海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第21号
- 発言数
- 89 件
- 登壇者
- 11 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1956/10/29
会議録
○原委員長 これより会議を開きます。 海外同胞引揚に関する件について、調査を進めることといたします。 本日は、本件に関し、ソ連地区抑留同胞の状況及びその引き揚げ状況を調査するため、先般のソ連地区第九次帰還者の水上修一君、中塚喜一君及び高橋晩成君に御出席を願っておきましたが、参考人として事情を聴取するに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○原委員長 御異議なきものと認め、さよう決定いたしました。 なお、中塚喜一君はまだ御出席がありませんので、出席されれば、参考人として事情を取聴することといたします。 —————————————
○原委員長 参考人より事情を聴取する前に、過日、第九次ソ連地区引揚者の引き揚げ状況及び受け入れ援護状況調査のため、本委員会より舞鶴に派遣いたしました委員より、その調査報告を求めることといたします。木村交男君。
○木村(文)委員 今般、当委員会より、私並びに戸叶委員が派遣委員として、第九次ソ連地区引揚者の引き揚げ状況及び受け入れ援護状況視察のため、舞鶴に参りました。以下、その御報告を申し上げます。 すでに御承知の通り、運輸省航海練習船進徳丸は、第九次ソ連地区引揚者収容のためナホトカに派遣され、幸い天候にも恵まれ、待望の帰国にふさわしい平穏な航海を続け、十月十六日朝、舞鶴に入港いたしました。帰国者の総数は四十七名で、私どもが舞鶴に参りますころは、このうち三十三名が病人であるとの情報がありまして、深く憂慮いたしたのでありますが、実際には、担送患者三名ということで、愁眉を開いた次第であります。 進徳丸が投錨いたしましてから、参議院の社会労働委員の諸君と合流いたしまして同船におもむき、船上において、衆参派遣委員を代表し、私が帰国者諸君に親しくお喜びと激励のごあいさつを申し上げたところ、これに対しまして、斎藤梯団長より、戦後十年間のおくれを取り戻し、皆様とともに祖国日本の復興に力を尽したいとの力強いあいさつがありました。 上陸は、患者を第一便、その他を第二便として実施され、桟橋に出迎える家族と抱き合って喜びの涙にくれる姿を見まして、出迎えの私どもも、目がしらが熱くなるのを覚えた次第であります。そして、冬将軍が訪れようとしておりますかの地になお残留しておられる同胞諸君の一日も早い御帰国の実現を期さねばならないと深く感じた次第であります。 今回の帰国者四十七名の内訳は、軍人は二十五名、一般邦人十九名、抑留船員三名となっており、終戦時の所在は、満州二十五名、樺太十四名、千島、北鮮、内地計八名で、引き揚げ直前の所在地は、ハバロフスクが最も多く三十八名で、樺太が六名、クラスノヤルスク二名及びオムスク一名で、刑期満了者十六名、特赦による釈放者三十一名とのことであります。これらの諸君のうち、マリク名簿に登載されていない者が五名帰国しておりますことは、われわれとして最も注目すべきであると存じます。すなわち残留同胞の数については、日本側の調査とソ連側の名簿との間に相当の開きがありへ過般の当委員会のソ連抑留者帰還促進に関する決議においても、この名簿登載漏れの残留者の調査並びに帰国について私は強調いたしたのでありますが、今回の帰国者ばかりでなく、前回においてもこの名簿登載漏れの諸君が帰られておるのを見ましても、なお相当数の名簿登載漏れの残留者のあることは、想像にかたくないのであります。なお、この問題については、後ほどさらに触れたいと存じます。 今回の引揚者のうちには、戸叶委員が昨年秋ハバロフスクにおもむかれ、同地の収容所を訪れ、面会の機会を持たれた抑留者諸君もだいぶ帰国されたのであります。また担送患者のうちにも、昨年秋、同委員が面接の際には健康であられた方で、今次引き揚げまでの間に不幸病床につき、待望の帰国を担架によっていたさねばならなかった方もおられました。引揚船が入りますたびに思うのでありますが、帰国がおくれればおくれるほど、残留同胞諸君の健康は、このようにそこなわれておるのであります。担送患者三名の病名は、脳溢血二名、じん臓病一名で、上陸後、直ちに国立舞鶴病院に入院いたしまして、所要の診療を受けておりました。 報告が前後いたしますが、私どもは、舞鶴を離れるに先立ち、病院をたずね、入院の三名の諸君をお見舞いたしたのでありますが、脳溢血のため、半身不随で、発語困難の患者の一人は、迎えに参つた家族といえば、いとこの方一人で、妻子の消息すら不明であるとのこと、また、いま一人の患者の妻は、香川県の方でありまして、県当局との連絡がうまくいかず、出迎えの旅費を受け取ることができず、今日までの四人の子供をかかえた長い苦労の上に、さらに旅費の工面にまで奔走して、やっと舞鶴にかけつけられたそうであります。そうして、帰国した夫は病人であり、病床の夫を看護するための滞在費にも事欠くといったありさまであります。このように、二、三の患者の事情を聞きましても、同情を禁じ得ない種々のケースがあるのであります。政府、地方自治体並びにわれわれ国会側におきましても、この種の問題にあたたかい目を向けることを忘れてはならないと深く感じさせられるとともに、この際事務担当当局に対して、いやしくも右様の事務的な落度があってはならないと強く申し入れをしておく次第であります。 次に、私どもは日赤乗船代表より報告を聴取し、さらに帰国者代表の諸君と懇談会を開いたのであります。まず日赤乗船代表からは、ソ連当局の態度が、国際情勢を敏感に反映して、前回と全く異なる非常に寛大な態度であったと述べられました。すなわち、上陸に際し、写真機の携行が許されたり、従来は引揚船の無線室は封印する例であったのが、封印をせず、発信のみを禁じたこと、また、引揚船の停泊も、従来は検疫錨地の沖合に停泊させたものを、岸壁に繋留させたことなどであります。そのほかに、ナホトカの墓地の問題についても述べられました。帰国者代表の諸君からは、いわゆるハバロフスク事件以後の収容所の待遇、残留抑留者に対する慰問品等の発言がありましたが、前回の第八次引き揚げの状況と大差ないので、前派遣委員の報告等ですでに御承知のことと存じますので、これは省略さしていただきます。 以上のような問題のほかに、この際特に、日赤代表・帰国者代表の発言、質疑応答を通じて、私のつかみ得ました特殊的な問題を大別いたしますと、大きく三つに分けることができるように思うのであります。すなわち、第一は、マリク名簿登載漏れの残留同胞について。第二は、これらの残留同胞の帰国促進の方遂について。第三は、現地にある死没者の墓地並びに遺骨収容についてであります。 第一のマリク名簿登載漏れの残留同胞のことでありますが、帰国者代表の話によりますと、マリク名簿が作られるより前に刑期を終り、または特赦等によって釈放され、一般社会に出た者があります。この形にも二通りがありまして、その一つは、強制移住刑、いわゆる流刑であります。二は、一般社会人として、社会に出された者であります。両者とも居住地を限定される点は変りはなく、これらの諸君は無国籍者ということになっておりますが、ソ連国籍取得の書類に強制的に署名させられ、また内容がわからずに署名してしまったなどの理由で、日本人でないことになった者などが、結果的にマリク名簿から漏れていると考えさせられるのであります。そのほか、樺太所在の受刑者・及び残留者の、推定にして四百人から五百人の、ほとんどマリク名簿に載せられておらない同胞の方々がおると思われるのであります。 第二に、これら同胞の帰還促進の方途でありますが、抑留者または残留者に戸籍謄本や未帰還者証明書を送り、帰還促進の一助とすることは、私どももすでに承知はいたしておったのでありますが、これについて、帰国者代表からは、非常に参考になる次のことが聞かされたのであります。それは、私どもは書物などによってスラブ民族の強靱さを見ることができるとともに、底なしののんきさ、むとんちゃくさについても聞いておるところでありますが、これがこの引き揚げの問題に相当影響しておるのではないかと思われる節があるのであります。すなわち、書類を受理した地方機関が、日本語がわからないので手をつけないかもしれないということ、あるいは上級官庁に日本語の翻訳を依頼して、書類が転々として各級官庁に回される間に事故が起るかもしれないということ、あるいは書類の内容が理解されても、何らかの理由でとめ置かれていることすらあるということであります。これらの支障を乗り越えていくためには、第一に、日本から送られる書類には、すべてロシヤ語の訳文をつけること。第二に、書類の送付を、一回限りでなく、何回も繰り返すこと。第三に、書類は、本人や地方機関のみでなく、各級官庁に送付すること。第四に、日本政府からソ連の政府に対し、末端機関が積極的に活動してくれるように呼びかけること。そのほか、これを参考といたしまして、私は感じさせられたことは、ソ連以外の他国に抑留されておりまする人たちに対する方途も、これを参考にすべきであると考えた次第であります。以上の四項目の強力な実行が必要であると思うのであります。また、各地に点在しているだろうと考えられる社会に放たれた残留者の中に、ロシヤ語がわからないために、周囲の情勢、国際情勢も知ることができず、引き揚げが始まっていることすら知らない者もいるかもしれないという帰国者代表のお話もありましたが、こういう人たちや、いわゆる生死不明者については、日本政府に依頼して、判明している範囲の関係地域の官憲に、前に述べました要領で照会状を送るとか、正式の外交交渉を行なってみる必要があるとのごとであります。いずれにしましても、日本政府、特に外務省等において、強力にして積極的な施策活動を期待してやみません。 第三に、現地における遺骨の問題であります。日赤乗船代表は、ナホトカに到着いたしますや、一日、許されて同地の日本人墓地に親しく無名同胞の霊を慰めたとのことでありますが、ここには、ナホトカ港において引揚船を待つ間の労働中に死去された日本人五百三十七柱の遺体が埋葬されているということで、墓地は比較的手入れもされ、墓守も置かれているとのことであります。お墓には、一体ごとに番号を付した墓標が立っており、氏名の記載はありませんので、ソ連赤十字社極東支部長のサブチェンコ女史にこれを尋ねましたところ、氏名はわからないと言っておったそうであります。この種の遺体等は、ナホトカばかりでなく、各地のラーゲル所在地にあるように思われますが、帰国者代表の希望にもありましたが、南方諸地域などと同様に、一日も早く収容施策を講ずべきであると考えます。 以上が大きな問題三点についての御報告であります。 最後に、帰国者代表より聴取しました希望並びに意見を簡単に御報告申し上げますと、一、就職を主とした生活問題に理解ある助力がほしい、一、残留者の早急な引き取り方及び慰問の続行を期していただきたいこと、一、遺骨の早期収容、一、満州国官吏の日本官吏並みの取扱い、一、残留者よりの伝言として、われわれ抑留者のために不利な条約を結んでくれるなというような発言でありました。私どもが帰京いたしまして間もなく、訪ソの鳩山全権らによって国交回復、抑留者送還の問題の解決もおおむねついたようであります。引揚げ促進の問題は、この日ソ交渉妥結を契機として、著しくその形が変ってくると考えられますが、今後の活動は、マリク名簿登載漏れの同胞の上に注がるべきであり・その意味において先般の当委員会は帰還促進の決議を行なっておるわけであります。私どもは、この決議に盛られた各項目の完全な実現、すなわち、早期送還、少くとも年内に帰還を完了せしめること、消息不明者についての迅速円滑な調査を行うこと、遺骨、遺品の引き取り等を強く政府に対して要望するとともに、なお、ソ連外の海外諸地域に残されている同胞の引き揚げの促進と、国内の問題としては引揚者の援護並びに消息不明者の留守家族の援護の方策の早急な強化を望むものであります。日ソ交渉の妥結の喜ぶべきニュースの陰に、マリク名簿登載漏れの同胞諸君、生死不明の同胞諸君、ソ連以外の海外抑留者の諸君が数多くおられること、また、これらの諸君の留守家族たちが、今なお不安に落ちつかない日夜を送っておられるお気持をお察しいたしますと遂に、一そう私ども国会の席にある者は、その重責を痛感いたす次第であります。 なお補足すべき点がありますれば、戸叶委員よりお願いすることとして、簡単ではありますが、調査の御報告を終ります。以上。
