文部・労働連合委員会 第1号
- 発言数
- 242 件
- 登壇者
- 14 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1954/04/27
会議録
○委員長(川村松助君) 只今から義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する法律案、教育公務員特例法の一部を改正する法律案の両案について、文部、労働連合委員会を開会いたします。 慣例によりまして不肖私が委員長を務めさせて頂きます。 本日は主として労働委員のかたがたに御質疑をお願いいたします。出席いたしておりまする国務大臣、政府委員は次の通りであります。文部大臣、政務次官、法制局次長、初等中等教育局長、以上であります。政務次官は安井君であります。 では只今から質疑に入ります。ご質疑のあるかたは御発言願います。
○栗山良夫君 今日は労働委員会との連合委員会なんで、労働大臣に是非出席を願いたいと私申入れをしてあるのですが、その間どうなつているのですか。
○委員長(川村松助君) 御要望のありました労働大臣の都合は、衆議院地方行政一委員会に出席されておりまするために出席は困難な状態にあります。それから緒方副総理は一時三十分から参議院の議運、終つてから衆議院の内閣委員会に出席の予約になつております。
○栗山良夫君 実は小坂労働大臣は労働省関係が閑散であるという理由で国警担当になられたと私どもは聞いておる。飽くまでも労働大臣のほうが主管であつて、国警担当のほうはこれは兼務であるわけです。今日は重要なこの教育二法案について初めてであつて恐らく最後になる連合委員会、この委員会に労働大臣は私は少くとも出席せらるべきものである、こういう工合に考えるのです。それだから今朝から特にそういう要望をしておつたのでございまして、特に委員長において一つ御配慮を煩わしたいと思います。
○政府委員(安井謙君) 栗山委員から労働大臣の御出席に対する御要望がありましたことは私ども労働省として十分承知しておりました。できればなんとか出席いたしたいと考えたのでございますが、御承知の通りに警察法の関係で衆議院のほうの委員会でのつぴきならん関係で今出席されております。できますれば政務次官代つて御答弁申上げたいと思いますので、御了承願いたいと思います。
○栗山良夫君 私は国警担当とせられたわけですから向うへおいでになることがいけないと申上げておるわけではないのです。若し御出席になるにしても、自分の主管である労働大臣として要求があつた以上は、やはりここへ仮に5分でも出て、そうして拠んどころない事情をやはり述べられて、了承を得て、私は退席されるというのが筋合いであり、そういうことであれば敢えて労働委員の諸君でも、私はたつてこの委員会に釘付けにしてもらわなければ困る、そこまでは私は要求しないだろう。その点はやはり筋を是非とも通して頂くようにお願いしたいと思います。(「異議なし」と呼ぶ者あり)
○吉田法晴君 今要望がございましたが、安井政務次官どうですか、全然出られないというのですか、それとも都合をつけてこちらにも出て来るというお話でございますか。
○政府委員(安井謙君) 手がすきますれば、と申しますと大変あれでございますが、前々から地方行政委員会のはうで要求されて、出席の予定をいたしておるものでございますから、只今栗山委員長の言われるようにちよつとでも挨拶に出て来て、事情を述べたらよかろうというお話でございますが、これはそうできれば一番いいと存じますが、今現に出席を約束して行つておるような事情でございますので代りまして政務次官から一つ出席できません事情も申上げ、御無礼の点があればお詫びも申上げるという点で御了承願えれば大変結構だと思います。
○委員長(川村松助君) 速記をとめて下さい。 〔速記中止〕
○委員長(川村松助君) 速記をつけて下さい。
○栗山良夫君 私はこの際労働問題と面接関係はございませんが、折角の機会でありますので大連文部大臣の義務教育に対する教育の厳木的な考え方について三、三お尋ねを申上げたいと思うのであります。と申しましても私は教育について別に専門家でもございませんが、非常に只今心配をしておる点がありまするので、具体的な問題についてお尋ねをし、御所信を承わつておきたい、こういう工合に考えるのであります。 その一つは只今国民の洲には疑獄、汚職の事件について非常な深刻な影響を与えておるわけでありますが、この疑獄、汚職の事件というものについて大連文部大臣はそういう事件の経過発生の状況等からしまして、大体造船その他各般の只今検察庁に問題になつておりまする事件というものは大体よく御承知になつておるかどうか。この点を一つ伺つておきたい。
○国務大臣(大達茂雄君) 汚職、疑獄の事件につきましては、新聞に出ておりますことを新聞を読んで承知しておる程度でありますので、それ以上の真相と言いますか実際の内容については存じません。
○栗山良夫君 そういたしまするというと、新聞には検察庁の動きが刻々報道せられておりますが、普通のいわゆる流説と申しますか、風説というような、そういう軽い程度のものでなくて、もつと権威ある話として少くとも検察庁が採上げて、そして相当な雨脚問題として国の機関が動いておると、こういうことについてはお認めになりますか。
○国務大臣(大達茂雄君) 検察官の動いておられるということは新聞でよくわかります。併しそれがどういう問題であり、どういう関係であるか、これは検察庁の恐らく発表されたものではないようでありますから、新聞によつても違いますし、はつきりした真相と申しますか、そういう点については十分は承知しておりません。ただ一般に世間で承知しておる程度といいますか、新聞で見る程度のことは一応私も知つておるという程度であります。
○栗山良夫君 そういたしますと、これはそういうお話であればもつと具体的に個々の問題についてお尋ねすれはつきりいたしますが、ちよつとあとに譲りましてただ一点だけ改めて伺いますことは、新聞ということが出ましたが、新聞の記事にも論説から三面記事までこれは各種各様にあるわけでありますが、その中で少くとも東京或いは主なる地方の新聞のうちで、いわゆる重要な新聞紙が殆んど全部この問題について論説を以て所信を新聞社が表明している、こういうふうに私どもは新聞を見て知つておるわけでありますが、この点は御確認になりますか。
○国務大臣(大達茂雄君) これも一々各社の社説を私読んではいないかも価れません。併し大体この問題に対する新聞によつて代表されておるまあ世間の考え方というものについては私も承知しております。
○栗山良夫君 いや、私が申し上げましたのは、新聞が輿論を代表して論説を加えておる、こういう意味でなくて、論説そのものを御承知になつておるかどうか、こういうことを申上げたのであります。例えば朝日でありますとか、毎日でありますとか、読売でありますとか、日本経済でありますとか、中部日本でありますとか、こういうような有力紙が挙つて疑獄の問題を採上げて政府を相当激しい言葉で糾弾しながら論説を掲げておる、こういうことを御確認になりますかどうか、これをお伺いいたします。
○国務大臣(大達茂雄君) 大体承知しております。
○栗山良夫君 それでは大達文部大臣は只今問題になつておる汚職、疑獄事件について新聞紙上を通じて承知をしておる。又新聞に出たことは知らない、こういう御答弁がよくあるのでりますが、私は論説というものはそういうものではなくて、これは社が社の意思によつて書いておるものでありますから、特に改めてお伺いしましたところ、これもよく承知しておる、こういうことでございますから、その点もよく了承いたしました。そこで問題なりますことは、文部大臣として只今これほど広く国民の間に非常な、或る意味においては憤り、或る意味においては国の将来に対する危慎、心配、こういうものを以て眺めておりまするこの疑獄、汚職事件について、大達文部大臣はこれはいいことであるのか悪いことであるのか、私はそうたくさんだ御答弁は必要ありませんが、どういう工合にお考えになつておるのか、これを伺いたい。
○国務大臣(大達茂雄君) 汚職或いは疑獄、そういうものが好ましくないということは無論当然であります。こういう事件が持上つたということは非常に歎かわしいことであると思つております。
○栗山良夫君 この問題につきまして、実は私旅行をしておつて今朝帰つて来たのでありますが、私が旅行してよりました方面の義務教育を受けておる学童の諸君が、非常に憂慮に堪えない、この問題に関連をしての遊びをしておるということも私は聞いて参りました。それは要するにリベート遊び(笑声)疑獄遊び、汚職遊び、こういう遊びをやつて、一つリベートを幾ら寄越すか、こういうようなことで、義務教育の教育を受けておる生徒諸君がやつておる。こういうことを私は開いて愕然として来たわけでありますが、只今の疑獄、汚職事件がこういう工に純真な学童諸君に悪い影響を与えおるということについて大体どういう御所信をお持ちになりましよう。非常に困つたことだと、こういう工合に考えになりますか、そういう遊びとしうようなものは自分はまだよく聞いておらない、知らんという工合に御否定になるか、この点の御所信を承りたい。
○国務大臣(大達茂雄君) 子供がリベート遊びということをしておるかどよかということは私は今までは知りま、んでしたが、お話によればそういう、ともあろうかと思います。社会の姿というものが極めて敏感に子供には反映するのでありまして、これはどうしても汚職には限りません、非常に子供片感受性の強い敏感なものであります九ら、こういう社会のいやな面が子供に影響して子供の遊びまでそういうことをしておるということは非常に困つたものだというふうに思つております。
○栗山良夫君 そこで更にお尋ねをいたしたいのでありますが、これほどまでに国民全般に影響を与え、なお且つ純真な学童諸君にまで日常の遊戯、遊びごとにまてもその言葉が使われ、疑獄の内容が遊びの中へ模型のようにして取入れられておるというようなこの現実の姿があるわけでありますが、こういうことであれば、政府は率先して疑獄、汚職事件をとにかくきれいに明朗に一日も早く私はしなければならない、こういう工合に考えるのでありますが、これについて吉田首相が逮捕許諾の要求を退けるがごとき政治行動をとられたということについては、学校教育の立場、文部省の立場からして、非常に結構なことであると、こういう工合にお考えになるか、遺憾なことであるとお考えになるか、その点を一つお聞きしたい。
○国務大臣(大達茂雄君) 法務大臣が検察庁法十四条ですか、その規定によつて指揮せられた。それがどういう理由によつて指揮をせられたか、又その案件がどういう状態にあつたかということは、これは当該大臣の責任において判断せらるべきことだろうと思います。でありまするからして、我々が外から当否を簡単にきめるということはできないと思います。ただそれが真相がわからないから何とも申上げられんのでありますが、これは政治上の論議としていろいろそれが議論の対象になることは、これも当然であつて、これは別にどうこうと言うのではありませんが、併しそれが直ちにいろいろな判断の下に立つて議論がある。それがすぐ子供にも敏感に反映するということでありますので、私は文部省としてその指揮がいい指揮であるとか悪い指揮であるとかということを申上げる立場ではありません。ただそういうことについての論議というものが慎重になされるということは希望いたします。
○栗山良夫君 私は指揮の善悪をお尋ねしておるわけではありません。あれいう指揮が行われたために、純真な学童諸君にまでいろいろと影響を及ぼして行く。そういうことについて教育の立場からして、教育行政の最高責任者であられる大達文部大臣が好ましいことであつたと、こういう工合にお考えになるのか、いささか残念なことであつたと、こういう工合にお考えになるのか、これは文部大臣側人の御所信で私は結構でございます。政治家という立場を離れて、文部大臣個人としてどういう工合にお考えになるか、これを伺いたいと思います。
○国務大臣(大達茂雄君) 社会の種々な姿というものが子供にすぐ影響するのでありますからして、いいことにしても悪いことにしても、だからこれはやはり子供が素面ないい子に、環境がよくなるためには、やはり社会そのものが綺麗な姿にうつらなければならない、こう思います。従つて世の中にいろいろな混濁したような事象が現われるということはこれは教育の面から見ても望ましいことではありません。ただ教育として、学校の先生がそれを問題として子供に話をするというようなことになれば、これは教育そのものの問題であります。ただ指揮をしたことが教育にどういう影響を与えるか、それたいいと思うか、困つたものと思うかという点については、これはまだ何とも私は申上げられない段階だと思います。
○栗山良夫君 これは田舎の新聞でありますが、私も宛て来たのでありますけれども、検察庁声明。十万円以下百万円以上の賄賂は今後問題にしないことにしました。そういう工合に比喩して書いてあるのでございます。繰返して申しますが、十万円以下百万円以上の賄賂は今後問題にしないことにしました。検察庁声明。これなどは今の政府のとつた態度について非常に私は深刻な、要心を衝いた比喩であろうと思います。而もそういうことが、只今の汚職、疑獄事件というものが、これは悪いということはお認めになつたわけであります。悪かつたことは改めて早く綺麗にしなければならぬ。その立場にあるにかかわらず厳正にしなかつた。厳正にしないような措置を政治的な知恵からとつた、こういうことについて私は先ほど、それだからこそ念を入れて伺つておいたのでありますが、一流の新聞の論説は殆んどこの点に集中して攻撃を加えている、そういう新聞紙ですら論説を以て攻撃を加えておることなので、従つて大連文部大臣としてはもつと率直に、常識的な問題ですから、これは法律問題ではありませんので、お答えが願えるのではないか、こういう工合に私は考える。
○国務大臣(大達茂雄君) その類の社会諷刺と言いますか、そういうふうなことはその問題に限らず新聞によく出ますし、又ラジオの放送なんかでもそういう類のことがあります。これは世の中にいい影響を与える場合もあろうし、悪い影響を与える場合もありますが、併し今のような、何と言いますか、子供敏感に世の中のいろいろな影響を受けるのでありまして、例えば教育上面白くないような映画があるとか、或いは社会事件があるとか、それを取扱う新聞の書き方がどうであるとか、出版物がどうであるかということは、それぞれの場合に子供に影響を与えるのでありまして、同じことでもいい影響を与える場合もあるし、悪い影響を与える場合もある、子供の受取り方によつては。でありますから、そのことだけをとつてこの指揮というものが子供にいい影響を与えるかどうかということは、その点は私は正確に言えないものだ、従つてそれが結構だとか困つた問題だとかというような判断は私にはつきません。
○栗山良夫君 それは学童は、検察庁法第十四条による指揮権を発動したといつたところで、これは何のことだかさつぱりわからない。そういうことでなくて、その発動したということによつて、大人のやつたことによつて、とにかく先ほどの私が比喩の言葉を使いましたが、大人の人は相当にどうも悪いことをしておるようだけれども、これは暫くお預けにするのだ、こういうようなことをして葬り去ろうとしておるのではないか、こういう出て来る現象というものは、これは親が家で話をするでしようし、すぐわかると思う。そういうことが教育上与えた影響ですね。十四条発動によつて与えた影響が、教育上よかつたのか悪かつたのか、こういうことをお尋ねしておるわけです。
○国務大臣(大達茂雄君) 同じことでありますが、よかつたか悪かつたかということは、必ずしも一概に私は言えないだろうと思います。そういう十万円以下の収賄は罰しない、それから百万円以上のものは罰しないというようなことを、そのまま政府の方針として子供が受取れば、それは悪い政府である。こういう少くとも誤解を子供に与えましよう。それからもう少し頭がよくて少し進んだ子供ならば、そんな馬鹿なことはない。何もあの指揮が、年齢の進んでおる子ならば、あの指揮がそういう趣旨から出たものではない。世間の扱い方が如何にも妙な、ひねくつた扱いをしておるものだと、こう思う者もあるかも知れない。これは相手によつて違うことだから、それを一概にいい影響を与えたか、悪い影響を与えたかと言われても、これは私は一概に御返事はできません。
○栗山良夫君 一つこの問題をそらさないようにお願いしたいのは、私は十万円以下百万円以上の賄賂は今後問題にしない、検察庁声明と申上げましたことは、私の質問を申上げることをよく御理解願うために、例示として挙げただけの話でありまして、そのことをあなたにお尋ねしておるわけじやない。これは問題を一つそらさないように願いたい。而も私は先ほども改めて申上げておるように、学童諸君は検察庁法十四条を発動して指揮権を濫用したことがいいか悪いか、そんなことを考えるようなまだ頭もないし、そういう温み入つたことた研究する私は能力もないと思つております。そういうことでなくて、そういうことによつて理窟をつけて大人の世界でやつたことが結果において現象としてピンと児童の頭に映つて、成るほど時と場合によつては若干面白くないことをしてもこれは工合よく逃げられるのだと、こういう悪い影響を子供に与えやしないか、こういうことを私はお聞きしておるのです。(「偏向教育の見本だよ」と呼ぶ者あり)それを私はお聞きしておるわけです。
○国務大臣(大達茂雄君) 私は汚職とか、そういう悪いことが行われる、こういうことは子供に面白くない影響を、与える、困つたものだということは前にも申上げました。ただこの間の指揮が子供に政府が何か悪いことをしたものをうまく逃がしたというような仮に印象を与えているとすれば、それは困つたものだと思います。教育上。それが政府の指揮がそうであつたかどうかは私は知りません。それからそれを新聞その他の扱い方によつて子供に困つた影響を与える場合もあるかも知れん。
○栗山良夫君 大体今若干その条件は特に付いたようでありますが、子供に悪い影響を与えたようだということはおつしやつたのでありますが、而もその影響を与えたようだという工合にしたのは、吉田内閣のやつたことはそう悪くないのだが、途中で一部の連中が何とかかんとか言つて児童に吹き込んでおる、こういう工合な御発言のように私は印象を受けました。それはそういうことを大連文部大臣が大体おつしやるであろうということは、私も文部委員会で二、三傍聴して大体あなたの考えというものがわかつておりますので、そこで今日は冒頭に私はこの検察庁法十四条を発動したことはいけないという輿論は、日本の一流新聞が解説ではありません、論説を以て論じております。それを御確認になるかということを私は最初にお尋ねをして、そうしてあなたは御確認になつておるわけです。参議院においても自由党の諸君は賛成されなかつたけれども、このことはけしからんことである、こういうのであなたは問責決議案をちやんと可決になつておるのです。そういう工合に権威ある新聞が書き、参議院においてすらあなたは自由党の諸君だけの反対を退けて緑風会以下全野党が賛成してこの問責決議案を可決した、こういうことであれば全国どこの家庭でも全部話題になります。成るほど吉田内閣はひどいことをするのだ、こういうことが話題になれば、そこに御飯のときに聞いておる児童の諸君に、成るほどそうだということを瞬間にして浸透せしめ得る、これは事実なんです。それを大連文部大臣は内閣の閣僚としてここで御答弁になることにお心苦しければ文部大臣個人として或いは常識ある社会人としてここで所信を御表明になることはできないか、こういうふうに私はお尋ねしておるわけです。
○国務大臣(大達茂雄君) そういうことが新聞の論説で言われておるということは私は先ほども申上げたように大体承知しております。併し新聞にそれがあつたからといつて、それがその通りの動かすべからざる事実として通るか、通らないか、読む人がそれに反対するか、同意するか、しないか、これはちよつと別問題であります。新聞は新聞の意見を書いただけであると思います。 そこで問題でありますが、お話のように若し政府が特別に政府の都合を考えたり或いは自党の都合によつて不公平な計らいをするために指揮権を発動した、これはどういう事情によつて指揮権が発動されたかは一番初めに申上げたように私はその関係はつまびらかにいたしません。若し果して政府がそういう意図の下に指権揮を発動したということであれは、これはけしからん話であることは勿論であります。
○栗山良夫君 それで政府がそういう意図の下に発動したことはけしからん話である……
○国務大臣(大達茂雄君) 発動したとしたら……
○栗山良夫君 発動したとしたら……これは御確認になりますか。
○国務大臣(大達茂雄君) すればですよ。
○栗山良夫君 そういたしますと、すればということが仮定であるか、事実であるかどうかということを究明いたさなければなりませんが、とにかく犬養法務大臣はあれを発動しておいて、みずから良心的な立場に還つて辞表を提出せられておるという事実、これは一つの事実です。それから参議院において昨日の本会議における緒方副総理のあの御答弁でもこれを撤回する意思はない、併し今後こういうことは繰返さないようにいたしましようと、こういう御答弁です。これはあのことが大変好ましいことでなかつたという緒方副総理その人の御見解の表明だと私は心得ておる。天下の大新聞が筆誅を加えたこの論説のお考えがやはり緒方副総理のお心を動かしておるのだと、私はこういう工合に考える。従つてそういう意味で先ほど、とすればという仮定の言葉を以てお答えになりましたが、それは仮定でなくて、大体そういう工合に天下の輿論というものが動いておる。この輿論がそういう工合に動いておる。そのとすればという言葉をこれは立証する方法もありませんけれども、とすればということは輿論であろうという工合にとにかく考えておる。こういう工合に私は見ておるのでありますが、そうお考えになりませんか。
○国務大臣(大達茂雄君) 犬養前法務大臣がどういう心境で、又どういう理由で辞職をされたのか、これは私は知りません。併し私が普通に今常識的に考えれば、若し犬養君が指揮をすることが良心に反するというふうにお考えになつたのならば、恐らくは指揮はされなかつたであろう、指揮をしたときは良心に反しなかつたが、あとから考えてみると、真心に反したから辞表を出したと、こういうことでは恐らくはないだろうと私は思います。併しこれは犬養君に聞いてみなければわかりません。私ならば良心に反することをして、あとで辞表を出すということは恐らくしなかつたであろう、そういうことをすべきものではないと思います。併しこれは真相がわからないことでありますから、辞職をされたのはその問題と関係しておるのか、関係していないのか。或いはその問題に関連をして、庁内のいろいろな事情があつて辞表を出されたのか、この点は本人に聞いてみなければわかりませんが、その現われただけの事実を以て、この指揮が良心に反し不都合な指揮であつたというふうに断定することは私にはできません。 それから緒方副総理が参議院における決議に対して、これを今後の戒めとすると、こういうことを言われました。私はどういう意味で言われたか、これも御本人に聞いてみなければわかりませんが、今後の戒めとするということは、こういうことで世間の議論をますます沸騰させる、或いは国会の議決がそういう点について、今後そういう場合については十分この戒めとして慎重に措置をする、こういう意味であつたか、或いはただ悪いことであつたから今後はしないか、悪いことは、一遍やつた以上はそこは変えん、今後はしません、こういうふうな意味でおつしやつたのか、これも私にはわかりません。従つてその現われた事実で以てこの指揮が不都合なものであつたか、至当な理窟のあるものであつたかということは、これによつては私は判断はできません。
○栗山良夫君 大体ですね、大達文部大臣も相当物事を強弁されるかただ、私はこういう工合に聞いておつて伺うのですがね、第一に本人に聞かなければわからん、あらゆるものを直ちに自分で全部タッチしてみなければわからんとおつしやるけれども、それは幾ら大達文部大臣が手腕家であつても、そんなことは私は不可能であると思う。やはり天下の世論というものによつていろいろなことを適当に判断し決定して行くのが、これがやはり知識人のやることであろうと思う。若し今大達文部大臣のおつしやることを土台にして、あなたのおつしやる通り本当に物事を進めて行く道筋であると考えるならば、少くとも国会におけるいろいろな論議を聞いておりますと、教育三法案の問題を考えてみまするというと、これは全部あなたが事実を抑えられたのではなくて、ほうそれから集められた情報、偏向教育の情報だとか、いろいろなものを丸つきり御信用になつて、参考人が否定したものまでも、否定したのが間違いなんだ、現場においてはこういうことがあつたのだということで、そうして御信用になつて、折角この法律案が通るように巧みな御答弁を進めておるように私は見受けたわけですがね。この点は全く大連文部大臣のために惜しむのですけれども、今私にしておられる御答弁と、この教育三法案を通過させるために文部大臣として御答弁になつておる、その筋道と丸で違うということを私は申上げておきたい。これは私は大達文部大臣に一つ御反省願いたい。これは全然違います。そういうでたらめな、いい加減な態度でこの教育二法案を扱われたのでは私は了承できない、これは申上げたい。 それからもう一つ、先ほど私が挙げた例のうちで、縦方副総理のことを言われましたが、昨日の本会議には、今朝旅行から帰つたのでおりませんのですが、同僚議員からの話等を聞きまするというと、参議院の決議を吉田内閣が尊重しない。そういうことが発端になつて行われた緊急質問であります。従つて参議院で可決したあの問責決議案について吉田内閣はどう考えるか、こういう質問に対して、緒方副総理は毅然として答えられておるわけであります。従つて今あなたの言われるように、その辺で夜桜見物でもやつて雑談を交わしておる言葉ではないのです。もつと深刻な、厳粛な権威ある言葉であります。その言葉の裏には、当然今申上げましたような、私の質問の中で申上げましたような良心的な雰囲気があるはずです。そういうことを読みとれない大臣というものは私はおかしいと思うし、今あなたの言われておるようなことを、そのまま引延ばすならば、あなたは参議院の決議に対していささかの反省もない、参議院の問責決議案についていささかの反省もないということを申上げなければなりません。そこで私はこの法律案の更に細かい点に入ります前の重要な御質問を申上げておるわけでありますから、大変強い言葉を使つて失礼でありましたが、どうか一つもつと率直に御答弁をお願いしたいと思います。
○国務大臣(大達茂雄君) 私は決して参議院の決議を何とも思わんとか、無視する態度は毛頭ございません。ただ先ほど申上げましたのは、私が直接昨日の緊急質問に、私は尤も初めのかたの質問に対する政府側の答弁だけしか聞きませんでした。その場合の緒方副総理の発言を私も記憶によつて申上げたつもりであります。ただ新聞が、そういうふうに、そういう前提のもとに論説を進めておる。又参議院においてもそういう意味のもとに決議をせられておるということでありますが、私は政府が特に自分の政府の利益、若しくは与党の立場、それだけの見地からこの指揮権を発動したということを、今お述べになつただけの理由を以て私にそう思え、若しくは思うのが当り前だとおつしやつても、私はそれだけの根拠では、これはその通りであるということを考えることはできません。私はいやしくも一国の政府が自分の党のために、若しくは自分の政府の都合のために検察庁法の十四条ですか、その指揮を、そういう都合で以て指揮をしたりしたかつたりするようなことは、これはあるまじきことだと思います。この点は若しそうであるとすればこれはけしからんということを申上げた。若し果してそうであれば誠に不都合なことであつて、さようなことを政府はすべきものでないことは明瞭であります。併しこれを直ぐそういうことで指揮が行なわれたと断定するということは、これは容易ならん問題であろうと思います。これはそれぞれの人の判断がありますから、その判断した人をけしからんことであるとは言いません、皆そう思つているのだからお前もそう判断すべきだといわれても、私はそういう判断にはこれだけの事実を以てその判断を下すということはできません。こういうことを申上げただけのことであります。決して私の判断を人に強制しようとか、押付けようとかいう気持はありません。これと絡んで私が偏向教育の事例として出したものが、そういうむずかしいことを言いながら偏向教育で出したものは極めて無雑作にあれを真実なりとして出したのじやないか、こういうふうにおつしやつて、そうしてこの偏向教育事例というものが非常に粗雑のものである、これを基礎にしてこの二法案を審議を進めるということが如何にも横着だ、こういうふうな意味のことをおつしやつたと思うのでありますが、これは私は失礼ですが、少し見当違いであろうと思います。これはこの文部委員会においても、衆議院においても、参議院においても申上げた問題ですが、これらの事例の一言一句を真実なりとして出したわけではありせん。文部省に自然集つて来た情報の中で事実があると一応判断したようなものを御参考に出したのである。この一言一句悉くが真実間違いない、裁判所に提出する証拠書類のようなものではないということを申上げて出したのであります。ただその資料の御趣旨はこれを事実なりとして確認されることを文部委員会にお願いをしているのではない。文部委員会の御請求があつたから偏向教育というものが我が国の末端の学校において行なわれているか、行なわれておらんか、こういうことを推定する資料として出したのであります。それについての判断はそれぞれの委員の方々においてなさるべきである、こういうことを言つているのであります。決して私はこれを事実なりとして委員会のほうにその確認をお願いをしたり、若しくは委員の方々が是非そう判断せられるべきであるということの意味において提出したのではありません。その辺は誤解のないようにして頂きたいと思います。
○栗山良夫君 今の偏向教育の問題は、これはもう少し後ほどに私は御質問したいと思つているのですが、たまたま私の申上げたことに反駁されましたので、反駁されれば私も信念を持つて御質問を申上げておるので、後で忘れるといけませんから序でに申上げておきますが、政治的教育の中立確保という問題は、偏向教育があつたということを非常に恐れて、あなたはお出しになつた。従つて偏向教育があつたということであれば、確実なるあつたという証拠がなければならん。その証拠の例証として、ああいう数々の具体的な事例を文部委員会にお出しになつている。それをあの資料というものは、まだ一口に申しまするならば余り自信のないものである。又たくさん出したが、その中には若干は本当のこともあるし、若干は違つていることもあるだろう。そのいいか悪いかは議員の皆さんが判断してくれ。こういう工合におつしやつておられるのですが、これは誠に私は詭弁だと思います。先ほども申上げたように、私があれほど言葉を重ねて汚職事件のことをあなたに御質問いたしましても、自分はそういうことについては答弁できない。こう言つて繰返し繰返し否定されるあなたが、当今の問題になりまするというと、自分のほうは参考資料としてこういうものは出した。この中で事実であるのとないのと適当により分けて判断をしてくれ。こういうものは、これこそ全く自家撞着であると私は言わなければならんと思います。それから更に先ほどでも、自分は内閣が指揮権を発効したということはよく内容は知らない。緒方副総理のことも、犬養氏のことも本人に開いてみなければわからん。こういう工合にみんな逃げてしまいますけれども、一つだけはつきりしておりますことは、あなたが吉田内閣の閣僚としてあの十四条を発動したことについては、決して自由党の党利党略のためにやつたのじやないのだ、そういう工合にこれは言い切りなさる。誠に言葉というものが前後繁がりのつかない自己矛盾に充ちた私は言葉の連続である、こういう工合に考える。そこで私は仮に先ほど新聞の論説、国会の、参議院の決議のことを申上げましたところ、これについてもまだ御承知にならないようでありますが、御承知にならなければ結構です。それは私はあなたに考え方を強要する権利はありません。それはよろしうございますけれども、そして又論説、天下の新聞が、大勢の論説委員があれは相談して書かれたものと思いまするが、そういうものも大体余り適切でない、参議院の問責決議案が通つたこともこれは少し間違いである。こういうふうにお考えになつて結構です。そしてそのことについては、どうか一つ参議院がけしからなければ参議院をお叱り願つても結構です。論説委員の青いた論説が間違つておれば、新聞社に抗議なさるのも結構、そういうことは御自由になさつて結構ですが、少くとも権威あると今国民が見ている新聞の論説とか、参議院の決議によつて、一般国民はあれを信用している。そして子供にそういうことを話をし、或いは子供が親の言うことを漏れ聞いて、そうして大人の世界というものは随分面白いことをやるものだ、こういう工合に感じて、学童の非常に教育上好ましくない精神的な影響を与えているということについて、これは事実としてそういうことについてあなたはどうお考えになるか。悪い影響を与えたということをお認めになるか。こういうことを申上げたのです。先ほどは、すれば、という仮定がありましたが、ですから私は条件を抜きまして、現実に今社会的な風潮から言うと非常に困つたことだということになつておりまするので、それを根拠にして学童に少くとも悪い影響を与えた汚職、疑獄事件並びに今度の逮捕要求の許諾を内閣だけで拒否した。こういうことについて悪い影響を与えたということについてお認めにならないかどうか。これをもう一遍重ねてお尋ねをいたします。これは一つ率直にお答え願います。
○国務大臣(大達茂雄君) 私は、只今いろいろ申上げましたことについて、少し私の意味を取違えているようでありますから、その点をはつきりさせておきたいと思います。 私は先ほどの指揮というものが、党利党略によつてなされたものではないということを断言して申上げたのではありません。これは私の言集が足りなかつたかも知れませんが、速記録を御覧になれば、その件は明瞭であると思います。私はそういうことが、普通に政府として、これはどこの政府であつてもあるまじきことであり、あるべからざることである。苦しそれがそういうことでなされたとすれば、一番初めに申上げたように、指揮がそういう見地においてなされたとすれば、これは甚だけしからんことである。こういうふうなことは申上げました。併し私はその点については、犬養法務大臣の指揮せられたという事柄、それから副総理が参議院において答弁をせられたその言葉、それだけの事実によつて、これが党利党略のもとになされたということを断定することは私の判断においてはできないということを申上げたのであつて、私はいずれにしても、その実情は知らないのでありますから、党利党略によつてなされたということを断言する、そういうふうに思うこともできませんし、さればといつて、党利党略によつてなされたのではない、そういうことも私は断定はしておらんのであります。要するにその点は、私はわからない。又論説が書かれてあつても、この論説というものを決して私は非難をしているのではありません。非難をしているのではありません。いわんや参議院の御決議というものを非難する気持は毛頭ありません。併しそれによつて、今度の指揮というものが党利党略によつてなされたという事実を断定する資料には私はならんのじやないか。こういうことを申上げたのでありますから、この点は一つ誤解のないようにしておいて頂きたい。党利党路によつてなされてはいないということも断言しておりません。私は事実知らないのであります。又同時に党利党略によつてなされた。こういう判断に立つには、犬養君が辞職したという事件だけを採上げてこれを的確な判断の資料としてそういう結論には達し得ない。こういうことを申上げたのでありますから、その点は、殊に新聞の論説がけしからんとか、参議院の決議が当を失しているとか、そういう類なことを申上げるのではありません。この点ははつきりしておいて頂きたいと思います。 それから偏向教育につきましては、私はこの法律案は、日本の教育の現場において偏向教育が行われているという事実が見受けられる。少くともその危険があると考える私の判断において。そうしてそれが一定の計画的、組織的の意図の下においてなされているようにも見受けられる。かような認識に立つて、私がかような認識の上にこの二法案を提出したのである。こういうことはしばしば申述べているのであります。私がさような認識に立つている。こういうことを前提にしてこの法律案を提出したということは申上げてあるはずでありますから、その点もはつきり御了承を頂きたいと思います。 それからこういう汚職事件というようなものが起るということが子供の上に悪い影響を与える。これは初めに申上げましたように、私はその通りであると思います。これは誠にその通りである。かように考えております。
○栗山良夫君 私の一番最後の御質問が、たが汚職事件がいいか悪いかという問題でなくて、今世論で起きていることが、要するに十四条の発動ということがよかつたか悪かつたかということは預けましようということを私は申上げている。よかつたか悪かつたかということは預けましよう。併し今世論は、一応大新聞が書き、国会の参議院が問責案を決議したということによつて悪いことだ。こういう工合に印象付けられている。それで而もその印象付けられたことが、幼ない学童に染みわたつて来ている。そういう事実について遺憾なことであると、こういう工合にお考えにならないかということを御質問申上げた。
○国務大臣(大達茂雄君) この指揮というものが何か自分のため若しくは自分の仲間のための都合の下になされた、そういうふうに世間で受取られておるとすれば、れれは児童に対していい影響を与えるはずはありません。その点がそういうことであれば、困つたものであると、こう思います。
