文部委員会 第19号
- 発言数
- 113 件
- 登壇者
- 6 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1954/03/17
会議録
○辻委員長 これより会議を開きます。 教育委員会法の一部を改正する法律案、教育委員会法の一部を改正する法律の施行に伴う関係法令の整理等に関する法律案、市町村立学校職員給与負担法の一部を改正する法律案、学校教育法等の一部を改正する法律案、教育公務員特例法の一部を改正する法律案、以上五案を一括して議題とし、前会に引続き質疑を行います。辻原弘市君。
○辻原委員 提案者にお伺いいたしますが、改正案の中で画期的な重要問題は、事務職員の問題であろうかと思いますが、昨日文部当局にお伺いいたしますと、文部当局の考え方としては、この事務職員の身分、取扱いというものを、一般教育公務員というこの概念の中に包括することは、従来の建前上どうしてもできないのだという御答弁でありましたが、それについてお伺いいたしたいと思うのであります。事務職員という読んで字のごとき言葉の概念からすれば、文部当局の考え方も一応の理論はあるのでありますが、ここに提案された趣旨は、そういうことも十分承知の上で、おそらく実態から見て、やはり一般の行政官庁その他における事務職員というものと、いわゆる学校事務に従事する事務職員とは、その間にもちろん身分上の差というよりも、職務の性質上やはりそこに何らかの差があるということを指摘されると同時に、学校教育を推進するためのいわゆる事務職員というのであるから、その建前において、これの取扱いは教育公務員と同じ取扱いをした方が適正であろう、かような趣旨で出されたものであると思いますが、そういつた実態につきまして提案者の方では、現在のままではどういうふうな支障が起つておるのか、あるいは教育上ここに事務職員の取扱いをかようにせなければならなかつた特別な理由というものにつきまして、提案説明の中では概略承つたのでありますけれども、なお具体的にお話をいただけれはけつこうだと思います。
○前田(榮)委員 お答えいたします。教壇に立つことを建前にしておらない事務職員、これを教壇に立つ教職員の範疇の中に入れるということについて、昨日も文部当局は反対のお考えがあつたのでありますが、この問題は全国のこういう職にある、事務職員と称される者が、大体私の調査によりますと、一万七千余人あるようになつておると思うのでありますが、これらの人々は採用される場合においても、大体教員とほとんど同じような資格のある君を主として、すなわちそういう教養のある者を求められておりますし、そういう者でないと学校内におけるところの事務を校長の指示に基いて行う点において、子弟に与える影響等がいろいろ実際においてはありますので、主としてそういう直接教育を行うに足るような人材を求められておるのが実態なのであります。ただ現在までは、そういう事情のもとにありましたために、明確な資格については教職員と同じ資格でないことは御存じの通りであります。しかしながら、実際上はそういうことでありますし、また学校内でただ単に机の上で事務をとるというばかりでなしに、いろいろな仕事の上において、実際教職員と同じような建前に立つた人によつてやられることが、実際の仕事の上からも、また子供の教育の上からも、最も望ましいことでありますので、全国のこうした事務職員の諸君の強い要望があり、またこれを使います校長としても、こういう教養のある者を教育のために使うことを非常に希望されてもおりますし、こういうことが最も適当だと考えておるわけであります。ただ昨日の文部当局のお話にもごさいましたように、それならば、文部省における教育の事務を取扱う者、あるいはまた各府県のそういう立場の者と、教育委員会におけるそういう者とが、同じわくの関係になるじやないかというお話もございましたが、一応その点も考えられないことはございませんけれども、ただ同じ学校の中で、ともどもに児童の身の上を考えながら事務をとる者は、児童とは非常に離れた立場で仕事をいたす者とは格段の相違がございますので、われわれは、どうしてもこれに本法のように事務教諭という資格を与え、そういう取扱いをいたしまして、教育の万全を期したいと考えて提案をいたしたわけでございます。
○辻原委員 ただいまのお話によりますと、単に一般の事務職員というものと、それから学校事務に携わる事務職員というものとは、教育という面から考えてみた場合に、その資格内容、現在任用されておる人々の質的構成を見ても、ほとんど一般教職員と同じ程度において、また同じような観点でこれが要求され、採用されているという実態である、こういうお話がなされたのであります。そういつた点から考えてみますと、当然そこに起きて来る問題は、現在教職員と同じ程度の免許状その他を有しておつても、それがそのまま活用されておらないという実態が出て来ると思うのでありますが、そういつた点については、提案者の方では全国の状況をどのようににらんでおられるか。この点は先ほどいろいろな要望が私どもの方にも参つておりますが、聞いてみますと、現在個人々々が持つておる資格内容に比して、待遇の面等については、相当の開きがあるやに聞いておりますが、それはどういう状態にたつているか、これをひとつ承りたい。
○前田(榮)委員 いろいろな待遇やその他の点につきまして数字をあげての明確な御答弁を申し上げる材料を実は持ち合せておらないのでありますが、これはもう議論の余地もないほど明確になつておろうと思います。ただ仕事の内容について、前にもざつとあらましのことを申し上げたのでございますが、実際においてはただ机の上で事務をとるということでなしに、学校事務職員というものは非常に子供に接する機会が多いのでありまして、たとえば日々の校内の事務においては、辻原委員も経験のおありのことでありますから、よく御存じだろうと思うのであります。何としてもやはり子供の取扱いでございまから、教材やいろいろな遠足その他の計画を立てる仕事で校長の援助をする場合においても、これは、実際に教育というものに無関係な者で、ただ字を書きそろばんを入れるというような事務では仕事にならないわけです。そんな者に仕事をさせることは、教育のためにきわめて不幸な結果になるということは辻原委員もよく御存じの通りであります。こういうことを実際に各学校において考えながら、実質的にはやはり教育に対する経歴を持つた者を使つておるという現状の上にも立たなければならぬ、こういう考えなので、その点を御理解を願いたいと思うのであります。
○辻原委員 文部省の説明によると、いわゆる事務に従事する職員であるから、これはどのような内容の事務であつても、免許状を有する教員とはおのずから別の取扱いになるのだということでありましたが、ここで私のお伺いしたいのは、一般にいわれる、たとえば教育委員会法などに規定せられておる教育事務というものと、学校教育法で規定せられておるもの、または実際に事務職員が取扱つておる学校の教育事務というものとは、多少違つておるのであります。その点については、今も若干お触れになりましたが、そういう立場において、文部省がやる教育事務と、教育委員会等の事務局がやる教育事務というものとは、相当違う。いわゆる現場の教育それ自体を直接推進して行くための事務というものは、ぴつたりあてはまる言葉はありませんけれども、そこに教育行政上の事務とはおのずから異つた性格を持つと私は考えておるわけでありますが、提案者のお考えはいかがですか。
○前田(榮)委員 私は昨日の文部当局の答弁に非常に不満なのであります。このことは同じ文部教育関係の事務を取扱うにいたしましても、たとえば文部省における中等教育課長は、これは何も教員上りでなくても勤まるわけでありまして、法科出身の課長は従来からもざらにやつて来ております。ところがこの教育事務をやつておる学校の校長に、ただ行政の法律だけで事務をとらせるわけには行かないのであります。面接に子供に接しておつて、大学あたりのよりにただ単に学問の切売りをするとこるとは違うわけなんです。そういうのと同じ性格を持つておると私は思うのでありまして、直接学校の児童に接する事務職員に、単なる事務だけを取扱わしてもできるじやないかと言われれば、できぬことはないと私も思います。しかしそれをやらせることは教育のために非常な支障がある。進んで民主的な教育を行おう、子供みずからに考えさせるような教育をか行おうといたしまするならば、子供に接した場合においても、子供にいろんな教材を与える場合においても、それらの計画に参画する場合においても、十分理解のある者と理解のない者とでは非常な支障を来すということがいろいろ考えられて、現在の各学校の事務職員にはこういう子供の教育に十分理解のある者をすでに雇つておることでもありますし、雇おうといたしておることでもあるのでありまして、これをますます発展向上せしめることが教育のために最も正しいことであり有益なことだとわれわれは思います。その有益な方向へ進めるには、どうしてもこの事務職員というものを事務教諭にして、そして学校で事務をとつておるけれども教育者であるという、つまり教育者であるという態度、教養、こういうものによつて教育に万全を期すべきものだと考えておるわけでございます。
