P政策ポータルPOLICY PORTALウォッチ
24回国会衆議院1956/02/17

海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号

発言数
25
登壇者
5
会派数
2
開催日
1956/02/17

会議録

原健三郎自由民主党

○原委員長 これより会議を開きます。  海外同胞引揚に関する件及び遺家族援護に関する件について、調査を進めます。  引き揚げ問題関係の法案として、ただいま、未帰還者留守家族等援護法の一部を改正する法律案が社会労働委員会に付託されておりますが、本委員会としては、調査上、本法案の概要について、厚生当局より説明を聴取することにいたします。山下厚生政務次官。

山下春江自由民主党厚生政務次官

○山下(春)政府委員 今回、社会労働委員会に付託になりました未帰還者留守家族等援護法の一部を改正する法律案につきまして、本委員会におきましても、その概要を御説明申し上げて、御審議を賜わりたいと存ずるのでございます。  未帰還者留守家族等援護法の一部を改正いたしますその改正点は、法第十三条に規定する過去七年間に生存資料のない未帰還者の留守家族に対する留守家族手当の支給打ち切りの期日を、三カ年間延長することであります。  政府といたしましては、これまでも未帰還者の調査究明とその帰還促進については、あらゆる努力を払って参ったのでありますが、諸般の事情から、現在なお多数の状況不明の未帰還者を残しておるのであります。しかして、国際情勢の現状等より推しまして、昭和三十一月八月一日までにその調査を完了し、それに基いて必要な措置をとることがきわめて困難であると考えられるに至りましたので、留守家族手当の支給打ち切りの期日を、大よそ調査の最終段階に達するに至るであろうと予想される昭和三十四年八月一日まで延長することとした次第であります。  以上が、今回改正いたします未還者留守家族等援護法の一部改正の要点でございますが、何とぞよろしくお願い申し上げます。

原健三郎自由民主党

○原委員長 この際、河野正委員より発言を求められております。これを許します。河野委員。

河野正日本社会党

○河野(正)委員 前々回の委員会だと思いますが、その席におきまして、厚生次官は、ソ連におりまする抑留者に対する慰問品の問題につきまして言及されておりました。その中で、私見として申し述べられたのでございますが、一番早くして、しかも一番確実な方法として、自分は、ソ連から抑留者引き揚げの配船の要請があるので、その配船を通じて、この問題を解決したいというふうな私見が述べられたのでございます。その後新聞紙上の報道等を見て参りますと、配船が困難であるというふうな話も承わっておるのでございまするが、その間の事情がどのようなことになっているのか、まず第一にお尋ねいたしたいと思います。

山下春江自由民主党厚生政務次官

○山下(春)政府委員 ただいまの御質問、私が以前にそういたしたいという私見を申し述べておきましたが、その後いろいろ折衝の結果、大成丸をお迎えにやることにいたしました。その大成丸は、三月一日に舞鶴を出航いたしまして、ナホトカへ三日に到着する予定でございます。ナホトカを四日に出発いたしまして、六日の日に舞鶴にお帰りになる方をお乗せして、帰ることになっております。そこで、慰問品でございますが、慰問品は、二月、三月分を——大体毎月ということには、こういう好便がとらえられる可能性が少いものでございますから、二月分と三月分を一諸に三月一日に出発いたします大成丸に載せていくべく、今大わらわでその用意をいたしておるところでございます。

河野正日本社会党

○河野(正)委員 ただいまの御答弁を聞きまして、一安心ということでございますが、御承知と思いますけれども、ソ連からの日本赤十字社に対する要請の中には、日本人を帰国させるため、二月前半にナホトカ港に船を派遣されたいというような要請があったという報道を聞いておるのであります。そういたしますと、いろいろ政府間の事情はあったと思いますけれども、約一カ月近く時間がおくれて参るわけでございます。もちろん、ただいま御答弁に相なりましたように、要請に基きまして出るということは間違いないのでございますけれども、しかしながら、少くとも向うの好意ある要請よりも一カ月近くもおくれるということは、今後なお抑留者を帰還さしてもらわなければならぬというふうな交渉の過程におきまして、日本の熱意が疑われるというようなことがありはしないかということを私ども非常に心配するわけでございます。その点につきまして、御所感を承わっておきたいと思います。

