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19回国会衆議院1954/07/09

法務委員会上訴制度に関する調査小委員会及び違憲訴訟に関する小委員会連合会 第4号

発言数
30
登壇者
7
会派数
3
開催日
1954/07/09

会議録

小林錡自由党

○小林委員長 これより上訴制度に関する調査小委員会、違憲訴訟に関する小委員会連合会を開会いたします。  本日は参考人として小野清一郎君、垂水克巳君、下飯坂潤夫君に御意見を承ることといたします。  参考人各位にはまことに御多忙のところわざわざお差繰りを願いまして御出席をいただいてありがたく感謝いたします。当法務委員会におきましては、さきに刑事訴訟法の一部を改正する法律案を取扱い、また第十九国会におきましては民事訴訟法の一部を改正する法律案を審議したのでありますが、これらの審査に当り、またその他の事情の上からわが国における上訴制度の上に研究すべき非常ないろいろの問題があることを気づきましたし、また違憲訴訟の裁判取扱いについてもさらに考究する必要があるのではないかというような点に考えを及ぼしまして、ここにこの二つの小委員会を設けて審査をしておるわけでありますが、この休会中も引続いてこれらの調査を進めることとなりまして、七月中にまず参考人各位から御意見を伺うこととしたのであります。また八月、九月にわたつても約一週間ずつ調査を進めて行くつもりであります。そういう事情から平素御研究なさつており、かつ実務にも当つておられる方々の御意見を伺つて、われわれ審議の上の参考にしたい、こういうふうに考えまして御足労を煩わした次第でございます。つきましてはどうか参考人各位におかれましては忌憚のない御意見を述べていただきたいと考えます。  まず小野参考人にお願いしたいと思いますが、この二つの問題について十分なる御意見を伺いたいと思いますが、特に  一、刑事上告の範囲、上告審の手続及び最高裁判所の機構はいかにあるべきものとお考えになるか。  二、現行刑事控訴審の手続について御意見を承りたい。  三、刑事上告の範囲を「判決に影響を及ぼすべき法令の違反」というように拡張した場合、控訴審及び第一審の手続は現行のままでよいであろうか。それとも何らかの改正を要するものとお考えになりますか。改正を必要とするとすれば、その要点はどの辺にあるか、具体的に承りたい。  四、最高裁判所の違憲審査権の範囲は憲法上いかなるものとお考えになりますか。特に最高裁判所が具体的事件を離れて、抽象的、一般的に法令が憲法に適合するかどうかを決定するということは、憲法の解釈上可能と考えられるかどうか。  五、最高裁判所がある法令を違憲と判断して裁判をした場合、その裁判は、その法令に対し、また、国会、政府及び下級裁判所に対していかなる効力を及ぼすものと考えられるか。  六、最高裁判所裁判官の任命方法の改善について御意見があれば承りたい。  七、司法行政事務は、裁判官会議の議によつて行うという現行制度について御意見があれば承りたい。  その他お気づきの点があつたらば御意見を述べていただきたい。こういう点に触れて御回答を願えればまことに幸いであります。  それでは小野参考人。

小野清一郎弁護士

○小野参考人 それでは、さきに裁判制度の改革に関し考慮すべき主要問題点という刷りものを頂戴いたしまして、大体それに順にお答えして参るつもりで参つたのであります。特にただいま委員長から御指摘になりました点を注意いたしまして申し述べたいと思うのでございます。  まず主要問題点の第一といたしまして、最高裁判所の違憲審査権について意見を徴されております。私この憲法における最高裁判所の規定を通覧いたしまして、最高裁判所の性格がどのように考えられているかということを考えてみるのでありますが、これは司法裁判所であることは疑いないと思うのであります。そうして憲法八十一条によりまして、具体的な司法事件を裁判するについて、ある法令が憲法に違反するかどうかということを審査する権能のあることは、これは申すまでもない。問題は一般的に、ある法令が憲法に違反するかどうかというようなことを決定するための違憲訴訟と申しますか、憲法裁判と申しますか、そのような制度がこの憲法第八十一条のもとで可能であるかどうかという点にあると思います。私は最高裁判所の性格はかなり複雑であつて、司法裁判所ではあるが、同時に憲法裁判所的な性格を認めることができるように思いますし、もう少し進んでむしろそういう性格を帯びたものではないかというくらいに思われるのであります。少くともその明文上、最高裁判所に憲法裁判所的な権限を認めることを禁ずる趣旨は現われておりません。現在の裁判所法及び最高裁判所の判例は、具体的な司法事件の裁判にあたつて、法令の憲法適合性を審査する権能を有するにすぎないものとしておりますが、裁判所法の改正によつて、いわゆる違憲訴訟の裁判をする権限を与えることは可能であると思います。司法裁判における法令の違憲審査ということは、御承知のようにアメリカにおいて最初判例法的に発達したものでありますが、アメリカにおいては英米普通法の伝統といたしまして、判例は一般的な法としての効力を持つのでございます。従いまして、最高裁判所、シユープリーム・コートが、ある法律が違憲であるという判断を下しますと、下級裁判所は法律上それに拘束されるし、行政機関も実際上それに従わざるを得ないようになつておると思います。これに反してヨーロツパ大陸法では、理論上判例にかような一般的効力を認めておりません。判例というものはだんだんと実際上尊重せられてはおりますが、理論上英米普通法におけるような拘束力は認めていない。これが大陸において特に憲法裁判所というものを考え出すようになつた契機ではないかと思うのであります。しかし最近では中南米の諸国で、アメリカの司法裁判所による違憲審査制と大陸風の憲法裁判所とを折衷いたしまして、最高裁判所に憲法裁判所的権能を付与している国もあるようであります。キユーバの一九四〇年の憲法、コロンビアの一九四五年の憲法等がそれであります。わが日本国憲法も直接にはアメリカの影響によつてできたものではありますが、大陸の憲法からも影響を受けていることが明らかでありますし、従いまして最高裁の性格にいたしましても、アメリカの最高裁、シユープリーム・コートのほかに、大陸の憲法裁判所や、あるいは中南米の憲法裁判所のことも参考されたのではないかと思われる節がないでもない。だから私は裁判所法の改正によつて、現在の憲法八十一条のもとでも、最高裁判所に憲法裁判所的な権能を営ませることはできると思うのであります。しかし問題は、そういう制度を創定することがわが国の現在の実情に徴して適切であるかどうかにあるでありましよう。これはむずかしい問題で、一概にお答えいたしかねますが、国会において制定された法律は、一つの政治的決断を含むものでありますから、たやすくその無効が宣言されるということは、国の最高機関である国会の権威にも関するし、他方最高裁は何といつても司法裁判所であるから、それが政争の渦中に善き込まれたり、また政党色を帯びたりすることは、司法のためにもとらないところであります。しかしまた法律というものは、単なる政治的決断だけのものではないのであつて、その根本には、通常の政治的決断以上の、動かすべからざる道理と申しますか、基本的な国民の総意、約束というものがあつて、その上に政治的決断がなされるものであると思うのであります。憲法は一応その基本的な法を明文化したものであると考えられる。だからその憲法に違反しないかどうかを、政党色を帯びない裁判所において判断するということは、意味のあることである。憲法八十一条はそういう制度を拒まないのみならず、むしろその趣旨を認めるに傾いておるのではないかと思われる。そうすると、最高裁の大法廷に憲法裁判所的権限を認め、具体的な事件における法令の審査だけでなく、直接法令そのものの合憲性を判断させるということは、憲法八十一条のもとで可能であり、またむしろ好ましいことではないかとさえ思われる。もちろんその訴権を各個人に与えるということはできないでありましよう。政府各省とか、国会における再議院の一定数の議員の要求によるとかいうことにしなければならないと思います。なおこまかい制度の機構については、西ドイツの憲法裁判所、オーストリア、イタリア等のそれ、また中南米の先ほど申しました最高裁判所で、憲法裁判的な権能を認めておる、それらの制度を十分研究した上に、立法される必要があると思うのであります。  それからしばらく現在の制度のもとで考えてみまして、具体的事件の裁判において、法令が憲法に適合するかどうかを最終的に判断が下されるまで相当長い日時を要し、その間不安定な状態を生ずるということは、まことに遺憾なことであります。この点を救済する方法として、二つの法案が提示されておるようであります。その一つは、下級裁判所において法令の憲法適合性が争われておる場合に、最高裁判所がその事件の送致を求め、みずからその審判をするということができるようにしたらどうか、私はこれはけつこうであると思います。人身保護法二十二条の例がありますから、これは立法によつてただちにでも実現のできることであろうと思います。その第三の案として、最高裁が政府または国会の諮問に応じて意見を述べるという制度でありますが、これは西ドイツの連邦共和国憲法で認めておるようでありますが、私はこれには疑問を持つのであります。諮問に対して単に勧告的な意見を回答するという性質のもので、法律的に拘束力のあるものではないようでありますが、事実上一種の確定力のようなものを生ずることになると、あとで最高裁自身がそれに拘束されることになる。それはおもしろくないことではないかと思うのであります。それは行政的なしかるべき機構を別に考えた方がよろしいと思う。  第二に、司法行政事務についてであります。裁判官会議において、司法行政事務を行うことは、裁判官の本来の任務の遂行に相当の支障を来しておるのではないかという疑いがあるということであります。この点については、私実際をあまりよく存じませんが、しかし裁判官の人事などの問題はすこぶる重大でありまして、これが長官と事務局長とによつて独断専行されるようなことになることは、はなはだ好ましくないと思います。できるならばやはり現在の制度を維持した方がいいのじやないか。司法行政事務については、裁判官の中から数人の委員を選んで、委員会行政の組織とするならば、それで十分に合理的な事務の処理ができるのではないかと思います。またある程度地方分権的に高等裁判所の行政権限を拡大するということも考えられる。その場合にもやはり裁判官のうちから選出した委員による委員会行政の組織にしたらよいのではないか、さように思います。  第三、上告制度についてであります。上告制度だけを切り離して論ずることはできないのでありまして、上訴制度全体、さらには裁判制度全体を考えなければならないのであります。ことに第一審の裁判に陪審制をとるかどうかが根本問題である。陪審制を採用するなら特別の場合を除くほか、事実問題については一度限りで確定するものとしなければならない。大陸法のいわゆる三審制度は陪審によらない場合に認められるのでありまして、陪審による場合は大陸法でも二審制度なのであります。わが国で三審制慶が長く行われて来て、今なお国民がこれを要望しておるのは、わが国の裁判制度として裁判は全部専門の裁判官のみによつて行われる、しかも単独の裁判官によつて裁判される場合が圧倒的に多いという事情に基くものであると思います。そうである限り事実審を一回限りとし、控訴審は主として法令の違反を検討し、上告審では憲法違反と判例違反とを審査するという、敗戦後における立法者の構想は、いかにしてもこれは無理である、この現状に即して問題を考えて行かなければならないと思うのであります。  そこでまず上告の範囲に関してでありますが、刑事についても私は上告の理由を憲法違反と判例違反とに制限することなく、民事と同様に判決に影響のあるような法令違反をすべて上告の理由としなければならないと思います。憲法違反だけに限定するのなら話は別でありますが、判例違反を上告理由として、法令違反を上告理由としないということは、成文法国であるわが国としては主客転倒であると思います。上告理由について民事と刑事とを区別すべき理由は一つも存在しない、むしろ刑事においてこそあくまで不当な処罰の行われることのないように、慎重な手続を必要とするのであります。新聞紙によつて承知したのでありますが、上告審は本米訴訟当事者の権利の救済よりも法令の解釈適用を統一し、確定するためのものであると述べられた参考人があるようでありますが、これはどうも誤つた独断であると思います。上告審が法令の解釈を統一する作用のあることはもちろんでありますが、しかし上訴というものの本来の目的は、やはり当事者に対して救済を与えるということにある。それが本来の目的でないのなら最高裁はもはや司法裁判所ではなくなり、一つの憲法裁判所ともなるほかないでありましよう。もつぱら法令の解釈を統一するためには別に非常上告の制度があります。これはフランス法の法律の利益のためにする上訴に当るものであります。論者は両者を混同しておられるのではないかと思います。判例と申しましても英米と違つて、成文法国であるわが国では結局法令の解釈に関するものであります。判例の違反だけを取上げて、法令の違反は取上げないというのは主客転倒であるのみならず、実際上二つの矛盾する判例があつて、初めて上告理由となるというのでに、長期間にわたつて法律状態を不安定ならしめるおそれがあるのであります。法令の解釈に重大な疑義のある場合のごときは、ただちに最高裁の判断を求めることができるようにしなければならない。最高裁に対する上告について、特に上告理由を制限するとすれば憲法違反だけに限定するほかはないと思います。そうすることがある意味で最も合理的でありましよう。上告許可制ということが問題になつているようでありますが、これは刑事については、すでに最高裁の規則によつて上告審をしての事件の受理申立てという制度があるわけでありますが、その実際の成績は思わしくない。最初は多少坂上げられたようでありますが、このごろではほとんど動いていないのではないかと思います。これもアメリカの制度をまねたのでありますが、いたずらに手続を複雑にすることによつて上告を制限するという以外に何の効果もないと思います。  次に上告審判の方法についてでありますが、最高裁判所をもつて唯一の上告裁判所とすることは、法令の解釈適用を統一するという点から見て望ましいことではありますが、上告そのものの本質からは必ずしも絶対に必要なことであるとも言えない。しかし高等裁判所で上告審を管轄するということになりますと、憲法問題についてさらに最高裁判所に再上告を許さなければならない。これは憲法八十一条がある以上必然的であります。民訴四百九条ノ二がつまりそれに当るわけであります。手続がそれだけ複雑化するわけであります。原裁判所において上告申立てにつき純形式的な不備を審査させることはよいと思うのでありますが、上告理由について再度の考案をするということになると、裁判の権威を疑わしめることになると思う。また原裁判所において上告理由が上告裁判所の審判に値するかどうかを判断するがごときは裁判所の偏見を疑わしめることになるのであつて、これはよろしくないと思います。  それから最高裁判所のほかに、一般の上告事件を審判する上告裁判所を別に設けてはどうかということが、以前から司法官僚の間に相当有力な考え方となつておりますが、私はこれには絶対に不賛成である、この方法によつても憲法問題に関して再上告することを認めなければならないことは、さきに申した通りであります。実際上四審制度となるのでありまして、訴訟解決の遅延はますますはなはだしくなるでありましよう。何ゆえにこのような考案が出て来るかと申しますと、それは最高裁を憲法問題だけに専心させるというのが正面の理由になつておりますが、実は結局最高裁の現状維持を希望するというにすぎないと思うのであります。しかし最高裁が最高の司法裁判所であるとするなら、最高裁というものを特殊の祭壇にまつり上げる理由はごうもない、そのようなことをしたら最高裁の判例というものは司法の実際にはほとんど関係のない無用なものになり、大審院以来の貴重な判例法の伝統はおそらく崩壊してしまうでありましよう。  第四、最高裁判所の機構についてであります。以上のような見解によつてすでに御了解願えたと思うのでありますが、私は現在の機構を維持することはとうてい不可能であると思う一人であります。最近未済事件が七千件から五千件程度に減少したということでありますが、実はこれは口頭弁論を開くべきところを開かないで、判決によるべきところを決定によつて片づけているわけであり、そのことによつて辛うじてこの一年半ぐらいの間に二千件ほど未済事件を減した、こういうわけであります。私はこれは公開裁判の原則に反するものであると思うのでありますが、最高裁のやることはこれを争う道がないのであります。私は現在の裁判官を非難するつもりはありません。つまり負担が過重であるということなのであります。それから最高裁判所の裁判官が現在十五人であるということはある意味で多過ぎるし、ある意味で少な過ぎる。大法廷の判決が遅れるのは十五人という多数の裁判官が合議をしなければならないからであります。大法廷だけならば七名ないし九名で十分であるし、その方が事務の処理に都合がよろしいのであります。十五人の裁判官の合議法廷というものはどこにもその例がないと思います。しかし私は最高裁の裁判官を減すということを主張するのではございません。反対に断然裁判官を増員すべきであると思います。この際その待遇とか格式などにこだわる必要はない。さしあたり三十人くらいに増員して、大法廷を九人、小法廷をおのおの三人ずつの裁判官で構成するものとし、小法廷は民事と刑事とを区別いたしまして、迅速な公開の裁判をなすべきであると思います。裁判官がいずれの方法を担当するかは、裁判所法によるか、または最高裁の規則によつて定めてもよいと思います。大法廷の判事と小法廷の判事とはまつたく別箇のものとすることは必要でない。大法廷を構成する裁判官も、小法廷の裁判官として民覇刑事の裁判をなすべきであり、少くともなし得る資格を備えた法律家でなければならないと思います。これは最高裁が司法裁判所である以上当然の要求であります。この増員案に対して、二つの批判が下されております。その一つは最高裁の裁判官となる資格を持つた者はそう多くないというのであります。しかし最高裁の裁判官がいかに高い資格を持たなければならないものであるとしても、現在の裁判官のほかに十人や二十人その資格を持つた者がないということはできないと思います。私は最高裁の裁判官を尊敬はいたしますが、そんなにまで人物が払底しているとも考えないのであります。  第二は増員案は憲法違反であるというのであります。最高裁の裁判は、裁判官の全員でしなければならない、それが憲法の要求するところであるというのであります。しかし憲法の成文上どこにもそういう趣旨は表われていない。憲法問題の判断はもちろん重大でありますが、それは大法廷においてし、大法廷を構成する判事を、裁判所法または最高裁規則によつて適当に規定したならばそれでよろしいのではないかと思うのであります。それから中間の新機構を設けることによつて、上告裁判所、ことに最高裁の負担を軽減するという案があるようでありますが、もしその中間の新機構というのが上告裁判所であるなら、前に述べた四審制度になるでありましようし、単に事前の審査をする機構というだけのものであるならば、裁判所にあらざるものが司法裁判に関係することになり、それこそ憲法違反となるのではないかと思います。  第五その他の問題について、控訴審、特に刑事の控訴審については、前にも申し述べましたように、第一審が専門の裁判官だけで裁判され、しかも一人の裁判官だけで事実の認定をする場合が圧倒的に多いのでありますから、誤判とまでは行かなくても、事件の不十分な見方がされる場合が少くない。旧刑訴の控訴審は、そこで覆審制となつていたのでありますが、新刑訴は第一審の制度を根本的に改めることなしに、しかも控訴審を事後審としたのであります。そこに無理がある。もちろん事実誤認も控訴理由とはされておりますが、実際上事実の取調べと申しましても、書類を取調べるのであつて、新証拠は原則として許されない。先般の改正でこの点多少よくなつたと思いますが、まだ不十分であります。私は刑事についても民事と同じように継続審的な手続とすることによつて、事実の点情状の点をもつとよく審理するようにしたいと思つております。刑事においては事実問題が特に重要であることは言うまでもございません。  次に最高裁の長官及び判事の任命についてでありますが、これはすこぶる重大な問題でありまして、時の内閣の独断によつて任命することは適当でないと思います。憲法はこれを内閣の権限に属せしめておりますが、少くともその運用上判事の選考にあたつて適当な審議機関に諮問することにしなければならないと思います。なお第一審裁判所を充実することは最も大切なことであります。この点で簡易裁判所及び地方裁判所の単独部というものを何とかしなければならない。ことに簡易裁判所の裁判官の資格に問題があると思いますが、そのほかに私はおよそ一人制または単独制の裁判というものを最小限度にしたいと思います。ドイツの三審制のごときものを採用して、専門の裁判官でないものを参加させてはどうか、そうすれば控訴、上告するものが減少して行くのではないかと思います。わが国では上訴権が濫用されている、乱上訴の弊がある。この乱上訴の弊を押えなければ問題は解決しないという議論があります。確かに統計上わが国の上訴率はイギリスのそれに比較して相当高いし、そうして破棄率は低いのであります。しかし陪審制をとる国の上訴率、破棄率と、陪審制をとらないわが国の上訴率、破棄率とを比較するということは当を得ない。上訴権を濫用するものもあるでありましようが、やはり裁判そのものを十分納得のできるものとすることが必要である。私はただちに陪審制をとることを主張するのではありませんが、少くとも第一審の裁判をきわめて軽微なものを除くほかすべて合議制にしたい、そうすれば上訴率はおのずから減少するであろう、かように考えております。  大体一通り私の所見を申し述べたのでありますが、なお御質問でもございましたらあとで伺いたいと思います。

