P政策ポータルPOLICY PORTALウォッチ
19回国会衆議院1954/03/19

文部委員会 第21号

発言数
194
登壇者
9
会派数
5
開催日
1954/03/19

会議録

辻寛一自由党

○辻委員長 会議を開きます。  教育委員会法の一部を改正する法律案、教育委員会法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法令の整理等に関する法律案市町村立学校職員給与負担法の一部を改正する法律案、学校教育法等の一部を改正する法律案、教育公務員特例法の一部を改正する法律案、以上五案を一括して議題とし、質疑を行います。質疑はございませんか。  暫時休憩いたします。     午前十一時二分休憩      ————◇—————     午後一時九分開議

辻寛一自由党

○辻委員長 休憩前に引続き会議を開きます。  義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する法律案及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案の両案を一括して議題とし、前会に引続き質疑を続行いたします。鈴木義男君。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 私は主として憲法とこの法案との関係についてお尋ねをいたしたいのであります。法律的には人事院規則との関係その他いろいろ問題がありますが、主として憲法との関連についてお尋ねをいたしたいのであります。  その前に文教の最高指揮監督者としての文部大臣の憲法の解釈と、実際政治との関連についてその信念を確かめておきたいのであります。これは何と申しましてもいわゆる教職員が平和運動等に専念して偏向の疑いありということから起つておるものでありまして、それが全部であるとは申しませんが、主たる問題となつておりまするから、憲法をどういうふうに見ておるかということはきわめて大切な問題であります。そこで教員組合あるいは教員のうちには共産主義の不戦論、あるいは平和勢力論、ほんとうに憲法擁護のための、不戦あるいは平和主義を信条とするものがあるのでありまして、その区別をつけることは大切でありまするが、同時に二つのものは共通の地盤の上に立つておるのでありまするから、その点についてひとつ文部大臣の所見を伺つておきたいのであります。文部大臣は現在のわが憲法が再軍備を許すものであるとお考えになつておるかどうか、端的にひとつ承りたいのであります。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 現在の憲法は再軍備をしないとというこになつておる、これは申し上げるまでもないのであります。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 現憲法は再軍備を許しておらない。しからば保安隊または近く政府が提案しておる自衛隊というものが何のために存在し、どういう目的で必要であると文部大臣はお考えでございましようか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 憲法は再軍備といいますか、軍備を持たないということははつきりきめてある。しかし国の自衛のための必要な限度の組織といいますか力を持つ、これは自衛の必要上持つのでありまして、それが再軍備に至らぬ限りは憲法には関係のないことである、かように思つております。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 自衛のために必要なる手段というふうにお答えになるわけでありますが、文部大臣は現在の保安隊がどういうことをしておるかおそらく御存じであろうと思うのであります。昨年秋の富士の裾野における演習一つ見ただけでもわかると思うのでありますが、タンクを出動させ、あらゆる近代的な兵器を使い、飛行機も援助いたしまして、いわゆる攻防戦を展開しておるのであります。あれでもなお軍隊であるというふうにお考えにならないのでございましようか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 私は現在の保安隊がどういうことをしておるか、これは詳細には承知をいたしません。現在の保安隊が富士の裾野で演習か何かしたようでありますが、これも私は知りません。私は軍事的には何にも専門の知識を持つておりません。従つて近代軍備の点から見てこれが軍備になるのかならぬのか、さような点は私はよく存じまん。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 いやしくも国務大臣として現在日本の一番大切な機構である保安隊が何をやつておるか知らない、あるいは軍隊であるかないかも判断がつかないというがごときは無責任きわまるお答えであると思いますが、一応自衛のための手段として、われわれの見るところでは、戦力なき軍隊などというでたらめな言葉を使いましても軍隊には相違ないのであります。アメリカでは保安隊という名の軍隊、こういうふうに常に新聞雑誌は書いておる。実質上の軍隊に近きものであり、軍隊類似のものであるということは否定できないことでありますから、これを文部大臣として承認をしておられるということは重大なことであると思う。今の憲法が陸海空軍だけでない、一切の戦力を否定をしておるということについては、おそらく文部大臣も御承知であろうと思いますが、世界の憲法の歴史の変遷から見て、日本の憲法は決してニクソン大統領が申しましたような一時の間違いであるというような性質のものでないのでありまして、歴史的にはすでに久しい前から、御承知のように侵略のための戦争はやらない、侵略のための軍隊は持たなということは至るところの国々で憲法に規定されたのであります。一七九一年のフランス大革命時の憲法もその第三章において「フランス国民は、征服の目的を以て、いかなる戦争を行うことをも放棄し、又いかなる国民の自由に対しても決して武力を行使しない」と規定しておるのであります。同じ規定は一八四八年のフランス共和国憲法の前文第五項にも現われておるのであります。現在効力を持つておるものといたしましては、一九三四年のブラジル憲法第四条で「直接にせよ、単独にせよ、他国と同盟してにせよ、すべて征服の戦争には参加しない」と規定をいたし、一九三一年のスペイン憲法第六条及び一九三五年のフイリツピン憲法第三条は、いずれも侵略のために武力を行使しないということをはつきりうたつておるわけであります。さらに最近の一九四六年のフランス第四共和国憲法の前文にも、前の一八四八年の憲法前文を復活いたして採用しておるのであります。これらの規定はいずれも侵略的戦争の放棄を宣言いたしますけれども、軍備戦力までの廃止は規定してない、これは戦争放棄という立場から見れば半呑半吐であります。自衛の名のものにいつでも軍隊が動員され得るからであります。  わが国の完全な武装解除、軍隊の廃止は、占領下における暫定的なものであつたというようなことを主張する学者がおるのでありますが、それは占領治下において武装を解除されたことは暫定的でありましようが、新憲法がこれを永久的にしたのは決して間違いでもなく、意識的にわれわれは十分に考慮した上で決定したことに属するのであります。また世界的に見ても、ただいま申しますような、歴史的な過程を経てだんだん戦争放棄に近づいて来たわけであります。そこで憲法としては今度初めてこういう規定ができたのでありますけれども、本来武力によつて国際紛争の解決をしないということは、一九二八年の不戦条約に参加することによりまして世界のほとんどすべての国々との間に、国際紛争の解決のために戦争に訴えることを不法とし、かつ国家の政策の手段としての戦争を放棄すること及び諸国家間に起ることあるべき一切の紛争を平和的手段によつて解決することを約束したのであります。後に戦犯問題に及びまするが、重大なことでありますから、ここで一応注意を喚起しておきますが、何ゆえに戦争犯罪の責任を問われたか。これはこの神聖なる条約を破つたものが日本の政治家であり、指導者であるということからやられたのであります。それを無視して、いわゆる人食い人種の首祭りなどという不謹慎きわまる言葉を用いられることは、とんでもない認識不足といわなければならないのであります。今回の憲法をまつまでもなく、この不戦条約を誠実に遵守すれば足りるのでありますが、世界公知のごとく、わが国は公然この条約を最初に破つたのであります。このケロツグ不戦条約の規定は、憲法第九条一項とまつたく同じ規定であります。国際紛争解決のために戦争に訴えることを放棄する。国家の政策の手段としての戦争はやめる、一切の紛争を平和的手段によつて解決するということを宣言しておるのであります。しからばこの第二項はどういう意味を持つかと申しますると、第一項を規定しただけでは、兵力を持つておる限りまたまた何か口実を設けて戦争に訴える可能性が予想されまするがゆえに、今度こそ決して戦争に訴えない、訴えたくても訴え得ないように、陸海空軍はもちろん、およそ戦力となるべきものは持たない、持つてはいけないと規定したのであります。「前項の目的を達するため、」という字句がよく問題になるのでありますが、私も憲法改正小委員としてこの審議にあずかつたものでありますが、芦田氏がこの句を入れるべきだと主張したことは事実である。私も了承したのでありますが、これは第一項と第二項とこれがなければ接続しないからという接続の意味において挿入されたものと理解しておるのであります。正確なことは当時の速記録をごらんくださればわかると思いまするが、もしこの言葉を入れたために、自衛のためならば兵力を持つてもさしつかえない趣旨だというようなことであつたならば、当時われわれは強く反対をいたしたに相違ないのであります。第一項の規定を宣言しても、宣言しつぱなしでは、ケロッグ不戦条約と同じことである。そこで第二項を規定するという意味を明らかにいたしまするためにこの接続詞を入れたのでありまして、当時の憲法制定に参与いたしました現在の吉田総理大臣、そのときも総理大臣として最高責任者であつたのであります。あるいは芦田さんも委員長としてこの審議を終始統率いたしました。吉田さんは国会においてどういうふうに説明をしておるか。「戦争拠棄ニ関スル本案ノ規定ハ、直接ニハ自衛権ヲ否定ハシテ居リマセヌガ、第九条第二項ニ於テ一切ノ軍備ト国ノ交戦権ヲ認メナイ結果、自衛権ノ発動トシテノ戦争モ、又交戦権モ拠棄シタモノデアリマス、」と答えておるのであります。そうして満州事変も太平洋戦争も、いずれも自衛権の名のもとに行われたことを吉田さんは指摘されまして、続いて「故ニ我が国ニ於テハ如何ナル名義ヲ以テシテモ交戦権ハ先ヅ第一自ラ進ンデ拠棄スル、拠棄スルコトニ依ツテ全世界ノ平和ノ確立ノ基礎ヲ成ス、全世界ノ平和愛好国ノ先頭ニ立ツテ、世界ノ平和確立ニ貢献スル決意ヲ先ヅ此ノ憲法ニ於テ表明シタイト思フノデアリマス、之ニ依ツテ我が国ニ対スル正当ナル諒解ヲ進ムベキモノデアルト考ヘルノデアリマス、平和国際団体ガ確立セラレタル場合ニ、若シ侵略戦争ヲ始ムル者、侵略ノ意思ヲ以テ日本ヲ侵ス者ガアレバ、是ハ平和ニ対スル冒犯者デアリマス、全世界ノ敵デアルト言フベキデアリマス、世界ノ平和愛好国ハ相倚リ相携ヘテ此ノ冒犯者、此ノ敵ヲ克服スベキモノデアルノデアリマス、玄ニ平和二対スル国際的義務ガ平和愛好国若シクハ国際団体ノ間ニ自然生ズルモノト考ヘマス」と答えておるのであります。これは速記録を抜き読みしておるわけであります。また芦田委員長もこの憲法の報告をされる中に「憲法改正案第九条が成立しても日本が国際連合に加入を認められる場合には、憲章第五十一条の制限の下に自衛権の行使は当然に認められるのであります。只その場合においても、武力なくして自衛権の行使は有名無実に帰するのではないかという論がありましよう。しかしながら、国際連合の憲章より云えば、日本に対する侵略が世界の平和を脅威して行われる如き場合には、安全保障理事会は、その使用し得る武装軍隊を以て日本を防衛する義務を負うのであります」と断言されておるのであります。私どもももとよりこれと同じような考えのもとに、この憲法第九条に賛意を表したわけであります。文部大臣は、こういう憲法がつくられた当時の責任者の言葉を私はそのまま引用したわけでありますが、それに対してどういうふうにお考えになるか承りたい。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 非常に長くおつしやいましたが、どの点についてのお考えをお聞きになつておるか、それを……。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 吉田総理大臣とか、あるいは芦田氏が憲法第九条の精神を、こういうものであると説明しておることは同感であるとお考えになるかどうかということをお聞きしておるのです。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 私は憲法の解釈について、政府として政府の解釈を申し上げる立場ではありません。しかし私自身の考えを言えということであれば、大体そこにその当時説明せられてある通りであると思います。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 この問題はもちろん文部大臣の所管のことを聞いておるのではありません。しかしながら国務大臣として、閣僚の一人として信念を承りたいということを先ほどから申しておるわけであります。どうかその趣旨においてお答えを願いたいのであります。  そこで本来この国際的な戦争の放棄につきましては、先ほど申し上げまするように、不戦条約においてもきめておるのであります。それを破つたから、今度は破らないように憲法を規定したのである。しからば自衛権は否認しない、自衛権というものはいろいろな形においてあり得るし、また行使し得るものでありまするから、われわれといえども否定はいたしませんが、しかしそのためには、できるだけ平和的な手段に訴えるということで国際連合憲章というものができ、われわれはこれに加入することを近い将来に期待しておるのであります。この憲章はどう書いておるかといえば、この目的のために平和に対する脅威の防止と除去、侵略行為その他の平和の破壊の制止にとつて効果的な集団的措置をとる、また平和の破壊に導くおそれのある国際紛争や事態を平和的な手段で正義の原則に従つて処理または解決する、そうして連合の原則として紛争の平和的解決と他国の領土保全や政治的独立に対する武力による威嚇または武力の行使の禁止を掲げておるのである。すべて日本憲法と同じ言葉を用いて書いておることを御注意願いたい。そうしてさらに進んでこの原則を実質的に裏づけて集団的安全保障を確保するために、第六章において紛争の平和的解決、第七章において平和の脅威その破壊、侵略行為というものに対する制裁を規定いたしておるわけでありまして、これらによつて平和のうちに処理することができることになつておるわけであります。ことに原子力の発達に伴いまして、今後は国際平和機構集団安全保障を強化することが絶対的に必要になつておるのである。そうして国際連合は決して一部の人が言うがごとく、崩壊するような危険があるものじやなくて、ますます強化されることが予想されておるのであり、わが国も当然これに加入することが運命づけられておるわけであります。そういう見地から、この自衛権の行使確保を各国の武力以外の手段に訴える、すなわち警察力的な国際的活動に訴える、これは別問題でありますが、そういうことを各国に要請していることを忘れてはならない。各国がそれぞれ武力を持つことは、現段階におきましては必要的悪である、ネセサリー・イーヴルであります。持たないで済むのなら、これに越したことはないのであります、まず武装しておいて、武力による解決は一切しないという約束をすることは、自己矛盾であろう患あでありまして、われわれがこの再武装を考えるのは、国際連合から、やれないからお前の方でやれということを要請されてからでおそくないと思うのであります。私はこういうことが国会の記録に残ることを希望するがゆえに、特にこの点を力説するのであります。連合憲章は加入国は一定の軍備を持たなければならないことを規定していないのであります。ゆえに日本は軍備なくしてこれに加入する唯一の例外の国として、行く行くたくさんそういう国のできることを希望いたしますが、これを期待して少しもさしつかえないのであります。われわれはできる限り歴吏の正当な進行に沿うて行きたいという考えを持つて熱心にこの憲法をつくり、これを守ることに努力しておるのであります。そして日本の教育というものが、この平和教育ということに、民主主義の教育とともに全力を傾注すべきことが教育基本法において命ぜられておるのであります。そういう点に対して、文部大臣はおそらく抽象的には賛成である、少しもさしつかえないと言われるでありましうが、今問題になつておるこの教育法を見ると、かりにそういう動機から教育者に働きかける者がありましても、刑罰をもつてこれを禁止する、弾圧するということが予想されておるわけでありまして、そういうことははたして正しい態度であるとお考えになつておるかどうか、承りたいのであります。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 この法律とおつしやるのは、二つの教育法のどつちの分ですか。法律の内容が違うのですから、二つの法律のうちのどの部分に抵触するということをお聞きになるのか、これを伺いたい。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する法律案です。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 それならばお答え申し上げます。それは法律をごらんになればわかりますように、平和の精神を鼓吹する意味において教育が行われる、これがこの教育を教唆扇動するということに抵触するはずはありません。特定の政党または政治的団体の政治的勢力の伸長または減退を目的として一定の教唆扇動が行われる場合に、その法律に該当するのであります。従つて単に平和の精神を鼓吹し、平和の精神を子供に教えることを勧めたからといつて、その法律に抵触するはずはありません。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 私はまだ本論に入つていないつもりでありまして、前提についてお尋ねしているわけなのであります。今保安隊のようなものを持ち、さらに今度は自衛隊とし、名前は違いますが、中将、少将、大佐、中佐、少佐というような非常な段階をつけた職員を持ち、ほとんど戦前における軍隊と違わない構成を持つて、今や日本には再び軍隊が現われようとしておるのでありますが、今まで申し上げたような精神にもし文部大臣が賛成であるというならば、こういう問題は憲法を改正してからかかるべき仕事であるということで、閣議において少くも文部大臣くらいはこれに反対の意見を表明されて、もしいれられなければあえて辞するというくらいの信念がおありになつてもさしつかえないのではないかと、私はかねがね骨のかたい文部大臣に期待しておりましたがゆえに、そういうお考えを持つたことがないかということを大前提として承つておきたいのであります。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 憲法第九条の第二項に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」こういうことを明らかに規定してあるのでありますから、この憲法の規定の存置する限り、この憲法にいうところの戦力を保持しない、これは争いの余地のないことであろう、観念的にはその通り明瞭であります。しからば何をもつて戦力というか、どの程度の装備を持ち、組織であればそれが戦力というものであるか、これは具体的の装備、具体的の組織についてそれが戦力であるかどうかが認定せられて初めてきまるものであろうと思う。この認定についてはあるいはそれぞれ意見が違うかもしれぬ。現にわが国が持つておる保安隊、さような一定の装備を持つた組織というものがはたして戦力に該当するかどうか、あるいはまた今計画せられておるような組織、装備というものが戦力に該当するかということは、これは政府にそれぞれの責任者があるのでありますから、その方にお聞きただしを願いたい。現行憲法下においていわゆる戦力を持つということは許さざるところで、改正しなければ戦力を保持することはできない。私は軍事的な知識はありませんし、それが戦力に該当するかどうかということをお答えする立場ではありません。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 戦力であるかないかなんという問題に深入りして行けば、木村保安庁長官と何時間もやつたわけであります。最後の結論は原子力を用いなければ戦力でないようなことにおちついてしまうのでありますが、そんなことを文部大臣と争おうとは思つていないのです。私は文部大臣の道義的信念を承りたいので、専門的知識を持たなければ戦力であるかないかわからないと言うが、「陸海空軍」と書いてある。陸海空軍が日本にだんだんできつつあることは、三歳の童子にもわかつておる。「その他の戦力」というのは、それに至らざる程度のものであつて、なお武力的な威嚇の手段となるものを意味するのでありますから、もつと程度の低いものであることを特にさしておることは明らかである。そういう建前から常識的に考えて日本が再軍備に向いつつある。憲法を改正せずしてかくのごときことをやることは正しいことでないと考える人が閣僚の中に一人くらいはありはせぬか、あるとすれば、文部大臣などが第一人者でなければならぬ、こう考えたがゆえに、その点をお尋ねをいたしたのであります。しかし顧みて他を言うようなお答えでありますから、それ以上は追究いたしません。  そこで私は決していやがらせを言うつもりでありませんから御了承を願いたいが、人食い人種の首祭り論というものは、戦争裁判が国際法上の合法か非合法かという議論として、戦争に関係のなかつた第三者が言うならば、一つのこれは比喩になると思います。しかし戦争裁判の被告の責任は、国際法違反たること明らかな捕虜虐待、そういうようなものによる戦犯は別としまして、勝つた負けたということに関係なく、国際条約を破つて戦争を始めた戦争を犯罪と認定しているのであります。不戦条約においても国際連合憲章においても、そういうものを犯した責任を問うているのであります。戦争をしかけ、起し、かつこれを遂行することに助成し、教唆し、扇動し、これは文部大臣大いに戦時中やつたと私は認定するのであります。認定が間違つておつたら反駁を願いたいが、目的達成のために協力した者である。これは治安維持法の言葉を私は使つているのであります。それで昭南市長となりまたは東京都長官として鼓舞激励したのであります。そういう言葉は至るところに今も残つているの、でありますが、そういう責任を問われたものとお考えにならないのか。やはり首祭り論を主張されるのであるかどうか承りたい。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 これは過日の法務委員会において戦争裁判をどう思うかということについての私の個人的な意見を聞かれたのであります。それに対して私は率直に返事をしたというだけであります。決して政府としてさような見解を持つているとか、文部省としてこの見解で進めて行くのだ、そういう意味は一つもない。私は個人的にどう思うかと言うから、私はこう思う、こう言つたのであります。従つてこれがどういう意味で論議されるのでありますか。私の考えがいけないものだから教えてやるという意味であるか、あるいは無理やりにでも私の考えを改めさせようという意味でありますか。私はこの個人として考えていることについて、この国会の議場においてこれ以上いろいろなことを言われて追究されるりくつはない。これはいわゆる思想の圧迫といいますか人権の侵害であります。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 いやしくも国務大臣としてお答えになつたことは、これはやはり公人としての発言でありますから、それを確かめ、私から言えば間違つているから直して上げるという意味も含んでおります、この質問の中には。しかし教えることは質問でありませんからお聞きするのでありますが、ほかの大臣ならともかく、新憲法下の文部大臣にこういう考えを持つており、戦犯の責任というようなこともほんとうにわからないというようなことは情ないことでありますから、私は特に確かめておく次第であります。  そこで憲法の規定に移りますが、憲法は御承知のように第十四条において、日本国民はいかなる信条を持つておりましても国民として差別されないということを保障しているわけです。この十四条は国民平等の大原則でありまして、同時にあらゆる国民に自由を約束している大原則であります。そのほかに個別的な自由を約束しておりますが、信条という中には政治上の信念も含まれているわけであります。すなわち共産党を支持しようが、共産党員になろうが、社会党員になろうが、自由党員になろうが、毫も差別されないのであります。その点は文部大臣は賛成されますかどうか承つておきたい。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 それはここに書いてある通り、その通りであります。どういう信条を持つておろうとも、たとえば戦争裁判についてどういう考えを持つておろうとも平等に差別されない、干渉を受ける理由はない。こういう意味であります。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 そうならば今この教育法を見ますと、一定の政党を支持するような教唆扇動をした者は刑罰に処するというのでありますが、こういう刑罰をもつて憲法上持つている自由を侵害することになるとお考えにならないかどうか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 憲法第十四条は国民つまり人に対する規定であります。今回提案いたしましたのは、これは一定の行為を対象としてこれを取締るという規定であります。何人もと書いてある。