山下春江自由民主党厚生政務次官

○山下(春)政府委員 ごもっともでございますが、この間、実は打ち捨てておいたわけではないのでございます。その間、外務省を通じまして、ソ連当局に対して、十人を帰していただくならば、もし非常に衰弱した人あるいは病気になった人等があるならば、それをその十人と一緒に帰してもらうわけには参るまいかということを、熱心に、誠意を披瀝して交渉いたしておりましたので、ただ捨てておいたのではございませんから、その点はソ連当局としても、日本政府を十分了解してくれておるものと考えております。

河野正日本社会党

○河野(正)委員 なるほど、ただいま御答弁を承わりまして、私ども御熱意ある御措置に対しまして、敬意を表するわけでございます。そこで、今後もこういった問題、起ってくるようなことを仮定して、御質問申し上げるわけでございまするが、もちろん今度の場合は十人でございますし、また帰還者として指定せられました皆さんにとりましても、故国に帰ることでございますから、帰心矢のごとしというような気持もございましょう。また今度は、一方の事情から見て参りますと、十名そこそこの人間に船を派遣しますことは、経費の問題から見て参りましても、非常に膨大な経費がかかることと思います。そういう立場から、運輸省で飛行機を派遣したらどうかという意見も出たようでございますが、しかしこの点は、何かソ連当局の方の反対で困難になったというような話も承わっておるわけでございます。その辺の事情がどのような事情であるか、一つお漏らし願いたいと思います。

山下春江自由民主党厚生政務次官

○山下(春)政府委員 この問題につきましては、ソ連当局が難色を示したということではございませんで、運輸省自体が、よほど連絡と申しましょうか、航空事業は、御承知のように向うとこちらが、法規の上からも、何もかも呼吸が合っていないと工合が悪いので、信号その他の問題が、ちょっと様子が違いますし、気候もあまりいいときでございませんので、危険だということで差し控えております。御説の通りに、船を一ぱい出しますことは、非常に多額の経費を使います。その経費を決してよそへ流用しようというのではございませんが、それらの経費をせめて留守家族の皆様に分けてあげたいというのが、われわれの山々の気持でございます。飛行機がもし許されますならば、その点は非常にこういう問題の性質上便利だと思いますので、今後熱心に先方と協議をいたしまして、道を開きたいと存じております。

河野正日本社会党

○河野(正)委員 今日まで非常に大きな熱意をいただいておりますけれども、今後さらに一そう、たとえば今の飛行機の点等研究いただきまして、こういった問題をできるだけすみやかに、しかもできるだけ遺家族も満足するような方法で善処していただきますることを最後に要望して、私の質問を終ります。

原健三郎自由民主党

○原委員長 次に、元満州開拓団員の遺家族の援護に関する件について、中山委員より質疑の要求がありますので、これを許します。中山君。

中山マサ自由民主党

○中山(マ)委員 元満州の移民援護に関する質問の第一点は、満州移民事業の跡始末に対する政府の責任についてお尋ねをいたしたいと思っております。満州移民事業は、時の日本政府の手によって実施されたものであり、日満両国の基本国策として強力に推進拡大され、しかも事変の進展に伴って完全に戦争目的のために利用され、最後には終戦時における関東軍の無警告退却により国境に放棄された結果、八万人に及ぶ犠牲者を出しております。世界の移民史始まって以来、かような悲惨な結果を遂げたものは、ほかにはないということでございまして、政府としては、この満州移民の跡仕末に対して、責任を感じていられるかどうかという点をまずお伺いいたしたいと思います。

