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19回国会衆議院1954/07/06

法務委員会上訴制度に関する調査小委員会及び違憲訴訟に関する小委員会連合会 第1号

発言数
104
登壇者
8
会派数
2
開催日
1954/07/06

会議録

小林錡自由党

○小林委員長 これより上訴制度に関する調査小委員会並びに違憲訴訟に関する小委員会連合会を開会いたします。  上訴制度に関する調査小委員長であります私が小委員長の職務を行うことといたします。  本日は上訴制度並びに違憲訴訟に関し参考人各位より御意見を聴取いたしたいと存じます。本日御出席予定の参考人は宮沢俊義君、兼子一君、入江俊郎君の各位であります。  この際参考人各位にごあいさつ申し上げます。参考人におかれましては、御多忙中突然のお願いでありますのにもかかわらず、お差繰りくださいまして御出席くださいました御好意に対して厚く感謝いたします。法務委員会におきましては、第十九回国会におきまして上訴制度に関する調査小委員会及び違憲訴訟に関する小委員会を設けまして、上訴制度並びに違憲訴訟に関して慎重に調査を進めて参つております。閉会中この小委員会におきまして何とかして結論を得たいと存じておるのでありますから、参考人におかれましても、どうかそれぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただければまことに幸いだと存ずる次第であります。  それではこれより参考人の御意見を承ることといたしますが、まず御出席の兼子参考人よりお願いいたします。  そこで一言申し上げたいことは、今二つの小委員会における問題につきまして、全般的に平素御研究の御蘊蓄を披瀝していただきたいのでありますが、なお数点について特に御意見を承れば非常に幸いだと思いますから、その点を申し上げます。  一、最高裁判所の違憲審査権の範囲は憲法上いかなるものとお考えになるか、特に最高裁判所が具体的事件を離れて抽象的、一般的に法令が憲法に適合するかどうかを決定するということは、憲法の解釈上可能と考えられますかどうか。  二、最高裁判所がある法令を違憲と判断して裁判をした場合、その裁判はその法令に対しまた国会、政府及び下級裁判所に対していかなる効力を及ぼすものと考えられるか。  三、下級裁判所に係属する事件に関して、憲法の解釈が問題となつた場合、最高裁判所がその憲法解釈問題だけを取上げて審理し、裁判するということは、憲法の解釈上可能と考えられるか。これを可能とした場合、このような制度をとることは適当と考えられるか。  四、最高裁判所が、下級裁判所に係属中の事件で憲法の解釈に関する重要問題を含むと認めるものを移送させて、みずからただちにその事件について裁判をすることができるというような制度をとることは、適当と考えられるか。  五、司法行政事務は裁判官会議の議によつて行うという現行法の建前は、憲法上の要請に基くものと考えられるか。  六、民事上告の範囲、上告審の手続並びに最高裁判所の機構はいかにあるべきものと考えられるか。また上告制度の問題と関連して、控訴審の手続はいかがあるべきものと考えられるか。  七、刑事事件についても御意見があれば承りたい。  大体以上の点に触れてお答えが願えれば幸いだと思います。それではどうかお始めを願います。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 御質問の各点についての私の基本的な考え方は、最高裁判所事務総局の出しておる上告制度関係資料の中に、私の最高裁判所に関する憲法上の諸問題及び上告制度の目的という二つの論文が載せてありまして、これにおいて大体のところは尽しているつもりでありますから、もし本日私の申し上げることで不十分な点はなおそういうふうな資料を御参考願いたいと存じます。  第一に最高裁判所の違憲審査権の範囲の問題でございますが、この点は、憲法上における司法というものの範囲と関連するわけでありまして、結局最高裁判所もいわゆる司法権を行う裁判所の最上級のものであるということになつておるわけであります。ところで、この司法というものは立法、行政に対立するわけでありますが、しかし伝統的な考え方として、立法で定立された法規をただ観念的、抽象的に適用するあるいはこれを解釈するということが目的ではないのでありまして、やはり司法というものは裁判と結びついたものであり、裁判というものは、そこに具体的な利害の衝突、紛争というものを解決し、調整するために行われるものである。ただそれを法治国家においては、この裁判の基準として法規がある、法律によらなければ裁判しないという原則が確立された関係から、その面においては裁判が司法であるという考え方が出て参つたと存ずるのであります。従いまして司法という観念の中には、当然具体的な利害の対立なり紛争というものを解決することが目的になり、そしてそれは、法治国家においては、特に個人の基本的な権利や自由というものに関する限りは、終局的には裁判所の裁判を受ける権利を奪われないということと相対応して、司法の対象となる事件は、突き詰めれば、個人の権利自由に関係のある争いということになつて参るわけであります。従いまして法律的に割切れるという事件がすべて司法の対象になるとは限らないのでありまして、法律的に割切れても、それがたとえば国家機関相互間の権限の争いとかいうふうなものは、別な調整機関を考えてもよろしい。あるいはまた個人の基本的な権利自由の問題でなくて、たとえば公の選挙の効力の問題、あるいは被選挙人の資格の問題というふうなことになりますれば、そういう点を解決するために裁判所以外の別個な機関を設けてもよろしい。そして現にたとえばフィリピンあたりでは、選挙については、選挙の効力を確定するための選挙委員会というふうなものが、裁判所とば別個にできているわけであります。そういうことが結局、司法というものが具体的な個人あるいはその個人の団体の権利、利益に関係がある事件を解決するために行われる作用であるということを意味するものと存ずるのであります。そういう点から、最高裁判所もまたそういう意味の司法権を行う機関であり、そうして最高裁判所の違憲立法審査権というものも、結局司法権の行使の過程において行われるものである、司法権と別個な権能として法令審査権というものがあるわけではないと考えるのであります。従いまして、私の考えでは、現在の憲法下における最高裁判所というものは、いわゆる憲法裁判所ではない、やはり司法裁判所である。従つて具体的な事件を離れて抽象的に憲法問題を判断し、あるいは法令の違憲性を確定するという機会は持ち得ないというふうに考えるわけであります。  次に最高裁判所が法令を違憲と決定した場合においての裁判の効力につきましては、学説がわかれているところでありまして、憲法裁判所的な考え方をすれば、法令を違憲とした場合においては、この法令は当然無効になつてしまうのだという結論が導かれるわけでありますが、違憲審査権もなお司法権の行使の過程において行われる権能にすぎないというふうに見た場合に、その事件を離れて一般に当該法令を無効とする、そうしてその効力は、当該事件の関係者のみならず、一般第三者、あるいはまた行政機関や国会をも拘束するのだという一般的な効力を認め得るかどうかという点が疑問になるわけであります。この点につきましては、憲法の八十一条は特に最高裁判所に法令等の合憲、違憲を決定する権限を有する裁判所であるということを自書している点から、元来法令等の違憲の問題については各国家機関、あるいはまた個人でさえも、本来からいえば違憲な法令は無効だという判断ができ、またその主張ができるはずである、その点から下級裁判所もまた独立な国家機関として、下級裁判所にも法令を審査し、違憲の法令は無効と判断するという、無効と取扱うということまではできる権限があるというふうに考えるのであります。これに対して、憲法の八十一条は、特に最高裁判所に法令の憲法に適合するかどうかを決定する権限を有するということを明言したことは、他の国家機関の判断というものは、自分の権限を行う前提として違憲な法律は無効と取扱うことができるというだけであるけれども、最高裁判所が最終的に当該法令の違憲を確定した場合においては、それはすべての国家機関の判断に優先する効力があるという意味での最終決定権を認めたのじやないか。その点から私は最高裁判所の判決の中で、ある法令の全部なり一部を違憲であると判断した場合には、その効力は一般第三者あるいは他の国家機関をも拘束する、従つてその法令がその後は無効となるというふうに考えるわけであります。但し一般の訴訟法的な考え方からすれば、判決というものは判決の主文に現われた判断だけが効力があり、また原則としては当該訴訟の関係人に対してのみ効力があるという建前でありますから、普通の訴訟法的な考え方からすれば最高裁判所の判決といえどもそういう制限を免れないはずである、すなわち最高裁判所の判決でも、法令の憲法違反というふうな判断は判決の主文に現われるわけではないし、むしろ判決の理由に出て来るものにすぎないのが通常なわけであります。従いまして普通の訴訟法の理論からすれば今言つたような結論は出て来ないわけでありますが、私は憲法の八十一条を直接の根拠として特に最高裁判所の判決についでは一般的な効力を認めたものだ、そうでなければまた八十一条の存在理由がないことになるのじやないかというふうに考えるわけであります。従つて下級裁判所が法令等の違憲を判断して裁判をしても、その裁判がたとい最高裁判所まで行かないで確定したというふうな場合は、これは当該事件の解決のためだけの問題であつて、一般的な拘束力は生じないということになるわけであります。  次に、憲法問題を下級裁判所から審級に応じて取上げて来るというのでは非常にまわりくどいし、今言つた最高裁判所の最後の決定までに時間がかかり過ぎるというふうな点から、この二及び四の御質問があると存ずるのでありますが、この三点につきましては、先ほど申し上げました通り、最高裁判所が事件を取上げるといつても、あくまでも具体的な事件に対して裁判をするという建前でするわけであつて、憲法問題というものもその前提として取上げられるにすぎない。従つてこの事件を離れて最高裁判所が憲法の解釈をしたり、社会等の違憲を判断するということは、やはり本来の司法権の範囲を出ることになつてしまうのではないか、しかし当該具体的な事件の事実関係というものがはつきりしていて、もうあとは法律解釈をし、法律を適用するだけだという事件の場合には、その点だけを最高裁判所に持つて行つて、最高裁判所はその点の中間判決をするというふうなことは、制度としてとるとすれば不可能ではないと考えるのであります。しかし現在の訴訟法の理論では、そういう場合も法令等の憲法違反の問題とか、あるいは憲法解釈問題というふうなものは、たとえば民事訴訟法上の中間判決をすべき事項には当らないのでありまして、従つてそういう取扱いをするとすれば、技術的にも訴訟法を特に改正するというふうな必要があると存じます。しかし私としましては、そういう事件を下級裁判所に置いておいて、最高裁判所は法律問題だけを途中で取上げて判断するということは、やはり事件と離れてしまうというおそれがあるので適当ではないんじやないか、それよりはむしろ第四の御質問のように、事件の事実関係はもうはつきりしている、あるいはまた事実の点については、もう問題はないのだというふうな事件であれば、最高裁判所が直接事件を取上げて、事件についての裁判をする。その前提として最高裁判所が憲法問題についての判断もするという意味で、最高裁判所が下級裁判所に係属中の事件を送致させるという制度をとることは適当であると考えるのであります。但しこれには今申した通りあくまで具体的事件についての裁判であるから、その点の事実関係なり事実資料というものは、もう下級裁判所で出尽しており、その点では問題はないというところまで熟してからすべきではないか、どんな事実かまだはつきりわからないのに、とりあえずともかくその法令を適応するかもしれないという可能性から最高裁判所が事件を取上げることは早過ぎるんじやないかというふうに考える次第であります。  それから政府や国会が最高裁判所に諮問してその意見を求めるというふうな考え方は、結局裁判所として将来事件を取上げる場合の公の意見を先に発表してしまうというふうなことになつて、司法権の行使の関係から言うとおもしろくないんじやないか、従つて政府なり国会なりは、やはり憲法については独自の考え方で、独自の権限を持つて行動すべきであつて、必要ならばそういう点の諮問機関なり調査機関をみずから持つべきであつて、何もその点まで最高裁判所にあらかじめおんぶするというふうな必要はないんじやないかと考えるのであります。そしてこの点は、たとえばアメリカの最高裁判所では初めから、そういうあらかじめ憲法問題についての意見を述べるということはしないのだということを初代の大統領時代から堅持しているわけでして、最高裁判所の態度としてもその方が賢明だつたんじやないかと考えるわけであります。  上告制度の問題はあとに譲りまして、七月の司法行政事務の点につきましては、現在は最高裁判所のみならず各下級裁判所も、簡易裁判所を除いては、裁判官会議というものが司法行政機関ということになつておるわけでありますが、この点は憲法上の要請という意味からは、私は最高裁判所だけでいいと考えるのであります。最高裁判所につきましては、たとえば憲法が、下級裁判所の裁判官の名簿を作成するというふうなことも、これは最高裁判所がつくるのだということになつていて、その場合の最高裁判所というものは、やはり法律の定める定数の裁判官をもつて構成される最高裁判所というものが予定さねているわけで、従いまして最高裁判所の人心権やそめ他の司法行政権というものは、やはり最高裁判所の裁判官が一体として行うべきだ、従つて本質的には裁判官会議に司法行政権を認むべきであり、ただその運用の上においては、きわめて重要なものだけを裁判官会議にかけることにして、あとは長官なりあるいは特別の分担をきめての各裁判官にまかせるというふうな運用は適当だと考えますけれども、理論上は、その場合はやはり裁判官会議というものを主体とすべきじやないか、こんなぐあいにしまして、各下級裁判所につきましては憲法上のそういう意味の要請はないと考えるのであります。ただ憲法上、規則制定権につきましては、最高裁判所が各下級裁判所に委任して規則を制定させることができるという、最高裁判所の委任による下級裁判所の規則制定権というものが規定されているわけであります。その意味では下級裁判所というものは裁判官によつて構成されるものであり、その全体をさすと考えられるのでありまして、従つて規則制定などはやはり裁判官会議を必要とするのじやないか、しかし、それ以外の行政事務は最高裁判所の掌握するところであつて、従つてこれを行使するについて最高裁判所は特別な司法行政機関を置く、たとえば長官とか所長とかいうものを通じて行うんだとすることはさしつかえないと考えるのであります。ただ裁判事務と関係のある事務分配の問題とかいうことになりますと、これはやはり裁判官会議によることを適当とすると思うのでありますが、そういう事項は一年に一回か二回か開けばいいわけでありまして、この裁判官会議のために特に事務能率が落ちるというふうなことは少くなると思うのであります。その点からは、私は立法論としても、下級裁判所については今のような裁判官会議に広い権限を与えるというところまでの必要はないと考えます。  次に上告制度の問題でありますが、ここについての私の考え方は、先ほど申し上げましたように、上告制度関係の資料の中の上告制度の問題という論文で発表しているわけでございますが、従来ややもすると三審制度というものは二度上訴ができるんだということで、控訴も上告も同じように考えやすいのであります。しかし御承知の通り従来も上告というものはこれは法律問題だけを理由にするものである。これに反して控訴の場合は、控訴審というのは性質上は事実審であるから、事実問題までも取上げられるのだという区別はあるわけですが、しかし上訴という点においてはあまりはつきりした区別をしない傾向があるわけであります。しかし上訴というものを当事者の不当な裁判に対する救済という点から考えますと、上告のように法律問題しか取上げないということはかえつて片手落ちであつて、当事者の方から申せば、何も法律の点の問題だけが重要なんで事実問題が重要でないはずはない。むしろ事実の点に不服のある場合が多いはずである。それにもかかわらず二回の上訴を認めるけれども、最後は法律問題だけだというふうに限定している上借制度というものは、すでに本来の当事者の不当な裁判に対する救済という目的からいえば、中途半端なものであり、むしろつけ足りのものだという性格を持つているものといわなければならないのであります。その点からいえば、むしろ当事者に対して正当な裁判を与えるということの保障は、二度まで同じように事実の点までも審理し直すのだという控訴審において十分果されるべきはずのものである。当事者自身としては、法律問題についての直接の利益というものは、法律問題がどちらに解決されるかということの一般的な利益というものは元来薄いはずである。それを特に取上げるということは、むしろ上告というものが初めから法令の解釈適用の確定統一という一般的な目的を果すためにあるのだ。ただ裁判所の関係では、上級裁判所といえども職権で下級裁判所の裁判を監視するということは許されない。従つて当事者の方から文句のない限りは手がつけられないという建前がとられる。従つて法令の解釈の統一が必要であるといつても、当事者の方から文句のない事件については、上級裁判所も職権で活動ができない。その意味から、当事者の不服申立てというものをある意味において利用して、一般的な上級裁判所による国内の法令解釈の統一を期するのが上告制度の目的だと考えるわけであります。従いまして上告というものは、本来そういう目的に合うように構想さるべきものである。具体的な事件の正当な解釈としては、事実審を十分強化することにより、そうしてさらに必要ならば、たとえば控訴審に再度の考案をさせるというような方法で、上告まで持つて行かなくても片づけ得る余地があるのではないか。上告審は少数なる裁判所であることはもちろんであるけれども、唯一の裁判所でなければ、そういう意味の上告審の目的は果せない。その反面においては、その事件を通じて法令の解釈適用を確定し統一するということに役立つような事件だけを取上げられるようにすることが必要ではないか。その意味では、一般の法令違背を上告の理由としていたことは、一応そういう目的のために使われていたわけでありますけれども、しかし事件が多くなり、上告裁判所の負担が多くなつて来れば、単なる一般の法令違背というだけでは必ずしも法律の解釈の統一には役立たないものも入つて来る。その意味では、明らかに法令違背には違いないけれども、たとえば下級裁判所がある法令のあることを忘れてしまつて適用しなかつた。これは知つてさえいれば当然適用すべきはずのものであるが、それをうつかりして知らなかつたために、あるいはそれを忘れていたために適用しなかつたという場合には、法令違背には違いないけれども、しかし法律の解釈適用という点からいえば、わかつておるものなら当然適用すべきもので、最高裁判所なり上告裁判所が、はつきりこうしなければいけないのだということを言う必要さえないわけであります。同様に手続違背といつても、明らかに法律に反する一手続法の解釈自体から、どちらにしてよいか、どういう取扱いをすべきかという点が問題ならば、法律解釈の問題になるけれども、明らかに手続法に反したことをしたということになれば、それが間違つておることは明らかであつて、判例で示す必要のないことである。従つてそういうような瑕疵を救済するとすれば、これはむしろ先ほど申し上げたような控訴審における再度の考案というようなこと、しかもそういう問題についてはつきりしておれば、結局控訴審といえども自分でしたことであるけれども、一本とられたことがはつきりわかれば、もう一回裁判し直すということになるべきであつて、そういうむしろはつきりした違法というようなものは、かえつて上告裁判所がわざわざ審理して判例を出す必要がない場合が多いことになる。そういう点から考えますと、やはり上告審の調査の範囲とか上告理由というようなものも、そういう上告審の目的に即したものであることが適当だということになるわけでありまして、その点では私はなお上告審の本来の使命からいえば、現在の刑事訴訟法のような、結局憲法問題や判例の抵触並びに法律解釈上重要な事項、重要な問題だけについて上告審が審理するのだという態度が、上告の制度の目的を純化するという意味においては至当であると考えるわけでありまして、その点では先般の民事訴訟法の改正によつて民事上告特例法が失効した結果の処置として、明らかなる判決に影響を及ぼすべき法令違背というもの一般について、上告理由にするという体制になつたことは、むしろ上告制度の目的からいえば逆行ではないかとさえ感じておるわけであります。先ほどから申し上げましたように、当事者に対する正当な裁判というものの保障は、あくまで第一審及び控訴審を充実するという方法によつて期すべきである。そういう点における下級裁判所の機構の改革なり、あるいは裁判官の増員なり、さらにまた訴訟手続の合理化によつてそういう目的を果せばいいんじやないか。元来、上訴をなるべく簡素化することが最近の各国の立法であります。その趣旨は、結局できるだけ訴訟の迅速と裁判の正当とを両立させる意味からいえば、ただむやみに審級を重ねるだけが能ではない。それとともにことに民事訴訟においては、訴訟の遅延ということが訴訟制度に対する一般の信用を失わしめ、結局権利があつても訴訟にかけたのでは長引いてとうていものにならないというふうなことから、訴訟制度を利用することをあきらめるという傾向が一番こわいのであります。その意味からできるだけ窓口を広げてできるだけ多くの権利者に満足を与えるということが望ましいわけでありまして、限られたる裁判官なり、あるいはまた国家の財政という点から、いたずらに上の方にばかり積み重ねて行くということは、かえつてその窓口を狭くする傾向を生ずるのであります。その点からほんとうに国民のための裁判を考えるとすれば、どうしても訴訟を実効あらしめる必要がある。そのためにはなるべく訴訟が早く片づくのだと考えさせるようにして行く必要があるわけであります。そういう点は、手続の点などにおきましても、たとえば督促手続を認めるとか、あるいは小額事件についての特別な手続を認めるというような方法において、もつと窓口を広くする必要があると思います。ことに最近の第一次の裁判所における事件の増加と、しかも裁判官一人の負担は非常に著しいものでありまして、そのために事件が渋滞しているわけです。従つて訴訟制度としては、むしろできるだけ下級裁判所に多くの裁判官を配置し、下級裁判所の窓口を広くすることに重点を置くのが当然ではないかと考えるわけであります。なお刑事につきましては、ただいまの控訴審が上告審にかなり近くなつて来て、いわゆる事後審という形をとつているわけであります。その関係で、管轄の点も、第一審が簡易裁判所の場合もなお控訴審は高等裁判所にするということになつて、その点民事と審級の管轄が食い違つているわけです。しかし刑事の控訴審については、事実審である以上は、もう少し事実認定をし直す方向に持つて行くことが必要ではないか。ことに簡易裁判所に第一審事件がある場合においては、一層控訴審の手続を慎重にするということが、人権保障という点からも望ましいわけでありまして、むしろ民事の方は、いずれにしても当事者間の争いで、ある程度のりくつは両方にあるというふうなことであるから、最後にどちらに軍配が上つてもこれはやむを得ないということがあるけれども、刑事の場合においては、人権の尊重ということをもつと徹底する必要があるわけであります。そういう点からいうと、私の感じでは、むしろ刑事が簡単で民事が慎重だというのは、ちよつと逆ではないかという感じさえ持つわけであります。  なお民事の管轄につきましては、先般簡易裁判所の管轄を広げるという意味において、事物管轄の標準を三万円から十万円に上げられたわけです。しかし元来簡易裁判所の性格からいいまして、これは原則的の第一審裁判所ではないのだ、むしろきわめて小額な事件を迅速に処理するという目的、構想で置かれたものである。そうなりますと第一審事件の多くのものが簡易裁判所に行くということでは、最初の簡易裁判所の構想とは食い違つて来ておるので、その点では簡易裁判所というものを考え直す必要がある。そうしてむしろ簡易裁判所から民事事件をはずして、地方裁判所の支部において、従来の簡易裁判所のような事件は単独制で行くのだ、その意味では地方裁判所における単独制、会議制についても、むしろ訴額なりその他の標準でもつて単独事件と会議事件とをわける。簡易裁判所は現在全国に五百五十も置かれていて、非常に数は多いわけですが、これは元来の出発においては、警察単位で置くのだ、そうしてそれは刑事において令状をすぐもらえるというための都合からそんなにたくさん置かれたわけでありまして、民事を処理する関係としては、それほど各地に分散する必要はない。また同時に弁護士の方なども、事務所は地方裁判所の所在地にあるのが通常でありましようから、簡易裁判所を各地に置くことはかえつて御不便だと存ずるのでありまして、当事者から言つてもそれほど便利ではない。むしろそのために民事に堪能な裁判官を配置できないことによる手続なり裁判の内容に対する心配の方が大きいのであります。そういう点からはむしろ地方裁判所の支部を拡張することによつて、簡易裁判所の民事事件は、特殊の手続による、たとえば督促手続とかいうふうな特殊の手続以外は訴訟手続ははずしてもいいのじやないかとさえ考えているわけであります。  大体御質問に対する私の考えは一応お述べ申し上げたと思いますので、あとはさらに御質問がありましたらお答えしたいと思います。

