内閣委員会 第14号
- 発言数
- 101 件
- 登壇者
- 9 名
- 会派数
- 2
- 開催日
- 1954/03/30
会議録
○委員長(小酒井義男君) 只今より内閣委員会を開会いたします。運輸省設置法の一部を改正する等の法律案を議題といたします。前回に引続いて質疑を続行いたします。
○竹下豐次君 昨日議題になりました法案つきまして、いろいろ運輸省にお尋ねしたのでありますが、昨日承わりました二とにつきまして散会後も私もいろいろ考えてみたのであります。そこで昨日申上げたことを繰返して申上げるようなことになりますけれども、承わりました要領、それからそれによりまして又私の考え方等かいつまんでこの席で繰返して申しまして、更に当局の御答弁を煩わしたいと考えております。昨日の御説明の中に曽つて宮崎海員学校の校舎であつた建物を返還するに至つた経過につきまして、宮崎の県庁側において手落ちらしいことがあつたかのように承わつたのであります。それは戦争前から昭和十二年から開校された学校が、戦争後進駐軍に進駐されて空家になつた。たまたまそこに引揚者がほうぞれから帰つて来たというので、そこに県のほうで引揚者を入れた、その間に運輸省に完全な了解を求めるというようなことがなかつたかのようなお話であつたのであります。そのときの事情は私は存じておりませんが、或いはそうであつたかとも思いまするが、その点について特に運輸省のほうで御考慮を願いたいと思いますのは、宮崎の市は実は終戦直前十日ばかり前であつたと思つておりますが、非常な焼打ちをくいまして市の半分以上は焼けた。而もその焼けた場所が市の主要な部分が殆んど焼けたというような状態でありまして、元からおつただけの人を収容することでさえこれは容易なことでなかつたのであります。そこに又引揚者が多勢帰つて来た、そのほかに奄美大島、それから沖縄の移住民が集団で来たというようなこともお、りまして大変恨み抜いておつた盛りでありましたので、十分に運輸省の了解を得る暇もなくそこに入れてしまつたというようなことがあつたかも知れないと私は思うのであります。昨日お話を承わりまして、それであつたとするといいことじやないけれども、止むを得ない事情であつたであろうと私は察します。古いことになりましたけれどもその点は今からでも一つもう少し広い気持で考えて頂かなければならないのじやないかと、かように考えておる次第でございます。 それから今度の宮崎をやめて口之津に新らしくお作りになるという案ができますということにつきましては、県の幹部に私ちよつとこの案を見たあとで当つてみたのでありまするが、それは存じておりません。そのことにつきましては、昨日もちよつと承わつたのでありまするが、御説明によりますると、まあ電話で宮崎の東京事務所のほうに聞いたとかいうようなお話のようでありますけれども頗る簡単なことでありまして、この大きな問題を、地方でみると大きな問題になりますが、電話だけで、而も東京に出張して来ておる者に運輸省からお聞きになつて、それで最後の意思を決定されるというようなことは、私はやはり運輸省としても考えなければならんのではないか、これにつきましても、併し宮崎のほうで先ほど申しましたような住宅として引揚者を入れてしまつたというようなこともあるし、県庁に対する運輸省の考え方がどういうことになつておつたのか、もうやる気もないのだろうというようなふうに、お考え込みになつておつたのかもわからないと思つておりますけれども、それにいたしましても私としてはこれだけのことであつたら、正式にやはり知事に照会して今度もやりたいと思うが、続けてやる気はないか、元はあつた所だがというふうに交渉して下さるのが普通のやり方じやないか、それもやつていない、こういうような気持がするのであります。なおほかのほうはいろいろ熱意を持つて陳情したでありましようが、宮崎のほうではそれが余りなかつたようであります。これはこういう陳情ばやりの際に、そんなこともせずに、ぼうつとしておつたのは、馬鹿げた話ではないかということになるのであります。恐らく今の時代から見ると、物笑いの種になるのではないかと思います。これも考えによつてはいいことである、近頃陳情、請願によつて世の中は、現に海運疑獄、鉄道疑獄、これは陳情制度の持ち来たしておる大きな問題であります。そういう際に陳情がましいことは余りひつこくやらなかつたのでありますから、考えようによつてはむしろほめてやつてもいいのではないかと私は思うのであります。そういう点もいろいろ考えてもらわなければならん点も、今日までの傾向を顧みまして私はあると思うのです。それは今日までの経過のことについて更に御考慮を願いたいという点でありますが、なお昨日のお話を承わつておりましても、口之津あたりに大変希望者が多いということでありますけれども、宮崎より多いかも知れませんが、宮崎も決して希望者が少い所ではありませんので、昨日も申しましたように、戦争中等は、海員ではありません、海兵でありますけれども、志願者の数は全国各県に比べて第一位が二年も三年も続いたというふうに、海に関心を強く持つておる県なのであります。そういうものと比べますと、普通と比べましてどちらがいいかということはそれぞれの人の判断によりましようけれども、必ずしもそういう結論を簡単に出すわけにはいけないのではないか、かように考えております。それからなお口之津に置かれるということになると、唐津と二つになるということになりますけれども、そうして下関はすぐ隣で、九州みたいな狭い近い所に三つ置かれて、門司から東のほう、つまり大分県、宮崎県、鹿児島県、それから廻つて熊本県というものには一つもない。この海岸線は相当長いのでこれは御存じの通りであります。そういうことを考えますと、余り地理的に偏より過ぎている傾向はないかと思います。この点は私から申しまするまでもなく、運輸省のほうでもよく御了解できることであろうと思うのであります。それから今日までありましたものが無くなるのでありますから、新たに作つてもらいたいというものができなかつたのと違いまして、まあ地方といたしましては、私は非常に力を落す、或いは県庁の役人の誰かが電話をかけて、余り熱のなさそうな話をしたかも知れませんが、県民の多数は知らないわけであります。これが廃止されたという発表を見ましたならばこれはびつくりもし、落胆もすることだろうと、これは間違いのないことだろうと思うのであります。その点は御了解下さることだろうと思うのです。又海員思想の養成の点から見ても、ほうぼうに公平に地理的に考慮して配置して、国民全体の海の関係の思想を青年たちに養成して行くということは、当然運輸省のほうではお考えにならなければならんことです。これも私から申上げるまでもないことだと思います。そうしますと客観的に申しますると、宮崎に熱意がなかつたというふうなお考えであることが今度宮崎を削除されるという最も大きな理由であつたのであつて、宮崎が不適地であるという認定をされたようにはどうしても思えない。昨日の御説明でもそういうことは一度も承わらなかつたのを私は喜んでおる。又そうでなくちやならないと思つております。そうしますると、私のこれは想像でありますけれども、少くとも運輸当局においては口之津にも作る、宮崎にも作るということができましたらば、一番いいというくらいのことはお考えになつておつただろうと思います。これは併し予算の関係などで二つ一緒にというようなことは容易なことでない。殊に今財政緊縮の際でありますから、そういうふうな御考慮を或いはなさつたので、口之津のほうを先にというようなお考えじやなかつたかということを想像をするのであります。これは私の想像で当らないかも知れないが、そういうふうなことを私昨日散会後に考えてみたのであります。私といたしましてはどう考えてもこれを廃止されるということは不合理であるというふうに考えますので、来年度に復活してもらいたいという切なる希望を私は持つておるわけでありますけれども、併しそう申しましても今度廃止されますと又設置法を変えて行かなければならない。それから予算の関係もある。それは国会の問題になりますので、私が幾ら切なる希望を申しましても、要望いたしましても、政府当局としてはそれはそうするというお約束は国会に対してもできない、これは私はよくわかりますから、私はそこまでは申しません。ただこの際に政府から言明されることができるならば、非常に結構だと思うのでありますけれども、できるだけ早い機会に、できるならば来年度からでも復活のできるように最善の努力を払うというくらいのことは言明なすつてもいいのじやないか。そうして又実際それだけのことは私が申しませんでもやつて下さる気持を今でもお持ちじやないかと私は想像しておるのであります。大蔵省の立場はいろいろありましようけれども、運輸省としてはその点は一校でもふえたほうがいいというくらいはお考えになつておるのは当然であります。私としては政府の御意見として承わりたいので、ただ運輸省だけと いうことではこの席ではどうかと思いますけれども、運輸省としてそれだけの努力を払つてやるというくらいのことは言明なすつてもいいのじやないか、かように考えておるわけでありますが、その点如何でございますか。丁度官房長と船員局長両方お揃いでありますので、この点に対するお等えを頂きたいと思います。
