予算委員会公聴会 第1号
- 発言数
- 79 件
- 登壇者
- 18 名
- 会派数
- 6
- 開催日
- 1955/06/16
会議録
○委員長(館哲二君) これより委員会を開きます。 本日と明日にわたりまして、公聴会を開くということになっております。公聴会を開くに当りまして、御出席いただきました公述人の各位にごあいさつを申し上げておきたいと思います。 本日は御多用のところ、わざわざ当委員会のために時間をさいて御出席いただきまして、まことに感謝にたえません。厚くお礼を申し上げておきます。 申し上げるまでもなく、この公聴会を開きますのは、目下、当委員会で審議中であります、昭和三十年度予算案の内容につきまして、広く各界の学識経験者であられます皆様方の御意見を承わりまして、本予算案審議の参考に供して審査をして、一そう権威あらしめるためのものであります。どうか、皆様におかれましては、忌憚なく御意見をお述べをいただきまして、われわれの参考に資していただきたいと存じます。なお、議事の順序について申し上げますれば、公述人の皆様の御意見を述べられます時間は、大体三十分くらいといたしまして、御発言の内容につきましては、申し上げるまでもなく、案件の範囲を越えないようにお願いをいたしたいと思うのであります。御陳述になりましたあと、委員の方から皆様に質疑をいたしますから、御答弁をお願いいたします。なお、御発言の際には、委員長をお呼び下さいまして、しかる後に御発言をお願い申し上げます。 それではこれより順次御陳述をいただくことにいたします。まず最初に、国民経済研究協会理事長であられる稲葉秀三君にお願いしたいと思います。
○公述人(稲葉秀三君) 本日と明日は、予算原案に対する国民の各層から、いろいろな意見をお聞きいただくということで、公聴会が行われることになったのでありますが、かくも多数の参議院予算委員会の方々が御列席になって、お話を聞いていただくということを非常に感謝いたしたいと思います。 私に与えられました問題は、総括的に予算に対する見解であります。いずれほかの公述人の方々から個々の予算項目、あるいは個々の経済部門についての御見解が発表されると思いますので、私はごく総括的に、この予算を見まして問題になる点を申し上げたいと思います。 まず第一点として申し上げたい点は、この四月二十五日に提出せられました政府の提出原案は、果して政府が御言明になっているような、経済の前途に対する地固め的な性格を持っているかどうかということであります。で、御存じのように第一次鳩山内閣のときに、一月であったと思いますが、予算大綱が発表なされました。この予算大綱は見方によりましてはいろいろ解釈のしようがございます。このことを決して否定をするものではございませんけれども、大体私どもが了解いたしました線は、健全財政の線を貫いていきたい。そして健全財政の線を貫いていかねばならない点は、だんだんと国際経済が自由化に向って前進を進めていく。また貿易競争が世界的にも激しくなってきたこと、日本の国際収支は昭和二十九年度好転をしたのでありますけれども、決してその前途は楽観はできない。また国の経済につきましてもいろいろ憂うべきところがある。それでもう一年いわゆる地固めをしていこうという、こういったような政策のもとで健全財政の線の中でできるだけ歳出項目を重点的に調整をしていく、そうして経済の前途に対処をしていこう。これが私は第一次鳩山内閣の基本方針ではなかったかと思います。 ところで選挙の結果再び鳩山内閣が結成され、そうして四月の上旬に大蔵省原案が出、そしてさらにそれを修正をしまして、四月の二十五日にまあ両院の審議の対象になるところのいわゆる一般会計歳出、歳入九千九百九十六億円、また財政投融資計画三千二百七十七億円、減税三百億円のいわゆる政府原案が提出されたのであると思います。これにつきましては、私はいろいろほかの機会に新聞やラジオで私の見解を公表したことがございます。ここでは時間の関係がございますので、そう詳細にこれに対しての意見を出す余裕はございません。私がこの政府原案を見て感じます点は、いわゆる当初の地固め方針に対しましては、相当初めの大蔵省原案も、さらにまたいわゆるこの四月の上旬から中旬にかけていろいろ防衛費の関係、あるいはその他歳出増加で、いろいろ紛糾いたしまして、組まれました政府原案も、相当後退をしたものではないかというふうに感じたのであります。特に後退と感じますゆえんのものは、第一点といたしまして、やはり総合的に消費的な支出が大きくなっている。それから第二に、いわゆる将来の経済の自立や再建というふうな観点から見ますると、決していわゆる一般会計と財政投融資計画を通じてほんとうの経済の自立や、再建に拡大する、あるいは寄与するという要素に割合乏しい、そして大体健全財政とは言いながら、まずこの予算がそのまま実行をせられましても、外為会計の点を除外視いたしまして、約七百億円見当の散布超過になるのではないか。もう一つ感じられます点は、今度の予算について、地固めであれば、できるだけ私は、いわゆる投資と社会保障関係とのバランスというものを予算の中で確保していかなければならない。その点がやはり相当軽視されていた感じがある。こういったような点が、私が当初の政府原案に対しましておおまかに申して感じさせられた点であります。 ところで、その後予算の審議の状況を見て参りますると、今度はその政府当初原案がだんだんだんだんと、いわゆる変って参りました。そして御存じのように五月の末から六月の初めにかけて、いわゆる自由党改訂計画をめぐっていろいろな、いわゆる協議が行われ、そして衆議院で、いわゆる当初の政府原案とは相当その性格の違った予算が可決をされ、そして現在それが皆様方の手に政府原案とともにかかっているのではないか、こういうふうに私は感ずるのであります。 そこで、第二点といたしまして、いわゆる政府修正案は果して地固めや、日本経済の関連においてどのような性格を持っているか。この点を第二点としまして申し上げてみたいと思います。そこで私どもが考えなければならない点は、実は二百五十億円の改訂をめぐって、当初自由党側から提出せられました予算改訂の態度というものが、相当地固め政策というものと、私どもには対立的のものではなかったのかと、こういうふうに感ずるわけであります。私どもが外で見ておりまする限りにおきましては、自由党側の見解は、もしも政府原案がそのまま実行をされると、だんだんだんだん日本はデフレに追い込まれていく。だから国際収支の改善をされたのであるし、また日本経済はできるだけ早く自立経済や、拡大均衡に持っていかねばならない必要があるから、できるだけいわゆる財政から経済や、国民生活を刺激をする必要がある。従って減税の幅をもっと拡大をしていく。また財政投融資その他をにらんで、民間資金の一部をこれに動員をして、そして積極的な産業再建に寄与する必要がある。それでないといわゆる日本の経済は自立もしないし、拡大もしない。こういったような見解に立っているのではないかと思います。つまり若干、極端に申し上げまするならば、私はこの予算の組み方というものに対しまするところの自由党側の見解と、それから地固めをやっていかねばならないと主張され、そしてそれを実行されましたいわゆる民主党側の見解というものは、ほとんど対立したものであるとさえ考えられるのであります。それがまあ私はいわゆる水と油の関係と、こういうように申すのでありますが、不思議なことに水と油が一緒になって、そして四百三十億円が半分に折られて、二百十五億円という補正が行われたのではないかと思います。 ところでこの補正をやられた経過を見ますと、この二百十五億円は減税に六十七億円、それから歳出増加に八十八億円、それから投融資の増加に四十億円、地方債の増加に三十億円といり形になっております。ここで痛感いたしまする点は、いわゆる当初の自由党側の方針、つまりできるだけ経済活動を刺激をし、そうして合理化や、いわゆる産業設備の拡充を通じて、いわゆる自立経済に寄与しなければならない、こういったような線が相当後退をしてくる、現に今申し上げました配分を見ましても、大体この二百十五億円のほとんど多くの使途が歳出と減税に向けられておる。そして、しかもこの歳出の増加からくるところの経済のプラス要素というものは、そうあまり大きく期待はできないと、こういったような性格を持っているのではないかと思います。もっともこのそろばんでつじつまを合せますと、この二百十五億円のいわゆる補正というものは、即政府資金の散布超過ということにはならないと思います。しかし結局これがいわゆる民間の産業資金をマイナスにいたしましたり、またあとで申し上げまするように、引き続いていわゆる政府資金の散布超過を招来するような傾向をここではっきり裏づける、こういったような契機になるのではないかというふうに私は考えるのであります。 で、先ほど予算大綱のことを申し上げましたけれども、いわゆるその後の国際経済情勢の推移を見て参りますると、予算大綱について私が申し上げました二つの点は、むしろ現実の世界経済の間に実現をしておるような気がいたします。すなわち当初予想されましたよりも、世界の経済の頭つかえというものは、よりテンポを早めつつあるように感じられます。すでにイギリスといわず、スカンジナビア諸国といわず、西ヨーロッパの多くの国々が、まあ日本式に表現をいたしまするならばややデフレ的な政策をとらざるを得ないようになってきた。世界の物価は三月を契機にいたしまして、いわゆる低落の傾向を示しつつあります。また各国では国際収支の不足をカバーするために輸入制限政策、こういうものをとりつつあります。従って日本の国際収支の前途というものは必ずしも楽観をしていいという状態にはなっておりません。先のことを申し上げるのは、まだそれほどはっきりしていないので間違うかもしれませんけれども、私どもは世界の経済は大体だんだんといわゆる横ばいから調整過程に入っていくのではないかと、こういうふうに考えます。従ってこういったような段階におきましては、特需が減少をしていくと、国際収支の前途が必ずしも楽観をできないといたしますると、少くともある程度地固め的な要素は必要だと思うのであります。ところが現実は日本の場合に関する限りにおいて、少くともやや後退した方向に進みつつあるのではないかと思うのであります。私はこの二百十五億円の補正がそのままいわゆる日本にインフレ要素を起し、そして物価高騰に寄与し、国民生活の将来の低落と混乱を起す、こういうふうに考えるわけでは決してございません。しかしどうもずっと今までのやり方を見て参りますると、これが契機になりまして、再び日本の経済がいわゆるインフレ的な方向に向うところの要素が痛感できる。できるなればそういう点を慎重に御考慮になって、そこである程度それに対するワクをおはめ願いたいと感ずるのであります。と申しまするゆえんのものは、今米の値段が問題になっておりますけれども、おそらく米の値段は予算米価よりも上らざるを得ない。生産者米価が上って、消費者米価が据え置きということになるのではないかと思います。もっとも酒米をたくさんやって、それで歳入を確保すれば、財政の均衡はとれるのではないかということを言われる方もあります。これは政府が国民にもっと酒を飲んでくれということをお願いするのと同じことであると思います。しかし私は結局そういったようなことは、回り回って、財政の散超に役に立つか、あるいは民間資金をそれだけ圧迫をするということになるのではないかと思います。 第二点として問題になりまする点は、鳩山総理は災害が起らない限りにおいては、予算補正をしないということを言明されております。私は補正予算が秋ごろに提出されるのではないかと思うのであります。で、過去のずっと歴史を見てみましても、いつでも本予算が組まれるときには、補正予算は絶対出さないと、こういうことを時の大蔵大臣や総理大臣はおっしゃっておりましたけれども、いつも補正が行われております。そしてそれがある程度財政の散超に寄与しておるという要素があります。さらにそういったようなことになりますると、やはり財政のゆるみがもっと拡大するような気がいたします。しかし、これ以上に問題になりまする点は、この二百十五億円の補正を契機にいたしまして、果して昭和三十一年度財政というものがうまく組まれるのかどうかということであります。昭和三十一年度の財政について私どもが予測いたしまするところによりますると、少くとも賠償経費は今度のフィリピンの問題やビルマの関係、あるいはインドネシアの関係等を考慮いたしますると、やはり三百億円以上の経費を計上しなければならないでありましょう。また防衛費の関係とても、防衛計画の平年度化、あるいは予算外契約百五十億円の補正、こういったものを考えますると、やはり二、三百億円増額せざるを得ないでしょう。また今度の補正があとを引きまして、軍人恩給その他のいわゆる追加計上というものもしていかなければならないでありましょう。他方少くとも今度の会計に入れました減税が平年度化するといたしますると、六百億円くらいのいわゆる平年度の減税ということになります。そういたしますると、一般会計の中の投融資関係というものを全部はずしたといたしましても、まだ一般会計の歳出と歳入はバランスしていない。自由党の方はこの投融資関係は産業公債を発行してやる。しかし一般会計についてはあくまで健全財政を維持すると言われますけれども、どうもそういうことにはならず、間接税の大幅な増徴ということをやらなければ、私は三十一年度財政は均衡を維持することができないと、こういうふうに感ずるわけであります。しかも、今度行われました補正をずっと追及をいたしますると、これが日本経済の自立に役に立つとか、あるいはだんだん経済が国際情勢に寄与して進んでいくとか、また他方におきまするいろいろ生産の停滞その他と関連して、現在雇用が停滞をしたり、あるいは失業が再び増加をしつつありますが、これに対する保障が裏づけられるかと申しますと、決してそういうことには私はなっていないのではないか、こういうふうに感ずるわけであります。つまり私の申し上げたい点は、今度の補正が、また補正を行うようないろいろな政治的なあり方というものが、そのまま今後も続くとなりますると、私は国民生活はもとより、日本経済全体のプラスになるという要素が少いのではないか、こういうふうに考えるわけであります。われわれはもとより歳出の増加を希望いたします。しかしあまりにも歳出が増加をして、そうして財政均衡がだんだんくずれて参りますると、過去の日本の例が示しましたように、それだけあとでインフレになったり、マイナスの要因を私どもは受けるということになるわけであります。そうして国際情勢のあまり経済的に好転をしない今日、また日本の国際収支がプラスになるというふうにはあまり考えられない今後、私はやはりこういったような態度が引き続いてとられるといたしますると、われわれの経済はマイナスになる。だから私はできるなれば、もっとここで健全財政の範囲を貫いていただいて、そうして苦しいけれども歳出をもっと重点的に一つ考えていただく。できるならば投資と社会保障をにらんだ歳出計画をしていただくということが、ほんとうに国民代表としてこの参議院、衆議院を通じてお願いいたしたい点であります。しかしなかなかそういったようなことになりにくいという点は、私どもも感じられますので、できるなれば参議院の皆さん方はもう一ぺん短期、長期にわたって日本の財政がどういうふうにあるべきかということを一つ白紙に返って御検討願いたいと思うのであります。 最後に私が申し上げたい点は、今度の予算は一つの特徴を持っているということであります。それはこの予算は経済長期計画を政府が作って、そうしてそれと即応して提出した予算であると思われるということであります。私どものいただきました昭和三十年度予算の説明という項目にも、その点がうたわれてございます。しかし不思議なことは、これはただの表看板ではないかということであります。私が見聞いたしまする限りにおきまして、ほとんどどの役人さんも、この六カ年計画にのっとって財政金融政策のあるべき姿を確立して、その線で三十年度予算は組まれたものでもない。また政府原案は出したものでもない、こういうふうに言っておられるということであります。どうも事実そういった方の見方の方が正しいのではないかと思うのであります。もっとも過般の閣議決定では、昭和三十年度経済計画というものが出ております。そうしてその中にこの政府原案らしいものが入っているのでありますけれども、これを私どもは、やはりただ単に、事後的につじつまを合わしたものに過ぎないのではないかと思うのであります。私は経済計画が必要だと思います。しかし今度の予算は、むしろわが日本のあるべき経済計画、あるいはあるべき経済自立計画とはほとんど相反するものではないか。従って私はあるべき日本の経済計画とこの予算との差は、だんだんだんだんいわゆる増大していく。どうか参議院の方々は、先ほども申しましたように、予算の国民経済的な意義とバランスということをお考え下さいまして、あくまで健全財政の点でこの予算を編成し、見なおす、また今後の予算に対処されるという趣旨をとっていただきたい。また納税負担者の代表として、もっといわゆる国会で活動をしていただきたい。またただ単に短期的な政治の収拾ということだけではなくて、もっと長期にわれわれの生活や、われわれの経済の行方をよくよくお考え下さいまして、予算審議に当っていただきたいと思うのであります。 いろいろ時間の関係もございまして、申し上げることもありますけれども、一応大まかに、私はこの予算原案並びに修正案に対しまして、右のようなことを考えておる次第であります。
○委員長(館哲二君) どうもありがとうございました。ただいまの稲葉秀三君の御公述に対して、何か御質問がありましたら……。
○秋山長造君 ただいまのお話の中に、政府は補正予算を組まないと言っておるけれども、これは必ず組まずには済むまいというお話がありました。稲葉さんのお考えになっておる補正予算を組まなければ済まないという要因ですね。要因はどういうものをお考えになっておられますか。
○公述人(稲葉秀三君) まあ私がその組まずにはいられないと考えられます二点のものは、過去の例から申しまして、そういうことになっているから、今後も組まれるだろうということで、これは半分正しくて半分推定ということになります。しかし第二点として申し上げたいのは、やはり今後の財政のバランスその他から申しまして、組まずにはいられないような条件が起ってくるのではないかと思うのであります。その一点は、御存じのように、災害の予算の問題であります、つまり政府原案ができまするときにも皆様方が十分御存じのように、災害予算の費用を削って、そうしてほかの歳出項目が増加をされております。しかし災害予算を削るということは、決してほんとうの意味の歳出を減らすという意味にはならないのであります。災害が起れば当然それに準じた措置をしなければなりません。従ってその部面から補正が行われる形跡があります。第二点として申し上げたい点は、地方財政の関係とか、あるいはこの投融資の関係その他におきまして、ある程度補正をしていかなければならないようになってくると思います。第三には、やはりこの食管その他、いろいろなインヴェントリー、あるいは果して政府がお考えになっているように、この資金運用部資金が調達できるかどうか。こういったような問題につきましても私どもはやや疑問を感じておりますので、その部面から、これはまあ計上されるか、計上されないかは別にいたしまして、事実上の補正ということは当然行われるのではないか、こういうふうに思います。
○永岡光治君 ただいまもちょっとお話がありましたが、いろいろ公債を発行しないで、民間の銀行の投融資にだいぶんかえておるようですが、最近は全部消化されるかどうかという問題は、これは私たちも非常に心配しているわけで、今稲葉さんもこれは疑問があるという話をされておりましたが、その点をもう少し詳しく御説明願いたいというのが第一点。それからもう一つは、私たちも非常に疑問に思っておるのでありますが、この政府の発表されております、審議庁の発表の経済六カ年計画、この上に立って、ほんとうに具体的に政府がこれをやり通せるという見通しの上に立って、三十年度予算を組まなきゃならぬということで組んだかどうかということについては、私たちもかなり疑問を持っておるわけですが、その中の一、二の問題に触れて、これはつじつまだけ合わしているのだ、事務的なものだけだということを実証できるような、一つ御説明をいただきたいのです。
○公述人(稲葉秀三君) まず第一点の、あとの方のことから申し上げますが、この六カ年計画と、予算とのつり合いということにつきましては、先ほどごく概略の私の見解を申し上げたわけであります。で御存じのように、この六カ年計画は、急いで十二月の末から、一月の初めにかけてできたもので、そしてしかもこれは三十二年と、三十五年についてあらましの作業が行われたもので自余の三十一年というものは、まあずっとあとからでき上ったものだというふうに私どもは聞いております。それからその予算、そういったような時期的に関係もございますので、すでに皆様も御存じのように、この予算の査定とか、組むということは、もう去年の秋ごろから大蔵事務当局でやっておった。こういったような状態で、まあ事実上この調整ができなかったという点は、はっきりしておるのではないかと思います。それから次にこの三十年度計画というものが審議庁から出まして、そして閣議決定になっております。でこれもその六カ年計画に準じて作られたものだというふうに見られるわけでございますけれども、この点につきましても、必ずしもこの六カ年計画そのものの性格から申しまして、これがほんとうの計画か、見通しかということが、われわれの場合非常に問題になる。まあ率直に申しますると、見通し的な性格も持っておるし、実は計画的な点もある。たとえばこの投資が今、日本では減りつつあるということが問題になっております。これは民間投資の問題であります。従っていわゆる経済六カ年計画の三十年度計画の中には、その民間投資の幅を相当大きくしていかねばならないというふうに、数字がはじかれております。ところが現実上、それに対する施策というものは、今のところ政府によってはほとんど持たれていない。それはこれからいろいろ御勘案になって、投資委員会の活動をしたり、いろいろ行われるだろうと思いますけれども、まあそういったような点から見まして、つまり今までに関する限りにおいて、経済六カ年計画が、財政や、あるいは現実の経済政策に寄与し得る面というものは、ほとんど少いのではないか、こういうふうに考えます。 それからその次に、それなら今度の補正を契機にして、貯蓄がどうなっていくか。そして果してこの補正に組まれたような、いわゆる金融債、その他の発行ができるかどうかという問題であります。ここで先ほど自由党の予算修正にからまる基本的な経済のあり方ということを、私御紹介申し上げましたが、一番私どもで問題にしておりまする点は、果して、確かに昭和二十九年度の下半期になりまして、日本の貯蓄というものはふえたことは事実であります。大まかに申しまして、大体前年度の実績の二倍になっております。ところがそのふえた基礎は、実は国民の自発的な貯蓄によるのか、あるいは政府資金が大幅に散布超過になったから、それが貯蓄に振りかえられたのかということであります。私どもは大体そういったようなあとの方の要因を高く考えております。そうすると、今度の場合において問題になりまする点は、四月の実績から考えますと、やはり貯蓄は伸びそうであります。ただ、伸びまする場合、先ほど私がちょっと申し上げましたが、郵便貯金その他の伸びと銀行預金その他の伸びがこれから違いはしないかということを考えるわけであります。つまり預貯金が減免になると、そういったようなことからいたしまして、むしろ郵便局に預けるよりも、金融機関に預ける方がよいといったような形、そういたしますると、いわゆるこの預金部資金運用計画の方がやや狂ってきて、今度は同じ貯蓄ができましても、市中銀行の方のやつがやや増加をする。そういたしますると、これは経済の動きにある程度鞍行現象が起りまして、この予算やあるいは特にこの財政投融資計画の方とマッチをしないと、こういう点があります。今に関する限りにおきましては、資金委員会ができて、そうしてこの程度のいわゆる金融債その他の消化を勧奨するならば、私はできるのではないかと思います。
○田村文吉君 一つ伺いたいのでありますが、先生のおっしゃいますいわゆる財政の地固めという問題と、今度の自由党の修正案というものは対立的な問題として考えられるということでございますが、そこであなたにお伺いしたいことは、貯蓄という、減税ということは、いわゆる地固めという意味にお解しになるかどうか、むしろ例をあげて言うならば、今度の二百十五億全部がもし減税にこれが向けられたという場合においては、あなたのお考えになっておる地固めには遠いものか近いものか、そういう意味でちょっと御解釈をいただきたい。
