科学技術振興対策特別委員会 第21号
- 発言数
- 39 件
- 登壇者
- 6 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1956/05/11
会議録
○有田委員長 これより会議を開きます。 本日は、原子力問題の一般情勢に関し、参考人より意見を聴取いたしたいと存じます。本日御出席の参考人は京都大学教授、理学博士、湯川秀樹君、大阪大学教授、理学博士、伏見康治君及び東京大学助教授、理学博士、中村誠太郎君であります。 この際、参考人各位にごあいさつを申し上げます。本日は、御多用中にかかわりませず、本委員会のためにわざわざ御出席下さいまして、ありがとうございました。本特別委員会は、科学技術の振興対策のため、さきの国会に引き続き、今国会におきましても、院議をもって設置されたものでありますが、設置以来、特に原子力関係の諸議案を審議いたし、原子力基本法、原子力委員会設置法、日本原子力研究所法原子燃料公社法及び核原料物質開発促進臨時措置法等を議了いたしましたが、また先般は、原子力の開発利用に関する問題について、一本松たまき君及び嵯峨根遼吉君よりそれぞれ参考意見を聴取いたしたのであります。本日は、原子力問題の一般情勢に関し、参考人各位におかれましては、それぞれのお立場より、忌憚のない御意見をお述べいただければ幸甚に存ずる次第であります。御意見の御開陳は、時間の関係もありますので、一応三、四十分程度といたし、他は委員よりの質疑においてお述べいただきたいと思いますが、さよう御了承願いたいと思います。 それでは、まず湯川参考人より御意見の御開陳をいただきたいと存じますが、湯川博士は、所用のため、十一時ごろ退席いたしたいとのことでありますので、御意見御開陳の後、直ちに委員より質疑に入りたいと思いますが、委員の方も、質疑はきわめて簡単にお願いいたしたいと思いますから、さよう御了承願います。 それでは、湯川秀樹君にお願いいたします。
○湯川参考人 本日は、私とそれから伏見さんと中村さんの三人から、原子力問題について参考意見を聞こうという御趣意でありますが、私は、原子力問題において、基礎的な研究、それから応用的な研究というものは、どういうふうな関係にあるかというような点を主としてお話ししていきたいと存じます。 今さら皆さんに対しましては、全く釈迦に説法であるかもわかりませんけれども、原子力問題が今日のような状態になりましたもとにさかのぼって考えてみますと、その一番端緒になっており、また最も根本の原理といいますか、根本的な事実となっておるところのものは、二つあると思うのであります。一つは、放射能という現象の発見であります。放射能という現象は、原子の中にありますところの原子核というものから、非常に大きなエネルギーが出てくるということを示したところの現象であります。それが一つの基本的な事実であります。もう一つは、有名なアインシュタインの質量とエネルギーの間の相互の関係を示すところの公式といいますか、質量とエネルギーとは比例しておる、質量がたくさんあるところにはそれだけエネルギーがたくさんあるのだ、こういうことを示すところの原理と申しますか、この二つが原子力問題の端緒であり、またすべてのわれわれの考察を指導するところのものであると思うのであります。物質の中には、原子が非常にたくさんあります。そのそれぞれの原子の質量のほとんど全部が、原子核という中心部に集中しております。従って、この賢母の非常にたくさん集中しておるところには、エネルギーが非常にたくさんあるということになるわけであります。従って、われわれが物質の中から非常に大きなエネルギーを取り出そうとするならば、最も大きな質量のたまっておるところの原子核からそれを引き出すことが期待できる、こういうことが言えるわけであります。 もちろんこの原子核というようなものが原子のまん中にあるということ、また原子核というものはどういうものであり、そこでどのような反応が起るのかというようなことについての知識は、一朝一夕にしてできたものではないのでありまして、放射能という現象が見つかりましてちょうど今年で六十年になるわけであります。それ以後今日までの間に、その方面の知識、技術が次々と蓄積されて出てきたわけであります。普通に原子物理学と言われております方面の研究者は、この数十年の間、その方面の基礎研究を続けてきており、今日もそれをやっておるのであります。 しかしそれらの原子物理学の研究者がどういう目的を持って、どういう意図を持って研究してきたかと申しますと、先ほど申しましたように、原子核の研究をすれば、そこから大きなエネルギーの利用の道が開けてくるであろうというような空想といいますか、想像といいますか、そういうばく然とした気持は研究者の心の片すみにあったかしれませんけれども、しかし、原子物理学を研究する人たちは、そういうことはほとんど意識しておらず、物質の構造といいますか、あるいはわれわれの生きておるこの自然界を動かしておるところの力、メカニズム、そういうものをどこまでも追求し、より深く、より広い自然界についての知識を得たい、そういう意図を持って原子物理学を進めてきたのであります。実際そういういろいろな原子物理学の研究のほとんど全部は、もしもわれわれが非常に現実的な立場に立ちまして、原子物理学を研究することによって、それからわれわれが、すぐ何か役に立つこと、そこから大きなエネルギーを引き出すとか、あるいは非常に大量のアイソトープをそこから作り出すとか、そういうような非常に現実的な目的だけに制限して考えますならば、原子物理学の六十年にわたる研究のほとんど全部は、捨て石であったとしか言えないと思うのであります。 原子力を利用するということ、つまり原子物理学におけるそういう意味の応用研究というものと、普通われわれが言っておりますところの原子物理学の基礎研究というものとの違いはどこにあるかと申しますと、これはいろいろな見方ができると思うのでありますが、ごく大ざっぱに申しますならば、これは質と量との違いだ、こう一言にして言うこともできるかと思うのであります。別な言葉で申しますならば、数の違い、こう言うこともできると思うのであります。原子物理学者が研究室の中でいろいろな研究を、やりまして、いろいろ新しいできごと、新しい物、新しい現象を見つけ出す。それが今までわれわれの知らなかった珍しい、思いがけない物であれば、それだけ貴重であり、学問の進歩に貢献するのであります。そこで問題になりますのは、質であります。そういうある原子核がこわれて、他のどういう原子核ができた。そういう一つ一つの原子核なら原子核で起るところの現象、それが五つの原子核で起ろうと十の原子核で起ろうと、あるいはたった一つであろうと、数は問題でないのであります。とにかくそういう新しい現象を見つけ出して、そこから何か自然界を支配する新しい現象を見出す手がかりを求めていく。こういったところに基礎研究の目標があることは、あらためて申すまでもないところであります。しかし、そういうこと自身は、実用からは非常に縁遠いことであります。原子力というものが非常に巨大なエネルギーであるということは、やはりこれは数の問題でありまして、たとえばウランの場合でありますと、かりにまあ四百グラムなら四百グラムのウランをとって参りますと、その中には、ウランの原子、あるいはウランの原子核と申しますものが一億の一億倍のまた一億倍というくらいそこに入っておるわけであります。基礎研究というのは、その中の一つのウランでも二つのウランでもよろしいから、そこに何か変ったできごとが起ったということを見つけ出せば、これは非常に貴重な知識になるわけであります。しかし、原子力を利用するという場合には、この一億の一億倍の一億倍もありますところの原子核の全部にでなくとも、相当部分に、次々とあまり長くかからずに、どんどん次々とそういう現象を引き起すようにする、そうすれば、そこに初めて非常に大きな、われわれ人間のスケールから見まして非常に大きなエネルギーが取り出せた、こういうことになるわけであります。でありますから、一つとか十とか百とかいう小さな数と、それがかりに千であっても万であっても大した違いはないのであります。その一億の一億倍の一億倍というような非常に巨大な数の間の違い、原子物理学について非常に純粋に研究することと、原子力を利用しようということとの根本の違いが、例をあげて申せばそういうところにあると言えるのであります。 そういたしますと、原子力の利用という面から見ましたときに、われわれにとって基本になりますことは、そういう原子力の利用ということがどこまでできるか、どういうしかけによって、どこまでできるかということであります。初めに申しましたように、その原理となるところは、質量のあるところにはエネルギーがある。しかし、その質量をエネルギーに変えるということは、場合によってやさしかったり、むずかしかったりする。できるだけやさしそうなところから、できるだけよけいエネルギーを取り出してくるということであります。原子物理学が進歩いたしまして、原子核に関係したいろいろな知識がだんだんと蓄積されてきたのでありましたけれども、それは先ほど言いましたような意味で、少数の原子力でこれこれこういう現象が起ったということがいろいろとわかってまたことを意味しておる。それを今度は、少数のものを、先ほど言いましたように、一億の一億倍の一億倍というような非常に大きな数の原子核全体にわたる現象にまで発展させることができるようなしかけ、そういう場合というものは、長い間一つも見つからなかった。放射能の現象が見つかったのは、今から六十年前だと申しましたが、それから四十年以上たちまして、皆さんもよく御承知のように、ウランの原子核の分裂という全く思いがけない現象か見つかりました。この現象の場合に、その質を量にして、少数の原子核の分裂を非常に多数の原子核の分裂にまで発展さす可能性のある今日言われるところの連鎖反応にまで発展さす可能性があるということがわかったのは、今から十七、八年前のことでございます。それまでにいろいろと蓄積されてきた知識や技術というものは、そういう意味からいいますと、ちっとも直接的な役には立っておらない。質から量へ持ってくることはできなかった。そういう意味で、初めに申しましたように、そういう非常に現実的な立場から見ますときに、それはみんな捨て石にすぎなかった。こういう狭い見方もできるかもしれませんけれども、事実はそうではないのであります。非常にいろいろな知識や技術というものが進歩したことによりまして、初めてそういうものの中から原子核の分裂というものも現実に引き出され、見つけ出され、それからまたそれの利用法というものも進展さすことができたのであります。これはどの面でも同じことでありますけれども、特に原子力の場合には、そういう傾向が非常に著しいのであります。と申しますのは、もう少し詳しく申しますと、原子核をいろいろな方法で調べ、それを人工的に破壊してみて、いろいろなできごとが起るのを比べてみる。こういうことは、長い間いろいろな物質について行われてきたのであります。あらゆる場合がためされました。そうして、最後ではないかもしれませんけれども、いろいろやった末に、ウランに中性子を当てみることをやってみまして、そこで原子核の分裂という現象に行き当ったのであります。 これも、しかしよく考えてみますと、きわめてこれはまた不思議な——不思議といいますか、われわれの生きておりますこの世界というものの非常にきわどいところと関係すると思うのであります。きわどいという意味はどういうことかと申しますと、御承知のように、ウランというものの中には二種数の同位元素がありまして、ウランの二三八というのと二三五というのとございます。ところがちょうどわれわれが生きております今のこの時代、宇宙全体から見てのこの時代、宇宙の年代というものがどのくらいかよくわかりませんが、おそらく宇宙ができてから数十億年目にわれわれは生きておるのであります。この数十億年たったこの地球上におきまして、地球の中にありますウランというものは、二三八と二三五がちょうど今われわれが知っているような割合でまじっているわけであります。百四十分の一だけのウランの二三五、こういうわけです。しかし、この割合が非常に違っておって、われわれがずっと後に生まれてきて、二三五の方がずっと減ってしまっておったとしたらどうだろう。これは原子力の利用というのははなはだ困難だ、二三五が初めからなかったら、原子力という問題のスタートは、非常に困難だったと思うのです。もっと二三五がたくさん含まれておれば、もっと有利だと言えるわけです。でありますから、原子力の場合には、それが利用できるかできないかということは、はなはだきわどい問題になるということが御了解願えるのじゃないかと思います。 そういたしますと、今日われわれは原子力を利用しているといいますけれども、非常に少数の原子核をこわして、そこからエネルギーを取り出す、そういう意味での現象というものは数知れずあるのであります。そのうちのウランの原子核の分裂もこれに含めてよろしいのですが、そういう場合だけが非常に多数の原子核の分裂にまで成長さすことができ、それを原子力として利用できる、そういう状況にあるわけです。従って、そのほかの場合はどうであるか。分裂というようなことが、非常に違った原理、違った場合にどうであろうかということになりますと、これまたやはり非常にきわどい問題なのです。近ごろ盛んに融合反応の平和的利用ということが唱えられております。これにつきましては、中村さんがその方面の非常に詳しい知識を持っておられますので、あとでお話があることと思いますが、今私が述べて参りましたことと関係して簡単に申しますと、元来原子物理学の基礎研究におきましては、トリウム、ウランなどという非常に重い元素の研究よりも、水素とか重水素とかリチウムとかベリリウムとか、非常に軽い元素の原子核の研究の方が、はるかに初めから進んでおったわけです。その方がこわしやすい。中性子は別として、その他の方法でやるならば、こわしやすいということで、その方面の研究は非常に進んでおります。基礎研究の方から見ると、水素とかリチウムとか、そういう軽い原子核の方が簡単でありますので、そういう軽いものを研究することの方が、物質に関しての根本の原理を見つけ出していくのには都合がいいわけであります。そういう研究は、早くから進んでおったわけであります。しかし、そういう研究からは、この原子力の利用ということには、直接何も進展して参らなかったのであります。その理由は、先ほど申した通りでありまして、非常に多くの数の原子核を同時にこわしていくということは、尋常一様の手段では不可能ということがわかっておったからであります。 ところが、ちょうどこの原子核の分裂、ウランの分裂ということが見つかりましたのとほとんど時を同じくいたしまして、こういう非常に軽い原子核で起っておるところの反応で、そこからエネルギーができてくる。このエネルギーが実は太陽その他の多くの星のエネルギーのもとなのであります。もう少し詳しく申しますならば、最も軽い元素でありますところの水素、最も軽い原子核でありますところの水素の陽子が融合しまして、その融合反応によりまして、ヘリウムの原子核になり、ヘリウムの元素ができる。その際に出てくるものが太陽その他のエネルギーのもとになっておる。こういう学説が提唱されまして、今日ではこれは動かすべからざるものとなっております。しかし、この場合には、確かに大量のエネルギーが必要であります。非常に多数の原子核が同時に融合反応を行なっておることは間違いないのでありまして、そういうことは、地球上では、地上で人間が星のまねをすることの非常に困難であることも、初めから明白であります。太陽の中心部におきましては、千数百万度という温度であります。そういう高温の状態を実現することの困難であることは、皆様十分御承知のことと思います。そういう高温度にしなければ、非常に多数の水素の原子核が反応を起さないので、水素爆弾の場合におきましては、原子爆弾によって生じた高温度を利用いたしまして、融合反応を起さすというわけでありますが、それ以外の場合には、水素を原子爆弾を使わないで反応を起さすことは、非常に困難であります。最近これに関するいろいろな試みがいろいろの国においてなされておるわけでありまして、これについては、いずれ中村さんからお話があると存じます。