○栗山良夫君 大体まあしぶしぶながら御確認になつたようでございますから、まあその辺で結構でございます。 要するに私は、党利党略のために若しやればいけない、こういうふうにお答えになつたのでありますが、そういう工合に考えなくて、党利党略でなくてもいいと思います。私は内閣が善意でやつたと考えてもよろしい。その場合に苦慮でやつたことでも結果の悪いことがあります、結果の悪いことが……。だから今我々は党利党略のために行われたと、こう見ておりまするけれども、或いはそれが言葉が余り強過ぎれば、吉田内閣が政策として打出しておる重要法案を決定するために暫らく措置をとられた、こういう工合に考えてもよろしい、それからもつとへり下つて善意で吉田内閣がおやりになつたと考えても結構でございます。併しそのおやりになつた結果が学童教育に悪い影響を与える、こういう工合に現在なつておりますが、その点はまあ率直にお認めを頂きましたので、そういう工合に理解をしておきます。 そこで問題は、こういう工合になつて来たものについて、学校の教員諸君が何とかして汚職、疑獄事件というものがいいことであるというような印象を学童に与えては大変でありますから、そこで早くこれは打消さなければならん、どうしてもこれは打消さなければならん、そういう意味で学校の教室においていろいろと社会科その他の科目を通じて私は事態を明らかにするようにしておられると思います。そういう問題を学校で採上げてやるということが、あなたの只今の教育行政上からいつて好ましいとお考えになるか、好ましくないとお考えになるか、この点を伺います。
○国務大臣(大達茂雄君) 私は、汚職に必ずしも限りませんが、すべてかような社会悪というもの、それぞれの場合に新聞その他の表面に現われた満つた社会面というものが、そのときそのときに取上げられて、これを学校の子供にそのよろしくない、そういうことをしてはならんということを教えることは、これは子供の教育に必要なことであると思います。併しこれは教育のことでありますから、相手の子供の知能の発達段階というものを考えなければなりますまい。こういう現実の問題を取扱う場合には、よほどその点は教員が子供に与える影響というようなものを十分考慮して慎重なやり方でそれを扱わねばならんと思います。併しその事柄を子供にそのときそのときに起つて来る社会の暗い面というものを採上げて、子供の道義心と言いますか、或いは正義感というものを強めて行くための教育をする、これは結構なことであると思います。
○栗山良夫君 そこで、まあそのときそのときに起る社会悪の問題を教員諸君が採上げて児童に情操教育として何して行くことはよろしいと、こうおつしやつたわけでありまするが、そういたしますると、私は今具体的な疑獄、汚職の問題を話題にして、教員はそういうことを教えてよろしいかということを申上げておりまするけれども、これをだんだんと説明をしておりますると、只今のつておる三法案によつて説明をしようとすると、現在やり得る場合と、この教育二法案が通つてからとでは、この説明の仕方がなかなかむずかしいと思うんですね。特に吉田内閣の大臣の名前を出したり、或いは自由党の三役の名前を出したりしなければならん。これは非常に私は二法案が通るとむずかしい、今ならば簡単だと思います。 そこで一つ私は教育に経験がございませんので大達文部大臣から、この具体的な疑獄、汚職の問題を、今の教育二法案が通つたあと、通つたあとで学校の先生が、今あなたがおつしやつたように、将来の学童が間違つた社会行為を行わないように、今嫩葉のうちに是正をしておこうという考え方で教壇で講義をする場合には、どういう工合に講義をやつたらいいのか、一つここでお教えを願いたい。
○国務大臣(大達茂雄君) どういう工合にやつたらいいかというお言葉でありますが……。
○栗山良夫君 これは具体的に一つ……。
○国務大臣(大達茂雄君) いやそういうことは只今申上げるように、相手の子供の状態もありまして、殊に私は教育者であつた経験もありません。私は文部省として、教育行政に与かるものとして、その見地からのお答えしかできません。先ほど申上げましたようにこの取扱い方というものは十分注意してもらいたいと思います。併しいずれにいたしましても、そういうことが甚だ不都合な行為である、そういうことをしてはならんということを教えることは、これは何も差支えのない、この法律が通ろうが通るまいが、それに関係がなく差支えないことであります。その場合に閣僚の名前が出ましても、それから又党の重要な地位におる人の名前が出ましても、そのこと自体が教育上いけないことだというふうには私は思いません。ただ子供は極めて敏感でありますから、例えば今日のような段階において、まだそれぞれの責任のある方面から発表された事柄ではありません、いわんや裁判がきまつたことでもありません。要するに新聞がいろいろのことを書いておる、こういうことであります。そうしてはつきりしていることは、少くとも何人かに逮捕命令が……何とかが逮捕されたということだけは、これははつきりしたことであります。さような段階において、例えば誰がどういう悪いことをして、どういう金を幾らどこから取つた、そういうことを私は純真な子供を相手にして、これは偏向教育とか何とかいう問題じやありませんよ。普通の教育の問題としてもそういう生々しい事件、而もこれが客観的にまだ確定しておるものでもない。でありますからして、殊に人の名前を出すというようなことは、これははつきりしておれば出して無論差支えはありません、と思います。遠慮する必要は何もない。けれどもはつきりしないことで、子供に、まだ本当か嘘か、一定の調べを待つてみなければわからない、少くとも疑獄の範囲、それから容疑者の範囲というものですらもまだはつきりしない場合に、これを何も急いで子供に取上げて、その結果は誰かの名誉を毀損したり、子供に非常に深刻な印象を与えたりするようなことは、これは余ほど気を付けて慎重にやらなければならん扱い方であるということを、私が先ほど申したのはそういう意味であります。これは併しながら、この教育法案が成立してもしなくても、この問題は同じことであります。これは教員の良識に待つべきことでありまして、私がそれはそうしなければいけない、こうすべきであるということた指図したり何かする立場ではありません。それだけではいわゆる偏向的な教育、つまり正確に言うと、特定の政党を支持し又は反対するための教育ということには私はならんと思います。
○栗山良夫君 子供は非常に敏感でありますし、特に最近はラジオやテレビジヨン等を通じて敏感な子供に、更に敏速にいろんな社会現象が教育されております。これは教壇を通じないで教育されている。従つてやはり児童が一番信頼している先生を通じて教壇からやはり権威ある教育をするということが一瞬好ましいわけであります。そういう意味で私は御査問を申上げているわけであります。そこで只今大体事実は述べてもよろしい、こういうこと、確定した事実はよろしい、こういうことなんですね。従つて只今の場合は具体的に申しまするならば、佐藤検事総長は佐藤幹事長を逮捕するということを決定をした。ところが自由党のほうでは決定をしたことについて逮捕されては困るというので吉川総理大臣は犬養法務大臣をしてこういうことをさせたというようなこと、或いは犬養法務大臣がこういうことをされた、そういう工合にまあ教育をする。ところが経過だけではこれは教育になりませんので、それがよかつたか悪かつたということは言わなければならない。その場合に先生がやはり田舎の、日本も広うございますから、田舎のほうの先生はそう東京へしよつちゆう出て来ているわけには参りませんので、ラジオだとか或いは新聞等を通じて常識的に判断をして、成るほどこれは自由党のほうが少し行き過ぎである。自由党と言わなくても例えば、犬養さんは少しやり過ぎたとか、或いは古田さんは少しやり過ぎたとか、或いは更にこのことについて政党的に見るならば、社会党両党派は急先鋒になつて、これを糾弾をしている。又悪を制するに勇気をもつてやつている。自由党のほうは少し攻められて、なんとかして抜けようとしている。(笑声)こういうようなことを教壇でやつた場合には、これは偏向教育になりませんか。
○国務大臣(大達茂雄君) そこまで来るというと言い方によつては偏向教育になる場合があると思います。
○栗山良夫君 それだからこそ非常にむずかしくなる。この教育二法案が通るとむずかしくなるから、そこであなたに私はどういう工合に一体講義をしたらいいかということを提案者であるあなたに一つお開きをしておきたい。これは一つのサンプルですから、非常に結構なサンプルですから一つお聞きをしておきたい、こういうふうな、工合で申上げたのです。
○国務大臣(大達茂雄君) これはこの法律が踊ると、ということをおつしやるけれども、教室内における偏向教育というものをしてはならんということは、この法律が出て初めてきまる原則ではありません。教育基本法においてそれが、そういう基本が定められているのであります。そうしてそれはそういうことが定めている限り教員はその原則に従わなければならんのでありますから、若しその原則に違反するような教育をすれば、これはそういう教育をしたということについての職務上の責任は、その先生が負わなければならんことは当然であります。従つてこれが職務上の行政処分であるとか、或いは懲戒であるとか、そういう責任を問われる原因になり似ることも当然であります。この二法案はその限りにおいては現在の制度を何も変えてはおらんのであります。でありますから、この法律ができるできないにかかわらずこれは現在そういう問題があるわけであります。
○栗山良夫君 そうするとこれは何のためにお出しになつたのです。今まででもそのまま煙用ができるということであれば、あえてこれだけ論議を起してこれをやる必要はないので、今までで十分であろうと私は思うのですが、その点はらよつと大達文部大臣の本当のお考えというものを、もう少しお尋ねしてみないとよくわからない。そこでその点はあとに譲りますが、今申上げましたように非常にむずかしい講義のやり方になるということはおつしやつた、非常にむずかしい問題である、偏向教育の立場から見てもむずかしいことであるということはおつしやつたのでありますが、その偏向になるかならないかということを、これは判断するのは今度の法律によると、これは末端の機関で一応やることになつておる。末端のまあ校長先生が、おやりになる。とにかく末端のほうまで一々文部大臣がおやりになるわけじやない。そこでその場合に仮に社会党なら社会党議員の村ですね、村長さんも、教育委員も、村会議員も皆社会党の村だ。そういう所なら自由党は幾ら打つても偏向教育ということにならないでしよう恐らく。そういう所なら社会党が悪いことを言う、好ましくないことをやつたとしても、今の事実を思い切り教壇で教えても、いいことを教えたというので先生は褒められるでしよう。ところが今度は村長さんも、村会議員も皆自由党系の人ばかりいる、強力な支持者があるという村へ行きまするというと、自由党のことが少し悪く言われればこれは面白くありませんから、そこでああだ、こうだという工合に理窟をつけて、いや懲戒にしようとか、免職にしようということになろうと思いますね、従つて偏向教育の。政治的な中立を測るということになると、先ず秤が必要でしよう、これを判断する。その測る人が中立でなければならん、そういう人が得られるか得られないかということが問題になつて来る、先生が述べたことは事実を述べた。そしてそれを裏から見るか、表から見るか、こういうことになりまして、これは数学の式を解いても、こういう工合に変数が二つある場合に非常に答えがむずかしい、そういう工合になかなか私は簡単に答えが出ないと思うのですが、この点はどういう工合にお進めになる御予定でございましようか。
○国務大臣(大達茂雄君) 教育が偏向しているか偏向していないかというこの基準は、基本法にある特定の政党を支持し、又は反対するための教育、勿論それに該当するかしないかという、実際の事例についてそれに該当するかしないかということからきまつて来る、そういうものであろうと思います。そうしてその判断を誰がするかということになれば、その偏向教育をしたということを理由にして若し懲戒等の処分がとられるような場合においては、これはその当該の教育委員会において判断をするだろうと思います。その場合に成るほどその教育委員会の人が社会党の人ばかりいるというときには、社会党のほうに偏つた教育、或いは自由党に反対させるような教育ということをやつても実際は余り誉められん。それから自由党の人ばかりいるような所に行くと同じようなことでも又違つて来る。こういうことは事実としては私はあり得ることと思います。併しながら党籍があれば当然自分のほうの党の考えばかりをやつて行つて、法律に違反しておろうともそういうものだというものでは私はないと思います。そういうことになつては私はならんと思うのであります。併し実際としてはそういうこともありましようけれども、当然にそうなるにきまつておる、そういうものではありません。そういうものがあるとすれば、これは神足の政党に政局を担当させるということが変なことになつてしまう、万事その政党の利害から割出して政治が行われる、当然にそうであるとは私は思いませんが、伴う事実上はそういう場合はありましよう。そういうときには、それぞれの教育委員会において、これが懲戒の場合であれば教育委員会が判断をする、こういうことになります。それからこの法律案が成立をいたしまして、かような教育を教唆扇動するものが処罰されるということになれば、これは最後的にはそれぞれの裁判所において判断をする、こういうことになろうと思います。
○栗山良夫君 まあ私どもは裁判所において最終決定を司法的に仰ぐ、そういつたような突きつめたところまで問題を預けて、そうして行政を行うというようなことは、これは私いい政治だとは思いません。従つてそういうことを問題のターミナルとしてお考えになるということは、これは私は賢明なる文部大臣としてはおとりにならないはうがよかろう。やはりそういうことでなくて、日々起きて来ることを半ば常識的にでも円満裡に問題を解決をして行くべきではないか、この程度のやはり進み方のほうがよくはないか。これは私の意見ですけれども、申上げておきます。 そこで重ねて伺つておきますが、特定の政党を支持するとかしないとかいう問題でありますが、これは選挙等になりまして、そうして今度は自由党に勝たせたい、或いは社会党に勝たせたい、こういうことでやる場合は、これは別です。これは又別な御論議をしなければなりませんが、そうでなくて、今のような具体的に社会人としても、これはやはり糾弾しなければならないというような問題が起きて来た、これを放つておけば義務教育の、熱心な教育を受けている学童諸君に悪い影響を与える、そういうような問題が起きて来たときに、日々報道されて来る新聞、ラジオその他のニュースを元にして先生がたが噛み砕いて事実として非難すべきものは非難し、褒めるべきものは褒めて、そうして教育をして行く、事実を教育して行く、そういうことはこれは差支えないのですか。その点をはつきり伺つておきます。これは特定の政党を支持するというような目的でやるわけではありませんけれども、そうでなくて、事実起きて来ることについて、これはやらざるを得ない。そういうことをしない私は先生であつたら先生をやめてもらつたほうがいいと思いますが、それはやらないというのか、そういうことをやつてよろしいかどうか。間接にこれは特定の政党を支持したり、或いは攻撃したりすることになるかも知れません。なるかも知れませんが、直接そういうものではない。そういうことはよろしいかどうか。
○国務大臣(大達茂雄君) 教室内において現実の問題を採上げる場合には、事実を言わなければならん。これはまあ当然のことであります。嘘を元にして教える、これは偏向云々の問題について極めて不適当な問題でありまして、事実を教えるということは、これはもう前提であります。併し事実を教える場合におきましてもやはり偏向というか、一党一派に非常に偏つた教育をすることはとめられておる、こういうふうに私は解釈をしております。でありますからして、そういう事実を事実であるからして差支えないのだということは、これは偏向教育の問題とは関係ないのでありまして、学校の教育というものはすべて事実無恥なことを基礎にして行われないことは、これはまあすべての教育の場合当然ではないか。不適当だと思います。事実について教えても、それが一党一派を支持させるような教育になる場合には、これはいわゆる基本法の八条の二項によつて遠慮しなければならん教育だと、こういうふうに私は思つております。仮に先生が一党一派に偏するという、つまり子供をその党のほうへ引き付けようという先生の意思がなくても、その教育の内容がそういう実質を持つていれば、それはやはりその意味で一方的な偏向教育になつて来る。それは教育をしてはいけない教育だ、こういうふうに考えております。要するにこの八条の三項の本旨とするところは、子供に特定の政党を支持させるとか支持させないとか、そういう教室を利用しての党勢力の拡張、こういうことを瞑目にしておるのでは私はないと思つております。飽くまでも問題は教育でありますから、子供がその政治的教養を高めて、大きくなつてから政治的な自分の判断、自分の途を進む、ための判断力、批判力を養うような、そういう教育をすべきに当つて、一方的な政治的な考え方、一方的な政治的な主張だけを故意に植付ける、そういう教育がいけない。つまり教育としての問題でありまして、直接に党勢力の拡張とか縮小とかいう問題ではありません。従つて、そういう意味において、仮に先生にその目的がなくても、その教育自身がそういう方向に子供に強いて先入観を与えるような教育であつてはならん、こういうふうに私は思います。
○栗山良夫君 只今のことは、事実は述べてよろしい。事実は述べてよろしいが、その事実を述べて教えるときに一党一派に偏してはいけない、こういう工合におつしやる。私は今直接に政党を支持云々は私は問題外にしておりますから、これは間接的な影響のときを申上げておる。その場合に仮に文部大臣そうおつしやつても、起きておる事実が残念ながら一党一派に偏せざるを得ないような事実であつたときに、それを一党一派に偏しないように教えるということは、これはやはり事実と相反することを教えることになりはしませんか。これは非常に私は今大達文部大臣の言われたことは、言葉では成り立つけれども、実行してみると不可能に近いことになる。例えば今の汚職疑獄の問題でも、これを学童の前へ立つて述べるときに、この事実を述べて御覧なさい。なんと言つたつて自由党が悪者になることは、これははつきりしている。これははつきりしていますよ。若し御否定になるならもう少し御論議しますが、若し御否定にならなければ自由党が悪いことになる。例えば私は昨日も、これは関西の或るところへ演説会に行きました。約六千人が入つた、会場へ。これはあなたの党の有力な幹部の非常に熱心な支持者のあるところ。普通の選挙演説なんかへ行きまして、そこで自由党の攻撃でもやろうものならば、特に有力な人の名前でも挙げようなら、会場の混乱するような攻撃が起きて、これは熱心な自由党の支持者です。その六千人の会場のところで疑獄事件を報告しますと、水を打つたようにびいつと来た。そうして私どもが労働組合の大会へでも行つて演説するように吉田内閣の退陣を最後にやれば割れるような拍手、誰一人反対するものがないということを見れば、これは事実をそのまま汚職事件を先生が教壇で子供に教えれば、これは自由党に悪くなるにきまつている。そういうことはやつてはいけない。こういうことをおつしやる。そうすると、あなたの抽象的にお述べになつたことを事実演壇において先生がやろうとすると不可能になる。ですから、この点は一つ重要なことですから明らかにしておいて頂きたい。今たまたま例……。
○国務大臣(大達茂雄君) そういう事実を子供に事実として知らせる。まあ教室内において、今日の程度において、事実としてどれだけ子供に教える資料があるか、これは別論であります。併し事実を教えるということが、まあ自由党が今の場合は損をする。それは損をするかも知れません。それは私は差支えないと思います。自由党がその結果損をしても、理論上自由党に反対させるような教育というものはこれは別であろうと思います。それは。
○栗山良夫君 それは学童教育をするときに、仮に自由党の悪口を言つてみたところで、これは選挙で一票になるわけじやありませんし、それは何もそう大して問題になることでない。ただそういう社会的な悪というものをとにかく正して行こうということで事実を述べると、結果において自由党さんの気に入らないことになつてしまうと、こういうことなんです。そういうことでもやつてよろしいかどうかということを申上げておる。それがこの教育二法案ができ上るとやつちやいけないとおつしやるのか、それもやつてもいいとおつしやるのか、それをお聞きしているんです。
○国務大臣(大達茂雄君) 私はやつてもいいとか悪いとかということを別にして、そういうことが、今或る政党のどの政党が、例えば今日の場合、あなたに言わせると自由党が損をするというようなことがあつても、それが偏向教育になるとは思いません。それならばそういうことを大いに子供に教えてやつたほうがいいか悪いか、これは偏向教育の問題と別にして、学校教育のあり方としてそういうことは大いに教えてやらなければいかんということになると、私はこれは私自身の見解でありますが、そういうことは余り望ましいこととは思いません。(笑声)今お話になるように、もう学校の先生が教えてやらんでも、ラジオや新聞で以てどんどんいろいろなことが子供の耳に入る、これは純真な子供には相当深い印象を与え、影響を与えると私は思います。その場合に、仮に学校の先生が子供のそういう予備知識、つまり新聞、ラジオ等による予備知識によつて質問等があつて、先生この問題はどうでありますかと、こういうふうに聞かれたような場合には、私はそういうことが人間として汚職というようなことは恥ずべき行為であり、又それが政治を腐敗させる因になることである、そういうことをすべきものではないんだという、この道義的な考え方を強く子供に植えつけることは私は誠に結構なことだと思います。併し子供に現実の生々しいことを言わんでもいいことまで言うて、つまり言わんでもいいことまで言うてということになると、取りようによると変ですけれども、つまり又誰かが逮捕されたとか、これは容疑のために、取調べのために逮捕するのでありましよう。結局こういうことは本当に破廉恥なことが行われたかどうかということは、これは今日ではまだ即断すべき時期ではありません。そういうことを子供に事実なりとして無茶苦茶に教えるよりは、それは子供はあらかじめ知つているんだから、だからそういうことは悪いことであるということを強く言うことは結構である。併し同時にまあその取扱いというものに気を付けて、そうして子供が悪を憎んで正義を愛するという気持を涵養されると同時に、ただ子供に現実の社会に現われた、これはいろいろな関係で新聞も報道し、又政治上の論議にもなるのでありますから、これをそのまま子供に教え込むことが教育上適当であるかどうかということになると、私はそこに疑問はあると思います。けれども、それが偏向した教育であるかないかということになれば、必ずしも偏向した教育とは思いません。例えばこういうことをするから自由党というものは不都合な政党である、ここまで来ればこれは偏向教育であります、私はそうであります。第一その事柄がこれは真実ではありません。自由党といえども、あなた方から御覧になればどういうことであるか知りませんが、自由党といえども汚職を方針としているわけではありません。(笑声)自由党の中にできの悪い人があるかないかわからんが、裁判した結果でそういう人があるかも知れん、こういうことであつて、それができたから自由党は不都合であるということはこれは言い過ぎであります。これは飛躍であると思います。そういうことを子供に教えるべきでない、そういうことを言えばこれは偏向教育に私はなると思います。だから自由党はいけない、だから社会党はいいんだ、これは偏向教育であると思うし、又仮に偏向教育であつてもなくても、そういう要らんことを子供に教えるべきものでないと思います。先生はやはりその点は純真な子供に与える影響というものを考えて、余ほど慎重に、要は子供の正義心、道義心を高めて行く、こういう観点から教えるべきものであつて、そうやたらと世間の雑音を子供に取次いで行くべきものでないと私は思います。
○栗山良夫君 要らんことをしやべつたり教えたりするとおつしやいますけれども、これは今の自由党の立場は、たまたまそれは汚職を方針としてはおられんでしようけれども、(笑声)とにかく風当りが強くなつております。そこで要らんこととおつしやいますが、これは要ることだと考えておる人もたくさんいるわけです。そう見解の相違が出来るので非常にむずかしいんですが、最近は大臣も御承知のように、学校では新聞を読め読めというので新聞を読ませることがはやつております。その場合に、例えば論説なら論説を読んで、その論説にも吉田内閣けしからんとはつきり書いてある。先生が新聞を持つて来て、この新聞に吉田内閣けしからん、犬養さんけしからんと書いてある、こういう工合に新聞で教える、或いは生徒から質問が起きればその解説をする、こういうことになるので、今おつしやつたように、要らんことをしやべるから偏向教育になるとおつしやるけれども、これは今教育を丁寧に、熱心にやろう思うと、たまたま今私が出しておる具体例が悪いから大変お気に障るんですけれども、これはやはりやむを得ないことじやないかと私は考えるんですが、だからこそ今申上げたように、事実を元に教育するということになると、嘘を言つちやいけない、新聞に出ないことを、新聞に出たと言つて述べる、これはよろしくないけれども、少くとも相当な権威ある資料というものを尤に教育する、又そういう実地教育をすることに今の方針はなつているわけです。昔のように恐らく実地教育を離れたようにはなつておらん、そこで非常にむずかしかろうという心配をして申上げておるわけです。又例えば最近問題になつている水素爆弾の問題にいたしましても、これはもうとにかくああいうものはやめてもらいたい、実験などをやめてもらいたいというのは国民の声である。学童もそう考えておる。ところが岡崎さんはこれに対して、いや演習をやつてもよろしい、アメリカに協力すると、こうおつしやる。こういうことになると、私はやはり事実としてこれは述べなければならん。そういうときにこれはやはり偏向教育だと言われたんでは教育のやりようがない。そこで私は選挙のときのような、特定の政党を支持する運動のときのことは申上げておりませんが、事実でいろいろ教育をして行く場合に、特定の政党を間接的に、結果論的にそういう工合になつてしまう、こういう場合は又やむを得ないんじやないかということを申上げているんです。それでそのことを私はお伺いしているんです。
○国務大臣(大達茂雄君) 私は事実に基いて教えることが別に悪いということは言いません。これは必ずしもいいと言えるとも限らんと思いますが、併し先ほどから申上げましたのは、それでお断りをしておきましたが、私として社会に現われる事実を題材として教育する場合には、余ほど慎重に子供の先々の、立派な人間として成長させたい、こういう気持で扱つてもらうことが適当であろう、こういうことを言うたんです。それが望ましくないというようなことを言いましたのは、それがすぐいわゆる偏向教育になるということを申上げたのではない。偏向教育になるかならんかということは、偏えに基本法にあるところの「特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育」ということに該当するかどうかという物差で測つて行くよりほかはないのであります。でありますからそういう事実について教える場合につきましても、その物差にはまると考えれば、これは一方的な偏向教育である。その物差にはまらない場合にはいわゆる偏向教育ということは言えない。併し偏向教育でない教育ならばもう一切合財望ましいものであるかといえば、私はそうは行かい、これは私の考えであります。その場合においても、こういうふうに教えたほうがいいと思い、或いは又子供にそういう刺激の強いことは言わんはうがいいと思うということが、それはそれぞれの先生の良識と判断に待つのほかはない。私の希望としては、子供の先々成長のことを考えて、道義感に燃える正義観の強い立派な人間に仕立てる、こういう見地からそういうその時々の社会に現われる事実についても、そういう見地から教育されることが望ましい、こういつておるのでありまして、必ずしも偏向云々の問題ではありません。
○栗山良夫君 私はまあ一人で長時間に亘りましたからこの辺で一応文部大臣に対する質問は終りたいと思いますが、ただ私がなぜこれほどまでにくどくどと文部大臣に御質問申上げたかと申しまするというと、この教育二法案が国会の論議の的になりましてから、大勢の教員諸君の中には政党を支持する、支持しない、そういうような政治活動的なものは別として、少くとも教壇において時局の問題は成るべく扱わないようにしよう、触らぬ神に崇りなし、こういう傾向が見えて参りまして、これは私は日本の教育上非常に重要な問題だと考える。若しその時局の問題を扱えないような教育であれば、それは曽つてその戦争前の教育といささかも変りない。そういう点で私は非常に心配をして、文部大臣というものは本当にどういうことをお考えになつておるかということをお尋ねしたかつたからです。今あなたのお話を伺つておりまするというと、大体時局の問題については事実を教壇で述べることについては一向差支えない、こういうお話のようであります。間接的に若干差障りができても、事実の問題であれば差支えない、こういうようなお話でありまするから、これは一つ文部大臣としては法律案の只今審議の過程ではありまするが、これは全国の恐らく教員諸君の中にはそういう動揺が来ておると思います。従つて文部省において然るべく、余りにも教員諸君が萎縮して行過ぎて、新らしい教育の方針を曲げるような教育が行われることは遺憾でありまするから、適当なとにかく措置を文部大臣としてとられる御用意があるかどうか、これを伺つておきたい。
○国務大臣(大達茂雄君) 私は事実を教えるならば何でも差支えないというふうには申上げません。事実でないことを前提とし、基礎として子供に教える、これは問題になりません。子供に嘘を教えてはいけない。併し事実について、これはすべての教育というものはこれは事実を基礎にして行われるものであると思います。その場合においてもそれが一方に偏つた偏向教育になる場合には、これは基本法によつて慎しんでもらわなければならない。又事実について教えていわゆる偏向教育にならんものにつきましても、その事実についてこれを教材として子供に教えるということは、子供が社会の実相をよく把握して、そうして政治的な批判力、判断力を養なう、要するに良識ある公民たるに必要なる政治的教養を与える、こういうことが本旨でありますから、この本旨に副うような教育をされることを希望するのでありますからして、決して私は萎縮した教育を望ましいとは思いません。併しながら今の意味から見て、ただ事実を教えればいいということでなしに、子供の理解力、子供の判断力又子供の正義感、こういうものを養つて行くという観点でその生きた材料を取扱うようにされることが望ましい、こういうふうに言つたのであります。
○栗山良夫君 先ほど私大分時間を使つて御質問申上げて私が理解しておつたことを、又今少しく打消しなさつたのですが、私は先ほど、速記録を御覧頂ければわかりますが、こういうことをお尋ねいたしました。事実を述べて行く場合にそれが結果的に一党一派に偏するようなことになつても止むを得ないではないか、こういう御質問をいたしましたところ、あなたは最初は否定しておられましたけれども、途中から事実、例えば汚職事件のような工合に事実をだんだん述べていくと、そういう工合になることも又止むを得ない、こういう工合に確かにおつしやつたはずです。而もその場合に、事実というものはこれはいろいろ問題がありするが、その事実は捏造されたものではない、少くとも国内において権威ある人々が一応扱うようなそういう資料を基にしての事実を教えて見ることについては差支えない、こういう工合におつしやつたように私は覚えている。従つてそういう意味で私は問題を理解し、私の質問を只今終ろうと、こういう工合に考えておつたわけなんです。そこのところはちよつと私は元へ戻つて行きましたので……。
○国務大臣(大達茂雄君) 私の申上げ方が足りなかつたかも知れません。先ほどのお尋ねの場合にこの汚職に関する事実を子供に教える、教えるというよりもまあ話をして行く、そういう場合には自由党がどうしても損をすることになる。こういうふうな意味のお尋ねに対して、その場合自由党が損をしても社会党が得をしても、それは何ら偏向教育とか何とかいうことにはならん、その限りにおいては差支えないと、こういうことを言つていたのです。私の言う偏向教育の解釈はそれよりも、損をするとか得をするとかいうことほど私大分時間を使つて御質問申上げて私が理解しておつたことを、又今よりも、もつと解釈の範囲が厳格に狭い。つまり自由党を、特定政党を支持し、又は反対するための教育ということは、ただどうも自由党というものは面白くないというような感じを与えるとかいうような、この批判の対象になるという程度ではないのでありまして、もう絶対に自由党というものはそういうものなら絶対に入らん、あそこには入らんというような、それが反対させるための教育、それからそういうことであればもう共産党以外にはいい政党はないんだ、こういうのが支持し、又は反対するための教育、こういうふうに私はその場合は厳格に解釈をしております。ただ具体的の事例或いは個々の政策について話をした場合に、それがどこの政党には損になり、どこの政党にはそれが得になる、つまり人気の上で損得になるという程度のことでは、私はだから先ほど申上げましたが、事実それがために自由党が損をするということはいいが、併しこういうことをするから自由党はけしからん、自由党なんというものは不都合だ、ここまで来れば自由党に否応なしに反対させる教育である。その場合は私は一方的である、偏向教育であるというふうに申上げた。その場合にどうしても自由党は損をする、損をするがいいかということでありますが、それは損をするとか得をするとかいうようなことならば差支えない、教育の面で禁止する規定はない、それはそれぞれの教員の良識によつて子供のためになる教育をされることを希望する、こういう意味で申上げたので、そこはちよつと言葉が足りなかつたかも知れませんので申上げておきます。
○栗山良夫君 私は質問を打切りますが、労働大臣のほうはどういうことになりましたか。
○委員長(川村松助君) 今通知が来ましたが、盛んに今向うの委員会に出て質疑応答しておられますから。 ちよつと速記をとめて。 〔速記中止〕
○委員長(川村松助君) 速記を始めて。
○阿具根登君 私は関連してちよつとお伺いしたいと思うのですが、どうも大達文部大臣の話を聞いておればますますわからんようになるのです。例えば偏向教育でも自由党は絶対駄目だ、共産党でなからねばできない。こういうはつきりしたことだというようなことを言つておられるかと思うと、その半面今度は自由党の悪口は言つてはいけないというようなことを言つておられる。 〔委員長退席、労働委員長栗山良夫君着席〕 それで私は問題になると思うのは、文部大臣は自分が今こういう法案を出しておられるから成るべく通りやすいように、成るべくむちやしないのだというような解釈をこれに下しておられる。併しその法案には全然そういうことはなつておらない。例えば偏向教育というものを一つ取上げるならば、憲法の問題を取上げて、恐らくこれは義務教育でも中学校あたりではこういう問題が出て来ると思うのです。そうすれば憲法でも再軍備の問題、こういう問題を取上げて来られて、戦車が通つて来た、ところがこれは今の言葉ではあれは戦車じやりあません、特車です。あれは戦車じやありません。これは戦争の役に使うのではありません、兵隊さんが持つのじやありません、そばにくつついておるのは兵隊さんでもありませんと、こう言えば、文部大臣は御機嫌がいいでしよう。ところが逆に我々から見れば、これは偏向教育だと私は思う。偏向だと思うのですよ。立派な兵隊さんが来ておるのに、あれは兵隊さんじやありません。昔は戦車であつたけれども、今は戦車じやありませんというのは、こういうことは嘘だと思うのですよ。そういうことから考えて文部大臣自身が物差を持つておらないと私は思うのです。物差を持つておると言われるけれども、先ほどの栗山委員長の質問に関連して来ますが、この教育委員会なるものは或る意味で裁判所である、検察庁である。こういうような、或る意味の姿を持つておると思うのです。ところが先ほどのように同じことを言つて同じことをしておる。片一方ではこれは罰則の申請をされておる、片一方では当り前だと、こういうようなことになつておるとするなら、その物差というものはどういうきめ方をされるのか。どういう物差であるのか。それをはつきりしてもらいたいと思うのです。