○辻原委員 ただいまの提案者の御説明に対しては、私も大体同じような考え方を持つておるのであります。由来教員に一定の資格が要求されており、あるいは学校教育において特に一般教養を強調して、そして一般教養の幅の広い基底において專門教養を与え、教壇に立たせるという考え方の本質は、今提案者が御説明になりましたように、やはり直接児童なり生徒に接して行く場合に、そうした広い教養と人格的な陶冶というものが教育の上において影響力を持つのでありますから、それが第一義でなければならぬ。こういう趣旨のもとに、特に単なる学歴、経歴だけをもつて教員たるの資格にしないで、さらにその上に免許状をもつて特別の要求をしているのだ、私はかように考えるのであります。そういたしますと、事務職員の場合であつても、今も御説明がありましたごとく、単なる教育事務、行政事務の場合には、もちろん教育という仕事の範囲の事務でありますけれども、その学校なら学校、教育環境というものと日常直接に接しておる。そして直接接する限りにおいては、かりにそれが事務職員の先生であろうと、あるいは学級を担任しあるいは教壇に立つ先生であろうと、その先生個々が及ぼす教育的影響というものは、ひとしく児童なり生徒の受けるものである。とするならば、事務職員に対しても、直接教壇に立たずとも、その価人からかもし出される影響力というものを顧慮して、やはり何らかそこに一定の資格要件というものを要求しなければ、これは学校教育の中において、一般教員のみはその資格要件に満たされる者をもつて充てたといたしましても、その一点において、それがくずれる結果になる。これは単に抽象的な問題ではなくして、間々そういうことが見受けられるわけなんでありまして、その点が現在いろいろと個々に当つては考慮されて、やはりその資格の有無が法律上要求されておるのではないけれども、実際上教育上の影響を考慮して、先ほど御説明のありましたような教員としての免諮状を持つておる者であるとか、あるいはその経験を有する者であるとかいうものが比較的優先的に取扱われておる実態ではないかと思うのです、そういたしますと、いわば個々に直接現場の教育に携わるのでありますか、何らかの資格要件を備えなければならぬ。こういうことに結論として起つて参る。そこが今回の改正案の中に免許状を要求し、免許法の改正によつて事務職員に対する免許状を新しく設定されたゆえんであろうと私は解するのであります。同時に前国会においてわれわれが図書館法を決定いたしました際に、いわゆる学校図書館に勤務する職員、これには司書教諭という一つの資格要件を要求した、これはわれわれの検討の結果決定したのでありますが、この場合においても直接教壇に携わるものではありませんけれども、図書館を通じて子供に教育をするという観点において、これもやはり教壇に立つ一般の教員と同じ程度の資格を必要とするという考え方から生れたのであります。もちろん司書教諭なり図書館に勤務する職員の持つておる教育に対する責任、仕事の内容は、事務職員とはおのずから違つております。角度は違うけれども、やはり学校教育に直接の関連を持つ職員である。そういう観点から私たちはこのことに賛成をいたしたのでありますが、それとこの事務職員の場合の取扱いとは若干相通ずるものがあると私は考えるのであります。そういうふうに私は解釈をいたしておるのでありますが、ここに免許状を要求せられた本来のお考えは、私が今申したような趣旨に解してさしつかえないかどうか、このことをひとつ提案者にお伺いいたします。
○前田(榮)委員 お答えいたします。御質問の御意見と違つておるところはまつたくないのであります。この事務職員が行いますものは、やはり教育者たるべき態度がなければならぬ。それだけの教養を持ちながらやらないと、一面校長を補佐しながら学校における人事事務も行いますし、あるいは学校管理の問題やその他教育行政上の事務を行うのでありますから、従つて子供に教育を直接行わないでも、間接的にはいろいろな今お説の通りなことを行いまするので、それにはやはり一定の資格条件を付することが教育向上のためにも緊急欠くべからざるものと考えまして、お説のような考えのもとにわれわれは本案に掲げられてありまするような資格条件を付したわけであります。
○辻原委員 初中局長が参られましたので、これについて二、三質問をいたします。昨日事務職員に対する問題について文部省の見解としては、一般教職員と同意義に取扱うことは不適当であるという考え方を述べられたのであります。必ずしも私はその考え方に全部反対であるということは申しませんけれども、しかしながらいろいろな角度から見まして、これを総合して結論づけた場合には、文部省のその見解があまりにもかたくなに失するのではないか、あまりにも一つの行政のシステムというものにこだわり過ぎて、教育現場の実態というものにウエートを置かない考え方がそういう結果になるのじやないかということを、まず私は申し上げたいのであります。と申すのは、第一に教育公務員特例法では、これは明らかに区別されておるので、これは改正を必要とするわけでありますが、ところが地方公務員法などの規定から申しますと、必ずしもいわゆる教員というものと職員というものは全然別個に扱つておらない。いわゆる学校に勤務する職員という場合に、事務職員を含んで同じ取扱いをしているところがしばしば見受けられるのであります。そういつたことはやはりその学校なら学校における教育に携わる者という意味において同様な取扱いをすべきものだという、こういう一つの観念から私は出発しているのではないかと思います。たとえば地方公務員法の補則の第五十七条あたりの特に法律適用除外の特例を設けた場合においても、明らかに学校における教職員というものは学校教育法に規定するものと同時に事務職員を含むものだ、こういうふうに書いてあります。そしてこれが同じ取扱いのもとに特例の適用を受ける、私はこういうことになつていると思います。あるいは二十六条の項においても、学校に勤務する職員とあるのは、これは今申したような同意義に解してさしつかえないのじやないか。そういう意味から考えると、必ずしも文部省が考えるように、いわゆる免許状を有する教員と有しない者とを判然と取扱い上区別しなければならぬ、そうしなければ不便を生ずるのだ、あるいは行政管理上不都合な問題が起るのだということには、私はこれは当らないと思う。従つてここで文部省にもう一歩突き進んでお考えを願いたいのは、先ほども私は提案者に申し上げたのでありますが、少くとも実際直接児童、生徒に接する環境の中に勤務する職員は、その影響力は当然どういう形態であろうと、直接教育の上にこれを及ぼすのでありますから、従つてそれには何らかの資格要件というものを与える、逆に申せば資格要件というものを要求して、そうしてその職務に従事させるということの方が教育的にはより効果があり、教育的にはその方が正しいやり方ではないか、こういうふうに私は考えるわけであります。これは実態論から申しても大体現状はそのようになつている。それならば何も特別に逆に事務職員をこういう状態にしておかなくちやならぬという理論は生れて来ないと思いますが、その辺のところを実態的に文部省はどうお考えになつているか、これをひとつお聞きしたい。
○緒方政府委員 事務職員の取扱いについての私どもの考え方につきましては、きのうも私はお話し申し上げたのでありますが、もちろんただいまお話のように、地方公務員法におきましても現存の建前では、教職員と事務職員と同様に地方公務員法の適用を受けておりますことは事実でございます。ただしかしこの特例法におきましては、地方公務員法を同じく適用される教職員のうちから、勤務の特殊性に基きまして特殊な取扱いをするものを抜き出して教育公務員法に適用して行くという考えを持つております。さような意味からいたしまして、私どもといたしましては、職員制度といたしましては事務職員をほかの校長、教員と同じように教育公務員法に抜き出して取扱うということはいかがなものであろうか、かように考えます。たとえば採用の問題等にいたしましても、これは教職員につきましては選考によることとなつておりますが、事務職員につきましては一般公務員と同じように取扱うこととなつております。さようなことになりまして、職員制度といたしまして事務職員だけを教職員から抜き出して、ほかの校長、教員と同じように取扱うことは、いかにしても職員制度の体系としてぐあいが悪い、かように考えます。
○辻原委員 特例法にそう書いてないということは、これは私は理由にならないと思うのです。だから誤つておればこれは改正する必要があるわけですが、問題は実態論から、あるいは教育的効果という面から、もう一つは今さつきあなたが申されたいわゆる行政事務管理という面からその体系を乱すとか乱さぬとかいう、その観点でどうすべきかを決すべきだと思います。 そこで最後に、あなたが特別に事務職員だけを抜き出してそうして一般教員と同じような形にすることはどうしてもできないと言う、そのどうしてもが私にはわからないのですが、さきにも私は若干触れましたけれども、たとえば学校図書館なんかの場合においても、これは従来職員として取扱つていたと思うのです。別に免許状は要求されてはおらなかつた。しかしながら免許状を新たに要求をして、そうして教育上効果あらしめるというためにこれを特別な取扱いをして、一般教職員と同じ体系の中にこれを含めた、そうすれば、事務職員だつてそうした同じような教育上の理由がそこに存存して来れば、当然それに資格要件を要求をして同じ体系に持つて行くということは、何らこれはふしぎなことではない、私はそういう意味で申し上げておるのであつて、その場合極端な例を申せば、かりに学校で職員室に子供がたくさん来る、子供の目から見れば事務職員も一般の先生も同じように先生であります。そうしたときに片方の先生が、私は事務だけ、いわゆるデスク・ワークだけやつておればよろしいということで、子供が何をしようとも、生徒がどういう行勅をやろうとも、私には教育者としての資格、教育者としての資質、さようなものを要求されていないから、逆に返せば義務がない、極端に申せばそういう観念でもつていわゆる学校事務――これは私は教育事務とは違うと思う。そういうものをやるということになれば、これは教育上いかがなものか。そういう人は現在私はおらぬと思います。おらぬと思いますけれども、りくつをこねればそういうことになる。従つていわゆるりくつのこねられる余地があり、また実態としてもそういう一つの傾向があるいは存在するのじやないかということを懸念するならば、それを是正して持つて行くということの方が正しい、こう私は思うのです。そういう必要はないと文部省は言われるわけですか、どうです。
○緒方政府委員 ただいまお話のように、学校におきます実態から申しますと、あるいは子供の目から見まして、同じく先生と呼んでいることでもございましようし、教育上の関係が全然事務職員にないということは私ども考えておりません。しかしながら、その取扱う事務が、事務職員の方はあくまで学校事務でございますから、そこはやはり区別して扱うことが適当であると私は考えております。その観点からお話をいたしたわけでございまして、やはり事務職員と教員というものは区別して扱つて行つていいのではないか、こういう観点からお答えしたわけであります。
