文部委員会 第17号
- 発言数
- 111 件
- 登壇者
- 4 名
- 会派数
- 3
- 開催日
- 1954/03/15
会議録
○辻委員長 これより開会いたします。 過日当委員会において日本教職員組合中央執行委員長に対して、公文書で資料の提出を申し入れましたが、その返答が参りましたので、この際その文書をお伝えいたします。 昭和二十九年三月十三日 日本教職員組合 中央執行委員長 小林 武 衆議院文部委員長辻寛一殿 三月一日附資料提出方依頼についての回答に関する件 首題の件につき、本組合中央執行委員会の決定により左記回答致します。 記一、労働組合である本組合に対し、その運動方針、予算其の他の資料提出を要請された異例の御希望に副うためには直接本組合関係者が貴委員会に臨み、陳述することが最適切であると推察致します。 よつて、本組合は代表者又は担当責任者が参考人として直接委員会にのぞみ、資料提出を要請された案件につき詳細説明することを希望致します。 二、尚直接委員会にのぞんで説明致す際、説明参考資料として御要請の文書を提出する用意があることを附言致します。 右文書をもつて回答を得たく此にお願い申し上げます。 以上 ただいま読み上げました文書中「委員会にのぞみ、資料提出を要請された案件につき詳細説明することを希望致します。」と返答して参つておりますが、先刻の理事会においてはその必要なしと協議がきまりましたので、あわせて御報告いたしておきます。 —————————————
○辻委員長 なお先刻の理事会で労働委員会より申入れがありました二法案、すなわち義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する法律案、教育公務員特例法の一部を改正する法律案に対する連合審査会の申し入れに対し、理事会におきましては来る十七日水曜日午後三時に開くことに協議決定いたしましたので、この際理事会の決定通り委員会において決するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○辻委員長 御異議なしと認め、連合審査会を開くことに決定いたしました。 —————————————
○辻委員長 この際山崎君より調査報告の申入れがありますので、これを許します。山崎始男君。
○山崎(始)委員 三月十日の午前十時から山口県の教育庁におきまして、午前十時から午後の十二時半ごろまで各階層の方に集まつていただきまして、いろいろ山口日記の件に関することを聞いたわけでございます。その日の午後四時半から岩国へ参りまして、岩国において午後の七時半まで同じような形式において地元の先生の御意見をいろいろ拝聴したのであります。大体この三箇所に集まりました人員は、県の教育委員会並びに教育庁の事務局の方々、市の教育委員会並びに事務局の方々、その他小学校の校長、中学校の校長、県の教員組合の方たら、市の教員組合の方たち、その他PTAの代表各教育関係の階層の代表者の方が、大体数十名お集まり願つたわけでございます。私たちが山口県へ参りまして現実にこれらの人たちからいろいろ聞きました結論を申し上げますと、これは各党とも共通の感じだと思いますが、なるほど山口県の教育日記の欄外記事においていささか遺憾の点があつたことは率直に私自身も認めました。ただその実害におきまして、私たちが東京で聞きましたその感じから申しますると、非常にその実害は僅少であるということであります。すなわち山口県下の三十万の義務教育の生徒に対して、大体発行部数は一万、現実に売却済みのものが九千六百冊、しかもそれが現実に児童生徒がそれを読みました、まじめにその日記をつけておる、いわばその日記を使用したというのは大体三千五、六百冊、こういう数字が出ておるのであります。従つて三十万学童に対してまことに僅少であつたということ、この結果地元の一般の県民の感情といたしましては、この法律案が出た少くとも一つのきつかけをつくつた——この山口県の教育日記がきつかけをつくつたわけでございますが、むしろ地元の県民は、この自分の県から起つた問題が一つのきつかけとなつて、こういうひどい法律案が出されたことに対しては今さらのように反省をすると同時に、むしろ逆の、これはあまりにもひどいという感情が一般の県民感情である、こういうふうにおのおの意見が述べられたわけでございます。従いまして、この山口県の教育日記におきまして、むしろ保守的なと思われまする各階層の代表者の方でも、この法律案に対する賛否を私たちが伺いましたときには、これを無条件で賛成をした人はほとんどないというていいのでございます。いわば何とかこれを修正できるものなら修正してくれという人、絶対反対だという人、大体そういうふうな傾向を帯びておつたように見受けるのでございます。この点は同行いたしました自由党の方も認められたことだと思います。ただ私たちが岩国へ参り、山口市に参り、この山口日記を調査いたしました点におきまして、いわゆる表面に現われました一つの事情、すなわち 欄外記事の行き過ぎであるという事柄、この一事だけを通して、この山口日記のケースというものは考えられない。裏面に相当政治的な事情があつたということが私たちには看取できるのであります。すなわち昨年の六月にこの山口日記の事件が起きましたが、この起きるについては、過去においていろいろ複雑な事情があつた。これは時間がございませんから、一々は申し上げられませんが、その地元の教育組合と県の教育委員会その他県議会の政治的な、非常に複雑ないきさつというものが基礎をなしているのであつて、たまたま去年の六月の二日にこういう問題が起つたということでございます。従つてこの過去の事情が一番よく反映いたしておりますることは、この六月二日に起りまして、八月の下旬から九月の中旬にかけまして、この事件を調べると申しますか、この事件に関係をいたしまして、安倍源基という方が——この方は私が申し上げるまでもございませんが、たしか終戦ごろの内務大臣をやり、警視総監をやられた人でございますが、この人が山口事件が起きた直後に、しかも県費でもつて十五万円の予算を組んで、山口県下を十五箇所県が主催をして、両親教育と称して教育に関する講演をやつていらつしやるのであります。この講演たるや、まことに内容が反動的なものであるというので、県議会でも県費の計上について問題が起り、同時に講演内容においても各地で非常な波乱を起しておるのでございます。聞くところによりますと、この安倍源基という人が出張をされますときに、保全経済会から三十万円の金がどういう関係か出ているということすら言われております。同時にこの方が終戦前に内務大臣をやつておられるときに、確か私は聞き及んでおりますが、阿南中将とこの安倍という人が日本国民の最後の一兵に至るまで焦土戦争をやるべきだという主張をされた人であるということでありますが、こういう人が何で教育に関係があるのか調査に行つておる。しかも講演をやつておられる。こういうことは結局過去における県教委、あるいは山口県の保守というもの、あるいは組合というものとの対立の激化の一つの現われであろうと思うのでございます。こういう姿というものは、ただ一つ欄外記事の多少の行き過ぎがありましても、みんなで協力して教育をやろうという観点から見ましたときに、相当考えなければならない問題があるのではないか、かように存ずるのでございます。 なお私は皆さんより一日残りまして、安下庄の事件を調査いたしました。これにも非常に不明朗なものがあることを看取したわけでございます。すなわち十日の午後に安下庄から岩国に来ていただきたいと私たちが言いましたのは、この文部省から出ております資料のかんじんかなめな人だから。野口安一という本人、その町の教育長にはぜひ来てもらいたい、こういう申入れをしましたが、このかんじんの方が来ていらつしやらないのであります。あのくらいくれぐれも頼んでおるものが来ていない。それで私は翌日一行より残りまして、翌日の朝には必ず来てくれと言うてあるのにかかわらず、指名をいたしました教育長が来ずして、その町の教育委員会の川合歳雄という人が来られたのであります。私は非常に面くらつたのでありますが、どうして教育長が来られませんかという私の質問に対しては、教育長はきようはちよつと腹が痛いので、君かわりに行つてくれということで私が来ました、こういうことなんであります。まことにこの点は非常に遺憾だと私は思つたが、仕方がありませんので、これはあとから文書をもつて回答してくれと言い残しをいたしまして私は帰つたのでございますが、この安下庄の事件のごときは、これはその前の日に、すなわち十日の午後岩国へ校長とPTAの会長の代理者との三人が、安下庄の町長の証明書、安下庄の小学校、中学校のPTAの会長の証明書、この三つを持つて来ましたが、この三つの中には、町長以下すべて、安下庄には教育中立性を侵したような、すなわち偏向教育の事例は、あの野口安一が掲示いたしましたビラのような事例はありませんということを立証いたしておるのであります。こういう点から見まして、この安下庄の事件はほとんど根も葉もない、根拠のないものであるという心証を持つて私は帰つたのでございます。しかし教育長が文書によるいかなる返答をよこすか知りませんが、この点私は心に非常に暗い影を残しながら帰つて来ました。かいつまんで限られた時間で申し上げましたが、大体以上のような調査でございました。 —————————————
○辻委員長 これより義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する法律案、及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案の両案を一括して議題とし、前会に引続き質疑に入ります。通告順に質疑を許します。小林進君。
○小林(進)委員 大臣に対する質問に先だちまして、委員長に一言お願いを申し上げたいのでありまするが、実は本文部委員会が開かれまして以来、われわれは相当の資料を文部当局に要求いたしておるのであります。私が質問したうちでも、二月二十七日に、例の映写機の問題について、アメリカ当局との条約の原文の写しをひとつ当委員会に御配付願いたい。それによつてさらにわれわれの新たなる質問を開始したいというふうな申し出をいたしておるのでありますが、今日なお依然としてその原文の写しが配付されていないのであります。なお同僚諸君の質問にも、たしかまだ資料の提出の要求があつたと思います。その点はひとつ委員長においてしかるべく文部当局に御督促になつて、われわれの審議に支障なからんよう御努力願いたいと思うのであります。 なおあわせてお願いを申し上げたいことは、これははなはだ執拗な言い方で、委員長もあるいはそこまではとお考えになるかもしれませんが、しかし何と言つてもこの重大なる法案の審議の基本になるものが、いわゆる日教組の偏向教育であります。それから日教組内部における共産党の活動であります。こういう資料の要求は、一応は委員長の口を通じて国警長官が断られた。いわゆる府県別に詳しくその資料を出すことが、現段階においては非常に困難であるというようなことを委員長も了承せられたようでありますし、それから偏向教育の事例について、文部当局の資料はおそらくわが国会開闢以来見ないような非常なずさんな資料であるということについては、いまだ委員長の意思発表がないのであります。私どもは委員長から承つておりませんが、委員長は自由党所属の代議士ではありますが、しかし一方には当文部委員会の委員長として超党派的に国会の権威を保持して行くという重大な責務もあるのでありますから、その超党派的な委員長としての責務を十分お考えくださいまして、わが国会の審議に支障なからんように、委員長独特の権限において、願わくばそういう資料の提出もいま一応国警長官なり文部当局に進言督促あらんことを私は希望してやまないのであります。委員長の御返答をお伺いいたしたいと思うのであります。
○辻委員長 お答えをいたします。委員長を通じて資料の提出方を要求するように承りましたその資料の要求につきましては、その都度都度当局に申しておりますが、いまだに提出のないようなものがありますれば、一応よく事情を調べましてさらに督促をいたしたいと思います。最大限の努力を誓います。
○小林(進)委員 次にいま一つ委員長にお願いを申し上げておきたいことは、私も実は社会党所属の代議士でございますので、この法案の審議には政党色を明らかにして、何か反対のための反対でもやるのではないかというようなあるいは誤解がつきまとうかもしれませんが、私自身の本心は、そうしたけちな気持じやないのでありまして今まさに終戦後今日まで築き上げて来たわが日本の民主政治、学問の自由と平和維持に対するわれわれのたゆまざるところの欲求が今遮断せられるのではないかという、こうした一つの国家的な観点に立つて——おのおの立場が違うから、もちろん文部大臣もそうした国家的見地に立つておられると信じているが、私自身もまたそう信じてもらわなければならぬ、そういう立場から、私は私なりの能力で大いに質問の準備をしたり、あらゆる研究を続けて来たのであります。幸い私の質問の時間には制限が与えられておりませんから、私は自由に質問をさしていただくつもりでありまするが、ただしかしこの質問が本日一日をもつて終るという見通しが私はつかない。それほどこれは重要なる法案であるがゆえに、それほど私は心血を注いで勉学をして来た、研究をして来た。従つて願わくは、いつも予算委員会や他の委員会においてもしかり、重要な法案の審議が行われるときには、私が申し上げるまでもなく、賢明な委員長の御承知の通り、まず総括質問をやつて、それから各論へ入つて逐条質問をやつて、最後はまた結論に至つて、初めてその委員会の審議を終了するというのが、国会の最も懇切丁寧な議事の運営の仕方であります。そういう国会の恒例に従つて——おそらくこの教育二法案はこのたびの国会における予算の成立以上に私は重要な問題である。警察法の改正よりも重要な法案だと私は思う。第十九国会のまさに花形法案であります。汚職事件とこの教育二法案は第十九国会のまさに花形であると言わなくちやならぬ。この法案の審議をするのでありますから、願わくば私に対してきようはひとつ総括質問をさしていただいて、逐条審議はあらためてまた応分の時間をお与えくださつて質問をお許し願えるかどうか。これをひとつ議事運営にあたつて委員長の意向をお尋ねしておきたいのでありますが、いかがでありましよう。