○公述人(稲葉秀三君) 非常にむずかしい御質問でございますので、私が感じておりまする点を率直に申しますと、私はどうしても財政投融資や、一般会計で健全財政の趣旨を貫かなければならないといたしますると、できるだけいわゆる歳入と歳出に事実上見合うようにしておく、だから直接税か間接税でいわゆる補給をしていく、その限りにおきまして減税計画を取り上げるという方向へ持っていく方が地固めに近いと思います。しかし、必ずしも地固めだからと申しまして、減税をしてはいけないということにはならないわけであります。その場合は、私は歳出をもう少し重点的にしていかれる必要がある。また地固めと関連をして、先ほど申し上げましたように、問題になるのは、いわゆる社会保障費の問題をやはりもっと積極的に考慮をしておく必要があるだろうと思います。 それからその次に、今度の二百十五億円が減税に向くというふうなことになりますと、二百十五億円に見合った地固めから申しますると、一般会計の歳出増加や、あるいはそれをそのまま資金運用部計画で投融資に増加をするというやり方はとるべきではないと思います。むしろ私が希望をいたしたい点は、ほんとうにこの修正案が将来の国民経済のためを考えられるならば、この二百十五億はほとんど全部財政投融資あるいは農業と工業を通じて、ほんとうに日本の輸出産業といわゆる自給度向上、それに充当するようなところへ向けるという形の方が、国民経済の将来を考えますと合理的だと思います。
○田村文吉君 重ねてはなはだ恐縮ですが、仰せになる地固めという意味は、私どもはいわゆる歳出をできるだけむだな経費、ことに不生産的な経費を切り詰めて、財政規模を小さくしても、国民のほんとうの実力を涵養するということを地固めという意味にちょっと解釈したいのでありますが、そういう意味ではないということになるのでございますか。それが一つ。 もう一点は、先刻の投融資と社会保障とのバランスがとれていないというお話がありましたが、それがちょっとまあ例証、例示的でもけっこうでございますから、どういう点がバランスがとれていないと、こうお考えになりますか。この二点をお伺いしたいと思います。
○公述人(稲葉秀三君) まず田村先生のおっしゃいました第一点の問題ですが、私は減税を好みます。しかし減税をすれば、それだけ歳出をそれに準じて落していくという形が地固めに近いと思います。しかし日本の場合、私は忘れてならない点があると思います。なるほど私どもの国民一人当りの税負担は、この約二十年前に比べまして、やはり三倍程度弱になっているのではないかと思います。このようにいわゆる財政の規模が昔に比べて膨張しているということは事実であります。ところが大体外国の経済の動きそのものを見ましても、およそ戦前と戦後におきまして、国の財政が国民経済や国民生活に与えるいわゆる度合というものは、相当その性格が違っているのではないかと思うのであります。これは私個人の意見でございますけれども、従ってむしろ経済全体を維持発展せしめていくということを考えますと、つまり財政がそれの調整弁的な役割をしていかなければならない。ことに日本のような場合におきましては、いわゆる戦争によりまして非常に経済基盤がマイナスになったり、混乱したわけでありますから、そういったような役割を財政は果さねばならなかったし、また、たとえば民間企業についても今後合理化やその自立というものをしていきますと、そういう役割は相当必要なのではないかと思います。しかしその場合において一番重要なことは、財政の調整弁的な機能がほんとうに国民経済にうまく使われているかどうかということであります。ところが日本の場合においては、私は財政の国民経済的ないわゆる回転作業というものは、割合に能率が悪いと思うのであります。その点を私は是正していただくということが必要ではないかと思います。 それから第二点の問題で、投資と社会保障とのバランスということになるわけであります。大まかに申しまして、私は次のような点が日本の経済の特色として言えると思うのであります。大体終戦後から昭和二十八年までは、日本の工業生産は一年に四割見当ずつずっと大きくなっておったわけであります。また日本の農業生産、林業生産、水産業生産も、これは工業ほど大きくはございませんけれども、だんだん上昇をしておったわけであります。ところが国際収支の問題に契機を発し、また世界経済の正常化の影響を受け、また今後はわれわれはもっと具体的な形でないと、いわゆる投資を進めて、それからくる経済的な果実を見出せないということもございまして、だんだん経済の成長度が私は鈍化をしていく傾向を持っているのではないかと思います。その半面いわゆる人口は増加をする、特に青年層の人口が増加をする。しかもわれわれはまだ今の段階では国際経済に調整をするために、いわゆる合理化をしていかなければならないという段階になっている。そういたしますると、私はそういったような、つまり財政の国民経済的な役割からみまして、もっと国はそういったようないわゆる矛盾の解決に対して、積極的な考慮をしなければですね、私は決して日本経済はよくならないとこういうふうに感じるわけです。その意味から私は投資と消費との、いわゆる社会保障とのバランスというものが国民経済的に、また財政の上で必要ではないかという、この点がある程度まあ私から言えば、相当ネグレクトされているのではないかと思うのであります。もとよりそれはできるならば消費を切り詰めて、また社会保障もやめて、どんどん産業設備の建設と、あるいは食糧増産その他をやっていくという形が合理的であるかもしれません。しかし財政を通じてそういうことをやりますと、過去の例も示すように、いわゆる物価の高騰が起り、また国際収支のマイナスが起るというような条件にどうもわれわれの将来はぶつつかる危険が強い。この点は一歩退いて、そして国民経済のバランスの上から予算を作る、あるいは総合計画を作っていただくという必要があるのではないかと思うのであります。
○八木幸吉君 稲葉先生に伺いますが、田村さんからも御質問がありましたが、財政投融資と社会保障費のバランス、たとえば一兆円予算のワク内で具体的に言ってどれくらいの数字であれば、バランスがとれているとお考えになりますか。
○公述人(稲葉秀三君) その点の八木さんの御質問は非常にむずかしいと思うのであります。私が大まかに考えておりまする点は、失業対策費を昭和二十九年度の二倍くらいのワクで一つ作っていく、これはほんとうは特別失業対策事業というものを行うべきであると思うのでありますが、特別失業対策事業を積極的に行ないますと、案外それにおいて平年度的に雇用が吸収される率が少ないのですね、だからやはり過渡的な期間におきましては、特別失業対策事業と金銭給付と並行してやっていく、こういったようなやり方がまあおおむね合理的ではないかと考える。まあ、科学的に根拠があるかと言われれば、それほどございませんと率直にお答えしなければなりませんけれども、一応私どもが今まで経済や財政に直面いたしました限りでは、そういうようなことです。そのかわり他の半面で支出を制限するか、またどうしてもそれが経済の回転に無理だということになれば、減税を取りやめると、こういう形が地固め的な線ともつながるのではないかと思う。またそういう立場で私は自分の意見を述べて参った次第であります。
○委員長(館哲二君) 御質問もないようですから、どうも稲葉先生ありがとうございました。 それでは次に、地方制度調査会委員であられます三好重夫君にお願いいたします。
○公述人(三好重夫君) 私の意見を申し上げます。お申しつけの次第がございましたので、もっぱら地方財政の立場に限局いたしまして、その部面からいたしまして予算をながめ、意見を申し上げ、御参考に供したいと思うのであります。 地方財政の立場からいたしまして予算をながめます場合の一つの基本観念があるのでありまして、すなわち国の予算と地方財政との関連をどういうふうに考えるかという点についての態度を、まず御了承願っておく必要があるかと思うのであります。私は国の予算といいましても、あるいは地方の予算といいましても、これは一体として考えるべきであって、ともに広い意味における国政の執行を担当するものであるというふうにみるのであります。国が地方に対しまして財源を地方税というような形において賦与いたしておりますのも、このゆえにほかならないと思うのであります。従いまして、もしでき得るものならば、ある一定の時期を画しまして、国、地方を通ずる歳出の総量をまず決定しまして、これに見合うところの歳入の総量を定めまして、かつ将来のその増減を考慮に入れまして、その歳出歳入を国、地方へどういうふうに分けたらいいかという分割を行うのが、一そう適正な措置であると思うのであります。実際問題といたしましては、こういうことをやりますのは技術的にもきわめて至難のことに属すると思うのでありますが、しかし国の予算と地方の予算との関連を考えます場合におきましては、この考え方を基本といたさなければならない、かように私は信じているのであります。 で、こういう考え方に立ちまして、地方財政の立場から国の予算原案をながめます場合に、私は、私のこれから申し上げますことを比較的わかりよくいたすために、何かものさしになるものを取り上げたいと思うのであります。私は地方財政の赤字ということが現在各方面において論議せられておりまするので、この地方財政の赤字というものを一つのめがねといいますか、ものさしといいますか、国の予算をながめ、この長短をはかるものに使ってみるのが一等適当ではないかと考えます。地方財政の赤字というものをものさしに使うといたしまして、それに二つの意味のものがございます。 一つは、地方財政計画の上の赤字でございまして、いわば将来の赤字の問題であります。この点ちょっとほかのことになりますが、最近地方交付税制度が採用せられましてから、いわゆる地方財政計画というのは要らないものだというような議論が新聞紙上にもちらほらいたしております。私はそうは思いません。やはり交付金制度の時代におけるような、さような意味合いにおいての地方財政計画というものは、これは考えることはできませんけれども、つまり現在の制度におきましても、国、地方を通じての財政金融政策の基礎となるべき地方財政の見取り図を作るという意味において、また第二には、地方団体にその標準的な財政運営の方法をサゼストするものといたしまして、また第三には、地方財源の賦与の方法が、またその分量が適当であるかいなかということを判定し得る基礎といたしまして、現在なお必要なものであると考えているのであります。これは余談でございますが、とにかくこの地方財政計画の上の赤字というものが、一つの地方財政の赤字という形で使われております場合の意味であります。 いま一つは、地方財政の現実の赤字の問題でありまして、いわば過去の赤字に属するものであります。この両方の赤字というものは、ともに将来のもの、過去のものでありまして、相互に連関がある次第であります。国の予算と、地方財政の赤字というものさしで、はかってみるという場合におきましては、主として地方財政計画上の赤字が役に立つであろうと思われるのでありますが、同時にこの地方財政の現実の赤字というものも一つのものさしとなり得ると思うのであります。そういう考え方のもとに、これから三十年度予算案の問題点になる点を拾い上げてみたいと思うのであります。 まず第一に、一等問題になりまするのは、この三十年度の地方財政計画に赤字がないかという問題であります。私はまことに遺憾でございまするけれども、これは赤字があるんだというふうに断定せざるを得ないのであります。と申しまするわけは、一つには三十年度の地方財政計画の基礎となっておりまする連年のこの地方財政計画というものが、現実の地方財政の数字とはなはだしく遊離いたしておるのであります。食い違いがあるのであります。主として給与費において見られるのでありまするが、地方制度調査会の答申で、当時調べました数字で、たしか三百億程度のものがあったように記憶いたしまするので、今日におきましては、四百億近くなっておるのではないかと推定いたすのでありますが、いずれにしましても、現実の地方財政の数字と、地方財政計画の数字とが非常に遊離をいたしております。これは結局地方に財源を与える分量が少いということを意味するのでありまして、赤字発生の大きな原因となっておりますることは、この地方制度調査会の答申以来識者の広く指摘しておられるところであります。しかるにかような食い違いがあるにかかわりませず、予算を眺めまするというと、本年度において何らの修正措置が講じられておりません。もう一つは、これは私にもよくわかりませんが、地方財政計画が策定せられます前後の新聞記事等でうすうす承知いたしたところによりますると、三十年度の地方財政計画自体におきまして、単なるこの机上の、数字上の計画上の節減が相当手きびしく行われているのではないかと疑われる節があるのであります。どこがどうだということは私にはわかりませんけれども、しかしながらどうもそういうふうに疑いが持たれる、かように考えますと、三十年度地方財政計画というものは、当初からその中に赤字を内蔵しておる、こういうふうに考えられるのであります。一体が、この昭和三十年度予算におきまして、一兆円のワク内に押えると、こういう原則を貫かれておりますることは、これは諸般の情勢上適当であろうと考えられるのでありますが、しかし国が一兆予算の実施を失意し、これを強行するにつきましては、その根本におきまして、国、地方を通ずる財政規模を幾ばくかにするかということについて一定の構想があるべきはずでございますが、その点についは今まで何ら明らかにせられていないのではないかと思います。一体今日のように、国民のこの租税負担がその限界に達しておるというふうに考えられます場合におきましては、国と地方を通ずる租税負担の総量の範囲内におきまして、両者を通ずる歳出の総量を定めまして、不足する部分は、両者を通じての経費の節減、合理化、あるいは歳入再配分等によって措置するのが本筋ではないかと考えられます。いわゆる出ずるをはかって入るを制するという財政の原則もさることながら、今日の事態においてはこういう考え方をとらざるを得ないのではないかと考えられます。これは租税制度調査会におきましても、かような答申をされたように記憶いたしておるのであります。しかるに昭和三十年度予算におきましては、これらの点についての政府の考慮が比較的薄いのではないかと思うのであります。その結果こういうことが起っております。 第一には、国家財政のしわを地方財政に寄せているのではないかと危ぶまれる点であります。一兆円予算を国、地方通じて滞りなく実施いたしまするためには、補助事業におきまして地方財源の状況をもよく考えました上で、これを勘案した上でその重点化、あるいは補助金の整理ということを思い切って行わなければなりません。しかるに予算原案の作成過程におきましては、あるいはそのような努力も払われたかのように見受けられるのでありますが、結果を見まするとやうと、不幸にして国庫補助金の整理による事務分量の縮減ということは、はなはだしく不徹底である。公共事業の地方負担額の財源に対する措置も、これを地方債に頼っておる、これもはなはだしく不適当でございます。国の予算の節減のしわが地方財政に寄せられているという感じがいたすのであります。 第二の点といたしましては、行政事務及び行政機構の簡素化も十分に行われておりません。国、地方を通じての財政規模の合理的縮減というものが、国、地方を通じての行政事務及び行政機構の簡素化によって行わるべきでありますことは当然のことと申さなければなりません。しかるに国の行政事務及び行政機構の簡素化については、ほとんど考慮が払われていないかのごとくであります。地方の行政機構の簡素化についてのみ、わずかに地方自治法の改正案においてその努力が払われておるに過ぎないように見受けられるのであります。今日の財政規模の膨張といい、あるいは地方団体の赤字といい、これらの事実は今日国、地方を通ずる財源を超えた行政が行われているということを端的に物語っている事実を思いまするときに、国、地方を通じて一体として行財政の運営を考えるという根本の観念が欠けているのではないかと思われる次第であります。 ただいまのは地方財政計画上に赤字が内蔵されているという問題について申し上げたのでありますが、その次の問題は、この地方交付税の計上額が十分であるかどうかという問題であります。これまた私は遺憾ながら不十分であると申さなければなりません。地方交付税制度は地方財政平衡交付金制度の欠陥にかんがみまして、昨年新たに採用せられたものであることは御承知の通りであります。私も実はこの制度の言い出しっぺの一人でございますので、その意味においては陰の責任があるわけでありますが、その改正の行われました理由は、国と地方との財源を一応分離するという根本観念に立っておるのであります。すなわち地方自治の観念に適応した制度を作るということが一点。また地方財源を必要にして十分なだけ一応賦与して、自後は地方財源を一定のワクにはめて運用せしむることというのが第二点であります。この場合背後の問題として自然増収に期待をかけるという問題が伏在いたしておったのであります。また国と地方団体の間におきまして、御承知のように毎年知事さんたちのすわり込み戦術に似たようなことが行われているような財源配分上の毎年度の紛議がございまして、これを取り除くことも一つの理由であったのであります。この見地から挑めまするというと、本年度予算においてはその趣旨が十分に実現せられておりません。すなわち、現行の二二%という交付税の率が、これはたしか議会の修正で決定せられたものと記憶いたすのでありますが、その後におきまして交付税の算定基礎に加えらるべきものが生じております。これが計算に入れてございません。 第一は、本年度予算に現われておりまする当初の減税計画が三百二十六億円でございますが、これに対しまして地方の交付税は、その結果当然に七十二億円ばかり減少いたすのであります。府県民税、市町村民税等につきましては、減収を来たさないような改正案が出されているようでございますが、ひとり交付税についてはこれがそのまま放ったらかしになっておるのであります。 それからまた警察費の所要額は是正せられまして、本年度は平年度化されておるわけでありますが、これに対する一般財源の増加の所要額が約五十四億ばかりございます。これもそのままに放置せられておる。また額は大したことはございませんが、奄美群島の経常費の算入に伴う一般財源の増加所要額が九億ばかりございます。これも放置せられたままになっている。もとより交付税の率は軽率に、簡単に変更すべきものではございません。しかしながら、かつての地方配付税の制度の下におきましても、このような場合には当然率の修正を行なっていたと私は記憶いたしております。かように、当然交付税の算定基礎に加えらるべきものがそのままに放ってあるということはこれは適当とは申しがたいと思うのであります。もし国庫予算に計上することが財政上困難でありますなら、他面において交付税以外において考えらるべき問題であり、積極的にあるいは地方行財政制度を改正する、地方経費の軽減あるいは地方税収入の増加というようなことをはかる措置を講ずべきであると思うのであります。そういう措置を講じないでおきまして交付税の率も引き上げる、そして地方財政計画上のつじつまを合わせておくということは、結局地方財政計画に赤字を内蔵せしめる結果となる。かように申さなければならぬと思うのであります。 第三番目の問題は、公共事業費の財源措置は適当であるかどうかという問題であります。これもまた遺憾ながら適当であるようには考えられないのであります。公共事業に対する国の予算は、これを国税から支出いたしております。しかるに、その地方負担額については、地方の財源としては地方債をもってまかなわしめる、こういう考え方がとられているのであります。これは地方財政における現在の公債費の累増しております傾向にかんがみますときには、はなはだ当を得ないものと言わなければ相ならない。公債費は地方債の現在額をもっていたしましても、これは将来ふえるでありましょうが、仮に現在額を押えてみましても、今後四、五年の間というものは毎年百億円前後は逓増するという格好になっておるのであります。この点は後にも申し述べるのでありまするが、地方債をもって地方財政計画上の歳入と見てきたという連年の積弊の現われであると思うのであります。すなわち地方財政計画の中に内蔵せられておりました赤字がここに出てきていると考えざるを得ないのであります。それでありまするから、公共事業費の地方負担額というものは、本来一般財源の増額措置に待つべきものであります。従って、もし一般財源による措置が財政上の理由からいたしまして一挙に行われないということがあるのでございますれば、一応地方債をもってまかなわせておくということはやむを得ないかもしれませんが、これは事後において、少くとも将来において、公債費に対する一般財源の賦与ということを考慮しなければならぬ問題だと思うのであります。 第四番目の問題は、地方債の扱い方が適当であるかどうかという問題であります。これにも多くの疑問がございます。地方債を地方財政計画の上で他の収入と同様に取り扱うことについては、私は多大の疑問を持っておるのであります。それならばどうしたらいいかということについては、私自身また確固とした意見を持ち得ないのでありますが、少くとも、地方債を、他の収入と同じように取り扱って地方財政計画の上で見るということは、どうも適当でないように考えられるのであります。言うまでもなく、地方債というものは、将来の収入を繰り上げて使用する性質のものでありまするから、これを地方財政計画上他の収入と同一に取り扱うということになりますと、当該年度だけの金繰りについていえば、それでまことにけっこうかもしれませんが、将来のことにわたって考えまする場合におきましては、結局、地方財政計画上赤字を内蔵しておったと同一の結果になるのであります。ことに、これが地方平衡交付金制度でなくして、地方交付税の制度がとられておるという現行制度下におきましてはなおさらのことでございます。これは将来非常に考究を要する問題と私は考えておるのであります。またかような公債の取扱い方をいたします結果といたしまして、地方債の本質というものが著しく歪曲せられて参るのであります。すなわち、将来の償還能力あるいは事業の必要度というようなものを勘案いたしまして、認否を決すべきものが本来の地方債、しかるに交付税の配分に準じたようなやり方で地方債を配分しなければならないというような結果を招く取扱い方でありますからして、おそらく地方団体別に見ますときは、はなはだしく不均衡な結果を招来いたしておるのではないかと思うのであります。場合によりましては、あるいは償還能力の乏しい団体の方が、かえって割に多くの地方債を起しておるというようなことが起っているのではないかと想像いたすのであります。 ついででありますが、地方債の中に、一般会計分が百四十五億円、公益企業会計分八十五億円、計二百三十億円が公募債として予定せられておりまするが、現下の金融財政状況下におきまして、果して公募ができるかどうか。その消化が果してできるかどうかということについては多大の疑問なきを得ないのであります。すみやかに政府資金にこれを振りかえますとか、あるいはその消化について何か強力な措置を講ずべきではないかということが考えられるのであります。 で、以上申し述べてきましたところは、主として地方財政計画上の赤字をものさしとして問題を拾い上げてきたのでありますが、次に、地方財政の現実の赤字を、もう一つのものさしとして政府の措置につきまして、その適否をはかってみたいと思うのであります。 それは、第五番目の問題といたしまして地方財政の財源措置は十分であるかという点でございます。この問題につきましては、地方財政再建促進特別措置法案というものが提出せられているのでありますが、私は、これではなお赤字解消にはきわめて不十分だと考えるのであります。一体、赤字の意義をどういうふうに考えるかということについては、いろいろ問題がございます。形式上の赤字は、いわばその年度の歳入歳出の帳じりでございまして、それはそれとして金繰り上の意味がございましょう、しかし、この赤字の意義についての疑念はございませんが、実質上の赤字とは何であるかということについては、いろいろ意見があるように考えるのであります。率直に申しまして、私自身、自治庁の考えておられますような赤字の意味とは、違った意味の赤字を考えているのであります。よけいなことでございますから、この機会に申し上げませんけれども、この考え方いかんにかかわらず、とにかく現実に赤字を出しておる団体がたくさんあって、その赤字に悩んでいるということは、事実として認めざるを得ないのであります。しかるに、この赤字の原因を抜本的に解決する施策というものが、予算面上、何ら講じておられないというふうに見えますのは、地方財政再建措置の面から考えて、はなはだ不本意だと言わざるを得ないのであります。地方財政の赤字の原因は、申し上げるまでもなく、一つは、現行の地方行財政の構造にその原因がございます。また国及び地方における財政の運営上の原因がございます。また現行の、先ほど申し上げました地方財政計画のひずみによる地方財源賦与の不足ということにも原因がございます。この三つの点に原因を要約することができると思いますが、これらに対しまして何ら抜本的な措置を講じないということでは、将来にわたって赤字の解消を企画するということは不可能ではないかと考えるのであります。 第二には、この地方財政再建促進特別措置法案、これ自体につきましても、私は、財政の再建の実施の保障に対する特別の措置がなお不徹底と考えるのであります。すなわち、赤字の整理という非常事態に当面いたしまして、これにその団体が対処いたしますためには、いわゆる官民あげてこの目的のために一致協力しなければとうていその目的を達することはできないことはこれは申し上げるまでもございません。しかるに教育委員会の二重予算の制度をなお温存しているというようなことでは、教育費に関する限り、これには協力しないという立場を示すにもひとしいものでありまして、これは私は首肯しがたいところであると考えるのであります。教育が非常に重要なものであるということと、赤字の整理に協力するということとは、おのずからこれは別個の問題であると考えなければ相ならぬと思うのであります。 以上、大へん急ぎまして申し上げました。地方財政の立場からながめました本年度予算及びこれに付随する問題につきまして、私の見解を申し述べた次第であります。しかしこれは当初お断わり申し上げましたように、あくまでも地方財政の立場に限局して私の見解を申し上げたにすぎません。おそらく他の部門から部門別にながめまするならば、同じような結論が各個ごとに引き出されるのかもしれないのであります。そういたしますと、結局木を見て林を見ないという弊に陥るのであります。私は予算全体のバランスの問題もあることでございますから、予算全体のよしあしというものは、おのずから別の見地からながめるべきでありまして、ひとり地方財政という一部面のみで判断すべきものではないと考えるのであります。ことに政府の説明によりますると、地方団体の自主的努力による経費の節減及び収入の確保を要請する、こういうふうにあるのでありまして、この考え方を肯定すればなおさらであると思うのであります。現に地方団体自体の財政運営の改善に期待すべきことも多々あるのが実情でございます。一例を申し上げますれば、自治庁から出されましたいわゆる地方財政白書について見ましても、昭和二十八年度の滞納税額は六百六十億に及んでいるのであります。どうしてこれだけ滞納が多いか、いろいろの原因もございましょう。税が高いというような根本の理由もございますが、一つには、その徴税の仕方に熱がない。滞納に手をつけると、たとえば人気にさわるということで、自然手をつけないということがなくはないのではないかということが考えられるので、地方団体側における地方財政運営上の問題もたくさんあると思うのでありますから、この点は十分考慮に入れなければならぬことと思うのであります。ただかように考えます場合におきましても、地方団体に対しまして、支出せられる経費ないし財源というものは、ほかの経費と同一視すべきものでないということは、当初において申し上げた通りであります。この点だけはやり念頭に置いていただかなければ相ならぬことと思うのであります。 大へん取り急ぎまして申し上げましたが、私の公述は以上をもって終ります。