○政府委員(武田元君) 宮崎海員学校に関しまする従来の経緯につきましては、昨日官房長から御説明申し上げましたのでありますが、重ねまして簡単に繰返すようでございまするが、御説明申上げます。宮崎海員学校は昭和二十年九月進駐軍に施設全部を接収されましたので、元の粟島商船学校校舎を仮校舎として同所に移転をいたしたのであります。その後宮崎海員学校の元校舎は進駐軍から返還をされたのでございますが、宮崎県当局から運輸省に対しまして、軍政部の指示により右施設を海外引揚者等住宅困窮者の共同住宅に使用いたしたい旨申出がありましたので、運輸省といたしましては宮崎県の住宅の逼迫している事情を考慮の上、止むを得ず一年間を限つて右目的に一時使用方を承認をいたしたのでございます。その後県当局の要請によりまして更に使用期間を延長いたしておりました間に、大蔵省から右施設を住宅困窮者の共同住宅として使用するために国有雑種財産として引継ぎを受けたい旨申入があつたのでございます。その当時運輸省といたしましては、普通船員の需給対策上やはりできるだけ早く海員学校として復帰をいたしたいので再考を願いたいという回答をいたしたのでございます。併しその後時日の経過に伴いまして諸施設の損耗変形も甚だしく原形に復することも多額の国費を必要とし、又県当局としても明渡の方策もないという見通しがつきましたので、大蔵省と協議いたしました結果昭和二十五年三月四日付で大蔵省に移管をいたしまして、現在県当局は右施設を困窮者の共同住宅として使用中でございます。 なお宮崎海員学校は昭和二十二年から引続き生徒の募集を停止して現在に至つておるような有様でございまして、現在ここ数年間名日だけ残つておるような状況でございますので、差向き明年度から廃止をいたしたいと考えまして今回この提案をいたしました次第でございます。只今お話がございました行政の遂行に当つては地元との連絡を十分にすべきである、且つ又陳情の有無によつて左右されるようなことがあつてはならんというような御注意がございましたが、これは私としては誠に御尤もなことと存じますので、この御注意に対しましては将来十二分に注意配慮いたしたいと存じております。なお将来宮崎に対しましては、今後の海運界並びに船員需給の要求に応じまして、運輸本省といたしましては機を見て一日も早く復活させるように努力をするつもりであることを申上げたいと思います。
○竹下豐次君 私が昨日参りましたととろによりましても、海員学校が全国八ケ所ある、而もその志願者の割合は九州だけで四割四分を占めておる、こういうわけであります。そうしますと今度一つふえて三つになる、志望者の割合から申しますと多過ぎるというようなこともないのでございます。先ほど申しますように東南九州のほうには一つもないことになるのだから、宮崎を復活されることになつても、決して他の地方と均衡を失するというような問題は起らないと思う。只今船員局長からの御説明等によりましてできるだけ早い機会に復活するように努力するということでありましたので、私としては私の希望の一応は達せられることになりましたので喜んでおるのでありますが、この上とも特に一つ御考慮を要望する次第であります。私のこの問題に関する質問はこれで終ります。
○矢嶋三義君 私は昨日他の委員会の関係で本委員会に出席できなかつたので、或いは他の委員諸君から質問されたことを更に繰返して質問するようなことになるかも知れないと思いますが、そういう場合は極く簡単に御答弁願いたいと思います。 若干お伺いいたしたいのですが、こういう運輸省の設置法の一部改正法律案を提案する場合頂きましたこの運輸省設置法の抜萃でなくて、運輸省設置法のパンフレットのようなものがあつたならば頂きたいと思うのです。そういうものはないのかどうか。それから私が頂いた抜萃とこの法律案の概要説明を読んでどうしてもわからないところがあつてお伺いしたいと思つておりましたところが、今ほど竹下委員の質問を承わつておつて、やつとその半ばはわかつて参つのですが、少くとも私が出席した委員会では取消がなかつたわけですが、あなたのほうから頂いたこの設置法の中には、宮崎海員学校の所在地は香川県に書いてある。これはいつか訂正されたのかどうか伺いたいのです。私が今まで了承しておつたのはこの法律案の概要説明でもこういうことを書いてあるわけです。元粟島商船学校の校舎を仮校舎として宮崎海員学校が同所に移転して、そうして二十二年の四月に粟島海員学校を併設したとこうなつております。だからこちらを見ますと、宮崎海員学校と粟島海員学校は極く近くにあつて、そうして宮崎海員学校の校舎を粟島海員学校の所在地に移して、そうしてその後に粟島海員学校を併設しておつたのを、今度宮崎海員学校という名前を落して粟島海員学校という名前を残してゆくのだ、こういうふうにとれるのですがその辺どうなつておりますか、御答弁願いたいと思います。このプリントの間違いはいつか取消したのですか。
○政府委員(武田元君) 御説明申上げます。これはプリントの通りでございまして、実は宮崎海員学校と申しますのは元宮崎海員養成所と申しております。これは昭和十七年に設置されたものであります。昭和二十年に宮崎市の海員養成所の校舎を米軍に接収されまして、昭和二十一年に香川県の三豊郡粟島村所存の粟鳥商船学校が廃止されましたので、同日その粟島商船学校の旧校舎に移転をいたしたわけであります。そうして昭和二十二年地元の要望もございましたので、その校舎に粟島海員養成所を併せて設けたわけであります。でございますから同一の校舎に粟島海員養成所と宮崎海員養成所と看板が二つかかつておつたわけでございます。と申しますのは、なぜ看板を二つにしたかと申しますと、将来は運輸省としましては、元の宮崎市に軍に接収されておる施設が返還になりますれば、そこに復帰したいという意図がございましたので、宮崎海員養成所の看板をそのままにしておる、同時に粟島海員養成所の看板もかけておく、二つ看板がかかつておつたわけでございます。その後二十七年に至りまして海員養成所は海員学校と名称が変更になりましたが、ずつと現在に至るまで看板が二つかかつておつた。で所在地は香川県の粟島にあつたわけです。ですからプリントとしてはその通りでございます。
○矢嶋三義君 それではこういうことになるわけですか。宮崎海員学校という名前は曽て宮崎市にあつたから宮崎海員学校という名前がついているのであつて、昭和二十一年四月から実質的には宮崎市には海員学校はなかつたのである。でこのたび宮崎海員学校の看板を下すことによつて海員学校は八つとなるが、それに口之津を新設するから合計九つとなる、こういうことなんですか。
○政府委員(武田元君) そういうことでございます。
○矢嶋三義君 それでは続いてお伺いいたしますが、現在実質的には海員学校八校あるようでありますが、この生徒数はどのくらいございますか。
○政府委員(武田元君) 現在二十八年度の収容定員は本科千名、補導科千八百名でございますが、二十九年度におきましては本科収容定員八百八十名、補導科千二百名の予定をいたしております。
○矢嶋三義君 一般的なことを承りたいと思うのでありますが、高級船員と申しますか、又下級船員と申しますか、それらの船員の養成機関は、最高学府としては商船大学があり、更に商船学校があり、又この設置法を見ましても海技専門学院というものがあり、それから今問題になつております海員学校というのがありますが、この海技専門学院と海員学校との資格を中心としての関係、それからこのたび口之津に新設するのは、九州に非常に志望者が多い、更には教育環境が適当であるから新設することとした、こういうことを説明しておりますが、海運界の現状から来るところの船員の需給関係、そういうものをどうふうに見通しを立てておられるのか。船員の需給関係とそれからその養成機関、この両方面から一般的に承りたいと思います。