○辻委員長 きわめて重要なる法案でございまするので、お互いに議員といたしまして十分なる審議を尽さなければならぬことは申し上げるまでもございません。従いまして、委員各位の言論は十分に尊重いたしたいと存じております。従いまして、その議事の運営等につきましては、これは理事会におきまして、議事の運営の円満を期する上におきましていろいろ御相談を申し上げてやつて参りたいと思つておる次第でございます。
○小林(進)委員 それではまず総括質問をお許し願い、逐次各論へ行くという了承を得たものと判断いたしまして、第一番に文部大臣にお伺いをいたしたいのでありますが、教育公務員特例法の一部を改正する法律案、この法案に盛られる政治活動の禁止でありますが、この法律をお出しになる前提として、一体文部大臣は教育の基本はどこにあるとお考えになつているのか、私はこれをお伺いいたしたいと思うのであります。いま少し具体的に申し上げますならば、教育基本法第一条、あるいは政治活動については第八条、ここにきめてあじやないかとおつしやいますが、その基本法が今この法律によつて制限をせられんとしている。いわば制限をすることに非常に文部大臣は力をお用いになつておりまするが、しからば文部当局としては、わが日本の教育の基本をどこに置くのか。ここに置くのだという具体的な形は少しもお示しにならない。今までのいわば教育方針はあやまつている、終戦後の教育はかく行かなければならない、こういうことで、示された教育の根底を今ゆすぶつて、それを制限しようとすることのみに力を注いでおられて、今文部大臣の描いている教育の基本方針はこうであるというものは、具体的に一つもお示しにならないのであります。どうか文部大臣の描いておられる教育の基本方針を具体的に明確に、だれもがわかるようにお示しを願いたいと思うのであります。
○大達国務大臣 戦後のわが国の教育の基本は、教育基本法に明確に規定してあるのであります。この法律案はこの内容に何らの制限を加えるものではありません。その点は法文をごらんいただけば明瞭であります。
○小林(進)委員 文部大臣は今教育基本法を何も制限するものじやないとおつしやるのでありますけれども、この法律案を審議する同じ国会議員のわれわれの立場からは、憲法にしかれている教育の自由、あるいは教育基本法にしかれている基本精神を蹂躙をせられるものと解釈しておる。大臣はこれを抵触しないというように解釈しておいでになる。これはお互いの解釈の相違であると言えばそれまででありますけれども、一応制限をせられるならば、従来の教育はここに行過ぎがあつた、これからの教育はかくかくであらねばならないということを具体的に示すのが、私は文部大臣としての親切なやり方だと思う。それをひとつお示しを願いたいという私のお願いは、決して無理じやないと思う。
○大達国務大臣 ただいま申し上げました通り、この法律は何らわが国の教育の基本に改訂を加えるものではありません。あなたがそういうふうにお考えになれば、これは見解の相違がありますが、どの点が制限を——あらためてですよ、教育の基本に制限を加えておるのか、その点を御指摘にならなければ御返答ができません。
○小林(進)委員 第八条にいう「良識ある公民たるに必要な政治的な教養は、教育上これを尊重しなければならない。」というこの条項に基いて、いわば児童生徒の政治教養を高める教育が、この二法案によつて根本的に失われてしまうというのが、われわれの最もおそれておる点であります。それが失われないで、さらに政治的教養をこの法律によつて高め得るという積極面をお示し願いたいというのであります。
○大達国務大臣 「良識ある公民たるに必要な政治的教養」これはお言葉の通り、一番大切なことであります。この良識というものをそこなつて、そうして片寄つた教育を防ぎたい、こういうことがこの法律案のねらいとするところであります。従つて八条の第一項にある政治教育の趣旨をはつきりさせたい、こういう趣旨であります。
○小林(進)委員 一昨日のこの公聴会における公述人の多数の主張でも、あるいは世論一般といたしましても、こういう法律を施行することによつて、いわば公民たるに必要なる政治良識はとうてい付与せられないというのが世論であります。この世論を否定いたしまして、そうでない、むしろりつぱな政治教育ができるのであるという大臣の確信があるならば、この世論に対しても、教養ができるという具体的な話をいま少し親切に答弁をしていただかなければならぬと思う。
○大達国務大臣 この法案に対する世論がはたしてどこにあるか、これはそれぞれ見る人によつて違いましよう。この法律案をもつて良識ある公民たるに必要な政治的教養を妨げるものであるとされるその点を指摘していただかなければ、どこが制限を受けておるのか御返事ができないと申し上げたのであります。
○小林(進)委員 それでは私は特に非常な政治的偏向であるとして、大臣が常日ごろ使われておる吉田内閣の打倒、再軍備反対、憲法改正反対などというこの主張は、すなわち政治的偏向の最もモデル的主張であるということを言われるのでありますが、どうして一体これが政治的偏向であるか、具体的に大臣の御説明をお伺いいたしたいと思うのであります。
○大達国務大臣 私はそれを政治的偏向と考えるのであります。
○小林(進)委員 いずれが一体政治的偏向であるか、国民の納得し得るような御説明を願いたいというのであります。
○大達国務大臣 政治的偏向であるかどうかは、その人の判断にまつところであります。私は政治的偏向であると考えます。
○小林(進)委員 いやしくも一国の文部大臣が、こういうようなおそるべき法案をつくらんとするときにあたつて、政治的偏向であるという結論を出されるならば、当然その結論に付随する懇切丁寧な説明というものがついてまわらなくちやならない。委員長、これは委員長にお願いいたします。こういう不親切な答弁はわれわれはこの法案の審議ができない。いま少しく親切に大臣が解説を加えるように、委員長からも御注意をお願いいたしたいと思います。 〔「偏向ということを聞いているのだ」「偏向の理由を言わなくてはだめだ」と呼ぶ者あり〕
○辻委員長 文部大臣お返事がありますか。
○大達国務大臣 私は政治的偏向であると考える。こういうことを申し上げた。あなたが政治的偏向でないとお考えになるなら、それはあなたのかつてです。
○小林(進)委員 私は大臣と討論しているのじやない。吉田内閣打倒、再軍備反対、憲法改正反対が政治的偏向だと大臣は言われる。だからその理由をお聞かせ願いたい。私は質問者の立場であります。委員長の許可を得てこの質問台に立つておる。私は大臣に質問する権利を持つており、大臣は答弁される義務を持つておいでになる。それで私が質問をいたしましたら、理由を述べて回答するのが大臣の責任であります。理由をお聞きいたしたい。
○大達国務大臣 政治的な偏向ということは、政治的に一方に偏し、一方に片寄つたそういう主張を子供に教える、これが教育における政治的偏向であると考えます。そして今あなたが御指摘になつた点がそれに該当するか該当しないか、それはあなたの判断によつてあなたの御意見がきまる。私は偏向である、かように申し上げておるのであります。
○小林(進)委員 こういう不親切な答弁はないと思う。いやしくも教育基本法によつて平和教育をやろうとするのは、教師としては最も正しい進み方だ。再軍備反対は憲法第九条に基いてやるのが一番正しい教育である。憲法の改正に反対し、平和憲法を守り抜くということは、一番正しい教育である。一体今の憲法に改正するときの総理大臣はだれだ。吉田総理大臣のこの憲法を制定するときの演説の速記録を、ここへ持つて来て見ていただけばよろしい。あなた方の尊敬する吉田総理大臣のその言葉そのものを持つて来て、ここで平和憲法を擁護し、再軍備に反対をし、憲法改正に反対するという主張が、なぜ一体偏向であるか。これは重大問題である。それを単なる主観論に帰して、お前がそれを政治的偏向でないと思うならば、小林、そう思え。文部大臣たる私はそれは政治的偏向であると考える。一体こういうような不親切な答弁がどこにありますか。あなたはかつて戦争中には内務大臣もやられた。部長官もやられた。あるいは昭南の市長もやられた。内務大臣として、警察権を握つて人をおどかして、そうした答弁をやつておるときには間に合つただろうけれども、今の民主主義の世の中には、ワン・マンといわれる吉田総理大臣といえども、あなたのような答弁はいたしません。再軍備反対を唱えるということが、何々の理由で一体偏向教育であるのか、その何々をなぜ私に言わないのでありますか。どうか御答弁を願いたい。
○大達国務大臣 しばしば申し上げておりますように、教育が偏向であるか偏向でないかということは、それに平和教育と平和の字を一つつけたから偏向でない、さようなりくつはないのであります。その授けられる教育の内容によつて偏向であるかどうかを認定すべきものである、かように考えます。
○小林(進)委員 これは一つの例でありますが、教職員の諸君が教育基本法によつて平和教育をやろうという心がけをいたしました。そういう精神によつて、この憲法が一番大切であるということを子供に教えることは、平和教育としては当然行わなければならない。その平和教育を行う最もよい教材として、かつてはこの新憲法の特別委員会の委員長としして、憲法立法化の際、国会の最高責任者であつた芦田均氏等がみずから解説せられ、そして新憲法普及会等でこれを印刷配付いたしまして、十円くらいで小学校の校長、教職員に売つていたパンフレツトを用いて、そのまま中学校の教材として解説をしている。これは私は平和憲法の教育としては一番正しい進め方だと思う。ところがそれをやつていると、今度はいつの問にやら、校長やあるいはその他の教育関係者から、その後芦田均の平和憲法に関する解説は古いから、これをおやりなさいというようなことで、外務省の役人などが書いた再軍備は必要であるというような資料を教職員に押しつけて、そしてそれを教材の参考にして教えしむるということが現実に行われておる。この外務省の役人あたりが書いた再軍備は必要であるというようなものを小学校、中学校の教職員に使用せしめるのは、一体偏向教育じやないのか。芦田均氏等のこの憲法普及会のパンフレツトを教材にして使うのが私はむしろ正しい教育の仕方じやないかと思う。私はひとつ文部大臣の御判断をお聞かせ願いたいと思う。
○大達国務大臣 芦田君がどういうパンフレツトを書いて、それを学校でどういうふうに使つているか、私は全然それについて知りません。その内容を知つておりませんから、御返事のしようがありません。
○小林(進)委員 こういう偏狭な、まことに答弁にならぬ答弁をして、この国会をごまかして、この法案の審議をはかろうとするような大臣の態度に、私は非常に遺憾の意を表する。私はまじめだ。そのまじめな質問に対して何ら答えるところがない。私はいま少しく真剣にお答え願わなければならぬと思うのであります。 それではこの政治活動の可否の問題について、いま一つお尋ねを申し上げるのでありまするが、学校などを借りて、母親教育とか成人講座などをやるときに、外務省の役人やその他の省の役人などが来て、教育基本法とは違つた再軍備をしなければならないというようなことを言う。あるいは母親学級、あるいはPTAというようなことで、学校の講堂で再軍備をしなければならぬという講演を役人がやつていることは、一体偏向教育ではないかどうか。事例はたくさんあるのであります。文部大臣としてそれは大いに奨励、黙認すべまであるとお考えになるかどうか、承りたいものであります。
○大達国務大臣 外務省の役人が云々するということでありますが、ただここに教育といつているのは、ことに義務教育において児童生徒にいわゆる教育活動として行うものをさしているのであります。PTAの人を集めたり、あるいはその他の人々を集めて演説会をする、これはここにいう教育の問題とは別問題百であります。
○小林(進)委員 しかし場所が学校であります。しかもそこに教職員もいる、PTAもおるのであります。いわゆる青年学級もある。そういうところで教員がその話を聞いて、それを児童に教えた場合に、あなたの言われる教唆扇動になるかならないかということを聞いている。あるいはまたわが国の教育方針が、平和憲法を守つて行くという方針に反して——いまだわが日本の憲法は、第九条で軍備は持たない、戦争はしないという原則なんだ。その憲法を遵守すべき国家の役人が、再軍備をしなければならぬ、軍隊を持たなければならぬと言うことは、憲法違反の行為じやないですか。その役人の行為が正しいか正しくないかということを、文部大臣の立場で判断してもらいたい。またそういう講演を教職員が聞いて、それを自分の義務教育学校の生徒に教えた場合に、それが教唆扇動にならないかどうか、そういうこともあわせてお尋ねをしてみたい。
○大達国務大臣 外務省の役人の人がどういうことをしたか知りませんが、そのことがいいか悪いか、これについてはどうぞ外務大臣にお尋ねを願いたい。 それからそういう講演を聞いた先生が、子供にその趣旨のことを教えたという場合に、いわゆる中立確保に関する法律案に抵触するかしないか、こういうことでありますが、これは御承知の通り、教職員団体の組織または活動を利用するという形式をふまなければ該当いたしません。また特定の政党を支持しまたは反対する、あるいは特定の政党の政治勢力を推進しまたは阻害する、こういう目的をもつてした場合でなければ該当いたしません。それから教唆、扇動でありますから、先生にかようなふうに子供に教えなければいけない、教室でこういうことを教えろということを言わなければ、これは教唆扇動にはなりません。
○小林(進)委員 大臣はこの法律によつて、警官やあるいは警官類似の取締官が教室の中に入つて行つて、教員の調査をしたり、あるいはその他監視監督をすることも、それはもうあたりまえで——あたりまえとは言わぬが、文部大臣としては関与する範囲ではない、こういうような御答弁、今度はまた他の省の役人がいかに再軍備、フアツシヨの主張を続けても、これまた文部大臣として関与するところではないと言われる。私は、その答弁は国会答弁としてはいいかもしれぬが、いやしくも、教育の任に当る主管の大臣としては、私は実に冷たい投げやりの答弁だと思う。そんなことじやいけませんよ。いやしくも教育なり教員諸君を愛するの精神があるならば、そういう国家の役人が教育に違反するような不当な行為や話をするということに対しては、一応遺憾の意を表するとか、やつてもらつちや困るとか、みずから教育の主管者として学園を守らなければならないというような答弁が、私は当然あつてしかるべきだと思う。そういうような言葉がこの法案の察議の過程において、大臣の口から一言も出て来ない。ただあなたは教職員を取締ることのみに汲々として、これを保護育成、守るという答弁が一つも出て来ない。私はまことに残念の至りだと思うのであります。 それでは次へ行きまして、この前の金曜日の質問を中途にして終つたのでありますが、例の山口日記の問題であります。一体山口日記のどこがいけないのか、どこが一体偏向教育に該当するのかという具体的な例を、ひとつ大臣から承りたいと思うのであります。