何人もこの点においては差別はされないのであります。行為を対象として、反社会性のある行為を対象としてこれを取締るのであつて、その場合何人に対しても同様に取締られるのであります。憲法十四条とは何らの関係もありません。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 人を対象にすると仰せられますが、行為は常に人によつてなされるのであつて、動物のやつた行為によつて処分するという問題は起らないのでありますから、そんなことは詭弁であり三百代言の言葉にすぎないのであります。思想の自由ということが憲法に保障されている。この思想の自由ということもいろいろ考えようがありましようが、これまたあらゆる政党を支持することも、所属することも、主義を宣伝することも含まれていると考えるのでありますが、そう文部大臣はやはり解釈しておられますか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 その通り。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 そうだといたしますと、一体文部大臣は教育の中立性を維持するためということを仰せられているのでありますが、中立性を維持するというようなことが可能であるかどうか、私は根本的に疑問を持つのであります。教育者も教育者となる前にまず人間であるのであります。人間としては平和主義と戦争主義、無防備主義あるいは防衛主義、それぞれの信念を持つているはずであります。そういうことに対して何にも考えない、まつたく無色で何も考えたことのない者でなければ中立の教育は行われ得ない。こう言わなければならぬのであるが、人間でない魂なき人形を教壇に立てなければ行われ得ないことであろうと思うのでありますが、いかがお考えになりますか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 教員がいかような思想を持つておろうともそれは自由であります。その思想を持つているがゆえに何ら圧迫を加えられるべき筋合いのものではない。しかしながらその思想を子供に教える、これは相手のあることであります。これは単純な思想の自由とか何とかいう問題じやない。相手に教えるというところに問題があるのであります。自分の片寄つた考え方に偏して、これを子供に教えるというところに問題があるのであつて、思想の自由とはこれは別問題であります。先生自身の思想がいかようであろうとも、それは何にもこの法律の関知するところではありません。もしあなたの言われるように共産党の思想を持つている人は共産党的な教育以外はできないはずだ、こういうことをおつしやるならば、これは教育基本法第八条の二項というものは不可能である。私はそうは思わない。あなたは八条の二項というものはあつてもしようのない、もしくは無意味な規定とお考えになりますか。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 私にお尋ねのようでありますが、私は聞く方の立場であつて答える方ではありませんから、それは他の機会に譲りますが、本法案によりますと、だれだつて、共産主義であろうが、社会主義であろうがあるいは自由主義であろうが、主義を持つておつても、学校の先生としてはおのずから、いろいろな立場から教えるが、しかも最後に自分の持つている信念にどうしても強く力が入ることは否定できない。それは私自身経験を持つている。そういう者をやめさせようということなら、いやしくも政党的な色彩を持つた者は全部教職から追放しなければならぬ。しかしこれはできるだけ公平に、他の立場も教えつつやはり主点を自分の支持するところに持つて行くということは、これは私人情であります。それをやつてはいけないということは、これはおそらく私は不可能に近いものをしいるということになると思うのであります。できるだけそれを抑制してやつて行くことが教育者として望ましいことはもちろんでありますが、どうしても自分の信念というものは折に触れて出て来るのであります。ゆえにいわゆる一党一派で支持する教員はすべて教育界から追放しようとするのがこの法律案である、こう考えざるを得ないのでありまして、そういうふうに結果としてなることをおそれるがゆえにお尋ねをいたしておるのであります。  そこで、本法案によりますると、教唆と扇動とを処罰して、これを隔離することを趣旨としておるようでありまするが、一体教唆も扇動も必要的共犯なのであります。それに乗つて実行する者がなければ犯罪の成立はないと思うのでありまして、いわば未遂罪である。やつたけれども、結果は現われないのであるからして未遂罪である。これをも処罰するつもりかどうか、お尋ねしたい。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 この場合の教唆扇動は共犯としての教唆扇動ではありません。ごらんになるといい。教唆扇動の行為、その行為自体を対象としてこれを独立罪として規定しておるのであります。これは正犯と従犯の関係ではないのであります。従つて正犯は必要的共犯であると言われますが、この場合には共犯関係は起らないのであります。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 どういう法律的根拠に基いてそういう教唆、扇動という扇動される者、教唆されて実行する者を予想しておりながら、そのものを問わずに、ただ教唆扇動だけを独立犯として処罰する法律的根拠を教えていただきたい。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 教唆扇動という行為自体に反社会性を認めるのであります。国が一定の行為に反社会性を認めてそれを犯罪として取締る罰則をつくるということは何もさしつかえのないことであります。立法例におきましても幾らでもさような例がある。国の立法行動までも支配するような客観的な法律というものがあつて、そうして教唆扇動は独立罪として扱つてはならない、こういう何か自然法的な考え方があるとおつしやるのですか。当然に国家としてその特定の行為を特に取締らなければならぬ反社会性をそこに認めるならば、それを独立罪として規定することは何らさしつかえないはずであります。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 むろん学説としてはいろいろなものがあつてさしつかえないという議論も成り立つでありましよう。ただ、教唆扇動という相手方を予想しておりながら、特に教唆扇動だけを切り離して処罰することについて、文部大臣の御信念を確かめたかつたわけであります。あえて処罰するというならば、これは本来の刑事法上の大原則を破るものでありまして、奇妙な法律であると申し上げざるを得ないのであります。  そこでこの思想を述べること、説述することと、主義の説得、共産党の勢力拡張のためにする宣伝、いわゆる扇動と教唆というようなものがこれに入るでありましようか、こういうのは一体どういうふうにして区別されるのであるか、どういう標準に基いて区別されるのであるか、承りたい。思想を説明すること、説くことと、扇動することとの相違であります。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 自分の思想を他の人に説明をし演説をする、これはむろんそのうちには入らないのであります。学校の教育の場においてかくのごときことを教えよう、そういうまずい言い方でなくとも、教職員はかくのごとき趣旨の教育をするのがあたりまえである、そういう教育をしなければならぬ、こう言えばこれは明らかに教唆扇動であります。ただ、自分はこういうふうに考えると、自分の思想を教職員に演説をしてみたところで、これは何もこの法律には関係ないのであります。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 たとえば矢内原東大総長であるとかあるいは前の南原東大総長であるとかいう人は、常に教員組合の大会等に臨んで絶対平和主義、絶対不戦主義……。(「あれは御用学者だ」と呼ぶ者あり)御用学者というのは、今の場合には自由党のちようちんを持つ学者と言うのであります。それはまるで違つた逆のやじであることを御注意申し上げておきます。  絶対不戦主義の講演をやつておる。これは実は共産党の不戦主義と違わないのであります。共通の基盤の上に立つておると申してさしつかえないが、こういう場合に一つの教唆であり扇動であると言うことは言われませんか。言わないならば、どういう相違がそこにあるのか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 先ほどお答えした点でおわかりになるかと思います。ただ矢内原君にしても、南原君にしても、そういう教職員の会合に行つて、そうして自分の考えを述べられることは、これは何もさしつかえないのであります。あるいはまた教員の団体の席に出てどつかの党派の人がその党の宣伝演説をした、いわゆる政談演説をしても、これでもさしつかえないのであります。ただ問題は、こういうふうな教育をしなければならないということを示唆する場合にそれが教唆扇動になる、これの取締りの対象になる行為は、要するに教唆扇動ということでありまして、思想を取締るのではないのであります。だから、教唆扇動という行為が取締られるのでありますから、その行為でない行為は取締られるはずはないのであります。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 矢内原氏の講演も南原氏の講演も私は読んだことがありますが、こういう教育をせよということを強く教えておるのであります。ゆえに文部大臣の今の言葉をもつてすれば、将来この法律が発動された場合に、そういう演説をすれば、それは教唆であり、扇動であるということでやられないということを保障することができないということを私は考えるのであります。今こういうことを言えばそんなばかなことはないと言う。治安維持法をつくるときにはみなそうであつた。立案者の意思というものは、この種の思想統制、思想断圧の法律においては、実際に法律となつて動いた後は少しも役に立つものではないのであります。治安維持法は最初結社を組織するに、重要な役割を勤めた者だけを処罰した。やがては目的助成行為というものを加えて来て、目的助成のためにやつた者はみな縛るということになつて、全国で縛られる者幾万幾千ということになつたのであります。最初は共産主義者だけをやられたのであるが、後には共産主義者はもちろんといたしまして、一抹の影響を与える者であれば自由主義者でもみなやられたのであります。一般刑法では、御承知のように吉野作造博士のごとき帷幄上奏論、真に国家を憂うる大議論であつた、軍部が全然総理大臣の監督のもとに服さずに、直接天皇に奏上して軍政をしくことができるということは危険千万なことであるというので、この議論をいたしたところが、それを持つて行つて不敬罪であるということでやられた。あるいは尾崎行雄先生、これも御承知のように、今日読んでみれば当り前のことである。市井のだれでもが言つておることを言つただけで不敬罪でやられてしまつた。この治安維持法で申しますならば、河合栄治郎教授のごときは、決して共産主義者でなかつたけれども、彼の思想が目的助成に役立つ、影響を与えるということでやられたことは御承知の通りである。あるいは大内兵衛君、有沢広已君、美濃部亮吉君、平野義太郎君などといろのは、みな一種の自由主義者であり、マルクスの影響を若干受けておるではありましようが、共産主義者でなかつたことは、当時何人も認めておつたのであります。検事も判事も認めておりながら、これを起訴し、処罰をしたのであります。しかも五、六年前に書いた雑誌の論文が、どうもこのごろになつておかしくなつた、怪しくなつたというのでやられた。はなはだし遂は脇村義太郎君にしても、何人も自由主義者であるということを認め、間違つてもマルキストでもなければ共産主義の同情者でもないけれども、これまた目的助成行為に参画したということでやられた。また党と何ら組織的関連がない、思想だけが似ておるものがありましたけれども、平野義太郎君のごときやられたのであります。私は親しく弁護をして、彼の思想そのものを処罰するのかといつて、裁判官に詰め寄つたのであります。思想を処罰するものではなくて、目的助成でやる以上は、共産党の組織に何らかの関連を持ち、これを拡大強化するためにその目的意識をもつてやらなければ治安維持法で処罰する可能性はないのであります。しかしこれがみないわゆる目的助成行為ということでやられたのでありまして、そういう例を引いたら数限りなくあるのであります。今のアメリカのマツカーシズムの狂態と少しも違わないものを、日本の戦争中において現出したのであります。裁判官などもわれわれの意見を聞いて、法律的にはまつたくおつしやる通りであるが、何しろ御時勢だからしかたがないというようなことでやられたのである。法律を施行される当時は、ここであなたの言われるような顧慮を払つて、比較的慎重に取払うものでありますが、これが一年たち、二年たつて、だんだん時がたつて行きますると、いつの間にか立案者の意思を離れてどんどん拡張解釈、拡張適用がなされる。治安維持法なども、私はしばしば立案時の議会の速記録を読んでみたのであります。私が今日こういうことを申し上げるのは、せめて速記録にとどめて、後の者の参考に資したいと思うからでありますが、治安維持法を議会でつくるときには、間違つてもそんな乱暴なことはいたしません。もう厳格に国体を変革し、私有財産制度を廃止するために結社を組織するような大それたものだけを処罰するのであります。目的助成などといつても、これと密接な関係を持つて援助したのでなければやりませんということを、口がすくなるほど当時の政府当局員は説明をしております。しかし実際に使われたあとを見ると、戦塵を禁じがたいものがあるのでございます。ゆえに、おそらくは本法が施行されましたならば、共産党員はやられるのはいやでありますから、初めから公然とは行動しなくなり、隠密の間に教唆し、扇動するということになりましよう。従つてつかまえることは不可能に近いでしよう。当然、教員組合に働きかけるのは民主社会主義者、自由主義者だけである。革命を実現する手段において異なりますけれども、目的においてはおおむね共産党の実現しようとするところと、社会主義、民主主義が実現しようとするところは共通し、一致するのであります。ゆえにそういう施策を精密に知る者でなければ、ことに末端の警察官などはみそもくそもごつちやであるし、必ずやられるのであります。あとで無罪になつたといつても間に合わないのでありますが、そういう危険がないということをどういう見地から文部大臣は保障されまするか、承つておきたい。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 この法律は、ちつとも政治的な考え方の法律ではありません。教育の中立を守るための法律であります。ただいまるる治安維持法が濫用せられたということを申し述べになりましたが、これは治安維持法には限らないで、いかなる法律といえども濫用されていいというものではありません。もちろんこの法律を出して、濫用するつもりであるはずはありません。また御指摘のようなことが、この法律の施行の結果当然考えられるということは、私の頭ではその論理が了解できにくいのであります。きわめて厳重に目的と方法と、そうして呼びかけられる対象と、そうして行為の内容、教唆扇動の内容は厳重に規定しておるのであります。できるだけ濫用のようなことの起らないように、また拡張解釈の行われる余地のないように、その点は細心の配慮をしたつもりでございます。ただ罰則を伴う法律が出た場合に、当然濫用されるものとしてかような法律を出すことがいけないという議論であれば、すべての罰則法規というものはいけないことになります。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 そんな乱暴なことを私は申すのではないのでありまして、思想を処罰するようなことになるがごときおそれがあるがゆえに、思想を対象としてつくる法律については、処罰はよほど注意しなければならぬ。かるがゆえに現に改進党でも監獄に入れるのはどうか、教職から追放するだけでよろしいじやないかという御議論があつて、近く修正案が出るというのではありませんか。とにかくそういうくらい考え方の違う人があり得るのであります。ゆえに刑罰をもつて思想を統一するがごとき危険を犯すことがないかということについて、私はくぎをさすのであります。身の安全を考える者は教員組合や教員の啓蒙に乗り出さなくなるでありましよう。好ましからざる講演者のリストができることは目に見えておるのであります。次のような者は、教員組合の講演に頼んではいけない、戦時中にはそういうことが完全に行われておつたのであります。好ましき講演者のリストというものができる。まず大達文部大臣などというのは、大臣をやめると、一番先に好ましき講演者として全国の教員組合から招聘されることを期待いたしますが、思想統制が行われる、わが国民が治安維持法や出版法、新聞紙法等のために共産主義、社会主義思想に目隠しをされて、そのために世界の大勢にも、近代思想にも触れなかつたために、世界の進歩に遅れた、国際的孤立化を招いた罪というものは、はかりしれないものがあるのであります。それで戦後急に目がさめたら今度は非常に先走りをして、確かに教員組合の中にも、新しいものに飛びついて、おもしろいというので行き過ぎている者があつたことは私も認めます。認めますが、これは久しい間目隠しされておつた結果であります。ゆえに思想はなるたけこれを自由にして、思想の間において切磋琢磨させて、だんだん淘汰させて行くことフランスのごとく、イギリスのごとくありたいと思う、われわれはフランスに滞在して、実にあらゆる思想が自由に展開されており、ロンドンのハイドパークあたりでは共産主義の宣伝もやつておれば、無政府主義の宣伝もやつておる、フイフイ教の説教もしておる。何の主義でも、あそこに行けばあらゆる思想が聞かれる。それでいいのである、そうしておのずからそこに淘汰されて行くところの思想の是正というものがあるのでありまして、ほんとうは教育という生々はつらたるべき世界を、著しく消極的にして、陰惨なものにしておいて、無気力、時代遅れのものにするおそれありと私どもは心配するのでありますが、文部大臣はそういう心配がないとお考えでありますか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 先ほど申し上げましたように、この法律が思想を対象としておるものでないことはきわめて明瞭であります。あなたは依然として、これは思想を対象としておるものであるかのごとくおつしやいますが、それはお考え違いでありますから、よく法律案をごらんになつていただきたいと思うのであります。  それから教職員組合に対する行為というふうにお考えのようでありますが、これもそうではありません。学校の教職員に対して、こういうふうな教育をせよということを教唆扇動する行為であります。その場合に教職員団体の組織または活動を通じて、これを利用してやる、こういうことでありまして、教職員団体に対する呼びかけ、これをとめておるものではありません。いわんや日比谷の公園であるいは芝の公園で、共産党が演説しようがだれがどういう思想を宣伝しようが、何らこの法律の関知するところではありません。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 そういう形式論理的な御答弁であつてはわれわれは満足できないのでありますが、思想を処罰する、言葉を倹約するために簡単に言つてしまうのでありますが、結果はそこへ行くからわれわれは心配しておるのであります。少くも思想は思想として闘わしめる。そうして自然に勝敗を決せしめるということが、思想致策の根本でなくてはならぬ、現にコペルニクス、ガリレオの例を引くまでもなく、あらゆる正統の思想は幾ら弾圧しても結局は勝利を占めておるのである。カントが神の哲学的批判をやつたために、カイゼルに発言の禁止をされたことは御承知の通りでありますが、その後はみな神というものは哲学的批判によつて神学上立証されておるのであります。あるいはベルリン大学で社会民主党に属した教授がありましたときに、これを追放しようかどうかということが問題になつた。今から見ればまるで神話みたいな話でありますが、そういうばかげたことが行われる。日本の京大事件を見たつてそうであります。滝川君の思想が何で危険だ、何で間違つておる。しかしああいうことでもつて大学に非常な汚点を印せしめた時の文部大臣の責任というものは、永久に糾弾されなければならぬのです。弾圧された思想が常に勝利者となつて歴史の上に残つておるということを、よくひとつ御注意を願わなければならぬ。どうも私どもから見ると、文部大臣はまことに骨の固い、りつぱな人でありますけれども、頭にちよんまげをのせて、陣羽織を着て今日の教育界に臨んでおるような印象を禁じ得ないのであります。教員組合あるいは教員諸君の自省にまつが、ほんとうの文教政策ではないかと思うのでありますが、その点いかがでありますか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 繰返して申し上げますように、この法律案は何も思想を対象にしておるものではありません。外国における思想の弾圧についてのたくさんの例をお引きになりまして、その博学な点に敬意を表しますが、この法律とは関係のないことであります。もしさような事柄がこの法律の成立する結果として起るとお考えになるならば、これはまつたくの見当違いであります。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 言いたいことがたくさんありますけれども、言うと時間が過ぎますから略しておきますが、本法の成績を上げるために、末端警察及び内部の嫉視反目、勢力争いのために、スパイ活動というようなものが跳梁することを私はおそれるのであります。いわゆる特高というものはできないけれども——あるいはこの内閣であるからつくるかもしれない、特高というものが復活して——治安維持法のときに特高というものが活躍した。ちよつとしたつまらぬことがあると、そら、国家がひつくり返るようなたいへんな陰謀があるといつて、莫大な予算をもらつて、全国に特高網を拡大して行つた。用がないから結局仕事をつくるのである。仙台において、大学の学生にひそかなる文書を出して、愛宕山の下に集まれと言つて、来た者は皆警察が一網打尽に留置場にぶち込んで、お前は赤だろう、お前は赤だろうと言つてやつたことは有名な話であります。常に元の特高警察はあるいは壁に耳をおつつけたり、縁の下にくぐつたり、密告を取上げ、職業的スパイを使つた。われわれの講義を聞く学生の中に、警察から月給をもらつて大学に通つておつたものがあつたのを発見して驚いたことがあるのであります。そういうのは退学を命ずるべきかどうかということでやつたのでありますが、これも生きるためにやつておるのだから、かわいそうだから退学させないで、卒業させましたけれども、そういうことがあるのであります。それで元の警察がなぜ成績を上げたかというと、ことごとくスパイ政策、おとり政策であります。共産党の中には警視庁から派遣された共産党員があつて、中央執行委員にまでなつたのであります。それだから手にとるように共産党内部のことが警視庁にわかつておる。そうして適当なときに一網打尽にするのである。ゆえに日本の警察は世界一能率を上げたのであります。そういうことを今度やるとは私は申しませんが、これを類推すると恐ろしいと思うのである。現に各地における事例として文部省の報告されておるものの中にも、事実無根なるものがあり、内部の勢力争いや嫉視反目から陥れようとするために投書などがされて、それを文部省が取上げて、そうしてこの委員会に報告しておると認定すべきものがある。時間がないから読み上げることを略しますが、福島県三神村では村民大会を開き、PTAの役員会を開き、総会を開き、どうしたら文部省の非常なでたらめを紛砕し、これの取消しを求めることができるかということをやつておる。本日上京して文部省に出て行つたはずであるというような手紙が、先ほど届いたのでありますが、実に村をあげて憤慨しておるのであります。そういう密告というようなことのあることが恐ろしいのであります。今回の提出資料の中にも少くとも一つはそういうものがあるということを、私自身が調査した結果によつて断言できるのであるから危険であります。一体共産党も公然たる合法政党なんであります。ただ破壊活動だけがよろしくない。火炎びんを投げたり、ピストルを撃たれては迷惑でありますから、それはいけないのであるが、その他において何も共産党を敵視すべき理由は私はないと思う。教育の中立性、こういうことが一体実現可能であるかどうか疑わしいことは、最初に申し上げた通りでありますが、もしこれが可能であるといたしましても、自由党も改進党も社会党も共産党も、すべてこれを教育の資料として取入れて、児童生徒にわが国のこれらのニユアンスある各政党の存在と主義主張を公平に教えるということによつて達成されるものであり、達成されなければならぬと考えるのであります。文部大臣はむしろこんな制裁法規をつくることを急がれるより、そういう方面の教員の素質を改善し、頭を発展させるために努力されるというお考えはないかということをお尋ねをいたしたいのであります。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 この法律は、非常にそういうふうに思い込んでおられるようでありますが、別に共産党を対象としてるわけじやありません。いずれの政党といえども片寄つた教育……(「ねらいはきまつてる」と呼ぶ者あり)そういうことのないようにしたいというのであります。  それから教員の資質の向上、これは教育上非常に重大なことであります。この点については、あらゆる方法を講じて鋭意その向上をはかりたい、かように考えております。しかしながら、これは択一的なものではない。それをやるかこれをやるかというものではないので、資質の向上はあくまでも期しなければならぬけれども、中立性が維持されていない、もしくは危険に瀕しておるということであれば、この法律のような措置はこれで講ずる、決してどつちかやるという択一的なものではありません。