○政府委員(武田元君) 海員学校と申しますのは普通船員の中堅幹部の養成を目標といたしております。入学資格は中等学校卒又はこれと同等以上の学力を有する者ということになつております。海技専門学院と申しますのは、これは一言にして申しますれば、船員の再教育機関でございます。入学資格は高等商船専科卒或いは旧商船学校卒業生、それから船舶職員試験規程に定める船舶職員試験を受けるに必要な受験資格があるもの。そのほかに通信教育部というのがございまして、これは現在乗船中の船員に対しまして通信教育を行なつております。これは普通科と高等科とございまして普通科は普通船員、高等科は高級船員の学術並びに技能の向上を図る目的のために置いてあります。海技専門学院は、現在船に乗つておる者或いは船に乗つておつた者いわゆる既成船員に対しまする再教育機関でございます。 それから船員の需給状況でございますが、現在の職員と申しますのは普通船員でございますが、普通船員は三万四千名、職員即ち高級船員が約一万ございます。それで需給の見通しといたしましては、従来、年間三十万トンの計画造船に合せまして船員の養成計画を立てておつたのでございまするが、明年度は計画造船の数量かはつきりいたしませんので、一応十八万トンというものを目標といたしまして養成計画を立てている次第でございます。根本方針といたしましては、商船大学並びに商船高等学校、これは学校教育法によりまして文部省の所管となつておりますので、この大学並びに商船高等学校の募集定員というものは、船員の需給面に合せて毎年変更することなしに、将来を見越しまして一定の定員を持続して参る。それから再教育機関でありますが、海技専門学院並びに海員学校の養成目標につきましては、養成期間が短期間であります。一年乃至半年という短期間でありますので、このほうは海運界の実情に応じまして養成定員を毎年必要に応じて変更するという方針を立てております。特に再教育期間は商船大学並びに商船高等学校の定員を短縮いたしまして、毎年やや低めの定員を持続して参ります関係上、需給調節上、以上のような措置を再教育機関に対しては毎年とることにいたしておる次第でございます。
○矢嶋三義君 この船員の養成機関というのは非常に複雑でありますね。この文部省所管のたしか五校でしたか、商船高等学校ですね、これと今ここに問題になつている海員学校は、入学資格は御説明によると同じようですね、就学期間が違うわけですか。その点と、それからこういうふうに新たに増設して募集人員を増加する場合、文部省所管の商船高等学校との連絡等は、どういう機関で連絡調整を図るようになつておられるのか、その二点について伺いたい。
○政府委員(武田元君) 商船高等学校の入学資格は中等学校卒程度でございます。海員学校の入学資格も同様に中等学校卒ということになつておりますが、商船高等学校のほうは在学期間が五年になつております。目標とするところは高級船員、それから海員学校のほうは養成期間が一年、目標とするところは普通船員、即ち下級船員の中堅幹部でこの船員の需給につきましては、運輸省が責任を持つておりますので、文部省所管の商船教育とよく連絡を取りながらこういう点を考慮いたしまして現在運輸省に船員教育審議会という運輸大臣の諮問機関が設けられておりまして、その諮問機関である船員教育審議会の委員には、文部省の関係局長に御参加を頂きまして、船員の養成目標につきましては、該審議会におきまして検討を頂きまして毎年そこで基本方針を定めて、運輸文部両省もその方針に従つて教育をやつて行くということでございます。
○矢嶋三義君 大体更に一般的なことはわかりましたから、この法案と関連していることでありますから、それはその程度にして次に伺いますが、恐らく竹下委員からは質問されたと思うのでありますが、先ほどの説明では、宮崎の海員学校というものは進駐軍にその施設を全部接収されたのが原因となつて粟島のほうに設けた、而も看板を二枚掲げていたことはいずれは宮崎に復元いたしたい、こういう所存であつたという説明があつたわけでありますが、どういうわけでその志通りに宮崎に復元しないで口之津に持つて行つたか。恐らく口之津は長崎のほうで希望者が多いとか、或いは教育環境云々と言われるかも知れませんが、教育環境という点からいつたならば、口之津も宮崎もこれは甲乙ないと思います。又私は海員学校というのは恐らくこれは全寮制度、学生諸君は皆寮に入れて教育しているのしやないかと思うのですが、そうなりますと、品之津にあろうが、宮崎にあろうが私は問題がないと思うのです。口之津も漁港として相当なところであるし、漁獲等もありますし、その点で宮崎といえどもそれらの点で私は甲乙はないと思う。併し口之津の海員学校に関する予算関係を見ますと、地元が二千六百万円というのを負担しておりますのに、これらが或いは宮崎が積極的に負担しないから口之津に持つて行つたというような原因の一つにもなつているのじやないかと私邪推しないわけでもないのですが、先はどの説明からどういうわけで、まあ曽つては宮崎にあり歴史もあるのでしようが、復元しないで口之津に持つて行かれたのか、その点伺つておきたいと思います。
○政府委員(武田元君) 粟島から宮崎のほうへ復帰をいたしたいという意図は運輸省としては持つておつたのでございますが、それは進駐軍に接収されておりました施設がいずれは還つて来ることを心頼みにしておつたわけでございますが、その後の状況によりまして還る見込みがないということになりました事情と、それから口之津のほうに新設いたしましたのは、口之津が昔から船員の出身地で有名な所でございまして、大体最近の調べによりますと長崎県では新規に船員になつた者が、船員手帳を出しますが、七千名というような数字を示しております。現在口之津出身船員から家族送金をいたします金額等も年間数億円に達しておるというようなことでございまして、口之津附近から船員の希望者は非常多い、併し地元にないがために大体において唐津或いは門司のほうへ受験をいたしまして入学しておる。非常に不便であるというふうなこともわかりましたので、そういう点を考慮いたしまして口之津のほうに新設いたしましたような次第であります。
○矢嶋三義君 もうちよつと私この点伺いたいと思うのですが、宮崎のほうは進駐軍に接収された建物が還る見込がないからという御説明ですが、口之津のほうは既設の建物で利用するものがあるのですか。
○政府委員(武田元君) 農業協同組合の建物が利用できるものがございます。
○矢嶋三義君 農業協同組合の建物、それだけで結構なんですか。
○政府委員(武田元君) それだけでは勿論不足でございまして、新たに校舎を作るわけでございます。
○矢嶋三義君 そんなのは問題にならんでしよう。農業協同組合の建物なんといつたら、それは職員室か倉庫にするくらいのもので。
○政府委員(武田元君) ほんの一部です。
○矢嶋三義君 問題にならんでしよう。恐らくこれは新設するに近いものだと思うのですね。 この地方負担の二千六百万円というのはどういうふうにして出しますか。そうして何カ年かで分割負担するのでございますか、どうなつておりますか。
○政府委員(武田元君) 二千六百万円と申しますのは、地元市町村、附近の市町村、それから長崎県が主として負担いたします。なおそのほかに口之津出身の船員を多く使用しております関係の船会社に援助を懇請しておるようでございますが、二千六百万円と申しますのは、明年度直ちに要る金ではございませんで、三年計画となつております。
○矢嶋三義君 これは運輸省関係の海員学校は皆そういうふうに地元に多額の金を負担させるんですかね。二十八年度で千八百三十一万円でしよう。二十九年度で八百三十七万円とこうプリントしてあるのですが、地方負担のほうは二千六百万円、これは国庫の負担に比べて余りにも地方の負担は大きいようですね、このプリントによつて見ると。
○政府委員(武田元君) 確かに地元負担が非常に多いと思いますが、運輸省といたしましては大蔵省に対しましてなるべく地元に迷惑をかけないように予算の要求はいたしておるのでございますが、以前と変りまして大蔵省のほうはなかなか認めてもらえないものでありますから希望通りの予算がとれないわけで、やむを得ず地元と御相談をいたしまして地元のほうへお願いしておるわけであります。