○大達国務大臣 山口日記は非常に皆さんが熟読しておるのでありまして、これをごらんになれば、むしろいいところが少くて偏向的なものばかりであります。これはすでにごらんになつておることでありますから、あらためてこれを時間をかけて読み上げるほどのことはなかろうと思います。
○小林(進)委員 私は実はこの山口の小学生日記、中学生日記というものを持つて帰りまして、私の近所の約三十才から四十才に至らざる主婦の人四人ばかりに出席を願つて、私は一つも予備知識を与えずそのまま投げ出して、そうして率直な批判を聞いたのであります。もちろんその奥さん連中は、全部自分の子供を小学校、ないしは中学校、小さいのは幼稚園へ上げられている人々です。わずか四人ではありますがしかし私も、願わくは率直な世論の一端を聞きたいという私のささやかな熱意の発露であつた。ところがその人たちの批判によりますると——どうか大臣ひとつまじめに聞いてもらいたいと思う。彼女たちは言いました。私たちは戦争中に——その人たちはまだ小学校あるいは女学校時代であつたのですが、当時の教育は何であつたか。顧みるとその当時の教育は激烈な戦争の最中であつて、学校へ行けばいつでも軍歌を歌わされ、君が代を歌わせられて、そうしてそのときの校長の訓辞は、今猛烈な戦争をしておつて苦しいけれども、いま少し進んで行つてどこどこをとれば食糧が一ぱい来て日本は豊富になる、いま少し進んで行けば砂糖をたくさんとつて来て日本はゆたかになつてお伊たちの生活か楽になる、だからしんぼうをしなければいけない。どこどこをとれば今度は、バナナがたくさん来る、だからわが日本の食糧は豊富になる、こういうことをいつも聞かされていたということであります。(「お前場もそういうことを言つていたじやないか」と呼ぶ者あり)もちろん私も率直に言いますが、昭和十四年の四月だ、あなたも当時はわが戦争指導の最高責任者の一人であられた、われわれはしがない兵卒の一人であつた。齢三十にして赤紙をもらつた、第二補充兵でありますから、三十にして星一つをつけて山砲をいただいたのであります。すぐ馬の顔を洗いにやらされて——自分の顔を洗わない前に馬の顔としりを洗つて、三日目に馬にけられて一週間私は病床に呻吟した。(笑)こういうようなさんたんたる目にあつた、ところが当時私は大学を卒業しておるので、幹部候補生を志願しなければ営倉に入れられるというので、泣く泣く幹部候補生の志願をさせられて、求めずして私は少尉になり、中尉になり、大尉になつた、そういう時世であります。その少尉のころに、私は新潟連隊区司令部の主計をやつておつた、そうして連隊区司令官の前で検閲をやつたり演説をやらされた。私はそのときは勝てば今に砂糖が来る、お前たちがしんぼうすれは米が来る、やがてわが日本にはけつこうなときが来るから大いに奮闘努力せよ、こういう演説をやつて歩いた、やらしたのは連隊区司令官であります。その連隊区司令官の上には軍部の指導者がいた、その指導者の上にはあなたがいた、だからあなたの命令に従いあなたの書いた原稿を私はさる芝居をしながらやつておつた。ここに戦争指導者と被害者である小林進との地位の相違があるわけであります。われわれは一銭五厘で呼ばれたのであります。そういうことを今自由党の諸君が持ち出してお前も言つたじやないかというそういう、さもしいやじを飛ばすような下劣な連中がいるということは私は歎かわしい。 私はそういうことは別にいたしましても、今言う御婦人連中にこの山口日記を見せた、彼らの感想は今も言うように——そのように今苛烈な戦争を耐え忍べば勝てる、物資も豊富になる、そういう目先の利益で釣られて何にも知らあれない教育を受けて来た。当時は都長官は——昭和十八年ごろでありますか、初代長官は大連茂雄という方であつた、あなたでございましよう。そのあなたの演説を聞きながら、私どもはそういう目隠しの教育をされて来た。そのときからながめれば、この小学生日記、中学生日記をながめて、実際今の子供は幸福だと思う。これだけの批判力とこれだけの客観的な見方を養われている今の子供は、われわれの時代と比較して非常に幸いであると思う。これが批判であります。もちろん細部にわたりますれば、私は率直に申し上げるが、ここは少し行き過ぎじやないか、ここはどうかと思うという——みんなの意見じやない、中にはそういう意見がありましたが、総括の結論としては、自分たちの過去を顧みて、実にこれはりつぱにできている、今の子供は幸福である、われわれは安心してこの学校にやつておけますというのが、いわゆる婦人連中の一括した意見であつたのであります。私の言うことがうそでありましたら、どうか大臣もひとつこの資料を隣近所の奥さん連中にまわして、率直な市井の意見を聞いてもらいたい。私はうそを言つているのではない。 内部にわたれば「メーデー」なんかの記事はどこが一体悪いのか、教えていただきたいと思います。——しからば第二の「平和憲法」、これも私どもは一生懸命に研究いたしましたが、この「平和憲法」の記事はどこが悪いのか。どこにも悪いところはない。われわれはあらゆる面から見てわからない。第三番目の「ナイチンゲールーみじめな戦争をにくむ」、これはなんかは、婦人連中は声をそろえて最もよろしいという講評を加えておる。その次の「不幸な友だち——くるしいことはみんなで—」というのも、これも講評においては、最もよろしいこんなりつぱな記事を読まされている者はないと言つている。言つたらいい。それをあなたは具体的に言わないで、総括的にいけないという抽象論でやられるから、私は不親切だと言う。その次の「日本の貿易」であります。「五月二十日東京港開港記念日」、これなんかは、中にはやや政治色を感ずるも可なりと信ずる、特に事実に反する点なし。ちやんとこういう批判が与えられておる。事実ではありませんか。事実に反するところがなければいいじやないか。あとは見解の相違だ。大建都長官の気に入らなくなつて、小林進に気に入つていれば、それでよろしい。事実を教えて、どこに一体悪いところがあるか。その次は「六月十二日金曜日」、これなんかは実に良好ではあれど、しかし文章としては平凡なりという批判です。平凡は決して偏向教育の材料ではありません。平凡は平凡なり。平凡をもつて偏向教育と断ずるわけには行かないのであります。その次の「日印平和条約」、これなんかはインドの英文をそのまま書いたものである。これは主観論じやありません。インドの英文をそのまま言つている。(発言する者あり)委員長、ぼくは汗をかいてやつておる。ちやんとひとつやつてください。こういう下劣な連中には教育を論ずる資格はありませんよ。 「再軍備反対の声がつよいのはなぜか—軍隊とよばれる軍隊」、非常によくできておる、最も良好なるものと認める。これは各人一様に賞讃をいたしました。こういうのこそこれからの教育のあらゆる教材の中に入れてもらわなければならない。平和を愛する婦人連中は声をあげてこの文章に感嘆いたしました。なぜ一体これが偏向教育か。こうしてみんなが感服しているのを、一言にして偏向教育と言うからには、その具体的例を大臣は示さなければならぬと思う。 だた小学生日記の中で、いわゆる婦人連中その他の知識層の連中が、やや事実と違つているのではないか、こう言つて疑問を投げかけましたのがその次の「気の毒な朝鮮」と称するもので、この中に中共、ソ連情報によるものが多くて、やや事実と違つておるのではないか、この戦争は、特に北鮮が平和勢力であり、南鮮の李承晩がこれに反対して、アメリカの助けを受けて、何度も北鮮を攻めて行つたというようなことは、今までわれわれが勉学して来た事実とこの内容は違つているのではないか、こういう意見があつた。これはあつたと私は率直に申し上げる。事実でしよう。世間に流布されているように、いずれもこの朝鮮問題は、北鮮が攻め寄せて来て、南鮮がそれの防備に立つたというのがわれわれの一般の常識から割出した結論ではあつたけれども、その反対に、やはり南鮮が攻めて行つて、北鮮が防禦態勢になつたのであるという主張なきにしもあらず。こういうのは共産党の主張だとおつしやるかもしれません。が、共産党ばかりではないのであります。共産党にあらざる者でも真剣にそういう主張をなす者もあつた。偶然の一致であります。しかし共産党の主張に他の主張が偶然一致したからといつて、あれは共産党である、こうきめつける偏狭な考え方があなたにある。実に恐るべきものだと思うのであります。われわれだつて社会主義者だ、共産主義者ではございません。小林はヒユーマニズムに立脚したりつぱな社会主義者であります、人道主義者であります。けれども多くの主張の中には共産党の主張に同調するものも出て来るかもしれません。その一斑が同調したからといつてすぐ共産党だ、赤だときめつけるのは、反動自由党の諸君のよくやる最も悪いくせである。そのくせがあなたにもあるのではないかということをおそれている。だからここにおいて南鮮が北鮮に攻め入つたというこの主張は、確かに仕分産党の主張に相通ずるものがあるというけれども、それが共産党の主張をとつて来たと、どこで一体断定できるか。そういう意味においてこういう一つの見方が載せられても、私はちつとも不当でないと思う。そのいい悪いは各人が判断して行けばいい。私はどこも悪いとは考えない。私は一々具体的に述べるのでありますから、大臣も具体的に悪い点を述べてもらわなければならぬ。 その次は「ソ連とはどんな国か」、やや政治的ではあるが、事実に反するところなし。これが事実と違つておつたら、大臣、お示し願いたい。そして私を納得させていただきたい。一小林を納得できないような文部大臣がどうして一体国民を納得できますか。どうか納得させていただきたい。 それから「ポツダム宣言」、これは実にりつぱにできている。この日記の中でも最優良に類する文章である。どこが一体悪いか。私はこんな要領を得た記事は見たことがない。こういう記事を教えられる子供は実に幸福だという感じを私は受けました。 一番最後に、これは大臣の立場としてはおきらいでございましようけれども、「再軍備と戸じまり」論でございます。これは山口日記の中の代表としてよくとられるけれども、これはどう言われても、私にはどこが悪いかわからない。この「再軍備と戸じまり」論のどこが一体悪いのか。私はこの前もここで文章を読んで申し上げましたが、いま一回読みます。向坂逸郎氏もこれを言つて、「再軍備と戸じまり」のこの文章のどこが一体悪いのかと、私と同じような意見を言われて「いま一つ問題になつた点「再軍備ととじまり」という文章も、これを児童に知らせていけないというほどのものでは決してない。」これは私と同じ意見である。学者はやはり小林と相通ずるものを持つている。「ソ連を泥棒にたとえるのがいわゆる「とじまり」論である。自由党や改進党の大小の政治家たちが、ことあるごとにいう議論である。これに対して「日証」の文章は、日本に軍事基地を沢山占領しているのは、一種の泥棒ではないのかという議論を書いているのである。そして「一体、どちらが本当の泥棒か、わからなくなつてしまいますね」と結んでいる。日本の子供は、このことを疑う権利を当然もつているはずである。大人が、自分たちの利害できまつた考えを子供に強制してはならない。われわれの次の世代が、他国の軍事基地が日本国内にあることをいつまでも当然のことと考えているようだつたら、われわれの祖国の未来どうなるだろうか。」大臣ここなんです。今われわれの国に軍事基地が六百も七百もある、これをわれわれの子供たちがあたりまえだというふうに考えていたら、一体日本の将来はどうなるのですか。これは大臣みずからも考えてもらわなければならぬ。私はこの文章に全面的な賛意を表しなければならぬ。「アメリカからの独立を叫ぶ人間達は、アメリカ依存と再軍備、したがつて軍需工業の利潤という目先の利益と一番安易な道しか考えない人々にとつては、障害になるかもしれない。しかし、どちらが日本の未来をほんとうに考えているかは、そう簡単にはきめられない。政治家は、旧くからやつてきた考え方にとらわれて、新しい人間の歩みを簡単に間違いときめてしまつてはならない。」いいですか大臣、あなたは残念ながら古い過去を歩んで来た人なんです。あなたが戦犯者になつて巣鴨へ入つていられるうちに、わが日本には新しい鐘が鳴つている。新しい民主的の日本ができ上つた。その新しい民主日本の建設にはあなたは参画もしなければ、事実も見ない、意見も述べない。巣鴨の刑務所でぞうきんがけか何かやつていられたのであります。そういう遮断せられたあなたが、浮世を離れたあなたが再び出て来て、この新しい日本の中に古い歩みを投げ込もうとするところに、大逹茂雄文部大臣が重大なる誤りを今犯しつつあることを、あなたに反省をしてもらわなくちやならぬと思う。こういうわけで、この「再軍備と戸じまり」は、あなたの言われるようにどこが悪いのか私はわからない。御説明を願いたい。その次の「原爆のおちた日はわすれない」、これも私はりつぱな文章だと思うのであります。 以上がこの山口小学生日記の全部に対する具体的な私の見解です。私どものあとに控える子供を小学校に入れて教育をして、現実に毎日子供を教えている、あなたよりも一番子供の教育を考えている御婦人連中とともに語り尽して得た私の結論であります。これが間違つていて、どうしても偏向教育であるとおつしやるならば、その具体的な御説明をお伺いいたしたいと思います。
○大達国務大臣 小林君が戦争中筆紙に尽しがたい御苦労をされましたことは、まことに御同情にたえません。しかしもう少しすればバナナが来るとかなんとかいう教育を私が命令をしてやらしたとおつしやいましたが、そんなくだらぬことを言つた覚えは一切ありません。あなたが山口県の日記について世論の代表としてお選びになつた四人の御懇意な奥さん方、いろいろ詳しい御説明がありましたが、その奥さん方の御意向、あなたの御意見、さらに向坂なる人物に非常に感服しておられるようで、長々とお読み上げになりました。承りましたけれども、遺憾ながら私は賛成をいたしかねます。私は結論的には反対であります。