○原委員長 なお、戸叶委員より補足報告があれば、聴取いたします。
○戸叶委員 ただいま木村委員から大へん詳しく御報告がありまして、私別に補足することはございませんが、ただ一つ、先ほど木村委員の報告の中にもありましたように、今回は三十三人の病人があるというので、大へん私どもも心配をいたしましたし、舞鶴の国立病院などでも、三十三のペットを用意しておいたようでございました。しかし、船の中で一日々々と元気が回復されたそうで、着かれましたときには、三人だけ病院に入れられるというようなわけで、これを見ましても、精神的な苦しみから解放されて、そして、安心感を持つということが、いかに健康を与えるかというようなことも強く感じたものでございまして、こういうような点から見ましても、一日も早く帰してあげるということが必要であると強く感じたわけでございます。この点をつけ加えて、一言申し上げておきます。
○原委員長 これにて派遣委員よりの調査報告の聴取は終りました。 —————————————
○原委員長 それでは、これよりソ連地区抑留同胞の事情につき、参考人よりその事情を承わることといたします。まず委員長より、参考人各位に対し、一言ごあいさつ申し上げます。参考人各位には、帰国早々、御多忙中のところ御出席をわずらわしまして、御好意のほど委員長より厚くお礼申し上げます。本委員会は、いまだ海外に残留されている同胞の引き揚げ問題の早急な解決のため、調査をいたしておりますので、本日も皆さんより事情をお聞きいたし、調査の参考にいたしたいと存じますので、抑留同胞の実情等につき、忌憚なきお話をして下さいますようお願いいたします。 なお、今回日ソ共同宣言が調印され、これが批准されれば、直ちにソ連地区抑留同胞の全員が釈放され、送還されることになりますが、その際、マリク名簿登載漏れの者、または生死不明の者について問題が起ると思われますので、マリク名簿以外の者、及び死亡者について御存じの点がございましたら、そういう点もとくとお話しを願いたいのであります。 では、初めに水上参考人より事情を伺うことといたしますが、他の参考人の方々には、それぞれのお立場より、あまり重複しないよう抑留地における実情をお話し願います。参考人水上修一君。
○水上参考人 私は、今次の第九次ソ連地区よりの帰還者の水上修一であります。 終戦当時、昭和二十二年樺太陸軍特務機関通訳として勤務中終戦を迎え、翌月九月十九日ソ連軍に逮捕され、十二月一日付をもって判決を受けました。五十八条六項で八年の刑を受け、昭和二十八年満刑いたしました。昭和二十八年、満刑後、即時に私たちが送られたクラスノヤルスクの刑務所において、新しい刑 私たちには疑問でありましたが、これはいわゆる従来私たちが予想していた当時の刑と同じもので、いわゆる無期の強制移住刑でありました。そのいわゆる強制移住刑を受け、直ちにクラスノヤルスク地区より百四十五キロ北方地点にあるクラスノゴルスキー・ソホーズ、これはソ連のいわゆる国営農場でありまして、流刑者の居住地であります。そこに送られ、今年の四月の十九日この刑を終り、釈放されたのであります。そうして、今次帰還するその日まで、その地区にいわゆる流刑者生活というものを続けて参りました。これが大体私のソ連地区における経歴の概略であります。 次に、引き揚げ問題について、今度いろいろ政府の方の寛大な御尽力により、私たちが引き揚げてきましたことを感謝するとともに、今後の引き揚げについて、政府の方にお願いしたいことがあります。それは、現在収容所におられる方、あるいはマリク名簿に載らない方、あるいはまた私のようにマリク名簿になく、また無国籍者として取り扱われていた者の収容方についてであります。これは特に今後の政府の寛大な御尽力を待つよりほかはないと思います。と同時に、政府より、ソ連政府側に対して、誠意ある調査方を依頼していただきたいことをお願いいたしたいものであります。 次は、ソ連地区在留者に対します援護についてであります。現在収容所におられる方は、日本内地よりの心づくしの小包でありますが、その小包のおかげによりまして、向うから給与される食糧の不足を、内地のかおりをもって補うておるのであります。この点、また今後ともよろしくお願いしたいのであります。と同時に、私たちのように無国籍者であって、ある者は家庭との通信があると思うのでありますが、そういう現在地において、行方不明でない現住所の判明せる者、そういう人たちにも送っていただきたいのであります。向うにおられる日本人、特に無国籍になっておられる——これは無法な向うの取扱いによって無国籍になっておりますが、そういう方たちにも、寛大なる御援助を賜わりたいものと思っております。 次に、私たち帰還者の現実の問題でありますが、就職問題であります。この件についても、政府側の積極的なる御援助と寛大なるお心づくしをお願いしたいものであります。簡単でありますが、これだけ申し上げておきます。
○原委員長 最後に、高橋晩成参考人より事情を聴取いたします。高橋さん。
○高橋参考人 私は、このたび帰って参りました高橋晩成であります。 一九四五年に、終戦と同時に逮捕されまして、チタ、モスクワの監獄に送られ、約一年半以上の取り調べの結果、五十八条の六項によりまして、十五年の刑をもらいました。それから一九四七年の七月から四九年に至るまで、ウラルの北の方のコミ自治州のウフタという地区に送られまして、レンガ工場の建設・道路の建設その他の作業に従事し、四九年の秋、カラカンダ付近のコウンラードというモリブデンを掘る鉱山に送られ、そこに約五年間おりました。一昨年帰還させるという名目のもとに、そこから出発しましたが、転々として約十一カ所の収容所を彷徨し、本年の五月五日に初めてハバロフスクに着きました。その間、たった三名の日本人に会っただけでありまして、みんなロシヤ人及び外人ばかりでありました。初めてハバロフスクに来たときに、日本人のラーゲルに入りまして、ほんとになつかしいような心強さを感じましたが、ソ連の最高幹部会令の条項によりまして、刑期の三分の二以上経過した者は、期限前に釈放するという条項を適用されまして、今年の八月の二十七日に釈放の判決を受け、十月の十日にハバロフスクを出発し、十三日にナホトカに着き、船で十六日になつかしいわが国に帰り、皆様のあたたかい手に抱擁されまして、十一年ぶりで、ようやくとらわれの自分の身を自由なものと感じました。 向うにおります間に、政府当局の方、日赤の方及び地方の各種団体の方々から送られた小包をちょうだいした場合に、長い間異国におって、一人も日本人のおらない中で、初めて日本のそういう小包をもらった場合に、私の心が何かしら日本人と結びついて、今までは孤独であったものが、何かしら自分たちの背後に依然として強いものがあることを感じまして、これはどうしても強く生きなければならぬと非常に感激し、またしばらく忘れておった内地のかおり、色に接し、何とも言われない感激を受けたことを深く深く感謝いたす次第であります。なお、向うにおって、留守家族のことを非常に心配しましたけれども、心配したほどのこともなく、家族たちが生活しておるということは、やはり当局の方及び国民の皆様の厚い情だと思って、深くこの点も感謝いたします。幸いにして、今回私ども四十七名の者が帰って参りましたが、出発するに当って、われわれを見送ってくれた人たちの姿を考え、そうして、越冬準備をし、二重窓をはめたり、ペチカを修理したり、あるいは木の葉が落ちたりするのを見て、非常にさびしいような感じがして、そこを立つときには、何としても自分は申しわけないような気がしました。しかし、当時、ちょうど鳩山全権がモスクワに着いたという報告がラジオでありましたので、みんなの顔が非常に明るくなり、何かしら非常に強い喜びと希望を持ったので、送る者も送られる者も、従来と違った気持で送り送られてきました。と同時に、ソ連側当局としても、従来より以上に、何かしら非常に好意を持って、われわれを送ってくれたという感じがいたしました。これは従来もそうでしたけれども、政治というものが、いろいろな点において、われわれのラーゲルの生活に影響を及ぼしておった一つの例証だと思います。ナホトカに来まして、初めて日の丸の旗を見たときに、目がかすんで、涙が流れて、ほんとにうれし泣きをいたしました。私どもにとっては、ほんとにこの日の丸の旗を見ただけでも、急に力を倍加するような気がいたしました。船内においては、日赤の方々を初め、外務省の方の手厚い好意ある御処置によりまして、ナホトカ到着以降の皆様の厚い厚いもてなしに対しては、ほんとに感激のほかありません。ただ、今振り返ってみますると、向うのハバロフスクに残っている約千名前後の方々は、交渉の妥結によって、あるいは批准が早く済めば済むほど、早く内地に帰れると思いますけれども、一番の問題は、いわゆる住所不明の方々とかあるいは生死不明の方々の問題で、これが依然として私どもの心持を暗くいたします。判明している者以外の人たちというのは、大体三つのグループに考えられるのではないかと思いますが、一つは、収容所内に依然として残されている者、第二には、刑が終って、社会人として分散し、なかなか連絡がとれずに行方不明になっている者、第三は、特殊な関係から連絡を十分にとれないでいるところの樺太在住の人々、こういう人たちだと思います。こういう人たちでも、名簿に明らかになっている人たちの問題は、案外楽にいくと思いまするけれども、一番の問題は、地方に分散している不明な人たちの問題じゃないかと思います。