小林錡自由党

○小林委員長 質疑がありましたらどうぞ……佐瀬君。

佐瀬昌三自由党

○佐瀬委員 これは参考人の述べた解釈論と立法論を私の方で混淆して聞き取つたための誤解かもしれませんが、御意見の中で矛盾した点が見えるように拝聴したので、確かめておきたいのですが、憲法八十一条に基いて、最高裁判所は憲法裁判所の性格を持つておるものであるというふうに御解釈になつていらつしやるのですか。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 そういうわけじやないのです。やはり地方裁判所であるけれども、八十一条の関係から、最高裁判所が具体的事件について裁判をするにあたつて、法令等の意見を判断した場合は、その場合の限度において憲法八十一条で一般的拘束力があると解釈すべきじやないか。下級裁判所にも当然法令審査権というものはあるのだけれども、それには八十一条のような規定がないからこの事件だけだ。八十一条の規定があるということは、むしろ最高裁判所の裁判については特殊な効果を認めた。それを憲法裁判所的だというふうにおつしやられることは私はさしつかえないと思います。憲法裁判所というものは、むしろ性格的に憲法解釈だけを取上げて具体的事件の処置をするものではないというふうにその性格をわければ憲法裁判所ではないか。

佐瀬昌三自由党

○佐瀬委員 効力の点では他の国家機関をも拘束するように非常に一般性を持つておるという建前で行けば、今度法令審査権の範囲と申しましようか、事物管轄においてもあえて具体的な個人の権利義務に関する訴訟事件に関連しての法令審査、違憲判断というものに限定せずに、いわゆる抽象的管轄をも認めてもよさそうに思えるのですが、効力の方は一般性を認められ、しかし管轄の方は抽象的のものは認めないというところに何か一致しないものがあるように見えるものですから……。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 それはアメリカ式な考え方からすれば、法令審査権というものは、やはり司法権の行使に付随して出て来た所産であつて、初めからそれだけを切り離した制度ではないということから来るのだと思います。