鈴木義男日本社会党(右)

○鈴木(義)委員 いろいろ聞きたいことがありますが、与えられた時間が来たようでありますから、他日に留保してこれだけにいたしておきます。

辻寛一自由党

○辻委員長 野原覚君。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 私は時間の制限もございますので、端的に質問をいたしたいと思います。重大な法案でもありますから、私の質問に前者とあるいは今日までの質問者と重複することがあろうかと思いますけれども、どうか大臣には率直な御答弁をお願いいたしたいのであります。  まず最初にお尋ねをいたしたいことは、教育公務員特例法の一部を改正する法律案でございますが、提案理由の説明を見ますと次のようになつております。「教育は、国民全体に直接責任を負つて行われるべきものであり、一地方限りの利害に関することではないのでありますから、職員の政治的中立性を保障して、その職員の職務たる学校における教育の公正な運営を確保するに必要な職員の政治的行為の制限に関しては、公立学校の教育公務員を国立学校の教育公務員と区別して規制することは適当でないと考えるのであります。よつて、教育公務員の職務の特殊性を考慮し、公立学校の教育公務員の政治的行為の制限につきまして、これを国立学校の教育公務員と同様の取扱いをしようとするものであります。」長々と読み上げましたが、これが提案理由説明の核心ではないか、このように思うのでございます。  そこでお尋ねいたしたいことは、この提案理由の説明は、結局公立学校の教職員に関しては、政治的中立性については、国立学校の教育公務員と同等にする。これだけに尽きるわけでございますが、その前提として、大臣がかねがねあるいは常日ごろ申されております、今日の日本の教師は教育の現場で偏向した教育がなされておるということが前提になつて、この特例法の一部改正を出されたものかどうかお伺いしたいのであります。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 この特例法一部改正というものが、やはり現場の教室における、教育の中立を維持する一つの有力な手段として、この法律案を提案するに至つたのであります。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 今回の特例法の改正案によつて、国立学校の教職員に準ずるあるいはその例によるという適用を受けることになりますと、人事院規則が適用されるわけでございますが、人事院規則でいうところの政治的行為というものは、大臣がお考えになるような、つまり政治教育等の政治諸活動を含んでいない、このように思うのです。つまり人事院規則の政治的行為というのは、たとえば選挙活動というような意味の政治的行為ではないのだ。     〔委員長退席、相川委員長代理着席〕 ところが中立確保の場合はなるほど教育の偏向ということの是正もわかるのですが、この特例法の改正というものでは、大臣が心配されておる今日の教員の偏向性というものの救済にはならぬではないか、このように思うのでございますが、いかがでしよう。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 もちろん特例法の一部改正、従つて人事院規則できめてあるところの政治行為の制限というものに服せしめる、こういう政治行為の制限というものは、教員個人の個人的行為の制限でありますから、それがただちに教員の教育活動というものではないのであります。従つてただいま野原君の言われましたように、これがすぐそのままに教室における行為を制限するものではない。その意味においては教育の中立を維持するためという意味においては間接的な方法であります。この法律が間接ながらその中立性を維持するという意味は、教職員があまりに政治活動に、個人としてあるいは選挙運動をするとか、その他非常に政治活動に深入りをするということは、自然にその先生の政治的立場が非常に強くなりますから、そうすると同じ人間のことであるから、自然にそれが公務である教育の上にも影響を及ぼすであろう。であるからして逆に申し上げると、その先生はできるだけ政治的にはあまり深入りをしないような立場をとつてもらう。そのことはその人の政治的中立性、教育というより教員の政治的中立ということになりますから、それが学校の教育に偏向的な影響を及ぼす場合が非常に少くなる。その意味において教育の中立性を維持する有力なる方法である、かように考えるのであります。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 ただいまの大臣の御答弁は、これは「矢内原東大総長に反論」という何新聞でございましたか、反論の記事を御掲載になられておるわけでございますが、その中にも、確かにただいま申されましたように、法律案の第一のねらいとするところは、教員自身が政治に深入りをしないことによつて、教育の片寄りを防止せんとする点にある、このように書かれておるように思います。そこで私が問題にするのは、教員自身が政治に深入りをしない、つまり人事院規則の適用をやることによつて三年以下の懲役あるいは五万円以下の罰金でございますか、これを科することによつて教員を政治に深入りさせないという、その深入りの度合いが実は非常に問題なんです。この点は漸次これから御質問いたしたいと思うのでございます。  そこで次にお尋ねいたしたいことは、この名称でございます、教育公務員特例法の一部改正法案、こういうことになつておるのでございますけれども、実はその内容をめくつてみますと、大臣も御承知のように、とんでもない恐ろしい特別刑法的なものが出されております。あるいは大臣は恐ろしくないと申されるかもしれませんが、教員諸君にとつては国家公務員法及び人事院規則を適用せられるために、国家公務員法なり人事院規則というものを知らなければ実は自分がどういうような処罰を受けるのかということもわからない。ところが今回のこの改正案を見ますと、人事院規則のじの字も出て来ておりません。その内容を知るによしがないのであります。こういうような立法態度というものは、私は立法をなさる責任者としては実は親切な態度ではないと思う。もつとはつきり具体的に、人事院規則の例によるというような言葉でごまかすといえば語弊がございますけれども、そういう規定の仕方をしないで、なぜもつと明確に具体的にこれこれこれをやつた場合にはこれなんだということを特例法の改正案にお載せにならなかつたのかどうか、この点ひとつお伺いしたいのであります。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 私どもが主眼としておる点は、国家公務員と同じようにする、こういう点である。従つて国家公務員の例による。そういう場合にはしばしばというよりもむしろそういう場合に常に用いられておるところの法律上の用例であります。これは昔からそういう用例はたくさんあるのでありまして、ことさらにそれを人に隠すとかいうような意味でないことは当然であります。ただ準用するとか、あるいは適用するというような言葉と実質においても違う点は、たとえば国家公務員法の政治行為制限に関する法律が改正をされる、あるいはまた人事院において人事院規則の改正が行われる、そういう場合には地方公務員たる教育公務員に対する制限も自動的に動いて来る。ですからこれを明らかに書き並べるのとは実質的に非常に違いがそこにあるわけです。現に人事院規則については、今日人事院の方でもこれを何か改正するというような御意向があるように聞いております。そういう場合にはそれに基いて自然に実質的内容がかわつて来る。そういう特殊のやり方の場合に、これを例による、こういう使い方を用例として使い方をするのでありまして、これはいつもそういう場合には何々の例による、それが動けばついて動く、こういう点があらためて書く場合には実質的に非常に違いがあるわけであります。従つて今の点で明瞭であるように、必ずしも人事院規則というものの内容を一々検討を加えてこれでちようどいいんだ、こういうふうに考えたわけではない。説明においてもまた提案の理由においても申し上げておるように、国家公務員と同じにする、その例による、こういう点に重点があるのでありますから、その点を御了承いただきたい。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 大臣は人事院規則の、つまり国家公務員の例によるということで、人事院規則について来るのだ、こういうお考えであのような法文になされた、こう申すのでございますが、私は特別刑法的なものは、これは罪刑法定主義理論を取出すまでもなく、明確にやはり法文というものをお示しになられることが、民主的な公明な立法の態度ではないか、こういう考えを持つておるのであります。しかしながらこの点は考え方の相違でございまするので、これ以上申し上げません。  そこでただいま問題にいたして参りました国家公務員の例によるということに関連してでございますが、教育公務員特例法の一部改正は、御承知のように私立の学校は対象になつておりません。ところが教育の中立性確保の法案におきましては、義務教育学校ということで私立の学校も対象になつておるのでございますが、この理由——片一方では私立の学校は対象にしない、一方ではこの対象になつた、この二つの関連において、理由をひとつ御説明願いたい。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 これは公務員に関する特例でありまして、この場合教育というものが公務として行われる、つまり公務員として行われるという場合に、公務の適正なる運営ということを保障する意味での政治的行為の制限であります。従つて公務に服する者はひとり教育公務員だけではないのであつて、あらゆる公務員というものが全部一定の政治行為の制限に服しておる。それは公務というものでありますから、いわゆる全体に対する奉仕としての公務というものが適正に行われなければならぬ。こういう見地からこれは地方公務員であろうとも、国家公務員であろうとも、公務員に対して特に課せられた政治行為の制限であります。従つてこの場合に教育職員のうちにおきましても、公務員という身分を持つておる者、つまり国立学校はすでに国家公務員ですからこれは問題ない。その他残りの教育職員のうちで、地方公務員という公務員の身分を持つておる者についてそういう制限を課する、これは公務員という身分がなければ、これこそ憲法の問題が起りましよう、憲法の基本的人権の問題が私は起ると思う。しかし公務員に関してはこれはすでに既定の法律秩序である、公務員というものには一定の政治行為の制限をするということは、今日においては現行法制の上におけるいわば既定の法律秩序であります。これは新しい問題ではない。しかし一般の民間人であるところの私立学校の先生にかくのごとき制限をするということになれば、少くとも形式の上から言うと、これは公務として行われていないのですから、この場合における政治行為の制限は、もし一般の民間人に対してするということになれば、これは憲法の問題が当然に起つて来る、そういう意味から私立学校の職員はこのらち外としたわけであります。公務員という身分を持つておる者だけに対する制限、こういうわけであります。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 私はここで立場をはつきりいたしておきたいのでございますが、私立学校の教員に政治的活動についての制限を加えてもらいたいということではもとよりございません。私は実は、公立学校の教育公務員に対して国立学校の教職員の例によるというようなこのやり方に反対をするがために、質問をしておるのであります。そこでもう一度お尋ねいたしたいのでございますが、この公立学校の教職員を国立学校の例によるとこういたしました提案理由の御説明は教育というものは国民全体に直接責任を負つているからだ、教育というものはその市町村だけに対する責任じやないのだ、義務教育は特に国家全体に対する責任だから、国立学校も公立学校も何ら選ぶところがないじやないかということが提案理由の説明なんです。そういたしますと、私立の学校も日本の子供を教育しておるじやないか、私立学校においてもその責任は国家に対して負わなければならぬのではないか。補助金にしても、私立学校に国は補助金を出しておるのだ。そうなりますと特例法のこの改正というものは、公立学校の義務制学校の先生だけを国立学校の例によるとするということは筋が通らないのではないかと私は思うのです。この提案理由の説明からいたしますと……。この点はいかがでございましよう。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 なるほどそういう考え方が、ただ教育の中立という見地から言えば、成り立ち得ると思うのでありますが、先ほど申し上げたように、この場合は公務の適正を期する、こういう考え方であります。でありますから私立学校の場合、なるほどそこに義務教育が行われる場合には、これは実質的には公務と同じような重大な内容を持つておるものである。しかしながら少くともその形式においてはこれは公務とはなつておらぬのです。だから私立学校のような場所に義務教育を求めることが一体いいか悪いかということになれば、その意味においての議論はあり得ると思います。けれども少くとも、現状は公務という形にはなつておらぬ、義務教育ではあるけれどもそれは公務ではない。この公務員特例法が期するところは、少くとも法理論的にいうと、公務としての教育、つまり公務の適正なる運営をはかる、こういう立場でありますから、私立学校は入らぬ、入れようにも入らぬというわけであります。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 大臣にお尋ねいたしますが、教育はおよそ公務でございましよう、私立学校の教育といえども私立学校の教師は公務に従事しておるのでございましよう。大臣が今回ここに提案になられましたのは、公立学校の教員も公務——これはもとよりそうなんです。ところが単に形式的に公務員であるからというようなことでは私は納得できないのですよ。教育というものは公務であるという特殊性から、実は公の国に持つて行くことが妥当だ、こういう御説明をたびたびされておるので、私立においても教育という公務ならばなぜこれを国の例によらないのか、私立においてはまつたく政治活動は自由なんです。ところが公立学校は私どもに言わせれば、現在の地方公務員法の第三十六条によつてけつこうじやないかと思つておる。これは地方公務員だから……。国はこれは国家公務員だから——国家公務員法並びに人事院規則には批判はございますけれども、現行法を承認するという建前から行けば、今日私どもはあえてここで問題に出そうとは思いませんけれども、どうもただいまの大臣の御説明ではいささか納得、で遂ないのでございますが、もう一度その点ひとつ御説阻願いたいと思います。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 これは今申し上げたことを繰返すことになりますが、公務でなければ——たとえば三公社五現業というようなものがあります。鉄道公社なら鉄道公社というものは、これは実質的にやつていることは公務なんです。けれどもそれは公務という形をはずれているものですから公社ということになつておる。でありますから、たとえば鉄道職員は国家公務員になつていない。それだから鉄道職員は、他の国家公務員として同様な仕事に従事しておる人々との権衡を言えば、やはり国家公務員並の制限を受けてもいいはずのものなんですけれども、形が公務というわくをはずされておるものですから、従つて国家公務員としての政治行為の制限は受けておらぬ。それとちようど同じことでありまして、この私立学校における義務教育というものは、公務という形式をとつておらぬものですから、公務ということとなつておらぬから、従つてそれに従事する人も公務員ではない。公務員という身分を離れての、つまり純然たる民間人といいますか、そういう身分のない者に対する政治行為の制限ということになつては、これは非常にいろいろな場合が起る、たとえて申し上げますと、このごろそんなことはないかもしれないが、昔なら非常に大きな造船所があつて、海軍の非常に機密な軍艦をつくる、これが秘密が漏れるとか何とかすれば国家として重大なことだ、従つてそこに従事する職工はむろんのこと、関係の技術者も国家的な機密を守つてもらわなければならぬ、けれどもこれは公務員でないものですから、やはりそういう場合も公務員としての制限をこれに課するわけに行かない。それと同じ関係で、法理論的に公務員でない者に国家公務員と同じような制限を課するということは事実上できませんから、それでこれを省いたわけであります。但し私立学校でありましても、教育の中立が守られなければならぬということは、公務員といなとにかかわらず大切なことであります。これに対してもできるだけ中立性を維持するという必要はもちろんであるのです、でありますから中立性確保に関する法律の場合には、これは先生の個人的な政治行為を制限するとかなんとかいうことではありませんから、この場合には私立学校といえども、つまり義務教育諸学校は全部中に入れて、そうしてその教育の中立を維持したい。ただ公務員である教員自身に対する制限である場合は、私立学校の場合は入れたくても入れることができないという関係になつておる。これを御了承願いたいと思います。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 大臣は法理論的に申してということでございましたが、私は法理論的に申しますならば、公立学校の教職員は地方公務員でございますから、地方公務員法によるべきであると思う。もし大臣の言われるように、このような罰則の必要があるならば、地方公務員法という母法を改正するなり何なりの方途を講ずべできはないか。ところが国家公務員法の例によるというように、実は法体系を非常に混乱をさせておるのです。そこで、どうしてこうした混乱をさせたかということを今日まで同僚議員諸君がいろいろと質問をいたした。それに対する大臣の御回答は、端的にいつて教育公務員だからだ、教育という公務に従事しておるだんから何ら選ぶところないじやないかということであります。それならば、私立の学校の教育も実は日本の国の教育という公務に従事しておるんだから選ぶところがないということになつて、国立学校の例によるということにしなければ、法理論としてもどうも筋が通らない。これは見解の相違であるということであればやむを得ませんが、大臣にかわつて局長なり課長なりからひとつお教え願いたい。私はどうもこの点は納得できない。

緒方信一文部省初等中等教育局長

○緒方政府委員 私立学校の教師をなぜ省いたかということは、今大臣の答弁がございました。地方公務員法を改正しないでなぜ教育公務員特例法の改正によつたかという点でございますが、これは地方公務員法自身に規定があるのでありまして、地方公務員法の第五十七条には、学校の教育職員の特殊性に基いて別に特例法をつくるという規定がちやんとあります。それに基いて現在の教育公務員特例法ができているわけであります。教育公務員特例法の第一条を見ますと、「この法律は、教育を通じて国民全体に奉仕する教育公務員の職務とその責任の特殊性に基き、教育公務員の任免、分限、懲戒、服務及び研修について規定する。」かようにあります。その服務の関係でございますので、この教育公務員特例法の改正によつて政治行為の制限の分を改正いたしたのでありまして、法的には何らさしつかえないのであります。     〔相川委員長代理退席、委員長着席〕