小林錡自由党

○小林委員長 それでは下飯坂、それから垂水両参考人に続いてお願いしたいのですが、お二方に対しましては、多分お手元にすり物かお届けしてあると思います。  一、下級裁判所における司法行政事務の処理方法について実情を承りたい。  二、司法行政事務の処理方法について、新旧両制度を比較した場合、現行制度について改善を要する点があれば承りたい。特に司法行政事務は裁制官会議の議により行うという現行制度については、責任の所在を不明確ならしめるという批判もあるようであるが、この点についてはいかに考えられるか。  三、下級裁判所における実務の経験に照らし、上告制度及び最高裁判所の機構をいかにすべきかについて御意見を承りたい。  四、現行法のもとにおける控訴審、特に刑事控訴審の手続をいかにすべきかについて御意見があれば承りたい。  五、刑事上告の範囲を「判決に影響を及ぼすべき法令の違反」というように拡張した場合、控訴審及び第一審の手続は現行のままでよいか、それとも何らかの改正を要するものと考えられるか。改正を要するとすれば、その要点を具体的に承りたい。  六、最高裁判所裁判官の任命方法の改普について御感見があれば承りたい。  七、その他の批判官の任用制度、特に判事補及びいわゆる特任判事の制度について御意見があれば承りたい。  これらの点に触れてお話が願えればけつこうですが、その他一般の御意見を御遠慮なくひとつ御開陳願いたいと思います。まず垂水参考人からお願いいたします。