山下春江自由民主党厚生政務次官

○山下(春)政府委員 中山委員もすでに御承知の通りに、元満州の開拓民の入植要請というのは、要するに農林省が所管しておる食糧充実をはかる意味の入植でございました。従いまして、この問題をどういうふうに処理するかということは、満州開拓民に関しまする限り、その全部の責任は農林省にございます。しかしながら、私ども厚生省といたしましても、その入植者が、家財道具であるとか、住宅とかいうものを支給しなければならない全くの裸一貫で引き揚げて来られましたので、そういう応急の手当は、当然厚生省がいたすべきものと存じまして、従来ともずっと、住宅の手当とか、あるいは家財道具の最小限度の支給という点について援護して参ったのでございます。政府がどう責任を感じているかということになりますれば、所管が農林省でございましょうとも、私ども政府の一人といたしましては、当然これらの問題に対しましては、国家がこれらの人々に対して、その国家補償の金額の高にかかわらず、その意のあるところを表明いたしまして、援護措置を講ずべきであると信ずるがゆえに、いろいろ今日まで対策を研究して参ったのでございます。

中山マサ自由民主党

○中山(マ)委員 農林省が送り出したので、農林省関係が第一の責任があるというように拝聴したのでございますが、しかしこの引き揚げに関する問題は、どの省から出ていましょうとも、かつては軍人として陸軍省あるいは海軍省からみな出ていっておりますのに、いずれにしても、厚生省がその第一の責任をおとりになっていることは、これまでの御処置によってはっきりしておるのでございます。農林省に責任があるというようなことはおっしゃっていただきたくないと思っておるのでございます。それで、その点については、どうぞ一つ、農林省というところになわ張りをかえていかないでいただきたい。どの省がやっても、厚生省の責任であることには間違いはないと考えるのでございます。御承知の通り、これを出しましたときには、大東亜省というものがございまして、全国の中の十九府県、二十二郡を満州開拓特別指導部として指定して、その線に沿うておやりになったのですから、この人たちは、何もアメリカに移民したとか、ハワイに行ったとか、あるいはどこに行ったとかいうような、自分たちが食いつめて、やむを得ず出たのではないのであります。私ども覚えておりますが、私どもの子供が中学校、高等学校におりましたときに、特攻隊のようなものになるよう指導してやられたと同じ経路をたどっておりますことを見ますれば、最小限度の援護をしているということで御満足しておられる段階のものであってはならないと考えております。日本もこのむずかしい国際情勢の中にあって、何とかして国という体面を保っていかなければならぬということになってきております。この間、靖国神社の問題でもって、大石参考人あるいは金森参考人に来ていただきましたが、大石参考人から、国が立ちいくようにするために協力してくれた人たちであるから、国家を立てた人であって、そういう人たちに感謝するのは当然だというようなお話を承わりました点から推理して参りますれば、こういう人たちも、やはり国の政策によって、農林省であろうとどこであろうと、それに沿うて、政府を信じ、かの地へ渡ってそうして第一線に行き、ソ連が入って参りましたと遂には、その人たちをねらって入ってきた。しかも関東軍はいろいろなる御事情があって後退されてしまったので、第一線に立ってやってくれた人でございますから、靖国神社に感謝をする気持と同じものをもって、私どもはこの人々に感謝をしなければならぬと思います。国に責任ありとおっしゃれば、これは確かにそういうことを肝に銘じておいていただかなければならないと思うのでございます。政府が、終戦後今日まで実施した具体的な援護対策は、どういうものでございましたでしょうか、承わりたいと思います。