○国務大臣(大達茂雄君) この法案について申上げますと、この、御承知の通り教育の中立確保に関する法律案というものは衆議院で修正になつております。原案は三条に一項と三項というものを付けてあつた。そこで三条一項に書いてあるのは「特定の政党等を支持させ、又はこれに反対させる教育」こういう字を使つてあつたのであります。そしてその場合にこれを、これは罰則を以て規制される行為でありますから、無論拡張解釈は許されるべきものでない。厳重に、いやしくも拡張をしないで解釈しなければならない。狭く解釈するということになります。そこでこの支持させ、又は反対させる教育ということを狭く解釈する場合には、特定の政党の名前を出してそれではつきりとこの政党を支持させる教育、反対させる教育、こういうことになれば、これは典型的な場合であります。併しそれだけではいわゆる偏向教育の是正にはならない。そこでこの支持させ、反対させる教育という言葉の中には、特定政党を支持、又は反対させる、反対するに至らしめるに足りる教育と、こういう場合もこのうちには含まれておるのだということを二項に断り書を付けたわけであります。その意味はたとえ政党の名前をはつきり打出さなくとも、その教育の内容が子供に特定の政党を支持、又は反対させるような先入感、それを与えてその実態を子供に把握させて、そして子供に政党の意識というものが頭に入つて来た場合には、自然にそれに結付くようなそういう教育というものもこれに含むのだということを原案には書いたわけであります。それが衆議院において修正になつて、二項が削られて、そして一項の中に「ための」という字が入つた。支持させ、反対させるための教育、それで私どもとしてはこの二項が削られましたけれども、この「ための」という字が入つたために、二項とができたと、かように私どもとしては解釈しております。そこでこれはいわゆる教育基本法の八条の二項に書いてあると大体同じ書き方になつたわけであります。もともとが教育の中立性の問題は八条の二項が元になつておりますから、その書き方と同じ書き方に戻つて来たわけです。そこでこの「ための教育」ということはどういうことであるかということを言うと、特定の政党を支持させ、又は反対させるような先入感、素地を子供の頭に、頭脳に印して、印象付けて、そして自然に子供の頭をその一方の政党にのみ傾くようなふうに、子供の頭をそういうふうにさせる、そういう教育、つまり大きくなつたら、つまり一般の政治的な批判力、判断力というものが、それで阻害をさせて、極く一方的な頭に子供をしてしまうような、特定の政党というものに固まらせてしまうような教育、こういうように私どもは解釈しております。でありますからして、普通の場合において個々の政党のそのときそのときに掲げるところの政策であるとか、それの当否を子供に教えて聞かせる、或いは又そのときそのときにおける政党の党としての行動、或いは党員の、只今のような党員の動静と言いますか、様子というか、あり方というか、そういうことを教えたからといつてそれが否応なしにその党に結付くような教育だとは私どもとしては解釈しておりません。これは教育の問題ですからそのときそのときで、例えば自由党がどういう政策をとつたとか、或いは再軍備の問題なら再軍備の問題として改進党は再軍備をするということをに規定する場合はこれをカバーすることができた、かように私どもとしては解釈しております。そこでこれはいわゆる教育基本法の八条の二項に書いてあるとだいたい同じ書き方になつたわけであります。元々が教育の中立性の問題は八条の二項が元になつておりますから、その書き方と同じ書き方に戻つて来たわけです。そこでこの「ための教育」ということはどういうことであるかということを言うと、特定の政党を支持させ、又は反対させるような先入観、素地を子供の頭に、頭脳に印して、印象づけて、そして自然に子供の頭をその一方の政党にのみ傾くようなふうに、子供の頭をそういうふうにさせる、そういう教育、つまり大きくなつたら、つまり一般の政治的な批判力、判断力というものが、それで阻害をさせて、極く一方的な頭に子供をしてしまうような、特定の政党というものに固まらせてしまうような教育、こういうように私どもは解釈しております。でありますからして、普通の場合において個々の政党のそのときそのときに掲げるところの政策であるとか、それの当否を子供に教えて聞かせる、或いは又そのときそのおきにおける政党の党としての行動、或いは党員の、只今のような党員の動静と言いますか、様子というか、あり方というか、そういうことを教えたからといつてそれが否応なしにその党に結付くような教育だとは私どもとしては解釈しておりません。これは教育の問題ですからそのときそのときで、例えば自由党がどういう政策をとつたとか、或いは再軍備の問題なら再軍備の問題として改進党は再軍備をするということを言つておる。社会党ではそれは反対しておる。こういうようなことをそのときに言つても或いは先生の意見として軍備をしたほうがいい、しないほうがいい、こういうことを言つても、それがすぐ再軍備に仮に賛成だからといつてすぐ改進党にどうでもこうでも入らなけりやならんという性質のものではありません。ただ政党のよつて立つものの性格と言いますか、基盤というものを子供に与えて行く。子供の場合でも一般の人でもそうでありますが、そうしてその政党の他の政党と比べて全く特徴付けられている本質的なものを子供に教え込む場合には、これは特定政党を支持させる教育ということになるけれども、個々の場合の政党の動き或いは政策、そういうものについて論議をするようなことをしても、それがすぐその政党に入るとか入らんとかいう問題にはならないものでありますから、そこでそういうふうなものはいわゆる偏向教育とは考えられない。本質的にその政党と結付くような教育をする場合がいわゆる偏向教育である。若しくははつきりとその政党の名前を出してこの政党でなければいけない。理屈を言わなくても、子供ですから理窟を言わない場合もあります、ほかの政党はみないけない、この政党でなければいけないと、こういうようにはつきりしたことをする、これは偏向教育になる。そういうはつきりした言い方をしないで、実質的にその政党でなければならんというふうな教育が、これが偏向教育、こういうふうに解釈しております。そこで先ほど来のことはその見地で申上げたものですから、そこでこれをお聞きになつて個々の場合の問題と本質的な問題との間に私どもの頭で申上げて、或いは、御了解頂けなかつた点があつたのではないかと、こう思つております。
○阿具根登君 只今おつしやつたのもやはり二色おつしやつておるわけですね。例えばこの政党でなければできない、なお否定して、社会党でなければできない、ほかの政党は駄目だと、こういう教育をしてはいかないのだと、こういうことをおつしやる。ところがそれはそういう実例があつたかと言うとそれは殆んどない。ないでしよう。ないとするならばそれならそれまでの段階はその人々の尺度になつて来るわけです。例えば再軍備一つ言つても、汚職一つ言つてもこれはとり方によつては偏向教育になるでしよう。私は片一方のことだけ言つているわけではないのですよ。あなたがたの言つておるようなことを言えば、我々から見ればそれは偏向教育だと言えないことはないのです、これでは。それだから私が言つておるのはあなたの尺度はどこにあるのか。例えば今のままで行けば、部落々々で徳川時代の鎖国的なことが行われて行く。同じことをやつて同じことを言つて、この人は教唆扇動の罪によつて一年幾らの懲役を食つた。三万円以下の罰金を食つた。片一方はそれが当り前だということになつて来るのです。それに対してどういうお考えを持つておられるか。尺度というものははつきりあるはずだ。それは検察庁的なそういう性格を持つており、そういう権限を持つておるとするならば、それに対する尺度がちやんとあるはずだ。それを聞いておる。
○国務大臣(大達茂雄君) その尺度は只今申上げました法文によつてきまつておるわけです。法律の文句によつてその解釈として規定さるべき問題であると思います。尺度というものは。
○阿具根登君 それは基本法のことを言つておられると思うのですが、刑事罰はついておりません。それをなぜ、それではこういう刑事罰まで持つて来て、それを行為した本人は罰せられず、教唆扇動をした人だけ罰せられる。刑事罰である。こういう法律がほかにあるかどうか、私はこういう点は非常に素人でわかりませんけれども、特にこうした意味はそれは何かありますか。
○国務大臣(大達茂雄君) これは、ですから先ほど申上げたように、偏向教育をしてはならんということは基本法に書いてある。そうしてそういう教育をした場合には、これは職務上の問題でありますから、職務上の義務に違反したものとして懲戒その他の行政処分の対象となる。偏向教育というものが現実の問題としてそれがない、これが十分に守られておるということであれば、この法律案を提出する必要は何にもないのであります。 〔委員長代理栗山良夫君退席、委員長着席〕 なぜなれば、学校における教育の中立性を確保するための目的としてこの二法案は提出されたのでありますから、現状これが確保されておるということであれば、その必要がないことは明瞭であります。ただ、現在においては遺憾ながらそれが確保されていないという認識を私は持つておる。だからその認識を基礎として、そうしてこの基本法の精神が確保されるようにしたい、こういう考え方でこの法律案を提出したのであります。つまり、現在の規定では遺憾ながらこれが十分に守られておらん、そういう認識に立つておるわけであります。
○阿具根登君 先ほどもそういうことをお聞きしたのですが、文部大臣は、勿論これを出される以上、そういう偏向教育がなされておるという確信の下に出しておられると思うのです。ところが公述人の意見を聞いて見たり、或いは実際人の話を聞いて見ても、そういう偏向はあつておらない、こういうことも私たちは聞いておる。私が今ここで申上げておるのは、例えば福岡県では戦車は戦車でなけらねばいけないという教育がなされておる。これは教育委員会がそれを認めておる。ところが佐賀県では、それが特車である、こういうことによつてはつきり違つたやつが日本の国の中で幾つもこれはできて来る心配があると思う。そうでしよう。教育委員会の性格というものは、教育委員会は、その人たちが、人事権を持つておる。こういう処罰権も請求権も持つて来ると非常に強力な力になつて来る。そうなれば、先ほど栗山委員長が言つたように、今度は社会党系の強い人がなれば別個の問題が生れて来る。自由党系の人がなると別個の問題が生れて来る。片一方は非常に右のことを言つておる。片一方はまるで反対のことを言つておる。こういうことが生れて来るというわけなんです。その点どういうふうにお考えになりますか。
○国務大臣(大達茂雄君) これは教育委員会というものが学校の教育についての責任を持つておりますから、それでそれぞれの地域において教育委員会の判断に待たなければならん。又その責任においてなさるべきものである。これは現在の法制の建て方であります。これを全国画一的にするということの当否はおのずから私は別論であろうと思うのです。そこで、今度の法律におきましては、甲の教育委員会ではこういう教唆扇動は罪として請求をしない、乙の教育委員会では請求をするこういうまちまちの問題が起る。これが一つの文部委員会において問題になつておる点であります。併し、それはそれぞれの権限を持つ教育委員会でやる限り、私は別に不思議なことではない。これが全国一定一律にならなければならんとは実は私は考えていないのであります。教育委員会がその請求をしない場合にも、教育委員会の考えで、その与えられた教育が偏向していない、こういう見地に立つて、罪が成立しないからこれは請求をしない、こういう考えで請求しない場合もありましよう。又教唆扇動という事実がないという点から、或いはその事実は教唆扇動に該当しないという見地から請求をしない場合もありましよう。併し、それが教唆扇動であり、且つその内容が偏向教育であるということを考えた場合にも、その教育委員会の見るところによつて、これは必ずしも罪としてこれを訴追をしてもらうことを請求する必要はないと思えばそれでやめる場合もありましよう。実害がない、その学校においては何らその教唆扇動によつて影響を受けておらん、だからこういうものはあつてもなくても、それをわざわざ請求する必要ないと思えばそれは請求しないでありましよう。それから乙の教育委員会では、もうそういう教唆扇動を頻繁に行われて誠に迷惑だ、だからその訴追を請求すると、こういう場合もありましよう。それはそれぞれの場合々々によつて違うことでありまして、その場合に、それが全国一律にならなければならんとは私は思わないのであります。これは、いやしくも法を犯す者があれば草の根を分けても必ず罰せなければならんというようには私は考えてはおらん。その実情に応じて処置されるべきものである。であればこそこれを教育委員会の請求に待つということにしたのであります。それが私どもとしては当を得た方法である、一律になる必要はない、こういうふうに考えておるわけであります。
○吉田法晴君 先ほど大達文部大臣の答弁を聞いておりますと、非常に重要な答弁が幾つもございますが、そこでこの中立確保に関する法律案の第三条に関することはあとで実は質問しようと思つておりましたが、出て参りましたから、関連する限りにおいて質問をいたして置きたいと思うのでございます。第一点は、先ほどの答弁の中に、第三条の二項は削られたが、「反対させるための」という「ための」という文句が入つておる。その「ための」という文句は教育基本法にある言葉であるが、その意味は、削られた二項と同じ意味である。「支持し、又はこれに反対するに至らしめるに足りる教育」、こういう言葉と同じであるという解釈をしておるが、そういうことでありまするか。それが一つ。それからもう一つ、これはちよつと前に遡りますけれども、第三条には「特定の政党その他の政治的団体の政治的勢力の伸長又は減退に資する目的をもつて」と書いてございますが、その「目的をもつて」ということも、条文を読んで参りますと、私どもの常識では、これも構成要件の一つになつておると考えられますが、先ほど文部大臣は、意思を要しない、特定の政党或いは政治団体を利する、或いは法文によりますと、政治的勢力の伸長又は減退に資する意思を要しない、或いは目的は要らないという言葉もあろうかと思いますが、少くとも、はつきり意思を要しないと、かように答弁をされましたが、そういうことでありまするかどうか、それから栗山委員長なり、或いは阿具根君が打聞いたしました際に、例えば汚職の問題、事実を述べて、その場合は自由党の名前も出て来るだろう、或いは社会党の名前も出て来るだろう、これは汚職或いは逮捕請求、或いは参議院で問責決議、これらに関連して憲法上参議院が不信任決議ができるとかできんとか、或いは検察庁法の第十四条というものは、検察庁の機能としてこういうことが建前になつておるのだ云々、こういう話も出て参りましようし、自由党或いは改進党、社会党といつたようなことも出て来ましよう。或いは保守勢力或いは革新勢力という言葉も出て参りましよう。事実を述べることはいい、差支えないと言われたが、併し事実を述べたあとで、政党の名前を挙げて、その政党に損得という言葉も言われましたが、損になる、或いは得になる、法文の言葉で言いますと、「伸長又は減退に資する」かどうか、こういう問題が起つて参りますが、その際にここまではいいのだ、或いはそれから先は偏向教育になる、こう偏向教育の判断が文部大臣においては一応明らかなようでございますけれども、聞いておりましてこれは栗山委員長もそうでありましようし、我々もその限界が極めて不明確であります。そこで物差があるかという質問を阿具根君がしたのでありますが、そういう限界は、これは文部大臣、言い換えれば行政権の判断によつてのみきまるのだ。この判断をする者は、問題は法文の解釈を論議しておりますけれども、法文の解釈というものを、文部大臣の一個の点児だけで法文解釈ができると考えておられるのかどうか。 それから第四点は、各地方委員会によつて意見が分れる。それも議論の中にありましたような身分上の地位を奪うかどうか、こういう行政措置ならば別問題でありますが、問題は第三条違反は刑罰を以て臨むというのでありますからして決して行政処分ではありません。そこで罪刑法定主義という問題が起つて参りますが、あすこでは処分すべきものと考える、或いはここでは処分さるべきに十分でない、こういう判断がされるということが明らかになりましたから、そういたしますと、この法文の解釈というものは、これはあいまいである。刑罰を以て臨むには第三条は解釈が極めて区々になる。刑罰の構成要件として極めてあいまいであるという点をお認めになつたのかどうか。関連するその四点だけ一つ明らかにして頂きたいと思います。
○国務大臣(大達茂雄君) お答えいたします。第一の御質問は「ための教育」というふうな字句が挿入せられて、そうして第二項が削られた。それは第二項の場合と「ための」という字を入れたために第二項が存置されたのと結果において同じになるのかどうか、解釈上、という御質問であります。これは私は少くとも第二項の場合はこの「ための」という字句が第一項に挿入されたために、「ための」という第二項の場合は第一項にはつきりと含まれることになつておる。こういうふうになつたと、こういうふうに解釈をしております。もともと原案におきましても第一項以外に第三項をきめてあるのではない。第一項の教育のうちにはこういう教育も含むんだという意味で規定をしてあるのであります。それを「ための」という字が挿入せられたために、第二項のような断り書を付けなくても、これは当然に第二項の場合もそれに包含されることになる、こういうふうに私は解釈しております。そうして衆議院の修正のときの関係のかたの意見も、第三項の規定は如何にもまあ文句はまずいと言いますか、非常にわかりにくいむずかしい字を使つてある。だからこういう難解な字句を使うよりは使わないほうがよろしい、こういうことで修正されたのであります。これで第二項は「ための」という字が入つたために、これによつて包含されるものと考えております。 それから次の御質問は、これは目的を以てすることが犯罪の構成要件の一つとなつておる、その通りであります。然るにこの学校教育の偏向教育というものは教える側で目的を以て教えなくても偏向教育というものが成立するということを言つたが、その点どうか、こういう御趣旨であります。これは私は先ほど申上げましたのは、学校の教育が偏向しておるかどうかということをきめる尺度には、その先生がそういう目的を以てすると否とは関係のないことである。これは子供に与える、子供の側から見てのほうが重要でありますから、先生がさような意思を持とうが持つまりが、そういう偏つた教育はいけない、こういうふうに私どもは解釈しております。ただこの特定政党の政治的勢力の伸長又は減退を目的とする、これはこの法文によつて御覧になりましても、いわゆる教唆扇動をする人間がそういう目的を以てする場合を罰してあるのです。これは学校の教壇の問題ではなしに、こういうふうな偏向教育をせよということを教唆扇動する場合は、その扇動者がこういう政治的な目的を以てその扇動をなすということが犯罪の構成要件の一つとして取上げられておる。でありますからしてこれは教室内における偏向教育の問題と、それから扇動者の問題と別の問題でありますから、その点を御了承頂きたいと思います。 それからその次にはこういう偏向教育であるかどうかということを文部大臣の意見できめるということができるか、そういうふうにきめるということは適当であるかどうかというお尋ねであつたようでありますが、そうでありますか。
○吉田法晴君 まあ一応御答弁願います。(笑声)
○国務大臣(大達茂雄君) ちよつとはつきりしなかつたので……。これは御承知のようにそれぞれの教育法令を取扱う立場の機関というものは、文部省もその一つであり教育委員会もその一つであり、又それぞれの先生がたもやはりそれであります。でありますからそれぞれの自分の職務を行うに当つては、やはりその教育法令に対する自分の解釈というものを確立して、そうしてその解釈に従つてその任務を遂行する、これが当然であろうと思います。従つて文部大臣は文部省の関係する限りにおいて、やはり偏向教育がどういうものであるかということについての解釈を持つことは当然であります。併し文部大臣の解釈を他の教育機関にこれを押しつけて、拘束力を以て押しつける力はありません。例えば学校の教科書の検定は今日文部大臣がしております。その教科書の検定基準の一つとして文部大臣は偏つた教育を内容とする教科書は検定不合格にすべきことをみずから規定しております。そういう場合にはその教科書の検定に当つて、この内容がいわゆる偏向しておるかどうかということの認定は、これは文部大臣の責任においてすることであります、これは文部省の任務でありますから。それで教育委員会が具体の教育の実例についてそれをしておる先生をそのために不都合であるとする行政処分をする、或いは教唆扇動しておる場合にそれを訴追の請求をする、これは教育、委員会の任務でありますから、その任務を遂行する場合には、教育委員会として何を以て偏向教育とするか、つまり支持し、又は反対するための教育というものの尺度にこの具体の問題がはまるかはまらんかという認定解釈というものは、それぞれの教育委員会のする仕事でありますから、先生がたはそれぞれ自分が教育基本法に基いて、教育をしなければならんのでありますから、自分の責任において目分のなすところの教育がこれが偏向教育であるかどうかということは、自分の責任において解釈し認定して行われるべきであろう。誤つておればそれぞれ是正をさせるということはこれは当然でありましよう。それからこの場合に教育委員会がやるとして解釈は区々になるのである。甲の教育委員会と乙の教育委員会と解釈が区々になるのである。区々に亘るということは結局元になつている法文が非常にあいまいであるからそこで区々になるのである、こういうふうなお言葉でありましたが、区々になるということはそれは解釈する解釈者が違うから区々になる、必ずしも法文があいまいであるから、法文が比較的人々によつて異なつた解釈を生ずる余地があるというふうにお考えになることはこれは私は否定いたしません。これは併しそういう取締規則の場合には、たくさんある例です。できるだけ正確に書くということが望ましいことでありますけれども、立法技術の上においてそれがそうきちつと書けない場合もたくさんあります。その関係で区々になる場合もありますし、又それぞれの機関において法律を解釈する場合に、解釈する人が違うのでありますからそれが区々に亙るということはこれは免がれ得ないことであります。区々に亘るからといつて遡つてその法文が非常に不適当なものである、こういうふうに私は考えておらんのであります。刑法のような、極めてはつきりしていなければならんものにつきましても、それぞれの検察当局の想見によつてこれを起訴するその場合に、全国どこでもそれが画一した解釈をとられる……実際の事例についてですよ、とられるかどうか、これは何らの保証はありません。又裁判所が裁判する場合にもそれぞれの地域々々の裁判所において同一の事件について解釈の違う場合もありましよう、これが刑法の詐欺になるか横領になるかということについての認定の違う場合はたくさんあるのです。それだからして、この判例というものができる、区々になるということは、これは解釈者が解釈する立場が違つている以上区々になるということはこれは当然あり得ることである、区々になるから遡つてこの法文の書き方が悪いのだということには私はならんと思います。でありますからそういうふうに御承知を願いたい。
○阿具根登君 一応私もまだ残つておりましたので……、先ほど私にした答弁と、今の答弁と少し違うようでありますけれども、非常に重大な答弁を聞いたと思いますので、重ねて御質問申上げます。それは只今もおつしやいましたように、解釈する人が違うから区区によつて違うのだ、それはいたし方ない、こういうことを言つておられる。ところがこの法案の第一条には「教育職員の自主性を擁護することを目的とする。」と誓いてある。非常に今おつしやつたのと、これは矛盾していると思う。区々においてその教育委員会の解釈の枠の中に入れて教員を教育して行くとこういうことなんです。逆に私はそれは偏向教育だと思うのです。それで、それは学校の先生がたは地方々々によつて性格の変つた先生ができて来なければできない、それを是認しておられる。そういう「自主性を擁護」というのは私はあり得んと思う。この法案の第一条でははつきりと「自主性を擁護する」としてある。ところが自主性は無視されてその教育委員会の解釈によつてお前たちはその解釈の中に入れということをはつきり言われた。このことについてどういうようにお考えになつておるか、私の言つた通りであるか。私はそういうふうにお聞きしました。お尋ねします。
○国務大臣(大達茂雄君) 私が申上げたのは、この一条にある自主性の問題とは違うのでありますが、この一条にある自主性ということは、今日教育の場に対して外部から一定の教育をするようにという教唆扇動が行われておるというふうに思われる。これは裁判で実際……、私の言葉が教唆扇動に当るかどうかはわかりません。併しそういう働きかけがあるように思われる。その場合にはそれが強い影響を、支配力を持つて教育職員に圧力を加える場合には先生はその圧力に押されて自分の本当の良心、良識に基いて自分の責任によつて指導する、教育というものがそれによつて拘束される、事実上拘束される、そのことはつまり教育の、それぞれの教員の教育に対する自主性を阻害する、こういうことを私は先ず考えておる。そこでこの法律案は、それらの義務教育諸学校の職員に対して強い影響力を以て偏向教育をすることを教唆扇動する、さような外部からの働きかけを断ち切るのでありますから、つまり学校の先生に対して襲つて来る嵐に対して防風林をこしらえたものであるから、そこでこれらの先生はさような外部からの影響力というものを顧慮することなしに自由な立場として自分の良識に基いて自分の責任において教育をすることができるであろう、その意味においてこの教育の自主性を擁護すると、目的としているのだと、こういうふうに法文には謳つたのであります。
○阿具根登君 防風林の役をこれで持たせるのだと、そして自主性を守るのだと言われましたが、却つてこの防風林が根がなくてぶつ倒すような結果になつて来ていると思う。外部の圧力によつて云々とおつしやるが、その外部が或いは政党を指しておられるか、或いは日教組を指しておられるかは別にいたしましても、最も圧力を持つておる外部の一つとしては教育委員会が、一番最も圧力を持つておる、これは日教組よりも政党よりもほかの団体よりもこういう権限を与えられた教育委員会が一番圧力を持つておる、その圧力の中において自主性がどうして生きて行けるか、これの決定に従わなければできない、私は逆を言つておられると思う、どういうふうにお考えになりますか。
○国務大臣(大達茂雄君) 私は教育の自主性と言いますか、教育の中立ということは、これは教育というものは少くとも国立学校、或いは公立学校である場合は、又市立学校においても義務教育である場合においては、これはそれぞれの先生が自分の勝手放題に自分の考えだけで以て教育をしていいものとは思つておりません。これは法律によつておのずからそこに限界が定められている。でありますから、これは教育基本法においてもその一つの限界というものがきめられている。又法律によつて文部省が指導している、出しているところの学習指導要領というものもあります、でそういうことによらなければならない、又教科書は、使用する教科書も文部省が検定したものを使わなければならない、決して自分勝手なものを教科書として使うことはできない、こういうふうにおのずから教育には国家的性格から見て国で以て法律その他の、法律に基く力によつてそしてその教育というものには一定の枠がきめられている、限界が定めてある、でありますからして教育の自主性といつてみたところでその枠の中での問題であります。この枠を踏外してまでのいわゆるほしいままに教育は勝手放題にやつていいのだと、こういう意味の、その奔放なり自由なりというものはこれは私は現在の教育の上に認められていないし、又さような教育が認めらるべき筋合のものではない、こう思つております。そして教育委員会というものは法律によつて定められた学校教育についての責任機関であり、その職務権限の内容は、これは教育委員会法によつてきめられてあるのであります。国家の意思によつて法律によつてその内容がきめられている。でありますからして、その法律によつて教育委員会の機能として学校教育に及ぼして来る影響、これは当然にありましよう。けれども、これを私は不当な影響とは考えてはおらん、つまりそういうものとしてその枠の中での教育の自主性というものはやはりある、こういうふうに考えているのであります。で、よく教育というものは、基本法におきましても、教育委員会の法におきましても教育というものは不当の支配を排除して行わるべきものである、こういうことを書いてあります。この場合の、不当の支配とは何か、これは教育に対してあらゆる支配、あらゆる影響を言つているのでありません。法律に根拠せずして、つまり国家の意思に根拠せずしての支配、これを私は不当の支配といつておるのだと思う。私は今日この法律によつて守らんとするところの教育の自主性というものは国家の意思によつて法律の規定によつて加えられるところの枠というもの、それは別であります。その枠以外の法律によらざる力が教育に及ぶ、これが私は不当の支配であると思います。そういう不当な影響というものから学校の先生を解放して、法律に定められた枠の中での教育の自由、教育の自主性を持たせる、これがこの法律にいう教育の自主性でありまして、野放し奔放な、法律の規定とかけ離れた自由或いは自主性、こういうものではありません。
○阿具根登君 文部大臣はわざわざかけ離れたことを自分で御答弁なさつておると思うのです。私の自主性と言つているのは何も自分勝手に憲法から或いはこういう法律からかけ離れて教育を自由にしていいのだ、こういうような論議を進めておるわけではないのです。最初から質問をお考え願えばわかるように、物差がないために却つてこれは逆になるのだということを言つておるわけです。いわゆる権限のない圧力をあなたがたは残すために、今度は権限のあるものを持つて来ようとされておる。ところが、その権限のある委員会なるものは物差を持つておらない、その委員会々々々の解釈々々によつて、これが偏向であるか偏向でないかということは自由にできるのだということをはつきりおつしやつておる。そこで福岡、佐賀、長崎等でそれぞれ解釈が違つておるのだから仕方がないじやないか、こういうことを育つておられるのです。そうするなら権限のあるこういう圧力をかけられて、それこそ学校の先生の自主性はなくなつてしまうのじやないか。恐らく私がここで何回言つても、大臣と私の見解は随分離れておるようでありますから、これは並行線だろうと思いますけれども、私はこれは誰が聞いても誰が見ても、大臣の言われるのが詭弁だとしか思われないと思つております。
○国務大臣(大達茂雄君) 私が今まで申上げましたのは、委員会というものの影響が学校の先生に及ぶ、これはつまり法律によるものであつて、法律論的にはそれが教員の或いは教育の自走性を損なうという観念は法律的には成り立たないと思う、こういう意味を申上げたこの説明が少し長過ぎたかと思いますが、その意味を申上げるために申上げたのであります。そこで具体の問題としては、委員会において解釈が違う、物差というものはこれは法律によつてきまつておりますが、この法律も基くところは教育基本法の八条二項であります。八条三項によつて物差というものはきまつておる、ただ解釈がそれぞれのこれを取扱う行政機関において解釈が違うということはこれはあり得る、無論違うでありましよう。それだから成るべくこれを余り自分勝手に故意に解釈をしたり、或いは又誰が見ても法律の趣旨とは反するような解釈が行われるということであれば、これは望ましいことではありません。でありますからして、これはできるだけその解釈はその場合においては統一したほうがいいと思います。併し具体的な事例についてこれが偏向しておるかどうかということの解釈は、それは具体の場合についてはそれぞれ違うのが、私はやむを得ないといいますか、当然であろうと思います。それあるが故に尺度がない、物差がないのだということにはならない、又教育委員会というものが仮に何もそういう意味で口出しをしない場合でも、それぞれの先生はやはり教育基本法というものはあるのでありますから、自分の職務を行う上の物差としてこの八条二項については独自の解釈をしていなければならんはずであります。こういうことを教えることが基本法の八条二項に違反するか違反しないかということはやはり自分の責任において解釈すべきであろうと思います。その解釈がそれぞれの場合によつてそれぞれ違うことは、どうも法律の解釈である限りこれは全然一定するということは遺憾ながら私はあり得ないことであると思います。
○委員長(川村松助君) この機会にお諮りいたします。今労働政務次官からいろいろ東山委員長ともお話があつたそうでありますが、労働大臣がまだ向うのほうでなかなかからだが空かない、併し時間がぐんぐん進むので、又これくらい誠意を尽しても向うのほうで来てもらえない事情にありますので、差当つて政務次官で御質疑を一つ願いたい、こういうことに御了解願いたいと思います。
○吉田法晴君 労働委員会として政府の労働基本政策に関連して質問をいたしますので、これは労働大臣は今おられませんから、政務次官を通じて質問をする以外にないと思いますけれども、併し労働者の今の所管法律或いは所管を超えて政府の基本政策に関連して尋ねて参りますので、この点は私は労働大臣が出席されないということについてはこれは極めて遺憾の意を表し、この遺憾の点は恐らく公平に皆さん御納得がゆくと思うのであります。以下質疑をすることによつてその点も明らかにいたしたいと思うのでありますが、一応労働大臣の不誠意を非難しておきたいと思います。 先ずお尋ねをいたしたいことは教育公務員を労働者と考えておられるかどうか、この点を先ずお尋ねをいたしたいと思います。
○政府委員(安井謙君) 先ずお詫びを申上げますのは、先ほども申上げましたように労働大臣は当然出席いたしましていろいろ御答弁に当るべきでありますし、我々もそのつもりで努力をいたしたのでありますが、何分にも警察法が衆議院の最終段階へ来ておりまして、いろいろとのつ引きならぬ場を外せない羽目におりますので、それと代つて誕か政務次官でも行つてやるというわけにこの職制がなつておりませんために、誠に申訳ありませんが、政務次官でできるだけの御答弁を申上げたいと存じます。 そこで御質問でございまするが、教育公務員は御存じの通り地方公務員法或いは教育公務員特例法という法律によつて、その身分保障なり規律をやつておりますので、労働三法から教育公務員の身分規制或いは保護をやるというような立場に立つておらないことは御承知の通りであろうと存じます。
○吉田法晴君 教育公務員特例法或いは地方公務員法、こういう今直接教育公務員に適用せられております法律からいたしまして、これが労働者であるかどうか、こういう問題を尋ねておるのではなくして、日本国憲法の下において、教育公務員はどういう地位のものと考えておられるか、私が引くまでもございませんけれども、旧労働組合法、言い換えれば戦後の労働体制の中においては労働者と考えられるか、或いは旧労働組合法に、「本法二於テ労働者トハ職業ノ種類ヲ問ハズ、賃金、給料其ノ他之二準ズル収入二依リ生活スル者ヲ謂フ」としてそのあり方というものが規定されておる、今の労働組合法の第三条は労働者とは云々ということで「賃金、給料その他これに準ずる収入によつて生活する者をいう。」と書いてございまして、地方公務員法或いは教育公務員特例法という直接教育公務員を規定しておる法律ではなくして、今の憲法の下においてどういう関係において使われておるか、働いておるか、こういう点から考えますならば、教育公務員も広義の労働者であるという点はこれは否定すべくもないと私考えるのでありますが、労働省はどのように考えておられるかということであります。
○政府委員(安井謙君) 憲法二十八条に申しまするところの勤労者であるという意味におきましては正に教育公務員も勤労者であることは間違いないと思います。いわゆる十五条その他で言つておりまする一般の労働者というものとはおのずから身分上或いは職責上の区分があるもの、こう考えております。
○吉田法晴君 それでは過去において労働組合法上労働者として考えられた、或いは憲法二十八条を引合いに出されましたが、日本国憲法の下においてもそれが国に使われている、或いは地方公共団体に使われている、そうして給料をもらつている、こういう意味においては広義の労働者であるという点はお認めになつたわけですね。
○政府委員(安井謙君) 二十八条にいうところの広義の勤労者であることは当然であろうかと思います。
○吉田法晴君 次は教職員の職員団体、或いはこれは公務員一般とも関連をすることでありますが、その団体、職員団体と言われておりますが、職員団体が旧労働組合法上における労働組合である、或いは実質的に現在においても広義の労働組合であるという点は如何でございましようか。
○政府委員(安井謙君) 広義という言葉がまあいろいろな意味にとられるかと存じますが、いわゆる労働組合関係法規によつて措置される労働者では教育公務員はなかろうと存じております。
○吉田法晴君 労働組合関係法規に言う云々という御答弁がございましたが、旧労働組合法上においては労働組合であつたという点は御否定になるまいと思うのでありますが、そのことが一つ。 それから国家公務員法の附則第四条の中には「職員を主たる構成員とする労働組合又は団体で、」云々とこう書いてございまして、国家公務員法上も職員を主たる構成員としての労働組合、こういう規定がございまして、そういう意味において広義の労働組合であるという点は実定法上も国家公務員法』も認められておるのではないか、こういう点をお尋ねしておるわけであります。
○政府委員(安井謙君) 国家公務員法の施行まではいわゆる労働組合関係法規も非常に関連した部分がたくさんあつたことは御承知の通りでありますが、国家公務員法が布かれましてからはその身分上の区分が明確に付いておると存じております。
○吉田法晴君 明確に付いておるということをお尋ねしておるのではないのであります。直接教職員に教育公務員特例法が適用される、或いは地方公務員として地方公務員法が適用される、これらの点は百も承知でありますが、実定法上から言いますれば、国家公務員法附則第四条を引合に出しても「職員を主たる構成員とする労働組合」と調つてある以上、国家公務員法上においても労働組合として認められておるということは否定することはできないではないか、こういうことを申上げておるのであります。
