農林委員会農業災害補償制度に関する小委員会 第1号
- 発言数
- 19 件
- 登壇者
- 5 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1954/02/25
会議録
○委員長(松浦定義君) 只今から農業災害補償制度に関する小委員会を開きます。 先ず、本日は先日の決議によりまして農業災害補償制度の改正に関して農業共済基金専務理事安田誠三君の御意見を伺うことにいたします。
○参考人(安田誠三君) 私は只今御紹介頂きました農業共済基金専務の安田でございます。この農業災害補償制度の問題については、委員のかたがたは非常に先輩であり、非常な不断から御指導して頂いておるので、私今日意見を申上げることは甚だどうも僭越で恐縮に存じます。私は私なりに今日は補償制度に対する考え方を若干考えておるところを申上げる次第でございます。 最初に、この補償制度という形になりましたのは戦後でございますが、特にこの家畜の保険は御承知のように昭和四年から事業を実施しておりますし、それから農作物の共済の前身である農業保険は、昭和十三年に法律が制定されて十四年から実施しておるというような、かなり長い間の歴史を持つて来ておるわけでありまして、そこで今日はそういつた点から、家畜の共済については大体まあ皆さんも御承知のようにほぼ軌道に乗つて来ているのじやないかというふうな私は感じを持つております。十年遅れております農作物、蚕繭の共済は若干その間にまだ問題を持つておると思うのです。それでこの補償制度は御承知のように、極く簡単に法律制度の当時のまあ考え方を申上げてみますると、ほかの、外国とのいろいろなこういつた類似の保険制度の研究をやつて参りまして、それとの比較において特に日本の農業災害補償制度の特色として挙げていられる点を申上げてみますると、御承知のように、この災害補償制度の構造と言いますか、仕組が若干複雑ではございますけれども、町村の農業共済事業と言いますか、農業共済事業に対して県の連合会が町村の農業共済組合のやります共済事業を保険という方式でバツクしておる、それに対して政府が直接に連合会の保険事業に対して再保険をしておると、こういう仕組になつておることは御承知の通りでありますが、そこでこういつた仕組をとつて参りましたのは、御承知のように、この農業災害に対していろいろな従来のこういつた類似の日本の災害制度の沿革からみますと、要するに責任がこの災害については府県の地域においても相当災害に対する救済の制度があるのですね。同時に大きな災害については政府が従来救済をして来たという建前から、この保険制度といたしましては、町村の共済事業に対して先ず第一次の保険を府県地域において行う。どうしても府県の地域でこの災害の始末が付かんという大きな災害について、政府が本格的にこの事業に対して援助をするという仕組が日本の従来の行政制度と言いますか、行政機構から見ましても、それとの関連においてこの制度を立てて行くというのが日本の実情に合うのではなかろうかと、こういう考え方から大体行政地区というものに即応してこの事業団体というものが構成されておる。こういうふうな考え方で参つておるわけであります。 そこでこの政府がやります再保険は、御承知のように通常災害の場合は、これは通常災害というか、政府の再保険の特色と言いますのは、これは外国にも例のないことでありますが、県のいわゆる年間の災害を累計しまして、それが或る一定限度超過した場合に初めて政府が再保険をする、再保険金を出すという、いわゆる超過再保険制度という方式をとつておるわけでありまして、今日まで大体その機能は政府が果して来ておる、政府の再保険事業というものはそういつた点で機能を果して来ておると私は思うのでありますが、そういつた一つの特色のある仕組を持つておるわけでありますが、この災害補償制度の機構全体に対しては、私はこの戦後の補償制度立法のときにも、司令部との関係においていろいろと外国の話も聞いたりしておりまして、非常にまあ日本の制度自体は割合よくできているというふうな考え方を持つて、日本の災害補償制度については眺めておるように私は承知をしておるわけです。ただここで一つ、もう一つ特色として日本の災害補償制度について見られる点は、これは司令部のほうでもこの点を指摘しておつたのですが、この災害補償制度に対する国家のいわゆる負担と言いますか、財政的な補償というものが相当に行き届いている、行き届いているというと語弊がありますが、相当政府自体が再保険事業をやつて、財政的にもこれを援助しているという例はこれは割合に、外国の農業保険の発達の経過から見ますると、これはまあ割合に少いように思われます方式で、国が直接再保険をやつて財政的に援助しているという国は、ドイツにしろ、アメリカにしろございますけれども、こういう方式でやつているというのは非常にまあ少いと、こういうふうな点が、この農業災害補償制度の一つの特異点として我々はまあ考えられるのじやなかろうかと思うのでございます。 それで、その国の再保険事業を直接政府がやりながら、異常な災害に対して国が直接いわゆる再保険事業として発動するということは、内容的に申しますと、いわゆるこの補償制度全体が長期均衡という原則の上に立つて、保険理論と言いますか、保険的な様式によつてこの補償制度が組立てられておるが、その上で政府が農民の負担する保険料と財政的に負担をするということになつておりまして、結果的に見ますと、国の出しておりますこの財政負担は、結果的に見ますと、要するに超異常災害に相当する分については殆んどこの保険料を全部持つておりますし、異常災害については二分の一持つておりますし、通常の災害については約二分の一程度国が持つておるという点から見まして、大きな災害については、現状の仕組から言いますと、貧弱な内容を持つていながら国が殆んど大災害関係については責任を持つておるという仕組になつておるように思うのであります。ところが、そのいわゆる保険料負担だけを以ては、いわゆる長期均衡のバランスにおいて、保険料の収支均衡がとれないという点がありまして、御承知のように政府の特別会計には支払いの再保険の財源がないという場合に、一般会計からこれを繰入れて補なつて来ておるというふうなことで、結果的にはこのほかの衆議院の案にございまするが、異常災害について殆んど政府がこれに対する負担をしておる。