○小林(進)委員 決して私は大臣に賛成をしてもらうために読み上げているのではないのであります。そしてまた私は大臣と討論をするためにこうして汗をかいてしやべつているのじやないのであります。私は血も涙もない冷血な人間じやない。その辺においては、私はあなたの十倍も血も涙も持つている。人間性においては、おそらくあなたの十倍くらい私はでき上つておるだろうと思う。(「独断だ。」と呼ぶ者あり)独断かもしれぬ。だから願わくは、この十のうち一つでもよろしい、私を納得せしめるような御説明をお伺いいたしたいというのです。私はあなたに質問をしておるのであります。
○大達国務大臣 山口県の小学生日記は、もちろんその記述全部が偏向的なものであるというふうには考えておりません。ことに今あなたが初めごろにお読み上げになりましたような、つまり初めころに書いてあることは大体無難であります。あなたが読み上げるのを省略されつつ、非常にけつこうであるとおほめになつた辺あたりからが、だんだん変になつて来ておるのであります。私は一つ一つがどうである、こういうことは申し上げませんが、さような記述というものをまとめて全体をごらんになつてどうお考えになりますか、一定の方向をさしておる、そちらに子供の頭を向けようとする記述である、私はこういうふうに判断をいたしておるのであります。
○小林(進)委員 そこまで来れば私は認識の問題だと思う。おいおいに私はまた大臣に質問をいたしたいと思うのでありますが、今のお話がありましたから、それに関連をして私の質問の順序がやや前後して参りますけれども、よく大臣は児童は白紙だ、この白紙の児童にこういう一方的な偏向教育を植えつけてはならないとおつしやつたが、今これを全部読んだその感じがやや偏向であるというふうなことをおつしやつた。そこまで感知し得る者は、自由党の文部委員諸君と文部大臣、その少数ながんこな連中じやないかと思う。(「ノーノー」)むしろいたいけな児童の白紙の頭を侵害し汚毒しておるものがあるとすれば、こんな山口日記じやないのであります。毎日起つておる汚職事件、造船問題ですよ。あるいは運輸大臣が百万円もらつた、これはこの前も自由党の諸君が、私が質問したら、それはこの法案の審議とは別個の問題だといつて憤慨いたしましたが、私は別個の問題じやないというのです。そういう日常起つておる問題こそがいたいけな子供たちのすなおな白紙の頭を害毒し侵蝕しておる。文部大臣がほんとうにいたいけな子供をそうした思想偏向や汚職から守りたいと思うならば、こんなつまらない、現実にそれほど被害を及ぼしていないような問題に血道を上げて全国民を反動のロープの中に押し込めないで、なぜ手近なそういう問題に対して文部大臣としての見解を明らかにされないのか。児童を守り教師を守るという立場からも、濁つた現世界、あなたの所属しておる政党を初め他の政党、他の政治家の腐敗、その問題に対して教育を守る立場から逐一適当なる処置をおとりになろうとしないのか、これを私はお伺いいたしたいのであります。
○大達国務大臣 今日の社会亜活の上でいろいろな社会悪というものがある、これが子供に悪い影響を与える、これは十分に考えられることであります。しかしあなたの言われるように、そういうことがあるからこんな偏向教育というようなことはちつぽけなことでどうでもいいじやないか、こういうようなことはりくつにならぬと私は思うのです。私は御承知の通り文部大臣であります。私の担当する面におてい日本の教育を守りたい、かように考えておるのでありまして、外で強盗事件があろうとも、殺人事件があろうとも、汚職事件が起ろうとも、それがあるからといつてこの法律を出しては悪いというりくつにはならぬと思うのであります。
○小林(進)委員 私はこの法律が必要であるないという論争はあとでまた言わしていただきます。必要であるとしても、何もこんなに画一的な統制法規をつくらぬでも、PTAもあるじやないか、父兄もあるじやないか、教育委員もあるじやないか、教員を監視しておる地域社会があるじやないか、しかも世界にないようなこういうくだらぬ法律をつくらぬでもよろしいという結論を持つておりますが、それはそれといたしましても、今の文部大臣の説明は私はいささかも了承できない。外に汚職があろうとも、あるいはどこなりに不逞な悪い事件が起ろうとも、文部大臣としては管轄外だからかかわり知らぬ、警官が取締りのために教壇を荒そうとも、そんなことはかかわり知らぬ、文部大臣としましては何でもいい、取締り法規をつくればよろしいという考え方は、私は了承できません。できませんが、次に移つてお伺いいたしたい。 次は、教職員のいわゆる組合活動に対して大臣の見解をお聞きしたいのであります。この二法案を制定せられる根本は、どうも日教組の一つの行き過ぎを、法律すなわち権力で押えようというのが大臣の考え方であるように見られておるのであります。そういう見方であるならば、終戦後でき、今九年を経た今日の日教組の動向というものについても、大臣は十分御研究になつていると思うのであります。終戦後から今日に至りた日教組の動向を一体どんなぐあいにお考えになつておるか、所見を承りたいと思います。
○大達国務大臣 お答えする前に、先ほどの私の答弁に対して、非常に偏向的な解釈をされております。これはしかし速記録をよくあとでごらんくだされば、あなたが今言われたような答弁はした覚えはないのでありますから、それはよくおわかりになると思います。 終戦以来日教組がどういう足どりで動いて来たかということについてお尋ねでありますが、私は実はそこまで研究いたしておりません。今日の日教組のあり方については、ある程度承知しております。しかしながらこの前に申し上げましたように、日教組はそれほど正体を明らかにしておらぬのであります。従つてこれも私が知り得る程度における知識であります。終戦後からどういうふうに動いて来たかということは、これは知り得ればけつこうでありましようが、しかし当面これを知らなければこの法律案を提出することができない、そういうウエートは持つておらぬと思つております。
○小林(進)委員 私はおもに職場を単位とする教員組合の活動については非常に興味を持ち、できるだけの資料の収集に努めたし、研究もして参つて来たのでありますが、その結果に基けば、職場を単位とする教員組合の運動というものは非常に下火になつて来ているのでありまして、この点むしろ大臣の立場とはまた異なつた立場に立つて、非常に残念なことだ、遺憾なことだということを私は考えておるのであります。これも私だけの結論を申し上げますと、また主観だとおつしやると悪いから、新聞の記事を参考にして申し上げるのでありますが、二十九年一月五日の読売の記事であります。それによれば、職場を単位とする教員組合運動が下火になつて来た、あるいはその例として福島の若松支部などでは四月の役員が八月になるまできまらなかつた、東京の文京区や中央区では、組合に出て赤だと言われるよりは入学試験の準備教育をみつちりやつて、父兄からのつけ届をもらつた方がいいということで、支部役員は二学期まできまらないのが通例になつておる。これが一月五日の記事であります。こういう例を私自身も、私自身の町村の結果について知つておる。なおまた若松支部では校長と教頭が組合を脱退し、いわゆる教育研究大会に行きたければ、休暇をとつて行け、こう言つて教職員を弾圧して、校内では職場大会も開けぬような日教組の職場組合もある。こういうことが明らかにせられておる。これに対して会津の女子高校の高橋哲夫教諭はこれを説明して、こういう組合運動が下火になつたのは先生方の心の中に巣食つているいわゆる立身出世主義——あなたの一番好きな主義だ、こういう立身出世主義が災いしておる。「組合運動が盛んな時は、組合を足がかりにして役職につこうとした教員が今では典型的な反動となつて組合活動にブレーキをかけている。今は組合に出ることは栄達の手段ではない。」出世の障害になる。こういうふうにまでかわつて来ているということを批判をいたしておるのであります。終戦後せつかく与えられた働く者の基本権利、団結の権利、団体交渉の権利、あるいは団体争議権という働く者に与えられた基本三権のうちの、その団結権までも教職員が放棄して、まさに自己だけの立身出世主義に陥つておるというようなことは、これこそ日本の教育のために最も慨嘆すべき傾向だと思う。文部大臣のこれに対する所見をひとつ承りたいと思うのであります。
○大達国務大臣 先ほども申し上げましたように、現在組合活動がどういう状態であるか、これはよく私にはわからぬのであります。ただ教員組合が、組合員の言われるところによればいわゆる教育労働者としての団体である。その意味において、組合活動が健全に発達すべきことは、私はもちろん望ましいことであると思います。
○小林(進)委員 いやしくも民主主義を口にする行政官であるならば、この組合活動がすなおに発達することをこいねがい、この組合活動を保護育成して行くということが第一の責任でなければならぬと思う。いやしくも働く者の地位の向上というものは、団結権と団体交渉権と争議権、この三つを守つてやつて行く以外に民主主義はない。働く者の権利の擁護はない。けれども教職員の特殊なる地位とか、あるいは特別なる慣行、立場によつて、そのうちの争議権をあるいは剥奪して与えない。これは社会全般のために、憲法に規定する基本人権のうちのいわゆる争議権を剥奪するということも、ときにはあり得るだろうけれども、そうした基本人権の剥奪というものは、あくまでも最小限度に行わなければならぬ。幸いにして大臣は働く労働者として組合活動をやることは大いによろしいことであると、まことに切ないような肯定の御答弁をなさいましたが、今のわが日本の教職員たちがこうした当然の自分たちの権利、憲法に定められた、働く者に与えられたその権利をも放棄して、団結権までも放棄して、自分だけの立身出世主義のからに立てこもつて、そうした観点から教育を行うことになつたら、これこそ偏向教育であり、わが日本民族のために重大なる弊害が生ずるのではないかと思う。こういう立身出世主義、組合を弾圧せしめるような教職員や校長や教頭のあり方が、一体正しいとお考えになりますかどうか、もう一回私は大臣から承りたいと思うのであります。
○大達国務大臣 この法律案では職員組合としての教職員組合を断圧するものでないことは、これは自明の理であります。ただ教育を守る、その意味において提案されておるのでありまして、今あなたがおつしやつたことは、この法案には直接何ら関係がないことであります。何も教職員の職員団体としての動きにこれは制肘を加える、そういう筋合いのものではありません。但し教員組合が教育そのものの面において、いわゆる職員組合として当然考えられる活動でなしに、邪道に入つて来れば、この法律で制肘される場合があります。
○小林(進)委員 大臣のおつしやることは、これは答弁としては成り立つのであります。成り立つのでありますけれども、こういう法律を制定せられたあとで、教職員の感じというものは一体どういうものになるか、言わずもがなであります。それはどんどん教員組合を脱退し、教員組合の結成をきらい、あるいは政治関与のような組合活動は全部やめて、何といつても自分個人のからの中に立てこもつて、いわば無性格な教育技術者になることは火を見るより明らかであります。あなたは教職員組合を弾圧するのではない、教員を弾圧するのではないと言われるが、この法律は事実、結果においては教職員組合に対する重大なる弾圧であります。そんなことは、なるかならないか、結果を見ればわかることであつて、もしそれが、あなたが詭弁ではなしに、腹の底からそう信じて答弁をされるとするならば、あなたの頭脳は実に大がかりな大反動のまた反動だといわれなければならぬ。今日要路に立つべき人とも思われない、そういうことも私は言わなければならぬ。おそらくそんなことは承知して、単なる答弁のための答弁を繰返されておるのだと思う。一国の文部大臣がそういう不誠実なその場限りの答弁をされるのは不謹慎過ぎると思う。 しからばその次にお尋ねを申し上げる。この法律をつくつたことによつて、教職員組合がさらにすなおに発達して、りつぱな組合活動ができて、自己の基本権擁護のための団結権を強化し、あるいは交渉権を強化できると一体お考えになるかどうか、私はいま一度御答弁を願いたいと思うのであります。
○大達国務大臣 私は教職員組合が現在のようなあまり組合本来の立場を逸脱したようなことはおやめになつて、真に職員組合としてあるべき姿に立ち返ることを希望しておるのであります。
○小林(進)委員 私は大臣の組合論をまだ承つたことがないのでありまするが、あなたが職員組合としてのあるべき姿とおつしやる、そのあるべき姿は、どんなものを一体正当な組合活動とお考えになつておるのか、私はそれをひとつお伺いいたしたいと思うのであります。
○大達国務大臣 現在日教組はいろいろな政治的な治動をしておられる。見ようによつては政党とほとんど選ぶところがないという状態である。ことに末端の義務教育諸学校の教育活動、教育内容に対して、いろいろ干与するような指令を流したり、いろいろなことをやつておる。あるいはまた最近の例によつてもわかる通り、教職員の組合であるものが、学校の運営面について指令を流して、ついきようですかきのうですか、とにかく全国的な動きをしておる。こういうことは職員組合たる教員組合がやるべき仕事じやありません。だから、そういうことはおやめになつて、組合本来の面目に邁進精進せられたらよかろう、こういうことを申し上げておるのであります。 〔「名答弁、々々々」と呼ぶ者あり〕
○小林(進)委員 私はちつとも名答弁だと思わないのでありまして、「めいとう」にもにもいろいろありましよう。迷える答もあれば明らかなる答もあり、また木村保安庁長官が何とかいう宗教の会長さんからもらつた名刀もある。「めいとう」もいろいろありますが、私は大臣の答弁は決して名答だとは思わない。大臣のその考えを推し進めて行けば、あなたが戦時中におかかわりになつた翼賛青年団と同じことだ。時の政府に協力をする翼賛団体のあり方をあなたは一層好ましい組合活動とおつしやる。組合活動というものは、時の資本家、時の経営者に対して自己本来の基本権を擁護するというのが正しいあり方でございます。時の経営者や時の政府の考えと同じになつたら、それは組合でないのであります。憲法に定める組合というものは、時の権力や時の経営者や資本家や、自分たちと利益の相反するものに対して、弱き者が団結して、団結の力で自分たちの基本権を守るというのが組合本来の目的なのであります。だから教職員組合が組合として正しいあり方にあつてほしいとあなたは言うが、団結して、時の誤れる権力者に対して、働く者の自分たちの権利を守るというそのあり方が、教職員組合として一番正しいあり方だと私は思います。間違つておりましたら、ひとつお教えを願いたいのであります。
