法務委員会 第16号
- 発言数
- 87 件
- 登壇者
- 8 名
- 会派数
- 5
- 開催日
- 1954/03/10
会議録
○小林委員長 これより会議を開きます。 今出席している政府の人は大連文部大臣、緒方政府委員、これは初等中等教育局長、それから初等中等教育局地方課長斉藤説明員、刑事局長の井本政府委員、刑事局公安課長桃沢説明員、犬養法務大臣は間もなく出席するそうです。 法務行政に関する件について調査を進めることにいたしたいと存じますが、本日は特に本件に関連して、義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する法難案に現われました本委員会の所管事項に重要かつ密接な関係のある諸問題に重点を置いて調査を進めることといたしますからさようお含みを願い、御発言もそれによつてなされるように願います。なお質疑の通告をされておる委員の方が多くありますから、大臣に対する質疑は要点を簡潔になさるように特にお願いをしておきます。発言の通告がありますから順次これを許します。猪俣浩三君。
○猪俣委員 ただいま上程されておりまする義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する法律案につきまして、大達文部大臣に伺いたいと思います。 私はこの法案の内容の法律的疑義につきましては専門家でありまする法制局長か、あるいは刑事局長にあとでお尋ねいたしまするが、いかにもこの法案は重大法案でありますがゆえに、この起案者であります文部大臣に対しまして、主として法律議論よりも、この法案を提出になりました前提条件、その前提条件の一つは大達文部大臣の思想そのもの及びこれが草案の審議に対し諮問機関でありました教育審議会のことにつきましていささかお尋ねいたしたいと存じます。 申すまでもなく教育という事業は人生における最も神聖なる事業であり、ほとんど完全なる教育は神様でなければできない程度のものであろうかと存じますが、ただ人間といたしまして、最も神に近い心境のもとにこの文教行政は行わるべきものであることは申すまでもないと存じます。一自由党のそのときの思いつき、一文部大臣、あすにでもやめるかもしれぬ文部大臣の思いつきで文教を支配せられては、それこそたいへんだと存じます。そこで人間が神に近い心になりまするにはそれだけの努力をしなければならず、それはいにしえの聖人が教えましたる三省であります。日に三度省みるというこの三省、キリスト教でいえばざんげであります。これを通じてのみわれわれは神に近づくことができるのである。そこで私は大達大臣がかような教育の中立維持というような困難な法案を出されるに際しまして、大達文部大臣自身の立場というもの、人生観というもの、将来の見通しというようなこと、そういうことに対しまして大達さんはどんな反省をしているかを伺いたいと思う。 なぜ私がかようなことを劈頭に申しますかと申しますと、私は大達さんを信じておりますけれども、大達さんの環境というものは、それ自体が非常に片寄つた環境に育つて来ておられる。明治時代に生を受け、日清戦争、日露戦争時代に成長をせられ、第一次大戦のときには官吏になられ、後満州国、中国遂には昭南市長までもなられ、戦時内閣の内務大臣あるいは東京都長官、かような、経歴の持主であり、戦犯に問われた方であります。新しく未来の日本の教育の大方針、何が中立であるかどうかを判断なさるそのあなたの価値判断基準というものに対してはなはだ疑惑がある。戦時中のあなたの言動というものを考えますと、その人が今追放を解除されてただちに文部大臣という職務につかせられた、これは私は適当ではないと思う。文部大臣に選任する方も方だし、つく方もつく方だと思う。そこに私は相当の反省の機会を得て、新しい時代を凝視した後に、文教のごとき価値判断、人生観というものが大きく影響いたしますその職務につくべきものである、通産大臣や大蔵大臣と違います。私は大達さんのあまりに文部大臣に早く就任されたことに対し遺憾に思います。そこであなたは自分の戦時中の八紘一宇の思想、君の御馬前に討死にする忠君愛国の思想、東条内閣の讃美いたされましたるこのアジアの侵略戦争に一役買つて出られ、日本を今日の悲運に陥れましたそのあなたの思想や過去の行動に対していかなる反省をされたか、その反省をされたことに対しまして承らぬと私どもははなはだ疑念を持つ。あなたはそういう環境におられ、東条内閣に対して非常にこれを賛美する言動をされておつたことは証拠において明らかである。あなたはそれに対していかなる脱皮をされておるか、東条内閣時代の一君万民、八紘一宇の思想そのものを今日継続せられておるといたしますならば、日本の文教政策に対してゆゆしき大問題であります。この第二次世界大戦のいわゆる侵略戦争に加担せられたあなたが、いかなる反省をせられたか、文部大臣としていかなる反省をされ、いかなる自信のもとに文部大臣に、就任せられたか、そこから承りたいと存じます。
○大達国務大臣 私が文部大臣としてその職におることは適当でない、こういうお話であります。御批判は御随意であります。それから私が戦時中の言動あるいはしたことに対してどういうふうに反省をしておるか、こういうお尋ねのようであります。猪俣君は大体私の過去の経歴ということから見て、私がいかにも軍閥の手先になつて戦争を推し進めたという前提でお話をなさつているのではないかと思いますが、これは私の過去の言動について具体的にお示しくださらねば返事のしようがないのであります。ただ経歴がそうだということだけでは御返事のいたし方がない。願わくはどういう言動に対して反省を求めていらつしやるのか、具体的におつしやつていただきたい。ただいま私が、戦時中東条内閣を讃美したということの証拠があるというふうにおつしやいました。私はこれも古いことで記憶がありませんが、私は初めから東条内閣に対しては常に批判的な考え方を持つておりまして、讃美したはずはありません。おせじにもこれを讃美したはずはないと思います。証拠があれば、お示しを願いたい。
○猪俣委員 私も論拠のないことをあなたに言つてはおりません。あなたの当時の言動というものは、新聞に掲載せられ、その新聞の抜粋が集積せられております。その中に今日のわれわれの平和思想とははなはだ違つた東条の思想に非常に共鳴したあなたの言動が多々ある。そうして東条を非常にほめた言葉もあるのであります。今あなたに一括して差上げます。時間をとりますから、私は一々これを読み上げませんが、たくさんあるのです。また当時の東条の性格を知れる者として、東条に反対するような者をその職にとどめている道理はありません。われわれは幾多の事情を知つております。相当の人物が、東条に反対したためにみなやられておる。今の吉田さんだつて多少そういうふうな目にあつた経験があるだろうが、あなたが、あるいは東京都長官、あるいは内務大臣、あるいはシンガポールの市長というように大いに重用せられるについて、東条に共鳴せずしてさような地位に立てる道理がありません。東条の性格がそういう性格であつたことは、あなたよく御存じだと思う。なおあなたが東京都長官のとき、あなたは東条に招集せられまして地方長官会議に出席せられ、東条の訓示に感激して、東条閣下は自分の一身を挺して心配しておられて、実に感動にたえないということを、ちやんとりつぱに言つていらつしやる。そういことは私は今一々ここで読み上げませんが、あとで一覧表であなたに差上げます。もう一つだけ読み上げましよう。あなたはこういうことを言つております。あなたは昭和十八年七月二十日、初代の東京都長官に就任せられ、地方行政区九地域会長に就任せられ、その抱負を発表せられておる。これは朝日新聞の昭和十八年七月二十日付に掲載せられておる。その中に「東条首相は終日自ら議事の指導にあたられ、その間、企業整備、食糧増産対策をはじめ諸問題につき、熱心なしかも隔意のない態度でわれわれ長官と親しく懇談され、われわれ一同深い感銘を与えられたが、なかでも総理の訓示には、この非常時局を突破せんとする熱意気魄が脈々と波打ち大いに心強く感じた」こういうようなことを言つておられる。これでもあなたは東条に同調しなかつたということになるのでありましようか。伺いましよう。
○大達国務大臣 東条大将が、自分のことを批判するとか、あるいは自分のごますりでなければそういう地位に置くはずがない、これはあなたの臆断であります。そういうはずはないというのは、あなたの想像にすぎません。 それから今お読み上げになりましたその文筆は、私も見ました。日教組から私のことについて書いてまわしているパンフレットのようなものであります。その中に、私が記憶にとどめて、確かに私が言つたと思うことも書いてあります。それも相当あります。しかし今お読み上げになりました分は、私はそういうことを言つた覚えはありません。これは日教組の方で新聞を抜粋をするときに――私はその新聞記事は知りませんよ。それを抜粋をするときに、何かほかの人の言つたことでも大方私の言つたことにして出しただろうと思う。その新聞に書いてあるかないかということは別としまして、少くとも私はそういうことを言つた覚えはありません。
○猪俣委員 あなたは文部大臣としてはなはだけしからぬと思うのです。それは普通の大臣ならそういう言いのがれで、そのくらいでいいかもしれないが、文教行政の中心にある者が――朝日新聞といえば、日本で第一流の新聞であります。あなたの言いもせぬことをかつてに書く道理はない。それをあなたが、これは言つたんじやないと言われるが、十年も前の話ですから、言つたんじやないと言われる、あなたの記憶もちよつとおかしい。そうすると、書いたものがものを言うのであります。あなたは、今私が読み上げたようなことを言つたか言わないか、十年後の今日記憶せられておりますか。おそらくそんな記憶はないと思う。お互い相当の年配になりますと、記憶というものは薄らぐものです。十年前あなたが新聞記者に言うたことを今日はつきり否定するだけの記憶があるということは、およそ心理学の原則に反していると思うのであつて、文部大臣がさような答弁をなされることは私はなはだ遺憾であります。そうすると、まだたくさんにありますが、みな言うたことがなかつたようになつては、これはまつたく意味がなくなる。(「新聞に出したらいい」と呼ぶ者あり)これは新聞に出してみたつて、言うたこともないことをかつてに新聞記者が書いたということになつてしまえば、どんな新聞に出しても、全部否定されてしまう。そういうことではしようがないと思う。そこで、なおあなたはこの中で米英打倒を叫び、そして一億一心を叫んでおられる。戦時中のことだから、しかもあなたは役人であつたから、これは私ども今ここで責めてもしかたがない。それであなたはやはり戦犯としてある程度の責任を負われた。だから、私がさつき申し上げたのは、あなたを責めているのじやない。この当時において、鬼畜米英打倒の精神、及び塩断ち茶断ちしてがんばれ、一億一心、全国民が一丸となつて戦争配置につけ、国民総武装、かようなあなたの言動がたくさんあります。あなたが内務大臣のとき閣議はこういうことを決定している。「一億国民が真に一丸となつて戦争配置につき、本格的戦闘態勢を確立することこそ現下の急務である点にかんがみ、本日の閣議において右の方針に関し意見の交換を行つた結果、この際国民総武装を実施することに決定した。その具体案については陸軍、内務、文部の三当局において研究する。」あなたはこのとき内務大臣であられる。そしてあなたは陸軍大臣とともにこの国民総武装の実施の具体策を研究なされた。これも私は今あなたを追究しようというのじやない。私の言わんとするところは、この当時のこの東条の侵略戦争に参画せられ、この片棒をあなたがやはりかついだ責任は免れないが、それはあやまちとして、いわゆる民主政治の今日、平和憲法のできた今日に反省せられたかどうか。それを私はあなたにお尋ねしている。なぜならばあなたは昭和二十年に戦犯容疑で巣鴨へ収容せられましたときに、新聞記者に対してこういう声明をなさつておる。「自分の考えとしては、満州事変からつぎの戦争にかけて、満州・中国・昭南といつも時局の第一線に働いて来たことが、今回逮捕されることとなつた原因の全部でないまでも一部をなしているものと考えている。裁判では、自己の所信を堂々と披瀝する心算だ。新聞を通じて日本人に対する弁明をしようなどという考えは毛頭ない……」そこでやはりあなたは日本人に対して自分がこの戦争に一翼を買つたことが悪かつたというその気持があるのかないのか疑問であります。新聞を通じて日本人に対する弁明をしようなどという考えは毛頭ないということを言つていらつしやる。そこで現在も、この過去の一億一心、一億玉砕、忠君愛国、そうして侵略戦争を是認した、こういう思想に対して反省されたかどうか、それに対して、あなたが文部大臣として真に神に近づかんとするこの重大な責任を感じられて、いかなる反省をしたか。人間は反省することのみが神に近づかせる道であると私は最初に申し上げました。私はあなたの過去を責めておるのではない。こういうあなたは、まるであなたの身体は戦塵の煙に包まれた人物なんだ。それが追放解除になると、いきなり文部大臣に就任せられたというところに大いなる問題があるのであるが、私はあなたはりつぱな人格の方だと思つている。ただ思想がちつと古めかしい。そこでその思想に対してあなたがいかなる反省を加えて、新しい平和な、戦争放棄のこの憲法時代に処する思想転換をされたのか。私はそれをお尋ねしているのです。あなたが過去にこういうことを言うた、言わぬと今追究しておるのではないのです。それだから先ほど読み上げなかつた。とにかくかような戦時内閣の閣僚の一員としてあなたは相当な反省をすべきだと思いますが、どういう反省をしておられるか。あるいは東条内閣時代、あなたの内務大臣時代と同じお考えを今でも持つておられるのか、それをお尋ねいたします。