○委員長(館哲二君) どうもありがとうございました。ただいまの三好重夫君の御陳述につきまして、何か御質疑がございましたならば御発言願います。
○堀木鎌三君 私、二点だけ伺いたいのだが、三好さん自身も地方債の標準をどうしたらいいかということは、まだ研究の結果ができていないということを言っておられるのですが、今までの考え方が未熟にしても、何らかのお考えがあるだろうということが考えられるので、その点を伺いたい。 もう一つは、最近だんだん地方債の引き受け、それがことに預金都引き受けだけならいいのですが、地方の銀行において財源を調達される。この財源の調達が長期の場合もあれば、短期の場合もある。いわゆる資金繰りから来る場合もある。そういう場合に対して、救済策をどう考えているかという点、この二点をお聞きしたい。
○公述人(三好重夫君) 地方財政計画上、地方債の収入をどういうふうに見たらいいかという問題は、先ほどもお話し申し上げた通り、私も確たる意見をまだ持ち得ない状況であります七しかし他の経費と同じように、その全額を見るということについては多大の疑問があることは、これは疑いがないのであります。ことに先ほども申し上げましたように、平衡交付金制度のような立前のもとにおきましては、将来においてその財源を政府の方で保証しているのでありますからまだけっこうでありますが、しかしながら交付税制度のもとにおきましては、一応中央、地方の財源を分離いたしております。従って地方財政計画上、地方債収入というものを他の経費と同様に扱いますと、そのしりが必ず後年度に現われてくる。どの程度に見たらいいか。全額を見るわけにいかない。あるいはせいぜい元本の償還額の範囲内程度で見るということになれば、比較的弊害がないのではないかという程度にしか私はまだ考えられないのであります。 それから地方債消化に対する問題につきましては、現在現実の問題として、各地方団体が長期、短期いずれも非常に借り入れに悩んでいる。これは事実のようでございます。この問題を解決いたしますには、結局、あるいは民間会社に対して政府筋で事実上のごあっせん等をなさいます、そういうような措置を講じていただくとか、あるいは根本的にさかのぼれば、これも私が初めて言い出して、いまだに結論を、実はこうしたらいいという案を具体的にきめ得ないものは、地方団体の中央金庫の問題でございます。これをきめて合理的な筋の立つ制度にまとめ上げることができますれば、私は地方債の消化について、小さい団体、困っている団体については支障なくやっていけるのではないか。有力な団体につきましては、すでに市場価値もあるわけですから問題がないので、困っている団体をどうするかということになれば、結局そういう制度でも考えなければならぬのではないかというふうに考えている次第であります。
○豊田雅孝君 赤字財政についていろいろお話があったのでありますが、地方税の滞納が約七百億になっておるのであります。そうしてこの地方税徴収の公吏の数は八万以上に上っておりますが、これの人件費あるいは事務費を合わすと三百億以上になるのであります。一方、地方団体の赤字は六百億にも近い、さらにますますふえるというような状態でありまして、そういう点をあれこれ考え合せると、地方税を国税の付加税に改める、こういう行き方をすると、地方税の滞納というものも非常に整理がしやすくなってくるでありましょうし、同時に地方税徴収のための莫大なる経費というものが、国税徴収面に切りかえられていく形になるという点で、地方公共団体の赤字解消のこれは大きな一つのポイントじゃないかというふうに考えられるのであります。これはかつてシャウプ・ミッションがこちらへ来て、日本の都道府県というものをアメリカのステートと同じように考えたところに、非常に日本の実情に合わないところが出てきたというふうに考えられるのでありまして、これらから考え合せて、地方税を戦前のごとく国税の付加税に改めるということについてのお考えはどうでしょうか。
○公述人(三好重夫君) ただいまのお話も確かに一案と思うのであります。しかしながら地方税制度を地方自治という観念の面から考えるという考え方になりますと、どうしても国と地方とで税源を異にしているものが主流になる方がよろしいという考え方を立てざるを得ないのであります。多少能率的な考えを地方団体の各種の制度に取り入れようといたしますと、私どもの予想しております以上に、この地方自治という概念にとらわれた議論が非常に多いのが実情でございます。ある程度その概念にこだわらないという世論ができるならば、お説のようなことも、あるいは可能になるのではないかと思いますが、現実の問題としては、かりにいいといたしましても、なかなか困難な問題であろうと考えるのであります。 それから、ついででございますが、この地方税の滞納の問題は、往年私どもが役人をいたしておりました時代は、非常に、納税成績というものは今日のごとく低いものではなかったのであります。また滞納につきましても、事実涙のこぼれるようなひどい処分をいたしておったのであります。今日比較的これが粗略にされるのは、どういうわけであるかということを、まあいろいろ考えてみますと、一つには、国民の世論といたしまして、苛斂誅求だという議論が非常に強いということが原因であろうと思います。私はこの議論は非常に間違っていると思うのでありますが、何となれば、かりに地方税の率、たとえば固定資産税の百分の十四という率を、ある個人に百分の十二でかけたといたしますと、おそらく非常に論議が沸騰するだろうと思います。しかるに滞納の場合はどういうことになるかというと、百分の十四という率は、滞納者については百分の零になるから、非常にこれは不公平な結果を招くのであります。のみならず滞納者のみについて問題を考えるべきではなくして、他の善良なる納税者とのつり合いを考えなければならぬのではないかと思います。まじめに納めたものがばかを見るという形に放置せられておるということは、これははなはだ感心しないことだと思うのでありまして、まあ世論はそうでございますが、これは強行すべきものではない。もう一つは、よく言われることは、公選制度の弊害の一面として言われるのであります。滞納処分を強行する、あるいは滞納整理に力を入れれば、人気にさわる。従って、なるべくそれはあと回しにするというようなことが行われる。事実と思いませんけれども、そういう説がよく行われておるのであります。あるいは所によっては、そういうことがなくもないのではないかと想像をせられるのであります。いずれにいたしましても、地方団体の赤字の問題とからみましては、税の滞納をなくするというような問題を中心にした、地方財政運営上の地方当局者側の努力が非常に必要であるように考えるのであります。
○石原幹市郎君 一点伺います。先ほど、現実の地方財政と地方財政計画とは非常に遊離しておる。その大きな主とした原因は、給与費の見方に相違があるという話があって、それに対するあなたの批判というか、意見はなかったように思いますが、これは国の見方が非常に現実と遊離した見方をしておるのか、それとも、地方が非常に国の給与と比べて割高な給与になっておるのであるかどうか、これはあなたの御感想を伺いたいと思います。
○公述人(三好重夫君) 地方財政計画上の数字と現実の数字と非常に遊離しておることは事実でありまして、先ほども申し上げましたように、給与だけで見て約三百億ないし四百億あるかと思うのであります。かようになっておりまするのは、結局国が一定の標準をきめまして、教員については幾ら、警察官については幾らという単価をきめてはじき出しておる結果であります。その単価が果して現実に合うかどうかといえば、多少理論に偏しておるのではないかと思います。国の給与と比べて地方の給与が比較的高い部面もあるかと思うのでありますが、とにかくもっと下げるべきだという前提のもとに、そういう単価がきめられておる。しかし現実の問題は引き下げ得ないのであります。そうすると結局実情は、地方財政計画の数字と、地方財政の現実の数字とが非常に食い違いができるということになりまして、こういう結果はいいにせよ、悪いにせよ、赤字が出るもとになっております。これはどうしても適正な調査をされまして、そうして事実行えるような基準において額を定められて、そうして補正を要するものならば、地方財政計画上の補正を行うということをされなければ、いつまでしても赤字は累増するばかりである、かように考えておる次第であります。
○石原幹市郎君 もう一つ、そうしますと、あなたは、地方制度の調査の専門的の立場からいたしまして、今の給与の問題については、地方財政赤字の解消策としては、地方としても苦しかろうが、やはり給与費の面について相当の、みずから斧鉞を加えていかなければならぬという考え方というか、立場をとられるというか、現実にはそこまで来ておるので、これはむずかしい問題であるから、国が何とか補正して、現実と合うような地方財政計画を立てていかなければならぬのであるか、その点と、ついでに、ただいま地方財政再建促進特別措置法案に対して、地方側として非常に、理事者側からも、議会側からも反撃が上っておるわけでありますが、とにかく財政の再建はしてもらいたいか、それに伴って、地方自治の制限といいますか、準禁治産者的の扱いをされることには非常に反対である、要約すると、そういう声のようでありますが、この問題に対して、きわめて常識的なことでありますが、地方制度調査会委員としてのあなたとして、地方財政の赤字はこの際何とか解消するように努力しなければならぬのだが、それには、ある程度の地方自治の制限を受けても、これはやむを得ないのだ、一時的の現象としてやむを得ないというような感じを持っておられるかどうか、その点を伺いたい。
○公述人(三好重夫君) 第一のお尋ねの点につきましては、私の言葉が足りませんでございましたが、結局私は適正なる調査が行われて国において補正を行なって、地方の財源を賦与するという措置をとられるべきであると思うのであります。このことは、たしか地方制度調査会におきましても、答申案の中にはっきり書かれておったように記憶いたします。また交付税制度をとります際の内部の、表に出ません論議の際にも、私どもは強く要請をいたしておった点でございます。どうしても現実に行われ得る基準に引き直してもらうということが必要だろうと思うのであります。 それから第二の問題につきましては、これはまあいろいろな考え方があり得ると思うのでありますが、私はこの赤字団体の再建整備をするという問題を、赤字団体だけのことを考えてはいけないと思うのであります。そうしませんと、結局、ある意味における恩典を、一方において赤字団体に対して与えるのであります。他のまじめにやっておりました団体かそれをうらやましがるような措置は、これは私は講じられては弊害にたえないと思う。従いまして、あれだけ見ますと、いかにも赤字団体に対しまして酷なようでありますが、まじめに努力をし、国の方からずいぶん無理がかかっておるにかかわらずなお赤字を出さないという結果を生んでおるような団体と比べてみまして、そういう団体が、まじめにやっておるものは損をする、不まじめなものが得になるのだというような措置になることは、これは将来慎しまければ、戒めなければならないと思います。従いまして、赤字団体に対しまして国が低利の資金を回してやる、あるいは利子補給をしてやるということになれば、それに伴って、ある程度の経費も節減もする、その団体員の負担も増す、あるいは何がしかの自治の制限も受けるということは、これはやむを得ないことで、そうすることがよろしかろうと考えております。
○田村文吉君 先刻のお話の中に、自治庁の考えている赤字という問題と、あなたのお考えになっている赤字という問題に、少しく違う解釈があるのだ、だが、ここでは時間がないからお話しはできぬということでありましたが、簡単に、どういうことなんでございますか、ちょっと御説明願えませんか。
○公述人(三好重夫君) よけいなことを言い出しまして、大へん工合が悪いことになったのでありますが、自治庁で考えられておりますのは、実質上の赤字と申しますのは、形式上の赤字に対しまして、経費の方の繰り越しあるいは支払いの繰り延べとかいうものを加算して、実質上の赤字、こういうふうにまあ言っておられるように思うのであります。で、私は、その歳出面における繰り越しだけを赤字の方に考えて、歳入面における繰り越しをその差引の方に考えないというのは、おかしいではないか。歳入に計上せられるべきであり、歳入に計上せられておるものがその年度にその通りに入らない、しかし後年度においては入るということであれば、歳出の繰り越しを実質上の赤字の一部に見るならば、歳入の繰り越しもそれの帳消しの面に見て計算しなければいけないのではないか。ちょうど会社の何といいますか、貸借対照表といいますか、考課状といいますか、そういうものについて、受取手形あるいは売掛金の収入を貸方の方から落して考えていると同じような結果になるのじゃないかという疑問をまあ持ちまして、そういう意見を持っておるのであります。そういうふうに通観いたしますと、今、公けにされている赤字よりは少し額が落ちると……。
○田村文吉君 どれくらい。
○公述人(三好重夫君) それは私わかりません、資料がございませんので。ただ、しかし結論が同じであると申し上げましたのは、自治庁において考えておられますのは、一応赤字はそれで計算する。しかし赤字を消す対策として、歳入の繰り越されたものを引き当てに考えるというふうに考えられておりますから、対策を考えました暁におきましては、食い違いはないということになるのだと思うのであります。で、四百六十億ないし五百何十億という赤字がある。それに対して、再建整備法では二百億の資金を考えておられるというのは、そういうところから来ているのじゃないかと想像をいたしているのであります。結論においては食い違いはない。考え方の途中に違いがあるのであります。
○伊能芳雄君 ただいま石原委員の質問に対するお答えの中で、あるいは私の聞き違いかもしれませんが、国の考えている給与費に対して、地方が実際は高い給与を出している。そのために、赤字になったことが一つの原因になっておる。しかしこれを戻すわけにはいかない。従って現実の姿で見てやらなければならない、こういうように聞えたのですが、そういうことにしますと、これは実際、理論的には非常にむずかしくなると思うのですが、そういう取扱いにしますと、結局、今あなたが税の取り立ての問題で言ったように、人気取りにどんどん給与を上げたものが十分見てもらって、非常に正直にぎりぎりに給与を見てきた団体は損をする、こういう結果になりはしませんか。
○公述人(三好重夫君) 私は、現実の給与にできるだけ合うように、的確な資料によって修正を行わるべきであるということを考えております。石原さんにお答えしたと同じでありますが、その場合に、人気取りにどんどん上げた所が得をしはしないかという、これは国の方で補正をしましても、警察官は一人当り幾ら、教員は一人当り幾らという全国画一の基準をきめて、それを基準財政収入の計算に見るわけであります。従いまして、かりに非常に人気取りに高い月給を出している所は、その標準が、国の方できめました標準がその団体の標準よりも下回るわけでありますから、結局、地方費においてその部分は負担しなければならぬということが起ります。また非常に少く出しておる所は、これはまあ得をするようなことが自然起るのでありますが、その方は大した弊害はない。引き上げた方については機械的な基準で行く関係上、よけい上げたからよけい行くということが起らないで、これは弊害は起らないと思います。
○伊能芳雄君 もう一つ、これに関連してお伺いしたいのは、そういう給与の基準を、現在の地方自治法は、御承知のように、地方団体の条例にまかしておるわけであります。ですから、条例に高くきめておる所は、そういうときには、やはり何かその基準を国家公務員というようなところに置いて考えていくのであるか。自主性をもってやらせるという立場から、各団体の自主的な条例にまかしておる。条例に違反でなくて、一般的な条例通りにやっておるけれども、実際はまあ国家公務員と比較すれば高いというような場合に、やはり国家公務員の給与を標準とするというような考え——何か基準がなければならぬ、何々基準に考えておられるか。
○公述人(三好重夫君) その基準のきめ方が非常にむずかしいのでありまして、一応国家公務員あるいは過去における給与というようなものを基準にして、現在のものはきめられておるのだと思うのでありますが、それがはなはだしく現実と違っておる。従いまして、なるべく現実に近づけ、しかも弊害のないようにするという基準を定める仕方をしなければ、弊害にたえない。おそらく現に調査をしておられると思うのでありますが、地方団体の給与についての厳密な調査をとりまして、適正であるかどうか、それらの平均の数値その他をにらみ合せてきめられることになるだろうと思うのであります。それはしかし地方団体にその給与の基準を直接しいるものではございませんから、条例において地方団体が自主的にきめれば、それが働いてくるわけです。ただ、財源分与の際の、まず国から財源を総体としてもらうという一つの標準になる、また地方団体に、財源を個々の団体に与えるという際の分ける基準の一つになるというにすぎないのでありますから、従って、直接に条例できめるので、基準に抵触するということは起らないだろうと思います。ただ、国が基準財政需要上きめた標準よりも高いところの給与をしておるという所は、何らか収入の増加策をとってその差額をまかなわなければ、赤字が出る、こういうことが起ると思います。
○伊能芳雄君 もう一つ、これに関連して伺いたいと思いますが、この地方公共団体の給与は法律できめておる国もあるんですね。多少の幅をおいて法律できめたら、非常に地方団体の自主性を失わせるという結果になるとお考えですか、あるいはそのくらいのことは今日の状態においてはよろしかろうというお考えでしょうか、お伺いしたい。
○公述人(三好重夫君) 私の考えとしては、法律で地方公務員の給与をきめるということは、地方自治の上から見てどうであろうかというふうに、疑問を持って考えております。ただ、地方財政計画上の給与の基準が現実のものに合うということに一応立っていけば、それが間接には、実質的には、自然給与の基準を規定していくことになる。その程度において現状においてはよろしいのではないかと思います。
○委員長(館哲二君) この程度で休憩いたします。 午後零時三十一分休憩 —————・————— 午後一時五十四分開会
○委員長(館哲二君) 引き続きまして公聴会を開催いたします。 総理府資源調査会副会長の安芸皎一君にお願いしたいと思います。安芸皎一さんどうぞ。
○公述人(安芸皎一君) 私安芸皎一でございます。 日本のエネルギー問題に関連いたしまして所見を述べさせていただきたいと思います。 このエネルギー問題というものが日本の今日のいろいろの工業が当面している問題の中で非常にいろいろあると思いますが、基礎的に考えますと、かなりエネルギーという問題が大きい役割りを持っているのじゃないかと思うのでございます。日本で国民の総生産とかあるいは工業生産、さらにそれに要しましたエネルギーの消費というようなものが比較的関連いたしまして、資料のとれますのは、ちょうど昭和の初めから昭和十四、五年ごろまでなのでございますが、この間の様子をみておりますと、日本の工業生産の上昇率と申しますものよりも、実はエネルギー消費の上昇率の方がこれを上回っているわけでございます。もちろんそれぞれの産業はエネルギーの消費ということに非常に関心を持ちまして、熱管理機構とかいろいろ機構を持ちまして消費効率を上げることには努力していると思うのでございますが、それにもかかわらず、工業生産よりもエネルギー消費の率の方が上回っているということは、昭和の初めから昭和十四、五年ごろまで、日本の最も工業化の進展が早かったときだと思いますが、その当時に大体年率にいたしますと、年率六・一%くらいずつ工業生産が伸びてきておりますが、エネルギーの消費の方の伸びが大体六・八%から六・九%くらい上回っているのであります。これはちょうどその当時非常に日本のエネルギー供給が潤沢だと申しますか、豊冨低廉な電力といわれた時代でございまして、電気の生産が非常に伸びてきたということ、これに関連いたしまして、こういうエネルギー消費の比較的大きな分野の工業が伸びてきたんだというふうにいえると思うのでございます。電気化学工業とかあるいは金属の電気精錬というような種類の工業が非常に大きく伸びてきた、この結果、こういうような事態になったのだと思うのでございます。これをその当時の諸外国に比べますと、どこの国でも工業生産の上昇率よりもエネルギー消費の上昇率の方が低いのでございまして、エネルギーの消費というものの効率を上げていこうという努力はずっと現われてきておるわけでございます。われわれもそういうふうな方法をとってきたにもかかわらず、消費の方が上回っておるということは、結局電力を主とした大きな原料といたしまする工業の分野が広がってきたということだと思うのでございます。そういたしますと、今日になりまして、電力の事情がだいぶ変って参りますと、そういう事態が非常にいろいろな工業に大きく響いてきておるのではないかと思うのでございます。 日本のこのエネルギー源と申しますと、大体八〇%が石炭と水力でございます。もっともそのうち石炭の約二〇%が電力になっておりますから、実際は大体半々程度に供給されております。このことがまた一つ日本の工業に対しまして大きな問題となっているのじゃないかと思うのでございます。と申しますのは、日本の持っておりますエネルギー源と申しますか、それが大体石炭と水力と半々になっているということでございます。この半々になっておりますと申しますことは、常に水力と石炭との組み合せでできてきている。もっともエネルギーがだんだんと石炭をそのまま使いますものよりも、電力に転換して使うという割合がふえてきております。それは、ちょうど、日本が石炭があり、水があり、しかも、それが大体半々程度にもっていたということなんでございまして、日本の電力というのが、大体、石炭と水との常に組み合せの上に成り立つことだと思うのでございます。これをほかの国に比べますと、これも非常に違うのでありまして、たとえば、イギリスとかドイツとかアメリカのような工業国におきましては、ほとんど石炭が主力でございまして、九〇数パーセント石炭によって供給されている。電力に負すにいたしましても、石炭を電気に転換いたしまして使っているのでございまして、ソースが石炭でございます。ところが、日本のはちょうど両方半々で使っている。しかも、それを非常にうまく組み合せるということによって、安くて豊富な形で今まで供給されてきたわけでございます。ところが、石炭をたく電力とそれから水による電力というものの経過を見ておりますと、石炭火力というものがここ十数年の間に非常に大きな進歩をしたわけでございます。今日でも日本のこれは電気について考えてみましても、火力発電の設備が約四百三十万キロワット程常でございますが、その中で一割弱でございますが、熱効率が大体一三%程度でございます。