文部委員会 第25号
- 発言数
- 130 件
- 登壇者
- 12 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1954/04/21
会議録
○委員長(川村松助君) 只今から文部委員会を開会いたします。教育公務員特例法の一部を改正する法律案、義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する法律案を議題といたします。 御審議を願います。
○松原一彦君 私はこの法案の審議をするために資料を要求いたしたいと思います。この法案が出されるゆえんは、教育基本法の第八条の二に掲げられたる偏向教育を行なつてはならないというあの倫理規定、それが躊躇せられて、偏向教育を行なつておるという理由の下に、更にそれを教唆扇動する者をば取締ろうというのでありますから、偏向教育を行なつておるという事例が、先ずその基本を成すものと思います。その事例のほうは、拝見したのでありますが、それを実行しておつたために、つまり教育者として教育基本法に背いたる行動をとつておつたがために、地公法の二十九条によつて処分を受けた教員の実数、年次別にお示しを願いたいのであります。終戦後の年一次別に、この教育基本法が出て以来、それが逐年増加して参つておることを知りたいのであります。減つておれば、もうこの法律の必要はないのであります。どのような率を以て、それが逐年増加して、もう見てはおられんというところからこの法案に被さつたのか、或いはそういう事実はないけれども、いわゆる威嚇立法として、将来を見込しての立法であるか。ここにこの法案を審議する重大なる基本がある。それでその統計をお見せを願いたい。 いま一つは、ここに学校教育法に規定する学校の職員を主たる構成員とする団体という、その団体の数をお示しを願いたいのであります。この団体にはどういうものが日本では現実においてあるか。これは文部省は必ずお調べになつておられるのであろうが、私の想像するところでは、第一は日教組であり、教員を主体とするが、元教員等をも構成員としての団体は、信濃教育会が一つはつきりしておりまするし、山口県には山口教育会もあるし、又山口県には第二教員組合も生れておりますし、高教組もある。そのほか私の意図するものは、昔の教育会のような中立的な団体をも構成しようと実は私どもは考えの中に持つておる。これはアメリカが日本を支配した当時の政策として、解散を命ぜられて、今はありませんけれども、教育界の先輩をも取り入れ、教育に対する良識を持つたる大家をも入れた、現職との団体を作りたいという希望を持つておりますから、念のために今日本にどういう団体があつて、この取締りの対象となるかを知りたいのであります。その数を一つ聞かして頂きたい。名称もわかりますならお願いします。 第三は、ここにいわゆる特定の政党というものが出ております。その特定の政党の数をお知らせを願いたい。なおその特定の政党の主義、綱領等を知らんというと、地方の教育委員会が請求権を発動せしむることができない。どういう一体地方の、日本の、現在における政党及び政治団体があるのか、これをお知らせを願いたいのであります。これも一つ成るべく速急にお知らせを頂きたい。実は私ども知らないのであります。昨日中央選挙管理委員会に聞きますというと、政治結社と称するものが只今三千四百十五あります。又政治団体というものは三千三十九もある。勿論意図せらるるところは極左か極右でありましよう。けれども、果してこのこういうふうな各種の政治結社があることを……、ある現象です。文相は二大政党対立を理想とせらるると言いますが、これはまあ一つの理想であつて、私は実現の時期はそう都合のいいようには現われないと思うのです。それで極右から極左まで現にある。私どもが昭和二十一年に出て来ましたときのことはこのうち申上げましたが、これは教育出身者を中心として、文部大臣の後援をして、日本の教育を政治面に最も重からしむるために我々は出て来たのでありましたから、それで主義、主張は政党に拘泥せず、右にも寄らず、左にも寄らざる中道を行くということであつたのであります。それがついにイギリスの自由党のようにいつか消滅してしまつて、みじめなことになつてしまいましたけれども、その精神は我々は今に継承いたしておる。若し現在の教育者出身の諸君が労働組合運動ばかりやらないで、第一義に立戻つて、真に次代のゼネレーシヨンを築くところのその第一義を考えて、中道に立つ教育をここに行わんがための政治結社をしたならばどうなるか。そういう政治結社もあり得る。けれどもこれは中道ということが一つの政治結社の主義主張であれば、これを地方の教員に説くことも又見方によれば偏向教育となる、許されない、私はかようなことを恐れるのであります。従つて極右から極左までの政党とその主義主張は大綱がわかりますならばお知らせを願いたい。そういう事実がはつきりしないで、かような威嚇的な立法によつて何か得体の知れないような恐怖心を教育界に投げかけることに対する懸念が今日器々たる非難となり輿論となつておる、私はまあかように思いますので、それだけの資料を是非至急にお出しを頂きたいのであります。
○荒木正三郎君 私はこの際当委員会に緒方副総理が出席せられるように委員長において取計らわれることをお願いしたいのであります。特に私が本日の文部委員会に緒方副総理の出席を要求する理由について簡単に申上げたいと思います。それは新聞等の報道によりますと、汚職の問題に関連をいたしまして、検察庁としては自由党の幹事長である佐藤氏に対して逮捕許諾の請求をすることを決定したように伝えております。然るに犬養法務大臣はこの逮捕許諾の要請に承諾を与えない、与えていない。而もその理由とするところは今国会に政府が提案をいたしておりまする重要法案の審議と非常に深い関連があるかのように言われておるのであります。当文部委員会といたしましては政府が最も重要法案中の重要件案として教育関係二法案を提案し、当委員会といたしましてもそれを審議いたしておるのであります。併し我々審議いたしておりまする者にとりましては、この問題が佐藤氏の逮捕許諾と関係があるということになると、我々も重大な関心を払わざるを得ないのであります。従つてその間の事情を緒方副総理より直接聞く必要があると感じているのであります。私どもは従来からこの法案の審議については能うる限りの協力をして来たつもりであります。併しこの問題が新聞紙上に伝えられておるがごとく、そのために逮捕許諾が拒否されておるというふうな実情に、るとするならば、我々としても心外の至りでありますし、今後のこの法案の審議に重大な関係を持つて来ると思うのであります。そういう意味において私は即刻、できるならば本日の審議いたす前に緒方副総理の出席を求めてその間の事情を明らかにいたしたいと思います。そういう意味合いにおいて私はこの際緒方副総理の出席を要求するものでございますので、その趣旨に副つて委員長においても取計らわれるよう特にお願いをいたしたいと存ずるのであります。
○松原一彦君 関連して、これは若し緒方副総理の出席が至急できるならば、その上で申上げたいと思うのですけれどもが、私は是非委員長において実現できるようにお取計らいを願いたい。というのは、私はこういう立法を今出されて教育界の粛正といいますか、自粛といいますかを求めておられるのでありますが、併し日本の現在における民心に一番不安を与え又動揺を起さし、政治に不信の念を抱かしているものは一にこれ汚職である。黄官汚吏の輩出である。丁度蒋介石政権末期の国民政府のごとく、ことごとく国民に信を失してしまつた。これが反動内的に今の中共となつたことも又事実です。ここで白蟻が建物の柱を食い荒すようにこの政治不信の原因をなす汚職又汚職、こういつたような今日の現実を顧みることもなく、高飛車に、ただ極左の運動であると主張して大きな網を被せられようとするこの立法に対して、私は非常な不満を持つものなのであります。今日本で急ぐものはそんたものじやない。もつと貧乏人をなくすることであり、もつと生活に安定を与えることであり、政治に信用をとり怖すことなんです。民が政治に信用を持たなくなつたならば、千百の法律を作つたところで何らの効果はない。意味をなさない、本日新聞に現われたとろを見て恐らく唖然とせざる国民は一人もありますまい。強引にこれを引延ばされて幾つかの法律を通そうとせれるような無理こそ、今日のいわゆる政界に国民が信を持たざるようになる原因であると私は思うのであります。そういう意味におきましてお互いが自粛しなければならんと思う。特に行政府におきましては、もつとみつしり自粛の実を示されまして、民の信用をとり返さなければ、教育界だけをどうつつつき廻したところでどうにもならないと私は思う。そういうような趣旨におきまして荒木君の今の要一求に賛成をいたすのであります。
○委員長(川村松助君) 荒木君にお答えします。只今の御趣旨に副うように連絡をとつて善処いたします。
○野本品吉君 法案につきまして少しはつきり了解がつきかねる点がありますので若干お伺いをいたします。
○相馬助治君 議事進行について。私が荒木君の話をお聞きしており、且つ委員長がこれに答えられた経緯を見ますると、本来この委員会において本法案と内閣における汚職の問題は、面接この委員会に持ち出して関連付けるべきものでないとする見方が一つあつたと思うのです。ところが今荒木君説明の通りに、佐藤君の逮捕が重要法案の審議に支障を来たす。故にこの逮捕が政府の意図によつて若干変更を見る。こういう事態であるから、その事態々明らかにし、然る上において納得ずくで本法案の審議に速かに入りたいというのが荒木君の私は趣旨でなかつたかと、かように了解する。従いまして、この際委員長から善処する旨の答えがありましたけれども、正常な運転を希果するとしたならば、緒方君の出席が可能であるか、不可能であるかを確かめて返事を聞き、可能である場合には直ちにその質問に入り、不可能なる場合には、いつ頃までの時間が不可能であるか、その間の残された時間で一体法案審議に入ることが可能であるかどうか、これを諮つて順序正しく行くほうが私は本委員会を滑かに進行させる上からはよろしいのではないかと思う。私の理解が荒木君の意図に反しているかどうかを確めますと同時に、折角野本さんから質問をなされようとしておるのでありまするが、これらの取扱いについて委員長から各委員に確認されて欲しいと思うのです。
○委員長(川村松助君) 委員長の考え方は、今相馬君も話しましたが、一応副総理の都合を聞こうと思います。それに加えて、出席要求の趣旨を述べて出席を求める、こう思つております。
○荒木正三郎君 それで若し他の委員諸君が御了解頂けるならば、私はこの法案の審議と重要な関係があると思いますので、緒方副総理の出席が他の重要な問題でどうしても出席できないという場合は別ですが、出席ができるということであれば、一応緒方副総理に対する質疑をいたしまして、その上で法案の審議に入るなり、この委員会の進行を図つて頂きたい、こういうふうに考えるのであります。ただ、どうしても午前中でも出られない、その理由がはつきりしておるということであれば、お諮りを願つて進行を図つて頂いても結構です。私の希望するところは、この審議に入る前に、緒方副総理の出席を願いたい。このことは相馬君が述べられた趣旨と私の意見は全く一一致しておるわけであります。
○田中啓一君 議事進行について私の意見を申述べます。緒方副総理に出席を求められることについては、私ども別段異論はないのでありますが、折角お揃いのことでありますので……。
○委員長(川村松助君) 聞えないからもう少し高く言つて下さい。
○田中啓一君 折角委員がお揃いのところでありますから、緒方副総理へ出席方の交渉をなさり、それの大体の進行は委員長においてお取計らいを願いまして、この席では、やはり本来の質問をお続け願いたい、こう思うのであります。
○相馬助治君 私は荒木君の動議は非常に幅を持つておると思う。というのは、議事引延ばしの小手先の芸当としての発言でないことは荒木君自身の言葉の中にあると思います。即ち緒方君の出席を求めよ、お出かけ願えればそれで質疑をして了解の上で本法案の審議に入りたい。お出かけ願えない場合には、いつ頃まで来られないか、そうして又その理由はなんであるかということを当然委員長からこの委員会に諮られて、その場合に、又理由が納得できるならば一つ本法案の審議に人づてもよろしい、こういうことを申しておるわけなんです。従いまして、荒木君が申しておりまするように、本法案の審議の前提をなす一つの条件をなしておる形において緒方氏の出席が要求されておりまするから、時間はかかるようですけれども、やつぱり私は委員長から報告を聞いて、そうしてその上で納得ずくの上で行きたい、かようにお取扱い願うほうが急がば廻れではないかと、どうしても思われるわけなんです。再言いたしますが、荒木君の言うておることは、緒方氏の出席がなければ絶対に本法案の審議ができないというようなことはさらさら含んでいないと私は了解するのであります。一つ田中さんのお立場、御趣旨も聞いて、会期その他の関連も睨み合せ、御尤もな御意見だと思います。御尤もであると思いまするが故に、本委員会をスムースにやる意味合いにおいて、どうか一つ荒木君の言葉そのままを取り上げて、さように事を運ばれ、筋を通されることを飽くまで私は期待して、荒木君の説に賛成いたします。
○田中啓一君 私ども荒木君の動議に対しまして、さような関連があるから、先ずその質問をいたします。こういうことが一つ含まれておると思うのであります。それは、副総理の出席があれば他の質問に先立つてその御質問をなさることは私どもは了承するのでございますが、併しやはり副総理はどこにおるかもわからん状態だと思うのでありますが、これを連絡するには相当暇もかかるかと私は思うのであります。従つて、前提だと、こう言い切つてしまえばそれまでのことでありますけれども、関連があるところまでは私どもも了承いたすのでありますから、この際はやはり議事はお進め下さるように、重ねて私は委員の一人として希望するわけであります。
○委員長(川村松助君) ちよつと速記をとめて下さい。 〔速記中止〕
○委員長(川村松助君) 速記を始めて下さい。 それでは一時まで休憩いたします。 午前十一時五十一分休憩 —————・————— 午後一時三十三分開会
○委員長(川村松助君) それでは再開いたします。 午前に引続き御質疑を願います。
○野本品吉君 二法案につきまして、いささか私自身、はつきり了解しかねる点がありますので、お伺いいたしたいと思います。これは昨日も問題に出ておりますのですが、私が申上げるまでもなく、国家公務員法の第十六条に人事院は、いつでも適宜に、人事院規則その他人事院指令等を定めることができ、又改廃することができる、こういうふうになつておるんですが、この法律に基いて政治的行為に関する規則を作つて、そして国家公務員法の第百二条は、人事院規則の定めます政治的行為をしてはならない。で、その百十条で人事院規則に違反した者に対しましては、三年以内の懲役或いは十万円以下の罰金に処する、こういうことをきめまして、その建前でこの法案は地方公務員である教員に対して、国家公務員の例にならうという漠たる表現で加罰しようとしておる、そのことの当否は別といたしまして、私が疑問にいたします点は、その一つは、法案の重要な内容である政治活動に関する制限は、将来起り得る人事院規則の改廃に随伴するものであるかどうかということであります。この点を大臣に先ずお伺いしたい。
○国務大臣(大達茂雄君) 只今後段にお述べになりましたように、将来人事院規則その他の改正とか、或いは国家公務員法の改正等がありました場合には、これに伴つて特例法に規定する政治行為の制限の内容が変つて来るわけであります。それが「例による」という言葉で表現されておる、かように御承知願いたいと思います。
○野本品吉君 そうしますと、現行の人事院規則が明日が日にも大改廃がされるということになりますと、それはこの法律の内容に著しい変化を生ずる、こういうことになろうと思うのですが如何でしよう。
○国務大臣(大達茂雄君) この法律の趣旨は国家公務員と同じ立場に置く、こういうことが趣旨でありますから、只今申上げましたように国家公務員に関する政治行為の制限の内容、範囲、程度というものが改正によつて変りますというと、やはり同様に変つて参ります。従つて非常に大きな大改正があれば、やはり同じようにこの内容が変つて来る、こういうふうに御承知を願います。
○野本品吉君 そうすると、そういうふうにですね、不安定であり、又不確実な内容を持つておる法案に対しまして、責任のある審議を求めるというのはちよつと無理ではないかという感じがいたしますが、大臣如何です。
○国務大臣(大達茂雄君) これは今申上げましたように、この国家公務員と地方公務員たる教育公務員との間に政治行為の制限について区別する理由はない、つまり同じ立場に立つて然るべきものである、こういう建前の立法でありますから、片方が変つて来ればやはり同じように変つて来る、そういうことが至当であろう、こういう考え方であります。つまり国家公務員と同じ立場に立つ、こういう意味です。
○野本品吉君 私どもは一応現在の国家公務員に対する加罰でありますところの三年以下の懲役或いは十万円以内の罰金というものを、仮に適当であるというふうに考えてこの法案が成立した場合に、それが明日にもがらつと変つてしまうというようなことになりますと、何を対象にして審議しておるんだか、極めてぼやけて来るような感じがいたしますが、その点についてはどうでありましようか。
○国務大臣(大達茂雄君) 私どもの考えでは、この法律の内容が今申上げますように具体的に申上げますと、つまり附属の小中学の先生方と公立小中学の先生方と同じ立場にする、これがこの法律の内容であります。でありますから、そういう意味で御承知を頂きたいと思います。この附属の先生、教育公務員だけについていうのでありますが、附属の先生に現在課せられているところの政治行為の制限が、その後の検討によつてそれが適切でない、もつと強くしなければならんということもあるかも知れんし、又もつと寛大に緩和しなければならんということも十分考えられる。その場合に公立学校の先生もそれと一緒にする、まあ右へならえで行くと、こういうのがこの法律の趣旨でありまして、直接にこの法律案の、人事院規則の中身をここへ並べて書く代りに「例による。」という言葉を使つたのではないのです。その字句を省略するために「例による。」という字句を使つたのではなくて、附属の先生も公立学校の先生も同じ立場に立たせる、これがこの法律案の趣旨であります。
○野本品吉君 そういうことになりますというと、今の三年以下とか十万円以内ということは、この犯罪に対してその刑量が適当であるというお考えではないのでございますね。
○国務大臣(大達茂雄君) これは罰則の十万円以内三年以下、これは人事院規則でなしに法律に書いてあると思います。でありますから、これは法律が改正されなければならん。法律が改正されればやはり公立学校の先生も同じ内容の罰則になる、こういう結果になつて参ります。この点は法律が改正されればそうなりますが、人事院規則では動かせない問題であると思います。
○野本品吉君 もう少しはつきりお伺いしたいのですが、つまり大臣は今の法律によります三年以下十万円以内というものがこの法案に対する違反に対しまして適当な加罰であるというお考えであれを準用するとか何とか、そういうお気持は全然ないのでありますか。