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 どうも時間を制限されておりますと、一つの問題について納得の行くまで質問しておられませんので、納得できないままに遺憾ながら先へ進みます。  次にお尋ねいたしたいことは、御承知のように今度の特例法の改正では、地方公務員法第三十六条第二項但書が一部削除になつて、人事院規則の刑罰規定が適用になる、こういうことになつたわけでございますが、こうした特別刑法的な三年以下の懲役といつたような刑罰規定を設けてまで公立学校の教職員の政治活動を取締らなければならない最大の理由——理由はたくさんございましようが、最も大切な理由は何でございますかお尋ねいたします。

緒方信一文部省初等中等教育局長

○緒方政府委員 これは提案理由にもございますように、教育の特殊性から申しまして、公立学校の教育公務員は、国立学校の教育公務員と区別して取扱う必要がない、従いまして現在国立学校の教育公務員に適用されております国家公務員法を公立学校の教職員にも適用させる、かような趣旨でございます。それによりまして、先ほど大臣からお話がございましたように、間接的に教育の公正な運営を確保して行く、かような趣口でございます。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 地方公務員法の適用では今日の教員の政治活動は取締れないという理由をお聞かせいただかなければ、私の質問に対する御答弁にならないと思う。私は地方公務員法のあの取締り規定で十分だという立場で実はお尋ねいたしております。ただいま局長が申されたようなことは、これはここに書いてあるのですからはつきりしておる。そういうことを聞いておるのじやありません。その点もう一度、大臣からひとつ御答弁願いたい。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 前に申し上げましたように、公務員に対する政治活動の制限というものは、その公務員の担当する公務の正常なる運営、へんぱのない公平な運営を期する、こういうことに一言にして尽きるのであります。そこで、地方公務員の公務というものはそれぞれの地方団体の公務である、教育公務員はその身分が地方公務員でありましても、その担当する公務は国家の公務である、従つてこの正常なる運営というか、それを公平に執行するという意味においては国家公務員と同じ政治制限をする、これが理論上妥当である、こういう考え方であります。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 それでは次に進んでお尋ねをいたしましよう。国家公務員法が適用せられるということで、人事院規則が問題になつて来るわけでございますが、政治的活動に関しては国家公務員の例によるのであるが、依然として公立学校の教育職員は地方公務員である、このことはお認めでございますね。そこで実は人事院規則の適用と地方公務員法の適用との間に相当問題があるわけです。この点はこうして法案をお出しになられたのでありますから、十分な御検討をなされたことと思いますが、大きな疑点が二、三ありますので、お尋ねいたします。地方公務員法第三十六条二項四号と人事院規則の十四−七の六項の十二号、これをひとつお聞きいただきたい。地方公務員法第三十六条の二項の四号を見てみますと、「文書又は図画を地方公共団体の庁舎、施設等に掲示し、又は掲示させ、その他地方公共団体の庁舎、施設、資材又は資金を利用し、又は利用させること。」このように書いてある。ところが先ほど申し上げましたように、人事院規則の六項の十二号には、「政治的目的を有する文書又は図画を国の庁舎、施設等に掲示し又は掲示させその他」云々と、「国の庁舎」ということになつておる。ただいま申し上げました地方公務員法の三十六条の二項四号は、地方における庁舎、つまり公舎となつておるのでますますが、人事院規則が全面的に適用になるということになると、六項の十二号がこの際教職員に適用になるのか、あるいは三十六条の二項四号が適用になるのか、この関連はどうなるのか、お尋ねいたします。

緒方信一文部省初等中等教育局長

○緒方政府委員 もちろん人事院規則の方が適用になります。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 そうなりますとこれはおかしい話です。だから私は大臣に質問をした。教員は一体その身分は国家公務員か、地方公務員かというと、これは地方公務員だ、地方公務員だということになれば、原則として地方公務員法が適用されるのではないか。このように思うのですが、ところが人事院規則の公務員に関してはこの十二号だということになりますが、十二号は国の庁舎、施設、資材なんですよ。ところが三十六条の二項四号は法の趣旨から考えても、地方公務員としての教員が、地方公共団体の庁舎、施設に掲示するということが問題があるというので規定されておる。ところが国の庁舎に掲示してはいけないけれども、たとえば都道府県の県庁であるとか、公立の学校であるというようなところにはかまわないということになれば、一体これはどういうふうになりますか。本末転倒したことじやありませんか。もう一度的確に御説明を願いたい。

緒方信一文部省初等中等教育局長

○緒方政府委員 人事院規則の適用の結果はただいまお話になりましたように、国の庁舎に掲示することは禁止されておるわけであります。その通りでございます。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 それではもう一度お尋ねいたしますが、公立学校の教職員は「地方公共団体の庁舎施設、資材又は資金を利用し、又は利用させること。」そういうような施設に掲示することはさしつかえありませんね。

緒方信一文部省初等中等教育局長

○緒方政府委員 地方公務員法三十六条の適用は排除いたしております。その通りでございます。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 このことはどうぞひとつ御検討くださるように要求しておきます。これはしかしながらさしつかえないということでございますから、これは局長の見解として速記録にも載りましたので、ただいまの御答弁は非常に重大なものがあるということだけ申し上げておきます。  そこでもう一点この法案の内容の関連事項として問題があるわけですが、地方公務員法の第五十一条の一項、先ほど局長が読み上げました「職員は、給与、勤務時間」云々というところでございます、そこでまた五十五条の四項は、職員団体に属していない公務員といえども否定されることはない。こういうような規定になつておるのでありますが、人事院規則がやはり優先的に適用されるのだという御解釈を文部省ではお持ちのようでございますので、われわれここでお尋ねしたいことは、人事院規則の五項六号は「国の機関又は公の機関において決定した政策(法令、規則又は条例に包含されたものを含む。)の実施を妨害すること。」これはいけない。こうなつております。そこでこの六号で問題になるのは、公立学校の教員の場合には、勤務時間については都道府県の教育委員会あるいは市町村の教育委員会において、実は内規、規則といつたものを設けておるのが普通でございますが、そうなりますと、私どもはこの勤務時間に対してもあるいは七号では「地方公共団体の条例」、これば大阪府でありましたら大阪府条例、こういうことで大阪府の教員の給与は縛られておる。そういつた勤務時間あるいは条例等について不満であると主張する、あるいは改正を要求する。つまり職員団体としての活動がこの人事院規則によるとできないということになる。ところが地方公務員法の五十二条なり五十五条によると、これは当然許されなければならぬということになると思うのでありますが、この関連はいかがなものでございましようか

緒方信一文部省初等中等教育局長

○緒方政府委員 人事院規則の今の第五項の六号でございますが、これは国の機関又は公の機関において決定した政策の実施を妨害」こういう目的で、その次の第六項に書かれております政治的行為、これは十七ほど触れておりますが、こういう目的で政治的行為をやつた場合はいけないという趣旨でございます。そうしてこの実施を妨害という解釈でありますけれども、現在人事院で運用されております解釈は、有形無形の実力をもつて、何らかの実力行使でもつてその政策の実現を妨げる、こういう目的がありました場合に禁止される。かような解釈をとつております。従つてただいまお述べになりましたように、事例は何でございましたか、その地方公務員法の第五十五条で、職員団体または職員団体に入りませんでも、当局に意見を申し出るとか、あるいは職員団体として当局と交渉する、こういうような点は一向さしつかえないのであります。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 その点は実は非常に微妙なのであります。この二つの法律が出されても、職員団体は勤務条件並びに給与改善の運動はできるわけです。もしできるという立場に立つならば、この六号の妨害でございますが、職員団体が規定された給与に対して不満を主張するのですよ。不満だ、給与が低いじやないか、ぜひとも改正してもらいたいと不満を主張して改正を要求する。こうなりますと、次に何が来るのであるか、具体的な運動が来る。ところが法の解釈としては、妨害という見解が成り立たないとは保証できない。不満だ不満だといつて改正を要求して具体的な運動をした場合に、実施妨害だということに実は解釈をされる。そうなると、実は職員団体としての団結権が否認されて、そうして勤務条件、給与の運動をすることもできないことになるじやないかという疑問が出て来るでしよう。その関連をもつと御説明を願いたい。

斎藤正文部事務官(初等中等教育局地方課長)

○斎藤説明員 お答えいたします。現在地方公務員法の第五十五条によりまして権限ある当局と交渉する、こういう組合の交渉の仕方というものに、現在人事院規則で書いてあります政策の実施妨害という、こういうようなことまで含んでいないことは当然でございます。またその目的として実施妨害とございますので、新たなる政策を要求する、あるいは現にある政策の改訂を望むというようなことは、字句上当然入つて来ないと私どもは考えております。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 ところが、課長ですか、課長はそういう解釈をとるのですが、実施を妨害するというこの人事院規則が優先的に適用される場合、局長のような解釈を裁判所がとつて来た場合に、これはどうにもならない事態がやはり起つて来るのです。それは実は、公立学校の教職員は、地方公務員としての団体の活勅がこの人事院規則を準用せられたためにできないようになるのではないかという懸念がやはり残るのです。こういうところに問題点がある。私は、こういうものを指摘せよといえば一日中でも申し上げます。材料を収集しております。ほんの一、二点だけ申し上げておるわけなんです。このことは、逐条審議の際に十分同僚議員諸君とともに究明いたしたいと思うのでございます。  そこで次に参りたいと思いますが、第二の政治的中立の確保に関する法律案について御質問いたします。緒方初等中等教育局長は、この文部委員会の答弁におきまして、主たる構成員とする団体とは次のようなものだということを御答弁になつております。同時に、文部広報の第七十四号には、初中局の地方課の意見として同じようなことが述べられておる。たとえば、市町村の教職員組合や、その連合体である都道府県の教職員組合及びいわゆる日教組や全国小学校長会、全国中学校長会のように、構成員の実質的過半数が校長や教員である団体は、一応この中に合まれると考えてよいでしよう、その団体を主たる構成員とする団体とは、学校の職員を主たる構成員とする団体の連合会と、そのような団体がその連合会の主要な構成員となつているような場合を言います、連合体についてももちろん同様ですと申されておる。つまり、教員を主たる構成員とする団体とは、ただいま申し上げましたように、過半数だ、こういうようなことを言つておるのでございますが、これは裁判所がこの問題が起つて裁判する場合に、そういうように曖昧模糊たる見解で裁判されるというお考えで申されたものかどうか、ほんの局長なり地方課の常識的な意見なのかどうかということをまずお尋ねいたします。

緒方信一文部省初等中等教育局長

○緒方政府委員 政府といたしましてこの法案を提案いたします場合に、法制局その他で審議をいたしまして、解釈もきめて提案をいたしておるわけでございますが、その解釈に基きまして私はこの前の文部委員会でお答え申し上げたわけであります。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 法制局の意見を聞いたと申されるのでございますが、実は、近くは労働組合としての産別が問題になりましたときに、つまり共産党員の分子云々が問題になつたときに、何も共産党員が過半数いようといまいと、そんなことは問題じやない、こういうような見解をとつておるのですよ。従つて私に言わしめるならば、この教員を主たる構成員とする団体ということは、数量は問題じやないのじやないか。その教員が中に入つて質的な指導力を握る——数量的に二分の一だ、こういう形式的なものではなく、強い発言力を持つとみなされる場合に、それはこの教員を主たる構成員とする団体ということになるのではないか。こういう解釈をおそらく裁判所はとつて来ると思うのですが、その点よろしいですか。

緒方信一文部省初等中等教育局長

○緒方政府委員 政府といたしましては、ただいまの答弁を繰返すわけでございますけれども、過半数、つまり構成員の中に二分の一以上教員がいる場合かような解釈をとつてこの法律案を提案いたしておる次第でございます。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 政府の有権解釈というものは、裁判における法解釈上何らの参考もならないということだけは御承知だろうと思います。そこでもう一ぺんお尋ねしたいことは、この政治的中立確保の法案で、政治的中立とは一体どういうことなのかということです。私は、たとえば東大の社研の研究論文なりいろいろ文献をあさつて、また、教育基本法の精神なりいろいろ検討したのでございますが、いろいろな意見が出されております。これは質問をむし返すようで恐れいりますが、このことは政治的中立確保の法案に対する私どもの審議態度を決定するに重大でございますから、重ねて大臣から、政治的中立とはこうなんだということを御説明願いたい。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 政治的中立という言葉は、教育基本法の八条の二項にあることを長く言うかわりに政治的中立という言葉を使つたのであります。「特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育」をしないということが政治的の中立で、この中立性を確保するために三条の一項及び二項に掲げてありますこの内容とすると行為は、必ずしも教育基本法の八条の二項と一致しているとは私は申しません。あいまいにならないように、あるいは拡張解釈が起らないようにということで、そのうちの特に典型的なはつきりした場合を三条の一項及び二項に書いておるのであります。中立性ということを私どもが一般的に、あるいは法律用語として使う場合には、大体教育基本法の八条の二項の趣旨の教育をしないということ、これを中立性とお考えくだすつてけつこうであります。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 御承知のように、教育基本法の八条第二項は、特定の政党の支持あるいは反対を禁じているだけでございます。ところが、今回の政治的中立確保の法案を見てみますと、「特定の政党その他の政治的団体」というように、教育基本法の八条二項よりも拡張している。これもむし返しになりますけれども、あとで私の意見は申したいと思うのですが、この「特定の政党」の上に「その他の政治的団体」を持つて来たお考えは、どこから持つて来られたのかお尋ねいたします。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 教育基本法の八条の二項は政治活動の禁止ではないのでありまして、教育の内容が非常に片寄つてはいけないという趣旨と私どもは考えております。従つて、これを具体の行為としてはつきりと規定する場合に、政党または政治的団体というのは教育の内容を片寄らしめる上においては同じことである、こういう考え方であります。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 労働委員会との合同審査会であつたかと思いますが、日教組は政治的団体かということを労働委員の諸君が質問したようでございまして、このとき大臣は、実質的には政治的団体とみなされるというような御答弁をされたようでございますが、間違いございませんか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 みなされるといいますか、実質的には政治的団体だと、こう申し上げたのであります。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 そうなりますと、法案の「政党その他の政治的団体」の「政治的団体」の中に日教組は入る、こういう御見解を持たれておりますか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 今日、法律上、政治的団体というものの扱い方については、大体、届出がある場合にこれを政治的団体とするというふうになつていると思います。私は日教組が届出をしておるということを言つているのではないので、従つて、今日の各般の法令の取扱いの上において、これがただちに政治的団体として取扱われるかどうかはわからないのであります。わかりませんが、しかし、政治的偏向という立場からいえば、今日の日教組がその政治的な態度を捨てない限りは、やはり裁判官が、届出があるなしにかかわらずこれを政治的団体として解釈して取締つていただくことを希望しております。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 大臣が何を御希望なされようとそれは大臣の御自由でございまして、私はまたとやかくは申し上げませんが、実は先ほどからお尋ねいたしておりますように、政治的中立という言葉の意味も、主たる構成員とする団体という言葉の内容も、それからこの政治的団体というようなことも、同時にまた最も私どもが奇妙に考えまするところの「至らしめるに足りる」というような言葉の内容も、罰則規定としては実に曖昧模糊、漠然としておるということを私はここで指摘したいのであります。大臣もよく御承知のように罪刑法定主義という刑法上の大原則があるわけでございまするが、この罪刑法定主義の刑法上の原則から見ましても、このような不明確な規定に基いて教職員の行動が、あるいは懲役刑にあるいは罰金刑に処分せられるということは、教育関係者をしてただ畏怖と息苦しさのうちに萎縮せしめる以外の何ものでもない。はつきり申し上げます。これは教員をして政治的に無関心へ無関心へと持つて行きます。もつとも大臣はそうではないと仰せられるかしりませんが、私は事実においてそうだと思う。これは私一人ではございません。今日一般調査をいたしてみまするならば、おそらく日本国民の大半、自由党の中にも——私は知つているのです。自由党の代議士の方で、非常にこの中立確保については悩んでおられる、こういうようなものは出すべきでなかつたと個人的に私に申しておられる方もあるくらい問題の法律であるということだけを指摘いたしまして、次のお尋ねをいたしたいと思います。

辻寛一自由党

○辻委員長 野原君、あなたの方の割当時間はもう二十分そこそこでございますから、どうか……。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 あと二十分ございますか。