ところが、最近作っておりますものは、できましたのが二七、八%くらいの効率になり、さらに三二%というような効率のものが近いうちにできると思います。それから最近外国で作られております最も新しいものは、四〇%をこえております。大体火力発電所の効率がここ十数年の間に石炭の消費がおおむね十分の一になったということであります。そのように非常に早い速度で効率が上ってきたわけでございます。ところが、この水の方になりますと、そうは参りませんので、大体、もちろん技術的な進歩もございますのですが、水の方は初めにまず仕事のしやすいところから、比較的容易なところから着手しておりますもんですから、だんだんこれがふえて参りますと、さらにその後に開発するというところは、比較的条件の悪いところになって参ります。今日、日本の総水力が大体二千二百万キロワットといわれまして、そのうち三五%程度開発されております。まだ六五%程度は残っておるわけでございますが、そのくらいの程度まで開発いたしますと、だんだんと自然条件と申しますか、悪いところになるのでございます。今日、日本で多量に水力の残っております未開発のと申しますと、只見川とか、熊野川とか、吉野川といわれるような川でございます。しかし、こういう川はなぜ残されていたかと申しますと、大体、こういう川は非常に水は多いのでございますが、川の勾配がゆるいのでございます。川の勾配がゆるいのでございますので、今まで日本が主として開発して参りましたいわゆる流れ込み式の水力というふうな方式の開発では非常に、何といいますか、不経済になるのでございます。あるいはそうでなかったら、非常に奥地であるとかいうのでございまして、結局、そういうところが主として取り残されてきたといえると思うのでございます。それでございますから、この水力と火力との進歩した工合というものが、進展した工合というものが最近非常に違うわけでございます。違いますものですから、これによりまして、また組み合せて日本の電力ができておるといたしますと、その組み合せを常に考えなければならないというのでございます。 こう進歩して参りますと、今までと非常に違った使い方をしなければならない。と申しますのは、たとえば、火力が最近能率が非常によくなった。日本の火力発電所の半分くらいは、一八、九%以下でございますが、最近作りますのは、同じ石炭で倍の電力が出るわけでございます。しかし、そういういうふうな効率の高い発電所になりますと、どういうことかと申しますと、だんだんと設備が大きくなって参ります。設備が大きくなって参りますと、この効率の高いというのは、蒸気機関の圧力を高くするとか、温度を高くするということでございまして、設備が大きくなりますと同時に、また初期投資が大きくなりますものですから、そういうような新しい形式の発電所というのは、短時間運転がむずかしくなってくるわけでございます。今まで日本の、私は自然条件は非常にうまく利用したと思うのでございますが、これは水についても石炭についてもいえるのでございます。そういうものを非常にうまく組み合せてできてきたというのでございますが、それで大体水力で常時を供給して、あるいは渇水期に石炭をたいていだわけなんでございますが、そういうふうな短時間の運転ということは非常に困難になって参りまして、できるだけやっぱり長時間運転しなければなりない。そうでなければ、せっかく効率をよくしたものをよくしたように使えないということになるわけでございます。 それから水力の方でございますが、水力の方も、今までに約千五百カ所ぐらい水力発電所がございますが、その大部分がいわゆる流れ込み式というのでございまして、川の自然流量に支配されております。一日のうちに、電気の需用がやはり変るものでございますから、たとえ自然流量を使うにいたしましても、一日のうちでも電力の需用に合うようにというわけで調整池といいます小さい池を持っているのが相当ございますが、しかし、この小さい池というのは、日本の川では大体割合に早く埋まってしまいまして、効率が落ちて参ります。ある電力会社でも、初めは一日に十時間くらいの調整ができたのが、最近は四時間くらいしか調整ができないと言っておりますが、小さい池でございますから、そういうような影響は割合早く現われて参ります。大体そういうふうな発電所が主でございまして、ダムを作るのに大きな池を作りまして、季節的にでも水を調節できるというのはわずかに電力量にいたしまして五%内外でございます。大体はその自然流量に支配されているのでございます。自然流量に支配されているものでございますから、これを非常に、それだけでもって電力を要求に合うように、需用に合うように操作するといたしますと、水を非常にむだに放流しなければならない場合が出て参ります。それでだんだんと設備を大きくいたします。初めはこのまま、何と申しますか、一番少い渇水量を基準にして設計しておりましたのが、だんだんと最近大きくなりまして、四倍とか五倍とかになります。それでございますから、年間を通じまする稼働時間と申しますか、年間の総出力を設備の大きさで割った価でございますけれども、約これが八千八百時間くらいになりますと、年間フルに動くわけでございますが、それが今日では平均して大体五千六百時間程度動いておりますが、これが最近に建設されるのを見ておりますと、大体四千時間程度に下っております。ということは、水のあるときは非常に電力が出ますが、水がなくなると非常に困ってくるというわけでございます。しかし、この程度に上げますと、水の利用率は上って参りまして、小さい池を作りますよりは、むしろ同じ、より以上くらいの水の利用率は上って参ります。それでございますから、そういうような形にだんだんなって参ります。しかしそういたしますと、今度は多いときは出ますが、少いときは出ない。それで補給電力がやはりほしくなるのでございますが、今までの補給電力に使われておりましたものが、だんだんとそういう形では運転できなくなる。そういたしますと、どうしても水の方でもそれができるようにということになりますと、貯水池を作る、大きな貯水池を作るということになるわけでございますが、大きな貯水池を作るということになりますと、日本の今まで水力に条件のよかったということがむしろ逆に働きまして、今日残されている川の勾配のゆるいところで、そして水の多いというところは、貯水地式の発電所には非常にむくわけでございますが、勾配のゆるいというところになりますと、割合に広場などがございまして、そうなりますと、人家も多くございますし、交通施設もございますし、なかなかそういうものの移転とか買収というような問題で、また新たな問題がおきて参ります。それから地質的に申しましても、日本のように地質的に複雑なところでは、大陸にございますような大きな岩盤というものがある個所は非常に少いのでございまして、なかなかいい地点を求めるということがむずかしくなって参ります。今日そういうふうな事態に遭遇している。そのために新しい組み合せが要求されて来ていると私は思うのでございます。現在までのような形でもって水力を開発していって、それを石炭火力で補っていく、そういうような形式がだんだんとれなくなって来るのじゃないかと思うのでございます。これが今日電力の価格が割合に高くなって来ているという一つの理由七やないかと思うわけでございます。と申しますのは、どんどん設備を、水の利用度を上げていこうというために設備を大きくして参りますと、稼動時間が下って参りまするから、そういたしますれば、設備の方から申しますと、何キロワットという点で申しますと、それほど以前とは変らなくても、キロワット時出力に直しますと、割合に高くついて来るわけでございます。すると今度は補給電力がそれにうまくマッチしない。しかも高能率のものにいたしましても、実際補給電力のような形で運転しますと、それだけの効率をあげられないものでございます。それに石炭の価格の問題もございますものですから、だんだんとやはり高くなってくる。こういうように電力が高くなって参りますと、今までのような工業の構造といいますか、そういうものを維持していくことができるのかどうかという問題に当面せざるを得ないと思うのでございます。 それでございますから、丁度そういう段階に来ておりまして、どういうふうに展開するかということは、実はまだ議論されているときでございますので、将来の価格がどうなっていくのか、これは日本の電力の価格が、水力はどうなる、火力はどうなるということではなくて、総合されたといいますか、水火併用の形で行われておるものですから、併用された形の上で価格はどうなるとか、質がどうなるとか、量がどうなるというふうに考えてゆかなければならないと思うのであります。これは転換するという、組み合せを変えてくることにいたしますと、組み合せによって日本の電力は成り立っているのでございますから、ポテンシャルといいますか、われわれはこれだけのエネルギーを持っているのだといっても、それだけのエネルギーを現実に使えるかどうかということになりますと、わからなくなるわけでございます。全体の絶対量のことを考えましても、日本のエネルギーというものは、私はそれほど余裕があるとは思えませんので、大体今後二十年くらいたちますと、ちょっとこの間試算してみたのでございますが、石炭に換算いたしまして——今日の生活水準を大体五〇%程度上げるということを期待いたしますと、石炭に換算して約二億トン程度の石炭が要るわけでございますが、供給し得るものは、いろいろ考えましても、一億五千万トン程度しかないだろうという結論に達したのでございますが、しかしそういうことにいたしましても、そこに到達するにいたしましても、今日すでにこれをどういうふうに転換していこうかという、どういうふうな組み合せをやれば価格がどうなるだろうかという問題にすでに当面しているのでございまして、そういうふうな方向、今度はどんな形にもっていくかということを考えなければ、先はどうなるか、ちょっと期待できないと思うのでございます。 足らないものでございますから、新しいエネルギーを考えなければならない、そのために原子力発電というものを考えろということになるわけなのでございます。ところがその原子力発電を考えるにいたしましても、日本の電力はそういうふうな組み合せの上に成り立っている。しかもその組み合せは常に変らなければならないということから考えますと、この中へこれがどういうふうに入り込んでくるのかということを考えますと、なかなかこれまたむずかしくなると思うのでございます。たとえばイギリスが将来の電力が、エネルギーが不足するから原子力発電を入れるのだといって、昨年から十カ年計画で百五十万キロないし二百万キロの設備を作るという計画をもっております。この場合には、イギリスについていいますれば、イギリスのエネルギー・ソースというのはほとんど九五、六%石炭でございます。そうすると、石炭が今後どんな傾向になるということは、大体の推定がつきます。だんだんとイギリスでも出炭の品位が落ちてきておりますが、それがどうなるのだろうかということもわかりますし、それから石炭火力の技術的な改善によります能率の向上というようなことも大体見当がつきますし、それによりますと、石炭の価格も大体見当がつきますから、将来どういうふうになってゆくかということに対しましては、割合にその予測が容易でございます。それに対しまして原子力の方の今後の発展と申しますか、それがどんなふうな形で進んでゆくかということも、大体これは非常にむずかしいのでございますが、一つの過程を入れますし、多くの過程があるのでございますけれども、それを入れまして価格がどうなるかということから、その中へ織り込んでゆけるわけでございます。ところが日本の方になりますと、水力がどうなるか、火力がどうなるかだけではわからない。水力と火力が組み合わされ、初めてわれわれが使える量とか、使える質、使える価格のものになるわけでございます。それですからその中へどういうふうにこれが織り込んでゆけるかということになりますと、イギリスよりもまだ日本の方は非常に予測が困難な状態にあるのじゃないかと思うのでございます。今日原子力の発電の価格がどうなるかということについては、いろいろ予測、推定はされております。たとえばイギリスでも最近の状態では、最近できるものにつきましては、大体一キロワットアワー十一ミルか十二ミルと申しますから、約四円前後でできるだろうといっておりますし、アメリカでも大体その程度のことが今日ではいわれております。しかしこれもどうもただそうなるだろうというので、実際の価格では私はないだろうと思います。と申しますのは、この中をどれだけの分が政府が負担しているとか、どれだけが実質的な価格に織り込んであるのか、それもわかりませんし、現在の段階ではまだああいう原子炉というものの耐用年限がどうなるかというようなことも全然わかりません。現在アメリカで、昨甲から五カ年計画で、二億五千万ドルの予算で五つの動力用の原子炉を作りまして、それでその五カ年間に一つ試験してみよう、そうしてその経過を見ようということをいっております。それでございますから、大体五カ年後にどのような形式の炉が一番いいだろうかということが大体きまるだろう、動力用の炉の基準がきまるだろうというようなことをいっております。しかもそのいっておることを聞いておりますと、大体その五カ年後にきまるだろうが、きまるときには、おそらく今使っている炉と全く違ったものができるかもしれないというようなことを言っております。そういう工合でございますから、まだ原子力を利用いたします発電というものは、将来どんなふうな価格のもので得られるだろうかということはまだわからんと思うのでございます。そういたしますと、そのためにいろいろ研究費を投じているわけでございます。今日フランスが大体約六百億フランすでに投資しておりますが、まだ動力用の原子炉というものがどういう型がいいかということまでももちろん行っていない段階だと思います。 先ほど日本のエネルギー状態というのは非常に先が暗いということを申し上げましたのでございますが、私は量的に申しましても明るいとは思いませんし、さらに新しい組み合せから大体推定いたしますると、私どもが想像いたしておりますよりも早く不足して来る、不足して来ると申しますのは、要するに価格が非常に高くなるとか、あるいは質が変な質のものになりまして、産業上からはこれを使いこなすことがむずかしいというような形になって来るだろうと思います。それでありますから、存外ほかの国よりもあるいは早く新しいエネルギー・ソースをつぎ込んで行かなければならない時期が来るとは思うのでございます。思うのでございますが、しかしこれを一体どういうふうな——いつごろになりまして日本の電力がどんな質のものになり、どんな価格のものになるかということになりますと、まだ今のところわからないのであります。私はそういうふうな、今後どうなるかというようなことを、何と申しますか、こういうふうな常に新しい状態、新しい組み合せでできて来るものでございますから、常に今までの実績からさらに今後の状態をよく関心をもちまして、どういうふうにするのが一番好ましいかという一つのプログラムを立てなくちゃならないと思います。原子力によるエネルギーも電力もやはりその中に入って来るというような形をとらなければならないと思うのであります。今後日本がエネルギーの先行きが明るくない。しかし先ほどから申しましたように、あるいは日本の火力発電所にしても非常に効率が悪いのが多うございます。ですからこれは新しいものに転換して行かなければならない。水力にいたしましても、これからの地点というのは非常に自然条件も悪くなって参りますし、ことにダム式のものにいたしますと、いろいろ問題が起きて参りまして、結局価格も高くなって来ると思います。しかしこれを興すといたしましても相当の費用が要るわけでございます。しかしさらに原子力になりますと、これはずいぶん要ると思うのであります。これは現在いろいろな形式の炉がございますが、しかし動力用としてはまだ未確定だということが言われております。今後日本でもしこれを作るといたしますと、やはり日本がどんな原料を得られるか、これは燃料の問題ももちろんございます。ウランがどういうふうなものが得られるか、量的に申しましてもどうであるか、そうすると、そういう原料の得られ方によりまして、たとえば減速材に使います材料、これはたとえば重水とか石墨というようなものがございますが、そういうようなものの得られ方がどうなるか、どっちが楽に得られるかというような問題、価格がどうなるかというようなこと、それから炉を作ります材料が、これはどういうふうなものが日本が一番得やすいかというようなこと、そういうものによりまして日本が得られる原料あるいは材料で、最も有効に使い得るような形式のものを作り出さなければならぬと思うのです。そういたしますと、私はこれは日本でできると思うのでありますが、こういうことをやりますには相当な費用がかかると思います。今日アメリカは先ほど申しました動力用の実験用原子炉でございますが、それが五カ所で大体三億五千万ドルくらいかかるということから考えましても、ほんとうにこういう問題を考えますとかなり費用が要るだろうと思います。しかしまたそれに入る前に、そういうことを、それに使う材料の試験もしなくちゃなりませんし、そういうことを取り扱い得る技術的な能力も獲得しなければならぬと思います。私はただいま問題になっております濃縮ウランを利用いたします炉は、そういうことに役立つのじゃないかと思うのでございますが、そういうふうな手段を、実際われわれはいつごろになったら原子力というものの価格が、今使っておりますものの中へ入り得るようなものになるかという一つの時間、これは今使っておりますものの将来の計画でございますがやはりそういうものの中に織り込んだ一つの計画としてやってゆかなければならぬ、時期的に申しましても、非常に要るものでございますから、今電力を得るために、あるいは石炭を得るために投資しておりますが、今後の資金というようなものもやはりにらみ合して一つのエネルギーの対策のワクの中で考えてゆくような、体系の中で処理してゆかないと、思わざるところで行き詰ってしまうのじゃないかという気がするわけでございます。 今日起きておりますエネルギーという問題に関連いたしまして、最近関心を持っております点を申し述べた次第でございます。
○委員長(館哲二君) どうもありがとうございました。 何か今の安芸君のお話につきまして御質問がありましたらお願いいたします。
○田村文吉君 ちょっと伺いますが、聞き漏らしたのですが、英国の原子力発電の原価は……。
○公述人(安芸皎一君) あれははっきりしないのでございますが、大体十二ミルくらいといっておりますから、四円前後、四円ちょっと越える程度だと思います。キロワット・アワーです。
○田村文吉君 割合安いのですね。
○公述人(安芸皎一君) そんな程度だと思います。どうもそれがはっきりいたしませんのは、あれはウランを分裂させまして、天然ウランを使うと思いますが、そういたしますと、プルトニウムというものができます。そうすると、プルトニウムが分裂を起す物質でございますが、それをまた政府が買い上げるということになっておると思います。それですからどこまでがほんとうの価格かよくわからないと思います。
○田村文吉君 それからフランスで六百億フラン使っておるとおっしゃいましたね。それで結論を得ていないという話ですね。
○公述人(安芸皎一君) 第一期計画で約百五十億フランを立てまして、小さい炉を作ったのであります。それから続きまして四百五十億フランという計画を立てまして、現在多分原子炉が三つくらいできておると思いますが、今度はそれが終ったら、さらに新しく承わりますと何かもう少し、三カ年間に千億フランくらいの計画で、いよいよこれから動力用のものに入ってゆこうという段階だというふうに聞いております。
○田村文吉君 それはウランが十分手に入るのですか。
○公述人(安芸皎一君) フランスは国内から生産しております。国内の探査をやりました結果、現在は国内でまかなっておるようであります。
○委員長(館哲二君) ありがとうございました。 それでは引き続きまして京都大学教授の島恭彦君にお願いいたします。
○公述人(島恭彦君) 三十年度予算案についての私の意見を述べさしていただきます。 関西におりますと情報がおくれまして、時期的にずれたようなことを申し上げるかもしれませんけれども、その点一つ御了承願います。 私はまず三十年度予算案の全体の性格とか一つの傾向といったようなものをお話したいと思います。 第二番目にその一つの側面としてのいろいろな予算の乱費、特に防衛庁費の乱費を申し上げたいと思います。 第三番目に、共同修正案について意見をちょっと述べさしていただきたいと思います。 今年度予算案の性格と申しますか、あるいは傾向と申しますものは、でき上った予算案を眺めておりましてもなかなかわかりませんので、その予算が成立する過程の問題からお話したいと思いますが、これはもう御承知のように、防衛分担金を減らす問題から問題が出てきておると思われます。 結論を先に申し上げますと、私の考えでは、日米間の交渉というものは防衛分担金を減らす交渉のように見えて、実は防衛費をふやす方法についての交渉であった。それは結果からみてそうであったというだけではなしに、両者の立場の性格と申しますか、そういうところからそう考えられるのではないかと思われるわけであります。 それはなぜそうであるかといいますと、自衛隊を強増していくというこの基本的な政策については両者は一致しておるのではないか、基本的には一致しておるのではないか。しかしその方法において両者は対立しておったんじゃないかと思われるわけであります。で、アメリカの方は御承知のようになるべく日本の負担においてアメリカの方には有利なようにこの自衛隊を増強する。たとえば次第に特需を削減していくとか、あるいはそのために余剰農産物のごときものまでも非常に有効に利用している。あるいはあのアーヴィング・ロス氏の見解なども見ますると、防衛産業を維持していくこの負担を日本政府がやるならば特需が少しふえるかもしれないというような見解、こういうものにアメリカの立場というものが現われておると思うのでございます。日本側は日本側で、なるべく日本の有利なように、すなわちアメリカの特需や援助を今後は期待しつつまた防衛分担金なども減らす、あるいは余剰小麦代金などもなるべく自由にこっちが使いましてやりたいというような見解が見えてあったようです。で、アメリカ側は日本側のそういう防衛分担金を減らすと、この要求を一つとらまえまして、これをまた逆用しまして、防衛分担金削減の要求をてことしまして、それ以上は防衛庁費をふやすというようなやり方を実は昨年度からやっておるのでありまして、この二十九年度予算におきまして防衛分担金は二十八年度予算よりも三十五億削減されましたが、防衛庁費の方は百七十五億ふえております。で、そういうような考え方は、アメリカの国防次官補のヘンゼル氏の言明において、防衛庁費九百億をベーシック・フィギアーとして、それ以上に増した分の半分だけ防衛分担金を減らすというような考え方にもそれが見えておったわけであります。 さて、今年度の予算案におきましては、その結果におきましては、この防衛分担金が百二十五億減らされただけ防衛庁費がふえたわけでありまして、このような点から見ておりますと、米国側がやや妥協したように見えるのでありますが、実際は防衛分担金削減の日米共同声明をよく読んで見ますると、このような分担金削減の方法は今年度限りであって、さらにこの予算外契約百五十四億円です。これを防衛庁費に防衛庁が使う権限は与えるとか、それから繰越金を二百二十七億でございますか、これを全部使うとか、あるいはこの防衛支出金の中の飛行場の拡張に八十億内外を使うとか、あるいは昨年度のように実行予算において防衛庁費を削減することがないようにとか、実質的にアメリカ側の要求が貫徹されたのではないかと、つまりアメリカ側の要求するように、分担金を削る以上に防衛庁費をふやすという要求が貫徹されたのではないかと私は見ておるのであります。その結果、政府の当初の考え方、これはアメリカの原案などを参考にして見まするとでありまするが、それと、それから本年度の予算案と比較いたしますと単に金額だけの削減ではなしに、そこに質的に異なったものができておるのではないか。それはやはり国民の生活上の必要あるいは国民への公約と申しますか、それが実質的にいれられなかったというようなことをさすのであります。 で、実は大蔵省原案と申しますのは、私はっきり資料を何しておりませんので、大体新聞紙上に伝えられたものを申し上げますと、その最初には防衛分担金において百八十億削るが、防衛庁費は五十七億増すというような何があったと思うのでありますが、それはアメリカ側の従来の考え方と異なりまして、防衛分担金の方の削減額の方が大きくなっております。それはその中からやはり国民への公約を満たそうという考え方が政府におありになりたのじゃないかと思うのでありまして、しばしばそういうふうにも最初のうちは新聞紙上に伝えられておりました。ところがそういうような当初の考え方が日米交渉によって全くその形と質を変えてしまったのでありまして、つまり防衛分担金プラス防衛庁費、すなわち防衛関係費いとうようなものは、国民のいろいろな生活上の要求と全く関係のないものである、国民が一指もこれに触れることができないものであるということが明確になったのじゃないかと思うのであります。しかし予算案を見ますると、防衛関係費全体としては昨年度と同額である。