そういうわけですから、先ほど申し上げましたように、融合反応というものが、将来、いつになれば平和的に利用できるようになるかどうかということは、やはり非常にきわどい問題だというふうに思われます。平和的に利用するという以上は、安全性がなければなりません。ある意味では非常に安全であります。ウランの分裂の場合と違いまして、非常にいろいろな放射能を持ったものがあとに残っていくということはございませんから、そういう意味では安全でありますけれども、しかし何しろ非常な高温度——直接高温度でなくても、何かそれにかわるようなしかけによりまして、非常に激しい反応を起させなければならないという意味におきまして、その制御ということは非常に困難であります。そういう意味では確かに危険があります。ですから、ある意味で、先ほど言ったように、放射能があとに残らないという意味で の安全性と、しかしそういうしかけ自身がはなはだ危険なものであるということと、どこでどう、初めに言った長所が生かされて、われわれが首尾よくそれを平和的に利用できるようになるかどうかという、いろいろ今後研究すべき問題がたくさん残っておるわけであります。もしそういうことができるならば、現在の原子力よりもはるかに人類に対して大きな未来を開くものであることは言うまでもないことでありまして、かりに重水素というものが燃料として使えるならば、これは無尽蔵と申してよろしいのであります。あるいはさらに進んで普通の水素も使う。またその他のいろいろな元素も使えるように次々となっていくとすれば、資源的には無尽蔵と申してもいいのでありますから、まあ日本のような持たない国にとりましては、非常に大きな問題に違いないのでありますが、それはしかしそこにいろいろな困難があるわけであります。 それでは一体人間が原子力を利用するということの行き着く先というのは何か、融合反応の利用というものが行き着く先であろうかどうか、これはわからない。私にもわかりません。だれにもわからない。融合反応の利用さえも行き着けないかもしれませんが、かりにそれに行き着けたとしたら、それが行き着く先であるかどうか。 それでまた一番初めの原理的な問題に返りまして、質量があるところにはエネルギーがある。質量のどれだけがエネルギーとして利用できるかという問題であります。今日呼んでおるところの原子力というのは、一体われわれはどこまでその質量を利用しておるか。普通の原子炉あるいは原子爆弾、たとえばウランの分裂を基礎にしておる原子炉におきましては、大体その質量の千分の一を利用しておるわけでありまして、融合反応を利用できるようなことにしますと、その数倍利用率はよくる。しかし数倍利用率はよくなりましても、これは質量の大部分、百パーセントでなくても、相当部分を利用するということからは、はなはだ遠いのであります。なぜ百パーセント利用できないのかということでありますが、それは今日までいろいろ原子核に関係した原子炉を調べてきました結果として、初めに申しましたように、物質の質量というものは、ほとんど全部原子核に集中しておるわけでありまして、この原子核というものは、中性子とか陽子といわれるものの集まりであると私は考えております。そういうふうなものの数は、決して変らない。中性子が陽子に変ったり、陽子が中性子に変ったりはいたしますけれども、そういうものの数は変らない、数が変らない以上は、その質量も大部分はそのまま残る。分裂を起さそうが、融合反応を起さそうが、質量の大部分は、やはり陽子と中性子というような形でそのままずっと残っておるわけであります。従って、利用率はせいぜい一%くらいまでしかしらない、こういうことであります。こういうことは、果して絶対にそうなのかということでありますが、われわれ物理学をやっております者には、絶対ということはわからないのでありまして、今日までわれわれの知っておる範囲では、それに対する例外が見つかっておらないというだけのことであります。ところが、最近七、八年、まあ十年近くの間に、原子物理学というものは非常に様子が変って参りました。どういうふうに様子が変ってきたかといいますと、これは、ある意味では、何か非常に古い時代に逆戻りしたような感じがしておるのであります。私どもは、物質世界がどういうものからできておるか、昔の言葉で元素とか原子というものは一体何か、一番本元は何か、あるいはそれを動かしておるところの力とかメカニズムというものは何かということに、一番興味を持つわけであります。ずっと昔には、万物は水からできておる、あるいは地水火風の四元素からできておると考えられた。そういう非常に素朴な簡単な考えから、だんだん学問が進んで参りまするに従いまして、元素といっておるところのものに非常にいろいろある、水素も酸素も金も銀も鉛もウランもみなこれは元素である、元素は百種類もあるというようなことがわかってきたわけであります。百種類もあれば、これは最後の元素でなかろう。さらにもっと追求していきますと、結局原子核は陽子と中性子からできておって、そのまわりを電子が回っておる。この三種類である。古い昔原子といっておったところのものは、この二種類のものである。私どもはこれを素粒子と呼んでおりますが、そういう三種類の素粒子からすべてのものができておる。そういうところに考えがまた非常に単純化してきて、非常に進んできたようにわれわれは思っております。ところが十年くらい前から、われわれの全然予想しておらなかったいろいろなものが現われて参りました。宇宙線というものを調べておりますと、その中からわれわれの全然予想もしなかったいろいろなものが出て参りました。私自身は、二十年ほど前に、先ほど言いました三種類の陽子、中性子、電子というもののほかに中間子というものを考えて、これによって原子核をめぐっておりますなぞが解けるだろう、はなはだ素朴単純であったと思うのでありますけれども、そういうことを考えまして、議論を進めてきたのでありますが、そういうものが後になって見つかったのであります。見つかったのはけっこうでありますけれども、それより余分のほかのものも一緒に見つかりまして、中間子なるものにすでに二種類あるということが見つかりました。これははなはだ問題が込み入ってきたと思っておったのでありますが、またそのほかのものもいろいろある。素粒子であるかどうか知りませんけれども、そういう新しい粒子といわれるところのものが次々と見つかって参りました。しかし、それらのものはみんな寿命が非常に短かいのであります。できてすぐ消えてしまうのであります。中間子も、またその後に見つかったほかのいろいろな珍しい粒子も、みな寿命が非常に短かいのであります。みな大体一億分の一秒以下の寿命しか持っていない。一億分の一秒というのは、原子の世界では非常に、長いのであります。宇宙の寿命は数十億年と申しましたか、それから見れば、これは実に短かいものであります。人間のスケールからいいましても、非常に短かいのでありますけれども、原子の世界に立ち入ってみますと、一億分の一秒というのは非常に長い時間でありまして、むしろわれわれは、なぜそんなに長い時間生きておるのかということを不思議に思う。それを理由づけることに苦しむくらいであります。ですから、もっともっと短かいのがあるかもしれませんけれども、とにかくそういう新しいものが次々と見つかる。そういたしますと、われわれの住んでおりますこの世界というものの一番根本になっておるところの物とか、またそこに支配しておる原理というものが何であるかということを、われわれもう一度真剣に疑わなければなりません。それに対する解答はまだ得られておらない。私自身もこの問題を数年来一生懸命に考えておるのでありますけれども、なかなか相手は手ごわいのでありまして、自然界というのは、研究していきますと、こっちの思いがけない手をいろいろ向うが打ってくる。ちょうどわれわれ碁や将棋の下手な者が名人を相手にしているようなものでありまして、いつまでたっても勝つとか相手を詰ますなどということはできないということがわかっておるのでありますけれども、やはりこれは何とか詰ましたいと思ってやっておるのであります。そういうわけで、いろいろのものが見つかってきて、事態が非常に変ってきた、新しい段階に入っておるということがいえるのであります。 しからばそういう新しい事情というものは、今の原子エネルギーの利用という面から見たときには、どうであるかということを考察してみたいと思います。新しい粒子がいろいろ見つかったということは、まだそのエネルギーが百パーセント利用できるということとは直接の関係はない。私どもにとりましては、最も根本的大意味を持つものだと思いますが、実用的な、現実的な面から見ますと、これはやはり捨て石でありましょう。ところが最近になりまして、カリフォルニア大学に、べパトロンという六十億ボルトという大きなエネルギーを発生する装置ができまして、昨年この反陽子というものが見つかったということが新聞などに相当大きく報道されましたので、皆さんも御記憶があると思うのであります。この反陽子が見つかったということは、その面からいうと非常に重要な意味があるかもしれない。そういうものがあるだろうということは、われわれ理論物理学をやっております者にとりましては、非常に長い間予想しておったことでありまして、そういったものがないということになれば、かえって困るのでありますから、見つかったのは、まず、めでたしめでたしなのであります。しかし、実際そういうものがあるということになりますと、そういうものの持つ意味はどういうことかということが、今後だんだん明らかに なってくると思うのであります。反陽子というものは、ちょうど普通の陽子、あるいは中性子というもの——反中性子というものもあるでありましょうが、そういうものが、ちょうど普通の陽子や中性子を中心にし、また普通の物質というものとは裏返しのようなものでありまして、そういうものと普通の陽子、中性子とが一緒になりますと、どっちもなくなる。どっちもたくなると、その質量が全部エネルギーに変る。ほとんど全部変るといっていいのです。これは先ほど言いました話と非常に違う。陽子や中性子の数はどんな場合にも変らないというのとは違う。両方がなくなってしまうのでありますから、変る、減る。そういうものの数が減って、それがエネルギーになっていく。そういうことが大規模に起れば、結局物質の質量、エネルギー、これを全面的に利用できた、こういうわれわれの最後の終着点になるわけです。終着点でありますから、それより先はおそらくない。しかし、これは今の融合反応の利用よりももう一つずっと遠い未来の話でありまして、果して現実性を持つかどうか全然わからない。というのは、反陽子というものは、ベバトロンならべバトロンで作り出す、作り出すときのエネルギーをまたあとで回収するわけでありますから、そこでは何も得はしておらぬ。得できるとしても、それはごくわずかなものというのが、われわれの今日の常識であります。しかし、将来はどう変るかわからない。反陽子というようなものは、この世界にはないのであります。われわれが作り出すよりほかしようがない。作り出すときにエネルギーか要るから、差引、別に得にはならない。しかしそういう反陽子という、わわれの裏側の世界のようなものがないのかあるのかということに対しては、われわれはまだ答えられない。宇宙のどこかに、この裏側のような世界があるのかないのか、あるとすると、今言ったエネルギーの全面利用というとも全然夢ではないということになりますけれども、そのかわり、大へんなことになります。そういうことをやっていきますと、われわれの地球が一部なくなってしまうということになる。これは平和的に利用できないで、単にわれわれの終りになるだけのことかもしれません。しかし今日ではそれくらいの、そういう現実的なことしか言えないわけであります。しかしこういう研究が進んでいけば、何かそこからまた非常に新しいものが出てくるかもしれませんから、そういうところにつのヒントがあるということは確かに言えると思います。 そういうわけで、世界各国でそういう非常に大きな装置、先ほど言いましたアメリカではベバトロン、ソビエトではシンクロファゾトロンというような装置が近く完成する。もうできたかもしれしません。さらにヨーロッパのジュネーヴでも、三百億ボルトの装置作られることになっている。アメリカでもソビエトでも大がかりなものがきる。そういう意味の競争が行われているわけであります。 そういう基礎研究と、原子力を利用しようという要求とはどこで結びついてまいるのかというと、私が先ほど申して参りましたように、その結びつきは、ある意味では非常に偶然的であります。非常にいろいろやってみたうちの一つだけが役に立つ。あとは全然捨て石捨て石のように見えているけれども、それがなければ、その一つが見つからなかった。一つが見つかっても、それを先に進めることはできない。日本のような国でありますと、こういう大がかりな装置を作るということは、なかなか大へんなことでございます。今日の原子力、普通の意味でのウランの分裂というものをもとにしましたところの原子力という問題に限ってみましても、やはりその中にも基礎研究というものがありまして、そういう場合におきましても、われわれがそういう捨て石というものを打っておかずに、百パーセント有効に初めからやっていくということは、これは学問の場合においてはできない。学問というものは、われわれの今まで未知であった世界を開いていくのでありますから、その未知の世界からどういうものが出てくるか、それがあらかじめわかっているなら、研究は必要でないのであります。どれだけが有効であり、どれだけが有効でないかというはっきりした評価というものは、なかなかできないというのがほんとうなんであります。 少し長くなりまして時間が超過して申しわけございませんが、大体広く原子学といいますか、原子物理学におきまして、基礎研究と応用、実用ということの関係というようなことについて、大体の傾向がおわかりいただけたら仕合せだと思います。
○有田委員長 以上をもって、湯川参考人よりの御意見の御開陳は終了いたしました。 これより質疑に入りますが、先ほど申し上げましたように、湯川博士は大へんお急ぎのようでございますので、質疑はきわめて簡単にお願いいたしたいと思います。質疑の通告がありますから、順次これを許します。岡良一君。
○岡委員 今、湯川博士から、現在における原子力の開放という人間の英知の達成点というものは、過去の非常に大きな先人の努力の集積である、同時にまたこのことをはっきり認識して、将来における原子力の研究開発の道も、この過去の大きな集積という自覚の上に立ってこれを推し進めるときに、また正しい大きな将来の可能性というものが開けるというような御意見を、私は非常に感銘をもって承わったわけであります。 そこで、先生のそういうお立場からいたしまして、私は当面する日本の原子力の基本法にうたわれた平和利用のための研究開発の現在のあり方ということについての先生の率直な御意見を承わりたいと思います。と申しますのは、私は率直に申しまして、日本の原子力基本法が昨年暮れに制定をされまして、一月一日から原子力委員会が発足をいたしまして、いよいよ原子力研究所もその敷地が定められたという段階に差しかかっております。わずかここ五カ月有余の期間ではありまするが、この間に、日本の原子力平和利用を用途とする研究開発のコースには、二つのきわめて遺憾ないばらの道が現われてきておるように実は思うわけであります。端的に申し上げますと、一つはやはり原子力研究開発の自主、自由、公開という大きな旗じるしのもとに、日本学術会議のほとんど代表的な意見として、原子力発電に関しては、これはあくまでも慎重にかまえて、自主的な研究の積み重ねの上にその実現を達成すべきであるという御意見がある。いま一つは、いわゆる原子力産業界などの主流的な意見とでも申しましょうか、拙速でもいいから、とにもかくにも原子力発電を急げということ、極端な意見とすれば、動力協定を結んででも、パイロット・プラントとして動力炉を持ってきてもいいじゃないかという御意見がある。最近、比較的高い行政の地位にある方の御意見として発表されたものを見ましても、われわれが一応研究所の事業計画として承知しておる湯沸かし型なりCP5型なりの実験原子炉を中心として、わが国の医学、化学、自然物理学における基礎研究を積もうというお考え方に対して、並行的に、実験動力炉をもって、一九六〇年までには原子力発電の経済的実現を期さなければならない、こういうふうな意見もうかがえるわけであります。私どもこの二つの意見というものは、非常に大きな食い違いを示しておるのではないかと思う。一体日本の原子力基本法にうたわれた推進のためには、そのいずれの道を選ぶべきかということは、今日日本の原子力行政に課せられた重大な決定でなければならないと私は思うわけであります。この点に関しての博士の率直なる御意見はいかがでありましょうか。