○大達国務大臣 反省云々ということでありますが、私は何もこういうところで戦時中の私の行動についていろいろ釈明をしようとは思いません。ただ私は、日本の国が興亡の岐路に立つて国民の運命がどうなるかわからぬというこの境目になつて来た場合に、勝つために努力する、それに献身して、身を挺して、勝つために力を合せるということは、私は当然であると思います。日本人である以上は当然である。私はこの点について決して誤つたとは思つておらぬのであります。ただそのほかに私はまことに不徳の者でありますから、私行についてかれこれ言われてもしかたがないことでありますが、しかし私の公人としての言動について具体的に反省を求める点がおありになるならば、具体的にお話をしていただきたい。そうでないと返事のしようがない、こういうことを先ほど申し上げたのであります。ただいまお持ちになつているそのパンフレット、これは私も最近見ました。これを読んでみて、古い話でありますから、むろん記憶もはつきりしないわけでありますが、はつきり私が言つたこともたくさん書いてあります。その中でどうも私のふに落ちない、覚えのないものが三つある。そのときの一読した私の感じでは三つほどあります。その中で一番私が言うはずがない、これは覚えがないと私が申し上げたから、あなたは人間の記憶というものはそう続くものではないと言われましたが、私は先ほど申し上げましたように、東条内閣に対しては初めから批判的な考え方を持つておつた。私はうそは言えないたちでありますから、心にもないことはよう言えないのであります。従つて東条内閣を讃美するようなはずがないのであります。覚えるにも覚えぬにも、そんなはずがない。あのパンフレットを見ると、七月何日かの朝日新聞にこういうことが括孤して何か書いてあります。私は朝日新聞を取寄せて見たいと思つておつたのでありますが、まだ取寄せておりません。しかし私がそんなことを言うはずがないということは、ここで断言できるのであります。おそらく他の行政区地域会長の談話が私の談話としてあそこに利用されているのではないか、しからずんば他の行政区地域会長の言つたことを朝日新聞が間違えて書いたのではないか、そのいずれかであろうと思います。おそらく他の行政区地域会長のおつしやつたことが、朝日新聞に出ておつたものを、私の言つたこととしてそのパンフレットに載せたのではないかと考えております。しかしこれはその新聞の切抜きを取寄せてみなければわかりません。 それからもう一つ、今仰せられた総武装というのは、どうもはつきりとは記憶はありませんが、小磯内閣の末期に総武装という――これはちようど議会の開会中に院内の閣議で提案されたような記憶があります。これは小磯内閣の末期だと思うのです。あるいは日が違つているかもしれません。その場合に私ははつきりこれに反対をして、その案の提出を一応見合せてもらつた覚えがあります。その記憶は確かにあります。それは今猪俣君の言われたような意味で軍国主義がいけないとか、戦争にそういう民衆をかり立てるのがいけないとかいうような理由ではありません。何も抵抗力のない民衆をかり立てて、総武装とか言葉の上だけ強がりを言つて、ますます民心を混乱させることは、無用のことであるという意味で私は反対したのであります。その後あるいはそういう閣議が成立したか知りませんが、どうもこれは小磯内閣末期のことであつたと思います。 それから今仰せになりませんでしたが、占領地の人民に同情するな、日本人は感傷的になつて統治下の人民に必要以上の同情をし、とかく甘やかし過ぎる。特に警察行政の点で痛切に感じる。これが朝日新聞の十七年の三月十三日ということになつている。これはどうも記憶にありませんが、前段の甘やかし過ぎるくらいは言つたかもしれぬと思うのでありますが、特に警察行政の点についてこれを痛切に感じている。これは私としては言うはずのない事柄であります。 それから巣鴨へ入つたときのことをおつしやいましたが「裁判では、自己の所信を堂々と披瀝する心算だ。新聞を通じて日本人に対する弁明をしようなどという考えは毛頭ない……」こう書いてあります。これは声明をしたのではなく、新聞記者がただ私のところを訪問して話し合つたことを要約したというか、新聞記者の感覚で書いた記事であります。裁判というものは御承知の通り戦勝国であるアメリカを初めとして連合国で裁判をしたのであります。当時の私の感じとしては、勝つたからといつて負けた方が悪いときめつけて裁判をするということは、はなはだ奇怪なことである。こう思つたのであります。でありますから、私は敵国においてさばかれる限りこれに服することはできない、こういう感じをもつて所信を言うつもりだ、こういうことを言つたのでありまして、敵によつてさばかれるということを前提にしての話、こういうふうにお読みくだされば、おのずからこの談話の意味がわかると思います。大東亜戦争というものが侵略戦争であつたかどうか、これは私は戦争をすることに賛成をした覚えは毛頭ないのであります。これに反して、当時私は浪人をしておつたのでありますが、何とか戦争にならないようにという意味で、懸命の努力をしたことはしたのであります。これは別に私は吹聴する必要はないから、だれにも言いませんが、これは知つている人は知つております。いくさになつてしまつて、今や日本が滅びるか滅びぬかの境に立つたから、それで負けないために努力した、こういうことでありまして、私としては、何もあなた方にそう言われてはずかしい思いをするようなことはないつもりであります。
○猪俣委員 私どもが大臣には、はなはだ失礼にあたるような言論を用いまして恐縮なんでありますけれども、この教育の中立維持に関する法律案というような、実にふかしぎ千万なる法案の原動力は文部大臣である。こういう法案を断固として出させるために、吉田さんのおめがねにかなつて大臣は就任されたやに言う人もあります。私はそんなことはないとは思いますが。あなたが文部大臣でなければ、私どもはこんなことをとやかく言いませんけれども、文部大臣という教育行政に携わる最高峰の方でありまするがゆえに、その文部大臣自身の考え方というものが日本の教育行政にたいへんな響きを与えますがゆえに、あえて失礼を顧みず質問いたすのでありますが、私はあなたが文部大臣に就任するに際しては、自分も戦時時代のその一翼をになつたことに対して、今後悔している、反省しているという言葉をお聞きしたがつたのであります。しかしあなたはそれに対してさようなことはないのだということをるる言いますので、言いたくもない戦時中の言動をやはりあなたに追究しなければならない。いわゆるシンガポールというような、英領の最重要な植民地のあなたが市長になつた。これは軍部のおめがねにかなわない者がなれる道理がありません。あなたが非常に当時の軍人に受けのよかつた方であることは、この一事だけでもわかる。そうしてあなたはその就任に際しまして、こう言つておられる。「この大きな仕事を与えられたことは、大達一代を通じ、名誉しごくのことだと思つている。精根の限りを尽して御奉公するつもりだ。やり損は絶対ないと確信している。大東亜戦争が終局の目的とするところは、米・英・蘭等の搾取を排撃し、東亜民族共和の八紘一宇の楽園を実現するにある……。しかしこの終局目的を達成するまでには、いろいろな段階があると思う。場合によつては鉄血政治も断固やる。三年かかるか五年かかるか、一応の目鼻がつくまでは、ぼくは断じて退陣せぬよ。」(笑声)あなたの当時の勢いを、今私がまねしてやつてみた。(笑声)こういう勢いであなたはやられた。そこであなたは、その当時のことを何も反省しておらぬということになると、やはり米英蘭等の搾取を排撃して、東亜民族協和の八紘一宇の楽園を実現するという、この大東亜戦争の価値判断を是認されておるものであるかどうか、これを伺いましよう。
○大達国務大臣 この新聞記事は、これはどうも私は言つたんじやないかと思つております。多分これは私の記憶ではシンガポールへ行くときに飛行機で福岡まで行つて、あそこで飛行機の都合で一泊した際に、福岡の新聞記者諸君が見えたときに、この通り言つたかどうかわからぬが、まずこういう意味のことを言つたような記憶があります。私は言つたと思うことは言つたと申します。何もかも、みなうそと言つているわけではありません。ここでいう意味は、私はいくさがすでに始まつたんだ、このいくさに負けては日本の国がどうなるかわからぬ、めちやくちやになるのであるから、何んでもかんでも、ここまで来ればいくさに勝たなければいかぬ、勝つためには無理なこともしなければならぬかもしれない、兵隊だけが必ず勝つというものじやない、行政官でもやりそこないなしに必ず仕上げてみせる、こういう気魄をもつて私は任地におもむくつもりだ、勝つためには他を犠牲にしてもやむを得ない、こういう意味のことは確かに言つたと思います。ただそれだけのことです。
○猪俣委員 私の問いに対してあなたは答弁されておらない。これはあなたは言つたとおつしやるのですから、そこで米、英、蘭等の搾取を排撃し東亜民族協和の八紘一宇の楽園を実現するのが大東亜戦争の目的であるという、そういう観念を現在も反省せずにお持ちであるかどうかということをお尋ねしている。
○大達国務大臣 これは大東亜戦争にあたつて宣戦の詔勅等においてこのことがうたわれておるのであります。この示された目的に向つて、この戦争を遂行せざるを得ない。これは、アメリカは戦犯に当るかどとしては、戦争を開始し、もしくは戦争の遂行に従事したという点が掲げられてあつたようであります。私は開戦を手伝つた覚えは絶対にありません。私は何とかしてとまるようにしたいと思つた。しかし遂行に従事したという点は、これは確かに当ります。そういう意味においてこのいくさに勝たなければならぬ、こういうことを言うたのであります。大東亜戦争がその目的としてこういう目的を掲げておつたということは、これは御承知の通りであります。これをそのときに、この戦争は本来すべき戦争じやない、まことに困つたものである、こういう侵略戦争というか何かしらぬけれども、そういうことは本来してはならぬことであると、そういうような話をしたのでは、これは問題にならぬのであります。
○猪俣委員 今、あなたは御存じでありましよう、日本は平和憲法あるにかかわらず、戦力なき軍隊なんて、とほうもないことを言うて、着々軍隊を持つておる。そうして諸外国におきましては、心配しているものが出て来ておる。そこでかような際にあたりまして、あなたは教育の政治的中立というような標語を掲げて、あなたの所管によつて教育活動をある程度制限しようとしている。そこでその志向するところはどこであるかということは、われわれのみならず、相当利害関係のある国でも注目していることだと思う。そこであなたにこれを聞いているのです。あなたが戦時中に明確にこういうことを言うたんだから、今でも東亜民族協和の八紘一宇の楽園を実現するというような価値判断をお持ちになつているかどうか。あなたは、戦争を起した責任はないかもしれませんが、その当時の大東亜戦争の目的たるこれに対して、あなたは今でもそれで間違つてなかつたのだ、それでいいのだというようなお考えがあるかどうかをお尋ねしておるのです。あなたはどうも顧みて他を言つておられる傾きがある。あなたはこういうことを戦争に際しておつしやつたのだ。昭南市長になるときにおつしやつたのであるが、今でもあなたはちつとも反省しておられないような、その当時のこととあまりかわつておられないようなさつきの御答弁でありますから、従つてあなたが言うたに違いないと自覚されましたこの大東亜戦争に対する価値判断を、今も是としてお持ちであるかどうか、それをお尋ねしておるのです。
○大達国務大臣 私は大東亜戦争というものがならないように心配したということは先ほど申し上げた通りであります。これは侵略戦争であるからとかなんとかいうことじやないので、こういう無謀ないくさをすれば日本は破滅に瀕するのであろう、負けたらむちやくちやになるであろう、それが心配で実はこの戦争に反対の態度を私はとつて来ておつたのであります。しかしながら不幸にして戦争になつた。戦争になれば――これは東条さんが総理大臣をしておつたのでありますが、東条の考えでこの戦争目的というものがきまるのではないと私は思う。その当時の国是として、いわゆる宣戦布告の詔勅その他掲げられた国是としてこれはさまつておつた。これは私だけではない、みな言うたのです。こう言わない者はほとんど一人もなかつた。なぜならばそのときの国是であります。今日は世の中がかわつております。法もかわつて来たが、そのとき私がそう思い、そのときそういうことを言つたことについて、今私は何も人からとがめられる筋はないと思う。とがめるというのは言いがかりです。あたりまえのことです。しかし今日まだ、もう一ぺん大東亜戦争をやつた方がいいとか、そんなばかなことは考えておりません。
○猪俣委員 今あなた自身がおつしやつたように、終戦後平和憲法ができ、戦争放棄の憲法ができ、民主政治になつた今日、世の中はかわつておる。あなたはそういうかわつた世の中の文教の中心に登場されたのであるがゆえに、戦時中あなたは軍部にえらく同調せられたような言動が多々あるが、これは今あなたがおつしやつたように、戦時中みなこんな頭になつていたかもわからぬ。しかしそれを今日どう清算せられたかを私は先ほどからお聞きしている。あなたがその当時言うたことを責めているのではないのです。時代がかわつたのだ。あなた今認められた通りです。そこであなたの頭がかわつたかどうかお聞きしたいのです。そうしないと、あなたの政治的中立と称すること自身が中立じやなくなるのですよ。東条時代の頭でもつて、それを価値標準にせられて、どれが一体右であるか左であるか判断せられたのでは困るというのです。それであなたの頭を今お聞きしておるのです。私の質問の目的はここにある。時代は東条内閣時代とかわつた。東条内閣時代にあなたがおつしやつたことを今とがめておりません。おりませんが、あなたが文教という最も重大な、神に近づくような仕事の中心におられるがゆえに――孔子の教えの中に、日に三度反省して神に近づく努力をしなければならぬということがあるが、私はあなたは人間であるがゆえに神のような完全を要求しておるのではないが、人間が神に近づくためには反省であります。ざんげであります。そこであなたが戦時中、とにかく、戦争の発生は庶幾しないにしても、それに協力し、そうしてこういう言動をせられて来たのであるが、今でもあの当時受けたあなたの思想がかわらぬでいるかどうか。私は先ほど申しましたように、明治、大正の教育を受け、あの第一次、第二次の大戦争のときに官吏として活躍せられたあなたが、自分の思想的偏向というものを一体反省せられたことがあるかどうか。あなた自身はりつばだと思つても、相当反省しませんと偏向に陥る。私はそれをあなたに求めている。あなたの今まで受けた教育、あなたの環境、あなたの経歴というものは、今のこの平和憲法の、民主政治の時代とおよそ違つているのです。だからそこに、あなたが非常に反省を加えないと、東条内閣の思想が今日も残る心配がわれわれに出るのであるから、どういうふうにかわられたか、そのあなたの反省の仕方を最初から私は質問しているのです。その当時言うたことを攻撃しているのではありません。あなたは今日でも八紘一宇のようなことを理想にしておるのであるかどうか。あるいは民主政治の今日、平和憲法の今日では、自分が非常にかわつて来たということであるのかどうか、それをお尋ねしているのです。
○大達国務大臣 私が非常に戦争が好きであるというふうな前提のもとで反省を求められておるようであります。私はしばしば繰返して申し上げるように、決して戦争が好きではないのです。私はいつでも戦争をした方がいいのだと言つたことはない。もし私がそういうことを言つたとするならば、証拠をあげて見せていただきたい。お前は戦争が好きだつたのだ、それを今日のような平和憲法ができている時代に依然としてそういう考え方を持ち続けておるのか、改心したか、一口に言うとそういうお尋ねのようでありますが、私は初めから戦争はきらいであります。