山下春江自由民主党厚生政務次官

○山下(春)政府委員 農林省の責任と言ったことは、大へんおしかりを受けましたが、これは、これは、私の言葉の使い方の誤まりでございます。満州開拓という御事業をなさっておられた、そして裸でお帰りになった方に対して、お帰りになった後に、農林省がこれらの入植御希望の方々を入植させるということの責任を持ってやったということでございまして、開拓民の今後の措置が、農林省の責任だというふうにもし聞こえましたならば、それは誤まりでございますので、つつしんで訂正をいたします。  そこでどういう対策をとったかということでございますが、お帰りになりましてから後に、農林省が入植御希望者に対して入植をさせましたその状況は、今申しましたように、家財の支給とか、住宅の供与等が行われたほかに、更生資金の貸付を優先的に行いまして、生活自立に努めて参ったのであります。それでもなお生活の困窮な方々に対しましては、生活保護法を適用いたしまして、できる限りの援助を今日まで実施いたしております。農林省が入植させましたその概況を申し上げますと、引揚者であって、開拓地に入植を希望する者のうちで、入植適格者の受け入れにつきましては、各都道府県におきまして、優先的に入植をさせることにいたし、入植地は、なるべく営農定着が容易な、既存入植地をあっせんするように指導いたしておる次第であります。特に集団入植の希望があった場合には、開拓地の比較的多い北海道及び東北六県等の地域に対しまして、候補地を確定いたしておるのであります。入植者に対する農林省における援護といたしましては、入植者に対する補助、融資要綱に基きまして、一世帯当り住宅補助金一戸平均九万円から十一万六千円、それから開墾作業費補助金が反当り四千八百円から六千円まで、及び営農融資金等の融資金一世帯平均が一万八千円の貸付が行われて参ったのでございます。なおこれらの入植者の入植状況は、戦後現在までに約八万世帯、二十万人となっているのが、今日までのあらましの状況でございます。

中山マサ自由民主党

○中山(マ)委員 ただいま政務次官より御訂正いただきまして、まことに私も喜ばしいことに思っております。そうして、厚生省が実際こういう人々に対して、心から御同情を賜わっておりますことは、まことにありがたいことでございます。これは一般開拓団員の戦死者の問題でございますけれども、十七才以上の男女については、遺族援護法が適用されておりますが、この一般開拓団員には、農林省の方でそういうふうにして、開拓民として行くことには、優先的ということだけに私は受け取ったのでございます。それでよろしいのでございましょうか。たとえば、これまで国内から北海道へただ開拓民として行っております人たちにちょっと毛のはえたようなお取扱いでそれで厚生省はいいという安心感をお持ちなのでございましょうか。私はどうもそこのところが、十分なる措置ということには考えられないのでございます。国内での、ここではやっていけないというような人が入植することについてのごあっせんの、ちょっと一歩、進んだというようなことだけにしか、私は受け取りかねるのでございます。しかも私は、国のために向うへ行って開拓をして、命からがらになって帰ってきた人たちという点を、もう少し掘り下げてお考えいただきますれば、この人たちが、自分たちは、あまり大した御処遇にはあっていないという気持があるということは、無理からぬことではなかろうかと考えるのでございます。今後こういう人たちに対しての処遇改善について御努力願いたいと思います。  そこでお伺いしたいことは、この十七才以上の男女に対して三万円の弔慰金が支給されておりますが、今日まで、実際にそれを受け取った人員はどれくらいでございますでしょうか。

山下春江自由民主党厚生政務次官

○山下(春)政府委員 この統計を出しますに当りましては、開拓義勇隊としての調査でございませんで、当時入植いたされておりました開拓民全体の方で、戦闘に参加されて負傷されました方が、大体七千名前後、今、調査で上っております。ただいま七千名と申しましたのは、義勇隊だけでないことを申し上げましたが、お間違いのないように、これは一般の戦闘に参加された方でございます。その中で、大体約四千名くらいが、御質問の開拓義勇隊に該当する方であろうと考えられるのでございます。中山先生御質問のその問題につきましては、これはよほどよく研究いたさなければならないと思いますことは、私自身も、非常にその点に対しては頭が明確でございません。たとえば、義勇隊で参りました者は、十三才から十四才、五才というような年少者が参ったのであります。五年、六年、七年と開拓に従事いたしますと、自然に開拓団の方に横すべりをいたした形跡がございます。従いまして、義勇隊とはどれをつかまえていうのか、開拓団とはどれをつかまえていうのかということが、今、鋭意調査はいたしておりますけれども、実はそれが非常に不明確でございます。従って、義勇隊ということで十七才まででしぼりましても、十八才の者では、実はその義勇隊よりも一年よけいに開拓に従事して、死亡されたのかというようなことの、境目が明確でございません。その点は、事務当局で今、鋭意研究をいたしておりますが、私自身といたしましては、その点にまだ非常な疑問の点がございまして、どこに線を引くべきかということが、私自身、非常に不明確なものがございますので、御質問の趣旨をあわせまして、今後鋭意その点は研究いたして、掘り下げたいと考えております。