○辻原委員 この点は文部省によく考えてもらいたいのですが、そういう論理の進め方をすると、極端にいうと教育というものは教室で行われる、教壇で行われるということになる。私は少くとも学校教育というのは、これは今日の教育の概念でいえば学校だけの問題ではございませんけれども、一般的常識的にいつて、少くとも学校校地内においてはこれは至るところ教育の場であります。子供が校庭におろうと、職員室におろうと、あるいは廊下に子供が群れ遊んでおろうと、これはすべてそれぞれ教育の場であります。そうすると、同じようにその教育の場の中に仕事をしている人であつても、事務職員についてのみは、そういう教育的立場というものは、極端に申せば必要がないのだ、徳義的に要求されるだけであつて、法制的、教育的には要求されておらぬのだというふうに解釈せざるを得ない。そうでしよう、そういうことになるのです。私の申すのは、学校に勤務し直接に、少くとも子供の目から見て同じように先生という立場に映るこの事務職員の問題というものは、やはりそういつた子供の考え方とぴつたり行くような形に取扱つて行かなければ、私は教育上の効果というものを学校全体としてあげることは若干むずかしかろう、そういうところをもう少し私は考えてもらいたいと思うのです。その点非常に狭く教育の場を考えていられるように思うのだが、そういうきらいはありませんか。
○緒方政府委員 ただいまお話の御趣旨は、私もわかります。子供の目から見れば、同じく学校に先生として事務をとつておられる事務職員でありますので、いろいろと教育上の影響を与える、こういうことは十分あるかと思います。しかしながらそれだからといつて、いろんな取扱いを学校校長あるいは教員と同じに特例法に持つて来て取扱わなければならぬということはないのじやないか。昨日私もちよつと申し上げましたように、職員の取扱いにつきましてはその必要によつていろいろ特例を設けておるわけでございまして、地方公務員法に一般に規制されます部分から、教員の部分につきましては特にこの教育公務員特例法に特殊な問題を持つて行つて、特別な取扱いをしておる。事務職員につきましては、あるいはその給与負担等につきましては、ほかの校長、職員と同じように義務教育国庫負担法の対象にもいたしておるような次第でありまして、その取扱いはその個々の問題について考えて行けばいいのじやないか。今のように、学校において事務職員も教育上の影響を子供に与えるということだけから、全部教育公務員特例法に持つて来て、同じように取扱わなければならぬということには相ならぬのじやないか。むしろ事務の性質から申しますと、繰返して申し上げますが、これは学校事務でございますから同じに取扱うことは不適当である、職員制度の体系から申しますれば、現在のところ文部省といたしましてはこれを改正する意向はないのだということを申し上げる次第であります。
○辻原委員 抽象的に何回繰返されましてもわかりにくいのですが、学校事務であるからどうしてもいけないのだというお説でありますが、私は学校事務なるがゆえにそうしなければならぬと申している。同時に今給与負担の問題を例にあげられましたが、これなんかも包括したらいけないのだというための理由ではなくして、むしろやはり同じような取扱いをして行かなければならぬ面が多いから、従つて給与負担にしてみても、その支払い方法、あるいはそれの負担、国家の援助、こういつたものを同一取扱いをしている。もしこれが行政上どうしてもぐあいが悪いというふうな、あなたが反論としてあげられる材料であるならば、その任用等についても、たとえば全部それが都道府県は関係なくして市町村がやつているとか、あるいは国庫の援助をかりに与えるとするならば、これは他の一般町村吏員でありますとか、あるいは都道府県の職員であるとか、こういつた者と不均衡になるから、国家の援助はこれに与えてないのだ――こういうことなら、それならば一般地方公務員との間に、同じようなデスク・ワークをする関係において、取扱い上学校に勤務するということだけにおいて、そういう人の優遇が講ぜられるということはいけないという、これは行政管理上の理由が出されて来るのですが、今のところ逆なんです。学校事務、いわゆる学校に勤務する職員なるがゆえに、それに対しては国からの援助がある。こういうことは一般地方公務員にはないでしよう。国からの委託職員でなければそういう事例はないでしよう。これは特別なんです。これが私が申し上げる理由なんです。そういうことがあるから、実際上やはり同一取扱いをしなければならぬということにおいて、今日義務教育国庫負担法の対象にしているのだ、こういうことなんですから、あなたのはこれを一緒にしてはならぬというための理由の裏づけには私はならぬと思います。しかしこれは繰返しになりますから申し上げませんが、ひとつ文部省も具体的に、特に取扱いを一緒にしたならばかくかくのことにおいて非常に困るんだという事例をあげられて、そうしてひとつお示しなさつてわれわれにお話くださるように、これを私は希望いたします。そういたしませんと、非常に抽象論にわたつてしまう。私は実体論を申し上げている。従つてあなたも、先ほど私は三つのケースをあげましたが、一緒に取扱つた場合、教育上はたしてどういう支障があるのか、行政管理上どういつたような支障が生れるか。もう一つは今度事務職員という、現在の体系の中において、その職員自体の利害関係というようなものはどうなるか、こういう点について、ひとつ具体的にお話なさつた方が私の質問は簡潔に済むと思います。 それからついでに伺つておきますが、今申し上げました中で、一部こういう問題が起ると思うのです。現在一般の吏員、事務職員については予算上も措置されて、超過勤務手当等が支給されているが、これは教職員には法制上存在しても実際上行われておらぬ。それで教育公務員に含まれると、現在与えられている事務職員の一つの権利というものがなくなるという問題がある。これは当然だと思うのですが、これは本来教員にはないのだからそういう問題が起るので、これは本質的な問題ではないけれども、実際はそういうことが起つて来る。しかし私はこれはむしる事務職員の側もそれを希望していると思うのですが、やはりその勤務の状態においても、あるいは勤務時間等においても、でき得べくんば学校が一丸になつて運営されるようになるためには、勤務規律あるいは勤務時間というものを同じように要請すべきじやないか、このことは逆に一般教員の側から見れば、自分たちは夜間どういうふうな学校教育の事務をやつても、超過勤務は支給されない。片や支給される。もちろん多少その給与が実際の面において違いますから、そこは帳消しになると思いますが、その部分だけをとらえれば、これは確かに不都合だという論が起つて来る。事務職員の側から申せば、予算上非常に少いから、また職員会議があつたり、あるいは勤務時間以後においてなお学校において研究するという場合、教育事務に対する責任は持つておるけれども、教育に対する直接の責任は持たないということになると、事務はさつさと帰つてもいいのだという問題が起つて来る。そういうことは、どつちかと申せば、運営上の面から見れば、うま味のある方法であるとは思われない。これは現状はそういうようなことは事務職員の方はやつておらない。しかしそれはただ徳義的に、良心的にやつておるのだ。しかしそのことは事務からいえば、何もやることは必要はない。そういう問題があるわけです。そういう点についても、私は超過勤務手当をもらうにかかわりませず、この事務職員の取扱いについては、やはり同一取扱いをすべきだ。超過勤務の問題については、教育公務員をどうするかという本質的の問題に触れて解決して行くという形をとることの方が正しいやり方である。そういう点もひとつ十分御研究願う。この法案の審議の過程において、今少しあなたの方から具体的な、どうしてもできないのだという理由を、きようとは申しませんからお示し願いたいと思います。
○辻委員長 他に御質疑はありませんか――なければ暫時休憩いたします。 午前十一時三十三分休憩 ――――◇――――― 午後一時三十七分開議
○辻委員長 再開いたします。 義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する法律案、教育公務員特例法の一部を改正する法律案、以上二案を一括して議題となし、午前に引続き質疑を続行いたします。松平忠久君。
○松平委員 今回提出されました二法について若干総括的な質問を大臣にいたしたいと存ずるのであります。 その第一といたしまして、教育の地方分権ということについて大臣のお考えをお聞きしたいと思うのであります。きのうの高津委員の質問に対する大臣のお答えは、少し軽率であつたのではないかというふうに思うのであります。県立学校等が国立移管を相当希望しておるということを見ても、この政治上のいろいろな制限を抑制されておるということをむしろ欲しておるように思えるというような、これは言葉の言いがかりでそういうふうな御答弁になつたのではないかと思うのでありまして、実際は違つたお考えを持つておつたのではないかと思いますが、わが国の現在の地方制度というものは、大臣が内務省等におられたころとはまるで違つておりまして、新しい地方制度になつたことは御承知の通りであります。しかしながら今日の日本の地方制度の欠陥は、この地方制度を運用する人たちの頭が新しい法律になれておらぬというか、自治精神をのみ込んでおらぬというところにあるのではないか。私はこういうふうに痛感をしておるのであります。緒方君のごときもそういう地方庁におられた役人でありますが、私は部下を使つてみてどうも内務省育ちの人、あるいは県庁等におつた人がこの地方自治の精神をわきまえておらぬということを痛感したのであります。さような意味で、大臣は紙に書いたところの新しい地方自治というものは御存じでありましようけれども、これを役人が身につけていないということが今日の地方制度の一つの欠陥ではないか、こういうふうに思うのであります。従つてこれを育成してよくして行くというというためには、やはり根本的にはこれをつかさどるところの、公務員の頭を切りかえて行くということが絶対に必要であります。