これに対しては、ラーゲルの生活で、ロシヤ人とつき合った関係上、一種の教訓を受けたのでありますが、ラーゲルの生活に対しては、目的が達せられるまでは、同じ願書を二回も三回も出してやると必ず効果があるということ、一回でおしまいじゃなくて、ロシヤ人に対しては、しつこく同じことを繰り返す、泣く子に乳という日本の古い言葉と同じで、何かしょっちゅう刺激を与える、あるいはしつこくやるということによって、結局目的を達するのではないかと思います。従って、在住不明とかあるいは生死不明とかのいろいろの問題も、一回だけでなくて、しつこくやる必要があるよう血気がいたします。なお、もう一つには、表から行く以外に、地方の機関に対してぶつかっていく。たとえば、各地方の内務省の代表者に対して、こっちの方から、具体的に個人なり団体なりがしょっちゅう働きかけて、いろいろの手を経て、何とかして、残った人たちに、一人でも多く、一刻も早く引き揚げてもらうような方法を講じ、一つ皆様のお力によって解決していただきたいと思います。留守家族の身になってみますると、多くの者が帰ってくるのに、自分の家族の者が帰ってこないということは、現在よりも一そう深い悲しみに落ち込むと思いますので、皆様のお力によって、何とかこの問題を早く解決していただきたいと思います。 次に、またお願いしたいことがあるのですが、長い間向うにおりまして、日本の事情がほとんどわかりませんので、たとい日本に帰っても、どういうふうにして生活したらいいかわからない、自分には妻もあるし子もあるということで、帰ったとたんに問題になるのは、この生活の問題だろうと思います。もちろん帰ってきた者としては、各自できるだけ努力すると思いますけれども、何せ長い間離れておって連絡もなかったので、こちらの事情にも十分ではない関係上、やはりこれは当局の方々の十分な御配慮によって、帰ってきた者に対して、そういう精神的あるいは生活上の不安を一刻も早く解決できるようなことをお願いしたいと思います。 簡単ながら、以上をもって終ります。
○原委員長 ただいま参考人の方々より事情を承わりましたが、これより、本件に関する質疑を許します。質疑は、通告順によりまして、臼井莊一君
○臼井委員 御帰還の皆様には、長い間ほんとうに申し上げようもないような御苦労をされたことに対して、心から御慰労の言葉を申し上げる次第でありますが、二、三御質問を申し上げます。 まず、水上修一さんにお尋ねいたしますが、二十八年に八年の刑を終えられて、そうして、さらに理由がわからずに、クラスノヤルスクに流刑になったということでありますが、他にも満刑になった者で、そういうような人がまだ多くあるのじゃないかというふうに思うのでありますが、やはり他にそういう方があったかどうか、お気づきであれば一つお伺いしたいと思います。 それから、われわれ考えて、皆さんが刑に課せられることさえもちろん納得がいかぬのでありますが、一応刑を終えたのに、さらにまた従来ともにお帰りになる機会があったのに、これを許さず移住刑にする、重ねてのまことに理不尽な仕打ちだと思うのであります。こういう際に、また改めて裁判とかそういうことをいたしてやるのでありますかどうか、その点についても一つお伺いしたいと思います。
○水上参考人 私の例をとってお答えいたします。その当時の状況といたしまして、島津全権が来られて、いわゆる帰還問題に対する協定が結ばれる以前に、タイセット地区において刑の終えられた方々たちは、大体当時の状況を総合いたしますと、ほとんどと言っていいほど、全部がクラスノヤルスク地区に送られているのであります。これは現実に私も見ております。また一緒におりましたソ連人より聞くところによりますと、あの著たちは、クラスノヤルスク地区に送られて、いわゆる強制移住者となるのであるということでしたが、案の定その通り、タイセット地区において私は刑が終ったのですが、と同時に、すぐにクラスノヤルスクの刑務所に送られ、何日か刑務所生活の連続をいたしておりましたところ、突然呼び出されまして、明日何々地区にいわゆる強制移住者として出発せよ、そういう前提のもとにある書類を提出されて、いわゆる強制移住刑を受領するということの署名を強要されたのであります。私はすぐ反発しました、いかなる理由で、何らの裁判もなくと。ところが、そこにいた人は、私の考えでは地方の検事らしかったのでありますが、その男の言うところによりますと、署名をしてもしなくても、お前の将来の運命は同じであると言いへ一たん私は部屋を出ました。そうして私たちと一緒に刑を終った人たち——ソ連人とかその他各種の外国人もおりましたが、その人たちに会って聞いてみましたところ、結局は署名してもしなくてもお前の運命は同じなんだという。そういう状況ですから、私は反発しましたが、そのまま私が最後まで住んでおりましたところのクラスノヤルスクのいわゆる国営農場に送られてしまったのであります。こういう状態で、私が見たところ相当数の方々たち、つまり五十三年度の秋までに出られた方々が、強制移住者として新しい第二期の刑をもらい、また大部分の者が無国籍者として取り扱われているのであります。この無国籍者の件でありますが、これは大体において昨年の十二月ごろよりこうされるようになったのであります。それまでのわれわれの身分証明書というものは、いわゆる強制移住者という簡単なる身分証明書でありました。ところが昨年の十二月に出頭を命ぜられて、いわゆる無国籍証明書といいますか、いわゆる無国籍者のパスポートといいますか、それに相当した書類の受領方を強要されたのであります。私は大体において本年の五月まで受領を拒絶しておりましたけれども、その後向うの内務省官憲あるいは国家保安部官憲のいわゆる脅迫といいますか、おどかしといいますか、それによって受領をやむなくされたのであります。そういう次第であります。
○臼井委員 そういたしますと、刑が終ってタイセット地区からクラスノヤルスク地区に移される前に、要するに強制移住の承認をすることについての署名を求められた。しかしあなたはそれをずっと拒否し続けてこられたけれども、結局強制移住させられた、こういうあれでありますが、もしこれは強制移住に署名をしたとすると、これは強制移住を承認したのであるから、本人が帰りたいという意思があっても、こちらに帰るということをなるべく許さぬでおこうというような考えがソ連当局にあるんじゃないか。これに署名していなければ、そういう証拠書類もないので、また今回お帰りになれたのも、そういうふうな関係で署名しなかったために帰れた、署名した者はまだそこに残されておるというようなことはありませんかどうですか、その点を……。
○水上参考人 今の御意見でございますが、これは私が想像した通りに、署名しても署名しなくても帰れるものは帰れる、そういうようなあれで、また現在家族との通信もなく、何らの方法手段もとれず残っておられる方、そういう人たちは、同じ条件のもとに、署名しても署名しなくても同じような状態におるものと思います。
○臼井委員 なお、お伺いしたいのは、従来お帰りになった方のお話を聞くと、吉田内閣当時すでに帰そうというような気配があって、そして帰れるというようなことを聞かされてハバロフスクに行ったところが、鳩山内閣になってから、日ソ交渉で国交を回復しようというような政府、鳩山内閣の意見がはっきりしてきたので、むしろそれを帰国せしめないで、そして押えていた、そういうようなふうに伺った方があるのでありますが、あなたの場合には、何かそういうような模様はございませんでしたか、いかがですか。その点ちょっとお伺いしたい。
○水上参考人 私の方には、そういう情報も入っておりませんし、長い間日本人を見ておりませんので、わからないのであります。
○中山(マ)委員 関連して水上参考人にお尋ねいたしますが、無国籍者にされたということでございますが、かつて長野県の赤羽文子さんとおっしゃる方を記憶いたしますが、この方も満刑になって、あと五年間向うにそのままいらっしゃいまして、二年ほど前でございますが、やっと帰って見えたことがあるのですが、いわゆる帰国を希望するところの手続をとらなかったから帰さなかったというようなことを向うが言っておるということを、この方は言っておられたのであります。この方も材木を運ぶ労働をさせられて、それにたえられないような生活を五年間して、それから満刑になって五年間、やはり何のことなしにあなたのように置かれた。無国籍者になったというお話は承わりませんでしたが、あなたはそういうふうに、もう満刑になったのだから日本に帰りたいということを、政府におっしゃったことがおありになりますかどうか。これは向うがそういうふうに言ったということを赤羽さんがおっしゃいましたので、私は伺うのでございます。何か無国籍者にするという理由は何か。これはまあ一つの国に属しているところの喜びと申しますか、安心感というものを剥奪するということは、私は人権の尊重の立場から、非常におそろしいことではないだろうかということを考えるのでございます。そういう御発言をあなたはなさったことがあるか、それをちょっと伺いたいと思います。
○水上参考人 今の件でありますが、私の例によりますと、無国籍者とされたその理由、これは私はずいぶん追及してみましたが、全然説明をしてくれません。ただ書類の受領を強要するだけでありました。 その次に帰国の問題でありますが、大体私が刑が終って出たあと、ただちに自分の身分につき、あるいは帰国問題につき、向うの内務省の出先局関係者に要求をいたしました。けれども、当時の状況は、通信禁止という状態で、内地との連絡もとれず、全然家族の状況もわからずにおりました。それが昨年の八月ごろより私に通信の許可がありまして、それから積極的な行動が激しくなったのであります。つまり家族の方に——いろいろと私の終戦当時の状況、あるいは帰国に関し、内地の方からのいろいろな状況を聞いたり、あるいは書類の提出方、あるいはソ連当局が要求するところのいわゆるナッオナーリヌイ・パスボルト、これはちょうどソ連人各人が持っている国籍証明書のようなものでありますが、そのようなものを私たちに要求してきたのであります。第一の要求事項として、ソ連側は、帰国問題に関し、その書類を要求して参りました。このことにつき、私は直ちに家族の方に連絡をいたしました。家族の方では、それぞれ内地の各種後援団体あるいは引き揚げ協議会の手を経て、厚生省あるいは外務省に連絡をいたし、そういう書類は日本側にはない、そういう第一回目の返事がありました。しかし私はそれにあきたらず、また第二回目の手紙をもって、家族の方に何かそれこかわるものはないかと言ってやりました。そういたしましたところ、家族の方から、いろいろな諸団体の手を経て、いわゆる外務省発行になるところの未帰還者証明書と同時に、当該市町村より、国籍証明書なる書類をちょうだいしたのであります。私はその二つの書類をもって、直ちに向うの内務省の出先局官憲にあらためて帰国問題につき請願をしたのであります。と同時に、中央モスクワ政府に対し、七度もしくは八度と思いますが、請願書を書き続けました。いつも向うの言う役人の言葉は、また来たか、よく飽きずにやってくる、そういうような状態で、私もまたほんとうに絶え間なく連絡を続けてきたのであります。いかなる理由で今度帰国になったか、それは私には想像できません。ひょっとしたら、そういう書類の連絡がうまくいったのか、あるいはそれとも国交調整上、向うが行なってくれたのか、現在に至っても、それが不審でならないのであります。