○政府委員(安井謙君) 先ほどもお答え申上げましたように、労働組合、いわゆる今日言われております労働組合、或いは労働者、労働組合法で保護されている労働者と同じ身分であり職責であるというわけには参るまいと存じます。
○吉田法晴君 答弁を伺つておりますと、最近の労働法体系に即応してまあ逃げられようといたしておりますが、それが私の不満とするところであります。憲法上の安井政務次官は勤労者という言葉がありましたが、勤労者であろうと、或いは広義の労働者という言葉で呼ぼうとも、それが憲法上保障された団結権或いは団体交渉権、これらの憲法に保障された地位確保の権能を如何に守るか、これは憲法上の問題でございますが、それを労働省が関心を持たない、それは俺の所管じやない、こういうところに今の労働省の何と申しますか、腑甲斐なさと申しますか、或いは見解の狭さがあるのでありますが、労働大臣として閣議に列席されますのは、労働者の地位或いは権利、国民の二十八条その他に保障されております基本的な人権を守るためにこそ労働大臣或いは労働省というものは働くべきものであろうと思うのであります。実定法に従つてそれは俺の所管ではないという態度については遺憾の意を表し、それが労働大臣が出て来られん一つの理由でもあるかと思うのであります。非難をするにとどめてなお質疑をいたしたいのでありますが、旧労働組合法或いは国家公務員法制定以前においては労働者と考えられ、そうして労働組合としての団結権或いは争議権或いは団体交渉の権限等が認められておりました公務員が或いは地方公務員もいわゆる二・一ストに関連して出されたマ書簡或いはその立法的な措置として国家公務員法によつて現在の或いは争議権を奪われ、或いは団体交渉権を制限せられ今日に至りましたことは承知をいたしておりますが、憲法上の勤労者の権利或いは地位を守るべき労働省として或いは労働大臣として、国家公務員法に基く現状特にこの法律に関連して参ります人事院規則の現在のあり方についてそれが合憲的であると考えておられるか、或いは二・一ストに関連して起つて参つた規則の仕方ではあるけれども、行過ぎと考えておられるか、或いは占領終了後、憲法の精神に帰つて国家公務員或いは地方公務員の団結権或いは団体交渉権その他について再考をすべきであると考えられたかどうか、その点を承わりたいと思います。
○政府委員(安井謙君) いろいろ国家公務員法或いは地方公務員法についての御議論はあろうかと存じますが、全体的に勤労者を保護するという心構えにつきましては労働省やぶさかであるわけはないのでありますが、ただ教育職員といえども、これは国家公務員或いは地方公務員として一つの大きな枠と申しますか、職責があるのでございますし、それに伴う法律というものも制定されております今日、それに従つてそれぞれの所管でこれを処理するのが当り前であろうと思つております。なお今日その国家公務員法或いは地方公務員法に行き過ぎがないかどうかという点につきましては、今日これは必要上生れたものでありまして、今直ちに行過ぎがあるというふうには考えておりません。
○吉田法晴君 これらの点、少し政務次官今の御答弁で無理かと思いますが、実定法上こうなつておるからそれは妥当であるということでなしに、もつと大所高所にとつて憲法上保障されておる労働者の権利或いは地位というものは占領終了後如何にあるべきかということはもつと考えらるべきであつたと思うのです。そういう点について御反省がないようでありますが、具体的に国家公務員法九十八条か或いは百十条であつたかと思いますが、これに基きまして政治的な行為の規制が公務員については人事院規則十四の七というもので規制されております。これを一々読み上げることを省略いたしますが、憲法上保障された権利が法律で以て一応規制され、更に人事院という一つの、これは行政委員会でありましようとも、行政機関であることに間違いありませんが、その行政委員会の行為によつて或いは一方的に規則制定権によつてかくも広汎に或いは政治活動の全部が規制、或いは禁止せられるような結果が生れるということについては、これはどのように考えられるか、重ねて承わりたいと思います。
○政府委員(安井謙君) 憲法で申しまする勤労者の権利保護は、これは十分なされなければならんと思いますが、教員が公務員であるという立場から又公務員の職責はおのずから憲法によつても又規定をされております通りに、その限度において一定の制限が政治活動することに加えられることはこれはやむを得ないことであろうと考えます。
○吉田法晴君 基本的な了解が違つておりますので、大変質問いたしましても満足すべき答弁が与えられないのでありますが、一応旧労働組合法上、或いは現行法においても、給料をもらうという意味において労働者であり、或いはその地位を守るために団結権が認められておる。或いはそれが職員団体という名称であろうとも団結権が認められておる。そうするならば、その憲法上保障されました団結権なり或いは争議権等を含む団体行動権、或いは労働基準その他について理由なしに制限をするわけには参らんと思う。或いはその例限にいたしましても、合理的に、或いは合法的に、或いは合憲的に制限する以外にはないのではないか。そこで例えば争議権を国家公務員法、或いは地方公務員法で奪つておりますけれども、それにしてもそれは理由あり、或いは合憲的な範囲内において初めて可能なことなのであります。で、例えば争議権を奪いましたのは、それは国の事務をやり、或いは地方公共団体の事務をやり、そこで公益性に関連してその制限がなされる。併し、憲法上保障されておる権利、或いは地位を守るべき権利は他の方法でこれをカバーする。こういう制度ができておるはずであります。人事院の或いは勧告権であるとか、或いは救済の方法であるとか、いろいろございますが、これは御承知の通りでございます。然るに今問題になつておりまするのは、人事院規則というものによつて行政機関の作ります規則制定権によつて全部の政治的な行動が禁止制限される、こういうことになるならば、これは合憲性の範囲を逸脱するのじやないかということを具体的に申上げるのであります。安井政務次官から一応御答弁頂きますと共に、他に法制局その他御出席になつておりますならば一つ御答弁を頂きたい。
○政府委員(安井謙君) 先ほども申上げましたように、勤労者の団結する権利その他につきましては十分尊重いたしますが、教育職員が公務員であるという身分から一定の政治制限を受けるということはこれはやむを得ない今日の実情だろうと思つております。
○政府委員(林修三君) 今労働政務次官からお答えがございましたように、この公務員というものは一面には勤労者ではございますが、公務員という特殊性から憲法第十五条から申しましても全体の奉仕者であつて一部の奉仕者ではないという考え方から出まして、政治的行為について一定の範囲において制限を受けることは、これは公共の福祉上或いは公益上やむを得ないことだろうと存じます。問題は結局国家公務員法の百二条におきまして一応の政治的制限を列挙し、なお更に人事院の定める政治的行為をしてはならないと、こういうふうに人事院に相当大幅に政治的行為の制限を委任しているという点が或いは問題であろうと存ずるわけでございます。勿論これは人事院がこういうことをきめます際には、公共の福祉上要請せられる、或いは公務員の性格上要請される範囲を越えてそういう政治的行為を制限すべきものでないことはこれは当然だと思います。その範囲にとどまるかと思います。又そういう範囲で現在規制されているものと、こういうふうに考えます。
○委員長(川村松助君) お待ちかねの大臣が見えましたからしつかり御質問して下さい。
○吉田法晴君 質疑の途中でございましたが、労働大臣がおいでになりましたから一言だけ苦言を呈して置きたいと思うのであります。 私ども労働委員としてここに連合審査をいたしているけれども、国の基本的な労働政策に関連して私どもこの法案をこれは審議するのが私どもの任務だと思うのであります。然るにまあ兼職の警察担当の国務大臣として向うにおいでになつたことはわからんことはございませんが、全然こちらに来ようという意図が最初になかつたかのように感じて私ども大変残念に思つておりました。条約の批准の際にもそうでございます。それから委員会においても十分勉強して来たという次官の御説明がございましたが、私どもさようにも了解いたしておりません。もう少し今の労働政策というものについて、或いは政府の労働対策一般については、もう少し関心とそれから責任を果して頂きたいことを要望いたします。 今、質問は教育公務員も労働者である、或いはこれは狭義の意味において労働者と言うことはできないけれども、憲法二十八条によつて団結権の保障された勤労者であるという点においてはお認めになりましよう。それから労働組合という点については国家公務員法附則第四条を引いて、曽つては労働組合法上の労働組合であつたし、それから現在においても職員を主たる構成員とするということになつておるけれども労働組合ではない。こういうところから国家公務員の、言い換えますと国に使われている公務員或いは勤労者或いは地方公共団体に使われておる地方公務員、そういうものも憲法で団結権は保障せられておるじやないか。若し法律に任され或いは法律が任せた人事院規則というようなもので団結権或いは政治活動にいたしましても、これを全く禁止するというような結果になるならば、それは違憲ではないか、こういう質問をいたしておつたところであります。 そこで労働大臣にお尋ねをいたしたいのでありますが、今の団結権を事実上完全に否定するということに至るならば、これは憲法の違反ではないか。或いは政治活動の制限については合憲的或いは合理的、合目的でなければならんが、仮に人事院規則によつたとしても、それが全部団体行勅権その他が否定せられるとするならば或いは政治的行為を含めてそれが全部否認されるということになるならば、事実上政治的活動の余地がなくなるとするならば、それは憲法違反ではないか、こういうことを重ねてお尋ねいたしたいと思います。
○国務大臣(小坂善太郎君) 前段に非常に誤解に基く批判がありましたと思いますが、それは飽くまでも誤解でございまして、私どもも体の許す限り委員会に出席することは当然の義務と考えます。誤解されないようにお願いいたします。 それから只今団結権の問題でございますが、これはその通りでございます。国家公務員、ここに問題になつております場合は、地方公務員法におきましては五十二条に「職員は、給与、勤務時間その他の勤務条件に関し当該地方公共団体の当局と交渉するための団体を結成し若しくは結成せず又はこれに加入し若しくは加入しないことができる。」こういうことになつております。この職員の場合、学校教職員の場合、一般の労働組合と違いまするところは、一般の労働組合法の定めによりますれば、管理者の立場にあるものは組合員となり得ないのでありますが、こうした学校教職員の場合は校長も入つておるというような点が違うと思うのであります。団体交渉権がないということでありましたが、国家公務員におきましても地方公務員におきましても、団体交渉権は現在持つておらないことは御承知の通りであります。ただ政治的行動を許さなければこれは労働組合として成立たないというお話もございますが、私どもはしばしば申上げておりますように、労働組合というものは労働者諸君の団結によりまして、経済的な地位を高める、そういうことが目的でありまして、政治が目的であつてはならんと、かように考えております。
○吉田法晴君 政治が目的であつてはいかん云々という最後の御答弁でありますが、今挙げましたのは、人事院規則第四条の七というのですか、それを引合いに出して議論をしておつたのでありますが、質疑をしておつたのでありますが、憲法に一般の国民として或いは政治に参与することができる、或いは公務員をやり得る、いろいろな権利が保障されておりますが、それは申すまでもなく国家を構成する主権者としての国民であります。公務員といえども主権者としての国民たる地位は奪うことができない、従つてそれを制限するとしても全くこれを禁止するというのは、これは憲法違反ではないか、こういうことを申上げておるのであります。従つて例えば勤務時間中であるならば、これは特殊の関係において国にその労働力を提供する或いは特別の権力関係にあつてその限りにおいて忠誠義務がある、こういうことも言い得るかも知れません。併しその範囲外においては全く国民としての権利を奪うものでなければ活動の自由というものは残さるべきではないか。そのことを政治的行為に関する人事院規則と関連してお尋ねしたのであります。 それから団体交渉権はないとおつしやいます。成るほど争議権を背策にいたしました団体交渉権はございません。併し共同して折衝する権利は公務員法上も残されておるはずであります。従つて団体行動権にいたしましても、公務員という特性から制限せられておるその制限の限度は問題になるかも知れませんが、一応制限されるとしても、それを全く奪つてしまうということは、これは団結権を保障いたしましても、組合を作つておつても、その活動が全然できんということでは何にもならないのであります。そういう行動権の制限であるならば、それは団結権の事実上の否認になる。そうして憲法の保障しました団結権の否認ということになるのではないか、こういうことをお尋ねしておるわけでございます。
○国務大臣(小坂善太郎君) 個人としての政治的行動は、如何なる立場にあつても自由ではないかというお話でございます。政治活動とは一体如何なるものを言うかということになろうかと存じます。まあ国家公務員の場合はこれは国民全体の奉仕者としての立場があり、地方公務員の場合もそのようなことであります。そうした全体の奉仕者としての立場にある者が、国民の租税によつて給与財源を得てそれで政治活動をするということは、これは当然その限度においての制限があるべきものと心得ております。又現行法でもそのようになつております。併し勿論政治的な意見を投票によつて表明する、これはもう当然許されるべきことであります。何か非常に国家公務員の団体交渉権というものがあるという御意見でございましたが、そのように開き得る御意見の御開陳もございましたが、いわゆる団体交渉ということの権利はないので、ただ個別的に実情を話す、こういうことはこれはいわゆる団体交渉ということではなかろうかというように考えております。
○吉田法晴君 ちよつと今の答弁の中にありました地方公務員も国家全体の奉仕者という御答弁でございましたが、そうでございますか。
○国務大臣(小坂善太郎君) そのようには申上げておりませんで、そうしたような建前から来るところの制限がある、こういうふうに申したのであります。
○吉田法晴君 そうしますと、今の地方公務員の場合には、地方公共団体の利益に奉仕する、こういうことに了解してよろしうございますか。
○国務大臣(小坂善太郎君) 教職公務員の地方公務員の場合には、その行政区域以外における政治活動が現行法では認められております。
○吉田法晴君 それからさつきの団体行動云々という点でありますが、争議或いは罷業、怠業等を背景にした、いわゆる労働組合法上の完全な団体交渉権がないことは私も知つておる。併し国家公務員の場合に、それから地方公務員の場合には更に範囲が広くなりますけれども、一応その団体を結成し、組織を通じて代表者を選び或いは勤労条件に関して、その他もございますが、当局と交渉することができるというのは、法上ちやんと保障された点であります。それらの意味においての使用者に対してその勤労条件に関して交渉をする権利はこれは法上保障されておると思うのでありますが、如何でございましようか。
○国務大臣(小坂善太郎君) そうした公務員の性格から来るものでございまするが、いわゆる労使対等の立場に立つての交渉、そういう考え方ではないと思うのでございます。例えば団体協約を結ぶ、そういつたような団体交渉ではない。
○吉田法晴君 問題は二つあるのでありますが、先ほど法制局からちよつと御答弁がありましたが、それは労働大臣が来られる前であります。憲法に保障された団結権或いはそれに基きます団体行動或いは団体交渉については、その特殊の地位に基く制限はあるとしても、これを全く否定し去るとするならば、それは憲法違反になりはせんか。政治的な行為の場合については人事院規則を引合いに出して、法律に基きましようとも行政委員会としての人事院の規則制定権に基いて政治行為が完全に禁止され、それは執務時間内だけでなしに執務時間外においても一切について政治行為が制限されるという結果になるならば、これは人事院規則十四条七でそうなつておると私は考えるのでありますが、若し仮にそうなるとするならば、それは憲法に保障した団結権なり或いはこの基本的にあります団体行動或いは団体交渉の権限等をみずから地位を守るための権能というものを完全に否定することになつて憲法違反になるのではないか、こういうことをお尋ねしておるのでありますが、その点について御答弁を頂きたいと思います。
○国務大臣(小坂善太郎君) 只今の点は先ほどもお答え申上げたのでありまするが、公務員であるという身分から来るところの当然の制限があると思う。勿論投票するとか、そうした政治的意思の表明はこれは当然の権利だと思います。
○吉田法晴君 国家公務員でありましようとも、地方公務員でありましようともその特殊な地位と言われますが、その特殊な地位というのは国の権力関係ということを言われましたからそういう言葉を使いますが、権力関係の中にある、或いは国の行政事務或いは地方公共団体の行政事務をやる、こういう地位であつて、それは国に使われておる或いは地方公共団体に使われておる、そういう限りにおいて行なつている制限であつて、仮に勤務時間外において或る行動まで制限を及ぼすというのは、これは行き過ぎではないか、或いはこの法律が、三法案が通りますならば、地方公務員の中の教職員は自分の属しております地方公共団体以外の地域においても政治行動その他一切が禁止される、こういうことになるのでありますが、それは公務員の活動を規制いたします理由とは関係がないのではないか、特殊な地位にあるから、その団体行勅権その他が制限せられるとしても、それは国との関係或いは地方公共団体との関係、その特殊な地位によつて制限せられるならば、それ以外まで制限が及ぶとするならば、それは或いは合憲性を失うではないか、こういうことを申上げておるのであります。
○国務大臣(小坂善太郎君) 私は権力関係という言葉は使わなかつたと存じますが、要するに国家公務員の場合は国民全体の奉仕者である。そうした公務員の奉仕的立場になるという地位から来る当然の制限である、こう申上げておるのであります。今お話のように勤務時間外のものはいいのではないかというお話もございまするが、これは勤務時間内であろうと外であろうと、そうした公務員の地位というものについては変化がないわけでありますから、これは同様と心得ております。
○吉田法晴君 全体の奉仕者と言われますその奉仕着たる地位は、公務員としての仕事をしておる国との関係或いは地方公共団体の関係だけではありませんか。仮にお尋ねをいたしますが、それじや勤務時間外であるとも公務員である、こう言われますが、私はそうは考えないのでありますが、例えば公務員が勤務時間外に恋愛をした、或いはランデブーをやつた。これも国家公務員の地位と関係があるから、これはいい悪い、こういうことを判断しようとなさるのでありますか、或いは教職員の場合にもそういう事例が最近あるようでありますが、労働大臣具体例を挙げましたから一つ御答弁を願います。
○国務大臣(小坂善太郎君) 恋愛やランデブーを引いてのお話でございますが、こういう問題はいいとか悪いとかいう範疇ではないと思つております。要するに政治活動は公務員の地位から来る当然の制限があろう、こういうのであります。やはり時間外でありましても、例えばどこの誰が公務員であるということは一般において認識されておると思います。時間的差等によつて区別が、質的な差別が生じて来るということは言えないと思います。 〔委員長退席、文部委員会理事加賀山之雄君着席〕
○田畑金光君 関連いたしますが、公務員の政治活動に関して労働大臣並びにこれは文部大臣にもお尋ねしたいと思うわけでありますが、只今吉田君の質問しておつた公務員の政治活動の問題でありますけれども、公務員一般というのではなくして、今論議されておる問題は公立学校における教職員の政治活動の問題だと、こう見るわけであります。御承知のように国家公務員或いは地方公務員、即ち教職員を除くその他の一般地方公務員に関しましては、人事院規則或いは地方公務員法に基いて厳重なる政治活動の制限、むしろ禁止というような強い制約があるわけであります。併しこのような国家公務員その他の一般公務員に対する制約も戦後の傾向を振返つて見ますると、だんだん政治的な条件と共に制約されておる、こういう歴史的な事実を私たちは見るわけであります。ところがこのような政治的な条件或いは背景にもかかわらず、公立学校における教職員に対しましては御承知のごとく地方公務員法三十六条の阻害によりまして制限的ではありますけれども、政治活動の自由が認められて来たわけであります。このことは問題がどういうところに……然らばその他の公務員とこれらの地方公務員である教職員との間にこういう政治活動の自由に関し差別を設けたか、制限があるか、こういうような私は教育職員の公務員としての問題を追究しなければならんと思うわけであります。即ち私は教育基本法第一条を見ますると、教育の目的といたしまして「自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」即ち自主精神、批判精神、こういうような思想或いは言論というような精神的な労作を任務とする教職員に対しましては、その当然の仕事の面からして他の公務員と比べれば特殊な取扱い方をしなければならん、こういうように私はいわゆる教育公務員のその任務の特殊性から来て三十六条の但書というものが生まれたんだと、こう見ておるわけであります。現実又この教育二法案は審議の過程にあるのであつて、この法律はまだ決定されておりません。通つておりません。従つて現在の段階においては一般公立学校の教職員は三十六条の但書によつて政治活動の自由が認められておる。ところが今の労働大臣の御答弁によりますると公務員という、全体の奉仕者であるというその特殊な職責上政治活動の自由は一切認められていないんだ、こういうようなことを御答弁でありまするが、現実併し認められておるんだ。そうなれば今まで三十六条の但書を認められていたその自由がどういうわけで直ちにそれを百八十度変えなくちやならんのか、ここに私は問題があろうと思うわけであります。そういうことを見て参りましたときに、我我からしましてはこの制限、三十六条の但書の削除というものは現在の自由労内閣の教育政策或いは教育行政の、環として生まれて来ているのだ、或いは言葉を換えてみますると教職員組合の活動そのものをここで大きく抹殺しようとする意図に基くものである、こういうふうに我々は解釈せざるを得ないのであります。この点に関しましては私のお尋ねしたいことは、教育職員というものとその他の公務員というものはその仕事の面から本格的に異なる問題があるんだ、この教職員の精神的な労働と申しますか、こういう而から来る当然の要求として三十六条の但書が至当として残されたものだと、こう考えるわけでありますが、この点につきまして労働大臣の所見を伺つたおきたいと思います。並びに文部大臣の御見解も承わつておきたいと思います。
○国務大臣(小坂善太郎君) 教職公務員が地域外においては政治行動ができたということは、これは大体教育者は教育に専念すべきであつて、その地域内において教育活動ができないというのであれば、他地域にまで行つて政治活動に専念するということもあるまいと、こう考えておつたのでありますが、そういうことがありとすれば、それは教育という立場から見まして、それは国家公務員と同様な立場において制限すべきものである、こういうように思います。
○国務大臣(大達茂雄君) 教育公務員の場合におきましては、その公務の内容である教育というものは国家的性格を持つておる。その点におきまして国家公務員たる教育職員の公務との間に何らの差違は認められない、そしてこの政治活動の制限の規定のよつて立つ根拠は、これを制限することによつてその公務員のそれぞれが担当しておる公務の適正な運用ということを確保するにある、かように考えます。その意味におきましてこれを公務の適正なる運用を確保するということであれば、その公務の内容が国家的性格を持つ点において国家公務員たる教職員の場合と何ら区別する理由がないのでありますから、これを国家公務員並みの政治活動の制限をする同列に捉まえよう、こういう趣旨であります。
○田畑金光君 労働大臣の御答弁は誠に不可解なと申しますか、不真面目な答弁だとこう考えるわけであります。一体地方公務員法の制定当時の精神がそういうような全く単純極まる考え方で以て三十六条の但書というものが残されたのかどうか、こういうような私は問題を考えましたときに労働大臣の頭と申しますか、認識の程度というものを誠にこれはお粗末過ぎると言わざるを得ないのであります。そういう筆法で参りますならば、一般の労働組合の政治活動についてもまあかねがね労働大臣が言うように、或いは極左の偏向を示しておるとか、ことそれにそういうような今日の労働組合活動におきましてあらゆる職場の問題が政治に繋がつておる政治的な解決をみなければ職場の問題が処理されない、こういうような状況にありまするときに、経済活動或いは経済的な条件の改善、こういうような問題を否定する精神にも繋がつて来ようと思うのであります。こういうことで以て今日の労働政策が行われている、或いは行われようとしているということは、非常に残念なことだと考えるわけであります。一体、もう一度お尋ねしまするが、労働大臣は成るほど所管は教育行政でないけれども、少くとも労働大臣ともあろう教養のある人が教育行政の、教育公務員の特殊性と申しますか特殊な性格、こういうふうなものは御理解が行くはずと思うのでありますが、私はやはり三十六条の但書のこの精神というものは教育茶本法に基いて教育に携わつている教職員に対するその仕事の特殊性から来る条文であり規定であると考えるわけでありますが、この点についていま一度労働大臣の御所見を承わつておきたいと思います。
○国務大臣(小坂善太郎君) 余り端的にお答えいたしたのでお粗末な答弁であつたかも知れませんが、そう思われたらその点はお詫び申上げますが、実は私は三十六条の但書を作つた者でありますが、私はあの修正をいたしますときに、そういうことで党内をまとめ、その修正に同点させた者でありますから、その点率直に申上げた次第であります。 なお教育関係の責任という点についてのお話がございましたが、教育基本法の第六条に、「法律に定める学校は、公の性質をもつものであつて、国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。」とございますが、二項におきまして、「法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、」云々と、なお教育公務員、特例法の第一条にも「この法律は、教育を通じて国民全体に奉仕する教育公務員の職務とその責任の特殊性に基き、」云々とございまして、こうした教育というものは非常に国家的性格と申しますか、公共に奉仕する性質が強いのであると、こう考えております。なお労働条件の改善ということがすべて政治問題の解決、政治的解決によらなければできんという御意向でありますが、私はその点に関しましては、尊敬する山畑委員に対して見解を異にするのであります。私はすべて政治的な主義主張、いわゆるイデオロギーのみによつて経済問題が解決するとは考えていないのてす。又一定の与えられた条件の下において如何にすれば経済条件を改善することができるかということも、地道な積み上げた努力によつて解決する、かような見解を持つております。
○吉田法晴君 先ほど労働大臣は、自己の属する地方公共団体以外のところでは活動はやらんはずと思つておつた、ところがやるようなことがあるから云々というようなお話です。ところが問題はそういうことではなくて、或いはそういう精神で労働大臣は、個人小坂善太郎氏は、議員として地方公務員法の改正に参画されたか知りませんが、法制的に考えますれば、法体系から考えますならば、憲法上保障された団結権或いはその他の権能を制限するとしても、これは合憲的或いは合目的でなければならん。その特殊の地位に基いて制限をするということで、国家公務員なり或いは地方公務員法上の制限がなされたと思うのでありますが、それは例えば、今の教職員の問題について言えば、これはその当否は別問題にして、教育の上でこの特定の政党を支持し、又は反対するための政治教育その他の政治活動をしてはならん、こういうことから、その子供に対する影響が、その属する地方公共団体の範囲内であるならば、そういう慮れがあるとして、私は制限したものじやないかと思うのです。本来この地方公務員は、その属しておる地方公共団体であろうと、或いはその他の点であろうと、本来地方公務員には政治活動は一切禁止すべきである。こういう考え方でやられたんであろう。それは、その権能は認めるべきでない、こういうことで、若し地方公務員法の修正がなされたとするならば、それこそ憲法に保障する権限を全く奪うもので、私はその考え方は憲法違反的な考え方だと言わざるを得ないと思う。そこでまあ関連をして、先ほどお尋ねをしておつたのでありまするが、国家公務員法であろうと或いは地方公務員法であろうと、それによつて公務員の政治活動が規制されるとしても、すでに人事院規則の五項の、各項目に、「公職の選挙において、特定の候補者を支持し又はこれに反対」してはならん、或いは最高裁判所の裁判官の任命に関する国民審査に際し、特定の裁判官を支持し又はこれに反対すること。」をしてはならん、そういう政治的な目的を持つた活動はこれを許さん、こういう制限も附することは、これは国家公務員にも関連します。それからこの法律が通れば、地方公務員も適用されて来る結果になるわけであります。そうなりますというと、政治活動というものは一切できない、こういうことになつて、憲法に保障された権限が、権利が完全に奪われることになるのではないか、こういうお尋ねをして参つたのであります。重ねて御答弁を願いたいと思います。
○国務大臣(小坂善太郎君) 教育者の立場といいますか、その基本というものは、教育基本法に示されております。これは先ほど読み上げましたように第六条三項において、全体の奉仕者である、而も教育公務員法においてもそのことは明記されておる。こういう立場からいたしまして、全体の奉仕者としての立場から、この教育者というものは、政治活動というものに専念すべきものでないということは当然であると思うのであります。三十六条の二項というものは、そうした教育者の本分に悖るような政治活動がなされないであろうという前提と期待の下に掛かれたものでありまするが、どうもそういうような懸念がありとすれば、これは改正しなければならん、こういうふうなことであります。
○田畑金光君 先ほどの労働大臣の御答弁でありますが、非常にこれは重要な問題だと思うわけであります。三十六条の但書は私が作つたのであつて、党内をまとめるためにこういう文句にしたのだ、こういうわけでありますが、併しそれは成るほど自由党内部をまとめるために、当時労働大臣は何をやつておられたか、私は知りませんけれども、とにかく自由党をまとめるためにそのような一時的な、何と申しますか、非常に理窟に合わんようなことで以てまとめられたかも知れません。併し一旦三十六条但書が地方公務員法の法律として、条文として生きて来た以上は、当然にその三十六条但書というものは地方公務員の中に占める公立学校の教職員の地位、身分或いは職責、こういうような客観的な基準によつて解釈が下さるべきだと考えるわけであります。又そのような客観性の下に、客観的な見通しの下に、初めて三十六条の但書が生きて来るものだと私たちは考えるわけであります。成るほどその立法された当時におきましては、自由党の内部におけるいわゆる党略のためと申しますか、党を守るためにそのような作為がなされたにいたしましても、併しそれは客観的な或いは普遍的な法律精神に繋がるものでは断じてないはずであります。そういうようなことが自由党の党略によつて但書を入れられた、だからして今度はそれを削除するんだということになつて参りますと、今回の削除自体も党略のために行われておるとしか我々は解釈できんわけであります。殊に先ほど来、教育公務員特例法第一条でありますか、或いは又教育基本法をお読みになつて、教員は全体の奉仕者である、こういうような観点から直ちに教職員の政治活動は一切制限禁止しなければならん、こういうお話でありますが、全体の奉仕者であるが故に、直ちに政治活動を禁止しなければならん、こういうような理論は飛躍だと思います。そういうような理窟は出て来んと思います。事実問題として、仮に教職員というものが比較的に穏健である、言葉が悪いかも知れませんが或いは極端に申しますと、自由党の今までの政策に対して、比較的に好意的であつたが、こういうような、若し教職員団体の活動があつたとするならば、こういうような特別立法というものは期待されなかつただろうと思うわけであります。結局帰するところは、自由党の政策に教職員組合が批判を加えて来た、或いは自由党の政策に対して必ずしも好意的でなかつた、こういうようなことが今回の特別立法の基本的な精神になつていると、これは常識として見ているわけであります。そういうようなことを、世の常識を、先ほどの労働大臣の御発言はまさにみずから裏書している、こういう結果になつていると私は見るわけでありまして、小坂労働大臣にしてはちよつと言葉が足りなかつたと思うわけでありますが、若しそうだとするならば、ますます今回のこの特例法というものは、党利党略のため以外の何物でもない、教職員活動を政治的な面において制限することによつて、自由党政権の革命を図ろうとする、その露骨に現われたものがこの立法であると我々は解釈するわけでありますが、労働大臣並びに文部大臣の所見を伺つておきたいと思います。
○国務大臣(小坂善太郎君) 大分誤解をしていらつしやるようでありますが、私の申上げましたのは、この三十六条の但書というものは、党をまとめるためにしたのではなくて、先ほど吉田委員にお答えしましたように、教育者の本分に悖らざる活動がなされるということの期待の下に、こういう但書を置いたのでありまして、こういうことで当時の地方公務員法の一部改正というものをまとめる、こういうことに勢力をいたした、何も私一人でやつたという意味ではございません、私もそれに参画した、こういう意味で申上げたのであります。決してこれを党略に使おうということはさらに考えたことはございません。私ども今申上げましたような、本分に悖らざる活動を期待したので、併しそういうことに対する期待を裏切る慮れありとすれば、これは改正しなければならん、こういうことでございます。
○国務大臣(大達茂雄君) 公立学校の先生が地方公務員という形式の身分を持つておる、この点は争う余地のないところでありますが、併し教育職員であるという点において、その職務と責任において特殊性があるという点は、地方公務員自身が認めておるところでありまして、五十七条においては、その観点から、教育公務員については別な特例法によつて規制をする、こういうことを規定しておるのであります。それに基いて教育公務員特例法というものはできておる。この教育公務員特例法というものは、地方公務員たる教職員について他の地方公務員と違つた取扱いをするというだけの意味ではありません。国家公務員たる教職員組合も併せて、この教育公務員特例法は両者を併せて規制をしておるのであります。それによつて見ましても、身分は地方公務員であるけれども、その職務と責任の特殊性において国家公務員たる教職員と同列に置かれておる。これは先ほどからいろいろありましたが、その点からもこれは明らかであると思うのであります。百でありますからして、その分限その他について現に国家公務員と同様に取扱われておる部面がこの教育公務員特例法には規定してあるのであります。この場合に、その同じ見地から政治行為の制限というものを国家公務員と同様に取扱う、こういうふうに考えたのでありまして、それはその教育公務員の公務の内容である教育の特殊性から考え、その適正なる運用を期待するためにしたことでありまして、これは党利党略によつてそういうことをしたというようなことは、全く根拠のない御非難であろうと思います。
○田畑金光君 文部大臣に相関連してお尋ねいたしまするが、成るほど教育公務員特例法は、国家公務員も地方公務員も含めて、教育公務員の任免、分限、懲戒、服務及び研修等、いわゆる人事その他の技術的な諸条件について規定されておる立法であります。併しながら、今論議されておる政治活動の問題というものは、これは地方の公立学校教職員の一つの権限と申しますか、或いは又基本的な権利、こういうようなものだと、こう見るわけであります。而も政治活動の自由については、制限的でありますけれども、政治活動については地方公務員という一般法において規定をされておる、一般法によつて権利というものが保障されておる、こういうように私は言えると思うわけであります。もう一方国家公務員に関しましては、御承知のように、国家公務員法によつて政治活動についても明確に制限をし或いは禁止をされておるわけであります。こういうふうに見て参りますると、教育公務員特例法が国家公務員も地方公務員も含めて人事その他の技術的な諸条件について規定をして、この特別立法によつて地方公務員法に規定された教職員の権利を制限するということは、立法の形式からいたしましてもこれはおかしいのではないか。殊に一般法によつて認められた諸権利を、特別法によつてこれを制限或いは禁止するということは、よく戦時においてとられたような立法形式であり、或いは又よく言われておるナチスの法体系等におきましてもよく見受けられたところでありますが、こういうようなことはこの法の体裁或いは形式から見ましても私はおかしいのではないかと思う。国家公務員につきましては、国家公務員法によつて立派に政治活動の制限禁止は福われておる。地方公務員法によつて公立学校の教職員の政治活動については、三十六条の但書があるわけです。教育公務員特例法が国家公務員も地方公務員も両者含めておるから、教育公務員法の適用によつて教職員のあらゆる市民としての政治活動の自由すらも制限して行こうとすることは、これはどうも我々としては我々としては納得が行かんわけでありまして、こういうような点を見た場合に、この形式から見ましても、体系から見ましても、私たちといたしましては、三十六条但書が制定されたあの精神からいつた場合に、先ほど申上げましたように、この今回の提案というものは、今回の特別法の制定意図というものは、ひたすら教職員組合活動に対する制限圧迫の意図以外の何物でもないと、こう私たちは認めざるを得ないのであります。この点に関しまして、文部大臣のお考え方を承わつておきたいと思います。