○国務大臣(大達茂雄君) 直接にこの罰則の程度というものが適当である、ないということを考えておるのではないのでありまして、繰返して申上げてくどいようでありますが、国家公務員としての制限に服せしめる、でありますからして、これがこの罰則の程度が重きに失するとか、或いはこれでは足りないとかいうことがあればこれは法律が改正されるべきだ、これはその判断は国家公務員と同じ立場に立たせるということでありますから、国家公務員が動けば自然に動いて来る。この法律は結局政治行為の制限の内容、それから罰の程度ということは結局内容にはなりますけれども、考え方としては国家公務員と同じ制限に立たせる、これがこの法律案の本旨であります。
○野本品吉君 まあそういうお考えであるにいたしましても、三年以下十万円以内というこの罰則はこの法律によつて取締られる者にとりましては重大な問題であるわけです。この法律が仮に成立したとするならば、私どもは三年以下十万円以内の加罰が適当であるということの認識の上にこの法案を通したという責任を負わなければならんと思うのですが、この点はどうですか。
○国務大臣(大達茂雄君) 現在の法律が国家公務員については三年以下の懲役十万円以内の罰金という法律を定めてあるのであります。でありますからして、これが改正せられない限りは現行法の下における法律秩序としてはこれを一応適当のものと考えるのがまあ当然であろうと思います。で、これが国家公務員の政治行為制限に対する制裁として不適当であるということになれば、それは法律が改正せられるでありましよう。併し現行法はそのまま存置する限りはこれを一応適当な方法として考えなければならん、で、それへ合せる。と申しますのは、しばしば申上げましたように、教育という、同じ公務であつても教育というものは国家的性質を実質の上には非常に帯びておるものであるから、それだから国家事務を取扱つておるのがいわゆる一般の国家公務員である、その国家公務員の取扱つておる国家事務とその実質性格において教育事務は同じようなものであるから、従つて同列な制限をするのが適当である、こういうのでありますから、国家公務員一般について政治行為制限の内容、或いは加罰の程度というものが変つて来れば、これは自然と、同じ取扱いをするという点から変つて来る、こういうつもりであります。
○野本品吉君 大体わかつたような気もいたしますが、そこで私は、大きな問題にぶつかつて来ると思うのですけれども、差当つて、仮に差当つてでも三年以下、十年以内というこの加罰が適当なものとして国会がこれを審議決定したとする、その国会の審議決定が明日が日にでも人事院の一方的な決定によつで大幅に改正される、改変されるということがあり得るわけなんですが、こうなつて来ますと、国会の審議決定というものが人事院の一方的な決定よりも弱いものになつて来る、低いものになつて来る。ことに私は大きな問題があるように感ずるのですが、如何ですか。
○国務大臣(大達茂雄君) この罰の程度につきましては、これが直接法律に定めておりますから、人事院規則によつてこの罰の程度を変更するということはできない関係になろうと思います。 それからその罰を科せられる行為ですね、その行為の範囲というものはこれは人事院規則に任されている、でありますから人事院規則を変更することによつて罰を科せられる内容になる行為は、これは変更されるわけであります。併しこれが人事院規則で非常に実情に合わないというようなきめ方をするということは、一応法律としてはそういう場合を予想しておらんと解釈せざるを得ない。というのは法律において、その点は本来が法律を以てきめるべき事項であるけれども、それを人事院規則に委任をして、法律が委任をして人事院規則の定めるところによると、こういうことにしておるのでありますから、その場合には人事院規則の定めるところはつまり法律と同様な効力を持つわけであります。でありますから、若し人事院規則に任せて置くことが不適当であるということになれば、これは法律によつて、なん時でも法律を改正することによつて、人事院規則に委任したその委任という規定を変更することは当然できるわけであります。現行法としては人事院がさような非常に常軌を逸したような、或いは極端に実情に合わないような規則をきめるはずはない、こういう考え方で法律として人事院規則に委任しておる、こういうふうに私は解釈しておるのであります。でありますから若しそれを不適当とすれば、何どきでも法律を改正することによつてこの人事院規則による制限というものは廃止することができる、これは当然であろうと思います。
○野本品吉君 もう一点お聞きしておきたいのですが、現行の人事院規則によつて、よくもこれほど細かく考えたなと感心するほど政治行為についてのいろいろの規制がしてある。その人事院規則によるあの細かい規制に違反したものに対して、先ほど来申上げております加罰が適当である、こういうふうに考えた場合に、この法律が成立の後において人事院規則が一方的に改変された場合に、加罰がそのまま残ると、私はここではつきりしておきたいと思いますのは、何らかその事柄は人事院の決定が国会の決定に改変を加えるという結果になるということじやないかと思うのですが。
○国務大臣(大達茂雄君) お話になりました御趣意は特例法で現在の人事院規則の内容を一応対象として、そうしてこの特例法が成立するとしたその場合に、人事院規則が変るから、そうすると実質において特例法がこれによつて変更されるような結果になる、こういう御趣旨のようでございます。それは先ほど申上げましたように、特例法では人事院規則を含めた公務員に関する制限、こういうものを対象にしておるとお考え下さつていいと思います。具体的に人事院規則の内容になつているもの、あれを直接取上げたのではないので、しばしば申上げますように、公立学校の先生といえども、その扱つておる教育ということが国の事務と実質において違うところがないのであるから、国の事務を取扱つておる国家公務員と同じにする、こういう考え方でありますから、直接には人事院規則というものを対象にしてはおらない。実質的には現在では人事院規則を対象にしている。要点は国の国家公務員と同じことにする。これがこの特例法の趣旨であります。でありますから、例えば普通の法律用語で言いますと、準用するとか何とかいう言葉を使えば、それをわざわざ書く代りにこれを引張つて来た、こういうのでありますが、例によるというやつはこつちと同じにするということでありますから、動けば一緒に動く、つまり国家公務員と同列にする、これが正確に言つてこの法律案の内容であるように御了承頂きた
○相馬助治君 野本委員の質問は地方公務員である教員の加罰の場合に、それを禁止される条項を人事院規則に譲つておることに対する疑問から発したと思うのですが、私もそれに対して大きな疑問を持つておりますが、先ずそれを別な角度から、それに連関して一点伺いたいのですが、この国家公務員法が生れるときにも重大なる内容を持つているものを人事院規則に譲るということについては、当時法律学者を初めとして、いわゆる法というものの精神を重んじようという人の中に大きな問題があつたことは大臣も御承知であろうと思うのです。で、ただ国家公務員の場合にはそういう処罰規定がいいか悪いかということについては、問題はありまするけれども、人事院というものがあつて、ストライキ権を奪われた国家公務員に対して、代りにべース・アツプその他国家公務員の利益を守るための責任を人事院が果してくれる、そういう見合いによつて、一方においては刑罰を科するということがあの法律の建前であつたと思うのです。ところが今般は、教員の場合には、面接には人事院によつて何も守られていない。そうして罪を受けるその内容は全部人事院の規則をそのまま準用する、これは非常に問題であると言わなければならないと思うのです。先ずこの第一点について文相の御見解を承わつておきたいと思います。
○国務大臣(大達茂雄君) この点は昨日も御質問があつたように覚えておりますが、私はこの国家公務員の政治行為を制限するということは、その当否は別といたしまして、現行法上それ自身に理由があるとして規定されておるものである。それから、公務員の身分の保障、給与その他についてのこの関一係は、やはりそれ自体に理由があつてそういう措置が講ぜられておると思うのです。そこで片方で与えるから、そのものがちよつと頭を叩いてやるのだ、こういう差引関係のものではないのだと私は思います。成るほど公務員について、例えば同盟罷業とかというようなことをとめる。この場合には、これは勤務条件の向上、改善についての権利を停止するのでありますから、従つてそれは人事院はその代り適正な給与の勧告をする、これは引替の問題でありましよう。併し政治行為の制限ということになると、これは別の意味でありますから、片方で保護しておるから片方で少しいじめてもいいのだ、こういう取替の問題ではないと思います。又地方公務員たる教職員につきましても、これはやはり地公法において身分の保障の規定があります。併しいずれにいたしましても、これはストの禁止、このベース・アップの勧告というようなその間に連関性があるものと考えております。
○相馬助治君 文部省がこのような法律を必要とする意図、その精神に対しては、私は当初から現在に至るまで反対の意見を持つておるのでありますが、私自身の意見は暫くおくとして、あの法律が仮にあのまま必要であるとしても、立法の制度から言うならば、法律自体に制限の内容を定めてこそ世人が納得するのではないか。こういうふうに一応考えて私は質問をしておるわけなんです。そこで第一点として今の御質問を申上げたのですが、今の大臣の答えは、私にはどうも納得ができないのです。そこで一歩進んでお尋ねして行きたいのでありますが、どう考えても、地方公務員たる身分を持つ教育公務員の自由の制限を別系統の人事院の専権に委ねてしまうということは、立法上どう考えても筋が通らないと思うのです。なぜならば人事院規則が改正されて来るというと、地方公務員であるところの教育公務員の政治活動の制限の内容が自動的に変つて来ることになる。そうして又、それは地方公務員である教員が、それらの変つたことを必ずしも的確に知るかどうかということになつて来ると問題でございます。そうして又、全然別系統に属する機関の一方的なものの判断、解釈、改正によつて、自動的に別系統の地方公務員である教員が縛られて来る、或いは緩められて来る、これはよいとか悪いとかいうことでなくして、私が言うておることは、そういうような縛ろうとすることが妥当であるとか妥当でないとかいうことを論じて討論しているのでなくして、どう考えても立法上私は筋が通らないと、こういうように思えてならないのです。従いまして、文相がこの二法案を必要とする考え方を一応認めるとした場合においても、なぜ法律自体にこの制限の内容を定めて、その法律を読んだだけで、地方公務員である教職員に、明らかになるような法律をお出しにならなかつたのであるか、これについては悪意に解釈する人もありましよう。こういうような法律を出して、そうして、この法律は大したものじやないということで通してしまつて、然る後に圧力を発揮する、悪辣なる大連文部大臣の云々ということを我々聞かされておるのでありますが、私はそれを問題にしているのでなくして、立法府の我々として、筋が通らないことには承認はできないので、その辺の経緯を私は承わつておきたいと思います。
○国務大臣(大達茂雄君) 地方公務員たる教育公務員が、まあ正確に申上げますと人事院規則によつて直接政治行為の制限を受けるのでありますが、又将来人事院規則が改正になつた場合にも、その改正ということによつて直接地方公務員が、人事院によつて政治行為の制限をせられる、こういうことは法律的には、そういう意味ではないと思います。ただ、この特例法の規定によつて、人事院規則と、それは地方公務員たる教育公務員というものが特例法によつて結び付けられるという意味であります。そこでそれならば、この特例法のうちに人事院規則と同じ内容のものを書いたならばいいのじやないか、若し人事院の規則の内容が適当であるとするならば、若しも人事院規則のうちで取捨選択の余地があるとするならば、その適当なものだけを拾い上げて書いたならばいいんじやないか、こういう議論だと思います。ところがいつも申上げますように、私どものほうでは国家公務員の立場と同じ立場をとらせる、これが趣旨であります。仮に、この特例法において独自の立場で政治行為の制限をきめますか、きめた場合、国家公務員たる附属の先生と、それから地方公務員たる公立学校の先生との問に、なぜそういう区別をするかという点は、私どもから見ると理由がない、こういうことになる。公務たる教育の性質上、国家公務員との間に区別する必要はないという建前をとつておるのでありますから、どうしても両方合せなければならない。そこで「例による。」ということは、用例に従つたということは、つまりスライドして、片一方を変えれば、片一方も内容が変つて行く、こういうこと自身がこの法律案の趣旨とするところであります。決して煩を省くために、或いは見せかけを柔らかにするために、そこに書かなかつた、こういう趣旨じやないので、むしろ逆に国家公務員と同じように動いて行くということが、この法律案の趣旨であります。これがいいか悪いかは、これは御批評でありますが、とにかく法律案の趣旨は、そういう意味で立案したのであります。
○相馬助治君 曾つて教育委員会をどうしても育成しなくちやならないと、こういう大連さんのお考えに対して、教育委員会そのもののあり方からして私どもは反対しました。併しあなたのおつしやる言葉の中に、一部私どもを納得せしめたことは、教育の事務というものは、法律が定めるように地方の事務としているという現在の立場を堅持することは、逆に言うならば教育の中央集権化に反対する精神である。教育の中央集権化というものは、憲法及び教育基本法の根本原理に矛盾することになるのであるからして、教育の権力統制への一段階であると世人が指摘していることに、大連さんは古い自由主義者として、(笑声)あ点を反対して、教育委員会の助成に熱意を払つているのである。こういうように了解するというと、私は大達さんの、ものの考え方というものに対しても、或る一点の共鳴を持つていたものなのであります。ところが今度の法律に至つては誠に矛盾をしている。で、どうして矛盾しているかということを、ここで論じようとはいたしませんけれども、要するに、政府が教員の国家に対する責任を強調して、公立学校の教員も責任と服務の点においては国家公務員と実質的に同一であると、かように主張するならば、私はその論拠を認めましよう。認めるとするならば、次の段階においては、教育は地方の事務であると規定しておりまする地方自治法、教育委員会の大原則を否認するものであるからして、それはこれらの法律の改正を図らなければならない。振返つて考えてみますと、先の文部大臣の当時に、義務教育費全額国庫負担法なるものが文部省において構想された。これも日教組その他から猛烈な反対を受けた。それは見せかけだけの全額国庫負担法であるという意味合いにおいて反対を受けたのであつて、若しそれ、あの法律が義務教育無償の憲法の原則に立つて、全額を国で以てみる。同時に教員を国家公務員として、これを国家公務員の例に倣つて、政治的活動その他の権限を縛るとするならば、一応の筋が立つていたと思うのです。即ち物の面においても、それから教員自身の利益の面においても、国家公務員としての処遇を与え、同時に国家公務員としての制限義務付けというものをなして行つたから、車の両輪のごとき関係にあつたから、あの法律を立案しようとした文部省の善意の意図というものは、今日高く買われて然るべきものだと私は了解しているのであります。そこで又論を戻しますが、今の大臣の答弁のように、ものを推し進めて行くならば、政府は本法案をその第一歩として現に日本がとつておりまするところの教育の地方分権そのものを修正して行こうとするこれは意図に立つているのかどうか。なお本法案は暫定的なものであつて、行く行くは地方公務員であるところの学校職員を、国家公務員として取扱うような積極的立法の意思があるのかどうか。この点について明快なる一つお示しを願いたいと思うのです。私はまあ議論をしていないのでございまして、全く純粋にわからないので、筋がどうもわからないのでお尋ねしているのでございまして、一つその点を考慮されて、親切にして、而もよくわかるような答弁を煩わしたいと思います。
○国務大臣(大達茂雄君) 教育を地方のこの公立学校による教育、これを地方の事務として取扱うということは、これはそれぞれの地域団体の子弟を教育することでありまして、従つてこれを地方の仕事として取扱うということは、これは事務の所属をさようにきめたことと私はさように思うのであります。そうしてその事務のそういうふうに地方の事務として所属をきめて、そうしてその定められたる事務をそれはそれぞれの地域社会における子供の教育のことでありますから、でありますからその地域社会の人々の意思を反映して、いわゆる地方分権的にこれを輝営して行くと、こういう建前が現在の教育委員会による教育というものの建前であろうと、かように思うのであります。その場合にその教育というものが国家的性格をもつているという点は、これはかかわりのないことであると私は思うのであります。それは教育自身の性格から来るものでありまして、その事務を地方の事務として扱う、或いは国の事務として扱う、これはそれぞれの行政事務の所属のきめ方であると思うのであります。ここに、この場合に従つてこの教育というものの国家的性格から割出して、そうしてこのたびの特例法一部改正という法律案を提出したわけであります。でありますからして、それであるからというて、だからして当然にこれは国の事務として将来、これに従事する職員は国家公務員にすべきじやないか。又その地方事務として扱つているものも国において取扱う、その事務を行うということにはならんと思うのであります。現に同じ義務教育であり、同じ中学校の教育であり、内容においてちつとも違わんはずの同じものを、これを附属において教育する場合にはこれは形式的に国家の事務として取扱う、これに従事するものはいわゆる国家公務員である。同じものを公立学校というものでやる場合には、これは地方の事務として地方教育委員会においてこれを取扱う、内容は、その公務たる教育の内容は全く同じであります。ただ事務の所属はそういうふうに区分せられていると、こういうものであろうかと思います。でありますからして、その教育というものの本来の性格から見てこのたびの特例法一部改正の理由をここに求めたということと、それが直ぐこれを地方の事務という考え方を否定して、そうして教育委員会というものからこれを取上げるのだ、こういうことには私は、羊、こまで発展する性質のものではないと存じます。
○相馬助治君 それからそういう意図も持つてない。
○国務大臣(大達茂雄君) 只今そういう意図も持つてない。従つて今後全額国庫負担ということはこれは将来の問題でありましよう。併しこれは只今のところはそういうことは意図は持つておりません。恐らく将来においても教育というものが国家的性格を持つ仕事であるということからだけでは、即ち経費を全部国で支弁する、こういう結論はなかなか出ないのではないかと思います。少くとも現在において国家公務員にするとか或いは全額国庫負担、この前の職員法のようなものに進んで行く、そういう意図はありません。