辻寛一自由党

○辻委員長 そうです。二十分弱であります。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 それでは次にお尋ねいたしたいことは、教育行政当局に処罰の請求機能を与えておるわけでございますが、教育行政機関をして常に教師に対して犯罪と関係があるのではないかという疑いを持つ監視的態度を——この処罰の請求権を与えたということは、これは親切な規定のようであつて、実はただいま申し上げましたような監視的態度をとらしめるおそれが多分にあるのではないか。教員と教育行政当局との不信離反を結果せしめるおそれがあるのではないか。教育行政本来の機能というものは、実は教員にそのような犯罪があるかどうかということを監視するところにあるのではなくて、よりよい教育を指導し、これを助言するという立場にあることは、これは教育委員会法の建前から当然のことでございまするが、私はどうも教育委員会法のねらいが、処罰の請求権を与えるということによつてとんでもない方向に持つて行かれる、このおそれを感ずるのであります。これは親切な規定のようであつて、よく私どもが分析してつつ込んで考えてみますと、そういうおそれを持つのです。しかもなお、警察当局は教育行政当局に対して、教育委員会の請求があればこれを犯罪としてあるいは起訴できるわけでございますから、検察庁なり警察は、あなたの方はなぜ請求しないのか、あれはこういうことをやつておるぞというように、警察が教育行政当局に対して干渉して来る、教員に対する、この学園に対する侵入は、請求のあるなしにかかわりございませず、そういうおそれを私は感ずるのでございまするが、この点に対する大臣の御所見を承りたいと思います。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 請求を待つて論ずるということにいたしましたことは、御承知の通りこの規定は必ずしも学校において偏向教育が行われたというようなことを前提にしておるのではないのであります。その学校に対して偏向教育を扇動する、これだけの事実をもつて犯罪は成立するのであります。でありますからして、具体的に申しますと、甲の学校においては教唆扇動を受けて非常にひどい偏向教育が行われるような事態があつた。乙の学校では教唆扇動はあつたけれども、一向その影響を受けないで何らそういうぐあいに教育が行われなかつた。同じ教唆扇動に対してもいろいろなケースがありましよう。そういう場合に、柳に風で受け流したようなところまで無理に犯罪を摘発しなければならぬということはないので、それぞれのケースについて実際の実害というものを考えて、そうして実に困る、こういうことを教育委員会が判断をして、そこで教育委員会が請求すれば初めてその罪を論ずる、これは、委員会が請求しなければ起訴ができないのですから、つまり実際調べてみて該当すれば起訴ができるということになるそういう意味で、学校の運営について一番責任を持つところの教育委員会というものにこの請求権を認めるというか、その請求を待つて初めて司直の手が動く、こういうことにするということで、何も学校はそういう呼びかけがあつても、それに影響されぬということになれば、そこまでやかましく摘発しなければならぬということではないのであります。そういう行き過ぎの場合が起らないようにという配慮から、その請求を待つて云々の規定が設けられたのであります。あなたのおつしやるように、何かこれはよほど深いことを考えて、かえつて何かよほど干渉するようなことを考えておるというのは、それは思い過ごしでありまして、決してそういう気持はないのであります。これによつて、実情に応じて、不必要に犯罪の検挙というようなものがなく、ただ教育委員会が自然教育を監視するということになりはしないかというお尋ねがありましたが、これはそういう呼びかけがあつた場合に学校でどういう教育をするかということは、これは自然教育委員会としては見なければならぬでしよう、見なければならぬけれども、これは何もこの規定があつてもなくても、教育委員会というものは学校の上に対しては一番の責任者でありますから、学校の教育が正しい教育が行われておるかどうかということについては常に関心を払い、また注意をして見ておる、これは当然のことでありまして、教育委員会がそれを監視するということは非常にいまわしいことで、いけないことであるというふうに私どもは考えておらぬ。これは当然教育委員会としての義務としてしなければならぬ、また実際教育の状況を知らずして人事などというものはできやしない。この人事権というものを持つということが、その教育が適当であるかどうか、その教員が優秀な教員であるか、あまり望ましからざる先生であるか、そういうような点については常に見ているのがあたりまえである。それを見ていないで、当てずつぽうに人事をかえるということはできませんから、これはこの法律ができたから、できないからという問題ではない、こう思つております。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 教育委員会は教育行政の責任者でございますから、自分の所管の範囲における教育公務員のいろいろの問題について監視し、注意をするということは、これは私もその通りだと思います。しかしながら処罰の請求権を与えたことによつて教育委員会が正しい方向に向けばいいのですけれども、これも人間の構成した機関でございますから、市町村の末端に行きますと、いたずらに処罰の請求権のみを振りかざすような教育委員会も出て来ないとは限らない。そうなりますと、教員の上には検察庁が二つできる。実はこういつたようなことにもなつて、非常な問題が起るのじやないかと私は思うのでございますが、しかしこの点はこの程度にしておきます。  先般この公聴会に参りました公述人の蝋山さんが申されたことでございましたが、中立確保の法案で処罰されるものは、これは大よそ教育委員会の所管するところの教員でないところの第三者である。第三者というものは、これは直接教育行政機関とは何のかかわりもない者が多いのが普通だろうと思うのです。ところがこの何のかかわりもない、監督も受けない第三者の行為に対して、教唆をしたとか、扇動をしたというような判断を教育委員会なり、大学の学長なり、知事なりが下して来るということは、これはまつたくおかしな話です。自由党の諸君は、どういうお考えでこの法案に一生懸命になつておるのか私はわかりませんが、公聴会なりへ行つて、いろいろその話をすると、実はひつかかるのです。それを考えてください。特例法にあなた方が反対されるとはわからぬでもありません。これはあなた方が今日までいろいろやられて来たというようなことも率直にいえばあるのですよ。しかしながら中立確保の方に一生懸命になつておる。こういうことはまつたくおかしな話であつて、こういう監督権のない第三の行為に対して、一定の判断を下さなければ行えない請求という無理な行為を教育の行政当局に与えておるということは、私はどうも納得ができませんが、その辺の御説明を大臣はどのようになさるおつもりなのか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 これは今あなたがお話になりますように、この法律は何も教職員を対象にしておるわけではありません。「何人も」といのでありますから、いやしくもそういう教唆扇動する者は、これはだれでもこの法律にひつかかるわけであります。その場合に教育委員会が、教職員を監督するといいますか、そういう立場でない、自分が監督するものでもない、つまり一般の人間の、たとえば自由党なら自由党の代議士が、何らか教職員団体といいますか、教員の団体を利用して、大いにわが党の政策を鼓吹して、子供が大きくなつたら、みんな自由党に入るように教育しなければならぬ、かりにこういう乱暴なことを言うたとします。この場合には明白にこれに入ります。そしてこの場合に教育委員会がその請求をするということは、決してその教唆扇動をした人間を監督する立場であるとかないとか、そういうことではない。むしろ被害者の立場なんです。この請求権ということでありますが、実質的に申しますと、刑法の親告罪ですね。つまり被害者が親告をする。自分で泣寝入りになつていいと思えば、親告をしなければ罪を論じないのが親告罪でありますが、これは被害者がするのです。つまり学校に対する働きかけでありますから、ちようど被害者に当る。教唆扇動がただ学校を離れてそとで行われるものならば、これは監督の立場におる者でなければそれを知る由もない。しかしこれは学校に対して働きかけて来る行為でありますから、学校は被害者の立場に立つ。教育委員会は被害者の立場に立つわけであります。だからその被害のぐあいによつて、そとからひつかきまわされ、ひつくり返されて教育をまぜくり返されてはたまらぬ、こう思えばそこで請求する。監督するとか何とかいう立場ではない、むしろ被害者の立場であると御了承を願いたい。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 被害を受けたかどうかというような判断は、これはおそらく教育行政当局の主観的な判断によることと私は思うのです。この法文のどこを探しても客観的に何にもないのです。だから教育委員会がこれは被害を受けた、あいつはこの前教員組合の会合に来てこういうことをしやべつた、これはけしからぬやつだ、こういう主観的な判断をされるとこの請求を受ける。この請求が起訴要件になるでございましようが、大臣がこの前御答弁になりましたように、請求がなくとも警察というものは犯罪があればやつて来ます。これは大臣がどう言おうとやつて来る。こういうわけで実は今日国民の大多数が心配しておるところの最も大きなものの一つとしては、神聖な学園に警察が気やすく、心やすくやつて来て——といえば、言葉はいいですけれども、いろいろな調査をやつたり、あるいは子供のノートをいろいろ調べたり、とにかくそういうような学園というものを警察権でもつて蹂躪するというようなことが、大臣、これはどうしても起るのでございますよ。大臣はそういうことはないと仰せられて参りましたが、こういう特別刑をつくるとどうしても起るということを私は申し上げたいのです。  そこでもう一点お尋ねいたしたいことは……。

辻寛一自由党

○辻委員長 野原君、あともう五分ですから、御如才はありますまいが…。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 教育基本法には、教育の目的を達成するためには自他の敬愛と協力が必要である旨の規定があるわけでございますが、もしこの中立確保の法案が成立するといたしますと、教師を、全面的とは申しませんけれども互いに信頼する心持というものが薄らいで来ることは、これは争えません。同時にまた教師同僚の間におきましても、教唆扇動の罪に対する恐怖から、陰惨な不信と猜疑の風を醸成するような、そういう空気が職員室あるいは学園に起つて来るということも否定できないのです。こういうことでは、教育の目的を達成するためにはまずお互いに敬愛をしてやれという教育基本法に、実はこの法案そのものが大きな侵害を与えて来ておるのではないかと思うのでございますが、大臣はこれに対して、そのようなことは決して起らないという御信念があるならば、ひとつ納得の行く理由をお出しになつて御説明願いたいと思う。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 私はちようどあなたの考えと逆なふうに考えております。この法案は何も学校の先生やあるいは学校の子供を対象にしておるものではありません。学校に対して、学校外の直接責任も何もない者がいろいろかつてな教唆扇動をするということを取締つておるのです。従つてそういうことを取締るということは、これは学校それ自体が静謐を保ち、そとからのいろいろな不当な影響力から学校を守るということでありますから、それによつて学校の先生同志がけんかをしたり、子供と先生の間が悪くなつたりするようなことは私は考えられないと思う。今のようにそとからいろいろなことを言う者がおれば、その影響を受けて学内の平和と静謐は乱されるかもしれません。私はちようどあなたの言われるのと逆なふうに考えております。

野原覺日本社会党(左)

○野原委員 時間がないようでございますが、私も約束した時間は守つて行きたい。理事会で申し合せたことは私はあくまでも履行したい、こういう考えでございますから、この辺で私の質問は終りますが、最後に申し上げておきますが、私どもは教育基本法第一条にうたわれておるところの教育職員の自主性を擁護するために、この二つの法案に対してはあくまでも反対でございます。大臣は教育職員の自主性を擁護するためにこういう法案を出したのだと申すのでございますが、教育職員の自主性とか自律性とかいうようなものは、このような特別刑法あるいは罰則によつて擁護せられるものでは断じてないということを申し上げまして、私の質問を終ります。

辻寛一自由党

○辻委員長 次に前田栄之助君。——申し上げておきますが、前田さんの方の党の割当時間は四十三分残つております。

前田榮之助日本社会党(右)

○前田(榮)委員 私はまず第一に文部大臣の御所見をお伺いいたしたいのでありますが、いろいろな角度でお尋ね申し上げたいのであります。まず文部大臣は、いろいろな質疑応答の中で、この法案はそう思想を取締つたり、あるいはまた政治活動の制限を極端にするきゆうくつなものじやないが、ただ日教組やその他の連中が事以上にこれを宣伝をして、こういうように思わしめておるところがあるんだ、というようなことが、お答えの中にあつたと思うのであります。そのことのありなしを私はお尋ねするのではございませんが、大体最近の新聞その他の論調を見ましても、われわれが想像以上に、識者の中で反対の声が非常に大きいということであります。私の手元へ参つております日々の反対の中で、義務教育学校職員、従つて日教組の組織関係からの陳情等は別にいたしまして、そのほかから参りまする反対というものは、非常に大きいものがあると思うのであります。その中で、たとえば東大の教授、助教授、講師その他の人々がありますが、教授、助教授だけでも八十名からの名前を連ねて、この法律がいかに無謀であるかという点を披瀝して反対をされております。それから最も特色のある問題は、慶応大学は今までこういう政治問題について、教授等が社会的に運動らしいことをただの一度もしたことはないそうであります。私は知らぬのでありますが、そういうことを声明いたしておりますけれども、こんな無理解な法律を出されたのではわれわれも黙つておれないということから、慶応の教授、助教授が反対をされておる。これはただ一例でありますが、これほど新聞等にも反対をされておる。このこと自体は、単に日教組の宣伝でなしに、文部大臣はこれは曲解したと言われるかもわかりませんけれども、私はほんとうに社会の見る目、輿論の上に逆行いたしておるところの法案だと思うのでありますが、これでも文部大臣は、いやそんなことはない、これは正しい法律だとお考えになるか、まずこの御意見をお聞きしたいのであります。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 私は輿論と申しますか、その点はともかくといたしまして、この法律はぜひ必要な法律であると思つております。今お話になりましたように、ずいぶん反対はにぎやかに行われております。私は日教組の宣伝力の偉大なのには、今さら感服しておる。確かに今のお話のように、大学の先生とかそういう方面でも、ずいぶん反対をしておられます。しかし私がいつもふしぎに思いますることは、大学の先生というような人であれば、法律案はよく読んでおられるかと思うと、必ずしもそうではない。やはり日教組の言うのを「そのまま真に受けておられると思われる。というのは、私のところへやはりある大学の先生方が、二人ばかり代表となつて決議文を持つてお見えになりました。やはりそれに参加しておられる先生方は、数千人であるとかいうことでありました。この決議文を持つて来られたときにいろいろ話し合いましたが、その代表で見えた二人の先生のうちの一人の先生が、翌日私のところに手紙をよこして、お話を聞いてよくわかりました。お話のごとくんば、私たちは非常に思い違いをしておりました。ついては適当な時間を指定していただければなおよくひとつ大臣の話を伺いたい、こういう手紙を私のところに寄せられた。これは代表で来られた大学の教授の方であります。でありますから、世論は世論として十分尊重しなければなりません。しかし大学の先生の方まで、日教組の宣伝に乗つてその通りに思い込んでおられる方も相当あるということが、このときに実は初めてわかつたのであります。

前田榮之助日本社会党(右)

○前田(榮)委員 東大のこの反対の声明あるいは慶応大学の連中は日教組には何も関係ないが、これらの先生方は、たちまち自分の身に降りかかる近接した問題でもないと思つておるけれども、今の日本の教育あるいは国民のこうした重大な権利義務の関係については、将来を考えたときに、これに反対せざるを得ないという純情な立場で言われておることに気がつかない。文部大臣にいくら問答しても無用かもしれないけれども、まことに困つた話だと私は思つておるのであります。この問題については、そういう無感覚であるならばそれ以上は申し上げませんが、私は本会議のときにも申し上げたけれども答弁がきわめて不十分でありますから、関連してお聞きしておきます。  憲法の十一条、十二条には、国民は自由と権利を守るために努力を払わなけばならないと規定されておる。十二条の公共の福祉のためにこれを利用する責任を負うという点と、十五条の公務員は全体の奉仕者であるというのは、但書なんで本文ではないのであります。すなわちこの権利をいかなる手段をもつても守るように努力して行かなければならぬというのが憲法の建前であります。ただ公共の福祉に反する場合においてだけ、その制限が加えられておる。そのほかにおいては、それは当然やらなければならぬことになるのであります。そういう方面の努力をいかにして払つて来たかということを文部大臣にお尋ねしたいのであります。ただその問題についての論議を質疑応答の中で聞いておりますと、やはり文部大臣は文部大臣なりのお考えでお茶を濁されておるようでありますが、こういう点についてまず私がお聞き申上げたいのは、ここでもたびたび論議になりましたが、教育公務員特例法の一部改正案の関係で、人事院規則の例によるという問題にまたもどるわけであります。人事院規則の例によるのと地方公務員法によるのとでは、人事院規則の権利制限の規定が少し範囲が広いことだけはお認めになると思いますが、間違いありませんか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 その通りです。

前田榮之助日本社会党(右)

○前田(榮)委員 そうだとしますと、会度の法律案というものは権利の制限を拡大したとわれわれは見なければならぬのであります。その拡大することは、国家公務員と同列に置く必要がある、それは教育というものが国家全体に及ぼすからというお話でありますが、しかし教育そのものが全体の立場でありましても、現在までの地方公務員の取扱いによつて制限をしておつたことにいかなる弊害があつたか。そこで全体の教育にいかなる具体的な障害があつたか、これを明確にしていただきたいと思うのであります。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 しばしば申し上げますように、私は現在学校教育においていわゆる偏向の教育は行われておる、かような認識を持つておるわけであります。この認識の上に立つて、政治行為の制限を国家公務員と同じようにする必要がある。二法案ともに教育の中立性を維持するための法案であります。一つは教員自身が政治にあまり深入りをしないようにしてもらつて、その見地からその担当する公務である教育があまり片寄らないようにしたい、それが一つ。それから外からいらぬことを言つてけしかけることをする者があるから、それをやめてもらう、これが二つ。この二つによつて教育の中立を維持したい、こういうことであります。

前田榮之助日本社会党(右)

○前田(榮)委員 そういうあなたの言われることはたびたび聞いておるのだから、それを聞くのではないのであつて、それが具体的に日本の現在の教育に、どことどういうところに弊害が出て来ておるか、これを示してもらいたい。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 偏向の教育が認められるということは事例をもつて資料として差上げてあります。また偏向の教育を扇動教唆する場合もあるということは、席上しばしば日教組の資料について申し上げた通りであります。

前田榮之助日本社会党(右)

○前田(榮)委員 実際にそれは国家公務員の制限にしようが地方公務員の立場であろうが、それは同一な関係ではないかと思うのですが、これはどういうわけで違つておるかということを明確にしていただきたいと思います。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 先ほどからしばしば申し上げますように、教育そのものの特殊性からして特例を設けるわけであります。

前田榮之助日本社会党(右)

○前田(榮)委員 次にお尋ねしたいことは、労働委員会との合同審査の場合において、文部大臣は、行政には中立性というものは、政党政治、政党内閣である限りはないということを明確におつしやつたのであります。はたして行政にはそういうものがないという考えでやられたか。それに関連して、これは文部省の行政官である緒方局長に聞いておきたいことは、緒方局長は行政官として文部行政を実際にやつておられる、そのやつておられるのが、中立性なしに行政を行つておると考えて行政をやつておられるか、この点も明確にしていただきたい。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 これは昨日でありましたか山崎委員から、教育の中立とということと教育行政の中立ということと、進んで文教政策の中立ということを混同したお話がありましたから、ここにいう中立とは教育に関する中立をさしておるのである、こういうことを申し上げたつもりであります。

緒方信一文部省初等中等教育局長

○緒方政府委員 私はまつたく政治的に中立な立場で仕事をしております。

前田榮之助日本社会党(右)

○前田(榮)委員 どうも言を左右にされることは非常に遺憾だと思います。労働委員会と合同審査のときに、これは井堀君の質問、大西君の質問の中にも明確に言われておるのです。政党政治である場合においては、その政党の政策が行政に浸透するのは当然だ、従つて行政に中立性というものが片寄ることがあることは当然だとおつしやつたのであります。私は山崎君への答弁をちようど聞いておりませんでしたから、どういう御答弁をなさつたか知りませんが、どうもそういう点は納得行かないのでありまして、そうすると、労働委員会との合同審査で言われたことは間違いであつて、行政も中立性を守つて行動しなければならぬと考えておる、とかように言われるのでありますか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 一般の行政は法令の定めるところによつて行われなければらぬのであります。従つてこの場合は、法令を曲げて、特に一党一派に偏したようなことをすることは許されないのであります。しかし教育の中立性という意味における中立性というものは、行政の場合とはおのずから違う、こういうことを申し上げたのであります。

前田榮之助日本社会党(右)

○前田(榮)委員 もちろん話は教育行政に関連するのでありまして、いかなる政党内閣であろうが、政党政治が行われようが、教育の中立性はわれわれも理解ができるのであります。それから同時に、行政上においても中立性はなければならぬと思うのであります。ただ政党内閣であるから、その政党内閣の政策というものには中立性を求めることは無理だと思うのであります。私はそういうことを考えておるのに、ふしぎにも労働委員会での答弁が、政党内閣である限りは、教育行政についても中立性が片寄るのもやむを得ないじやないかということであつたから、私は繰返して聞くのでありますが、それでまずそういうことについては私の見解と同様と見ていいと思うので、これはこれ以上繰返しません。  従つて中立性の問題になるのでありますが、この中立性については、山口県の日記帳が第一トツプの大きい偏向事例としてあげられておるのでありますが、この山口県の日記帳の中の欄外記事については、この前本委員会の報告の中でも申し上げた通りに、われわれは全部が偏向なしということは言つておらないのであります。ただ実際に山口県下の教育に偏向教育としていかなる教育が行われておるかということについては、実害を与えておる点がきわめて少い、こういうことを報告し、その点は自由党の諸君も量においては差はあるかもしれませんが、認められておるのであります。そういうのにかかわらず、何ゆえに追討ちをやるようにこの法律案を出して来たか。それから山口県でこうした問題を出されて以後において、この偏向教育の傾向が一層増大しつつあるとお考えになつておるのかどうか。それならばまたこの法律の必要を感じておるということも言われるのでありますが、私から見ますと、それはただ単に自覚によるばかりではございませんけれども、周囲の環境やPTAや教育委員会の働き等も総合されて、こういうような偏向教育というものは、ますます教職員自体も責任を感じて、よい方向に向いつつあるということを私は認めておるのでありますが、文部大臣はそれが認められぬから、こういう法律が必要だとお考えになつておるかどうか、この一点をお聞かせ願いたい。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 この法律案は必ずしも山口県の日記というものだけで提出されておるというわけではありませんが、しかし山口県の場合におきましても、さような教材としてこれが使われたこと自体が偏向の教育が行われた、こういうふうに私どもは思つております。この害がどの程度であつたか、これはわかりません。幸いにして調査においでになつた委員の方々の御報告によれば、非常に実害としては少くて済んだという報告でありますから、これは非常にけつこうであつたと思うのであります。ただ一万部出したのが、六、七千部回収し得た、だから実害は少いという御報告でありましたが、これはかつてでありますが、私どもは少いとは思わないのであります。三千人に上る児童が偏向教育を受けたその事実は、私は軽視すべからざる事件であると思います。これは実害が少いとか何とかいう問題ではない。とにかく大切なかけがえのない子供でありますから、それにそういう偏向教育が、三千はおろか干でも五百でも行われるということは、私はこれは簡単に片づける問題ではない、かように考えております。しかのみならずこの山口県の日記につきましても、山口県の県教組並びに日教組は、これを偏向と認めておらないのです。そうしてその後におきましても、これらの教職員組合の指令によつて見ると、これを何ら悪いことと思わないで、当然なこととしてこれをますます推し進めるという態度をとつておるのであります。でありますから、これは必ずしも山口県だけではございませんけれども、そういう風潮が今日わが国の教育界にある限りは、やはりこれを放置することができない問題である、かように私は考えておるのであります。