○国務大臣(大達茂雄君) 現在公務員たる地位を持ちその身分を持つ者に対しては、政治行為の制限は、これは国家公務員たると地方公務員たるとを問わず、その考え方は現行法の採用しておるところであります。ただその制限の内容が地方公務員の場合と国家公務員の場合と違う。或いは制限をする地域的な差別がある。或いは又それに対する罰則の規定がない、こういう違いであります。でありますからして、このことが教員の個人的権利を制限するという見地から甚だ不適当なものである、或いは又更に進んで憲法の趣旨に副わないものであるということにつきましては、私はそうは思いませんけれども、併し仮にそういう議論があるとしても、これはすでに現行法がそういう点についての立法をしておるのであります。これは現行法についての問題であろうと、こういうふうに私は思います。そこで教育公務員特例法というものによつて、教育公務員であるという見地から、国家公務員である者に対しても、地方公務員である者に対しても、同一の規定を以て規制をしておるのであります。従来は……従来といいますか、現行制度においては、政治行為の制限については、これは別だに、地方公務員として制限をする、国家公務員として制限をする、これは別々な方法をとつております。この法案は、これを改めて国家公務員と同一にしようと、こういう趣旨の法律案であります。それは教育というものの、その公務の内枠である教育の特殊性、この見地からこれを一緒にしようと、こういうので特例法の一部を改正するわけでございます。私どもが法律的に考えれば、別に法体系を紊るとか、これが非常に理論に反しておるとかいうことには考えておりません。これに対するお考え、御批判は勝手でありますけれども、どう宛てもこれは特殊な自由党の党利党略から来るものである、こういうふうにお考えになればそれまででありますが、それは少くともこの法律の上からは何もそういう問題は起り得ないのであります。これはそういうふうに僻んでお考えになれば、それまでのことであります。
○吉田法晴君 そこで、現行法上ではこうだ、それから教育者は全体の奉仕着であるから云々と、こういう御答弁でありますが、その議論に入ります前に、労働大臣に、或いは内閣の労働政策の担当者として、国家公務員法が二・一ストに関連するマ書簡によつて出て来たことは、これは承知をいたしておりますが、講和発効後、占領というものがなくなつて、そこで労働大臣としては考え直すべきではなかつたか或いは考えるところがなかつたか、国家公務員法或いはそれに基きます人事院規則によつて政治活動を完全に禁止するような結果になるとすれば、それは合憲的な範囲を逸脱しておるではないか、或いは国家公務員或いは公共企業体、或いは地方公企労法或いは国家の現業関係の公務員、それから地方公務員、いろいろ分れておりますが、更にその中に、ここに地方公務員の中から教職員というものが国家公務員と同様の取扱いを受けようとしておる、それは国家公務員が違憲的な取扱いを受けておる範囲内に入ろうとしておるのであるが、それについて労働大臣としてはどう考えておるか、或いはこれを合憲的な範囲内に引直して労働法体系というものを整備する考えはないか、こういうことをお尋ねをしておつたのであります。重ねて御答弁を頂きたいと思います。 それからもう一つ、先ほどから、教育はこれは公の性質を持つておる、或いは教職員は全体の奉仕者である云々と言われますが、そこでそれと身分の問題と関連をしておりますが、私はそれは飛躍だと思う。教育基本法の第六条の学校教育の項に、第三項には成るほど「全体の奉仕者であつて、」云云と書いてございますが、第六条は全体として学校教育の性質であります。これは公の性質を持つておるものであつて、「国又は地方公共団体の外、法律に定める法人のみが、これを設置することができる。」ということで、教育が公の性質を持つておるから、その教育機関である学校は国又は地方公共団体のほか法律に定める法人以外にはこれを設置することができない、こういう点が明確にしてあるのであつて、或いは第八条の政治教育にいたしましても、それは第一項が主文であり、及す。「必要な政治的教養は、」云々と書いてございますが、それはその第一項が主であつて、第三項はその運用のために特定の政党を支持し又はこれに反対する政治教育を行なつてはならない。それから第十条の中からも国民全体に対し直接に責任を負うという言葉をそれだけをとつて論議せられますけれども、教育が不当な支配に服することがあつてはならんというのがこれが主文である。意味するところはこれは前文なり或いは第一条に書いてありますように、従来の教育が或いは軍国主義に基く教育であつたり、或いは一方的な権威主義的な国家に基いて中央集権的な国家教育行政が行われたりする、それに対する保障というものをこの中に謳おうというのが教育基本法の基本精神でなければならんと思う。従つて全体の奉仕者というものもそれは教育の性質からして国又は地方公共団体が主体としてやるということであり、或いは全体の奉仕云々というものも国又は地方公共団体というこれは全体という意味だと思う。 〔委員長代理加賀山之雄君退席、委員長着席〕 そうして今後教育が軍国主義的な或いは権威主義的な教育が行われてはならんという保障のためにこれらの条文が設けられておると思うのでありますが、条文の中の片言一句を捉えて来て、教育が公共的な性質を持つておる、こういうことから教職員の身分も国家公務員でなければならんというのは、これは飛躍でなければ、ためにするこれは措置であつて、若しこの本案のごとくにしますならば、それは国民全体の奉仕者であるということから、教育公務員を国家公務員並に取扱う、或いは国家権力が直接身分上においては及び得る体制を整えようとするものであつて、それは教育基本法が防止しようとする軍国主義的な或いは権威主義的な教育を防止するのじやなくて、これをやろうとする体系を身分上において作るものではないか、かように考えるのでありますが、その点について大達文部大臣の答弁を求めたいと思います。
○国務大臣(大達茂雄君) 公務員であれば、国家公務員であつても、地方公務員であつても、これは全部に対する奉仕考である、この観念は両者に通ずるものであると思います。ただその場合に全部というそれが国家公務員であれば国民全部である、こういうふうに私は解釈をしております。又地方公務員であれば、これは原則としてその地域社会を形成しておる住民の全部、こういうふうに構成者である人の全部に対する奉仕者である、こういうふうに私は解釈をしております。この場合において、教育の場合はそれが地方公務員でありましても、その奉仕する対象である全部というものは、これは国民の全部、この点が他の地方公務員と著しく違う点であろうと思います。それが教育公務員特例法において「教育公務員の職務とその責任の特殊性に基き、この特例法を作るということを鞭つてあり、特例法の第一条においてその点を国民全体に対して責任を負うてなさるべきものであるという点からこの特例法を作つておるのだという意味のことが書いてあります。この点が極めて明瞭であると思います。その点は他の地方公務員とは著しく違う、で、その見地から国家公務員と地方公務員たる両者に対して、両方に合せて共通な規定が設けられておる、これが特例法であろうと思います。そこでこの場合においても、やはり特例法のその趣旨に基きまして、従来は地方公務員たる教職員というものは他の地方公務員と同じ制限の下に立つておつたのであるけれども、今度はこれを国家公務員と同じところに持つて参る、両者に共通して適用される条文は教育公務員特例法にはたくさん書いてあるのでありますが、それと同じ意味で両者を同じ立場に立たせる、こういう意味であります。ただその場合には特に教育公務員特例法に制限の内容を書かなくても、現に国家公務員たる教職員に対して課せられておる制限の内容をそのまま同じように地方公務員たる教職員に対する制限としようとするのでありますから、この法律案におきましてはただ国家公務員の例によるということをいつたのであります。これは立法技術上の問題でございます。ただ多少誤解なさつておる点がありはしないかと思うのは、この政治行為の制限について国家公務員と同様な扱いをするということは地方公務員たる教職員を国家公務員の身分にするとこういう意味ではありません。身分は依然として地方公務員であります。ただそれに対する政治行為の制限を同様にする、こういうことでありますから、身分をこの政治行為の制限を同一にすることから同時にこれを国家公務員という身分に持つて来るということであれば、これはお話のように飛躍であろうと思います。併しこれはそういう意味でない点は御了承を頂きたいのです。従つて仰せられるようにこれをすることによつて国家の統制、国家権力の統制というものが地方公務員たる教職員に及ぶ、そういう危険はあり得ないのであります。これは行政的な監督その他の権限を国家機関に委ねるものではありません。ただ一定の行為の制限をしてその違反があつた場合に、これが罰則を以て規制せられる、つまり裁判所の問題になるということでありまして、国家の行政的な権力がこの法案を通じて地方公務員たる教職員の上に課せられる、こういう懸念はないものと考えます。
○吉田法晴君 労働大臣の御答弁を……。
○国務大臣(小坂善太郎君) 国家公務員法の規定というものはその第一条にございますように「国家公務員たる職員について適用すべき各般の根本基準を確立し、職員がその職務の遂行に当り、最大の能率を発揮し得るように、民主的な方法で、選択され、且つ、指導さるべきことを定め、以て国民に対し、公務の自主的且つ能率的な運営を保障することを目的とする。」と目的に明らかでありまするように、全体の奉仕者としての国家公務員の定めでありまして、私はこれを改正するというような考えは持つておりません。なお教育基本法第六条二項について述べましたことを片言隻句と仰せられましたが、私はそのようには考えておりませんので、お挙げになりました第六条一項にありますように、「公の性質をもつもの」である。而も第三興に定めますように全体の奉仕者である。そういう性格から来る政治行為の制限はあろうということを申上げたのであります。なお第八条、第九条におきましても、そのような教育の中立性という規定があるのでございまして、只今文部大臣からもお話のごとくに、これを以て或いは軍国主義教育をなすことではないかというような誤解は全然当らないことと考えております。さよう御了承願います。
○吉田法晴君 労働大臣の答弁の中に大事な点が落ちておりましたが、憲法上保障されておる諸権利、それからそれを国家公務員については国家公務員法によつて制限をされる。併しそれは合憲的に或いは合理的に制限されること以外には許されないのではないか、講和条約発効後再検討すべきではなかつたか、特に人事院規則十四条の七によつて政治行動が完全に禁止されるというようなことになつておるとするならば、それは合憲性が人事院規則について争わるべき段階になつているのではないか、或いは国家公務員としても公企労法関係、或いは現業関係、それから地方公務員、地方の現業関係、或いは地方公労法上規制されておる労働者、それから地方公務員の中で一般の地方公務員と今文教職員は、義務教育学校の職員はこの法律によつて国家公務員と同様に規制を受けようとしておる。これらの中に波乱がありこそすれ一貫したものがないのでありますが、それらの点について憲法に遡つて労働大臣として検討すべき意図はないかということをお尋ねしたことについて御答弁ございません。重ねて御答弁を願います。
○国務大臣(小坂善太郎君) 私は国家公務員法を読み上げましたのは、国家公務員のそうした職責上こうした政治的な行為の制限というものは当然にあるべきものである、こう考えておるという趣旨を申上げたのであります。勿論検討の結果そういう結論を得たわけであります。
○吉田法晴君 国の全般の労働政策或いは労働法の体系の全部に亘つて検討をする意思がない、こういうことで良心の片影さえもございませんので、これから先は争つてもしようがないのですが、どこかで公務員を含みます労働関係について再検討の意思があるということでありましたが、そういう最小限の良心さえもないことを大変残念に思います。だからこそこの委員会、この連合審査に臨まれる態度等について遺憾の点があつたのだと私は遺憾の意を表して先に進みたいと思います。 それから私たち文部大臣が身分の点について法律がこれを国家公務員にする、こういう工合に誤解をしておるかも知らんがというお話でありましたが、そういう誤解を私もいたしてはおりません。ただ或いは教育という教育公務員の職務の特殊性から或いは憲法上の諸権利が制限されるとしても、それは合憲的或いは憲法の目指しております合理性に従つてのみ制限せらるべきではなかろうか、これは教育公務員にのみ限つた問題ではないので、先ほど来関連をいたします他の公務員なり或いは労働者も引つくるめて例に挙げて参つたのであります。問題は教育公務員の場合に限つたといたしましても、法文によりますと国家公務員の「例による」という言葉が書いてございます。或いは準用するというのと同じ意味なのか、或いは少くとも国家公務員法を全体そのまま適用する、こういうことになると思うのであります。間違つておつたら御訂正を願いたいと思うのですが、私はさように解釈する、そうすると成るほど教育の仕事はこれは公の性質を持つておるとしましても、身分は地方公務員であり、それからその政治的な活動は地方公務員法三十六条によつて自分の所属する地方公共団体以外の地域においてはこれが許されておる、然るにそれが教育は公の性質を持つておる、或いは国の仕事である、こういう制限でございましたが、そのことによつて教職員の政治活動というものを国家公務員並びに全く同じように規制をするといたしますならば、それは国家公務員と同じ地位に法上立つことになります。従つて従来教育行政を地方の事務とした。これはまあ地方自治法或いは教育委員会法に書かれております精神でありますが、そういうものがこれは壊れるではないか、そうして例を挙げられましたけれども、例えば罰則を適用するといたしましても、その罰則が先ほど来汚職事件に関連して言われましたように、文部省なら文部省の方針、解釈といつたものも地方教育委員会等に如何なる程度にしろやはり方向を与えて参ります。そうするとその国家公務員法或いはこれに基きまする人事院規則等に違反するものについて罰則が適用される云々、こういうことになつて事実上教育の中央集権化が行われるではないか、或いは法体系をそういう国家的な、地方自治を認めないで全体的な中央集権的な、或いは国家主義的なと申してもかまいませんけれども、そういう規制になるのでないか、こういうことをお尋ねをしたのであります。それが教育基本法の十条その他に書いてございます根本原理に矛盾する結果になるではないか、こういうお伺いをしたのであります。
○国務大臣(大達茂雄君) 国家公務員の例によるという書き方でありますが、これは現在国家公務員に対して課せられておる国家公務員法の法律の規定、それからそれに基いておるところの人事院規則、この内容がそのまま適用せられるということになるのでありますが、併しそれだけでなしに、「例による」ということは私どもの解するところでは、かような用例は、将来国家公務員に関係をしてこの人事院規則が改正が行われるとか、或いは非常に程度が緩和されるとかいうようなことの改正が行われる場合があり得ると考えて、そういう場合には自動的にそれに右へならえでついて行く、その点において準用するとかいうようなことと違つておるのでありまして、要するにこの法律案の趣旨とするところは国家公務員と同じ政治行為の制限、つまりそれに関する限りは同じ立場に立たせる、こういうことでありまして、現実の政治行為の制限というものをこれは当然探せられることにはなりますが、重点がそのほうにあるのではなくて、国家公務員と同じ立場に立たせる、こういう点にこの法律案の趣旨があるのであります。従つて将来国家公務員について改正されれば自然にこれも一緒に内容が変つて来る、こういう立場であります。そこで政治行為の制限というものが一体憲法の規定から見てもすでに議論のあるところである。かようなことを従来地方公務員として地域的な関係、限局されて制限されており、又罰則もあつた。そういうものを国家公務員並みにするということは一足跳び外れその必要はないか、こういう御趣旨のように思うのでありますが、併し一体、この憲法に定めてあるところの基本的人権と申しますか、自由というものを或る程度制限をする、そういうことは一体何のためにそういうことをするかというと、これは公務というものが適正に行われる、こういうことが何よりも大切である。これは公共の安寧福祉の上からいつて欠くべからざることであるから、その公務の適正な運営ということを期するためには余儀なくそういう政治行為の制限をしなければならない、こういう根拠に立つておると私は思うのであります。そこで地方公務員法の第三十六条の第五項でありますが、この法律の上ではつきり書いてある。「本条の規定は、職員の政治的中立性を保障することにより、地方公共団体の行政の公正な運営を確保するとともに職員の利益を保護することを目的とするものであるという趣旨において解釈され、及び運用されなければならない。」つまりこれは地方公務員でありますから、一般的に地方行政阿保の行政であります。その公正な運営を確保する、つまりその公務を公正に運営するというためには政治的中立の立場に立たせなければならない、それがためには政治行為の制限をしなければならない、こういう考え方に立脚しておると思うのであります。国家公務員の場合においてもやはりこれは法文に明文はありませんけれども、やはり同様の趣旨において政治行為の制限がされておる。これは極めて明瞭でありまして、人事院総裁が発表されておる運営に関する文書におきましても、その点を先ほど労働大臣がお読みになりましたが、その点を採上げて書いておられるのであります。そこでそういうものであるとすれば、政治行為の制限をするという根拠がそういうものであるとすれば、それによつて適正を保障されんとする公務というものが対象でなければならん。その場合に公務というものを対象として、その適正な運営ということを期待するわけでありますから、その制限をどういうふうにすべきかという点について見れば、そこで地方公務員たる教員の教育という公務、それから国家公務員たる教職員の扱うところの公務であるところの教育、この間には全然区別はないのであります。これは先ほどから申上げたのであるが、そこでこの政治行為の制限によつて保障せんとする公務の内容が同一の性格を持ち、同一の性質を持つておるのでありますから、その適正なる運営を期待するための政治行為の制限というのは、両者同一であることが私は不当であると思うのであります。 そこで国家公務員に課せられる現在の政治行為の制限が非常に苛酷であるかどうか、これは暫らく別論であります。併し観念としてはその保障せんとする公務が同一であるならば、その保障せんとする手段も又同じようにすることが私は理の当然であろうと思うのであります。その意味においてこの法律案を出したのでありまして、只今仰せられますように、これは要するにこれを出せば各人がそれによつてその行為をみずから自粛して規制をするわけであります。そうして違反があれば、これは検察の問題であり、裁判所の問題でありまして、この間国家の統制がこの関係において及ぶものではないということは先ほど申上げた通りであります。
○吉田法晴君 公務の適正ということを言われましたが、その点はこれは地方公務員であると国家公務員であると問わず、公務であるということはこれは公務の任務或いはそれが近代的な労働関係でありましようと、労務の提供或いは売買であるという基本的な点であろうと思います。これはそうであるということを認めますが、公務というものが或いは団結権その他憲法に保障された憲法上の権利を制限するとしても、それが規制の事由でなければならんじやないか、こういうことを先ほどから申上げ、そうしてその公務というならば、その公務を提供する、労働を提供するその範囲内の問題ではないか。従つて執務時間以外について、これを先ほどからランデブーの話をしましたけれども、労働以外の自由を拘束すると同じように政治活動を制限するのは、これは何もかにもとにかく禁止するということになるし、そうしてこれは曽つての武士、侍なら侍を殿様が使つているときに、その全身分を買つておるのと同じ感じじやないか、こういうことを申上げたのであります。それからその公務という範囲内で一般国家公務員が国の公務をやる場合と、それから教職員が教育をやる、公務をやる、こういう場合にはそれは違うじやないか。従つてその制限の場合にもその性桁に従つて違うべきじやないか、こういうことを申上げたのであります。 あなたは教育という点で、教育公務員の中の国家公務員と、地方公務員と同じ教育をやつているのだから云々、こういうお話でありました。ところがそれについては私は同じ仕打のものであろうとも、一応義務教育についてはこれを地方にやらせる。地方自治と関連して地方教育委員会等もありますが、中央集権的にやらなかつたところに教育基本法の精神があるのじやないか、或いは国家主義的な、或いは国家主義的なと申しますか、そういう教育がなかつた根本があるのじやないか。それを同じ立場に立たせるということで、同じ法律の下に、同じ規制の下にこれを政治活動の制限の立場に立たせるならば、それは結果において大体国家的な規制をなす結果になるのじやないか、こういう質問をいたしたのであります。押し問答をしても仕方がありませんが、それについて御答弁を頂きますと共に、もつと技術的な点についてお尋ねをいたしたいのであります。これは労働大臣双方にお尋ねをしたいのであります。 国家公務員の場合に、その争議権その他を制限することが封建的であるかどうかという基本的の問題もありますけれども、一応人事院を置いて、そうして国家公務員の利益保障の機能をそこでとつてあると思う。ところが地方公務員である教育公務員に対して、国家公務員法を適用するとして、如何なる利益保障を与えようとするのか。国家公務員の場合に争議権その他を剥奪、或いは制限する代りに与えられた利益保障の機能を、教育公務員である地方公務員にどういう利益保障を与えようとするか、これを一つ承わりたいと思います。 それから地方公務員について、或いは人事院規則の一部を適用したり或いは適用しなかつたり、そういう結果になることは、これは御承知であると思うのでありますが、こういう法律の規定の仕方でそういうアンバランスがでざることと、片方については一般の地方公務員については、地方公務員法に基いて若干の利益保障の機能が残されておる。それを教育公務員の場合には全く奪つてしまう。そういうアンバランスができる。而も教育公務員と一般の国家公務員との間には差が出て参ります。そういうものもこれは妥当であると考えられますか。そうして地方公務員にこれはなされようとする利益保障の機能、これは憲法の団結権なり、或いはその他の自分の地位の保全のための権利に関連する問題でございますが、どのようになさろうとするのか、一つ承わりたいと思います。
○国務大臣(大達茂雄君) これは先ほど私が或いは言葉が足らなかつたかも知れませんが、公務の適正な運営を保障すると、こういう意味は、いわゆる勤務時間、公務の執行それ自身についてこの政治行為の制限を絡ましておるという厭味ではありません。先ほど読上げました地公法の三十六条の末項に規定してありますように、それは個人的なその職員の政治的中立性を保障することによつてその地方団体の行政の公正なる運営を確保しよう、同時に又その利益を保護しよう。つまり職員が非常に政争に没頭するというような強い政治的立場を個々の職員がとるということは、自然にその担当する公務が全体の奉仕ということから外れて来て、政党に偏したそういうようなことをやる危険がそこに生ずる。同時に又上の人が迭ればあれは非常に政治的にどつちの政党に偏しておるからというようなことで今度は逆に首を切られるというような危険が又起る。そこでそういうことのないように職員自身の個人的な立場を政治的に中立にするそのことによつてその担当する公務の適正なる運営を期する。同時に又そのことによつてその職員としての地位、身分の安定を図ろう、こういうのがこの政治行為の制限の点であります。従つて勤務時間とかそういう問題は直接この場合には起らない、こういうふうに私は思つております。まあこれのいい悪いは別でありますが、規定の趣旨はそうであろうと私は思います。 それから地方公務員たる教職員を国家公務員と同様な政治行為の規制をするということは、先ほど申上げましたように決してその身分を国家公務員に移動させるということではないのでありますから、地方公務員としての身分その他の利益の保障の点につきましてよ、これはこれが国家公務員並みの政治行為の制限を受けましても、その点は何らの関係はないのでございます。
○吉田法晴君 三十六条の五項を繰返して読上げられましたが、それはその第一項等に関連して、例えば知事が内閣が迭つたら自由党の選挙運動をやる、或いは部長も職員も自由党のあれをやる、それから今度は又内閣が迭つて社会党が天下をとつたら社会党の党色に染つてやる、こういうものを抜くために五項というのが作つてある、私はそうだと思う。この五項の制限は第一項なり三項なりの運用のこれは注意規定として五項というものができたと思うのでありますが、而もなお第一項において政治活動が自己の属する地方公共団体以外の所、或る場合には区といつたようなものも挙げられておりますが、そういう所でなし得るということは、これは一項なり或いは五項に関係なしに、本来許されております国民としての政治活動をこの程度には許す、こういう私は規定だと思うのでありますが、その点はまあそこで押問答して争つておつても仕方がないのですが、後段の身分は、これは国家公務員になるとは誰も言つておりません。併し国家公務員と同じ政治活動を制限される、これは間違いないと思う。或いは団体行動というとそれはまあ正式の意味の十分な団体行動権じやないと言われますが、それも含めて国家公務員並みになつて参ります。その場合に国家公務員に与えられておる人事院による利益保障の機能に該当するものが公立の義務教育学校の教職員についてはどういう工合に利益保障の機関或いは機能方法をおとりになりますか、こういう質問をいたしましたに対しては何ら御答弁がなかつたようであります。重ねて御答弁を願います。
○国務大臣(大達茂雄君) 私はこの規定は制限を強めるから従つてそれを利益を与えるほうの関係を考え、利益を非常に与えるから制限を強めていい、こういう関連を持つものではないので、先ほどから申上げましたようにひとえに公務の適正を期するための規定であろうと思います。公務員たる者の利益とか、そういう問題とはこれは別例の問題であろうかと思います。国家公務肩につきましては、これは私はよく知りませんけれども、併しまあ同盟罷業とかそういうことはできない。その代りに人事院というものがあつてその利益の維持改善には努めておるはずのものである。それから地方公務員につきましてもこれは身分の保障その他につきましてはやはりそういう規定が設けられてある。だからストをする或いは団体交渉をするという権利を奪うから、それだから代つてその利益を保障するような人事院というものの機能というものがそこに現われて来る、こういうことは成るほどありましよう。併しそれとこれとは私は別問題であろうと思います。これは公務の適正を期するための規定でありまして、この制限が課せられるから今度は何らかの利益が与えられなければバランスがとれない、そういうものでは私はないのじやないかと思います。
○吉田法晴君 その点は問題になると思いますが、又文部委員会等でも御論議を願うと思いますので、問題を残しながら先へ進めたいと思います。 国家公務員の例によるということで、国家公務員に対して規定せられました法律或いは人事院規則等がこの法律によりますと教職員に適用せられる結果こういう事態が起つて参りますが、これはどういう工合に解釈せられますか。これは国家公務員の政治行為に関連いたします人事院規則十四の七、これがこの法律によりますと教職員にも適用せられるということになりますが、そうなるとこの政治的行為に関する人事院規則の六項の四号或いは十二号等に関連をいたして参りますが、六項四号によりますと「政治的目的をもつて、前号に定める金品を国家公務員に与え又は支払うこと。」ができないと、こういうことになります。そうすると教育公務員は政治的目的をもつて金品を国家公務員に与え又は支払うことはできないが、地方公務員に与えることはこれは差支えない、かような結果になると思うのでありますが、そういうことをお認めになりますかどうか。それから十二号のほうは「政治的目的を有する文書又は図画を国の庁舎、施設等に掲示し又は掲示させその他政治的目的のために国の庁舎、施設、資材又は資金を利用し又は利用させること。」これは許されないけれども、地方公共団体の庁舎、施設等に掲示させることは許される、さようになるかと思うのでありますが、これは簡単に国家公務員の例によると、こういう規定を置きました一つの結果でありますが、そういうふうな法上の結果をお認めになるか、或いはそれについて矛盾を感ぜられないか。これはこの条文の規定の仕方が事態をあいまいにして政府の責任を回避しようとするのか、或いは国民なり、国会なりを騙そうとする目的も含まれておるかと思うのでありますが、これらの点について御答弁を願いたいと思います。
○国務大臣(大達茂雄君) 別に国民を騙そうというようなことはありません。このお示しになりました人事院規則の、これは政治行為の十二号でございますが、「政治的目的を有する文書文は図画を国の庁舎、施設等に掲示し文は掲示させその他政治的目的のために国の庁舎、施設、資材又は資金を利用し又は利用させること。」成るほどこれは国家公務員について規定せられておることであります。実は申上げますというと、この法律案を作りますときに、この点については、地方公務員が国家公務員と同様な政治制限を受ける場合に、この国の庁舎、施設等に掲示をしたり、させたりということも、やはり禁止せらるべきで、こういうふうな種類の行為が禁止せられるならば、やはり国の庁舎等についてもこれは禁止すべきものだと思います。ただ地方公務員という身分もあることですし、地方公共団体の施設等についてもやはり禁止するのが、かような十二号というような行為の禁止というものが現在定められている限りは、地方公共団体の庁舎、建物等を使うという場合も併せて塔止するのが適当じやないか、こういうふうに実は考えたわけでありまして、特例法を立案する場合に、その意味の規定を、それに応ずるような規定を実は設けて、政府部内における関係方面との調整をしたわけであります。その時に、これは内輪話にもなりますが、併しこれはすでにこういう質問について人事院総裁からもお答えになつておりますが、当時これは、いわば非常に粗末と言つちや悪いのですけれども、本筋というよりも、まあ利用する庁舎等の範囲の問題でありますから、これは国家公務員のほうの側から見ても、国の庁舎ということだけでなしに、地方団体の公共の施設というようなものをこういうことに利用するということは面白くない。だからこういう点は人事院のほうで適当に改正をしてもよろしいし又そういう意味で検討しよう、こういう実はお話があつて、極めて事務的な、法律がごたごたするから、そういうことで、あとで是正するような方法をとつたらどうだということが実は内輪でありまして、それでこの点はこのままで法律案として出したのであります。御指摘のそういり実情でありますが、私は今申上げましたように、地方公務員としては、当然これは地方公共団体の難物だけに限らるべきもので、国の庁舎等について言わるべきものでない、こういうふうには考えておりません。従つてこれが地方公務員たる教職員の場合に適用されましても、私は不合理ではないと思います。従つて矛盾を生ずるというふうには考えておりませんけれども、足りないと申しますか、地方公共団体の施設をこういうふうに使う場合も併せて規定したほうがより適当であろうと思います。地方の公務員であるから、国の庁舎にはそういうことに利用してもいい、こういうふうには私は思いません。例えば日教組の諸君が文部省に坐り込んで文部省のそこら中みなビラを貼ります、ああいうことはやめてもらいたい、こう思つております。でありますから、その点でやはり同じように四号の「政治的目的をもつて、前号に定める金品を国家公務員に与え又は支払うこと。」これが地方公務員にという字が入るということは、これと同様にお考えを頂きたいと思います。
○吉田法晴君 問題はただ行政罰といいますか、懲戒罰を加えるとか何とかいう問題じやなくて、刑罰問題でしよう。それを国の庁舎には貼つてよろしいけれど、各地方公共団体の庁舎に貼つて悪いというのはどうかと思う。まあ御答弁によりますと、地方公務員としての教職員の場合には、地方のものに貼つてはいかん。国のものに恥つていいかどうかは、これはバランス上から言えば、国のほうにも貼つてはいかんじやないか、こういう御答弁だつたのであります。法文が国家公務員の例によるということになると、これは政治的行為に関しまする人事院規則の十四の七ということになれば、私が言いましたように国の庁舎には貼つてはいかん、併し地方の庁舎には貼つてよろしい、これが法文のそのままの読み方であります。そういう勝手な解釈はできんと思いますし、それから又それはそういう工合に訂正されるかも知らん。人事院によつて訂正される、そういう簡単なものではないと思う。なお、これはそういう規則で、人事院規則でこれが国家公務員法第百十条によつて、九十八条或いは百二条の違反として三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する、こういういわばこれは罪刑の規定ですよ。いわばこれが犯罪構成要件になつて、これに違反する者は三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処せられる、こういう法律によらない規則によつて刑罰を科することができる。こういうことは、これはまさに罪刑法定主義の違反だと思う。国会がきめない、法律によらないで処罰を科する。而も例えば出されております教育公務員特例法の一部を改正する法律案によつて、国家公務員の例による。而もその国家公務員の例として取扱われておる政治的行為の規制に関する人事院規則は、或いは大達文部大臣の意見によつて変えるかも知らん。若し変えたとするならば、これはこの法律によつて、途中の法律の改正は事実上人事院によつて改正がなされるわけであります。これこそ大問題だと思う。そういうことは憲法の下において或いは民主主義的な法体系の下で、刑罰体制の下で許されるとお考えになつているのですか、お伺いいたします。
○国務大臣(大達茂雄君) この例によるという書き方をしてあるのでありますから、これはそのまま人事院規則というものに追随しなければなりません。従つてこれが改正されない限りにおいては、国の庁舎、施設等にそういう文書、図画を、ビラを掲示し又は掲示させるというようなことは、これは禁ぜられておつて、そして逆に地方公共団体の庁舎にそれを貼りつけるということは一応これは解放されるわけであります。でありまするから、先ほど申上げたように、その解釈であることは間違いない。でありまするからこれが非常に矛盾しているとは思わんけれども、つまり足りないことになる。極く理論上の問題でありますが、調子が揃わんという点が生ずる。この点を人事院規則の改正という機会があればそれをお願いをしたい、こういう意味のことを申上げたのであります。それから罪刑法定主義というお話でありますが、私は人事院規則において、かくのごとく精密に、この内容が苛酷であるとか何とかいうことは別論として、構成要件を、極めて詳細に罪としての構成要件をここに列挙してあります。してありまするからして、これは主として刑罰そのものは法律に直接規定をしております制限せられる政治行為の内容については、ここに極めて詳細にこれが列挙されておりますから、その意味において罪刑法定主義の趣旨に反するものである、こういうふうには私は考えません。法律ですることが適当でありましようけれども、その形式が法律の根拠を有する限り人事院規則であろうとも政令であろうとも、或いは今日府県の条例によつて罰則を規定する場合もあつたかと思います。でありますからこの形式はいわゆる法であつて法律というものではないと私は思つております。殊にこの点は現在の国家公務員法に規定してその法律の委任によつて人事院規則ができておるものでありますからして、法律的には法律と同じ効果を持ち、効力を持つものと私は考えておりますから、その点罪刑法定主義云々の問題は少くとも法理上はその問題の生ずる余地はないものと思います。