○荒木正三郎君 只今野本、相馬両委員によつて質疑されている問題に関連いたしまして一、二お尋ねいたします。 私はこの教職員の政治的行為について、それを国家公務員の例によるということについては重要な問題でありますので改めて質疑をいたしますが、ここでは非常に無理があるという二、三の例を挙げて、そしてそれについて文部大臣の所見を伺つて置きたいと思うのです、それはどういう点に非常に無理が出ておるかということですが、これはこの人事院規則の第十二号ですね、この条項によりますと、「政治的目的を有する文書又は図画を国の庁舎、施設等に掲示し又は掲示させその他政治的目的のために国の庁舎、施設、資材又は資金を利用し又は利用させるごと。」こういうことをしてはならんというふうに相成つております。ところがこの条項を適用されまするけれども、教職員はそれでは地方の施設或いは学校とか或いは庁舎と、そういうところを利用して政治的目的を有する文書又は図画、そういうものを地方の庁舎とか施設というものに掲示し、その他の行為をしても何ら差支えがないことになるわけです、これは私はよい悪いは別として、明らかに矛盾しているじやないかと思います。公立学校の教職員が地方のいわゆる公の施設等を利用しても差支えないが、国のそういうものを利用してはならんというのはこれは明らかに矛盾しているというふうに考えるのです。これはやはり、元はその国家公務員の例によるというふうな扱い方をしたことによつて起つて来た私は欠陥であると思うのです。こういうことについて文相はどういうふうな所見を持つておられますか。
○国務大臣(大達茂雄君) この点はこの人事院規則が国家公務員というものを対象として規定せられておりますので、従つてここには国の庁舎、施設、資材というふうに、利用し又は利用させること、こういうふうに書いておると思います。そこでただ現在の人事院の解釈に従いますというと、これは国家公務員の自分が勤務しておる庁舎、施設、そういうものを利用し又は利用させるとい、りことだけでなしに、広く国の施設と庁舎等を利用し又は利用させるということがいけないのだ、こういうふうに解釈しておられるようです。でありますからして、こういう公の施設を、こういう運動に使つてはいけない、こういう点では地方公務員である教職員に対して政治行為を制限する場合でもやはりこの規定を持つて来て私は別に差支えないと思う。ただ一点地方公務員のことであるから地方公共団体の庁舎施設、そういうものを利用し又は利用させるという場合も附加されるべきものである、制限としては、という点は御指摘の通りだと私は思います。これは実はその内輪話を申上げるのでありますが、私どものほうで当初立案をいたしました場合に、その点は附加えて或いは読み替えるような規定を設けて実は政府部内における関係庁のものと協議をしたのであります。その際にこれはここだけではありませんが、例えば国家公務員であつても、例えば国警におる警察官、こういう者はまあ国家公務員である。これが併し各府県に勤務、事実上仕事をしている。そういう人が国のこの人事院規則によると内閣を潰すとか、支持するとか、反対するとかいう意味の目的をもつて一定の政治行為をすることはできない。併し地方におつてその県の知事を排斥するとかいうようなことで、地方におる国警の警察官がそういう目的のいろいろの政治行動をするということもこれも困る、そういう点で人事院規則については、大筋は別としても、そういう細かい部分についでは一応改正しなければならん。こういうことをまあ考えておるということでありますが、そういうわけで、人事院規則についてはそういう点では、なお検討の上で改正をする必要があるから、そういう細かい点の読み替えは、読み替えの規則に持つて行つたのですが、読み替えはむしろやめたらいいじやないか、この際は。それでまとめてこれは改正を、適当な改正をするようにしたほうがいい、こういう実は話でありまして、そういうことであればそれでもよろしかろう、こういうことで実は提案の運びになつたのでありますが、この点につき損しては過日衆議院の人事委員会におきましても浅井総裁のほうから、やはりそれに大体或る程度の人事院規則そのものを改正しなければならんと思つているという意味の答弁もあつております。で、当時私どものほうで法制局或いは人事院等々と意見の調整を行いました場合に、そういう意味の関係方面の意図が明らかになりましたから、その意味で恐らく読み替え地方団体の云々と、いろいろに読み替えをする規定を省いて、省略したわけであります、さように御了承願います。
○荒木正三郎君 これは私がお尋ねをしておる点は、地方公務員である教職員に対して、国家公務員の例によるということで、いわゆる国家公務員法の、いわゆる政治行為についてはその法律を適用する言い換えれば人事院規則を適用するということによつて、矛盾が起つて来ている。即ちこの例によるというこの非常に簡単な、そういう操作をしたことに無理があるということを言つているわけなんです。こういう例はほかにもあります。これは第六項の第四ですね、「政治的目的をもつて、前号に定める金品を国家公務員に与え又は支払うこと。」こういうことをしてはならんということがあります。で、その前号というのは「政治的目的をもつて、賦課金、寄附金、会費又はその他の金品を求め若しくは受領し又はなんらの方法をもつてするを問わずこれらの行為に関与すること。」で、これは国家公務員にそういう金を渡しちやならんというのですが、地方公務員に渡してもいいということになるのです。これも明らかに私は矛盾して来ていると思う。こういう矛盾がまだほかにもあります。私は順次質疑してもいいのですがね、これは関連質問ですから、できるだけ簡単にしたいと思いますりこれは文相がなんとおつしやつてもこれじや、このまま適用すればこれは明らかに矛盾して参ります。こういう第六項第四の規定についても、どういうようにお考えになつておりますか。国家公務員に金をやつちやならんが、地方公務員にはやつていいと、こういうことになるわけですか。
○国務大臣(大達茂雄君) これらの点ぱ只今申上げましたように、精密に言つて足りない部分もあります。或いは又読み林えをしなければならん部分もあると思います。これは先ほど申上げましたように、人事院規則そのものがそれらの点について改正をしなければならんということを、人事院のほうで申しておりますのでありますからして、今ここで読み替えの規定を作りましても、人事院規則が又変りますと、今度又読み替えの部分についての法律改正をしなければならん、こういうことになりますので、人事院の規則の改正がこれらの点についてある、こういうお話でありまするから、これを除いたのであります。さよう御承知を頂きたい、これは衆議院の人事委員会において浅井政府委員がこれらの点について容答をしておられます。私只今申上げたような意味において答弁をしておられますので、それで御了承願いたいと思います。
○荒木正三郎君 私はこれで質問を終ります、野本さんも御質問あると思いますから。ただそうするとこういうことに相成るわけですよ。教職員に対しては国家公務員の例による、この国家公務員法を適用するわけです。これは人事院規則を改正する前提に立つて適用するということになるわけです。人事院規則を改正するということを前提にしなければ適用できないということになる。そうなれば問題は又別個の問題として起つて来ると思うのですよ。人事院規則をこのまま適用すれば、矛盾があるということは、もうはつきりしておる。先の十二号におきましても、国の施設にはそういう文書、図画を貼つてはならんが、地方の公の施設には貼つてもいい。国家公務員には金をやつてはならんが、地方公務員には金をやつてもいい、これは一つの法律としては、一つの行為を取締る法律としては矛盾した内容を持つています。これは矛盾しておるという」とは認めるが、人事院規則を近く改正すると浅井総裁は言つておる、改正になるかならないか私は知りません。併し改正になるからこれでいいんだということになれば、改正を前提にして私はこの法律ができておるということになると思う。そうなればこれは私はなんといいますかね、非常にこの法律を審議する場合に、改正になるかならないかわからない、(「どうなるかわからない」と呼ぶ者あり)わからないものを前提として、改正になると人事院総裁がそう言つておる、こういう前提でこの問題を審議することは困難になつて来るのです。
○国務大臣(大達茂雄君) 私は矛盾があるとは申しておらない、足りない部分ができて来る、こういうふうに申しておるのでありますから、この特例法によつて人事院規則の例によることが矛盾をしておつて、法律上それでは動かなくなる、こういうものとは思つておりません。先ほどちよつと申上げましたが、国の施設を利用し、又は利用させる場合でも、自分が管理をし、自分が勤務しておるその庁舎、施設を利用し、又は利用させるという意味ではなくて、広く国の施設、庁舎を公務員の身分を持つておるものが、そういう運動に利用してはいけない、又利用さしてもいけない。こういうことでありますから、それは地方公務員たる教育職員の場合についても国の庁舎、施設を勝手にそういうことに使つてはいけないという点は、やはりこの人事院規則によつてさような制限を受けることになる、これは地方公務員たる身分に、性質からみてこれが矛盾するというふうには私は考えておらん。ただ足りない部分は生ずる、例えば地方公務員が地方団体の庁舎とか、施設をそういうことに使つても差支えないか、こういう問題が起りましよう。だからその部分はこれは足りない。足りない点はありますが、この法律を施行する結果非常に矛盾が起るのだ、こういうことは考えておらん。具体的に申上げますと、国の公務員であると、例えば日教組が文部省で坐り込んで、そうして文部省の建物にいろいろビラを貼り付けたり、何かする、これは公務員である場合は勿論そういうことをしてはならんので、結局地方公務員の場合でもそれは今度の特例法によれば、それが一定の政治的目的を以て特例法のこの人事院規則に定める条件を備える場合においては、それは禁止せられます。これは矛盾するということはない。国の庁舎ならば、幾らでも貼り付けて、地方団体の庁舎だから貼り付けることはできない、しちやいけない、こういうものではない。その点は矛盾をしないので、足りないところがある、こういうことを先ほども申上げた。決して矛盾はしておらんと私は思います。
○荒木正三郎君 この法律によりますと、政治的な目的をもつた文書或いは図書、図画を学校の壁に幾ら貼つてもいいわけであります。道義的には問題はない。法律的には幾ら貼つてもいいわけであります。或いは市庁舎とか或いは府県庁舎とか、そういう公の施設を幾ら利用してもいいということになります。そうして国の施設にはそういうことをやつてはならん、こういうことになつていくわけであります。そうすると、そういう政治的行為を制限することがいいか悪いかということを私は言つているのじやなしに、一方地方の公共の施設は幾ら利用してもいいが、国の施設は利用しちやいかん。これは地方公務員である教職員を国家公務員の例によるというふうに適用したところに根本の無理があると私は言つているのです。そうして又ごの人事院規則が目的としておるところは明らかに私は矛盾しておると思います。国の施設に貼つてはいかんが、地方の施設には貼つていい、こういう考え方をこの法律はとつていない。人事院規則はとつていない。国家公務員であるから国の施設を利用してはならん、地方公務員であるから、地方公務員は地方公共団体の施設を利用してはならん、こういうことに相成つておる。これで私は条理が一貫しておると思います。ところが地方公務員に対して国家公務員法を適用するためにそういうことが起つて来ていることは明らかに私は矛盾している問題だと思います。足りないと言えば足りないかも知れません。なかなか文部大臣は巧妙な言葉をお使いになられるようです。確かに私は矛盾しておると思います。これは第四項でもそうです。金を国家公務員にやつてはいかんが、地方公務員にやつてもいいのです。 私はもつと言いたいことは第七項に重要な問題があります。これは又次の機会に譲るとして、こういう矛盾は地方公務員である教職員に国家公務員法を適用するというところから私は起つて来ている欠陥だと思います。
○国務大臣(大達茂雄君) 私の言葉が足りなかつたのかも知れませんが、先ほど申上げたように矛盾はしておらん。つまり矛盾していないということは、地方公務員の場合には、国の建物、庁舎というものに一定の政治的目的を有する文書、図画、そういうものを貼り付けても上いのだ、こういうことは少くとも現在の人事院規則等の精神から言えば、それは一体禁止せられて然るべきことであるから、だから地方公務員の場合にもその国の規定によらしめて私は不都合はないと思います。ただ地方公共団体の建物も同様に扱わるべきものであろう。であるから、それについての規定が欠けることになるのは足りない点がある、こういう意味を申上げたのであります。それで同時に国家公務員の場合から言いましても、国の庁舎、施設について、そんなものは貼り付けてはいけない。同時に又幾ら国の公務員ても地方団体の公の施設、庁舎に勝手にべたべた貼り付けてよい、こういう理屈はやはりないのでありますから、そういう公の施設をさようなことの用に利用するということはいけない、こういうのだから、人事院のほうでは改正するというのはその地方団体のそういう公共施設のようなものを利用したり、利用させたりすることもいけないのだということを国家公務員法、人事院規則においてはそこが欠けておるから、そういう点においては更に検討して改正する必要がある、こう言つておるのです。でありますから、その点は足りないということはあります。けれども矛盾して理屈に合わないということは私はないと思う。つまり国家公務員法のほうの国家公務員といえども地方公共団体の施設、建物をさような目的に使つてはいかん、こういうことが規定されれば、それですつかり済む、こういうふうに私は思つております。
○荒木正三郎君 そうするとやはり元に返つて、人事院規則が改正せられる。今度人事院が改組されるのかどうか知りませんが、これについても非常な問題があると思うが、これは後日質問するとしても、この人事院規則というものは浅井総裁がそういう足りない点があるから改正するのだとおつしやつておる、私は聞いておりませんが、文相の書典をそのまま受取つても。併しこれは実は一人だけで改正できる問題でもなし、又改正する必要があれば、いつでも国家審議中に改正できる問題である。現にされていない。現にされていない人事院規則を今適用されるということになると、非常に不合理が起つて来る。矛盾という言葉が適当でないというならば、不合理が起つて来る。私は道義的に言つておるのじやなくて、法的に言つておるのです。これは確かに私は不合理だと思う。 なおこの問題は第七号にも出ております。「地方自治法に基く地方公共団体の条例の制定若しくは改廃又は事務監査の請求に関する署名を成立させ又は成立させないこと。」、署名運動をしてはならない。この地方自治法に基く地方公共団体の条例の中には、教職員にとつてのいわゆる給与に関する条例があります。これは地方公務員法が制定しておるように給与の問題については、給与の問題を改善するために組合を作つておるのだと言つてもいいくらいにその目的は、はつきりしておるわけです。ところがこういう給与の問題について条例が作られる場合、これは地方公務員である教職員は、当然こういう問題についていろいろの意見を述べたり運動することができます、現に。ところが国家公務員の例によるといつてこれを適用されると、そういうことをしてはならんということになる。これは地方公務員法を無視するものだと思います。或いは地方公務員の組合結成の目的を抹殺する結果になる。この点どういうふうに御検討になつたか伺いたい。
○政府委員(緒方信一君) 只今……。
○荒木正三郎君 私は文部大臣にお伺いしておるのです。
○国務大臣(大達茂雄君) 私の代りです。
○政府委員(緒方信一君) 只今の人事院規則の第五項第七号の条例の改廃についての問題でありまするが、この条例の制定改廃につきまして「請求に関する署名を成立させ又は成立させないこと。」を目的として、次の第六項に規定してありますような政治的行為をやることはいけない。これが人事院規則の趣旨でございます。そこで条例の制定、改廃の関係は自治法の第七十四条にございますが、これは御承知のことでございますが、選挙権を……、その地方公共団体の住民で、選挙権を有する者は、その総数の五十分の一以上の連署を以て、その代表者から、普通地方公共団体の長に対しまして、かような請求をすることができると、こういうことになつております。で、こういう目的を以ちましていろいろな政治的行為をするということを、この人事院規則は禁止をしております。この趣旨は、公務員が公務を適正に執行して行きますにつきまして、かような政治的行為に深入りすることを避けるという趣旨から出ていると考えます。(「違う、違う、全く違う」と呼ぶ者あり)そこでこの問題は、職員団体として、当局と条例の制定等につきまして交渉をする、このこととは全然別個な問題でありまして、これは地方公務員法に基きまして、職員団体として当局と交渉をする、勤務条件の改善等につきまして交渉をすることとは全然別個の問題でございまして、選挙権者の一人として選挙権者の五十分の一以上の署名を得る、こういう政治的な行動をする、そういう目的を以て政治的行為をすることを禁止するのがこの人事院規則の趣旨でございます。只今お話の、職員が待遇改善等につきまして当局と交渉する、条例の改廃等につきまして交渉をするという問題とは別個な問題であります。
○荒木正三郎君 私は緒方さんは考え違いをしておられるのじやないかと思います。というのはですね、「地方自治法に基く地方公共団体の条例の制定」ですね、これに対してなぜ国家公務員が関与してはならんかということは、第六項の第一に明らかになつているのです。「政治的目的のために職名、職権又はその他の公私の影響力を利用すること。」即ち国家公務員という、その何ですね、職名とか職権というものを以て、その地方の自治体が行ういろいろのことに関与してはならん、こういう趣旨に基いてごの条項があると私どもは解釈しておりますよ。だから地方自治法に言ういわゆる条例の……、地方の公共団体がやる条例について国家公務員が関与してはならん、こうなつている。地方公務員である教職員はですよ、給与の問題についても、給与の条例を作ることについても区会議員の諸君に署名を求めたりやつているわけです。併しそれは現行法でできるわけです。又は区会議員の諸公でなくてもよろしい。その他いろいろな地方の住民に対しても、いろいろ署名を求めることができるわけです。併し国家公務員はそういう地方自治団体のことに対しては、してはならんという規定は、国家公務員の職権を利用する虞れがあるからですよ。そういう意味であつて、今後はですよ、この国家公務員法を適用されることによつて、実質的に教職員は国家公務員と同じ扱いを受ける。そうなればそういう待遇改善の問題についても署名を求めるということはできなくなるのか。できるのですか。できるのだつたらできるとおつしやつて下さい。多くは要りません。
○政府委員(緒方信一君) 只今お話の人事院規則の第六項の第一号でございますが、これはその政治的目的のために、こういうふうな職名、職権等の影響力を利用しちやいけないという政治的行為の一つの制限の規定でございます。これは今のお述べになりました第五項の第七号とは、これは直接の、これと対して規定されたわけじやないのでございまして……。
○荒木正三郎君 それはそうかも知れない。
○政府委員(緒方信一君) 第七号のほうは目的である。こういう目的を以て、一この第六項に掲げておりますこの各号に触れる行為をしちやならない、かようなことでありまして、この一項があるから、国家公務員はこの第五項の第七号というような目的のことをやつちやいけない、こういう意味だと思います。(「署名ができますか」「端的に言つて答えてくれ」「そこを確かり」と呼ぶ者あり)申上げております。待つて下さい。説明をしている。(「簡単々々」と呼ぶ者あり) それでこの禁止されておりますことは、第五項のこの「政治的目的」に書かれております政治的目的を以て、第六項の各号の行為がいけないということでございますので、只今お話のように、単なる待遇改善の目的を以ちまして、これは単なる単純に 〔委員長退席、理事剱木亨弘君着席〕 そういう目的を以ちまして署名運動を、(「単純に……」と呼ぶ者あり)第六項の第九号をやりますことは、これは関係がないのでございます。これは政治的目的のため署名運動を企画し、主宰し、指導し、その他積極的に参与することがいけない、さように御了承下さい。(「それはおかしい」と呼ぶ者あり)