○湯川参考人 ただいま御質問のありました点は、今後の日本の原子力のあり方につきまして、最も重要な点だと思います。これにつきましては、今も御指摘がありましたように、わが国における原子力の利用開発を、年限が少し早くなるとかおそくなるとかいうことよりも、基礎から着実に作り上げていくという考えと、わが国におけるエネルギー需給の見通しを最も重要視いたしまして、その角度から計画を割り出していくという考えと、この二つの行き方があると思うのであります。日本は立ちおくれているのでありますから、ぐずぐずしているわけにもいかないけれども、やはり基礎を放擲してやっていってはいけないという考えを持っておるのであります。しかし、それと同時に、エネルギー需給という面が一体どのくらい緊急性を持ち、どこまでそれが年限を争うかという点につきましては、まだ十分わからないように私も思うのであります。従って、決定的なことを申し上げるといいますか、非常にはっきりしたことを申し上げるところまで、私自身の考えもまだ固まっておりません。それだけの十分な資料があるとは私は思っておらないのであります。しかし、大体として申しますならば、年限の問題は、そこに多少の余裕を持たすことができるであろう、そういうことによりまして、日本の原子力開発の自主性といいますか、現実性、将来性というようなものを、そういうところから確保していくことができるのではなかろうか、こういうふうに思っているのでありますが、それは少し楽観に過ぎるかもわかりません。それと関係しまして、この原子力の問題は、御質問は日本の原子力のあり方でありますけれども、世界情勢といいますか、世界的な、国際的な原子力のあり方とこれは非常に密接に関係しておりまして、この方向が今後どういうふうに変っていくかということが問題ですけれども、最近の情勢は、確かにいい方向に動いていると思います。それが将来もますますいい方向に動いていくならばけっこうだ、そういうことをわれわれは念願するわけであります。そういう意味におきましても、国際情勢の今後の動きというものを、いましばらくわれわれは見ていくべきではないか、あまり先の方のことまで急いできめてしまうことはよくないだろう、こういうふうに私は思うわけであります。 御質問に対して十分なお答えではございませんけれども、大体そういうことでございます。
○岡委員 湯川先生の御意見を要約すると、一つは、わが国におけるエネルギー資源というものの需給状態について、今、先走って、一九六〇年までに原子力発電を急がねばならないと言われる人たちの根拠として、エネルギー資源が非常に逼迫しているかのごときことを伝えられているが、この点はもう少しねんごろに調べてみる必要があろうではないかということ、いま一つは、せっかく国際原子力機構の規約もできた、そうして核原料物資については、いわゆる銀行的な役割をしよう、また各国における情報交換等については、手形交換所的な役割をしよう、また国際的な管理査察もやろう、こういうような形になっており、いわば原子力の平和利用への道が進展しつつあるのだから、こういうような国際的な情勢とも見合った形で、秘密主義を含む現在の動力協定のようなものをあえてしてまでも、原子力発電を急ぐべきではなかろう、こういうような御意見のように承わりました。 そこで次の問題でありますが、私は、先般先生が原子力委員の辞意を表明せられたことについては、非常に残念な気持もいたしたのであります。しかし、この席上であなたの御心境を今私はそんたくいたしたくないのでありますが、ただ、昨年の藤岡由夫博士を団長とする原子力平和利用調査団の報告を見ましても、各国においては、いわばその国におけるノーベル賞に値するといったような非常にすぐれた科学者が、その国の原子力行政と申しますか、これの推進の中核になっておられるという姿を、あの報告書を拝見して、私は感慨深く承知をいたしたわけであります。平和のために使えば正宗になるだろうが、また使いようによっては村正にもなるというような、いわばきわめてきわどい原子力の平和利用への道を推し進めるためには、国境を越えた世界の科学者の協力的な研究、またその研究をあくまでも文明のためなり人類の福祉のためなりに役立たせようという国際的な科学者の良心というものが、今後の各国における原子力平和利用の私は根本の前提にならなければならぬと思う。そういう点から考えまして、科学者としてのあなた、またおそらく国民として当代最も信頼するに足る一人としての湯川博士は、日本の原子力行政の今日までのあり方が、真に日本の国境を越えた科学者の良心を十分発揚するという襟度を持って進められておると考えられるかどうか、私はこの点も、今後における日本の原子力行政の上で重大な問題だろうと思うので、先生の率直なる御意見を承わりたいと思います。
○湯川参考人 私が、この原子力委員をお引き受けいたしましてからまだ半年にもならないのに、やめたいなんと言うのは、はなはだ無責任だとおっしゃるかもわかりません。そういうおしかりは私も甘受いたしますが、先ほど私が原子物理学の世界的な趨勢について申しましたときにも触れましたように、私どもが研究いたしておりますこの学問におきましては、今日は非常に重大な時期だと思っておるのであります。非常に新しい事態を生じまして、宇宙についての全く新しいなぞがわれわれの前に出されました。われわれは何とかしてこのなぞを解きたい、その材料は相当そろいつつある、われわれの頭脳なり、あらゆる知識を働かすべき時期だと私自身は思っております。そういうことに私もできるだけ努力をしたい。今、御指摘がありましたように、日本の原子力というものに対して、私のような者に相当の御期待をおかけになるという点から見ますと、どうもはなはだ無責任なようでありますけれども、しかしまあ一人の人間がそういう二つの重荷を背負うということは、なかなか困難である。そして、私のようなものは、やはり原子力委員としてよりも、学問の研究の方において、より多く日本のためにも世界のためにも貢献できるであろうと私自身思います。その点は、おそらくそう思っていただけるのではないかと思いますが、いかがでございますか。
○岡委員 先生のその御心境には、私はこういう席上では触れたくないと思いますので、そのことは率直に承わりますが、何と申しましても、しかし先生が万一失われるということがあるならば、国際的にも日本の原子力行政そのものの信用というものは、非常に失わるのではないかということをおそれて、ぜひとも先生の御奮闘をお願いしたいと思います。 最後にお伺いいたしたいことは、先生は、昨年のラッセル声明にもたしかその御署名者の一人であったかと思います。ノーベル賞受賞者の七人の方々のあの原水爆実験禁止に関する要請にも、先生は非常に積極的な御意思を表明しておられるように承知しておりますし、また最近の国内における動きにおいても、先生は積極的な関連を持っておる。私はやはり日本の科学者のあり方として、先生の姿を非常に崇高なものといつも敬服しておるのであります。しかしそれにもかかわらず、大国はやはりどんどん実験を強行いたしておるようであります。これについて、先生は、率直に、どういうふうにすれば、大国をしてこれを断念せしめることができると考えられるか。また日本でも、原水爆実験の影響調査については、国家でこれを行うということを一応原子力委員会で御決定のようであります。これも日本の原子力の平和利用のために、原子力放射能による障害のデータとしてこれを扱おうという考えか、そうじゃなくて、日本の科学者が、さしあたって今私どもの目の前で強行されつつある水爆実験については、科学者の良心をかけた科学的な探求の上に立って、その一切の影響調査というのもはこれを大きく、広く、全世界に資料として公開する、合理的な、科学的な基礎の上に、いかに水爆実験がおそるべきものであるかということを全世界の人々に訴える、このことが大国の水爆験禁止への非常に大きな方法だろうと私は思っておりますが、先生にもそのような御意思があるやに新聞でも伝えておりますけれども、この点についてなお具体的に、かつ率直に、先生としての御所信のほどを承わりたいと思います。
○湯川参考人 原子兵器の禁止というようなことを実現いたしますには、今おっしゃいましたように、原子兵器とかあるいは原子兵器の実験といったようなものが、いかに人類にとって悪影響があるかということを科学的に明確にしていくということに非常な努力をしなければならぬ。この一点は明白であります。もう一つは、そういうものと並行いたしまして、日本は言うに及ばず、世界のあらゆる国々のあらゆる広い層の人たち、つまり世界全体の非常に多数の人たちの世論といいますか、人間的な良心、そういうものが盛り上ることが、やはり結局はそういう強大国を動かしていく大きな力になっていくのではないかと思うのであります。そういう意味におきましても、初めにそういう考え方に対してそっぽを向いておった人たちも、だんだんと、これは当然である、これが良心を持った人の唯一の考え方だというふうになりつつあるように思うのであります。具体的な例を申すのは何でありますけれども、たとえばアメリカの大統領候補者の一人でありますスティヴンソン氏というような、そういう立場にある人でも、原子兵器の実験をやめなければいけないというようなことを言うようになってきたことは、これは一つの例でありますけれども、世界全体として、また特にそういう強大な国々におる人たちを含めまして、非常に大きな変化ではないかと思うのであります。私などは微力なものでありまして、何も別にどうということはございませんけれども、そういう努力が非常に広い方面で、先ほど言いました両方の面から続けられることによりまして、このわれわれの念願がやがて実現されるのではないか、これもやはり甘い考えかもしれませんけれども、私はそう思っておる次第であります。そうしてまた、それによりまして、初めて原子力の平和的利用ということが、日本におきましても、ほかの国々におきましても、本来の正しい、明るい姿でやっていけるようになるのではないか、そう思っておる次第であります。
○有田委員長 前田正男君。
○前田(正)委員 時間もないようですから、一点だけ聞きたいと思います。きょう湯川博士から、物性理論等の考え方とその将来の見通し等のお話を伺いまして、非常にはっきりいたしまして、われわれも非常に参考になり、喜んでおる次第でございます。同君の触れられました基本方針の問題につきましては、湯川博士からお話のありました通り、われわれ自身も、電力の需給だとかあるいは研究の進め方だとか、特に日本の製造技術の可能性というような問題について、われわれ自身もさらにもう少し研究して、それによってわれわれの考えをまとめまして、また原子力委員としての湯川博士のお話をお聞きしたい。特に日本の製造技術の可能性というような問題は、相当重要な問題であるとわれわれは思っておりますので、その点について伺わせていただきたいと思います。 そこで、この間から物件理論の問題につきまして、新しく物性理論の研究所を作ってもらいたいという要望をわれわれは聞いておりました。原子核研究所というようなものもあるようでありますけれども、それとの関連あるいはきょうのお話を伺いまして、なるほど将来の原子力というものは、そういう物性理論の研究所がなければ、世界の研究から非常におくれるような気がいたしましたけれども、この辺について、博士から、その必要性とか関連性を、もう少し詳しく教えていただいた方が、参考になるのじゃないかと思っております。
○湯川参考人 今、御質問のありました物性理論というものはどういうものかということを、一言御説明いたしたいと思います。 原子力の利用というものは、原子のまん中にあります原子核から出てくるエネルギーを利用するということであります。この物性理論といいますのは、この原子核そのものではなくして、それを除外しているわけではありませんけれども、むしろそういう原子全体として、あるいはそれが集まって分子になる、また結晶ができたり何かしていろいろなものができてくる。それでどういうものができてくるか。それはいろんな性質を呈するわけでありますが、そういうつまり原子や分子の集まり方、原子そのものの性質、分子そのものの性質というようなこと、そうしてできたもののいろいろな性質の問題との関連を追求していくという学問であります。こういうものの研究は、それ自身としてもきわめて重要でありますけれども、しかしこの原子力の問題ともやはり非常に関係があります。原子力が利要されるようになりますと、非常に大量にアイソトープが使えるようになる。あるいは非常に強い中性子線あるいはガンマー線というようなものが使えるようになりまして、そういうものを当てることによりまして、今までと非常に性品質の違ったものが作り出されつつあり、大きな将来性を持っているわけです。またそのアイソトープを便りことによって、そういう物性についての研究も非常に進められたと考えられます。また原子力を利用していく場合におきましても、そういうことが非常に重要な基礎資料になってくる。まあお互いに助け合うような形になっておると思うのであります。ですから、原子力ということだけと関連して考えましても、原子力問題も、材料の問題が非常に重要なのでありますから、その研究には物性理論の研究は非常に重要であり、また原子力は物性理論を進めていく上に非常に有力な武器でもある。そういうように両々相助けるようなものになっております。そういうことから見ましても、そういうものを作りたいという意見が、学界のその方面の方々から非常に強く言われておるのは、何も私は無理に原子力問題と結びつける必要はないと思いますけれども、時宜を得たものであると思う次第であります。
○有田委員長 他に御質疑がなければ、この際、湯川参考人に一言ごあいさつを申し上げます。 湯川博士には、きわめて御多忙のところを、わざわざ本委員会のために御出府下さいまして、いろいろと有意義な御高見をお述べ下さいましたことを、本委員会を代表いたしまして、厚く御礼を申し上げます。今後の委員会の調査に資するところ、きわめて大なるものがあると存ずる次第であります。ありがとうございました。 それでは、次に、伏見康治参考人及び中村誠太郎参考人より、それぞれ御意見の御開陳をお願いいたしたいと思います。なお質疑は、お二人の御意見の御開陳後に許したいと存じますから、さよう御了承を願います。 それでは、まず伏見参考人よりお願いいたしたいと思います。