○吉田法晴君 大達文部大臣の罪刑法定主義の理解を聞いてあきれるのであります。法制局はおられますか。この法律によらずして処罰せられることはない、その法律というのは大達文部大臣が言われるように法が委任した政令であるとかいう問題ではない、国民主権の観念からいつて、国民の代表である国会が、言い換えれば国民がきめた罪でなければそれ以外に処罰されることはない、こういうのが罪刑法定主義です。法制局一つ部長が来ておりなさるが、一つ御教示願いたいと思うのであります。政令や或いは行政権の一方的な意思によつて罪がきまる、かような罪刑法定主義理論はこれは明治時代にはあつたかも知れません、帝国憲法の下にはあつたかも知れませんが、少くとも日本国憲法の下においてはないと思うのでありますが、一つ……。
○国務大臣(大達茂雄君) ちよつとお聞き落しになつているかと思いますから、もう一度申します。私は法律に根拠を有する限りその犯罪行為を規定する形式が、政令であつても人事院規則であつてもこれは罪刑法定主義の観念にそむくものではない、こういう意味のことを申上げたのであります。合せて国家公務員法においては法律によつてこれを人事院規則に委ねておるのであります。従つてこれは法律がきめておると同じであり、国民の意思によつてさような法律ができておるのであります。でありますからして、これは立法府においてそういうふうにおきめになつた。でありますから、これが若し法理上許すべからざるものであるというふうなことであれば勿論のことでありますが、不適当であればこれはこの人事院規則に対する授権をやりかえて法律を改正して、法律自身が規律すればいいことでありますが、私は法律が委任すればその効力というものは法律が規定したと同じであるというふうに解釈しております。
○政府委員(野木新一君) 罪刑法定主義でございますが、どういう行為が犯罪であるか、及びその犯罪に対してどういう刑罰が科せられるかということについて法理上明らかになつておることを要するということが罪刑法定主義であると思いますが、併し法律でその構成要件の一部を政令なり規則に譲るということも罪刑法定主義に反するものではございません。現に国家公務員法の今問題になつております百二条の「政治的行為の制限」、その場所も政治的行為の内容を人事院規則に委ね、これに違反した場合に罰則はあとの法律自体で規定しておるのでございまして、これが果して妥当かどうかという議論は或いはあるかも知れませんが、直ちに罪刑法定主義に反する、だから違憲になるという議論は出て来ないのじやないかと思います。
○吉田法晴君 法制局の野木部長から罪刑法定主義の解釈を伺つたのでありますが、どうも幾ら法制局が最近政府の機関として法律の解釈に詭弁を弄するようになつたとしても、今のような論弁を聞こうとは思いませんでした。罪刑法定主義の中に罪の構成要件もはつきり法律にきめなければならん。国民が自分できめるという点は、これは明らかだと思うのです。成るほど百二条には「政党又は政治的目的のため」云々と書いてございます。一応そこに包括的な概念として「政治的目的のため」云々というのが出てはおります。そうしてその百三条の違反の罰則を百十条に掲げられておりますけれども、併し問題にしておる人事院規則ではその政治的目的の中身を書いておるのです。具体的に先ほど例を挙げましたが、或いは庁舎を国の庁舎であるか或いは地方の公共団体の庁舎であるか、それに文書、図面を貼る、貼らん、或いは政治的目的を以て金品を国家公務員か地方公務員に提供するかどうか、こういう問題をいわば構成要件の内容をここに人事院規則を以て定めたことは間違いなかろう。それを構成要件であるかないか、こういう政令によつて人事院規則によつて構成要件をきめることが罪刑法定主義に合うかどうか、こういう議論をしておるときに、若し大達文部大臣のように法律が根拠があるならばそれを政令に委ねようと、或いは行政機関の一方的な判断に任せようと、それは任せる根拠が法文にあるならば、それでよろしいという議論を若し敷衍されるならば、これは人事院規則を待つまでもなく、文部省でこれは規則がそうなつておりませんけれども、仮に政令に任せられるような法の規定があるならば、文部省でこういうものは処罰するのだ、三年以下或いは十万円以下の罰金に処し得るのだという規定をしても或い通牒を出しても、或いはここで言明をしてもそれで処罰できるという罪刑法定主義に反する結果ができることは明らかであります。問題は人事院規則が構成要件を定めておるかどうか、明らかに犯罪の構成要件を規定するかどうか、国家公務員法百十条との関連において構成要件になるや、ならんというのですか。
○政府委員(林修三君) 只今の法制局の第一部長からお答えいたしました通り、罪刑法定主義という建前は、これは刑罰を科する、刑罰規定が法律に基いてきめられるということの要請であると思います。従つて構成要件の一部が政令なり法律に基いて政令なり規則或いは条例に譲られるということは、これは今までの立法でも相当ある事例でございます。又憲法では七十三条で罰則を政令に譲ることも実は認めております。これは法律の委任に基いて政令に譲ることも認めております。従いまして、法律の委任に基いて罰則が政令或いは省令で規定されておる例もこれはあるわけでございます。そういう意味におきまして、法律に基いて刑罰規定がきめられる、これが憲法の罪刑法定主義の要請するところである。かように考えておるわけであります。只今お話のございました百二条第二項は、要するに政治的行為というものの内容を人事院の規則の定めるところに譲つておるわけであります。そういう人事院の規則の定める政治行為をした者に対して、百十条におきまして三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。この百十条はこれは処罰規定であります。その構成要件は百二条できまつている。百二条におきましてはその一部を政治行為の内容を規則に譲つている。これは罪刑法定主義の要請に反するものとは考えておらないのであります。
○吉田法晴君 ちよつと今憲法上の規定を探しておるのでありますが、罪刑法定主義の解釈は、刑罰の中身を国民の代表である国会がきめるのでなければそれ以外で処罰されないという建前があることは間違いがないと思うのでありますが、仮に法律に、国家公務員法百二条によつて一応規定するとしても、その実質的な中身を人事院規則に任せておる場合に、人事院規則十四の七ですか、それの第五項のあれが百十条との関係においては構成要件になるという点はお認めになつたと思います。その構成要件が法律によらなければならんという建前は、これもお認めになると思います。そうすると、実質的に構成要件を人事院規則で定めた、こういう規定の仕方が合憲的であると申しますか、罪刑法定主義から考えて好ましいとお考えになるかどうか、それを先ず承わりたい。
○政府委員(林修三君) 憲法で罪刑法定主義を直接規定しておりますのは、第二十一条だと思います。「何人も、法律の定める手続によらなければ、」「刑罰を科せられない。」ということだと思います。で、これは法律の定める手続ですから、まあ従つて法律に基いてきめられるということでございます。今の国家公務員法百十条の刑罰規定も勿論法律に基きまして刑罰規定をやつておるわけであります。その構成要件は同時に百二条できめておるわけであります。百二条ではその構成要件の一部を人事院の定めるところに譲つておる。従いまして、委任の範囲が広い、狭いという問題はこれはございます。又極めて広汎な委任は、俗に言われますブランケット・デリゲーシヨンという問題につきましては、これは憲法上問題がありましよう。やはり或る程度ここでは政治的行為ということを制限して、そうして人事院規則に譲つているわけであります。立法政策上の妥当論、不妥当論は、これはおのおの御覧になるかたの御批判の余地はあるところであります。これを以て罪刑法定主義に反するということにはならないというふうに考えております。
○吉田法晴君 私どもの了解いたします罪刑法定主義は、法律が任せれば政令でも或いは行政行為でも構成要件をきめ得るということではないと思うのであります。まあ議論になりますから別の機会に譲ることにします。 もう一つ、先ほど大達文部大臣が言われた国家公務員の例によるというこの法律の結果、国の庁舎には貼つてはいかんけれども、地方公共団体の庁舎には貼つてよろしいこういう結果になる。従つて、人事院規則を改正することを望んで、これは人事院規則の改正が行われるかも知れん、或いは恐らくこれは行われるであろうというお話だろうと思うのです。そういう行政権の問題、行政機関の意思によつて人事院規則も拡大せられる。そうしてこの国家公務員法百十条の処罰要件が拡大せられるという、処罰の対象が拡大されるということが起ろうとしているのです。こういう事態に対して、本来の罪刑法定主義の精神から考えてそれが望ましいかどうか。若しそういうことをいたしますならば完全に大連文部大臣の言われるように、行政機関が処罰の要件を作つて、或いは刑罰法規を実質的に作つて行く、こういう結果に出て罪刑法定主義が根本的に覆えされることは明らかだと思うのであります。なおこれらの大達文部大臣の発言を憲法の下において許されるかどうか、一つ法制局から御答弁を願いたい。
○政府委員(林修三君) これはおのおのの法律の定めるところによりまして、そういう実は処罰規定の内容を、構成要件の規定が政令以下に譲られているものは、その法律に基きまして或いは政令に譲られる、或いは省令に譲られる、或いは規則に譲られるということはこれはあり得るわけでありまして、これを以て直ちに罪刑法定主義に反するということは言えないということを申上げたのであります。 今の国家公務員法の場合にはこれは人事院の定めるところに譲つたわけであります。人事院は勿論御承知のように相当独立性を持つた行政機関でありますから、人事院規則は人事院の総裁初め人事官三人の会議できめられるものでございます。この合議体において人事院規則がきめられる。従つてその改正も同様な手続でなされなければならない。そういう手続でなされる人事院規則に刑罰規定も一部の構成要件を譲つたことがいいかどうかということはこれは問題でございます。これはそういうふうに国家公務員法百二条に基いて講られているのでございます。改正は結局人事院の決定によつて行う。これは人事院が相当独立性を持つている関係から申しまして、必ずしも内閣の要請とか何とかということで直ちに人事院のなさるものではないと思います。これは人事院の御見解によつてこれが改正をなされるかも知れない、こういうことだと思います。或いは勿論そういう希望は行政府のほうから申上げることはこれはあると思いますが、人事院は人事院の立場でこの規則の改正をなされる、こういう筋道だろうと思うのであります。それからこういう例はほかの法律にもたくさんあるのでございます。御承知の労働基準法でございますか、労働基準法等も労働基準法の施行規則に、或いは労働安全衛生規則に実は相当広汎な委任をいたしております。従つてそういう労働安全衛生規則の違反については殆んど省令に委任されている。なお省令に対する違反規定を法律できめているという例はいろいろな法でたくさんあるわけであります。刑罰法規の構成要件を省令、政令に譲つたという例はこれは他にもあるわけであります。その範囲が果して妥当かどうかということはこれは立法論の問題だと、かように考えます。
○国務大臣(大達茂雄君) 先ほどから御発言の中に非常に私が申したことを勘違いをしておられるところがありますから、この点を申上げて置きます。 私は法律の委任あれば行政処分或いは行政機関の個々の行為できめても差支えない、そういうようなことは全然申上げたつもりはありませんし、そういうことを考えておりません。甚だしきに至つては、この席で答弁されてそれがきまるということを言われますが、さような気持は毛頭ありません。これはお聞き違いであります。私はこれは罪刑法定主義の法という字がありますから、これは法律に根拠がなければならないけれども、それを具体に規定するものは必ずしも法律という形式をとらんでもいいが、法であればいいのです。法律の委任がある限り、法律に基礎を持つ限りはそれでいいはずだ。こういうことを申上げたのであつて、つまり法規でなければならん、ノルムでなければならんということを申上げたのでありますが、行政機関の個個の場合における行政処分、行政行為によつて罪の構成要件が定められる、そういうふうなことは申上げたのじやありませんから、それは誤解のないようにして頂きたいと思います。
○吉田法晴君 誤解と言われますが、罪刑法定主義というのは私は国会がきめた法律、こういう意味だと思うのであります。それをあなたはノルムであれば法律であろうと政令であろうと或いはそれが行政行為であろうと、行政行為という意味は例えば政令にしてもそうです。政令をきめる、それはノルムであることには間違いありません。間違いありませんが、行政機関が一方的に判定するノルムであることも間違いない、そういう意味において個々の行政行為であるか、或いは政令その他のノルムをきめる行為であるか、これは私は今言つているわけじやない、若し国会がきめる法律でなくて行政機関がきめるノルムであるならばそれも法である、こう言われるならば罪刑法定主義の精神は壊れてしまう、そうして政令に任せられる或いは人事院規則に任せられる或いは人事院の構成からいいますならば、人事院指令とか或いはもつとノルムがあつたと思うのでありますが、そういうものでもこれはよろしい、こういうことになると思うのであります。従つて或いは政令がその次の、政令の次はちよつと忘れましたが(笑声)文部省令であるとか行政行為で以て紙に書いたノルムであるならばそれでいいと、それはあなたはここで言われるけれども、ここで言われたそのままではこれはノルムにならん、併し家に一つて省議を開いてその通りにする、こういうことであればそれがノルムになるのです。そういうことになるから、それは罪刑法定主義の根本理念を壊してしまうじやないか、こういうことを言つたのであります。
○国務大臣(大達茂雄君) 私は法律に根拠がなければいけないということは、これははつきり申上げたのであります。勝手に法律というものに根拠を持たずに、法律というものは国会が定める法律、この法律に根拠を持たないで罪をきめるということは、これは当然できないことであります。いわんや個々の行政処分、省議が決定すれば省議で以て罪をきめる、こういうことは法律が委任するはずもなければ、さようなことがあり得るはずはありません。私はそういう意味のことを申上げたのじやないのであります。法律が委任した場合にいわゆる法規を以て、政令とか省令とか条例とか、そういう法規に委任をするのでありますから、その法規の形を以て法律の委任に基いて定められる場合には、その法律的の効果は法律できめたと同じことであると思うから罪刑法定主義に反するものではないと思う。こう言つたのでございまして、省議できめればそれで……。
○吉田法晴君 ノルムができる……。
○国務大臣(大達茂雄君) そのノルムという意味はあなたの言われる意味とは違うのです。法規という意味です。ですから、そういう意味とお考えになるならば、これはもう一つそういうことでないということをはつきり御確認を願いたいと思います。一体罪刑法定主義というのは国民がどういうことをすれば罰せられるのかわからない、それからそういうことをやつても一体どのくらいの程度の罪に落ちるのか、それもわからない、こういうことがあつてはならんということが罪刑法定主義であろうと思います。つまり大岡裁判とか、戦争裁判みたいに一体これをやつたら罪になるかならないか、吟味をして又裁判にかける、どの程度の罪になるかわからずにやられる、これが罪刑法定主義でないということでありまして、とにかく一般に罪になる内容がはつきりと公示せられて、それは法律の罪にするのでありますから法律の根拠が要りますよ、法律の形式を以て公示せられ、そうしてその罰の内容もはつきりする、これが私は罪刑法定主義の精神であろうと思います。ここで以て答弁をしたからどうとか、省議を開けばそれで法律の委任さえすればできるとか、そういうようなことを申上げたのじやありしませんから、その点はくれぐれも誤解のないようにして頂きたい。
○吉田法晴君 行政権の行為でノルムをきめるならばそれが法律の範囲内にあると、こう言われるから、それでは行政権の一方的な行為によつて罪刑がきめられるじやないか、こういうことを申上げておるのであります。その問題はまあこれは議論になりますし、もつと時間をとりますので(「議論にはならない、偏向教育の内容がわからないよ」と呼ぶ者あり)他にお願いをすることにしまして、義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する法律案に関連してその点をもう少し聞きたいと思うのでありますが、私どもは、私どもでなくても誰でもそうだろうと思うのですが、第三条によつてどういう行為が処罰されるかということは今の大達文部大臣のお言葉の通りこれはわからん、そこが一番問題のあるところと思うのであります。人事院規則とか或いは政令算で処罰がなされるかどうか、これは人事院規則なんというものはこれは初めて私も読んだのですが、国民の大部分は殆んど知りはしない。同じような、国民に明らかにならん点が中立性確保に関する法律案の第三条にございますが、その詳しいことはほかからも御質問があると思いますから要点だけ二、三御質問申上げたいと思うのであります。一番問題になりました点で明らかでなかつた点を一つここで明らかにしておいておきたいと思うのでありますが、衆議院文部、労働両委員会の連合委員会の席上多賀谷君から大達文部大臣に質問をいたしまして、「特定の政党その他の政治団体(以下特定政党という。)」からあと全部特定の政党の中には政治団体というものが入ると思うのでありますが、日教組がこの政治団体に入るか入らんのか、その点はつきり一つ御答弁を願いたいと思います。
○国務大臣(大達茂雄君) 具体的の場合について特定の団体が政治団体であるかどうか、この個々の場合についての判断をする、こういうことはこの問題であれば結局裁判所の問題でありますが、併しその点については、私は私の文部大臣という立場でその点を断定的に申上げる立場ではありません。衆議院その他において出ました話は、日教組というものが実質的にはこれは私どもの常識では政治団体である、政治団体と何ら異るところのないものである、更に進んで政党とも紛らわしい政治集団であると思う、こういうことは申上げました。
○吉田法晴君 その言われることは速記録を見ればわかります。例えばそのときに大達文部大臣は「こういう実態を言つたのであつて、何もこの法律を日教組に適用するのだと私は言うのではないのです。そこは誤解のないようにしていただきたい。」と、これに対して多賀谷君はそれでは「この第三条の政治団体とは、日教組は含まないのだ、そういう厭味を言つたのではなくて、政治的発言をしたのだ、こういう意味に了承して、次の質問に移りたい」と、こう書いてございますが、今の御答弁からいたしましても結局これは裁判所が判断する、ところが実態は文部大臣が見るところでは政治団体に近いものであります。「日教組はその実質においてほとんど政治団体と選ぶところない」云々と書いてございますが、この法律の解釈として大達文部大臣は法案の立案者としてこれを政治団体の中に一応入れて解釈されるのか、或いは多賀谷君の言われるように含まないと、こういう解釈をされるのか、その点をはつきり承わりたい。
○国務大臣(大達茂雄君) 衆議院において答弁いたしましたことにつきましては、私の記憶によればその場合は、ここに、「政党その他の政治的団体の政治的勢力の伸長」云々、こういう字を入れたということが、日教組を政治団体として、それを対象にしてそういう意味で立案したわけではない、こういうことを言つたつもりであります。そこで、併しながらこの法律には、政治的団体というものを、政治団体という字句を使つておりません。私どもが抽象的の観念としては政治団体ということの解釈をこの法律を提出した限り持たなければならんと思います。これは政治資金規正法によりまして、「政党とは、政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、若しくはこれに反対し、又は公職の候補者を推薦し、支持し、若しくはこれに反対することを本来の目的とする団体をいう。」というふうになつているようであります。それから政治資金規正法に「協会その他の団体」という言葉が使つてあり、これを私ども政治的団体と言いますが、こういうことを本来の目的とするという団体でなく、つまり政党ではなくて、政党以外の団体で政治上の主義、施策を支持、反対、公職の候補者を推薦、支持、反対する目的を有するものをいう、本来の目的ではないけれども、つまり他に本来の目的はあるけれども、併せてさような目的を有するものは政治団体、本来の目的とするものが政党である、こういうふうに、政治資金規正法にそういう意味のあれがあるのです。で、私どもはさような意味で政党その他の政治団体、こういう用語を使用しておるわけです。そこで日教組がこのいわゆるここにいうところの政治上の主義、施策を支持、反対、公職の候補者を推薦、支持、反対する目的を有するものであるかどうかということにつきましては、これは日教組自体の実態について、実態をよく調べた上でそれぞれ判断を下す以外にはありません。この政治的団体といううちに日教組が入るかどうかという具体の……、日教組には限りませんが、或る団体が、特定の団体がこの法律において政治的団体のうちに入るかどうかということになれば、その団体自体の実態をよく調査した上でなければ、これに該当するものであるかどうかという判断は立ちにくいのであります。でありますから日教組がここの法律にいうところの政治的団体なりと私は断言をすることはできない、こういうふうに申上げたのであります。ただ実質的に私どもの見るところでは、これらの政治団体、こういう政治団体と実質においては殆んど選ぶところがない。むしろ進んで政党とも紛らわしい集団である、こういうふうに思うということを言うたのでありまして、これは日教組自体をよく調べて見なければ、軽々に具体的に判断は下せません。これは日教組という言葉を使つておるのじやないのですから、それはわかりませんが、私どもは結局具体の場合においては、裁判官が実際について判定をするものであろう、私が裁判官ならば政治的団体と多分認めるだろうと思います。
○委員長(川村松助君) 田畑君から労働大臣に対する質問を先にやつてもらいたい。その間ちよつとあなたは一服してもらいたい。ちよつと速記をとめて。 〔速記中止〕
○委員長(川村松助君) 速記を始めて。
○田畑金光君 それじや労働大臣に御質問いたします。先ず最初にお尋ねしたいことは、只今委員長からのお話によりますと、労働大臣がこちらに長くいてもらうのも気の毒だ、こういうようなお話でありますが、言葉尻をとらえるようだけれども、当然に労働大臣としては本委員会に出席すべきであると考えるわけであります。
○委員長(川村松助君) その通りです。私のほうから出しやばつただけの話であります。
○田畑金光君 それは委員長それでいいでしよう。労働大臣は去る二十三日の本会議であつたと思いますが、吉田総理から、労働大臣が相当ひまがあるので国警担当の国務大臣に兼任せしめた、こういうような趣旨の発言があつたわけであります。どうもこの国会も相当長期に亘つて参りましたが、この間、労働大臣が労働委員会に出席されて、労働行政一般についての質疑等に答えられた回数というものは、実に限られておるわけであります。労働委員会といたしましてたびたび出席を願つたわけでありますが、なかなか出席が見られない。本来の労働行政上の労働委員会に出席することをサボつて、今回国警担当の兼務をやられたということは、誠に我々不可解であり、殊に労働大臣としてはひまだつたものだから国警を担当したなどというあの発言を聞いたとき、労働委員会に対する侮序のような感じを持つたわけでありますが、この点労働大臣はどういうお気持であの総理の発言をお聞きになつたか。訂正を申込まれたか、それとも誠にその通りだという気持であの発言をお聞入れになつたのかどうか。この点先ず伺つておきたいと思います。
○国務大臣(小坂善太郎君) 私も国務大臣といたしまして、委員会の御招請があればそれに出席いたしますることは当然の責務と考えております。従いまして私の記憶にして誤まりなければ、御要求のありましたものについては必ず出ておると考えております。併し今日は大臣出んでもよろしい、例えばけい肺法の審議で参考人を呼んでおるから局長でよろしいということであれば、私も他にも国務がございますので、他のほうに行つておることもございます。全体として今の御批判は、これは御自由でございますけれども、私としてはさような感じを持つておりません。 なお総理大臣の国警担当大臣とせしめたということについての発言についてでございますが、これは、内閣の人事上のことでございますから、私もそういうように担当してくれと言われれば担当いたしまして、目下議案になつておりまする警察法の審議を促進するということに努めて行きたいと考えております。ただ総理がなぜああ言つたかという、これは他人の言われたことを一々批評することは如何かと思います。ただ私として想像いたしますのに、あれは非常に適任だからしたのだ、こういうことは言えないでありましよう。いわゆる外交辞令として多少手があいておるから、こういう程度のものかと思つておりしまして、これは本来決してひまである、そういつた意図的のものではない、かように考えております。
○田畑金光君 この問題についてこれ以上お話するということもどうも適当でありませんから、この程度にとどめますけれども、ただ一つ、労働大臣が本通常国会におきまして、労働委員会に対する出席というものが非常に少かつたということは、これは事実であるし、誠に私遺憾だと考えておるわけであります。殊に労働委員会として重要なけい肺法の審議等という問題が十六国会から四回の国会に継続しておるにかかわらず、こういうような問題についての労働大臣として、労働省として、或いは政府としての明確なる見通し、態度等が明らかにされなかつたということは誠に遺憾であります。この点は労働大臣としても、如何に信頼される吉田総理からの発言であろうとも、ひまがあるのだというようなことを本会議の席上言われたのは、我々労働委員会に席を持つ者として、労働大臣は別でありますが、我々自身がどうも不愉快で、労働政策に対する吉田総理の軽視の態度が明確に現われているような感じが持てるので、この点特に十分御留点願いたい、かように考えるわけであります。 質問の点は二、三ありますが、一点お尋ねいたしたいことは、只今論議されておりまするこの教育二法案につきまして、先ほど吉田君からもいろいろ御質問があつたわけでありますが、労働大臣といたしまして、労働行政の面から、或いは労働政策の両から見られた場合に、この法案につきましては、妥当であるとお認めになつたかどうか、こういうことを質問すること自体がおかしいのでありまするが、当然にこれは妥当であり立派な法律だと、こういうわけで労働大臣も協力されておる、こういう答弁があると思いますが、ただ私のお尋ねしたいことは、この法律の、殊に義務教育諸学校における政治的中立の確保に関する法律の第三条を読みましたときに、相当労働政策の面から見ましても、戒心すべき内容がありはせんか、こういうことを恐れるわけでありますが、こういう点につきまして、労働大臣といたしまして閣議等で然るべき意見の具申等をおやりになつたかどうか、この点について承わつておきたいと思います。
○国務大臣(小坂善太郎君) 前段のお話でございますが、私はひまがあるからということは総理は言わなかつたと思つております。(「言つた」と呼ぶ者あり)比較的手があいておるというようなことを言われたと思う。(「同じだ」と呼ぶ者あり)さつき言つたように手のあいておるということとひまがあるということはこれは別でありまして、手のあいておるということは、いろいろ切廻しをして手があいたわけで、ひまがあるということは、本来仕事がない、それは根本的に違うわけであります。要するに先ほど申上げましたように、人をなぜ推薦したかという場合に、手があいておるというのはいわゆる外交辞令で、片方はいい、片方は悪いということになるから、やめた人に対する礼もありますから、これはその点は余りおつしやらないようにお願いいたします。 それからこの法案が適当であるかどうかということは、聞くもやぼだとおつしやいましたが、それは私ども立場としてはその通りでありまして、閣議で、内閣は一体でありまして、私も閣議ではこの法案が妥当なりと認めて承認をいたしております。殊に第三条を挙げられましたのでございますが、これは義務教育諸学校の児童或いは生徒に対して特定の政党を支持させるということ、或いはこれに反対させる教育を行うということは、白紙であるべき年ごろの児童に対して、そうした教育が行われないということはこれは妥当であろうと思います。その意味で賛成いたしておる次第でございます。
○田畑金光君 公務員の団体でありますから、教職員組合自体の運動に関しましても、勿論一般民間関係の労働組合の活動とは性格と申しますか、運動の実現の形等におきまして趣きを異にしておる面もあることは、これは私たちも了承できるわけでありますが、併しさればと言いましても、公務員の団体である、或いは全体の奉仕者である、こういうような言葉によつて言われておるが、教育労働者としての教職員組合の活動の面が確かに一般労働組合のそれとは同じ面も多々あるということはこれは事実であろうと考えるわけであります。そこでお尋ねいたしたいことは、先ほど来文部大臣並びに労働大臣の答弁を聞いておりますと、教職員である、或いは公務員である、従つて全体の奉仕者である、こういう名の下に教職員団体が、例えば憲法で認められておる団結権或いは又その他の公務員法の一般から認められておる団結権の具体的な活動等につきまして、一切一般の労働組合のそれとは異なつておる、こういうような印象が濃厚であるわけでありますが、この点に関しまして、労働大臣はどうお考えになつておるか。端的にも申しますると、教職員の活動の面におきまして、一般の労働組合のそれと多々共通の面があるということは、従つてこの面におきましては、労働政策として重大な関心を持たねばならんと、こう考えるわけであります。この点につきましては労働大臣はどうお考えになつておるか、承わつておきたいのであります。
○国務大臣(小坂善太郎君) この点は先ほども触れましたように、教育基本法或いは教育公務員特例法によりまして、教育者というものは全体の奉仕者であり、全部の奉仕者であり或いは公共の奉仕者である、こういう建前から、国家公務員のそれと非常に相似した職務内容を持つものと、こういう点からいたしまして、この法律の内容とするような政治的な行為の制限というものは当然あるべきものではなかろうかと考えておるわけであります。これがその労働政策上どうかというわけでございますが、この点は特に先ほどから申上げておりますように、政治行為の制限なのでありまして、この点については、いわゆる労働政策上の問題とは別個に私は考えておるのであります。
○田畑金光君 私のお尋ねいたしております点は、只今労働大臣の御答弁されておる点とは異なつておるわけであります。私自身も先ほど申上げましたように公務員であるという職務、或いは又教員であるというこの職責、この面から来る特殊性というものを私は全面的に否定するわけじやない。併しそれでも教員も教育面における一人の労働者であるという。勤労者であるという概念によつて規定されようと考えるわけであります。こういう教育労働者に対しましても今日の憲法並びに公務員法は団結権を認めておる。その団結権に塞ぐ具体的な団体的諸活動も今日の法体系は当然に前提として許容しておる、こういう面から教職員組合或いは教職員の団体活動を見ましたときに、一般の労働組合のそれと同じ共通面があるということを私は当然認めなければならんと考えております。具体的に申しますならば、例えば教職員組合の生活の問題、或いは経済的な社会的な地位の向上問題、こういうような面におきましては、一般労働組合のそれと何ら異なるものではない。こう私たちは考えておるわけでありまするが、この点につきまして労働大臣はどういう御所見をお持ちであるか、この点をお尋ねしておるわけであります。
○国務大臣(小坂善太郎君) この三つの法律案の提案理由にも書いてございますように、一つは義務教育諸学校におきまする教育を党派的勢力の不当なる影響又は支配から守り、以て義務教育の政治的中立を確保する、こういう考え方と、公立学校の教育公務員の政治的行為の制限については、教育公務員の職務と責任の特殊性に鑑みて国立学校教育公務員の例によることを必要とする、こういう二つの面からこの法律はできておるのでございます。只今のお話によりますると、これによりまして非常に団結権が不当に侵害される、それが延いては教育者各位の生活権擁護を侵害するのじやないか、こういうような御疑念でございますが、私はそういうものとは別である、そういう考えを持つております。
○田畑金光君 労働大臣は私の質問の内容がまだ明確に把握されていないようでありますが、今労働大臣の御答弁なさいました前半、即ちこの二つの法律案は提案の趣旨或いはこの三つの法律の目的、これを私はお尋ねしているわけではないのであります。従つて政治的活動の面或いは政治活動の制限の面を私はお尋ねしておるのではなくして、そういうような問題とは一応別個にいたしまして、教職員組合活動には一般労働組合として同様な経済的な諸問題の解決、或いは又社会的な地位の向上、こういうような問題が当然教職員組合活動の本来の機能に属しておる、即ちこの活動の面は憲法並びに公務員法一般の精神から言つても当然許容されておる問題であるのだが、この点については労働大臣はお認めになるかどうか、こういうことを尋ねておるわけであります。
○国務大臣(小坂善太郎君) これは先ほども申上げたことと思いまするが、地方公務員法五十三条の規定によりまして、職員は、給与、勤務晴間その他勤務条件に関して団体を結成し得るという規定がある、こういう面において職員自体の給与の内容その他を改善すべく団結する権利は与えられておる、この点は共通だと思うのであります。併しこの仕事の内容から来るところの特殊の制限というものは、これは政治活動をするとか、或いは団体協約を結ぶとか、そうした面につきましては先ほどからしばしば触れておりまするように、国家公務員であるとか地方公務員であるとか、或いは教育公務員であるとか、そういうものの職務内容によつてそれぞれの制限がある、こう私どもは考えております。
○田畑金光君 私のお尋ねしたかつた点は只今の労働大臣の御答弁の前半である。要するに教職員の団体活動の中には当然地方公務員法五十二条の趣旨に基く経済的な諸問題の解決、或いは経済的な地位の向上、こういうような点については一般労働組合の活動と同様である、こういうような御答弁がありましたので、私はその点でこの点は了承いたすわけであります。そこで私はそういうような観点に立ち快してこの法律案を読んで見ましたとき、殊に義務教育における政治的中立の確保に関する法律案の第三条の点であります。この第一条は具体的に犯罪の構成要件等を規定しておるようでありまするが、併し半面仔細に観察しますると、非常に又不明確な、或いは疑わしい点が多々あるわけであります。例えて申しますると、この第三条が目的罪として規定されておりまするが、「特定の政党その他の政治的団体の政治的勢力の伸長又は減退に資する目的をもつて、」教育を利用し、或いは、簡単に申しますと教職員組合という組織或いは活動を利用いたしまして教唆扇動した場合には第四条による処罰に該当するわけであります。ただこの際問題になつて参りますのは、例えば教職員の組合というもが終戦後教育の民主化のため大きな足跡を残していることも事実であります。同様に又戦後のインフレ下におきまして教職という重大な任務を持ちながら生活もできない。先ず教育することよりも生活そのものに追われているというあの戦後の混乱の中において教職員も教員である前に人間である、労働者である、従つて人間であり、労働者であるというこういう面から先ず生活の安定をしなければ、本来の教員としての職務を全うすることはできない。こういう面におきまして教職員がその団体活動を通じまして経済的な諸問題の解決、社会的な地位の向上を図つて来たことは御承知の通りであります。そういうことを考えて参りましたときに、現在の日本の経済状況におきましても、殊に又労働大臣が所属されておる吉田内閣の教育政策等から見ましたときに、教職員がその団体活動を通じまして経済的な諸問題の解決を進めて行くということは当然の措置だと考えております。併しその場合に問題となつて来ることは、国家公務員である教員であつても、地方公務員である教員であつても国の予算或いは地方公共団体の予算、こういうようなものに経済的な問題の解決は制約されると考えるわけであります。そういうような場合に教職員が団体活動を通じましてみずからの地位の向上或いは生活の擁護を目的として活動した場合に、往々にしてその相手方というものは、或いは国であつたり或いは具体的に言うと文部省であつたり或いは地方公共団体であつたり、具体的に申しますと、地方教育委員会であつたり、こういうようなことになつて参るわけであります。そういたしますと、或る面から申しますと、経済的な問題だが一つの政治的な問題として解決されなければならん。ところがこの法律によりますると、相手方である政府或いは地方公共団体、地方教育委員会の認定如何によつては政治活動であるという断定の下にこの法律の適用がなされる危険性が非常に強く出て来ると、こう考えるわけであります。こういうような点につきまして労働大臣としてはどうお考えになつておるか、或いはこういうような問題等が労働政策全般の立場から芳ばしくないというような観点の中におきまして閣議等で論議をされた事実があるかどうか、この点について承わつておきたいと思うわけであります。