○中山(マ)委員 厚生省にお尋ねをいたしますが、かつてソ連側側から戦犯以外の者はソ連圏内にはいないという発言があったことを御記憶になっておられることと思います。この赤羽文子さんの場合、またこちらの水上氏の場合について、田辺局長はロンドンにお越しになったのでございますが、こういう点について、ソ連の日ソ交渉の全権に対して、御連絡になりましたかどうか。そうして、御連絡になりましたときに、向うの答弁はどうであったか、聞かせていただきたい。
○田辺説明員 ロンドンの先方の全権の随員の方でございましたが、一万一千百七十七名の名簿を渡した際に、私の方で得ている情報に基いて、現在なおソ連に生存している者であって、名簿に載っていない者があることを私の方から十分指摘いたしました。これは現実に手紙が来ているのでありますから、否定できない。向うも認めておりました。向うから出ておるいわゆるマリク名簿というものは、服役者名簿といいまして、現に刑を受けて、服役中の者の名簿であることは、向うの説明によって明らかであります。ただいま御両人の方からお話しになりましたように、すでに満刑になって町に出ておられる方については、あの名簿に載っていないわけであります。これについては、そういう人たちがおられるということは向うも否定をいたしませんし、むしろ認めておったのであります。
○中山(マ)委員 認めながら帰さない、いわゆる戦犯者しかいないということを言うておきながら、満刑になった者を帰さない。その理由をお尋ねになったでしょうか。
○田辺説明員 これにつきましては、理由を尋ねるというよりは、私の方から、こういう人たちがいるんだ——この人たちの中には、いろいろの御事情によって、この際日本に帰国したくないという人もあり得ると思われます。これは現に第一次に帰られた方の中の証言によって、そういう人たちがあったことは事実でございます。しかし、帰国を希望しておられる方が相当たくさんある。これはわれわれの常識から当然でございます。これは帰る方法は簡単ではないか。第一は、これらの方々の中で、現在帰り得るんだということを知らない方があるんじゃないか。ああいう広い国でございますから、周知徹底の方法も十分でないと思われますので、赤十字から迎えの船がナホトカに来ておるということを知らない方があるかもしれない。従って、こういう方々に対しては、そういう帰り得る方法があるんだということを十分周知徹底させる必要がある。それから、第二は、手続が非常に煩瑣のようであります。嘆願書を出して、それがモスクワかどこか中共の機関へ行って、許可がおりるまでの間、いろいろめんどうな手続がある。それは、そういうめんどうな手続をしないで、申し出たならば、地方の機関においてその処置ができるようにしてほしい。この二つの点を、残留しておられる、いわゆる釈放になっている一般邦人に、官憲の手によってすぐ徹底をはかってほしい。そうすればすぐこの意思表示をする人がたくさんいるだろう。そうすれば、すぐ抑留者が帰ってこられるときに、帰してやることができるじゃないかということを向うに強く要請したのであります。これについては、向うは承知いたしましたと言ったのでありますが、効果は、現在までのところ数はりょうりょうでありますが、少しずつ帰ってきておるわけであります。これを徹底させていただくならば、今度抑留者の方々が帰るときに、同時にその船で帰していただくことが可能であると思っている次第でございます。
○臼井委員 ただいまの問題ですが、水上さんのお話によると、昨年の秋に、無国籍者の書類に承認するように強要されたということを伺ったのであります。そうすると、昨年の秋にマリク名簿をこちらへ提出されたのも、ほぼそんな見当に前後するのじゃないかと思うのです。そこでちょっと疑問を持っておるのは、マリク名簿以外はいないんだということを出した以外には、要するに無国籍の承認をした者、無国籍者はそのリストには除いてあるのですか、どうですか。その点を田辺局長が御承知であれば、お伺いしたいと思います。
○田辺説明員 いわゆるマリク名簿は、九月五日、向うの全権から当方の全権にロンドンで手交されたわけであります。その名簿の性格は、私の検討によりますと、服役者名簿、刑を受けて現に服役しておられる方々の名簿と、その名簿の中には、本刑が終って、いわゆる付加刑として、俗にいう流刑を受けておられる方は入っておられないように私どもの方では了解されるのであります。もちろん、本刑が終ってしまったあとで、付加刑としての流刑を受けた方もありましょうし、何も受けられなかった方もおられます。受けない方であっても、その後の居住地の指定を受けまして、その指定をされた地に行って、警察から何か証明をもらって、そこに住んでおられる、こういう方がいわゆる満刑釈放者の大部分ではないかと思われます。こういった方々は、名簿には載っておられないというふうに私どもの方では解釈いたしております。
○臼井委員 無国籍者ということを要求したということが、何か本人が日本の籍がない者であるから、日本に帰す必要なしというふうに、そこに考えがあるのじゃないか、こうも思うことと、あるいは、その前に強制移住というようなものを承認させようとしたということも、移住したということを承認しているんだから、これはもう帰す必要はない、こういうような何か考えをもってやったんじゃないかというふうに、少しくわれわれとしては考えざるを得ないのです。そうすると、水上さんにお伺いをいたしますが、無国籍者の署名を求められたということは、昨年のいつごろでございますか、御記憶ございませんですか。
○水上参考人 私が無国籍証明書の受領を強要されたのは、昨年の十二月でございました。また本年の五月まで私は拒絶しておりましたですが、結局受領のやむなきになりました。なぜかと申しますと、向うに住んでおる人たちは、ソ連人も外国人も同じでありますが、各人がいわゆる証明書か何かかを持っていなければ、一日もその地におって生活することができません。それだけであります。その理由だけで、私は結局前回いただいておりました、いわゆる強制移住者の証明書を返納し、新しい証明書であるところの無国籍証明書を受領いたしました。
○中山(マ)委員 ちょっとその点についてお尋ねしますが、そうすると、強制移住者と無国籍者との生活の様式はどう違うんですか。
○水上参考人 生活様式において申し上げますと、書類上の名前は違いますが、生活様式は同じであります。ただ私の場合でありますと、今年の四月に、いわゆる強制移住刑なるものが釈放されたのであります。そうした次の段階として、いわゆる無国籍の外国人であるところの生活が私に始まったのであります。
○臼井委員 そうすると、無国籍であるから、要するに日本人でない、こういうことで、ソ連としては、パスポートを持っておる者は認めるようにどうも考えるのでありますが、やはり日本人としての扱いを一応しないという建前にあるように思うのでありますが、この点は当局はどうお考えになりますか。しかし、まあ一応お帰りになったんですが、お帰りになるときは、日本人であるというのでお帰りになったと思うのですが、その点はどうも無国籍者というもののパスポートを示すことについて、御当局でもしおわかりの点があれば、お答え願いたいと思います。
○田辺説明員 外務省でお調べになったところによりますと、ソ連の国籍法の中にこういう規定があるのでございます。ソ連領域内で居住するも、本法に基き、ソ連人民でなく、かつその外国国籍を有する証明書を有しない者は、これを無国籍者とみなす、こういう条文があるそうであります。従って、満刑釈放の邦人の中で、邦人の居住証明書の中に、この無国籍ということを書いた欄があるのでございますが、これは積極的にソ連人以外の日本人だということを証明する書類がないときは、全部これで片づけておるらしいのでございます。多分水上さんの場合は、日本の戸籍証明書か何か送っていただいたのをお持ちになって、それをお出しになって、日本人であることが証明されてお帰りになることができたんじゃないか、こう思われます。一応そう思っておりますけれども、従来のケースは、そういうケースが多いようであります。
○臼井委員 そうなりますると、幸いに水上さんの場合には、故郷の方からそういう戸籍証明書等をお送りになったからよかったのですが、いろいろ伺うと、何回も請願書を出したとか、非常に熱心に努力されたために、今回おくればせながらお帰りになられたと思うのですが、もしあきらめて、そういう請願をしなかった人とか、そういう戸籍謄本を取り寄せることができないというような人、あるいはやらぬというような人は、帰国を希望しながらも、果してソ連が帰国せしめる方途を講ずるかどうか、その点非常に問題だと思うのです。今回の日ソ交渉の結果、まだ全権がお帰りになりませんから、そういう点はあるいはわからぬかもしれませんが、すでに欧米局長はお帰りになったと思うのです。外務省あたりで、それらについての見解をこの際お伺いできればけっこうだと思います。
○田辺説明員 日本人であることの証明の問題につきましては、すでに一万一千百七十七名の名簿を向うに出してあるわけでございますから、それに載っているかどうかによって、日本の国籍を持っているかどうかということを確認する公式の書類があるわけであります。この点については、すでに外務省の方から、ロンドンを通じて向うに申し出をしてあるはずであります。それから一万一千百七十七名については、調査をしてくれということを要望してございまするし、そのうち特に昭和二十五年以降の生存資料のある者については、優先的に調査をしてほしいということも言ってあります。またその個別的な調査とは別個に、先ほど中山委員の質問に対しまして私がお答えしましたように・官憲の手を通じて周知徹底をはかる。これはきわめて簡単なことでありまして、日本人である者は申し出ろ、これで簡単に済むわけでございますから、これらをあわせて履行するならば、そうむずかしいことではなかろうと思われるのであります。今後とも外務省を通じまして、そういうことを強く先方に申し入れるようにして参りたいと思います。
○臼井委員 次に、高橋さんにお伺いしたいと思うのですが、高橋さんの満州におけるお仕事は、満鉄の副参事というお仕事であったように書いてございますが、どういうような罪名で十五年の刑に処せられましたか、その点をまずお伺いしたいと思うことと、いま一つは、高橋さんにつきましては、御郷里からも、御家庭からも、あるいはまたロンドンにおきましての交渉の際にも、いろいろと政府側からも折衝したというようなこともちょっと聞いたのでありますが、しかし帰還については、非常に御苦労されたということでありますから、その間の事情等もあわせてお伺いできれば、非常に幸いだと考えます。