と同時に、新しくそこに生れて来るところの人たちに、やはり教育の力をもつて、その新しい精神を教えて行くということにならなければ、地方自治の実というものはあがらない、こういうふうにかねがね思つているのであります。さような意味において教員の義務教育並びに高等学校、こういうものの地方分権が行われておるということは、言いかえれば大きな政治的な、むしろこの民主主義の新しい制度として、地方自治を盛り上げて行くというこの新しい制度をよく徹底させ、これを身につけさせて行くというところに大きな役割を教育が持つておるのであります。従つてこの教員の身分等においても、その土地に所属させるという方針がある。しかも新教育においては、これはその地方の住民の特色というか、そういうものをなるべく、明治時代よりももつとよけいに取入れて行くということに、法の精神があるのではないかというふうに思うのであります。過日の公聴会においても蝋山博士でありましたか、地方公務員の中においても、特に一般公務員と教職員というものとの違いを指摘されておるのであります。すなわち一般公務員は、法の執行に当るものであるから、この法についてかれこれ反対をしたり、あるいは反対に近い批判を外部に与えるというようなことは、その公務員の性質上、当然これは遠慮をしなくてはならぬものであるというふうに考えられますけれども、教員の職責というものは思想の伝達、つまり無形の、法の執行ではなくて、白紙のものに知識を与えて、そしてその人格を陶冶して、完全な人間の基礎をつくつて行く、こういうのが教育の建前であります。そういう職務に従事しているのが教員でありますので、おのずからそこに違うのであります。従つてさような意味において、ことに新しい教育の建前においては、これは生徒の批判力を増させる、こういうような意味からいつても、政治活動等については一般の地方公務員に比して、教職員はもつとフリーにわくを広げてやりたい。こういう気持があつて、当時においても地方公務員法の審議にあたつても、さような観点から論ぜられたということを公述しておるのであります。これに対して大臣は一体どういうふうにお考えになつておるか。この根本の精神、その適用等についてまずお伺いしたいと思うのであります。
○大達国務大臣 教育は政治等の問題につきましても、何も必ずしも現在の法律秩序というものを金科玉条としてその教育の仕事を行うものでない、その点は同感であります。ただ、であるから政治行為の制限について一般の公務員よりは緩和せらるべきものである、こういうふうな趣旨のお尋ねのように思つたのでありますが、教育がそういうものであるということと、そうして教職員が特定の政党等を支持または反対あるいは特定の候補者のために選挙運動をするというようなことは私は別問題であると思います。
○松平委員 私が申し上げましたのは、地方公務員、これは一般の公務員も同じですけれども、地方公務員においては法の執行に当る、教員の方は思想の伝道、そういうふうに違うのである、しかして思想の伝道、教育というものは、その本質においていろいろな素養を教員自体が持たなければならぬ、しかも現実の社会における事象について真理をきわめて、その真実を教えて行くということであるので、でき得る範囲の自由を与える、でき得る範囲の知識を吸収させておかなければならぬということが理想ではないか、私はこういうふうに思うのでありますが、その点についてのお考えを御答弁願いたいと思つて先ほど御質問したわけであります。
○大達国務大臣 教員ができるだけ広く政治的な知識を持たれる、その意味において教員の資質を向上するこれはむろん望ましいことであります。
○松平委員 そこでお尋ねしたいと思いますのは、そういうような地方公務員の中の一つの特色のある教員、言いかえればこれは法制の建前からも教員に関する特例法ができておるということからも、それは立法の趣旨がわかるわけでありますが、こういう特徴のある地方の教職員というものを国家公務員並に扱う、あるいは国立の大学の先生と同じようなぐあいに扱うということそれ自体が、地方自治の制度の精神にいささか矛盾をしておるのではないが、こういうふうに私は思うのでありますが、その点についての御所見を伺いたいと存じます。
○大達国務大臣 毎度申し上げますように、これは教育の特殊性から来ることでありまして、その点は何ら矛盾とか、そういう問題は起らないと思つております。
○松平委員 大臣は地方分権制度ということに関してどういうようなお考えを持つておるか。先ほど一番初めに質問したことについてはつきりしたことをお答えにならぬわけでありますけれども、どうも私は大臣が、この地方自治の精神というものが昔と違つたということをあまり深く身につけておられるかどうか非常に疑わしく思つておるのであります。それは大臣の地方分権観といいますか、そういうものがうかがわれる記事が中央公論に載つておるわけなんですが、これを見ますと、いささかそこの点にふに落ちない点がある、これは教育問題についておそらくインタービユーか何かあつて、そのときについでに大臣が答えられた例の警察法の改正にからんでおるように思うのですけれども、こういうことを言つておるのです。「地方分権は進歩的な制度と思つてる者が多いでしよう。しかし地方分権のずつと発達したものと封建制というものはほぼ同じものである。一州、つまりステーツが完全な一箇の国であつたのが、だんだん中央集権になつて、だからこそ国際情勢の変転にも処し得るというアメリカの姿を見ただけでもわかる、地方分権地方分権とお題目のようにいつて、それが現実に即した進歩的な制度だと思つているばからしさがわかるはずだ。」そこでたとえば「警察力が地方分権になつているので、共産党の首脳部が捕まらない。選挙違反の代議士が一生涯逃げまわつていれば捕まえようがない、そうして警察に関する限りつかまえぬ責任者はだれもいない。統一国家という考え方から言うと、これくらい妙なものはありません。明らかに地方分権制による現警察組織は進歩どころか一種の封建制と言える。」というようなことを言つておるわけであります。これは、私は大臣のこの警察制度に関する見解ではあつたと思うのでありますけれども、しかしその底を流れるところの地方分権に対する認識というものが、これは古い考え方の認識ではないか、こういうふうに思うのですが、一体大臣はこれと同じようなことをお考えになつて発言したものでありますかどうですか、その点私は一番初めの質問に対するお答えを要求する過程においてこれを読み上げて質問するのでありますが、ひとつお聞かせ願いたいと思います。
○大達国務大臣 お読みになつたのは、まあその通り言つたかどうかしりませんが、とにかく私の所感の一端ですけれども、その所感の一端をその雑誌の記者の人が書いたのでありましよう。教育行政ないしはこの学校の運営ということに関するいわゆる教育委員会法によります地方分権という趣旨は、私の解するところでは、中央集権のいわば逆、つまり中央からできるだけこれを規制し、統制するということでなしに運営せられるという意味であの場合地方分権という言葉が使つてあると思います。
○松平委員 今のお答えによりますと、この教育委員会制度等ができて、なるべく中央に集権しない、今まで、つまり終戦前までの日本において行われた教育制度というものは何らか欠陥があつて、そうしてそれはあまりに中央に集権的であつた、それを切り離して中央の統制をはずして行くということが第一に教育についてもよろしい、その方がわが国の現状として、あるいは将来にとつても理想的であるという考えでこういう制度ができた、こういうようなお答えと了解してよろしゆうございますか。
○大達国務大臣 よろしゆうございます。
○松平委員 そこで、これはあとでもつてもう少し逐条審議のときでもお伺いしたいと思うのであります。 その次にお伺いしたいことは、この法案の趣旨というか、この法案のねらつておるねらい点というものがこの法案に書いてあるのでありますけれども、新聞等によりまして拝見するのに、二法案のねらいというものが少しまちまちに世間では解されておるというふうにわれわれは了解しおるのであります。また大臣の本委員会における答弁等を今まで聞いておりましても、そのねらいが多元的にわたつておるように私は拝聴しておるのであります。言いかえれば、教育の場面における共産党の活動というものを阻止したい、あるいはこれを防止したいというようなお考えがあつて、それが大きな目的の一つになつておるのじやないか。これはわれわれが要求しまして提出された政府の資料等によりましても、政府はこれをこの法案の一つの裏づけのようなふうにお考えになり、そういう説明もあつたわけであります。それがまあ広くこの法案のねらいとして解されておるところではないかというふうに思うのであります。ところがそれと同時に、これは日教組対策であるというふうにも世間ではとりざたされている。この法案の提出される前、つまり一昨年からの政府の日教組に対する対策というか、やり方というものを見ておるならば、地教委の育成強化であるとか、あるいは昨年の義務教育国庫負担法案の提出されたときの理由とか、そういうものを見てみますと、やはり日教組対策、これは大臣も口をきわめてそういうことを言つておられるわけであります。ところがもう一つ新聞等で解されている点は、日本の再軍備のための準備行為というか、そういうふうにもとつておるのであります。これは第十六特別国会における文部大臣のいわゆる教育の四大方針というものの一つにも、愛国心の教育、あるいは道義高揚というものが非常に強く取上げられておつた。これをやつて行くには、日教組はじやまものであるというようなお考えがあつて、そうしてこれらの多元的な目的を持つ法案が出されたというふうに了解しておる向きがあるのでありますけれども、大体一番のねらいというものは一体何をねらつておるのかということを、幾つもねらつておるのか、どういうことをねらつておるのかということをひとつはつきりさせていただきたいと思うのであります。