○荒木正三郎君 これは第五項第七号です。と言いますのは、その第七号は、「地方自治法に基く地方公共団体の条例の制定」とあります。これは署名を成立させ、又はさせてはならん、こういう規定です。これはね、勿論いろいろ条例はあると思いますが、その中で教職員の給与の問題の条例がある。そういう条例について署名をさせることは差支えない、こういうふうにおつしやつているのか。差支えがあるとおつしやつているのか。はつきり政治的目的とか何も書いてないのです、この七号には。だからその点で、はつきりおつしやつて頂きたい。
○政府委員(緒方信一君) この第七号がこれは政治的目的の一つなんであります。そこで只今お話のように、条例の制定、改廃……、署名を成立させ、又は成立させないことを目的といたしまして、ここで書かれておりますような署名運動を企画し、主宰し、指導し、積極的に参与することはいけないと、これは禁止されております。
○荒木正三郎君 それではやはり差支えがさつきはないようなお話であり、今は差支えがあるようなふうに私はとつたのですがね。結局この第五項第七号に言う行為はできないのか、できるのか、おつしやつて頂きたい。第五項第七号に言う行為ですね、こういう行為はできるのか、できないのか。
○政府委員(緒方信一君) これは繰り返し申上げておりますように、これが政治的目的なんでございます。この目的を以て第六項の各号に掲げておることをやつちやいけない、この両方が結びついて、初めて禁止が行われる。尤も第六号の中には、その政治的目的と結びついていない条項もございます。ございますけれども、今の署名運動につきましては、政治的目的を以て署名運動につきまして一定の行為をしてはいけない、かようなことになつております。
○荒木正三郎君 この人事院規則は、すべて政治的行為の制限である。従つていずれも政治的目的を持つているわけです、これはこの中に書いてある条項は。だからそういうことをしてはならんというふうな規定に私はなつていると思いますね。それで第七号の行為はできるのかできないのか。これは頭が悪いのか、さつぱりわからんな。(笑声)
○政府委員(緒方信一君) これは第五項を御覧頂きますと、「法及び規則中政治的目的とは、次に掲げるものをいう。政治的目的をもつてなされる行為であつても、第六項に定める政治的行為に含まれない限り、法第百二条第一項の規定に違反するものではない。」かように相成つております。でございますから、第六項に一号から十七号までありますが、この中に「政治的目的をもつて、」或いは又「政治的目的のために、」或いは又「政治的目的を有する」と、こういう字句が出て参ります。この「政治的目的」というのは第五項に定めてあります一号から八号までが、これが政治的目的であります。それで政治的目的を以てこういうことをしてはいけないというふうに第六項に掲げてありますことにつきましては、今申しましたようにこの第五項が頭にかぶさつてなければ禁止されないということがはつきり書いてあります。
○荒木正三郎君 それでは具体的にお尋ねいたします。この前の国会でいわゆる給与の三本建という法律が通りました。これは私は私の考えでは、やはり一つの政策といいますか、政治的目的を以てと申しますか、国会において給与の三本建がきめられたわけであります。これに反対するということは、やつぱり政治的目的を持つているとも解釈できると思います。これに反対するということは。そこで各地方公共団体であの法律に基いて給与条例を作るという場合に、この給与条例に反対するということはどういうことになるのでしようか。それは政治的目的を持つた行為と見倣されるのでしようか、見倣されないのでしようか。
○政府委員(緒方信一君) 今のお話は条例の制定に関しまするその署名、その直接請求の署名を成立させ又は成立させないような目的、これは政治的目的であります。第七号に書いてあります。
○荒木正三郎君 そうすると各地方公共団体で三本建の条例をきめようとしたときに、それに反対するように署名を求めたり、そういうことはいけないということになりますか。
○政府委員(緒方信一君) それは具体的な行為の態様がはつきりなりませんと一概に申上げられませんが、この第七号に書いてあります自治法の規定に基きます直接請求なんですね。選挙権者の五十分の一の連署によつてそうしてこれを地方公共団体の長に請求することができることになつておりますね。その連署で以て署名を成立又は成立させない目的でやるというのが第七号なんです。そういう目的を以て例えばここにあります「署名運動を企画し、主宰し又は指導しその他これに積極的に参与すること。」、こういうことはいけない。こういうことになつておる。これに当てはめてその具体的な行為がどうなるかということは、具体的に、もう少し行為の態様がはつきりなつて参りませんと……。(「三本建はどうだ」と呼ぶ者あり)三本建でも同じです。三本建に関しましてもほかの条例でも同じであります。
○荒木正三郎君 そうすると三本建の給与ですね、これは各県とも法律に基いて条例を作つている所があります。又作りつつある所もあると思います。この条例に反対するために、そういう五十分の一とか六十分の一とかいうことじやなしに、広く署名を求めるわけですね。そうしてその数が或る一定の、その五十分の一か何か知りませんが、その数に達したときには、これはだめだ、これ以下はいい、こういうことになるのでしようか。実際問題としてお答え頂きたいと思うのです。この案に反対だ、どうも反対してもらいたいという署名運動を展開する、それはそれだけでは禁止されるか、されないかわからないでしよう。どの程度までに達したら禁止になるのでしようか、その数は。
○政府委員(緒方信一君) ただ三本建の法律に反対をする、これがまあ政治的な目的に入るかどうかというお尋ねのように聞きますが、この第五項の第一号から第八号までに掲げてありまする政治的目的であるかということでございますが、それは政治的目的じやないと思います。
○理事(剱木亨弘君) 荒木さんよろしうございますか。
○高田なほ子君 ちよつとお伺いします。緒方さん、三本建の今の問題は政治的目的には入らん、こういうふうに言われましたね。どうもそうするとおかしいのですが、三本建というのはこれは国会で以て制定されたものでしよう。だとすると国会で制定された法律の改正運動に署名することについて、これは人事院の月報の中に全日本国立医療労働組合から人事院に対して回答してくれというので、回答の要求に対して人事院が回答しているのですよ。三本建というのはこれは国会で制定された法律ですから、勿論我々の待遇に関した問題ではあるけれども、これのやつている仕事というのは制定された法律の改正運動でありますので、これに署名することについて答えがこういうふうに出ているのです。「法律改正のための署名運動において、個人が単に署名する行為は規則一四ー七第六項第九号に該当しないが、政治的目的をもつて署名運動を企画し、主宰し又は指導し、その他これに積極的に参与することは該当する。」とあるのです。そういうことになつているのです。あなた衆議院では三本建に署名することは該当しないとか何とかやはり言つておりましたよ、私が文部委員会に行つたときに。非常に疑問に思つて私も研究してみたらおかしなことになつているのですよ。そういうふうに支離滅裂なんですね、この問題は。
○政府委員(緒方信一君) 簡潔に申上げますが、三本建の反対というだけでは政治的目的ではございませんと私は解釈しております。
○荒木正三郎君 私が国家公務員法を適用することによつていろいろの不合理な点が起つているということで三つの例を挙げたわけなんです。で、これのことについては結局どうも結論が得られなかつたように思うのですがね。従つて今日は私は関連質問ですから、この程度でやめておきます。なおこれは質疑をする機会があると思いますので、その際に譲りたいと思います。
○野本品吉君 今まで私の質問に関連いたしまして極めて重要な発言がありましたことを質問者といたしまして有難く思つております。併し今までのいろいろなお話を伺いましても、何やらこうこの法案の内容に不安定と申しますか、不確実な要素があるような感じがいたしますので、私も十分研究いたしまして、この点に関しましては後刻改めてお伺いすることにいたしたいと思います。 次にお伺いいたしたいと思いますのは、今まで偏向教育の問題につきまして教育基本法の第八条が主たる拠りどころもていろいろと議論されて参りましたが、教育基本法を通覧いたしますと、いわゆる偏向教育に関連いたしまして、より以上に大事な規定でありますと思いますのは、私は第十条の教育行政の項目であるというふうにも考えるわけであります。そこでこの点を中心にいたしまして若干お伺いいたしたいと思います。これは申上げるまでもなく、第十条はその第一項におきまして、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」こう規定されておりますが、これは今までも同僚委員のかたがたから御発言もありましたが、この「不当な支配」とはどういうものかということをいろいろ考えてみますと、私は、時の政治権力による支配も不当な支配であり、外部からの圧力も不当な支配、外部からの圧力と申しますと、一つの組合なり組織なりからの圧力というものも当然この不当な支配の中に入つて来ると思います。そこで更に見落してなりませんことは、私は地方における封建性というものが非常にこの教育職員に対する圧力になつておるということであります。近代的な教養を身に着けております教員に対しまして、依然として根強く、根深く残つております地方の封建性というものは、目に見えない不当な圧力であるのでありまして、そのことも見落してならん点であると思います。それから党派的な野心からの不純な働きかけというようなものも、これ又極めて警戒しなければならない不当な圧力、支配になつて来ると思う。それこれ考えまして、ここで特に強調しなければならん問題は、現実的な政治の渦中に教育が落込まないようにということを特に考えなければならないので、ここに純粋な意味における教育の政治的中立性というものが確保されて行かなければならんと考えております。大臣は、今までの政治的中立の点におきまして、主として第八条によりましていろいろと御意見の発表があつたように思うのでありますが、第十条の「不当な支配」とは如何なるものであるかということ、この不当な支配の排除こそ教育の政治的中立性を維持する上において絶対に注意しなければならん点であるというふうに思いますが、この点についての御所見を承わりたい。
○国務大臣(大達茂雄君) 私は不当な支配というこの法律上の言葉でありますが、これを法律的に解釈をいたしますれば、法律に根拠を有せざる、さような支配と言いますか、そういう圧力というものを不当の支配、こういうふうに考えているのであります。つまり何ら法律に基礎を持たないで、教育の上に影響をもたらす、影響と言つては悪いでしようが、支配をしようとする、それを不当の支配と考えるのであります。従つて、若し政府が法律に根拠なくして干渉する、教育の場に干渉するということであれば、これも一つの不当の支配であります。又教職員団体等におきまして、何ら法律の権限なくして学校にいろいろな指令を出したり、又事実上日曜日と月曜日を取り替えるようなことをさしたりする、これも不当な支配であると思います。それから広く考えて、学校に対して特殊の圧力、只今お話になりましたような父兄その他の方面からの封建的と言いますか、そういう考え方から、学校の運営に事実上影響を与える、これも不当の支配と言い得るでありましよう。とにかくさような一切の不当の支配から脱却をして、そうして教育の運営というものが、法律に基き、そうしてその権限ある機関において民意を反映して行われる、これが今日の教育の基本の制度であると思います。只今お話になりましたような政党的勢力が教育に及んで行く、更に進んでは、教育がややもすると政争の渦中に陥れられるというような意味の御所見でありましたが、やはりそういうように教育が現実の政治に利用されるというようなことは、まさに最も避けなければならん、又これを抑制しなければならんいわゆる不当の支配ではないか、こういうふうに考えております。今日学校の教育において、偏つた教育を行うように教員又は学校に向つて教唆扇動するというような事柄もこれも最も典型的な、学校の教育に不当の支配を及ぼさんとするものであると考えます。あらゆる意味において、教育の場から不当の支配が排除せられるということは、教育基本法の掲げるところであり、又教育委員会という直接選挙による人々によつてこれが運営せられるという狙いの点も不当の支配から超然として教育が行われる、そういう意味で考えられておる制度であると私は思います。
○野本品吉君 そこで次に「国民全体に対し直接に責任を負つて行われる」とありますが、国民全体に対して教育が負わなければならない直接な責任は、これは言うまでもなく憲法の掲げておる大理想を実現するような日本にすること、又その憲法の大精神を受けております教育基本法の前文にありますような、教育の目標、目的を達成するということが私は国民全体に対して教育が負うべき責任であると、こう考えております。そういうふうに考えて参りますというと、これは、考えれば考えるほど大きな問題でありまして、まさに新らしい日本人の創造ということになり、新らしい日本の創建ということになりまして、これは生やさしい問題ではなくなつて来ると思います。そこで、そういうような重大であり又極めて困難な問題に真剣に取組んで行かなければならないのが教育であるわけでありますが、このことは、やはり基本法の前文におきまして、すべてこれらの問題は根本において教育の力に待つべきものである、こう言われておるわけだと思うのであります。そこで第二項のこの目標の下にということでありますが、只今申上げましたように、非常に大きな真剣な問題と取組んで行かなければならんという深い自覚と確固たる態度を以てその上に考えられて行かなければならないのが日本行政の至上課題であると私は考えるのであります。そういう点から考えまして、二三お伺いいたしたいと思います。 その第一点は、教師の問題でありますが、これは昔から教育の問題は教師論に出発して、とどのつまり教育が興るか興らないかは教師にあるというように教師論に終つておるのでありまして、教員にその人を得、その優秀な教員が民族理想の実現のために、又教育に与えられている課題の解決のために精魂を打込んで行くようになつて欲しいということは、これは申上げるまでもありません。これがそういう教師を、今後の日本の教育界は、又日本の国は待望してやまないわけであるわけでありますが、そこで今度の法案とこの教師の問題でありますが、これも先日来この法案の提出、この法案の成立が教師を非常に卑屈にするということ、そういう角度からいろいろと論議されておるわけであります。で、私はここで具体的な現象が現われて来ておりますことを大臣に申上げまして、いろいろとお考えを承わりたいと思うのであります。それは、この法案の提出後におきまして、中学、高等学校等におきまして、いわゆる社会科の担当を忌避するという傾向が教育の現場に現われて来ておる。で、社会科の担当教師は政治問題について、政治に関係のありますいわゆる良識ある公民の養成のための政治教育というものを担当しておるわけでありますが、こういう科目を担当しておるというと将来どういうことにぶつかつて来るかわからんという点から、社会科の担当を忌避する傾向が生れておる、これは大臣に言わせれば、それは教員が弱いからだというようなお考えになられるかも知れませんけれども、先ほども申したのでありますが、地方における根強い封建性、或いは地方の人たちの時代感覚のズレというようなものがいろいろな目覚えない力となつて教員に圧力を加えておるのでありまして、従つて教員はこの法律の提案に刺激されまして、一段と地位の不安定といつたようなものを感じて来ておるのではないかということを私は憂えておるわけです。そういうような点から考えまして、教育者の地位を如何にして守つてやるか、又どうして不動な安定感を与えて教育道に精進して頂かなければならんかというようなことは、日本の教育の将来の問題にとりましていろいろと考えてみなければならない問題であろうと思うのであります。私は教育者の士気の高揚と申しますか、教育精神の振起と申しますか、こういうようなことにつきまして、この法案との関連におきまして、大臣の所見を承わりたいと思います。
○国務大臣(大達茂雄君) 教員の素質が向上して、立派な先生によつて教育の場が充実せられる、これは何と申しましても根本であります。従来文部省といたしましては、鋭意教員の素質の向上につきましては努力をして参つておるのであります。これは現在の教員の素質につきまして、 〔理事剱木亨弘君退席、委員長着席〕 六三制という大幅な義務年限の延長というようなものもあり、又戦争によつて多数の有為な青年が戦場で亡くなつておられます。又戦争中は我が国の教育というものが事実上或る期間杜絶せられておつたというような実情も又否定すべきものではないと思います。従つて戦後の教育において直ちに優秀なる教職員ということによつて日本の教育の場を埋めるということは事実上相当無理でありまして、これらの点につきましては、今後とも鋭意教職員諸君の素質の向上のための施策というものは今後とも努力してやつて参りたい、かように考えております。 で、教員の士気の問題でありますが、私はいわゆる教職員のかたぞれがこの不当の支配と言いますか、そういうものから、その圧力から離れて、そうして自由な良識を以て活発なる教育を行われることを切望しておるのであります。これ見様によつていろいろに言われておりますが、このたびの法律案におきましても、この点を特に私はこの法律案によつてそういう結果を期待しておるのであります。ただ、この地域社会の、これは地域の人々の子供を預つておるのでありますから、やはり基本法に定める大きな教育の目標というものと背馳しては勿論いかんのでありますが、同時に又その背景になる地域社会の人々の意向というものによつて教育というものが運営されて行く、これは私は当然である、と思います。教育委員会法においてそれぞれの地域社会の民意を反映しての教育の運営が行われるということを非常な大きな目標とし、いわゆる教育の地方分権と申しますか、その地域社会の人々の総意によつて、直接選挙によつて選ばれた人によつて運営せられるということも、やはりその地域民衆の気持を教育の上に反映させるための用意であつて、これはただ古めかしいとかいうことだけでこれを捨てさるべきではない、無論日本の教育の目指す民主主義を基本として、そうして平和的な国家、文化的な社会を建設するための教育、この目標は飽くまでも見失つてはならんのでありますけれども、その地域の人々の気持というものがやはり教育の上に反映せられてこそ、私は立派な地域社会というものを建設し、それが又立派な国を作りだす、こういうことになると思うのであります。 で、社会科の仕事を忌避するような傾向があるというふうなお言葉でありましたが、この実情を私はつまびらかにいたしません。ただ、この法律案ができたために非常な圧力が教員に加えられ、或いは又非常な桎梏が課せられて、そうして教職員はもう何もするわけにいかないのだ、意気を沮喪するほかない、こういうようなことが非常に言いふらされておる。私はこれは極めて遺憾に思うのであります。又多数の教職員諸君がこの二法案というものに何か怯えて、もう一切何も言つてはならんらしい、こういうふうに考えておられるとするならば、これは私は非常な遺憾に考えることであります。幸いに二法案の成立しました暁においては、この点の誤解は晴れることと思うのであります。勿論この法律案によつて、この教唆扇動を禁止するという法律案、これは学校に及ぼすところの不当の支配を排除せんとする法案でありまして、これによつて教職員の士気を沮喪するということは一つもない。又特例法の場合におきましても、これは現に国家公務員であるところの大学以下附属小中学等におきましても、これは国家公務員たる教職員によつて教育が行われておるのであります。この場合に士気が沮喪して殆んど何にもできない、こういう事実はないし、又今後ともそういうことはないと思うのであります。かような誤解があるとすれば、私どもとしては極力その誤解を解くことに努めて、そしてこの二法案の成立が、伝えられるごとく教職員の士気を沮喪させるということでなしに、真に健全な溌剌たる教育がこれによつて生まれて来る、その契機になることを期待しているのであります。