○大達国務大臣 私は今あなたのおつしやつたことと何も矛盾することを申し上げたのではない。教員組合は、組合本来の面目を捨てて、いらぬことはあまりしない方がよろしい、邪道に走るようなことはしない方がよろしい、それを希望するということを申し上げたのであります。
○小林(進)委員 どうも私は邪道、正道などというような言葉では了解できない。私は、組合そのものに対する大臣の認識と考え方に根本的な誤りがあると思う。しかし私はここで大臣と論争するのではございませんから、もう組合活動はやめにしますけれども、少くともあなたの考え方は、こうして憲法で定められた、敗戦によつて初めて教職員諸君、他の労働者諸君が獲得をした、働く者に与えられた基本権を根本的に弾圧して、時の為政者、権力者の意のままに動く組合が一番よい組合であるという考え方でおられることだけは、私はあなたの気持を推察できる。これは戦時中にあなたが指揮命令をとられた翼賛青年団、翼賛壮年団と同じ考え方であるということを、私はいま一度申し上げておかざるを得ないのであります。 次に、組合論を離れて、大臣にお尋ねをいたしたいのは、一体五十三万のわが日本の教員たち、先生たちは何を考えておるか。教師としての先生の本来の希望は一体何であるか。ひとつ大臣のお考えを承りたいと思います。
○大達国務大臣 私は五十万教職員の方々が何を考えておられるか、それは存じません。しかしながら教職員である以上のつぱな教育をするということを念願せられることを切望しております。
○小林(進)委員 卑近な例で恐縮でありますが、おまわりさんになれば、何とか人を縛つて点数をかせぎたい、検事になれば、何とか犯罪を自白せしめて成績をあげたい、判事になれば、公正な裁判をしたい。人職業によつておのおのの希望が私は心のうちにわいて来ると思う。人を教えるという立場にある先生たちの、その職業から来る本来の偽わらざる希望は何であるか。大臣は何であるとお考えになつておるか。それを私はお聞きしておるのであります。
○大達国務大臣 ただいま申し上げた通り、教育基本法の精神にのつとつたりつぱな教育をする、これが教職員の念願するところでなければならぬ、かように思います。
○小林(進)委員 大臣は教育者としての感覚がございません。何を質問してもピントが合わない。ちようど二十年の歳月の開きがありますから、これはしかたがありませんが、私は先生方の考えを代表して、いま少し具体的に申し上げて質問をしたいと思うのであります。今日本の教師がどんな希望を持つているか。これは何新聞ですか、出所はちよつと忘れましたからあとで申し上げます。私の意見を申し述べるのではないのであります。千葉でも静岡でも東京でも、教師の希望はと聞いたとき、ひとしく無着成恭のような仕事がしたいと異口同音に答えた。その教師の道標となつている青年無着成恭氏は、私は学校よりも山がすきです、それでも、字が読めないと困りますという山びこ学校の佐藤清之助という教え子の訴えを聞いて、読む力、書く力、つづる力、聞く力、教える力、そんな力を全部の人が持つてくれ、そう祈りながら、いや泣きながら、赤鉛筆を削り続けているのだよ、このぼろぼろこぼれて行く削りくずの一片々々に希望をこめて……。「吹雪の中」という彼の著作の中にこうした教師の祈りを彼は書いている。こうした書く力と読む力と、一人前の子供になつてくれという祈り、この気持が、すなわち教壇に携わつている教師の気持である。千葉でも東京でも静岡でも、記者諸君が手わけをして探訪に行つた結論はそうなんだ。大臣、これが日本の教師のほんとうの気持なんですよ。この観点に立つてあなたから教育を論じてもらわなければならぬと思う。過重な労働と闘いながら、あの不自由な薄給に甘んじながら、あの忙しい仕事にいそしみながら、なおかつ無着先生の持つておるこの幸福を自分の幸福にしようと、育ち行く子供たちの成長を祈りながら一生懸命教えんとしておる、これが日本の教師のほんとうの気持であり熱意であろうと思います。この点はいかがですか、大臣の御所見を承りたいと思います。
○大達国務大臣 ただいま申し上げました通りそういうことを希望せられることを私は切離しておる。これは同じことをもう二、三べん申し上げました。
○小林(進)委員 切望ではないのでありまして、私はこれが現実の日本の教員たちの気持であると信じておる。大臣は切望する——今あなたが主管する五十三万の教師がそうなることを切望しておる。今やはりあなたは教師をどろぼうか何かのようにお考えになつておるのですか。日本の教師は悪党であるとお考えになつておるのですか。悪党であるか、どろぼうであるか、不逞の徒輩であるか、たからそうなることを希望する。私はこれが現実の姿だと言うのだ。あなたは幸いそうなることを希望すると言う。一体どつちが教師に対する正しい認識の仕方であるか。
○大達国務大臣 あなたはその新聞記事を見て、日本の五十万の教職員がみなさような気持でおる、こう断定しておられる。私はそういう大胆な断定はいたしません。人間というものはとうとい気持を持つと同時に、またよこしまの気持もあるのであります。だからしてそれらの先生方がりつぱな気持を持つていただきたい、これを希望する以外に、そうであるかないかと言われたつてこれはわからない。
○小林(進)委員 大臣はどうも冷たい男だ。ろう人形のような精神に触れた気持で、私みずからもぞつと身の毛のよだつような感じを受けたのであります。これが検察官であり、あるいは国警隊長であり、あるいはまたときに裁判官でもあるならば、その答弁は許されるかもしれない。しかしいやしくも教育の任に当る最高首脳者だ。人の精神は善なりといういわゆるヒユーマニズム、人道主義に立つてこそ教育というものは成り立たなければならぬ。その教育をつかさどつて、みずから人格の陶冶をもつて人を指導育成するという、これが教育者の本来の立場でなければならぬのでありまして、そうした重要な主管者の地位におられる文部大臣が、いまだ依然として自分の掌轄する五十三万の教師を全幅的に信頼することができず、それはそういう教師もいるだろうけれども、やはり悪いやつもおると考えられていられる大臣は、私は実に残念しごくにたえないのであります。あなたが教育者ならば、現実に悪いことをして手を縛られて教師が監獄へ行つても、判決が下るまではあの教師はやはり正しい教師であつた、私の部下としていとしい教師であつたと、なぜそういうあたたかい気持になれませんか。そういうようなあなたの人生観、物の考え方は実に冷たい。へびよりも冷たいですよ。そんなことで日本の教育を論ぜられたのでは、私は重大問題だと思う。悪いけれども、あなたの前任者である岡野さんは商人上りだつたけれども、あなたのようなそんな冷たい答弁はされなかつた。彼はもつとあたたかかつた。ましてその前の天野さんあたりは切々としてヒユーマニズムに徹した答弁をされて、ものの一時間も質疑応答しておると、聞く者も答弁する者もほのぼのと心のあたたまる思いがした。あなたに質問をしておると、三十分から一時間、一時間から一時間半、心がまつたくひえびえとして来る感じで、今にもあのフアツシヨと独裁と権力のままに、まさにわが日本が戦争に持つて行かれるような実に冷たい感じを私は受けるのであります。もうここは論争の点ではございませんので、どうかひとつそういう気持をかえて冷静に考え直して、私の言うことに御同調を願いたいと思うのであります。 そこで今あなたは、日本の教師はそういう気持になることを希望する、同時にそういう教師も現実には全部ではないけれどもおるということをおつしやつた。しからばその教師たちの希望、いわゆる無着成恭になりたいというような祈りをこめて、いわばあらゆる困難と闘いながら教育の理想に邁進しております教師たちの現実の希望を、今日障害しておるものは何であるか、これをひとつ承りたいと思うのであります。
○大達国務大臣 どういうお尋ねかちよつとはつきりしないのですが、先生方がその気持になつて一生懸命でりつぱな教育をしたい、こういう考え方でおられるならば、私は今日何ものもそれを妨げるものはないと思うのであります。今日の場合、先生さえその気持になれば決して教育の上に思う通りに行かないという点はあるはずはない、こう思つております。
○小林(進)委員 いやまことにこれはおそるべき答弁であると私は思う。それならばもし大臣のその答弁が正しいならば、われわれ何も学校建築の費用の増額の要求運動をやつたり、あるいは老朽せる校舎の建築の問題に予算の獲得戦をやつたり、あるいは学校設備の充実のためにわれわれはここで委員会を開いたり、そんなことは何もやる必要はないはずであります。その教師たちがほんとうに子供のために精神を打込んでりつぱな子供を教育したいという、その前途に幾多の障害があるから、われわれは国会で予算を組んだり、文部委員会を開いたり、予算委員会を開いたりして、その教師たちの希望を達成してやらんがためにあらゆる努力をしておるじやありませんか。それを、教師たちが子供をりつぱに教育しようと思えばもう何ら不足がない、やろうと思えばりつぱに教育は完成できるなどという、そういうあさましい答弁をされては、もう私は実際泣いても泣き切れぬ。それで文部大臣が勤まるのならば、小林進なんか大昔に文部大臣をやつております。ひとつかわつてもらいたいくらいだ。(笑声)そういうことでなしに、いま少し真剣にひとつ御答弁を願いたいと私は思う。これも新聞の記事でありますが、教師に障害を与えておるものの第一は教師の貧乏である。この願いを妨げておるものは貧乏である。低賃金であります。これは静岡県の米軍基地に近い印野地方の先生方から得たレポートでありますが、「本はもちろん、くつ下もたびも買えない。服どころかシヤツ一枚買えないうちに月給が飛んでしまう。教師の希望を粉砕しているものがさらにある。貧乏覚悟で教師になつたのだからがまんもする。しかしやり切れないのは雑務の多いことだ。」、文部大臣、あなたの考えなくちやならぬのはここなんですよ。雑務が多くて、そうして自分たちの教育の理想を持ちながらも実現できないという、この日常の煩雑な雑務を取除いてやる、貧乏から釈放してやるというのが文部大臣の使命でなくちやならぬ。あなたはその本来の使命を忘れておられる。一体教師の雑務がどんなに多いかという一例としてここに掲げられておる。第一には教師の仕事の内容であります。これは本来の仕事だ。第二は授業のほかに研究会を持つ。第三番目には外部団体から赤い羽、緑の羽、白い羽などの依頼事項が多い。こんなことも大臣としては大いに考えてもらわなくちやならぬことだと私は思う。それから四番目には集金事務がある。いろいろな集金を学校に依頼される。第五番目には調査報告書の要求、地方教育委員会なんというようなものができたから、さらにこの調査報告が複雑いたしまして、教師本来の仕事を非常に困難ならしめておる。第六番目には、欠勤に伴う臨時の補教。第七番目には、町村諸会合などで学校が利用されるために要求される労働であります。女の先生なんかには、ほかの組合、団体のためにわざわざお茶くみをやらせる。福島県なんかは給仕のいない学校がたくさんある。授業中の女の先生をひつぱつて来てお茶くみをやらせておるというような実例が幾つもある。あなた方御承知だつたら、なぜそういうことを解決してやらないのでありますか。それが文部大臣本来の仕事ではありませんか。第八番目には、設備や教材の不備に伴う労働の強化。薄給に甘んじながら、設備や教材が不足して、一体どれだけ先生が苦しんでおりますか。第九番目には、指導要録というものもつくらなければならない。十番目には、通知簿の記載もしなければいけない。第十一番目には、進学の指導もしなくちやいけない。第十二番目には、そのほか日直もしなければいけない。第十三番目には、宿直もしなければいけない。第十四番目には、そのほかに各教え子の家庭訪問もしなくちやいかぬ。第十五番目には、学校給食の世話、あつせんもしなければいけない。こういうようなわけで、今数え上げただけでも十六、七。まさに忙殺されてやりきれないような雑務の中に埋もれて、しかもわれわれの第二世の子弟の教育に甘んじておるこの教師に対して、あなたは一片の同情がわいて来ませんか。文部大臣、ほんとうにこういう気の毒な教師のために一片の同情の涙を注いで、煩雑な仕事から解放し、相当の給与も与えて、われわれの第二世の子弟の教育のために、ひとつ歴史に残るようなりつぱな教育の基礎をつくり上げようとするのが、巣鴨から出て来た大逹文相の、これこそほんとうに晩年を飾るりつぱな仕事でなければならぬと思う。あなたは一体これをおやりになる気があるのかないのか、これをひとつお尋ねしたいと私は思うのであります。
○大達国務大臣 教育環境をよくするために、いろいろ予算的な措置を講ずる必要がある。また先生がいろいろ雑務の負担からのがれ、教育に専念するようにして行かなければならぬ。一々ごもつともであります。私どもも同様な気持を持つて、この教育関係の予算の獲得その他に鋭意努力を重ねておるのであります。ただ先ほどのお言葉によると、りつぱな教育をしようと思つても——思えばできるはずだということを申し上げたことに対して、学校がボロ学校ではぐあいが悪いとか、設備が足りない、従つてりつぱな教育はできない、こういうことをおつしやつたのでありますが、教育環境、あるいは設備、校舎等の問題とは違つて、教育自体は、先生がそのつもりで、純一済雑なりつぱな教育をしたい、こういういう気持があれば、それでできないはずはないと思うのでありますが、設備がないからりつぱな教育はできない、こういうものではない。先ほど例にあげられたように、みな無着先生のような教育をしたいと言つておる。無着先生は何もりつぱな校舎におつて、非常にりつばな設備を使つて教育をしておられるのではないのであります。先ほど申し上げたのは、あなたは途中から設備の問題にお入りになりましたが、これは教育者の気持の問題と、それに必然ついて来る教育内容のことを申し上げたので、設備とか施設とかは、それはおのずから別問題でありますから、それを混同しないようにしていただきたい。