垂水克巳東京高等裁判所長官

○垂水参考人 私の意見を申し上げます。一の問題でありますが、下級裁判所の司法行政は、裁判官会議か最高機関として行うものでありますが、その裁判官会議の議によつて最高裁長官なり下裁の所長なりがこれを実地に施行することは法律にある通りでありまして、この通り実行しております。それで裁判所にとつては裁判所の自主性、裁判の独立のためには、どうしても裁判官会議の議で決定しなければならないという必要的事項があると考えます。それは自分の裁判所の民事、刑事各部の組織は、どの裁判官によつてどういう事柄を扱うようにするかということをきめること、それから裁判官の事件を担当する順位はどうしてきめるか、どういう事件をだれが担当するか、また裁判官が病気等の事由によつて勤務することができない場合には、他の裁判官のだれが彼を代理するか、こういつたようなことをきめなければなりません。これはその裁判所だけでほかからの干渉を排斥してきめなければならない。というのはあの裁判官は前にこういう裁判をやつたことがあるから、あの裁判官にはこういう裁判はやらないようにしてもらいたいといつたようなことを、外部でかりにそれが上級裁判所でありましたとしても、外部からきめられるということは、やはりいろいろな意味の外部の干渉が裁判所の構成に入つて来る。そしてある裁判官はどうしてもある秘の事件は担当させられない、あるいはある種の事件ばかりを担当させられるといつたようなことが起つて、そこに裁判機関の公正が疑われるようなおそれが発生するかもしれない。そういうわけでありますからこういう問題は裁判官会議できめられなければならない事柄だと思います。それからなお裁判官会議のあり方をきめる、あるいは裁判官会議のかわりに常置委員会といつたような委員会を設けて、それにはどういう仕事をさせるか、または長官限りで、あるいは所長限りでやつていることはどういうことにするか、その委任事項をどうするか、こういうことも裁判官会議できめなければならない。あるいはまた下級裁判所のその裁判所限りで使つておる職員の任免を決定する、あるいは懲戒をするという問題をどうするかは裁判官会議できめる。そういうことは必然的に裁判官会議にまかされなければならぬことだと思います。今日では裁判官会議で、一々小さい問題まで取扱うということはいたしません。大体は長官、所長に一任するというところもありますし、一任しておる事柄が非常に少い裁判所もあります。それから最高裁判所では裁判官会議で事柄を決することは当然でありますが、決するについては最高裁判所事務総局の意見を徴したり、あるいは下級裁判所ことに高等裁判所長官の意見を徴したりすることが相当あるのであります。これは下級裁判所の裁判官会議の意見を徴するのではなくして、長官一人、所長一人の意見を聞くという場合が相当多いのであります。たとえばある人を甲の裁判所から乙の裁判所に転任させる。これについては高裁長官の上申によつてそれがいいか悪いかをきめる。あるいは昇給をさせる合に一定の基準を示すが基準にたれが当るか、そういう問題についても高裁長官の意見を徴するということがあります。こういう意見を徴することは最高裁判所では下級裁判所の裁判官会議の意見を徴しなくて長官一個の意見を徴するのであります。その理由は裁判官会議でだれが転任するか、われわれのうちのだれが今度は昇給するかということをきめることは、自己の利害に関係することでありますから公正な意見が吐きにくい。そういうわけで長官限りの意見を求めるのだと思います。ただ司法行政では人事にしろ会計にしろ大事なことは、あることを決定することでなくしてこれを実行することであります。一人の判事が東京裁判所に足りなくなつた、これを埋めるにはどうしたらいいか、外部の弁護士等有資格者を判事になつてもらうように交捗してみる。あるいはほかの高等裁判所あるいは管内の地方裁判所、家庭裁判所に適当な人がいないかどうかをほかの高裁長官、地裁、家裁所長に交渉する。そうして本人にも交渉する。本人はいろいろな理由で転任を希望したりしなかつたりする。そうするとまた次の人を物色する、そういうような仕事は非常に時間も要し骨も折れる。会計事務の処理でも同様であります。それでそういう事柄には裁判官会議は高裁にしろ地裁にしろあまり関係しません。それからまた高等裁判所では下級裁判所の判事を高等裁判所判事の代理として職務代行をさせることができるように裁判所法ではなつております。これは常置委員会でいろいろ人を物色してきめるのでありますが、たとえば高裁の判事の欠員を常置委員会にはかつてだれで埋めるかということを相談しても、東京高裁の裁判官は、たとえば福岡とかあるいは仙台に東京高裁の判事として適任である人があるかもしれぬが、それを必ずしも知つておるとは言えないのであります。結局最高裁判所が全国的視野において適任者を求める。それで最高裁から各高裁に適任者を物色方を求めるということになるのだと思うのであります。裁判官会議そのものの制度は、これは悪いとは申されないのでありますが、これの運営に当る裁判官がきわめて適切なる司法行政の見識、能力を持つておるかというと、必ずしも理想的に持つているとは言えないのであります。大体無関心であつたり全体のことがよくわからなかつたりするという傾向もあります。あるいは自分のことあるいは自分の裁判所のことはわかるがほかのことはわからない。自分の利益を考えるということでもありませんが、自分の裁判所と自分の部の都合ということがとかく先に考えられるという場合がなきにしもあらずであります。それでたとえば高等裁判所で民事部をふやすべきか刑事部をふやすべきかというような問題になりますと、民事裁判官の意見と刑事裁判官の意見とがまつたく対立するという場合があるのであります。地方裁判所でもそういうことがあります。あるいはまた地方裁判所の裁判官と家庭裁判所の裁判官とを一人の人が兼任しておる場合において、その人にどちらの仕事をやつてもらうかということになりますと、家庭裁判所では家庭裁判所の仕事をたくさんやつてもらいたいと考え、地方裁判所の裁判官会議では地方裁判所の仕事をたくさんやつてもらいたいと考える。そういう場合にも両者の裁判官会議の意見は一致していないのであります。でありますから、そういう問題になつて来ると、裁判官会議の決議で当を得るということが必ずしも期待できない。何らか最高裁判所あたりで調整するということの方法が考えられなければならないかと思うのであります。しかしこれは裁判所の自主性という面からいつても非常に喜ばしくないことであります。そういう困難な問題もあります。しかし大体この司法行政の仕事は、あるいは会議を行うとか、研修を行うとか、いろいろなことがありますが、毎日々々動いて行くものでありますから、大きい裁判所では年に二回しか裁判官会議を開かない、あるいは月一回しか開かないといつたようなことでありますから、裁判官会議が司法行政を一々見て行くということは実際効果が上らない場合が多いのであります。裁判官会議は、たとえば府県、市町村の議会が最高機関であつて、知事、市町村長がその執行機関であるけれども、それに相当の執行権が与えられておるように、所長、長官にも相当その権限を与えたらいいのではないか。しかしこれを与えることは、でき得ればその裁判所の裁判官会議でその裁判所の状況に応じて与えるということが望ましい。少くとも最高裁判所の方で与えることが適切ではなかろうか。別に法律でそれを規定する方法は、適切な方法は考えられない。こういうふうに考えております。  次は第二番についてであります。司法行政の改善の点は、半分は今申し上げたようなことになりますが、責任の所在という問題について、ときどき考えることは、たとえばこういうことは説明として考えるだけであつて、実際にそういう傾向があるわけではありませんが、たとえば裁判所の廷吏が無断で欠勤して映画を見に行つておつたためにとうとうその日の公判が開廷できなかつたという場合は、これは懲戒すべきものであると思いますが、思うと仮定しまして、それを裁判官会議の議に付して、裁判官会議で懲戒しなかつたという場合にはどうともならぬわけであります。これがたとえば一般行政官庁の長が任免権、懲戒権を持つておるような場合には、たとえば検事正であるとしますと、検事正はこれを懲戒することができる。そこでこれを懲戒しなかつたことについても、また検事正自身が懲戒を受ける限りにおいて責任は負うものだろうと思います。また反対に、たとえば検事正が憲法ないし国家公務員法あるいは労働法の精神に反するような方法で、職員を懲戒あるいは不利益処分をしたとします。こういう場合にはそういうことをした責任を問われます。これは個人ならば問われますが、これが常置委員会であるとか、裁判官会議でやつたときには、その責任の問いようがないと考えられます。そういう意味で、裁判官会議のメンバーが自己の責任において不利益処分をするということにならないところに、やはり真剣な態度というものが、会議体の場合には幾分薄められるのではないかと思います。そういう点については、やはり最高裁判所で何らかの規制方法をなすことがよいのではないかと考えます。  三審、裁判所の機構は今日のままではどうしても事件が片づかないのだろうかということを私は疑つております。このままで最高裁判所はよいという考えの裁判官もあられるようでありますが、それならば最高裁判所が三年計画でも立てて、第一年目にはこれだけの事件を片づける、第二年目にはこれだけの事件が来るが、これだけの事件は片づけられるといつたような案を立てておられるのか、そういう点がわからないので、具体的な案を示さない限り、現状のままで何もしないでいいかどうかはわからないのであります。私の考えによれば、調査官の陣容を強化することによつて、何とか方法ができそうなものではないかと思いますが、それは最高裁判所ではどういうふうに考えておられるのかわからない。今日のところではそういう状態でありますから、一昨年から去年にかけての状態のままであるとすれば、最高裁判所が理想通りに、静かに十分に重大な法律問題を判断するという機能は行われがたくなるのではないか。そこで改正の案といたしましては、まず最高裁判所の裁判官を増員する。そしてこれに裁判官会議にも参加し大法廷にも参加する権限を与え、全部国民審査を受けしめる。但し待遇はすべてを認証官としなくてもいい、そういうふうな案であるならば、これは憲法の精神に触れないと思うのでありますが、もし最直截判所の裁判官のうちに裁判官会議にも参加できない、大法廷にも参加できないといつたような種類の裁判官を入れるとするならば、これは憲法上疑いがあるように私は思います。もしその疑いがない、憲法違反の疑いがないということであるならば、この制度はよい制度だと私は考えます。そうしてもしこの制度が実行できないならば、各高等裁判所でした判決に対する上告については、上告適法の理由があるかないかということの審査を原裁判所すなわち高等裁判所でする。但しそれは他の裁判官あるいは他の部でその上告適法の理由があるかないかの審査をすべきものとする、こういうことが実際において役立つのではないかと思います。上告適法の理由がない上告事件というものは、全上告事件のうちの六〇%をも、七〇%をも占めておるということでありますから、これを原裁判所すなわち高裁で最高裁判所へ行かないように棄却してしまつても、実際上はさしつかえないものだろうと思うのであります。  しかしそういう上告適法のないような上告がそんなに多いということ、そうしてそのために最高裁判所に事件がたまるんだということを国民がよく認識して、そういうことならば高等裁判所限りでその事件を排斥してもかまわないというように考え、かつ高等裁判所の裁判官をも信用するならば、この立法は適当だろうと考えるのでありますが、そういう信用が得られないのに無理押しにこの制度をするということも実現は困難かと想像いたします。最高裁判所に乱上訴をしてはならないということが言われておりますけれども、私は乱上訴というものはそんなに心配する必要はないので、乱上訴の方はむしろ明白にこれを棄却する裁判をすることがきわめて簡単にできるのでありまして、乱上訴としてしりぞけるべきかべからざるかということを考えるようであるならば、これは上告の理由の値打ちがあるのでありますから、乱上訴をすみやかに棄却あるいは却下することの方がたやすくあり、それは早くすべきであるし、かつそれはできるのだと考えます。そういうわけでありますから、結局私は高等裁判所の上級審をして、最高裁判所の下に新しく上告裁判所というものをひとつ東京に設ける方法しか考えられないのではないか、こう考えます。大体第一審の刑事裁判がこれでよいかどうかという問題につきましては、まず第一に、その裁判が事実の誤認がないかどうかということが問題になります。これは上級裁判所の裁判官も考えることでありますし、国民もきわめて大切な問題として考えるところであります。そこで私は、控訴審は事後審査審とする現在の立法の建前を維持しつつ、一方にはもう少し進んで高等裁判所が事実審理をしてみる必要があると思つた場合には、職権で事実審理開始決定をすることができる道を開くべきであると考えます。そうしてこの方法をかなり幅広く用いるのがよいと考えます。しかし控訴申立書を一通出しただけで、高等裁判所では必然的に全面的事実審理をやり直さなければならないとするような覆審制度は、迅速裁判の要請上不適当だと思います。その理由は、まず第一に、西洋では陪審裁判が重要な事件において行われておりますが、陪審裁判では事実審理は第一審で一度するだけであります。上級審で二度目の陪審裁判で事実審理をしてみたところで、二度目の陪審の顔ぶれが一審の顔ぶれよりもすぐれておるということはさまつていないのでありますから、あとの陪審裁判がよいということはいえない。その意味において陪審裁判は一回限りしかやらないとなつております。  第二の理由は、現実の問題としましてわが国の第一審の審理がおそろしく長くかかる事例か全国的に今日ではたくさんあるようです。これは法廷闘争のためのものが多いのでありますが、多数被告人の事件事案内容が多数であり、複雑困難なためのものも相当多いのであります。第一審で三年半もかかつた事件を高等裁判所でまた審理して、さらに二年あるいはそれ以上かかるというような事例が考えられます。ある事件では現在昭和二十九年の七月に起訴事実、原判決において問題となつておつた事実を調べておりますが、その事実はいつごろの事件であつたかというと、昭和二十一年から二十三年にかけての幾つかの事実であつたということであります。第一審、二審に合計五年も六年もかかるといつたような事例があり得る、こういうのでは判決が確定するのには七年も八年もかかる、これではたいがいの戦争でも済んでしまう瞬間であります。  第三には、第一審では交互尋問方式を用い、かつ自白があつても他の証人や証拠を調べて丁寧な審判をします。この方法を控訴審で繰返すことは控訴事件の従来の控訴院時代よりも一層大きな遅延を来す原因とたると考えます。  第四に旧時代には控訴院で審判した事件はほとんどみな第一審の公訴前に予審判事による予備審理、すなわち予審がありまして、これによつて事実の点でも法律の点でもむだなものを除去され、必要な取調べが補充せられ、かなり行き届いたものが多くあつたのであります。従つて控訴院での審理の問題点がかなり狭められることができておつたのであります。かつ予審経由事件は重大事件でありますから、控訴院に係属する事件数は少なかつたのであります。非常に多くて、もうこれでは破産しそうだといつたようなときにも七十件、七十五件程度であつた、それ以上の事件は持てなかつたのであります。今日のように多数の第一審の単独裁判官の判決した事件が全部高裁の事実審理にかかるということになりますと、今日最高裁判所に事件がたまつておることが大きな問題になつておるようでありますが、今度は高等裁判所に事件がたまつて勾留されておるものが相当あるといつたような問題が大きな問題になつて来はしないか。しかも高等裁判所の裁判官は、判事補でなく判事でなければならぬのでありますから、急に人的資源をふやすことはできないのではないか。それから高等裁判所を第一審に対する事後審査審とすることを本位としても、職権で事実審理開始決定をする。もと大審院で事実審理開始決定をして、事実の取調べをして、公判で覆審をやつた、そしてみずから本案の判決をしたというような方法をここにとつたらよいのではないか。それで現在東京高等裁判所で判決をしたすべての事件のうち、事実を取調べた事件はどのくらいあつたかというと、原審が地方裁判所、簡易裁判所いずれも合わせまして、昭和二十七年には三・九%、それが昭和二十八年には九%になつております。これをだんだん押し広めて行くことによつて、全面的覆審の制度の困難性を避けることができるのだろうと思います。高等裁判所の裁判官としましても、やはり記録を見てこれはほんとうに犯罪をやつたかどうかということが心配になつて来ますと、どうしても事実を調べなければならぬのであります。ですからそういう傾向が一審の裁判官が怪しい場合にはだんだんふえて来ると思うのであります。  今日の第一審裁判所は単独裁判でたいがいの事件を片づけております。しかしこれを先ほど小野先生のおつしやつたように合議体の構成にするということが必要であり、望ましいことと思うのであります。今日東京地方裁判所の本庁及び八王子支部を含めまして、昭和二十九年中に、五月現在で既済した事件のうち、単独裁判官がやつた事件は四千八百二十一件、合議体でやつた事件は百三件、合議事件が一件で単独事件が四十八件、こういうような状態になつておりまして、元の地方裁判所と比べて単独事件を控訴審に来て全部覆審にするということになりますと、おそらく今より三倍くらいの判事の陣容が高等裁判所には必要になるのではないか、そうしてその事件の進行は、遅々として進行しないことになるのではないかと考えます。それで事件の進行が非常におそいのを、英米のようにおそろしく敏活にかえることはできないと考えます。そうしますと一つの事件に二十回、三十回、百回、百二十回というふうにかかるようになつて来ますと、これを三人の裁判官のうちに一人を、しろうとの人を参審員にする、参審制度にするということになりますと、その一人のしろうとは裁判所にときによると二十回、三十回と出て行かなければならないということになりまして、その人の半年、一年の間の事業には大きなさしつかえを生ずる場合がありはしないか。これは抽籖によつて選任されるのであります。そういうことを考えますが、何らかの方法のもとに合議制にする、それが一定の条件のもとに参審制にされるということも私は異存がないのでありますが、一審を強化するということによつて、控審訴は続審とする。そうして上告裁判所を設けて、この上告裁判所は全国に一つとして、これを各高等裁判所所在地に支部を設けるということはしないで、そこで一切の法律問題を取扱う。このうち憲法違反、判例牴触あるいは重要な法律問題に違反するものは最高裁判所にまた上告ができるというようにしてはどうかと考えます。法律問題は憲法問題に限らず重要な問題があります。たとえば公序良俗というようなことはどういうことか、あるいは家屋明渡しを請求する理由となる正当な事由というのはどういうことをいうのか、あるいは刑法三十五条にいう正当な行為というのはどういうものか、あるいは因果関係というものはどういうものであるかといつたような問題になりますと、これは憲法問題と同様に憲法以前の問題あるいは法哲学の問題であるといつたようなこともたくさんありまして、これが最高裁判所の判断にかからないということはおかしいことだと思います。それから判例牴触の問題でありますが、判例、牴触を上告の理由とするにかかわらず、すべての法令違背を上告理由としないのはおかしいということは、小野先生のおつしやつたようにも考えられますけれども、判例牴触というのはそういう意味でないと解してもいいのではないか、つまり判例が牴触するということは、二つ以上の裁判所に意見の相違がある、これはどつちにきめたらいいのか、最高裁判所にその法律問題をきめてもらいたいという、結局判例の問題としてではなく、やはり法律問題、法令の解釈問題ということに帰着するので、法律解釈問題として、それが事の大小にかかわらず、判例が牴触しておるくらいであるから、最高裁の判断を仰ぐということにすることに意味があるのではないかとも考えるのであります。  四については以上がおおむね私見であります。  五の問題でありますが、これもまた判決に影響を及ぼすべき法令の違反がすべて上告の理由となるということになりましても、前に申しましたように、上告というものをすべて上告裁判所か最後には最高裁判所が判断するということになれば、法律問題一切は判決に影響を及ぼすものが判断される機会を持つのであります。  六、最南裁判所裁判官の任命方法の改善についてはあまり確とした意見を持つておりません。最高裁判所裁判官任命諮問委員会を設けられて、必要なる裁判官の員数の二倍なり三倍なりの候補者名簿を内閣に出して、そして内閣がその権限と責任において発令される、そういう方法がよいのではないかと考えます。  裁判官の任用に関する問題でありますが、今日法曹一元という議論が久しい以上から出ております。弁護士の経験ある者が裁判官になるようにするのがいいということはけつこうな議論でありますが、これを実行するにはどうしたらいいか。私は方々の大学の法学部門の卒業生が争つて裁判官や弁護士を志望するようになる時代が来ることを、新しい憲法の時代には、法治国のわが国の国情のもとにおいては、望みたいと思うのであります。それには裁判官の待遇を優秀者を裁判所に吸収し得るようにしなければならぬ。そうしなければ大学からも、弁護士界からも裁判官になつてもらうことはできないだろうと思います。しかしそういうふうにすることは国家公務員の給与体系上これはまた不均衡なことではないかということを考えますと、これは非常にむずかしいことだと思います。弁護士の中で裁判官に適任な方はたくさんおられます。最高裁判所の裁判官に適任の方もたくさんおられます。問題はその適任な方が裁判官になつてくださるかどうか、裁判官になる辞令を承諾されるかどうかということであります。それには自己の生活を犠牲にして裁判官になるほかないという方法を除去しなければだめだろうと思います。その方法はやはり優遇ということにある。優遇ということは役人の給与体系上むずかしいことであると思う。どうしたらいいか、戸惑わざるを得ないわけであります。  それから特任簡易裁判所判事の問題でありますが、これは全国簡易裁判所判事のほぼ半数を占めております。これがいわば事件の半分を決裁していると考えてもいいのであります。これを十年の任期終了を待つて全廃する、そのかわり新しく全国簡易裁判所判事の定員の半分を満たす、そしてそれは有資格者をもつて満たすことにしましても、人的資源がただちに得られるかどうか。簡易裁判所というものは昔の区裁判所よりもずいぶんいなかにあり、離島にあるものもあります。東京で言えば、八丈島、三宅島、新島という所にありますが、そういう所に有資格者に行つてもらえるかどうか。非常に寒い所、不衛生な所、陰鬱な所、そういうところに有資格者、ことに弁償士から出た有資格者に行つてもらえるかどうか、法曹一元ということができるかどうかということにつきましては、人的資源の関係からいつても非常に私は困難ではないかと思います。なおその資格ある法律家である人が簡易裁判所の判事になつておりましても、これ全部そろつて優秀であるというわけにも言えない場合もあります。健康の程度あるいは年齢の点で十分に仕事に打ち込み得ない、あるいは熱意が落ちて来るといつたような場合が想像できるのであります。  これをもつて一応意見を終ります。