佐瀬昌三自由党

○佐瀬委員 それではもう一つついでに、そういつたような最高裁判所としての機構の問題、あるいは構成、定員等については、現行制度に対してどのような御意見をお持ちか、お尋ねいたします。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 私は大体は現行制度でいいと思うのです。ただ運用の上において小法廷というものをもつと数がたくさん置けはしないか。たとえば今は三小法廷になつておるけれども、三人ずつにすれば五つ置けるじやないかというような意味での運用をどうするかという点の考慮は考えられますけれども、私のような構想のもとにおいては現在の最高裁判所でやつて行けるというふうに感じます。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 法令の審査ということは何人も要求できるが、具体的に利害関係のないものは訴訟にならない、こういうことが前提でございましたね。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 そうです。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 従つて個人の利害に関することということになると具体的に争いということができる、こういうことでございます。そこで考えまするが、こういう法令が出てはわれわれの自由を非常に制限するのだ、具体的に言うと、今の教育二法案のごとき、意見のある者は、教員の個人的自由を束縛するのだ、これほど大きな利害関係はない、こういう理由で、あの法律は実は憲法違反であるという訴訟を起した場合にそれをはねる理由はどういうところに求めたらよろしいのか。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 まだ法律があるというだけでは直接個人の自由が侵害されていないわけですから、やはり法律によつて何らか制限を受けるとか、あるいは処罰をされるとか、懲戒を受けるとかいうことになれば、そこで自分の権利、自分の利益がこの法律によつて侵害されたということが出て来るわけです。だからその場合でも、法律が悪いといつて争うのではなくて、処分が悪いということ、処分が悪いという前提に法律があるから、この法律が悪いということになるわけですね。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 そういうことも考えられますが、現に日常われわれの行動は非常にこの法律によつて制限せられておる、ゆえにこの法律はあつては困る、こういう主張をしたらいかがですか。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 その侵害というものは、やはり具体的にそれによつて自分が不利益をこうむつたということを言わなければ不服の理由はないのである。結局そうなればそれは国会の立法が一つの行政処分だというような考え方になるわけですね。だから国会を相手にして訴訟する。政府は何も執行しておるわけじやない。国会が法律をつくつただけだから相手は国会だということになるわけですね。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 その次は先ほど主文に当るものでなければならぬという御意見……。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 あれは純訴訟法上の理論から行けば主文に出たものでなければならぬというのは、今までの訴訟法上の原則なのです。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 そこで訴訟をやるときに考えますが、なるほど利害関係があれば、この法律によつてこれこれの処分を受けてこれこれの損害を受けた、これこれの利益を受けるべきものが受けられなくなつた、こういうことになると、それはこの法令は憲法違反であるから、そういう損害を受けさせたことは不当だ、従つて損害を救済してやらなきやならぬとか、処分を取消さなければならぬということになるから、主文に現われないで大体理由に現われるという先ほどの御意見はごもつともだと思うのです。ところが訴えの形式は、この法令は憲法違反のものであるから無効である、次いで第二として、その無効の法律によつて受けたるこの損害を救済してくれ、こういうふうに二段に請求の趣旨を書いて出したら、それはどういうことになりますか。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 それはやはり同じですね。第一段の方は請求却下になる、いわゆる権利擁護の資格がないということになる。個人としてそういうことを求める利益がないということになる。ですから結局結論は損害賠償請求なり、あるいはその理由ありやいなや、あるいは処分を取消すかどうかというような問題についてだけ一々裁判することになる。その前提問題だけについては法令の裁判ばしないということになる。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 しかし第一段は却下せられて、第二段で勝訴の判決を得るとすれば、大前提としてその法令が違憲のものであつたということが前提だろうと思うのです。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 それはいずれにしても理由で書かれるわけですね。それは普通の訴訟でも、たとえばあらゆる事実を前提問題にして、こういう事実があつたことをきめてくれ、こういう事実があつたことをきめてくれ、その後この事実からこういう権利があるからこの権利をきめてくれといつた場合、初めの事実だけは主文に一々載せるべき事項ではないといつて事実の確定はけられると思います。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 そうすると、下級裁判所にそういう二つのものの請求訴訟を出して上訴すればそれはやはり棄却せられる……。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 私の考えでは、第一の方は下級裁判を取消して、その方の主文については、やはり請求却下ということになるでしようね。主文で掲げられるものは、当該争訟の最終的な解決のあれだけを示すんだと思います。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 その次にこれはよくわからなかつたのですが、ここの第四の質問事項に対するお答えだつたと思いますが、「下級裁判所に係属中の事件で憲法解釈に関する重要問題を含むと認めるものを移送させて、自ら直ちにその事件について裁判をすることができる」先生の御議論はこれは可能であるという前提のようですが、そうですが。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 そうです。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 それが最後には具体的事実を離れてはないから、そういうことはできないというふうに聞えたのです。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 事実の点は争いがない。事実の資料までも下級裁判所では全部整つて、事実の点は問題がないということになつてから初めて移送さすべきであつて、何も事実問題までもひつくるめてやる。あるいは事実がきまらないうちに可及的に裁判所が憲法問題があるから引取ろうというのは適当でない。だから事実問題がなくなつた状態において引取るならば、それは引取つてもよいのではないか。憲法問題を明らかにすれば裁判ができるという状態の事件であれば引取つてもよいであろうと思う。そこまで行かないで、まだこの点はただ当事者の主張だけでいろいろ争いがあるにかかわらず、この法律が適用されることになるかもしれない。しかしこの法律については憲法問題があるということだけで引取るのは早い。元来どの法律を適用するかということは初めからきまつているわけではなしに、さらに裁判所としては、たとえばアメリカの最高裁判所の例などを見てもなるべく憲法問題には触れない。できるだけ憲法問題を離れてほかの点で裁判ができるならばその方でしようという考え方です。つまり逃げるのです。憲法問題を離れてほかの問題で解決できるならほかの問題で解決すべきであつて、軽々に憲法問題には触れないという考え方です。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 第四の質問のうちには、それは両方入ると思いますが、これは事実を調べておるうちに何としても当該適用されたる法令が違憲であるかどうかということできまるのだということが明らかになつた場合に、まず違憲であるかどうかだけをひつぱつて行つてやるのだ……。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 それは三ですね。三の方ではむしろ中間判決になる。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 それはいけないのですか。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 それは理論的には不可能だと思うのです。ただそれは先ほど申し上げましたようにその事件ではつきり適用される段階に来るか来ないかきまつておらないわけです。初めからこの事件ではこの法律が問題になりそうだということだけで中間判決をやつて行つたけれども、終局の判決はそれを適用しなくてもできるのだということでは中間判決は何も具体的の判決にならない。やはりその事件の解決のために前提としての判断でなければ最高裁判所といえども法令審査権を持たないのだという前提をとる限りは、中間判決をしてみたところで何もその事件に結びつかない判決になつてしまうということになれば効力がないといえるのではないか。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 それからついでに今おつしやつたように具体的不実を十分調べて、しかしてこの法令がどうかということで決定するので、こういうことで向うへ移送すると思います。そうするとそれは第一審をかりにやつて最高裁に移送したとすれば、第一審の裁判でなくて、最高裁が終局判決をすることになるのですか。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 そうです。最高裁が自分でその事件を中心として主文判決することになるわけであります。それできまつてしまうわけであります。事件自体について裁判するわけです。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 そうすると第一審、第二審がないことになるが、さしつかえないのですか。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 それはかまわないと思います。憲法は終審としてといつておりますが、終審としてというのは、それ以上上がないということで、初めがないということをいつておるわけではないのです。ですから最高裁は第一審から取上げてやろうと思えば、どんな事件でも可能だと思います。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 それでは当事者の意思にかかわらずやつてよろしいという御意見ですか。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 それは法律をつくればよろしい。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 つくればですか。現在ではしようがない。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 現在最高裁判所の規則でできるかどうかが問題ですが……。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 その次は、先ほど最高裁の性質から法令違反を取扱う方がいいという御意見はよくわかりましたが、ただわからないのは、控訴審において法令または手続に違反しておることが明瞭な場合は、最高裁に持つて行かないでも、ほかの方法でやればよろしいというような御意見だつたと思いますが、その方法はどうしたらいいか、承りたいと思います。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 それはたとえば上告の場合に再度の考案というのがあります。ですから実体的に、たとえば上告するといつても、一応控訴審で、原審でそれを調べて、そのうちで自分でも直せるものがあつて、自分でしまつたと思えば、そこで直してしまえということになるわけです。手続違反なり、あるいは法律を忘れたということをつつこまれれば、これは一本はつきりとられるのですから、自分でやり直すであろうと思うのです。だから、かえつて法律解釈上あいまいな点は、原審といえども自分の意見をがんばるかもわからないが、はつきり法律を知らなかつたとか、あるいは手続を間違えたということなら、これははつきりするのですからね。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 しかし、その裁判所は終局の判決をしてしまつたのです。その終局判決をしたところへまた言うてやるということは……。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 ですからそれは異議の申立てなり何とか、特別の不服の申立ての規則をつくるわけです。今までの上告審は判決に対する異議申立てができたのですが、今度の改正でなくなりましたが、むしろ控訴審の判決に対して異議の申立てを認めるとか、あるいは上告の内容を控訴審が、原審が一度審査して、そして自主的に審査した上で、それで自分が間違つておると思えば、そこで直せばいい。現在の上告制度は原審が見て、自分が間違つたと思つても直せないのです。必ず一応上へ持つて行かなければならない。そこで直せるものならば直した方がいいのではないか。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 それはそれで裁判所法なり改正してやればいいという御議論ですが、われわれの考えからいうと、裁判所へ対してお前間違つておつたといつても、なかなかそれを認めようとしない。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 しかし、再審というのは明らかに自分のところでやられるですからね。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 そこまでお考えになると、最高裁にあらざる何か特別のそういうことに対する審判をする機関を設けてもいいというお考えは出ませんか。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 しかし原審が、自分がやることが早くできるし、またはつきり自分が一本とられたということであつて、法律上の解釈の疑義のある場合は、最高裁がやるべきだと考える。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 最高裁ば判例の統一だけだといわれておりますが……。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 ですから、法律解釈上の疑義から来る間違いかどうかが問題です。こういう解釈もできる、こういう解釈もできるということは法律解釈上の問題になる。この法律は明らかにこうしなければならないのにこういう間違つた手続をやつたというのは法律解釈上の間違いではなく、ただその事件だけの間違いということになるわけです。要するに事件だけの間違いということならば、何も上告審まで持つて行つて解決すべきものではないと思うのです。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 もう一つ、刑事事件のこの点がよくわからないのですが、民事の方は地方裁判へ持つて行くのに、刑事の方は簡裁の事件でも高裁に持つて行く。この点が一致しておらない。刑事は一そう慎重にしなければならないという……

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 その点は控訴審の審理の仕方としては、今日のような簡易裁判所が一審事件について現在ある……。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 いや、私の聞かんとするのは、控訴審へ持つて行くのがいいという御議論なのか、民事と同様に地方裁判所へ持つて行つて、そしてさらにそれで足らなければ控訴審に持つて行くのがいいというのか、その点がよくわからなかつたのですが。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 それは現在の制度を前提とすれば、やはり地方へ、控訴審にした方がいいのじやないかと思います。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 慎重にやるという意味で……。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 ただ先ほど申しましたように、私の最後の、簡易裁判所の方の民事裁判権は除いてしまえという議論からすれば、またそこへ足並をそろえなければならぬ。現行の制度を前提とすれば、すぐ控訴審に持つて行くよりは、地方に持つて行つて、完全な覆審をするんだ、全部事実審理をやり直すんだということの方がいいのじやないか。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 そうすると、民事の方は相当拡張するかわりに、今の簡易裁判所でなくて、支部もしくは地方裁判所でやるのがよろしい。刑事は簡易裁判所でもさしつかえないが、そのかわり地方で覆審をやる、こういう御意見ですか。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 そうです。

鍛冶良作自由党

○鍛冶委員 そうすると、簡易裁判所というのは、初めの御議論から言うとほんとうの裁判でない。地方に来て初めて一審の裁判があつた、こういう観念になつて行くのじやないか。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 ほんとうの裁判じやないということはないですけれども、当事者間に争いのないようなものは、たとえば交通事件なんかで、簡単に裁判して、自分もそれで服罪するというようなものならそれでいいじやないかというわけです。ただ、当事者が争うようなものなら、今の簡易裁判所の裁判だけで、こういう裁判をしたのだというだけでは簡単過ぎるから、地方裁判所でもう一度やり直す方がいいのじやないかということです。

林信雄自由党

○林(信)委員 一、二点ですが、最高裁判所の違憲審査権の範囲。先生の御意見は、具体的事件を離れた一般的または抽象的な法令に関連した問題は取扱うべきでないという、こういう御説はわかるのです。それは率直に言いますと、私も憲法の解釈として、現在の解釈としてはそうであるべきだと考えておる一人なんですけれども、先刻来も論議されましたように、利害関係があつた場合に、それが争いになつて初めて取上げられるということになりますと、元の大きな悪というものが何か看過されているような感じがするのです。そういう点から参りますと、現在の憲法の解釈を離れまして、広く、名実ともに憲法の番人といいますか、やはり抽象的なものも取上げて、個々の出て来る元を芟除してしまう、こういう制度も、これは実際問題からも国民感情からも生れて来るように思うのでありますが、現在の解釈でなくて制度の上から、先生のお考えはどうなるのか。やはり現行的なものが適当であるということでしようか。あるいは別の御意見があるのでございましようか。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 それは憲法裁判所を設けるかどうということは、なかなか、むずかしい問題ですね。一つは憲法の解釈を、ある一つの機関がびしつときめられるものとそうでないものとありはしないか。憲法には普通の法律の解釈よりはもつと幅があつたりなんかして、その点はどちらにきめるというようなことも、法律的にすぐ割切れる問題でないというふうなものもあるし、また一方、たとい法律的にはつきり割切れるということになつたとしても、それを国家的最終的に決定する機関がどういうことになるかといいますと、それは技術的な法律問題でないので、やはりそこには政治問題が入つて来るのですから、結局政治的解釈と法律的解釈と折衷するようなものでなければ、ならぬし、そのためには機構もそれに即したようなものである必要がある。その点から憲法裁判所というものを持つ各国の立法例においては、多くは裁判官のみでなく、政党の代表者とか、あるいは少くとも国会の指名した者を特別に入れるとか、そういうようなことで政治面からも出すということになるわけです。そうなると、そこに政治的な意識というものが公平に反映されるかどうかというふうな点の議論も出て来るわけです。要するに技術的に割切れるような法律問題なら、これは裁判所が適当でしようけれども、そうでない、かなり含蓄のある憲法の解釈ということになつて来ると、それを少数の機関で最終的に決定してみな国民が納得するという、うまい制度が考えられるかという点に不安を持つわけです。

林信雄自由党

○林(信)委員 そうしますと御意見は、現在の考えられる解釈程度の制度は、やはり制度としても適当だと一応お考えになるということになるのでしようか。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 最終は、主権者としての国民が輿論なり選挙なり、そういうものを通じてみずから解釈を決定すべきだと思います。