○矢嶋三義君 これは私は質問ですが、納得できませんよ。憲法の義務教育無償に則つて責任者であるところの市町村は義務教育の六・三の建物さえ建設できない状況にあるのに、この海員学校の設置のために国庫負担の何倍も上廻つたものを地方は負担させられる、而もこれは恐らく市町村に頭割の恰好で行くんだと思うのですね。最近の船会社、造船所のリベートあたりの問題を考えるとその何分の一にも足らない小さな金ですよ。これは質問だから、もうこれ以上言わないが、こういうことでは困ると思うですね。これは大蔵省にも見解ありましようけれども、やはり先ほど説明ありましたが、船員養成審議会とかいうような審議会もあるそうですが、もう少しあなた方も積極的に働きかけてやつて頂きたいと思うのです。結局承ると、宮崎に復元しなかつたのは宮崎が余り熱意がなくてこういう金を出すという積極的な意思表示をしなかつたから口之津に持つて行つた、こういう私は結論になると思うですがね。実際九州の地図を頭に描いてみて下さい。門司にあるのですからね。門司に佐賀、長崎というのはこれは極めて近いのですよ。長崎本線ですね。普通九州を行政的に考える場合には北九州と南九州と、こう考えるわけですね。宮崎は南九州に位するし、鹿児島それから大分、と熊本の南部を考えると、九州に二校といつた場合は、門司は勿論のこと、一校更に設けるとすれば当然宮崎に復元するのはこれは(「唐津にもある」と呼ぶ者あり)あ、唐津にある。そうなればめちやくちやじやないですか、これは。結局この二千六百万円がものを言つたということになるですね。私そう思うのですが、どうですかそれに対する答弁は。
○政府委員(武田元君) そういうようにお考え頂くのは誠に私どものほうのやり方がまずかつたわけでありますが、大蔵省に対する努力が足りなかつたという点は誠に遺憾に存じます。北九州のほうに船員の希望者が従来の調査によりますと非常に多いというような点をまあ考慮したわけでございますが、お説の通り地理的分布状況並びに宮崎に海員学校がありました沿革等も考えますると検討を要する点があると存じますので、冒頭に御回答いたしましたような方針で進みたいと存じます。
○矢嶋三義君 これは私は納得できないんですがね。奄美大島も今度返つて参りましたし、いずれは沖縄は当然我々のところへ返つて来なくちやならない。そういう問題も併せ考えたときに、まあ義務教育でなくても国費の一部を投じて設ける国立の教育機関がこのような検討程度で教育機関が配置されるということは私はゆゆしい問題だと思うのです。近頃のはやり言葉でいえばこれは何か地元の運動があつて汚職がこの陰にあるんじやないか。まあ何百万何千万という金は動かんか知らないが、赤坂、築地くらいの何かあつたんじやないだろうかというような邪推も起らんわけじやないですよ。いやしくも教育機関の適正配置というような立場から考えた場合は常識上ちよつと考えられんと思うのですね。 そういう私は見解を持つておることを表明して次に伺いますが、この口之津の海員学校は四月一日から開校する予定でもう建物は相当できておるというようなことを伝え聞いておるのですが、そうでございますか。
○政府委員(武田元君) 二十八年度の予算で認められました関係で準備を進めておる次第でございます。
○矢嶋三義君 四月一日開校ですか。
○政府委員(武田元君) 開校の予定で準備を進めております。
○矢嶋三義君 生徒募集はいつからやるんですか。もう建物ができつつあるとかできたとか聞くのですが、そうですが。
○政府委員(武田元君) 先ほど申しましたように四月一日開校と申しましても、建つものが完成いたしておりませんので、農業協同組合でございまするが、その施設を借りまして取あえずはそこで授業を始めたい予定で準備はいたしております。
○矢嶋三義君 生徒募集はいつからやるか、もうやつているのか、それから新らしく建物がもうできたとか殆んどできかかりつつあるというようなことを伝え聞くのですが、それは事実かどうかということですね。
○政府委員(武田元君) 生徒募集はすでにやつております。ただまだ正式に開校になつておりませんので、合格の通知はいたしておりません。それで建物の完成の程度は七月という予定になつております。今のままで進みますれば七月にでき上る。
○矢嶋三義君 どうも我々の審議権を非常に軽視した行政機関のやり方と思うのですね。これ問題にしたらこれは相当な問題を持つていますよ。それを急らく建築着手に当つてはあなた方と何らかの連絡があり、恐らく了解、少くとも暗黙の了解のうちに地元は着手したと思うのですが、そういうことはこれが法律として施行してから後のことであれば、少し走り過ぎていると思うのですね。その根底に私はやはり立法府の審議権を軽視するところの考え方というものが底流にある。そういう点は私は遺憾に思うのでございますが、御所見如何でございますか。
○政府委員(武田元君) 予算が二十八年度に認められたために設置法の改正を待たずして着手したという点は、確かに仰せの通り遺憾な点があると思います。文部省その他の従来のしきたりに次々と従つて来たわけでございまして、今後におきましては十分考慮いたしたいと存じます。
○矢嶋三義君 この二千六百万円の地方負担は、地方負担金の徴収並びに国庫に対する納入の責任者はどなたになつておられますか。
○政府委員(武田元君) 口之津町長でございます。
○矢嶋三義君 その大略で結構ですから、県と市町村と、それから船会社、まあそういう業者ですね、この三者の配分率は如何ようになつておりますか。
○政府委員(武田元君) 地元が千八百万円、地元と申しますのは口之津その他附近の市町村並びに県でございます。そのほかに先ほど申しました口之津出身の船員を使用しておる関係船会社に対しまして八百万円を期待しておる状況でございます。これは先ほども申上げました三カ年計画でございます。
○矢嶋三義君 この船会社に対する寄付金の徴収も口之津町長が責任を持つて交渉するようになつておるのでございますか。
○政府委員(武田元君) さようになつております。
○矢嶋三義君 ではこの地方負担の下にある所と書いて四千四百三十一万何がしというのは、この所というのはどういうのですか、どこの負担という意味ですか。
○政府委員(武田元君) これは要という字が抜けておるようでございます。所要経費というわけでございます。
○矢嶋三義君 所要経費ですか。この所要経費とは一年の所要経費ですか何年間の所要経費ですか。又この所要経費は地方負担金を含んでいるのですか、含んでいないのですか。まあそれらの点についてちよつと御説明を願いたい。
○政府委員(武田元君) この所要経費は三年計画の完成までに要する所要経費でございまして、地方負担は含んでおりません。
○矢嶋三義君 面白い現わし方をしたですね。この四千四百三十一万というのは三年間の所要経費で、これ以外に地方負担金の二千六百万円が必要である。従つて本当の所要経費というものは、この二千六百万と四千四百何がし加えたものである、こういうことになるわけですか。
○政府委員(武田元君) この所要経費は千八百三十一万円プラス二千六百万合計四千四百三十一万というわけでございます。千八百三十一万円が国費、二千六百万円が地方負担という内訳でございます。
○矢嶋三義君 いよいよおかしくなるですね。さつきの地方負担は入つていないというのは間違いだつたということはわかつたわけですか、千八百三十一万というのは昭和二十八年度の予算でしよう。昭和二十九年度は右側に書いてありますね。ところがその所要経費の四千四百三十一万というのは三年間の所要経費だと仰せになつたのですが、それらの関連はどうなるのですか。
○政府委員(武田元君) この四千四百三十一万円と申しますのは、施設並びに教材費でございます。千八百三十一万円といいますのが学校運営に要する経営費でございます。
○矢嶋三義君 昭和二十八年度の千八百三十一万円というのは、これは経営費ですね。
○政府委員(武田元君) 施設費、教材費、備品費。
○矢嶋三義君 それはこういうことなんですね。施設費と教材費それらを合せて口之津の海員学校に関する限り三年間に四千四百三十一万何がしあればよろしいと、そのうちの二千六百万を地元に負担さして千八百三十一万何がしを国庫で出す、こういう意味を現わしているのと違うのですか。そうでしよう。