ただ、この政府の異常災害に対するいわゆる再保険が保険料負担という形でやつておるという点において特色があるのでありまして、従つて災害があつた場合に政府が異常災害について全部、相当部分に対してその責任を負うというような考え方は、ほぼ私は現在の機構において貫かれておるのじやなかろうかという私は考え方を持つておるのであります。それで、今の補償制度についての特色は大体そういつた仕組の点と、国がこれに財政的な援助をしておるという点において非常な日本の災害補償制度は一つの特色を持つておるということを申上げましたが、そういつた点から一つお気付きだろうと思いますが、この農業災害補償制度に、こういつた仕組から来るいわゆるいろいろな複雑な問題が出て来るわけでありますが、その根本は、一つは国が補償をしておると否とにかかわらず、これは災害補償制度の仕組は町村の農業共済組合を土台として、国が構成した連合会が再保険をやつておる、そういつた自主的な団体のように見える。そういう一面がこの災害補償制度の上にやはり影を投げかけておるという点がありまして、全体のこの補償制度が如何にも二元的な割切れないものを持つておるというふうな点が見られるのでありますが、これはこの災害補償制度が私は日本の農業というものの特色から見て、農民だけのいわゆる負担によつてこの災害は解決できないという点から、国がこれに対して、この事業に直接手を出して事業を勧奨しておると、こういういわば補償制度の中に非常に公共的な面というものと、それから共済組合を作つて、県の農業共済組合連合会というようなものを作つても、その点からみれば、如何にもそれが自主的な団体のように見える、この二元的なものが一つの災害補償制度の中に含まれておるという点が非常に割切れない、事業全体として、或いは制度全体として割切れないという感じがここに湧いて来る点があると思うのでありますが、これはこの制度の運営のいろいろな面において、私は今日問題を生んで来る基だろうと思うのでありますが、一つはそういつた点で、この農業災害補償事業という方面から見ますと、非常にこれは企画の統一された、企画の統一されたと言いますか、或る程度内容が町村の、この事業を担当する人々が自由自在に、自由にこれを経営することができないような、そういう一つの企画を持つた事業であるという点にいろいろな窮屈さを担当者、事業の運営に当つておられるかたがたは感ぜられる、こういう点が一つあると思う、これが一点でありますが、同時に半面に、この事業を進めて行きます場合において、いろいろな制度自体が欠陥を持つておるという問題が、今日までは共済組合或いは農業共済組合連合会、そういう共済団体の動きによつて相当に制度の内容が改善されたと言いますか、出発当時に比べると非常な変り方をしておる、こういつた点で如何にも自主的な団体のように団体活動を今日までして来ておるわけでありますが、併し事この補償制度の内容に至りますると、それは非常に企画の統一されたもので、この事業の運営に当つておる立場のかたから見れば、非常に窮屈な弾力性のない事業だ、面白味のないものだと、こういう感じを持たれるようになつて来たというのは、これは当然なことでありまして、これは保険制度と言いますか、保険的な様式によつてこの事業を進める以上は、その点は一つの大きな前提になると思いますが、そういう意味においてこの補償制度の中に非常に事業という面が強く現われる場合があるし、この事業を改革するために、事業を担当しておる共済団体がこの改善のために動いて行く。その面を見ますと非常に共済団体という色彩が表面に強く現われて来る。そういつた点からこの二元的な割切れないものを持つておるわけです。同時にここで一つ問題になりますのは、この法制の建前が、共済組合は、御承知のように農業災害補償制度で大体協同組合法のいわば法律の仕組をまねておるわけであります。従つてそういつた点もありまして、実際に現在全国の農業共済組合の七、八割程度は恐らく農業共済組合長と協同組合長とがかねておられるというのが実情だろうと思うのです。そういつた実際問題から見ますると、今度は共済組合の運営というものと、協同組合の運営の責任に当つておられる、両方持つておられる人の立場から、もう如何にもぎこちない制度だというふうな……、この問題もやはりそこに出て来るように思うのです。そういつた意見は、私は現在の農業災害補償制度の持つておる二元的な性格の中で、窮屈な面と言いますか、窮屈な一面がやはり代表されておるのではなかろうかと思うのです。で、この問題は、恐らくだんだんとこのように、この災害補償制度がいろいろな意味において大きな働きをして来るという段階になつて来ますると、私はこの災害補償制度を、どのような線を強く出すと言いますか、どのような性格でこの共済団体というものを性格付けて行くかというところに一つ大きな問題があるように思うのです。これはいずれはそういつた問題が具体的に現われて解決をして行かなければならん時期が来るのじやなかろうかというふうな予想がするのであります。そこでそういつた現状の中でこの戦後の四、五年の間に農業共済事業が大体歩いて来たコースと言いますか、方向を見ますと、私はこういうふうに見ておるのですが、戦後この事業ができましたときは、ほんのこれは政府の再保険事業というものも、町村の共済事業なり、連合会の保険事業というものの内容に立入つて余り関与しなかつた。これは放任のままにというとちよつと言葉が過ぎるかも知れませんが、大体共済事業というものを土台にして上のほうはそれに従つて動いて来た、こういうふうな感じを、見方をして差支えないじやないかと思いますが、併しこの両三年のいわゆる災害補償制度に対する強化が行われるようになるに従つて、連合会なり、共済組合に対するいわゆる政府の指導と言いますか、監督と言うか、そういつた力がこの二、三年来ずつと表面的に出て来ておる。これは再保険事業をまあ管掌すると言いますか、掌つておる政府と言いますか、保険者の立場から言いますと、こういつた行き方は当然やはり出て来る問題じやなかろうかと思うのです。例えて申しますと、連合会のこれが事務費の認可制をとるとか或いは職員の承認制を布くとか、或いは組合のいわゆる届出制度を布くとか、或いは連合会の、連合会と申しますか、損害の評価について相当積極的にこの再保険の立場からこの事業の内容に立入つて来るとか、或いは監査を強化するとか、そういつた一連の大体行き方はこの災害補償制度が成長するに従つて、そういう力が半面にだんだん伸びて来たというふうな点から考えて見ますると、先ほど申上げましたような、この補償制度の中にある二つのいわゆるまあ性格かと言いますか、事業的な面が非常に表面に強く現われて来ておる、こういつた点がここで指摘されるように思うのでありまして、これは事業を合理化して行くというふうな立場と、それから事業を運営して行く上において、農民の立場に立つてこの事業を指導をするというふうな考え方からするならば、そういつた行き方は私は当然或る限度までやるべき問題じやなかろうかと、かように考えるのであります。 