林信雄自由党

○林(信)委員 もう一点は民事上告に関係した問題で、例の最高裁判所の機構の問題ですが、先刻ちよつと現状維持論、実際の運用の面で行けるのではないかと思うという御意見でございましたが、これはお聞き及びの通りに、われわれが早急に何とかしなければならぬ当、面の問題ですが、運用の面というものはおよそまた限度がある。私の見解からいたしますれば、現在訴訟事件が非常に渋滞している面から見まして、運用の面だけではたしてどうであろうかという危惧の念を持つている一人ですが、その辺についてもう少し具体的な御構想といつたような点を伺えれば仕合せであります。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 それについて最高裁判所の裁判官を増員するというようなお考えもあるでしようし、逆に最高裁判所の裁判官は憲法問題だけを取扱えばいいのだから、減らして、ほかの裁判所を置くという考え方もあるのですが、第一の方は、今最高裁判所の裁判官を、しかも相当数増員するというようなことになると、最高裁判所の性格というものも大分かわつてしまうわけです。それとともに最高裁判所の裁判官の人数をあまりいじるという慣行はおもしろくない。そうすれば時の内閣が自分の意見を通そうと思えば、法律を改正して最高裁判所の裁判官の数の水増しさえすれば自分の思う通りのことが通るのだということが出て来はしないか、そういう例をややもすればつくる傾向を生ずる。一つは、憲法問題を取扱うとすれば、そのうちの一部の者しか取扱わせないというのじやおかしいので、やはり全部が関与しなければいけない。そうなれば現在のような大法廷でさえやり切れないものを、三十人も五十人もになつた法廷というものはとうてい実効があがらぬと思うのです。ですから、人数としては、やはり今以上のものは望めないと考えるわけです。それとともに、それなら一般法律事件というものは最高裁判所から落してしまえということになると、これまたやはり最高裁判所というものは一応裁判所の頂点になつて、ある意味において下級裁判所をにらんでいなければならぬという場合に、一般の上告はもう取扱わないのだということにすることは、やはり最高裁判所を浮き上らせることになるのではないかと思いますので、その点も避けた方がいい。そうなりますと、結局逆の意味で両方の可能性を抹消する結果、現在の状態でやるべきだ。そうしてそれについての方法としては、先ほど申したように小法廷の数をふやすとかあるいはまた最高裁判所の――私は実際の運用というもの、内部の事情はよくわからないのですけれども、たとえば大法廷事件というようなものがあまりにも長くなるのは第三者側から見ればおかしいのではないか、めいめい自分が研究して来て、法廷を開いて一人々々意見を開いて決をとれば済むのではないかと思います。それがうまく行かないというところに、私はどうも実際の運用はよくわからないが、もつとうまくやれるのではないかという感じがするわけであります。

小林錡自由党

○小林委員長 今約五千件の未済があるのですが、これは一体どうしたら整理がついて、あなたのおつしやるように現状のままでぐあいよく行くというのですか。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 たとえば昨年度あたり七千件といつたのが、とにかく差引二千件減つたわけですから、もうちよつと見ておつたら、もつと減るのではないかという楽観論もあるわけです。

佐瀬昌三自由党

○佐瀬委員 残つたのはみな相当重要性のあるむずかしい事件ばかりなんです。ですから現在の訴訟法……。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 前の特例法はずいぶん不安だ不安だと皆さんおつしやつたのですけれども、私は実は特例法の実際の運用を最高裁の判決にあたつて調べてみて、こういう重要な問題を特例法で棄却しているのではないか、そういう例を一つ一つあたつて統計をとつてみる必要があるのではないかと思う。そういうデータがなくて一般に不安だとか、一般にそういうことはやつていないのだとか、お互いに水かけ論をやつているのではないですか。

吉田安改進党

○吉田(安)委員 そうすると今兼子先生の御意見を聞いて結論を考えますと、今の最高裁判所の機構は現状のままでよろしい、何もいじる必要はないのだ、しかるにそうしたたくさんの未済事件が残つているのをどうすればよいか、それは一応運営の方法にまつよりほかにない、運営の方法として増員という説もいろいろあるわけですが、しかしそうした増員、水増しをすることもないじやないか、むしろ一方では小法廷をもう少しふやし、一面大法廷にもかけないような事件は、各人がもう少し勉強して、そうして今おつしやつたようなことででも進んで行けば、――もう少しかすに日にちをもつてすれば、未済事件がそう多くなることはないのではないか、こういうふうな御意見だ、こう拝聴してよろしゆうございますか。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 そうでございます。しかしあとのことはまた最高裁判所の方なり、そちらの方からお聞き願いたいと思います。

小林錡自由党

○小林委員長 最高裁の中に憲法問題だけを特にやるのと、それから一般の民事、刑事の上告を扱うのとをわけてやつたらどうかという問題についての御意見はどうですか。今刑事事件などはほとんど法令違反というものの上告がとめられておるものだから、何とかして上告しようというので、まあ言葉は悪いかもしらぬが、みんな憲法違反へ持つて行つて上告がされておるようですから、そういう点など法令違反をもつと広く上告を許せば、ほんとうの憲法違反の審判をさるべき事件というものは実質的に非常に減るんじやないか。そうなれば最高裁の中に憲法違反の事件だけを扱う部を特に置いて、判事もそうよけいでなくやつて、そうして他にいわゆる民事刑事の司法裁判の方をやる部をつくるというような機構にしたらどういうものか、その点についての御意見がありましたらひとつ伺いたいと思います。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 刑事につきましては、先ほど私の申したような上告制度の目的からいいますと、やはり比較的、たとえば量刑不当とか事実否認とかいうものが多いのであつて、法律解釈上の判例を出さなければならぬというような事件は少いのではないかと思います。  それと憲法部というものだけを置いて少数の裁判官だけでやるという建前は、どうも私は憲法の精神に反するんじやないかと思います。それというのは、憲法では最高裁判所は法律で定めた員数の裁判官をもつて構成するということになつておるわけですから、それはちようど内閣が法律で定めた数の国務大臣をもつて構成するといつておることと同じことなんです。そうすれば閣議に出ないような国務大臣があつていいのかというのと同じだと思う。一番重要な権限を行う際にそれに列席できないような裁判官というものを認めることになつてかえつておかしいのではないかと思います。

小林錡自由党

○小林委員長 そうすると今私が言つている機構になりますと、現行の憲法に違反になるということでありますか。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 そこまで言えるかどうか知りませんが、少くとも憲法の書き方から言えば、ちようど内閣は法律に定めた数の国務大臣で組織すると言つているのと、最高裁判所は法律で定めた員数の裁判官で構成するというのと同じことを言つているのではないか。ことにたとえば、英文憲法を持ち出すのはどうかと思いますけれども、同じ文字になつております、だから同じ権限であれば同じ立場で働くのだということでないとおかしいのではないかと思います。

小林錡自由党

○小林委員長 もう一つお伺いしたいのですが、今の具体的争訟がなければいわゆる違憲の訴訟は裁判できないということですが、西ドイツ、オーストリアあるいはイタリアのように抽象的に法令が合憲であるやいなやを裁判する制度が置かれておる国があるようです。この制度についての御意見はいかがですか。

兼子一東京大学教授

○兼子参考人 この点は先ほどもちよつと申しましたが、結局そうなりますと、憲法裁判所というものは国会の闘争をもう一回むし返すところだという傾向が多分に出て来ます。ですからそういう問題を少数のあれで決定して、それが最終的の決定だということで納得が得られるかどうかということの方に問題があると思います。中には技術的にどちらかにはつきりきまればいいのだということもあるかもしれませんが、そういうことならそれほど問題にならないし、またそういう機関の裁定に向くおけですがそうでないことになるとやはり憲法問題というのは同時に政治問題とからまるわけで、そこに政党の政策なり綱領というような問題が入つて来るわけですから、それを技術的に割り切るということで解決がつくかどうかという問題、それからそうなればまたその機関の機構をどうするかということになつて、そこにまた国会の各委員会のように少数代表も入れてつくるのだということになれば、まつたく一つの政治的な問題をむし返すということが出て来るのじやないかと思います。

小林錡自由党

○小林委員長 御質問ありませんか。――それではこの程度にとどめておきます。御多忙のところありがとうございました。  午後一時半から再開することとしてしばらく休憩いたします。    午後零時十九分休憩      ――――◇―――――    午後一時五十二分開議

小林錡自由党

○小林委員長 それでは午前に引続いて会議を開きます。  参考人の御意見を聞くことといたします。  入江参考人には御多忙のところわざわざおいでを願いましてありがとうございます。この会は上訴制度並びに違憲訴訟についての調査小委員会の連合会ということになつております。本日おいでを願つて御意見を聞く問題は、この二つの問題に関して忌憚ない御陳述を願いたいと思いますが、特に入江さんに対しましては、  一、最高裁判所の未済事件が昭和二十六年から二十八年にかけて七千件を越えるに至つた原因についていかにお考えになりますか。  二、最近最高裁判所の既済事件が増加し、その反面未済事件がかなり大幅に減少しておることについて、その間に何らか特別の事情があればお伺いしたい。  三、大法廷の会議が円滑に行われていないという批評を聞くことがあるが、事情を承りたい。またもしこのような批判が事実であるとすれば、会議が円滑を欠く原因はどこにあると考えられるか。この改善方法についても御意見を承りたい。  四、現在小法廷は三部であるが、これを四部または五部に増加すればある程度審理の促進に役立つのではないかと考えられる。この点についての御意見を伺いたい。  五、最高裁判所における司法行政事務の処理方法について実情をお話し願いたい。  六、裁判官会議の議によつて司法行政事務を行うという現行制度については、責任の所在を不明確ならしめるという批判もあるようであるが、この点についてはいかがお考えになりますか。  なお最高裁判所の違憲審査権の範囲は、憲法上いかなるものと考えられるか。特に最高裁判所が具体的事件を離れて抽象的、一般的に法令が憲法に適合するかどうかを決定するということは、憲法の解釈上可能とお考えになりますか。また最高裁判所がある法令を違憲と判断して裁判をした場合に、その裁判は、その法令に対し、また国会、政府および下級裁判所に対して、いかなる効力を及ぼすものとお考えになりますか。これらの点につきまして御意見を伺えれば幸いであります。あとでつけ加えました項目に対しては、御意見を伺う都度お述べくだすつてけつこうであります。どうかひとつお願いいたします。