小林錡自由党

○小林委員長 それでは下飯坂参考人にお願いいたします。

下飯坂潤夫名古屋高等裁判所長官

○下飯坂参考人 下級裁判所におきます司法行政事務の処理方法一、二の問題につきましては、垂水長官よりお話願いましたので、私は蛇足を付するような程度で申し上げたいと思います。申し上げるまでもございませんが、下級裁判所におきます司法行政事務は、裁判所法の建前によりまして裁判官会議これを行うということになつております。しかして下級裁判所事務処理規則第二十条によりまして、司法行政事務の一部を裁判官会議の議によつて裁判官会議を組織する一人または二人以上の裁判官に委任することができることになつております。さような建前になつておりますので、下級裁判所は実際のところ裁判官会議が直接司法行政事務を処理いたしてはおりませんので、裁判官会議の議によりまして常置委員――大体常置委員と称しておるようでありますが、常置委員会に司法行政事務の一部を委任し、またさらにこまかいことにつきましては長官、所長に一任をいたしておるということに相なつておるのであります。きわめて重要なる司法行政でありまして、ただいま垂水君より申し上げましたように、単に裁判事務の分配あるいは裁判官の代行というようなことになりますと、裁判官会議で処理いたしますが、こまかい人事のことなどは常置委員会がこれを決定してやつております。さらにまた雇員を雇うとか、あるいはタイピストを雇うというようなことになりますれば、所長または長官の意思によつてこれを決定するということに相なつておるのであります。この一、二の御質問の要点は裁判官会議の運営が一体うまく行つているのかというような点におありじやないかと私考えておるのでありますが、考え方が間違いましたらお許しを願いますけれども、裁判官会議の運営は非常に活発なところもあり、また調子の低いところもございますが、またあるところによりますれば裁判官会議をもてあましているというようなところもきわめてわずかではございますがあろうと思います。しかしそのほかのところにおきましては大体うまく行つているのではないかと存ずるのでございます。世間では誤つた観察をなさる方がございます。裁判官は裁判官会議に非常に興味を持つて、あるいは極端に申しますと、これに没頭して裁判事務をおろそかにしておるのではないかということを申されるのでございますが、さようなことは絶対にないと存じます。裁判官会議というものはそうやたらに開けるものでもございませんし、また実際年に一度か二度であります。また常置委員会にいたしましても月に一、二回、多くて三回ぐらいのところでございましよう。そのために裁判事務に支障を生ずるというようなことはございません。ただ高等裁判所によりましては支部を二つも持つている広島のようなところがあります。また福岡の高等裁判所のように支部を遠隔の地に持つておるところもあります。かようなところでは裁判官会議に非常な費用を要する。それが頻繁に開かれなければならないということになりますると費用にたえられない。そういう方面から裁判官会議の弊書というものが強く指摘されておるものと存じますが、それも当該裁判班の内部規則によりまして、あるいは常置委員会の運用のいかんによりまして適当にやつて行けば、さほどの弊害も感じられぬのではないかと思うのであります。裁判所法施行の当初は裁判官会議というものの運営がとかくうまく行かなかつた、もたついた感じがなきにしもあらずでございました。今日なおそのあとを引いている裁判所もないとは申されません。現にぐちをこぼしておられるところの長官、所長もございます。しかしそれはごく少数で、現在は大体におきまして数年の試練を経過いたしまして、裁判官会議というものは軌道に乗つておるのではなかろうかと考えるのであります。裁判官会議の長所は長官、所長の独断専行を牽制するに非常にいいところがあろうと思うのであります。戦争前にはよくワンマン式の控訴院長、所長というものがいたようでございますが、今日ではさようなワンマン的な傾向をいたしたくもなかなかできない。長官、所長にやはり反省というものの機会を絶えず与えるというようなぐあいでございまして、そういう意味で裁判官会議というものはよい一面を持つておるのではないかと考えております。また裁判官会議で決したということになりますと、課内での徹底の度合いが違うのであります。たとえば局長、課長を任命いたすにいたしましても、われわれ任命権はございません。最高裁がいたすのでありますけれども、最高へ上申をいたしますと、最高において大体われわれの意見を採用してくれますが、局課長の任命にいたしましても、上申にいたしましても、あるいはまた局課長の住宅の配分というようなことにいたしましても、またごく下級職員の採用にいたしましても、あるいは配置がえというような問題にいたしましても、裁判官会議で、あるいは常置委員会で決定したということになりますれば、課内の者はこれに承服いたすのであります。この点裁判官会議というものは非常にいい制度ではないかと思つている次第であります。  以上の次第でございまして、最高裁判所のことは私どもかれこれ申し上げることはありませんが、下級裁判所に関する限りは裁判官会議の制度をやめるというほどの投階には至つておらないのではないかというふうに考えている次第であります。  次にこの問題に関連いたしまして失礼でございますが、かような点がお聞取りになりたいのではないかと考えたのでございますが、長官、所長が裁判事務をとるかたわら、行政事務をうまくとることができるか、あるいはまた逆に行政事務をとるかたわら、裁判事務が十分にできるかというような点に御質問の一端があるのではないかと考えた次第でございます。現在のこの裁判所の制度の精神は長官、所長といえども、みな裁判官として実務の一線に立つべきものである。それがこの制慶の精神である、こういうふうになつております。これは動かしがたいところのりくつであろうと思います。しかしながら実際論といたしまして行政事務を負担させられておりまする長官、所長は一般裁判官並にはとうてい実務に携わることはできません。それをやれと申しましても、これは不可能をしいるものではないかと存じます。しかしながら現在の実情を申しますると、長官、所長といえどもごく例外はございましようが、法律の精神にのつとりましてある程度の実務をとつております。私どもの管内におきましても所長各位はやはり裁判事務の一部を裁判官会議の決定によつて負担いたしておる次第で、またそれを実行もいたしております。私も何ほどか実務をとらせていただいて、法廷に立つておる次第であります。さような次第でございまして、長官、所長が行政事務の責任者たるのゆえに裁判事務をとらないというようなことは、現在の実情といたしましてはないものと御了解をお願いいたしたい次第であります。  次に責任の所在の問題でございます。論者は、裁判官会議が責任の主体であり、そのゆえに責任を追究する場合とかく責任の所在がぼけてしまうのじやないか、こういうお考えのようであります。私は法律の解釈といたしましても、裁判所法によつて裁判官会議の総括者とせられておりますところの長官、所長――裁判所法に裁判官会議を総括するとうたつてありますが、そういう総括者とせられておりますところの長官所長が、やはり終局の責任を負担すべきものと考えておるものであります。従つて何か不祥事件、たとえば会計の使い込みというようなことが勃発いたしました際は、その直上の会計課長が責任を負うのは当然でございましようが、長官所長といえどもその責任の一端を免れることのできないものだと考えておるのであります。それで総括するという法律の文句はいろいろ解釈の仕方がございましようが、私はその総括するという意味を、単に総括するという権利という意味だけでなくて、その義務をも負担するのだ、行政事務の最後の義務をも負担するのだという意味合いに読みたいのであります。私はかつて会計課の一雇員の金銭の使い込みの責任を所長に背負つてもらいました。そうして懲戒裁判所の一員といたしまして積極説に賛成しました。そして当該所長を戒告いたしたことがあります。非常にいろいろ議論の対象にされたのでありましたけれども、その場合にその裁判所の内部規則で雇員の採用、任命は所長の権限にあるものといたしておりましたので、その規則も責任の所在をせんさくするについて一つの資料となつたのでありまするが、私は内部規則の有無にかかわらず、裁判所法の二十条、二十九条、三十一条の五等の解釈及び下級裁判所事務処理規則第二十一条にこんな条文があるのであります。「高等裁判所長官、地方裁判所長及び家庭裁判所長は、所属の裁判所の監督に服する裁判所職員に対し、事務の取扱及び行状について注意を与えることができる。」と規定してあるのであります。従つて会計課の雇員が金銭の使い込みをしたというような場合には、やはりそういう注慮を与うるについて遺漏があつたというふうに解したいのであります。さよう解釈いたしまして、私は長官所長にも末端のそういう不始末についての責任をとらすべきものであるというふうに考えておるのであります。さような解釈のもとに適当な処置をとらなければ、裁判所内の秩序はとうてい保ち得ないものと考えておる次第であります。  次に、三の問題について申し上げます。「下級裁判所における実務の経験に照し、」とありますが、「実務の経験に照し、」といいますると、申し上げることがごく狭くなつて参りますので、いささか意見をつけ加えて申し上げる機会を賜わりたいと思うのであります。非常に牽強附会なことを申し上げるようでありますが、憲法の三十二条には、何人も裁判所の裁判を受ける権利を奪われることなしという条文があるのであります。基本的人権の一つとして、そういう条文があるのだろうと思います。この条文はいろいろな解釈の材料にされるようでありますが、その示唆するところは、非常に遠大な、深いものを持つているのではないかと思うのであります。調停委員が裁判をしてはならぬ、調停委員の裁判を受けてはならぬ、調停委員にはそういう権利がないなどということも、この条文が根拠になつて出て来ると思いますけれども、その示唆するところは、私はこういうふうに考えたいのであります。国民は裁判所に応える権利がある、事実審なら事実審また法律審なら法律審の建前に従つて自由に訴える権利がある、こういうふうに考えたいのであります。それで、私近ごろの上告制度の改善論について考えておるのでありますが、この問題を取扱うについて二つの考え方があろうと思うのであります。一つは門戸開放主義であります。一つはしからざる正義であります。門戸開放主義と申しますると、どんな上告でも上告審の性格に応じた上告であるならば、これを受理して裁判しなければならぬ。門戸非開放主義でございまするならば、その上告に制限を付すべきである、そうして乱上訴というものを法律でもつて撃退すべきだ、こういうような意見のようであります。しかし、私考えまするに、乱上訴なりやいなやは、具体的な事件で乱上訴なりやいなやを当該裁判所が決定すべきものであつて、法律でもつて一線を画して乱上訴なりやいなやということをきめることは、ただちにもつて憲法の示唆する精神に非常に反するのじやないかというふうに私考えておるのであります。さような考え方から申しますると、上告理由は、法律違反を理由とすべきものはすべてこれは許さるべきものと私は考えております。さような考え方をとりますると、現在の最高裁判所でまかない得るであろうかという問題になりますが、これはとうていまかなえない。現在の上告理由をしぼつてある場合におきましても、事件が山積して、その煩わしさにたえないような御様子でありますので、とうていこれは不可能である。そこで小野先生、先ほど司法官僚というようなことで仰せになりましたが、私ども司法官僚の意見を代表するものかもしれませんが、上告裁判所は別に設けろとは決して申しません。上告部を東京高等裁判所に設けて、そうして法令違反を理由とする本来の法律審が取扱うべき事件をそこで取扱わせてはいかがか、こういう見解を年来持つておるのであります。今日最高裁判所の事件が非常にふえて、そうして処理にお困りのようなことは、はなはだ自慢がましいことを申しますが、私は数年前すでに予見しておりました。それで数年来東京高等裁判所にひとつ上告部を設けたらどうかということを申しましたが、一顧にも値せざるようなお取扱いを受けて参つたのであります。しかしながら今日に至りますると、私自分ながら自分の予見が当つたことを内心ひそかに誇りといたしておりますが、こういう事情のもとにおきましては、下級裁判所に上告部を設ける以外に手がないのじやないか。小野先生は最高裁判所の増員をしたらいいじやないかというような御趣旨の御意見を聞かせていただきました。しかしこれは国民審査の問題に関連いたしましたり、あるいはいろいろな関係を持つのでどうかと思いますが、私をして言わせていただきますならば、予算的な措置が一体どうなるのか。最高裁判所の判事を十五人もふやして予算が一体どれだけのものになるか。単に俸給だけではございません。官舎をどうするか。そういうことになりますと、とてもやれない。それよりもその予算でもつとやつていただくことがたくさんあるのじやないか。そこで、ここでひとつ裁判所機構を全体的にながめまして、私は私の議論を進めたいと思うのであります。  先ほど小野先生も垂水君も仰せになりましたが、一審の裁判所を強化するということは、これはわれわれの年来の裁判所の一つのお題目になつておるのですが、一審の裁判所を強化するというのは、いろいろな方面で質を高上させるということもございましようが、何よりも私どもをもつて言わしめていただきますならば、合議体にするということであります。今日の訴訟の欠陥は何かと申しましたならば、すべて手不足のために、法律の建前がそうなつておりますが、その手不足のゆえに合議体ができない。単独制が原則として施行されているということであります。合議体にしないで単独制にしているために、当事者は一体それでどれだけ不満を感ずるかということにお気づきを願いたい。また反対に合議体になつたならば、当事者はどれだけその裁判に承服するであろうかということをお考え願いたいと思うのであります。それで合議体にするには一体どれだけの判事がいり、どれだけの費用を要するかと申しますと、これはもうたいへんなものであります。それで私どものしていただきたい点は、まず判事を増員していただきたい。そうして合議体をつくるような建前をとつていただきたい。単独制をとつておりましても、今日は裁判官が不足で困つております。病人が至るところに出ます。その病人を補充することすらできない。かりにここに全国的な大刑事事件でも起きたというような場合を仮想いたしますならば――そんなことはないといいますけれども、一体どうするのか。私をもつて言わせていただきますならば、判事の予備隊をほしいくらいな状況であります。そういう予備隊をほしいくらいな状況、それはともかくといたしまして、とにかく単独制をやめていただきたい。そうして合議体にしていただきたい、そして合議体によつて一審を強化していただきたい、そうすれば上訴の数も少くなるのじやないか、こういうふうに考えておる次第でございまして、そういう最高裁判所の判事を増員するくらいの費用をもつて、まず一審を強化していただきたいと思うのであります。最高裁判所の判事を十五人増員するも、あるいは東京高等裁判所に上告部を置いて増員するも同じじやないかということを仰せになると思いますけれども、それは大分感じが違つて参ります。一々そんなことを申し上げる煩にたえませんが、これはたいへんな違いであろうと思うのです。  それからもう一つ、東京高等裁判所に上告部を設けるということに対する反論の非常な有力なものとして、最高裁判所が浮き上るということを申さるるのであります。しかしきよう私は表をいただいて実は驚いたのでありますが、そのために事件は少くなりましよう、事件は少くなりまするけれども、最高裁判所に係属する重要なる事件は決して減らないと思います。憲法に反するかどうかを判断するところの、最高裁判所の事件というものはどういう数かと申しますると、たいへんな数のようであります。そういう事件だけでもたいへんな数になつておるのでありまするから――これはあとで申しますが、最高裁判所に憲法裁判所たる性格をのみ認めようといたしましても、最高裁判所は重大な事件について判決ができるのでありまするから、決して浮き上るというようなことは、事件の上ではない。また何か特に最高裁判所がしなくてはならないというような、そういう重大な事件でありましたならば、最高裁判所がみずからこれをお取上げになればいい、あるいはまたピテイシヨンというような制度でも設けまして、特に最高裁判所の判断を求めたいというような重要な事件であつたならば、最高裁判所はそれをお取扱いになればいいのでありまして、そのために事件の上で最高裁判所が浮き上るというようなことは決してないと私どもは思います。いわんや司法行政事務の最高権力者としての地位を持つていらつしやる。何と申しましても最高裁判所が司法行政事務の中心ということになつておりますれば、やはり最高裁判所が本山のような重みは持つておられるのであります。われわれはやはり夫寺末社だけのものであります。それがゆえにその重みを失つて浮き上るというような憂いは決して生じないものであろうと考えるのであります。  それから四審制になるのじやないかという御意見、これは非常に有力だそうでありまして、世界にはそんな制度はないのだ、ばかなことをいえというおしかりをただちに受けるのであります。これは小野先生のお考えごもつともと思いますが、私はなはだ失礼なことを申しますが、小野先生はひとつ裁判所の実情をよくごらんを願いたいと思うのであります。この四審制になつて、そうして一体どれだけ事件が早く片づくか、現在の三審制になつてどれだけそれでおそくなつているかということにお考えを置いていただきたいと思うのであります。  かつての大審院のことを、ホームシツクみたいなことを申しますが、その大審院の判事というものは非常に勤勉でございました。御承知のようにふろしき包みをかかえて電車に乗り降りをして、そうして判決がどうかと申しますと、合議をなさる。合議をなさいまして中一日置きますると草稿がちやんとできて参ります。その草稿を裁判長が見て、合議の後に十日目には原本ができ上るというようなありさまであります。そういう裁判所があつたのであります。そういう裁判所を下級裁判所の東京高等裁判所に私どもはつくりたい。そうしてその判決事件を受けつけてから百日も二百日も、あるいは一年も二年もかかつて判決をするというのと、それで四審制になるのと、三審制の現状のままを保持するのと、一体どつちが人民の権利を保護するか。名目にとらわれて、四審制というのは世界にないということを仰せられて、国民の権利を伸張するような制度をなぜおとりにならない、なぜ御賛成にならぬかということを私は非常に疑問に思う。四審制度をとつてもいいじやないか。そのために憲法の言つているところの判決を早くしろというあの条文にかなう。これは刑事事件でございますが、条文にかなう判決ができたらどんなに憲法の精神が発揮されて基本的人権が守られるか。四審制度だからいけないということは私は実に理解に苦しむ。まつたくこれは西欧の学問にかぶれている議論だと申し上げる以外に手はないのであります。元の大審院のことを申しますと、そういう判事は私どもから言わせまするとおります。昔に還元する、復古調だからいけないとおつしやるかもしれませんが、その点はどんなに復古調になつてもいいのじやないか、私はそういう裁判官がまず数多くあるということを国会の方々に知つていただきたいと思うのであります。  それから最高裁判所の機構をどうするかという問題でありますが、そうなりますと私はやはり憲法裁判所にしていただきたい。これはまた憲法八十一条の精神にのつとつて、最高裁判所が当然に持つべきところの性格であろうと私は思います。そのために憲法問題について乱訴が起きるなんということを心配されるようでありますが、それは最初は起きましよう。しかしながら判例を一つ確立いたしましたら、そうざらに憲法問題で争いができるものではありません。一体どれだけ憲法問題で最高裁に上告するか、最初のうちこそふえるでありましようが、だんだん減つて行くだろうと思います。それで私どもの考え方によりますと、最高裁判所の判事を多くて九人、あるいは七人でもよろしゆございましよう、そういう判事だけで、碩学の人たちだけを集めて、そこでその憲法問題だけを処理する、ある重大な争訟だけを処理する、これでもう十分重みを持つて最高裁判所としての憲法上の性格を保ち得るのじやないか、それで一般の上告理由については、東京高等裁判所の上告部にゆだねる、そうすれば少しもその裁判所全体の重みにも影響がないのじやないかと私は思うのであります。やつてみていただかなければわかりませんけれども、私はそういうふうに考えておるのであります。国家財政の立場から、また人的資源の利用から考えまして、私はぜひひとつ上告部を設置していただきたい。それも各高等裁判所に設置せよなんということは申しません。東京高等裁判所に設置していただくだけでけつこうです。それで判例の統一も害しません。そういうふうに私は考える次第であります。  次に現行法のもとにおける控訴審、特に刑事控訴審の手続をいかにすべきかについて意見いかんという御質問でありますが、私先ほど申しましたように、これはとにかく私この前お呼出しを受けまして申し上げましたが、その訴訟の当事者になつてみなければ、訴訟の苦しみはわからぬものだろうと私ども想像いたします。私訴訟人にもなつたことはありませんし、被告にもなつたことはありませからわかりませんが、そういう人たちは何といつても不幸な人だと思うのです。そういう不幸な人に国家がやはりとことんまで手を与えるということが、政治の要諦ではないかと私思うのでありまして、いたずらに門戸を閉鎖して、控訴はまかりならぬ、上訴はまかりならぬということは、これはもう政治を考える人の考え方ではないのじやないかと私は思う。現在の控訴審は非常にきゆうくつであります。きゆうくつでありますから、門戸を開放しなければならないと思います。私どもの議論からいえば、そうなりますが、しかし現在控訴審を開放して、ただ無制限なままにもとのようにいたしましたならば、現在の裁判機構を全部やり直していただかなければできない、先ほど垂水君が申し上げましたが、昔は予審事件について控訴審があつたものです。私は刑事のことはよく知りませんが、昔の控訴審では被告人はもちろん、検事も裁判官もまるで血眼です。死刑になるか、無罪になるか、そういう事件ばかりやつたものです。非常にじめじめした空気のもとにあつた控訴院でありましたが、東京の控訴院というものはえらい大事件ばかりやつておつたと思います。そういう事件ばかりやるならば、むろん続審もやらなければなりませんし、それからやり直しもやらなければならないと思いますが、現在はタバコ三十個を盗んで来た、そういうようなもので控訴事件があるのであります。現に私どもやつておる。そういう事件まで控訴院で事実審をやるというようなことになつては、これはとてもたえられない。それで現在のような下級裁判所の機構でありますならば、控訴審は現在のようにいたしまして、そうして一方において事実審を開始することができるようにしておいたらどうか、こう思う次第であります。  それから刑事上告の範囲を判決に影響を及ぼすべき法令の違反というように拡張した場合、これは私から申し上げないでも、すでに垂水君も申し上げましたし、私今まで申し上げたことで大体御了解を願いたいと思いますが、これはこういうことになりますと、合議体にしなければならないし、また控訴審の構造もかわつて来ざるを得ないと考える次第であります。  それから六番目の、最高裁判所の裁判官の任命方法の改善について意見いかん、これは私ども興味のない問題で、これは下級裁判所の裁判官の気持を聞いていただきたいと思います。今日最高裁判所判事にだれがなろうと、下級裁判所の判事はほとんど興味を失つておるのであります。それは実際そうなんです。負け惜しみを申すのでありません。雲の上の人事です。そういうものに対して下級裁判所がかれこれ関心を持ち得ないのであります。一体そういう制度がいいか悪いか、いろいろ議論も出て来ると思いますけれども、裁判官を任命されるというような場合には、少くとも八高裁長官の意見を徴するぐらいのことはあつてもいいじやないか。私たちはそれが民主的なやり方でないかと考えます。しかしながらそれも私ども別にそうしてくれとは申しません。ただそういう最高裁判所の裁判官を任命するということについて、もう少し立法的な措置を考えられるならば、最高裁判所の裁判官の任命について、諮問委員会を元のようにしないで、そうして諮問委員会の中に裁判官もお入れを願いたいという考え方もありましようけれども、しかし裁判官がそういうことをすると、やつたことがないものですから、非常に興味を持つ。私どもかつてその選考委員を選んだときに、運動などして歩くことができまして、ちよつとどうかと思いました。それでもうそういうことも裁判官に不向きの親しまないことじやないかと思いますので、この裁判官の任命方法について、諮問委員会に裁判官を入れるというようなことについても、非常に熟慮しなければならぬ事柄だろうと思うのであります。この問題は私は今日初めてこのいただきました刷りものでわかりましたので、思いつきを申し上げる以外にちよつとなにがないのであります。この辺でごかんべん願いたいと思います。  その次に裁判官の任用制度、これは重水君も申されたのでありますが、在朝在野法曹一元化の精神、私非常にけつこうだと思います。それで在野法曹から続々裁判官になつていただきたいと思うのであります。ところが在野の法曹の御意向と申しますと、長官なら出て行く、所長でなければいやだ、こういうようなお考え、それではとても法曹一元化などということはできないのであります。それで今御承知のように、司法修習生を一律に教育しております。やがてはこの司法研修所の出身の在野法曹が至るところにできるだろうと思いますが、そういう人たちを任用することは私非常に賛成であります。そうしてそういう人たちは同じ自分の同輩、同じように研修を受けた人たちと一緒になつてはならぬというようなことは言わぬと思います。そういう人たちが来ていただくことは非常にけつこうだと思います。しかし現在の制度といたしましては、垂水君も言われましたが、俸給が非常に程度が低いというようなことで、なかなかおなりにならない。せんだつてもあることろで申したのでありますが、一体大事件でも起きたときに、在野法曹からも徴発しなければならぬのじやないか、そういう制度でも一体考えたことがあるかと私申したのであります。まつたくそういうことが起きた場合に、在野の法曹の皆様方の御援助を願うよりほかに手がないのであります。ところがそういう裁判官の任用制度が非常に不自由になつておるという点については、御一考を願いたいと思うのであります。  もう一つ、ここでその他の方へ入るのかもしれませんが、今年度でございましたか、判事を採用いたしておりましたのがわずかに四十二名でございます。それが十年判事になります間に何名になるか、おそらく三十名以下になるのじやないかと思います。その十年後の三十名でもつて、その当時の欠員の補充や何かができるか、裁判所がもう少し大きくなつた場合にそれでいいのか、非常に懸念なきを得ないのであります。そういう点に関しまして国会などは予算的にひとつ裁判所を御援助願いたい、もう少したくさんとれるようにお考え願いたいと私どもは思つております。もう少し裁判官を多くとつていただきたい。ことに三十二年には私ども裁判官はほとんど全部と言つていいくらいその十年の任期を満了いたします。名簿を新しくつくるその場合に、われわれのあと詰めをするところの裁判官が非常に少いのじやないか。そういう考えからしますと、この裁判官の任用制度というものをこの際に特に考えていただきたい。最高裁でも何か考えているそうでありますが、特に考えていただきたいと思う次第であります。  それから特に判事補、判事補はいろいろ論議をされておりますが、これは十年間判事補をやらせておくということは判事補の方の士気にも影響し、判事補の志望者がなくなるというようなことから、私どもは五年くらいにしていただきたいものだと平素考えておりますが、だんだんこれも非常に改善される傾向にあると思います。この判事補の制度についてもひとつお考えを煩したいと思うのであります。十年間判事補として本格的な判事の取扱いをしないということは、どうかと考える次第であります。私ども判事補でありました当時には、五年の判事といえばもうりつばな判事でありました。人によりましては部長にもなり裁判長にもなる、また予審判事などはざらにあつたのでありまして、今日は五年判事といつてもおぼこ判事のように取扱われている傾向があります。これは非常に遺憾なことであります。それでまた士気にも非常に影響いたします。しかもまた非常に精力の旺盛なときに実務を離れるような形になつているというのは、非常に残念だと思うのであります。  それからいわゆる特任判事、これもいろいろ批判の的になつているようでありますが、裁判所といたしましては特任の判事も現状としてやむを得ないのじやないか。それでこれはやはり長年功労のあつた書記官あるいは事務官のうちから採用して、そして彼らに望みを抱かせるということもよいのじやないか。ただそれについて御不満をお持ちならば、私どもに十分納得させるような設備をひとつつくつていただきたい、こういうふうに考える次第であります。  まことに意見を申し上げお耳を煩わしまして恐縮に存ずる次第であります。