○伏見参考人 ただいま湯川先生から非常に深いお話があったわけでございますが、私はもう少しプラクティカルな観点からお話を申し上げてみたいと思います。 原子力というものが問題になっておりますのは、湯川先生その他の深遠な学問を深めていくという意味で、皆さんの御関心を必ずしも呼んでいるわけではございませんでして、それが実際上のプラクティカルな影響というものを大きく持っているであろうということが、やはり皆さんの関心を引いておるゆえんだろうと思います。ここへ私が出て参りましたのは、主としてそういう深遠な学問の世界と実際上の世界との結びつきの問題をどういうふうに考えていくべきかということを申し上げたいと思いましたので、その新しい学問上のいろいろな発見がございましたときに、その学問上の発見を人生に有効に使い果していく、それを応用していくという観点に立ちましたときには、その科学上の発見の性格と申しますか、それの使い方と申しますか、そういうものに対する正確な評価というものが必要なわけであります。学問的にはきわめてすぐれたものでありましても、それを実際問題に適用する場合には、それが持っているあるデリケートな性質のために、使いものにたらないということもございますし、逆に学問的にはそれほど水準の高くない発児であったといたしましても、プラクティカルには、非常に大きな意味を持つということもあります。ですから、そういう意味の評価ということを十分やりまして、初めて人生に持ち込んでこなければならないと思います。原子力についての評価は、いろいろな方々がもうすでになさっておられるわけでありますから、私としてこの際一つの評価の仕方を申し上げておきたいと思います。 それを結論的に先に申し上げてしまいますと、原子力は、初めみんなが思っていたほど、楽しいものではないということなんでございます。原子力の一番大きな特徴と申しますのは、よく標語的に申されておりますけれども、一グラムのウラニウムは一トンの石炭に匹敵する、そこにあるのであります。非常に小量の物質の中に、非常に大量のエネルギーがひそんでおる。それをいわば自由に取り出すことができるというところに、原子力の非常に大きな特徴があるわけであります。それを別の言葉で申しますと、エネルギーがきわめて狭い空間の中に集中して存在しているということを意味しておるわけであります。このエネルギーが集中しておるということが、原子力の大きな特徴でございます。 原子力に比べまして、実は、はるかにはるかに、絶対量として考えました場合には、大きなエネルギーといたしまして、太陽のエネルギーがあります。この太陽のエネルギーを、原子力と同じようにわれわれがあまり騒ぎませんのは、太陽のエネルギーと申しますのは、原子力の空間的集中性と並べてみますと、まさにその正反対の特徴を持っておる。すなわち、その全部合せた量というものは、非常に莫大な量でございます。ウラニウム数万トンを毎日燃やしているくらいのものが、毎日太陽から地球上に降りかかってきているわけでありますが、それほど絶対量として大きなものでございますけれども、これまたきわめて広い面積にわたって分散した形のエネルギーになっ ておるわけであります。要するに、大へん絶対量としては大きいわけですけれども、それが集中しておりませんために、われわれ人間には使いこなせない。われわれ人間がいろいろなことをいたします上において、そのことが集中してほしい。適材適所と申しますか、要するに、ほしいつぼのところに、いつものが持っていけるというところに、その利用価値を高からしめるわけであります。原子力エネルギーがほかのエネルギーに比べまして、もし大きな特徴を持っているとすれば、まさに一グラムのウランが三トンの石炭に匹敵するという、集中性ということにある。ところが、単に空間的に集中しているというだけでは、これはつまらないことになりかねない。もう一つの面がございます。それは、時間的にも集中していなければならないということでありまして、ある有限の物質の中から出て参りますエネルギーが、絶対量としては非常に多かったといたしましても、それがきわめて長い年月に放出されるというのでございますれば、これはあまり意味がなくなってくるわけでございます。たとえば、地球の地殻の中には、ウランが相当量含まれておりまして、そのウランは、実は絶えず崩壊しておりますので、地球が絶えず暖まっております。地球全体の温度というものは、地殻の中の放射能物質、そういうウランとかトリウムとかいう放射能物質によって維持されているということは、地球物理学者の言っていることであります。つまり、ウランが、ほっておいても出しますエネルギーの力というものは、きわめて悠久なる時間の間に、すなわち先ほど湯川先生が宇宙の年令は数十億年と言われましたが、その数十億年にわたって徐々に放出されているエネルギーでございまして、たとい原子核エネルギーであるといたしましても、これまたわれわれにとって特別な興味はないということでございます。 原子力エネルギーの特徴は、きわめて狭い空間の中から、しかも割合に短かい時間の間に莫大なエネルギーが取り出せるという、時間的、空間的に集中性があるというところに大きな特徴があるわけです。そういう意味での特徴を最も強く発揮させるといたしますれば、百万分の一秒の間にその爆発を完了すると言われている原子爆弾にほかならないということになってくるわけであります。つまり原子力というものを、エネルギーを使うという立場から考えまして、最もその特徴を発揮さしたのは、すなわち原子兵器なのであります。それを平和的に利用するという建前になりますと、そういう爆発的な、非常に短時間の間にエネルギーを放出するということでは、われわれ人間にはとても耐えられないことになりますので、逆にそこまで行っては、行き過ぎであるということになってくるわけであります。そこで、原子力の時間的にもきわめて短時間の間に集中して放出し得るというその特徴の方をだいぶ殺しまして、その特徴を生かして使うというのではなくして、逆にむしろその特徴をひどくいじめつけまして、百万分の一秒の間に出るべきエネルギーを、だらだらと数日間あるいは数カ月にわたって出すというように、いわばそのエネルギーを操縦して使っていこうというのが、平和利用の根本の精神だろうと思います。ところが、そういうふうに原子力の持っております非常に大きな特徴を殺して使うということになりますと、原子力の特徴がいわばだいぶ減殺されてくる。初め考えていた、つまり原子兵器でわれわれに感情的に訴えて参りましたようなすばらしいものでは必ずしもなくなってくるわけです。つまり、その一番大きな特徴をむしろ殺して使うわけでございますから、原子力の平和利用という場合には、話がだんだん現実的になると申しますか、だんだんつまらなくなっていく。 その証拠を端的に一つ申し上げてみますと、昨年のジュネーヴ会議におきまして、アメリカがいろいろな協力協定を結んでおります国に分け与えます濃縮ウランの値段といたしまして、一グラム二十五ドルという数字を発表しております。この二十五ドルだけでは、実は濃縮ウラン一グラムは使えないだろう、もっと高いものになるだろうと思うのでありますが、かりに一グラム二十五ドルという割合でもし原子力の燃料を使うものといたしますと、先ほど申しましたように、一グラムのウランは三トンの石炭に匹敵するわけです。そこで、石炭の値段はいろいろさまざまございましょうけれども、やや高い値段をつけまして、石炭一トンが五ドルだといたしましても、三トンで十五ドルでございます。一グラム二十五ドルの濃縮ウランを使っておりましたのでは、今日の段階では、少くとも石炭の値段よりも高いことだけは絶対的に明らかなんです。つまり、どうしてそういうことになるかと申しますと、それは先ほど空間的集中というのがウラン・エネルギーの特徴であると申しましたが、そのウランの鉱石といったようなものを考えてみますと、非常に豊富なウランを含んでいる鉱石ももちろんあるでございましょうが、大てい一%であるとか、〇・一%であるとか、日本なんかで発見されるものは、おそらくもう一けた下って、〇・〇一%、一万分の一ぐらいといったような含有量の鉱石を処理しなければならないと思います。石炭の方は、いわば無垢で一〇〇%に近い石炭というものが山から掘り出されておるわけであります。石炭と比較いたします場合に、ウランは、鉱石の中で、ウラン含有量が非常に小さいという点で、非常に、ハンディキャップがございます。そこで、つまり数百倍、数千倍の損をいたします。その場合に、天然ウランという純粋な金属を作ったものといたしましても、その中に入っております直接有効な成分というのは、御承知のように、ウラニウム二三五でございまして、全体の金属ウランの中に百四十分の一しか有効な成分はないわけであります。従って、そこでまた百何十倍という損をいたします。そういうことを考えますと、ウランと石炭とは、濃縮ウラン一グラムと石炭三トンというのは約三百万倍ばかりの差でございますけれども、そういうふうに数千倍損をし、数百倍の損をするということを積み重ねて参りますと、だんだん石炭とウラン燃料というものは似たようなものになって参ります。エネルギーの集中性というものが、必ずしも、少くとも山から出てきたウラン鉱石というものと石炭とを比較する限りにおきましては、決してそれほど大きな特徴というものにならなくなってくる。現在の技術の段階におきましては、結局鉱石のリファインメント、製練であるとか、あるいは濃縮ウランの同位元素分離とか、いろいろな技術操作に大へんお金がかかりまして、結局濃縮ウランの一グラムが二十五ドルという大へん高い値段になっておるわけであります。それは、純粋無垢にそういう濃縮燃料というものが山から出てくるものではないというところにかかっておるわけであります。原子力というものをそういうような見方から考えてみますと、だいぶつまらなくなって参りまして、実際今日の段階では、少くとも原子力発電の方が、石炭火力発電よりも高い。それがただ人のいろいろな見通しによりまして、だんだん原子力技術の方が発展して参りまして、それが六年の先とか、十年の先とかには、火力発電よりも安くなるであろうという、そういう見通しを皆さんお立てになるわけであります。もちろんそういう趨勢にあるということは明らかでございますけれども、その十年後にきっぱり火力発電よりも安くなるということを断言することは、これはなかなか困難な問題でございます。そういう意味におきまして、原子力というものは、今日焦眉の問題には必ずしもなっていない、原子力発電というような形で特にお使いになる場合には、少くとも焦眉の急にはなっていないと私には考えられるわけであります。すなわちプラクティカルな面から申しますと、もう少しじっくり腰を落ちつけて、ゆっくりと研究していっても、十分に間に合う問題じゃないかと思う。ほんとうに原子力というものがわれわれの生活の中へ入ってきまして、この辺についておる電燈なんかも原子力発電でまかなう、そういう時代が出て参りますのは、相当長い先であると私は考えておるわけでありますので、少しもあわてる必要はないのじゃないか。ほんとうに私たちの生活に役立つのが遠い未来である限りにおきましては、いろいろな外国、先進国の技術というものをそうあわてて取り入れなくてもよろしい。私ら自身のテンポに合いました早さでもって歩いていって、十分に間に合うものである、こう考えるわけでございます。 ただ原子力を生かすという面で、私のように原子力に長らく関心を持っております者から申しますと、原子力ができるだけ早く役に立つようになってほしいと思うのであります。ことに原子兵器という形でなくて、原子力というものが平和的に利用されるという面を少しでも早く促進したい、そういうことを常日ごろ願っております者にとりましては、原子力というものの持つておる特徴を生かした、しかも平和利用という面を十分考えていかなければならないのではなかろうかと思います。たとえば、原子力発電というものは、発電という形で電気にしてしまいますれば、それは石炭火力発電、あるいは水力発近で得ました電気と少しも変らないわけでございますので、原子力発電所で作りました電気であるから特に高く売ってもいいということにはならないと思うのであります。しかし、原子力でなければできないというようないろいろなものも、ほかにあるに相違ないと考えられるわけであります。たとえば、原子力発地よりも、日本として非常に考えなければならないのは、いろいろ言われておりますものの中では、少くとも原子力推進の船舶の問題であろうと思うのであります。原子力推進の船艇というのは、普通のディーゼルや重油や石炭をたいております船舶というものとは違った一つの特徴を持って参りますので、たといエネルギー的には原子力推進の力が高くついたといたしましても、その推進の全体として考えましたときには原子力のいわば特徴を発揮させて、十分採算のとれる、そろばんの合うような使い方になる。原子力の特徴を幾分でもよけいに使うような方向の問題というものが、もっと先の段階で考えられるべきではなかろうか、こういうふうに考えておるわけであります。これはまだずさんな私の考え方でございまして、どういう使い方が最も適当した使い方であるかということを十分広く考えてみた上での結論ではございません。 それから、ゆっくり考えていってもよろしかろうという裏づけの別の意味のお話といたしまして、先ほど物性物理学のお話から、ちょっと出ましたので、その点に触れておきたいと思うのであります。原子力の実際上の技術的な問題点と申しますのは、もはや原子核物理学ではなくなってきております。原子核物理学は、ウラニウムの原子核が分裂して、それを中性子を媒介として連鎖反応をやらせるというところにあるということは、皆様よく御承知の通りでありますが、そういう意味での原理というものは、すでにある程度よくわかっているわけでございます。今、問題になっていますのは、そういう原理的な意味の問題ではなくして、それをいかに実際上に実現していくかというところの方にむしろ問題がかかわっているわけでございます。そういう意味合いから申しまして、もはや原子力にとって直接基礎になりますのは、原子核物理であるというよりは、むしろ物性物理学といったようなものの方の問題点になってきている。原子核の世界と申しますのは、私たちの日常の生活で働いております物質の働きと申しますか、そういうものとは少し縁の遠いものでございます。原子核と申しますのは、原子のまん中にすわっておりまして、原子核自身の働きをするということは、地上の穏やかな物質世界ではほとんどございません。いつでも原子が全体として、一つの単位となって行動しておりまして、原子核自身がその原子のまん中から飛び出してくるといったような現象は、ほとんどないのでございます。私たちのからだの中で行われておりますいろいろな生理現象の基礎になっております現象は、全部原子の世界のできごとであって、原子核の世界のできごとではございません。従って、この原子力を利用する際に一番問題になりますのは、その原子核というわれわれがふだん使っておりません世界の現象を取り入れたために、私たちの穏やかな世界が撹乱されるという、その点がいつも問題になるわけでございます。御承知のように、原子病というようないろいろな病気が出て参りますのは、結局その荒々しい原子核の世界というものが、いわばわれわれの穏やかな原子の世界に顔を出してくるせいであると大ざっぱに言えないことはないわけでございます。そういう生理学、医学的な問題は別といたしましても、原子炉材料というものは、そういう荒々しい原子核的な雰囲気の中にしょっちゅうさらされておりますので、原子核を作っていく構築材料というものは、普通の原子構造というものをしょっちゅう破壊していくわけであります。放射線によって、原子炉の中にある材料というものはどんどん変質して参ります。そういうような面を、そういう変質をどうしたら食いとめることができるか、そういう変質を戻すのにはどうしたらいいか、そういうようなことを研究いたしますのは、これはもはや原子核物理ではございませんでして、物性物理学の力の研究の領分に入るわけでございます。そういう意味におきまして、たった今一つの例について申し上げたことでございますが、原子力利用を実現していく上におきましては、原子核物理以外のいろいろな学問の基礎というものがなければできないわけでございます。そういう学問をいろいろな意味で総合いたしまして、実際上の原子力利用とい うものは成立するのであり、いろいろな分野にわたっての学問の総合的な開発、発展といったようなことが、原子力をほんとうにものにしていく上に必要な条件である、そういうことを申し上げておきます。 学術会議といたしまして、先ほど岡さんが湯川さんに御質問になっておりました点、つまり要するに、自分の力で、自分のテンポに合せて、じっくり原子力の基礎にあります科学技術の問題を克服していって、その上に原子力の利用という一大金字塔を打ち立てる、そういう覚悟で物事をやってほしいということは、これは学術会議全般の前からの希望であったわけでございます。それが、たんだん世界の原子力平和利用の趨勢というものが盛んになって参りましたために、いわば原子力の木の実を早く刈り取りたいという考え方が非常に強く出て参りまして、じっくり進んでいくという考え方が、だんだん影を薄くして参りましたようなふうに考えられますのは、学術会議の一員といたしまして、はなはだ遺憾に考えているわけであります。学術会議といたしましては、先ほど申されました電力の需給の問題といったようなものそれ自身も、学問的に十分深くもっと研究してかからなければならないという観点を持っております。もう十年もすると、電気が不足するといったような観点は、これはこの十年間ばかりの電力の需給というものの曲線を書いてみまして、その曲線から直線的と申しますか、それに引き延ばしまして、一九六〇年なら六〇年、七〇年なら七〇年のその点を求めるという、そういう意味の相当荒っぽい推量をされているわけであります。ところが、電力の需給といったようなものが、果してそういうふうな直線的な、いわば外挿法で求めて得られるようなものであろうかどうかということは、非常に疑点があると思うのでございます。たとえば電力を非常にたくさん消費する産業もございますし、あまり電力を消費しない産業もございます。昔、日本は大へん電気が裕福であったそうでございますが、その際に、御承知のように、電力をたくさん使いますようなアルミニウム工業といったようなものが発達したと伺っております。電力かもしそれほど豊富でないということになりますれば、そういう電解工業的なものはあまり発達しなくなる。そうすれば、需給というものは、それほど直線的に延ばしたほどふえないであろうということも、想像できるわけであります。実際いろいろ未開発地域が開発されていく。たとえば、アフリカのどまん中の高い所に大きな湖水がたくさんございますが、そういう湖水のようなものが水力発電で開発されるといたしますと、もう非常に低廉な水力発電がそういうところでどんどん出てくるということになりますれば、そういうところへ安い電気を必要とする工場が全部集中して建てられるということになりまして、日本の昔のアルミニウム工業のよりどころとしておりましたような観点は、どっかに吹っ飛んでしまうのではなかろうか、そういうふうに想像されるのであります。そういうふうに産業構造がどんどん変っていくということを考えますと、電力の需給というものが、果して直線的にどんどん伸びていくであろうかということは、もっと慎重に考えてみなければならないのではなかろうか、そういうふうな点もございますし、私たちは別の観点から申しまして、先ほどから申すように、慎重に十分ゆっくりやっていって、原子力発電そのものが実際ものになるときに間に合うと考えております。その点を学術会議の一つのまとまった議論として申し上げておきたいと思います。 これで終ります。