○野本品吉君 只今まで国家公務員である教育職員からとやこうのことはなかつたし、又聞かなかつたと言われますが、これは国家公務員である教育職員と地方公務員である教育職員は同じ教育職員ではありますけれども、いわゆる地方の大衆に接触する一般の地方公務員と、それからして特殊な学校において勤務しております地方におります教育職員、或いは国家公務員である教育職員とは、非常にその置かれている環境、それからその他の条件が違つているのでありまして、この国家公務員である教育職員からそういう声を耳にしなかつたということで、直ちにその通りであるであろうというようなお考えに対しましては、私どもにわかに賛意を表しかねる点があるのであります。 そこで、次に私お伺いいたしたいと思いますのは、私は地方教育委員会は制度としては結構なものであるというふうに考えている一人であります。従つて現在の地教委がどうだこうだと言われますけれども、これは地方教育委員にその人を得、又その運営においてだんだんと成熟して来ますならば、これは悪い制度ではないと私は考えている一人なんであります。そういうことを考えておりますが故に特に大臣にお伺いしたいのでありますが、大臣は常日頃教育委員会の育成強化ということを言われておりますが、現実の政治、或いは予算その他の面におきまして、具体的に地方教育委員会を育成強化する何物も見えない。このことは大臣が誠心誠意教育委員会の育成強化に当られているのかどうかということについて疑問を持ちたくなる。この点について大臣はどうお考えになつておりますか。
○国務大臣(大達茂雄君) 御尤もであります。今日の地方教育委員会のための経費、その裏付になる予算の措置、そういうものは私どもから見ましても極めて不満足、不十分であります。これは野本さんも実情は御存じであろうと思うのでありますが、地方教育委員会というものについてはこれを廃止したほうがよろしい、こういう意見がこれはいろいろな方面から起つているのであります。現に公の機関である地方制度調査会ですか、そういう方面においてもこれは任意設置にしたほうがいいというようなはつきりした答申も出ております。これはそういうふうな見方もあるでありましよう。又今日、今仰せられましたように、まだ成熟をしていない、いわば揺籃期のものでありますから、これが役に立たんと言えば、役に立たんという非難をこうむるということもやむを得ないということもあります。さような関係でこんなものはやめてしまえという議論もこれは全然根拠がないとは思いません。そういう意見も成り立ち得ると思います。そういうわけで、実は教育委員会を存置するということだけでも非常に全力を挙げて、漸く存置せしめたというような実情であります。私どもとしましては、予算の面におきまして更にこれを強化するという点について、できるだけの努力を払つたのでありますが、本年の予算におきましては満足な成果を見ることができませんでした。ただ存置するという点を確保したにとどまつておりますが、これは今後長い目で育成強化を図らなければならん、こういうふうに私は思つて、今後ともこれにはあらゆる努力を払うつもりでおります。
○野本品吉君 なお、第十条に規定しております「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立」でありますが、先ほども申しております教員の問題もそれであり、又教育委員会の問題もそれでありますが、その他現在の教育制度或いは教育施設、総じまして日本の教育をどういう方向に持つて行こうとされておりますか。これは文部大臣の大連さんとしての御抱負と申しますか、経編と申しますか、その点をお伺いいたしておきたいと思うのであります。
○国務大臣(大達茂雄君) この十条の二項にあります教育行政が一項にあるような考え方の下に、その「目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立」、文部省の仕事というものは大体諸条件の整備確立、これが主要な任務であると思います。これにつきましては、予算の面におきましてもその他の面におきましても、つまり学校の教育の施設、その他の教育環境の整備充実、それから先ほどもお話のありました教職員の素質の向上、それからその内容になりますところの教科内容の刷新改善、これらは文部省といたしましても、直接現実の学校の運営には勿論当りません。当りませんけれども、これらの条件を整備するためになすべきことは非常に多いのであります。その意味におきまして、従来ともに努力をして参つております。本年の予算におきましても、我々としては勿論十分な満足はできません。何しろ一兆億という枠できめる、こういうことでありまして、非常な緊縮予算であります。併しその中においても、前年に比べると百二十億程度の予算も増加することができました。今後ともこれは我々文部省におる者の一番大切な目標として、教育に関する諸条件の整備充実、こういうことに進んで参りたいと存じます。 文教の方針というようなことにつきましては、これはいろいろ申上げたいことがありますが、長くなりますけれども簡単に申上げますというと、先ず第一には義務教育制度というものの確立、その教育の内容におきまして、又その教育の施設設備、その他の点におきましても、義務教育制度の確立ということは第一に目標として考えなければならんことであろうと思います。それから学問の研究、技術の振興、こういうことと関連しての大学教育、又これに伴うところの研究所の拡充、これも我が国の当面する経済事情を克服する意味におきましても極めて重大であると考えます。その他この産業教育と申ますか、実業教育でありますか、今日の非常に人口の過剰であり、そうして経済的に非常に窮迫しておる、国全体としても窮迫をしているし、各個の国民が皆それぞれに窮迫しておる、こういう場合においてやはりこの面にも十全の力を尽して行かなければならん。それから今日多数の青少年が義務教育を了えたばかりで上に進学して、いわゆる向学の意欲に燃えておりながらも、経済的な事情で働きながら学びたいという人もたくさんありますし、又今日の青少年の実情から見ましても、これが指導というものはこれはなおざりにしがたい重大なことであると考えます。その意味における主として青少年を対象とする社会教育施策の振興、こういうことも重大な課題であろうと存じます。その他まあ並べ立てればいろいろありますが、これら各般の方向に向つてこの基本法にありますその気持ちを、この精神を目標として我が国の教育の振興に努力をして参り、又今後ともその方向に努力をして行きたい、かように考えます。
○野本品吉君 次に、先日来委員会で問題になつておりますことで、私どもの特に感じておりました点につきまして、更にお尋ねいたしたいと思うのですが、先般例の中立性確保の法律に関連いたしましての教育委員会の請求権の問題が出ておるのでありますが、大臣の御説明によりますというと、同一の事態に対しても、甲の村は請求権を行使せず、発動せず、乙の村は発動する、そういう場合がある。確かにそうあろうと思うのでありますけれども、若しそうなつて来ますと、隣接しておる二つの町村で同じような教育をしておつた場合に、一方の村では請求権を発動し、一方の村では発動しない、そういうことになりますというと、教育の現場に大きな混乱、動揺を起すのではないかということを非常に憂えるものであります。これについてのお考えは如何でありますか。
○国務大臣(大達茂雄君) この教育委員会の請求を待つてその罪を論ずる、こういう方法をとりますということは、それぞれの地域における実情に応じて、そうして責任を持つておるところの公の機関にその判断を委ねて、これを罪として処断してもらうほうがいいか悪いかという、その点の判断を委ねたのであります。それはそれぞれの現場の状況に即応することにして、そういう行為があつたからといつて、それがすぐ刑罰の対象として罰を科する、こういう杓子定規のことにならないようにという考え方であります。現実の問題といたしましては、同じような教唆扇動が甲の村にも乙の村にもある、甲の村の教育委員会はこれを以て到底忍びがたきものとして教育に対するいわゆる不当の支配として、これを排除するために請求をする、こういう考え方になるでしよう。又乙の村においてはまあそれほどの必要もない、こういう判断に立つことは勿論あり得るのであります。これはそれらの地域地域の実情と、それに対処するところの教育委員会の判断に従う、こういうことでありまして、これによつて混乱を引き起すということは、私はそのために混乱をするということはないと思うのであります。ということは、これはその教唆扇動の請求をしなくても、若し偏向教育が行われるとすれば、その偏向教育というものはこれは是認せらるべきものでないけれども、それに対してそれを強制する、例えば偏向教育というものがあつた場合に、その教職員をいわゆる戒飭を加えて、それを是正するということは、これは教育委員会の仕事であります。この場合に教育委員会がとり得る方法は行政処分或いは懲戒等の方法によるわけであります。これらはすべて教育委員会の判断によつて行われる。でありますから、仮に同じような偏向教育が甲の村で行われておる、乙の村でも、隣の村でも同じようなことが行われるという場合を考えた場合に、甲の村の教育委員会はこれを以て懲戒に値いするものと見て懲戒処分をした、乙の村、隣の村では先ずそこまで行かなくてもよろしい、こういう判断に立つて懲戒処分をしなかつた、こういう事例もあり得ると思うのであります。これは教育というものが地域々々の代表者によつて行われておつて、画「的に行われない、又そのほうがよろしいのだ、その地域それぞれの特色に応じて運営せらるべきものである、こういう見地に立つ限り、その場合一見して非常に変なことが起つても、これは当然そういうことが起るものと私は考えているのです。これを画一的に、こういう行為が起きたから、甲の村で罰したから乙の村でも皆同じように罰しなければならん、こういうふうに画一的に考える必要はない。これは教育委員会というものの制度そのものから来る結果だろうと思います。だから画一的にやる場合と、それからそれぞれの地域社会における代表者を以て構成される教育委員会がやるという場合とに、それぞれ利害の問題が起るでありましよう。文人によつて不揃いなのはいかんと考える人もある、又不揃いなのがよろしいと考える人もある、それが私はいわゆる地方分権で、教育委員会を中心としてそういう形態において教育が運営せられる限り、そこが揃わんから混乱が起るというようなことはない。又仮にそういうのはどうも変じやないか、隣の村でやつてこつちの村でやらない、変じやないかということが混乱であるとすれば、それは必ずしもこの法律の場合だけじやないので、それは地方分権として各村々々において独立した教育委員会の手によつて教育が運営せられる、こういうことから来る。仮にそれが欠点であるとしても、それは当然そういうことから来る免れがたい欠点である。この法律によつて教育委員会に請求権を持たしたということと直接関連はない。教育委員会制度による教育の運営というものがそういうものである。そういうふうに私は了解しております。
○野本品吉君 私は地域社会の住民によつて直接選挙された委員会がその地域社会に対する全責任において教育を運営するのであるから、従つて教育の運営の面におきましては、学校教育の運営の面におきましては、いわゆるそれぞれの町村の諸条件に応じた、町村としての、地域社会としての個性の豊かな教育が行われるようにということは、私も全くそれは同感であります。ただ問題は、これは教育の運営においてはそういうことが望ましいのでありますけれども、教員の立場に立つて考えますというと、これは容易ならん問題になつて来ると思う。そこで教育委員会の構成とか運営とかの根本の問題に触れて来るのでありますけれども、簡単に教育委員会の認定、判断に委せるということは、現地の教職員にとりましては極めて不安な問題になつて来るということを倶れるのでありますか、この点はどうでしようか。
○国務大臣(大達茂雄君) これはまあ教唆扇動に対する処罰でありますから、それがために非常に教員に不安を与えるということはないと思います。教員を対象とした懲戒処分というようなものについては、これはまあ非常に重いことでありますから、又教員を直接対象とするのでありますから、これは問題が起りましよう。私は先ほど申上げましたように、これらの教唆扇動があつても、その教唆扇動がどれだけ学校の教室に影響を与えたかということは、これはおのずから別問題であります。甲の村においてはこれがために先生がたが非常な偏向教育をして手に負えんということも考えられる、又乙の村においては一向その学校の先生はさような教唆扇動には耳を傾けない、そして正常な教育を行なつておる、こういうような場合には何もそれを無理に請求して、罪に服せしめる必要はないと私は思う。で、外から要らんことばかり言つてどうも手に負えん、こう考えた場合にはこれは請求をして、それをやめさせてもらわなければ困る、こういう問題になりましよう。それぞれそういう場合に請求したほうがいいのか悪いのか、こういうことはそれぞれの場合について、実際に基いて判断をしなければならんものだと思う。その場合にその判断をするものは誰に判断をさせるか、そうするとその学校の運営について面接責任を持つておる公の機関である教育委員会に判断をしてもらう、これが一番適当な方法である、こういうふうに思つておるのでありまして、画一的にいやしくも教唆扇動があれば、その実際の弊害とか何とかいうものを抜きにして、つまりそれぞれの場合における実情と離れて皆請求しなければならん、或いは一切請求する必要はない、こういうふうに画一的に考える必要はないと思う。従つて、それぞれの事情に基いて或いは請求する場合もあり、或いは請求せざる場合もある。これが教育を混乱させるとか教員を不安に陥れるとかいう点は私はないと思います。
○野本品吉君 なお具体的な問題についてお伺いいたしたいと思います。それは、例えば社会科の担当の教員が政治に対する考え方といたしまして、社会主義というものがあり、自由主義というものがあり、社会民主主義というものがあるということの説明は、これは教科の内容として当然して行かなければなりません。そこでその説明の後に、子供からわかつた、それでは先生はそのうちのどれに賛成されておりますか、こう聞かれた場合に、その先生の日頃の政治的な信念に基いて自分は社会主義がよろしいと思う、或いは自分は共産主義がよろしいと思う、こう答えた場合に、その教員の行為はどういうことになりますか。
○国務大臣(大達茂雄君) 偏向教育であるかどうかということは、これは教育のことでありますから一口に言える問題ではありません。こういう答弁をすればすぐ偏向教育になる、これはならんと、こうきちんとしたものではないと思います。併しながら、教員が仮に自分が信念として共産党を一番いい、或いは社会党が一番いい、或いは自由党が一番いい政党だと、こう仮に思つておつても、子供に自由党がいいんだ、共産党がいいんだ、ほかの政党は駄目だと、こういうことを言うことは、私は偏向教育になる慮れが非常にあると思うのです。つまり特定の政党に子供の気持を向けるための教育というものは、私は偏向、これはその質問に対するまあ返事の仕方もありますから、それがすぐ偏向教育になるとかならんとかいうことを申上げるのじやないが、これはそれぞれの実際の状態について判断するほかないが、そういうことを返事をすれば私は偏向教育になる場合が非常にあり得ると、かように思います。
○野本品吉君 そこは教育の実際問題といたしますというと、非常に重要なことであり、又微妙な点であると私も思います。併し幾つかの事実を指導して行つて、最後に先生はどう思うと聞かれたときに、自己の所信を表明し得ないようなあやふやな先生によつては、いわゆる人格的なと申しますか、教化、感化というものはなくなるんじやないかと思うのですが、どうでしよう。
○国務大臣(大達茂雄君) これはまあその返事の仕方でありますし、それから相手の子供の知能段階ということもありましよう。例えば今のような場合に、相当大きい子供に対して、先生はどう思いますかとこう聞かれた場合に、先生は、自分は社会党がいいと思う、併しこれはそれぞれの人によつて考えの違うことだが、自分としては社会党がいいと思う、こう相当の子供にそういう言い方をして、それが偏向教育になるかならんかは別問題。併しこれが小さい子供なんかに先生はどう思うと聞かれて、いやそれは無論共産党がいい、こういうような言い方をすれば、これは偏向教育になる虞れがある。これはそれぞれの実際の場合について偏向教育なりや否やというものは判定せらべきであつて、ただ先生はどう思うかと、こういうことを言われて、そう答えた場合には何とかということには、これはそれぞれの実情を見なければ、教育のことでありますから、そういう内容の返事をした場合にどうかということは、これは実際を見なければ私は言えないんじやないかと思う。ただ、今のように、それは無論共産党だ、これが一番いいんだ、こういうような言い方を、余り思慮分別もないような者にそういうことを言えば、これは私はそれだけで偏向教育として認められるようなケースになる場合が相当多かろうと思う。相当の子供に対して、それはいろいろ考える人もあり、それぞれ意見もあろう、先生は社会党がいいと思う、併しそれはそれぞれの立場もあるし、それぞれの意見もあろうというふうな言い方をすれば、これも上手に言うのと下手に言うのといろいろありますから、一概に私がそれはそう言えばいいんだということで、末端で皆その調子でうまくやられても困る。これはものの言い方ですから、相手に対してどういう印象を与えるかというそういう意図を以て行う場合には、相手をそれに釣り込ませようという意図を持つ場合には、……言い方で一品に済むものじやないんだから、教育というものは。それだから長時間かかつて誠に巧妙に、ああいうふうに言うのなら差支えないんだということで、又うまい言い方をされてもこれは困るんですから、これは実際の問題でそれぞれの場合について判断するよりほかは私はないと思うのです。