入江俊郎最高裁判所判事

○入江参考人 私が本日ここで申し上げますことは、すべて私一個の私見でありまして、最高裁判所を代表して意見を申し述べるのではないことをあらかじめお断り申し上げておきます。  ただいま追加して質問事項にございました事柄等は、委員長のお話の通り、御報告にまぜまして随時申し上げたいと思いますが、まず最初の問題といたしましては、法律、命令等が違憲であることを理由として、それが無効であることを一般的に宣言する裁判が最高裁判所としてできるかどうか、これが憲法八十一条との関連において論ぜられております。私の考えますところによりますと、憲法八十一条は次のような事柄を意味しておると思うのであります。第一は、違憲審査の判断について争いのある以上は、最終的の決定は最高裁判所でなければならぬということ。第二は、違憲審査権は最高裁判所のみでなく下級裁判所もこれを持つている。しかし争いがある以上は、結局最終的の決定は最高裁判所でやる。第三には、国会の議決いたしました法律につきましても、その実質が違憲かどうかを審査することができる。これは明治憲法のもとでは認められなかつた司法権優位の建前であります。第四番目に、この八十一条の違憲審査権は具体的な訴訟事件につきまして、その問題となつた事件に関する限度で行われ、判決の有する既判力もその具体的な訴訟事件のみに及ぶものである。従つて裁判所が訴訟の提起をまたないで自発的にこの審査権を行使することはできないばかりでなく、具体的訴訟の方法によることなく、一般的、抽象的に法令の無効または処分の無効を出訴の客体とすることは、憲法第八十一条からは出て来ないものである、かように私は考えております。そうしてこの八十一条の規定によつて法令を違憲であると現在判断をしたといたしまして、現行法制のもとにおきましてはその最高裁判所の判断はその法令自体を廃棄するものではないのであつて、その具体的事件に関する限りにおいてその法令の適用を拒否するということであります。従つて既判力はただその具体的事件に及ぶのみでありまして、国会とか政府とか、あるいは下級裁判所を他の事件について法律上羈棄するという効力はないものであります。もつとも実際の運用につきましては、最高裁判所でそういう判決をしたことが実際上国会あるいは政府、下級裁判所で他の場合においても尊重するということになろうとは思いますけれども、法律問題としては具体的問題である、りまして、憲法八十一条における違憲審査は本来の一般的なものまでできるのであるという説もあり、また最高裁判所で法令の無効を判断すれば法令自身がその効力を失うのだと解する余地もあるというような説もないことはありませんが、私はさような意味には解釈しておりません。しかし私は、法令または処分自体の無効を争う特別な訴訟を認めまして、そして法令または処分自体の無効を一般的に宣言するような裁判をすることを最高裁判所に認めることは、憲法上不可能ではないと想つております。憲法八十一条はそのことを規定しておりませんから、憲法八十一条が最高裁判所に付与した性格の中にはそれは入つておりませんけれども、この八十一条の与えた最高裁判所の性格と矛盾せず、またその本来の司法裁判所としての権能の行使を阻害しない範囲内でありますならば、そしてまた八十一条によつて認められた司法裁判所としての最高裁判所の性格を変更するものでない以上は、附加的にいわゆる憲法裁判的な機能を最高裁判所に認めても、それは私は憲法違反とは考えないのであります。これについても学説としては、憲法裁判のようなものを多少なりとも認めることは、憲法上根拠がなければできない、法律ではできないという説もありますから、これも一応傾聴に値する説でありますけれども、私自身の考えではそのようには考えておりません。従つて今申しましたような、法令そのものを一般的に無効なりと宣言する憲法裁判的な訴訟は、いわゆる民衆訴訟というものであろうと思いますが、こういう民衆訴訟的の裁判というものは、具体的に権利または利益を侵害されたとしてこれが救済を求める性質のものでなく、もつと公衆的の見地においてその法令の存続を適当でないと考える場合に、違憲を理由としてその無効を一般的に宣言をすることになるのであります。このような憲法裁判的の機能は、たとい現行憲法上は法律をもつて規定することができるとしても、事柄が重要でありますから、もし将来憲法改正の機会でもあれば、八十一条の規定等にそれをも書き加えることの方が望ましいかもしれませんが、しかし憲法を改正しなければできないというふうには考えないのであります。しかし法律上できるといたしましても、これは今申しますように、公益的の見地から違憲訴訟としての民衆訴訟を認めようというのでありますから、これをいかなる限度において認めるか、これは大きに問題であり、また慎重に考えなければならぬと思います。そして現在の裁判所法やまた民事、刑事の訴訟法その他の法律におきましては、民衆訴訟というものはきわめて例外でありまして、たとえば選挙法に関する訴訟その他若干の例はありますけれども、例は多くありません。また法律または命令自体を一般的に無効ならしめるような裁判は、法律の上でも認められておらないのであります。その意味において私は、最高裁判所が先年警察予備隊の設置並びに維持に関する一切の行為の無効であることの確認を求める訴えに対しまして、わが最高裁判所が現行制度上与えられているのは司法権を行う権限であつて、今のような一般的な違憲裁判をする権能はないものであるといたしました判決は正当であると思つております。ところで世間では最高裁判所が違憲審査権の重要なる職責を持つておる裁判所であるというところから、いわゆる憲法の番人として最高裁判所は当然に一切の憲法問題を裁判し、違憲な法令や処分はどしどしその無効を宣言して憲法擁護の面に乗り出すべきであるというような議論を聞きます。現在の憲法及びそのもとにおける法制のもとにおいて最高裁判所がそのような権限を持たないということは今も述べた通りでありますが、しかし立法論といたしましても、今日世間で言われておるようなふうにまで広汎な違憲審査の権限を最高裁判所に与えるということはよほど問題でありまして、私はおそらくは適当ではないのであろうと考えております。何となれば、第一に憲法問題は、時として多分に政治的な意味を持つ、いわゆる統治行為とよく言われるものに該当する場合が少くないのであります。たといこれに法律上の欠点があつたとしても、その判定を最高裁判所で最終的に決定してしまうということは、高度の政治作用に関連する国家作用についての憲法問題でありますと、これは結局現実の政治面から中立であるべき最高裁判所が、政治的な立場に巻き込まれるという危険も伴うと思うのであります。  第二には裁判所がかような統治行為にまで立ち入つて裁判をするといたしますと、高度の政治作用と考えられる国家作用を法律的見地から審査するのでありますが、そのような判断ははたして裁判所の判断になじむ事柄であろうかどうか、いかに裁判所の機構を改め、またその裁判官の人選に意を用いたといたしましても、最高裁判所も所詮国家機関の一種であります。しかもそれは直接に国民に対して責任を負うような機関とはされておりません。憲法が三権分立の建前をとり、行政権は内閣に、立法権は国会にというふうにしておりまするところから見ますと、司法権を担任する最高裁判所の権限にもおのずから一定の限度があると私は考えるのであります。内閣が行う権能は行政権と言われますが、この行政権という中にも、内閣が行政府として法律に従つて、国民の幸福のために各種の行政目的を実現して行く通常の行政作用のほかに、内閣が執政府として国家活動、その中には立法も司法も行政も包含された意味の広義の国権の作用の全般につきまして、これを見渡してこれをとりまとめ、国家活動全体の方向づけをするというふうな高度の政治作用のあることを見のがすわけには行かぬと思うのであります。そのような内閣の持つておる行政権の中で特に執政府として行う高度の政治作用、これは三権分立の建前から申しますと、まさに内閣の全責任で行わるべきことであつて、裁判所がこれに介入するということは、どうしても三権分立の建前から見て私は適当と思えません。また国会の行う各種の働きにつきましても同様でありまして、国会の働きの中で、国会自体の組織運営及び立法権行使の根本にわたるような基本事項について国会がある行動をとつた、そうした場合に、これは高度の政治作用であり、またいわゆる統治行為の一極と見られるものであります限り、これまた裁判所の権限の限界の外にあるべきことであつて、もしたといこれに違憲の部分があるとしても、その審判は裁判所のなすべきことではないというふうに私は言いたいのであります。しからばそういうふうな高度の政治作用的な統治行為の活動がもし憲法に違反し、誤つて行われておるといたしますと、これは国民として非常に困つたことであります。これは何とかして是正の方法がほしいと思うことは当然であります。そこである人々は、いやしくも憲法違反である以上は、最高裁判所こそその是正をなすべき職務を負うのである、こう言うのであります。そういう人たちが裁判所に大いに信頼を与え、望みを嘱し、これを頼みとしてくれることは、裁判所の関係者としてはまことに光栄であり、ありがたいことでありますけれども、ひるがえつて、はたしてそのような判断を最高裁判所が行つていいものであるかどうかと申しますと、最高裁判所もしよせん国家機関の一種類であり、三権分立の一権を分担するものであることを思いますと、右に述べたような事柄は、結局最高裁判所の審査にはふさわしくない、またこれになじまない事柄であると言わざるを得ません。裁判官といたしましては、謙遜に自己の職域を正しく守るという面が必要であると私は痛感しております。ではそういうふうな不当なまたは違法な統治行為が行われたときに、これをだれが審判するのか、ほつておいていいのか、これは私はまさに国民であると言うほかはないと思うのであります。それこそ主権在民のもとにおける三権分立制度の重要な原理ではないかと思つております。その意味で私はいわゆる統治行為が司法権の外であるということは、行政権や立法権の性質から来るというよりは、司法権の本質というものの中にその理由を発見すべきではないかというふうに考えております。同様のことは裁判所の裁判についても言えるのでありまして、最高裁判所を頂点とする裁判所の系統の中におきまして、下級裁判所の判決は審級の順序によつて、上級の裁判所が批判し是正して行きますが、しかし最高裁判所の裁判は何人がこれを批判するか。最高裁判所の裁判官も人間でありますから、その判断に妥当を欠くことがないとは断言できない。誤りも人間である以上犯すことがあると思います。けれどもそれに対して内閣も国会も動かすことができないということに現行憲法はなつておる。やはりこれを審判する者は結局国民であつて、まあ現在の制度で申しますと、国民審査というような方法で国民がこれを審判しているのだろうと私は考えております。  そこで、以上のようないわゆる統治行為については、最高裁判所にもその権限がないと考えたいと思いますが、この統治行為以外の領域におきまして、違憲を理由とする法令または処分の一般的無効を宣言する憲法裁判的機能を最高裁判所に属せしめるということは、これは立法によつて可能であることは前にも申しましたけれども、さてそれをどの程度でもつて認めるかということは、これもやはり慎重に考えて行かなければならぬと思います。これにつきましては、現在西ドイツあるいはオーストリアの憲法裁判所の制度がしばしば参照されますが、この両国の憲法裁判所は、かなり広汎な事項を一棟の民衆訴訟として最高裁判所の権限に与えておるようでありますが、それでも違憲問題を広くすべて一般的に憲法裁判所の権限としているのでは決してありません。ドイツもオーストリアもともに連邦であつて、この憲法裁判所は、連邦であるという点から生じた幾多の特別規定があつて、これはただちにわが国に当てはまらないのであります。また西独の憲法裁判所法には、統治行為についてもある程度裁判所がこれに関与し得るようなふうに読める規定もありますが、しかしドイツの学者等の意見によりますと、これがやはり相当批判の対象となつておるということは聞きます。ただ法令が憲法違反かどうかを一種の民衆訴訟として認めてはおりますけれども、しかしこの両国におきましては、原則として政府または議会側の請求によつて、初めてそういつた法令の一般的無効の宣言を要求する訴訟手続が開始するものとされておりますので、一般国民からすぐそうした出訴ができるというふうにはなつておらないのであります。もつとも西独の憲法及び憲法裁判所の法律によりますと、各人につきましてもフェルファッスンクスベシュヴェルデと申しますか、憲法訴願とでも申しますそういう権利が認められまして、その人が公権力の作用によつて基本的人権を侵害されたといたします場合に、それを理由として法令の一般的無効を要求する権利が認められております。それでもやはりあくまでその法律が本来無効であるべきにかかわらず、有効であるとして認められておるがゆえに、その人の基本的人権が侵害されたということで、その基本的人権を侵害されたと主張する人だけが出訴権があるということになつておる点も注意されてよいことだと思うのであります。あれこれ考え合せますと、私は今日新聞、雑誌等で、最高裁判所は憲法の番人であるからもつと徹底的に憲法違反の裁判をやれというこの考え方には、解釈論としてはもちろん無理でありますのみならず、立法論としても、そんな広汎な憲法裁判所は外国にも例がないのだということを考えてみなければならぬと思います。しかし私は現在の最高裁判所の違憲審査の制度が、現行制度のままでも何ら間然するところがないとば考えないのでありまして、違憲審査の範囲もさらに拡大してこれを認める部分があつてもいいんではないかというふうには考えております。  これはまだ熟した私の所見ではありませんが、試みに私見を申し上げますと、私は法律をもつて次の二つの場合について憲法裁判の権能を最高裁判所に付与したらばどうであろうかということを考えております。  第一は、個人から提起する法令等の一般的効力に関する違憲の訴訟でありまして、これは法律、命令、処分が、違憲を理由として本来無効なるべきにかかわらず、有効であるとせられるがために、その人の憲法第二章の基本的人権が侵害せられるか、あるいはその基本的人権の十分な享有を妨げられておるというふうな場合に限られまして、その者の中立てによつて当該法令または処分の無効を一般的に訴願する裁判を最高裁判所に求められるとしたらどうかと思うのであります。このような出訴者が権利、利益の侵害をされたということを理由とするといたしますと、その面におきましてはこれは一般の訴訟となりまして、民衆訴訟とは言い得ないのでありますけれども、しかし特定の者の権利保護を機会として、広く一般に法律、命令または処分の効力を無効であると宣言するという面におきましては、やはりこれは民衆訴訟的な性質を持つたものであるというふうに考えるのであります。こんなふうな訴訟はさつきも申しましたフェルファッスンクスベシュヴェルデというドイツの憲法訴願の中に認められた制度と同様な考え方なのであります。  第二には、内閣または国会の両院から違憲を理由とする法令または処分の無効確認を求める裁判の申立てをなし得る道を認めたらどうかと思うのでありますが、この場合には、政府または両院は、公益の代表として違憲を理由とする当該法律、命令、処分の無効を主張するのでありまして、この訴訟はまさに民衆訴訟といつてよいと思います。これはやはり西独の憲法及び憲法裁判所の法律に認められているところであります。むしろ西独のみならずオーストリアにもありますけれども、その両国における憲法裁判所の憲法裁判は、内閣または国会の両院から提訴するということをもつて本体としているようであります。  私は以上の二つの点において、憲法裁判の権能を将来最高裁判所に賦与するというようなことは十分考え得られることではないかと考えております。けれども繰返して申しますが、その二つの場合におきましても、やはり統治行為に関しては、最高裁判所の権能の外にあるということは注意しなければならぬと思うのであります。  違憲審査、憲法裁判所に関しての私の考え方は大体そのくらいでありますが、問題として最高裁判所において、下級裁判所が現在審理中の問題で、憲法上重要な問題の論点となつておるのを最高裁判所に移送させて、これを迅速に裁判したらどうかという問題がございますが、私はこれはしニくけつこうなことだと思います。現在人身保護法等にもこの移送の規定がありますが、違憲訴訟についてそういう道を開いたら、これもけつこうだと思います。同時に今私が申しました第二の場合、内閣または国会の両院から憲法訴訟の提起ができるという道を認めることも、同様な目的に資するのではないかというふうに考えるのであります。  次に上告制度の問題及び最高裁判所の権限、機構等について所見を申し上げたいと思いますが、上告制度をどうするかということと、最高裁判所の機構または権限をどうするかという問題とは、実は観念的には別個だと嫌うのです。しかし現在最高裁判所は上借裁判所として重要な意味を持つておりますので、結局この問題はわが国の現状としては密接表裏の関係があるので、双方を関連させて意見を申し上げておきます。  先般の民事特例法の失効に伴う民訴法の改正に先立ちまして、昨年来から開かれた法制審議会におきましてこの問題がずいぶん論じられて、結局徹底的の結論を得ずして今回の民訴法の改正になつたように承知しておりますが、そのとき現われた意見というものは、御承知の通り大別すると四つになります。  一つは、およそ一般の法令違反について広く上告を認めよ、そして最高裁判所を旧大審院に近い姿のものとして、最高裁判所の裁判官を四十人前後あるいはそれ以上に増員せよという案であります。  第二は、一般の法令違反についても上告は認める必要がある。しかし最高裁判所はその性格、構成等から憲法違反その他重要事件のみを取扱うことが適当であるから、新たに上告裁判所というものを設けるか、あるいは東京高等裁判所に上告部を設ける、こういう案が出ておりました。この案は右の上告裁判所または上背部に上告された事件でも、憲法違反につきましてはさらに憲法八十一条の要請によつて最高裁判所に出訴できますので、結局外国にも例のない四審制度になるという非難がありましたけれども、こういう意見が第二として出されております。  第三には、上告は一般的の法令違反の場合に広く認めることはよくないので、やはり今日の刑事訴訟法的の限度にとどめよ。言いかえれば民事特例法失効前の状態のものとしておくべきである。しかしそれでも上告事件の迅速な処理及び最高裁判所の負担軽減をはかるために、原審をして上告についてある程度審査または再度の考案をなさしめる、こういう案が提示されておりました。  第四番目には、現機構を維持すべきであるという考え方でありまして、最高裁判所の組織を現状とするとともに、また上告事由も民事特例失効前の限定的なものにしておいて、上告事件の円滑な処分については、たとえば最高裁判所に調査官の増員をするとか、会議方法あるいは司法行政事務の簡素化等をはかることによつて目的を達して行こう、こういう四つの議論があつたのであります。すでに今日は民事特例法も失効いたしまして民事訴訟法も改正せられておりますので、事情は大分当時とはかおつておりますけれども、やはりこの四つの提案に盛られた事項は、今後において考えて行かなければならぬ問題ではないかと私は思うのであります。  これらの問題につきまして第一に上告制度をどう理解するかということが問題になりますが、私は、上告すなわち三審の制度というものは、法令解釈の統一ということを主眼として考えて行くべきであるというふうに従来からも考えており、今日でも考えておるのであります。御承知のようにドイツにおきましては、一八七七年の連邦統一民事訴訟法の際に、上告審の性格を一般の法令違反というのではなくして、もつとしぼつて法令解釈の統一という点に主眼を置いたようでありますが、しかしその法律の規定は法令違背を上告理由としておつたものですから、ドイツにおいても相当にこれが広く行われることになつたようであります。わが国では、ドイツの制度を継受いたしまして大審院ができましたけれども、大審院の当時におきましては、権利救済という面と法令の解釈統一という両面をどちらがおもであるというようなことよりも、両方の性格を持つものとしてずつと続いて来たように解するのであります。しかし世界的の傾向を見ますと、やはり上告を一国における法令解釈の統一をはかる審級であると考えて、第一審、第二審において大体事を片づける。法律問題につきましても第二審の段階においてまずこれを片づけてしまうというふうに向つて来ております。