○猪俣委員 あなたは何べん私が問うても問題をそらされてしまう。しかし私は今度あなたに要求します。われわれの集めた資料は、あなたが戦争に協力し、戦争が好きだつたということの甲一号証であります。そこでそうじやないというあなたの方が、東条とけんかした、あいつの政策には私は反対なんだ、私は軍部なんかはきらいなんだとあなたが言うたとするならば、その証拠を提出していただきたい。われわれが今まで読んだことで、あなたが大東亜戦争に協力したという証拠が出ております。協力したであろうと推察の甲一号証は出ております。今度はあなたがそれに対して、東条には自分は参加しない、東条とはけんかしておるのだ、そうして初めからそういう軍部の活動には自分は反対であつたということを、ひとつあなたの方から立証してください、それを私は要求します。あなたの方の立証の段階になつて来ておる。
○大達国務大臣 私は決して東条さんの子分でもなければ、またごまをすつたりなんかした覚えはありません。東条氏は私をどう思つておつたか知りませんが、私は東京都長官をしておる当時、憲兵隊から尋問を受けたのであります。当時親任官でありましたから逮捕することはできませんでした。これは勅許を得なければ逮捕できないから逮捕できませんでしたが、憲兵が私の官舎に出向いて、私を三時間にわたつて尋問したと申しますか質問したと申しますか、そういうことがあつたのであります。その内容は、これはどうもよくそのときの憲兵の言うことは意味がわからなかつたが、東条大将の暗殺というわけでもないでしようが、何か処刑されるとかなんとかいうことに、私が首謀者であるとかあるいはその相談に乗つておるとか、そういうことの疑いがあつたようであります。その後半月くらいは私の官舎の――芝の公園の中にあつたのでありますが、門の中には常に憲兵が七、八人うろうろ出入りして監視しておつたこともあります。あなたは私がシンガポールの市長になつたからおそらく東条のお気に入りであつたろうとか、あるいは都長官になつたんだから東条にごますつたんだろうとか、これは先ほど申し上げたようにあなたの臆測であります。私はそういうことをした覚えはなく、あなたの想像されるような人間ではありません。この中にも書いてありますが、これは実は談でなしに私が筆をとつて書いたのであります。昭和十八年六月三十日の文章の中に、「虚心に卒直に時局の深刻なる実相を見つめて、やがて来ることあるべき最悪の事態を観念せねばならぬ。」それから「本土空襲は必至であるという。しかし、口先だけでいつているのでは何もならない。身体全体でわからねばいけないのである。巌頭に立つて脚下千丈の深渕を凝視し得る者こそ勇者である。時局は今日ただ今、国民にこの大勢を要求しているのである。時局の真相をつかみ、これから割りだされてくる最悪の事態を直視する心」これはいくさに負けるぞということであります。昭和十八年の六月、このままで行けばいくさに負けるぞということを言つたつもりであります。当時東条大将はそういう意味のことを一切いやがつたことは御承知の通り。ただ必勝必勝と言つて国民をかり立てたのであります。私はその態度がはなはだ不満であるから――ここにはこのわずかな部分しか出ておりません。当時これは東京都の都会議員の第一回の選挙をするにあたつて、その選挙に対して都民に訴える、こういう名目で私が筆をとつたのであります。選挙についてはほとんど何も言つておらぬ。ひとえに、このままで行けば日本の国は負けるぞ、そればかりに重点を置いてそれを言つたのであります。東条大将はこれに対し、非常な不満であつたことは当然であります。 それから第一回の東京都の都会議員も当時御承知の通り、わが国においては戦時中は全部いわゆる翼賛選挙である。いなかの市町村会議員の選挙までいわゆる推薦選挙であつたのでありますが、東京都の第一回の都会議員の選挙をするにあたつては、これは戦時中唯一の例でありますが、そういう翼賛選挙、推薦制度をとらない普通の自由選挙でやつたのであります。これに対しては当時東条大将並びに内務大臣から、非常な圧迫がありました。私は都長官に就任早々、都の都会議員の選挙にまで一々さしずがましいことを受けることならば、即刻辞表を出す、こういうことでつつぱつて、いわゆる自由選挙を行つたのであります。これはお調べになればわかります。戦時中唯一の自由選挙の例であります。私は翼賛選挙のようなことははなはだよろしくない、これを確信しておつたのであります。おつたからそういうふうにしたのでありまして、国中を敵と味方にわけるようなやり方をしていくさに勝てるものか、こういう考え方をしておつたわけであります。いくらでもそういう事例はありますから、もしお聞きになりたければいくらでも申し上げます。
○猪俣委員 あなたは自分の有利なことはよく覚えていらつしやるのだが、そうでないことは忘れた部分もあるようであります。そこで私どもは頭が悪いから、今あなたが言われてもすぐ忘れてしまいますから、なお確かめておきますが、そうすると戦時中あなたが考えておられた人生観、価値判断というものがどういうものであるかはお尋ねしませんが、今日もそれを少しも反省する必要もなし、その通りの考えが持続せられておる、こう承つてよろしいか。
○大達国務大臣 私は繰返し申上げるように、決していくさがすきなんじやありません。またこの前の大東亜戦争に賛成したりする方向に協力したり、そういうことは絶対にいたしておりません。私は戦争はきらいであります。ただ私が戦争に協力した、あるいはそれに関係するいろいろのポストについたということをもつて、あなたは私が戦争がすきだ、あるいは軍国主義の仲間に入つたとかいわんばかりのことを言われるけれども、私は今申し上げるように、戦争はきらいであります。ただ私はあの戦争が始まつた以上は、勝たなければ、日本民族はめちやくちやになる。だから何とかして勝ちたい、こう考えただけであります。もし不幸にしてさようなことが再び起つたと仮定しますれば――そういうことはないでありましようが、そういう場合が起れば、私はやはり同じ意味でもしお役に立つならば、日本が勝つために、日本の民族を守るために、できるだけの力を尽したい、今日でもさように考えております。
○猪俣委員 私はあなたが戦争がすきだなどということを一つも言うた覚えはない。あなたはそういう的はずれたことで答弁されておる。私がさつきから詳しく聞いておることは、この大東亜戦争の目的となりました米英蘭等の搾取を排撃し、東亜民族協和の八紘一宇の楽園を実現するという、この価値判断を是認するとともに、それがすきだ、きらいだじやない。これはあの当時としてはやむを得なかつた。そうしてこれは許さるべきことであるというふうな価値判断を今でも訂正せずにお持ちであるかどうか。これを聞くゆえんのものは、相手の米英蘭はかわつたでございましようけれども、東亜民族協和の八紘一宇の楽園を実現するということは、東条のいわゆる八紘一宇論として有名な侵略思想であります。ある人間は、この大東亜戦争は今日アジアの民族の独立運動を引起した、非常にあれは功績のあつたものであるというようなことを、近ごろ占領軍がいなくなりましたから直接弾圧しませんから、そういうことを言い出す人間が出て来ている。そこでこれが文部大臣たるあなたとしては問題になるのであります。あの大東亜戦争は東亜諸民族の独立を促したというようなお考えなり、この八紘一宇の楽園を実現するということは今でも正しいのだ。西洋の圧迫からアジアを解放して八紘一宇の楽園を建設するということは正しい世界観なんだということを今でもお持ちであるかどうかを先ほどから私は聞いておるのであります。そのほかに、あなたが戦争の発起人であるの、戦争が実に三度の飯よりも好きだ、そんなことをあなたに聞いておるのじやない。この価値判断を聞いておるのです。文部大臣であるがゆえに私は聞いておる。
○大達国務大臣 私は率直に申し上げて米英蘭を打倒して、そうしていわゆる掲げられた目的が達せられるものとは思つておりません。これは偽らざる気持であります。ただ私は何でもかでも負けてはならぬと思つておつた。これはわが民族を守りたい、こういう考え方であります。負けてはならぬ、こう思つておりました。そうしてちようどシンガポールに行く途上、どうもこういう戦争ははなはだ困つた戦争で、間違つた戦争であるけれども、やむを得ぬから、これから行くんだ、こういうことは言いもしなければ思いもしません。この戦争がすでに始められて国策として――国の決定として戦争が始められたのであります。そうして示されたことはこの通りであります。この通りのことをうたわれたのであります。だからそれをそのまま言つた、私は何もこうやつて――八紘一宇というのはどういうことかわかりませんが、世界中を日本の手に収めるのだとか、そういうできもせぬくだらぬことを考えたことはありません。ただ当時これは法律以上、軍の国策として決定されておつたことなのであります。それを言つただけのことで、それを私の思想だとかなんとかいつて――大体先ほどから申し上げたことで私はおわかりになつているのじやないか、この点だけにけちをつけて言いがかりをつけておられる、私はそう思います。失礼ですけれども……。
○猪俣委員 そういう無礼なことを言うなら私はやります。何を言うんですか。文教の責任者であるがゆえに、私は重大視して聞いておる。あなたの個人の非常に清潔な政治家であること、硬骨漢であること、ふにやふにやの現在の政治家と違つてりつぱな人物であることに私は敬意を表しておる。私はあなたにけちをつける考えで質問しておるのじやありません。そんなりようけんの狭い男じやありません。あなたのいいところは十分認めて、現在まれな政治家だと思つている。ただ少し頭が古いんだ、それが心配なんです。それであなたに質問しているんです。その古い頭で文教の任にあつて、あれは右だ、あれは左だと価値判断をせられては困るので私は質問しておる。決してあなたにけちをつけて、あなたの価値を減じようなどと思つているものじやありません。あなたがりつぱな方であることは公私ともに私はよく知つております。実に現代まれなる清潔な政治家であります。これはほんとうにおせじではない、私はひとつ申し上げておきます。そしてあなたは非常に堅固な立場に立つておる。それだけにあなたを敵にまわすと非常にこわいのです。(笑声)その堅固なあなたが、一世紀も昔の頭で文教行政をやられては実に困るのであります。そこで私はあなたにどの程度だろうかと思つて、あなたの頭の測定を今やつたところなんです。相当古いという認定です。(笑声)まあしかしこれ以上は議論になります。私はこの問題についてあなたともつと語りたいのですけれども、さつき委員長の忠告もありましたので、それはまた他日を期しまして、なおもう一点、これも議論よりあなたの考え方をお尋ねしたいと思います。 あなたは改造の三月号に「悪罵のなかに」と題して、「「教育の中立性」をめぐつて」として、論文を発表された。論文だか談話の筆記だか発表された。しかし聞くところによれば、これに発表されたものは、あなたが雑誌記者の原稿を丁寧に検閲せられて、相当三分の一か三分の三くらいも削除されて、そうして当りさわりのないところだけこれに発表を許されたというように聞いております。それでもわれわれにとつてはなかなか当りさわりがあるのでありまして、これに基いてお聞きしなければなりませんが、ここに現われた以外の相当あなたが削つた中に、あなたの非常な本体があるんじやないかと想像しながら質問いたします。この中に「他人の子を国があずかる以上、個人としても社会人としても、立派な教養を身につけた人間に仕立て上げるという前提でなければ、他人の子を義務として教育するという制度のあるはずがありません。ですから国には、国民の子弟をあずかる限りは、ほんとうに真面目な立派な人間にし、立派な社会を形成するに足る人間を育て上げる義務があります。」これは一応はもつともであります。ところがあなたが考えておるりつぱな社会を形成するに足る人間というのは、りつぱな社会というのはどういう社会をあなたはお考えになつておるか。現代自由党が多数をとり、そうして財閥が全部自由党にくつついて政治献金を多額にし、そうして今日天下を騒がしておるような汚職が大流行しておる、こういう社会をりつぱな社会とお考えになるのか、あるいは十年、二十年、三十年先の搾取なき社会をりつぱな社会として認識されておるのか、そこでその社会の構成員たる人間を育てるのにどういう社会を頭に描いて、そして育て上げる義務が国にあり、教師にあるというふうにあなたは考えておられるのか、これを承りたい。
○大達国務大臣 そこに言つてありますことは、その通り私は言つたかどうかわかりませんが、りつぱな社会を形成するに足るような人間に育て上げなければならぬ、これは私はその通りと思つております。りつぱな社会とは何であるか、これは決して自由党社会あるいはまた汚職の多い社会、そういうものをりつぱな社会という言葉で表わすはずがありません。自由党だけが横暴なことをする、そういうものがりつぱな社会であるという考え方は、りつぱな社会という普通の常識から出て来るはずがないのであります。りつぱな社会とはりつぱな社会。(笑声)これを基本法なり憲法式に言えば、平和な文化的な社会、そういう社会がりつぱな社会である。それをあなたは私がどういう社会を目標として子供を育て上げるつもりかというお尋ねでありますが、私は来るべき社会がこうこういう社会でなければならぬ、今あなたのおつしやつたような搾取のない、貧乏のない社会――これはそういうことを言う人もあります。これはそれぞれの人によつて違うのです。そのいずれかの考え方をりつぱな社会と前提をして、そうしてそれに向くように子供をしたて上げる、これは私はいけないと思つておる。これがこの教育中立性に関する法律案を提出した次第であります。りつぱな社会ということは国民の良識によつてきまることであります。各社会を通じて、おのずからりつぱな社会と下等な社会はわかる。何もりつぱな社会という言葉で下等な社会を考えておるなんということはあり得ないことであります。
○猪俣委員 教育というものは理想主義に立脚しているものです。だから私があなたにお尋ねするのは、現代あなたの目に触れ耳にせられておる現代の社会のようなものを考えて教育せよという意味なのか、十年、二十年、三十年先の社会というもの、これはある程度科学的合理的に判定できます。そういう社会を理念に置いて教育せよというのか。つまり文化的、あるいは貧乏のないという抽象論にあらずして、それを時間的に世の進展のプロセスにおいてとらえて、いつごろの社会ということをあなたが認定せられて、いつごろを目標に置いて――教育というものは長期計画であります。五箇年計画、十箇年計画といいますが、これこそこの子供たちが成人しまして、りつぱな社会の構成員となりまして、活躍するころのことを想定しなければならぬ最長期計画のものであることは、あなた御存じだろうと思う。そこで一体その二十年、三十年後の社会というものを想定して、そうしてその構成員として足る人物を養成するという意味でしようか。現在のような社会が二十年、三十年後も存在し、そこでそういうものを目標にして教育するというような点が、あなたのよりよき社会、りつぱな社会、このりつぱな社会というあなたの考え方の時間的の内容はいつごろのことを言うのであるか、それを私お尋ねしている。