○有田委員長 次に、中村参考人より御意見を御開陳願いたいと思います。
○中村参考人 ただいま湯川先生、伏見先生より、原子力の問題につきまして、非常に基本的に大切な方針についてお話がございました。私は、主として原子力発電の現在考えられております可能性について申し上げたいと思います。 よく御存じのように、原爆をゆっくり燃やしまして、石炭のかわりに使って、その熱でお湯を沸かして発電をやるという、現在いわれております原子力発電でございますが、これにつきましても、燃料としましては、必ずしもウランだけではなくて、まだほかに使うことができる。そういう点はもうすでに新聞でもよくいわれておりますように、トリウムというやはりウランによく似た鉱石がありまして、これの方は、まだ研究はおくれてはおりますけれども、可能性の点では、さらにウランよりもよさそうだ。それは、その埋蔵量も地球全体といたしまして多いそうであります。そのほか、発電いたします場合の発熱量、それからまた冶金をいたします場合のいろいろなやり方につきまして、必ずしもウランにたよらなくても、トリウムをうまく使えば、非常にいいということがいわれております。ただトリウムを使います場合には、そのまま燃料にできませんので、多少工夫を要するわけでございます。そういう燃料を私ども二種類に分けておりまして、直接原爆の用に使う、あるいはまた発電の場合にすぐ熱が出るもの、こういうものを純粋の原子燃料といたしますと、そのほかに多少加工いたしまして燃料に使えるもの、これを潜在的な燃料と申しておりますが、トリウムはその潜在的な燃料の一つでございます。ですから、一応現在の原子炉では、濃縮ウランあるいは普通の天然ウランでもよろしいのですが、そういうものを原子炉の中に入れまして、数日おいた後に取り出す、そして化学的に分離いたしまして燃料に使うわけであります。そういう手間を必要とします。その手間をかけるとしますと、まだほかに利用価値のありますものは天然ウランです。天然ウランの大部分を占めております二三八といわれる重い方の同位元素は、やはり原子炉の中に入れますとプルトニウムという別の原子燃料に変ります。ですから天然ウランの大部分であります二三八とトリウム、こういうものは潜在燃料でございますが、これを原子燃料に変えて使えば、非常に多くなる。そういう意味では、今の原爆の原料であります濃縮ウラン、純粋な二三五といわれるウラン同位元素、これだけを使っております場合に比べますと、約三百倍くらいの燃料があるというふうにいわれております。 この発電の力につきましては、世界各国で非常に研究が進んでおりますが、現在まだ火力発電のコストに及ぶというところまではいかないという状況であります。ちょっと考えますと、原爆のように非常にものすごいエネルギーが同じ目方から出る。大体三百万倍といっておりますが、こういうような同じ燃料を使っておりますのに、コストが安くならない。ただのような燃料を使ってなぜ高くつくかというふうに考えられるわけですが、これにはやはり理由がございまして、燃やす装置が非常に高くつくということと、それから発熱量をあまり高めましても、熱を取り出します能率は、水にいたしましても、あるいは炭酸ガスとかいろいろなものを工夫いたしまして、また液体金属といったような新式のものを使いましても、とにかくそういり熱を運び出す能力には限度がございますから、大した出力は上らない。また上げますと非常に危険になるということがございます。それからまた、石炭を燃やします場合と違いまして、原爆をとにかく燃やすわけでございますから、これのコントロールということが非常にむずかしい。つまり一つの家庭で国全体の予算を扱うというようなたとえでもいいかと思いますが、とにかく大量のエネルギーをコントロールして使うということは、全く新しい問題として出て参ります。最近やかましくいわれておりますところの人工頭脳とかサイバネティックスとか、つまり自動制御をいたします装置、そういうものが非常に高度に要求されるようになりまして、ただいま伏見先生が、ただ核物理学だけでは原子力発電はやっていけないとおっしゃいましたその一つの原因が、こういうところにあるわけであります。日本にただウランを買ってくるというだけでは、原子力発電は安全に扱えませんので、こういう自動制御装置というものも同時に発達させないことには、危いわけであります。それから、よくいわれており、これは皆さんよく御承知の放射能あるいは原子炉の中の放射線、そういうものの処置が非常に高くつくわけでございます。非常な遠隔操作をやるその材料とか人間とか、そういうもののいたみというものが、非常におそろしい結果を生むわけであります。材料としても非常に向くつくわけでありますから、あれやこれやで原子炉発電のコストというものは、現在の技術がよほど発達いたしません限りは、火力発電よりもうんと安いというようなことは、当分は望めないのではないかと思います。ですから、やはり湯川先生、伏見先生がおっしゃいましたように、現在の燃料というもの本、経済的に、またいろいろな技術的な改良、そういうような点からにらみ合わして、まだまだ利用価値は残っておる。原子力発電の方は、非常に特殊なやり方、あるいは南極の開発とかそのほかまだもっと燃料を得るのに不便なところ、その他日本でも実際石炭、石油を使い尽してしまったあとなど、そういうときまで待っても、必ずしもそういうあわてて飛びつかなければならぬほど安い電力ではないというふうに考えます。それからトリウム、あるいは天然ウランの大部分であります二三八を原子燃料に使いますには、普通増殖といっておりますが、つまり原子炉の中で一応濃縮ウランを燃やしながら、別に原子燃料を再生していくわけでございます。この増殖の技術にいたしましても、最近の原水爆の経験からいいますと、あるいはそういうやり方をやらなくてもいいかもしれない。と申しますのは、直接分裂させるこれが必ずしも不可能ではないと思われます。と申しますのは、トリウムの中に、これは仁科芳雄博士が初めて発見されたのだと思いますが、原子炉とか原爆の中で出て参ります中性子よりはもっと速い中性子によりますと、直接分裂いたしますので、一旦別のものに変えなくても、燃料に使えるかもしれない。ただその速い中性子はどうして作るかといいますと、次に申します水爆を、平和的に使います融合反応、そういうもので出て参ります中性子とか、あるいはまた別途の方法で作るよりほかはないわけでありますが、その点でまだ今後に研究が残されております。 それから次に、水爆の平和的利用といわれておりますいわゆる融合反応の燃料でございますが、これは大部分は重水あるいは一番軽い金属でございますリチウムでございます。重水と申しますのは、海水の中に約六千分の一の割合でごく少く含まれておりますが、これはとにかく天然に産するものであります。しかもまたウランに比べますと、非常に大量に含まれている燃料であります。この融合反応と申しますのは、手取り早く申しますと、普通の炭とか石炭、あるいは水素ガス、いろいろなものを燃やすわけですが、そういう場合と同じように、軽い元素を燃やすのでありまして、ウランとかトリウムの核分裂を使います場合の発熱に比べますと、むしろ音通の燃料の点火の現象に似ております。ただ違いますところは、熱の出ます部分が、原子のごく中心の奥底にあります原子核といわれるもの、これは湯川先生が先ほどおっしゃいました中心部にたくさんの質量が集中している、そこにエネルギーがあるとおっしゃったわけですが、それに火をつけたわけであります。これは炭の例でもわかりますように、やわらかい炭に比べますと、かたい炭はなかなか火がつかない、けれども一旦火がつけば、火持ちが非常にいいということになるわけであります。また石炭に火をつける場合にしても、一応しばに火をつけてから石炭を燃やすということで、とにかく燃やす前に一応火をつけなければならぬ。これが普通の燃料でございますと、百度ぐらいのところで火がつくわけでございますが、融合反応といいます原子核の反応を使います場合には、やはり相当温度を上げなくてはいかぬ。原爆の例では一億度以上上っている。また太陽とか星というものも、先ほど湯川先生のお話のように、中心部ではやはり融合反応が起っているようでございますが、太陽の場合は、中心部が約二千万変ないし二千五百万度といわれております。いろいろな星によりまして、一億度から十億度くらいもある星があるといわれております。そういう程度で、こんな高温は、われわれはまだ作ったことがない。せいぜい数千度どまりで、特別火薬など爆発しますと、一万度くらい上っている分が局所的にあるといわれている程度でございますが、この一万度から一億度まで上げたいというところは一つのわれわれの冒険でありまして、ちょうど南極探険とかあるいは宇宙旅行のように、われわれにとりまして全然到達できなかった温度というものを地上で作ってやろう、もちろん原爆で作ったじゃないかといわれます。が、原爆のように爆発さしてしまいますと、これはもう平和利用はむずかしいわけですから、もう少し低い温度で、たとえば、一千万度というのが一つの目標でございます。これは一億度になったら爆発するが、一千万度ならば、ぼちぼち燃えてくれるというのでございますと、その間は一けたの差がございますので、安全に一応やれるのじゃないかという見込みでございます。アメリカでもあるいはソ連でも、大体四、五年前から本格的に研究を開始しているようでありまして、どちらの国も割合隠してやっていたようですが、去年のジュネーヴの会議で初めてインドのバーバという理論物理学者が発表いたしまして、二十年以内には、必ず太平洋の水も融合反応によって燃料に使えるようになるだろうということを申しまして以来、ぽつぽつおれのところでも実はここまでやっていたということを発表をいたしました。それで、新聞などにちょいちょい出るようになりました。 大体、融合反応の場合は、大ざっぱに申しまして、ウランの分裂の場合の約三倍、同じ目方にいたしまして約三倍の発熱量があります。ただこれは原子核の反応の都合で多少違うわけでございます。それからまたおもな違いといたしましては、いわゆる死の灰といわれております放射能が比較的少い。全然ないわけではなくて、中性子といわれますやはり人体に危険な放射能線も出て参りますし、二、三ガンマ線などの出る元素も少しは作られるわけですが、ウランの場合のように、長年残って人体に危険を及ぼすというものが大量に含まれるということはございません。その点では割合安全ですが、とにかく金がかかるであろうということを皆言っております。と申しますのは、太陽とか星などの例でわかりますように、それがいわば融合反応の原子炉の一つの例でございますが、非常にばかでかいものでありますし、まん中で燃えておればそう冷え込まないのですけれども、地上でそういう炉を作ろうとしますと、そんなに大きな、地球の外側へはみ出るような原子炉はできないし、せいぜい工場程度ですから、そういうようなものになりますと、保温がなかなかむずかしい、温度を上げるためには、大きくしなければならない、そういうことで、融合反応炉というのは、普通の原子炉の一けたないし二けたも金のかかるものに初めはなるだろうという想像もあるわけです。しかしながら、もしかりにできたと仮定しますれば、ウラン、トリウムに比べまして、うんと熱の量が多いわけであります。その点で望みを託しておるわけです。 それから、先ほど申し上げましたように、トリウムとか天然ウランの大部分を占めておりますウラニウム二三八、そういうものを直接分離させるような中性子が融合反応によって生まれますので、増殖というむずかしい手間をしなくても、そういうものは直接燃やせるかもしれない。最近のソ連の原水爆、あるいはこの間、いつですか、エニゥェトックでやりましたアメリカの原爆にも、あるいはトリウムも含まれておりまして、それが分裂したのではないかという想像も私しておりましたのですが、まだこれはよく放射能の雨などを調べて見ないとわかりません。そういう意味で、融合反応というのを実験いたしますと、またこれによって二次的にもいろいろ有意義に使えるかもしれない。 その他、太陽あるいは星を、最近は原子力物理学者と天文学者が共同研究するということが、アメリカ、イギリスあるいは日本でもぼつぼつ手がつけられて参りました。昔は天文学というと、暦などの役に立ちましたが、それ以外は純粋の学問的な研究とされておりました。現在は、天文学は非常に応用が広く、特に実用と直接結びついて参りました。そういう太陽や星の中を見ておりますと、いろいろな元素が星の中で作られているわけでありますが、これは一筋なわでなくて、いろいろな方法で作られているようでありますから、これを研究いたしますことによって、融合反応の原子燃料、あるいはとにかく一般的にそういう原子核を変えることによって、熱核の中に作ら れておりますエネルギーを取り出すという道もいろいろ教えられることが多いじゃないか。ある種の星の表面では、非常に強い磁石の場が働いておりまして、そこでまた違った種類の物質が燃えて熱が出ている、そういうこともだんだん想像できます。また太陽の黒点につきましても、いろいろな新しいアイデアも出ているようでございますけれども、そういうものが地上で作りますところの融合反応の原子炉のお手本になるということでございます。 それからもう一つ、先ほど出ました物性の研究ということも仕事の一つであろうと思います。物性物理学でありますが、とにかく超高温になりますと、物体は非常に変った性質を示して参りまして、原子を中心に、まん中にプラスの電子、外側にマイナスの電子が回っているというふうにして、一応安定して、プラス、マイナスの電子が帳消しになって、外側は電子が感じられないようになっておりますが、非常に高温度になりますと浮かれ出しまして、プラス、マイナスの電子が多少分れる、そうしたままいろいろな、何といいますか、ちょっと広がったような、ガスのような状態にプラス、マイナスが少し引き延ばされて、まっとうな原子でないような状態になっております。これはプラズマといわれておりますが、そういう超高温の中でのいろいろな物体の性質をやはり研究しておかないと、地上で原子炉を操ることができないのです。そういう高温になりますれば、どうせ物はすぐ溶けてしまいますので、壁との間には温度の急激な差をつける、最後には、壁に達するときにあまり高い温度が直接さわらないようにするとか、そのためにはいろいろな設備や工夫が要るわけであります。