○大達国務大臣 この二つの法律案は、もちろんその内容はそれぞれ違つたものでありますが、しかしそのねらいと申しますか、この法律案を提出するに至りましたその理由は、学校における教育の政治的中立というものを確保したい、こういう意味であります。世間でいろいろとほかの目的があるだろうということを言つておりますが、そういう意味はありません。
○松平委員 この政治的中立を確保するということは、この法案の中にも書いてあるのでありますが、しかしどういう障害があつて政治的中立というものを罰則を適用してまで突然これを確保しなければならなかつたかということについては、これはその一つのきつかけとして、大臣は山口県の日記というものを取上げておられる。これが一つの動機のようなぐあいにおつしやつておるのでありますが、何がゆえに突然今度の国会においてこういうような重い罰則をもつて取締るというようなことを考えてこの法案を提出されたか。言いかえれば、教育基本法というものがあつて、これで今までやつておつた。大体においてそれで解決しておつた事件が多いわけでありますけれども、こういう予防法的なものをもつて縛ろうと突然お考えになつたのはどういう心境の経適でそうなられたかお伺いします。
○大達国務大臣 これはいつも申し上げますのと同じでありますが、教育の中立ということは、これは非常に大切なことであろうと私は思います。もしこの中立というものが保たれなくて、教育がだれかの考えておるそれの考えの普及宣伝の具に供せられるということであれば、これはゆゆしきことであると私は思うのであります。従つてさようなおそれのあることを、またそれを教唆扇動するような事柄は、そういう行為というものは、日本の教育を守る上から言えば極力排撃せられなければならぬことであると思います。従つてそういうことが現実にあり、もしくはその危険が感ぜられる限り、罰則をもつてこれを規制することは何もふしぎなことではない、かように考えております。突然云々ということでありましたか、私は決して突然思いついてこの法律案を提出したわけではございません。すでに昨年の特別国会の際にも、こういう事態がもしそのまま至るところにあり、またこういうことが強制されない、つまり八条二項の規定の趣旨が守られないということであれば、何らかの方法をとらざるを得ないだろうということは、その当時から申しておつたのであります。
○松平委員 昨年大臣に日教組のすわり込み等に関連してさような発言が感ぜられた、非常に強くはありませんけれども、そういうことがわれわれにも感せられたことは私も認めます。しかしそれを非常に強く発言されたのは山口県日記のあとではなかつたかというように思つておるのでありますけれども、とにかく十六特別国会においてややそれに似たようなことが心の中にあつたのではないかという発言のあつたことは私も認めておるのであります。そこでその当時これと同時にここで非常に問題になりましたことは、一方において大臣にそういうようなお考えがあつてあの当時発言された、同時にそのときにわれわれが蔵じたことは、いわゆる愛国心を涵養するに足るような元になる道徳教育というものを大臣が高揚して行かなければならぬということを申されたのであります。私どもの考え方としましても一国である以上、自衛心というか、愛国心というか、そういうものを国民が持たなければならないということは当然すぎるほど当然でありまして、これは私どもとしても決して否定するものではないのです。私どもの考え方としては、自衛力の涵養というか、自衛力を増して行くという問題については、自衛力という観念の中にはいろいろな力というものがあるのじやないかというふうに思つておる。つまり軍備もそうだろうし、自衛の信念というか、そういう考え方というものも当然そうであります。そこで私はこういうふうに考えるのです。われわれも確かにこの自衛の心持ちというか、そういうものを涵養して行くような教育というものをやつて行かなければならない、ただそのやり方いかんが問題になるかと思います。しかしこの自衛の考え方を押し進めて教育をして行くということについては、これはだれも異存がないところではないか、こういうふうに思うのであります。ところで日本の防衛力の漸増という一連の政府の御方針があるわけでありますが、この自衛力の増進という考え方の中には、やはり自衛的な精神、愛国心というか、そういうものをやはり含めて増強して行くという、そういう政策かおありになるわけでございます。つまり言いかえれば、自衛力の漸増ということは、この精神的な面をも含めての漸増というふうに解してさしつかえないわけでございますか。
○大達国務大臣 愛国心の涵養ということは、昨年の特別国会当時に文教方針の一つとして申し上げたのでありますが、しかしこれはこの法律案とは別個の問題でありまして、直接何ら関係のないことであります。これは学校における教育内容の刷新改善という意味において申し上げたことは、その当時お聞きくださつた通りであります。それからさらにそれに関連して、自衛軍の創設というようなことでありますが、もちろんこの法律案はさようなことには何ら関係はありません。また関係のあるべき筋合いでもないと私は思います。自衛軍を創設することがいいか悪いかということは、一つの政治的な、政策的な主張でありまして、これがただちに愛国心につながる、これは愛国心の発露であり、これに反する者は愛国心がないのだ、そういうような独断は少くとも私に関する限りはいたしませんので、これは自衛軍の創設とかそういうことには何も関係がない、また法律案をごらんになつても、これは関係のありようがないのであります。
○松平委員 私がそれをお尋ねする一つの理由は、こういうことなのであります。きのうでありましたか、高津正道君の質問の中に、何かアメリカから強要をされたという、つまりロバートソン・池田会談というものがあつて、それによつてこう動かされておるというような発言がありまして、それが新聞に伝わつておつて――きのう問題になつたことは私はそれをむし返すわけではないけれども、そういうことがあつたので、それをお聞きしなければならぬと思つたのであります。ということは、自衛力の漸増の方針というものは、自由党の今の政府の立てられた政策でございますけれども、これはやはり条約の趣旨に基いてそういうことをお立てになつたのではないか、こういうふうにわれわれは了解しておるのであります。従つて自衛力漸増を期待するというアメリカ側の言い分、主張の中には、こういう教育の関係、自衛力の精神面をも含めておつたのではないかというふうに疑われるわけであります。先ほど申しましたのは、これは再軍備につながるものではないかというふうに世間では思つておる、新聞等にもそういう論調が散見されておるということから、私は特にそれをお伺いしたのであります。その点はいかがでございますか。
○大達国務大臣 これはしばしば御質問のあつたことでありまして、いまさら御返事を申し上げるまでもないと私は思うのでありますが、いろいろそういうことについて世間で言う、これは私も承知しております。私は一体どこのどういうりくつでそういうことになるのか実はよくわからないので、いつも御返事をするときに困るのであります。そのロジツクがわからない。これがロバートソンと関係があるとかあるいはまたMSAの受入れと関係があるとか、再軍備ないし自衛軍漸増と関係があるとかいうことを、関係があるたろうあるだろうと、言われるが、どういう論理でこれがあると言われるのか、その辺が私は了解に苦しむ。
○松平委員 それはこういうことであろうと思う。大臣が知らなければ私がひとつお聞かせしようと思うのです。現在の日本の教育というものは、なるほど相当アメリカの当時のデイレクテイヴにおいてできたものであります。その教育内容等においてもそうであります。それから日本の憲法自体もさような点が相当あつたわけです。ところが日本のこういう一連の民主主義の制度に対してアメリカがだんだんと後晦をし始めて来ておるというのは、これはだれも感じておるところなのです。そこで一番初めに後悔をしたのは、例の労働課長の当時のキレンのやり方があまりにひどいというのでもつて、これは彼ら自身がかえてしまつた、こういうことがあつたことは大臣も御存じかとも思うのです。あるいはその当時パージでもつてそういうことは御存じにならなかつたか知りませんけれども、とにかく網走を開いて徳球以下全部を出してしまつた。それで日本の民主化というものを相当徹底的にやるというアメリカの考え方でやつたわけでありますけれども、そのときに結果はアメリカの期待と反したのじやない、期待以上に行つてしまつたような感があるので、非常に向うは手を焼いて困つてしまつたということで、キレンは首になつて向うへ帰つてしまつたということが当時あつたのであります。これがまず第一に現われて来た事実であつて、その後逐次あらゆる面において、アメリカ自身がこれは困つたことだということを考えて来て、ニクソンが来てああいうことを去年の八月か何かに言つたということは、如実にこれを物語つておるのじやないか、そういうふうに思うのです。そこで日本は憲法も教育もこういう制度だというので、なかなかアメリカの思うようにならぬというわけだから、アメリカは逆に今度は――アメリカも非常にそこはずるいのです。実際はアメリカの反省をこれは促さなくちやいかぬ点ですが、その点大臣が戦犯についてこの間発言したことは、これはなかなかおもしろいと思うのだけれども、しかしこれは文部大臣として言うべきことではない。しかしながら、私はこういうふうに考える。私がそこで考えておるのは、これは当時そういう考え方でやつて来た。そこでこれを日本に押しつけて自発的にやらせようとするのが、アメリカの政策なんです。これがアメリカのずるいところなんだ。そこでこれについても、ほかの憲法その他についてもアメリカのやり方がそうだから、教育についてもそういうふうに感じておる。しかもそれは池田・ロバートソンの共同声明にもそのことに触れておるということから、当然そういう論理が出て来るのではないか。これは私は多くの人の解釈じやないかと思うのですけれども、大臣はそのロジツクはおわかりにならぬですか。