○小林(進)委員 それは今おつしやつた第一の大臣の解説によつてその点半分は了承いたしました。あなたがそういう気持でおつしやつた気持は了承いたします。だから前々からも私が言つておるように、答弁は懇切丁寧に解説しなさいと言つておる。解説すれば、ある点十分の一くらいは一致する点があるのであります。それはそれにしておいて、精神的な要索をあなたは今言われた。その精神的な要素を言えばまたしかり。明治維新、松下村塾、それは何もないようなあばら屋の中でも西郷南州も生れれば、当時生れて来ておれば小林進も生れて来たのであります。そういうりつぱなものが生れて来るのであります。(笑声)しかしいやしくも今回あなた私は精神問題を聞いているんじやない。文部大臣は行政官でありますから、やはりそうした精神を込めて、山びこ学校の中でも教育をしたいという教師たちに、いわゆる行政官文部大臣として見た場合には一体どういう障害があるかといつたら、あなたの答弁としては精神問題じやない。はやり物的問題の障害を懇切丁寧に羅列して、だからこれの排除のために努力するという答弁をするのが私は当然だと思う。あなたは努力しているとおつしやつたけれども、ちつとも努力していないじやありませんか。あなたが大臣になられてから——一兆円予算なんというものをつくつた政府の方針もありましよう。あるいはまた軍事予算がふえた都合もありましよう。俗にいうさいの河原といいますか、今までわれわれが、あるいは、働く父兄や大衆諸君が、文部行政のため一つ一つ積み重ねて来た既得の権利が、あなたが文部大臣になると同時にガラガラツとくずれたじやありませんか。たとえて言えば教科書の無料配付、これだけでも獲得するために、一体終戦後院の内外を通してどれだけのものが努力したか。みななくなつたではないか。あるいは私立学校振興法だつてそうじやないか。せつかくの補助金が減つちやつたじやないか。ふえていないじやないか。大逹文部大臣ができて、一体努力の跡が何がありますか。今つくり上げられるのは、教師を圧迫し、人をいじめ、全国民反対の中にこの取締りの反動立法をつくり上げるということだけだ。どこに行政官としてあなたの努力の影があるか、お伺いしたいと思うのであります。
○大達国務大臣 私の仕事について御批判は自由であります。これは十分御批判を願いたい。ただ非常に文部省が教育に冷淡である。いわゆる無情冷酷である。教育については全然関心を払つていない。予算もみななくなつてしまつたといううなことを言います。これは日教組が言つているのであります。あなたが今言つておられるのは、日教組が言つている。それは事実について御検討の上で発言していただきたい。
○小林(進)委員 たまたま私の発言が日教組の発言と同じであつただけで、この前から私が申し上げておつたように、私の主張はときには共産党の主張と同じ場合もある。それをもつて私を共産党員とあなたは断定する、そういう悪いくせがある。その偏向をおやめなさいと私は忠告したばかりです。まだその口の乾かないうちにそういうことをおやりになつている。それがいけないのであります。 この問題は別にいたしましても、ほんとうに今の教師の前途に障害をいたしているものは、あなたの言われる日教組とか、あるいは政治的偏向の問題じやないのだ。日常におけるこうした雑事とか、薄給とか、設備の不完全とかいうことがその理由であるということを私は申し上げているのでありますが、私の質問の一環としていま一つ申し上げたいことは、特に女教師の問題であります。女教師というものがいかに雑務に追われ、しかもその生涯を通じて悲惨な境遇に置かれているかということをあなたは一体どの程度まで認識されているか。これは先ほども言いましたように福島県でありますが、四〇%の学校には小使がいないのである。女教師が雑用を一切引受けて、そうしてお客さんが来ると、授業中でも教室に呼びに来られて、お茶くみをさせられている。こういう実例があるのであります。これこそは教育の偏向なんという問題じやない、実に重大な問題である。お茶くみにひつぱり出されて教育がうまく行きますか。そういう問題を解決するのが、文部大臣としての第一の仕事じくないか。こういうことを解決してやつて、なおそのほかに偏向教育やら不当なるやり方があつたら、それから徐々にあなたの大好きな取締り法規をおつくりになつてもいいはずだ。緩急順序を間違つていると私は思う。女教師の生涯はいかに不安の連続であるか。これはけさの新聞にも平林たい子女史が論じておりましたが、とにかく助教諭の時代は、整理の対象になるのではないかとおどおどして、いつでも不安の中に投げ出されている。三十代は、結婚をして、出産による能率低下のために、これまた肩身の狭い思いで教職についている。子供が大きくなつて、やれやれというときになると、退職の勧告が行われて、もう女教師が四十を越すと、高給をやらなければいけない、こういう高給の教師を雇つておくよりは、それで新進の若手の教員が二人雇えるなどということが、まさに全国的な言い伝えになつている。そうしていやでもやめよかしな勧告が行われているような、こうした悲惨な現実の中にあつて、産休は十四週間とることが許されておりますけれども、調査の結果によれば——これは調査人員が二百七十四名であります。そのうちでわずか十七人だけが十四週間の休暇をとつた。あとは全部まだからだが旧に復しないにもかかわらず、飛び出して教壇に立ち、お茶くみをしている。この現実をいかに一体大臣は解決せられるお考えであるか、お伺いいたしたいと思うのであります。
○大達国務大臣 授業中の女教師が、お客が来れば授業をやめて茶をくまされておる。こういうことを仰せられましたが、そういうことがあるかないか存じません。それは私ははなはだ望ましからざることだと思います。これは管理者たる校長の良識にまたなければならぬ。もし全国至るところ、ことごとくそういうことをしておるとすれば、これは私どもとしても勧告その他の方法によつてこれを是正しなければならぬと思います。しかし授業中に呼び出してお茶をくませるということにきまつているわけでもないじやないかと思います。これは実情を調べなければわからぬことであります。それから女教師がだんだん高給になるといいますか、年輩の方には辞職の勧告が行われるというようなお話でありましたが、これは実際はいろいろ財政的な関係、それぞれの地方団体における予算の関係等によつて、そういうことがあり得ると私は思います。しかしそれが妥当であるかどうかということになれば、これは人事権を持つておる教育委員会の良識によつて、公平に予算と合うように処置されるべきものでありまして、これを私どもが事情をわきまえずに、いいとか悪いとかと批評することはできないのであります。
○辻委員長 小林君、わき道へそれているとは申し上げません。いずれも重要な教育上の問題でございまするが、特に法案を中心にひとつ御質疑をお進めいただきたい。そうしてもうあなたおやりになりましてから一時間四十分ばかりになりますが、私、時間の制限もいたしておりませんし、発言は尊重いたしまするが、何でしたら一体みして、おかわりになつたらどうかと思いますが、ずつと続けておやりになりますか。
○小林(進)委員 委員長の御忠告はまことにありがたいですが、私の質問が、あるいは法案審議の総括質問からはずれておるとおつしやるのであれば、その都度私は委員長の御忠告を受けたいと思うのです。あなたはこの委員会を統制しておるのでありますから、ある程度私はあなたの統制には服する義務があります。疲れているか疲れてないかということは、これは委員長、余分な御発言でありまして、私はいささかも疲れておりません。(笑声)私の質問はまだちようど序の口に入つたばかりであります。まだ本論へは遠いのであります。私は非常に心身ともにさわやかになりつつありますから、その点は御心配なく、十分私の発言をお許し願いたいと思います。
○辻委員長 どうぞお進めください。
○小林(進)委員 私はただいま委員長からのお話もありましたので、次にやや本論に近い方向へ近づいて行きたいと思います。この法案については、土曜日の公聴会の席上でも言われたのでありますが、わが日本のあらゆる言論機関といいますか、新聞社の中でこの法案を支持しておる新聞社は全国ただ一社だけであつて、あとの新聞社は全部反対しておる。こういう明確な輿論の動向を示す公述人の発言があつたのであります。なおそのほか小学校長の会あるいは中学校長会その他PTA、信濃教育会等あらゆる組織ある団体が全部あげて反対をいたしております。本日もまたわが新潟県から町村会の代表PTAの代表等が大挙して参りまして、反対運動をいたしております。その中にも大臣はこれをがんばつておられる。そのがんばつておられる大臣の頭脳の中には、文部省官僚特有の非常に片寄つた性格に基く錯覚がある。こういう心理解剖がなされておるのであります。私はこの大臣が性格的に錯覚を起しておられるというその点をやや解剖いたしまして、御質問を申し上げたいと思うのであります。 ただ、その質問の前に、土曜日の読売新聞の金久保論説委員の公述の中にこういうことがあつた。これは重大問題であると思いますから、特につけ加えて御質問するのでありますけれども、宇治山田の日教組の大会にはスターリンの写真が玄関に掲げてあつた。それから日教組の本部に行くと、スターリンと毛沢東の写真が事務所の中に掲げてあるということを大臣みずからがおつしやつた。こういうことを言う大臣云々という発言が金久保氏からあつたのですが、これは実際にあつたかないか、大臣がこういうことをおつしやつたのかどうか、ひとつお聞かせを願いたいと思うのであります。
○大達国務大臣 金久保君ですか、この人にそういう話をしたかどうか、私は記憶をいたしませんが、ただそういうことを人に聞いたのです。日教組の事務室にそういうものが飾つてあるという話は全然私は聞きません。宇治山田の大会のときに中共からのメッセージを読み上げ、スターリンの写真を飾つておつた、こういうことを聞いたのです。私は見たのではありませんから、それがほんとうともうそとも言いません。たまたま昨年のいつでしたか、日教組の諸君が私に面会を申し入れられて会見をした際に、そういうことがあつたという話だが、ほんとうかということは私は聞きました。それだけのことであります。
○小林(進)委員 私はこの発言を非常に重大視いたしまして、はたして宇治山田の大会に日教組がスターリンの写真を掲げたかどうか、私は知る範囲において調査の手を差伸べました。同時に日教組の本部とかあるいは事務所にスターリンや毛沢東の写真が掲げてあるかどうか、これは私の秘書をすぐに飛ばして調査をさせました。そして質問をしたのでありますが、日教組の事務所の中にはスターリンや毛沢東の写真はございませんでした。これが大臣の発言だとすれば、人を陥れる重大な発言だと思う。私は事実かどうかしらないけれども、人から聞いた話だという。一国の大臣がそういう人づての話でもつてその組合の法人格あるいは個人の人格を徹底的に傷つけるような発言をされるなどということは、私は実に言語同断なことだと思う。大臣はこれに対して事実を確められたのか、確められないのか、確められないで、そういう発言をされて、事実上これがなかつた場合に、一体あなたはこの重大な言葉に対してどれだけの責任を負われるか。宇治山田の方は、日教組の諸君に聞いたら、そんなことはないと言つておる。今、同僚の理事の松平君から調査の報告が私のところへ飛んで来たのですが、これによりますと、日教組の右の大会場に掲げてあつた写真は、スターリンの写真ではなしに、吉田茂の扁額である。これは大会前から学校で使用していたものであるというのです。いかに文部大臣あなたは日教組憎し憎しで、物事がみんな黄色に見えるといつても、吉田茂、あなたの親分の写真をスターリンの写真と見違えるまであなたは偏狭になられたのではいけません。この事実を一体いかんとなしますか、御答弁を願いたいと思います。
○大達国務大臣 あなたは私が先ほどお答えしたことをよく聞いていらつしやらなかつたようであります。ちよつと聞いておつてください。私は宇治山田でスターリンの写真がかけてあつたということをある人に聞いたのです。だから日教組の諸君が見えた場合に、宇治山田でスターリンの写真を、かけたという話ですがほんとうですかと、これは私が日教組に聞いたのですよ。そうしたらば、とんでもないことだ、こういうことでした。そこで、それはむろんそうだろう、日本でやる会合だから、モスコーでやるのじやないのだから、そういうことはないということは私もそう思つておつた。これだけのことであります。その後間もなく、何新聞だか忘れたが、何か論壇に小林武君が書かれた文章の中に、大逹文部大臣は日教組の事務室にスターリンの写真をかけてある、こういうことを言つたということを、この新聞の小林君が署名した論文か何かのうちに書いてありました。これはそんなことを小林君に言つた覚えはありません。私は小林君がおられたところで、こういう話を聞いたがほんとうかということを聞いてみた。それだけのことだ。いわんや日教組の事務室にそれを掲げてあるなんということは言うはずはないのです。それをそういうふうに聞き違えて言われたんだと思う。日教組の事務室にかけてあるということを私が金久保君に言うはずがない。これはあり得ないことであります。その辺はどつちでもいいことだから、ばかばかしいことだから、私は詮索しないだけであります。
○小林(進)委員 これは私は金久保氏の公述を聞いただけの話でございますので……(笑声)公述人じやないか。正式にここで論じたわけでありますから、普通に聞いたのとは違う。ちやんとこの国会で万人注視の中で行つたことであります。あなたに金久保君がどういう径路でその話を聞かれたかということは、一応確めてみなければ、文部大臣と論争する筋合いのものではございませんので、この点は一応大臣の御答弁を了承いたしまして、はなはだ遺憾ながら御信頼を申し上げまして私の質問を一応留保することにいたします。 ただ先ほどスターリンのではなしに吉田茂の写真と私は言いましたが、吉田茂氏の書でございましたから、書と写真はひとつ御訂正を願いたいのであります。 次に、これも私の意見であると、主観が入つて誤解を招くと悪いですから、これもある一つの著書の中から得た、文部官僚に対する、片寄つた性格の錯覚と称するこの批判を、私は率直に読み上げまして大臣の御答弁を願いたいと思います。「われわれが取上げたいのは、大逹文相をはじめ、現在、文教の任にある人たちの持つたかたよつた性格であり、その官僚権力癖である。」大臣、いいですか、あなたの片寄つた性格であり、その官僚権力癖である。田中文部次官談として、これは毎日新聞の十五日付だが、「「文部省の措置を逆行だと非難するのは的外れだ。文部省といえども意味なく旧態の復活を図ることなどあり得ない」と。だが、これは一方的ないい方であり、良識ある万人はだれもこの弁解を信じないであろう。」「われわれは、日教組と共に個人としての人間の貴重な自由、考える自由、思想の自由を最後まで守るために、文部官僚の救われない偏見と戦わなくてはならない」「文部省と日教組の間には、おたがいに「不信」とミゾがある。だが、現状を冷静に見ると、文部省はみずからの偏見に反省なく、民主主義のマスクをかぶり、法律の力では何とも出来ない範囲に介入し、きわめて陰険な態度で思想の自由を奪うための足がかりを作ろうとしているように思われる。純粋な教育活動をつづけ、七十年の歴史を持つた「信州教育会」までが奮起して「警官に教壇をふみにじられるな」と叫び、政治活動を封じようとする文部省案に反対しているのは、一例ではあるが、無反省な文部官僚に対する厳正な批判であろう。」私はまさにこれは天来の声であると思うのであります。「法律の力で思想の自由は断じて奪われない。」あなたは今法律の力で、権力で、思想の自由を奪おうとしておられる。「法律の力で思想の自由は断じて奪われない。奪われたような外観を呈するであろうが、人間生存の理由である「自由」は、必ず反発する。文部省は外見的な統制をめがけ、内在的なレジスタンスを増大させようというのか。もしそうだとすれば驚くべき錯覚である。」あなたは権力で人の思想を押えて、心の中に一つの大きな反抗のうず巻を今ゆり動かそうとしている。あなたのきらいなフアシヨの勢力を内在からわき立たせるような大きな錯覚を侵しておいでになる。この点に対してひとつ忌憚ない御所見を承りたいと思うのであります。