そしてまたいろいろな個々の費目を見ますると、公約が満たされておるのではないかというお考えもあるかと思いますが、しかし国民の生活上の要求を満たすということは、単にこの国の予算面における金額上の増減では判断されないと思います。これは国の行政から、さらに地方行政の末端まで考えていただきまして、国民と接触しておりますこの行政の末端で事態は一体どうなっておるかということから判断していかなければならないのじゃないかと思うのであります。 そういう国民生活上の要求といいますか、これは地方住民の要求と申し上げてもいいと思うのでありますが、それはたとえば失業対策なんかにおきましては、すでに本年の三月において完全失業者が八十四万人出ておる。これは政府の予想よりもはるかに大きくなっておる。それ以外に潜在失業者が約五百万人あるというようなこと、それに対しまして失業対策事業費というものは、今年度におきまして一般及び特別失業対策費をあわせまして昨年度よりは四十八億ふえておりますけれども、わずかこれで二十二万人、八十四万人の完全失業者に対して二十二万人の失業救済ができるお金しかないというようなことになります。さらに生活保護につきましては、特に生活扶助につきましては、要保護者は現在一千三百万人あるのじゃないかと思われますが、それに対して予算の面では昨年よりも八億ふえておりまするけれども、わずか二百万人の生活扶助しかないというようなありさまであります。住宅対策につきましては、これは最大の公約の一つでございましたが、不足住宅は現在二百五十万戸からさらに三百万戸あるのじゃないかと推定でございますが、これは昨年よりも五十億ふえておりまするけれども、肝心の国民大衆のこの公営住宅は、五万二千戸くらいありますか、それをさらに単価を切り下げたり、あるいは非常に狭小な住宅を与えるというようなことになっております。さらにこの危険校舎、いわゆるこれは公立学校、小中校をあわせまして現在三百万坪あるのじゃないかといわれておりますが、それに対して現在の、今年度の予算案は、去年よりはふえておるのでありまするが、わずか二十万坪の危険校舎を建てる金しかない。災害復旧におきましては、またいろいろな同じような状態であろうと思うのであります。 こういうふうに具体的な国民生活上の要求というものと予算を対照させてみますると非常にこう足りない、不足している、実質的に減っているという面がはっきり出てくるのじゃないか、私はもちろんこういうような膨大な生活上の要求というものを単に一年度の国の予算でうずめろと言っているのではないのでありまするが、しかし少くとも傾向として、こういうものを解決していっておるであろうか、その傾向を見ておるわけなんでありますが、今申し上げました国民生活上の要求は年年ふえる傾向があるものでありまして、たとえば失業者にしましてもそうでありますが、危険校舎のごときもそうであります。災害もそうであります。そういう年々ぶえる分さえも今年の予算は満たしていない。だとすれば、本年度の予算はそういう方面に対して、国民生活の方面に対して年々減ってゆくということを言わざるを得ないと思うのであります。 その結果、先ほど申し上げました行政の末端の方ではどういうことが起っておるであろうか、たとえば、これは私ども最近、昨年から国の予算と関係させまして地方行政の末端の方を調査しておるのでありますが、こういう例があがっております。たとえば生活保護なんかに対しましては、あの福祉事務所の例のケース・ワーカーといわれておる人たち、つまり生活保護者の実態を調査いたしまして、生活保護をやるかどうかということをきめる人たちでありますが、こういう人たちは、なるべく峻烈に調査をやりまして、被保護者の件数を減らした者が非常に有能な官吏であるというようなことや、それから失業者に対してもそうであると思います。あるいは災害などに対しましても、なるべく金額を低く見積って、補助の件数を減らした者がまた有能な官吏のように考えられている、そういう常識が末端の方ででき上っておるわけであります。 さらに寄付金その他の地方住民の負担でございますが、これは特に教育費関係におきまして、たとえばある都市のごときは学校の施設費は市から出る分が四割で、PTAの負担が六割といったような実情も現われております。さらに災害につきましては最近部落協議費だの寄付金だのといったものが非常に猛烈にふえておるのでありますが、特に町村合併をやったところでは、その端々の末端の方の地域の橋を直したい、あるいは道を直したいというような切実な要求が新らしい市や町に取り上げられませんで、そこではまた非常に部落的なものが復活して、その寄付金や協議費がふえておるという実情が明らかに見られます。こういったことも、要するに国税を予算面でどれだけ減税するかということと同時に、さらに地方税からさらに末端の寄付金なども全部明らかにしていただきまして、果して国民の負担が減っているかどうかということもお考え願いたいと思うのであります。 行政の末端と申しますればついでに地方財政問題これは今年非常に大きな問題として登場すると思うのですが、これはまさに、先ほども申し上げておきました最も具体的な国民生活上の多方面の必要、これと再軍備の傾向とが最も鋭く対立する場所であるので、実は地方財政問題が非常に重大化してくるのではないかと私は考えます。それに対しまして先ほど申し上げましたような、国の予算は、大てい地方の予算である補助金やその他負担金として回るものでありまして、それが非常に実質的に削られているために、非常に今年度は政府の地方財政計画においても百四十億ばかりの赤字が出る。私は赤字が出るような計画は計画でないのだと思っておるのでありますが、そういう出る始末である。そういう場合に、やはり地方自治体のみに原因を持ってゆきまして、そうしてこれを再建整備しよう、地方財政再建整備法とか地方自治法の改正が出ておりますけれども、これは要するに、町村合併にも一つ現われておりますように、地方住民の非常に具体的な要求から、地方自治体の、その地方住民の要求の声が届かない方向にだんだん中央集権化してゆくという一つの傾向であろうと思います。 要するにこの結論としまして、本年度予算案の性格あるいは傾向と申しますると、先ほどから言っております国民生活上のいろいろな要求、実はそれを裏返してみますると、国民生活の窮乏であります。それが年々ふえてゆく。しかもそのふえてゆく原因はやはり再軍備の経済あるいは予算によって拍車をかけられておる。で、それに対してまた傾向として、再軍備を非常に促進しようとする本年度の予算からこういう国民生活上の要求を解決するということは、実質的に非常に困難ではないか。本年度もそうであるなら、来年度からますますこれが困難になってくるのではないかと思う次第であります。 第二番目の問題は、濫費の問題でありますが、特に最近先ほど申し上げました国民生活上の要求が次第に満たされないままに、他方に急速に増大しておるいわゆる軍事費的なものであります。来年度は自衛隊の平年度維持費及び増強費を加えますと一千億近くなるといわれておりますが、この経費の濫費は次第に国民の疑惑の的になっております。これは最近の新聞や、新聞の投書欄やあるいは雑誌などにおきまして見られることでありますが、それだけではございませんで、本年の一月、内閣官房長官に対する会計検査院長の予算の非効率的使用に対する説明の中で、非効率使用の三大事例としまして、地方への補助金と外国食料の購入と並んで防衛庁の資材調達費の濫費があげられておる次第であります。これは二十八年度、今年の初めに出ました二十八年度の決算報告ではややその濫費の原因が明らかにされておりまして、自衛隊には米軍装備表というものがあって、この米軍装備表によって資材調達が行われておる。それが部隊の編成の実情及び訓練の実情から遊離して行われておるものだから、あまり要らないもの、あるいは不当に性能の高いものを買っておるということが指摘されてございます。 一体軍事費は戦前から不当経理が非常に多いものでございまして、物資を非常に高く買い占めたとか、軍の資材を不当に安く払い下げたとかいったような不当経理が絶えないものなのでありますが、それに加えて、戦後の防衛庁費の不当経理は新たな性格を加えてきたと思います。防衛庁の予算につきまして、その予算の積算の根拠が明確でないということは、その庁内経理の担当官も漏らしておることであります。その理由を三つばかりあげてみますると、予算積算の根拠になるものは、たとえばある部隊が何箇中隊編成になっておって、一箇中隊の中に砲が何門、あるいは通信機が何台、トラックが何台ということがはっきりきまってなければならない、それがどうもはっきりきまらない。きまらないというのは、その部隊編成というものはやはり最高の戦略に関係してくる。ところがわれわれ国民は一体自衛隊が何をするのか、はっきりわからない。そうして戦略がどこできまっておるのかわからないとするならば、予算積算の根拠がないというのも道理であるということであります。 それから第二番目には防衛庁の施設費に関するものでありますが、たとえばキャンプでありますとか演習場でありますとか、そういうものは米軍が引き揚げたらこれを使うというような例になっておるものが非常に多い。しかし米軍が引き揚げるかどうかはっきり予想がつかないということもありますし、それから米軍との施設の共用の面が非常にふえております。たとえば空軍の基地なんかについて航空自衛隊は共用しておるとか、その他いろいろな共用の面がある。そうしますと予算面では防衛支出金と防衛庁費は分れておりますが、実質的には流用されておるような面があるのではないか、そこに施設費の積算の根拠がはっきりしないということもあり、それから最後に最も大事な物資のアメリカからの供与の問題でありまして、自衛隊の装備というものは、アメリカから与えられた兵器と、それから日本側の調達になっているいろいろなトラックや通信機械や、それを一体としまして考えまして自衛隊の装備となるのでありますが、ところがアメリカ側から与えられる兵器の数量、価格、その時期、それが予想が違ってくるので、それに合わせて日本側の購入する物資がはっきりしないというような、そこに買い過ぎるとか何とか起ってくるということが予想されるわけです。しかし、ともかくこのMSA協定によりまして兵器の供与は最近短期間に急速に進められておりまして、今やこの自衛隊の装備は旧軍隊よりも高度の火力と機動力を備えておるということは、防衛庁の防衛年鑑にも書いてございますが、これはもちろん米軍よりも劣るが、旧軍隊よりもはるかに勝るという程度において非常に短期間に促進されておるのでありまして、装備の強化がなされておるわけであります。その促進の機動力というものは、アメリカからやってきます兵器の供与にある、こういうことは明らかでございます。このように外部から促進されておる、何と申しますか、軍事技術の急速な高度化、それに引きずられて国内での物資調達が行われる。そのために部隊の整備の実情とかけ離れた買いつけが起りますし、あるいは反対に国内調達にマッチさせようとしましていろいろな施策や資金や、仕様書の作成に非常に時間をとりまして、多額の予算が翌年度にまで繰り越されるというような一種のまた予算のむだ使いが起っておるのではないかと思うのであります。三十年度予算におきましてもそのことがまた出ております。これは自衛の範囲を出たような非常に日本としては不つり合いなほどの装備が進められる傾向が見られるのではないか。たとえばジェット戦闘機や空挺隊あるいは通信設備の増強、それから艦艇あるいは機械化混成兵団を北海道や九州に置くというようなことでありますが、つまり軍事技術の非常に急速な高度化とこれに対応しまして、防衛庁だけではなくして、軍事科学の研究におきましても非常に急いでなされておる。つまり十分日本の科学者が納得し賛成を得ないままに急いで進められておるという面が最近頻繁に見られるわけであります。 たとえばこの三十年度予算案におきまして総理府所管になっております航空研究所がありますが、これが最近のジェット機生産の製作に一つの起源をおいておると思うのでありますが、御承知のように研究所の設置につきましては日本学術会議に諮問するということになっております。確かに諮問されたわけでありますが、それが年度の非常におそくでありまして、学術会議にもその用意がなくて、これを学術体制委員会に回したわけであります。学術体制委員会は二回ほど開かれました。非常に政府が急いでおられるということで条件付きで、たとえばこれが軍事的目的に使用されない、あるいは自主的な研究をやるという諸条件をつけまして、さらにこれは学術会議の意思にはなったわけではないから、さらに運営審議会の、この体制委員会にそれを回しまして、運営審議会では、これを防衛庁などもこの航空研究所の運営機構の中に入っているのに軍事的に使用されないのはどういうものかわからないから、もう一ぺん学術体制委員会で練り直せということで、また学術体制委員会に戻したわけであります。そういうわけで学術会議としてもイエス、ノーは言っていないわけでありますが、実は本年度予算の中に航空研究所というものが見られるというわけであります。その他この原子力研究とか濃縮ウランの問題とか、すべてそういう日本の科学技術体制がまだ整備されないままにどんどん軍事科学に関する予算が出てきておるということは、やはりこれまた当然濫費の問題にもなるし、またそうではなく、要するに使い切れないという状態が起ってくるのではないかと思われます。濫費の問題はまだほかにあるのでありますが、時間がございませんから次に移ります。 最後に共同修正案について一言意見を述べさせていただきます。私はこの修正案に見られますような修正案の趣旨がはっきりわからないので、もしもその趣旨が租税によってまかなわれるような出投資をやめて、そういうものを投資の方へ回す、つまり一般会計と出投資とはっきり区別するということであれば、これは理論的に正しいことだし異議がないと思います。異議がないのでありますが、しかしこれは御承知のように支出の面でも財源の面でも、両者が一般会計と出投資が交錯しておったのでは非常に混乱しているわけでありまして、実質的に一般会計でなされるべきものを出投資に回したりしまして、一般会計の膨張が非常にカムフラージュされているということもできるわけであります。これは各国の例につきまして、やはり出投資の会計を設けるときには注意しなければならないということをいわれております。もしもそういう状態を直そうというならこれはいいわけでありますが、本年度の修正を見ますると、そのような会計上のむしろ健全財政上の動機が基礎にあったとは考えられないわけであります。で、一般会計における非常に政策的な減税とかあるいは支出がまず先にありまして、それに歳出面のつじつまを合せるようにこの会計上の操作がなされたようなふうに私は考えます。従ってこの一般会計の歳出増八十八億の面を見ましても、非常に一億ないし二億内外のこまかい支出がばらまかれているのでありまして、特に、かねがね問題の多い農林関係にこれが非常に多い。もちろんこれには先ほど申しました防衛関係費の増大によって、国民生活上の必要を充たすのであれば一億内外でもふえないよりふえた方がましてはないかといわれるかもしれませんが、しかも先にも申しましたように、予算が国民の要求にこたえたかどうかということは、予算面の多少の金額の増減で判断すべきではなくて、行政上の末端、国民生活と触れ合うところの行政で判断すべきであるとするならば、全体として国民生活上の要求にこたえられなくなってきている。今年度の予算の性格をわずかの金額をふやすことによって何かまたさらにカムフラージュするということがいえるのじゃないか。たとえば危険校舎の費用につきまして修正案は一億増になっておりますが、これは先ほども申しましたように、実際危険校舎というものは坪数に見積って三百万坪ある。しかも毎年これが三十万坪ふえるのだということになりますと、この一億円の増というのは大体一万坪の増でありまして、一体これは実質的に何を意味するかわからないということであります。 さらに二番目に、かりにこういう歳出面の問題を離れまして、歳入面あるいは会計上だけの面を見ましても、一般会計と出投資とは実際ははっきり分けられたのではないわけでありまして、その出投資の会計が分けられるには、出投資の財源をささえている長期資本の供給の機構が確立していなければならないと私は思いますが、それが確立していない証拠に、たとえば一般会計から回された出投資の中に、さらにまた百四十一億円という金融債が、出投資からさらに民間金融の引き受けに移されまして、これに対しましては金融界でもかなり反対があるということを聞いております。 従って結論を申しますと、一般会計における非常に明確な支払い義務を生ずるような歳出増あるいは減税というものを、非常に不確定な民間の金融債の引き受けとか、あるいははっきり予想のつかないような預金の増、最近の何では、民間の預金が減るということさえも伝えられておりますが、預金の増を見込んで一般会計の支払い義務を生ずるような歳出をまかなっておるということになりまして、この修正案は、予算面における非常に無計画な要素を一つ持ち込んだのではないか。そうでないとするならば、一般会計における支出義務や減税に無理にこたえるために、資金統制を強化して、民間の資金需給に非常に圧力を加えるというような結末となりはしないかというようなわけでありまして、私はこの修正案を全体としてどうも納得できないもののように思っております。 非常にいろいろなことを申しましたが、以上で終ります。
○委員長(館哲二君) ありがとうございました。島教授の公述につきまして御質疑がありましたらどうぞ。
○池田宇右衞門君 私はちょっと中途に参りまして、全体を聞かなかったのでございますから、私の聞いた後の件に対してお尋ねをしたいと思います。 今、防衛費とにらみ合い、また来年度を考えるときに、国民生活の水準が満たされなくなりつつあると、そこで私がお尋ねするのは、国民生活の水準でありますが、どこをおとりになっておるか。それから日本の国民生活の水準は、どこの国と比較してどの程度になっておるか。私が最近東洋を回ってきたところでは、東洋においては東南アジアよりもタイよりも、おそらく衣食住という国民生活の水準では日本が一番程度が高くなっております。これをアメリカをとったら満たされないのではないでしょうか。あるいは聞くところによりますと、フランスといえども、英国は最近ややよくなったといえども、ドイツでもイタリーでも、まだ日本と比較するときに日本より水準が低いという。負けた今日の日本において、国民水準が満たされておるということはあらゆる関係から……、どこの国と比較して日本の国民水準がどういうところが満たされないかというところを明らかにしていただいて、そこを一つお聞きしたいのと、それから修正予算に対するところのいろいろの諸問題をとらえましたが、そのうちにおけるところの農林行政において、昨年度と比較いたしまして百十七億も農林方面に対する補助の減額をし、日本の農業は農地改革以来零細化し、しかも就職難の今日において、農産物物価は政府その他によってきめられて、農民が価格をきめるのではございません。生産を割るような価格はたくさんあるのであるけれども、農民はじっと辛抱しておる。その農村の安定育成についてはどの程度研究してありますか。ただ数字をにらんで、これが満たされぬ、満たされたでは……、三十一億五千万円を追加されても、大ていの農村は不満足であります。今日の日本農業の実態は、ややともすれば世界の農村恐慌の風が少々当りつつあるのでありまして、これをいかに防除し、いかにこの間において安定と生産とを、自給度の向上を満たしていかなければならないかというのが、今日の日本農村に与えられたる大きな問題であります。その点を深く御研究になっておるかどうかということをお尋ねしておきます。
○公述人(島恭彦君) 第一の問題について、国民生活水準ということを私は申し上げていないのであります。つまり生活水準を国際的に比較するということは、学界におきましてもこれは至難な問題でありまして、今定説がないのであります。私が申し上げるのは、具体的に、たとえば先ほど落しましたけれども、年間の食糧増産におきましては、年間消費増が百万石ある。ところが、今年度の予算におきましては、米麦の何が七十五万石しか掲げられていない、そういうふうに申し上げたのでありまして、国民生活水準というようなものについて、私はまだ定説のないことを申し上げておりませんです。 それから二番目のお考えでありますが、これは農村側が満たされないということを言っておいでになるのでございましようか。
○池田宇右衞門君 その通りです。
○公述人(島恭彦君) 私もその通りで、一番目の問題はそこにあるわけです、国民の要求が満たされないと申し上げましたのは……。その他いろいろ申し上げますと、農村のことも考えなければならないわけでありますけれども、そのことを申し上げておるわけであります。
○池田宇右衞門君 私の入ってきたときには、国民生活の水準が満たされないということを私が聞いたから、今の国民生活の水準を聞いたので、研究とか学説にも出ないというなら、私はあえて追及しませんけれども、とかく生活の上において、日本の国民生活水準が低くて、きわめて国民はこれに難渋しておるというような説を出されると、及ぼす影響が非常に大きいから、この点を今研究になっておらなければけっこうです。これは大きな影響がありますから、私は参考のために申し上げておきます。
○西郷吉之助君 一点お尋ねいたしますが、今のお話では、共同修正に触れて、預金が減少の傾向にあると言われましたが、われわれの調査とは全然逆な御見解のようでありますが、その根拠はどこにありますか。
○公述人(島恭彦君) これは昨日の新聞でありますか、そういう報道もあるということを申し上げたのです。
○西郷吉之助君 それは毎月違いますから、増減はもちろんありまするが、われわれの比較は前年度との比較なんですが、あなたの比較はどこでとっておられるのですか、毎月ですか。
○公述人(島恭彦君) これは毎月ではございません。新聞報道を何して、減る傾向にさえあるという一つの例としてお話ししたわけでありますが、減らないにしても問題はあるわけであります。減らないと仮定しましても、つまり不確定な要素を一般会計の歳出増にずっと充てるということになるから、私は不確定の要素を予算面に入れるということになって、非常に困った問題ではないかということを申し上げたわけであります。
○委員長(館哲二君) 他に何か御質疑はございませんか——御質疑もないようでありますから、ありがとうございました。 次には元全日本医療労働組合執行委員長堀江信二郎君にお願いいたします。