○高橋参考人 私のもらった五十八条の第六項は、諜報行為をねせる者というのであります。私は、シベリア出兵当時、陸軍の通訳としてシベリアに三年間おりました。昭和元年から昭和十年までの間に、日露協会においてソ連の調査をなし、昭和十年から終戦まで満鉄の調査局のロシヤ課において、ロシヤの調査をやりました。ことに、昭和十五年ごろから、関東軍司令部第二課の要請により、ソ連の国力調査の問題について、大きな計画のもとに、ソ連調査を数年やったことがあるのであります。それによっていわゆる諜報行為をなしたものというあれで、罪名をもらったのであります。この問題についてずいぶん向うの調べ官と議論しまして、ソ連のことを調査することはスパイ行為であるか、向うの説明によりますと、ソ連の資料を収集しこれを調査、分析、総合して結果を出すということは、これはスパイ行為だ、私は、それならば日本の狸穴のソ連大使官においてどういうことをやっておるかを私は知っておる。それから各国の大使、公使館において、その国の事情を調査することもスパイではねいか、それもスパイだ、それならば私が満鉄でソ連を調査したことと、官公吏が公然とやっておることの間にどういう区別があるか、彼らは結局黙っておりましたが、私が、それは戦勝国と戦敗国の差によってではないかと言うと、にがい顔をして返答しませんでした。結局私は、ソ連の問題について二十年以上もやってきたことについて、その方では一種の総決算のような工合で、むりやりにソ連の情報を収集したものという理由だけであったようであります。
○木村(文)委員 一つだけ関連して。先ほどから無国籍者の問題についてずいぶん突っ込んだお尋ねがございましたが、私この際外務省に対して伺っておきたいのであります。日ソ交渉が妥結しまして、その条項の五つのうちに、この引き揚げ問題が入ったわけであります。そのことがきまったのでありますから、今度は無国籍者がどうあろうとこうあろうと、この際、人種的に見て、日本人であるということで本人が帰国したいという者があったら、必ず帰すという確約をこの際とっていただきたいと思うのであります。その点に対する外務省の方針を伺いたい。
○山下説明員 外務省としましては、現在ソ連にいる日本人で、少くとも帰国を希望する者については、何とかして帰ることができますようにあらゆる手段を尽すつもりで、今までも努力をいたしてきております。今後も、全権団が帰りましたら、今度の会議の様子を十分お聞きして、いろいろ研究しまして、なるべくすみやかに問題が解決するように努力していきたいと思っております。
○木村(文)委員 今のは抽象的で、ちょっと私納得しかねる。なぜ私がだめをおすかといいますと、先ほど水上参考人からるる申しておりました通り、帰りたくてもその方法がないという者があるのです。現在あるのですから、これを外務省としてどう取り扱うか。政治的な面は、このたびの日ソ交渉で解決ができたのですから、いやしくも担当課長であるあなたが、どういうような方針で事務的にこれを解決していくかという、その方針を私は聞いておきたい。そうしますと、向うにおられる人たちが、いろいろ新聞なんかを見て安心すると思う。どんどん申し込みをすると思う。その対策を私は聞きたい。妥結したのですから、すでに練っておかなければならぬと思うから聞くのです。
○山下説明員 さしあたりは、具体的に申しますと、先方の官憲を通じて周知徹底さしてもらうということは、わが方で居所がわかっている者についてはいいのですが、わかっていない者が多数あるので、これに周知徹底さしてもらうということが主となります。ただ、今度の引き揚げの時期がいつになりますか、国会の批准の問題とからむと思います。全権団の正確な報告ではありませんが、向う側でも、現在のマリク名簿以外の者が見つかっているということが今度の会議に出たという新聞の報道も、私たち読んでおるのであります。そういう点から考えまして、在外公館を通じて、こちらの住所のわかっているのは向うに住所を知らせる、住所のわからないものについては、なるべく住所を早く確かめて帰すように手続してもらう、そういう方法をとるのが適当と考えております。
○原委員長 戸叶里子君。
○戸叶委員 先ほどから無国籍の問題が出ておりまして、外務省の方も、田辺援護局長も、向うの官憲の手を通して周知徹底せしめる——これも私は一つの方法で非常に大切なことだと思いますが、同時に、水上さんにお伺いいたしたいことは、あなたの場合には、いろいろな手を通じて、御自分が日本人であるという証明書をおもらいになったわけですね。そのことが効を奏してかわからないが、ともかくお帰りになられたわけです。そういうもののあった方が帰ることが早いということも考えられるのではないかと思うのですけれども、水上さんの御経験を通して、官憲だけでなくて、むしろ日本の政府でもって、まだ帰って来ない人で名前のわかっている人の名簿をどんどん送るという方法をとった方がいいんじゃないかとも考えますが、そうお考えになるかどうか、この点を一点伺いたいと思います。 それからもう一点は、この前お目にかかったとき、ちょっとお話になったと思いますが、ソ連語がわからないために、こういうものに署名しろと言われて、ソ連の中央からの命令では、ソ連の国籍に日本人を移すというようなことは望ましくないにもかかわらず、たまたまソ連の国籍になれというようなことで、そのまま署名をしたような方があったようにも伺っておりますけれども、そういうことがあるかどうか、これを伺いたい。
○水上参考人 今の国籍証明書の問題でありますが、第一に考えられますことは、向うの地方官憲の最もわれわれに影響するあいまいな態度、雲をつかむか、かすみをつかむか、全然予想もできない大陸的なやり方、そのため私も数度足を重ねて、結局内地から送られてきたいわゆる未帰還者証明書、外務省交付のものと国籍証明書を携え、生還の基礎にしたわけであります。その点について、今もお話がありましたように、大きな効果をもたらすので、そういう書類を知らない人たちに送って下さったら、大へん助力になると思うのであります。それと同時に、現在ソ連のある地区においては、全然通信の禁止地域があります。このたび帰って来られたうちの一人から私が聞いたところによりますと、コルイマ地区、これはマガダン市を中心にした採金地帯であります。その地区は、帰るそのときまで通信が全く禁止され、手紙も来なければ、そのほか何の連絡もない、出しても行かないだろうというお話もありました。そういうところも、結局政府側より向うの官憲に誠意をもってお話をお伝えいただき、日本人がいずこの土地におっても、自分の故郷の家族と連絡ができるよう、そういうことをまたお願いしたいと思います。
○戸叶委員 もう一つの無国籍者に対して、ソ連の国籍を強要したという例があるかどうかについて……。
○水上参考人 ただいまの無国籍者として強要された件、この件については、私は何も申し上げることができません。理由がわからないのであります。と同時に、これは私自身見ておりませんが、向うでたくさんのうわさを聞いております。それは、ソ連人からでありますが、いわゆる満刑となって刑務所から強制移住者として出される場合、あるいはその後あったのかもしれませんが、いわゆる露語の知識が不足のために、書類を判読することができず、強要され次第に署名をしてしまう。そういう点から、現在でも、たくさんはいないと思うのでありますが、ソ連国籍所有者として、全然この問題からオミットされている方があることを聞いておりました。
○戸叶委員 そこで政府の方に伺いたいのですが、ただいまの水上さんのお話にもありました通り、日本人であるという何らかの形の証明書も、ある程度役に立つのではないかと思うのです。もちろん前と今とは情勢も変りまして、今度は全面的に帰されるわけでございますけれども、しかし証明書を出した方がいい場合があるかもしれないのですが、この点は政府としてお出しになるかどうか伺いたい。 もう一つは、たとえば字が読めないために、今お話がありましたような場合もあると思うのです。そういう人たちも、帰りたいという気持は同じであろうと思いますので、そういう人たちに対しても、帰れるような方法をお考えになっていただきたい。こう思いますが、この点についてのお話を伺いたいと思います。
○山下説明員 ただいまの証明書の件ですが、これは本年の五月に六件ありまして、そのときも、私たちは初めてのケースで、どの程度効力があるか疑問であったのでありますが、とにかく非常に効果がある、可能性があるだろうということで、ロシヤ文をつけたものをお出ししてみたわけで、お役に立っているとすれば、非常に幸いだと考えております。それで、今後もこれを出すことについて、何らちゅうちょするものではありません。ただ、今後正式な国交ができますれば、どこどこにどういう人が帰りたい希望を持っているということがわかれば、直接向うの中央官憲から連絡してもらったら、解決が早くできるのではないか。大体私の考えておりますところでは、ソ連は中央から地方にいく指令は非常にぴんといきますが、地方では中央の指令がない限り、あいまいでありますので、今後は、はっきり住所なりがわかって、帰国希望があるという情報があれば、その情報に基いて中央機関にやる。もしそれで満足いかない場合は、証明書を出す。二重になってももちろん差しつかえないと考えております。 それから、もう一つの問題で、今までにすでにソ連の国籍を受領しておられるような人がおります場合、この場合には二重国籍の問題になるかもしれないのでありますが、これはよくソ連側と話し合って、これを解決するようなある制度を作らなければなかなかうまく運ばないかもしれませんが、もちろん話し合えば、解決のつく問題だろうと考えております。そういう考えのもとに、具体的な問題がありますれば、直ちに取り上げるつもりでおります。
○戸叶委員 ぜひそういう点まで考慮していただきたいと思います。先ほど水上さんから、一カ所に集結している人以外の人でも、たとえばあなた方のような方にでも、できれば、残っている方に慰問品を送ってあげてほしいというような発言がございましたが、どんなふうな形でそういう方に送れるものでしょうか、何かお考えがございましたら伺わせていただきたい。
○水上参考人 こういう状態にある方々、いわゆる刑が終って強制移住地におられる方々、特に私が見た範囲ですが、これは現在の状態では、コルホーズというところにおられる方々であります。コルホーズの生活、これはあなた方も大体御推察されておると思うのでありますが、実にみじめな生活をしております。そういうところへ送られた日本人たちは、私の考えるところ、なお一そうソ連人より以上にみじめな生活を続けておると考えるのであります。私がちょうど今度帰国を許可されまして集合地点に参りましたとき、日本人の方々の明るい気分、また小包から来るところのありがたさ、内地のかおり、におい、色とか、そういうものを、同じ意味において、コルホーズあるいはその他の地区における強制移住者にも分けてあげたい、そういうような気持から、先ほどお願いしたのであります。
○戸叶委員 それはれかったのですけれども、いるところもちょっとわからないので、そういう方に直接送る方法というのが、むずかしいのじゃないかと思うのです。これはやはり政府の方で、ソ連の政府と直接交渉して、送ってもらうより方法は今のところないのじゃないかと思いますが、あなたに、そのほかにお考えがあるかと思って伺ったわけです。