そういつたことを見て来ますると、だんだんとこの共済事業というもの、それから保険事業というものが合理化されるに従つて、事業という角度の面が非常に強く出て来る。そういつた点から団体活動というような面が、どちらかというと、それに引替えて相対的に弱まるというような点が見られるのであります。そこでこういつた方向と言いますか、事業の進み方を今日して来ておると思いますが、その場合にいろいろな問題がこれに関連して起つて来ておることは御承知の通りでありますが、その中で二、三点私は気付きを申上げてみたいと思います。 現在農業災害補償制度について起つておるところの一つの大きな点は、何といつてもこの事業の内容がまだ未完成である、未熟であるという点に一つ改善すべき大きなポイントがあると思います。それは大きくいわゆる農業災害補償制度と言いながらも、内容は御承知のように、作物で言えば、収穫皆無のときに殆んど収穫の二分の一程度しか補償されていない。こういうことは羊頭を掲げて狗肉を売るんじやないかというような感じは、確かに農業者の立場からすれば見られるし、それから災害をこうむつて土壇場に追い込まれたお百姓からすれば、やはりそういつた感じがまだ拭い切れずにある。これはこの戦後の補償制度が成立してから、御承知のように年々改正に改正が加えられて、この災害の事故というものは殆んど共済事業の中に取入れられまして、殆んどこれは主な災害というものは、全部形の上では補償されるという恰好になつておりますが、併し填補されると言いますか、補償され内容になると非常に貧弱である、こういう点はどうしてもこれは解決しなければ、実質的ないわゆるこの事業の改善と言いますか、改革という角度から見ると、この実質的な面をやはりこれは解決をしなければならん大きな問題だと思うのです。 それから、その次に一つ申上げてみたい点は、いろいろ問題が現在起つております中で、この事業なり、制度を運営して行く上の欠陥というものが相当あるということは、これは認めざるを得んと思うのです。と申しますのは、先ほど申上げましたように、戦後この制度が生れてから共済団体の非常な全国的な結束によつて、一応その事業がだんだん軌道に乗りかかつておる。で、年に殆んど法律の改正を見ない年はないというくらいにこの制度が着々と拡充強化をされて来ておる。この点は余りにそういつた意味の方面が進み過ぎておるというと語弊がありますが、非常にその方面が毎年々その内容の改善、制度の強化というものが行われて来たために、事業の運営という点は私は総体的には若干手ぬかりになつておるのじやなかろうか。この点が今日いろいろな問題を起しておる大きなやはり焦点になつていると思うのです。ですから今後の補償制度のいわゆる問題と言いますか、検討を続けて行かなければならんというのは、この運営上の問題に非常に主力が注がれるのじやなかろうか。財政的な負担にしろ、いわゆる事業の内容の拡充にしろ、こういうものは非常な大きな、言葉は悪いのですが、成功を収めて来ておる。併しながら事業の運営という面については非常にその点において手遅れになつておる。こういつた点が絡みまして、今日問題になつておる点で、相当補償制度の根本的な問題のように言われる点がかなり運営上の手当によつて解決できて来る面が相当あるのじやなかろうか、こういつた点を一つ申上げておきたいと思うのであります。 それで先ず最初に例を申しますると、この保険金のと言いますか、共済金の支払がとにかく遅れておつたということは、やはりこの事業にとつて非常に致命的な問題だと思うのです。昨年までは殆んど、極端に申しますと、農作共済の中で、水稲のごときは十一月にとれたものが翌年の五月、六月に現金を払われる。こういう事態だつたのです。それから家畜の共済について見ましても、これは共済組合で入つて来た保険料を立替えて払つておつて、ようよう事故が起きてから一月及至二月の間に払つておるのが非常に成績がよろしいというふうで、上のほうの再保険関係というものは三月も遅れて来るというふうな運営の状態であつたという点は、これはこの保険ということによつて受取つておる多くの人々から見ると非常な私は運営上の欠陥だ、こう指摘されても止むを得んのじやなかろうか。ところが昨年の、二十八年の水稲につきましては、これは皆さん御承知のように、大体東日本については、二十二、三県については十二月末までに一応保険金の支払を完了しておる。町村の共済組合を通して農家まで支払を完了できるというところまで行つたわけです。この間に、例えば昨年のような災害だからそういつた結果になつたとは言いますが、やり方如何によつては半年も急速に支払が進められる。二、三カ月も保険金の支払を急速にやれるというような点が今日まで見逃されて来たということについては、私はそういつた問題はまだやる余地がある。家畜の保険金支払、早期支払についてもやはりこの点がまだ詰めて行かれる。こういつた点の運営上の努力というものはやはりまだやるべきじやなかろうか。それからなお共済金の支払が末端まで行われんということは、農家まで行き渡らんという非難も受けますが、これも先ほどの共済組合と協同組合との関連という問題が若干ここに引つかかつて来るわけでありますが、併しながら、これも二十八年の水稲については相当この問題が私は解決されておる。実際この冬に若干廻つてみますると、その点は一昨年に比べて非常な支払が進んで来ておるというような点から見て、非常な農家のこれに対する関心が高まつて来ておるというような点から、このような問題についても、私は運営上の責任の衝にある者がその点を引締めてやつて行くならば、いわば今日問題になつているいわゆる補償制度に対する非難の相当部分というものは解消できるのじやなかろうか、こういつた感じを持つております。なおもう一つは、この共済基金の共済掛金と、それから払う保険金との均衡がとれないという問題が今日起つて来ているわけですが、これもこの問題は非常に町村の内部ではデリケートな問題になつて来ていると思いますが、これは御承知のように、戦後いわゆる供出制度なり、税金の問題が非常にやかましくなつて、農家の頭は非常に計算的になつて来ているという点から、今までのように、共済事業において共済金の支払を適当にその町村で始末をするということはできないような情勢に、今日農家のほうの関心が高まつて来ているといつた点が言えると思うのです。