○公述人(堀江信二郎君) 私に与えられた課題は社会保障ということになっております。社会保障によって保護しなければならない災厄というものは、疾病、出産、不具、労働災害、職業病、それから老齢、それから完全及び部分失業、死亡、母子保護等、こういったことが大体国際社会保障会議における決定になっております。ここで私は大体その中の四つに分けてお話してみたいと思います。 まず失業保険でございますが、予算案には二十九年度より二億七千万円少くなっております。その理由は、失業保険を給付する労働者が今年は昨年と比較して毎月四万人ずつ少くなる。それから次は被保険者期間、すなわち保険金をかけておる期間であります。それが九カ月未満のものは給付額を九十日分減らす、この二つによって二億七千万少くて済むというように解釈されるのであります。以上の点について考えてみまするというと、失業者が今年は少くなるかどうか、これはいろいろ先ほどから申されております通り、私もこれはむしろ多くなるという方が正しいと思います。ところが失業保険制度というものは、どんどん拡大して行く失業にどこまでも耐えうるというようなものにはできていないのであります。常にある一線で押えるようにできている。たとえば日本の失業保険制度につきましても、大規模な長期の失業を保護することはできない。いわゆる摩擦的失業を対象にせざるを得ないものとして作ってある、こういうふうに言われております。このようにある一線で押えるというやり方は日本だけでなく、資本主義各国の失業保険にある一線でありまして、ただその内容が各国非常に違っておる。今この失業保険制度の中に作られている一線を見まするというと、あらゆる職業の被雇用労働者を保護するというのは英国スイスにありますが、そのほかは大部分ある種類のものは除外しております。除外されるものは、まずあげてみまするというと、特定の基準以上あるいは以下の収入のもの、それから次は比較的安定した雇用に頼り得る労働者、それから次は特定の経済部門に職業を持つ労働者、家庭内労働者、季節労働者、短期就労者、それから小企業に雇われる労働者、この中でも特に最も多く除外されるものが公務員、農業労働者、家庭労働者、季節労働者、それから職人、今年度の失業予算はこの最も多く除外される傾向にある季節労働者、それから短期被保険者、これを大体対象にしておるようであります。 それから次が失業手当を給付する期間についてでありますが、これは資本主義各国はほとんど制限をつけております。ただオーストラリアとニュージーランドが社会保障制度によって、これは失業期間全期間、フランスとベルギーでは法律には給付を受ける期間についての制限を規定しておりません。 それから次に言い得ることは、多くの国において失業者の非常に多くのものが保護から除外されている、保護から除外されている労働者が多い。そのために労働市場で激しい競争を起している。そういう労働者の中には最初の職業を探している若い人たち、いわば日本では新制高校とか、あるいは大学を卒業したそういう若い人たち、それから次は保険費についての条件を満たすことができない失業者、保障期間が切れたあとでも職業がないままにされている失業者、こういったようなものがやはりそういう人たちの層であります。 以上申し述べました各国の違いをまとめてみまするというと、一般的に申しまして経済的の発展の度合いが進んでおりまして、労働者や関係諸団体がこの問題を重視しているという国々では、失業保険の範囲がやはり非常に広いのであります。それからそれに対しまして、一方経済的の発展がおくれているために、失業が社会制度につきもので増大し続けているという国々では、一般的に保険の範囲が制約されたものとなっている、以上が大体失業と失業保険制度、これを国際的にみた失業保険のまあ実態でございます。 ところで、ここでこの今回の予算の中にある失業保険の内容を見てみまするというと、新しい一線をここで出しているわけでありまして、それはまず第一に新たに職種を加えております。これは広げております。それから次は永年勤続者の給付を引き上げております。これも引き上げになっております。それから次は季節労働者を含んだ短期の被保険者の給付を九十日分引き下げております。今まで百八十日ですが、それを九十日分引き下げておる、すなわち大体二つは拡大して一つは縮小している、そうして予算は昨年よりは全体で約七億少いワクで黒字を大体予定しなければならないというようなものと拝見しております。 以上が失業保険の変化でございますが、これが日本の全体の労働者にとってよくなる方向でないということははっきり言えるのじゃないか。ことに今回引き下げられる季節労働者を含めました短期の雇用者というものは、失業保険を切り下げるときには、どこの国においてもまつ先に除外されたり、引き下げられたりする層だということが今度の改訂の特徴を示していると思います。 さらに失業についての重要な問題は、日本の失業が慢性的、恒常的失業状態だということでありまして、こういった慢性的な大規模な失業のある国におきましては、失業保険とか、あるいはまた簡単な失業対策事業でこの失業を解決するということはできるものではないか。失業に対するほんとうの効果的の保護は、生産の拡大を基礎にした経済政策と、これに並行する完全雇用政策であるということが大体一致している説であります。従ってこの日本の失業というものが保護されるかどうか、この予算案なり、その他によって保護されるかどうかということを調べる場合は、まず経済政策、それから完全雇用政策、それをただしてみなければならない。特に今回の失業保険というものが切り下がる傾向を持っておるとすれば、この経済政策、完全雇用政策というものはやはり何よりも聞いてみなければならぬ点だと思います。 以上が大体失業保険についての説明であります。 それから続いて生活保護の対象となる、いわゆるボーダー・ライン層、いわゆる貧困層でありますが、これは厚生省調査では九百万人、その他学者の調査では一千万、ところが先ほどは千三百万と言われた、また戸こま千五百万、こういった工合に言われております。とにかく約一千万の貧困者と見ましょうか、その貧困層の中で生活保護を受けている数というのは約二百万、これがわが国の貧困層に対する保護の制度であります。そこで、この貧困層に対する保護をまず考える場合に、重要な点は何かと申しますというと、この約一千万、生活保護を受ける二百万を含めまして約一千万、その層がほとんど生産的な労働力を持っている貧困者だということであります。今二百万、生活保護を受けておる十五才から六十才未満の人を調べてみますというと、その五八%は就労しております。働いておるのであります。そういたしますというと、この生活保護を受けておる人々を中心とした一千万の貧困層は、自分の持っている生産的な労働力を売って生活を維持することができない失業者だ。そのための傷病者である。またその家族たちだということになります。しかもなおこの貧困層は、今年はさらにこの失業の増大その他疾病、災害の増大等によりまして、さらに拡大されるということが予想されます。 以上が、大体この日本の現在の貧困層の実情ではないだろうか。このような貧困層に対しまして、やはりこの生活の保護の制度にも限界があるわけであります。どういう限界かを今三十年度の予算案に見てみまするというと、大体従来は五%増を見込んでいるという説明があります。ところが東京都の三十年度のこの生活保護の予定を見まするというと、大体年間延べで十万人を減らす、すなわち生活扶助は二十九年末の保護人員よりも九千六百三十二人減らす、それから医療扶助は入院患者を千七十五人、外来を九千百五十二人、こういったように減らすという計画で決定しております。といたしますというと、地方自治体でこのように組んでおるといたしましたとすれば、今年は相当昨年よりはこの保護者を減らさなければならないようになっておるのではないか、そういうことが考えられるわけであります。そうすると、これもやはり先ほどの失業の実情と、この失業保険との関係と全くこの方向が同じであるということが言えると思うのであります。 それから、その次に生活保護については特に重要な問題が一つあります。それは、この生活扶助を受けている労働者の生活費というものが一日五十三円、一回の食費が十八円で済ますようにできているわけです。この低い水準がその他の日雇い労働者の賃金や、または失業給付金の水準を規定するてこになる。それからまたさらに、これらは就業している労働者、組織労働者の賃金水準を圧迫するということであります。このようにこの生活保護を貧困層の二割に限定しなければならない。それからまた一回の食費を十八円にしなければならない、こういうことが労働者全体の生活水準に決定的な大きな作用をしておる。ところが、さらにそれだけじゃなしに、国の経済発展に決定的な大きな影響を及ぼしている。生活保護については特にこの点が重要な問題であろうと思います。従って貧困に対しまするこの社会保障制度につきましては、予算面で検討する前に、まずこの経済政策と、それから完全雇用政策、それから最低賃金制、これをただしてみるのが順序であろう。これはやはり失業保険の場合と同じだと思います。このようにこの失業と、それから貧困の拡大というものは当然疾病を増大させておる。最近の数年来における医療と社会保険の中で多くの問題が出ているということはすでに御承知だろうと思います。しかし、その原因はやはりこの失業と貧困の増大の中に求めるのが当然じゃなかろうか。 そこで、今この医療の中に起きている非常に特徴的な一つの問題をお話いたして見まするというと、国立療養所につき添いを廃止するといういう方針が出ておるわけであります。国立療養所と申しますというと、その特徴は、六万五千五百ベッドの結核のベッドを、千六百十八人の医者と、それから一万五百三十人の看護婦と、それから約四千二百名につき添い、この三者の労働力で医療と看護がささえられている。医者は八時間の労働力であります。一万五百三十名の看護婦はやはり八時間の労働力を提供している。ところが四千二百名のつき添いというのは一日十五時間から二十四時間の看護労働力を提供しているわけであります。この三者の労働力というのがまず国立療養所の一つの特徴をなしている。それから次は、国立療養所というのは一般会計により経営されておる、この二つが国立療養所の特徴でありまして、国立療養所が現在のように非常にむずかしい結核手術か今のような数をやる、さらに今のような研究もできる。また今のような生活困窮者も扱うことができるということは、今申しました二つの特徴によるわけであります。ところが、これに対しまして二千二百七十名をつけて、つき添い婦を廃止するということは、八時間労働に直しますと八千四百名分の労働力でありますから、差し引き現在の療養所から六千名分の労働力を減らさなければならないということになるわけであります。それから次に、このつき添いを廃止するということは、まず看護の内容はどうありましょうとも、完全看護という名目をとることを意図しておるわけでありまして、それは独立採算方式に切りかえなければならないから、完全看護方式を、内容は何でもいいから早くとらなくちゃならないというわけであります。 以上の国立療養所の中に起ろうとしておる変化は、先ほど述べました生活保護の新しい制約の影響が現われておるわけでありまして、国立療養所が文句なしに六千名分の内容を減らさなければならない、しかも内容を減らしながら、逆に収入だけは今より上げて独立採算方式はとらなくちゃならない、こういうことだと思います。ところが、この国立療養所の持っておる特徴と申しますのは、これは現在の日本の医療体系の中の非常に重大な特徴と言っていいと思います。従って予算案の陰に隠れている非常に小さい問題であります。つき添い廃止というごく小さい問題ではありますが、これは実は小さい問題じゃなくて、医療の社会保障を後退させる決定的な働きをするものとして非常に重要な問題だということを言いたいのであります。 大体以上、この一つで医療の社会保障の変化ということを申し上げてみたわけであります。 続いて社会保険でありまするが、健康保険、その中の政府管掌の健康保険、それから組合管掌の健康保険ともに大きな赤字を出しております。それから国民健康保険も非常に経営難に陥っておる。三十年度はさらにその赤字や経営難が拡大するだろうということ、この社会保険における傾向は、やはり先ほどから申しました失業、貧困、医療、その三つの中における傾向とはっきり一致しておるわけであります。最近御承知のように、健保団体と国保団体、それから医師会、歯科医師会、薬剤師会、総評、全労、日農、全農、この九団体が集まりまして、健康保険、国民健康保険の給付費に二割の国庫補助をするよう法律化してほしい、この目標でもって統一行動を起しております。この動きは、社会保険の問題について非常に最近の大きな特徴というべきだと思います。今申しました九つの団体というものは、従来いろいろな面でいがみ合っておった。ところが今回そういう小さいお互いの利害を踏み越えまして統一しなければならなくなったということは、社会保険の危機の深さを示すとともに、この国民的な社会保障の要求というものが何であるかということをはっきり示しているのじゃないかと、こう思うわけであります。この予算案の中に示されております、すなわち十億の国庫負担と二十億の長期融資と、それからその他の行政措置によってこの赤字を克服するというような方式と、今申しました九団体を中心とした国民的な要望との食い違いは非常に激しいものだ。これは、この激しさは、失業や貧困、医療の中で述べました状況とやはり一致する状況だと思います。 以上、大体この四つの失業それから貧困、医療、社会保険というものについて述べたわけでありまするが、その中で私は、失業の増大が予想されるのに失業保険は保護の内容を切り下げなければならなくなってきている、それから貧困層のより増大が予想されるのに生活保護をより制限しなければならなくなっている、それから疾病や災害の増加が予想されるのに、結核療養所ではつき添い看護婦を廃止して全体の看護力を三〇%も引き下げなければならないし、また社会保険は給付の増大をただ取締りを主にして押えなければならぬ、こういった社会保障の状態をお話ししたわけであります。以上の話を聞きますというと、ある人は、それは当りまえの話だ、経済危機の際に経済が繁栄するまでぜいたく品である社会保障を待たなければならないということは、それは当然当りまえだよと言うかもしれません。そういう人の経済繁栄というものはどういうものを意味しておるのか。とにかく、失業者はどんどんふえていくという政策がこの二回の世界戦争を生んだということは、世界人類の経験として第二次大戦後に記録されている事実であります。そのために、御承知のように国連憲章というものは、われらの生涯に二度まで人類に名状しがたい悲哀をもたらした戦争の惨禍から次の世代を救うために、こう前提いたしまして、憲章の九章の五十五条でございますが、そこに、各国間の平和的友好的関係はそのために欠くべからざるものが生活の安定と福祉の諸条件を設定することだと、またそのために生活水準の向上、完全雇用及び経済的、社会的進歩発展を推進しなければならぬということをはっきり規定しているわけであります。ところが、こういうことを規定いたしましても、御承知のように一九四七年のマーシャル計画以後は世界に非常に大きな失業者が増大したわけであります。またその失業者の増大とともに戦争の危機は幾たびか深まってきたわけであります。ところが、そのとき世界のあらゆる層の人々が、労働者を中心といたしまして失業をなくするという努力、社会保障を前進させる努力、それから国際経済交流を深める努力、民主主義的な諸権利を守る努力、それから賃金水準を上げる努力、こういった努力を並行して展開して参りました。こういった国際的な統一した活動が幾たびか深まった戦争の危機をそのつど押し返した力であったということは、最近まだわれわれがはっきり経験している国際的な経験であります。すなわち、社会保障の前進ということは、経済繁栄のためにこそ重要だということは明確であります。そうして労働者を中心としたあらゆる層の人々が、これに関心を深めなければ社会保障というものは前進しないものだということも、国際的な経験がはっきり教えております。 以上の話で、私の三十年度予算と社会保障の関係についての意見といたします。
○委員長(館哲二君) ありがとうございました。ただいまの堀江君の御陣述に対しまして、何か御質疑がありましたら……。
○木村禧八郎君 健康保険の赤字の原因について、もう少し具体的に、何か詳細に伺いたいと思います。それから結核ですね、結核は非常に多くなって、結核の方に相当食われているようにわれわれ聞いているのですが。
○公述人(堀江信二郎君) 結核の医療費が非常に多くを占めているということは、これはあらゆる保険の共通した現実なのであります。ところが、今度の赤字というものが単に結核だけからそういう赤字が出ているかどうか。あげられている理由といたしましては、被保険者が増加したため、そのために二十億、また抗生物質や給付期間の延長による点数の改訂、それによる二十三億、それから受診率の増加、それによるものが幾ら、それからそういったそのほかのすべての関連するもの幾ら、こういったようにいろいろ具体的にあげられてはおりますが、やはり何といっても一番大きな根本的な原因は、被保険者層の生活の窮迫、それによる疾病、または勤務場所における労働強度による災害の増加、こういったようなものに一番より根本的な原因がある、こういう工合に思われるわけです。
○委員長(館哲二君) 他に何か御質疑がございませんか……。では大へんどうもありがとうございました。 次に、東京大学助教授の大内力君にお願いいたします。
○公述人(大内力君) 私、大内でございます。私、大学の方では財政学と農業問題を研究しております。今日はそういう研究者としての立場から、今年度の予算全体についての多少の問題というようなことと、それから特に農林関係の予算というものについて一、二の問題というようなことを申し上げまして、御参考に供したいと思っております。 そこでまず、今年度の予算全体についての問題というものを考えます場合に、われわれといたしまして第一に問題にしなければならないと思いますのは、御承知の通り今年の予算というものが衆議院で修正を受けたのであります。この修正そのものがわれわれ国民の立場から申しますと、はなはだ納得のいかない修正になっているのであります。こういう点をまず問題にする必要があると思うのであります。その納得いかないという点は、実は二つ内容があるのであります。一つは少くとも新聞その他の報ずるところによりますならば、この予算の修正というものが国会の委員会なり、本会議なりの討議を経て、その場で修正されたというよりは、むしろいわば舞台裏の交渉ないし折衝というものによって修正を受けたというふうに国民には少くとも印象つけられるのであります。こういう点はやはりいろいろ問題があるのではないかと思うのであります。本来の民主主義の精神から申しますならば、国会の論議を通じて国民に問題点を周知せしめるということが必要かと思うのであります。それが国会の外でいろいろと修正が行われるというようなことは、やはり民主主義の建前から申しますと望ましいこととは言えないのであります。かりに国会で論議をしていれば予算の成立がおくれるというようなことがあるかもしれません、しかし予算の成立が一月や二月おくれるということよりは、むしろ民主主義の精神を貫くということの方が重要ではなかろうか、こういう点にわれわれとしては納得のいかないものを感ずる、こういうことをまず第一に申し上げたいのであります。それから第二に納得のいかないと申しますのは、御承知の通り今度の修正の幅というものは、二百十五億という幅を持っておりまして、この二百十五億という金額は少くとも新聞の伝えるところによれば、自由党の修正要求四百三十億というものを半分に割った、こういうものであると言われております。この修正要求を半分に割るというようなことは、少くとも財政の上から申しますならば、何の根拠もない割り方だといっていいのであります。そういう意味で財政の方から申しますならば、今年の増額予算、二百十五億の増額というものは全く無意味な根拠のないような増額になっているものである、そういう点にもわれわれとしてはどうしても納得いかない、こういう点が残されておるのではないか、そのことをまず第一の点として申し上げたいのであります。 それから第二に、この予算全体を通じて持つ問題点というものを考えますと、ここには非常に多くの問題点があるのではないかと、こう思うのでありますが、全部を尽すわけにはとうてい参りませんから、特に重要と考えられる点を一、二申し上げてみたいと思うのであります。まず、第一に問題になりますことは、今年の予算というものは、政府の初めの言い分によりますと、いわゆる地固め予算である、その地固め予算の第二年度である、そういう意味で今年の予算も昨年の方針を踏襲して一兆円のワクを堅持しなければならぬ、こういうことを言っていたわけであります。そして結果から見ますと、確かに一般会計の歳入だけを考えますと、政府の原案では九千九百九十六億円、また衆議院の修正案では九千九百十四億円ということになりますから、一応一兆円の予算のワクの中にはまっておる、こういうふうに見えるわけであります。しかし、あとで多少数字的に申し上げますように、一兆円のワクの中にはまっておると申し上げますのは、単なる計算上の操作としてそうなっているというだけでありまして、いわば形式的なからくりというのですか、そういうことでそうなっているというだけのことでございまして、実質的に申しますと、一兆円の予算という線は全然守られていないというふうに考えるほかないのであります。しかも、こういうような、ある意味では無理をした予算という形になっているわけでありますが、それにもかかわらず、あるいはそれにもかかわらずと申しますよりも、むしろそのゆえにと言った方がいいのかもしれませんけれども、予算全体が非常に無理をして組み立てられている。そしてこの予算はおそらく今後長い期間を経ないうちに相当大きな破綻を来たすのではないかと、こういうことが心配されるような予算になっておると思うのであります。この点も後にもう少し立ち入って申し上げたいと思いますが、そう前に考えておきたいことは、こういうはなはだふできな予算になったということはどういうわけかということであります。それはいろいろの修正があとから加えられて、そのために予算が非常に無理をしなければならなくなった、こういうことも確かにあるのでありますけれども、しかし翻って考えますと、むしろそもそもこの一兆円の予算を組むということ自体が実現性のない無理なものであったのではないか、こういう無理なものを押して一兆円の予算というものを組もうとしたために、いろいろ形式的のからくりをして、あるいはあとで申し上げますが、はなはだ弾力性のない予算というものができざるを得なかった、こういうことになっておるのではないか、こういうふうに私は考えるのであります。しかも、一兆円予算なるものが実現性がないということは、必ずしも一兆円以内で予算を組むことが本来不可能だ、あるいはそういう予算を組もうとすることが本来不合理だ、こういう意味で申し上げておるわけではないのであります。いわんやこの一兆円予算というもののもう一つ基礎にある、いわゆるデフレ政策というものによりまして、日本の産業の合理化を促進する、そして日本の経済の対外的の競争力を強めようとする、こういう考え方が不必要だとか、あるいは不合理だとか、そういうことを私は申し上げようと思うわけではないのであります。ただ私の申し上げたいことは、こういう日本の産業を合理化し、日本の対外的の経済力というものを強める、こういうような日本の経済にとりましては最大の問題というものを解決するために、単に財政の規模を圧縮するとか、あるいは金融を引き締めるとか、こういうような政策だけではとうてい達成できないのではないか、こういう手段だけでは、本来問題を解決できないのであって、むしろ日本の経済全体についてより総合的な計画性というものを持たせ、より強い統制力というものを加えることによって初めてなし得ることでないかというふうに私は考えるのであります。ところが、その点が非常にあいまいのままで残されておりまして、そういうより基本的な手を打たないでおいて、ただ財政とか金融というものを一つの手段として日本の経済の合理化をやろうとする、こういう考え方になっておりますために、かえってそのことから生ずるさまざまの混乱、社会的な混乱というものが、財政の方にはね返って参りまして、そして財政の膨張というものを不可避にしてしまう、こういうふうな矛盾が現われてきておるのではないかというふうに思われるのであります。これはたとえば一つの例を申し上げますならば、今年の予算におきましては御承知の通り、一方では失業対策の増大、あるいは住宅の建設とか、あるいは減税とか、そういう形でいろいろ社会政策的のものを盛り込もうとする意図は一応認められるわけであります。しかし、そういう失業なり、あるいは中小企業者の困窮なり、あるいは一般の小市民の生活の困窮というようなものがよって来たるところはどこにあるかと申しますならば、それは一つの日本の経済の合理化に伴う出血だという性質をある程度は持っておると思うのであります。そこで、問題は、むしろ根本的にそれを解決しようといたしますならば、強い計画性を持たせて、そういう失業人口があらかじめ出ないようにする、あるいは就業を拡大するというような政策を一方でとるということが必要であるにもかかわらず、そういうことが十分に行われないままに、デフレ政策というものが遂行されますと、結局そこから出て来る失業問題を解決するために、さらに予算が膨張せざるを得ない、こういう形になっていって、結局一兆円の予算というものが維持できなくなる。その維持できないものを形式的に維持しようというところに今年の予算のいろいろむずかしい問題が出てきている根本的な原因がある、こういうふうに思われるのであります。その点をやはりはっきりさせるということが今年の予算にとっての大きな問題ではないか、こういうふうに私は思うのであります。 そこで、今度は第二番目にもう少し具体的な問題といたしまして、今年の予算ではそれではどういう点に無理があるか、こういうことを考えてみたいのであります。これにつきましても幾つかの問題点があると思いますが、ここでは特に三つ四つの点だけ申し上げておきたいと思いますが、先ず第一に、今年の予算は先ほど申しましたように形式的には九千九百十四億円ということになっておりまして、昨年度の九千九百九十八億円よりは縮小しているというふうに見えます。しかしこういうふうに予算が縮小したということは、御承知のように次のような操作が行われているために縮小が見られるということになっているわけであります。すなわち、先ず政府の原案の方で申しますと、第一には地方交付税に繰り入れられるべきタバコ専売益金からの三十億円というものが一般会計に入りませんで、いきなり専売公社から交付金特別会計に繰り入れられる、こういう操作が行われて、一般会計からはずされております。それからまたこれまでは一般会計からの繰り入れでまかなわれて参りました開拓者資金融通特別会計の原資十億円というものが資金運用部に肩がわりをされるということで、一般会計かからはずされております。それから、これは昨年度からすでにそういうやり方をしているわけで、昨年の公聴会でも私はそれが問題だということを申し上げたはずでありますが、地方財政に交付する入場税の収入百三十五億円というもの、それから本年度から新たに新設される予定になっております地方道路税七十三億、これがやはり一般会計に入りませんで、直接に特別会計で処理される、こういう形になっております。以上申しましたような資金は、一昨年までの予算におきましてはいずれも一般会計で処理されていたものでありますから、これらを全部合せて計算いたしまして、つまり一昨年と同じ計算方法で一般会計の規模というものを計算してみますと一兆二百四十四億円という数字が出て参りまして、大体一昨年の予算とほぼ同じ規模に達するということになる。これだけで見ましても今年の予算というのは決して一昨年——一昨年は日本の歴史始まって以来の最大の予算を組んだわけでありますが——その一昨年の予算とほぼ同じぐらいな規模を持ったきわめて膨大な予算になっておるということがわかると思うのであります。それで、この点は衆議院の予算修正案をとりましても同じことで、衆議院の修正案では一応出投資が百五十五億削られ、地方交付税が約十五億削られるということになっております。