○大達国務大臣 私は期限を切つて、私の頭で考えておる社会というものを実現する、さような考えは毛頭ないのであります。これは国民が自主的にりつぱな社会を協力してつくり上げて行くべき筋合いのものであり、そういう社会をつくるのに、国民が適正な判断をし、良識のある国民をつくり上げて行くというのが私は教育の目的であると思うのであります。今軍国主義社会であるとか、あるいは共産主義社会であるとか、社会主義社会、資本主義社会あるいは官僚万能社会であるとか、そういう内容を私がきめて――これは私だけではない、どの政府でも、どの大臣でも、そういう僭越なことをすべきものではない、私はさように思つておるのであります。だれかが、来るべき社会というものをこういう社会にこしらえ上げるのだという前提のもとに、小国民をそれに引きずつて行くということであれば、これははなはだ不都合なことであると思うのであります。私は何も私自身がこういう社会ああいう社会というものを予定して、それに子供を引きつけて行くなんということは、私の考えとちようど正反対の考え方でありまして、さようなことはありません。ただ社会というものが、常によりよき社会に前進して行かなければならぬ、これは当然なことであります。それがためには、良識のある、判断力のある、自主性のある国民をつくり上げる、これが根本であり、また教育の目的であろうと思うのであります。もし一国の文教が特殊な特定の社会というものを予定して、そうしてその社会を建設するための教育が行われることは、よその国はいざ知らず、わが国のような国柄においてとらるべき政策ではない、かように考えます。
○猪俣委員 これは教育なるものについて大達さんはほとんど無知だとぼくは考えます。しかしここは法務委員会でありまして、あまりそういう内容を長つたらしくやつておりますと、文部委員会のお株をとるようになると思いますが、ここに、よき社会の構成員というあなたの言葉があるがゆえに、この内容を私は聞いておる。ところが今のお答はほとんど抽象論で、何らの具体性がない。そうしてまた何らの具体性ないことでなければ教育はいけないのだというところに非常に誤謬がある。誤謬がありますが、これは次に譲ります。 そうすると、こういうことも中立を阻害することになるかどうか。やはり戦前のような万世一系の天皇が政治の中心となる、民をいつくしみ、民は一君万民で天皇に帰一し奉る、そうしておる社会が道義が高揚し国民が緊張してりつぱな社会だ、こういうようなことを言いましても、あなたとすればこれはこの教育の中立性を破つた考え方だということになるのでありますか、お尋ねします。
○大達国務大臣 もしいずれかの政党がただいまお述べになりましたような主張を掲げたとき――これは実際そういう政党があるかないか知りませんが、かりにそういう天皇神聖ということを主張の根幹としておる政党があるとした場合に、その特定の政党というものを支持する教育を行います場合には、これはいわゆる片寄つた教育、それのみを子供に教え込むということは教育の中立性を阻害するものだ、かように考えております。
○猪俣委員 まだお尋ねしたいことはたくさんありますが、私ばかりで占有してしまうということになるので、私はまだこのあなたの言うたことを数十箇所みんな片つぱしからお尋ねしたいと思つたのですが、またあとの楽しみにしておくことにいたします。 そこできようは大達文部大臣の思想調査はこのくらいにいたしまして、法律上の構成につきまして、刑事局長がおいでになりましたらちよつと御説明を願いたいと思います。それは、義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する法律業、これの第三条……。
○小林委員長 ちよつと猪俣君、文部大臣はもう退席していいのですか。
○猪俣委員 私はけつこうですが、皆さんは……。
○小林委員長 それでは関連質問を許します。高橋禎一君。
○高橋(禎)委員 文部大臣にお尋ねいたします。この義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する法律案、これを提案された理由は、義務教育の政治的中立を確保する、これが主たる目的のように御説明もあり、私どももそう考えるわけでありますが、教育は教育基本法等にありますように、政治的中立ということがその理想であることは申し上げるまでもありません。そこで文部大臣は、今日まで日本の教育の中立性確保についてどういうふうな措置をとられたか、いわば日本の政治の立場から、そして所管の文部大臣として、教育の中立性についてどのような手段をもつて御努力になつたか、その点をお尋ねいたしたいと思います。
○大達国務大臣 教育の中立性という問題は、これは言葉を簡単にして中立性という言葉を使つておるのでありまして、すでに基本法の第八条にこのことを具体的に、特定の政党政派に偏した教育をしてはならぬということが書いてあるのであります。その精神が今日の学校教育の面において貫かれておりますれば、これはかような法律案を出す必要はないのであります。ただはなはだ残念なことには、どうもとかくこの中立性ということが侵犯をされておる、されておると言わないまでも、少くともその危険が今日認められる、至るところにさような事態が起りましては、これはわが国の前途といたしましてもきわめて大きい影響のあることであつて、基本法の八条の精神もそのまま蹂躙されることになりますので、今においてこれを何とか確保する方途を講じたい、これが今日法律案を提出して御審議をいただいておる理由であります。そこで、それならばどういう努力をして参つたかというお言葉でありますが、文部省といたしましては従来学習指導要領というものによつて学校教育を指導しておるのでありますが、この指導要領におきましては、常にこの中立性を堅持すべきことを主眼といたしまして、その点の指導に努めておるわけであります。それから私が昨年文部大臣に就任をいたしまして間もなくあつたことでありますが、具体的の例として御承知の山口県の小学的日記の問題が起きました。こういう場合に、これはまことに憂慮すべき事態であると考えましたので、当時文部大臣といたしまして、この事例のあつたことを契機といたしまして、全国各地の県教育委員会の方に通達を出しまして、あらためて教育の中立性の必要がある、それが学校によつて絶対に堅持せられなければならぬということを強く通達をいたして参つたわけであります。ただ御承知の通り、今日学校教育に対する文部大臣の地位というものは、これは教育委員会が運営をしておるのでありまして、これは御承知の通り、一般の直接選挙によつて選ばれた人々が直接民衆の意向を反映するという意味で運営に当つておりますので、この運営に当る教育委員会というものを命令し指揮し監督する権限は文部大臣にないのであります。これは当然でありまして、直接選挙によつて民衆から選ばれて来た人を役所がさしずするということは、これは考えられないのがあたりまえであります。さようなわけでありまして、常にこの地方の教育委員の諸君に対しても、その機能を十分に発揮してもらいたいという意味で、これを何とか育成をして強化をして参りたい。御承知のように、この教育委員会というものは、新しい制度であると同時に、また従つて発足間もない制度であります。わが国としてはまつたく今までなれていない仕事でありますし、その他予算等においても十分でない点があつて、今日十分にその機能を発揮しておりません。そして文部省が活発にこれを指揮監督するというようなことはただいまの建前ではできないのでありまして、先ほど申し上げた通達のようなものも、ただこれに勧告をするという域を出ないのであります。従つて教育委員会の力がそれを受けて活発に動いていただけば、この中立性維持については非常に力強いのでありますけれども、それが私どもの期待しておるようにはなかなか参らぬのであります。ことに地方の教育委員会等にもこの通達か流れておらぬ、大部分県の教育委員会で握りつぶしになつておる。かような重大な問題でありますけれども、それ以上文部大臣が行政千段に訴えてこれを確保するという道がないのであります。従つて国会の御審議をいただいて、法律によつて、国民の意思を直接代表せられる国会の意思にまつて、この中立の確保ということに新しい手を打つていただきたい、こういうふうに考えておるのであります。従来いろいろ努力はして参つたつもりでありますが、残念ながらその効果が十分に認められない、こういう実情であります。
○高橋(禎)委員 文部大臣の御答弁を承りますと、第一に指導要額というものを出してある。それから山口県の例の小学生の日記の問題について通達を出してある。これが文部省として日本の教育の中立性を確保するためになさつた事柄の全部であると承るのであります。そういうことで一体その職責を十分果し得たものであるとお考えになるのかどうかということが第一点、次には今の教育委員会の制度をもつてしては、教育の中立性はとうてい望めないというふうにお考えになつておるようであるが、その点はそうであるかどうか、はつきりとお答えを願いたいと考えます。 そこで文部大臣は、もう自分たちとしても、教育委員会の立場としても教育の中立性はとうてい保ち得ない段階に達したから、そこで今度の新しい法案を提出した。これは結局刑罰をもつて教育の中立性を維持しようということ以外の何ものでもないわけです。これはもう文部大臣よくおわかりと思うのであります。教育の中立性が日本の責任ある立場の人たちの活動をもつてしてはとうてい確保できない、従つてもう刑罰以外にないのだ、それで今度この法案を提出して来た、こういうふうな御答弁のように私には受取れるのでありますが、その点はさようであるかどうか、はつきりとお答えを願いたいと思います。
○大達国務大臣 ただいま申し上げましたように教育の中立性に関係をして、教育委員会の委員の方々が特に重点を置いてこれを確保する、また直接学校の教育に当られる先生方もその気持になつて、この点に行き過ぎの起らぬようにということであれば、これは一番けつこうなことであります。ただ実情を申し上げますと、これはすでに御承知の通りでありますが、日教組、その下部団体であるところの県教組、これが今日日本の学校教育の面に対しては非常に影響力を持つておるのであります。私がまことに残念に思いますことは、学校における偏向教育なるものが、日教組の指令に基き、あるいはその掲げられたる方針によつてなされておるのではないか、こういうことが考えられることでございます。そこでこの問題は、いずれ先々よくなるであろうということで、荏苒待つておるべき問題ではないのであります。と私は思うのであります。現に次の時代を背負うべき大切な子供が、何人か、少くとも何人かは虫ばまれつつあると思うのであります。でありまするから、これを気長に待つておるということはできないことではないか、今日の状態においては放置し得ないことである、かように思うのであります。この法律ができましても、これができたからといつて、一挙にそれがとまるということの保証もありません。ただこの法律は、ごらんになります通りに、そういう片寄つた教育を学校において行わせようとする、いわばその邪悪な行為に対する取締り規定であります。だれも、特定の人を相手にしてその人を縛りつける規定ではありません。一定の行為を対象として、その行為を取締る規定であります。従つて、さような特殊な目的を持つて日本の学校の教育の場を撹乱しようとするような、そういう人々にとつてはまことに迷惑な法律であるかもしれない。しかしながらそうでない人々にとつては、何にも妨げになりきゆうくつになる規定ではないと私は思つておるのであります。従つてこの法律は、出すような事情に至つたことはまことに残念に思いますけれども、しかしこの法律が出た結果非常に悪い影響が教育の場に来る――御承知のように、今日日教組の諸君がしきりとそれをビラなりあるいはパンフレットにして宣伝をしておりますが、私から言えば、これはまつたく理由のないものが大多数であります。結局学校に働きかけて、きわめて片寄つた教育を子供につぎ込もう、こういう考えを持つ人は、そういう行為をすればこれによつて取締られるでありましよう。しかしそういうことをしない人にとつては、何にも痛痒を感ずるはずのないものであります。一面において事態は、事柄が事柄でありますから、現に日々何人かの、あるいは何十人かの子供が虫ばまれつつあると私は考え得ると思いますので、それでこの法律を出すのであります。教育委員会あるいは教職員の諸君、そういう面の自覚と奮起を促して、わが国の教育を正常な軌道をはずれないようにしたい。また教員団体の方面におきましても、そのあるべき姿に立つて教育の上に貢献をし、健全な発達をされることを希望するのでありまして、その場合に、こういうややもすれば日本の教育にとつて非常に有害な因子となるような行動を避けてもらいたい、そういう意味においてこの法律を出すのであります。教育自身が自覚をして、自粛をして、そうしてまじめな教育が行われる、また教員団体もあまりこういうことに力こぶを入れて偏向教育をけしかけるようなことをひとつやめてもらつて、そうして真に国民の信頼する教員団体になつてもらいたい、かような考え方でこの法律案を出しておるのであります。
○高橋(禎)委員 私も教育の中立性は確保しなければならぬという考えを持つておるわけです。文部大臣とその点においてはあるいは一致するのではないか、こう思いますが、ただ問題は方法なんです。一体今の文部行政をもつてしても、教育委員会の制度をもつてしても、教育の中立性というものはとうてい確保できないのかどうか、この点についてまだはつきりとした御答弁を伺つてないわけであります。今の制度をもつてしたのでは――刑罰をもつて臨む以外に道はないんだというふうにお考えになるのであるか、あるいはもつと他の制度を考えてみる必要があるんじやないか、刑罰をもつて臨むということよりも、むしろそういう方面を考えて教育の中立性というものを確保した方がいいのじやないか、こういうことが大きな問題であると思うのであります。 それから第二には、この法律をつくつても何も間違いを起さなければ、言葉をかえれば犯罪を犯しさえしなければ罰を受けるんでないのだから、犯罪を犯そうと思わない者は何もそう気にする必要はないじやないか、心配する必要はないじやないかとおつしやいますけれども、それは文部大臣、刑罰法の効果というものをいま少し深く考えていただかなければならない。刑罰法の効果は申し上げれば十分おわかりくださると思うのですが、犯罪が起つたときにそれを処罰するという効果だけではないのです。刑罰法規を制定しておくということ自体によつて威嚇的効力という大きな効力があるのです。それを先ほどの文部大臣のお言葉では全然お考えになつておらないように思うのであります。すなわちこの法律が制定されることによつて大きな威嚇になる、その威嚇によつて、犯罪を犯そうと思ふ者は犯罪を犯さなくなる場合が相当ある、それから犯罪になるかならないかわからぬけれども、まあ遠慮しておこう、こういう場合も相当あるわけです。すなわち君子危うきに近寄らずということになるわけです。犯罪を犯してから後の処罰ということは別といたしまして、そういう威嚇による方法によつて、はたして真に教育の中立性を確保できるのかどうか、またその他教育上これが非常に悪い影響を及ぼすことになりはしないか、その点について文部大臣の御所見を承りたい。これが第二点。 いま一点は、これは文部大臣のお答えの中にあつたことですからこの際お尋ねしておくわけでありますが、処罰の請求は、この法律案によると教育委員会が請求するという場合もあるわけです。これが相当多いようになつておりますが、現在の教育委員会の制度をもつてしたのでは教育の中立性を確保することおぼつかなし、こうお考えになつておられる文部大臣が、この法律に規定したところの犯罪を犯したとき、あるいは犯罪の疑いありと考えたときに、その処罰の請求をこの教育委員会にまかせておくということは、文部大臣の先ほどの答弁と矛盾しないかどうか、一体それで教育の中立性確保の目的を達し得るかどうか、この三点について御答弁をお願いいたします。