前田榮之助日本社会党(右)

○前田(榮)委員 非常に文部大臣は実情を曲解されておると私は思う。山口県の県教組の連中は、進んでそういう偏向教育を推し進めておるように言われておるのでありますが、そういう形跡が、また実績の上においてどこにあるか。この山口県の日記は、昨年の八月の夏期休暇のときに出し、しかも県教組は年に三回に分類しこういう日記帳を出しておるのであります。そうしてその前の分とその八月の分と、それから冬に出した分と、それからずつと前から編纂しているものを見ますと、昨年の八月のが、われわれがもし偏向だと見るなら最高潮である。その前後のものについては、ここにちやんとそのものがありますが、この中を読んでごらんなさい、この中に一言一句でもそういうものがあつたら私はお目にかけますが、そういうものはないのです。そういうことは、実質的にこの偏向教育というものが、あなた方が御心配になるほどのものでないということを証明している。それを日本の文教をあずかる文部大臣が、こういうところに目が届かぬというところに、今日の悲劇があると私は思う。これはそういう感覚で見ますから、山口県だけが問題じやないとおつしやる。ところが山口県が最も重要な問題に取上げられたことはたびたびのあなたの引例によつて明らかなんであります。ましてや全体においては、私はそう大した問題じやないと思うのであります。しかし大した問題でないから、少しであるからそれはよろしいと私は言うのじやない。たとい少しでも、ただの一人でも、そういう被害を受ける者があつたら防がなければならぬことは当然でありますが、この法律の力で押えようとするところに一つの錯覚があり、そういうことは逆に悪い結果になるということをわれわれは心配するのである。従つてこういう正しい実例を持たないで——これは九月から十二月の山口県の小学生日記でありますが、こういうものをちやんとお調べになつたのかどうか、その点を明確に御答弁を願いたいと思います。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 日教組の機関新聞である教育新聞というのが御承知の通りあります。これによりますと、山口県教組の日記回収拒否闘争ということを報道しております。(「そういう文句だけ引いては困る」と呼ぶ者あり)文向だけじやない。はつきり言うてくれと言うから申し上げます。教育委員会が平和日記弾圧、山口県教組反対闘争という見出しで、「県教組は指令三号を発して、教委の回収措置を拒否するよう全組合員に訴え、平和教育をさらに推進する方針で闘いを進めている。」それから世界教員会議における日本代表団の発言の中にも、「最近ある地域で、国際理解の教育について、子供のワーク・ブックの中でアメリカとソ連、中国を公正に取扱つた内容が、保守勢力によつて非難され、回収を命ぜられるという問題が起つている。」これは山口県の問題であります。だから、少くともあなたもこの山口県の日教組は偏向であるとお認めになつているのであるが、日教組はさようには思つておらぬのであります。それからまだそのほかにもあります。たとえば山口県教組の日記回収に対する態度というのもありますが、これはお耳ざわりであるかもしれませんからやめますけれども、かような資料は幾らもあります。もし何ならここで全部読み上げてもけつこうです。

辻寛一自由党

○辻委員長 前田君、残り時間は十五分でありますから……。

前田榮之助日本社会党(右)

○前田(榮)委員 県教組がこれを偏向と認めておらないという点は、山口県の日記帳の前後の関係等を考えてのことなんです。ただわれわれは率直にそのときだけの具体的事象に基くと偏向だと思うが、しかし山口県教組は、前の傾向とそれから昨年の夏の傾向というようなものを総合しての考えであつたことを、私は現地で聞いているのであつて、そういうこと等が問題じやないと思う。問題は実際に学生児童にいかなる影響を与えたか、偏向の影響を与えたか、こういうことであつて、何と言おうとかんと言おうが、そういうことじやないと思う。しかもそれを教材としてあなたは使つたと言うのであるが、現地では使つたと言つておらないのであります。それは使おうとしたかもわかりませんが、現地のこれを使つたという山口県の教育委員会でさえ、教材として使つておらないと言つているのです。使おうといたしたけれども、いろいろなことでとめさしたということなんですが、実際に弊害を与えているということをあなたがあくまでもがんばられる点が私はふしぎなのでありますが、その前後の実物によつてどうしても判断はできないとおつしやるのかどうか、この点をお聞かせ願いたいと思います。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 弊害が起る起らぬということで、弊害が起つていなければそれでいいじやないか、こういうことを言われますが、教育というものは当然に児童に影響を与えるものであります。そしてそういう教育は行われてはならぬ。弊害が起らなければ行われてもかまわぬじやないか、その弊害が起つたという証拠はどうだ、こう言われますが、教育というものは児童というものは児童に当然影響を与えるものと私は考える。だからして具体的に児童に悪い影響を与えたということを見定めたあとでなければ、それに対して措置を講ずるのは行き過ぎである、こういうふうにお考えになることは、私どもとは意見が違います。

前田榮之助日本社会党(右)

○前田(榮)委員 私は弊害があつてもよろしいとは決して申し上げておらないのであります。それは教職員の自覚、責任において、これがもし偏向だとするならば偏向は是正される。なお教育委員会もあり、PTAもあり、それから一般市民も監視しておるのであります。つまりこういう思想的な行動は、多くの委員が述べられたように、法律に基いてやるべきものではないのであつて、それがたちまち目の前に見えて、たとえば子供が被害を受けて毎日泣きの涙で暮しておるやつを、高見の見物で、いつかのときには自覚に基いて何とかなるというようなことは言われぬ。ところが実際に弊害を与えておらないのだから、すきがある。そのすきを十分に活用して、そして対社会的な問題として国家、国民、あるいはPTAやすべてのものと相談をする態度で臨むべきものであつて、法律をもつてこれをあなたが型にはめようということが、慶応の先生や東大の先生が日教組に扇動されずにこの法律に反対する大きい理由なんですよ。そういうことがわからないようではたいへん困るわけです。  そこで討論になりますからこのくらいでやめておきますが、最後にお尋ね申し上げたいのは、特殊部落の教育とか、あるいは解放教育というようなことがよく教育問題となつて現われるのでありますが、ただ私が心配するのは、こういう二つの法律案で教員のはつららつたる元気を喪失せしめて、そして政治的偏向を正すという美名によつて元気のない保守的な思想をだんだん瀰漫せしめるということになつたときに、また日本で重要な問題である差別待遇、特殊部落の人に対する態度、こういうものが起りはせぬかと思うのであります。文部大臣としてはこれに対して何か方策を考えておるか、またこういうことはこれと全然関係がないと考えておるか、この点をお聞かせ願いたいと思います。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 私はこの法律によつて教育にあるわくをはめるのだとか、そういうことは絶対にあり得ないと思う。現状悪い教育を教唆扇動するものをとめる、これだけの話であります。決して何もわくにはめるということを積極的にするというわけじやない。でありますから、差別待遇の問題がこれによつて起るとか起らぬとかいうことは、まつたく見当違いのお話であります。

前田榮之助日本社会党(右)

○前田(榮)委員 私は討論をしようとするものではありませんから、大体この程度でやめておきますが、ただこの問題について文部大臣は教職員の政治活動の制限を行い、中立性を保つために——「何人」もということの中には、ただ政治家ばかりではなしに、学校の職員も加わるわけなんであります。あなたは今さつきだれかの質問に対して、学校の先生を縛るのじやない、外からの教唆扇動を縛るのだ、こうおつしやつたのでありますが、それは外からであろうが、内からであろうが、何であろうが、教唆扇動をする者が法文にあるように教職員を主たる構成員とするところの団体を通じてやつた場合には同じことなんであつて、これはうちの学校の先生であろうが同様だと私は思う。そういうようなことをただあなたは自分の解釈の都合のいいように都合のいいようにおつしやるが、これは文部大臣大達茂雄さんがこの提案者であろうが、提案者のいかんにかかわらず、法律の施行というものはこの法律の条文によつてやられるのです。そういう結果が、教育の中立性の問題についても非常に偏向な扱いが行われると思うのです。  最後に、私は一例として本会議で例をあげて答弁を求めたのでありますが、それにはあなたのお答えがなかつた、それで私はそれを繰返してお答えを願いたいのでありますが、今国会では汚職事件が非常に大きく取上げられております。これは国民も汚職事件を言うておる。新聞に出る汚職事件のメンバーはほとんど自由党なんです。しかも前大臣あるいは現大臣、それからいろんな議員が四十何名も、昨日かきようの新聞には出ておるようであります。そういう人のほとんどが自由党です。そういうことになると、学校職員は教育家であると同時に国民であります。国家のこういうような汚職等が行われる政治を、愛国の精神のある者は安閑として見ておるわけにも参りません。そうすると新聞等に出たものを、学校の児童が、先生、汚職事件とはどういうものですか、これはだれがやつたのですか、大臣がやるなぞというのは嘆かわしいことじやないですかと言つたときに、嘆かわしいことだ、今の内閣の大臣なんかなつておらぬ、こう言うことは、正しいことではないかもわかりませんが、時の勢いです。     〔発言する者多し〕

辻寛一自由党

○辻委員長 御静粛に願います。

前田榮之助日本社会党(右)

○前田(榮)委員 愛国の熱意のある者は、時の勢いで必ず行くものなんです、その時の勢いの愛国心の発露がそうしたのだと私は思うが、実際はそういう発露の芽をつむことに相なると思う。それが随所に出て来ると思う。そういう愛国の熱意の芽をつむということが、将来この法律のなれのはての結果として起つて来ることを、あなた方は予想しないのかどうか、そういうことが正しいと思つておるのかどうか、この点をお聞きいたしまして、私は質問を終ることにいたします。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 子供から質問を受けて、汚職事件が起るようなことはきわめてけしからぬことだと、いくら大きな声をして教えてもさしつかえありません。

前田榮之助日本社会党(右)

○前田(榮)委員 ただそれだけの問題ではない、今の吉田内閣は自由党から大臣が出ておる、自由党は不都合だ、こういうところまで言つたときにはどうなるか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 自由党は不都合だ、だから自由党のような政党はいけない、これはいけません。大体自由党は全部汚職を政策に掲げておるわけじやない、そういうでたらめなことを言つて、そして子供に自由党はいけなということを頭にしみ込まそうというなら、これは明瞭にいけない。

辻寛一自由党

○辻委員長 もう三分であります。

前田榮之助日本社会党(右)

○前田(榮)委員 私はそれが正しいと言つておるのじやないのですけれども、愛国の熱意のある者は、勢いその線まで必ず行く、その愛国の熱意の芽をつむことになるからいけないのじやないか、こう言うのです。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 愛国の熱意があれば必ずそうなるなどということは私は思いません。そんな出ほうだいなことは言うべきものではありません。