戦後わが国において裁判法の制度を立てましたときにも、そういう考え方を基礎といたしまして、第一審を充実し、第二審は事実審理、法律審査をしますけれども、一般の法律の違法問題は控訴審において解決して、上告審はその中の特に重要な法律解釈の統一という面からの問題としてこれを取上げたのであります。実は裁判制度としては三審がよいか二審がよいかということは、ある程度程度問題であります。従つて国民全体が三審まではぜひともやつてもらわなければどうしても納得できないというふうなことであるとすれば、そういう意見にも相当な理由があることとは思いますけれどもしかしやはり裁判制度の持つて行き方としては、ちようど戦後わが国でとつたように、上告審はあくまで重要な法律問題、そういうものに限定をして行くことが理想である。ただ今日すでに民事特例法の失効とともに民事訴訟法が改正になりまして、上告というものが法令違反を理由としてできることになつたのであります。もちろん判決の結果に明らかな影響を及ぼすものという限定がありますけれども、これは要するに乱上訴を防止する意味の規定であつて、法律の重要な解釈云々ということとはねらいが違つておると思います。ですから私が今申し上げましたような上告制度を厳格なものにするという一つの理論は、くずれたといえばくずれたのであります。  すでに国民の代表である国会において、各種の議論を総合した上でこういう議論が採用されたのでありますから、私としては、その現在の制度を基礎として、若干考えてみたいと思います。そうすると、どうしても上告の事件は相当増加を来すということが言えるのではないかと思うのです。ただ先日の民訴法の改正には、経過規定がございまして、新法によつて上告されて来ますのは一、二箇月先に最高裁判所の手に入るというようなことであろうと思いますから、これから二、三箇月先にどうなるかということが一つの問題です。また今回の案では、原審におきまして上告適法要件の審査をすることになりましたので、最高裁判所における上告事件の負担増加も、かなりそれによつて軽減されるのではないかと思います。また簡易裁判所の事物管轄が上りましたことによつても、最高裁判所への上告事件を減少するのに役立つであろうと思いますので、概括的にいつて、今度の改正がただちに最高裁判所に上告事件を殺到させることにはなるまいと思いますが、傾向としてはふえる傾向にあるのではないか。そういうような事情を勘案いたしますと、今日ただちに上告制度をどうかえるか、あるいはまた最高裁判所の機構をどうかえるかということを考えるのは、少し早いのではないか。せめてここ一年なり一年半なりの経過を見た上で、実際に最高裁判所として本来の機能を全うできなくなるようであるときに、初めて上告制度の改革あるいは最高裁判所の機構改革も考えていいのではないかと思うのであります。ただここに来て御意見を申し上げる機会に、もし将来上告事件が相当ふえて来て、最高裁判所の負担が今日より増加することになつたとすれば――私個人としてはかなりその心配を持つておるのでありますが、そういうようなときには、どうしても制度の改革に着手しなければならないことになりますので、それについて私のほんとうの私見を申し上げておきたいと思います。  私はもしそういう事情に立ち至りましたときに、これに対処するために最高裁判所を旧大審院のごとくにしようとする案には、絶対に賛成することができないのであります。その理由といたしましては、最高裁判所及びその裁判官の憲法上の地位に顧みまして、憲法は最高裁判所の裁判官に相当高度の資格をもつて臨んでいるということ、憲法にはその資格は書いてありませんけれども、憲法の精神を考えますれば、そういうものとして最高裁判所の裁判官がつくられておるということ、かくして初めて憲法八十一条の機能も発揮できるにかかわらず、その裁判所の裁判官を大幅に増員してしまうということは、結局最も適当な、最もよい裁判官をそこに集めるという趣旨から見てどうであろうかということ。  第二には、そういう最高裁判所を旧大審院型にいたしますと、最高裁判所に権限を異にする数種の裁判官を置くことになるのではないかと思う。国民審査の客体になる認証官としての裁判官のほかに、そうでない裁判官を置く。そうなるとまた一部の裁判官は、大法廷に参加しないということになりまして、これまた憲法七十九条、八十一条の趣旨に背馳する結果になるかと思うのです。  第三には、最高裁判所が一般の上告事件に忙殺されることは、結局憲法八十一条の違憲審査権の慎重、周到な行使を阻害するという大きな欠点を持つに至るのではないかとも思うのであります。そういつた理由で私はその案には反対である。と申しまして、私は最高裁判所を現状のままにしろという意見にも賛成できません。その理由は、つまり今申しましたように、上告事件が相当ふえるであろうということを前提としての議論でありますから、そうなりますと、ただでさえ現在も最高裁判所の裁判官は相当に多忙であるのであります。一般の上告事件につきまして、私どもの事務の上から申しますと小法廷は毎週二回ある、大法廷も一週間に二回の日と一回の日とありますけれどもある。そうして結局自分のうちと申しますか、法廷に関係なく、あるいは裁判官の部屋であるいは自分の書斉において、自己の担任の裁判事件を研究し、勉強する日が一週間に一日もしくは二日ということになるわけです。そのほかにも裁判官会議等で時間をとられます。そういうふうになつて参りますと、実際私自身の浅い経験ではありますが、重要な案件について内外の学説、判例等をつぶさに参照し、深く洞察して、最高裁判所にふさわしい高い識見にわたつた判断をしようとする勉強をする時間は、まことに得がたいことを痛感しております。それでありますから、現状のままでもつて推移するというのでは、最高裁判所の実質的な面をますます軽くするおそれがありますので、現状維持論も私はどうも賛成できない。たださつき申しましたように、ここしばらくは情勢を観察する意味において現状維持でいいのでありますが、もし実際において上告事件等が多忙になつて来た場合には、どうしても制度を改革しなければならぬ、こういう趣旨と御了解願います。  それらの関係を勘案しますと、端的に結論だけ申し上げますならば、結局そういう場合に立ち至りましたならば、上告裁判所をつくるかあるいは東京高等裁判所に上告部をつくるか、そういう案におちつかざるを得ないかと思つております。もちろん原審である高等裁判所に上告審査部を設けたりあるいは原審が再度の公判をするというような案もありますけれども、どうも私どもは、これらの案は技巧に過ぎて、いたずらに複雑になる。また上告事件が相当ふえることを前提にしての立論ならば、そのような技巧的な所作でなくて、堂々と上告裁判所を設けたらいい、かように考えるのです。ただこの案につきまして、これも私見でありますが、四審制度になることはできるだけ避けたい。  私はこのような案を持つておりますので御参考に申し上げますと、高等裁判所が第二審として裁判した民事、刑事の事件に対する上告は、一応新しく設ける上告裁判所、または上告部にこれをなさしめる。しかしその上告の理由が憲法問題である場合におきましては、これを最高裁判所に移送することによつて、最高裁判所はその点のみの審理裁判をいたしまして、これを宣告する。上告裁判所または上告部の方は、その他の点について審理裁判してこれを宣告するといううふなことにしたらどうであろうかと考えるのであります。こういうふうにいたしますと、上告裁判所または上告部を設けたことが、当然に四審制度になるという非難も免れると思うのであります。もつとも上告裁判所の裁判自体に、憲法違反がもしありますならば、それを不服とした場合だけは、さらに最高裁判所へ特別上告を許さなければならなくなりますけれども、こういう場合だけはやむを得ないと言わざるを得ません。こういうふうに、一個の事件を論点について分離して審理裁判するという行き方は、ちよつとめんどうなふうにも考えますが、最高裁判所におきましては、実は大法廷と小法廷との間で審理する事件の分界が裁判所法できまつておりますけれども、昭和二十八年の一月に最高裁判所の裁判事務処理規程を改正いたしまして、小法廷が上告事件を受理いたしますと、その論点によつては大法廷にかけなければならなくなるにつきまして、大法廷にかけなければならぬ憲法問題がそこにある。そのときにはその部分だけを大法廷にまわして、大法廷においてその憲法問題だけを審理裁判して、その他の点については小法廷で審理裁判するというふうな規則をつくつたのであります。もつとも昨年一月、この改正があつてから今日まで実際の例はまだないようで、ございますが、しかしそういうふうなことも制度として今日あるので、これをならつて最高裁判所と、新たに設ける上告裁判所との間の権限の調整をしてみたらどうかというふうに考えておるわけであります。かように考えますことは、一面には私が先ほど申しましたように、最高裁判所というものを憲法裁判に関する事項をもこれに附加いたしまして、従来の司法裁判所としての違憲審査のほかに、憲法裁判的な機能も営む、文字通り憲法に関する裁判所ということにしようという頭がありますから、従つて今のように上告裁判所を設けましても、最高裁との間の権限の調整をそのように考えておるわけであります。  それから最高裁判所の裁量または許可による上告の制度というのが英米等にはありますけれども、上告制度をもつぱら法令解釈の統一という面から考えたときにこれは意味がありますけれども、そうでなく、具体的事件の救済のための法律問題の審理を上告審でもやるという建前をとりますと、裁量または許可制を採用するということは、よほど意味が薄くなつて来るように思います。  最後に、最高裁判所の機構でありますが、すでに申し上げましたように、最高裁判所を考えて参りますとすると、私は最高裁判所の裁判官の数はもちろんこれ以上増加する必要はないと思うのです。同時に小法廷というものは、さつき私が考えたような最高裁判所にして行くといらなくなる。それでは裁判官の数を減らしてもいいではないかという議論も起つて参りまして、ある人はそういうふうな制度になれば九人でもよかろう、アメリカの最高裁判所は九人でやつておるがそのくらいでもいいではないかという人もありますが、しかしこれはただちに減少することができるかどうかはやはり事務の分量によつてきまるのではないかと思います。なるほど会議は全部十五人の裁判官でやりますけれども、しかし実際におきましては、おのおのその事件を各自が主任として分担しまして、その主任の裁判官が会議にかける前に十分これを研究し、審理をするのでありますので、そこで一人の分担があまり多くなるようでは最高裁判所としての機能を十分達成できない。だから人数が十人でいいか九人がいいか十五人がいいかということは、やはり事務の分量と見合つた上でないと軽々には判断できないと思います。それからそれでは十五人の会議体では人数が多過ぎて会議体としては困るではないかという疑義を持つ人がありますが、私の経験では、現在大法廷の会議体でやつておる面におきまして、十五人であるからといつてそれが非常に能率を害するとか、やりにくいような点はあまり感じないのであります。十五人より多くなつて二十人、二十五人になつたといたしました場合には、会議体としてはなかなかむずかしいと思いますけれども、十五人までの程度でありますならば、しかも御承知のように最高裁判所の裁判官は、裁判官出身の方と、それから弁護士出身の方と、一般の学識経験の方面からの人と三種類になつておりまして、人間の数もほぼ同じようなぐあいになつておる。これらの人々が寄りましてお互いに意見を闘わせるのでありますが、何も十五人が全部一ぺんに発言するわけではないので、その論点等によつて、順次所見を述べて行くので、またその会議の場合でも十五人がおるがために非常に混乱するというふうなこともないわけであります。さように私は感じておるわけでございます。  それからいよいよ最後に、先ほど委員長から特別な事項について聞きたいという仰せがありましたので、今まで申し上げたことに漏れておる点を申し上げます。最高裁判所の未済事件が昭和二十六年度から二十八年度にかけまして七千件を越えるに至つた原因はどうか。これは私の考えますところでは、御承知のように大審院の時代には判事が四十五人もあつた。それが最高裁判所の十五人になつた。しかるに最高裁判所が発足いたしましてから二年ほどの間は、民事刑事の上告事件につきまして、大審院時代とほぼ同様に上告制限がないままに推移して来ております。刑訴につきましては、昭和二十四年に刑訴法の改正によつて上告制限をし、民事につきましては昭和二十五年に例の民事特例法が制定された。そこで昭和二十三、四の両年は上告調節のないままに事件が殺到して来た。二十三年、二十四年のこのころに、上告し得る事件というのが実際に最高裁判所に来るようになりましてからは、つまりこれも経過規定がありまして、原審の口頭弁論の時期であるとか何とか、そういうものを押えまして、やはり依然として旧法によるということになつておりますので、そこで二十三年、二十四年等の調節のなかつた事件がたまつて、二十六年、二十七年、二十八年にかけまして七千件も事件がふえてしまつたのであります。  それからもう一つは、刑事事件は戦前は年に大体二千件平均であつたのが、戦後は社会状況の変化に基く点で六千件、九千件と、三倍、四倍の事件の激増を示しております。やはりこれがここにかぶさつて来まして、今のような数になつたものと考えております。これは統計的にもそれが十分証明できるところであります。  ところが第二に最近最高裁判所の既済事件が増加し、その反面未済事件がかなり大幅に減少しておる。この事情はどうか、こういう点でありますが、今申しますように、昭和二十四年、二十五年から上告制限ができましたので、その後におきましては上告事件が大分減つて来ております。従つて未済事件をできるだけ裁くことを努力しまして、今日におきましては最近の状況におきましても、未済事件は五千件内外になつております。ところで最高裁判所に未済事件が五千件あるというと、全部それがたなの上に上つてほこりになつておるようにお考えになつておるかもしれませんが、それはそうではないのでありまして、実際において今日未済になつておる事件があるというだけで、それらについては事務的にそれを処理しておるわけであります。と申しますのはまず上告がされまして、そういうことは御専門の皆様方に申し上げるまでもないことでありますけれども、上告されましてから記録がこつちへ来るとか、あるいはまた弁護士さんが上告の理由書、趣意書を出すとか、そういつた期間上訴違憲がある。さらに調査官がこれを受取つて審査をする、そういつたものを入れますと今日の状況では大体上告書を提出してから五箇月くらいの間はかかりまして、そうして初めて裁判官の机の上に来るという状況のようであります。そうするとどうしても五箇月分だけの未済事件というものはいかなる場合にも常にあるということになります。そうして現在毎月の新受が民刑合せて七百件もありますから、五箇月分三千五百件というものが最高裁判所としては未済事件として現にあるわけでございます。すべてが流れ作業に動いておりますけれども、ある時期をとつてみますと三千五百件という未済事件は当然あるのであつて、これは未済事件といつても決して憂うるに足らない当然のことです。そうしてこの三千五百件を上まわる千件なり二千件なりがあるということが、これは味済事件としてわれわれが考えなければならぬことであります。しかしこれらはだんだんと処理いたしまして消化をしてずつと減つて来ております。たとえば近ごろを申しますと月に新受が七百件くらいありますけれども、しかし月に私どもが上告の裁判をいたしまして言い渡しておる事件がやはり七百件もしくはそれを越えております。ですから新受と既決の件数とはほぼ見合つておる。むしろそれを越えておる。また私どもは大いに勉強いたしまして少しでもたまつている事件を勉強によつて消化しておりますので、本年の一月から六月までの新受の事件は三千九百五十五件になつております。それに対して一月から六月までの既済事件は四千五百十七件になつております。そうしますとこれはやはり六百件ほどオーバーして黒字になつておるということがいえるので、こういう情勢が今日あるということを御了解願いたいと思います。  それから第三に大法廷の会議が円滑に行われているかどうか。これは先ほども申し上げましたように、私は何らこれが円滑に行われていないというふうな感じは持ちません。もちろん事件が相当むずかしい事件でありますと一回、二回の会議ではかたがつかない。これは当然そうでありまして、できるだけ慎重な議論を尽してあらゆる角度から検討いたしますので、お互いの間に相当激論が闘かわされることもあるのでございます。これはむしろ当然でありまして、それが何ら不円滑に行われている証拠にはちつともならないのであります。私どもはむしろおのおの主任の事件を持つておりますので、できるだけそういう事件を大法廷の会議の事前に自分がよく消化し勉強して大法廷においてつぶさにそれを皆さんに紹介し、また皆さんもそれに基いて議論をしてもらおうと思つているのですが、何せ相当忙しい状況だものですから、そういう点においていささか欠くるところがあるかもわかりません。  それから小法廷は今三つありますが、これを四部、五部に増加したらば審理の促進ができるではないか、こういうのでありますが、今三部としてやつておりまして、私新受と既済の件数を調べますと黒字になつていることは今申し上げた通りでありますが、ただ部をそう設けますと、やはり最高裁判所としてまちまちの意見が出て来るというおそれが多分にあるのであります。すでに最高裁判所で一ぺん小法廷で判決したその判決と違つた判決を他の小法廷でする場合には、小法廷ではできないので大法廷にかけるということになつておりますけれども、しかしこれがたくさん部ができますと、そういう場合が多くなつてますます大法廷が今度忙しくなる。従つて私は三部で必要にして十分であつて、これをふやすということは審理促進に役立つよりはむしろこれを阻害する結果になるのではないか、またもし部を設ければそれだけ裁判官の増員も必要になる。そういうふうな行き方は私はあまりいいとは思つていないのであります。  それから最高裁判所における司法行政事務の処理方法でありますが、実情を申し上げますと、司法行政事務は裁判官会議でやつております。それを昭和二十七年までは毎週土曜日に全裁判官が寄りまして裁判官会議をやつたのです。ところが二十八年の一月から常置委員制度というものを設けまして、比較的軽微な事件は裁判官の全体の会議から委任をしてもらいまして、常置委員会でやつておる。これは毎週常置委員は各部から一人ずつ出まして長官がそれに加わりまして事務局の人たちと一緒に事務の処理をやつております。そうして月に一ぺんずつ全体の裁判官会議を開くということになつております。この事務の処理方法も相当円滑に行つているものと私は感じております。  それから裁判官会議の運営でありますが、裁判官会議というのは責任を不明確にならしめるという批判があるのでありますが、私が短い経験でありますが、若干触れました範囲におきましては、最高裁判所でも、また下級裁判所でも裁判官会議自身が一般的に非常にぐあいの悪いものであるという印象は受けない。ただ特定の場合にその活動が必ずしも理想的に行つていないという面もあるようでありますが、やはり下級裁判所でも常置委員制度を設げまして、全体会議と常置委員との間で適当に運営しておる。ただ私見を申し上げますと、一体行政事務というものは、こうした会議体でやるということは非能率的であるということは、これは行政学上の公理になつておる。執行機関というものは単独制がいい。会議制というものは、一つの議決機関であつて、ある団体の政策の決定もしくは一般的な方向の企画をする。そういつたようなものとして意味がある。これは株主総会と理事者との関係もそうですし、市町村長と市町村との関係も同様なんです。しかし執行機関を単独制にしますと、まま独裁的な面もあり、また情実も胚胎する。そこで司法権を明朗なものにする意味におきまして、戦後裁判官会議が採用されたのでありまして、その面は私は非常に効果があつたと思います。しかし理論的に申しますと、裁判官会議は大体におきまして、司法行政の根本方針とか準則とかをきめることにして、こまかいことほその庁にまかせるということが望ましいのでありますし、また実際においてはそれをやりつつあるように思うのであります。従つて私は裁判官会議の制度はけつこうな制度であり、これに若干のぐあいの悪い点がありますけれども、これは運用をもつて十分是正し得るのであつて、制度をどうこうというふうな問題ではないように考えております。  以上、私の御報告を終ります。