○大達国務大臣 どうもアメリカというものが、独立した今日の日本の法律制度その他日本の内政に非常な大きな影響を持つておる、こういう前提で、アメリカが考えれば、独立後の今日でも日本の制度はアメリカの思うようにかえられるもんだ、こういう考え方でお話になつているようでありますが、私は教育立法に関する限り、アメリカがどう思うとかこう思うとかいうことは、全然これは関係のないことだ。あなたは左派ではありませんが、社会党左派の諸君は、何かよほどアメリカというものの力を過信し、もしくはこれを過大に思わなければならぬというように思つておられるのじやないかと思う。たとえばロバートソンがこう言うたから、この法律はその意図を受けてできたに違いないとか、あるいはまた第二次教育調査団がこう言つておるじやないかとか、あるいはまたボーレがこれに反対しておるが、それはどうだとか、何か外国人の言うことを金科玉条にして――もう少し日本人は日本人の立場でこの法律案を審議してもらいたいと思うのです。
○松平委員 われわれは何も外国人の立場でもつてこれを審議しているのじやないのです。一体大臣の今の発言は少し言い過ぎだと思う。そこでお尋ねしますが、一体この自衛力漸増をアメリカが期待するという、この自衛力の中には、あの当時のいきさつからいつて、精神的な自衛力、精神的な面の自衛力の増強も含んだところの安保条約というものに、一体判を押して来たかどうか、この点はどうか。
○大達国務大臣 このMSAとか、自衛力漸増に関達してMSAの受入れ、これはアメリカと日本との話合い、協約によつてできるものでありますから、それに関する限りはアメリカの意見が入りましよう。しかしMSA協定をごらんになりましても、何も日本の教育立法を改めろとか、今回の二法案を出せ、こういうことはどこにも書いてないじやないか……(「あたりまえじやないか」「そんなこと常識で書くかい」と呼ぶ者あり)書いてなければ、ないということです。それをあると思うのは、外国勢力というものを非常に重く見る人のくせです。
○松平委員 私の言つておることには少しも答弁していない。私の言うことは、MSAのことを言つてるんじやない。そんなことを言つてるんじやないのであります。それは根本になる日米一安全保障条約に、日本は自衛力の漸増を約束してるわけです。その自衛力の中には精神的な要素が含まれておるかどうかということを聞いておるわけです。これは重大な問題です。
○大達国務大臣 安保条約の解釈につきましては、これは他の大臣にひとつお尋ねを願いたいと思います。ただあの中にどういう規定があるか知りませんが、日本の教育、文教の政策、方針は、あれによつて何ら影響を受けるものではありません。
○松平委員 私はこれは非常に重大な問題じやないかと思いますので、委員長に申し上げます。自衛力漸増の安保条約というものについては、その当時において、一体自衛力というものの中には物質的な自衛力ということだけで、当時議論が進められておつたのかどうか、そうではなくて、やはり自衛力というものは、アメリカ側の解釈によつて、この中には精神的な自衛力というものも含めて言つておるかどうかということ、これはきわめて重大な問題だと思う。それをどうしてもこの委員会ではつきりしてもらいたいと思うのは、かりにアメリカがそういう考え方であるとすれば、日本の教育に干渉して来る根拠を持つことになるわけであります。従つて私は党派を超越してこの際明らかにしていただきたいと思うのは、当時アメリカも日本も、この安保条約の中に言つておるところの、いわゆる自衛に関する責任を漸増的に日本が負うわけでありますけれども、その考え方の中には精神的な面を含まないということであるならば、それでよいと思う。それが堂々と日米の間でそういう了解が当時ありとすれば、それを発表してもらいたい。(「それは外務大臣だ」と呼ぶ者あり)外務大臣に要求すべきことであるけれども、これは当時サインして来たのは総理大臣であるから、総理大臣の口から聞かなければだめだ。ということは、もしこれがその当時において、精神的な面も含んでおり――自衛力というものの中に、物質的なものだけでなく、精神的な面も含んでおるというのであれば、アメリカから干渉して来るということが予見されるわけです。その点は日本の教育に重大な関係があるのではないかというふうに思うのであります。(「被害妄想だ」と呼ぶ者あり)これはそういうことがなかつたなら、なかつたでよろしい。私はなかつたことを欲しておる。ロバートソンがそういうことを言つて来るところを見ると、何か条約上の根拠があつて言つて来るのじやないか。そういうことは日本の教育に大問題になる。日本は自主的に教育を論じておるわけです。ところがたとえば池田はその当時責任者ではない、あるいはこれは吉田個人の代表だという資格であるかもしれませんけれども、向うは政府を代表しておる。向うは外務次官補、つまり政府を代表してる人が、日本の池田にそういう要求をして来るということは、これは何か根拠があつたのかどうか。これは日本の教育としては非常に重大な問題であるので、この際はつきりした解釈をい、ただきたい。
○大達国務大臣 いろいろ御心配でありますが、そういうことはアメリカとの間に話合いであるとか、あるいは密約であるとか、そういうことは全然ありません。従つてまたロバートソンが何を言つたのか、何も申し入れて来たわけではありません。政府としては何ら関知するところではない。その証拠には文部大臣の私が、ロバートソン発言というものは一体どういうものであるかということは新聞で見た以上には何も知らないのであります。
○松平委員 それは文部大臣はその当時のことはお知りにならなかつたかもしれないが、はつきりしてもらいたいのは、アメリカは日本の教育に干渉をするような何かの権限を持つているかどうかということであります。
○大達国務大臣 アメリカにそういう権限は全然ありません。
○松平委員 文部大臣は総理と御相談の上でそういう発言をされているのですか。
○大達国務大臣 さようなことは総理大臣や外務大臣に聞くまでもありません。文教当局は文部大臣であります。文部大臣はアメリカからそういう制肘を受けるということは何ら承知しておりません。また今日文教行政の上において何もアメリカに相談したり、アメリカに伺いを立てたり、あるいはまたアメリカのさしずに従つてやつたことは一度もありません。社会科の改訂をすればそれはロバートソンの関係であろうとか、今度法律案を出せばこれまたロバートソンの関係であろうとか――ロバートソンと池田君が何を話されたか知らぬが、それをそんなに言われる意味が私はわからない。あなたは外交官出身だから、そういうことを非常に心配されるかもしれませんが、今の関係ではそういうことはありません。そういう密約も何もありません。 〔「何のために出すのだ」「植民地日本のために必要か」「被害妄想だよ」と呼び、その他発言する者多し〕
○辻委員長 御静粛に願います。
○松平委員 日本は間接侵略に対処し、これを守る義務を実は負つておるわけであります。そういう間接侵略というものの中に、共産党の思想侵略というようなものを含んでおると解釈せられるかどうか。 〔発言する者多し〕
○辻委員長 御静粛に願います。
○大達国務大臣 これこそ松平君はそういうことに詳しいと思うのでありますが、私は間接侵略について――間接侵略と言えば内乱でありますが、間接侵略について日本が外国から義務を付せられておるとは思いません。これは日本自身が治安の維持の見地から当然なすべきことであつて、日本の内乱を防渇し、内乱を鎮定し、そうして間接侵略を抑える、これについて外国から何も義務づけられているなんということはあり得ないことであると思います。
○松平委員 私は外国から義務づけられているとかなんとかいうことを質問しておるわけではないのです。間接侵略の中に、共産党の思想侵略と言われているものが含まれていると了解していいかどうかということを聞いているわけです。
○大達国務大臣 これはそれぞれの見解によるのでありましようが、私はただ共産思想が国内に入つて来るということが間接侵略だとは思いません。
○松平委員 そうすると大臣のいわゆる間接侵略というものは、共産党の場合にはどういうのが間接侵略と言われるのですか。
○大達国務大臣 これは教育法案に関係のないことでありますから、どうぞ治安当局にお聞きただしを願いたいと思います。 〔「関係あり」と呼び、その他発言する者多し〕
○辻委員長 御静粛に願います。
○松平委員 私は非常に重大なる関係があると思うのです。なぜかと言えば、偏向教育というものが共産党的な偏向教育である、こういうふうに言われておるわけであります。そういうものは普通の言葉で言つて間接的な思想侵略、こういうことを治安当局の人は言われておるわけなんです。そこでそのことをお聞きしたわけであります。
○大達国務大臣 私は繰返して申し上げまするように、思想が侵入して来る、あるいは国内からそういう思想が起つて来る、これを間接侵略とは思わぬのであります。しかしこの法律が何もその関係で出ているわけではありません。間接侵略を防ぐということではないので、これはごらんの通り共産党であろうとなかろうと、片寄つた教育は困るというだけであります。
○松平委員 そこで大臣の言われるところのいわゆる偏向教育、これについて昨日大臣の答弁がありました。 〔「自由党はどうだ」と呼びその他発言する者あり〕
○辻委員長 質問がわかりませんから、静かに……。