これは一つは、こういつた問題が共済組合の町村内部にあるということは、この町村の共済事業というものが非常に広汎な仕事を持つていながら、僅かな陣容でこの問題の始末をせなければならんというところにも、事務体制がやはり十分に整備されていないという点が、私は非常にこの問題が適正に扱われにくいというような点があるのじやなかろうかと思います。 更に運営上の問題の一点になりますか、この共済掛金が相当掛け捨てになつているという問題については、私はやはりこれはやるべき方法がある。この前たしか一昨年ですか、一応問題になつたかと思いますが、どうしても、農家にしてみれば掛けた金がいつまで経つても掛け捨てになるということについては、なかなか割切れないものを持つていると思うのです。これは尤もなことでありますので、共済組合品では、その町村の中に危険の程度に応じてこの掛金を細分するという方法をとつておりますが、それでもこの問題は完全に割切るというわけには行かないし、技術的にもそういうことは、詳細にこれを細分するということは非常にむずかしい問題じやないかと思うのです。そこでまあ一つの考え方としては、そういつた三年なり、或いは五年なりかけても、なお共済金が来ないというような場合には、この三年なら三年もらわないという農家が明確にわかつている以上は、それを土台にして無事戻しの制度と言いますか、その仕組みを予算的にとつたらどうだ。二十八年度の結果を二十九年度に予算の上に出すということは非常にむずかしいかも知れませんが、或いは三十年、一年飛んでもいいから、その確実な計数をつかんで、これを予算化して無事戻しの制度を取上げるということは、いわば掛金ともらうものとの不均衡であるというものを、そういう形で是正して行くことも一つの方法じやなかろうかというふうに私はまあ考えているわけです。技術的に非常にむずかしいように思われますが、正確に三年乃至五年もらわなかつたという農家がはつきりすれば、それに応じたいわゆる無事戻しの制度をとつて行くということは、これはそうむずかしい問題じやなかろうかと私は思います。 要するに、先ほど来申上げました問題は、町村の内部に起つている問題で、言い方を換えますと、これが或いは補償制度の運営全体の問題が町村の共済事業の上ににじみ出ている、こういうふうにも考えられるわけで、そういつた点から、私はどうしてもその町村の共済事業の運営上出ている問題をとにかく的確につかみ上げて解決するというような点に、もう少し注意を払つたらどうかということを申上げたいのでありまして、それは重ねて申しますが、今まではかなり大きな輪郭全体に対する推進と言いますか、政治的な問題に非常に大きな重点が加えられたと並行して、こういつた運営上の問題について力を注いで行く必要があるというように考えます。 それからもう一点、もう一点と申しますか、制度上の問題になりますが、これはその損害評価の問題が今まで言われておりますが、これはどうしてもまあ私の考えを申しますと、作物についてはなかなか極め手がない。併しながら、これは御承知のように、この古い、農地改革前においては、地主と小作人がやはり相当に真剣に小作料の減免について、立毛の権利について争つたことは御承知の通りでありますが、こういつたかなり真剣な問題は利害相対立すると言いますか、利害の相反する保険者と被保険者が、この損害の評定について完全に意見が一致するということは容易なことでないと思うのです。それは一つは、この損害の評価について、やはり損害が起つた場合における災害の取扱い方というものが保険的に扱われていない。これはもう少し突込んで申しますと、やはり共済事業なり保険というものについて、事業の運営をやられる立場の方々が必ずしもそういつた角度で全国的に行われていない、趣旨が徹底していないという点があるかと思いますが、とにかくこの利害の一致しない問題をどう解決するかということは、一つはやはり損害評定の技術を確立するということになろうかと思いますが、これは今までこの損害の評価については評価委員によつて評価が行われて来たわけでありますが、これは御承知のように、被保険者が評価をするという建前をとつております。ところがだんだんと先ほど申しますように、再保険者がこの評価に立入らなければならんというふうになつて来て、今日では、御承知のように作報のいわゆる収穫統計というものを一応の物差にして、これを見て行くという見方をとられておるようでありますが、私はやはりこの問題については、保険者と被保険者がやはり一つの共同の尺度で、同じ尺度でそのものを判断できるように、どうしてもこの作報の立場、作報の資料というものは飽くまでこれは参考というような立場で利用できましようが、作況田なりいわゆる権利のためのやはりここに足場と言いますか、そういうものを、この保険制度自体の中にもつとしつかりしたものを確立して行く。町村の中に作況田というようなものを持つて、これについて一応問題のいわゆる利害の相対立する面を成るべく幅を狭くして行くということを進めて行く以外になかろうじやないか、こんな考えを私は、非常になまぬるいようでありますが、この利害の相対立した問題をどう解決するかということは、そういつた評価の技術というものを成るべく確立しながら、争いの幅を縮小して行くという方法を考える。その場合に確かに作報を利用するということも考え方の一つでありましようが、なおもう一つは、この補償制度に固有な一つの作況組織と言いますか、損害評価の組織を持つて行く、そうして作物がなくなつてから損害の評定をするというようなチヤンスを成るべく少く、これを避けて行かなければならないのじやなかろうか、こういう感じを持つております。これはこの評価についての技術的な問題ですが、もう一つここで申上げておきたいのは、この損害評価というものが過大とか、いろいろな論議がありますが、これは今のいわゆる供出の制度、それから二重米価、二軍米価というとおかしいですが、まあ二重米価制度というようなもののために、そのしわがこの共済事業のほうに強く反映しているのじやないかと思われるのです。技術的に如何に完備いたしましても、そういつた供出、今日のまあ供出制度からみますと、農家からすれば、成るべく供出を少く免がれたいという立場からは、どうしたつて被害を大きく言うということが供出の緩和に相当な役に立つ、又そういうものの言い方をされるかたが相当に今ある。