○国務大臣(小坂善太郎君) 教職員の団結権の場合に今申し上げました五十二条があるわけでありまするが、これがその一般の労働組合と違いまする場合は、先ほども冒頭に申上げましたように、労働組合の場合は管理者的立場にあるものは組合員になつていないのであります。但しこの場合は校長とか教頭というような、教員に対して一般に管理者的な立場にあるものも入つておる、こういう点が違うのでありますが、今お挙げになりましたような団結権を、或いは更に団体交渉を強化して自分の生活向上を政治的に闘いとらなければならん面もあるのだと、これを第三条によつて全然抑えてしまうのだということは一般の労働政策上不当ではないか、こういつたような御意見でございますが、私どもはこの国家公務員法なり地方公務員法なりに対して示されておりますように、いわゆる団体交渉権の制限がありまするに対しまして人事院或いは人事委員会というものを以て埋めておるのでございまして、やはり国の予算、或いは地方公共団体の予算というものの一定の枠というものがありまするから、これを政治的な勢力を伸ばすことによつてのみこの枠の伸縮が可能である、従つてそういう政治的な動きをしなければ教職公務員の地位或いは給与の改善というものはなされない、こういう考え方には先ほど反対であるということを申上げた通りでありまして、私は教育の中立性を保たれなければならん、特に全国に亘つておりますような義務教育諸学校の児童生徒に対する教育というものは飽くまでも中立的な立場をとつて教育さるべきものだということを考えておるのであります。まあ先ほども申上げましたように、そうした組合自体の活動が政治が主であるということは本来の労働政策から申しましても組合の正当なる行き方ではないと私は考えておりますから、ここに問題になつております法律案につきましては閣議等において労働政策上好ましからずということで以て反対したということはございません。
○田畑金光君 労働大臣の御答弁は、私、純然たる経済活動の面から教職員の団体活動面を捉えて質問申上げておるわけですが、先ほど来の答弁を見ますと、労働大臣は常に教職員組合が政治活動をやつておる、政治活動のみに終始しておるという前提の下に答弁されておるが、私の聞かんとするところと常に全い違いが出て来ておるわけであります。私のお尋ねいたしております件は、要するに先ほど労働大臣もお認めになりましたように、教職員の組合が一般労働組合のそれと共通しておる面は、経済的な諸問題の要求或いは折衝、解決、こういうような点においては同一面を持つておる、私はその面において、その面を出発点として話を進めているわけであります。只今の御答弁によりますと、教職員組合の構成が管理者を含んでおるとかいうようなことが一般の労働組合のそれと違つておるというお話でありますが、そのことは別にここに問題にしておるわけではないのであります。ただ私のお尋ねしたいことは、純然たる経済活動、教職員の例えば賃金、給与の改善、こういうような経済的な目的に出発しておる活動が今回のこの立法によつて、殊に第三条の解釈、運用の如何によつては本来の活動すらも制限し抑圧される危険性が伴つておると思うわけであります。併しながらこの法律は教職員組合の政治活動そのものについての制限或いは禁止を図ろうとしておる目的に生れておることは否定できません。ただ教職員組合の経済活動そのものを制限、禁止しようとする意図ではないと思うわけであります。で、労働大臣に、これはむしろ文部大臣のほうが適当かも知れませんが、当然にこの法律案というものは内閣連帯の責任において、内閣の責任において提案されておりますから、労働大臣当然御承知のことと思いまするが、この法律は教職員の経済的な活動をも制限しようとする意図で提案されたのかどうか、この点を先ず承わつておきたいと思います。
○国務大臣(小坂善太郎君) 第三条をお挙げになりましたので私は第三条についても申上げたのでございますが、この第三条二項、三項を御覧になりましてその通りお読み下されば何ら只今のような御疑念はないものと考えております。
○田畑金光君 例えば具体的な例について申上げたいと思いますが、毎年あらゆる公務員の団体が、一般の民間産業においても同様でありますが、経済的な問題の解決、例えば賃金問題の解決、ベース・アップ等の要求をいたしておるわけであります。そのような経済的な要求が今回の法律が制定され、実施され、又運用によつては、純然たるそういう教職員組合の活動すらも又政治行為、政治活動の名において制限される危険性があろうと考えております。例を申上げますと、五十二条の規定によつて給与の改善等については折衝ができるわけであります。そのような場合に例えば教職員組合の団体の責任者が地方の教育委員会に折衝をする、或いはこれがために相当数の人かたがそれぞれの相手方に対して会見を申入れ、交渉を申入れる。ところが今回のこの法律が制定されますると、地方公務員法三十六条の但書が機能を停止されて、そうして政治的行為については国家公務員に準ずる、ならう、こういうことになつて参りますと、いわゆる人事院規則の政治的行為等の一切が教職員のそれに起用されて、そして今言つたような交渉のために多数の代表が地方教育委員会等に会見を申込む、こういうようなこと等も挙げて制限或いは禁止される危険がある。運用によつてはそのような危険が多分に濃厚である。こういうような点につきまして、そのような危険がないとお考えになつておるかどうかということをお尋ねしたわけであります。
○国務大臣(小坂善太郎君) 地方公務員法五十二条の規定で御承知の通り「当該地方公共団体の当局と交渉する」、即ち町村の職員組合においては町村の当局と交渉するということになつているわけであります。なお教育公務員特例法の二十五条の六によりましてその上の府県単位の連合体を作り得るわけでありますから、府県単位に交渉する。それ以上の団体になりますると、これは何ら規定がないわけでありますが、これはまあ憲法の保障するところの団体結社の自由ということで理解しておるわけであります。そこで只今お話のような団体を作ることが、この法律を作ることによつて非常に規制を受けるのじやないか、交渉もできなくなるのじやないか、こういうことでありますが、いわゆる団体交渉権は現在でも認められておらないのでありますが、給与を改善するための交渉をすることは、この今挙げました法律で明らかに規定されておるのでありまして、その法律で規定されておることがいけないということにはならん、かように考えております。
○田畑金光君 これはむしろ文部大臣にお尋ねしたほうが適切かも知れないわけでありますが、今大臣が不在でありますので、労働大臣にお尋ねいたしすけれども、こういうことも……。
○委員長(川村松助君) 政務次官、政府委員がいますから、若し……。
○田畑金光君 ……こういうことも考えられるわけであります。例えば現存の経済不況において国民生活が非常に困窮しておる、学校においても児童等の給食費も負担できない、こういうもうな家庭等が多々あるわけであります。従いまして、こういう学校給食を国家の財政負担において解決を図ろうというような要求等は、これは当然学校の完全な運営のためにも、殊に自々子供たちに接している教職員としては当然の要求として出て来ると考えるわけであります。或いは又貧困児童の夢業等を見ましたときに、憲法に認められている義務教育の無償、即ち国家の責任において義務教育の安全な実施方を要求するということも、良心的な学校の先生としては当然これは出て来る問題だろうと思うわけであります。そのような場合に、今の例えば政治的な条件、或いは現在の文教政策、こういうことを見ましたときに、義務教育を国家責任において完全実施を図るということは期待できない。殊に国家財政等の今の頭の向いている方向というものは、自衛隊を中心とする再軍備の方向に向つて行つておる。こういうようなことを見ましたときに、到底教育政策の円満な達成というようなことは不可能である。そういうような場合に、こういうような純然たる教育問題につきまして、学校の先生方が純粋な教育の面から論議をすること、意見を述べること、こういうようなことが今回の立法によつては、運営の如何によつて絶望的に禁止されるということも予測されようと考えるわけであります。こういうようなことを我々が見て参りましたときに、この法律というものは運用の如何によりましては、教職員組合の純然たる経済活動、或いは教職員の教育という純粋な職責から来る当然の活動等についても政治活動の名において抹殺される危険性が濃厚であるが、こういうような両に関しまして政府はこの法律を提案するに当つてそれらの面を如何に調整しようという意図の下に出されておるか、それらの危険性はないとおつしやるのか、この点につきましてお尋ねいたしたいと思います。
○政府委員(福井勇君) 御提示のような給食とか、或いは貧困児童に関するいろいろな解決の問題とか、或いはお話のような純粋な意見というような問題については制約するような含みを目途として立案されておりませんし、又給食費の増額だとか、或いは義務教育費無償の原則の確立を要望するというようなことについては、この二法案には絶対に触れるものではございません。 〔委員長退席、労働委員長栗山良夫君着席〕
○田畑金光君 政務次官の御答弁によりますると、そのような問題については何ら本法に触れるものではない、かようなお話であります。そういたしますると、例えば今申上げました義務教育の無償の要求の問題とか、或いは学校の施設、環境をよくする要求を展開する運動であるとか、このようなことは一切今回の立法の目的の範囲外である、こういうような御答弁であるわけですが、これの問題は引つくるめて申しますと教育行政の問題だと思います。そうしますと教育行政の問題に関しまして、教職員組合が積極的な活動を展開する、こういうようなことは許されておると解釈してよろしいかどうか、この点についてお尋ねいたします。
○政府委員(福井勇君) 先ほども申しました理由といたしましては、教唆扇動でもございまするし、又人事院規則で定める政治的行為にも該当しませんから、前にお答えした通りに御解釈を願いたいと思います。
○田畑金光君 非常に明確な御答弁でございましたが、そういたしますと教唆扇動でなければ、時の教育行政に対しまして教職員が意見を述べる、或いは批判をする、或いは改善を要望する、こういうようなことは組合の団体活動としても許されるかどうか、この法律の趣旨に違反しないかどうか、改めて念のためにお尋ねしておきます。
○政府委員(福井勇君) その運動が人事院規則に触れる形で行われればこれは問題となる、こういうふうに解釈いたします。
○田畑金光君 そこで政務次官にお尋ねするわけでありまするが、そういたしますと教育行政に関しまして意見を述べる、或いは批判をする、これは自由である、こういうような御答弁でありますので、非常にこの点は満足いたしました。併し時の教育行政を批判する、或いはこれについて意見を述べる、こういうことになつて参りますると当然にそれは時の政府、或いは町の地方公共団体、教育委員会、こういうような行政面について批判を加える。批判を加えることによつて教職員の活動が影響力も当然それには伴う、こう考えるわけでありまするが、そのような場合におきましても本法に触れないかどうか、本法はそのようなことは予定していないかどうか、改めてお尋ねしておきます。
○政府委員(福井勇君) だんだん細かくなつて参りましたが、先ほどお答えした大きい枠で御解釈願いたいと思います。なお組かい点につきましては今局長が補足したいと申しておりまするからお答えいたします。
○政府委員(緒方信一君) 只今御質問の問題は教育公務員特例法の一部改正によつてこの法案が成立した場合に、公立学校等の教員の政治活動が如何に禁止されて行くか、かような点かと考えます。この改正法案が成立いたしました場合には、御承知のように人事院規則が適用されることになつておりまして、人事院規則で定められておりまする政治的行為の禁止がされるわけであります。人事院規則の政治的行為でございますが、これはこの条文をお読み頂きますと、第五項にその政治的行為の目的を規定いたしております。目的がここに第一号から第八号までございます。それから更に次の第六項に、政治的行為というものが一号から十七号まで規定されておりまして、具体的にはかような行為が禁止、制限されることに相成るわけであります。只今お述べになりました教育行政に対しまする批判でございますが、或いは要望をするというようなことは、この目的から申しましてもこれに入らないと考えます。それから行為のほうにつきましても、ここに掲げてありますような具体的な行為が禁止をされるわけでございます。その行為の態様によつてこれは禁止されるものと禁止されないものと出て来ると考えます。
○田畑金光君 それで具体的に人事院規則の政治的な行為について御答弁がありましたが、そうしますと教育行政について批判、意見、要望と、こういうようなことで以てこれは明らかに政治的な目的を持つておるわけがないのです。純然たる教育行政そのものに対する教育の面から来る教職員の要求、活動、こういうような問題が出て参りまして、例えば具体的にそのような問題の解決のために、今お述べになりました第六項でありますか、第六項の政治的行為の定義の中の例えば十号、十一号のような場合に、それは政治的な目的を持つた意図じやないけれども「多数の人の行進その他の示威運動を企画し、組織し若しくは指導し又はこれらの行為を援助する」というような場合、或いは又政治的な目的でなくして、「集会その他多数の人に接し得る場所で又は拡声器、ラジオその他の手段を利用して、」今言つたような批判を加える行為、こういうようなことが政治的な目的を以て出発しておりませんから、純然たる行政に対するみずからの希望であり、みずからの意見を伝達して、大衆なら大衆に伝達して、目的を達成しようとする行為である。こういうような場合には今の御答弁によりますると、決して根本は禁止するとか制限するとか、こういう意図は持つていないのだ、このようなことになると思いますが、そのように解釈してよろしいかどうか。 更に、先ほど政務次官から御答弁がありましたが、この点は政府の解釈として、勿論そうだと思いますけれども、念のためにこれは政府の解釈として受取つてよろしいかどうか、改めて政務次官に御答弁をお願いいたします。
○政府委員(福井勇君) 先ほどの答弁の通りに御解釈をお願いいたしたいと思います。
○政府委員(緒方信一君) 最初にお断り申上げておきますが、これは御承知のように人事院規則でございますので、政府としての有権的な解釈は人事院できめることに相成ります。ただ今お述べになりました、全然この第六用の第十号の行為、或いは十一号の行為でございますが、これは全然政治的目的を以てかようなことをすることが禁止されますので、全然政治的目的を持たないその行為は、その取締の対象にはならない。ただ十一号のほうは、政治的目的を有する意見、これは政治的目的を以てやるというのではなくて、意見そのものの中に客観的に判断しまして、政治的目的が認められる場合には、そういう意見はいけない。かようなことに相成るわけでございます。
○田畑金光君 ちよつと委員長にお尋ねしますが、文部大臣はどうされたのですか。出席するのですか。
○委員長代理(栗山良夫君) 出席します。ちよつと速記をとめて下さい。 〔速記中止〕
○委員長代理(栗山良夫君) 速記を始めて下さい。
○田畑金光君 それから、文部大臣は間もなく出席しますか……。それじや私労働大臣に対する質問じやありませんから、文部大臣と文部当局に対して若干質問をしたいと思います。それでは文部当局にお尋ねいたしますが、政治的中立の法案でありますが、 〔委員長代理栗山良夫君退席、委員長着席〕 この条文を見てみますると、教唆扇動を独立犯として刑事罰を以て臨んでいるわけであります。刑法の規定によりますると、教唆扇動というものは従属犯として取扱われ、具体的な事件に応じまして、何が教唆であり、何が扇動であるかということも明確になつているわけであります。ところがこの法律の下に言論とか、思想とか、こういうようなものを通じて教育上の教唆、扇動ということになつて参りますると、非常に判定が困難であろうと思うわけであります。このような困難なことをあえて侵して今回この単独立法或いは独立法を制定されたわけでありますが、法制定の経験から見ましても、当然これはこの法を制定する必要性があるという社会的な事実と申しますか、経験的な事実を通じてこの立法ということになるかと考えるわけであります。そういたしますと、この法律を必要とする社会的な事実或いは経験的な事実というようなことは具体的にどういうことであるのか、この点をお尋ねしておきたいと思います。
○政府委員(福井勇君) 具体的な本法案の立案の基礎になつたところのいろいろな内容についてのお尋ねでありますが、詳細の意見については緒方局長から説明いたさせます。
○政府委員(緒方信一君) この中立確保の法案は条文によつておわかり頂けますように「義務教育諸学校の児童又は生徒に対して、特定の政党等を支持させ、又はこれに反対させる教育を行う」というようにこの第三条に掲げてありますようないろいろな条件がございます。こういう条件の下に義務教育諸学校の教育職員に対しまして教唆扇動を行なつた者を処罰する。かようなことに相成つておる次第でございますが、ここで守ろうといたしますることは教育基本法第八条第二項に規定されておりまするように、学校におきましても特定の政党等を支持し、又は反対するための教育を行つちやいけないという規定があるのでありますが、現状におきましてこの八条第二項の規定は十分厳守されておりません。現実に今偏つた教育が行われている。かような認識の下に立ちまして教唆扇動の虞れがある、いろいろな事項がある、かような見地からいたしまして、かような法律を提案いたした次第でございます。只今お話にございました教唆扇動だけを処罰するということは、そういう例は異例なことだというお話でごいますが、併しながら今日の我が国のほかの法律におきましてもかような例はあるのでございまして、例えば国税犯則取締等におきまして税金を滞納をいたす、滞納をするということそれ自体はこれは処罰の対象ではございませんけれども、これを扇動した者はこれは罰則が付いているわけでございます。それから又そのほか地方公務員法では、国家公務員法も同様でございますけれども、公務員は御承知のように争議行為を禁止されております。この禁止されております争議行為をいたしましてもこれは罰則の対象にはなりません。併しながらこれをあふり、そそのかした者に対しては処罰することに相成つております。かように教唆、扇動そのものを独立犯として刑法では只今お話のように人を教唆して犯罪を実行せしめたもの、これは教唆犯でございます。この従犯たる教唆と異りまして、教唆扇動そのものを独立犯として立てる法律の規定は砥かにもあるわけでございます。それにならいまして、それにならいましてと申しますか、そういう例もございまして本法ではその独立犯として教唆扇動を処罰する、かようにいたした次第であります。
○田畑金光君 私のお尋ねいたしておる点は、只今局長の御答弁にありました国税の滞納について、滞納そのものは処罰にならんが、対象にならんが、教唆扇動が対象になるのだ、又このような立法の事例があるというような御答弁でありまするが、そのような前例があるとかないとか私は問うておるわけじやないのであります。私の問うておるのは、言論とか思想とかを通じて教育上の教唆扇動、こういうことになつて参りますると判定が非常に困難ではないか、困難な面が多々あろう。そこで私はこういうような特別法を、質問の重点はここであります。特別法を制定するに至つたということは、あらゆる立法の経験から見ましても、その法律を必要とする社会的な事実とか或いは経験的な事実、こういうようなものが当然前提ということになつてこの法律は生れて来たのだろうと考えるわけであります。そこで私のお尋ねしたいことは、この法律を必要とする社会的な事実、経験的な事実というものは一体何であるか、先ほど文部大臣の御答弁によりますると、若し私が裁判常であるならば教職員組合は政治団体である、まあこう認定するだろう、こういうようなお話がありましたが、そのような認定の上に立つてこの法律が提案されるに至つたのか、而もその認定は文部大臣自身が言うように、私が裁判官であつたならば、即ち文部大臣個人のそれは私見であり、観察だと思います。併しながら飽くまでも又先ほどの御答弁にもありましたように、個への意見、個人の考え方がそのまま立法化されるはずはないのでありまして、この法律が制定されるに至つたといたしますならば、文部大臣個人の意見を超えて当然この法律を必要とする社会的な事実或いは経験というものがあると思いまするが、そのようなものはどういう観点から、或いは申しますと、どういうような社会的事実によつて、この法律を必要とするに至つたか、これを文部大臣にお尋ねいたしたいと思います。
○国務大臣(大達茂雄君) その前に先ほどの私の発言でありますが、これも誤解のないようにはつきり申上げておきます。日教組がこの法律に言うところの政治的団体ということに該当するかどうか、これは日教組自身の実態というものをよく究めなければ判断ができません。ただ私が今日まで知り得た限りにおいては、私が若し裁判官であれば、多分ですよ、多分そういう判断を下だすであろうと、こういうことを申上げたのであります。必ずそういうことを……、これは実態を究めなければなりません。今まで私の得ている知識の限りにおいては、多分そういうことになるであろうと、こういうふうに申上げているのであります。それは念のために申上げておきます。 それからこの中立性確保に関する法律案は、御覧の通り基本法の八条の二項の根本原則というものを教育の面において確保したい、こういう考え方であります。でありますからして、基本法の八条の二項というものが我が国の教育において必ず貫かれなければならん原則であるということが前提として承認せられるならば、これを破るような教唆扇動を有力な方法を以て学校教育に呼びかけて、そういう教唆扇動をする、こういう行為が又許すべからざる行為であり、いわゆる反社会的な性質を持つたものである、これは争うべからざるところであろうと思います。実際の事例が仮にあるなしは別として、観念論として教育の中立性が守られなければならんという立場をとる限りは、それを壊すようなことを教唆扇動をする行為が是認せられるべき根拠はないと私は思います。従つてこの法律はその意味におきましては、実際にさような事例があるかないかということを離れて、私はその論拠を持ち得るものであると思います。併しながらさような規定を実際に危険がないにもかかわらず法律案としてこれを作つて国会の審議を煩わす、こういう実際の必要がその場合にはないのであります。でありますからして、仰せのように、私は理論的にはこの法律ができ上ることはその教唆扇動をするという事実がよくないということである限りはその存在の根拠はあると思います。思いますけれども、実際の問題としては、世の中にそういう実際の実態があるということを前提にしてこの法律案を作つたわけです。これは只今お話の通りであります。然らばさような実情にあるかどうかということですが、私はこれも具体のものとしては、やはりそれぞれ具体の場合について一定の目的を持ち一定の同体の組織或いは活動を利用する、そうしてそれが教唆扇動という形態を備えておる、こういうことが具体的に、一々具体の事例について、これは実際は調べて見なければわかりません。併しながらそういう危険があるということは、私はそういう認識の上に立つておるのであります。それは今日日教組は、一定の私どもから見ると偏向的な内容を持つておるところの教育を、その教育を組合員に対して、それぞれの職場においてこれを児童に浸透させなければならん、又その児童に浸透させて、それを児童を通して更に母親にこれを浸潤させなければならん、こういうことを、これは累次の大会或いは中央委員会等において殆んど例外なくさような決議をしておるのであります。私はそこに危険を感ぜざるを得ない。危険を感ぜざるを得ないわけであります。
○田畑金光君 文部大臣にそれではお尋ねいたしますが、文部大臣の御答弁によりますると、第一の御答弁の中にありました、私が裁判官であるならば、日教組は政治団体と断定するだろう……。
○国務大臣(大達茂雄君) 多分です。
○田畑金光君 多分……。ところが実態を究めなければ……、こういうような内容もあるわけであります。実態を究めなければというような前提の下にあなたのお話は進めておられますが、あなた自身がそれでは実態を究めないで、私が裁判官であるならこういうことだろうということは、言葉自身非常に私は矛盾をしておると感ずるわけであります。あなた自身が実態を究めなければというなら、あなた自身だつても実態がどうであるかという認定がつていないわけであります。自分自身が認定がついていないで、そうして恐らくこうであろう、あるべしというような前提の下に立つて、おれが裁判官であるなら、これは非常に私は不遜な物の言い方だと考えております。そのような考え方の下にこの法律案が提案されておるとするならばこれは重大な私は危険な立法ではなかろうかと考えております。殊に文部大臣のお話によりますると、そのような事例があつたかどうかということは問わない、ただ観念論として考えた場合に、そういうような危険性があるならば、そのような危険性を予測してこういう法律を提案することも意味があろうと、こういうようなお話でありまするが、これは誠に私は危険な思想じやないかと考えております。やはり立法或いは法律というものは、一つの社会的な経験或いは社会的な事実、こういうものを通じ、こういう法律を作らなければ社会的な予防或いは反社会性というものが防止できん、このような確信の下に初めて法律の制定というものは生れて来ようと考えるわけであります。ところが文部大臣の御答弁を聞いておりますると、事例があるかどうかわからん、仮にそのようなことがあつたとして、或いは危険があると仮定してこの法律を出したんだ。誠にこれは私未だ曽つて少くとも戦後の日本の法律の体系を見ましても、或いは如何に反勅的な吉田内閣の提案する法律と申しましても、事ほどさように危険な考え方に基く立法提案がなされたことは聞いておりません。昨年十六国会におけるスト規制法案等につきましても、あれほど輿論が、輿論と申しますか、国民の良識ある人がたが憂えた立法でありまするが、あの立法は、政府の提案理由は一昨年昭和二十七年末における炭労、軍産の長期ストに鑑みてこの法律は必要になつたんだと、こういうようなことを申しておられましたが、少くともこの法律の適否は別として、反動性或いは進歩性は別といたしまして、法律を制定する以上は、少くともその法律を必要とする社会的な前提条件があろうと考えます。今の文部大臣の御答弁というものは、これは我々としては何らこの法律を必要とする根拠とは受取れません。教職員組合の大会におきまして、この決定が児童を通じ家庭の中にも浸透するように、こういうような大会の決定がいつもなされておる、こういうようなお話でありますが、そういうようなことで以てこの法律が必要となるということは毛頭も考えられません。少くとも前提としてこの法律を必要とする政府の確信がどこにあるか、もう一度御答弁を願いたいと思います。
○国務大臣(大達茂雄君) この法律案を提出いたしましたのは、日教組が政治的団体である、こういう考えで出したものではありません。その点はこれは法文を御覧になれば偏向教育の教唆扇動する者を罰しようとするのでありますから、その場合日教組が政治的団体であるかどうかということは直接の関係かありません。私が日教組についてその政治的な偏向と申しますか、その点について言及いたしましたのは、これは私は架空のでたらめを言つておるのではありません。(「でたらめだ」と呼ぶ者あり)これは日教組の的確な資料について申上げておるのであります。かような席で私は全然想像でさような発言ができる筋合いのものではありません。(「そうだ」と呼ぶ者あり)だからその点は幾らでもここに私がそれを立証し得ると考えることはいつでも読上げて御覧に入れます。(「独断」と呼ぶ者あり)それから又日教組は偏向教育を教唆扇動しておるかのごとき危険を感ぜしめる点がある。これは今の政治団体ということにつきましても、裁判の判事としてこれは日教組が明らかにこの法律に言うところの政治団体である、こういう確定的な断定を下すには、これは十分実態を究めなければなりません。併し私は決して想像しておるのではないので、私が知る限りのことから見まして日教組は政治的団体と多分断定するに足るだろう、もう少し資料が、実態を究め得れば。こういうことでありまするから、決して架空の悪口を言つておるわけではありません。それからその次には偏向教育でありますが、これも只今申上げたように、日教組はそういう決議をし、又そういう方向をとつておる。これは私は日教組の資料について明瞭であると思います。これはその行為がこの法律に言うところの教唆扇動に該当するか、しないか、これはその各個の場合についての事実に具体に当つて見なければわかりません。日教組の方針と、その方針に基いて事実やつたことがどの程度マッチしておるか、そうしてその事実が、それが教唆扇動と認められるかどうかということについて、これは具体の事実について判定しなければこれは申上げられません。この罪に該当するかということは申上げられません。けれどもその危険があるということは十分察知し得るのであります。先ほど私は日教組がただ政治団体であろということだけでなしに、更に進んで政党と殆んど紛らわしいと言いますか、選ぶところのない政治団体であろと思われる、実質的には、ということを申上げました。決して私は無責任にさようなことを申上げたのではないのであります。日教組の第十回定期大会の運動方針書というものがあります。定期大会の決議書、そのうちに闘争の目標として「平和と独立を守る闘い」こういう題目のところで、「この闘いは日教組のあらゆる闘争を貫く長点の方針であり、日本の完全独立と平和獲得のために全力を挙げて闘い、日本の平和勢力の中核となつて前進しようとするのである。」そうしてその内容としては、「一、再軍備、徴兵に反対する。二、平和憲法改正反対。三、全面講和をかちとる、講和条約の改正、安保条約、行政協定破棄の闘いを行う。四、アジア貿易と国際友好関係の促進。五、平和運動を積極的に展開する。」こういう一定の政治的内容であります。ここに勤務条件の改善を目的とする経済的の面は殆んど現われておりません。一から五までの何はことごとく政治的な対象の問題であります。政治的の問題であります。そうして日教組は「この闘いは日教組のあらゆる闘争を貫く最高方針である」と、こう育つております。果して然らば日教組が経済的な利益を、向上を目的として組織されておるものか、これが最高方針ということであれば、或いは日教組はこれを本来の目的としておるんじやないか、こういうふうにすら私は考えられる。だからして私は殆んど政党と紛らわしい、政党と選ぶ……つまり本来の目的ということが政党というのであります、というのじやないかというこを申上げた。決して私は根拠もなく日教組の悪態を述べておるわけではありません。(「こんどわしがそれを反対する」と呼ぶ者あり)答弁中です。そうしてこれが日教組の経済闘争であります。いわゆる平和闘争であります。(「強いるも甚だしい」と呼ぶ者あり)そうしてこの最高方針から出発して、日教組の平和闘争を一環として平和教育というものは取上げられておる。そうして教師として平和教育を進め父兄大衆の中に平和運動のオルグとなる、こうある。そうして平和教育を日常教出品活動の中に、日常教育活動の中にですよ、具体的に展開をする、平和活動の中でこの方針に基くところの平和教育というものを教育活動の中に具体的に展開をする、こういうことを言つておる。これは明らかに教室内にこの政治的主張を持込んで、そうしてそれを組合の決議として教えようとする意図は明瞭であります。(「誇大妄想狂だ」と呼ぶ者あり)決してこれは私は架空のことを言つているのではない。これは日教組の教育情報の、これもわかります、三十八年六月三十日附には何も書いてある。これは的確な資料であります。この類のことは一々読上げませんが、これは幾らもあるのです。私が日教組について何らあんたは根拠のないことを言つておる、そうしてその根拠のない想像に基いてこの法律案を出しておる、こういうふうに御判定になつておるようですが、私はさような無責任なことはいたしません。かような世論に重要な反響があり、こういう重大な法案をただ私の想像や勝手な考えで出したということはないのです。でありますから、私は出すには出すだけの十分な私自身としての根拠に基いておるのであります。(「偏向だからこういうことを言うのだ」「無責任の最たるものだよ」と呼ぶ者あり)
○田畑金光君 文部大臣が今お読みになりましたが、この運動方針の五項目でありますが、五項目によつてこの法律を提案された、こういうことになつて参りますると、これは私なかなか重大な問題じやないかと行えます。或いは又軽率な態度ではないかと考えます。少くとも今読上げられました再軍備反対とか、或いは平和憲法改正反対とか、これらの項目につきましては、少くとも現行憲法或いは教育基本法を流れる基本的な精神だとこう考えております。或いは民主主義教育の基本的な理念であると考えております。それが終戦後九年間の、特に吉田内閣の六年に亘る政治の下に終戦直後の新らしい日本の再出発というものがだんだんだんだん曲げられて行つて、そうして憲法は完全に空文化されて、実費的な軍備の中に入つて来ておる、手を翻えせば吉田内閣の現在の政策そのものが全く憲法を骨抜きにしてそうして再軍備の方向にひたすら走つておる。今それらの五項目について文部大臣は批判されましたが、文部大臣の閣員の一人として加わつておる現吉川内閣は、まさに憲法を越えて日本の政治を逆コースの方向に持つて行つておる。こういうようなことを我々は観察できようと思うわけであります。従いまして、それは単に運動方針であるから、而もそれは労働組合の運動方針であります。そういうようなことによつて直ちにそれが反社会性を具体的にもたらしたかどうか、或いはそんな危険性があつたかどうか、具体的な事実というものは何ら問題は挙げておりません。単に将来そのようなことがあり得るかも知れない、或いは又吉田内閣の現政権に対して真つ向から対立しておるおのおの立場の違いだと私は言わざるを得ません。そのような社会的に、現実に何ら具体的な反社会的なものはないのにかかわらずこのような法案を提出されるということは危険極まるものだと考えております。そこで私は文部大臣はそのように今挙げられたような事項によつてこれが教職員組合の政治的な偏向の事例と、客観的な事実なくしてこの法律案を提出したのではないのだとこういうような御趣旨でございますが、然らば私お尋ねをいたしまするが、偏向教育の事例として先般文部省から出されているわけであります、この事例については、先ほど文部大臣は栗山委員長の質問に対しまして一言一句間違いなしと言つてこの偏向教育の事例を出したんではないんだ、単なる資料として提出したに過ぎない、事実であるという確認を得る目的で以てこれを提出したのではない。これは明らかに議会の審議権に対する私は冒涜であると考えております。(「こんな資料撤回しろ」と呼ぶ者あり)少くとも文部省は、これは文部大臣はこの資料を提出いたしました当初におきましては文部大臣自身は、或いは文部省はこれが事実をこのような偏向教育の事例があるのだ、こういうような確信の上に提出されたんだろうが、実際これを出して見たならばこれに該当するであろう地区、或いは学校、或いは教育委員会等から猛烈な反撃を受けておる。このような過程を通じ先ほど文部大臣は、いや単なるこれは資料として出したに過ぎないと、こういうことになつたと、私は確信するわけであります。このような重大な法案の資料として、或いは法案を提出した社会的な事実はかくのごとく偏向事例があるのだと、こうして提出されたとするならばこれは由々しき問題だと考えております。具体的に然らば私お尋ねをいたしまするが、この資料の中で十四、その他の第二項に、「福島県西白河郡三神村中学校においては、共産党の民青に加盟した教員が、生徒会を中心に、文化研究の名において現政府の政策批判を行い、生徒に研究発表さしている。」一体これは何を意味するか。かような具体的な事例があるのかどうか。どういうようなところからそのような資料が来たのか。一体文部省はこれをこの資料として確信を以て出せるだけの根拠によつてこの事項を掲載されたのかどうか。福島県の西白河郡の三神村中学校のこの事例について明確にここで御答弁願いたい。こういうような、若しこれが事実であるとするならともかく虚構な事実によつてみずから事を構えてこういうような立法を提案したということは由々しき問題ではないか。教育であります、教育であります。真に誠実、真議に基いて、事実に基いて少くとも教育というものは運営されなければならないものだと考えるわけでありますが、今後の教育に大きな方向転換を与えるこの立法を提案するのにこのような間違つた資料を以て提案されておるのは我々納得行かんが、この資料の出た根拠と、これが信憑性について文部大臣の所見を承わつておきたい。