吉田安改進党

○吉田(安)委員 きようは参考人お三方とも長い間まことに御熱意をこめたお話で、私どもいろいろ参考になり裨益するところの多かつたことを非常に感謝いたします。  私どもは、御承知のように第十九国会ば百八十日ばかりも費しました。実はほんとを言うならば、今ごろはホーム・シツクにかかつている時期なんです。それを郷里にもよう帰りませんで、委員長初め同僚の各位がこうやつて上訴制度に関するあらゆる事柄や、あるいは最高裁判所の違憲審査権に関することどもを取上げまして、すでにきようで五日間、明日で今月中のプログラムが一応終了いたすわけでありますが、さらにまた来月もやはり今度のような日数をもつて繰返します。九月もそれをやりまして、さらに進んであらゆる面から研究をいたしまして、今の裁判所のあり方をどうするか、上訴制度をどうすればよろしいかというようなことを真剣に取組むようになりましたのも、結局少しでも国がよい方に進んで行くようにという委員長初めわれわれの気持からこうしたことになつたのであります。なお占領されまして長い間その占領政策のもとに――私どもは今日独立してもう三年近くにもなるのでありまして、この間占領当時につくられたあらゆる制度、あらゆる法律もやはりこのくらいのときに一応そのあり方などを相当真剣に考えて、日本のほんとうの国情に沿うような方に持つて行く必要がありはしないかと考えるのであります。私どもの畑から申しますと、きようはこうして上訴制度なり違憲審査権に関する取組みをやつておりますが、実体法につきましても、民法あたりもあるいは商法、刑法といつた点につきましても、やはりあり方をもう少し研究する必要がありはしないか、国全般のあらゆる事柄も私はそれと同様に考えられるのであります。そこで今日おいでを願いましてお伺いをいたしましたが、私どもはただこれを皆さん方から聞きつばなしにしておくというわけには行かないのでありまして、そういうことを参考に徴しまして、それからこうした制度をどうするか、これがいいという見通しがつきますればその方に向つて全力をあげてそれを実現さす責任を持つておるのであります。  ところでまず、ほかにも質問者の諸君もおりますから、二、三簡単にお尋ねをいたしておきたいと思いますが、最高裁判所の違憲審査権の問題であります。これをなぜ私どもとしまして急に取上げるかと申しますれば、これはもう御承知の通りでありますが、このごろいろいろの問題が繰返されておる、しかもその最高裁判所の性格になりまりと、ちよつと判断に苦しむ点があるのでありまして、憲法八十一条をそのまま読んでみましても、あれを見ますと、もちろん違憲審査の権限もあるというようにも考えられますが、さいぜん小野先生もおつしやいました通りに、また他の学者も言うておられます通りに、これは司法裁判の性格のみならず、あるいはそれには違憲審査権も当然あるんだ、そうした両性的なものである、あるいは違憲審査権はないんだというようなことで、この点につましていろいろ問題が生ずるのでありますが、八十一条はどうしましても、皆さんのおつしやる通りに、また学者も言われる通りに、これは英米法系の建前をとつたのだと私も存じます。また一面には、これはやはり違憲審査の裁判権が完全にあるんだという大陸法系の学者もおありになるのでありますが、その点について私小野先生にもう一ぺんお尋ねしておきたいと思います。  これは私迷つておるのです。端的に申しますと、違憲審査権も含まれたものであるということだけで、解釈をそのままにして置くべきものか。あるいは最高裁判所あたりが判例で示しております通りに、こちらの方では抽象的な違憲審査権はないんだということで、そういう訴えを出しましてもこれをつつぱねておいていいものであるかどうか。あるいはまた独立したる違憲裁判所をここに設くることが必要であるかどうかということにつきまして、いろいろ迷わざるを得ないのであります。今日まで参考人の方々から承つておりますと、ある参考人の方のごときはこう言われます。これは当然一般的、抽象的に違憲審査の権限があるんだから、憲法改正をする必要はない。これは当然のことじやないか。こういう議論を明快にお立てになつている方もある。そうしないと――たとえばという言葉をお使いになつておるのですが、このごろの議会政治のあり方から言つて、まつたくこれは違憲だ。たとえば警察予備隊のようなもの、あるいは保安隊、自衛隊のようなものについて、これはまつたく違憲であるんだ。違憲であるからといつて、これに対して何も訴訟の方法がないということは許されないことであつて、これは当然訴訟すべきものである。あるいはまたこの間のような、皆さん方にもまつたくおはずかしい次第で、私ども六・玉事件と言つておるのですが、あの乱闘事件、あそこまで行かなければやむを得ないのじやないか。それを訴える道がないとすると、国民としては最後の抗弁権を行使するほかない。こういうことを言われるのです。これは一応ごもつとものことだと存じますが、しからばそのお方のお説のごとくに、まずまつたく抽象的に裁判権があるといたしまして、あるいはまたもう少しはつきり独立したる憲法裁判所を設くるとか、あるいは最高裁判所の内部に違憲審査部を設くるとかいうことになりますと、今のはけ口がそこに出て来るわけです。はけ口が出て来て訴えが起り、判決があるということが、日本の国柄としてほんとうにいいことかどうか、そこに私一つの悩みを生じて来るのであります。それをば認むるということになりますと、結局今度は時の政府、与党の立場もありましようし、そういうことに対する対抗策ということで、結局そこに政治的な意味が入つて来て、裁判官の入れかえであるとかなんとかいうことも行われぬという保証もできない。こういうことが行われて、裁判所が政治に巻き込まれはしないかという心配もあるのであります。一体これをどうすればよろしいか。あるいはまたそういうことで裁判権を認めてどしどしやらせるということになると、最高機関たる国会がつくつた幾多の法律に対して、気にくわねば、違憲があるんだといつて訴えを起される。起されるとそれに対して裁判が行われるということになりますと、三権分立のあの建前もまた乱れて来はしないかという気持がいたしてならないのであります。でありますから、違憲審査部あるいは憲法裁判所にこういうものを求めた場合の適否を、どういうふうに小野先生は御判断をお持ちでありましようか。まずこの点をお尋ねいたしたいと思います。

