述べなかった場合には権限の放棄になるのか、校長が意見を聞かなかった場合には、それは二十八条の違反になるのか、あるいはその意見を聞くことをしないでやった場合には欠格条項になるのか、一体その二十八条というのは、いわゆる義務を伴う権限であるのか、それとも単なる通り一ぺんの精神規定であるのか、それらのこともはっきりしないと、この解釈のしようがないのです。ほんとうですよ。だから慎重にこれから御検討されるのもけっこうでありますけれども、今までこれだけの案なんだから、十分その点については解釈を統一してお答えなさいということを、私はしばしば申し上げておるのです。黙っておると答弁にごまかされるのです。私はそういう露骨なことは言いたくないですが、重要な点がみなこの法律と同じで、肝心なところはみなごまかしておる。そういうことを言いたくなるのも、ポイントだけはぴしゃっと合わしておいてもらいたい。解釈を統一してあらためてお答えになるなら、今までの答弁を取り消しなさい。
○佐藤委員長 斎藤参事官が答弁を求めていますから……。
○斎藤説明員 私、課長の答弁をちょっと補足さしていただきます。今まで辻原委員にお答え申し上げましたことは、学校教育法二十八条について、加藤委員から御質問になった点とは違う面で、私はただいまお答えしておるのでございます。それで問題の発端は、第二十四条に校長の意見を申し出る権限を法律上明記したこと、それだけでいいのか。さらに校長に対する教員の意見具申の権限を二十四条に書いた方がいいのか。さらにそれを書かないくらいならば校長の権限も書かない方がよいではないかという御意見が、二十四条をめぐって出たわけであります。それから、それとは別個に、二十七条ないし二十八条における採択関係者の概念をどうするか。これは法律としては一応二十四条とは別個な問題でございます。ただし御質問の中に、二十四条に特に権限を書かないくらいなんだから、二十八条には書かない方がよかろうという立法論として御意見が出たのでございます。これは解釈という問題ではございません。別個の問題として検討されてしかるべきだろうと思います。そこで二十四条で、校長が造営物の長といたしまして意見を申し出る権限は書いた方がいいというのがこの態度でございます。その際に、校長が実際自分の意見を出す際には、これは校務をつかさどるものとして、当然に実際の運営としては校長が教員の意見をとりまとめるであろうということを御答弁申し上げたわけであります。そこで二十八条に、採択関係者というものは、これは法律上の権限だけがあるものを含めるものとは考えられません。事実上の採択に実際上関係するであろう者を含めることが適当であろうと思います。たとえば教科書の採択権は都道府県の教育委員会が持ちます。その場合に、実際に採択の関係をいたします事務職員、あるいは指導主事等も、これは実際上の問題として採択関係者になって、一定のこれに対する規制が出て参ります。この場合に、通常の場合教員というものが教科書の使用について校長に意見を申し出る、実際上支配するという観点に立ちまして、二十八条においては校長及び教員を一般的に採択関係者の概念の中に入れて規定したわけでございますので、二十四条と二十八条につきましては、そういう趣旨で分けて書いたのでございます。これが採択関係者で片方は入っているのに、片方に特に権限として書かないのはおかしいではないか。このお考えに対しましては、私は別個に書いていいことであるし、さらに加藤委員の御質問でありますが、二十八条の解釈問題はそれ自体としてまた別に検討さるべき問題である、さように考えております。
○辻原委員 加藤委員の問題ではないので、私がその問題を提起したわけであります。あなたの御説明と、先ほどの教科書課長ですかのお答えとは違っております。いろいろ三転しておりますから、どの解釈をとったらいいかわからぬけれども、しかしながら斎藤課長が説明したのは二十八条と二十四条は別個だ、だからその事実の認否というか、そういうものに立って教員がきめる、だから採択の権限、採択の法的根拠とはこれは別個のものだという解釈をされる。ところが先ほどからの説明の二十八条云々の問題は、二十八条の学校教育法の解釈からできた権能、または加藤さんが自席から解釈をつけ加えられた問題というものは、法的根拠の問題をもって採択というものを裏づけ、教員の採操に関する権利というものを裏づけられたわけです。そこに解釈の相違がある。これはそのこと唐体に問題があります。しかしきょうは時間がありませんからそのことはこれ以上申し上げません、あなたの解釈に立ってみてもおかしいと私は思う。それはかりに法律技術上そういうことの無理な解釈、無理な入れ方が可能であったとしても、全体のロジックから見て、ここへぼつっと入れてきたということは非常にそのこと自体に問題があると思う。だから事実上採択に関係するということが、どういう内容を持つものかということも吟味しなければならぬと思う。ただ先生だから学校教育法で示されたように、児童の教育に当るという用務があるから事実上採択に関係するんだ、それだからこれをほうり込んでおけという形では非常に取扱いとしてはラフだと思う。だからそのこと自体の問題はあります。ありますが、これはまあ後日の問題にゆだねましょう。しかしどういうふうにこの教員の採択という問題を考えているかということについては、あいまいではなしに、明瞭にしておく必要があります。これは私は教員の採択権というものは保障すべきである。これは加藤さんも言われるように、事実上じゃなしに教員の採択についての権能というものは、これは私は法制上残すのが至当だと思う。しかしそのことはやられていない、からそういう疑問を生じたので、はなはだ失礼な言い分であったけれども、再三再四教科書課長に答えにくい点の質問をいたしたわけなんでありますが、しかしこれは答えにくいということは何を裏書きするかというと、それ自体に対する採択権の問題があいまいになっているから、そういうような答えしか出ないわけです。だからこの点は私は機会があればあなた方においてももう少し再検討する必要がある、しかしきょうは時間が経過しておりますので、問題はさらにあなた方にも御検討いただくし、われわれもその点については検討いたします。
○高津委員 私は大臣が御出席になってから一、二点お伺いしたいと思いますが、時間は五時十五分ぐらいでやめるような話をちょっと聞いたのですが、関連質問で四十分ぐらいとっておりますから、本日はこれで質問を打ち切りたいと思います。
○佐藤委員長 本日はこの程度といたし、次回は明九日午前十時二十分より開会いたします。 これにて散会いたします。 午後五時三十七分散会