しかしこの出投資の百五十五億円の方は御承知のように国鉄の公募公債とそれから資金運用部その他で引き受ける予定になっておりました金融債を市中金融機関に肩がわりさせる、こういう方法によってまかなわれているわけでありますが、これは間接的ではありますけれども、一種の公債発行という方法によって資金を調達しているというふうに考えられる。それをやはり一般会計に含めて考えますならば、全体としての計算は、政府の原案と同じことになる、一兆二百四十四億円という規模、こういうことになる。こう考えただけでも一兆円予算というものが形式だけのものに過ぎないということがわかってくるのではないか、こう思うのであります。 それから第二の点といたしまして、そういうかなり無理をしておるわけでありますが、その無理をしたにもかかわらず、なお一兆円というワクを守りますために、御承知のように防衛分担金のうちの約百五十五億円というものを予算外の債務負担行為として残したという形になっております一これは言うまでもなく本年度の予算としてはそれでつじつまが合うわけでありまして、つまり歳出の中に出てこないわけですけれども、当然この債務負担行為は来年以後の予算には計上されなければならないものとして出てくるわけです。結局それだけ来年度の予算に負担を残すという形になります。来年度の予算の膨張をそれだけ不可避にする、こういうようになっておるのでありまして、つまり問題を一年先に繰り延ばしたというだけであって、問題を解決したゆえんにはなっていないのではないか、こういうふうに思うのであります。 それから第三の点として、もう一つ問題になりますことは、そういうぎりぎりの予算の中で、しかもなお政府は公約としての減税ということをやろうといたしましたために、財源の捻出という点できわめて無理な操作が行われた、こういうふうに考えられます。これは一般に政府の原案の歳入の見込みというものが、かなり甘く見られている。ことに雑収入のようなものまでぎりぎりに、最大限に見ているということが一般に指摘されているわけであります。さらに御承知の通り一たび災害が起れば百億円は不可避であるというふうに言われております。予備費というものを八十億円に圧縮をするというような操作もやっているわけであります。それからさらに食管特別会計の繰り入れを押えるために一方では予算米価の水準を低く押えまして、しかも他方ではそれでもなお赤字が生ずるの一を、百億円のインベントリーの積立金というものを食いつぶすという形でまかなう、こういう計算をしているわけです。また細かい点について申し上げますならば、失業保険費というようなものの計算におきましても、本年度下半期の失業状況というものをきわめて甘く見過ぎているのではないかというような批判がすでに出ているわけであります。その上、衆議院の修正案におきましては、さらにその上に四十五億円の国鉄の公募公債の発行というものを加えておりますし、それから百四十億円余りというものを、先ほど申しましたように、金融債の形で市中金融機関の負担に肩がわりをさせる、こういうやり方をしているわけであります。で、こういうやり方というものは御承知の通り非常にインフレを引き起すという危険性をすでにその中に含んでいる。そういう意味でもこういう財源の捻出の仕方という点に相当の問題が残されているかと思うのであります。 要するに以上申し上げましたような点を総合してみますと、今年度の予算というものはきわめて弾力性に乏しいという予算になっているということが明らかではないかと思うのであります。そこで、むろん何ごともなくて一年を経過いたしますならば何とかこの予算は破綻を示さないということになるかもしれませんが、もし一たび多少とも災害が起るというようなことが起りましたならば、あるいはそれほどのことが起らないまでも、たとえば金融が少し繁忙になって参りまして、金融の梗塞が起るというようなことがあったり、あるいは米価を予算米価以上に引き上げざるを得なくなる、こういうようなことでも起りますならば、すぐにこの予算は破綻を来たすというふうに考えられます。どうしても補正予算を組むことが不可避になるというように思われる。しかも先ほど申し上げましたようにあらゆる歳入をぎりぎりまで見込んでおりますから、補正予算を組むということになりましても、そのための財源というものがほとんど残されていないのではないか、こういうおそれが持たれるわけでありまして、そういう点で非常に弾力性がないということが大きな問題として考えられなければならないのではないか、こう思うのであります。以上申し上げましたような諸点は、本年度の予算のうちで一番大きな欠陥ではないかというふうに私は思うのでありますが、しかも最初に申し上げましたようにこういう欠陥の多い、ふできの予算ができ上ったということは、決して予算そのものの問題ではなくて、むしろその基礎にある経済政策の問題である、その点から経済政策全体についての考え方というものを、もう少し固めて参りませんと、予算の問題も解決できないのではないか、こういうふうに思うのであります。 さて、予算一般につきましての問題点はその程度にしておきまして、次に農林関係の経費というものについて二、三の問題を申し上げて置きたいと思うのであります。この農林関係の予算というものは、政府の原案では昨年に比べますと、かなりいろいろなところで削減を受けていたわけでありますが、御承知の通りに衆議院の修正案では三十二億円余りというものが農林関係で復活をいたしまして、その結果として農林関係の経費全体として見ますと、かなりの増額を示したというような形になっております。しかしここで私が問題にいたしたいことは、単に総額としての農林関係の経費がふえたか、ふえないかというようなことではなくて、むしろ衆議院の修正の結果として農林関係の経費というものが再び総花的な補助金政策というものになっている、こういう点を問題にしてみたいというふうに思うのであります。もちろん私といえども日本の農業問題の重要性ということを考えますならば、これに相当の経費をさかなければならないということも十分知っております。また日本のような小農民の非常に数が多いというような農業生産の特徴から申しますと、ある程度農林行政というものが補助金と結びつけられて行われざるを得ない、こういうこともむろん否定し得ない事実かと思うのであります。しかし非常に多数の項目にわたった補助金を出す。従ってまたそういうふうに多数の項目となれば、当然一項目当りの補助金というものはきわめて少額になりまして、ことにそれが一万余りの末端の村々まで参りまして、あるいはそれが六百万戸余りの農家にばらまかれる、こういうことになりますと、ほとんど雀の涙ほどの金額になるわけであります。そういうきわめて零細な補助金というものが万遍なく総花的にばらまかれるということは、ほとんど何の効果も、生まない。せいぜい農民に小づかい銭程度のものを与えるということ以外の効果がないというような結果に終ることを私はむしろおそれるのであります。そうして、このことを考えて参りますと、特に最近の傾向として私が痛感いたしますことは、ここ二、三年来日本の農業政策というものが、中心的な目標を失っているのではないかということを非常に強く感じるのであります。そうしてこういうふうに補助金が総花的にばらまかれるということも、一番の根本は農業政策というものの中心がなくて、場当り的にいろいろな政策が試みられる、こういうことの一つの現われではないか、こういう感じを持たざるを得ないのであります。言うまでもなく農業、ことに日本のような小農民による農業というものは、そう機敏に生産構造を変化させるということのできないものでありますから、ほかの政策以上に一貫性を持った地道な政策というものが、忍耐強く、長い期間にわたって続けられるということが必要だというふうに私は思うのであります。残念ながら特にここ二、三年来の農業政策というものは、猫の目のように場当り的にいろいろな政策が行われてきたというだけでありまして、そういう一貫した計画性を持った地道な政策というものに欠けているのではないか、こういう感じを持つのであります。むろん予算に非常に余裕があるということでありますならば、どこへ金を出してもいいのでありますが、非常に限られた予算の中から農業政策を遂行して行くということになりますならば、何よりも日本の農業問題として一番基本的に解決しなければならないというところに重点的に経費を注込む、こういうような考え方がやはりこの際取り入れられる必要がある。そういうふうにしてこの零細な補助金というものを整理しながら、基本的なところへ予算を集中して行く、こういう措置を考えるべきだと思うのであります。それでは日本の農業にとりまして一番基本的な対策というものは何であるかということは非常にむずかしい問題でありまして、短かい時間で簡単には申し上げられないと思いますけれども、私自身の考えによりますならば、それはおよそ二つあるのではないかというふうに思います。その一つは、やはり日本の農家経済を改善するために、あるいは日本の農業の技術を改良して生産力を高めますためにも、やはり一番基本になりますのは土地というもの、農業にとっては一番基本的な生産手段、それを改良するということでなければならぬ。あらゆる農業の発展、農家経済の振興というものはその点から始められなければ、すべてがあだ花に終ってしまうのではないかというふうに私は考えます。そういう点からいうと第一に必要なことは治山治水をするということ、それから災害を復旧するということ、それから土地改良とかあるいは水利の改良というようなことを徹底的にやるということでなければならぬ。その点に農業政策というものの重点が置かるべきではないか、こういうふうに思います。 それから第二に基本的な農業政策として取り上げられなければならないのは、今日におきましては何よりも農村の人口対策という問題ではないかというふうに思うのであります。ことに零細な農家というものが御承知のようにきわめて多数存在するということは、農家の経済にとって非常に大きな問題でありますし、また農業の発展という点から申しましても非常に大きな障害になっておるということは御承知の通り。従って差し当りはこの二つの問題を少しでも解決するというところにむしろ国としての総力を注ぐべきで、それ以外のいろいろなこまごました政策というものはひとまずあと回しにしておいても仕方がないのではないか、こういうふうに思うのであります。ところが最近二、三年の予算の組み方というものを見て参りますと、御承知の通り災害復旧費とかあるいは土地改良費あるいは治山治水の費用というようなものは、むしろ年々削減をされておるという傾向をたどっておる。それに反しましてこまごました零細な補助金はむしろふやされる、こういう傾向をたどってきておる。そうしてまた今年の予算もその例外ではないと言わなければならないと思うのであります。その上御承知の通り日本は大体年々七十万の新しい要雇用人口というものがふえてくる。さらに一方におけるいわゆるデフレ政策、企業の合理化というものを通じて出る失業人口というものに対する対策が十分ありませんために、その非常に多くの者が農村に戻って来るという形で農家経済を圧迫しておるわけです。こういうふうにして今のままで参りますと、日本の農村の人口の圧力というものは強まるばかりであります。今まででさえもあまりにも多くの過剰人口をかかえ込んでおる農村に、まずます多くの人口の負担が加わるということになるかと思われるのであります。そういう点を考えますと、やはりこの失業の問題、あるいは新たに出てくる要雇用者の就職の問題、こういう点についてもっと根本的な対策というものが考えられるべきではないかというふうに思われるのであります。この二つの点を取り上げて、特にこれを重点的に解決をして行く。それ以外のいろいろな問題がむろんあることばございますけれども、それはしばらくがまんをしてもらって、あと回しにする、こういうような態勢を予算の上でも作り出して行くということが、農林関係では特に要求されることではないか、こういうふうに思います。 それから最後に今やかましい問題になっております米価の問題というものについて少し申し上げておきたいのでありますが、この米価の問題というものにつきましても私が特に痛感いたしますことは、今までの政府の米価に対する、あるいはもっと広く申しますならば、米の統制というものに対する方針というものが、きわめて不明確で、きわめてぐらぐらしておるということが、米価の問題に関連いたしまして、またそれに関連する食管会計の予算にもはなはだ大きな災いをなしておるのじゃないかと思うのであります。たとえば今年予約買付制というものを実施するということがきめられておるようでありますが、この予約買付制にいたしましても、なぜ予約買付制をやらなければならないのかということが必ずしもはっきりしておりません。またこの予約買付制というものが一時的に今年だけやる、そうして将来はだんだんと自由販売にして行く、こういう方向へ向って行く過渡的なものであるというのか、あるいはこの予約買付制というものをこのままの形で何年か続けて行く、こういうつもりでやっているのか、その点もきわめて不明確でありまして、少しもはっきりしていない、こういうふうに米に関するおよそ方針というものが、根本方針というものが、少しもきめられていないのではないかと、こういうふうに思うのであります。で、そういうふうな方針が立ちませんために、予算の上におきましても非常にあやふやな計算しかできないようになっているわけであります。たとえば一方では予算米価として九千七百三十九円というものを組みながら、その予算のまだ成立しないうちに、他方では一万百幾らにする、あるいは一万二百幾らにするというふうな方針が政府から出てくる、こういうふうなはなはだ混乱した事態というものが起ってくるということになっているわけであります。この点につきましてはやはり一番基本的な米に対する方針をどうきめるかという点から立て直して参りませんと、予算の面だけであちらこちらつじつまを合せようとしましても、とうてい問題は解決しないと、こう思うのであります、この米に対する根本的な方針としてどういう考え方をすればいいかということにつきましての私自身の考え方というものは、たしか一昨年だったと思いますが、やはりこの公聴会の席上で申し上げたと思います。ここではあまり詳しく繰り返す必要がないと思いますが、簡単に申し上げますれば、私は今の日本の現状、日本の一方における国内の食糧生産の状況というものから申しまして、また他方におきまして日本の外貨が非常に制約されておりまして、食糧輸入のために多くのものをさき得ない、こういう条件にあると、こういうことを考えますならば、やはり米につきましては統制をはずすべきではないというふうに考えます。むしろ基本的な考え方としては、米については統制を再強化するということの方が望ましいのであって、そうして一方ではこの米の供出割当というものを収穫の、まあ平年作で申しますならば収穫の少くとも五〇%以上に引き上げるということを考えるべきだと思います。そして供出量がふえましただけは配給量をふやす、こういう形をとる必要があるかと思うのであります。そのかわりに供出米価つまり農家の生産者価格というものに対しましては、何よりも再生産費を保障すると、こういう米価を維持するということが必要であります。それからまた消費者米価というものはやはり財政負担をするということを避けまして、その生産者米価を引き上げただけは消費者米価も引き上げると、こういう形をとるのが望ましいのではないかというふうに思います。その場合に、この生産者米価について再生産費を償うというものをどうやって算定するかということは、技術的にはきわめてむずかしい問題を持っておるのでありますが、幸いにいたしまして御承知の通り食糧庁の米価算定専門委員会というものでこの算定方式につきまして三つの案を作りまして、それを米価審議会の方に提出することになつているわけであります。この三つの案の中で、特にA案と呼ばれる最初に出ております案が私は今考えられる方式としては最も適当な方式ではないかというふうに思います。これで計算いたしますと、米価がどのくらいになるかということはまだはっきり計算しておりませんけれども、おそらくは一万円少し上廻る、一万百円か二百円、その程度のところで納まるのではないかというふうに思いますが、こういう算定方式をとるということが今考えられる一番合理的な方法ではないかと、こういうふうに考えております。まだそのほかいろいろ予算につきましては問題とすべき点があると思いますが、一応与えられた時間もこの程度であると思いますので、私の考えたところを申し上げまして御参考に供した次第でございます。
○委員長(館哲二君) どうもありがとうございました。大内力君の供述されましたことについて何か御質疑がありましたらお願いいたします。
○豊田雅孝君 農業中心問題として土地改良、人口対策をあげられたのでありますが、土地改良についてはある程度具体的な問題に触れられたと思いますが、人口対策について具体策をどういうふうに考えておられますか、その点を伺います。 もう一点は米価に対して、生産者価格を引き上げる。従ってまた消費者価格も引き上げてこれを財政負担にはしない。そういう場合において労働賃金の引き上げが当然出てくるわけでありますが、これに対して財政規模との相互関係をどういうふうに考えておりますか。その二点を伺いたいと思います。
○公述人(大内力君) 最初の人口対策という御質問でございますが、これは実は非常にむずかしい問題でありまして、私もあまり自信のある解決策を別に持っているわけではないのであります。御承知の通り政府の失業対策審議会で長期的な人口対策という問題をかなり長いこと研究してきているのでありまして、その専門委員会が別に設けられまして、私もその一員となっておりましたが、その報告書が最近出版されておりますので、大体そういうあの報告書に盛られているようなことが今考えられる一つのやり方ではないかというふうに私は思っております。これは非常に多岐にわたっておりまして、簡単に要約して申し上げるということははなはだ困難なのでありますが、基本的な考え方は、やはり日本の場合には農林業、つまり第一次産業というものはこれ以上人口を吸収する方法はほとんどないだろう。それから最近ではそり新たなる雇用人口というものがいわゆる第三次産業、つまりサービス業とか商業というところに非常に集中してくる傾向があるのであります。これも非常に不健全な形として避けなければならぬ。そうなりますと、結局人口対策というものは、終局的には第二次産業、つまり鉱工業というものによってこれを吸収するということを考えなければならないだろうということになるわけでありますが、その鉱工業につきましてはいろいろと問題を考えなければならないわけであります。一方におきましてはすでに合理化を要求しているような既存の産業、つまりかえって人員を減らすことによって、この合理化を要求しているような産業というものからは、むしろできるだけ人口を排除させて企業を合理化させるということの方が望ましいのではないか。ただその場合には当然失業問題ということが大きく取り上げられますが、差し当り一年なり二年なりの間、つまりいわゆる摩擦的失業という形の失業が出て参ります間は、相当強力な失業対策をとるということが要求される。他方におきましてやはりは日本の場合には新産業というものを相当拡大するということによって人口の吸収をはかるということ以外にはない。その新産業といたしましてはいろいろなものが考えられるわけでありますが、特に今重要視されておりますのは、御承知の通り化学繊維であります。まあそのほかいろいろ新しい産業が考えられるのでありますが、こういう日本のかなり輸出力を持っておりまして、将来性のある産業というものを重点的に伸ばして行く、こういう方法によって結局第二次産業の雇用量をできるだけふやすということを考える以外には差し当り方法はないだろう、こういうふうな結果になっているかと思います。しかしそれにもかかわらず農業におきましても少くとも今かかえ込んでおります人口を積極的に排出する、外に追い出すということはほとんど今の日本の経済では望みがないわけですから、少くとも今以上ふえるということは非常に困るわけでありますが、少くとも今かかえ込んでいる人口だけは何とか農林業の中で吸収するという方法を考えたい。こういうこともその答申では相当問題にしたわけであります。そこでまあいろいろ開拓をやるとかあるいは土地改良事業をやるとか、そういう方法によって、たとえば二毛作を拡大するとか、作付面積をふやすなりいたしまして人口を吸収するということを相当考える必要があるということで、一応取り上げております。 それからさらに大きな問題といたしましては御承知の通り日本の農業の場合には一方では過剰な人口をかかえていると申しますけれども、他方においてはその農家の人口が非常に過大労働になって、オーバー・ワークに陥っている。ことに農村におきましては婦人や子供まで、あるいは老人まで、本来働かないでもいいような人までが働くというようなことを強制されている。そういうふうな過剰人口というものが一方でありながら、一方で過剰労働がある。こういう矛盾した形というものは、結局は農家の所得水準が非常に低いというところに原因があるので、そこで農家の所得水準を引き上げるという対策が考えられますならば、過剰労働というものはある程度整理し、老人や婦人や子供を労働から解放して、そのかわりに男がそこに吸収される、こういう形である程度の人口の整理というものはできるのであります。こういう考え方をしております。で、私ラフに計算したところによりますと、大体農家の所得水準を今の四〇%上げたと仮定すれば、ちょっと数字は正確でございませんが、三〇%か、四〇%か引き上げる、こういうことが可能になりますと、ほぼ農村の過剰人口を解消することができる、こういう計算が一応は出て来る、今まではこの農村の過剰人口の対策と申しますと、すぐ開拓とか、あるいは移民とかということが取り上げられていたわけですが、案外そういう所得水準の上昇というようなところに相当大きな解決の道が残されておるということは重要な問題ではないかと、こういうふうに考えます。 それから第二番目の米価の問題についての御質問でございますが、これはこの前の公聴会で私かなり詳しく申し上げたつもりでございますが、一応確かに公定米価、配給米価というものは引き上げるわけであります。しかし私は一方では、その場合に供出量をふやすということによって配給量をふやすということがやはり必要だと思うのであります。で、ごく大ざっぱに計算いたしますと、現在は大体二千万石ほどの供出量でもって操作をしておるわけです。その二千万石ほどの供出量で大体八日ないし九日くらいの配給が内地米については行われているわけです。これをかりに平年作の場合に収穫量の半分まで供出量を引き上げるということになりますと、大体三千二百万石程度の供出量というものを確保することができるわけでありますから、少くとも内地米の配給を十二、三日にふやすことができる、そうして輸入米を加えますならば、約二十二日から二十二、三日まで配給量をふやすことができるのであります。それによって、このやみ買いの必要というものをなくすということによって、できるだけ消費者の負担を軽減するということを一つ考えるべきである、それからもう一つの方法といたしましては、これも今日は申し上げませんでしたが、前に申し上げた点は、麦につきましては逆に私は二重麦価制度というものをとるべきだ、こういう考え方をしております。で、むしろ麦は輸入麦にいたしましても、それから国内の麦にいたしましても、売り出しの価格、つまり消費者に売り出す価格はきわめて低くする、どの程度が望ましいかということはいろいろ問題がございますが、できれば対米比価を小麦の場合に三割くらいにとどめて、三十くらいのところまで引き下げて、今は御承知の通り六十幾らでありますが、これを三十くらいまで引き下げる、こういうことを考えるべきだ。しかし麦は国内の生産の上から申しますと、生産費の計算では大体米と同じくらい、場合によっては米よりよけいかかるというくらいになりますから、どうしても麦作を奨励するためには、麦については生産者価格は米と同じにする必要はないにしても、少くとも対米比価が八十くらいになるところまでは引き上げるべきではないか、そういうふうに考えるわけであります。従ってその差額は、やむを得ませんから、さしあたりは二重麦価制度というものによって救うしかないのです。しかしこれはおそらくは金額にもよりますし、いろいろ計算して見ませんとはっきりしたことを申し上げられませんが、およその見当から申し上げますならば、米について二重米価制をとるよりは、麦について二重麦価制をとった方が財政負担ははるかに少くて済むというふうに私は考えております。それだけであります。