そうすると、又税金のほうも安くなる、こういつたような仕組では、こういつた点が強くいわゆる農村の中に現われて来ると、幾ら半面に技術的な精巧な尺度を以て臨んでも、そういつた点において私はほかの農政上の問題のためにしわを寄せられるという危険が非常に多いということは、これは相当考えなければならん問題じやなかろうか。そこでこの補償制度に関連した問題は、私は農業災害補償制度で解決できる問題と、相当それと関連性において、ほかの政策との関連において、これを取上げて頂かなければならん問題があるというふうな考えを持つておるのであります。技術的には、そういつた点から災害のいわゆる適正評価ということの極め手がなかなかないという点から、共済団体からしますと、一面に成るべく災害を起さんような方法に手を伸ばして行くということは、これはもう当然なことでありまして、防災問題と言いますか、災害防除の問題に共済団体がどうしてもその事業を遂行する関連において出て来るということは、これはもう当然でありまして、現在のこの災害補償制度で行きますと、相当なやはり農家が努力をした結果に対して、なお且つ損害を受けた場合に補償をするという建前から言いますと、この損害防除というものをどの程度にやるかということは非常に大きな問題であり、これらの級別の標準というものが、標準と言いますか、方針というものが、何ら確としたものが立てられていないという点は、まだ研究の余地があるように思うのであります。 それから、更にこの制度全体から見まして、この補償制度は町村の共済事業と、それから直接には農民と国と政府というものとの両者の出資と言いますか、金を出すことによつて一応でき上つておりますが、どういうわけか府県というものがこの問題について、財政的に何ら殆んど関与の制度上建前がとられていない。こういつたことは非常に災害が県の農政問題として大きな問題でありながら、仕組みにおいては、直接に何ら関与しないような仕組みになつておる。今後の掛金の負担軽減というような問題についても、私はそういつた意味において、地方自治体というものが、こういう事業に相当にやはり関心を持ち、この事業に相当参画をするということも考えられる問題の一点じやなかろうかと思います。今日府県はかなり共済事業についても援助をしておられます。それから我々のほうの共済基金の出資についても県のほうじや非常に援助をしておられますが、この制度のシステムのほうでは、まだはつきりした建前がとられていないというところに何か問題があるのじやなかろうかと私は考えております。 それからこの町村の共済事業の内部において非常にこまかいいろいろな複雑な問題が起りますが、これは我々もずつと前から、こういつた個々の問題をどのように扱うかという場合に、普のように地主さんが損害の検見をする。被害の検見をするというときは現地で問題が片付きましたが、今日のような共済事業においては、どうしても何か今の耕地の一筆単位を中心にしたような考え方を相当再考する要があるのじやなかろうか。御承知のように、現在の一筆単位に損害の共済金を出すということの考え方は、これは小作争議時代のやはり小作制度というものを建前にした一つの考え方がずつと今日まで尾を引いていると私は思うのです。一筆を中心にして地主と小作人が争つた。そういうことから一筆というものに非常な重点が置かれておりますけれども、これはもう少し性質から申しますると、私は団体保険というようなものの構想が何か考えられないか、町村を単位にした団体共済或いはこの部落を中心にした共済事業、こういうものが考えられないか。これは非常に事務の簡素化になると思いますが、但しそれかと言つてその内部はどうするかという一つの見通しが立たない限りは、これは非常に現実問題としてむずかしいと思いますが、大体の今までやりました共済事業の行き方から見ますと、こういつた方向が一つはつきりと明示されていいんじやなかろうか。只今その中間的な、中間的と言いますか、考え方として今の一筆単位じやなくて、御承知のように農家のいわゆる所得と言いますか、総石高と言いますか、農家単位の共済というものを実験しておりますが、この農家単位の共済は明らかに今日のほかの供出制度とか、そういつた角度から見ても、大体それと歩調の合つたシステムじやなかろうか、そういつた点の問題がありますが、これはかなり研究をさるべき問題として考えられることは、ほかの方面からも御指摘になつている通りであります。 それから最後に、一つ連合会の共済団体についてのいろいろな問題の中に、連合会の赤字の問題がございますが、これは御承知のように、今日の連合会の持つております赤字の相当部分は、事業上の赤字は、これは確かに制度から生まれて来ておるものであつて、この問題に対する誤解が相当にあるのじやなかろうか。これは非常に思い付きでありますけれども、連合会の、例えば赤字の問題が十分に共済事業に関心を持たれている方々に理解をされていないのじやないかという懸念を持つているのです。そういうことから連合会の今日の決算と言いますか、締めくくりが補償事業の面における決算というものと、それから実際の地主の決算、予算というものとが一緒になつて、事業全体の締めくくりが付けてありますが、私はそういうものはもう少し切離して明瞭にこれを扱つたらどうか、扱う方法はないものか。そうすれば、そういつた問題についての誤解が相当に解ける点があるのではなかろうかというふうに思いますが、併しながら根本は、今の連合会にして見れば、今日まだ二十六年度末で御承知のように約二十八億の赤字を持つておるわけです。連合会が赤字を持つている。而もこの赤字が未解決のままに放任されているというために、連合会の経営というものは、基金ができて融資はしておりますけれども非常に困難な状態にある。そのために連合会の経営というものは相当無理をしていると思われる点があるのでありまして、この解決は是非早急にしなきやならん問題の一点だと思うのであります。それでここでちよつと簡単に申上げて見ますると、この二十八年の終りにおいて連合会の赤字を一応計算して見ますと、相当な額になる、昭和二十九年に入ります保険料を、その赤字の償還に全部当てて、保険料を一年分前繰りして、そうして足らないという連合会が四十六の中の約三分の二くらいあります。あとの三分の一は大体借金を返すのに二十九年度の保険料を償還財源に当てて、而も若干残るという県が四十六の三分の一くらいになると思います。