小野清一郎弁護士

○小野参考人 どうすればいいかということを最終的に申し上げることは、実はまだ研究が足りませんのでお答えできないのでございますが、この憲法八十一条としては、ひとり司法事件に関連して、法令が憲法に適合するかいなかを審査する権能があるだけでなく、いわゆる違憲訴訟とか憲法裁判の権能を最高裁判所に認める可能性は十分あると私は思います。ただ現在裁判所法というものがあり、その裁判所法のもとで最高裁の判例があるわけです。現在の憲法のもとにずつと現在出ている法律制度のもとでは、独立に具体的な事件に関係なしにある法律なり命令なりが違憲なりや合憲なりやという訴えを起して争う道は現在ないと思います。立法論として申しますならば、憲法八十一条はそのままでも、憲法裁判の権能を最高裁判所に認めることは十分可能だと思います。ただ、しからばどういうふうにして最高裁判所に憲法裁判の権能を与えるか。またどういう手続で憲法裁判をするかということになりますと、かなり具体的にいろいろ考えなくちやならぬと思いますが、私の今の構想では、大法廷というもの――この大法廷で、現在でも司法事件に関連してではありますが、違憲問題の審査を行つているわけですね。ですから今度は直接――しかしそれは第一審から持ち上らなければならぬのですが、直接大法廷に第一審にしてかつ終審であるというような意味で、違憲訴訟といつていいか、憲法裁判といつていいか、そういうことをする権限が、裁判所法を改正すればできるわけです。私はそう思います。ただその場合に、いやしくも国会で制定された法律――命令なら問題はずつと怪くなると思いますが、国の最高機関できめた法律の効力を左右するという問題になりますから、よほど慎重に考えなくちやならぬ。従つて普通の尾翼刑事の訴訟のようなわけには行かぬので、訴権というものもよほど制限しなければならぬ、またどういう場合に違憲訴訟が起せるかというようなことも慎重にやはり限界を考えなくちやならぬと思います。それは外国の立法例等をもつと具体的に比較研究しまして、それを検討した上でないと、そしてまたむろん日本の現在の実情にかんがみて、どういう機構にしたらいいかということをお考えになるべきだと思います。私としては今持ち合せておりません。そこまで大法廷というものはせつかくあるのですから、大法廷に憲法裁判所的な権能を認め、そこで第一審にしてかつ終審として違憲訴訟を取扱わせたらどうか、こういうことをやや漠然と考えております。その程度でございます。

吉田安改進党

○吉田(安)委員 裁判所法を改正しまして、そして今のように最高裁判所の大法廷でそうした審理をさすということは一番簡単な方法じやないか、そう考えられるわけですね、そういたしますことの一つの方法ですが、これは世の流行というのですか、とにかく憲法裁判所を設けたらよいじやないか、こういう声もあるわけです。某参考人のごときは、もう何も改正する必要はないのだ、あの八十一条の解釈からも当然行けるのだからそれでやつていいじやないか、そういうことができるという道をふさぐと、最後の抗弁をやるぞ、こういうふうな意見が出るわけです。しかし参考人のおつしやることに大体おちつくようなことになりはしないかと思いますけれども、ここに同僚の猪俣君がおりますが、かつて原告鈴木の代理人として違憲訴訟を起した、あの判例を見ましても、これは利害関係を離れて考えましても、何かそつけないような感じで、その権限がないからそんなことはだめじやないかというて、最高裁判所はこれを却下するというようなことが繰返されますと、今度はまた妙な、どうしてもこの法案は阻止しなければならないというようなことに、勢いのおもむくところたいへんなことになるのだと思う。調和的に考えましてもやはりその道をここで明瞭に打出すということが今日必要ではないか、こういうことを考えるわけであります。やはり先生のお考えとしては、今の裁判所法を改正して大法廷にそんな権限を認むるということが今の日本の実情から考えて適当だという御構想はおありになるわけですね。

小野清一郎弁護士

○小野参考人 そうなんです。最高裁をさしおいて、別箇に憲法裁判所というものを、たとえば西ドイツとか、イタリア、オーストリアのようなものを設けることが、かえつて憲法八十一条の趣旨に矛属するのではございませんかと思います。

吉田安改進党

○吉田(安)委員 よくわかりました。それからこれは上告の制限でございますが、今上告審で最高裁判所は御承知の通り未済事件が数千件残つておる。これらが最高裁判所の人気の悪い焦点です。何をしているかと言いたくなる。またさいぜんのお話、それから他の方面からも聞きますと、決して何をしておるかと言われるどころじやない、病人にまでなつて一生懸命やつておられる、こういうことを聞くのでありますが、私もそれはあとの説がほんとうであろうと思うのです。ところがなぜこうたまるか。これは上告をどうしても制限したい。こういうことが最高裁判所あたりのお気持であるようでありまして、そのために先般の国会でもああした法案が出ておると思います。ところが今度はこれは在野あたりでも希望しておることでありまして、きようのお三方の御意見も大体そうじやないかと思うのですが、やはり上告の理由を刑事訴訟法では四百五条でもつて制限してしまつておるものですから、私どももいなかのそれこそ末端、下飯坂参考人のお言葉を拝借すれば、末寺も末寺非常な末寺のものですが、やはり上告しようといつてもこの四百五条がじやまになつてちよつと困るのが幾らもある。そういうときは何もかもくつなしに、これこれの事情でこれは憲法違反だというようなことで上告を書いて出してしまうというようなことがたくさんありはしないかと思うのです。だからかえつて在野あたりでも希望しております通りに、判決に影響を及ぼす法令違反、これを上告理由とすると、かえつてそういうことになり上告が多くなるじやないか、あるいは四百十一条の方にしてしまうと、それこそまたたいへんだ、こういう気持も一応考えられますが、私の考えでは必ずしも今のような乱訴の弊はそれによつて避けられるのだ、避けられて、むしろまじめに上告を提起するという結果の方に流れて行くのじやないか、こう思うのです。この点について御意見はいかがでございましようか、それを承りたいと思います。

小野清一郎弁護士

○小野参考人 私は先ほども申し上げましたように、判決に影響を及ぼすべき法令の違反は、これをすべて上告の理由としていただきたい、こう考えております。現在でも今お話のように、四百十一条を目あてにして職権の発動を促すというような意味で、実際は四百五条の規格にはまらない上告趣意書がたくさん出ているわけでございます。それで但し四百十一条で破棄された例というものは一件か二件かあるとは思いますけれども、ほとんどはまず見あたらないのじやないですか。ですから絶無とは申されないにしても、よしんば四百十一条がなくなつても、正正堂々と正門から法令違反で上告できるようにすべきだと思う。但し最高裁としてはそんなことをされては、事件がますます渋滞て、とうていやつて行けなくなる、こうおつしやるので、反対に現在よりももつとしぼる、そしてそのしぼる方法は憲法違反である判例以外にはしぼる手がないものだから、たとえば下級審で上告理由を審査するようなことに、何か手続の面で、下級審でスクリーニングといいますか、ふるいにかける方法でそれをしぼろうとしているのであるが、これは私は非常に間違つたやり方であると思います。今度の民訴の改正でもおかげさまであれで私の希望しておつたようにあそこは修正されましたが、理由ありやいなやというようなことを実体にまで入つて明らかにというような――何があつてもあれは非常に危険なんです。それが証拠には、さつきも申し上げましたように、最高裁の決定でもつてぽんぽん棄却しております。あれは実は控訴審の規定を準用しているわけです。控訴審に規定があるのです。明らかに上告の理由がないと認めるものを決定で棄却できるという……。一般に控訴審の規定が上告審に準用があるようになつていますからあれを準用してやつているのです。ところがその本家本元の控訴審では、一向あれを利用する価値がないのだろうと思います。あれをやつておらぬのです。また実際公開裁判の原理から考えてみてもああいうことはよくないのです。口頭弁論を開くべきところを開かないで従つて決定でやる、こういうわけです。ただ渋滞している事件を促進する一つの方便としてやつておられると思いますけれども、私はひとり刑訴の解釈として疑問があるのみならず憲法にも違反するのじやないかとひそかに考えているわけなんです。ただこれも現在の最高裁の機構を雲の上に祭壇に祭り上げて、それで下級裁判所の判事たちはそこまで行くということに興味もないものであるから、その選考がどうあろうと一切興味がございません。こうおつしやるけれども、私はそれではいかぬと思うのです。私はもつと下級裁判所の裁判官が――やはり実際はそうみんなはとうてい行けないのですけれども、行ける望みを持つてやれば事務の能率も非常に上るのじやないか、意気込みが違つて来ると思うのです。昔大審院の判事が非常に勤勉であつたということも、ともかく大審院の判事という――これはやはり人間ですからその地位というものにかんがみて大いに勉強されたんじやないか。上告部ではそれほどの勉強はできますまいと私も思います。私もかつて司法官僚であつたのですけれども、私はそうは考えない。

吉田安改進党

○吉田(安)委員 これはよけいな話ですけれども、ただいま最後の下級裁判所云々ということ、これはやはりさいぜん下飯坂さんのお言葉にひやつとしましたが、ひとつあなたのおつしやる通り、これは目標に向つてそうして部下を指導勉励させていただいてその目標を獲得するように励むようにしていただきたい、こう思います。また制度の点についてもやはり考えなければならぬと思います。最高裁判所のあり方についていわゆる増員説が出ております。ところが今増員しては困る。この上増員してどうなるかということで、最高裁判所のあるお一人のごときは、ほかのものはだめだ、おれたちでなくちや、そうだれでもここに導入されても困るのだ、こういうふうなことを言外に感ずるようなことがあるのですが、これは私は遺憾千万だと思います。そうした方々はむしろ下級裁判所に向つては早く来いよというぐらいの態度があつてほしい、こう思うのです。また私どもの考えからいたしましても、最高裁判所の判事として送り込むには、いわゆる下級裁判所には私は若い方々でその力量は大いにおありになる方々がたくさんおありだとかように考えておるのであります。これは余談でありますけれどもつけ加えて申し上げておきます。

下飯坂潤夫名古屋高等裁判所長官

○下飯坂参考人 いろいろ吉田さんからけつこうなお話をいただいたのですが、先ほど吉田さんの申されましたことについて一言私の見解を述べさせていただきたいと思います。法律をいじりますと実に予想外なことが出て来るものだということを私ども実務家として考えております。先ほど上告理由に苦しんで何でも憲法違反に持つて行くふまじめな上告理由が出て来るのじやないか、これは私もまつたく御同感でございます。これはああした上告理由をしぼつているうちに何とか上告の門をくぐりたいというために、まつたく根も葉もないような上告理由をつくり出す、これは私ども実務の経験者といたしまして自分で上告を取扱つておりますし、控訴も取扱つておりますが、これはしぼればしぼるほどふまじめな上告理由、控訴理由が出て来るということを立法者たる皆様方に特に実務の上からお伝え申し上げたいと思うのです。

猪俣浩三日本社会党(左)