○池田宇右衞門君 ちょっとお尋ねしますが、先ほど中間を伺いませんでしたが、最初にお述べ下さったときに、予算を一月や二月審議期間を遅らしても健全な予算をここに組み立てるべきものだ、ああいう取引は不明朗だ、この不明朗な点は私もある程度まで承知しますが、その予算を一月も二月も遅らせるということは、これは学説であって、予算を一月も二月も遅らせたら国民はたまったものではない。国家に関係ある仕事はどれだけ影響をこうむるか、事業の遂行をはばみ、経済界に不安を増すということは一つお考えになって、これからお述べを願いたいと思います。また生徒に教えるにもそうしたことでなければ、予算を一月も二月も遅らせられたらたまったものではないということを私はまず申し上げて、次に、農村問題は大分詳しいようだが、私はお尋ねいたしますが、今日の農村の収益は、商工業者その他のあらゆる国民の業者別から申せば、収入は一番少い階層に入っていることは教授も知っている通りでございます。その少い農家に対しまして、諸税のかかり、それから地方の消費網を通じましての負担はやはり同等にかかってくる、そういう結果といたしまして、農村は勢い現金のふんだんに入るという道を開かなければならないという過程に入りまして、今回の、決して政府を援護するのではありませんが、政府がそこまで準備せぬで不用意にとったことについては、これはいろいろ農村方面にも非難があるだろうが、いわゆる地方々々の特産を生かして、米麦重点より多角経営に入って、そうして農家は経済の安定化をはかるというのが今日の農家に課せられた一つの大きな問題であると思うのですが、これに対するところの教授の考え、それから次に、なるほど耕土を豊沃たらしめねばいけない、それには有機質肥料、戦争中は肥料が不足、労働力が不足と、不足だらけで、その結果化学肥料ばかり用いてしまった、有機質肥料を用いなくても耕土は極端に貧土化した、それを復活するには、やはり客土だけでは、土地改良だけではいけない、それもやらなければいけないが、有機質肥料をもう少し施用して耕土を豊沃にするという点は、私はこれはこの際やらなければならないということは申し上げるまでもない。そこで農村労働に対しては、私は百姓に生れて三十、四十までも、今日でも、うちへ帰れば農家として働きますけれども、われわれの青年時代と今と比較すれば、今の方々はほとんど半分も働かない。全く自転車で田畑に出る方や、草履をはいて出る方や、ほとんど労働ということに対して……、一体農家の精神は、勤労において土に親しんで、そこに生産を増して行くという点において精神的に非常に欠如しているのであります。それから、あなたは統制は強化しなければならないというが、今日おそらく一千万石くらいやみに流れるだろうと思いますが、もしこの上統制を強化すれば、正直に耕作反別を明らかにしない、それから今の生産価格では、それはもう十分な豊沃な水田で肥培管理の適正なところでは一万円、あるいは予算米価で間に合うところまでは、だいぶ生産費が向上していますので、生産費が上回っているというようなことから考えますれば、やはり一万円を上回らなければならない。そこで統制を強化するとすれば、今でも役人が多過ぎますのに、その役人をまださらにふやして、できもしないことをすると同時に、以前は農家ほとんど麦食を食べていた、しかるに、今は米の供出になって、農村の山の奥までもほとんど白米主義に転換してしまって、食生活に大きな変化を来たした。農家が米をみずからたくわえ、みずらか供出して現金化する制度に変ってきた。これらの点についてあなたは十分にお調べなさったかという点について伺いたい。私はただ耕土を今のような論点から、いかにして豊沃化するか、それから土地改良、客土を通じて今仕事の半ばにおいて予算を削減されたらその仕事は半分あるいは七分できてあとはできなくなる、農道にしろ、それからあるいは、客土にしろ、土地改良にしろ、そういう手分ぶったぎったような程度におかれたら農家は迷惑だ。一つ一つ完成さして、そうしてその地方の安定を得させるというのが政治の常道だ。途中ですべてを尻切れとんぼにおかれた今日の農業政策であったから、これはある程度まで完備しなければならんというところに今日の農村問題の狙いがあると思うが、これに対してどういうお考えをもって御研究してあるか。その点を一つ詳しくわれわれにお話を願いたいと思います。
○公述人(大内力君) 最初の点は私の言葉が大変足りなくて、あるいは私の申し上げたいことが誤解されたのではないかと思いますので、一言弁解させていただきますと、私も何も予算が遅れて差しつかえないという意味で申し上げたわけでは決してないつもりでございます。もししかし民主主義としての筋を通すということのために、どうしても予算が成立し得ないということがあったとすれば、それもやむを得ない、そのために民主主義の精神を踏みにじるということはよくないわけで、こういうことを申し上げたのであります。むろん予算が一日も早く成立するということが望ましいということは私といえども全く同感であります。 それから第二番目の米麦中心の農業ではなくて多角経営にすべきではないか、こういう御質問だったかと思います。
○池田宇右衞門君 いや、多角経営に移りつつある農村の現状からこれをどうするか。
○公述人(大内力君) 私もむろん農業はだんだん多角経営にしなければいけないと思いますし、また現在、従って多角経営に移りつつあるものをある程度伸ばしていくということを考える必要があるということにつきましては、むろん同感であります。しかしその多角経営にするということ自体も、やはりこれをほんとうに日本の農村全体にそういう多角経営ができるような条件を作り出して、そういうものを順調に発達させて参りますためには、どうしても今までの日本の耕地の状態では望みがない、極く限られた、恵まれた地方ではある程度そういうことはできるとしましても、一般的にはそういうことは非常に望みがないのであります。たとえば多角経営をする、ことに今多角経営という面で一番問題になりますのは、いわゆる酪農化という問題だと思いますが、酪農化ということを考えるといたしましても、必ずそれは飼料作物というものが経営の中に入らなければいけない。今までのように主として飼料を外から買ってくる、こういうような酪農経営では酪農経営としての安定というものは得られないというふうに私は思うのであります。そういう飼料作物を耕作の中に取り入れるという場合には、水田の場合には言うまでもなく乾田化ということが要求されるわけであります。そのためには土地改良と水利というものが整えられなければならない、畑作の場合にはいわゆる畑作灌漑というものが相当考えられませんと、健全な形で飼料を取り入れるということはできない。そういう意味でむろん多角経営化ということが一つの理想の姿であるといたしましても、やはりそこに行き着くための手段としては、まず土地改良というところから始めるべきだと、こういうふうに申し上げた次第であります。この点は三番目の有機質肥料を増大することが必要ではないか、こういうこととも関連するわけであります。有機質肥料がふえるということはむろん望ましいことでありますが、御承知の通り有機質肥料というものは水田に入れましても、あまり効果はないのであります。乾田に入れなければ有機質肥料としてのほんとうの効力というものを発揮することができないわけであります。むろん一般に今日の農学でいわれておりますように、日本の農業では大体堆肥を百貫ふやす、耕土を一寸深くする、こういうことができますと、反当一石の増収になるということが一般にいわれているわけであります。そういうふうにいたしまして有機質肥料をふやし、耕土を架くするということがむろん必要でありますけれども、やはりそのためには乾田化をして有機質肥料の効果をほんとうに発揮せしめるということと、それからやはり乾田化をいたしまして、牛馬耕なり、あるいは望むならば機械耕というものを取り入れ耕土を深くする、こういう条件を作り出して参りませんと、ほんとうの意味で農業生産を発達させることができないと思うのであります。で、残念ながら今の日本の水田の状態はそういう状態をもっております。水田というのはきわめて限られております。非常に多くの部分がそういうことをやりたくてもやれないという状態におかれているのじゃないか、こういうふうに思いますので、やはりここでも特に土地改良ということを強調する必要があると思うのであります。むろん有機質肥料の問題といたしましては、そういう土地改良だけでは問題は解決いたしません。たとえば堆肥を作るといたしますならば山林の問題、ことに採草地の問題というものを解決する必要があるわけであります。さらに広く有機質肥料というふうにとりますならば、豆粕とかその他の油粕あるいは魚肥というようなものが問題になりますが、ことに豆粕は主として日本としては輸入せざるを得ないわけであります。そういう点になれば、たとえば満洲の大豆粕をどうやって輸入するかというような問題にもつながって来る。いずれにいたしましても、非常に大きな問題を含んでいると思いますけれども、しかしやはりその前提条件としては、今申し上げましたように土地改良から始めるよりほかない、こういうふうに思います。 それから最後の供出の問題でありますが、供出を強化すればいろいろ不合理な点が起るのではないかという、いろいろ御指摘があったわけであります。これはむろん私もある程度はそういうむずかしい問題がまあそれにからまって出て来るということを否定はできないかと思います。しかしそういう弊害がむろんこれはできるだけ避けるように考慮すべきでありましょうけれども、かりにそういう弊害がある程度避けられないといたしましても、米の統制を外すということによって生ずる混乱というものと、天秤にかけた場合にどちらが上であるべきかというふうに考えますと、やはり統制を強めていくということよりほかに考えられないのじゃないか、こう思います。と申しますのは、御承知の通り今の日本の米の生産状況から申しますと、かりに農林省の発表しております収穫高というものは、これは大体五百万石ぐらいは誤差があるというふうに普通学者は言っているようであります。今一千万石ぐらいのやみ米があるというお話が出ましたが、おそらくはその中の五百万石ぐらいは統計上、統計が過小に出ているというところから来ている。あとの五百万石ぐらいは農家が自家保有米として残されたものの中から売っているというふうに考えるべきではないか、こういうふうに思うのでありますが、またそれはともかくとして、かりにその五百万石程度ぐらいの誤差があるといたしましても、今もし日本人が戦争前と同じだけの、戦後は御承知の通り米食率は非常に落ちておりますけれども、戦争前と同じだけの米を消費するというふうにして計算いたしますと、大体九千万石あまりの米がなければ食糧をまかなえないという状態になっております。しかも今後御承知の通り人口は大体年間百万あまりふえていく、当分の間はふえる、こういう計算になっております。従って少くとも一年に百万石から百五十万石ぐらいは米の消費量がふえていくのでございますから、こういう形になるわけであります。そういう条件の下でかりに五百万石の誤差があるといたしましても、とても日本の米の生産額は豊作のときでも七千万石に達するということが精一ぱいだと考えます。そういう状態から考えますと、絶対的な不足というものは非常に大きい。しかも残念ながら内地米というものはほかに完全な代替物をもたない、輸入の外米、麦というものを考えましても内地米と同じ品質のものはなかなか得られない。御承知の通り今東京あたりでは外米の配給は辞退しながら内地米をやみで買っている、こういう家庭が非常に多いわけでありますが、そういうことを考えましても、なかなかほかのもので代替をするということは非常にむずかしいのではないか、こう思います。そういう条件の下で不用意に統制を外すというようなことをやりました場合に、もし政府の操作米というものが相当たくさんあるのでありますならば、ことに操作米を内地米という形でもっておりますならば、ある程度投機的な値上りというものを防ぐことはできるかと思いますが、ところが御承知の通り、今の政府の内地米の操作米というものはぎりぎりでありまして、端境期になりますと底をはたいてしまう、早食いをしなければならないというような状態にあるわけであります。そういう全く弾力性のない、操作米に弾力性がないという条件の下で統制を外すという事態は、万一そこから投機的な動きというものが出て参りました場合には、とめどのないようなことになってしまうのではないか、そういう混乱というものはやはり相当重要な問題として考える必要があると思いますので、それよりはむしろ安全な道を選ぶべきではないか、こういうことが一つの基礎的な考え方になっております。それに加えまして、やはり統制は強化するなら強化するだけの措置というものは他方で必要になってくるわけです。特に従来の供出の制度のやり方というものは、御承知の通り村にまかしてしまう。ある程度村までは割当ててきて、それ以下の各農家の配当を村にまかせ切りになっておるという傾向がございます。その上に、御承知の通り地力調査なり、収穫量の調査というものが一筆ごとにできておりませんために、村での割当というものが非常に当てずっぽうになるという傾向がありまして、そのためにどうしても勢力のある農家が非常に有利な方法をとる、そのしわが勢力のない零細な農家によせられるという欠陥が非常に大きなものであると思います。しかし、これは最近ではだいぶん地力調査というものが進んで参りますると、御承知の通り小作料の改訂に関連いたしまして、相当広範な地力調査が行われております。もう一年か二年すれば、相当信用の置けるデータというものがそろってくると思います。こういうものを利用いたしますれば、かなり合理的な割当というものができるのではないかというふうに思います。そのためには多少それは役人がふえるというような問題は一方では出てくるかもしれませんけれども、しかし戦後のずっと米を統制してきた段階におきまして、この米のいわゆる流通費用、こういうものを計算してみますと、戦前自由販売であった時期の流通費用というものよりは、むしろ少くなっているということは、大体すべての学者の一致した意見であります。従って役人がかりに多少ふえるということはあったとしましても、自由販売にするよりは社会全体の流通費用の負担というものはむしろ減らされるであろう、こういうことが考えられる。そういういろいろの点を勘案いたしまして、むしろ私は統制を続けるべきである、あるいは強化すべきである、こういうように申し上げたのであります。その点は御了承を願いたいと思います。
○池田宇右衞門君 非常に敬意を表しますが、御承知のごとく日本の農業は、北海道と九州と気候その他によって非常に違う。従って事情も違う一たとえば私の長野県からいえば、養蚕とそれから果樹、いわゆる地方の特産物をそれぞれ農業経営に織り込んで、地方色を生かして現金化をするという農業政策というものをとっていかなければならない。それから今教授のお話の中にあったけれども、私をして言わしむれば、愛知用水を初め、幾多の日本の耕土の拡張、土地改良なんて言いますけれども、外国から米を買い入れる費用を、それだけ日本の農業の土地改良を初め、あるいは日本の開拓に用いて、日本農業の今日の零細化したのを、もっと日本は英国と同じく保護政策によらなければならないから、外国に払う費用を内地の農家に回した方が、国民の栄養価を増し、農業政策を進展させ、そうして日本の国民を安定させる、これをなぜとらないのか。 それから今あなたの言う通りに、供出制度は相当完備して、農民も自覚して出すのだから、この上強制供出制度を用いる必要はありません。もし強制供出制度ならば、経済警察制度のような非市民的なものをこしらえていくような結果になり、十分な検査制度も——庭検査制度まで施行して、供出に協力させなければならないというような制度を民主化することこそ望ましいのでありますけれども、むしろ農民から根こそぎ供出させるということは、今日もっと農民に生産を増さして初めて供出させることができる。どうも役人のやることは、いつでも取ることだけは考えるが、生産を増させるという意味のことを忘れているというところに矛盾があるのである。こういう点について、もしお知りになっていたらばお答え願いたい。御研究になっていたら、その点一つお答え願いたい、こういうわけです。
○公述人(大内力君) 第一の点でございますが、各地方ごとの特産物をある程度生かし、たとえば養蚕や果樹を生かす、こういう御指摘だったと思います。これは私も必ずしも全面的に否定すべきことではないと思います。しかしそういう地方的な特産物というものは、御承知の通り非常に市場が限られているという傾向が強いのであります。少しそういうものは生産を拡大いたしますと、たちまち過剰生産になるというおそれが非常に大きいのではないかというふうに思います。養蚕につきましては、御承知の通りその将来性ということに相当大きな疑問が持たれているわけです。それ以外の果樹のようなものにつきましても、少し生産を拡大いたしますと非常にそれが生産過剰になって、かえって農家に打撃としてはね返ってくる、こういう傾向があると思います。その上にもう一つ注意しなければならないことは、農家というものは御承知の通り現金収入に詰って参りますと、何でも手当り次第非常に小さなものを作ろうとする傾向がございまして、シイタケの値段が少し高くなるとシイタケを作り、カナリヤがよければカナリヤを飼う、ヌートリアがよければヌートリアを飼うというふうに無計画的に手当りばったりにいろいろなものを作る。しかも大部分の農家がそれで失敗をするというにがい経験を重ねてきていると思うのです。そこで結論から申しますと、特産物を伸ばすということは、十分な市場調査というものを前提といたしまして、この程度は安全だけれども、これ以上生産すれば非常に危険だという原則を明確にした上で、奨励するなら奨励するということが必要である。ただ特産物であれば、それで何でも作らせるというような考え方は、私は賛成いたしかねます。そうしてやはり今の日本の農業はむろんそういう特産物も必要でありましょうし、ことに輸出のできるようなものでありまするならば、それをある程度伸ばすということも望ましいと思いますが、やはり日本の農業の基幹というものは、米麦に当分は置かざるを得ない、こういうふうに考えるのであります。そういう意味で特産物というものをあまりにも過大に考えるということは、むしろ私は警戒すべきではないかというふうに考えます。 それから政府が米を輸入するくらいならば、その費用を国内の農業の振興に当てるべきなのに、なぜやらないかという点は、これは私に対する御質問とは思いませんけれども、私もその通りだと思うのでありますが、できるだけ日本の農業を発展させて、食糧の自給力を高めるということが、やhり望ましい政策だというふうに考えます。ただ先ほど申しましたように、それはむやみに金をばらまくということではなく、やはりそれを使うとすれば、一定の計画性を持った使い方をしてほしいということを重ねて申し上げておきたいと思います。 それから最後の点、つまり供出を強制供出にするということは望ましくない、こういう御意見だったかと思うのですが、これはむろん私も強権をもって農家をおどかすとか、警察力をもって供出させるというところまでもつていくのが望ましいとは決して思いません。できるならば農家が納得するという方法で必要とするだけのものを供出させる、こういう態勢を作ることがむしろ望ましいわけであります。その農家が納得するという点はやはり二つあります。一つは、米価を合理的にきめるということであり、一つは、供出の割当をできるだけ公平に、できるだけ合理的にするということであります。その二つがうまくできますならば、それほど強権的なものを使わなくても、農家に納得して供出してもらえる、こういうことが可能ではないかとこういうふうに考えます。
○木村禧八郎君 簡単に二つお尋ねしたいのですが、先ほど日本の農業政策が非常に動揺的になってきているという点について、どうもアメリカから余剰農産物ですね、ああいうものを買うようになってきてから、特にその前からだと思うのですが、動揺性を来たしているように思うのです。予算面にそれがもうすでに現われているようにも思うのです。いわゆる農業投資があまりふえていない。増産にあまり力を入れないというようなことが、どうもそれと関連あるように思うのですが、その点一つお伺いしたいのです。アメリカ余剰農産物、これは本年度だけじゃなく、来年もまた買うやに聞いております。 それからもう一つは六カ年計画ですね。この予算はいわゆる総合経済六カ年計画の第一年目と、こう言われておるのですが、六カ年計画における食糧増産、あるいは農業投資等の関係とこの予算とのつながりがよくまだわからないのです。そこで六カ年計画とこの予算の農業政策費ですね、そういうものとのつながりをどういうふうにごらんになっていますか、その点おわかりになったら聞かせていただきたい。
○公述人(大内力君) 第一の点の、政府の農業政策が非常に動揺的になったのは、余剰農産物の受け入れというようなことと関連がないかと、こういう御質問だったと思いますが、これは果して関連があるものかないものか、私その内容のことは詳しく知っておりませんけれども、ただ外から見ております感じでは、確かに御指摘のような感じを持たざるを得ないということは確かだと思います。大体この食糧増産という政策が正面から取り上げられましたのは、御承知の通り昭和二十五年、朝鮮戦争が始まりました直後の昭和二十五年の七月の閣議決定だったと思います。そのときは政府もかなり真剣に増産対策というものを考えていたようにわれわれは外から見られたのであります。ところがその後、だんだん一方では特需が大きくなって参りまして、外貨収入がある程度楽になった、こういう傾向が出て参りまして、それからまた戦争が局地的で大して拡大するおそれがない、こういうことが明らかになってくるにつれまして、一方では足りないものは輸入すればいいじゃないかというような、比較的安易な考え方が強くなってきまして、そして増産対策というものは、看板としては掲げられておりますけれども、むしろそれは農村に対して補助金をばらまくための口実——多少極端なことの言い方をお許し願えますならば、むしろ補助金をばらまくための口実に使われるというような傾向が多分にあったのであります。ほんとうに増産を真剣に取り上げるというような態度がどうも見受けられなかったように私には思われるのであります。それがまあ朝鮮戦争が終りまして、いわゆる特需がだんだん減り、また日本の外貨収入が非常に苦しくなる、こういうような問題にぶつかりまして、本来ならば、もう一度増産対策というものが正面から取り上げられる段階に来ていたのではないかと思うのでありますが、ちょうどそのときに余剰農産物の受け入れというような問題、あるいはMSA援助というような問題が起りまして、どうもそちらの方にお馬の乗りかえをしたと申しますか、特需をそちらに切りかえていく、こういう形で問題を解決しようとして、やはり増産対策という方に力が十分に入らない、こういう結果を生んだのではないかというふう思います。特にこの点で私も非常に不満に思いますのは、一つは、麦価政策、先ほど申しましたような麦価政策というようなもの、昨年から御承知の通り麦価をだんだん下げていく、国内の生産者価格を下げていくというような政策をとっておるわけでありますが、こういうものを下げていくということは、輸入麦が安く入る、あるいは援助の場合にはほとんどただ同様で入るというようなことから、国内の麦の生産ということにあまり力を注がなくてもいいというような考え方が出てきているのじゃないか。少くとも農民の受け取り方からいいますと、かなりそういう受け取り方をしておるようです。せっかく今まで増産しようと思っていたのに、麦の値段を下げる、しかも外国からどんどん安いものを入れて安く売る、こういうようなことなら何も麦なんか作らなくてもいいんじゃないか、こういう考え方がかなり強く出てきている。そのために一昨年から昨年にかけまして、麦の作付面積は大幅に減ってきておりますが、こういう動きは、私としては非常に遺憾な点ではないかと思うのです。 それからまあ余剰農産物に関連いたしまして、御承知の通りいろいろな乳製品を受け入れるという問題がこれにからんで出てきている。これは一方で国内で酪農振興というようなことを言いながら、他方ではそういう安い乳製品を入れる、こういう問題が御承知のような十円牛乳の問題になりまして、酪農業におきまして非常に大きな問題を今引き起しております。やはりそれもそこに何か一連の関連があるように考えられる。これはむろん外部から見た感想にすぎないわけですから、内部的な事情はわかりませんけれども、私が外部から見た感じでは、そういうふうに感じられるというふうに申し上げたいと思います。 それから第二の六カ年計画とことしの予算の関連という御質問は、残念ながら私六カ年計画の方はあまりよく勉強しておりませんし、それからそういう観点から、ことしの予算というものを十分分析するだけの用意もして参りませんでしたので、はっきりしたことを申し上げられないことを大へん申しわけないと思います。
○八木幸吉君 先ほど供出制度と自由販売のことで、むしろ自由販売の方が流通費が高くかかるというお話がございましたが、何か資料が、こういったものを見ておるということをお教えいただければ大へん仕合せだと存じます。
○公述人(大内力君) これは今ちょっと私どれに出ているかということは正確に思い出さないのでありますが、一つ問題になりましたのは、昭和二十五年だったと思いますが、米価審議会で米価算定専門委員会という——今のじゃない、もう一つ前の専門委員会ができましたときに、やはり流通費というものが問題になりまして、そのときに物価庁か何かで試算してもらったものがたしか資料があったと思います。そのほか一、二の論文が出ていたと思います。今ちょっと正確にどういう雑誌にどういうふうに出ていたかということを思い出すことができません。もしぜひお入り用でございましたら、何かの機会に探しましてお届けいたしましてもよろしゅうございます。
○委員長(館哲二君) それでは御質問ござませんですね。——どうも大へんありがとうございました。 本日はこれにて散会いたします。 午後四時五十七分散会