こういう研究がすべて物性物理学というものに直接結びついているわけでございます。これはもちろんウランの原子炉の場合でも、同じ放射線がいろいろ物質に与える影響などは物性物理学に属するものでありまして、いずれにいたしましても、これまでの科学とか電気というものを中心にいたしました産業工業が、新しく原子核というものの変化によりますところの工業、そういうものに移り変る時期でございますから、まずその基礎的な研究というものが世界中で非常に新しい問題として取り扱われて参りました。 それから融合反応の実際の例について、二、三新聞に報道されましたことだけでございますが、申し上げますと、アメリカでは、一応二十五万度まで上げられたというのが最近の一番新しい報道であります。これは大体電気を水素ガスとかあるいは垂水素ガスの中へ急激に通しますと、ごく狭い場所にだけエネルギーが集まりまして、そこで非常に温度が上る、あるいは爆薬を破裂さしまして、それをうまく中央とかどこかへ集まるようにしまして、やはりごく局所で温度を上げるというのは、十万度ぐらいまで上げられたということがドイツで発表されております。それからごく最近ソ連では、とにかく百万度までは一九五二年にすでに上げたということを、イギリスへ訪問していたときにソ連の学者が申しました。この場合には、融合反応が起ったか起らないかまだわからない、ただ中性子が出ているので、あるいは起ったのかもしれない。それからそういう大きな温度を上げますと、とたんにその容器は全部溶けてしまったということが出ております。まだとにかく百万度ではとてもそのエネルギーが得するほど融合反応が起るとは思われない。もう一けたというところが、現在の研究の目標だろうと思います。 以上、大体現在ごく手近に考えられております燃料のことにつきましての原子力発電について申し上げました。 このほか、この間お手紙をちょうだいいたしましたとき書いてありました、百原子炉の中で、直接発電ができるのではないかという問題について、ちょっと申し上げます。つまり、原子というものは、大体電気的な構造を持っておりますから、その電気を直接使えばいいではないか、これはだれでもすぐ思いつくところでございまして、原子の分裂にいたしましても、融合にいたしましても、そういう核反応のエネルギーを使って発電する場合は、一度熱になりまして、その熱でお湯を沸かすというふうにちょっと迂回するわけであります。それを、そうではなくして、直接電気を使うというわけであります。これはウランが分裂いたしましたときには、中くらいの原子がたくさんできるわけですが、これがみな不安定で、放射能を持っておる。放射能は、とりもなおさず電流と同じ性質のものがその中に含まれておる、あるいはガンマ線といいまして、光と同じものが含まれておるわけでありますが、これを電池の電源に使おう、そういう工夫がなされております。これは昭和二十九年ごろにすでにRCAで原子力電池と称しまして、やっておりますが、ゲルマニウムとか珪素などのいわゆるトランジスター——トランジスターと申しますのは、あの真空管の要らないああいう装置でありますが、これと結びつけまして、放射能の電気を電源に使おうというのであります。放射能の場合は、電圧が非常に高いものです。電圧は高いけれども、そのかわりアンペアがとれない。電圧を低くいたしまして、アンペアを少くとも百万分の一アンペアくらいまで上げるということはできますが、それでも普通の電灯線などに比べますと、ずっとアンペアが低いものしか得られないのです。これは放射能の性質としましては、そうたくさんの電気が出てくるわけにいきませんので、そういうふうになっております。電圧を電流に変えるという装置を一つ必要としますが、それで電池を作る。そうしますと、ストロンチウムといたしますと二十年の半減期でありますから、長持ちするということになります。これは今の電力の中心問題になっております強電の方には役に立ちませんので、むしろ弱電の方のそういう器用な扱い方にする、そういう意味での放射能利用の一つでありますが、最近原子炉の中でそれを直接やったらどうかということが出て参りました。そうなりますと、ウランが分裂いたしましたエネルギーの約一〇%は電気に使えると称しております。そうなりますと、多少程度は上って参ったわけでありますが、これは原子炉の中に直接電気を集めるような装置を入れまして、そこで電気を集めて、それを一つの電源にしようというわけですが、それにしましても、やはりとにかく一〇%ですから、燃料の節約程度になったり、あるいは自家用発電といいますか、原子力発電所の消費いたします電力をそれでまかなうという程度と考えていただけばいいわけであります。燃料の節約程度だと思います。むしろ放射能原子力電池といいまして、外へ持ち出して、いろいろ器用に使う方が重宝ではないかと考えておりますが、これは将来むしろ湯川博士が言われましたように、もっと素粒子の性質がよくわかり、ことに電気というものの本体がどういうものかよくわかりましてから、また新しく発電にいたしましても、そのほかエネルギーのもととして使えるようになる時代が来るかもわかりませんが、現在のところ、まだそういう点につきましては、学術上見通しがついておりません。これだけ申し上げます。
○有田委員長 以上をもって、伏見、中村両参考人よりの御意見の御開陳は終了いたしました。 これより質疑に入りますが、だいぶ時間もたちまして、すでに十二時を十五分も過ぎておりますし、両先生ともお急ぎのようですから、その点お含みの上、御質疑を簡潔にお願いしたいと思います。それでは質疑の通告がありますから、これを許します。岡良一君。
○岡委員 それでは、委員長の仰せに従って、簡潔にお尋ねをいたします。 伏見先生からは、特に今話題になっ ておる原子力発電の問題について、科学者としての立場あるいはまた学術会議としての立場から、率直な御意見を承わりました。また中村先上からは、特に最近話題になっておる核融合反応の本体なり、またその学問的な研究の見通しなりを中心としてのお話を承わり、私どもまことに教えられるところが多かったわけであります。 そこで、まず第一点といたしまして、伏見博士にお尋ねをいたします。実は博士も御存じの通り、この一月三十一日にアメリカの上下両院にはマッキーニー報告というものが提出されております。あの報告を最近私読む機会があったのでありますが、次のような要旨の言葉がありまして、私は日本の現実に照らして、非常に教訓的だと思ったのであります。それは、原子力の開発利用については、時間的準備を忘れてる人たちがある、特に原子力の知見に乏しく、海外においてその例が見受けられる、そうして行政や立法の高い地位についておる人たちが、先走りの放言をまき散らして国民を誤まらしておる、このようなことはまことに遺憾千万であって、いわば原子力の発電等の平和利用というものは希望的観測で達成できるものではなく、慎重な計画に基いて初めて達成されるものである、こういうような一節を拝見いたしたことがあります。伏見博士のお書きになっているものを新聞あるいは雑誌で拝見いたしますと、実にそのものずばりという御表現をいただいておるのであります。マッキーニー報告のこの一節は、実に日本の事実に対して、そのものずばりであるという感じが私はいたします。このような単数のドン・キホーテかあるいは複数の、ドン・キホーテが、現実の日本には確かに存在しておると私は思うのでありますが、率直な、博士の御所見を承わりたい。
○伏見参考人 そういう純然たる学問的検討を十分に経ないで、原子力平和利用の大宣伝が行われておる、それだけで動かされている方がある程度おられるということは、事実であろうと思います。いわば原子力の科学的な面を担当すると申しますか、そういう方面に今責任を持っております私たちといたしまして、そういう方々へのいわば啓蒙的な活動の努力が足りないことを つくづく痛感いたします。
○岡委員 この前の委員会で、やはり原子力発電についての関係者の御意見を聞きましたが、それらの御意見を総合すれば、きょうの湯川博士なり伏見博士の御所見とはきわめて背反いたしておるわけなんです。ここに日本の原子力の平和利用といいますか、むしろ研究の段階にある日本の原子力の今日の段階というものに対して、非常に不幸な事実があると思っております。それはそれといたしまして、先ほど申したマッキーニーの報告を簡単に申しますと、博士も御承知の通り、海外には三百低ドルの原子炉あるいは動力炉を買い込むことのできる潜在市場がある。そこでアメリカとしては、ブロック的に、地域の会議を開いて、一九六〇年までには百万キロワットの発電施設で取引し得る契約を結ぶべきである。そうして、その結果発生するところのウラニウム二三三あるいはプルトニウム二三九はアメリカの国内において回収しようというような条件付の計画を発表しておる。ところがアメリカの原子力政策というものを見ておると、全く勧告に呼応しておる。現に原子力発電の機密については相当程度大幅に解除して、アメリカのビッグ・ビジネスにはその接近を許し出したかと思うと、この二月二十二日にアイゼンハワー大統領は四十トンの濃縮ウランのうち、二十トンを海外に出す、そうかと思うと、今度八月には、マニラのアジア原子力センターにおいて、双務協定を結んだ国々を中心とする地域的なブロック会議を開く、こういうふうに全くマッキーニーの勧告というものは筋書通りアメリカの原子力外交において行われておる。ところがまた不思議なことには、日本のドン・キホーテは、これをそっくりそのまま受けて立っておると思える。それが一月初めの動力協定となり、ひいてはそれにもこりず、再三再四、動力協定、最後にはCP5、湯沸かし型と並行的に動力炉を入れてもいいではないかということを言外に意味するような記者団発表がある、こういうふうな形で、日本の原子力はまことに科学者の良心が武運つたなく、むしろこういうアメリカの原子力外交に屈服しつつある、現実はやはり武運つたなく屈服しつつあるのではないか。こういうことになりますと、結局日本は、原子力発冠の場においては完成品をもらい、原料をもらって運転の技術にとどまるということになりますから、エネルギー産業というような日本国内の基幹的な産業が、外国の資本なり技術によって支配されるということだけではなく、日本の、せっかく弧々の声をあげて、しかも自由、民主、公開という原則、平和利用という大きな旗じるしのもとに発足した日本の原子力の研究そのものが、ここに大きく停滞するのではないか、あるいは日本の原子力の研究というものが、一種の植民地的な状態にとどめられるという危険さえも私は感ずるのです。この点について、今申しました一連の現在のアメリカの原子力界、それに呼応する日本の原子力行政のあり方、これについて、科学の立場から、そしてまた現在の日本の原子力のもろもろの現象というものについて、総合的に、端的に、どういうふうにお考えになっておられるかということをお尋ねいたしたい。
○伏見参考人 私の申したいことを、むしろ岡さんがかわっておっしゃっていただいたような感じがいたしますが、ちょっと違った観点から申しておきたいと思いますことは、アメリカの原子力平和攻勢という言葉を使ってよろしいと思いますが、原子力平和攻勢というものの中に、原子力というものを相当夢のようにと申しますか、何か非常にすばらしいものであるように宣伝されている面が非常に強いという点であります。たとえば、東南アジアにアジア原子力センターですか、そういうものを置かれて、各地のいろいろのすぐれた青年たちを集めて、原子科学者に育て上げるというような機会を作るといったような、いろいろなことをされておるわけでありますが、しかし、原子炉というものをめぐっての科学技術というものは、科学技術全般の中のごく小部分にすぎないわけであります。そういう後進諸国の科学技術の水準を上げるということが、アメリカの世界政策のほんとうのねらいであるといたしますならば、原子力センターを設けるよりも、もっとそういう後進国に適当した、もっと彼らの生活に密接した科学技術を培養していくといったような方途が当然考えらるべきであります。一足飛びに原子力といったような面を植えつけて、それで何もかも話が済んでしまうような一種のごまかしというようなものがあるように私には考えられます。こういうふうになりますことは、一つは、原子兵器というものでもって非常に膨大にふくれ上りましたアメリカの原子力兵器産業を、平和産業へ切りかえなければならないという、そういう至上命令があるために、それを何とかして生かさなければならぬ。それを生かすためには、実際上はあんまり役に立たないものも役に立つかのごとくに、いわば誇大な宣伝をしなければならないという無理が出てきているのではないかというふうに私には考えられるわけであります。実際、あまりありがたくないものが、非常にありがたいかのごとく宣伝されていると私には考えられます。それからもう一つ考えなければなりませんことは、これは受け取る方の国々の気持だと思うのです。まあ国々の気持というよりも、そういう国々の支配層におられる方々のお気持だと思うのですが、この原子力というものの平和利用という面を育てるということが、実際は原子兵器を作る潜在勢力を持つということも意味するということが、暗黙のうちに了解されている。プルトニウムの生産をいたしますれば、それはその次の時代の原子力の平和利用にも役立つと同時に、原子兵器を作るのに役立つわけであります。ですから、平和利用という声の範囲内で大いに大きな施設を作っておけば、その国としては、将来において何か原子兵器を持ち得るという潜在的な力を持ち得るということで、そうなれば、その国の何らかの意味における国際場裏における発言力がふえるであろうということであります。エキスプレスにはどなたも言われておりませんけれども、しかし暗黙のうちにそういうことを考えておられる方が相当あると思います。いろいろな国の方の中で、将来の原子兵器をもって外交の力のよりどころとしたい、そういうお気持が、今日の原子力平和利用の宣伝というものをより力強いものにしておる。それに勢いをつけておる、そういう感じがいたします。私たちがいつも心配いたしますのは、そういうような科学者として着実な評価を原子力に対してしていく、誇大な評価をしてはならないという面と、それからあくまでも広島、長崎の非常につらい経験を持っておる日本国民として、原子力兵器を作らないためのあらゆる予防的な措置というものを完全に考えていかなければならない。その面から申しまして、単なる平和利用というかけ声だけで動くのは、非常に危険であるということを感ずる、そういうことを申し上げたわけであります。
○岡委員 原子力発電の問題は、湯川博士からいろいろ承わりましたので、この程度にいたしまして、そこで、私どもこの原子力発電をまっこうから否定する考えは毛頭ないのですが、先般私どもが原子力研究所の事業計画としてちょうだいしましたものでは、ここ二、三年は、あるいは湯沸かし型あるいはCP5を入れて、いわば中性子源を入れて、医学、工学、生物学その他いろいろな方面の研究を進めていく、やがてその次の年次には天然ウラニウム・重水の国産炉を作るという御計画を承わっておるわけであります。少くとも今日までの年次計画というものは、私どもは非常に妥当なものであり、これにまたプラスして、並行的に実験動力炉を入れる、しかし今のところでは、どうしても動力協定が必要だと思いますが、機密資料を入れたり、個人に対する保障を与えぬということでは、せっかく弧々の声をあげた日本の原子力研究というものが、全くやみからやみに葬られるような感じがいたすわけであります。一応今申したような当初の計画は、日本の原子力研究所としての事業計画としては筋が通っておる。あとの問題は、やはり国際的な情勢の推移もあるから、これとにらみ合せて、初めて国内における研究の進歩発展もあるので、それらの主体的条件、客観的な国際条件をも考えて、責任ある実施計画、責任ある年次計画、こういう方向に日本の研究所の事業計画はあるべきではないかと思いますが、いかがですか。