○大達国務大臣 教育委員会制度を全然役に立たないものであるというふうには私は考えておらぬのであります。これはせつかくわが国にできた新しい民主的教育の基本的な機構でありますから、これをとにかく育て上げて、強化する方向に持つて行きたい。ただ、先ほど申しましたように、この教育委員会の運営と申しますかその機能がまだ今日では十分に発揮されていないという面も多々あるように私は思うのであります。そこで、一番初めのお尋ねの問題でありますが、この教育委員会制度を検討して、もつと有効に、日本の教育を正常な軌道に乗らせるように、あるいは正常な軌道を踏みはずさせないようにするということが一応考えられるのであります。しかしながら、御承知の通り制度には一利一害というものが伴うのでありまして、簡単にこれならば申分のない制度であるといえるものはなかなかないのであります。戦前のように、たとえば文部省、府県知事、あるいは学務部長であるとか視学官であるとか、学務委員、こういつた一連のいわゆる中央集権的な系統の教育行政も健全に運営されればそういう問題はなくなる場合もありましよう。しかしながら、逆に先ほどからお話のありますような文部大臣の考え方で日本の教育がどうにでも左右せられる危険はあるのでありまして、要するにその人の考え方にゆだねられるということは非常ないわゆる邦家の危険を伴うものであると思うのであります。従つて、この制度をただちに昔にもどすということもよほど考えものでありまして、直接選挙による教育委員会制度というものに、今日の法制がそういう点の保障を求めておるのでありますから、よほど事態をきわめて、これならば間違いのないという制度が考えられればそれは別でありますけれども、簡単にこの制度を動かすことは、よいと思つたらとんでもない結果がまた別に起つて来るということもあり得るのでありまして、私どもとしては、教育制度そのものの改廃によつて教育の中立性を維持するという点については十分検討しないと、なかなか簡単にこれならという案が見つからないというのが偽らざる心境であります。 それからこの法律の効果の問題でありますが、ただいま御指摘になりましたように威嚇というか何というかわかりませんが、とにかくかような法律ができれば、この法律に触れることのないようにめいめい警戒をし用心をするということには、もちろんなろうと思います。ただその場合において考えられることは、学校の直接教職に当つておる先生方にこの処罰をもつて臨む、つまり偏向教育をするその先生方をただちに処罰の対象にするということであれば、ただいま御指摘になりましたように非常に先生方が萎縮をして、なるべく当らずさわらずのことを言つておく、うつかりしやべるとどうひつかかるかわからない、こういう結果を招来するおそれが多分にあると思うのであります。でありますから、この法律におきましては、学校の教育に当る先生を直接処罰の対象にはしておらぬのであります。それらの先生方に呼びかけて、あなた方は子供にこういうふうに教えてはいかぬとか、こういうふうなやり方をしなければいかぬとか、非常に片寄つたことを先生方に知恵をつけて、片寄つた教育をさせようとする行為、これはどう見ても取締りの対象となつてさしつかえない行為であります。この行為だけを対象として処罰する、こういうことでありまして、それがために学校の教員が非常に萎縮する、うつかりものが言えない、そういうことは起らないと考えておるのであります。なおこれらについては世間でいろいろの論議があります。私どもはできるだけ、いわゆる行き過ぎの起らないようにという点についてはあらゆる考慮を払つたのでありまして、最後にお尋ねになりました教育委員会の請求によつて云々、これもその配慮から出たものであります。犯罪に該当する人は学校の先生外の、外から教唆扇動する人であります。しかしながらその現われとして学校の教育の面に現われが出て来るのでありますから、さような場合に普通であると、いわゆる今日やかましく言われておる警察官が教室内に入つて行くというような事態も、これは起らぬとは限らない。これはしかしそのこと自身はやむを得ないことでありまして、およそ犯罪というものは家の中で行われるかもしれない、往来で行われるかもしれない、学校の中で行われる場合もある。その場合に犯罪の捜査をする警察官が、家庭の中に入る場合もあるであろうし、役所の中に入つて来る場合もあるであろうし、学校の中に入つて来る場合もあるであろう。でありますから、このこと自体をとらえて、ゆえにこのことはいけないんだというりくつは、私は通らぬりくつだと思いますけれども、しかしこれがやかましい問題であるだけに、ただ警察官が進んでそういう捜査に出かけて行くというようなことでは、やはり行き過ぎの問題が起り得るのでありますから、そこで学校の運営について直接責任を持つものは教育委員会であります。平たく申し上げますと、教育委員会が見ておつて、そうしてとてもうるさく、側からまぜ返されては困る、こういう場合に教育委員会が請求をする、請求があつて初めて司直の手が動く、こういう構え方にしたわけであります。これも今申し上げるように、決してこれは教育委員会を信用してないものに請求さしてもしようがないんじやないかというようなお言葉でありますが、しかし決して今日の教育委員会が万全にその機能を発揮しておるものとは思いません。しかしながら全然役に立たぬものであるとも私は思つておらぬのであります。やはり責任者が教育委員会であり、一番の中心が教育委員会でありますから、教育委員会が見て、こう外から違乱されてはとても困る、学校の先生方の手ではやりきれないんだというふうに教育委員会が認めた場合に、教育委員会の活動によつて捜査の手が伸びる、こういうふうにしたのでございます。
○高橋(禎)委員 私は今まで文部大臣は非常に勇ましい、自分で責任を持つて、自分の職責を果そうという気魄、意気のある方だとこう考えておりました。文部大臣自身もそう思つていらつしやるだろうと思うのですが、この法案は、先ほど来の御答弁を総合してみると、どうも今の制度では教育の中立性確保にとても自信が持てない。それかといつて制度を改めるということも、これも自分の方では迷つておる。だからしかたがないから、結局この政治的中立の確保に関する法律を出して、刑罰でもつて、その力で教育の中立性を確保しよう。こういうことになつたんだというお話であります。刑罰でもつて教育の中立性を確保するという仕事は、もう文部大臣から離れて、法務省の方に行つてしまうのであります。日本の現在の教育の政治的中立性を確保するということは、一番困難な、そして一番大きな問題ではないかと私は思うのです。それをもう法務省の方へ渡してしまつて、自分の方じや関係ないぞということになるわけであります。そういうことをなさつたのじや、もう文部行政そのものについて、ほんとうに熱意をお持ちになり、自分がこの際日本の教育という問題について正しい制度を打立てるなり、その他刑罰なんかの方法によらないでひとつ解決をつけて行こうというこの考え方がなくなつた、自信がなくなつたというふうに受取れるわけであります。そういうふうにお考えになるよりは、むしろ刑罰なんかはやむを得ざる場合にその力を借りるとしても、現在の制度なりの改正とか、あるいは自分の現在なし得る範囲内において、力を尽すことによつてこの教育の中立性を確保しようという、こういう熱意をお持ちになる方が、そうしてその方面に努力なさる方が正しいのではないか、こういうふうに思えるから、そこのところをもう一度はつきりと御答弁願いたい。 ついででありますから、なおこの際お尋ねいたしたいと思いますのは、現在の日本国憲法をそのままにしておいて、教育の中立性確保ということが文部大臣は望めると思つておられるかどうか。日本の教育の中立性確保の立場に立つて日本国憲法は改正する必要があるとお思いになるか、お思いにならないか、この点をひとつ。 いま一つ少し問題がこまかくなりますが、犯罪捜査の場合に学校にあるいは警察官が出入りするというようになるかもしれない。文部大臣としては実にあきらめ切つたような、そうしてそれは当然だとお考えになるような御答弁ですが、それでは私はたいへんだと思う。これは殺人罪とか火つけとかいう場合には、授業中でも学校における犯罪捜査をするということも、これはやむを得ないこともあるかもしれませんけれども、こういうような事件、かりに教育委員会が請求した場合において、あるいはまた請求をしなくても、ここは文部大臣御専門でないからどういうふうにお考えになつておるかわかりませんけれども、請求しなくても、犯罪捜査は場合によればやるかもしれない、やり得ると思います。そういうときに、やたらに学園に捜査官が出入りするということはたいへんなことなのであります。私は文部大臣としてはこの問題は真剣に考えて、かりにこういう法律が制定されたとしても、この運用にあたつてはよほど関係当局に対して強い決意をもつてその運用に間違いのないように、妥当の方法をとるべきことを要請しなければならぬと思います。われわれが考えても心配するのであります。文部大臣の言葉をかりていえば、今一番困つておる日教組の方から教唆扇動した人を調べるから、それはそう心配ないだろうと思つておられたら大間違いだ。教唆扇動の事実をはつきりさすために、教唆扇動された人を調べなければならぬ。教唆扇動された人がどういう教育をしたかということを、ある場合によつては児童生徒について調べなければならぬかもしれない。そういうときにやたらに学園に捜査官、しかも素質のあまりよくない捜査官が出入りするということは、日本の将来の教育のために憂慮すべきことなのであります。それらについての御見解を承りたい。
○大達国務大臣 文部大臣の権限内におきまして教育の中立性を確保するために、これはもちろん今後とも努力して参りたい、かように思つております。教育の中立性確保については、私は別にあきらめておるわけではないのでありまして、非常にこれは大切なる問題であります。こういうふうに考えますからこそ、この法律案を政府として、また文部大臣として今回提案いたしたわけであります。御承知の通り、ずいぶんこれにはごうごうたる非難がありますが、その非難がありましても、どうしてもこの法律は出さなければならぬと考えますことは、私はこの教育の中立性というものはきわめて重要なことである、何とかこれを確保したいという私の気持の現われであると御承知をいただきたいと思うのであります。もちろん今後におきましてこの法律ができたからこれでいいのだというものではありません。あらゆる点においてこの中立性を学校教育の面において打立てるためには、今後ともあらゆる努力を集中して参りたい、かように考えております。 それから現在の憲法をそのままにしておいてはたして教育の中立性というものが維持できるのかというお尋ねでありましたが、私は教育の中立性を維持する観点から、憲法を改正しなければならぬということはないと思つております。 それから最後に、学園に警察の手あるいは捜査官が入つて来る、これはなるほど御指摘のように、請求をまつてその罪を論ずるということにしてあつても、請求がなくともその捜査をするということはあり得ることであり、またできないことではないと思います。しかしながら請求があつて初めて罪を論ずるのと、請求がなくても、当然司直官の職務の責任として非違をただすという場合とは、事実上は非常な違いであろうと思います。りくつはかりに請求がなくても捜査をすることはできるでありましよう。しかし実際においては非常な違い方である、こういうふうに考えますので、ただいまお尋ねのような心配もありまして、請求をまつて罪を論ずるという制度にしたわけであります。できるだけ警察官の侵入によつて学内の静謐が脅かされることのないようにしたいということは、私どもとしても多大の関心を持つておるわけであります。
○高橋(禎)委員 今最後にお答えのありました点については、これは文部大臣も真剣にお考えをなさらなければいけない問題だと思う。まして警察の職務の中には犯罪の予防というのがある。そうすると、わかりやすい言葉を使いますが、日教組が教唆扇動したという被害の面が現実において現われるのは教室ということになるわけです。すなわち教員の教育の仕方、児童、生徒の教育を受けた場所、要するに教場ということになるのです。ところが警察官の職務の中には犯罪の予防ということもあるのですから、事件が起きなくても、学園というものが、よほど注意しなければ蹂躙される危険がある。いわんや犯罪予防という立場から学園にやたらに出入りするということにたつたら、それこそごつた返しなんです。しかも児童、生徒というような、まだ実に思慮の定まつていない人たちのところでそれが行われるということと、警察に対する日本国民のものの考え方ということ、また警察のやり方ということを考えますと、これはたいへんなことです。これはよほど注意されなければならぬという問題がここにおるということだけを最後に申し上げまして、お尋ねいたしたいのは、先ほど来質問いたしましたように、現行の制度ではどうも教育の中立性を確保できない、自信が持てない、それでこの法律を出すとおつしやるのですが、ところが一面文部大臣は、何、これは日教組等のああいう団体のある人たち、あるいはその組織活動を利用する人たちだけのことだから大したことはないのだとおつしやる。そういうふうに信念を持つておられることであれば、一体これだけの法律を実施することによつて、現在の制度はそのままにしておいて、それで教育の中立性を確保するのに十分とお思いになつておるのかどうか。その点をお伺いいたしたい。