小林錡自由党

○小林委員長 御質疑はありませんか。

花村四郎自由党

○花村委員 大体けつこうな御意見で、非常に参考に相なつたと申し上げてよろしいのでございますが、一つ承りたいのは、これは仮定の御議論でありましたが、上告部もしくは上告裁判所を設けるという御意見がありました。その上告部もしくは上告裁判所なるものの構想はいかなるものであるか、最高裁判所に設けられるのか、あるいは最高裁判所とは別個に独立した機構を設けられるというのであるか、その点はいかがなものでしようか。

入江俊郎最高裁判所判事

○入江参考人 私の考えは最高裁判所とは、まつたく別個の独立した上告裁判所を設けるか、あるいはさもなければ東京高等裁判所に上告部というものを設けまして、そこで上告を専門にやる、こういう構想を持つております。

花村四郎自由党

○花村委員 そうすると、高等裁判所に設けられる上占部というのは、やはり高等裁判所の判事がもつぱらその裁判に当るということであるのですか。あるいは高等裁判所以外の裁判官をもつて当てるということになりましようか。そしてまた上告裁判所を設けるとするならば、その上告裁判所の裁判官というものをやはりつくることに相なろうと思いますが、それは高等裁判所の裁判官あるいはまた最高裁判所の裁判官というものとにらみ合して、どのような構想になりましようか。その大体をひとつお漏らし願えればけつこうだと思います。

入江俊郎最高裁判所判事

○入江参考人 実は、私は上告裁判所もしくは東京高等裁判所に上告部を設けるといたしましても、それがどのくらいの規模になり、どのくらいのものになるかまでこまかいことを、まだ実はそう考えておりません。けれども、上告裁判所を独立して設ければ、それとして一つの役所ができるわけです。それから、東京高等裁判所に上告部を設けますならば、結局東京高等裁判所の裁判官が上告部を構成しまして、そうしてその上告部の事務を専門にとる、こういうふうになるのじやなかろうかと思います。

花村四郎自由党

○花村委員 もう一つ承りたいのですが、ただいま最高裁判所裁判官会議のお話を承りまして、御説ごもつともだと思いますが、裁判官に関する人事権、たとえば異動等に関する裁判官の人事権も、最高裁判所裁判官会議で扱つておりましようか。あるいはその裁判官のうちでも、上位に位する人は大体その会議で扱つて、比較的下級な者は扱つておらないのか。あるいは全部上から下まで扱つておりましようか。その辺はいかがでしようか。

入江俊郎最高裁判所判事

○入江参考人 最高裁判所におきましては、人事に関することは上から下まで裁判官会議で扱つております。ただ、その実際の扱いを申しますと、人事につきましても、たとえば地方裁判所の所長であるとか、それから高等裁判所の長官であるとかというふうな重要人事と、それからたとえば判事補を甲から乙へ転任させるというようなこととはおのずから軽重の違いがありますので、それで比較的軽易な事件の方は事務局の方で相当研究して原案を出してくれまして、それをもとにして比較的容易に審査する。それから重要人事になりますと、もちろん事務局ではある仕度の参考意見は出しますけれども、それを積極的にいろいろと研究する、そういうふうな扱いはございますが、法律的には全部やるということになつております。

林信雄自由党

○林(信)委員 非常に実際的なことをお伺いしますが、先刻からあなたのお話の内容をこちらでいわば批判的に聞いておりますと、たいへん今でもお忙しいように伺います。私としてもそうであろうと考えるのであります。しかるに民訴の今回の改正その他から関連いたしまして、いましばらく様子を見るべきじやないか。まあせめて期間的に一、二年でもと言われるのでございますけれども、実際上お忙しい状態はその後においてもおそらく緩和せられることがないであろうことも大体の御意見のようですから、そうなりますと、この機構を何とかしなければならぬというのももう大体この際の問題ではないかと思うのであります。それと同時に、非常に実際的だということは、これは言い過ぎになるかもしれませんが、そのお忙しいということが、実は最近の広く言えば世論といいますか、少くとも関係方面において輿論化しまして、機構の問題が論議されると何だか皆さんお立場にある方が批判を受けているような気持で、非常に最近特別に御勉強になつておるというようなことであるといたしますると、そういうことで事件の処理に忙殺せられまして、こういう状態があつてはならぬという状態が臨時に特別に今つくられている。こういう特異の状態を長く置くということは好ましくお考えになつていないのじやないか。そうとしますれば、少しく先を洞察いたしまして、いま少しくゆつくりした形、それが適当であるという考え方に立ちまして、こういう特異の御努力によつて事件処理をされるというような状態はすみやかに解消されることが適当ではないかと思われるのでございます。もし現状維持で参りますると、これはとうていいかないと思われます。結局はお話のように、現状維持論ではない、これは絶対反対だということはわかるのでございますけれども、時期的ではありまするが、その時期はもうここしばらくということよりも、むしろ早急の方がより効果的ではないか、こう思われるのでございますが、いかがなものでございましようか、これをまずお伺いしておきたいと思うのであります。

入江俊郎最高裁判所判事

○入江参考人 その点はこれからの上告事件の増加の趨勢がどうなるかということにかかつておりますので、私にいたしましても先ほど申しましたような形で今すぐ数が多分にふえるであろう、また私自身としてもふえることを心配しておりますけれども、実際に実績を見た上でないとわからないものであります。そこで、制度を改正するということはやはり相当将来の問題に関係しておるし、一ぺん改正しますれば軽々にかえ得べきものではない、そういう意味におきまして慎重にこれを考えていただきたい、そういうふうな意味に御了解願いたいと思います。

林信雄自由党

○林(信)委員 それはまあ考え方の問題でありますが、民事訴訟におきましても刑事訴訟におきましても、時代の趨勢といいますか、権利義務観念の徹底といいますか、趨勢上からいたしまして、とうていそんな楽な時期は予想されないように思うのであります。一応法律の改正もあつたのだからということでありますれば、御意見としてはよくわかります。それ以上お伺いしません。  次に、機構の問題といたしましてお話は、いわゆる上告裁判所、一般訴訟事件の上告を取扱う上告裁判所かそれでなければ高等裁判所に上告部と、二つをこの際お考えになつておるようでありますが、従つて二つということは何かすつきりしないのでございますが、そのうちの高等裁判所に上告部を設けるということは、何らか審級が一つ減少せられたような印象を受ける、いろいろ考え方はありますが、そういうことが一つ考えられまするし、もし上告裁判所を独立の機構としてつくるということは、別の利点といたしまして、実際上裁判官の皆さんが数多い高等裁判所で経歴を終るということよりは、認証官的でない上告裁判所といたしましても、少くとも唯一の独立した裁判所の裁判官ということが最終の経歴になるというようなことは、広く裁判官の気構え、あるいは権威的な考え方、平たく言えば励みでありますか、何かそういつたような裁判官に与えまする心理的な効果、これは私は利点と思うのでありますが、そういうことが考えられるのであります。そういうところから比重にいたしまして、上告裁判所か、高等裁判所に上告部かというこの二種をお考えになつておりますうち、その比重的にでもいずれに重きを置いてお考えになつておられましようか。何かその辺の御意見を承れれば幸いに存じます。

入江俊郎最高裁判所判事

○入江参考人 私が先ほど上告裁判所または東京高等裁判所上告部と申し上げましたのは、やはりこれも上告事件がどのくらいふえるか、そして憲法問題に関係ない法律違反問題として上告されるものがどのくらいになるか、それによつて特に独立した上告裁判所を設ける方がいいか、あるいはそれほどでもなくて、東京高裁に独立の部を設けるがいいかということがきまつて来ると思うのです。ただいまのお話で、裁判官の将来の希望というふうな面の御配慮はまことに感謝にたえないのでありますけれども、ただ制度を考えますときには、それを表に出して、そのためというのもいかがなものか、結局は上告事件の増加の趨勢をにらんでそのいずれかをきめたい、こういう意味で、実は今日どつちかということは言いかねるのであります。

花村四郎自由党

○花村委員 先ほどのお話でしたが、上告部ないしは上告裁判所を設けるということになりますると、最高裁判所で扱う事件は違憲事件のみに限るということになりましようかどうでしようか。