○伏見参考人 今、岡さんの言われたことはごもっともであると思います。今までのウォーター・ボイラーから始まりまして、CP5、それから天然ウラン・重水の国産炉を作るというプログラム自身も、実は検討を要するのかもしれないのであります。しかしこれはごく技術的なこまかい点になりまして、それをここで申し上げてもしようのないことでありますので、大体においてそういう線で進むということが妥当な道であるということは、全く御同感だと思います。 それから、動力炉をそれと並行して入れるということは、少くとも原子力研究所を中心にして、日本の原子力を下から作り上げていくという努力を完全に無視するものである。いわば原子力研究所を単なる飾りものにいたしまして、そういう原子力研究所で何か将来出てくるかもしれぬけれども、それと日本の原子力発電事業というものとを、いわば無関係にするような、そういうものの動きであろうというお考え、それには全く賛成でございます。日本の原子力発電といったようなものが、世界情勢の異常な発展に従って、私が先ほど申しましたようなこととは違って、もっと非常に差し迫って実用化されてくるというようなことが、あるいはあるかもしれませんが、そういう際にも、原子力研究所がいつも中心になって、そういう技術的な、いわば革命的な発展というものを消化していくことが必要なのであろうと思います。そういう際に、現在進みつつある、まだほとんど動いていないわけでありますが、原子力研究所が完全に飾りものになるというようなことのないように協力したいと思っているわけであります。
○岡委員 これも私どもしろうとはよくわからないのですが、ただ新聞などを見ておりますと、日本の原子力発電についても、まだはっきりコンクリートされたイデーがないように思われる。実は今アメリカは、大きなメーカーに原子力委員会が秘密に対する接近の許可を与え、デモンストレーション・プラントというものを作らしておりますが、この原料はほとんど濃縮ウランであるようであります。ところが一方、コルダーホールあたりでこの十月からいよいよ発電されるのは、天然ウランを原料にしている。これは一体、日本の先ほどの事業計画、天然ウラン・重水国産炉という方向にまでいくというようなこういう方向から見て、天然ウランを原料とする原子力発電あるいはまた濃縮ウランを原料とする原子力発電というものの二元的な道が、そのまま無批判にわれわれの前に提供されているように思うのですが、専門家のお立場から、この点についてはいかがお考えでございましょうか。
○伏見参考人 大へんむずかしいと申しますか、お答えしにくい問題でございます。事情をお話し申し上げますと、こういうことであろうと思うのです。天然ウランを使いますれば、天然ウランの中に入っております有効成分二三五というものは、ごくわずかしか含まれておりませんので、天然ウランを使って原子炉を作ることは微妙で、設計が非常にむずかしい。いろいろ変った形のものができませんで、ほとんど唯一のデザインしかあり得ないというようなことがございます。ことに天然ウラン・グラハイトのようなものを使いますと、ほとんど動かしようのないようなデザインになって参りますので、いろいろな変り種を作ることができないことになっております。ところが、濃縮ウランを使いますれば、よけいなものが入っておりませんから、分裂反応、連鎖反応を起させることがきわめて楽になりますので、さまざまな小型の原子炉が設計され、いろいろな目的に応じた特殊性を作ることができる。そういうような濃縮ウラン原子炉には特徴があると思います。それはあくまでも実験的原子炉という観点から申しますれば、濃縮ウランを使いまして、ごく小型の使いやすいものを作ることは、現在でも十分意味のあることだと考えております。しかし、エネルギーを経済的に取り出す、採算に合うように取り出すという観点から申しますと、濃縮ウランを使うか、天然ウランのままで行うかということは、非常に重大な議論をしたあとでなければ、実はきまらないことである。つまりそういう意味での技術政策というものは、もっと十分に吟味をした上でなければ、きまらないことであると思っております。私の友人の武田栄一君あたりは、天然ウランから同位元素を分析して、濃縮ウランそのものを日本で作るべきであるという議論をしきりに主張されております。私はそれに対して、今のところ頭から反対し得るだけの検討をしておりません。しかし、いずれにしても、そういうふうに濃縮ウラン系統で今後の原子力発電という経済上の問題を処理していくかどうかということになりますれば、濃縮ウラン系統のものでいくか、天然ウラン、つまりイギリスのコルダーホール式であくまでも進めていくかという二つの点は、あくまでということはないと思いますが、いずれにしても、将来は濃縮燃料を使うということは当然だと思う。ある段階まで天然ウラン系統のもので進んでいくというその技術政策の分れ道は、もっと慎重に考えていかなければいけないのだと考えております。今、原子力研究所でやっております最初の二つの輸入いたします原子炉というものは、濃縮ウランを使っておりまして、いろいろと実験的原子炉としての利用性が高いという意味において、それを入れるのでございまして、その中において、濃縮ウランを使ってあるということは、今後の日本の原子炉を濃縮ウランでやっていくための準備であるというふうには必ずしも考える必要はない。むしろその次の天然ウラン・重水炉というものを日本でやるか、その辺から、濃縮ウランを使って原子炉を設計していくかというあたりから、そろそろ二つのポリシーの分れ目が出てくるのであろうと思うのであります。今お話になりましたように、濃縮ウラン系統でいくか、天然ウラン系統でいくか、二つの技術的な問題というものは、少くとも今年中ぐらいに十分な見通しをつけて、それをきめて、一本の筋で持っていくべきであろうと考えております。今のところ、過去におきましては、まだ原子力委員会というものが十分はっきりした形でできておりません。意思統一が必ずしもよくなかった。つまり現在までできている日本の原子力政策というものは、いろいろな意見がいわば妥協して出てきた最後の結論のようなものでございまして、その中が一本の有機的な意見にまとめられているとは必ずしも考えられない点がございますので、今後湯川先生の原子力委員会の方で十分研究していただいて、それが一つの筋の通ったものになるということを希望しております。
○岡委員 中村博士にお伺いいたしますが、先ほどの御意見の中での、いわゆる融合反応の平和利用という点について多少お尋ねします。先般ブルガーニン、フルシチョフらがロンドンに兼られたときにも、同行されたクルチャレトフというロシアの教授から、核融合反応の成功も眼前に迫っているというはなはだ頼もしい御意見があった。先ほど申しましたマッキーニー報告でも、ぜひ核融合反応の平和利用というところに利用の努力目標を今後置かなければならないということを強調しております。これは日本の原子力研究段階で、先ほど申しましたような研究所の事業計画、こういうプログラムの中では、一体どのあたりに位置することになるのでしょうか。
○中村参考人 ただいまのお活ですが、湯川博士の基礎物理学研究所でこの問題を理論的に取り上げまして、去る四月後半に、二週間にわたりまして、物性物理学の方と天体物理学と核物理学と、三つの方面の専門家が寄りまして研究会を開いたわけであります。またそれから後には、そういう放電関係の実験の方あるいはこれに関係したいろいろな方々に願いまして、さらに基礎研究を続けよう、こういう段階になっております。もう一つは、学会の方では、原子力学会というものを至急に作ってほしい、これは今日までの日本の原子力政策というものは、どちらかといいますと、政治的な面とかあるいは財界のプレッシャーとか、そういうもので、非常に急いで動かされておるのでありますが、学問的な雰囲気とか、研究の雰囲気というものを中心にしましての厳密な検討ということがどうしても欠けておったのじゃないか、そういう声が特に若い人たちの間にありました。そういう場合ですと、もちろん学会を作りますと、融合反応の問題も非常に大きな問題として取り上げ得ると思います。ただ原子力研究所では、私の聞いております限りでは、融合反応についてはまだ何ら全然問題になっていないのだろうと考えます。
○岡委員 それから、御存じのように、いずれ研究所にいたしましても、それに関連して、原料、金属材料その他もろもろ、これは今でも五十七億円でございますか、ロイアリティとか、特許に伴ういろいろな経費を支払っておるわけであります。これは原子力の問題がこうして具体的に日程に上って、日本もその研究に取りかかろうということになると、特許の問題が大きな問題になるであろうと思うのでありますが、この問題については、伏見博士もかねてよりかなり関心をお示しのようでございますが、率直に言って、これは日本としてはどういう対策でやっていくかという点について、あなたの御意見を承わりたいと思います。
○伏見参考人 特許の問題は、私、初め全然勉強しておりませんで、非常にばく然と考えておりましたので、過去 において、いささかずさんなことを 言ったのではないかという懸念を感じてはおるのでございます。私の気持だけを率直に申し上げますれば、原子力というものは、何といっても、特別なものであるというのがまず前提でございまして、ほかの科学技術全般にわたってももちろんいろいろ特許の問題があると思うのでありますが、その中で、原子力関係——原子力と申しまし ても、広くとりますとあらゆる方面に関連して参りますけれども、ある狭い範囲に限りました原子力の問題を特別扱いするということが、あるいは可能ではあるまいかと考えております。実際アメリカとかイギリスとかいうよそ の国では、これは原子兵器ということともちろん関係があるせいでございましょうけれども、原子力関係の特許の取扱いというものが、特別の取扱いを受けていたという過去の事実があるわけでございます。原子力関係だけを特別な取扱いで、しばらくの間、日本の生産会会社がいろいろなものを作っていくことの基礎ができ上りますまで、それを保護していくことが適当なことであろうと考えているわけでございます。ただ具体的にその特許のそういう意味での特別な措置というものは、法律的にできるものであるかどうか、それからそういうことをいたしましたときに、いろいろな別な方面での影響があると思うのでありますが、そういう影響がどういう意味合いのものであるかということをまだ実は十分吟味しておりませんので、具体的にどういうふうにしろということは申し上げることができないのでございます。むしろ国会の皆様方がそういう点を御審議の上、原子力関係の特許について、ある特別な手というものを打って、日本の原子力産業の育成に備えることができるかどうかということを、お調べになっていただきたいと思います。
○岡委員 特許の問題は、実は私ども非常に心配をしておるのですが、政府の方でも、これはという成案がないようなんです。結局は、やはり今度できる国際原子力機関あたりの問題として——今、特別に原子力関係の特許権については特殊な取扱いをするということになると、国際的な協定に違反するようなことにもなりますし、といって、このままの状態に放置すれば、やはり進んだ国とおくれた国の幅というものは、いろんな制約を受けて、なかなか原子力の平和利用の国際的な普及がむずかしいのじゃないかと思われます。研究そのものの均衡的な発展もむずかしいのじゃないか、真実な科学者の国際的な協力も望みがたいのじゃないかと思われますが、いずれこれは日本の考え方でもあり、ひいては国際的なお取扱いに大きく日本も推進力となるべきだ、こう考えておるわけです。 いろいろ時間の制約もあるということでありますから、最後に一点だけお伺いをいたしまして、なおまた御答弁によっては、一点重ねてお伺いをいたしたいと思いますのは、今、行われている水爆の実験に関してです。先般厚生省の方から、いわゆる許容量に対する考え方というものが発表されております。あの許容に対する考え方の基本は、従来国際的な許容量として認められておる一週間三百ミリ・レントゲン、それの十分の一の三十ミリ・レントゲンに落そう、この程度で、雨にしても空気にしても、一応無害な限度をそこに置こうという計算に出ておるわけであります。しかし、これは専門的な科学者の立場から見て、このようないわば確率に基いて、しかも事一たびあやまてば、人命にも大きな影響があるような問題でありますが、このような確率において許容度を認めるという 態度そのものがいいのかどうか、合理 的な科学的な態度であるかどうかま た事実この数字というものが、真にこの水爆実験のための放射能によって汚染され、立ちどころにその真正面に立ちはだかっておるわれわれ日本国民の許容度として、学問的な立場から来して妥当なりやいなや、この点についての率直な御意見を承わって、なお御答 弁によって、一点重ねてお尋ねしたいと思います。
○伏見参考人 今お尋ねになりましたその許容量をどこに置くかという問題は、一昨年ですか、ビキニ事件の直後に、実はさんざん悩みました問題でございます。その当時からよく言われております、アメリカのナショナル・ビューロー・オブ・スタンダードで出しております基準というもの、それだけが唯一のよりどころでございました。それをたよりにいたしまして、いろんなことを申しておったわけなんでございますが、しかしその唯一のたよりとなるものが、いろいろと懐疑的な目でながめられておったわけでもございました。と申しますのは、そういう基準を作る上におきまして問題となりますのは、どれだけの危険性というものが考慮の中に入っているか、たとえば長期にわたる遺伝的効果といったようなことが、その勘定の中に入っているのかいないのかというような点で、非常に疑問がございました。もう一つは、アメリカ人——そういう民族があるかどうか任じませんが、ヨーロッパ人というものと日本人というもの上で、同じ基準であってよろしいかどうか、民族的な差というものが果してないのであろうかというようなこと、それから、いずれにいたしましても、この許容量というものは個人差の非常に多いものであって、ある方は相当強い放射線をお浴びになっても平気でおいでになるし、また非常に敏感であって、ごくわずかなもので弱られる方がある、そういう個人差というものが相当あるらしいのでありますが、その個人差がどの程度その基準の中に今含められているか、そういうような点でいろいろ疑問の点がございました。その当時から、学術会議でもっていろいろビキニ事件の跡始末を議論しておりましたときに、どうしてもこの基準というものをほんとうに学問的に掘り下げて決定するということをしなければならない、ことに民族的な差といったようなこと、あるいは日本人のとっております食糧関係のような、そういう日本国特有のことを念頭に入れて考えますれば、これは日本人自身の手で、それを徹底的に特にやらなければならないということを感じまして、学術公表といたしましては、ビキニ事件のございました年の秋の総会でもって、放射線基礎医学研究所を至急に作ってくれという提案をいたしたわけでございます。それは、スタックに参りまして、だいぶもめて、文部省と厚生省と何かお取り合いになったそうでございまして、ただいま放射線医学総合品研究所でございますか、何かそういうような名前で、科学技術庁に付置せられるように伺っておりますが、そういうものが一日も早く作られまして、ほんとうの意味でのそういう許容量というものを学問的に基礎からきめていただくということが、非常に差し迫った問題であろうと思います。これは何も水爆実験に関連して必要なばかりでなく、今後原子力発電所のようなものができまして、放射性物質を、どうしても外に出します、そういうものの影響というものをちゃんといたしますためには、昔の鉱毒事件のようなものの二の舞を踏みませんためにも、現在徹底的に早く基準をきめていただくということが、大事な点であろうと思うのでございます。現在学問的にどういう値がいいか、先ほど申されました、三百ミリ・レントゲン・パー・ウィークというものの十分の一の基準でよいかどうかということ、十分の一という基準は、アメリカのある学者が昨年出したものでありまして、ヨーロッパの学者、ことにスエーデンの学者なんかは、すでに数年と申しますか、たいぶ前から十分の一の基準でいろいろだことをやってきておったわけであります。日本でも、過去においては、ある場合にはその十分の一の基準でいろいろ考えてきたこともあったと思うのであります。そういうふうに、とにかく学問的根拠が非常に薄弱でございますために、ものの考え方によってすぐ一けた上ったり下ったりするようなわけでございます。できるだけ早く研究所のようなもので、研究——これは個人々々の努力といったようなものでてきるものではございませんで、相当組織的な研究をいたさなければなりませんので、研究所といったようなものが一日も早く作られますことを希望しておるのであります。