○大達国務大臣 これは教育の中立性が侵害される場合として、学校の先生がだれの働きかけも受けないで先生自身の考えで非常に片寄つた教育をする、こういう場合が一つ想像されるのであります。そういう場合に対する考え方として、いわゆる教育公務員特例法の一部を改正する法律案を出したのであります。これは、先生方ができるだけ政治的に深入りしないように、政治的に中立の態度を先生自身がとることによつて、教員の公務である教育面においてへんぱなことが行われるようなことがないようにしたい、こういう考え方であります。それからもう一つの教育の中立性を脅かすものは、外から働きかけるもので、今日現実にさような事実が認められるのであります。従つて、外から来る働きかけというものを排除するということは、先生自身をそういう煩瑣な不当な影響からかばうということになると私は思うのであります。その働きかけをする行為を取締りの対象とした法律というのが、この今の中立性確保に関する法律なのであります。この両方の考え方によりまして、学校における教育の中立性を確保したい、こう考えております。 しからば、この二つの法律が出れば、それで完全であるかということでございますが、これは、この二つが出さえすれば、それで十分であるというふうには私は考えておらぬのであります。この法律が出たからと言つて、それで世の中がきちんと秩序が維持され、樹立されるものではありません。これはひとりこの場合のみではないと思いますが、しかしこれによつて、教育の中立性が確保せられなければならないということははつきりするのであります。そうして現実の問題としては、これに働きかけて来るものとして一番危険に考えられるのは、教職員団体の組織あるいは活動を通じて行われて来る働きで、その実情にかんがみまして、その点に限定をしてその働きかけを抑えるわけで、この場合におきましても、やはり一定の目的をもつてする働きかけ――ただ世の中のどこかに隠れておつた哲学者が飄然として出て来て、そうして学校の先生を集めて、教育はかくあるべしというようなことを申しましても、その人がただ単に世の中の真理がそうであるということで言うた場合には、これは罰則の対象にはしない。特定の政治的目的をもつて働きかける場合、だれが見ても党勢拡張である、あるいは選挙運動のためであるということがわかるもの、あるいはまた特定の内閣を維持したいとか、反対したいとかいうような政治的の目的をもつて学校の教育の場を利用しようとして、教職員の教唆扇動して働きかけをするということは、だけが見ても決して穏当な行為ではない。ただそういうものが世の中になければ、別に何もこういう取締りの法規を出す必要はないけれども、現実にそういうことが認められる限りは、それを取締る法律を出すのは当然であると思うのであります。そういうわけでありますから、これが出たからと言つて、もう法律さえ出ればあとはよろしいというようなものでないことはむろんであります。私どもはこの法律によつて関係方面の自覚を促すと同時に、やはりこの教育の中立性維持の問題につきましては、私どもの関係する限り、全力をあげてこれを確保して、学校の教育の面に打立てるよう努力したいと思います。 学園内に警察官が入ることにつきましては、御心配の通り、もしそういうことであるならば、これが非常に困つた事態を引起す端緒になるということが考えられます。この点につきまして、私どもとしては、それぞれ法務省の方のお考えもありましようし、また法務省の方にいろいろお願いを申し上げる場合もあるでしよう。これらの点につきましては、あるいは法務大臣も出ておられまするから、お考えを聞いていただいた方がいいかと思いますが、私はただ犯罪の予防とか何とかいうようなことで、警察官がやたらに学校に出入りして、そうして児童あるいは先生方に不安を与えるとか、その学内の静謐を脅かすとか、そういうことがあつてはならぬということは繰返し申し上げておるところであります。それがためにこの請求ということにしたわけであります。その点はお了承いただきたいと思います。
○小林委員長 ちよつと速記をとめて。 〔速記中止〕
○小林委員長 それでは速記を始めて、 関連質問について申出がありますから、順序に従つて許します。木下郁君。
○木下委員 先刻猪俣委員から、大臣の過去のいろいろのことについて、今の新憲法からも、文教の最高の地位につかれるということについては、国民も非常に不安を感じておる。また今度二つの法案をお出しになつたその基本的な考え方というものについて、詳しく質疑応答があつたわけであります。そういう点について私はいろいろ繰返しません。重複しないようにしたいと思いまするが、今当面しておる問題について一、二お考えを伺いたい。また先ほどのお話の中に出て来た問題にも触れてみたいと思います。 と申しますのは、先ほど、自分は戦争中、国策としてきまつておつたんだからその点について協力したというお話がありました。戦争後、戦時中には声を聞かなかつた人から、いや、自分は、戦争は初めから負けると思つておつたという声をたくさん聞いたのであります。私自身は、その声を聞いたときに非常に不快に感じておつたのであります。国策できまつておつたからといつても、自分がよろしくないと思えば、それはつつぱねるべきものであつたと私は考えておる。それを右へならえでやつて来た今までの日本の姿が今日に至らしめた重大な原因だ、かように私は考えております。さような意味で、文部大臣の先ほどのお答えは、私自身としてはどうも納得が行かないのであります。また先ほど文部大臣は、敵国がさばくあの裁判はよろしくないということを言つたんだ――私自身その点については同じ感じを持つているものであります。のみならず、あの裁判自体十分考えなければならぬ。今日本国民の中におきましては、あの裁判自体に対して非常な不満を持つものがおり、ことにまた原子爆弾の問題等を考えますと、あれは戦勝国のやり方だ――また占領軍のアメリカのやつた政治はどうか。これはいろいろ例を申し上げません。文部大臣も、そこにいらつしやる法務大臣も、追放になられた経験を持つております。かく申します私自身もその経験を持つているのでありますが、追放の一事をもちましても――日清戦争に出て、特務曹長か何かしておつて腰の曲つておる人が、在郷軍人の分会長をしておつて、これが追放になつており、陸海軍の大元帥をしておつた人が追放にも何にもならないでやつている、かような姿で一体綱紀が保てるものかどうか。今日の日本の綱紀の頽廃は、アメリカのあの占領政策の筋の通らないやり方が非常に大きな影響をしていると考えております。かような点、文部大臣に対しても国民は疑問を持つているのであります。本日の御答弁の中にそういう問題が出ましたが、あのアメリカのやつた戦争裁判というものは、かつての敵国においても識者が、もしさばく立場がかわつておつたならば、あの原子兵器を用いた、その最高の決定をしたトルーマン、チャーチル、スターリン、この三人と、これを作戦に用いたところのマッカーサー元帥、この四人は少くとも被告席に立たなければならぬということを堂々と申しております。それに対しまして、日本において責任の地位にある人が、一口も触れない。占領下においては罰せられることであるからみな遠慮する。しかしながら、少くとも吉田総理は、あの講和会議の席上において、この点を国民にかわつて訴えて行くだけの気魄を持つていらつしやると思つておつたが、そのことには一言半句も触れません。今日に至るまでそのような点について――私はあの吉田総理の気魄に対してまことに遺憾に思つておる一人でありますが、文教の最高の責任者であります文部大臣がお見えになつておる、そしてこの戦争裁判の問題にも触れられました。あの裁判について一体いかがお考えになつておるか。さような点の基本的態度、文部大臣の気魄が国民の前にはつきりしなければ国民にいくらお説教をしたところで耐乏生活にも耐えませんし、また再建のほんとうの気組みもできない。正しいことであれば、千万人といえどもわれ行かんという、世界が反対しても自分が正しいと信ずればそれをやるのだというだけの――いくさに負けて経済力が弱い、しかしながら正しいことはわれわれは勇敢にやらなければならない、一歩も譲らないぞという気魄を示す必要があると思う。さような意味で、この機会に文部大臣のあの戦争裁判に対するその適法性、戦争裁判が妥当なりやいなやという点についてお考えを伺いたいと思うのであります。
○大達国務大臣 私が戦争に協力したと申しますが、一旦開戦になつて、国策としてできたのだからそれに協力するのだ、こういうふうにおとりになつたようであります。それはそうもとれるのでありますが、私は戦争をすることにはちつとも賛成しないというか、私の考え方としては反対であつた、ただ一旦戦争になつた以上は、このままほつたらかしておいて民族が滅亡したのでは困る、だからいい悪いは問題ではない、力を尽す機会が与えられれば、民族を守るためにできるだけのことをしなければならぬ、そういうふうな考え方でいわゆる戦争に協力をしたのでありまして、私はイデオロギーとかなんとかいうような考え方であの戦争に協力したのではない、私は日本民族が滅亡の一歩手前におつて少しでもこれを防ぎとめたい、それには微力でも力を尽すのがあたりまえだ、こういう考え方で戦争に協力したのであります。 それから戦争裁判のことでありますが、法律的にこれが違法のものであるとかなんとかいうことは私にわかりません。しかし私個人の考えを申し上げますと、これははなはだえてかつてなものである、こう実は思つております。先ほど質問がありました裁判になれば堂々所信を申し述べるつもりである、ただ国民に向つて何も言うことはない、こういう意味のことを逆に聞いたということを猪俣委員からも御指摘になりましたが、いい悪いは別として、とにかく戦争に従事し、戦争に協力した、一人として国民に向つては負けた今日何を願うことがあろうか、弁解も何もする必要はない、負けたのだ、負けたあとになつて私は、よかつたのだ、いい悪いとかいうことを国民に向つて言う気持はない。ただ敵が勝つたからといつてこれを法律上あるいは道徳的な犯罪として私をさばくというのなら、相手が敵であれば私は堂々その点所信を申し述べるつもりだ。負けた今日、打ちのめされた国民に私が私の身の上の釈明をするというような気持は毛頭ない。ただ敵によつてさばかれるならば言い分がある。実はこういうつもりで話したのでありまして、これは個人的な意見でありますから、別に文部大臣としてとか、だれの意見ということではありません。個人的な意見をお聞きになるからそれを申し上げるので、私はああいうことは野蛮人のすることである、食人部落がけんかをして、勝てばあとで首祭りをするのと同じことだと思つております。
○木下委員 その戦争裁判に対する点をはつきり率直に個人的なお感じを承りましてその点ちよつと愉快になりました。ただ戦争協力の点につきましては、少しく今の国策が云々というものと違いますけれども、閣僚であるというような人は――あの当時は国民は戦争の実相を知りません。しかしながら閣僚である人は相当の姿を知つており、ことに昭和十八年の中ごろからあぶない、十九年になればあぶないではなくて負けると思つておるというふうにも考えられる。私はいまさら言うてもせんのないことでありますけれども、負けると思つておつたならばそれをほんとうに訴えてくれれば、あるいは昭和十九年の八月十五日まで待たないで、昭和十九年の一月、二月ごろに勇敢にその声を出してもらつたならば、日本の戦災家屋も六、七割は助かつておる。そうすれば人の命の取返しもつきます。若い人の命は別としても…。家だけでも相当復興の資材が助かつておるというふうに考えておる。さような意味で今までの日本人の政治に対する勇気が足らなかつた。この点については絶対主義の天皇制というようなものは重大な責任があると思つております。ことに今度お出しになつた二つの法案につきましても、今まで私ども子供のときから少しく物心のついた中学のころから、いくじのないものは小学校の先生だというように考えて来ております。月給は少いし、月給の少いだけではありません。孔子に要求するかのごときものを国民が要求しておる道徳標準であるというので、学校の先生であるという一事をもつて、普通の人間がすれば何でもないことでも学校の先生はこうだというふうにして監視の目がある、教育勅語をちよつと読み違えるとすぐ問題にされる。戦々きようきようとしておられる。その学校の先生、常に外の人の顔色を見ながら暮して来た学校の先生、いくじのないことになるのはあたりまえであります。そのいくじのない先生に育てられた生徒が潤達な伸び伸びした者になるはずがありません。日本が今日に至つた大きな原因はそこにあると私は思う。それがこの戦争の大きな犠牲の結果解放されて、せつかく学校の先生が今こそ伸び伸びしようという一歩を踏み出したときにこの二つの法案が出た。これは何としても私はげせない。さような点について文部大臣はこの法案を起案されるにあたりましてお考えになつたかどうか、その点を伺いたいと思うわけであります。
○大達国務大臣 学校の先生がいくじがない、戦争中勅語を読み違えても問題にされたというので手も足も出ないような状態になつたということが日本の不幸をもたらした一つの原因である、この点については私は大体いくじがないと言つては言い過ぎでありましようが、その点は自主性がないといいますか、自主性に乏しいといいますか、私は同感であります。戦争中東条内閣時代に勅語をちよつと読み違えてもすぐ問題にされる。天皇という名前がちよつと出ればすぐ気をつけの姿勢をしなければ不敬呼ばわりされた。一番こつけいであつたと考えるのは、私は東京都会で行儀が悪いものですからほほづえついておつたら、天皇という名前が出たにもかかわらずほほづえをついているのは何だといつてえらくしかられたことがある。よく聞いてみると、神武天皇以来ということだけ演壇に立つた人が言つた。そのときに私は気をつけの姿勢をしなかつたというので文句を言われて驚いたことがある。かような極端な時代が再び来ることは絶対に希望しておらぬ、こういうことのないようにしたいというのがこの法律案を提出するに至つた理由であります。こういう片寄つた一方的なわけもわからぬことを人に押しつけることはいけない、こういうことがこの法律案を出した理由であります。今日、お言葉の通り、私は学校の先生方が比較的自主性に乏しいというのが実際ではないかと思う。だから戦争中はちよつとしたことにもおびえた、今日またいわゆる日教組あたりが強い影響力を持つて指令を流すとか、いろいろな宣伝文書を送りつけるというと、これまたそれに屈服して、そうして多数の先生は――世間でこれは言つております、日教組は丹頂づるだと言つておる。先生全体が非常に片寄つた考え方をしておるのだとは世間では認めておらぬ。丹頂づるであるということを言われることは、日本の多数の学校教職員が自主性がないということを言われておるのと同じことであつて、これは教職員自身が反省せらるべきことである。少数の人々によつて牛耳られておる、その人々の思う通りになつておるということが世評の一般であります。これは言葉をかえて言えば、今日の大部分の学校教職員というものが自主性に乏しい、一部の影響、一部の支配にぞうさもなく服する、こういう状態にあると思うのであります。でありますから、私は決して左がかつたところだけを押えたいというのではない。戦争中のような極端な右の方も押えなければならぬ。ただそういう比較的自主性に乏しい学校の先生方に、いろいろと指令を出したり、教唆扇動したり、これに不当な影響力、不当な支配力を及ぼそうとするさような行為を排除したい、こういうのが私の真意であります。