○松平委員 その答弁によりますと、教育基本法第八条第二項、これをさしておる、こういうふうに言われておつたのであります。教育基本法第八条第二項、これを守るということは、つまり教育の中立性、政治の中立性を守る根拠になつているということをきのう大臣は申されたのでありますが、一体この条項を守ろうとしても、現実に教員が各政党の政策を批判しながらこれを教えて行く、そうしてまた現実に行われているところの政治についても教えて行かなければならぬという立場に教師は立たされている。そういう批判をしながら政治教育をするという場合において、今日のたとえば中学三年生というような年齢の学生、生徒は、すでに相当常識も持つておるわけであります。その結果あるいは特定の政党を支持し、あるいは反対するというような場合が起る、こういうふうに私は思うわけでありますけれども、その場合において、第一線教師として、われわれ国政視察に行つた場合においても、われわれに対していろいろな疑問が投げかけられて来ておる。この法律の不明確性について疑問を投げて来ておるのでありますけれども、われわれもなかなか解釈に苦しむようなものがあつてわからないのであります。こういう点について私逐一申し上げますから、御答弁を願いたいと思うのです。 たとえば教師がみずから意識をして行つた場合には、あるいは教育基本法の第八条第二項、にひつかかるかもしれない。しかしながら私が聞いておるのは、この元になる教育基本法の政治的中立性の問題についてお尋ねしておるわけであります。たとえば教師が社会科等の時間に生徒を教えるという場合において、文部省の出しておるところの昭和二十六年版――六学年生用の教科でありますが、「学習指導要領一般編」に「わたくしたちの生活と政治」というのがあります。その中に単元として「わたくしたちの意見を代表する人としては、どんな人を選挙すればよいか。」ということが書かれておるわけであります。そういつたことを教師自身が教育をしておるわけであります。そういう場合において、教師はあらゆる資料を把握して、そうして自分の思つたことを教えるという場合に、たまたまどの政党が一番いい、この政党はだめだというようなことを教えるという可能性が非常に多いのではないかと思うのでありますが、そういう場合には一体中立性に違反するわけであるかどうか。
○大達国務大臣 さような場合に自由党がいいとか、あるいは共産党が悪いとか、そういうことをはつきり言えば、それはもちろん片寄つた教育であります。
○松平委員 教師が新聞とか雑誌とか、あるいはいろいろな政党の出版物というものを読んで批判力を養つておる。そうしてその結果、ある政党の意見と一致したような見解を教えるということ、そういう場合はどうなりますか。
○大達国務大臣 政治上のいろいろな問題、あるいは思想上の問題につきまして、いろいろゆたかな知識、批判力を子供に与える。これはもちろん必要なことであります。ただその場合に、教師がこういう政党でなければならぬとか、こういうものでなければならぬ、こういうことを一方的に教え込む、これが片寄つた教育であります。
○松平委員 これは非常に判定がむずかしいのじやないかと私は思います。たとえばこの政党がいいとか、この政党が悪いとかいうことでなくて、教えた結果がある政党の見解とたまたま一致したという場合においてはどうなるか、こういうことなんです。
○大達国務大臣 教えることの内容によるのでありますが、たとえば三本建はいけない、あれはよろしい、こう言つたからといつて、何も特定の政党を支持したり、反対したりということにはならないのであります。政策というものは、そのときどきに打ち出されるものであつて、その政策についていい悪いの意見を言つたからといつて、ただちにその政党を支持するとか、その政党に反対するとか、こういうことには私はならぬと思います。ただどうでもこうでも共産党にならざるを得ぬような教え力はいけない、こういうことであります。
○松平委員 そういうことになりますと、教師は自分の教える政治教育が、一体どの政党の政策に合つているのか合つていないのかということを、一々びくびくして研究しながら教えて行かなければならぬということにならざるを得ないのです。従つて常にそれを考えなければならぬ。ところがたまたまそういうことを知らなくて、結果として自分の教えておつたことが、ほかの政党の政策と合致しておるということになれば、結局それは結論としては、その政党を支持させるに足るようなことを教えるわけなんです。これはどうですか。
○大達国務大臣 基本法の八条は、教育はかくのごとくならざるべからず、こういう意味でありまして、これは教える先生の考え方、先生の目的、先生の知識とは何も関係がありません。
○松平委員 そういうことになりますと、教師は相当用心をしながら教えなければならぬということになりますので、教師は政党の政策というものを多く読むような機会を持たなければならぬということになるわけです。そこでその点について、自由党の広報を過般配られたことがありましたけれども、もう一度お伺いしたいのは、ああいうことはどんどんやつてもよろしい、こういうお考えですか。
○大達国務大臣 自由党が自由党の広報を配ること自身は何らさしつかえない、これはどの政党でも同じことであります。
○松平委員 PTAに配つたというわけですが、このPTAのTというのは教師をいうのですが、それもいいわけですか。
○大達国務大臣 職業のいかんを問わず、だれに配つてもさしつかえがないはずであります。
○松平委員 それはたとえば日教組が配つてもいい、こういうことになりますか。 〔発言する者多し〕
○辻委員長 両方ともお静かに。
○松平委員 日教組が配ろうが、どこが配ろうが、機関紙あるいは党報というものを現にみな発行しておるのですから、それを配布したからといつて何もさしつかえない。これは政治的中立性の確保に関する法律案に今関係があつて、これは体刑が科せられることになるわけでありますが、こういう場合が非常に多いのじやなかろうかと思いますが、これはどうですか。たとえば社会党なら社会党のパンフレツトというものを盛んに配ります。自由党も配る、これを教師にある団体を通じて配る、こういう場合に、教師も国民の一人として、どの政党の言うことが正しいか、あるいはどの政党が理想に近いかということを判断してそれを教える、そうしてその結果を支持し、または反対するに至らしめるに足るようなことになるのであります。そういう場合においては、このパンフレツトを、たとえば河上丈太郎の名前で送つたとすれば、社会党の河上丈太郎が裁判にかけられる、そうして一年以下の懲役もしくは罰金に処せられる、こういうことになるわけですか。
○大達国務大臣 この法律案が成立した場合に、この確保に関する法律案の内容に該当するような文書が教員団体の活動もしくは組織を通じて流された場合には、これは河上君の名前であろうと、これはあなたの力の委員長ですから悪いですけれども、だれの名前で流されようと同じことであります。吉田茂の名前で流されようとも、河上丈太郎の名前で流されても同じことであります。 〔発言する者あり〕
○辻委員長 傍聴席、さようなことをしてはいけません。退場を命じます。
○松平委員 そこでこの法案について一番困惑しておる点は、これも過般の公述べの公述にありましたけれども、一番函難をきわめておる点は、教育基本法第八条第一項と第二項にある、そうしてそれはここに引用されておるような政治的中立の確保に関する法律案、この中にもあるわけでありますけれども、きのうもこの点について論議があつたのですが、私はまだその点がはつきりいたしておりませんのでお聞きしたいのであります。良識ある公民たるに必要な政治的教養というものの中には、私は各政党の政策とか方針というようなものは当然教養の一部として教えて行かなければならぬと思われるわけでありますけれども、この点は大臣はどういうふうにお考えになつておりますか。
○大達国務大臣 その通りであります。
○松平委員 そこでその場合において中学三年ともなると卒業してやがて選挙権を持つというようなことがある、そういう場合において、これは先ほど私が引例しましたところのこの小学校学習指導要領の中にもあるわけですけれども、私たちの意見を代表する人としてはどんな日とを選挙したらいいでしようか、この題がある。そういう場合において一体どの政党がいいであろうということを生徒が聞く場合が非常に多いわけであります。その場合に、たとえばたまたまいろいろのパンフレツト等も来ておるので、教師の良心から自分の思つていることを教える、たとえば社会党がいいとか、あるいは自由党がいいとかということを教えるということは私はあり得ると思うわけだけれども、こういう場合、教えたという場合には教師はどういうことになりますか。
○大達国務大臣 どういうことになるというのはどういうことですか
○松平委員 罪になりますか。
○大達国務大臣 何によつて……。
○松平委員 法案のどこで罪になるのですか、これは免職になるか、行政処分になるかあるいはいずれはこつちの力でひつかかるか。たとえば生徒に聞かれた場合において、社会党の方がいいとかあるいは自由党の方がいいとか、そういうことを教えるということ、それはある政党を支持し、ある政党に反対するということになるのではありませんか。
○大達国務大臣 明瞭に第八条第二項の趣旨に反するやり方でありましよう。
○松平委員 そうすると、小学校学習指導要領ですね、私たちの意見を代表する人はどんな人かいいか、どういう者を選挙すればいいかということについての教師の発言というものは、これは非常に用心をしながら言わなくてはならぬということになるのですね。
○大達国務大臣 子供に教育をする場合にはもちろん慎重にするのがあたりまえであります。そのときに不用意に子供をそこなうようなかつてな発言は評さるべきではありません。
○松平委員 もうちよつと伺いたい。これは私どもよく聞かれるのですけれども、そういう場合に、学校で授業が終つたあとにいろいろ残つて課外教授とかいろいろなものをやつているのですか、そのときにこういう発言があるだろうし、それから最近国会見学等をすることが多いわけであります。そういうとき、帰つて行く場合に、あるいはバスの中とか、そういうところで必ずそういう質問が実際問題としてあるわけです。その場合に社会党がいいとか、自由党がいいとかいつたことは違反になりますか。
○大達国務大臣 その違反になるとか何とかいうことは法律によつて抵触する場合が違いますから、これは別として、教育活動である限りさようなことは私は許されないと思います。さような場合には社会党右派がいいとか、自由党がいいとか、左派がいいとか、一体そういう答弁をするのかおかしい、これは常識であります。われわれの代表として間違いのない人とか、まじめな人とか、こういうことを言えばいいのであつて、何も社会党左派がいいとか、自由党がいいとか、松平という人がいいとか、一体そういうことを一々言う必要はないのであります。それはそういうことを言うことは教育じやありません。
○松平委員 それは政治的教養ということはそういうことじやないのです。現在の政治的教養というのはどの政党がどういう政策を持つているかということを知るのが政治的教養なんです。従つてこういう政党はこういう政策であるからこれはいいとかこれはだめだとかいうことを言うことは、これは支持、反対を意味しているものなんです。