そういう状態でありますが、それは取りも直さず、この二十八億という赤字がまだ未解決のままに残されているという点が大きな点になると思うのです。こういつた点を一応見ますると、この補償制度は一応長期バランスという立場に立つて考えられておりますけれども、私はそういう点から今日までの相当実績を一応検討して見て、果してこの作物で申しますると、約二十年余の経験からして、この制度が果してそういう線の上に乗つけられるかという問題についても根本的にまだ検討を要する問題があると思いますけれども、とにかく当面しているこの連合会の赤字の解決をやはりするということが、一応この補償制度を軌道に乗せて行く上においても非常に肝要な条件になつて来る、かように考えるのであります。 それで大体まとまりのないことを申上げて非常に恐縮でございましたが、私の考え方を総まとめにして見ますると、戦後の六年間におきまして、この災害補償制度が今日までやつて来たのは非常に短期間の実験に過ぎないのではないか。実験と申しますと語弊がありますが、この非常に大きな試験を今日までやつて来ている。これだけの大規模な重要な問題について試験をやつて、その結果の成績が出ておるにかかわらず、それについての検討が十分に行われていないという点が、我々としては相当今後研究すべき問題だと思うのです。御承知のように、この補償制度は相当に大数法則の土台の上に立つて事業を経営しているという建前から、かなりいろいろな、一角をいじることによつて相当全面的な改変を加えなければならないと思われるのでありますが、これは今日まで数字の上に明らかに現われている問題を克明にやはり取上げて、それの検討の中から解決の糸口を引張り出して行くという、この考え方が今日までのところ非常に欠けているのじやないかという感じを私は持つておるわけです。このいろいろな補償制度に対する問題も、見方はいろいろあると思いますが、私は只今まで申上げましたような、非常に私なりの見方をしておるのでありまして、これが御参考になつたかどうかということを非常に疑念に思いますけれども、非常にまとまりのないことを申上げて恐縮でございましたが、以上で大体私のお話を終りたいと思います。
○委員長(松浦定義君) ちよつと速記を止めて。 〔速記中止〕
○委員長(松浦定義君) 速記を始めて。 それでは只今の安田誠三君の御意見に対しまして、何か質疑がありましたら順次御発言を願います。
○担当委員外委員(片柳眞吉君) 私話の途中で入つて来たわけですが、無事戻しの制度ですがね、これは御意見としては、全体としては赤字になつているわけですから、無事戻しをすると国家財政で負担するわけですか、無事戻しの財源というものはあなたの御意見からすると……。
○参考人(安田誠三君) これはそう大した額じやなくて、無事戻しの財源を財政的にやはり一つ出すということが必要になつて来ると思います。これは私の考えは、半面に保険料の負担をやつておる、而も今後の保険料の国家的な負担というものを、こういう形において解決して行くということが一つ考えられるのじやなかろうか、いわゆる共済事業を合理化するという考え方で、この無事戻しの財源を財政的に一応金は出して行つていいのじやないかと思います。
○担当委員外委員(片柳眞吉君) これは例はこまかいんですが、全く被害がなくてむしろ農作だ、これは豊作という一つの事実があるんですから、こういう農家は或いは無事戻しをしないでも、片方で平年以上の収穫があつたのは、これは或いは考慮しなくてもいいけれども、例えば三割未満の共済の対象とならん、二割くらいの災害が例えば二年とか、三年とか続いた、それを合計すれば相当の、二、三年ごとに或る程度の被害があるけれども、隔年の被害は三割に達しないという、そういうものにやるというような、例はこまかいんですが、構想は取得ないんですかね。そういうものだけ無事戻しなら無事戻しのやつをやるというような、そういうような考えは全然ないのですか。
○参考人(安田誠三君) 私はそこまで踏込んで入つた考えはまだ持つておりませんが、今のシステムの上で解決するとしたらどうかという程度のもの、もう一つそれと関連する問題は、今のお話の点で、やはり一筆々々でその問題を解決するというところに非常にぎこちなさがある、農家全体の、今の農家単位と言いますか、そういうようなことがとられると、その問題は今お話のようにはつきりして来ると思います。
○担当委員外委員(片柳眞吉君) それから私はこの問題は損害保険という性格を持つておりますから、いつも考えているのは損害評価の方法に極め手がないという、ここがやはり一番この制度の欠陥であり、或いはこの制度が悪用される一つの問題ではないかと思うのですが、そこで先に御意見を聞いておりますと、供出関係等があるので、そういう面からも被害額の推定が多くなるということですが、或いは税金関係もありましようし、併しまあ供出がいつまで続くかわかりませんが、税金関係というものはやはりあるので、この影響から全く離脱をするということは、これは私は困難だと思うのですよ。そこでどうしても客観的に正確な評価をする機構なり、制度というものを、これがやはり私はこの制度を正常化する一つの根本問題じやないかと思うのですが、そこで今の損害評価というものは、評価委員ですか、これは結局被保険者、共済金をもらう側の人がやるので、それから村の共済組合だつて、これは実は保険者というよりもむしろ被保険者的色彩が強いんですね。九割が連合会の保険に行つてしまつているので、形式上は保険者の立場かも知れませんが、実際はもう被保険者的な性格が多分にあるわけです。ですから村の共済組合なり、村の評価委員の評価では、これは結局私はもう過大な評価がされるということは当然だと思うのですがね。そこで問題としては統計調査機構なり、或いは食糧の検査員とかいう既存の制度をどういうふうに使うかという問題が一つ出て来ると思いますので、私もまだ非常に未熟なんですが、この前でもちよつと申上げたのですが、やはりこれは部落単位というのが、町村合併も大分進んでおることで、町村単位ということはちよつと供出関係の経験からすれば、町村単位では私は団体保険的なあれとしてもむずかしいので、結局私は部落単位が一番いいのじやないか。部落内の配分ではそう議論はないと思うのですよ。供出から言つたつて、村へ割当が行つて、村から部落へというように部落の相談でできている。私はですから共済の対象としては一筆というものは、これはどうしても一々評価したつてこれは非常にむずかしいことであります。又そこに被害の過大というものが出て来ると、一筆ごとにやつても合計額が相当大きなものになつて来ると思う。私は実態的には部落単位というものが一番実際的ではないかという考えですが、そうすると、今度は部落単位にするということは、これはやはり危険率の算定なんというものは、これは農林省に聞くことかも知れませんが、部落単位では部落の全体の生産、それに対する一つの過去の当該部落の被害状況というデーターがないというと、こういう制度をとるにしても軌道に乗るまでは一定の期間テストケースでやつてみないと、これはにわかに行かないのですね。そこのところはどうなりましようか。