○木下委員 少しく問題が具体的になりますけれども、この学校の先生方に対して外から教唆扇動するのを取締るということで、この義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する法律案というのが出ておりますが、もう一つの教育公務員特例法の一部を改正する法律案、この方は今まで学校の先生は、自分の学校のある市町村では選挙運動ができないけれどもほかではできるという、この改正法の趣旨を見ますと、この前のもう一つの方の問題に便乗して、これを地方事務所の範囲にしますと、一部になります。その範囲を広げて行く、さような意味で、何ら先刻来のこの立法の理由の御説明にも関係のない、政治活動の範囲を地域的に縮めるというような結果が出て来るように思いまするが、この点はどういうわけでこれが出ておるのか承つておきたい。
○大達国務大臣 これは先ほどちよつと申し上げたのでありますが、これは公務員たる教職員に限る問題でありますが、今日公務員については、国家公務員たると地方公務員たるとを問わず、一定の政治行為についてはこれを制限されておるのであります。問題は、公立学校の先生方はその学校の所在地だけに限つてその政治行動が制限されておる。一歩その所在地の地域を離れれば、選挙運動でも何でもできる、こういうことになつております。この点、私どもとしては、教育というものはそれぞれその地域だけを対象とするものではない、国民全体に直接責任をもつて、国民全体に対する奉仕としてなさるべきものだ、こういうふうに基本法にも書いてありますので、教育というものはただ地域というものでなしに、全体としての公務である、その点は国家公務員たる教職員と区別すべき理由がない。平たく言うと、国立の付属の中学の先生も公立の中学の先生も、その点において区別する理由はない。であるからこれを国家公務員並に、国家公務員たる教職員と同じ扱い方にする、こういうのが法律の考えであります。そこでしからばなぜそういうことをするかというと、りくつを言えば今申し上げるように、教育というものの特殊性から来るのでありますが、しかし実際面の理由といたしましては、今日学校の――一体この公務員に限つて政治行動を制限するという制度の趣旨を考えてみますと、公務員というものは公務が適正に公平に行われなければならぬ、これは絶対の要請であります。そこでその公務員というものが適正公平に公務を行うためには、公務員自身があまり政治に深入りをしない、いわば政治的に中立的な立場をとつておる。極端に政争に奔走したり、政治に深入りをしたりということであれば、おのずからそこに公務の上にへんぱ、不公平な執行というものが考えられるから、そこで公務員である限りは、政治にあまり深入りをしないでほしい。そういうことによつてその公務の適正公平な執を期待する。これがおそらく今日のこの制度の趣旨であろうと思います。そこで実際の問題といたしましても、学校の教職員の人々が、今日日教組の指導下に選挙運動に狂奔をしておる。これは狂奔をしておるということが言い過ぎであるとするならば、とにかく日教組というものが事実上公認候補者というものを出して、選挙運動の音頭をとつておるのであります。先ほど申し上げましたように、学校の先生がとにかく自主性かないというか、長いものに巻かれろというような形になりやすいのでありまして、どうしてもこの先生方が政党という意識に深入りをして、政治的中立的な立場を見失いやすいというのが私は現状であると思います。でありますから、それが教育の面、その先生の担当する公務である学校教育の面に、その先生自身の持つ政治的な偏向というものが自然現われて来るのではないか。この意味において、一般の公務員の場合と同じように、一般の公務員が職務を適正公平に行うことが必要であると同じように、学校の先生はその公務である教育を極端に片寄るということなしに、公務を執行してもらいたい。その点からいえば国立学校の場合も公立学校の場合もそこに区別すべき、差別を置くべき理由がないと考えまするので、それでこの教育公務員特例法の一部改正法案を出したわけであります。
○小林委員長 なるべくひとつに簡単に……。
○木下委員 では簡単にします。最初に私が申しましたように、先生を伸び伸びさせなければ、日本の民主化はできない、さような意味で私の伺つた教育公務員特例法の一部改正というのは、今のお話なら全然納得いたしません。と申しますのは国立学校の先生を――公立学校の先生が今制約されておることも私は反対であります。今の現行法で制約されておる地域内に国立学校の方を同調させるならこれは筋が通ります。今の教唆扇動のあの問題と何も関係がないのに、いかにもそれがあるかのごとく、この機会に出して、そうして地域が広められている国立学校の先生の方に右へならえをさせようとするこの特例法のやり方については、私はやはり世間で言つている通り、あなたの考え方が反動的であつて、こういうふうななるべく先生の活動を制約しようという最初からの意図がある。これはこの教唆扇動の問題と全然関係のないことである。政治活動の範囲をこの機会にこの特例法でもつて縮めようとするわけである。それから日教組がかれこれという問題等につきましてはこれはよくお考え願いたい。政治結社は各県において別にできております。私もそれをつくるときに法律上の意見を求められたことがあります。それは私自身も、そのときに日教組等というふうなものが労働組合と同じ、裏返しにしたようなものが、できておつたのでは、やがては世間がそれを批判するときが来やしないかということを私はその当時から考えておりました。さようなことは世間の批判という一つの経験を得て自主的に改まつて行くべきものであつて、これを法律で罰則をもつて縛つて行つて取締るというやり方、そういうものの考え方はその点について先刻来猪俣委員からお話がありましたように、私自身も同じ考え方を持つておる。あなたのものの考え方は罰則をもつてすぐこれをやろうという権力の至上主義と申しますか、さような意味でせつかく伸びかかつておる日本の民主化がこの法案でもつてつぶされてしまう。さように私は考えるので、その点については意見は持つているけれども、ここで論争することは省きます。なお一つ、先ほど出た言葉に学校の先生が単独にやつても云々というようなことがあるからというが、単独にやつて教唆扇動して罰せられるのがこの法律である。学校の先生が単独でやつて、現に世間で今問題になつている君が代を歌うとか歌わぬとか、これは君が代を歌うことをやめよう、君が代というような封建的なにおいのするもの、君主国でない、民主国になつた日本で君が代というような言葉を使つてやるというようなこと、これは国家としての長い歴史を持つておるからそういうような点について改める等については今後の検討がいりまするが、今具体的な問題となつているのでありますが、君が代を歌うことはしない方がいいというだけでいろいろ批判されておる。君が代を歌えという方は寛大に扱われておる。君が代を歌うなという方だけが取締られるあるいはいろいろやられるというのがあなたの今やつておられる文政のやり方であるというふうに世間は考えておる。かような君が代を歌うことは日本の民主化のためにやめた方がよろしい、そういうふうな活動をすることは取締りの範囲には全然属しないと思いまするが、一点だけ具体的な事実について伺つておきます。
○大達国務大臣 君が代を歌わない方がいい、これだけの問題であれば、この法律のいずれにもひつかかることはないと思います。
○木下委員 最後にもう一点伺いますが、教育勅語はああいうふうな取扱いを受けることになりました。今最高裁判所におられる田中耕太郎氏が教育勅語はさしつかえないということを文部大臣の地位におつて言われておる。そうしてそれから間もなくやめた、かようなことが日本の綱紀のゆるむ一つの原因になつておると思いますが、かような問題についてこの過去の日本の絶対主義の教育というものが足が地につかぬために、日本が今日のような姿になり、ことに日本の科学教育というような面においても非常なマイナスになつておると思いますが、文部大臣として終戦直後に出たあのいわゆる人間天皇の宣言という、昭和二十一年のあの勅語、私はあの出た日にあれを儀式で読んだ経験を持つております。自分のことを申してはなはだ恐縮なんですが……。あの詔書を、教育勅語にかわるものをつくるというようなことを企てた文部大臣もあつたかのように新聞で伺つておりますが、あれを学校で日本の民主化のためにしよつちゆう読ませ、また読んで聞かせる、そうして日本の民主化の方向に使うというような御意思はありませんかどうか、この点ひとつ伺つておきたいと思います。
○大達国務大臣 教育勅語を学校の教材として文部省の考え方として使うということは、各学校等にそういう指導をするという意味であると思いますが、そういう意図は持つておりません。ただ、教育勅語を学校で教材に使うあるいはその話をする、これもこの法律には何ら抵触するものではない、かように考えます。
○木下委員 ちよつと今のは私の申し上げたことと教育勅語をとりそこなつておる。私の申し上げたのは、教育勅語はもうおじやんになつておる。これを教育勅語として読む人間があつたら、それは米英撃滅をもう一ぺん言うようなもので、それは問題にならぬ。私が今伺つておるのは、あの昭和二十一年の一月一日に出した、今までは神様ということでやつて来たけれども、あれは実はうそだつたのだ、早く言えばそういうものだ、そういう意味のいわゆる人間天皇宣言の勅語が出ておる、あれをおやりになつてはどうか、またおやりになる意思はないか、そういうことを伺つておるわけであります。
○大達国務大臣 あの人間天皇の宣言といいますか、あの勅語を今学校教育に教材として文部省の考え方として学校に勧めて、そして教材として使うということも考えておりません。
○木下委員 まだいろいろ伺いたいことがあります。ことに特例法でない方の具体的な条項についてありますけれども、きようは省いておきます。
○古屋(貞)委員 さつきの高橋君に関連して、私はいずれ他の機会に法務委員会でお尋ねしたいのですが、時間がありませんから三つだけ御質問したいと思います。 第一は、先ほど文部大臣は、日教組の活動によつて現に大事な子弟が虫ばまれつつある、こういうような答弁もございましたが、虫ばまれつつあるということは、どういう具体的な事実であるか、それをひとつ具体的に御説明願いたいと思います。どういうようなものがどう虫ばまれつつあるかという具体的なことを御説明願いたい。 それからもう一つは、教育委員会の制度が活発に運営されていない、それからこれは、そのまま存続させまして、これが活用に資す、こういうようなことをおつしやられておりますので、今回提案されました教職員の政治的中立確保の法律をお出しにならなくとも、私どもから考えまするならば、教育基本法その他の現存する関係法律と教育委員会制度によつて、ただいま非常に御心配になられているような教員の政治的中立性の確立は実践することができる、かように私どもは考えるのですが、できないという具体的な御説明を願いたいと思います。 それから第三点は、ただいま高橋委員からもお尋ねをいたしたのでありまするが、われわれ法律家から考えまするならばこれは重要な問題でございまして、犯罪予防のための措置を必ず司法警察がやるのだ、学園にこういう警察官が踏み込んで参りまして、非常に純真な子供の思想の上に悪影響を及ぼすようなことがありまするのみならず、学園の自由が蹂躙されるというおそれが、本法案が通過いたしますとあると私どもは確信するのであります。従いまして憲法の十九条、二十三条に違反する法律である、こう考えるが、これは違反しないという確信のもとに御提案なさつておるか、この点を承りたい。
○大達国務大臣 具体的の事例を示せ、こういうことであります。これは先ほど申し上げましたように、たとえば山口県の小学生日記であるとか、あるいはまた京都の旭丘中学校というところで、これは相当長期にわたつて非常に片寄つた教育が行われている事例があります。その他片寄つた教育といいますか、俗に言つて赤の教育という問題をめぐつて、今日教育委員会と学校当局との間、あるいはまたPTAの人々と学校当局、あるいは教育委員会等の間によつていろいろ紛争を起している事態が幾つかあります。これはそのときどきに新聞に、場合によつてはかなり詳細に報道せられておるものもありまして、この点は今日私どもとしましては、はつきりとそういう片寄つた教育が行われておるということを申し上げ得ると思つておるのであります。具体的にいろいろ申し上げますのは、ここにありますが、長いですから差控えますが、この点は世間でも大体認めておることと私は思います。ただ問題になりますのは、日教組というものがはたして日教組の扇動あるいは働きかけといいますか、指令等によつてこれが行われておるかどうか、これはその個々の事態について具体的に調べてみなければなりませんけれども、一体日教組の扇動に基いてそれが行われておるのか、あるいはその学校の先生方の考えでそういう偏向教育の事例が発生したのか、その点はこれは調べてみなければわかりません。ただ日教組の掲げておるいろいろな日教祖自身の資料、それから出版物等によつて、日教組が教育の場面に日教組の考えておる政治思想というものを教育の面を通じて児童に浸透させ、さらにまた児童を通して母親というか、そういう方面に拡大して行かなければならぬということが日教組の資料の至るところに見受けられているのでありまして、これは各個具体的の事例についてはその間の因果関係というものもこれを調べてみなければわかりません。しかし日教組がそういう決議をし、そういう指導をしておることは、これは日教組自身の資料によつてほぼ明瞭であると私は思います。 それからその次の教育委員会の運営によつてこの中立性維持というものができるのではないかということでありますが、私はそれを希望しておるのでありますが、遺憾ながら事実はただいま申しましたように、文部省としては、実はあまり直接に、積極的にかような事例を調査する手段を持たないのであります。教育委員会の方面にお願いをして、そういう事例があれば報告してもらいたいということは申し上げてあるのでありますが、なかなか報告して来ないのが多いのであります。そういうわけであまり積極的に調査をした事例はありません。しかしそれにもかかわらず相当な事例が私どものところには集まつておるのでありますが、これは地域としても一地方に偏在しているわけではなく、四国、北海道等あちこちにそういう事例が起つておるのであります。でありますから、これをもし積極的に何らかの方法によつて徹底的に調査をするということになれば、かような事例は非常に多いのではないか、これは私の判断でありますが、さように考えております。でありますから、今日教育委員会の運営と活動によつてこの事態をなくすようにということは、私ども希望するのでありますが、遺憾ながらなかなかその希望は果し得ない実情であると思います。さればといつて、これを長い年月をかけて、漸次これがなくなるということを待つことはできないと思うのです。これは親の目から見れば一人々々の子供は大事な子供であり、いずれそのうちに直つて来るであろうということで放置することは許されないことであると思いますから、そこでこの法律案を出した次第であります。 また憲法十九条、三十三条の問題については「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」「学問の自由は、これを保障する。」こういう規定をおさしになつての御質問だと思うのでありますが、思想の自由、学問の自由、これはもちろん尊重せられなければならぬことでありまして、この法律は何ら思想の自由に干渉し、学問の自由を破壊するような意図は毛頭持つておらぬのであります。むしろ逆に純真である、まだ判断力のない純白な児童生徒、これを相手として先生が自分の考えで非常に極端な片寄つた考え方だけを子供に教えるということは、これはむしろ子供の自由、つまり思想的にあるいは政治的に子供の将来を方向づける結果になるのであります。これはさようなことがあつてはならぬ。ただ良識ある公民としての政治的教養を十分に与えて、そうして子供が大きくなつて一人前の人間として、自分の政治の方向、あるいは思想の方向というものがその子供自身の判断によつてきまつて行く、こういう教育でなければならぬのでありますから、この小さい、まだ判断力のない者に片寄つたことだけを教え込むということは、これこそ思想の自由を侵すものである。さようなことのないようにしたいということであります。これは教育に関する問題であります。しかしこの法律によつて何人も自分の考えるところを干渉せられ、学問の自由が侵害されるということはあり得ないのであります。これは自分が一人で考え、一人で学問の研究をすることは問題はないのであります。しかし教育というものは相手のあることでありますから、相手をそこない、相手を片寄らせる、こういうことをしては困るということでありまして、この法律はむしろそれを保護したいということを考えておるのであります。思想の自由などを侵害する気持は毛頭ありません。