○野本品吉君 私が愚にもつかないような質問を継続しておりますのは、実はこの質疑、応答を通してこの法案に対する一般の人たちの正確な認識を得てもらいたいということが一つ。それからこの法案によつて怯えている人たちも、なんだ、それならそう心配することもないじやないかという気持を起してもらえる場合もありますので、そういうような質問をしておるのですから、大臣そのつもりでお答え願いたい。 もう一つ、これは大臣は曾つて内務大臣をおやりになつておつたのでありますから、恐らく御在任中ですね、いわゆる優良町村の表彰等をおやりになられたことが多分あるのではないかと私は想像する。私の知る限りにおきましては、曾つて表彰されました町村は町村長、村の人も無論よかつたのでありますけれども、優秀な校長によつて統率されております学校というものが、必ず付いておつた。これはどこの模範町村でもそうであつたわけであります。そこで地域社会の建設のために町村長と協力して行くということになつて来るのですが、その際に村長が仮に自由党であつた、或いは社会党であつた、そうしてその村長の考え方、その他に全面的に共鳴し、そしてこれに協力して行つた。その協力して行く動きが、違つた立場から見た場合には、一つの特定の政党に協力するというような印象を与えないでもないと思う。 そういうようなことにつきまして、やはりいろいろと考えさせられる問題があるので、私はやはり今後といえども、立派な地域社会の建設のためにも学校の完全な協力態勢というものがなければならんと思う。そういうものから生まれて来る誤解によつて誤つた認識判断をされるような場合もあるということを考えるのでありますが、そういうようなことがやがて教育委員会の何と言いますか、気脈を通ずる者等によつて、あれは特定の政党を支持しているというような場合が予想し得るのです。これはそういうような点につきましても非常にむずかしい問題があろうと思います。私はこれは質問ではないのでありますが、要するにこの法案を出される側で、さほどではないであろうと予想しております事柄が、教育の現場におきましては、特に大衆を相手にしてやつております教育の現場におきましては、思わないところに思わない事態が起つて来る問題だということを是非お考えおきを願いたい。一応私の質問はこれで終ります。
○岡三郎君 今の野本さんの関連ですが、先ほどの文部大臣のお答えで、甲と乙の村において同一事項の問題が村の教育委員会なり、或いはその他から取扱い方が別になるというふうな一つの事例を挙げられたわけなんです。そのときに文部大臣は、地域々々で画一的にやられないほうがよい、これがまあ地方自治の精神だということを言われた。ところがこの法案を提出する基本的な立場は、国家公務員であろうと地方公務員であろうと、事教育に関しては、特に義務教育は国の仕事であるからというふうな、いわゆる論旨の立て方で、例によるという事例から被ぶして来ておるということになれば、所論の立て方というものが非常に食い違つておるのではないか。それで外からの働きかけ、それが教唆扇動になるので、学校の先生は心配がないというふうに言われているわけです。ところが今野本さんの意見でも、昨日私が申上げたことでも、直接学校の教職員がそれに該当する事例というものは出て来る、そういう心配が多分にあるわけなんです、具体的な問題に立つて言えば。それで外からの働きかけというふうに言つておりますが、各学校の教職員は、教職員団体の構成員である場合に、それが外からの働きかけ、例えば県の職員が県の団体で決議したとか、いろいろ問題があると思う。その問題を当該の学校のいわゆる単位組合が、これは個々の村の単位組合というものがあり、それの連合体がある。個個の単位組合においてそれを取扱う場合において、やはり教唆扇動という問題が起つて来ると私は思つておるわけです。その場合に単位組合のいろいろな問題が外からの働きかけになるのかならないのか、その点をもう一遍はつきり言つてもらいたい。
○国務大臣(大達茂雄君) 外からということは、これはそういう言葉を使つて、これは法文ではありません。教職員に対してそういう何びとといえども教唆扇動をすると、こういうことがこの処罰の対象になるのでありますから、当事者たる先生以外の者がそういう教唆扇動をすれば、それが教員団体であろうと誰であろうと“これは誰であろうとも教唆扇動ということになります。
○岡三郎君 そうするというと、何びともという、それから外からの働きかけということに連関して文部大臣は御説明したと思うのですが、自分たちが構成している団体は、外からということになるのですか。
○国務大臣(大達茂雄君) 義務教育小学校の教職員に対して教唆扇動する、これが誰がやつてもいわゆる私どもそれを外からという言葉を使つた。これは法文ではありません。つまり当事者以外の者がその教育に当る人に対して教唆扇動する、こういう意味であります。
○岡三郎君 もう一遍平板に言つて、学校には十人なり二十人なり、それぞれの規模において教職員がおる。甲の教員に対して乙の教員が言つた場合に、外からの働きかけに該当するのか。
○国務大臣(大達茂雄君) 私は教唆扇動には該当するとは思います。ただほかの条件がそれに伴わなければ無論この罰則には触れませんが、併し甲の先生に乙の同僚の先生が、君こういうことを教えたほうがよい、こういうことを言えば、これは当事者以外の者が教唆扇動しておる、こう思います。
○岡三郎君 そうすると、大臣の言つていることは、ときには御都合によつて外からというのを随分強調して、そうして教職員には心配はないのだ、こういうふうに言われておるわけなんです。ところが教職員の中において考えた場合に、甲の者に対して同一学校の他の職員が言つた場合にも教唆扇動になると今言われたのですね。そういうふうなことで、而もその内容そのものが重大だと、個々によつてそれは具体的に判断しなければならないというふうになつて来ると、これは当該の教員自体は心配せざるを得なくなると思う。そういう点で文部大臣は心配はないのだと言われておるわけでありますが、そういう点は今言つたように同一学校の中において同一学年の学級主任というものがあるわけです。学級主任というものが同じ学年の他のクラスの先生に一つの問題を取扱う場合において、仮にそれが例えば国際理解の問題であつた場合において、いろいろな問題を取扱う場合に、中共とか、或いはインドとか、アメリカとか、いろいろな問題が出て来る場合に、非常に問題といものがむずかしくなつて来ると思う。例えば先ほど言つたように、ソヴィエトのことばかり褒めたら、それはその事柄ではわからないけれども、全体を判断すれば偏向になる虞れがあるというふうに言われる。中共の問題を褒めた場合においてもその慮れがある。じや逆にアメリカのことばかり褒めたところのことをやつたほうがいいということになつたら、それはどうなるのかというふうな具体的な国際理解の問題についても、個々の問題について非常にむずかしい問題があるわけです。そういう問題を先生がたが常識で判断せよと言われても、なかなか常識で1判断するということも至極むずかしいと思うわけです、だからこういう教育は偏向であるか、偏向でないのかという点について、或る程度のやはり基準というものを示さなければいかん。それは当該の教育委員会が、そういうふうな指導性がなくて、個々ばらばらに出て来た発生事項についてそれは偏向だ、これは偏向ではない、それは甲の村も乙の村も丙の村も解釈がばらばらでまちくだ、こういうふうな状態の中で教育の中立性を論じたつて、論ずるほうはいと簡単で、大臣はこの法案が通つたつて少しも心配はない、それは同じ頭で言つているから心配ないでしようが、違う考え方の人が心配するのは私は当然だと思う。そういうふうな立場を考えて行つた場合に、この法案自体の中に含まれているところのあいまいさ、こういつたものをもう少し具体的に、示してくれる大臣は責任があると思う。それは大臣は、そのあいまいさを明確にしておくべき必要が私はあると思う。
○松原一彦君 関連して一言……。私は何遍も文相に申しておるのでありますけれども、私は本来中道論者なんです。それからここに並んでおられる諸君も偏向教育がいいというのは一人もおらん。日教組の諸君だつて偏向教育がいいとは決して言わない。ところが問題は、このうちへ出て来ておるもののうちで、確かに偏向がある。偏向したり而も極度に偏向した教育が行われておるということを認めておるのですけれどもが、その偏向を何が偏向であるかという標準のきめ方、それが非常にむずかしいので、文相の中道というものと、私の中道というものとの間にこんなに隔りがある。それは何かというと時代認識の差である。時代は動いておる。絶えず動いておる。戦前の中道と戦後の中道とは又違う。文相が英国の二大政党のようなことを希望せられたのですが、英国の保守党くらいに進歩的な態度をとれば、あれは御承知のようにソ連とも相談に出かけようという老チャーチルの勇気、又現に中共を承認しておるのです。中共を承認する保守党を持つ国と、中共を親の仇のように見る保守党を持つ日本とでは中道が違うのです。時代認識も時代をどう把握しておるかということのそれは差だと思う。その一番むずかしい、而も今日私は保守党のために飛躍的な進歩を望むものなんです。それが一番極端な思想を抑えるところの根拠をなすものだと思うのですが、その場合における標準が、今の地方の教育委員のかたぞれの中でも、若干進んでおると私はみるのですが、大学教育を受けて新しい時代に立つておる、而も新しい教科書は相当古い諸君の夢にも思わんような事例を挙げて書いてある。その教科書を用いて新時代の教育をやろうとする現在の教育者の良心的な判断を、地方の教育委員諸君が半世紀なり、四分の一世紀なりずれた頭でこれが偏向だと判断せられるところに、非常に因つた事態が起りはせんかということを私は慣れるんです。そこでその諸君が、例えばこの中の例でも京都の教育委員長はむしろ旭丘や大将軍の学校を悪いと言うんです。私も悪いと思うんです。私も……。併しながらあそこの委員会の他の諸君には提案し得ないでいる。何となれば京都の市教育委員会というものはどういうふうな構成か知りませんけれども、よほど時代認識が違つているらしいんです。そういうところでは、私どもが一番顕著な偏向の事例と見られる旭丘や大将軍のような事例しか知らんのですが、実際は教育委員会の問題にかからないのです。そうして他のところでは微々たる抹消的な問題が、あれはいけない、あれは赤いと言うてすぐにレッテルを貼られるという、一度教育委員からあの教員のやつていることはいけないという認識を以て請求権が発動せられるというと、その学校も、その先生も致命傷を受ける、二進も三進もならない致命傷なんです。もう子供を上げないというような問題すらも田舎では起つて来る虞れがある。そこで文相はそれは違つておつてもよろしいとおつしやるが、そうはいかん。それは日本の教育というものを進める上における一つのブレーキとなつて、非常に困つた問題が起りはしないか。私の心配もそこにある。我々は中立的な立場にあつてなお且つこれを案ずるのです。あの今仮に卒業生の就職するときの一貫せる返答は、政党は何を支持するか、自由党、何を読むか、文芸春秋、これより以外には通らないんです。恐らくそれは嘘だと思う。そう言わなければ通らないからやむを得ずそう言うんです。若し今後教育者がその土地の教育委員会におもねつて、嘘を言うようになつたときの私は教育を憂えるんです。どうも教育者はそういうところにはえらい卑怯なんだ。土地の教育委員の顔色を見て、ついいい加減な、触らぬ神に崇りなしといつたような教育をしたがる。だからむしろ養うべきものは教育者の自信を養い、責任感を養い、嘘を言わぬ教育者を養うことが大切であつて、それが唯一の偏向教育を支える根源をなすものじやないか。それには下手な干渉はいけないということを私は思うんですが、これは間違いでしようか、どうでしようか。
○国務大臣(大達茂雄君) 先ず岡君のお尋ねの点でありますが、この教員は差支えないのだ、教員を対象にした罰則規定はない、こういうことを言いましたのは、教育活動そのものを対象にしてはおらんのだ、こういうことを申上げた、その意味で申上げたんです。教員というものは教唆扇動しようがしまいが、教員という職業におる人は全部差支えないのだ、そういう意味で申上げたのではありません。これは法文を読んで御覧になればすぐわかることなんです。何人も、教員であろうと誰であろうと、外から教唆扇動は皆これは罰則の対象になりましよう、一定の条件を備える限り……。教員を対象としたものでないということは、現にその教育を行う人を対象にしたものじやないのだ、こういう意味であります。つまり教唆扇動であり、偏向教育を仮にしたとしても、その先生を罰則の対象にしている法律ではないのだ、こういうことを申上げたのでありまして、その教員という字句に捉われて、いやしくも教員であれば一切この教唆扇動しても何をしても構わんのだ、こういう意味では勿論ありませんから誤解のないように……。(「そんなことを聞いているのじやない」と呼ぶ者あり)ちよつとさつきそういうふうにおつしやつたから、その点は外から内からという意味で、外からというのだから学校の先生ならばよろしい。こういうふうに思つておつたら、先生でもいかんということだからということでありますから、その点をはつきりと一つ申上げておきます。 それから偏向教育は何を言うのか、これについての基準が示されていない。こういうことのお尋ねでありますが、私は観念ははつきりしておると思うのであります。偏向教育というのは、この法律においては特定の政党を支持させ又は反対させるための教育、これを省略して偏向教育という名前を使つておる。正確に言えば。正確に法律的に言えば少し長いけれどもそう言わなければならんのであります。特定の政党を支持させ又は反対させるための教育、これであります。その観念は私は明瞭であると思うのです。これはあいまいでどうもわからんということは私には考えられない。特定の政党を支持させ又は反対させるための教育ということでありますから、これが反対であいまいでわからんということはない。ただ各個のそれぞれの場合において具体的の教育活動を見て、そうしてこれがいわゆる特定の政党を支持させ、又は反対させるための教育であるかないかということについては、それぞれ判断は人によつて違うのでありましよう。併しながらこういう教育をしてはならん、こういう教育をすることを教唆扇動してはならんということの観念は、私は明瞭であると思います。これは何も今始まつたことではないので、教育基本法八条にそう書いてある。
○岡三郎君 観念は明瞭だけれども……。
○国務大臣(大達茂雄君) あるのです。すべて法律というものは観念を書くのでありますから、具体的にそれがこの場合はこれに当てはまるか当てはまらんかということは、それぞれ具体的の場合について実態に即して判断する以外にはない。これは如何なる場合でも皆同じであります。何もこの場合に限つた問題じやない。 それから松原さんの御質問でありますが、教育委員会においてこれが偏向教育であるというふうにして請求をするという場合には、その先生は致命傷になる、そうして非常な不安が起る、こういうふうに言われましたが、私は繰返し申上げておるのですが、只今申上げましたように仮に偏向教育をしたとして、そうして偏向教育をした先生を対象にしておる罰則規定ではありません。教唆扇動を対象としておる。だからして教唆扇動を罰してもらいたい。こういう請求をしたからと言つて、そこの学校の先生の致命傷になるということは私はないと思う。ないと思うのです。殊にこの請求は偏向教育なりや否やということとは遠います。この請求をするかせんかということは、かくのごとき行為は一つお上でとり上げて判断してもらいたい、これの請求であります。でありますから仮に偏向教育の教唆なりと教育委員会が認めても、それを請求するかどうかは、これは別個の問題であります。でありますから、この場合は教育委員会はかくのごとき偏向教育の教唆扇動はそのままに放つて置くわけに行かん、是非これはお上で一つ処罰してもらいたい。こういう処罰をしてもらつたほうがいいという判断だつた場合には、これを請求するということになるでありましよう、偏向教育の判断とこの処罰を請求するかしないかという決定とは、これは関係は非常にありますけれども、法律上は別個のものであろうと思います。 それから偏向教育ということについての解釈、これは今の偏向教育ということで言えば非常にわかりにくくなりますけれども、特定の政党を支持し、又は反対させるための教育、この教育というものが具体的の場合においてそれぞれ人によつて判断が違う。これは私はあり得ると思うのです。 判断がそれぞれによつて違う。これは法律の解釈というものは皆それぞれその扱う人によつて判断が違う、こう思うのであります。その場合に教育委員会は教育委員会の立場において判断をする、これは私は当然だと思います。文部省は文部省の仕事をする場合に、文部省の判断においてこれを偏向しておるか偏向しておらんかということを判断する。これは文部省が文部省の行政の仕事を進めて行く上においては文部省の解釈によつて進めて行くほかはない。教育委員会の場合は教育委員会が自分の解釈によつて進んで行くほかはない。裁判所はそういう事例を受取つて或いは検察官がそういう請求があつた場合に、これは偏向教育を教唆したものたりとして起訴するかしないかということはこれは検察庁の判断によるものであります。そうしてそれを受取つた裁判所がこれを偏向なりや否やとして判断することは、これは裁判所が判断するのであります。そうしてそれが控訴された場合には、上の裁判所に行つた場合には、これは上級裁判所が判断する。私は法律上の任務を持つておるそれぞれの機関がそのそれぞれの機関の解釈するところに従つて判断をする。これは当然のことでありまして、その場合に教育委員会の判断がまちまちになるということが非常に困るということを言われますが、できるだけそういうまちまちにならないような用語を用いるということがこれは望ましいことではあります。併しまちまちになるということのために、これはこの法律だけについて起る現象ではありません、すべての法律について同じ現象か起つておるのです。同じ現象がすべての法律において起ります。起らないということならばあなた言つて頂きたいと思います。
○岡三郎君 ちよつと連関で。非常に私大臣はいろいろな例を引張つて納得させようと思つておる。或る面については一応余りうまいたとえじやないけれども、ああそうかと思う例もある。併しなかなかそうでない面が多いのだ。というのはね、そうすると私もつと具体的に言つてみます。がね、こういうことを言つた。この間の偏向というあの問題、証人喚問のときに山口日記のあの問題については、これは個々の問題ではなくしてあの幾つかの事例を通して偏向の匂いがするとあの教育長は言つた。そう言つたのです。文部大臣は前の原案においては教育基末法の第八条に照らして、あの山口日記の問題は基本法第八条違反と即断はできない、こういうことを言つておられるわけです、ところが修正になつて来たらばあれは該当すると、こういうことを言つておる、このことは内容についてあとで随分お伺いしたいと思うのですがね、それほどあいまいなもので私はあるのかと言いたいのですよ。というのは山吉日記について県の教育長はあれは匂いがすると言つた。あなたは前の原案ではこれは基本法第八条には該当しない、こういうことを言つておるのですよ。ところが修正になつた三党協定の修正案になつたら、それは第八条に該当するのだ、この間言われたばかりなんです。速記を見せればおわかりになるだろう。こういうように官われたのです。そういうふうにですね、それほどもう具体的に、ああいう具体的な顕著な例においても判断がそれぞれ違つて来ておるわけです。非常に顕著な例においてもそうだから、更にもつとそうでない例を言えばうんとあると思う。 私は今度更に一つ、特定の政党という言葉が出た。先ほど野本さんの脚は資本主義、社会主義、兵庫主義という言葉なんです。いいですか、主義というものと政党というものとの立場を明確にしておいてもらわなければならんと思うのですが、社会主義がよろしいというのと社会党がよろしいというのと、これは同じかどうかという問題になるわけです。その場合に資本主義を是認しておるところの自由党ですな、改進党は修正資本主義であつた。これはアメリカということになるかどうか、いいですか、資本主義がよろしいと言つた場合に、それがアメリカの、いわゆる自由党ですな、自由党をいいということになるのか、共産主義がよろしいと言つた場合に、特によろしいと言つた場合に、これは偏向事例になる。資本主義がよろしいと言つた場合はこれは即自由党ということにとつて、それ以外にないのだから、それが資本主義がよろしいと言つた場合に特定の政党を支持したことになるのかどうか、これを一つお伺いしたい。