中山マサ自由民主党

○中山(マ)委員 政務次官は、二十二国会のときにも、この問題を非常に御心配いただいておりましたことを、私はよく承知をいたしております。熱意を持ってお取り調べいただくことを信頼いたしまして、どうぞこの点をよろしくお願いいたしたいと思うのであります。  次に私がお尋ねいたしたいことは、十七才以上の男女ということになっておりますが、どういうわけで、政府当局におきまして、十七才というところに区切りをおつけになったか。それはちょうど沖縄の問題ともこれは関連するように思うのでございますが、十七才以下の人間が、武器がないものでございますから、れんがを持って戦った。私は思い起すのでありますが、アメリカへ英国が攻め込みましたときに、小さい十四才くらいの子供が、軍隊、いわゆるミニュット・メンと申しておりますが、義勇隊でございます。それがアメリカの義勇隊の先頭に立つて、十四才の子供が、太鼓をたたいて士気を鼓舞したという事実が、今日までアメリカの歴史にたたえられております。私は、精神的におきましても、そのやりましたことにおきましても、十七才以上の人と、れんがを持って対抗した小学生たちが劣るとは思われないのであります。アメリカにおいては、その十四才の太鼓を持って先頭に立った人間を、今日まで全国民の随喜渇仰の的として、青少年を戒める模範にしておることを思いますれば、願わくは、そうして第一線に散りましたれんがを持って戦った小学生たちも、何とか一つ歴史上の人物としてお取り上げいただいて、何らかのしるしを見せてやっていただきたいということが、私の心からの念願でございます。ちょうど日本が負けようとしておりまするときに、私の十三才になる三男が、今度アメリカが日本へ攻めてきたら、お母さんどうして死にましょう。われわれは死ななければならぬ。何も心配することはない。お母さんと手をつないで、向うから来る兵隊たちに立ち向っていこう、そうすれば、向うが殺してくれると言ったことを、私は思い出すのであります。この子供たちも同じ気持で、最後の努力として、れんがを持って戦ったであろうことを思いますれば、この人たちの死を無意味にすることはできないと、私は国民の代表の一一人として考えるのでございます。政務次官はどうお考えになりますでしょうか。

山下春江自由民主党厚生政務次官

○山下(春)政府委員 私、二十二国会で、この問題に取っ組みましたと遂に、決定いたしました通りが今実行されておるのであります。従いまして、青少年義勇隊の方は、全員一人残らず三万円差し上げる。もうこれはどれこれということなしに、青少年義勇隊員は三万円の弔慰金を差し上げることを今、実行いたしました。四千名と申しましたのは、この方々が大部分と了承いたしております。それから開拓団の方は、女子は十七才まで、男子は十四才ということが基準になって、今日まで操作をして参りまして、これらの方で、戦闘に参加されたと思われる者に対しては、三万円差し上げる。これは、私が前会で後段に申し上げました通りでありまして、私はこれでいいとは考えておりません。この開拓団に初めから入った人もあり、あるいは青少年義勇隊で、現地の操作によりまして、開拓団に横すべりをしている事実もあるように考えられます。そこで、青少年義勇隊を三年やって、開拓団に入ってまた二年いて、五年目に戦闘に参加して死亡したということになりますと、十四才を越しますから、この方は該当しないということが出てくると思います。そういう点は、私、これで満足な法律とはいささかも考えておりませんので、なお研究いたしまして、あとう限り、そのような手落ちのないように、私どもは厚くその戦闘に参加されました霊に報いなければならないと考えております。