○猪俣委員 今違憲訴訟の問題が出ました。下飯坂さんは原告か被告かなつてみないと苦しみはわからぬと思います。私は違憲訴訟を起して最高裁判所にあつけなくやられてしまつてはなはだ不満を持つております。これは記録を読んでいただきますと、いかにわれわれの主張が正々堂々たる天下の大論文であつたか、裁判所のこれに対する判断がいかにそつけないものであるかがはつきりわかると思うのであります。しかしその権限のある官庁が判決されたのであるからいかんともいたし方ありません。ただ近来刑事訴訟についてますます私は感を深うするのは、特に今吉田君が言われた乱闘国会の結果、ああいうほとんど空前であろうと思います変則的な国会が行われた。警察法その他の重大なる法律がその変則国会においてできておるのであります。今神戸その他におきましても、この警察法を無効なりとしての準備をやつております。実は厖大なる全国的に大きな訴訟が提起されるのじやないかと思います。もしあの警察法が無効であるという一本の訴訟が最高裁判所に提訴できるならば、そういうたくさんな末端の訴訟、無理にいわゆる具体的事件に結びつけての訴訟というものは起さないで済むのじやないか。少数党の悲哀といいますか、あるいは訴えるところのない国民の声というようなものは、これをどこかにはけ口を見つけませんと、いわゆる独裁政治あるいは暴力革命の口実になると思う。私ども民主政治を守る上におきまして、乱訴の弊を避くべき適当な措置が必要でありますが、この明らかに憲法違反であると思われる立法に対しましては、最後の審判をくだすべき独立の機関が必要である。日本の憲法はこれを予定したものである。民主政治を貫くために憲法の八十一条というものは設けられておるものだと思いますが、今の最高裁判所のお考えはまつたく私は違つておると思うのであります。  そこで私どもは現在違憲訴訟を起してだめになつたために、ただいま納税義務者を原告といたしまして、国の予算の二割一分は軍事費の方にまわされておるから憲法九条違反の予算だ、そこで全納税金額のうち二割一分は納めないでよろしいという訴訟を今東京地方裁判所に起しておる。一年もたちますがさつばり訴訟は進まない。こういう問題は今の判事さんはなはだ不得手であるのか、興味がないのか、あるいは何ものかをおそれるのか、さつぱり訴訟を進めておりません。われわれもこれはちよつと無理な訴訟だとは考えておりますが、最高裁判所のような抽象論ではいけないと言われると、こういう無理なテストケースをつくり上げましてやるのであります。今また三つ最近出すと思いますが、妙義山における演習地の問題及び山形県におきまするいわゆる兵隊道路、軍道路の土地収用法における行政訴訟、福岡県におきましてやはり演習地に土地収用をかけられております問題につきましての行政訴訟、これは憲法違反をねらつたのでありまして、実は個人的の利益ということに興味がないのでありますが、何しろ具体的でなければというのでこういう無理な裁判をやるのであります。そうして最後の欝憤のはけ口を求めようというのでありますが、私はかようなことはあまり感心できない。そこで今小野先生がおつしやつたように裁判所法を改正するならばこの違憲訴訟ができるのだという説、私もまつたく同感であります。裁判所法改正案を実は法制局に頼んで出そうと思つておつたのであります。その前提の一体裁判所法の改正だけでできるのかどうかを固めなければならぬと思つて本日御意見を承るまで待つておつたわけでありますが、私も同意見であります。そこでしからば今の最高裁判所の機構の問題に相なるのでありますが、かような構想が憲法上法律上及び実際の運営上不都合を生ずる点があるのかないのか、学理及び実際の運営の両方から御意見を承りたいと思うのであります。それは根本は最高裁判所の判事の増員であります。そこでたとえば三人の小法廷を九つつくるとしますと二十七人、今より十二人ふやす。そうしてその小法廷の裁判長みたいなもの、地方裁判所などは部長というものがありますが、そういうものを小法廷の部長として、その部長だけが九つあれば九人になります。そして部長だけで大法廷といりものを組織する。そうして大法廷というもので違憲訴訟を審判するというような構想が、一体何か憲法あるいはその他の法律に違反するかどうか。それからまた実務上こういうことはどうもあまりとるに足らぬことになるのであるかどうか。その実際と学理両方面からひとつ御教授願いたいと思うのであります。

小野清一郎弁護士

○小野参考人 実は私も同じような構想を持つているわけなのでして、すでに雑誌その他にも同じような見解を三、四年前に発表しているのでありますが、それに対する憲法違反ではないかということを言われる方がある。それはどういうことかというと、憲法問題を裁判するには最高裁全員の合議が必要であるという建前らしいです。それが一番私はごもつともな反論だと思うのであります。その他国民審査とか何とか、これも私は実際の機能ははなはだ疑わしいものだと思つておりますが、しかし形式的に国民審査にかけるなら三十人あろうと四十人あろうとどうせあんなシートにただバツテンをつけるだけですから何のことはない。そんなことで心配される必要は毛頭ないと私は思うのです。そんなことは問題じやないです。  それからもう一つ認証官云々と言われるが、認証官ということは裁判所法の問題でありまして、憲法の問題ではないのです。ですからそれも一向問題にならない。たとえば九人が認証官であとは認証官でなくても一向さしつかえない。裁判所法さえ改正すればよろしい。  そこでなぜしからば憲法問題に限つてこの最高裁の全員の合議が必要であるか、これは重要だからということになりますが、しかし裁判所法の規定から見て、それだけのことを読みとることは私は不可能だと思います。大体、裁判所というのに二つの意味があるということは、訴訟法学の初歩でありまして、たとえば東京高等裁判所の判決だといいますが、実際はその中に第一刑事部、第二刑事部、第三刑事部、民事にいたしましても、第一民事部、第二民事部というようにありまして、その部その部でやつた判決がすなわち東京高裁の裁判なんです。そういうように最高裁にすでに大法廷と小法廷と三つもあるではないか。小法廷のやつた裁判もやはり最高裁の裁判であり、最高裁の判例としても妥当するわけです。もちろん法律が憲法に適合するやいなやということは重要な問題であるから、できるだけ慎重な手続で裁判が下されることはきわめて望しいことでありますが、現在の十五人でも、先ほどちよつと申し上げましたようにほとほと困つておられるのではないですか。十五人の合議というものはすでに無理なんです。アメリカのシユープリーム・コートは合衆国だけでなく各州にありますが、六人とか九人とかいう程度でありまして、十五人できめるということが、すでに一つの裁判をする合議体としては、その度を越えておるわけです。ですからさつきも申し上げましたようにある意味において多過ぎる、ある意味において少な過ぎると申し上げるのであります。憲法だけをやるというならば、それは九人でも七人でもそのくらいがちようどよろしいのではないかと思うのであります。そういう大法廷の裁判が、すなわち最高裁の裁判であるといつても少しもさしつかえない。国法上の意味における裁判所と手続訴訟法上の意味における裁判所とは区別して考えなければならないということは訴訟法学の初歩なんです。そうでなければ、いかなる裁判所も全員でやれるはずもなし、ただ憲法問題は非常に重要であるから、できるだけ構成も考えて、最高裁の裁判官のうちでもしかるべき人を九人なら九人選んで大法廷を構成するように、これは裁判所法で規定してもいい。あるいは最高裁の規則で規定してもいいのではないかと私は思います。そこでもつて普通の司法事件にからんで来る憲法問題も取上げる。あるいは第一審から第二審、第三審から来る。そのほかに第一審にしてかつ終審たる違憲訴訟というもの、これは裁判所法を改正すると同時にそういう特殊な手続法をこしらえなければいけないわけです。そういう違憲訴訟法をこしらえなければならぬ。それでもつて直接そこへ持ち込む。そこで一審限りできまるという方法も考えたらよろしい。その場合に、さつきも猪俣さんは少々無理なことはよくわかつているとおつしやつたが、私はつまり政治的な波紋、社会的な波紋ということを十分に考慮した上で法律制度というものは慎重につくつて行かなければなりませんから、まず少くともさしあたりは西ドイツの――すでに翻訳してごらんになつておるかのようであるが、憲法裁判の訴訟手続などを十分参考にされる必要があるのじやないか、だれでもいきなりそういう違憲訴訟を起せるのではいかぬ。ですから、たとえば両院議員の一定数が署名をしなければならないというようなことにするとか、何か訴権にわくをはめなければならない。それから訴えの事項についても、法律命令の合憲、違憲はたいへんけつこうだと思いますが、そのほかの予算のこととか、国会の解放のこととかいうことになると大分問題が違つて来るのであつて、さしあたりは法律命令の憲法適合性だけに限定したらいいのじやないかというような考えを持つておるのです。実はこまかいことも多少考えているのですけれども、自分の定見というほどのものはまだ持合せがないので、この程度でお許しを願います。

猪俣浩三日本社会党(左)

○猪俣委員 ただいま私の構想いたしました九つの小法廷を設け、その部長級をもつて大法廷をつくり、それに憲法問題を審査させる。そうするとその大法廷の組織の部長なるものは小法廷の裁判長のような役であり、かつまた大法廷の構成員でもあるということになるかと思いますが、かようなことが実際の運営上可能であろうかどうか、垂水さんなり下飯坂さんに実際から伺いたいと思います。

垂水克巳東京高等裁判所長官

○垂水参考人 最高裁判所の裁判官の組織の改正の問題でありますが、憲法によると最高裁判所の裁判官の権利義務は平等だという精神に立つておると思います。ある裁判官の権限が大きくてある裁判官は裁判官会議には参加できない、あるいは憲法問題を判断できないというようなことを憲法は考えているのか、これは疑いなきを得ないと思います。それから最高裁判所裁判官である以上は、憲法の規定によりますと国民審査を受けなければならない。国民審査を受けて罷免を可とされた場合には、その地位を失わなければならないということをきめておる。これは憲法の規定であつて、こういう憲法の立法がいいか悪いかは別問題としまして、憲法の解釈としては最高裁判所の裁判官たるものは国民審査を受けなければならない、そういうふうに考えなければならないのじやないかと思います。認証官であるかどうかということは、憲法では最高裁判所の長官だけを規定しておつて、その他の最高裁判所裁判官が認証官であるということは、裁判所法できめておることでありますから、これは自由に法律でかえることができると思います。従つて最高裁判所裁判官のうちに認証官でない最高裁判所判事というものを設けるということは、憲法には違反しないだろうと思います。しかしこれは憲法を改正しない限り国民審査を必ず受けなければならない、そうしなければ国民審査によつて信用されておらない裁判官がその地位にあつて、憲法問題ではないけれども、普通の上告事件について判決をするということに相なると思います。それで認証官である裁判官が小法廷の裁判長となつて、憲法問題、違憲問題だけを裁判するということになると、これは相当忙しいのではないかと思います。それとまずこの抽象的、一般的な違憲訴訟を直接に最高裁判所に提訴できるという立法をしましたとしても、今の最高裁判所の判決からいいますとあの判決をかえない限り憲法八十一条の規定から、当然直接の一般的な違憲訴訟は許されないのだということを言つておるのでありますから、そういう違憲訴訟手続法というものをこしらえてみたところで、またそれが違憲だといわれるおそれもなしとしないのであります。  それからこの違憲訴訟というものは、これは裁判所にとつては非常に重大な問題でありまして、その効果をどういうふうに認めるかということも問題でありますけれども、具体的事件の判断をするにあたつて、この法律は違憲だ、あるいは合憲だということを判断して、そうして被告勝訴、あるいは被告人有罪、無罪ということをやつた判決が適法であるという判断をする場合においては、その判決の効果は当時者に及ぶだけでありまして、一般世人、国会なり政府なり一般国民を拘束する絶対効力は持たないだろうと思います。もし持つとすればこれはたいへんな現象が起るのであつて、さようならきようこの法律は違憲だという判決を大法廷が下したら、その瞬間からその法律は無効のものとして扱わなければなりません。それまで、法律が施行されてから、その違憲なりとする判決があるまでの間、その法律に基いてできた官庁であるとか、あるいは職員の採用、あるいは職員の活動、公務執行、あるいは公務執行の妨害、そういつたようなものがどういう法律効果を持つかというと、これはまた別個の問題で、一旦適法と思われる法律によつてでき上つた法律効果は、これは別に論じなければならぬと思うのでありますが、さてその最高裁判所の判決が官報にでも載つて、一般国民に周知徹底せられたとしても、それを具体的に官庁なり自治体なりあるいは国会なりが守るかどうか、これはまた別個の問題だと思うのです。そういう場合にはやはり一々具体的の事件を起せばその無効な法律に従つておる者は負けるということになれば、かなりその無効な法律に従つておるという状態が減つて来るでありましようが、絶無にするというわけには行かぬのじやないか。それからそういう訴訟をだれでもが起せる、あらゆる政党、あらゆる団体、会社なりあるいはいろいろな組合なり、あるいは学生なりが起せるということになれば、もちろんそれは最高裁判所が五つあつても十あつてもあるいは足りないかもしれない。ですからもちろんそういう立法はされないと思います。そうすると政府かあるいは国会かで起されることになると思います。そういう公の機関によつてしかできない。そうすれば最高裁判所にそういう理由のない提訴が殺到することはもちろんありません。けれども訴訟が起つてから法律問題を裁判するにあたつては、いろいろな参考書を読んだり、外国の立法例を調べたり、実際に相談を何べんも何べんもやらなければならぬだろうと思うのです。これが一月や二月で、はつきりと答えられるぐらいならば、おそらくそういう訴訟は起らぬのじやないか。それからまた法律問題についてはいろいろ判例が違うように、学説も意見もわかれております。結局は最高裁判所がどの学説をとるかということにかかつて来ると、かなり不安定なものになりはしないか。それからそういう訴えを起す場合には国会にしろ、政府にしろ実際においては学者、実務家、法曹関係の方に、十分の検討の協力を求めて、そうしてこれなら勝訴の疑いなしという自信の起きたときに初めて提訴ができるのじやないか、そうでなければ裁判所も困つてすみやかなる判決を下すことができないのじやないか、こういうふうに考えられます。私はこの問題について従来別に考えたこともありませんが、ちよつと実務方面を見ますと、こんなようなことが頭に浮んだわけであります。

下飯坂潤夫名古屋高等裁判所長官

○下飯坂参考人 猪俣さんのお説、それから小野先生も最高裁判所に増員せよとのお考えのようですが、私はこの増員説にはどうしても承服いたしかねるのであります。最高裁判所がいわゆる純粋の憲法裁判所にいたしましても、あるいは事件に即応して憲法上の判断をいたすにいたしましても、最高裁判所は増員なしで、むしろ減員して、そうして新しく上告部を設ける、あるいはまた屋上屋を架すかもしれませんが、上告裁判所を設ける、こういう考えに立つておるのであります。猪俣さんの仰せのように裁判所法をちよつといじりますると、部長だけで大法廷を組織できるように見えますけれども、垂水さんの言われましたこの最高裁判所の判事の権能に何も甲乙がない、同じように国民審査を受けるということになりますと、その特定の人だけ最高裁判所の憲法判断をするということは非常にむずかしいのじやないかと思うのであります。さような次第で、どうしても私ども増員案には賛成いたしかねるのでございます。現在の最高裁判所の最も欠点と申します点は、大法廷が船頭多くして船山に上るというようなことじやないかと思うのです。実際合議がまとまらない、どうしても最高裁判所の判事の数が多過ぎるということが私は欠点じやないかと思うのです。結局その点にあるのです。でありまするから、憲法上の判断、純粋な憲法裁判所にいたしましても、そういう非常に大事な判断をする裁判所の裁判官というものは少数、七人か九人ぐらいでいいのじやないか。あとはまつたくそういう判断に関係しないところの裁判官だけで構成する上告裁判所というものがどうしても私どもは期待されるわけであります。その点はお話しても小野先生と議論が一致しないのでありますが、そういうふうに考えております。

猪俣浩三日本社会党(左)

○猪俣委員 今増員論に対してはこれは議論になりますし、きようはただ皆さんのお知恵を拝借する機会ですから、垂水さん及びあなたのおつしやつたこと、同感の点もあれば非常に反対な点もあります。しかし議論するところではなく、ただあなた方の大先輩である藤田八郎最高裁判所判事の意見では上告部を設けることには絶対反対なのです。ここに論文が出ておりまして、これも相当筋の通つたことじやないかとも考えるのです。私どもは増員しなければ絶対解決できないと思います。これは私個人ですが、確信を持つています。どういうものだか現役の裁判所の力は増員には反対だというのは私らちよつと不可解なんだ。どうも高等裁判所の方々が最高裁判所の判事の増員にあまり賛成なさらないのはどういうところから来ているかちよつと私どもには判断ができないのです。広島の高等裁判所の長官も反対の意見でありました。あまりその反対の意見がぼくにはすつきりわからぬ。それはそれといたしまして垂水先生何かおつしやつていただくことがあれば、それをお聞きしたいと思います。