○国務大臣(大達茂雄君) 山口県の教育長の解釈と文部省と言いますか、私の解釈と、これが違うということはこれは先ほど申上げたように、それぞれの自分の考えで解釈をするものであります、でありますから、これが違うからといつて私は何も責任を持つわけじやない。山口県の教育長がそう言つたからといつて、私の解釈はそれによつて……(「判例というものがちやんとある」と呼ぶ者あり)判例もありましよう。が、判例じやないのだ、山口県の教育長の言うのは。(笑声)それから私の解釈は終始一貫しております。(「一貫していない」と呼ぶ者あり)あなたは山口県の日記がそのままでは教育基本法の八条の二項に抵触するものではないと言つたと、そういうことを日つた覚えはありません。よく速記録を御覧下さい。(「ええ見ます」と呼ぶ者あり)私はこの法律の第三条第二項というものにそのまま入るかと言えば、与えただけでは入るとは断定できない。八条の二項ではありませんよ。基本法の問題じやないのです。この中立確保に関する法律にそれが該当するかどうか、こういうことを言われたから、それで、何か附加えれば入る場合ができるが、そのままでは入らんと思います。こう言つたのです。八条二項に該当する(「それは速記録を見てやれば……」と呼ぶ者あり)これは速記録を御覧になればわかる。私の解釈は終始一貫しておるつもりであります。そのときに都合のいいような答弁はしておらん。 それから、資本主義とか社会主義とか、これをただ思想として政党に、特定政党ですよ。特定の政党の、資本主義というものをまあ講釈をする、これは非常に結構なものである、こう仮に言うたとする。それが特定政党と結びつくという関係がその教育のうちに見出されなければ、これは偏向とは私は思いません。殊に、社会主義がいいと、こう言つたからと言つて、社会主義を以て立つておる政党は何も社会党左派だけ、あんたのほうだけじやありません。(「そうそうその通りだ」と呼ぶ者あり、笑声)又ほかの保守政党のうちにも、又全然政党に所属しない人のうちにも社会主義というものが今後の社会を改造して行く上に重要な思想である、こう考えている人はたくさんあります。私自身もそう思つておる。だから、社会主義の思想を言うたからと言つて、それですぐ特定政党を支持させる教育であるとか、反対させる教育であるということには私はならんと思う。(「それは、ための教育だ」と呼ぶ者あり)それは言い方ですよ。社会主義と言つたらどうだ。そんな簡単なものじやない。(「そんな簡単なものじやない、その通りだ」と呼ぶ者あり)だから、それぞれの場合について具体的に検討しなければ、これが該当するかどうかわからんと、さつきから口をすつばくして言つている。(笑声)ただ社会主義と言うたからどうだというものじやない。但し、共産主義ということになれば、これは共産主義を是なりとして立つておる政党は共産党しかありませんから、恐らくは共産党しかないと私は思います。だからここになると余ほど特定政党に結びつく関係が明瞭になつて来る。(「何を言つてるんだね」と呼ぶ者あり)何を言つてるつたつて私が答弁をしておるのだ。私はそう思うのです。(「おかしいな、それは」と呼ぶ者あり)あなたがそれをおかしいとお考えになり、御納得にならなければそれまでだ。決して無理に納得してもらいたいとは言つていない。
○岡三郎君 私は大達さんの言つていることでも、筋が通れば納得するにやぶさかでない。で、社会主義、共産主義、資本主義と、その言い方によつては偏向教育になり、或いはならんと、こういうふうに言われている。私はそれ以上は言いません。個々の事例についても教育というものは毎日それを取扱つているのです。いいですか。毎日それを仕事としてやつているのです。ほかの泥坊や何かならわからん、名誉毀損じやないそういう商売じやない。こつちは毎日々々やつていることが法規に触れるか触れないかということなんです。あなたは泥坊商売をしているのと違うことはよく知つておりますが、そういうものがあいまいなことでどの程度やるかわからないか、毎日毎日やつていることがどこが触れるか触れないかという問題です。(木村守江君「それは教育基本法だつて同じだ」と述ぶ)あなたは私が言うとうるさいと言う。(木村守江君「静かに言つたらいい」と述べ、高田なほ子君「声が大きいだけだ」と述ぶ)ただこれは健康な証拠なんですから、一つ我慢して下さい、(笑声)極力、私は今言たことは、具体的に言つて今言われたことは、資本主義はよろしいということは、これは一番いいのだと言つてもよろしい社会主義は一番よろしいと、誉つてもこれは偏向じやない。ところが先ほど野本さんが聞いたときに、主義で、イデオロギーで言つたのを、社会党とか自由党とかという言葉じやなしに、社会主義、資本主義、共産主義という言葉を並べたときに大臣は共産主義は立つて答えられなかつた、これは社会主義と言つたから特定政党じやない、特定政党ということが、共産党が二つに国際派と主流派に分れたからこれは特定政党じやないのかという論理が立つと思います。共産党が二つに分れたことはありますよ、内部的に国際派と主流派というものに分れたことは明白なことだ。(「そつちもだ」と呼ぶ者あり)待つて下さい、社会党も。自由党は今改進党に血道をあげて保守合同しようとしている、新党を作ろうとしている。そういつた場合においては少くとも日本においては私どもの知つている主だつた政党、声を小さくして申しますが、主だつた政党は、資本主義によるところの政党は一つになる、その場合にはそれじや該当いたしますね。新党は。だから社会党の左右両派一緒になつたときにそれは該当するのですね。共産党と同じように、それを一つはつきりして下さい。言葉をそらさないで直接言つてもらいたい。
○国務大臣(大達茂雄君) 思想として、或いは主義として、又批判の対象として社会主義の研究をする、それから社会主義のこれはまあ、外であつてもなくてもそれがいいと考える人はたくさんあります。それから又資本主義についても同様であります。或いは修正資本主義についても同様だ。これらの人々がそうならば直ぐそれだから社会党に入る、それだから自由党に入る、こういうのは私はないと思います。(「そういうことは聞いていない」と呼ぶ者あり)そういうものはない。だから私がとにかくここに言うのは飽くまでも特定政党を支持させる、又は反対させるための教育ということをお考え下さるとわかると思う、特定政党と結付くという関係に立つての教育でなければ、ただ経済上の主義思想、政治上の主義思想を講演したからといつてそれが偏向教育だとは私は思わない。ただそういうやり方をとりながら如何にも上手な言い方をして、それとなく社会党左派へどうでも持つて来るような言い方をしたり、それから共産党へどうでも持つて来るような言い方をすると、これは偏向教育になる、こう思う。だからこれは具体的なものについて言わなければならない。あなたのように社会主義の講義をすればそれでどうなるのか。資本主義の講義をすればどうなるのか。いわんや保守合同がなつた場合においてはどうなるのか、そういうことを言われても返事の仕様がない。
○岡三郎君 それは大臣は自分で答えられなければ答えられないと素直に言つてくれれば私は追究はしませんが、私は講義のことを言つているのじやない。例えば共産主義はよろしいといつた場合にそれは共産党との結付きが何々のためのという関連事項になるというふうにお考えかも知れん、併し我々が言つていることはゆえなきにあらずで、やはり共産主義というものも一つのれつきとしたイデオロギーであります。主義主張であります。社会主義というものも主義主張ですよ。資本主義というものも本当に主義主張として、資本主義もいろいろとありますが、やはり簡潔に言つて、お分けになれば社会主義、資本主義、共産主義とあると思う。資本主義はよろしいという場合においては、それが特定の政党に結付くかどうか、確かにデリケートでありましよう。ただ共産党の場合には特定政党に結付くが、資本主義政党の場合には結付かん。これは私は将来の問題を仮定して、今こういうふうな法文解釈では私はこれはちよつといかんと、だから大臣はそのときに、ええ面倒くさいからと言うて答えられているかも知れんから、重要だから、だから私は大臣に昨日言つたことで一つあなたの答弁が前に言つたことと後に言つたことが時々刻々移り変つておるということを私は証拠立てますよ、これは今日私は言うつもりはなかつた、これは速記録をわざわざ行つてできてこないやつを写し取つて来たわけです。私はこれによつて大臣を責めようと思わないけれども、私はもうちよつと的確に質問に答えて、おわかりにならないところはあとで研究して答えるなり、そこでここの人がちよつくとメモを書いてやれば大臣も忙がしいと思うのですよ。(笑声)それで大臣が突つ張ねられるということになると却つて私は無駄時間をとつて工合が悪いと思う、カンニングではないと思うけれども。そういうことは私は咎めないけれども、質問に直截に答えて頂いて、まだそれは十分研究してないというならばいい、併しどんな法律でも個々人によつて皆解釈が違うと言えば違いますけれども、大体それこそ常識がありますよ。具体的に言つて犯罪というものをどう構成するかということについて、それは犯罪というものを最後に起訴にするか不起訴にするか、或いは本当にこれを体刑にするか、罰金刑にするか、或いは執行猶予にするかという問題についてはいろいろ判断がありましようけれども、一つの罰を構成する場合においてはそんなにあいまいいいかげんなものではないと私は思う。個個人の判断によつて皆違うというような個々ばらくのものではないと私は思う、そういう観点で、私はもう一遍大臣にお聞きしたいことは、まあ余り皮肉になるということは避けまして、教育委員会というものによつて教育というものをやらせる、それで地方教育委員会というものを育成する、併し地方教育委員会の構成というものは様々で、それで先ほど言つたように判断がそれぞれ違つて来るということから、私は偏向教育というものを取締るということになるならば、それこそ地方教育委員会なり、県教育委員会なりを充実して、これを現在よりもより立派なものにして、少くとも現場の教師を指導するところの実力を兼ね備えた方向に教育委員会の建設をやらなければ私は無理ではないか、実際問題として。それをあえて現在の段階において地方教育委員会を育成すると称して監視機関としてこれをやつている、俗な言葉で言えば目明し的な存在にして取締ろうというふうにもとれるわけです。併し私はそうはとらない、とらないでもいいわけです。併し如何にも教育委員会が現在においてこれをやるということは無理なんですけれども、併し百歩を譲つてこの教育委員会において偏向教育を取締ろうとすれば、これは教育委員会自体というものを国家のほうの要請に基いて教育委員会の充実というものが補助金なり何なり、或いは教育委員会の構成自体というものに対しても国家の法律によつてもつと立派なものにする、併し今のようにただでやつて来いと言つても誰もできませんよ、本の今の経済の状態では、併しそう申上げては失礼ですけれども、馬屋の親方とか、中には立派なかたがあるが、わけのわからない人が教育委員会の委員になつて、そうしてそういう人は自分たちの気に入つた親戚の者を連れて来て中の先生たちを追い出すというようなことが起きて来る、そういうふうな教育委員会のあり方というものを閑却しておいて、そうして義務教育は国の立場で行うのだ、つまりこれはナチスがやつたところの国家目的をここへ強く出して来たから。いいか、(笑声)何でも工合が悪くなるというと労働問題でもそうなんです。公益を先に出すと、それは私もよくわかる、わかるけれども、何でもかんでも教育基本法なり憲法というものをぼつぽつずらして、そうして私の言わんとするところはだんだんだんだんだんと変えて、義務教育だから国家的な見地に立つてこれをやらなければならん、私はそういうふうにするならば、国家として立派な法律を作つて行こうとするのだから、地方の教育委員会にそういつた簡単なことを任せるならば、それに即応した国家的な見地に立つてこの法制を整備してもらわなければならん、義務教育という立場で問題を把握しておるのだから、義務教育というものは国の負託に応えるのだ、こうおつしやつているのだから、そんな重要な問題を個々ばらばらの教育委員会に移されて、いろいろな問題を取締ると、こういうふうになるならば、私は前後矛盾しておるとは言わないけれども、誠にいい加減じやないか、いい加減なものだと思うけれどもそんなことを言つては失礼だから言わないけれども、いい加減だと……。とにかく苛酷に取締ることのみに恕にして全体に統一されていないじやないか、こういうふうに私は思うわけです。こういう観点から私は教育の中立性を守るということについて、は大賛成なんです。大賛成であるからこそ私はそういうことを言うわけなんですがね。そういう意味において権力を持つているものは教員ではないのですよ。教員組合と言われますけれどもね、あなたの言葉で言えば、現場に行けば真に教員に対する権力を持つているものは教育委員会以外にないのです、そうでしよう、その権力を持つている教育委員会が誰が見ても客観的に不偏不党的な、本当に立、派な監督ができるかというと、これは非常にむずかしい問題じやないかというふうに我々は考えておるわけです。だからそういうふうな考え方に立つて見れば、やはりこのような具体的な個々の教育事例というものを、教育を毎日やつている先生がたから言えば非常な不安が多くある、こういう法律案に対して。どつちからかその中立性を本当に立派に守つて行くようにしてもらわにや私は一方的な中立法案だと言はざるを得ないと思うのでございまして、いいですか、つまり権力を全然現場の先生がたは持つていない。教員組合員でも現場の先生は持つていません。地方教育委員会が権力を持つているわけでしよう。だからその地方教育委員会というものを国家的な見地で義務教育をそういうふうにするというならばもつと立派なものにしてもらわにやならん、それに対する措置というものを考えてもらわにやならん、そういうふうに私は昨日からずつと言つて来ておるわけです。そういう点を文部大臣は具体的に個々ばらばらに地方の教育委員会がそれぞれの見地からそういつた問題について、犯罪を構成するか構成しないか、偏向であるか偏向でないか、いろいろのことが起つて来ることを考えて、それに対して真にこの法案だけで中立性が守れるかどうかということを心配して聞いておるのです。あいまいであるか、あいまいでないかということも中立性をどうして守つて行くか、個々に具体的に掌校で先生がたが教育をして行くについても、教育をしたことが中立であるかどうかという問題について絶えず心細しながら本を勉強して行くために、そういつた意味において現在のやり方において中立性がやれるかどうかという根本問題を私は大臣にお聞きしておるわけです。
○国務大臣(大達茂雄君) 教育委員会というものをもう少し強化する必要があるという、こういう御意見でありますが……。
○岡三郎君 強化というわけではないですよ、権力を持つて取締るのだから教師上りも立派なものにしなければならん。
○国務大臣(大達茂雄君) もう少し整つたものにすると言うのでしよう、これは私も毎々に申上げておるようにその通りに考えております。今日教育委員会のしておる任務というものは非常に重大な任務であります。でありますからしてそれがためには立派なかたがたで構成されるということが一番望ましい。次にはそれが任務を果すためのいろいろな予算の裏付けとか、又人員、スタッフの構成とか、そういう点についてもこれがもう少し整備されなければならん、こう思つております。でありますから、これはいわゆる育成強化という意味において今後ともこの教育委員会というものを育てて、立派な制度の趣旨に副うようなものにしたい、こういうふうに考えております。であなたはこの教育委員会に請求権を今度の法律において認めた請求権を認めるということであるならば、現在の教育委員会のようないわば貧弱な、実質においては重荷に耐えないだろう。
○岡三郎君 重荷じやなくして、それは正当なる判定ができない。
○国務大臣(大達茂雄君) できないから私は急速に一つ……。
○岡三郎君 そういうことを言つているのではない。
○国務大臣(大達茂雄君) 強化しないでこの法案を出すということは不用意である、こういう意味でしよう。
○岡三郎君 中立が守れない。
○国務大臣(大達茂雄君) だから任務が果し得ない、こういう意味であろうと思います。教育委員会は併しこの請求権を認めたということが従来の教育委員会の仕事に非常に大きな仕事を附加したとは思わない、教育委員会の根本の仕事の実質は教育委員会法にある、これは本体でありまして、これらの重要な任務を行うために是非ともこれを育成強化をしたい、こういうふうに考えております。そこで教育委員会においてこの取締をする、それがためには、もう少し整備しなければならん、こういうふうな意味のお言葉でありましたが、これは教育委員会は現在でも偏向教育のないように学校の運営をしなければならん任務があると思います。私は教育基本法第八条二項というものが現存する限り、そうしてそれらが先生がたの手によつて立派な成人教育を行なつて、そういう偏した教育が行われないようにする、これは今日教育委員会が現状において重大な任務の一つであります。この請求権というものは教唆扇動するものに対する処罰の請求であります。だから請求権が与えられたから、そこで急に教育委員会がこの偏向教育に対する監視の目を光らせる、こういうものではないと思います。それは教育委員会の任務がそういう意味であつたのではなくて、教育委員会は偏向教育なきことを期するがために不断に教職員の状況もよく見ていなければならん、こういうふうに私は思います。 それからこの法案によつて一体そういうことであれば中立性が守れるかどうか、こういうお尋ねであります。私はこの法案だけで中立性が守れる、こういうふうには思つておりません。教育基本法の第八条の二項、これが根本であります。この精神が教職員の諸君にも又教育関係のすべての方面に徹底するということがこれが中立が守られることであります。ただあなたは教育の中立というものはこれは非常に大切なことである、大賛成であると言われるのでありますから、この場合に折角そういう気持になつておるところへ、外からこれを教唆扇動して中立を外側から、直接責任のないものが側から教唆扇動する、こういうことは中立性に対する一つの脅威であります。教育に不当な影響を及ぼさんとする行動であります。だからこれを排除する、併しこれを排除したからといつて、学校そのものにおいて偏向教育が行われておれば、これは中立性はやはり維持できません。やはり教育の中立性が維持されるためには、どうしても八条の二項の精神に教育に当る教職員が目覚めて、そうしてそういう教育をしないようにするということが根本であります。そのためにこの教育公務員特例法案というものが、先生がたにそういう気持になつてもらうために特例法の一部改正というものを出したのであります。私はこれを以て完全にできるとは思いません。併しながら教育の中立を維持するために必要なる法案である、かように思います。