○岡委員 しかし、とにかく実験は第一回目が始められて、放射能がガイガー計数管ではかられて、カウントが相当高くなったことは明らかであります。ここ二、三日すれば、もっと詳しいものがわかろうということが、けさも新聞に出ておる。やがて灰の分析もはっきりするだろうと思いますが、一体どの程度までならば人体に差しつかえないものかということについては、その考え方として、御指摘のように、三百ミリ・レントゲン・パー・ウィーク、その十分の一というけれども、その十分の一で果していいかどうかということは、この間もアメリカのマサチューセッツ大学の教授グループなんかはいけないと言っておる。またアメリカ自身でも、遺伝子学のハウランド教授なり英国のハルディン教授なりが、ことにこの遺伝的な影響については、もっともっと少くても非常に危険じゃないか。あるいはまた分析された灰の結果が、ストロンチウム九〇という場合には、やはり灰が骨髄細胞に定着して、一億の細胞のうち一つに定着しても、非常な危険な状態を現わす。あるいはまた去年マグロには亜鉛六百五があった。厚生省では、今、陸揚場で検査しない。というのは、結局亜鉛六五は、マグロのはらわた等にあるので、その肉を食うのだから、血とはらわたはいいじゃないかというようなむぞうさな考え方がある。しかし最近一番大きく問題になっているのは、亜鉛六五が生殖細胞に定着するということで、生殖不能というような事態も、持続的な作用によっては心配になるということであります。一例を申せば、先般、二十日でございましたか、新潟大の小山教授の発表によると、最近シベリアで実験された水爆実験では、バリウムとストロンチウムの比率が非常に違う。すなわちビキニの場合には、バリウムに対するストロンチウムの比率が十分の一あるいは三分の一であったものが、今度はバリウムの量をはるかに上回ろうとしておる。それは先ほども中村教授が御指摘になったように、トリウムを使っておるのじゃないかということが推測されておるわけであります。おそらく軽くて使いやすいものとして、今度は空から落すというのですから、当然トリウムなども使っているのじゃないかと思う。そうかと思うと、アメリカなどで、サンシャイン計画などで、放射能の影響なんかは一向影響ないから、千発ぐらいは実験してもいいだろうといったぐらいに、非常に主観的、楽観的な情報がある。日本なども科学的にこれをはかるという学術的なスタンダードがないとしても、考え方なんというばくぜんたるものでなくて、やはりもっと確実なものが許容度として国民に与えられ、またそれに基く万般の手配というものがなされなくては、実験を前にし、また実験のまっただ中に立っている国民に対する政府の責任が相済まないと思う。同時にまた、科学者としても当然この面における積極的な御協力が必要じゃないかと思う。この点、具体的に、もっと、どうすべきかというような御決心、御所信があれば、重ねて私は伺っておきたいと思います。
○伏見参考人 非常につらいのですが、申し上げておきたいことは、一つは、こういう面があるわけです。マグロであるとかあるいは雨の中に含まれている放射線の水準とか申しますものは、これはそういう強さのものをずっと連続して受けていた場合に、今申しました危険な値と一応いわれている危険の水準に近づいてくるということがいわれているのでありまして、時たまにそういうものを受けるという程度でございますれば、ほとんど心配はないと申し上げて差しつかえないと思うのであります。つまり、水爆実験というものが過去に二、三回行われた。その程度で、あとはもう行われないというのでありますならば、特に研究いたしませんでも、その範囲でならば、それほど騒がなくてもよかろうという感じがするわけなのであります。私たちの一番心配になって参りますのは、水爆実験というようなものがのべつまくなしに、絶え間なく繰り返されているところから出てくる大気中の汚染で、弱いながらも持続して絶えず私たちの吸う空気の中あるいは飲みます水の中に放射性物質が含まれているというような事態が起るということが一番おそろしいことであろうと思っておるわけであります。時たま行われる程度のものでございますれば、つまり一年に一ぺんとか三年に一ぺんとかいう程度に今の程度の放射性物質がまき散らされるという程度であったならば、世界的な人類の運命というようなことに関しまして、それほど心配しなくてもよろしいと思うのであります。要するに、今後もこういう水爆実験というものが持続して行われるかどうかという点が、まず第一の問題であろうと思います。それから原子力平和利用の時代になりますと、原子力発電がほんとうにどこもかしこもで持続して行われる。そうなりますると、それの跡始末をどうするかということが、非常に大きな問題になるわけでございます。水爆実験というものは、ある意味においてはぽつんぽつんとやるわけでございますので、放射性物質の排泄量というものは、長い間にならしてしまえばそれほどのものでなくなるかもしれないのでありますが、平和利用の場合には、絶えずそれが連続して行われるわけでございますので、なまに外に放射性物質をまき散らすことはないまでも、長い間には、それが蓄積してくることも考えなければなりません。そこからその問題が出て参ります。私たちが今、絶対的な安全な基準というものを早くきめなければならないということ、先ほども申し上げました通りで、いろいろな打つべき、手は打つべきであろうと思っておるのであります。さしあたって、それでは具体的にマグロの検査なら検査をどうするかということになりますと、これはむしろ皆様方がおきめになることであろうと私は思っているわけでございます。と申しますのは、それは行政上のいろいろなわずらわしさとか、お金がかかるとか、予算を食うというような、そういう面と、それから実際そういう汚染したマグロを食べたために起る病気といったようなものの振り合いで物事を判断されていくと思うのであります。そういう判断は、私たち科学者には直接にはできないことでございまして、私どもといたしましては、できる範囲内だけでの科学的な基準を申し上げることができるだけであって、わからないことはわからないと申し上げるほかはないのでありまして、その範囲内でしか物事は申し上げられない。それをもっとはっきりしろとおっしゃるならば、一つ早く研究所を作っていただきたいと申し上げるほかにないのであります。
○有田委員長 前田正男君。
○前田(正)委員 時間もずいぶんたちましたので、ごく簡単に一点ずつ両博士からお話を伺いたいと思うのであります。 伏見博士には、きょうは非常に学術的な考え方を聞かせていただきまして、われわれ大いに参考になったのでありますが、その御意見あるいはまた岡君の質問に対するお言葉の中で、原子力だけがあまり先に進んでも、一般の科学技術が発達しなければ困る、あるいはまた一般の科学技術にそれを利用していかなければならぬというようなお言葉がありましたが、これにはわれわれも同感でありまして、特に科学技術庁を作るに際しまして、原子力局というものを入れるか入れないか、あるいは原子力局を独立さすかというような意見もずいぶんありましたけれども、これは科学技術全般の立場で原子力というものは進めなければならぬということで、科学技術庁の中へ吸収してやったわけであります。そういうにおいては、われわれ国会側の意見と大体一致しておると思うのであります。そこで、具体的な問題で一、二お聞かせ願いたいと思いまするのは、この原子力の研究については、いわゆる原子核研究とか、そういう方面の物理学的な学問というものが非常にありまして、その方面の科学者、技術者の養成というものは相当進んでおるように思いますけれども、原子力の工学方面の科学者、技術者の養成というものは、非常に少い。ところが原子力というものが実際に利用化されていくということになりますと、原子力工学の技術者を急速に養成しなければならないのでありまして、これは研究所その他が臨時的なあるいは暫定的な養成ということをやらなければならないけれども、やはり学問としてこれを確立して、学問に基くところの、基礎的な学問を入れたところの科学者、技術者を置かなければならぬ。従いまして、大学に原子力工学科というようなものを各地に相当設けなければならぬとわれわれは考えておるのであります。学術会議の原子力問題の委員長とされて、そういうことを学術会議で取り上げられて、あるいは文部省なり、あるいは科学技術庁等にそういうことを進言されるお考えがおありか、学術会議でどういうふうにお考えになっていらっしゃるか伺いたい。
○伏見参考人 お答えいたします。技術者の養成の問題でございますが、この問題は、実は学術会議といたしましては、まだあまり審議を重ねておりませんので、学術会議の結論というふうにおとりにならないで、私個人の意見としてちょっと申し上げたいと思います。私個人の意見といたしましては、原子力技術者といいますか、そういう者が必要であることは当然の話でございまして、それの養成ということを組織的に考えなければならぬという点は、全く賛成でございます。ただし原子力工学科というようなものを大学の普通の学部の中に、ちょうど応用電気と並んだ位置に置くということに関しまして、多少の疑問を抱いております。そういうお話は、工学部の先生方から出ておるのでありますが、それでは少し実際に即しないのじゃないかというのか、私の感じでございます。おそらく原子力工学というものは、グラジュエート・コース、つまり大学院でそういうコースをお設けになることが、一番適当であろうと思うのであります。その理由を申し上げますと、原子炉なら原子炉というものができておりますところには、それをオペレートするオペレーターというものを必要といたすと思います。そういう方のなさいます仕事は、主としてコントロール技術でございます。ほかのいろいろな化学工場とかそういうところでいろいろだ機関をコントロールなさるのと、ほとんど同じ態度で原子炉をお取り扱いになればよろしいわけであります。そういう意味では、その方は、たとえば、電気のコントロールの方を勉強なさった電気工学科の卒業生の方が、グラジュエート・コースとしてそういうものを御勉強になればよろしいと思います。それから原子炉から出て参ります燃料物質の化学的処理が問題になりますが、その化学的処理というのは、いろいろな分裂物質のまじっております物質を化学分析するわけでありますから、基本的には、普通の化学分析と変りがない。ただそれが異常に強い放射能物質でございますから、それを遠隔録縦でやるというだけの違いであります。ですから、根本原理は応用工学科の卒業生がお携わりになって差しつかえないのであって、ただそれが強い放射能物質であるということのために、放射能から身を守るためにどうすればいいかということで、短期間の訓練をお受けになることは必要である。そういうふうにそれぞれの御専門の方々がお集まりになって、その方が原子力について一年くらいの短い期間の訓練をお受けになれば、原子力の方に携われる。そういうふうに考えているわけであります。あまりに初めから原子力工学科というような狭い学問を作りますと、かえってあぶはちとらずの技術者ができてしまうのじゃないかと考えておる次第であります。
○前田(正)委員 大体わかりました。 それでは、次に、中村博士にお聞かせ願いたいと思うのであります。なかなか問題点がたくさんあるわけでありますけれども、そのうちの一番重要な問題だと思いますことは、先ほどからのお話の中で、原子炉を作りますについての製造関係において、その材料の品質であるとか、強度であるとか、腐食の問題であるとか、あるいはまたこれを動かすところの遠隔装置やオートメーション、いろいろな問題が相当日本にあると思うのであります。そこで、今までの考え方によりますと、天然ウラン・重水という実験炉で日本で作ろうというような考え方でおったわけです。しかしこれは果してCP5を入れて、それを観察するだけで、その材料の強度、厚さあるいはオートメーションというような程度のものが日本でほんとうに製造できるかどうかという問題が一つあると思うのであります。さらに進んで、実験動力炉というものを日本で作りたい。これも果してそれだけのものが日本で、いわゆるCP5提度のものを入れるだけで製作できるかどうかという問題が、非常に大きな問題だと思う。ただし、将来の発電炉というものは、天然ウランを使うか、濃縮ウランを使うか、あるいはまたさらにブリーダー・タイプでやるかというような問題があります。そういうものは、事実上、外国から教えてもらうことはできないとわれわれも思っておりますから、こういうようなものは原子力研究所の発足と同時にスタートして研究して、世界のレベルに負けないように御研究願わなければならぬ。従って、今入れて外国から学ぶということは、何も将来の発電のタイプとか、将来発電炉を外国から入れるということに制約されないで、ただある程度、世界の技術水準をこの際学ぶか学ばないかということが、基本方針の一番大きな問題になってくると思うのです。私がちょっと見ているところでは、はなはだ残念ながら、天然ウラン・垂水どころか、京都大学その他で置いてもらいたいというスイミング・プールみたいなものも、今度入れますウォーター・ボイラー・タイプのものであるとか、あるいはCP5というものを買っただけで、買ったものを原子力研究所に据えつけて観察したたけで、スイミング・プールのような一番簡単なものでも、果して日本でできるかどうか、私、疑問があるのじゃないかと思うのです。この点について、われわれは、製造家の技術というものがよくわかりませんから、もう一ぺんよく現場について調べてみたいと存じております。中村先生はその方面の具体的なことに通暁しておられるわけですから、日本の製造の技術というものは、ある程度サンプルを持ってきて観察してれば、大体できる程度になっておるか、あるいはもう少しいわゆる製造のノー・ハウというものを教えてもらって、こういう放射能に対してはこれくらいの厚さのものでなければならぬ、あるいはこういう材質のものでなければならぬとか、オートメーションにしてもこういう式の遠隔操縦のもの、計器なら計器もこの程度のものを学ばなければ、果して日本の技術では計器というものはできないのかどうか、こういう点について、今までおわかりになった点がありましたら、お聞かせ願いたいと思います。
○中村参考人 実は、これは完全に私がお答えできる問題ではないのでございます。そういう点でも、現在までいろんな基準がございまして、できると言う人もあれば、できないと言う人もある。そういう点でも、学問的に権威のある学会というものが原子力としてないということは、非常に残念なことだと言われているわけです。もう一つは、やはりそういう核物理の方は、比較的、たとえば湯川博士のようなえらい方が出られまして、一応世界的な水準に近づいたとしましても、工学関係では、よくは存じませんけれども、そういう技術の点で相当おくれていると言われておりますので、そういう全体的な日本の技術を令すぐうんと上げるということは、即席ではなかなかむずかしいわけです。しかし、問題がなければいつまでも上らぬものですから、この問題については、やはりしりをひっぱたいて、こっちでできるだけ作る。どうしてもやむを得ぬものだけ輸入するという態度を持っていただくようにお願いしたいのです。具体的な問題につきましては、それぞれの専門の方に聞いていただかなければ、私からは責任あるお答えはできません。
○有田委員長 他に御質疑がなければ、この際、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。 本日は、御多忙のところ、わざわざ本委員会に御出席下さいまして、長時間にわたって、きわめて有意義な御意見をお述べいただきましたことは、本委員会会の今後の調査のために資するところ大なるものがあると、厚く御礼を申し上げる次第であります。どうもおそくまで、ありがとうございました。 本日はこの程度にいたし、特別のことが起らなければ、次会は来たる十六日、水曜日、午前十時より開会いたし、生産性向上の問題に関し調査を進めたいと存じますので、さよう御了承を願います。 本日はこれにて散会いたします。 午後一時十一分散会