○政府委員(武田元君) さようでございます。
○矢嶋三義君 お伺いしますが、九州は非常にこの船員希望者が多いと、更にまあ九州の存在するその位置から考えて、こういう養成機関は非常に大事だということを先ほどから御説明があつたわけですが、曽つてはたしか鹿児島に商船学校があつたと思うのです。それが現在では新制大学発足の当時昇格して鹿児島大学の水産学部かに昇格して、現在鹿児島にもこの船員養成機関は一切ないと思いますね、私はそうじやないかと思つております。そうなりますと、南九州には一つもなくて、北九州には三つあるということになるわけでありますが、若しこの宮崎或いは鹿児島側で私はこれは余りかんばしいことではないと思うのですが、この二千六百万円程度の受入態勢を整えて是非この船員の養成機関を設けてほしいという要望があれば、十分あなたのほうで御考慮を頂けるのでございましようね、伺いたいと思います。
○政府委員(武田元君) 先ほど冒頭に申上げましたように、私どもといたしましては、宮崎の海員学校の復活についてできるだけ今後努力をいたしたい、かように思つております。
○矢嶋三義君 竹下委員から大変質問がありましたからそうお答えになるのでしようが、今ここで法律の審議過程に宮崎の復活を努力するということを発言されるならば、なぜにこの口之津の申請するのを宮崎に復活しなかつたか。どうも納得しかねるところがありますが、質問ですからこの海員学校はこの程度で一応とどめて、次は航空大学の点について伺いますが、一般論として私は伺いたいのでありますが、現在我が国にはこの航空関係の、或いは無理かもしれませんが、大学の講座というものは現在どのくらいあるかということと、学問的の立場ですね。それとこの航空乗員の養成機関いろいろクラスがあるのでないかと思うのですが、それはどのくらいあるかということを一般論として伺いたいと思います。
○政府委員(山内公猷君) 航空につきましては戦後相当長いブランクの期間が続きまして、二十八年度までにはどの大学でもこういう航空関係の講座の開かれておるところはないわけでございますが、本年の四月から東大において航空科を設置するというふうに一応なつております。 次に養成機関の関係でございますが、これも遺憾ながら現在ないわけでございましてそれではどういうことをしておつたかという問題が起るわけでございますので、いささかちよつと質問に外れるかとも思いますが、現在までの航空乗員の関係を御説明いたしますと御了解願えるのではないかと思いまして簡単に御説明いたします。終戦当時航空機の乗組員は民間だけで操縦士が四千八百名を初めといたしまして、航空士、機関士、通信士合せて一万二千余名を数えておつたわけでありますが、現在といたしましては、定期運送用操縦十が二十三名、上級操縦士が五名、事業用操縦士が三百七十六名、このうちには滑空機の操縦士六十五名を含んでおります。自家用操縦士が五十九名、この中にも滑空機の操縦士を五十一名含んでおります。航空士二百九十三名、通信士が二百十八名、機関士が十二名、合計いたしまして九百八十六名でございます。終戦当時一万二千名の数から見ますと九百八十六名、非常に少い数字になつておるわけでありますが、その九百余名のうちにもグライダー及びヘリコプターの航空従事員がたくさん含まれておるのであります。この中には同一人が操縦士、航空士、通信士という数種の資格を併有しておる者が大部分でありますので、我が国航空機の需要を満たすには現在のところ非常に少い状態になつております。特に航空運送事業用の航空機に乗組む資格のある航空従事者の数は所要人員を相当下廻つておるのでありまして、例えば日本航空ではなお多数の高給な外国人操縦士を使用いたしまして多額の外貨を支払つておるような現状になつております。それで政府といたしましては、これら航空従事者の養成のために、昭和二十七年度におきましては、航空機乗員養成補助金二千九百二十五万円を交付いたしまして、日本航空の操縦士を十三名、新聞社関係の操縦士三名を米国に派遣いたしまして、所要の資格を得させたわけでありまして、二十八年度におきましては四千五百万円の補助金によりまして、操縦士を四十一名、航空士を四名、機関士を六名、計五十一名の養成を現在実施いたしております。これが現在までの養成の概要で、ございまして、御質問のありました養成機関というようなものはないわけでございます。これが今回航空大学校を設置をいたしたいという御提案をいたしましたわけでございます。
○矢嶋三義君 現在我が国の民間航空に従事しているところ、の外国人の数それから現在操縦士、機関士等の教育のために米国初め外国に現在派遣されて教育を受けている人員はどのくらいあるか、概数でよろしいですから承わりたいと思います。
○政府委員(山内公猷君) 外人関係の航空乗員につきましては、主として定期運送用の資格を持つておるかたでございまして、詳細の数字を持合せておりませんが、大体四十名程度使用いたしております。それから外国へやつております者は先ほど御説明いたしましたように、二十八年度に四千五百万円の補助金によりまして操縦士を四十一名、航空士を四名、機関士六名、計五十一名現在養成中でございます。
○矢嶋三義君 今年度の計画は。
○政府委員(山内公猷君) 今年度はございません。
○矢嶋三義君 それでは先ほど本年度の養成補助費として四千数百万円の数字を上げられましたが、それはこの航空大学関係に付与される、こういう意味でございますか。
○政府委員(山内公猷君) ちよつと年度を間違えまして、二十八生度に四千五百万円、本年度でございます。二十九年度はないということでございます。
○矢嶋三義君 この航空大学校の内部組織は運輸省令で定めると、こういうことになつておりますが、入学資格並びに教育期間というものはおよそどの程度にお考えになつておられるのか。それからこの大学に入る学生の学費関係ですね。例えば授業料を免除するとかというような特典があるのかどうか。それから学習費用として幾ばくかを貸与する、或いは衣服を給与するとか、そういうようなことをお考えになつておられるのかどうか、極く重点的に簡単でよろしいですから御答弁を願いたいと思います。
○説明員(山崎城君) 只今の御質問に対してお答えいたしますが、内部組織といたしましては、校長、教頭の下に総務課、教務課、整備課、保安課の四課を置く予定でございます。次に入学資格といたしましては、大体専修課と本科の二つに分れておりますので、専修課のほうは過去におきます事業用操縦士の資格を持つておるものを対象にいたすわけでございます。而もその訓練期間は三カ月の予定でございます。それから機関生及び航空生のほうは一年間という教育期間に予定いたしております。それから本科につきましては、新制大学の教養学部卒業程度の新人を二年間教育する方針でございます。それからお尋ねの学費関係でございますが、これは授業料を徴収して行う予定でございます。
○矢嶋三義君 それでは授業料は他の国立大学と同様にする、それから衣服の貸与もしない、それから学費の貸与も一切ない。従つて学費関係に関する限りは他の大学と何ら変らない、こういうふうに了承してよろしうございますか。
○説明員(山崎城君) おつしやる通りであります。
○矢嶋三義君 この航空局のほうでは航空審議会というものもあつて、我が国の民間航空の将来ついていろいろ研究をされ、又構想を持たれていると思うのですが、我が国の民間航空の将来の見通しとこの航空大学の規模、教育を受ける学生の数とは非常に関連があると思うのでございますが、一つここ何年間に何人程度の教育をしたいというような見通しの下に発足されているのですか。それらの概略を御説明願いたいと思います。
○説明員(山崎城君) 先ほど官房長から御説明いたしましたように我が国の航空界は終戦後七年間の空白期間を経まして、一昨年平和回復後急速に民間航空の再開をいたしたわけでございまして、本年の二月からは日米線を再開いたしまして国際線の充実を今後図らなければならないという増勢にあるわけでありますが、と同時に又国内の定期航空の充実も考えなければならないという状況にあるわけであります。大体そういう想定の下におきまして現在航空運送事業を経営しております日本航空株式会社、極東航空株式会社、日本ヘリコプター株式会社の三社におきまして、昭和二十九年度におきます所要人員は三社を含めまして。パイロット関係が百六名というような需要があるわけであります。然るにこれに対する現在三社の保有人員は先ほど官房長から御説明をしましたように極めて少い人数でございますので、この間のギヤップを埋めるために今後数年間に亙つて教育をしなければならないという情勢にあるわけでございまして、大体私どもの見通しといたしましては、昭和三十四年頃ぐらいまでは来年度において考えております程度の養成を逐次行なつていかなければならないというふうに考えておるわけであります。