○参考人(安田誠三君) まあ今お話のように、私も供出とか、いろいろな村の実態からみると、大体部落がいいのじやないか、部落というものをつかんでこれにいろいろな事業の第一拠点をおく、併しその場合に今お話のように危険率の算定というのは、大体今二十年なら二十年のおよその経験というものは、データーはそのまま残つてないにしても、材料は残つてないにしても、今までやつて来たこの共済組合事業というものによつて相当な一つのランキングというか、型ができて来る、それから供出なんかの資力等級というものもございますから、そういうもので一応その締めくくりは私は付いて行くのじやないか、ただ政府がやりますと言いますか、保険料率公定をいたします場合に町村まで下ろしておりますが、町村の中は皆実質的にと申しますか、やはりきめておるわけであります。そういうやり方できめて行けば、これは今の料率をきめるということは部落ごとに直ちに公定主義をとるということになると非常にここで問題が、相当時間的な手数かかかると思います。併し現状の形で考え方を部落単位にやるのだという方式で打ち出して行つて、それに合うような従来の資料を整備して行けば、私はそれはむずかしいことじやなかろう、例えば供出の割当なんかの場合においても、部落というものは相当にそういう点で働きをしていると思います。そういつた点から、大体部落であればその危険の程度というものもおよそ話合が付いて来るのじやなかろうか、私はそう思います。
○担当委員外委員(片柳眞吉君) それに関連しまして、部落単位ということで行くことになると、現在のこういう村の農業共済組合というものは何も堂堂たる法人格を持つて役員をおくというほどのどうもあれを持たないのですね。要するに、いわば郡単位にやる支部の代理店、普通の保険で言えば代理店でいいようなものですね。そこに相当多額な賦課金を徴収して役員を置いたりしても、何も経済事業をやるのではない、極めて機械的な仕事や事務をやるに過ぎない、そういうことを背景にして、而も今度は例えば部落単位ということがいいことになつて来ますと、危険分散との関係もあるし、思い切つて例えば現在の支部ですね、郡単位で組合なら組合を作るとか、そういうところまで行つていいのじやないかと思うのですが、これはまだ深い私のあれじやないのですが、そういうことはどうなんですか、あなたの専門的なお考えでは……。
○参考人(安田誠三君) 先ほどもちよつとおいでにならんときに申上げたのですが、大体補償制度のほうで事業という面が団体で事業をやつて行くということよりも非常に表面に出て来ているのですね。企業をだんだん精密に合理化して行く、間違いの起らんようにして行くということは、要するにそういうことだと思います。そうして行きますと、今のようなふうにこの町村の共済組合というものは法律の上では団体構成をとつておりますけれども、事業という非常に企画のはつきりした事業をやる団体ということになりますから、内容的には今のお話と同じように、これは精密に責任のある人がこの事業をやつて行けば団体構成をとらなくてもやれんことはない、むしろそういう面がどんどん出て来ますと、多少そこにやはり進んで行くのじやなかろうか、こういうように私も感じているし、これはいろいろ考える人によつて違いが出て来ると思いますけれども、私はその事業というものを軌道に乗せて行くという建前から言えば、そういつたことでそういうような問題が片付くのじやないか、ただ郡単位で組合をおくということについては、これは農業保険組合は郡区域に一番最初はありましたのですが、ところが都制廃止という問題に関連して、まあ郡制廃止よりも郡の農業団体が非常にまあどつちかというと弱つて来たということで、これは而も強制加入だという点から行政区画に合わして行くという考え方になつたわけです。ただ私はその郡単位にするということになると、問題はかなり損害評価なんかの面で、今の共済組合に業務監視というような意味のことを非常に強調しているから、町村なり、部落という問題が出て来る、それが相当物差も正確にやり、損害評価の基準も仮に出て来ますれば、これは私は町村なりというものにこだわる必要はないのじやないか、これは一つやはり現状の診断というものと非常に関係があるように思いますですね。ただ郡の支部は今の損害評価の問題と関連して、その点の締めくくりがどのように付けられるかという問題との関連が非常に強いのじやなかろうかと思います。
○清澤俊英君 それで今の問題だが、問題の基本はあなたが指摘した通り、共済事業それ自身がすでに事業的なものが非常に強く出ている、それに大体おぶさつている形をとつている、それと現在の制度との食違いの矛盾が、二重性格的な、自分で事業をやつているという性格との食違いが根本の食違いだ、こういう点を強力にまあ御指摘になつておりますが、私も大体それらの点が一番この共済事業を軌道に乗せる根本じやないかと思います。今御議論になつているような、まあ片柳さんの御質問の点などをやはりやつて行く場合なんかでも、自分の共済事業としての事業団体とし、若しくは事業団体としての活躍として防除までやつて行くというようなことをやつている根本の考えが、これも皆何か政府の補助金などを当てにして考えているものであつたならば、農協内の縄張争いと同じことで、そこにみずから防災をやつて行くという意欲がおのずから湧いて来ない。結局そういう事業意欲が出て来る、出て来ないということも、政府資金が結局どう廻るか廻らんかでそれが出て来るので、然らばお前のほうで全部共済保険で防災までやれ、然らば別の団体を作つて防除団体を強化し、それを保育して、みずから立上るだけの意図を持つてやつておるか、やつておらないか、これは非常に疑問があると思います。こういう点から見ますと、私は根本の問題としては、政府事業的な今の予算等の面からの非常に強い面と、元来の自主的な事業団体としての面の食い合せをどうするかということがやつぱり今一番の問題じやないかと、こう考えられるのですが、この点はどうでしようか。