○水上参考人 私には別に何も方法を考え得る能力はありませんが、これは結局政府が向うの中央官憲なり地方機関なりに積極的にお願いして、日本人の調査方を依頼し、それに対し御援助を賜わるようお願いしておきます。
○原委員長 次に、中井徳次郎君。
○中井委員 私ちょっと政府の関係官にお尋ねしたいのであります。実は一カ月ほど前から、中日貿易促進議員団の一員として中国に参りまして、数日前に帰って参ったのでありますが、向うに参りまして、ひまを見まして、長春、奉天、撫順の戦犯にもお会いしてきました。長春では、大体二時間ほど前でありましたが、急に今、日本人にだれか会わせてくれと要求をいたしまして、二時間の間にできるだけ探してもらいまして、二人の日本人に会いました。奉天では予定をいたしておきましたので、三日間にわたりまして、最初は三人、その次の日は五人、最後に十七、八人の日本人に集まってもらって、話し合ったわけであります。いろいろと事情も承わりましたが、きょうはちょっとほかの質問でありますから詳しいことは申しませんが、結論といたしまして、こういうことを一つだけ私は希望されて参り、それは非常にけっこうだと思いますので、お尋ねするのであります。手紙の往復は今できるらしいのでございますが、小包がどうも今の中国と日本の関係ではできない。これは戦犯の皆さんについては小包が届いておりますのに、一般におります人たちには届いておりませんので、何とかこれを届くようにしてもらえないか、こういう要求がありました。私どもはどういう事情であるかよく存じませんでしたので、承わりまして帰って参ったのでありますが、中国に残っておりまする日本の方々は、やはり数千名はおるのではないかと思います。長春だけで大体三百二十名おるという話でありました。中にはもう日本語もほとんど忘れかけているというふうな人たちもたくさんおられるやに承わりました。まことにお気の毒でもありますので、小包の関係はどうなっておりますか、きょうは厚生省の皆さんですから直接の関係はないかもしれませんが、どなたか御存じの範囲内でお答えいただきたいと思うのであります。
○小川説明員 これは、現在おっしゃいます通り、中共と日本との間に小包のやりとりはできない状態になっております。実は、香港を通じて小包のやりとりのできるように、香港政庁と久しく交渉しておるのでございますが、香港政庁としては、あそこの輸送能力が非常に限られておるので、小包を扱えないということで、行き詰まっております。そこで直接に日本船が今だいぶ往復を始めておりますので、この日本船によって運ぶようにできるかどうか、これをただいま郵政省と一緒に研究中でございまして、近い将来には何とかなるんじゃないだろうかというふうに考えております。まだ具体的に、どこまで進むということは、現在では申し上げられないのであります。
○中井委員 今のお話でありますが、向う側に残っております日本人の皆さんの意見では、向うから小包を送りますと、日本に着くそうであります。ただ、日本から送るのだけは、郵便局の窓口でどうも困ると言われる。こういうことでありまして、まことにどうも解せないような気持でおるようであります。今のようなお話は、よく実情を調べれば、私はそうむずかしい問題ではないように思うのでありまするが見解はどうでありましょうか。そうして、もし条約その他の関係で困難だということになれば、引き揚げの三団体とかあるいは赤十字の関係とか、そういうものを通じてでも、何とか解決してもらいたいものだと思うのですが、いかがでございますか。
○小川説明員 郵便の関係は、御承知の通りに非常に複雑な技術的な手続がございまして、たとえば受領局をどこにするとか、あるいは風袋をどうするとか、そういうような技術的な問題が伴います。そこで、郵政省でもこの点を従来研究を続けておりまして、ただいま先生のおっしゃったようなラインに向って進めるように研究中でございますので、いくと思います。
○中井委員 どうでしょうか。今年中くらいにそいう問題が片づく見込みでございますか。その点をちょっと……。
○小川説明員 今年中という期限はちょっとわかりませんけれども、ただいま積極的に研究しております。いつということは私もちょっと申せませんが、少くともその方向に向って努力していることはずっとやっておりますので、近い将来には可能になると思います。
○中井委員 これで質問を終りますが、最後にちょっと希望しておきます。向うの人たちの気持としましては、日本からどんどんたくさん人が行っておりまするし、あなたも今おっしゃったように、天津の港には、日本の船が出入りをしている。あるいは今度また芝罘とか連雲港だとか、そういうところも日本の船に開放したように聞いておるのであります。私どもも大連に参りましたら、大連にも日本の船が二、三隻入っておりました。そういう状態で、しかも向う側としては、受け入れるということについて、そう困難の事情はないように私どもは承わって参ったのでありますから、どうぞ一つ積極的に進めていただきたい。 それから、先ほども理事会で話があったのを私伺っておったのでありますが、里帰りで帰っている人が向うに帰りますのに、一隻船を仕立てて持っていくというようなことになると、これは何百万円の金がかかるというような田辺さんあたりの御意見でありますが、私は何もそういうことをしなくても、今どんどん貨物船が向うへ行っております。その行っている船を何とか利用したら、こういうことは可能ではないか。問題は技術的なことでありましょうけれども、今日の中日貿易の状況は、もう台湾貿易よりもうんとふえて、今年は一億ドルを突破しているというようなことでありますから、どうぞ積極的にこの面に向って政府が強く動き出していただきたいということを希望しておきます。
○臼井委員 ちょっと二、三点ばかり聞いておきたい。今参考人の応答によって、慰問品の問題と通信の問題の二点があるのですが、そこで政府当局にお伺いしたいのですけれども、この通信を禁止されている地区があり、ことに樺太などからはあまり通信がないようです。これは通信の自由を当然認めてもらうことを要求すべきであると思うが、すでにソ連当局にしてあるかどうか。その点と、それからもう一つマリク名簿以外にも慰問品を当然お送りしなければならないのですが、これは住所がわからないというようなことで、いろいろ問題があると思いますけれども、何らかの方法でマリク名簿以外の人にも慰問品をお送りするという当局の御用意があるかどうか、この二点だけちょっとお伺いいたします。
○田辺説明員 通信の自由を与えてもらいたいということは、たびたび向うに申し出をいたしております。これは国交回復をした暁におきましては当然のことでありまして、さらに強く念を押して実行してもらわなければならぬことだと思います。 それから名簿外の未帰還者の問題でありますが、私は持来のことを考えまして、できるだけ今度抑留者が帰って参ります機会に同時に帰してもらいたい、こういうことを強く要求しているのであります。将来になりますと、帰るのにいろいろ大へんだと思います。 慰問品の問題につきましては、これは事情もいろいろございますので、個々の事情に即して、しかるべく措置しなければならぬと思いますが、さしあたり政府として、従来やっておりますような慰問品の送付方法を継続するかということにつきましては、そこまでは考えておらないのでございます。個々の事情によってはお気の毒の方があろうかと思いますが、個々の事情に即して、民間運動と連絡して、措置して参ったらいいじゃないか、かように思っております。
○臼井委員 マリク名簿以外でも、住所がわかったというような人に対しては、私は慰問品を当然にお送りする方法を講じなくちゃならぬと思う。そうでないと、残った人は、よけい取り残された感じで、非常に気落ちがいたしますので、力づける意味においても、マリク名簿以外の人でも、お送りするあて名なり住所なりがわかった場合には、ぜひ一つ当局において送付するような十分な御用意をお願いいたしまして、質問を終ります。
○田辺説明員 本人の所在が明確になり、どこにおるかということがわかりますれば、それは慰問品を送る前に、即刻帰してもらうようにしなければならぬと思います。
○原委員長 他に質疑はございませんか。——質疑がなければ、これにて参考人よりの事情聴取を終ります。 参考人各位には、御多用中のところ、長時間にわたり、貴重な実情をお述べ下さいまして、本委員会の調査上、非常に参考になりました。ここに、委員長より重ねて厚く御礼申し上げます。どうぞ御退室いただきます。 —————————————
○原委員長 この際、中共地区よりの一時帰国者の帰還に関する問題について、質疑があればこれを許します。
○木村(文)委員 私からこの際、先般中共から里帰りいたしました方々の問題につきまして、政府当局に二、三お尋ねをいたしておきたいと思います。 その第一は、現在里帰りして参りました人たちが、何の事故もなく、そしてまた苦情もなく、それぞれの場所に安楽にしておられるかどうか、これをまずお伺いしておきたい。
○田辺説明員 いわゆる里帰りをされました日本婦人の方々の現在の定着地の状態は、おおむね私どもの方で把握いたしております。これらの方々は、御承知の通り三カ月の期限をもって来ておられるわけであります。一刻も早く帰りたいという御心情につきましては、私ども十分了承いたしておるところであります。何らの事故がなかったがどうかという点につきましては、あるいはかぜひきその他多少の事故はあるかもしれませんが、今まできている情報では、大した事故はないようでございます。これらの方々の御要望につきましては、私が申し上げるまでもなく、一刻も早く期限内に帰りたいという御希望を持っておられるように了解いたすのであります。
○木村(文)委員 もう期限も切れると思いますが、そこで現在私が一番案ぜられることは、向うから持って参りました旅費の問題、これが現在はほとんどなくなっている、そう考えさせられるのであります。この点について、当局としてどういうお考えを持っておるかということ。第二番目には、帰って参りました際は夏でございましたが、今度は寒さに向っております。その衣類の関係の方を、私は非常に案じさせられるのであります。その次に考えられますことは、だんだん旅費がなくなってくる。そういたしますと、そのあとに、承わりますと期間が延びたというようなことが伝えられておりますけれども、もしかりに帰るその時期が延びるということになりますと、その間における生活費の問題、あるいは衣類の問題、もう一つは、今度は子供を連れて帰ってきている人があるとすれば、子供の学習の問題、こういったような問題についての当局の施策を私は承わっておきたいのであります。