○国務大臣(大達茂雄君) この法律案を提出したことが、先ほど私が読上げただけの五つの項目とおつしやいましたが、それを根拠にして私は断定しておるのでありません。これはさような意味の日教組というものの動向を察知するに足るべき資料というものはたくさんあります。これはここで一々読上げる時間もありませんし、必要もありませんから私はその一例として読上げたので、読上げればこれは数限りなくあります、数限りなくあります、ことごとく日教組自身の資料によるものであります。日教組の内部に若し立至つてその実情が明らかになればまだいろいろのことがあるかも知らんが、少くとも日教組自身の資料によつて見て、たくさんのそういう事実はあります。これは先ほどはただ一例として読上げた。あれだけで私はどうこうという判断の基礎にしたというようにおつしやることは、これは間違いであります。 それから日教組がそういうことをしたからといつて、自由党でもいろいろ何かというお話であります。私は自由党に対する御批判はそれは御勝手であります。ただ自由党は政党であります。私は日教組が政治的団体、更に進んで政党に紛わしいということの例としてそれを言うたんです。自由党がやつているから日教組もやる。自由党は政党であります。私は自由党がさようなことを掲げたことは、これはすぐにいいんだとか悪いんだとかということは申上げません。ただ経済団体であるという時を越えて極めて強い政治的偏向を示して行けば、その点において日教組は政治的団体であり、又場合によつては政党に紛らわしい存在であるということを申上げた。その点の御質問があつたから申上げた。決してそれがすぐ悪いんだとかいいんだとか、そういうことを言つたわけじやありません。そうして平和教育というものをその日教組の平和闘争の一環として取上げた。そうして具体的の政治的偏向を持つた一連の教育をなすべきことを方針として打出しておることは、この中立確保の法律が考えておるいわゆる教唆扇動に極めて近い線であることは間違いありません。これが教唆扇動として具体的に該当するがどうかは、実態について調べなければなりません。併し極めてそれに近いものであることだけは容易にこれは想像し得るのであります。 私は今日日本に現われておる末端の偏向教育というものが、日教組の指令に基き、日教組の教唆扇動に基いてそういうことが行われておると、これを断定すべき何らの資料はありません。何らの資料はありません。これを多少察知すべきものとしては例えば山口県の日記というものはこれは県教組の編纂であり、そして日教組がこれを指示しているものであります。而うして日教組はこのことを又明らかにその日教組の経過報告なり決議の中にこれを謳つております。でありますからこういう点についてはこの関連性がはつきりしますが、併し偏向教育の事例として提出した制々の場合についてそれを日教組とどういう関連を持ち、どういう教唆扇動のもとになされたかとこれはわかりません。ただ資料として出したものは申上げたように、偏向教育の事例として文部省が入手し得た情報の中で、文部省としては比較的事実であろうとこういうふうな認定をしたものについてこれを出した。これは、証人が喚問せられてその結果少し風向きが悪くなつたから逆に言い方を変えたなんということはありません。初めから申上げた。そしてこの種の事例につきましては、私は初めから文部委員会に申上げておるのであります。これは私どもが実際について調査をして、的確に間違いないものである、こういうふうには思つておらんけれども、そういうことを主張するわけではないけれども、併し同時にこれがでつち上げのものではない、文部省が勝手にこういうものを捏造して出したものではないので、文部省としては相当信ずべき情報なりとしてこれを提出した、こういうふうに申上げておるのであります。その意味において、委員会においては決してこれが間違いのないものである、これを確認して頂きたいという意味で委員会に出したのではない。委員会においてこれをどういうふうに御判断になろうとも、文部省としての資料として出して、それについての御判断は文部委員会の御随意であります。こういうふうに申上げてあるのであります。そこで福島県の西白河についてのお尋ねでありますが、これは先ず文部委員会においてもお話があつたのでありますが、これらの資料についての出所なり調査方法は、これは私から申上げるわけに参りません。そして福島県の西白河郡についての事例についても、文部省が捏造して虚偽の情報を出したということは、これは絶対にありません。これは嘘であると、こういうふうにおつしやいますが、或いはあなたが福島県のことをよく御存じであれば、あなたは事実無根であるというふうにおつしやるかも知れません。又その他の事例についても、当文部委員会においてこれは事実無根である、又衆議院の場合にもそういうことがありました、それは事実無根であるということをおつしやることは、私はそれは嘘であるということは無理に言い張るわけではありません。併し私どもは事実無根であるという断定に直ちに達しません。私どもとしては相当信ずべき情報として入手しておるのであります。
○田畑金光君 そこで文部大臣に私は具体的な資料、即ち福島県の事例を君は知つているかどうかというようなお話でありまするが、実はこれは昭和二十三年頃か四年の事件であります。而もこれは県議会におきましても問題になりまして、私自身がこの問題を取上げておるわけであります。当時の教育委員としてはこちらにおいでの自由党の木村教育委員がいるわけでありまするが、これはどういう事件かと申しますと、昭和二十三年頃でありましたか、この三神村の中学校におきまして、生徒たちが集まつて文学同好会と申しますか、そのようなサークルがあつたわけであります。「菜の花」という雑誌を発行しておりましたが、たまたまこの文化サークルを指導しておる瀬谷教諭というのが一文を「菜の花」雑誌に投稿したわけであります。ところがその記事の中に皇室の問題に関する、まあ創作と申しますか、文章が載つておりまして、それがたまたま皇室を誹謗することだと、こうして当時の福島県の教育委員会に取上げられ、これが県議会に問題として出されたわけであります。でこの件に関しましては、当時教育委員会の一部の人がたが不敬に当るとかいうような批判をされましたけれども、事務当局が現地を視察した結果、全般の創作を見たときに、必ずしもそういうわけではないが、世の誤解を受ける点もなきにしもあらず、こういうようなわけでこの瀬谷教諭は懲戒処分に付せられるというようなこともなくして、その後石川高等学校に転任し、現在は大沼郡の高等学校の先生として勤務しておるわけであります。この問題につきましては、私当時県会議員として当時の教育委員の諸君と渡り合つたわけでありまするが、木村教育委員はいなかつたわけでありますが、他の教育委員と渡り合いましたが、結局教育委員会でも根拠薄弱ということになりまして、事後調査に廻されたわけでありますが、だんだん調査した結果、昭和二十三年頃今のこの「菜の花」事件を実は取上げて、そうして文部省の資料の中には、福島県西白河郡三神村中学校においては、共産党の民青に加盟した教員が生徒会を中心に文化研究の名において現政府の政策批判を行い、生徒に研究発表させている。こういうようなわけでありますが、文化サークルであることは間違いありません。文化研究の名において原稿を投稿したのも事実であります。併しながらそれは先ほど申上げましたように、断じて現政府の政策批判でもなければ、又投稿したその瀬谷教諭が共産党の民青に加盟したというようなあれでもなかつたわけであります。このようなことを資料として、少くともこの国会の重要な審議の資料として出したという私は文部省のその責任を追究したい。文部大臣は先ほどお話になりましたが、相当にこれは信憑性があると申されましたが、但しその出所については言えない、誠に私は独裁国家における立法者の態度としか受取れません。これは誠に私は許すべからざる発言だと考えております。私はその他の事例について申上げておるわけでありません。その他の事例につきましてはそれぞれの地域の人たちがそれぞれ判断され、或いはこれの信憑性について評価をしておろうと思いますが、私は少くとも私の関係したものであり、私の福島県で起きた問題でありますから、福島県のためにもこれは許すべからざることである。殊にこの三神村の教育委員会におきましては、先般県の教育委員会に対し、県の教育委員会を通じてこの訂正方を文部省に申入れる、こういうようなことを要求いたしましたが、遺憾ながら県の教育委員会においても、事実でないことは認めながらも、自由党の教育委員の諸君が多数を占めておる関係上中央に異議申立てることはまあやめようじやないか、こういう程度で県の教育委員会は抑えられておる。併しこのことは中央に対して、文部省に対してもたしかこれの削除方を申入れておるはずでありますが、私は他の事例を申しておるわけではありません、少くとも福島県のこの事例が事実無根である。而もこのようなことで以て今回の立法のよつて来たる社会的事実と判断されるならば、余りにも私はそれは独裁者の立法態度と何ら変りがない。私はこういうような点におきまして、先ほど文部大臣の御答弁を聞いておりますると、日教組の私は現在の行き方全般を肯定しているとか、しないとか言うわけではありません、それは勿論批判すべき点があるでしよう。併し、だからと言つてこの立法が必要であるということは毛頭私は理由にならんと思います。むしろ逆説かも知れませんが、今吉田内閣はこの極端な右寄りのやり方、極端に申しますと、古い日本に帰つて行つております。大達文部大臣が曾つて華やかな権力を振つておられたあの時代に今戻りつつあります。そのような現在の世間の逆行を見ましたときに、これはむしろ更に民主的な団体が左に寄つて、そこに一つの中正な途を見出して行こうとすることも、これは逆説かも知れませんが、私は日本の民主主義を守るためにも止むを得ない、こういうような点が出て来ようと言わざるを得ません。少くとも申上げたいことは、文部省の資料として出されるからには、もう少し客観的な信憑性、確信の下に立つて出して来なければ、法案の提案そのものの基礎が崩れて来る、これを私は申上げたいのであります。この点につきまして文部大臣の御所見を承わつておきます。
○木村守江君 ちよつと関連。只今田畑委員の発言中に私の名前も出ましたので、ちよつと自己釈明の点から申上げます。私も丁度田畑君と同じように福島県の選出でありまして、丁度田畑君の言うような昭和二十三年から二十五年と言いますと、私がまだ教育委員をやり、教育委員長をやつていた当時かも知れませんが、この「菜の花」事件というものがありましたのは、私がその後に知つたのでありますが、この西白河の三神村の事件というものは「菜の花」事件とは関係のないものだと田畑君が今言われたのは、田畑君の自分の考え方を述べられたのであると私は考えております。而して、この問題は、田畑君の今言つたのとはちよつと違うのじやないか。その後三神村の村長、それから教育委員長、それから助役のかたがた等が国会に参られまして、私にそのいろいろの事情を話されて参りましたが、その問題につきましてもいろいろ考えなければならないことがあると言つて帰りまして、私はその教育長並びに村長等のお話によりますと、いろいろ間違つたことがあるかも知れんが、結局三神村の中学校としては、卒業生に対して将来の就職等に非常に困ることがあるので、この問題を取消してもらいたいというようなことでありましたので、何かあるかも知れないが、あつてもそういう問題は学生の将来の就職等に関係があるので、この問題を何とか今のように取消してもらいたいというような話でありまして、「菜の花」事件とは関係のないものだと私は承わつておりますので、田畑君の今の発言に関連いたしまして、この問題は田畑君の今言われましたこととは、相当違いがあるということを一言附加えておきます。
○国務大臣(大達茂雄君) 私も簡単に申上げたいと思います。この福島県の事件というのですが、これについて私はこれは絶対に真実であるということをここで主張して、皆様方に是非そういうふうに真実とお考え下さいと、こういうことを言つているのではありません。これは文部委員会においてはしばしばこの意味のことを申上げております。ただこれは文部委員会においても、若し事実無根であるということであれば、これは地元の人にとつては非常な迷惑であるということで、文部委員会において証人をお喚びになつて、そうして委員会のこれは全部のかたがたとは思いませんけれども、委員会のかたがたのうちに、これはどうしても事実無根と思われる、だからこれはもう一遍調査をし直したらどうかという意味のことがありまして、それについては、私はこれは現地に御迷惑をかけているということであれば、これは誠に申訳ないことでありますから、それは誠意を以て調査をいたしましようということで、文部委員会のほうで御指摘になつた事例については、現在調査をしております。 そこでこの三神村の事件についても、やはり同様な考え方でおりますが、併し「菜の花」事件というのは、今私、聞いたのですが、当時から文部省におつた職員は、「菜の花」事件については当時聞いた記憶があるということであります。これは「菜の花」事件は二十三年頃か二十四年頃のことでありまして、これは「菜の花」事件ではない、関係ないのであります。これは情報が入りましたのは、昨年であります。併しこの事件が、その情報において、事件が起つたというその年次は二十五年から二十六年ということになつております。でありますから、「菜の花」事件とどういう関係になつているか、これは私自身は断定的なことは申上げません。申上げませんが、さようなわけでありまして、今お話になりました事件とはこれは別の事件のように私は思われます。若しこれについて更にこれでは非常に現地で迷惑をするからというようなことであれば、文部省としてはこれについても調べをして、そうして若し事実無根であるということが私どものほうでも納得のできることでありますれば、それに対して(「責任をとれ」と呼ぶ者あり)この事例の取消をするとか、訂正をするとか、或いは又適当な方法を講じて現地に御迷惑のかからんようにするということはこれは他の事例についても、これは文部委員会で申上げたのでありますが、そういうふうな処置を講ずることは決してやぶさかではございません。ただここに出したのは、これは私どものところへ入つて来た情報の中で先ず一応信憑性のおけるものであると私どものほうで考えたものについてこれはその程度のものとして請求がありましたから提出をしたのであります。そういうふうに御承知を願いたい。
○田畑金光君 この事例の件に関しましてはこれ以上追究しようとは私考えておりません。先ほど木村委員からの御発言がありましたが、木村委員の御発言自身が私の主張を裏付けているわけでありますので、これ以上この問題には触れたくありません。具体的に調査の結果等について説明しろというならば、私資料持つておりますので直ちにこちらで説明もすることはできますけれども、この問題に関しまして私はこれ以上時間を費やそうと考えておりません。ただ文部大臣の今の御発言にもありましたように、本件に関しましては地元の村等は非常な迷惑をこうむつている。又福島県自体としても、福島県の教育行政にとつても迷惑至極な話である。従つてこういうようなことが資料として、而も重大な法案の審議資料として出したということは不名誉であるというような問題じやなくして、これは由々しき私は問題であると考えますから適当な手続、方法を通じまして私は文部省が取消すなら取消す、或いは釈明をする、或いは然るべき手段方法を通じ(「撤回、撤回」上呼ぶ者あり)この問題を処理して頂かねばならんと考えております。勿論撤回が前提でありまするが、撤回じや済まされません、大変迷惑を与えておりますから、然るべき手続を経て陳謝でお願いしたい、要望する、当然のことでありまするから、私はそれだけを立部大臣に申上げて置きたいと考えております。 そこで私この辺でまあ終りたいと思いまするが、要するに文部大臣のさつきからの御説明を承わりましても、私たちといたしまして、この法律を直ちに必要とするというようなことはどうしても納得が行きません。殊に私は今回の二十四の偏向教育の事例として挙げられたこと等は、福島の場合が一例でありますが、他は推して然るべし、勿論その中には或いは文部省の見らるるような点、或いは事例がなきにしもあらずでありまするが、併し仮にそのようなことがあつたといたしましても三万五千と言われておる公立の小中学校の中で僅かの数件の事例があつたから直ちにこの法律が必要であるということは到底私たちは考えられません。而も先ほど来の文部大臣の御説明によりますると、教育基本法の第八条の第二項の具体的な遵守と申しまするか、或いはこれの保障のために今回の立法がなされたと御説明がありまするが、父御説明の中にはこの法律に待たなくてもすでに今までの法律によつて、既存の法律によつて偏向教育が禁止されているのだというような御説明がありました。こういうような点を見ましたときに、私は今日国民の良識というものはこの法律に挙げて反対をしているということであります。その反対の一つの理由の中には既存の法律を以てすでに十分賄われている。既存の法律を臭識を持つて運用するならば、教育の政治的な中立の維持は確保できるのだというこのような確信の下に反対論が強く出ているわけであります。 それからもう一つの反対は、この法律というものは日教組の対策である、日教組に対する圧迫である、こういう法律であることは間違いありません。而も自由党の終戦後の一連の教育対策は常に対日教組対策である、自由党の教育対策は如何にして日教組の活動を阻止する、骨抜きにするかということに汲々としておる。日教組の活動の中に若し偏向があり、行過ぎがあるとするならば、このような法律によつて阻止できるものとは私は断じて考えておりません。教育という精神的な労作、言論思想の活動というものは、しかく一片の法律によつて阻止し得るものではないと考えております。少くともそれは教師自身、或いは教員自身の個々の自覚と認識或いは誇り、見識の範囲で、こういうようなことによつて解決できると考えております。而もそのようなことは当然私たちは教職員の自主性、或いは教職員のその使命、こういうようなものから考えましたときに、当然私は日ならずして、或いは或る程度の日月を貸すならば、そのような傾向に向つて行くことも確信するわけでありまして、こういうような点から見ましたときに、こういうような法律は私たちは断じて必要でない。文部大臣の過去の業績に対する名誉挽回の点から申しましても、現内閣の行過ぎの政策を是正する点から申しましても、この法律を撤回することが国家将来のために妥当であり、適切であり、幸福であると考えるわけでありまするが、願わくばそのような決意を一つ文部大臣は持つて頂きたい。このことを私は要望申上げておきます。
○国務大臣(大達茂雄君) 大体御意見と承わつたのでありますが、ただ現行法で偏向教育というものは禁ぜられている。であるからしてこれ以上の立法手段に訴える必要はない、こういう点が世論の一つの本案反対の理由であり、今お述べになつたのもその点に触れております。現行法において偏向教育というものが教育の基本方針としては禁ぜられておる。この法律の規定が皆から尊重せられ、守られておるということであれば、これは問題はないのであります。国の法律はただ法の形式、法体系を作るためにだけ出すのではありません。現行法において、これらの形の上においては揃つているかも知れんが、法の目的としておるところが実現されておらん、又法律が守られておらんということであれば、その大切な法の精神を守るために次の法律が必要となつて来る、これが実情に応じてそういうことが行われるということは当然でありまして、一応の規定があるからそれで十分であるという議論は私は成立たないのではないか、こういうふうに思つております。 それからこの法律案を出す根拠として、必ずしもこの二十四の偏向教育の事例というものが根拠になつたわけではありません、併しこの二十四の中に事実無根のものもあろう、そうして見ると、結局本当のものは幾つもないかも知れない、こういうこれはお考えでありますから、そういうふうに御判断になればそれまででありますが、併し私どもはこの全国に亘つて徹底的な調査をして得た事例ではありません。これは自然に文部省に入つた情報の中で比較的信憑すべきものと考えた事例を並べたのであります。でありますからして全国における偏向教育の事例がこれにとどまるものであるという断定は勿論し得ないのであります。実際においては更に数多くの偏向が行われているかも知れない、こういうふうに私は考えております。 それからこの法律案が日教組対策として考えられておるというふうに世間でも思い、そういうふうに思われる。これは決して……これは法律を御覧になればわかりますように、心ずしも日教組だけを対象として出したものではありません。又偏向教育ということも、いわゆる今日日教組が考えておるような極左的な内容を持つ教育ということでもありません。これは極右であろうと極左であろうと、いずれに偏つても一方的な政治教育が行われる、これを防ぎたいということから来るのでありまして、そうして私はこの法律案が成立した場合において、私の希望するところは、日教組の今日のあり方というものは、相当な反省が加えられて然るべきであり、これはこの法律が出ると出ないとにかかわらず、反省を加えられて然るべきであり、又法律が出ることが希くは日教組の反省を促す契機となることを願つておるのであります。 併しながら、この法律が日教組だけを対象にして出したというのではないのであります。若し日教組側でこの中立確保に関する法律が日教組を対象にして出したものと……非常に皮肉な言い方ではありますけれども、この法律はいわゆる偏向教育の教唆扇動を封ずる法律案であります。若し日教組がこの法律の成立が我が身に振りかかるとして非常に反対するということであれば、逆に日教組が今日偏向教育を教唆、扇動しておる、こういう事実を裏書するのではないかと私は思う。若し日教組がこの偏向教育を教唆、扇動しておるという事実がないなら、この法律が出たからと言つて日教組は痛くも痒くもないはずであります。それを日教組自身のほうでそういう意味において若し反対するならば、日教組がこれによつて今までの行動に規制を加えなければならん面が生じて来る、こういうことであると私は思う。私はさようなことを強いて言う必要はありません。言う必要はありませんけれども、とにかくこの法律案は偏向教育を教唆、扇動しようとする、これは明らかに反社会的な動きであると思う。これを抑止しようとする以外に何の他意はありません。従つてさような偏向教育を内容とする。そういうものを教唆、扇動しようとする者はそれは困るでありましよう。それは飽くまでやりたいという人はこの法律が出ると不便になります。併しそうでないものは何も困るはずはない。困るはずは私はないと思います。(「その通り」と呼ぶ者あり)
○田畑金光君 私もうこれで質問をやめようと思つておりましたが、ただ一言だけ文部大臣の只今の答弁に対して言わざるを得ないと思います。文部大臣の御答弁を聞いておりますと、これは非常に不可解で、理解に苦しむ理論だと、こう考えるわけであります。少くとも文部大臣は文部行政を掌る大臣だろうと考えております。そうして又この法律案というものは少くとも団体を捉えておるものと見ておるわけであります。団体の組織或いはその活動というふうに団体を捉えておるものと見ておるわけであります。文部行政を掌る文部大臣が、文部省の行政の対象としてその所管内の団体を把握するということになつて参りますと、その団体は何であるかということはおのずから明瞭になつて来ようと考えております。従つて世間でこれが日教組対策と言つているかも知れんが、日教組を対象にしておるのではないのだ、このようなことは、これは詭弁と申しまするか、余りにも見えすいた筋の通らない理論と言わざるを得ません。私の申上げておりますことはそのような小手先の立法技術によつてあなたがたの考えておるようなものは断じて生れて来ないということであります。むしろ逆だと考えるわけであります。すでに一連の教育民主化の立法によつて、そうして学校における政治的な教育のあり方、これについては明確に謳われておる。これを十分に尊重し、これを十分に実施できるように文部当局といたしましても、地方教育委員会といたしましても指導なさるならば、本来の目的を達成せられる。元来地方教育委員会、殊に市町村の教育委員会設置を強く主張しておられるのは、文部大臣自身ではありませんか。文部大臣自身が、なぜ今日全国の市町村長会、市町村会議長会におきまして反対しておりまする市町村教育委員会を、なぜ頑強に設置を主張されておるのか。その本来の目的はどこにあるか。これは教職員組合の、教職員の政治活動に対する監視役として、地方教育委員会の設置を強く主張しておることは明らかな事実であります。以上の目的における、この法律の意図しているところは達せられるのだ、こういうことを考えたときに、私は国民の今日の良識が、挙つてこの行過ぎな法律を撤回してくれ、こう叫んでおるわけであります。この世間の良識に耳を傾け、或いは世の良心に耳を傾けられて、この法律を撤回せられたらどうかと私は申上げておるわけであります。そして又この法律の究極の狙いである日教組対策等も、こういう法律の小手先の手段に訴えないで、もう少し民主主義は、やはりデモクラシーは、或る努力と、或る年数を通じて初めて達成すると我々は確信しております。従いまして教職員の良識と自主的な判断に任すことこそ、日本の教育をよくし、日本の将来の進歩を期するゆえんであると私は考えますから、そういうような面におきまして大達文部大臣の御反省を私は促しておきたい。このことを私は質問の結びとして置いておきます。御答弁は要求いたしません。
○吉田法晴君 時間も遅くなりましたから、成るべく簡単に質問をしようと思つたのでありますが、先ほどの大達文部大臣の御答弁を聞いておりますと、この法律を出す必要の根拠として、偏向教育の事例として幾つかの事例を出された、こう思つておりましたか、その事実は或いは違つて……、事実無根であるかも知らん、そうして田川君の質問に逆襲をして、日教組が若しこの法律によつてどうこうなるということを心配するならば、それは日教組が偏向教育をしているのだ、こういり理論の飛躍を伴う答弁をされましたので、関連して世間をしなければなりませんが、先ほどから私は大達文部大臣の説明を聞いておりますと、ナチスかあの国会を焼き払わさして、そして国会において絶対多数を占めた過程を思い起すのであります。共産党が国会を焼いたのだとして、共産党を叩いて、あとから調べて見ると、それは事実に反しておつた。併しナチスが勝利をしたという、選挙において非常な大きな飛躍をしたという事実は、これはあとから取返しがつきません。偏向教育があつた、或いはそれについて日教組の責任があるのではないか、全部について証明はつかないけれども、山口日記等、教唆扇動が行われておつたのではないか、或いは連絡があつたのではないか、こういうことを言つて出しておいて、そしてそのあるような、ないような、実際には責任があるような言い方をしておいて、そしてこの法律案を作る。そして法律を作つてしまつておいて、あとからあの福島県の事件にしても、それからその他の事件にしても、あれは事実無根でございましたと陳弁されたとしても、これは追つつきません。そういう意味におきましては、この出されました事実が、信憑性が薄ければ、或いは間違つておれば、それは撤回し、又それを根拠にして出されたこの法案を撤回 〔委員長退席、労働委員記栗山良夫君満席〕 されるなら、これは十分反省だと思うのでありますけれども、この法案を出すために或いは幾つかの例を出している。それについて一々指摘さるというと、それは事実無根であるかも知らん、或いは事実と違つておるかも知らん。これではこの法案を提出された政府の責任を全うするゆえんではないと思います。全くナチスのやり方と同じだと言われても仕方がないと思うのでありますが、事例についてそれが動くならば偏向教育の事例があつた、或いは教師その他の責任で以てそういう事例があつたということはなかつたということを明らかにしてもらいたい。
○国務大臣(大達茂雄君) 私は私自身がこの提出した事例の幾つかが事実無根である、こういう判断に達しますれば、それは何どきでもそれに適当な措置を講ずる、方法を講ずるということを申上げておるのでありまして、ただそういう事実はなかつたということを言われましても私自身がそういう判断に達しなければ仕方ない。私は併しそういつて言を左右にしてうやむやにしてしまうということではありません。私はこれは文部委員会でも申上げたのでありますが、この偏向事例というこの二十四の事例がこの法案作成の動機になつたのではありません。要求がありましたから私は手許に集まつている情報を情報として御参考のために資料として出したのであります。この場合に私はこれを捏造は勿論しませんし、みすみす事実無根であるということを承知しながら出しているなどということは無論ありません。私としては一応信ずべきものであるというふうに考えておつたのであります。けれども若しこれが嘘である、事実無根であるということがはつきりすればそれに対して適当な措置をとるということは決してやぶさか、でない。そうしてそれについて、幾つかの事例についてはどうしてもこれは事実無根のように思われるから、もう一遍調べて見たらどうかということでありますから、これは現に調べております。現に文部省の職員を現地に派遣して調べさしているのであります。この点はそういうふうに御承知おきを願いたいと思います。 それからナチスの例ということでありますが、これは私はナチスのことはよく知りませんが、この点だけは御了解を願いたいと思うのは、先ほど田畑君の御発言にもそういうようなことがありましたが、私は決してこの法律案によつて現在の学校教育の方向を変えて、仮に左に寄る傾向があるとすればそれを変えて戦争前のような又もつと別な方向に持つて行こうというような考え方を持つているのではありません。これは法律、この何を御覧になつて頂けばよくわかりますように、現在の教育の中立を維持しなければならんという規定には何らの変更を加えないのであります。これを中立を維持するという規定そのものを変えて、そうしてこれをどつちかの方向に持つて行こうということであればさような疑いを受けることは当然であろうと思います。私はむしろ逆に現在の教育の中立を守らなければならん、こういう中道を歩む線というものをこれを維持したいということを言つているのでありますからして、これが更に別途の逆な方向に持つて行く前提である、そういう気持は毛頭ありません。又この法律案からしてそういう気持が窺われるはずは私はないと思います。この点は御了承頂きたい。なお教員の良識に待つべきではないか、罰則を以て臨むべきではないのではないかという意見が頻りとありました。これも私は同感であります。この確保に関す法律案はその点については教員の知性と良識に持つという考え方はやはり堅持しているつもりであります。ただその教員の良識、良心に伴うところの教育をしようとする場合に教唆扇動するということをとめたい、こういうことであります。教員自体を、罰則を以て偏向教育をした先生を縛るということは一つもないのでありまして、その点はくれそれも誤解のないようにお願いいたしたいと思います。(「もつと簡潔に要点を得た答弁をしたらどうか」と呼ぶ者あり)
○吉田法晴君 先ほど田畑君の質問に答えて、今までの法律で中立性が確保されておれば、この法律は必要ないと、こういうことを言われて、そうして偏向教育の事例が出されたから、先ほどのような私は質問をしたわけであります。その点はこれは他日の機会に譲つて、委員外発言等もしたらどうか、こういう御注文もございましたし、その機会に譲りたいと思う。もう二点だけ開いておきたいと思うのですが、先ほど文部大臣は、日教組が政治団体に近い云々と、これはまあ運動方針その他から言われましたけれども、政治団体の定義は先ほど大達文部大臣自身で言われたと思いますが、本質を、政治団体、或いは政党その他の政治団体、これは政治資金規正法の中から引いて言われましたが、そう考えられるのか、それともその生活を守る経済的団体であるという点が本質なのか、それと教育という問題とは必然的な関係はないのが実態ではないか。これはまあ教育云々という問題がございましたが、平和教育云々ということでございますが、憲法の精神に従つて教育をするというならば、それが平和教育でございますが、それは政治的な性格とどこに関係があるのか。なおここに言われておりますような、法文に言われておるような政治的団体云々というのを学校の外部からの不当な圧迫や影響力からこれを守りたい、こういうことが法案の要綱と申しますか、方針を決定した線でありますが、教育自身を担当いたします学校の先生が学校の外部からの不当な圧迫云々をなし得るのかどうか、そういう点で、教職員とそれから教職員の団体、それから政治的団体といつたものが混淆されておるのではないかと思うのですが、その点について簡単に御答弁を頂きたいと思います。それからもう一点伺つて置きますが、一番最初私が質問いたしましたところに関連をいたしまして、労働大臣はおりませんが、それではこの法律の構想を含んだ教職員は、その生活、その地位を守るために如何なる方法が残されておるか、或いは大連文部大臣として考えられておるのか、その点を承わりたいと思うのであります。或いはこれは国家公務員法の例による結果、或いは署名運動を企画し、主宰し、指導し、その他これに積極的に参加することはいけない。署名することは差支えないといつたような緒方政府委員等の答弁もございましたが、細かいことは承わりませんけれども、どういう方法でこの教職員はその生活を守ると考えておられるのか、その点も承わりたいと思います。
○国務大臣(大達茂雄君) 学校の外部からする教唆扇動、これが教職員の手によつてなされた場合には、学校の外部からする教唆扇動ではないじやないか、そういうような厭味の御質問と伺いました。私はこの場合に外部という言産を使つておりますが、これは法律に書いてありますように、義務教育諸学校の教職員に対してその教唆扇動が行われる、こういうのであります。その場合にこれは誰がやつても、何人もというのでありますから誰がやつてもこの教唆扇動に該当する、この条件を備えた教唆扇動に該当する場合にはこれは、この法律によつて取締の対象になるものであります。何人もというのでありますから、その人がどういう職業をしておりましても、これはすべて或る学校の面接の教職員に対してそういう教唆扇動をすれば、その人がどういう地位におり、どういう職業をしておつてもこれは皆このうちに入つて来る。それが他の学校の先生をしておる場合でもこれは同様であります。でありますから、これは先生という、教職員という職を持つておる人以外の人間、こういう意味ではありません。その教唆扇動を受ける当該学校から見て、当該の学校の教職員から見てその以外の人間、こういう意味であります。その教唆、扇動を受ける先生のほかの人、こういう意味であります。 それからもう一つは、これは特例法の改正に関連しての御笠間であろうと思いますが、この国家公務員と同様な立場に立たされた場合に、地方公務員としてのその地位を守るためにどういう方法が講ぜられ、若しくは残されておるかという御質問でありましよう。これは地方公務員の経済的な地位、或いはその公務員としての地位を守るとかいうことには直接関係のない、要するに公務に……。
○吉田法晴君 それが間違うておるのだよ。
○国務大臣(大達茂雄君) 公務に関係のない問題であります。でありますから、地公法によつて定められておる身分の保障と申しますか、そういうことは、それには何らの変更がないのであります。変つたところはない。この政治行為の制限が強化されるということは、その教員の身分、地位の問題には……、この地位を保障するという問題とは関係がない。
○吉田法晴君 身分じやないよ。
○国務大臣(大達茂雄君) 地位ですな、地位を保障するという問題とは関係ない。その点は今まで通り、同じことであります。
○委員長代理(栗山良夫君) ……ちよつとお待ち下さい。ちよつと速記をとめて下さい。 午後九時四十九分速記中止 —————・————— 午後十時九分速記開始
○委員長代理(栗山良夫君) 速記を始めて下さい。 連合委員会も長時間に亘つて質疑を続けて参りましたが、なお労働委員会の委員諸君には若干の質疑の点も残つておるようであります。併し本日は一応これにて閉会をいたしたいと存じます。ただ問題は労働委員会といたしましては文部委員会に連合委員会の申込をいたしました場合には、その回数等については全然注文をつけておりません。従いまして労働委員会といたしましては、改めて委員会の決定を得なくとも、文部委員会のほうの了解があれば何回でも連合委員会を開ける態勢にあるわけであります。併し文部委員会のほうは、私はよく承知しておりませんから、若し間違つておれば御訂正願いたいと存じますが、恐らく本日一日労働委員会と連合委員会を開くというようなきつと御決定になつておるんじやないかと思います。そこでそこに食い違いがありまするが、只今御懇談の時間の中において各委員から御発言がありましたように、一応本日はこれにて連合委員会を閉じまして、更に残された部分については文部、労働両委員長において話合いをして如何ようにか取運ぶようにというお話がございましたので、両委員長におきましてはそのように議事の取運びをいたしたいと、こう考えるわけでございますが、御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○井上清一君 只今委員長の発言の中で、先般の労働委員会においての話合いと若干食い違つておる点があろうかと思いますので、この点でちよつと私申上げて見たいと思います。この間労働委員会が文部委員会に対して合同審査を申込みます際に、回数の制限をつけなかつたように今委員長が仰せられたように思いますが、あのときの話合いは、一回一つ一日申込もうということで、それで回数のことは私は一日と了解をしておつたんですが、この点或いは委員長と私とどちらかが思い違いをしておるんじやないかという感じがする。その点ちよつと……。
○委員長代理(栗山良夫君) お答えいたします。その点は只今井上君の御発言の点は速記録には載つておりません。いずれ私は間違つておれば訂正いたしますが、御懇談のときにはそういうような御発言があつたかも知れませんけれども、正式に速記録には文部委員会に連合委員会を申込むことの可否についてお諮りをして御賛成を得て決定をしておるのでありまして、そういう内容のことについては一言も触れていないように私は記憶しております。(「その通り」と呼ぶ者あり)
○井上清一君 この問題については私ども労働委員会の内部の問題ですから、いずれ御相談を申上げたいと思います。
○委員長代理(栗山良夫君) 本日はこれにて散会いたします。 午後十時十四分散会