中山マサ自由民主党

○中山(マ)委員 ようやく戦闘から生き延び得ました開拓民が、ハルピンだとか、あるいは新京だとか、奉天などの大集結地に集まった後に、特に婦女子でございますが、多数死亡をしております。その人たちは、長途の避難行の途中において暴行を受けたり、帰ってきた人たちの話によって、女がいかに苦しい目にあったかということを、私も現地の人に聞いたのでございます。飢餓に迫られ、そうしてとうとう集結地で死んでおりますが、この病死者に対しては、いかなる御処置をしていただいておりますでございましょうか。

山下春江自由民主党厚生政務次官

○山下(春)政府委員 御質問の点に関しましては、はなはだ遺憾なお答えをいたさなければならないのでございますが、開拓団におられました方、あるいは一般邦人の方等を合せまして、さようなお気の毒な状態に追い詰められて死亡された方が、十七、八万あるいは二十万に達するであろうと推定されます。しかしながら、そのお方々に対しては、ただいま国としては何らの手を打っておりません。と申しますことは、これは満州だけでございませんで、非常に広い地域で、そういう状況で死亡されました方の数は相当なものであろうことは、先生も御推察の通りでございます。これらの状況に対しまして、政府が何ら手を打っていないというお答えをいたしますことは、はなはだ遺憾といたします。まだお帰りにならない未帰還者の方、あるいはその未帰還者の留守家族の方、あるいはその他のいろいろな敗戦によります跡始末につきまして、私どもはこれで十分というような手を打つの財政状態を来たさないことを遺憾とするのであります。従いまして、さようなお答えをしなければならぬことは残念でございますが、今後、それらの問題につきましても、忘れることなく、私どもは、かような問題に対して、国家財政の許す範囲内において、ぜひともねんごろにいたさなければならないと考えております。

中山マサ自由民主党

○中山(マ)委員 お言葉、ごもっともと思います。私どもは、過去十年の間、初めには何らの措置もして差し上げられなかったのであります。遺家族に対しましても、何らの措置もできず、次第に国の財力がついて参りまして、日本もどうやらかっこうがついて参りましたに従いまして、エレベーター式でなくて、エスカレーター式に、一段丸々といろいろな援護措置もとられてきておりまするので、私のお願いしたいことは、一時にどうしてもほしいというわけではございません。この人たちのことを、厚生省の援護局が忘れないようにしていただきたい。そうして、そのうちに何とか解決の道を講じていただきたいということを、私は切にお願いをするものであります。そして、満州の開拓指導員は、昭和二十一年三月三十一日をもって解職されております。これは外務省関係でございますね。この人たちの国家処遇につきましては、公務死とされておりますにもかかわりませず、何らの処置が講じられていないようでございまするが、これはどうも不当であると考えるのでございます。外務省関係の人たちの、いわゆる満州開拓指導員の国家処遇というものは、いかになっておりまするか、もし何でございましたら、当局の方に御返答いただいてもけっこうでございます。

大崎康厚生事務官(引揚援護局援護課長)

○大崎説明員 この点につきましては、調査を詳細にいたしておりませんから、調べまして、後刻御返事を申し上げます。

中山マサ自由民主党

○中山(マ)委員 これは、公務員でございます。いわゆる日満両国政府によって、この人たちは指導員たらしめられた人たちなのでございますから、ぜひ一つお調べを願いまして、何とかこの人たちにも法の恵みがかかりますように、私は切にお願いをいたしておきます。それでは、きょうは私はこの程度にいたしておきますが、今お願い申しました点をぜひ一つ早急にお調べ願いまして、何とかの御回答をいただきたいと思います。これで打ち切ります。

原健三郎自由民主党

○原委員長 他に質疑はございませんか。——質疑がなければ、本日はこの程度にいたし、次会は公報をもってお知らせいたします。  これにて散会いたします。    午前十一時四十二分散会

国会会議録検索システムで原文を見る ↗