○古屋(貞)委員 今文部大臣の仰せの中に、山口県日記とかなんとかいうことをおつしやつていますが、われわれが承つておる事実としては、今日教組あるいは日本中の小学校で教えているのは、憲法に定められた平和教育である、日本の文化国家建設の教育である、こういうことになつておりますから、平和の問題、戦争反対を教育いたしますと、これはいけないと言つている。この点が問題なんです。それから、ただいま高橋委員からも申されましたように、犯罪予防の関係上これは必ず学園に警察力や司法力が及ぶ。その場合には思想の自由も教育の自由もあり得ない。これが一番の根本だと思う。この点をわれわれが納得行くまで説明を願いたい。その点を私は申し上げておる。そこで虫ばまれているとは、具体的にどういうものがどうなつているかということが問題になつて来る。ただ山口県日記とかなんとかいうことではだめだ。どういう思想がどう偏向されるような教育がなされておるのか、どこの先生がどうやつたか、これは例外的の問題はたくさんあります。世の中には犯罪もありましようし、行き過ぎもありましよう。日教組の連中にも行き過ぎもありましようが、少くともこれを法律をもつて取締ろう、刑罰で押えようというお考えであるならば、全般的にこうだという納得の行く御説明が願いたい、これが一つ。もう一つは、教育委員会の問題については調査が行き届いていない――だから私は文部大臣に申し上げておるのです、調査が行き届いてないなら、だめだとか改めるという問題は起きて来ない。もつと十分調査されて、このせつかくつくられました教育委員会の制度を、あなた方の方で、悪ければこう直したらどうか、かように運営したらどうかというなら納得行く。十分に御調査された上で、どうもこれはいかに改めようとしても所期の目的が達せられないという結論に到達したんだからほかの方法を講じるというなら納得行く。ただいま運営の方法についてどこに盲点があり、どこに欠陥があるということはまだ十分調査されておらぬという御答弁がございましたから、十分御調査をされて、しかる後にこのせつかくできた教育委員会制度を活用し、所期の目的を達するような意図がおありになるかどうか、これが一つ。それから、最近しばしば学園の自由が侵されておりますが、自由が侵されることによつて、あの非常にいたいけな純真な子供に及ぼす影響は非常に大きいと思う。私どもはこの点を非常におそれるのでありまして、文部省と法務省との間にこの問題で相当御折衝が続けられたことを新聞で承つておる。この点は法務大臣からも承りたいと思つておりますが、私どもは刑罰をもつて日本の教育の偏向を改め中立性を確保しようという意図が納得行かない。それほど重大な関係に今置かれておるかどうか。かように考えまして、現在の教育委員会の制度、それから虫ばまれたという具体的事実はどういうことであるか。もう一つは、ただいま申し上げたような犯罪予防の目的をもつて学園が蹂躙された場合の子供に与える影響力の大きさを十分御考慮になつたかどうか、こういう点をあらためて御答弁願います。
○大達国務大臣 調査が行き届かないというのは、私は教育委員会の実情がわからないという意味で申し上げたのではありません。地方における偏向教育の事例がどの程度にあるか、これについての調査がなかなか困難であつて、これを的確につかむ手段が文部省としてはない、教育委員会の方へその報告をお願いしてあるけれども、これがなかなかはかばかしく報告が参つておらぬ、こういうことを申し上げたのです。 それから、事例ということであればここにありますが、大体ただいまお話になりましたいわゆる平和教育、これはだれも戦争をやつた方がよいと言うような者は一人もおらぬ。これは何も日教組の専売でも何でもない、平和を愛し、平和を尊重しなければならぬということは当然のことでありまして、これに異論のあるはずはないのであります。また平和はいけない戦争しなければいかぬなんと言つている者は私は寡聞にして一人も知りません。ただ、平和というオブラートが一つ上にかかれば何を教育してもさしつかえないかといえば、そうは行かないと思うのであります。平和を達成する手段方法としては、それぞれこれは政治的な政策となり主張となつておるのでありまして、たとえば安保条約の廃棄、これは平和三原則に入つておるのでありましよう、そういう特定な方法によつてのみ平和が達成せられるのだ、こういうことで、一方的にこれを極端に教え込むということは、平和教育という名前がついておるからそれでさしつかえないというように、そう簡単には行かないと思うのであります。山口県の小学生日記には、いわゆる平和教育の線に添うた記述がたくさんあるのであります。平和というものの意味がどうも人によつて違うのでありまして、平和社会というものを想定して、いわゆる無知、搾取、あるいは貧困というようなもののない社会が平和社会である、要するに戦争の要因が絶無になつている社会が平和社会である、その平和社会を建設するための教育である、従つてそれを建設するための理論とその方法のみを教える、こういうところに問題があるのであります。これは私はそこに立ち寄つたわけではありませんからほんとうかうそか知りませんが、しかし私どもの聞いておるところでは、和歌山県の県教組の大会において大山郁夫君が演説をされた。その中にスターリン死すとも平和は死せずという言葉があつたということですが、少くともそういう平和は普通に考える平和ではない、だから平和といつても中身がそれぞれ人によつて違う。だから、平和教育をするのが何が悪いというので特定な非常に片寄つた主張のみを教え込む、この場合には平和教育という名前がついておつても、これは問題になり得ると思います。日教組の掲げておるところはいわゆる平和教育で、しかもその平和教育たるや、平和闘争こそ日教組の最高の目標である、その平和闘争の一環としての平和教育である、こういうことを言つておるのでありますから、ただ平和と言つたのがどこが悪いといつてもこれは議論にならぬのでありまして、それぞれの場合について、その平和教育という名のもとにいかなる教育が行われておるか、いかなる教育が行われていたか、内容によつて問題がきまると思うのであります。
○古屋(貞)委員 どうも文部大臣の言うことは私よく納得が行かないのです。文部大臣のおつしやる平和とわれわれの言う平和の違うはずがないのです。憲法に明記した平和教育をして行こう、こういうことなんです。しかし本日は時間がありませんから、私の質問を留保いたしておきます。
○小林委員長 この際河野一郎君より緊急に発言を求められておりますからこれを許します。河野一郎君。
○河野(一)委員 私はしろうとの門外漢でありまして、こういう者がこの委員会でこういう発言をいたしますることは、はなはだ心苦しいのでございますけれども、実は先般の有田君の釈放について、東京地方裁判所の井上部長判事のとられました処置について世間にいろいろ疑惑があるということで、同志の間で疑問が起つたわけであります。と申しますのは、司法の慣例によりまして、こうした処置は当日出席しておられる判事によつて事務がとられるここになつておるのだそうであります。ところが井上部長判事は元来日曜日に出席しておるべき人ではない。日曜日には日曜日の当直判事がおられるのであつて、その当直の判事によつて事務はとられる慣行になつておる。その慣行を逸脱して、特に井上君が日曜日に出勤してこの処置をとられたということについては、いろいろ疑惑があるということを言う人が多いのであります。これを法務委員会でどういうふうにお取上げになり、どういうふうにしていただくかということは、ちよつと私どもしろうとでございますからその意を得ませんが、慣行に反した処置がとられたのは一体どういうわけだろうかということの疑惑が国民にありまする以上は、われわれ議会におきましては法務委員会において、この疑惑を持つのは間違いだということで一掃することが必要なことではなかろうかと考えるわけであります。そういう意味から、委員長におかれてこれはどうすれば疑惑が解けるか、どういう処置をしていただけばこの国民の間における疑惑が一掃できるか――私はもちろんこれはどこまでも疑惑であろうと思います。疑惑であろうと思いますが、一部専門家に伺いましても従来の慣行はそういうことになつておる。井上君は部長判事として日曜日に出勤したことは従来ないのだ。従来出勤したことがない人が、特に日曜日に出て来て従来の慣行に反した処置をとつたということは、なるほどそう言われればおかしいということが言われるのであります。重ねて申し上げますが、これはわれわれのようなしろうとの門外漢が発言するのはおかしいのでありますけれども、われわれの同僚を袋して私はこの席において、どうか委員長において、また多数専門の法務委員諸君におかれまして、この点十分納得の行くような御処置をお願いしたい。許されるならば東京地方裁判所の所長なり、しかるべき人を参考人なり適当な方法でこの委員会に御出席を願つて、これらの点について御説明願うということも一つの方法でございましようし、しかるべき処置を委員長にひとつお願いするものであります。どうぞよろしくお願いいたします。
○小林委員長 当日の判事はだれですか。
○河野(一)委員 そこまでは私は調べてありません。
○小林委員長 それではいずれ理事会にかけまして相談の上、また委員諸君に諮つて善処いたしたいと思います。
○猪俣委員 ちよつと聞きたいのですが、大臣でも井本さんでもよろしゆうございます。今井上判事が、当時係じやなかつたのに特に出て決裁をした疑いがあるという河野委員の質問でありますが、さようなことにつきまして、検察庁としては何か情報を入手したことがありますかどうか。
○井本政府委員 私ども地方検察庁からその点について報告を受けておりますので、その事情を申し上げます。 大体慣例では、勾留延長をするときには勾留の満期の一日前に延長請求を出すことになつておりまして。ちようど三月七日が満期で、三月六日の土曜日――これは土曜日でありますのでなるべく早く出してもらいたいということで、三月六日の夕方たしか四時ごろだつたと思うのですが、四時前後に一件書類を全部つけまして係の井上判事のところに出したのでございます。正式には三月七日に、井上判事から勾留延長をしない旨の表明があつたそうでありますが、その前の三月六日夜おそく、宿直にもあれは延長しない、そのときには係の検事が出ておらなかつたので、翌日もつとはつきり表明するということで、三月七日に勾留延長をしないということの表明があつたように私は報告を受けております。
○猪俣委員 三月六日の宿直の判事の方はどなたでございますか。
○井本政府委員 宿直判事の報告は受けておりませんが、井上判事自身が宿直に、あれは勾留延長をしないということを表明して来たそうでございます。しかしそのときには係の者がおらなかつたので、翌日正式に――とにかくまだ三月七日は勾留期間中でございますので、そのときに正式にあれは勾留延長をしないということを言つて来たそうでございます。
○猪俣委員 そうすると、あなたの言葉を繰返しますが、三月六日に井上判事自身が、あれは勾留の延長はしないということを予言したということになるわけですか。
○井本政府委員 予言じやなく、そのときすでに態度はきまつていたのではないかと考えるのでございます。
○猪俣委員 だから予言でしよう、七日の日に通告すべきものを六日に……。あなた方はいつ勾留継続を申請されたのですか。
○井本政府委員 三月六日に、慣例に従つて勾留延長の請求をしたのでございます。
○小林委員長 何時ごろですか。
○井本政府委員 たしか四時少し過ぎかと思います。四時ないし五時でございます。
○猪俣委員 そうすると、その以後に井上判事が勾留延長をしないということを言つた、こういうわけでございますね。
○井本政府委員 その時刻はわかりませんが、夜おそくと聞いております。
○小林委員長 それはだれに言つて来ましたか。
○井本政府委員 それは宿直に言つて来たと聞いております。
○猪俣委員 その検事の名前はわかりませんか。
○井本政府委員 正式に言つて参りましたのは三月七日でありますから……。
○猪俣委員 今の問題は重大だと思いますので、検察庁におかれては正式にいつどういう手続をとつて、そうしてその相手の書類なり話を受けた判事はだれか、それから井上判事から意見を聞かされた検事はだれであるか、その詳細な事実をお取調べの上、当委員会へ御報告願いたいと思います。
○井本政府委員 承知いたしました。ひとつ詳細に報告をいたします。
○高橋(禎)委員 明日の法務委員会で私から犬養法務大臣に質問すべき事項を先ほどお届けしておきましたが、やはりその問題にも関連することでありますから、明日、ひとつぜひとも調査してこの結果が得られるように報告をいただきたいと思います。
○小林委員長 それではあす報告できるようにしていただきたい。 それでは本日はこの程度でとどめ、明日午前十時より理事会、十時半より委員会を開くことにして、本日はこれにて散会いたします。 午後五時二十分散会