○矢嶋三義君 来年度養成を考えている程度の人員と申されるとどのくらいですか。
○説明員(山崎城君) 来年度におきまして考えております養成人員といたしましては専修科と本科に分れまして、専修科におきましては操縦生が三十名、機関生、航空生おのおの十四名、合計五十八名、本科におきましては操縦生が十名全部合計いたしますと六十八名という数字になつております。
○矢嶋三義君 そういうことになりますと取りあえず一切合切ひつくるめて三百人程度ここ四、五年間に養成すれば今の我が国の民間航空の一応の計画の遂行はできる、こういう見通しを立てたわけですね。
○説明員(山崎城君) ちよつと補足して申上げますと、只今国際線をやつておりますのは東京~サンフランシスコ間、東京~沖繩間でございますが、将来これを南米ブラジル、サンパウロまで延ばす、或いは西のほうはロンドンまで延ばす或いは南方のほうはジャカルタまで延ばす、こういつた計画を持つておりますので、それに所要の人間も十分考えなければならない、こういうことに相成なると思います。従いまして大体そういう人間を考慮いたしまして先ほども申しましたような昭和三十四年頃までには大体今のような養成の規模を以て養成をいたすということになるわけでございます。
○矢嶋三義君 この大学の技術方面の教官はすべて日本人でありますか。
○説明員(山崎城君) さようでございます。
○矢嶋三義君 まだ発令等はなされていないわけでございますから的確なことは答弁頂けないと思うのでございますが、その日本人は曽つて或いは現在において民間航空に従事し、経験のあるかたか又曽つての日本空軍の軍人であつたかたがおつきになられるのか、その点はどういうふうにお考えになつておられますか。
○説明員(山崎城君) 教官関係は校長の下に大体十八名程度考えておるわけでございますが、その大部分は現在航空局におります人間を以て充当し得るというふうに考えております。なお部外から講師として招聘しなければならない者も若干考えておるわけでございます。
○矢嶋三義君 その講師として若干招聘するというかたは、私は実技方面のかたが多いのじやないかと思うのですがね。まあ理論方面は大学の理工学部の教授を招聘されることを考えておられるかと思うのですか、結局何でしようね曽つての日本空軍の優秀な軍人であつたかたが実技方面を教官として教授すると、こういうことになるんでしようね、どうですか。
○説明員(山崎城君) 大体旧軍人或いは戦争前におきまする航空従事者は、現在の進歩した航空技術に到底まあ使いものにならないものが多いわけでございまして、そういつたものは殆んど教官としては役に立たないんじやないかと思います。 なお付け加えて申上げまするが、講師として部外から招聘いたします者は大体において航空工学でありますとか航空力学といつたようなやや一般的な、一般的というと語弊がありますが、そういつた航空操縦以外の学科を主にいたす予定でございます。
○矢嶋三義君 私伺いたいのですが、海運界が非常にレベルが向上したそのために曽つての高等商船学校を大学までに引上げた、そのために曽つての高等商船学校を出た程度の知識教養では不十分であるからというので、先ほど説明がありましたが、海技専門学院というようなこの再教育機関ですね、最も能率的に再教育をしてまあ勉強する、こういうことが海上勤務者についてはとられているわけですが、我が国の航空乗務員その他は急速に充足する必要があるとあらば、それは戦前更に戦時中と現在の航空科学というものが格段の差がありましようが、併しやはり曽つて一応経験された人は何といつてもそれだけの教養というものを身につけておられるわけですから、そういうかたの再教育機関というようなものを設けて再教育すれば、当面急速な需要にこたえられるのじやないかと思うのですが、そういう海上勤務者についての海技専門学院のような再教育機関というようなものはお考えになつておられないのですか。
○説明員(山崎城君) 航空大学校といたしましては、先ほど申上げましたように、専修科と本科を置くわけでありますが、この専修科と申しますのがそのいわゆる再訓練の機関に相当するわけでございます。従つてすでに過去におきまして事業用操縦士その他の資格を持つている者を或る短期間に訓練いたしまして、これに上級の資格を与えしめるということになるわけでございまして、ただこの年令的な制限がございますのでこの将来こういつた色揚げに類するものは余り長期に亙つてこれを期待することはできない。従つてどうしても本科というようなものによりまして新人を教育しなければならない、こういうことに考えておるわけであります。
○矢嶋三義君 再教育の点はわかりました。 それでは伺いますが、本科と申しますのは、新制大学の教養学部を卒業して更に二年履修するという課程がございましたね。これは修学期間から申すと、丁度新制大学と同様だと思うのですが、そうなりますと学校教育法の第一条でいう大学として扱うのかどうか、要するに学校教育法第一条に基いて設けられる大学として従つて新制大学の教養学部を卒業して、二年教育を受けた人には何か学士号でも与えるということになるのかどうか、その点を承わりたいと思います。
○政府委員(山内公猷君) この航空大学校はいわゆる大学ではないのでございまして、これは各種学校に属すべきものでございましてその結果卒業いたしましても学士号というようなものは与えられないのであります。
○矢嶋三義君 それではもう少し聞きたいことがあるのですが、御迷惑だつたらこの辺でやめて明日お伺いしようと思いますが。
○委員長(小酒井義男君) ちよつと速記をとめて下さい。 〔速記中止〕
○委員長(小酒井義男君) 速記を始めて下さい。 それでは運輸省設置法の一部を改正する等の法律案につきましては、次回に質疑を続行いたすことにいたしまして、本日はこの程度で質疑を打切ることにいたします。暫時休憩いたします。 午後零時四十二分休憩 ―――――・――――― 午後二時四十三分開会
○委員長(小酒井義男君) それでは午前に引続きまして内閣委員会を開会をいたします。 定員法の一部改正につきまして各省別の説明を受けておりますが、本日は警察関係の定員についてその内容の説明を受けることといたします。国家地方警察本部の石井警務部長より先ず説明を受けます。
○松本治一郎君 その以前にちよつとお諮りしてもらいたいことがあります。それはあなたできめられることだと思いますのは、午前中海員学校の問題について質疑応答を聞いておりますると、どうも筋の通らない点がたくさんある。いろいろ考えてみますると、現政府は憲法違反をやつて再軍備のほうへ持つて行きよる疑いが十分ある。そういう折からこの海員学校や航空大学もそういう方面に使われる虞れがありはしないかという疑いを持つておるわけなんです。そういう関係で、この質疑応答のはしはじに出ておるものを以て考えましても、これは十分に調べた上でなければ本当の審議はできないと、こう私は考える。そういう関係で、実地を一応内閣委員会から調査されてはどうかと、こう考えておるわけです。と申しますのは宮崎にあつた海員学校を口之津に持つて行く。ところが或る委員からそのことについて問い質されると、「宮崎にあつた学校の復旧のために今後は努力するつもりであります。」、こういう答弁があつておつたように聞いておるわけです。そういう点かり考えましても、どうもこの問題についてはこみ入つた何か問題があると、こう考えるわけであります。だから実地調査というなにをやられてはどうか、こう私は考えておるわけです。
○委員長(小酒井義男君) 只今の松本委員の御発言に対しましては、本日の委員会の終了の際に、一つ理事のかたともお諮りをして、そうして善処することにいたしたいと思いますから。 それでは国家地方警察本部の石井警務部長から国家地方警察の定員の内容についての説明を受けます。