辻寛一自由党

○辻委員長 小林信一君。     〔発言する者あり〕

辻寛一自由党

○辻委員長 委員外の発言はお差控えを願います。御静粛に願います。発言をお許ししております。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 最近制限することは政府もすきでありまして、委員長も大分それにかぶれたようであります。一時間しか許されぬのでありますから、こういう重大な法案が審議においてすでに制限せられることはまことに遺憾でございまして、その結果を考慮しますときに、まことに憂慮すべきものがあるのでございます。  私はまず最初に、本会議の席上で緒方副総理に尋ねたことが納得が行かないので、もう一度ここで本来ならば副総理に聞きたいのですが、大臣からお聞きすれば、同じ閣僚でございますからいいと思うのでお尋ねいたします。  日本を再び官僚的行政機構にしてはならない、また中央集権にしてはならない、それには教育者に公民としてのあらゆる権利を与えねばならないというアメリカの教育使節団の言葉を私は借りまして、これに対してどうお考えになりますかとお尋ねしましたら、副総理の言うことには、あなたは非常にアメリカ人の言うことを金科王条のように考えておるけれども、政府はそうではない、こういうふうに私はアメリカ一辺倒的の評価を受けたわけでございまして、まことに私うれしく思つておるのでございますが、しかしこれは非常に私としては納得できないのです。この言葉はやはり大臣も副総理と同じようにお考えになりますかどうか、お尋ねいたします。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 私は副総理の言われたことと同感であります。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 そうすると教育者に公民としてのあらゆる権利を与えるということは好ましくない、こういうようにお考えになつておるわけですか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 あらゆる権利ということは、きわめて雑駁でわかりません。それぞれの必要に応じて権利を与えることもあるし、また権利を制限しなければならぬ場合もありましよう。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 これは何もいまさらわれわれが聞く言葉でなくて、当時日本の教育制度に対して、重大な発言であつたわけなんです。日本政府としましても、一応政治というものを考える人はおそらく慎重に考えて、合のような大臣の軽卒な御答弁があるということは、まことに私はおかしいと思うのですが、やはりこういうことはほんとうに民主主義の国をつくる点からして、また過去の日本というものを反省してかかつた場合には、私はこのアメリカの使節団の言葉というものは、たといアメリカ人の言葉であろうがなかろうが、これは私はどうしても教育の根底に置かなければならぬことだと思うのです。それをやはり体して教育基本法というものがあると思うのですが、あなたはそういうふうにお考えになりませんか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 私が申し上げておるのは、その視察団の結論というものははつきりわからない、あらゆる権利を与えなければならぬという意味がもう少しよく聞いてみないとわからぬのであります。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 私はまじめに質問しているのですから、大臣もなるべくこういう場合にまじめに御答弁願いたいと思うのですが、いまさらアメリカの使節団の言葉を検討しなければわからぬというふうな文部大臣であることは、これはやはり国民からその信を疑われるのじやないかと思う。大臣としては十分御承知の上で、言いにくいからそういうふうに言葉をごまかしておるのじやないか、こういうふうに私はとつております。私はやはりこの言葉はアメリカ人の言葉であつてもどうであつても、ことに私は本会の席上何もアメリカ人の言葉を借りる必要はない、日本の民主主義を確立するために、過去を反省したものは個人の尊厳というものを第一にしなければならない、そしてそこに真理と平和を追求するところの人間をつくつて行かなければならない、こういうことにわれわれは考えておりますが、従つてその真理を追求する、平和を求めるところの人間というものをつくつて行くには、やはり教育者というものをこういう状態に置かなければいけないのだ、これは私の考えだけでなく、日本人全体が持たなければほんとうの日本の新しい建設はできないと考えておりますが、やはり大臣はこの点については、ここで解明しようとお考えにならないのですか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 日本は独立したのでありますから、私はアメリカ人が言うたことを一々研究し、検討しなければ日本の教育行政ができないとは思つておりません。それから教育者に対して……。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 アメリカ人の言葉というのは抜いてこのことだけを……。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 その言葉だけじやわからないのです。ところが今おつしやつた内容の教育者をしてできるだけりつぱな教育者にするために、国家があらゆる方法を講ずることは当然であります。これはあたりまえのことであります。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 しかし日本の教育の根本のものは、かつての不当な権力に支配されたときのように政治的な力によつて教育内容がかえられたりすることは、非常にいけないということは大臣も肯定されると思うのです。そういう場合にやはり教員というものに、あらゆる公民としての自由、権利というものを与えて行くところに——そういう民主主義の一番大事なものは、これを敢行するところの勇気なんですが、そういうものはやはり教育者に持たせて、初めて勇気のある実行力のある人間というものがつくられて行くのじやないか、だから私たちはできるだけそういうふうなものを与えて行かなければいけない、もちろん教育基本法に示すように、でたらめな自由というものは与えるのじやない、そこには国家権力でもつて正しく規定する現実の制度というものがある点から考えて、その範囲内において、できるだけ教育する者に公民としての権利を与えなければならぬということは、私はうなずけることだと思うのですが、その点についてはやはり大臣は今のような御答弁を続けられると思うので、これは私は以上をもつて終ります。  その次にお伺いしたいのは、この委員会で、この二つの法案を審議する場合に、教育基本法がやはり問題の根底になりまして、審議が続けられるのでございますが、しかしおもに第八条の一項二項について論議されます。しかしやはりこの教育基本法の全面的な考えというものは私は必要じやないかという点で、ここに教育基本法の一つ二つをとつて、この法律が妥当であるかどうかということをお尋ねいたしますが、まず第二条の教育の方針を規定したものがございます、「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。」これが教育方針でございますが、私はこの教育方針から考えても、この二つの法案が生れることは、この基本的な精神というものを無視するような形になりはしないか、こういうふうに懸念するものであります。と申しますのは、まず最初のあらゆる機会、あらゆる場所においてその目的を達しなければならなぬ。これは従来の法律にあつたかどうかわかりませんが、先生たちというのは常に実際の問題をとらえるという意味からして、その機会というものを考えたわけです。そうしてあらゆる場所において教育するということも、根本的な考えとして持つたわけでございますが、特に今回教育基本法がこれを取上げたということは、日本の教育の将来に対して非常に重大であるからだと私は考えるのでございます。その教育の具体性、社会性を重視しているこの点を教師が認識するならば、教師は常に社会の具体的な現実の問題に鋭く批判をし、深く検討をしなければならない。そうしてこれらに対しましては、教育する場合にはしつかりした意思に基いて教育しなければならなぬ。もちろんその帰着するところは、ただいまの法文にありますように、「文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。」これが帰着するところでございますが、その際に最も私の問題にしたいのは、「学問の自由を尊重し、」という言葉があるのでございます。この「学問の自由を尊重し、」というのは、政治だとかあるいは社会が学問の自由を尊重するというのではなく、この条文から言うならば、教師自体が学問の自由を尊重しなければならない、こういう意味だと思うのでございますが、これに対しましてどのように教師がこの言葉を体しておらなければならぬか、これを大臣にお伺いいたします。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 学問の自由を尊重しなければならぬ、教師がその気持を持つていなければならぬ、これは当然のことであります。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 私の説明が悪かつたと思うのですが、前に述べてあるところの、あらゆる機会にあらゆる場所にという、この教育の方針の最も根底をなすものを最も忠実に履行しようとする場合には、私は教師自身が学問の自由を尊重しなければならない、その尊重の仕方というものは、自分がこうと思つたものが、何か権力によつてつまらない批判を受けやしないかというようなことにいささかも侵されることなく、あくまでも自分の信ずるところを貫くという、そういうものが必要だということを持つておると思うのです。従いまして自分の信ずるものを貫こうとするのには、そこに十分責任を果すだけの用意がなければならぬ。従つて物事を見る場合に、検討する、あるいは研究する、批判する、あるいは教える方法を考慮するといようなことについて慎重を期さなければならぬわけですが、そういうことが生れて来る大事な言葉であつて、やはり自分が何ものにも侵されない、支配されない、自分の信ずるものを貫くという、その学問の自由というものを教師自体が考えて行かなければいけない、こういう精神だと思うのでありますが、もう一度大臣のお考えをお聞きいたします。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 その通りに存じます。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 その通りと、前のおつしやつたところとは大分私違うように思います。そうすればこういう言葉に対してそういう解釈を大臣が持つた場合には、文教政策を行うもの、つまり文部省とかあるいは国会とかいうようなものは、これに対してはどういう態度をとつておればよいのか、どういうことをすればよいのか、大事な点であると思いますので伺います。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 学問の自由という言葉は、学問自身の自由ということは考えられないから、学問研究の自由と思います。学問研究の自由を妨げるようなことがあつてはならないと思います。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 外部的に今まで一般に言いふらされておるところの学問の自由という問題と、教育基本法に定められておる教師自体が学問の自由を尊重しなければならないということでは、大分その立場において考え方が違うのではないかと思います。要するに教育の自由というような形にもあるいはなるのではないかと思います。従いまして為政者としては、この教師をいささかも恐怖させたり、脅かしたりしてはいけない。あくまでも守つて行かなければならない。この法案提出以来この点は大分大臣の力説されておる点であつて、はたしてこれがこの法案の意図と一致しておるかどうか知りませんが、おつしやることは了解いたします。あくまでも教える者が阻害されるところのものを排除することが政治の力でなければならぬ。それをもし厳重な監視をするとか、あるいはこれを逸脱した者は刑罰に処するというようなことは、今大臣が申されましたような保護をするとかこれを防衛するということになるかどうか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 政府の権力あるいは法律の力によつて、学問の自由を脅かしたこれを軽んじたりすべきものではないと思います。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 この教育方針に示してあるところから見れば、先ほど前田委員のおつしやつたような、ああいう具体的な事例をどんどん取扱つて行つて、そうして強い公民をつくらなければならぬことになりますが、そういう場合に、先生はあらゆる事象に対して自分がこれを追究し、究明して、これを教材として扱わなければならないというとき、これを扱つたら、おれのところの村長さんは自由党だから、あるいは社会党なんだからというようなことで遠慮するというようなことがあつてはいけない。そこにその教師がこの言葉をしつかり持つておりますれば、そういうものに屈することなく、自分の考えている通りにこれをやつて行く、だからこそ自分の責任を重視しなければならぬ。従つて慎重を期さなければならぬし、逸脱してはならないということになるわけであります。そうであればあるほど、この学問の自由を先生が尊重し得るような保護をしなければならない。しかし今この法案から考えるならば、行き過ぎると刑罰に処するぞ、処するばかりでなく、処せなくても常にそういう行動に対して監視の目を怠つておらないということになつたら、その学問の自由は非常に弱いものになる。こういうことです。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 学問の自由ということと教育の自由ということを混同されてはいないかと思います。学問を研究する、この自由はいかなる場合においても妨げられるべきものではありません。しかし無制限に自由な教育をすべきものとは私は思わない。それは教育基本法八条二項にその一定のわくがきめてあります。その限界を越えて、何でもかでも自由に教育していい、こういうものではないと思うのであります。そうしてこれは、そういう片寄つた教育をすること自体が、児童の教えられる側から見れば、学問の自由をそこなうのではないか、なぜなれば片寄つたことを押しつけるのであるからして、子供の方から言えば学問研究の自由が阻害されると思うのであります。そうしてこの法律案について言えば、これが学問研究の自由を阻害する事由は一つもないのです。むしろ学校の先生が自主的な教育をし、自主的な研究をする場合に、外からこれに対していろいろなことを呼びかける、これこそむしろ先生の心境を乱して、そして学問の自由を妨げるものである、この外から来る邪悪な働きかけというものをとめるということは、学問の自由を阻害するというのではなしに、むしろこれを擁護するゆえんであると私は思つております。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 ここで学問の自由と書いてあることは教育方針として掲げたものであつて、教師に要求する点が非常に大きいのです。従つてそれは教育の自由というようなことにも解釈してもいいんじやないかと思つておりますので、あるいは大臣が混同されておるようにお考えになるかもしれませんが、しかしその場合に、大臣はすぐ今までの審議状態からして飛躍をしてしまうのですが、私は飛躍しておらないのです。やはり教師はそれだけ尊重しろ、こういうふうに教育方針として規定されておるのですから、だからこそ自分の責任というものを重大に考えなければいけない。従つて自分があらゆる機会にあらゆる場所でというような指示に従つてやる場合も、非常に慎重を期さなければならない。こういう態度で教師が臨むことが、教育についてわれわれが要望するところなんです。従つてそこには、それを行うために恐怖を与えるようなことがあつてはいけない、いささかもおびえるようなことがあつてはいけない、そういうことから守つてやるのが政治なんです。ところが大臣はそんなものは少しも取締つてはおらぬというのですが、やはり行き過ぎればそこに罰則がある、あるいはこれが社会から糾弾されるもとになるというようなことが多くなることは、教師をだんだん萎縮さして行くのではないか、こう私は言うのですが、大臣はおそらくそういうことはないとおつしやるだろうから次へ移ります。  やはり教育方針の問題についてさらにお伺いするのでございますが、実際生活に即さなければいけない、それから自発的精神を養わなければならないということがあります。これも非常に重大なことでございます。自発学習というようなものをやらせるには、これは教育の技術と申しますか、なかなかなかふうを要するものでありますが、とにかく興味を持たしたり、あるいは刺激をして調べようとする意欲を起さしたりすることがなかつたならば、教育の内容というもの、教育の仕事というものは何もないわけなんです。こういう点につきましては大臣等はあまりお考えにならぬと思いますから、ちよつと例をとつて申し上げますれば、たとえば修学旅行に行く。これはただ知らないところを見るということでなく、この教育方針に従うならば、汽車に乗る、そうすると車内道徳というようなものも公衆道徳として教えるわけです。みかんをたまたま食う。そのみかんの皮を捨てた場合に、お互いにきれいなところに乗つて行こうじやないかというような指導をする。そんなことを子供の方から言い出したならば、もう一つ子供に教えなければならぬ大事なことがある。それは自分が鉄道従業員になつた場合などを考えさせなければならない。その場合に反対の言葉を使つて、しかし金を出して乗つているのだからいいじやないか、これは金をとつて乗せておる鉄道の方の従業員が当然掃除すべきだから、それにやらしたらどうかというように言つて、そこの問題をお互いに、従業員もきれいにすることに努めなければならぬが、乗客もきれいにすることに努めなければならぬ、そこで初めて車内の清潔が保たれるのだというようなことがあるわけで、教育というものは、大臣、なかなかむずかしいものです。こういうりくつばかり言つておれば簡単なんですが、大臣の今までの御答弁を聞いておりますと、各政党の主義、政策というものを逐条的に並べて子供にすぱつと与えればいいというようなことをおつしやつていますが、そんなことでは決して教育基本法で要求するような政治教育はできないわけです。だからある一場面を聞いた場合には、あいつは自由党に加担している、あいつは共産党の傾向を持つておるぞというようなことがある。しかしそんなことに拘泥されることなく、自分の所信を貫いて行くということが教師に要求されなければならぬことである。先ほども前田先生から汚職の問題が出ましたが、かりに汚職の問題が、子供に発言された場合に、先生はまずこれに対する研究テーマをつくらなければならぬ。子供と一緒につくつて行くわけですが、汚職というものは一体どういうふうにして仕組まれるのか。これは政治屋さんばかりがあつてできるものではない。官吏もなければだめだ、財閥もなければだめだ。こういうふうなことを先生は大体テーマとして持つていなければならぬ。そういうふうなものを誘導して、汚職の構造をつかませなければ、汚職の悪いということを的確につかむことはできないわけである。もちろんそういう場合に、汚職が自由党にいくらたくさんあつたとしても、自由党ばかりに片寄ることはいけないんですが、汚職にはどんな影響があるとか、あるいは汚職の原因はどういうところから生れて来るのかというようなことを子供に考えさせなければならぬ。そんな場合に子供が気がつかなかつたら、先生は、政治屋さんというものは選挙にたくさん金を使うのですから、そういうふうにしてもうけなければ使えないじやないかというようなことを言うかもしれぬ。そうすると、それだけ聞いた人は、あいつは間違つた政治教育をやつているんだ。ところが子供はそれにヒントを得て、それはいけないのだ、買収ということはやつてはいけないのだ。そうすると今度は、国民の方から選挙のときに金をもらうから汚職が起きるのだ、国民がまずその金を贈らないことが汚職をなくすもとだというぐあいに仕事をして行くのが教育の実態なんです。そういうふうなときにあらゆる方法を用い、あらゆる計画を立ててやるときに、こんな法律が出たら、先生は相当萎縮するんじやないかと思うんですが、そういうことは大臣考えたことはございますか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 今おつしやつたことは、私は大体同感ですが、この法律ができたためにそれができなくなる、萎縮するというようなことはどうしても理解できないのであります。ただ一点、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養う云々ということが書いてあります。小林さんは、教師自身が学問の自由を尊重し、自分の信念に徹し、教師自身が実際生活に即して行くといつたぐあいに、これを教師というふうにお読みになつているように受取れる点もあるのですが、自発的精神を養いというところに来ると、自発的精神を養うように教育するといいうような御説明になつたのですが、もちろん教師もこの精神を体さなければならぬのでありますが、しかし学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養いということは、これは教育の方針として書いてあるのでありますから、学問の自由を尊重するような教育を与える、それから実際生活に即した教育を行う、あるいは自発的精神を養うような教育を行う、こういうふうにも、読まなければならぬかと思います。そこで学問の自由を尊重しというところで、教員自身が教育の上に自分の信念を貫くことが必要だろうということを言われたけれども、しかしこの点に問題があると思うので、たといその先生が共産主義者であつて、そして信念として共産党に非常な熱心な先生であつたとした場合は——これは共産党と言つてて悪ければほかの政党でもいいですが、そういう場合に、自分の信念だから共産主義という主義を研究して、学問の自由を尊重するという立場から、その信念を貫いてこれを子供に教えるのが、基本法の二条にいうところの教育の目的、精神である、こういうふうに私は思つておらぬのです。子供に学問の自由を尊重するような教育を、子供をそういうふうに仕立て上げなければならぬ。それにはむろん先生自身が学問の尊重ということについての信念もなければなりますまい。しかしそれは教育の面において自分の信ずるところであればそれを貫いて必ず子供に教え込まなければいかぬ、こういうふうに読むことはきわめて危険であります。その点だけを申し添えて、あとはあなたのおつしやる通りであると思います。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 大臣はすぐそう曲解するのですが、中にはまじめな代議士もいるのですよ。私はやはり大臣と同じ見解を持つている。しかし今信念の問題を言つたのですが、もし大臣のような見解をもつて臨んだら、それは信念という教育がなくなつてしまう。おれは共産党かもしれぬ、おれは自由党かもしれぬ、自分の信念をうつかり貫くとこれは一辺倒の教育になるかもしれない、そんな信念があるか。やはり自分の責任を考えたり、自分の使命というものを考えたりした上で考える信念なんですよ。大臣の今のようなお言葉でもつて先生が考えたら、日本の国の教育というものは骨抜きになる。おれは共産党かもしれぬ、おれは社会党かもしれぬ、そういう傾向を持つておるかもしれぬから、うかうかおれの信念を貫くとあぶないぞ、そんなことになつたらたいへんです。自分が一応判断して、おれはそういう一辺倒の態度を持つておらぬ、おれは共産党であるかもしれないが、教える場合にはそうじやない、その信念の上に立つてやらなければ教育はできないわけです。それから学問の自由の問題でも、やはり子供に教えることが大事だからこそ、先生自体が学問の自由というものを持たなければならない。そこには教育の自由というものがなければならぬということでお伺いしたのです。とにかく最後の問題で私は賛成していただいたのですが、そういうふうな仕事をしなければならぬ者に対して、こういう刑罰があるということはどうですか、私はその点が大臣とは反対ですが、いささかも大臣は心配がないと言うのですか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 これは繰返して申し上げますように、先生がどういう主義を持つておるからこれを処罰するとか、そういう規定では全然ないのです。これは先ほど治安維持法なんかと一緒くたにされて、あたかも先生の特定の思想を弾圧し、またそういう考え方を持つている先生を対象として刑罰をもて臨む、こういうふうに非常に誤解されておるようでありますが、これは明瞭に誤解であります。先生を対象としてはおらぬのであります。先生に対して外からいらぬことを言うものをやめてもらう、こういう規定であります。その意味においてはむしろ先生の学問の自由といいますか、少くとも学問研究を側からまぜくり返すようなことをやめてもらう、こういうことでありまして、先生自身の学問研究の自由を妨げるとか、特定の信念、考えを持つた先生を処罰するとかいう規定ではない。その先生が共産党であつても、この規定は何ら関知するところではありません。これは規定をごらんになればよくわかることであつて、この規定の方こそ、むしろ先生の学問の自由を尊重することになる。側からいろいろ迷わすようなことを言わないようにしてもらいたい、こういうことにすぎないのであります。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 そこが私には納得できないのですが、それでは具体的な問題として、今のような汚職問題を取扱つたとしたら、偶然子供が調べて、自由党という政党は実に悪い政党だ。自由党と言うと語弊がありますが、何々政党は非常に悪い政党だというふうな結論を子供が持つたとします。そうして家へ帰つて生徒が、きよう先生と汚職の問題を勉強したけれども、お父さん何々政党は悪い政党ですね、こう言つた。これがはからずも取上げられて、あの教師は非常に偏向教育をやつているというふうになつた場合は、これは問題ないのですか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 これはこの法律案の問題と、それから基本法八条の問題とがこんがらがつておりますから、そういう簡単な事例について。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 簡単じやない。これは事実です。こういう問題についての法律案なんです。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 私が申し上げるのは、とにかく先生は自分の信念に基いた教育をするのがあたりまえで、それでこそ教育というものが真価を発揮するのだということは、私は同感ですよ。あなたが言われるのに同感です。但し、その場合に少くとも自分の教えている教育が、基本法の八条に抵触するかしないかという点だけは考えてもらわなければならない。これはひよつとしたら基本法の八条に抵触するかもしれない、そこでびくびくするということでありますれば、教員として教職に立つ限りにおいては、これは基本法の問題でありますから、基本法の八条に抵触する教育なりやいなや、それに対する判断は、最小限度において教員に対して要求せられているのであります。これが判断がつかぬから縮まつてしまうということは、これは教職員としては言えないことであります。私は少くとも自分のする教育が、教育基本法の八条に抵触するものかいなか、その程度の判断は最小限度教職員に対して要求せられていることと思います。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 だんだん混乱して来るようですが、今の具体的な問題について御回答がないのですけれども、教育基本法の八条は、これに抵触した場合は当然社会から批判を受け、先生はもちろんその学校にいたたまれなくなる場合もあるし、教育委員会等によつて、どつかの学校にもありましたように、現行法においても懲戒免職があるのです。だからこれはやはり先生だつて考えるのです。従つてその程度でおくのが私はあたりまえだと思いますが、ここに今度は、大臣は教唆、扇動のみを取扱うと言うけれども、特例法の方で人事院規則を適用されて、そうしてまた罰則があるというような点から考えれば、やはり教育基本法八条の問題と、これに対する社会的な批判、あるいは教育委員会の処罰というふうなものばかりでなく、なおよけいな恐怖というものが私はあると思うのですが、大臣はないと言うならば、次に移ります。  もう一つ教育方針の中で大臣にお考え願いたいのは、「自他の敬愛と協力によつて、」という言葉があるのです。これも大臣に考えていただかなければならぬ点だと思うのです。もちろん学習する結論というようなものは、今の先生たちは決して規制というか、こうですよというようなことはしいません。先ほど大臣のお話を聞いていると、そういうことをするようですが、そんなことはない。それでは自発活動はないわけですから……。従つてそこにはみずからの学習意欲を盛り上げて行くことと、そうして大事なことは、教師と児童、児童と児童との相互的な研究というようなものが、ただ成果をあげるという点だけでなくて、社会生活として大事な一つの学習なんですから、それをやるわけです。そういう場合に一番大事なことは、お互い信頼し合うことです。これはやはり重視しなければならぬと思うのです。そこで私は、そういうことを教育基本法が要求する場合に、こういう教育行政を行うところの国の政治も、信頼を教師にも児童にも持たせなければいけないと思うのです。ところがこの教育法は教師を罪人扱いする。これは教師に対して、信頼して、そして教師に信念を持たせるというような行き方でなくて、何か力でもつて拘束して、そして教師をある考えに置くというふうな、基本法の精神に非常にもとるようなことになると思うのです。私一番極端な例をあげれば、先日公聴会のときに読売新聞の論説委員の方が言われた。大臣がその論説委員と話をされたときに、日教組というのは実に共産党の巣窟だ、宇治山田の大会のときには、入口にスターリンの像が掲げた、それから日教組の本部に毛沢東とスターリンの写真を掲げて、そしてこれを朝夕礼拝しておる、これをもつてして日教組というものは共産党の巣窟でなくて何であろう、というようなお話をされたということを、大臣のそばで読売新聞の論説委員が言われたのですが、これは非常なうそだということを私どもあとで聞いたのです。そういう教員がつくつておる団体のありもしないことをあるように大臣が言うのは、教育基本法のお互いに信頼し合う、信をもつて教育の基本となすということをぶちこわすことになるわけです。そういう精神からつくられる法律は実にあぶないと思いますが、大臣のこれに対する御答弁を願います。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 これはこの前労働委員会との連合審査のときに私は一応弁明したように思います。小林委員そのときおられましたか。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 私はそのとき……。ひとつ御親切にやつてください。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 あれは読売新聞の何とかいう人がそういうことを言いましたが、あの人の言うことはそのままほんとうではありません。     〔発言する者多し〕

辻寛一自由党

○辻委員長 お静かに願います。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 あの節にどなたの質問だつたか忘れましたが、返事をしたことは、日教組の宇治山田の大会にスターリンの肖像を掲げ、そして中共の要人のメッセージを読み上げたということを聞きました。しかしこれは私にはうそともほんとうともわからない。そこで日教組の諸君が私のところに面会に見えたときに、その話をしてほんとうかと聞いたのです。そんな調子だつたという話じやないかと聞いた。それはとんでもないうそだと言われたから、そうだろうと私も思う、そういうことを言うたのです。それで日教組の事務室に写真が掲げてあるということは、絶対に話をしたことはありません。その後小林武君がどこかの新聞の論壇に、文部大臣は日教組の本部の事務室にスターリンの写真が掲げてあるというようなことを言つた、とんでもないことを言いふらす人である、こういうことを書かれた。この記事を私は読みましたけれども、私は小林君にそういうことを言つた覚えはありません。宇治山田でそういう話を聞いたがほんとうかということを聞いたのです。うそだと言うからそうだろう、私もそう思つていた、こう言つただけの話です。どういう間違いか、それがいろいろに言いふらされておるのであります。だからこれをもとにして、私が日教組にあられもない虚構の宣伝をして、そしてその頭でこの法律をつくり出したというようなふうにだんだんと論理を発展されましても、そこはもとのところが違つておるのですから、その辺は誤解のないようにしていただきたい。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 それは結局大臣の不徳のいたすことになるわけでしようが、この委員会におきましても、大臣の言葉を聞いておれば、うそ八百だとか、とんでもないでたらめだとか——とにかくもう少し人を信頼するような態度というものが、やはり教育の基本になることだと思うのです。そういうところからこういう法律が出て来るというふうに解釈されるわけなんです。要するに私たちは教育基本法の第二条から考えて、教育方針をあの通りに要望するという点からしても、こういう法律ができるということは非常にじやまなんです。大臣が第八条のあれを具体的にしたものだとおつしやるけれども、とんでもないことで、やはり第二条を考えた場合にはやつてならないことだと思うのです。  私はその次に第六条の問題でお尋ねいたします。これは学校教育という項目であげてありますが、「法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であつて、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない。」こう書いてあります。そこで順次お伺いして参りますが、基本的なものでありますので、やはり法文の意味についてお互いに見解が違つておるようなところがあると思う。まずその全体の奉仕者であるという言葉です。大臣がこの法案を提出するにあたりまして、地方公務員である教員も国家公務員並に取扱うということは何らさしつかえない、それは全体の奉仕者だというようなことをときどきおつしやるのですが、やはりこの言葉からそれが適用されておるのですか、お伺いいたします。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 これは必ずしも法律に規定がどうあるとかこうあるとかいうことでなしに、義務教育というものは憲法に基礎を置いておるものでありますから、かりにこの基本法の規定があつてもなくても当然にそういうものである、こう思つております。しかしこの基本法におきましてもやはり「全体の奉仕者であつて、」云々とあり、さらに十条に行くと「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」というふうに書いてあります。でありますから明らかに教育というものはある一地域の全部の人に対しての奉仕ではなくして、国民全体に対する奉仕として行われるべきものである、私はこういうふうに解釈いたします。

辻寛一自由党

○辻委員長 小林君、あなたの残り時間は十四分でございますから……、どうかひとつ……。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 制限法をつくるのだから、こういう制限時間を制限することに非常に意味がある。だからこれは委員長も大いにやりなさい。