○参考人(安田誠三君) 私はそこをまだ最終的にどういうふうにやつたらいいかということは、自分でまだ最終的な結論はなかなか出ないのですが、ただこの事業という面は、今まではまあ相当内容の改革に重点を置いておつたんだが、事業というものに重点を置いて、それを正確にやつて行くということになると、むしろその団体というのは皆の結束力を固めるという程度で、この仕事をうまくやつて行くための条件であるが、事業内容自体としては私は保険的な、精密と言いますかね、相当込み入つたこの仕事を運営するということが、やつぱり筋として通らなければいかんじやないか。これは考え方によると、その線が下の農民のほうからなかなか上つて来ないから、どつちかというと、今事業主体の再保険団体のほうから、連合会を通してだんだんそういう線が出て来ておる。だからその線はやはり私は将来もその事業を合理化して行くという点において、その事業の運営ということにもうちよつと頭を注いで行つたらどうかと思う。それはむしろ逆に言いますと、日本の農村の実態かも知らんと思いますが、政府が相当の金を出している以上はそういう線が出ます。そうかと言つて、農家のほうから言えば、やはり半分は掛金を持つておりますから相当な支障があると思う。その支障をどういうふうに取上げて行くかというと、やはり今のばらばらではいけないのだ。一つの共済組合とか、何とかいうようなもので、それを軌道に乗せるような道を歩いて行かなければならないのじやないか、こういつたような考え方なんです。私は今清澤先生のお話について、最終的にはその問題を割切らなければならないというようなところに来るのじやないかというような気はしますが、現在それを、どつちかというと、両方でもたれ合いのような恰好になつておる、農民と政府の力というものが両方もたれ合いのような恰好で仕事をやつておる、こういうのが実情なんです。
○清澤俊英君 それは私はこういう点が一番面倒な点でありますけれども、それを何とか考え出さなければ本論に入らんと思う、こういう考え方を持つておる。今日頂きました共済事業に対する不正事実の性質というようなものをちよつと見ましても、大体やつておる人が相当の人がやつているのですよ。支部長であるとか、会長であるとか、参事であるとか、本部会計次長というような者が大部分やつて、事業自身の性格や性質をよく知つて、おのずから指導の立場に立つて強化して行かなければならない立場の人が、たくさんこういうことを大がかりにやつているところを見ますと、これは政府資金に余りおんぶし過ぎているところに、その事業を忘れる形が出て来やせんかと思う。これがやつぱり基本で、何か今の共済という一つの制度で形を変えて、もつと政府から出してもらうような方法を考えてやらなければいかんと思うのですが、そこに何かの一つまあ大経験者の安田さんあたりの名案を一つお伺いして、私らも根本的に解決しなければならんという立場においては何か出したいと思うのだけれども、なかなかないので困つているのです。
○参考人(安田誠三君) ただ、今の事業経営という問題については、割合今まで頭が使われておらないという点は、これは相当にやはり問題じやないかと思うのです。いわばいわゆる拡充強化をやりながら相当内容もどんどん政治的に解決して行つておつて、而も実際の事業を精密に運営するには余り十分にまた力が注がれていなかつたという、その間隙に問題が私は生れて来ているのじやないかと考えます。
○河野謙三君 私は安田さんに質問ではなくて意見を言うのだが、この制度はあなたが運用をやるけれども、この事業はあなたは正しくいい種子を下ろした。下ろした種子はいいのだが、種子が地味に合わない。この考え方はいいのだけれども、今の日本の農村の実情に合わない。農村の農民にこれをこなし切れるだけの力がないわけだ。私はそう思う。でありますから、やはりこの地味に合うように、幾らいい種子でも地味に合わなければ駄目なように、理想はいいのですけれども、やはり日本の実情に即して、農村の組織がどのくらいの制度ならこなし切れるというところに出発点を戻さなければならない。いい種子を下ろしたが、こんな道楽息子になつてしまつた。やはりシステムではこれはこなし切れない。もつと単純な農業協同組合の組織でも、農民が自主的に作つておる農業協同組合の組織でさえも、えてしてこなし切れないような実情にある。まして複雑なこういう機構はとてもこなし切れるものではない。今のシステムのどこが悪いからこう直そう、ああ直そうという修繕事業ではなくて、一遍ばらばらにしてしまつて、何かもつと簡単な、こなし切れるようなものに作り直す。こういうことに僕は安田さんの智慧を借りたいと思う。そうでなければ、私は幾ら今のこれだけの組織を改善し、改革しようと言つたつて、恐らく衆参両院とも、農林委員会の大多数の者は今のシステムの上に乗つけて考えるということには私は同意しないと思う。余りに末端の事情を知り過ぎておる。この間も農林経済局長に言つたのだが、これだけ共済のことをやかましく言つておりながら、どうです、この末端の共済の実情は……。金をもらえばすぐ飲み食いを始める。ですから、そういう意味合で、例えばこの間の衆議院の小委員会で足鹿案というのが出ましたが、これも一つの案でしようが、これに全然とらわれないで、あなたのほうから一つ何が出直しの案を僕らに示して頂きたい。僕は質問ではなくて、そういうことを、別の機会に特に何か資料でも提出してもらいたいと思う。細かいことを言えばいろいろなことがありますよ。あの農業共済の悪い点は、余りに、あなたは末端を御存じでしようが、今片柳農林委員長も末端の事情に触れられましたが、末端なんというものは、こんな細かいものは消化できるものではない。たまたま消化し切れる者が二人か三人あつても、いい工合にそれを逆用して、それがボスになつて、選挙費用になつたり、飲食店の支払いになつたりしてしまう。これでは何遍やつても駄目ですよ。
○委員長(松浦定義君) 速記を止めて、 〔速記中止〕
○委員長(松浦定義君) 速記を始めて。 それでは本日はいろいろまだ安田誠三君から御意見を承わりたい点がありますが、本会議の関係でこれで打切りたいと思いますが、安田誠三君には非常に御多忙のところわざわざおいで下さいまして、非常に貴重な御意見を承わりましたことを本委員会として厚くお礼を申上げます。 本日はこれを以て散会いたします。 午後三時十四分散会