○政府委員(石井栄三君) 昨日行政管理庁岡部管理部長から警察関係の定員につきましては概略の御説明があつたのでありますが、その更に内訳的な補足説明をさして頂きたいと思います。便宜上最初に管理庁のほうから参考資料として御配付になつております定員法改正資料中の二条一項内訳表というのがお手許にありましたら御覧を頂きたいと思います。 そこの真中のほうに国家公安委員会、警察庁(国家地方警察)という欄がございまして、改正前定員六万六千八百七十六ということになつております。これが現行法の下における現在の国家地方警察関係の定員でございます。これが改正法によりますれば、改正後におきます定員が七千五百四十七、次の欄に書いてあります数字になるわけでありまして差引五万九千三百二十九の減、こういうことになつております。最初に申上げました現行法下における六万六千八百七十六という数字の内訳を御参考までに御説明申上げておきたいと思います。この六万六千八百七十六の内訳は、現行法の第二条第一項関係の定員が四万五千二百八十でございます。これは先ほどお手許にお配りいたしました半ぺらの小さい紙を御覧頂きますと、その数字が詳細に書いてあります。 更に現行法の第二条第二項関係の定員が二千六百人、この二千六百人と申しますのは、御承知の通り現行法第二条第二項と申しますのは、現在国警の警察大学校及び六つの管区に附置せられております管区警察学校に在校する者の要員としてこれだけの枠内におきまして常時各学校に在校せしめてよろしいということで、先ほど申上げました第二条第一項関係の四万五千二百八十人の定員外として取扱を受けておるものでございます。 次に現行法の第二条第三項関係で一万八千九百九十六人、これは昭和二十六年の十月以降町村警察がみずからの警察を維持することを廃止して従いまして国家地方警察に編入になりました者の今日までの総数でございます。これもやはり第二条第一項以外の定員として置くことができるという現行法の建前になつておりますのであります。この三つを合せたものが六万六千八百七十六人という先ほど申しました数字に相成るわけでございます。 更にそのほかに、定員法には載つておりませんが、二十七年の二月に鹿児島県の十島村が行政権復帰に伴いまして我がほうに編入されました。その関係で十一名の警察官を受入れておるのであります。これは政令によりましてその措置が当時とられたのであります。更に昨年の十二月に奄美大島が同様復帰をいたしました関係上、その在職警察職員二百六十六人がやはり政令の措置によりまして受入れられたということに相成つたのであります。この二つを合せまして二百七十七人という者が、先ほど申上げました六万六千八百七十六人に加わりまして、合計六万七千百五十三人というものが現在の国家地方警察の警察職員の総数、こういうことに相成るわけであります。 そこで改正後の定員七千五百四十七というのを次に御説明申上げます。このほうの御説明の便宜のために第一表から四、五枚綴りの資料をお手許に差上げております。そのほうを御覧願いたいと思います。第一表は、新らしい定員、つまり現在本国会において御審議を願つております警察法案によりますと、現在の国家地方警察本部に代るものとしまして中央に警察庁というものが設置されまして、現在の各管区本部に相当するものが管区警察局ということに呼ばれることに相成つておるのであります。その警察庁関係、本庁並びに出先機関である管区警察局、この関係の職員が改正後の国家公務員としてこの定員法に定められる新らしい定員ということに相成るわけでありますが、第一表は、その新らしい定員のうちのいわゆる制服職員、警察官並びに皇宮護衛官と、この者の数字をお示ししたものでありまして、第一表のうち現定員とあり、ますのは、現在の国家地方警察本部並びに各管区本部の現定員を意味するのでありますが、ただその場合に御参考までに一つ申上げておきたいことは、新らしい警察法におきましては、現在の六管区制度がそのうち札幌管区だけ廃止されまして、その代りに名古屋と高松に新らしく中部管区警察局と四国管区警察局というものが新設をされますので、七管区警察局ということに相成るわけでありますが、その七管区警察局は現在の六管区警察本部のうちの札幌分を除きました五管区本部の定員を一つの基準としまして、その枠の範囲内で新らしく七つの管区警察局の定員を賄う、こういう考え方をいたしておるのでありまして、ここに現定員として掲げてあります管区警察局分は、今申上げます通り、現在の六つの警察管区本部のうち、札幌分を除いた他の五つの管区本部分の定員を示しておるわけであります。それがこの第一表で制服職員の現定員千八百一であります。これが改正後におきましては十七百七十七と、こういう数字に相成るのであります。現在の五管区本部分の定員を以ちまして七管区警察局分を、而も現五管区の定員よりも下廻つた数字を以て賄おうというわけでありますので、ここに勢い新らしくできます各管区警察局というものは、現在の警察管区本部に比較いたしますならば、極めて圧縮簡素化された機構の下に仕事を運営して行くということに必然的に相成ろうかと思つております。そういうことが今日この大量に行政整理を要請されておりす国策の線に沿うゆえんでもありますし、かたぞれ管区警察局のあり方といたしましても、いろいろと御批判を頂いております実情に鑑みまして、当然そうあるべきであると、かような見地から、新らしい定員は極力圧縮をいたしまして、この程度の数字を以て執務の合理化を図り、重点的に仕事を進めて参りたい、かように考えておる次第でございます。従つてこの現定員と新定員との差は二十四減ということに相成りますので、これだけの整理がなされるということになるわけであります。併し現在実員は千七百八十八ということになつておりますので、結局実整理を要する数というものは、最後の欄にあります十一とこいう数字に相成るわけであります。なおここに管区警察局の欄の中に北海道地方警察通信部、僅かに警察官二名を定員として考えておる。この点について一つ御説明申上げたいと思います。 先ほど申上げました通り、新制度の下におきましては現在の札幌警察管区本部というものを廃止をいたすのでありますが、従つて北海道警察部というものが新しく設けられることになるのであります。ただ通信の仕事のみは全国的に統合運営をする必要がありますので、警察庁の直接所掌するということにいたすのでありまして、従つて北海道には管区警察局は設けませんが、通信関係だけを取扱り出先機関といたしまして北海道地方警察通信部なるものを新設することにいたしておるのでありますが、その北海道地方警察通信部なるものは仕事の性質上、大多数の職員は技術者職員で当られることに相成るのでありまして、これは次の第二表にその数字が書いてありますので、それとも関連を持つのでありますが、大部文は技術職員を盛て当てられる。ただ警察官を以て当てますのは庶務的な仕事、全般的に取りまとめて仕事をする者といたしまして課長一名、課長補佐一名という僅か二名だけを制服警官を配置するということにいたしておるわけであります。 次に二枚目の第二表に移ります。第二表は制服職員以外の一般職員の数字を示したものであります。現定員は四千八百七十九、これに対しまして改正後の定員は五千七百七十ということに相成つております。人員を整理縮小しようというときに、ここでは逆に、かえておるではないかという御疑念をお持ちのことと思うのであります。これは実は先ほど申上げました通り、通信関係の仕事を全国的に統合運営するという建前をとります関係上、現在自治体警察の通信職員の中で保守運営の面に携つておる通信職員を国家公務員に振替えるという関係上、こういつた増ということに相成つておるのでありまして、それは次の単にプラス九百七十二という数字で示してありますのがそれを指すのであります。詳しい九百七十二の内訳は増減事由の最後の欄のところに参考に記してございますが、今申します通り、現在自治体警察の通信職員のうち八百九十名を国家公務員として振替え増をするのが大部分でありまして、あと若干の残りは先ほど申しました通り、中部管区警察局、四国管区警察局が新設される関係上、現在の愛知県及び香川県の電話交換手要員のうち三十三名だけをそれ、ぞ托新らしく設けられるところの管区警察の通信職員として振替える必要があるというので三十三名、更に超短波中継局要員としまして、それぞれ関係の都道府県隊要員より、一局分七名、七局で合計四十九というものを振替える、こういつたものを合算いたしまして、九百七十二名というものが新規振替増ということに相成るのでありましてそうしたもの以外の現定員からは執務の合理化、能率化を図る、いわゆる行政整理の線に沿いましては八十一名を減ずることにいたしておるのであります。