○大達国務大臣 これは読売の論説のようでありますが、この類のことは非常にたくさん印刷物あるいは演説等によつて言われておるようであります。これは私に対する批評が主でありますが、批評はその人のかつてであります。ただ悪口を言うことはさしつかえありませんが、おのずから常識上限度はあろうかと思います。 それから私が特にこういう類の世論といいますか、遺憾に思いますことは、これをただ反動である、あるいは権力による弾圧であるという非常に強い言葉で非難を浴びせるだけで、法律案自体についてどの点がどうだということの議論がちつとも行われない、中身をほつたらかしておいて、私どもからいうと中身とは全然違つた内容を前提としていわゆる悪罵、批判が行われておる。これは私はあたり前の世論を喚起するゆえんではないと思うのでありまして、非常に遺憾と存じます。ただいろいろ非難を受けることはこれは私の不徳のいたすところであつてやむを得ません。
○小林(進)委員 私は大臣の立場にとつてあるいはそういうようなお考えが出て来るかもしれないと思う。今は大臣は詭弁ではなくて、やはり自分の日ごろ考えておられる不満をここですなおに縷述されたのであろうと私は思うのであります。しかし、大臣の立場からはそういう法案に対して何ら具体的なことを述べないで非難攻撃しておるのではないかとおつしやるが、同じことは立場をかえればわれわれの方からも言い得るのであります。先ほどから私はこれほど声を大にして質問しておる。日教組がそれほど一体政治の中立性を侵して偏向教育をやつているか、最近の日教組の動向はどうかと、重大な問題でありますからお伺いすれば、日教組の動向は知らない、研究してないとあなたはおつしやる。一体あなたは教育に携つておる現在の教職員たちが願つておるほんとうの心からの願いは何だと質問すれば、私はわからない、どんなボロ校舎の中でも教育はできるという。しからば一体この教育の二法案を必要とする偏向教育の実例はどうかといえば、まことにずさんきわまりない二十四の例を出して、このような例証がある、ほんの一例ではあるが、それだからこれが必要であるというようなことをおつしやる。共産党が非常に日教組に影響力があるとおつしやるから、しからばこの五十三万日教組の中に共産党員がどれだけいて、どの地区でどれだけの活動をしているかという具体的な例を示せと言つたら、おれの範囲じやない、警視庁に聞けという。警視庁に聞けば、トータルは示すけれども内容は言えないという。われわれの方から言えば、この法律に示す具体的な例と具体的な研究が大臣の方には何かでき上つておらなければならない。あなたは人を責めるには実に峻厳であるけれども、おのれを責めるには、あなたほど寛大な人はない。それではいけません。あなたが内務大臣のときにはそれでいいだろう、取締官のときにはそれでいいだろうけれども、いやしくも教育行政をつかさどる、人格をもつて人を導こうとする文部大臣としては、そういうようなやり方はいけません。ほんとうにこういうような世論の批判にあなたが身を切られるように切ないならば、あなたみずからが、われわれの質問に対して、いま少し寛大でなくちやならぬ、いま少しりつぱでなくちやならぬと思うのであります。そういうようなことで私は非常に残念でありますが、あなたは、この文章は非常に偏狭であるとおつしやる。あなたは人を非難するにもほどがあるとおつしやつたが、これは決して一新聞の論調ではない。これは私は毎日と言つたが、あるいは読売新聞の間違いであつたかもしれません。とにかく二月十六日であります。しかしこの記事は私の考えとまつたく同一であります。共感を感ずる、私の意見と同じでありますから、私の意見になりかわつてこれを読み上げたわけであります。私の意見と申し上げてもいいわけであります。がしかし、大臣のおつしやるように、読売新聞でもやはり発行部数三百万、四百万の全国に散らばつている新聞である。世間の共感を呼ばなければ、新聞の面目と信頼に関する重大問題である。車夫馬丁の非難の言葉であるかのごとき、悪口であるかのごとき答弁をあなたはなさるけれども、私はそれほど軽視すべき論調じやないと思う。大いに尊重すべき論調であると思うのでありますが、あなたの性格の中には確かにこれがある。片寄つた性格、官僚の権力癖、偏見に反省なく、民主主議のマスクをかぶり、きわめて陰険な態度でいらつしやる。これはその通りです。しかも何ら反省のない、文部官僚の姿をそのまま現わしておる。 私はここで一言お伺いしたいのであります。これは大臣、いやがらせじやないのでありますから、ひがまんで聞いてください。私はあなたが文部大臣でなく、ほかの経済大臣、通産大臣、大蔵大臣、建設大臣であるならば、私は決してあなたの過去を人のいやみのように追究しようとはしないのでありますが、いやしくも教育に携わる、人の人格を預かつて行く文部大臣という地位だけは、私はほかの経済大臣と同様に論ずるわけに行かぬ、こういうふうに考えますが、大臣はいかがでありましようか。お答え願いたいと思います。
○大達国務大臣 これは、私から答弁する限りじやありません。
○小林(進)委員 私はそう考えるのであります。偏狭の問題が出ましたからでありますけれども、大臣が経済大臣であるならば私は万雷の拍手を送りましよう。あなたの剛毅にして片寄つた性格は、日本経済を持つて行くためには確かに有用であるかもしれぬ。けれども、文部大臣としてあなたがその職につかれるということは、私はあなたの人格を疑わざるを得ない。あなたはかつて、ともかく戦争中は何といつても小磯内閣の内務大臣をやられたのですよ。(「もうわかつたよ」と呼ぶ者あり)わかつたじやない。いや、私は、これはあなたが文部大臣だから言わしてもらいたい。私の気持も察してくれ。私は決してへんぱな気持で言つているのじやない。文部大臣だから私は申し上げる。いいですか。文部大臣をあなたがやられたのは、——大正五年に東大の政治学科をあなたは卒業なさつて……。
○辻委員長 小林君、ちよつと本筋を離れて行くようでありますから、本筋におもどし願います。
○小林(進)委員 御注意を受けましたから、やります。これは教育の基本を論ずる重大問題です。いやがらせじやない。こういう重大な教育の思想統一を——あなたは思想の統一、取締りを小磯総理大臣のときに、昭和十九年にやつて来られた。思想の統一をして、国民を叱咤激励して、戦争の中に突入せしめた最高の責任者なんです。いいですか。その思想統一をして国民を暗黒の世界に陥れたあなたが、今度その反対に、思想を緩和して思想の自由を与える方向に任務を全うせられるのならいいけれども、同じ歴史を今あなたは繰返そうとしておる。あなたの生涯を通じて二度もそんな悪逆なる行為をして、それで一体あなたの生涯はよろしいのか。悪逆ですよ。思想の統一ではありませんか、思想の取締ではありませんか。しかもあなたは思想の偏向だとか言つている。あなたは剛毅不遜だといわれるが、あなたくらい気の小さい、あなたくらい自信のない人はないと私は思つております。人とは見解が違う。ただあなたは、官僚特有な、時の権力に密着する一つの異常なる神経を持つていらつしやるのがあなたの特徴である。戦時中にはあなたは東条英機という時の権力者にだにのごとく密着して、東条を背景にして国民を戦争に突入せしめた。そうして戦争の訓辞を与えている。(「逸脱している」と呼ぶ者あり)逸脱ではない、重大な問題です。そうして今度あなたは吉田内閣のときにまわつて来て……。
○辻委員長 小林君、再度申し上げますが、質問をなさつてくだい。
○小林(進)委員 質問ですよ、これは。重大な質問です。
○辻委員長 前提が長過ぎます。
○小林(進)委員 質問に入りますが、そう言つては何だか、これが天野前文部大臣であるとか、あるいはほかの教育者だつたら私もほかの質問のやり方があるが、少くとも、一回わが日本の歴史を逆転したあなたのよごれた手によつて、こういう思想統一の二法案を出して二回日本の教育をよごしてもらいたくない。こういう法案をつくるのには日本中であなたは一番不適任者である。その不適者のあなたがこういう法案をやるということは了承できない。まつたく私は公憤おくあたわざるものがあります。かつては戦争中に東条内閣に密着したあなたが、今度は吉田というワンマンに密着して、同じような官僚特有の臭覚をもつてこの法案をつくろうとしている。何と言い訳してもだめです。喜んでいるのは吉田さんだけだ。あなたは、吉田を喜ばせれば当分政治生命が続いて生活には困らないというずるい考え方だけで、信念も何もない。そういう考え方であなたはこういう法案をつくつておられるのであります。(「そういう脱線したことはだめだ」と呼ぶ者あり)脱線じやない。重ねて申し上げますが、あなたは、こういう教育弾圧法をお出しになるからには、過去のわが日本の歴史もよくお調べになつてもらいたい。過去の日本において、こういうような教育を弾圧した法律をつくつた前例があるのを御存じならばお教えを願いたいと思います。
○大達国務大臣 長々と私の個人的な問題についてお話になりましたが、私は、さようなでたらめな御批評は全部御返却を申し上げます。 それから、こういう法律案の前例があるかということでありますが、これはありません。
○小林(進)委員 私はでたらめじやないと思う。いやしくも教育の統制法をつくろうというあなたが、戦時中に内務大臣をやつたことも事実だ、取締り法規を強化したことも事実だ、思想を統一したことも事実だ。その前歴を有するあなたが、そのために負けたわが日本が、反省のために一切の取締り法規を放棄して民主主義をつくり上げるという岐路に立つた今日、また再びこれを逆行せしめているじやないか。この法律をつくるのは逆コースである。あなたがそれに対して適任者だというような考え方があることは言語道断過ぎると私は思う。 〔「本論に入れ、そういうまくら言葉をべちやべちややつていてはだめだ、委員長注意してください」と呼ぶ者あり〕
○辻委員長 何度も注意いたしております。 〔「やおちようだ」と呼び、その他発言する者多し〕
○辻委員長 お静かに願います。 小林君、法案そのものについて御質問をなさつてください。御質問になるにはいろいろと前提もありましようけれども、あなたはまるで前提ばかりで法案に対する御質問が少いように思いますから、もう少し本論に入つてください。
○小林(進)委員 わが日本の過去の歴史においては、やはり教育の思想を弾圧した事例がありますよ。私は法律を言つているのではない。弾圧の歴史がある。私みずからもその経験があるから申し上げる。私は思いつきを言つているのではない。いいですか。土日曜にここへ公述に来られた京都大学の学長をやつておられるあの滝川さんが、昭和八年、時の文部大臣は鳩山一郎氏だ、あなたも御存じでしよう。そのときに彼は義務教育学校の教育の内容について弾劾したのではない。大学の教育について弾劾をした。今の日教組じやないが、滝川幸辰氏が刑法学者として発表した刑法学の中における内乱罪、それから姦通罪、姦通罪は社会的非難にまかしておく方がよろしい、内乱罪は勝てば官軍、負ければ賊軍だから、こんなものは刑法は挿入すべきじやないという二つの学説を出した。それが時の官僚によろしくないというのでにくしみを受けて、そして官僚の勢力に押されて、時の文部大臣鳩山さんが現京都大学学長滝川幸辰氏の馘首を命じた。命じたとき全国の学生が全部騒いだ。輿論も沸騰した。大学の自由、学問の自由と研究の自由を干渉するのか、文部大臣はそれほどまでの干渉権限がないという全国的な大問題が起きた。そのときは私も被害者の一人だからよく知つているのであります。私はそのときはまだ在学中であつた。昭和八年七月一日本郷の仏教会館に全国の文化大学の学生を集めまして、私が主催をして、学問の自由と研究の自由を剥奪する時の文部大臣鳩山一郎は即時辞職せいという勧告文を私が読み上げている際中に、ちようどあなたが支配しておりました取締り官憲、本富士署の警官が全部白い洋服を着て二百名も来ている。われわれ代表は黒一色で四百名くらい。私が文部大臣の辞職勧告文を読んでいるときにそのまま本富士署へ連れて行かれて、そしてたらいまわしにあつた。私は悲惨な経験をした。けれども弾圧した文部大臣は一体どうだつた。これがしかも十二年たつた終戦直後に、ああやつて自由党をつくりながらもあの教育に対する弾圧が遂に鳩山総裁をして、総理大臣から追放せしめて、とうとう今日はどうも足が動かないというような形になつて総理大臣の地位を失つた。このように重大な教育の自由の剥奪にあつておる。いわば大学の教育の自由の剥奪にあい、干渉にあつておる。しかもあのときに文部大臣は大学の教授の首を切る権限がないにもかかわらず、当時のわが日本のフアシヨ勢力菊池とか、蓑田とか、あなたの大すきな右翼の学者等を前駆にして、貴族院からこれを圧迫する声が出て、遂にそれに追われて不当に首を切られた滝川幸辰氏は今をときめく京都大学の学長だ。そういうわれわれは過去の歴史を知つている。そういう弾圧の歴史の中に私みずからが——本富士署へ行つてください、私が締めつけられ、痛めつけられた記録がおそらくまだあるはずだ。そういう悲惨な事実をわれわれは経験しているが、いつでも思想や学問を弾圧した者の末路は気の毒なものだ。弾圧せられた被害者が学長になり総長になりしている。この鳩山一郎の過去の姿が未来の大達何某の姿にならぬとだれが一体保証するか。そういうような教育を弾圧する経歴を再びあなたにやらしたくないから私は言うのだ。滝川幸辰弾圧の問題についてあなたの御所見をひとつ承りたい。