○田辺説明員 この期限の延期の問題につきましては、今月の十五日に、日赤等いわゆる三団体から、中国の紅十字会あてに、次のような電報を打っております。第一次の人々の期限はもうじき切れるのであるけれども、これらの方々の再大国許可期限の延長方をよろしく願いたいということを、向うに申し出たわけであります。それに対して、紅十字会から、十月二十八日に三団体に対して連絡がございまして、紅十字会において、中共の政府に対して申請を代行した——代行したというのは、個々の本人にかわってという意味だろうと思います。それに対しまして、向うから、すでに、日本に行って親族を訪問している日本婦人及びその子供が再び中国に帰って来る期限を六カ月に延長できる許可を得ましたということで、つまり、従来三ヵ月であったものが六カ月に延びたわけでございますので、さらに三カ月滞在日数が延びたということになるわけであります。従って、八月の初めに帰ってこられた方は、十月末日が期限でございましたけれども、さらに延びまして、来年の一月一ぱいは期限があるということになったわけであります。 それから、冬に向いまして、衣類等の問題も心配でございますし、また滞在期間中の生活の問題も御心配になっているというお話でございました。まことにごもっともでございます。この点につきましては、赤十字におきまして、これらの一時帰国の方々に対しまして、毛布とメリヤスの下着を十一月上旬に支給するようにということで、目下手配をいたしております。 さらに、これらの方々に対する生活の扶助の問題でありますが、これは現在の生活保護法の建前で当然援助できることになっておるのでございますが、地方におきましては、その趣旨が十分徹底しない向きもあるやに考えられますので、今月の五日付をもちまして、厚生省の社会局の方から、各都道府県の民生部長あてに、生活に困窮する者に対しましては、生活保護法によって、あるいは生活保護法に準じて、生活の保護の手続を進めるようにという通牒が出ております。なお、この保護は、各般の生活保護だけでなくて、医療費その他最低限度の生活を維持するに足る一切の費用を含むものであるということもつけ加えていっておるわけであります。さらに医療を必要とする者に対しましては、一般的な方針に従いまして、これに医療を支給して差しつかえないのだということまでさらに注意を喚起いたしておるような次第であります。 中国からこちらにおいでになるときに持ってお帰りになりましたお金等は、いろいろの滞在期間中における生活費その他にお使いになっておるようでございます。従って、自費でもって、便船を利用して向うに帰る船賃まで御自分で、あるいは御自分の家族において調達するということは困難な向きの方が多いようでありますが、しかし全面的にそうだとも限らないのでありまして、最近一部の方は、近い機会に、便船を利用して向うにお帰りになるという申し出がありまして、外務省ではそれらの方々の出国の手続をすでにとっておられるのであります。
○木村(文)委員 ただいまの援護局長の答弁によりますと、三ヵ月間の期間が延びたということははっきりしたようでありますが、この延びたということは、政府の都合によって延ばしたのか、それとも本人たちからの希望によって延ばしたのか、その点を一つ明確にしておいていただきたいと思う。
○田辺説明員 三団体が紅十字会に対して打った電文を読みますと、こういうふうに言っておるわけであります。日本の親族を訪問中の第一次、第二次の日本婦人とその子供たち、合計百九十二名のうち、第一次の者はすでに中国再入国の期限も迫っておる。また第二次の者も寒さに向うのであせっておる。三団体においても、これらの者が中国へ再入国の援助方研究中であるが、第一次の人々が期限までに中国に帰ることはむずかしく思われる。かかる状況でありますので、第一次の訪問婦人の再入国許可期限延長方よろしく御配慮下さい、こういう電報であります。これはおそらく察するところ、期限内に帰るという状態は、客観的に、物理的に、不可能であると思われるので、最小限度入国の延期ということが必要であろうという三団体の御判断に基いて、かような手続をとったものと了解いたしております。
○木村(文)委員 そういたしますと、中には滞在期間を長くしてもらいたいという方もおありでしょうし、中には少しでも早く帰りたいという方もあるというように解釈していいわけでありますが、かりに三カ月間延びることといたしまして、途中においていろいろの便宜をとった帰し方をするというようなお話もありましたけれども、私が一番案じられることは、長くおりますとへその間においていろいろと生活面における事故的な事象が出てくるということ、もう一つは、御婦人の方がおいでになっている数も多いようでありますが、そういたしますと、かりにそのうちで結婚している人があるとすれば、向うに待っておられるその夫の立場から考えてみましても、今度帰って、ほんとうにみぞの入らないようなことも考えてやらなければならぬ。いろいろなことを考えまして、できるだけこれを早く帰じてやることが、私は政府の方針でなければならないと思いますが、政府としては、いつごろまでにこの人たちを全部帰し得る見通しがつくか、またそのお帰しをする方法はどういうような方法をとるか、その点を明確にお答えを願いたいと思います。
○田辺説明員 実は、この里帰りの方々の中共への帰国の問題につきましては、当初向うからおいでになるときから、われわれも頭にあった問題でございます。そこで、私どもといたしましては、これはいわゆる本来の意味の引揚者とは違っておるので、別の建前をとったわけでございます。興安丸が往復する機会においてこれに便乗していただく、便乗を許す、こういう建前をとりました。従って、中共へ帰る場合の旅費につきましては本人負担へこういう建前であらかじめ三団体から紅十字会にも電報を打っているような次第でございます。しかし、現実にお帰りになった結果、その大部分の方々について、帰る旅費を調達することができないという現実でございまするならば、これは何とか一つ無事に中国へ帰れるように心配をして上げなければならぬ、何とか帰れるようにして上げなければならぬのじゃないか、こう考えておったわけでございます。先般興安丸が天津へ参りました機会にも、赤十字の代表の方によく頼みまして、一体近い将来において集団引き揚げがあるのかどうかということを、向うと話し合ってもらったわけであります。と申しまするのは、もしも近い機会に集団の引き揚げがあるのでございますれば、当然興安丸が迎えに行かなければならぬ。迎えに行くのであれば、その船に乗って里帰りの方がお帰りになるのが一番スムーズであるということが、私ども考えられたわけであります。個別の船、便船を利用して帰るのも一つの方法ではありまするが、これには船の中のいろいろの不便もある。一度に一つの船に乗るというほどの船の余裕もございませんし、いろいろとトラブルがあるのではないか。香港を経由して参るのが通常でございますので、そういう方法は、子供をかかえておる方もございますから、なかなか大へんではないか。そこで、でき得るならば、近い機会に興安丸が行くチャンスがあるならば、それに乗って帰るのが一番安全ではなかろうかへまた便利ではなかろうか、そういうことを考えまして、もし近い機会に興安丸が行くという確たる見通しがあるならばということで、赤十字からそういうことを聞いてもらったわけでございます。そのときの話では、将来あるという見通しについて、向うの代表者、責任者から話があったわけでございます。そういう状況でございましたので、さらに三団体の方、日赤等の団体から先方に、先ほどの期限の延長について照会をいたしました機会に、配船の都合もあるので、集団引き揚げがあるかどうかということについて照会をしたわけでございます。それに対しまして、期限の延長について返事が参りました十一月二十八日付の連絡によりますと、今年の十一月前後には、日本人の集団帰国はありません、こういう返事が来ておるわけであります。これは、解釈のしようによりましては、十一月前後にはないが、来年にはあるかもしれないという含みもあるようにもとれるわけでございます。一方、期限がさらに三カ月間延長になっている。つまり来年一月に期限が切れるということとにらみ合せますと、来年の一月には、もしかするとあるのではなかろうかという解釈もできるのじゃないかと思っておるわけであります。この点は、今後さらに折衝して、はっきりさせていかなければならぬ点でございますが、こういう点がはっきりして参りますれば、現在日本にとどまっておられる里帰りの方も、その機会に興安丸で向うにお帰りになるというふうにすれば、多少期限は延びますけれども、一番安全ではなかろうか、またトラブルがなくていいのじゃなかろうかと考えておる次第でございます。
○木村(文)委員 それではそれは了承することにいたしまして、つけ加えて申し上げておきたいのでありますが、希望としては、できるだけ早く帰していただくようにお手配をお願い申し上げたいと思います。 なお、この際伺いたいことは、この里帰りの人たちは子供を連れてきていると思いますが、その子供の中には、学校に出ている年輩の者も来ていると思います。そうなりますと、学習の問題が非常に私は案じられる。この問題につきましては、できましたら、その定着の場所の学校に委託でもして、子供の学習に支障のないように、祖国としてのいわゆるあたたかい手を伸べてやることが必要ではなかろうかと思います。 もう一つは、生活の問題であります。長くおるとなると、どうしても生活費が足りなくなる。そこにまた大きな、複雑化した、たよってきている人たちの問題が出てくる。こういうことを考えますと、生活保護法による生活費だけでは、この人たちの生活は足りないと思う。そこで何らかの方法を講じてやる御意思がないか、三団体に対して何か協力方を政府として求めるとか、政府が特殊な施策をしてその対策をとるとかいう方法を講じていただきたいと思うのでありますが、その御意思がないかどうか。
○田辺説明員 学習の問題につきましては、いろいろ困難な事情はあるかと思いますが、一応検討はしてみたいと思います。 長く滞在すると、生活問題で御心配になる点がだんだんぶえてくる、また生活保護法だけでは暮らせないのじゃないか、こういう御心配でございますが、われわれも御質問の趣旨は十分わかるわけでございます。ただ、最低生活の保障としてあります生活保護法以外に特別な措置を講ずることも、政府としては非常に困難な点があるのではないかと考えられるわけでございますが、長く滞在すれば滞在するにつれて、いろいろの困難な問題が出てくるという木村委員の御指摘はごもっともでございます。この点は十分頭に入れまして、ただいま御要望がございましたように、できるだけ早く、これらの方々が中国に帰ることができるように、一そうのことを考えていきたいと思っております。
○戸叶委員 援護局長にお伺いしたいのですけれども、ただいま援護局長は、大体今来ておられる人たちには、不自由をしないように、生活保護の適用もすべての人に与えたというお話でございましたけれども、私が聞いた範囲内では、生活保護の適用を受けておられない方もだいぶおられるようなんです。今の御答弁を伺っておりますと、今月の二日付で、各地に生活保護法の適用を受けさせるように通知をお出しになったということでございますから、おそらくすべての人たちがお困りにならないようになっていると思いますけれども、念のために、もう一度お伺いしたいと思います。