これに該当するものの現実員は実員欄で御覧頂きますとわかりますように五千七百九十九、こういうことになつておるのであります。最後の欄で実際に整理をする人員はどういうことになるかと申しますと、ここに三十五と六十四という二つに分けた数字で書いてありまして甚だおわかりにくいかと思うのでありますが、三十五と申しますのは、通信関係の職員で欠員があることを示すわけです。六十四というほうがその他の一般の職員で過員になつておるという数字を示すのであります。従つて六十四と三十五の差引計二十九というものが、実際の数字の上から行けば過員になるわけでありますが、一般職員と通信職員はそれぞれの性質の差から、早急に差引きるという性質のものでもないからと思いますが、一応こういうふうに分けて御参考としたのであります。 次の第三表は今御説明申し上げました第一表と及び第二表をそれぞれ合計をいたしました総括表でございます。今申し上げましたものをそれぞれ合計を七しますと、現定員の最後り計D所では、制服職員、一般職員合せまして六千六百八十ということになつておりますのに対しまして、改正後の新定員は七千五百四十七、こういうことになるのでありますが、先ほど申上げました通りそのうちには通、信関係の九百七十二という振替増があります。その他の職員につきましては百五に圧縮整理、こういうことになるのでありまして、現在実員は七千五百八十七でありますので、結局最後の一欄にあります通り整理を要する実人員というものは、制服職員におきまして十一名、通信以外の一般職員におきまして六十四名、通信関係におきましては三十五名の欠員、この三者を算術的に差引勘定いたしますれば、結局四十名の実人員整理と、こういう数字になるのでございます。 次に第四表、参考表として平均いたしましたのは、今回の警察制度の改正におきまして大量に人員整理の圧縮がたされて四万名の行政整理ということが言はれておるのであります。それを御覧に入れる意味で参考表としてお示しをいたしたのであります。上の欄に制服職員の定員、下の欄にその他の一般職員の定員をお示したのであります。最初の欄に国家地方警察の欄の計、次の欄に自治体警察の欄の計、こういうふうにお示してございますが、現在の国警、自警の全部の定員を合計いたしますと、国警の欄の真中になりますが、十六万七千三百六十一という数字に相成つておるのであります。これから三万一名を整理いたしまして、新しい定員としましては十三万七千三百六十ということに相成つておるのであります。三万一名という半端な数字が出ておりますが、この一名と申しますのは、昨日も行政管理庁から御説明がありました通り、現在の国警本部から外務省へ、海外駐在勤務員といたしまして勤務いたしますものを定員上振替えることに相成つております。この一を示したのでありまして、それを除きますならば、今回の定員改正によりまして三万名の整理をいたすということに相成つておるのであります。この三万名は四年間を以て整理をいたす、初年度におきましては一万名、初年度と申しますのは二十九年度とい一、意味であります。第二年の昭和三十年度に七千五百、第三年度の昭和三十一年度には同じく七千五百名、第四年度の昭和三十二年度に残り五千名を整理する、こういう一応の計画を立てておるのであります。それが実際の整理に当りまして、現在の国家地方警察の職員或いは自治体警察の職員にどういうふうに当てはまるかということは、これは新しい警察法が施行になりまして都道府県警察の職員一本になりまして統合されました後において行われることでありまして、今からそれがどういうふうになされるかということは、私どもとしては機械的に同じ比率ではじけば出て来ることになりますが、実際に整理される数がどのくらいになるかと申しますと、新しく発足しましてから後のそれぞれの府県の実情に合せて然るべく運営されるということになるので、その数字は今ここで申し上げても何ら意味ない数字となりますので差控えておきたいと思つております。 次に第四表の次には御参考までに特別待命者がどの程度あつたかということをお示した表でございます。最後の参考表はこれは現在の自治体警察の定員を一覧表にまとめてお示したものでございます。 以上甚だ雑ばくな申上げかたをしておわかりにくかつたと思うのでございますが、なおお尋ねを頂きますならばお答えをいたしたいと思います。一応私からの説明はこの程度にして頂、きます。
○矢嶋三義君 今日は説明を大体聞くということだつたのですけれども、説明の表のところでちよつと聞き落した点だけ伺いたいと思うのですが、今最後におつしやつたのは、最後の表は、自治体警察職員の定員を現わした表だというのはどれでございますか。特別待命者の年令別、勤続年数別表というのが最後でございましよう。
○政府委員(石井栄三君) その次に一枚附いておるのでございますが、事務のほうの粗漏でとじ落したものと思いますので、早速にお届をいたしますから御了承をお願いいたします。
○委員長(小酒井義男君) 矢嶋君よろしいですか。
○矢嶋三義君 結構です。
○委員長(小酒井義男君) 改めて質疑する機会もあると思いますが、差当つて特別御質問なさることがありましたら御発言をして頂いても結構だと思います。……それでは特別御質疑もないようですから改めて質疑をして頂くことにして、本日は説明を求めることで終りたいと思います。 次に外務省関係の定員につきまして外務省の松井官房長から説明を受けます。ちよつと速記をとめて。 〔速記中止〕
○委員長(小酒井義男君) 速記を始めて下さい。
○政府委員(松井明君) 昭和二十九年度外務省定員について御説明いたします。 先ず我が国が戦後初めて在外事務所を設置いたしまし十昭和二十六年以来の外務省定員の推移を見ますと、お手許にお配りしてある資料の第一表の通り、本省内部部局及び附属機関を併せました外務省本省の定員は逐年減少いたしております。これに対して在外公館の定員は逐次増加して参つております。これは平和条約発効後諸外国との外交関係樹立に伴い、外交施策の遂行の必要上在外公館を整備拡充して参つて来たからでありまして、他方外務本省におきましては事務運営の合理化及び執務強化によりまして人員の節減を図つて来たのであります。 なお在外公館数は第二表の通り逐年増加いたしております。 次に昭和二十九年度におきまする外務省定員の内容を説明いたします。第三表に掲げてありますように、昭和二十九年度の外務省定員は、本省において前年に比べて五十二名減、在外公館において前年に比べて五十六名増でありまして、総定員は千六百五十四名、前年比四名の純増となつております。 外務省といたしましては、すでに御説明いたしました通り、従来努めて人員の節減を図つて参りましたのでありますが、政府の行政整理方針に基き、更に執務強化と事務運営の合理化によりまして本省定員の五十二名減員整理することといたしました。右減員のほか本省各部局の事務量に応じ、本省部局間の人員の振替を行う所存であります。以上人員整理及び振替による六省の部局別定員の変更につきましては第四表を御参照願います。 他方在外公館につきましては、我が外交施策の推移に伴いまして、新たな公館の設置及び既設の公館の拡充が必要なのであります。このため二十九年度において在外定員は五十六名増加することになつておりますが、その内訳は第五表の新設公館に要する人員二十五名、既設公館の事務増に応ずるために必要な人員三十一名であります。 外務省といたしましては、二十九年度において主として通商貿易拡大の見地からコロンビア、ドミニカ、シリア、レバノン、イラクの五公使館、シドニー、ハンブルグの二総領事館、トロント、メダン、レオポルドヴイルの三領事館以上合計十館を新設する方針でありまして、これらの公館の要員として二十五名を必要とするわけであります。次に既設公館の増強のための三十一名でありますが、このうちにはポルトガル語、マレー語、アラビア語、その他の特殊語学を研修する留学生定員が十名おりますが、その他は既設公館におきまする一般館務の増加、殊に通商及び経済協力関係の事務の増加を処理するため充当せられるものであります。 以上を以ちまして昭和二十九年度外務省定員の説明を終ります。
○委員長(小酒井義男君) それでは質疑は後日に行うことにいたしまして、本日はこれにて散会をいたします。 午後三時二十七分散会