入江俊郎最高裁判所判事

○入江参考人 私の考えではそういうふうにして行きたい、こう思うのです。

花村四郎自由党

○花村委員 最高裁判所が違憲訴訟のみに限つて扱うということになると、今度はその最高裁判所の事件が減少して、十五人の裁判官が手がすいて来るような感じもするのですが、その辺はどうお考えになられますか、これが一つ。そうして事件が多くなることを顧慮してこの上告裁判所の機構を考えるという前に、その上告事件を少くする何か方法はないものかということをお考えになられたことはないか。たとえばアメリカ等においては、大体において一審裁判で、満足するかどうかはわかりませんが、大体一審の裁判に服従して、上告する率が非常に少い。これは上告に関する費用も非常に高いということも、一つの原因でありましよう。また一審で裁判を受けて、いかないものならしようがあるまいというので、あきらめるような気持が相当働いているということも一つの原因でありましよう。これらの事情もありましようが、これに反して日本などは、日本人はとかくとことんまでやつてみなければ気が済まない。人事を尽して天命をまつというので、いくらでもやる、その最終までやつてあきらめようというような気分が非常に強いということ、並びに上告に関する費用も比較的安いということもありましようが、これが高くてもやはりやるところまでやろうというような気分も日本人にはありますから、アメリカとは少し違うようでありますけれども、こういう考えをもう少し是正するように国民をひつぱつて行くというようなこと、並びに一審裁判というものにもつと権威を持たして、どうも二審の裁判官というものは非常にりつばなもので、まずあの裁判官の裁判を受けたならばあきらめていいだろう、むしろ最高裁判所の裁判官の裁判よりもすぐれた裁判を受けられるという考えに、一般の人が一審裁判に悦服をするように一審裁判というものを強化したらどうか。そうして裁判官の優秀な、しかも手腕力量ある、いかなる点から見てもこの裁判甘ならばというような裁判官を一審の裁判法廷に立たしめて、そうして国民が悦服するような裁判をやらせるということにし、またもう一つは、今日は上告裁判の費用も日本などは安いのだから、もつと引上げるというような方途も講じて、かたがた事件を少くするという方面にやはり相当力を注いで行く方が、国家経済の上から見てもよいし、また今の裁判制度の機構等にかんがみても、あまり最高裁判所が機構をあつちにひねり、こつちにひねらぬでも、うまく行くのではないかというようなことも考えられるのですが、そういう点をひとつお考えになつたことがあるかどうか、あるとすればその御意見をお漏らし願えればけつこうだと思います。

入江俊郎最高裁判所判事

○入江参考人 ただいまの花村さんの御意見まことにごもつともでありまして、またきわめて重要なことであります。私は実は花村さんのおつしやいますように、上告事件はできるだけしぼつて上告審というものの性格をはつきりしたい。従つてこれには第一審裁判官の充実もはかる。また訴訟当事者にも審級制度の意味とかあるいは上告審の性質等をよく理解してもらつて、そうして乱訴にならないように指導する。これは裁判官及び在野法曹の方々の重大な責任としてそういうふうに持つて行つていただきたい。従つて実は私は法律制度から見ますと、上告事項は現在の刑事訴訟法で認めておりますような意味の制限が妥当であつて、従つて民事特例法も、特例法というのだから、これを恒久法にした方がいいのですけれども、それにしてもその内容は維持したい、かように深く感じておつたのであります。もしその考え方から行きますれば、あえて上告部、上告裁判所を設けませんでも、最近のように事件が大分最高裁判所で片づいて参りましたから、そこで最高裁判所の調査官をふやすなりその他技術的な面を強化することによつて目的を達するのではなかろうか、さように考えて来ておつたのであります。ところがこの間民事特例法が失効して上訴違憲民訴法の改正というものが現実にあつた今日になりますと、やはり私どもとしてはそれに対処して責任ある考え方をして行かなければならぬ。こういうところから今のような、新たに上告について特別な措置をしなければならぬというような考えが浮んで来たわけであります。でありますので、たとい私が今申しましたように上告裁判所なりあるいは上告部を設けましても、その上告というものは、たとい一般の法令違反について上告ができるとなりましても、やはり上告ということは多分に法令統一の面に重要性があるということを考えまして、一審の裁判でできるだけ満足してもらうように持つて行きたい。この考え方は依然として強く持つております。

花村四郎自由党

○花村委員 今の一審の裁判官もなかなかりつばな若いいい人がおるのですが、どうもこれはわれわれ専門家から見ると、あるいはいいようにも見えるのですが、一般の人が見ると、あまり若い裁判官でどうも何だか物足りないような気分を持たれる人がほとんどもう大部分と私は申し上げていいと思う。そこで裁判官の人事権を持つておられる入江さんのことでありまするから、この点をひとつもう少しお考えになつて、もつと年齢的からいうても、あるいは裁判官に就任しておられた年数等からいわれても、あるいはその他の学識等から見ましても、まあこの裁判官ならばというような、何人が見ても特に頭が下るようないい裁判官といえば語弊があるのですが、優秀な裁判官を一審の法廷に出すようにお心がけを願うことは、事件を少くする意味においても、また裁判に対する国民の信頼を高める意味においてもいいと思うのです。こういうことをわれわれは法務委員会で長く叫んでおるのですがなかなか行われないので、われわれが見ても何だかどうも見ただけで物足りないような気がする人が相当多いと申し上げていいと思うのです。これは優秀でないという意味でもありませんが、まあそういう気分的にももう少しわれわれが希望を十分に抱き得る人、そうして十分にわれわれが信頼し得る人、われわれが十分に尊敬して、もうこの人ならば身も命もまかせていいというような裁判官を一審へ送つてもらうようなことに心がけていただきたいことをこの機会にお願いいたしておきます。

小林錡自由党

○小林委員長 佐瀬君。

佐瀬昌三自由党

○佐瀬委員 上訴制度と違憲訴訟は観念上まつたく別個の問題ですが、しかしこの際われわれが上訴制度を考える場合には、違憲訴訟の実態がどうなつているかということに相関連して考えなければならぬ問題だと思うのです。そこで違憲訴訟というものが、現在どういう実況にあるか――もちろんその統計的な説明はいずれ事務当局にお尋ねしたいのでありますが、大量観察の上からしてどういう傾向をたどつているか、こういうことについて実務の上からの観察を述べていただけば仕合せだと思います。私の考えでは、民事訴訟におきましては、たとえば農地改革に伴う違憲訴訟が相当あつたと思います。しかし農地改革はすでに完了し、またそれに関する憲法問題的な訴訟も一応基準に到達しておると思うのです。従つて漸次減る傾向にあるのではないかという外部からの一応の観察もいたしております。また刑事事件について例をとつてみれば、ポ勅、ポ政等に伴うところの違憲訴訟も独立後には相当減少しているのではないか。しかしまた一方においては人権尊重思想の発達に伴う新たな訴訟も各方面から起きておるかもしれませんが、一体そういうものを概括的に見てどういう趨勢にあるかということに対する御見解をこの機会に伺つておきたいと思います。

入江俊郎最高裁判所判事

○入江参考人 違憲訴訟と申しますか、最高裁判所に上告されて参ります論点の中で、憲法違反を論点としているものは相当の数に上つております。計数的なことはちよつと今用意しておりませんけれども、もうすでに最高裁判所が発足いたしましてから数年になりまして、幾多の判例も出ております。そこで判例とぴつたり合つて――すでに一応判例が出ておりましても、それについて反省をし再検討はしますけれども、判例の変更をする必要がないものは、比較的簡単に小法廷におきましてその判例を引用して事件を解決しております。それから憲法違反ということをいいましても、その実質が単純な法令違反にすぎないのを、ただ憲法違反に名をかりるというものも相当あるのであります。私の達観的なことですから、数字的にはあげにくいのですけれども、やはり違憲だといつて来る論点のうちの半数以上は、違憲に名をかるのではないかと思われるようなものが多うございます。しかし違憲と一応いつて来る以上は、私どもといたしましてはそれについて十分審査をした上で、違憲といつてもこれは単なる法令違反であると初めてそこで解決するわけであります。ところが単なる法令違反というのは上告に制限があつてのときにいえることでありまして、上告制限が取扱われますと、やはり判決の結果にどのくらい影響があるかということを見た上でないと、単なる法令違反で処理しにくいという点がありますけれども、これは憲法問題それ自身ではありません。そこでしからば重要な問題の憲法違反であるというものは、何かお話のように農地改革の問題であるとかあるいは占領時代における法令の問題、三百二十五号の問題、あるいはまた死刑が残虐な刑罰であるかとか、尊族殺がどうであるかとか、こういうような問題が多々論点となりまして、今日まで順々に解決されて来ております。しかし現在でもその他の論点において現に問題となつておるものもあります。やはり将来そういうふうな大きな問題が出て来るのじやないかと思います。これは件数としては少いかもしれないのでありますが、やはりそれを突き詰めて論じますと、またそうして突き詰めて論ずることが私どもの職責だと思うのですけれども、これは一件と申しましても相当に手間がかかつて時間をとる、こういうふうな状況でございます。

佐瀬昌三自由党

○佐瀬委員 もう一点お伺いしておきたいのですが、いわゆる純粋な憲法裁判所に対する御見解は、消極的のように承つておりますが、私もこれは同感であります。憲法等に基いて憲法裁判所の成り行きを見ましても、そういう感がするのでありますが、なおその反対的な理由の根拠としていわゆる統治行為に対する憲法裁判所の判断はこれは困難である。またしかしその困難を乗り越えてあえてそれに触れることは、三権分立の建前から、それ自体が違憲的なものになるんじやないか、こういう考え方になるわけでありますが、そこで一般的抽象的管轄を認めて、たとえば警察法が憲法違反であるとか、そういつたような行き方で、憲法裁判所的な機能を日本の最高裁判所にも求めるということは、現在の憲法八十一条から見ては許されないばかりでなくして、これをたとい改正いたしましても、そういう管轄を拡張して認めることは、やはり統治行為に対する裁判所の干犯行為になり、立憲政治の基本を破壊するものである。言いかえるならば、それは憲法裁判所にあらずして、政治裁判所になるのだというような危険を私どもは感ずるのでありますが、入江参考人のそれに対する御観察はどうであるかということを承つておきたい。  もう一点は、もしそういうことが許されるとしたならば、その最高裁判所なり憲法裁判所なりの判決に対して、民主主義憲法の上において国政の最高機関であると認められる国会そのものが何らかそれをチエツクする制度がまた必要ではないかというふうに私は考えるのであります。最高裁判所なり憲法裁判所なりが、何々法は憲法違反である、あるいは政府の何々の行為は違憲である、無効であるといつた場合に、その判断を終局的に有効ならしむるためには、国会が何らかの形式において国政の最高機関としての承認行為とかなんとか、そういったようなチエツクをする必要があるのではないかというふうにも――私のぼんやりした考えでありますけれども、そういう感想も持つのでありますが、これに対する御見解もあわせてこの機会に承りたい。

入江俊郎最高裁判所判事

○入江参考人 ただいまの、ある法律が憲法違反かどうか、一般的に裁判をするということは、それ自身もやはり一つの統治行為になるのではないかというような御意見と伺いましたが、現在の憲法八十一条ではそこまで認めませんけれども、法律で民衆訴訟的に、ある法律の内容が憲法違反だつたときに、それを一般的に無効を宣言するという制度を認めることはできると私は思うのです。ただそのときに、そのいう意味は、その法律の中のある条項が憲法のある条項に違反する、たとえばある法律を出しまして、そこで強制徴用をするような内容を持つた法律が出たとする。その内容いかんによつてでありますが、仮定をしてみますと、何かそういうふうなものがある。そういうふうなときには、今の民衆訴訟的に、その法律は憲法違反であるといつてもいいのではないかと思うのです。これは佐瀬先生に申し上げるのはかえつて失礼みたいですけれども、アメリカあたりの宣言的裁判、ああいうものにつきましては、やはりある法律の中で、特定のものにある義務を負わせる。これに違反すれば処罰する。ところが、それは憲法違反だと思う人間があつて、自分はその法律が違憲で無効だと思うから、そんな行為の制限を受ける必要はないと思う。そう思うけれども、その場合に、もしその行為の制限に従つていないと懲役に行く。そこでその人としては、自己の信念に基いて懲役に行くか、しからずんば、妥協して自己の信念にもとつて憲法違反の法律に従うかというジレンマに陥る。そういう場合には、その人の申出によつて、その法律が憲法違反であるというようなことを認めるという宣言裁判があります。もつとも、これは英米法の宣言的裁判でありますから、やはりその法令自身の効力をその人に限つて不適用にするというだけでありますが、これをもう一歩進めまして、同じような状態にある人は同じ不安を持つというならば、公益的見地からその法律全体の無効宣言ということを認めてもいいんじやないかと私は思う。その程度のことであるならば、たとい国会において法律を議決いたしましても、その法律の内容そのものを審査するということ自身は、八十一条でも認められていることなんでありますから、国会できめたことをその限度において審査することは、私は統治行為という中には入らぬと思うのですが、しかし国会自身の活動そのものの根本に触れるような問題を理由としてそういう法律の有効無効が問題になつたというふうなことになりますと、これはそのものによつてでありますけれども、あるいは統治行為として大いに考えなければならぬ面があるかと思います。今の法律の違憲の問題につきましては、やはり二種類あるのであります。一般的の無効宣言というふうなことが常に統治行為になるというふうなことは、私は実は考えておらないのであります。

小林錡自由党

○小林委員長 今刑事事件が一般の法令違反を上告の理由にしておらぬから、上告しようという場合に、先ほどお言葉があつたけれども、無理にでも憲法違反に持つて行つて上告をしないと受けつけてもらえないのですが、純然たる憲法のみをやる裁判所ができるとなれば、その分は大分減るんじやないですか。法令違反のものをもし上告に許すとしたら、憲法違反の事件というものは非常に実質的に数は減るんじやありませんか。

入江俊郎最高裁判所判事

○入江参考人 憲法に名をかりるような問題につきましては、一応最高裁判所に上告いたしましても、それは比較的簡単に片づけられると思うのです。しかし実際に内容的な憲法違反の問題につきましてはやはり相当めんどうな問題もありますし、それから私が今申しましたような民衆訴訟的なものを認めるとすれば、やはりそういう面においても相当重要な問題が起つて来るんじやないかと想像するんです。

小林錡自由党

○小林委員長 他に御質疑はありませんか。――それでは本日はこの程度にとどめておきます。  宮沢俊義君は本日都合が悪いということで、八日に出席してくださるということでありますから、御了承願います。  明日は午前十時より開会いたします。  本日はこれにて散会いたします。    午後三時三十九分散会

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