○岡三郎君 大臣はいつもの通りのことをお言いになつて、それでよいと思つているので、そうなるというと、ここで見解の相違だというふうになるかもわかりませんが、私の言おうとしているのは、現行の教育委員会制度において教育というものの中立性は守られるというふうに思つているわけなんです。それをあえて地方教育委員会を今言つたような監視機関にして教育の中立性が守れないほど日本の教育者はだらしがないものではないというように私は根本的にそう思つているわけです。そうして他から教唆、扇動をされる云々ということを言つておりますが、現場の教職員はそれぞれ勉強するわけです。同一学校の中においてお互い切瑳琢磨するわけであります。当然その中において指導者が出て来るわけであります。現場の中の指導者が同じ学校の中の教職員に対して仮に国際理解その他の問題についていろいろと教えた、こういうふうに教えることがいいだろうというふうなことがあつた場合に、その先生が。私が恐れるのは仮に教育委員会の委員の中に自由党員があつた。その先生は社会党でも何でもないけれども、やはり憲法に則つた教育をしようというふうにやつていた。ところが感情の相剋からその人間がどうも中共のことばかり言うとか何とかということで、そういうような事例が今後頻発して来ると思う。そういうふうな形の中で教育というものが真に憲法なり教育基本法の中立性をこの法案によつて守れるかは、これは今後において証明するでしよう。私は昨旦言つたように、この法案が通つたならば政党の文部大臣が一国の教育を指導する場合において、果して中立性が守れるかどうかという質問を呈しておつたわけです。ともかく一国の教育というものの中立を守るならば、現場の教師が中立を守ると同様に、教育政策というものが中立的でなければならん。教育政策というものが党派的に行われたら、今犬養法務大臣がやつているようなことになる。法務大臣というものは公正無私である、自分の法的な権限に基いて職務を執行しているかわからんけれども、併し一面において鴛々たる非難が出て来ている。やはり具体的に一国の文教の衝に当つているものが党派的な人であるならば、一党一派の教育をするかしないかということは、そこに非常なる関連が私は出て来ると思う。そういうふうなことはあとにいたしますが、私の言わんとすることは、ここで現場の具体的な問題について文部大臣はこれは個々に実際見なければわからん、こういうふうに言つておるわけですが、私が言うのは、個々の現場の教師に対してやつぱり文部省はこれだけの法案を作つたならば、もうちよつと具体的に、率直に答えが出て来なければ私は嘘だと思う。いつでもその問題を提起して行けば、これは途中で具体的に個々にやらなければわからん、個個に言つている場合は私は随分あると思う。ところが偏向事例二十四の偏向事例を見ても見解はさまざまである、文部省の見解もさまざまである、一体出所根拠も言わんような所から。出所根拠も言わん、調査方法も言わん文部省に私は偏向教育についての詳しい問題について今果してそれが具体的にあつたかどうかを御調査を願つているわけなんで、それを以て私はあとで言わなければならんけれども、あの具体的に文部省から出した問題だけであつでも非常にむずかしい問題なんです。そういうふうな非常にむずかしい具体的な問題をこの法律によつて中立というものが何ぞやということを我々か聞いて行かなければならん気持はおわかりだろうと思います。一体中立とは何ぞやというところから私は総括質問を今度しようと思つているのですが、実際そういう中立とは何ぞやと言うたところで、党派的な大臣が幾ら中立だ、中立だと言つたつて、私はそれは納得できんと思う。みずから顧みてやはりこれはキリストの教えじやないけれども、人を罪せんとする者は己れが罪になるかならんか判定してみなければならん。一党一派の政党の教育をしちやいかんという大臣が一党一派に属していることは、少くともこの法案審議中は党籍を離脱すべき責任があると思つている。一党一派に属しているかたが虎派的教育をしてはいかんということを言われること自体が私は問題だと思うが、この点について文部大臣、私は今一国の文教の、教育政策というものは中立的であるべきだと思う。真の中立を確保する。それでなかつたら、文部大臣の言うところの中立性維持という問題は一方的であるというふうに私は思うのです。これについての御見解をお聞きしたい。
○国務大臣(大達茂雄君) 私はいつも申上げているように、現在の教育基本法の趣旨を確保したい、こういうことがこの法律案の提出したゆえんであります。それを、これは法律というものを変えるのじやなくて、つまり中立性を維持するという基本法の八条の二項を、こういうのはいけないから、時の政党に都合のいいような教育にするように改めるということを今提案しておるのじやないのですよ。中立を維持するための法律案を提出する、現在の法律によつてそれがどうして中立を破るということになりますか、私は自由党であり、そして自由党政府であるから中立を破る、どこが中立を破つているのか、それを言わなければならない。併し如何なる場合でも、議会政治に立つて、そして政党政治というものによつて運営される限り、それはその政局を担当する政党が、国家のために一番よろしい、こう考える政策を推進する、これは当然であります。で、それは政党の手によつては、この文教といえども国政の一環ですよ。そして国民に対して政治を行なつておるものです。そうであるとするならば、これが政治の一環である限り、国政の一環として、その政治を担当する政党が、これを以て国家のために最善なりと信ずる、そういう政策を進めて行くのが、これは自然の、当然のことです。これは何も教育だけには限りません。政党であれば必ず一党一派に偏して、教育をひん曲げる、すべてのほかの公務についても、自分の党派だけに都合のいいようなことをするものである、こういう前提に若しお立ちになるなら、それならそれは政党政治の否認であり、議会政治というものはいけないということになる。(岡三郎君「そんなこと言つていない」と述ぶ)そうならざるを得ないのです。だからこの政治の一環である限り、文教というものをする場合、文部大臣の党籍を離脱せよ、こう言われることは、文教に関する限りは、いわゆる政党政治というものはいけないのだと、こういうことを言われるわけですね。そうすると、仮に党籍を離脱して、その人が公平な、絶対神様のようなものであるということは、どこから証明されるか。これは神様にでも預けなければ、あなたの言われるような、絶対公平なものというのは、それぞれ自分がこれを以て一番正しい、又一番よろしい政治だ、こう思うことを、そういう政策を推進する、こういうのが建前です。又国会がそれを受取つて、そうしていいか悪いかということを国民の名において審判するものである。国民の代表者としてその手続きを踏んでおるだけの話です。それがどうして一党一派に偏し、若しこの法律がいけないとお考えになるなら、国会がこれを成立させないまでのもので、私は国家のためにこの法律案を成立させることは極めて必要である。こういう見地からこれを提案したのです。提案はしたからといつて、それは自由党内閣の勝手なことである、勝手なことであると言うならば、国会は否決すればいい、どうも私は意味がわからないのです。私はどうして中立性をこれによつて侵犯することがありますか。これは教育基本法の八条を変えて、自由党の都合のいいような教育をすることに、法律を変えるというなら、そういう非難をされるのは当然であります。併し現在の教育の中立性を守る、こういう精神を堅持して行きたい。ややもすれば乱されておるから、そういうことのないようにして行きたいということが、自由党政府の提案であるから、これは中立性を侵犯するんだと、そういう論法は私にはどうしてもわからないのです。
○岡三郎君 私は大臣に言います。今大臣の言つていることは、個々に問題を判断するということと、それから中立ということを概念的に言われておるけれども、あなたが個々に問題を判断するなら、現場の教師も個々に判断してやつているわけです。それを、そのことが不当だとか不当でないとか、偏向であるとか偏向でないとか、そういうことを判断するわけでしよう。その場合において中立とは一体何だということが明確にならなければ、私は中立ということがはつきりしなければいかんと思うのです。この場合において政党政治において、政党の文部大臣がやつて何が悪いか、それはその通りにわかりますよ。併し少くとも現在の教育委員会制度というものができているのは、時の政治権力から離して、そうして教育というものを憲法なり教育基本法に則つてやろう、こういうふうに出ているわけです。(「そんなこと書いてないよ」と呼ぶ者あり)余計なことを言うな。教育委員会法というものが、憲法と教育基本法に基いて、教育委員会というものによつて教育を監視さして行こうというような趣旨に、私はそういうふうに考えております。そういうような観点から私が(一生懸命に読んだんだ」と呼ぶ者あり)ちよつとその……申上げれば、私は文部大臣が政党に所属している、併し現場の教師が中立性を要求されて行く場合において、文部大臣が中央で集録して、こういう偏向教育の事例がある、こういうふうに出して来ているわけです。ところが偏向教育の事例の顕著なものが出ていると思うのです。私は武佐中学の事例というものは、私は私なりの解釈から行けば、偏向していると思う、私自体は。そして山口日記自体も、私は偏向ということは言えないけれども、国際理解の立場からいつて、あれは或る程度一つのほうに偏よつていると私は考えております。あれが教育基本法の第八条第二項に果して触れるかどうか、私もそれが現実の問題として、それによつて刑罰を受ける、懲戒免職をされる、或いはそういうふうなことを言つて、教唆扇動ということを言われて、その人間が監獄に入れられる、こういうふうな具体的な刑罰の問題になつて来たからこそ、我々はもつと明確にして、私はそういつたことについて本当に中立性というものを要求するなら、教育全体というものも、やはり中立的な雰囲気の中に置かなければならん、一私はそういうことを言つているのです、純粋に考えているのです。そういう立場で私見た場合、どうしても現場の教員に教育の中立性を要求するならば、すつきりした形で文教というものは……政党政治を否認しているのではない、少くとも文教政策というものを、特定の政党員というのではなくして、天野さん或いはその他前田さんとか、そういうような人がやられてこそ、私も、全部が安心するというのです。それを現実の問題として、そういうふうな教育政策で自由党がやつて何が悪いかと押し進めて、それが教育基本法と憲法に則つておる、こう言われるけれども、では今の憲法の条章を自由党が確実に守つてやられておるかどうか、戦力なき軍隊という笑話も、そんなこと誰も信じているものではない、そういうふうに、個々ばらばらに政党というものを解釈して、都合のいいように政治を利用してやつて行くということが現実に現われておる中において、今後とも中立性を堅持して行かなければならんというなら、やはり政党というものは、事教育に関しては不偏不党の立場から善処してもらわなければならん、私の論鋒というものもそういうふうに出て来ると思うのです。何もそれが政党政治を否認するものでも何でもない、大運大臣が選挙されて出て来るのもいいわけです。少くとも教育を、憲法とか、基本法とか、そういう解釈の仕方がもうばらくにされるなら、そういうことによつて、時の教育が曲げられないとは、誰が言いましようか、曲げられないということを大臣は言うけれども、その点については、客観的に見て、政党の文部大臣では、中立性を堅持するということを口はばつたく言うだけの現実においては各種の今までの政治行動を見て来れば判定はできないと、そういうことを私は言つておる、併しこれは水掛論になるからこれでやめます。
○委員長(川村松助君) 御答弁必要ですか。
○岡三郎君 御答弁いりません。
○委員長(川村松助君) 岡君の質問は終りましたか。
○岡三郎君 関連質問は終りました。
○木村守江君 関連して。(「明日になさい、五時になつたから」と呼ぶ者あり)我々が連日文部委員会で審議しているこの教育に関する二法案、これは飽くまでも教育に対してプラスになるものでなければならないと思います。若しもこの法案の成立によりまして教育に対してマイナスになるようなことであつたならば非常な不幸なものでありまして、かような点について我々はいろいろな方面からこれを研究して参つて来ております。又連日の委員会におきましてこの法案ができるために教育が非常に萎縮すると或いは義務教育諸学校における社会科の先生等はこれは社会科の担当はできないというような事態まで惹き起しておるというようなことを言われますが、この法案を検討して参りましたときに、かようなことが一体どういうところから起つて来るのだろうということを調べて参りましたときに、若しもかようなことが起つて参るといたしまするならば、この義務教育の小学校における政治的中立性確保に関する法律案の第三条のためだろうと思うのであります。ところがこの第三条というものは教育基本法の第八条、これに則つたものでありまして、この教育基本法第八条に従つて現在の教職員が教育をやつておりまするならば、この法案ができましても何ら変りがないと思われるのであります。若しもこの法案ができまして、そうして何か不安を感ずるといいますならげ今まで極めてあいまい模糊とした教育基本法第八条に従わないような教育やつておつたのであつたが、それがこの法案ができて第三条の規定が示されるということになるために、非常に教員に対する萎縮感を感ぜしめるのではないかと思うのであります。ところが先般来大臣が数回話されましたように、又我々がすべての方面から検討して参りましたように、この教育基本法第八条というものは或いは非常にわかりにくいかも知れませんが、観念的には何人といえどもこれをわからないと言い得るものではないと私は思う。こういうような法律の規定というものは、これは憲法第九条、ああいうような大切な問題もあの第九条を解釈する人によつて或いは自衛のための軍隊ならば持つてもいいというようなことを言つておる人もある。これは憲法の条章の解釈においても又いろいろの解釈があります。又教育基本法の解釈についてもいろいろな解釈がありまするが、観念的な考え方においてはこれは確固たるものがあると思うのであります。その条章から出て来るところの一々の例をここで詮索することは、これはやはりどう考えても最後の決定は裁判官に委ねるということ以外にすべての法律は私は方法はないと思う。そういうことから考えますと、今若しこの学校教職員がこの法律が出まして不安を感じ或いは萎縮し或いは教育にマイナスをするというようなことがありましたならば、その教員は私は誠に言いにくいことでありますが、教育基本法に従わない、教育基本法を理解できない観点において教育をしておつたと言つても私はいいと思うのであります。そういうふうに考えて参りますと、私はこの法案に対して何ら不安を与え或いは教育の面に萎縮せしめるような原因を作つていないと考えるのでありますが、大臣はどういうふうに考えますか。
○国務大臣(大達茂雄君) 私はこの問題につきましては、しばしば申上げました通りでありまして、これによつて若し今までしておつたことについてこの法案が出て困る、こういうことを本当にこの法律に照らし合せて見て困るということであるならば、その人々は今まで好ましからざる教育態度をとつておつた人であろうと思います。学校の先生の中で。それからそうでなしに、この法文というものをよく読まないで、日教組とか県教組とかいろいろの名義でたくさんのパンフレットやビラが流されております。それを見ると、これは実際あの通りであるとするならば、これは手も足も出ないのであります。例えば給食をもう少し増してもらいたいとか、そういうことを言うともう三年以下の懲役になる、或いは北海道などで寒いから、もう少しストーブの石炭を増してもらいたいと言つた途端に三年以下の懲役になるというような類のことを非常にたくさん並べております。これを本当だと思つて萎縮されるならば、これは無理はない、これは萎縮するのが当り前です。成るほどあれを見るとこれは何も言われんことになります。これはこの法律案の罪ではありません。萎縮させるものはこの法案が萎縮させるのではなく、そういうデマを言いふらす人間が萎縮させるのです。だから私はしよつちゆう言つておるのですが、そういう誤解を解くようにしたい、こういうことを私はしよつちゆう言つておるのであります。これは誤解に基くところの萎縮であつて、その誤解を起させたのは文部省の説明の仕方が悪いとか、或いは又この法律案の内容がそうであるからということでは私はないと思う。誤解を殊更に言いふらす者がたくさんおる。これは一々証拠があるからいつでも立証して見せます、はつきりしておりますから。これは誠に残念なことであるけれども、これはどうもそういうことでこの法律案が萎縮させるという前提でいろいろ審議なさることは……、これは何遍も申上げたのでありますが、どうぞそういう点は私ども希望としては何も私は反対する人の悪口を言いたくありませんが、私のほうから進んでそういうことを申上げませんが、言わんからと言つてそれを盾にとつてこの法律案を攻撃しておるから私のほうも言わざるを得ない。そういうことでありますから、どうも一々そういう嘘を並べて言うことはこれはフエアーではありません。 それから教育の中立性とは何か、これは観念的には先ほど言われたようにはつきりしておる。特定の政党を支持又は反対(岡三郎君「私は答弁は要らないと言つておるのだ」と述ぶ)観念的には、はつきりしておる。それはあだかも詐欺ということは人を臨して金を取るものであるという程度に私は、はつきりしておると思う。けれども具体的な事例についてこれが特定の政党を支持又は反対するための教育なりや否やという認定については、これはそれぞれの場合によつて違う。それは詐欺の場合にこれが果して詐欺に該当するかどうか、例えば保全経済会がしたことがこれが詐欺になるかならんかということは、これは人によつて皆意見が違うと思います。決してそんなに誰が見てもぴちやんときまるというような簡単なものではありません。横領の場合、詐欺の場合と、そういう具体的の事例を捉えてこの観念にはまるかはまらないかということを一々言い立てても、これは人によつて皆意見の通うのは当り前です。意見がはつきりすることがむしろこれはおかしい、それを、そういう場合に意見がまちまちになり得るから、観念がはつきりしておるのに意見がまちまちになつてはいけない、こういうことを言われるのは、これはそうお考えになるかも知れませんが、そういう点は一つ御了承頂きたいと思います。 それから先ほど答弁は要らないということでありましたが、私は教育の中立性を維持するためにこの法律案を出しておる。あなたは政党内閣の大臣が出すからそれは当にならん、中立を破壊するものであると、こういうふうに言われた。又政党に党籍を持つ者では国民が安心しないと言われるが、国民の代表である国会が自由党に国政を託したのですよ、どうしてそれが国民の大多数が安心しないということをあなた独断されますか。(笑声)若し教育の中立性の問題を政党の党籍のある者がいじつてはいけないということならば、これは国会で論議することがおかしいのじやないか。これを議員として党籍を持つた者が論議することは全くおかしい。そういうことは私はどうしても納得しない、それをあなたは何遍もしつこく言うから、私はここで……。(笑声、「そんなこと言つてないじやないか、大臣の言うことは全然違うんだ」と呼ぶ者あり)
○木村守江君 私はこの問題についてなお質問いたしたいと思いますが、時間が相当経過いたしましたので保留いたしまして、これを以て終ります。
○委員長(川村松助君) この程度で散会して御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(川村松助君) 御異議がないようでありますからこれを以て散会いたします。 午後五時十一分散会