○大達国務大臣 だからそれはいけないと言つている。
○松平委員 次にお聞きしたいと思うのは、今の続きになりますけれども、憲法との関係であります。これがやはり一番私はわかりにくい、またこの問題がおそらく現場の第一線の教師としては最も困惑しておるところではないか、こういうふうに思うのです。たとえばこれはもうすでに例があちこちにあるわけでありますけれども、例の憲法第九条の問題で、再軍備してはいかぬ、こういうことを言われておる。その場合において再軍備をしてはいかぬという教育をするという場合においては、たとえば岩手県にこの間起つたところの姉体中学校の教師の事例かそれを現わしておるわけでありますけれども、憲法第九条を抜き書きして壁に張つてあつて、毎日生徒がそれを見ておつた、こういうわけでありますが、これに対してそこの教育長はこれは政治的中立の違反である、偏向教育であるということにしてしまつた。ところが校長の方はこれはさしつかえないというのでもつて、すでにそこに校長と教育長との間に意見の対立があるわけなんです。そこでこれはどういうふうに思われるか。
○大達国務大臣 憲法第九条の規定がある、従つて再軍備をしてはならぬ、これを言うことは何もさしつかえない、当然なことであります。
○松平委員 それでは今の姉体の場合ですね、文部省が偏向の事例の一つとして数々あげておる中にそれがあるわけなのだけれども、その事例は誤りであると……。
○大達国務大臣 再軍備反対、それだけ単独で偏向教育になるわけはありません。しかしながら再軍備反対その他いわゆる平和三原則、一連の内容の教育を与えることによつて、その全体の指向するところが特定の政治的主張というものに片寄るという場合は、これは偏向教育と言わざるを得ない。一つ一つのものを見れば煉瓦であるかもしれぬが、積み重なつてみればそれが別の目的のものになる、こういうわけであります。
○松平委員 私はその一つ一つを聞いておるのであります。教育は全体ではなくして一つ一つを教えて行つて教育になるわけです。
○大達国務大臣 教育というものはそういう一つ一つぽつんぽつん断片的の知識を与えるものではありません。全体として人間をつくり、その人間の批判力を養い、その人間の教養を高める、こういうものが教育だろうと思う。
○松平委員 私が言つたのは憲法第九条の問題なんです。そこでその場合において、しからば姉体であげてあるところの、憲法第九条を悪用しということをこの懲戒処分の中には言つておる、そういう憲法の悪用ということが一つの偏向教育の事例になつておるわけであるけれども、その中をお読みになればわかりますけれども、しからばぽつんと教えるということは決して偏内教育とはみなさない、こういうことなのですか。それでさしつかえありませんね。
○大達国務大臣 意味がよくわからないのでありますが、悪用しとか何とかいうこの一々の文句、これは法律じやありませんから、これは現地からの報告等についてそのまま書いたものでありますから、これについて一々論議をいただいても困るのであります。ただ現行憲法で再軍備を禁止してある、であるからして再軍備を主張するということは絶対にこの憲法を守る趣旨からいつてもよくない、こういうきめつけた教育、それが他の一連の内容の教育とからまる場合には偏向教育になり得るのであると私は思います。これは何も憲法第九条だけには限りません。たとえば現行のものに行政協定というものがある。これは松平君も一番よく御存じのように協定であります。外国との間の約束であり、これを履行する義務が日本の国にあるのであります。この現行のものをそのままさしおいて、そうして基地を奪還せよ、あるいはまたアメリカを追い返せ、こういうことを言うことははなはだよくない。現在の協定をそのままにしておいて、それを破棄するようなことを言つておるのだと言うだけで、それを攻撃されたつて、必ずしも偏向教育だとは思いません。とにかく法会に規定があるから、ないからということは別論であります。およそ政治の主張というものは必ず制度の改廃を伴う場合が普通でありまして、その場合に現行法があるからこれはいい、ないから悪い、そういう議論はないと思うのであります。
○松平委員 憲法の規定に従つて教えればよい、これはもう当然その通りであります。しかしながら憲法の規定を教えておることが、往々にしてほかの政党の政策と一緒になるわけです。たとえば一番大きなこの再軍備のことなどはだれも最も聞きたいところであろうし、また国家の重大問題である。従つてこういう点について教える、再軍備をしてはいかぬということをやつていわゆる平和教育を教えて行くということは、これは特定の政党の主張と一致していることなのです。従つてその場合の判定が、どこまでが一体憲法の規定に従つたのだ、どの部分が特定の政党の主張なのだということはだぶつているわけなのです。そういうときに一体どうするのかということなのです。その場合に、私どもはむろん憲法の通りに教えているからさしつかえないというふうに思つておるし、また多くの教師はそう思つておると思うのですが、その点についてはどうですか。
○大達国務大臣 そういうことはさしつかえないという論拠に憲法の規定があるからさしつかえないという考え方は、先ほど申し上げたように違つていやせぬかと私は思う。憲法の規定があろうとなかろうと、これは特定の政党を支持しまたは反対させる教育であるかどうかということに重点があるのであつて、その場合に法律の規定があるからとか、ないからとかということはおのずから別途の法律論であつて、政治論ではない、こう私は思います。今例をおあげになつたような場合に、なるほど再軍備反対ということを主張しておる政党はあります。また政党に党籍を持たない一般の人々のうちにも、再軍備は困るということを考えておる人はあるのです。でありますから、再軍備反対ということを言うだけではいわゆる偏向教育にはならない。はつきり言えば、特定の政党を支持しまたは反対させるための教育ということにはならぬと思うのであります。しかしそれだけでなしに、さらにまた幾つかがひつついて来ると八冬の二項に言う偏向教育になる場合がある、こう思います。
○松平委員 最近憲法擁護協会というものができたことは御承知の通りであります。そこでこの憲法擁護協会が各地に出張しまして、憲法を擁護しなければならぬということを盛んに演説もし、文書にも書いて啓発しておるわけでありますが、こういう人たちの意見、たとえば文書を、教師が――すでに高教組あたりではこの運動を支持しておるようになつておる事例もあるわけでありまして、そういう場合に、こういものが出しておる。パンフレツト等を出しまして、そうして憲法は擁護しなければならぬということを教育した場合にはどういうふうになりますか。これは罪になりますかなりませんか。
○大達国務大臣 罪になるとかならぬとか始終おつしやるが、今私は八条の二項の問題としてお答えを申し上げておるのであります。その点は法案でごらんになりますように罪になるにはいろいろ条件がありますから、そこだけ言つて罪になるかならぬかと言つたつてこれはわからないので、この条件が全部満たされなければ犯罪というものは成り立たない。今の憲法擁護問題の場合でありますが、これはどういうビラを配つておるか私は存じません。従つて今それだけのことで、さしつかえないと思うとかいけないと思うとかいうことは申し上げられませんが、これはビラの内容いかんによつてはいわゆる八条の二項に抵触するものになるかもしれません。
○松平委員 これは現在でも現実にいろいろ行われておるわけです。憲法擁護協会が平和憲法を擁護しなければならぬというような趣旨のビラをいろいろ各地に送つております。そこでこれをたとえばある団体の手を通じて送つて行つた場合に、先生の手にそれが届いた。こういうものもあるということで平和教育をする、つまり憲法の改正はいかぬ、この平和憲法を擁護しなければならぬのだということを教師が教えた場合に、これはこの政治的中立の確保に関する法案にひつかかるかひつかからないか。これは現実の問題です。
○大達国務大臣 それはいろいろの点でひつかかりません。
○松平委員 ひつかからないのですか。
○大達国務大臣 それは第一党勢拡張の、つまり政党等の党派的勢力の伸長を目的とするという点においても欠けておるようでありますし、教職員団体の組織を通じて行つたという点においても欠けておるようでありまするし、そうして教員にビラを配つただけでは、教育を教唆扇動したことになるという点においても欠けております。そうしておそらくはその内容が特定政党を支持させまたは反対させる内容とも思われません。ですからいろいろな点においてひつかかりません。
○松平委員 これは先ほど大臣がみずからちよつと触れられた点でありまして、やはり非常な疑問の一つでありますが――これは実例でありますけれども、岩手県の学校で、日本におけるアメリカの基地を地図に全部書いて張りつけておいたということがあつたのであります。これが偏向の一つの事例として取上げられておつたのであります。かかる反米教育というふうに見られるようなものは、大臣のお考えから言うと偏向ということになりますかどうか。
○大達国務大臣 ただ反米教育というだけで、いわゆる偏向教育といいますか八条の二項に抵触するものとは思いません。しかし今のように姉体の学校でありますか、わざわざ基地の図面を書いてこれを地図として教えておつたのか、その図面についてどういう説明をされたのかわかりませんが、とにかくそういう図面を掲げて、近ごろそういう資料の主張しておるところの基地の奪還、アメリカを追い返せということ、あるいは再軍備反対あるいは共産党の機関紙云々というふうに、だんだんいろいろなことが重なつて来るとそろそろあやしくなつて来る、こういうことであります。
○辻委員長 松平君、心得ておいていただきたいと思いますが、三時から労働委員会との連合審査がございまするが、もう三時になりましたから、どうかその辺をひとつお含みの上でお願いいたします。
○松平委員 まだ少し残つていますが、これで打切つておきます。
○辻委員長 休憩いたします。 午後三時休憩 ――――◇――――― 〔休憩後は開会に至らなかつた〕