辻寛一自由党

○辻委員長 各理事間におきまして円満にお打合せをいたした民主的な時間でございます。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 しかしその根底において教育の中立性を保持するかしないかということ私は伺つておるわけですが、この全体の奉仕者という意味は、これは教育ということを言つておるのであります。いわゆるサービスをするというようなことは、教育そのものが非常に社会性を持つておるものですから当然のことなんですが、勤務という点からいつたら、私はこの言葉を適用することは非常に行き過ぎじやないかと思うのです。  その次にお伺いいたしますが、「自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。」というこれをいかに考えるかによつて、次のこのためには教員の身分が尊重されなければならないということに大きく差が出て来ると思うのです。私は教職員に望むところのその「使命を自覚し」というのは、もつと教員は人命を預かるとか、人間をつくるとかいうことでもつて、より以上の一般公務員と違つた使命を感ぜられなければ、その任務は遂行できないと思うのです。その努力も八時間労働というようなことでなくて、終始二十四時間労働の気持でなければ、この法文の意味は実現できないと思う。そういうふうに解釈して参りますときに、このためには教員の身分は尊重されなければならないという点が、為政者として非常に重大に考えなければならない点じやないかと思うのです。大臣はこの点をどういうふうに御解明になつておるか、お伺いいたします。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 教育者の身分が尊重されなければならないことは当然であります。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 日本には古来から教師を尊重するという気持が非常に強くあつて、そこに日本の教育は非常によい影響を受けていると私は思うのです。やはりそういう習慣からこういう言葉が当然できたことなんで、あなたは先生として不適格である。つまり退職してもらわなければならぬ。懲戒免職まで行くのでなくても、やめてもらわなければならないといわれるようなことは、先生としては最大の恥辱である。こういうような習慣とこういうふうな法文の根拠に立つて日本にはそういうふうなものが打出されているのじやないかと思うのです。しかし今大臣はそれ以上の、刑法上の罪をもつて罰するというような苛酷なことをしようとするのですが、こういうように従来からやつて来た、日本の教育をながめた上につくり出された教員の身分尊重という美習をこわして、大臣としては何ら悔いないのですか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 これは特例法の改正についての御意見だろうと思いますが、特例法によつて政治活動の制限をすることは、何ら教員の身分を軽んじたことにはならぬと思います。もしはたしてそうであるというならば——教育基本法にいうところの教育というのは、何も公立学校の教育だけじやありません。全部の教育です。国家公務員たる教職員は、すでに国家公務員として政治行動の制限を受けているのであります。これは身分の尊重ということとは関係のないことである。これは何も教員をばかにしてそういうわくをはめるという考え方ではないのであります。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 そういうふうに言えば言えないこともないんですが、しかし尊重ということに対する具体的なことはやはりなされなければならぬ。それには刑罰で当るということでなくして、最大のものが懲戒免職でもこれは教師にとつて最大の恥辱である、家門の不名誉であるくらいに考えている。そういう美習があるのです。これに対してこういうもので臨むということは、教師に対する信頼を政治が失うと同時に、やはりその要求している自己の使命を尊重し、その職責の遂行に努めなければならないという気持に対して、今度は法文が要求するようなものでなくて、もつと軽いものができて来るのではないかというおそれがある。  今さら大臣に申し上げましても大臣はお考えにならぬだろうと思いますので、もう一度その条文の中で、国家公務員と地方公務員の問題について伺うのですが、大臣が本会議でだれかに御答弁なさつたことを私は記憶しているのです。そのときのことを申し上げれば、中小学校の先生で国家公務員になつている者は、まだ一ぺんもわれわれに政治活動の自由が与えられていないことに不満を申し出た者がないと、あのときは非常にいきまいて大臣は御答弁をされたのです。従つて同じ立場にある者であるから、今地方公務員ではあるけれども、一般の義務教育の教職員の政治活動を禁止しても何らさしつかえない、こういう御答弁ですが、ただそれだけでもつて国立の中小学校に勤務する公務員と一般の義務教育に携わる者とを同じに大臣は考えておられるのかどうか、お伺いをいたします。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 特例法の改正については、提案理由によつて本会議で説明したのであります。ただ先ほどのお話は、今までそういう意味の苦情があつたか、あるいはその意味において公立学校の方へまわしてもらいたいというような話があつたかどうかという質問があつたから、それに対する答弁をしただけであります。提案に至つた理由は提案理由によつて判断をしていただきたい。一ぺんもそういう人がなかつたからこの法律案をつくるのか、そういう理由だけしかないのかと言われるけれども、これは提案理由ではありません。質問に対して答弁しただけです。どういうわけで提案したかということは、提案理由によつて判断していただきたい。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 それはどういう場合であつてもいい。とにかく国立である中小学校に勤務する公務員は、何ら苦情がないんだから、一般の教職員を国家公務員並に取扱つてもさしつかえないんだということを、大臣は確かにおつしやつているはずなんです。おそらくその考えはかえておらぬと思いますが、しかしこつちに与えてない。こつちに与えている。与えているものをとるということは、簡単にそういうことで理由づけることは無理だと思いますが、それはどうですか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 その点はしばしば御説明を申し上げている通りであります。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 そうなれば結局さしつかえないということだと思うのですが、もしそれがさしつかえがあるというならば、この法案を撤回されるはずです。そうでないということになると、何ら矛盾しないようにお考えになるのでしようか。そこに二人子供がいる。片方の子供はあめをなめていない。片方の子供はあめをなめている。一方の者があめをなめていないのに、何ら苦情を言つておらぬ。だからさしつかえないだろうといつてそのあめをとつたら、泣くかわめくか、何かしましよう。これに対しては大臣はどういうふうにお考えになりますか。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 あめを食わせると腹ぐあいが悪くなるという場合には、取上げます。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 アメリカ人の言葉ですが、教員にあらゆる権利を与えておくことによつて日本の民主主義は確立して行けるんだという原則がある。あめをなめることは、一部のからだをこわしているような者にとつては毒だ。それだけをあなたは摘出して、今この法案をもつてそのあめをなめている者から取上げようとしている。その理由が、一方の者がなめていないのに何ら文句を言つていないからいいんだ、こういうことになるわけですよ。今のは非常に詭弁なんですから、もう一ぺん御答弁願いたい。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 あなたはまたアメリカのことをおつしやるけれども、アメリカは何も公立学校の先生のことだけを言つたわけじやないのです。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 最後に私はお尋ねいたしますが、この法案が施行される場合の問題です。問題はやはり教育委員会にあると思うのです。大臣はこの教育委員会に対して、この法案が運用される場合に自信を持つておるかどうかをお伺いしたいのです。今の地方教育委員会というものは、残念ながら存続できるのかどうかわからない。これは議会の非常な軽はずみの問題から生まれたものであつて、継続できるかどうかわからないというような点から、選挙等も非常に不熱心に行われたところがたくさんあるわけですが、教育長等につきましても。暫定的な措置をもつて今日までやつて来ておる。その人たちが、しかし指導主事というようなものを置くべきであるのに置いていない。教育長もまだ完全に整備されていない大臣は育成強化ということを口ぐせにおつしやつて来た。私たちが考えれば、何かこういう権利を与えることによつて育成強化するというようなことにも誤解されるのですが、こういうものに対して国がもつと経費を出すとか何とかして教育委員会を整備されているのならいいのですが、今日のような状態のときに、教育委員会に一切の運営をまかすことは私も非常に危険だと思いますが、大臣はこれに対して確信があるかどうか。  もう一つはこの法文によりますと、司直にこれを届け出て、そうして今度はいよいよ調べる段階に入るわけですが、その場合にこの教員が該当するかどうかということをきめる場合に、今の教育委員会法を見ますと、三十八条に審議の仕方がありますが、半分以上、つまり五人のうち三人集まればいい。その審議の仕方からすれば、その過半数が賛成すればいいのだから二名が賛成すればいいのです。とにかく人を司直の手に預けるのに今のようなほんとうに充実しておらないところの教育委員会が、しかも今のような形式によつてこれを取扱うときには、私は非常な濫用があり、あるいは誤謬があり——岩手県の姉体小学校などはいい例だと思うのです。大臣はこれに対して絶対自信を持つておられるようですが、ここの教育長というものは事務取扱いですよ。わずか二十七、八歳の教育長さんなのです。大した経歴も持つておらない。——もちろんそればかりに拘泥することもいけないのですが、そういうような人たちに運営されているものが、今度はこの法律が一番根本になつて運営されるわけです。はたして大臣はこれに対して自信を持つておられるかどうか。あるいはこれに対して、この法律を出す以上はどうするということを考えておられるか、はつきり承つておきたいと思います。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 第一に申し上げたいことは、いくら説明をしても、どうしてもこの法律が教員を対象としていることを前提にしてお話になる。教員を対象としてはおりません。三条二項でも、教員を対象としておる規定ではございません。これは規定をごらんになればわかるのです。もう口がすつぱくなるほど申し上げておるにもかかわらず、いつでもどうしても、これを教員を対象として……。(小林(信)委員「なに、あなたはそういうことを言つているけれども、実際において運用される場合においては……。」と呼ぶ)いや、法律をごらんになればわかる、こう言うのです。「何人も」と書いてあるので、教員を対象としているのではありません。それをどうしてもそうだと言い張られたのでは、これは答弁のしようがないのです。  それからもう一つ、教育委員会のことでありますが、これも先ほどどなたかのお尋ねに答えましたように、これはむしろ被害者の立場で、いわゆる普通の刑法による親告罪と同じような考え方で被害者として申し出る、請求するのであります。何もこれは教育委員会に特殊な非常な特権とか非常な強い権限を付与したというものではありません。  それから教育委員会についてですが、これはなるほど新しい制度であり、発足後日の浅いことでありますから、その仕事が十分に行われておらぬものもありましよう。それは私も是認するのであります。しかしながら、これはとにかく民衆の直接の選挙によつて出て来た人々であります。およそ直接選挙によつて出て来た各議会の議員にしましても、全部が非常にいい人ばかりだということは言えない。そのかわりまた悪いときめつける法もない。これはとにかく、よかれあしかれ、民衆の直接選挙によつて、民衆の意思によつて選ばれた人であります。それを初めから、地方教育委員などというものはだめだ、こう一口に言うことは、これは非常に非民主的な考えであると私は思つております。

小林信一小会派クラブ

○小林(信)委員 委員長、々々々。

辻寛一自由党

○辻委員長 あなたの最後の質問は終つたはずです。次は松田竹千代君。     〔発言する者多し〕

辻寛一自由党

○辻委員長 松田竹千代君に発言を許します。松田君、最初からお気の毒でございますが、実は十五分ということになつておりますから、どうか御了解の上お願いをいたします。

松田竹千代日本自由党

○松田(竹)委員 私の質問はきわめて簡単に切り上げたいと思います。そこでこの場合まず議事進行に関して一言申し上げたい。本委員会は文教に関する委員会である。そこで文教委員会らしく私は終始してもらいたいと思う。(「ヒヤヒヤ」)すなわち、われわれはそれぞれ各党に所属しておるのでありますから、その党の信条に基いて議論することは当然のことである。しかし、あまりにも熱心のあまり、党派心が露骨に現われて——この法律案は教育の政治的中立性を確保するという法律案の審議にもかかわらず、われわれ自体が公正妥当な態度と考え方を失うならば、われわれ自身偏向した考えをもつてこの法案を審議したということになる。そういう形に持つて行きたくはないと思いますから、どうか委員長においても、同僚委員諸君においても十分お考えを願つて、最後まで真剣に厳正公平にこの法案を審議したのであるという姿において終りたいと思うのであります。  私の同僚たる山村新治郎君が昨日質問されたのでありまして、たまたま同じ党派に属する山村君でありますが、何らの打合せもなかつたのでありますけれども、大体において山村君の考え方は私と同じであります。従つて私はこれを再びここで繰返そうとは思いません。ただ、いよいよ最後の質問になつて来ておるようでありますから——私は、見渡すと今日改進党の諸君が見えておらぬようであります。最後に野党第一党の改進党の質問のないことを遺憾に思いますが、聞くところによると代議士会が長引いてここに至つたということであります。私が大臣に申し上げたいことは、大達さんほどの人がこの法案を出されたことをまことに遺憾に思う。(「同感々々」と呼ぶ者あり)それは時の政府が威信かね備わり、文教の府に長たる大達文部大臣が大臣になられたときに、私はこの人は大いにやるぞという大きな期待を持つておつつたのでありますが、真に文部大臣は、何といつても国民道義の象徴たるの感を国民に持たしめ、また責任感の権化であるような姿であり、また精神気魄の固まりであるという姿において全国の教育界に臨むならば、私はそれだけで相当強い影響を持つのではないかと考える。むろん義務教育諸学校に対する直接の指導監督の責任はない、持たぬという立場においてでありますけれども、何と申しましても教育のことは、個人の人格、個人的接触、そういうことが一番大きな影響を持つものである。教育のことは永遠の大事業である。私は従つてこの法案がよし通りましても、はたして所期の目的を達するかどうか懸念にたえない。非常な信念を持つて文部大臣は出されたようでありますけれども、はたしてこれによつてほんとうに日教組の行き過ぎをため、同時に教員の自主性を伸張せしめ、その信念を貫徹させるようなりつぱな教員にして行くことができるかどうか、私は危惧なきを得ない。なぜかというと、法律なんというものは、その力においておのずから限度があるのでありまして、法律でもつてむずかしい問題を解決するというようなことはなかなか難儀なことである。わけてもこの教育というような問題に対して、法律によつてその十分な力を発揮するというようなことはむずかしい。あるいは大達さんは、去年のいつでありましたか、あの日教組の組合員がすわり込み戦術をやつたときに大いに感ぜられたのであろう。私も同感でありました。私はあのとき、私の選挙区から出て来た日教組組合員に、君らは国へ帰れ、君らは今教壇に立つておらなければならぬ人である。それが文部省へやつて、来て、テーブルに腰かけ巻タバコを吸うて、教育関係の文部省をあえて占領とは申しませんが、ほとんど仕事のできないようなことをやつた。その運動方法は私は気に食わぬ。だから君たち帰れ。しかし君らの言い分を聞くためにぼくは一日帰ろうじやないか。君ら集まつてくれ。そうして十分に君らの話を聞こうといつて約束して行つたところが、その会合が遂に向うの都合が悪くて持てないで、私は一日損をして帰つて来たような次第で、私は従つて日教組の行き方に対して困るという点においては大臣と同じであります。しかしこの法律によつて、はたして所期の目的を十分に達し得るかどうかという点については、非常な疑問を持つ。なぜかならば、あなたが繰返しおつしやるように、どうしても教員の自主性がなくちやだめだ。教員というものは信念を持つて、それを貫かなければだめなんだ。そういう教員でなければ役立たない。ほんとうの人間はできない。だから私はこの法律案によつて、それがはたして達せられるかどうかということに対しては非常な疑いを持つ。かりに共産党員が教員の中におるとして、真に自分の考え方を貫こうとする者なら、法律が出たつてやめやしません。姿をかえて児童に接するであろうと思う。個人の影響というものは教育の上において一番強いのでありますから、あの手、この手で潜在した姿において自分の信念を貫き、自分の考え、主義を幾分でも子供に教えて行くことはやまないであろうと私は思う。そういう点において、あなたがこの法案を提案されるようになつたことはまことに遺憾である。従つてこの法案については、あなたと気持は同じでありますけれども、ただちにこの法律の力によつて目的を達するというほど、法律の力がそんなに万能なものならば、われわれは臨時国会でも五十ないし七十、百、百五十という法律をこしらえておる。だから国は何ぼでもとうの昔によくなつておるはずだ。ところが法律の中には、あつてもなくても大したことはない、むしろない方がましという法律もたくさんある。そういう状況でありますから、ただちに法律の力にあなたがたよるということは、私は大達さんほどの人にしてまことに残念に思うのであります。もしこれが逆効果をなしたらどうか。そこで今でもこれだけ論議されて真剣に世人の関心を呼んだから、これは私は日教組に対しても反省の力になると思う。いかがですか。この法案を今日に及んでも撤回なさる気はないか。こだわらないでよろしい。教育のことというものは、そんなに一日にして進めるということはなかなかできない。だから撤回なさるというお考えはないか。もしないとおつしやるならば、聞くならば、改進党は今修正案ができたというが、その修正案に応ずるお考えなのか、これを伺いたい。

大達茂雄自由党文部大臣

○大達国務大臣 私も松田さんの御質問になるように、法律ができたからといつてそれがすぐ強い効果を発揮するものだというふうには思つておりません。しかしながらこれは日教組を対象とするということには限らないのでありますが、当面の実情から申しますと、日教組は、きわめて強くこの日本の教育を支配しようとしておると思うのであります。現に日教組の強い支配力は、最近の振替授業でありますか、これにもはつきり現われておる。日教組の言うところによれば、全国の七割の学校を左右しておるのだ。日教組という教員団体からいえば筋違いの、学校そのものの運営に対して、日教組が指令を出して、これが法律的には言いのがれを考えておられるようでありますが、日本の学校の七割までは日教組のこの指令によつて動いている。かくのごときことは、日教組が現在非常に強い影響力というか、支配力を日本の学校に持つておる証拠である。私はことごとく日教組のすることが憎いとか、そういう感情は持つておりません。たとえばこの前のすわり込みにいたしましても、これは何も日教組だけのことではない。今日の労働団体の慣用手段でありますから、これは何も別にどうということではない。ただ日教組が教育の場というものを日教組の考え方で左右しようとしておることは、はつきりした事実であります。率直に申し上げますと、日教組がこんなに大きな力になる今日まで何ら手が打たれなかつたことは間違いであつたと思う。遺憾ではありますが、このままにして放置しておいては絶対にいけない。けれども御承知のように、今日文部省は、行政的な権力あるいは行政手段に訴えてこれを是正する道はありません。いわんや事実上日教組は今日日本の学校のほとんど全部に対する支配力を持つておる。法律的なことはどうであろうとも、事実上強い力を持つておる。でありますから、今日しばしば申し上げるように、文部省が当然の職務として各学校、各地方教育委員会等に通牒を出し、あるいは報告を求めても、日教組の強い力によつてこれがじやまされておる。はつきり日教組はじやまをするということを指令をもつて流しておる。そうして事実じやまをされております。かくのごとき強い力は、日教組を指導するいろいろな関係からそうなつたのでありましようが、私どもとしては、どうしてもこれを看過することはできない。かくのごとき状態で、日本の第二の国民であるいたいけな子供が今日のままにかつては放置されることはどうしても見ておられることではない。しかもこの日教組の方針はちつとも改まつておらない。昨年の秋でありますか、表面的には非常にこの方向転換したといつておりますけれども、われわれの知る限りにおいては、これは絶対にカムフラージュにすぎません。ますますその方向を強めておる。これは自制にまつとか何とかいうようなものではないのです。現に子供が——とにかく何人あるか知りません。何人の子供であるか知らぬけれども、子供がそういう目にあつておる。実際かわいそうです。父兄もみじめです。私は父兄はみじめだと思うのです。かけがえのない子供をこんなかつて次第にいじくりまわされるということは国家の不祥事です。私はそう思う。そこでそれならこれをほつておいて、気長な方法でやれるかというと、ここまで日教組が大きくなつてしまつては実際やれない、こういうふうに私は思うのです。でありますからこの法律が成立しましても、それがすぐに、これほどまでに事実上でき上つてしまつた既成勢力というものが、この法律の力によつて一挙に正常な形にもどる、こういうふうに実は私思つておりません。しかし私はこの法律の成立を契機として、あくまでもこの方針は貫かなければならぬ。日本の教壇から邪悪な教育は排斥しなければならぬ。これはこのままほつておいては私は明らかに国家の将来に暗影を投ずるものである。私はそう思つておる。でありますから……。

辻寛一自由党

○辻委員長 ちようど時間が一ぱいでありますから、これにて、理事会申し合せの通り、両案に対する各党の質疑割当時間は完了いたしました。(「一言言わせろ」、「何のために教育した」その他発言する者多く議場騒然)  暫時休憩いたします。     午後五時三十二分休憩      ————◇—————     〔休憩後は開会に至らなかつた〕

国会会議録検索システムで原文を見る ↗