○大達国務大臣 あなたが苦労されたのは軍人時代だけと思つたら学生時代も大分苦労されたようで、その点は同情にたえません。あなたはこの法律案を教育を弾圧するものである、こういう前提のもとに、前例があるとさつきおつしやつたのは、弾圧の前例があつたという意味でお聞きになるのならば、私はこの法律は教育を弾圧するなどとはとんでもないことだと思つております。それで滝川博士のことをおつしやいましたが、これは何にもこの法律案と関係のないことであります。
○小林(進)委員 この法律が教育の重大なる弾圧であるということは、私だけが言つているのではない。ここに矢内原忠雄氏の論文がありますから、これも私はひとつ参考までに申し上げておく。みなこれは私の意見であります。矢内原さんが私の意見を盗んだように私の言うことを言つておられる。これを私の意見として申し上げると主観論と言われるから、私はこれを主体にして御質問を申し上げる。 一体教職員の自主性とは何ぞ。私はいよいよ徐々に本論に入りますが、まず第一に、あなたが「教育二法案のねらい」と称して「矢内原東大総長に反論」こういう見出しで、これが二十九年の二月二十二日でありましたか、読売新聞で連載されて、「偏つた教育防ぐ」「ためにする反対論は遺憾」であるという見出しであります。それが載つておる。その中に私はこの文章を読んで非常に多くの疑点を持つておる。その疑点を一つ申し上げますが、第一には先ほど御質問したのとやや重復しますが、「政治に対する良識による判断力を阻害するものとして、厳重に排除せらるべきである。ことに純白なる児童の脳裏に政治的にかたよつた素地が植えつけられることは、児童らの将来を政治的に方向づけることであつて、私は、これくらい罪の深いことはないと思う。」こういうことをあなたはまず第一に言つておられるのでありますが、今日純白な児童の頭脳を侵しておるものは一体何であるか、これをひとつ私はお尋ねしたいのであります。今日児童の純白な頭脳を墨黒々と荒しているものは何であるか、私は聞きたいのであります。
○大達国務大臣 今日私どもの認識では、学校教育の場において一方的に片寄つた政治的主張を児童に印するがごとき教育は行われておりません、かように思つております。
○小林(進)委員 私はその片寄つた教育の事例としてはどんなものがあるかということで、先ほどから山口日記を一つ一つ繰返してお尋ねいたしましたけれども、遂にあなたの的確な回答を得なかつた。私はあなたの最も重点とせられるこの純白な児童の頭脳、脳裏を侵しているものは、今日の教職員や日教組のいわゆる偏向の教育ではない。具体的な例を一つも私は知ることができない。私はそれを知るために苦労している。私が具体的な例を示してもらいたいと言うと、あなたは山口日記だといつて、具体的な例はないけれども、総体的にみると偏向教育の方向に行くだろう、こういう抽象論で逃げておられる。いやしくも人の権利を剥奪するような重大なる法案を出すにあたつて、具体的な例も示さないで、そういうようなりくつを言われる。この文章は私は非常にごまかしがあると思う。 次に私はお伺いいたしますが、これはあなたのおつしやる法案の説明文でありますからお伺いする。「公務の執行についての最小限度の要請である。もし公務の処理が、これを担当する公務員の恣意にしたがつて行われるとすれば、それは実質的に国家活動または公共団体活動の崩壊を意味するものといわなければならない。この点を保障するための現行法制は、直接の個人の場合における具体的な公務の処理そのものを対象として禁止、制限を加える方法をさけて、公務員個人の政治的行為に制限を加え、公務員をして政治的中立の立場を保たしめることによつて、その公務の適正なる処理を期待する方法をとつているのであつて、特別職を除く一切の公務員は現にこの制限に服しているのである。」このあなたの主張は一体正しいとお考えになつているかどうか、お伺いいたしたいのであります。
○大達国務大臣 自分で正しくないと思うものを書くわけはありません。
○辻委員長 小林君、ちよつと申し上げまするが、あなたは今非常に精神さわやかで調子が乗つておると仰せになりますから、御用意なさつたその御質問をずうとおやりいただきたいと思いますが、時間も相当来ておりますので、なるべく質問の中心を何していただきますように、せつかく御用意くださつた御質問だけはきよう終りたいと思いますから、どうぞひとつお願いいたします。
○小林(進)委員 御注意に従いまして、しごく要を得て、本論に入つて質問いたしたいと思うのでありますが、今の文部大臣は教職員というものを一般公務員と同様にお考えになつておる。これは土曜日の公述人の中からもその意見が出ましたが、一般の公務員あるいは一般の官吏というものは、政府で決定いたしまして方針がきまれは、いわば行政の中立性といいますか、従属性といいますか、その中立性、従腐性に従つて、一旦きめた国の方針に従つて、それを正しく無批判に実行するというのが、一般官吏、一般公務員の正しいあり方でございましよう。けれども、私は教職員の公務員の立場は、政府の方針や、きまつた国の決定事項に対して盲目的に追随するのが教職員じやないと思う。その決定せられたことを自由に批判し、これを客観的にながめて、それを導いて行くのが私は教育公務員の特別の任務じやないかと思う。大臣のこの主張は、一般公務員も教職員公務員も、国家の決定事項に対してはともに平等でなくてはならぬというような話をせられておりますけれども、そこにこういう法律を出される大臣の大きな間違があるのではなかろうか。私は公務員としての教職員には、常に政治的に、あるいは国家の決定事項に対してある程度客観的に見、しかもこれを批判的に見る自由が与えられなければならないと思う。この私の主張に対して大臣は一体どうお考えになるか、伺つておきたいと思います。
○大達国務大臣 私もその通りに考えております。また一般の公務員も、政府の都合のよいように働くのがあたりまえだとは思つておりません。
○小林(進)委員 次に私はお伺いいたしたいのでありまするが大臣は、「この場合、特に指摘したいことは、」ということで、「制限せられる政治的行為の範囲は一定の局限せられた行為だけである。例えば選挙運動とか政党の役員になるとか、特に政治に深入りするような行為に限られているのであつて、政党に入党する等のことはさしつかえないことであり、殊に世間に伝えられているように、一切の政治的意見をいうことができなくなるというようなことのないのはもちろんである。」こういうようなことが言われているのでありまするが、一体この法律によつて、一部分の政治活動を制限するにとどまるものであるかどうか、私はこの点をお伺いいたしたいと思う。いわゆる三十六条第二項に基いて人事院規則を遵守しなければならない。人事院規則によつて縛られている。あの人事院規則をわれわれがながめてみれば——また各論のときに私はいろいろ詳しくお尋ねを申し上げたいと思つているが、むしろあの人事院規則をおつかぶせられた教職員諸君の政治的自由は一体どこにあるか。われわれは政治的自由を数え上げるのに苦労する。何もできないようにでき上つているじやないか。それを大臣はこの文章では、単なる一部的な制限にすぎないということを言われているのであります。これは一体良心的に言われているのかどうか。ほんとうに良心に恥じないならば、しからばこの法律や人事院規則をおつかぶせられているところの教職員はどれだけの自由を持つているか、ひとつ箇条書きにお聞かせ願いたい。
○大達国務大臣 これは人事院規則をごらんになればわかることであります。手近に申し上げますと、今日国家公務員として人事院規則の適用を受けているはずの大学の教授矢内原君にしても、その他の人々にしても現にこの問題についてきわめて活溌な意見を述べておられる。これは人事院規則で拘束せられていないからであります。これが何よりの証拠であります。
○小林(進)委員 大臣は、今の人事院規則によつて、国家公務員あるいは国立大学の諸君が自由に政治活動をしているではないか、こういうようなことを言われているのでありまするが、それに対しては、矢内原総長がその点を的確に指摘せられている文章がここにあります。昭和二十九年二月二十四日の読売新聞に「現在、国立学校の教員は国家公務員法及び人事院規則によつて、政治的行為について厳重な制限を受けている。もしこれらの法令を厳格に適用するならば、教員の思想の自由は窒息して、教育、ことに政治上の問題に関する教育はほとんど行われなくなるであろう。それ故に「教育に従事する者の職務と責任の特殊性にかんがみ」るならば、現行の国家公務員法及び人事院規則による政治的行為の制限を教育公務員に対してはゆるめるという方向にむかつて改正することが正しいのである。」これであります。大臣いいですか、あなたは今人事院規則あるいは国家公務員法があつても、大学の先生たちは自由に政治活動しているとおつしやる。これはしかし黙認といいまするか、まだその弊害が出ておらないから、そのまま放任しているという形のものである。いわばこの人事院規則はまだ仮死の状態に眠つている。けれどもこの恐るべき法律がある限り、あなた方がこれを発動させた場合には、いわゆるここでいう厳格にこれを行つた場合には、一つの政治活動もできなくなる。だからこの法律を厳正に行うか、緩慢に行うか、今のように必要がない場合にはこれを眠らしておいて、あなたのような詭弁を弄して、この法律があつたつてさしつかえなく政治活動を行つているじやないか、そういうような言いのがれをされる材料にはなつているが、時代が進んで行つてこれを厳格にやつたら、窒息する以外はないのであります。これを一体どうお考えになるか、承りたいのであります。
○大達国務大臣 はなはだ失礼でありますが、私は人事院規則そのものについてごらんになつていただきたいと思う。あなたは矢内原君の論文を議論の元としておるようでありますが、問題は人事院規則であるから、人事院規則をよくごらんになれば、これは一番はつきりする。人事院規則は特定の政党を支持したり、あるいはこれに反対するというような目的をもつて一定の政治行為をする場合を規律したものが大部分であります。矢内原君がその総長の地位から見ても、今日人事院規則が仮死の状態にある、あるいは厳格に適用されておらぬということを奇貨として、人事院規則に違反するような言動をされるはずはない。東大の総長ともある人が、そういうことをするとは私は考えたくない。だから矢内原君の言われたことそれ自体、教員を窒息させるとかなんとかいうようなことは、まつたくあられもないということを申し上げた。もしそうでないとすれば、矢内原君はみずから国家公務員の地位におりながら、人事院規則を司直の手で厳格に発動されないということを奇貨として、承知の上で人事院規則に違反することをやつておられる、こういう結論になります。私はそうは思いません。
○小林(進)委員 文部大臣の今言われたことは、私ははなはだ詭弁であると思うのであります。日にちは忘れましたが、この人事院規則については社会党の左の野原君が質問をいたしました。そのときにあなたは人事院規則の内部については私は知らない、こういうような答弁をされたことがあつた。私はあとで速記を読みます。そのときにあまりに不穏当な発言なので、私は議事進行に名をかりて関越質問をやるつもりで委員長の名前を呼んだが、委員長は発言を許さなかつた。私はそのままで終つたのでありますが、あのときのあなたの答弁は今でもある。この法律が施行されると、好むと好まざるとにかかわらず、教職員諸君はこの人事院規則の第五条、第六条によつて縛られる、あらゆる権利を剥奪されるこの法律に対して、あなたはそれを専門じやないから知らぬ、こういうような答弁をしている。自分のもとにある五十三万人の教職員諸君が、この法律をやればその規則に縛られる、その法律を的確に知らぬというような答弁をあなたはしておられた。この五条、六条条を私は何日研究したかわからない。しかしどこに一体政治活動の自由を許しておる範囲があるか。第一あなたはこの規則を知らぬなどという答弁は不見識きわまる。知つているのか知らぬのか、説明がつくのかつかぬのか、それを承りたい。
○大達国務大臣 私は人事院規則を知らぬなどということを申し上げた覚えはありません。ただ人事院規則について有権的な解釈をする立場を持つているのは、これは人事院であります。これを申し上げたのであります。私は知らぬなどとは申し上げません。しかし人事院規則というものは人事院の規則でありますから、それに対して有権的な解釈をする立場は人事院自体であります。そしてそれに違反になつて告発されるとかなんとかいう場合には、その解釈は裁判所がするでありましよう。しかしながら行政庁としては人事院が有権的解釈をする立場である、こういうことを申し上げたのであつて、人事院規則を知らないなどと言つた覚えはありません。あなたは人事院規則の解釈は矢内原君が有権的解釈をされるようにお考えになつておるようでありしますが、私は人事院が有権的解釈を、するものである、かように考えております。
○小林(進)委員 有権的解釈というのは私はどういう意味か知らぬのであります。有権というのは権威があるという意味なのかもしれませんが、なるべくひとつ口語で新しい文語体でお話願いたい。そういう古典的言葉では解釈に苦しまざるを得ないのであります。 それはそれにいたしましても、委員長、今理事諸君の方から今日の理事会の申合正せは五時に委員会をとじる約束であつたがという通逹を受けているのでありますが、私の質問はこれで終つていないのでありまして、あるいはまた明日質問の継続を委員長が許されるならば、私は継続いたします。
○辻委員長 ちよつとお待ちください。大体五時見当に終ろうというような申合せはなるほどいたしました。しかし本日は始まつた時刻もおそうございます。なお先ほど私が、あなたが一時間四十分をおやりになりましたときに御相談を申し上げようといたしましたところが、今一番調子が出ておつて、大いにその質問の材料もそろえておる、これから本格的にやるのだと仰せになりましたから、多少時間はおそくなりましても、願わくはあなたの御質問を続行していただきたいと存じます。但し理事のお方の間においてそういうお打合せが今できましたならばそれは別でございますが、それでない限りは続行していただきたいというのが委員長の希望であります。 ちよつと速記をやめて。 〔速記中止〕
○辻委員長 速記を始めて。本日はこの程度で散会いたします。 午後五時四十一分散会