○田辺説明員 通知は五日付でございます。これは全部の方に適用しろという通知ではございません。現在の生活保護法の建前から申しますれば、日本の方でございますから、当然に生活保護法そのものを適用して一向差しつかえないわけでございます。ところが、地方では徹底しない向きもあるといけないと思いまして、これは念のための通知でございます。従いまして、その条件といたしましては、一般の生活保護法の対象になる方と同じようなミーンズ・テストと申しますか、実態調査をいたしまして、それに該当する者があれば生活保護法を適用していく、こういう筋合いになるかと思うわけでございます。
○戸叶委員 それでは、その点はわかことは、ただいまの木村委員の御質問で、帰りたい人を一体いつごろ帰してあげるかというのに対して、非常に用意周到な、−とてもりっぱな答弁をなすっていらっしゃる。ところが、質問に対する、私どもが聞きたいようなお答えはしていらっしゃらないわけなんです。つまり田辺局長がおっしゃるのは、期限は切れた、しかし三カ月の延長がある、それから集団的に向うから帰る人があれば、その船に乗っていけばいいと思うということで、これはまことにごもっともなんです。けれども、今度の三カ月の延長を許可されたということは、期限は切れたけれども帰れない、実際問題として旅費もなくて帰れない、だから向うへ帰っていっても、すぐ入国させないというようなことになっては大へんだから、何とかして延長してくれということを依頼して、そして三カ月の延長ということになったのだと思うのです。そうなって参りますと、こっちに滞在している人たちは早く帰りたい、だから三カ月延長したらそれでいいのだというようなお考えは、やはり間違っているのではないかと思います。 そこで、お伺いしたいのは、一体早く帰してあげるという御意思か、それとも三カ月間のうちはまあまあいいだろうというお考えか、この点をまずお伺いしたいと思います。
○田辺説明員 もう早くお帰ししたいという気持においては、全く戸叶委員と同感でございます。ただ・方法といたしましては、これは二つあると思うのです。一つは、便船を利用して帰るという方法でございます。これはしかし、われわれ船のことを多少聞いておりますけれども、決して興安丸に乗って帰るのと同断に論ずることのできない程度の貨客船でございまして、数もわずかでございますし、また香港を通ってずっと天津まで回っていくという航路もあるのでございますし、その間、子供さんをかかえたお母さん方としてはいろいろ不便な点が多いのではないか、それくらいならば・興安丸でお帰りになるのが一番便利では広いか、また中共に残っていられる方で、帰りたいという方もあるようでありますので、それもなるべく早く帰したいということで、私どもは今まで努力して参ったのでございます。ところが、十一月中にはないという返事でございます。しかし十一月中にはないということは、今後ないということではないので、年が明けたらあるかもしれないというように解釈されぬ文章ではない。しかも、こちらではもう三カ月延長してくれということを頼んだわけではないのです。一月の末ごろになるようにもう三カ月くらいということで、一月以内に配船があるということを期待するのも、あながちそう無理な期待ではなかろう、こう思うわけであります。しかし、その前にどうしても帰らなければならぬという方もあるいは引揚者の中にはおありになるかもしれませんが、これは個々の実情に即して考えてみなければなりません。その点は今どうするということは申し上げられませんが、できるならばその御希望も達してあげるようにいたしたいものだと思っております。今ここでお約束することは、金もかかることでできませんので、その点につきましての明確な答弁ができはいのを不明確だとおっしゃられるのは、まことにやむを得ないのでございますが、その点につきましては、お気持もわかりましたので、できるだけ勉強してみたい、こう申し上げているわけでございます。
○戸叶委員 大体田辺局長の苦衷はわかるのですけれども、そういう御答弁を聞いておりますと、何か今帰りたい人もなかなか帰してあげられないようなぶうにしか、私は結論としては考えられないわけです。そこで、もう一ぺん確かめておきたいことは、集団引き揚げがない場合には、こちらからは帰りたいという方に船は出してあげられない、こういうおつもりでございましょうか。
○田辺説明員 この点は一応はっきり申し上げられると思いますが、われわれ日本政府全体でとっておりまする方針といたしましては、永住の目的を持って日本に帰ってくる方、いわゆる引揚者でございまして、こういう方を多数お引き取りする場合に、興安丸を特別に配船をする、こういう建前でございます。従って、一時帰国の方々をお帰しするために、特別に興安丸を出すという建前は、今日とっておらないのでございます。しかし、何らかの方法で向うにお帰しするというふうにしてあげなければならぬことは、当然のことでございます。この方法につきましては二つあって、先ほど来申し上げますように、引き揚げを迎えに行くときに、それに乗ってお帰りになるという方法と、もう一つは、興安丸ほど便宜ではございませんけれども、三々五々個別的にパターフイールドですか、ああいう船でお帰りになるという方法でございます。これはあまり引揚者の方には万全の方法ではございませんけれども、しかし興安丸を特別に出すという点はなかなか困難だろうと思います。私の申し上げましたのは、将来、興安丸で当分の間集団引き揚げがないという見通しがはっきりするなり、あるいはそれまで持てないという方々の問題としましては、個別的な帰国援助の方法を考えざるを得ないかもしれませんが、これはどういう方法で援助するか、これについてはもう少し研究をさしていただきたいと考えております。
○戸叶委員 これは大事な問題だと思うのです。三々五々ということになりますと、百九十何人、二百人ちょっと足りない人たちが、それだけ三々五々帰されると、来年の幾日になるかわからないと思うのです。なるべくならば、私は今来ていらっしゃる方は、幾ら期限を延ばされても、大体において早く帰りたい事情にある人だということを了承しております。たとえば、先ほど木村委員が言われました、冬に向っての仕度がない、メリヤスのシャツ一枚もらっても冬を越すことはできないと思うのですけれども、そういう方とか、あるいは子供さんをかかえた方、あるいは職を向うに持っていらっしゃる方もいて、そうして休暇をとって来ている方もいるわけです。ぜひとも私はこれらの方々を何らかの形で帰れるように、政府がしてあげるべきだと考えます。それはなぜかというと、そういう人たちは、ほんとうに戦争の犠牲になられた人たちです。私のところに来られた人に、あなたは現在国際結婚をしていらっしゃるのですかと言いましたら、下を向いて涙を流さんばかりに、戦争中だったものですから、仕方なしにとおっしゃっただけで、あとは何もおっしゃいませんでした。こういうような様子を見ましても、その言外に何が含まれているかということは、想像にも余りあることだと思うのです。そこで、一日も早く帰してあげたいと思いますが、この委員会におきましてもたびたびこれは問題になりまして、そうして、田辺局長と一緒に引き揚げの問題を非常によくやっていらっしゃる山下政務次官が、はっきりと興安丸でお帰ししてあげようというようなことまでおっしゃいまして、それを聞かれた一時帰国者の方は、大へん希望を持っていられると思うのです。そういうふうな点もございますので、私は、もう一度田辺局長はお考え直しになって、いろいろこういう問題ではお骨折りになっていられるのですから、一日も早くそういう方がお帰りになれるような方法を、誠意を持って大蔵省でも何でも説くというぐらいな熱意を持っておやりになっていただきたい、こう思うのですが、いかがでございましょうか。
○田辺説明員 一日も早くお帰りになることができるように、できるだけ努力をいたすということは、たびたび申し上げておる通りでございます。ただ、引き揚げ全体の問題を考えておりますときに、一時帰国の百十何人のために、数百万円の興安丸の特別配船ということは、しかもそれに乗って帰られるお方がないということを向うから言われるときに、他の問題もいろいろ考えなければならない。やはり興安丸を出す以上は、向うから集団引き揚げがあるということにマッチして、さらに財政上のことも考えなければならぬと思います。しかし、何とかして早くお帰えりになることができるようにという点につきましては、政府だけでなしに、みんなして一つ考えなければならぬ問題じゃないか、こう思います。
○戸叶委員 今この問題について、ここで決議をしようとしているわけでございますが、その決議の案文だけでは、どうにでもとれるような面があるかもしれませんが、この決議の意図するところは、なるべく早く山下厚生政務次官が約束されましたように、特別にこちらから今いられる方々を帰してあげて、そうして、できればもう一度くらい——向うで戦争犠牲者で帰りたいという人がいらっしゃるわけですから、そういう方々に、もう一度里帰りをさせてあげるくらいの親心を持ってほしいという意味を含んだ決議であるということを、どうぞ御了承いただきたいと思います。
○臼井委員 ただいま木村委員並びに戸叶委員から、中国地区よりの一時帰国者の中国への帰国につきまして、いろいろ御質疑がありましたが、これらの方は、ほんとうに戦争の犠牲者であって、幸いにしてあちらに家庭を結ばれているのに、こちらに半年近くもいるために、あちらへまたお帰りになったら、家庭が円満を欠くことになるとまことに御不幸を重ねるわけでございまして、人情から申しましても、また残されてきたお子さんもあるし、お連れになったお子さんもあるから、われわれの気持としては、御本人の希望さえあれば、すみやかにあちらへ帰還のできるように取り計らって上げたい、こういうふうに考えるのであります。そこで、本委員会といたしましても、その意思をはっきり表明するために、ここに決議をいたしたいと存じますので、決議案を提出いたします。 決議案文を朗読いたします。 中共地区よりの一時帰国者の帰還に関する決議 中国に残留し、中国人と結婚した日本婦人にして、今回祖国の肉親に面会するため、里帰りした一時帰国者については、その特殊事情にかんがみ、政府において、速かにこれらの人々の中国帰還につき適切なる措置を講ずべきである。 右決議する。 以上であります。
○原委員長 ただいま臼井委員より、中共地区よりの一時帰国者に関する問題について動議が提出されましたが、これに対し御発言はございませんか。——御発言がなければ、動議のごとく、これを本委員会の決議として、関係政府当局に対し送付することに御異議はございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○原委員長 御異議がなければ、さよう決します。 なお、関係政府当局に対する送付等の手続については、委員長に御一任を願います。 この際、本決議に対する政府当局の御意見を求めます。田辺援護局長。
○田辺説明員 決議の趣旨に従いまして、できるだけ努力をいたしたいと存じます。
○原委員長 他に御質疑がなければ、本日はこの程度とし、次会は公報をもってお知らせいたします。 本日はこれにて散会いたします。 午後四時二十五分散会