垂水克巳東京高等裁判所長官

○垂水参考人 私の意見は最高裁判所に認証官でない判事を増員するということに反対ではないのです。というのは裁判官会議に参加させる、また国民審査を受けさせるということであるならば、認証官でない裁判官をふやしても憲法には違反しないから、そういう立法は可能であると考えております。  それからそうした場合にこれは従たる問題でありすけれども、そういう裁判官の給与をどうするかという問題がきつと起つて来るだろうと思うのです。その場合それは最高裁判所の認証官たる判事よりも給与は低くする。高裁の判事よりは高くするというようなところに行くのだろうと思うのですが、そんなことを言つてみたところでほとんど実際問題としては差異がつかないわけなんです。しかしその方がまだ上告裁判所を設けるという方法よりもすつきりしているのではないかと思うのです。それから高等裁判所に上告部を設けると言いますけれども、性質から見ますと、高等裁判所のやつた判決に対する上告を扱う裁判所は高等裁判所の上級審でありますから、性質上これは上級審であります。高等裁判所のある特別部がやるとしましても、性質としては上級審、こういうふうに考えるのがほんとうだろうと思います。そんなわけでありますから、裁判官会議と国民審査についても同じ条件で立法して、最高裁判所の裁判官をふやすということであるならば、私は異議はないのであります。

猪俣浩三日本社会党(左)

○猪俣委員 これはまつたく違つた問題になりますが、今憲法八十一条から裁判所法改正だけではできないというような御論拠で、国民審査とか、認証官とか、判事平等というような論拠を出されましたけれども、これはちと納得できない。しかし今ここであなた方と議論するわけではないのですが、私どもはさようなことは成り立たぬという研究の結果信念を持つております。しかしこれはあとにいたしましよう。  そこで今度はまつたく様子をかえた問題ですが、先ほどどなたか簡易裁判所の特認判事は廃止しないで置いてもらいたいと御意見がありましたが、私も同感です。それに対し非難が相当ありますけれども、長い間勤続いたしました事務官、書記官の一ぺん判事になつてみたいという希望を達せしめるということは、実際上たいへんな働きをなすのですから、裁判所制度は改善しなければならぬと思いますが、この特認判事を置くという制度そのものはどうしても残しておいてもらいたいという希望を私も持つておるのであります。ただ最近私の聞いたところによりますと、それとはちよつと違いますけれども、司法官試補でありますが、この希望の方向はどうも最優秀の者はみな弁護士を希望する。その次が裁判官であつて、ちつと頭の鈍いのが検察官志望だと聞いております。これが真実なりやいなやはわかりませんが、どうもだんだんそういう傾向になつて来る。もちろんわれわれ在野としては優秀な者が来るのはけつこうなことでありますが、さればといつて検事などがあまりぼやつとしたのができますと、これまた人権をあずかつておる大切な役目でありますので、容易ならぬことであります。先ほどどなたかの御議論がありましたが、全般として検察官、裁判官の優遇ということを考えなければなりませんが、予算が伴うので困難であるけれども、いつも司法大臣とか法務大臣というものは予算をとるのが下手、法務省の役人全体が下手、裁判所も下手で、いつも冷飯をくらつているようなかつこうであります。これは私ども何とか努力して予算をふやさなければならぬと思うのですが、そこで制度の一つのあり方として、将来検察官なり裁判官になるような者の卵を、何か国家の費用において養成する――昔小学校の先生を養成する師範学校というのがありましたが、そこでは給費制度でもつて学生を養成して、そのかわり卒業したら義務年限というものがあつて、一定年数小学校の先生を勤めるという制度があつた。そして貧乏であるが相当頭のよい者が師範学校へ入つたわけです。そういうような制度を考えないと、先ほど判事が非常に足りない、検事も非常に足りないような様子でありますが、将来を考えましてそういう制度を考案しなければならぬのじやないかというふうに私は考えるのですが、実務に当つておられる方々からそれに対する何か御感想がありましたら承りたい。ただいまの公務員一般としての給与を検事だけ上げる、判事だけ上げるというわけにちよつと参らぬ態勢になつておるとすれば、とにかく判事を希望し、検事を希望する者に、その卵のうちから何か特典を与えて、そつちの方に人材をひつぱつて行く――昔の師範学校には給費制度と同じく、徴兵制度についても、兵隊に六週間行けばあとは行かぬでいいという特典があつたために相当師範学校に入りました。そういうようなものをも考案しなければならぬ時期が来ておるのじやないか、頭の悪い者ばかりがみんな検察官になるというようなことになれば、これはいかぬじやないかというふうに考えておりますので、それに対する御考案はないかどうか承りたい。

小林錡自由党

○小林委員長 相当多数の受験者があるじやありませんか。

猪俣浩三日本社会党(左)

○猪俣委員 大分成績の悪い者をどんどんとつてよいとなればそうなりますがね。

垂水克巳東京高等裁判所長官

○垂水参考人 ただいま猪俣先生のお話になつたような点につきましては、裁判官に向くか、弁護士に向くか、検事に向くかということは、やはり大体本人のすきずきもあると思いますが、今日では民主的国家になつて来まして、弁護士の活動分野も非常に広がつて参りましたので、そういう方面を希望して大いに伸びる可能性も多くなつて来たことも一因ではないかと思つております。  それから師範学校などのように弁護士、裁判官等になる人を養成する制度を特に考えたらどうかということをおつしやいましたが、これはもしでさましたらたいへんけつこうだと思います。ちよつと日本の軍部を見ましてもそういうふうになつておつたので、からだが健康で頭がよく能力のある子供は、どんな貧乏な、どんな階級に生れた者でも、軍人になることができ、軍人としていくらでも大いに昇進して行くことができた。これは軍部に優秀な人を集めるにおいて非常に力があつたと思うのです。今日は法治国でありますから、やはり法律家だけを特権的に、法律についてのみ特権があるような方法で養成するということについては、程度の問題として問題はありましようが、必ずしも法律家に限りませんけれども、やはり教育の方面において常にそういう何らかの手が打たれることはけつこうなことじやないかと考えております。

林信雄自由党

○林(信)委員 どうも時間がおそくなつて恐縮ですが、違憲訴訟の一般的、抽象的なものを、現行憲法のもとにおいて裁判所法、あるいはその他の訴訟手続を経ればよかろうという御意見でございますが、これはもちろんよい面のあることも私はよくわかります。違憲だと信じておる者にその利益を与えてやるということはよいことだと思うのでありますけれども、広く統治権の実体というか、三権分立の建前というか、こういう建前からの――これは私の創意でなくして、意見のあることも先生御承知の通りでありますが、そういう考え方の根本に流れますものは、立法機関が憲法を無視してやるという声を表明してやるものはないのであります。合憲だと信じてやりましたものを一部の者がそうでないということで訴訟の起りました場合、これが受入れられますというと、立法機関は申すまでもなく多数決であります。国民大多数の意思がここへ凝結してでき上つたものだと信じなければならないのでありますが、それは実際においては表現の方法によりましては七人あるいは九人、あるいは現行法の十五人という者の意思で非常に大多数の人々の意思が押えられるということが政治の全体の統治権の実体から見まして、大きな立場から正しいかどうかということも、これは司法も一つの政治であります以上、考えなければならぬと同時に、現憲法の規定から参りますれば最高裁判所が違憲訴訟をなすということについては制限がないのでございますが、また他面憲法四十一条を率直に見ますならば、国会は国権の最高機関であるということも明瞭になつておるのであります。国権の最高機関というものは三権分立のその統治のあり方においてはその後においていかなる権力にもそれ自体においては左右されないのではないか。だからやはり現在最高裁判所のとつておりますような一つの争い、一つの個人々々の利害の問題を取上げて憲法牽連の問題、憲法解釈の違憲、合憲をきめるということの方が正しいのではないか。究極しますと、この憲法四十一条の解釈論のようになるのでありますが、この点をお教え願いたい。

小野清一郎弁護士

○小野参考人 私も先ほどから申し上げますように、国の最高機関である国会において制定された法律の効力を左右するということは、これは重大な問題であるということは十分考えなければならぬと思うのであります。ただ現在の新憲法の建前はその法律の上にまた憲法がある、こういう考え方をとつておるのであります。これは法理思想史的には一つはイギリスのルール・オブ・ロー、法律の支配という考え方、つまり権力者といえども従わなければならない法律があるという考え方、もう一つはローマ法の伝統から来る十八世紀に栄えた自然法論、つまり立法者のかつてにできないものがあるという考え方、それが非常にアメリカに強く響いて、アメリカで、司法裁判所なのですけれども、シユープリーム・コートが洞々の具体的事件に関してではあるが、法律の憲法違反ということを認定してその適用をしないということができるようになつた。これは判例でだんだんとそうなつて来たのでして、一朝一夕ではないのです。ところがアメリカのみならず英米法の建前としては、判例がすなわち法なんで、ですから一旦そういう違憲の判例が出ますと、下級裁判所はむろん拘束されるし、これは全部実際問題として行政機関も適用しないのです。だから非常な重大問題で、そこをすなわち司法権の優越という学者もある。しかしこれは理論でして何も優越しているのではない。あくまでも三権は分立なんだけれども、法の適用に関しては司法権というものの決定にまたねばならぬ、こういう考え方で、実際問題としては法律がほとんど無効になるというのがアメリカの実際なようでございますね。日本でも、これは妙なんですが、学者の中にこう言う人がある。あくまでも憲法八十一条は具体的な事件に関係してのみ合憲違憲を判断できるのだ、こういう説をとりながら、その既判力は一般的に及ぶという学説をとられている方があるのでありまして、通説はむろんさつき垂水さんの言われるように、その事件だけを拘束するというのですけれども、学者の中にはそういうことを言われている方が相当多数ございます。また実際は私はやつているうちにそうなると思う。たとえば勅令三百二十五号のあの判例ですね。あれ以後検事はだれもあんなもの起訴しないでしよう。起訴したつて下級裁判所はそれを無罪にするにきまつております。ですから実際問題として、個々の事件だけとおつしやつても、個々の事件だけにとどまることはできないのであつて、やはり少くとも実際上広がつて行くと思うのです。日本は成文法国でありますから、判例といつても、法令の解釈なんです。しかしながらその解釈というのはなかなか重要なんで、ある意味では法令そのものを解釈で骨抜きにすることもできるのです。そういうようなわけでありますから、三権分立はもとより重要な原則でありますけれども、しかし何かまとまりがなければならぬわけです。主権というようなものを考えて、どこかに主権があると考える。今の憲法の前文に書いてあるところだと、国民の総意というものが主権になるわけですね。これは単純な多数決の法律をもつてはかえることはできないでしよう。そういう段階説的な考え方がそこで起つて来るわけですね。それで、しからばその適用にあたつて、少くとも個々の具体的場合を解決するには、その前提として法令の合憲違憲を判断させる、そこまではどうしても認めなければならぬというのが憲法八十一条の考え方で、それは最小限度ですね。しかしそうなれば、それでもう自然にほかに及ぶのだから、むしろ大陸法なんかの考え方に、また従つて日本のような既判力はその事件だけというような考え方なら、いつそのことはつきりと初めから合憲違憲をきめることが、あるいは政府としても要求したい場合があるかもしれない。もちろん、何でもかんでも多数決というのではなく、合理的な少数者の意見はやはり尊重しなければならぬというのが民主主義の一つのプリンシプルだと思うので、そうなりますと、少数者からの提訴を認めて、そうして政治の渦中にない人がそれを判断する。但しそれはもう厳密にただ憲法に適合するやいなやというその点だけに限局するのだというふうに考えれば、さらにその次の立法を考えることは、もちろん国会のお仕事でありますから、次の手を打つことは自由でございます。そういう意味で、必ずしも司法権が優越するというわけでもないと私は思うので、やはり三権分立といいつつも、今の憲法を基準にして考えた三権分立なんですから、必ずしも三権分立を無視することには私はならないのじやないかと考えております。しかし御議論には非常に私も共鳴する点がございます。

林信雄自由党

○林(信)委員 今の点は、これは国民が主権者ですから、主権者としてそういう訴訟としての形で是正をするのが、立法機関も持つているのだから、訴訟するほどだつたら政府は法律を提案して、また国民の意思を聞いて、ここへ廃止するなり、新しく立法をするなり、また手はあるのでございますから、どうもその辺については考える点はあるのでございます。まあ先生の御意見を承りましたので、おそれ入りますが、先刻承つていました上告制度は、お説のように一般裁判制度というものが非常にからみ合つて、密接な関係があるわけでございます。その点で一審の重点主義ですか、垂水長官も言われました一審強化ですか、そういう言葉で言われておりまするそれらの御説明に、陪審はけつこうだけれども-今の陪審は停止になつておりますが、今非常に手間や経費もかかるといいますか、そうでなくてドイツあたりにもう少し簡単な制度があるやのことを承りました。あるいは垂水さんのお話の中の三人の中に一人しろうとを入れる、その程度かそのこと自体であつたかもしれませんが、そんなふうな、もう少し簡単な陪審的な制度、裁判所の方を化石とはこのごろおつしやりもしませんし、りつばになりましたけれども、何といつたつて専門知識というものはいろいろあるのですから、ことに判事さんが動いて参りますと、地方の事情になれない場合があつて、一般的な陪審的な意見を聞く機関を常時に設けておいて、一応意見を聞いてもらつてというようなことがいいのじやないかということを、失礼だけれども考えておつたことがあるのです。そんなようなことに関連しまして、立法例か何かございましたら……。

小野清一郎弁護士

○小野参考人 わかりました。ドイツでは垂水さんかおつしやつた参審制、シエツフエンゲリヒトというものがありまして、一人の専門の判事に二人の陪席が、つまりシエツフ工ですね、陪審員として加わる。そうして二人が相談役になつて合議的に事を浬ぶ、こういう手続が昔からあつたわけなのです。それから戦後の西ドイツの制度を見ますと――戦前からだつたかもしれません、陪審というものも、シユブールゲリヒトというものも、ただ少し大きな、六人だかの陪審員を加えたもので、英米の陪審とは違います。英米ではペテイジユリ、小陪審といつても、判決陪審でございますね、なお十二人の陪審員が必要なのですが、ドイツで今陪審裁判所といつているのもそんなにはやつていない、六人だかが、しかもそれがこのごろは判事と一緒に合議するのではございませんか。ですからそういう構想は、第一審強化の際にはまず第一に参考にされていい。日本でもたとえば調停手続や何かで相当しろうとの方が調停委員として成績をあげておられるしいたしますから、ああいうふうなかつこうで、つまり参審というもののリストを、必ずしも選挙によらないでも、各裁判所で適当にその地方の相当の職者から選択できて、その名簿に載せておいて、事件のあるごとにお願いするということもできるのじやないかと思います。これは非常に実際的な、プラクテイカルな考え方だろうと思います。

小林錡自由党

○小林委員長 参考人の方々には御多忙のところたいへん長い時間にわたつてけつこうなお話を承りまして、参考になると思います。どうもありがとうございました。  本日はこの程度にとどめ、明日は午前十時から開くこととし、これにて散会いたします。    午後五時二十一分散会

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